...

ダウンロード - きなっせやつしろ

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ダウンロード - きなっせやつしろ
小倉
八代への
交通アクセス
熊本IC
120分
40分
46分
鹿児島IC
120分
博多駅交通センター 熊本交通センター
140分
長崎
鹿児島空港
宮崎駅
100分
200分
60分
動車道
別府
大分
阿蘇
熊本
三角
天草空港
水俣
人吉
九州新幹線
宮崎
八代よかとこ物産館
八代市松中信彦
スポーツミュージアム
宮崎県
球磨川
征西大将軍懐良親王御墓
五木村
八代海
水上村
日奈久ゆめ倉庫
日奈久ドリームランド
「シー・湯・遊」
南九
州西
廻り
自
道
車
動
道
車
動
自
州
九
山江村
芦北町
お問い合わせ
球磨村
八 代 よかとこ 宣 伝 隊(新八代駅内) 〒866-0824 八代市上日置町4772-10
〒866-8601 八代市松江城町1-25
八代市観光振興課
八代市観光物産案内所(新八代駅内) 〒866-0824 八代市上日置町4772-10
八 代 観 光 案 内 所(八代駅内) 〒866-0831 八代市萩原町1丁目1-1
電話0965-31-8200
電話0965-33-4115
電話0965-35-6627
電話0965-32-2436
熊本県八代市
http://www.yatsushirostory.com
平成24年度 文化庁文化芸術振興費補助金(文化遺産を活かした観光振興・地域活性化事業)
(H25.2.25発行)
ここ八代は
二本杉峠
天下人・豊臣秀吉が
ふれあいセンターいずみ
〝惚れた〟まち
氷川ダム
山都町
3つの八代城と
美里町
それにまつわる物語
宇城市
たどってみませんか?
秀吉の夢のあと
鹿児島
氷川町
じょう
阿蘇くまもと空港
八代
天草
3
大分自
しろ
くま川鉄道
大宰府IC
鹿児島中央
肥薩おれんじ鉄道
八 代
11分
佐賀
鳥栖
JR肥薩線
■高速バス
51分
佐世保
南九州西回り自動車道
■高速道路
八代IC
熊本
車道
自動
長崎
九州自動車道
新八代
博多
八代城ものがたり
やつ
福岡
JR鹿児島本線
■九州新幹線
八代再発見の旅
Yatsushiro Castle Story
Yatsushiro Castle Story
この地がいかに美しく、清らかで、
ころじゃ
豊かなと
八代は
ゆう
登ることもできないようになっている…。
(ルイス・フロイス
『日本史』)
た豊臣秀吉は八代に滞在。当時の八代は今よりもっと内
陸に海が入りこんでおり、
“海に開けたまち”八代の豊か
さと可能性は、秀吉の心をわしづかみにしました。
●白島
とよ とみ
こ
高島
●
そ ぞう
小鼠蔵
●
ひで
よし
豊臣 秀吉 (1537∼1598)
おお そ ぞう
大鼠蔵
●
水島
●
南川
はじめ織田信長に仕えて立身出世し、後に天下を統一した太閤・秀吉。1587
年(天正15)4月、九州攻めの途中、大軍と共に八代の古麓に滞在しました。
322
豊臣秀吉画像(熊本市・本妙寺所蔵)
球磨川
い
…その町へは、海路からでなくては入ることも
大島
●
1587年(天正15)4月、天下統一のため九州に進軍し
じょう
容易に説明できるものではない。
八代海
(不知火海)
八代港
ほう
また優雅で豊饒であるかは
よう
海に開かれたまち 八代
が
八代で豊臣秀吉に面会したポルトガル人宣教師ルイ
ス・フロイスは、
八代についてこのように書き残しました。
この地を港湾都市として発展させるという秀吉の構想
は、
小西・加藤・細川・松井ら秀吉ゆかりの武将たちへ
と受け継がれました。
秀吉の描いた夢が、
その後の八代を大きく変えることに
なったのです。
336
前川
338
流藻川
2代目
「八代城」
麦島城跡

肥後
松浜軒
●

松江城跡
42
251
おれ
んじ
八代市
3
鉄道
ひごこうだ
九
州
西
回
り
自
動
やつしろ
車
道
14
線
島本
鹿児
南
古麓城
ふる
3代目
「八代城」
●
◎
徳渕の津跡
八代市役所
八代南IC
初代「八代城」
1600年代の
推定海岸線
↓
九州新幹線
だん
初代「八代城」
古麓城跡
薩
線
八丁山
▲
肥
しろ
天正16年(1588) 秀吉は八代を小西行長に与える。
行長は古麓城を廃し、徳渕近くの沿岸部に麦島城を
新築。
2代目
「八代城」
しま
じょう
1588∼1619
……………6
が築城した海の城。八代を「港湾都市」
と構想した秀
九州自動車道
、時代の
そして松江へと
麦島、
ら
か
麓
古
、
は
た八代城
しています。
秀吉が滞在し
史の光陰を残
歴
に
地
各
、
お
せい
すう
り変わり、今な
趨勢とともに移
夢のあと…。
んか? 秀吉の
たどってみませ
せんちょう
れた。1619年、大地震で倒壊。
松江城
まつ
3
え
……………8
古麓城上空から八代海を望む
元和元年(1615) 幕府が「一国一城」令発令。
八代(麦島)城は特例として存続となる。
加藤正方、
新城建設に着手。
元和 5 年(1619) 大地震により麦島城が倒壊。
正保 3 年(1646) 細川氏家老の松井興長が八代城を預けられ、翌年入
城。
これ以後、明治に至るまで松井氏が代々在城。
1622年、加藤正方が麦島城に替わって新築した平
寛文12年(1672) 落雷で八代城本丸大天守・小天守等焼失。翌年大天
守以外の再建に着手。
代産の石灰岩を用いた白い美しい城でもある。
として松浜軒
元禄元年(1688) 松井直之が母・崇芳院の御茶屋(別荘)
を建てる。
城。江戸幕府が日本の要と位置づけた特別な城。八
竜峰山
▲
慶長17年(1612) 清正没後、幕府は加藤氏家老の加藤正方を
八代(麦島)城代に命じる。
が入城。
寛永 9 年(1632) 加藤氏改易。12月、八代に細川三斎(忠興)
じょう
1622∼1870
慶長 5 年(1600) 関ヶ原合戦にて小西行長は敗死。加藤清正、麦島城を
占拠。八代は加藤氏の支配となる。
元和 8 年(1622) 八代城(松江城)竣工。
これ以降、松江一帯が城下町として繁栄。
3代目
「八代城」
じょう
三つの八代城
2
八代IC
妙見上宮跡
●
やつ
天正 9 年(1581) 相良義陽、島津義久の攻撃を受け降伏。
こののち八代
は島津氏の支配となる。
吉の夢の舞台。
その繁栄ぶりはヨーロッパにも伝えら
●八代神社
(妙見宮)
永正元年(1504) 相良長毎が古麓城を占拠し、名和氏は宇土に撤退。
八代は相良氏の支配となる。
古麓一帯はまさに歴史ロマンの宝庫!
が築城・整備した山城。当時の城下町の面影を残す
1588年、八代の領主となったキリシタン大名小西行長
しんやつしろ
秀吉は
ここに滞在
……………4
天文 2 年(1533) このころ古麓城が最も拡張・整備される。
古麓一帯が城下町として、徳渕が貿易港として繁栄。
麦島城

158
1334∼1588
南北朝時代から戦国時代にかけて、名和氏・相良氏
むぎ
336
八竜山
▲
じょう
天正15年(1587) 豊臣秀吉、九州攻めの途中に八代古麓城に滞在。
219
遙拝堰
●
ふもと
建武元年(1334) 後醍醐天皇の臣・名和義高が八代の地頭職を与えら
れる。以後、八代は名和氏の支配となり、古麓に城郭が
築城される。
八代城下町
松浜軒
元禄10年(1697) 藩主細川綱利が八代を訪れ、松浜軒で接待を受ける。
10
12
八代の逸品・資料館・博物館
13
八代のおいしいもの紹介
14
イベント・祭り紹介
15
正徳 2 年(1712) 熊本藩、藩士所有の野屋敷差し上げを命じるが、松井
氏による松浜軒所有は特別に認められる。
宝暦 7 年(1757) 八代城二の丸に伝習堂と教衛場を設置。
明治 3 年(1870) 松井盈之、八代城守衛の任を解かれる。八代城廃城。
3
秀吉が高田みかんを食べた場所?
秀吉目線で
めてみよう。
八代の景色を眺
2
初代「八代城」
古麓城
ご
しん
かね
よし
じ
悟真寺と
懐良親王御墓
しん のう
秀吉が
金の茶道具を
自慢?
おん はか
かね なが
八代神社から車で2分
山城・古麓城を体感する
懐良親王は、後醍醐天皇の皇子で、
南北朝時代、九州の南朝勢力のリー
ダー(征西将軍)
として各地を転戦。
古麓に最初に城を築いた名和氏は
後醍醐天皇の家臣で、八代に南朝
関係の史跡が多いのはそのため。明
治時代、松江城跡地に建てられた八
代宮は懐良親王をまつっています。
悟真寺は懐良親王の菩提寺で、
カッ
パ伝説もある古刹。秀吉は、
ここで高
田みかんを食べ、
たいそうご機嫌だっ
たとか!!山門からの眺めに、
この地を
美しいと言ったフロイスの言葉が思い
起こされます。
∼ふるふもとじょう∼ 1334∼1588
秀吉が訪れた古麓城は南北朝時代から
戦国時代にかけて名和氏・相良氏が築
城・整備した山城の総称。
その周辺には、
妙見宮など数多くの社寺が建ち並び、政
治、経済の中心として栄え、能や連歌など
3
しゅん こう
春光寺
彦一本舗❹
上片古墳群 E
3
E
鬼の岩屋古墳
線ゼ
ロ起
点
小松●
萩原天満宮
西宮町
交差点
↓
水無川親水公園
Q
p
大銀杏● ● ●
この辺りから
古麓城の
全容が見える
種田山頭火
句碑
3号線
国道
●うちだ屋
●浜勝
宮崎八郎戦没碑
(司馬遼太郎筆)
妙見祭のガメ
など展示
p 御霊神社
階下釈迦堂
●
158
新萩原橋
麦島東公園
795年妙見上宮、1160年中宮、1185年下宮が創建されたと伝えられる
古社。古麓城がつくられる前からあり、周辺は門前町として栄えていまし
た。妙見神は海を渡ってきたと伝えられ、名和氏・相良氏とも海外貿易
に熱心でした。
秀吉の八代滞在時には、妙見宮を保護するための「禁制」が出された
といいます。麦島へ城が移り、一時衰退しましたが、松江城築城後、加
藤正方が社殿再建、細川三斎が神輿を寄進して祭礼を復興するなど
手厚く崇敬されました。境内には八代城下の町人たちが寄進した石塔
などが今も残っています。
現在の社殿は江戸時代中期の建築で、豪華な装飾が見どころ。妙見
神を守る玄武(カメとヘビ)
の彫り物を探してみてはいかがですか。
妙見祭に奉納される獅子や亀蛇(ガメ)
などのミニ展示場もあります。
SL人吉号
西南戦争
激戦地
158
n
o 八代市立病院
武蔵塚
● ●
御小袖塚
●砥崎の河原
町
●
延命 ●砥石観音堂
地蔵堂
さっさ
時
●
奥の院
●
相良義陽墓
鉄道
れんじ
薩お
遙拝神社 p
水俣
←至
肥
球磨川橋梁
大正11年(1922)
↓
至人吉
久
日奈
←至
q
D
飯盛城跡
↓至坂本・人吉
Q 案内板
古麓城の
説明板あり
p 妙見中宮跡
D
鞍掛大明神
●
D
道
西
春光寺
州
3
ホタルの里公園
九
q
2
悟真寺と
懐良親王御墓
水戸黄門でおなじみ「助さ
ん」のモデルとなった人物。
水戸光圀の命令で各地の
史料採訪の旅に出た介三
郎は、貞享2年(1685)
に懐
良親王ゆかりの悟真寺や日
奈久温泉を訪れています。
●
嶽の観音
南
町
下
城
代
の
時
和
名
p
Q親水広場
車
相
良
懐良親王御墓E
至人吉↓
八代妙見祭の神幸行事
古麓稲荷神社
JR肥薩線
永御蔵御門
●
ろう
(1640∼1698)
宗覚寺q
トンネルの上
眺めがよい
場
n
すけ さぶ
佐々 介三郎
●
変電所
p
桜馬
国指定重要無形民俗文化財「八代妙見祭の神
幸行事」
(11月22日お下り・23日お上り)。獅子舞、
笠鉾、亀蛇、飾馬などの多彩な出し物が列をなす
都市祭礼。八代神社(妙見宮)周辺が見物客で
あふれ、賑わいます。
八代を訪れた有名人
下
やつしろ全国花火競技大会
花火打上場所
球磨川
河川敷緑地
4
●宮地手すき和紙工房
妙見祭の舞台となる
(11月23日)
219
私、
ルイス・フロイスデース。
秀吉サマニ会イニ八代ニキマシタ。
ウツクシイ川!ウツクシイ自然!
コンナニウツクシイトコロ、
見タコトアリマセーン
ポルトガル出身のキリスト教宣教師。永禄6年(1563)
に来
日し、信長や秀吉とつながりをもった。天正15年(1587)、秀
吉を訪問するために八代に滞在し、八代の豊かさや自然
の美しさを絶賛する文章を『日本史』に記しました。
p 霊符神社
多くの寺社が
建ち並び門前町
として栄えた
相良天神
ルイス・フロイス (1532∼1597)
p
m
代
の
城
八代ICから車で4分
八代神社
1(妙見宮)
Q
盛高鍛冶刃物
● n
ぐう
八代神社
(妙見宮)
八代は歴史の
宝庫ですね!
3
八代神社
妙見宮
九州自動車道
中心部
ガメにのった
仏様がある
肥薩
ミック❷
←八代
看板あり
カフェおーるはーと❻
より藤❶
至熊本→
八代よかとこ物産館
JR八代駅
肥薩おれんじ鉄道八代駅
田代福進堂❸
❺
丸久食堂
八代IC
Q ❼●八代市松中信彦スポーツミュージアム
●
がめさん公園
日本製紙 八代工場●
名和氏時代の飯盛城、
相良氏時代の新城など、
山の地形を利用して築かれた複
数の城郭からなります。
海から入ってきたフロイスにも立派な城に見えたことでしょう。
春光寺裏手の駐車場に、各城の位置や現存する堀切跡などを記した説明板が
あるので、要チェック。
まず、古麓稲荷神社へ上り、
その奥の遊歩道へ進むのがベ
ター。丸山城跡、新城跡に通じています。
攻めにくく造られた山城だけに険しいところも。山登りにふさわしい装備と心がま
えで登りましょう。駐車場から新城跡まで往復2時間ほど。
至熊本
新八代駅
八代の新名所
妙見祭の壁画!
古麓城跡
八代神社から車で3分
(春光寺駐車場まで)
京都にある臨済宗南禅寺の末寺で、八代城主松井家の菩提寺。寺名は松
井家初代康之の法名「春光院」にちなみ、
はじめ木付(杵築)
にあった寺が、
小倉、熊本を経て、延宝5年(1677)、
この地に移りました。本堂の背後に、松
井家歴代夫妻の墓が整然と並ぶ廟所があります。
春光寺が置かれる以前から、古麓城の中心的な施設があった場所と考え
られ、秀吉がフロイスに面会したのはこの辺りと考えられています。
フロイスの
記録によれば、秀吉は宣教師たちに金の茶道具で茶をふるまったそう。
九州新幹線
代々の八代城主が
あつくうやまった
1
4
八代神社から車で3分
JR鹿児島本線
の文化も盛んでした。
みょう けん
じ
動
旅の P
Yatsushiro Castle Story
!
oin t
回
り
自
Yatsushiro Castle Story
新城跡
4
古麓城跡
●子安観音
p
名和氏の守護神
D
妙見上宮跡
p 鰾神社
5
Yatsushiro Castle Story
Yatsushiro Castle Story
旅の P
2代目
「八代城」
oin t
!
ながりを
世界とつ 回る。
ら
感じなが
肥後南半国14万石を与えられ、宇土城に入った小西行長は、小西
行重(末郷)
に命じ、麦島城を築城。行長の死後、加藤氏により改修
され、
その規模は東西約400m、南北約350mと推定されています。
城の北西角にあった天守台は、小高い地形をとどめるのみで、石垣
や礎石を見ることはできません。天守台の西側の堀は幅50mもあり、
大型船の出入りが可能だったと推定されます。
麦島城は私が
つくりました
ゆき なが
小西 行長 (1558∼1600)
豊臣秀吉のもとで「海の司令官」
と
して活躍したキリシタン武将。天正
16年(1588)
に秀吉から八代の統
治を任され、球磨川河口の沿岸部
に麦島城を築城しました。慶長5年
(1600)関ヶ原合戦で敗死。
秀吉と麦島城の関係がわかる出土品
とう
きよ
まさ
ぷく
列福記念公園
行長と同じく、秀吉のもとで頭角を現
した武将。天正16年(1588)に肥後
北部の大名となり、慶長5年(1600)
小西行長の所領・八代を占領し、以
後、没するまで八代を統治しました。
父・細川幽斎とともに信長や秀吉に仕えた
戦国武将。妻は明智光秀の娘玉(ガラシ
ャ)。寛永9年(1632)加藤正方に替わって、
八代城に移り住み、
のち八代城北の丸に
て病死。和歌・能楽・絵画に通じ、茶の湯
を千利休に師事した文化人でした。
薩摩藩主島津家の姫で、第13代将
軍徳川家定の正室。嘉永6年(1853)
8月、鹿児島を出発し、
日奈久、八代
を通って江戸へ向かい、二度と故郷
へ戻ることはありませんでした。
加藤時代の麦島城下で、11人のキリシタ
ンが改宗を拒んで刑死。2008年、彼らを
含む江戸時代の日本の殉教者188人がロ
ーマ教皇庁により福者に列せられました。
殉教の歴史を伝え、偏見や差別、争いの
ない世界を築くことを願う公園です。
麦島城の石垣を
見ることができる!!
●
4
麦島城本丸跡
こ
道路の下に
麦島城跡が
保存されている
いっ
さ
たね
だ
さん
とう
か
種田 山頭火 (1882∼1940)
江戸時代を代表する俳諧師の一茶
は、俳諧寺として有名だった八代の
正教寺に寛政4年(1792)
の暮れから
3ヶ月間滞在しました。
流浪の俳人として有名な山頭火は、
昭和
5年(1930)八代町と日奈久に滞在。
日奈
久では「温泉はよい、
ほんたうによい、
こゝ
は山もよし海もよし」
と日記に記しています。
いち
麦島城の大手口に近い場所。南北に通って
いた石垣の一部を展示。合坂と呼ばれる石
段を見ることができます(土・日・祝は閉館)。
迎町
交差点
とんち話で有名な彦一は、八代の出町に住んでいたといわれます。
城下には、彦一ばなしの舞台となった場所がたくさんあるよ!
しっぽのつり
彦一と化けだぬき
こどもたちにイタズラばかりする千仏の
彦一の話では、八代城の外堀で、
おい
松江村のおばあさんが、光徳寺のご本
カッパ。
ある日、彦一にすみ(すもぐり)
しいフナがとれるらしい。
しっぽを一晩
尊が二つに増えた!と慌てています。彦
競争を申し出ます。
せーの、
で飛びこみ
垂らしておくだけで釣れるらしい。宇土
一は正体を暴きに光徳寺へ。
「こっちの
ますが、彦一は飛びこんだフリをして大
のスグルワラというきつね、彦一にだま
ご本尊は左肩が高っかですな。」
すると
右のご本尊が左肩をさげます。
そこで
石を投げいれただけ。
いつまでも上がっ
されているとも知らず、寒∼い冬の夜、
てこない彦一に負けた!と思ったカッパ、
しっぽを冷たい外堀の水にずっとつけっ
彦一、
「右が偽物です!」右のご本尊、
ド
彦一にはかなわん!
ぱなしで、
ついにしっぽが凍りついたとさ。
ロンとたぬきに戻って逃げ出しました。
至3号線→
麦島神社
●
シルバー人材センター 古城館
大手口跡
●
珈琲館樹里
❾むさし本舗八代店
堀のラインが残る
石垣跡が
見られる
じょう かん
シルバー人材センター古城館
●
麦島公民館
日本全国を測量して本格的な地図を
完 成させたことで 有 名 。文 化 7 年
(1810)
と文化9年(1812)の2回、測
量のため八代を訪れました。
スミくらべでカッパを負かす
麦島公民館から歩いて10分
松井寿司❽
金箔瓦発見地
●
5
ホテル大黒屋 H
麦島城は
美しい
お城でした
「わしの目に狂いはなかった」by 秀吉
古くから天然の良港として栄え、
秀吉がその重要性に目をつけていた八
代港は、
近年では、
九州の真ん中に位置する地理的優位性や九州各県
を結ぶ良好な交通アクセス及び水深14m大水深岸壁などの利便性を活
o
橋
植柳
6
5
●
鏡の池
児童遊園地
42
p
3
こ ばやし
小林 一茶 (1763∼1828)
八代城下を舞台にした彦一ばなし
前川橋
県道 号線
麦島城出土品
を展示
列福記念公園
●
麦島城天守台跡
ただ たか
ひこ
新前川橋
1
のう
●徳渕の津
2
南蛮船が入れるような
大きな堀があった
い
伊能 忠敬 (1745∼1818)
道路建設に先立って行われた発掘調査で、真っ白な石灰岩
で築かれた石垣や建物の礎石などが見つかりました。現在は
埋め戻され、道路が少し盛り上がっている真下に保存されて
います。九州でもっとも古い時期の石垣です。
麦島城跡の発掘調査で出土した瓦や、
堀跡から見つかった建物の部材の一
部が公民館の一角に展示されています。
天守台跡から歩いて1分
麦島城本丸跡
麦島公民館から歩いて4分
八代ICから車で20分
[駐車場あり]
あつ ひめ
篤姫 (1835∼1883)
ここは山もよし
海もよし!
2
れっ
麦島公民館
ただ おき
八代で年越し
しちゃいました
3
キリシタン殉教という悲劇も
4
さん さい
細川 三斎(忠興)
(1563∼1646)
この下に
麦島城の本丸が!!
麦島城跡から
出土したもの
ほそ かわ
加藤 清正 (1562∼1611)
お土産に
八代紙子を
頼まれました
天守台跡の南側(小天守跡)
では、豊臣秀吉
の許可が必要だった金箔を貼った鯱瓦が見
つかっています。
これは麦島城が重要拠点と位
置づけられていた証拠。
ほかに、行長が文禄の
役で釜山から持ち帰った「隆慶二年」
(中国の
年号で西暦1568年)
の年号がある滴水瓦も。
か
八代を通って
お嫁に行きました
麦島公民館から歩いて5分
∼むぎしまじょう∼ 1588∼1619
にし
麦島城
天守台跡
妙見祭は私が
再興しました
1
私も八代城主です
麦島城
こ
八代城ものがたり ゆかりの人々
国際貿易都市を
めざした夢の跡
竹田アグネス (1574∼1603)
小西行長家臣の竹田五兵衛の妻。夫と共にキリスト教の洗礼
を受ける。加藤清正のキリスト教禁止政策に抵抗し続け、慶長8
年(1603)12月、麦島で処刑され殉教を遂げる。1783年には、
イ
タリア・パルマでアグネスを題材とする悲劇が制作されています。
かして、
中九州の国際物流拠点としての役割を担っています。
「わしのほうが
早く気づいていた」
by 平清盛
1167年、
平清盛
太政大臣となり、
大功田として
八代荘を賜る。
最近は、
海外の大型クルーズ客船の寄港も相次ぐなど、
人流拠点としての
機能も発揮しつつあり、
東アジアのゲートウェイとして、
今後、
ますますの発
展が期待されています。
7
Yatsushiro Castle Story
Yatsushiro Castle Story
旅の P
oin t
!
よう。
を体感し
模
規
の
お城
波乱の人生を駆け抜けた
武将の最期
3代目
「八代城」
松江城( 八代城跡)
現・
∼まつえじょう∼ 1622∼1870
か
とう
ほそ かわ
加藤 正方 (1580∼1648)
加藤清正・忠広に仕えた筆頭家老。清正
没後の慶長17年(1612)幕命により八代
城主となり麦島城に入城。
元和5年(1619)
麦島城が地震で崩壊した後に松江城を
新築し、元和8年(1622)
に完成させ、現在
の八代城下町の基礎を築きました。
松江城は私が
つくりました
2 八代城北の丸跡
北の丸は城主のプライベート空間。
はじめ加藤正方が母妙慶禅尼
の隠居所を建て、枯山水の庭園を造ったといわれます。加藤氏改易
後は、細川三斎がここに数奇屋と池を築き、書院から臨む築山の上
に龍峯連山が遠望できる、簡素ですっきりとした庭園となっています。
ここには、三斎が自ら植えたと伝えられる名木「臥龍梅」が。老いてな
お、風格ある花を咲かせるその姿は、82歳まで生きた三斎の姿と重
なります。
現在は、明治14年に創建された松井神社(初代康之と2代興長を
祭神とする)
の境内地となっています。
3
x
がた
こ
ぐち
(表枡形虎口)
みょう ほう
②石に刻まれた
「妙法」
の文字
4
1991年日本を代表する
建築家伊東豊雄氏の設計
茶庭
x
臥龍梅●
三斎が植えたと伝わる 流芳碑
p
八代宮
1
航空母艦「飛龍」艦長
八代城の真正面に
港が面している。
6 八代城大手門跡
5
澤井家住宅
及び長屋門
現存する唯一の武家屋敷
住宅は慶応元年(1865)建築
御門と番所は
春光寺に移築
④月見櫓跡
案内板
あいさつ日本一を
目指しています!
!
こちらが江戸時代
② の正門です
高麗門跡●
①
本丸入り口
③本丸庭園跡
八代城
撮影
ポイント
秀吉も食べた?!
シャルトル聖パウロ
修道院記念館
●
●高田みかんの木
●(二の丸跡)
井
o
八代市役所前バス停
熊本総合病院
案内板
R
市営中央駐車場
●
(三の丸跡)
WC
x
今上天皇行啓碑
●
案内板
三の丸外堀ライン
県道 号線
本丸北西隅に大天守台があります。
その南に小天守台をつ
なぐ連結式と呼ばれる形式で、
麦島城も同じ形式でした。
大天守閣は、
外観4層で地下1階があり、
五層構造であった
と推定されています。築城から50年後の寛文12年(1672)
落雷により焼失し、
ついに再建されませんでした。松江城の
石は、
麦島城の石が再利用されたと伝えられています。
Q
成竜園
昭和6年熊本での陸軍大演習に
際し、昭和天皇が八代宮を参拝
されたのを記念したもの
6
八代城大手門跡
●
7
●
八代カトリック教会
八代城二の丸跡
o
こいこい通り
⑤大天守台・小天守台跡
八代宮参道の大鳥居がある辺りは、八
代城下から三の丸へ入る大手門(東西
に開口)
があった場所。
ここからまっすぐ南下すると、中世以来の
港徳渕の津に突きあたります。
この配置
に港湾都市をめざす加藤正方の強力
な意図が感じられます。
参道
八代城跡から歩いて3分
本丸南西隅にあった櫓は二階建
で、
月見櫓と呼ばれています。
妙見
祭のとき、獅子舞や笠鉾を城内
に入れ、城主はここから見物する
のが恒例でした。
この辺りは上級武士の屋敷が並んでい
たところで、奥の二階建の住宅は慶応
元年(1865)の建築。二つに分かれた
玄関、中で馬を飼っていた長屋門など、
当時の武士の暮らしぶりをよく伝えてい
ます。
澤井家は、松井家3代寄之(三斎の6
男)の実母の実家で、
もとは足利家、細
川家に仕えた家。松井家の要職を務め、
現在もこの場所に居住されています。
※内部の見学は要相談(0965-33-4533)
ここには馬屋がありました
7 八代城二の丸跡
八代城跡から歩いて5分
やぐら
④月見櫓跡
け
◎八代市役所
八代城の学門所伝習堂と
武芸を鍛錬した教衛場があった
永御蔵跡
●
い
博物館から歩いて2分
●(会所跡) 町役人たちの詰所
八代城本丸跡
WC
さわ
5 澤井家住宅及び長屋門
江戸時代前期に活躍した連歌師。八代城主・
加藤正方に仕えて八代で連歌を学びました。
そ
の後大坂で活動して一世を風靡し、松尾芭蕉
に「宗因がいなければ私たちの俳諧はなかっ
た」
と言わせるほど、大きな影響を与えました。
征西将軍
懐良親王をまつる
九州で2番目に古い文化ホール
1962年日本を代表する
建築家芦原義信氏の設計
八代城下で
唯一残る武家屋敷
そう いん
西山 宗因 (1605∼1682)
Q
x 加来止男碑
●
にし やま
⑤大天守台・小天守台跡
八代市厚生会館●
花一会
(枯山水の石組)
8
p
眺めは最高!
!
雲仙まで見える ●西山宗因の句碑
八代城
撮影
ポイント
私は八代で歌の
センスを磨きました
松井家初代康之
二代目興長をまつる
県道250号線
八代市立博物館
未来の森ミュージアム
月曜休館 開館時間:9時∼17時 入館料:一般300円(特別展時は別途)
p
浅井神社
(八王社)
松井神社
井
●
③本丸庭園跡
み
WC
八代城の模型や
松井家の美術工芸品を
常設展示
石垣の石をよく見ると番号や記号が刻まれたもの、
石を割った矢の跡が残っているものなど、石積に
携わった人たちの労苦が感じられます。
このうち、
頬当御門近くの石には「妙法」の文字が。
本丸には、江戸時代、本丸御殿があ
り、政務が執り行われました。大書院
の南側に立派な石組で滝を表した
枯山水の庭園跡が残っています。
2
Q
市立図書館
●
案内板
江戸時代の本丸の入り口はこちら。玄関にふさわしく、広々として
大きく立派な石で築かれています。
ここに、松江城が完成した「元
和八年」
(1622)の年号が刻まれた擬宝珠が残っています。築城
当時の遺品として貴重なものです。
寛永9年(1632)、加藤氏の改易後、八代城に入った細川三斎は、
ここにあった高麗門を、加藤氏ゆかりの本成寺へ寄進しました。
つき
泰勝院・泰巌寺跡
八代城北の丸の
石垣が残る
(→12頁)
①本丸入り口
今や日本を代表する建築家となった伊東豊雄氏がはじめて手
がけた公共建築(1991年開館。
くまもとアートポリス参加作品)。
近未来的な外観の建物内には、八代焼(高田焼)、肥後鐔、妙
見祭、考古資料など、八代の歴史と文化を物語る展示が満載。
とくに江戸時代の八代城を復元した城郭模型は当時の様子が
よくわかります。
樹齢千年といわれる樟がある
浅井神社は八代城の鬼門(北東)
の守り妙見神を道案内した
海神八大龍王をまつる
北の丸堀跡が
残っています
1 八代城本丸跡
●松浜軒
八代ICから車で15分[駐車場あり]
※学校敷地内に入るには要連絡(0965-32-7103)
細川三斎を
荼毘に付した跡
八代ICから車で15分[駐車場あり]
4 八代市立博物館未来の森ミュージアム
北の丸の堀跡を渡ると八代市立第一中学校の校庭が見えます。
この一
帯には、
かつて細川幽斎の菩提寺泰勝院があり、正保2年(1645)、八代
で亡くなった細川三斎が荼毘に付された場所です。15歳で初陣を飾って
以来、波乱の人生を送り、茶人・文化人としても名を残した三斎。
その最
期はどのようなものだったでしょう。
この地は後に、三斎が生涯追慕した織田信長(三
斎の妻玉(ガラシャ)の父明智光秀に討たれた)の
菩提寺・泰巌寺となりました。現在は、三斎の供養
塔、三斎が建てた信長供養の五輪塔が残っている
のみです。
加藤正方や細川三斎の
くつろぎの場所
くまなく探検してみよう!!
おもて ます
八代城の復元模型で
往時の姿を確認!!
さい しゅう えん
八代城跡から歩いて5分
八代城跡から歩いて3分
まさ かた
さん
3 細川三斎終焉の地
キリシタン
殉教者の碑
ここは、八代城二の丸南側
の外堀に面した石垣跡。石
工が残した刻印がいくつも
見つかります。
H ホテルアルファーワン
八代城二の丸南側の
石垣が残っています。
+などの刻印があるよ!
○
外堀の名残
一休本舗
42
八代ロイヤルホテル
H
かるかん堂本舗 9
Yatsushiro Castle Story
旅の P
Yatsushiro Castle Story
!
oin t
けてみよう
港の名残を見つ
細川三斎の想いが聞こえる
現在の八代中心市街地の基盤
加藤家、細川家、
松井家の歴史を
見守ったお寺
八代城下町
ほん じょう
こう
加藤正方
ゆかりのお寺
じ
4 本成寺
じょう しん
慶長13年(1608)、加藤清
正が9歳で亡くなったわが
子忠正のために建てた日蓮
宗のお寺。はじめ宮地にあ
りましたが、細川三斎の招き
により八代城下へ移転。本
寺の山門は八代城の本丸
にあった高麗門。三斎の茶
の湯に使われた井戸も。
下を通る薩摩街道に沿って町が配置され、
江戸時代から続く妙
見祭の出し物を今も受け継いでいます。
代々の八代城主ゆかりの
寺社が建ち並び、
「港湾都市」八代の魅力を凝縮した見どころ満
載の城下町です。
い
松井 興長 (1582∼1661)
父・松井康之の跡を継いで、細川家を支
え続けた敏腕家老。細川三斎の没後、正
保3年(1646)
から八代城主となり、寛文元
年(1661)
に80歳で病死しました。
以後、
幕
末まで松井家の当主が八代城主として八
代を統治し続けました。
松江城の設計者加藤正方が、父可重の菩提寺とし
て慶長9年(1604)
に建てた日蓮宗のお寺。阿蘇内
牧城下から麦島城下を経て、元和8年(1622)現在
地に。可重や正方の肖像画や御位牌、正方の辞世
など貴重な歴史資料を伝えています。大きな門には
正方のかたばみ紋と松井家の三ツ笹紋が。
7
p
松井神社
徳渕の津まで
一直線
8
妙見祭の
獅子舞創始者
●ギャラリー8 のピアノ型建物
案内板
(通町観音堂)
q
井桜屋勘七の墓 x x
彦一塚
薩摩街道 長崎銀行●
県道 号線
案内板
彦一ばなし
出町
(亀蛇・ガメ)
一休や吉四六とならぶ
とんちばなしの主役として
有名な彦一は、出町に
住んでいました。
光徳寺には彦一の墓が
あったそうです。
H やまだや
宮之町(笠鉾・菊慈童)
八代城
外堀跡
●福寿寺
初代八代駅跡地
塩屋町
(笠鉾・迦陵頻伽)
Q
← 案内板
←塩屋八幡宮
加藤正方母の
菩提寺
正教寺●
本町
ひこいち
駐車場
x●肥後銀行
宗弘
●御客屋跡
●安養寺
篤姫が
泊まった
●黒川製菓
小林一茶が
ここに泊まった
シュン²
3
Q
ぼり
八代城跡から歩いて10分
笹の形から
連想するのは?
案内板
平河原町
(笠鉾・松)
案内板
徳渕(笠鉾・恵比須)
札の辻
●
●
河童渡来の碑
●
●日本キリスト教団八代教会
6
H ルートイン
2
案内板
町屋の
ある風景
町屋●
この辺りに
カッパがウヨウヨ!
1
●
Q金立院
ねぼけ堂
医王寺・仁王像
案内板
●
Q Q
案内板
桂華
ラーメン
八代城本丸
の高麗門
枡形口
取水口番所
セントラルホテル
H
浄信寺
加藤正方父の菩提寺
●
荘厳寺
遊郭街の門柱跡
●
案内板
防
た堤
守っ
を
下町
紺屋町
(笠鉾・猩々)
東陽軒
球磨川
5
q
城
徳渕の津跡
八代城下町の出入り口
塘へ登る
坂道
本成寺
q
一部博物館へ移設
復元展示中
●円覚寺
●本町緑地
●春日神社
●
相良時代造船場跡
●加藤正方
供養塔
(彦一ばなしの内容は7頁に)
q
浄喜寺●
4
笹堀公園
彦一ばなしの舞台
「スミくらべで
かっぱを負かす」
八代城築城時の
古い石垣跡
本町
(笠鉾・本蝶蕪)●西光寺 ●町屋
(衆)
本町アーケード
薩摩街道
中島町(獅子舞、笠鉾・蜜柑)
町屋
●
●肥後銀行
二之町
(笠鉾・蘇鉄)
二之町
案内板
かるかん堂本舗
旧八代町
道路元標
カフェ ドゥ 巴里
●千仏寺
H
m 八代
郵便局
●松江大神宮
●やつしろハーモニーホール
彦一ばなしの舞台
「しっぽのつり」
八代ロイヤルホテル
一休本舗
光徳寺
●
出町公園
●宮之町妙見社
案内板
H ホテルアルファーワン
市営中央駐車場
黒川製菓
●町屋
キリシタン
殉教者の碑
Q
成竜園
妙見祭
絵巻の壁画
徳渕の津跡から松江城へ延
びる道は、薩摩街道が通り、八
代城下でももっとも栄えたとこ
ろ。
とくに海産物を扱う問屋・
小売商が多かったといわれ、
古い土蔵造の町屋がわずか
に残っています。
10
●鷹辻天満宮
通町(笠鉾・西王母)
●八代カトリック教会
(城下町)
八代城跡から歩いて10分
案内板
八代市役所前バス停 R
42
2 町屋のある風景
前川から入り込んだ入り江があり、江戸時代のは
じめ、堤防に締め切られ堀になったところ。笹の葉
の形をしていることからその名があります。
じつは、
16世紀、相良氏が海外との貿易を行う大型船
「市来丸」
を造船した場所と伝えられています。
彦一ばなしの舞台
「化けダヌキ」
熊本総合病院
城下町の面影をとどめる
ささ
q
城下町から妙見祭に出される
1900年の
獅子舞・笠鉾・亀蛇(ガメ)は、
洋風建築(国登録)
今も江戸時代以来の町々で
貧しくて病院に行け
受け継がれています。八代の
ない人々を治療する
自慢です!
拠点でした
●
シャルトル聖パウロ
修道院記念館
●
八代市役所
案内板
3 笹堀公園
八代城跡から歩いて10分
松江城ができる前からあったお寺で、寛文5年
(1665)、松井家3代松井寄之の夫人崇芳院が、
夫の病気が治るよう願って現在地へ再興。八代
城と城主の安寧を祈祷する真言宗のお寺です。
本尊の薬師如来立像(国指定重要文化財)
をは
じめ、
もと妙見宮(現八代神社)
にあった仁王像、
足手荒神などがあり、今も篤く信仰されています。
o
松江城の南に面した前川一帯は、古くから
「徳
渕の津」
と呼ばれ、文字通り、徳(財宝)の集ま
る津(港)
として、海外との貿易で賑わったところ
です。江戸時代には、船着場や荷揚げ場、番所
がありましたが、現在では、石灰岩でできた石
段が残るのみです。
ここからは、古麓城・麦島城・松江城が一望で
き、港と城とともに発展した八代の歴史を実感
できる場所です。
じ
伊東豊雄氏設計
県道250号線
八代城跡から歩いて10分
おう
光圓寺
三斎が造ら
せた梵鐘
ぶち
1 徳渕の津跡
い
6 医王寺
八代城跡から歩いて15分
D
八代城跡
寛永13年(1636)、細川三
斎の家臣が創建したお寺。
本堂の天井には、松井家の
御用絵師安藤雲桂が描い
た雲龍図があり迫力満点。
さらに、本寺の梵鐘は、慶
長19年(1614)三斎が信長
の33回忌に小倉で作らせ
たという貴重なもの。
この音
を聞いて、三斎は信長を偲
んだことでしょう。
松井家と妙見宮ゆかりのお寺
鷹匠がいた通り
八代城下町の繁栄は
ここから始まった
とく
じ
外堀跡
私の代から
八代城主に
なりました!
おき なが
じ
八代城跡から歩いて10分
5 浄信寺
八代城跡から歩いて10分
加藤正方によって設計された町割りが今も良く残っています。
城
まつ
えん
7 光圓寺
鰻新
葵
こう
とく
じ
8 光徳寺
八代城跡から歩いて15分
光徳寺は、後醍醐天皇の臣名和氏の子孫明信が天正15
年(1587)
に建てたお寺。
あちこちに名和氏の家紋「帆掛け
舟」紋が見られ、海との関係が強い一族であったことを物
語っています。
この寺の前の道が薩摩街道で、城下町の出
入り口を守るため、鉄砲足軽たちが住んでいました。
松江城・麦島城・古麓城
が見わたせる
11
Yatsushiro Castle Story
旅の P
Yatsushiro Castle Story
!
oin t
を楽しんで
四季折々の表情
八 代の逸 品
八代ICから車で15分[駐車場あり]
すう ほう いん
芳院のために創建した茶庭。八代海を見渡
す浜辺に面し、松林が連なる景勝の地であ
ることから
「松浜軒」
または「浜の茶屋」
と呼
ばれています。国の名勝に指定された八代
の歴史と文化を象徴する場所です。
お城で花火を作って
いた建物を移した
(今は茶室)
花しょうぶ
撮影ポイント
11月15日 14:00∼浅井神社の
大祭時、妙見祭の獅子舞が園内
で奉納される。殿様にご覧に
入れる特別な舞です。
6月第1日曜…菖蒲の茶会
10月…八代市文化祭
〈合同茶会〉
など
子供の無事な
成長を願って創建
児宮
4∼6月春 茶道具の名品
7∼9月夏 涼を感じさせる名品
10∼12月秋 茶道具の名品
1∼3月冬 雛人形
玉石で海岸を表現
昭和天皇が
来園時に
作られた玄関
本席
林鹿庵
市立図書館
伊勢物語にちなむ
お庭入口
琴姫 (1813∼1848)
12
古麓にあったことから
麓→林+鹿の庵と
名付けられた茶室
展示室
県道250号線
k
八代
警察署
さい
5月下旬
かきつばたが見頃
受付 展示室
八代市立博物館
未来の森ミュージアム
南門
き
大広間の畳を
はずすと能舞台
Matsui Library "Kisai"
白島産の
手水鉢がある
冠木門
内田百閒が
9回も泊まった
かつてはキツネが住み、
松井家の江戸参府にも
お供したとか
元は馬小屋であったことから優れた馬を表す
「驥」
の字を用い
「驥斎」
と名付けられた展示室
庭が一番きれいに
見える場所
白菊の間
資料館・博物館
松井文庫﹁驥斎﹂
こいのえさやりで
殿様気分
頃
見
旬
が
上
藤
5月
稲荷神社
京都・伏見稲荷
の分社
松井家10代章之の夫人で、細川三斎の弟興
元に始まる茂木細川家(谷田部藩主)
の姫。天
保9年(1838)、江戸から八代へお嫁入り。琴姫
が八代に来て初めて迎える雛祭りのために、京
都からたくさん買い揃えた雛人形が今も飾られ
ています。
(1∼3月のみ)
■お問合せ先/八代市観光物産案内所:℡0965-35-6627・八代観光案内所:℡0965-32-2436
ちごのみや
6月初旬
肥後花しょうぶが見頃
石組
こと ひめ
かつては遠くに雲仙や阿蘇を望む
雄大な眺めの庭園でした
由緒ある名園で
お茶はいかがですか
運が良ければ
カワセミに会えます
私のお雛様が
今も飾って
あります!
開園時間 9時∼17時
休 園 日 毎週月曜日
(祝日の場合は翌日)
入 園 料 大人300円(子ども150円)
電 話 0965-33-0171
〈松浜軒園内見取図〉
●
あずまや
綴玉軒
松浜軒
ご利用あんない
宮 地手漉き和紙
松井家に伝わる歴史資料や美術工
芸品を後世に伝えるため、昭和59年
設立。
所蔵品は園内の展示室や市立博物
館で常設展示されるほか、全国の美
術館・博物館から出品依頼があり、
八代の歴史と文化の豊かさをPR。
刀・手 打ち刃物 メ ロン
財団法人松井文庫
元禄元年(1688)、松井家4代直之が、母崇
これからのいぐさはアイデア勝負。現
在、産地ならではのアイデアを活かし、
コースターなどの小物や健康的な食
品など、新しい製品を作っています。
畳という形にこだわらないことで、
いぐ
さの新しい可能性が広がっています。
日 奈久竹細工 し ょうが
秀吉から拝領した唐物茶壺
(銘「深山」)
松井家3代寄之(細川三斎6男・2代興長養子、
1616∼1666)
の夫人。
初代康之の孫娘にあたります。
夫亡き後、
お茶を楽しみつつ長寿をまっとうしました。
高 田焼
松井家初代康之は、数々の戦で手柄を立て、
その活躍
に目をつけた秀吉は石見国半国(18万石)
を与え、
自分
の家臣にしようとしました。
しかし、康之は細川家への忠
誠を理由にこれを辞退。
その志は、秀吉を感心させ、国
の代わりに唐物茶壺(銘「深山」)
をもらいました。
秀吉が惚れたまち八代が、同じく秀吉が惚れた男康之
を初代とする松井家によって、発展をとげることになるとは、
なんとも不思議なめぐり合わせ。
ち くわ
松井家と豊臣秀吉
崇芳院 (1624∼1711)
ゆ
八代地方の風土に適した果物といわれる晩
白柚。最大級のものは大人の頭の大きさほ
どもあり、重さは3㎏にも。南国のさわやかな
香りを放ち、
さっぱりとしたソフトな風味が特
徴で、果物の王様ともいわれています。
松井家もまた、秀吉とのゆかりが深い
私のために息子が
作ってくれました
ぺい
茶
晩白柚
ばん
∼しょうひんけん∼
いぐさ
松浜軒
は ちべえトマト
八代の歴史がここに極まる!!
八代市立博物館 未来の森ミュージアム
Yatsushiro City Mirai-no-Mori Museum
緑が印象的な八代城跡の一角に建つ博物館。
その名にふさわしく、
周囲の自然にとけ込む斬新な外観と、光のシャワーを浴びるエントラ
ンスホールが魅力的。展示室では、松井文庫コレクションをはじめ、
八代の歴史や文化などを多角的に紹介。講義室やカフェ、
スタジオ
なども備え、
くつろぎと交流の場にもなっています。
■所在地/西松江城町12-35 ■開館時間/9
:00∼17:00
(入館は16:
30まで)
■閉館日/月曜日・祝日の翌日・年末年始 ■料金/大人300
円、大学・高校生200円、中学生以下無料、特別展覧会開催中は別途 ■
お問合せ/℡0965-34-5555
八代城主、松井直之が生母のために建てた御茶屋「松
浜軒」内にある展示室。松井家伝来の宝物を保存・調
査研究、公開しています。展示内容は季節ごとに変わり、
絵画・書跡・陶磁器など数々の名品を紹介。中でも、毎
年1月末から公開される江戸時代の雛人形は圧巻です。
■所在地/北の丸町3-15
(松浜軒内)
■開館時間/9
:00
∼17:00
(入園は16:30まで)
■閉館日/月曜日、年末年始
■料金/松浜軒入園料で見学可
■お問合せ/℡0965-33-0171
13
Yatsushiro Castle Story
Yatsushiro Castle Story
八代のおいしいもの紹介
頁
❶
鮎の老舗 より藤
焼き鮎
萩原町2丁目1-6
人気駅弁ランキング3年連続1位の弁当「鮎屋三代」
0965-33-1145
4
❷
珈琲店ミック
自家製ルーが大人気のカレー…750円
萩原町1丁目2-7
0965-32-2261
4
❸
田代福進堂
丸ボーロ 5個入り…420円
☆80年続く老舗 あっさり昔ながらの味
萩原町2丁目8-15
0965-34-2255
4
❹
お菓子の彦一本舗
彦一とんちもなか
旭中央通1-1
0965-33-3515
4
❺
丸久食堂
彦一うどん・そば
萩原町2丁目12‐34
0965‐34‐1816
4
2月中旬∼3月上旬
❼
八代よかとこ物産館内
レストラン
A・Bランチ650円・C
(パスタ)
ランチ700円
☆とまとラーメンも人気!
!
上日置町4459-1
0965-32-3600
5
八代市役所観光振興課
☎0965-33-4115
❽
松井寿司
シャクの塩辛
迎町2丁目15-5
0965-32-1011
6
❾
むさし本舗八代店
いきなり団子
千反町2丁目16-1
0965-37-6088
6
珈琲館樹里
白いコーヒー
千反町1丁目1‐1
0965‐35‐0282
6
四季彩膳 花一会
このしろ寿司
西松江城町6-1
0965-33-8710
8
成 竜 園
うなぎのひつまぶし
☆1500円ぐらいで食べれるお手頃料金
松江城町6-31
0965-34-8000
9・10
一休本舗八代店
いきなり団子
☆注文頂いてから作る京風たこやきが人気
松江城町3-48
0965-33-0193
9・10
宗 弘
海鮮丼、刺身定食…各1580円
☆魚が新鮮!
!
本町3丁目2-32
0965-33-2730
10
ICE CREAM SHOP
シュン²
(シュンシュン)
晩白柚アイスクリーム
本町2丁目4-45
080-6441-8659
10
八代ロイヤルホテル
ヨーグルトチキンとココナツカレー
本町2丁目1-5
0965-34-1111
9・11
かるかん堂本舗
かるかん饅頭
本町1丁目9-28
0965‐35‐7788
9・11
桂華ラーメン
とんこつラーメン…550円・お昼の定食…590円∼
☆麺は自家製たまご麺
本町1丁目6-11-1F
0965-32-3353
11
東 陽 軒
中国素食
(精進料理)
コース
本町1丁目12-24
0965-32-2400
11
鰻 新
ひつまぶし…1500円
うな新定食…2000円
本町1丁目12-2
0965-35-2525
11
寿司・日本料理 葵
お手軽ランチセット…1260円
本町1丁目13-26
0965-32-4418
11
カフェ ドゥ 巴里
だご汁
ねぼけ堂
煎餅・晩白柚菓子
黒川製菓
どら焼き
5月31日∼6月1日
0965-35-3981
11
八代市新町7-11
0965-32-3498
11
八代市役所観光振興課
☎0965-33-4115
八代市出町1-5
0965-33-2206
11
新町5-20
9月1日∼30日
昭和5年9月に日奈久を訪れた漂泊の俳
人「種田山頭火」。9月を山頭火の月として、
山頭火ウォークや句会、山頭火が泊った
「織屋」の一般公開などが行われます。
球磨川の恵みに感謝し、産業・商業振興
を目的に行われる夏祭り。市民総踊りを中
心に多彩なイベントが行われます。
八代神社 ☎0965-32-5350
10月第三土曜日
八代市役所観光振興課
☎0965-33-4132
8月第一土曜日
八代城主の無病息災を祈り、住民が深山
の残雪を献上したことが起こりと伝えられ
ています。
この日だけの名物「雪餅」
を食べ
るのが恒例です。
八代の秋空をキャンバスに、全国の有名
花火師30業者が腕によりをかけ、
その技と
華麗さを競う西日本唯一の全国花火競
技大会。
やつしろハーモニーホール1F
日奈久温泉観光案内所
☎0965-38-0267
八代市役所商工振興課
☎0965-33-8513
11月上旬
八代外港一帯を会場に、
さまざまな体験
航海やクルージングが体験でき、
こどもか
ら大人までが海や港に親しめます。
日奈久温泉観光案内所
☎0965-38-0267
八代市役所重点港湾八代港営業隊
☎0965-33-8777
八代妙見祭
5
九月 は日奈久 で山頭火
0965-32-1321
みなと八代フェスティバル
西片町1717-1
やつしろ全国花火競技大会
八代城下町エリア
限定15食のランチ
(A・B・C)
コース
700円・1000円・1250円
5月連休後の金・土・日
美しい自然と球磨川に育まれた日本一の
「い草」の産地である八代平野を舞台に、
多くの文化財や名所を散策する歩く祭典。
八代くま川祭り
松江城エリア
カフェ おーるはーと
3月最終日曜日
日奈久温泉を発見した浜田六郎左衛門
に感謝するお祭り。神輿、六郎太鼓奉納な
どが行われます。
氷室祭
麦島城エリア
❻
八代城主松井家に伝わる江戸時代のお
雛様をはじめ、各所にお雛様が飾られ、市
内はお雛祭り一色に染まります。
九州国際スリーデーマーチ
T E L
日奈久温泉スプリングフェスタ
古麓城エリア
14
住 所
城下町﹁やつしろ﹂のお雛祭り
おススメ商品
店 舗 名
イベント・祭り紹介
11月23日(御夜11月22日)
今日まで380年続く、
「八代妙見祭の神幸
行事」は国指定重要無形民俗文化財。神
幸行列参加者は1500人に及びます。
八代妙見祭保存振興会
☎0965-33-4533 ☎070-5813-8246
開催日等につきましては、主催者にお問い合わせください。
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