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2004年「ハンガリー旅の思い出」コンテストの発表

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2004年「ハンガリー旅の思い出」コンテストの発表
2004年「ハンガリー旅の思い出」コンテストの発表
C賞 秋山 雅子さんの作品
ホッロハーザ
C賞 ファンシー
プレート
初めてのヨーロッパ~ブダペストの思い出~
年間を通して暦どおりの休みしか取れない私にとって、年末年始旅行は休めることが確約されている貴
重な連休であり、例に漏れず、2003年年末から2004年年始にかけての旅行も早くから航空券の予約
を入れようと動いていた。さて、どこに行くかが大問題である。ダイビングで世界のリゾートは大体回っ
た。。アジアや中東、中米の遺跡もいくつかは行ったことがある。はて、今回の旅行の日程を確認すると、
12月30日出発~1月4日帰りという超ピーク時、しかもそんな馬鹿高そうな時にわざわざ海外旅行に一
緒に行くもの好きな友人はいない為、一人旅だ。どうせ一人で行くなら遠いところに行こうと決めた。ヨー
ロッパに焦点を定めた。早速旅行会社に問い合わせると、この日程で一番安く行けるところはパリかブダ
ペストだという。即ブダペストに行くことを決める。ブダペストといえば世界遺産で有名な街ではないか!
私のヨーロッパデビューに相応しい。パリではありきたり過ぎると思った。しかも航空券は超ピーク時なの
にたった数万円という事も判明した。これは今まで各国へ行った閑散期のチケットと比べても安い。もう何
の懸念事項も無くなった私は出発までハンガリーの知識を着々と増やし旅行に備えた。
出発日(12月30日)。いつもの旅行のように大きなザックパックを背負って成田へ向かう。アエロフロー
ト航空は一路モスクワへ。モスクワで一泊してから、ブダペストへは翌朝向かうことになっている。アエロ
フロート航空は悪名高いと聞いていたが機内も広く、至って快適である。機内食も美味しいし、客室乗務
員も感じがいい。モスクワはシェレメチェボ空港を降り、ビザをあらかじめ取っていた私はタクシーでホテ
ルへ。車中「今私はロシアの地を踏んだ。もしかして計らずもこれがヨーロッパデビューになってしまった
のか?」ということが脳裏によぎったが、ロシア観光は帰りの乗り継ぎの合間にしようと思っていたので、
やはり真のヨーロッパデビューは初めて観光をするハンガリーということになる。と自分流の解釈をして一
夜を過ごす。
翌朝(12月31日)、空港免税店で思わずマトリョーシカ人形を購入、そしてアエロフロート航空とマレブ
ハンガリー航空の共同運航便でブダペストへ。既に機内に日本人客は一人もいない。やはりみんなパリ
へ行ったんだな。私は嬉しかった。日本人が少ないほうが異国情緒が味わえる。
ブダペストのヘリフェジ空港は綺麗な空港だった。入国手続きも順調に終わり、スタンプを押してもらう。
ハンガリーらしいかわいいスタンプだ。日本のスタンプも富士山くらい入っていてもいいのに、と余計なこ
とを考える。
両替を済ませ、シャトルバスで日本人用の安宿「さくらんぼ」へ。「さくらんぼ」は日本人女性板東さんが
経営する一泊3,000円の宿だ。日本人がいない方が異国情緒が味わえるなどと考えていた私である
が、ハンガリーでの言葉にやや不安があったのと、観光情報をいろいろ教えてもらおうという寸法と安さ
が決め手となりこの宿に決めた。着くとそこは普通のアパート群の中の一角でブダペスト市民が普通に
隣に住んでいる模様である。静かな住宅街の一角という感じだ。それらアパート群は古い石で出来てい
るような建物らしく、壁にライオンの彫刻などが施してあり古い町並みの雰囲気を醸し出している。
宿主板東さんは「秋山さんですね」と暖かく迎えてくれた。部屋を案内してもらい、板東さんに近場の観
光ポイント、遠い観光ポイント、地下鉄のこと、元旦はお店は殆ど営業していないことなど重要なことを教
えてもらった。
そして今日大晦日はカウントダウンがあるので是非他の宿泊者達と一緒に行きましょうと誘ってくれた。
カウントダウンの出発は夜10時頃なので、それまで近場で行ける観光ポイントに行くことにした。まず
はやはり有名な「漁夫の砦」や「王宮の丘」を観るべきだ。なにしろヨーロッパデビューだから感動を味わ
いたい思いで一杯だった。最寄の地下鉄駅に入る。案の定地下鉄のシステムがよく分からない。そこで
気が付いた。どこにも英語表記がない。当たり前だがハンガリー語だらけなのだ。とりあえず持参したガ
イドブックを見るもガイドブックには3日券とか一週間券を窓口で購入するよう書いてあるだけ。私の滞在
期間は3日間なので3日券が欲しかったがそこの地下鉄の窓口は閉まっていた。券売機と睨めっこの末、
乗り換えなしの片道切符を購入、地下鉄に乗り込む。車内は落書きがひどい。しかし普通の市民が車内
で雑誌を読んだりしている様子は何処の国も変わらないものだ。
乗って少しすると、終点に着いた。ガイドブックの分かりづらい地下鉄マップをあらためて熟視してみる
と「漁夫の砦」や「王宮の丘」方面とは逆に乗ってしまったようだ。仕方なく私も降りる。何とも初歩的なミス
をしてしまったものだ。まあ、いい。まだお昼だしこの辿り着いてしまった駅周辺を散策してみようと思い、
地上に上がってみた。ついでにこの大きそうな駅で地下鉄3日券を購入しようと思い、空いている窓口に
行き係のおばちゃんに英語で「地下鉄3日券を下さい」と言ったところ首を振られた。もう一度指で3本を
示し挑戦するも首を振られた。もしやと思い「ENGLISH?」とだけ聞くと「NO!」と言う。そしてソッポを向か
れてしまった。私は唖然とした。感じが悪いではないか!そういえば昨日乗り継ぎでロシアに寄ってタク
シーに乗った時も運転手は英語が殆ど出来ず値段交渉の為の数字以外はロシア語だった。以前、中国
に行った時も中国人達は決して中国語以外は喋ろうとせず筆談だった。ハンガリーも旧社会主義国家。。
航空会社などで国際的にサービスに携わる人以外はサービス精神といったものがまだ根付いてないの
かも知れない。
そこでそのおばちゃんに頼むのを諦め、私は歩き出した。こうなったら「漁夫の砦」や「王宮の丘」は明日
でもいいや。今日はここから歩いていけそうな「英雄広場」とやらに行ってみよう。大晦日の真冬とはい
え、空気が乾燥しているせいかあまり寒くないので少し遠い位なら歩いてもいいと思った。がそこはガイド
ブックにも載っていない町だった。歩き出したはいいが方向感覚がまったく分からない。今度は若いハン
ガリー人のお姉さんに聞いてみることにした。「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」と言うではないか。
「EXCUSE ME?」。。。。。お姉さんは急いでいたのかこちらを見もせず通り過ぎてしまった。呆然と立ち尽く
す私。だがお姉さんは10歩くらい進んだ後自分に話し掛けられたことに気づき、こちらを見るなり
「NO-!」と言い手で分からないという仕草をして立ち去った。私はこれで確信した。英語至上主義はま
やかしだと。よく考えれば日本でも自分の住む町で突然に英語で話し掛けられ、答えられる人は少ないよ
うな気もする。一つ救いだったのは、今のお姉さんが笑顔で「NO-!」と言ってくれたこと。実は私は先ほ
どの地下鉄のおばちゃんの態度でハンガリー人が苦手だと思い込み始めていたのだ。「郷に入りては郷
に従え」という当たり前のルールを忘れていた私がいけなかった。ではガイドブックの巻末に掲載されて
いるハンガリー語会話を使うか?しかしこれでは質問だけは出来るが、答えもハンガリー語だから意味が
無い。
そこで歩いていくのを諦め、もう一度地下鉄に乗り込むことにした。自由旅行とはこういうものだ。とりあ
えず日が短い冬のハンガリーである。また滞在期間が極めて限られている私にとって日が出ている時間
が貴重なことは良く分かっていた。
地下鉄で数分後、「英雄広場」に到着した。大きい!圧倒的だ。広場には結構な数の観光客が集まって
いる。まず少し遠目から英雄広場を観た私は、ハンガリーの歴史を思った。丁度その時、雪が散らついて
きたので急いでカメラの三脚を組み立て写真を何枚か撮った。今回の旅行で初めて一眼レフのシャッ
ターを切ることが出来た。ヨーロッパデビュー~東欧編~がようやく始まったと実感した。
次に向かったのは、「漁夫の砦」や「王宮の丘」と言
いたいが、その日はその手前のドナウ川を掛かるく
さり橋あたりで写真撮影をすることにした。ドナウ川
を隔て、ブダの王宮を眺めた時、素直に美しいと
思った。絵になる。言葉では伝えづらい。私は夢中
でシャッターを押した。美しき青きドナウ。ブラームス
の交響曲が頭の中を掠める。私はしばしその周辺
の情緒溢れる雰囲気の中を散策した。気づくと夕暮
れになっていた。くさり橋がライトアップを始める。ま
たシャッターを押しながらこの雰囲気がどうか伝わ
る写真が出来ますように、と思う。
明日一日かけて「漁夫の砦」や「王宮の丘」を観光しに戻ってこようとくさり橋を後にする。そこから宿ま
で一時間以上かけて歩いた。地下鉄では景色が見られない。ブダペストの夕暮れは短く、すぐに暗くなっ
た。歩きながら時々、異様な「ブオ~」という何かの音が聞こえる。低い「ブオ~」もあれば高い「ブォー」も
ある。私は異国の地で不思議な音の中、古い町並みを歩き続けた。異次元空間に紛れ込んだかのよう
な感を覚えた。その音の正体がほどなくして判明した。紙で出来た笛である。ハンガリー人がみんなその
笛を吹いているではないか。よく見るとその笛はカラフルな紙を巻き付けてラッパ状になっている極めて
簡単そうな作りである。よくあんな町中に轟く音が出るものだと関心した。私が一度宿に戻ろうとするのと
はうらはらにどうやらブダペスト市民はカウントダウンの為に大きな駅に向かって押し寄せているのだと
判った。すれ違う人の数と笛の音が時間を追うごとに増えてきた。
途中露店でパンを買い食いし、宿に戻り他の宿泊者
とブダペストに住む日本人と宿主坂東さんと待ち合わ
せしていた駅に向かう。勿論笛も入手して気合充分で
ある。既に夜は10時を回りそうだった。もう地下鉄の
駅や車内はカウントダウンに向かう笛を吹き鳴らすブ
ダペスト市民で一杯だった。そして板東さんが言うに
は大晦日は誰の頭を叩いてもいい日だという。正直
「?」と思ったが駅で早速、通りすがりのハンガリー人
に頭を叩かれた。一緒にいる日本人に笑われる。地
下鉄を降り、地上に出て町の中心である西駅に向
かって歩く道は人で溢れ返っている。お酒を飲んで騒
いでいる連中もいれば、笛を吹き鳴らし歌を歌ってい
る連中もいる。とにかく老若男女ハンガリー人も観光
客も一体となってカウントダウンに向けハイテンション
の盛り上がりを極めていた。度々頭を叩かれる。なん
だ、ハンガリーっ子はとても陽気な人種ではないか。
負けずに笛を吹き鳴らそう。そうこうしているうちに花
火が上がり気づくと12時を回っていた。誰もカウントダ
ウンをしている様子は無かったが時は確実に2004年
を刻んでいた。花火が打ちあがる中、私達日本人は
今日初めて会った人達ばかりだったが何かの連帯感
が生まれるのを感じながら「明けましておめでとうござ
います。今年も宜しくお願いします」と挨拶をした。日本
ではとっくに紅白歌合戦も終わり、新年の遅い朝ごは
んに雑煮でも食べている頃だろう。
まだまだブダペストのニューイヤーの熱気は収まると
ころを知らなかった。みんな楽しげに騒ぎ続けている。
そんな中、歩いて宿まで帰った。途中スーパーで買出
しをし宿に戻って我々もシャンペンで乾杯と洒落込ん
だ。
元旦の朝。昨日一緒に新年を迎えた同じ宿に泊まっている渡辺さんと一緒に観光をしようということに
なった。渡辺さんは会社を辞め、3ヶ月かけて一人でヨーロッパを旅している男性で、旅の途中、ブダペス
トでのカウントダウンが面白いと聞き、年末年始の10日間をハンガリーで過ごす事にしたそうだ。私が
「漁夫の砦」や「王宮の丘」に行きたいと言うと、まずセントイシュトバーン教会を見せたいと言う。何でも
前の日に行ってその美しさと荘厳さにひどく感動したので今日はデジカメを持って行きたいらしい。セント
イシュトバーン教会はブダペストの観光にはかかせない大きな古い教会だ。勿論世界遺産であることは
知っていたので一人でも行こうと思っていた所だ。着いて立派な外観にまず夢中でシャッターを切る。そし
て中に入ると、「昨日とは少し様子が違うなぁ」と渡辺さんが言う。近くのハンガリー人に「シーッ!」静か
にしろと言われてしまった。ごめんなさい。恐縮した。思いがけず新年のミサが始まろうとしていたのだ。
教会内は敬虔なキリスト教徒で一杯だった。荘厳な雰囲気、壮麗な装飾の数々、昨日馬鹿騒ぎしていた
のが嘘のようだ。私達は一番後ろで立ち尽くした。ほどなくしてパイプオルガンの大きな演奏が始まると心
臓を突き破るような脳天を突くような、そんな衝撃が私の体を駆け抜けた。私は自分の宗教は持っていな
いのだが、その儀式に心が洗われる思いだった。普段涙腺がゆるむことなど無い私であるがこの時は本
当に涙が出るかと思うほどの感動と衝撃だった。私はこれを今年の初詣とする事に決め、お祈りと願掛
けをした次第である。
私達はミサが終わっても大きな感銘を受けすぎて言葉を失っていた。写真など撮らずとも心に全て残っ
た。今でも鮮明に覚えている。
全身全霊洗われた私達は姿勢を良くし、次
なる目的地「漁夫の砦」「王宮の丘」に向
かった。渡辺さんのアドバイスで地下鉄3日
券を買うことが出来た私は、もはや渡辺さん
とともにブダペストの町を縦横無尽に走る
地下鉄やバスを楽々と乗りこなすまでに
なっていた。この3日券は地下鉄のみなら
ずバスや路面電車も乗り放題という旅行者
に大変嬉しいシステムだったのである。さ
て、王宮の丘のふもとに着き、ケーブルカー
に3日券で乗ろうとすると、このケーブル
カーだけはこのお得な券では乗れないと言
われた。おいしい所は別売りといのは万国
共通である。
既に三十路を超えているとて、体力には
自信がある。まだ二十代の渡辺さんと共に
歩いて登ることにした。「やはり自分の足で
歩かないと真のハンガリーを見たとは言え
ないな」などと登りながら話した。するとあっ
という間に頂上へ。これなら老人でも登れる
緩やかな勾配だ。あのケーブルカーは単な
る金儲けの為に木々を削り、景観を損ねて
おり、世界遺産の街の保存には逆効果なの
ではないかとまで話しが及んでしまった。正
直言うと密かに乗りたかった。
元旦といっても有名な観光地であるその周辺は、観光客で賑わい、露店のお土産屋も多く出ていた。
「漁夫の砦」や「王宮の丘」は写真撮影に適し、思う存分にブダペストらしい写真が撮れたと思う。私も渡
辺さんも観光らしい観光が出来て大満足した。
この旅では、スーパーで買出しをして、宿「さくらんぼ」の共同キッチンで備え付けの調味料などを使わ
せてもらい、ハンガリー産の珍しいレトルト食品などを作り自炊していた私達であったが、元旦の夕食だ
けは、伝統的なハンガリー料理を食べに行こうということになった。渡辺さんは長旅の為、特に節約して
いたが、一度は食べたいと思っていたらしい。私も同感だった。同じ宿に泊まる日本人から安くて美味しく
て元旦でも営業しているハンガリー料理屋さんがあると聞きつけ、観光の帰りに行ってみることになった。
その情報は「大体あの通りを入ったところで、杉が3つ並んだマークが目印で店の名前は判らない」という
大雑把なものだったが、土地感のいい渡辺さんの執念で見つけることが出来た。雰囲気のいいこじんま
りした小洒落たお店だ。さっそく名物のパプリカ料理をいくつか注文。噂通りグヤーシュスープは絶品だっ
た。口がとろけそうになった。安い割りに量が多く、肉料理の添え物などは食べきれない程だった。添え
物の中には日本人には合わない謎の食べ物もあったが、私達は満腹でこれまた大満足で愛すべき宿に
戻った。
1月2日。私のハンガリー観光が最後の日となった。どう過ごすか前日から悩んでいた。本当はホーロッ
クーというハンガリー伝統が色濃く残る世界遺産の村に足を伸ばしたかったが、急な日帰りは厳しいこと
を知っていた。渡辺さんとせっかく友達になれたことだし、ブダペスト市内を二人でとことん楽しむことにし
た。同じ宿に泊まっている人達に過ごし方を聞いてみた。プラハに留学している日本人学生たちはクラ
シックのニューイヤーコンサートの為にブダペストに来たという。これは魅力的だがチケットが今から取れ
ない事とドレスコードがありそうな事を考え却下。或る人は動物園に行くと言い、また或る人は美術館巡り
をすると言う。どれも行ってみたかった。ブダペストの町は観光資源がとても豊富なのだとあらためて思っ
た。
私たちはガイドブックを隈なく熟読し、大体
のルートを定めた。まずはローマ軍の円形
劇場跡、グルババの霊廟、市場、デパート、
最後は温泉で〆ようという事となった。
ローマ軍の円形劇場跡は、辺鄙な街中に
ポツネンと残されていた。雑草が伸び放題
で犬の糞やゴミなどが転がっており、古代
ローマ軍に思いを馳せるも、足元に注意が
必要だった。基本的にブダペストの町中い
たるところ犬の糞だらけである。犬は基本的
に放し飼いらしく、しかも見かけたのは殆ど
が大型犬なので当然出るものも大きい。勿
論放し飼いとて飼い慣らされているので大
人しいのだが、幾度となく犬が踏ん張ってい
る姿を見かけたものだ。ローマ軍の円形劇
場跡の観光客は私たち二人だけだった。
次に路面電車に乗り、グルババの霊廟へ向かう。路面電車を降り、歩く道はいよいよ人気も途絶え、や
はり観光客の姿は見られない。グルババの霊廟へ続く坂道はハンガリーの片田舎の片鱗を見せ、女の
子が猫に餌をやっている姿などは絵になる長閑な光景だった。グルババの霊廟へ到着。正月休みなの
か霊廟には入れそうな様子は無い。しかし渡辺さんはその前に建っているグルババの銅像がカッコいい
と大喜びだった。デジカメで写真を撮りまくっている。グルババはトルコ人でハンガリーに攻め入り、何で
も勝利を収めた日に市内の教会で突然死した人物らしい。ハンガリー人にはきっと人気が無いのだ。だ
が郊外にお墓を作ってあげている所を見るとハンガリー人は心優しい人種なのだろう。
次は市場へ。ここはエキサイティングだった。ビニールで出来た暖簾らしきものをくぐると、野菜やら肉が
所狭しと売られている。観光客と地元市民が入り混じり活気に溢れていた。その上の階に行くと、そこは
観光客向けのお土産市場が並んでいた。私はここでお土産を買うことに決め、一軒一軒の店を吟味して
歩いたが飽きることは無かった。似たような品物でも手作りの物が多いので、一つ一つ違うものが多かっ
たからだ。自分用のお土産としてビーズ刺繍が施されているポシェット、チェス、ハンガリー伝統の刺繍付
きのコースターセット、ハンガリーらしいデザインがされたサラダ用の大きなスプーンとフォークのセットを
購入。親へのお土産として、ハンガリー産ハンドメイドのスリッパを購入。喜ばれた事は言うまでも無い。
物価は日本の半分くらいの安さだが、これら全てを値切って買った。今、ハンガリーの通貨はFt(フォリン
ト)だが、もうすぐユーロになるという。ユーロはヨーロッパで使える国が多いが、統一通貨なので便利な
反面、味気ないと思うのは私だけだろうか。世界各地を旅しているが、その国々の独特の硬貨などを持っ
て帰るのも旅の楽しみの一つと考える私にとって、Ftの時代にハンガリーに来られて良かったと思う。
ここで思い出したがハンガリーは毎
年物価が上がり続けている。国自体が
決して豊かとは言えない。お金が無い
から、新しい建物が増えず、歴史ある
建造物が残されてきた。何世紀前から
か町並みが殆ど変わってないから、重
厚な建造物が多いと言える。結果的に
世界遺産に登録され、これからはこの
街を守って行かなければならないしい
つまでもこの町並みを大切にして欲し
いと心から願う。しかし物価の上昇に
は地元の人も辟易していたし、私が地
下鉄3日券を購入したとき、西暦が変
わっていたので、昨年より2割くらい金
額がアップしていたのだ。物価の上昇
に伴い、水道代や電気代もどんどん上
がっているという。ハンガリーには経済
策がもう少し必要なのかも知れない。
その後デパートでウィンドーショッピ
ングをし、私たちは最後の楽しみ、温
泉へ向かった。いや厳密に言うと渡辺
さんは温泉に行くこと楽しみとしていな
かった。何故なら、ブダペストの温泉、
殊に男湯はゲイの溜まり場だとガイド
ブックに書いてあったからだ。渡辺さん
は「混浴ならば行ってもいい」と言って
いたが、私は豪華なゲッレールト温泉
(男女別風呂)に行きたかった。滞在期
間の短い私のわがままに合わせてく
れる形で落ち着いた。
真冬で正月のゲッレールト温泉は入り口付近から混雑の様相を呈していた。相変わらずハンガリー語
表記のみなので、良くわからないままチケット売り場らしきところでお金を払う。そこで男女別れ、更衣室
に入った。がしかし、係のおばちゃんが手を差し出してくる。むむ。。これは何を意味するのか?なにやら
紙を出せと言っている模様。もしかして渡辺さんが全部持っていってしまったあの紙に違いない。ジェス
チャーで「友人が男なので持っていってしまったが確かにお金は払った」と言っても冷たく首を振られてし
まった。仕方なく一端更衣室を出ると渡辺さんが待っていてくれた。助かった。再び入り、ロッカーへ案内
してもらうことが出来た。さて、ハンガリーの温泉の入り方は3タイプある。一つはハンガリー伝統の前掛
けをつけて入る。二つ目は水着を着用して入る。三つ目は日本と同じく裸である。一応水着は日本から
持参してある。それとなく周りの様子を伺うと、ハンガリー人か欧米人か判別出来ないが、裸と水着が
半々位である。裸に決まりだ。私は堂々と裸で浴槽に向かった。浴槽は、ドーム形式でゴシック調の作り
の中に、一見プールのような半円の温泉がある。しかも温度が36度と38度というややぬるめの設定で
ある。ぬるいことは前知識として知っていたので室内にある豪華なこの温泉にしたのだ。浸かってみると
思ったより温まる。浸かりながら渡辺さんがゲイに迫られていないか想像し話題作りにはそんなことも
あっていいなと他人事だけに思った。何でも円形浴槽の中心部に一人でいるとゲイのパートナー募集中
という意味になるという。結局渡辺さんはそんな珍事件に巻き込まれる事なく満足に足を伸ばして温まっ
たらしい。
温泉を出て、旅の本当の締めくくりに王宮の丘から夜景を見ようということになった。王宮の丘から夜景
を眺めながら、ヨーロッパデビューにブダペストの旅を選んで本当に良かったと感慨深く深呼吸した。今
回の旅は昼夜問わず行動し充実したものとなり、実に楽しかった。次回はブダペスト以外もゆっくり回って
みたいと思った。今回の旅でお世話になった方々とハンガリーの方々に感謝したい。
(追記)
1月3日の朝。ブダペストを後にし、またモスクワへ。成田発の乗継まで7時間くらいあるので、空港を出
て赤の広場やクレムリン周辺を観光した。ハンガリーとは違って派手な作りでまるでおもちゃのような教
会が多い。お菓子のお城といった感じだ。軽い観光を終え、空港へ戻った私は驚愕の極みを覚えることと
なった。何とオーバーブッキングで30人の日本人が成田へ帰ることが出来ないという。私は焦った。しか
もチケットカウンターのロシア人に何を言っても無視するだけなのである。30人の日本人達は一団となっ
て、まくし立てた。この時期旅行している人たちは私と同じで仕事始めが1月4日の人たちばかりだったの
で必死だった。だがしかし、私達がのるべきアエロフロートの便は搭乗を締め切り冷酷にも飛び立って
いった。聞けば昨日は70人がオーバーブッキングで乗り継ぎホテルに何も言わずに連れて行かれたと
か。昨日あぶれた客を今日乗せたので私達があぶれたのだ。それを知った私たちはホテルに連れてい
かれたら終わりだと思い、ロシア人の係員と必死に掛け合い、ソウル行きに乗ることになった。がしかしソ
ウルから成田まではアエロフロートは就航してないので自腹を切って帰ってくれなどと言い出す始末。
我々は逆上した。すると先ほどまでカウンター内でタバコを吸っていたロシア人男性係員が出てきて「で
はソウル成田間も私たちがプレゼントしてやろう」と言ったではないか!おお~感謝。え?プレゼントだっ
て?偉そうな!まあいい。とにかく信用はできないが、モスクワにいるよりはソウルまで行った方が日本
に近い。そんな慰めにならないことを考えソウルに発った。
ソウル、仁川空港で再び臨戦態勢を覚悟した私達の予想に反し、ソウル仁川空港の係員は私達を金蒲
空港まで1時間程バスに乗せた後、優しく日本まで案内してくれた。安堵してキムチを購入してしまった。
ただ日本の着いた先は私が出発した地である成田ではなく、羽田空港だった。私の荷物はブダペストか
ら成田に行ってしまっていたがどうしようも無かった。荷物は数日後自宅に送られて来た。
こうして私の2003年年末~2004年年始初のヨーロッパ旅行は図らずもハンガリー、ロシア、ソウルの3
カ国を巡る旅となった。
2004年4月
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