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日本司教団の使徒座定期訪問 教皇庁との深い絆のために

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日本司教団の使徒座定期訪問 教皇庁との深い絆のために
昭和
2
7年1月
1
2日
よ き お と ず れ
(1)2008年(平成20年) 月1日(毎月1日発行) 1カ月140円
年間1
500円( )
号 第三種郵便物認可 第
発行所 カトリック長崎大司教区 広報委員会
発行人 中 田 輝 次
〒852-8113 長崎市上野町10-34
カトリックセンター内
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郵便振替番号 01880-5-2699
カトリック長崎大司教区ホームページ
印刷所 株式会社 藤 木 博 英 社
〒850-0852 長崎市万屋町5-13
TEL095
(821)
2146 FAX095
(821)
2148
2008年 教区・地区年間行事予定
行 事
日程・場所
主催など 日本26聖人殉教祭
2/3
西坂
教区(長崎南地区) 結婚講座
∼ カトリックセンター 家庭委員会
司祭・助祭叙階式
2/11
浦上教会
教区
第回日韓学生交流会
∼ 長崎市
司教協議会青少年司牧部門
聖書講座・信仰養成講座修了式 カトリックセンター 生涯養成委員会
信仰養成講座開講
〃
〃
小共同体づくり入門講座 ∼ 未定
小共同体推進室
聖書講座開講
カトリックセンター 生涯養成委員会
回クルシリヨ
∼ 立山修道院 クルシリヨ事務局
堂崎天主堂献堂周年・邦人司 堂崎天主堂 浦頭小教区・下五島地区 教区設立周年記念事業式典
雲仙殉教祭 5/18
雲仙
教区(長崎北地区) ワールドユースデー・シドニー大会 ∼ オーストラリア 青少年委員会
平和祈願祭
8/9
長崎市
教区(長崎中地区) 平和祈願祭
佐世保市
佐世保地区
結婚講座
∼ カトリックセンター 家庭委員会
!
福者カミロ・コンスタンツォ殉教祭 9/21
田平
教区(平戸地区)
聖トマス西と15殉教者ミサ 9/28
中町教会
教区(長崎南地区)
大村殉教祭
10/26
大村
教区(長崎北地区) 黒瀬の辻殉教祭
日程未定 生月
平戸地区
ペトロ岐部と187殉教者列福式 11/24
長崎市
教皇庁・日本カトリック司教団 クリスマス募金
∼
教区評議会
新しい要理「共に歩む旅」紹介講座 ∼ カトリックセンター 小共同体推進室
一菜募金
通年
教区評議会
小さい頃から、教会 に 行 く こ と は 少 な く と も 嫌 い
ではなかったと思いま す 。 ミ サ に あ ず か る 、 教 会 学
輩の神父さま方、神学校の仲間たち、信徒の方々な
今、 司 祭 叙 階 を 間 近 に し て 思 い ま す。
自 分 が 祭 壇 に 上 が る こ と が で き る の は、
ひとえに神さまのお恵みによるものであ
ど、いつも誰かが励まし、祈り、支えてくれました。
きっと神さまはこういった方々を通しても私に語り
を か み し め る 時 に、 自 分 が い か に 罪 深 く、
る と。 そ し て 多 く の 方 々 の お 祈 り と 励 ま
多くの人々の祈り、またそこに働いておられる神
への感謝の気持ちを忘れずにこれから司祭として生
恩 知 ら ず で、 自 分 勝 手 に 生 き て き た か を
掛け、導いてくださったのだと思います。
きていきたいと思います。まだまだ未熟者の私では
思 わ な い で は い ら れ ま せ ん。 そ ん な 私 を
神さまはあわれみ深く導いてくださいま
し、 犠 牲 に よ る も の で あ る と。 そ の こ と
ありますが、今後ともよろしくお願いいたします。
だ と 今 は 実 感 す る こ と が で き ま す。 こ れ ま で 神 さ
し た。 す べ て の 人 の 中 に キ リ ス ト が 働 い
長崎カトリック神学院・南山中学校入学。
略 歴
1979年
ま か ら 与 え ら れ た す べ て の 時 間 に お い て、 無 駄 な
年4月、 長 崎コレジオ・
て お ら れ、 私 を 励 ま し 支 え、 導 い て く だ さ っ た の
枚に行く。自分にとっ て は 当 た り 前 の こ と だ と 思 っ
長 崎 南 山 高 等 学 校 入 学。
年4月、
て い ま し た。 そ う い っ た 中 で、﹁ 侍 者 を や り た い ﹂
長崎総合科学大学入学。 年4月、福岡サン・スルピ
これからは、いただいた恵みを無駄にすることな
く謙虚な心で、神さまの道具となって働きたいと思
べてが恵みの時でした。
年4月、
と思うようになり、小学校3年生の時から侍者をす
時 は な か っ た と い う こ と に 気 付 か さ れ ま し た。 す
日 長 崎 市 天 神 町 生まれ。
るようになりました。 今 振 り 返 っ て み ま す と 、 最 初
ス大神学院入学。 年2月、助祭叙階。中町教会出身。
月
に司祭職を意識したの は こ の 侍 者 を 始 め た 頃 だ と 思
います。ミサを司式す る 神 父 さ ま を 祭 壇 横 か ら 見 つ
めながら、その姿がか っ こ よ く 見 え 、 あ こ が れ て い
ました。﹁あんなふうになれたらいいな﹂と思って
います。自分のような者に務まるのだろうかという
不安もよぎりますが、
キリストにすべてをゆだねて、
司祭職の道を歩んでまいりたいと思います。
会 葬 御 礼
の際にはご会葬・献花の弔意に接しましたうえ、各
カトリック長崎大司教区司祭・ヨゼフ中島万利神
父、ペトロ山田 勇神父の逝去につきましては早速、
ご丁重なる弔問・弔電ならびにご香典を賜り、葬儀
教会・修道院で故人のためにお祈りいただき誠にあ
りがたく厚く御礼申し上げます。
二〇〇八年一月
一々拝眉のうえ御礼申し上げるべきところ、紙上
をもって代えさせていただきます。
時∼翌日
時
月2日㈯∼3日㈰ ②3
月1日㈯∼2日㈰ 初日
カトリック長崎大司教区
大司教 髙見
三明
▼永井隆生誕100 年
記念 特 別 展 永
「 井隆
天国からの伝言
“﹂
︵2
℡ 095︵821︶
4577
▼ 音 楽 と 講 演 Ⅱ﹁ ベ ネ
▼研修会﹁復活祭を準備
ディクト 世 世界平和
の日メッセージ﹂ 2月
日㈰ 時 長崎ブリッ
クホール国際会議場
原爆資料館︶ほか
月1 日 ㈮ ∼3 日 ㈰ 長 崎
問合先・同記念事業実行
16
いました。﹁神父さまになってみたい﹂、漠然とです
が、心の片隅にはこの思いがあったように思います。
その後、地元の教会の 先 輩 が 何 人 か 神 学 校 に 居 た と
15
委員会事務局
℡ 095︵844︶
3496
15
いうこともあり、長崎 カ ト リ ッ ク 神 学 院 に 入 学 し ま
大きな恵みを与えてくださる神さまに、たくさん
のお祈りと犠牲、励ましと支えをくださったすべて
の人に心より感謝申し上げます。これからもよろし
くお願いいたします。
年2月、 助 祭 叙 階。 川 棚
4月、長崎南山高等学校入学。
学したことにあります。その間に神学生であること、 略 歴
▼イエズス会立山修道院
司祭職についてよく考えました。自分の弱さに戸惑 1977年8月9日 東 彼 杵 郡 東 彼 杵 町 生まれ。 年4 お知らせ
祈りの一日
い、召命の道を断念しようかと思い悩んだ時期もあ
月、 長 崎カトリック神 学 院・ 南 山 中 学 校 入 学。 年 ①2月 日㈰ ②3月
年4月、福岡サン・ 日㈭ 9時 分∼ 時半
※2月6日㈬は中止です。
た。長くなったひとつの理由は大神学校を4年間休
1990年に小神学校に入学してから 年間、司
祭職を目指し歩んできました。長い神学生生活でし
山添 克明
屈に思えた時もありました。司祭になることを忘れ、 スルピス大 神 学 院 入 学。
50
した。
ました。決して楽しいことばかりではあり
ませんでしたが、多くの人々に支えられて
ミカエル
98
02
あやかる
早岐教会主任
山本
一郎師
加わり祭壇へ向かう。
仲 間 に 加 わ る 方 々へ。
叙階され、司祭団に迎 え
今年も大きな恵みを い
ただける。私も 年前に
通しが得られたりしま
打ち明ければ何らかの見
し な い こ と で あ っ て も、
さまと私
万利神父
たまたま
と 念 を 押 し た 上 で、﹁ 男 は ね、
代に仕事
30
を し な け れ ば、 も う 一 生 し な い よ ﹂ 彼 は
30
うかな﹂﹁何となくそういう時代が来てい
﹁あんたはひどかこと言うね。ほんとにそ
になりました。
に 動 か さ れ る に 値 す る、 力 を 持 っ た 言 葉
が、 し か し、 そ の 言 葉 は 私 に と っ て 十 分
父さまだったということかもしれません
会 に 赴 任 し ま し た。 人 を う ま く つ か う 神
て、 ト ボ ト ボ で は あ り ま し た が、 そ の 教
信 じ ら れ な く な っ て き つ つ あ る よ う で す ﹂ そ う 言 い ま し た。 そ れ に 見 事 に 踊 ら さ れ
﹁司祭は信徒を信じたいけれども信徒が
司祭を信じないので、だんだん司祭の方も
34
再確認して安堵する。つ
幅する喜び。その感覚を
また仲間が与えられる
喜び。毎年来るたびに増
思って付き合っていただ
全員で一人の代理者と
司祭にも、そうでない神
間を信じないような時代がきているように
突 然 万 利 神 父 さ ま に 呼 ば れ ま し た。
﹁枢
に 司 祭 を 求 め る よ り も、 不信の時代になったようです﹂﹁どういう
機卿さまが来てあそこの教会に行けと言い
父たちにも。一人ひとり
そ れ で 私 は、 い ろ ん な 役 割 が い っ ぺ ん
思います﹂﹁もっと具体的に言え﹂﹁先生が
に、 主 任 司 祭 だ け で は な く て 他 の 役 割 も
こ と ね ﹂ 彼 が 言 い ま し た か ら、﹁ 人 間 が 人
う な こ と を 言 い ま し た。﹁ 神 父 さ ま、 人 間
でした。世間話をしながら突然私が次のよ
言ってもいいくらいに任せていました。
よるばい。行かんばたい﹂
。
ん、 行 け ま せ ん ﹂ と 申 し 上 げ た ら、 彼 が
する﹂ 2月 日㈰
時∼ 時 青方教会
申込先・教区典礼委員会
︶
0731
︶
0688
研修会事務局
0956︵
℡0956︵
日
大野教会様︵バザー収
長崎カトリック神学院
大野教会様
島原教会様
長崎コレジオ
匿名様
長崎大司教区
寄
付
▼聖香油ミサ 3月
㈫ 時半 浦上教会
24
きました︶
告を申し上げます。
香典返し
お礼とご報告
長崎カトリック神学院
時
故ペトロ森田一平様
山添良子様︵稲佐︶
中村与衛様︵福江︶
故マリア野口ミツ様
故ヨゼフ山添 卓様
野口光治様︵浦上︶
故ペトロ
中村長右衛門様
岩永光男様︵浦上︶
しに代えてご芳志を賜
り ま し た。 お 礼 と ご 報
告を申し上げますとと
もに故人のごめい福を
心からお祈り申し上げ
ます。
祭壇奉仕者
ミカエル
中尾 直通(三井楽)
森田優子様︵浦上︶
2月8日︵金︶午前
選
任
式
の三村師の説教から一部抜粋させていただ
生 き て い き た い と 思 い ま す。
︵通夜のとき
らしい人生という、命という恵みをともに
ひとりに与えられている神さまからの素晴
のためにお祈りしながら、今後私たち一人
情を思い起こし、そのたびごとに神父さま
故マリア岩永マキ様
かけられた神父さまの言葉をしっかりと胸 益金の一部をご寄付︶
右の方々からご寄付を
右の方々から神学生
に秘め、その言葉を反すうしながら彼の愛
賜りました。お礼とご報 養 成 の た め に、 香 典 返
す。彼の愛情そのものとして、自分に投げ
彼は口が悪かったとよく言われます。そ
変なことにはならないはずなんだ﹂彼はニ
れは愛情の素晴らしい表現だったと思いま
タッとしながらそうおっしゃいました。そ
信じとれば人間は人間を信じるし、そんな
を信じられないんじゃないか。神さまさえ
﹁そ
ある日 る よ う に 思 い ま す ﹂ と 言 い ま し た ら、
の 夕 食、 れは神さまを信じることができないから人
中島万利神父の通夜と葬儀ミサに
何かを抱え込んでしまっ
は大 勢の参 列 者が集まった。 教 区に
多大な貢献をした師を偲ぶ。
たら、まず仲間の誰かに
入れてもらった。新司 祭
す。そうやって先 輩たち
相談してください。解決
が着る祭服の輝き、身に
ま と う 人 が 輝 き を 与 え、 は神父をしているんです。
と2人だ
らい時があっても手を差
ければ、神父もそれらし
生徒を信じないよりも先に、生徒が先生を
多くの人を魅了する。
し出す人が居る。居てく
く見えるもの・・・。疲
信じない。親が子供を信じないよりも先に、 あってびびってしまって、﹁もうできませ
してまさにその通りに、彼自身は助任の神
れるから言 える愚痴。で
れた神父を見るのもつら
父 さ ま た ち を 本 当 に 信 じ て、 す べ て を と
も愚痴が言える仲間のあ
いでしょう。
けの食事
りがたさは、何にも代 え
司祭受階者
アシジ・フランシスコ
野濱 達也(中町)
ミカエル
山添 克明(早岐 川棚)
子 供 が 親 を 信 じ な い。・・・ も っ と 言 わ な
られない。司 祭にとって
司祭・助祭叙階式
日︵月︶午後2時
13
18
18
10
18
13
07
りました。周りの人たちの祈りや励ましの言葉が窮
17
14
17
司祭叙階を前に
90
93
17
75 75
歩み続けることができました。自分に自信
が な く て、
﹁本当に自分は司祭になってい
いのだろうか﹂と思い悩んだこともありま
96
恵みの時
18
17
95 92
感謝のうちに
した。そういった中にあっても、家族、先
神さまから遠ざかっていた時もありました。
教会出身。
ともに祈る日々 ①2 ▼長崎3地区合同青年黙
想会 2月 日㈰ 時∼
時 長崎大司教館
く ち ゃ い け ま せ ん か ﹂ と 言 っ た ら、
﹁ も っ ま た ニ タ ッ と し て 次 の よ う に 言 い ま し た。
ありがたいのは司祭たち。
月 日通夜 三村 誠一師説教
▼信徒発見ミサ 3月
﹁
あ
ん
た
今
何
歳
ね
﹂
﹁
歳
で
す
﹂
﹁
代
ね
﹂
と
言
え
﹂
と
返
さ
れ
ま
し
た
。
しの
︽若手先輩のエール︾ 実感したくて今年も列に
ヨゼフ中島万利神父 さまを偲 ぶ
日㈪ 時 大浦天主堂
07
10
FAX
29
アシジ・フランシスコ
信徒の皆さんへ。温か
く見守ってください。新
(故)ヨゼフ中島万利師
17
13
10
野濱 達也
16
小神学校に入学してから 年、司祭叙階
という大きなお恵みをいただくことになり
司祭叙階を前に
2月
11
19
11
10
12
2 月1日(毎月1日発行) (2) 2008年(平成20 年)
よ き お と ず れ
948 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可)
第
トのためにも同じ趣旨の
参加司教全員で意見交換
は、2人の講師を交えて
演の後、質疑応答、翌日
和構築などを全世界の貧
正な分配、環境保全、平
ことだけでなく、富の公
先進諸国の利益と繁栄の
司教団として発表する。
な提言を準備、できれば
社会司教委員会で具体的
に取り組むべきで、今後
ミカエル
山添 克明(早岐 川・棚)
助祭受階者
使徒トマ
岩下 裕志(福江)
文書が準備されつつあ
を行った。
困者の視点から見て真剣
浦上司教座聖堂
髙見三明大司教司式
フィロメナ
ヨアンナ
朗読奉仕者
ペトロ
大水 満(曽根・大水)
ことを受けて、長崎市役
所従業員組合が毎年開催 岸下ユキ修道女 岩崎シズヱ修道女
(お 告げのマリア修道会) (お 告げのマリア修道会)
しているもの。
おける朗読奉仕者の具体
あるクラスではミサに
を願う市民のつどい」が
に て、
「自由と民主主義
崎歴史文化博物館ホール
1月 日、長崎市の長
規定を守ることが平和の
団 メ ッ セ ー ジ 」 を 紹 介、
と政教分離に関する司教
発表された「信教の自由
マ リ ア 病 院 で 帰 天。
に も 前 向 き に 取 り 組 み、
学園で奉仕。温厚で何事
帰天。 歳。
自由と政教分離に関する 昨年 月 日五島市聖 現憲法下における信教の
園、修道院の炊事などに
歳。三井楽町出身。保育
大司教は、昨年2月に
的な立ち居振る舞いを交
講師として招かれた。こ
開催され、髙見大司教が
た。
維持につながる、と訴え
実践に取り組んだ。
えた練習を(写真)また
れは、1990年の同日
る存在だった。葬儀・告
周りの人に安らぎを与え
貢献。葬儀・告別式は
として地域の信仰教育に
日、
三井楽教会で行った。 われた。
携わる。特にカテキスタ
から全回参加した野川啓
ことができた。遠路福岡
月
日老衰のため死
(中村
満師実父)
ペトロ
中村長右衛門さん
日栃木県宇都宮 (フランシスコ会)
「 参 加 で き て 本 当 に 良 か アウグスチノ
高橋
明神父
った。こんな素晴ら しい講座が行われて
いることに感謝した
い。帰ったら、福岡
さまに相談したい」
でもできないか神父
月
別式は 日黒島教会で行
り入門講座」が、カトリ
長崎市内からは香
子 さ ん( 高 宮 教 会 ) は、
第4回「小共同体づく
回( 年 月 日~
ックセンターを会場に全
焼、 中 町、 八 幡 町、
人 の 信 徒、
き合うことをしながら自
飽の浦、浦上、城山、
本講座の受講者は と語った。
年間海星
月 日黒島修道院で
別のクラスでは実際の朗
に当時の本島長崎市長が
年1月 日)で開催
日、教区典礼委
具体的に知ることで今後
分の朗読の長所・短所を
読を録音してお互いに聞
さ れ、
右翼団体から銃撃された
月9日
修 道 者 が 参 加 し た。
る。
浦上司教座聖堂
髙見三明大司教司式
1 月 日 ~ 日、 G
「
8 とカトリック教会 を
」
テーマに、第 回 司「教
教会」と題し
とカトリック
爺湖サミット
ゲル神父が「洞
マイケル・シー
南山大学教授
た め に 行 わ れ、
きるかを探る
として何がで
て、日本の教会
ミット」に向け
年 洞 爺 湖 サ G8 の首脳は、自国や
の た め の 社 会 問 題 研 修 研 修 会 は、「 2 0 0 8
会」が中央協議
会で開かれた。
要国首脳会議
G 8 と は、 主
こ と で、 国 際 社
(サミット)の
まざまな課題に
会が直面するさ
ついて意見の交
換、 決 定、 宣 言
が 行 わ れ る。 と
日の両
員会主催研修会
と1月
「ことばの典礼
殉教にゆかりがあるロー
滑石、他には、時津、
諫早、福岡からも参
の課題を発見できた。
に奉仕する」が
職、結婚。どうにか生活
2の「如己堂」がこの5
生は桜の木を長崎大学医
と、先生の故郷島根に第 思い出はつきない。先
支 援 物 資 を 信 徒 に 募 る。
活者のため、毛布などの
い。会員は毎年、路上生
去。 歳。子供6男6女。
二女お告 げのマリア 修 道
年~ ( 教 区 本 部 事 務 局 )
。久賀
歳。腎 臓 病のため
担当の講師から「聖書の
市峰修道院で心不全で帰
ことばをただ単に声に出 今回は人数が少な
天。
教会で行われ
ま る こ と が 期 待 さ れ る。 従事。本原教会に
延べ147人。受講
た。ことばの典
か っ た が、 そ の 分、
者を中心に各小教区
かされた3 つの泉とし
小グループ別の分かち合
加があった。
て、神の慈悲(隣人愛)、
して読むことだけではな
会修道女。三男教区司祭
く、みことばとして相手
透析を受けながら司牧に
礼の意味・内容
での分かち合いが広
み こ と ば( 信 仰 教 育 )、
なると、汗を流して移植 祈りと聖体(成長と変化) やその構造、また朗読奉
病院手前で休憩したとい
したこともよみがえる。
座開催も望まれる。
アドバイスも受けた。
う。先生は搬送して翌2
今後は長崎地区外での講
朗読の基礎、聖書朗読の
畳2枚敷きの現在の「如
日目、帰らぬ人となった。 今年の冬の寒さは厳し
いや発表などが活発に行
くなっていた。でもかつ
己堂」を建てる。
のめどがついた1948
学部グラウンド、山里小
地 マ「リアの山 に」納めた。
日、分骨を本原修道院墓
年 まで務める。1月
式で 日福江教会で行う。
葬儀・告別式は中村師司
島 で 農 業一筋 に 生 き る。
この道 年を超す。昨年
の 8 月 9 日、
「平和祈願 月にできるという。
)
19
(長崎純心聖母会)
ドロテア
深堀富士子修道女
(長崎純心聖母会)
月 日ロザリオの聖 1月2日ロザリオの聖
祭」会場で賽銭(さいせ 母修道院(長崎)で帰天。 母修道院で肺炎のため帰
歳。 五 島 市 楠 原 出 身。 天。 歳。浦上出身。県
ん ) を つ な ぐ 姿 を 見 た。
いまだ現役、
会の最長老。 同会の草創期入会者の1 内他浦和・東京・名古屋
人。祭服類の製作や縫製 などの幼稚園に勤務、子
お働く勇気を与えてくれ
仕してきたことが、今な
で行われた。
告別式は 日、本部聖堂
の 奉 仕 に 努 め る。 葬 儀・ 供たちの成長に心を注い
「永井先生と一緒に奉
いたヴィンセンシオ会に 先生は1951年5月、 学校、信愛幼稚園、純心
ています」
れている先生に個室を提
会員から執筆活動に追わ
した。途 中、先 生の痛み
り、長崎大学病院へ搬送
板 を 集 めて 担 架 をつく
が、 人 は「 永 井 千 本 桜 」 何かと手伝ってくれる。
く丘」を夢見てのことだ
化した浦上一帯に「花咲
く に 娘 さ ん 2 人 が 住 み、 1月号3面に桐小教区設立
夫人と江平町に居住。近
掛けで集まった 余人は、 費で植える。原爆で焦土 浦上小教区所属。ミワ
周年とあるのは献堂
本部聖堂で行われた。
だ。葬儀・告別式は3日
院、十字修道院などに自
供しようと話が持ち上が
周年の誤りにつき訂正いたします。
訂正
り、会員の大工さんを中
腹に水がたまり口から出
学園、聖フランシスコ病
吉田
清さん(
95 18
入会し、会員の永井先生
91
と出会う。
ある日の集会、 血がひどく、会員の呼び
聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ会会員
永 井先生と一緒に活動した
年、浦上教会で活動して
た弟を除く家族9人は亡 心 に 材 木 集 め に 奔 走 し、 がひどく浦上天主堂下と と呼ぶ。桜が咲く頃とも ユーフラジア
宇田マシ修道女
ての友人らの支えで兵役
われ、講座内容を深める
を紹介し、今後の具体的
目標について貴重な示唆
を与えた。
パウロ会』会員としてよ
前に働いていた工場に復 マスコミの報道による
に伝えようとする強い気
佐世保市の俵町 研修会の終わりには各
マ の 3 つ の 泉 を 題 材 に、
20
仕者としての役割を学ん
08
こ ろ で、 前 回
【申込み・問合せ】
長崎教区典礼委員会研修会事務局
昨年
「復活祭を準備する」
09年3月1日(日)10:30 ~ 16:30 相浦教会
聖週間の典礼の原則や意味・留意点を学び、式
の流れにそって聖歌やシンボルの解説を行います。
だ後、実際に発声・発音・ 持ちも大切である」との
日本の殉教者の教会が生
11
て、 ま た 元 国
連大学副学長武者小路公
参 加 者 は、 信 徒、 修
100人。同地区は、す
でに昨年度、3回にわた く活動されました」
り188殉教者列福につ 昨年から今年5月まで
した吉田さんは生前の先
れているが、ともに奉仕
いての講演会を実施した 永井隆生誕100年記念
が、今回は「信徒の霊性」 として多彩な事業が催さ
と題し、福者たちからの
ら引き揚げて来た浦上は
生を懐かしく思い出す。
を 探 る た め に 企 画 さ れ 終戦。インドネシアか
ように適用したらよいか
11
年6月「ハイリ
ゲンダム・サミット」の
ク教会」と題して公開講
秀氏が「G8とカトリッ
演を行った。参加者は司
国のカトリック司教協 議
教 人を含む 余人。講
際、イタリアを除く7カ
を送った。今回のサミ ッ
会会長が参加首脳に提 言
平戸地区は、昨年 月
日午後2時から、ペト
ロ岐部と187殉教者列
福記念講演会を田平教会
ア深堀美奈が終生誓願を 信徒会館で開催した。
宣 立 し、 現 在 大 分 教 区、
のシスタークララ・マリ
時半から、髙見大司教 司
昨年 月1日(土)
式のもとに、同会本部 修
園で幼児教育にあたって
日田市のカトリック幼稚
終生誓願を宣立した。
います。修道会の落ち度
「子どもの典礼奉仕」
7月27日(日)9:00 ~ 16:00 松浦市・御厨教会
朗読・聖歌・侍者の基本的方法を学びます(主
日のミサがあります)。
「 先 生 は、 浦 上 教 会 の
道 者、 司 祭 合 わ せ て 約 『聖ヴィンセンシオ・ア・
道院聖堂にて次の方々 が
グレイス・マリア
皆さまに修道会よりお詫
両親をはじめ皆瀬教会の
載もれをしたことを、ご
石橋真理子(千葉 五・井) で「よきおとずれ」に掲
ザベリーナ・マリア
戸川みさき(浜串)
月
岩崎しのぶ(西木場)
マリア
日( 木 ) 同 会 に お い て、 びいたします。
また、平成 年
時から、 長
佐世保市の皆瀬教会出 身
1月 日
崎市小江原のお告げの マ
マリアインマクラータ
リア修道会本部聖堂に て ∧ 初 誓 願 宣 立 者 ∨
高 見 大 司 教 主 司 式、 約
岩田架耶乃(湯江)
山頭陽子(紐差)
マリア
永瀬みづえ(平戸・古江) メッセージを現代にどの
マリアマグダレナ
人の司祭団が参列の も
と、誓願式が執り行わ れ
た。
誓願者は次の通り。
18
22 27 07
20
13
10
22
12
「ことばの典礼に奉仕する」
7月21日(月・祝)9:00 ~ 15:00 青方教会
ことばの典礼の奉仕について、典礼の原則と
朗読の技術を学びます。
廃 虚 と 化 し、 他 県 に い
77
20 12
12
12
88
15
81
50
∧終生誓願宣立者∨
た。講師は古巣馨神父。
古巣神父は、パウロの
22
23
「生け花による典礼表現・Ⅱ」
日時・場所は未定。(下五島地区)
聖堂の生け花のあり方をみことばの黙想を通
して深めます。
12
11
25
60
60
中村八千恵(浜脇)
マリア
12
90
12
10
23
1
60
11
2008 年度
教区典礼委員会主催研修会日程
14
07
18
10
16
11
1
10
12
14
中尾菊代(三井楽)
マリア
87
97
50
50
【典礼研修会案内用ブログ(非公式)】
http://ngstenrei.exblog.jp/
10
14
948 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第
よ き お と ず れ
2 月1日(毎月1日発行)
(3)2008年(平成20 年)
948 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可)
忠秋師︶のイルミネー
保・浅子教会︵主任川上
1 月 日まで多くの人
の目を楽しませた佐世
けを終え、子供たちの賛
午後6時までには飾り付
は婦人部の手料理、同日
を使って汗を流す。昼食
のない隼人に対し、処断の決意をした。
何度も改宗を迫ったが、いっこうに信仰に揺らぎ
れにもかかわらず改宗しない隼人に、細川忠興は
高所作業車、クレーン車
ションが九州電力長崎支
美歌が流れる中、点灯式
1619年、 月 日早朝、連行のために来た
衛視を待たせ、
泣き悲しむ妻と娘に、
彼はこう言っ
に移る。
に命を捨てて尽くすこと﹂である。幼い子供から
教者たちがいた。殉教とは﹁信仰する宗教のため
のために命を尽くし、亡くなった、たくさんの殉
まのもとへ行けるのがうれしいからだ。隼人は刑
それは、神さまに会えるときがきたからだ。神さ
うべき﹂
と言っている。どの殉教者もそうである。
スト教が認められていなかった遠い昔、キリスト
たらしい。
冷水教会 中学2年 頭島 菜摘
﹁今日は私にとって一生で最も歓喜をもって祝
。
キリスト者が最もキリスト者らしいのは、キリ うべき日だから悲しむでなく、共に祝ってくれ﹂
たいていの人は﹁殺されるのは嫌だ﹂と思うだ
ストのように苦しむときである。まだ日本でキリ
ろう。しかし、彼は﹁一生で最も歓喜をもって祝
加賀山隼人を思う
店の﹁イルミネーション
浅子教会﹁銀賞﹂受賞
九州電力のコンテスト
15
けでなく福岡、熊本から
焼かれたりして殺されている。
と、天を仰ぎ﹁イエス・マリア﹂と大きな声で唱
話し合い、待降節第1主
ネーションをと早くも構
レードアップしたイルミ
が厳しくなり、1614年、バテレン追放令が発
たが、徳川幕府のキリシタンに対する取り締まり
いた。
その後、
信仰の柱石的存在となった隼人だっ
を受けた。そして高山右近の家臣として活躍して
リストに命を尽くした殉教者のことを、とても素
て、今の私たちは本当に幸せだと感じた。私はキ
ことができる。私は、この殉教という事実を知っ
誰からも反対されることなく、キリストを信じる
るだろうか。私にはできないと思う。私たちは、
も車で駆けつけるという。
え
、自ら刑吏に首を突き出したそうだ。
そ
の
中
に
加
賀
山
隼
人
と
い
う
殉
教
者
が
い
る
。
彼
は
、
銀賞の受賞にはずみをつ
これが﹁キリストのために命を尽くす﹂という
摂州芥川の城主で、高槻城内で生まれ育った。小
ことなのだろう。今の私にそのようなことができ
日︵昨年 月2日︶に奉
想を膨らませている。
布され、キリシタン宗門は厳禁された。キリシタ
仕者約 人のお父さんが
修道女連
指導司祭・崎浜宏美師
盟 で は のあいさつに続き、髙見
人の修道女が集まった。
会場に開かれ、約180
など、今年の教会の主な
ルドユースデー、シノド
運動、国際聖体大会、ワー
ける中村長八神父の列福
活の中で証しできるよう
和、希望を、私たちも生
準備において殉教者たち
重要性とともに、列福式
月
100年、ブラジルにお ︵
年6
晴らしいと思う。
大司教から﹁2008年
動きについてふれ、とり
日∼
年6 月
ンは迫害され、教会や十字架などは壊された。そ
度の教区の目標﹂につい
で東長崎中学の英語教
その後感謝の祭儀が行
ス︵ 世 界 代 表 司 教 会 議 ︶ が証しした神への愛、平
われ、新年の喜びと希望
のうちに閉会した。
東長崎教会
―
東長崎教会︵主任司祭
濱田盛雄師︶の信徒会館
若いお父さん、お母
少 な い が 4 歳、 小 学 生、
さんも入って、﹁リー
ド、 バ ッ ク、 レ フ
ト、ライト﹂と簡単
な英語から学んでい
知れないけれど、それぞ
いる。
供たちに英語を教えて
カ イ ル さ ん︵
る︵写真︶
。
れに他人にはないよいも
︶が子
で、なかなか食べ物を手
カイル先生は赴任前の
2006年6月、どこか
自分にはわからないかも
に入れることができませ
す。それなのに私たちは
のをく ださっているので
教会を紹介してほしいと
さ れ る。
﹁ 日 本 の 人、 お
ま せ ん。 と い う こ と は、 のティマー・マイヤー・
んでした。そこで、いな
教区広報委員会に問い合
の午前9時のミサ後、信
もしろくて楽しい﹂と話
れども、町ではあぶない
かのねずみは、人のこと
人のことがうらやましく
いなかのねずみのように
わせ、居住地に近い東長
徒会館で英語を教えてい
ことやこわいことばかり
がうらやましく思えたけ
崎教会を教えたのがきっ
一番いいんだ、というこ
やっぱり自分のいなかが
ちもよいものがあること
が気づいたように、私た
かけで、現在第2日曜日
る。
のです。それを聞いたい
ひとりに心をかけてくだ
神 さ まは、私 たち一人
弟、熱心なカトリッ
ク信徒の家庭。アメ
リカでは3年間、日
本語を学び長崎市に
英語教師として派遣
している。
世紀の最も卓越した神
教師であった。本書は御
で伝えた宣教者、祈りの
記。
ての使命に光をあてた伝
受難修道会の創立者とし
秘家と評される聖人。地
の 生 活 を 守 り、 イ エ ス
えない愛のしるしである
ドン・ボスコ社。定価
の御受難が神の揺るがし
2100円。
受難の紋章を心に 道 な 忍 耐 の 連 続 に あ っ
れないようにしましょう。 涯
―
て、徹底的な清貧と悔悛
刻みつけて ―
神さまはそうすること
十 字 架 の 聖 パ ウ ロ は、 ことを人々に明快な言葉
とに気がつきました。い
﹃ あ る 日、 い な か の ね
なかのねずみは、うらや
に気づきましょう。そし
ずみが、町のねずみを招
★十字架の聖パウロの生
なかのねずみは町のねず
すてきだなとか、運動 が
いてごちそうするのです
さっています。その証 拠
いつも感謝することを忘
み に さ よ う な ら を 言 い、 て、 今 あ る 自 分 を 喜 び、
急いでいなかへ帰りまし
うまいなとか、勉強が よ
ましくてたまらず、町の
た。﹄
くできるなとか、絵や 文
が、町のねずみは一口も
ポール・フランシス・
を望んでおられます。
︵毎熊智子︶ スペンサー著 丸山ヒデ
子訳 井上博嗣監修
カイル先生の家族
は両親のほか6人兄
ど、ほんとうは自分はい
の話を思い出し、ねずみ
い 所 に 住 ん で い た の だ、 なるのです。そんな時こ
いると言ってじまんする
まだ信徒家庭にPRさ
れていないのか、生徒は
日︶にあたり宣教の
集い﹂が
﹁新年の
て 講 話 が あ っ た。 大 司
師をしている米国出身
要を述べた。
長崎信愛
わ け﹁ 使 徒 パ ウ ロ の 年 ﹂ 宣教の視点を意識する必
に、世界中どこをさがし
信徒家庭の子供に英会話
米国からの派遣教師
幼稚園を
教 は、 永 井 隆 博 士 生 誕
ても﹁私﹂と同じ人はい
09
ねずみに頼んで町へつれ
28
ていってもらいます。け
29 08
食べず、町ではもっとお
なかのねずみと町のねず
10
老人まで、たくさんの人たちが首を斬られたり、 場へ連行され、最後の祈りを唱えながら丘へ登る
けた浅子信徒、今年はグ
うようになったのは小島 ︵ 写 真 ︶
、参観者は近郊だ
栄 師︵ 現 福 江 教 会 ︶ の
時代からで 年間続く。
飾り付けの打ち合わせは
14
月1日から信徒代表が
さい頃からキリスト教理を学び、 歳のとき洗礼
10
が聖堂外に飾り付けを行
冬の海に温かく映 える
銀賞を受賞した。同教会
教会のイルミネーション ―
コンテスト﹂団体部門で
13
12
50
いしいものを毎日食べて
1 月5
日、 教 区
11
のことがうらやましくな
テサロニケの信徒への 手
絶 え ず 祈 り な さ い。 ど
ることです。
紙1 5章 ∼ 節
イ ソ ッ プ 物 語 の﹁ い
﹁いつも喜んでいなさい 。
み﹂の中に登場するねず
い。これこそ、
キリスト・
イエスにおいて、神が あ
なたに望んでおられる こ
私たちは、友だちと 仲
とです。﹂
良く遊んだり、お話し た
り、勉強したりしてい る
のですが、そんな中で ふ
と友だちのことが気に な
ることがあります。た と
えば、自分と比べて、 あ
長与教会学校スタッフ
みもそうでした。
40
みことばにふれて
んなことにも感謝しな さ
18
字が上手だな、などと 人
18
教区修道女連盟
の人の持っているもの は
24
「新年の集い」
16
2 月1日(毎月1日発行) (4) 2008年(平成20 年)
よ き お と ず れ
第
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