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介護のあるべき方向性を示す「地域包括ケアシステム」

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介護のあるべき方向性を示す「地域包括ケアシステム」
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【第56回】 2016年6月8日 浅川澄一 [福祉ジャーナリスト(前・日本経済新聞社編集委員)]
介護のあるべき方向性を示す「地域包括ケアシステム」と
は?
高齢者ケアの将来像を示す羅針盤
日本の高齢者施策の目標は「地域包括ケア
システム」の実現とされている。団塊世代が
75歳を迎える2015年には、その目標を達成
させようというプランだ。75歳になると心
身の老化が進み、介護保険や医療保険を本格
的に利用し始める。ところが、現行の介護保
険制度では十分に対応できそうもないので、
新たに「地域包括ケア」の考え方で乗り切ろ
うということだ。
最新の2015年度の「地域包括ケアシステム」の報告書を地域包括ケア研究会(座
長は田中滋・慶応義塾大学院名誉教授、メンバーに堀田聡子・国際医療福祉大学大学
院教授、高橋紘士・高齢者住宅財団理事長、新田国夫・日本在宅ケアアライアンス議
長など10人)がまとめた。2008年度に同研究会が第1回目の報告書を提出して以来5
回目となる。
「地域包括ケア」という言葉が初めて登場したのは2003年6月に「高齢者介護研究
会」(座長に堀田力・さわやか福祉財団理事長、委員に樋口恵子・高齢社会をよくす
る女性の会代表など10人)が作成した「2015年の高齢者介護」の報告書であった。
以降、2008年に発足した地域包括研究会が改定を重ね、「進化」させてきた。
「2015年の高齢者介護」では、地域包括ケアを「保健・福祉・医療の専門職相互の
連携、さらにボランティアなどの住民活動も含めた連携によって、地域の様々な資源
を統合した包括的なケア」と位置付けて提言した。
これを引き継いで地域包括ケア研究会が、報告書を発表してきた。第1回の報告書
が出たのは2008年度末。居住環境の重要性を指摘して「住宅サービス」が盛り込ま
れるとともに、在宅医療が強調された。
翌2009年度末に第2回、暫くあけて2011年度の第3回、2013年度に第4回、そし
て最新の第5回が今回ということになる。
同研究会の構成メンバーは毎回9人か10人。全5回で相当に入れ代わっている。
ずっと名を連ねているのは、田中滋さん、高橋紘士さん、それに兵庫県立大大学院教
授の筒井孝子さんの3人だけだ。
これまでの報告内容は、その多くが国の施策に取り込まれてきた。いわば、高齢者
ケアの将来像を示す羅針盤のような役割を果たしている。介護のあるべき方向性をは
じめ、改変されるべきサービスやその担い手のほか、医療の関わり方まで広範囲に叙
述されている。
国の大方針とは言いながら、実はこの10年間にその中身が大きく変容している。当
事者の策定委員は「進歩させてきた」としているが、果たして本当に「進歩」なのだ
ろうか。
最新の報告書の内容は?
今回の第5回報告書では、有名な「植木鉢モデル」の内容を書き換えた。「植木鉢
モデル」は、地域包括ケアの重要な構成要素として「介護」「医療」「保健」「住ま
い」「生活支援」の5つを強調させ、植木鉢を使って分かり易く表現したものであ
る。
第3回の報告書で登場し、厚労省の担当者たちは講演のたびに説明材料としてい
る。それまでのオリンピックマークのような5要素の「5輪図」が平面的だったのに対
し、5つの要素を立体的に示したと評判がいい。
その5つの要素のうち、葉っぱと土に当たる要素を今回は入れ替えたのがまず目を
引く。3枚の葉っぱの中の「予防」を植木鉢の土に持ってきて「介護予防」とし、代
わりに「福祉サービス」を葉っぱに移動させて「福祉」とした(図1と図2)。
◆図1
◆図2
葉っぱの3要素である「医療・看護」と「介護・リハビリテーション」「保健・予
防」は専門職の仕事と言われ、「公助」「共助」の世界と説明されてきた。「公助」
とは税による支援、「共助」とは介護保険や医療保険、年金などの保険制度による支
援である。
要支援者を地域事業に移行させる「新しい総合事業」が始まるとともに、「予防」
の担い手は地域住民が主役となった。「新しい総合事業」の中身は、「介護予防・日
常生活支援総合事業」であり、「介護予防は生活支援と一体的に、住民自身や専門職
以外の担い手を含めた多様な主体による提供体制」(報告書)に移行した。そこで、
葉っぱの専門職から、素人が担い手の植木鉢の土に移した。
植木鉢の本体と土は共に「自助」「互助」の世界であり、本人や家族、地域住民な
どケアの素人を当事者に想定しているからだ。
同時に「福祉サービス」は、生活保護受給者や障害者への支援活動だからプロの仕
事なので葉っぱの方に移した。ということで、この3つの項目の配置転換が成され
た。
「予防」をプロの仕事から地域住民へと担い手を移したのは、介護保険を取り巻く財
源難と人手不足がもたらした帰結だろう。
もうひとつ、植木鉢を支えるお皿に込めた思い、心のあり様が大幅に書き換えられ
た。従来の「本人・家族の選択と心構え」(図1)が、「本人の選択と本人・家族の
心構え」(図2)となった。
なぜ、本人と家族を同列に表記?
在宅生活で活用する様々な介護や医療などのサービスを「選択」する当事者はあく
まで「本人」である。本人の他にはありえない。それを「本人」と「家族」を同等に
並べ、両者で「選択」するかのような従来の文言は大間違いである。
そもそも介護保険制度は、同居家族の有無やその資産、関わり方などとは一切関係
なく、本人の心身状況だけで要介護認定が下され、7段階に分けられる。例え家族が
多かろうが、家庭の収入が豊かであろうが、要介護認定には影響されない。本人だけ
が対象になる。
介護保険前の措置時代には、家族関係など周辺状況が十分考慮に入れられて、ヘル
パーの投入などを自治体が決めていた。日本の社会保障制度や税の体系は、いずれも
家族をベースに作られ、扶養家族の有無で支払う税金が異なっている。
家族が社会の構成要素の基本単位であった。企業の給与体系も、本人の能力より家
族の生活を維持する考え方で作られ、子どもが多ければ賃金は多くなっていた。
介護保険制度は、家族でなく個人を基本単位とした画期的な社会保障制度である。
欧米並みの個人主義で成り立つ。それが「本人・家族」を同列に表記し「選択と心構
え」と繋げるのは明らかに介護保険の基本的な考え方を否定するものだろう。
同列にすると、高齢者本人の考えは聞き入れられず、家族の思惑に左右されかねな
い状態を認めることになる。本人の意向を無視して、家族が勝手に介護や医療、リハ
ビリなど葉っぱのサービスを決めてしまっていいのだろうか。植木鉢の土や本体にあ
たる生活や住まいも同様だ。
「地域包括ケア」を最初に書き込んだ報告書「2015年の高齢者介護」でも、本人の
決定権を尊重している。
「人生の最期まで、個人として尊重され、その人らしく暮らしていくことは誰もが望
むことである」「自分の人生を自分で決め、また、周囲からも個人として尊重される
社会、即ち、尊厳を保持して生活を送ることができる社会を構築していくことが必要
である」
いずれも正論である。「個人」や「自分」を前面に打ち出して、人生の主人公を明
確にしている。「尊厳」がキーワードになり、介護保険法の第一条に追加された。
2008年度末にまとめられた第1回の研究会報告書では「個人の選択と権利を保障す
るためのサービス」という1項目を掲げた。そこで、「生活上の安全・安心・健康を
確保し、維持するためには、個人の権利を守る地域包括ケアを支える体制の整備が必
要である」ときちんと述べている。
注目すべきは、この叙述に続けて「介護保険制度では、利用者本人とサービス提供
者の契約により、サービスが提供されるべきであるが、実質的には、家族との契約に
なっている例も見られことについて、どう考えるか」とわざわざ家族に言及してい
る。
現実に多い家族介入に疑問を投げかけ、否定しているのである。家族と本人を峻別
することの重要性を説いている。
こうして真っ当な理念を掲げてきているにもかかわらず、「本人」と「家族」を並
べてしまったのはどうしたことだろうか。
家族の選択より、本人の選択が優位
そこで、筆者は従来のお皿を否定し、「本人」と「家族」を切り離すべきだと提唱
してきた。つまり「本人の選択と家族心構え」とすればいいのである(図3)。本人
の選択が優位であり、その選択を家族が受け入れ心構えが必要なのである。
◆図3
今回の改定で、本人を独立させたのは良かった。だが、その後にまた本人を呼びだ
し、「本人・家族の心構え」としたのは腑に落ちない(図2)。従来の文言にとらわ
れたのだろう。「心構え」は家族だけで十分。すっきりさせるべきだろう。
だが、よくよく考えてみると、住まいから始まり介護や医療などのサービスを選択
した高齢者自身は、植木鉢モデルの中心に位置すべきだろうし、選択の結果に満足な
生活を送って欲しいと願われている。つまり、花開く姿が描かれていれば分かりやす
い。
鉢植え植物がいつまでも3枚の葉だけでは完成形態と言えない。花が咲いてこそで
あり、それは本人の選択があってこそだろう。そこで、筆者が作る最も分かりやすい
図には咲いた花がある(図4)。
◆図4
既得権を守りたい守旧派に押し返された理想のプラン
さらに、5回にわたる研究会の報告内容を振り返ってみると、当初掲げていたはず
の高邁な理想像が次第に修正されてきていることが判明する。
施設と病院の扱いである。第1回の報告書で「大規模集約型や隔離型施設から。地
域生活に密着した施設に転換することをすすめるべきではないか」と婉曲な表現なが
ら、既存施設に疑問を呈した。
第2回報告書になると「サービス提供に当たっては、在宅サービスが優先であって
施設サービスは補完的なもの」とはっきりと断言して、施設の役割をほとんど評価し
ていない。続けて「在宅での生活継続がどうしても困難な場合にはじめて施設を利用
するという原則に立つべきである」と、在宅重視の立場を鮮明に打ち出す。
さらに、「介護保険施設類型の再編」と項目を立てて、「施設から住宅への転換」
を促している。
「どの施設に入所するかによって医療や介護のサービスが提供されるのではなく、利
用者の状態像に応じて必要なサービスが提供されるよう、施設のあり方を見直すこと
が適当であり、施設を一元化して最終的に住宅として位置づけ、必要なサービスを外
部から提供する仕組みとすべきであると考える」
北欧諸国が始めていた「脱施設」、「住宅への転換」の政策と同様の道筋を明確に
表現している。現行のサービス付き高齢者住宅(サ高住)に在宅サービスを外付けさ
せる方式がはっきりと描かれている。
ところが、こうした施設否定ともとれる文面が、施設運営者から反発を受けた。そ
して、次の第3回報告書では特別養護老人ホーム(特養)がなんと「住まい」として
そのまま位置付けられてしまう。
「特別養護老人ホームも、重度の要介護者にとっては、内部に集積された専門サービ
スを効果的・効率的に受けられる「住まい」として、これからも機能する引き続き期
待される」
「期待」まで込めてしまうとは驚きだ。前回との整合性を問われれば、答えに窮する
に違いない。
さらに、いったん廃止が決まった介護療養病床にも「期待」を寄せる。
「居宅で生活する医療依存度の高い要介護者に対する短期療養も含めた支援拠点とし
ても期待される」。続けて「この場合も、特養と同様に、地域の医療的な相談窓口を
有する医療拠点としての機能も考えられる」と踏み込んでしまった。
これでは、すべて現状の肯定、追認であろう。道標から遠ざかってしまい残念なこ
とだ。
掲げた理想プランが、既得権を守りたい守旧派によって押し返されるのはよくある
ことだ。また押し返せばいい。その繰り返しを経ながら、少しずつ前に進んでいくこ
とを期待したい。
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