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個曰楓 颯 - NPO法人 北海道みなとの文化振興機構

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個曰楓 颯 - NPO法人 北海道みなとの文化振興機構
個曰楓 颯
睦 なと
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凛
罐
L2いで二
.と座談金上の開催
7月 16日 か ら 18日 までの 3日 間 「ザ・シンポジウムみな と in
gll路 」 との協賛行事
として、国土交通省釧路
開発建設部及 び NPO法 人北海道 みな との文化振興機構 の主催 による「みな とパ ネル 展 J及 び「みな と座談会」
を開催 しました。
海・ 港・ 暮 らしを地域 で考 える「みな とパ ネル展 Jは 、市 内 のスーパ ー ジャス コ 1階 サ ンコー ト広場 で 開催
しました。
パ ネル展 の開催 に先立 つ オ ープニ ングセ レモ ニ ー として、16日 午前 10時 か らテープカ ッ トを行 い、釧路市長
の挨拶 に始 ま り、釧路開発建設 部長、釧路商 工 会議所会頭、釧路観光協会長、 マー メイ ドタ│1路 の女 性 2人 に加
え、参加者 の 中か ら可愛 らしい お兄 ちゃんお嬢 ちゃんな ど多彩 な顔 ぶれが一 同 に会 し賑 やかな雰囲気 の 中で 開
催 され ました。
このパ ネル展 は、「ザ・シンポジウムみな と in
の共通 テーマで ある「 クルーズ の魅力 と釧路港 の未来 J
「阿寒」。
を念頭 に、北海道全体 の観光 と物流 を意識 しなが ら、釧路 市 にお ける港 の機能 や「釧路湿原 」。
「知床」
gll路 Jと
とい う三つの国立公園 を背後 に控 えた個 性的 な地域 づ くりを家族 で考 えるきっか け となるような展開 を願 って
開催 しました。
また、「みな と座談会 Jは 、 16日 午前 10時 30分 か ら、釧路全 日空 ホテル 4階「錦 の間Jに おいて「みな とま
ち釧路 の食文化 と観光振興 Jを テ ーマ にして 「北海道みな とまちづ くり女性 ネ ッ トワー クJ事 務局長 の古屋温
美氏 の司会 で始 まりました。
出席者 は、釧路市内 で まちづ くり活動 に取 り組 んでいる方 々で、店 の経営者 か ら会 社員、大学生 まで幅広 い
立場 の人 達 が、 それぞれ地域づ りを実践 して きた 中 か ら、釧路 市 の未来 につい て熱 い想 い を約 2時 間 にわた っ
て議論 しました。
なお、 この座談会 には、釧路市港湾部長、北海道開発局港湾計画課企画官、釧路港湾事務所長、 な どの外函
館、室蘭、苫小牧、留萌、紋別 か ら「北海道 みな とまちづ くり女性 ネ ッ トワー クJの 会員が傍聴 し、座談会終
了後、合同で約 2時 間 にわたって「地 域懇談会」 を開催 し、座談会 の感想 な どをまじえなが ら地域づ くりにつ
い て意見交換 しました。
ヌ
オープニ ングセ レモニー
みな とパ ネル展の会場風景
儘曰楓 噸
「みな と 座談 会J
:
一み な とまち釧路の食文化 と観光振興 一
:
:
1。 日
2.会
時
平成 17年 7月 16日 (土 )10時 30分
場
釧路全 国空ホテル 4階 「錦の間」
3.出 席者
永田
敦子 (NPO浪 花町十六番倉庫事務局長
相馬
里美 (3路 市賑わいのみなとまちづくり懇談会委員、釧路公立大学学生
佐々木
(司 会
司
会
)
)
順子 (四 季彩
)
佐竹
道部言
己
夙
者
直子 (91路 新聞社幸
松実
知子 (31路 観光協会
平間
育子 (3‖ 路市女性団体協議会会長、消費生活アドバイザー
温美 (北 海道みなとまちづくり女性ネットワーク事務局長
)古 屋
)
)
)
)
これ よ り釧路 みな と座談会 を開催 いた した い と思 い ます。
本 日は、皆様 お忙 しい 中、 この釧路 みな と座談会 に御参加 いただ きまして、本 当 に どうもあ りが とうござい
ます。本 日、私、司会 を務 め させて いただ きます北海道 みな とまちづ くり女性 ネ ッ トワー ク事務局 の古屋 で ご
ざい ます。 どうぞ よろし くお願 い します。
きょうはオブザーバ ーの方 も 20名 ほ ど来 られて い ますが、私 の方 か らまずみな と座 談会 に出席 され る皆様 の
お名前 と所属 を御紹介 させて いただ きた い と思 い ます。
まず、 NPO浪 花町十 六 番倉庫事務局長 で ござい ます永 田敦子 さんです。
永田氏
永 田で ござい ます。
釧路市賑 わ い のみな とまちづ くり懇談会 の委員 で、釧路公立大学 の学生 さんです。相馬里美 さんです。
相馬氏
きょうはよろし くお願 い します。 (拍 手 )
司
お隣 にお られ るのが、四季 彩 の佐 々木順子 さんです。
会
佐々木氏
司
会
きょうはよろし くお願 い します。 (拍 手 )
釧路新聞社報道部 で記者 をされてお ります佐竹直子 さんです。
佐竹氏
よろし くお願 い します。 (拍 手 )
司
釧路観光協会勤務 で、北海道 みな とまちづ くり女性 ネ ッ トワー クの会員 になってお られ ます松実 さん
会
です。
松実氏
観光協会 の松実 です。 きょうはよろし くお願 いいた します。
司
釧路市女性 団体協議会 の会 長 で、消費生活 ア ドバ イザ ー もされてお られ る平間育子 さんです。
会
平間氏
き ょうはよろし くお願 い します。
今回、 まず この座談会 が この釧路 で 開催 され る とい う ことになった背景 とい うか、 その辺 をち ょっ と簡単 に
御紹介 させて いただ こ うと思 い ます。
この座 談会 を主催 してお ります「NPOみ な との文化振興機構 Jは 、港 と町 の歴史 とか文化、 それ と港 の役割
儘曰楓 噸
といった ものについ て広 く市民 の方 に理 解 を得 るための広 報活動 を行 った り、 それ に関連 す る事業 を行 ってい
る団体 で ござい ます。 19日 の 日に「ザ・シンポジ ウム みな と in釘 │1路 」 とい うのが、釧路 に寄港す るクルー ズ飛
鳥船 内 のグラ ン ドホール で 開催 す る ことに なってお りまして、その共賛事業 として、16日 か ら 18日 まで ジ ャス
コ釧路店 の方 で「みな とパ ネル展」とい うのを NPO法 人 と、釧路港湾事務所 との共催 とい う ことで 開催 されて
お ります。今、パ ネル展 の開会式 のテープカ ッ トが あ りまして、そち らの方 に行 って きた ものですか ら、ち ょっ
とお くれて しまった とい う ことなのです。皆様 もぜ ひそち らの方 に も行 っていただ ければ と思 ってお ります。
この みな と座談会 はパ ネル展 との一 環事業 として開催 されてお ります。 それで、今 回釧路 の皆様 に集 まって
いただ いて開催 す ることになった とい う ことで す。
今回 の座 談会 のテー マ は「みな とまち釧1路 の食文化 と観光振興」とい う ことで提案 をさせて いただ きました。
ここにお集 ま りになって いただ いた皆 さんは、食文化 とい う ことになれ ば、生活 とも関連 す る とい う ことで、
また、観光 とかで訪 ねて くる人 へ のお もてな しとい う ことを考 えて も、や っぱ り女性 とい う ことか な とい う誌ゝ
うに思 い ます。
かたい説明 にな りました けれ ども、それで は、 これか らは気軽 に、皆様 の ご意見 をいただ きた い と思 い ます。
きょう大 き く三 つのブロ ックに分 けてお話 をして い ただ くのですが、 最初 は、 ご 自身 の仕事や活動 な どについ
てのお話 と、あ とは港 とのかかわ りについて も触れて いただ き、お一 人 5分 位 で、全員 で 30分 ぐらい とい う こ
とで考 えてお ります。
その次 に、釧路 の魅力 とい う ことで、地域 の食材 や観光 と自然 との関 わ りな どを中心 に して意見交換 してい
ただ きた い と思 い ます。皆 さんが釧路 の魅力 だ と思われて い る もの と、 その活用 です よね、例 えばよそか ら来
た人 をお もてな しす る ときに どうい う ことを釧路 の特徴 として見 て いただ くのか とか、観光振興 に関す るアイ
デアみた い な もの、恐 らくい ろい ろ実践 された こと もある と思 うので、 そ うい う ことを、お一人 7分 ぐらい全
部 で、45分 ぐらいかな とい う湾、うに考 えて い ます。
みな と座 談会 とい う ことなので、女性 か ら見た釧路 らしい港町 づ くり、い ろい ろな提案 です とか 、き ょうは、
行政 の方 もオブザ ーバ ーで来 られて い ますので、行政 に対 す る今後 へ の期待 とか希望 とか 、 そ うい った もの も
お話 しいただ けれ ば、 これか ら参考 になるので はな いか な とい うふ うに思 い ます。
現在の活動と港との関わり
で は、平間 さんの方か らお話 いただ きた い と思 い ます。
平間氏
実 は私、岩手県 の生 まれで、 そ して水 田の ど真 ん 中 で生 まれ育 ち まして、港 には本 当 に縁 が な く暮 ら
して きて、釧路 に来 て初 めて毎 日の生活 の 中 で海 を見 たのです。
海 を見 て、 その当時 は幣舞橋 の近 くに、例 えば今 の時期 であれ ばケー ソンの船 が ず っ と並ぶ とか、今 で もサ
ンマ船 がち ょこち ょこ来 て い るのですが 、子供 が小 さい ときは、 とにもか くに も帆船 が来 た とい えば行 ってみ
る とか、水揚 げ場 といった ら子供 たちを連 れてサケの雄 と雌 と選別 の神業的 な もの を見て感激す る とか、今 で
もそ うなのですが、私 に とって港 とい うのはす ご く珍 しい存在 で 、船 の形見 て も、 ああそ うなのか、 こ うなの
か とい う状態で きてお ります。
子供 たちが大 き くなって い ろい ろな活動 とい う ことが あるのですが、直 接的 な港 とのかかわ りはな い のです
ね。 ただ、 い ろい ろ と団体活動 の 中で、 お越 しいただ いた方 には、釧路 を紹介す るには、や っぱ り魚 とか浜 と
かそれか ら港 とか とい う ことに触れ ていただ きた くて、 そ うい う形 で釧路 を紹介 してお ります。
個曰楓 噸
松実氏
釧路観光協会 に勤 めてお ります関係 で、 きょうはち ょっ と釧路 の紹介 と釧路観光協会 もち ょっ とは頑
張 っているんだぞ とい う ことで ご紹介 させ て頂 きます。釧路 を紹介す る ものは、 ほかの市町村 に比 べ て も食 に
関す る資料 を皆様 にお配 りして い るパ ンフレ ッ ト類 は結構頑張 つて い るので はないかな と思 い ます。 中 に入 っ
てい るパ ンフレ ッ トを見 て いただ くと、釧路 ラーメ ンマ ップです とか寿司商組合 さんで 出 された寿司 マ ップ、
それか らそば商 組合 さんのそばマ ップ とい うふ うに、 それぞれの団体 の方 が釧路 らしい食文化 を もっ と皆 さん
にわかっていただ こ う、広 めようとい う ことで、 とて も頑張 って いた だ いてお ります。観光協会 もそれ に協力
す る形 で、釧路 の代表的 な食 を四 つ に絞 って、 お い しい ぞ釧路 は、 とい うのを何 とか定着 させ ようと四、五 年
くらい前 か ら頑 張 つてい ます。
そのほか に も、似│1路 は、911路 独 自のいろい ろな鉄板 スパ ゲテ ィだ とか フランクフル トに砂糖が ついてい るだ
とか 、 お もしろい とことが あるのです けれ ども、 これか らの観光協会 としては、釧路 の市民 のみな らず道 内、
本州 の観光 のお客様 にも周知 して い けた らいい な と思 い なが ら、国際交流 セ ンターの 1階 で、 目の前 に広 が る
幸町緑地 を眺 めなが ら仕事 を してお ります。
釧路 は 4番 目が好 きな市 といわれている らし くて、た しか人 口 も 4番 目 とかそれ くらい で、似│1路 ラー メンも
ほかの本L幌 ラーメン、旭川 ラーメ ン、函館 ラーメンに続 いて 4番 目にう│1路 ラーメンを出 した とい う ことで すが、
観光協会 で は、空港 に関 しては、 4番 目は避 けようと頑張 ってお ります。 一 昨年、公 立大 学 の小磯 先生 の方か
らお声 をか けて いただ いた港湾 研究会 に入れていただ いたのが きつか けで、それ まで港町ですか らとい う こと
で、観光 のお客様 に説明 して いた に もかかわ らず、港 について は余 り考 えた ことはなか った ことに気 づ き、 こ
れ をきっか け として、港 の建 物 とか 、もっ とそ こか ら広が る港 な どについて考 えて い きた い な と思 ってお ります。
佐竹氏
皆 さんのお手元 に釧路新聞 を置かせていただいたので すが 、 き ょう、早起 きして つ くって きました。
道 内各地 か ら来 ていただいた皆 さんは、 それぞれ港 に関す る活動 をしてお り、港 に関 して余 り知識 のない私 に
で きることは何 だ ろうと考 えた ら、人が い な い と港 の魅力 にな らな いので、 き ょう ここにい る皆 さん と港 を歩
き、皆 さんを御紹介 した記事 を釧路新 聞 の 中 か ら掘 り起 こ してみ ました。皆 さん結構記事 に出 て い るのです け
れ ども、 その 中か ら抜粋 して、 ご く一部 ですが 、平間 さんや村 中先 生 に書 いていただ いた コラムです とか、 ま
た松実 さんが釧路新間 に寄稿 して い ただ い た記 事 も入れ ました。
あ と、 きょうの釧路 新聞 も用意 させて いただ きましたが、私 の記事 で はない のですが 、 きょうの トップ記事
は「泳 げサ ンマ」 とい う ことで、 911路 は今 サ ンマの水揚 げが始 まった ところなのですが 、911路 は、なかなか水
産都市であ りなが ら、生 きの よさを実体験 で きる場所 が なか ったのです けれ ども、今 回観光施設 な どで、生 き
たサ ンマ を皆 さんに体験 して いただ けるような研究が始 まる とい う記事が今 日の トップ記事 だったので 、 この
会 にぴった りかな と思 い まして ご紹介 しました。
そのほかに「重 箱 の隅」とい うタイ トル の情報誌 が何部 か入 ってい るのですが、
私、新聞社 の仕事 のほか にチ ャ レンジ隊 とい うボランテ ィア団体 の代表 をして い
まして、 そ こで は、私 もボラ ンテ ィア活動 して い るのです けれ ども、 い ろい ろな
地域活動 の情報 を集 めて発信す る とい う活動 をして い ます。地域 で有名人 でな く
て も隅 っ こで一 生懸命頑張 って い る人 とか、隅 にある釧路 の宝物 に的 を絞 る とい
う意味で「重箱 の隅」 とい うタイ トル をつ けました。
佐々木氏
食 べ物 の仕事 をしてお りますので、地元 の方 は もちろん、観光客 の方
とも接す る機会 が あるのです。私 は、札 幌 か らお嫁 に来 て、 もう相 当前 なのです
けれ ども、釧路 の方 が長 くな りました。当時の釧路 の町 は もっ とにぎやかで 、漁
個曰楓 噸
師 さんが い っぱい歩 い て い まして、腹巻 きにお金 を入れて、 うちは寿司屋 で したので、大変羽 ぶ りが よ く、毎
日の ようによ く食 べ て、 けんか も多か ったです けれ ど、す ご くにぎやかな時代 で した。
今 は 200海 里 の影響 でその影 は全然 な くな りまして、漁師 さん もサ ラ リーマ ン的 になって しまい ましたね。
ひ ところは「船 があが ったぞ」「バ ケツ持 って来 い」 と言 うものですか ら、バ ケツ持 って い くと、「 こん な小
さい の じゃだめだ よ」 と言われなが ら、 い ろい ろな魚 をいただ いた りした ときもあったのです けれ ども、今 は
そ うい う漁師 さんたちで はな くて、地元 の小 さい船 を持 って働 い て い らっ しゃる方 とつ なが りが あ りまして、
で きるだ け新鮮 な うちに欲 しい と思 い まして、 そ うい う漁師 さん と契約 して、 きょうは何 が上が ったぞ、 き ょ
うは何が上が った とい う ことで、新鮮 な魚の料理 を提 供 させて頂 い てお ります。
私 は、釧路 の声野 とい う地域 に住 んで い るのですが、海 が ある ことをち ょっ と忘れ て しまうのですね。ち ょっ
とうれ しか ったのは、半年 ぐらい前 だったので はな いか と思 うのですが、コマ ー シ ャルで毛嵐 って 出 たのわか っ
てい ますか 、 サ ンヨーか何 かの洗濯機 の コマ ー シ ャル だ った と思 い ますが、釧路 の川か ら、冬 です よね、毛嵐
上が るの。気温 の違 いで毛嵐 とい うのは川か らわ一っ と霧 が上が る、 それ を使 った コマ ー シ ャルが 、半年 か 1
年 くらい流れたので はないか と思 うのですが、こ うい う言葉 が全 国 に流れ てい るの はうれ しい と思 い ましたね。
あ とは、 ハ ウスの コマ ー シ ャルで、厚岸 のカキが コマ ー シ ャル に出 て い ました よね。 そ うい う地域 を拾 って
くれ る コマ ー シ ャル をして くれ るのがす ご くいい宣伝 にな るのかな と。 その こと も含 めて、釧路 に もお い しい
もの い っぱい あ りますので、皆 さんに紹介 して い けた らいい な と思 ってお ります。
相馬氏
大学 の広報 か ら「賑 わ い のみな とまちづ くり懇談会」でや ってみないか とい う ことでお声 をか けて い
ただ いて、今、うちの大学 か ら私 ともう 1人 、男 の方なのです けれ ども、2人 で入 りまして、活動 してお ります。
「港 で遊 ぼ う in
gll路 」とい う ことで 、去年初 めて、新 し く国際交流 セ ンターの前 にスポー ツのち ょっ とで きる
ような、 ス トリー トバ スケ ッ トとスケ ー トボー ドの高度 な新 し くで きた もので、 それ を利用 してち ょっ とした
お祭 りを とい う ことで、港 で遊 ぶ企 画 をしました。 このほか に もミニ コンサー トです とか、国際交流 セ ンター
の 中でち ょっ とした港 の歴史館 みた い な ものを出 してみ ました。
「賑 わ い のみな とまちづ くり懇談会」の方 は、釧路港がや は りち ょっ と衰退 して きて い るので はな いか とい う
ことで、や は り大 きな改革 をしようで はな いか とい う話 し合 いが 中心 に行われて い ます。 今使 われて い な い倉
庫 な どが港 にず っ と建 って い ますので、 そち らの活用です とか、 その地 区 の整 備、 ち ょっ と危険 な地域 も見 ら
れ る とい う ことで 、 あ と、釧路 に来 る観光船飛鳥 ですね、 ほかの観光客 の皆 さんが来 てや っぱ り港 を観光 して
い ただ けるように もっ と整 備 した方が いい ので はないか とか、市民 が もっ と港 に行 こ うと思 って もらえる環境
づ くりのための話 し合 い を進 めて い ます。
活動 の方 は、 そんなに頻 繁 ではな く、 まだ 1年 しかたって い な い ものですか ら、 あ まり詳 し くはない ので す
けれ ども、 きょうは皆 さんのお話 しを聞 いて、委員会 の方 の活動 に生かせた らと思 ってお りますので、 どうぞ
よろし くお願 い します。
永田氏
職業 は、 よ く十 六 番倉庫 のおばさん じゃないか と言われ ているらしいので す けれ ども、 ちゃん とした
本業 があ りまして、
本業 はイ ンテ リア コー デ ィネ ー ター とカラー コーデ ィネ ー ター とい う仕事 をしてお ります。
先 ほ ど松実 さんが釧路 は 4番 目が好 きと言 い ましたが、私 は 1番 が大好 きですので、 イ ンテ リア もカラー コー
デ ィネ ー ター も釧路 で一 番最初 に トップで取 りました。以来、17年 間、イ ンテ リア とかカラーの仕事 をしてお
ります。 コー デ ィネ ー ター は 自分 の手で、今現在、釧路市 内 に 20名 くらい育 てた者 がお りまして、みんな い ろ
い ろな建設会社 さんで働 い た り、 ある者 は資格 とったが ゆえに引 っ張 られて、本L幌 の本社 に行 っちゃった りだ
とか、何 のために育 てたんだ よと思 った りして い ます。
181楓 ‐
│な ,
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釧路 は、自転車 で行 けば新富士の海岸 まで約 10分 ぐらいで行 ける ところですので、港 のかかわ りとい うよ り
も、 そ うい う砂浜での、青春ですね、高校入試や大学入試 の ときには、一 人で海 を眺 めた り、ぼ―っ として、
そ うい う潮風 に触れ る環境 の 中で育 ち ました。
ですか ら、札幌です とか 、帯広 とか によ く車 で 出 か けるときに、音別 の 山を一 つ越 えます と空 気 とにお いが
変わ ります。嫌 い な方 は嫌 いだ と思 い ます。魚臭 いにおいで すね。潮 のにお い とも言 える と思 うのですが、私
はその ぐらい釧路 の町 が大好 きです。
もちろん食 べ物 もお い しい、 自然 も豊富で美 しい、 なおか つ、 その 中 で霧 だ とか非常 に ロマ ンチ ックな もの
もあ りますので、釧路 の観光 はまだ まだ捨 てた もので はない と。
この夏 は、全室冷房完備 で、 お金払わな くて も釧路 はいつ も冷房 が入 ってお ります。
新 しい観光 のあ り方 も、それか ら港 の こと も含 めて考 えて いか なけれ ばい けな い んだ ろうと思 い ます。ただ、
私 は船 に乗 った こと も、遊覧船以 外乗 った こともないです し、魚釣 りもした ことが あ りませ ん。 ましてや泳 ぐ
こともで きませ ん。
港町 の方 は泳 ぎが達者で しょうと言われ な いで す か。皆 さん泳 げるんで しょうかね。釧路 は非常 に水温が低
い ので、 まず海水浴がで きない んです。 ですか ら、砂浜 でバ レーボール をした りす る ことはあって も、私 の記
憶 の 中で、 ひざよ り上 に水が あが って くる ことはない んです。 ここまで あがった ら、 多分釧路新聞 の 1面 トッ
プで心不全 とかで 出 る と思 い ます。 その くらい釧路 の水 は冷 た い のです よ。
改修 をした築 100年 ほ どの古 い倉庫 で ご
十 六 番倉庫 とい うのは NPOで 5年 前 に立 ち上 げた組織 です。補修 。
ざい ます。 ここか らの帰 りにち ょっ と寄れ ますので、 どうぞお寄 りくだ さい。
そ こで イベ ン トホール 的な もの とい う ことで、1時 間 1,000円 とい うとて も低 料金 で 、
電気 も水道 も何 を使 っ
て も 1時 間 1,000円 とい う ことで、開放 してお ります。
それで は金が続 かな いだ ろうと。続 くわ けな い んです よね、 1時 間 1,000円 で、1日 2時 間 じゃあ 2,000円
しか稼 げませ んか ら、 1時 間 1,000円 で使用者 が使 えるためには、オ ー ナ ー会員制度 とい うのをつ くって一 人
1万 円出 して くだ さい とお願 い してお ります。現在 は、 6年 間 で、200人 近 い方 が 、 1年 間文句 も言わず に、口
出 しせず 1万 円を拠 出 して いただ いてお ります。 そのおか げで若 い子たちが 1時 間 1,000円 で倉庫 を使 う こと
がで きます。
司
会
あ りが とうござい ます。
二つ 目の話 に行 くわ けです けれ ども、釧1路 の魅力 と活路 につ いて、遠方 か らお客 さんが来 た ときに皆 さん ど
うい うお もてな しをされ るか とか、 どうい うところに連 れて い きた いか とか、何 を見 てほ しい とか、 あ と何 を
PRし た いか とか、 そ うい うことについて、御 自由 にお話 いただ ければ とい うふ うに思 い ます。
佐々木氏
3連 体
(7月 16∼ 17日 )で す か ら。 ほ とん どの方が観光客 です。隣 はあぶ りや さんで炉端 が あるの
で地元かな と思 って聞 くと、 や っぱ り観光客 なんです。 や っぱ り観光 に来 た ら、食 べ る ものがお い しか った ら
旅行 はよか ったわ とい う ことが大半 占める と思 い ますので、入 って きて「 い らっ しゃい ませ 」か ら、本 当 に「 あ
りが とう ござい ました」 とお店 を 1歩 出 られ るまでが接客 なの よ とい う ことで、 ホールが一 番大事 だか ら。
食 べ物 の味 は、釧路 のお魚 おい しい と言 って くれ るのは私 は とて もうれ し くて、 2番 目で はな い のです けれ
ども、 こうい う ことが ちゃん とそろわな い とお い しか った とい う ことにな らない とい う ことです。
個曰楓 噸
や っぱ り湿原 とかそ うい う景色 も決 して悪 い印象 で はな くて、 プ ロ ジェク トXが 入 りました よね。 あれ見た
次 の 日に、湿原 をや ったのです けれ ども、 もう観光客が入 って きて い るのです。 テ レビの力 ってす ごいな とつ
くづ く感 じました。 せ っか くいい ものが あるの を もっ と上 手 に伝 え られた らいい な とい うの はいつ も感 じてい
る ことで すね。
釧路 す ごいいい昆布 が とれ るので、お土産 に向 こ うに行 くときにた くさん持 っていって配 る ことが あるので
す けれ ども、料理 で きな い と言われ ちゃうんです よね。 どうや って食 べ た らいい んですか って。考 えた ら、地
元 の若 い人 たち も今昆布 なんて 自分 で炊 く人 はい ない のかな。食 べ 方 もい ろい ろあるのに知 らな いか もしれな
い な と思 って、地元 の方か らそ うい う こと も教 えて いか な い とだめか もしれ ませんね。
相馬氏
昆布 は食 べ ます けれ ど、ち ょっ と触 れ ません。 自分 で何 か しなさい と言わ れた ら、だ しを とる くらい
よ り考 え られ ない とい うかで きないで すね。
佐々木氏
海 の水が冷 た い ことと良質 の昆布 をえさにして い る貝類 とか ウエ とかが甘 みを増 して、本 当 におい
し くなるんです。で きるだ け私たちが向 こ うに行 くときは ミョウバ ンを使 って い な い ウエ を持 って い った り、
それか らツブ も貝 の まま持 って、貝 の まま食 べ させてあげた りとか、 ウ ロ もた べ られ るの よ と食 べ させてみた
りとか 、皆 さん感激 して くれ るのです けれ ども、 そうい う こと地元が よ くわ か って い な いか もしれな い。
司
会
で は、佐竹 さんには、取材 しなが ら、 い ろい ろな釧路 の資源 とかそ うい うものを見た りす ることとか
感 じることが 多 い ので はな いで すかね。
佐竹氏
や っぱ り人 は人 につ くとい うか、ものの資源 の よさを PRす る一方で、そ こに どう人 が絡 んで い くか と
い うの を伝 えて い きた い な と思 うし、外 か ら来た友人 とか知人 に釧路 を紹介 した後 に、私 が い な い ときで もま
た行 く店 とい うのは、大抵 そ この マ ス ター とか大将 とかおばちゃん とか と仲良 くなった ところなんです よね。
多少 まずか った りして も、多少高かった りして も、行 くのはや っぱ り「いや、 あんた また来 て くれたのか い」
と言 つて くれ るような ところ とか、 カウンターに一人 で座 って も話 しか けて くれ るお店 とか、 そ うい うところ
が多 い ので、 そ うい うのは もっ と伝 えて い きた い し、 それ を地元か らの発信 とい うもの もあるし、新 聞社 とし
ては、 そ うい う情報、 ボランテ ィアか らの情報発信 な ども含 めて、人 の顔 の見 える、 そ うい う紹介 の仕方 をし
てい きた い な と思 い ます。
今道東 は、知床 が世界 自然遺産 にな りましたが、私 は、環境省 でやってい る釧路湿原 の 自然再生事業 とい う
自然環境 の取材 を長 くや っているのですが、世界的 に貴重 な資源 なのですが、非常 に学術 的 で専門的 で、正 直
言 って一 般 の方 にはわか りに くい。湿原展望台 に連れ て い って、上 か ら湿原 を見下 ろして も、 もう 1度 湿原 に
行 きた い と思 って くれ る方 は、正直余 りい ません。私、湿原 の観光 ツアーの取材 に行 って も、 ひ まそ うにぶ ら
ぶ ら歩 いてい る人が結構多 いです。 で もそ こで、 もう 1回 行 ってみた い と思 うときとい うのは、名物 ガイ ドさ
んが連 れて い くときなのですね。ガイ ドさんが うんち くで話 して くれて、小 さな花 の魅力 を話 して くれた とき
に、 そのガイ ドさんの話 を聞 きなが らもう 1回 見 た いか らまた来 た い とい う方がす ご く多 い んです。結局、港
であって も水産 であって も、地域 の資源 の魅力 を訴 えるのに、必ずその裏 に人が ある と思 うんです よね。
平間氏
実 はうちの活動 の 中 で女性団体協議会 とい う会議 を 2年 前 に東北・ 北海道 の大会 を開 いたのですね。
その ときに、大会 の 内容 その ものは北海道女性 団体協議会 さんが仕切 るわ けで、 あ とは どうもてなすか食後 の
あ いてい る時 間 を どう使 うか とい うのは こち らが 自由 に企画で きるのですが 、 まず決 まったのは、 6カ 月前 か
な、 この管 内 の リー フレ ッ トをまず先 に送 ったのですね。 あ と、 それか らい らして い ただ い た ときに、考 えた
のが 、私 自身 は先 ほ ど言 ったみた い に農家 なので港 はす ご く珍 しい んですね。 とい う ことで、東北 も北海道 も
海岸線 とい うのはあるけれ ども、内陸 の人 たち もい るとい う こと も含 めて、あ とそれか ら東北 と北海道、と言 っ
個曰楓 噸
た ときに、産地 は違 って味 は違 うんだ けれ ども、 ホタテはホタテ、サ ケはサケ、結構道 内食 べ られ る ものはみ
んな同 じ名前 なのね。味 は違 うのですが。 それで、 こち らもいろいろ反省 して、 東北 の人たちが 来 る、道 内 に
来 るのですが、東北 で こち らにない物 は何 だ ろうか とい う ことで、私 もわか らな いのだ けれ ども、 三枚昆布 と
い うのは意 外 とないんですね、東北 の方 は。わ かめの こぶ なわ けなのだ けれ ども、 三枚昆布 をまずお土産 とし
て提供 しようとい うのが一 つ。 それか ら、東北地方 はい も団子 って食 べ ない、知 らな い のね。 それで、宴会 の
ときにい も団子 を出そ う とか 、 い も団子汁出 したの よね。 ところが、 い も団子が時間がた って しまったので 、
熱 くした物 を入れれば いい のに、 どろどろに溶 けちゃった とい う ことの失敗 もあ りました。
それか ら、釧路 の いい もの を出そ うとい う ことで、管内 の食材全部 か き集 めて、 あ と地 ビール 出 して 3本 寿
司出 して、 サ ンマ の寿司 なのですが 、徹底 して釧路 に こだわ って 出 しました。 テーブルの卓 も大 楽毛 な ど、釧
路管 内す ご く読 めない地名 がいっぱいあ ります よね。 それ を卓 の名前 に しました。
大会 その ものは限 られて い るので、朝 の 7時 か ら 1時 間 ぐらいの ミニ ガイ ドをや ります と言 ったのね。多分
応募 は少 な い と思 ったのですが 、参加 が 200人 ぐらい あ りまして、 この建物 のそ こに港 あ ります よね。 そ こに
集合 して、その 日ち ょう ど幣舞橋 の 向 かいに東部漁協 さんがあるのですが、そ こで サケの水揚 げを見 せたわ けね。
例 えば毛嵐 とか は、私、海 の近 くに住 んで い たので、毎朝見れ る年 って あるんです よね。あ と、それ か ら漁 り
火 も通 年 あるんです よね。そ うい う こと含 めて、もっ ともっ とお伝 えす るものはいっぱい あるな と思 って い ます。
佐々木氏
私 たちみた い な商売や って い ると ころは、 そ うい う ことが わか って いれ ば、 こうい うのが あ ります
よ と紹介 で きます よね。
ど うして も釧路 って滞在型 の町 で はない のですね。素通 りして い って しまう。 そ うい う ことが あれば、朝 は
こん な楽 しみ もあって、夜 はこんな楽 しみ もあって とい うふ うになる と滞在 を して くれ るか ら、 うちなんか も
よ くなるか もしれな い。 そ うい う情報 をもっ と発信 しな くちゃい けな い。
平間氏
その ときた また ま夜宴会 が終 わ った あ と、河畔 を歩かれたんです よ、非常 に整 備 されて きれ い なんで
す よね。 それで、 ア ンケー トにパ リの セーヌ川のほ とりみた い だ とか、す ご く賞賛 の書 かれ 方 をして い て、市
の観光推進室 にお届 けした とい うのです。
佐々木氏
永田氏
や っぱ り昆布、 これ は三枚昆布 とい って、早煮昆布 ともい って、す ぐやわ らか くなって食 べ られ る。
お料理 の仕方 が多分わ か らな い と思 うんだ よね。厚岸 の水産 なん とか とお土産 ある ところのデ ィスプ
レイの仕事 で行 った ときに、い ろい ろな昆布 が あったの。猫足昆布 に三枚昆布 に日高昆布 に とろろ昆布 に、いっ
ぱい あって、 これ をデ ィスプ レイ して くだ さい と言われ た ときに、一 つず つ聞 いていいですか と。 とろろ昆布
はわか るんです けれ ども、 この何 とか昆布 とい うのは どうい うふ うに食 べ るものですかって、一 応展示す る と
い う ことも私 たちの仕事 なのだ けれ ど、物 を並 べ れ ばいい とい う ことで はな くて、 これが どうい う、例 えば海
の何 メー トル ぐらい の ところに生 育 して い る とい うような環境 な どに も触 れて い くことが大切 かな と。
だか ら、 それ を漁組 さんの方 としては、商品化す るためには、 それ をちゃん とビデオ に撮 って流 して、 なお
かつ レシ ピもつ けてや るとい うふ うに しな い と、私 たちはだ し昆布 を煮 て しまうか もしれな い し、 それわか ら
な い んだ よね。 だか ら、ただ、 ここに何 とか 昆布 って書 くだ けで はな くて、中に レシピを 1枚 入れて くれ るだ
けで商品価値 が上が る と思 うんだ よね。
素材 とかそ うい う ことに関 して、 とって も贅沢 な ものに囲 まれて、お い しい もの を毎 日食 べ てい るんだ けれ
ど、 それ を享受す るだ けで、 それが どんなに幸 せかが わか らな い とい う ことだ と思 うんだ よね。
私、函館 に 1年 間 に 1遍 くらいず つ行 くのです けれ ども、函館好 きなんです。何 が好 きって、釧路 のタクシー
と違 って、函館 のタクシーの運転手 さんは物す ご く親切 ですね。 どこか ら来 られたんですか って。例 えば駅か
儘曰楓 噸
らど こどこまで行 くんですって言 つた ら、頼 んで もい な い のに、 この辺 は こ うい う町 で、 こ うでああで って、
ちゃん とガイ ドさん して くれ るんです よ。母 と一 緒 に行 った ときにはお金 払 ってガイ ドさん して もらったんで
すが、イ
国人 タク シーの運転手 さんに。そ うした ら、ホテルか らきゅ―っ と山 のち ょう ど中腹 ぐらい まで昇 って、
ここがス ター ト
(メ
ーター)で す。 まず ここの景色 を見 て くだ さい とい う ことで、 こっちは何、 こっちは何 っ
て全部説明 して くだ さって、1日 務 めて い ただ きまして本 当 に感激 したんです よ。
佐竹氏
昆布 もそうだ し、 サケ も向 こ うに行 くと、サケ って 1種 類 しかな い ものだ と思われて い る。 サケって
い うのは、塩 サケ もベニ サケ もときもい ろいろあって。
永田氏
で も、わかって い る人が い るで しょう。違 うってわか って い る人が い て も、 どこが どうい うふ うに具
体 的 に違 うの と言 つた ら、ち ょっ と、鮭児 は高 いんだ よね とか 、 メジカは 目が近 い とか、 それ どこで見分 ける
んだ ろうとい うと、具体 的 にはっき り見分 け られない のね。
佐竹氏
イクラ とか筋子 とか もい ろんな種類 があつて、イ クラ とい うはサケの子 をば らこにした ものをイクラ
とい うので、私 も この仕事 して知 ったのです けれ ども。
松実氏
以前 に釧路 のタクシー運転手 さんがや り玉 に上が った ことが あ りましたが、 ほんの一握 りのタク シー
観光 ホス ピタ リテ ィ
運転手 さんがそ うい う気配 りに欠 けた ことが、あっ とい う間 にマスコ ミや何 か に書 かれて、
とい うとタク シー業界 が批判 の的 になっている とい うのがす ご く気 の毒 だな と私 は思 うんで すね。頑張 って い
る ところはす ご く、頑張 って い るし、観光協会主催 の マ ナ ー講習 である とかそ うい うような もの も必ず 申 し込
んで くれて、 マ ナー もいい け ど観光 の ことについて も教 えてほ しい んだ と、 そ うい う講習 を設 けて くれ とい う
リクエ ス トをして くれ るタク シー会社 さん も中にはあるんです。 一 方的 に釧路 のタクシー はって言われちゃう
の は とって も私 としては悲 しい な と。
永田氏
つか みだ と思 うんだ よね。 た った一 言、観光客 の人が乗 った ときに、観光 ですか と言 った ときに、例
えば釧路湿原 って東京 ドーム何個分 あるか知 って い ますか と言 うだ けで、 その一 言 で この人 って と思 うんだ よ
ね。 マ ナー じゃな い と思 うんだ。 そ こに例 えば方言の よさだ とか、 ここのホ ッ トな気持 ちが あれ ばいいか ら、
ほんの少 しの人 か もしれな い けれ ど、 そのほんの少 しの人 の底上 げが絶対大事 だ と思 う。
佐々木氏
そうですね。 それ はそ う思 い ます。
ホス ピタ リテ ィの話 になる とよ く言われ る、北海道 は とい うの言われて、その 中 で も釧路 はって、私 たち 自身
も釧路 の人 たちの ことをいろい ろい う ことが あ ります よね。食 べ物 の ことは、こん なにお い しい ものがた くさん
た くさんある と言 い なが らも、それ にまつわ る人 が とい うふ うになるのは とて も悲 しい ことだ と思 うんですね。
松実氏
釧路 の人がが さつ だ とかホス ピタ リテ ィの、 お もてな しの心が ない とか、 そ うい う ことで は決 してな
い と思 うのです。ただ、 ち ょっ とだ け恥ずか しが り屋 さんで、私 が釧路 に帰 って きてす ぐに私 を訪ねて本州 の
お友達 が来 て くれたんです。彼女たちはサ ー ビス業 につ い て いた ものだか ら、 自分 か ら話 す ことが何 ともない
人 たちだ ったので、 タク シー に乗 ろうがお店 に行 こうが、 自分 か らおばちゃん、 これ何 とか 、運転手 さん、 あ
そ こは どうとい う ことを話 しか ける と、皆 さんす ご く親切 で、 い ろんな ことを教 えて くれて、 その 2人 の友人
は、釧路 の人 って何 で こんなに親切 なの、何 で こん なに明 るい の と言 つて釧路 を離 れたんです よね。で も、きっ
とそれ は彼女 たちが 自分 か ら話 しか けて くれた か ら、釧路 の人 間 も答 えた。本 当 は釧路の人 間 か ら、先 ほ どおっ
しゃった ように、 どこか らい らしたんですか とか、分│1路 湿原行 かれ ましたか とか、 そ うい う ことを釧路 の方 か
ら言 ってあげるのが一 番 だ と思 うんです。
永田氏
私、経済効果 とい う ことに尽 きる と思 うの。一 生懸 命 あなたが愛想 よ くす ること、に こに こす ること、
これ必ずお金が落 ち ます とい う ことが わかれ ば笑顔 になる と思 うの。そのタクシーの運転手 さん じゃな くて も、
個曰楓 噸
どこでで も気持 ち よか った ら、 どこかで もう一 つ追加 でお土産 買 お うかな と。買われた お店 で、 そ このお店 が
繁盛 して、 その繁盛 したお店 は佐 々木 さんの ところに行 っておす しも食 べ て、経済 は回 るわ けです よ。
ホス ピタ リテ ィ とい う言葉 自体 が もうち ょっ とわか る人が 、一 期 一会 って言 つたんだ よね。 その とき
平間氏
にしか会 えな いか もしれな い とか い ろい ろ、 そんなので、 だか らが さつ さ とい うのは、人柄が感 じる とが さつ
は余 り気 にな らない んです よね。 だか ら、本 当 にその人 の思 いがいろい ろな表 情 に表れ て きて、変 な話、 に こ
ともしな くて も安心で きる人 もい るの よね。安心 とい うかほっ とす る人 とい うか。だか ら、 そのあた りの、何
で 日本 なのにホス ピタ リテ ィって使 うのかなって。
私 もいつ も思 い ます。何 で横文字 なのかなって。 ホス ピタ リテ ィにかかわ らず どうして こんなに片仮
松実氏
名 が氾濫 して い るんだ ろうとは思 い ます。
私、 どこか に行 った ら、 どうぞって、 この くらいの小 さい きれ い な和紙 の 中 に昆布 が入 って い るの。
永田氏
それが桜 の花形 に抜 い て い るの。お口寂 しい ときにって、 こんな小 さい昆布 が 5枚 くらい入 ってい るだ けなん
だ よね。 1個 幾 らぐらい して い るんだ ろうな と思 って、どこかの売店 に行 った ら、五 つ くらい入 ってい るの 500
円 くらいだったんだ よね。 ち くしょうと思 った。釧路 こんなに大 き くて 1,000円 とかで売 っていて、何枚 も取
れ るよね、型抜 きした ら。す ごい よね。
それか ら、明太子 だ ってそ うで しょう。うち、お婿 さんが福 岡な んだ けれ ど、必ず お土 産 に福 岡 の明太子贈 っ
て くれ るの。た らこで しょう、長 い旅 して きたんだな と思 うわ け。釧路 で とれて い るんだか ら。 くや しい って。
佐々木氏
私 は釧路 のホ ッケは こん なにお い しい とか、釧路 の昆布 はこんなにお い しい と言 って るんです けれ
ども、 そ うす る と、 お客 さんは安心 してお い しい ものを送 って くだ さい とか言 って、釧路 の物 を求 めて くる こ
とが あるんだ けれ ど。
本 当の おい しい ものを食 べ て い な い、本州 の方。中 にはい るんで しょうけれ ども。 だか ら来 て くれて、や っ
ぱ り地元 に来 ない とおい しい ものには当た らな い とい うのがわか って くれてい るんだな と。
皮 も骨 もみんな食 べ れ るように出す んです けれ ども、 きれ いに食 べ ていって くれ ますか ら、一つ も残 さず。
司
会
話聞 い て い る と、人 とい うものの大切 さ とい うの と、地元 の もの を、 いい とい うの はわかってい る人
は多 い んだ けれ ども、それ をうま く力日
工 した り PRし た り付加価値 つ けた り、みんな外 に出 ていっち ゃって い る
みた いで、 それが あるか らお金が釧路で回 らな い とい うのが残念 です。
佐々木氏
昆布、 つ るつ るにしてつ くって い るの知 って い ますか 、釧路 の水産 試験場 で昆布 をまん丸 くイクラ
の よ うに してつ くった製品が あるんです よ。 これせ っか く研究 して くれたんです って。 ところが 、釧路 の加工
場 で どこもつ くって くれなか った。 それで、悔 しか ったな、 どこか違 うところに行 っちゃってつ くって もらっ
てい る。ち ょっ と 1回 うちで使 ってみた ことが あ るんです けれ ども、こん なお もしろい ものがあるんだった ら、
もっ と売 れた らいい のにね って。
永田氏
売 り方が へ た くそなのか もしれな いね。 ネー ミング大事 なんだ よね。ネ ー ミング とパ ッケー ジ、中身
は同 じで も。
女性から見た釧路らしい港 まちづ <り
司
会
港 をある程度核 に して まちづ くりと地域振興 とい うものを考 えようとい う ことだ と思 うのですが 、 そ
れ について何 か、今結構 い ろい ろなアイデア出 て いた と思 うのです けれ ども、 また何 か提案 とか、 あ と先 ほ ど
もち ょっ と行政 の方 に あ りました けれ ども、 そ うい う困 った ことで も、 これか らこうしてほ しい とい う ことで
個曰銀 噸
も、何 か希望 とか期待 とかあれ ば、それ につ いてお話 しいただ きた い と思 い ます。
平間氏
さっき言 った岸壁 って延 々 と続 い て い る とい うのあ りましたで し ょう。 ところが、 た また まぶ つぶつ
切 れて い るのが あるのですが、基本的 にず っ とつ なが って い る。 それで、あれ は作業場 です よね。 ただ、 それ
こそ海 の 日とか何 かイベ ン トで いいの だ けれ ども、 つ くってほ しいのは こ うい うふ うな浜 を書 いて、 ここ走れ
ます と、海岸線。 ここの深 さは これ ぐらい深 い とか浅 い とか、 ここには何万 トンのタ ンカーが来 れ るよ とか、
そ うい う地 図が あって、通年走 らせ ろ とは言 わな いのだ けれ ど、1週 間 とか二 、 三 日で もいい のだ けれ ど、 そ
うい うの で きるイベ ン トの 日をつ くってほしい な と。
今 回思 ったのは、 さっき話 した、例 えば米町の ところに、砂浜 が あって貝殻が い っぱい とれ るのね。 そっち
の方 はなん とな く浜 とい う感 じで、岸壁 は何 とな く港 とい う感 じがあるのだ けれ ども、一体港 とのかかわ りと
い うのは何 なんだろうみた い に、それで、浮 かんだのが 、魚関係 の ことしか浮 かばな くて、港 って意外 とわか っ
て い な くて、 これか らい ろい ろな勉強す るにして も、私たちの角度か らい うと、浜 も港 もい っ しょ くたなのね。
だか ら、海 とのつなが りとい う意味の浜 とか港 とか とい う ことの合同 の もの をや るな らや ってほ しい な と。
松実氏
釧路 の港 って こん なだ よとい うような子供向 けのパ ンフや、私 たち向 けのパ ンフ もあるんです けれ ど
も、や っぱ りつ くって い る数 が圧倒的 に少 な いので す。
港 って どうして も観光協会 とい う仕事柄、観光 に関係す る方 を考 えが ちなので、これは夢 なんです けれ ども、
や は リフ ェ リーの復活 です。四、 五 年前 に就航 して い た ような大 きな立派 なフ ェ リー じゃな くて いい し、 どこ
か本州 の港 ともう少 し小規模 なフ ェ リーが復活 してほ しい な と。 そ して、 その復活 した際 には、西港 で はな く
て 中央 ふ頭 のお どろお どろしい倉庫 の前 で はな くて、 もっ と Moo寄 りの きれ い な場 所 が 良 い と思 い ます。今、
ち ょうどハマ ナスが咲 いて す ご くされ い な、釧路市内で一 番 きれ いだ と思 う。 もうち ょっ と前 だ った らツツジ
が咲 いて、降 りてす ぐあそ こに来 た方がお客 さん としてはいい と思 い ませんか。
釧路市長 が あそ こを もっ と掘 って接岸 出来 るようにす るぞ と言 って くれた んです けれ ども、 その後 は どう
なったのかなって。
上 田港湾部長氏
フェ リー は、個別 の意 見 い ろい ろいただ い て い ます けれ ども、今 フェ リーの話 が 出 ましたが 、
フェ リー は民 間事業者 の仕事 ですので、 なかなか採 算性 の面 とい う ことが ござい まして、官が一生懸命 や って
はい ます けれ ども、 や は り十分採算性 とい う面で難 しいか な とい う ことで す。
旅客船 の話 については、市長 の方か らの話 に もあ ります けれ ども、今 そ うい った 方向 に向 けて具体 的な検討
を今進 めて い る ところで ござい ます。ただ、国の方 もい らっ しゃい ます けれ ども、余 りはっき りしたお話 はで
きません。
松実氏
本州 のお客様 の 中で、北海道 に行 くにはや は り車 が ない とだめだ とい う ことが本 当 に浸透 して きて い
るみた い なのですね。結局 レンタカー を借 りるんです けれ ども、皆 さん。で も、
中 には、 かな りの数の方が 自分 の車 で行 きた い と、夏前 の観光 のお問 い合わ せ
の 中 で、 フェ リーは どこか ら出て い ますか。 フェ リー は就航 して い るものだ と
い う問 い合わせが結構多 い んです。済 み ませ ん、出 て い な い んです。本州 か ら
だ と苫小牧 だ けかな とい うようなお答 えしかで きな いのが今 ち ょっ と悲 しいで
すね。
佐竹氏
港湾 に関す る 自分 の記事 をち ょっ と検索 してみたのです けれ ども、 そ
の 中 で、上 田部長 い らっしゃって い ます けれ ども、港湾 と市 と釧路公立大 との
共 同研究 で 、釧路市 の港湾関連産業 の営業収益 が 年間約 400億 円。運輸 関係 の
個曰楓 噸
港湾依存産業 の年間営業収入約 2,300億 円。雇用者数 は約 1,600人 。釧路市 の雇用人 口の約 2%。 港湾関係 の
市税 の税収 は、市全体 の約
5%に なって、経済的 に もかな り効果 を担 ってい るのですね。 です けれ ども、 どち
らか とい うと港 とい うのは、例 えば炭鉱 とか製紙業 よ りもち ょっ と市民 と 1歩 置 いた感 じの、遠 い感 じになっ
て しまって い るな とい う感 じはす るのですが、 先 ほ どパ ンフレ ッ トた くさんあるって言 って、 で もみんなの手
元 になかなかない。本 当 の平仮名 でい うみな とまち とい うふ うにあん ま り市民 レベル ではなっていないのかな
とい う気が します。
永田氏
この 3点 目の、女性 か ら見 た釧路 らしい みな とまちづ くりとい う ことで、 まず港湾行政 に対 す る期 待
や希望 とい う ことで、 ぜひ水族館 をお願 いいた します。私 たちが、 これ はお金の こと関係 な く、言 い っぱな し
ですか ら、一応 希望 とい う ことで、100億 円 くらいかか るんだ ろうな と思 うか ら、釧路、水産水揚 げ 100万 トン
とい う時代が あって、ずっ と全 国 1位 とい う水揚 げ量、漁獲高 とい うかお金 の話 で はな く、あの ときにつ くっ
てお けばな と今 つ くづ く思 い ます。水産 都市 とい う ことで あれ ば、私 は水族 館 は必要 かな と思 い ます。今、 マ
リン トポスに もあ りますが、 ああ い うもので はな く、 もう少 しコンセ プ トとい うか趣 旨をきちん と持 った もの
が必要で はな いかな と思 い ます。小学生 が行 って も、釧路 で とれ る魚が、わ か らな い ので はや っぱ り困 るので、
水族館欲 しい な と常 々思 ってお ります。 これが港湾行 政 に対 す るまず第 1の 希望 で す。
提案 としてなので す けれ ども、港町 の 中で まちづ くりとい うか、市民 の人 たちが港町の住民 で ある とい う こ
とを意識す る とい う ことは、私、美 しい景観がひ とつ大事 だ と思 うのです。親水性 とい うか、水 にじか に触 れ
る とい う こともまず大 事 です。私 たち ぐらい になる と、 どこかすて きなデ ッキ とかで、夜景 を見 て、先 ほ どの
漁 り火 じゃな い け ど、きれ いだわなんて い う、港 は公 園 の ように広 く開かれて い る とい う部分 ももちろん必要 。
その全体 を見 た ときに美 しい景観 だな として、夕焼 けが背景 にあって眺 め られ るような場 所 であった り、夕
方 そ こでお茶 がで きた り、夜 そ こで恋人 たちが寄 り添 って眺 めた りす る と少子 化 に も歯 止 めがかか るかな と思
うのです けれ ども、 そ うい うい ろい ろな角度 か ら港 とい うのは見 るべ きだ と私 は思 うし、資産 として優 れた も
のだ と思 うんだ よね、 とい うふ うに思 い ます。
相馬氏
私、港 が管轄 で行政 が分 かれている とい う話 で、実 はみな とまちづ くりの懇談会 の 中で もかな り話題
には上が ってい まして、Mooか ら上流 の方 の川 を全部 一 括管理 にしてほ しい と言 った ときにはで きませ んみた
い な話 になって、す ごい 区切 りが ある とい う話 なんですね。 で も、私 はそ うい う難 しい ことはち ょっ とわか ら
ない ので、や っぱ り変 えるんであれ ば全体 を通 してすて きな雰囲気 のある河川環境 をつ くる必要が釧路 にはあ
るので はないか な と思 い ます。
千代 の浦 の海岸 の方 に釣 り公園 とい うのが建設 されて い る と思 うのです けれ ども、あれ も地震で壊れて以 来、
多分 1年 間以 上手 をつ けられて い ない状態 で放置 されて い るのが ち ょっ と残念 ……。私 も行 きた い な と思 って
行 った ら全 部 立 ち入 り禁止で、 これで はつ くった意味がないので はな いかな とい う感 じなのですが 、 あそ こは
子供 とか も遊 べ て とい う雰囲気 だ と思 うのですが、あれ に近 い ものが例 えば Mooの 方 と、釧路 は車 がない と生
活 に不便 な町 なので、 もっ と大規模 な駐 車場、無料駐車場 な どを整 備 して、暖 かい 日には気軽 にち ょっ と出 か
けて遊 べ る とか 、 そ うい う環境 づ くりが大切 で はな いか と思 ってお ります。や っぱ り若 い人 は港 には行 かな い
傾 向が あ ります。
例 えば別 保公園 が釧路近 くにあ りますが、 あそ こにや っぱ り行 きますね、車 で行 って、駐車場 に とめてバ ー
ベ キ ュー コー ナーがあった りち ょっ とした公 園が ある となる と、暑 いか らち ょっ と遊 びに行 こ うとい う話 にな
りますが、や っぱ り本 当 は海 に行 きた い んです。 で も、行 くとした ら自糠 まで車 を走 らせ ます、行 くときに。
砂浜 で遊 べ ます よね。
個曰楓 噸
Mooの あた りに もっ とああいった、砂浜 は もちろんで きない と思 うのですが、港 のふちにち ょっ とした空 間
が あれ ば、そ して駐 車場 が あれ ば、じゃあ M00の 方 に行 こ うか とい うふ うになって い くので はな い のかな とい
う。
うちの大学 のほ とん どは地方の人 ばか りで、道外生 もす ご く多 い学校 なのです けれ ども、釧路 に来 た ときに、
港 は どうなの と言われ て、見 る ところなんか な い みた い なイメー ジ しか な い です し、 それ に反論 す る こと も
ち ょっ と難 しい状況 ですね。見渡 せ る場 所 で はまなぼっ との 10階 が展望室 になって い ます けれ ども、あ そ こは
夜 は開放 して い ないで す よね、10時 ぐらい までですか。大学生 はバ イ トな り何 な りで、その後遊ぶ となる と、
や っば りち ょっ と出 て歩 く場所 がない この辺 を考 えてほ しい。
佐々木氏
夕 日が世界 3大 夕 日の一つで し ょう。その ぐらいすば らしい。春 と秋 に見 える夕 日の色が違 うとか。
で もや っば り港 では、「お さかな まつ りJと い う、 これが市民が一番港 に行 く、 この 日 ぐらい しか いか ないかな
とい うぐらい のイベ ン トで す。 これ はす ご く大 きいのにな りました よね。
松実氏
せ っか くお さかな まつ りが出たので、 このパ ンフレ ッ ト、釧路大漁 どんぱ く、秋 に開催 して いい味 い
きい き釧路 です とか、 それか ら新 しく力日わ つた農業農村 フェア、花火大会、末広 の はしご酒大会 とあわせて秋
の一大 イベ ン トとして釧路市及 び関連 団体 が頑張 つて い ます。
これ もや は り、大漁 どんぱ くとい うの は博 多 の どんた くか らとったのですか と言われ るのです けれ ども、ど―
ん と上が る花火 を、楽 しみなが らぱ くぱ くお い しい もの を食 べ ましょうとい う ことなんですね。 これ も、
「お さ
かな まつ り」 はふ頭でや って い て、 そのほかのメイ ンス テー ジや何 かは幸町緑地、交流 セ ンターの前、全 日空
の前 の広場 で、 ここ も一応港湾用地 なので、 や つて い るので、 このお祭 りが もう少 し全国的 に認知 され ること
を願 っているので、皆 さん も御協力 お願 い します。
永田氏
昔 の和商 は、ネギ 1本 で も買 えるし、一 山幾 らのや つ半分 で もいい し、 カ レイ 3枚 乗 って いた ら、 4
人家族 だか ら 1枚 乗 せてって、対面販売 の機運 があったんだ よね。今、 みんなカニ で しょう。 だか ら、市民 の
台所 に戻 らな い と、観光客 が観光客 のスポ ッ トに行 ったってお もしろ くな い の。 あそ こがおい しいって、 あそ
こがいいって市民 の人が 言 うところに行 くんだ よね 、観光客 は。
Mooが 今行 って全然見 る ところがない。本 当 に地元の人が行 かない。行 って もお もしろ くない場所 になって
しまった。向 こ うか ら見 る夜景 とか景色 はきれ いで悪 くな い のだ けれ ど、 もっ と生 きた活用法 がないのかな と
思 い ます よね。
場所 がち ょっ とわか りづ らい とは思 い ます。観光協会 さんの場所 が 、交流 セ ンターのす ごい奥 で しょう。 あ
れ はよ くな い と思 うの。 あの壁 を とってカウンター をつ くって、 ミスチ ュー リップで も何で もときどきたす き
か けて、 イ ンフ ォメー シ ョンセ ンターに出 させ る くらいの気持 ちで、 ここが観光 の情報発信 基地 です とい うの
をや られ るのであれ ば、 あそ この壁 は取 り払 った方が いい と思 い ます。
司
会
そろそろ時間 に もな りまして、 き ょうい ろい ろ本 当 に楽 しい話 とか提案 とか して いただ きまして、 こ
れ を何 か まとめて方 針 を決 める とかそ うい う ことで はな い のです けれ ども、 ただ、今 のお話 はきっ とオブザー
バ ーで来 られて い る方 とかほかの港 か ら来 られて い る方 とか に もす ご く参考 になった り、 あるい は改 めて 自分
の ところを考 えるきっか けに もなったので はないか な と思 い ます。
それで、 この座談会 は今 この場 で終了す るのです けれ ども、 この後 またお食事 をしなが ら 2時 間 ぐらい昼食
懇談会 とい うの をや ります。多分後 ろの方 にい る方 もしゃべ りた い ことがいっぱいた まって い るので はないか
と思 うの で、 またその場 で 2時 間 ぐらいお話 で きれ ば と思 い ます。
本 日は どうもあ りが とうござい ました。 (拍 手 )
個曰楓 噸
て
地 域 懇 談 会 に つ しヽ
出 席 者 (女 性ネ ッ トワーク会員 )
大西 育子
佐藤 尚子
白井 晴美
菅原千鶴子
竹内 珠 己
立野 了子
女性みな とまちづ くり苫小牧代表 (苫 小牧市 )
函館すぶれ つ と代表 (函 館市 )
網走漁業協同組合女性部長 (網 走市 )
N PCl法 人女性懇談会 ウィッシ ュ事務局長 (留 萌市 )
日専連紋別専務 (紋 別市 )
室蘭 ユ ネスコ協会会長 (室 蘭市 )
司
田中
敦幸
会
:N PCl法 人北海道みなとの文化振興機構 理事
釧路市全国空ホテルにおいて開催された 「みなと座談会」 (別 文にて報
告)に 、全道の港湾から6名 の「北海道みなとまちづくり女性ネットワーク」 (以 下、女性ネットワー
平成 17年 7月 16日
(土 )、
クという)」 会員の方が参加されました。
この機会に、「みなと座談会」終了後、各港からこ出席の方により、「地域懇談会」を開催し、各港
の「みなとまちづくり」に対する取り組み状況や日頃「みなと」に対して感じておられること、ある
いは釧路の印象について報告して頂きましたので、そのこ発言の要旨をとりまとめてこ報告します。
地
域
懇
談
会
の
概
要
筆奪
華 奪
摯 奮
彗
警灘
糠 輩
鷲灘
難 警
難 畿 溝難
難
群難
難
織 警
==総
奪 総
機
轟
警
懇談会 の 冒頭、司会者 よ り「みな との主人公 は、 みな とまちの市民 である」とい う ことが強調 され、「本 日お
集 ま りの方 は、 それぞれのみな とまちで、指導的立場 で ご活躍 中 の方々ですので、皆様 のみな とのお話 や 、 あ
るい は釧路港 の 印象、 さ らにはみな とまちづ くりについての ご意見 な ど率直 にお話頂 きた い」 旨述 べ られ 、懇
談 に入 りました。
なお、以下、 ご発言 の順 に記載 してお ります。
菅原千鶴子
/た が 、残念 ですが 、 まだ実現 して い
留萌港 で は、 これ まで「 フェ リーの就航 」 に全力 で取 り組 んで参 りまヒ
ません。 また、 フェ リー誘致 とともに、 ロー ロー船 (車 両輸送用 で旅客用施設 はない)の 就航 に も努力 して い
ますが 、 これ もまだ見通 しが立 って い ません。
このため、フェ リー用 に建設 を進 めて い る三 泊埠頭 の活用 が今後 の課題 ですが、道央圏 に位置 し、北海道 の殻
上川地方 を背後圏 に持 つ立地 条件 を生か して、今後留萌 のみな とづ くり、まちづ くりを進 めて い きた い。
倉地帯、
佐藤
尚子
釧路 に参 りましての印象 を簡単 に表現 します と次 の ようにな ります。
個曰楓 噸
霧 と控 えめな女性が出迎 えて くれた釧路。神秘的な釧路。 お もてな しの心 、す ば らしい人、厚 い想 いの女性
との 出会 い。 また、皆 さんにお会 い したい と思 うすて きな街。 そ して海 と大地 か らいただ いたお い しい食物 に
め ぐり会 い、最高 なひ とときを過 ごす ことがで きました。
で も街 の 中がち ょっ と淋 しい と感 じました。 しか し、函館 も同 じような感 じです。釧路港 に来 て、 その機能
の大 きさに驚 き、 また、釧路 は海 と大地 か ら恵み をた くさん いただ いて る街 で す。市民 が もっ と釧路 の港 に 目
をむけ、市民 がたの しめるみな とまちになった らいい と思 い ました。私 は、港 の発展 に も、市民が,い と想 い を
こめることが大切 だ と、 あ らためて思 い ました。 それが女性 のパ ワーです。母 なる心 で人 と街 を愛せ る人 を育
ててい きた い。 ひ とつひ とつ前向 きに出来 る ことか らや って い きた い と思 い ました。
立野
了子
釧路 は素晴 らしい人達が大勢 いて、「みな と」 と「まち」 の活性化 に取 り組 んでお られ ます。
室蘭港 には、全道 で初 めて大規模災害 に備 えて「防災 フロー ト」 が常備 されてい ます。女性 の会 で見学 もし
て い ますが、 一 般市民 には殆 ど実感 が あ りませ ん。 もっ と行政 は市民 に も PRす べ きと思 い ます。
室蘭 は、 かつて、重 工 業 を中心 とした工 業港 として発展 して きましたが 、最近 は室 蘭市 の人 口 も減 り、 まち
全体 に活気 がない ように思われ ます。
しか し、 NPO法 人「推針盤」が中心 とな り、中央埠頭・旅客船 バ ースで、音楽会や多様 な催 しを開催 し、 ま
た、去年 4月 「室蘭港市民大学」 が 開校、今年 3月 第 一 期生 が卒業 す るな ど、室蘭 もみな ととまちの活性化 に
真摯 に取 り組 んで い ます。
竹内
珠己
どこの港町 も、皆様 、地域資源 の魅力 を、打 ち出そうと頑張 ってお られ、 いつ も感心 させ られ ます。
観光振興 には、地元 の人 間 が資源 の良 さを理 解 してい なければ成 りませ ん。
観光 は「人が 資源 J、 観光 は「人 につ く」お店 は訪れた人達が地元で訪れた店 の人 の顔 の見 られ る資源、 との
意見 には、納得。気 を配 り度 い もの と感 じました。
だ
`
紋別 には、紋別港 と紋別空港 の 2つ の「みな と」 が あ ります。官民 一体 に成 り描 い た夢 が実現 しましたが、
丘 珠 の定期便 の存続問題 が課題 に成 ってお ります。
紋別空港 には東京便、丘 珠便 が それぞれ一 往復就航 してお り、
紋別港 は、冬期間流氷 に閉 ざされ ますが 、流氷砕氷観光船 ガ リンコ号 が就航 し親水防波堤 には
ロム ナ ー ド)と の先端 に位置す る氷海展望塔
(オ
(ク
リオネプ
ホーツクタワー)が オープ ン し、 オホー ツク海、特有 の流氷
と共生す る港が実現 し、多 くの観光客 が集 ま り、 まちの活 性化 が 図 られて い ます。
また、 まちの女性 団体 が集 ま り、 フ リーマーケ ッ トを企画 し開発局 や市 の協力 を得 て大 きな成果 を挙 げて い
ます。
今後 は、 ク リオネプ ロム ナー ドの ような港 の施設 を もっ ともっ と公共 にオープ ン して頂 き、家族 で港 に親 し
める様 な企画 を考 えて行 き度 い と存 じます。夜 に成 ると幻想的 に想 えるプ ロム ナー ドを使用 して 「夜 の レス ト
ラン」 を開催 してみるの も素敵 かな と、皆様 のお話 の 中か らヒン トを頂 いて ワクワク致 して居 りました。
大西
育子
釧路港 は、苫小牧港 と異 な り二つ の川 (釧 路川・ 新釧路川 )と 港・ 街 のバ ランスが とて も良 く、西港整備 も
進行 してお りす ば らしい港 と感 じました。
儘曰楓 颯
ただ、 フ ィッシ ャーマ ンズワー フ・ ムー につ い ては、失策 だ と批判 す るので はな く、現存 して い ますので運
営 の 内情 は ともか く、 まず外見 か ら補修 をす べ き ll
各商店街 の団体等 で、壁面
(タ
イル ?)を 一 枚ず つで も塗 りか える努力 が必要 と思 い ます。
行政 にばか り頼 るので はな く、 みんなが それぞれの立 場 でで きる事 か ら着手す べ きと考 えます。
白井
晴美
いつ もネ ッ トワークの会 に参加 して驚 きます ことは、 どこの港 まちで も、女性 ネ ッ トワー クの方々が 、活発
に行動 されて い る ことで す。釧路 も、 まちづ くりに関わ る女性 の皆様 が 、 まちの活 性化 を真剣 に考 え、取 り組
んでい らっしゃる ことに感心致 しました。今 の地 方都市、共有 の悩 みが有 る ことも分 り、 その大小 の違 い はあ
りますが、参考 になることが 多 く有 る と感 じました。港湾 には様 々な用途 が有 ります。港 は主 に仕事 の場 とし
て作 られ ましたが 、 その 中 に、観光、 レク リエ ー シ ョン、癒 しの場 として も活用 されて い ます。今後共有 して
行 くためには、利用者 の公共意識 の有 り方が大切 と思 い ます。私 は基 本的 には仕事 と遊 びの場 は、 しっか りと
区別 された 方 が 良 い と思 い ますが、現 在 は、共存 の方 向性 が強 い ので、両者 が よ く協議 して、 よ り良 い みな と
が作 られ ることを願 ってお ります。私 の まち、網走 も、 新 しい港 が 、出来 つつ あ ります。市民が、 自分 たちの
場所 として、 どの様 に活用す るか は、 まだ少 し先 の様 です。都市計画 とい う部分 は、大変大 きな事業 なので、
国、 自治体等、 いわ llpる 、 お役人 と言わ れ る人達 の計画 の中 で決 め られ、作 られて行 くものの様 で、私達普通
の市民 は気 がついた時 には、出来上 が っている、 とい うものです。 これか らは、少 しで も普通 の市民 の意見 を
取 り入れた、 まちづ くり、みな とづ くりを願 ってお ります。
「ず_1_シ ンポジウムみな―
と.in_釧路」
__の 1開 催につし
1て
■クルーズ飛鳥船内でシ ンポジウムを開催
7月 19日 、
道束観光 の玄関 口である釧路港 に飛鳥 が寄港 した この機会 を捉 えて、ザ・シンポジウムみな と実行
委員会 は、
「 クルーズ の魅力 と釧路港 の未来 Jを テー マ とした「ザ・シンポジウムみな と in
gll路 Jを
開催 しました。
会場 の飛 鳥船 内 グラン ドホール は約 150名 の参加者 で埋 ま り、将来 のクルーズ寄港地 として期待 され る釧路
港 の未来 について活発 な意 見交換 が行われ ました。
クルーズ専門誌 「海事 プレスJの 若勢敏美専務 が
基調講演 し、
「北米 か らアジアに向 か うクルーズが増
える中、釧路港 は地理 的 に玄 関 口 として好条件 を有
してお り寄港地 となるには、地元 の熱意 が何 よ り大
切 Jと 助言 され ました。
シンポジ ウムに は、伊東良孝釧路市長 とクルーズ
を企 画す るパ シフ ィック ツアー システムズの祖師英
夫営業部長が参加 し祖師部長 は、
「知床 が世界 自然遺
産 に認定 され るな ど釧路 はクルーズ の寄港地 として
魅力的Jと 発 言 したのに対 し、伊東市長 は、 この よ
うな状況 を踏 まえ、釧路川下流 にクルーズ専用バ ー
スの建設計画 に着手 して い きた い と発言 しました。
バネルデ ィスカ ッション
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