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Title シェイクスピアの「黒い婦人」 Author(s) 富原, 芳彰 Citation 一橋

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Title シェイクスピアの「黒い婦人」 Author(s) 富原, 芳彰 Citation 一橋
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シェイクスピアの「黒い婦人」
富原, 芳彰
一橋論叢, 42(3): 223-242
1959-09-01
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://doi.org/10.15057/3685
Right
Hitotsubashi University Repository
シピイクスピアの「黒い婦人」
シェイクスピアの﹁黒い婦人﹂
悪霊は色うるわしからぬ女性なり。
わが善霊をわが側より誘い出し、
清らかなる彼に彼女の妖しき矯美をもって言い寄り、
ピアにとって魔性の魅力を持っていた女であり、さら
疑いはあれども、しかと明言はなしがたし。
果してわが善霊境じて悪鬼となりしゃ、
わが聖者を堕落せしめて悪魔になさんとす。
に、われわれにとっては、謎の聞につづまれた女であ
しかれどもこは知るべくもなく、われはただ疑い
と
。
われは推測す、一方の精霊は他方の地獄の中にあり
されど雨者ともわれより離れ、たがいに相親しめば、
れるのであるが、それだけではない。彼女はシェイクス
る。彼女は、第一に、その内瞳的特徴によってそう呼ば
包5 と呼んでい
れわれは彼女を﹁黒い婦人﹂(ロ常財F
とも興味深い女性は、彼の﹃ソネット集﹄に出て来る女
彰
われをいち早く地獄に引き入れんとて、わが女魔は
善重はまこと白哲の美男子、
惨(方は二円/の精霊のごとく常にわが心を誘う。
われには慰めと絶望との二人の轡人あり、
芳
性である。彼女には固有の名前は輿えられていない。わ
シェイクスピアに登場する女性で、ある意味ではもっ
原
る
。
シェイクスピアは、彼のソネット第一四四番において
つぎのように歌った。
223
富
わす
のに
善さ
がご
霊ん
解
を、
放
f
こ
き
ん
時
ま
で
は
君はは巳め女として創られたりしが、
男らの眼を奪い女らの霊を驚憎せしめる人よ。
すべての容色を意のままになして容色いみじき男子、
その打ち眺むるものをつねに金色に染む。
ならず、
君の眼は彼女らの眼にまさりて輝き、その動きも不貫
知りたまわず、世の不貫なる女らのごとく。
女のやさしき心を持ちたまえど、移ろい獲ることは
君は持ちたまう、ああ、わが熱愛する男姫君よ。
自然の女神が手ずから彩りし女の面を
つぎのようなソネット(第二O番﹀になるものであった。
ギリシア人が知っていたと思われるような態愛である。
れは、言葉の十分なる意味において態愛である。それは
詩人は貴公子と思われる一人の青年を愛している。そ
悪う
震ち
そのような形で青年に轡愛する詩人の気持は、たとえば
わ
自然の女紳は君を作りつづふと轡慕の情を生じ、
附け物をして、君を想うわが心をあだとなしたり、
わがためには無用なる一つの物を附け加えて。
されど君は女性のたのしみにとて作られし人なれ
ギ
﹂
阜
、
われにはただ君の愛をのみたまえ、君の愛の貫用
は彼女らの賓となして。
あるいはつぎのような言葉にもなった。
されば君のわが想いにおけるは食物の生命におけるが
ごとし、
あるいは甘美なる慈雨の大地におけるがごとし。
君の和親を得んとしてわが苦闘するさまは、
守銭奴がその財のためになすさまに同じ。
いまは享楽者として喜び誇れども、 やがて
す
。
老齢という賊の来りてその賓を盗み去らんかと危倶
ある時は君とただ二人してあるをこよなしと思い、
省内ノ。
ある時はむしろわが喜びを世の人の目に見せたしと息
i
l
l
J
,
'
.
h
がの
第三競
(24)
第四十二容
一橋論叢
2
2
,
1
(25) シェイクスピアの「黒い婦人」
やがてすぐ飢え渇えて一目だにたまえと願う。
君の面を眺め眺めて飽食せりと思う時あれば、
女性が、﹁色うるわしからぬ女性﹂(正当。
聞に介入して来て、この爾者の聞の轡愛闘係を鋭すその
年と右の女性の三人であって、そして、詩人と青年との
れない。しかし、いまわれわれに必要なのは、詩人と青
BEg-oロペ仏
君よりたまいはあるいは求めて得べきものをおきて、
いて封象となっている人物は、詩人の懸愛する青年で、
ット第一番から第一二六番まで、すなわち集の大学にお
シェイクスピアの﹃ソネット集﹄を通観すると、ソネ
EJ、すなわち﹁黒い婦人﹂である。
他にわが持ちあるいは追い求める喜びはなき身なれ
1
1
かくわれは日々飢えやつれまた飽く、
。
曲
むさぼりですべてを食らい、あるいはすべてを失
い去りて。(第七五番)
その青年に轡愛する詩人の起伏し曲折する心の複雑な綾
自分をどうすることもできない。そればかりでなく、相
を愛しつつも、同時に、その女性の性的魅力に惹かれる
-人の女性が介入して来た。そして詩人は、一人の青年
が、このように親密な心で結び合っている二人の間へ、
ソネットは、すでに主要系列の中の一要素として登場し
るならば、第一二七番から第一五二番にいたるニ十六の
人と青年との轡愛をこの﹃ソネ yト集﹄の主要系列とす
入されている(第三四番│第四二番)。以上に歌われた詩
み出す一つの要因として、﹁黒い婦人﹂をめぐる一件が導
がそこで歌われている。そしてその複雑な心理の綾を生
手の青年もまた、同じ女性の魅力に捉えられる。このよ
た﹁黒い婦人﹂を改めて取り出し、これに封する詩人の
このように詩人は一人の奇年を愛している。ところ
うにして、普通の三角関係よりは複雑な一種の三角関係
の精密化、ないしは副次的系列の展開である。(末尾の
心理的瞳験を歌ったもので、いわば主要系列中の一支脈
ニワのソネットは、ともに愛の火の不滅を歌ヮたほぽ同
が生じた。そしてそれがシ且イクスピアのソネット百五
われの詩人の競争相手になるもう一人の詩人も登場する
一内容のもので、このソネット集金篇に謝する結伺をな
十四篇の基礎にある事情である。同じ青年を愛してわれ
ので、これを加えれば、あるいは四角関係になるかも知
2
2
5
す も の と 見 ら れ るJ
詩人と青年との聞に﹁黒い婦人﹂が介入して来て、詩
人と青年との聞に愛情の間隙を生じたことを最-初に暗示
詩人をしてこのように歌わしめた事情は、第四二番にお
いて、一そう明確にあらわれている。
されどわれが彼女を深愛せしこともまた事貫なり。
しているのは第三二番のソネ yトである。
なぜに君はさしも麗らかなる日を約束して、
君が彼女を有せることのみがわが悲痛にはあらず、
われをして外套もつけずに外出せしめながら、
われをして一そう切に歎かしむる愛の損失なり。
彼女が君を得しことこそわが主たる悲しみにして、
愛の罪人たちょ、われはかく難じて君らを許さん、
途中にて不意にきたなき雨雲に出遭わせて、
君の輝く面を腐りたる煙霧の中に隠したまいしゃ。
君はわれが彼女を愛するを知ればこそ彼女を愛するな
すなわち、傷をなおすとも恥を癒さざらんには、
わが友をしてわがために彼女を試さしめて、と。
h
彼ν
女がわれに背くもまた同じくわがためなり、
、
雲間より洩れて、あらしに打たれたるわが顔の
かかる薬膏を何人も良薬とは稽しがたければ。
雨を乾さんとなしたまうとも及ぶべからず。
君の差恥もわが悲歎を醤するには足らず。
爾者はたがいを見出で、われは雨者を一時に失えど、
h
ツ
o
われ彼女を失えば、その損失を拾いたるはわが友な
-れソ、
われ君を失わんか、わが損失はわが愛する女の利得な
たとえ君悔いたまうとも、わが損失は依然たり。
罪を犯せし者の悔恨も、粛す救いは微弱たるのみ、
その強大なる罪の十字架を負いて苦しむ者に封して
牛﹂。。
雨者はともにわがためにこの十字架をわれに負わしむ
るなり。
L
ああ、されど、君の愛情がそそぐ涙は其珠なり、
その涙は貴し、あらゆる非行を墳うに足る。
226
されどこは喜びなり、われとわが友とは一瞳な
。
ν
h
甘
き一課言ゃ、されば彼女はわれ一人をのみ愛する
なり。
君の残酷なる限はわれをわれより奪い去り、
また第二のわれを君はさらに手強く龍絡せり。
われは、彼にも、われにも、君にも捨てられて、
三重をコ一倍せる責苦ここに寄り集る。
わが心は君の鋼の胸の牢獄に投ずるとも、
わが友の心はわが貧しき心によりて保韓せよ。
何人がわれを看守するとも、わが心をして彼の守り役
たらしめよ。
いな、君はなさん、われは君の中に閉じ込められ、
しかれば君もわが牢内にて苛酷をなす能わず。
そういう事情をこのソネットはあきらかにしている。そ
れば。(第一三三番)
われとわが中なるすべてのものは必然君のものな
離し合う詩人と青年との繁方を惹きつけ、一時は二人
の轡を危く裂きそうにまでした女、あるいは、右のソネ
括して轡の虜囚としてしまった女、そういう一人の女を
ットに歌われた詩人の意識によれば、出惜し合う二人を一
われとわが友とに深傷を興えて
の女に封する轡は彼に﹁組望﹂をもたらす性質のもので
青年に謝する轡が詩人にとって﹁慰め﹂であれば、こ
この詩人は知っていたのである。
わが最愛の友までも賎奴とならしむるか。
われ一人を苦しめては足らず、
わが心を岬かす心こそ抽出けれ。
心の種融をしているのである。
奪った人がまた自分の構想人(女)であるという、複雑な
いと言っている。つまり、詩人は、自分の懸人(男)を
女性が彼の青年を奪ったことの方が自分には一そう悲し
して詩人は、青年が彼の女性を奪ったことよりも、その
時、向性および異性の、彼の二人の轡人を同時に失った。
年もまたその同じ女性を愛しはじめ、かくして詩人は一
時に一人の女性をも愛していた。しかるにその相手の青
詩人は一人の向性の青年に轡愛しているが、それと同
、
227
•
あった。彼女は彼に﹁拷問の苦しみ﹂ (J02
ロ目、)を興
ただちに眼差しをもって殺し、わが苦患を除きた
まえ。(第一三九番)
ああ、君つれなくしてわが心に加えたる
多くの男に秋波を諮るコケ Jトであったらしい。第一三
える女であった。
われに傷つくるも、君の眼にてせず、舌をもってせよ。
七番のソネットでは、詩人は彼女を Jvoσ 喜一君、財叩叶白色回
煽るのであった。
たい魅力で詩人を惹きづけ、 狂おしいまでに彼の轡情を
かし、﹁美人﹂ではないはずの彼女が、 ふしぎな、抗いが
というこの女は、美人の語を持つては呼べなかった。し
番)
髪は針金か、彼女の頭には黒き針金生えり@(第一一一一O
零は白きか、しからば彼女の胸は浅黒し。
を持ち(第一二七番)、
ιすれば、﹁からずのごとく黒い﹂(ィ28E2庁 ﹂ 眼
金髪白哲をもって美人の傑件とした官時一般の標準か
る栗毛馬﹂とも解せられる)とさえ呼んでいる。
目。ロユ含ベ﹁寓人が入り来る潤﹂とも﹁すべての男が乗
青年を同じくその魅力で捉えたばかりではなく、その他
詩人をこのように苦しめる女は、ただに詩人の愛する
力を振いて力づくにてせよ、手管もてわれを殺すなか
と
。
その毒矢の害を他のところに射させんとするなめ、
されば、彼女はわが敵をわが顔よりそらせて、
彼女の美しき眼差しがわれの敵にであることを、
なり、
われ君のために鼎ぜん。ああ、わが懸人はよく知れる
る限りにあらざる時。
君の魅力は、すでに制塵せられたるわが防備の耐え得
何の必要ありて君はたくらみにて傷つくるや、
感人ょ、君の眼を横に流すことを止めたまえ。
君の愛は他所に向うと一言え。されどわが前にては、
れ
。
この苦しみを不雷となすなと言うは無理なり。
第三競
されどその要なし、われはすでに死に瀕せり、
区〕
第四十二巻
ー橋論議
2
2
8
(29) シ且イクスピアの「黒い婦人」
彼の慮方が守られざることに怒り、
わが轡の主治醤たるわが理性は、
定まりなき病める欲を漏さんとす。
病を長びかせるものをむさぼり食らい、
たえず憧れ求める熱病のごときものにして、
君を憎む者をわが友とわれ呼びしことありや、
君のためにことごとく理不謹の暴君となりであるを。
われ君を思わざるや、われはわれ自身を忘れて、
われはわれ自身を敵となして君にくみしてあるを。
ああ、酷き君よ、君はヨ一口い得るや、われ君を愛せずと、
わが懸は、いやましに病を募らせるものを
わが許を去りたれば、われはいま悟りぬ、
いな、君われに泣面せば、われはただちに
君が眉をしかむる者にわれ訣いしことありや。
はてしなき不安をいだきて心狂凱す。
理性に見離されたれば、われに治癒の見込なく、
われがわが身にありてわが徳と等ぶものありや、
高ぶりて君に奉仕することをさげすむものを、
苦悶をもってわが身に懲罰を加うるにあらずや。
へつら
暫療を担みしわが欲は死なりと。
わが思うこともわが言うことも狂人のそれのごとく、
君の眼の動きに支配されてその命ずるがままに、
担まれていたわけではない。しかし、望みを達した時、
乙のように轡の地獄にのたうつ詩人も、常に彼女から
(第一四九番)
君が愛するは目明きなるに、われは盲目なり。
を知る、
されど、轡人ょ、嫌いづづけよ、いまわれ君の心
わが最善なるものこぞって君の歓貼を崇める時。
異質を離れてとりとめもなく口走る空言たるのみ。
われは君を美しと誓い、君をかがやかしと思えど
も、
J
貫は地獄のごとく黒く、夜のごとく暗ければな
り。(第一四七番)
こういう轡の拷問に煩悶する詩人は、これほどに彼を苦
しめる雷の人に向って、。ぎのような言葉をも述べなけ
ればならない。
229
一一一
L
彼の心に訪れるものは、索実とした魂の荒涼感ばかりで
あった。彼の欲望の達成は、さらに救いなき地獄の深み
に彼を落すだけであった。?ぎのごとき瞳験はまさに凄
世と言うほかはない。
前には議想されたる喜ぴ、後には悪夢なり。
このことは世人よく知る、しかも一人よく知るな
この地獄に人を導くこの天園を避くべきことを。
(第一二九番)
情欲の賓行たる。貫行の以前においても、情欲は
つぎの言葉を思い出させるものである。
これは、執劫に求愛するグィ 1ナスにアド 1 ニスが言う
亨柴せらるるやただちに軽蔑せらる。
愛は雨上りの後の日射しのように心を喜ばせますが、
(﹃グィ 1ナスとアド 1 ニス﹄、七九九行│八O 四行)
愛はすべて誠、色慾はうそ俄りに満ちています。
て死にます。
愛は飽きることがありませんが、色慾は食べすぎ
ます。
色慾の冬は、夏がまだ宇ばもすぎないうちにやって来
愛のおだやかな春はいつまでも新鮮でいますが、
す
。
色慾のもたらすものはうららかな陽光の後の暴風雨で
野費、過激、粗野、残酷なり、不信なり。
俄誓なり、虐殺なり、残忍なり、大汚辱なり、
恥辱の荒野に霊を浪費するにほかならず、
し
理を越えて追い求められ、得らるるやただちに、
理を越えて嫌悪せらる、そを食らうものを狂悶せしめ
んと
ことさらに仕掛けられたる生餌を呑み込みたるがごと
くに。
追う聞も狂なり、得たる時も狂なり、
得たる後も、特ララある時も、得んと求むる時も過激
なり、
費誼せられざるうちは天帽、貫謹せらるればまさに惨
マ
民i
"
:
'
鯛
、
、
4
(30}
第三競
第四十二巻
一橋論叢
230
(31) シェイクスピアの「黒い婦人」
内瞳が柔くしない、足取りが軽く、黒い眼がきらきらと
そしてまた、グィ1ナスがみずからをつぎのように叙述
する時、われわれは、たとえグィ l ナスの眼は青くとも、
光り、それがいつも生々と動いて、男の眼を捉え、男の
一)
いざや正腫をあらわせよ、ゃい!(二・二・一七│二
さらにはその港りなる禁断の内庭にかけ、
美しき足、異直なる脚、打震える深もも、
高きひたいと異紅なす唇にかけ、
南無、ロザライン姫のかがやく眼にかけ、
て彼を呼ぶ中で、
の姿を見夫ったマキュ 1 シオが、たわむれの呪文を唱え
させる女である。すなわち、ロザラインである。ロミオ
を抜け出させ、悶々の思いを抱いてすずかけの森を散歩
を知る前に慰した女で、ロミオをして朝まだき不眠の床
く、舞蓋には登場しない女だが、ロミオがジュリエット
ジュリエット﹄の中にも出て来る。ジュリエ yトではな
そういうわれわれの想像に適合する女が、﹃ロミオと
する女。そういう一人の女をわれわれは想像する。
心を誘う。若々しく活動的で、ふしぎな性的魅力を稜散
そこにいるのは﹁黒い婦人﹂にきわめてよく似た人だと
いう印象を消すことができない。
わたしのひたいをごらんになっても、しわ一つなく、
眼は車内く、かがやき、生々と動きます。
わたしの美しさは春と同じく年ごとに生い育ち、
肉はやわらかくふくよかで、髄は燃えています。
なめらかにうるおいを帯びたこの手は、あなたの
手に鰯れられれば、
その掌の中でとろけて、溶けてなくなるかと思わ
れましょう。
物語をせよとお命じください、その耳を魅し去るよう
なお話をいたしましょう。
ニγ プ
あるいは、妖精のように緑の野に足取り軽く踊り、
あるいは、水精のように、長い髪をふり蹴しつづ、
足の跡も見せず砂上に舞いもいたしましょう。
(同書、一三九行l 一四八行﹀
2
3
1
一一
山
、
な女、あのロザライン﹂と言い、﹁ Pミオは白い女の黒い
(第二幕第四揚)でマキュ 1 シオは、﹁あの青白い無情
と言って引合いに出している女である。そしてさらに後
る。王から、おまえの轡人は黒檀のように黒いとからか
目見たいとこがれ、彼女を得させたまえと祈るのであ
れにもかかわらず、彼は彼女が轡しくて溜息をつき、一
ばん美人でないはずのこともピル I ンは知っている。そ
通常の規準で言えば、彼女が三人の待女のうちではいち
眼に刺し殺されている﹂と言っているのである。(白い
われると、ピル 1 ンは答える、
です。
そういう木でできた妻なら男冥利につきるというもの
だ
。
黒檀というのは彼女に似ているのですか。ああ、紳木
肌は黒い眼を一そう際立てる。)
このロザラインは、﹃蟻の骨折損﹄の中で、ピル l ンを
彼の誓いに反して癒の虜としてしまう女、名も同じロザ
ラインとして登場する。彼女は、ナグァ I ル王の宮廷を
訪れたフランスの王女に障伴する三人の待女のうちの一
、
,
﹁
ノ
、
人として舞蔓に登場する。ピル l ンは彼女を鍛述して言
す
。
ああ、誰か誓う人はいませんか。聖書はどこにありま
わたしは誓いたいのです、美人も美人にあらず、
のようだ、石茨掘りのようだ、エチオピア人のようだと
さらにつづけて王や友人たちから、君の轡人は煙突掃除
言えません。(四・=了二四八│二五三)
どんな顔も彼女の顔のように黒くなければ美しいとは
黒ビロードの眉をした白い浮気女で、
たとえ百眼を具える紳ア 1ガスが彼女を見守
彼女の眼より見るすべを習わざるにおいてはと。
h
二つの涯青の玉を顔にはめて眼にしている。
そうだ
る官官であっても、
一・一九八│ニ O乙
い;γL
いや間違いない、あのことはするという女だ。(=了
育
4
第三競
(32)
第四十二巻
}橋論叢
232
(33) シェイクスピアの「黒い婦人 J
からかわれると、ピル 1 ンは、
、
,
司
ノ
、
あなた方の態人は雨が降れば外に出られないでしょ
れわれの知っていることである。
﹃ロミオとジュリエ yト﹄でロミオを魅惑し、﹃懸の骨
に﹃お気に召すまま﹄では、羊飼の若者シルグィアスを
折損﹄でピル l ンを轡の虜とした﹁黒い婦人﹂は、つぎ
轡の痛手に悩ませる女羊飼フィ lピーとなってあらわれ
一二七番のソネ
yト(﹁黒い婦人﹂を歌う最初のソネァ
自分の時間人の方がずっと美しい本音の美人だと歌った第
る女たちにくらべて、色は黒くても自然の美にかがやく
とやり返す。この言葉は、紅白粉を塗って美を装ってい
景を見ていた男装のロザリンドは、出て来て、その﹁倣
l 二ハ)などと言う女だ。そして、木蔭からその場の光
きるものなら、さあ存分に殺してあげる﹂(コ了五・ザ O
言う。もしほんとにわたしの眼が傷を負わせることがで
﹁おまえさんはわたしの眼には人を殺す力があるなんて
顔の色どりが流されては困りますからね。
ト)を、われわれにただちに思い出させるものである。
慢で無情な﹂女羊飼に向って言う。
る。彼女のつれなさを責めるシル,ワイアスに、彼女は、
ピルIンはまた、
どうして僕を見るんだ。
自然の賓物の普通のものしか僕は君の中に
ああ、お天道さまにかけて、彼女の眼がなければ、本
宮だ、彼女の眼がなければ、おれは彼女に轡などしな
見てはいないんだからね。おやおや、
この女は僕の目まで籍絡するつもりらしい。
その墨のような眉毛、その黒い絹赫のような髪の毛、
だめだめ、おねえちキん、それは望んでも無駄だよ。
その黒玉の眼とクリーム色の頬っベたで
﹀
い。するものか、彼女のあのこっの眼がなければ。
一
と言っている。ソネ yトの﹁黒い婦人﹂の黒い眼とその
(四・コ了九l O
黒い眼の動きに、特別の魅力があったことは、すでにわ
"
J
3
3
僕の心をなぴかせて奔ませようた?でだめだ。
そしてその後で、 ロザリンドはつぎの有名なセリフを言
うのである。
だが、おねえちキん、身の程を知るものだ、ひざまづ
きなさい、
断食して、いい男に思ってもらったことを神に感謝す
ることであろう。
叱られながらすでにあやしげな目つきで男装のロザリ
ンドを見はじめていたフィ 1ピ 1は、彼女が森の奥に立
去って行くと、その後を見やりながら、﹁感はみんな一
目惚れ﹂などとうそぶいて、もうすっかりその方に心を
移し、傍のシルグィアスなどはまったく眼中にない。お
そらく、ここを書く時、シェイクスピアは苦い笑いを浮
べながら筆を進めていたであろう。
ふしぎな魅力と、その魅力に狂った自分のにがい思い出
われわれがここまで追って来た﹁黒い婦人﹂は、その
いいかい、親切に思って言って上げるんだが、
とがまじり入って、シェイクスピアの一生にわたって、
るのだ。
費れる時に賓るものだ、あんたはいつどこの市場にも
彼の脳裡に残っていたようである。たとえば、トロイラ
スを悩殺するクレシダ(﹃トロイラスとクレシダ﹄)や、
出られるってものじキない。
男に詑び、男を愛し、男の一言うことをききなさい。
アントニーを魅了するクレオパトラ(﹃アントニ1とク
レオパトラ﹄)を描く時、シェイクスピアの意識の中で、
醜く肱識などくわすと、醜いのがこの上なく醜くな
る。(三・五・五七l 六二)
なり合ったように感ずることも、車なる空想の仕業では
彼女たちのイメジと﹁黒い婦人﹂のそれとがしばしば重
ロザリンドがフィ 1ピ 1にこういう言葉を言う時、彼女
なさそうである。
以上を要するに、シェイクスピアは、若いころ、男の
にそれを言わせた作者シェイクスピアには、フィ 1ピー
のほかに、この言葉を聞かせたかった現貫の女が、舞蓋
b
ι」
彼を懸に狂わせ、彼を轡の地獄に岬かせた一人の女、黒
t
の外にいたであろうと想像すること位、おそらく許され
,
(34)
第三競
第四十二巻
『橋論叢
234
(35) シェイクスピアの「黒い婦人 J
一
髪黒眼、肌も浅黒い中に、かえって抗いがたい性的魅力
アの﹃ソネァト集﹄をもってまったく文撃的虚構の作と
シェイクスピアの昔時、イギリスでは、ペトラルカに
する詑である。
が、彼に懸の地獄園のような二十六篇の凄紹なソネァト
をたたえた一人のコケットを知っていた。そしてその女
を書かせ、彼の戯曲の中にもさまざまの扮装にかくれて
フィリァプ・シドニーの﹃アストロフェルとステラ﹄、ェ
ドマンド・スペンサ 1 の﹃アモレ yティ﹄(轡愛小曲集)
ならって、ソネット連作というものが流行した。サ--
は、現貫には誰であったか。われわれは嘗然それを知り
などはそのうちの名作である。シェイクスピアもそうい
登場して来るのである。しからば、その﹁黒い婦人﹂と
たく回ゅう。
う流行に乗じて、ある論者によればそれを菰刺する目的
たか。これははなはだ興味ある問題であるが、同時にま
シェイクスピアの﹁黒い婦人﹂とは現貫には誰であっ
持ってかれらのソネァト連作を書いている時、シェイク
も、ペトラルカのロ 1 ラにあたるかれらの轡人を現貫に
である。しかし、シドニーにしても、スペンサ1にして
貫の経験とは直接には何の閥係もないとするのが虚構説
で、彼のソネ yトを書いたのにすぎず、それらは彼の現
た、それは非常に錯雑した事態にわれわれを引き込む問
われわれが殻見する人物と、それらの人物相互の聞の闘
題である。そして、要は、残念ながら、いまだ確立した
そもそも、シェイクスピアの﹃ソネァト集﹄の﹁黒い
係は、他所に見られないあまりに特殊なものであり、車
スピアにだけそういう事情を否定するのはむしろ不自然
婦人﹂が現買に存在したと議想することは、シェイクス
に時流に乗っての遊戯的作品とするには不必要に手がこ
結論は出されていないのである。いや、永久に出そうも
ピプの﹃ソネット集﹄が、多かれ少かれ、自侍的なもの
みすぎている。まして、調刺が目的なら、これはまった
である。それよりも第一に、彼の﹃ソネット集﹄の中に
であるとわう前提に立っているわけであるが、この貼に
く不必要なことをしていることであり、あるいはまった
ない。
関しでもすでに果論がある。その一つは、シェイクスピ
お5
く目的にそぐわないことをしていることである。またそ
る
。
ぽ同様の理由によって、われわれを首肯させないのであ
闘係がソネット連作の通例を破りすぎていること、その
シェイクスピアの﹃ソネ yト集﹄の中に見られる個人
こに盛られた感情は、なかんずく﹁黒い婦人﹂に封する
詩人の感情は、調刺などというゆとりのあるものになる
ためには、直情でありすぎ、切賓でありす、ぎる。
いと主張する設である。この集の最初の十七のソネット
てはシェイクスピアはただ第三者の立場に立つにすぎな
に封由服するものであるにしても、その現賓の情況に封し
ソネ yト を 書 い た の で あ り 、 た と え そ れ ら が 現 貫 の 情 況
アは他の人の依頼を受けて、その人のためにあのような
る第二の設は、代作詑である。すなわち、シェイクスピ
アが、二人のロザラインやフィ1ピーなど、﹃ソネ
徴をあまりに詳細にすることは避けているシェイクスピ
に、彼の戯曲まで考えると、通常は登場人物の顔貌の特
るのが、もっとも自然な見方であると思われる。とく
分に、シェイクスピアの現貫の瞳験の裏付けがあると見
そのすべてにではないにしても、そのきわめて多くの部
りにも個性的であることによって、彼のソネァトには、
感情岨臨時服、とくに﹁黒い婦人﹂に封する感情檀験はあま
は、ある美貌の青年に早く結婚して子孫を残せとすすめ
シェイクスピアの﹃ソネット集﹄を自停的でないとす
ているが、それらは、サウサンプトン伯の母親が、家系
て、その顔貌の特徴をきわめて特殊化し、詳細にしてい
集﹄の﹁黒い婦人﹂と同一人物と思われる人物にかぎっ
というような言い方でシェイクスピアの﹃ソネ yト集﹄
とくにシェイクスピアに依噂して作らせたものである、
求めているとする想像を、十分に自然なものにするよう
の闘心があり、現貰に彼の身透にいたにちがいない人に
ることは、彼がそれらの人物の原型を、彼にとって特別
yト
の行く末を案じて、息子を説得して結婚させるために、
を説明しようとするのが代作詑であるが、もとより確謹
に思われる。
シェイクスピアの﹃ソネァト集﹄がはじめて公刊され
があるわけではなく、あくまで推論である。そしてこの
推論も、シェイクスピアのソネァトを調刺を目的とした
たのは一六C九 年 で あ っ た 。 ト マ ス ・ ソ Iプ(同,H
H
o
g
g
d
戯作であるとする設がわれわれを首肯せしめないのとほ
ζ午4じ:
第三競
(36)
第四十二巻
ー橋論叢
236
(37) シ ェ イ ク ス ピ ア の 「 黒 い 婦 人 J
寸540) が シ 且 イ ク ス ピ ア に は 無 断 で 出 版 し た も の で
かれ、親友の聞に流布され、そのことをミアズが知り、
る。翌一五九九年には、ウィリアム・ジャガード(ヨロ'
あった。その時ソ lプが記した献鮮の中に、﹁以下のソ
丘、ロ58zzgmω 。ロロ江田区司・者・出・)という字句が
ロ
RHHYmmpE) が﹁ W ・シェイクスピア著﹂と偽り記
の書物が出版されるというだけの時間があったわけであ
あり、それをめぐって、﹁ W - H氏﹂とは誰か、﹁産出者﹂
して、短詩二十篇を雑多に集めた小詩集﹃多情の巡櫨﹄
作品のいくつかを讃み、そのことを彼の書物に記し、そ
とはどういう意味かなど、それが解明されれば、この集
(叶言、9agsa由、色町三宮)を出版したが、その中にシェ
ネットの唯一の産出者w ・H氏﹂(寸ぽ。巳可出品目仲芯吋
の成立事情が格段に明らかになると思われる問題があ
に属するものであり、とくに後者は、この拙文の最初に
イクスピアのソネ yト二篇が盗まれて入っている。その
引いた﹁われに二人の轡人あり﹂という一篇である。シ
り、それぞれ複雑な種々の議論もなされているが、いま
シェイクスピアの﹃ソネット集﹄がはじめて出服され
ェイクスピア侍記の権威 E - K・チェイムパ1ズは、一
二篤とは、字句にわずかの違いはあるが、今日の第一三
たのは、いま述べたように、一六O九年であったが、シ
五九三年から九六年の聞にシェイクスピアのソネットの
はそれらを顧慮している暇はなく、またそれらはいまか
ェイクスピアがそれらを書いたのは、それより十年以上
大部分が書かれたとしている。しかし、シェイクスピア
八番と第一四四番とで、ともに﹁黒い婦人﹂を歌う系列
も前であった。シェイクスピアについて述べて﹁彼の親
のソネ yト が 書 か れ た 年 代 に つ い て は 、 あ る い は 、 短 期
ならずしも必要な事柄でもない。
及しているフランシス・ミアズ(匂E口口山田宮22) の﹃パ
友聞に流布している砂糖のように甘美なソネ yト﹂に言
については、さまざまの考え方がある。しかし、一つだ
間に書かれたものか、長期間にわたって書かれたものか
ぎ な 早SE4) という本が出たのは一五九八年の秋で
け確賓なことは、シェイクスピアが﹁黒い婦人﹂を知っ
ラ﹂アイス・タマイア、知悪の賓庫﹄
あった。したがって、その時までに、とにかく幾篇かの
たのは、前記﹃多情の巡櫨﹄が出版された一五九九年
門
出
な
同 2938
帆
(NuaN9
w
シ且イクスピアの﹁砂糖のように甘美なソネット﹂は書
237
P
、
、弘
いしは臆測によって浮び上って来る最有力候補の一人
の推定ないしは臆測はなされている。このような推定な
たように、残念ながら確定できない。しかし、いくつか
そこで現貫の﹁黒い婦人﹂だが、これは、すでに述べ
﹃グィ lナスとアド l ニス﹄を、翌年には﹃ル 1クリー
者の深い交情を思わせる献辞を附して、一五九三年に
愛好者であり、春顧者であった。シェイクスピアが、雨
ほどよく似た経歴を持っている。そして、ともに文警の
気を蒙り、ともに投獄されたという、二人ともふしぎな
宮廷の侍女と閥係を持って子を推ませ、ともに女王の勘
は、エリザペス女王の待女であったメアリ・フィ yトン
ス凌辱﹄を献呈しているのはサウサンプトン伯である
(彼の三十五歳)よりは前だということである。
(区民M1E30
凶)という女性である。しかし彼女のことを
が、シェイクスピアの最初の戯曲全集、いわゆる﹁第了
H
S与 を そ の 編 者 た ち が 献 呈 し て い る の は 、
二折本﹂ (
yト集﹄中の三角関係の残りの一角を
述べる前に、﹃ソネ
なす美貌の青年について鯛れておくのが便利である。
﹁これら︹の戯曲︺および生前それらの作者に封して非
ロ yツリーは、一五七三
サウサンプトン伯へンリ 1 ・
この青年が誰であったかということは、﹃ソネァト集﹄
っとも大事な鍵がまた謎である。しかし、ここでもまた
年の生れで、シェイクスピアよりは九歳年下であった。
その弟に劃してである。
推定はなされている。もっとも有力なのは、サウサンプ
父の死に伴ってサウサンプトン伯になったのが彼八歳の
常な好意を賜った﹂ペンブル yク伯(時に宮内大臣)と
者
ユO
P
E
4
w 肘ユ
P
ある。シェイクスピアの﹃ソネット集﹄は、謎を解くも
出
トン伯へンリ 1 ・ロッツリ l (
34
一五八一年で、時の権力者パ lリ l卿ウィリアム・セシ
全閣の中心にある一づの問題であるが、これがまた謎で
え moEVPBHVHop 目立152) と、一六O 一年父の
(オ yク ス フ ォ ー ド 伯 の 女 ) エ リ ザ ペ ス ・ ド ・ グ ィ ア
ルに保育された。一五九O年にパ 1リ 1卿は自分の孫娘
yク伯となったウィリアム・ハ
同RH丘
FBZ。宮 wH∞
。
M
lパ
後をついでペンプル
ート(ヨES自 国2
Z2u
(同ロ N P げ 丘 町 色 町 ︿
2由)を彼にめあわせたいと思い、彼の
Ha
包)とである。ともに貴族であり、ともに美貌であっ
母親もそれを熱心に望んだ(前記代作詑参照)が、本人
長
たと言われ、ともに親のすすめる結婚をしぶり、ともに
4
(38)
第三銃
第四十二巻
一橋論叢
238
シ且イクスピアの「黒い婦人」
を卒定するため出獄を許され、エリザペス・グァ1ノン
れ、投獄されたが、エセックス伯とともにアイルランド
と情事を持ち、子を姫ませ、そのために女王の怒りに鯛
こに官るエリザベス・グ 7 1ノン(肘ロg
σEHHJ12ロoロ)
九五年には、女王の待女の一人で、エセァクス伯のいと
にはシェイクスピアから前記二書の献呈を受けた。一五
翌年の四月にはロンドンに腸っており、一五九三、四年
は心進まず、ェセァクス伯に従って出征してしまった。
は、サウサンプトン伯の場合と異る。
ず、金持のメアリ・タルポ yトという婦人と結婚した貼
とを同復した。彼は結局メアリ・フイァトンとは結婚せ
ジェイムズ一世が即位するとともに許され、官職と名血管
て、女とともに、投獄され、一六O 三年に女王が死んで
はすぐ死んだ。その醜聞のため、彼も女王の怒りを買っ
を持ち、彼女は一六O 一年に彼の子を生んだが、その子
王の侍女の一人、問題の女性メアリ・フィ yトンと闘係
十九同目の誕生日のころであった。そして間もなく、女
yトンであるが、彼女は、チ品シ
が私生児を生む前に、彼女と正式に結婚した。
そこでメアリ・フイ
卿(シェイクスピアの劇画の庇護者)の孫娘を許婚者と
た。一五九五年、彼が十五歳の時、宮内大臣ハンスドン
年の生れで、シェイクスピアよりは十六歳年下であっ
ザベス女王の待女となった。父親は上京した娘の世話
五九六年、十七歳の時ホワイトホール宮殿に出仕、エリ
士 宮 ρ口町四)サ l ・エドワード・フィットンの娘で、一
ャのゴ1ズワス(の
ペンプルック伯ウィリアム・ハ l パ 1トは、一五八O
することをすすめられたが、財産問題がからんで破談と
を、宮廷曾計官サ1・ウィリアム・ノリス富山吋巧ESB
2125"のFgEB) という町の那
なった。一五九七年には、オックスフォード伯のもう一
閃目。
り闘心を示さず、むしろロンドンに出る許しを父から得
J
1
2
0
) との縁談が起ったが、彼はあま
ンのことをわれわれが最初に知るのは、一六O O年の六
スンのごとき撃者もいる。宮廷に出たメアリ・フィ yト
彼をマルグォ1リオにしてからかっていると説くホ yト
H
q白)に託した。﹃十二夜﹄の中でシェイクスピアは
mwd﹃
人の娘で、十三になったばかりのプリジ yト・ド・グィ
ることに熱心で、その説得が殺を奏して彼が上京したの
月二十三日のことである。しかも、その時の記録は、す
ア(出比仏関昇含
は、正確にはわからないが、多分一五九八年の春、彼の
239
偲面劇が行われた。メアリ・フイ
yトンは八人の組のリ
タ l伯 の 息 子 と の 結 婚 を 祝 う 行 事 の 一 つ と し て 、 宮 廷 で
その日、やはり女王の待女の一人であった女性とウス
でにして彼女の面目をうかがわせるに足るものがある。
ように宮廷や貴人の邸に出入したシェイクスピアが、彼
たとすれば、同じ劇固に属し、芝居の上演のために同じ
つのくさりでもある。ケンプが彼女にそれだけ親しかっ
リ・フィットンとシェイクスピアとを近づけて見せる一
に敬意と親愛を示したのである。またこのことは.メア
に献巴ている。玄人の踊りの名人が、素人の踊りの名手予
女に近づき、あるいは彼女から近づかれたとしても、少
ーダーとなって踊ったが、一踊りすんだところで、八人
しもふし、ぎはないであろう。そうして、あの﹁黒い婦人﹂
がそれぞれもう八人の踊り子を選ぶことになった。する
へつかっかと進んで行って、女王に踊ることを所望し
と、彼女は、臆するところなく六十七歳の女王のところ
ングであるが、もうわれわれは空想の世界の中へ入って
のソネットが生れたとすれば・:。話ははなはだスリリ
仲
(krF2OS です﹂と彼女は答えた。
しまっている。しかし、あの魅惑的な黒い女ロザライン
一五九八年と九九年に、いずれも増補された形で出版さ
が出て来る﹃ロミオとジュリエ yト﹄と﹃懸の骨折損﹄
(EKF
同町三日 O
ロ2FZ0・3)と女王は
れているのである。メアリ・フィットンが果して黒かっ
は、メアリ・フィァトンが宮廷に出て来てしばらくした
メアリ・フィ yト ン は 、 足 取 り が 軽 や か で 、 踊 り が う
皮肉を言ったが、女王も彼女の魅力には勝てず、ついに
まかったらしい(前記グィ 1ナスを参照)。シェイクス
、
d
σg]8J
自分を愛人にしたと書いている。第一四二番にも、すで
﹁君は閏房の誓いを破って﹂ (Jr
可ぴ白血 14
。当
ソネット第一五二番において、詩人は相手の女に、
誰も知らないのである。
たか、この鈷にも種々論議があるが、要するに今日では
は、﹃九日間の驚
SHV)
異﹄ (3.5bES sb3HSC) と題して、彼がロンド
、
号
ンからノリッジまで道中踊りながら行った時の記録を本
あったウィル・ケンプ(当日関白
ピアと同じ一座にいた喜劇役者で、モリス踊りの名手で
立って踊った、というのである。
﹁轡は浮気なものね﹂
にたずねた。﹁轡
た。その時女王は、あなたは何に扮しているのかと彼女
第三競
にしたが、彼はこれを他ならぬこのメアリ・フィットン
単占ぷι← ム
第四十二巻
(40)
一橋論叢
24
(
)
.
(41) シェイクスピアの「黒い婦人」
に人の妻となっている女の姦通を意味するらしい比喰が
親しい友だちに、自分の母親は浮気だという評判があっ
づけて、劇作家のダヴィナントは、酒など飲むと、時々
る。オックスフォードの宿屋﹁王冠屋﹂(
QodgEロ)の
ィットンは一六O 七 年 ま で は 結 婚 し て い な い か ら で あ
客に封しでも少し愛想のよす、ぎる才色粂備の宿屋の女将
などを語ったと侍えている。堅物の旦那に少々退屈し、
はシェイクスピアの息子だと思われでも満足であること
たこと、自分の作風はシェイクスピアに似ており、自分
出て来る。このことは、メアリ・フィットンをソネット
女将ダヴィナント夫人(民日・ロ F4-mEHHH)をソネ yトの
といったイメジが浮んで来るが、これだけでは彼女をシ
の女性とする説に封する大きな支障である。メアリ・フ
女性だとする説には、小くともこの支障だけはない。
ェイクスピアの﹁黒い婦人﹂とするには不足である。一
五九四年に出版された﹃ウィロピ 1 のアヴィサ﹄ (Svsq'
ダグィナント夫人というのは、ベン・ジョンスンの後
をついで桂冠詩人となった劇作家ウィリアム・ダグィナ
の詩で、ハドリアン・ドレル(同
ロロ。
P
30ロ)とい
FS同号入念むとという詩がある。散文をまじえた封話髄
う人が序文でこの詩を讃者に紹介する形になっている
m
w
ントの母親である。例のゴシップ蒐集家ジョン・オ lプ
レーはこのウィリアム・ダグィナントと親しく、
が、おそらく匿名で、員の作者は不明である。アグィサ
ユ
仏
八年に彼の葬式に列席しているくらいで、彼のことはよ
というのは、貞淑と美貌をもって聞えた宿屋の女時円であ
一六六
ントについて記している中に、シェイクスピアは、毎年
く知っていたと思われるが、そのオ 1プレーがダグィナ
ロンドンと郷里ストラットフォードとの聞を往復する途
者と同様、少しも呼が聞かない。ために慌俸した彼は、
に轡し、その情を得たいとこがれるが、他の多くの求愛
・
る。へンリ 1 ・ウイロピ l (同
司・)はこの女将に熱烈
4
上、オァクスフォードの﹁王冠屋﹂に泊ったと書いてい
に悩みを打
明けて相談する。かつて同じ女に懸想して同じように
ω¥)
る。そして、その宿の主人ジョン・ダグィナントは﹁非
﹁出血﹂の思いをしたことのある W ・Sは、こんどは見
月
山
由
ロ
門 Yー
(
民FBER 片
﹁親友w ・S﹂
﹁非常に美しく、非常に頭がよく、舎話がきわめてたの
常にしかつめらしく慎重な市民﹂であり、その妻の方は、
しい﹂人であったと述べている。オ lプレーはさらにつ
2
4
1
・
l
女は容易に陥落するだろうと E ・Wを け し か け る 。 H -
意から、とてもだめなのを知りつつ、根気よく口説けば
物の側にまわって他の男のお手並を見てやろうという底
を興えるもののように見えて来る。その宿屋にはシェイ
グィナント夫人を﹁黒い婦人﹂だとする説に有力な支持
ると、これは、ォツクスフ寸 1ドの﹁王冠屋﹂の女将ダ
わりに、一向なびこうともしない。その聞に H ・Wはま
を通り、あるいはその地に泊ったという推測もある。そ
は女王の行幸に供奉して一五九二年にオックスフォード
クスピアは馴染客であったらしいし、サウサンプトン伯
すます衰弱して来て、はじめ喜劇のつもりで仕組んだも
うすれば、両者ともがその地の宿屋の魅惑的な女将にま
Wは懸命に言い寄るが、アグィサはつらくも首らないか
のが悲劇になりはじめる。それを見てw
-Sはまたさま
"
は、やはり謎の簡につつまれている。
力で悩殺し、彼を轡の地獄に狂乱せしめた﹁黒い婦人﹂
ったかどうかもわからない。シェイクスピアを魔性の魅
ってしまっているようである。ダグィナント夫人が黒か
しかし、ここでもまたわれわれはすでに空想の領域に入
いってしまっ・たということもあり得ないことではない。
E
ざまに H ・Wを慰めたり、動ましたりするが、結局事は
成らなかった。
﹃ウィロビ 1のアグィサ﹄はこんな風なことをやや調
刺的に歌った詩であるが、篇中のアグィサを前記ダグィ
ナント夫人、同
z
o
(あるいは同開ロユg 司、出
g
H
1
U可モ己目。
H
M
q
- 司ユ。FgZ寸(サウサンプトン伯)、
、を h白
0)
叩即日
,
H
o
σ
(一橋大牟助教授)
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当
・ ω・ ( あ る い は 当 日 ) を 司 芭 広B 出品目白宮号。とす
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(42)
第三競
第四十二巻
一橋論議
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