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文化二年、 江戸と大阪で、 わずか五、 六個月前後の時間的

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文化二年、 江戸と大阪で、 わずか五、 六個月前後の時間的
二 つ の妖 狐 譚
田 川 く に 子
に、 三国 妖 婦 伝 と か や い へる絵 草 子 の、 東 都 に て行 はれ し をき け
﹃妖 婦 伝 ﹄ と ﹃玉 藻 譚 ﹂ に つ い て
文 化 二年 、 江 戸 と 大 阪 で 、 わ ず か 五、 六個 月 前 後 の時 間 的 ず れ で
いふ を、 書 肆 ら う け が ひ な がら 、 はや く 梓 に のぼ せ、 あ ま さ へ浪
ば、 木 に 彫 り世 に寿 せ んも 、 本 意 にあ ら ね ば 、 反 故 にも のせ ん と
華 に名 た Σる 大 人 の、 く さ み 丶 の序 をも 需 て、 閏 月 の中 旬 、 刻 な
出 版 さ れ た 、 ﹃絵 本 三 国 妖 婦 伝 ﹄ と ﹃
畫 本 玉 藻 譚﹄ は、 同 じ テー マ
り ぬと 僕 に示 す 。 か う が え た 父 さ る事 を さえ 、 せざ るも のを と 、
を 扱 った 読 本 であ る こと 、 と も に 化 政期 の金 毛 九 尾 の妖 狐 流 行 の緒
と な った こ と など で、 注 目 さ れ る作 品 であ る が 、 こ れ ら の テ ー マを
足摺すれども甲斐なし
文 化 二年 閏 八 月 の記 載 があ る こ の文 章 は 、同年 二月 刊 の﹃三国 妖 婦
扱 った物 語伝 説 の類 は、 す で に江 戸 以 前 にも 数 多 く 存 在 し て い て、
伝 ﹄ の後 塵 を 拝 した こと に つ い て の事 情 が説 明 さ れ て いる わ け で あ
こ と さ ら に 目新 し い素 材 で はな い。 江 戸 時 代 に入 ってか ら も、 紀 海
(寛 政 三 年) 、 ﹃殺 生 石 水 晶 物 語 ﹄ (
黒本、青本、明和七年)、そ
音 ﹃殺 生石 ﹄、 ﹃玉 藻 前 驤 袂 ﹄ (
宝 暦 元 年 豊 竹 座 )、 ﹃通 俗白 狐 通 ﹄
るが 、 筆 者 玉 山 (
果 し て玉 山 と し てよ い かど う か の問 題 が あ る が、
不備 の ま ま世 に出 た こ とを 残 念 に思 う 気 持 が強 く 、 江 戸 で ﹃三 国 妖
こ れ は後 に触 れ る) に は、 出 版 がお く れ を と った こと よ り も 、 校 正
の他 歌 舞 伎 狂 言 の舞台 で、 金 毛 九 尾 は とも かく も 、 玉 藻 の物 語 はし
婦伝 ﹄ が先 に世 に出 た こ と に関 し て は、 さ 桧 ど 歯 がみ を し て いる わ
阻
文 化 二 年 版 二 つ の金毛 九 尾 の読 本 の う ち、 大 阪 で出 版 さ れ 売 岡 田
け で は な い。 そ れ は当 然 で、 寛 政 丁 巳 (
九年)以来七年間、うちす
ば し ば く り 返 さ れ て い た ら し い の であ る。
玉 山 ﹃絵 本 玉 藻 譚 ﹄ の序 文 を 見 れ ぱ、 文 化 初 頭 に、 こ の 二 つの冊 子
悔 す る 気 持 は、 さ ほ ど強 く は な か った と思 わ れ る の であ る。
ず 、 従 って他 に 先 を越 さ れ た から と い って、 今 さ ら そ の事 自 体 を 後
の作 品 に対 す る打 ち込 み よう は、 さ ほど 熱 の籠 った も のと は 思 わ れ
て てあ った こ と、 そ の間 他 の仕 事 に気 を 奪 わ れ て いた こと な ど 、 こ
が出 版 さ れ る前 後 の事 情 が 、 いく ら か は推 測 でき る。
過 にし 寛 政 丁 巳 のと し 、 此 物 語 を 編 、絵 を繍 も の し て、 既 に書 肆
撰 にか ﹂り て、 何 く れ と 暇 な く う ち や り し に、 今 年 春 の季 、 それ
に授 ぬれ ど 、 ま だ 校 を終 ざ る ほ ど に、 唐 土 名 所 図会 な る ふ み の、
ら の こと ど も し は てた れ ば 、 頓 て こ の校 正 を も な し て ん と は か る
一2一
中 村 幸 彦 氏 は ﹁そ れ に し ても 余 り にも 相 似 た蘭 山 の作 品 は 、 上 方
は 、相 当 に 仏 教 的色 彩 が濃 く な る結 果 とな る。 こ の冊 子 は、 宝 暦 明
物 語 の性 質 上 、 た と え 作者 が そ れ ほ ど 意識 し な く と も 、 全 体 の印 象
推 測 し て おら れ る が、 こ う な る と 流 行 も自 然 発 生 的 現象 で は なく 、
の 一、 昭 和 二十 五年 ) 一方 、 ﹃絵 本 三 国 妖婦 伝﹂ の筆 者 高 井 蘭 山
ると いう こと を 指 摘 さ れ た のは 、後 藤 丹 治氏 で あ った 。 (
﹃説 林 ﹄ 三
三年 刊 ) と いう 三 国 伝 来 の金毛 九 尾 伝説 と、 同 じ説 話 の勧化 物 で あ
﹃畫 本 玉 藻 譚 ﹄ のも と にな って いる のは 、 ﹃勧 化 白 狐 通 ﹄ (明 和
と思 わ れ る の であ る。
和 頃 か ら寛 政期 に か け て多 く 出 た説 話 の勧 化 物 の通 俗 書 で はな いか
の計 画 を察 知 し た結 果 と思 われ て仕 方 がな い。 兎 も 角 東 西 書 肆 の読
本 の新 様式 を め ぐ って の激 し い対 立 の様 子 を 示 す 十 分 の例 と は な る
であ ろ う﹂ ( ﹃読 本 展 回 史 の 一齢 ﹄ ) と 、 二作 が相 前 後 し て世 に 出
作 為 や 競 争 の上 に成 り 立 つ社 会 現 象 で、化 政 期 に は、 都 市 の流 行 現
は 、序 の冒 頭 に、
た背 後 に、 東 西 出 版 社 の企 画 の探 り 合 い、 対 立 競 合 があ った こと を
象 が、 商 業 資 本 の舵 取 り 一つで 、 ど う に でも な る 桧 ど に 大 衆 化 さ
愚 操 觚 修 飾 。 北 馬 子 以 二丹 青 一潤 色 。 全 十 五 冊 校 成 更 題 日 二三国 妖
其 首 尾 記炳 焉 者 也 。 書 肆 欲 ・上 二木 之 一
来 乞 ・校 。
と 記 し、
嘗 有 二狐 婦之 伝十 五巻 一
。不・
識何人作 。
れ 、 し かも 江 戸 と大 阪 が、 それ ぞ れ 別 の都 市 圏 と し て孤 立 し てい る
の では な く 、 次 第 に 近 接 し て、 一つ の文 化 圏 を形 成 す る よう にな っ
て いた こと が窺 わ れ る。 こう し て金 毛 九 尾 の妖 狐 は 、 殆 ど 時 を 同 じ
く し て、 東 西 両 方 の書 肆 か ら 世 に 出 て、流 行 の端 緒 と な った わ け で
ある。
と、 ﹃絵 本 三国 妖 婦 伝 ﹄ には 、 種 本 があ る こ とを 告 白 し て い る。 こ
婦伝 一
。
く ま で流 行 であ り 、 我 々は そ れ に のみ 眼 を奪 れ ては い け な い筈 で あ
の種 本 く狐 婦 之 伝 十 五 巻 V な る書 が 、 現 在 写本 で 稀 観 本 に な ってい
そ れ にし ても 、 事 の事 情 が詳 か でな い点 は 、 実 に多 い。 流行 は あ
る 。 こ れ ら はき わ め て表 面 的 な 社 会 現 象 に過 ぎ ず 、 こ れ を も た ら し
る ﹃三国 悪 狐 伝 ﹄ であ る こと 、 こ の ﹃三 国 悪 狐 伝 ﹄ の殷 周 の 部 分
は、 ﹃通 俗 武 王 軍 談 ﹄ (
宝 永 二年 、 清 池 以 立 ) によ って成 って い る
た 社 会 の底 流 に は 、 何 か 別 の形 の潜 在 的 エネ ルギ ー が あ った筈 で あ
る 。き っか け は書 肆 の企 画 合 戦 であ る に し て も 、相 似 た構 想 の作 品
こ とな ど を 、 指 摘 さ れ た のも 、 後 藤 丹 治 氏 で あ る 。 残 念 な こ と に私
る か否 か、 そ れさ へ見 当 が つ かな く て困 る ので あ る 。 ﹁近頃 ﹂ な ど
狐 伝﹄ と、 蘭 山 言 う と こ ろ の ︿狐 婦 之 伝 十 五 巻 ﹀ が、 同 一の書 であ
書 を著 せ り ﹂ と い う とき 、 丘山 が 文 化 十 二年 の時 点 で言 う ﹃三国 悪
政 十 二年 )の序 で 、 ﹁近 頃 或禅 僧 ま た是 を編 述 し て 三国 悪 狐 伝 と い ふ
いな い。 であ る から 例 え ば 、岳 亭 丘山 が そ の著 ﹃本 朝 悪 狐 伝 ﹄ (
文
は、 ﹃三国 悪 狐 伝 ﹄ も ﹃勧 化 白 狐 通 ﹄ も 、 ま だ 見 る 機 会 に 恵 ま れ て
が 、 東 西 両地 に 一度 に出 る と い う こ と は、 読 本 が長 篇 化 す る期 を 準
備 す る、 潜在 的 エネ ルギ ーが 、 底 流 にあ った こ とを 意 味 し な いだ ろ
う か。 た とえ ば寛 政 三年 に ﹃通 俗 白 狐 通 ﹄ と いう 作 品 が、 京 阪 で出
て い る。 四巻 四冊 の み の小 篇 で、 古 代 末 期 京 都 宮 廷 に 起 った 不祥 事
と い う、 伝 統 的 玉 藻 伝 説 の形 式 を と り な がら 、 挿 話 と し て、巻 之 二
から 巻 之 三 に かけ 、 班 足 太 子 花 陽 夫 人 の故 事 のみ を、 か な り詳 しく
記 し て い る。 殷 周 を 省 き 、 天 竺 の物 語 のみ に筆 を集 中 す れば 、 こ の
一3一
と い って み ても 、 ﹁神 社 考 の作 者 及 び彼 禅 僧 ら 是 も猶 世 の人 を惑 す
の狐 な る べし﹂ と 、 ﹁彼 禅 僧 ﹂ を 、 ﹃神 社 考 ﹄ の著 者 林 羅山 と並 べ
称 し て い る こ と から 、 そ れ ほ ど 近 い世 の事 を 指 し て い る の で はな さ
そ う にも 受 け取 れ る。 ま た 寛 政 三年 の ﹃通 俗白 狐 通 ﹄ (国会 図書 館
蔵 ) は、 明和 三年 の ﹃勧 化 白 狐 通 ﹄ と 、 何 か関 係 が あ り そ う に 思 わ
る。 実 際 挿 絵 か ら見 て いく と、 こ の両 書 の価 値 には 、 かな り の差 が
あ る と し か 言 い よ う が な い。 勝 負 に はな ら な い の であ る。 し か も 玉
山 の絵 に は 一部 彩 色 ま で施 し てあ って、 七 年 間 も 書 肆 に預 け た ま ま
放 置 し てあ った と いう だ け あ っで 、 余 裕 た っぷ り、 楽 し みな がら 丹
は技 法 の点 から も 言 え る ので あ って 、 北馬 子 の 画風 は平 凡 で、 特 に
念 にや り と げ た 作 品 と いう 雰囲 気 が、 見 る から に漂 って い る。 これ
人 物 の表 情 に生 彩 がな い の に対 し 、 玉 山 の絵 は、 細 密 な ベ ン画 風 な
る。 後 に ﹃唐 土 名 所 図 会 ﹄ な ど も の した 玉 山 だ げ に 、 唐 土 の場 面 な
描 き 方 で、 全 体 に重 量 感 が漲 り 、 人 物 の動 作 や 表情 に も、 動 き が あ
﹃玉藻 前 蟻 袂 ﹄ ( ﹁那須 野 狩人 那 須 野 猟 師 ﹂ の角 書 のあ る も の) な
れ る が、 ど う で あ ろう か。 とも あ れ 、 海 音 の ﹃殺 生 石 ﹄ 、豊 竹 座
ど は、 舞 台 を 通 し て表 に 現 わ れ た、 ご く 一部 の現 象 であ って、底 流
る資 格 が な 、
いので 、 た だ 素朴 に両 作 品 を 比較 し た印 象 を、 整 理 し て
の違 いに依 る か も し れ な い。 し か し こ の点 に つい て は、 今 は精 述 す
種 本 にし 、 一方 が 勧化 物 の 影響 のも と に成 立 し て い ると いう 、 事 情
方 が軍 談 実 録 物 の影 響 を受 け た 作 品 、 つま り ︿狐 婦 之 伝 十 五 巻 ﹀ を
品 の 量 の違 い は、 そ の ま ま内 容 の違 い に帰 結 す る。 こ の違 い は、 一
さ て ﹃三国 妖 婦 伝 ﹄ は 三巻 十 五 冊 、 ﹃玉藻 譚 ﹄ は 五巻 五 冊 、両 作
は確 か であ る。
ッチ し て、 一つ の エキ ゾ チ ック な雰 囲気 を出 す の に成 功 し て い る の
た武士を描くとき、・
ヘン画 風 の緻 密 で重 量 感 あ る筆 法 が、 素 材 に マ
を 意 識 し て 描 いて いる よ う で、 ヨー ロ ッパ風 の宮 殿 や 、 甲 胄 を 帯 し
茶 を 濁 し た のに対 し、 玉 山 は天 竺 の場 面 は明 き ら か に、 西 洋 の風 俗
と 唐 土 を描 き 分 け るき め手 を持 た ず 、 天 竺 の場 面 も 中 国 風 意 匠 でお
の場 面 を描 く 場 合 に も出 てく る の が面 白 い の であ る 。 北 馬 子 が 天 竺
密 な構 図 が、 遠 近 の感 覚 を加 味 し て描 かれ 、 こ の唐 土 趣 味 が 、 日本
ど は 、建 築 物 、 人 物 とも に研 究 と 工 夫 のあ と が見 え 、 左 右 対 称 の緻
には 、 史 談 風 読物 、 勧 化 物 、 勧 化 物 を さ ら に通 俗 的 にし た も の な
ど 、 写 本 、 刊 本 さ まざ ま な スタ イ ル で、 世 に行 わ れ、 みな 相 応 の読
者 を 持 って いた こ と が想 像 さ れ る の であ る。
こ う いう 混 沌 と し た 底流 か ら、 長篇 の読 本 の形 を と って現 わ れ 出
た 二 つ の読 本 は 、 確 か に構 成 の上 か ら は相 似 て い る が、 そ の底 流 に
三国 伝 来 の長 篇 構 想 を 志 向 す る傾 向 が す で にあ った以 上 、 二 つ の読
本 が期 せず し て同 一の構 想 を 持 った事 は、 別 に 不思 議 とも 思 わ れ な
い。 そ れ に 三国 伝 来 の構 想 自 体 も 、 金毛 九 尾 の妖 狐 に始 ま った こと
問 題 に し た い の は、 相 似 た 構 成 を 持 ち な が 昼、 ﹃絵 本 三 国 妖 婦
で はな い の であ る。
伝 ﹄ と ﹃豊 本 玉 藻 譚 ﹄ は、 決 し てそ れ ほ ど 似 て いる作 品 と は い え な
い と いう こ とな の であ る。
両書 と も く絵 本 V を表 頭 に冠 し て い る こと は、 長 篇 の読 本 にも 、
当 時 は いか に挿 絵 が大 事 に扱 わ れ て いた かを 意 味 し て いる 。 こと に
岡 田 玉 山 は 、 当 時 上方 で は屈 指 の描 き 手 であ り、 そ の玉 山 の 方 か
ら 、 絵 入 り 長 篇 の趣 向 が出 て い る点 が、 や は り注 目 さ れ る の で あ
4
みた い。
は っき り 言 え ば ﹃三国 妖 婦 伝 ﹄ の場合 、筆 者 蘭山 は、 長篇 に向 か
V
レ取 し と いう 批 判 を受 け た ら ど うす る か。 そ れ に対 す る反 駁 の 論 拠
は た だ 一つ、,
・
﹁美 女 之 令 喪 二国家 一
。、
雖 三其 性 非 二妖 狐 [而古 今 如 二同 日
一
焉 ﹂ であ り 、 ま た ﹁妖 狐非 ・化 二美 女 一
而 美 女 実 如 二妖 狐 一
也 ﹂ であ る
と 述 べて い る。 こ れ は巻 末 に至 って再 度 強 調 さ れ 、,
警 世 の書 で あ る
って の覚 悟 や 身 構 え が 、 いち 応 な り と も 用意 さ れ て い た と いう こ と
であ る。 作 品 の評 価 と は 別 に 、 こ のこ と は 認 め て お か な け れぱ な ら
っかく 妖 狐 の美 女 を 扱 いな がら 、 も う 少 し 面 白 い展 開 も あ り 得 売 だ
ろう に、 た だ 拒 絶 と 抹 殺 の道 を ひた す ら 歩 ん だ た め に、 長 篇 の体 裁
こ と が、 く り 返 さ れ る。 江 戸 の士 太 夫 の心 意 気 かも し れ な いが、 せ
を とり な がら 、 最 後 は痩 せ て貧 相 で、 尻 つぼ み の作 品 にな った 感 じ
な いだ ろう 。 彼 は あ ら ゆ る 点 に 於 いて、 瞹 昧 な も の を残 さな い よう
質 を 加 味 す る こと にな った 。 一つは 歴史 的時 間 の推 移 を 重 要 視 し
に努 め て い る感 があ り 、 こ のこ と は少 く と も、 こ の作 晶 に 二 つの特
て、 年 代 記 的 記 述 を 徹底 さ せ て い る こ と、 も う 一つは、 主 人 公 玉 藻
が あ る。
だ が妖 狐 を 拒 絶 す る蘭 山 が、 拒 絶 し よ う と す る妖 狐 に 託 し て描 い
に、 驚 く ほ ど 個 性 的 輪郭 を 与 え て し ま りた こ と で あ る。 だ が そ れ
は、 美 女 や 普 通 の女 を、 愛 し 、 認 め た か ら で は なく 、 む し ろ そ の逆
他 にな い。 実 際 の人 間 の美 女 悪 女 を 描 く 場 合 は 、 こ う は い か な い は
る と こ ろ で、 筆 者 の悪 女 観 が これ ほ ど 明 快 に表 現 さ れ る格 好 な場 は
た、 嫌 悪 す べき 悪 女 は 、 如 何 な る も の であ った か 。 こ れ は 興味 の あ
︿ 妖 婦 V と いう 言 葉 に も象 徴 さ れ る よ う に、 筆 者 の女 に対 す る こ
であ る か ら 、 複 雑 な の で あ る。
だ わ り の感 情 と 、警 戒 心 は相 当 なも の であ る。 き わ め て 特 殊 な 女
ず だ か ら であ る。 こ の点 蘭 山 は、 た ぐ い稀 な 正 直 な 男 と い ってよ い
を 顕 し た の は、 南 北 朝 動 乱 の後 、 室 町 時 代 も さ 像 ど 遅 い時期 で は な
姐 己、 華 陽 夫 人 、 褒 奴 に つら な る玉 藻 の前 が、 わ が文 学 史 上 に姿
か も し れな い。 な ん とな く 女 嫌 い の雰 囲 気 を 漂 わ せ て いる 馬 琴 で さ
性 、 つま り 妖 狐 の化 身 の美 女 が、 こ の世 に い ろ い ろな 危 害 を 及 ぼ す
これ が 一つ の モチ ー フに な って い る の は間 違 い な い。 も し普 通 の人
い と思 う。 ﹃神 明 鏡 ﹄ ﹃下 学 集 ﹂、 お 伽 草 子 の ﹃
た ま も のさ う し﹄、
え 、 そ の作 品 の中 で はな かな か単 純 では な い の であ る。
間 の悪 女 であ れ ば、 悪 女 を描 か な け れば いら れ な い動 機 の中 に、 逆
でな いと 、 ど う し て言 いき れ る で あ ろ う か。 少 く と も蘭 山 の場 合 、
に 作 者 の微 妙 な 心 の揺 れ動 き が推 理 さ れ たり し て面 白 い の で あ る
た い て い の場 合 、 約 束 事 のよ う な も のが あ り 、陰 陽師 安 倍泰 親 (
泰
謡 曲 ﹃殺 生 石 ﹄ な ど 、 い ろ いろ な 作 品 を 列 挙 でき る わ け で あ ゐ が、
物 語 を 書 く とき 、 そ の根 底 に、 女 性 一般 への警 戒 心 や嫌 悪 感 が必 要
が 、 妖 狐 の化身 の美 女 は 人間 で は な い。 人 間 で はな いも の に身 を 任
の寵 姫 玉 藻 の前 は、 幣 取 り 役 に さ せ ら れ る。 勿論 玉藻 は 不 承 不承 、
成 、 康 成 ) が、 妖 魔 退 散 の祈祷 を 修 す る とき 、泰 親 の 発案 で、 天 皇
せ る と いう ほ ど の怪 奇 趣味 も な い蘭 山 は、 ただ 抹 殺 され る べき も の
と し て 、 これ を 眺 め る他 は な い。 そう いう 意 味 で は躊 躇 いも こだ わ
が、 巫 女 と 同 一視 さ れ る こと が 、 玉 藻 のプ ラ イ ド を 傷 つけ な い わ け
勅 命 否 み難 く て幣 帛 を 持 ち 、 憑 坐 (よ り ま し) の座 に つく の であ る
り も な い 明快 さ の中 に、 目 的 は 一つであ り 、 筆 者 に は何 の迷 いも な
い の で あ る。
序 文 の中 に、 も し ﹁語 不 ・云 乎 不 ・語 二怪 力 乱 神 一
。 此 挙 也 為 ・子 不
一5一
陰 陽 道 の論 理 に は 勝 てず 、 陰 陽師 の企 て に まき 込 ま れ、 幣 取 り 役 に
す 相 生 の者 を 指 て幣取 と成 ん﹂ (﹃畫 本 玉 藻 譚 ﹄) と い う よう に、
相 尅 の女 子 得 れ ば 其 験 な き のみ な ら ず 、却 て災 ひ あ り。 上 下 を云 は
相 生 相 尅 の差 あ り 、相 生 の女 子 を 得 る時 は祈 祷 こ と ご とく 験 あ り 。
﹁抑 我 家 に 伝 り 候 祭事 に は 必 女 子 を 以 て幣 取 の役 と成 す 。 其 女 子 に
幣 取 り に 指 名 さ れ 、 大 いに 怒 る と こ ろ を書 い て い る。 し か し そ れ は
はな い。 お伽 草 子 から 、 玉 山 の ﹃畫 本 玉 藻 譚 ﹄ に至 る ま で、 玉 藻 が
相 当 に グ ロテ スク で あ る) 、 あ く ま で 妖 魔 で あ る こ と を 止 めよ う と
物 に姿 を 変 え 、 石 屋 法 師 を仰 天 さ せ る な ど (こ のと こ ろ の挿 絵 は、
る、 非 常 手 段 な の であ る が 、 殺 生 石 に化 し た後 も、 さ ら に美 女 や 魔
る 。 勿 論 こ れ も 、彼 女 を 激 し く排 撃 す る、 陰 陽師 安 保 康 成 に 対 す
髏 が、 鳥 羽 法 皇 の前 世 、 熊 野 の蓮 華 坊 のも ので あ る と 予告 し た りす
発揮 し て、頼 政 に 退 治 さ れ る 鵺 の怪 を 編 み 出 し 、岩 田 川 の水 底 の髑
か ら も 脱 す る こ と な く、 元 来 の巫 女 性 の上 に、 さ ら に新 し い魔性 を
玉 山 の玉藻 は、 こ れ か ら見 れぱ 、 ま た別 の趣 があ る。 巫 女 的 魔 性
典 外 典 に通 じ 、 該 博 な 知 識 を 持 つ、 驚 異 の化 女 玉 藻 を 強 調 す る た め
さ え ふれ る。 ﹃た ま も のさ う し ﹄にも 玉 藻 の弁 舌 が あ る が、 こ れ は内
面 白 け れば そ れ で よ い と いう の が、 筆 者 の い つわ り な いと ころ で 、
だ 怪 異 物 語 と し て の論 理 を 貫 徹 さ せ 、 充 実 さ せ る こ と、 不気 味 で、
妖 狐 の怪 に、 も と も と 客 観 的 歴 史 的 位 置 づ け な ど あ る 由 も な く、 た
極 め て鷹 揚 であ り 、 ルー ズ であ る 。 だ が殺 生 石 に 化 す る 金 尾 九 尾 の
﹃玉 藻 譚 ﹄ に は、 歴 史 的 時 間 の推 移 に 関 す る厳 密 さ は 殆 ど なく 、
の辺 にも あ るよ う に思 う 。
伝 ﹄ が、 同 じ 形 式 の作 品 だ と ば かり も 言 って いら れ な い理 由 が、 こ
と、 蘭 山 の実 在 感 浴 れ る個 性 的 玉藻 と 、 ﹃玉藻 譚 ﹄ と ﹃三 国 妖 婦
ってよ い の であ る 。 玉 山 に よ り、 妖 魔 の度 を い っそう 深 め た 玉 藻
は し な い。彼 女 の自 己 主 張 は、 常 に 魔 性 を 通 し て行 わ れ て いる と い
成 り さ が ってし ま う。 寵 姫 か ら 巫 女 へ、惨 め な転 落 で あ る。
蘭 山 は 、 こ のよ う な 見 る に 忍 び な い玉 藻 は採 ら な い。 ﹁汝檀 を構
て祈 る形 相 御 悩 平 愈 の為 と は 見 へず 、 ま った く み つ か ら を 除 ん と の
呪 咀 な る べし 、 よ く も 帝 を謀 り ま ゐ ら せ、 清 涼 殿 を汚 せ し﹂ と、 殿
上 にし つら え た 祈祷 の祭 檀 の前 に進 み 、泰 親 の祈 り を 中断 さ せ、 堂
々と わ た り 合 う 。 凄 し い論 戦 で あ る。 だ いた い玉藻 の弁 舌 は鋭 く、
であ る。 ﹃妖 婦 伝 ﹄ の王 藻 は、 そ の事 の目 的 のた め に知 識 を 誇 る の
﹃玉 藻 譚 ﹄ は、 怪 異 物 語 の作 者 の分 を 程 よ く 弁 え た と ころ に、自 由
説 得 力 があ り 、 泰 親 は い つも 言 い負 か さ れ 、 恥 を か き 、 帝 の逆 鱗 に
で は なく 、 彼 女 自 身 が、 身 の潔 白 であ る こと を 言 い立 てる 動 機 が 、
巫女 に落 し て し ま う よう な、 弱 さ の かげ は微 塵 も な い。 玉 藻 は強 い
感 じ ら れな い。 お そら く 筆 者 蘭 山 の才 能 は 、 こう いう 方 面 に は な
に は、 怪 異 を創 造 す る方 面 に向 け ら れ た 、 情 熱 や エネ ルギ ー は 殆 ど
に成 り 立 つと い って よ い作 品 であ る。 これ に対 し 、 ﹃三 国 妖 婦 伝 ﹄
根 底 に あ る わ け で、 そ こ に は強 い自 己 主 張 の ニ ュア ン スがあ る。 妖
個 性 を持 つ、 独 立 した 入 格 にな って い る の であ る 。 こう いう 女 こ そ
に向 い て い た と 思 わ れ る。 これ も ま た 読 本 長 篇 化 の条 件 の 一つ であ
く 、 歴 史 的 記 述 を厳 格 に し て、 年 代 記 風 に全 体 を 整 理 、 統 一す る の
婦 と され る所 以 であ る。 陰 陽 師 の論 理 にま き 込 ま れ 、 自 ら を 下 級 の
変 化 の妖 女 であ ると 考 え 、 蘭 山 は嫌 悪 し た か も し れ な いが 、陰 陽 道
る か ら、 認 めな け れば な ら な い が、 な んと い っても 素 材 は 玉 藻物 語
の論 理 と 戦 う 玉 藻 には 、 人 間 の女 と し て の実 在 感 が あ り、 凛 々 し く
さ え 感 じ ら れ る の であ る 。
一6一
せな い空 間 があ る。 これ を ど う 処 理 す る か と いう と こ ろ に、 長 篇 伝
な の であ る。 歴 史 的 時 間 の推 移 と 、 殺 生 石 の怪 の間 に は 、 埋 め つく
と確 斉 が、 ど う いう 関 係 にあ った か 、 分 ら な い事 は多 い の で あ る。
さ れ て は い る が、 精 し い こと は あ ま り 分 ってい な い。 ま し て や玉 山
と いう 人 を 置 い て考 え な け れ ば な ら な いと いう のが、 本 当 のと こ ろ
間 違 いな く 玉 山 のも の であ る ) 、 ど う や ら 玉 山 の背 後 に、 武 内 確 斉
は、 原 本 の署 名 通 り 、 いち 応 玉 山 の作 と し て扱 って はき た が (
絵は
な い はず であ った 。 筆 者 が ひた す ら細 く 、 歴 史 的 年 代 の推 移 を追 っ
であ る よう だ 。 文 化 三年 の ﹃阿 也 可 志 譚 ﹄ は 別 名 ﹃
白 狐伝﹄とある
だ が ﹃京 攝 戯 作 者 考 ﹄ の こ の記 述 は 、 見 逃 し に は でき な い。 い ま私
た のも 、 歴 史 の転 換 期 の意 味 の重 さ を 感 じ て い た か ら に 違 い な い
よう に、 内 容 は 信 田妻 伝 説 の戯 作 化 であ る 。 寡 作 の確 斉 が 、 二 つ の
記 の作 者 の工 夫 のし ど こ ろも あ り 、 ま た 歴 史 の舞 台 が 大き く 廻 る、
が、 小 説 作 り の方 法 と し ては 片手 落 ち で、 肉付 き の悪 い、 先 細 り の
古 代 から 中 世 への波 瀾 万 丈 の時 期 に 、 素 材 不 足 と い う こ と は あ り得
結 末 にな った と い ってよ いで あ ろ う。
い る。 そ の時 同 時 に、 武 内確 斉 論 が ま と ま れ ぱ、 本 望 な の で あ る
て は、 信 田妻 伝 説 文 学 化 の系 譜 の 一つと し て、 書 き た いと 願 っては
が、 果 し て どう な る か、 期 待 と 不 安 の交 ざ り 合 う な かに 佇 み、 途 方
狐 の伝 奇 を 手 がけ て い る のも 面白 く 、 いず れ ﹃阿 也 可志 譚 ﹄ に つい
半 の部 分 に、 質 量 と も に力 を いれ 、 王 藻 に 化 し て か ら は、 中 世 の説
だ いた い両 作 品 と も に 、 紂 王 姐 己 や 幽 王 褒 似 の物 語 、 ま た ﹃仁 王
話 が 語 ると こ ろを さ ほ ど 出 て いな い。 陰 陽 師 や東 国武 士 が 登 場 す
に暮 れ て い る と いう の が、 現 在 の私 の い つわ り な いと ころ であ る。
経 ﹄ の班 足 太 子 と 華 陽 夫 人 な ど 、 大 陸 輪 入 の故 事 伝説 に由 来 す る前
る、 例 のき ま り き った 型 であ る 。 そ のな か に も、 幽 王 褒 似 の故 事 を
﹃絵 本 三国 妖 婦 伝 ﹄ は都 立 中 央 図 書 館 特 別 文 庫 室 で、 ﹃畫 本
い た だ い た も の です 。
玉 藻 譚 ﹄ は、 東 北 大 狩 野 文 庫 、 国 立 国 会 図 書 館 で閲 覧 さ せ て
附
の新 趣 向 を 工 夫 す る と いう 配 慮 の点 で、 いく ら か ま と も で あ った と
の話 を 結 合 し よう と し た ﹃玉 藻 譚 ﹄ の方 が 、 小 説 の体 裁 や、 怪 異 譚
省 い て、 前 半 を 軽 く し 、 玉 藻 の魔 性 に く鶴 V の怪 や、 蓮 華 坊 の 髑髏
いえ る の で はな かろ う か 。
最 後 に ひ と こ と つけ加 え て お かな けれ ば な ら な い こ と 、 そ れ は
﹃京 攝 戯 作者 考 ﹄ (
木 村 黙老 ) に よ れば 、 読 本 ﹃室 の八 島 ﹄ (
文化
四年 ) の著 者 武 内 確 斉 が、 岡 田玉 山 の名 で世 に出 た 戯 作 の、 本 当 の
作 者 であ る と いう 記 述 であ る。 岡 田玉 山 は絵 に巧 みな 人 で ﹃絵 本 太
閣 記﹄ 、 ﹃唐 土 名勝 図会 ﹄な ど の仕 事 を残 し て い る が、 戯 作 と し て
は、 ﹃玉 藻 譚﹄ の他 に、 ﹃阿 也 可志 譚 ﹄ (
文 化 三年 ) があ る。 武 内
確 斉 に つい ては 、 ﹃
室 の八島 ﹄ の 二 つの序 文 の中 に、 いく ら か紹 介
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