...

南橘中だよりNo. 6

by user

on
Category: Documents
128

views

Report

Comments

Transcript

南橘中だよりNo. 6
南橘中だより No. 6
生徒スローガン
『鍛えろ南中
英知
平成27年7月8日
感動
たくましさ』
平成27年度 第52回 前橋市中学校総合体育大会が開幕しました!
7月2日(木)、第52回前橋市中学校総合体育大会の開会
式が、正田醤油スタジアムで行われました。
南橘中の入場行進は、プラカードが赤星沙和さん、校旗が
大島享也くんです。その後ろには、昨年の優勝旗を持つ男子
剣道部の立見有くん、体操部の石嶋大夢くん、新体操部の栁
井華子さんが続きます。
この日に向けて学校で何度
か練習を行いましたが、一人
一人が練習の成果を発揮し、たいへん立派な行進を見せてくれました。
23校約5千人の選手を代表しての選手宣誓は、南橘中が行いました。
選手宣誓
私は、十数年生きてきた中で、夢を実現させようと、一生懸命努力する
姿、夢を追い続けるひたむきな姿が、美しく輝いているということを学び
ました。
そして、私たちのために、多くの方が見守ってくださっていることに感
謝しています。ここまで成長させていただき、支えてくださった皆さん、
ありがとうございます。
宣誓、我々選手一同は、私たちを支え、励まし、指導してくださった全
ての方々への感謝の気持ちを胸に、仲間を信じ、自分を信じ、一戦一戦を
正々堂々、全力でプレーする事を誓います。
平成27年7月2日
前橋市立南橘中学校
バスケットボール部部長 小島大幹
陸上競技部部長
林ゆりか
三年生にとって最後となる夏の大会が、中学校生活のかけがえのない思い出となるよう願っています。
「選手のみなさん、がんばってください!」
壮行会
総合体育大会の開会式の午後、「前橋市中学校総体出場選手・吹奏楽部壮行会」が行われました。2
年生の有志を中心に約50名からなる大応援団が結成され、昼休みなどに応援練習を重ねてきました。
当日は、団長の小川友也くん率いる応援団から選手団・吹奏楽部に対し、心のこもった様々なエールが
送られました。生徒会長の大島享也くんの発案により、総体開会式で選手宣誓をした林さんと小島くん
が壇上で再び力強い選手宣誓を行いました。最後に「若い力」の大合唱が行われましたが、その声は体
育館を揺るがすほどに響き渡り、南橘中生のパワーを感じさせてくれました。参観していた学校評議員
の皆さまに、大きな感動を与えたようです。
生徒たちにとって、実り多い夏となることを願っています。保護者のみなさま、引き続き応援をよろ
しくお願いいたします。
佐藤高寛くんが特別賞を受賞! ―第37回 少年の主張前橋大会―
◎6月30日(火)13:00~17:00
前橋市総合福祉会館多目的ホール
第5号でもお知らせしたとおり、3年の佐藤高寛くんが南橘中の代表として出場しました。校内大会
のときよりさらにすばらしい発表をし、みごと「特別賞」を受賞しました。
「父と見た夢」
三年
佐藤
高寛
みなさんには夢がありますか。スポーツ選手やパイロット、歌手。様々な夢があるでしょう。私に
も夢があります。
私には野球好きの父がいました。父は高校の時、四番打者として甲子園を目指したそうですが、地
区大会の準決勝で負けてしまったと、小さい頃よく聞かされていました。そんな父の影響もあってか、
私と兄は小さい頃から野球が大好きで、野球ばかりやっていました。父もよくキャッチボールをして
くれました。
そして私は、小学校三年から本格的に野球を始め、
中学に入学しても迷わず野球部に入部しました。とこ
ろが、中学入学と時を同じくして、父が病に倒れてし
まいました。
その後父は入退院を繰り返し、私が中学一年の秋か
らは病院にいることが多くなりました。しかし父は、
体調が良い日には、外泊許可をもらい、家に帰って来
て、「俺は元気だ。」という姿を僕らに見せてくれまし
た。
そして冬。父はずっと入院したきりになってしまい
ました。父の大きかった体がどんどん細くなっていく
のを見るにつれ、何となく重大な病気なのかなとは感じました。父は、病室で私や兄の野球部での活
動の話を聞くのを一番楽しみにしてくれていました。そんなある日、父にこんな質問をされました。
「お
前の夢は何だ?」と。私は 、「甲子園のスタンドに一本放り込みたいな 。」と言いました。すると父は
にっこり笑い「じゃあ約束しよう。必ずその夢を叶えろよ。」そう言って父と私は指切りをしました。
その数週間後、部活から帰って来た私は病院に呼ばれました。そこには弱り切った父と泣いている
家族がいました。中一の私には何が起きているか分からず、ただその場に立ち尽くしていました。そ
んな私を父は手で招き、こう言いました。「お前に夢があるように、父さんにも夢があった。それはお
前と兄ちゃんにとって良い父親になることだった。これが最後だ。聞かせてくれ。父さんの夢、叶っ
たのかな?」私はやっと父が死ぬということに気づきました。「叶ったよ。だから死なないで。」私は
泣きながら父の冷たい手をギュッと握りしめました。父は最後の力を振り絞り「ありがとう。」と言い、
意識を失いました。数時間後、父は静かに息を引きとりました。父の死後、母から父の病名を聞きま
した。がんでした。
父の死から数週間、私は悲しみに明け暮れていました。野球をしていると、元気だった父を思い出
してしまい、涙があふれそうになってしまいました 。「もう野球を続けるのは無理だ。」と私は自分の
夢をあきらめようとしていました。
そんなある日、父の財布から遺書が出てきました。「たかへ。もっとたくさん試合を見に行きたかっ
たけど、今度はいつでも見守っています。だからできるだけ長く野球を続けてください。そしてお前
のホームランを天国へ届けてくれ。甲子園の空で待ってるぞ。」と書いてありました。私は父との指切
りを思い出しました。父のように、強く、優しく、大きな男になりたいと思い、立ち直ることができ
ました。
しかし、私が立ち直れたのは遺書のお陰だけではありません。私には素晴らしい仲間達がいました。
野球部の仲間は、私を心配して様々な言葉をかけてくれました。クラスメイトは落ち込んでいる私に
手紙をくれたり笑わせてくれたりしました。そんな仲間達のお陰で、夢に向かって再スタートを切る
ことができました。今まではただ何となく一緒にいるのが友達だと思っていましたが、「ただ一緒にい
る」だけでも幸せだということに気づかされました。あのとき私の周りにいてくれた人たちには感謝
してもしきれません。
私の人生の宝物は夢と仲間です。夢があるから人生は輝きます。また、どんな小さな夢でも、その
陰には仲間が必ずいることをみなさんも忘れないでください。そんな仲間たちのためにも、若くして
亡くなった父のためにも、私は夢をあきらめません。父のように強く、優しく、大きな男になり、必
ず甲子園でホームランを打ちます。
Fly UP