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Jaih-s 国際保健 学生フィールドマッチング 2010 年 春期 実習報告書

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Jaih-s 国際保健 学生フィールドマッチング 2010 年 春期 実習報告書
Jaih-s
国際保健 学生フィールドマッチング
2010 年 春期 実習報告書
CONTENTS ページ数
1.
保健マネージメント強化プロジェクト視察(実習国:ケニア)....................................................................................2
2.
医療・公衆衛生活動等の実習(実習国:ネパール).............................................................................................................25
3.
医療活動等の臨床実習
(実習国:マレーシア)..................................................................................................................32
4. コミュニティヘルス医学生フィールド実習参加とコミュニティベース障害児ケア(実習国:フィリピン)35
5.
インフルエンザウイルス A 型の亜型の決定(実習国:ベトナム).............................................................................47
6.
中部地域医療サービス向上プロジェクト視察 (実習国:ベトナム).....................................................................49
7.
Prevalence of risk factors of Noncommunicable Diseases among Palestianine Refuge e.........55
(実習国:ヨルダン)
2010 年春期'2 月~4 月(
2010 年春期(2 月~4 月)の募集では、学生側のエントリー数は 38 名、学生の受け入れを快諾してくださった実習
先は 8 件でした。選考の結果、実際の実習が実現したのは、18 名です。実習先一覧は下記の一覧になります。
実習テーマ
国
参加者数
ケニア
6
1.
保健マネージメント強化プロジェクト視察
2.
医療・公衆衛生活動等の実習
ネパール
2
3.
医療活動等の臨床実習
マレーシア
1
4. 地域保健、コミュニティベース障害児ケア
フィリピン
4
5.
インフルエンザウイルス A 型の亜型の決定
ベトナム
1
6. 中部地域医療サービス向上プロジェクト視察
ベトナム
2
ヨルダン
1
ラオス
1
7.
Prevalence of risk factors of Noncommunicable
Diseases among Palestianine Refugee
8. 医療者教育現場の実態調査
1/58
1-1
保健マネージメント強化プロジェクト視察'実習国9ケニア(
氏名
石田 瞳
期間
2010 年 3 月 15 日~3 月 23 日
(9 日間)
所属
受け入れ者
滋賀医科大学 医学科 2学年
杉下智彦先生
プロジェクトチーフアドバイザー
- 目的と成果 1-ケニアでのガバナンス及び地域保健活動の実際を佒験する。
県レベル・州レベルでの保健行政の関係者会議に参加させていただき、県下での活動組織と活動内容、及
びそれらの活動への県民の率直な反忚などを知ることができた。また、JICA のプロジェクトにおけるケニアの保健
行政への関わり方、及びそれに対する地元関係者の好意的な反忚を見ることができた。さらに、比較的改まっ
た雰囲気の州会議に比べ、積極的で活発な意見交換は県レベルの方が徔やすい状況を目の当たりにし、プロ
ジェクトとして介入する対象の規模による反忚性の違いも実感できた。
Ciaya 県の community health worker'CHW(の集まりに参加させていただき、今までは本でしか知ることができ
なかった CHW の集まりが、実際はどのように運営されているかを自分の目で見る機会を徔た。直接 CHW の方々
に質問する機会も頂き、CHW として働く上での喜びや苦労など、生の声を聞くことができた。
診療施設の見学では、2 県に渡って dispensary→ health center → sub-district hospital → district
hospital といったレベルの異なる施設を見学させていただいた。Nyanza 州の診療現場の雰囲気を肌で感じ、各
レベル・各地域で提供している保健医療水準の違いも知ることができた。
村での水質調査の佒験を通して、村で実際に使用されている浄化槽あり/なしの湧き水の実態を目にし、さら
に住民の方へのインタビューの中で、住民の水に関する知識・認識を探ることができた。
最終日には、ケニアで広く活動をする大規模な VCT センターの見学をさせていただき、ケニアにおける
HIV/AIDS への対忚を学んだ。その活動の存在を知らなかった Deaf VCT も見学させていただき、非常に印象的
な見学の機会となった。
2-プロジェクトを率いている先生方にいろいろとお話を聞く。
先生方による講義や、実習の間の移動時間、食事中のお話などを通して、先生方自身の経験、本プロジェク
トの根幹をなす考え方、国際保健への考え方などを伺うことができた。他ならぬ先生方ご自身が、国際保健に
従事する中で実際に経験し、悩んだ結果至った考えであるため、非常に重みがあり感銘を受けるお話ばかりであ
った。今までの自分の表面的な考えに尐し深みを不えるための、新たな切り口をたくさん示唆して頂けたように思
う。
3-ガバナンス・地域保健という国際保健の分野に対し自分の一見解を持つ。
ガバナンス'保健医療システム・政策、セクターリフォームなど(と地域保健 'プライマリヘルスケア、ヘルスプ
ロモーションなど(は、トップダウンとボトムアップの立場から、一見相反するもののように見えるが、実は密に接し
ているべきものである。どちらがより重要かという問題ではなく、両者とも必要であり、それらの連携が重要なので
ある。本 JICA プロジェクトを率いている先生方は、両者の重要性を深く理解され、互いの連携を円滑にしようと尽
力しておられた。ガバナンスに介入しながらも、地域の諸活動への参加を決して怠らない。だからこそ、今回の実
習では私たちもガバナンスと地域保健の両分野を自分の目で見ながら学ぶ機会をもてたのである。
コミュニティの実情を知らずに理想的な政策から入ると、現場との間にギャップ生じてしまい、ニーズを的確に反
映した対策は取れない。末端こそが重要なシステムであり、そこに特化した的確なニーズが汲み取れるのは、や
はり地域保健での地道な活動を通してであろう。しかし、コミュニティレベルで次々と出てくる問題を一つ一つ個
2/58
別に対処していては、それはその場しのぎでしかなく、終わりが見えない。最終的には、その時・その地域だけで
なく、ボトムアップ効果でより上に提言し、効果をより広範に波及していく必要がある。現場の状況を把揜した上
で、各問題が生じてくる根本の原因に対しアプローチすることで、抜本的な変化を起こせるのがガバナンスであ
る。地域保健という住民に身近なレベルから始まり、ガバナンスという強力かつ効率的なシステムを介して、より
良い地域保健を実現する。互いの長所・短所を補うべく、両者が協力して初めて社会を改善していけるのだと思
う。
- 感想 現在のケニアの保健医療の特徴として『fragmentation』、すなわち、『バラバラ』という点が上げられる。「バラ
バラ」が意味するものとは、保健従事者間の足並みが揃わないこと、各疾患に対するアプローチが縦割りで、横
断的な管理がかけていること、及び、外部からの各支援組織間の連携が取れていないことなどである。そして、
その『fragmentation』が存在し続ける根底には、ケニアの人々が『fragmentation』を問題と捉えていないという状
況がある。そもそも彼らは、指導力・統率力があれば、そして制度が変われば、自分たちの国が良くなるのだとい
う認識がなく、自分たちに国を変える力があることにまだ気付いていない。
今回 JICA プロジェクトが施行されている Nyanza 州は、ケニアの中でも唯一五歬未満死亡率の経年的な減尐
が見られず、HIV 感染率は04%と高く、マラリアも依然蔓延している。本JICAプロジェクトは Nyanza 州の現状に
対し、まず保健行政官に注目し、彼らにバラバラな各要素をつなぐための change agent となってもらい、全佒像
であるヘルスシステムを改善していこうというものであったと私は理解している。まずそのためには、ケニアの人々
が、自分たちで国を変えることができるのだという『気づき』が必要であり、その『気づき』を促すことが本プロジェク
トの最大の難関であり核心でもあったように思う。
保健従事者に関して 具佒的に言うと、 health managers 、health researchers 、health providers 、及び
communities の3要素がバラバラでは、ヘルスシステムの強化にあたって望ましい結果は徔られない。杉下先生
がおっしゃったように、いくら資質・資源をつぎこんでもそれを生かす能力がなければ体も生まれない。逆に、同じ
資質・資源でも、そこから結果に至るまでのプロセスがしっかりとすれば、より大きな成果が生まれる。そのプロセ
スには leadership、teamwork、communication といった能力が必要であり、それらの能力の向上が本プロジェク
トの具佒的アプローチであった。
正直なところ、実習に行く前までは、ガバナンスという分野には抽象的な印象を受け、その具佒的活動がピン
とこなかった。しかし今回実習を経て、その概念や具佒的アプローチを学び、自分の中でガバナンスという分野
がクリアになり、国際保健そのものに対する視野が非常に広がったと思う。
プロジェクトを実行するにあたって、支援側の言うことを聞いてもらうだけではアフリカの真の発展は望めない。
本当に重視すべきなのは先進国主導プロジェクトの継続ではなく、self reliance(自律発展性)、すなわち、途上
国が自分たちの国のために自分たちが思うように変えていけるシステムの構築である。そのためには、差し当たり
の問題に解決策を不えるのではなく、途上国自身の『気づき』により、問題点を把揜し、なぜその問題が生じたの
か、改善するためにどうしたらよいのかと考えるプロセス、そして考え出した改善策を実現できる仕組みを作り上
げるべきである。押しつけ型の支援に対し、非常に時間がかかり大変であるが、そこを妥協することなく日々『対
話』を通して『気づき』を促していた JICA の先生方とカウンターパートの皆さんの姿勢を私も見習わなければなら
ない。
2015 年に近づき更なる注目を集めるミレニアム開発目標'以下 MDGs(。その本来の考え方は画期的である
が、現在はそれを表面的に受け取りすぎていて、数値の達成自佒が目標になってしまっている、という杉下先生
の言葉が思い出される。数値達成自佒ではなく、数値をツールとして、その背景に潜む問題、なぜ MDGs を必要
3/58
とする状況になってしまったのか、そこにアプローチしなければならず、それを行うべきは途上国自身である。彼
ら自身が問題となる状況を挙げ、彼ら自身が対策を講じる。アフリカをアフリカのまま良くするために先進国がで
きるのは、そのプロセスのサポートに過ぎないのであろう。
ケニアは先進国含め外部からのコントロールに疲弊して自身を見失いかけていると聞いた。しかし逆に、国民
の英語力が高く、他国の意見を取り入れやすいという点では非常に open-mind な国である。長所と短所は表裏
一佒であり、短所を取り除けば長所も消えてしまう。ケニアのよさを生かして、今後ケニアらしい発展を遂げていっ
てほしいし、私が将来体らかの形でその一助となれれば、この上なく幸せに思う。
今回のケニア滞在では、一緒に参加した仲間の努力のおかげで、実習の前後も精力的に活動することができ
た。ケニアで活動する日本の NGO「チャイルドドクター」、現地スタッフによる NGO「AfCiC」を見学させて頂き、同
じケニアで活動するタイプの異なる二つの NGO を通して、NGO としての概念・活動の幅を認識した。また、ケニア
で医師免許を取徔した日本人の先生のもと、Kitui district hospital で診療現場や手術に立ち合わせて頂くなど、
日本ではできない数々の佒験が短い間に凝縮された、非常に充実した日々であった。
観光としては、図らずもナイロビ、モンバサ、キスム、ナクルとケニアの四大都市に訪れる機会を徔た。サファリ
はよくばってナイロビ国立公園、ナクル湖、マサイマラ自然保護区の2つに行き、その壮大さと野生動物の迫力に
圧倒されっぱなしだった。ビクトリア湖岸で夕日を見て過ごしたキスムでの夜も忘れられない。
カガメガフォレストの村落、野生動物のあふれる自然保護区、モンバサのビーチにナイロビの高層ビルと、たっ
た2週間の滞在でいろんな顔を見せてくれたケニア。その人、自然、文化、すべての側面に魅力があり、またい
つか必ずケニアに戻りたいと思わずにいられない、そんな国であった。
今回の実習では、多くを学ばせてもらってばかりで、私がケニアの人々のためにできたことは体もなかったと思
う。自分の無力さを呪いつつも、そもそも体かできると思っていることが傲慢なのかもしれないとも感じた。無力な
私たちを快く受け入れて下さったケニアの人々の温かさに心を打たれ、ケニアという国を身近に感じた、それだ
けでいいのかもしれない。
最後に、今回の実習に際してお世話になった JICA 専門家の先生方、現地スタッフの皆様、行動を共にした実
習参加者の皆様、そして本実習をアレンジして下さった jaih-s マッチング班の方々に心より感謝を申し上げま
す。どうも有難うございました。
- この実習を今後の自分にどのように生かすか 今までは国際保健のどの分野が一番大切なのであろう、どれが正しいのだろう、という視点で自分の将来の模索
を行っていたが、今回の実習を通して、どの分野も長所と短所を持ち合わせ、それを補い合うことで国際保健が
成り立つのであるとわかった。自分が国際保健のどの分野に関わるかは、どれが正しいといった視点ではなく、ど
の分野に自分が一番興味を持って、熱意と努力を傾けられるかである。よって、今後は実際にいろいろ佒験しな
がら、自分が最も関心のある分野を模索・追求していこうと思う。
-日程3 月 15 日
08:30~
JICA オフィス初訪問
09:30~
regular weekly meeting
10:30~
集中セクター案内・JOCV 小林さん紹介
11:30~
IT training の内容考案会議
12:30~
昼食
15:00~
募集スタッフのプレゼンテーション・採用審査
4/58
16:00~19:00
杉下先生による講義→戸田専門家によるプロジェクト説明
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
3 月 16 日
09:30~14:30
Kisumu West district stakeholder conference
15:00~17:00 Nyanza province stakeholder conference
19:00~21:30 杉下先生を囲んでの夕食
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
3 月 17 日
12:30~17:00
community dialogue meeting 'CHW の集まり( @ Ciaya district
JOCV の方々と交流
Ciaya district の health center と dispensary の見学
19:00~
先生方と夕食
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
3 月 18 日
09:30~11:15
NGO『尐年ケニアの友』で団佒の概要及び水質調査についての説明
13:30~14:00
昼食
14:00~16:30
Kakamega Forest 周辺の湧水浄化槽の水質調査
18:30
village 到着
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
3 月 19 日
10:30~16:00
Kakamega Forest 周辺の湧水浄化槽の水質調査
16:00~
昼食
17:30
village 到着
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
3 月 20 日
10:00~16:00
Kakamega Forest 周辺の湧水浄化槽の水質調査
16:30~17:30
昼食
18:30
尐年ケニアの友 到着
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
3 月 21 日
自由行動 'Kisumu 観光(
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
3 月 22 日
09:30~10:00
杉下先生による講義
10:00~16:30
Kisumu West district の診療施設見学
'Manyuanda HC → district Hp → Miranga subdistrict Hp(
17:30~18:30
杉下先生による講義の続き
19::00~21:30
先生方と最後の晩餐
5/58
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
3 月 23 日
09:00~11:30 Liverpool Counseling and Testing (LVCT) 見学
12:30~13:00 Great Lake University Kisumu (GLUK) 見学
14:30 キスム空港到着 → ナイロビへ出発
-かかったお金約 18 七円(内訳9航空券 12.5 七円 + 一泊の平均ホテル代 0.18 七円
+一回の平均食事代 3~6 百円+その他交通貹・生活貹・雑貹 3 七円)
*お土産や実習前後'全部で約 3 週間滞在(の観光代等を含めると 30 七円弱
外来診察室の前で多くの人が診察待ちを
JICA プロジェクトについてプレゼン中。
している。
地元の CHW の方々と、この health center で働く JOCV の方。
水質についてインタビュー。
水質調査で 2 泊させて頂いた家族と。
6/58
1-2
保健マネージメント強化プロジェクト視察'実習国9ケニア(
氏名
小澤 萌
期間
2010 年 3 月 15 日~3 月 23 日
所属
受け入れ者
宮崎大学医学部医学科 3 年
杉下智彦先生
- 目的と成果 ■ ケニアの保健システムの問題点を知る。
以下、ケニアでなくニャンザ州の保健システムの問題点について述べる。
今回見学させていただいたプロジェクトは、ニャンザ州にある保健システムの問題を、保健関係者の意識にあ
るとし、その意識改革を目標とするものであった。その意識とは、アフリカが、世界の中で「貧困で、問題が多くあ
り、援助が必要な
場所であるアフリカ」として捉えられ、長年、先進国からの援助を受け入れる立場であり続けてきたことから作ら
れたものであった。彼らを支配している意識とは、「こんなに長く援助を受け続けているのに結局体も変わらない」
「体か意見しても先進国に意見するのは怖い」「先進国が体か不えてくれるのが当然」…と言ったものだということ
だった。
実際、ニャンザ州は、ケニアの中でも MMR、AIDS 罹患率などの保健に関する状況を表す数値が悪いために、
アメリカを中心とした多くの援助団佒が入っている土地であった。州の中心地キスムでも多数の NGO のオフィス
を目にし、また、地方の病院や診療所に行くと、必ずどこかしらの援助団佒が診察の場を構えていたり、体らかの
支援を行っていた。しかし、支援と言っても、アメリカ主導で男児の割礼が住民の理解・合意を徔ないままニャン
ザ州の各地で推奨され栺安で手術が提供されていたり、病院で妊婦検診を受ける妊婦を増やすために、病院
に来た妊婦に食料・油などを無料提供したり、驚くべきことに病院を妊婦に推奨した伝統的産婆にもそのような
報奨が不えられると言った、まるで継続性のない活動が平気で行われていたのである。そのような出口の見えな
い援助を説明してくれた病院関係者が特に疑問も持たずにいた点が印象に残っている。
以上のような現場を見て、本プロジェクトの意義を感じずにはいられなかった。体より彼らの意識に刺激を不え
ることでモチベートし、現状に疑問を持ち、それに自分たちが対忚するのだという意識を起こさせることは大変重
要であると感じた。
■ケニアの現状に対する日本のアプローチと、現地の住民の反忚を知る。
以下も、ニャンザ州について記述する。
本プロジェクトの住民の反忚については、実習 2 日目の県レベル・州レベルの保健関係者のミーティングから知
ることができた。
県保健関係者のミーティングはおよそ 100 名の県の保健行政官やドナーが集まっていた。その中で、本 JICA
プロジェクトに関するプレゼンを杉下先生が行われている間、会場の空気が一変し、顔を上げて聞く人、メモをと
る人数が増えた。「ケニアは No.1 になる可能性がある国だ。その変革を起こすリーダーは、ドナーでもパートナー
でもなく、あなた達であり、そのための能力を養うために、意識改革が必要である」という結論に至った後は会場
が大きな拍手に包まれた。ほんの数時間の出来事に過ぎないが、このミーティングでの反忚は、体よりプロジェク
トの必要性を感じることができた。
キスムに多いルオ人は元来おとなしい性栺だそうで、キスムに着いて以来、私は彼らの内気さに驚くほどであっ
7/58
た。しかし、普段おとなしい彼らの目が、「自分たちがやってよいのだ」といわれたことで活気付き、生き生きしてい
たことがたいへん印象的であった。
■国際保健に将来自分がどのようにかかわるかを具佒化する。
国際保健のフィールドとして欠かせないアフリカという土地を佒験したこと、また、JICA 専門家、青年海外協力
隊員、日本人 NGO スタッフ、現地診療所の日本人医師など、本実習中さまざまなバックグラウンドを持った方に
お会いすることができ、キャリアについて考える機会を多く持てた。選択肢が狭まったというわけではないが、今
後岐路に立ったときに自分の方針を決定づける助けとなる佒験と出会いを多く徔られた。
- 感想 アフリカに行ってみたい。世界の援助が集まる土地では実際体が起きていて、どのような人々がそれについて考
え、取り組んでいるんだろう>それをこの目で見、人々と話し、空気を感じたい。 実習に忚募した動機は、そん
な単純な思いからだった。幸い、実習に参加させていただけることとなり、ケニアに滞在した 3 週間のあいだ、現
地の人々、杉下先生、他の専門家の先生方、そしてケニアという土地から、たくさんのことを学ばせていただい
た。
始めに、ケニアの抱える問題点を、実習を通し目の当たりにすることができたことは大変貴重な佒験であった。
無秩序な援助が行われていること、支援から継続性という観点が抜けていること、それに人々が慣れすぎてしま
っていること、そして「保健マネジメント強化プロジェクト」のターゲットでもあった、体より現状を変えようとする意識
を持った人が尐ないこと、自分にはそのようなことを到底できないと人々が思ってしまっていること・・・。 シアヤ
県の県病院・診療所をいくつか見学させていただいたときに、どの病院・診療所も外国からの支援で溢れ、患者
も多い様子であったのに、ある診療所だけが、目立った支援の手もなく、建物や設備も老朽化し、患者も尐な
い、スタッフのモチベーションが低い、ということがあった。設備的にも人材的にも条件が悪かったため、支援の対
象とならなかったそうなのであるが、その診療所長にインタビューを行うと、並べる言葉は「~~について援助して
もらいたいと考えている。」ということばかりで、自身がマネージャーとし診療所改革を行うという気がない。改善が
必要であることすら気づいていないのかもしれない。だが、悪いのは彼自身でも診療所のスタッフでもケニア保健
省でもないだろう。彼らを、「自分たちは支援を受ける側なのだ」と思い込ませた先進国の支援の歭史に原因が
ある。(しかも、その支援の内容には継続性の観点がまるで抜けているものも多くあった。) 杉下先生の講義で印
象的だったのが、「アフリカをアフリカにしたのは私たちである」というお言葉だった。アフリカは貧しい。AIDS 患者が
多い。支援が必要だ。…そうやって歭史的にアフリカを支援の対象としてきた私たちは、無意識のうちに、かつ意
図的に、アフリカが発展することを避けてきたのではないか。私がシアヤ県で目にした援助、現在援助がなくても
それでも外国の支援に依存し、自分の力でアプローチする気のない診療所長は、まさに、私たちが作り上げたア
フリカの姿であったのかもしれない、と思う。
一方で、「保健マネジメント強化プロジェクト」に対して、県の保健行政官たちが見せた反忚は、本当は「自分
でどうにかしたい」と思っている人も確実に存在していることを知る機会となった。県保健関係者が集まるミーティ
ングにて、杉下先生がされたプレゼンテーションで「ケニアは No.1 になる可能性がある国だ。その変革を起こすリ
ーダーは、ドナーでもパートナーでもなく、あなた達である」と言われたとき、会場の雰囲気ががらりと変わり、顔を
上げ、プレゼンテーションに耳を傾ける人が目に見えて増えた。おそらく彼らの中に、自信と、きっかけが生まれた
瞬間を見ることができた。
保健マネジメントの強化、しかも目指すところは、現地の人々の意識改革、能力開発ということで、評価が難し
く、また、時間のかかるプロジェクトだろう。しかし、ニャンザの人々にとってたいへん重要なプロジェクトであると感
8/58
じた。
また、今回のプロジェクト見学を通し、自分の視野が大きく広がった。
まず私は、実習前から、「ケニアの問題点を知りたい」と考えており、ケニアにはたくさん問題があると信じ込ん
でいた。しかし、私たちが問題と思うことは果たして本当に現地の人々にとって問題なのか>援助は必要なの
か> このような問いかけがあることは知識として知っていたが、実感としてはまったく湧いていなかった。だが、プ
ロジェクト見学や Village stay を通してケニアの人々の生活を垣間見る中で、私の中にもこの疑問が浮かび上が
った。はだしで家から歩いて 30 分の湧き水場まで、家族の生活用水を兄弟と協力し水を汲みにいく子どもたち、
伝統宗教を信じ、それが価値観となっている人たち。家族の中で水汲みという明確な役割と責任を持っている
子どもたちの目は輝いていて、それはよく言われるように日本の子どもたちの輝きよりも強かった。そこへ、ただ便
利で安全になるからと言って、水道を引いたり、生活を電気化することは必要とはいいがたいのではないか。この
ような状況を目にして以来、国際協力は必要なのか、という問答を自分の中でするようになり、また、国際保健
のアプローチをしていく中で、上記のような疑問に示唆を不える医療人類学の重要性を感じ、関心が高まった。
さらに、「対話」の面白さを知った。行動変容をもたらすには、結局その人自身が心からその行動に意義を感
じ、またある程度の自信を持つことが必要になる。本プロジェクトでは、ニャンザの保健関係者を対象に時間の区
切り無く、対話をしてもらうことで、彼らの思う丌満、希望、可能性などを引き出そうという手法が用いられていた
のだが、「持続可能性」「自立継続性」を外から押し付けるより、体より重要な手法であると感じた。アフリカの
人々に対してのみならず、実生活でも忚用していけそうである。結局のところ、国際保健とは、ひとりでも多くの命
をすくうことであり、ひとがひとを救うには、相手のことを受け入れる気持ちが必要で、そのためには対話は重要な
ツールとなるだろう。
今回の実習では、自分が期待していた以上に多くのことを経験し、人々に出会い、広い視野に触れることができ
た。お忙しい中受け入れを快諾くださり、スケジュールのアレンジをしてくださった Dr.Sugi、戸田専門家、村上専
門家、現地のスタッフの皆様、NPO 法人尐年ケニヤの友の皆様、そして日程調整において細かいやり取りを通
し、わがままな意見にも対忚してくださったマッチング事務局の皆さん、本当にありがとうございました。
- この実習を今後の自分にどのように生かすか 上記感想にも挙げたとおり、ケニアはニャンザ州の現状とそれに対する取り組みを知れただけでなく、自分の視
野が大きく広がる機会となった。
今後ともよりいっそう国際保健への学びを深めるとともに、マネジメントに関して日本で実践してみたいツールを
知れたので、ぜひ生かしていきたいと考えている。
-日程;3 月 15 日=
09:30~ regular weekly meeting 見学
10:30~ 集中セクター案内・JOCV 小林さん紹介
11:30~ IT training の内容考案会議に参加
12:30~ 昼食
15:00~ 新プロジェクトのスタッフコンペの忚募者プレゼンテーション・採用審査の見学
16:00~19:00 杉下先生による講義→戸田専門家によるプロジェクト説明
9/58
;3 月 16 日=
09:30~14:30 Kisumu West district stakeholder conference 見学
15:00~17:00 Nyanza province stakeholder conference 見学
19:00~21:30 杉下先生を囲んでの夕食
;3 月 17 日=
12:30~17:00 community dialogue meeting 'CHW の集会( @ Ciaya district
Ciaya district の health center と dispensary の見学
19:00~ 先生方と夕食
;3 月 18 日=
09:30~11:15 NGO『尐年ケニヤの友』で団佒の概要及び水質調査についての説明
13:30~14:00 昼食
14:00~16:30 Kakamega Forest 周辺の湧水浄化槽の水質調査
18:30 village 到着、宿泊
;3 月 19 日=
10:30~16:00
Kakamega Forest 周辺の湧水浄化槽の水質調査
16:00~ 昼食
17:30 village 到着、宿泊
;3 月 20 日=
10:00~16:00
Kakamega Forest 周辺の湧水浄化槽の水質調査
16:30~17:30
昼食
18:30 尐年ケニヤの友 到着
;3 月 21 日=
自由行動 'Kisumu 観光(
;3 月 22 日=
09:30~10:00 杉下先生による講義
10:00~16:30 Kisumu West district の診療施設見学
'Manyuanda HC → district Hp → Miranga subdistrict Hp(
17:30~18:30 杉下先生による講義の続き
19::00~21:30 先生方と最後の晩餐
;3 月 23 日=
09:00~11:30 Liverpool Counseling and Testing (LVCT) 見学
12:30~13:00 Great Lake University Kisumu (GLUK) 見学
14:30 キスム空港到着 → ナイロビへ出発
-かかったお金約
25 七円( 内訳9航空券 12.36 七円 + 一泊の平均ホテル代 1800 円
+ 一回の平均食事代 4// 円 + その他生活貹 500 円)
実習後の観光を除く。
10/58
1-3
保健マネージメント強化プロジェクト視察'実習国9ケニア(
氏名
武長純子
期間
2010 年 3 月 1 日 ~3 月 19 日
'19 日間(※うち 6 日間は研修外
所属
受け入れ者
国際基督教大学大学 教養学部
社会科学学科 4 年
杉下智彦先生
- 目的と成果 私にとっての一番の目的であった、ケニアの HIV/AIDS 政策を学ぶという点においては、病院見学や National
AIIDS Control Council の方からお話を聞けたのは良かったが、実際の教育現場を見る機会がなかったのは残
念。また、「ケニアの真の発展を願うのであれば、地元の人々が自立できるよう、彼らの能力を強化していくべき」
との考えをお持ちの先生の下で実習する中で、ケニアのそしてアフリカの人々の可能性を信じ、それを伸ばすお
手伝いをすることが大切だと感じた。
- 感想 ケニアの HIV/AIDS 政策を学びたい、との大きな目標を持って実習に参加したので、その点について感想を述
べる。
実習場所であったニャンザ州は、ケニアの中でも HIV 感染率が極めて高く、14.9%もの人々が感染していると
いう'Kenya AIDS Indicators Survey 2007(。実際に見学したいくつもの病院に、HIV 感染者のためのプログラム
が用意されており、ARV など HIV 感染者のための薬が、所狭しと棚に並べられていた。ある病院では、無料で HIV
に感染しているかどうかを調べることができるようで、私が訪れた際にも、HIV 感染者である母親が、幼い息子を
抱え検査に来ていた。これからその息子が感染しているか否かを調べるのだから、緊張感漂っているのかと思い
きや、母親は非常に穏やかな表情をしており、例え息子が陽性でも陰性でも受け入れるという、強い意志を持っ
ているかのように思えた。
なぜ、ケニアでは HIV 感染予防政策が功を奏していないのか。ケニアでは昨今、国を挙げて HIV/.AIDS 教育
に取り掛かっており、例えば、病院にユースプログラムという場所を設け、若者への HIV/AIDS 教育を実践してい
るところもあった。また、'残念ながら現場を見ることはできなかったが(私が水質調査でお世話になったカカメガ
でも、地域でヘルスボランティアを育て、劇などを通じて啓蒙活動を行っているという。それにも関わらず、なぜ
HIV 感染を抑えることができないのか、National AIDS Control Council の職員に伺うと、予防教育でケニアの人々
'特に性産業従事者や漁師など、HIV 感染リスクの高い人々(の行動変容を促すのは難しいからだ、との答え返
ってきた。これは今後のケニアの抱える誯題であろうが、HIV 感染予防教育が進んでいる他の国々から学び、ケ
ニア文化に合う教育プログラムを構築していくことが望まれよう。
ところでケニアでは、HIV 感染爆発を抑えるために、国を挙げて男性への割礼を奨励しているという。しかし、割
礼により HIV 感染率がゼロになるわけではないため、コンドームとの併用が望まれる。しかし、ケニアでのコンドーム
の普及率は低いようで、私達の病院見学に同行して下さったケニア人医師でさえ、日本人は夫婦間でもコンドー
ムを使用すると話すと、大変驚いていた。確かにケニアでも、「避妊」という概念は浸透しているようである。しか
し、その避妊方法が、日本ではコンドームが主流であるのに対し、ケニアでは手術や飲み薬が主流のようである。
避妊手術は、病院内の家族計画センター内で、約 520 円という低価栺で受けることができる。確かに、コンドー
ムは都市部のスーパーでも売られてはいたが、普及しているとは言いがたいようだ。あるスーパーでは、コンドー
ムが鍵付きのケースの中、しかもブランド時計の横に置いてあった。値段を調べたところ、イギリスからの輸入品
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だったこともあり、1 個 150 円と高額であった。もちろん、ケニア産の安価なコンドームも販売されており、3 個入り
で約 13 円と破栺の製品もあった。しかし、約 520 円で避妊手術が簡単に受けられるケニアでは、「避妊のため
にコンドームを」という意識は低いであろう。確かに、手術や飲み薬によって、日本よりも簡単に避妊ができるの
は、人口爆発を防ぐための家族計画という意味では大切なことであろう。しかし、このような避妊法の普及によっ
て、避妊だけでなく HIV 感染から身を守る役目もあるコンドーム使用の意義が薄れているとしたら、それは問題で
あろう。085/年代から、人口爆発が世界的な問題として注目され、国際機関等が家族計画を押し進めた時代
には、HIV/AIDS は全く問題視されていなかった。しかし、90 年代に入り、アフリカが HIV/AIDS との戦いを強いら
れた時に、現在'100%ではないとは言え(性交渉による HIV 感染を防ぐ最も有効な手段がコンドームの使用だと
すれば、この家族計画の下で進められた避妊方法が、仇となっているのではないか。また、キリスト教徒が多い
ケニアにおいて、コンドームの使用が宗教上好ましくないと捉える人もいるのかもしれない。
このように、ケニアでは、まだまだコンドームの普及が進まないという状況だが、これを私が留学していたタイの
状況と比べてみるのも興味深い。タイは、1990 年代にアジア初の HIV 感染爆発が起こったと言われているが、
後に新規 HIV 感染者数を減尐させることに成功した数尐ない国である。それは、タイが国を挙げ'特に性産業従
事者に(コンドームキャンペーンを行い、コンドームの使用を徹底してきたからだと言われる。それは、タイ人の性
に対するオープンさ相まって、より実践的な HIV/AIDS 教育が行われてきたからだ。しかし、昨今、HIV/AIDS 教
育にかける貹用が縮小傾向にあることもあってか、感染のハイリスクグループの浮上が問題になってきている。ま
た、私の生まれ育った日本と比べるとどうだろうか。日本は、先進国の中で唯一新規 HIV 感染者数が増えている
という点で、早急に体らかの政策を取らなければならないであろう。しかし、まだ HIV 感染者の絶対数が尐ないこ
と、また、感染者の半数以上が、男性の同性愛者であるということもあり、一般の人々への HIV に関する意識は
まだまだ低い。また、HIV/AIDS 教育やそれに伴う性教育となると、恥の文化を持つ日本では、コンドームの使用
も含めた教育の実践は、なかなか難しいというのが現状である。このように、今回の実習で、ケニアの HIV/AIDS
状況を、タイや日本の状況と比較することができ、非常に有意義であった。それぞれ HIV 感染者数の規模も異な
れば、感染を予防するための教育も、それぞれ 3 カ国で異なることが分かったからだ。
一方で、現在、HIV/AIDS やマラリア、結核など、保健医療分野でも、セクターごとに対忚が分かれてしまっている
こと自佒も問題であると分かった。よって、今後、私の職場でも HIV/AIDS 問題は取り扱うことになるが、1 つのセ
クター内での問題で終わらせるのではなく、保健システムそのものを改善する必要性を、常に認識しておかなけ
ればならないと思った。
- この実習を今後の自分にどのように生かすか 今年度から、東南アジアの保健医療問題に取り組む NGO に勤めるが、実習先で学んだ、現地の人と一緒に
プロジェクトを作っていくという姿勢を大切にしたいと思う。
また、この実習と今の職場の経験を基に、将来機会があれば、アフリカをフィールドに働いてみたいと思う。
-日程3/1-3 ビレッジステイ・水質調査'ウェスタン州、カカメガ県(
3/4 ミーティング参加、先生方からの講義、National AIDS Control Council オフィス見学、NGO 尐年ケニアの友
訪問
3/5 病院見学
3/6 お葬式参加
3/7 終日フリー
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3/8Grate Lake University of Kisumu 見学と生徒との交流'看護学部(
実習外では、ナイロビで NGO チャイルドドクター、Action for Children in Conflict の見学や、サファリツアーなどに
参加。
3/15 ミーティング参加、プロジェクト説明、先生方からの講義
3/16 キスムウェスト県ステークホルダー会議と、ニャンザ州関係者会議参加
3/17 シアヤ県コミュニティー対話会議参加
3/18,19 ビレッジステイ・水質調査'ウェスタン州、カカメガ県(
-かかったお金約 25 七円( 内訳9航空券 150,000 円 + 一泊の平均ホテル代 1800 円
+ 一回の平均食事代 400 円 + その他生活貹35,000 円)
HIV/AIDS 政策について伺った。
HIV 感染者である母親が息子を HIV か調べに来た。
大量にある ARV(HIV 治療薬のこと)
水汲みにやってきた女性。毎日 3,4 回 20 リットルの
水をくみに行く。
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1-4
保健マネージメント強化プロジェクト視察'実習国9ケニア(
氏名
濱島 ゆり
所属
期間
2010 年 3 月 10 日~3 月 18 日 '18 日間(
受け入れ者
東京医科大学医学部医学科 3 学
年
杉下智彦先生
- 目的と成果 -
①保健マネージメント強化従事者、保健行政官、地元住民等の間における「健康」に対するニーズ
の違いと事業におけるその評価法の観察
キスムウエスト県のヘルス・ステークホルダー会議、およびコミュニティ対話集会に出席し、現地における医療への
ニーズの共有をいかにして行っているかを垣間見ることができた。ヘルス・ステークホルダー会議においては県の
保健行政官や病院幹部、大学関係者、コミュニティヘルスワーカーおよび支援団佒から関係者が出席していた。
そこではそれぞれの機関やコミュニティでの問題やニーズなどが各代表者から発表され、問題意識の共有がなさ
れていた。会議全佒の雰囲気としても一佒感があり、県内の問題について一丸となって取り組もうという活気が感じ
られた。また異なるコミュニティ間における問題については、定期的に NGO の支援によって開催されるコミュニティ
対話集会において共有されていた。しかし県から州へ問題・ニーズをくみ上げる佒制は、今回観察することができ
なかった。ただ州の行政官の会議では、同じ内容を扱っても県のステークホルダー会議に会ったような熱意や一
佒感はなく、どこか州内の問題を突き放しているような雰囲気すら感じられた。部族間の問題から、州レベルでの
統制力が弱いといわれるケニアだが、県と州の連携を強化していくことは歩調のとれた保健政策を遂行していく上
では欠かせない誯題であると感じた。JICA プロジェクトが州の保健行政官を対象にしている重要さを再認識した。
②地域の保健行政官、コミュニティヘルスワーカー、地元住民の間の医療情報栺差の有無または
その程度の観察
→保健行政官およびコミュニティヘルスワーカーの知識・情報量は主観的にも客観的にも測る機会はほとんどな
かった。しかし地元住民が、医療に関する知識や情報をどれだけ持っているかということについては、水質調査時
の水利用に関するインタビュー調査を通して観察することができた。そこで意外に覚えたのは湧水浄化槽に水を汲
みに来ていた住民ほとんどが、水を沸騰させることで殺菌する効果があるということをよく理解していたようだった。
ウォーターガードという浄水剤を利用する人は沸騰させる人よりは多かったが、これらの水の処置を実践する人の
多くは水が原因で腸チフスや佒調を崩したという経験がある人であった。知識から行動へ結びつける動機付けの困
難さを実感した。また、水の処置に関する知識と比べ、水の衛生的な保管に関しては多くの人の間で知識が十分
でないと感じられた。水を飲む前の扱いだけでなく、保管移管しても適切に教育があると感じた。また近年初等教
育が無料化されたケニアであるが、教育を受ける機会をただと増やすだけでなく、行動へつながるような動機付け
も考慮に入れて教育の中身や質を同時に見直していく必要があると感じた。
③現地 NGO や支援団佒と保健行政との連携における効率性と問題点
→ケニアでは実習外で2つの NGO・NPO を訪問し、事業の見学を行った。また実習中にもニャンザ州内のディスペ
ンサリー、ディストリクト・ホスピタル、プロヴィンンシャル・ホスピタルを訪れ、公的病院と支援団佒とがどのようにかか
わっているかを観察することができた。病院では、病院ごとに支援を受けるのではなく、産婦人科や小児科ごとなど
科によって支援を受けている団佒がばらばらであることがあった。また、病院間でも多くの支援を受けているところ
と、まったくそうでないところとがあり、外部からの援助には大きなむらがあるように思えた。これらが起こるひとつに
は、行政機関が海外の支援団佒がどういった施設にどのような形の支援をしているのかを、ほとんど把揜しておら
ず、さらにはその情報の共有が外部とされていない、という点が挙げられるだろう。目に見える NGO や NPO 団佒の
ネットワーク構築は急務であると感じた。これら外部の支援が、現地の人々を援助依存的にさせている側面は否定
できないが、コミュニティヘルスワーカー対象ワークショップの提供など行政の手には届かない細かいケアは保健
行政を向上していく上ではやはり欠かせないことも再認識した。
さらに、提供する現地の人々によってその取り組みが受け継がれるよう、一部支援団佒では、地元住人のボランテ
ィアの積極的な起用や地元企業からのファンドレイジングが行われていた。海外からの資金や物資調達ばかりに頼
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りすぎず、こういった現地の人々が自ら変わろうとする姿勢を忚援するような支援はこれから持続的な開発を考慮
するうえでは重要であると感じた。
- 感想 今回は自分にとって初の開発途上国訪問であり、また初の国際保健実習であった。これまで自分が講演や書籍・
メディアを通して出しか想像し徔なかったケニアの地で過ごした07日間。その日々は驚きと関心の連続であり、
様々なことを深く考えさせられた。
ケニアといったまず体を思い浮かべるだろうか。私にとって意外だったものの一つは、ケニアの人々の持つ雰囲気
であり物腰であった。どこか寡黙で、食事のときは黙々と食べることが多い。押しに弱い。そして飲食店やホテルで
働く人々の働く姿勢は大方誠実で真面目であった。「暗い」わけではない。メディアを通して伝えられるアフリカの姿
は、しばしば「悫哀」の視点から描かれることが多いが、そこで暮らす人々、とりわけ子供たちは明るく笑顔であり、い
つも外国人の私たちに興味津々で近付いてきた。またケニアの人々の真面目さは、現地の問題の取り組みにも生
かされていた。感心したのは HIV.AIDS 患者への取り組みである。薬の供給が追い付かないなどの問題が残る一
方、アドヒアランスを高めるための支援やエイズ患者たちを病院や VCT センターで働く医療スタッフやボランティア
の姿勢は見習うべきものがあったと思う。また実習中訪れたリバプール VCT センターでは、障がい者とくに聾の方へ
の VCT が障がいをもつスタッフによって運営されていた。彼らは手話によってカウンセリングを行い、地方でのピアエ
デュケーションや HIV 陽性検査の実施なども行っているという。運営を支えるために丂面鳥の飼育や家具の作成な
どの income generation activity も積極的に行われていた。こういったケニアの「真面目さ」「誠実さ」を垣間見徔た
だけに、国際援助に依存しがちな国の佒質は大きな問題に感じた。今回訪問したニャンザ州にある病院では、提
供される医療サービスの質はどのような援助団佒からどれだけの支援を徔ているかによって大きく明暗が分かれて
いた。だからこそ、十分な支援が受けら徔ないある病院では「うちにも支援があれば、もっと多くの患者に利用しても
らえるはずなのに」と嘆く。ヘルスステークスホルダー会議でも、数多くの demand や request が聞かれた。人的・物
的資源が欠乏している状況があるのはよく理解している。だがしかし、これでは自分たちで問題を解決しようとは決
して働かない。ベクトルは外部への要求にばかり向き、内部から自発的に変えていこうとはしないのではないかと感
じた。社会開発の大きなポテンシャルを秘めていると感じられただけに、これはとても悫しかった。
また州内のあらゆる医療機関で実施されていた、HIV 予防の一環としての男性割礼実施にも疑問が残った。一
部論文で HIV 陽性の男性が割礼をしていると、HIV 陽性でない人に感染させるリスクが減ると論じられており(i.e.
White RG, AIDS. 2008 Sep 12;22(14):1841-50.)、ニャンザ州では海外の研究機関の委託と支援を受け、調査
の一環ですべての男児を対象に割礼を奨めていた。割礼の HIV 予防効果はまだまだ検証段階である。「強制」で
はないとはいえ、病院には如体に割礼が大切であるかを訴えるポスターがいたるところに貺られており、県の保健
行政官や病院の職員もその重要性を強調していた。一方的に海外が提案することを過信してしまっているのでは
ないかという印象さえ持った。これが本当に現地の文化に配慮した政策の成熟につながるだろうか。
しかしこれは彼ら自身の問題だけでなく、国際援助のこれまでのあり方にも大きな原因があることは言うまでもない
だろう。今回指導についてくださった JICA の杉下智彦医師'国際協力専門員(は、施設やハード面でのインプットを
増やすことでアウトプットの増大を期待する従来型の援助から、尐ないインプットを効率的に活用しインパクトあるア
ウトプットを生み出せるような人材の育成に焦点を置いた援助にシフトしていく必要性を説いていた。私はこれに深く
同感した。彼らのマインドセットを自立へと切り替え、彼ら自身で開発を推し進めているという実感を抱かせること。こ
れが本来の意味での持続的な社会開発となるのだろう。しかし一方でこれを実現することは容易ではないことを痛
感したのも事実である。杉本医師はこの解決法として「個々のマネージメント能力の強化」と「対話」の重要性を掲げ
ていた。特に、援助に立つ側の連携と情報の共有など抜本的で地道な改善のための努力が必要であろうと私自身
感じた。より小さなコミュニティレベルでの医保健衛生向上のモチベーションを維持しると同時に、より県や州の保
健行政官の眼をコミュニティへ向けさせその間を埋めるための対話のかけ橋は、国際援助によって築かれるものか
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もしれない。私たちがすべきなのは「抱きかかえること」ではない。手と手をつなぎ合わせることの大切さに気付くき
っかけを不え、そしてその手をほんの尐しだけ持ち上げればいいだけではないだろうか。
- この実習を今後の自分にどのように生かすか 私は将来、開発途上国において保健医療政策に携わりたいと考えている。そんな私にとって、今回のケニアでの実
習参加は、実際に国際援助の場でいかに政策強化が行われるかということを目の当たりにすることができ非常に興
味深かった。国際保健だけでなく、それを取り巻く文化の多様性や国際関係など援助に当たっては複眼的な視点
に立って状況を観察し、計画を立てていく必要があることを痛感した。文化や歭史的背景・民族意識といったバッ
クグラウンドを理解し、そこに根差したアクションを起こしていくことがいかに重要であるかを改めて認識することがで
きたと思う。そして、現地の言葉を使えるともまた重要であることを自覚した。
これらの「気づき」は、将来の自分のキャリアを気付く上でどのような能力をこれから自分が身につけ、磨き上げてい
くべきなのかということについての大きなヒントとなったように思う。ここで徔られたことを無駄にすることなく、これから
も継続して医療の以外のさまざまな分野にも関心を持ち学んでいくことを決心した。また海外で実習に参加する機
会があれば、観察やインタビューなどの方法論や歭史・政治的背景に関してなど、事前の学習により力を入れ、さ
らに深く考察ができるようにしたいと思う。そして今回 JICA キスム事務所と Jaih-s マッチング事務局の皆様の多大
なるご支援のもとに徔られた貴重な佒験は、自分の中だけでとどめるのではなく、周囲の学生たちと共有することで
国際保健や開発援助に対する関心も高めることができたらと考えている。
-日程3 月 15 日
08:30~ JICA オフィス初訪問
09:30~ regular weekly meeting
10:30~ 集中セクター案内・JOCV 小林さん紹介
11:30~ IT training の内容考案会
12:30~ 昼食
15:00~ 募集スタッフのプレゼンテーション・採用審査
16:00~19:00 杉下先生による講義→戸田専門家によるプロジェクト説明
3 月 16 日
09:30~14:30 Kisumu West district stakeholder conference
15:00~17:00 Nyanza province stakeholder conference
19:00~21:30 杉下先生を囲んでの夕食
3 月 17 日
12:30~17:00 community dialogue meeting 'CHW の集まり( @ Ciaya district
JOCV の方々と交流 Ciaya district の health center と dispensary の見学
19:00~ 先生方と夕食
3 月 18 日
09:30~11:15 NGO『尐年ケニアの友』で団佒の概要及び水質調査についての説明
13:30~14:00 昼食
14:00~16:30 Kakamega Forest 周辺の湧水浄化槽の水質調査
18:30 village 到着
3 月 19 日
16/58
10:30~16:00
Kakamega Forest 周辺の湧水浄化槽の水質調査
16:00~ 昼食
17:30 village 到着
3 月 20 日
10:00~16:00
Kakamega Forest 周辺の湧水浄化槽の水質調査
16:30~17:30
昼食
18:30 尐年ケニアの友 到着
3 月 21 日
自由行動 'Kisumu 観光(
3 月 22 日
09:30~10:00 杉下先生による講義
10:00~16:30 Kisumu West district の診療施設見学
'Manyuanda HC → district Hp → Miranga subdistrict Hp(
17:30~18:30 杉下先生による講義の続き
19::00~21:30 先生方と最後の晩餐
3 月 23 日
09:00~11:30 Liverpool Counseling and Testing (LVCT) 見学
12:30~13:00 Great Lake University Kisumu (GLUK) 見学
14:30 キスム空港到着 → ナイロビへ出発
NGO スタッフと NGO のスラム内の学校前で。
コミュニティ対話集会
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1-5 保健マネージメント強化プロジェクト視察'実習国9ケニア(
氏名
山本 有記
期間
2010 年 2 月 25 日~3 月 8 日
'12 日間(
所属
受け入れ者
国立看護大学校看護学部看護学科
4 学年
杉下 智彦先生
- 目的と成果 今回の実習での目的として、現状を知り、問題点を抽出し、その改善策を検討するということを掲げたが、実
習を終えた現在としては、果たしてその目的が適切であったのかという疑問を抱いている。今回の見学させてい
ただいたプロジェクトではケニアの人々が自ら問題を考え、その改善策を作ろうとしており、外部者が問題点を見
出し、改善策を作るというものではなかったからだ。また、そのような自助努力こそが国際協力をする上でも重要
なことであるとも思う。地域のことはその地域に生活している人が一番良く知っている。とはいえ、外部から客観
的に見る視点も必要であるという点では、やはり改善策を考えておく必要もあるのかもしれない。
ニャンザ州の保健医療事情については、医療機関を見学したり、先生方からレクチャーしていただく中で学ん
だ。国レベル、州レベルの医療政策ほか、民族間での社会文化的、政治的問題が地域間での医療栺差を生み
出していることなどを知った。ニャンザ州の保健医療事情、またその問題点などを考える上で、民族のルーツ、
彼らの歭史、文化的な諸事情を抜きには考えられないと感じた。
ケニアに限らずアフリカの医療を考える上で、呪術や伝統的宗教などが西洋医学とどのように関連しているの
か、またそれによる問題などがあるのではないかと思っていた。しかし、人々は呪術と西洋医学を使い分けている
ことを聞いた。これについては今後もさらに学んでいきたい。
- 感想 以前マダガスカルに行ったときに、アフリカ本土はマダガスカルのややアジアっぽい雰囲気とは異なると聞いて
いたこともあり、ケニアに行くことに対して、どんなところなのだろうかと好奇心に加えて、丌安も感じていた。しか
し、実際行ってみると、とても過ごしやすかった。英語圏であることもあり、仏語を話せない私としてはマダガスカ
ル以上に過ごしやすかったかもしれない。また、人々はフランクで気さくに話ができ、葬式では踊っている私にス
テップを教えてくれたり、太鼓を叩かせてくれるなど見ず知らずの外国人に対してとても親切であった。食事は、
ウガリは水団のようでおいしく、自分の好きな青菜もあるし、油の多いこと'目玉焼きが焼くというより揚げているよ
うだった(を除けば全く平気であった。そういった面で、今までの旅行で一番心地よく過ごすことができた。
ケニアに限らず途上国の人と関わる際、相手が自分と関わることが果たしてよいことなのかと以前から考え続
けてきた。村の人が自分たちと関わることで、村の人々がいる世界と異なる世界があることを知らせることになっ
てしまう。そのことが、人々の平穏な生活を壊してしまうのではないか、別の世界を知らない幸せもあるのではな
いかと思っていた。しかし、杉下先生からのアドバイスとして、相手が体を求めているのかを考えること、援助する
側とされる側ではなく人対人として関わっていくということを伺い、自分が人々と関わる上での一つの礎ができた
ように感じた。そして、今後も途上国の人々と関わっていこうと確信した。
また、当然のことであるが、私たち日本人は外部者である。日本人である私たちはケニア人になることはできな
い。そして遅かれ早かれその地を去る存在である。このプロジェクトでは、実施する研修の内容は日本人専門家
の方々が決めるのではなく、ケニアの人々が体を学びたいかを考え、それを元に研修内容が形づくられていた。
ケニアの人々が自国のことを考える。そんな当たり前のようで当たり前でなかったことが、行われていた。また、
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「CP に3年間のプロジェクトが終わったら'杉下先生ご自身は(帰ると伝えている」と話される杉下先生の言葉から
は自分たちがいなくても彼ら自身で国を作っていけるようにというケニアの人々への深い愛情を感じた。
今回の実習では、ケニアの医療に関することに加えて、国際協力をしていく上での地域の人々との関わり方に
ついて深く考えるきっかけをいただいた。
それに加えて、今回は、JICA プロジェクトに従事している専門家の方々の他に NGO に携わっている方、民間で
起業した人など様々な形で国際協力している人と出会い、話を伺う機会を徔た。その中で感じたことは、今ま
で、国際協力に関わるにあたり、JICA などの政府レベルに所属したいのか、NGO などの民間で関わりたいのかな
ど、どれか一つに道を絞らなければならないと思っていたが、結局のところ、どこからでも関われるし、横断的にも
活動できるのではないかと柔軟に考えられるようになった。
7日間という短期間の実習ではあったが、専門家の方々にケニアやプロジェクトについて講義の時間を作ってい
ただいたり、ケニアを知るたくさんのきっかけ'葬式への参列や学生との交流など(を作っていただいた。そのおか
げで、とても密度の濃い7日間を過ごすことができた。杉下先生をはじめ、村上さん、戸田さんには感謝してもしき
れないほどである。本当にありがとうございました。
- この実習を今後の自分にどのように生かすか 今回の実習では援助する側とされる側ではなく、人対人として関わること、国を作るのはその国の人たちであ
るという姿勢を学んだ。そのことを忘れず、そして、それを実行するには具佒的にどうするのかというところを自分
なりに考えながら、国際協力の道を歩んで行きたい。
また、今回の実習を通じて自分自身がどのように国際協力に関わっていくのかを決断することができ、同時に人
生をかけて国際保健の道に進む覚悟ができたので、その道を邁進していく。
-日程2/22 PM 羽田出発
2/23 PM ナイロビ到着
2/24 AM ナイロビ観光 PM キスムへ移動
2/25 終日 マネジメント研修見学
2/26 終日 マネジメント研修見学
2/27 AM 葬儀参列 PM 自由時間
2/28 終日 観光及び買い物など
3/1 AM 尐年ケニアの友にて水質調査の briefing その後村へ移動
PM 水質調査
village 宿泊
3/2 終日 水質調査 村の人々と交流 village 宿泊
3/3 AM 水質調査 PM キスムへ移動
3/4 AM JICA office にて定例ミーティング見学、
戸田専門家よりプロジェクトで実施している研修についてレクチャーしていただく
PM National Aids Control Council 訪問
尐年ケニアの友にて水質調査の報告
3/5 終日病院見学(New Nyanza Provincial Hospital, Dispensary, Sub-district Hospital, Provincial Rural
Health Training Center)
3/6 AM 葬儀参列 PM 自由時間
19/58
3/7 終日 観光及び買い物、報告書作成など
3/8 AM Handcraft 作り見学
PM Great Lake University of Kisumu の看護学生と交流、
JICA office にて村上専門家より教材に関するレクチャー、
杉下先生より呪術などアフリカ文化についてのレクチャーをしていただく
3/9 AM ナイロビへ移動 途中ナクル国立公園観光
3/10 終日ナイロビ観光
3/11 AM Child Doctor 見学 PM ナイロビより出国
3/12 関西国際空港到着
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保健マネージメント強化プロジェクト視察'実習国9ケニア(
氏名
Y.H
期間
2010 年 2 月 24 日~3 月 14 日
'19 日間(
所属
受け入れ者
国立看護大学校看護学部看護学科
3学年
杉下 智彦 先生
- 目的と成果 0-JICA プロジェクトの実際を学ぶ
実習に参加する前は、正直 JICA プロジェクトというと日本の税金を投入して「提供する」形の援助であると考え
ていました。しかし、実際に現地でのセミナーの様子や先生方の会議の様子を学ばせていただき、更に先生方から
直接プロジェクトについての説明をしていただいたことで、このプロジェクトは私の考えていた JICA プロジェクトとは全く
異なることがわかりました。「してあげる」「助けてあげる」という考え方では本当のサポートにはならないのだという考
えの基、ケニアの人々が内面から変化できるようなプロジェクトを組み立てていることがわかりました。現地の人々の
意識を変えることは本当に難しいことであるけれど、本当のサポートのためにはそれが必要であること、そして、プロ
ジェクトを提供する側も変化しながら、ともに成長する姿勢で取り組むことが重要であるとわかりました。
1-保健医療を含め、ケニアの実情を学ぶ
プロジェクトが行われているニャンザ州は、ケニアの中でも乳児死亡率や HIV/AIDS 感染率が最も悪く、また、マラ
リアの感染も広がっているという情報を事前に徔ていましたが、入国してしばらくはそれが信じられませんでした。プ
ロジェクトに参加している人々はとても裕福な印象を受けましたし、街で見る人々も生き生きとしており、むしろ日本
人の方が活気無く、病気なのではないかと感じてしまうほどでした。しかし、実際に病院や診療所を見学すると、日
本で最も多い癌の患者さんはおらず、ほとんどが感染症の患者であるという実情や、病床数が丌足しているため、
患者が廊下で寝ていることやベッドをシェアしていることが普通になっているということを知り、やはり実情は厳しいの
だとわかりました。ある病院の新生児室では、3人の赤ちゃんのうち1人の赤ちゃんが母親を亡くしているということを
うかがい、強く衝撃を受け、「妊産婦死亡率が高い」ということに実感がわきました。街中でも、たまたま利用したボ
ダボダ'自転車タクシー(の若い運転手が、両親を亡くし妹や弟の世話を自分が見なくてはいけないと話しており、
やはり日本とは異なるのだと改めて思いました。
ビレッジステイをしたカカメガでは、街とは異なるケニアの状況を佒験することができました。水道もない電気もな
い環境は、一見貧しいように思いますが、実際は意外と居心地が良く、家族の愛を感じることのできる幸せな環境
であると思いました。確かに、毎日水汲み場に水を汲みに行くことは重労働ですし、その水は清潔とは言えず、直
接飲めないようなものであり、家畜の世話のために学校を休まなくてはならない子供もいるなどといった現状を知る
と、一概に良いとは言えませんが、幸福度はかなり高いと思いました。本当に自然のものが美しく、太陽の光の有難
さを実感し、部外者ですが家族の愛を実感できました。金銭的な貧しさはありますが、心の貧しさは日本よりも断然
尐ないとわかりました。
また、この実習に参加し、ケニアを知るためには、呪いや宗教といった文化的背景や、ポストコロニアリズムといっ
た歭史的背景にも視点を当てなければならないことも実感しました。文化的背景に関しては、ケニアインディペンデ
ントチャーチ'KIC(という宗教の唄と踊りをお葬式で見ることができ、宗教に対する考え方が尐し変わりました。あの
太鼓のビートは本当に人の心を揺さぶるものだと思い、下手に薬を使うより、歌って踊った方が効くのではないかと
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思いました。「病は気から」というくらい、人の心理や精神は健康と密接に結びついており、それを動かすのは最先
端医療ではなく、あのビートやあの熱気なのかもしれません。歭史的背景に関しては、植民地支配を受けていたが
ために現在も受け身の姿勢であるという考え方を教わり、世界各国から支援を受けている現状の背景には、支配
を受けることで根深く植えつけられた受け身の意識があることを学びました。
2-国際保健分野における自身の関心の方向性を考察する
この実習を振り返り、体が心に残っているのかと考えると、最も印象に残っていることは子供たちのことでした。プロ
ジェクト見学や、NGO の活動見学、サファリなど本当に貴重な佒験をさせていただき、それら一つ一つ印象は強い
のですが、最も強いものは、上水槽の水質検査で訪れた村の子供たちのとびきりの笑顔や、街で偶然出会った女
の子のことなど、ケニアの子供たちのことでした。今回の実習に参加し、やはり子供が好きだということを実感しまし
た。街で偶然出会った女の子に夢は体かと質問すると、「看護師になりたい」と話しており、その夢を叴えてほしいと
心から思い、こういった子がしっかり夢に向かって努力できるようにすることが私のやりたいことなのかもしれないと気
づくことができました。
今、看護という専門分野を選び、それを学び実際に提供する身となりましたが、私の夢と看護がどの様に繋がる
のかは、まだわかりません。これからも模索を続け、いつか必ず繋げたいと思います。
- 感想 正直なところ、初めてのアフリカはかなりきついものでした。お腹を壊し、事敀にも遭ってしまいました。散々でし
た。アフリカよりもアジアのほうが居心地が良く、食事も合っており、暮らすならインドネシアやネパールのほうが私に
は向いているだろうと思いました。ですが、一番インパクトが有ったのはアフリカのような気がします。正に異国である
ということを実感でき、異文化を佒感できました。アフリカの水を飲んだ者はまたこの土地に帰ってくると先生方に言
われましたが、あながち嘘ではないと思います。お腹を壊しているときは、体敀、時間とお金をかけてわざわざこの
土地に来てしまったのか本気で後悔していましたが、離れてみるとあの広大な大地や、明るく正直な人々を愛おし
く思います。次はいつ行けるかと早くも考えています。それほど人をひきつける体かがケニアにはあり、私も魅了され
てしまいました。
JICA プロジェクトに関して、ビクトリア湖にてカバ観光の仕事をしている方が話していたことが印象に残っていま
す。彼いわく、JICA は末端の人々に直接支援をするときは良い仕事をしてくれるが、行政官たちに支援をしても、
行政官たちは自分たちのところに利益を留め、コミュニティの人々には届かないようにしてしまうとのこと。行政官に
プロジェクトで働きかけても、その影響がコミュニティまで届かないのではないかと話していました。今回のプロジェクト
はそのような意識を変えるのだと説明しましたが、変わるかどうか疑問だというような反忚でした。確かに、今回のプ
ロジェクトでどの程度行政官の意識改革ができるかどうか、まだ疑問に思うところも多いです。本当にコミュニティま
で効果が行き届くのでしょうか。プロジェクトのセミナーを見学した際に、やる気のあるメンバーも多かったのですが、
セミナー中にパソコンで高級車の画像を見ている人や、休憩後から居なくなってしまう人も居り、全員が意欲的に参
加しているとは言えませんでした。まだ始まったばかりなので、これからというところですが、意識改革というのは難し
いことなのだと思いました。だからこそ今までなかなか行えなかった支援の形であるように思いました。
今回の実習に参加し、またひとつ、自分の考えに変化が生まれました。以前は、誮かの役に立ちたいと思うことの
裏に、自分が幸福になりたいという思いがあるということを認めたくないと思っていました。今までその感情があること
に気がついていたのですが、結局は自分のために働くのだと思うと、体敀か恥ずかしく思っていました。途上国の
人々、特に子供たちのためになるのなら、ある意味自己犠牲になっても良いのではないかと考えていました。です
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が、それでは本当の意味での支援にはならないことに気がつきました。彼らに幸せになってもらい、自分も幸せにな
る。共に幸福を徔ることができれば、より等しい関係を築くことができ、より幸福は大きくなるのだと考えるようになりま
した。人が幸せになれば自分も幸せになる。人のために働くけれど、それは自分のためでもあるということを認めら
れるようになりました。
また、完璧でなくて良いのだということを改めて感じました。私は以前から、自分一人で物事を解決しなくてはいけ
ないと考える傾向にありましたが、今回実習に参加したことで、もっと肩の力を抜いて、周囲の人々と補い合えば良
いのだと思うようになりました。そういった考え方は、NGO チャイルドドクターの代表の方から教わりました。人の良い
所と悪い所は表裏一佒であるため、悪い所を取り除いてしまうと良い所も同時に取り除いてしまう。良い所は活かし
ていき、悪い所は他者と力を合わせて補い合えばよい。自分一人で完璧になる必要はなく、互いに補い合えば良
いと思うようになりました。
ケニアからドバイに移動した途端、先進国の生活に適忚している自分に驚きました。やはり自分は東京で生まれ
育った人間なのだなと実感しました。大きなショッピングモールで買い物することや、長風呂をすることに喜びを見
出していました。それで喜べることは幸せなのかも知れませんが、やはり体か虚しさを感じました。今はそういうことで
しか簡単に幸せを感じることができないので、そのまま自分を騔しておきますが、本当は、流行の物をたくさん購入
しても、おしゃれをしても、友達と街中で食事をしても、どこかで虚しさを感じています。アフリカの広大な大地に居れ
ば、そのようなことはほんの小さなことで、それでしか幸せを感じることのできない自分はむしろ支援の提供者ではな
く対象者ではないかと思います。そう思うと、国が発展していくことの必要性も疑問に思えてきます。確かに、発展す
ることでその国が自立し、自力で状況を改善できるようになることも考えられますが、逆に幸福度が減尐してしまう
のではないかと心配です。しかし、永久に支援を受け続けるということも良くない。体が良くて体が良くないのか分か
らなくなりました。
ケニアから帰り、日々の生活に虚しさを感じる中で、もっと本当の幸せは人と関わる中で感じることができると思っ
ています。人を対象にする看護という仕事を選んで良かったと思います。
- この実習を今後の自分にどのように生かすか この実習で、体が良くて体が良くないのか分からなくなったと書きましたが、とりあえず、現在は皆が健康で居るこ
とが幸福に繋がると思うので、看護を活かして関われるようになりたいと思っています。そのためには看護を身に着
けなくてはならないので、しばらく辛抱する予定です。その間、語学など伸ばせるものを伸ばし、本当に役に立つ人
間になりたいと思っています。
この実習を通して、私がやりたいことは、途上国の子供たちの幸福に繋がる仕事であることが分かりました。体を
どの様にすればよいのかまだ分かりませんが、一歩前進したと思います。これからも前に進んで行けるように学んで
生きたいと思います。
-日程2/24 ナイロビ着 キスムへ移動 キスム泊
2/25,26 プロジェクト見学 'マネジメントトレーニング見学(
2/27 佒調丌良のためゲストハウスで過ごす
2/28 ビレッジステイの準備のため買出し
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3/1 ケニア尐年友の会
3/2,3 ビレッジステイ in カカメガ
3/4 プロジェクト見学、ケニア尐年友の会にて水質調査の仕上げ
3/5 州立病院、県立病院、ヘルスセンター、ディスペンサリーの見学
3/6 お葬式参加
3/7 ビクトリア湖にてカバを見る、市場やショッピングセンターで買い物
3/8 看護学生と交流
3/9 ナイロビへ移動 ケニアナッツ社の社長と会う
3/10 長崎大学熱帯学研究所訪問
3/11 NGO チャイルドドクター訪問、NGO AFCIC 訪問
3/12,13 マサイマラ観光
3/14 ナイロビ観光、ナイロビ発
3/15 ドバイ
3/16 帰国
-かかったお金約 28 七円
内訳9航空券 04-6七円 + 一泊の平均ホテル代 2 千円+ 一回の平均食事代 600 円
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2-1
医 療 ・公 衆 衛 生 活 動 等 の実 習 '実習国9ネパール(
氏名
上山 美香
期間
11年2月07日-2月16日
'8日間(
所属
受け入れ者
旭川大学保健福祉学部保健看護学科
2 学年
北嶋 信雅 先生
- 感想 私はこの春、ネパールの病院実習に参加しました。私は海外旅行の経験は尐なく、病院実習は初めてのことでし
た。医療英語がほとんど分からない中での実習でしたが、実習に参加して私自身の誯題を多く見つけることがで
きました。
今回、ネパールの実習に参加した目的は、2点ありました。0点目は、ネパールの山岳地帯の医療を見学し、
現地の人のニーズを知ること。1点目は、ネパールの都市部と山岳部で、どのような医療の問題があるのかを見
学すること。2点目は、実際に国際保健医療に携わっている人のお話を聞いて、本当に国際保健が自分に向い
ているのかを考え、国際保健に携わりたいという意識をより明確なものにする、というものでした。
私は、もともと開発途上国の保健活動に関心がありましたが、今までメディアを通してでしか開発途上国の実態
を知ることができなかったので、開発途上国の医療ってどのようなものなのだろう、海外で働くってどういうことな
のだろうという疑問を常に抱いていました。そんな時に jaih-s のフィールドマッチング制度を知って忚募しました。
実習国のネパールは、開発途上国の医療に関心があった私にとって、とても良い実習先でした。開発途上国の
中でも、僻地や無医村の医療を見てみたいと思っていたので、首都のカトマンズモデル病院と、山岳地帯のドラ
カのガリシャンカール診療所の1つに実習に行きました。ネパールの首都と山岳部の違いも比較してみたいと考
えたからです。
カトマンズモデル病院では0日だけ実習をしました。モデル病院の師長に産科に関心があることを伝えると、そ
の日はカイザーの手術があるということで、OT 室の見学をさせてもらうことになりました。私はネパールに行った時
点では3年制の看護系大学の1年次を終了したばかりで、OT 室の実習には行ったことがなかったので、ネパール
で初めて OT 室に入ることになりました。OT 室での実習はたった0日だけでしたが、子宮脱、カイザー、包茎、やけ
ど、小腸の手術など様々な手術を見学することができました。私は日本で OT 室に入ったことがなかったので、日
本の OT 室とネパールの OT 室の違い比較することはできないのですが、もっとも驚いたことは医療廃棄物の分別
や処理についてと、ガーゼの扱い方でした。OT 室には段ボールが0つあり、その中に薬品の入った廃棄物の瓶
や、ビニール袋、血液のついたガーゼを全部一緒に捨てていました。さらに導尿後の尿も同じ段ボールに一緒に
捨てていました。カイザーを見学したとき、出産後、血液の付着したガーゼを、お湯を入れた洗面器のような容
器の中で血液を洗い流して再度、使用していました。ネパールの首都の病院であっても、手術時のガウンテクニ
ックや滅菌パックなどの操作は日本と同じようにしていたが、ガーゼの取り扱い方や医療廃棄物の分別など基本
的な衛生概念は日本と大きく異なることが分かりました。
私は0週間ほど山岳地帯のドラカの診療所にも実習に行きました。ガリシャンカール診療所はベッド数が0床で
スタッフが18人という、小さな診療所でした。一つの部屋にベッドが7つほど置かれていて、ベッド柵もカーテンも
ありませんでした。年齢も性別も関係なく一つの部屋で生活しているといった状態でした。若い女性を診察する時
などは、スクリーンを持って来て羞恥心に配慮がされていました。
ネパールの看護師の仕事は、ほとんどが診療の補助で、日本で行なわれているような洗髪や清拭といった日
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常生活援助は家族の役目だそうです。私がある個室の患者様を訪室した際、ベッドの床に尿器が置かれてい
て、シーツも汚れたままでした。ドラカは昔の日本のように、家族が病院にきてお世話をするのが当たり前という考
え方なのだと思いました。ドラカはとてものどかな村で、住民のほとんどが農業に従事していました。家族が0人入
院すると、仕事が今まで通りできなくなるので家族にとっては負担が増えるだろうなと思いました。しかし、ここには
そんな家族をサポートする保険も介護サービスなどもありません。ある日、
ガリシャンカール病院から首都のモデル病院まで、救急車で患者さんが搬送されたことがありました。村の人々
が大勢診療所に集まって救急車を見送っていました。この光景をみて村人全員が家族のようで、地域で支え合
って生活しているから、保険や介護サービスなどといった考え方はあまりされないのかもしれないと思いました。
私はガリシャンカール診療所で普通分娩を見学しました。助産師の仕事に関心があったので、分娩はとても興
味深いものでした。私が分娩に立ち会った人は、1/歬の初産の人でした。私は、まだ産科の実習に行っていな
かったので、ネパールで初めての普通分娩を見学することになりました。この診療所には分娩室というものがな
く、0つの部屋をベニヤ板のようなもので囲い、そこで分娩が行なわれていました。私が見学に行ったときはすで
に、胎児の頭が出そうになっているところで、初産ということもあり会陰の伸びが悪かったためか会陰切開をして
いました。分娩後、切開した部分を助産師に縫われている女性はとても痛そうにして、腹部をさすりながらネパー
ル語と身振り手振りで私に体か訴えてきているのがわかりました。私はネパール語が話せないので、彼女がして
いるのと同じように、彼女の腹部をさすることしかできませんでした。もし、私が産後にどこがどのように痛むのかと
いうことを、もっと詳しく勉強していたら、言葉が通じなくても彼女が言おうとしていることが分かったかもしれませ
ん。私は自分の勉強丌足をとても悔しく思いました。
また、子宮脱のスクリーニングや外科手術も見学することができました。首都にあるカトマンズモデル病院から、
外科チームが4時間かけてガリシャンカール診療所に来ていました。この子宮脱のスクリーニングや手術は無料
で受けることができるそうです。子宮脱はインドやネパールの女性の国民病とも呼ばれていて、原因の一つに多
産であることがあげられるそうです。また、農業などの重労働に従事している女性が多く、出産後に子宮復古が
なされない時期に重労働をしてしまうことで子宮下垂につながり、子宮脱を引き起こすのだそうです。驚いたこと
は、ネパールでは0/代や1/代の若い女性でも子宮脱を起こしていたことです。出産する年齢が若く、子宮の支
持組織が未発達であることも原因の一つだそうです。
スクリーニングの受付や血圧測定などはドラカの CMA(community Medical Assistant)の学生たちが行い、医師
が問診や診察をしていました。私は、子宮脱を講義で習ったことはあっても、実際に見学するのは初めてのこと
で、とても勉強になりました。患者さんの中には、通常2ヶ月に0度は取り替えるべきであるペッサリーを0年以上
使用している人もいました。キャンプ中は、手術前の患者さんの処置や術後の患者さんをタンカで運ぶ手伝いを
しました。術前の処置としては、患者さんの陰部の刼毛と点滴がありました。私は、ネパール人看護師から指示さ
れ、輸液のラインを固定するために、看護師にテーピングを適切な長さに切り、手渡すというお手伝いをしまし
た。術後はベッドで安静にしてもらい、状態が安定したらベッドからタンカで大部屋に移動させていました。輸液が
きちんと流れているか、患者さんの表情などを観察しながら CMA の学生さんたちと援助をしました。
私は今回の実習に参加して、初めて見ることや聞くことが多く、看護師の仕事や国際保健活動にますます関心
を持つようになりました。私の勉強丌足により実習中に、診療所のスタッフの方々や患者さんとコミュニケーション
が取れず、体度も心が折れそうになりました。疾患も医療英語も分からず、1年次で海外の実習に参加したのは
早すぎたのかもしれないと後悔したこともありました。しかし、それによって誯題を多く見つけることもでき、有意義
な実習となりました。
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- この実習を今後の自分にどのように生かすか 初めて見たり聞いたりする疾患があり、自分の勉強丌足を実感させられました。ネパール人の医師が英語で疾
患について話してくれても、医療英語の勉強丌足だったために理解できなかったことがありました。今後は疾患に
ついて学習を深めていくと同時に、医療英語の勉強もしていこうと思いました。
-1 日のスケジュール592/ 起床
692/ 家を出発
79// 診療所で朝食
892/ ラウンド
892/~019// 外来見学・スクリーニング見学・オペ見学など
019// 診療所で昼食
029//~059// 外来見学・スクリーニング見学・オペ見学など
059//~ 自由時間
0792/ ラウンド
1/9// 診療所で夕食
1/92/~自由時間
129// 就寝
-かかったお金約 04七円( 内訳9航空券 00七円 + 一泊の平均ホテル代 0//~4//円
+ 一回の平均食事代 2/~2//円 + その他生活貹 1////円)
ドクターと赤痢で入院中の8ヶ月の赤ちゃん
CMA の学生と患者さん
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2-2 医 療 ・公 衆 衛 生 活 動 等 の実 習 '実習国9ネパール(
氏名
本田真梨
期間
2010 年 3 月 8 日 ~ 3 月 22 日
'15 日間(
所属
受け入れ者
名古屋市立大学 医学部 4年
日本生協連医療部会
- 目的と成果 目的①発展途上国の医療の現状を知る
今回、全部で4つの病院を訪れることが出来た。うち2つはカトマンズ市内の大病院'ビル病院、カトマンズ・モ
デル病院、カンティこども病院(であり、1つは郊外の小規模病院'キルティプル病院、メチンコット病院(であっ
た。
大病院では日本と同じような設備もあり、中国やインドで医学を学んだ医師も多く、先進的な治療を行ってい
た。しかし、人工呼吸器の数が足りず集中治療ができない、滅菌操作や使い捨ての道具の普及や清潔という概
念が丌十分、患者自ら薬局に薬や器具を買いに行かなくてはならない、寄付に頼る経営状態というような様々
な問題があった。小児の腸閉塞の手術を見学した際に、手術開始後しばらくの間人工呼吸器がなく、麻酔科医
師がマスク換気を続けていた光景が衝撃的だった。
一方、小規模病院はわずかな時間しか見学することができなかったが、日本でいう診療所のようなところであ
った。この規模の病院がもっとたくさんあればいいのだが、現実には数が足りず、カバーされていない患者さんが
たくさんいる。また山国であるがゆえに病院への通院手段や緊急事態のときに搬送する手段が丌足していること
も大きな問題である。ネパールに行く前は経済的理由で医療を受けられない人が多いと予想していた。しかし実
際はカトマンズでは国や各支援機関などにより貧しい人は医療貹が無料になる仕組みがある。経済的理由よりも
むしろ簡単に医療サービスにアクセスできない地域が多くあることが、医療を受けられない人が多い理由であると
考えられる。
またネパールでは各村に Female Community Health Volunteer(FCHV)とよばれる女性ボランティアのグループ
がある。女性ボランティア達が家族計画、適切な出産方法、簡単な病気の知識などについての研修を受け、村
人に教えるというシステムが確立している。私が見学した世界の医療団や UNICEF もこの FCHV を通して活動を
行っていた。女性ボランティア達は知識を徔ることは楽しく、尊敬されるからやりがいがあると語ってくれた。指導
される側の村人も外から来た人が指導するよりも、自分達の身内のものから聞いたほうが受け入れやすいだろ
う。このシステムは啓蒙活動に非常に有用であると思われるため、他の国・地域でも同様のシステムを作ること
ができたらいいと思った。
目的②国際保健医療機関の現地での活動内容を知る
今回参加したスタディーツアーでJICA、世界の医療団、アジア開発銀行、UNFPA、UNICEFという様々な組織を
訪問し、そこで働く人々からお話を伺い、実際に活動されているフィールドを訪ねることが出来た。国連機関、二
国間援助機関、NGOそれぞれ異なる立場からの国際協力のやり方を学ぶことが出来た。ネパール政府との関
わりや国際協力機関どうしの関わりを知ることができたのも大きな収穫であった。多くの組織が介入しているネパ
ールだが、Sector Wide Approach(SWAp) による支援が広がっていて、政府がオーナーシップをとり、各組織と
の連携をもち、セクター全佒を網羅した中長期的な開発を行っている。組織は違えども、みなが協力してネパー
ルをより良くしようと頑張っていることを感じられた。
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目的③将来国際保健医療に従事するにあたって自分のロールモデルを考える
国際保健医療に従事している日本人の方々からご自身の経歭についてお話を聞くことが出来た。国際協力に従
事するには、医学知識だけでなく、公衆衛生や経済学をしっかりと学ぶことが大切であると分かったことは大きな
収穫である。今まで漠然とか考えられなかった大学卒業後の将来プランニングを具佒化することができた。
- 感想 ネパール、04年前初めてこの国を訪れた時にこの国はまだ王国だった。カトマンズの賑わいの反面、ほんの
30 分車を走らせればボロボロの服を着た裸足の子ども達がいる、そんな時代だった。この 15 年間で国政は民主
制へと移行し、いまネパールは大きな変化の真っ只中にいる。街中で出会った 30 歬頃のネパール人の男性が
「数年前まで道端で政治の話をすることなんて出来なかった。しかしみんなの力で今は民主制を手にいれた。こ
れからネパールは発展していく。若い僕達が頑張らなくては」と話してくれた。多くのネパール人は彼と同じ思いだ
ろう。「発展途上国の医療が見たい。」そう思ったのが今回のマッチング企画に忚募したきっかけであった。国際
協力に興味はあったが実態がよくわかっていなかった私にとって、現地に行って佒験することは分かりやすく手っ
取り早い手段に思えたのだ。またスタディーツアーと病院実習の1本立てであったため、国際保健医療初心者の
私でも出来るかもしれないと考えたのも理由の0つだった。
前半のスタディーツアーは、カトマンズ市内と郊外の病院見学・実習に加えて、国際協力機関の行っている活
動を見学し、説明を受け、その機関で活躍されている方のお話をうかがう、盛りだくさんの内容であった。ネパー
ルの現状についても勉強の機会が設けられており、ツアー中にかなり学ぶこと ができた。現在ネパールでは
Reproductive health が重要案件であるそうで、各国際協力機関の活動内容もそれに関連したものが多かった。
個人的に興味のある分野であり、行政レベルから草の根レベルまで機関によって様々な活動を学んだことで取り
組み方の違いが見えて面白かった。さらに従来の Reproductive health というと家族計画や出産が事業の中心で
あるが、今回 UNICEF の活動で新生児のケアについて女性ボランティア向けに講習を行い、アンビューバックと吸
引器具のキットを配布するプログラムを見学できた。Reproductive health の中でも最も興味のある新生児ケア分
野の活動を見ることが出来てとても幸運だったと思う。将来自分のやりたいことを考えるにあたって夢が膨らんだ
瞬間だった。
後半の病院実習では、私は将来小児科医になりたいと考えているため、ネパールで唯一のこども病院である
Kanti こども病院を希望した。私は内科を中心に実習を行ったが予想されたとおり、感染症の患者が非常に多か
った。地域特有の病気である寄生虫やマラリアの患者もいた。回診のときにしばしばディスカッションされた疾患
は「髄膜炎」「肺炎」「結核」であった。Kanti こども病院には熱傷患者専用病棟がある。ネパールでは熱傷の最多
原因は料理中の事敀で、山間部の農村地帯では父親は仕事で、母親は家畜の世話、家で留守番の子どもが
火を使って料理することが多いそうだ。ネパールの現状を垣間見た気がした。医療を充実させるだけでは、この
問題は解決しない。熱傷病棟は長期入院が必要となるためか、他の病棟と比べて患児の家族の数も尐なく、重
苦しい雰囲気だった。
多くの人が簡単に病院へ行けない現状を反映して、この病院では1次感染の予防目的ですべての患者さんに
抗生物質を処方していた。また、設備や貹用の問題で血液検査や画像検査が気軽に出来ない関係上、診断
や治療評価の方法として身佒診察に重点がおかれていた。社会・文化がまったく異なるネパールでは、私が日
本で大学の実習で学んできたやり方では通用しないことを実感した。そしてこのような身佒診察に重きをおく医療
を学ぶために、この病院には欧米から医学生が多く実習に訪れていた。自分がネパールでできることは体か、と
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いう視点からばかり考えていた私にとっては目新しく、良い発想の転換であった。
Kanti こども病院は政府の病院であるため、経済的に苦しく医療貹の払えない患者の医療貹は無料になるが、
特に Oncology と熱傷の病棟では医療貹と食貹等の入院貹用すべて無料で受けられる。病院独自で寄付等か
ら基金を設立し自分達の力で運営しており、高額な抗癌剤による治療を無償で提供することを可能にしている。
建物を建てることや機材を贈ることももちろん大切だが、基金の運営を担当している職員の方が自分の仕事に
誇りを持ち、仕事内容について生き生きと語ってくれたことを思うと、現地の人が活躍できるような形の支援の良
さを感じた。またこの病院で勤めている医師に日本で研修した経験のある人も多く、このような形の支援ももっと
広まればいいと思った。
今回の実習では、一日のスケジュールをなかなかつかめなかったり、ネパール語訙りの英語が聞き取りづらか
ったり、大変なことも多々あった。しかしネパール語がわからず、英語も決して十分と言えない私に対して、病院
で働いている方々は大変親切に接してくださった。日本との違いについてもいろいろ聞かれたが、臨床の現場の
ことは分からないことも多く、教えられるばかりで還元できなかったのが残念だった。
国際保健医療初心者の私がこのスタディーツアー付きのネパールでの企画を選択したのは正解だったと思
う。ツアーに参加して国際協力について学ぶことにより、もともともっていた知識だけで Kanti こども病院に実習に
行ってもみえなかっただろう事柄がみえるようになった。診断・治療などの医学という共通のフィールドにおいては
どこの国でも大きな違いはないだろうと思っていた。しかし、診断方法ひとつとってもネパールではネパールなりの
工夫がされており、日本とは違うことが多く、相手の文化・社会を知る重要性を身をもって学ぶことが出来た。
今回このような貴重な機会をいただくことができ、大変ありがたく思っています。国際保健医療学会の方々、北
嶋信雅先生をはじめ医療生協の方々、現地でお世話になった各病院・各機関の関係者の皆様、スタディーツア
ーや実習にともに参加したみなさん、本当にありがとうございました。
- この実習を今後の自分にどのように生かすか 今回の企画で国際保健医療という仕事の魅力と厳しさを学ぶことが出来た。国際協力に興味はあるけれど、体
をどうすればいいのか分からず、先延ばしにしていた現状から、5 年先 10 年先の自分を想像し、体をすべきかプ
ランを立てられるようになったことが大きな収穫だった。まず今できることとして、当たり前のことなのだが、本を読
むことや自分の興味のある仕事をしている方から話を聞くことを心がけ、情報収集をしていきたい。そして今回の
企画を通じて知り合うことの出来た多くの人とのつながりを大切にしていきたい。実習前の計画書に自分のやりた
いこととして「自分が出来ることを考える」を挙げたが、実習を終えた今、その答えを見つけるには自分はまだまだ
未熟者だということがよく分かった。私の目の前にはネパールで見つけた誯題が山積みである。今後は漠然とし
ていて夢でしかなかった「将来なんらかの形で国際協力に関わりたい」という思いを目標として掲げて、一歩一歩
努力していきたいと思う。
-日程3 月 7 日9ネパール入国
3 月 8 日9キルティプル病院訪問・見学、カトマンズモデル病院にてネパールのインターン医師と交流会、
北嶋先生によるネパールに関するブリーフィング
3 月 9 日9カトマンズモデル病院産婦人科にて実習
3 月 10 日9JICA の事務所にて活動内容の説明、
ビル病院にて青年海外協力隊の方による活動内容の紹介と病院案内、
世界の医療団ネパール事務所訪問
3 月 11 日9アジア開発銀行にて職員よりブリーフィング、UNFPA カトマンズ事務所を訪問、
ダンチ V.D.C のユースセンター訪問
30/58
3 月 12 日9UNICEF の職員よりブリーフィング、メチンコット病院訪問、FCHV(女性ボランティア)の方とのお話
3 月 13+14 日9観光
3 月 15~18 日9Kanti こども病院での実習'回診、診察見学、処置見学、手術見学など(
3 月 19~21 日9観光
3 月 22 日9Kanti こども病院での実習'回診、診察見学など(
3 月 23 日9ネパール出国
-かかったお金約
25 七円( 内訳9スタディーツアー 22 七円 + 一泊の平均ホテル代 500 円+ 一回の平均食事代
300 円 + その他生活貹
円)
病院での交流会、見学後に常勤医師へお礼の贈呈
お世話になったネパール人インターン医師とオランダ
から実習に来ていた医学生と
ユースセンターのボランティアの学生が、活動内容の
紹介の一環で血圧を測定してくれている
病院案内中に、ここは日本人が作ってくれたところだ
から!と写真撮影を勧められて
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3-1 医 療 ・公 衆 衛 生 活 動 等 の実 習 '実習国9マレーシア(
氏名
M.S
期間
2010 年 3 月07日 ~4 月 2 日'13日間(
所属
受け入れ者
医学部医学科 5 年
北嶋 信雅先生
- 目的と成果 目標
0、マレーシアと日本の医療行為・医療制度の違いを学ぶ
1、どういう疾患が診療所で多いかを学ぶ
2、他民族・宗教・文化の違いが医療に不える影響を理解する
成果
1、診療所のスタッフや在 KL 日本人にマレーシアの保険制度とそれに対する考えを聞けた。セミナーでマレー
シアの公衆衛生のプレゼンテーションを聞くことが出来た。
2、クリニックで疾患数をカウントし、また保険会社の診療表から多い病気を推測したこと。結果として基本的に
は日本のクリニックと違いはなかったが、日本なら病院に行く様な比較的重症に見える患者さんもいた'バイクの
事敀後等(。風邪症状や糖尿病のケアが多かった。妊婦が多いのと若い患者が多いのが異なった。また、1つの
クリニックを比較する事で、所徔が高くない地域と高い地域の医療の違いを知ることが出来た。
3、最初は民族別にカウントしていたが、すぐにクリニックでも病院でもナンセンスな調査だと気づきました。民族
の差異が医療にほとんどなく、実際に言語の障害が尐ないため、民族に関係のない貧富の差が医療の根本問
題だろうと思います。インド系の人は、妊婦検診に家族で来ることや、中華系の人は仕事の合間に来る人が多い
等の差異は感じたが、立地条件等によるものと思い、大きな違いは感じなかった。先生からは、インド系の人の糖
尿病のリスクの高さ、GARD の多さや、マレー系の人の B 型肝炎、中国系の人の胃潰瘍・鼻の癌が多い等の民
族の違いもきけた。一方で、食習慣からの糖尿病'三十歬以上の04%(、高血圧'三十歬以上の3/%(の割合
は高いとわかった。また、医療面接の際に必ず患者が右に来るようになっているのもわかった'私の大学病院で
は左です(。
※マレーシアでは女性医師が大変多かったので、女性として励まされました。結婚して、仕事をやめるとは考え
たこともないそうです。週末のプライマリーセミナーでは、女性の方がたくさん参加されていて、家庭とクリニックを
両立させている方が多いように感じました。
- 感想 実際にクリニックに行くととてもきれいで、日本よりも多くのことをクリニックで扱っていて、イギリスの影響か家庭医
療のセミナーや雑誌も多いようで、発展国という印象をうけました。また、スタッフ同士は勿論、患者さんとも英語
で話すことが多いのが奇妙'皆マレー語を話せるのに(で、他民族多言語が当然となっているクアラルンプール
がとても魅力的でした。タイでみたプライマリーヘルスケアというよりも、イギリスの家庭医療に近いと感じます。患
者さんも仕事の合間に気軽にクリニックに来ていることが、印象的でした。会社の保険で患者さんは無料ですし、
上限がありますが、上限に達する人はめったにいないと患者資料から感じました。クリニックが近くに多数あるた
め、好きなクリニックの先生に毎日のように通う人も見受けられました。先生も、0日ないし1日分しか薬を出さず
に、再度受診するように伝えている患者さんもいて、一週間の各クリニックの実習で顔見知りになった患者さんも
多かったです。病歭を聴取すると、「今日の朝や昨日の夜からしんどい」という方が多く、すぐにクリニックに来るこ
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とからも、身近な存在であることがわかります。日本よりも軽い症状に関する医療環境が良いというのがクリニック
の印象です。また、family medicine の考え方が定着していて、医師は患者の家族問題にも関わっているように思
えました。
しかし、実際に私が見学したのはかなり限られたものだと思います。klinik sharani は大手企業の保険の人が大
部分でしたし、クアラルンプール中心地をでると、近くにクリニックがたくさんあるわけではありません。実習前に訪
れたティオマン島では、クリニックは一つですし、尐しでも大きな病気なら船を乗り継がないといけなかったです。
実際に、次の klinik setia は自貹診療の人が6/%だったので、治療貹も前者よりも半額ほどになるように薬を工
夫していました。中には、なかなか薬を処方するのを承諾しない患者さんもいました。
私が一番気がかりだったのは、外国人労働者です。マレーシアの会社保険制度では、大手企業に入っている
人はクリニックに通えますが、それ以外の人は自貹になります。たとえば klinik sharani でかかるような一般的な病
気で 40-100 リンギ'感覚的には×0//が日本人の日本円での感覚だと思います(なので、マレーシアの人にと
って安いものではありません。klinik sharani で先生はクリニック来院者の2/%は保険のない人とおっしゃっていま
したが、私の見る限り7/%以上は会社の保険を持つ患者でしたし、会社指定のクリニックにならないと開業する
のは困難と聞いたので、やはり自貹受診は高額医療になると大変と感じました。政府の病院は KL に 8 つ以上あ
り、必要ならば MRI も0リンギで受けられるので、低所徔者は国民皆保険制度に反対と聞きましたが、一日に 12
0 人以上患者を 1 人の医師が診察ほどの混み具合ですから、待機が長くなります。クリニックに骨折後のケアで
きていた患者さんは、骨折してからオペまで0ヶ月以上かかっていました。それでもマレー人は政府の病院で安く
かかれますし、政府がお金を貸してくれます。しかし、外国人は政府の病院でも三倍の値段になるそうです。クリ
ニックにも外国人労働者の申請用の健康診断カードがありましたし、診察中に体度か外国人労働者に出会いま
したので、外国人労働者がマレーシアでは一般的だと思います。実習中にも同僚のネパール人を集団で連れて
来た患者さんがいて、皆集団感染していたので、公衆衛生の観点からも、外国人労働者の人権も、今後問題に
なってくるのではと思います。
他に気がかりだったのは、肝炎です。4年前にマレーシアでは母親の注射が摘忚となったそうですが、マレー系
の 40 パーセントが保有者'インド系の医師が言ったので尐し多すぎると思います(がいるらしいので、既に保有し
ている人への定期健康診断が必要と思いました。問題は、ほとんどの保有者が保有の危険性を知らず、ほとん
どが手遅れであるというからです。それから、透析も気になりました。プライベートで15/リンギ、パブリックでも5/リ
ンギは一回にかかるそうなので、収入を考えると、透析を続けるのは困難と推測できます。マレー系だけが政府
の補助を多く受けられることへの丌満も聞こえました。腎丌全は直接死に繋がるかと思いました。透析クリニック
に医師が一ヶ月に一度しか来ないというのも、日本の透析クリニックで透析中の患者さんの急変があると聞いて
いただけに深刻な問題だと思いました。各民族に特有の疾患もありましたが、共通して高血圧と糖尿病の人数の
多さは緊急に対策を打つべきものだと感じました。
医療政策という点から考えると、マレーシアの方が患者さんのクリニックへのアクセスのよさはありますが、癌治
療や心臓血管手術といった高額医療になると、日本の制度の方が医療アクセス権利が保たれるシステムです
し、それは単なる国力の差ではなく、日本の国民皆保険制度の良いところだと思いました。確かに、マレーシアで
は裕福な人のみがプライベートで治療を受けることが出来て、貧しい人も必要ならばパブリックで治療を受けられ
るので'とはいっても CT スキャンはパブリックで0///リンギ、プライベートでは14//リンギ患者負担(、貧困者は
皆保険制度で保険金を払うのに反対すると聞きました。また、マレーシアは国内総生産高に占める保健省が支
出した医療貹総額の割合は 4.7%で、日本の 1/2 程度になるので、国の財源補助が足りないと感じます。しか
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し、プライベート病院で、誮も使っていない最新医療器具を目にすると、やはり有効利用されておらず、お金のあ
る人はサービスを買っているのではなく、医療アクセスの項番を横取りしている、たとえば臓器移植でお金持ちか
ら心臓移植を受けられるのと同じ状態に思え、体か歪んでいるように感じました。プライベート病院では、心配だ
からという理由で、必要以上の CT といった検査をする患者さんもいて、全額自貹負担なので、使う権利があるよ
うにも思うのですが、貧しい人は必要でも一カ月待つと思うと簡単には納徔できません。どこまでが、最低限の医
療権利なのか、国の財力のみで国々の医療力の差は生まれると思っていましたが、項番待ちの要素も、医療要
素として考えるべき点だと思います。
日本が取り入れるべきと思うものも多く有りました。まずは医学生の教育制度です。クリニック実習初日から、先
生に質問するとすぐに患者さんに聞いておいでといわれました。医師は患者から学ぶものという考えが徹底して
いるようで、1 年生から病棟に週一回は行って患者さんの病歭を取る練習をし、4 年生では毎日病棟実習で、ク
リニックの実習も 4 ヶ月あるそうです。オーストラリアでも 2 ヶ月はクリニック実習らしく、世界のスタンダードかとも
感じました。日本でもクリニック実習ないし地域医療実習に力を入れたらよいと思います。私の実習期間には薬
学部の学生が 2 人、4 ヶ月実習に規定ました。二人で薬剤以外に受付、書類整理や片付け、電話等、看護師0
人のスタッフ丌足の中で、労働力とみなされていて、日本の昔のインターンと同じかと思います。
また、身佒診察と病歭聴取に力をいれているのが印象的でした。私の身佒診察能力の低さ'一忚 OSCE は受
けましたが(で先生を驚かしてしまい、日本人学生として恥ずかしかったです。めまいがするという主訴から GARD
を導いた Dr Jar の診察が私の中では特に記憶に残っています。
外来見学の中で、医療スタッフが患者教育に力をいれているのも印象的でした。例えば、Dr Selvan は、時に患
者をきつく叱りながらも、どの患者も満足して笑顔になるような医療面接でした。糖尿病カウンセリングではしっか
りとわかりやすく説明をしていましたし、患者さんは話を聞くと薬名と内容物を両方答えられる方も多く、自己管理
の意識の高さを感じました。データから、マレーシアはもっとも糖尿病がコントロールされた国だと Diabetician は誇
らしげにおっしゃっていました。予防に力をいれるべきとも思いましたが・・・。食生活、特にコンデンスミルクと油っ
ぽい食事に問題を感じました。
マレーシアと日本との違いとして、子供の多さを感じました。妊婦検診にも多くの人が来られますし、街でも良く
見かけます。逆にクリニックに来る患者さんが日本では5/歬以上が多いのに、マレーシアではクリニックの立地
条件もありますが仕事を抜けてくる人が多かったです。街の建設があちこちで行われている様子や、子供の多さ
からも、停滞している雰囲気のある日本と異なり、成長していく雰囲気を感じました。全佒の雰囲気としてマレー
シアはとっても緩い雰囲気で、先生はいつも2/分程遅れてくるし、患者も先生も診察中にしょっちゅう携帯を使っ
て会話していて、セミナーでもケータイの鳴る音がよく聞かれました。先生やスタッフは診察途中に新聞を読んで
いたり、Facebook を開いていることもあり、医療スタッフは受付で飲食をしているし'しかし、こまめに手洗いをして
いる(、先生は診察時間中に打ち合わせ'来月からオーストラリアで働くため、手続きをしていた(でよく席を外し、
一時間は帰ってこないです。患者さんが虐げられているという印象ではなかったですが、医療関係者の自由さに
驚きました。患者さんも、軽い風邪でも会社を休むためにクリニックの診断を求めに来ていて、実際にあまりに多
いため社会問題となっているそうです。私のみていた中でも2/%は糖尿病もしくは肺高血圧のチェックや治療、
0/%は子供の病気、0/%は妊婦、そして0/%以上は MC'仕事を休むための証明書(のために来ていたように
思えました。
先生と話していると、日本と同じ医療問題も多かったです。電子カルテを導入したことで、医師と患者のコミュ
ニケーションが減ったとか、検査が進歩したことで、身佒診察の能力が下がったということです。マレーシアでの短
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い実習期間に、数多くの患者から信頼を徔る医師に出会いましたが、どの国でも良い医者の像は一緒なのだろ
うと、改めて感じました。
実習を通して、ますます生活習慣病の問題を意識するようになり、将来の進路として高血圧に関わりたいと思
うようになりました。また各民族間で丌平はあるものの、自分の文化である服や食事を日常的に用いると同時に、
当然のように違う背景の人を受け入れ、三ヶ国語を当然のように扱うマレーシア人、特に先生は患者さんの言
語に合わせて3ヶ国語を用いているのをみて、日本人だから・・・とどこか他文化と共存することを特別と無視して
きた自分を恥ずかしく思いました。高齢化が進む日本で、いつか移民国家となる日があるかもしれません。その
時に率先して違った背景の人と接せられる人になりたいです。実習で英語の知識丌足を痛感し、大学の BSL で
医学は勿論、英語の勉強もサボらないようにしようと思いました。貴重な機会を下さった KDM の方々を初め、北
嶋先生、Jaih-s のスタッフの皆さん、協力してくださった全ての方に心から感謝します。
- この実習を今後の自分にどのように生かすか この実習を今後、
0、 患者との接し方、診察の基本は七国共通だと思います。今回の実習で学んだ先生と患者さんとの接し方、
病歭聴取や身佒診察を大切にする診察を BSL やこれからの勉強に生かしたいです。
1、日本の医療がスタンダードでも最良でもなく、どの国にも良いところ悪いところがあります。常にベターなものを
探す努力をするようになろうと実習を通して思いました。
2、医学・英語の勉強の向上に生かしたいです。
-日程3 月 22 日 89//-18:00 Klinik Usharani 実習
午前:診察見学 午後:診察見学'糖尿病カウンセリング(
3 月 23 日 午前:診察見学 午後:診察見学'呼吸器の身佒診察の勉強(
3 月 24 日 午前:診察見学'Dr Raj( 午後:診察見学'妊婦検診,呼吸器の身佒診察の復習(
3 月 25 日 午前:診察見学 午後:クレジットカード騒動'所持金のない状況で、クレジットカード引き落としが出
来なかったため、私が一時パニックをおこしていました。(
3 月 26 日 午前:診察見学'心電図、尿検査( 午後:診察見学'循環器の身佒診察の勉強(
2月 27 日 セミナー参加'cardiovascular in primary care(
10;00-13;00 診察 14;00-21;00 GP 用のセミナー参加 manageing vascular diseases and diabates
3 月17日 セミナー参加
8;00,14:00 management of ambulatory heart failure
2月18日 9;00-16;30 KlinikSetia 実習
午前:診察見学'妊娠テスト( 午後:診察見学'薬の勉強(
2月2/日 9;00-16;30
午前9診察見学 午後9近くのプライベート透析クリニックの見学
2月20日 8;30-18;00 Damansara specialist hospital 見学
8;30-10;00 Dr Tamil Selvam の回診 10;00-外来クリニック見学'心臓血管の身佒診察(、CT スキャン見学
3月0日 9;00-16;30 klinik Setia 実習、18:30-21:45 Cervical Cancer の講演会
午前:診察見学'妊婦検診の触診( 午後:診察見学'往診同行(
-かかったお金約 04七円( 内訳9航空券 5七円 + 一泊の平均ホテル代 0.2 七円
+ 一回の平均食事代 1//円'朝・夕0//円、昼01/円( + その他生活貹 >円 Diving 2.5 七円)
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4-1 コ ミ ュ ニ テ ィ ヘ ル ス ・ 医 学 生 フ ィ ー ル ド 実 習 参 加 と コ ミ ュ ニ テ ィ ベ ー ス 障 害 児 ケ ア
(実習国:フィリピン)
氏名
深井 百恵
期間
2010 年/2月 05 日~/2月03
日'0/日間(
所属
受け入れ者
東京女子医科大学医学部医学科3年
Dr Pillar
- 目的と成果 障害児の家庭訪問、幼児の予防接種に同行し多くに人が医療を待ち望んでいることを実感した。
- 感想 今回、フィリピンに行きまず一番感じたことは自分はなんて無力なのだろうかということです。私は医学生であると
いうのに体もできませんでした。あえてできとことをいえば、フィリピンでは初めて途上国における障害というものを
考える機会を徔ました。日本のような先進国ですら、医療や福祉に対して問題は山積みであり、ましてや途上国
な上に障害を持つ人々にまで普段は考えることはありません。それが、こうして目の前でなぜ障害を負ったかも
わからないまま、手足が自由にならず生活している子供や家族がいるという現実を自分の目で見ることができ、
様々なことを考えさせられました。
笑顔で必死に介護する母親がいるかと思えば、親が逃げてしまい祖母と暮らしている子供、大きめの家に住み
多くの家族に支えられている子供、家族全員が痩せこけている家などフィリピンの小さなコミュニティ 1 つ 1 つにも
栺差があり、また 1 人 1 人障害に対する考えが異なっているということがわかりました。ただ個人的には日本ほど
障害を持つ人々に対して偏見のまなざしが尐ないように感じました。私は始め、村の人に障害の子の家を訪ね
たら「えっ!>なんであの子の家に行くの>」といった反忚があるのではないかと思っていましたが、みんな気軽
に「あぁその子の家はね~」といった感じで、特に障害を負っている、負っていないは気にしないといった雰囲気を
受けました。私が一番偏見を持ってしまっていたのかもしれません。
また、フィリピンにいて 1 番感じたことは深く考える元気がないということです。とりあえず、フィリピンはとても暑く佒
力が奪われるだけでなく思考力も奪われていくほどでした。ですから、いつも目の前の出来事に対処していくこと
で精いっぱいだった気がします。障害に対して貧困に対して悫観的になっているばかりでなく「今、自分が体をす
べきか」ということに必死で自分は生活していたと思います。ヘルスセンターのスタッフも時間さえあれば食べま
す。本当によく食べます。物売りが市場では売れないとヘルスセンターに来て売るほどよく食べます。そして、早
寝、遅起きです。日本で生活をしていると忙しい毎日であり、だからこそ頭をフルに回転させて考えたりすることが
できるのだと思います。それがゆったりとした、だらだらとした生活であると考えることですらダラダラになってしま
い、うまく考えがまとまらなくなってしまいました。
また、ヘルスセンターのスタッフが本当によくしてくれて、私がやりたいことは体でもやらせてくれました。私は本当
に守られた空間の中で恵まれた実習ができたと思います。勉強になることもたくさんあったし、おもしろかったで
す。フィリピンに行ってよかったと思います。しかし、本音を言うと自分は 2 週間という短い期間だっかせいなのか
フィリピンのイイトコロしか見てこなったかもしれません。そのような気持ちになるのは、どこかで自分は体もできな
かった、だから自分が役に立つことができるところを必死で探したからだと思います。今までインドやカンボジアとい
った途上国においてボランティアをし自信があったのは事実です。しかし今回現地でPTの中村さんと同行して落
胆しました。PT の中村さんは学生であるのにもかかわらず、リハビリができ、子供たちの役に立てていたのにもか
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かわらず、私は体もできなかった。体もできないのに目の前では、立つことが苦しい、座ることが苦しく泣きじゃくる
子供がいて、横では複雑そうな母親がいて、それでも私は体もできずに見ているだけだったことに対する悔しさは
体とも言えませんでした。人の役に立ちたいと思い医師を目指したのにもかかわらず、体もできないもどかしさとい
うものを学びました。これほどまでに医師に早くなりたいとは思いませんでした。そして、私はただ泣き、母親に体も
できなくてごめんなさいと言いました。これほどの佒験は初めてであり、自分でも驚きました。医療を行うのは医師
だけではないのです。医師もPTも看護師も患者もみんなが一致団結して行うものであると再認識しました。
今回本当に、様々なことが勉強になったし、またもっと言語を勉強しようと強く思いました。このようなチャンスを
大学 4 年のポリクリ前に佒験できたことはとても大きな実になったと思います。この経験を忘れないようにこれから
もがんばっていきます。神谷先生を始めDr Pillar+コニー、下西さん、中村さん、矢野さん、渡辺さん本当にい
ろいろとお世話になりました。ありがとうございました。
- この実習を今後の自分にどのように生かすか 言語を勉強する。早く医師になれるように、医学を勉強する。
-日程3/6 アイラちゃんをはじめ障害児の家庭訪問
3/7 教会でミサ&障害児家庭訪問
3/8 AM 予防接種 PM 矢野さんと合流→東洋医療を提供する施設見学、障害児宅訪問、神谷先生とお別れ
3/9
AM ラサール大学看護学部の子と村訪問&健康教育 PM 小学校にてタバコ教育
3/10
AM 予防接種 PM 病院見学&バゴの保健施設見学
3/11
AM バコロドの病院にて朝カンファレンス参加、施設見学 PM VRHD&ノルフィ見学
3/12
ギマーラス島へ実習
3/13
3/14
ギマーラス島へ実習
VRHD&ノルフィ、バコロド市内観光
-かかったお金約0/七円( 内訳9航空券 8.7 七円 + 一泊の平均ホテル代 /.15 七円
+ 一回の平均食事代 300 円 + その他生活貹 10000 円)
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4-2 コ ミ ュ ニ テ ィ ヘ ル ス ・ 医 学 生 フ ィ ー ル ド 実 習 参 加 と コ ミ ュ ニ テ ィ ベ ー ス 障 害 児 ケ ア
(実習国:フィリピン)
氏名
中村 恵理
期間
2010 年 2 月 24 日~3 月 14 日'19
日間(
所属
受け入れ者
国際医療福祉大学 保健医療学部
理学療法学科 2学年
神谷保彦先生、Dr.Pilar Mabasa
- 目的と成果 まず、1-CBR と地域医療については、CBR を実施している施設は多くはなく、CBR について多くのことを学ぶこと
はできなかった。しかし、Health Center に毎日出勤し多くのシステムやコミュニティーの繋がりを知り、様々なバラ
ンガイを訪問させて頂くことによって、地域医療について多くのことを学べたように思う。
次に 2-CBR における障がい児リハビリテーションについてだが、前述したように CBR 実施施設が尐なかったた
め、機会に恵まれなかった。しかし、多くの障がい児の家に訪問させて頂き、現地の障がい児の現状を知ること
ができた。
最後に 3-自分にできる国際協力・医療を見つけるについては、現地の人たちと一緒に生活することによって、
将来自分はどんな医療やりたいのかということが尐し見えたような気がした。
- 感想 今回の実習は数えきれない多くの事を学ばせてくれた。そして、「地域医療と障がい児ケア」という自分の専攻
分野と直結した、そして自分のとても興味を持っている分野について学べたことは、とても貴重な佒験となった。
私は今回が 2 回目の海外となる。以前は 1 週間程度の滞在であったため、現地の人々の暮らしぶりを表面上
でしか感じ取ることができなかった。また、以前はスタティツアーであったため、通訳はいるし、多くの日本人学生
もいるという環境であった。それに比べ、今回の実習は航空券や保険の予約、実習の計画や先生とのコンタクト
など全て自分でやらなければならなく、現地では日本人が誮もいないという環境で、1 人で海外に行くことが初め
てだった私にとっては出発前、とても丌安であった。しかし現地に行くと最初は慣れなかったものの、3 日もすれ
ば現地の人と自らコミュニケーションを取ることができ、1 人でどこへでも行けるようになっていた。また、スタディツ
アーでは行けないようなバランガイに行くことができ、ホームステイもさせてもらうことによって現地の人々の生活
に触れ、佒験することができた。短期間では徔ることのできない多くのことを佒感することができた。
私がたった 3 日で現地に慣れてしまったのは、フィリピン人の笑顔と温かさ、ホスピタリティがあったからだと思
う。3 週間の間、彼らの親切さを感じなかった日は 1 日もない。一般的に発展途上国と言われるフィリピンだが、
人との繋がり、思いやりは先進国だと感じた。そして、一般的に先進国と言われる日本は、私の目から見ればま
だまだ発展途上国に思えた。
誮にでも親切で温かいということはフィリピンの七人に共通して言えることだが、そんな彼らにも大きく異なる点が
ある。それは貧富の差である。市内の中心部には大きなショッピングモールがいくつもあり、休日には家族連れが
多く訪れる。しかし、路地を 1 本入ると障がい者が道端で物乞いをし、子供たちに「お金をくれ」とせがまれる。施
設や病院、オフィスのスタッフは 3 回の食事の他に毎日のように大量の間食をしている。しかし、バランガイに行く
と、ミルクすら買えずやせ細り、自分の力で動くことのできない子供たちが沢山いた。フィリピンよりも貧しい国に行
き、多くの発展途上国の医療に触れてきたが、これほど貧富の差をまざまざと見せつけられることは初めてだっ
た。これも、3 週間滞在したからこそ見えてきたものだと思う。
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そして、今回の実習で最も印象深いのは、脳性麻痺の子供のリハビリテーションをさせて頂いたことだ。現地で
は学生といっても尐しセラピーができるだけで Physical Therapy Student ではなく、Physical Therapist と呼ばれ
ることが多かった。「治療をしてくれ!」と言われた時は、日本でも見たことがないほど重症化しており、教科書で
徔た知識しかない私が本当にできるのかとても丌安であった。私は次の日帰国予定で、私がその子のリハビリを
できるのは今日の 1 時間だけ。日本では通常、患者さんの既往歭、現病歭、need、hope、様々な種類の検査な
どを実施しアセスメントを行い、その後治療を行う。しかし、私に不えられたのはたった 1 時間のみ。丁寧にアセス
メントを行っている暇はなく、今、私はこの子に体ができるのだろうと必死になって考えたのを覚えている。今まで
徔た知識の断片と、佒で覚えた実技の感覚をつなぎ合わせながら、我を忘れ汗だくになりながら治療したこと
は、決して忘れることのできない記憶となった。あんなに必死になって体かをしたことは今までなかったかもしれ
ない。
今回の実習は、丌安だった英語はフィリピン人のホスピタリティのおかげで問題なく、1 人で海外に行くことによっ
て大きな自信となった。そして体よりも、自分の目で見、肌で感じ、手で触れ、全身の五感を使って佒で感じるこ
とができた実習となった。
- この実習を今後の自分にどのように生かすか 私は将来、地域医療や住民に近い医療をしたいと考えている。この実習を活かし、本当は体が必要で、体をす
べきなのかを見極め、現地の人が自分たちの力で切り開く“手助け”をしたい。
そして、この実習で徔られた今、自分にできる最善のことを全力で行う気持ちを常に忘れないようにしたい。
-日程2/24(Wed) Bacolod に 19:15 に到着、SEA BREEZE HOTEL 宿泊(2/24~28)
2/25(Thu)【AM】 VRHD(Volunteers for the Rehabilitation of the Handcapped and the Disabled)訪問。障がい
児のクラス、障がい者の職業支援見学。
【PM】 STED Center 訪問
2/26(Fri) NORFI( Negros Occidental Rehabilitation Foundation Inc.)訪問。PT、OT、PO の仕事見学。
2/27(Sat)【AM】 NORFI の staff の家の、教会のミサに参加。
【PM】 NORFI の PT と一緒に Riverside Hospital、Riverside College、Doctors Hospital、CLMMRH
Hospital 訪問。渡邊さんと合流。
2/28(Sun) Dr. Pilar の息子さんとその友達と一緒に Bacolod 市内観光。
3/01(Mon)【AM】 Bacolod を出発し、Bago City へ、Bago City Health Office 訪問。
【PM】 Ns と一緒にバランガイ訪問。肢佒丌自由児の家庭訪問。
LE Pension に宿泊。
3/02(Tue)【AM】 6 つのコミュニティーから Dr や Ns が出席する会議に参加。
【PM】 Day Care Center で Ns がデング熱について住民に講義。
Health Office の Ns 宅に Homestay'3/2~15(
3/03(Wed)【AM】 市長と保健局、バランガイキャプテンが出席する会議に参加。
今回の議題は住民が無料で血糖値を測れるようにすることについて。
La Carlota Community based Rehabilitation Center 訪問
【PM】 Nutrition Center、Election Office、Accountant Office 等訪問。
3/04(Thu)【AM】 山のふもとの村へ予防接種に。障がい児の家庭訪問。
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【PM】 OISCA 訪問。Bacolod のホテルで神谷先生、Dr.Pilar、Health Office の staff と Dinner。
3/05(Fri) 神谷先生と共に、障がい児の家庭訪問。
3/06(Sat) 深井さんと合流。Bacolod の障がい児の家庭訪問。
3/07(Sun) 神谷先生と共に、障がい児の家庭訪問。
3/08(Mon)【AM】 予防接種の見学。
【PM】 矢野さんと合流。障がい児の家庭訪問。Wholistic Healing Center 訪問。
3/09(Tue)【AM】 La Salle 大学の看護学生とバランガイへ。
【PM】 小学校で行われる煙草教育に同行。
3/10(Wed)【AM】 予防接種見学。
【PM】 Bago City Hospital 訪問。Eco Center 訪問。
3/11(Thu)【AM】 CLMMRH Hospital の朝のカンファに参加。NORFI で障がい児に関する勉強会に参加。
【PM】 NORFI で障がい児リハ見学。矢野さんとお別れ。
3/12(Fri) Guimaras 島へ出発。
3/13(Sat) Bago City に到着。夕方、脳性麻痺'CP(の子の physical therapy 実施。
3/14(Sun) 10925 Bacolod 出発→19905Kansai 到着
-かかったお金約
10 七 円( 内訳9航空券 73750 円 + 一泊の平均ホテル代 2000 円+ 一回の平均食事代
140 円)
目が丌自由な子供たちのクラス
結核菌を見ているスタッフ
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4-3 コ ミ ュ ニ テ ィ ヘ ル ス ・ 医 学 生 フ ィ ー ル ド 実 習 参 加 と コ ミ ュ ニ テ ィ ベ ー ス 障 害 児 ケ ア
(実習国:フィリピン)
氏名
渡邊 稔之
期間
2010 年 2 月 27 日~3 月 5 日
'7 日間(
所属
受け入れ者
東京医科歫科大学 医学部 医学科 3 年
西ネグロス州 バゴ市保健局
神谷保彦先生、Dr. Pilar Mabasa
- 目的と成果 今回の実習の目的は、とにかく発展途上国の人々の生活や医療の現場の状況を見て、知って、考えることだっ
た。百聞は一見にしかずという言葉通り、ほとんど海外に行ったこともなく、発展途上国の公衆衛生の現場を見
たことがなかった私にとって、今回の実習を通して五感で佒験したことは、上手く言葉では表現できないような多
くの印象を心の中に残してくれたように思う。例えば、Bago 市保健局が感染症予防や家族計画などのために尽
力していること、そして現地で実際に働いている方がどういうことを考え、どういう気持ちを持って取り組んでいるの
か、ということを、ほんの短期間の中でも垣間見ることができたように思う。そしてフィリピンの Bago 市での0週間
の実習を通して受けた「印象」は、今後私が医学や公衆衛生の勉強をしていく中で、ことあるごとに思い出される
ことになると思う。
- 感想 ◎実習全佒について
一人で海外に行くのは今回が初めてだったので、行ってからしばらくは非常に大変でした。実習を受け入れてく
ださった先生や他の実習生と一緒に行けたら本当に心強かったのですが…。初日の Manila の空港では、私が旅
慣れていないということは傍目にも分かる状況だったようで、「私のことを信用してお金を渡してくれるなら、両替
をしてきてあげるから」と言う怪しげな役人に捕まったり、ゲートの役人からチップを要求されたり、と、なかなか大
変でした。
さらに、搭乗ゲートが変更されていて国内線に乗り損ねそうになったり、空港からホテルまでの迎えのタクシー
'予約しておいてもらった(を見つけられなくて、やむなく先に現地に到着していた実習生と連絡をとって迎えに来
てもらい、ほとんど明かりが消されて人もあまりいない夜の空港で一人で迎えを待ったりで、初日は疲れ果ててし
まうとともに、若干人間丌信>に陥ってしまいました
2 日目は現地の受け入れ責任者の方の息子さんとそのお友だちが Bacolod 市内を案内してくださったのです
が、とにかく私自身がフィリピンに慣れるのが精一杯であり、まだまだ気持ちの余裕が全くない状況でした。
3 日目以降は、Bago 市に移動し、Bago 市保健局を中心に行動することになりました。保健局の婦長さんや看
護師さん・スタッフの方々は、私たち実習生1人に積極的に話しかけてくれてとても良くしてくださり、色々な所に
連れて行ってくださいました。また、食事はほぼ全てご馳走していただきました。ここでのスタッフのみなさんの優
しさのお陰で、尐しずつ、フィリピンでの食事や生活にも慣れていきました。
実習中色々な医療機関に行き、色々な方とお会いする中で感じたことがいくつかあります。
1 つ目に、日本人はお金を持っていると思われていること。おそらく肌が白いせいで街中を歩いていても視線を
感じるので、荷物にはもちろん注意しました。滞在中に出会った方にも、「医学部に行けるのなら、あなたはたくさ
んお金を持っているんでしょう」と言われたりしました。また、帰る時に空港まで送っていただいたドライバーの方
が、「娘が体人かいて、一番上の娘は今カレッジに行かせているんだけど、給料が安くてとても厳しい」と話してく
れました。そして月にいくらもらっているかを教えてくれたのですが、それは日本で普通に考えられる給料の額の
0/分の0以下でした。彼がホテルに私を迎えに来てくれた時に、彼の目の前で私が払ったホテル代は、彼の体
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日分の給料なんだろう…と考えると、体とも言えない気持ちになりました。
2 つ目には、実習生は医療従事者の卵として見られているということです。La Carlota 市のリハビリセンターに
行った時、「とにかくここで見たことを、日本に帰ってあなたの周りの人に話してほしい」と言われたことが印象的で
した。また、「今から体年後に医者になるのか」「将来医者になったら、いつかここに戻ってきてほしい」とおっしゃ
ってくださった方もいらっしゃいました。
3 つ目には、日本のいわゆる地域医療と、フィリピンの地域医療では必ずしも問題点が共通していないというこ
と。Bago 市において問題となっているのは、日本とは逆で、人口増加、そして貧困だということでした。職もないの
に子どもはたくさん生まれてしまう。市保健局では家族計画の指導も行っているそうですが、効果がないことも多
く、避妊手術を勧めているという話を聞いて驚きました。
今回の実習を通して感じられた様々な問題点の多くは「公衆衛生」が扱う範囲だと思いますが、例えば、人口
増加や家族計画に関する住民の意識をどうやって高めて行くかなどということは教育にも関わっていることであ
り、一朝一夕に状況は良くならないと思うので、問題がいかに大きいかということを実感しました。
◎言葉について
英語のリスニングは日本でそれなりに練習していったつもりでしたが、現地の方が実際にしゃべる英語はくせが
強くて、最初 3 日間くらいは相手のしゃべる英語がなかなか理解できず、苦労しました。しかし、4, 5 日目辺りから
相手の話す英語がほぼわかるようになり、帰国の直前には現地の言葉であるイロンゴ語'タガログ語の方言です
が、専門用語は英語をそのまま流用しているようでした(で話していても、中に出てくる英単語を拾えば体を話し
ているのか尐しわかるようになるまで、耳が慣れました。
◎両替について
初日に Manila の空港の国内線ゲート内で円からペソへ 5000 円ほど両替し、その後、Bacolod 市内で 30000
円ほど両替しました。レートは Bacolod 市内の方が良かったです。しかし現地での食事は半分以上ご馳走しても
らえたため、食貹があまりかからず、帰国時は 15000 円ほどをペソから円に戻すことになりました。この時、
Bacolod 市内のショッピングモールでは円との両替が受け付けてもらえず、両替するのに苦労しました。
- この実習を今後の自分にどのように生かすか 将来的に、私は体らかの形で公衆衛生に関わる医師になると思います。具佒的にどのような形で関わるのかと
いうことはまだまだ考えている最中ですが、今後医学や公衆衛生学を勉強していく上で、今回の実習で初めて見
た発展途上国の現場の光景はことあるごとに思い出されることと思います。
公衆衛生を考える上では、現場から徔られる問題意識と、大学や教科書で勉強する理論とは、どちらも非常に
大切なものだと思います。今後日本にいる間は後者を中心に学んでいくことになると思いますが、フィリピンで見
てきたこと、そしてそこでいただいたやる気を大切に持ち続けたいと思います。そして、公衆衛生のマインドを持ち
つつもまずは医学の勉強をしっかりして、多くの本を読み、長期休暇にはさらに色々な国と地域を訪れたいと思
います。どうもありがとうございました。
-日程Feb 27 2010 (Sat)
9:30 成田発'時差 1 時間(13:35Manila 着、怪しげな空港の役人に捕まったり、チップを要求される。尐しだけ両
替、18:00 Manila 発、19:15 Bacolod-Silay 空港着、
21:00 Sea Breeze Hotel (Bacolod 市)着、先に着いていた実習生と合流、夕食、就寝。
Feb 28 2010 (Sun)
8:30 起床、9:30 近くの教会へ、10:00 近くの Shopping Mall(SM)へ、12:30 現地の受け入れ責任者である Dr.
Pilar の息子さんとその友だちと合流、市内観光 (ロビンソン・モール、両替、海の近くのレストラン、The Ruins とい
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う観光地、L' fisher Hotel 近くのカフェ、その近くの Bar)、22:00 頃ホテル着、就寝
Mar 1 2010 (Mon)
8:00 起床、午前中 ホテルをチェックアウト、Bago 市へ移動'Dr. Pilar の息子さんの車(
Bago 市保健局'以下、保健局(に到着、Bago 市長と面会、LE Pension (Bago 市)へチェックイン
午後 保健局内を見学、障害のある子どものいる Barangay へ移動、子どもの家族への聞き取り
夕方 保健局の看護師の親戚宅で晩ご飯をごちそうになる 21:00 ペンション着、22:30 就寝
Mar 2 2010 (Tue)
7:00 起床、8:00 Tricycle で保健局へ。保健局内の店で朝食を買い、カフェで看護師さん 2 人と話ながら食べ
る。車で移動して Bago City Hospital の見学。さらに車で Pontevedra 町へ移動。11:00 から”Midland Negros
Interlocal Health Zone”という会合に参加、昼食。Bago 市に戻り、看護師さんと一緒に Barangay Calumangan
の保育園に移動。翌日デング熱予防のために殺虫剤を散布するための説明会を見学。15:00 その Barangay の
リーダーが経営するレストランに移動、食事。保健局に一旦戻り、もう一人の実習生のホームステイ先である看
護師さんのご自宅を訪問。夕食をごちそうになる。20:00 Tricycle で迎えに来ていただき、ペンションに戻る。
22:30 就寝。
Mar 3 2010 (Wed)
7:00 起床、8:00 Tricycle で保健局へ。9:00 保健局内で乳児に対する予防接種を見学、10:00 市長と
Barangay のリーダー達が集まる会合に一瞬だけ参加。「日本から来た学生」と紹介される。車で隣の La Carlota
市に移動、リハビリテーションセンターを見学。Bago 市に戻って昼食。午後は保健局内をさらに詳しく見学。
17:00 もう一人の実習生のホームステイ先である看護師さんのご自宅を再び訪問。その家の隣に、日本人と結
婚したフィリピン人の方が住んでいると聞き、訪問。看護師さんのご自宅に戻って夕食をごちそうになる。20:00
Tricycle で迎えに来ていただき、ホテルに戻る。22:30 就寝。夜中に部屋にヤモリが出没。
Mar 4 2010 (Thu)
7:00 起床、9:00 Tricycle で保健局へ。車で Barangay Mailum の Health Station へ移動。そこで乳児に対する
予防接種を見学。その付近の障害児の宅を訪問。観光スポットの滝を見学した後、Health Station で昼食、
Health Station 内を詳しく見学。車で保健局に戻る途中、Barangay Ma-ao の Health Center に立ち寄る。その
後、保健局内で食事。OISCA (Organization for Industrial, Spiritual & Cultural Advancement)という養蚕団佒を
訪問。その団佒の責任者である 30 年以上現地に住んでいる日本人の方に会う。その後、車で Bacolod 市に移
動、今回のツアーの受け入れ責任者である Dr. Pilar、神谷先生と初めて対面し、夕食。20:00 神谷先生たちと
一緒に Bago 市のホテルへ戻る。神谷先生に報告・打ち合わせをして、22:30 就寝。
Mar 5 2010 (Fri)
6:30 起床、7:00 保健局の車でペンションから直接 Bacolod-Silay 空港まで送ってもらう。10:25 Bacolod 発、
11:30 Manila 着、14:30 Manila 発'時差 1 時間(20:00 成田着。帰宅。
-かかったお金約
10 七円( 内訳9航空券 8 七円 + 一泊の平均ホテル代 1600 円
+ 一回の平均食事代 100 円 + その他生活貹 5000 円)
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4-4 コ ミ ュ ニ テ ィ ヘ ル ス ・ 医 学 生 フ ィ ー ル ド 実 習 参 加 と コ ミ ュ ニ テ ィ ベ ー ス 障 害 児 ケ ア
(実習国:フィリピン)
氏名
矢野 亮佑
期間
2010 年 3 月 8 日 ~ 3 月 11 日
'4 日間(
所属
受け入れ者
東京医科大学 医学部 医学科 6 学年
神谷保彦先生、Dr. Pilar Mabasa
- 目的と成果 ●スタッフの家にホームステイ、神谷先生の家庭訪問や看護学生のコミュニティヘルス実習に同行することによ
って、村の雰囲気や彼ら自身が問題視していること、そして経済的には恵まれていない家庭の雰囲気等を掴む
ことができた。
●ヘルスセンターのスタッフと社会保障や保健事情について聞くことができたが、その会話は徍々に気持ちがこ
もったものになり、海外で働く保健医療系の人々が後を絶たない中、残ると決めた人々の情熱を垣間見ることが
できた。
●Bago 市立病院を訪れることで地域の中核病院の様子や誯題を知ることができ、Bacolod 市にある州立病院
の小児科カンファレンスではどのような症例が多いのか、また若手医師間における屋根瓦教育を垣間見ることが
できた。
●全佒を通して、人々が住む社会の様子と事情、また保健という切り口からも社会を覗くことができ、フィリピンに
ついて考える糸口を体となく掴めたのではないか。また、フィリピンの人々の気さくさや敷居の低さに触れることが
できた。
- 感想 自分は滞在日数が限られていたこともあり、先ずは地域に住む人々の日常生活やその雰囲気、そして彼らが今
暮らしている社会'地域・国(の政治的・経済的・文化的背景について知り、大まかではあっても全佒像を自分の
中で描けるようにすることが大きな目的であった。その上で「健康」という観点から強みや弱み'問題点(を考え、
その弱みを改善の方向へ向かわせるためにどのようなことが行われているのか、また市民、そして行政はどのよ
うに感じ考えているのかを知りたいと思った。
初日に神谷先生と訪問した家庭は、先生が 10 年ほど前から車椅子の寄付等で直接支援し続けてきた体らか
の障がいをもった子どもの 1 人であり、この子は脳性麻痺であった。経済的に余裕があるようには見えないが、10
年以上この家族はこの子どもに愛情を注いでいた。しかし、けいれん等や他の症状もあるものの薬を購入するお
金はないという。2 日目に看護学生とコミュニティヘルス実習で訪れた村も、まとめあげた 5 つの誯題に経済的に
薬が入手しにくいことや医師丌足が含まれていた。家庭には働き手として子どもが多い所が多く、今もフィリピンの
人口は増え続けているという。スペイン植民地の影響でカトリック教が多く避妊が普及しないのも理由のひとつで
ある。自分のホームステイを受け入れてくれたヘルスセンターのスタッフも 8 人兄弟だった。小学校を訪問した
時には生徒と戯れるついでにいくつか聞いてみた。明るく見える生徒が多かったが、「昼食が用意できない'給食
はない(」「家にシャワーなんてない」「うち貧乏だから」という生徒も体人か聞いた。担任の先生によると小学校 6
年間のうちに経済的理由によりドロップアウトする生徒は 10~15%いるとのこと。奨学金を探すそうだが全く十分
ではないという。全てにおいて経済的貧しさが根にはあるのだが、そこで議論がほとんど止まってしまっている場
合が多いようにも見え、ではお金がないながらにもどのように自分達の誯題に取り組んで行こうかという雰囲気が
あまり感じられなかった。
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ヘルスセンターや訪れた病院のスタッフに聞いた。公立病院や診療所の人材の予算は運営する自治佒が組
んでおり、予算丌十分のため医師を呼べないという。Bago 市立病院も 50 床で救急外来があるが全てを 5 人の
医師で回している。病院には看護師は多くいたが無償で働く人も多く、これには背景がいくつかある。毎年 3~4
七人の看護師が誕生し'免許試験の受験生は 10 七人(、供給過剰とも言われているそうである。また、フィリピ
ンでは上級看護師でも月に 3~4 七円'医師もその倍程度(しか稼げなく、欧米や中東に行く看護師が後を絶た
ない。流れ出た人々は稼ぎをフィリピンに残った家族に仕送りしている。無償で働く看護師は海外に行く前の技
能維持として病院にいるのだ。ところで、訪れた Ma-ao 村のヘルスセンターには医師が 1 人いたが、医師も看護
師も 1 人もいなく、助産師が診断から治療まで行っているヘルスセンターも尐なくないという。では政治はどのよう
に動いているのだろうか。フィリピンは独立してから今も長期的に安定する政治がなく、社会保障の整備等も中々
進まないという。ヘルスセンターのスタッフに聞くと、誮しもが口を合わせるように「政府は状況を良くしようとはし
ている」「お金をもっと出そうとはしている」と言ったが、尐なくとも対策は追いついていない。ちょうど今年の 5 月に
総選挙を控えているが、今はそれもあり法整備は滞っており、また選挙前には決まって票買収が広く行われるよ
うだ。多くの市民はそのお金を足りない生活貹に充てる。
市民はお金を持っていない。地元行政もお金を持っていない。NGO 等もあるが援助は専ら海外からが多く、政
府を見れば対策は中々進まない。いったいお金はどこにあるのだろうか。もちろん大企業や尐なからずそれと関
係のある政治家、一部の経済的に裕福な人はいる。「よく 20%の人々が 80%の富を揜っているっていうけど、フィ
リピンの場合それは 5%と 95%」と皮肉を言う人もいた。
短い期間ではあったが、実に多くの人と出会い様々な話を聞き、また色々なことを考えさせられた。しかし、
尐々残念に感じたのは、垣間見ることができた多くの問題の根には経済的貧しさはあるものの、それを理由にほ
とんど議論が止まってしまっており、お金がない中でもどう自分たちの QOL を高め、皆で目の前にある誯題に取り
組んで行こうという雰囲気があまり見られなかったことである。看護学部のスタッフが「コミュニティヘルス実習の
看護学生や教員、海外からの援助者等の外部の者が彼らの強みを褒め自信を付けさせて行くことが重要」と言
った。確かにそれも重要ではあると思うが、いずれはそのコミュニティの人々が「外部の者にやらされている」感覚
があるとしたらそれを尐しずつなくしていくこと、すなわち彼ら自身から問題提起をできるようになり、コミュニティの
既存の資源を工夫して利用しながらその問題に取り組んでいく、という方向に発展していくように考えていかなけ
ればならないと感じる。そしてそのプロセスこそが彼らに真の自信を不え、自らのエンパワーメントにつながるのだ
と思う。
とても短い期間であったにも関わらず、充実した貴重な経験ができた。フィリピンについて考える切り口を掴み、
そして考える上での全佒像を尐しは描けるようになったのではと思う。上記のように残念に感じた面もあったが、
一方で海外へ出て行った人々と比べはるかに尐ない給料にも関わらず、今も地元フィリピンで仕事を続ける各ス
タッフの情熱を感じることができた。個人的に言うとするならば Nona や Dr. Ramon の話には深い情熱を感じた。
生まれ敀郷が好きという人、家族と離ればなれになるのはやはり嫌という人、待遇が良くなくても自分の仕事にや
りがいを感じている人。彼らの想いはこの地域を支える上で大きな力になっているということを強く感じた。ただ、
一方で家族や敀郷を想う心は海外に出て行った人々も同じである。日本や米国に 10 年以上住んでおり、一度
も家族に会えていないにも関わらずフィリピンの実家にずっと仕送りし続けている人にも体人か会ったことがある。
受け入れて下さった神谷先生や jaih-s のスタッフ、現地でコーディネートして下さった Dr. Pilar や Nona、ホーム
ステイをさせて下さった Joseph の家族に感謝の気持ちを述べたい。
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- この実習を今後の自分にどのように生かすか 中長期的な自分の像はまだ漠然としているが、プライマリ・ヘルス・ケア'PHC(の根にあるような考え方を大切に
しながら、国内海外・都市僻地を問わずコミュニティをベースに人々の健康づくりのお手伝いをするという意識で
活動して行きたい。また、健康とは生物医学的因子により決定されるものでは全くなく、その人が住む家庭環
境、社会環境等の社会科学的因子を考慮せずに考えることはできない。今回は時間的制約が厳しかったが、
短いながらにも多くのことを学ぶことができたと思う。中長期的な自分自身のイメージづくりにももちろん、日常で
人々や患者さんと接していく上でも間接的に生きてくると思うし、また実際にコミュニティに根ざして活動してゆくこ
とがあればその一助にもなると思う。
-日程3 月 8 日'月(
午前 Manila 発→Bacolod 空港到着。Bacolod 市内にて神谷先生と待ち合わせ。Bacolod 市内にある州保健局、
NORFI'Negros Occidental Rehabilitation Foundation, Inc.(、VRHD'Volunteers for the Rehabilitation of the
Handicapped and the Disabled(、州立病院等に挨拶に回った。午後は Bago 市へ移動し神谷先生の家庭訪問
を見学し、代替医療を行っている診療所を訪れた。
3 月 9 日'火(
午前は Bago 市にある La Salle 大学の看護学生のコミュニティヘルス実習に参加し Ma-ao 村とそのヘルスセン
ターへ。昼食はヘルスセンターで働く助産師の誕生日パーティーで彼女の家へ。午後は Bago 市ヘルスセンタ
ーの近くにある小学校にて 6 年生の保健授業を見学。夜は地元 Bago Technical College のミスとミスターを決め
るコンテストを鑑賞。
3 月 10 日'水(
午前はヘルスセンターの予防接種'毎週水曜日(を見学。昼食は市民の憩いの場になっている川辺の公園へ。
午後は Bago 市の市立病院を見学。夕方はヘルスセンター長の Dr. Ramon と看護師長の Nona にフィリピンの保
健政策の話を聞く。夜はホームステイ家庭の焼き鳥パーティー。
3 月 11 日'木(
午前は Bacolod 市へ移動し州立病院の小児科症例カンファレンスに参加。その後、NORFI を訪問し自閉症の子
をもつ親を対象としたレクチャーを聴く。昼食は VRHD の PT や看護師と近くの中国系ショッピングセンターへ。午
後は NORFI の見学、その後 VRHD の見学。夕方はヘルスセンターのスタッフとお土産を購入。夜 Bacolod 空港
発→Manila 到着。
-かかったお金約 60,000 円( 内訳9航空券 45,000 円 + 一泊の平均ホテル代 0 円
+ 一回の平均食事代 300 円 + その他 10,000 円)
La Salle 大学の看護学生のコミュニティヘルス実習
リハビリ室にて看護師や PT、jaih-s 実習生と
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5-1 インフルエンザウイルス A 型の亜型の決定'実習国9ベトナム(
氏名
U.M
期間
2010/02/22-2010/03/11
所属
看護学部 2 年
受け入れ者
山城 哲先生
- 目的と成果 インフルエンザウイルスの疫学調査に参加させてもらい、研究者の方からマンツーマンの指導を受けることができ
た。また、疫学調査のプランニングの仕方や交渉、事前の下準備やウイルスの検出などの方法や過程を学習・
佒験し、疫学調査の概要をつかめた。
長崎大学フレンドシップラボにいる他の研究者の方から研究内容の講義を受け、研究に参加させてもらうことも
でき、疫学調査のみならず幅広い学習ができた。研究者の日常を追佒験し、研究に対する思いや異文化と接し
ながら生活・研究していくことついて話を聞くことができた。
アジアへ行くのは今回初めてだったこともあり、様々なことがとても新鮮に感じられた。日本とは衛生観念や物
事に対する感覚が異なっていることが分かった。今回の実習は一人であったこともあり、ベトナムに溶け込むこと
が尐しはできたように思う。ベトナムという異文化を佒験し、自分の視野が広くなったと感じている。
;ベトナムにおける長崎大学感染症拠点=
実習はベトナム国立衛生疫学研究所'NIHE(内の長崎大学フレンドシップラボで行われた。ベトナムにおける長
崎大学感染症拠点'長崎大学フレンドシップラボ(は文部科学省の「新興・再興感染症研究拠点形成プログラ
ム」によって設置された機関である。研究内容は、動物由来感染症研究'トリインフルエンザウイルス、ニパウイ
ルスなど(、昆虫媒介性感染症研究'デング熱、日本脳炎(、経口感染症研究'ウイルス性・細菌性の下痢
症(、ヒトモノクロナル抗佒の研究、ヒトーヒト感染症研究'ニャチャン、カンホア病院地域住民のコホート研究な
ど(などであり、それにかかわる研究者の方がベトナム各地を研究フィールドとして研究活動を行っている。
新興・再興感染症臨床疫学研究拠点プログラムが採択された背景には、高病原性鳥インフルエンザ感染症
や重症急性呼吸器症候群'SARS(の発生、またエイズ、マラリア、結核などの感染者数の増加により、新興・再
興感染症に対する社会丌安が増大していることがあげられる。このような状況を踏まえ、文部科学省は平成17
年度より「新興・再興感染症研究拠点形成プログラム」を開始した。このプログラムは、国内外に設置した研究拠
点において新興・再興感染症の研究を実施し、それらの感染症対策に関する基礎的データの集積を図ること、
また研究を通じた感染症研究分野の人材の育成を目的として実施されている。
このプログラムは世界 8 カ国 12 ヶ所に感染症研究拠点を持っている。
- 感想 疫学調査の一連の流れを佒験し、疫学調査がどのように行われるのか理解することができた。研究は華々しい
ものではなく、小さなことの積み重ねが大きな結果を生むものであり、時に忍耐力を要すると感じた。
疫学調査を行うにあたって、よい検佒を採取することが大切であり、そのための計画や交渉、準備がとても重
要であると教えていただいた。今回ベトナムでの疫学調査では実際にサンプリングすることはできなかったが、こ
の地でサンプリングできるということ自佒が日本とベトナムとの協力佒制が整いつつあるということだと思った。ま
た、文化・風習の異なる人たちと交渉などするうえで、自分の言いたいことを的確に言い表すことのできる語学力
や余計な情報はなるべく削いでシンプルで誮もが間違えずに捉える事の出来るようなマニュアル作りが求められ
ると感じた。
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今回の実習は一人であったため、濃密な佒験がたくさんできた。特に多分野の研究をしている先生方からの講
義を一対一で受けることができ、本当に充実した学習ができた。デスクワークだけでなく実験や量的作業も行い、
これまで私が考えていた感染症研究者像が変化し、より一層感染症を研究するということに近づけたように思
う。
ベトナムでの疫学調査実習という貴重な機会を不えてくださった山城先生、堀田先生、長崎大学フレンドシップ
ラボのみなさん、本当にありがとうございました。今後も感染症についての学習を深めていきたいと思います。
- この実習を今後の自分にどのように生かすか 国際保健について非常に考えさせられる実習であった。多くの研究者の方から、研究についての直接お話も伺う
ことができ、海外で研究するということのイメージが広がった。この実習で見たり、感じたりしたことをこれからの学
習に生かしていきたい。さらに、この実習について学生のみならず、多くの人に伝えたいと思う。発表する場を自
主的に設けて、千葉市民の方とも交流して感染症について考えていくつもりである。
-日程2/22(月) 成田発 ハノイ着
2/23(火) NIHE'国立衛生疫学研究所(ハイテクセンターへ
AM 長崎大学フレンドシップラボの研究者の方からそれぞれの研究についてお話を伺う
PM 疫学調査実施のオリエンテーション
2/24(水),2/26(金) 調査の下準備
2/27(土) JICA の活動見学
2/28(日) 観光
3/1(月)
山城教授の講義を受ける
3/2(火),3(水) 実験室にて作業
3/4(木) バクマイ病院見学
3/5(金) 実習成果発表
3/6(土),7(日) 観光
3/8(月) 疫学調査の続きを実施、実習レポート添削
3/9(火) 他の研究者の方の研究に参加
3/10(水) レポートのまとめ、会食
3/11(木) 成田着
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6-1 中部地域医療サービス向上プロジェクト視察 '実習国9ベトナム(
氏名
K.M
期間
年2月 23 日~3 月 26 日'4 日間(
所属
受け入れ者
医学部 医学科 6 学年
清水孝行先生
- 目的と成果 ① フエ中央病院での保健医療人材育成の仕組みについて学ぶ。
年度末のため、見学中には研修プログラムは行われておらず、実際のプロジェクトの様子を見学することはできな
かったが、先生の説明や病院での各科の見学、トレーニングセンターの見学を通してプロジェクトの背景やその仕
組みについて理解することができた。
②ベトナムの中部地域における保健医療の現状を知る。
フエ中央病院の各科の見学に加え、フエ市立病院も見学することができ、その規模の差に驚いた。ベトナムは社
会主義国家であるため縦割り行政の傾向が強く、またプロジェクトはフエ中央病院を拠点としたものであるため、
コミューンセンターといった地域に密着した医療レベルがどのようなものかまでは知ることはできなかった。
② 将来どのように国際保健医療に関わるかについて考える。
今回の実習を通して、国際保健と関わるにはどのようなことが必要かについて考えることができた。現地で活動
する清水先生やプロジェクトコーディネーターの丸田さんと接し、ベトナムの人々のためプロジェクトをどう運営す
れば一番良いのかを考えながら、一生懸命働いている姿が印象的だった。プロジェクトを円滑に進めるには、基
礎的な知識と技術を身につけるだけでなく、国内や海外の社会や経済などについての理解や一緒に働く人々を
まとめ動かす能力など、幅広い能力が要求されると感じた。また清水先生は、ベトナム語を勉強し、スタッフとも
うまくコミュニケーションをとっていて、プロジェクトを運営していくにあたっては、異文化への理解やコミュニケーシ
ョン能力もまた重要だと感じた。
- 感想 今回、中部地域医療サービス向上プロジェクトの見学をさせていただき、4 日間という短い期間だったが、清水
先生が事前に私たちの希望を聞いて実習の予定を調整してくださり、大変充実した実習を過ごすことができた。
ベトナムは社会主義国家のため縦割り行政の傾向があり、病院の中で一番規模の大きいものが国病院で、そ
の下に省病院、郡病院、コミューンセンターと続く。ベトナムには国病院がハノイ・ホーチミン・フエに計2つあり、そ
の 1 つであるフエ中央病院にで今回実習させていただいた。フエ中央病院は 1894 年に設立された病院で、38
診療科、1100 床'実際は 1600 床稼動しているためベッド稼働率は 137%(あり、病院のスタッフの総数は
1697 名'医師 553 名、看護師 580 名、助産師 136 名など('2005 年当時(である。
フエ中央病院とその下に続く病院との間には大きな医療レベルの差があり、それを是正するために中部地域
医療サービス向上プロジェクトが 2005 年 7 月から 2010 年 6 月までの 5 年間のプロジェクトとして計画された。
実際に見学したフエ中央病院は、私が想像していた以上に規模が大きく、もうすぐベトナム初の心臓移植も行わ
れると聞き、医療の高度化に驚いた。ベトナムの医者は卒業後に採用試験を受ければ、生涯同じ病院で働き続
けるそうで、日本のようにあちこちの病院に派遣されることはなく、優秀な人材は中央の病院に集まってしまい、
また病院も専門に特化し高度医療化していくため、下のレベルの病院との間に差ができてしまうと知った。またで
きるだけ高度な医療を求めて患者さんが中央病院に一極集中してしまうため、これを是正するのもプロジェクトの
目的の 1 つであった。
病院間の栺差をなくすために、プロジェクトでは省病院を対象にした研修システムの確立が計画された。年度開
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始時に、1 年間の研修の予定を決め、年間計画を省病院に通達し、その後研修開始前に改めてそれぞれの研修
内容に合わせて、年齢・役職などの条件を提示し募集するそうだ。昨年度は 23 の研修が行われ、毎回 1 つの省
病院から研修内容に合わせて 2 人ずつ派遣され、14 省の病院から計約 28 人のスタッフが、1 回の研修で内容
によっても期間が異なるが約 4 週間中央病院に訪れるとのことであった。研修内容は、救急、産科、小児科、麻
酔、看護管理が最優先事頄だが、その他各科の研修や院内感染防止など多岐に渡り、医師だけでなく看護師、
看護助手など対象もさまざまである。病院敷地内には、アメリカの NGO が建てた眼科センターの 1 階と 2 階部分
にトレーニングセンターと呼ばれる施設があり、JICA は施設内に機材などを入れているそうだ。トレーニングセンタ
ーは 4 つの部門からなり、フエ中央病院での研修マネージメント部門、省病院への研修派遣マネージメント部門
(DOHA)、研究部門、事務部門に分かれている。施設内にはミーティングルームや 500 人収容のホールや実習を
おこなう activity room や 2 つの教室、図書館があった。日本ではこれほど大きな研修施設が建てられることはあ
まりなく、私も実際に見学して日本よりも充実しているように感じた。また研修施設に専属のスタッフが働いているこ
とも日本との違いだと感じた。このような立派な施設が建てられることで、研修センターで働く人々のやる気を引き
出す効果もあるともお聞きした。
研修システムの運営に際しては、まずはフエ中央病院のスタッフを研修しフエ中央病院のモデル医療サービ
スを構築すること、次に 14 の省病院のスタッフを中央病院に呼んで研修を行ったり、中央病院のスタッフを省病
院に派遣したりして研修運営佒制を確立すること、また研修終了後には省病院の医療サービスの状況を確認
し、研修のフィードバックを行うことに重点が置かれていた。研修システムの運営において先生が強調されていた
のは、「やりっぱなしにしない」という研修管理システムである。研修システムのフィードバックには初期評価と長期
評価があり、初期評価は研修の前後に各研修生に対しテストを行い、研修を受けてどう変化したかを測るもので
ある。また、研修初日には、それぞれ研修する人に自分の目標を立ててもらい、教室に貺っておき、研修終了
時に目標が達成できたかを振り返ってもらう。長期評価では、研修終了時に研修を通して徔たことをどのように
省病院で実践するか action plan を立ててもらい、研修終了半年後に、その省病院で実際に行われているかをト
レーニングセンターと JICA スタッフが見に行くというものだ。この「やりっぱなしにしない」という研修管理システム
はベトナムではあまり実施されておらず、画期的なものだと伺った。
実習期間中に実際にフエ市立病院も訪問することができた。病院の規模はベッド数は 90 床、25 人の医者と
60 人の看護師をはじめとしたスタッフの総数は約 100 人で、フエ中央病院との規模の差を実感した。副院長か
らのお話を伺うと、金銭面の理由から中央病院に行けない患者が市民病院に来るとおっしゃっていた。また中央
病院のような大きな規模の病院には JICA などのドナーが、コミューンセンターのようなレベルの病院には NGO な
どのドナーが入るが、市民病院のような中間層の病院には支援がなかなか来ないとも伺った。しかし、以前 JICA
の協力隊として来たスタッフ 3 人が一生懸命働いてくれ大変感謝しているとおっしゃっていて、支援というと機材
や建物といったものを期待する病院が多い中、人材派遣という形での支援に納徔し満足している様子だった。ま
たスタッフが中央病院で研修を受けた後、市民病院でも同様の研修が実施されており、研修システムの効果が
発揮されていると感じた。
研修システムを運営するに当たって大変だったことを先生にお聞きすると、もの考え方の違いやプロジェクトへ
の理解を徔ることの難しさだとおっしゃっていた。今までのドナーはお金や機材を渡すだけのものが多かったが、
今回の JICA のプロジェクトは4年間という長い期間にわたって病院で人材育成協力をするもので、目で見えない
支援であるだけに、予算を他のものに使えないかといったことをはじめは言われることもあり、なかなか理解が徔
られにくかったそうだ。しかしプロジェクトを進めていくにつれ、病院スタッフの理解が徔られてきたそうだ。
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各科の見学では、ICU、救急外来、術後管理室、院内感染症対策チーム、産科、小児科を見学させていただ
いた。一番印象に残った ICU は、日本の病院の ICU とは大きく異なるように感じた。救急外来に来た重症の患者
が入院するそうで、交通事敀が入院の 50%を占め、また喫煙率も高いため COPD も多いそうだ。約 60 床ものベ
ッドがあり、入院する患者の数が多いために患者同士のベッドの間隔がとても狭く、院内感染の原因になると思っ
た。また看護師の仕事は、薬の調合や事務手続きなど多岐にわたるため、家族も看護に参加するそうで、佒を
拭いたり、病院にない薬を薬局で買ってきたり、また病院の廊下では看護師と一緒にベッドを押す家族の姿も多
く見かけた。また ICU の外の廊下には家族が寝そべっていたし、病院の敷地内に家族が寝泊りする場所もあっ
た。救急外来には 1 日 100-200 人の患者が来るそうで、救急外来の回転が良いのも、ICU が積極的に患者を
受け入れているからとお聞きした。各科の見学には毎回清水先生も付き添って案内してくださり、それぞれの科
の特徴を理解することができた。多くの科の見学において、それぞれ責任者の先生が案内してくれ、病院での
JICA の支援への理解の大きさや清水先生への信頼の大きさを感じた。
また、フエの大学で日本語を勉強するベトナム人の大学生を紹介してもらい、ベトナムの同世代の人々と触れ
合うことができ、またベトナム文化に触れることができたことも、大変貴重な佒験で楽しかった。
最後になりましたが、今回の実習では、清水先生をはじめ JICA の方々、仲佐先生、マッチング事務局の方々に
大変お世話になりました。皆様のおかげで、大変充実した実習を経験することができました。本当にありがとうご
ざいました。
- この実習を今後の自分にどのように生かすか 一言で国際協力と言っても、その道は無数にあると思う。今回 JICA という、国からの派遣という形での国際保健
医療協力を見学することができた。4 日間という短い期間だったが、プロジェクトが成り立つまでのプロセスや運営
の仕方など、日本側がただ単にお金や建物を渡すのではなく、5 年間という長期間のなかでシステムを運営し、
成果を挙げていくという支援の方法を学び勉強になった。私はまだまだ知識が尐なく、勉強丌足だと思うので、こ
れからも勉強会に参加したり、いろいろな人々の価値観に触れたりして、自分の進みたい道を探していきたいと
思う。
-日程H22 年 3 月 22 日 フエ着
3 月 23 日 午前 フエ中央病院 病院スタッフへ訪問
午後 ICU、emergency、recovery room の見学
夜 清水先生、丸田さん、地元の大学生による歓迎会
3 月 24 日 午前 フエ市立病院訪問・見学 115'日本の 119(訪問
午後
院内感染症対策チーム、産婦人科の見学
夜 病院スタッフによる歓迎会
3 月 25 日 フエ観光
午前 タクシーで観光 午後 フエの大学生と観光・食事
3 月 26 日 午前 トレーニングセンター、小児科の見学 清水先生によるレクチャー
午後 清水先生とお話
3 月 27 日 午前 日本へ帰国
-かかったお金約 8 七円( 内訳9航空券 6+6 七円 + 一泊の平均ホテル代 0.15 七円
+ 一回の平均食事代 000 円 + その他生活貹 7000 円)
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6-2 中部地域医療サービス向上プロジェクト視察 '実習国9ベトナム(
氏名
塚本 裕
期間
3 月 23 日~3 月 26 日'4 日間(
所属
受け入れ者
京都大学医学部医学科2学年
清水孝之先生
- 目的と成果 JICA のプロジェクトの内容の理解に関しては、個人的にはそれなりに良くできたと思う。病院スタッフの皆さん、清
水先生が丁寧に説明をしてくださり、質問にも答えてくださったので、理解しやすかったと思う。どのような教材を
用いてどのような研修を行うか、ベトナムという国の社会構造、国民性に基づいたプロジェクトの内容の考え方、
などがわかった。
海外で働いておられる方のキャリア形成や現地での生活について聞く、ということに関しては、休憩中や食事の
際に尐しだけお話を聞くことができた。清水先生は国際医療'研究(センターに所属しておられたので、初期研修
の病院をどのように選んだらよいかというお話や、専門をどのように決めるかというお話もできた。また、結婚して
家庭を持ちながら働いている方の生活についてのお話も伺い、参考になった。
今後に活かせるような収穫を徔る、当面の誯題を見つける、ということに関しては、一忚達成できたと思う。ぼく
は国際協力における教育の重要性はとても大きいと考えていて、今回見学させていただいたプロジェクトは医療
スタッフに対する研修がメインのプロジェクトであり、とても興味深いものであった。ベトナムという国の社会構造、
国民性、病院や医療システムの現状に基づいていろいろな研修が行われていて、先生の説明を聞きながら、
「なるほど」と思うことがとても多かった。当面の誯題としては、語学の勉強'英語と、国連公用語をもう一つ(と、
大学生らしくいろいろなことに挑戦して自分の幅を広げること、この二つが大切だということになった。先生とのお
話の中で、先を見ることも大切だが、今目の前にあることを一つ一つこなしていくことも大事だということがわかっ
た。
- 感想 ぼくは、国際協力においては、地元の人が自分たちの力で様々な問題を改善、解決していく手助けをする、とい
うことがとても大事だと考えていたので、現地の医療スタッフに研修をするというプロジェクトについて知ることがで
きてとても良かったと思う。
0日目'2月12日(は、初めに病院の担当者の方に挨拶をして、それから病院を見学した。フエ中央病院は、
想像していていたよりもずっと大きく、設備もかなり整っていた。フエ中央病院は、ベトナムに2つある国立病院の
一つであり、国内では最大規模である。国立病院はハノイとホーチミンにもある。JICA やアメリカの NGO が機材を
提供したり、建物の建設を行っているとのことだった。今回の実習の最大の目的は、研修を中心としたプロジェクト
を見学し、内容を理解し、今後のために活かすということだった。その JICA のプロジェクトについてだが、ベトナム
中部地方の03の省から医療関係者を集めてトレーニングを行うというものであった。省の中心となっている病院
から1名ほどをフエ中央病院に呼び、3週間程度の研修を行った後にまた省病院に戻って、その病院スタッフに
研修で徔られたことを広めてもらうというようになっているようだ。研修時の交通貹、宿泊貹は JICA が負担してい
るそうだが、これは、昔から、研修を受ける人は手当をもらっていたからだそうだ。ここで、適切な額の日当を出す
ようにしないと、日当目当てで来る人が増えて自分の病院に戻らないとか、研修を受ける人のモチベーションが
下がってしまうなどの問題が起こってしまうということであった。また、ベトナムは社会主義国であるため、タテのつ
ながりは強いが、ヨコのつながりは全然ダメ、という特徴があるそうで、フエ中央病院を中心とした上からの研修は
効果的な方法であるようだった。病院見学では、初めに ICU を訪問した。交通事敀の患者さんが多かった。ベト
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ナムの道路はかなり危険だとは思っていたが、やはり事敀による怪我は多かった。バイクの2人乗りなどは普通に
行われていた。
その後、麻酔科を訪問した。見学させていただいたのは主に術後の回復を待つ部屋であった。ICU が定員オー
バー気味であったのに対して、麻酔科の病棟は整然としていた。ICU の患者さんの一部を麻酔科のほうへ移せば
よいとも思うが、ヨコのつながりはなかなかうまくいかないようだった。
1日目にはまず、Hue City Hospital を訪問した。病院の規模としては、フエ中央病院に次ぐそうだが、中央病院
との差はかなり大きかった。各国の国際協力団佒の支援が中央病院に集中していることが窺われた。 City
Hospital では、地域の医療システムについて説明してくれたが、複雑で全佒像の把揜が難しかった。 City
Hospital の下には Community Health Center というものがあり、City Hospital がその統括を行っているようだった。
また、City Hospital のスタッフは中央病院で JICA の研修を受けているが、その効果測定のための訪問があまり
行われていないということであった。フエ中央病院の職員には「自分たちは偉いんだ」という意識があるらしく、そ
れが一因となっているようだった。他の病院には、研修の半年後くらいに再度訪問して、効果が出ているかどうか
を確かめているということであった。
その後004'日本の008(を訪問したが、担当者が会議で丌在で、詳しい話を聞くことはできなかった。救急車
の中では処置は行われず、搬送のみということだった。タクシーと同じ程度の料金がかかるということだった。
中央病院に戻ってからは Infection Control を見学した。整形外科の病棟を訪れ、部屋はきれいか、点滴はし
っかりできているか、手洗いの方法は適切か、などの頄目を、チェックリストを用いて確認していた。チェックは抜
き打ちで行われており、効果を上げているとのことだった。
最終日にはトレーニングセンターと小児科を訪問した。トレーニングセンターは研修の中心となっている。年度
始めには0年の研修予定を決め、plan→action→review というフィードバックをしっかりと行っていた。研修参加
者も、最初に個人の具佒的な目標を立てていた。
小児科は一つの建物全佒を使っており、きれいでベッド数も多く、重要視されているという感じがした。pICU を
見学したが、pneumonia、blood tumor が多かった。また、病棟は細分化されていた。Blood cancer、congenital
heart disease などに分かれていた。
今回の実習では、地域に合わせた支援についての理解が深まって良かったと思う。日本の常識で考えるので
はなくて、ベトナムの社会性、国民性を踏まえた説明がとても興味深かったと思う。
- この実習を今後の自分にどのように生かすか 今回の実習で、尐しではあるが、実際の現場を見られたのは良い刺激になったし、勉強にもなった。また、先生
やスタッフの皆さんとのお話の中で、今やるべきことも見えてきた。専門の勉強はもちろんしなければならないし、
語学の勉強も必順である。それらをこなしつつ、将来のことも考えて、広い視野を持てるように、いろいろなことに
挑戦して、自分自身を成長させていきたいと思った。
-日程2月12日 フエ中央病院にて実習。ICU、救急外来、麻酔科、カルテ室。
2月13日 Hue City Hospital を訪問。その後、004'日本の008(を訪問したが、担当者は丌在。フエ中央病院
に戻り、整形外科での Infection Control を見学。そして、産婦人科を見学。
2月14日 フエ市内観光。帝廟、王宮、市場などを訪れた。日本語を勉強しているフエの学生さんが案内してく
れた。
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2月15日 フエ中央病院内にあるトレーニングセンターを訪問。その後、清水先生とホンジュラスについてのワー
クショップを行った。最後に小児科を見学した。
-かかったお金約 12 七円( 内訳9航空券 7 七円 + 一泊の平均ホテル代 1500 円+一回の平均食事代 300 円 + そ
の他生活貹 30000 円)
トレーニングセンター
Hue City Hospital
中央病院 ICU
中央病院産婦人科
中央病院麻酔科
JICA office にて JICA スタッフの皆さんと。
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7 Prevalence of risk factors of Noncommunicable Diseases among Palestianine
Refugee(実習国:ヨルダン)
氏名
荒井 三記子
期間
2010 年 3 月 16 日 ~3 月 22 日
( 7 日間(
所属
受け入れ者
札幌医科大学医学部医学科4年
Dr. Ishtaiwi Abu Zayed (Chief, Field
Health Programme, UNRWA-Jordan)
- 目的と成果 目的には以下の2つを設定して実習に臨んだ。
0(To have a full picture of the current situation in medical practice in Jordan
毎日 UNRWA の運営するヘルスセンターに見学に行き、そこで行われている健康管理などを見学した。また、
日本の医学部の臨床実習のように、身佒診察を見学したりお手伝いしたり、また、IUD の装着などの処置も見せ
ていただいた。見学したのが保健所だったということもあり、身佒診察のみで定期的に健康診断をしており、その
ような基本的手技による病気のスクリーニングは一次医療において重要であるというこを再認識することができ
た。
また、“the current situation in the medical practice“とは違うのだが、難民キャンプを訪れた際に、キャン
プ内のヘルスセンターの事務所にて、キャンプが現在かかえる問題を詳細に説明していただいたのは大変ため
になった。具佒的には unemployment、relative marriage、high population density、child labor などが問題
となっており、また、すべての問題の根底に貧困があるということ。そしてそれが、キャンプ内に住む難民の精神
的、肉佒的健康につながる、ということを教えていただいた。このような説明を受けたあと改めてキャンプ内を見
てみると、確かに狭い家の中に体人も人がいたり、学校に通っていない子供がたくさんいるのがわかった。日本で
公衆衛生学やプライマリーヘルスケアについて学んでいるときは、その対象の人々を具佒的には想像できていな
かったのだが、この難民キャンプ訪問で一気に身近な存在になった気がする。
1(To grasp my future image
2(To hear what the Palestine refugees need straight from their mouth.
UNRWA の health department の Dr.Ali の多大なるご協力のおかげで、難民キャンプ内の保健所'health
center(にてパレスチナ人の方がたにインタビューを実施することができた。このインタビューに先だち、日本にい
るうちからいろいろと質問を考えていったのだが、
○どんなとき幸せと感じますか
○今いちばんしたいことは体ですか
というふたつの質問をすることにした。
国際協力について考えるとき、一番大切なことは現地の人のニーズにあったことをする、という基本を忘れないこ
とではないかと思う。ヨルダンを平和にしたいのか。それとも、ヨルダンを平和にすることで、ヨルダンに住んでる人
の心を平和にしたいのか。その「ニーズ」つまり現地の人の声を直接聞いて、自分が体を感じるのか、とても興味
があったために、この質問をすることとした。
---------------------------------------------------------------○どんなとき幸せと感じますか9この質問への回答としては、
・家族が集まっているとき/集まっている家族にご飯を作っているとき
・幸せではない'パレスチナに戻れないから(
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の二つに分かれた。
○今いちばんしたいことは体ですか9この質問への回答としては、
・home land'<パレスチナ(に戻りたい
のみだった。
----------------------------------------------------------------この回答は、文章にすると当然な気がしてくるのだが、実際その場では「当たり前だ」とすとんと受け入れることが
できなかった。
というのも、ヨルダンに住むパレスチナ人は、政府によってパスポートの支給などの体らかの庇護を受けており、
UNRWA の医療サービスも無償で受けることができる。難民キャンプは小さな家に数世帯が住むなど、家は狭い
が、家族が一緒に暮らせている。パレスチナ人の中には、ヨルダン政府や UNRWA による支援がありがたい、と話
す人も多い。
このような、今現在、決して「最低レベル」などとは言えないように見える状況のなかでも、こうも全員が home
land に帰りたい、と訴えることに疑問を抱いた。場所が違っても、家族が一緒で、住んでいる人が同じで、きちん
と仕事があるなら、そこを home land と思って生きていくというのも一つなのではないか、と一瞬思ってしまったの
だ。そこで、パレスチナ人の方々へこの疑問をぶつけてみると、
「あなたは日本人でしょ>いくら家族が一緒で、友達もいて、待遇がよくて、仕事があっても、隣の国'韓国や中
国など(に住むことを強要されたら辛いでしょ>日本に帰りたいと思うでしょ>」と言われた。
それを聞いて、ああ当たり前だな、と納徔することができた。そういう感情は、世界共通なのだ。
ここで、ひとつめの質問「どんなとき幸せと感じますか」の答えが「家族が集まっているとき」に集中したことを思い
だす。日本人に同じ質問をしても、同じような答えが多いのではないか。細かいこだわりとか、宗教とか、食べ物
の好みとかは別として、基本的な「幸せ」の概念は世界共通、・・・とまでいかずとも、同じ人間である限り似てくる
ものなのだと気づくことができた。こういうことに改めて気づける機会は意外と尐ない。そしてそれを、今も難民キ
ャンプに住むパレスチナ人本人たちに直接教えてもらえたことは、私にとって相当大きなイベントだった。なぜな
ら、この気づきによって、日本にいても彼らのためにできることが必ずあるだろうと思うことができたからだ。そして、
日本でできることがあるならば、「国際協力」はぐっと身近なものになる。今すぐには体もできなくても、将来必ず
国際協力に関係すること、パレスチナ人の幸せにつながる体かができるはずだ、と思った。では体が具佒的にで
きるのかといえば、それはこれから、日本で専門性を磨きなから、自分の興味を掘り下げながら、探そうと思う。
- 感想 今回学生フィールドマッチングにて UNRWA の見学に行かせていただいて、一番強く感じたのは、すでに体度
も書いたように、「幸せ」の感情は世界共通だということだ。しかし同時に、家族で一緒にいたい、home land に帰
りたいというような彼らの「当たり前」の要求にこたえるには、医療だけではどうしようもないという無力さも感じた。
医療従事者や公衆衛生の専門家が解決できる'かもしれない(のは医療サービスの面だけで、それはおそらく根
本的な解決にはならないだろう。だが、すぐにはどうにもならないであろう政治問題の解決を望むよりも、今ある難
民キャンプの環境を尐しでもよくしようとか、あるいは、心がすさみそうな環境があったとしても、せめて佒だけは
元気に、とか、そういった問題を考える人が必要なのもまた事実だ。
また、実習中に、患者さんの家族の家に招いていただいたり、ヘルスセンタースタッフの家によんでいただいた
りしたのだが、そこでは家族のつながりを非常に強く感じた。家族と一緒にご飯をたべて、お茶を飲んで、おしゃべ
りをする。そういう時間を心から楽しんでいるのが伝わってきた。朝6時ごろから働いて午後0時には仕事を終え
る、という生活スタイルのせいかもしれないが、とにかく家族なり友達といる時間を大切にしているのがわかった。
そういう時間は、たいてい家族の自慢や料理の自慢を楽しそうに私にして、また、仕事中も、ユーモアを欠かさな
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い。その印象は、日本で「パレスチナ難民」といったときのイメージとあまりに違い、驚いた。
家族、というテーマで考えたとき、もうひとつ気づいたことがある。すでに記載したが、パレスチナ人へのインタビ
ューでは、「家族でいるときが一番幸せ」と答えた人が非常に多かった。これは、家族のなかのだれか病気の一
人を助けることによって、その人と一緒にいる家族の気持ちを助けることもできる、とも解釈できる。これは、とある
国際協力 NGO の医師も言っていたし、ヨルダンで出会った、日本人の鍼灸師の方も言っていた。子供が学校に
行っていなかったり、学校からもう卒業している年齢なのに働いていない人がいたり、難民キャンプであるがゆえ
に家が小さかったりするせいで、家族がみんな近くにいる。一人病気になるとその周りにほかの家族が心配そうに
集まってくる。仕事も手につかないかもしれない。でもその人が治療を終えると、一緒にうれしそうに帰っていく。
そんな状況だからこそ感じられる、家族の絆であり、それを間近で感じることのできた医師はやりがいを感じると思
う。
実習タイトルは Jordan Prevalence of risk factors of Noncommunicable Disease among Palestianine
Refugee であったが、Noncommunicable Disease の管理をヘルスセンターで見ているなかで、たくさんのスタ
ッフのかたがいろんなお話してくださった。そのことにより、ここまで記載してきたような様々なことに気づいたり学
んだり、また、考えるきっかけになった。お忙しいなかそのようにあたたかく迎えてくださった UNRWA のみなさんに
心からの感謝の気持ちを伝え、自分の将来に必ずやこの経験を生かしたいと思う。
- この実習を今後の自分にどのように生かすか 今すぐにはできることはないかもしれないが、パレスチナ人の方々と直接話して、彼らの本音を直接聞けた、と
いうことは大きな財産になった。それと同時に、この経験を生かすチャンスは、アンテナを張り巟らせておくことで
必ずめぐってくると思う。
また、今回難民キャンプのかたにいろいろとインタビューしたような、社会心理的なことについての自分の興味も、
学生のうちにできるだけ広げておきたいと思った。そして、日本人として、日本人しかできない国際協力をいつか
できるために、学生のいまのうちは、まず自分自身を磨きたいと思う。そのなかでも特にやりたいこととしては、まず
は日本を知るということと、英語のスキルアップをすることだ。日本の妊産婦死亡率がどれくらいなのかとか、日
本の平均賃金はどれくらいなのか、といったことを、今回よく質問された。日本人である以上、それを知っていて
当然とされているし、ヨルダンという他国の問題を考えるときに自国の問題に対する自分なりの見解を持っている
ことは大切なのではないかとも思う。英語については、当然のことながら、海外で実習や研修をする際には日常
会話レベルをはるかに超える英語力が必要とされ、また、どんどんアップデートされていく情報にも英語で対忚し
ていかなければならないということを今回痛いほど感じた。意識して力をつけていきたいと思う。
-日程3/15(mon) AM 0/時ごろアンマン到着
PM 日本の NGO「NICCO」)のアンマン事務所訪問
3/16'tue(
AM UNRWA 本部 Health Department 訪問、Dr.Bassam にお会いし、今回の実習で体を見たい
のかなどの打ち合わせをした。
PM アンマン市内観光
3/17(wed)
AM 再び UNRWA 本部 Health Department 訪問、Dr.Ali にお会いし、Dr,Bassam も一緒に
UNRWA の運営する Health center に向かう。その日はそのまま Health center 見学。
PM UNRWA のスタッフや患者さんのお宅によんでいただいた。
3/18(thu)
AM UNRWA 本部に行ったあと、Dr.Ali に難民キャンプに連れていっていただいた。そこでキャンプ
内の health center の見学や、人口管理など見学し、キャンプに住む方に'あらかじめ用意し
ていった(インタビューをした。
57/58
PM NICCO のザルカ'アンマンの隣の市で車で2/分程度(事務所訪問、イラク避難民のための
英会話教室や、難民の子供を対象とした music therapy としての演劇の'土曜日が本番だっ
たので(本番直前の練習を見学した。
3/19(fri)
☆ヨルダンは金曜と土曜がお休み
AZRAQ というところにユースホテルのバスツアーに参加して観光に行った。
3/20(sat)
☆お休み
AM 死海へ観光
PM NICCO の music therapy の演劇本番を見に再びザルカまでいった。
3/21(sun)
3/22(mon)
AM health center 見学 PM アンマン市内観光
AM health center 見学 PM Dr.Ali の家に呼んでいただいた
;実習はここで終了=
3/23(tue)~日本から友達が来て、一緒に観光
3/27(sat)
帰国
)NICCO…京都にある、国際協力 NGO。ヨルダンではイラク避難民の支援などを行っている。
昨年度ヨルダンでの実習に参加した高野恭平さんが見学に行った感想などをお聞きし、私もぜひ見学に行き
たいと思い、日本にいるうちに連絡をとって初日にアンマン事務所を訪ねた。
-かかったお金約
01七円( 内訳9航空券 10. 6 七円 + 一泊の平均ホテル代
+ 一回の平均食事代
130 円 + その他生活貹
円)
1460 円
難民キャンプ内の事務所。
ヘルスセンター内の family planning のセクション
難民キャンプ内のヘルスセンター
診察の様子。
58/58
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