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デレバレッジと経済成長

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デレバレッジと経済成長
2012年1月10日
日
本
銀
行
デレバレッジと経済成長
――先進国は日本が過去に歩んだ「長く曲がりくねった道」
を辿っていくのか?――
London School of Economics and Political Scienceにおける講演
(アジアリサーチセンター・STICERD共催)
日本銀行総裁
白川
方明
1.はじめに
「それはおよそ善き時代でもあれば、およそ悪しき時代でもあった…」1
来月で生誕 200 年を迎えるチャールズ・ディケンズの「二都物語」の冒頭
は、このように始まる。この有名な一節は、小説では 1775 年を指しているが、
2012 年の我々の心にも訴えかけるものがある。世界各国で占拠運動を行って
いる抗議者が不満を訴えていることは十分承知しているが、今日の先進国の
人々は、ディケンズが描いた英国における厳しい現実と比べれば、遥かに高
い生活水準を享受している。ディケンズの分身である、若きデビット・カッ
パーフィールドの数少ない贅沢といえば、この講演会場から数ブロック先に
ある古式ローマ風呂で、冷たい水に飛び込むことであった。一方、今日の人々
が、世界経済が最悪の状況にあるかのように感じていることも事実である。
増大する政府債務や人口の高齢化、グローバリゼーションが引き起こす課題
など難しい問題が存在しており、経済成長の鈍化が、こうした困難に拍車を
かけている。
このような先進国の陰鬱な経済見通しを語る際、最近は日本経済の経験が
引用されることが多くなっている。過去 20 年の間、日本の経済成長率は、実
質で年率 1.0%、名目で 0.4%と低迷した水準が続いている(図表1)。投げ
掛けられる問いは、
「我々は日本と同じように、
『失われた 10 年』―最近は『失
われた 20 年』という言葉も用いられるが―を経験するのだろうか」といった
ものである。日本の中央銀行総裁としては、日本の経験が否定的な文脈で語
られることには複雑な思いを禁じ得ないし、後で理由を述べるがこの 20 年を
一括して論じるのは適当ではない。それでも、この問いが他の先進国にとっ
ても、多くの思考材料を提供していることは事実である。そこで今晩は、2
人の才能に恵まれたリバプール人と彼らが 40 年前に作った歌には申し訳な
1
Dickens, Charles, A Tale of Two Cities, 1859 を参照(『二都物語』
(上)
、中野好夫訳、新潮文
庫)。
1
いが、
「先進国は日本が過去に歩んだ『長く曲がりくねった道』を辿っていく
のか?(Is the Developed World Following Japan's Long and Winding Road?)
」と
題して、自分の感じていることを述べてみたい。私の話が皆様に何がしかお
役に立つことになれば、幸いである。
2.日本の経験を巡る議論の変化
ところで、たった今、
「先進国は日本の経験を繰り返すのか」という問いを
発したが、過去 10 数年間、様々な国際会議に出席し、政策当局者や学者の議
論を聞いてきた者からすると、こうした問いが発せられること自体、驚きで
あり、大きな知的変化が生じていることを感じる。と言うのも、過去におい
ては、日本の低成長は「大胆で迅速な政策対応を欠いた日本の社会や政策当
局に固有の失敗」として軽く片付けられることが多かったからである。そう
した状況は 2006 年春に米国で住宅価格が下落に転じた後も、しばらくは変わ
らなかった。以下に述べるのは 2007 年1月に行われた米国の政策当局者の発
言である2。
「90 年代に日本を含む多くの国で見られた金融システム不安は住宅価格
ではなく商業地価格の崩壊が不良債権問題をもたらしたことによる。…多く
の人は日本の経験を読み違えている。問題はバブルの崩壊ではなくその後の
政策対応である」
このような主張の背後にあるのは、バブル崩壊後の資産価格の下落や過剰
債務の調整、すなわち、バランスシート調整の深刻さに対する過小評価であ
り、危機発生後の「積極的な政策」の効果に対する楽観論であった3。しかし、
2
Mishkin, Frederic S., “The Role of House Prices in Formulating Monetary Policy,” Speech at the
Forecasters Club of New York, January 17, 2007.を参照。
3
2009 年 2 月の記者会見でオバマ大統領は次のように述べている。“[I]f you delay acting on an
economy of this severity, then you potentially create a negative spiral that becomes much more
difficult for us to get out of. We saw this happen in Japan in the 1990s, where they did not act
boldly and swiftly enough, and as a consequence they suffered what was called the ‘lost decade’
where essentially for the entire 90s they did not see any significant economic growth…”
2
過去数年間の米国、ユーロ圏、英国で起きてきたことを 1990 年代以降の日本
のバブル崩壊後の姿と比較すると、相違点よりも、類似点の方が圧倒的に多
いというのが私の印象である。日本で過去起きたことは、日本特有の現象で
はなかった。
第1の類似点は、経済のパフォーマンスである。例えば、日米について、
バブルがピークを迎えた時期―日本は 1990 年、米国は 2006 年―以降の実質
GDP の軌跡を比較すると、両者は似通っている(図表2)4。比較の基準時点
をバブルのピークではなく、金融危機の勃発時点としても結論は変わらない。
この方法をとると、基準時点は、日本は 1997 年、米国は 2008 年となるが、
実質 GDP の軌跡は似通っている(図表3)。同様の比較をユーロ圏、英国と行
っても、程度の差こそあれ、類似性が観察される(前掲図表2、3)。バブル
に関連した他の指標についても興味深い類似性が幾つか観察される。例えば、
バブル崩壊後の不動産価格の下落速度をみると、日本と米国は同程度である
(図表4)。長期金利を比較しても、国や地域により若干の差異はあるが、全
体としては似た動きを示している(図表5)。銀行貸出も同様である(図表6)。
第2の類似点は、政策当局者やエコノミストの当初の反応である。バブル
の進行時でも、崩壊直後でも、最初は問題が存在すること自体が否定される
か、問題が過小評価されるかのいずれかである。日本でも不動産価格が下落
に転じた後も、反転上昇が語られていたし、ある程度下落が常態化した後も、
これが深刻な金融危機やマクロ経済の停滞に繋がる可能性は否定された。米
国の住宅バブル崩壊、欧州の債務危機、いずれも最初の反応は、問題の過小
評価であった。事態がさらに悪化し、専門家の間では、公的部門による金融
機関への支援の必要性が明らかとなった段階でも、国民の間では、問題の過
小評価が尾を引いて、そうした施策の実行には抵抗が強いことも共通してい
4
日本の場合、株価のピークは 1989 年末、不動産価格のピークは、公示地価ベースで 1991
年 1 月 1 日(基準日時点)である。米国の住宅価格(ケースシラー住宅価格指数)のピー
クは、2006 年第 2 四半期である。
3
る。特に、金融機関への公的資金の投入は、日本も欧米も、極めて不人気で
あった。ユーロ圏におけるコア国から周縁国への金融支援も政治的に不人気
である。
第3の類似点は、中央銀行の採用する政策の類似性である(図表7)
。先進
国では、短期金利はゼロ近くに低下し、中央銀行のバランスシートは大幅に
拡大した。日本銀行は 1990 年代後半以降、順次、ゼロ金利、ゼロ金利継続の
コミットメント、量的緩和、金融機関保有株式を含むリスク資産の買い入れ
等、様々な非伝統的政策を採用した。サブプライム・ローン問題発生後、FRB
は革新的と称される様々な政策措置を採用したが、その多くは、日本銀行が
採用した政策と本質的に類似している。この事実は、同じような状況に直面
すると、中央銀行は同じように行動するという、ある意味では当然のことを
物語っている。何がしか違いがあるとすれば、日本銀行は手探りで非伝統的
政策を決定しなければならなかったという意味で、いささか孤独であったと
いうことかもしれない。
第4の類似点は、デレバレッジの過程にある経済、すなわち、バランスシ
ート問題を抱えた経済では、金融政策の有効性が低下するという事実である。
日本では、かつては低金利が中小企業向け貸出を増加させ、これによる中小
企業の設備投資増加が景気回復を牽引したが、バブル崩壊後は、そうしたメ
カニズムは作動しなかった。米国では、現在、長期国債金利の低下にもかか
わらず、住宅ローンの実効金利はそれほど低下していないが、これにはクレ
ジット・スコアの低い債務者について、低金利ローンへの借換えが進んでい
ないことが影響している。欧州でも、スペインに典型的に見られるように、
不動産担保の劣化などからカバードボンドの金利が上昇し、銀行の貸出金利
を押し上げている。
以上述べたことはいずれも欧米諸国と日本の経験に関する類似点であるが、
もちろん、違いも存在する。
4
第1の相違点は、日本は世界の金融危機の震源地となることはなかったと
いう事実である。その最大の理由は、日本の政策当局が無秩序な金融機関の
破綻を許容しなかったからである。この点で日本にとって最も大きな試練の
時は 1997 年であった。この年、国際的に―とりわけ欧州の資本市場で―一定
の存在感のあった山一證券という資産規模 3.7 兆円(当時のレートで約 190
億ポンド)の証券会社が破綻したが、リーマン破綻の時と同様、日本でも証
券会社の秩序立った破綻処理を可能にする法律は存在していなかった。その
中で採られたのが日本銀行による同社に対する無制限の流動性供給であった。
これにより、海外を含め他の市場参加者の同社に対するエクスポージャーは
すべて日本銀行に対するエクスポージャーに置き換えられることになった。
この結果、秩序立った破綻処理が可能になり、システミック・リスクの顕在
化は防がれた。これは同社が資産超過なのか債務超過なのか分からない状況
の下での決定であり、日本銀行にとって実に重たい決断であった。同社は債
務超過であったことが数年後に判明し、また、日本銀行は最終的に若干の損
失を被ったが、それでもシステミック・リスクの顕在化を防止したというメ
リットの方がはるかに大きかった。これにより、リーマン破綻後とは異なり、
自国の金融の混乱が世界の他の地域に悪影響を与えることはなかったし、国
内的にみても、急激かつ大幅な経済活動の落ち込みも経験しなかった(図表
8)
。
第2の相違点は、バブル崩壊後、市場による圧力に晒されるまでの時間的
長さである(図表9)
。日本の場合、不良債権は市場性資産ではなく、主とし
て非市場性資産である貸出債権で発生したことから、時価評価による損失認
識は遅れ、その分、金融機関が市場の圧力に晒されるタイミングが遅れた。
これに対し、欧米の場合は、証券化商品でまず発生したことから、比較的速
やかに時価評価による損失認識が進み、日本に比べ、市場の圧力に晒される
タイミングも早かった。このため、欧米では問題の顕在化が早く、その分、
5
金融システム対策は早く講じられた。
もっとも、これらの相違点についてさらに踏み込んでみると、日本経済の
落ち込みが小さかったのは、危機が日本に局限されていたからかもしれない。
また、金融システム対策が早期に導入されたからといって、バブル崩壊後の
経済を特色付けるデレバレッジが完了する訳ではない。日本も欧米も、起き
ていることは過剰債務の調整、すなわち、デレバレッジであるという点では
共通している。このように類似性と相違点を検討していくと、バブル崩壊後
の政策対応を考えるに当たっては、相違点というより、まずは類似性の方に
着目し、その上で各国固有の要因を考えるというアプローチの方が有益であ
るように思われる。
3.日本経済の低成長に関する事実
類似点と相違点を正確に理解して頂くために、次に日本経済について、も
う少し詳しく説明したい。ここでは、タイム・ホライズンを3つに分けて日
本経済の成長に関する事実を説明する。
日本経済の成長:長期、中期、短期
第1は、長期的な成長トレンドである。日本は現在の中国と同様、驚異的
な高度成長を遂げた国として知られている。日本の高度成長の最盛期に当た
る 1956 年から 1970 年までの 15 年間の実質 GDP 平均成長率は 9.7%である(図
表 10)。これは丁度、1990 年代初頭から始まった中国の高度成長期の成長率
とほぼ同じである。しかし、高度成長を遂げる国もやがては、高度成長の終
焉を迎える。高度成長を支える諸条件、特に農村部から都市部への労働供給
や高い労働力人口増加率もいずれかの時点ではピークを迎えるからである5。
5
現在の中国との比較を含め、日本の高度成長については、白川方明「高度成長から安定成
長へ──日本の経験と新興国経済への含意──」、フィンランド中央銀行創立 200 周年記念
会議における発言の邦訳、2011 年 5 月 5 日を参照。
http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2011/ko110506a.htm
6
第2は、中期的な成長動向である。高度成長は 1970 年代には終わったが、
それでも他の先進国と比較すると、成長率はかなり高かった。しかし、1990
年代以降は相対的にみても、日本は高成長の国ではなくなった。現在に至る
約 20 年間の日本の実質成長率は平均成長率で 1.0%、名目成長率は 0.4%と非
常に低い。正に、「日本の失われた 20 年」と言われる所以である(前掲図表
1)6。
日本経済に関する第3の説明は、ごく短期的な成長動向である。日本の経
済活動は 2011 年3月 11 日の悲劇的な地震や津波の影響から落ち込んだが、
政府、企業、個人の努力の結果、回復は予想以上のスピードで進んだ。もち
ろん、先行きについては、世界経済の減速から無縁ではあり得ないが、欧米
と比較すると、資金市場や社債市場におけるリスク・スプレッドから明らか
なように、金融システム、金融市場の安定が目立っている(図表 11)。
中期的な低成長の原因
以上申し上げた3つのタイムスパンの中で、本日の私の講演の主たるテー
マは、中期的なタイムスパンでの経済動向である。私はこれまで便宜的に「失
われた 20 年間」という表現を使ってきたが、前半と後半とでは低成長の原因
がかなり異なっており、両者を一括して論じるのは、ややミスリーディング
である。1990 年代の低成長の主因は、未曾有のバブル崩壊に伴うデレバレッ
ジであった。これに対し、2000 年代以降の低成長の主因は世界の経済史に例
を見ないような急速な高齢化や人口減少である。
前半期のバブル崩壊の影響については既に述べたことに付け加えることは
あまりない。ひとつだけ相違点を挙げると、日本では失業率の上昇が相対的
に小さかったことである(図表 12)。失業率のピークの水準を比較すると、
6
日本のバブル崩壊後の経験については、白川方明「経済・金融危機からの脱却:教訓と政
策対応」、ジャパン・ソサエティ NY における講演の邦訳、2009 年 4 月 23 日を参照。
http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2009/ko0904c.htm
7
日本は 5.4%であり、欧米主要国の 10%程度より有意に低い。これは、雇用の
確保を優先するという社会の選択を反映し、賃金水準の調整がある程度弾力
的に行われたことによるものである。雇用の確保自体は社会の安定という意
味でプラスであった。他方、賃金の調整が行われたとはいえ、経済に加わっ
たショックの大きさに比べて十分とは言えず、企業内失業が維持された結果、
バブル崩壊後の需要やコストの変化に対応した資源再配置の遅れをもたらし
たという意味ではマイナスであった。また、賃金の下落は、労働集約的なサ
ービス部門の価格下落を通じて、デフレの一因ともなった。実際、日米のイ
ンフレ率格差の相当部分は財ではなく、サービス部門で発生している。
次に「失われた 20 年間」の後半期であるが、この時期については、人口動
態の変化、より具体的には急速な高齢化の影響が大きい。日本の実質 GDP 成
長率は確かに低下し、他の主要国と比較しても見劣りするが、過去 10 年の平
均でみると、人口一人当たりの実質 GDP 成長率は他の先進国とほぼ同程度、
そして、生産年齢人口一人当たりの実質 GDP 成長率で比較すると、日本が最
も高い(図表 13)。これらの数字が示すように、現在、日本が直面している
最も大きな挑戦は、先進国では過去に例を見なかったような人口動態の急激
な変化への対応である(図表 14)
。成長率の低下にしても財政悪化にしても、
相当程度は人口動態の急激な変化への不適合から生じている。エコノミスト
による経済予測の精度は多くの場合高くないが、将来の人口動態は比較的正
確に予測できる数少ない経済変数である。そして、そのインプリケーション
は極めて重要である。高齢化の進展や人口の減少は、潜在成長率の低下、財
政収支の悪化、住宅価格の下落をもたらす要因である。他の先進国も先行き
程度の差こそあれ日本と同様の問題に直面することを考えると、人口動態が
経済に与える影響をもっと研究する必要がある。
4.先進国は日本と同様の事態を経験するか?
それでは、先進国は日本が過去に歩んだ「長く曲がりくねった道」を辿っ
8
ていくのだろうか。もちろん、これはイエスかノーで答えられる問いではな
い。採用される政策は、経済的要因だけでなく、社会や政治の反応にも依存
する。どの国でも社会や政治には固有の複雑さがあるが、そうした要因に関
する私の知識は限られている。したがって、以下では直接的な答えを述べる
代わりに、調整に要する期間の長さを左右する要因を3つ挙げることにした
い。
第1の要因は、危機の前に積み上がった過剰債務の大きさである。過剰債
務に関する大雑把な推計値をみるだけでも、調整に要する時間は長くならざ
るを得ないように思われる。それだけ、2000 年代半ばにかけて発生したグロ
ーバル信用バブルは、大規模であったということである。
第2の要因は、潜在成長率の水準である。債務の規模が過剰か否かは、最
終的に経済の規模に対する比率で判断できる。同じ額の債務を抱えていても、
潜在成長率の高い経済の方が過剰債務の解消はその分早くなる。ただし、潜
在成長率の大きさは固定的なものではなく、バブル崩壊後の政策や社会の反
応によっても変わってくる。その意味で、バブル崩壊による二次被害
(collateral damage)を回避することが非常に重要となってくる。
二次被害はさまざまな形で顕在化する可能性がある。たとえば、デレバレ
ッジ進行下の低成長経済では、社会の不満は高まり、しばしば保護主義や過
度に干渉主義的な政策がとられやすい。政治的・社会的理由から存続可能性
の低い企業への貸出が続く場合は、生産性が徐々に低下し、潜在成長率が低
下する。
さらに、金融政策も捻じれたインセンティブを与える惧れがある。低金利
政策や潤沢な流動性供給は必要な措置であるが、他方で、これが長期化する
と、非効率な企業を温存することを通じて生産性を引き下げる要因ともなり
得る。低金利が政府の財政バランス健全化に向けた動きを遅らせる場合も、
経済全体としての調整は遅れることになる。
9
人口減少も潜在成長率を引き下げることを通じて過剰債務の調整を長引か
せる。人口増加率の低下や高齢化は先進国に共通の問題であるが、この点、
日本はより深刻である。日本の人口増加率は米国、ユーロ圏、英国と比較す
ると、最も低いが、それ以上に、人口増加率低下の速度が速いことが経済や
社会に様々な負荷をかけている。他方、欧米諸国は日本と比較すると、人口
増加率は高いが、移民による人口増加の寄与度が大きい。しかし、この要因
による人口増加は経済の低迷が続けば、減少することも予想される(図表 15、
16)。
第3の要因は、海外経済の成長率である。日本は 2000 年初頭以降、バブル
崩壊後のデレバレッジの影響から徐々に脱していったが、これには海外経済
が過去数十年間に例を見なかったような高成長を遂げたことの恩恵という面
も大きかった(図表 17、18)
。しかし、振り返ってみると、当時は、世界的
な信用バブルの発生・拡大過程であり、また新興国の力強い成長に牽引され
ていた時期であった。現在、先進国はバブル崩壊後のデレバレッジの影響か
ら総じて低成長を余儀なくされていることを考えると、新興国がインフレや
バブルを回避しつつ成長を遂げることが出来るかどうかは非常に重要である。
デレバレッジに必要な期間の長さを左右するこれら3つの要因のうち、最
初の要因─当初の過剰債務の大きさ─は、バブルの崩壊により、所与となっ
てしまう。しかし、残りの2つ─各国経済の潜在的な成長力とグローバル経
済全体として成長のモメンタム─については、影響を与えることが可能であ
る。バブル崩壊後は、金融システムの安定を保つことが重要であるが、それ
と同時に、経済を新たな環境に適合させ、二次被害に至るような圧力に屈し
ないことが重要である。そのためには、強い意志と決意を持たなければなら
ない。
5.中央銀行の役割
そろそろ時間がなくなってきたので話を締め括らなければならないが、最
10
後に、この困難な時期における中央銀行の役割というテーマに関して、ごく
簡単に考えを述べたい。
先ほど、バブル崩壊後の欧米諸国と日本との類似性を4つ挙げたが、もう
ひとつ類似点がある。それは、中央銀行の果たすべき役割について、人々の
見方が鋭く分かれることである。米国では QE2に対する政治家からの否定的
な反応に示されるように、どちらかと言うと、中央銀行の積極的な行動に対
する批判の方が強いように見える。しかし、その他の多くの先進国では、低
成長を背景に、中央銀行への期待や要求が高まっているように見える。特に
欧州におけるソブリン債務危機への対応を巡る最近の議論をみると、その感
を深くする。中央銀行が物価と金融システムの安定という重要な役割を担っ
ていることは言うまでもないが、中央銀行はすべての問題を解決できる組織
ではない。特に、ゼロ金利とデレバレッジングで特色付けられる経済におい
ては、そうである。実際、主要国の中央銀行総裁は私自身も含め、最近、そ
うした趣旨の発言を行っている7。尊敬するイングランド銀行のキング総裁の
言葉を借りると、
「金融政策に達成を期待できることには限界がある(There’s
a limit to what monetary policy can hope to achieve.)」である8。
中央銀行が達成できること、あるいは中央銀行が達成できると期待される
ことは何であろうか。逆に、達成できないことは何であろうか。バブルの発
生やその後のバブル崩壊、金融危機の過程を振り返って今思うことは以下の
4つである。
第1は、銀行に対する「最後の貸し手」として流動性を供給するという中
央銀行の役割である。この役割は金融システムの安定を維持する上で極めて
7
以下の発言を参照。
Bernanke, Ben S., Testimony at the Joint Economic Committee, U.S. Congress, October 4, 2011:
“Monetary policy can be a powerful tool, but it is not a panacea for the problems currently faced by
the U.S. economy.”
Draghi, Mario, Interview with the Financial Times, December 14, 2011:“Monetary policy cannot do
everything.”
8
キング総裁のインフレーション・レポート発表時の記者会見(2011 年 11 月 16 日)。
11
重要である。金融が急激に収縮してしまうと、経済活動も短期間に急激かつ
大幅に落ち込む可能性が高まる。現在、欧州債務危機が深刻化している状況
下、この教訓は皆が大事にしなければならない。しかし、同時に、
「最後の貸
し手」としての流動性供給の本質は「時間を買う」政策であることも認識し
なければならない。時間を買うコストは着実に上昇する以上、その間に構造
改革を進めることが重要である。
第2は、バブル崩壊後の金融政策についてである。金融緩和政策の効果の
源泉は、将来の需要を現在に手繰り寄せるか、海外の需要を自国に持ち込む
かのいずれかに求められる。しかし、前者のルートについて言うと、次第に
現在に持ち込むことができる需要が減ってくる。後者のルートについて言う
と、先進国全体が低成長の中では、ゼロサム・ゲームの色彩を帯びるように
なり、世界経済全体の持続的成長という観点からすると、望ましくない。し
かし、だからといって中央銀行が何もせずに責任を免れるわけではない。だ
からこそ、現在、主要国の短期金利がゼロ近くに低下している中で、日本銀
行を含め、主要国の中央銀行は様々な非伝統的政策を使って長期金利を引き
下げたり、信用スプレッドを引き下げることによって金融緩和効果を創出す
る努力をしている。しかし、それと同時に、中央銀行がこうした措置を講じ
て時間を買っている間に、必要な構造改革を進めることが不可欠であること
を感じる。
第3は、金融政策における成功のパラドックスについてである。金融政策
の目的は物価安定の下での持続的成長を実現することである。この点は、イ
ンフレーション・ターゲティングの枠組みを採用するか否かにかかわらず、
日本や英国を含め、今や確立した考えである。しかし、こうした金融政策が
成功すればするほど、物価は安定し、経済や市況のボラティリティも低下す
る。安定的な環境が長期に亘って持続するという予想が拡がると、レバレッ
ジや金融機関の資産・負債の期間ミスマッチが拡大しやすくなる。ところが、
12
レバレッジやミスマッチは、何かのきっかけで大きく巻き戻される可能性を
内包していることから、その拡大は経済の脆弱性を高める。バブルの崩壊と
はその脆弱性が顕在化したものである。今回のグローバル金融危機以前は、
バブルへの対応戦略に関して、事前の予防か、事後の後始末戦略かの論争が
あったが、バブル崩壊のコストはあまりにも大きいことが、今回の危機を通
じて、誰の目にも明らかになった。過去のバブルはほとんどの場合、低イン
フレ下で生じた。経済を安定させようとして消費者物価指数の短期的な安定
に過度に焦点を当てると、不安定性の増大という反対の結果を招いてしまう。
バブルは低金利だけで発生する訳ではないが、低金利が長期間にわたって持
続するという予想が拡がると、レバレッジや金融機関の資産・負債の期間ミ
スマッチが拡大しやすい。その意味で、中央銀行は金融政策の運営に当たり、
金融的不均衡の発生にも注意しなければならないと思う。
第4は、金融の規制・監督のあり方である。バブルの発生過程を振り返る
と、資金の借り手、貸し手双方の積極的な行動に行き着くが、安定的な環境
の持続に対する期待に加え、金融機関の場合には、規制・監督を通じて生じ
るインセンティブも影響を与える。バブル期における金融機関の積極的な行
動を振り返ってみると、ほとんど例外なく、収益性の低下した金融機関が、
規制・監督によって妨げられることなく、事後的にみればリスクの高い貸出
に手を染めている。日本のバブル期もそうであったし、2000 年代半ばの世界
的な信用バブル拡大過程における欧州の金融機関もそうであった。現在、各
国の中央銀行や規制・監督当局は規制・監督の改革を進めているが、過度な
リスクテイクの抑制と、金融機関の収益性確保という両方の課題のバランス
をどうとるかも大きな論点である。
6.結語
近年の金融危機は、ビートルズの歌にあるように、確かに、多くの人々に
対し「涙の水たまり」を残した。この結果、ディケンズの言葉を借りれば、
13
人々は、
「およそ悪しき時代」にいるように感じている。しかし、我々は「お
よそ善き時代」にいるとは言えないかもしれないが、望みを捨てるには、ま
だ早い。我々は、直面している困難を解決する資源―すなわち、お金だけで
なく、知性と組織的な能力―を有している。バブルが崩壊した後でも、経済
を新たな環境に適合させ、二次被害に至るような圧力に屈しなければ、我々
は新たな成長へと繋がる道を見つけることができる。必要なのは意志と決意
である。最終的に、そうした強い意志と決意を持てれば、
「長く曲がりくねっ
た道」も短くすることができるのである。
ご清聴に感謝する。
以
14
上
デレバレッジと経済成長
─先進国は日本が過去に歩んだ「長く曲がりくねった道」を辿っていくのか?─
L d School
London
S h l off Economics
E
i andd Political
P liti l Scienceにおける講演
S i
における講演
(アジアリサーチセンター・STICERD共催)
2012年1月10日
日本銀行総裁
白川 方明
図表1
日本の経済成長率の長期推移
14
(前年比、%)
10.4%
(1960年代)
12
実質GDP成長率
10
8
6
4
5.2%
(1970年代)
7.7%
(1950年代)
2
4.4%
(1980年代)
0
1.5%
(1990年代)
-2
0.6%
(2000年代)
4
-4
-6
-8
8
56 年 60
64
68
72
76
80
84
88
(注)80年までは68SNA、81年以降は93SNAベース。50年代は56~59年の前年比の平均。
(資料)内閣府
92
96
00
04
08
図表2
グローバルなバブル崩壊以降の実質GDPの推移:日本との比較
米 国
ユ ロエリア
ユーロエリア
英 国
(1990年=100)
(1990年=100)
(1990年=100)
84 86 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08 10 年
84 86 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08 10 年
84 86 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08 10 年
130
130
130
120
120
120
110
110
110
100
100
100
90
90
90
ユーロエリア
(下目盛)
日本(上目盛)
米国(下目盛)
80
80
日本(上目盛)
70
英国(下目盛)
80
日本(上目盛)
70
年
00 02 04 06 08 10
(2006年=100)
70
年
00 02 04 06 08 10
(2006年=100)
年
00 02 04 06 08 10
(2006年=100)
(資料)ONS、Eurostat、BEA、内閣府
図表3
金融危機以降の実質GDPの推移:日本との比較
米 国
ユ ロエリア
ユーロエリア
(1997年=100)
89 91 93 95 97 99 01 03 05 07 09 11
年
(1997年=100)
89 91 93 95 97 99 01 03 05 07 09 11
英 国
年
(1997年=100)
89 91 93 95 97 99 01 03 05 07 09 11
115
115
115
110
110
110
105
105
105
100
100
100
95
95
95
90
90
米国(下目盛)
85
85
日本(上目盛)
80
90
ユーロエリア
(下目盛)
日本(上目盛)
(資料)ONS、Eurostat、BEA、内閣府
年
00 02 04 06 08 10
(2008年=100)
英国(下目盛)
85
80
00 02 04 06 08 10
(2008年=100)
年
日本(上目盛)
80
年
00 02 04 06 08 10
(2008年=100)
年
図表4
グローバルなバブル崩壊以降の不動産価格の推移:日本との比較
米 国
スペイン
英 国
(1990年=100)
(1990年=100)
(1990年=100)
84 86 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08 10 年
84 86 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08 10年
84 86 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08 10 年
120
120
120
スペイン
110
(下目盛)
英国(下目盛)
100
100
日本
(上目盛)
日本(上目盛)
90
90
90
80
80
80
70
70
70
60
60
60
50
50
50
110
100
米国(下目盛)
110
日本(上目盛)
40
40
年
00 02 04 06 08 10
(2006年=100)
40
年
00 02 04 06 08 10
(2006年=100)
年
00 02 04 06 08 10
(2006年=100)
(注) 日本の計数は前年のデータとして使用(例:2011年1月1日→2010年の値とする)。
(資料)Haver、国土交通省
図表5
グ
グローバルなバブル崩壊以降の長期金利の推移:日本との比較
バ なバブ 崩壊 降
期金
推移 本
較
米 国
8
ドイツ
84 86 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08 10 年
(%)
米国(下目盛)
7
英 国
84 86 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08 10 年 84 86 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08 10 年
(%)
(%)
8
8
英国(下目盛)
ドイツ(下目盛)
7
7
日本(上目盛)
日本(上目盛)
日本(上目盛)
6
6
5
5
5
4
4
4
3
3
3
2
2
2
1
1
1
6
0
0
00 02 04 06 08 10 12
年
0
00 02 04 06 08 10 12
(注) いずれも年平均値(算術平均)。2012年は直近1月9日までの平均値。
(資料)IMF、Bloomberg
年 00 02 04 06 08 10 12
年
図表6
グロ バルなバブル崩壊以降の銀行貸出の推移 日本との比較
グローバルなバブル崩壊以降の銀行貸出の推移:日本との比較
米 国
ユーロエリア
ユ
ロエリア
英 国
(1990年=100)
(1990年=100)
(1990年=100)
84 86 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08 10 年
84 86 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08 10 年
84 86 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08 10 年
130
130
130
120
120
120
110
110
110
100
100
100
90
90
90
80
80
80
70
70
米国(下目盛)
60
ユーロエリア
(下目盛)
日本(上目盛)
60
日本(上目盛)
50
50
年
00 02 04 06 08 10
(2006年=100)
70
英国(下目盛)
60
日本(上目盛)
50
年
00 02 04 06 08 10
(2006年=100)
年
00 02 04 06 08 10
(2006年=100)
(注) 国内家計、非金融企業部門向け貸出
(資料)Haver、CEIC、FDIC、日本銀行
図表7
日本銀行は 1990年代後半以降 他の中央銀行に先行して様々な非伝統的政策を採用
日本銀行は、1990年代後半以降、他の中央銀行に先行して様々な非伝統的政策を採用。
日本銀行
FRB
ECB
BOE
超低金利
1999年2月 (注1)
2008年12月
2009年5月
2009年3月
超低金利継続へのコミットメント
1999年4月 (注1)
2011年8月
―
―
量的緩和/信用緩和政策
2001年3月
2008年11月
―
2009年3月
ABS
2003年6月
2008年11月 (注2)
―
―
ABCP
2003年6月
(注3))
2008年9月 (注
―
2009年6月
CP
2008年12月
2008年10月 (注4)
―
2009年1月
社債
2009年1月
―
―
2009年1月
リ
ス
ク
性
資
産
の
買
入
れ
ETF
2010年10月
年 月
―
―
―
J-REIT
2010年10月
―
―
―
金融機関保有株式
2002年10月
―
―
―
金融機関向け劣後ローン
2009年3月
―
―
―
エージェンシー債
エージェンシーMBS
―
2008年11月
―
―
カバードボンド
―
―
2009年5月
―
(注1)日本銀行がゼロ金利政策とゼロ金利コミットメントを初めて導入した時期。
(注1)日本銀行がゼロ金利政策とゼロ金利コミットメントを初めて導入した時期
(注2)TALF(Term Asset-Backed Securities Loan Facility)。ABS等を担保にFRBがノンリコース貸出する制度。実質的にはABS等の買入れ。
(注3)AMLF(ABCP Money Market Mutual Fund Liquidity Facility)。銀行が買入れたABCPを担保として当該銀行にFRBがノンリコース貸出
する制度。実質的にはABCPの買入れ。
(注4)CPFF(Commercial Paper Funding Facility)。SPVが買入れたCP等を担保として当該SPVにFRBが貸出する制度。実質的にはCP等の買入れ。
図表8
日本発のグロ バル金融危機は発生しなかった
日本発のグローバル金融危機は発生しなかった。
リーマンショック後の実質GDP
リ
マンショック後の実質GDP
日本の金融危機後の実質GDP
(97/4Q=100)
140
1
(08/3Q=100)
106
1
97/4Q
08/3Q
0.9
130
98/1Q-98/2Q
(累積)
120
110
日本
▲2.4%
米国
1 9%
1.9%
0.8
0.9
102
0.8
0.7
ユーロ圏 1.0%
0.7
98
0.6
0.6
1.7%
英国
100
0.5
0.5
94
0.4
90
0.4
08/4Q-09/1Q
(累積)
0.3
80
90
0.2
70
0.1
60
91
94
97
00
03
06
▲6.8%
米国
▲4.0%
ユーロ圏
▲3.9%
英国
▲3.8%
09
0.1
0
04 年
05
06
07
08
09
10
11
59
64
69
74
79
84
89
94
99
104
109
114
119
124
129
134
139
144
149
154
159
164
135
136
137
138
139
140
141
142
143
144
145
146
147
148
149
150
151
152
153
154
155
156
157
158
159
160
161
162
163
164
165
(資料) 内閣府、BEA、Eurostat、ONS
0.3
0.2
86
0
85 年 88
日本
図表9
バブル崩壊から金融危機までの時間的長さ
株価ピーク 最初の利下げ
公定歩合
0.5%に
引き下げ
地価ピーク
大手金融
ゼロ金利政策 量的緩和
機関破綻
ゼロ金利
コミットメント
ミ トメント
日本
1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001
景気ピーク
住宅価格
株価 リーマン破綻
ピーク
ピーク
゚ ク
米国
最初の
利下げ
QE1
マチュリティー
エクステンション
プログラム
QE2
2006 2007 2008 2009 2010 2011
(注)日本の地価は、公示地価を用いている。
図表10
日本の高度成長:中国との比較
日 本
中 国
(前年比、%)
(前年比、%)
16
16
実質GDP成長率
14
14
1956~70年の平均:9.7%
12
12
10
10
8
8
6
6
4
4
実質GDP成長率
2
2
1990~2005年の平均:9.8%
0
0
-2
1955 年
60
65
70
75
80
-2
1990 年
20 00
95
05
10
(資料)内閣府、中国国家統計局
図表11
日本では 欧米と比較すると 金融システム 金融市場の安定が目立っている
日本では、欧米と比較すると、金融システム、金融市場の安定が目立っている。
短期金融市場の緊張度
4
(%)
社債の信用スプレッド
社債の信用
プ ッド
6
金融機関の貸出運営スタンス
金融機関の貸出運営
タン
(%)
(%ポイント)
40
リーマン破綻
リーマン破綻
リーマン破綻
20
5
日本
米国
ユーロ圏
英国
3
4
0
-20
3
2
-40
2
-60
1
1
積極化
-80
慎重化
0
0
08 年
09
10
11
12
-100
08年
09
10
11
12
08 年
09
10
11
(注)短期金融市場の緊張度=LIBOR3か月物-OISレート3か月物。社債の信用スプレッド=社債流通利回り-国債流通利回り。社債の格付けは全てAA格。
金融機関の貸出運営スタンスは、日本は大企業・中堅企業・中小企業向けの各D.I.の平均。米国は大企業・中堅企業向け、ユーロ圏は大企業向け、
英国は全規模向けのD.I.。
(資料)Bloomberg、日本証券業協会、日本銀行、FRB、ECB、BOE
図表12
グロ バルなバブル崩壊後の失業率の推移 日本との比較
グローバルなバブル崩壊後の失業率の推移:日本との比較
米 国
ユーロエリア
英 国
84 86 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08 10 年
84 86 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08 10 年 84 86 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08 10 年
(%)
(%)
(%)
11
11
11
9
ユーロエリア
10
(
(下目盛)
盛)
日本(上目盛) 9
8
8
8
7
7
7
6
6
6
5
5
5
4
4
4
3
3
3
米国(下目盛) 10
10
日本(上目盛)
9
2
日本(上目盛)
2
2
年
00 02 04 06 08 10
英国(下目盛)
年
00 02 04 06 08 10
年
00 02 04 06 08 10
(資料)ONS、Eurostat、BLS、総務省
図表13
急速な高齢化の影響
── 実質GDP成長率は日本が最も低いが、生産年齢人口一人当たり実質GDP成長率は
実質GDP成長率は日本が最も低いが 生産年齢人口 人当たり実質GDP成長率は
日本が最も高い。
実質
実質GDP成長率
成 率
生産年齢人口一人当たり
生産年齢人
人当たり
実質GDP成長率
一人当たり実質GDP
た 実質
成長率
(2000年~2010年の平均成長率、%)
(2000年~2010年の平均成長率、%)
(2000年~2010年の平均成長率、%)
2.0
2.0
2.0
1.6
1.6
1.6
1.2
1.2
1.2
0.8
0.8
0 8
0.8
0.4
0.4
0.4
0.0
0.0
0.0
日
米
英
ユーロ
圏
(資料)World Bank、 Haver
独
仏
日
米
英
ユーロ
圏
独
仏
日
米
英
ユーロ
圏
独
仏
図表14
日本は急激な高齢化に直面している。
本は急激な高齢化 直面し
る。
40
(65歳以上人口の15-64歳人口に対する比率、%)
35
30
日本
米国
英国
イタリア
フランス
ドイツ
25
20
15
10
5
0
50 年 55
60
65
70
75
80
85
90
95
00
05
10
(資料)United Nations
図表15
人口増加率
増 率
日 本
1.5
(年率、%)
米 国
1.5
(年率、%)
英 国
1.5
(年率、%)
移民
総人口
1.0
0.5
0.5
0.5
0.0
0.0
0.0
-0.5
0.5
-0.5
0.5
-0.5
1961~65
66~70
71~75
76~80
81~85
86~90
91~95
96~00
2001~05
06~10
(資料)World Bank
1961~65
66~70
71~75
76~80
81~85
86~90
91~95
96~00
2001~05
06~10
1.0
1.0
1961~65
66~70
71~75
76~80
81~85
86~90
91~95
96~00
2001~05
06~10
移
移民以外
外
図表16
人口増加率(続き)
ドイツ
(年率、%)
1.5
1.5
移民
移
移民以外
外
総人口
フランス
(年率、%)
1.5
1.0
0.5
0.5
0.5
0 0
0.0
0 0
0.0
0 0
0.0
-0.5
-0.5
-0.5
1961~65
66~70
71~75
76~80
81~85
86~90
91~95
96~00
2001~05
06~10
1961~65
66~70
71~75
76~80
81~85
86~90
91~95
96~00
2001~05
06~10
1.0
1.0
(年率、%)
1961~65
66~70
71~75
76~80
81~85
86~90
91~95
96~00
2001~05
06~10
ユ ロ圏
ユーロ圏
(資料)W ld B
(資料)World
Bankk
図表17
日本は2000年初頭以降、バブル崩壊後のデレバレッジの影響から徐々に脱していった。
債務/名目GDP比率(注1)
設備DI(注2)
40
(DI<「過剰」-「不足」>
(DI<「過剰」
「不足」>、%ポイント)
%ポイント)
130
30
120
20
110
過剰 10
100
0
不足 -10
90
大企業
中小企業
-20
80
70
85 87 89 91 93 95 97 99 01 03 05 07 09 11
年
雇用DI(注2)
40
30
過剰 20
10
0
-10
不足 -20
-30
-40
-50
-60
(%)
140
85 87 89 91 93 95 97 99 01 03 05 07 09
年度
(DI<「過剰」 -「不足」>、%ポイント)
(注1)債務は、民間非金融機関における借入と株式以外の証券との和。
(注 )設備DIは 短観 生産 営業用設備判断DI(製造業) 雇用DIは
(注2)設備DIは、短観の生産・営業用設備判断DI(製造業)。雇用DIは、
短観の雇用人員判断DI(全産業)。短観は2004年3月調査より見
直しを実施。旧ベースは2003年12月調査まで。新ベースは2003
年12月調査から。
大企業
中小企業
85 87 89 91 93 95 97 99 01 03 05 07 09 11
年
(資料)内閣府 日本銀行
(資料)内閣府、日本銀行
図表18
2002年以降の日本の景気回復は 海外経済の高成長が後押しとなった
2002年以降の日本の景気回復は、海外経済の高成長が後押しとなった。
(前年比、寄与度、%)
6
4
2
0
外需
-2
2
-4
内需
日本・実質GDP成長率
世界・実質GDP成長率
成
-6
90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10
年
(資料)内閣府、IMF
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