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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
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文化の消費 ―日本民芸運動の展示をめぐって―
金谷, 美和
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities
(1996), 77: 63-97
1996-01
https://doi.org/10.14989/48469
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
『
人文学報』 第 77号 (1996年 1月)
(
京都大学人文科学研究所)
化
文
消
の
費
- 日本 民 芸 運 動 の展 示 を め ぐ って -
金
谷
美
和
1 序 論
1- 1 問題 の所在
1-2 文化人類学 における展示研究
1-3 民芸運動
2 民芸 の展示空間
2-1 明治か ら昭和初期 における展示空間
2-2 民芸 の形成
2 2-1 博覧会 における民芸 の展示
2-2-2 百貨店 にお ける民芸 の展示
2 2-3 民芸館 にお ける民芸 の展示
2-3 民芸運動 にお ける 3つの展示様式
3 考 察
3- 1 民芸運動 と民族博物館
3-2 民芸運動 ・民俗学 ・民具学
4 結 論
1 序
論
1-1 問題 の所在
近年,文化人類学 では,学問の枠組 みを問い直す議論が行われているが, その主 な ものの一
つが民族誌 の記述, すなわち異文化 をどのように表象す るか という問題 である。 サイ- ドは,
オ リエ ンタ リズムについて,以下 のよ うに述べている。
「オ リエ ンタ リズムとは,我 々の世界 と異な っていることが一 目瞭然であるよ うな (あるい
は我々の世界 にかわ りうる新 しい)世界を理解 し,場合 によっては支配 し,操縦 し,統合 しよ
うとさえす る一定 の意志 または目的意識 - を表現す るもの とい うよ りはむ しろ--その もの
である。
」[
サイ- ド 1
9
9
3:
4
0]
-6
3
人
文
学
報
オ リエ ンタ リズムは,西洋がオ リエ ン トとい う他者 を表象す る方法である。 オ リエ ンタ リズ
ムには,表現 の手段 を もつ者が, あたか も客観的であるかのような方法 を用 いて,巧妙 に他者
についてのイメー ジをっ くることの暴力性 を見 ることがで きる。
博物館 などにお ける 「
展示」 も,民族誌 の記述 と並んで,異文化表象 の一つである。1
9
8
0年
代以降主 に欧米 において,博覧会 や民族博物館 における異文化 の 「
展示」 にたい して批判がな
されて きた。 それ らの批判 は,「
展示」 は物 による異文化表象 の技法 の一つであ り,「
展示」 と
いう技法 は歴史的 に形成 された ものであるという認識 に基づ いて行われて きた。
本論文では, これ ら欧米 における議論 を踏 まえて 日本民芸運動 の 「
展示」 を分析 し,民芸運
動が,展示 を通 して文化 を表象す ることで, どのよ うに 「
民芸」という文化の消費形態をっ くっ
てい ったかについて論 じたい。現代 の 日本 においては,文化 を商品 と して所有 し消費す ること
が, 日常的 に様 々なかたちで行 われている。消費 の対象 となる文化 は,異国の文化であったり,
日本のいわゆる伝統文化 と呼ばれ るものであ った りす る。 テ レビなどの メデ ィアを通 じて,異
国の風習 に関す る情報が,人 々に消費 されやすいよ うに断片化 されて毎 日のよ うに提供 されて
いる し,国内 ・国外を問わず観光旅行 によって手軽 に 「
現地」 に出か けていって 「
本場」 の文
化を味わ う楽 しみ も一般化 している。 また,文化 とい う付加価値 のつ いた物 を購入 し, 日常生
活で使 う, あるい は飾 るといった消費 のかたち もある。
このような現状 において,文化 の消費の形態が歴史的にどのよ うに作 られて きたかを問 うこ
とは,文化 を研究対象 にす る文化人類学 にとって は重要 であろう。「
民芸」 は, 文化 の消費 の
一つのかたちであ る。 そ して 「
民芸」 は, 日本民芸運動 とい う大正時代 の終 わ りに始 まった運
展示」 とい う啓蒙方法 を通 して作 り上げて きた ものである。 民芸運動以前には,「
民芸」
動が,「
というものは存在 しなか ったのである。
本論文の構成を簡単 に記 してお く。 1章では,文化人類学 における展示 と,民芸運動 に関す
る先行研究 について述べ, それぞれの先行研究 に関 して検討 を加 え る。 2章 では,民芸運動が
行 ったい くつかの展示 について貝体的 に分析を加え ることで,「
民芸」 とい う商品 が展示 の現
場で どのよ うに作 られてい ったかを明 らかにす る。 3章では,民芸博物館 の展示 と比較す るこ
とで,民芸運動 の展示が何 を作 り出 したかを明確 にす る。 また,民芸運動 を同時代の民俗学,
民貝学 と比較す る ことで,民芸運動 の性質 を明 らかにす る。
1-2 文化人類学 における展示研究
日本民芸運動 の展示の分析 にはいる前 に,文化人類学 と民族博物館 との関係 を Ame
sに従 っ
て概観 したい [
Ame
s1
9
92]。 民族的な ものの コレクシ ョンは,1
6
世紀 ヨー ロ ッパ の c
abi
ne
t
s
ofc
ur
i
os
i
t
i
e
sにさかのぼる。1
9世紀後半 にはそれ らの部屋が博物館 と して組織 化 され, いわ
一6
4-
文化の消費 (
金谷)
ゆる民族博物館が誕生 した。展示 は進化論 に従 って, あるいは形態の類似 に従 って ものを並べ
るとい う方法が と られた。
1
8
5
81
9
42
)が中心になっ
近代的な民族博 物館 の発展 は,北米 において はフランツ ・ポアズ (
て行われた。 ポアズは,物 を コンテクス トに従 って並べ るとい う展示方法 を とった。人 々の生
活様式 とい うコンテクス トに即 して物が展示 され ることで,物 の意味が理解 されやすいよ うに
工夫 された展示方法である。 また一方で,民族的な物が美術品 と して展示 されることもあった。
Ame
sによれば,1
9
2
0年代頃よ り人類学 は大学 を拠点 に して調査をは じめ,物質文 化 を主 た
る研究対象 とす る博物館人類学 (
ant
hr
opol
ogyormus
e
ums
) は,人 類学 の中で はマ イナ ー
な存在 にな ってい った。博物館人類学 が,人類学 のなかで再 び浮上 して きたのは,1
9
8
0年代 に
なってか らである。Jone
sによると, そのよ うな学問的状況が変化 したのは, ブルデ ュー らが
Jone
s1
9
93
]。
博物館 を社会学的調査の対象 と して取 り上 げて以降の ことである [
また1
9
8
4年 にニ ュー ヨークの近代美術館で行われた 「
2
0世紀美術のプ リミテ ィブィズム :部
族的なるもの とモ ダンな るものの親縁性」展 [
ルー ビン 1
9
95
] に対 して,Jame
sCl
i
f
r
or
dが
批判を行 った。Cl
i
r
f
or
dは, この展覧会 にあ らわれている 「部族的」 な ものの芸術性 が, モダ
ンアーテ ィス トた ちによ って 「発見」 されたとい うシナ リオに,歴史の隠蔽 と植民地主義 を指
Cl
i
f
f
or
d1
9
8
8
]。他 に も,異文化 の展示 とい う方法 自体 の もつ政治性,
暴力性
摘 したのであ る [
Kar
pandLavi
ne1
9
91;St
oc
ki
ng 1
9
8
5
] 。 そ して 「
展示」
に対す る批判が い くつか行 われた [
に対す る批判 と,それ ら展示 その ものを抹殺す るよ うな批判 に対す るキュ レー ターたちの反論
。
とが,展示 の現場 に影響 を与 えるよ うにな っていった 1)
こうした理論的背景 を念頭 において,民芸運動 の 「
展示」 によ って文化が どのように表象 さ
民芸」が創出 されて きたかを論 じたい。
れ,「
1-3 民芸運動
民芸運動 は,1
9
26年 (
大正 1
5
) に始 まって現在 も継続 している工芸運動 である。 民芸品の収
92
6
] とい う小冊子が,富本
集 と美術館設立 を呼 びか けた 『日本民芸美術館設立趣意書』 [
柳 1
意吉,河井寛次郎, 浜田庄司,柳宗悦 の 4人の連名で作 られ,発起人の親 しい人 々に配布 され
1
8
8
9
1
9
61) を中心 に して,
たことに運動 の発端 がある。 初期 の参加者 は, 白樺派の柳宗悦 (
陶芸家 の河井寛次郎 (
1
89
01
9
6
6) と浜田庄司 (
1
8
9
41
9
7
8
)
, 精神科医 で ゴ ッホ研 究者 の式場
隆三郎 (
1
8
9
81
9
65),英文学者 の寿岳文章 (
1
9
0
01
9
92
) たちで あ る。 支援 者 と して は, 倉敷
の実業家である大原孫三郎 (
1
8
8
01
9
43)
,大原総一郎 (
1
9
09
1
9
6
8) などが知 られ る。
「
民芸」 とは 「
民衆的工芸」 の略語であ り,民芸運動 による造語である。 柳宗悦 たちは,工
芸品 と日用生活用品 の美的堕落 を憂 い,江戸時代 に起源を もっ生活用品を取 り上げて 「
民芸」
-6
5-
人
文
学
報
と名づ け,工芸品 の美的規範 と した。 そ して近代化 の流 れ にのみ込 まれて消 えつつ あ った,也
方 の手工芸品 の保 護,存続 を試 みた。
民芸運動 の活動 は多岐 にわた る。全国各地 の手工芸品の調査収集 を行 うと同時 に,啓蒙活動
が展覧会 と活字 メデ ィアによ って行 われた。式場隆三郎が編集 した,民芸運動 の会報 である雑
誌 『月刊民芸』 (
後 に 『民芸』 と改名) (
1
9
3
91
9
4
4) と,柳宗悦 が 中心 に な って作 った工 芸雑
誌 『工芸』(
1
9
31
1
951) が主 な活字 メデ ィアで ある。 また,手工芸品 を商品 と して都市 の消 費
地 に供給す るパ イ プの整備 に も力 を入 れた。工芸家 たちが民芸品の制作指導 を行 い,作品 を民
芸運動 で買 いあげて,百貨店 の民芸品売 り場 や民芸品専門店 「た くみ」 とい う販売 の場 を設 け
る努力 を行 った。
民芸運動 は,東京,大阪,京都 とい った大都市以外 の, 日本各地 の地方 の生活用品 に目を向
けた。都市 か ら離 れた地方 に こそ 日本的な文化が残 っていると考え,積極 的 に全国 を調査 して
まわ った。 山陰 ・九州や東北地方 の 日用品が まず取 り上 げ られた。次 に沖縄 の物質文化 が, 冒
本の民芸文化 を最 もよ く残 して いる地方 と して取 り上 げ られ た。 さ らに北 海 道 , 中国 東北 部
(
満州) や台湾- と民芸運動 の対象 は広が って い った 2)
。
民芸運動 とい う運動体 を,歴史的 に位置づ けた研究 はほとん どない。 その理 由 と して考え ら
れ るの は,民芸運動 の創始者 の一人であ る柳宗悦 の存在 の大 きさであろ う。 柳 は,民芸運動 を
思想的 に支 え る人物 と して,運動 の他 の参加者 に比べて圧倒的 に執筆量 が多か った。 そのため
柳の著作 を もとに,民芸理論 を論 じる研究 3)は多 いが,柳があま り書 き残 して いない,運動 の
実践的側面 に関す る研究 は少 ない。民芸運動 を,柳 の思想以外 の視点 か ら捉 え よ うと してい る
研究 を紹介 してお こう。
民芸運動 を,参加 した人 々の活動 の総体 と して記録 す る試 みを行 って い るの は,本人 自身 も
民芸運動 に関 わ って きた岡村吉右衛門である [
岡村 1
9
91
]。 また,民芸運動 に賛同 し,私財 を
投 じた地方 の素封家 たちの活動 の記録 もい くっか試み られている [
鈴木 1
9
92;冨永 1
9
81;牧
野 1
99
0]
。 出川直樹 は,昭和40年代 の民芸 ブーム以降 の民芸が,柳宗悦 の理論 か ら離 れ て,礼
会 において どのよ うな もの と して うけ入 れ られてい ったかを考察 して い る [出川 1
98
8] 。
これ らの研究 は,柳宗悦 の思想 的変遷,発展 を,民芸運動 の歴史 と同一視 していない点 で は
評価 で きる。 しか し, これ までの研究 で欠 けていると考 え られ る視点 は,柳が ほとん ど記述 を
残 して いない,流通 や制作指導 とい った実践的側面 に関す る仕事 を記録 し,歴史的 に評価す る
ことであ る。 実践 的な仕事 の中で も,特 に私 は 「展示」 が重要 であ ると考 え る。流通 な どに関
,
して は, ほとん ど記述 していない柳で さえ 「展示」 に関 して は,よ く論 じて いる し,写真で記
録 も残 させて いる。浜 田庄 司,芹沢金圭介 といった運動 の重 要な参加者 たち も, 「展 示」 を重 要
,「展示」 につ いて は今 まで言 及 され て こ
視 して いた ことが分か ってい る。 それに も関わ らず
なか った。
-6
6-
文化の消費 (
金谷)
本論文 は,以上 のような先行研究の問題点 を踏 まえて,民芸運動を柳宗悦 の思想,活動だけ
に限定せずに,運動 に参加 した様々な人々の活動の総体 として運動を捉え,歴史的に民芸運動
展示」を取 り上げて,
を位置づけることにす る。 そ して民芸運動が行 った活動の中で も,特 に 「
大正末か ら昭和初期 にかけての,消費文化が浸透 してゆ く都市 において,民芸運動が 「
展示」
の場で 「
民芸」 という商品をどのよ うに作 り上 げていったかを論 じたい。 また本論文 では,氏
芸運動の始 まりか ら1
9
45年 (
昭和2
0) までの活動を分析対象 とする。 その理由は,1
945年 まで
の運動初期の活動 で, ほぼ 「
民芸」 というカテゴ リーは完成 されたと考え られるか らである4)。
2 民芸の展示空間
民芸運動が始 ま った大正時代 の末 は, さまざまな大衆文化 が盛んにな り, 民衆文化 (
f
ol
k
c
ul
t
ur
e
) に関心が集 まった時代であ った。本間久雄 らが文壇 で民衆芸術論 を論 じ [
南 1
987:
1
01
11
7
],柳田国男の民俗学や渋沢敬三の民貝学が成立 した時代で もあ った。
同時代の民俗学 や民具学 と比較す ると,民芸運動 は啓蒙の手段 として 「
展示」 という方法を
上手 に取 り込んだ。明治時代 に西洋か ら輸入 された 「
展示」 という技法 は,すでに大正時代の
終わ り頃には,近代的な表象の制度 と して 日本 に定着 しつつあった。民芸運動 はそれ らの展示
の場 を うま く運動 の戦略 に取 り入れて成功 した。 そ して展示 における成功が,民芸運動 の性格
を,同 じように民衆文化を扱 う民俗学や民貝学 とは異なるものに していったといえよ う。 民芸
民貝」 と 「民 芸」 は全 く異 な
運動 と民異学 は,扱 った対象が ほぼ同 じであるにも関わ らず,「
る性質を帯 びた物 として形成 された。
当時の展示空間 としては,博覧会,百貨店,博物館 という3つの場所が挙 げ られ る。民芸運
動 は, それ ら3つ の全ての展示の場を用 いて展覧会 を行 った。博覧会,百貨店,博物館 という,
同時代の この 3つ の空間が どのような ものであったかをまず記 しておきたい。民芸運動 は, こ
の 3つの空間にお いて展覧会をす ることで,同時代の他の展示 と展示空間を共有 していたとい
えるだろう。
2-1では,民芸運動 の展示の時代背景 と して, 日本 において展示 という制度がすでにどの
ように成立 していたかについて言及す る。 2-2では,博覧会,百貨店,民芸館 において行わ
れた,個々の民芸運動 の展覧会 について述べ, 2- 3では民芸運動の展示を展示方法 に従 って
3つに分類 し考察 を加える。
2-1 明治か ら昭和初期 における展示空間
世界初の万国博覧会 は1
851
年 にロン ドンで開催 された。他国に先駆 けて産業革命を経 たイギ
ー6
7-
人
文
学
報
リスは, その国力の象徴 とな る技術力 の最先端 を示すために,大がか りな展示 スペースを鉄 と
ガラスで作 った。 その明 る く軽快 な建物 はク リスタルパ レスと呼ばれ,以降の博覧会 や百貨店
の建築 に大 きな影響 を与えた。 ロン ドン万国博覧会 の後, フランス, アメ リカ, オース トリア
9
9
2:
2
8
3
4] 。
と大国が次 々 と博覧会 を開催 した [
吉見 1
日本政府 は,1
87
3
年 の ウィー ン万国博覧会か ら公式参加 している。 日本政府 は,最初か ら万
国博覧会 の意図をよ く理解 していたよ うである。博覧会 の展示 を通 じてアジアの小国 日本の発
展の度合 いを い か に見せ るかに苦心 し,貿易促進 の可能性 を高 めよ うと した。 日本政府 は博覧
会 に参加す ることを, はっきりと日本 の近代化 の方途であるとみな していた。近代化 のための
9
8
5:
6
4
67
]。
殖産興業,富国強兵を貝体的 に進 める政策 の一環であ ったのだ [
吉田 1
万国博覧会 は,国力を示すために,生産文化 を展示す るとい う性格 を持 っていた。 と同時 に
ロン ドン万国博覧会 は,生産 の過程 よ りも生産 された物 自体が重要視 され るとい う転換点 を示
Be
nne
t
t1
9
9
4:
1
4
5
]
。つ まり博覧会 とい う場 において,物 は生 産 され る もの と して
していた [
よ りも,消費 され るものと して, その性格 を変 えつつあ ったのである。 博覧会 は,消費文化の
陳列場 と して一般化 していった。
87
7
年 (
明治 1
0
) 日本
この ことは, 日本 における博覧会 につ いて も当て はまる。明治政府 は1
で始 めての博覧会 を,上野公園で開催 した。 これが第一回内国勧業博覧会である。内国勧業悼
9
03
年 (明治3
6
) の第 5回 目まで合計 5回開かれた [
寺下 1
9
9
0:
7
8
8
2
] 。 明治 の博 覧
覧会 は,1
会 は,吉 田光邦が述べていたよ うに,近代化 のための軍需産業 を押 し進 める方途であ った [
吉
田 1
9
8
5:
6
4
6
7
]。
しか し1
9
2
2
年 (
大正 1
1
) に開催 された平和博覧会 に見 られ るように,大正時代 になると,坐
産文化 に代 わ って,消費文化が一国の文化的水準 を測 るもの さ しと して重要 にな って きた [
南
1
9
8
7:
2
47
]
。民芸運動が展覧会 を始 めた昭和 の初 めには,博覧会 は,人 々の 「文化生活」 を彩
る消費文化 の展示場 と して,人 々の欲望 のまなざ しの対象 にな っていたのである。 そのよ うに
性格づ け られた空間に民芸がおかれ ることで,民芸 は容易 に人 々の眼 に消費 され る対象 と して
受 け入れ られたのである。
8
5
2
年 にフランスで生 まれた。百貨店 は,販売方法 の革命であ った。 そ
世界初 の百貨店 は,1
れ以前 は,客 は店員 を通 して商品を見せて もらい,値段交渉 を行 っていた。百貨店においては,
客 は自由に店内に出入 りして,陳列 された商品を見 ることがで きた し,定価が決 まっていたの
で値段交渉 の必要 もなか った。特 に革新的だ ったのは,百貨店が,商品を買 う意図を持 たず に
商品を見 ることを楽 しむ娯楽,すなわちウィン ドーシ ョッピングを生みだ した ことである。買
9
9
4:
3
84
6
]
。
い物 (
商品を見て楽 しむ) とい う娯楽が都市生活者 に生 まれたのである [
神野 1
日本 の百貨店第 1号 は,三越である。三井呉服店が経営改革 を経て1
9
0
4
年 (
明治3
7
) に欧米
の百貨店 をモデル に作 ったのが,百貨店 「
三越呉服店」 である。三越 に続 いて高島屋,大丸,
-6
8一
文化の消費 (
金谷)
白木屋,松阪屋, そ ごうなどが呉服屋か ら百貨店 に変身 してい った [
神野 1
994:
3846]。
百貨店 にお いて は, しば しば展覧会が行われた。展覧会場 は,商品のデ ィスプ レーの延長 と
考え られ る。 つ ま り,百貨店 とい う場 におかれ ることで展覧会 の展示物 も商品 も,見 る者 の所
有欲を喚起す るという点で,同 じものであ った。展覧会 は もちろん集客 の手段 と して用 い られ
ていたので もあ るが,新 たな商品の開拓,つ まり客 の購買欲をそそる物を開拓する手段で もあっ
たのだ。
大正時代 に入 って博覧会 の娯楽化が進み, それ と平行 して博覧会 は生産 の場 よ りも消費 の場
に対 して, モデル と しての役割 を果たすよ うになる。 博覧会 のテーマ も,明治時代の もの とは
代わ って,消費 の場 と しての家庭や,消費者 としての婦人,子供 に焦点 を合わせた博覧会が行
われ るようにな る。 それ らの博覧会 の多 くは,電鉄会社や新聞社がスポ ンサーとな って,百貨
992:
1
521
53]
。
店 などを舞台 に して行 われている [
吉見 1
日本 の博物館設 置計画 は,欧米 の博物館制度 を参照 して行われた。1
871
年 (明治 4) に文 部
省の中に博物局が設置 され,翌年 「
文部省博物館」 の名前で湯島の大成殿 において博覧会が開
87
3年 (
明治 6) ウィー ンで開催 された万国博
催 されたのが,博物館 の歴史 の始 まりである。1
覧会参加のために,太政官正院 に博覧会事務局が設置 され,文部省博物局 はこれに吸収 された。
収集資料 と職員が内山下町 に移 って公開 された博物館が,東京国立博物館 の前身であ る。 博物
館の創設 には,博 覧会 の開催 を通 じて コレクションを作 り上 げよ うとす る意図を見 ることがで
991
b:
39-40] 。
きると,矢島 は述 べている [
矢島 1
明治初期 に,欧化政策 の一環 と して始 まった政府 の博物館政策が, どのよ うにその性格 を変
886年
化 させてい ったか を, やはり矢島の記述 に従 ってみてみ よ う。 内山下 町 の博物館 は, 1
9) には宮内庁の所管 とな って,1
889年 には帝室博物館 と改称 され る。 当初 の博物館構
(
明治 1
想 は,殖産興業政策 の一環 と して位置づ け られていたが,宮内庁管轄にな ってか らは,皇室 の
威信を示す とい う政治的意図の もとに整備 され るよ うにな った。大正時代 には,東京帝室博物
館 は,歴史,美術系 の博物館 に収集意図を切 り替 えた。 また,大正時代 の大衆文化 の発展 を背
991
b:
41
43]
。
景 に して,大衆娯楽 のための動 ・植物園や水族館が作 られた [
矢島 1
昭和初期 にな り,文化 ・教育政策が国粋主義的 にな り, ファシズムを推進す る方向 に向か う
と,帝室博物館 は, 国威発揚,皇室の威信誇示 の博物館 と しての性格を もつ よ うにな った [
矢
991
b:
44]。民芸運動が,民芸館 とい う美術館 を作 ろ うと していたのは, ち ょうどこの時代
島 1
にあたる。
博物館 の成立過程 は,博覧会の常設化 とい う経緯 を経 ているとはいえ,博物館 の性格 は,博
覧会や 百貨店 とは異 な っている。 博覧会 と百貨店 は, ものを不特定多数 の人 に見せて購買欲 を
そそる場所 と して, つ まり大衆消費 の場所 として発展 したが,博物館は直接大衆消費 を喚起す
る場所 と して は設定 されなか ったか らである。 帝室博物館 に展示 された文化財 としての美術品
-6
9-
人
文
学
報
は, 日本国家の文化的威信を示す,価値あるものとして示 された。帝室博物館の展示品 は,大
衆の購買可能 な商品 とは異な った意味を付与 されたのである。
2-2 民芸 の形成
2-2-1 博覧会 における民芸 の展示
民芸運動 の最初 の展覧会 は,1
9
2
7
年 (
昭和 2) に東京銀座 の鳩居堂 というギ ャラリーで開か
9
2
7
a:
7
2
3
]
。
れた日本民芸美術館主催の 「日本民芸品展覧会」 である [
柳 1
その翌年の1
9
2
8
年 (
昭和 3)に,民芸運動 による 2回 目の展覧会が開かれた。 それが,東京
1
9
3
6
年 にで
上野公園で開催 された御大礼記念国産振興博覧会 に出品 された 「
民芸館」である (
,
。
きた日本民芸館 と区別するために 「
民芸館」 と表記す る) 「
民芸館」 は, 民芸運動 に とって
重要な展示 の場で あったと私 は考える。 なぜな ら,後の民芸運動 の展覧会の全ての方法が この
時の 「
民芸館」 において試み られているか らである。「
民芸館」 については, 幸 い残 され た記
録 も多 いので,詳 しく述べておきたい。
「
民芸館」 は, 内装や調度品を含 めて民家を一軒,民芸運動 にかかわ る人々が設計,制作 し
たモデル- ウスで ある。
柳宗悦 は,「
工芸 は常 に家屋 と総合 されねばな らない」 とい う前提
「
民芸館」 を 「
家屋および家貝の総合展観」 として企画 したと記 している [
柳 1
9
2
8:
の もとに,
1
3
1
6
]。 モデル- ウス式の展示 は,民芸運動の独創ではな く,すでに博覧会 において試 み られ
ていた。1
9
2
2
年 (
大正 1
1
)に箕面で開催 された 「住宅改造博覧会」 や,同 じ年 に上野で開催 さ
9
9
2:
1
5
れた 「
平和記念東京博覧会」 においていわゆる 「
文化住宅」が展示 されていた [
吉見 1
2
1
5
8
]。
このようなモデル- ウスが博覧会 において展示 され る時代背景 として,南博 は新中間階級 の
発生を挙げている。 新中間階級 とは,南によればホワイ トカラー,官吏,医師,弁護士などの
自由業 に従事す る中間層であ り,第 1次大戦 の好況 によって生活水準を上 げた階層の ことであ
る。 生活水準が上 がることによって生活の文化的内容の充実 に人々の関心が集 ま り, 「文化生
活」 という言葉が用 い られるようになった。生活の合理化を目指 して,西洋文化が積極的に取
9
8
7:
2
4
7
2
4
8
]。
り入れ られ るようにもなった [
南 1
このような状況 を踏 まえて,
「
民芸館」 は設計 された。西洋的な生活様式 を取 り入 れっつ,
日本の伝統的な生活様式 とうま く組み合わせて,時代 に適応 した新 しい住居の提案を試みたの
である。 しか し 「民芸館」 は,西洋文化を積極的に取 り入れようとした, いわゆる 「
文化住宅」
とは異 なっている。 柳宗悦 は次のように述べている。
「
民芸 には,最 も著 しい国民性の発露がある。否,民芸 とな らずば工芸に民族の固有性 は出
-7
0-
文化の消費 (
金谷)
]
ない。私達 はかか るものを活か して未来 を継承す る任務がある。
」[
柳 1
9
2
8:
1
5 「だが時代 は
移 り生活 の様式 は進む。私達 は過去 の器物 だけで は もはや足 りない。例-ばテーブル とか椅子
とか書棚 とか,紅 茶器 とか, これ等 の ものは新 しく製 らねばな らぬ。 それ も西洋 の模倣ではな
しに, 日本 の姿 において生 きねばな らぬ。 しか も民芸 の精神 において用 と美 と廉 とを兼ねたる
」[
柳 1
9
2
8:
1
5
]
ものを産 まねばな らぬ。 私達 はこの民芸館 においてそれを も試 みたのである。
「
民芸館」 の建物 は,柳宗悦 らが設計 し,遠州 の大工 に制作 を依頼 した ものである。 食器 な
。
どは,民芸運動 の同人達が全国各地か ら収集 した民芸品を用 いた 「テーブル, 椅 子 , 書棚,
の工人達が制作 し
紅茶器」 とい った西洋風 の生活様式 に合わせた調度品 は,上加茂民芸協団 5)
9
2
8:
1
3
1
6
]。
た [
柳 1
「
民芸館」 の外 観 は, 日本の民家 の様子を模 している。 応接室 は基本的に洋風 に しっ らえて
あるが,朝鮮風 の桟のはまったガラス窓があ り,椅子 に座 った人 の目線 に合わせて,通常 の和
室 に比べて高 い位 置に床の間が作 ってある。黒 田辰秋が制作 した木製 のダイニ ングセ ッ トが置
かれ, テーブルの上 には食器が並べ られている。「
民芸館」 を形づ くって い るひ とっ ひ とっ の
物 は,純 日本式 の ものではないが,全体 として 日本風 の落 ちっ いた雰囲気 をたたえた家屋 に仕
。
上 げ られて いる (
写真 1, 2)
「
民芸館」 とい うモデル- ウスに対 して, い くつか注文があ った らしいが,再現が難 しいと
いう理 由で注文 に は応 じなか ったよ うだ [
柳 1
9
3
6
a:
2
5
]
。「民芸館」 自体 は,博覧会の会期後,
アサ ヒビール社長 の山本為三郎 に買 い取 られ,大阪 に移築 されて 「三国荘」 という迎賓館 と し
て用 い られた。後 に惜 しくも焼失 したが,写真 は残 っている。 外観 はかな り改装 された様子が
0
写真か らうかが うことがで きる (
写真 3,4,5)
この 「
民芸館」 で もうひとっ特筆すべ きことは,民芸品の即売所が設 け られた ことである。
民芸品が陳列,即売 されたのは初めての ことであ った と,柳宗悦 は記 している。即売所 に置か
,
れた物 は 「高取 の大鉢, 出雲 日出圏扇, 日田皿山の焼物,秋 田の七輪,佐賀 の赤穂 , 益 子 の
9
3
6
a:
2
4
]であ る。「民 芸館」
山水土瓶,八丁牟 田の花延,琉球 の漆器,朝鮮 の紙類等」 [
柳 1
の展示物 と同 じものが,商品 と して提供 された点 が,博覧会 とい う展示 の性質 を示 しているだ
ろ う。
民芸運動 にとって 2回 目の展覧会である 「
民芸館」 において,最初 に述べたように,後の民
芸運動 の展示 の技 法がすでに全て提示 されていることに私 は驚 きを感 じる。大正時代 の博覧会
とい う消費文化 の展示場 において,「
民芸館」 の民芸品 は, それぞれの物 の もっ背景 を切 り離
されて,都市生活 者 の生活 スタイルを構成す るための, 自由に組み合わせ可能 なパーツと して
提示 されている。 民芸品 は,物 自体 は民俗学や民異学が研究対象 にする物 と等 しいが, それ ら
とは決定的 に異 な っている。「
民芸館」 において展示 され ることで,都市生活者 たち に と って
,「商品」 と して所有可能 な ものに, その意味 を変質 させ たので あ
異文化 であ った地 方 の物が
ー 71-
人
文
学
報
る。 柳宗悦 ら民芸運動 の参加者 は, 田舎 の 日用品がその コ ンテ クス トを背負 ったままで は,症
業 と して成立 しな い ことをよ く認識 して いたのであろ う。 この博覧会 での 「
民芸館」の試みは,
地方 の 日用品 を コ ンテ クス トか ら切 り離 し,都市生活者 たちの生活 の中 に 「商品」 と して もち
こむ ことに成功 したのである。 つ ま り 「
民芸」 は,展覧会 の場 で生成 した ものであ り,文化 の
商品化 の,早 い時期の成功例 であ るといえよ う。
2-2-2 百貨店 における民芸の展示
1
9
3
8年 (昭和 1
2) に大阪梅 田の阪急百貨店 の中 に, 鳥 取 の民 芸 品専 門店 で あ る諸 国工 芸店
。
「た くみ」 が民芸品 の常設売 り場 を設 けた [
柳 1
9
3
8a:
7
45
] 「た くみ」 は鳥取 在住 の医者 吉 田
嘩也 (
1
89
81
97
2
) が1
9
3
2
年 (昭和 6) に作 った店 で,鳥取 の民芸品 の新作活動 を経済的にバ ッ
クア ップ して いた拠点 で もあ った。「た くみ」 は,1
9
3
3年 (昭和 7) に東京銀 座 に支店 (の ち
本店 とな る) を出 して いた。大阪の百貨店 に引 き続 いて,東京 の百貨店 に も民芸品の常設売 り
場 を設 けた。
百貨店 にお ける商業活動 は,民芸運動 に とって重要な活動 の一 つである。鳥取 と銀座 の 「た
くみ」 は,小売 り店であ ったため購買者 は限 られていたが, 百貨店 に出 された民芸品売 り場 は,
よ り一般 的 な客 を対象 にす る。 しか し,民芸運動 の商業活動 につ いて は, あま り記録 が残 って
いな い
。「た くみ」 における品ぞろえや,売 れ行 きな どに関 して は,「た くみ」 の機関誌 によ っ
て知 ることがで きるが,百貨店 の売 り場 に関 して は, ほとん ど記録 がな い
。
柳宗悦 は,民芸運
動 の経済的 な側面 につ いて はあま り関心 がなか ったよ うで,記述 を残 して いない。
民芸運動 が始 ま って早 い時期 に,百貨店 に売 り場 を出 した先見性 には驚 くべ きものが あ る。
百貨店 にお いて は,売 り場 を開設 しただ けでな く,民芸品 の展覧会 もしば しば開 くよ うにな っ
た。1
92
8年 の博覧 会 に出品 した 「民 芸館」 で,展示物 と売 り物 が同 じ博覧会 とい う空間 に並べ
られ,等 しく所有 の対象 と して見 られたの と同 じよ うに,百貨店 において は,民 芸品 は売 り場
に並べ られた もの も,展示場 に並べ られた もの も,見 る者 の同 じよ うな欲望 のまなざ しにさ ら
され る。 すで に述 べたよ うに百貨店 の売店 と展示場 は, 同質 の空間なのだ。 百貨店で行 った展
覧会 に関 して は, 幸 い雑誌 『工芸』 や 『民芸』 に記録 が残 っているので, それ らの記事 を もと
に再構成 してみよ う。
百貨店 での最初 の展覧会 は,1
9
32
年 (
昭和 7) に大阪 の高島屋 で行 われた 「山陰民芸品展 覧
会」 である。1
9
45年 までの間 に,高島屋,三越,松阪屋, 白木屋 などの 百貨店 において2
0回以
上 の展覧会 が開か れた。 (これ は,河井寛次郎 や浜 田庄 司 な どの民芸運動 に関 わ りの あ る, 個
人作家 の展 覧会 は除 いた数字 であ る。) 1
9
3
6年 に民芸運動 の美術館 であ る, 財 団法 人 日本民 芸
館が東京 の駒場 に設立 され, それ によ って民芸運動 は常設 的 な展示 の場所 を もつようになった。
7
2
文化の消費 (
金谷)
特別展覧会 も民芸館 において年 に 5回以上行 っている。 それに も関わ らず,百貨店での展覧会
は,年 に 2回 ほどのペースで行われたのであ る。民芸運動 にとって,民芸館で行 う展覧会 と百
貨店 で行 う展覧会 とでは, その位置づ けが異 な っていたのではないだろうか。民芸館 での展覧
会 は,民芸品を通 して工芸品の美の標準 を示す とい う啓蒙が一番の目的であ ったのに比べて,
百貨店 での展覧会 は,民芸品制作 を産業 として継続 させ るために, より広範囲の人 々に民芸品
の存在 を知 らしめ,新 しい使 い方 を示 そ うと したのである。
資料 と して,私 が作成 した民芸運動 の展覧会年表 を見ていただきたい。百貨店で開催 した展
,
。
新作民芸品」6)の展覧会であ った ということがわか る 「新作民 芸 品」 と
覧会の ほとん どは 「
は,民芸運動 の指導 によって新 しく作 られた民芸品の ことである。百貨店 での展覧会 は,美術
品 と して美的価値 の高 い 「
古民芸」 を展覧す るよ うな美術展覧会が目的ではな くて,民芸品制
作 とい う産業 を広 く知 らしめることによって,新 たな購買層 を開拓す るとい う意図を もった展
覧会であ った 7)
。 神野 由紀 は,百貨店 における展覧会が,有効 な販売戦略のひとっであ った こ
9
9
4:
1
8
3
1
9
4
]が,民芸運動 の展覧会 もおそ らく同様 の機能 を もって
とを示 している [
神野 1
いただろ う。
百貨店 で行 われ た展覧会 は, 日本民芸館での展覧会 に比べて記録が少 ないのであるが, その
9
3
2
年 (
昭和 7) に東京 日本橋 と大阪の
中で も比較的資料 の多 い展覧会 を再構成 してみよ う。1
白木屋百貨店 で開催 された,大阪毎 日新聞 と東京 日日新聞主催 「
全国民芸品展覧会」 である。
柳宗悦 は,展覧会 について大阪毎 日新聞 に寄稿 している [
柳 1
9
3
2:
2
4
5
2
5
2
]。 この展 覧会 は民
7
0
0
種類 1万数千点 の うちか ら,審査員 によ って選 ばれた 4
芸品の公募展 であ り,寄せ られた1
分の 1の入選作品 が出品 された。選考員 のひ とりであ った柳 によると,公募作品の中 には,氏
芸品の概念か らはずれた ものが多か った らしく, 当時民芸運動 の人々が提示 していた民芸概念
と,一般 に受 け入 れ られている民芸概念 との間 にずれのあ った ことが うかがえる。民芸 とは異
,
」「地域 的」 でな い ものや, 玩 具 な どの
郷土的
なるもの と して選考か らはず された ものは 「
)
」などである。
「
軽 い趣味の もの」,「農民美術 8
もう一つ,百貨店で行われた展覧会 の例 を挙 げてお こう。1
9
3
4年 (昭和 9) に東京高島屋で
柳
開催 された 「
現代 日本民芸展覧会」 は,約 2万点が出品 され た大規模 な展覧会 で あ った [
1
9
3
6
b:
61
]。東京高 島屋の総支配人 の川勝堅- が, 民 芸運動 に協力的 で あ ったので実現 した
9
9
2:
1
9
3
1
94
]。展示場 の写真がないのが残念 であるが, その代わ り作品 カタログが残 っ
[
水尾 1
工芸』 の4
7
号が, この展覧会 を記念 して編集 され,増刷 されてカタログと して
ている。 雑誌 『
展覧会会場で販売 されたのである。
,
古民芸品」 や 「
新作民芸品」 ではな く,「
残存
このカタログか らわか るのは,出品作品 は 「
民芸品」 であ った ということである。「
古民芸品」 は,制作 も使用 もすで に行 われて いな い民
。
残存民芸品」は, まだ制作 もされ,使用 もされてい る民芸 品 の ことで あ
芸品の ことである 「
-7
3-
人
文
学
報
る。1
9
3
4年 に柳宗悦達が この展覧会 のために全国を収集調査 して まわ った時点 では,多 くの民
芸品が 日用品 として実際 に使われていた。民芸品 は,「
城下町や,物資の集散 す る田舎 町, 古
9
3
4
a:
2
8
8
2
9
3] 。 荒物 屋
い街道筋」 にある荒物屋か ら収集 して きたと,柳 は記 して い る [
柳 1
とは,人 々の 日用生活用品を商 う商店である。 つ ま り,民芸品が荒物屋 の店先か ら集 めて こら
れたとい うことは,民芸品がその地方 に住 む人 々にとって 日常的に必要 な道具であ った とい う
ことを示 している。
展覧会 の カタログとな った 『
工芸』4
7
号 には,1
2
8種類 の民芸品の写真 と説 明が あ る。 説 明
は,産地,収集場所,用途,現地での名称 の他 に簡単 な解説が記 されている。民芸品の種類 は,
9
3
4
b:
2
9
4
3
5
5
]。
竹か ご
和紙,箪笥,木綿,鍋釜,刃物,農貝 など多種 にわた って い る [
柳 1
ひとっ とって も, 地方 によって用途 も形態 も制作方法 も名称 も違 う。 しか もそのほとん どが,
当時実際 に使 われていた ものであ った ことは重要である。 全国か ら収集 した ものを一つの会場
に展覧 し,多様 な地方 の物質文化 を一覧 した ところは圧観であ ったろう。
また,会場 にはモデルルーム も設置 された。バーナー ド・リ-チ設計 の書斎 と浜 田庄司考案
写真 7)である [
柳 1
9
3
6
b:
61;村岡 1
9
3
9:
8ト8
4
]
。
の食堂 (
写真 6),河井寛次郎創案 の台所 (
1
9
2
8年 の御大礼記念国産振興博覧会 に出品 した 「民芸館」 を引 き継 いで, モデル- ウスあるい
はモデルルーム形式の展示が民芸運動 の展示の技法 の一つ と して用 い られていたことがわかる。
日本 の地方 の もつ,豊かな生活用貝 という財産 の多様 さ,形 のすぼ らしさを示 しただけでは,
失われっつ ある地方文化のサ ンプルを単 に保存す るとい う結果 しか もた らさない。 しか し,氏
芸運動 はそれよ り進んで,生活用貝 を都会 の生活 の中で どのよ うに使 った らよいかを示 したの
である。 モデルル ームやモデル- ウスとい う展示形式 で,新 しい ライフスタイルを貝体的に示
した。高島屋で行 った 「
現代民芸展」 のカタログの解説 に も,生活用貝 と しての意味を変質 さ
せて,物 を都会生活 に取 りこもうとす る民芸の意図がよ く現 れている。 一例 と して,図版番号
3
0
番 の下 ,
「
漏斗 (じょうご)」 の解説 を挙 げる。
「この漏斗 は津軽地方の町々で米屋 の前 を通 ると,使 い慣 らした美 しい漏斗が 目に入 るであ
ろう。 どこの地方 とも異 なる形で,材料 も甚だ違ふ。 ここに挿んだ写真 は弘前在 の目屋で作 っ
た 「いたや」製 の漏斗である。一斗漏斗 とか,五斗漏斗 とか云 って 目方で大 きさを分 ける。 材
料が よ く,形が よ く,甚だ立派である。漏斗 と して了-ば米屋 の他 には使 ひ手が無 いが,底 を
入れて花活 けに した ら見事であろう。 其れに流用せず とも,此 の材料や手法や形 を何か に活か
」[
柳 1
9
3
4
b:
3
2
4
] (写真 8
したいで はないか。一斗大 の もの丈一尺 三寸, 口径一尺八寸五分。
参照)
柳の記述 には, 民俗学的な情報 も含 まれてお り, この漏斗が使われな くな った後 には,責重
な資料 とな るであ ろう。 生活用貝 の集 め方 の基準が,形態的な美 しさを もつ ものに限 られてお
り, その数量や流 通経路 といった,生活用貝 の全体像 を知 るために必要不可欠 な情報が欠 けて
7
4-
文化の消費 (
金谷)
いるに も関わ らず,記録が残 っているだけで意味があるだろう。 しか し,民芸運動が この漏斗
,
花活 け」 である。 この漏斗が本来持 っていた豊か な意 味 や情 報 は,
の未来 に目指す ものは 「
民芸運動 の展覧会場 に置かれたときか ら,徐 々に消滅すべ きもの として捉え られて いたのであ
る。
2-2-3 民芸館 における民芸 の展示
多 くの人が集 ま ることが想定 されている博覧会や百貨店に比べて,民芸館が不特定多数の人々
に与え る影響 は, それ ほど大 きくはなか ったであろう。 しか し民芸運動 は,民芸館 とい う美術
館設立 を 目的 と して始 まった運動であ り,民芸館 は民芸運動 の展覧会 にとっては大切な展示 の
場所である。
1
9
3
5
年 (
昭和 1
0
)に大原孫三郎 の寄付 を得て,民芸館建設 の準備が始動 した。 柳宗悦 らが
0
年 目の ことである。 そ して翌 1
9
3
6
年 (昭和 1
1
) 当時
『日本民芸美術館設立趣意書』 を作 って1
0
年か けて柳 らが収集 して きた民芸
の東京市 目黒区駒場町に財団法人 日本民芸館が開館 した。1
品が,民芸館 の蔵 品にな り,展示 の対象 とな った。
9
5
4:
1
7
8
1
7
9
]
,柳宗悦 の意 向 に よ
日本民芸館 は, 商工省 に財団法人 の申請 を してお り [
柳 1
り公的な性格 を付 与 された博物館で はあ ったが, 当時の国の博物館行政 とは一線を画 していた。
9
2
9
年,東京帝室博
その ことを うかが わせ るエ ピソー ドがある。 日本民芸館が実現す る以前の1
物館 の再建計画を機 に,柳 らは民芸運動が収集 した民芸品の寄付 を条件 に,帝室博物館 に民芸
柳
品展示 室 の設 置 を 申 し入 れ たので あ る。 しか し, この提案 は受 け入 れ られ なか った [
1
9
3
6
b:
4
7
]9)
。国 の博物館行政 に頼 ることはで きないことが明白になり,民 芸運動 の参加者 た
ちが 自分達 で常設 の展示 の場 を作 る必要があ ったのである。
民芸館 は,計画段階か ら展示 コンセプ トのはっきりした美術館であった。民芸品の収集 は,
ある美意識 に沿 って行われ, それ らを展示す る場所 と して民芸館 は設計 されたのである。つ ま
り建物 とい う箱 を作 って, どんな展示品 にで も対応で きるよ うになっている通常 の博物館 とは
異な り,始 めか ら民芸館 は,展示物 と建物 をひ っ くるめた創作 と して捉 え られていたのである。
9
2
8
年 (
昭和 3) の御大礼記念国産振興博覧会 に出品 した 「
民芸館」と同様である。
その点 は,1
柳宗悦 は,民芸館 は 「
一つの美の観点か ら統一せ られた美術館」 であることを目指 した と述べ
9
3
6
b:
6
3
]
。
ている [
柳 1
5
5
0
坪 の敷地が用意 され,本館 と西館 の 2つの建物が建 て られた。本館が展示室 で, 西館 が
母屋であ った。西館 は, 日光街道沿 いにあ った長屋門作 りの建物 を移築 した もので,本館 は,
柳宗悦 と浜 田庄司が中心 にな って設計 した。外観 は白壁 の 2階建 ての庫造 り風 の 日本家屋で,
土台か ら家 の高 さの 3分 の 2まで大谷石で腰張 りを し, 自漆喰でなまこ塀風 に造 った。本館 は,
-7
5-
人
文
学
報
大展覧室,玄関の大広間,左右の翼 に 4つずっある部屋 と 2階の回廊 の計 11
室が展示室 に当て
られていた。
本館 の内部 も,美術館 と しては特異 である。採光 は全て 自然光, しか も柔 らかい障子越 しの
光が,民芸品 を最 も美 しくみせ る効果 を もつ と して取 り入れ られた。大展覧室 は,天井か らの
採光である。 床 は大展覧室 のみ大谷石 で,他 の展示室 は板張 りであ った。 ほとん どの部屋 には
床の間があ り,壁 には柔 らかな色 あいの きな りの葛布が張 られた。展示 ケースは,柳宗悦 の設
939a:
8889] (
写真 9,1
0)。 また,「
美の温 もりを感
計 による漆塗 りの ものが用 い られた [
柳 1
床 に敷物 を用 い」
じ,親 しさを覚 え るような場所」 を作 るために 「品物 の並べ方 に気を使 い」「
心地 よい椅子 を置 き」「
掃除 も怠 りな くす る」 といった心配 りを した [
柳 1
959:
2
「
花を生 け」「
97
]
。
「どこまで も和風を活かす事 を努 め ま した。 それ も堅実 な田舎 の風 を守 りま した。
」[
柳
1
939a:
8889] と柳 は述べている。実際民芸館 は,改装が加 え られ た現在 で も日本風 の落 ちっ
いた しっとりした建物である。 しか し,民芸館 は決 して田舎の民家の忠実な再現ではな く,様々
な起源 を もつ細部 の寄せ集 めである。 日本建築 の様式か らみ ると間違 い もあるだろうし, いか
にも日本風 のモダ ン建築 といった方が よか ろう。 しか し寄せ集 めであ りなが ら, 「日本風」 を
創造 した点 は興味深 い。
民芸館 の展示方法 もまた,独特 の性格 を持 っているといえ る。 民芸館では展示が大切 に され
た。柳宗悦 は次 の ように述べている。
「陳列 の ことは吾々の最 も心 を くぼ っていることの一つ なのです。陳列 は真 にむづか しい も
のです。優 に一つ の技芸だ と恩 ひます。誰 にで も同 じよ うに出来 るわけでな く,上手下手が分
かれ るでせ う。 而 も陳列 はどんな美術館 にとって も非常 に必要 な技です。之が正当に行 なほれ
てゐるか否かで, 品物 は活 きもし殺 され もす るのです。 うま く陳列 された場合 は,直 しや うの
」[
柳 1
942b:
11
7
11
8]「陳列 は一種 の技芸 です。 技
ない決定的な意味 さえ有っに至 るでせ う。
」[
柳 1
9
42
b:
11
8]
芸であるか らには,創作でなければな りません。
民芸館 の展示の特徴 の一つ に,作品解説が少 ないとい う点がある。 確かに当時の展示場写真
を見て も,作品の横 に,小 さな黒 い札がっいているのが見え るだけである。 このような札 は今
日で も継承 されて いる。 黒漆塗 りの小 さい札 に朱 で名称 や産地 などが書 いてあるだけである。
説明書 きがあると, それが先入観 とな って物 を見 るのに邪魔 であるか ら少 な くしたのであ る,
95
9:
2
892
92]。 柳 は,情報 に頼 るので はな く,物 自体を直感 によ って
と柳 は述べている [
柳 1
判断す ることを重 ん じた。 よって民芸館 の展示 で は,物 の もつ様 々な情報 は,観賞 の邪魔 だ と
いうことで切 り捨 て られたのである。 作品解説 を極力少 な くす るとい う展示方法 に も,物 の コ
ンテクス トをはず す ことで,「
民芸」 を形成 して きた過程 を見て とることがで きる。
もう一つ作品解説が少ない理 由は,柳 によると,説明書 きの札が展示 その ものの邪魔 にな る
-7
6-
文化の消費 (
金谷)
ということである。 展示 の邪魔 にな らないよ うに,説明用の札 は小 さくし, そのために説明書
きは単純 にな らざ るをえない。札 も展示品の一部 と して扱われており,美的観賞 に耐 え られ る
9
5
9:
2
8
9
2
9
3
]。
ように気 を配 られている [
柳 1
柳宗悦 に限 らず,浜田庄司や芹沢金圭介 たち も展示 を大切 に した。民芸館 の特別展観 のための
展示替 え ともなる と,柳 たちは連 日遅 くまでかか って念入 りに行 ったそ うで あ る。 現在 で も
「
柳陳列」 とい う言 葉が民芸館 の学芸員のあいだに残 ってお り,柳の展示方法 は学 芸 員 た ちの
展示の手本 にな っている10)。
2- 3 民芸運動 における 3つの展示様式
まとめると民芸運動 の展示 には,大 きく分 けて 3種類 の方法があると私 は考 える。 それを,
私 はそれぞれモデルルーム式展示,物産店式展示,美的展示 と名付 けた。
モデルルーム式展示 とは, モデル- ウスやモデルルームを作 って,物 に新 しい用途 と価値 を
9
2
8
年 (
昭和 2) に作
付与 して,都市生活 に もちこむ方法を貝体的 に示 した展示方法である。1
られた博覧会場 の 「
民芸館」 は, モデルルーム式展示 と言えよ う。 モデルルーム式展示 は,冒
1は,1
9
4
2
年 (
昭和 1
7
)の 日本民芸館 の常設展示場 であ り,
貨店や民芸館 で も行われた。写真 1
2は,1
9
4
3
年 (
昭和 1
8
)に東京三越百貨店で行 われた 「家貝および工芸品総合展観」 の展
写真 1
示場である。
物産店式展示 とは,新作民芸品を展示 した もので,百貨店 などで民芸品を商品 と して示 し,
広 く購買層 を開拓 す るために行われた展示方法である。民芸館で もしば しば用 い られた方法で
3は, 1
9
4
1
年 (
昭和 1
6
)に 日本民芸館で行われた 「日本現在民芸品展」であ り,写
ある。写真 1
真1
4は,1
9
4
0
年 に東京 日本橋三越百貨店で行 われた 「
東北民芸品展覧会」 である。
美的展示 は,古民芸品や残存民芸品を主 に展示 した方法で,民芸品の美 しさを引 き出す こと
に心 を配 った展示方法である。 主 に民芸館で用 い られた。写真 1
5は,1
9
3
7
年 (
昭和1
3
)に民芸
6は,1
9
4
2
年 (
推定) に民芸
館で行 われた特別展 「
本染大夜具地類展」 の展示場 であ り,写真 1
館の一室 の床 の間 に飾 られた,東北 の 「
背中当て」 と 「
背負 い袋」 の展示である。
これ ら 3つの展示方法 は, それぞれ民芸品を意味づ ける方法が異なっている。美的展示 は,
それまでが らくた同然であ った 日用品を,美的な物 と して提示す ることで,美的価値 の転換 を
図ろ うとす る意図がある。 物産店式展示 は,民芸品を商品 と して提示す ることで,広 く購買層
を開拓す ることがで きる。 モデルルーム式展示 は,脱文脈化 された民芸品の,新 しい使 い方 を
具体的 に示 した展示 である。 今 まで生活 の中で用 い られていなか った物 を,生活 に もち こむた
めに,文脈 の創造 を行 った ともいえ る。新 しい使 い方 を示す ことで,民芸品を商品 と して, よ
り一般化す る道 を拓 いたのである。
一7
7-
人
文
学
3 考
報
察
民芸運動 は,前章 で述べたようにモデルルーム式展示,物産店式展示,美的展示 という 3つ
,「民芸」 を形成 した。民芸運動 の展示 は,物 が もと もと属 して い
の展示方法 を用 い ることで
た文脈 において持 っていた用途や意味を剥奪 し,見 る者 に所有可能 な物,所有す ることによっ
て差異 をつ けることので きる記号 と して提示 した。民芸運動 は,民俗学や民異学 と同 じように
民衆 の文化 を扱 いなが ら, これ ら 2つの学問 とは異 な った方向に進んだ。 それは,民芸運動が
学問的な体系化 を 目指 していなか ったか らではな く,展示を介することによって物を全 く異なっ
た ものに変質 させて しまったか らである。 3章で は, まず民族博物館 の展示 と比較することで,
民芸運動 の展示が何 を作 りだ したかを明確 にす る。次 に, 同時代の民俗学 ・民異学 との関わ り
を記述す ることで,民芸運動 の特徴 を明 らか に した い
。
3-1 民芸運動 と民族博物館
民芸館 の性格 は,民族博物館 と比較す ると分か りやす いだろう。1
9
2
9
年 (
昭和 5) に柳宗悦
と浜田庄司,式場 隆三郎 の三人 は, スウェーデ ンにあるスカ ンセ ンとい う北方博物館 と野外博
9
2
6
年 (
昭和 2) に 『日本民芸美術館設立趣意書』 が書かれてか ら 3年後
物館 を訪れている。1
9
3
6
年 (
昭和 1
2
)の民芸館開館実現 の 7年前 の ことである。 3人 は,彼 ら自身
の ことであ り,1
の美術館計画 と比較 しなが らスカ ンセ ンを見学 した ことであろ う。
スカ ンセ ンは, -セ リウスが スウェーデ ンの民族文化の保存,展示 を目的に1
8
7
3
年 に作 った,
世界最初で最大 の野外民族博物館である。 スカ ンセ ンの展示 の特 徴 は, 博物館 用語 で い うと
「
構造展示」 であ る。「
構造展示」 とは,人 々のある暮 らしの一場面 を再現す ることで, それぞ
れの物が生活 の中で関連 を持 って存在す ることを示す展示 である [
大塚 1
9
9
1:
1
4
3
1
4
4
]。
その
ために現在 スカ ンセ ンでは,野外博物館 の中に民家 を配置 して村の景観 を再現 し, それぞれの
9
9
1
a:
1
1
5
](
写真
民家 の中で,訓練 された専門の人が,伝統技術 の実演 を行 っている [
矢島 1
1
7
参照)。柳 らが訪 れた当時,すでに現在 のよ うな展示方法が とられていた らしい ことは, 吹
のような式場 の記述か らわか る。
「スカ ンセ ン公 園 には,各地か ら集 め られた民家が建て られ,部屋 はその地方の家具を持ち,
住む人 々はその地 の衣裳を身 につ けてゐる。 そ こか らは機 の苦や,民謡が洩れて くる。 庭 には
そ この素朴 な踊 りが見 られ,家畜や色 々な動物 まで飼 ほれてゐる。更 に食通 をよろ こぼせ るた
めに, その家 々は食堂 を持 ち,各地 の珍 らしい料理 を食 はせて くれ る。 欧州で無数 の美術館 を
」[
式場
みた私達 も, こん なに徹底 した,大がか りな, 生 きて ゐ る美術館 は初 めてだ った。
1
9
3
6:
1
9
]
-7
8-
文化の消費 (
金谷)
柳 らは, この民族博物館 にたいへん感銘 を受 けたようである。 しか し同時 に柳 らは, 自分た
ちの計画 している民芸館をスカ ンセ ンとは異 な った ものに したいと話 し合 って いる。「私達 は
物を量 に於て完全 さすより,質 に於て洗練 しよ う。 特 に質を正 しい美の標準 によって統一 しよ
柳 1
936b:
53]。
う。 この事 を成すのは日本人 に与え られた使命 なのだ。」 と柳 は記 して いる [
民貝を種類 ・数量 ともに充実 させ るのが,民具 を資料 と して扱 う民族博物館の目的であるが,
民芸館 は厳密な美的基準 をおいて,美 しいものだけを集 めることを目的に したのである。
スカ ンセ ンの 「
構造展示」 は,民芸運動のモデル- ウス式展示 に似かよっている。 というの
は,「
構造展示」 もモデル- ウス式展示 も,家屋 あるいは部屋を作 り, その中 に物 をお いて,
物同士の連関 (
文脈 といって もよい) を見せ るよ うに展示 しているか らである。 しか し, この
2つの展示 は異な っている。民族博物館のほうは,物のオ リジナルな文脈 を再現 しているのに
対 して,民芸運動 の展示のほうは, オ リジナルな文脈をはず して,別の文脈 に従 って物 を配置
しているか らであ る。
民族博物館の展示 は,展示が成功す るときには,物がそれぞれ背後 に持 っている数多 くの情
報が互 いに相補 いあって,展示を見 る者の前 に人 々の生活を再現 して見せ ることが可能である。
「
構造展示」 には,見 る者が上手 に引 き出 してやれば,多 くの情報を得 ることが可能 な糸 口が
転が っている。一方民芸運動 の展示では, そのような情報 はむ しろ展示の邪魔 になるだけであ
る。物が もともと持 っていた情報を切 り捨て,強 いて見ないようにしたところで,茶の 「見立
て使 い」 のように物を自由自在 に使 い,都会の中産階級 の暮 らしの中に配置 してみせたのであ
る。
民芸運動 の展示 が行われていたのと, ほぼ同時代の民族博物館の展示はどのようなものであっ
921
年 (
大正 1
0) に始 まったアチ ック ・ミューゼア
たのだろうか。渋沢敬三が中心 になって,1
936年 (
昭和 1
1
) に開館準備 に着手 した財団法人 日本民族学協会
ムと, その後 を引 き継 いで,1
附属民族学博物館 11)があるが,その展示の実際 はほとん ど明 らかになっていない。民貝の収集
938年 (
昭和 1
3) には,今和次郎の監督により,武蔵野民家 と絵
と展示が行われて いたこと, 1
馬堂が敷地内 に移築 された ことは分か っている [
有賀 1
97
7
6:
1
331
5
4]12)。 展示 の様子 が分 か
れば,民芸運動の展示 と比較で きるのだが,現在のところは不可能である。
3-2 民芸運動 ・民俗学 ・民貝学
民芸運動 は,民衆的な文化を関心の対象 と した。民芸運動が成立 したのと同時代 に,民芸運
動 と同様 に,f
ol
kc
ul
t
ur
eに着 目 した学問が成立 した。民俗学 と民具学である。民俗学 も民具
学 も,常民文化を研究対象 に した点 は同 じであるが,民貝学の方 は,渋沢敬三が中心 にな って
始め,特 に物質文化 に着 目 した。 この章では,民芸運動 を民俗学 ・民貝学 と比較 して論 じたい
-7
9-
。
人
文
学
報
民俗学 ・民貝学 は,明治時代 に西洋か らe
t
hnol
ogyと f
ol
kl
or
eが輸入 された ことに始 ま る。
最初 は両方 を ひ っ くるめて 「土俗学」 と呼 ばれ て いたが,e
t
hnol
o
gyの方 は 「民 族 学 」,
f
ol
okl
or
eの方 は 「民間伝承」 あるいは 「民俗学」 とい う訳語が当て られ,定着 して い った。
それまでに様 々な学会 と発表媒体 と しての雑誌が作 られ, また消えていったが, その詳細 は煩
雑 になるので割愛 す る。
9
2
1
年 (
大正 11
) に渋沢敬三 (
1
8
9
6
1
9
6
3
)が中心 とな って東京三 田の渋沢邸 内
民具学 は, 1
においてアチ ック ・ミューゼアムを結成 した ことに始 まる [
中村 1
9
8
3:
8
3
9
]
。それが,常民 生
活 に関す る物質文化を含 めた資料収集 と研究が,主 な目的の研究機関 にな っていった [
有賀 1
9
7
6:
1
3
1
2
]。 また1
9
3
4
5
年 (
昭和 91
0
)頃よ り渋沢敬三 は,有形 の民俗資料 に 「民具」 とい う
9
7
6:
1
4
4
]
。1
9
3
0
年 (
昭和 5) には,早川孝太郎 による花祭 のモノ グ
言葉 を当てている [
有賀 1
9
3
6
年 (
昭和 1
1
) には 『所請足半 に就 いて』が,1
9
3
7
年 (
昭和 1
2
)
ラフ 『
花祭』 が出版 され,1
にはアチ ック ・ミューゼアム編集 による 『
民貝問答集』 が実 を結んでいる。 なお1
9
3
5
年 (
昭和
1
0
)に渋沢敬三,古野清人,高野文太郎が中心 とな って 日本民族学会を設立 した13) [
大藤 1
9
9
]
。
0:
2
2
1
4
民芸運動 は,渋沢敬三 の主催す るアチ ック ・ミューゼ アム と一 時期交流 が あ った. 1
9
3
6年
1
)1
2
月 に,柳宗悦 はアチ ック ・ミューゼアムを訪問 して,三河地方 で花祭 とい う祭事
(
昭和 1
に用 いる切 り紙絵 「ざぜち」 を見,それに魅せ られた旨が年譜 に示 されている [
水尾 1
9
9
1:
2
6
4 アチ ック ・ミューゼアムを見学 した翌年 の 1月 に,柳 は,河井寛次郎,浜田庄司,水谷良
]。
一,外村吉之助 らと共 にアチ ック ・ミューゼアム同人 に同行 して,愛知県設楽郡本郷村で花祭
柳 1
9
3
8
b:
4
2
4
4
3
2
]。 しか し,その後民芸運動 の人 々が
を見学 し,「ざぜち」 の調査 を行 った [
アチ ック ・ミューゼアムや, 日本民族学会付属民族学博物館 と交流 を行 った とい う記録 は全 く
ない。
柳宗悦が決 して民具学 に無関心 であ ったわけで はない。柳 は, アチ ック ・ミューゼアムの最
初のまとまった民具研究である 『
所請足半 に就 いて』 や,早川孝太郎 の 『
花祭』, 柳 田国男 の
(
1
9
3
8
年刊) などの民俗学 の物質文化研究,民具学 の研究書 に 目を通 して い る
『
服装習俗語 棄』
9
4
0
b:
3
]
。その うえで民芸運動が,民俗学や民異学 と交 わ る ことが なか った
か らである [
柳 1
とい うことは,民芸運動が これ ら 2つの学問 と全 く異 な った方向に進んだか らだ。 その ことを
示す渋沢敬三 の言葉がある。渋沢 は,民具の美 しさにつ いて述べているが, それは民芸運動が
述べ る物 の美 しさとは,質の違 うものであることを記 している。
「これを (
民具 を)下手物 とか民芸品 とか い って重んず る者 は, その ものの単独の美 を追 う
のである。 我 がアチ ックは全体 の一部 と して見て, これを作 った人 々の心 を見っめようとする。
すなわちアチ ックの標本 は,我 々祖先の心 を如実 に示現 している点 に奇 しき統一があ り, そ こ
に特殊 の美 を偲ぶ ことがで きる。
」[
渋沢 1
9
3
3:
1
6
8
]
一8
0-
文化の消費 (
金谷)
1
9
3
9
年 (
昭和 1
4)に柳宗悦 は,雑誌 『工芸』誌上 に 「
「もの」 と 「こと」
」とい う文章 を書 い
て,民俗学批判 を行 っている。 柳 は次 のように述べている。
「この学問 はとか く 「こと」 に堕 し易 く,「もの」 を忘れがちな所があるか らで あ る。 未知
」[
柳 1
9
3
9
C:
1
5
]
の材料 の蒐集 に憂 き身 をやつ して,土民 の活 きた生活層 を忘れ る危険がある。
,
柳 によると 「もの」 とは,物 に代表 され るよ うな異体的な ものであ り,「こと」 とは,抽象
的な事柄の ことで ある。柳 の民俗学批判 の最 も大 きな点 は,民俗学 は物 に関心をもつ際にで も,
物その ものを考察 す るとい うよ りも,物 にまっわ る抽象的な事実 にばか り目を奪われているの
で,物 を作 る人 々の生活 の本質 の理解 に到達す ることが出来 ないでいるとい う点である。柳は,
民衆の生活 を本当 に理解す るためには,物 を直感 によって見て, まずその存在価値 を知 り, そ
の後で物 にまつわ る情報 を知 るべ きであると考えたのである。
柳の民俗学批判 は適当で はない。物 にまつわ る情報 な しに,物 の存在価値や美的価値か らだ
けでは, その物 を作 った人々の生活 は明 らかにはで きないと思 うか らである。 この点 につ いて
は,後 で もう一度触れ ることにす る。
1
9
4
0
年 (
昭和 1
5
)に柳宗悦 は,『月刊民芸』誌上で 「民芸 と民俗学の問題」 とい うテ ーマで
柳田国男 と対談 を行 った。 この対談 の目的の一つ は,民芸運動 と民俗学 の相違 と共通点 を明確
にす るとい うことであ った。司会 の式場隆三郎 は,対談の冒頭で次のよ うに述べている。
「どうも我 々が現在や ってお ります民芸運動 と柳田先生 の民俗学 といふのが, とか く一般か
ら混同 され勝 ちなので,一度,柳田先生 と柳先生か ら充分お話ねが って,両者 の区別 をはっき
」[
柳 ・柳田 1
9
4
0:
2
4
5
7
]
りとしてお きたいので ございます。
民芸運動 と民芸学 の違 いは,民芸運動が,規範学 あるいは価値学であ り,未来への指針 を示
すのが 目的であるのに対 して,民俗学 は経験学であ り,かつ過去 の歴史 を明 らかにす るための
学問であると,柳 田 と柳 は意見の一致 をみている。 また民俗学 と民芸運動 の共通点 に関 しては,
ともに 「
大衆性」 を重 く取 り上 げている点
,「地方性」 を認 めている点, 昔 の人 の優 れ た能 力
について高 く評価 している点であると,司会の式場隆三郎が まとめている。
この対談 は,民俗学 と民芸運動 の相違 を明 らかにす るとい う点では成功 であ ったと水尾比 呂
9
9
3:
7
]
。一方有賀喜左衛 門 は, この対談 を あ ま り評価 して いな い
志 は評価 している [
水尾 1
9
7
6:
1
5
4
1
7
3
]。対談 当時柳 田国男 は,民貝 に対 して渋沢敬三 が持 って いた ほどの関心
[
有賀 1
は持 っていなか った とい うのが有賀の意見である。 また有賀 は対談の内容か らみて,柳 田は柳
らに対 して民 俗学 の正 しい説 明 を して いな いよ うに見 え る と述 べて い る14)。 [
有賀 1
9
7
6:
2
0
2
3
]。
柳宗悦 の
「
「もの」 と 「こと」
」 とい う文章 における民俗学批判 と,1
9
4
0
年
(
昭和1
5
)の柳田 ・
9
4
0
年 に雑誌 『
民間伝承』 に 「
民俗学 と工芸」 とい
柳の対談 を読 んだ民俗学者 の大藤時彦が ,1
9
9
3:
4
6
]
。大藤の民芸運動批判 は,民芸運動 の美 に対 す る考 え方
う文章 を寄せてい る [
大藤 1
- 81-
人
文
学
報
にむけ られている。 民芸運動 のよ うに物 の美 を問題 にす るな らば,物 を作 った常民が何 を もっ
て美 しいと感 じるか とい う点が最 も重要 なのであ って,物 を観察す る我 々の美意識 は重要で は
ないと大藤 は考え た。 そ して,民芸 と して取 り上 げ られ る物 は,柳宗悦 の取捨選択 による物 な
ので,民俗学か らみ るときわめて限定 されているよ うに見え ると批判 している。
さ らに,柳宗悦 の民俗学批判 は,民俗学 の最 も良質 の研究 を知 らないための誤解 なので はな
いか とい う懸念を示 している。 しか し大藤の この懸念 につ いて は間違 いである。 なぜな ら,先
に述べたよ うに柳 は民俗学 の研究書 に目を通 していた ことがわか っているか らである15)0
柳 は,民俗学 と民芸運動 の違 いにつ いて,さらに 「
民芸学 と民俗学」 とい う文章 にお いて述
9
41
年 に東京帝国大学人類学教室で行 った講演 の要 旨である [
水尾 1
べている。 この文章 は,1
。「民芸学」 とい う言葉 を柳 はこの文章で は じめて用 いてお り, 民 芸 を対象 に した学
9
8
0:
6
0
0
]
問の体系化 を試みていた ことが うかがわれ る。繰 り返 しになるが,柳 によると,民俗学 と民芸
具体)」 を対象 とす る点
学の違 いは,民俗学が 「こと (
事柄)」 を対象 と し,民芸学が 「もの (
である。 民芸学 は, 「もの」 を直接研究対象 にす るが,民俗学 は 「もの」 に まつ わ る 「こと」
9
41
C:
2
7
8
]。
(
情報)に関心 を向 ける。 [
柳 1
柳 は,民俗学 と民芸学 の相違 を, さ らに民俗博物館 16)と民芸館 の違 いに敷宿 して述べている。
柳 によれば,民俗博物館 も民芸館 も,民衆 の生活 を重視す る点 につ いて は同 じである。民衆 の
生活 に密着 した絵 馬が,双方 の博物館 によって取 り上 げ られているが,絵馬の扱われ方が異なっ
ている例 を示 して,民俗博物館 と民芸館 の違 いを述べている。 民俗学 では,絵馬 であるか ぎり
どの絵馬 も研究の材料 になる。一方民芸学では,美的価値 に従 って物 に上下 の区別 を認 めてい
る。 美的価値が地方,時代,民族 それぞれの文化の豊か さの指標 とみな し,民芸館 の収集品 に
9
41
C:
2
7
5
2
7
6
]
。
は,美 とい う選択基準が必要 であると柳 は考え るのである [
柳 1
民芸学 は美学 の領域 にあると柳 は考えた。美学 を抽象的な議論 にとどめるので はな く,民芸
とい う異体的な実例 を通 して美 と民衆 の関係,美 と実用性 の関係 を論 じるのが民芸学 であると
9
41
C:
2
8
2
2
8
4
]
。
柳 は考えたのであ る。 [
柳 1
以上 をまとめる と,柳宗悦 の民俗学批判 と民芸学諭か ら明 らかにな ったよ うに,民芸運動が
民俗学 と最 も異 な っている点 は,民衆 と美 との関係 に関す る考察であろ う。 渋沢敬三 は,民具
は美 しいが, それ は個 々の物が もっ美で はな く,物が集合 した ときに全体 と して美 しさを感 じ
させ るとい った。 つ まり,民貝 の美 は常民 の生活 の もっ美 しさが,物 によって貝現 されている
とい うことであ って,民芸のよ うに物 自体 の美 しさを云 々す るので はないとい うのが渋沢 の考
えだ。大藤時彦 は,民芸が民衆文化 の美 の現れであるとす るな らば,民芸 は常民 の美意識 を反
映す るものであるべ きであ って,民芸 を観賞す る人 々の美意識 によ って判断 され るべ きもので
はないと述べた。
柳
柳宗悦 は,民芸 品を美 とい う基準 によって厳 しく分別 した 17)。 その際 の 「美 の標準」 [
-8
2
文化の消費 (
金谷)
1
9
3
9
a:
9
4] は柳の標準であ って,民衆 の標準 ではない。柳宗悦 という人物が,彼 にとって異文
化である民衆文化 を,彼 の美意識 によって取捨選択 したのが民芸である。 よ って民芸 は民芸品
を作 った人 々の美意識 を反映 した もの とはいえないだろ う。 民芸運動が,民衆 と美 との関係 に
ついて語 るとき, その美 は,具体的な個々の人間の生活か らでて きた美意識 の問題で はな く,
柳の想定す る 「
民 衆」 とい う概念か ら生みだされた美一般 の問題 を述べているのだ と私 は考え
る。
民芸 は民芸運動 の創作であ り,創作であるがゆえに 「
商品」 と しての価値 を もちえたのであ
る。民芸 と して取 り上 げ られ る以前 は,地方 の生活遺貝, 日用品であ ったのであ り, けっして
そのままで は都会 の百貨店 や美術館 に展示 され るよ うな ものではなか った。そのようなことは,
民芸運動 によ って価値 の転換が行 われた後 には じめて可能 にな ったのである。
民芸 は,人 々が選択 し所有す ることによ って,自分 を他 の人 々か ら差異化す る機能 を もっ消
費物 なのである。 物が展示 の場で 「
民芸」 とカテ ゴライズされ ることで,決定的 にその物 の も
つ意味 は変質 して しまった。「
民芸」 と 「
民貝」 は,もともと形態 も機能 も同 じであ ったが,
「
民芸」 は 「
民具」 とは別の意味を付与 されて,人 々のまなざ しにさらされ る ことにな ったの
である18)。民芸運動 は,民貝学,民俗学 と一時交流があ ったに もかかわ らず, その交流 はすれ
違 いに終わ り,以 降あま り重要 な関係 を もたなか ったのは,民芸運動が 「
展示」す ることで,
物を 「
民具」 とは異 な った 「
民芸」 とい うものに変質 させたか らだといえ る。
4 結
論
民芸 の展示 を,文化 の商品化 とい う視点か ら論 じて きた。 もともとは地方 の生活用貝であ っ
た物が,展覧会 の場 で美的価値 を付与 され,都市生活 の中での新 しい用途が提示 され ることで
民具」 とは異 な る, 「民
「
民芸」 は作 られた。生活用貝 とい う意味を変質 させ られ ることで,「
芸」 が 誕 生 した の で あ る。 「民 芸 」 は, 文 化 の商 品 化 の一 例 で あ る とい う こ とが で き
る19)。民芸運動 は,「
展示」す ることで,「
民芸」 とい う文化 の消費形態 を とったのである。
sが指摘 していることであ るが,
民芸運動 の展示 は,展示 の本質 をあ らわに している。 Ame
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on)
, もしくは 「
再定義化」(
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on) の作用
博物館 には 「
再文脈化」(
Ame
s1
992:
4
6]。 つ まり民芸の展示 は,Ame
sの言葉 を借 りれば,展示の もっ 「再 文
がある [
脈化」 の作用 を明 らかに しているのである。民芸運動 は,物が もともともっていたオ リジナル
な文脈 をい ったん はず して,異 なる文脈 の中に再構成 した。 このような作業 は,民芸運動 の展
示 にのみ見 られ る ことで はない。民族博物館の 「
構造展示」 も, オ リジナルな文脈の再構成 を
めざ している ものの,文脈 の再構成であることにはかわ りな い
。
私 は,民芸運動 の展示 を, モデルルーム式展示,物産店式展示,美的展示 の 3つの展示方法
8
3-
人
文
学
報
に分類 して論 じた。 それぞれの展示方法 は,物 をそれぞれ再文脈化 してお り, 3つの展示方法
が相 まって,商品 として所有可能 な 「
民芸」 とい う文脈 を形成 したのである。
現在 の我 々の生活 には,異国の物が, エスニ ック ・グ ッズ20)とい う呼称 のエキゾチ ックな魅
力を もつ商品 として数多 く入 りこんでいる。 それ らは,東南 ア ジアの藤製 のか ごであ った り,
アフ リカの土器や木製 の椅子であ った りす る。 イ ンテ リア雑誌 や女性誌 には,毎号のよ うにそ
のよ うな商品の紹介が載 り, それ らの物 を使 っていかに 「自分 らしい」「
個性 的 な」 イ ンテ リ
アや生活 を演 出す るか とい った記事が,繰 り返 し掲載 されている。百貨店 のイ ンテ リア商品売
り場 の一角 には, エスニ ック ・グ ッズ専門の コーナー もある。
エスニ ック ・グ ッズは, もともと地元の人 々が生活用貝 と して使 っていた文脈 を離れて, 冒
本人 の生活空間を彩 る商品 と して持 ち こまれている。 単 に文脈 をお きかえただけの もの もあれ
ば,商品 と してよ り洗練 された もの もある。 民芸 は地方文化 の産物であ ったが, よ り一般的に
は異文化 を商品化 して消費 の対象 にす るとい う態度 を確立す ることに貢献 したのが, 日本民芸
運動であろ う (もちろん文化 の消費 の形態 を作 ったのは,民芸運動 だけで はない。民俗学や民
族学 も, テ レビな どのマスメデ ィアや観光産業 に情報 を提供す ることで,文化 の消費の形態 を
提示 し,文化 の消費 を うなが して きた といえよう)。
文化 の消費 は, 今や様 々なかたちで行 われている。観光 もその一つである。民芸品が一般的
になるにつれて,新 たな観光旅行 のかたちが提示 された。つ ま り,民芸品の制作地に出かけて,
その場所 で民芸品 を買 うとい う楽 しみを伴 う旅行 のかたちである。例 えば,窯元 を訪ね る観光
9
31
旅行が挙 げ られ る。大分県 日田市 の小鹿 田は,半農半陶が生業の小 さな集落であ ったが,1
年 (
昭和 6) に民 芸運動がそ この製品を兄 いだ して以来,小鹿 田の焼 き物 は,代表的な民芸品
の一つ と して数え られ るよ うにな った。小鹿 田は現在で は観光地 にな ってお り,博物館 と窯元
の見学がで き,買 い物 も楽 しめる。 窯元訪問 は観光 の- ジャンルにな ってお り,全国の有名 な
窯元の観光 ガイ ドが何種類 もでている。 そのガイ ドの中で も,小鹿 田は民芸 の窯元の一つ とし
9
9
3:
1
47
]
。
て紹介 されている [日本交通公社 1
本稿では,文化 の消費が様 々な形で行われている現状 において, その消費 の形態が どのよ う
に形成 されて きたかにつ いて考察 を試みた。「
民芸」が,文化 の消費 の一 つ のか たち と して形
成 されて きた, ということを明 らかにす ることがで きた と思 う。 文化 を所有す る快楽 は,民芸
だけにあるのではない。 エスニ ック ・アー トと呼ばれ るよ うな異文化 の芸術 も,同様 の快楽を
所有す る者 に与え て くれ る。 本研究 は,文化の消費の他 のかたちにつ いて も考察す るための手
がか りを与 え るもの と考 え る。
- 84一
文化の消費 (
金谷)
(付 記 )
雑 誌 『民 芸 』 の 芸 は本 来 は旧漢 字 の 「塾」 で あ るが, 本 稿 で は 「芸」 を用 いた。
日本 民 芸 協 会 , 日本 民 芸 館 , 大 阪 日本 民 芸 館 か ら貴 重 な資 料 を見 せ て い た だ き, 快 く本 稿 に
用 い る こ とを許 して い た だ い た。 ま た, 大 阪 日本 民 芸 館 で は 1
994年 9月 に行 わ れ た 特 別 展 観
「芹 沢金圭介 展 」の陳 列 替 え に参 加 させ て い た だ き, 民 芸 館 の展 示 の実際 を 身 を も って 教 え て い
た だ く機 会 を得 る ことが で きた。
本 論 文 は, 京 都 大 学 人 間 ・環 境 学 研 究 科 に提 出 した修 士 論 文 『異 文 化 の展 示 一 日本 民 芸 運 動
を め ぐって 』(
1
995年 )に基 づ く。 修 士 論 文 を執 筆 す る に あ た って, 谷 泰 教 授 , 福 井 勝 義 教 授 ,
菅 原 和 孝 助 教 授 , 田 中雅 一 助 教 授 の ご指 導 を受 け た。
また, 京 都 大 学 人 文 科 学 研 究 所 にお いて行 わ れ て い る, 田 中雅 一助 教 授 主 催 の共 同 研 究 会
「主体 ・自己 ・情 動 構 築 の文 化 的特 質」 で発 表 を させ て い た だ き, 参加 者 の 皆 様 か ら貴 重 な コ
メ ン トを い た だ い た。
それ ぞ れ の方 に, 心 よ りの感 謝 の意 を表 した い。
1) 展示す る側 とされ る側の歴史的な権力関係を明 らかにす るべ きであるとい う批判 に呼応す るかた
ちで, 1
9
8
8年 カ ル ガ リー の グ レ ンボ ウ博 物 館 で 行 わ れ た "The Spi
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e"展 は,展示 され る側である住民か らボイコットが起 こっ
た [
Ame
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9
2:
1
61
2
]
. キュレーターによる,展示の実践を通 した反論の例 として, 英 国 の人類
博物館主催の "
Madagas
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"展を挙げる ことがで きる。 この展 覧
会 は,企画の段階か ら人類博物館 とマダカスガルの大学附属美術 ・考古博物館 との共同作業 によっ
て行われ,異文化の代表者 との共同作業において展示を組みたて るという方法か ら,多 くの成果を
9
9
4:
7
9
]
。展示その ものを,植民地主義的であるとして抹殺す るのではな く, む し
得た [
マ ック 1
ろ展示 の もつ創造性を評価 し,展示の実践を重ねてい くことで展示の可能性 を拓 いていこうとする
動 きは興味ぶ かい。
2) 柳宗悦 は,民芸運動が始 まる以前 に, 日本の植民地であ った朝鮮 において,美術品の収集 と美術
展覧会活動を行 っていた。 その当時はまだ 「
民芸」 という用語 は用いていないが, のちの民芸品に
対す る関心 の萌芽期 といえよう。本論文では,柳宗悦の活動ではな く,民芸運動 という運動体の活
動 を論 じることに重点をおいているため,朝鮮 の ものについてはふれない。
3)例えば この点 については, [鶴見 1
9
9
4] [熊倉 1
97
8][Ki
kuc
hi 1
9
9
4]などが挙 げ られ る。
4) 昭和4
0
年代 のいわゆる 「
民芸 ブーム」で,民芸が大衆的になった過程 も興味深いが,本稿ではと
りあげない。
5) 1
9
2
7
年 (
昭和 2) に柳宗悦が 『
工芸の協団に関す る-提案』 という冊子を作 った ことが きっかけ
とな って,同年京都の上加茂を拠点 に結成 された工芸職人の協団。織物の吉田五良,染織の鈴木実,
鈴木 1
9
9
2:
21]。
金工の吉田七良,木工の黒田辰秋の 4人が参加 したが, 2年後に解散 した [
一8
5
人
6)
文
学
報
「
新作民芸」 と 「
残存民芸」 は,「
民芸」 という言葉がで きてす ぐ後 に,浅沼喜美 の作 った用語
である。浅沼 は,民芸品の販売 の仕事 を担当 していた人物で,諸国工芸店 「た くみ」 の 2代 目の店
残存民芸」 の代わ りに 「
伝統民芸」 と呼ばれている [
岡村 1
9
9
4:
525
3
]。
長である。現在で は, 「
7) 1
927
年 (
昭和 2) に銀座鳩居堂 で開催 された,民芸運動 に とっての最初 の展覧会 の後,古美術商
が古 い民芸品 を古美術 と して扱 い始 めた。民芸運動 は,古 い民芸品を美の標準 と して蒐集す ること
は行 ったが,運動が展示 ・販売 の対象 としたのは,主 に 「
新作民芸品」 と 「
残存民芸品」 である。
よ って,民芸運動 は単 なる古美術趣味ではないといえ る。
8)
「
農民美術」運動 は,1
92
0年 (
大正 8) に ヨー ロッパ留学か ら帰国 した,洋画家の山本鼎が発足
させた運動 で ある。 ヨーロッパの農民 の生活 を参考 に して,農閑期 の副業 と して農民 に制作活動 を
93
0年 (昭和 5) には,農民美術組合 は 3府 1
2県49
奨励 した。信州 に 日本農民美術研究所 を作 り,1
か所 に拡大 した [
出川 1
9
8
8:
1
82
0]。柳宗悦 は,農民美術運動 に対 して批判的であ った。 農 民 美術
運動が農民 に奨励す る製作品 は,農民 の生活や伝統 に基づ いた もので はな く, ロシアや スカ ンジナ
9
4
8:
57ビアの農民美術 の模作であ り,単 なる趣味的な素人仕事 にす ぎない と柳 は述べている [
柳 1
6
3]
。
9) 民芸品展示 室設置の提案が受 け入れ られなか った理由は,明 らか にされていない。2-1
で述べた
よ うに当時の帝室博物館 は,国威発揚,皇室 の威信誇示 とい う性格 を もっていたので, おそ らく民
芸品展示 は, その目的 と一致 しないと判断 されたのであろ う。
1
0) 民芸運動 に関わ る人 々は,展示 の ことを 「陳列」 と呼んでいた。現在で もそ うである。本論文で
は,博物館用語 に従 って 「
展示」 と呼ぶ。
ll) アチ ック・ミューゼアムは,1
9
3
8年 (
昭和 1
3
) に,東京保谷 に作 られ た 日本民族 学会 附属 民族学
98
4:
41], その後 1
9
42
年 に常民文化研 究所 と改称
博物館 に標本 資料 と研究 スタッフを移 し [中村 1
した 。
1
2
) 戦後再開 してか ら後 の 「
民族学博物館」の展示 について は 『季刊民族学研究』(1巻 1・
4号 , 1
6
巻 3・4号, 1
9巻 2号,2
0巻 3・4号,21
巻 4号) に記載があるのだが,戦前の展示 について は記録
。「民族学博物館」 の見取 り図 と,収蔵品の種類 と分類 につ いては, 中村俊 亀智 の
が残 っていな い
研究 [
中村 1
9
83,
1
9
8
4]があるが,展示室の様子 は残念 なが らわか らない。
1
3) 同 じ年 に, 民間伝承 の会 と日本民俗協会 も設立 された。
1
4) 有賀 の評価 は1
97
2年 の ものである。 ただ し,有賀 自身 は1
97
6年 に この文章 を 『一つの日本文化論』
97
2年 当
とい う本 に編 集す る段階で,柳 田国男が民具 に も関心 を もっていた とい う事例を挙 げて,1
時の対談 に対 す る評価 を保留 に している。
1
5) 柳宗悦 は この後,
『
民間伝承』誌上 に 「
大藤氏への答へ」 とい う文章 を乗せてい るが, 議 論 は発
9
4
0b:
24]。
展 して いない [
柳 1
1
6)
「
民俗博物 館」 とい う用語 は,柳宗悦 の引用 による [
柳 1
9
41
C]。本稿 の 「
民族 博物館」 に対 応
す るものであ る。
1
7
) 柳宗悦 は, 戦後 自 らの民芸理論 と宗教哲学 を発展 させて,美醜 によ って峻別 されないことで, あ
9
92:
2
492
59]。 しか し
らゆる ものが救済 され るという思想 を,民芸 に託 して記述 している [
水尾 1
本論で は,民 芸運動 の成立期 に限 って議論を しているので, その点 につ いて は触れない。
1
8)
「
民具」 もまた,生活用貝であ った ものがカテゴライズされた ものだ といえ る。
1
9) 民芸が,現 在のよ うな大衆消費の対象 とな ったのは,昭和40年代以降,日本が高度成長期を経て,
大衆 の消費生 活が拡大 してか らである。 それ までは,百貨店や専門店で購買可能 な商品ではあ った
が、同時に高 価で もあ った。
2
0) 欧米 におけ るプ リミテ ィブ ・アー ト (
未開美術) の成立 は,「
民芸」 の成立過程 とよ くにている。
-8
6-
文化の消費 (
金谷)
1
9
世紀 の終 わ り頃に ピカ ソなどモダンアー トの芸術家 たちが、 アフリカやオセアニアの仮面 や木彫
に,美 しさと造形のすぼ らしさを兄 いだ し, 自分 たちの創作活動 の糧 と した。一般 には, これが プ
リミテ ィヴ ・アー トの発見であるといわれている。 ただ,民芸運動が民芸 の商品化 をめざ したの と
は異 な って, ピカ ソたちの注 目は,直接 プ リミテ ィヴ ・アー トの大衆的な消費の方法 に結 びつかな
か った 。
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7-
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文
学
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有賀喜 左衛 門 .1
97
6.「渋沢敬三 と柳 田国男 ・柳宗悦 - 『日本常 民 生活 資料叢 書』総 序
」『一 つ
の 日本文 化論 』未来社
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出川 直樹 .1
98
8.『民 芸 一理論 の崩壊 と様式 の誕生』 新 潮社
神野 由紀 .1
9
9
4.『趣 味 の誕生 -百貨店 が作 った テイ ス ト』勤葦書 房
Jone
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熊倉功 夫 .1
97
8. 『季刊論集
日本 文化 1
0 民 芸 の発 見』
マ ック,ジ ョ ン.1
9
9
4.「翻訳 の行為
角川書 店
」『民博通 信 』66号 .2-21貢
牧野和春 .1
9
9
0.『吉 田埠也 と鳥取県 の手仕事』牧野 出版
南博 +社会心 理学 研究 所 .1
9
87 [
1
9
6
5
].『大正 文 化 -1
9
05
1
927
』 勤 草書房
水尾比呂志.1
9
8
0.「解題 」(
「
民 芸学 と民俗学 」
)『柳宗悦 全集 』 9巻 .600貢
------.1
9
92.『評 伝柳宗悦』 筑摩書房
----・
-.1
9
9
3.「民 芸学 と民俗学 の総合 -」
『民 芸 』4
8
8号.7
9貢
」『柳宗悦 全集 』22巻下
村 岡景 夫 .1
9
39.「挿絵小 註 」
『工芸』9
2
号 .81
8
4貢
-----・
- 編. 1
9
91
.「年譜
(
1
9
92
)2
2
3
2
9
8貢
中村俊 亀智 .1
9
8
3.「アチ ック民 貝 研 究 の遺 す じ- 収 蔵 状 況 とのか ね あ い にお いて -
3
98
63貢
民 族学 博 物館 研 究報告 』 8巻 4号. 8
-8
8-
」『国立
文化の消費 (
金谷)
-・
・
・
-・
・
-・
・
.1
9
8
4.「アチ ック ・ミューゼ アムのあ とに - 財団法人 日本民族学協会附属 民 族 学
博物館 の こと - 」『国立民族学博物館研究報告 』 9巻 1号. 4
1
5
8貢
日本交通 公社 .1
99
3.『西 日本 や き ものの旅 一訪 ねてみ たい3
2の窯望』 日本交通公社
日本民芸協会 .1
99
0.『日本民芸館案 内』
9
9
0.『日本民俗学史話』三一書房
大藤時彦 .1
.1
9
9
3.「民俗学 と工芸 」『民芸 』4
8
8号 .4
6頁
・
・
-・
- --・
岡村吉右衛 門 .1
991.『柳宗悦 と初期民芸運動』玉川大学 出版部
9
9
4.「工芸雑 誌3
9
」『民芸 』5
01
号 .5
0
5
4頁
-- - -- ・.1
大塚和義 .1
9
91.「展示技術論 2デ ィスプ レイ」 大塚和義 ,矢 島園雄編 『博 物 館 学 2』 日本 放
41
1
5
0貢
送 出版協 会 .1
乙訓健二 .1
9
9
2.「著作年表」『柳宗悦全集 』2
2
巻下 ,2
9
9
4
0
9貢
ルー ビン,ウ ィ リアム編 .1
9
9
5. 『
2
0世紀美術 にお け るプ リミテ ィブィズムー 「部 族 的 」 な も
の と 「モ ダ ン」 な る もの との親縁性』 (
吉 田憲 司 ・囲府寺 司 ・小川勝 ・真 島一 郎
日本 語
Rubi
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4. "
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版監修訳 ) 淡 交社 (
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)
サ イ- ド,E.W.1
9
9
3[
1
9
8
6
].『オ リエ ンタ リズム』板垣雄三 ,杉 田英 明監修 ,今 沢 紀 子 訳 ,
平凡社 ライ ブ ラ リー
セ ゾ ン美術館 .1
9
90.『日本 の眼 と空間 - もう一 つ のモ ダ ンデザ イ ン』
9
3
3.「アテ ィックの成長」.1
9
7
8.宮本常一編 『日本民俗学 体 系 3 渋 沢 敬 三 』 講
渋沢敬三 .1
談社 .1
6
2
1
6
9貢
式場 隆三郎 .1
9
3
6.「スカ ンセ ンの一夜 」『工芸 』7
0号 .1
8
2
2頁
St
oc
ki
ng,Jr
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e
d.
).1
9
8
5.Ob
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s
i
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yOfWi
s
c
ons
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nPr
e
s
s
鈴木 直之 .1
9
9
2.『幻 の 日本美術館 一遠州 の民 芸運動 とその群像』 種月文化集団
9
9
0.「博覧会年表」『万国博 の 日本館 』I
NAX.7
8
8
2
貢
寺下劫監修 .1
冨永静朗 .1
9
81.『民芸如花 一三宅忠一』 日本工芸館
鶴見俊輔 .1
9
9
4.『柳宗悦』平凡社 ライ ブラ リー
矢島国雄 .1
9
91
a.「野外博物館 の原点 -スカ ンセ ン (ス ウ ェー デ ン) 」 大 塚 和 義 ,
矢 島園 雄 編
『博物館学 2』 日本放送 出版協会 .1
1
5
1
2
2頁
-----・
.1
9
91
b.「博物館 のあゆみ」大塚和義 ,
矢 島囲雄 編 『博 物館 学 2』 日本 放 送 出版 協
7
4
6貢
会 .3
柳宗悦 .1
9
2
6(
1
9
81).『日本民芸美術館設立趣意書 』『柳宗悦全集 』1
6巻 筑摩書房 .3
1
2貢
--・
- -・
-.1
9
2
7
a(
1
9
81).「日本民芸展覧会 」『柳宗悦 全集 』1
1巻 筑摩書房 .7
2
3貢
-8
9-
人
文
学
報
-・
----.1
9
2
7
b(
1
9
8
0
).「工芸 の協団 に関す る-提案」『柳宗悦全集』 8巻 筑摩書房 .4
7
5
8
貢
----- - .1
9
2
8(
1
9
8
1
).「
民芸館 に就て」
『
柳宗悦全集』1
6
巻 筑摩書房.1
3
1
6
貢
」『柳宗悦全集』11巻
--・
---.1
9
3
2(
1
9
8
1
).「
大毎,東 日主催 『
民芸展』 につ いて
筑摩 書
4
5
2
5
2
貢
房.2
」『柳宗悦全集』11巻 筑摩書房 .288-293貢
- -- - - ・
.1
9
3
4b(
1
9
8
1
)
.「日本民芸図説」
『柳宗悦全集』1
1
巻 筑摩書房 .2
9
4
3
5
5
貢
・
---・
--.1
9
3
4a(
1
9
8
1
).「
地方 の民芸
-- - - ・
-
.1
9
3
5(
1
9
8
0
)
.「民芸 と農民芸術」『柳宗悦全集』 9巻 筑摩書房.5
7
6
3
貢
--- --・
.1
9
3
6a(
1
9
8
1
)
.「三国荘小史
」『柳宗悦全集』16巻
筑摩書房 .1
7
3
8
貢
」『柳宗悦全集』16巻
-- ・
-・
・
-・
.1
9
3
6
b(
1
9
8
1
)
.「民芸館 の生立
- -- ・
--
筑摩書房 .3
9
6
6
頁
.1
9
3
6
C(
1
9
8
1
)
.「挿絵小註」『柳宗悦全集』1
6
巻 筑摩書房.2
8
3
8
貢
」『柳宗悦全集』11巻
-- ・
・
-・
-・
.1
9
3
8a(
1
9
8
1
).「阪急 と民芸
筑摩書房 .7
4
5
貢
.1
9
3
8
b(
1
9
8
1
)
.「
「ざぜ ち」 の こと」
『
柳宗悦全集』1
1
巻 筑摩書房.4
2
4
4
3
2
頁
・・・・・- - - ・・
」『柳宗悦全集』16巻
・
- -・
- - -.1
9
3
9
a(
1
9
8
1
).「日本民芸館案内
」『柳宗悦全集』16巻
---・
- - -.1
9
3
9b(
1
9
8
1
)
.「口絵解説
筑摩書房.8
8
8
9
貢
筑摩書房.9
6
1
0
1
貢
-・
-・
---.1
9
3
9C(
1
9
8
0
)
.「
「もの」 と 「こと」
」『柳宗悦選集』 8巻 筑摩書房.1-22貢
-- - ・
--
.1
9
4
0b(
1
9
9
3
)
.「大藤氏への答へ」『民芸』4
8
8
号 筑摩書房 .2
4
貢
- -- ・
--
.1
9
4
1
C(
1
9
8
0
)
.「民芸学 と民俗学」『柳宗悦全集』 9巻 筑摩書房.2
7
2
2
8
7
貢
- - - - ・-
.1
9
4
2b(
1
9
8
1
)
.「民芸館の仕事」『柳宗悦全集』1
6
巻 筑摩書房 .1
0
7
1
1
9
貢
・
-・
- -・
州
.1
9
4
2
C(
1
9
8
1
)
.「挿絵小註」『柳宗悦全集』1
6
巻 筑摩書房.1
2
0
1
3
9
貢
』『柳宗悦全集』16巻 筑摩書房 .1692
5
3
百
・
-・
・
-- - .1
9
5
9(
1
9
8
1
).「
民芸館 と説明」
『柳宗悦全集』1
6
巻 筑摩書房.2
8
9
2
9
3
貢
柳宗悦 ・柳田国男 .1
9
4
0.「民芸 と民俗学 の問題」『月刊民芸』 2巻 4号 .2
4
5
7
貢
-- - - - ・.1
9
5
4(
1
9
8
1
).『日本民芸館
吉田光邦 .1
9
8
5
.『万国博覧会 一技術文明史的 に』NHKブックス
9
9
2
.『博覧会 の政治学 -まなざ しの近代』 中公新書
吉見俊哉.1
*雑誌 ・その他
0
号 (
1
9
3
9
1
9
4
1
)
『月刊民芸』 1巻-3巻 1
6巻 (
1
9
4
1
1
9
4
4
)
『
民芸』 4巻 『
民芸』4
4
5
4
9
2
号 (
1
9
9
0
1
9
9
3
)
,4
9
8,5
0
0
5
0
2
号 (
1
9
9
4
)
『
工芸』 11
2
0
号 (
1
9
3
1
1
9
5
1
)
『月刊 た くみ』 12
2(
1
9
5
2
1
9
5
6
)
4 スウェーデ ン, デ ンマーク野外博物館』講談社
1
9
8
4『世界の博物 館 1
-9
0-
文化の消費 (
金谷)
民芸運動展覧会年表 (
1
9
2
7
4
5
)
開催年
展 覧 会 名 と 開 催 場 所
1
9
27 (
S2
) 日本民芸美術館主催 ・日本民芸品展覧会 (
銀座鳩居堂)
1
9
2
8(
S3) 御大礼記念国産振興博覧会 に 「
民芸館」出品 (
東京上野公園)
李朝陶磁器展覧会 (
京城 ・朝鮮民族美術館)
S4) 日本民芸美術館主催 ・日本民芸品展覧会 (
1
92
9(
京都大毎会館)
京都大毎会館)
上加茂民芸協団作品第 1回展覧会 (
1
9
3
0(
S5
) - ーバー ド現代芸術協会主催 ・日英現代工芸品展覧会 (
--バー ド大学)
日英現代工芸品展 (ク リーブラン ド, オペ リン)
大津絵展 (フォツグ美術館)
1931(
S6)
日本民芸美術館披露 (
静岡県浜名郡積志村 ・高林兵衛邸内)
山陰新民芸展 (
京都大毎会館)
古民芸の会 ・民芸品展 (
名古屋商品陳列所)
古民芸展,民芸晩餐会 (
松江)
山陰新民芸展 (
東京銀座資生堂)
1932 (
S7
) 佐藤進三経営港屋開店 ・工芸品総合展覧会 (
銀座 5丁 目)
港屋新作展 (
三越)
朝鮮民族美術館展覧会 (
京城)
山陰民芸品展覧会 (
大阪高島屋)
全国民芸品展覧会 (
東京 日本橋 と大阪 ・白木屋)
鳥取新民芸品展覧会 (
倉敷)
『
工芸』主催 ・朝鮮陶磁器展覧会 と第二回民芸品展覧会
(
小石川竹早町 ・野島康三邸)
大阪高島屋)
第 2回山陰新民芸展 (
1
9
3
3(
S8) 新興工芸総合展覧会 (
東京高島屋)
京都民芸同好会主催 ・日本民芸品展覧会 1 (
京都大丸)
新民芸展 (ホノルル美術館)
新作工芸総合展 (
東京小石川 ・柳宗悦 自宅)
鳥取民芸展 (
静岡)
総合民芸展覧会 (
大阪高島屋)
1934 (
S9) 現代 日本民窯展覧会 (
上野松坂屋)
九州民窯小展覧会 (
小石川竹早町野島邸)
小展覧会 (
柳宗悦 自宅)
- 91-
人
文
学
報
京都民芸同好会主催 ・民芸品展覧会 2 (
京都大丸)
現代 日本民芸展 (
東京高島屋)
1
935 (
s
l
O) 現代 日本民芸展覧会 (
大阪南海高島屋)
京都民芸同好会主催 ・民芸品展覧会 3 (
京都大丸)
武州和紙展 (た くみ工芸店)
6(
s
l
l
)開館特別展観新作工芸展
193
(
民芸館)
特別展観農民工芸展 (
民芸館)
1937(
S
1
2) 現代民窯展 (
民芸館)
李朝陶器展/現代作家工芸展 (
民芸館)
刺子頬/朝鮮木漆金石類/渡田 ・芹揮作品特別展観 (
民芸館)
河井作品/本染大夜貝地類/紺屋型特別展示 (
民芸館)
新作民芸展 (
銀座鳩居堂)
1
938 (
S
1
3) 琉球染織特別展観 (
民芸館)
支那赤絵特別展観 (
民芸館)
現代朝鮮民芸品展 (
東京高島屋)
欧米古陶特別展観 (
民芸館)
シャム ・安南古陶磁展 (
民芸館)
諸国小絵馬/朝鮮石工品/切絵特別展観 (
民芸館)
銀座松屋)
日本民芸館主催 ・第 2回秋期新作工芸展 (
東京大蔵会 ・守屋家蔵古写経類 (
民芸館)
悌教古版画/芹津金圭介作法然上人御影/棟方志功観音経呈茶羅 (
民芸館)
9(
S
1
4
)東北各地の蓑類/大津絵 ・泥絵の特別展観
193
(
民芸館)
河井 ・清田 ・芹沢 ・外村 らの近作即売会 (
民芸館)
現代 日本民窯 ・琉球陶磁の特別展観 (
民芸館)
東北の民芸特別展観 (
民芸館)
青年民芸展 (
庄内)
宋胡録特別展観 (
民芸館)
諸国の民芸特別展観 (
民芸館)
「た くみ」主催 ・民芸作家1
0人展 (
弘前公会堂)
フ イ リ ッピン工芸特別展観
(
民芸館)
棟方志功版画個人展覧会/絵漆古作品展覧会 (
民芸館)
新作民芸展 (
銀座松屋)
諸国民芸品展覧会 (
千葉県成田図書館)
-9
2-
文化の消費 (
金谷)
1
9
3
9(
S
1
4
) 琉球織物古作品大観展 (
民芸館)
民芸展 (
新潟 ・寓代百貨店)
琉球新作工芸展 (
東京高島屋)
1
9
4
0(
S
1
5
) 型染夜具地犀風/琉球餅/同人作琉球赤絵特別展観 (
民芸館)
雪国協会等主催 ・民芸品展 (
東北)
日本民芸協会 と雪国協会主催 ・東北民芸品展覧会 (日本橋三越)
新作工芸特別展観 (
民芸館)
石門地匝厚生産業展覧会/北京新作民芸展 (
吉田環也指導)(
北京)
琉球工芸文化特別展観 (
民芸館)
琉球風物写真展/ 日本生活工芸展 (
銀座三越)
朝鮮工芸文化特別展観 (
民芸館)
1
9
41(
S
1
6
) 日本現代民芸特別展観 (
民芸館)
内外工芸対比展 (
民芸館)
日本民芸協会 と雪国協会共催 ・第 2回東北民芸展 (日本橋三越)
杉山毒柴男蒐集 アイヌ民芸品/初期大津絵特別展観 (
民芸館)
国民生活用品展覧会 に民芸協会が出品 (日本橋高島屋)
諸国家具 ・こぎん/泥絵硝子絵特別展観 (
民芸館)
竹材新生活貝展 (
難波高島屋)
河井寛次郎蒐集 による日本各地の民芸展 (
京都市美術館)
日用品工芸展覧会 (
銀座鳩居堂)
1
9
42(
S
1
7
) 河井 ・溝田 ・芹沢 ・棟方の近作展覧即売会 (
民芸館)
日本の染物/ 日本の現在民窯特別展観 (
民芸館)
満州移住協会主催 ・開拓地の民芸展 (日本橋三越)
民芸全般の展観 (
民芸館)
民芸品小展覧会 (
大阪清交社)
現代民窯特別展観 (
民芸館)
三越主催 ・新作家具 と工芸品展 (日本橋三越)
新潟)
新潟第 2回民芸展 (
1
9
4
3(
s
l
8
) 南方マ レーシア系の織布展 (
民芸館)
外村吉之助近作展 (
民芸館)
台湾の生活工芸品の展示 (
東洋美術国際協会の委託を受 けた調査 ・蒐集の成果)
(
台北市公会堂)
同人新作即売会 (
民芸館)
-9
3-
人
文
学
報
1
9
4
3(
S
1
8
) 台湾蕃布 の展示 (
民芸館)
満州民芸展 (
漬 田庄司 ・外村吉之助 ・吉 田嘩也 ・村岡景夫 の民俗調査 の成果)
(
新京)
新作染型絵 (
民芸館)
1
9
4
4(
S
1
9
) 日本服飾特別展館 (
民芸館)
日満支の現在民芸展 (
民芸館)
日本 農工品及労働着展 (
民芸館)
船箪笥展/硝子絵泥絵展 (
民芸館)
新作 カバ細工 の展示 (
民芸館)
新作民芸特別展観 (
民芸館)
外村吉之助 ・三代洋本等 ・岡村吉右衛門 ・花蓮 ・焼 きもの等の即売会 (
民芸館)
2
巻下 の年譜 を参照 して,筆者が作成。
※ 『
柳宗悦全集』2
-9
4-
文化の消費 (
金谷)
出
写真 1 1
928年 の御 大礼記念国産 振興 博 覧 会 出
写真 2 1
928年 の御大礼記念国産 振 興 博 覧 会
人
文
学
写真 6 バーナー ド・リーチ設計 の書斎 と
庄司考案の食堂。1
9
3
4年 の東京高 浜 田
「
現代 日本民 芸展覧会」 モデルルー
島屋
写真
[
『
工芸』(
92
)1
9
3
8:
口絵]
真
ム
写真1
0 日本民芸館
8 漏斗
[
柳 1
9
3
4
b:
3
4
9
]
玄関広間
[
柳
1
9
4
2
C:
1
3
0
]
写
報
文化の消費 (
金谷)
写真 1
2 モデルウス式展示
の例 1
三越百貨店本店
「
家具及工芸
9
4
品総合展
2年東京
『1年 日本民芸館
[
写真 1
3 物産店式展示
「日本現在民芸品展
の例 」1
9
4
Fly UP