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ダウンロード 1 - 全国遺跡報告総覧

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ダウンロード 1 - 全国遺跡報告総覧
ISSN
1341-6952
東北大学埋蔵文化財調査年報19
第 5分 冊
仙 台城跡 二 の丸北方武 家屋敷地区 第 7地 点 の調 査
分析 ・考察
東 北 大 学 埋 蔵 文化 財 調 査 室
2口 1ロ
年報 19第 5分 冊 正誤表
頁
行
P91
5行 日
P145
図8-3英 文
キャプション
P145
図8-4英 文
キャプション
P148
図8-8図 中
誤
正
留木、樫、朴、
田木は、樫、朴、
rig.8-3
rig.8-3
Picture of a elcavated straw br,r
lig.8-4
Picture ofa ercavated wooden bucket
'ig.8-‐
Picture of a excavated straw
4 Picture ofa excavated wooden buck―
土硬化実験②
左 上 :未 塗布
右 上 :サ ンコール
左 下 :OH100
中央下 :PEG
右 下 :OM50
土硬化実験②
左 上 :未 塗布
右 上 :サ ンコール
左 下 :OH100
中央下 :PEG
右 下 :バ インダー
東北大学埋蔵文化財調査年報19
第 5分 冊
仙台城跡 二 の丸北方武家屋敷 地区第 7地 点 の調査
分析 0考 察
東北 大学埋 蔵文化財調査室
2口 1ロ
例
言
1.本 書 は、東北大学構 内にお いて、東北大学埋蔵文化財調査研究 セ ンターが2001年 度 に行 った遺跡調査、な ら
びに研究成果 をまとめた調査年報 19の 、 第 5分 冊 で あ る。
2.報 告書 の紙幅 の関係 か ら、年報 19は 5分 冊 に分けて刊行す る。 本書 は、その第 5分 冊 であ る。本書 には、仙
台城跡 二の丸北方武家屋敷地区第 7地 点
(BK7)の 、分析 ・考察 を掲載 した。
3.整 理作業お よび本書 の編集作業 は、 阿子 島香 の指導 の もとに、藤沢敦 ・柴 田恵子
。高木暢亮 (2008年 度 ま
で)。 菅野智則 (2009年 度)が 担当 した。
4.本 書 に掲載 した分析 ・考察 の うち、 自然科学的分析 などについては、以下の方 々に分析 ・執筆 を依頼 した。
(3)武 家屋敷地区第 7地 点出土木簡 の樹種
木簡 の樹種 同定については、東北大学植物 園の鈴木 三男氏 に分析 を依頼 した。
(5)武 家屋敷地区第 7地 点出土 の植物遺存体
植物遺存体 の 同定 と検討 については、2009年 度 に、古代 の森研究舎 の吉川純子氏 に分析作業 を委託 した。
(6)武 家屋敷地区第 7地 点出土 の動物遺存体
動物遺存体 につい ては、 門脇隆志氏 (鳥 取県埋 蔵文化財 セ ンター)が 東北大学大学院文学研究科在学中 に、
修士論文作成 の際 に分析 を行 って い る。本報告 にあた り、その 内容 の一部 を使用 させて いただい た。
(7)武 家屋敷地区第 7地 点出土 の大骨
1号 遺構 出上 の大 の骨 については、奥松 島縄文村歴史資料館 の菅原弘樹氏 に分析 ・検討 をお願 い した。
(8)武 家屋敷地区第 7地 点 で出土 した特殊 な遺物 の取 り上 げ と保存処理
当調査室非常勤職員 で保存処理 を担当 してい る千葉直美 が、実施 した内容 をとりまとめた。
上記以外 の項 目は、埋蔵文化財調査室職員が以下 の よ うに分担 した。
(1)。
(9):藤 沢 敦
(2)。 (4):柴 田恵子
英文要 旨については、柴 田恵子が作成 し、阿子 島香 が校訂 した。
5。
本書 に掲載 した木簡 の検討 については、(財 )斎 藤報恩会 の研究助成 による成果 を含 んでい る。
・平成 14年 度(財 )斎 藤報恩会研究助成 「仙台城下武家屋敷跡出土 の近世木簡 の総合的研究」
研究代表者 :藤 沢敦、研究分担者 :京 野 (柴 田)恵 子 ・ 高木暢亮、助成金額 :500,000円
6。
本分冊 には、調査年報 19第 2分 冊 にお い て報告 した、仙台城跡 二の丸北方武家屋敷地区第 7地 点出土 の磁器
お よび陶器 のカラー写真 を1又 録 した CDを 、付録 として巻 末 に添付 した。
7.整 理・報告書作成 にあたっては、以下 の方 々や関係機 関か ら御指導 。御協力 を賜 った (敬 称略)。
小井川百合子
(仙
台市博物館)、 菅野正道
(仙
台市博物館 )
仙台市教育委員会、仙台市博物館、東北大学植物園、東北大学大学院文学研究科考古学研究室
6.調 査記録は、東北大学埋蔵文化財調査室 で保管・管理 してい る。
凡
例
1.方 位 は真北 に統一 してある。
2.遺 物の実測図および写真の縮尺 は、それぞれに示 した。
3.引 用 。参考文献 は、それぞれの項 目ごとに記 した。また本文中で、『東北大学埋蔵文化財調査年報』 を引用
す る場合 は、年報 1と い う形で略記 している場合がある。
第
5分
冊
目 次
例言
凡例
目次
図 目次
表 目次
第 Ⅲ章
(BK7)の 調査
仙台城跡 二の丸北方武家屋敷地区第 7地 点
8.分 析 ・考察 ……………………………………………………………………………………………………………… 1
(1)仙 台城 と周辺武家屋敷 にお け る近世建物 の基礎構造 …………………………………………………………… 1
①建物跡の柱間寸法 ……………………………1
②掘立柱列の構造と柱間寸法 …………………3
③礎石の規模と構造 ……………………………5
④礎石建物と掘立柱建物 ………………………10
(2)武 家屋敷地区第 7地 点出土 の18世 紀前葉 の遺物 についての検討 ………………………………………………15
①陶磁器 …………………………………………15
②土師質土器・瓦質土器 ………………………29
③漆器
④箸状木製品 ……………………………………57
⑤駒形木製品 ……………………………………60
………。
,… ………………………………52
(3)武 家屋敷地区第 7地 点出土木簡の樹種 ……………………………………………………………………………67
(4)木 簡の樹種 と型式 との関係 について ………………………………………………………………………………89
(5)武 家屋敷地区第 7地 点出土の植物遺存体 …………………………………………………………………………95
105
(6)武 家屋敷地区第 7地 点出土の動物遺存体 ・……………………………………………………………………。
……………………………。
105
①資料の採集方法 。
…………………・105
②同定および算定について 。
108
③確認された動物遺存体の種名 ・……………。
……………。
111
④動物遺存体の生態と出土状況 。
135
(7)武 家屋敷地区第 7地 点出土 の大骨 。……………………………………………………………………………。
141
(8)武 家屋敷地区第 7地 点 で 出土 した特殊 な遺物 の取 り上 げ と保存処理 ・…………………………………… 。
149
(9)武 家屋敷地区第 7地 点 の調査成果 ―まとめに代 えて ― ・……… ……………………………………………。
第 I章 2001年 度 (平 成 13年 度)事 業 の概要
(TM5)
第 Ⅱ章
富沢芦 ノロ遺跡 第 5次 調査
第 Ⅲ章
仙台城跡 二の丸北方武家屋敷地区第 7地 点
(BK7)の 調査
1.仙 台城跡 二の丸北方武家屋敷地区の立地 と歴 史
2.調 査経緯
3.基 本層序 と時期区分
4.検 出遺構
…………………以上 第 1分 冊
出土遺物 1〈 陶磁器・土器・土製品 。瓦〉 ………………………第 2分 冊
………………………第 3分 冊
6.出 土遺物 2〈 木簡・墨書ある木製品〉
………………………第 4分 冊
7.出 土遺物 3(そ の他の遺物〉
5。
8.分 析 ・考察
…… …………………第 5分 冊
図
目 次
(1)
図1-1 仙台城跡本丸大広 間断面模式図 。………… 6
図1-6 仙台城 二の丸第 5地 点 Ⅲ a期 の遺構 ・……11
図1-2 仙台城跡二の丸第 2地 点検 出遺構 ・……… 6
図1-3 仙台城跡二の丸第17地 点 Ⅳ a期 の遺構 。… 8
図1-7 仙台城跡 二の九北方武家屋敷 地区
第 4地 点 I期 の遺構 。……H
図1-4 仙台城跡二の九第17地 点 Ⅲ b3期 の遺構 。9
図1-5 仙台城跡 二の丸北方武家屋敷地区
第 7地 点 Ⅲ期 の遺構 ・…… 9
(2)
図2-16 武家屋敷地区第 4地 点出土
図2-1 武家屋敷地区第 7地 点
2号 遺構 出土磁器
(1)。
……19
土師質土器 ・瓦質土器 。… …41
42
図2-17 仙台城跡出土土師質土器皿類 の変遷 ・… 。
図2-2 武家屋敷地区第 7地 点
2号 遺構 出土磁器
(2)。
……20
図2-18 仙台城跡出土 の皿類以外 の
図2-3 武家屋敷地区第 7地 点
土師質 ・瓦質土器 の変遷 (1)。 ……43
2号 遺構 出土磁器
(3)・
……21
図2-19 仙台城跡出土 の皿類以外 の
図2-4 武家屋敷地区第 7地 点
土師質 ・瓦質土器 の変遷 (2)・ ……44
2号 遺構 出土陶器
(1)。
……22
図2-20 仙台城跡出土 の皿類以外 の
土師質 。瓦質土器 の変遷 (3)。 ……45
(2)。
……23
図2-21 仙台城跡出土土師質土器皿 の
図2-5 武家屋敷地区第 7地 点
2号 遺構 出土陶器
図2-6 武家屋敷地区第 7地 点
法量分布 (1)・ ……46
……24
24号 土坑 出土陶磁器 。
図2-22 仙台城跡出土土師質土器皿 の
図2-7 武家屋敷地区第 7地 点
法量分布 (2)。 ……47
……24
20号 土坑 ・3a層 出土陶磁器 。
図2-23 仙台城跡出土土師質土器皿 の
図2-8 仙台城跡 二の丸地区出土
ススの付着割合 ・… …48
供膳具 (碗 類)の 材質 ・……25
図2-24 仙台城跡出土土師質土器皿 の
図2-9 仙台城跡二の丸地区出土
供膳具 (皿 類 )の 材質 ・……25
図2-25
糸切 り技法 と回転方向の比率 ・……48
49
仙台藩領内出土 の焼塩壺 (1)。 ………… 。
50
図2-26 仙台藩領内出土 の焼塩壺 (2)。 ………… 。
図2-10 仙台城跡 二の丸地区出土
陶磁器 の器種組成比 率 ・……26
図2-27 江戸 の遺跡出土の規炉類 ・………………・51
図2-28 仙台藩領内出上 の漆器 の変遷 (1)。 ……・55
図2-11 仙台城跡 二の丸地区出土
陶器 の産地別組成比率 。……27
図2-12 武家屋敷地区第 7地 点出土
陶器碗類 の産地別組成比率 ・……28
図2-13 武家屋敷地区第 7地 点 2号 遺構 出土
土師質土器皿・焼塩壺 。……39
図2-14 武家屋敷地区第 7地 点 2号 遺構 出土
瓦質土器 。……40
図2-15 武家屋敷地区第 7地 点 2号 遺構 出土
その他 の土 師質土器 ・……41
図2-29 仙台藩領内出土 の漆器 の変遷 (2)・ ……・56
図2-30 仙台城跡 二の丸地区お よび
武家屋敷地区出土箸状木製品の長 さ ………58
図2-31 武家屋敷地区第 7地 点出土駒形木製品 ・・60
図2-32 伝世品の木下駒 ・…………………………・63
図2-33 駒形 の郷土玩具 ・…………………………・63
64
図2-34 絵本 などにおけ る春駒 ・首馬 ・…………。
(3)
図3-1
図3-4
武家屋 敷 地 区第 7地 点
出土 木簡 の樹種 同定写真 (1)。 ………72
図3-2
出土木 簡 の樹 種 同定 写真 (4)。 …… …75
図3-5
武家屋 敷 地 区第 7地 点
出土 木簡 の樹 種 同定写真 (2)。 … ……73
図3-3
武家屋 敷 地 区第 7地 点
武家屋 敷 地 区第 7地 点
出土木 簡 の樹 種 同定写真 (5)。 … ……76
武家屋 敷 地 区第 7地 点
出土 木簡 の樹 種 同定写真 (3)。 ………74
(4)
図4-2 『柳生村絵図』に見える居久根の様子 ・…94
図4-1 武家屋敷地区第 7地 点
出土木簡記載の地名 ・………94
(5)
図5-1
103
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土種 実 (1)。 … 。
図5-2
104
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土種 実 (2)。 … 。
武家屋 敷 地 区第 7地 点 にお け る
図6-6
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土
(6)
図6-1
106
動 物遺存 体 が 出土 した遺 構 。…… 。
図6-2
131
動物 遺存 体 写真 (4)。 … … 。
図6-7
武家屋 敷 地 区第 7地 点
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土
2号 遺構 土壌 サ ンプ ル採取 範 囲 ・…… 。107
図6-3
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土
132
動物 遺存体 写真 (5)。 … … 。
図6-8
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土
128
動物 遺存 体 写真 (1)。 …… 。
図6-4
133
動物 遺存体 写真 (6)。 …… 。
図6-9
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土
129
動 物遺存体 写真 (2)。 …… 。
図6-5
134
動物 遺存体 写真 (7)・ … … 。
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土
130
動物 遺存体 写真 (3)。 …… 。
(7)
図7-1
武家屋 敷 地 区第 7地 点 1号 遺構 出土 の
図7-3
イヌ遺 骸 の 出土状 況平面 図 。…… 。
135
図7-2
武家屋 敷 地 区第 7地 点
1号
139
遺構 出土 の イヌ四肢 骨 ・… … 。
武家屋 敷 地 区第 7地 点
1号 遺構 出土 の イヌ頭骨 。…… 。138
(8)
図8-1
図8-4
145
桶 の 出土状 況 。… …… …… …… …… …… 。
図8-5
犬 の 全 身骨格 の 出土状 況 ・…… ……… … 。
145
図8-6
俵 の取 り上 げ と保 存処 理 ・… …… … … … 。
146
期 )。 …………145
図8-7
147
桶 の取 り上 げ と保存 処 理 。… ……… …… 。
俵 の 出土状 況 ・………… …………………・145
図8-8
犬 の全 身骨格 の取 り上 げ と保存 処理 ・…・148
武家屋 敷 地 区第 7地 点
遺構 配置 図
図8-2
期 )。 … ………145
武家屋 敷 地 区第 7地 点
遺構 配置 図
図8-3
(Ⅱ
(Ⅲ
表
目 次
(1)
表1-1 仙台城跡 二の丸北方武家屋敷地区
表 1-3 仙台城跡 二の丸北方武家屋敷 地区
第 7地 点掘 立柱列 の柱 間寸法 。…… 4
第 4地 点掘 立柱列 の柱 間寸法 ・…… 4
表 1-2 仙台城跡二の丸第17地 点
掘 立柱列 の柱 間寸法 。…… 4
(2)
表 2-1
仙 台城跡 二 の 丸 地 区出土
表 2-4
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土
供膳 具 (碗 ・ 皿 類 )の 材 質別 出土 点数 ・……25
表 2-2
仙 台城 跡 二 の 丸地 区 出土
陶磁 器 の器種 別 出土 点数 。……26
表 2-3
仙 台城 跡 二 の丸 地 区出土
陶器 の 産地別 出土 点数 ・… …27
陶器碗 類 の 産地別 出土 点数 ・… ……28
表 2-5
仙 台城跡 二 の 九地 区 お よび
武家屋 敷 地 区 出土箸状 木製 品 の 先端 形状 ・… …58
表 2-6
仙 台城跡 武家屋 敷 地 区第 7地 点
2号
遺構 出土箸状 木製 品 の先端形状 ・……59
(3)
表 3-1
同定 され た樹 種 。…… …… ……… … ………72
表 3-8
武家屋 敷 地 区第 7地 点
表3-2 武家屋敷地区第 7地 点
出土木簡観察表 (1)。 ……77
出土木簡観察表 (7)。 … …83
表3-9 武家屋敷地区第 7地 点
表3-3 武家屋敷地区第 7地 点
出土木簡観察表 (2)・ ……78
出土木簡観察表 (8)。 … …84
表3-10 武家屋敷地区第 7地 点
表3-4 武家屋敷 地区第 7地 点
出土木簡観察表 (3)。 ……79
出土木簡観察表 (9)・ ……85
表3-11 武家屋敷地区第 7地 点
表3-5 武家屋敷地区第 7地 点
出土木簡観察表 (4)。 ……80
出土木簡観察表 (10)。 …・86
表3-12 武家屋敷地区第 7地 点
出土木簡観察表 (11)。 …・87
表3-6 武家屋敷地区第 7地 点
出土木簡観察表 (5)・ ……81
表3-13 武家屋敷地区第 7地 点
表3-7 武家屋敷地区第 7地 点
出土木簡観察表 (12)。 …・88
出土木簡観察表 (6)・ ……82
(4)
表 4-1
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土 木簡 の
表 4-3
型 式 と樹 種 の 関係 ・……92
表 4-2
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土木簡 に
記載 され た地 名 と樹種 の 関係 ・……93
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土木簡 に
記 載 され た 品物 名別 の樹 種 。……92
(5)
表 5-1
武家屋 敷 地 区第 7地 点
表 5-4
武家屋 敷 地 区第 7地 点
出土種 実 観察表 (1)。 ……96
表 5-2
武家屋 敷 地 区第 7地 点
出土種 実観察表 (4)。 … …99
表 5-5
出土種 実観察 表 (2)。 ……97
表 5-3
武家屋 敷 地 区第 7地 点
出土種 実観 察表 (3)。 ……98
武家屋 敷 地 区第 7地 点
17世
表 5-6
100
紀代 遺構 別 出土種 実 。… 。
武家屋 敷 地 区第 7地 点
18世
100
紀代 遺構 別 出土種 実 (1)。 … 。
表 5-7
18世 紀代 遺構 別 出土種 実
表 5-8
表 5-9
武家屋 敷 地 区第 7地 点
(2)
武家屋 敷 地 区第 7地 点
・・・。
101
明治前 半 の 遺構 別 出土種 実 。…・102
武家屋 敷 地 区第 7地 点
101
幕 末 か ら明治初頭 の 遺構 別 出土種 実 。… 。
(6)
表 6-1
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土
表 6-7
貝類 出土量 表 (主 要貝類 ) ……・118
表 6-2
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土 魚類
出土量 表 (4)(発 掘 時取 り上 げ資料 )。 … …123
表 6-8
貝類 出土量 表 (そ の他 の 貝類 ) ・・・・・119
表 6-3
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土
出土量 表 (土 壌 サ ンプ ル)。 … …124
表 6-9
そ の他 の 動物遺存体 出土量 表 ・…… 。
119
表 6-4
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土魚類
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土魚類
出土量 表 (2)(発 掘 時取 り上 げ資料 ) ・・・・・121
表 6-6
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土魚類
・・・。
出土量 表 (3)(発 掘 時取 り上 げ資料 ) ・
122
(7)
表 7-1
武家屋 敷 地 区第 7地 点 1号 遺構
140
出土 の イヌ計測値 ・…… 。
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土
125
鳥類 出土量 表 (1)・ …… 。
表 6-10
出土量 表 (1)(発 掘 時取 り上 げ資料 ) ・・・・。
120
表 6-5
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土魚類
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土
126
鳥類 出土量 表 (2)。 … … 。
表 6-11
武家屋 敷 地 区第 7地 点 出土
127
哺乳類 出土量 表 ・…… 。
第 Ⅲ章 仙台城跡二 の丸北方武家屋 敷地区第 7地 点
(BK7)の 調査
8.分 析・ 考察
(1)仙 台城と周辺武家屋敷における近世建物遺構の基礎構造
東北大学構 内におけ る、仙台城跡 の二の丸地区お よび二の丸北方武家屋敷地区の調査 で検出された建物 や柱列
な どの近世建物遺構 につい ては、 これ までに も調査 の折 々で検討 を加 えて きた。今 回の二の丸北方武家屋敷地区
第 7地 点 の調査 にお い て も、礎石建物 の様相が明 らかになるなど、重要 な知見 を加 える こ ととなった。
近年、仙台城 の他 の地区や、若林城跡 で も調査が進展 して い る。仙台城 二の丸周辺 な どでは、地下鉄東西線建
設 に伴 う調査 も各所 で実施 されてお り、城下 の武家屋敷 についての調査所見 も蓄積 されて きてい る。仙台城 とそ
の周辺 に留 まらず、仙台藩領内の各所 にお いて も、城館や武家屋敷 に加 えて、足軽屋敷や農村 の民家 にい たるま
で、近世遺跡 の調査事例 も少 しず つ増加 して きてい る (藤 沢敦2008)。
ここでは、当調査室が実施 して きた、仙台城跡 の二の丸地区 と二の丸北方武家屋敷地区 にお け る調査成果 を中
心 に、関連す る遺跡 の調査事例 も参照 しつつ 、仙台城 と周辺武家屋敷 における近世建物遺構 の基礎構造 について、
若干 の検討 を加 えてみたい (註
1)。
なお、二の丸地区や二の丸北方武家屋敷地区では、各調査地点 ごとに遺構 の時期区分 をしてお り、全体 で共通
す る時期 区分 は行 えてい ない。そのため、以下 で記す時期区分 は、各調査 区独 自の もので あ る。
①建物跡の柱間寸法
建物跡 の柱 間寸法 については、 これ までに も調査 の折 々で検討 を加 えて きた。その 中で、1間 の寸法が、江戸
時代 の初期 には 6尺 5寸 で あ ったのに対 して、やがて 6尺 3寸 へ 変化 してい くことが 明 らか となってい る。 6尺
5寸 や 6尺 3寸 以外 の柱 間寸法 が使 われて い る場合 もあ り、必ず しもこの両者 に限定 される訳 ではない。しか し、
特殊 な柱 間寸法 の建物 は少数 で、大多数 は 1間 が 6尺 3寸 か 6尺 5寸 となって い る。そのため本論 では、6尺
5
寸 か ら 6尺 3寸 へ の変化 につ い て、 あ らためて検討 してみた い。ただ し、6尺 5寸 と 6尺 3寸 では、お よそ 6
cmの 違 いで しか ない。 したが って検 出 された柱 の数 が少 ない と、 どち らとも判別が難 しい場合 が多 い。以下 で
は、検 出で きた柱 の数 が比較 的そ ろってお り、確実 な事例 を中心 に検討す る ことと したい。なお柱 間寸法 につい
ては、礎石建物 と掘立柱建物 との 間で特 に違 い は認 め られないこ とか ら、基本的に共通 して変化 して い くと考 え
て検討 してい くこととす る。
二の丸地区 については、年報 9に お いて、それ までのデー タを整理 して検討 した。 この際 の主要な目的 は、検
出遺構 と絵 図 との対比 を行 い、現地形上 での二 の丸建物 の配置復元 を行 うことで あ ったが、それ との 関係 で建物
の柱 間寸法 を検討 した。そ の結果、文化元年図 (1804年 )な どでは 1間 を 6尺 3寸 と考えた方 が良 く対応す る一
方 で、二の丸 が置 かれる以前 の元和 6年 (1620年 )に 造営 された五郎八姫 の西屋敷 の遺構 では 1間 が 6尺 5寸 と
考 え られる ことか ら、時期 によって変化 して い く可能性 などを指摘 した。
二の丸北方武家屋敷地区で最初 の大規模調査 となった第 4地 点 の調査 にお いては、多数 の掘 立柱建物 や掘立柱
列 が検 出 された (年 報 13)。 この調査 では、掘 立柱建物 の柱 問寸法 が、当初 は 1間 が 6尺 5寸 で あ った ものが、
遅 くとも17世 紀末 までには 6尺 3寸 に変化 して い ることが確認 された。
二の丸第17地 点 の調査 では、 Ⅱ期の11号 。12号 建物 が 6尺 3寸 を使用 した もっと も古 い建物 と考 えられる (年
報 18)。 Ⅱ期 は、寛永 15年 (1638年 )の 二の丸造営 か ら17世 紀末 の元禄年 間におけ る二の丸大改造 まで の時期 と
推定 される。 しか し、両建物跡 と も検 出範囲が狭 く、 1間 が 6尺 3寸 と断定 して良 いか、確実性 が乏 しい。また、
11号 。12号 建物 の両方 とも、切 り合 い関係 か ら、 Ⅱ期 の 中で も新 しい時期 に下 る可能性 が高 いこ とか ら、元禄年
間の改造以前 で あ って も、 どこまで遡 るのか判 らない。
この よ うに、仙台城 二の丸地区 と二の丸北方武家屋敷地区の調査成果か らは、元和 6年 (1620年 )ま では確実
に 6尺 5寸 が使 われて い ること、遅 くと も17世 紀末 には 6尺 3寸 が使 われ始 めてい る ことが確実 で あ る。 6尺
3
寸 が使 われ始 めるのは、 さらに遡 る可能性があるが、 この点につい ては不確実 な部分が残 って い ると言 えよう。
また、明治時代 の陸軍第二 師団の建物 では、6尺 が使 われて い ることが、武家屋敷地区第 4地 点 の 1∼ 6号 建物
跡 の事例 か ら判明 してい る (年 報 13)。
今 回の武家屋敷地区第 7地 点 の調査 では、5棟 の建物跡が検 出された。 1号 建物が 6尺 となって い るのを除 く
と、全て 6尺 3寸 となって い る。 1号 建物 は礎石建物 で、 19世 紀前葉か ら明治初期 と考 えられるⅢ期 に含 まれる
が、 Ⅲ期 の 中では最 も新 しい遺構 であ り、造 られたのが明治時代 に下 る可 能性 も残 って い る。 1号 建物 の礎石 に
は、複数 の石 を積 み重ねるよ うに して据 えて い る部分 がある。 この よ うな礎石 の据 え方 は、江戸時代 の建物 には
見 られない。 この点か らも、1号 建物 は明治時代 に下る可 能性があ る。 1間 が 6尺 3寸 の建物 の 中では、2号 ・
3号 ・ 4号 建物 は、 19世 紀前葉か ら明治初期 と考 えられるⅢ期 に属す る。 5号 建物 は江 戸時代初頭か ら17世 紀末
頃 と考 え られる I期 に所属す る可 能性があ る。 しか し、他 の遺構 との関係 か ら I期 に遡 る可 能性があ ると推定 し
たに留 ま り、 Ⅱ期以降 に下 る可能性 も残 って い る。 5号 建物 については不確実な点 が残 るが、それ以外 の建物 に
ついては、柱 間寸法 とい う点 では、 これ までの検討結果 と、特 に異 なるところは無 い と言え る。
この よ うに二の丸地区な どでは、6尺 5寸 が使 われて い る ことが確認 されて い るのは、元和 6年 (1620年 )ま
でで あった。 一方、若林城跡 の調査 によって、 さらに下 る寛永年間まで 6尺 5寸 が使 われて いた ことが明 らか と
なって きた。
仙台市 の若林城 は、初代藩主である伊達政宗 の 隠居城 として、寛永 4年 (1627年 )か ら造営 され、政宗が死去
す る寛永 13年 (1636年 )ま で使用 された伊達政宗 一代限 りの近世城郭である。そ の後 は、仙台藩 の御帳蔵や御薬
園 として利用 された。 この若林城 では、宮城刑務所 の建 て替 えに伴 う調査が2004年 度以降、実施 されて い る (佐
藤淳 ほか2005)。 これ までの調査 で、若林城 の主要 な区域 を構成す ると考 え られる建 物群 などが発見 されて い る。
若林城 は使 われた時期 が極 めて限定 されるため、一部 を除 くと建 て替 えは行われてお らず、建物跡 の把握 が比較
的容易 で あ る。後世 に破壊 された区域 を除 くと、遺構 の残存状況 は良好 で あ る。若林城 の調査成果 につい ては、
詳細 な報告が出そろって い ない段階ではあ るが、 いず れの建物 も 1間 が 6尺 5寸 と考 えて差 し支 えない よ うで あ
る。 したが って、寛永 4年 までは、1間 が 6尺 5寸 で あ った と考 えて良 いで あ ろ う。
問題 は、若林城 の造営か ら、 さほ ど間をあけない寛永 15年 (1638年 )に 造営 された仙 台城 二 の丸 が、 どの よ う
な柱 間寸法 を採用 して いたのか とい う点 で あ る。 この点について も、若林城跡 の調査 で、興味深 い成果が得 られ
て い る。若林城跡 の 第 5次 調査 と第 8次 調査 で検出された 1号 建物跡が、二の丸 の比較的初期 の段 階 を描 い た と
考 え られる 『御 二 之丸御指図』 に見 られる「大台所」 と酷似 してお り、若林城 の 1号 建物が移築 され「大台所」
として使 われた可能性が指摘 されて い る
(仙
城 二の丸 に移 築 した とい う記事 があ り (註
台市教委2005・ 2007)。 『伊達治家記録』には、若林城 の建物 を仙 台
2)、
それが裏付 け られる結 果 とな った。移築 に際 して、1間 につ き
2寸 切 り縮 めるとい うことは考 え難 いこ とか ら、寛永 15年 造営 の二の丸 の建物 については、 治家記録 に記載 され
た建物 を中心 に、6尺 5寸 の ものが含 まれてい た可 能性 は高 い と思われる。 しか しなが ら、全ての建物が 6尺
5
寸 であ ったか どうかは、現段階 では不明 とせ ざるを得 ない。
二の丸地区 にお ける大規模 な建 て直 しは、17世 紀末 の元禄年間に行われた一連 の大改造 と、文化元年 (1804年 )
の火災 による焼失 と再建が知 られてい る。 藩主 と側室 の生活空間で あ る中奥や、付属的な建物 については、上記
以外 の時期 に も建 て替 えが行 われていた可能性が高 い。
元禄年間の大改造 の前後 に描かれた絵図 を見 ると、 当初 の まま維持 されてい る建物 と、建 て直 されてい る建物
の両方が認 め られる。 この際 に建 て直 された主要な建 物 に、 どの よ うな柱 間寸法が使用 されたか を、直接 検討 で
きるデ ー タはない。 二の丸 で も付属的な建物 については、元禄年間以降 は 6尺 3寸 が使 われて い る。 6尺 3寸 の
使用 開始 が、元禄 年 間以前 に遡 る可 能性 もあ ることは、前述 の通 りであ る。武家屋敷地区で も、元禄年 間までに
は 6尺 3寸 に転換 して い る。 しか し、二の丸 の主要な建物 については、なお確実 なデー タを欠 いて い る。
文化元年 (1804年 )の 火災 によって二の丸建物群 はほぼ全焼 し、約 5年 の歳月をかけて再建 された と考 え られ
る。 二の丸第17地 点 では、 もともと建物 が なかった区域 に、再建工事 が行われて い る期間 に一 時的 に建て られた
と考 え られる礎石建物が検 出 されてい る (年 報 18、 図1-3)。 これ らの建物 は、 いず れ も 1間 は 6尺 3寸 で建 て
られて いた。 この ことか ら、二の丸 のか な り大規模 な建物 で も、文化期 には 6尺 3寸 で建 て られてい ることが確
認 で きる。 しか し、火災か ら再建 された主要建物 については、確実 なデー タがない。
文化元年 の火災 をはさんだ前後 の時期 の絵図 を見 ると、二の丸 の建物群 にはほ とん ど変化 が見 られず、ほぼ従
来通 り再建 された と考 え られ る。その際、従来 の礎石 を利用 して再建 されて いた場合 には、1間 が 6尺 5寸 で再
建 された可能性 も残 る こととなる。
本丸 の「大広 間」 に相当 し二の丸 では最 も中心 となる「小広間」 の裏側 にあ る、「御橡通」「伺公之間」「時計
之間」付近 につい ては、 第 2地 点 の調査 にお いて礎石建物 が検出 されて い る (年 報
1、
図1-2)。 しか し、柱 間
寸法 を検討 で きるのが 2間 分 だ けなので、柱 問寸法 を厳密 に検証す る ことが難 しい。 6尺 5寸 の方が、礎石 の位
置関係 では比較的対応す るよ うであ るが、 これのみで確実 に判断す る ことは困難 である。
仙台城 の本丸大広間では、慶長年間 に造営 された大広間の全体像がおおむね明 らか となってお り、1間 が 6尺
5寸 を基準 として造 られて い ることが判明 して い る (渡 部紀 ほか2004、 佐藤 。在川2009)。 本丸 では、 この大広
間を含 む主要 な建物 は、慶長年 間に造営 された ものが、 明治時代初期 に取 り壊 されるまで、江戸時代 を通 じて維
持 されて いた と考 え られる。 また、造営時期 につい ては意見が分 かれるが、仙台空襲で焼失す るまで残 って いた
大手 門 も、戦前 の実測調査 によって 1間 が 6尺 5寸 で造 られて いた ことが判 って い る。 したがって、仙台城全体
で見 れば、1間 が 6尺 5寸 の建物 と 6尺 3寸 の建物 が、ある時点以降は両方が存在 して維持 されて きた ことは間
違 い ない。
二の丸 の主要建物 の柱 問寸法 につい ては、確実 な調査事例 を欠 くため、今後 も検討が必要 で あ る。現状 では、
時期や建物 の 由来 な どによって、複数 の可能性が想定 される。若林城か らの移築 などの事例 が明 らか となって き
たため、複 雑 な展 開 をしてい る可 能性 を想定 してお く必要 が高 くな った と言 えるだろう。今後 も、個 々の調査 デ
ー タを、詳細 に検討 してい くことが必要 となるであ ろ う。
② 掘立柱列 の構造 と柱間寸法
柱列 については、柱 間寸法 を中心 に、若干 の検討 を加 えた ことがある。武家屋敷地区第 4地 点 の検討 では、 4
尺が最 も多 く一般的 で、次 いで 3尺 6寸 ・ 5尺 ・ 5尺 2寸 などが使 われて い ること、6尺 ・ 7尺 ・ 8尺 とい うも
の も少数存在す ることが 明 らか となって い る
(年 報 13、
表 1-1)。 二の丸第17地 点 の検討 では、4尺 が最 も多 く、
次 いで 4尺 2寸 が多 い。他 には、3尺 8寸 。4尺 5寸 、 4尺 6寸 ・ 4尺 8寸 ・ 5尺 ・ 5尺 1寸 ・ 5尺 2寸 が使 わ
れて い る。 さらには 6尺 ・約 8尺 。9尺 2寸 な ど、狭 い柱 間寸法 を三倍 に した よ うな もの も見 られた (年 報 18、
表 1-2)。 様 々 な柱 間寸法 があるが、特別 な意味が見出せ る ものは、6尺 3寸 の 2間 分 を 3等 分 した寸法が 4尺
2寸 となる ことだ けで あ る。
また、柱 間寸法 の詳細 な検討 はなされてい ないが、二の丸第 5地 点 では二の丸中奥 の裏門の周囲で多数 の柱列
が(年 報 6)、 二の丸第 9地 点 では二の丸全体 の裏門で あ る台所 門の周囲の塀 と考 えられる多数 の柱列 が
(年 報 8)、
いず れ も多数検 出 されてい る。 この 2地 点 で検 出 された柱列 については、比較的間隔 の大 きい ものが多 い傾向が
あ る。 しか し、二の丸第 5地 点 では、極 めて多数 の柱穴が重複 してお り、柱列 の復元 自体 に不確実 な点が残 って
い るので、詳細 な検討 は難 しい。
Tab.1-l
表 1-1 仙 台城跡 二 の丸北方武家屋敷地 区第 4地 点掘立柱柱 列 の柱 間寸法
List of pillared fence classified depending on the span between pillars at BK4
3尺 6寸
4尺
Ia期
5尺
5尺 2寸
27号 柱列
I期 (細 分不明)
Ⅱ a期
Ⅱ bl期
7尺
8尺
20号 柱列
22号 柱列
6尺
28号 柱列
24号 柱列
20号 建物
21号 柱列
19号 柱列
7号 建物
21号 建物
Ⅱ b2期
16号 柱列
Ⅱ b3期
13号 柱列
3号 柱列
14号 柱列
Ⅱb期 (Ⅱ b期 内での 2号 柱列
細分不明)
15号 柱列
Ⅱ期 (細 分不明)
Ia期 :17世 紀初頭か ら17世 紀前半
Ib期 :17世 紀中葉か ら後葉
Ⅱ a期 :17世 紀末か ら18世 紀前葉
Ⅱ bl期 :18世 紀前葉か ら18世 紀中葉
Ⅱ b2期 :18世 紀中葉頃
Ⅱb3期 :18世 紀後葉か ら19世 紀中葉
7号 柱列
表 1-2 仙 台城跡 二 の丸第 17地 点掘立柱柱 列 の柱 間寸法
Tab.1-2
List of pillared fence classified depending on the span between pillars at NⅣ
21号 柱列
1号 塀
2号 塀
3号 塀
4号 塀
6号 柱列
7号 柱列
8号 柱列
11号 柱列
13号 柱列
︰期 期
Ⅱ Ⅲ Ⅳ
か ら元禄年間 (17世
:元 禄 13年 (1700年 )頃 か ら文化元 年 (1804年 )
:文 化 6年 (1809年 )頃 か ら明治初頭 (1868年 )頃
Tab.1-3
表 1-3 仙 台城跡 二 の丸北方武家屋敷地 区第 7地 点掘立柱柱 列 の柱 間寸法
List of pillared fence classifled depending on the span between pillars at BK7
遺構名称
時期
1号 柱列
Ⅲ期
2号 柱列
Ⅲ期
3号 柱列
Ⅲ期
4号 柱列
5号 柱列
6号 柱列
Ⅲ期
7号 柱列
Ⅱ期
8号 柱列
9号 柱 列
I・
Ⅲ期
Ⅲ期
Ⅱ期
IoⅡ 期
柱 問寸法
3尺
3尺
3尺
4尺
3尺
5尺
7尺
4尺
9寸
9寸
7寸
備考
控 え柱 2尺 ・途中異 なる寸法が入 る可能性
一部 3尺
7寸
5寸
4寸
4尺 2寸
I期 :17世 紀初頭か ら17世 紀末頃
Ⅱ期 :18世 紀初頭頃か ら19世 紀前葉頃
Ⅲ期 :19世 紀前葉頃か ら明治時代初頭
l17
今 回の武家屋敷地区第 7地 点 の調査 では、9列 の掘立柱列が確認 された (表 1-3)。
3尺 7寸 ・ 3尺 9寸 ・ 4
尺が 2例 、4尺 2寸 ・ 5尺 5寸 。7尺 4寸 が各 1例 であ った。 7号 柱列 の 7尺 4寸 は、3尺 7寸 の倍 として考 え
ることがで きるか もしれない。 4尺 や 4尺 2寸 が特 に多 い訳 ではないが、 これ までの事例 と、大 きく異 なる こと
はない と言 えるだろ う。
今 回の調査結果 も含 めて、柱列 の柱 間寸法 には、時期 による変化 などを明確 に指摘す ることは難 しい。 4尺 2
寸 については、1間 が 6尺 3寸 とい う寸法 が採用 されて以降に下 る可 能性 が 強 いこ とは言 えるが、その他 の柱 間
寸法 については、 明確 な時期的特徴 な どは指摘 で きない。 これまでの調査成果 を総合 す ると、 4尺 や 4尺 2寸 を
中心 に、3尺 5寸 か ら 5尺 5寸 程度 の 間の寸法 が基本 で、その倍 の 間隔 の もの も見 られるとまとめてお くのが穏
当で あ ろ う。
これ らの柱列 につい ては、塀跡 と考 えるのが妥当であ ると思われる。 これまで の調査 では、塀 になると思われ
る遺構 は、全 て掘立柱 で 占め られて い る。全体 に、柱 は深 く埋 設 されてお り、位置 を微妙 にず らしなが ら頻繁 に
造 り替 え られて い る。塀 は一本 の柱 で構造 を支 えるため、柱 を深 く埋設す ることで 自立 させ る必 要 があるため、
掘立柱形式 を採用 した もの と考 え られる。
掘立柱列 につい ては、通常 の独 立 した掘立柱 の柱穴が並 ぶ もの と、溝 を掘 って柱 を立てた ものの 2種 類が確認
されて い る。溝状 の掘 り方 の ものは、二の丸第 9地 点 (年 報 9)や 第17地 点 (年 報 18)で 検出されてお り、二の
丸外郭線 な どに関 わる塀 と考 え られる もので あ る。両者 の 間で、柱 問寸法 に特 に顕著 な違 い は見 られない。溝状
掘 り方 の ものには、 4尺 前後 の寸法 が多 く、間隔 の広 い ものが少 ない点 が異 な って い る程度 で ある。柱 間寸法 が
大 きい場合 には、溝状 の掘 り方 では無駄 が多 くな るため、 この ような傾向 は当然 のことで あ ろ う。
二の丸第 9地 点や第 17地 点 では、溝状掘 り方 と独 立 した柱穴 の ものが 、並行 して確認 されてい る場合 があ り、
造 り替 えによる結果 と考 え られる。 これ らは両者 とも、塀 と考 えて差 し支 えない。そのこと もあ り、溝状掘 り方
と通常 の柱穴 の もの との 間で、上 部構造 が異 なって いた と言 えるよ うな根拠 は見 出 し得 ない。ただ し、溝状掘 り
方 の ものは二の丸地区でのみ確認 されてお り、武家屋敷地区では見 つ かってい ない。今後、武家屋敷地区で発見
される可能性が無 い とは限 らないが、注 目される違 いで ある。 このことか ら、掘 り方 の違 いが、構造 や構築方法
な どと関係す る ものか もしれないが、現状 では判然 としない。
なお、二の丸地区や武家屋敷地区の各 地点で多数検出 されてい る掘立柱列 で、土塀 の基礎 と確実 に判断で きる
事例 は確認 で きて い ない。 いず れ も、木製 の板塀跡 と考 えて差 し支 えない もので 占め られて い る。土塀 の基礎構
造が どの よ うな もので あ ったかについ ては、確実な調査事例 が無 く、良 く判 ってい ない。他 の地区の事例 を含め
て、今後 も検討 して い く必要がある。
③ 礎石 の規模 と構造
礎石建物跡 の調査事例 の積 み重ねによって、礎石 の規模や根 固めなどの構造 が、建物 によって、あるい は同 じ
建物 で も場所 によって、大 きく異 なる ことが明 らか となって きた。そ こで、建物 の規模や性格が、あ る程度明 ら
か となってい る事例 を、次 に見 てみたい。
本丸大広 間 は、本丸 の 中心 となる建物 で、仙台市教育委員会 による継続的な調査 によって、ほぼ全体像 が明 ら
か とな りつつ あ る (金 森 ・根本2002、 佐藤 。在川2009)。 建物本体 の座敷部分 の主要 な礎石 の外側 に、広縁 がめ
ぐり、 さらに外側 に落縁が め ぐって い る (図 1-1)。 礎石そ の ものが残存 して い たのは、床束 など一部 に留 まる
が、礎石 の掘 り方 は、座 敷部 の主要 なもの、広縁部、落縁部、座敷部 の床束 で、それぞれ規模 と構造 が異 なって
い る。座 敷部 の主 要 な礎石 の掘 り方 は、径 160∼ 210cm、 深 さ30cm程 度 で、根 固めに小礫 を詰め込んで い る。広
縁部 の礎石掘 り方 は、径 75∼ 120cm程 度、深 さ40cm程 度 で、根 固 め石 は座 敷部 よ り小振 りで土砂 の割合 が多 く
なる。落縁部 の礎石掘 り方 は、径70∼ 90cm、 深 さ40cm程 度 で、根固め石 は小振 りとなって い る。座 敷部 の床束
11600m J
雨落ち溝
落縁部礎石
(KS-532)
広縁部礎石
(KS-533)
図1-1 仙台城跡本丸大広間断面模式図
座敷部礎石
座敷部礎石 (床 東)
(KS-534)
(『
縮 尺 1/80
イ
山台城跡 9』 より
Fig■ -l Schematic profile of main ceremonial hall(0ね
)
frο
ma)in sendai Castle
1間
1間
=6尺 3寸
=6尺 5寸
0
2m
i l l l l
総 議
61
図 1-2 仙 台城跡 二 の丸第 2地 点検 出遺構
Fig.1-2 Plans of features at NⅣ 12
46 \\
の礎石掘 り方 は、径40∼ 90cm、 深 さ10∼ 27cmで 、形状や規模 にはば らつ きがある。根 固め石 を少量入れる もの
もあ るが、根 固め石が入れ られない もの もある。 この よ うに、本丸大広 間では、座 敷部 の主要 な礎石、広縁部、
落縁部、座敷部 の床束 の順で、次第に礎石掘 り方 の規模が小 さ くな り、構造 が簡素 になって い く様子 が明 らかで
あ る。
二の丸第 2地 点 の調査 で検 出された礎石建物 については、絵図 との対比 か ら、二の丸 では最 も中心 となる「小
広 問」 の裏側 にあ る「御橡通」 か ら「伺公之 問」「時計之 間」 な どの 区域 に相 当す る と考 え られて い る (年 報
1・ 7・
9、
図1-2)。 この 内、礎石が残 されて い たのは 1基 のみで、径70cm、 厚 さ35cmで あ った。礎石掘 り
方 は、径 110∼ 120cm程 度、深 さ30cm前 後 で、根 固めに小礫 が詰め込 まれて い た。 この二の丸第 2地 点 の礎石建
物 は、 明治 15年 (1882年 )の 火災で焼失 した と考 えられる ことか ら、文化元 年 (1804年 )の 火災後に再建 された
建物 であ る可能性が高 い。
二の丸第17地 点 の調査 では、文化元年 (1804年 )の 火災 によって二 の丸建物群 が焼失 した際、復興期 に一 時的
に建 て られた と考 え られる礎石建物が良好 に検 出され
(Ⅳ
a期 )、 礎石建物 の具体的様相 を知 る上で重 要 な資料
とな った (年 報 18、 図1-3)。
二の丸第17地 点 のⅣ a期 の検 出遺構 の うち、2号 建物 については、攪乱 によって破壊 された部分 もあるが、比
較的建物 の様相 が明 らか とな って い る。西辺 は屈 曲 を くり返 してお り、 い くつ か の建物 が複雑 に連接す る もの と
思 われる。礎石 には、規模 の大小や根固めの状況か ら、二 通 りの様相 が認め られた。大規模 なものは、掘 り方 の
径 70cm前 後、深 さ40cm程 で、川原石 を充填 して根固め とし、30∼ 55cmの 大振 りな厚 み もある礎石 を据 える。建
物全体 の重量 を支 える、主要 な柱 を立てた もの と考 えられる。小規模 なものは、掘 り方 の平均的な径20cm前 後、
深 さは浅 くて10cm以 下 で、根 固め を伴 わず、20∼ 30cmの 扁平 な川原石 を直接置 い て礎石 とす る。 これは、主 要
な柱 の 間 に置 かれた柱 や、床束 を支 えた礎石 と考 えられる。 これ らの礎石 をつ な ぐ地覆石が、外周 を中心 に認 め
られる。地覆石 も、小規模 な礎石 同様、浅 い掘 り方 に直接置 かれる。
同 じく二の丸第17地 点 のⅣ a期 の 3号 建物 は、2号 建物 の北側 に建 て られた礎石建物である。南辺 と西辺、西
辺か ら 2間 分 の所 には扁平 な川原石 を使 って、地 覆石が並 んで い る。建物 の北側 の 区域 では、径30∼ 70cm、 深
さ15cmの 掘 り方 に根 固 め石 を入 れた礎石 が検 出されて い るが、南側 の石列 の 区域 には、 この よ うな礎石 は認 め
られなかった。 2号 建物 では礎石 をつ な ぐ形 で地覆石が並 べ られてい たが、3号 建物 では独立 した礎石が見 られ
ず 、地覆石 のみで構成 されてい る区域 がある ことが異 なってい る。
二の丸第17地 点 の Ⅲ b3期 (18世 紀 )の 4号 建物 も、地覆石 を並 べ る礎石建物 で ある (年 報 18、 図1-4)。 薄
い整地層 を施 した上 に、根 固め石や地覆石 の石列 を構築す る。地覆石 (石 列 1∼
4、
石列 809)は 、扁平 な角
礫 が多 いが、川原石 も使 われて い る。 コーナー など柱が立て られてい た と思 われる部分 には、やや大 きな石が使
われて い る。根 固め石 の可能性 の ある小礫が分布す る場所 もあ り、そ の上 に石列や礎石
(ピ
ッ ト450)が 置 かれ
て い る場所 もある。石列 5と 石列 6は 、構造が石列 1な どと類似す るが、 間隔がず れるため、他の建物 になる可
能性 もある。
武家屋敷地区第 7地 点 では、 Ⅲ期 (19世 紀前葉 か ら明治初頭 )の 2号 建物 が、比較的様相 の判明す る礎石建物
で あ る (年 報 19第 1分 冊、図1-5)。 礎石 と、礎石 をつ な ぐ石列状 の地覆石で構成 される。礎石 は25∼ 35cmの 川
原石 を用 いてお り、幅35∼ 50cmの 掘 り方 に据 え られて い る。掘 り方 の深 さは20∼ 30cmと やや深 い ものの、根 固
め石 は入れ られず 、土で埋 め戻 した上 に礎石が置 かれてい る。礎石 の 中 には、掘 り方 が明瞭にとらえ られなかっ
た もの もあ り、それ らは床束 を支 える礎石であ った可能性 も考 えられる。礎石 をつ な ぐ地覆石 は、礎石 よ り小 さ
い15∼ 20cm程 度 の川原石 を用 い て い る。意識的 に検 出に努 めたに もかかわ らず 、明瞭な掘 り方 は確認 で きなか
った。石 と同 じ程度 の範囲をわず かに窪 めた程度 の掘 り方 で あ ったか、 あるい は地表面 に直接石 を置 いただ けで
あ った と推定 される。そのため、後世 に石が取 り去 られて しまうと、痕跡 をとらえる こ とは極 めて難 しくなる こ
ぱ ボ
一
l
lた二
]
1号 。2号 ・ 3号 建物 の関係
石敷
雨
落
溝
柱穴 の丸印 の大 きさは、
柱穴 の規模 の大小 を表す。
白抜 きの丸印は、推 定 され る柱穴 を示す。
0
10m
図 1-3 仙 台城跡 二 の丸第 17地 点 Va期 の遺 構
Fig。 1-3
Plans of features belonging to phase IVa at Nヽ 117
υ
石列5 ¢
―
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◎
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ゝ_.
1/´ 一E― ――+一 ͡夏し__⊥ ヽ
5m
0
1-4
図
仙 台城跡 二 の丸第 17地 点 Ⅲ b3期 の遺 構
Fig,1-4 Plans of features belonging to phase lllb3 at NN117
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図 1-5 仙 台城跡 二 の丸北方武家屋敷地 区第 7地 点 Ⅲ期 の遺 構
Ⅲ at BK7
Fig■ -5 Plans offeatures belonging to phase
5m
とが、容易 に想定 される。
やや特殊 な構造 と考 え られ るのが、 二の丸 第17地 点 Ⅳ a期 の 1号 建物跡 で ある (年 報 18、 図 1-3)。 外周 は、
上 幅95∼ 120cm、 下幅55∼ 75cm、 深 さ50cm前 後 の断面逆台形 の溝 を掘 り、川原石 を主体 とした 5∼ 15cm程 度 の
礫 を詰め込 んで い る。礎石 は全 て取 り払 われて い たが、詰 め られた礫 の上 に据 え られて い た もの と考 え られる。
溝 に囲 まれた内部 には、径30∼ 65cm、 深 さ10∼ 15cmの ほぼ 円形 の掘 り方 に、5∼ 10cm程 度 の川原石 を入れて根
固め とした柱 穴が半 間間隔 で並 んで い る。 これ も礎石 は残 って い なかったが、床束 を支 える礎石 と考 え られる。
同様 の溝が、隣接す る第 1地 点 の調査 区 で発見 されてお り (年 報
1)、
それを合 わせて考 える と、 東西 2問 半、
南北 7間 以上の細長 い建物 になる と推定 される。外周 の基礎構造は、堅個 なもので、重量 を支 えるため の工 夫 と
考 える ことがで きるであろ う。内部 の床束 を支 える礎石 も、比較的丁 寧 に造 られて い る。細長 い建物 の形態や、
この よ うな基礎構造 の特徴 か ら、土蔵 の よ うな建物 を想 定 で きるで あ ろ う。
この よ うに仙 台城 と関連す る近世遺跡 の建物遺構 を見 ると、建物 の性格や規模、特 に礎石 にかかる荷重 によっ
て、礎石お よび掘 り方や根 固めの構造や規模 は、大 きく異 なってい る ことが明 らかである。 本丸大広 間の主要な
柱 を支 える礎石が最 も大 き く、次 いで二 の丸小広間周辺 の柱 が大 きい。 これ らは、かな り大規模 な建物 で あ り、
荷重 も相 当大 きか った ことが想定 される。一方、武家屋敷地区第 7地 点 の 2号 建物 の礎石 は、最 も小規模 で簡素
な礎石であ り、その分 だ け荷重 も軽か った と思 われる。また同 じ建物 の 中で も、礎石が支える柱 の種類 によって、
礎石 の規模 と構造 が異 なってお り、それぞれ の礎石が支え る荷重 に応 じて、使 い分 け られてい る ことは明 らかで
あろ う。今 回は検討で きなか ったが、掘立柱建物 で も、同 じ建物 の 中で柱穴 の深 さが大 きく異 なって い る事例 も
あ り、同 じよ うに柱 にかかる荷重 の違 い を反映 してい る可 能性が考 えられる。建 築学的な検討 は行 えてい ないが、
この よ うな礎石や柱穴 の特徴 を把握 してい くことが、上屋構造 の復元 にとって重要 である と考 え られる。
④礎石建物 と掘立柱建物
本丸大広間や若林城 の主要建物群、二の丸の中心建物 は、当初 よ リー貫 して礎石建物 であったと考 えられる。
西屋敷の主要建物 も全て礎石であったように、城 に準ず る主要な施設については、江戸時代 の初期から礎石建物
が用 い られていたと考 えて良いであろう。
ところが、簡素な構造の建物 については、仙台城の中において も、江戸時代を通 じて掘立柱建物が使 い続けら
れた可能性がある。二の丸第 5地 点では、中奥裏側の問
た
(年 報 6・ 7)。
(御 切手御門)の 東側 に大量の掘立柱柱穴が集中してい
保存状態が良 くない部分 もあ り、柱穴の組み合わせは、十分明らかにはできなかったが、 こ
れ らの掘立柱 の柱穴 には、門か ら延 びる塀 と掘立柱建物の柱穴が含 まれていると考 えられる
(図 1-6)。
この区
域の建物 は、塀 に沿 って造 られた「腰掛」 と考 えられ、絵図では、桁行 1間 の細長い建物 として描かれ、半間分
が土 間 で、 半 間が板敷 き と考 え られ る。塀 は掘立柱構造 で、 頻繁 に建 て替 え られて い た ことが判 明 して い る。
「腰掛」 につ いて も、簡素 な構造 の ため一貫 して掘立柱建物 で、塀 の建 て替 えに伴 い頻繁 に建 て替 え られた可能
性 が考 え られる。 この よ うな簡素 な構造で、なおかつ頻繁 に建 て替 え られる建物 につい ては、仙台城内で も掘立
柱が使 われ続 けてい た と考 えて良 いだろ う。
城以外 の一般的な武家屋敷 の建物が、礎石建物 で あ ったのか、掘立柱建物が使 われ続 けて いたのか とい う点 に
つい ては、大 きな問題が残 って い る (註
3)。
仙台城 二の丸北方武家屋敷地区の調査 では、圧 倒的 に掘 立柱建物
が多 く、礎石建物 は きわめて少 ない。 同 じよ うな事例 は、仙台城周辺 の武家屋敷 に限 らず、仙台藩領内の各 地で
見 られる ことで あ る。
仙台藩 では、家 臣の多 くが仙台城下 の屋敷以外 に、知行地 に在郷屋敷 を有 して い た。在郷屋敷 は、家臣の家格
な どに よって規模 や位置 づ けが異 な って い た。重 臣が居館 として い た、地域 の 中核 的位置 を占める ものは、要
害 。所 。在所 と区分 され、特別 な扱 い を受けていた。
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III a期
図 1-6
仙 台城 二 の 丸 第
5地 点 Ⅲa期 の 遺 構
Fig■ -6 Plans of features belonging to phase
Ⅲ a at NⅣ 15
図 1-7 仙 台城跡 二 の 丸北方武 家屋敷 地 区第 4地 点 I期 の遺 構
Fig。 1-7
Plans offeatures belonging tO phase l at BK4
登米市
(旧
迫町)の 佐沼城跡 は、 近世 の佐沼要害 で あ る。「三の丸」 と呼 ばれたこともあ る、堀 に囲 まれた区
画 で、 陪臣の屋敷地 として使 われた区域 が調査 されて い る。礎石建物 は見 つ かってお らず 、江戸時代 を通 じて掘
立柱建物 が存在 してい た と考 え られて い る (佐 久問光平 ほか1995)。
大崎市
)の 上 野館跡 は、仙 台藩 の奉行 な どの要職 をつ とめた茂庭氏 の在郷屋敷 で、「所」拝領 で あ
(旧 松 山町
った。屋敷 のほぼ全域が発掘調査 されてい るが、礎石建物 はわず か しか発見 されて い ない。礎石建物 の有無 につ
いて問題 となるのは、 B期 とされた17世 紀末∼19世 紀 の遺構群 であ る。 報告者 は、絵 図 との対比 か ら存在 が推定
される主要建物が検 出されて い ない こと、遺構群 の性格 と時期 か ら掘立柱建物 が主体 とは考 えに くい ことか ら、
戦後 に削平 を受 けた際 に、礎石建物跡 の大部分 は失 われて しまった と推定 して い る (佐 久間光平 ほか1993)。
この よ うな調査事例 に対 して、実際に礎石建物が少 なかった ことを示す のか、あるい は削平 によって破壊 され
検 出で きないのか、 どち らと考 えるかによって、復元 され る遺跡 の姿 は大 きく異 なって くる。 この 問題 を考 える
に際 しては、時期的な問題 と、居住者 の階層や建物 の性格 の問題 がある。 二の丸北方武家屋敷地区第 4地 点 Ib
期 (17世 紀 中葉 ∼後葉)の 30号 建物 の よ うに、比較的大 きな建物 で も、掘立柱 で あ る場合 も確認 される (年 報 13、
図1-7)。 したが って17世 紀 には、主要 な建物 で も掘立柱建物が使 われて い た可 能性 がある。その場合 で も、や
がて主要 な建物 は礎石建物 に転換 してい った とい うのが、一般的な理解 で あ った と思われる。
農村 の民家建築 について も、江戸時代 の途中で、礎石 に転換 してい く場合 が多 いこ とが知 られてい る。 一般的
な傾向 としては、18世 紀前期 か ら中期 にかけて上層農家 の主屋が礎石で建て られ始め、18世 紀後期か ら19世 紀前
期 には中下層農家 の主屋 も礎石 に転換 してい くことが指摘 されてい る。 しか し、必 ず しも全てが礎石 に転換す る
訳 では な く、従来考 え られてい たよ り遅 くまで、掘 立柱建物 の民家建築 が造 られて い た場合 もある ことが指摘 さ
れ るよ うになって い る (浅 川・箱崎編2001)。 宮城県内 に残 されて い る民家建物 につい て も、 ほぼ 同様 で、 18世
紀以降 は礎石 を使 った ものが出現 し、現在 まで残 されて い るものが あ る (古 建築研究会編著 1992)。 19世 紀 以 降
では、納屋 な どの小規模 な附属建物 で も、礎石が使 われてい る事例 は少 な くない。 しか しこれ らは、礎石 を使 っ
た建物 で あるか ら残 った と も言 える訳で、掘立柱建物が いつ まで使われたか とい う点 につい ては、残 された民家
建物 だ けか ら考 える ことはで きない。
仙台城下 にお け る武家屋敷 については、 農村 の民家建物 よ りは礎石 へ の転換 が早 かった と考 えるのが穏当な理
解 で あ ろ う。 に もかか わ らず 、発掘調査 事例 では、幕末 にい たるまで掘立柱建物が多数造 られ、礎石建物 は きわ
めて少 ない。江戸時代 を通 じて、幕末 まで掘立柱建物が使われ続 けてい る ことは確実 で ある。付属的な簡素 な構
造 の建物 は、幕末 まで掘立柱が使 われた場合 があった こ とは間違 い ない だろ う。 しか し、主屋 などの主 要な建物
で も、掘立柱建物が使 われ続 けたのか とい う点 については、民家建築 の様相 などを参考 にす ると、疑間が大 きい
と言 わ ざるを得 ない。後世 の破壊 によ り、礎石建物が確認で きな くなって い る可能性 も高 い だろ う。
先 に検討 した よ うに、近世の礎石建物 の礎石 は、柱 にかかる荷重 な どによって、その構造や規模 に大 きな違 い
がある。荷重が比較的軽 い小規模 な屋敷であった場合、礎石 は小 規模 で、掘 り方 の構造 も簡素 で あ った と考 え ら
れる。小規模 な礎石 には、掘 り方 がほ とん どな く、若干窪 めた程度 の場合 もあ る。地覆石 については、ほ とん ど
掘 り方 を持 たない事例 もあ る。現在 に残 されて い る近世民家建築 では、地 覆石 を据 える際に、ほ とん ど掘 り方 が
無 く、地表面 の上 に石 を並 べ 、石 の 間を粘土 な どで 固める方法 も見 られる。 この よ うな礎石 や地覆石が取 り去 ら
れる と、掘 り方 を確認す る ことは極 めて難 しく、建物 の痕跡 を把握で きないこ とが容易 に想定 で きる。
川内地区の武家屋敷地 は、明治時代 に建物が取 り払 われ、一 時的 に畑 として利用 されて いた場合 がある ことが、
武家屋敷地区第 4地 点 (年 報 13)や 第 7地 点 (年 報 19第 1分 冊 )で 確認 されて い る。畑 の耕作 の際、支障 となる
礎石 を除去 した可能性 は大 きく、第 4地 点 では畑の一画 に大小の礫 を集めた 「集石遺構」 が検 出され てい る。後
世 に畑が作 られて い る区域 では、江戸時代 の礎石建物が ほ とん ど破壊 されて い る可 能性 を考 えてお くこと も必要
で あろう。
一方で、武家屋敷地区で検出 される掘立柱建物の数が、幕末 にいたるまで多数 におよんでいることは、掘立柱
建物が例外的な事例でないことを示唆す る。 このことは、掘立柱建物が簡素な建物 に限定さるのかどうか、江戸
時代の新 しい段階でも、慎重 に検討す ることが必要であることを示 していると言えるだろう。
このように、仙台城周辺の武家屋敷地区において、礎石建物が本来存在 しなかったのか、後世の破壊 により確
認で きないだけなのかとい う点 については、現在のデー タでは確定的な答えを準備 できる状況ではない。仙台城
周辺の武家屋敷地は、地下鉄東西線関連の調査 によって、急激に調査事例が増加 している。今後 も、両方の可能
性を想定 しなが ら検討 を続けるとともに、蓄積 されつつある成果 を比較検討 して、仙台城周辺の近世武家屋敷の
実態 を解明 してい くことが期待される。
註〉
〈
1)本 論 については、2001年 10月
7日 に米沢女子短期大学 において開催 された東北史学会2001年 度大会考古学部
会 において、藤沢敦・京野恵子・高木暢亮の連名で口頭発表 した「近世建物遺構 の基礎構造」において報告 し
た内容の一部 を含んでいる。
2)治 家記録義山公巻之二、寛永15年 12月 14日
の記事 に見える
(平 重道編1974)。
「十四日戊寅。此 日二丸屋形焼
火間、虎間、御納戸茶道部屋、御鑓間上墓所、御風呂屋、大墓所、小姓間、御用間、肴部屋、御鷹部屋、等用
」 ここに記 された建物の名前 は、茶
屋、今 日マテ段 々上棟 アリ。右御作事、若林 ノ屋形 ヲ解 シ用 ラル ト云 々。
道部屋 ・御鑓間・御鷹部屋、 算用屋 を除 くと、『御二丸御指図』で確認で きる。それら位置 は、特定の場所 に
固まることなく、二の丸の各所 に分散 している。
3)近 世遺跡 において礎石建物がほとんど検出されないことについては、2008年
5月 に開催 された平成20年 度宮
城県考古学会総会 ・10周 年記念大会の際の発表「宮城考古学 ―この10年 の歩みと展望 ―近世」において、問題
点を指摘 した ことがある。
引用 0参 考文献》
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(2)武 家屋敷地区第7地 点出土の18世 紀前葉 の遺物 につい ての検討
① 陶磁器
武家屋敷地区第 7地 点出土 の陶磁器 について、個 々の特徴 や遺構 ごとの様相 については、年報 19第 2分 冊 で述
べ て い る。 ここでは、主に、武家屋敷地区第 7地 点 2号 遺構 出土 の陶磁器 について、検討 を加 えてい く。武家屋
敷地区第 7地 点 2号 遺構 は、大規模 な廃棄土坑 で あ り、出土遺物 の 内容 か ら、二の丸 か ら排 出され た ゴ ミが廃棄
された もの と考 え られ る (年 報 19第 1分 冊 )。 供伴す る木簡 では、記載 されて い る年号 が享保年 間の ものに限 ら
れてお り、2号 遺構 の遺物 は18世 紀前葉 の時期 の一括資料 で あ る。そ のため、武家屋敷地区か らの出土ではあ る
が、遺物 の内容 としては仙台城跡 二の丸地区の様相 を示す良好 な資料 と言 える。
これ まで、年報 9に お いて、仙台城跡 二の丸地区出土 の陶磁器 の一括資料 をもとに、その変遷 について検討 を
加 えてい る。 また、年報 18で は、年報 9の 分析 に、二の丸地区第17地 点 か ら出土 した18世 紀末∼ 19世 紀初頭 の一
括資料 を加 えた再検討 を行 ってい る。 18世 紀前葉 の資料 は、 これ らの考察 にお いて、他 の時期 の資料 か ら比べ る
と量 的 に も少 な く、良好 な資料 に欠ける時期 で あ った。そ のため、2号 遺構 出土 の一括資料 を加 えた上 で、 これ
までの年報 でお こな って きた分析 と比較 しなが ら、 18世 紀前葉 の陶磁器 の様相 について検討 して い きたい。
また、20号 土坑お よび3a層 出土 の陶磁器 は、2号 遺構 よ りもやや新 しい様相 を示 してお り、比較 として考察 に
加 えてい く。20号 土坑 は、2号 遺構、1号 遺構、24号 土坑 な どの廃棄 土坑が、3b層 によって整地 された後、 自然
に形成 された窪み であろ うと考 え られて い る (年 報 19第 1分 冊)。 20号 土坑 に堆積 した埋土が3a層 であ り、遺物 は
一連 の もので あ る
(図 2-7)。
自然 に形成 された窪み のため、遺物 の年代幅 としてはやや広 く、 18世 紀後葉頃 ま
で下 る可 能性 がある もの も含 まれ て い るが、主体 とな るのは18世 紀中葉頃 と考 えられる。 18世 紀中葉 の 資料 も、
これ までの検討 か らは欠けてい た時期 で あ り、併 せて考察 してい く。
図2-1∼ 図2-5に は、2号 遺構 出土 の陶磁器 を、図2-7に は、20号 土坑お よび3a層 出土 の陶磁器 をまとめ て掲
載 してい る。 また、図2-6は 、2号 遺構 と同時期 の24号 土坑 出土陶磁器 をまとめて掲載 した もので あ る。24号 土
坑 は、 出土点数が 2号 遺構 ほ ど多 くはない ため、数量的な分析 には加 えてい ない。 しか し、出土遺物 の様相 は 2
号遺構 と共通 してお り、2号 遺構 にはみ られない器形 や文様 の ものが含 まれる ことか ら、参考 として掲載 して い
る。
2号 遺構 と20号 土坑 ・3a層 以外 の資料 については、年報 9、 年報 18の 分析 デー タと、それぞれの一括資料 が掲
載 されて い る年報 を元 に してお り、併せて参照 された い。 また、時期区分 の 中で 2つ の資料群 がある場合 は、例
えば17世 紀末葉a、 17世 紀末葉bの よ うに示 してい るが、 これ らは便 宜的に区別 してい るだけで、直接 、時間的前
後関係 を示 した ものでは ない。
A.材 質別 の検討
。
図2-8◆ 図2-9、 表2-1に は、碗類 と皿類 について、漆器 木製品 を合 わせた材 質別 の割合 を示 して い る。陶
器 の碗類 ・皿類 について、 18世 紀前葉 か ら18世 紀中葉 に顕著 な変化が現れて い る。
碗類 では、 17世 紀初頭 ∼前葉 に主体 で あ った漆器 ・木製品が、 17世 紀末葉 の段 階 で、磁 器 ・陶器 に入れ替わ っ
てお り、中で も、磁器 の 占める割合 が 17世 紀末葉 や18世 紀前葉 では 5割 以上 を占めて い る。 これ以降は漸移的に
磁器 の割合 が減少 し、それに伴 い陶器 の割合 が増 えてい く。特 に、 18世 紀中葉 お よび18世 紀後葉 には、陶器 の碗
の比 率 が 5割 以上 と、磁器 よ り多 くな ることがわかる。 19世 紀前葉 ∼ 中葉 になると、肥前磁器 に加 え、瀬戸や東
北産 の磁器が加 わる ことによ り、磁器 の 占める割合 が再び急増 してい る。
皿類 では、 17世 紀初頭 ∼前葉 の段 階か ら、磁器 ・ 陶器 でほぼ 占め られてお り、特 に陶器 の割合 が高 い。瀬戸 ・
美7ieや 唐津 の皿 や向付 の 出現頻度 が高 い ため と考 えられ る。 17世 紀末葉 になると磁器 の割合 が9割 以上 と非常 に
高 くな り、磁器 の皿が浸透 して い く様相 がみ られる。 18世 紀前葉 にお いて も、陶器 の皿 も一定程度 み られるもの
の、磁器の割合が高 いこ とに変化 はない。 18世 紀中葉 は一つ の転機 と考えられ、陶器 の皿の割合 が急激 に高 まっ
てい る。 18世 紀 中葉 になる と、大堀相馬産や小野相馬産 の皿 がみ られるよ うにな り、陶器 の皿の割合が高 くな っ
てい る もの と考 え られる。
B.器 種組成 の検討
次 に、上述 の材 質別 の組成 でみ られる変化 をふ まえ、磁器 ・ 陶器 につい て器種別 の組成 を検討 して い く。図
2-10、
表2-2に は、磁器、陶器 の器種組成 の変遷 を示 して い る。 18世 紀前葉aと して示 したのが、武家屋敷地区
第 7地 点2号 遺構 出土 の資料 で あ り、18世 紀中葉 として示 したのが、20号 土坑 。3a層 出土 の資料 であ る。
磁器全体 の様相 としては、碗類が増加 し、皿が減少す る傾向にあ り、18世 紀前葉か ら19世 紀初頭 にか けては比
較的安定 した組成 を示す ことが指摘 されて い た (年 報
9)。
17世 紀末以降、肥前産 の磁器碗 が普 及 しは じめ、碗
の比率 が高 まって い き、 18世 紀代 には「 くらわんか手」 の碗が加 わることによ り、碗 はよ り高 い比 率 を示 してい
るもの と考 え られる。
18世 紀前葉 aの 2号 遺構 出土磁器 にお いて も、碗 の 占める割合 は非常 に高 い。 17世 紀末葉 の段 階 では、碗 は 3
割前後 の割合 を占めるが、 18世 紀前葉aで お よそ 5割 、 18世 紀前葉bで 4割 強 と、 さらに高 い割合 を示 して い る。
18世 紀前葉段 階 では、磁器 の碗類 の普及が進 んでいることが うかがえる。 2号 遺構 の碗類 には、 い わゆる「 くら
わんか手」 と呼 ばれる厚手 の碗 が多 く含 まれる一方 で、比 較的薄手 で、意匠 も細かな上手 の碗 も多数み られる。
意匠 も様 々 な ものがみ られ、細 かな文様が描かれた ものか ら、 コンニ ャク判や型紙摺 りによる文様 を持 つ碗、色
絵や青磁、 自磁 の製品な ど、多様 であ り、磁器碗が浸透 してい る様相が うかがえる。
2号 遺構 の特徴 として、磁器 の皿類 の割合 が高 いこ と も挙げ られる。皿類 は、量 産品 とみ られる見込み蛇 ノ ロ
釉剥 ぎの皿 が多 いのみ な らず、伝世品の大皿や比較的上手 の皿 なども含 まれて い ることが注 目される。 18世 紀前
葉b(二 の丸地区第 5地 点 3号 土坑 )は 、全体 の点数が少 ない ため、直接比較す る こ とは難 しいか もしれないが、
皿類 の割合 では大 きく異 な っている。他 の時期 と比較 して も、2号 遺構 の皿類 の 占める割合 は高 い。上述 の よ う
に、18世 紀前葉 は陶磁器が浸透 してい く時期であ り、供膳具 にお ける陶磁器 の割合が高 い時期 で あ る。 皿類 に関
しては、肥 前産陶器 の皿 が一 定量含 まれてはい るものの、大堀相馬や小野相 馬 などの陶器 の皿 はまだ あ ま り含 ま
れてお らず 、大堀相馬 ・小野相馬 の皿が多 く出現す るよ うになる前 の段 階で ある。そ のため、 18世 紀前葉段 階 で
は、磁 器 の皿類 の需要が高 く、 18世 紀中葉以降、大堀相 馬や小野相馬などの比較的近 い地域か らよ り安価 な皿が
手 に入 るよ うになることによ り、磁器 の皿の比率 が若干低 くな るのでは ないか と推測 される。
18世 紀 中葉 の20号 土坑 ・3a層 では、磁器 の碗類が さらに高 い割合 を占めてい る。 しか し、2号 遺構 で多 く含 ま
れて いた「 くらわんか手」 の碗 は、ほぼ含 まれてい ない。 白磁 とみ られる破片が一 定程度含 まれて い ることが注
目される。磁器の碗 の需要 として、 自磁 な どの陶器では代用で きない要素 の ものでは、一定程度含 まれる もの と
推測 される。皿類の割合 は2号 遺構 ほど高 くはな らず、安定 した値 を示 して い る。
陶器 では、 17世 紀初頭か ら前葉 は、瀬戸 ・美濃や唐津 の皿 ・ 向付 など、皿類の割合が非常 に高 い。 17世 紀末葉
以降は碗類の割合 が増加 して い る。 中で も18世 紀前葉か ら19世 紀初頭 までは、多少 の増減 はあるものの、 いず れ
も碗類 は比較的高 い割合 を示 して い る。
C.産 地別 の検討
磁器 に関 しては、産地 別 の推移 を示 した図は割愛 した。 2号 遺構 では、中国磁器が 6点 含 まれて い る以外 は、
すべ て肥 前産 で ある。中国磁器 は、景徳鎮民窯系 と洋 州窯系である。20号 土坑 。3a層 では、すべ てが肥 前産磁器
で ある。17世 紀末葉以降、19世 紀 に瀬戸や切込、平清水 などの磁器が加わるまで、磁器 の大部分 を肥前産が占め、
伝世 した 中国産磁器がわずかに伴 うとい う傾向 は、18世 紀前葉、18世 紀中葉 にお いて も変化 ない もの とみ られる。
図2-11・ 表2-3は 、2号 遺構 (18世 紀前葉
1)と 20号 土坑 。3a層
(18世 紀中葉 )を 加 えて、陶器 の産地別組
成 の推移 を示 した もので あ る。
18世 紀前葉aで は、肥 前 の割合 が最 も高 く、次 いで瀬戸 ・美濃 が多 い。大堀相馬 は存在す るものの、比率 とし
てはあ ま り多 くはな く、大堀相馬 よ りも小野相馬 の割合 の方 が高 い状況 にある。大堀相馬、小野相馬 とも、大 部
分 が碗類 で あるが、小野相馬 では小型 。中型 の丸 皿、片 口鉢 、灰吹、火入、描鉢 などもわずかに確認 される。橘
鉢 には堺産 が含 まれる。 また、橘鉢や甕類、灰吹 、火入 などの器種 では、東北地方 の窯 で製作 された とみ られる
陶器 も確認 される。東北産 とした陶器 は、粗製 の胎土 で、鉄釉 を施釉 した ものであ るが、釉調や胎 土、橘鉢 の口
縁部形態 な どをみると、複数 の窯 の ものが含 まれ てい るもの と推測 される。
年報 19第 2分 冊 で も述べ てい るが、2号 遺構 出土 の相馬産 の陶器は、胎土や釉調 で、大堀相馬、小野相馬 を区
別す る ことが難 しい ものが多 い。そ の判断が付 か ない ものを、図2-11で は相馬系 として示 してい る。相馬産 の
陶器 で あ ると考 え られるが、ほとん どの ものが小野相馬にみ られるような、淡青灰色 ない し淡青灰 白色 で半失透
釉 か ら失透釉 の灰釉 の もので あ る。 18世 紀 中葉や18世 紀後葉 の製品 と比較す ると、大堀相馬 の透明度 の あ る淡緑
灰色 の灰釉 はほとん どみ られない。そのため、大堀相馬 の灰釉碗 にも、小野相馬 に似た淡青灰 白色系 の失透釉 が
用 い られて い る もの と考 え られる。ある程度器形 のわかる碗 では、高台 の削 り方、高台付 近 の釉切処理、胎 土 な
どで、大堀相馬 を識別で きる場合 もあ るが、個体差 も大 きく、焼成 の程度や部位 による違 い もあ り、破片資料 で
は、 さらに識別が困難 なものが多 い。
18世 紀前葉 の 中で も、 18世 紀前葉aと 18世 紀前葉bと では、瀬戸 ・美濃、大堀相馬、小野相馬 の比率 に大 きな違
いがみ られる。 18世 紀前葉aで は、瀬戸 ・美濃 の比 率 が比 較的高 く、大堀相馬 と小野相馬 を併せた相馬系 陶器 の
比率がそれほ ど高 くはない。そ の組成比 では、 17世 紀末葉 に比 較的近 い様相 を示 して い る。 18世 紀前葉 bは 、前
述 の よ うに、数量的 に少 ない こ とを考慮 しなければな らない資料 で あ るが、肥 前 の割合 が よ り少 な くな り、瀬
戸 ・美濃 はご く限 られた もの となって い る。 これに対 して、大堀相馬、小野相馬 を併せた相馬産陶器 が、かな り
の比率 を占めて い る。組成比 では、 18世 紀 中葉 につ なが る様相 を示 して い る。 また、 18世 紀前葉 bは 、出土 した
陶器 の特徴 をみて も、大堀相馬 の灰釉 は、 よ り透明度がある淡緑灰色系統 の ものであ り、鉄釉 流 し掛 け碗 、鉄釉
掛 け分 け碗 な ど (年 報
6)、
種類 にお い て も多様化 してお り、 よ り18世 紀 中葉 の様相 に近づいて い るのではない
か と考 え られる。
17世 紀末 に操業 を開始 した大堀相馬焼 は、操業直後 、18世 紀前葉 までの短期 間 に、急速に生産規模 を拡大 した
可能性が高 い ことが指摘 されて い る
(関 根達 人 1998)。
18世 紀前葉 の 2つ の資料群 を比較 してみて も、大堀相馬
の 陶器生産が確 立 し、そ の特徴 が よ り現 れるよ うになる時期 は、 この18世 紀前葉 の期 間で あ ろ う とい うことが推
測 され る。 18世 紀前葉aの 2号 遺構 か らは、年号 が記載 された木簡が多数供伴 してお り、享保 二年 (1717年 )か
ら享保十八年 (1733年 )ま での年号 が確認 されて い る (年 報 19第 3分 冊 )。 そ の 中で も、点数が多 いの は、享保
四年 (1719年 )か ら享保 七 年 (1722年 )で あ る。陶器が使用 される年数が どの くらいであ るのか とい った点 も考
慮 しなければな らないが、消費地 における出土状況か らは、おお よそ1720年 前後 の時期 には、大堀相馬 の陶器 は
それほ ど多 くはな く、それ以 降、18世 紀 中葉 にか けて増加す る ことが考 えられる。
18世 紀 中葉 の20号 土坑 。3a層 では、大堀相馬 の比率が最 も高 くな り、それ まで高 かった肥前 の比率 が急激に低
下 して い る。小野相馬 は、一定 の比率 を保 った状態 で あ る。大堀相馬 は、碗類 が多 いこ とに変 わ りはないが、 18
け分けや鉄釉流 し掛 けの碗 がみ られ るよ うにな り、器形では
世紀前葉 aの 2号 遺構 ではみ られなか った、鉄釉推卜
丸碗 に加 えて、腰折碗 や端反碗がみ られるな ど、碗類 に多様性 がみ られるよ うになる。また、数は少ない ものの、
折縁輪花 皿、丸 皿、火入
(ま
たは香炉)や 片 口鉢 な どの器種 も確認 される。小野相馬 で も、最 も多 いの は碗類 で
あ り、見込 み蛇 ノ ロ釉剥 ぎ丸皿や折縁 皿、火入
(ま
たは香炉 )が わず かにみ られる程度である。 これ らの資料 で
は、小野相馬 にお いて も碗類が中心 で、それ以外 の器種 はあま り多 くは含 まれて い ない。 18世 紀後葉 では、碗 と
皿 を主要 な器種 とす る大堀相馬 と、大堀相馬 と競合 しない片 口鉢 、大鉢、皿、火入 。香炉 などの器種 を主体 とす
る小野相馬 とい った器種 の上での作 り分けがみ られたが (年 報 8)、 これ らの資料 では、 まだそ の よ うな様相 は
み られない。イヽ
野相馬 にお いて、器種 の上での作 り分 けが よ り顕著 に認 め られるよ うになるのは、 18世 紀後葉頃
であろうと考 えられる。
図2-12・ 表2-4に は、2号 遺構 と20号 土坑 ・3a層 に関 して、陶器 の主体 を占める碗類 の産地別組成 を示 して
い る。2号 遺構 (18世 紀前葉 )で は、肥 前 が3割 強 と最 も多 く、次 いで小野相馬が多 い。大堀相馬 は小野相馬 よ り
少 ない状況 にあ り、大堀相馬 と瀬戸 ・美濃 はほぼ 同程度 である。大堀相 馬、小野相馬 と、相馬系 とした陶器 を併
せた割合 が、おお よそ肥前 と同 じ程度 を示 して い る。肥前では、呉来手碗 が非常 に多 い ほか、届J毛 目文 の碗が多
数含 まれて い る。瀬戸 ・美linは 、灰釉丸碗 、尾呂茶碗、御室茶碗 、腰錆茶碗 な どのほか、破片ではあるが天 目碗
や茶器 とみ られる灰釉碗 も含 まれてお り、様 々な瀬戸 ・ 美濃製品が用 い られてい たことが うかが える。大堀相馬
では、鉄釉流 し掛 け灰釉碗が い くつ かみ られるが数 は多 くな く、多 いのは灰釉丸碗 で あ る。 関根が指摘 してい る
「17世 紀末 の最 も古 い灰釉丸碗 は、体部 の丸みが強 く、高台 は小振 りで、全体 の形 としては
。
京 信楽系陶器 の丸碗 に近 い 印象 を与 える」 ものが 、 18世 紀前葉 の段 階 に も、 わず かでは あ るが含 まれて い る
(関 根 達 人 1998)、
(図 2-4の 43)。
上述の よ うに、灰釉 は淡青灰色 ない し淡青灰 白色 で半失透釉か ら失透釉の ものがほ とん どである。
瀬戸 ・ 美濃 の腰錆碗写 しで、 18世 紀 中葉以降では含 まれる灰釉 。鉄釉 の掛 け分け碗 はみ られ ない。破片資料 に、
鉄釉流 し掛 け灰釉碗 で、灰釉 ・鉄釉掛 け分け碗 の腰部にみ られるよ うな刻線 がある資料 が 1点 み られるが、灰 釉
と鉄釉 を掛 け分けた ものでは ない。小野相馬 も灰釉碗が多 く、鉄釉流 し掛 け灰釉碗や鉄絵灰釉碗が い くつ かみ ら
れる。
20号 土坑 。3a層 になる と、大堀相馬 の碗類 の比 率 が 高 ま り、碗類 の うち 6割 程度 を占めるよ うになる。それ ま
で多 かった肥前 は急速 にその割合 が減 り、瀬戸 ・美濃 の割合 も減少 して い る。小野相馬 の割合 はほぼ変化 はみ ら
れず、大堀相馬が急速 に成 長 し、その需要 を伸 ば して い る ことが うかが える。 京 。信楽 は高級陶器 として一 定 の
需要があるためか、低 い なが らも一定 の割合 を保 って い る。大堀相馬 では、碗 の種類 が増 えて い ることが注 目さ
れる。灰釉丸碗、鉄釉流 し掛 け灰釉碗 が多 く、鉄釉流 し掛 けの腰折碗が加 わ り、腰部 に刻線 が あ る鉄釉流 し掛 け
灰釉碗 もみ られる。確実 な ものは 1点 のみではあるが、2号 遺構 にはみ られなかった灰釉 ・鉄釉掛 け分 け碗 が加
わるよ うになる。灰釉 は、透 明度がある淡緑灰色系 の ものが多 く、2号 遺構 で多 かった淡青灰色 で失透釉 の もの
はほ とん どみ られない。 ご くわず かではあ るが、灰釉が自濁 して糠 白釉 に近 い発色 をして い るもの も含 まれて い
る。小野相馬では、灰釉丸碗 のみで、鉄釉流 し掛 けや鉄絵 の碗 はみ られな くな る。瀬戸 ・美濃 は、腰錆碗が 1点
と灰釉碗がみ られるのみで、2号 遺構 と比べ ると、碗 の種類 は少 な くな る。肥 前 には、呉来手碗 が い くつ かみ ら
れる程度 である。
大堀相馬 の鉄釉流 し掛 け灰釉碗 は、瀬戸 ・ 美濃 の尾 呂茶碗 を写 した もの と考 え られる (年 報
7)。
18世 紀前葉
の 2号 遺構 では、瀬戸 ・美濃 の尾呂茶碗が い くつ か出土 してお り、そ れ とと もに大堀相馬 の鉄釉流 し掛 け灰釉碗
も少量 なが ら出土 してい る。 しか し、大堀相 馬 の シェアが高 まる18世 紀中葉 にな り、大堀相 馬 の鉄釉流 し掛 け灰
釉碗 が多 くみ られるよ うになると、本家 で あ る尾呂茶碗 は含 まれな くなる。 また、大堀相馬の灰釉 。鉄釉掛 け分
け碗 は、瀬戸 ・ 美濃 の腰錆茶碗 を写 した もの と考 えられて い る (年 報 7)。 瀬戸 ・ 美濃 の腰錆茶碗 が出土 す る 2
号遺構 の段 階には、大堀相馬の灰釉 。鉄釉掛け分け碗 は出土 して い ない。 18世 紀中葉 にな り、大堀相馬 の灰釉 。
鉄釉掛 け分 け碗 が含 まれるようになると、瀬戸 ・美濃 の腰錆茶碗 もわず かに含 まれるものの、限 られた もの とな
ってい る。 この よ うに、大堀相馬 は、瀬戸 ・美濃や肥前 などの陶器製品 の需要 を うま く取 り込 みなが ら、その生
産規模 を拡大 させて い った様相 が うかがえる。
これ らをふ まえて、陶器全体 の産地別組成 をまとめると、次 のよ うになる。 17世 紀初頭か ら前葉 には、肥 前 と
瀬戸 ・美濃 でほぼ 占め られ、三分 される状況であった。 17世 紀末葉 には、呉来手 などの碗 を中心 に肥 前が 4割 か
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図2-1 武 家屋敷 地 区第 7地 点 2号 遺構 出土磁器 (1)
Fig.2-l Porcelains from No.2 structural remains at BK7(1)
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図2-2 武家屋敷地 区第 7地 点 2号 遺構 出土磁器 (2)
Fig.2-2 Porcelains from No.2 structural remains at BK7(2)
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図2-3 武 家屋敷 地 区第 7地 点 2号 遺構 出土磁器
(3)
Fig.2-3 Porcelains from No.2 structural remains at BK7(3)
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図2-4 武家屋敷地 区第 7地 点 2号 遺構 出土陶器 (1)
Fig.2-4 Glazed ceramics from No.2 structural remains at BK7(1)
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図 2-6 武家屋敷地 区第 7地 点 24号 土坑 出土陶磁器
Fig.2-6 Porcelains and glazed cerarnics from No.24 earthen pit at BK7
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図2-7
Fig.2-7
武家屋敷地 区第 7地 点 20号 土坑 03a層 出土陶磁器
Porcelains and glazed cerarnics from No.20 earthen pit and 3a
CT207
0
1ayer at BK7
10
17世 紀初頭∼前葉
‐
17世 紀末葉
□
18世 紀前葉
磁器
陶器
■
18世 紀中葉
漆器 ・木器
18世 紀後葉
19世 紀前葉∼中葉
図2-8 仙 台城跡 二 の 丸地 区 出土供膳 具 (碗 類 )の 材 質
Fig.2-8 Materials of table ware(bowiS)frOm the second citadel of Sendai Castle
17世 紀初頭∼前葉
17世 紀末葉
18世 紀前葉
□
18世 紀中葉
■
磁器
陶器
漆器 ・木器
18世 紀後葉
19世 紀前葉∼ 中葉
図2-9
Fig.2-9
仙 台城跡 二 の 丸地 区出土供膳具 (皿 類 )の 材 質
R/1aterials of table ware(diShes)fron■ the second citadel of Sendai Castle
表 2-1 仙 台城跡 二 の丸地 区 出土供膳具 (碗 ・ 皿 類 )の 材 質別 出土点数
Tab.2-l Count of bowis and dishes fron■ the second citadel of Sendai Castle
期
資
皿
類
碗
時
碗 ・皿識別不明
類
料
磁器
17世 紀初頭∼前葉
NM9 7・ 8層 、I期 遺構
17世 紀末葉
NM5北 区Ⅶ・Ⅵ・V層
18世 紀前葉
BK7 2号 遺構
18世 紀 中葉
BK7 20号 土坑 。3a層
18世 紀後葉
NM9 15・ 16号 土坑
19世 紀前葉∼ 中葉
NM9 1号 池
漆器等
陶器
合計
磁器
漆器等
陶器
陶器
25(19)
7
638
磁器
4
4
252
合計
222
202
208(8)
1
陶器 の 向付 や漆器 の椀 蓋 は皿 と して用 い られ る場 合 が多 い と考 え皿 の 数量 に含 め て い る。
(
)内 の 数値 は、皿 に含 め た蓋 類 の 数。
10%
20%
30%
40%
磁
器
50%
60%
70%
80%
90%
100%
17世 紀初頭 ∼前葉
17世 紀末葉a
17世 紀末葉b
18世 紀前葉a
■ 碗類
18世 紀前葉b
□ 皿類
□ 碗 皿不 明
18世 紀中葉
■ 鉢類
18世 紀後葉
団 袋物類
圏 その他
18世 紀末葉 ∼ 19世 紀初頭a
□ 器種不明
18世 紀末葉 ∼19世 紀初頭b
□ 混入
19世 紀中葉a
19世 紀中葉b
陶
10%
20%
30%
器
40%
50%
60%
70%
80%
90%
100%
17世 紀初頭 ∼前葉
17世 紀末葉a
17世 紀末葉b
18世 紀前葉a
■ 碗類
□ 皿類
18世 紀前葉b
18世 紀中葉
□ 碗皿不明
■ 鉢類
18世 紀後葉
E]発 類
匿ヨ袋物類
18世 紀末葉 ∼19世 紀初頭a
巫 その他
18世 紀末葉 ∼19世 紀初頭b
□ 器種不明
19世 紀中葉a
19世 紀中葉b
図2-10 仙 台城跡 二の 丸地 区出土陶磁器 の器種 組成比率
Fig.2-10
Histograms of porcelains and glazed ceranlics fronl the second Citadel of Sendai Castle
表 2-2
Tab.2-2
仙 台城跡 二 の丸地 区出土陶磁器 の器種 別 出土点数
Counto of porcelains and glazed ceranlics fronl the second citadel of Sendai Castle
磁
碗類
皿類
袋物類 その他
鉢類
17世 紀 初頭 ∼ 前 葉
NM9 7・
17世 紀 末 葉 a
NM5 1ヒ 区 Ⅶ・Ⅵ層
0
17世 紀 末葉b
NM5 4号 土坑、北区V層
0
18世 紀前葉 a
BK7 2号 遺構
18世 紀前 葉b
NM5 3号 土坑
18世 紀 中葉
BK7 20号 土坑・3a層
18世 紀 後葉
NM9 15・ 16号 土坑
18世 紀 末葉 ∼ 19世 紀 初頭 a
NM9 2号 池
混入
合計
碗類
0
16号 溝
8層 、
l
7
1
NM17 3層 一 括
1
NM5
1
1
19世 紀 中葉b
NM9
1号 池
5
1
1
鉢類
甕類
1
l
1
7
1
5
7
4
1
9
1
l
44 (
l
0
1乏
0
l
0
‐
合副
1
3
l
l
袋物類 その他
1
0
1
18世 紀 末葉 ∼ 19世 紀 初頭 b
皿類
器
4
l
1
1〔
19世 紀 中葉 a
2号 池
陶
器
種明
器不
料
皿明
碗不
資
種明
器不
期
皿明
碗不
時
1
1
9
1
1
5
4
5
7
17世 紀初頭 ∼前葉
17世 紀末葉a
17世 紀末葉b
18世 紀前葉a
18世 紀前葉b
18世 紀中葉
18世 紀後葉a
18世 紀後葉b
18世 紀末葉∼19世 紀初頭a
18世 紀末葉 ∼19世 紀初頭b
19世 紀 中葉 a
19世 紀 中葉b
産地 不明
平清 水
堤
そ の他
堺
東北 産
相馬 系
仙 台城跡 二 の 丸地 区出土陶器 の産地 別 出土点数
Count of glazed cerarnics fronl the second citadel of Sendai Castle by producing district
17世 紀初頭 ∼前葉
NM9 7・ 8層 、16号 溝
17世 紀末葉a
NM5 Jヒ 区Ⅶ・Ⅵ層
17世 紀末葉b
NM5 4号 土坑、北区 V層
18世 紀前葉a
BK7 2号 遺構
18世 紀前葉b
NM5 3号 土坑
2
18世 紀中葉
BK7 20号 土坑、3a層
5
18世 紀 後葉 a
NM9 16号 土坑埋±4層 以下
18世 紀 後葉b
NM9 15号 土坑埋±4層 以下
18世 紀末葉 ∼19世 紀初頭a
NM9 2号 池
18世 紀末葉 ∼19世 紀初頭 b
NM17 3層 一 括
19世 紀 中葉 a
NM5 1・ 2号 池
19世 紀中葉b
NM10 2区 Ⅲ -2b・
1
中国
1
0
0
相馬系 東北産
その他
堺
0
0
0
1
2
1
平清水
堤
7
0
0
1
0
7
3
274
1
2c・
3・
4層
1
2
1
地 明
産 不
肥前
野 馬
小 相
料
堀馬
大相
資
京麟
期
戸濃
瀬美
時
小野 相馬
仙 台城跡 二 の 丸地 区出土陶器 の産地別組成比率
cerarnics frorn the second citadel of Sendai Castle by producing district
表 2-3
Tab.2-3
大堀 相 馬
Histogram
z
a
- 11
中国
一 Fig.2
京 ・信 楽
瀬 戸 ・美 濃
︲
g
殴f
肥前 ︵
唐 津 含 む︶
■ 囲 国 □ □ □ □ □ □ ■ □ 圃 □
合計
2号 遺構
(18世 紀前葉)
20号 土坑・3a層
(18世 紀中葉)
産地不明
相 馬系
小 野相 馬
大堀相馬
京・
信楽
瀬戸・
美濃
︵
唐 津 含 む︶
肥前
■ 国 目 □ □ □ □
図2-12 武家屋敷地 区第 7地 点 出土陶器碗類 の産地別組成比率
Fig.2-12 Histgrarns of bowis of glazed ceramics frorn BK7 by producing district
表 2-4 武家屋敷 地 区第 7地 点 出土陶器碗類 の産地別 出土点数
Tab.2-4 Count of bowis of glazed ceranlics frorn]3K7by producing district
料
18世 紀前葉
BK7 2号 遺構
18世 紀 中葉
BK7 20号 土坑・3a層
肥前
4
野馬
小相
資
堀馬
大相
期
戸濃
瀬美
時
相馬系
示
信楽
不明
合計
1
ら 5割 を占める。 一方 で、瀬戸 ・美濃 の割合 がかな り減少 して い くが、図2-8で もわかるよ うに、代 わって肥前
磁器が浸透 して い くため と考 え られる。 17世 紀末葉 になると、一部 で大堀相馬 の陶器が出現す るが、灰釉丸碗 の
みで、出土量 も少 ない。 18世 紀前葉 aで は、 17世 紀末葉 の様相 を残 しつつ も、肥前が さらに少 な くな り、大堀相
馬 とと もに小野相馬が加 わるな どの変化が み られる。 18世 紀前葉bの 段階 では、 よ り18世 紀中葉 に近 い様相 を示
す よ うにな り、肥前 はさらに減少 し、大堀相馬が急激 に増加 してい る。大堀相馬 の比率 が高 まると、大堀相馬 と
競合関係 にある瀬戸 ・美濃 は、 出土量が減少 して い る ことが よ くわかる。 18世 紀中葉以降、大堀相馬 が陶器 の主
体 を占めるよ うになる。 18世 紀 中葉 には、肥前 の割合 も減少 し、その分、大堀相馬や小野相馬が比率 を伸 ば して
い る。 18世 紀 中葉 の段 階 では、小野相馬 は碗類が主体 で、他 の器種 も出土 して い るものの、 数 は非常 に少 ない。
小野相馬が碗類以外 の器種 を積極的に生産す るよ うになるのは、 18世 紀後葉頃であ ろ う と考 え られる。肥前、瀬
戸 ・美濃 は、 あ ま り高 くない割合 なが らも、19世 紀初頭 まで一 定量出土 して い る。京 。信楽 は、各期 を通 して出
土 して い るが、 18世 紀後葉 にはその比 率 が高 まってい る。 18世 紀第 2四 半期 ∼ 第 3四 半期 に京焼 が量産品の生産
を本格化 させ た と考 え られ (赤 松和佳2006)、 信楽焼 も18世 紀 中頃 を上限 として、京焼風 の碗類 の生 産 を本格化
し始めた と考 え られて い る (畑 中英 二2003)。 18世 紀後葉 に京 。信楽 の比 率 が高 まるのは、 この よ うな動 きが影
響 してい るため と考 え られる。小野相馬 は、18世 紀末葉 か ら19世 紀初頭 で減少 し、 19世 紀中葉 にはみ られな くな
る。それ と符合 して、仙台 の堤 が出現 して い る。堤 に関 しては、窯跡 の調査 がなされてお らず、考古学的にはそ
の実態が わかって い ない。そのため、そ の 出現 の時期 に関 して も、 さらにさか のぼる可能性 も含 まれて い る。 19
世紀中葉 になる と、大堀相馬 が陶器 の大多数 を占めてお り、陶器 は東北地方 の窯 の製品でほぼ 占め られて い るよ
うな状態 になる。
小結
武家屋敷地区第 7地 点 の 出土資料 によって、18世 紀前葉 の陶磁器 の様相 が明 らか となった。特 に、大堀相馬 と
小野相馬 の陶器 では、両者 を区別す る特徴 が 明確 でない資料 も多 くみ られた。両者 の特徴が明確 になって くるの
は、 18世 紀 中葉頃で あ り、器種 の上での作 り分けが明確 になるのは18世 紀後葉頃で ある。生産開始期、あるい は
生産拡大期 の両者 の 関係 を考 える上 で、今 回の資料 は重 要 であ る。
また、橘鉢や壺 ・ 甕類 、火入 。灰吹 。香炉 な どの器種 では、東北 地方 の窯 で生 産 された可能性が考 え られ る陶
器 が含 まれて い る。 これ らの窯 は、おそ らく 1つ ではな く、複数 の窯 の製品が含 まれて い るもの と考 え られ る。
また、 18世 紀前葉 以降の年代 の資料 に も一 定程度含 まれ てお り、 これ らの陶器が一体 どこの窯 で生 産 された もの
で あ るかは、今後 の課題 として残 されてい る。
② 土師質土器・ 瓦質土器
仙台城跡出土 の土師質土器 ・瓦質土器 の変遷 については、年報 9に お いて、それ まで出土 した一括資料 を中心
に検討 が なされて い る。そ こでは、良好 な資料 に欠け る時期 があるものの、仙 台城跡出土 の土師質土器 ・瓦質土
器 の様相 や画期が考察 されて い る。
その後 、仙台城跡 の二の丸地区や北方 の武家屋敷地区では、本年報 で報告す る武家屋敷地区第 7地 点 の調査 の
ほか、 い くつ かの調査 が行 われた。特 に、武家屋 敷地区第 7地 点 の 2号 遺構 は、供伴す る木簡 の記載内容 か ら、
享保年 間の ご く限 られた時期 の廃棄土坑 で あ ることが考 えられる。 2号 遺構 か らは、大量の土師質土器 の皿が 出
土 してお り、それ以外 に も焼塩壺 ・焙烙 ・規炉 ・火鉢 など、 さまざまな種類 の土師質土器や瓦質土器が出土 して
い る。 これ らは、出土遺物 の検討 か ら、二の丸 か ら排 出され たごみが廃棄 された ものであ ろ うと考 えられてい る
(年 報 19第
1分 冊)。
ここでは、2号 遺構 出土 の一括資料 を中心 に、年報 9で の考察 に18世 紀前葉 の土 師質土器 ・瓦質土器 の様相 を
追加 して い きたい。 また、それ以外 に も、二の丸地区第17地 点や、武家屋敷地区第 4地 点 の資料 など、出土点数
は少 ない ものの、 出土状況か ら時期が限定 される資料 も確認 されてい る。 これ らについて も、必要 に応 じて触れ
て い き、仙台城跡 出土 の土師質土器 。瓦質土器 の様相や変遷 について、考察 してい く。
A.資 料 の概要
年報 9で は、年代 が限定で きる 9資 料群 を提示 し、「仙台城跡 出土 の皿類以外 の土師質 ・瓦質土器 の変遷」 を
示 して い る (年 報 9図 90)。 図2-18∼ 図2-20は 、 この変遷図 に、その後 の調査 で 出土 した一括資料 を追加 して
作成 した ものであ る。追加 した資料 の概要 は、 次 の通 りであ る。 なお、年報 9で 示 した資料群 の説明や集成図 に
つい ては、年報 9と それぞれの調査 の年報 を参照 されたい。
17世 紀初頭 ∼前葉 :武 家屋敷地区第 7地 点
18世 紀前葉 :武 家屋敷地区第 7地 点
14号 土坑
2号 遺構
18世 紀末 ∼ 19世 紀初頭 :二 の丸地区第17地 点 3層
二の丸地区第17地 点 14号 土坑
二の丸地区第17地 点2号 溝
武家屋敷地区第 7地 点 の 2号 遺構 は、出土遺物 の検討 か ら、二の丸 か ら運ばれた ゴ ミが廃棄 された もの と考 え
られる。そ のため、出土遺物 は、二 の丸地 区の様相 を反映 して い る もの と考 え られ る。図2-13∼ 図2-15に は、
2号 遺構 出土 の土 師質土器、瓦質土器 をまとめて示 してい る。
武家屋敷地区第 7地 点 の14号 土坑 は、遺構 の詳細 な性格 はわか らないが、武家屋敷 に伴 う遺構 で あ ろ うと推測
される。
二の丸地区第17地 点 の 3層 につい ては、文化元年 (1804年 )に 落雷 のため二の丸 がほぼ全焼 してい る ことが文
献記録 か ら知 られてお り、文化元年 の火災後 の、再建 工事 に伴 う整 地層 と考 えられる。 2号 溝 は、埋土 に多 量 の
炭化物 を含み、陶磁器類が一括 して出土 して い る。 文化元年 の火災 によ り、二の丸建物群 が全焼 した後、3層 の
整地 を行 う以前 の片付 けの際 に、臨時的 に構築 された溝 で あろう と考 えられる。 14号 土坑 は、検出状況 か らゴ ミ
穴 と考 え られて い る
(年 報 18)。
武家屋敷地区第 4地 点か らも、1号 溝 (17世 紀前半主体 )、
3号 池A∼ F(17世 紀中葉 主体
)、
2号 池埋± 6∼
4
層 (17世 紀末 ∼ 18世 紀前葉)、 10号 土坑 (18世 紀後葉 ∼ 19世 紀前半)な ど、遺構 の検 出状況か ら時期 が比較 的限
定 で きる資料が確認 されて い る。 しか し、やや広めの年代幅 で とらえ なければな らない遺構 もあ り、図2-18∼
図2-20の 変遷 図 には入れず、図2-16に ま とめて い る。 武家屋敷地区第 4地 点 は、比較的上級 の家臣の屋敷地 と
して使 われた場所 で ある ことがわかってお り
(年 報 13)、
出土遺物 もこれ らの屋 敷地 に伴 うもの と考 えられる。
B.時 期 ごとの 出土状況の変化
上述の資料 を加 えた上で、時期 ご との出土状 況 の変化 について、 図2-18∼ 図2-20を もとに、述べ て い く。
17世 紀初頭 ∼前葉 では、土 師質土器 の皿 ・耳皿 。灯火具 。焼塩壺 ・鉢 ?。 内耳 の部分 と思われる破片や、瓦質
土器 の火入 。橘鉢 ・火鉢 ・変形鉢 ?・ 風炉 ?な どがみ られた。武家屋敷地区第 7地 点 14号 土坑か らは、瓦 質 の橘
鉢 (図 2-18の
9)と 対蝸
(図 2-20の
1)力 功口えられる。 この時期 は、全 体 に遺物量が さほ ど多 くない傾向にあ
り、土器類 の 出土量 も少 ない。 14号 土坑 にお いて も、土器類 の 出土量 は少 ない傾向にある。そ の 中で、瓦質橘鉢
は 7破 片 が出土 してお り、比較的多 い点数 と考 え られる。武家屋 敷地区第 4地 点 1号 溝 か らも、瓦 質 の橘鉢
(図
2-16の 1∼ 3)が 出土 してい る。瓦質土器 の揺鉢 は、 この時期 に比較的多 くみ られる器種 と考 え られる。 しか し、
この時期以降 はほ とん ど出土 してお らず、代 わって陶器 の橘鉢 の 出土が多 くな って い くもの と考 えられる。
17世 紀末 ∼ 18世 紀初頭 (元 禄年 間)の 資料 では、土器類 の 出土量が前代 と比べ て多 くな る。中で も、土師質土
器 の皿の 出土量が増加 してい る。他 の器種 は皿 に比 べ ると少ないが、土 師質土器 の耳皿 ・焼塩壺 ・鉢 ?や 、瓦 質
土器 の火鉢が認め られる。
18世 紀前葉 にお いて も、皿が大多数 を占め、他 には瓦 質 の火鉢が認め られる程度 で あ った。 しか し、武家屋 敷
地区第 7地 点 2号 遺構 の 出土遺物が加 わ り、 18世 紀前葉 の様相 が大 きく変わる ことが 明 らか となった。 2号 遺構
では、皿が大多数 を占める傾 向 に変 わ りはないが、土師質土器 の焼塩壺 ・焙烙 ・鉢類 ・風炉 ・規炉風 口・輔羽口
や、瓦 質土器 の規炉 ・火消壺 ?・ 火鉢 など、今 までに確認 されてい なか った器種 も多数出土 して い る。年報 9で
は、 18世 紀後葉 の資料 で、皿以外 の器種 も増加 して くる こ とが指摘 されて いたが、 18世 紀前葉 の段 階 で、 す でに
器種が増加す ることが考 え られる。 また、土師質土器 の焙烙 については、 18世 紀後葉 の段 階 でフライパ ンの よ う
な形態 を した ものが 出現す る ことがわかって いたが、それ以前 の時期 では、焙烙 は確認 されて い なかった。 2号
遺構 か らは、内耳 を有す る丸底 の もの (図 2-15の CH156)と 、内耳 がな く丸底 の もの (図 2-15の CH160 0 162)
の 2つ の種類 の焙烙が確認 されてお り、仙台城跡 にお いて、 18世 紀前葉 の段階 で焙烙が存在す ることが 明 らか と
なった。 これ らは、 18世 紀後葉 のフ ライパ ン形 の焙烙 とは、形態的に大 きく異 なるもので ある。特 に、 内耳 の あ
る焙烙 は、 中世 の土鍋である内耳土器 に起源 を有 す る (江 戸遺跡研究会2001)も ので あろうと考え られる。
18世 紀後葉 では、前段 階の時期 か ら認め られる皿 ・耳皿 ・焼塩壺 ・鉢 ?・ 焙烙 に加 えて、 ミニチ ュアと思われ
るものが存在 して い る。皿が大多数 を占めることに変 わ りはない。前述 の よ うに、焙烙 はフライパ ンの よ うな形
態 を した もので あ る。瓦質土器 では、火鉢 。手久 り・規炉 ?が 認 め られる。
18世 紀末 ∼ 19世 紀初頭 では、皿が多数 を占めるほか、瓦 質土器 の蚊遣 りが出現す ることが指摘 されて い る。 二
の丸跡 第17地 点 の 3層 。14号 土坑 ・ 2号 溝 か らは、焼塩壺や、火鉢 Al類 が出土 して い る。 これ らは、前後 の時
期 との空 白を埋 める重 要 な資料である。
19世 紀 中葉頃の資料 では、 出土例が多 く、器種が さらに増加 してい る。土 師質土器 では五徳、瓦質土器 では炭
櫃 。十能 な どが、 この時期 に新 たに認 め られる。 また、火消壺 は18世 紀前葉 の資料 に もみ られたが、 19世 紀中葉
頃の資料 では、器形が異 なる ものが確認 されて い る。
C.各 器種 の変遷
a.
皿
土師質土器 の皿 については、 日縁 もしくは底部外周 の 6分 の 1以 上が残存 し、なおかつ器高が判明す る もの、
す なわち口縁端部か ら底部 までが残 ってお り、 日径 ・底径 ・器高が計測 で きるものを抽出 し、以下 の よ うな分析
を試みて い る。 日縁 もしくは底部外周が 6分 の 1以 上残 って い るものを抽出基準 としてい るのは、経験的 に、 日
径 もしくは底径 を復元す る ときに、安定 した数値 を得 られるであろ う とい う判断 によるものである。
皿 は、近世 を通 じて、 ロクロ整形 で、底部 を回転糸切 りす る方法 で製作 されてお り、手づ くねの ものはみ られ
ない。底部 を回転糸切 りし、再調整 を施 さない もの (A類 )と 、 ロク ロ整形 で、底部 を回転糸切 りした後 に、外
面 に ミガキによる再調整 を加 える もの (B類 )と が存在する。 17世 紀初頭 ∼前葉 の資料 では、B類 は認 め られず 、
全 てがA類 で ある。 17世 紀末 ∼18世 紀初頭 の段 階以降、A類 ・B類 ともにみ られるよ うになるが、A類 の割合 が圧
倒 的 に多 い。A類 とB類 の比 率 につい ては、遺物集計 の段 階 で、両者 を区別 して集計 して い ない ため、その全 体
量 を示 す ことがで きない。 しか し、上記 の基準 で抽 出 した後 の資料 では、 図2-21・ 図2-22に A類 、B類 を区別
して示 してお り、 おお まかな傾 向 は読み取 れる もの と考 え られる。 いず れの時期 で も、A類 の点数が多 いが、 17
世紀末以降、B類 も一 定程度含 まれるようで ある。
図2-21・ 図2-22は 、各時期 の一括資料 について、日径 と器高 の法量分布 を示 した もので ある。年報 9で 示 し
た ものに、武家屋敷地区第 7地 点 2号 遺構 出土 の18世 紀前葉 の資料 を加 えて作成 してい る。18世 紀前葉 の資料 は、
これ まで資料数が少 なかったため、その様相 が 明確 でなかった時期 で あ る。
皿の口径 は、点数 によって明確 でない資料群 もあるが、おお よそ10cm以 下 の小型 の もの、 10∼ 15cm程 度 の 中
型 の もの、 15cm以 上の大型 の ものの 3つ に大別 で きる。 17世 紀初頭 ∼前葉 の資料 では、 資料点数 が少 ない ため
か、分布 が集 中す る ところはあ ま り明確 ではない。 しか し、三 の丸跡 I期 では、 15cm以 上の大型 の もの と、 中
型 の ものがみ られ、二 の丸跡第 9地 点 I期 では、小型 と中型 があるとい えるだろう。他 の時期 ほ ど明確 ではない
ものの、小型 。中型 。大型 の作 り分 け はあ った もの と考 えられる。
17世 紀末 ∼ 18世 紀初頭 の時期 では、小型 。中型 ・大型 の作 り分けが よ り明確 になってお り、中型 の ものが最 も
点数が多 い。 この よ うな傾 向 は、以後、 18世 紀後葉 や 18世 紀末 ∼19世 紀初頭 の資料 まで同様 であ る。
中型 の ものについては、 18世 紀前葉 の資料 では、 さらに 3群 に分 け られるもの と考 えられる。武家屋敷地区第
7地 点 2号 遺構 では、 中型 の うち、日径がおお よそ1lcm前 後、 12∼ 13cm、
13cmが 最 も多 くな って い る。 これ らの まとま りは三 寸半
(約 10.6cm)、
13∼ 14cmに まとま りがみ られ、12∼
四寸 (約 12.lcm)、
四寸半 (約 13.6cm)
とい った大 きさに相 当す る可 能性 が考 え られ、口径 に この よ うな規格 があった こと も推測 される。 また、年報 9
にお い て、 中型 の 中 に、器高 が 2cmに 満 たない浅 い ものが少数 なが ら存在す ることが指摘 されて い た。武家屋
敷地区第 7地 点 2号 遺構 の資料 にお いて も、器高が 2cm以 下 の浅 めの皿が、少数なが らも確実 にみ られる。
18世 紀後葉 の 資料 になる と、 日径 13∼ 14cm前 後 の まとま りは、点数が少 な くな り、散漫 な分布 に変化 して い
る。 二の丸跡第 9地 点 16号 土坑では、日径 12cm前 後 に最 も集中がみ られ、日径 1lcm前 後 には ミガキ調整がなさ
れ るB類 が 集中 してみ られる。 二の丸跡第 9地 点 15号 土坑では、中型全体 の分布 の 中心が 口径 11∼ 12cmに あ り、
A類 、B類 ともに、 ここに集 中 して い る。
18世 紀末 ∼ 19世 紀初頭 の うち、二の丸地区第 9地 点 2号 池・3c層 。3b層 の資料 では、 中型 の ものが多 いが、全
体 に分布 が散漫 で、際 だった集 中 はみ られない。 二の丸地区第 17地 点 2号 溝 。14号 土坑や 3層 。3層 一括 では、
小型 と中型 のみで、中型 の ものは、 日径 11∼ 13cmに 集中 して い る。 18世 紀末 ∼ 19世 紀初頭 の資料 以降、器高は
全体 にやや浅 くなる傾 向がみ られる。
19世 紀 中葉 の二の丸第 9地 点 1号 池 ・3c層 ・3b層 の資料 では、日径 10cm前 後 に分布 の集中がみ られる。それ
以前 の時期 まで中心であった口径 H∼ 12cmの ものが、やや小型化 し、 ここに分布 の 中心 を移 した もの と考 え ら
れる。 また、やや散漫ではあるが、日径 13cm前 後 に もま とま りがみ られる。 また、 これ らとは別 に、日径20cm
に近 い大型 の ものが存在 してい る。
小型 の ものについ ては、 18世 紀前葉や18世 紀後葉 の資料 では、 さらに 3群 に分け られ る もの と考 えられる。多
少 のば らつ きはある ものの、おお よそ口径5.5∼ 6cm、
ろ う。 これ らは、それぞれ口径 二寸
(約 6.Ocm)、
7cm前 後、8.5∼ 9.5cm程 度 の まとま りが とらえられるであ
二寸半
(約 7.6cm)、
三寸
(約 9.lcm)に
あ たる可能性が考 え ら
れる。 17世 紀末 ∼ 18世 紀初頭 の 資料 につい ては、8.5∼ 9.5cmに 1つ の まとま りがみ られ るが、それ よ り小 さい も
のの 出土が少 ない ため、 あ ま り明確 ではない。
ミガキ調整 が な されるB類 については、元禄年間以降に出現 して い る。小型、中型、大型 の それぞれが存在す
るが、 17世 紀末 ∼ 18世 紀初頭 の段 階 では、 点数が少 ないこ ともあ り、特 に分布 が集中す るところはみ られない。
次 の18世 紀前葉 と18世 紀後葉 の時期 では、 口径 11∼ 12cmに 分布 の集中がみ られるよ うになる。 18世 紀前葉 では
分布 はやや散漫 で あるが、 18世 紀後葉 では、その傾向は顕著 になってい る。 18世 紀後葉 の 中で も、二の丸跡第 9
地点 16号 土坑では口径 1lcm前 後 に集中があ り、二の丸跡第 9地 点 15号 土坑 では11∼ 12cmに 集中が み られ、若干
の差がみ られ る。 また、 二の丸跡第 9地 点 15号 土坑では、 数 は少 ない ものの、小型の口径 9∼ 10cmに も集中が
認 め られそ うで ある。 二の丸跡第 5地 点3号 土坑では、日径20cmに 近 い大型 の もの もみ られる。 18世 紀末 ∼ 19世
紀初頭や 19世 紀中葉 の資料 では、B類 は器高 の低 い ものに多 くみ られるよ うになる。
次 に、皿A類 について、底部 の 回転糸切 りの技法 と、 回転方向について、 18世 紀前葉 の武家屋敷地区第 7地 点
2号 遺構 を加 えた時間的変化 につい て検討 して い く。技法aと した ものは、通常み られ る回転糸切 りで、 糸切 り
痕跡 の 中心 が、 どち らか一方 に片寄 り、そ こか ら外側 に抜 けて い くもので あ る (図 2-13の 74)。 技法bと した も
の は、 中心が底面 のほぼ 中央 に位置 し、 糸 の圧痕 と思 われる ものが 、 この 中心 か ら弧状 に残 る もので あ る (図
2-13の 60)。 時期 ごとに、糸切 り技法 とロク ロの 回転方向の違 いの割合 を示 したのが、図2-24で ある。
技法bは 、 17世 紀初頭 ∼前葉 の資料 にはみ られず、 17世 紀末 ∼ 18世 紀初頭 にわず かに出現す る。 18世 紀後葉以
降では、技法bは 、技法aと ほぼ同程度 の割合 を占めるよ うになることが指摘 されてい たが、18世 紀前葉 の段 階 で、
技法bの 割合 が増加 してい る ことが認 め られる。
技法aの 中での 回転方向の違 いでは、 17世 紀初頭 ∼前葉 か ら18世 紀後葉 では、左 回転が多数 を占めてお り、 18
世紀末 ∼ 19世 紀初頭 の資料以降、右 回転が多 くな る。18世 紀前葉 の資料 で も、この傾向に矛盾す る ことはないが、
17世 紀末∼ 18世 紀初頭 では技法aの 左 回転が圧倒的に多 かった こ とに対 して、18世 紀前葉 では技法a左 回転 の割合
は激 減す る とい った変化がみ られる。技法bで は、 18世 紀後葉以降、左 回転が多数 を占めて い るが、 18世 紀前葉
の段 階では、右 回転 の比 率 が高 い とい った違 いがみ られる。底部 の 回転糸切 り技法につい ては、18世 紀前葉 の資
料 は、主体 を占める技 法 が17世 紀末 ∼18世 紀初頭か ら大 きく変化 した時期 で ある と考 え られる。
土師質土器 の皿 には、ススや タール状 の付着物が観察 されるものがあ り、 これ らは灯火具 として使用 した痕跡
と考 え られ る。 スス な どの付着 の割合 を示 して い るのが 図2-23で あ る。武家屋敷地区第 7地 点 2号 遺構 では、
B類 での付着率 が 高 くな って い るが、 A類 と比較 して、 B類 の抽 出点数が全体で19点 と極端 に少 ない ため、付着
物があ る もの 1点 に対す る割合 が高 くなって い る ことが考 えられ、安定 した数値 を示 した ものでは ない と考 えら
れる。A類 、あるい は A類 とB類 を合 わせ た数値 でみると、17世 紀初頭 ∼前葉 の資料 では、付着率 が非常 に高 く、
時期が下 るとと もに、付着率が減少 してい くとい う傾向 (年 報 9)に 、18世 紀前葉 の資料 も矛盾 はない もの と考
え られる。 18世 紀前葉 の資料 は、次 の18世 紀後葉 の資料 よ りも付着率が低 くな って い るが、 これは武家屋 敷地区
第 7地 点 2号 遺構 の性格 による もの と推測 される。 2号 遺構 は、二の丸か ら排 出された ゴ ミが捨て られた廃棄土
坑 で あるが、 白木 の箸 な どとと もに大量 の土 師質土器 の皿 が出土 し、二の丸 での饗宴 で使 われた後 の ゴ ミが廃棄
されて い る もの と推測 される。そのため、饗宴 で使 われた後、灯火具 として再利用 されず に、その まま廃棄 され
た ものの割合が、他 の遺構 に比 べ て高 いのであろうと考 えられる。
b.焼 塩壺
焼塩壺 については、年報 7に お いて、仙台城 と仙台藩領内出土資料 を元 に、 ロクロ整形 の焼塩壺が、地元 で生
産 された可能性 を指摘 してい る。 また、年報 9で は、仙台城 出土 の地元産 と考 え られる焼塩壺 について、分類 と
編年 を示 してい る。この分類 と編年 に、二の丸地区第17地 点や、武家屋敷 地区第 4地 点 。第 7地 点 を加 えたのが、
図2-18で あ る。 また、図2-25。 図2-26に は、仙台藩領内で、 これまでに報告 された焼塩壺 を示 して い る。
17世 紀初頭 ∼前葉 の時期 は、仙台城跡 三の丸地区や仙 台城跡二の丸地区第 9地 点 の I期 の遺構か ら、焼塩壺が
出土 して い る。畿内産 の もの と、地元産 と考 え られる ロク ロ整形 の焼塩壺 が確認 され、地元産 の焼塩壺 は、A類
(図 2-18の 3・ 4)、
B類
(図 2-18の 5・
6)、
C類
(図 2-18の 7・
8)に 分類 される。 A類 は、ほぼ直立 す る
体部 で、外面 の底部付近 をカ ッ トガ ラス状 に削 る もの、B類 は、体部 が波打 つ よ うな緩やかな稜線 を持 つ もので、
2な い し3条 の稜線 がつ き、外面 の底部付近 はカッ トガ ラス状 に削 られる もの、 C類 は、 B類 と同様 の体部形態
で、外面 に格子 タタキを施す もので あ る。 これ らA・
BoC類 は、17世 紀初頭 ∼前葉 の資料 にはみ られるが、そ
れ以外 の資料 には含 まれない (年 報 9)。
この他 に、若林城跡 にお いて、焼塩壺が出土 してお り、遺構 や供伴す る遺物 か ら、 いず れ も17世 紀初頭 の年代
が推測 されて い る (図 2-25の 16∼ 17、 佐藤淳2007)。
これ らの焼塩壺 は、体部上 半 が欠損 して い るため不明確 な
部分 もの こるが、底面付近 を カ ッ トグラス状 に削 る、A類 もしくはB類 に相 当す ると考 えられる。削 り方 には 2
種類 があ り、連続 した縦位 の ケズ リと、横位 の面取 り状 のケズ リの違 いがみ られるよ うであ る。 また、武家屋敷
地区第 7地 点 2層 か らは、畿内系 とみ られる手づ くね成形 の焼塩壺が出土 してい る
(図 2-25の 14)。
2層 か らの
出土 で あ り、混入 とみ られるが、形態か ら17世 紀代 の ものでは ないか と推測 される。
武家屋敷地区第 7地 点 2号 遺構 か らは、焼塩壺87点 と蓋 3点 が出土 してお り、 これによって18世 紀前葉 の焼塩
壺 の様相 が 明 らか となった
(図 2-13)。
器形や製作方法 か ら畿内系 と考 え られる焼塩壺 は、 これ まで い くつ か確
認 されて いたが、 いず れ も刻印 の部分 が欠損 した もので あ った。 2号 遺構か らは、刻印 の あ る畿内系 の焼塩壺が
3点 出土 して い る。 刻 印 はいず れ も「泉州麻生」 で あ る
(図 2-13の 132・ 136・
137)6「 泉州麻生」 の刻 印 は、
│12008)の 2つ の種類 が存在す ることが知 られて い る。 132・
「長方形 二重枠」 と「 内側 二段角枠」 (小 り
136・
137
の焼塩壺 は、刻印 の大 きさでは「 内側 二段角枠」 に多 い大 きさで あ り、「内側 二段角枠」 の可能性が高 いが、隅
の角部分 がはっ きりしない もの もあ り、必ず しも断定はで きない。 これ らはいず れ も粘土板 を筒状 に成形 し、底
部 には粘 土塊 が充填 されて い る。内面 には粗 い布 日と縫 い 日とみ られる痕跡が確認 される。「泉州麻生」 の刻印
を もつ焼塩壺 は、 具体 的 な年代 はわか らないが、そ の後半段 階にな る と仕 上 げ にのみ ロ ク ロ を使 うよ うになる
(渡 辺 1992)。
これ らの焼塩壺 に も、体部上半 に ロクロによる横 ナデの痕跡 が確認 される。本来花焼塩 を製造 して
い た泉州麻生 では、 17世 紀後半 か ら18世 紀前半 にかけて、「泉州麻 生 」 の刻印 の あ る焼塩壺 を製造 して い る こ と
が指摘 されている
(渡 辺誠1985、
1992)。
また、「泉州麻生」の刻印を持つ焼塩壺 の分類
(小 川望2008)と
対比す
ると、 これら 3点 の焼塩壺 は、器形では「 4類 ハ」 もしくは「 4類 二」 に分類できる可能性が考えられる。器形
「 4類 ハ」、「 4類 二」 の焼塩壺 は、17世 紀末か ら18世 紀前葉頃の時期が想定されている。 2号 遺構 は、供伴す る
木簡 に記載 されている年号か ら、18世 紀前葉 の一括資料 であることがわかってお り、「泉州麻生」 の焼塩壺 の年
代観 とも矛盾す るものではない。 2号 遺構 からは、焼塩壺の蓋 も 2点 出土 している
(図 2-13の 145。 146)。
「泉州麻生」の刻印をもつ上述の焼塩壺 と組になるものと考 えられる
蓋は、逆凹字状の断面形態で、
この
(小 川1992、
2008)。
一 方 、2号 遺構 か らは、 地 元 産 と考 え られ る焼 塩 壺 も多 く出土 して い る (図 2-13の 127∼ 131・ 133∼ 135。
138・ 139)。
い ず れ も、年 報 9に お い て D類 に分類 され る もの で、 ロ ク ロ成 形 で、 コ ップ状 の 形 態 を してお り、
体 部外 面 下 半部 に格 子 タタキ を施 す もので あ る。 2号 遺構 か ら出土 した D類 の焼塩 壺 につ い て は、 凹みが深 い も
の と浅 い ものが み られ、 凹み の 深 さに よって、 さ らにDl類 、 D2類 の 2つ に分類 され る。
Dl類 とした ものは、凹みの深 い もので ある
(図 2-18の 14∼ 16、 23・ 24)。
2号 遺構 か らは、あ ま り多 くはな
いが出土 してい る。凹みの深 さは、5.2cm程 度 の ものか ら8.5cm程 度 とさまざまで、器高に応 じて、器高 が高 い も
のは、その分 凹み も深 くな るよ うで ある。図2-18の 15。
22・
23の よ うに底部が比較的厚 い もの と、 図2-18の
14024の よ うに凹みが底部 まで深 くな り、底部があま り厚 くない ものがみ られる。 器高や底部 の厚 さなど、器形
には個 々のば らつ きが大 きい。D2類 と比べ ると、器厚 はやや 薄 く、 1.2cm前 後 で あ る。Dl類 は、格子 タタキの格
子 目が比較 的大 きく、 一 辺が 10∼ 12mm程 度 の菱形 で ある。格子 の形 はやや縦長 で、 図2-25の 32・ 37の よ うに
かな りつ ぶ れた菱形 の格子 目もみ られる。
2号 遺構 か らはD2類 が多 く出土 して い る。D2類
(図 2-18の 25∼ 32)は
、器高が7.9∼ 10.Ocm程 度 で ある。凹
みの深 さは3.2∼ 4.3cm程 度 で、4cm前 後 の ものが多 い。Dl類 と比較 して、凹みが底部 まで深 くな る ものは な く、
浅 いのが特徴 で ある。 いず れ も厚底 で ある。器厚 も1.8cm前 後 と、Dl類 よ りも厚め で あ る。格子 タタキの格子 目
は、正 方形 に近 い形 で、一辺が 5∼
6mm程 度 と比較的細か い。
図2-25。 図2-26に は、仙台藩領内 で 出土 した焼塩壷 を示 して い る。Dl類 は、二の丸地区第 5地 点 の 17世 紀
末∼ 18世 紀初頭 の整地層 。遺構 か らの出土が確認 される (図 2-25の 22・
23)。
武家屋敷地区第 4地 点 では、 17世
紀末 ∼18世 紀前葉 の陶磁器類が まとまって出土 した 2号 池か ら 1点 が出土 して い る (図 2-25の 38)。 武家屋敷地
区第 7地 点 では、I期 (17世 紀代 )に 属す る13号 土坑か ら 1点 が出土 してい る (図 2-25の 37)。 また、武家屋敷
地区第 9地 点か らは、I期 (17世 紀初頭 ∼18世 紀代 )に 属す る ビ ッ トか ら 1点 が出土 して い る
(図 2-25の 36)。
仙台城跡以外 では、上 野館跡 (佐 久 間光平 ほか1993)、 川内A遺 跡 (佐 藤 甲二 ほか2007)に 出土例がみ られる。
上 野館跡 か らは畿内系 の焼塩壺 1点 と、地元産 の焼塩壺 3点 が出土 して い る (図 2-25の 30∼ 33)。 地元産の焼塩
壺 はいず れ もDl類 に分類 される もの とみ られる。31は 17世 紀末 ∼ 18世 紀代、32は 17世 紀代、33は 17世 紀末以降
とされて い る層位 。遺構 か ら出土 してい る。川 内A遺 跡 か らは、地元 産 の焼塩壺が 2点 出土 してお り、 いず れ も
凹み の深 いDl類 とみ られ る (図 2-25の 34・
35)。
34は 近代 の整地層か らの出土で あ り、混入 とみ られ るが、35
は17世 紀初頭 ∼ 18世 紀代 の遺物 と供伴 してい る。 また、仙台藩 の江戸藩邸である汐留遺 跡 にお い て も、D類 の焼
塩壺が出土 して い る (小 林博範 ほか2003)。
D2類 は、武家屋敷地 区第 7地 点 の 2号 遺構 か らまとまって 出土 して い る。 2号 遺構 では、Dl類 も含 まれる も
のの、主体 となるのはD2類 で あ る。 また、二 の丸地区第 17地 点 の調査か らは、 18世 紀後葉 ∼ 19世 紀代 の遺構 か
ら、 断片的ではあ るが、D2類 が出土 してい る (図 2-26の 57・
58)。
Dl類 とD2類 の違 い につい ては、仙台藩領内での焼塩壺 の産地 の違 いが、可 能性 の一 つ として挙げ られる。仙
台藩領内では、領内 の沿岸地域 の複数箇所 で塩 田の 開発 が行 なわれて い る (小 々高幸 -1982)。 そ の うち何 力所
で焼塩壺が作 られて い たかはわかってい ないが、 い くつ かの産地が あ った可能性 は考 え られる。 もう一 つ の可能
性 として、 年代差 が考 え られ る。 年代 を限定で きる資料が少 ない ため、 断定 はで きないが、Dl類 は、 二の丸第
5地 点 の例 の よ うに17世 紀末 ∼ 18世 紀初頭 の時期 に多 くみ られ、D2類 は、 武家屋敷地区第 7地 点や二 の丸地区
代 17地 点 の例 の よ うに18世 紀前葉以降の時期 にみ られる。 この よ うに、年代差 につい て も指摘で きる可能性が考
え られる。
また、 これ らとは形 態 の異 なる焼塩壺が、二 の丸地区第 9地 点 16号 土坑、二の丸地区第17地 点 14号 土坑、2号
溝 か ら出土 してい る
(図 2-26の
59∼ 67)。 二の丸地区第 9地 点 16号 土坑 は18世 紀後葉 の一括資料 で あ り、二の丸
地区第17地 点 14号 土坑、2号 溝 は、18世 紀末 ∼19世 紀初頭 の一括資料 で ある。 いず れ もロク ロ成形 で、 印籠形 の
形態 を して い る。図2-26の 61は 、やや膨 らみを もった形態 を してお り、図2-26の 62は 、他 に比べ てやや器厚が
厚 い な ど、細部 の違 いがみ られるが、 これ ら以外 は類似 した形態である。 印籠形 の器形 ではあるが、 この時期 の
江戸 な どで出土 してい る畿内系 の焼塩壺 よ りも器厚がかな り薄 く、 口縁部 の形態 に も違 いがみ られる。仙台藩 で
は、畿内系 の焼塩壺 とは別 に、 17世 紀代 か ら器形の変化 を伴 い なが らも独 自の焼塩壺が出土 して い る。 しか し、
18世 紀前葉 や 18世 紀後葉 の D類 の焼塩壺 以降、仙台藩 では、地元 産 と考 えられる焼塩壺 は出土 しないこ とになる。
代 わつて18世 紀後葉 以降、 これ らの印籠形 で器厚 の薄 い焼塩壺 が出土 して い る。仙 台藩領内では、領内の沿岸 地
域 の各所 で塩 田の 開発 が行 なわれて い る。 また、塩 は、仙台藩 による専売制 が比較的初期 の段階 か ら後期 まで維
持 されてお り、「国産塩 の他領 出 し、他 国塩 の領内販売 につい て原則的禁 止」 の態度が取 られて い た (小 々高幸
この よ うな状況 を考 える と、 18世 紀後葉以降 の焼塩壺がすべ て畿内系 で 占め られ、地元産焼塩壺 が全
-1982)。
くない とは考 えがたい。出土点数が十分 と言 える状況ではない ため、 断定 はで きない ものの、 18世 紀後葉 以降、
地元産 の焼塩壺 は、図2-26の 59∼ 67の よ うな形態 の ものに変化 して い く可能性が考 えられる。
c.焙 烙
土師質 の焙烙 は、 これ まで、二の丸地区第 9地 点 か ら出土 して18世 紀後葉 の資料 が最 も古 い もので あ った (年
報 8)。 しか し、武家屋敷地区第 7地 点 の 2号 遺構 か ら新 たに焙烙 が出土 してお り、 18世 紀前葉 の時期 に焙烙 が
存在す る ことが確認 された
(図 2-18の
33∼ 35)。 いず れ も丸底 で、日縁部 は直立す るか、軽 く外傾す る器形 を し
て い る。内耳 を有す る もの と内耳 を持 たない ものの 2種 類があ る。内耳 を有す るものは、底部付近 まで ロクロナ
デの痕跡 が確認 される。内耳 を持たない ものは、日縁部付近 は ロクロナデで あるが、底部付近 は意図的にざらざ
らした器面 に調整 されて い る。
また、内耳 の焙烙 は、武家屋敷地 区第 4地 点2号 池 か らも 1点 出土 してお り、 これは共伴す る遺物 の年代 か ら
18世 紀前半頃で あ ろ う と考 え られる。そ の他、武家屋敷地区第 4地 点 3号 池Dか ら、平底 で 内耳 の ない焙烙 が確
認 されて い る。共伴す る遺物 に幅があるため、年代 を限定で きないが、 17世 紀中葉 を主体 とした時期 であろう と
考 え られ、 17世 紀代 にお いて も、 この よ うな形態 の焙烙 が存在 して いた可能性 も考 えられる。
18世 紀後葉 の時期 では、 18世 紀前葉 の焙烙 と異 なる形態 の ものがみ られ るよ うになる。土師質で、 円形 の本体
部 に、把手 を付 けた、 フライパ ンの よ うな形 を した もので ある。把手 には、上下に小孔が開け られてお り、木製
の柄 をはめ込 んで使用 した もの と推測 される。
18世 紀末 ∼19世 紀初頭 以降になると、同様 のフライパ ン形 の形態 ではあるが、透明釉 (鉛 釉 )を 掛 けた軟質施
釉 陶器 の焙烙 がみ られるよ うになる。 さらに、19世 紀中葉頃では、軟質施釉陶器 の焙烙 は、把手 が長 く、小孔 を
開け ない もの もみ られるようにな り、出土点数 も増加す る。軟質施釉陶器 の焙烙 は、各 地区の調査 で比較的多 く
確認 されて い る。
d.摺 鉢
瓦質 の橘鉢 は、 17世 紀初頭 ∼前葉 の三の丸跡 の資料 の 中 に、比較的多 く含 まれて いた。二の丸地区では、 18世
紀、 19世 紀 の遺構 や層位か らも少数出土 して い るが、 いず れ も小破片 で、確実 に年代 が判明す るよ うな資料 はみ
られなか った。武家屋敷地区か らは、少数ではあるが、供伴遺物か ら年代が判明す る瓦 質橘鉢 が確認 されて い る。
武家屋敷地区第 7地 点 14号 土坑か らは、 17世 紀前葉 の陶磁器が一括 して出土 してお り、瓦質橘鉢 も 7点 が出土 し
てい る
(図 2-18の 9)。
武家屋敷地区第 4地 点 1号 溝 か らは、 17世 紀前半 を中心 とした遺物 が出土 してお り、瓦
質橘鉢 も 7点 出土 して い る
(図 2-16の 1∼ 3)。
瓦質橘鉢 は、 中世 か ら継続す る器種 であ り、 17世 紀中頃までは、瀬戸 ・美濃、唐津 、丹波 な どの陶器 の橘鉢 と
併用 された もの と考 え られる。17世 紀後半 以降、岸窯系 の陶器橘鉢が多 く出土す るよ うにな り、18世 紀以降では、
東北地方 の窯 の製品 と考 え られる陶器描鉢が多数出土 してい る。東北 地方で作 られた陶器橘鉢 の 出土量が増加 し、
それ とともに瓦 質 の橘鉢 はほ とん どみ られな くな るもの と考 え られる。武家屋敷地区第 7地 点 の調査 では、18世
紀代や 19世 紀代 と考 え られる遺構 か らも、わずかに瓦質橘鉢 が出土 して い るが、年代 が確実な例 はみ られない。
瓦質橘鉢 は、 いず れ も厚手 で、体部 は直線的 に開 く器形 で あ り、橘 り目はあま り密 ではない。武家屋敷地区第
4地 点 1号 溝 の資料
(図
2-16)に は、片 口部分 が付 くものが確認 され、内外面 に炭化物が付着 し、明 らかに火
に推卜
け られた と思われる もの も含 まれてい る。中世 の瓦質橘鉢 には、火 に掛 け られた痕跡 を残す ものが多 く知 ら
れてお り、 17世 紀中頃 までの瓦質橘 鉢 には中世以来 の調理方法 も継続 してい た もの と考 え られる。
土師質 の橘鉢 は、 19世 紀中葉頃の資料 にのみ確認 される
(図 2-18の
57、
58)。
破片資料 で、全体 の特徴 は不明
で あ るが、橋 り目が密 に施 されてい ることが特徴 である。
e.鉢 類
土師質 。瓦 質土器で、鉢状 の形態 を してい るが、用途が不明のため、それ以上の分類が難 しい もの を鉢類 とし
て まとめた。そのため、器形 にはさまざまな ものがみ られる。 17世 紀初頭 ∼前葉以降、 18世 紀末 ∼ 19世 紀初頭 の
時期 まで、各時期 で確 認 され、 18世 紀前葉 では比 較的多 く出土 して い る。 日縁部が内彎 し、丸み を帯 びた器形
(図 2-18の 36∼ 38)、
日縁部 が軽 く屈 曲す る器形 (図 2-18の 39)、 比較的浅 く、底部が広 い器形 (図 2-18の 40)
な ど、 さまざまであ る。瓦 質 の鉢
(図 2-18の 43)は
、日縁 部 の 内側が突出 してお り、内側が敲打痕 の よ うに欠
けて い る。 18世 紀後葉 では、扁平 な体部 に短 く直立す る日縁部が付 く器形 の ものがみ られ る。体部 には大 きな窓
が 開け られて い る。 同様 の器形 とみ られる破片が、 18世 紀末 ∼19世 紀初頭 の資料 に もみ られる。
f.火 鉢
火鉢 は、日径 に対 して器高が浅 く、体部 の立 ち上が りが緩 いA類 と、日径 に対 して器高が 高 く、体部 の立 ち上
が りが強 いB類 に大別 される。 A類 は さらに、日縁部直下 の外面 に、縄 目状 の粘土紐 を貼 り付 け る もの (Al類 )
と、何 も貼 り付 けない もの (A2類 )と に分け られる (年 報
9)。
瓦質 の火鉢がほ とん どで あるが、 18世 紀前葉 に
土 師質 の火鉢がわず かにみ られた。大 きさには大小 さまざまあ り、使用す る場所 によって、大 きさが異 なるもの
と考 え られる。
Al類 は、 17世 紀初頭 ∼前葉 の時期か ら存在 して い る。 武家屋敷地区第 7地 点 と二の丸地区第17地 点 の調査で、
それぞれ18世 紀前葉 と、 18世 紀末 ∼ 19世 紀初頭 の資料 が加 わ り、おおむね各時代 を通 して存 在す ることが 明 らか
とな った。 日縁部 の 断面形態 には、 時期 によって違 いがみ られる。 17世 紀初頭 ∼前葉 の時期 では、日縁端部は内
側 にわず かに突出す る程度 で あ る
(図 2-19の 1)。
17世 紀末 ∼ 18世 紀初頭 の時期 では、日縁端部 は内側 にだ け突
出す る形態 を して い る (図 2-19の 2)。 18世 紀前葉 では、日縁部形態 に多様性 がみ られるよ うにな り、 日縁端部
が 内側 にだけ突 出す る もの (図 2-19の
19の 8)、
9)、
日縁端部が内側 にわず かに突出 し、外側 に も突出す る もの (図 2-
日縁端部が内外両側 に突出 し、 T字 状 の断面形態 となる もの (図 2-19の
7)な
どがみ られる。 18世 紀
前葉 にみ られるよ うになった T字 状 の断面形態 は、 18世 紀末 ∼ 19世 紀初頭 の時期 には、 よ り明確 に作 られるよ う
にな り
(図 2-19の 14)、
そ の形態 は19世 紀 中葉頃 にも継続 される。日縁部直下 に施 される粘土紐貼 り付 け による
縄 目状 の装飾 は、右下が り、左下が りの両方がみ られるが、年代 による差はみ られない。18世 紀前葉 の資料 では、
しっか りと押圧 され、波状 の形状が はっ きりみ られるもの と、貼 り付 けた粘土紐 に連続 した刻み を加 えた もの と
がみ られるがで 18世 紀末 ∼19世 紀初頭以降、波状 の形状が はっ きりした もののみが確認 される。
A2類 は、武家屋敷地 区第 7地 点 の調査 によって、 18世 紀前葉 に も存在す ることが 明 らか とな り、 17世 紀末 ∼
18世 紀初頭 に出現 して以 降、おおむね各時期 を通 じて存在す るもの と考 えられる。日縁部形態 は、 17世 紀末 ∼18
世紀初頭では内領1だ け突出す る形態 であるが、 18世 紀前葉 では、外側 に突出す る形態がみ られ、 18世 紀後葉 に も
継続す る。 19世 紀中葉頃の資料 では、 これに加 え、内外両側 に突出 し、断面が T字 状 を呈 す る もの もみ られるよ
うになる。
B類 は、 19世 紀中葉頃の資料 で非常 に多 く出土 して い る。 18世 紀前葉 の資料 に、 B類 となる可能性 の あるもの
(図 2-19の
4)が 含 まれるが、確実 な資料 ではなかった
(年 報 9)。
武家屋敷地区第 7地 点 の調査 にお いて も、 18
世紀前葉 の段 階に B類 となる可能性がある瓦 質火鉢 が出土 して い る (図 2-19の 5)。 いず れ も口縁部が内側 に軽
く突出す る形態 を してお り、類似 してい るが、体部下半か ら底部が残存 してい ない ため、 19世 紀 中葉頃の B類 に
つ なが るものか どうかは断定 で きない。
g.爆 炉
規炉 は、18世 紀前葉 と18世 紀後葉 の資料 に、点 数 は少 ない ものの、形態が特徴的な瓦質規炉が い くつ かみ られ
る。 中 で も、 18世 紀前葉 の武家屋敷地 区第 7地 点 2号 遺構 か らは、形態 の異 なる規炉が い くつ か出土 して い る
(図 2-20の 4・
508)。
図2-20の 8は 、本体部分 は窓を有す る筒形 の器形 で、窓の下 には突出部 が付 く。窓は口縁部か ら切 り込 まれ る
と考 え られるが、欠損 して い るため不明で あ る。底部 には、三足の脚が付 く。舟竃 と呼 ばれる、舟遊 びや茶屋 な
どの屋 外 で湯茶 を供 す るのに使用 された規炉類 (江 戸遺跡研究会編2001)に 形態が類似す る。東京大学本郷構 内
の遺跡 の御殿下記念館地点 (寺 島孝 一 。西 田泰民ほか 1990)、 医学部附属病院地点 (藤 本強 。小川望 ほか 1990)、
郵政省飯倉分館構 内遺跡 (港 区麻布台一丁 目遺跡調査会 1986)、 汐留遺跡
(福
田敏 一 ・石崎俊也 ほか1997、
白金館址遺跡 (滝 口宏 ・高山優 ほか1988)な ど、複数 の遺跡か ら出土 して い る
(図
2-27の 1∼ 7)。
2006)、
江戸 の遺跡
か ら出土 した これ らの規炉類 は、突出部 が箱状 なのに対 して、図2-27の 8は 板状 であ るとい う違 い はみ られるが、
筒形 の本体 に突出部が付 く形態 は類似 して い る。年代 では、汐留遺跡出土の図2-27の 6が 17世 紀第 3四 半期頃 と
最 も古 く、御殿下記念館地点 (図 2-27の 2)と 汐留遺跡 (図 2-27の 5)が 17世 紀後葉 ∼ 18世 紀初頭頃の遺構 ・包
含層 か ら、御殿下記念館地点 (図 2-27の
1)が 17世 紀後葉 ∼18世 紀初頭以前 の包含層か ら、郵政省飯倉分館構 内
遺跡 (図 2-27の 4)の ものが 18世 紀前半頃の遺構 か らの 出土 で ある。 白金館址遺跡 の もの
(図 2-27の
7)は 、18
世紀後半か ら19世 紀前半 の時期 を中心 とした遺構か らの出土であ り、他の例 よ り年代的 に下る資料 である。形 態
的 に も、やや小型で、体部 に孔 を有す るな ど、異 なった特徴 を有 して い る。 白金館址遺跡 の例 を除 くと、江戸 で
はこの ような規炉類 は、おお よそ17世 紀後半 か ら18世 紀前半頃の時期 に確認 されてい る。武家屋敷地区第 7地 点
・
2号 遺構 は18世 紀前葉 の時期 で あ り、年代的 に も
重複す る。 図2-20の 8の 規炉 は、 これ らの江戸出土 の規炉 に系
統 を求める ことがで きるのではないか と考 え られる。伊達家上屋 敷跡 で あ る汐留遺跡 では、17世 紀後半 の段 階 で、
この よ うな形態 の規炉類が確認 されて い る。重量の あ る瓦 質土器 を仙台 まで運んだ とは考 え難 い ため、 図2-20
の 8の JVL炉 は、江戸 の形態 を模倣 して、国元である仙台城下で製作 された もので あ る可能性が推測 される。
図2-20の 4・ 5は 、体部上半 に方形 の 窓 を持 つ器形 を して い る。 5は 回縁 部分 に窓が 開 くが、 4は 口縁が窓に
よって途切 れず、窓 は体部上 半 に付 く。窓の対角 に 2カ 所 み られる円形 の孔 について も、5で は体部上 半 にある
のに対 して、4は 体部下半 にあるな ど、違 いがみ られる。 いず れ も底部 は残 ってお らず、下部 の構造 が どの よ う
になって いたのかは不 明で ある。 4・ 5と も、江戸 の遺跡か ら出土す るIFL炉 類 に類例 はみ あ た らず、仙 台藩領内
独 自の形態 の土器であろ うと考 え られる。江戸 の遺跡 か ら出土 す る規炉類 には、時期 によって も形態 は異 なるが、
内部 に突起が付 くものや、付属 した構造がみ られるもの も多 いが、4・ 5に はみ られない もの と推測 される。比
較 的類似す る例 は、東京大学本郷構 内 の遺跡 の御殿下記念館地点出土 の瓦質土器である (図 2-27の 8)。 17世 紀
中葉頃の年代 の遺構 か らの 出土 で ある。窓 を持 ち、窓の対角 に円形の孔がみ られる点、内部 に突起 などの構造 が
み られない点 で、最 も形態が類似 して い る。 しか し、窓 の形状が山形 で あ る点や、円形 の孔が 1カ 所 で あ る点、
日縁 に凹部 が 1カ 所 み られる点が な どに違 い もみ られる。 この御殿下記念館地点出土 の混炉 に、 よ り形態が近 い
のが、 18世 紀後葉 の二の丸地区第 9地 点 15号 土坑か ら出土 した瓦 質規炉 で ある
(図 2-20の 11)。
11で は、窓の形
状が 山形 を呈 してお り、窓 の対角 に円形 の孔が 1つ 付 く形態 を して い る。 日縁部 の 1カ 所 に幅 2cm程 度 の 凹部
がみ られる。御殿下記念館地点 の規炉 とは、窓の山形の形状や、窓の対角 の孔 の位置 な ど、細 かな違 い はみ られ
るが、おお よその構造 は類似 してい る。 いず れ も、底部 は欠損 してお り、不明 である。
また、混炉 の付属 品 として、風 口が 18世 紀前葉 の武家屋敷地区第 7地 点 1号 遺構、2号 遺構 か ら出土 してい る
(図 2-15の 154、
図2-20の
3)。
いず れ も土 師質 で あ る。江戸 の遺跡 で は、風 回は、長 さ17cm以 下 の小型 と、
19cm以 上の大型 に大 きく分け られる
(小 林謙 -1991)。
154は 、長 さ約24cmで あ り、大型 に分類 される ものであ
る。 これ らの風 口が どの形 態 の規炉 に付属す るのかは不明 で あ る。 法量か らは、図2-20の 4・ 5は 窓や内径が風
日の大 きさよ りも小 さいため、可能性 は考 え られない。図2-20の
8010は 、法量的には組み合 わせ 可能 であ る。
また、民俗資料では、木枠組みで内部 を壁土で構築 した混炉 (米 川幸子2000)な どが あ り、土師質や瓦質以外 の
材質 で作 られた規炉 と組み合 うこと も考 えられる。
h.風 炉
風炉 は、茶道具 の 1つ で、席 中で火 を入れて釜 を掛 け、湯 を沸かす道具である。 18世 紀前葉 の武家屋敷地区第
7地 点 2号 遺構、24号 土坑で、土 師質土器、瓦質土器がみ られる。器形全体が確認で きるのは、図2-20の 9、
10
で ある。図2-20の 9は 、土風炉 の代表的な形式 の 1つ で あ る「道安風炉」 と呼 ばれる風 炉 で ある。 三足 の脚が
付 き、前方 に付 く窓 は日縁 か ら開 き、眉 と呼 ばれる日縁部 の繋 が りはない。外面 は丁寧 に ミガキが施 されて い る。
図2-20の 10は 、窓が 開 く形態 か ら風炉 の一種 か と推測 される。風炉 は三足が付 く形態 を基本 とす るが、 10に
はみ られないこ とか ら、風炉以外 の焼炉類 の可能性 も考 えられる。
風炉 は、現在 の ところ、武家屋敷地区第 7地 点 2号 遺構、24号 土坑か ら確認 されて い るもののみで、他 の時期
の ものは出土 して い ない。
i.火 消壺
18世 紀前葉 の武家屋敷地区第 7地 点 2号 遺構か ら、火消壺 の可能性が考 え られる瓦 質土器 が出土 して い る (図
2-20の
7)。
壺形 の器形 を して い る。組みになる蓋 は不明 であ るが、 内面 の底部付近 は 白色 に変色 してお り、被
熱 による痕跡 と思 われることか ら、火消壺 の可能性が考えられる。
また、19世 紀 中葉頃の資料 か らも、火消壺 と考 え られる土器が出土 してい る。 二の丸地区第10地 点か らの出土
で、器形 は、 18世 紀前葉 とは異 な り、 日縁 が内彎 した鉢形 の器形 をしてお り、三足が付 く (図 2-20の 19∼ 21)。
二の丸地区第 5地 点か らは、 これ らの火消壺 の蓋 になると思われる ものが出土 してお り、内部 に落 とし込む状態
で蓋 をす る もの とみ られる
(図 2-20の 18)。
いず れ も土師質土器 で あ る。
仙台市太 白区富沢遺跡第 15次 調査 では、瓦 質 の火消壺が蓋 を した状態 で 出土 して い る (斎 野裕彦 ほか 1987)。
年代 は、二の丸地区第10地 点 と近 い時期 と考 え られるが、土 師質 と瓦 質 の違 いがあ り、形態的 に も大 きく異 なっ
て い る。富沢遺跡 の火消壺 は瓦 質 で あ り、壺形 の器形 を して い る点 で、 18世 紀前葉 の もの (図 2-20の
7)と 近
いが、日頸部 や体部 の器形 に違 い もみ られる。
仙台藩領内の火消壺 とみ られる土器 は、形態 に違 いがみ られ、多様 で あ る。 また、江戸出上 の火消壺 とも形態
が異 なって い る。江 戸 の火消壺 は、日縁部が内彎 し、 三足が付 く形態 をして い る。 この点 で、 図2-20の 19∼ 21
は比較的近 いが、江戸の火消壺 には被 せ蓋が伴 うもの と考 えられ、蓋 の形態 と被 せ 方 が異 な って い る。
D.小 結
武家屋敷地区第 7地 点か らは、2号 遺構 を中心 に、量 ・種類 ともに多 くの土師質土器 ・瓦質土器が出土 してい
る。 これによ り、仙台城 にお け る土器類 の変遷 を、 さらに詳 しく考察す ることがで きた。仙台城 の土器類 につい
ては、基 本的な土器 の種類 は、元禄年 間までにおお よそ確 立 され、それ以 降 は大型 の土器類 を中心 に、随時器種
が増加 して い くとい う様相が指摘 されて いた (年 報
9)。
18世 紀前葉段 階 では、基 本的な土器類 に加 えて、新 た
にみ られる器種 や器形 も多 く、土器類 に対す る需要が大 きくなってい る こ とが考 えられ る。 17世 紀中葉や 17世 紀
後葉 の資料 が欠落 してお り、17世 紀末∼ 18世 紀初頭 の資料 もあ ま り多 くはないこ とか ら、 18世 紀前葉 に新 たにみ
られる と推測 される資料 も、 さらに遡 る可 能性 も考え られる。
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図 2-13 武家屋敷 地 区第 7地 点 2号 遺構 出土土師質土器 皿 ・ 焼塩壺
Fig.2-13 Unglazed ceramics(plates and salt baking pots)from No.2 structural rernains at BK7
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図2-14 武家屋敷地 区第 7地 点 2号 遺構 出土瓦 質土器
Fig.2-14 Various unglazed ceranlics from No.2 structural remains at BK7
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CH161
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CH150
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CH152
CH158
図 2-15 武家屋敷地区第 7地 点 2号 遺構 出土 その他 の土 師質土器
Fig。 2-15 Various unglazed cerarnics from No.2 structural remains at BK7
7
3
1号 溝 。4号 池埋± 4層
1号 溝 (17世 紀前半主体)
(17世 紀前半∼18世 紀前葉)
3号 池 A∼ F
(17世 紀中葉主体)
炒
7
10号 土坑
2号 池埋±3b層
2号 池埋± 6∼ 4層
(17世 紀末 ∼18世 紀前葉)
(18世 紀後葉∼19世 紀前半)
(18世 紀前半)
図 2-16
武 家 屋 敷 地 区 第 4地 点 出土 土 師 質 土 器 ・ 瓦 質 土 器
Fig.2-16 ヽrarious unglazed ceranlics from BK4
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2号 遺構
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点 15号 土坑
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9地 点2号 池
9地 点3c層
9地 点3b層
二の 九 地 区 第 17地 点 14号 土 ウ
ニの 九地 区 第 17地 点3層
二 の 九 地 区 第17地 点32号 溝
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9 中葉 頃
︲
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号池
図2-17 仙 台城跡 出土土 師質 土器皿 類 の変遷
Fig.2-17 Chronological sequence of ceranlic plates frorn Sendai Castle
焼塩壺
畿内系
焼塩壺地元産
Att
Btt
瓦 質火 入
瓦 質橘 鉢
C類
瓦 質橘鉢
初 頭 ∼前 葉
土 師質鉢
3・ 7・
10:三 の 九跡 I期
4∼ 6・
8・ 11・
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12:三 の 丸地 区第 9地 点 I期
武家屋 敷地 区第 7地 点 14号 土坑
c
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7 末 ∼ 8 初頭
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土師質鉢
Dl類
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16:武 家屋 敷 地 区第 4地 点 2号 池
│
13∼ 15・
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17:二 の 丸地 区第 5地 点元 禄年 間 の 整 地層 ・遺構
土 師質焙烙
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18∼ 21・ 23∼ 43:武 家屋 敷 地 区第
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22:二 の 九地 区第 5地 点3号 土坑
瓦 質鉢
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│
土 師質鉢
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│
│
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46:二 の 丸 地 区第 9地 点16号 土坑
45:二 の 丸 地 区第 9地 点15号 土坑
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8 末 ∼ 9 初頭
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二 の 丸地 区第17地 点 3層
二 の 丸 地 区第17地 点14号 土坑
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53:二 の 丸地 区第 9地 点3b層
土 師 質播 鉢
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54∼ 56:二 の 九地 区 第 9地 点 1号 池
S=1:10
53
57∼ 58:二 の 丸 地 区第 9地 点2区 Ⅲ層
図2-18 仙 台城跡 出土 の皿 類以外 の土 師質・瓦質土器 の 変遷 (1)
Fig.2-18 Chronological sequence of ceramics except plates(1)
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7 初 頭 ∼前 葉
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1:三 の 丸跡 I期
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7末 ∼ 8 初 頭
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3:二 の 丸地 区第 5地 点元禄 年 間 の整 地層 ・遺構
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瓦 質火鉢
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葉
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4:二 の 丸 地 区第 5地 点3号 土坑
10:武 家屋 敷 地 区第 7地 点 2号 遺構
瓦 質火鉢
c
8 後葉
︲
13:二 の 丸 地 区第 9地 点16号 土坑
n・ 12:二 の 丸 地 区 第 9地 点 15号 土坑
c
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8 末∼ 9 初頭
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二 の 丸地 区第 17地 点 3層
二の 九地 区第 9地 点 2号 池
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16∼
19・ 22・
20・
図2-19 仙 台城跡 出土 の皿 類以外 の土 師質・瓦質土器 の 変遷 (2)
Fig.2-19 Chronological sequence of ceramics except plates(2)
23:二 の 丸地 区第10地 点2区 Ⅲ層
21:二 の 丸地 区第 9地 点 1号 池
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︲ 初 頭 ∼前 葉
瓦質lll塙
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1:武 家 屋 敷 地 区第 7地 点 14号 土 坑
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土 師質風炉
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3∼ 10:武 家屋 吸 地 区 第
7地 点2号 ill構
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瓦質規炉
c
8 後葉
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二の九地区第 9地 点 15サ 土坑
二の九地区第 9地 点 16号 土坑
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8 末 ∼ 9 初頭
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︲
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14:二 の丸地区第 9地 点 2号 池
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9 中葉 頃
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一一
一一
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一
一
一
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16:二 の九 地 区 第10地 点2区 Ⅲ層
17:二 の 九地 区 第 2地 点石 吸 遺 構
18:二 の 九 地 区 第 5地 点 Ⅲ層
19∼ 21
22∼ 24・
25:二 の九 地 区 第 10地 点 2区
Ⅲ層
26:二 の丸地 区 第 9地 点 1号 池
図2-20 仙 台城跡 出土 の皿 類以外 の土 師質・瓦 質土器 の変遷 (3)
Fig.2-20 Chronological sequence of ceramics except plates(3)
5
10
三の九跡 I期
(17c.初
頭∼前葉)
二の九地区第 9地 点 I期
(17c.初
頭∼前葉)
10
15
二の丸地区第 5地 点元禄年間の整地層 。遺構
器高
(cm)
4
(17c.末
20
∼18c.初 頭)
。3号 土坑 A類
o3号 土坑 B類
3
2
1
5
0
(cm)
4
3
2
1
15
(18c.前
葉)
類 類 占苫 嘗 苫 ¨
A B l23 4
器高
10
二の丸地区第 5地 点 3号 土坑
0
武家屋敷地区第 7地 点 2号 遺構
(cm)
4
3
2
葉)
類 類 占苫 苫 ︹
A B l23
器高
(18c.前
1
0
5
10
二の丸地区第 9地 点16号 土坑
15
(18c.後
葉)
図2-21 仙 台城跡 出土土 師質土器 皿 の 法量分布 (1)
Fig.2-21 Scatter diagrams of size of unglazed ceramic plates from Sendai Castle(1)
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C
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10
二の丸地区第 9地 点15号 土坑
15
(18c.後
葉)
。2号 池A類
。2号 池 B類
・ 3 ctt A類
0 3 ctt B類
▲3 btt A類
△3 btt B類
5
15
10
二の丸地区第 9地 点 2号 池 。3c層 。3b層
20
(18c.末 ∼ 19c.初 頭 )
扁
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4
2号 溝 A類
14号 土坑 A類
3
14号 土坑 B類
2
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0
二の丸地区第17地 点2号 溝 。14号 土坑
(18c.末
∼19c.初 頭)
需
4
・ 3層
。3層
A類
B類
3
2
・ 3層 一 括 A類
o3層 一 括 B類
1
0
二の丸地区第17地 点3層 ・3層 一括
(18c.末
∼19c.初 頭)
需
4
・A類
。B類
3
2
・。1点
1
。3点
02点
0
5
15
10
二の丸地区第 9地 点 1号 池 。3c層 ・ 3b層
(19c.中
葉頃)
2
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3
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C
<
・ 2号 土坑 A類
5
10
二の丸地区第 5地 点 2号 土坑
15
(19c.中
葉頃)
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訟1。 解
監言
鵬嗜
♂:ぶm鮮翌脂赫麗
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ゝ
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一あ 丸 地 区 第 9 地 占¨p 師 媚
2号 池
・
6号 土 坑
二 の丸 地 区 第 9 地 点 1
2号 遺 構
5号 土 坑 二 の丸 地 区 第 9 地 点 1
■
二 の九 地 区
第 9地 点
I ∼ Ⅱ期
-70
-20
-―
oA・ B類
前葉
Fig。 2-23
18c.初
頭
18c.末
S
19c.初
頭
c
9中葉頃
・
S
c
8後 葉
︲
17c.末
S
c
8前 葉
︲
17c.初 頭
-10
図2-23 仙 台城跡 出土土 師質土器 皿 の ススの付着害]合
Percentages of soot― covered ceranlics plates frorn Sendai Castle
100%
│
二の丸地区第 9地 点 I期
(17c.初 頭 ∼前葉)
二の丸地区第 5地 点元禄年間
(17c.末 ∼18c.初 頭 )
武家屋敷地区第 7地 点 2号 遺構
(18c.前 葉)
二の丸地区第 9地 点16号 土坑
(18c.後 葉)
二の丸地区第 9地 点15号 土坑
(18c.後 葉)
二の丸地区第 9地 点 2号 池・3c層 ・3b層
(18c末 ∼19c初 頭 )
二の九地区第17地 点14号 土坑
(18c.末 ∼19c.初 頭)
二の丸地区第17地 点3層 一括
(18c.末 ∼19c.初 頭 )
二の丸地区第 9地 点1号 池
(19c中 葉)
図2-24 仙 台城跡 出土土師質土器皿 の 糸切 り技法 と回 転方 向 の比率
Fig.2-24 Histograms of ceranlic dishes frorn the secOnd citadel of Sendai Castle by kind of string―
cut bases
診5繭
1
1∼
7:仙 台城 跡 三 の 丸
壕 轟 只 懸
3
躙
°
鰊 穆
14(143)
r ttL
陽
6
14:武 家屋 敷 地 区第 7地 点 2層
15:仙 台城 跡 二 の 丸 第 4地 点 Ⅱ区6a層
6
16∼
』亀
25(115)
24(114)
21(77)
21・
22(78)
23(79)
山瑕 鱚
26(127)
23∼ 25:仙 台城 跡 二 の 九 第 5地 点 10区 V層
36:武 家屋 敷 地 区第 9地 点 ビ ッ ト16
37:武 家 屋敷 地 区第 7地 点 13号 土坑
28・
輻
34・
(
は各年報 での登録 番号
Fig.2-25
攀“
35:川 内 A遺 跡
32
幽
)内
29(116)
26:仙 台城跡 二 の 九 第 5地 点 1区 1層
27:仙 台城跡 二 の 丸 第 5地 点 1区 3層
29:仙 台城跡 二 の 丸 第 5地 点表土 ・ 層 位不 明
34
38:武 家 屋敷 地 区第 4地 点 2号 池
l0cm
28(131)
27(128)
20:仙 台城 跡 二 の 九 第 5地 点 9区 Ⅶ層
22:仙 台城 跡 二 の 丸 第 5地 点 4号 土坑
30∼ 33■ L野 館跡
17:若 林 城跡
36
図2-25 仙台藩領内出土 の焼塩壺 (1)
Ceramic salt pots from the area of Sendai domain
(48)
瘍卿
(1)
錮即
隋囲
39∼ 54:武 家屋 敷 地 区
第 7地 点 2号 遺構
55・
56:武 家屋 敷 地 区
第 7地 点24号 土坑
57:仙 台城跡 二 の 丸
第 17地 点 ビ ッ ト349
58:仙 台城跡 二 の 九
第 17地 点29号 土坑
山頸 叩
66(63)
⑫⑩
馘
0
59:仙 台城 跡 二 の 丸 第 9地 点 16号 土坑
60:仙 台城 跡 二 の 九 第17地 点 14号 土坑
61∼ 63:仙 台城跡 二 の 丸 第17地 点 2号 溝
64∼ 66:仙 台城跡 二 の 丸 第 17地 点 3層
67:武 家屋敷 地 区 第 7地 点4号 土坑
0
10Cm
( )内 は各年報での登録番号
Fig.2-26
図2-26 仙 台藩領 内出土 の焼塩壺 (2)
Ceranlic salt pots fronl the area of Sendai domain
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2・
戸
猾
8
写
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5。
8:東 京大学本郷構内の遺跡御殿下記念館地点
3:東 京大学本郷構内の遺跡医学部附属病院地点
4:郵 政省飯倉分館構 内遺跡
6:汐 留遺跡
7:白 金館址 遺跡
図2-27 江戸 の遺跡 出土 の 爆炉類
Fig。
2-27
Various portable cooking stove fronl the Edo sites
S=1:10
③漆器
漆器 につい ては、年報 9に お いて、仙台城跡 二の丸地区第 5地 点 と第 9地 点 の 出土資料 を基 として、周辺 の近
世遺跡出土 の資料 を補 い、仙台藩領内で の漆器 の変遷 を示 してい る。その 中で、 18世 紀前葉 の段 階 は良好 な資料
に欠け る時期 で あ った。武家屋敷地区第 7地 点 2号 遺構 か らは、 18世 紀前葉 の 良好 な一括資料が出土 してお り、
漆器 も多数 出土 して い る。 ここでは、2号 遺構 出土 の漆器 を追加 し、 18世 紀前葉 の時期 を含 めた仙台藩領内での
漆器 の変遷 につい て考察 してい きたい。
新 た な資料が加 わったことで、一部 の器形 の椀 で、年報 9で 行 った漆器 の分類 には当ては まらない ものがみ ら
れた。そのため、改 めて基 準 を検討 し、分類 し直 したのが、図2-28・ 図2-29の 変遷図 で あ る。分類 の基準 は、
以下の通 りで あ る。
椀 身 A類
口径 と深 さの比 率 が 2:1よ り深 めの椀。高台が高 く、全体 に大型である。胴部下半 は膨 らみ を帯 び
て い るが、胴部上半 か ら口縁 にか けては直線的 に立ち上がる。高台内の ロク ロ挽 き込みが極端 に浅 く、
底部が厚 い。
椀 身 B類
口径 が深 さの 2∼ 3倍 の椀。 A類 に比 して浅めであるが、日径 は同 じか、若干大 きめの値 をとり、 A
類 同様、比較的大型 の椀 であ る。体部 と高台 の形状 によ り、次 の 4類 型 に細分 で きる。
B la類
体部 に稜線 を持 たず、高台 は、 A類 同様、高 めである。 ロクロ挽 き込みが極端 に浅 く、底部が厚 い。
B lb類
体部 に稜線 を持 たず、高台 は低 めで、底部 も薄 い。
B2a類
体部 に稜線 を持 ち、高台が高めである。 ロク ロ挽 き込みが浅 く、底部が厚 い。
B2b類
体部 に稜線 を持 ち、高台は低めで、底 部 も薄 い。
椀 身 C類
口径が深 さの 3∼ 4倍 あ る浅 めの椀。体部 と高台 の形状 によ り細分 で きる。
C la類
稜線 を持 たす、体部下半が膨 らみ、口縁 の立 ち上が りも急 で直線的 で ある。高台は高めで、 ロ ク ロ挽
き込みが浅 く、底部が厚 い。
C lb類
稜線 を持 たず 、体 部下半 が膨 らみ、日縁 の立 ち上が りも急 で直線的である。 高台 は低 めで、底部 も薄
C2a類
稜線 を持 ち、高台が高めである。 ロクロ挽 き込みが浅 く、底部が厚 い。
C2b類
稜線 を持 ち、高台は低 めで、底部 も薄 い。
C3類
体部 が筒状 に短 く直 立 す る。体部 の 中位 に、 タガ状 の 隆 帯 や 2条 の稜線
(「
面取 り」)を 持 つ 場合 が
あ る。高台 はいず れ も低 い。
C4類
体部 のカー ブは緩やか で、半球状 を呈する。高台 は低 い。
B2類 は、高台が高 く、底部が厚 い もの と、 高台が低 めで、底部 も薄 い ものの 2つ がみ られたため、 B2a類 と
B2b類 の 2つ に細 分 した。 また、 C類 の 中で、稜線 を持 つ器形 の ものが新 たにみ られ、 B類 と分類上 の整合性 を
取 るため、 C2類 とし、 さらに高 台 の形状 によってa類 、 b類 に細 分 した。そ のため、従来 の C2類 、 C3類 は、 そ
れぞれ C3類 、 C4類 に名称 を移行 させた。
次 に、 18世 紀前葉 の 2号 遺構 出土 の漆椀 を中心 に、各類型 について述 べ て い く。 なお、分類 に際 しては、欠損
部分 の ある ものや、土圧 によって器形がゆが んで い る もの もあ り、器形 の判明す る ものを中心 に行 って い る。
椀 身 A類 は、 数 の多寡 や文様 に違 い はみ られるが、各年代 を通 してみ られる器形である ことがわかる。 18世 紀
前葉 では、確実 にA類 に分類 される ものは、29の みであ り、非常 に少 ない。 17世 紀初頭 ∼前葉や 17世 紀後半 の椀
身A類 では、いず れ も内外両面黒地で、文様 は内面 と外面 と もに朱漆 によって描かれ てい る。 これ らとは異 な り、
18世 紀前葉 の29で は、 内面が朱地、外面 は黒地で、外面 に朱漆 で文様 が描 かれて い る。 また、高台内は黒地 に朱
漆 の銘 を もつ。後述す るBlb類 、B2a類 、B2b類 な どで、 内面が朱地、外面 は黒地 で、外面 に朱漆 による文様 を
持 つ一群がみ られ、器形 は異 なる ものの、装 飾 にお いてはこれ らとの 関連 がみ られる。
Bla類 にあたる ものは、 17世 紀後半同様、 18世 紀前葉 にお い て もみ られなかった。 この時期 には、 B la類 は欠
落す る もの と考 え られる。 B lb類 は、比較 的多 くみ られ (30∼ 36)、 家紋 を配 した文様 と、 本 の葉や植物文 を中
心 とした文様 とに大別 で きる。 B lb類 は、 いず れ も内面朱地 。外面黒地 で あ り、文様 は朱漆 で描 かれた ものが多
いが、銀 ?や 金 ?な どを用 いた もの もみ られる。
B2a類 とB2b類 は、腰部 に1本 の稜線 を持 つ 「一 文字腰」 と呼 ばれる器形 で、高台 の形態 によって分類す るこ
とがで きる。江戸 では、 17世 紀後半 の 出土例が最 も古 く、 18世 紀代 には一般的な器形 とされてい る
1992)。
(中
井 さやか
仙台藩領内 にお い て も、同様 の傾 向が考 え られる。仙台藩領 内にお いて も17世 紀後半 で B2a類 にあ たる
ものが 出現 して い る
(27)。
18世 紀前葉 では B2a類 に加 え、新 たに B2b類 が出現 し、出土数 も増 え、装飾 に もい
くつ かのパ ター ンが生 まれて い る。 B2a類 とB2b類 は、装 飾 の点 では共通 してお り、文様 の種類 やそれに伴 った
地 の漆 の配色 の点 か ら、大 きく 3つ に分け られる。 1つ は、 内外両面朱地 の もので、高台内のみ黒地 に朱漆 で銘
が入 る もので ある
(40・ 42・ 43・ 46・ 47)。
ほ とん どの ものは、文様 を伴 わないが、38の み外面 に黒 漆 で文様 が
描 かれて い る。 2つ めは、内面 朱地 ・外面黒地 で、外面 に朱漆 によって文様が描かれ る もので ある
41・ 45・ 48・ 49)。
(37・ 38・
描 かれ る文様 は家紋 に限 られて い る。 高台内 には、黒地 に朱漆 の銘 がみ られる もの もあ る。
この タイプの椀 は、 A類 や B lb類 に も、意匠の点 で共通す るものが存在す る。 3つ めは、 内外両面お よび高台内
が黒地の もので ある
(44・ 50)。
外面 は無文 で あ り、高台内 には朱漆 によって銘がみ られるもの もある。
C la類 は、 16世 紀末 ∼17世 紀初頭 にみ られるのみで、それ以降には存在 せ ず、 18世 紀前葉 の資料 に も含 まれて
はい ない。 C lb類 は、13世 紀以降、中世全体 を通 して主体 となるよ うな伝統的な椀 の形態 で あ り (年 報
9)、
16
世紀末 ∼17世 紀初頭 にお いては、 C la類 とともに椀 の 中で主体 を占める器形であった (7∼ 10)。 しか し、やや時
代 が下 る17世 紀初頭 ∼前葉 の仙台城 出土 の資料 (19∼ 21)で は、量的に激減す る。 17世 紀後半 にお いて も、 C lb
類 は存在す る ものの、その点数 はわず かである
(28)。
18世 紀前葉 では、3点 が分類 されるが、全体 の 出土点数 を
考 える と多 くはな く、 これ以降 の年代 では、 C lb類 はみ られな くな る。 これ ら3点 は共通 した文様 を持 つ ことか
ら、組み になる椀 の可能性 が考 え られる
(51・ 52)。
いず れ も内外両面お よび高台内が黒地で、見込みには朱漆
で丸文 が描かれて い るも 52の み外面 に朱漆 に よって2条 の線文が描かれ る。 16世 紀末 ∼ 17世 紀初頭 にみ られ る C
lb類 の椀 (7∼ 10)は 、高 台径 が大 きい傾向 にあるが、 17世 紀後半 や 18世 紀前葉 の資料 では、その よ うな特徴 は
み られな くなるなど、器形 にお いては変化 もみ られる。
C2a類 は、今 の ところ、各年代 を通 して出土 して い ない。 C2b類 は、 18世 紀前葉段 階で 出現す る形態である。
いず れ も内外両面朱地 で、高台内のみ黒地 の ものに限 られてい る。高台内 には朱漆 による銘 がみ られる場合 もあ
る。 いず れ も外面 は無文 で あ る。 同様 の特徴 の椀 は、 B2b類 の一 群
(46・
47)に も存在す る。 C2b類 とB2b類
は、共 に18世 紀前葉段 階 で新 たに加 わる形態であ り、 いず れ も「一文字腰」 と呼 ばれる器形 で あ る。 B2b類 の器
高 を低 くした ものが、 この C2b類 に相当す る もの と考 えられる。
C3類 は、17世 紀初頭 ∼前葉段階で出土例が確認 されてお り、18世 紀前葉 において も、 わずかなが ら出土 してい る
(59・ 60)。
17世 紀後半 の資料 では欠けて い る ものの、 19世 紀 まで継続 してみ られる器形である。 C3類 は、年報
9に お いて、「浄法寺椀」 (松 田・羽野 1939)と の 関連 を指摘 して いた椀 で あ る。 18世 紀前葉 の資料 では、 内外両
面お よび高台内 も黒地 で、文様 な どは認 め られない。地 の漆 の配色 は、 18世 紀後半 や 19世 紀 の資料 とは異 な って
い る。
蓋 では、 内面朱地、外面 と高台内が黒地で、外面 に家紋 が配 されるものが最 も多 い。家紋 は、朱漆 の他 に、金
色、銀色 を用 いてい る場合 がみ られる。三引両文 もみ られるが、伊達家以外 の家紋 の方 が多 い傾向 は、 身の意匠
と同様 で ある。 この他 に、内外両面 お よび高台内 も黒地 の ものや、すべ て朱地 の もの もみ られ、 身の意匠 に対応
す るもの と考 えられる。
以上 をふ まえて、漆椀 の変遷 について、 まとめて い く。
16世 紀末∼ 17世 紀初頭段 階 では、 A類 、 B la類 、 C la類 、 C lb類 がみ られ、中で も主体 となるのは C la類 、 C
lb類 で あ る。 C lb類 は中世 か らの伝統的な形態 の椀 で あ る。 A類 、 B la類 、 C la類 の よ うな高台 が高 く、 ロク ロ
挽 き込みが浅 い椀 は、 16世 紀 になって出現 した形態である (年 報 9)。 C la類 に関 しては、 中世的 な C lb類 の体
部 に、近世的な高 い高台 が付 く形態 を してお り、中世 か ら近世 へ の過渡的 な様相 を現 して い る もの と考 え られ、
16世 紀末 ∼17世 紀初頭 にみ られるのみで、それ以降は存在 して い ない。文様 では、 A類 は内外両面黒地に朱漆 で
文様 を描 き、 B la類 、 C lb類 は内朱外黒地 に朱漆で文様 を描 くものが多 い。
次 の17世 紀初頭 ∼前葉 では、 B lb類 ・ C3類 が新 たに出現す る一 方 で、 C la類 はな くな り、 C lb類 は量 的 に激
減す る。 文様 では、 内外両面黒地 で、 内面 に も朱漆 によって文様が描かれ る ものが多 い時期 で ある。
17世 紀後半 では、 B2a類 が加 わ り、 18世 紀前葉 では、 さらに B2b類 とC2b類 が加 わる。 B la類 は、 17世 紀後半
か ら18世 紀前葉 の時期 には確認 されず、 18世 紀後半 には再 びみ られるようになる。
18世 紀前葉 の段 階 では、 A類 、 B lb類 、 B2a類 、 B2b類 、 C lb類 、 C2b類 、 C3類 がみ られ、主体 となる椀 は
B lb類 、 B2a類 、 B2b類 、 C2b類 で あ る。 これ らは器形や装 飾 の点 で相 互 に共通す る要素が認 め られ る。 B lb
類、 B2a類 、 B2b類 には、内朱外黒地 で、朱漆 によって家紋が描かれ る一群がみ られる。 B2a類 、 B2b類 、 C
2b類 には、内外両面朱地、高台内のみ黒地 で、外面 に文様 を持 たない ものがみ られる。 高台内 には、朱漆 によっ
て銘 がみ られる場合 もあ る。 B2a類 とB2b類 には、無 文 で、 内外両面お よび高台内 も黒地 の ものがみ られる。
文様 では、草花文系 の文様、家紋、それ以外 の大 きく 3つ に分類 される。草花文系 の文様 は、 A類 とB lb類 に
ついてみ られる。菊花文、竹文、紅葉文、草文、鶴文 な どを、椀 の外面 にのみ展 開させて い る。家紋 については、
17世 紀初頭 ∼前葉 の段 階 では、伊達家 の家紋 の一 つ である三 引両文が圧倒的に多 く、 17世 紀後半 になると、伊達
家以外 の家紋 をあ しらった ものが認 め られるよ うにな り、それ以降、伊達家以外 の家紋 が主体 となる傾向にあっ
た。 18世 紀前葉 の資料 で も、そ の傾 向 に矛盾 はな く、 三引両文 もみ られるが数 は少な く、多 くは伊達家以外 の家
紋 で あ る。家紋 は、器面 に3カ 所配す るの を基本 として い る。 また、一見す ると同 じ家紋 に見 える椀 もい くつ か
あるが、家紋 の葉や花 の形 な ど、細部 の表現 に違 いがみ られる場合 が多 い。草花文系 と家紋以外 の文様 はご くわ
ず かである。これ ら以外 の文様 の ものは比較的少 な く、C lb類 で見込 み 円文 と外面 に 2条 の線文 がみ られるほか、
B2a類 で外面 に 2条 の線文がみ られる。
高台内 には銘 を持 つ もの も多 くみ られる。 銘 は、 内外面 の地 の色 に関 わ らず、高台内 は黒地で、朱漆 によって
銘が描 かれて い る ものが大半である。 しか し、内外両面朱地 の椀 に限っては、 一 部 の もので、高台内 も朱地 で、
黒色や金色 によって銘が描かれてい る もの もみ られる。
18世 紀後半 になると、 中世以来 の伝統的な器形 を受け継 いだ C lb類 がみ られな くな り、 これ以 降、確認 されて
い ない。 また、 18世 紀前葉 では比較的多 くみ られた B2a類 、 C2b類 も、 18世 紀後半以降 は欠落す る。 一方 で、 17
世紀後半や 18世 紀前葉 で欠落 してい た B la類 は、18世 紀後半や19世 紀 の資料 では、再 びみ られるよ うになる。 19
世紀 の資料 では、一 部 に、胴部下半 の器壁 が厚 く、底部 か ら口縁部 に向かって次 第 に薄 くな るよ うに作 られた椀
がみ られ、特徴的 である。
小結
以上、 18世 紀前葉 の新 たな資料 を加 えた漆器の椀 につい て、その変遷 をみて きた。 18世 紀前葉 の段 階 は、 陶磁
器 の項 で も述 べ たが、供膳具 の 中で漆器 が まだ一定程度 の割合 を占めて い る時期 で あ り、出土量 も比較的豊富で
ある。 しか し、器形や文様 では、 17世 紀前半代 とは大 きく様相 を異 に してい る ことが理解 され、その変化 は17世
紀後半 の資料 で現 れ始めて い る もの と考 え られる。 17世 紀前半 は、供膳具 に 占める漆器 の割合 が非常 に高 い時期
で あ るが、 17世 紀末葉 では、陶磁 器が浸透 し、漆器の割合 が大 きく変化す る (図 2-8、 図2-9)。 この変化 が、
漆器 の様相 に も大 きく影響 を与 えて い るもの と考 えられる。
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④箸状木製品
武家屋敷地区第 7地 点 の調査 では、2号 遺構 か ら多量 の箸状木製品が出土 してい る。 2号 遺構 出土 の箸状木製
品は、完形 の ものが4611点 、一端が欠損 した ものが14320点 、両端が欠損 した ものが9213点 と、 これ まで の仙台
城跡 二の丸地区、武家屋敷地区の調査 で 出土 した箸状木製品 をはるかに超 えた数が出土 してい る。 2号 遺構 につ
い ては、武家屋敷地 区 ではあ ま り多 くない傾 向 にあ る土 師質土器 の皿が大量 に出土 す る点、木簡 の記載 内容 に
「二 の丸」 を示す ものが多 い点 な どか ら、2号 遺構 は仙台城 二の丸 か ら搬 出 された ごみが廃棄 された土坑であろ
う と考 え られ る (年 報 19第 1分 冊、第 2分 冊、第 3分 冊 )。 そ のため、 これ らの大量 の箸状木製品 につい て も、
土師質土器 の皿 とと もに、二の丸内で行 われる武家 の儀礼的な饗宴 の場 で使用 され、そ の まま廃棄 された もので
あ ろ う と推測 される。 2号 遺構 の 出土遺物 は、木簡 に記載 されて い る年号 か ら、 18世 紀前葉 の一括資料 と考 え ら
れ、 これ らの箸状木製品 も、18世 紀前葉 に位置づ け られる もので ある。
表2-5は 、年報 9で 示 した箸状木製品の先端形状 の集計 に、武家屋 敷地区第 7地 点 2号 遺構 の資料 を加 えて示
した もので あ る。 2号 遺構 の資料 については、両端が残存 してい る完形 の箸状木製品 について、その先端形状 を
集計 してお り、一端 が欠損 した ものの点数 は含 まれて い ない。先端形状 は、年報 9で 示 した A類 ∼ D類 の他 に、
新 たに E類 、 F類 を追加 して い る。 A類 ∼ D類 は、先端 に特 に加 工 を加 えず切断面 を残す も (A類 )、 先細 に作
り出すが切 断面 を残す もの (B類 )、 先端 を尖 らせ切断面 を残 さない もの (C類 )、 ヘ ラ状 に作 り出す もの (D類 )
で あ る。 E類 とした ものは、先端 の一側面か らだけを削って尖 らせた もの (年 報 19第 4分 冊 W125。 W126)、
F
類 とした ものは、 A類 ∼ E類 以外 の特殊 な先端形状 の もの (年 報 19第 4分 冊W128)で ある。
2号 遺構 出土 の箸状木製品では、両端 と も加 工 を加 えず 、断面が略楕 円形 のAA類 が量的に圧倒的に多 い。次
いで、一端 は加 工 を加 えず切断面 を残 し、他端 を尖 らせ るAC類 や、他端 を先細 に作 り出す が切断面 を残すAB類
が多 くな る。 しか し、 AA類 は これ らをはるかに超 えた点数が出土 してお り、 主体 となるのはAA類 の箸状木製
品 で あ る と考 え られる。 また、一端 は加 工 を加 えず、他端 を一側面か ら削 って尖 らせたAE類 や、他端 をヘ ラ状
に作 り出すAD類 な ども、多 くはないが一 定程度 み られる。BB、 BD、 BE、 CCな ど、両端 ともに加工がみ られる
形状 の箸状木製品 もみ られ るが、出土 点数が 1∼ 数点程度 で あ り、 ご く限 られた特殊 なもので あ ろ う と考 え られ
る。
圧倒 的 に多 いAA類 は、「寸胴箸」 と呼 ばれ る ものに相当す る (萩 尾 昌枝 1992)。
AB類 やAC類 の 中で、AA類
と同程度 の長 さの ものは、「片 口箸」 に相当す るもの と考 えられる。AB類 ・AC類 の うち、AA類 と比べ て、長 さ
が短 い ものについては、すべ てが箸 として用 い られた もの とは考 えがた く、箸以外 の用途 の もの も含 まれて い る
と考 え られる。BB類 やBC類 、CC類 はほ とん ど出土 して い ないが、「両 口箸」 に相当す る もの と考 えられ る。大
多数 が 自木 の箸 で あ り、漆塗 りの箸 は 9点 出土 して い るのみであ る。 白木 の箸 に関 しては、整形 。調整 の非常 に
丁寧 な もの もみ られるが、多 いの は調整痕が残 る状態 の もので あ る。
次 に、2号 遺構 出土 の箸状木製品の長 さについて、 図2-30に 示 して い る。 なお、2号 遺構 出土 の資料 の うち、
断面 が方形 を呈す る ものは、その形状か ら箸 以外 の 串や楊枝 の よ うな用途 の可能性が高 い ものが多 い ため、点数
か らは除外 して い る。 18世 紀前葉 の2号 遺構 では、210∼ 219mmに 顕著 な集中がみ られ る。他 の時期 と比較す る
と、 17世 紀末葉 では240mm前 後 に、 18世 紀後葉 は210mm前 後 に顕著 な集中がみ られ、 18世 紀前葉 の段 階で箸 の
長 さが短 くなってい る ことが読み取 れる。 17世 紀末葉 では八 寸箸 が用 い られ、 18世 紀前葉 の段 階で七寸 の長 さに
短 くな り、 18世 紀後葉 の段 階で も七寸 の箸 が用 い られてい る ことが明 らか となった。
また、 2号 遺構 の箸状木製品では、比較 的短 い もの も一 定量み られる ことが注 目され る。短 い ものについては、
特 に集 中す る箇所 はみ られない。長 さの境 としては、長 さ210∼ 219mmの ものは比較的多 く出土 してお り、七寸
の箸 のば らつ きの範疇 に含 まれる もの と考 え られ、長 さ190∼ 199mmで 急激 に点数が少 な くな る ことか ら、 この
前後 に境があ る もの と推測 される。
表 2-5
Tab.2-5
仙 台城跡 二の 丸地区 お よび武 家屋敷 地 区出土箸状木 製品 の 先端形状
Count of chopsticks frorn the secondary citadel of Sendai Castle and samuraf residence
箸状木製品 の先端形状
AA
AB
AD
AE
BB
BC
BD
BE
CC
CD
DD
CF
DE
EE
合計
1
2
1
1
1
1
1
1
1
︲m
6
4
3 助
l
1
6
︲②
8
4171
(1)
(8)
7
3②
1
1 ⇒
3 助
二の九地区第 9地 点
16号 土坑
(18世 紀後葉)
CE
5 D
3 D
武家屋敷地区第 7地 点
2号 遺構
(18世 紀前葉)
0
30
︲
二の丸地区第 9地 点
基礎 9区 Ⅶ層
(17世 紀末葉)
AC
l D
二の九地区第 9地 点
8・ 7層 、16号 溝
(17世 紀初頭 ∼前葉 )
1
( )内 は断面が方形 を呈す るもの
0
100
200点
二の丸第 9地 点 16号 土坑
(18世 紀後葉)
武家屋敷地区第 7地 点 2号 遺構
(18世 紀前葉)
二の丸地区第 5地 点基礎 9区 Ⅶ層
(17世 紀末葉 :元 禄年間)
0
1000
2000
3000
4000メ 1
100
0
200
300′ 点
99mm以 下
100∼
l10∼
109mm
119mm
120-129mm
130-139mm
140-149mm
150-159mm
160-169mm
170-179m
180-189mm
190-199m
200∼
1
1
i37
209mm
コ 233
3R37
210∼ 219m
220∼
229mm
コ149
(七 寸 =糸
212mm)
(
ヒ寸 =約 212 mm)
230∼ 239m
240∼ 249m
250∼ 259m
260∼ 269m
270∼ 279m
1
-223
280∼ 289m
290∼ 299m
300mm以
上
1
N=165(断
面 方形 を含 む)
N=4516(断 面方形 は含 まな い
)
N=375(断
面 方形 を含 む)
図2-30 仙 台城跡 二 の 丸地区 お よび武家屋敷 地 区出土箸状木 製品 の 長 さ
Fig.2-30
Histograms for length of chopsticks fronl the second citadel of Sendai Castle and samLrraf residence
表 2-6 仙 台城跡武 家屋敷地 区第 7地 点 2号 遺構 出土箸状木 製品 の先端形状
Tab.2-6 Count of chopsticks from No.2 structural rernains at BK7
長さ
先端形状
AA
AB
99mm以 下
AC
AD
AE
BB
1
BD
BE
CC
CD
CF
190^´
1
1
1
1
199mm
209mm
219mm
220^´ 229mm
230へ ´239mm
240^´ 249mm
270へ ´279mm
合計
EE
1
110∼
200∼
210∼
DE
1
l
100へ ´109mm
119mm
120-129mm
130-139mm
140へ ´149mm
150^´ 159mm
160-169mm
170-179mm
180-189mm
DD
1
205
1
1
3766
3837
1
1
合計
1
44
1
1
1
1
1
1
1
1
表2-6は 、2号 遺構 出土 の箸状木製 品 につ い て、先端形状 を長 さの違 い によって比 較 した もので あ る。 なお、
断面 が 方形 を呈す る もの は 除外 して い る。長 さが集 中す る210∼
219mmや そ の前後 の200∼ 209mm、 220∼
229mm、 230∼ 239mmで は、 AC類 、 AD類 、 AE類 などの先端が尖 る加 工が なされて い るもの も含 まれてはい
るが、先端形状 AA類 の方 が多数 で あ る。 一 方、 190∼ 199mm以 下 の長 さでは、先端形状 AA類 はわず かで、先
端が尖 る形状 の ものの方 が多 くなって い る ことが読 み取 れる。 この こ とか ら、長 さが短 い箸状木製品では、箸以
外 の、例 えば串の よ うな用途 の ものが含 まれて い る もの と考え られる。短 い箸状木製品の 1つ 1つ を観察す る と、
整形や調整 の痕跡 は、箸状木製品の主体 を占める先端形状 AA類 で長 さが七寸 の もの と同様 で あ る。 これ らの先
端 を加 工 して短 い箸状木製品が作 られて い る ことが考 えられ、加工途中 とみ られる資料 も出土 してい る (年 報 19
第 4分 冊 W105。 W109)。 そ のため、先端が尖 る ものは七寸 よ り短 い方 に多 くな り、用途が様 々で あ るため、分
布 に も集中がみ られないので あ ろ うと考 え られる。
小結
これ らの箸 は、多 量 の土師質土器 の皿 とと もに出土 してお り、そ れ らは、儀礼的色彩 を帯びた饗宴 の席 で使 わ
れた後、 まとめて捨 て られた もの と考 え られる。 白木 の箸が短小化す ることについては、2号 遺構 出土資料 を検
討す る ことによって、 18世 紀前葉 の段 階 で、7寸 の箸 に短 くなってい ることが 明 らか となった。その背景 につい
ては、伝統的な儀礼が、形 を維持 しなが らも次 第 に形骸化 して い くとい う事情 が存在す る もの と考 えてい た (年
報
9)。
箸 の長 さとい う視点 か らは、 17世 紀末葉か ら18世 紀前葉 の 間に、時代が変化 してい く様相 の一端 が伺 え
る もの と考 え られる。
⑤駒形木製品
武家屋敷 地 区第 7地 点 の調査 で は、駒形 の 木製品が 5点 出土 して い る (図 2-31)。 W241は 24号 土坑 か ら、
W242∼ 245は 2号 遺構 か らの出土である。24号 土坑 は、2号 遺構 に隣接す る廃棄土坑 で ある
(年 報 19第 1分 冊 )。
24号 土坑 の 出土遺物 は、陶磁 器や木簡 の内容か ら、2号 遺構 と同様 に18世 紀前葉 の資料 で あ ることが考 え られて
い る (年 報 19第 2分 冊、第 3分 冊)。 W241、
243、
245は 、欠損部分 もあるが、馬 の立像 で あ り、W242、 244は 馬
の頭部 か ら頸部 を表 した もので あ る。
仙台城下 にお け る馬 の立像 については、近世 に遡 ることが考え られるもの として、木 ノ下駒が挙 げ られる。木
ノ下駒 とは、旧暦 三 月三 日の木 ノ下 白山神社 の祭礼 の際 に、参道 の露店 で売 られて い た もので、「青葉駒」 (永 田
久光 1956)、 「 ウマ ッコ」 (小 野寺 正人 1998)な どの呼 び方 がある。 白山神社 は、 陸奥国分寺 一 山の鎮守神 として
勧請 された一 山十八伽藍 の一社 であ る。 白山神社 の神事 では、舞楽奉納 が終 わると神楽 が演 じられ、その後 に流
鏑馬が執行 された。 白山神社 の祭 りでは、参道 の露店 で、木 ノ下駒や松川達磨が売 られ、参詣 に来 た人 々が これ
らを買 い求 めた (小 野寺 正人 1998)。 木 ノ下駒 の起源 は、江戸時代 に陸奥国分寺境 内で催 された馬 の競 り市 で あ
るとされて い る (仙 台鉄道局編 1937、 永 田久光 1956)。 この馬 の競 り市 では、 良馬が選 ばれ、 多賀 の 国府か ら、
朝廷 に奉ず る習慣 があった。その献 馬 の胸 に下 げた馬形 が木 ノ下駒 のは じま りとされ、後 に、厩の守護信仰 とし
て、 これ を奉 る風習 が生 じた と伝 え られてい る。 しか し、木 ノ下駒 自体が、具体的にいつの年代 に誕生 した もの
か につい ては不 明 で ある。東北地方 には名馬 の産地が多 く、 三春駒 (福 島県 )、 八 幡駒 (青 森県 )な ど、他 に も
類似 した木製 の駒形 の郷土玩具が知 られる。近世 まで遡 る こ とを確実 に確認 で きるものは少ないが、木製の他 に
も張子製、土製 な ど、東北地方 には馬 を模 った郷土玩具が多数存在 してお り、馬 の産地 として、馬 が 身近 な存在
であ ったことが推測 される。
木 ノ下駒 の伝世 品 としては、仙台市博物館所蔵 の三 原良吉 コ レクシ ョンに収蔵 されて い るものがある (図 232、
仙台市博物館 1996)。 近世 と推測 されて い るものでは、3233、
3234、
3235の 3点 があるが、 詳細 な年代 は不
さ15.8cmで ある。
∩麟
鰤炉齊
th o
明である。大 きさは、3233が 高 さ20.lcmと やや大 きく、3234、 3235は これ よ り小 さく、それぞれ高 さ16.2cm、 高
銹
W245
化
)[=コ 曳
w244
r243
、
、
10cm
Fig。 2-31
図2-31
武家屋敷地 区第 7地 点 出土駒形木 製品
Various wooden implements shaped horse from BK7
伝世品 の木 ノ下駒 と、W241、
にお いて も、W241、
243、
243、
245を 比較 して、類似す る点 では、鞍 と尾 の作 り方が挙 げ られる。伝世 品
245に お い て も、鞍 の部分 は、前後 2カ 所 に溝状 の切 り込 みが入 り、そ こに薄 い板 を
挿 し込んで表現 されてい る。残存状態 によって、 薄 い板 は欠落 して い る場合 もみ られる。尾 については、 いず れ
も小孔が穿 たれて い る。近代 の民芸 品 では、 シュ ロな どの繊維 を挿 し込んで尾 を表現 した ものがみ られるため、
これ らの小孔 につい て も同様 の もので あ った と考 え られる。大 きさでは、W241の み高 さが判明す るが、15.Ocm
で あ り、伝世品 の うち、比較的小 さい もの とおお よそ 同 じ大 きさと考えてよいであ ろ う。
一 方、全体 的な形状 には違 いがみ られる。伝世品の木 ノ下駒では、各部位が直線的 で角張 った形 を基本 として
い る。 耳 か ら後頭部 にか けては直線的 に削 られてお り、背部 か ら見 ると逆 V字 状 に耳 の形が作 られてい る。後頭
部 か ら背部 の繋 が りも直線的で、脚部 も直線的で太 い作 りで あ る。それ に対 してW241、 245で は後頭部 と背部 の
繋 が り、胸部 や後背 部 の作 りに丸 みがみ られる。 また、たてがみについ ては、W241、 245で は、後頭部 にそれぞ
れ 5カ 所 、 4カ 所の小孔 がみ られ る。伝世品では、両耳 の 間 に小 孔 が 3カ 所
(3223)、
後頭部 に 2カ 所
(3234)、
後頭部 に 1カ 所 (3235)と それぞれ観察 される。 これ らの小孔 は、尾 と同 じよ うに繊維 を挿 し込んで、たてがみ
を表現 した もの とみ られるが、伝世品ではW241、 245よ りも形式的 に表現 されて い る。 さらに、伝世品では、表
面が黒色 に塗 られ、 日部、胸部、胴 部 、臀部 、脚 部な どに、 自 。赤な どの色 で街、鞍や腹帯、前掛 けな どの装飾
が描かれて い る ことが特徴 で あ る。W241、
243、
245で は、埋没段 階 で消 えた可能性 もあるが、彩色や表面が黒
色 に塗 られた痕跡 は観察 されない。 また、W245で は、日部側面 に小孔が貫通 してお り、紐 などを通 して、手綱
の装飾 を加 えた ことが考 え られるが、伝世品では観察 されない。
結論 として、W241、
W241、
243、
243、
245の 駒形木製品 と、伝世品の本 ノ下駒 とは、共通点 もみ られるが相違点 も大 きく、
245が 木 ノ下駒 で あ るか どうかは、現状 では判断がつ かない。伝世品 の木 ノ下駒 は、各部位 が 直線
的 で、たてがみや耳、胴部 、脚部 の表現 が形 式化 して い るのに対 して、W241、
243、
245は 比 較的馬 の形態 を写
実的 に表 して い る。 木 ノ下駒 は、藩士の手内職 として製作 されて い た との記載 もみ られる ことか ら
(仙
台鉄道局
編 1937)、 製作者 によって、仕上が りに差がみ られる可能性 も考 え られ る。 また、年代 によって も形態 に違 いが
あ る可 能性 も考 え られる。 2号 遺構 出土 の駒形木製品 は、供伴す る遺物 の年代 か ら、 18世 紀前葉頃の もので あ る
ことが考 え られる。伝世品 の木 ノ下駒 は、近世 の もので あ ろ う と推測 されて い るが、その詳細 な年代 は判明 して
い ない。そのため、年代が異 なれば、形態 に違 いがみ られる可能性 も考 えられる。
W241で は、 4本 の脚部 に側面か ら穿 たれた小孔がみ られる。形状か ら推測 して、車輪 な どを通 して、馬が動
くよ うに作 られて いたのではないか と考 え られる。 木 ノ下駒では確認 で きなか ったが、福 島県 の三春駒 では、年
代 は不 明 で あ るが、車付 きの もの もみ られ (斎 藤良輔 1968)、 木 ノ下駒 に もこの よ うな形があった可能性 も考 え
られる。現在知 る ことがで きる郷土玩具 に も、木製や張子製な ど材質 はさまざまであ るが、馬や牛 に車輪 が付 い
た ものが各 地で存在 して い る。 また、浮世絵や絵本 な どの資料 で も、馬 に車輪 が付 い た玩具 がみ られ
の 1・
2)、
(図
2-34
玩具 の形態 としては珍 しくはない よ うで ある。絵や郷土玩具 では、馬 や牛 が台車 の上 に乗 って い る
ものが多 いが、脚 部 に車輪 が付 くもの も存在 した可能性が推測 される。
次 に、馬 の頭部 か ら頸部 を表 したW242、 244で あ るが、本 ノ下駒や仙台周辺 の郷土玩具 の資料 の 中 には、 この
よ うな木製品 はみ られなかった。浮世絵や絵本 などの絵画資料や郷土玩具 には、木製 や張子製、練 り物製 と材質
は さまざまであるが、春駒や首馬 と呼 ばれる駒形 の玩具 がみ られる (図 2-33、 図2-34)。 首馬 とは、木製や張
子製 で、馬 の頭部か ら頸部 を模 した玩具である。春駒 とは、丸竹 の先端 に この首馬 を取 り付 け、他 の端 に小 さい
車輪 を付 けた もので (斎 藤良輔 1968、 佐久問良彦2005)、 馬 に乗 ってい る状 態 を真似 て、子供 が遊 ぶ玩具 で あ る。
喜多川守貞 の 『守貞漫稿』 (朝 倉治彦 ・柏川修 一編 1992)に も、絵 とともに春駒 に関す る記述 がみ られる
(図
2-
34の 3)。 首馬や春駒 は、材質、形態、由来 な ど、全 国に色 々な種類があ り、郷土玩具 として現在確認 で きるもの
には、大 山の竹馬 (鳥 取県 )、 首馬 (大 阪府 )、 竜泉寺 の 串馬 (愛 知県 )な どが挙 げ られ る (西 沢笛畝 1965)。
W242、
244と 最 も形状が似ているのは、大山の竹馬で、板で作 られた馬の頭部か ら頸部に、竹 の棒 を付けたもの
である。W242、 244に も、下部に突起がみられ、この突起 は竹 に差 し込むための ものではないかと推測される。
大山の竹馬 にみ られない特徴 としては、W242、 244で は、日部側面 に小孔が貫通 してお り、W245と 同様 に、
紐などを通 して、手綱 としたのであろうと推測される。絵画資料では、張子製 とみられるが、春駒 に手綱が付 き、
子供がその手綱を持 っている様子が多数描かれている
(図 2-34の 2・ 406)。
また、W242、 244に は、馬の頭部
にそれぞれ6カ 所、5カ 所 の小孔がみ られる。 これらは、繊維を差 し込んでたてがみ とした ものと考えられ、図
2-34か らもたてがみの様子が うかがえる。
春駒 は、生竹 に紐 を付けて手綱 とし、 これを馬 に見立ててまたがって遊ぶ ものから転化 したとされている。江
戸時代頃から、木製や張子製の首馬や、竹に車輪が付 く形 になったようであるが、その発祥 について詳細な年代
はわかっていない。江戸時代 の絵本や浮世絵な どからは、18世 紀中葉∼末頃には、このような形 の ものがすでに
あったことが うかがえる。図2-34の 4は 、柳原関月の『絵本二葉松』の絵 で、春駒 にまたがって遊ぶ童子が描か
れている。柳原関月は生没年が延享四年 (1747年 )∼ 寛政九年 (1797年 )の 人物であ り、 この頃にはすでに春駒
が子供の玩具 として存在 しているようである。図2-34の 6は 、西川祐信の 『絵本西川東童』の中の絵 で、初版が
延享三年 (1746年 )の 刊行 と考えられている ものである
(加 藤康子1997)。
神田明神祭 の様子が表 されてお り、
春駒 にまたがる子 どもの様子が描かれている。図2-34の 5は 、享保十五年 (1730年 )に 出版 された長谷川光信の
『絵本御伽品鏡』の中の挿絵 である。大阪および付近の名物風俗が描かれた ものであるが、春駒 の様子が描かれ
ている。 これによると、子供 の玩具 だけでな く、鼓や三味線 を伴った芸能の様子が見 られる
また、図2-34の 7は 、作者不詳で、「元禄頃の凧
周辺 は焼けて失なわれた もの
(西 沢笛畝1957)。
作者不詳」 の但 し書 きが
付 く資料 である。凧揚げをする様子が描かれているが、春駒 もしくは首馬を持つ童子が傍 らに描かれていること
がわかる
(久 保田米所 1936。
西沢笛畝1957)。 作者や出典が不明であ り、描かれた年代 も不明であるが、 この絵
が元禄頃の様子 を描 いたものである とす るならば、元禄頃まで春駒 もしくは首馬の存在 を追 うことができる可能
性 もある。W241、 245は 、2号 遺構からの出土であ り、供伴遺物から18世 紀前葉 の年代が推測 される資料 である。
18世 紀前葉の資料 に春駒が含 まれていることは、年代的には矛盾 はない ものと考えられる。
小結
以上 の よ うに、武家屋敷地区第 7地 点 2号 遺構、24号 土坑か ら出土 した駒形の木製品 は、木製 の玩具類 で ある
可能性が考 え られる。駒形の玩具 は、材質、形状 はさまざまで あ り、年代 によって も違 い はあ ると考 え られるが、
近世 にお いて比較的身近な形 の玩具 で あ ったよ うである。見落 としが あるか もしれないが、江戸 の遺跡 では駒形
の本製品の 出土例 は確認 で きなかった。絵本や浮世絵 などには駒形 の玩具が多 く登場 してお り、 これ らは張子製
な ど、木製以外 の よ うに観察 され、遺物 として残存 しに くいこ と も考 えられる。
これ らの駒形木製品以外 に も、武家屋敷地 区第 7地 点 の調査 では、 木製品 では羽子板、竹 とんぼ、 将棋 の駒、
独楽 な ど、土 製品の ミニチ ュア玩具、人形、箱庭道具、陶磁器 の 円盤状加 工 品、石製品の碁石 な ど、玩具類 と考
え られる遺物が出土 してい る。江戸 の遺跡か ら比べ ると、必 ず しも多 い 出土点数 とは言 えず、年代別 の様相や地
域性 な どを考 えられるよ うな状況 にはないが、仙 台城下 にお い て もさまざまな玩具が作 られ、用 い られて いたこ
とが推測 される。
仙台市博物館 1996
『仙台市博物館収蔵資料目録Ⅷ
一三原良吉 コレクションーJ巻 頭写真
3233
Fig.2-32
1木 ノ下駒
図2-32 伝世品 の木 下駒
koma handed down to posterity
The picture of the Kinoshita―
2.三 春駒 (福 島県)
(宮 城県)
4.大 山の竹馬 (鳥 取県)
3.首 馬 (大 阪府)
1∼ 4:西 沢笛畝 1965『 日本の郷土玩具』
の
土玩具
駒形 郷
f a horse
The folk toysin the shape( Э
図2-33
Fig.2-33
│!::う
松園 (序 文)・ 辰景 (絵
『竹馬之友』刊年不明
)
出典 :笹 間良彦 2005
『日本こどものあそび大図鑑』
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1993
1994
東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター
東北大学埋蔵文化財調査研究 センター
東北大学埋蔵文化財調査研究センター
東北大学埋蔵文化財調査研究センター
東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター
東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター
東北大学埋蔵文化財調査室
東北大学埋蔵文化財調査室
東北大学埋蔵文化財調査室
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『東北大学埋蔵文化財調査年報11』
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米川幸子
(3)武 家屋敷 地区第 7地 点出土木簡 の樹種
小川 とみ 。鈴木 三男 (東 北大学植物 園)
仙台城 二の丸地区か ら出土 した本簡 の樹種 を調べ た。 これ らは遺構 に大量 に廃棄 された もので、そのほ とん ど
は伊達領内か らの物資 に付 け られて いた荷札 と思われる。出土 資料 か ら剃刀刃 を用 いて木 日、板 日、柾 目の薄切
片 を切 り取 り、 ガムク ロ ラールで封入 してプ レパ ラー トとし、 光学顕微鏡 で観察 同定 した。 プ レパ ラー トには
MYG-4592∼ 5000、
5644∼ 5665の 番号 が付 されて い るが、若千 の重複サ ンプ リ ングを除 き、同定 された合計点
数 は428点 であ る。 この 中か ら以下の樹種 が同定 された。
1. カヤ Torreya nucifera(L。 )Sieb.et Zucc.イ チイ科
写真
la_c。
(MYG-4862)
保存性が よい 出土材 で、 晩材部 は とて も幅狭 く、年輪 は 目立 たない。樹脂細胞 はな く、仮道管 と放射組織 だ け
か らなる。仮道管内壁 には顕著 な らせん肥厚 があ り、 2∼ 3本 づつ まとまって走 る。放射組織 は柔細胞 か らな り、
細胞 内容物 は黒褐色 にな らない。分野壁孔 は小 さい ヒノキ型 ∼ ス ギ型で 1分 野あ た り 1、
2個 あ る。 これ らの形
質 か らイチイ科 のカヤの材 と同定 した。 イチイ とは らせん肥厚 が 2∼ 3本 づつ ま とまって走 る事 によ り、イヌ ガ
ヤ とは樹脂細胞 を欠 くこ とによ り区別 される。
カヤは東北地方南部 (岩 手県 一 関市、宮城県気仙沼市 )以 南 の暖温帯 に広 く生 える常緑針葉樹 で、幹径 lm、
樹 高25mの 大高木 となる。 木理通直 で、堅 く緻密 で弾性があ り、切削加工が容易、木肌美 しく、香 りがあって保
存性 も高 くてt極 めて優秀 な針葉樹材 で あ る。建築材、各種器具材 など多様 な用途があるが、美術 工芸 品、 と く
に木彫像、碁盤、将棋盤 などの特用 がある。
2.モ
ミ属
Abies
マ ツ科
写真 2a― c.(MYG-4630)
一見 ス ギ材 に似 た年輪 の 明瞭 な針葉樹材 で、早材 、晩材 と も幅広 く、早材 か ら晩材 へ の移行 は緩やか で あ る。
仮道管 に らせ ん肥厚 はな く、樹脂細胞 も無 い。放射組織 は柔細胞 のみか らな り、そ の垂直、水平壁 は厚 く、多数
の単壁孔 があるモ ミ型壁孔 となる。特 に垂 直壁 は串団子状 となる。 分野壁孔 は小型の スギ型で 2-4個 あ る。 こ
れ らの形 質か らモ ミ属 の材 と同定 した。
モ ミ属 には暖温帯 に広 く分布す るモ ミのほか、太平洋側地域 では冷温帯 に多 い ウラジ ロモ ミ、亜高山帯 に多 い
シラベ等 があ り、そ の材構造 での 区別 は困難 で ある。
モ ミは東北地方中部 (太 平洋側 では岩手県宮古市付近)以 南 の本州、四国、九州の暖温帯 か ら冷温帯下部 にか
けて普通 に生 える針葉樹 で、幹径 1.5m、 樹高30mに なる。材 は木理通直 で割裂性 が よ く、加工 は容易 だが、肌 目
が粗 く、軽軟 で、狂 いやす い等 の欠点があ る。保存性 も低 い。各種建築材 、箱 もの などの器具材、小細 工 もの、
棺桶 、卒塔婆 などの用途があ る。
3.ア
カマ ツPinus densi■ ora Sieb.et Zucc.マ ツ科
写真 3a¨ c.(MYG-4618)
年輪 が幅広 く、幅広 い晩材部 を持 ち年輪界が明瞭な針葉樹材で、水平 。垂直両樹脂道 をともに持 つ。早材か ら
晩材 へ の移行 は緩や かで、樹脂道 は多 くは晩材部 にあ る。放射組織 は単列 と中央 に放射樹脂道 を持 つ紡錘形 の 2
種類 があ り、その上 下 には 1∼ 数細胞層 の放射仮道管があ り、その 内面 は、細胞壁 が 断面 で鋭角な鋸歯状 に不規
則 に肥 厚 して い る。放射柔組織 の水平壁 は平滑 で薄 く、分野壁孔 は大型 の 窓状 で普通一分野 に一つ あ る。以上 の
形質 よ り、 マ ツ科 のアカマ ツの材 と同定 した。五葉松類 とは放射仮道管 の内壁が厚 く肥厚す ることで、 同 じ二葉
松類 のク ロマ ツとはそ の内壁 の肥厚が鋭 く鋸歯状 になることで 区別 される。
アカマ ツは下北、津軽両半島以南 の本州、四国、 九州 の冷温帯 か ら暖温帯 にか けて もっとも普通 に生 える針葉
樹 で、特 に痩 せ 地、岩盤 の露出 した急傾斜地 、二次林 に多 い。幹径 lm、 樹高30mに な り、材 は木理通直 で重 硬、
樹脂分が多 く加 工が 難 しいが水湿 に良 く耐 え、保存性 が よい。材 は建築材、各種器具材、土木用材、製鉄用 の炭
材、薄 く剥 いで経木や縄 にす るな ど、広 い用途があ る。
3'。
二葉松類
(マ
ツ属複維管束亜属) Pinus subgenus Diploxylon
マ ツ科
マ ツ属 は葉 の維管束 が 1本 の もの (単 位管束 亜属)と 2本 の もの (複 維管束亜属 )の 二つ に分け られ、我 が 国
では前者 には ヒメコマ ツ、ハ イマ ツな どの短枝 に 5本 の葉 が付 く、いわゆる「五葉松類」が、後者 にはアカマ ツ、
ク ロマ ツな どの短枝 に2本 の葉 が付 く「二葉松類」があ る。 二 葉松類 の材 は幅広 い年輪 と幅広 い晩材部 を持 ち、
放射仮道管 の 内壁 は多 かれ少 なかれ不規則 に肥厚す ることか ら、次項 に記載 した五葉松類 か ら区別 される。一方、
宮城県地方 には二葉松類 はアカマ ツとクロマ ツが あ るが、前者 は放射仮道管 の鋸歯状突起 が激 しいこ とで それほ
どで もない ク ロマ ツか ら区別 されるが、 これは出土材 の保存性が良 く、細部 まで観察で きる場合 に限 られる。 こ
こで二葉松類 と同定 した ものはアカマ ツかク ロマ ツかの 区別が出来なか った もので あ る。 ただ し、種 まで同定で
きた ものが アカマ ツのみに限 られる ことか らこれ らのほとん どもアカマ ツで ある と考 える ことが出来る。
4.五 葉松類
(マ
ツ属単維管束亜属 )Pinus subgenus Hapluxylon マ ツ科
写真 4a― c.(MYG-4628)
年輪 は狭 いかやや広 く、広 い早材部 と狭 い晩材部 を持 つ針葉樹材 で、早材 か ら晩材 へ の移行 はゆるやかで あ る。
垂直樹脂道が年輪 の あち こちに散在す る。放射組織 は単列 の もの と水平樹脂道 を持 つ紡錘形 の ものが あ り、背 は
低 く、柔細胞、放射仮道管、それに水平樹脂道 を取 り囲 む分泌細胞 か らなる。分野壁孔 は大 きな窓状 で 1個 、放
射仮道管 の内壁 の肥厚 は緩やかに起伏す る。以上の形質か らマ ツ属 の うち、チ ョウセ ンゴヨウマ ツ、 ヒメ コマ ツ、
ハ イマ ツな どの五 葉松類 (単 維管束亜属 )の 材 と同定 した。
ヒメコマ ツは本州及 び北海道 の暖温帯 上部 か ら冷温帯 にか けて広 く分布 し、宮城県地方 では山間部 の急傾斜地
の尾根筋に分布す る。幹径60cm、 樹高20m以 上 にな り、本理通直 で柔 らか く、肌 目はア カマ ツよ り精 で ある。
5.ス ギ
Cryptomeria japonica(Linn。
1)D.Don
ス ギ科
写真 5a― c.(MYG-4601)
年輪 が明瞭な針葉樹材 で、年輪幅 は通常広 く、広 い早材部 と比較的広 い晩材部か らな り、早材 か ら晩材 へ の移
行 は幅広 い年輪 ではゆるやかで、 日の詰 んだ年輪 ではか な り急 である。樹脂細胞 は晩材部 に多 く、やや接線方向
にあつ まって散在する。樹脂細 胞中 には黒褐色 の物質が充填 してお り、細胞 の水平壁 は平滑 で薄 いか、やや厚 く、
多少数珠状 に肥厚す る。放射組織 は単列 で柔細胞 のみか らな り、背 はか な り高 くな り、垂直、水平壁 は平滑、分
野壁孔 は大型 の楕 円形 で 開孔部 は厚 い レンズ状 とな り長軸が ほぼ水平方向 で、スギ型、1分 野 に 1∼ 2個 あ る。
以上の形 質 か らス ギの材 と同定 した。
ス ギは本州北 部 (青 森県津軽地方南部)か ら九州屋久 島までの冷温帯 か ら暖温帯 に広 く分布す る針葉樹 で、 日
本海側 と東海地方 に特 に多 い。宮城県地方 では天然分布 は殆 どない。 一般 に、幹径 2m、 樹高35mを 超 える大高
木 とな り、材 は木理通直 で割裂性 が よ く、軽軟 で強靭、加 工性 が よ く仕上げは中位 で あるが大材が多量 に得 られ
るので、大型か ら個人住宅 まで建築物 のあ りとあ らゆるところ、 あ りとあ らゆる器 具材、そ の他、国産材 では も
っ とも広 い用途がある。
6.ク ロベ
(ネ
ズ コ) Thuja standishii(Gord。 )Carriere ヒノキ科
写真 6a― c.(MYG-4989)
アスナ ロに似 た針葉樹材 で、水平 ・垂直樹脂道 を欠 き、仮道管、放射柔細胞、樹脂細胞か らなる。晩材 部 は一
般 に幅狭 く、早材 か ら晩材 へ の移行 はやや急である。樹脂細胞 は晩材部付近 に散在 し、接線方向に連なる傾向に
あ る。樹脂細胞 には黒褐色物質が含 まれ、水平壁 は数珠状 を呈する。分野壁孔 は小 さく、孔 口が大 きく開 いたス
ギ型で丸 く、開孔部 の長軸方向 は斜 めか ら水平 に近 くな り、1分 野に 2∼ 4個 存在す る。以上の形質か らク ロベ
(別
名 ネズ コ)の 材 と同定 した。
ク ロベ は青森県南部 か ら中部地方 、紀伊半島、四国の冷温帯 上部 か ら亜 高山帯下部 に分布す る針葉樹 で、幹径
60cm、 樹高20mに なる。宮城県地方 では山形県境 の奥羽 山脈 に沿 って分布す る。 木材 は木理通直 で軽軟、割裂
性良 く、耐朽性 にす ぐれ、建築材、器具材等 に広 く使 われる。
7.ア ス ナ ロ
写真 7a―
c。
Thujopsis dolabrata(Lin.Fil.)Sieb.et Zucc.ヒ ノキ科
(MYG-4784)
保存性 の良 い 出土材 で、年輪 は明瞭 で幅狭 い ものか ら広 い もの まである。垂直 ・水平 のいず れの樹脂道 も欠 き、
ス ギ、 ヒノキに似 る。晩材 は ヒノキ同様幅狭 く、材 の大部分 は早材 が 占め、早材 か ら晩材 へ の移行 は急、仮道管
直径 は早材 で もス ギ、 ヒノキ よ り小 さい。仮道管 の 内壁 に らせん肥厚 はない。樹脂細胞 は接線方向 にあつ まって
散在 し、内部 に黒褐色 の樹脂 をもち、水平壁 は結節状 となる。 放射組織 は単列、柔細胞 のみか らな り、分野壁孔
は小型 の ヒノキ型 ∼ トウ ヒ形 で 1分 野 に 2∼ 4個 あ る。 これ らの形 質 か らアス ナ ロ (変 種 の ヒノキアス ナ ロ=ヒ
バThujopsis dolabrata varo hondae Makinoを 含 む)と 同定 した。
母種 のアス ナ ロは宮城最南部 ・ 山形県南部か ら九州鹿児 島県 まで、変種 の ヒノキアス ナ ロ
(ヒ
バ)は 北海道南
部 (渡 島半島)か ら尾瀬、 日光地域 お よび能登半島 に分布 し、 いず れ も樹高30m、 幹径80cmに なる。宮城県地
方 ではヒノキアスナ ロ
(ヒ
バ)は 山形県境 の奥羽山脈 に沿 って分布す る。材 はやや堅 く、強靭 で きめ細か く、保
存性 が大 変良 い。建築材、各種器具材 な どに広 く用 い られる。
7'.ヒ ノキ科
仮道管、樹脂細胞、放射組織 か らな り、樹脂道 を持たない針葉樹材 で、年輪幅 は一般 に広 くな く、広 い早材 と
狭 い晩材、樹脂細胞 には黒褐色 の物質があ り、水平壁 は しば しば数珠状 になる、等 の形質か ら、 ヒノキ科 の材 で
あ ることは分か るが分野壁孔 が細 胞壁 の劣化 によ りほ とん ど観察 で きないため、 クロベ属 かアス ナ ロ属 か、ある
い は他 の ヒノキ科 の属 かの区別がで きない もの を「 ヒノキ科」 とした。ただ しヒノキ科 ではク ロベ とアスナ ロが
識別 されて い るのみなので、 この何 れかであると考 えられる。
8.ハ ンノキ属 ハ ンノキ節 Alnus sect.Gymnothursus
カバ ノキ科
写真 8a― c.(MYG=4667)
薄壁 で多角形 の小道管が均 一 に分布す る散孔材 で、集合放射組織 が放射方向に走って道管 の ない部分 をつ くる。
道管 は2∼ 多数 が放射方向 につ なが るか単独 で分布す る。道管 の穿孔 は横棒が20本 くらいか らなる階段状で、側
壁 の壁孔 はやや大振 りの小孔紋 で交互状 に密 に分布 し、道管内壁 には らせん肥厚 はない。本部柔組織 は散在す る
が 目立たない。放射組織 は単列 同性 と集合放射組織 がある。以上 の形質か らブナ科 ハ ンノキ属 のハ ンノキ節 の材
と同定 した。
宮城県地方 ではハ ンノキ節 の樹木 は低 山地、沢沿 い にケヤマハ ンノキが、 また低湿地、河川敷 などにはハ ンノ
キが広 く分布す る。互 い に材構造 はよ く似 てお り識別 は困難 で ある。 いず れ も幹径 50cm、 樹高 15mに 達す る落
葉高木 で、ケヤマハ ンノキの材 はやや硬 く脆 く、ハ ンノキの材 は柔軟 だがやは り脆 い。
9.ク マ シデ属 クマ シデ節 Carpinus sect.Distegocarpus カバ ノキ科
写真
9a_c.(MYG-4637)
小型 で丸 い道管が単独 あるい は数個放射方向に複合 し、放射方向 に波打 って散在す る散孔材 で、道管 の直径 は
年輪 の後半 で徐 々 に減少す る。 木部柔組織 は接線状 に連 なる。道管の穿孔 は数本 の横棒か らなる階段状 と単 一の
両方がある。放射組織 は同性 にちか い異性 で、2∼ 3細 胞幅 で ある。 これ らの形 質 か らクマ シデ属 クマ シデ節 の
材 と同定 した。
クマ シデ節 にはクマ シデ とサ ワシバ があ り、温帯 の落葉樹林 に広 く見 られる。宮城県地方 ではサ ワシバ は県内
全体 の 山間部 に生 育す るが、 クマ シデは県南 に限 られる。 いず れの材 も硬 く粘 りがあ り、柄物、各種器具材 に利
用 される。
10.ク リCastanea crenata Sieb.et Zucc.ブ ナ科
写真 10a_c.(MYG-5647)
年輪 の始 め に丸 い大道管が単独 で1∼ 3層 に配列 し、晩材 部 にか けて道管は小型薄壁 とな り、徐 々 に径 を減 じ、
火炎状 に配列す る環孔材 であ る。道管 の穿孔 は単 一 で、道管内部 にはチ ロー シスが著 しい。木部柔組織 は接線状
∼短接線状 に配列す る。放射組織 は単列 同性 で、道管 との壁孔 は対列状、あ るい は柵状 となる。 これ らの形 質 か
らブナ科 の クリの材 と同定 した。
クリは北 海道南部か ら九州 まで広 く分布す る落葉高木 で、二 次林 に最 も普遍的な種 の一 つ で あ る。材 はやや硬
く、割裂容易 で、保存性 にす ぐれ、特 に水湿 に強 い。大材が得 られる こと もあ って建築材、器具材、土木用材 な
ど実 にさまざまな用途があ る。
11.コ ナ ラ属 コナラ節 Quercus sect.Prinus
写真
ブナ科
1la_c(MYG-4980)
クリ同様、年輪 のは じめに丸 い大道管が一列 に並 び、そ こか ら順次径 を減 じて晩材部 では薄壁多角形 の小道管
が火炎状 に配列す る環孔材 で、道管 の穿孔 は単 一 、道管内壁 にらせん肥厚 は ない。本部柔組織 は周囲状、散在状
及 び独 立帯状 で、晩材部 で よ く目立 つ。放射組織 は単列同性 と極 めて大 きな複合放射組織で、後者 には しば しば
結晶細胞 を含 む。道 管 ―放射組織間壁孔 は縦長 の楕 円形 で柵状 に並ぶ。以上 の形質か らコナラ属 の うち、 コナラ
節 の材 と同定 した。
コナラ節 には北 海道南部か ら九州種子 島までの冷温帯下部か ら暖温帯の二次林 に広 く分布す る コナラ、北海道
北部か ら九州 までの冷温帯 か ら暖温帯上 部 に広 く分布す る ミズ ナラ、主に青森県以南 の冷温帯 か ら暖温帯 に希 に
分布す るナラガシワ、北海道か ら九州 の冷温帯、暖温帯 に分布す るカシワなどが あるが、それぞれの種 を材構造
で 区別す るのは困難 で ある。 コナラは幹径 50cm、 樹高20mく らい になる落葉高木 で、材質 はやや堅 く、肌 日は
粗 い。建築材、器具材、薪炭材 に用 い られる。 ミズ ナラは幹径 lm、 樹高30mに なる落葉大高木で、材 質 は大変
よ く、重硬 で緻密 なため加工 は難 しいが木 目美 しく仕上が りが重厚 で家具材 としては第1級 で あ る。机、テー ブ
ル、書庫 な どの家具材 のほか建築材、各種器具材 など極めて広 い用途がある。 ミズ ナラ、 コナラとも薪炭材、椎
茸 のほだ木 に用 い られる。
12.ケ ヤキ Zelkova serrata Thunb.ニ レ科
写真 12a― c.(MYG‐ 4606)
年輪始 めに大道管が 2層 に並 ぶ環孔材 で、孔 圏外 では小道管が多数接線方向 に集 まって波状 の紋 をなす。道管
の穿孔 は単 一 、道管相互 の壁孔 は小 孔紋 で交互状 に密 に配列 し、小道管内壁 には顕著 な らせん肥厚 がある。 本部
柔組織 は周囲状 だが 目立たない。放射組織 は紡錘形 で、鞘細胞 はな く、上下端 に大 きな結晶細胞 を持 つ 。 これ ら
の形質か らケヤキの材 と同定 した。
ケヤキは青森 県 か ら鹿 児 島県 まで の暖温帯 か ら冷温帯 にか けて広 く分布す る落葉広葉樹 で、幹径 1.5m、 樹 高
30mを 超 える大木 となる。材 は堅硬強靭 で弾力 があ り、材 質 に優 れ、大材 が得 られる こと もあ って、大 きな建造
物 の建築材 に、木 目が美 しく加工が容易 で ある こと もあ って、各種家具内装 や大型彫刻物、臼、杵、太鼓、例物
容器、漆器木 地な ど、実 に多様 に用 い られる。
13.モ ク レン属 MagnOlia モ ク レン科
写真 13a¨
c。
(MYG-4622)
黒ず んだ出土材 で、やや角張 った楕 円形 の小道管が単独、あ るい は放射方向 に数個複合 して均 一 に分布す る散
孔材 で、道管 の穿孔 は単 一、道管側壁 の壁孔 は顕著 な階段状 を呈 す る。放射組織 は多 くは 2列 、同性 に近 い異性
で、道管相 互壁孔 は階段状 となる。以上の形 質 よ り、 モ ク レン科 のモクレン属 の材 と同定 した。
日本 に自生 す るモ クレ ン属 には、ホオ ノキを含み 6種 があ り、仙台地方 ではホオノキ、 コブシ、 タム シバ が見
られ る。 いず れ も落葉 の高木 または低木 で、ホオノキは幹径 50cm、 樹高20mに なる。ホオ ノキの材 は軽軟 で均
質、級密で木理通直、肌 日は精 で加 工用 に、仕 上が りが よい。建具な どの建築材、漆器木地、箱物、曲物、彫刻 、
下駄 (朴 歯)な ど非常 に広 い用途があ る。
同定 された出土木簡 の樹種組成 と木簡へ の樹種選択
仙台城 二の丸地区の遺構 か ら出土 した木簡 は、そのほとん どが、伊達藩領内各地 か ら仙 台城 に送 られた物資 に
付 け られて いた荷札 と考 え られてい るが、荷 そ の ものの検討 は別項 に譲 るとして も、そ の木簡 の大部分が領内農
漁村 の産物 に付 け られていた もので あ る と考 えると、使用 された木簡 の樹種 とその木簡 が付 け られた地域 と荷 は
ある程度 の 関連 を見 て取 る ことが可能 と考 え られる。
表 1は 同定 された428点 の木簡 の樹種組成 で あ る。最 も多 いの はスギで259点 、全体 の60.5%を 占める。次 いで
多 いの はアスナ ロで93点 (21.7%)、
アカマ ツ (24点 、 6%)、 モ ミ属 (17点 、4.0%)、
5。
ク ロベ (14点 、3.3%)と
針葉樹 が続 く。針葉樹全体 で97.4%と な り、広葉樹 はわず か11点 、2.6%に 過 ぎない。
木簡 の大部分 を占めるのはスギだが、記載 の項 に記述 してあるように宮城県地方にはスギはほとん ど天然分布
して い ない と言 える。 一方、 ス ギは中世以降には全 国各地 で植栽 され、近世 には東北地方 で もご く普通 に植林 さ
れた と考 え られる ことか ら、 ス ギ材 を建築材や各種器具材等 に利用 した ときの端材や残材 を木簡材料 として活用
した ことはご く普通 に考 える ことが出来、荷札 を付 け る立場 の者 にとって、一番手 に入 りやす い素材 であ った と
い える。
ス ギ同様 、伊達領内全域で手 に入 りやす い素材 としてアカマ ツとモ ミ属 が挙げ られる。ア カマツは海岸部 か ら
山間部 まで広 く天然分布 してお り、 また、森林 の伐採 で出来 る二 次林、雑木林 にもご く普通 に生育 し、木材 も利
用 されて きた。 モ ミ属 とした ものは、その分布か ら見てモ ミであ ると考 えて差 し支 えな く、 これ も海岸か ら山間
部 の低標高地 で手 に入 りやす い素材 であ った と言え る。
一方、荷札 の「産地」が山間部 に特定 で きる可能性がある樹種が い くつ かある。 アス ナ ロ とされた ものはそ の
分布か ら見 て変種 の ヒノキアス ナ ロ
(ヒ
バ)で ある と見 なせ る。 アス ナ ロに類似 した種類 にクロベ
(ネ
ズ コ)が
あ り、 これ らはいず れ も奥羽 山脈 に沿 つた山間地 に天然分布 して い る。植林 はそこよ り標高 の低 い ところまで さ
れてはい る ものの、 山間部が主 で あ ることか ら、その供給地 を山間部 と見 ることが出来 よ う。五葉松類 の木簡 も
その分布域が同様であることか ら同様 に考 える ことが 出来る。
針葉樹 の分布等か ら以上の よ うな「産地」があ る程度推察 されたが、広葉樹 についてはその ような傾 向を読 み
取 ることは出来ない。それは もちろん、出土点数が少ない、即 ち広葉樹が少 ししか利用 されて い ないことに依 る
もので、
「木簡」 とい う用途か ら見て当然 と言える。そ して利用 されて い る樹種 はクリ (4点 )、 ナラ
2点
)、
モ クレン属 (恐 らくはホオノキ、2点 )に
(コ
ナラ節、
ケヤキ、 ハ ンノキ節、 クマ シデ節 (以 上 各 1点 )で あ り、 こ
れ らは、荷札 を付ける立場の者が「荷札 にする木はないか」 と辺 りを見回 した ときに、 まさにそ の場 にあって然
るべ き樹種であ り、特段 の選択等は一切働 いてい ない結果であると言 える。
Tab 3-l
表 3-1 同定 された樹種
ldentifled wood species of wooden tablets excavated at BK7
点数
比率
(夕 a)
カヤ
モ ミ属
ア カマ ツ
マ ツ属複維 管 束亜 属
マ ツ属単維 管 束亜 属
スギ
ク ロベ
ア スナ ロ
ヒ ノキ科
ハ ンノキ属 ハ ンノキ節
クマ シデ 属 クマ シデ 節
クリ
コ ナ ラ属 コ ナ ラ節
ケヤ キ
モ ク レン属
総
la.カ
ヤ
MYG-4862.木 口 ×30.
図3-1
Fig 3-l
計
lb.同
板 目 ×60.
lc.同
柾 目 ×300.
武家屋敷地 区第 7地 点 出土木 簡 の樹種 同定写真 (1)
Pictures of Species ldentification used for、 vooden tablets at BK7 (1)
一
‘、
.
2を
1モ
ミ属
ヽ1ヽ
NIヽ 'G-4(,18本
国 ×:3()
4a/i葉 松 方1卜 IYG-4628本 国 ×3()lb
││:││×
2つ
ア カマ ツ
'Gl()3()本 国 ×1,()
l,()()
││:││× 30
本
tt lltH×
6()
1(ヽ
卜il lll:H Xi)()()
図 3-2 武 家 屋 敷 地 区 第 7地 点 出土 木 簡 の 樹 種 同定 写 真 12)
K7{2)
ドig 3-2 1)i(111ド (ヽ ol SI)(ヽ ci('` I(1(1〕 tili(〔 tti()ll tISt` (1 loi、 、()o(1(111(11)(ls f11〕 も
5a.ス
ギ
6a.ク
MYG■ 601.木 口 ×30.
ロベ
MYG-4989.木 口 ×30.
7a.ア ス ナ ロ
板 目 ×60.
同
同
MYG-4784.木 口 ×30,7b.同
図3-3
Fig3-3
板 目 ×60.
板 目 ×60.
柾 目 ×300
同
7c.同
柾 目 ×300.
柾 目 ×300.
武家屋敷地 区第 7地 点 出土木 簡 の樹種 同定写真 (3)
″ooden tablets at BK7 (3)
Pictures of Species ldentincation used for、
8a.ハ ンノキ節
9a.ク
MYG-4667.木 口 ×30.8b.同
板 目 ×60.
MYG■ 637.木 口 ×30.9b.同
板 目 ×60.
マ シデ 節
10a.ク
リ
MYG-5647.木 口 ×30. 10b.同
図3-4
Fig 3-4
板 目 ×60.
柾 目 ×120.
9c.同
柾 目 ×120.
10c.同
武家屋敷地区第 7地 点 出土木 簡 の樹種 同定写真 (4)
Pictures of Species ldentincation used for w00den tablets at BK7 (4)
柾 目 ×120.
1la.コ
ナ ラ節
12a.ケ ヤキ
MYG-4980.木 口 ×30.1lb.同
板 目 ×60.
1l c.同
柾 目 ×120.
12b.同
板 目 ×60.
12c.同
柾 目 ×120.
MYG刊 622.木 回 ×30.13b.同
板 目 ×60.
MYG-4606.木 口 ×30.
13a.モ ク レン属
図3-5
Fig.3-5
13c.同
柾 目 ×120.
武 家屋敷地区第 7地 点 出土木 簡 の樹種 同定写真 (5)
Pictures of Species ldentiflcation used for、 vooden tablets at BK7 (5)
雷奄添
鷺:鮒 傷
償
:な 露
雫
識盈
誌■ 委
2武
WT002
2号 il構
G‐
9
埋土 l
320
埋±2
WT003
2号 al構
埋 ±2
WT004
2号 遺構
j141J13
WT005
2号 遺 構
坦1± 3
WT006
WT007
WT008
WT009
WT010
横
2号 遺構
埋±2
2号 遺構
ll± 2b
2号 遺構
埋 ± 2b
1370
中央
WT011
2号 遺構
埋 ±2
横
WT012
2号 遺構
111二 112
ヽ
VT013
2号 遺構
111二 112
235
埋二
L2
横
埋 ±2
中央
2号 遺 lil
埋 ±2
横
WT018
2号 遺構
埋 ± 2b
WT019
2号 遺構
埋 ±2
WT020
2号 遺構
埋 ±2
理 ± 2b
2号 遺構
260
051
横
WT022
2号 遺構
埋 ±2
ヽ
VT023
2号 遺構
埋± 2b
WT024
2号 遺構
埋 ± 2b
ヽ
VT025
2号 遺構
理
ヽ
VT026
2号 遺構
1lJ12b
WT027
WT028
WT029
WT030
2号 遺 構
2号 遺構
埋 ± 2b
横
WT031
2号 遺 構
最 下層
横
ll二
10
2号 選 lill
G‐
2号 遺構
H8
051‐
b
1453
250
横
中央
360
中央
埋±2b
中央
埋±2
横
250
埋 ±2
2号 遺構
埋 ± 2b
2号 遺構
埋 ±3
2号 遺 構
埋 ±3
285
最下層
1450
ヽ
VT037
2号 遺 構
埋±1
2120
ヽ
VT038
2号 遺構
IPJ12b
(1710)
WT040
2号 遺 構
112b
埋二
ヽ
VT041
2号 遺 構
WT042
WT043
WT044
2号 遺 構
ヽ
VT045
WT046
壇1± 3
051-b
2号 遺構
埋±2
051‐
2号 遺 構
埋±2b
2号選構
10
Jp± 3
四斗五升入
スギ
2
4744
ス ギ
2
クロベ
2
スギ
2
スギ
2
アスナ ロ
2
アスナ ロ
2
スギ
3
スギ
3
アカマ ツ
3
スギ
3
4694
]
]忠
ク
右術門
クク″ク」
3
スギ
]」
3
4839
]」
]□
村力〕[ ]」
〔
3
ス ギ
ス ギ
4
ス ギ
4
ス ギ
]」
「増沢村 [
「o[
J
]」
ス ギ
4
スギ
4
スギ
4
(マ
マ)[
]」
4776
「o御 年□□ 〔
貢米力〕四斗五升」
WT047
2号 遺構
埋 ±3
ヽ
VT048
2号 iEl構
埋 二lil
「o御 米四斗五升入」
「米四斗五升入」
ヽ
VT049
2号 遣 構
埋±2
「米四斗五升入」
スギ
「
[
5
5
5
5
5
「[
]名 右 衛 門
「□□ 〔
富力〕村与五郎」
。
「o名 取四郎□ 〔
丸力〕村
→ 子ノ十一月
八郎兵へ」
J
スギ
5
スギ
6
アスナ ロ
7
スギ
7
スギ
6
6
6
スギ
4887
長左」
スギ
アスナ ロ
「o名 取□□ 〔
FTl次 力〕村」
「名取柳生村 [ ]」
「o名 取増田寛四郎」
・
「o名 取下余田村 米主
→
5
スギ
4785
「ひきわりの[
]」
5
ス ギ
4703
]入 」
5
スギ
アスナ ロ
]」
]」
中央
中央
4856
4847
[
。
「享保六年 [
]
→
×斗五升入」
「米四斗五升入」
「o御 年貢□ 〔
米力〕[ ]」
1600
1
l
「名取植松村□ 〔
作力〕兵衛」
「米之
_
中央
横
_
「御 [
]〔 年貢力〕米四斗五升入
。
「保六年御年貢米四斗五升入
→丑十一月□
「米四斗五升入」
「o米 四斗弐升入 [
(413)
1
スギ
「[
「o御 年貢米
b
l
2
「o名 取増田村久兵衛」
。
「o[ ]
] →
郡山力〕村l
名取□□ 〔
]」
横
最下 層
G‐
四カ〕[
]□ 〔
[
9
4
]御 年貢米
「米四斗 [
スギ
]」
米四斗五升入」
258
埋±2
2号 遺 構
270
l
3
「o[
]村 庄三」
(1340)
9
スギ
「o[
「o[
[
スギ
4735
「o御 年貢米[
「o□ 〔
米力〕
」
「米
1
「o名 取今泉村□ 〔
文 力〕七」
「o[
[
9
スギ
「o米 四斗五升入」
「□ 〔
米力〕
「o米 四斗五升入」
スギ
4658
「名取□□村新四郎」
「o[
]」
J
9
「名取今泉□□郎」
「o名 取郡種次村孫兵衛」
「[
]」
ス ギ
図版
スギ
J
柳力〕生村 清右術門」
「名取北方□ 〔
「o米 四斗五升人 [
「o米 四斗五升入」
9
スギ
「o八 月十四日」
「米四斗五升入」
「□□□□□□ 〔
」
米四斗五升入力〕
図
スギ
4786
・
「o名 取川上村権十郎
一 六月十五日」
「米四斗五升入」
1350
埋 ±2
埋 ±2
「名取北目村□[
[
樹 lll
4783
「o名 取日辺村長四□ 〔
郎力〕
」
。
「七月 [
]
→米四斗五升入」
「御米四斗五升入」
「o[
中央
2号 遺構
2号 遺 構
「o官 城郡加瀬村喜右衛 Fり 」
「o□ 〔
御力〕[
2号 遺 構
ヽ
VT039
「渡邊二郎右衛門」
。
「o□ 〔
名 力〕 [
「o享 保□ 〔
四カ〕年御年具四斗五升入 → [
→
ク
220
112
」
「御用米□□□□ 〔
四斗五升力〕
」
「o御 年貢四斗五升入」
・
「 十二月十六日
→米四斗五升人 」
。
「olに 谷村長右衛r]
→米四斗五升入
」
中央
]飯 田村□□
「名取富 田村五左術 FH」
「名取今泉四斗五升人」
「o米 四斗五升入丑ノ十月□□日」
「o米 四斗五升入」
1320
]
「□□ 〔
川力〕村五□ 〔
郎力〕七」
「子ノ七月十□日」
「o御 年貢米四斗五升入」
1280
]」
「御年□ 〔
貢力〕米四斗五升人」
「御米四斗入限□」
「米四斗五升入」
「御年貢米四斗
埋 ±2
lltl
・
「o[
→ [
「o当 御年貢米四斗五升入」
1560
2号 遺 構
WT032
WT033
WT034
WT035
WT036
(250)
琳 [
4787
「江刺人首村六兵衛」
・
「人月 七日
→黒川下草村 [ ]」
WT015
WT016
WT017
WT021
355
220
埋 ± 2b
坦1± 2b
2号 遺
。
「o享 保五年
-1‐ 一 月十五 日
「o米 四斗五升人」
1670
2号 il構
2号 遺 構
「o鶴 ヶ谷村六□□ 〔
兵衛力〕
」
「岩沼村 [
]」
「o米 四斗五升入」
「米四斗五升入」
・
「享保□ 〔
五カ〕111‐ 月十六日
→御年貢米四斗五升入」
中央
樹種同定番号
(MYG― )
記載事項 〔
裏〕
記載事項 〔
表〕
「o御 年貢米四斗五升人」
中央
2号 遺構
WT014
熙硫
2号 遺構
型式
幅 Ш
WT001
層位
鵬御
録号
登番
遺構名
11す
7
スギ
「o名 取_L〔 植力〕松村半兵衛」
スギ
7
「
[
スギ
7
「[
スギ
武家屋敷地 区第 7地 点 出土木 簡観 察表
Tab.3-3 Notes on wooden tablets frorn BK7
2号 遺 構
ヽ
VT051
2号 遺構
WT052
2号 遺構
層位
埋 ±2
H‐
8
型式
恥御
区
幅 血
WT050
遺構 名
陸硫
登録
番号
埋 ±2
中央
埋 ±2
横
記載事項 〔
裏〕
記載事項 〔
表〕
・
「名取植松村七郎 [
→
米 [
011-c
]内
・「 [
→ 御割
]八 百助」
→
4723
]
[
o米 四斗 五 升 入 」
「o御 刺付御せん柵米四斗五升入」
235
「o[ ]十 三本 [ ]
享保七年九月十六日八助」
「御年貢米四斗五升入」
WT054
WT055
WT056
WT057
WT058
2号 遺構
埋 ±2
280
「米四斗五升入」
「米四斗五升入」
「□□ 〔
伊手力〕村 [
]」
「川上村□ 〔
五カ〕作」
(388)
「米四斗五升入」
「o米 四斗五升入」
「宮城郡田子村清」
隔□□ 〔
富沢力〕村□ 〔
百力〕[
「□ 〔
宮力〕城岡田村 [
]」
。
「官城田子村□四郎
→
十月十八日
」
1650
2号 遺構
埋 ±2
埋 ± 2b
2号 遺構
埋 ± 2b
2号 遺 構
lll」 12b
352
「御年貢米四斗五升入」
2号 選 構
埋 ± 2b
255
「年貢米四斗五升入」
WT060
2号 遺構
増L± 2b
1239
WT061
2号 遺 構
埋±3
1440
WT062
2号 遺構
埋 ± 2b
中央
ヽ
VT063
2号 遺 構
埋 ± 2b
横
WT064
2号 遺 構
理
EJ13
WT065
2号 ill構
埋 ± 2b
WT066
2号 遺構
埋±3
WT067
2号 遺 構
埋 ±3
WT068
2号 遺 構
最下層
WT069
2号 選 構
埋 ± 2b
WT070
2号 遺 構
埋 ±2
ヽ
VT071
2号 遺 構
埋 ±2
WT072
WT073
WT074
WT075
WT076
WT077
2号 遺構
埋 ±2
2号 遺 構
WT078
2号 遺 構
WT079
WT080
2号 遺 構
埋 ±2
2号 避 構
埋 ±2
WT081
2号 遺 構
WT082
WT083
WT084
WT085
WT086
WT087
2号 遺 構
埋 ±2
2号 遺構
埋 ± 2b
2号 遺構
埋 ± 2b
2号 遺 IFi
埋±2b
2号 遺構
埋 ± 2b
2号 遺 構
埋 ± 2b
WT088
2号 遺 構
埋±2b
WT089
2号 遺構
埋±2
2号 遺 構
埋 ±2
2号 遺構
埋 ±2
2号 遺 IIt
埋 ±2
2号 遺 構
b
横
(1320)
(1360)
「o米 四斗五升入」
中央 2
「o米 [
箇所
埋 ±2
埋 ± 2b
WT091
2号 遺構
埋±2b
WT092
WT093
2号 il構
埋 ±3
2号 遺構
埋 ±3
WT094
2号 遺 構
埋 ±3
斗五升升入」
「米四斗五升入」
「米四斗五チ
ト
入」
「o御 年貢四斗五升」
中央
「米四斗五升入」
「米四斗五升入o」
「米一□ 〔
俵力〕四斗五升入」
440
横
380
450
108
220
横 2箇
所
1270
1380
955
228
「米四斗五升入」
「米四斗 [
]」
「o御 年貢米四斗五升入」
8
4896
スギ
8
4964
アス ナ ロ
8
ス ギ
8
アカマ ツ
9
4648
「名取今泉村 [ ]」
「o菅 谷村□ 〔
善力〕□」
│1村 久四郎」
「□ 〔
衣力〕り
4858
267
262
中央
260
埋 ±3
埋 ±2
横
2号 遺構
埋±3
中央
2号 遺構
埋二
112
9
スギ
9
スギ
9
ス ギ
9
アスナ ロ
9
ス ギ
アスナ ロ
スギ
スギ
モ ミ属
4860
スギ
スギ
]」
スギ
「o宮 沢村喜□ 〔
次力〕[ ]」
アスナロ
MY4692
スギ
スギ
「上余田村□ 〔
喜力〕助□」
「名取袋 [
]〔 原村力〕与兵衛」 4841
「o名 取増出村 [
4627
]」
「名取増田村 [
4700
]」
スギ
ア カマ ツ
モ ミ属
「郡山村次郎兵衛」
4846
アスナ ロ
「御米四十五升入」
「名取下余 田村孫□□□ 〔
右衛 門 力〕」
4862
カヤ
アスナ ロ
「御年貢米四斗五升人」
・
「享保六年
→ 御年貢米四斗五升人」
「o米 四斗五升入 [
「米四斗五升入」
ス ギ
]」
・「 名取 北 方
→ 四郎 丸村 助 太 郎 」
・
「名取郡富田村
一 人月三 日
「oブ L月
11‐
11日
スギ
吉蔵」
[
]」
4849
4854
スギ
スギ
「名取下余田村 [
]」
「名取大□□ 〔
野田力〕村 [ ]」
スギ
「名取増 田村助七郎」
スギ
280
「o名 取下余田村」
スギ
270
「御セん□ 〔
登力〕米 四斗五升入」
「
スギ
(347)
「あらい村与三郎」
「o[
]」
スギ
「米四斗五升入」
「o米 四斗五升入」
「o米 四斗五升入八郎兵術」
260
2号 遺 構
9
スギ
「御年貢米四斗五升入」
「米四斗五升入」
「米四斗五升人」
・
「御年貢米
→
四斗五升入」
2号 遺構
スギ
スギ
「寅二月六日
→御年貢四斗五升人」
1490
8
8
8
「名取上余田村太郎兵衛」
「o名 取川上村 [
]」
「名取郡植松村 [ ]」
。
「下余田村 □□
→
五カ〕平」
弥□ 〔
スギ
スギ
スギ
「官キ森郷村〔 〕
4726
」
・
「名名取 [
]沢 村□五郎右衛円
→名 取
五郎右衛門」
「名取郡藤塚村 [
[
]」
7
モ ミ属
・
「享保五年
→十月十八日」
「米四斗五升」
・
「御年貢
→米四斗五升入」
中央
4884
]」
「o御 年貢米四斗 五 升入」
「 o御 年貢米四斗五升入」
225
スギ
5659
「□ 〔
岡力〕Hl村 久兵衛o」
「柳□ 〔
生力〕村□左 [ ]〔 衛門力〕
「o名 取高柳 [
]之 □ 〔允力〕」
「o米 四斗五升入」
「米四斗五升入」
中央
=L3
2号 遺 構
四斗五
7
4715
]o」
「米四斗五升入」
・「御年貢 米
→ 御年貢 米
埋 ±2
埋
「o柳 生村 善助
×□ 〔
助力〕[
・
「御米四斗五升人
→宮城福室村瀬右衛門」
中央
]
「名取今泉村」
「岩切村文四郎」
・
・
「o享 保四× [
「o江 刺石 [
]
]
→
五升入力〕〔
□□□ 〔
表〕 →
□清左衛ri」
「o米 四斗五升入
×斗五升」
アスナ ロ
スギ
「米四斗 五 升入」
(1460)
7
スギ
「米四斗」
170
1515
埋±2
G-10
WT090
WT095
WT096
WT097
WT098
横
図版
スギ
4823
・
「享保 [ ]六 月三日
→官□ 〔
城力〕岡田村弥兵術」
埋 ±2
2号 遺構
図
」
]
2号 遺 構
019‐
樹 lli
]
[
WT053
WT059
>
.
G
岬
Y
M
<
のの
表 3-3
4641
モ ミ属
4966
ア カマ ツ
11
00
・
表 3-4
武家屋敷 地区第 7地 点 出土木 簡観 察表
Tab.3-4 Notes on wooden tablets from BK7
層位
型式
m
幅 m
区
さい
m
長‘
録号
登番
遺構名
lF‐
さ
酎極・l足 菅う
裏〕
記載事項 〔
記 載事 項 〔
表〕
(nlll)
「御年貢米四斗五升入」
「米四斗五升入」
(MYG_)
樹種
WT099
2号 遺構
埋±2
VT100
ヽ
2号 遺 l14
埋 ±2
「[
4795
スギ
ヽ
VT101
2号 遺 構
理 ±2
中央
「o米 四斗五升入」
「o[
4959
ス ギ
WT102
2号 遺 構
埋 ±3
中央
「o□ 御年貢米四斗五升入」
「o名 取下余田村伝兵衛」
4798
スギ
ヽ
VT103
2号 遺構
埋±2b
4897
スギ
WT104
2号 遺構
埋 ±3
WT105
WT106
WT107
WT108
WT109
2号 遺 構
2号遺構
2号 遺構
埋 ±2
中央
2号 遺 構
埋±2
横
ヽ
VTl10
2号 遺構
埋 ±2
中央
2号 遺構
WTlll
2号 遺構
WTl12
2号 遺 構
WTl13
WTl14
WTl15
1335
1260
1220
220
最下 層
埋±2
H3
280
中央
埋 ± 2b
埋 ± 2b
2号 遺構
埋 ± 2b
(1720)
(440)
「o名 取
スギ
[
]村
「o[
]∧
・
「∨
→ ∧□□□□ 〔
米四斗力〕[
]」
・「∨名取
→
[
→ ∧□□ 〔
笠島 力〕村
[
ス ギ
「名取北方高柳 ×
4625
アスナロ
280
「米四斗五升入
・
「□□村 [
]
「□□ 〔
名取力〕[
「御米四斗五升人□
埋±1
(1334)
2号 遺構
埋 ±2
ヽ
VT121
2号 遺 構
埋 ±2
800
WT122
2号 遺構
埋 ±3
(1250)
米四斗五升入」
WT
2号 遺構
埋 ±2
(1370)
「o米 四斗五升入
名取□ 〔
宮力〕 」
「o名 取藤塚村□之丞
2号 遺 構
埋二
L2b
ヽ
VT
2号 遺 構
埋 ± 2b
「o米 四斗五升入
「o御 年貢米四□ 〔
斗力〕
「o柳 生村万平
「o享 保五年□
ヽ
VT
2号 遺 構
埋±3
059
WT
2号 遺構
埋±2
019
埋 ± 2b
最下層
(1530)
2号 遺構
埋±2b
2号 遺構
埋 ±2
WT133
2号 iCt構
埋 ± 2b
WT134
WT135
2号 遺 構
埋 ± 2b
2号 遺 構
埋 ± 2b
中央
ヽ
VT136
2号 遺構
埋 ±2
中央
WT137
2号 遺構
埋±1
横
ヽ
VT138
2号 遺構
埋±2
中央
WT139
2号 遺 構
埋 ±2
横
WT141
2号 il構
埋±2b
WT143
WT144
2号 遺 構
埋 ± 2b
2号 遺 構
埋 ± 2b
ヽ
VT145
2号 遺 構
埋 ± 2b
WT146
2号 遺構
埋 ± 2b
ヽ
VT148
2号 遺構
WT149
2号 遺構
中央
440
2050
(170)
(750)
(170)
(540)
(180)
(1160)
1570
H3
埋 ±2
280
255
五カ〕
」
「米四斗□ 〔
「岩沼村」
[
・米四斗 五升入
255
。
「御年貢 ×
→ 享保六 ×
1490
200
255
1830
260
1280
b
中央
3
4932
ア カマ ツ
3
・「享保四年御□籾
→ 五斗入
」
「∨□ 〔
並力〕餅四斗
「oも ち米四斗五升入」
「oも ち粉」
[
]
「o引 わり付餅四斗五升□」
。
「o□ □
→□□ 〔
もち力〕四斗五升入」
スギ
3
4904
スギ
3
4930
アスナ ロ
]
[
4640
モ ミ属
4889
ス ギ
スギ
ス ギ
4650
「御台所塩三斗入子ノ八月」
ス ギ
スギ
4894
スギ
「∨笠島村
「o名 取下余田村八郎兵衛」
4895
スギ
4793
スギ
4827
スギ
「o名 取飯田村強四郎」
・
「□□村 [
スギ
アスナ ロ
]o」
釜力〕[
]□ 〔
]」
「□□ 〔
菅野力〕善四郎」
スギ
4829
スギ
スギ
[
塩力〕三斗入わたのは」 「子ノ八月迄 流留村」
「御大所□ 〔
「子ノ八月迄清右衛門」
「御大所塩三斗入渡波町」
「□ 〔
未力〕ノ六月 [
「御台所塩□斗 [
]」
[
スギ
「o名 取北方 二木村兵七郎」
「子ノ八月
]」
モク レン願
「一迫長崎村又四郎」
「[
3
スギ
「o名 取前田
・□□□村 ×
×貢米四□ 〔
斗 力〕 ×
「御台所三斗六升」
051‐
スギ
スギ
「官城郡□ [
]」
「米四斗五升入
「o米 四斗
御 台所 塩
スギ
4601
・「名取北方 ×
→袋原 ×
「米四斗五升入」
・「御大所塩
→ 三斗 [
]村
4656
ス ギ
「名取三本□ 〔
院力〕□
「米四斗五升入
「御刺付もち四斗五升o」
1660
]」
「佐々作之 [ ]
「[
村茂力〕四郎
]□ □ 〔
・
「御台所塩三斗人
一
子ノ九月」
埋±1
埋 ± 2b
[
]
(310)
埋±2
WT142
2号 遺構
(600)
埋 ±2
2号 遺 構
WT147
(191)
[
ス ギ
〕
「米四斗五升入[
〕
。
「御年□ 〔
貢力〕米四斗五升入
(880)
ヽ
VT131
2号 遺 構
(840)
350
ヽ
VT132
WT140
×貢米四斗
横
019-b
クロベ
「米四斗五 X
2号 遺構
2号 遺 構
]
280
(1330)
2号 遺構
ス ギ
」
4888
埋 ±3
WT129
WT130
十月
「ミやき肛!子 村喜
2号 遺構
埋 ±2
スギ
「名取
WTl18
WTl19
WT120
2号 遺 構
スギ
「米四斗五升
埋 ±2
WT128
スギ
4643
□
六右衛門
埋 ±2
(1260)
4767
]重
2号 遺 構
「 l■ 央
スギ
宮肛!力 〕村庄助」
「∨名取北方□□ 〔
2号 遺構
b
]」
」
ヽ
VTl16
019‐
[
アスナ ロ
ヽ
VTl17
中央
アスナ ロ
「御年貢米四斗五升入
(1740)
(93.0)
4985
]」
]入 」
図版
アカマ ツ
「[ ]」
・
「∧享保五年御年貢米
→
四斗五升入」
埋 ±2
2号 遣 構
]四 J´ 五升入」
「米四斗五升入」
「o御 米四斗 [
「米四斗五升o」
「o米 四斗×」
「o□ □□ 〔
村力〕∨」
840
埋 ±3
2号 遺 構
「名取□□ 〔
平岡力〕村喜四郎」
・
「保十二年 [ ]
→ [
]村 」
「御年貢米四斗五升入」
「御米四斗五升」
埋 ± 2b
H‐ 8
(230)
図
アスナ ロ
「[
わ力〕[
「□ 〔
ス ギ
]」
→式斗三升入」
「[
「o御 台所塩三斗入」
「o享 保五年
□月
ス ギ
4772
スギ
]次 右衛門」
]
「御台所□ 〔
塩力〕三斗入 [ ]」
4845
]」
沢田村
[
]勘 兵術」
スギ
4646
アスナ ロ
4778
スギ
スギ
17
00
表 3-5
武家屋敷地 区第 7地 点 出土木 簡観 察表
Tab.3-5 Notes on wooden tablets from BK7
2号 遺llt
埋±3
WT151
2号 遺 構
埋 ± 2b
WT152
2号 遺 構
理1二 112
WT153
2号 遺構
埋 J12
WT154
2号 遺 構
埋
011‐
2号 遺 構
11二 112b
WT156
2号 遺 構
埋±2
記 載事 項 〔
裏〕
・「御大所塩三斗六升
→八月九 日迄
o」
019‐
b
999
[
「御清所塩
(1340)
]」
「
「[
スギ
4936
]
・
「子ノ
「御大所塩三斗
(1640)
・
「□□初流
→ 御膳御塩三升入
→
[
スギ
スギ
]
・
「寅 ノ
→正 月十五 日
□
→□□□□□_L一 □□
「次右衛門様 坂□ 〔
本力〕彦四郎
→
薄□ 〔
塩力〕四□ 〔
斗力〕
「∨o但 木土佐様 伊達安房」
アスナ ロ
「∨o蜆 」
2号 遺 構
埋 ±2
032
中央
2号 遺 構
埋 ±2
0
中央
1550
「o菱 喰 一
茂庭筑後」
4832
スギ
2号 遺構
埋±2
0
中央
1650
「o玉 造郡松尾梨子入」
4688
ス ギ
中央
2号 遺 構
埋二
112b
0
2号 遺構
埋 ± 2b
0
WT162
2号 遺 構
埋 ±2
0
2号 遺構
G‐
10
埋±3
モ ミ属
「o小 成田村雉子」
200
(513)
(1250)
4796
「弐斗三升
「大豆五斗入」
たまこ
→うこ
→□
(マ
'「
□〔
茶力〕│
ス ギ
アスナ ロ
〕
「名取上余‖l村 源之助」
4836
スギ
マ)入
WT164
2号 遺 構
埋二
L2b
204
WT
2号 避構
lll二 112
240
WT
2号 選 構
埋 ±2
中央
「o御 用
竹 ノ子弐拾五本入」
スギ
WT
2号 遺 構
埋 ± 2b
中央
「o御 用竹子武拾本人工造郡」
スギ
WT168
2号 遺 構
埋J12b
中央
「o御 用竹子弐拾本入玉造部」
スギ
WT169
2号 遺 構
埋 ±2
WT170
2号 遺 構
埋 ±2
WT171
2号 遺 構
埋 ±2
WT172
2号 遺構
埋 ±2
WT173
2号 遺 構
埋±2
WT174
2号 遺 構
埋二
112b
WT175
2号 遺 構
埋二
L2b
WT
2号 遺構
埋 二111
WT
2号 遺 構
埋 ± 2b
WT
2号 遺 構
埋二
L2
WT179
WT180
2号 遺 構
IF± 2
2号 遺 構
埋 ±2
WT181
2号 遺 構
埋 ± 2b
WT182
WT183
2号 遺 構
理 ±2
2号 遺構
埋 ±2
WT184
2号 遺 構
埋±2
・
酒力〕
「□ 〔
J
「御用竹ノ子弐拾五本人J
I
「 八兵術□
(マ マ)生 郡深谷前谷地村
(2020)
'ヒ
「
o竹 之子工寸廻弐拾五本
中央
275
(1420)
[
225
272
]
・
「享保
→[
[
「[
[
]四
「
[
「
[
230
270
J
4727
ス ギ
4818
スギ
アス ナ ロ
「沢村仁左衛F可 」
スギ
「子ノ七月□ 〔
七カ〕日」
「[
]」
]」
]□ □ 〔九斗力〕」
「[
アスナ ロ
4777
]」
]□
「o[
「[
]」
〔
助力〕
・
「[
→ [
「o[
アスナ ロ
]」
スギ
]」
ア カマ ツ
]
スギ
]」
4705
「[
]」
「四月 [ ]」
スギ
スギ
[
「[
中央
051-b
スギ
]」
「久□郎」
・
「□ 〔
寅力〕ノ七年
一
四月八日」
「[
1カ
弥五イ
椰 力〕
捕 Fl匡 口幡苺
勘 [
]」
4662
]
]
「[
スギ
スギ
スギ
・
「名取袋原村
→十一
・月十五日清□ 〔
助力〕
」
列‐
□」
]み ロリ」
「o[
中央
900
・
「噸
→
]」
・
「[
→ [
4821
4669
(全 面 黒 塗 り)
深谷」
。
「こ[]〔 は力〕り
→子ノ八月迄」
1270
1860
「御
図
スギ
]」
]」
[
樹種
スギ
・
「子ノ
→□ 〔
弐力〕月迄 [
]
(790)
(2640)
封種同定番号
(MYG‐ )
「流留村長次郎 o」
・
「御大所塩三斗入
→丑之五月 [
]」
WT161
WT163
記載事項 〔
表〕
「御大所□ 〔
塩力〕三斗 [
1520
c
=L2b
WT155
290
中央
恥硫
ヽ
VT150
WT157
WT158
WT159
WT160
型式
層位
幅 m
区
際銅
録号
登番
遺構 名
アスナ ロ
スギ
4666
スギ
マ ツ属 単
WT185
2号 遺 構
理 ± 2b
WT186
2号 遺 構
理 ±3
WT187
2号 遺 構
lll± 2
(H80)
059
235
コ孫作」
4797
維 管束
亜属
WT188
2号 遺構
埋 ±2
VT189
ヽ
2号 遺 構
埋 Jll
059
(1450)
「御大所 [
051‐
b
「
WT190
2号 遺 構
埋 ±2
051‐
b
WT191
2号 遺構
埋±3
051‐
b
中央
051‐
b
中央
WT192
2号 遺構
ll」 12b
WT193
2号 遺構
埋 ±2
「□六斗□ 〔
五カ〕チ
入」
ト
・□岡□ 〔
Fl力 〕村
→[
]伝 七」
280
(170)
ア カマ ツ
[ ]」
]」
4664
4815
スギ
スギ
[
「□□□右術rl」
「o名 取□□ 〔
増田力〕村 [
「o気 仙沼」
・
「[
]
→□月十一日□ 〔
六カ〕[
アスナ ロ
4679
]」
4886
]」
スギ
スギ
ヒノキ科
スギ
44
図版
償
琴
鍼 鷺:ま Ё
熊1♂ 香
区
層位
長さ
型式
2号 遺構
埋±2
140
VT195
ヽ
2号 遺構
埋 ±2
(1640)
2号 遺構
埋 ± 2b
WT197
WT198
WT199
WT200
2号 遺 構
埋±2
2号 遺構
埋±2b
WT201
2号 遺 構
WT202
2号 遺構
記載事項 〔
表〕
(lun)
ヽ
VT194
WT196
熙価
遺構 名
幅 Ш
登録
番号
「筆甫村」
「[
]原 三 [
中央
「o[
埋±2
中央
lllttL2
中央
「[
「名取大 [
「o名 取 [
4644
]」
坦1± 2b
WT204
WT205
WT206
WT207
WT208
2号 遺構
理±2b
2号 遺構
jll±
2号 遺構
埋 ± 2b
2号 遺 構
埋 ± 2b
2号 遺構
埋 ± 2b
横
「大□ 〔
所力〕[
「o[
]」
ヽ
VT209
2号 遺構
理 ± 2b
横
「o[
WT210
2号 遺構
埋±1
VT211
ヽ
2号 遺 構
WT212
WT213
WT214
1270
「御
[
スギ
]」
4834
スギ
4720
スギ
「o名 取北日村□□郎」
中央
2b
(270)
埋 ±2
(980)
2号 遺構
埋 ± 2b
(1220)
(340)
2号 遺 構
埋 ±2
(1700)
(388)
2号 遺構
埋 ±2
(7■ 0)
260
スギ
「御座□ 四月五日」
「柴田□ 〔
郡力〕
」
22.5
スギ
スギ
「o七 月七日」
・
「下
→ [
2号 遺 構
スギ
クロベ
「[
]村 □」
図
スギ
ス ギ
「o[
220
WT203
8
」
「名取 [ ]与 左衛門
埋 ± 2b
埋 ±3
樹種
ア カマ ツ
]」
[
2号 遺 構
H‐
4782
。
「o享 □□ 〔
保四カ〕
→[
]
[ ]村 覚右衛門」
2号 遺構
G-10
]」
]十 二年五月」
]□ 〔沢力〕
「[
(160)
附種同定番号
(MYG‐ )
記載事項 〔
裏〕
4699
「o名
中央
♂
「名取郡宮沢村」
ス ギ
スギ
]」
アスナ ロ
「[
「o名 取
[
]村 [
]
4842
アスナ ロ
アスナ ロ
「三斗入九月二」
「。
□五郎 [
]」
「□□彦左衛門」
「御使 ノ善四郎
「卯ノ八月迄
アスナ ロ
「△ (マ マ
)
X弐 □之内下伊沢」
「享保五年十月
「[
スギ
4623
アスナ ロ
4684
スギ
4955
]
スギ
マ ツ属 ユ
11
WT215
2号 遺構
埋 ±2
WT216
2号 遺構
埋±2b
ヽ
VT217
2号 遺 構
WT218
WT219
WT220
2号 遺 構
2号 遺 構
埋 ± 2b
2号 遺構
ヽ
VT221
2号 遺構
ヽ
VT222
2号 遺 構
WT223
WT224
WT225
WT226
WT227
WT228
WT229
WT230
2号 遺構
・常崎□□□□ 〔
清左衛 門力〕
」
・□崎清左衛 門」
(645)
維管束
亜属
2号 遺 構
G‐
H‐ 9
(1870)
230
「。けせん□ 〔
朝力〕□
中央
(1530)
250
019‐
b
横
(1370)
305
埋 ±2
022‐
b
中央
「o御 獲」
埋土l
022‐
b
中央
「o御 獲」
埋 ±2
021
埋 ± 2b
G‐
中央
埋 ± 2b
中央
埋二
L2
中央
埋±2
中央
2号 遺構
埋土l
中央
665
2号 遺 構
埋 ±2
中央
660
2号 遺 構
埋±1
中央
660
2号 遺 構
理±2
022‐
b
2号 遺 構
埋±2
埋±2
中央
中央
022‐
b
スギ
4996
アスナ ロ
4800
ス ギ
スギ
]
ス ギ
4653
ス ギ
「o矢 野左近」
「o□ □ 〔
矢野力〕左近」
4802
アスナ ロ
190
中央
4900
]
「o江 刺□ 〔
鴨力〕沢村十内
]
ヒノキ科
「o御 □ 〔
獲力〕
」
「o御 □」
「o□ 〔
樽横力〕
道力〕五郎」
「o小 嶋□ 〔
「o□ 〔
早力〕籠 」
中央
2号 遺構
「o[
]
「o享 保五子ノ四月
二月力〕[
「いぬ年□□ 〔
4885
スギ
「o[
]□ 兵衛」
4676
ス ギ
4764
アスナロ
ス ギ
「o□ □□」
「0■ ノ十八年」
アスナ ロ
4768
スギ
[
WT231
2号 遺構
埋 ±2
WT232
2号 遺 構
埋±2
ヽ
VT233
2号 遺 構
埋 ±3
ヽ
VT234
2号 遺構
埋 ±2
022-b
中央
WT235
WT236
WT237
2号 遺 構
埋 ±2
022‐
b
中央
720
2号 遺構
埋 ±3
中央
1060
2号 遺構
埋 ±2
022‐
b
中央
ヽ
VT238
2号 遺 構
埋 ±2
022‐
b
中央
WT239
WT240
2号 遺構
埋 ± 2b
2号 遺hll
理±2
WT241
2号 IEI構
埋 ± 2b
WT242
WT243
WT244
2号 遺 構
埋±1
中央
2号 遺構
埋±2
中央
2号 遺 構
埋 ±3
横
VT245
ヽ
2号 遺 構
埋 ± 2b
WT246
WT247
2号 遺 構
埋 ± 2b
横
2号 遺構
埋 ±2
横
690
中央
265
「o御 □や□」
「o御 □や」
「仁蔵」
(140)
「吉田仁蔵」
「o岩 切」
「o円 真寺流」
「o御 醤油」
「o赤 味噌」
「0三 ノロ」
220
「o米 蔵
ス ギ
4686
[
4833
中央
中央 2
箇所
4612
アカマ ツ
4739
スギ
4848
アスナ ロ
4682
アスナ ロ
867〕
長〔
280
280
「□部屋□ 〔
鐙力〕
」
「o木 村寿程 〔
焼印〕
」
「御□□ 〔
鑑力〕
」
茶挽力〕部屋□ 〔
200
「o吉 浜早篭o」
「o石 田三太夫o」
「o吉 浜早篭」
「o石 田三大夫」
「o石 田三太夫」
「o吉 浜披□ 〔
鮭力〕
」
「o(マ マ)」
短 505
840
600
WT248
2号 遺構
埋 ± 2b
横
WT249
WT250
2号 遺構
埋 ±2
横
2号 遺 構
埋 ± 2b
横
WT251
2号 遣構
埋 ±2
横
590
WT252
2号 遺構
最 下層
中央
1020
420
スギ
「o御 □□布」
「o木 村寿程 〔
焼印〕
」
1220
440
560
640
106
スギ
スギ
「o諸 白赤味噌」
1030
スギ
アスナ ロ
墨書 不 明
墨書 不 明
「oい 」
「oい 」
「o□ 」
「oに 」
。
「。三之
→ 内 」
「o松 」
「oろ 」
「oろ 」
「olこ 」
「olこ 」
墨書不明
墨書不明
・
「o〔 鳥の絵〕屋□
→
焼印〕
〔
」
・
「o深 谷上下堤
→ [
]」
アスナ ロ
クロベ
4736
アスナ ロ
モ ミ属
50
図版
00
表 3-7
武家屋敷地区第 7地 点 出土木 簡観 察表
Tab.3-7 Notes on wooden tablets from BK7
層位
型式
幅 皿
区
賠励
録号
登番
遺構名
厚さ
記 11事 項 〔
表〕
(aull)
記載事項 〔
裏〕
樹種同定番号
(MYG― )
樹種
WT253
2号 遺 構
埋 ±2
中央
「o〔 焼日 」
「o□ 〔
下力〕信illヤ ロ 〔
野力〕
」
4673
モ ミ属
WT254
2号 遺構
埋 ±2
中央
「o〔 焼印〕
」
「oや □□
→→→善助」
4668
モ ミ属
ヽ
VT255
2号 遺構
埋 ± 2b
中央
1075
610
WT256
2号 遺 構
埋±2
中央
(1750)
(480)
4882
アカマ ツ
WT257
WT258
2号 遺 構
埋 ±2
中央
1720
4695
ス ギ
2号 遺構
埋±2
中央
WT259
2号 遺 構
埋 ± 2b
WT260
2号 遺構
埋±2
2号 遺 構
10
264
「o仙 蔓 小嶋重次郎」
570
「o仙 蔓 荷物」
260
中央
埋 ± 2b
2740
650
「遠田御荷物
スギ
2号 遺 構
理±2
WT263
2号 遺 構
埋 ±2
中央
WT264
2号 遺 構
埋 ± 2b
中央
「o二 瓶覚之丞」
ヽ
VT265
2号 遺 構
埋±2
中央
御力〕[
「o□ 〔
2680
(36)
ヽ
VT266
2号 遺構
埋 ± 2b
中央
630
(119o)
WT267
WT268
WT269
2号 遺 構
埋 ± 2b
中央
(10■ 5)
643
2号 遺 構
埋 ± 2b
2号 遺 構
埋 ± 2b
WT270
2号 遺構
埋 ± 2b
WT271
WT272
2号 遺 構
2号 遺構
「o[
d
「 跡部新之丞殿
・ o高 橋源助殿
→ □□彦六郎殿
2号 遺 構
皆川与平次
アカマ ツ
加藤平助
」
アカマ ツ
]」
モ ミ属
「o畠 中□ 二瓶覚之丞」
「o[
]」
4696
4742
スギ
「o[
4698
アスナ ロ
4855
ク ロベ
]」
「o[
「 o姫 君様
[
アカマ ツ
]
(400)
「[
「[
]」
・□御□ 〔
試力〕
」
・
「[
]
→□谷順与」
]」
]」
埋±2b
・
「享保六年
→ [
]□ □ 〔三百力〕
→七月廿六日」
埋 ±2
・
「十二村新八郎
→高梨善兵衛 」
「
様
[
]
喜三郎」
「□□□」
「大□ 〔
儀 力〕二 1□ ぬ人□ と [
「
WT273
スギ
「o□ 〔
白力〕□
(280)
1260
]」
・
「o沼 田□ 〔
権力〕左術門殿
→ 遠藤□左衛門殿
」
]」
「[
011‐
。
「□儀□□□ [
「o仙 豊荷物」
WT262
中央
「o武 右衛門」
「o仙 壼勝手□□ 〔
長松力〕
」
・
「o[ ]
→□ 〔
気力〕せん□ 御台所御用」
中央
図
「o〔 焼印〕
」
。
「o仙 壺大所□
→ □□□ 〔
六十四カ〕
」
彦 ︰
WT261
G‐
1〕
モ ミ属
]
→ 五前
埋 ±3
→ IP□ 〔
吉 力〕」
WT274
2号 遺 構
埋 ±2
中央
。
「 □□町
→o松 原□□郎
「o□ □□□朗」
895
→→合川
「[
→六
WT275
2号 遺構
埋 ± 2b
4765
スギ
」
]
[
]
→ 瓜 潰 七 十切 入
1290
→
久左□□〔
□〔
千力〕
衛門力〕
→御上大所御用
」
WT276
2号 遺 構
埋 ± 2b
中央
(997)
WT277
2号 iEl構
埋 ± 2b
中央
2680
「o丸 小瓜□ 〔
漬力〕
→
□〔
名力〕□」
625
。
「 享保六年
→o瓜漬千六百四拾切
→ 七月
二平
脇御用
八 カ〕
平□ 〔
」
・
「
→o
[
]拾 六樽内
マ ツ属 複
□□入
七十入」
維管束
ll属
マ ツ属 複
WT278
2号 遺構
埋 ± 2b
「御用茄子潰三千□」
1640
4706
維 管束
亜属
WT279
2号 遺構
埋±2
WT280
2号 遺 構
埋±2
WT281
2号 遺 構
1290
中央
565
「瓜漬七拾切入
→□□月 [ ]日 」
「o御 表潰 瓜□ 〔
樽力〕
」
1280
埋二
112b
「いノ
→六月十一 日
WT282
2号 遺 構
900
埋 ± 2b
2号 遺構
埋二
「_2
中央
(マ
・
「三平
→平八」
□付方
「oけ せん潰物」
マ)瓜 」
ア カマ ツ
アス ナ ロ
ロ 〔
持 力〕人
→ 白石様 〔
流 力〕瓜八拾切入
→御□□□
→
WT283
「o白 石流
・「享保七 年
→御潰
せん まい武百抱 入
→ 三月十七 日
」
アスナ ロ
」
「o[
]」
アスナ ロ
60
図版
武家屋敷地区第 7地 点 出土木 簡観 察表
つつ
表 3-8
Tab.3-8 Notes on wooden tablets from BK7
型式
埋±2b
2号 遺 構
1630
恥m
層位
幅 Ш
区
姜御
録号
登番
WT284
遺構 名
17
1380
埋 ± 2b
2号 遺構
(470)
埋 ±2
WT287
2号 遺構
埋 ± 2b
「 御台所御用
→ 瓜潰□拾□切入
「[ ]
→瓜i責 七拾」
埋 ± 2b
WT289
2号 遺 hTl
埋 ±2
WT290
2号 遺構
埋 ±2
WT291
2号 遺構
埋 ± 2b
WT292
2号 遺構
1300
(440)
」
平八
三平
→ 瓜付七拾切入
→ □□ 〔
三歩 力〕 な り
」
「問七月五日
→瓜潰三拾切入」
226
1500
590
「瓜付拾切入」
。
四子 力〕
「享保□□ 〔
→
間七 月
→瓜潰六拾五切入
→
WT293
WT294
2号 遺構
埋 ± 2b
1290
2号 遣構
埋 ± 2b
1230
WT295
2号 遺 構
埋 ± 2b
WT296
2号 遺構
10
六平
「 丑ノ
→ 壬七 月五 日
埋 ±2
G‐
アスナ ロ
」
「丑ノ
→壬七月五日 □□ 〔
加賀力〕粕
→瓜潰七拾切入
→□□□
三平
→ [
分力〕
]□ 〔
平八」
2号 遺 構
2号 遺 構
440
「瓜潰六拾切入」
・
「享保七年
一瓜漬六拾五切入」
[
ヽ
VT298
2号 遺 構
埋±2
295
「三平
→ [ ]」
WT299
2号 遺 構
埋 ± 2b
283
三平
「享保六年
→
六月十□ 〔
九 カ〕 日」
(215)
2号 遺 構
埋±2b
000
WT301
2号 遺 構
埋 ± 2b
000
WT302
2号 遺構
埋 ± 2b
WT303
2号 遺構
埋 ± 2b
WT304
2号 遺構
埋 ± 2b
WT305
WT306
2号 遺 構
埋±2
2号 遺 構
埋±2b
WT307
2号 遺構
埋 ± 2b
「[
→ [
WT308
2号 遺構
埋 ± 2b
「辛□ 〔
丑力〕
→享保六年分
→十月十三日
三平
「
→御上大所御用 」
埋 ± 2b
WT310
2号 遺 構
埋±2
アスナ ロ
4903
アスナ ロ
4784
アスナ ロ
「瓜付七拾切入」
WT300
(345)
4899
十右衛門」
」
埋 ± 2b
2号 遺構
(マ マ)や
平八
]
2号 遺 構
WT309
「なはなふ
「粕□別 [ ]」
WT297
10
]」
□八」
「□□や□也
→
埋 ± 2b
(1354)
「[
瓜潰四拾切人」
→
G‐
樹FTl
「千五郎様御用
権左衛門
→
[
]
→□□ 〔
大根力〕潰百弐拾本入」
WT286
ヽ
VT288
樹種同定番号
(MYG‐ )
「瓜潰六拾五切入
→□□若様 平八
御用
WT285
記載事 項 〔
裏〕
記載事 項 〔
表〕
「御上台 [
]」
・
「□□□ 〔
■村力〕三郎」
・
「
権之丞
→かす□らや
」
1240
「九月十六日」
「与四郎」
。
「大 [
]
→十月十 [ ]」
「七月四日」
三平 」
「
「[
]
一千五や (マ マ)御 用」
000
「□□ 〔
御天力〕[
1840
1570
000
]□
天力〕
〔
」
「享保六年」
249
「[
]様
]□ 〔分力〕三平」
色力〕や」
柏□ 〔
・
「享保六年
一
2号 遺 構
埋 ± 2b
(1180)
WT312
2号 遺構
埋±2b
(112.0)
(350)
WT3
WT3
3
2号 遺 構
埋 ± 2b
4
2号 遺構
埋 ± 2b
(1120)
(200)
ヽ
VT3 5
2号 遺構
埋 ± 2b
l17T3 6
2号 遺 構
埋±2b
270
1483
「[
]
]
粕魚御用力〕[ ]」
「□□□□ 〔
WT311
000
[
「
[
「[ ]
→享保五年□□」
・
「享保七年」
「へいはら」
「□□様御用」
「七月十日」
「三□ 〔
名力〕
」
「享保六年 [ ]」
図
図版
00
表 3-9
武家屋敷地 区第 7地 点 出土木 簡観 察表
Tab.3-9 Notes on wooden tablets from BK7
層位
型式
恥励
区
幅 Ш
遺構名
鵬価
登録
番号
記載事項 〔
表〕
WT317
WT318
2号 遺構
WT319
2号 遺構
埋±1
WT320
2号 遺構
埋±2b
(文 様 の マ マ )
WT321
2号 遺 構
埋±2b
(文 様 のママ)
□
WT322
WT323
WT324
WT325
WT326
WT327
2号 遺構
埋±2b
G‐
l
2号 遺構
埋 ±2
2号 遺構
埋±2b
2号 遺 構
埋二
112b
2号 遣 構
埋二
2号 遺 構
ilJ12b
051‐
ヽ
VT330
2号 遺 構
埋 ±2
051
WT331
2号 遺構
埋 ±2
268
横
中央
1370
横
2275
理二
L2b
横
(868)
253
600
(200)
2号 遺 構
埋 ±2
埋±2
2号 遺構
埋±2
2号 遺 構
埋±2b
(700)
255
2号 遺構
埋 ±2
(440)
250
2号 遺構
埋」
12b
WT341
2号 遺構
2号 遺 構
]
アスナ ロ
68
[
]」
[
]米 四斗五升入」
(690)
埋 ±3
(200)
埋土
「御米四斗
「o米 四斗
[
]
「御米四斗
「米四
スギ
5653
スギ
スギ
]」
スギ
・米
埋 ±3
(265)
[
]
「米×
「o米 四斗□ 〔
五カ〕 ×
・御年□
スギ
アスナ ロ
ス ギ
「[
]
・ 宮 沢村
4629
ス ギ
4620
ス ギ
5658
ク ロベ
ス ギ
「o富 田×
[
]
ケヤキ
「名□ 〔
取力〕
ス ギ
・□□
[ ]
WT343
WT344
2号 遺構
埋 ±2
×□□□ 〔
斗五升力〕 ×
2号 遺構
埋 ± 2b
×四斗 五 升 ×
ヽ
VT345
2号 遺 構
埋±3
ヽ
VT346
2号 遺 構
埋 ±2
□〔
米力〕[
WT347
WT348
WT349
WT350
2号 遺 構
埋 ±3
・ 餅 四斗
・□□村 ×
4908
×村 □ 次 郎
[
・米 四 ×
(840)
5661
モ ミ属
・□□村
。四斗 五 ×
→
「名取 [
]□ □ 〔助八カ〕
「o□ 〔
田力〕□
「□□ 〔
名取力〕□□
「熊野
。
「□ 〔
米力〕四斗X
埋±2
「o[
4866
アスナロ
「御年□ 〔
貢力〕
中央
5647
「o御 米四斗五升入」
(132.0)
埋 ±2
ス ギ
アス ナ ロ
]村
4602
ス ギ
4599
ス ギ
]
ス ギ
[
]
「塩引□
2号 遺 構
jll」
2号 遣構
埋 ±2
2号 遺構
埋±2b
WT351
2号 遺構
埋±2b
WT352
WT353
2号 遺構
埋±1
0
2号 遺構
埋±1
0
WT354
2号 遺 構
埋 ±2
0
WT355
WT356
WT357
WT358
WT359
WT360
2号 遺構
埋 ±2
0
2号 遺構
埋±2
0
2号 遺 構
埋 ±2
2号 遺構
埋 ±2
0
WT361
2号 遺欄
埋±2
0
WT362
WT363
2号 遺 構
埋 ± 2b
0
2号 遺構
理 ± 2b
0
中央
WT364
2号 遺 構
埋」12b
0
中央
WT365
WT366
WT367
WT368
WT369
WT370
2号 遺 構
埋 ± 2b
0
2号 遺 構
埋 ± 2b
0
2号 遺 構
埋±2b
0
2号 遺 構
埋 ■ 2b
0
2号 遺 構
坦l± 2
0
中央
2号 遺 構
埋±2b
0
中央
WT371
2号 遺 構
埋二
L2b
0
WT372
WT373
WT374
WT375
2号 遺 構
埋 ± 2b
0
中央
2号 遺構
最下層
0
中央
2号 遺 構
埋 ±2
445
2号 遺構
埋± 2
520
12b
□〔
茸力〕
「三斗入□ 〔
弥力〕[
]」
「[
(230)
]
「名取
2号 遺構
埋±2
0
2号 遺 構
埋±2
0
[
[
「
中央
]
[
ア カマ ツ
]
]
ス ギ
]
スギ
]」
4635
アスナ ロ
4925
ス ギ
[
「
[
345
「[
「
[
170
「o□ 」
290
「[
「[
アスナ ロ
「o[
「o[
ア スナ ロ
1440
スギ
墨書不 明
中央
「o[
く
墨 イ
り
中央
:!ト
1428
20.6
1580
アスナ ロ
]
アスナ ロ
「[
墨薔 不 明
墨書 不 明
「[
中央
「[
「七月Eコ 」
。
「四月 [
→ [
墨書不 明
中央
中央
1500
図版
68
]米 四斗
「o御
2号 遺 構
2号 遺 構
[
「□ 〔
米力〕[
]」
「[
次力〕合十‐
]〔 米四斗五升入リカ〕」 「□ 〔
□」
「o□ □□□ 〔
四斗五升力〕
「o[
」
170
b
樹 FTl
]
‐
ロノ子」
一切力〕
「□□ 〔
」
「[
ヽ
VT329
ヽ
VT342
390
021
埋±2
G-10
「[
五郎力〕
□〔
→□□□ 〔
四斗入力〕
」
1ニ
埋 ±2
WT340
「間九月拾
「o志 本可ま」
・□□□□ 〔
御用荷入力〕
樹種同定番号
(MYG‐ )
墨書 不 明
2号 遺構
2号 遺構
(800)
065
2号 遺 構
2号 遺構
375
中央
000
ヽ
VT328
WT332
WT333
WT334
WT335
WT336
WT337
WT338
WT339
(1340)
埋 ± 2b
埋 ± 2b
2号 遺 構
000
記載11項 〔
裏〕
330
1600
・
「□□」
「o[
アスナ ロ
5660
スギ
「[
「
[
5656
スギ
「[
「[
5657
アスナロ
「o□ 」
「o[
スギ
墨書不 明
墨書不 明
320
「o[
「十二月十一日善四郎」
「子ノ [
]」
コナ ラ節
「[
スギ
スギ
表 3-10 武 家屋敷 地 区第 7地 点 出土木 簡観 察表 (9)
Tab.3-10 Notes on wooden tablets from BK7(9)
区
層位
2号 遺 構
埋 ±2
ヽ
VT377
2号 遺構
埋±2
WT378
2号 遺 ll■l
埋±2
長 さ
(Ш )
型式
幅 画
録号
登番
ヽ
VT376
遺構名
厚さ
635
「[
]」
328
中央
「o[
2号 遺構
埋±2
中央
950
26.0
2号 遺 構
埋±2
中央
590
229
WT381
2号 遺構
埋 ±2
WT382
WT383
WT384
WT385
WT386
WT387
WT388
2号 遺構
埋±2
横
2号 遺 構
埋 ±2
横
2号 遺 構
埋 ± 2b
中央
(240)
2号 遺構
班1二 L2
中央
220
墨書 不 明
200
墨書不明
]」
「o[
「o[
]」
「o[
440
320
「o[
]入 」
(175)
1
]玉 □
2号 遺構
埋 ± 2b
260
「[
]」
ヽ
VT389
2号 遺構
埋 ± 2b
051‐
WT390
2号 遺構
埋 ± 2b
051
WT391
2号 遺構
埋 ± 2b
051‐
WT392
2号 遺構
埋二
L2b
ヽ
VT393
2号 遺構
埋 ± 2b
WT394
WT395
2号 遺 構
埋±3
2号 遺 構
埋 ± 2b
ヽ
VT396
2号 遺構
埋± 3
ヽ
VT397
2号 遺 構
埋±3
ヽ
VT398
2号 遺構
埋± 3
ヽ
VT399
2号 遺 構
埋±3
中央
b
「o[
中央
234
320
051
スギ
4979
スギ
]」
「o[
]」
「o[
スギ
スギ
5654
ス ギ
スギ
墨 籠ト
イく:月
]」
アスナロ
ク ロベ
4929
「[
]」
[
アスナ ロ
「o[
墨書不明
横
スギ
5652
「[
「名取 [
‐
o□ 」
スギ
「[
ス ギ
アスナ ロ
墨書不明
440
墨書 不 明
墨書 不 明
051‐
b
182
中央
2号 遺 構
埋 ± 2b
WT401
2号 遺構
埋 ±3
(1080)
ヽ
VT402
2号 遺構
埋± 2
(loo o)
ヽ
VT403
2号 遺構
埋± 2b
(1300)
ヽ
VT404
2号 遺 構
埋±
1
(730)
WT405
2号 遺 構
埋二
Ll
(500)
ヽ
VT406
2号 遺構
埋± 2
(530)
WT407
2号 遺 構
埋±2
(1760)
WT408
2号 遺構
埋 ±2
WT409
2号 遺 構
埋±2
(822)
ヽ
VT410
2号 遺構
埋±2
(440
ヽ
VT411
2号 遺 構
埋 ± 2b
WT412
WT413
WT414
WT415
WT416
WT417
2号 遺構
埋 ± 2b
ヽ
VT418
2号 遺構
WT419
2号 遺 構
220
280
4867
]」
[
。
「[
→[
WT400
]
「□□四月」
]村 勝之」
]」
[
]」
スギ
[
]」
[
]」
スギ
[
]」
墨書不明
×□ 〔
屋力〕八之助」
。□右衛門」
九カ〕月 [
「名取□ 〔
(200)
埋±3
220
11lL2
2号 遺構
埋 ±3
2号 遺hlrl
埋± 2
2号 遺構
埋 ■2
019‐
埋 ±2
019
(960
ヒ ノキ 科
]
・□入」
「千□□□村
・
「[ ]
→ [
]」
「[
「
[
]
'「
六カ〕
]三 斗□ 〔
三カ〕升
四斗□ 〔
「[
]
「御□
‐
□□
「名取北方種次
アスナ ロ
4939
スギ
4948
アスナ ロ
「[
4937
]
スギ
アスナ ロ
アスナ ロ
]」
・□□□□」
スギ
ス ギ
「o□ □
・□ 〔
筋力〕
」
]
(230)
4883
「[
]」
[
(590)
(860)
ク ロベ
「□ 〔
名力〕□
。
「□ □」
埋 ±2
5648
「[
]
→六月五 日
‐
夜□
「
b
中央
アスナ ロ
享保 X
205
アスナ ロ
[
「年七月□ 〔
七カ〕
」
2号 遺 構
H‐ 9
「
スギ
5644
〕
[
]入 」
「o[
「o〔
580
中央
4968
:月
墨譴ト
イく
理ユニ
L2
b
「o[
]」
埋 ± 2b
中央
スギ
アスナ ロ
モ ミ属
290
2号 遺 構
b
4871
]」
「[
]」
2号 il構
051‐
図版
墨書不明
590
570
樹 FTl
アスナ ロ
ヽ
VT379
H‐ 9
樹種同定番号
(MYG‐ )
2070
WT380
2号 遺構
記載11項 〔
裏〕
記載事項 〔
表〕
(nul)
スギ
スギ
マ ツ属 単
ヽ
VT420
埋±2
2号 遺構
「[
(490)
「[
]
4628
]
維 管束
亜属
ヽ
VT421
2号 遺 構
埋 ±2
中央
WT422
WT423
2号 遺 構
増L二 L2
中央
2号 遺 構
埋 ±2
中央
ヽ
VT424
2号 遺構
埋 ±2
WT425
WT426
2号 遺 構
埋 ±2
ヽ
VT427
2号 遺構
WT428
2号 遺 構
ヽ
VT429
2号 遺構
埋±2
WT430
2号 遺 h■l
埋 ± 2b
(1050)
WT431
2号 遺 構
埋1± 3
(820)
WT432
WT433
2号 遺構
埋 ±3
2号 遺 構
埋 ±3
WT434
2号 遺 構
埋±2
2号 遺構
「o[
(■ 26)
→
[
ス ギ
]
]
(1400)
(141)
「o[
]」
]
墨書 不 明
埋±2b
290
]
「[
252
5655
ス ギ
4992
ク ロベ
5649
アスナ ロ
5665
アスナ ロ
スギ
]
「□
]」
「
スギ
アスナ ロ
[
「[
]
[
スギ
]
]」
[
4637
(読 解不可 )
(読 解 不 可 )
]」
(441)
]」
]
「[
埋±2b
200
「o[
墨 書不 明
「[
埋 ±2
1
]
・
「□
アスナ ロ
8
クマ シベ 節
8
「[
8
8
「□
]
「
[
]
5664
ク ロベ
8
表 3-11
武家屋敷地 区第 7地 点 出土木 簡観 察表 (10)
Tab.3-1l Notes on wooden tablets from BK7(10)
層位
型式
幅 血
区
鵬価
録号
登番
遺構名
2号 遺構
埋土l
2号 遺 構
埋 ±3
2号 遺 構
最下 層
2号 遺 構
埋 ±2
(570)
2号 遺 構
最下 層
(670)
2号 遺構
埋 ±2
(800)
WT441
2号 遺構
埋 ±2
WT442
WT443
2号 遺 構
埋±2
(577)
(269)
2号 遺hll
埋±2
(1470)
(210)
WT444
2号 遺 構
埋 ±2
(1522)
(365)
(1030)
(135)
[
[
(280)
埋±2
(1500)
(1320)
2号 遺 構
埋±2
(780)
(140)
2号 遺構
埋±3
(490)
(25.0)
WT451
2号 遺構
WT452
WT453
2号 遺構
埋 ±2
(1367)
2号 遺構
埋±2b
(835)
WT454
2号 遺構
埋 ±2
17
]
8
文太郎
ア カマ ツ
8
アスナ ロ
8
「四十七×
「子ノ四月五日」
[
→
]
[
(110)
]
]
モ ミ属
]
×村 人作
スギ
ンノキ鮒
×入
(228)
スギ
コ ナ ラ節
□」
[
中央
660
中央
680
WT462
WT463
2号 遺 構
埋 ±2
中央
675
墨書 不 明
2号 遺構
埋±2
中央
675
WT464
2号 遺 構
埋±2
中央
「o□ □」
「o□ 」
WT465
WT466
WT467
WT468
WT469
WT470
2号 遺構
670
「o□ 」
2号 遺構
埋±1
(550)
[
(350)
022‐
b
埋 ±2
750
墨書 不 明
墨書 不 明
中央
660
墨書 不 明
墨書 不 明
墨書 不 明
墨書不 明
中央
b
2号 遺構
埋 ±2
中央
2号 遺構
埋 ±2
中央
2号 遺構
埋 ±2
中央
2号 遺構
埋±2
中央
WT471
2号 遺構
埋 ±2
WT472
WT473
2号 遺構
埋±2b
2号 遺 tt
埋 ±2
WT474
2号 遺構
埋±2
(155)
中央
墨書不 明
「o□ 」
「o□ 」
中央
0
2号 遺構
埋±2
0
2号 遺構
埋±1
0
中央
2号 遺構
埋 ±2
0
中央
墨書不明
中央
(2110)
4965
「o[
3200
WT483
2号 遺 構
埋二
L2b
「
WT484
WT485
2号 iE構
埋 ± 2b
「
2号 遺 h■l
埋 ±2
→
中央
中央 2
箇所
中央
埋±2
埋±2
スギ
ス ギ
・
「[
埋±2
2号 il構
84
スギ
[
389
2号 遺構
WT492
アスナ ロ
墨書 不 明
440
WT482
埋 ± 2b
84
「□」
1970
埋 ±2
埋 ±2
ス ギ
84
2号 ill構
2号 遺構
4655
「o□ □□川」
736
WT481
2号 遺 構
84
84
墨書 不 明
埋±2
WT491
84
ヒノキ科
2号 遺 構
埋 ± 2b
アスナ ロ
アスナ ロ
WT480
2号 遺 構
4986
755
220
022
埋 ±2
スギ
(730)
埋 J12
2号 遺 構
4973
(100)
埋±2
埋 ±2
アスナ ロ
墨書 不 明
190
b
2号 遺構
2号 遺構
83
スギ
(100)
022‐
。□
中央
埋 ±2
022‐
「□
チ
プ
L力 〕□
ト〔
(250)
スギ
[
「名取
(322)
2号 遺構
WT487
WT488
WT489
WT490
モ ク レ ン願
]
「 ∨□」
埋±1
埋±1
H‐ 9
]
×五 升
埋 ±2
埋 ± 2b
2号 遺構
2号 遺構
クロベ
]
[
]
2号 遺構
WT486
]
[
]
[
2号 遺構
2号 遺構
H‐ 8
[
→
]
WT461
埋 ±3
2号 遺構
スギ
埋 ±3
埋 ± 2b
8
8
]
アカマ ツ
WT455
WT456
WT457
WT458
WT459
WT460
WT475
WT476
WT477
WT478
WT479
8
アスナ ロ
]
[
。清 助
埋 ± 2b
H‐ 9
[
□村 ×
埋 ±2
2号 遺構
図
8
]
。□ 〔
村力〕
(340)
埋 ±2
2号 遺構
樹種
]
]
2号 遺構
H‐ 8
樹種同定番号
(MYG― )
8
2号 遺構
2号 遺構
記載事項 〔
裏〕
019
WT445
WT446
WT447
WT448
WT449
WT450
H‐ 9
記載事項 〔
表〕
(oull)
WT435
WT436
WT437
WT438
WT439
WT440
2号 illlt
厚さ
[
2400
スギ
2750
2040
墨書 不 明
512
ス ギ
「[
(724)
]
→
]
[
「あ□□」
「四月
(250)
(1344)
」
[
(675)
]
アスナ ロ
ア カマ ツ
(570)
ll
000
727
(238)
(728)
(350)
「□ 〔
瓜力〕[
「享保□
□荷入」
「[
88
88
図版
表 3-12 武家屋敷地 区第 7地 点 出土木 簡観 察表 (11)
Tab.3-12 Notes on wooden tablets from BK7(11)
層位
2号 遺構
埋 ±2
2号 遺構
埋 ± 2b
型式
廉m
区
幅 Ш
遺構名
肇価
録号
登番
WT493
WT494
記載事 項 〔
表〕
「享保 ×
(170)
(875)
WT495
2号 遣構
埋±2
WT496
WT497
WT498
2号 遺 構
埋±2b
1060
2号 遺構
埋 ± 2b
(1004)
2号 遺構
埋 ± 2b
WT499
2号 遺構
理二
L2b
ヽ
VT500
2号 遺構
WT501
WT502
WT503
WT504
WT505
2号 遺 構
埋 ±2
ヽ
VT506
2号 遺構
埋 ± 2b
WT507
2号 遺 構
埋±2
(295)
「
[
]」
「[
→□
510
[
(1330)
(320)
「[
]
→□月二日
埋 ±2
(960)
(3■ 0)
「[
→取
2号 遺構
埋 ±2
(850)
2号 遺 構
埋 ± 2b
(260)
「
2号 遺構
埋±2b
(12.6)
[
2号 遺構
埋±2
(27.5)
「[
→
(200)
ヽ
VT509
2号 遺構
埋 ± 2b
1170
(71)
「[
WT510
WT511
2号 遺構
埋 ±2
(870)
(150)
[
2号 遺構
埋 ±2
(110)
「
ヽ
VT512
2号 遺構
埋 ±2
000
WT513
WT514
2号 遺構
埋 ±2
000
2号 遺構
埋 ±2
ヽ
VT515
2号 遺構
埋 ±2
WT516
WT517
WT518
WT519
WT520
2号 遺構
埋 ± 2b
「[
2号 遺 構
埋 ± 2b
(930)
「
埋 ± 2b
(950)
[
(561)
(648)
(880)
2号 遺 構
埋 ± 2b
2号 遺 構
埋±2b
WT527
2号 遺 構
(120)
(120)
(180)
]」
[
]
]
0
[
l
[
3
]
]」
(1017)
(184)
「[
(809)
(193)
□□
2号 遺 構
埋±2b
(350)
(190)
2号 遺 構
埋 ± 2b
(480)
(140)
埋 ± 2b
(700)
(400)
(130)
[
]
→
[
]
「□
埋±2
埋 ±2
WT531
2号 遺構
埋±2
(470)
(150)
「[
WT532
WT533
2号 遺 構
埋 ±2
(340)
(160)
・□
2号 遺構
埋 ±3
(530)
(160)
[
WT534
2号 遺 構
埋±3
WT535
WT536
WT537
2号 遣構
埋±2
2号 遺 構
埋±2
(590)
2号 遺 構
埋 ± 2b
1100
ヽ
VT538
2号 遺構
埋 ±2
(904)
WT539
WT540
WT541
WT542
WT543
WT544
WT545
2号 遺 構
埋±2
(750)
2号 遺 構
埋±2
(360)
2号 遺 構
埋 ± 2b
(
埋 ±3
(
2号 遺 構
H-9
H8
ヽ
VT546
1号 遺構
1号 遺構
]
。□□
ク ロベ
]
]
[
]
]
・□
4636
]
(120)
・□□」
(190)
スギ
アスナ ロ
(読 解 不 可 )
(880)
・□」
[
]
[
]
アスナ ロ
「[
]
]
.□
(320)
(200)
。□
[
4632
ア カマ ツ
]
[
埋 ± 2b
2号 遺柵
ヽ
VT547
「[
43.7
(170)
]
[
]
埋±2b
2号 遺 構
2号 遺構
・
「□
[ ]
→
2号 遺構
019
]
平」
2号 遺構
(620)
]
[
「亭 ヽ□
「
埋 ± 2b
]
]」
埋 ±3
2号 遺構
[
[
]
[
「[
埋 ±3
WT528
WT529
WT530
]
〕
2号 遺 構
G-11
アスナ ロ
]
「[
]
2号 遺 構
000
[
]
[
「[
(190)
2号 遺 構
埋 ± 2b
アスナ ロ
4672
「[
]
]
(1150)
埋 ± 2b
4997
]
[
「[
2号 遺 構
ク ロベ
「□□」
(100)
(120)
2号 遺構
4999
]
]」
[
(1090)
1160
[
]
[
(860)
「
]
墨書 不 明
]
[
(407)
]」
[
「[
]
[
埋 ±2
WT521
「[
]」
墨書 不 明
000
]
]
(180)
1200
アスナ ロ
〔
台 力〕
]」
[
2号 遺構
WT522
WT523
WT524
WT525
WT526
]□
(132)
WT508
Hつ
]」
「[
]
H‐ 8
G・
H-8
(140)
「
「[
[
「[
最下 層
埋 ±3
019‐
b
・
「o[
→御
中央
ス ギ
4596
[
埋±3
中央
1250
「o増 田村 [ ]」
図
88
]
(272)
樹種
]
[
[
「□ロヤロロロ」
(100.0)
樹種同定番号
(MYG‐ )
]六 □
(150)
(1440)
記載事 項 〔
裏〕
モ ミ属
図版
表 3-13 武家屋敷地 区第 7地 点 出土木 簡観 察表 (12)
Tab.3-13 Notes on wooden tablets from BK7(12)
層位
型式
1号 遺 構
埋±3
1号 遺 構
埋±3
l
WT551
1号 遺構
埋± 3
1
WT552
WT553
1号 遺構
埋±3
26.0
1号 遺構
埋±3
230
3・
H-8
WT554
24号 土 坑
埋±2
24号 土 坑
埋±3
土坑
埋 ±3
WT557
24号 土 坑
WT558
24号 土 坑
24号
WT559
24号 土 坑
WT560
24号 土 坑
横
(201.0)
530
750
051‐
'「
下力〕ノ [
□ 〔
]」
b
璧± 2
(
(1585)
アスナ ロ
「名取袋原村勘次右衛門
4875
ス ギ
「o筆 甫村 [
4754
ス ギ
250
。
「御年貢米四斗五升入
→ 享保 二年十一 月十 日
・
「□□□ 〔
米四斗力〕[ ]」
「□ 〔
ロカ〕□村□□郎」
ス ギ
ス ギ
。
「□
「名取高柳村市之丞」
(1310)
335
350
「御年貢米四斗五升」
24号 土 坑
ヽ
VT567
24号 土坑
埋 ±2
d
中央
lVT569 24号 土 坑
埋±3
中央
WT570
埋±3
横
24号 土坑
1060
24号 土 坑
埋 ±3
24号 土 坑
埋 ±2
ヽ
VT573
24号 土 坑
埋 ±3
WT574
WT575
WT576
WT577
24号 土 坑
埋 ±3
24号 土 坑
埋土
24号 土 坑
埋土
24号 土 坑
埋土
VT578
ヽ
24号 土坑
埋 二11
WT579
WT580
WT581
24号 土坑
埋土
(960)
24号 土 坑
埋土
(690)
24号 土 坑
埋土
(420)
ヽ
VT582
2号 土 坑
埋土
WT583
WT584
2号 土 坑
里土
中央
2号 土 坑
里土
中央
ヽ
VT585
2号 土坑
堅土
WT586
29号 土坑
埋 二Ll
4804
アスナ ロ
「丑九月」
モ ミ属
スギ
「o〔 焼印〕
」
4857
4807
「o□ 」
ス ギ
スギ
「o□ □□□□
)
WT571
(■ 何かの記号力)
アカマ ツ
スギ
ア カマ ツ
4755
アスナ ロ
墨書 不 明
「o[
220
中央
2050
300
(1340)
275
アスナ ロ
□」
「□□」
[
×田村
]右
衛 門」
スギ
[
「[
)22‐ b
スギ
「o□ 」
中央
,□ □ 〔
善力〕
(220)
(220)
四斗
スギ
「名取□□ 〔
柳生力〕村 [ ]」
中央
スギ
クロベ
「o名 取 ffi次 村古内分」
「[
ス ギ
「子ノ
中央
スギ
アカマ ツ
ア カマ ツ
2100
度乱
・□四年五 月
・□ 〔
当力〕成 賣
米 四斗
320
撹乱
[
・
「享 [
→□□ 〔
御年力〕[
「o[ ]」
埋土
865
(170)
2号 土 坑
埋二
(1180)
(320)
[
WT591
2号 土 坑
埋土
(356)
WT592
WT593
2号 土 坑
埋土
(145)
[
18号 土 坑
里± 2
(175)
「[
WT594
27号 溝
埋 ±2
(950)
]
アス ナ ロ
]」
4774
「o[
1550
2号 土 坑
│ニ
]
「o仙 墓 小嶋十次郎o」
「o□ 」 (■ 何かの記号力
WT572
WT587
WT588
WT589
WT590
]」
[
「o[
横
011‐
村力〕
]□ 〔
田
埋 ±3
「[
220
□ ︰ ︰
WT568
1440
埋 ±2
ス ギ
「三 [ ]」
2430
r け↓
WT566
ス ギ
」
「名取上余 田村吉郎兵衛」
「米四斗五升入」
「米四斗五升入」
「三斗入 [ ]
b
]
]」
]
ス ギ
「名取吉 〔
増力〕田村□」
325
051‐
・
「JI[
→ [
(マ
「米四斗五升入」
265
埋±1
ス ギ
4757
1440
埋±2
4806
「国分□ 〔
木力〕
」
実力〕沢村半□ 〔
1520
24号 土 坑
マ)六 丁目村久佐衛門」
206
堅二
L3
WT565
国分郡
4808
理±2
埋±2
アスナ ロ
「o名 取藤塚次郎七」
24号 土坑
24号 土 坑
5646
'「
「o米 四斗 [ ]」
埋± 1
]」
「御蔵入 四斗五升入」
24号 土坑
b
「[
「o□ □ 〔
御前力〕米四斗五升入」
「米四斗五升入」
1230
堅± 2
ス ギ
]」
295
390
019‐
「[
]」
ヽ
VT561
WT564
図
「[
中央
里± 1
[
「名取
230
540)
里± 3
埋 ±2
樹種
墨書不明
WT562
WT563
24号 土 坑
樹種同定番号
(MYG― )
」
(110)
墨書 不 明
横
埋±1
埋 ±2
記載事項 〔
裏〕
記載事項 〔
表〕
「□□□
埋 ±3
WT555
WT556
厚さ
(Dull)
WT548
WT549
WT550
1号 遺構
幅 m
区
賠価
録号
登番
遺構名
「
ス ギ
「[
[
スギ
]
「米×
(180)
アスナ ロ
。
「□
4607
「[
5645
モ ミ属
]
「[
( )付 きで示 した法量は、残存する長さ 。幅・厚さを示す。
表中の図・図版番号は『年報19 第 3分 冊』の図 。図版番号である。
スギ
スギ
99
図版
(4)木 簡の樹種 と型式 との関係について
「 (3)武 家屋敷地区第 7地 点出土木簡の検討①木簡 と樹種」 の同定結果を受けて、木簡の型式や記載内容 と樹
種 との関係 について考察 を加えてい きたい。木簡の型式的特徴や記載内容については、年報19第 3分 冊 に掲載 し
てお り、そちらを参照されたい。表3-2∼ 表3-13に は、すべ ての木簡の観察表を掲載 している。 この表 は、年
報19第 3分 冊で掲載 した観察表 に、樹種同定番号 とその樹種 を追加 したものである。
木簡全点の樹種同定 を行 うことは困難であるため、木簡の樹種同定は選択的に行 っている。樹種同定を行 う木
簡の選択基準 については、型式や記載内容 と樹種 との関係を考察す るため、比較的残 りがよく、形態がよくわか
るもの、記載内容が判読可能なものを中心 に行 っている。また、肉眼の観察で木 目や木肌が特徴的なものについ
ては、樹種同定 を行 うものに加えている。木簡594点 中、樹種同定を行 った木簡 は428点 である。
表4-1は 、木簡の型式 と樹種 との関係 を示 したものであ る。「 (3)武 家屋敷地区第 7地 点出土木簡の検討①木
簡 と樹種」で、小川 とみ 。鈴木三男氏 らが示 しているように、樹種 を分析 した428点 の うち、259点 (60.5%)が
スギである。針葉樹全体では97.4%を 示 してお り、木簡 として用 い られた樹種は、圧倒的に針葉樹が多 く、中で
もスギが卓越 していると言える。そのため、木簡の型式別にみても、主要な型式では、スギが半数以上を占める
とい う結果 を示 している。スギ以外 はいずれも少ないが、その中でも針葉樹が中心であると理解 される。
木簡の型式の中で主要 とな り、出土点数 も多 いのは、短冊型の011型 式、一端を尖 らせた051型 式、011型 式 と
051型 式の中間的な形態を示す011-c型 式である。 これらが破損 したものが、019型 式、059型 式であ り、準 じて出
土点数が多 くなっている。これらの木簡 には、主に「米」、「塩」などの品物名が記載 されてお り、年貢 として、
各村 から藩 に納められたものが中心である。 これらの木簡のほとんどは、木材を簡単 に割 っただけの粗雑な成形
の ものが多 く、木 目が粗 く、節が残っているものもみ られた。 これらの型式では、スギの点数が圧倒的に多 い。
他 の針葉樹 もわずかにみられるが、スギ以外の樹種 では、種類 も点数もご く限られている。
021型 式 は小型矩形の もの、022-b型 式 は小型矩形で両端を圭頭 にしたものである。 これらは、点数が少ない も
のの、やは リスギを中心 としてお り、アスナロな どの針葉樹が用い られているものもわずかに存在する。
型式別に樹種を検討 した際に注 目されるのは、000型 式である。 これは、非常 に薄い材 に墨書があるものであ
る。非常 に薄い材のため、木 目に沿って裂けやす く、破損 している場合が多 い。そのため、記載内容が明確に確
認されるものはあま り多 くはない。品物名のほとんどは、瓜漬けや茄子漬けといった「漬け」 の品物名である。
「塩」ヾ
「粕魚」、「卵 ?」 の記載が確認 されるが、いずれも各 1点 である。
「漬け」以外では、
000型 式の樹種 では、スギが全 くみ られず、アスナ ロが中心 とな り、 クロベが 1点 み られる。他 の型式 では、
スギが大半であるが、スギが全 くみ られない とい う点で、他の型式 とは大 きく異なっている。 これは、非常に薄
い材 であるとい う特徴 による可能性が考えられる。小川 とみ 。鈴木三男氏 による「①木簡の樹種」の分析 による
と、「アスナ ロとされた ものは、その分布か らみて変種 のヒノキアスナ ロ
アスナロ
(ヒ
(ヒ
バ)で ある」 と考 えられ、 ヒノキ
バ)の 材 は、
「やや堅 く、強靭できめ細か く、保存性が大変よい」 とい う特徴 を持っている。000型
式のように非常 に薄い材 に加工す るのに、強靭で きめ細かい といった特徴が適 していたのであろ うと推測される。
011‐ d型 式 は、長方形 で厚手 の ものである。 この型式では、やは り針葉樹 を中心 としてい る ことに違 いはない
が、スギが主体 ではな く、モ ミ属、アカマ ツ、アスナロなどの樹種 とほぼ同程度の比率である。スギよりも他の
針葉樹 を用 いた方が、厚手で大型 といった特徴 には適 していたのかもしれない。
次 に、記載 されて い る品物別 に樹種 を検討 してい きたい。表4-2は 、木簡に記載 されてい る品物名別 に樹種 の
点数 を示 してい る。上述の よ うに、 この資料群 の樹種 は、 品物別 にみて も、 ス ギがほ とん どである ことに変 わ り
はない。「米」 と記載 されて い る木簡 は、最 も点数が多 いため、樹種 の種類 も比較的多 いが、 スギが大半である。
他 の品物 では、それぞれの出土 点数 が多 くはないが、 スギを主体 としてい る ことが読 み取 れる。
そ の 中で、瓜漬 けや茄子漬 け とい った「漬 け」 の木簡 は、スギが用 い られて い る ものは全 くない。「漬 け」 の
木簡 は、000型 式 と011-d型 式 に限定 され、000型 式 の ものはアス ナ ロが、011-d型 式 の ものはアカマ ツ、 マ ツ属複
維管束亜 属 に樹種 が限定 されてい る。 マ ツ属複維管束 亜 属 については、「 (3)武 家屋敷地区第 7地 点出土木簡 の
検討①木簡 と樹種」で、「種 まで同定できたものがアカマ ツのみに限られることか ら、 これ らのほとんどもアカ
マ ツであると考 えることが出来 る」 とあ り、
「漬け」 の木簡の樹種 は、型式別 に対応 して、アスナ ロとアカマ ツ
に 2分 される可能性 も考えられる。
同様 の011‐ d型 式の ものでは、「台所宛て荷物」 と分類 したものに、アカマ ツの樹種 が用 い られている。「台所
「仙墓勝手□□」、「□せん□御台所
「仙墓大所□」、
「仙墓荷物」、
宛 て荷物」 とした ものは、具体的な記載では、
御用」な ど、細部 に違いはあるものの、二の丸の御大所 に宛てられた荷物であ り、 このようにまとめて扱 うこと
とした。いずれも011‐ d型 式の木簡である。 これらの うち、1点 はモ ミ属であるが、他 の 3点 はアカマ ツである。
点数が少ない ものの、比較的厚手で大型 の本簡 には、アカマ ツが用 い られる傾向が考 えられる。アカマ ツは、
「重硬 で、樹脂分が多 く加工が難 しいが水湿 に良 く耐え、保存性がよい」 とい う特徴があ り、比較的厚手でやや
大 きな木簡を作 るのに使 いやすい材であった可能性が推測される。
「竹 ノ子」な どの品物名が記載 された、比較的丁寧 な作 りの木簡 と樹種 の関
「蜆」、「菱喰」、「雉子」、「梨子」、
係 についてみてい く。「米」やその他 の品物が記載 された木簡 の大半が、簡単 に木材 を割 り、粗 く削 った状態 の
ものであるのに対 し、木 目が細か く整い、材質のよい木材が用 い られ、四隅が面取 りされているなど、成形や加
工が丁寧な木簡がい くつか出土 している。 これらは、記載内容 と木簡の特徴 から、贈答品に付け られたものとみ
られる。中でも、「蜆」 は、仙台藩の重臣である「伊達安房」が、重臣の「但木土佐」 に贈 った木簡である。「菱
「梨子」、
「竹 ノ子」 には、
喰」の木簡 には、贈 り主 として重 臣の「茂庭筑後」の名前が記載されている。「雉子」、
贈 り主や差出人の名前 は記載されていないが、材質のよい木材が用い られ、成形や加工が丁寧であることなどか
ら、藩 に献上 された品に付けられた木簡であろ うと推測 される。 これら丁寧 な作 りの木簡の樹種 では、「蜆」 の
木簡のみモ ミ属が用 い られているが、他 はスギである。 これらは表面的特徴 の観察では、「米」な どに多 い粗 い
作 りの木簡 とは、明らか に材質や成形 。加工の質が良い ものであるが、樹種においては同じ種類が用い られてい
ることが明らかとなった。しか し、同じ樹種で も、特別の品に付けられる木簡 と、年貢米 に付け られる木簡では、
木材 の質や加工の程度 に明 らかな違いが生まれることが明 らかとなった。
次に、木簡 に記載されている地名 と樹種 の関係 についてみてい く。「 (3)武 家屋敷地区第 7地 点出土木簡の検
討①木簡 と樹種」の指摘 では、アスナロもしくは、 ヒノキアスナロ
(ヒ
バ)、 クロベ
(ネ
ズ コ)に ついて、
「奥羽
山脈に沿った山間地に天然分布 して」お り、「植林 はそこよ り標高の低 い ところまでされてはいる ものの、山間
部が主であることか ら、その供給地 を山間部とみることができよう」 としている。出土 した木簡に記載されてい
る地名 と樹種 との関係 を示 したのが表4-3で ある。図4-1は 、木簡に記載されている村名を地図に示 したもので
ある。資料の特徴 として、宮城郡、名取郡の村名が多 く、その他 の地名が記載された木簡が元 々少ない とい う傾
向はあるものの、奥羽山脈の栗原郡一迫長崎村、玉造郡、北上山地の江刺郡増沢村、人首村、阿武隈山地の伊具
郡東根伊手村、筆甫村な ど、山間部 に属す るとみられる村 のいずれにおいてもアスナ ロやクロベ
(ネ
ズ コ)の 樹
種 の木簡はみられず、スギにのみ偏 っていることが理解 される。一方、宮城郡や名取郡な ど、主に仙台平野 に存
在す る村名の木簡では、多 くはない もののアスナロやクロベ
(ネ
ズ コ)の 樹種がい くつかみ られ、樹種 の天然分
布 と実際の地名 とは必ず しも一致 しない結果 となった。このことか ら、アスナ ロやクロベ
(ネ
ズ コ)と いった樹
種 について も、天然の ものではなく、植林 されたものである可能性が推測される。
近世の仙台藩 において、水源 は農耕 の基であ り、水源の根源 となる山林原野の育成 と管理 こそ農政の基本であ
った。仙台藩領の山林原野は、藩有林 としての「御林」、藩士が領有する「拝領山」「預御山」、百姓 の私有地で
ある「居久根」「地付山」、私有 の山林原野をもたない百姓 のために、一村あるいは複数の村 が共同で利用す る
「入会 山」「渡世 山」 に大 別 される。藩有林 で あ って も、百姓が利用で きる居久根、地付 山、入会 山であって も、
森林保護 を基 本 として い るため、「留木」 や「青木」 として藩が伐採 を規制 した樹種 については、郡奉行 の許可
が なければ伐採す ることはで きなか った。留木、青木 として藩が規 制 した樹木 は、時代 によって変 わるが、木簡
の年代 に近 い江戸時代 中期 では、留木 は樫、朴、桐、槻 (欅 )、 桂、山漆 であ り、青木 は松、杉、樅、枢 で あ る。
江戸時代後期 では、留木、樫、朴、桐、槻 、桂 、檜、塩地、椀 で あ り、青木 は松 、杉、樅、枢、礫、檜葉、梅、
桜 とな って い る (高 倉淳2003)。 そ の一 方 で、仙台藩 は杉、松、竹 などの植林 を奨励 してお り、中で もスギに関
しては、 藩内各所 に藩営 の樹木苗圃 を設け、植林用 の苗 を育てて い る (飯 泉茂 1994)。 名取郡四郎丸村 に置 かれ
た藩 の「御杉苗畑」 もその一つ で、藩 か ら支給 されたス ギの種子 を杉 苗畑 に蒔 き、三年間育成 した後 に藩 に供出
し、大肝入 の裁量 で必要 な村 に割 り当て られ、植林 されていた
(高 倉淳2003)。
また、百姓 の屋敷林 である居久根 で あって も、仙台藩では居久根 を保 護す るため、樹木 を伐採す るには藩 の許
可 を必要 として いた。居久根 にはスギ以外 に も、榛木、栗、欅、赤松、桜、檜、竹 な ど多種多様 な樹種が植 え ら
れてお り、防風、防雪、防蔵 の効果 や、燃料 ・堆肥 ・食料 な ど、多様 な恩恵 を与 えて い た (千 葉正樹 2004)。 図
4-2で は、屋 敷地が居久根 で囲 まれてい る様子 が よ くわか り、樹木が生活 の身近 に存在す る ことが伺 える。
以上 の よ うな仙台藩での 山林 に対す る政 策 を考慮す ると、木簡 の樹種 に、スギが圧倒的 に多 いこ とは当然 の結
果 と考 える ことがで きる。青木 であ るスギは、伐採 には規制があった ものの、一 方 で、苗が藩か ら供給 される仕
組みが で きあが ってお り、 ス ギの植林 が奨励 されていた。 また、大木に育 ったスギを伐採す る ことは容易 にで き
な くて も、藩 の許可 を得 て、植林 されたス ギを計画的 に活用す る ことはで きたであろうし、樹木 の維持 ・管理 の
ためには、 間伐や枝打 ちな どの作業 を計画的 に行 う必要 があ り、そ こか ら得 られた樹 木 や枝 も貴重 な資源であっ
た と考 え られる。「米」 な どに付 け られた典型的な木簡 の大 きさは、長 さ10∼ 20cm程 度、幅2∼ 4cm程 度 で あ り、
間伐や枝打 ちなどで得 られた木材や、他 に活用 した残 りの端材 で あ って も十分利用 で きる大 きさで あ ろ う。
アス ナ ロ、 ク ロベ
(ネ
ズ コ)な どの樹種 が比較的多 かった こ とについて も、 ス ギ と同様 に、植林 された ものが
村 の周辺 に多 かったためであろ う と推測 される。木簡に記載 された村名 と樹種 との 関係 で、奥羽山脈 などの 山間
部 に天然分布す るアス ナ ロや クロベ
(ネ
ズ コ)が 、山間部 とみ られる村名 の木簡 か らは確認 されなかった。一 方
で、天然分布がみ られない平野部 の宮城郡 や名取郡 の村名 の木簡 で、アス ナ ロや クロベ
(ネ
ズ コ)が 少な くない
数 で確認 されるのは、植林 された ものが村 の周辺 に多 かったためで あ ろ う と考 え られる。 クロベ
ヒノキ科 の針葉樹 で、 アスナ ロは、変種 の ヒノキアスナ ロ
(ヒ
(ネ
バ )で ある可能性が指摘 されて い る
ズ コ)は 、
(「
(3)武 家
屋敷地区第 7地 点出土木簡 の検討①木簡 と樹種」)。 木簡 の年代 に近 い江戸時代中期 には、ヒノキアス ナ ロ
や ク ロベ
(ネ
(ヒ
バ)
ズ コ)は 、留 木、青木 には含 まれてい ない もの と考 えられるが、山林の維持 ・管理 を重視 した仙台
藩 の政策 をみると、伐採す る ことは容易 では なかったであろ う と推測 され る。上述の よ うに、居久根 には檜、赤
松 な ど多種多様 な樹種が植 えられてお り、 スギ と同様 に、端材程度 の大 きさであれば、十分得 られた木材 で あっ
た と推測 される。木簡 と樹種 との 関係 か ら、山林 の保護・ 管理 とい った仙台藩 の藩政 に基 づいた村 のい となみ の
一端 を伺 い知 る ことがで きる もの と考 えられる。
引用 。参考文献》
《
1994
「Ⅲ自然の移 り変 わ り3仙 台開府 か らの植生の変化 (2)林 業 との関わ り」『仙台市史特別編1自 然』pp.360-pp.364
飯泉茂、大友敬雄 1994 「Ⅲ自然の移 り変わ り5育 んで きた自然 (2)街 や村の樹 木相」『仙台市史特別編1自 然』pp.148-pp.422
飯泉茂
高倉 淳
千葉正樹
2003
2004
「第六章村 々の生活 第三節山村 の実態」『仙台市史 通史編 4 近世 2』 pp.424-pp.440
「第三章村 のな りわい 第四節村 の景観」『仙台市史 通史編 5近 世 3』 pp.193-pp.218
2007 『東北大学埋蔵文化財調査年報19第 3分 冊』
1994 「Ⅲ自然の移 り変わ り 5育 んで きた自然 (3)海 岸林」『仙台市史 特別編 1自 然』pp.422-424
`
2001 「第二章政宗の政治 第四節領内の整備」『lL台 市史 通史編 3近 世 1』 pp.169-pp.182
東北大学埋蔵文化財調査室
日比野紘 一郎
渡辺信夫
Tab.4-l
表 4-1 武家屋敷 地 区第 7地 点 出土木 簡 の型 式 と樹種 の 関係
lnterration between type of wooden tablets and identified wood specis at BK7
針葉樹
総計
1
7
1
1
7
1
l
l
1
2
1
1
2
1
ユ
1
1
1
2
1
1
1
1
l
1
1
l
1
1
1
259
1
1
1
1
表 4-2 武家屋敷 地 区第 7地 点 出土木 簡 に記載 された品物 名別 の樹種
1nterration between goods writen on wooden tablets and identifled wood specis at BK7
1
総計
ケヤキ
米 ・モ チ
7
米
モ ク レ ン属
広
コナ ラ節
ク 了 ンベ節
ヒ ノ キ科
アスナ ロ
ク ロベ
スギ
ハン ノキ 節
針 葉
維管束亜属
マ ツ属 単
維 管 束 亜属
マ ツ属 複
アカ マツ
モ ミ属
名
カ ヤ
品 物
モ ク レ ン属
Tab.4-2
1
l
1
1
計
総
ケヤキ
065
コナ ラ節
051-b
ク 了 ンベ節
033
ハン ノキ 節
b
ヒ ノ キ科
032‐
アスナ ロ
032
ク ロ ベ
022-b
スギ
木羽のような非常 に薄い材
019-b
維管束亜属
マ ツ属 単
000
019
1
1
1
999
c
011-d
維管束 亜属
マツ属複
1
短冊型 で一 部 に加工
長方形で も下端がやや細 くなる
長方形 で厚手
一端が方頭 で、他端 は破損・腐食 で不明
一端が方頭、他端は細 くなるが破損 で不明
小型矩形
小型矩形 の一端 を圭頭
長方形 の材 の一端 の左右に切 り込み
長方形 の材 の片側 に切 り込み
長方形 の一端 の左右に切込み、他端 は尖 る
長方形 の材 の一端 を尖 らせ る
長方形 の材 の一端 の片側 を削って尖 らせる
長方形 の材 の一端 を尖 らせ る、他端 は欠損
用途未詳の木製品 に墨書がある
折損、腐食に よって原形不明
両端が尖 る
011‐
アカ マ ツ
短冊型
011-b
モ ミ属
カ ヤ
式
型
広葉樹
1
せ ん襦 米
モチ
7
1
籾
1
1
潰け
瓜漬け
1
子清け
1
1
1
2
塩
醤味
7由 口
曽
諸 自赤味噌
1
赤味噌
1
そ の他食品
円真 寺 流 御 醤 油
1
1
1
に豆
1
1
1
1
5
の子
瑣
苺?
1
1
贈答 品
蜆
1
菱喰
梨
l
1
1
1
雉 子
1
荷物
台所 宛 て荷 物
1
仙台荷物
荷 物
1
そ の他
名前札
己fチ 本し
言
焼 きF,本L
1
1
2
1
1
1
早籠
4
1
4
御 獲
鑑 の札
品物 不 明
総 計
1
1
1
l
1
l
1
2
1
1
表 4-3 武家屋敷地区第 7地 点 出土木 簡 に記載 された地 名 と樹種 の 関係
1nterration between place name written on wooden tablets and identified wood specis at BK7
Tab.4-3
1
l
1
1
l
1
1
1
2
1
1
1
1
1
l
1
1
1
1
2
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
2
1
1
1
1
1
1
1
1
1
l
1
2
1
1
1
1
1
1
1
2
1
1
1
1
l
平岡村
袋原村
1
1
1
2
藤塚村
二木村
前 田村
柳生村
岩沼郷
植松村
笠島村
上余田村
1
1
1
1
1
1
5
1
1
1
川上村
1
下余田村
増田村
2
吉 田村
1
小成 田
1
1
1
1
1
1
村名不明
地
1
1
日辺村
不明
1
1
郡名 のみ
飯 田村
今泉村
大野田村
Jヒ ロ本
す
郡 山村
四郎丸村
高柳村
種次村
富沢村
北方
富田村
1
郡名 のみ
東根
総計
l
1
六丁 目
伊具郡
モ ク レ ン属
1
森郷村
柴 田郡
ケヤキ
気仙
福 室村
北方
コナ ラ節
1
気仙沼
一迫
長崎村
沢田村
流留村
陸方
根岸村渡波町
牡鹿湊
上下堤村
前谷地村
深谷
村名不明
郡名 のみ
村名不明
下草村
荒井村
岩切村
岡田村
加瀬村
実沢村
菅谷村
田子村
鶴 ヶ谷村
南方
リ
1
1
北方
名取郡
広葉樹
ク
宮城郡
ク マシ ベ節
黒 川郡
ハン ノ キ 節
玉造 郡
ヒ ノキ科
桃 生郡
ア スナ ロ
牡鹿郡
ク ロベ
栗原郡
スギ
本吉郡
維 管束 亜属
マツ属複
江刺郡
郡名のみ
増沢村
人首村
維管 束 亜 属
マ ツ属 単
衣川
アカ マ ツ
胆沢郡
モ ミ属
村名
カ ヤ
郡名
針葉樹
伊手村
筆甫村
吉浜 熊谷 熊野
下〕信濃
□ 〔
なし、もしくは不明
総計
1
1
1
l
1
1
295
l
1
l
428
・
f
に
勅話
¬
ぃご造郡ヵ /′ 登米郡
梅
颯
¨
i)
智
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0
国
20k:〕
1:地
l
理 院 の 数 rt図 、 カ シ ミー ル31)、 cr880を
- いて 作 成
'‖
標高6∞ n,以
liを
■■ で示す
o名 取 郡 南 方の 村
■名111も 北 方の 村
o宮 城 ‖
ホ
寸
`の
Fig 4-l
図4-1 武家屋敷地 区第7地 点 出土木 簡記載 の地 名
Didtribution map of various placc names v/rtten()n、 /ooden tablets from 13K7
`
機
ヽ
`
ざ
「第二章村のなりわい第PЧ 節村の景観」
『仙台市史通史編5近 1町 3』 より
:\
Fis.4-2
Drawing of lgune
at an
葛
,
fa4-2 『柳生村絵図』に見 える居久根の様子
old map of "Yanagiu village map" (1gune is thc hedge around:r peasant residence)
(5)武 家屋敷地区第 7地 点出土 の植物遺存体
吉川純子 (古 代 の森研究舎)
A.は じめに
仙台城 二の丸北方武家屋敷 地区第 7地 点 は二の丸 の北側 に位置 し、近世 には付近 に武家屋敷 が置 かれて いたが、
本地点 は絵 図 との対比 によ り空 き地や屋敷境 の可能性 があるとされて い る。本地点 では、 17世 紀代 の溝 と使用 目
的不明 の土坑、 18世 紀代 の井戸、大規模廃棄 土坑、溝 と使用 目的不明の土坑、幕末か ら明治初頭 にかけての池状
遺構 、柱列 と使用 目的不明 の土坑、明治前半 の基本層 の4時 期各遺構 か ら種実遺体が検 出 されたため、当時 の植
物利用 を調査す る 目的 で これ らの種実遺体 の 同定 を行 った。
B。
同定結果
表5-1∼ 5-4に 種実試料 の 同定結果 を示 した。以下 に同定 された種実 の うち、特筆すべ き種実遺体 の形態記載
をお こな う。
カヤ :種 子 は紡錘形 で縦 に浅 いす じが入 り、種子壁 は薄 いが堅 い。食用 の他油脂 を取 り利用す る。
ク ロマ ツ :球 果 は円錐形 で種鱗 の先端 が菱形 を呈 し、種鱗中央 が平坦かやや くぼむ。類似す るアカマ ツの場合
は種鱗中央 が突出す る。
ヒノキ :球 果 は四角 か ら多角形 の種鱗 が集 まって球形 をな し、乾燥す ると開果す る。径 は12ミ リ程度。
オニ グル ミ :内 果皮壁 に痕跡 がある もの としては、人間による割跡、ネズ ミによる食痕が挙げ られる。人間 は
道具 を用 いてオニ グル ミの上下 に破砕痕 を残 し、 ときに内部 までひびが入 る。 また、炭化 してい る内果皮 も人間
による痕跡 で ある。 ネズ ミは内果皮 の横 に歯 でか じって丸 い穴 を開け る。
ヒメ グル ミ :オ ニ グル ミと比べ て、 内呆皮表面 が平滑で内果皮壁が薄 く、割 りやす い。 ヒメ グル ミに も人間 に
よる割跡 が確認 で きる。
モモ :径 は30mm程 度 で あ り、食用 のモモ と考 えられる。 モモ は縄文時代晩期 以降中国か ら渡来 し江戸時代 に
は食用 と観賞用 のモモの品種 がほぼ定着 して いた と考 えられてい る。観賞用 のハ ナモモ は核 がほぼ球形 で12ミ リ
前後 と小 さいため区別 がで きる。
ウメ :Aは 径 15ミ リ前後 の小 さい核 、Bは 径 25ミ リ前後 の大 きい核 で い わゆる豊 後系 とみ られる。 どち らも花
は観賞用 、果実は食用 とす る。
サ クラ属 サ クラ節 :Aは 径 13ミ リ程度 の大 きい ほぼ球形 の核 で、果実 を食用 とす る ミザ クラではないか と考 え
られる。Bは 径 7ミ リ程度 の楕 円形 の核 でヤマザ クラなどと考 えられる。
キササゲ :中 国原産 のマ メ科 で、細長 い果実 をむ くみの薬や利尿剤 として利用す る。
ヤブツバ キ、チ ヤ :い ず れ もツバ キ属 で、ヤブツバ キは径 20ミ リ程度 の三角形 で種子壁 はかな り厚 く堅 く、 チ
ャは径 10ミ リ前後 のほぼ球形 で種子壁 はツバ キ よ りやや薄 いが堅 い。
キ ュ ウリ属 メ ロン仲 間 :種 子 は丸 み を帯 びた水滴 型 で表面 は平滑 で あ り、微細模様 は正 方形 に近 い四角 の網 目
で あ る。同属 のキ ュ ウリは種子 がやや細長 く基部がメ ロン仲間 よ りも尖 り、網 目模様 は長方形 で あ るため 区別 で
きる。
表 5-1
武家屋敷地 区第 7地 点 出土種 実観 察表 (1)
Tab.5-l Notes on seeds and nuts at BK7(1)
G-10
H‐
10
埋 ± 2層
イチ ョウ
埋 ± 2b
ヤ ブ ツバ キ
1層
2層
ヒメ グ ル ミ
ヒメ グ ル ミ
ヒメ グル ミ
ヒメグル ミ
イ タヤ カエ デ
表 5-2
武家屋敷地 区第 7地 点 出土種 実観 察表 (2)
Tab.5-2 Notes on seeds and nuts at BK7(2)
H-10
埋 ± 1層
モモ
G-10
埋 ± 1層
ウメ
オ ニ グル ミ
7
埋 ± 3層
オニ グル ミ
オ ニ グル ミ
オ ニ グル ミ
H-7・
8
埋 ± 4層
オニ グル ミ
オニ グル ミ
オ ニ グル ミ
オニ グ ル ミ
オニ グル ミ
オニ グ ル ミ
オニ グル ミ
オ ニ グル ミ
± 2層
10
埋 ± 1層
オニ グ ル ミ
オニ グル ミ
ヒメ グル ミ
オ ニ グル ミ
オニ グル ミ
オ ニ グル ミ
オニ グル ミ
オ ニ グル ミ
オニ グル ミ
オニ グル ミ
オニ グル ミ
オ ニ グル ミ
オニ グ ル ミ
オニ グル ミ
1層
オニ グル ミ
オニ グル ミ
表5-3
武家屋敷地 区第 7地 点 出土種 実観 察表 (3)
Tab.5-3 Notes on seeds and nuts at BK7(3)
池状 遺 構 新段 階
オニ グ ル ミ
内果 皮 破 片
3a月 ]
2層
埋 ±
オ ニ グル ミ
オ ニ グ
埋 J■ 2月
'
J■ 2層
176
21ナ iEl
埋 ± 3'唇
317w
±
177
2-号
H-9
178 2号
178 2号
180
3層
12b層
埋 ± 1層
埋 ± 1層
埋 ± 1層
JlJ■ 1層
埋 ±
‐
翼1村 む
遺構
遺 構
H-9
H-9
21}引腱相I
ウメA
ヒノキ
オニ グル ミ
オニ グ ル ミ
オニ グル ミ
オニ グル ミ
号遺 構
2b層
±
構
理llJ■ 2層
186
21ナ 」
□
187
213‐ 力
瞳lilJ
189 2号
2層
音F
2‐ 8‐ 翼よ
lit
191
2号‐遺 構
192
193
194
21計 力壁
2fナ 」
置布
置
2ザ ナ劇
壁ι
196
197
2ザ チカ
戯布
置
213^劇 壁れ
障
198
2=計 1置 れ降
2‐ Fチ カ
趾布
置
H-9・
H-9
G-10
埋 ± 2・
201
2'チ カ
腱右
諄
202
2‐ 写‐
iEl'構
204
2‐ 号‐
i置 右
障
1層
埋 ±
埋 ±
2層
2層
埋 ±
2b層
埋 ±
IE二 l■
1
1
1
内 果
核 完 形
球 果
内果 皮 半 分
内果 皮 完 形 炭 化
内 果 皮 半 分 書り跡 炭 化
内果 皮 完 形 炭 化
レミ
オ ニ グ フ
内 果
オニ グ ル ミ
オニ グル ミ
オニ グ ル ミ
ヒ ョ ウ タ ンイ
中間
内 果 皮 半 分 割 助ヽ
内果 皮 半 多
内果 皮 半 分 割 跡
果 皮 破 片
ウ メB
核 完 形
1層
2層
内果 皮 半 分割 跡
果
形
核 破 片
ス ギ
ウ メA
オニ グル ミ
内 果 皮 半 分 書J跡 炭 化
オニ グル ミ
±
2b層
ウメA
メ ロ ン仲 間
埋 ±
2b層
カ ボ チ ャ 11l
jF「
ftrl子
l11
Jlll± 1層
jT_±
2b層
埋二
L2b層
埋
=L2層
埋 ±
埋 ±
2号 遺 構
2号 ‐
遺構
2層
2層
±
内果 皮 半 分 割 助
核 半 分
メ ロ ン仲 間
ウ メA
オニ グル ミ
内果 皮 半 分 割 跡
核 完 形
1勾 果
カポチ ャ
l11lJ二
lI「
果 皮 半 分割 跡
ウ メA
オ ニ グル ミ
オニ グ ル ミ
モモ
‐
遺 構
2号 遺 llTl
2-号
子
れ亥jnt化
2層
坦11■ L2'0
220
果皮 半 分 割 跡
内果 皮 半 分 割 跡
核 完 形
核 破 片
核 完 形
理1± 3層
理性二I■ 2月 ]
埋 ± 2b層
埋 ± 2層
'付
218 2号
内果 皮 食 痕
核 完 形
遺 構
190
199
l●
‐
り
十
遺 構
2‐ F)1よ 布
置
2
221
222
21シ 1瞳 布置
21ナ 1ま れ
置
2号 遺 構
2号 遺 構
2 3 3
2 一2 一2
2 2 2
221
坦LJ■ 2'面
内果
核 完 形
坦ll二 Ll月 ヨ
lllttL2月
理ユニL2月 ]
'
2号 遺 構
H-9
H-8
H-8
2号 遺
G-11
2号 遺 構
H-8
埋 ± 2層
坦ll± 2層
埋 ± 2b
2号 遺 構
オニ グ ル ミ
埋二
Ll'□
理11±
ウメA
核 半 分
1層
圧L」 Ll
オニ グル ミ
オニ グ ル ミ
Itrtt化
モ モ
核 完 形
カヤ
オ ニ グ ル ミ
種 子 破 片
」二D6
オニ グル ミ
明枝
1
内 果 皮 半 分 書J跡
ウメA
オ ニ ク句 レ ミ
2層
2層
埋 ± 2層
4く
内果 皮 半 分 割 跡 炭 化
モ モ
モ モ
理L二 上 2b層
llll±
内果 皮 半 分
ミ
坦l± 2b層
埋 ± 2b層
埋 ±
2‐
,レ
オニ グル ミ
オニ グル ミ
オニ グル ミ
モ モ
レミ
オ ニ グ ソ
オニ グル ミ
1勾
核
:
内果 皮 破 片
核 半 分
1
表 5-4
武家屋敷 地 区第 7地 点 出土種 実観 察表 (4)
Tab.5-4 Notes on seeds and nuts at BK7(4)
オニ グル ミ
の下
ヤ ブ ツバ
タヤ カエ デ
オニ グル ミ
オ ニ グル ミ
ヒメ グ ル ミ
ヒ ョウ タ ン
ヒ ョウ タ ン
土坑
F-11
埋 ± 2・ 1層
オニ グ ル ミ
オニ グ ル ミ
‐
埋±2層
オニ グル ミ
埋 ± 2層
オニ グル ミ
オ ニ グル ミ
の下
1層
G―
H
埋 ± 1層
クリ
キサ サ ゲ
マツ
第 7地 点 にお け る種実出土傾向 と当時 の植物利用
C。
a。
17世 紀代 :表 5-5に は17世 紀代 の遺構 か ら出土 した種実 をまとめた。 12号 溝 と 9号 土坑 か らオニ グル ミが
検 出されたが、溝 内 は割跡 の ない内果皮 と小動物 による食痕 の ある内果皮、風化 内果皮であるのに対 し、土坑 は
人が割 った残澄 と見 られる破片 を検 出 してい るため溝 の付近 にオニ グル ミが生育 し、それを利用 してい た と考 え
られる。13号 土坑 は 目的不明であるが、ヒ ョウタ ン仲間の種子 を多数出土 したが他 の種類 をまった く出土 しない。
他 の ゴ ミもほ とん ど無 い とすれ ば水関連 の遺構 の可能性 も考 え られる。 14号 はモモのみ出土 した。
Tab.5-5
表 5-5 武家屋敷地 区第 7地 点 17世 紀代遺構別 出土種 実
Count the seeds and nuts fronl the each features dated 17th century at BK7
分類群名
オニ グル ミ
J ug
lans mands hurica Maxim.
var. sachalinensrs (Miyabe et Kudo) Kitamura
ク ル ミ属
モモ
Ya
Juglans
Prunus persica Batsch.
i 9 >I+fE
Lttgenaria sicerariaL.
出土部位\遺構
内果皮半分
内果皮食痕
内果皮破片
内果皮風化
内果皮破片
核完形
核風化
種子
12号 溝
9号 土坑
13号 土坑 14号 土坑
2
20
1
7
152
b.18世 紀代 :表 5-6∼ 表5-7に は18世 紀代 の遺構か ら出土 した種実 をまとめた。大 規模廃棄土坑 の うち 1号
と 2号 は多種類 の種実が埋積 してお り、オニ グル ミやクリ、 モモ、 メロン仲間、 カボチ ャ仲 間な どの食用 とク ロ
表 5-6 武家屋敷地 区第 7地 点 18世 紀代遺構別 出土種 実 (1)
Tab.5-6 Count the seeds and nuts from the each features dated 18th century at BK7(1)
︲
. 2
.
1
・
・ 6
6
・ 2
3
1
3
2
一 3
1
クリ
モモ
一
ヒメ グ ル ミ
^
一
一 2
ウメA
・
・
・
^6
1
一 4
1
7
・1 6 3
4
1
ヒョウタン仲 間
メ ロ ン仲 間
カボチ ャ仲 間
一 1
チャ
ミツバ ウ ツギ
一 1
ウメB
イ タヤ カエ デ
ヤ ブ ツバ キ
8
5
8 2
4
一 一2 2 3
5 ︲ 3 4 4 4 9 2 3 1 1 2 1 6 3 2 5 3 H H l 2
6
スギ
ヒノ キ
オ ニ グル ミ
^
ク ロマ ツ
マ ツ属
モ ミ属
^
イチ ョウ
カヤ
大規模廃棄土坑
廃棄土坑
井戸
出土部位\遺構
1号 遺構 2号 遺構 24号 土坑 15号 土坑 1号 井戸
Ginkgo bilobaL.
種子
Tbrreya nucifera Sieb. et Zucc.
種子
種子破片
Pinus thunbergii Parl.
球果
Pinus
球果風化
Abies
種鱗
種子
Cryptomeria japonica (L.f .) D.Don
球呆
Chamaecyparis obtusa (Sieb. et Zucc.) Endl.
球果
J uglans mandshurica Maxim.
内果皮半分割跡
var. sachalinensis (Miyabe et Kudo) Kitamura 内果皮半分割跡炭化
内果皮完形炭化
内果皮完形
内果皮食痕
内果皮風化
内果皮半分
内果皮破片
J u g lans mands hurica Maxrm.
内果皮半分割跡
v ar. s ubc o rdifonnis Dode
内果皮半分
果皮破片
Prunus persica Batsch.
核完形
核風化
核半分
核破片
Prunus mumeL.typeA
核完形
核半分
核欠け
核破片
Prunus mume L. typeB
核完形
Acer mono L.
種子
Camelia japonicaL.
種子完形
種子破片
Camelia sinensis O. Kuntze
種子
Staphylea bumaldaDC.
種子
Ingenaria siceraria L.
果皮破片
Cucumis melo L.
種子
Cucurbita moschata Duch. ex Poiret.
種子
3 1 2 6 3
分類群名
溝
27号 溝
表 5-7 武家屋敷地 区第 7地 点 18世 紀代遺構別 出土種 実 (2)
Tab.5-7 Count the seeds and nuts from the each features dated 18th century at BK7(2)
分類 群名
4号 土坑
出土 部位 \遺構
カヤ
クロマ ツ
マ ツ属
オニ グル ミ
ヒメグル ミ
Torreya nucifera Sieb. et Zucc.
Pinus thunbergii Parl.
Pinus
J ug lans mands hurica Maxim.
var. sachalinensis (Miyabe et Kudo) Kitamura
lans mandshurica Maxim.
subcordiforzis Dode
Prunus persica Batsch.
J ug
v ar.
モモ
ウメA
Prunus mume
サ クラ節A
Pr
サ ク ラ節B
サ ク ラ節
チャ
ヒシ
L.typeA
unus sect.Pseudocerasus
P runus
sect.Pseudocerasus
P r unus
sect.Pseudocerasus
typeA
typeB
Camelia sinensis O. Kuntze
Trapa bispinosa Roxb. var. iinumai Nakano
種子破片
球果
球果風化
内果皮半分割跡
内果皮半分割跡炭化
内果皮完形炭化
内果皮完形
内果皮食痕
内果皮風化
内果皮半分
内果皮半分
内果皮破片
核完形
核風化
核半分
核完形
核破片
核完形
核食痕
核半分炭化
核欠け
核半分
果実?
核破片
核完形
核破片
種子破片
果実
使用 目的不明土坑
18号 土坑 28号 土坑
基本層
3a層
3
1
1
1
1
2
1
1
3
1
2
1
65
1
1
5
1
2
2
6
1
1
マ ツ、 モ ミ属 な どの庭木が ともに堆積 して い る こ とか ら食糧残澄 だ けでな く様 々 な ゴ ミを捨 てる穴 だった と判断
される。 また、24号 土坑 はオニ グル ミ、 モモ、 ウメを出土 す る ことか ら食料廃棄中心 だった可 能性 もある。 15号
土坑 はオニ グル ミやモモの他 クロマ ツを出土 した。 1号 井戸 と27号 溝 か らはオニ グル ミを少量出土 した。使用 目
的不 明の土坑 の うち、4号 土坑 はサ クラ節 やオニ グル ミ、 ヒメ グル ミ、モモ、 ヒシな どの食糧残澄 と、 クロマ ツ
も出土 して い るためやは リゴ ミ廃棄土坑 の可能性があ る。 18号 土坑、28号 土坑か らは廃 棄 土坑 とされる15号 土坑
と同程度 の数量 の種実が出土 し、種類 もオニ グル ミ、 モモ、 ウメ など食料が中心 となってい るが量 は少 ない。基
本層 か らはオニ グル ミ 1個 を出土 した。
表 5-8
Tab.5-8
武家屋敷 地 区第 7地 点幕末 か ら明治 初頭 の遺 構別 出土種 実
出土部位\遺構
分類群名
) u 3 ')
マ ツ属
スギ
‐
5
1
1
1
―
‐
‐
2
1
8
1
―
‐
‐
9
И sセ rJα
Ca協 ″αονθ″ G.Don
Rα ″″″ε ルs
“
2
1
‐
‐
1
フジ属
キササ ゲ
キ ンポ ウゲ属
Prunus mume L. typeA
5
1
―
‐
‐
‐
1
ウメA
Prunus persica Batsch.
―
―
‐
-
2
jEJE
Juglans mandshurica Maxim.
v u. s ubc o rdifornris Dode
4
1
1
2
5
i
1
1
3
)V
′
α′
′
″
ι
,sお (Miyabe et Kudo)Kitamura
池状遺構新段階 2号 土坑 1号 柱列柱4・ 131号 柱列柱5
1
) /
var sac力
球果
球果風化
球果
内果皮半分
内果皮半分割跡
内果皮食痕
内果皮風化
内果皮破片
内果皮半分割跡
内果皮半分
内果皮完形
内果皮風化
内果皮破片
核半分
核完形
核破片
核完形
核欠け
核破片
果皮破片
呆実
果実
1
V
Pinus thunbergii Parl.
Pinus
Cryptomeria japonica (L.f .) D.Don
Juglans mandshurica Maxim.
3
t = / lv -.
ⅣIeiji period
Count the seeds and nuts fronl the each features dated the final edo period to the initial
―
33
―
―
12
51
-
1
‐
‐
‐
‐
‐
c.幕 末か ら明治初頭
:表 5-8に は幕末 か ら明治初頭 にか けての遺構か ら出土 した種実 をまとめた。 池状遺構
か らはク ロマ ツ、オニ グル ミ、 ヒメ グル ミ、 モモ、 フジ属 を出土 したが いず れ も少量である。水生植物 の種子 は
まった く出土せ ず 、池 として機能 してい る間 はおそ らく底 を頻繁 に清掃 してい た とみ られ、放 棄直後 に埋め戻 し
したために種実が少量 しか出土 しなかった可能性 がある。使用 目的不明 の 2号 土坑 は、食用 とす るオニ グル ミ、
ヒメ グル ミ、 モモ、 ウメのほか、周囲 に植栽 されてい たク ロマ ツ、スギ、 フジ属、キササゲ、キ ンポウゲ属 を出
土 し、表5-6・ 表5-7の 廃棄土坑 と出土傾 向が似てい る。柱列 か らは ヒメグル ミとウメ を少量 出土 し、おそ らく
柱が抜かれ た跡 に入 り込 んだ と見 られる。
d。
明治前半 :表 5-9に は明治前半か ら出土 した種実 をまとめた。出土 は基本層 の みで、オ ニ グル ミ、モモ、
ウメを少量 出土 した。
表5-9 武家屋敷地区第 7地 点明治前半の遺構別出土種実
Tab.5-9 Count the seeds and nuts from the each features dated the early Meiji period
分類群名
オニ グル ミ
J u glans
モモ
Prunus persica Batsch.
ウメA
Prunus mume L. typeA
mands hurica Maxim.
var. sachaLinensis (Miyabe et Kudo) Kitamura
e。
出土部位\遺構
内果皮風化
内果皮破片
核風化
核破片
核破片
まとめ :仙 台城 二の丸北方武家屋敷第7地 点 では、 ク ロマ ツやスギなどとと もに、近接す る屋 敷 で利用す
るための食糧 としてオニ グル ミ、モモ、 ウメなどを敷地内 に植栽 してい た とみ られる。廃棄遺構 には植栽 されて
い た植物種実 とこれ らの食物残澄が ともに廃棄 された と考 え られ、それ らの一部が ほかの遺構や溝 に も流れ込 ん
で いた。 18世 紀代 の 4号 土坑 では水 生植物 の ヒシを出土 したが、4号 土坑 は水域 とは考 えられない ため、 この ヒ
シは利用 のために持 ち込 まれた後土坑 に廃棄 された と考 えられる。オニ グル ミ、 モモ、 ウメは18世 紀代 か ら明治
前半 まで連続 して出土 してお り、屋敷 内に食糧 とで きる庭木 を敷地内に植 栽す るとい う習慣 が現在 まで継続 して
い ると考 え られる。
チ ョウ、種子 (35)2.ク ロマ ツ、 球果 (267)3モ ミ属 、種鱗 (280) 4ス ギ、球 果 (195)
ノキ、球果 (180)6カ ヤ、種子 (213)7.オ ニ グル ミ、 内果皮炭化 (110)8.オ ニ グル ミ、 内果皮食痕 (123)
9.オ ニ グル ミ、 内果皮 半分割跡 (123)10ヒ メグル ミ、内果皮半分割跡 (42)11ク リ、果皮破 片 (55)
12.モ モ 、核 (70)13.ウ メA、 核 (20)14.ウ メB、 核 (32)
(ス ケ ール は10mm)
1.イ
5.ヒ
図5-1
武家屋敷地 区第 7地 点 出土種 実 (1)
Fig.5-l Seeds and nuts at BK7(1)
Π==日
15.サ
クラ節A、 核 (22)16.サ クラ節B、 核 (29)17フ ジ属、果皮破片 (300)18キ ササゲ、果実 (300)
19イ タヤカエ デ、種子 (56)20.ヤ ブツバ キ、種子 (40)21チ ャ、種子 (39)22.キ ンポウゲ属、呆実 (244)
23ミ ツバ ウツギ、種子 (31)24.ヒ シ、果実 (250)25.メ ロン仲間、種子 (201)26.ヒ ヨウタン、呆皮破片 (188)
27.ヒ
(ス
ヨウタン、種子 (251)28.カ ボチ ャ仲間、種子 (201)
ケールは10mm、 ただ し16.22,23,25は lmm)
図5-2
武家屋敷地区第 7地 点 出土種 実 (2)
Fig.5-2 Seeds and nuts at BK7(2)
(6)武 家屋敷地区第 7地 点出土 の動物遺存体
門脇
隆志
(鳥 取県埋 蔵文化財 セ ンター)
① 資料の採集方法
仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第 7地 点では、図6-1に 示 した遺構から、動物遺存体が出土 している。
武家屋敷地区第 7地 点出上の動物遺存体 は、その採集方法 において大 きく2種 類 に分けられる。
ひとつ は、発掘時に日視で確認 されたものである。 このなかには、単独 で取 り上げられたものだけでな く、あ
る程度のブロ ックとして土壌 ごと採取 したもの もある。 これ らの土壌 は、5mm飾 と lmm飾 を用 いた水洗選別
を行った。なお、木製品などの洗浄の際検出された資料 もこれに含める。以下、 これを目視資料 として扱 う。
もうひ とつ は、2号 遺構 の南端 で採取 した柱状土壌サ ンプルか ら検出された資料 である
(図 6-2)。
土壌サ ン
プルはA∼ Qの 細別層 に対応 した採取がなされている。 アルファベ ットの次に付 された丸囲み数字は、それぞれ
のサ ンプルでの採集回数 を示す。サ ンプルごとに10リ ットルの土壌 を、 日視資料 と同様 5mmと
lmmの 飾 を用
いた水洗選別 による資料の検出を行 った。以下 これを土壌サ ンプル資料 として扱 う。
② 同定および算定 について
貝類】
【
残存状況、標本 との照合 がで きない な どの要因か ら、種 レベ ル まで 同定が で きない場合 もあ った。 アワ ビは生
物学的な分類 では ミミガイ科 となるが、 アワ ビ類 として算定 した。食用 とした と考 えられる貝種 は限 られた もの
であ り
(ヤ
マ トシジ ミ、 アワ ビ類、 マ ガキ、 フネガイ科 、ア カニ シ、 アサ リ)、 柄杓 に用 い られたイタヤ ガ イを
除 き、そのほかの貝種 は、アワ ビ類やマガキに混 じって搬入 された もの と考 えられる。
食用 の貝種 につい ては殻頂 による算定 に加 え、重量 も示 した。そのほかの貝種 は点数 のみ を示す。 また、同定
の困難 な稚貝 も多 く含 まれるが、 これ らは分かる範囲で同定、記載するに止め たい。
魚類】
【
魚類 の 同定 については、その種類 が多岐 にわたるため、遺跡 か ら出土する可能性 の高 い魚類 をリス トア ップ し、
候補 を絞 り込む手法 を用 いた。 当地点 か ら出土 す る可能性 の高 い と考え られる魚類 については、仙台湾 でお こな
われた魚類群 の調査 を参照 とした
(川
崎 ・佐 々木 1980)。 一般的 に遺跡産魚類 の 同定 に用 い られる部位骨 と中心
として 同定 をお こなったが、魚類 の種類 によっては、その種類 に特化 した部位骨 による同定 もお こなった
(カ
レ
イ科魚類 の第一血 管間棘 な ど)。 同定 は生物学的な系統分類 に基 づ くべ きで あ るが、遺跡産魚類 の 同定 にお いて
は、生物学的な分類 に当てはめる ことがで きない場合 もある。例 えば、椎骨 は、生物学的 な分類 にお いては異 な
るグルー プで あ って も、その形態が類似 して い る場合 も少な くない。その よ うな場合 には、∼型 とい うよ うな分
類 をお こなった。 この よ うな分類 は、 あ くまで考古学側 の分類 であ り、生物学的 には意味 をなさない ものではあ
る。 また、そ のグルー プに属す る種 が多 い ため、先 に述べ た候補か ら絞 り込 む ことはで きないが、形質が一致す
ること、食材 としての利用価値 か ら考 えて、特定 の種 で あ る可 能性 が非常 に高 いこ とを指摘 で きる もの もあ る
(マ
ハ ゼ、 カナ ガシラな ど)。 魚類 には同定がで きなか った もの もあ るが、 一般的 に同定 に用 い られる部位骨 と判
断がで きるものに関 しては、「不明」 とした。
出土した部位骨には破損しているものが多い。したがって、ダブリングを防ぐために、間接部が半分以上残存
しているものを算定 した。椎骨に関しては半分以上残存 しているものを算定 した。このようにして、算定 した値
が、同定破片数 (NISP)と なる。最小個体数 (MNI)は 、同定破片数をもとに算出するものであるが、求め方
(左 右 の考慮、大 きさによるペ アリングなど)に
よって、値が大 きく異なる。 また、分析 の結果か ら、魚種によ
って部位別の組成が大 きく異なる。 このような点 を踏まえると、同定破片数は、研究者 によるバイアスが働 きに
二
● ヒ o﹄ ︻
”F 綱C” 〓〓 2”∽Φ﹄つ一“聖 ﹁︺o ●o■ っ0﹁ 一の︼
卜︼ m 一“ ∽〓一
∩ ︻ 1 0 “一
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一
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一
二
一
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出o
二
翼興 契⊃引 ヨヽ‘ 性錮ヾ編 Юむ魯二簑 デ ト鵬凶調椰Щ K悩 r
lo国
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二
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︲
一
ト
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1
1
,In
A'
0
1m
―
―
―
2号 遺構 土壌 サ ンプ ル註記
A=1
B=2
C=3
D=4
10YR2/1黒 粘上 粘性 強 しま り弱 小礫 ・ 炭化物 をわず か に含 む
10YR3/1黒 褐色 シル ト 粘性 中 しま り中 小礫 ・ 木製品 をわずか に、炭化物 を多 く含 む
10YR17/1黒 砂 質 シル ト 粘性 強 ・ しま り弱 小礫 ・ 木製品 をわずか に、炭化物 を多 く含む
10YR2/2黒 褐色 粘土 粘性 強 ・ しま り弱 木製品・ 炭化物 を多 く含 む
E‐ 5 10YR2/1砂 質 シル ト 粘性 強 ・ しま り中
F=6
G=8
H=9
I=H
粘土
J∼
炭化物 ・ 木製 品 を多 く含 む
粘性 強 ・ しま り弱
木質 をラ ミナ状 に含 む
粘 I: 粘性 強 ・ しま り弱
シル ト 粘性 中 ・ しま り中
木質 を ラ ミナ状 に含 む
小礫 をわず か に含 む
炭化物 ・ 砂 をわずか に含 む
炭化物 を多量 に含 む
25Y3/1黒 褐色 粘 土 粘性 強 ・ しま り中 炭化物 ・ 黄褐色粘 土 を含 む
10YR5/1褐 灰 色 シル ト 粘性 中 ・ しま り弱 多量 の種 子 含 む 17と 同 一 層
10YR2/1黒 粘土 粘性 強 しま り中 炭化物 多量 の 木製 品 を含 む 種 子 をわずか に含む
10YR2/2黒 褐 色 シル ト 粘性 強 しま り弱 本質 を ラ ミナ状 に含 む 炭化物 を多 く含 む
Q=24 10YR2/1黒
粘土
粘性 強 ・ しま り弱
図6-2
Fig.6-2
B
理 上 1層
C∼ 1 埋 ± 2層
10YR17/1黒 シル ト 粘性 強 しま り中 炭化物 ・ 木製 品 を多 く含 む
10YR3/1黒 褐色 シル ト 粘性 中 ・ しま り中 炭化物 ・ 木製品 を多 く含 む
10YR3/1黒 褐色 砂 粘性 弱 しま り弱 木製 品 礫 を多 く含 む
10YR2/2黒 褐 色 砂 質 シル ト 粘性 中 しま り弱 木製 品 を多量 に含 む
J=13 1∼ r3/3暗 褐色
K=14 10YR2/2黒 褐色
L=15 10YR2/2黒 褐色
M=22
N=21
0=19
P=23
2号 遺格
A・
多量 の木製 品 を含 む
武家屋敷地区第 7地 点 2号 遺構土壊 サ ンプル採取範 囲
Distribution of soil samples of No 2 structural remains at BK7
Q埋
上 2b層
部
層 肝 綱 昭 層
一鱚□□一
トー 599m
くい値 であるといえる。 しか し、残存 じやすい部位骨や、同定 しやすい特徴的な部位骨を多 く有す る魚類が多 く
算定されている可能性 は高い といえる。
類】
【
`鳥
鳥類 は、現生標本 の確保 が充分でないことか ら、種 レベ ルでの同定は不可能であった。出土 した鳥類は、 ガ
ン・カモ科 とキジ科がほとんどであったため、同定可能な部位骨では不明の ものは多 くはなかった。 しか し、 ガ
ン・カモ科 は多 くの種 を含むグループであるため、大 きさによる分類をお こなった。 カモ類 の分類基準 は『中沢
目貝塚 Ⅱ』 (富 岡1997)に よるA∼ E類 の 5段 階に分類す る方法をとった。 この ような分類 も、考古学側の分類 で
あるが、大 きさを捉えることはできる。『中沢 目貝塚 Ⅱ』 (富 岡 前掲)で は大型のガン・ カモ科 は上腕骨長によ
って、オオハ クチ ョウ、 ヒシクイ、マガンに分けられているが、当遺跡出土鳥類 に破片資料が多 いこと、現生標
本 との比較が困難であったことから、ガン類 と一括 した。生物学的には意味をなさない大 きさによる分類によっ
て、種名 を挙げることがはばかられると考え られることも、 このようにした理由のひとつである。
算定の際 には、近位端、遠位端 ごとに捉えることが重要 となる。骨端が半分以上残存 しているものを算定 し、
骨端が破損 しているものは骨幹 とした。
哺乳類】
【
算定の方法 は、鳥類 と同様である。
その他】
【
点数 は少ないが、フジツボ、カニ、昆虫、ウニが検出された。同定 。算定が困難な資料 であるが、位置情報を
含めて可能な限 り記載 した。
③確認 された動物遺存体の種名
武家屋敷地区第 7地 点出土の動物遺存体の種名の一覧 を、以下に示す。
MOLLUSCA
GASTROPODA
軟体 動物 門
腹足 綱
ア クキ ガ イ科 Muricidae
ア カニ シ Rapana venο sa(Valenciennes)
ウ ミニ ナ科 Potamididae
ホ ソウ ミニ ナ
Ba"あ 滋 cum力 」
(CrOsSe)
タマ キ ビ科 Littorinidae gen.et sp.indet
ミミラ
ゲイオ
斗 HaliOtidae gen.et sp.indet
ム カ デ ガ イ科
Vermeudae
オ オ ヘ ビガ イ SerpuFο 責お (cFadOρ oma)加力riCatus(Dunker)
ユ キ ノ カサ ガ イ科
Acmaeidae
コ ウダカアオ ガ イ Noゎ acmea cof2Chna(Lischke)
リソツボ科 Rissoidae gen.et sp.indet
斧足 綱
PELECYPODA
イ タボ ガ キ科 Ostreidae
マ ガ キ Crassο strea♂ gas(Thunberg)
イ タヤ ガ イ科 Pectinidae
イ タヤ ガ イ
Ped力
(コ
οわVOfa)aFbた ans
シジ ミ科 Corbicuhdae
ヤ マ トシジ ミ Corbic口 fa」 iapο nfca Prime
ミノガイ科 Limidae
ナ ミマ ガ シ ワ
スコomfwa α勧℃nsis(Philippi)
フネ ガ イ科 Arcidae gen.et sp.indet
マ ルス ダ レガイ科 Veneridae
アサ リ
R口 」ねpes
p力 IIわ pinarum(Adams
et Reeve)
ハ マ グ リ Meretrix fusο na(Roeding)
ARTHROPODA
CRUSTACEA
節足 動物 門
甲殻 綱
完脚 目 Thoracica
フジツボ科 Balanus gen.et sp.indet
十脚 目 Decapoda fam.indet
昆 虫綱
INSECTA
鞘翅 目 Coleoptera fam.indet
双翅 目 Diotera famoindet
ECHINODERMATA
ECHINOIDEA
棘 皮 動物 門
ウニ綱
エ キヌ ス ロ Echinoida
ナ ガ ウニ科 Echinometidae gen.et sp.indet
脊椎 動物 門
魚 上綱
VERTEBRATA
PISCES
硬骨魚 綱
OSTEICHTHYES
アイナ メ科 Hexagrammidae sp.indet
アイナ メ属 rexagrammos sp.indet
ア ジ科 Carangidae sp.indet
マ ア ジ属 Trac力 urus sp.indet
ブ リ属 SeriOla sp.indet
アナ ゴ科 Congridae
マ アナ ゴ
εοnger myrliasler(BreV00rt)
アユ 科 PlecOglossidae
アユ PFecο gfο ssus afゴ veFuis
afゴ veflis(Temminck
et Schlegel)
ウナギ科 Anguillidae
ウナギ
iapor2ゴ ca(Temminck
Ang減 ぬ 」
ウ ミタナ ゴ科
et Schlegel)
Embiotoddae
ウ ミタナ ゴ
Ditrema lemmmctt temmmc層
(Bleeker)
カ タクチ イ ワシ科 Engraulidae
カ タクチ イ ワシ Engraυ 施 i神οnica(Houttuyn)
カ レイ科 Pleuronectidae gen.et sp.indet
コ イオ
斗 Cyprinidae gen.et spo indet
コチ呵斗 PlatyCephalidae gen.et sp.indet
サケ科 SalmOnidae gen.et sp.indet
サバ科 Scombridae sp.indet
カツオ κasι u7oコ us peFamuis(Linaeus)
マ グ ロ属
劉知nnus sp.indet
サ ヨ リ科 Hemiramphidae
サ ヨリ remliramp力 us saヵ 面 (Temminck et Schlegel)
スズ キ科 Serranidae
スズ キ Lateofabrax」
iapο nた us(CuVier
et Valenciennes)
タイオ
斗 Sparidae
マ ダイ Pagrus maJor(Temminck et Schlegel)
チ ダイ Evynコ lis」 iapο nJica(Tanaka)
タラ希キ Gadidae gen.et sp.indet
ニ シン科 Clupeidae gen.et sp.indet
ハ ゼ科
Gobiidae gen.et sp.indet
ヒラメオ
斗 Paralchthyidae
ヒラメ Parafic力 油ys ο
ffyaceus(Temminck et Schlegel)
フサ カサ ゴ科 Scorpaenidae geno et sp.indet
ホウボウ科 Trig五 dae
カナ ガシラ LapFdο tri」 a microplera(Gunther)
軟骨魚綱
板鯉亜綱
CHONDRICHTHYES
ELASMOBRANCHII
エ イ ロ Rajiformes fam.indet
鳥綱
AVES
ガ ン・ カモ ロ Anseriformes
ガ ン・ カモ科 Anatidae gen.et sp.indet
カモ類】 Ducks
【
Aタ イプ
Atype
ノ
Bタ イじ
Btype
Cタ イ プ
Ctype
Dtype
Etype
Dタ イ プ
Eタ イプ
キ ジ ロ Galliformes
キ ジ科 Phasianidae gen.et sp.indet
スズ メ ロ Passeres
カ ラス科 Corvidae gen.et sp.indet
チ ドリロ Charadr五 formes
シギ科 Scolopacidae gen.et sp.indet
哺乳綱
ウ シ ロ (偶 蹄 目)ArtiOdactyla
イノシシ科 Suidae
イ ノシシ Sus scroFa(Linnaeus)
シカ科 Cervidae
ニ ホ ンジカ Ceryus alppο コ(Temminck)
ネズ ミロ (誓 歯類 )Rodentia
ネズ ミ科 Muridae gen.et sp.indet
ネ コ ロ (食 肉 日) Carnivora
イヌ不
キ Canidae
イヌ Canお fLIpuS Famiめ ruis(Linnaeus)
ネ コ科 Felidae
ネ コ Felis s,Ive■ 五s catus(Linnaeus)
④動物遺存体の生態と出土状況
A.貝 類
(図 6-3、
表6-1・
2)
貝類 は 2綱 13科 11種 が同定 されている。すべて、 日視資料であ り、土壌サ ンプルからは検出 されなかった。当
遺跡で主体 となるものは、ヤマ トシジ ミ、アワビ類 (ミ ミガイ科)、 マガキであ り、その他の貝種 は少ない。
ア カニ シ
Rapana venο sa
大形 の岩礁性貝類 で食用 とされる。27号 溝埋± 3層 ・ 4層 か ら各 1点 、2号 遺構埋± 1層 か ら破片が出土 して
い る。 いず れ も大形 の もので ある。点数 が少 ない ため、食用であった として も利用頻度 は低か ったで あ ろ う。
ホソウ ミニ ナ
Baゴ IFaria
cum力 gi
外海 の干潟 や岩礁 の 間の泥底 に生 息す る貝。 アワ ビ類 な どに付着 して きた もの と思われる。 2号 遺構 埋±2b
層 か ら検 出 された。
タマ キ ビ科
Littorinidae gen.et sp.indet
アワ ビな どに付着 して搬入 された もの と考 え られる。24号 土坑か ら検出 された。
ミミガイ科
HaliOtidae gen.et sp.indet
各種 のアワ ビ類 を含 む科 で あ る。重量 にお いては もっと も大 きな値 を示 し、2号 遺構 の各層 、24号 土坑か ら出
土 してい る。遺物 の 中 に完形 の ものは な く、すべ て破片 で あ る。 したがって、貝殻全体 の形状が明 らかでな く、
種 レベ ルでの 同定 は困難 で あ るが、比較的に大形 の破片 にお け る表面 の形状か ら、 ク ロアワ ビが含 まれて い ると
考 え られる。 また、殻頂 によって算定 を行 ったが、その中には、小形 の もの も多 く含 まれてお り、出土 した ミミ
ガイ科 の なかにはい くつ か の種 が含 まれ て い る可 能性 がある。 こ う した ことか ら、 クロアワ ビの他 に、メダカア
ヮ ビ、エ ゾアワ ビ
(ク
ロアワ ビの環境変異型)、
トコブシなどが含 まれて い る可能性が指摘で きる。
ムカデ ガイ科 Vermetidae
マ ガキやアワビ類 に付着 して い るものが多 かった。種 レベ ル まで同定 で きたのはオオヘ ビガイだけであ つた。
オオヘ ビガイ Serpuforbお (cFadopoma)h力 riCaι us
岩礁 に生息 す る貝 であ るが、 アワ ビ類 に付着 してい るものが多 かった。
ユ キ ノカサ ガイ科 Acmaeidae
2号 遺構埋± 2層 で検 出。他 の貝 に付着 して いた もので あ ると考 え られる。潮間帯付近 に生息す る。出土 した
個体 はキクユ ザ ラの可能性が考 え られる。種 レベ ル まで想定 で きた もの として コウダカアオ ガイがある。
コウダカアオガイ
Noゎ acmea
cof2CInna
2号 遺構埋± 2層 か ら 1点 検 出。潮間帯岩礁 に生 息す る貝 なので アワ ビ類 に付着 して きた もの と考 え られる。
リソツボ科
Rissoidae gen.et sp indet
フ トウネチ ョウジガイの可 能性 が 高 い。 2号 遺構埋±2b層 か ら 1点 検 出された。潮 間帯 か ら潮下帯、転石下
に生 虐、
す る。
Ostrddae
イタボ ガキ科
種 レベ ル まで 同定 で きた ものはマ ガキのみで あ った。 マ ガキ以外 は、アワビ類 に付着 した状態で検出され た も
のがほ とん どで ある。 イタボ ガキや ク ロヒメガキなどが含 まれる可能性が考え られる。
マ ガキ
Crassο strea
gfgas
汽水性内湾 の潮間帯か ら潮下帯 の砂礫底 で しば しばカキ礁 をつ くる。破損 してい る ものが多 く、 また、殻 に決
まった形が ない ため計測 は して い ないが、かな り大 きな もの もある。出土量 もアワ ビ類 についで多 いこ とか ら、
貝類 の 中では食材 として重 要 なものであ った と考 えられる。
Ped加
イタヤガイ
(■
οわVOfa)aFbliCans
北海道南部か ら九州の10∼ 100mの 砂底 に生息 す る。右殻 は左 殻 よ り大 きく、強 く膨れる。 2号 遺構埋± 2層
か ら 2点 、埋± 1層 か ら 2点 が確認 された。そのすべ てが右殻 (ふ くらむ方 の殻 )で あ り、 さらに殻 を正面か ら
みて左下の部分 が残存 して い る ものについては例外 な く 2つ の穿孔があ る。 また、2つ の穿孔 には大小が認 め ら
れる。他 の近世遺跡か らも同様 の状態 で 出土 してお り、貝殻杓 として報告 されて い る。 この ことか ら、当遺跡で
出土 してい るイタヤガイ も食用 としてでは な く、柄杓 として利用 された貝製品であると思われる。
ヤマ トシジ ミ
rわ たυ
εο
Fa」 iap6ロ ゴ
ca
日本全 国の河 日、潟 な どの汽水域 の砂泥底 に生 息する。最小個体数 の うえでは最 も多 く、当遺跡出土貝類 の な
かで も主体 となる もので あ る。
ナ ミマ ガシワ
スコOmuia
c力 hensお
水深20m以 浅 の岩礫底 に生息 す る。 2号 遺構埋±2b層 か ら右殻が 1点 のみ出土 して い る。他 の貝 に付着 して
いた もので あろう。
フネガイ科
Arddae
フネガイ科 の なかで も大形 の ものであ る。 アカガイである可能性が高 い。 2号 遺構 の埋 ± 1層 ・埋± 2層 ・埋
±2b層 、わずかであるが24号 土坑か ら出土 してい る。殻頂が認め られず、すべ て破片 として 出土 した。
アサ リ Raduiね pes pぬ nippharum
日本各地 の 内湾潮干帯砂泥底 に生息す る。 当地点か らの 出土は少ない。
゛
ハヽ
Meretrix′ usο ruia
「ク り
北海道以南 の 日本全土の内湾潮千帯砂泥底 に生息す る。多 くの江戸遺跡 にお いて主体 を占める もののひとつ で
あるが、当地点か らの出土 は少 ない。
B.節 足動物
(図 6-3、
表6-3)
2綱 4目 1科 が同定 された。なお昆虫 は、混入 の可能性 もあるため、出土点 数 の一覧表 には記載 して い ない。
フジツボ科
Balattus gen.et sp.indet
アワ ビやマ ガキな どに付着 して きた もの と考 えられる。 非常 に大型 の もの も含 まれてお り、 これはオオアカフ
ジツボで あ る可能性が高 い。そ のほかには、 シロスジフジッボなどが含 まれて い ると考 え られる。 2号 遺構 の各
層、24号 土坑 とい った貝類が多 く出土 して い る層 。遺構か らは必 ず と言 って いい ほど検出 される。
十脚 目
Decapoda
カニの仲 間で ある。埋± 1層 を除 く 2号 遺構各層か ら検 出されたが点数は少な く、すべ て可動指か不動指
メの部分)で ある。食生活 の 中で大 きな比重 を占める ものでは なかった と思われる。
(ツ
昆虫綱
双翅 目
Diptera
各種 のハエや アブを含 むグルー プで あ る。 2号 遺構 か らは多 量 のハエ の さなぎが出土 してい る。
Coleoptera
鞘翅 目
い わゆる甲虫 の仲 間で あ る。 点数 は少 ないが 2号 遺構 か ら出土 して い る。破片 での 出土 しかな くロレベ ル以上
の 同定 は困難 であ った。
C.棘 皮動物
表6-3)
(図 6-3、
同定 された ものは 1綱 1科 のみであ る。
ウニ綱
ナ ガ ウニ科
Echinometidae gen.et sp.indet
24号 土坑埋± 3層 か らのみ、殻板 と棘 が数点検出された。 ム ラサキウニで あ る可 能性 がある。 カニ 同様食物 と
しては重要ではなかった と考 え られる。
D.魚 類
(図 6-4∼ 6、
表6-4∼ 8)
魚類 は 2綱 1目 23科 4属 11種 が同定 されて い る。多種 の魚類が利用 されてい た と考 えられる。
exagrammο s sp.indet
アイナ メ属
「
同 じアイナ メ科 に属す るホ ッケ とは各部位骨 で判別 で きるため、アイナ メ属 と同定 した。仙 台湾 にお いてはア
イナメ とクジメが含 まれるが、そ の大 きさか ら、出土 したアイナ メ属 はアイナメである可能性が高 い。 クジメは
藻場やその周辺 に生 息す るのに対 し、アイナ メは沿岸 の岩礁域 に生 息 し、釣 りや刺 し網で捕獲 される。 2号 遺構
の各層 、24号 土坑 か ら検 出 されて い る。 同定破片数 は315点 に及 び魚類 の 中では最 も多 い。当遺跡 における主体
魚類 の 1つ で あ り、中形魚類 の 中では、最 も重要なもののひとつ で あ ったで あ ろ う。仙台 では「ネウ」 と呼 ばれ
る魚 で あ る。
Tra“ urus
マ アジ属
sp.indet
歯骨 。前 上顎骨 な どの頭部骨 を中心 として出土 して い る。集計 は しなかったが、稜鱗
(い
わゆる「ぜ いご」 の
部分)も 多 く見 られた。
ブ リ属
SeriOla sp.indet
2号 遺構埋±2b層 か ら尾椎 が 1点 出土 して い るのみで あ る。かな り大形 の もので あ る。ブ リ、 ヒラマサ、 カ ン
パ チなどの可 能性 が考 え られる。
マ アナ ゴ
nger mynasた r
εο
2号 遺構埋± 2層 か ら尾椎 が 1点 出土 してい る。椎体 の側面に削 い だよ うな切断痕 が見 られる。
アユ
PFecogfο ssus
a」
ゴvelis
afゴ
ve騰
椎骨 の形状が ニ シ ン科 な どと類似す る ものが あ るが、上肋骨 の離脱状況な どか らアユ と同定 した。代表的な遡
河魚類 で あ り、5月 ∼7月 ごろ産卵 のため河川 を遡 る。椎骨 が主体 を占めるのは頭部諸骨が脆弱 で あ るためで あ る
と思 われる。
ウナギ
Ang面 〃鉤iapof2uica
す る。重 要
幼魚 の シラス ウナギ として河川 を遡上 したの ち、主 として、河川 の 中・下流域や河口域、湖 に生 慮、
な食用魚 で あ る。 点数 は多 くはないが、腹椎 ・尾椎 を中心 に、2号 遺構 の各層 と24号 土坑か ら出土 して い る。
ι
θ hcH
““
北海道 中部以南 の 日本各地 の沿岸 に分布 し、 ガ ラモ場 や岩礁域 に生息す る。 ウ ミタナ ゴ科 の うち、仙台湾で捕
ウ ミタナ ゴ
'trema lemmあ
ctt
獲 される可能性 の高 い ものはウ ミタナ ゴに限 られる。量的にはあま り多 い とは言 えないが 2号 遺構、24号 土坑か
ら特徴 的な咽頭骨 をは じめ とした出土がみ られる。
カタクチイワシ
Engraυ 」
おルp“ たa
北海道以南、朝鮮半島から南シナ海に分布す る。腹椎、尾椎が認められたがそのほとんどが24号 土坑か ら検出
されたものであるとい う特異な出土状況を示 した。微小なものであるため見落 としがある可能性 もあるが、遺構
の性格を考える上で興味深 い。刺身な どに利用 されるほか、煮干 しやシラスなどの乾物 とされることが多 い。
カレイ科
Pleuronectidae gen.et sp.indet
日本近海 には約40種 が生息 し、多 くの漁業上の重要種を含む。 2号 遺構、24号 土坑か ら非常 に多 く検出され、
最小個体数の うえではアイナメ属 を上回った。 中形魚 としては最 も重要なもののひとつであ り、また、非常 に大
型の ものが多 く含まれている。 カレイ科 は種 レベル まで同定す ることが困難であったが、第一血管間棘・舌顎骨
などの形状か ら、クロガレイ 。マ ガレイが含 まれていた可能性が高い と考 えられる。そのほかには、ババ ガレ
イ・マコガレイ 。マ ツカワなどが含 まれている可能性が考えられる。宮城県の各地 において、カレイ科魚類を対
象 とす る伝統的な刺 し網漁業が知 られている。
コイ1斗
Cyprlnldae gen.et sp.lndet
出土量は非常に少なく、2号 遺構埋± 2層 から椎骨 1点 などが確認 されたにとどまった。 コイ科 の ものとして
は大型の ものであ り、 コイの可能性が高い。食用 とされた ものかどうかは不明である。いずれにせ よ、淡水産の
魚類 はあま り利用 されなかったようである。
コチ科
Platycephalidae geno et sp.indet
頭部諸骨 を中心 として 出土 し、そのほ とん どが 2号 遺構埋± 2層 、埋±2b層 か ら出土 して い る。 2号 遺構 H―
10区 埋± 2層 か らは 2個 体分 の頭部諸骨が集中 して出土 してい る。かな り大形 になる個体 の ものが多 い。多 くの
種 を含 むが、その大 きさや食用 に利用 された もの として考 えると、 マ ゴチが含 まれてい る可 能性が高 い。
サケ科
SalmOnidae gen.et sp.indet
サケ科 の 出土量 は尾椎 2点 と少 な く、 いず れ も 2号 遺構埋± 1層 か ら出土 して い る。縄文時代 の遺跡 では椎骨
が破 片 として検 出 されるケ ースがあるが、2点 とも形 を保 った状態 の もので、破片 の検 出 もなか った。 2点 の 内
1点 には側面 をそ ぎとるような切 断痕がみ られた。サケ
カツオ
(シ
ロザケ)、 ギ ンザケなどが考 え られる。
κaぉ uwoコ us peFamお
表層遊泳性 の魚類 で あ り、世界 中の熱帯 ∼温帯海域 に広 く分布す る。 ほ とん どが2号 遺構 G-10区 埋± 2層 か
ら出土す るとい う特異 な状況 を示 した。頭部諸骨 を中心 とした出土 であ り、その 中 には切断痕 がみ られるもの も
あ った。 カツオの鰍蓋骨 は薄 く脆弱 で あ るため算定 で きない破片 も多 い。 この魚 に対す る頭部 の切断 も多 く行 わ
れていたのか もしれない。
マ グロ属
劉知nnus sp.indet
大規模 な回遊 をす る大型の外洋性魚類 で ある。出土 した ものの なかには、 ビンチ ョウ・ ク ロマ グ ロ 。キハ ダな
どが含 まれてい ると考 え られる。魚類の検 出が少 ない 2号 遺構 埋± 3層 か ら同一個体 と考 え られる ものが まとま
って 出土 し、 4号 井戸 か らも出土す るな ど、 マ グ ロ属 は他の魚類 と比べ やや特異 な埋存状態であった。他 とは違
う特殊 な消費 の され方 を反映 して い るのか もしれない。 また、埋± 3層 出土 のマ グ ロ属 は、歯骨や角骨 とい った
頭部 の骨 も出土 してい るため、切 り身ではな く、全体が運 び込 まれていた と考 えられる。
サ ヨリ
Iと 証
mp力 us sa」 iα f
“
北海道南部以南 に生 息す る、沿岸表層性 の魚類 であ る。春 か ら夏 にか けて藻場 で産卵す る。刺身や鮨種 にされ
る高級魚 で あ り、刺 し網や タモ網 な どで捕獲 される。小形魚類 の 中では、ハ ゼ科 に次 ぐ点数が検 出 された。 しか
し、そのほ とん どが椎骨 であ るため最小個体数 の上では少ない。
スズ キ Laleofabrax」 iapα 載ws
日本各 地 の沿岸 に生 息す る。 当地点か ら出土 した ものは、点数が少ないが いず れ も大型 の もので ある。
タイ科
Sparidae gen.et sp.indet
戯水から汽水 にかけて生息す る。種 レベルまで同定できたものはマ ダイとチダイであった。
マ ダイ Pagrus maJor
北海道以南か ら尖閣諸島にかけて分布 し、水深30∼ 200mの 岩礁や砂礫 の底層を好 む。頭部諸骨を中心 として
出土 してお り、特 にG-10区 2号 遺構埋±2b層 では、6個 体分 もの頭部諸骨がまとまって出土 している。マ ダイ
と同定できたものはいずれも大型のものである。他 の近世遺跡 と同様 に大形のマ ダイは当遺跡において も、 もっ
とも日立ったものであ り、大形魚類 のなかでは最 も重要であると考 えられる。 この魚が近世 において、いかに重
視 されていたかをうかが うことができる。古 くから珍重され、今 日で も慶事や神事には欠かす ことので きない魚
・
種 である。また、前頭骨 。上後頭骨を中心 として頭部諸骨の多 くに切断痕が認められた。
チダイ
Evynコ おルp知 たa
チダイと同定できた比較的小型の前頭骨が 1点 み られた。 タイ科魚類 のなかには少ないが小型の もの もあ り、
チダイのものである可能性 もある。今 日ではマ ダイの代用魚 として用い られることのあるチダイであるが、近世
においてはどのような扱 われ方 をしていたのか興味が持 たれる。
タラ科
Gadidae et sp.indet
水温の低い深海に生息するが、冬季 に産卵のため深場を離れる。点数はさほど多 くないが、2号 遺構の各層か
ら出土している。いずれも大きな個体のもので、マダラ、スケソウダラを含む可能性がある。今日では鍋物とし
て利用されることの多い魚であるが、埋±2b層 からは熱を受けて白色に変化 している腹椎が出土している。
ニ シ ン科
Clupeidae etsp.indet
表層 か ら中層 を群れをな して回遊す る。重要 な食用魚 を多 く含 む。検 出されたニ シン科魚類 には、 ニ シ ンの ほ
か、 コノシ ロな どをふ くむ可能性があ る。出土量 は少 な く、すべ て椎骨 で あ る。 ほ とん どが 2号 遺構 埋±2b層
か ら出土 してい る。
フサ カサ ゴ科
Scorpaenidae et sp.indet
岩礁性 の沿岸魚 で ある。主鯉蓋骨、腹椎が検 出されたが点数は少 ない。 ク ロ ソイ、メバ ル などが含 まれ て い る
と考 え られる。
ハ ゼ科
Gobiidae gen.et sp.indet
多 くの種 を含 むため、科 レベ ルでの 同定 で とどめたが、部位骨 の形状か らマハ ゼであ ると考 えられる。 マハゼ
は主 に汽水域 の砂泥底 に生息 し、成長す るにつ れ深場 に移動す る。小形魚類 の 中では もっと も多 く検 出され、主
体 を占め るものの一つ で ある。椎骨 だ けで な く頭部諸骨 も多 く検 出された。 マハゼ としては大型 の ものが多 い。
2号 遺構 にお いては埋± 2層 ・埋±2b層 以外か らは検出されなかった。仙 台 では「焼 きハ ゼ」 として、正 月の雑
煮 のダシとして利用 される。
カナ ガシラ LapFdο し
ri」a
mliCrOpι era
水深 100m付 近か らよ り浅 い砂泥底 に生 息 し、ほ とん どは底引 き網で捕獲 され る。 中形魚 の なか ではアイナメ
属 ・ カ レイ科 につ ぐ出土量 で あ った。頭部諸骨 の骨質や形質か らカナ ガシラであると思われる。東北地方にお い
てはホウボウよ りもカナ ガシラの方 が普通 にみ られるとい う。 2号 遺構 の各層 、24号 土坑で出土 してい る。
ヒラメ
Paralichι ぬys oflivaceus
2号 遺構 埋± 2層 か ら擬鎖骨が 1点 出土 して い る。比較的大 きな個体 の もので ある。
エ イ ロ Raiiformes fam.Indet
他 の魚類 と異 な り、軟骨魚綱 に属す る。土壌サ ンプルか ら、特徴的な椎骨 が 3点 出土 してい る。土壌サ ンプル
にお い て しかみ られない魚種 は このエ イ ロのみであった。
E.鳥 類
(図 6-7・
8、
表6-9。
10)
鳥類 の 出土 は多 いが、主体 を占める もの としては各種 のガ ン・ カモ類 とキジ科 に限 られる。 4目 4科 が同定 さ
れた。 ほぼすべ てが 目視資料である。
ガ ン・ カモ科
Anatidae gen.et sp.indet
本遺跡 出土 の 鳥類 で もっ とも多 く出土 し主体 を占めるグルー プで あ る。各種 の湖沼 ガモ 、海 ガモ を含 む。 ガ
ン・ カモ科 は骨 の形状 によって 同定す る事 が 困難 で あ り、 また、現生標本が少 ない とい う事情 もあ るため、各部
位骨 の大 きさによってグルー プ分 けを行 うとい う方法 をとった。出土状況 の特徴 としては、上腕骨 ・尺骨 ・肛骨
とい った四肢骨が多 く出土す ることが挙 げ られる。 2号 遺構埋±2b層 か らほぼ完形の頭蓋骨 とそれ と同一個体 の
下顎骨が出土 してい る。先 に述 べ た よ うに、ガ ン・ カモ科 は四肢骨 の形状 によって同定す る ことは困難 で あ るが、
・
頭蓋骨 には比較 的そ の種 の特徴 が現 れる ことが指摘 されて い る。出土 した頭蓋骨 の うち 1点 はマ ガ ンに類似 す る。
四肢骨 の多 くに金属器 によると思われる切 断痕 ・切痕 が認め られる。
キジ科
Phasianidae geno et sp.indet
鳥類 の 中ではガ ン・ カモ類 に次 ぐ出土量がみ られた。他 の近世遺跡 にお いては しば しばニ ワ トリ・ シャモ ・チ
ャボ とい った家畜化 されたキ ジ科 が 同定 。報告 されてい るが、本遺跡出土のキジ科 にはこの よ うなニ ワ トリの類
は含 まれなかった。キジかヤマ ドリのいず れかであろう。切断痕 は尺骨 と肛骨 に各 1点 認 め られたのみで ある。
カ ラス科´ Corvidae gen.et sp.indet
2号 遺構埋± 2層 か ら上腕 骨 1点 ・尺骨 2点 。中手骨 2点 、埋±2b層 か ら上腕骨 1点 が出土 してい る。上腕骨
は比較的大型 の もので、ハ シブ トガ ラス などの可能性が考 え られる。尺骨 には小型の もの もあ り、 オナガなどの
可能性が考 え られる。
シギ科
Scolopacidae et sp.indet
2号 遺構埋± 2層 か ら出土 してお り、第三指骨 1点 ・榜骨 2点 。上腕 骨 2点 ・尺骨 1点 がある。撓骨 1点 を除
け ば、ハ マ シギの標本 よ り大 きい ものであ り、 オバ シギ 。アオアシギなどが含 まれる可能性がある。
F.哺 乳類
(図 6-9、
表6-11)
すべ て 目視資料である。点数は少 な く、3日 5科 4種 が同定 された。
イ ノシシOrブ タ Sus scroFa
近世 で あ ることを考 える とブ タの可 能性 もある。2号 遺構 埋±3層 か らは上 顎骨 の一 部 と上腕骨が 1点 出土 して
い る。上顎骨 は破損 のため、後臼歯 の萌出 はMl・ M2ま で しか確認 で きないが、歯 の磨耗 か ら成獣 の もので あ っ
た と分か る。上腕骨 は骨端 が化骨化 して い ない幼獣 の ものであ る。 また、20号 土坑 の床面 か らは成獣の上腕骨が
出土 してい る。
ニ ホ ンジカ Ceryus nfρ ρOコ
2号 遺構埋± 3層 と20号 土坑か ら骨端が化骨化 した成獣 の撓骨 が 1点 ずつ 出土 して い る。 カッ トマー クは認め
られなか った。 また、 13号 土坑か ら鹿 角 が出土 してい るが、 これは落角であ り根本 か ら切断 されて い る。 シカの
落角 を加工 し何 らかの製品 に した ものの残 りで ある可能性が高 い。
イヌ
Canuis Fupus Fam″ ねIs
l号 遺構 か ら同一個体 と思われるイヌが 出土 して い る。部位 は大腿骨 ・ 寛骨 ・肛骨 。腰椎 (3点 )と 下半身を
(7)で 検討 されてい る、
解剖学的位置 を保 ったイヌの骨格が出土 してお り、 これ と同一個体 の ものであ る可能性が高 い。 また、2号 遺構
中心 としてお り、かな り大形 の部類 にはい る もの と考 えられる。 1号 遺構か らは、次の
埋± 2層 か らはイヌの幼獣 の もの と思 われる尺骨が出土 してい る。
ネ コ Feflis s〃 ves″ お caι υs
2号 遺構埋±2b層 か ら集中 して出土 した。部位は寛骨 ・肛骨 。大腿骨 ・肩甲骨 ・頭蓋骨 ・腰椎 (3点 )で あ り、
同一個体 で あ ると考 え られる。 また、頭蓋骨 は29号 溝 か ら出土 した もの と接合 した。29号 溝 か らは他 に も距骨 ・
撓骨 。中足骨が出土 してお り、 これ らも同一個体 の もので あ る可能性が高 い。興味深 いこ とに、大腿骨 は骨幹部
が著 しく変形 し、ふ くらんでお り、これは骨折が治療 した痕跡 、あるい は病変 によるものである。 この ことか ら、
この ネ コが人 間 によって飼育 されていた もの と考 えられる。
ネズ ミ科
Muridae etsp.indet
G-10区 2号 遺構埋±2b層 か ら最小個体数で 2個 体分 が集中 して検 出され た。おそ らくここで死 んだ もの と考
え られ、古環境 を復元す る うえで重要 な資料 であ る。ネズ ミの骨 は微小 なものであ るか ら、発掘 の際見落 とされ、
検 出されなか った もの もあ ると思われる。 ドブネズ ミな どが含 まれてい る可 能性 がある。
引用 。参考文献》
《
1983 『原色魚類検索図鑑』北隆館
阿部永編 1994 『 日本の哺乳類』東海大学出版会
内田亨 ほか 1972 『動物分類名辞典』中山書店
内田 亨 1979 『新編 日本動物図鑑』北隆館
岡村収 。尼岡邦夫 1997 『山渓 カラー名鑑 日本 の海水魚』山 と渓谷社
阿部宗明
奥谷喬司 ほか 2000 F日 本近海産貝類図鑑』東海大学 出版会
川崎健・佐 々木浩- 1980 「仙台湾の魚類相 と海洋環境」『海洋科学』127 pp.358∼ 364
川那部浩哉 ・水野信彦
川那部浩哉 。水野信彦
1963
1963
『原色 日本淡水魚類図鑑』保育社
『山渓 カラー名鑑
日本の淡水魚』山 と渓谷社
酒井敬-
1986
『南三陸の沿岸魚』志津川町
高野伸二
1981
1985
1995
1997
1993
1968
『日本産鳥類図鑑』東海大学出版会
高野伸二
高野伸二
富岡直人
中坊徹次
中村守純
『山渓 カラー名鑑
(増 補版)』
日本野鳥の会
「動物遺存体」『中沢 目貝塚 Ⅱ』pp.163∼ 212
『 日本産魚類検索 ―全種 の同定 ―』東海大学 出版会
『原色淡水魚類検索図鑑』北隆館
渡部忠重 ・奥谷喬司
渡部忠重 。奥谷喬司
益田一 ほか
日本の野鳥』山 と渓谷社
『フイール ドガイ ド 日本の野鳥
1984
1983a
1983b
『学研生物図鑑 貝 I』 学習研究社
『学研生物図鑑 貝 Ⅱ』学習研究社
『 日本産魚類図鑑』東海大学出版会
〇∞∞
OΦ.
ヽい.
ONN
ΦΦ.
0卜N
0ヾ.
Φ ︻.
ヾ0︻
[ЮΦ
卜0.
卜O.
Hめ0
∞
一 H.
∞ヾ.
N∞ ︻
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∞
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ヾ゛め∞
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一H
Φ∞.
一H
卜∞.
〇ヽの
卜.
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〇
ΦΦ.
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ヾ[∞
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OЮ∞
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Φヾ
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0ヾ.
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凶 〓己
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9目
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〇〇 ︻
鍵中ヽ
誌ぐ鍵中ヽ
運興
四 [引 瓢
幽N引剌
興渇 引 螂
口準 興 申 N
く
興∞= 卿
卑︱
興N= 劇
OS=中N
興ヾ引 剥
興∞引 馴
ヘ
ミ
R未 中 H
鋼中 寺
1ト
N引 剥
理0= 刹
ヽ
健製
撻興中 N
ぶ=中ヽ
ボ
Ю守.
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ヾめ.
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0︻.
ヾO H
[0.
∞
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∞
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ヽ卜.
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︻呻 〇
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゛0.
卜一
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〇
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OO H
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o呻 O
卜ヽ
NO.
′
′ゝ ヽ ニ ン ケ
′
嘲倒
∞∞.
∞O H
μ根
熙知 いト
嘲潮
儒
儒
OO.
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00.
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00.
卜Ю
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Юヾ
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N∞.
Φ∞
〇寺
キ狡 ン
“
N∞.
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0 ︻N
ヾ0.
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[N.
︻O H
咽倒
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0い.
Φ︻∞
咽倒
ヾ∞.
H
マ∞.
H
蒸 ヽ狡 く ト
咽倒
トト.
〇
0
“N.
∞ヾ.
︻
ヾ∞.
[
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00.
0
いヽ ン く
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咽倒
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︵
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凶
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00.
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ロポ
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︱ミト
咽倒
翁=咽倒︶
“
│
表 6-2
H-9
6
10
Ll・
1
R2
1
1
l
G‐ 10
1
1
Rl
H-11
1
埋±2b層 小計
7
l
2号 遺構合副
1
F‐
Rl
ユ
1
埋± 2層 小計
埋±3層
その他 の貝類総計
ナ ミ マガ シ ワ科
7
H-10
24号 土坑
イタヤガイ
イ タボガキ科
リ ソ ツボ 科
コウ ダ カ アオ ガ イ
ュキ ノカサガイ科
H-10
H‐ 8
埋±2b層
の他 の 貝類 )
R2
里± 1層
埋±2層
H‐
2号 遺構
オ オ ヘビ ガ イ
区
タ マキ ビ 科
層位
(そ
Tab.6-2 List of Mollusca from BK7(2)
ホ ソ ウ ミ ニナ
遺構
武家屋敷地区第 7地 点 出土 貝類 出土量表
10区
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
表 6-3
武 家屋敷地 区第
Tab.6-3
7地 点 出土 そ の 他 の 動 物 遺 存 体 出土 量 表
List of Arthropoda and EchinOdermata frOm BK7
24号 土坑
2号 遺構
埋±3層
埋 ± 2層
H‐
8区
I H‐ 9区
埋±2b層
H‐ 10区
$足 動物
フジツボ (大 型 )
十脚 目
1
ツメ
1
疎皮動物
クニ 綱
大棘、殻板
ツメ
2
ツメ
2
表 6-4 武家屋敷地 区第 7地 点 出土魚類 出土量表 (1)(発 掘時取 り上 げ資料 )
Tab.6-4 List of Pisces(fish)recOVered in excavation from BK7(1)
小分類
ア イナ メ属
24号 土坑
部位
2号 遺構
埋±3層
埋±1層
埋±2層
埋±2b層
L
Ⅳ1
M
3
R
R
5
2
3
l
主上顎骨
L
l
角骨
L l R 2
L 2 R 3
L 5 R 3
L
l
歯骨
L
l
口蓋骨
舌顎骨
主鯉蓋骨
前鯉蓋骨
L
問鯉 蓋 骨
L
下鰍蓋骨
角舌骨
上舌骨
L
l
3
上擬鎖骨
L
M l
M 4
腹椎
尾椎
1
l
擬鎖 骨
後側頭骨
第一椎骨
第二椎骨
2
2
L
L
尾部棒状骨
アイナメ属合計
マ ア ジ属
前鋤骨
副蝶形骨
前上顎骨
主上顎骨
合計
M 3
前鋤骨
前頭骨
副蝶形骨
基後頭骨
前上顎骨
方骨
その他 の遺構
埋±3層
l
1
R
2
R
l
R
2
R
R
L
l
L
l
L
l
2
R
2
R
2
M l
M l
M l
M 3
M 4
ヽ4
1
R
l
M l
1
57
Nl 148
M
1
R 2
R l
l
R
l
M
5
Ⅳ1
20
M l
2
263
l
M l
1
M l
L
l
L
l
R
l
R
l
L
L
歯骨
R
2
L l
L l
R
l
L
2
L
2
L
l
l
2
角骨
R
方骨
舌顎骨
上舌骨
角舌骨
後側頭骨
肩甲骨
第二椎骨
l
L
尾椎
R l
R l
M l
M 2
腹椎
M l
M l
l
1
R
l
R
l
R
l
R
l
R
l
1
1
1
1
マ アジ属合副
プ リ属
M l
尾椎
プ リ属合計
マ アナ ゴ
尾椎
マ アナ ゴ合 副
ア ユ
1
1
1
M l
1
1
腹椎
N/1
尾椎
M 3
尾椎
M l
7
M
l
R l
M 8
角骨
2
1
M 8
M 3
Ⅳl ll
アユ 合計
ウナギ
M l
M l
腹椎
ウナギ合計
ウミタナ ゴ 咽頭骨
後側頭骨
舌顎骨
腹椎
1
M l
R
L
M l
l
1
L
l
1
カタクチイワシ 腹 椎
M H
尾椎
Ⅳ1
l
M 2
M l
ウミタナ ゴ合計
カ タクチ イ ワシ合 計
M 2
1
1
M
25
2
M l
表 6-5 武家屋敷地 区第 7地 点 出土魚類 出土量表 (2)(発 掘 時取 り上 げ資料 )
Tab.6-5 List of Pisces(flsh)recOVered in excavation from BK7(2)
小分類
カ レイ科
二
L
埋 ± 3,
2号 遺 構
24f計
部位
埋 ± 1層
L
l
歯骨
角骨
方骨
舌顎骨
前鯉蓋骨
L
l
L
l
L
R
L
L
尾椎
カ レイ科合 計
コイ科
腹椎
l
l
l
1
R 3
M 4
M 7
M l
Ⅳ1
5
1
M 13
M l
M 9
M
2
M 23
Ⅳ1 90
177
7
M
1
R
腹椎側突起
l
上師骨
側飾骨
前頭骨
前耳骨
上耳骨
上後頭骨
基後頭骨
前上顎骨
L
L
L
歯骨
L l
L 2
主上顎骨
L
角骨
方骨
L
l
L
2
涙骨
R
前鯉蓋骨
l
間螺蓋骨
下鯉蓋骨
上舌骨
L
擬鎖 骨
L
l
L
l
1
R
l
R
3
R
l
L
L
L
2
R
R
R
1
l
l
2
M l
1
M l
1
R
l
R
l
l
l
l
L
L
l
l
L
2
L
l
l
1
1
R
L
尾椎
M l
腹椎
M
2
R
l
コチ科合計
M l
R 2
1
後側 頭 骨
肩 甲骨
2
2
2
L
1
舌顎骨
主鯉蓋骨
サケ科
l
l
l
M 2
M l
Ⅳ1 5
R
R
1
第二椎
性
l
l
後側頭骨
第一 血
R
1
上擬 鎖 骨
コ イ科合 計
コチ科
合計
l
肩 甲骨
lオ
その他の遺構
埋 ± 3層
M l
前鋤骨
前上顎骨
埋 ±2b層
埋 ± 2層
l
1
l
R
l
R
l
1
1
1
M 2
尾椎
サケ科合計
カ ッオ
lall師
L
骨
l
南頭 骨
L
翼耳骨
基後頭骨
前上顎骨
歯骨
上顎骨
方骨
舌顎骨
主鯉 蓋骨
前鯉 蓋骨
間鰍 蓋
下鑑 蓋
尾舌 骨
L
2
L
2
L
2
L
L
l
R
1
l
M l
R l
1
1
R
2
R
l
ユ
R
R
1
L
L
L
L
5
3
2
5
R
R
R
R
L
L
2
l
R
R
M l
1
2
4
3
2
2
3
M l
腹椎
尾椎
1
M l
M 5
M l
下尾骨
1
M l
カツオ合 言十
1
1
L l
L l
角骨
歯骨
M 2
尾椎
M
2
1
Ⅳ1
M
椎
下尾 骨
マ グ ロ属合 計
l
1
角骨
マ グロ属
1
M l
副蝶 形骨
角舌骨
上舌骨
第一椎骨
1
5
4号 井 戸 IL l層 Ml
3
M l
1
1
1
1
表 6-6 武 家 屋敷地 区第 7地 点 出土魚類 出土量表 (3)(発 掘時取 り上 げ資料 )
Tab.6-6 List of Pisces(fish)recovered in excavation from BK7(3)
小分類
サ ヨリ
24サ 計二
L
部位
2号 遺 構
埋 ± 2b層
理 ± 2層
埋 ± 1層
埋 ± 3,
その他 の遺構
理 ± 3層
合計
M l
基後 頭 骨
L
前上 顎 骨
1
l
L
1
歯
R
M l
R/1
1
l
1
M 17
53
M 14
M 3
1
l
R
M 12
尾椎
l
1
L
腹椎
1
l
肩 甲
前頭
R
R
M 5
M l
尾部棒状骨
1
サ ヨ リ合 計
スズキ
歯骨
R
主鯉蓋骨
角舌骨
マ ダイ合計
前上 顎 骨
歯骨
角骨
方骨
口蓋骨
舌顎骨
主鯉蓋骨
前鯉蓋骨
尾舌骨
角舌骨
上擬鎖骨
L
L
l
R
2
R
3
l
M 2
L
4
L
1
L
l
R
R
R
3
1
1
L
2
R
2
L
l
R
1
l
L
2
R
2
L
l
L
L
4
3
R
R
4
2
l
R
l
R
3
M 7
L l R 3
L l R 2
4号 井 戸 埋 1層 Ml
7
1
1
L
L
L
L
L
L
L
L
L
5
5
6
6
2
3
l
2
8
R
R
R
R
R
R
R
R
R
3
4
4
3
6
3
l
3
3
ビッ ト5埋 土
L
l
R
l
R
l
Ll
M 9
L 5 R 3
L l R l
マ ダイ上科合 計
タイ科
慮鋤骨
副蝶形骨
翼耳骨
主上顎骨
前鯉蓋骨
2
M 2
M 2
M l
L
L
l
1
7
主上顎骨
R
3
M 2
M 5
M 2
上後頭骨
マ ダイ亜 科
1
5
1
頭 骨
l
1
R l
M 3
M l
尾椎
腹椎
スズキ合計
マ ダイ
R
l
1
L
R
3
M 2
R
5
L
下鯉蓋骨
尾舌骨
l
L
l
l
R
4
R
2
M l
R
R
R
縫£賢骨
上擬 鎖 骨
さ
側頭 骨
不明
耳石
l
l
l
R
2
R
l
L
l
R
l
L
4
R
4
L
l
R
l
l
R
l
7
l
l
1
1
口
R
M l
l
l
上舌 骨
腹椎
L
1
R
M l
4
l
問鰊 蓋 骨
神経間棘
血管間棘
一椎骨
二椎骨
尾部棒状骨
M
Ⅳ1
M l
L
l
L
l
2
R
l
2
1
R l
M l
M l
M l
1
1
M l
M l
l
M 4
タイ科合 言│
マ ダイ型
尾椎
マ ダイ型合 計
前頭 骨
チ ダイ
3
4
l
1
M l
目骨
L
l
角骨
L
l
口蓋骨
主鰍蓋骨
前鰍蓋骨
角舌骨
L
L
L
後側頭骨
L
M 2
l
R
l
R
l
1号 遣 構 Rl
1
l
1
l
2
l
1
1
不明
耳石
1
R
R
上擬 鎖 骨
尾
M
6
L
チ ダ イ合 計
腹
A/1
M 4
1
上後頭骨
タラ科
M 2
M 2
M 2
1
1
M l
M l
タ ラ科 合 計
1
第二椎 骨
M l
腹 椎
M
1
ニ シ ン合 計
ニシ ン科
シ ン科 合 計
l
4
M
1
表 6-7 武家屋敷 地 区第 7地 点 出土魚類 出土量表 (4)(発 掘 時取 り上 げ資料 )
Tab.6-7 List of Pisces(fish)recOVered in excavation from BK7(4)
小分類
24号 土 坑
部位
,』
ハ ゼ科
埋±
l [
瑳E
埋 ±2
1
M l
前鋤 骨
L
頭 骨
l
M 2
目U蝶 形 1
M l
L
R
歯骨
L 2 R l
L 3 R l
l
l
主上顎骨
角骨
方骨
L
l
舌顎 骨
R
主螺 蓋 4
l
L
L
R
R
2
l
R
l
R
2
l
l
L
L
角舌 骨
擬鎖 骨
さ
側 頭4
R
L
L
L
3
3
4
L
2
2
4
L
3
二椎
M 21
M 4
M
M l
尾椎
l
l
2
3
Ⅳ1
2
R
l
R
l
R
2
40
56
M 3
L
l
L
l
1
L
l
R
上耳骨
R
R
L
l
l
M l
腹椎
;
R
R
R
R
M
M
14
尾部 棒 状 骨
ハ ゼ科合 計
ヒ ラメ
1擬 鎖 骨
ヒラメ合 計
フサカサ ゴ科 主鯉蓋骨
フサ カサ ゴ
カナ ガ シラ
1
R 4
M 5
M 2
一 稚 4
腹椎
l
1
L l R l
L l R 3
l
R
1
合 計
前鋤骨
前頭骨
L
l
R
l
耳 骨
M 2
L l M 2
L
l
R
l
L
L
l
l
R
慇号土坑埋 2層
2
L
骨
R
R
戻骨
舌顎骨
主鯉蓋骨
尾舌骨
l
L
l
l
l
R
l
骨
R
3
R
l
R
1
L l
L l
1
1
2
L
l
R l
R 2
M 2
L
2
M l
R
能鎖 骨
l
L
l
一 幕 4
1
L
R
l
l
M l
二稚
カ ナ ガ シラ合 計
カナガシラ型 昆珊腟
1
M 6
A/1
M 10
M 3
尾椎
4
M 6
1号 遺構
カナガシラ型合計
l
M l
M l
M l
基後 頭 4
M l
L
歯骨
角骨
L
L
l
L
l
l
L
L
L
R
R
下鰍蓋4
L
凝鎖 骨
l
L
l
l
口蓋骨
主鯉 蓋 骨
l
Ml
1
L
上顎4
方骨
Ll
L l
L l
面上顎骨
主上 顎骨
不明
合計
L 6 R 5
L 2 R l
L 2 R 4
M l
尾舌
M 3
その他 の遺構
埋 ± 3層
M l
M l
M 5
上後 頭 4
基後頭骨
前上顎骨
L2b
2
l
l
l
不明
1
l
3
L l
L l
上擬 鎖骨
後側 頭 骨
1
l
ニベ科? 1
耳石
:明
肩 甲
L
第一椎骨
椎骨
尾椎
腹椎
M 3
M l
尾部棒状骨
複合椎骨
M 2
M l
l R l
1
不明
1
l
l
M l
M 2
M
M 4
M
M 2
M 10
M 6
M l
M 2
M 7
M 4
1
M 3
1
不明合 計
全種 類 総 計
830
505
1.563
表 6-8 武家屋敷地 区第 7地 点 出土魚類 出土量表 (土 壌 サ ンプル )
Tab.6-8 List of Pisces(flsh)Caught On the screen from BK7
小分類
アイナメ属
部位
前頭骨
方骨
尾椎
唄椎
左右
2号 遺構
A
B
B②
L
R
尾部棒状骨
アユ合計
カレイ科
前鯉蓋骨
第一血管間刺
喰椎
尾椎
L
M
M
M
カレイ科合訓
コイ科
腹椎
コイ科合計
M
サ ヨリ
L
歯骨
前上顎骨
L
歯骨
L
主上顎骨
角骨
1
1
1
尾舌骨
M
角舌骨
肩甲骨
血管間棘
尾椎
1
1
1
1
l
1
1
1
1
1
1
l
1
1
1
1
1
1
尾椎
M
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
M
M
M
1
1
1
L
R
腹椎
1
1
R
R
基後頭骨
1
1
1
1
1
1
1
1
間鯉蓋骨
1
ユ
1
L
L
M
主鯉 蓋骨
1
1
1
タイ科合計
タラ科
1
1
R
R
間鯉蓋骨
合計
Q④
L
R
L
舌顎骨
主鯉蓋骨
N⑤
H
G
1
2
マ ダイ亜科合計
タイ科
F②
1
サ ヨリ合計
マ ダイ亜科
D⑥
1
M
M
M
D②
1
アイナメ属合計
ア ユ
D
C
2
1
1
1
1
1
1
1
1
タラ科合計
カナガシラ 前頭骨
歯骨
間鯉蓋骨
M
L
L
1
R
1
1
1
1
M
尾椎
M
カナ ガシラ型合計
エ イロ
椎骨
1
1
カナ ガ シラ袷 計
カナガシラ型 腹椎
1
1
1
1
1
1
M
エ イ ロ合 計
不明
角骨
方骨
凝鎖骨
第一椎骨
唄椎
尾椎
lll骨
不明合計
土壌サ ンプル検 出魚類総訓
R
L
R
L
1
1
1
1
1
1
1
1
M
M
1
M
M
1
1
1
1
1
1
6
1
1
1
1
1
表 6-9
武家屋敷地 区第 7地 点 出土鳥類 出土量表
Tab.6-9 List of Avesfrom BK7(1)
24号 土坑
小分類
カモA
部位
上腕骨
左右
L
埋±3層
2号 遺構
埋±1層
完形
1
R
榜骨
L
R
尺側手根骨
中手骨
大腿骨
L
完形
近位
3
1
完形
2
完形
近位
完形
3
1
1
近位
近位
肛骨
中足骨
R
L
完形
カモB
1
上腕骨
R
椀骨
R
完形
尺骨
1
R
中手骨
R
完形
1
肛骨
中足骨
カモC
R
尺骨
第三指骨
カモ D
遠位
遠位
遠位
3
1
1
1
1
1
完形
1
完形
1
完形
1
2
1
1
1
2
2
4
3
1
近位
骨幹
完形
遠位
完形
1
2
2
1
1
1
合計
3
1
1
1
1
1
完形
完形
近位
完形
遠位
完形
完形
完形
完形
近位
土壌
サ ンプル
1
1
1
遠位
近位
1
1
遠位
完形
完形
近位
近位
近位
骨幹
1
1
完形
2
1
1
1
1
1
1
1
遠位
1
完形
1
完形
1
1
1
1
遠位
1
遠位
1
1
上腕骨
遠位
1
1
撓骨
3
1
1
2
1
1
L
中足 骨
R
完形
1
完形
1
1
尺骨
肛骨
1
1
1
R
尺骨
L
R
中手骨
L
第三指骨
R
L
遠位
遠位
完形
完形
完形
完形
R
完形
2
遠位
3
完形
遠位
2
1
近位
2
近位
6
遠位
5
下位
近位
1
1
近位
3
遠位
3
近位
1
完形
2
近位
8
近位
1
遠位
1
近位
1
遠位
1
骨幹
l
遠位
肛骨
1
近位
中足骨
1
鳥 口骨
撓骨
L
L
骨幹
2
R
遠位
2
L
完形
遠位
完形
遠位
2
10
1
12
近位
骨幹
近位
骨幹
5
3
5
4
完形
10
近位
4
3
R
尺骨
L
中手骨
L
完形
第 三 指骨
R
R
L
R
完形
大腿骨
1
1
2
完形
1
1
1
1
R
上腕 骨
完形
1
R
ガン類
骨幹
完形
骨幹
埋 ± 3層
遠位
胆骨
中手骨
カモE
埋±2b層
埋 ± 2層
R
尺骨
(1)
ユ
1
完形
遠位
完形
遠位
完形
骨幹
完形
完形
7
1
10
1
10
3
1
1
近位
骨幹
近位
骨幹
近位
9
1
4
1
8
遠位
1
近位
1
遠位
遠位
2
2
完形
3
近位
1
完形
遠位
完形
骨幹
4
1
2
1
近位
骨幹
近位
5
1
3
遠位
完形
完形
骨幹
完形
骨幹
1
1
1
1
1
1
1
遠位
2
遠位
5
表 6-10 武家屋敷地 区第 7地 点 出土鳥類 出土量表 (2)
Tab.6-10 List of Avesfrom BK7(2)
24号 土坑
小分類
ガ ン類
部位
睡骨
左右
埋±3層
2号 遺構
埋± 1層
L
完形
遠位
完形
骨幹
完形
遠位
R
中足 骨
L
R
ガンカモ科
頸椎
M
M
M
M
M
胸骨
M
尺側手根骨
撓骨
L
R
L
尺骨
L
端尾骨
下顎骨
頭蓋骨
環椎
キジ科
完形
遠位
完形
左側
完形
尺側手根骨
中手骨
第三指骨
大腿骨
肛骨
中足骨
シギ科
カラス科
中手骨
不明
1
遠位
5
近位
1
近位
1
1
完形
完形
完形
4
1
7
完形
1
近位
L
完形
R
完形
5
6
骨幹
4
近位
1
遠位
1
完形
2
R
L
L
R
肩 甲骨
胸骨
M
胸椎
近位
完形
近位
1
1
1
遠位
2
完形
完形
完形
1
完形
2
寛骨
上腕骨
L
遠位
1
近位
1
R
椀骨
R
凡骨
L
R
1
R
中手骨
R
完形
遠位
1
1
完形
1
R
R
リ
ト
骨
R
鳥類全種類合計
1
完形
完形
2
1
完形
2
完形
1
完形
完形
1
2
3
1
1
遠位
骨幹
骨幹
1
1
1
近位
1
2
1
1
近位
完形
骨幹
完形
骨幹
1
1
1
1
l
l
遠位
1
l
遠位
1
1
1
遠位
1
1
1
1
1
完形
完形
3
1
中央部
1
破片
近位
遠位
完形
2
1
1
3
完形
完形
完形
完形
2
1
1
1
完形
3
近位
1
遠位
完形
完形
完形
2
1
1
1
完形
2
2
1
後位
近位
完形
12
右側
1
完形
完形
1
1
1
完形
1
1
中央部
骨幹
1
1
中央部
破片
1
1
1
遠位
1
1
遠位
1
1
1
1
骨幹
1
堅骨
中足 骨
右側
1
遠位
尺側手根骨
第三指骨
大腿骨
1
2
2
3
1
近位
骨幹
近位
合計
l
L
R
M
M
R
完形
完形
完形
完形
完形
土壌
サ ンプル
1
下顎骨
頸椎
完形
3
7
1
4
H
3
5
完形
遠位
完形
遠位
完形
遠位
埋 ± 3層
1
R
L
L
R
L
R
R
L
尺骨
4
1
2
2
1
2
1
1
3
1
上腕骨
第三指骨
上腕骨
近位
完形
完形
完形
完形
完形
完形
近位
遠位
遠位
L
尺骨
3
9
3
3
9
1
6
3
埋±2b層
1
L
R
L
R
蹴爪
撓骨
埋±2層
近位
1
近位
1
2
l
3
骨幹
1
完形
1
1
544
表 6-11
武家屋敷 地 区第 7地 点 出土哺乳類 出土量表
Tab.6-1l List of ⅣIammalia from BK7
小分類
イノシシor
ブタ
部位
上顎骨
上腕骨
29号 溝
1号 遺構
埋土
埋±3層
2号 遺構
残存
L
L
破損
1
完形
1
R
埋 ± 3層
埋 ±2b層
埋 ± 2層
その他
土壌サ ン
プルJ②
左右
1
1
20号 土坑床面
遠位
イノシシorプ タ合計
ニ ホ ンジ カ
角
廃骨
中足骨
ニホ ンジカ合計
イヌ
腰椎
寛骨
13号 土坑埋±
不明
角座
L
L
近位
1
近位
1
M
完形
完形
l
R
近位
1
完形
中手骨
大腿骨
完形
R
1
骨幹
1
前部
M
腰椎
M
完形
L
肩甲骨
R
L
撓骨
L
完形
大腿骨
L
L
R
L
完形
中足骨
不明
完形
頭蓋骨
M
L
L
M
L
完形
R
腫骨
距骨
1
前頭骨
1
1
1
1
1
1
1
完形
1
l
完形
1
1
後部
完形
1
1
1
1
1
1
完形
遠位
完形
1
1
1
1
28号 土坑埋 2層
1
1
完形
1
1
完形
1
1
完形
1
1
完形
1
1
完形
l
1
L
完形
1
1
破損一部 のみ
1
l
完形
1
胸椎
R
L
M
腰椎
M
完形
3
尾椎
M
L
完形
4
下顎骨
頬骨
鼓骨
寛骨
肩甲骨
上腕 骨
尺骨
大腿 骨
R
R
1
5
完形
近位
1
1
近位
1
1
完形
完形
1
1
完形
1
1
完形
R
完形
L
遠位
1
1
遠位
1
1
完形
1
1
近位
1
1
R
厖骨
L
距骨
L
踵骨
1
1
1
完形
近位
1
1
1
完形
完形
1
1
中足骨
R
完形
胸椎 ?
M
M
完形
ネズ ミ合計
1
1
1
腰椎
肋骨
不明合計
哺乳類総計
3
1
上顎骨
不明
1
1
ネコ 合計
ネズミ
1
1
1
攪乱
近位
頭蓋骨
20号 土坑埋 1層
1
7
寛骨
1
1
イヌ合計
ネコ
1
1
尺骨
肛骨
合計
24号 土坑埋 3層
完形
1
1
完形
1
1
1
7
1
1
2
l t l11、
1,'■
rl」
1勿
、申
束り
支rlJI勿
3、
(1
1 2
1ア カニ シ
シジ ミ
9ア
15ヽ
17 S―
S‐
アヽ1l
l : l
li2
‐′
ミガ イト1 3ウ ミニ ナFI Iタ マ キ ビ
「 1 5コ ウダカアオガ イ 6ユ キ ノカサ カ イFI アオブヘ ヒガ イ ヽヤ 、ト
サ リ 1()ハ マ グリ 11マ ガキ 12イ タヤカ イ 13フ ネガ イr llフ ジツボFl 15 1 1111‖ 16ヽ 17ウ ニ綱 ││(ヽ 投 llK 17人
2ミ
申
束
)
図 6-3
Irig(う
-3
武 家 屋 敷 地 区 第 7地 点 出土 動 物 遺 存 体 写 真 (1)
1)icttlrcs()f allinlal l)011(ヽ s,fiSh l)oll(` S alld shclis at i31(7 (1)
タイ類
S=1:1
1∼ 2マ ダイ (1前 頭骨 2上 後頭骨) 3チ ダイ (前 頭骨 (L)) 4∼ 14マ ダイ亜科 (4前 11顎 骨 (R) 5歯 骨 (L) 611
上顎骨 (R) 7角 骨 (R) 8方 骨 (L) 9口 蓋骨 (L) 10尾 舌骨 11上 舌骨 (L) 12角 舌骨 (L) 13前 鯉蓋骨 (R) 14主
鯉蓋骨 (L)) 15∼ 16タ イ類 (15腹 椎 16尾 椎
)
図6-4
Fig 6-4
武家屋敷地区第 7地 点 出土動物遺存体写真 (2)
Pictures of anirnal bones,flsh bones and shelis at BK7 (2)
大型魚類
S=2:3
1∼ 6カ ツオ (1歯 骨 (L) 2角 骨 (L) 3主 鯉蓋骨 (L) 4舌 顎骨 (R) 5腹 椎 6尾 椎) 7∼ 10タ ラ科 (7歯 骨 (L)
8角 骨 (L) 9腹 椎 10尾 椎) H∼ 13コ チ (H方 骨 (L) 12前 鯉蓋骨 (R) 13尾 椎 ) 14ブ リ属 (尾 椎) 15∼ 16ス ズキ (15
角舌骨 (R) 16主 鯉蓋骨 (R)) 17ヒ ラメ (擬 鎖骨 (L)) 18∼ 21マ グロ属 (18歯 骨 (L) 19角 骨 (L)20腹 椎 21尾 椎
)
図6-5
Fig 6-5
武家屋敷地区第 7地 点 出土動物遺存体写真 (3)
Pictures of anirnal bones,fish bones and shells at BK7 (3)
S=1:1
中・小型魚類
1∼ 9ア イナメ (1前 鋤骨 2前 上顎骨 (L) 3主 上顎骨 (L) 4口 蓋骨 (L) 5角 舌骨 (R) 6主 鯉蓋骨 (R) 7腹 椎
9尾 椎 ) 10∼ 15カ レイ科 (10歯 骨 (L) H舌 顎骨 (R) 12第 一血管間棘 13腹 椎 14∼ 15尾 椎) 16∼ 19カ ナガシラ・
カナガシラ型 (16前 頭骨 17涙 骨 (L) 18腹 椎 19尾 椎) 20フ サカサ ゴ科 (主 鯉蓋骨 (R)) 21ウ ミタナ ゴ (IIN頭 骨)22エ イ
目 (椎 骨)23∼ 24ウ ナギ (23腹 椎 24尾 椎)25コ イ科 (腹 椎)26∼ 32ハ ゼ科 (26前 上顎骨 (L)27歯 骨 (R)28主 上顎骨 (R)
29角 骨 (R) 30主 鯉蓋骨 (L) 31後 側頭骨 (L) 32腹 椎) 33∼ 38サ ヨリ (33歯 骨 (R) 34前 頭骨 (R) 35基 後頭骨 36腹
椎 37尾 椎 38尾 部棒状骨)39∼ 44マ アジ属 (39前 上顎骨 (L)40歯 骨 (L)41角 骨 (L)42舌 顎骨 (L)43角 舌骨 (L)
44尾 椎) 45ニ シン科 (腹 椎)46マ アナ ゴ (腹 椎)47ア ユ (腹 椎) 48∼ 49カ タクチイワシ (48尾 椎 49腹 椎
8・
)
図6-6 武家屋敷地区第 7地 点出土動物遺存体写真
Fig.6-6 Pictures of aniinal bones,■
(4)
sh bones and shells at BK7(4)
1∼
4
ガンカモ科
5∼ 14 ガン類
1∼ 4 ガンカモ科 (1頭 蓋骨 2下 顎骨 3頸 椎 4胸 骨) 5∼ 14 ガン類 (5上 腕骨 (R) 6撓 骨
尺骨 (L) 9尺 骨 (L) 10中 手骨 (L) 11大 腿骨 (L) 12肛 骨 (R) 13中 足骨 (R) 14中 足骨 (L))
図6-7
武家屋敷地区第 7地 点 出土動物遺存体写真 (5)
Fig.6-7 Pictures of anirnal bones,fish bones and shells at BK7 (5)
S=2:3
(L) 7撓 骨
(R)
鳥類
S=1:1
モA類 (榜 骨 (R)) 3カ モA類 (尺 骨 (R)) 4カ モB類 (尺 骨 (L)) 5カ モE類 (尺 骨 (L))
(R)) 7カ モB類 (中 手骨 (R)) 8カ モE類 (中 手骨 (L)) 9カ モA類 (中 手骨 (L)) 10カ モB類 (中
(R)) Hカ モ類 (胸 骨) 12∼ 17キ ジ属 (12尺 骨 (L) 13中 手骨 (R) 14第 三指骨 (R) 15手 根骨 (R) 16中 足骨 (L)
1カ モB類 (上 腕骨
6カ モA類 (中 手骨
足骨
17中 足骨
(L、
(R)) 2カ
雄)) 18カ ラス科
(上 腕骨
(R)) 19∼ 20シ ギ科 (19上 腕骨 (R) 20撓 骨
武家屋敷地 区第 7地 点 出土動物遺存体写真
(R))
図6-8
(6)
Fig 6-8 Pictures of animal bones.flsh bones and shells at BK7(6)
‖
類
H浮 し
1∼ 3イ ノシシOrブ タ
足11(L))
(I′
、幼獣 ))
221ヽ
7∼
(lL顎 骨 (L) 211腕 骨
13ネ コ (7頭 蓋骨
15∼
8腰 椎 9寛 骨
(L、
幼獣 )
311腕 骨 (R)) 4∼ 6ニ ホ ンジカ (4鹿 ri1 5桃
) 6111
(L) H撓 11(L' 12人 腿11(L) 13鵬
(L)) 11イ ヌ く骨
) 17肩 III骨 (R) 18覚
) 19腰 椎 2011腕 骨 (R' 21'(骨 (L)
41・
10卜 j Tl骨
24ネ ズ ミ科 (15頭 器11 16卜 顎│「
(I´
111・
11・
(I´
111(L) 23111+(1ン ) 24中 足′
ヤ
I(R))
図6-9
S=2 : 3
武家屋敷地区第 7地 点 出土動物遺存体写真 (7)
Fig 6-9 Picttircs of animal boncs.fish bones and shclls at 13K7 (7)
(Iン
(り
(7)武 家屋敷地区第 7地 点出土 の犬骨
菅原
A.
弘樹 (奥 松 島縄文村 歴史資料館 )
は じめに
仙台城跡 二の丸北方武家屋敷 地区第 7地 点 の調査 にお いて、「期 の 1号 遺構 (大 規模 な ゴ ミ穴)か ら 1体 分 の
イヌの骨が ま とまって 出土 した。遺構 内か らは、享保年間の年号 が記 された木簡が大量 に出土 してお り、おおむ
ね1720年 前後 の イヌ と考 え られてい る。
以下、 出土 したイヌの 出土状況お よび形 態的特徴 につい て述 べ る。各部位 の計測 にあたっては、斉藤 (1963)
お よび茂原 (1986)に 従 った。
B.出 土状況
後世 の攪乱 によって前肢 の先端部分 と骨盤 以下 の後肢部分 を欠 くが、一括 して検出された骨 は解剖学的位置 を
留 めて い る (図 7-1、 図7-3上 )。 墓坑 は確認 されてお らず 、大規模 な ゴ ミ穴 に、他 の ゴ ミと一緒 に廃棄 された
よ うな状態で出土 した。
保存状況 は良好 で、頭 を北方 に向け、左側面 を下に して横たえた左側臥 の状態 で検 出され た。首 を起 こ し、胴
はまっす ぐ伸 ば し、前肢 は肩 と肘関節 で軽 く屈 曲させてい る。周辺 か らは同一個体 とみ られる左右 の寛骨 お よび
大腿骨、右胆骨、右第 2・ 3・ 5中 手骨 な どの骨 が散乱 した状態で出土 して い る
(図 7-3下 )。
出土 した骨 には、
解体 に伴 う切痕 は認 め られず 、 また刃傷や骨折痕跡 も認 め られないこ とか ら、病気 などで死亡 した犬 を、死後そ
の ままゴ ミ穴 に埋めた もの と考 え られる。
こ う した出土状況 は、品川 区仙台坂遺跡 や新宿区市 ヶ谷薬王子町遺跡 などの近世 の遺跡 で も認 め られ、堀跡や
ゴ ミ穴 とみ られる遺構 の土層中か ら「北向 き、左側臥、伸 ば した首 と頭、 四肢 の 曲げ方 まで共通 した姿勢」 で検
出 されて い る (金 子2004)。 本例 も、江戸時代犬 の死後 の扱 われ方 としては一般的 な事例 を示 して い るもの と思
われる。
図 7-1 武 家 屋敷地 区第 7地 点 1号 遺構 出土 の イ ヌ遺骸 の 出土状況平面 図
Picture of a excavated dog bone from No.l structural remains at BK7
Fig。 7-l
C.出 土犬骨の特徴
頭蓋骨および下顎骨】(図 7-2)
【
頭蓋骨 は他 の部位 に比べ て残存状況が悪 い。埋没時 の土圧あるい は攪乱 の影響 によるもの とみ られるが、頭蓋
骨右側面 の欠損 お よび歪みが著 しい。頭蓋最大長 は210mm程 を測 る。 長谷部 の 5段 階 の型 区分 の 中では、最 も
大 きい「大 級大」 に相当す る (長 谷部 1952)。 仙台坂遺跡 1号 犬 よ りもやや小 さいが、江戸時代犬 の 中で もかな
り大 きな個体 で あ る。体高
(肩
甲骨 の最高点 の高 さ)は 、山内 (1958)の 推定式 で53.5cm、 西中川他 (2008)で
は57.6cmと 推定 される。骨質は頑丈 で あるが、頭蓋骨 の大 きさに比べ て吻部 お よび頬骨弓 の幅 が狭 く、顔全体が
細長 い、精惇 な印象 を受ける。頭蓋骨 のプ ロポ ー シ ョンを示す頭蓋 指数 (頬 骨弓幅/最 大頭蓋帳 ×100)は 、縄
文時代以降、時代 が新 しくなるにつ れて大 きくなる (幅 広 になる)傾 向 にあるが、本資料 は縄文時代犬 よ りも小
さ く、現代 の シェパー ドに近 い値 を示す。性別 については、矢状稜お よび外後頭隆起 が よ く発達 してお り、小野
寺 ・茂原他 (1987)に よれば、 オスの可能性が高 い と考 えられる。
上顎歯 は全 て揃 って い る。右犬歯お よび左 右 の切歯 と第 1・ 2後 臼歯 にやや咬耗 が認 め られるが、他 の歯 はほ
とん どが進んでお らず 、若 い個体 と考 え られる。
下顎骨 は左 右 の骨が検 出 された。下顎骨全長は保存状況が良好 な左側で151.6mmを 測 る。下顎体 は厚 く頑丈 で、
高 さもあ り、下顎底後方 の張 り出 しも強 い。咬筋宙深 は10.8mmで 、かな り咬筋が発達 した大種 だった とみ られ
る。歯 は上 顎歯 と同様 に全 て揃 ってい る。切歯、大歯、第 1後 臼歯にやや咬耗が認め られるが、他の歯はほ とん
ど進 んで い ない。左犬歯 は欠 けて しまったのか、短 く磨耗 して い る。 また、左下顎骨 で 第 1前 臼歯 と第 2前 臼歯
の 間で「過剰歯」が確認 された (図 7-1-2a)。
同様 の例 は、港区芝神明町町屋遺跡 1号 犬
(山 根 2004)で
も確認
されて い る。現代 にお いては、先天性過剰やイ ンブ リー ド (近 親交配)な ど遺伝 の影響 による可 能性 も指摘 され
てい るが、江戸時代大 にお け る歯列不 正の原 因 は明 らかではない。
四肢骨】
【
骨端部 は全 て化骨 を完了 してい る。土 ごと取 り上 げが行 われたため、詳細 な観察・計測 はで きなかったが、右
上腕骨全長 は178mm、 右撓骨全長 は174mm、 右尺骨 は202.7mmを 測 る。 現 生 シバ イヌや縄文 時代犬 と比 較す る
と、各部位 と も全長 で 4∼
5cm長 い。 四肢 骨 の長 さに対す る太 さの割合 を示す頑丈指数
(中
央矢状径 /中 央横
径 ×100)も 大 きい。 出土 した四肢骨 か ら算 出 され る平均体高 は、 山内 (1958)の 推定式 で50.7cm、 西 中川他
(2008)で は55.5cmと 推定 される。
D.ま
とめ
以上、仙台城跡 二の丸北方武家屋敷地区か ら出土 した18世 紀前葉 (1720年 前後)の イヌについて報告 した。
出土 したイヌは、体高が50∼ 55cm程 (最 大頭蓋長210mm)と 推定 される大型犬である。 これ まで江戸 の遺跡
か ら出土 した犬 の 中で もかな り大 きなサイズであ り、洋犬 の可能性が高 い。頭蓋骨 のプ ロポー シ ョンも、縄文時
代犬 の血 を引 く当時 の在来犬 (小 ∼ 中型犬)と は異 な り、顔 つ きは細面で、かな り咬 む力 の強 い大種 で あ った と
推定 される。
江戸時代 の大型犬 は、大 名屋敷跡や武家屋敷跡 などの武家地か ら出土 す ることが多 く、大名 をは じめ有力武士
の権威 の象徴 として飼育 されて いた と考 え られてい る。塚本 (1993)に よれば、慶長年間に 日本 に もた らされた
新 しい猛犬 の種 (唐 犬 )が 、そ う した権威 ある大 になった と考 え られ、 大名家 などの鹿狩や猪狩 に用 い られた。
唐犬 の実体 としては、 当時 の絵画 に しば しば描かれるグ レイハ ウ ン ド種 の大 の可能性 を指摘 してい る。 二の丸武
家屋敷 か ら出土 した本資料 をは じめ、仙台藩伊達家下屋敷跡
(仙
台坂遺跡)な ど江戸 の遺跡か ら出土 して い るシ
ェパー ド・ クラスの大が、 この唐大 に相当す る可 能性 も考 えられる。
引用・参考文献》
《
小野寺覚 。茂原信生 。江藤盛治
1987 「骨格による性の判別― シバイヌについて」『解剖学雑誌』第62号 第 1号
2004 「仙台坂出土の埋葬大 と江戸のイヌたち」『品川歴史館紀要』第19号 品川区立品川歴史館
斉藤弘吉 1963 『犬科動物骨格計測法』
茂原信生 1986 「東京大学総合研究資料館所蔵長谷部言人博士収集犬科動物資料 カタログ」『東京大学総合研究資料館標本資料報
金子浩昌
告』第13号
茂原信生 。芹澤雅夫
1990
茂原信生 1990
茂原信生 1991
塚本 学 1993
茂原信生
東京大学総合研究資料館
1990 「38号 遺構出土の大骨」『西新橋二丁目 港区No.19遺 跡』港区西新橋二丁目遺跡調査会
「仙台坂遺跡出土の大骨」『仙台坂遺跡』品川区埋蔵文化財調査報告書第 7集
「芝金杉通町町屋跡遺跡出土の大骨」『研究紀要』第 1号 港区教育委員会
品川区遺跡調査会
「日本大に見 られる時代的形態的変化」『国立歴史民俗博物館研究報告』第29集
『生類をめぐる政治 一元禄のフォークロア』平凡社
。
西中川俊 福島晶・谷山敦・池田省吾・土岐学司 。小山田和央 。松元光春 2008「 イヌの骨計測値から骨長ならびに体高の推定法」
『動物考古学』第25号
西本豊弘
2008 「イヌと日本人」『人と動物の日本史 1 動物の考古学』
長谷部言人 1945(解 説 :茂 原信生 2009)「 石器時代 日本犬」『動物考古学』第26号
長谷部言人 1952 「大骨」『吉胡貝塚』文化財保護委員会
1958 「犬の骨長から体高の推定法」『鹿大農学術報告』 7
山根洋子 2004 「芝神明町町屋跡遺跡出土のイヌ」『研究紀要』第 8号 港区立港郷土資料館
山内忠平
la:頭 蓋骨上面 lb:面 側左骨蓋頭 lc:頭 蓋骨底面 2:左 下顎骨頬側面
図 7-2
武 家屋 敷 地 区第
3:右
下顎骨頬側面
7地 点 1号 遺 構 出土 の イ ヌ頭 骨
Fig.7-2 The skullofa dog from No.l structural remains at BK7
(S=約 1/2)
イヌ出土状況
(頭 骨取
り上げ後
)
(S=糸り1/5)
1:右 寛骨 2:左 寛骨 3:有 大腿骨 4:左
図 7-3
Fig 7-3
大腿骨
5:右 第2中 手骨 6:右 第3中 手骨 7:右 第5中 手骨
武 家 屋 敷 地 区 第 7地 点 1号 遺 構 出土 の イヌ四肢 骨
The appendicular skeleton of a dog from No l structural remains at BK7
(S=約 1/2)
Tab.7-l
表 7-1 武家屋敷地区第 7地 点 1号 遺構 出土 の イ ヌ計測値
The measurement data of a dog bone from No.l structural remains at BK7
頭 骨計測値 と比較 資料
仙台城 二の丸
1号 遺構犬♂
計測部位
1:最 大頭蓋長 (pr― i)
仙 台城 三の丸
仙台坂
♂
第 1号 大♂
西新橋
♂
芝神 明町
1号 大
芝神 明町
2号 犬
金杉
♂
182.0
(212)
176.4
(220)
175.1
203.0
171.1
(195.5)
169.4
200.0
162.9
187.4
155.6
170.9
(110)
105.5
(H7)
101.1
(106)
104.0
91.5
(125)
96.9
108.7
93.2
100.2
54.2
63.2
52.7
57.4
52.6
60.5
7:パ ジオ ン・ブ レグマ 高 (ba― b→
67.2
81.3
64.7
81.0
71.1
66.8
8:最 小前頭幅 (ft
31.2
37.9
34.6
38.2
35.1
38.2
46.9
61.3
49.2
56.5
51.1
46.4
65.7
76.7
61.6
72.5
62.5
70.1
2:其 底全長 (pr―
)
3:頬 骨 弓幅 (zy― Zy)
4:脳 頭 蓋長 6a― i)
5:頭 蓋幅 (1)(eu― eu)
6:頭 蓋 高 (1)(br― h。
)
ft)
9:前 頭骨頬骨突起端幅 (ect― ect)
(45)
10:後 頭 三 角幅 (ot― ot)
11:最 小眼寓間幅 (ent
ent)
12:顔 長 (pr― na)
29.9
42.2
32.4
38.6
34.7
30.5
88.5
95.8
83.8
98.2
82.3
89.3
13:吻 長 (pr― 。
a)
(89)
76.6
91.6
74.0
83.0
72.1
76.1
14:吻 幅 (大 歯部)
(38)
36.8
(47)
33.5
46.3
37.3
40.7
82.8
94.9
81.3
88.5
15:吻 高 (na―
(47)
)
16:鼻 骨凹陥深
17:硬 口蓋 長 りr
87.3
sta)
18:硬 口蓋 最大幅
19:下 顎 骨 全 長
63.5
75.2
60.0
73.9
62.5
69.5
151.6
133.5
152.0
128.8
149.6
124.7
136.2
150.8
132.5
154.2
127.6
151.1
125.3
136.9
53.6
65.0
52.0
60.9
52.7
55.5
33.3
40.0
33.3
24.9
28.9
23.6
29.8
25.4
11.3
13.9
10.7
15. 1
13.0
(58)
(1)(id― goC)
20:下 顎骨 全長 (2)(id― c.mid)
21:下 顎枝 高
22:下 顎枝幅 (最 小値
(42.7)
)
23:下 顎体高 m2の 後部)
31.9
24:下 顎 体 高 鰤1の 中央
32.4
31.2
)
30,7
30.6
26:下 顎体厚 鰤1中 央下方)
14.8
Mlの
34.1
30.1
間
)
25:下 顎体高 e4と
(99)
13.2
27:咬 筋寓深 (下 顎枝幅位
27.2
10.8
)
頭蓋指数 (3/1)
51.9
59.8
53.2
57.7
62.0
57.1
吻長指数 (13/1)
42.0
43.4
41.6
42.3
40.9
42.1
41.8
下顎体厚高指数 o6/24)
45.7
45.4
48.1
45.3
50.7
51.2
四肢 骨計測値 と比較 資料
計測部位
肩 甲骨 全 長
仙 台城 二 の 丸
1号 遺構 大 ♂
148.6
関節鴛長
28.1
頚部最小幅
28.9
仙 台城 三 の 丸
仙 台坂
♂
第 1号 犬 ♂
西新橋
♂
127.3
162.5
172.0
142.6
168.2
174.8
140.3
168.3
15.6
19.0
上腕 骨 全 長
(178)
全長
(174)
上端 最 大 幅
28.1
頚部最小幅
21.0
16.4
12.6
中央横径
15.3
15.5
12.0
中央矢状径
10.7
撓骨
27.4
下端 最 大 幅
尺骨
全長
202.7
185.6
20.5
26.4
167.7
184.0
大腿 骨 全 長
上端 最大幅
42.0
中央横径
15.3
13.4
15.6
14.1
中央矢状径
15.3
13.1
17.5
13.4
29.3
34.1
32.1
下端 最 大幅
芝神 明町
1号 犬
39.5
33.6
※ 1(
):推 定値
単位
:nlm
※2 頭骨 お よび四肢骨の
比較資料の計測値 は
茂原 ・ 芹澤 (1990)、
山根 (2004)に よる。
(8)武 家屋敷地区第 7地 点 で出土 した特殊 な遺物の取 り上 げと保存処理
埋 蔵文化財調査室
千葉直美
A.は じめに
仙台城跡 二の丸北方武家屋敷跡第 7次 調査 で、比較的大型 の特殊 な遺物が出土 した。植物繊維で作 られた俵、
埋設 された当初 の形態 を保 って い る桶 、そ して大 の全 身骨格 で あ る。 これ らを出土状 況 を保 った まま取 り上 げ、
保存処理 したので報告す る。
B.俵 の取 り上 げと保存処理
(図 8-1・
図8-2・ 図8-6)
4号 土坑 か ら出土 した 2つ の俵 は、 いず れ も上部 は欠損 し内部 には土が詰 まってい た。内部 の土 を除去 した と
ころ、植物繊 維 の存在 を確認す ることがで きた。 しか し、俵 になお付着 してい る土の乾燥 に伴 い崩壊 の恐れがあ
った。
そ こで まず俵 の 内側 を、湿 った土 層 の剥 ぎ取 り等 に用 い られる変性 ウ レタン合成樹脂
(ト
マ ックNS-10)と
ガーゼ を用 いて裏打 ち した。次 に俵 の周囲 をダ ンボー ルで 囲み、そ こに発 泡硬質 ウレタ ンを流 し込み、俵全体 を
ウ レタ ンで包埋 した。俵周囲の拡張や掘 り下げが困難 で あ ったため、銅線 を用 いてウレタ ンと地面 とを切 り離 し
た。 ウレタ ン上 部 を水平 にカッ トし、2つ の俵 の うち 1つ を反転 した ところ、俵 の一部 が脱 落 した。そ こで もう
1つ の俵 は、下部か らの脱落 を防 ぐため コンパ ネを差 し込み、コンパ ネを固定す るため再度 ウ レタンで包埋 した。
ウ レタンの上 部 を水平 にカ ッ トして反転 し、入力で 吊 り上 げ、取 り上 げ を行 った。脱落 した俵 の一部 につい て も
再度養生 しウ レタンで包埋 して取 り上 げた。
2つ の俵 の うち、 コ ンパ ネ を差 し込 んで取 り上 げ た俵 をA、 取 り上 げ時 に脱 落 した俵 をBと した。俵 はPEG
(ポ
リエ チ レング リコー ル#4000)を 用 いて処理 を行 った。
俵 Aは 、 まず余分 なウ レタンと土 を除去 して俵表面 を露出 した。露出作 業中、俵 表面 にカ ビが発生 したため、
ホ ウ酸 ホ ウ砂0.2∼ 0.4%水 溶液 を霧 吹 きで散布 した。その後、俵 表面 の溝 に入 り込 んだ土 を洗浄瓶や筆 を用 い て
洗浄 した。次 に、PEG20%水 溶液 を俵 表面 に筆 で塗布 し、徐 々 にPEG水 溶液 の濃度 を上げなが ら、俵 表面 がPEG
で 自 く固化す るまで繰 り返 し塗布 を行 った。俵表面 の 固化 したPEGを ドライヤーや温めたエ タノール を用 いて除
去 し、俵 表面 の質感 が出るよ う仕 上げを行 った。その後 ウレタ ン下部 を俵形 に整形 した。
俵Bは 、本体 と脱落部分それぞれ、余分 なウ レタンと土 を除去 して俵 表面 を露出 し、俵 表面 の溝 に入 り込 んだ
土 を洗浄瓶や筆 を用 いて洗浄 した。次 に、それぞれ、PEG20%水 溶液 を俵 表面 に筆 で塗布 し、徐 々にPEG水 溶液
の濃度 を上 げなが ら、俵 表面 がPEGで 自 く固化す るまで繰 り返 し塗布 を行 った。俵表面 の 固化 したPEGを ドライ
ヤ ーや温めたエ タノール を用 いて除去 した。そ の後、脱落部分 の俵表面 を濡 らした和紙 とアル ミホイルで養 生 し、
さらに濡 らしたペーパ ー タオル
(キ
ム タオル)(注
1)で 養 生 し、俵 表面 を覆 う よ うにウ レタンを流 し込み包埋
した。反転後 、余分 なウ レタンを除去 し俵の裏面 を露出 した。俵 表面 と同様 に裏面 に もPEG水 溶液 を塗布 し、固
化後余分 なPEGを 除去 した。本体 と脱 落部分 を合体 し、高濃度 のPEG水 溶液 で接着 した。脱落部分 のウレタンと
養 生 を除去 し、俵 表面 を露出 した。 本体 と脱落部分 との隙間にパ テ状 に調整 したPEGを 充填 した。俵 表面 のパ サ
つ き感 を解消す るため、 アク リル系合成樹脂 (バ イ ンダーNo.17)の 原液 をエ タノー ルで 1/2希 釈 した もの を
俵表面 に塗布 した。俵 表面 の余分 なPEGを 電気 ゴテ等 を用 いて除去 し、隙間に充填 したPEGの 表面 をアクリル絵
の具 で違和感 の ない程度 に補彩 した。そ の後 ウレタ ン下部 を俵形 に整形 した。
C.桶 の取 り上 げと保存処理
(図 8-3・
図8-4。 図8-7)
桶 は、調査 区の南側 で埋 設 された状態で出土 した。桶 の直径 は約45cm、 残存高 は約23cmで 、材は針葉樹であ っ
た。 まず、桶 内部 を濡 らしたペ ーパー タオル
(キ
ム タオ ル)で 養 生 し、そ こに発泡硬質 ウ レタンを流 し込んで充
填 した。その後、桶 の外側 の土 を 5cm程 度残 して周囲を掘 り下げ、 ダ ンボールで囲み、 ウ レタンを流 し込んで桶
全体 を包埋 した。鋼線 を用 いて底部 と地面 とを切 り離 し、ウ レタン上部を水平 にカッ トし、反転 して取 り上 げた。
取 り上 げ た桶 は、桶 内部 の ウ レタンを残 したまま、他 の余分 なウ レタンと土 を除去 して桶 の外側 を露出 し、桶
表面 を洗浄瓶や筆 を用 いて洗浄 した。桶 の残存状態 は極 めて悪 く、処理中の剥落や崩落 を防 ぐため、タガ (竹 材 )
を布 テー プ とピンで仮固定 し、桶 のタト
側 を約 5cm幅 の布 で巻 いて養 生 した。
2)を 用 いて処理す る こととなったが、桶 の大 きさか ら、通常処理 に使用 して
い る含浸槽 や乾燥機 は使用 で きない ことが判 明 し、含浸処理 には特大 コンテナ (内 寸80× 56× 48cm)を 用 い る
桶 は、糖 アル コー ル含浸法 (注
こととなった。通常行 って い るラクチ トール (糖 アル コー ルの一種 )含 浸法 (注
3)は 、約70℃ の温度 をかけ最
終的 に濃度80%程 度 の ラクチ トー ル水溶液 を含浸 させ る。 しか し、特大 コンテナ内で合浸す る場合、温度 をかけ
るのに投 げ込み ヒー ター を利用す る しかな く、防災上の理由か ら夜 間 は稼動 で きない。そ のため、常 に70℃ 程度
の温度 を保 つ ことがで きず、高濃度 の ラクチ トール水溶液 の含浸 は不可能 とな り、処理 が不完全 に終 わる恐 れが
出て きた (注
4)。
そ こで、 ラクチ トール にやは り糖 アル コー ルの一種 で あ る トレハ ロース を添加す る ことと し
た。 トレハ ロース を添加す ることによ り、 ラクチ トールの結晶阻害 が起 こ り、それほ ど温度 をかけな くて もある
程度 の7in度 の合浸 が可 能 となる (今 津2000)。 今 回、 ラクチ トール と トレハ ロー スの混合比率 を 7:3に す るこ
ととした。 この比 率 だ と、常温 ではlil度 65∼ 70%程 度 まで、50℃ では濃度80%程 度 まで含浸が可能である ことが
事前 の実験 (注
5)に
よ り判明 したか らである。
ラクチ トー ル と トレハ ロースの 7:3混 合溶液 を濃度40%か ら含浸 を開始 し、徐 々に溶液濃度 を上げ、最終的
に7ie度 74%ま で含浸 させ た。含浸期間 は約4.5ケ 月であ った。
含浸 中、桶 の底板が脱落 したため、底板 と本体 とは別個 に乾燥処理 を行 った。底板 は、含浸終了後、湯 で表面
洗浄 し、完全 に水 分 を拭 き取 った後、溶液 の結品化 を促進 させ るために ラクチ トー ルの粉 を全 体 に まぶ した。
50℃ に設定 した恒温乾燥機
(INCUBATOR IC-450)(注 6)で 約 3週 間乾燥 させた後、 ぬる ま湯 で表面 の粉 を
洗浄 し水分 を完全 に拭 き取 って、再 び恒温乾燥機内で約 1週 間乾燥 させた。本体 は、含浸終了後、桶外側 の養生
布 を除去 し、桶表面 の溶液 を軽 く拭 き取 った後、 ラクチ トールの粉 を全体 にまぶ した。本体 は恒温乾燥機 には入
らないため、70℃ に設定 した含浸槽 のス テ ンレス製 の蓋 の上にのせ 、 さらにダ ンボールのカバー をか ぶせて含浸
槽 の余熱 (約 30∼ 35℃
)で 乾燥 させた。約7週 間後、熱湯 で桶表面 の粉 を流 し、水分 を完全 に拭 き取 って再 び含
浸槽 の余熱 で約4週 間乾燥 させ た。
乾燥終了後、底板 と本体 の表面 に付着固化 した糖 アル コー ルの結晶を除去す るため、熱湯 に浸 して固 く絞 った
布 を該当箇所 に当てて蒸 らす ことで糖 アル コー ルの結晶を溶解す るとい う表面 クリーニ ングを行 った。
タガは糖 アル コールの結晶で側板 に固定 されてお り、一 部脱落 した破片 のみエ ポキシ系接着剤
ラ ビ ッ ド)で 接合 した。側板 と底板 の 固定お よび隙 間の充填 にはエ ポキシ系接着剤
増量剤
(マ
(ア
(ア
ラル ダイ ト
ラル ダイ トラ ピ ッ ド)に
イク ロバ ルー ン)を 添加 した もの を用 い た。桶 内部 の ウ レタンを除去 し、桶 内側 の隙間の充填不足部
分 をエ ポキシ系接着剤 に増量剤 を添加 した もので補 い、充填箇所 を違和感 の ない程度 にアクリル絵 の具 で補彩 し
た。
D.犬 の全身骨格 の取 り上 げと保存処理
(図 8-3・
図8-5。 図8-8)
犬 の全 身骨格 は、 ゴ ミ穴 と考 え られる 1号 遺構 で、木材 や竹材、漆椀、下駄、陶磁器 などが堆積 して い る中 に
横 たわった状態で出土 した。骨 の表面 を軽 く洗浄 した後、骨 を仮強化す るためアク リル系合成樹脂
B72・
(パ
ラロイ ド
5%ア セ トン溶液)を 塗布 した。後 で土 を除去 す る際 の 目安 とす るため、取 り上 げ遺構面際に 目盛 りを付
けた竹 串を数本差 し込んだ。骨 は濡 らした和紙 を張 り付 けて養生 し、 さらに頭骨 と肩 甲骨 はアル ミホイルで覆 っ
て保護 した。取 り上 げ遺構面全体
(約 98×
75cm)を 濡 らしたペーパー タオル
(キ
ム タオ ル)で 覆 い、取 り上 げ
遺構周囲をダ ンボー ルで 囲 い、発泡硬質 ウ レタンを流 し込んで包埋 した。取 り上 げ遺構周囲 を掘 り下げ、底部 の
土 を掘 り込み、最後 は銅線 を用 いて地面 か ら切 り離 した。ウ レタン上 部 を水平 にカッ トし、反転 して取 り上 げ た。
取 り上 げ た遺構裏面 の土 を、事前 に遺構面際 に差 し込んだ竹 串の 目盛 りを目安 に、土の厚 さが
るまで 除去 し (注
そ の部分 にエ ポキ シ系合成樹脂
7)、
lcm程 度 にな
(FRP)を 流 し込んで底部 を補強 した。再度 ウレタ ンを
流 し込み底部 を覆 った。底部 に流 し込んだウ レタンを水平 にカッ トし、正位 に戻 した後、骨格上 部 を覆って い た
ウ レタンを除去 し遺構 表面 を露出 した。
遺構表面 の木材や竹材 は可能 な限 り取 り上 げた。骨 は、頭骨以外 は状 態が比較的良好 だったため、取 り上 げ時
5%ア セ トン溶液)を アセ トンを用 い て一旦 除去 し、再度洗
(パ ラロイ ドB72・ アセ トン溶液)を 濃度 5%か ら15%程 度 まで徐 々
に塗布 したアクリル系合成樹脂 (パ ラ ロイ ドB72・
浄 を行 った。そ の後、 アクリル系合成樹脂
に濃度 を上 げなが ら繰 り返 し塗布 して再度強化 した。骨 の強化 中、遺構表面 の乾燥 を防 ぐため、土には水 を塗布
し、木材 や竹材 にはPEG(ポ リエ チ レングリコー ル#4000)水 溶液 を濃度20%か ら40%程 度 まで塗布 した。
頭骨 は計測 のため取 り上 げ ることとなった。頭骨 を頭蓋骨 と左 右 の下顎骨 に分離 し、裏面 や内面 部分 に付着 し
た土 を除去 した。 しか しなが ら、脆弱 な部分が多 く、完全 には除去で きなか った。その後、 アクリル系合成樹脂
(パ
ラ ロイ ドB72・ アセ トン溶液)を 濃度 5%か ら15%程 度 まで徐 々 に濃度 を上げなが ら繰 り返 し塗布 して強化
した。
次 に、遺構表面 の土 を硬化す ることとなったが、土の硬化剤 を選定す るために実験 を行 った。取 り上 げ後 に除
去 した遺 構裏面 の土 を厚 さlcm程 度容器 に入 れ、 充分 に湿 った状態 を再現 し、それぞれにPEG#4000、
(石 材 強化剤 の一種 )、
OM50(土 壌 強化剤 の一種
)、
OH100
サ ンコー ルSK-50(イ ソシア ネー ト系合成樹脂 ・土層 剥 ぎ
取 り後 の転写面 の 固定等 に使用)、 バ イ ンダーNo.17(ア クリル系合成樹脂 ・ 湿 った遺物 の仮強化等 に使用)を 塗
布 し、硬化後、土 の 中央 を割 りそ の効果 を確認 した。PEG#4000は 、20%水 溶液 の塗布か ら開始 し、徐 々 に7in度
を上げなが ら、土の表面 がPEGで 白 く固化す るまで塗布 を続けた。土の表面 の 自 く固化 したPEGを ドライヤ ーで
溶か して除去 し、土 の表面 を露出 した。土 の表面 が黒 い仕 上が りとなったが、土の 中央部分 まで硬化 してい るこ
とが確認 で きた。OH100は 、原液 を土 に塗布 し、乾燥 ・ 塗布 を数回繰 り返 した。土 の表面 が若千 白い仕 上が りと
な ったが、土の 中央部分 まで硬化 して い る ことが確認 で きた。OM50は 、原液 を土 に塗布 したが、薬剤 の粘度が
高 く、内部 まで浸 み込 まず に表面 で 固 ま り、土 の 中央部分 まで硬化す る こ とはで きなか った。サ ンコールSK―
50は 、原液 をシ ンナーで 1/2希 釈 した もの を土 に塗布 し、乾燥 ・塗布 を数回繰 り返 した。土の表面 が若千 白い
仕 上が りとな り、 かつ薬剤が土 の表面 で 固ま り、土の 中央部分 まで硬化す ることはで きなかった。バ イ ンダーNQ
17は 、原液 を水 で
1/2希 釈 した もの を上 に塗布 し、乾燥 ・塗布 を数回繰 り返 した。土の表面が光沢 を帯びた仕
上が りとな り、 かつ 薬剤 が土 の表面 で 固 ま り、土 の 中央部分 まで硬化す る ことはで きなか った。 この実験結果
(注
8)を 踏 まえ、今 回硬化す る土 に木材 や竹材が含 まれて い ることか ら、それ らを同時に硬 化す るために も、
PEG#4000を 選定 した。
遺構表面 の土お よび木材 。竹材 にPEG20%水 溶液 を塗布 し、徐 々 に濃度 を上げて、遺構表面全体 が自 く固化す
るまで繰 り返 し塗布 した。 白 く固化 した遺構 表面 のPEGを ドライヤ ー等 を用 いて除去 し、土 の表面 を露出 して仕
上 げ とした。
E。
.
まとめ
俵 については、懸念 された高湿度時 にお け るPEGの 溶出 (注
9)も な く、比較的良好 な状態で処理で きた。
桶 については、極 めて悪 い残存状態 に もかか わ らず 、出土時 の状態 を保 ったまま処理 で きた。今回の桶 が針葉
樹材 で あ ったことが処理成功 の一 因ではあると思われる (注 10)が 、 ラクチ トール と トレハ ロースの混合溶液 を
用 い ることによ り、含浸槽 や乾燥機 に入 らない大 きさの もので も処理が可能 である こ とが確認 で きた。
犬の全身骨格については、遺構表面 に含 まれている木材や竹材の存在が問題であったが、PEGを 用 いることで
土 。木材・竹材を同時 に硬化す ることができた。
いずれも比較的簡便な方法であるが、ある程度満足 のい く仕上が りとなった。
発掘現場では時 として特殊な遺物が出土す る場合がある。そ うした遺物に対 して最高の処理ができればよいが、
それが不可能な状況のほ うが多い。 しかし、特別な設備がなくても方法を工夫す ることで、ある程度の取 り上 げ
と保存処理が可能であるといえよう。
なお、 この報告 は、第20回 日本文化財科学会での発表内容
(藤 沢 ほか2003)を 含 んでいる。
<注 >
1)ウ
レタンが遺物 に付着す るの を防 ぐため。
2)出 土木材 内部 の水分 と糖 アル コール を置換 し、糖 アル コール を結品化 させ ることに よって木材 の形状 を保 つ 方法。
3)出 土木材 に ラクチ トール水溶液 をila度 20%か ら80%程 度 まで含浸 させ る。 濃度60%以 上 になる と、常温 では ラクチ トール は水 に
溶解 せ ず、 また不完全 な結晶化が始 まるため、70℃ の温度 をかけて含浸す る。 含浸終了後木材表面 の溶液 を湯で洗浄 し、水分 を
完全 に拭 き取 った後、 ラクチ トー ル を結品化 させ るためにラクチ トー ルの粉 を木材 表面 にまぶ す。 50℃ で乾燥 し、表面 の粉 をぬ
るま湯で洗 い流す。水分 を完全 に拭 き取 った後、再度50℃ で乾燥す る。
4)含 浸濃度が低 い状態で結品化 工程 に進 む と、木材 内部 の残留水分 によ り脆 い結晶が形成 され、収縮・ 変形 を招 く恐 れがあ る。
5)ラ クチ トール と トレハ ロースの混合比率 10:0、 9:1、 8:2、 7:3の 場合 、常温、50℃ 、70℃ で はそれぞれ濃 度何 %ま で
含浸が可能 なのか とい う実験 を行 った。結果 は、 10:0の 場合、常温 では55∼ 60%程 度 まで。50℃ では70%程 度 まで。 70℃ で は
80%程 度 まで。 9:1の 場合、常温 では60%程 度 まで。50℃ では75%程 度 まで。70℃ では80%程 度 まで。 8:2の 場合、常温 で
は65%程 度 まで。 50℃ で は75∼ 80%程 度 まで。 70℃ で は85%程 度 まで。 7:3の 場合、常温 で は65∼ 70%程 度 まで。 50℃ で は
80%程 度 まで。70℃ では85%程 度 まで。
6)糖 アル コールの結品化工 程 で、乾燥機 で乾燥す る場合、送風式 の乾燥機 を使用す る と、風 の 当たる部分が過乾燥 とな り、木材 内
部 の結 晶が粉体化す る恐 れがあるため、送風式ではない乾燥機 を使用す る
(千 葉2001)。
7)資 料 の軽量化 を図るため、土 は必要最低 限の量 だけ残 して除去す る。
8)今 回の実験結果 は、今 回実験 に使用 した土 に対 してのみ有効 であ る。
9)PEG#4000は 、常温では固形であるが、温度 をかけると溶解す る。そのため高温多湿 の環境下 での保管 は避 け るよ ういわれてい る。
10)こ れ までの経験 か ら、糖 アル コール含浸法 は針葉樹材 の処理 には向い て い るが、広 葉樹材 の処理 につ いては成功す る場合 とうま
くい かない場合 があ る とい える。
引用 。参考文献》
《
今津節生
千葉直美
2000
2001
「糖 の混合 による糖 アルコール含浸法の改良」『 日本文化財科学会第17回 大会研究発表要旨集』pp.42∼ 43
「糖 アルコール含浸法 における予備実験」『東北大学埋 蔵文化財調査年報16』 pp19∼ 26 東北大学埋 蔵文化財調査
研究セ ンター
・
藤沢 敦 千葉直美 ・京野恵子 。高木暢亮
2003
「特殊な遺物 の取 り上 げ と保存処理」『 日本文化財科学会第20回 大会研究発表要
旨集』pp.176∼ 177
沢田正昭
1997
『文化財保存科学 ノー ト』近未来社
京都造形芸術大学 編
2002
『文化財のための保存科学入門』角川書店
独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所 沢田正昭 編集・監修
2003
『遺物 の保存 と調査』クバ プロ
I n I c
o I n I
8号
Fug
イ
":土 許(Ъ
3 1´ 俵 出土地点
::■
│・
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22号 ユ坑′
3号 井戸
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-3
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図8-3 俵 の出土状況
Fig.8-3 Picture of a excavated straw
6 1
丁器撃
1
坑
8
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一
一
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図8-1 武 家屋敷地 区第 7地 点遺構配置 図 (Ⅱ 期 )
Fig.8-l Distribution of fearures belonging to phase Ⅱ at BK7
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6
図8-4 桶 の出土状況
Picture of a excavated wooden buck―
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Fig.8-4
8
9
10
図8-5 犬 の全 身骨格 の 出土状況
Fig.8-5 Picture of a excavated dog bone
棋 式図
∪
【
②包埋】
①補強】
【
ポ
コ
【
⑤ウレタン・
土の除去】
④反転】
【
出
【
⑥表面洗浄】
rヽ
③切り離し】
【
⑦PEG塗 布】
【
③PEG完 全固化】
【
⑨表面PEG除 去】
【
⑩ウレタン
【
下部整形】
■ ■
1.俵 の内側 に トマ ック
・ ・ ・ ・ ・ ・
―
2.ガ ーゼで裏打ち後、
NS-10を 塗布
3.ウ
4.銅 線で地面 と切 り離す
レタン包埋
ダンポールで周囲を囲む
5.コ ンパ ネを差 し込む
6.ウ
9.PEG水 溶液を塗布
10.表 面PEGの 除去
レタン再包埋
図8-6
Fig.8-6
7.反 転 して吊 り上げる
8.吊
11.俵 A保 存処理終了後
12.俵 B保 存処理終了後
俵 の取 り上 げ と保存処理
Excavation and conservation process of a stra、
り上げ作業
v
bag
③ウレタン包埋】
【
③養生】
【
⑥ウレタン・
【
土の除去】
【
④切り離し】
⑤反転】
【
③含浸】
【
【
⑩粉まぶし】
鳳
⑬二次乾燥】
【
I⑪ 一次乾燥】
1.内 側 をウ レタンで充填
2.ウ
レタン包埋
3.切
【
⑮内側ウレ
タン除去】
り離 し直後
5.桶 の外側を布で養生
6.ラ クチ トール+ト レハロー
7.含 浸後ラクチ トールの粉を
ス 7:3混 合溶液含浸中
まぶ して、含浸槽の上ヘ
穐
9.熱 湯を用いて表 10.内 側 の ウレタ ンを除去 11.保 存処理終了後
面の粉を洗浄
4.タ ガを布テープとビンで
仮固定
し、周囲を掘 り下げる
し、隙 間をエ ポキ シ系
合成樹脂等で充填
Fig.8-7
図8-7 桶 の取 り上 げ と保 存処理
excavation and conservation process of a wooden backet
8. ダンポールのカバー
を被せて乾燥中
棋 式図
∼
―
―
―
1-01
①骨の仮強化】
【
【
②養生】
【
③包埋】
【
④切り離し】
【
⑨正位に戻す】
⑥底面土の除去】
【
⑤反転】
【
画
口
【
⑦底面の補強】
l―ld
【
⑩ウレタン・養生材 I⑪ 骨の強化・
の除去】
土等の硬化】
⑫表面クリー
【
ニング】
土硬 化 実験
容器 に犬の全身 骨格 の底部 の 上 を厚 さ lcm程 度入れ 、
それぞれ に PEG・ OH100・ OM50・ サ ン コール・ バ イ
ン ダー を塗布 した。
タオルで養生
土硬化 実験②
左 上 :未 塗布
右 上 :サ ン コール
左 下 :OH100
中央 下 :PEG
右 下 :OM50
4.ウ レタン除去後、計測の
レタン包埋
ため頭骨取 り上げ
J
5。
土表面のPEG除 去
6.保 存処理終了後
中央部分 まで硬 化
仕 上 が り具 合
PEG
○
黒
OH100
○
白
ON150
×
光沢
サ ン コール
×
白
バイ ンダー
×
光沢
―
Fig.8-8
。
0。
・5
G
E慟 HM
OO
P
︰ ⋮ ︰
上上下下
左右左右
さらに濡 らしたペーパー
強化後、濡らした和紙と
アルミホイルで養生
3.ウ
①
験
実
化
硬
土
1.ア クリル系合成樹脂で仮
図8-8 犬の全 身骨格 の取 り上 げ と保存処理
Excavation and conservadon process of a dog bone
(9)武 家屋敷地区第 7地 点 の調査成果 一 まとめに代 えて
仙台城跡 二 の丸北方武家屋敷 地区第 7地 点 の調査報告 は、諸般 の都合 で 5分 冊 に分けて刊行す る こととなった。
報告 を終 えるにあた り、5分 冊 に分けて報告 した調査成果 を通覧 し、 まとめに代 えてお きたい。
武家屋敷地区第 7地 点 の調査 は、調査面積 810m2、 調査期 間 は 8ケ 月 にお よぶ もので あ った。東北大学 による
武家屋敷地区 にお け る調査 は比較的小規模 な ものが多 く、大規模 な調査 としては、 1994∼ 1995年 度 に実施 した第
4地 点 の調査以来、2ケ 所 目の調査 となった。
江戸時代以降の検 出遺構 は、I∼ Ⅳ期 に分 け られた。 これ ら以外 に、縄文時代 の陥 し穴 の可能性があ る土坑 が
1基 検 出され てい る 〔
第 1分 冊〕。
I期 は、江戸時代初頭 か ら17世 紀末頃 まで と考 え られる。 直交 して展 開す る溝 が検 出され てお り、区画溝 の可
能性があ る。 これ以外 の遺構密度 は低 く、土坑 な どが ある。
Ⅱ期 は、おおむね18世 紀初頭 か ら、 19世 紀前葉頃 まで と考 えられる。調査 区南東部 に、 18世 紀前葉 の大規模 な
`
ゴ ミ穴が作 られてお り、膨大 な量 の遺物が出土 した。調査区北東部では、土坑が集中 し、新 しくなると溝が多数
造 られてい る。他 の 区域 の遺構密度 は、 あ ま り高 くな く、土坑 ・溝 ・井戸 な どが ある。
Ⅲ期 は、 19世 紀前葉頃か ら、明治時代初頭頃 と考 え られる。調査区北東部 を中心 に、礎石建物跡 や柱列 な どが
検 出され てい る。他 の 区域 には、柱列 ・土坑 ・溝 ・池状遺構 などが見 られる。
Ⅳ期 は、 明治時代初期 か ら明治20年 前後 まで と考 え られる。畑 の可能性 の あ る、畝状遺構 な どが検出されてお
り、武家屋敷 が取 り払 われた後 の様相 を示 して い る。
この よ うな今 回の調査成果 を踏 まえ、 さらには仙台城本丸地区や若林城跡 な ど関連す る遺跡 の調査成果 を参照
しつつ 、二の丸地区や二の丸北方武家屋敷地区の遺構 について検討 を加 えた。建物跡 の柱 間寸法、柱列 の柱 間寸
第 5分 冊
法、建物 の性格 の違 い による礎石 の規模 と構造 、礎石建物 と掘 立柱建物 の 関係 な どについて考察 した 〔
分析 ・考察
(1)〕
。
第 4分 冊〕 のを除 くと、江
武家屋敷地区第 7地 点か ら出土 した遺物 は、縄文時代 の石器 2点 が出土 して い る 〔
戸時代 以降の もので 占め られる。江戸時代以降の 出土遺物 には、多種多様 なものがあ り、その量 も膨大 で、年代
も江戸時代初頭 か ら幕末 ない し明治時代初頭 まで幅広 い時期 にお よぶ。作業 上の便宜 もあ り、種類 ごとに整理 ・
報告 を進め、作業が終了 した ものか ら順次報告書 を刊行 した。第 2分 冊 では、 陶磁器類 と土 師質・瓦質土器、土
製品、瓦 を報告 した。木簡 と墨書あ る木製品 は、文字資料 の活用 とい う観点 か ら、第 3分 冊 で まとめて報告 した。
これ ら以外 の遺物 としては、墨 書 ある もの を除 い た木製品、漆塗製品、金属製品、石製品、 ガ ラス製品があ り、
第 4分 冊 で報告 した。
これ らの遺物 の過半 は、Ⅱ期の大規模 な ゴ ミ穴 で あ る 2号 遺構 か ら出土 した。同様 に、 1号 遺構、24号 土坑 も、
2号 遺構 とほぼ同時 に機能 して い た ゴ ミ穴 と考 え られ る。 これ らの遺構 を中心 に、594点 にお よぶ大量 の木簡が
出土 してお り、他 に墨書 の あ る木製品 も48点 出土 した。近世 の本簡 としては、東北地方 で もっと も数 の多 い資料
群である。木簡 な どの記載内容 の分析 か ら、大多数 は荷札木簡 と考 えられ、二 の丸 に運 び込 まれた荷物 に付 け ら
れて いた もの と考 え られる。 この ことか ら、2号 遺構 な どの大規模 な ゴ ミ穴 は、二の丸地区か ら持 ち込 まれた ゴ
ミを捨 てた もの と推定 された。年貢米 に付 け られた荷札が最 も多 く、他 には餅 ・塩 な ど様 々な荷物 に付 け られた
もので あ る。 木簡 には、年号 の書か れた もの も多 く、18世 紀前葉 の享保年間 に限定 される ことか ら、 これ らの ゴ
ミ穴 は享保年間 に利用 された もの と考 え られる 〔
第 3分 冊〕。
2号 遺構 な どか らまとまって出土 した18世 紀前葉 の遺物 は、今次調査 による出土遺物 の過半 を占めるとともに、
時間的 に も限定 で きる良好 な一括資料 と判断 される ことか ら、集中 して検討 を加 える ことと した。陶磁器、土師
質土器 ・瓦質土器、漆器、箸状木製品 については、 資料 の特徴 を整理するとともに、 これ までの研究成果 と照 ら
し合 わせ、時期的な特徴 な どについて検討 を加 えた。駒形木製品については、民具 などの類例 を含めて、その用
途な どについて検討 した 〔
第 5分 冊分析 ・考察
(2)〕
。
大量 に出土 した木簡 につい ては、428点 につい て樹種 同定 が なされた。針葉樹 がほ とん どを 占め、広 葉樹 は極
めて少数 であ ること、針葉樹 の 中で もス ギが多数 を占めアスナ ロが次 ぐことな どが 明 らか とな った。東北地方に
お け る近世木簡 の樹種 につい て、 これだけ多数 の資料 を分析 した事例 は他 に無 く、今後 の研究 にあ たっての基 準
となる成果である 〔
第 5分 冊分析 ・考察
(3)〕
。
また、樹 種 同定 の結果 を踏 まえ、木簡 の型式や記載地名な どと樹種 の 関係 を検討 し、多数 を占めるスギやアス
ナ ロな どは、植林 された ものが利用 された可能性 などを指摘 した 〔
第 5分 冊分析 ・考察
(5)〕
。
植物遺存体 も、2号 遺構 な どか ら多数出土 してお り、種 の 同定 と検討 がなされ、オニ グル ミ、モモ、 ウメなど
が食糧 として利用 された可能性 な どが指摘 されて い る 〔
第 5分 冊分析 ・考察
(5)〕
。
動物遺存体 も 2号 遺構 な どか ら大量 に出土 した。貝類、魚類、 鳥類、哺乳類 などがあ り、様 々 な種が同定 され
て い る。 これ らの 中 には、食物残滓 の可能性 の高 い ものが多数含 まれてい る 〔
第 5分 冊分析 ・ 考察
(6)〕
。
1号 遺構 か らは、解剖学的位置 を保 った犬 の骨が検 出された。大 きさなどの特徴 が検討 され、在来犬でない可
能性 な どが指摘 されて い る 〔
第 5分 冊分析 ・考察
(7)〕
。
武家屋敷地区第 7地 点 で 出土 したイヌの骨格や、繊維 を編んだ俵、埋 設 された桶 については、 出土状態 を保 っ
た ままウ レタンで包埋 して取 り上 げ、保存処理 を行 った。 これ ら特殊 な遺物 は扱 いが 困難 な場合が多 いが、取 り
上 げ方法 と処理方法 を工 夫す ることで、特別 な施設 を用意す ることな く、比較的簡便 な方法で対処す る こ とがで
きた 〔
第 5分 冊分析 ・考察
(8)〕
。
今 回の調査 では、木簡 をは じめ として膨大 な量 の遺物が出土 し、その整理作業 には多大 な労力 と期間が必要 で、
2001年 度 の調査実施か ら報告書 の完結 まで、9ヶ 年 の歳月を要する こととなった。 第 5分 冊 では、 自然科学的な
分析 を含 め、重要 な課題 と考 えた点 について分析 ・考察 を加 えた。特 に、享保年間 と推定 される18世 紀前葉 の一
括 資料 は、その 内容が極 めて豊 富 で あ り、集中 して検討 を加 える こ ととなった。 これ らは、仙 台藩 のみ な らず、
東北地方 にお け る近世考古学 の研究 を進めてい く上で、基 準資料 となるもの と考 えられる。
東北大学川内北 キャ ンパ ス とその周辺 では、仙台市 の地下鉄東西線事業 に関係す る工事 に伴 い、2005年 度以降、
多数 の発掘調査が実施 されて い る。 武家屋敷地区第 7地 点 に隣接す る区域 も、地下鉄東西線工事 に伴 い、発掘調
査が実施 されてい る。それ らの調査成果 は、 これか ら順次 明 らかになって い くもの と期待 される。 これ らの急速
に増加 して い る考古学的 デ ー タを総合的に検討 して、仙 台城下 の武家屋敷 の実態 を明 らかに して い くことが、今
後 の課題 で あ ろ う。
REPORT
OF THE ARCHAEOLOGICAL RESEARCH ON THE CAMPUS OF
TOHOKU UNIVERSITY
vol.19-5, March 2010
The Archaeological Research Office
On The Campus, Tohoku University
Katahira-cho. Aoba Ward. Sendai 980-8577 JAPAN
Summarv
This volume carries the report of the salvage excavation of BK7 (Loc.7 of the samurai residences located on the
side of north outer moat of Ninomaru, i.e. Secondary Citadel
of Sendai Castle), which was conducted by
the
Archaeological Research Center on the campus of Tohoku University in 2001.
In the excavation of BK7,
a
large number of artifacts have been excavated. So these are reported in five separate
volumes. This report is the 5th separate volume, and describes about the analysis and examination of archaeological
features and various artifacts with analytical results of the natural sciences at BK7 site.
At the excavation of the samurai residences in Tohoku University, small scale excavations are frequently
done.
But the excavation of BK7 was on a large scale, the area covered 810mt, the excavation period extended to
8
months. This large scale excavation at the samurai residences was the second time since the excavation of BK4,
excavated in 1994-1995.
We considered about the archaeological features of Secondary Citadel of Sendai Castle and the samurai residences,
compared with the excavation at the Honmaru of Sendai Castle and Wakabayashi Castle. (Honmaru was the main
enclosure of Sendai Castle, and Wakabayashi Castle was Masamune's private residence, who was the first load of
Sendai clan.) The viewpoint was the span between the pillars measured from center to center at each structure, the
difference in the size and structure of pillar base stones for different types of buildings, and the relations between
structures constructed on base stones, and embedded-pillar structures.
Most part of the artifacts was dated to Edo period. These were various and enorrnous. And these belong to wide
ranging dates, from the initial Edo period (the initial period of the 17th century) to the initial Meiji period (the middle
period of the 19th century). A great part of these artifacts was excavated from No.2 structural remains, which was
a
huge garbage pit. No.1 structural remains and No.24 earthen pit were also huge garbage pits used similarly in the
same period. The artifacts found from No.2 structural remains were dated to the early period of the 18th century.
These artifacts were the major part from this excavation, and constitute a fine hoard of artifacts of a limited time
period.
So we considered special characteristics of the artifacts dated to the early period of the l8th century, for example,
porcelain, glazed ceramics, unglazed ceramics, lacquer wares and wooden chopsticks. We compared these special
characteristics with our past research results. And we also considered the use method of the wooden implements
shaped to a horse in comparison with similar cases in the
folklife materials.
A great number of wooden tablets written in black ink were also found from above mentioned
features. The
number amounts to 594, and these were the largest collection for the wooden tablets dated to Edo period in Tohoku
region. From the analysis of the contents recorded on wooden tablets,
it is thought that most of
these wooden
tablets were carried to Ninomaru with the rice or the salt as the land tax. The era names written on these wooden
tablets were limited to Kyoho. Kyoho is from 1716(the first year of Kyoho) to 1735(the 20th year of Kyoho), in
the middle of Edo period. So it was concluded that these huge garbage pits were dated to Kyoho era.
In these wooden tablets, 428 were analyzed for the tree Species Identification. The result was that the large part
of the tree species was of some coniferous trees, and broad-leaved trees were fewer. Among coniferous trees, the
most numerous was the Japanese cedar, while the hiba arborvite was the next. This is the first analysis of tree
species used for wooden tablets in a large volume, dated to Edo period in Tohoku region, so this result
will become
a standard in the future research.
Based on the result of the Species Identification, we compared the tree species with the type of wooden tablets
and place names written on these wooden tablets. As the result,
it is thought that the Japanese
cedar and the hiba
arborvite, the most abundant tree species, were planted as nursery trees, and these afforested trees were used for
the wooden tablets.
A lot of
seeds, nuts and animal remains were also found from No.2 structural remains. These were analyzed
the Species Identification. About the plants,
it is thought that walnuts,
for
peaches and Japanese apricots were used
for foods. About the animal remains, various species, for example shellfish, fishes, birds and the mammals, were
identified. It is thought that most of them were the residue of their foods.
From No.1 structural remains, a whole body skeleton of a dog keeping its anatomical position was found. From
the size of the skeleton, it is thought that the dog was not a native breed.
The skeleton of a dog, the straw bag weaving fiber and a wooden bucket laid under the ground were excavated
in situ, and packed with the urethane foam, so we could excavate and conserve them, keeping the original position.
It is often difficult to treat
these unique fragile articles. But we devised the method of excavation and conservation,
and we could treat these unique articles with comparatively simple methods, without special equipments.
In this excavation, an enorrnous number of artifacts were excavated, so we needed a great deal of labor and time
to sort out these articles and to make scale drawings and so on. It took for 9 years from the excavation until the
completion of the reports. In this report, we analyzed and examined the important themes including the natural
sciences. Especially, a fine hoard of artifacts dated to the early period of the 18th century was extremely rich in its
contents. These
will be a standard
research materials not only for the research of the Sendai clan period, but also
for the archaeology of the early modern period in Tohoku region.
In and around Tohoku University at the Kawauchi-kita campus, many excavations have been carried out
since the 2005 fiscal year, for the construction of the subway in Sendai City. The theme in the future
will be the
comprehensive examination of the rapidly increasing data and investigation of the actual situations in the samurai
residences of Sendai clan.
告
報
ふ
り が
抄
録
な とうほ くだいが くまいぞうぶんかざいちょうさねんぽう
童日
名
百田
書
書
東北大学埋 蔵文化財調査年報
名
巻
次
19-5
シ リ ー ズ 名
シ リー ズ 番 号
敦 ・柴 田恵子 ・高木暢亮
編
著
者
名
阿子島香 ・藤沢
編
集
機
関
東北大学埋 蔵文化財調査室
地
〒980-8577 宮城県仙台市青葉区片平 二丁 目 1-l TEL022-217-4995
在
所
発 行 年 月 日 西暦2010年 3月 31日
ふ
り が
な ふ り が な
所 収 遺 跡 名 所
在
コ
地 市 町村
ー
ド
¨鰤 一筋 一鋤
か台 のの け家
じ仙 上 一ぶ武
04100
遺跡番号 (世 界測地系 )
01033
青葉 区川 内41
所 収 遺 跡 名
種別
主 な時代
糸
草 東経
調査 期 間
宮 城県
仙 台市
Jヒ
38
140°
15
50′
32
57″
主 な遺構
調査面積
m
調査 原 因
マルチメディア
2001.5。
7-11.23
810
総合研 究棟
新営
主 な遺物
特記事項
建物 跡 ・
塀跡 ・
陶磁 器 ・ 瓦 ・ 木製 品
木簡 。金属 製 品 ・
池状 遺構 ・
土製 品 。石 製 品
廃棄土坑・溝
仙 台城跡
二 の 丸北 方
武家屋 敷 地 区
城館
近世
ビット
仙台城跡 二の丸北方武家屋敷 地区第 7地 点 の調査 の分析 ・考察編 で あ る。検出遺構 を基 に し
た近世建物 の基礎構造 に関す る考察、18世 紀前葉 の遺物 の検討 、木簡 の樹種 についての分析、
要
約
樹種 と木簡 の型式や記載内容 との 検討 、植物遺存体や動物遺存体 の分析、出土 した犬 の骨 に
ついての考察、特殊 な遺物 の取 り上 げ と保存処理 に関す る考察な どを掲載 して い る。
東 北 大 学 埋 蔵 文化 財 調 査 年 報 19 第 5分 冊
平成22年 3月 31日
発 行 東北大学埋蔵文化財調査室
〒980‐ 8577仙 台市 青 葉 区片平
2丁 目 1-1
TEL 022(217)4995
印 刷 株式会社 東
北
プ
リ
TEL 022(263)1166
ン
ト
東北大学埋蔵文化財調査年報 19第 5分 冊
付属 CD― ROM
収録 内容
1.本 CD― ROMに は、仙台城跡 二の丸北方武家屋敷地区第 7地 点か ら出土 した陶磁器 の カラー写真 デ ー タが収録 されて い ます。
2.本 CD― ROMに は年報 19第 2分 冊 図版 1∼ 40に 対応 した、以下の フアイルが収録 されて い ます。
¥一一―図版別 カラー写真
図版 1
図版 2
図版 3
!
図版40
3.写 真 デー タはJPEG形 式 で収録 されてい ます。
4.写 真 デー タの ファイル名称 は、年報 19第 2分 冊 で掲載 した実測 図 。観察表 。写真 図版 の登録番号 の名称 と対応 します。 一つ の
登録番号 で、 表面 。裏面や、見込み・ 側面 。底部 な ど、 写真が複数あ る場合 は、登録番号 にa、 b、 cな どの記号 を付 して区別
して い ます。 (例 :CJ001a.jpg、 C」 001bjpg)
5.写 真 デー タは、 図版別 の フォル ダに分かれてお り、 フォルダの名称 は、年報 19第 2分 冊 で掲載 した写真 図版 の 図版番号 に対応
して い ます。
6。 写真 は、整理 作業 の途 中で撮影 した ものです。そ のため、 一 部 の写真 には、登 録番号 とは異 なった、整理段 階で用 い た仮番号
の ラベ ルが 写 って い る もの があ ります。正式 な登録番号 は、 フ ァイル名 と対応 したC」 、あ るい はCTで 始 まる番号 で あ り、注
意が必要です。
7.本 CD― ROMは 、学術 資料 としての観点か ら、複 写 ・転載 に関 しては、基本的 に許可 申請 を必要 と しませ んが、有償 に よる販
売 を 目的 と した刊行物 な どで使用 される場合 は、 当調査室 までお問 い合 わせ下 さい。
8.本 CD― ROMの 使用 に よ り生 じた いか なる損害 に対 して も、東北大学埋蔵文化財調査室 では責任 を負 いかね ます。 あ らか じめ
ご了承 くだ さい。
REPORT
OF THE ARCHAEOLOGICAL RESEARCH ON THE CAMPUS OF
TOHOKU UNIVERSITY
vol。
19-5
Analysis and examination of BK7 site
(FK7, i.e.Loc.7 of samurai residences located at the side of north outer moat of
Ninomaru)
2010
The Archaeological Research Office on the Campus
TOHOKU University
Sendai, JAPAN
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