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The Rope News The Rope News

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The Rope News The Rope News
The
The Rope
Rope News
News
M o d e l Sh ip Bu il d e r's C lu b
NO.60
2008年 5月 31日
ザ ・ ロープ
発 行日 :2.5.8.11月の 各 末日 (年 4回)
企画・発行:ザ・ロープ役員会
編集:安藤雅浩
会
会の
の活
活動
動コ
コー
ーナ
ナー
ー
平成20年度
定期総会開催
瓜生 法男
5月11日(日)『風薫る5月』の期待を裏切り、朝より雨風
が吹き荒れ、気温13度と3月初旬の気温の中、日本橋サリュ・
コパンにて我等ザ・ロープ平成20年度定期総会が開催されま
した。
午後1時、赤道事務局長より会員数124名中、77名の出席
で議事可決の過半数を超えるとの報告により、本年の定期総
会が始まりました。今回の総会は例年と違い、我等のサロン
的存在である銀座伊東屋さんが帆船模型店舗の縮小決定後の
開催であり、会員諸氏も今後の成り行きに最大の関心を寄せ
る定期総会になりました。
冒頭、東会長より会員死亡の報告があり、特に本年4月29日に副会長の白井一信氏死去に関し奥様から
のご挨拶が紹介されました。その後皆で、黙祷を捧げ当会の技術的中心者であられた白井さんに心より感
謝をしました。引き続き東会長より、今回の一連の伊東屋さんの機構改革は当会の試練と受け止めて、今
後の当会が生まれ変わるチャンスと捉え、新生『ザ・ロープ』への脱皮へと会員が一致団結して協力しなが
ら乗り切りたいとの力強い挨拶がありました。
又、この一年間の活動報告として、7,569名の来場者があ
った33回展示会の成功、船の科学館羊蹄丸での研究会と常設展示場での模型展示、伊東屋地下B1工房で
のワーキンググループによるボランティア研究会、橋本元日本丸船長の講演などの報告がありました。
議事は平成 19 年度業務報告に続いて岩本会計幹事よりの決算報告とその会計監査報告。次期役員改正、
役員業務分担説明等が続き、平成20年度の事業報告がありました。
平成20年度の主な事業の発表がありました:
① 平成21年1月17日(日)から16日間の予定で第34回展示会を開催
これは伊東屋さんが帆船模型店舗縮小にも拘らず、ザ・ロープに積極的に支援をして頂けるとの事で、
従来通り伊東屋9階ギャラリーをお貸し頂けるとの事。同時期にカリフォルニアのSMAから会員の
来日とオーストラリア同好会からの参加も予定されているとの事。
② 研究会の充実
近年の例会・研究会の並行開催でなく、研究会を分離独立させ、その内容をより充実させ会員諸氏に対
し技術的な発信をする。
③ 石巻サン・ファンミュージアムで10月開催予定の帆船模型展(今回はガレオン船)への協賛。
④ 船の科学館羊蹄丸で東京ソリッドモデルクラブ(TSMC)と飛行機・帆船模型の共同展示会開催
⑤ 船の科学館羊蹄丸常設展示場の展示帆船模型の入れ替え連絡等。
田中副会長より伊東屋さんとの打ち合わせ事項の補足報告ならびに今後の方向として、第34回帆船模型
展示会開催の決定、帆船模型部材・部材購入のための臨時販売構想、インターネット経由等の購入方法の情
報収集、帆船模型製作教室の継続など、より具体的な会員諸氏に対する情報提供のあり方など説明があり
ました。
- 1 -
会長・副会長・会計報告・事務局よりの連絡等の後、質疑応
答があり、会員より、ザ・ロープニュースの内容充実、特
に技術記事の充実を求める声がありました。これに対して、
会員諸氏よりの積極的な投稿を求めるとの全員参加の重要
性が再度強調されました。最後に今回、8名の新入会員の
紹介があり、無事総会が終了しました。
その後、会場を移動して小腹が空き始めた2時より、立食
パーティに移り、ご出席頂きましたウッディジョー社長の
常木則男様と常木教材の常木保宏様よりのご挨拶を頂きま
した。和気藹々の中、素晴らしい料理、美味しいワイン、
楽しい会話で無事本年度の定期総会・懇談会が終了しまし
立食パーティでは製作中の船を囲んで
た。皆さん、色々な事が起こった一年でしたが、これから
も楽しい帆船模型作りを、仲間作りを、充実したホビーライフを過ごしましょう!
帆船模型工房ザ・ロープを回顧し新たな活動へ
松本 義文
昨年8月、伊東屋のご厚意により、伊東屋帆船模型売り場への来客への技術助言・相談ならびにザ・ロープ会員
の相互親睦・研鑽の場としてスタートした「伊東屋帆船模型工房ザ・ロープ」(通称B1)は、このたび伊東屋の経営戦
略の転換による、売り場などが所在するビルの返還に伴い閉鎖されることとなった。
ザ・ロープ誕生の原点であり、以来、ここを源流として33年に亘り我がザ・ロープの歴史は発展してきて、我等の
拠点とでも云える位置にあったと言っても過言ではない『帆船模型売り場』の縮小は残念至極ということに止まらず、
ザ・ロープにとって、否、全国の帆船モデラーにとって大きな試練ではあるが、近年の銀座の大変貌や周辺を取り巻
く厳しい環境などを考えるとき、時代の流れとして受け止めざるを得ないのであろうかと思う。
『帆船模型工房ザ・ロープ』も、この流れの中で、その存在も僅か9ヶ月の活動という短期間にとどまった。ここが
ザ・ロープの中だけにとどまらず、広く帆船模型人のメッカにならんかと大きな夢の実現を目指して努めてきたボラ
ンティア一同にとっては、道半ばでの終焉は、これまた極めて残念なことであるが、この9ヶ月の活動を通じて、大
切なものを得たことは、その残念な思いをはるかに上回る収穫であったと思う。
それは、これまで繋がりを持つ機会が少なかった、会員歴の古い人から比較的それが浅い人までを縦断的に結ぶ繋
がりが出来たことである。これを私は、新たな『仲間達の輪』と呼んでいる。この「仲間達の輪」は、ここに集った
ボランティア仲間たちだけの財産ではなく、ザ・ロープ全体の共有財産であると、私は主張したい。
ここで、数人ずつの当番(いささか堅苦しい言い方であるが)を半日共にすることにより、それぞれが持ち寄って
披露されるさまざまな工程の製作途上の作品を目の当たりにし、実際に製作される様子に加えて解説までもらうこと
は、経験の深い先輩諸兄のノウハウをじかにいただくことができるという貴重な体験であった。一方、会員暦の浅い
諸子の中にも、瞠目すべき知識・技量を持っている人も多くいて、先輩と言えどもうかうかできないぞと、大いに学
ぶところもあった。とりわけこの世代の諸子の模型製作に向き合う熱意の並々ならぬことと真摯な姿勢は、見習うべ
きことと改めて認識した。
いわばお互いに年齢や経歴を超えて、認め合い尊敬し合う雰囲気が生まれたと言えるのであろう。
誇大に過ぎる見方かも知れないが、昨日まで名前と顔の一致すら出来ていなかった仲間達が、まるで100年の知己
であるかのごとくお互いに振舞うことが出来るようになったのである。
ところで、「工房」の閉鎖の日が近づいたころから『仲間達』の間から、こんな声が上がってきた。
『折角出来たこの輪を、ここで解いてしまうのはもったいないし残念なことだ。何とかこの輪の繋がりを継続し、さ
らにもっと広げて行くことは出来ないだろうか?』 私的な趣味のグループの運営にとって最大の問題は会場の確保
である。幸い4年の歴史を持つ『夢工房』が船の科学館にあるという繋がりがある。
これを受けて、ここに場所の借用のお願いを出し、目下ご審議中であるが、使用のお許しは多分実現しそうであ
る。仲間達の付託に応え、場所が確定すればなるべく早く(出来ればこの6月から)スタートするようにしたい。
- 2 -
運営の具体策は構築中であるが、取り敢えずは
① 1ヶ月に1回の集まり
② 当面はB1ボランティアの諸兄を核とする
③ 勿論、全面的に公開とし、排他的、閉鎖的な集りとなることは厳に慎む
④ 云うまでも無く、ザ・ロープの枠の中であるが自主活動とする
などを私案として持っている。
最後に、創立以来の大先輩がかねがね言われている言葉を挙げよう。忘れかけている大切なことである。
「ザ・ロープは単に帆船が好きだとか言うだけのグループではない。『帆船模型を作る』グループである。」
今考え、提案する集まりは、この『原点回帰』を目指すものとしたい。
『夢は見るためのものでなく、実現するためのものである。』
という。提案する集まりが、この『原点回帰への夢』実現への一里塚となってくれればと念願している。
多くの会員諸兄の参加を期待している。
第33回帆船模型展のフォトCDを作りました
帆船模型展示会の出品者には東さん撮影のご自身の作品
写真を配り、全体は写真集にして纏めていましたが、この
程、写真を追加してフォトCDを作りました。
ラベルは堅実な日本文と洒落た英文の2種があります。
出品された64作品を198枚の写真に撮って、333メガバイト
のサイズに収めています。各写真の大きさは1300×1700ピ
日本語ラベル版
英語ラベル版
クセル位ですから、プリント用紙は2Lサイズなら問題なく、
A4サイズでもそこそこにいけるはずです。自分の作品を、自分の手でプリントしてみたい。あるいは、33
回展の個人アルバムを作ってみようという方の要望にも応えられるかなとも思います。価格はアクリルケ
ースに入って一枚1,000円です。5月11日(日)の総会時に希望の方にお分けしましたが、郵送もします。2
枚までの送料300円です。 郵送の申込み先は東さん(住所は最終頁記載の事務局)まで申し込み下さい。
レクイエム(Requiem)
さようなら、白井さん
東
康生
白井さんが逝ってしまいました。57歳という若さでした。
5月2日、告別式の朝、思いがけず小雨が降りました。天気
予報が、午後からと言っていた雨なのです。「きっと主人が
降らせてくれたのです。庭の草花たちには、恵みの雨になり
ました。病院にいながら、とても気にしていたんです。細や
かな気使いをする人でした・・・・」。奥さんのひとみさんと交
わした挨拶が、胸に応えました。
前の夜、通夜の席の始まる前に、棺に眠る白井さんと、語ら
せてもらいました。人柄をしのばせるふっくらとした頬は、
そがれたようにくぼみ、病との戦いの激しさを語っていまし
たが、それ故に、凛と鼻筋が通った顔は、安らかで、成すべきことをやり終えた安堵すら感じさせる、穏
やかさがありました。「さっきまでは、ほんのり微笑んでいてくれたんですよ」と、白井さんの頬を、愛
しげに何度も、何度も撫ぜながら、「写真集の発行日を、主人の誕生日に合わせて下ったこと、いまにし
て、どんなに嬉しいことか・・・」と聞かされてびっくりしました。白井さんの手元に置かれた写真集「華麗
なる帆船模型」は、白井さんと私の最後の共同作業でしたが、その発行日が、奇しくも彼の誕生日、1月
10日になっていたとは、思ってもいないことだったのです。偶然と言うには、余りの合致です。写真集出
版に掛けた白井さんの心が通じていたのかもしれません。胸元には、これから辿る長い旅路に退屈するこ
- 3 -
とのないようにと、大森洋子さんの最新刊「海の覇者トマス・キッド“ナポレオン艦隊追撃”」が置かれ、
風と波の世界を夢見た如何にも白井さんらしい旅支度が整えられていました。
思えば、白井さんは、この数年、自分の短い生涯を予見でもしていたかのように、精力的に仕事に取り
組んでいました。10年掛けた48分の1の超大型ビクトリーを完成させ、ザ・ロープ 30 周年記念出版として
「帆船模型製作技法」を執筆。模型キット「チャールズ・ヨット」をウッディー・ジョーから発売。更には、
その製作ガイド「チャールズ・ヨットの作り方」も出版しています。その間も、毎年の展覧会出品も欠かし
たことのない皆勤賞でもありました。模型作りだけでなく、会社の仕事をこなし、ヨットを楽しみ、ガー
デニングから料理までと、家庭サービスも忘れない。普通の人の3倍もの人生を歩いていたのではないで
しょうか。「君は、いつ寝ているんだい・・・・」顔を見る度に、こんな頓馬な質問をする私に、答えるでもな
く、にこにこ聞いているだけの白井さんでした。
私たちの帆船模型の会「ザ・ロープ」の第一回作品展が開かれたのは1976年(昭和51年)のことです。
このときの会員は、僅かに10名。その10名も、白井さんを失ったいま、会員として残ったのは奥村義也さ
ん、坪井悦郎さんと、青森の肴倉忠さん、そして東康生の4人になってしまったこと、寂しい限りです。
第一回展の時、白井さんは、仲間で最年少の23歳、育ちの良さそのままの好青年でした。白井さんの紹介
で受付をお願いしたお嬢さんが、第2回展では、フィアンセになっていて、第3回展の時は、白井家の初
々しい新妻になっていたのが、奥様のひとみさんです。そしていまは、3人のお子さんを立派に育て上げ
られました。白井家のホームヒストリーは、そのまま「ザ・ロープ」34年の歴史と重なる思いです。
1980年(昭和55年)から3年間、京都支店に転勤になると、ザ・ロープオーサカの仲間に加わり、この人
ありと知られた中島寛二さんとの切磋琢磨が、白井さんの新生面を開いたとも言えましょう。1991年(平
成3年)には、東京、横浜も参加した合同展として「ザ・ロープオーサカ15周年記念展」を実らせたのも、
培った人脈を生かしてのことでした。1995年(平成7年)北九州の小倉に転勤すると、博多、小倉の仲間
と交流を進めています。東京、横浜、大阪、博多、小倉と 5 つの帆船模型の会のバッチを襟につけたのは、
白井さんを置いて他にないし、今後も現れることもないでしょう。
また、白井スクールの名前で「ザ・ロープ」の中に残した影響力は、これからもより広く、強く会員の間
に伝えられてゆくことでしょう。白井さんは、ITの先駆けでもありました。1998年(平成10年)には、ホ
ームページ「横浜帆船工房」を立ち上げ、全国の帆船模型愛好家たちの良き相談相手になると同時に、海
外との交流の輪も広げてゆきました。私たち「ザ・ロープ」のホームページと日本帆船模型同好会(JSMC
C)のホームページも、白井さんが立ち上げたものです。
最後に、時事新報社から全国に配信され、間もなく
各地の新聞に掲載される私の連載記事「帆船模型の世
界」の一節を転載します。この記事を、白井さんに読
んでもらえなかったこと、残念でなりません。
『スクラッチ・ビルダーで忘れられない人がいる。
4月に57歳の若さで亡くなった白井一信さんだ。帆船
研究の深い知識と高い模型製作技術を持ち、日本の帆
船模型界のけん引役だった。その白井さんが 10 年掛け
て 48 分の1のネルソン提督の旗艦「ビクトリー」を製
作した。いまも英国海軍に正式登録、保存されている
軍艦だけに、手すりの支柱の太さまで分かる詳細な資料
12回展ジオラマの「ラ・フロール」
がある。資料がある以上、それを忠実に再現せねばと、0.1ミリ単位までの正確さを追求した。模型は全長
1メートル 40 センチ余り。船首から斜めに突き出すバウスピリットやマストを立てたら、とても家の中に
は入りきれないから省略したもののロアーマストの縄梯子の結び目だけでも2,000箇所。使われているロー
プは12種類、これも48分の1の太さに併せて、自作の糸撚器で撚り分けた。そのロープも右撚りのもの、
左撚りのものがある。それも実物通りに使い分けている。「一世一代の仕事にしたいと思い立ってのこと
で、気が付いたら10年掛かっていただけですよ・・・」と淡々と語っていたが、妥協を許さず、気の遠くなる
- 4 -
ような緻密なこだわりの仕事である。』
白井さん、色々お世話になりました。これから、ますます君の残した足跡の大きさを実感してゆくこと
でしょう。そして、いまごろ、良き友であり、最大のライバルでもあった故竹内久さんと12回展に見せて
くれたような大ジオラマの共同制作の話に熱中しているんじゃないかな∼。
永遠の貴公子、白井さん
大森 洋子
ハヤカワ文庫の好評シリーズ「海の覇者トマス・キッド」の翻訳家、大森洋子様からの追悼文です。
ザ・ロープの第一回帆船模型展が開かれたとき、私は友人と見にいって、「これがシュラウドね」、「あ
れがブロックか」などと嬉々として見つめていた。すると三人組がやってきて、「女の人なのにどうして
そんなに帆船に詳しいのですか」と聞く。「ホーンブロワーをテキストに翻訳の勉強をしているんです
よ」そう答えると、「ぼくたちも船造りのテキストにしてるんです」と竹内さん。中で一番お若い紅顔の
美青年が白井さんだった。いつもおだやかな笑顔、さわやかなお声できちんと話され、お心遣いの細やか
な白井さんは以来30余年、いつも私の中で“貴公子”というイメージだった。
竹内さんの主なき“造船
所”に連れていってくださったとき、「あ、それ、ハンモックネッティングを作るのにいいですね」と貴
公子は、私の大根脚には目もくれず、黒い網ストッキングを見つめていた。そのお顔の真剣だったこと。
昨秋、白井さんが64門艦”LE
PROTECTEUR"をプレゼントしてくださった。あとでご病状を知り、形
見のおつもりだったのだと気づいて胸を突かれた。ご自分が大変なときに、私にまでそんなお気持ちを・・・。
白井さん、ありがとう。落ちつかれたら、そちらでまた竹内さんと一緒に、ゆっくりと船を造ってくださ
い。合掌。
技
技術
術 コ
コー
ーナ
ナー
ー
船底銅版貼りの一方法
私はこのように作っています10
丹羽
正
船喰虫対策から18世紀にイギリスで開発された船底の銅版貼
りは銅版と外板を密着させるため右図の様に銅釘を銅版全面に
打ち込んでいます。大部分の模型は銅版の重なる周囲に釘跡を
付けるだけで千鳥状に打ち込んだ沢山の釘跡を省略していま
す。これをどのように表現するか思案していて、工具を開発し
テストしてみたところ、何とか見られる結果が得られました。
下の写真をご覧ください。
これは洋採用ルーレットの歯車を何枚か互い違いに重ねて締め
付け、硬質ゴムのローラーをバネで圧着して、その間に銅版をくぐらせて釘跡をつけるものです。ローラ
ーにハンドルを付け、回転させて銅版を送ります。製作は金工の経験があれば割合簡単ですが、後の調整
にはちょっとしたコツが要ります。
この製作で悩んだことは2mm厚の真鍮板をカット
したところ、弓なりに反り返ってしまい、タメ直
しを行うかどうか迷いました。おそらく真鍮板に
存在する残留応力のせいではないかと思います。
結局何もしないでそのまま使いました。
銅版の端部分の釘跡は真ん中部分と異なり密度が
濃く打たれていますが、これは1mm厚の真鍮板を
円形にカットし、円周部分を薄く削り、分割テー
ブルを使い歯を切って作りました。ちょっと歯数がが足りないので、近々作り直そうと思っています。こ
んな面倒くさいものを作ってみようと思われる方はおそらくおられないと思いますので詳細は省略します
が、もしデータが必要の向きがありましたら、ご連絡いただければ資料を送ります。
- 5 -
銅板は裏からくぼみをつけて船底に貼り付けてから400番位の水研ぎペーパーで研磨してやると、斑点状
の釘跡が出てきます。ちょっとオーバーサイズなのが気になりますが、よしとします。その結果が左の写
真です。ところで、その銅板ですが私はアメリカ製
ステンドグラス用カッパーフォイル(東急ハンズで
入手)を使っています。その長所はなにしろ薄いこ
と、サイズもいろいろあり誠に手軽なことですが、
逆の短所は接着力が非常に弱いことです。接着して
も端がめくれあがり、瞬間接着剤を注入して補修す
るのですが、効きがが思わしくなくセロテープなど
で養生しなければ上手くくっついてくれません。1
カ所や2カ所ならなんとかなりますが、あちこちだ
といやになります。
白井さんの著書「技法」によりますと船底の下地処理を念入りに行う。即ちサーフェーサーを塗布し、耐
水ペーパーで研磨した上、クリアーラッカーを塗って仕上げた上に貼ると良いとありますが、試したとこ
ろ不満足な結果しか得られませんでした。そこで私が出した結論は『こんなものはアカン』。代案として
竹内さんが行っていた0.1mm厚の銅板をフープ状にカットし、アニーリングして貼り付けるやり方を試して
みました。これはよい結果が得られましたが、なにしろ手数がかかり面倒です。
カッパーフォイルの接着剤をアセトンなどで除去して、そこにシリコン系の接着剤を塗布するやり方も
試しました。私は手持ちのメチルエチルケトン(MEK)でやってみましたが駄目でした。
カッパーフォイルの手軽さは大いに魅力で、何とか使いこなす方法はないものか思案していました。
カッパーフォイルの接着剤はアクリル系のものと判断したが、これの接着力をアップする方法を見つけ
出せばなんとかなると思い、いろいろテストした結果、同じアクリル系の接着剤を使っている両面テープ
を使えばどうなるか、試しに100円ショップで入手した、安物テープを使って試みたら満足のいく結果が得
られました。カッパーフォイルの接着剤を塗布している所へ両面テープを貼るというものです。
やり方は次の通りです。先ず、銅板を貼る部分全面に両面テープを貼ります。私はニトムズ製(日東電工
の系列会社)のものを使いました。これは0.1mm厚のベースフィルム(不織布)にアクリル系の接着剤を塗布
してセパレーターという紙を挟んで巻いてある一般用のものです。テープ幅は5mmのものと10mmのものを
使います。貼った後、セパレーターは剥がさずそのままにしておきます。剥がすとベタベタくっついて作
業がやりにくくなります。カッパーフォイルを貼る部分のみセパレーターを剥がして、釘跡を付けたカッ
パーフォイルを貼り付けていきます。カッパーフォイルは釘跡を付ける前に、充分にしわ伸ばしを行うこ
とが重要です。これによりカッパーフォイルの接着力は非常にアップし、押さえつけなくても端めくれな
どのトラブルは皆無になります。下地処理など全く必要ありません。
ラダー、スターンポスト、キールなどは銅板をコの字に成形して包み込むように貼っていますが、ここの
処理は少し広めのカッパーフォイルを伸ばして、そこに両面テープを貼り付けたものを包み込んで貼るな
どの工夫が必要です。 このセパレーターが乾舷塗装(喫水線より上の全面塗装)を行う場合のマスキングテ
ープ代わりとなるのではないかと思い、試してみましたがあまり上手くいきません。やめた方が賢明です。
これで銅板貼りの悩みが解消し、やれやれです。
会
会員
員か
から
らの
の投
投稿
稿コ
コー
ーナ
ナー
ー
戦列艦(Ships of Line)
稲川 健二
16世紀のガレオン船は大砲の効射程距離が250m程度で短く、砲撃後、船を横付けして切り込む戦法が主力
でしたが、17世紀以降、火薬と大砲の改良により重い砲弾を発射出来るようになり主力の32ポンド砲は有
効射程距離も2,600m位になってくると海上戦の方式も変わってきました。
軍艦が縦列を組んで舷側砲列を一斉に射撃する戦法(戦列の由来)になってくると同列の性能の軍艦が必
要になり17世紀にイギリス海軍は搭載砲の数により等級を定め1級艦から6級艦に分類しました。
- 6 -
1級艦:90門以上
3級艦:50門∼80門
5級艦:18門∼38門
2級艦:80門∼90門
4級艦:38門∼50門
6級艦:18門以下
18世紀になると1級艦100門以上、2級艦84∼100門、3級艦 64 門∼に変わるなど年代や国により上下限
は、しばしば変更はありますが上の分類が基準になり各国もこれに合わせたものになっていきます。
多数の砲を搭載するため艦形もガレオン船の船首、尾楼はなくなりピークヘッドも短くなり、通し甲板2
層、3層の形に変化していきました。海上決戦で戦列構成に使われるクラスは1級から3級艦が大原則で
した。これが後世の戦艦、重巡洋艦になっていきます。戦列を組むメリットは片舷斉射で大火力を発揮で
きるが、相手も同じ戦法でくるので一隻でも性能の悪いものが入ると被害が集中してそこから艦列が乱れ
ました。それゆえ一定時間内の発砲回数がものを言い18世紀では2分に1回の斉射は成績良好でした、し
かし3斉射もすると砲煙で彼我ともに視界がなくなり混乱したようです。
今互いに長さ60mの2艦が速力2ノット(秒速1m)反航行ですれ違うと艦尾が換わりきるまで60秒で2
分に1回の射撃だとただ一回の斉射しか出来ないことになります。実戦では同航も多かったのでこれは例
えです。いささかマニアックになりましたので装備に戻します。
3層艦の場合ガンデッキに32ポンド砲、ミドルデッキに24ポンド砲、アッパーデッキに18ポンド砲が艦の
安定を保つ配置でしたが、最下層の重火器32ポンド砲は波浪が高くなると発射できなくなったので、各国
とも2層甲板の74門3級艦が運動性能、火力共に使い易く、建造費も1級艦の6割で財政負担も軽いので、
当時の70%くらいを占めていました。火力も32ポンド砲の位置が3層艦より高く有利で撃ち勝ちました。
イギリスでは74門艦(Theseventy-four)と親しまれ重用されました。これもフランス海軍が原型を開発して
イギリスが拿捕して模倣したと言われています。
イギリス海軍1級艦ビクトリーの兵装は32ポンド砲30門、24ポンド砲28門、18ポンド砲30門、12ポンド
砲12門、68ポンドカロネード砲2門、木製台車でなく固定式で反動吸収装置付、左右に照準を変えること
ができ大口径で短砲身、有効射程距離短いが接近戦で威力があった。蛇足で5級、6級艦はフリゲートと
も呼ばれ、速力が早く機動性抜群だったので主力戦の直接参加なくとも“艦隊の目”とも言われ若い優秀
な艦長が多く、ネルソン提督はフリゲートを上手く使いトラファルガー海戦を勝ったとの事です。後発の
アメリカ海軍は多用しました。模型では砲の種類を作りわけるのはマニアック過ぎるかも知れませんが頭
に入れて製作するのも面白いと思います。
アルマダの海戦
ヴァージン・クイーンとキャプテン・ドレーク
安藤 雅浩
先に公開されたイギリス映画「エリザベス ゴールデン・エイジ」は勇気をテーマにして強い女王とアル
マダの海戦を躍動感のある映像で描いている。クライマックスのアルマダの海戦では準主役のウォルター・
ローリーが8隻の船に火を付けてスペイン無敵艦隊に火船攻撃を仕掛けるが、これは史実と異なっている。
史実ではイングランド艦隊の副司令官キャプテン・ドレークが海賊戦法の火船攻撃を指揮し、ウォルター
・ローリーはロンドンの宮殿にいてアルマダの海戦には加わっていない。 歴史映画
は客を呼び込むためには史実を忠実に描くことではなく、ストーリーを面白くする
ことだと言われる。この映画も初めの脚本は史実通りだったが、監督が話を盛り上
げるためにキャプテン・ドレークの役割をウォルター・ローリーが果たしたことに変
更している。そのほか、史実と異なるところが少なくないが、楽しんだ映画が興醒
めするような詮索は差し置いて9日間の海戦を追ってみた。
先ずは両国主要人物の肖像画とプロフィールです。
エリザベス女王は絶対王政を築いたイングランド国王ヘンリー8世が最初の王妃
の侍女に手を付けて誕生した。母は後に2番目の王妃になりますが、周囲から妾腹
の子と呼ばれる。13歳の時、重い熱病に罹り髪が抜け落ちて、生涯人前ではかつらで 13歳の王女エリザベス
通した。気丈な女性でアルマダ海戦30年前の25歳で女王に即位し、ヨーロッパでは弱小国家イングランド
を強国にするためスペインに対抗していった。
- 7 -
また、エリザベス女王は生涯独身であつたことから敬意を込めてヴ
ァージン・クイーン(処女女王)とも呼ばれた。当時のスペイン国王フェ
リペ2世はヘンリー8世の最初の妃の娘を妃にしていたのでエリザベ
ス女王とフェリペ2世は親戚であり、女王には義理の兄になる。それ
で表向きはとても仲良くしていたが、陰では寵臣のウォルター・ローリ
ーを通じてキャプテン・ドレークに南アメリカのスペイン植民地とスペ
イン船に対する掠奪を支援していた。ウォルタ
ー・ローリーは航海士で新大陸にイングランドの
最初の植民地を築き、地名を女王のヴァージン
アルマダ海戦時、55歳の女王
に因みみヴァージニアと名付けた(現在のヴァー
ジニア州)。
キャプテン・ドレークは奴隷大国のイングランドで奴隷
貿易の船長をしていたが、メキシコのベラクルスでスペ
イン海軍の襲撃を受け、命からがら逃げ延びて以来、ス
ペインへの復讐心を抱き続けた。ドレークは100tのゴー
ウォルター・ローリー
ルデン・ハインドでスペインの植民地チリ、ペルー沿岸やスペイン船を襲って
金、銀、貨幣に装飾品の掠奪を繰り返し、女王への献上金額はイングランドの
国庫歳入を凌ぐこともあった。スペイン国王の財宝を満載した船の襲撃では莫
大な収益を獲得した。ドレークの海賊行為に怒ったスペインは女王にドレーク
51歳のキャプテン・ドレーク
の身柄引き渡しを迫ったが、女王は「そんな海賊は知らない」と突っぱね、ド
レークには「スペインに捕まったら助けることは出来ない」と言いながらサーの称号を与えた。ドレーク
も「スペイン海軍と戦うことは出来ないが、掠奪でスペインの国力を弱らせることが出来る」と言いなが
ら、スペインに財宝を運ぶ商船への海賊を続けた。ドレークの手取りは1/3でしたから海賊は止められない。
(1/3を女王に献上、残り1/3を部下に配分)左上の肖像画は富をちりばめて描いて
いる。スペインは海賊を支援するエリザベス女王を海賊女王と呼び、両国の関係
は険悪になっていった。
スペイン国王フェリペ2世は「異端者に君臨されるなら命など100度失う方がよ
い」と言うほどの敬虔なカトリック信者です。29歳で国王になった時、国庫事情
は厳しかったが、44歳の時にレパントでオスマン・トルコ艦隊を破り、さらに12年
後にフランス艦隊を壊滅させてからは領土の拡大を続け無敵のスペイン帝国を築
いた。折しもドレークの海賊行為に悩まされている中で、プロテスタントのエリ
ザベス女王がカトリックのスコットランド女王メアリー・スチュアートを反逆罪で
処刑したことに立腹したフェリペ2世は異端者絶滅を「神のお告げ」として無敵
艦隊アルマダをイングランド侵攻に派遣した。フェリペ2世61歳の時です。
アルマダの海戦
スペイン無敵艦隊の兵力は1000tクラスの大型艦を中心に131隻、兵員は約3万人。スペイン国王フェリペ2世
イングランド艦隊は105隻(後に増援で197隻)、大型艦は10隻程度で兵力1万人余。旗艦は880tのガレオン
船アーク・ロイアルで大半は中型船の艦隊。
海戦はイングランド西南のプリマス沖から東南のドーバー沖までの南部で1588年7月21日に開戦してか
ら7月29日まで4回の海戦を経て9日間続いた。ドレーク指揮のイングランド艦隊が戦力が少ないにもか
かわらず勝利した要因は「天の時」もありますが、最大の要因はドレークがスペインとの過去の戦いから
スペイン艦隊の戦法をよく知っていることだった。スペイン無敵艦隊の戦法は敵船に砲弾の一斉射撃を浴
びせて後、船を横付けして切り込むものですが、兵力の少ないイギリス艦隊はその戦法で戦っては勝ち目
がありません。ドレークは射程距離がスペインより長い大砲を使い、船足の速いガレオンを駆使して横付
けされないように一定距離を置いて戦う新しい戦法で戦った。
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戦闘経過
1588年4月、スペイン国王はレパント海戦の総司令官サ
ンタ・クルーズ公の指揮で戦わせる予定でいたが、直前に
死去したため海戦は素人のメディナ・シドニア公を後任に
してリスボンに無敵艦隊を集結させた。(当時スペイン国
王はポルトガル国王を兼ねていた)
5月18日、艦隊はリスボンを出港して、スペイン北部のラ・
コルニアで補給し、6月21日にイングランド侵攻に出港す
るが、この年はハリケーン多発により7月19日イングラン
ド南西端に到着するまでに、悪天候で5隻の戦艦を失う。
シドニア公は艦隊を三日月形の陣形(戦闘力のない輸送船
を守るため戦艦が輸送船を囲む方法)に編成した。
対するイングランド艦隊のエリザベス女王はドレーク副
司令官の提言で総司令官にハワード・エフィンガム卿を任
命して、プリマス港に艦隊を集結させ、7月20日出港した。
第1の海戦「プリマス沖海戦」7月21日午前1時、イングラ
ンド艦隊は無敵艦隊を発見すると直ぐに風上に回り、日の
出とともに快速と長射程の砲撃で猛攻撃を開始するが、無
敵艦隊の三日月形の陣形は崩れず、決定的な打撃は与えら
れなかった。無敵艦隊は戦闘中にサン・サルバドールを火
薬庫の爆発で失い、7月22日には僚艦の衝突で動かなくな
ったロサリオをドレークに拿捕される。
第2の海戦「ポートランド沖海戦」7月23日早朝、今度は無敵
艦隊が風上側から攻撃するが、イングランド艦隊は速力を
生かして容易に風上に移動して攻撃した。無敵艦隊も陣形
を崩さなかったため決着はつかなかった。
7月24日は両艦とも補給で戦闘はなし。7月25日から27
日までは小競り合いの戦い。7月27日に無敵艦隊はカレー
沖に停泊した。
無敵艦隊アルマダの敗北
(フィリップ・ジャック・ド・ラウザーバーク画)
第3の海戦「カレー沖海戦」7月28日、イングランド艦隊はド
レークが提言した深夜の火船攻撃のため100tから150tの船
8隻選び、油に火を付けて放します。風に乗った無人の火船
は真夜中に艦隊のごとく無敵艦隊に襲いかかり、無敵艦隊はパニックになり錨を切って四散する。
第4の海戦「グラベリン沖海戦」 翌日の7月29日、火船攻撃のため陣形の崩れた無敵艦隊に、イングランド
艦隊は長射程の集中攻撃を浴びせ壊滅的な被害を与えた。戦いは夜明けから日没まで続き、無敵艦隊は5
隻失い、他の艦船も大きな被害を受けた。戦いはイングランド艦隊の勝利で決着した。この頃、両軍の砲
弾は残りわずかになっていた。
7月30日、北海方面に脱出した無敵艦隊のシドニア公はイングランド侵攻を断念し、帰還を決断したが
イングランド艦隊が追尾するため引き返すことが出来なくなり、スコットランド沖からアイルランド西を
回る航路を取った。艦隊がアイルランド西に着いた頃、運悪くハリケーンに遭遇し50隻近くの船が難破・
座礁する。9月12日艦隊がどうにかスペインに帰港した時、船数は66隻に減っていた。兵員の喪失は約1
万人に達した。日本ではこのようなハリケーンを「神風」と呼ぶが、イングランドにとっては「天の時」
で、これからエリザベス女王の黄金時代が始まる。その後、ウオルター・ローリーは新大陸でのスペインと
の衝突から斬首刑になり、ドレークは海戦の8年後に西インド諸島で赤痢に罹り死亡、フェリペ2世が死
の床についた10年後には「スペインの世紀」は終わりにさしかかっていた。 大英帝国を築いたエリザベス
女王は在位45年目の70歳で崩御する。
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横 浜 帆 船 模 型 同 好 会 の 第 30回 記 念 展 が 開 催
「世界の帆船模型展」
帆船模型に魅せられた30年の航跡
平成20年4月19日(土)から5月6日(祝)までの18日間、横浜伊勢佐木町の有隣堂書店、地下ギャラリーで
横浜帆船模型同好会の第30回記念展が開催されました。今年は出品数が多く63点でした。
その内、10点は記念展に因んだ往年の名作で、いずれも展示会案内葉書(DM)に掲載の作品を纏めて展示
していて、お馴染みの来場者から「いや∼懐かしいなあ」の声が聞こえました。会場で撮った写真です。
会場スナップ
往年の名作コーナー
南北戦争で両軍が製作し
た装甲艦。手前が北軍の
2門艦モニター。 奥が南軍
のヴァージニア。
中央に展示のゾブリン・オブ・ ブ
ルージャケットの1/192キット。
ザ・シーズ、キットはマンチュアの
白井一信さん製作の最後の
1/78キットで104門の戦闘力と装
ジオラマ作品。
飾から「黄金の悪魔」と恐れらた。
1862年の両艦の戦闘は決着
製作歴10年の大島 勲さんの作
がつかなかった。
品。
« 製作中のストラクチャーモデル
でイギリスの74門艦「ベローナ」。
図面はコンウェイ社のアナトミー・
シリーズから1/72の原寸図面を作
り、2年が経過した段階。ストラク
チャーは写真ではなく現物を見な
がら製作者から話を聞くのが一番
分かりやすい。
山本信樹さんの超絶作品。
»1/48ソレイユ・ロワイヤル のスターンと飾りフィギャー。モデルは
パリのシャイヨー宮にある海洋博物館に 展示されており、世界の白眉の帆船模
型と言われている。彫り師と呼ばれる 村石忠一さんが同博物館のパンフレット写真から図面を起こして製作。絶品。
静岡県東部に「ザ・ロープ伊豆」が設立しました
土屋 勝司
3月4日、静岡県東部を中心に活躍している帆船モデラーの会「シップモデラーズクラブ伊豆」の会長藤
田伸夫氏から呼ばれて、その例会にゲストとして出席しました。会長の藤田氏は数年前まで静岡市に住み、
旧イマイ科学の帆船模型や建築模型の開発にも関わったベテランモデラーで、私の良き先輩であり、良き
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製作仲間でもありました。氏は定年を期に静岡市から伊東市郊
外の大室高原に転居し、そこで帆船模型の制作活動を続けなが
ら同好の仲間を集めて「シップモデラーズクラブ伊豆」を結成
し、現在に至っていました。
昨年来、会の名称変更を考えて「ザ・ロープ」の使用を希望さ
れていましたが、この程、当会の了承を得て「ザ・ロープ伊豆」
と名称を変更しました。当日の「ザ・ロープ伊豆」の例会出席者
は 11 名と少人数でしたが、会の進行はスムーズで、連絡事
項、報告事項、検討事項と進み、休憩をはさんで全員が持ち込
んだ製作中の作品を囲みながら製作談義・製作技術の説明など
例会で制作中の模型を囲んで
が熱心に話し合っていました。
今後の課題として、いかにして会員数を増やしていくかではないかと私は考えます。皆さんも温かく今後
を見守ってあげてください。以下は藤田会長からのメッセージです。
初めまして。静岡県東部伊豆を拠点に活動を続けている帆船模型同好会「シップモデラーズクラブ伊
豆」会長の藤田です。私達はこの度、ザ・ロープ役員の皆様方のご承認の下「ザ・ロープ伊豆」と名乗らせ
て頂くことになりました。私たちのクラブは2003年設立です。伊東市の大室高原6-451に事務局を置き
「帆船模型の知識と製作技術の向上を目指し、合せて会員相互の親睦を図る」をコンセプトに、2ヶ月に
1度の例会を開き、この5月で30回を数えます。現在の会員は14名で、3月の例会にはザ・ロープ会員の土
屋氏を招聘して情報交換を行ううちに、あっという間に終了。充実した3時間でした。
当日の議題を簡単に記しますと
1.同好会の呼称変更の件。「シップモデラーズクラブ伊豆」を「ザ・ロープ伊豆」に
2.ザ・ロープ会員土屋勝司氏の紹介
3.焼津市の和船製作家、近藤氏の急逝
4.次回作品展の会場の件
5.帆船新日本丸が10月17日から23日まで清水港に入港
例会は、各人製作中の模型持参を条件とし、その帆船の歴
史の背景、技術面の意見交換等を行う。
この日の出品作品はアメリゴベスプッチ、シレーネ、サ
ーモピレー、ル・フェニックス、カティ・サーク、
ユニコーン、メルカトーレ、加えて土屋氏のブードリオの
フランス74門艦、ラットルスネークに製作中のカンバーラ
ンド等。少人数のわりには出品点数も多く、小規模の展示
会を見る思いでした。
ザ・ロープ伊豆
会長
展示会
藤田伸夫
tel0557-51-8125
藤田会長のソレイユ・ロワイヤル
[email protected]
会
会員
員の
の異
異動
動
8名の新入会員と、3名の退会で、会員数は一般124名、名誉会員4名、賛助会員2名になりました。
【新入会員】
ID169
大島
勲 さん
ID170
船橋市在住
製作歴
講習会
17世紀の戦列艦
伊東屋教室(奥村先生)
12年、ノルスケレーベ、サン・フェリー
好きな帆船 18世紀の中小型船
ペ、プリンス、ソブリン・オブ
製作歴
20年、ホットスパー、カテ
ィサーク、ヨットメリー、エンデバー
・ザ・シーズ(製作中)
趣味
取手市在住
おおぬま えいいち さん
おおしま いさお さん
好きな帆船
大沼 英一さん
趣味
ドライブ、カメラ
- 11 -
飛行機模型、囲碁、卓球
ID171
小林 忠雄さん さいたま市在住
ID172 佐々木 高行さん
こばやし ただお さん
ささき たかゆき さん
講習会
伊東屋教室(安藤先生)
好きな帆船
製作歴
5年、ハーフムーン、バイキング、
製作歴
日本丸(ボトルシップ)
ハインド、アメリカ
趣味
ジョギング、
ゴルフ、野球観戦
ID173
志村 健次さん
フェンシング
志木市在住
坪井 浩一さん
ID174
しむら けんじ さん
製作歴
休みながら30年、カタロニア船、
講習会
伊東屋教室(奥村、白井、安藤先生)
咸臨丸、忍路丸
製作歴
8年、ビーグル、マリー
ジャネ、フェレット、
ヨットアメリカ
スクーナーアメリカ
日曜大工(DIYアドバイザー)
趣味
旅行、歴史探訪、
山下 純一 さん
ID176
ID175
村石 忠一 さん
大田区在住
好きな帆船
【退会】
王室用ヨット
25年、バイキング、レリーフ、
講習会
伊東屋教室(奥村、白井先生)
ソレイユ・ロワイヤルの
製作歴
5年、トルネーズ、フェレット、
スターン
趣味
八千代市在住
やました じゅんいち さん
むらいし ちゅういち さん
製作歴
練馬区在住
つぼい こういち さん
ゴールデンハインド、
趣味
戦列艦(17∼18世紀)
ゴールデンハインド、ホットスパー
マリエ ジェネ、ゴールデン
趣味
世田谷在住
スループ、グレーテル(製作中)
木彫彫刻
趣味
鉄道模型他
3月2日
ID№115
新井 芳文さん
自己都合
3月18日
ID№106
門田 健二さん
ご高齢のため
4月29日
ID№7
白井 一信さん
ご逝去
ザ・ロープ事務局
東
康生
〒162-0842
東京都新宿区市ヶ谷砂土原3-19-4 ヒルズ砂土原201
TEL/FAX 03-3235-7838 メール [email protected]
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NO.2142080
口座名義:「ザ・ロープ 会計 岩本和明」
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