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Angels - タテ書き小説ネット

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Angels - タテ書き小説ネット
Angels
白蜘蛛
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
Angels
︻Nコード︼
N9179K
︻作者名︼
白蜘蛛
︻あらすじ︼
オンラインシューティングゲーム﹁ヒーローズインザスカイ﹂で
各国1名登場する女性パイロット﹁スカイエンジェル﹂を題材にし
ています。
第二次世界大戦に各国で誕生した女性パイロット達の物語。
1
Ⅰ−1︵独︶マスコットガール
1939年9月1日未明ドイツ軍はポーランドに侵攻。
ポーランドと相互援助協定を結ぶイギリスとフランスが9月3日に
ブリッツクリーク
ドイツへ宣戦布告、ここに第二次世界大戦が勃発した。
ドイツの機甲師団と航空機による電撃作戦の前に苦戦を強いられて
いたポーランドに9月17日、ソ連が侵攻を開始。ポーランドは1
0月に降伏する。
その後、各国が懸念していたドイツ軍による西部方面への侵攻は何
度も延期され、大規模な戦闘は行われないまま1940年の春を迎
える。
4月9日、ドイツ軍は突如としてデンマーク・ノルウェーへ侵攻し、
これを占領。東部および北欧の戦線は一応の決着を見せ、西部戦線
では日増しに緊張が高まっていった。
◇*◇*◇*◇*◇
エマ・ショーペンハウアーは所属航空団の事務局へ向かっていた。
その華奢な体は、控えめな受け答えと相まって弱々しい印象を与え
るようだ。
彼女がベジタリアンである事もその一因かもしれない。
丸いレンズの眼鏡に通信補助婦隊の制服。
書類を両手で胸に抱え歩く姿に違和感は無い。
窓からは4月の新鮮な光が溢れ、栗色の髪を美しく輝かせていた。
エマは長い廊下に響く自分の足音を聞きながら、3月から合流した
エルフリーデ・ラルの事を考えていた。
ラルは空軍のマスコットガールとして基地などの慰安に従事してい
2
る。
年齢はまだ17歳だ。
物怖じしない明るくさっぱりした性格と愛らしいキャラクターで兵
士どころか将校にも人気があるという。
聞くところによれば、演説もなかなかのものらしい。
演説と言っても、任務の性質上、媚態じみた様子も見せるが、それ
を爽やかにこなしてしまうあたりが彼女に人気が集まる秘訣だ。
そういう点でマスコットガールには適任と言えるだろう。
﹁隊長や私とは考え方が違いすぎる・・・﹂
今後は隊の運営が思いやられるに違いない。
エマは隊長のアンナ・メイヤーと共に第3航空艦隊の設立と同時に
LG︵教導航空団・試験部隊︶の特殊連絡隊員として入隊した。
1939年当時、ポーランド侵攻に向けて東部戦線を担当する第1・
第4航空艦隊に戦力が集中され、それに伴って第2・第3航空艦隊
は戦力を大幅に削減されていた。
そういった状況で模索されたのが女性による特殊戦闘隊であったの
だ。
アンナとエマは直ちに志願、飛行技能をはじめ各種のテストで非常
に高い評価を得る。入隊の許可と同時にアンナは隊長に任命され、
エマは飛行隊の事務管理を取り仕切る事となった。
だが、ポーランド侵攻作戦が完了すると第3航空艦隊の戦力は増強
され、特殊戦闘隊は宙に浮く形となってしまった。
このところ、戦闘任務どころか輸送任務すら回ってこない。そこへ
もってラルの加入だ。
これで我々の実戦投入を軍は考えていない事がはっきりした。
隊長は何とかすると言っていたが・・・状況はかなり厳しいと言え
る。
﹁どうしたらいいのかしら・・・﹂思わず独り言をつぶやく。
3
エマはカギを使って事務局に入る。窓のカーテンを全て開けると、
すぐに仕事に取り掛かった。
隊長が戻るまでには仕上げなければならない。
しかし書類に目を通しながらも、頭からラルの無邪気な笑顔が消え
る事はなかった。
◇*◇*◇*◇*◇
11時5分前、ドアがノックされると同時にアンナ隊長が入ってき
た。
無造作な髪足のセミロングはアッシュブロンド︵明るい灰色︶だ。
173cmの長身と精悍な顔立ちは研ぎ澄まされたメッサー︵ナイ
フ︶のような印象を与える。
不機嫌さとともにあきれた口調で話し始めた。
﹁エマ、任務だ﹂
﹁ハイ﹂
﹁我々は前線の基地へ降りて、また帰ってくる。今回の任務はそれ
だけだ﹂
﹁ハイ?﹂
﹁特別仕様の戦闘機で飛行場へ着陸し、兵士へ激励の挨拶をした後、
離陸。上空で基本飛行動作を行ってそのまま帰還する。挨拶は一種
の慰安として可憐な女性のものを期待されている﹂
﹁女性が戦闘機を駈る事で兵士の愛国心と戦意が高揚するらしい。
バカバカしいが、これも任務だ﹂
﹁何とか粘って機銃を乗せる許可を取り付けた。射撃も披露するっ
て事でな。ただ、あまり射撃が巧いのはマズいらしい。10個の的
のうち7つ外すのは朝飯前だと言ってやったよ。まぁ、ラルには丁
度良いだろう﹂
アンナは一気に説明し、エマは隊長の様子を伺うようにして聞いた。
﹁そういえばラルは元々マスコットガールでしたね﹂
4
アンナは真剣な顔になって言葉を返す。
﹁操縦に関しては天性的なものを持っている。基本飛行しかできな
かったのに短期間で我々についてこれるようになった。驚くべき才
能だが、精神的にあまりにも幼く、そして弱い﹂
﹁お前と私は実戦部隊としての稼働を望んでいるが、ラルはマスコ
ットガールで満足しているようだ。いずれはっきりさせねばならな
いだろう﹂
﹁任務の件は伝えておいてくれ。詳細は明日8時からのミーティン
グで説明する﹂
隊長はそれだけ伝えると飛行場へ向かった。
今日も単機で例の訓練を行うのだろうか。その訓練は静から動への
瞬間的な機動の繰り返しであった。エマは以前に見たその訓練と、
隊長がよく言うインスピレーションについて思い返していた。
5
Ⅰ−2︵独︶特殊迷彩
前線慰安の任務が命ぜられた4日後、特別仕様の機体が飛行場に準
備されたとの連絡が入った。
エマは早速、飛行場へ向かう。
そこでエマが見たものはピンクに塗装されたメッサーシュミットB
f109だった。
濃淡のピンクで迷彩が施されている。
﹁戦闘機なのに・・・ こんなカラーリング・・・﹂
こと戦闘機については硬派なエマはめまいを感じながら、機体に近
タイプ
づいて驚愕と歓喜に包まれた。
機体は最新型Bf109Eだった。てっきりお古のCかDだとばか
り思っていたのに。
Bf109はメッサーシュミット社の前身であるバイエルン航空機
製造︵BFW︶によって開発され、大戦を通じてドイツ主力戦闘機
コンセプト
として活躍した傑作戦闘機だ。
設計思想は小型軽量の機体に大馬力エンジンを搭載した速度重視の
一撃離脱である。
初飛行は1935年。1937年のスペイン内乱にB∼D型を投入
し、そのノウハウを活かして開発されたのがEタイプ、1940年
のこの時、最新型にしてドイツ最強の戦闘機である。
﹁戦闘を伴わない飛行ならばEタイプである必要はないわ。1機で
も必要な時に・・・どうして﹂
困惑しながら機体をチェックする。
コクピット横に描かれたブラウヘルツ︵青い心臓︶が、エマに更な
6
る歓喜と困惑を与える。
エンジンはDB601。ダイムラーベンツ社の液冷倒立V型12気
筒エンジンで、直噴ポンプを搭載しており逆Gでも燃料がスムーズ
に送られる。戦闘時には大きなアドバンテージだ。
武装は機首にMG17 7.92ミリが2丁。これが隊長が無理を
言って乗せた機銃だ。
﹁Bf109E・・・これなら、充分だわ﹂自然と笑みがこぼれる。
﹁いずれ20ミリを積めばどんな作戦でも戦える・・・﹂
エマは受領のサインをして、改めて機体を見た。
ため息をついてガクリと下を向く。
﹁でも・・・ピンクなのよねぇ∼﹂
事務局という名の特戦隊室へ戻った。ひどく疲れを感じる。
﹁はぁ∼﹂大きなため息をついて机に突っ伏すと、栗色の髪がさら
さらと流れる。
しばらくそのままでいたが、ふと食事をしていない事を思い出した。
外へ出ようかと考えていると、ラルが戻ってきた。
何ともいえないような顔をしてソファーに腰を下ろす。何やら落ち
着かない様子だ。
エマがランチの話をすると、ラルもまだ食べていないらしい。
二人並んで廊下を歩く。ラルが歩くと亜麻色の髪が揺れる。
髪の手入れだけは怠らないのがラルのポリシーだ。ラルの身長は1
45cm、エマより頭一つ分小さい。
沈黙に耐えられないというようにラルがエマに話しかける。
﹁エマさん見た?私たちの機体・・・﹂
エマは︵来た!︶と思ったが、努めて冷静に答える。
﹁見ましたよ、素晴らしいですねEタイプですよ﹂
﹁・・・そうじゃなくて、カラーリングですよぉ∼﹂
7
エマはさらに冷静に、そして先輩としてできるだけさらりと返す。
﹁あぁ、マスコット機とはいえアレはありませんね。ヘルツのマー
クは光栄ですが、ピンクの機体なんて聞いた事がありません﹂
ラルは困惑した子供のようにおずおずと答える。
﹁私は嫌いじゃないけど、上層部のオジサン達が真剣に考えたと思
うと、ちょっと・・・﹂
﹁でも、隊長が粘って7.92ミリを搭載しましたから、れっきと
した戦闘機です﹂
エマは自分にも言い聞かせるようにキッパリと言う。
﹁それより、隊長は何て言うかしら・・・怖くてきけない∼、どう
しよう﹂
ラルは意外と隊長の事を気にしているようだ。
﹁そうですね。私から報告しておきましょう﹂
とは言ったものの、確かに言いづらい。隊長は何と言うだろう。
隊長がどんな反応をするだろうか、二人で話していると、アンナが
突然現れた。
﹁なんだ、ここにいたのか﹂
﹃ハイィッ!﹄二人は直立不動の姿勢となり、同時に答える。
﹁どうした?二人そろって﹂
﹁イエ、アノ、その、食事がまだで・・・﹂
いつもは冷静なエマもしどろもどろだ。
﹁そうか、食事は体調管理の面でも重要だぞ﹂
﹁ハイ。そ、それでは行ってきます﹂
そそくさと二人が行こうとすると、背後から声が追いかけてくる。
﹁見たか?﹂
﹃エッ!?﹄
﹁特別仕様の機体だ﹂
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﹃ハ、ハイ・・・﹄
マズイ、これはかなりマズイ。既に機体を見て来たに違いない。
﹁あれはまぁ・・・なかなか良いな﹂
﹃え゛ぇ∼!?﹄
﹁どうした?じゃ、先に行ってるぞ﹂
﹃隊長はあんなのが好みだったのか・・・﹄
◇*◇*◇*◇*◇
丁度その頃、フランスにイギリス大陸派遣軍の一隊が到着した。
着陸態勢に入った機体は、ハリケーンとは明らかに違うシルエット
だった。
9
Ⅰ−3︵独︶襲撃
大戦が勃発してから西部戦線は本格的な軍事衝突もなく、フランス
のジャーナリスト、ローラン・ドルジュレは﹁奇妙な戦争﹂と称し
た。
ファル・ゲルプ
ファル・ロート
フランスはマジノ線を頼みに守りを固め、これによって戦いの主導
権を放棄してしまったといえる。
一方、ドイツでは西方戦役に向けて、黄色作戦、赤色作戦の準備が
整いつつあった。
そのような状況の中、フランスから発進した9機の戦闘機編隊があ
った。低空を這うように東へ向かう。
6機はホーク75。アメリカのP−36を輸入したものだ。
基本性能では劣るものの、低空での上昇力と運動性に優れており、
昨年の戦闘ではドイツ機に対するキルレシオが常に優勢だった機体
である。
残る3機はスピットファイアだった。
史実上この時期にスピットファイアがフランスに派遣された記録は
ない。
この3機はMK.Ⅰに改修を加えて性能を向上させたMK.Ⅱであ
り、対ドイツ軍機のテストとして実戦投入されたのだった。
◇*◇*◇*◇*◇
﹁敵襲!戦闘機出せ!!﹂﹁対空銃座どうした!!﹂
9機の敵機による強襲はこれ以上ないタイミングで行われた。
基地は銃撃音と爆発音、悲鳴と怒号に包まれ、パニック状態となっ
ている。
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アンナが空を見上げて叫ぶ。
﹁スピットファイアだと!?﹂
駐機している機体だけでなく基地設備や逃げ惑う兵士にも銃撃が加
えられている。
負傷兵を運ぼうとしてアンナが怒鳴る
﹁ラル!コイツの足を持て!何をしている!早くしろ!﹂﹁ええぃ、
誰か手を貸せ!﹂
﹁ラル、早くッ!﹂エマも声をかける。
銃撃をうけて倒れていた兵士がラルの足を掴む。
﹁ひっ!﹂
﹁た、助け・・・﹂兵士はすがる目で助けを求めるが、ラルは声す
ら出ない。
﹁ぐ・・・﹂兵士の目は光を失いつつある。
ラルは動けない。兵士は目を見開いたまま死んだ。
ラルは左右を見渡した。パニックの為か視界が狭くなる。次第に何
も見えなくなる。
立っていられない、思わずしゃがみこんで強く目を閉じる。再び目
を開ける。
機銃の掃射音、うめき声、エンジン音、爆発音、どこか遠くから聞
こえてくるようだ。
まるで現実感がない・・・突然、目に見える全てがスローモーにな
った。
﹁これは・・・私はどうなったの・・・﹂
迎撃に飛び立とうとするBf109が地上撃破される。
何とか離陸した機体も一方的に敵機に追われている。
﹁我々の機体を掩体壕から出せ!﹂アンナ隊長の叫び声にラルは我
に返った。
﹁無理だ!﹂若い整備兵も叫ぶように応える。
アンナはさらに言う﹁今しかない!敵機が離陸した機体を追ってい
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る今なら!﹂
駆け寄った年配の整備兵がアンナの目を見る。
アンナも見返した刹那、二人の顔に驚きが走る。
年配の整備兵は大声で叫ぶ
﹁機体を出せ!エンジン回せ!!﹂
エマに搭乗を指示しているアンナがラルを見た。
﹁今、目の前にあるのが戦争だ!戦わずしては何も守れん!生きた
いのなら来い!!﹂
ほとんど無意識に走った。自分の機体へ。
メッサーシュミットBf109が3機、再び空に戻る。
戦場に似つかわしくないカラーリングの機体は、機銃で武装した最
も獰猛な存在、駆るは特殊戦闘隊。
12
Ⅰ−4︵独︶覚醒
特殊戦闘隊は敵機の隙を衝いて離陸、2000mの高度を得た。
アンナは高度1000mで戻ってくる敵機を捉える。
残りの施設を攻撃するつもりなのであろう。
舐めきっているのか、隊形もバラバラだ。
スピットファイアに搭乗したイギリス空軍の大尉は、フランス空軍
パイロットにイラついていた。
なんだってコイツ等は編隊を組まんのだ。
離陸したドイツ機に対する攻撃も各機が競うように追撃したせいで
5分は無駄にしている。
フランスのパイロットの技量はなかなかのものだと思っている。
が、戦闘では勝てないだろう。いずれフランス空軍は消えてしまう
に違い無い。
獲物に突進するように戦闘を行うホーク75を見て、そう感じてい
た。
大尉は僚機のスピットファイア2機に上空警戒を指示して、ふと、
太陽を背に目標に向かっている事に気付いた。
飛行場上空を10分近く空けていた事も・・・
僚機から通信、﹁6時上空!・・・﹂後は聞かなくても良い、直ち
に回避行動に移る。
3機のスピットファイアが左旋回を開始した時、チラと視界の端に
降下してくる3機の航空機を捉えた。
一気にホーク75が2機落とされた。
﹁これは乱戦になる・・・﹂
即時に判断した大尉は、一旦離脱して高度を取ろうと機首を上げる。
13
高度を取りつつ確認した大尉が目にしたのはピンクの迷彩を施した
メッサーシュミットだった。
瞬く間にもう1機のホークが撃墜される。
カラーリングはともかく、なんだあの機動は!?
ホークが左旋回を行う直前に機首を左に向けた・・・?おかしい、
あり得ない機動だ。
﹁離脱する!﹂さすがに判断は早い。3機のスピットファイアは西
へ離脱を図る。
◇*◇*◇*◇*◇
ラルには敵機の動きが非常に緩慢に感じられた。機動に優れるホー
ク75になんなく喰らいつく。
旋回しながら振り返るパイロットの驚いた表情まではっきり見える。
躊躇なく射撃ボタンを押す。
機銃はコクピットに吸い込まれていく。
キャノピーが紅く染まり、ラルは次の標的を探して機体の高度を上
げていく。
後方のアンナ、さらに後方上空のエマが驚愕していた。
アンナから指令。
﹁ラル、西だ。お前を一番機とする。敵機を落とす事に集中しろ。
エマは二番機としてラルを守れ﹂﹁私は上空から遊撃する、安心し
て敵機に向かえ!﹂
︵しかし、あのラルが何の躊躇もせずにコクピットを・・・急すぎ
る。危険だな・・・︶
◇*◇*◇*◇*◇
9機で侵入した敵機は対空砲火で1機、5機は特戦隊に墜とされた。
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残り3機は遁走する。
なおも追うラルをエマが引き止める。
﹁ラルさん!引き返してください!燃料が足りないわ!﹂
アンナも通信機に叫ぶ。
﹁ラル!聞こえてるな?引き返せ!﹂
エマはバレルロールでラルの後方上空で背面飛行、見上げるような
体勢でラルを確認する。
ラルの目からは何の感情も感じられなかった。何かに取り付かれた
ような冷たい目で前方のスピットファイアを追っている。
﹁隊長!ラルが!﹂
﹁エマどいてろ!﹂
アンナ機の銃口が光り、次の瞬間、ラルの右翼の先端が吹き飛んだ。
衝撃でラルの機体はガクンと右へ傾く、傾いた勢いで右ロールから
左へ旋回、
ロール中にフラップが降りたのをエマは確認した。
その瞬間、後頭部がスッと冷える感覚に襲われる。
﹁退避!﹂本能的に感じ、自然に退避行動を取っていた。誰から?
反転急降下、一気に高速を得て一直線に東へ。
あぎと
速度に乗り、やっと少しだけ落ち着いた。
すごい汗をかいている。魔物の顎をすり抜けたような気分だ。
隊長の空戦機動はインスピレーションを大事にするという。
私は信じられなかったが、今ははっきりと感じた。隊長はこれを感
じているのか・・・。
と、その刹那、本能が警報を鳴らす。
﹁くっ、左か!﹂ラダーを蹴って操縦桿を左へ。
相手は見えないが間に合わない事だけは判った。
次の瞬間、ラルの機体が煙を吹いて交差する。
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ラルの後方からはアンナが続く。
﹁隊長、ラルは!?﹂
アンナの代わりにラルの通信がはいる。
﹁何だかエンジンがダメみたーい!﹂
﹁ラルー!戻ったの?大丈夫!?﹂
﹁え?気が付いたら右翼の先っちょは無いし、燃料は少ないし、エ
ンジンはあっぷあっぷになってるし、もー、ついてなーい﹂
﹁大丈夫?基地まで﹂
﹁大丈夫。何とかなりそう。でも、敵は逃げちゃったし、よかった
ー﹂
﹁エマ、ラルを護衛しろ、私は先に戻る﹂
﹁はい、分りました﹂
﹁エマさん、すみませーん﹂
アンナは珍しく混乱しかけていた。
そういう時の対処法は、重要度と時系優先を考慮して一つずつ片付
ける事だ。
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Ⅰ−5︵独︶再燃
アンナ機は滑走路のあちこちで破壊されたドイツ機を避けて着陸し
た。
着陸後も速度を落とさず、素早く退避場へ乗り入れる。
駆け寄る整備兵に機を預け、アンナは地へ降りた。
上空の空戦を目の当りにした整備兵達は複雑な眼で帰還を祝う言葉
を口にした。
彼らは驚き、感謝し、そして困惑していた。
アンナはそれを強く感じたが、説明するには時間が足りない。
銃弾と燃料の補給を急がせながら、年配の整備兵を探す。
基地内はまだうめき声と硝煙のにおいが残っている。
年配の整備兵は掩体壕の前にいた。煙草を吸っている。
近づくと整備兵のほうから声を掛けてきた。
﹁この基地も随分やられたな。まぁ、ワシは人間の整備はできんか
らな。こうやって飛行機を待っているのさ﹂
﹁私はアンナ・メイヤー、空軍中尉です。先程は助かりました。感
謝します。あなたは?﹂
﹁ワシはオットーだ。あんた良い目をしているな。あのおチビちゃ
んはどうした?﹂
﹁もうすぐ戻るでしょう。右翼端を欠損し、エンジンもパワーが出
ないようです﹂
﹁そうか、ワシの仕事が出来たな﹂
アンナは今の自分ではこの男に敵わないと感じた。
技量は自分が上だ。しかし戦いとなれば勝てない。
17
裏を掻かれるか、読みすぎて墓穴を掘るか、どちらにせよ落とされ
るだろう。
﹁あなたはなぜ整備兵を?あはたは空にいるべき方ではないのです
か﹂
﹁長く生きていると色々と事情があるのさ、色々とな﹂
この整備兵が飛ぶ事を望んでいると分ったが、これ以上話をすべき
ではないと感じた。
﹁では、私は上空の警戒任務に就きますので、これで失礼します﹂
﹁あぁ、おチビちゃんの機体はワシに任せろ﹂
アンナは戦闘結果も聞かない整備兵に敬礼して駆け出した。
しばらくしてラルとエマが戻り、友軍の戦闘機も駆けつけた。
アンナも上空警戒の任を解かれ、地上に戻る。改めて状況と経緯を
報告してから、隊員と合流する。
エマは興奮していた。
﹁ラルさん、覚えてないの?﹂
﹁んー、何となく・・・のろまなカーチスが前にいて、機銃のボタ
ンを押して、あのカーチスはどうなったのかしら。他のカーチスも
私が行こうとする方へ行くの。もう撃って下さいって感じで﹂
アンナは何かを推し量るような顔で聞いている。
﹁ラルさん、すごいわよソレって。カーチスに機動戦で勝つなんて﹂
﹁んー、良くわかんないけど・・・﹂
アンナがゆっくりと声を掛ける
﹁・・・航空戦ではもっと高度の保持に気をつけろ。大体エンジン
を回しすぎだ。まぁ、マスコットガールにはいらぬ話だがな﹂
エマが何故という顔で心配そうに呟く。
﹁隊長・・・﹂
ラルはややうつむいていた顔を上げて言う。
18
﹁・・・私、もっと上手になりたい。もっと強くなりたい。強くな
って・・・そして・・・﹂
﹁ラル、お前は危険だ。よく憶えていないようだが、今日の5機撃
墜中、4機はお前が落としている﹂﹁しかしその力は突発的なもの
だ。コントロールできない力は自らを焼く業火でしかない。生半可
に力を体験した今、常人以上に辛く苦しい思いをしなければモノに
はならん。良く考える事だ﹂
﹁私は・・・﹂
﹁覚悟がついたら来い。罪も無く銃弾を撃ち込まれる覚悟と、罪も
無い人間に銃弾を撃ちこむ覚悟だ﹂
ラルは困惑して、エマはわきまえて、それぞれ沈黙していた。
◇*◇*◇*◇*◇
アンナは薄暗い事務局で佇んでいた。机に両肘を着き、両手をあご
の下で組んでいる。
冴え
と同じものだ。
もう何時間もこのままだった。頭の中では今日のラルの機動が繰り
返されていた。
あれは、ごく稀にアンナに訪れる
冴え
に自分をシンクロさせれば無類の強さを発揮できる。
他機の機動が読めるのだ。いや感じるといった方が正しい。
そして
を信じて、感じたままに動く事だ。
を追い求めていた。自分の意思で発動できる
冴え
冴え
シンクロするとは
アンナはこの
冴え
ているもう一人の自分が常に先に見えるようだ
ようになりたいと強く願う。
訓練でも、
った。
気付いた時には次の機動に入っているもう一人の自分、あの位置に
今いなければならない。
少しでも近づこうとして、打ちのめされる日が続いた。
19
結局身に付いたのは、反応の速さだった。冴えが無くとも経験と判
断で先読みは出来る。
それで充分に戦えるはずだ。そう思い始めた矢先に・・・
暗い事務局に2つの眼だけが爛々と輝く。冷たい炎のように。
20
Ⅱ−1︵英︶猫と軍服
1940年の初夏はイギリスにとって絶望と希望が交互にやって来
た。フランスの降伏を含む大陸戦の敗北と、33万人もの兵士を撤
退させたダイナモ作戦の成功だ。
しかし、戦力は明らかに劣勢であり、戦う意志と恐怖による不安定
な空気がイギリス中に蔓延していた。
◇*◇*◇*◇*◇
少女といってもおかしくないだろう。軍服に身を包み路肩に佇んで
いる。
170cmの長身に、腰まで届くロングヘアーはトゥヘッド︵白に
近い金髪︶だ。
路地は兵士を運ぶトラックが行き交う中、少女に気付いた人々は好
奇の目を向ける。
歩道であくびをしていた猫が、突然トラックが迫る道路へ飛び出し、
座り込んでしまった。軍服の少女が車道へ降りて軍用トラックの前
に立ちはだかる。
トラックはタイヤを軋ませて止まった。運転をしていた兵士が大声
を出す。
﹁おい!気をつけろ!﹂
怒鳴った後で相手が少女である事に気付いた。
﹁おっ、何だ女、いや女の子か。へッ、カワイイねぇ。今晩メシで
もどうだい﹂
助手席に座っていた軍曹が目をつぶったまま声を掛ける。
﹁何をしている、お前はいつもそうだ﹂
片目をチラリと開けると軍服の少女、階級は少尉だ。
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興味がないという風に目をつぶる。
あぁ、こいつが何とかエンジェルとかいうやつか。ふざけた話だ。
俺が軍曹になるのに何万マイル走ったと思う?何人の戦友が死んだ?
フランスからやっとの思いで帰ってくれば、敗軍扱いだ。
ただ、こんな小娘に怒りをぶつけるほど半端な戦はしていない。
少女の名前はローズ・マレット。猫を抱き上げ、何の感情も示さず
言う。
﹁もういいわ、行って結構よ﹂
﹁何だと、お前が飛び出してきたんだろうが﹂
﹁やめとけ。相手は少尉様だからな﹂
軍曹は思った。くだらん。係わっているヒマはない。
ちらりを片目を開けると、少女の瞳が見つめている。なんて冷たい
目をしてやがる。
孤独な目だ、たった一人で地獄を見てきたような、孤独で冷たい目
だ。
理由は知らないが、人間である事をやめてしまった目。人間をやめ
プレッシャー
て何になったというのか。
﹁なんて重圧だ。こんな小娘が・・・﹂
次の瞬間、目の前に拳銃が銃口を向けていた。少女が動いたように
は見えなかった。運転席の兵士は口もきけない。
﹁少尉殿、無礼はお詫びしましょう。ただ、我らも軍人でしてね、
大陸で泥を這い回ったうえに逃げ帰ったとはいえ、銃口を向けられ
たら黙っておれません。少尉殿、銃を抜くなら、撃つ覚悟を持って
いただかないと﹂
平静を装って、やっとの事で言う。
視線が少女のそれとぶつかる。︵コイツは躊躇せずに撃つ!︶頭の
中に少女の瞳から撃つというイメージが送り込まれてくる。見た目
は少女だが化け物だコイツは。
目前に突然ドイツ戦車が現れた時に感じた驚きと恐怖が甦る。
22
軍曹は首筋に汗が伝うのを感じた。
ふと、少女が微笑む。軍曹はドイツ戦車との遭遇以上に驚愕した。
あり得ない。あんな目をした人間がこんな微笑などできるものか。
けな
少女の右手が消えるように銃を仕舞う。
﹁あなた方の軍務や軍歴を貶すつもりはございませんの。お気に触
ったら許してくださる?﹂
運転席では兵士が固まったままだ。
・・
﹁少尉殿、失礼します。地上は我々が御守りしましょう﹂
﹁では、空は私達が守って差し上げてよ﹂
軍曹は兵士の脚を蹴って出発を促す。我に返った兵士は逃げるよう
に発進させた。
﹁世の中はどうなってる?トラブルメーカーのお前がかわいく思え
てきたぜ、まったく﹂
軍曹の声はなぜか浮かれていた。
兵士は聞こえないのか、ジープを飛ばし続けた。
23
Ⅱ−2︵英︶ツインズ
ローズは猫を腕に抱いて歩道に戻ると、軍用車の列を見送った。
猫を見つめながら﹁さて、どうしたものかしら﹂独り言をつぶやく。
腕の中の猫はスッと石畳に降り、辺りを見回す。そしてローズを見
上げ、用事は済んだといわんばかりに一声鳴いて歩きだした。
ローズはあきれながらも目的地に向かう。目の前のビルだ。
◇*◇*◇*◇*◇
そのビルの5階からは二人の少女が見下ろしていた。
﹁ふ∼ん、あの娘がローズか。悪い子ではないみたいね﹂とミラが
話しかけると、
﹁えぇ、なかなか度胸も据わってるし、動きもイイわ﹂とメイが返
す。
﹃それに猫好きみたいだしね∼﹄
二人の少女は笑い合った。傍らには緊張した面持ちの軍関係者が一
人。
姉のメイ・コリンズは年上然としているが、ミラ・コリンズは言葉
遣いも考え方も幼い。
髪はイエローブロンドのピッグテイル。︵本人達はエンジェルウィ
ングと言い張るが・・・︶
あどけない顔に真っ白でふわっとしたドレスと赤い靴、身長は14
0cmにも届くまい。
幼い外見が姉妹の能力を更に恐ろしく印象付ける。
彼女らは軍主導で行われた実験の為に選ばれた双子の姉妹だ。
意思疎通能力を軍事的な情報通信に用いる実験で、他にも多くの兄
弟や姉妹が集められた。その中でも特に優秀な姉妹だった。
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特に優秀というより他のペアは期待するレベルに全く達っしなかっ
たのだ。このオカルト的な計画は当たり前のように頓挫したのだっ
た。
この計画に参加した研究者の一人、クリフトンは﹁超心理学﹂で高
い評価を受けた新進気鋭の心理学者だ。クリフトンは自信を持って
計画に臨んだ。それはコリンズ姉妹を確保していたに他ならないが、
ボーダー
実験結果は事前に通知していた期待値はおろか、実験継続の為に必
要な最低数値すら下回った。
計画は無残にも失敗したのだった。
その後、今度は空軍から女性による飛行隊の打診を受けた。
クリフトンの答えは﹁ノー﹂。軍は失敗した実験を違う形で取り繕
おうとしている。それに自分の実験は決して失敗などではない。
この姉妹のテスト結果には明らかに作為的なミスがあった。二人を
別室に隔離しての意思疎通実験では60%。他のペアから見れば高
い数値と言えるが、60%では運用できない。ましてや何の後ろ盾
もない数字に飛びつく者などあろうはずもないのだ。
だが、ほぼ100%の意思疎通が可能のはずだとクリフトンは確信
している。
以前、酔った兵士ともめた時、この少女達がスコッチのビンを片手
に5人の兵士を打ち倒すのを見た。
1人が見たものは2人のものだった。2人の力が1人のものだった。
2人は兵士の動きも完全に予測していた。姉妹の能力は意思疎通だ
けではないのだろう。
クリフトンは今もはっきりと覚えている。2人の少女が高々と笑う
様を。まるで人間の苦痛を楽しむ魔女の笑い声だった。
その場にいた者は恐れた。その力よりも異様さを恐れた。そしてそ
の恐れは姉妹が5歳の頃から向けられたものだった。姉妹は2人だ
けの世界を築き、他人の干渉を嫌い、認めがたい力を持つ。組織で
の運用は困難を極めるだろう。
しかし、意思疎通による情報戦へ向けた実験が失敗と判断された今、
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軍はその面目を保つため、強硬に求め、ついには姉妹からの誓約書
まで取り付けた。
その後に行われた飛行技能チェックは可もなく不可も無くという結
果だった。その報告にクリフトンは驚きを隠さなかったという。空
軍は僅かに落胆して見せた。空軍にとってはどうでも良いのだ、輸
送の任務をこなせさえすれば。それで何とか格好はつくだろう。
それにしても、なぜ姉妹達は承諾したのだろうか。この姉妹達は拠
り所を求めているのだ。
物心がついた頃から不気味な子と言われ続けた姉妹は自分達の世界
に住まいながらも、常に不安定だった。
クリフトンは解雇され、姉妹の不安定さはますます激しくなった。
軍はそれを補うようにクリフトンを研究員兼世話係として再び雇い
入れたのだ。
姉妹はクリフトンを博士ではなく先生と呼ぶ。姉妹はクリフトンに
なついたが、いざとなれば抑え切れない事はクリフトンが一番よく
分っていた。
しかし、そのような人間がどこにいるのか。彼女らを理解し、受け
入れ、ましてやコントロールできる人間など・・・
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Ⅱ−3︵英︶紅茶とクッキー
ローズはビルの5階にある一室の前で足を止めた。
私も彼女達も見つめる事が会話だ。言葉での会話では分かり合えな
い。どうすればイイ?
︵コンコン︶
﹁ローズ・マレット少尉﹂
クリフトンは少しだけ顔を動かして答えた。
﹁・・・入ってくれたまえ﹂
﹃きゃ∼∼、来た来た∼﹄
ローズは入室すると、傍らのクリフトンには目もくれず姉妹に向か
う。
﹁空軍少尉、ローズ・マレットですわ。これから貴官たちの上官と
して任務に当たらせてもらう事になりましたの。早速ですけど面談
をします。よろしいかしら?﹂
﹁少尉、この二人については、まずは私から・・・﹂クリフトンは
言いかけて声を失う。
ローズの目を見てしまったのだ。
﹁結構ですわ。本人が目の前にいるんですもの。お話があるなら後
にしていただける?﹂
こ
﹁あ、先生をばかにした∼、それって良くな∼い﹂
﹁何だかカチカチの人ね∼、大丈夫なの?こんな娘が隊長で﹂
こ
ローズが一歩出る。ミラとメイは半歩だけ下がった。
﹁メイ、この娘は普通じゃない・・・﹂
﹁うん、分ってる、でも何なの?メッセージが多すぎる!
﹁・・・受けきれないわ!﹂
﹁メイ!教えて!どうすればイイの!?﹂
﹁分らない、分らないわ!何も感じられない!﹂
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二人はパニックに陥ってしまった。姉妹にとってインスピレーショ
ンを感じないのは、普通の人間が盲目になったのと同じだ。
ローズの驚きも激しかった。この二人はローズが何をしようとした
のか、その範囲まで知っている。
その驚きを隠しもせずもう一歩踏み込んでメイの頬を平手で打った。
メイの顔に驚きの表情が浮かぶ。
クリフトンは思わず立ち上がる。
﹁やっちまった・・・なんて事だ・・・﹂
ミラがローズの頬を打つ、ローズは瞬きもせずに受ける。そしてま
たメイを打った。
メイはもう涙をボロボロ流してしゃがみ込んでいる。
ミラがまたローズの頬を打った、ローズは床に両手をついているメ
イの頬を打つ。
ミラが打つ、メイが打たれる。
ついにミラが涙でくしゃくしゃになった顔でローズに殴りかかる。
ローズは抱きしめ、しゃがみ込んだ。すぐとなりにはメイがいる。
二人を抱きしめた。二人はただ泣き続けた。
クリフトンは驚きながらも自分がするべき事を行った。紅茶とクッ
キーを準備する事だ。
◇*◇*◇*◇*◇
二人の泣き声がしゃくり声に変わり、それも治まったころ、紅茶の
香りが漂い、ローズの胃が微かに音を立てた。
途端に弾けるように三人は笑い始め、クリフトンを含めて笑い続け
た。
﹁少尉のお腹がクッキーを欲しいって言ってるからお茶にしようか﹂
クリフトンの声に三人は席に着いて紅茶を口にする。
黙々と、ただにこやかに、クッキーと紅茶を口にする。
﹁隊長、面談は?﹂
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メイが学校の先生に聞くようにたずねる。
﹁あぁ、もう必要ないわ﹂
﹁えー、なんでぇ?﹂
ミラがつまらなそうに声を上げる。
ローズは軽く目を閉じ、口元からカップを離して答える。
﹁二人が紅茶を好きか聞きたかっただけですもの﹂
こ
ミラとメイは顔を見合わせて、また笑い出した。純粋な笑い声だっ
た。
あの手に負えない時の笑い声とは違う、この娘ら本来の笑い声なの
だろう。
クリフトンはメイとミラが居場所を見つけたと感じた。光に包まれ
たような気持ちだった。
ふとテーブルを見てニヤリとする。
﹁紅茶とクッキーで、おちゃのこさいさいって事だな﹂
私もやっと居場所をみつけた
︶
クリフトンは笑い出したが、ミラとメイは苦笑いしただけだった。
そして、ローズも感じていた。︵
と。
路地を見下ろす出窓には先程の猫がうたた寝をしていた。
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Ⅱ−4︵英︶スカイドラグーン
ローズは出会った翌日、メイとミラの飛行技能をチェックする為、
指示をしつつ2人の後方から飛行していた。
一度だけ行われた空軍による飛行技能チェックでは可もなく不可も
なくという結果らしいが、とてもそのようなレベルではなかった。
まず離陸からして危なっかしい。戦闘機動の基本の前に飛行操縦の
基本が不足している。
戦闘機では僚機の技量は自分の生死にかかわる。イギリス初の本格
的な女性戦闘機部隊にこんな技量のパイロットを送り込むとは・・・
﹁私はジョーカーを引いたのかしら?でも、2枚もジョーカーを入
れるなんて、空軍もずいぶんなイカサマをなさるのね?﹂ローズに
しては珍しく悪態をつく。
しかし、上空でジョーカーの動きは変わった。流れるような機動は
空を自由に飛ぶハヤブサのようだ。
ローズは最初から何かおかしいと感じていた。直ちに着陸を命じ、
自らも着陸。
2人を呼び、離陸から上空に上がるまででの注意点を指摘し、上空
での機動を褒めた。ミラとメイはローズの微笑みが好きだった。あ
まり見る機会はないが、とても嬉しくなるのだ。
だから努力をする。まるで子供が母親に褒められたいと思うように。
ローズは離陸から上昇、旋回、降下、離陸と基本的な機動について
説明を加えながら手本を見せる。
着陸後、すぐに次の飛行訓練を命じる。
﹁メイ、あなたが私の代わりをするように。後方からミラの機動を
30
みて、よい点と悪い点を指摘してくださる?﹂
﹁えぇ∼、なんで、なんでぇ∼?メイが隊長の代わりなんておかし
いわよ、私の方が上手なのに﹂
﹁こーら、ミラ、隊長の言う事は聞かなきゃダメでしょ。私がじっ
くり指導してあげるわよ∼﹂
﹁そんなの、おかしいよ!﹂
ミラは拗ねそうだ。
﹁ミラ、その次はあなたに隊長をしてもらうの。私が機動について
指示を出します・・・それをどれだけ上手くできるかチェックが必
要じゃなくて?だから交代でやってもらうの﹂
﹃・・・﹄
2人とも今ひとつ納得していないようだ。
﹁2人とも、今の段階で優劣を競うなんてナンセンスですわ。2人
とも今はちょうど同じくらい。多分上達するのも同じくらいでしょ
う。でも差がでるとしたら・・・﹂
ローズは立てた人差し指を唇にあててウィンクをしながら言う。
﹁センスよりも努力かしらね﹂
努力する理由がもう一つ増えた。
メイとミラは歯を噛み締めながら笑顔を見せ合う。あなたには負け
ないわと。
ローズは僅か3回目でずいぶんとましになった離陸を見送りながら、
事務室へ急ぐ。
空軍上層部、ローズに戦闘隊隊長の打診をした大佐へ連絡した。数
分で電話は済んだが、表情は固く、思いがけず﹁まさか・・・﹂と
いう声が漏れる。
ローズはつづいてクリフトンの元に急いだ。
︵コンコン︶
﹁ローズですわ。よろしくて?﹂
31
﹁えっ、あぁ、どうぞ、入ってください﹂
訓練中だと思っていたローズの突然の来訪にクリフトンは慌てて答
えた。
新進気鋭の超心理学者も今では雑務が似合う用務員という雰囲気を
醸し出している。
﹁博士、あの2人の事で少々お聞きしたい事がありますの﹂
クリフトンは博士と呼ばれる事に違和感を感じながらも、姿勢を正
した。
﹁どうぞ、あの2人について一番知っているのは私です。何でも聞
いてください﹂
モノ
以外
﹁あの2人、メイとミラは実験に参加する前の操縦経験はあるのか
しら﹂
﹁それはありませんね。彼女達は生活するのに必要な
は何も与えられませんでした。残酷な事ですが・・・﹂
﹁では、博士の指示で飛行訓練をなさいました?﹂
﹁えっ、イヤ、それは空軍がしてると思います。私は飛行機につい
てはシロウトだし何もできませんからね﹂
﹁やはり、そうでしたの・・・﹂
﹁やはりって、どういう事ですか?﹂
﹁先程、軍に同じ質問をしました。軍は飛行試験はしたが、訓練は
行っていないそうですわ。どうやって操縦を憶えたのでしょう﹂
﹁・・・まさか・・・、そんなバカな・・・﹂
クリフトンは机に両手をついて立ち上がり、絞り出すような声を出
した。
﹁あまりに操縦技能にムラがあったのでもしやと思ったのですが・・
・今でも信じられませんの﹂
﹁しかし、軍の行った飛行試験では、問題なしという評価だったん
だ!﹂
クリフトンは怒っているように見える。
2人について、これほど重要な事を知らなかった自分に対して感情
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が昂っているようだ。
﹁これも彼女達の能力なのでしょうね。どうして飛行試験で操縦が
できたのかは・・・博士、あなたにお任せしますわ。私は彼女達の
操縦技能だけ判ればいいんですもの﹂
クリフトンは息が荒く、視線はしばらく机の上をさ迷っていたが、
顔をあげると目は研究者のそれになっていた。
﹁少尉、お知らせいただき感謝します。さっそく軍から情報を集め
て検証してみましょう﹂
笑顔を見せながらそう言うと、あとはローズの存在を忘れたように
書類をめくり始めた。
ローズは飛行場に戻り、空を見上げる。2人の飛行は最初とは比較
にならないほど洗練されている。
降り注ぐ午後の陽光は2機のスピットファイアの翼を輝かせていた。
それはまるで銀色の羽根の翼だ。
﹁ジョーカーを伏せて開いたらエースに変わっていた・・・まるで
スカイドラグーン
マジックね。私達は最強のチームになるわ。エンジェルなんかじゃ
なく、空の竜騎兵に﹂
33
Ⅲ−1︵日︶特務911部隊
航空隊本部の衛兵はバイクの音に気付いて目を向けた。
﹁特務か・・・﹂
一切が秘匿されている特務飛行隊。新兵器の実験部隊だとか、空技
廠の戦術研究部隊だとか、色々と噂されている。
航空隊参謀の直属部隊として、隊員は僅かに3名を数えるだけであ
る。
下士官1名と兵2名というのも異常だった。
バイクに乗っているのは、過去に何度か見た事がある隊員だ。
いつもと同じく、飛行帽とゴーグル、鼻から下を覆うマフラー。
まるで、これから搭乗するようないでたちだ。今日も相当な速度か
ら急停車して建物へ向かう。
動きは滑らかで、ドアを開けて入る動作など目を疑うほど早い。さ
すが特務と言うべきか。
コンコンコン
︶
だが、その動きはしなやかでどこか違和感を感じさせた。
︵
︶
﹁特務一等飛行兵、高杉﹂
ギッ、バタン
﹁入りたまえ﹂
︵
﹁早かったな、ここでは楽にしてくれ﹂
特務一等飛行兵はマフラーを引き抜くように外して息をついた。
﹁ぷふぅ﹂
肩まで届かない黒髪、前髪は持ち上げ、頭上で赤い飾りのついたゴ
ムでまとめている。
ぐっと襟を開くと胸を覆ったサラシが覗く。
目は大きくややきつい。挑むような視線がそう感じさせるのか。
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どうしてこの女の唇はこんなに紅いのだろうといつも思う。
視線が女のそれとぶつかり目を逸らす。
﹁10月だというのに暑いな。どうだ、調子は﹂
﹁緊急って聞いたんだがねぇ﹂
﹁まぁ、そう言うな﹂
﹁高杉銀子一飛、命令が出た。特務911部隊はドイツへ飛んでも
らう﹂
﹁なんだいそりゃ。くだらない事言ってないで、用件を言っておく
れよ﹂
﹁用件は伝えたとおりだ。吉田一飛曹、高千穂二飛にも伝わってい
る頃だ﹂
﹁私たちを別々にして伝える必要なんてあるのかい。ウチの隊長の
面子はどうなる?﹂
﹁吉田君には済まないが、今件は外務省も絡んでいる上に、極秘中
の極秘なんでな﹂
﹁で、ドイツで一体何を?・・・ま、いいか。あたしは特務だから
ね。了解だよ﹂
﹁それに伴って全員階級が二階級上がる﹂
﹁そうかい﹂
﹁階級に興味が無いようだが、ドイツに行って君らが指揮をとる事
態も考えられる。
吉田君も少尉なら12機を指揮下に置けるからな。技量では絶対に
負けないはずだ。ドイツで恥をかかせる訳にはいかん﹂
﹁わかった、わかったよ。感謝してるよ﹂
﹁搭乗機の件だが・・・零戦二一型が生産に入る。そのうち三機を
特務へ配備する予定だ﹂
﹁本当かい!?﹂
﹁本当だ。一一型でよかろうが、既に生産数も納入先も決まってい
てな・・・。零戦を受領したら、ロシア経由で東から入ってもらう。
部品その他はシベリア鉄道で輸送される予定だ﹂
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﹁ロシア経由・・・飛行経路は?どうするつもりだい﹂
﹁ロシア、いやソビエト連邦だったな。国際連盟を除名されて孤立
むげ
しているし、不可侵条約を結んだドイツからも口利きをしてもらっ
た。無碍にはできまい﹂
﹁経路は、リンシからイクルーツク、オムスク、モスコー・・・そ
してベルリンだ﹂
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Ⅲ−2︵日︶銀狐
ドイツ行きの指令を受けた日の夜、高杉銀子は街へ出た。ある男と
の約束があったのだ。
2ヶ月ほど前に知り合った若い男は、寡黙でぶっきらぼうな男だっ
た。
そんな男など相手にしないはずの銀子だったが、なぜかズルズルと
流されてしまった。
男は飛行隊の隊員だった。およそ男に執着がない銀子と、出撃とな
れば命の保証は無い飛行隊員。何か通じ合うものがあったのかもし
れない。
銀子は先週逢った時の事を思い出していた。
﹁悪いな、俺は戦闘機乗りだ。今は防空担当だが、いずれ南方へ引
っ張られるだろう﹂
﹁アタイもヤキが回ったかな。寝た男がこんな坊やだったとはさ﹂
悪いな
なんて言われるほどアタイはアンタに惚れ
﹁お前、なに言ってるんだ﹂
﹁アンタに、
ちゃいないし、ヤワでもないんだよ﹂
﹁ホント口が悪いな。何だか白けるぜ﹂
﹁やる事やっといて何が白けるだよ﹂
﹁ははっ、そりゃそうだ﹂
名前も聞かない。そんな関係だった。
名前なんて意味がないんだよ、約束できないんだから。
約束の時間に来なけりゃ帰るしかない。そんな約束だった。
銀子が、くすっと笑った瞬間に男は現れた。男はぎょっとした顔を
している。
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﹁何だってんだい、そんな顔して﹂
﹁いや、お前、随分と可愛く笑ってたぞ﹂
﹁はぁ?ケンカ売ってんのかい?﹂﹁まぁイイや、今日はこれで帰
るよ﹂
﹁おいおい、こっちはやっと出てきてるんだ、そりゃないぜ﹂
﹁待ってただけでもありがたいと思いなよ。アタイはもうここには
来れないよ﹂
わけ
﹁どうしたんだよ、随分と急じゃないか﹂
﹁理由を聞くのかい?﹂
﹁・・・そうか、わかった。待ちぼうけしなくて済んだよ﹂
﹁じゃ、行くよ﹂
﹁待てよ﹂
﹁何だってのさ、しょうがないだろ﹂
﹁いや、もう来れないって言うために待ってるなんて、お前らしく
ないなと思ってな﹂
銀子は一瞬驚いた顔をしたが、柔らかく笑って、背中を向けた。
﹁こりゃ、少しは本気だったのかな。このアタイがさ・・・﹂
◇*◇*◇*◇*◇
特務飛行隊に異動命令が出たという噂が航空隊に流れた数日後の事、
特務飛行隊との合同訓練が行われるとの伝達があった。
飛行隊長の大尉は大声を張り上げた。
﹁明日、特務隊と合同訓練を行う。内容は模擬戦闘訓練だ。まぁ、
こちらからは何度となく申し込んでいたんだが、あちらさんがなか
なか首を縦に振らなくてな﹂
﹁貴様らも特務飛行隊を見た事はあるだろう。ひょろっとした青び
ょうたんだ。空戦は頭じゃないって事を教えてやれ﹂
﹁特務特務と何かといえば特別待遇のやつらに負けるわけにはいか
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んからな。貴様ら、必ず勝利しろ、我が隊の威信を賭けてな﹂
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Ⅲ−3︵日︶合同訓練
﹁おい秋月、いよいよ特務と模擬空戦だな﹂
﹁特務なんて関係ねぇよ﹂
﹁お前このところ様子が変だぞ、何があった?﹂
とは聞かない同期の南波に、少々うっとうしさ
﹁何でもない。任せておけ、誰にも負けんよ﹂
何かあったのか
感じながら腕を振って見せた。
◇*◇*◇*◇*◇
合同訓練は、単独機動、編隊機動、射撃と行い、最後に模擬空戦を
行う。
機動は基本機動の他、接敵、回避、追撃を想定する。射撃について
は地上に置いた的を使う事とした。
まずは特務が単独機動。吉田、高杉、高千穂と続き、編隊機動へ移
る。
この時点で地上はただ事ではなくなっていた。
﹁これが特務か﹂
目を奪われた秋月が唸る南波は飛び去った先をまだ見ている
﹁全く無駄がないな。機動が滑らか、いや・・・そうだ繊細って感
じだ﹂
﹁大したもんだ、こりゃやばいかもな。よしっ、やる気が出てきた
ぜ!﹂
秋月が気合を見せれば南波も応じる。
﹁動きはイイが・・・旋回がやや緩いな、こっちはきつい旋回で根
性見せてやる﹂
そうこうしている間に特務隊は射撃に移る。
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﹁おっ、来た来・・・うぉっ、もう撃ち始めたぞ!﹂
1番機が左へ機をずらした途端に2番機が射撃を行い的を粉砕した。
﹁距離は!?﹂
﹁分らん、しかし優に600はあるだろう﹂
﹁信じられんな﹂
更に先行していた1番機が旋回しながら射撃、また切り替えして射
撃、的を的確に撃ち抜く。直後に3番機が上空からエルロン・ロー
ルを加えながら射撃を行う。
動かない的とはいえ、一連射一連射が信じられぬほど正確だ。
隊長は青くなっている。隊員たちも一種の喧騒状態だ。
そんな中、秋月は純粋に感嘆していた。
あの搭乗員と勝負したい。気持ちを全部持って行かれそうだ。
秋月の脳裏に、あの女が浮かぶ。赤い唇と大きな目、挑むように見
つめる女。
このところのイラつきは、自分が思ってる以上にイレ込んでたって
事か・・・。
勝手にイレ込んで、勝手イラついて、くだらん男だったな俺も・・・
。
しかし、特務隊の戦闘機動を見て、鬱々したものは消えていった。
︵俺は戦闘機乗りだ︶秋月は口元だけでクスリと笑い、自分自身に
声を掛けた。
﹁よし、行くか!﹂
気後れする隊員もいる中、秋月の気合充分な声に隊長も救われる思
いで送り出す。
﹁よし、貴様ら行って来い!日頃の訓練をそのままやれ!緊張する
なよ!緊張してるヤツは金玉蹴ってほぐしてやるぞ!﹂
隊員からは笑いが出て緊張もいささか解けたようだ。
秋月は自分の隊長が無能でない事を妙に嬉しく感じた。
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打ち合わせを行って、単独・編隊機動、ここでかなりきつい旋回を
行った。
つづいて射撃も300から開始、確実に的を粉砕した。
これを目にした関係者は、むしろ特務隊よりも実戦能力を評価し、
すばらしい戦果を確信したという。
一旦、休憩の後、最後の模擬空戦となる。
﹁しかし秋月、特務は少しも顔を見せんな。色々と聞きたい事もあ
るのだが・・・﹂
﹁まぁ、この後は模擬空戦だし、その後なら少しは時間も取れるん
じゃないか﹂
﹁そうだな。まずは一丁やってやるか﹂
各隊から選抜された搭乗員が指示を受けている。各隊対抗という事
もあろうが、今回ばかりは特務に意識が集中されるだろう。号令が
下り、模擬空戦が開始された。
42
Ⅲ−4︵日︶難題
◇*◇*◇*◇*◇
模擬空戦の結果といえば、我が隊の完敗であった。
秋月が2番機を追い詰めたが接近交差した後、秋月の動きはぎこち
ないものになってしまった。
衝突を恐れたのだと陰口を叩く者も居たが、日頃から秋月を知る者
はそうではない事を知っている。しかし、本当の理由を知る者もい
なかった。
結局、特務飛行隊員と言葉を交わすことは無かった。3機の零戦の
前で整列、敬礼、それだけだった。
しかし・・・奴らは一体何をするんだ。あんな規模じゃ何の作戦も
できやしない。
どこかの飛行隊にでも合流するか、少なくとも中隊規模にしなけれ
ば・・・
﹁南波、どうした、難しい顔して﹂
﹁あぁ、今日の合同訓練を考えててな・・・。なんだ貴様は、ニヤ
ニヤして﹂
﹁んんっ?ニヤニヤなんぞしておらん﹂
﹁いーや、何か良い事でもあったんだろう。えっ、皆が沈んでいる
中、お前だけだ、そんな顔してるのは﹂
﹁何でもない、何でもないんだ﹂
秋月は手をひらひらさせて否定した。
﹁そうか、何も無いならいいんだ﹂
南波は秋月の下手な嘘を追及するつもりはないようだ。
また壁に背中を預けて、特務隊の機動を頭に刻み込もうと模擬空戦
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を思い返す。
﹁明日からまた訓練訓練の日々だな﹂
◇*◇*◇*◇*◇
﹁明日から訓練の内容を少々見直しましょう﹂
特務隊長の吉田京子は合同訓練について総括、3名の会議は終了し
た。
吉田京子は銀子が唯一認める存在だ。
腰まで届く黒髪、両頬にかかる髪は巫女のように胸までで切りそろ
えている。
時として天然、笑うと目が線になってしまうおっとりとした彼女だ
が、空戦技能は卓越しており、特に乱戦では、銀子が﹁恐虎﹂と綽
名をつけるほどに無類の強さを誇る。
その京子は銀子を﹁銀狐﹂と称して射撃能力、特に遠距離射撃を高
く評価している。
銀子は何か考え事をしているように既に暗くなって何も見えない空
を窓越しに見ていた。
吉田は机の上で書類をまとめながら言う。
﹁今日は有意義な訓練が出来ました。・・・銀子さんどうしました、
模擬空戦の相手の事ですか﹂
﹁え、いやいや、何でもありません。何でもないですって﹂
﹁じぃー﹂特務隊3番機の高千穂凛は目を細めて探るように銀子を
見つめる。
﹁凛!変な顔して見るんじゃない!﹂
高千穂凛は陸軍からの推薦だ。
推薦
特務隊は当初、陸軍と海軍それぞれに設立するという意見も根強か
ったが、女性の戦闘機乗りに対する反発がそれ以上に強く、
44
という形で取り繕ったようだ。
先進的な国家
を演出す
高千穂は陸軍系の家に生まれ、その運動能力を買われて女性搭乗員
として飛行訓練を受けてはいたものの、
るプロパガンダに過ぎなかった。
高千穂自身も海軍管轄の飛行隊に対し、最初は随分と抵抗があった
ようだが、戦闘機に搭乗できる機会はこれしかないため入隊。
訓練では模擬空戦で京子の機動に全くついて行けず、銀子の射撃能
力に驚愕する。以来、銀子に師事し、1対1の空戦では吉田ですら
油断できない程の技量を身に付けた。
地上に降りれば京子の天然と銀子の奔放さの間で気を使う日々だ。
﹁しかし、あの秋月という搭乗員は見事な技量の持ち主でした。な
ぜ途中で崩れたのかは分りませんが、追われても相手に撃たせない
位置取り、僅かな隙をついてくる機動はなかなかできるものではあ
りません﹂
﹁今後、戦線は拡大し、出征した男たちも多くが戻れないでしょう﹂
﹁彼らのマフラーは純白ですが、私達のマフラーは薄い桜色です﹂
﹁彼らと私達の違いはそれだけです。解りましたか、それ以外は任
務の重さも命の重さも全て同じだということを忘れないで下さい﹂
﹁さて、私たちも来月ドイツへ向かいます。しっかりと訓練をして
日の丸に泥を塗らないようにしなければなりませんね﹂
◇*◇*◇*◇*◇
合同訓練の10日後、飛行隊司令から参謀へ指示があった。
﹁特務隊のドイツ派遣は延期だ。ソ連が今回の経路に難色を示して
いるそうだ﹂
﹁と、申しますと?﹂
﹁中国とモンゴルの上空通過を避けるよう強く要望しているらしい。
それに・・・軍用機を使用しない事を条件としてきた﹂
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﹁では、鉄道で隊員だけ送りますか?﹂
﹁そうもいかんのだ。ドイツの上層部で零戦に興味を持つ向きがあ
るようだ。ライセンス生産も考えているらしい﹂﹁むろん空軍は反
発しているだろうが、イギリス侵攻作戦が頓挫した最大の要因は空
軍にあるからな。形だけでも検討はせねばならんだろう﹂
﹁ライセンスと言っても、そんな準備をしている間に戦闘機は進歩
してしまいますよ﹂﹁それはともかく問題山積ですね。・・・で、
いかが致しますか﹂
﹁ともかく零戦をドイツまで運ぶ手筈を整えろ。数は4機だ﹂
﹁4機?搭乗員が足りませんが・・・﹂
﹁任せる。君の任務は特務911部隊と零戦4機をベルリンまで送
り届ける事だ﹂
◇*◇*◇*◇*◇
とても来月には間に合わない。準備に数ヶ月は要するだろう。
参謀の大久保は部下に指示を出しながら、しばらくは家に帰れんな・
・・と思った。
46
Ⅳ−1︵伊︶ひらめき
1940年イタリアがイギリス・フランスに宣戦を布告してから5
ヶ月が経過、イタリア北部では本格的な冬といえる11月。
ナタリア・パレッティは列車に揺られていた。ローマの北300k
mに位置するリミニを昨日の昼過ぎに出発して、アドリア海沿いに
400km南下したフォッジャに一泊。今日はバーリを経由してマ
ルティーナ・フランカへ。そこで軍の関係者が迎えに来てくれる手
筈だ。
今回の話は今一つ乗り気ではなかった。
ナタリアは軍関係の仕事をしている両親の影響もあって、早くから
グライダー、軽飛行機を操縦していた。
天性の才があったのだろう。その飛行技術は突出しており、特にア
クロバット飛行はベテランパイロットでも舌を巻く。美しい金髪を
なびかせて困難なアクロバットに果敢に挑む彼女は、まだ17歳の
学生だった。
父は海軍に所属する技師で母親は通信事務の仕事をしている。
父はラヴェンナでもジェノバでも仕事をした事があり、今はタラン
トの施設で働いている。
タラントの上官が父を気に入って母の仕事も探してくれたのだ。
誰もが好きになる父と母はナタリアの自慢でもあった。
乗り気でない理由は飛行隊への誘いの話だったからだ。
戦争は始まっているけれど自分で何かをするって気にはならない。
乗り気でないのに来た理由は今回の面接に行けばタラントで3日間
の休暇を過ごしても良いと言われたからだ。
﹁あ、さっきの人も乗ってるんだ・・・﹂ちらりと目が合うと、よ
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っという感じで片手を挙げるのが見えた。
赤い髪を黄色いバンダナでまとめたその女性は、お固い事は嫌いだ
と主張するように、ツーピースを着崩している。
﹁なんだ、同じ方向だったんだ・・・﹂ナタリアは少し納得した。
彼女はナタリアがフォッジアで行き先を確認している時、親切にも
ホームまで一緒に来てくれたのだ。
﹁お姉さんがいたらあんな感じかなぁ﹂と思いながら視線を向ける
と、ツーピースを着崩した赤毛の女性は消えていた。
﹁車輛を移ったのかな?﹂ナタリアは自分が残念がっていることに
戸惑いながらも、今日の面談の事を考えた。
﹁どうだろう。自分の将来を左右するかもしれない﹂
女性の飛行隊は珍しいが、女性飛行士が活躍している国もあるらし
い。
イタリアでもそういう飛行隊を作るのかしら、6月にフランスとイ
ギリスに宣戦布告して、7月にハイファ、10月にはバーレーンを
爆撃している。
陸・海軍は今ひとつだが、空軍は戦果を確実にあげていた。搭乗員
の不足は誰が考えても明らかだ。
飛行機に乗る仕事は興味があるけど、まだ学生だし・・・そこまで
考えたところでまぶたが重くなる。
それにしても昨日は疲れた。リミニからフォッジャまで飛行機なら
ほんの2時間なのに・・・。
ナタリアはすぐにうとうとし始めた。
エレナ・ジェルマーノはフォッジャからマルティーナ・フランカに
向かっていた。
今日は大事な用事があるのだ。それは将来、自分の命を左右するか
もしれない。
エレナは子供の頃からインスピレーションを大事にしてきた。ひら
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めきは自分自身の感性、神の知らせだ。
ひらめきに沿う事は自分を信じる事。経験や他人の意見、確率に理
屈や習慣など、ひらめきに沿う事を妨げるものには事欠かない。
だからインスピレーションに沿う事は一つの才能でもあると思って
いる。
何か
を告げていた。
大袈裟に言えばひらめきに殉じるとでもいえるだろう。そのひらめ
きが
49
Ⅳ−2︵伊︶面接
列車はバーリを経由して時刻表どおりにブリンディシに到着した。
ナタリアは目を覚まし、目をこすりながら懐から時計を出して動き
が止まる。
時計を見つめる目はこぼれんばかりに見開かれ、バタバタと降りて
いった。
エレナはその後から汽車を降りる。
ナタリアは荷物を持ったまま左右を見渡してた。バーリではでない
事は確かだ。
﹁どうしよう、どうしよう﹂
声にならない気持ちが溢れる。
突然後ろから声を掛けられた。
﹁ここはブリンディシだよ﹂
ツーピースを着た赤毛の女性だ。ナタリアは迷子が母親に出会った
ような心境だった。
この安心感に疑問をもつ間もなく、訴える。
﹁寝過ごしちゃったの!本当はバーリで乗り換えるはずだったのに・
・・﹂
﹁面接に間に合わない、早くもどらなくちゃ!﹂
エレナは確信を得た。
﹁乗り換えるにしても、とにかくホームから出なきゃ。この辺りは
詳しいから着いておいでよ﹂
何故かナタリアは全てこの人に委ねようと思った。他人に頼る事に
慣れていないので余計におどおどしてしまう。
﹁そこのカフェでちょっと考えようか。喉も渇いたし﹂
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ナタリアはそんなにのんびりしてられないと思ったが、何も言えな
かった。
﹁ちょっと待って、電話するから﹂
声を掛けられて、ナタリアは自分も電話をしなければと思ったが、
良く考えたら電話番号を聞いていない。
学校に電話して聞かなくちゃ。
でも、聞きづらいよね。さすがに。
もともと乗り気ではない面接だし・・・もうイイや。と半分やけに
なってきた。
赤毛の女性が電話機に話しかける。
﹁うん、そう。こちらは大丈夫。そちらは頼むよ。実はクラウディ
アは前に話をした事があるんだ。技術と人間性は保証するよ。あと
は本人の気持ち次第ってところだろうけど、私がどうしても頼みた
いって言ってると伝えてくれないか。うん、うん、駄目だったら私
が出向くから﹂
ツーピースの女性は何やら話している。何気なく聞いていた。
時計を見ると、マルティーナ・フランカでの待ち合わせ時間をとう
に過ぎていた。
もうすぐ11時、面接するはずだった時間だ。
ツーピースの上着の肩に引っ掛けた赤毛の女性が振り返る。
ナタリアは済まなそうに言う。
﹁ごめんなさい、行き先を教えてもらったり、今度は迷惑もかけち
ゃって﹂
﹁構わないよ、もう何も気にしなくていい。じたばたしてもしょう
がないからね。カフェに入ろう﹂
席に着くとエレナはナタリアに聞いた﹁今日の予定は?﹂
ナタリアはまだ名乗っていない事に気付いた。
﹁名乗るのが遅れました、私はナタリア・パレッティ。今日は11
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時から面接だったんです﹂
﹁そうか・・・﹂
﹁もうどうしようも無いけど・・・﹂
時計が11時を指し、通りから鐘の音が聞こえた。
﹁ナタリア、時間だ。面接をおこなう﹂
﹁??﹂
﹁本日の面接を担当する、特別飛行隊隊長のエレナ・ジェルマーノ
少尉だ。我が隊は優秀な搭乗員を求めている。よって、君を歓迎す
る﹂
もう、嫌も応もなくナタリアは飛行隊に入隊した。
ある意味、ナタリアはノックアウトされたのだ。
この短かすぎる面接の後、カプチーノが2つ運ばれてきた。
二人がブリンディシ特産のお菓子ペスキュエッテーレを食べ、カプ
チーノを飲み終える頃、話題はナタリアの両親がいるタラントへ遊
びにいく事にかわっていた。
52
Ⅳ−3︵伊︶予感
二人はブリンディシからタラントへ。
ブリンディシを発つ前にエレナが電話で本部へ連絡を入れると、ど
うやらクラウディアは入隊の運びとなったらしい。
ナタリアは気になっていたらしく、ほっとした様子だ。
﹁クラウディアさんてどんな方なんですか?﹂
﹁ん?会えば一目で分るよ。177cmの長身でナタリアと同じく
金髪、目は切れ長って感じかな﹂
﹁後は・・・胸が大きいな。かなりモテる。幸か不幸か本人には自
覚がないけどね﹂
﹁えぇ∼、完璧じゃないですか∼、うあ∼﹂
﹁ちょっと堅すぎるところもあるけど、会ってからのお楽しみって
事で﹂
本部には2日後の13日にナタリアと一緒に戻る事を伝えてある。
さて、まずはナタリアの両親と面談して入隊の了承を得ねばなるま
い。なにしろまだ学生だ。
◇*◇*◇*◇*◇
二人は午後5時過ぎにナタリアの両親がすむアパートメントに到着
した。
ピタゴラ通りに面した建物は小さいものの中庭を備えたローマ風の
間取りだった。
エレナはすぐにナタリアの両親が好きになった。
なるほど、これは自慢の両親だ。泣いている子供も、不機嫌な年寄
りも、この二人に会えばご機嫌になるだろう。
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空軍への入隊に懸念を示したが、ナタリアが説得にあたり了承して
もらった。
入隊すれば活動拠点はマルティーナ・フランカになる。タラントま
で30km程だ。
現在ナタリアが住んでいるリミニはタラントからいかにも遠い。直
線距離でも550kmはある。
一人娘を近いところに置きたいだろうし、元々はリミニから50k
mほどのラヴェンナ軍港で働いていたのだから、命令とはいえ娘を
置いてタラントに来たという後ろめたさもあったのだろう。
マルティーナ・フランカの基地への所属という点が大きかったよう
だ。
とにもかくにもこれでナタリアの入隊は決まった。
ナタリアの休暇は13日までだ。マルティーナ・フランカからは飛
行機でリミニを往復すればいいだろう。
そうと決まればナタリアと両親には楽しんでもらわなくては。
明後日の昼に迎えに来る事にして、その間、自分はタラント軍港な
ど施設を見て回ろう。
20時半を回った時計を指差し、ナタリアの両親が泊まっていけと
いう。甘えてしまおうかと思ったが、何かを感じた。帰った方が良
い。
最初はごく当たり前の感覚だと思った。家族の時間を邪魔したくな
かったからだ。
22時頃、楽しいのに落ち着かない。不思議な感覚だ。
グラスのワインに波紋が走る。
何かを感じる。ナタリアもそわそわしている。
ナタリアの両親はまだ楽しそうに昔話を披露していた。
22時45分こんな時間だからと引き止める両親にお礼を言って、
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アパートメントを後にした。
明らかにナタリアの様子がおかしい。少し送っていくという。
﹁こんな夜更けじゃ、かえって危ないよ、ナタリア﹂
﹁少しだけ・・・送る﹂なぜか怒ったような口調で言う。
建物を出て道路を少し歩くと軍港が見える。
突然ナタリアが心配そうに話す。
﹁何故か分らないけど、あのままエレナと別れたら、もう会えない
ような気がしたの﹂
﹁そんな心配・・・﹂エレナが振り返った、その時、空から白い光
が落ちてきた。
﹁照明弾!?敵襲か!?﹂軍港には照明弾に照らされた軍艦のシル
エットが浮かぶ。
ほとんど間をおかず爆発音が響く。合間に対空砲火の音も聞こえて
くる。
タラント空襲はイタリア海軍艦艇への攻撃を目的に9月から計画さ
れ、イギリスの新鋭空母イラストリアスから発進したソードフィッ
シュによって行われた。
第一波は12機。2機が照明弾、4機が爆弾、6機が魚雷を装備し
ている。
照明弾の投下を合図に爆撃、雷撃と続く。
﹁ちぃっ!悪い予感はこれだったか!﹂エレナが叫ぶ。
振り向くと、ナタリアは口に手を当てて涙を流している。
︶
どうした?戦いには慣れていないだろうが、これじゃ自己喪失
ナタリアはどうしようもないほど恐ろしい厄災、破滅を感じていた。
︵
状態じゃないか・・・
﹁私は施設に入る!ナタリアは家に戻れ!!﹂
丁度この時、上空では爆弾を抱えた1機のソードフィッシュが困難
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に直面していた。
爆弾が投下できないのだ。装置の故障に違いない。
機体を揺らして爆弾を外そうとする。爆弾を積んだままでは空母に
戻れない。
何としても外さねばならない。機体を揺らす事数度、まさに悪魔の
タイミングで爆弾は放たれた。
漆黒の闇を落下する爆弾は誰の目にも捉えられず放物線を描く。
ナタリアは両親がいるアパートに目を移し、叫んだ。
﹁パパ!ママ!いやぁー!!﹂
エレナがアパートに目を向けるのと建物の窓という窓から爆風が吹
き出すのと同時だった。
﹁な、なんて事だ・・・こんな事が・・・ナタリアも私もこれを感
じていたのか・・・﹂
ナタリアは涙が溢れる目で瞬きもせず燃えさかるアパートを見てい
た。後方からは魚雷の命中音がする。しかしそれがどこか遠く、現
実ではない音のようだった。
ナタリアはしゃがみ込んで少しも動けない。ただ瞬きもしない両目
から涙が流れている。エレナはナタリアを抱きしめる事しかできな
かった。
その1時間後、第二波が爆撃と雷撃を繰り返した。
照明弾とサーチライト、爆撃と対空砲火の音が響くタラント軍港。
時折大きな爆発音と共にあがる火の手がアパートを照らす。
ナタリアは一晩中瞬きもせず流れる涙も枯らして、エレナの胸に倒
れこんだ。
エレナは聞こえてはいないだろうナタリアに﹁済まない﹂と言い続
ける事しかできなかった。
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◇*◇*◇*◇*◇
このジャッジメント作戦と名付けられた空襲によって、イタリア海
軍は3隻の戦艦に大損害を受け、地中海の海上戦力は大きく連合国
側に傾いた。
一方のイギリス軍は対空砲火で雷撃機を2機失ったのみであったと
いう。
イギリス海軍の作戦は大成功であった。
しかし、この作戦によって、後のイギリス空軍に厄災をもたらして
しまうことになる。
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Ⅳ−4︵伊︶イタリア空軍
ナタリアがマルティーナ・フランカへ発つはずの13日、両親の葬
儀が行われた。
◇*◇*◇*◇*◇
ナタリアの両親は不思議なことに浴室でロザリオを握り締めて亡く
なっていた。
両親の身体は爆風にも火災にも損なわれる事なくナタリアに会うこ
とができたのだ。
昨日は告別の来訪がひっきりなしにあって、ナタリアも気丈に振舞
っていた。
エレナが軍当局とのやりとりの合間を縫って何かと手伝ってくれる。
ナタリアは本当に感謝していた。自分はこの隊長と歩んでいくのだ。
ナタリアの心が喪失感だけで満たされずに済んでいるのはエレナの
おかげだ。
イタリアの葬儀は、ミサが終わるとすぐに埋葬のために墓地へ向か
う。だから告別は前日までに行われる。
12日の夜、タラントの上官が訪れた。上官は先日の空襲の始末に
忙殺されているのだろう。非常に疲れて見えた。
上官はナタリアの両親に向かい暫くの間佇んでいた。
別れの挨拶が済んだ上官はナタリアに向かって声を掛けた。
﹁誰からも愛されるご両親だった。残念でならない﹂
58
立派な・・・
ではなく、
と言ってくれた事が嬉しかった。
軍関係者なのに、
両親
誰からも愛される
﹁私は、君のお母さんをタラントに呼んだ事を後悔している。君に
は申し訳ないと思う。許して欲しい﹂
﹁とんでもありません。父と母はお互いを本当に愛していたのです。
2人で食事をして、仕事をして、釣りをして、散策に出て、そんな
時間を頂いて感謝しています﹂
﹁そうか、そういってもらえると僅かばかりだが私の気持ちも軽く
なる﹂﹁見ていてくれ、仇はきっと取る﹂そういうと上官は背を向
けて歩き出した。
﹁海軍では無理だわ。パパとママの仇は私がとります﹂
ぞっとするような冷たい声だったが、上官は聞こえなかったのか、
そのまま車に乗り込んだ。
◇*◇*◇*◇*◇
13日、ターラントの空は晴れあがった。
10時から祈りが捧げられ、葬儀は12時から始まった。
ゴーン、ゴーン、ゴーン
鐘が3回づつ鳴る。この鐘は参列者が聖堂からバジリカへ向かう間
ずっと続くのだ。
ナタリアの両親は皆から愛されていたことを証明するように参列者
の列は長く、バジリカに入るまでに10分以上かかった。
バジリカではミサが行われる。ごくごく普通の葬儀ミサだ。
墓地で人々は花を棺桶にのせ、二つの棺桶は穴に下ろされた。
更に花が手向けられ、土が戻された。
ナタリアは取り返しが無い事をしているような感覚と、後戻りでき
ないような孤独感に満たされた。
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埋葬が終わった時、長身の女性が目に入る。その女性は他の参列者
と同じく、道路に向かって歩き始めていた。ナタリアは走り寄って
声を掛ける。
振り向いた女性の美しい切れ長の目は赤かった。
クラウディアは告別に間に合わなかった事を詫び、涙を滲ませた。
クラウディアはコルシカ島の出身だ。11日の入隊手続きの後、入
隊準備の為にふるさとへ戻っていた。
戻って最初に聞いたのがタラント空襲で、2番目に聞いたのがナタ
リアの不幸だ。
ただちに出発したが、時は戦時中、しかも向かう先は空襲の直後の
タラントだ。
苦労の末、やっとミサに間に合った。
目の赤さは泣いたせいだけではなかった。
それを見て取ったナタリアはクラウディアの誠実さと優しさに触れ
た。
軍の参列者との話を終えたエレナが驚いた顔で近づいてくる。
﹁クラウディア、ありがとう。大変だったろう?﹂
﹁いえ、仲間ですから。ナタリアの不幸にも幸福にも立ち会います﹂
﹁ああ、そうだな。・・・我々は強くなれる。最強のチームを作ろ
う﹂
涙が溢れそうな瞳で二人を見つめていたナタリアが、やっとの事で
礼を言い、頭を下げると涙がポタポタと落ちた。
クラウディア、ナタリア、我々はまだ3人だけの飛行隊だ。
イタリア空軍の装備はドイツ・イギリスどころか、ヴィシー政府に
も劣る。
今のところ、軍から準備された戦闘機はCR42。
1939年の初飛行にもかかわらず複葉にして固定脚。運動性能を
重視するあまり、時代に逆行したスタイルといえる。
60
10月に行われたイタリア空軍によるイギリス空爆では護衛として
随行したが、時代遅れといえる複葉機の編隊は別な意味でイギリス
を仰天させた。
奇しくもタラント軍港が空襲を受けた11月11日にもロンドン空
襲を行い、ハリケーンの迎撃を受けて3機が撃墜されている。
イギリスの首相チャーチルは﹁この複葉機がこんなところにいない
で、タラントを守っていたらもっと良い働きができたろうに﹂と皮
肉ったという。
タラントを襲った複葉固定脚の雷撃機、最高速度も220km/h
程度のソードフィッシュが相手なら、確かに活躍できたであろう。
イタリアの被害も軽減され、ナタリアの運命も変わったに違いない。
◇*◇*◇*◇*◇
イタリア空軍は装備だけでなく指導・指揮体制の組織も有しておら
ず、爆撃機に鉄兜と銃剣を装備して乗り込むという冗談ような事態
も起きた。
しかし、イタリア空軍部隊の展開を支援したドイツ軍の評価として
は、実戦訓練は不足しているものの、飛行機乗りとしては優秀。
ドイツの指揮下で一線級戦闘機に乗れば重要な戦力となるだろう。
しかし、面子だけは一流のムッソリーニの下では無理な話だ。
ある意味、イタリア特飛隊がそれを体現する事となるのだが、それ
はまだ先の話である。
61
Ⅴ−1︵独日︶悪戯
1941年11月
特務隊を実質管理している参謀の大久保少佐は任務に行き詰ってい
た。
潜水艦・鉄道を検討したが、非常に困難である事はすぐに判った。
やはり外務省から条件の緩和を要請するしかないか・・・
ソ連が示した条件のうち、中国とモンゴル上空を通過しないという
点は何とでもなる。
しかし軍用機を認めないという点が唯一にして最大の問題だ。
﹁やはり・・・アレしかないか・・・﹂
生産された零戦4機を兵装の研究と称して空技廠へ空輸。そこで大
久保少尉は付っきりの作業に入る。
空技廠には外務省と司令から協力を要請している。
遠い同盟国
を払
折りしも三国同盟が締結されて2ヶ月、外務省の対独、対ソの外交
にも影響するとして全面的な協力を得た。
表立っては、同盟成立慶祝として使節を送り、
拭すべく航空路線の検討および調査を目的とする。ただし、あくま
で表沙汰にしなければならない場合だ。
作戦は極秘を優先するという点に変わりは無い。
◇*◇*◇*◇*◇
1941年2月
大久保少佐は、松岡外相が決意をもって訪ソするとの情報に不安を
感じていた。
条約が不成立となった場合、沿海州沿岸の漁業権や、北樺太の天然
資源の利権を巡る問題だけが残り、ソ連が対応を硬化させてはやり
62
づらくなる。
ともかく準備を進めるしかない。
特務911部隊の3人は大久保少佐に同行し、零戦を受領すべく空
技廠の格納庫へ向かった。
ソビエトを通過するために多少の改修を行ったという。
到着すると、ここでも極秘を基本としているらしく、格納入り口に
陸戦帽を目深に被った1人の整備兵が起立しているだけだ。
格納庫に入って目に入ったのは固定脚の零戦だった。
﹁何だいこりゃ!?﹂銀子が素っ頓狂な声を上げた。京子と凛はた
だ唖然とするばかりだ。
零戦
だ。受領後は飛行訓練に
大久保は楽しくてしょうがないという表情で彼女達を見ながら声を
掛けた。
﹁君たちがドイツへ飛ぶのに使う
入ってもらう。早急に機体確認を頼む﹂
非常に楽しい。特に銀子はドイツ行きにもほとんど驚かなかった女
だ。
今日の驚く顔を楽しみにしていたのだ。
3人が振り返る。大久保は真顔に戻そうとしたが間に合わなかった。
大分にやけていたらしい。
3人の顔は驚きから怒りへ変わっていった。特に生真面目な凛は本
気で睨んでいる。
大久保はわざと説明を後回しにした自分の悪戯を少々後悔しながら、
機体確認を促した。
3人は近づいて機首の機銃部分の外装が整形されているのに気が付
いた。
カウリングにある溝も無い。当然機銃は搭載されておらず、翼内の
20ミリ機関砲も外されているのだろう、発射口が見当たらない。
着艦フックも外され、周囲も整形されている。
63
そしてひと際目を引くのが固定脚だ。
その固定脚の間に増槽が2本搭載されている。通常の取り付け位置
から支柱が二股に分かれており、それぞれ一つずつ増槽がついてい
る。どうやら落下式ではないようだ。
このような改造を加えたにはそれなりの理由があるのだろう。
大久保の満面の笑みには反発を感じるが致し方ない。
大久保は国際情勢、特に日独ソの関係と独ソ、米英の関係に触れた。
特務隊員は自分達が国際問題に大きく関与している事を改めて実感
した。
特に凛は非常に興奮しているようだ。大久保の話にしきりに頷いて
いる。
更にドイツで911部隊と同様に女性の特殊戦闘隊、イタリアで特
別飛行隊が設立されており、ドイツで合流後、行動を共にするとい
う説明も受けた。
つまりは戦闘部隊として運用する可能性が高いという事だ。
﹁固定脚にしてまで増槽を2つにする必要はあるのですか?﹂京子
が聞いた。
他の二人も顔を上げる。そうだ、零戦は通常の増槽でも巡航3,3
00kmの航続性能がある。わざわざ空気抵抗を増やして増槽をふ
やさなくても充分のはずだ。
大久保は説明した。
﹁零戦の最大のウリはその航続性能だ。敵の想定を超えたアウトレ
ンジからの侵攻が可能な点にある。この増槽はそれを隠すためのも
のだ﹂
固定脚と言っても本来の脚カバーを外してスパッツ型のカバーに付
け替えただけだ。
ちょうど九六艦戦のような主脚となった。脚を格納する空間は平面
に整形してある。
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こう見ると意外と洗練された機体にも見える。
その後、機体を受領する際、銀子が何気なく聞いた。
﹁残りの1機は予備機かい?﹂
これは大久保の本日2つ目の楽しみだった。
大久保は整備兵に声を掛けた。整備兵は近づいてきて敬礼をする。
﹁紹介しよう、君らのドイツ行きに同行する秋月准尉だ﹂
大久保は気付かれないように高杉銀子に目を向けた。・・・何の変
化もない。
大久保は期待外れにとまどいながら秋月に目を向ける。
秋月も銀子の驚く顔を期待していたようで、拍子抜けした顔で銀子
を見つめていた。
下を向いた銀子の肩が微かに震えている。どうやら笑っているらし
い。
﹁バカだね、男は。格納庫に入る時から気付いてるっての。女は寝
た男の匂いは忘れないんだよ﹂
それを聞いて、むしろ京子と凛がぎょっとした顔を銀子に向ける。
凛は両手を口に当てて秋月と銀子の顔に視線を往復させている。
秋月は軽く笑って自己紹介をおこなったのち
﹁参謀、やはり俺じゃ敵いそうもありません﹂
そう云って大久保と一緒に笑い出した。
65
Ⅴ−2︵独日︶ドイツ行
1941年3月27日
ベルリンのドイツ総統府にて。
リッベントロップ外相は松岡の顔を窺うようにしてこれまでの説明
を要約した。
﹁お分かり頂けるだろうか。独ソ不可侵条約が締結されているとは
いえ、日本に独ソ衝突の可能性が無いと判断されては困るのです。
先程、我々の同盟へのソ連参加や日ソ中立条約について言及された
が、全くもって問題外。モスクワでその問題に触れるべきではない﹂
午後からはヒトラー総統も会談に加わった。
﹁独ソ戦は起きないだろう。しかし私はリッペントロップよりも楽
観的ではない。対ソ防衛のため、東部ラインに150師団を展開し
ている﹂と述べて、言葉とは裏腹に独ソ戦を暗に仄めかした。
1941年4月13日
クレムリンで日ソ中立条約の調印式が行われ世界中を驚かせた。
アメリカは北を固めた日本が南進政策を取ると判断し、太平洋艦隊
の一部を大西洋へ移動する計画を撤回。
これによって西大西洋におけるUボートへの攻勢作戦は中止となっ
た。
スターリンは非常に満足していた。
松岡は直前にドイツ・イタリアを歴訪し、両国首脳及び外相との会
談をもったのだから、ヒトラーがこの条約を承認しているだろうと
考えたのである。
そしてこの後、ソ連は対独宥和姿勢へと転換した。
大粛清によって数・質ともに低下した赤軍にとって、懸念材料の減
少は喜ばしいことである。
66
しかし、これが対独への油断となり後に苦汁をを舐めることになる。
大久保らの動きは早かった。
ドイツへの航路開拓を名目にソビエトの通過許可を得た。当座の部
品などはシベリア鉄道で送る。これは先に手配を済ませた。できる
限り目立たぬよう事務的に行わなければならない。
また、使用機体については、適当な機体が見つからない為、軍用機
の武装を外して長距離仕様に改造した機体を使う事として了承を得
た。
手配が全て済んだ後、特務911部隊と秋月に集合をかける。
﹁航路を説明する。ハバロフスク、中国領を迂回してイルクーツク、
オムスク、モスクワ。モスクワ出てブレスト上空でドイツ機が待機
しているので、ドイツ機の先導を受けてベルリンに入る﹂
﹁また、イルクーツクとモスコーでそれぞれ1日の休養を入れる。
ちょうど1週間の行程となる﹂
﹁特にハバロフスクでの対応に気をつけろ。ここで何もなければそ
の後が楽になる﹂
﹁各航空基地への土産や責任者へのリベートも準備した。これは部
品の運搬に同行する職員が行うのであまり気にしなくていい。あく
まで飛行機を飛ばす事が仕事の人間になってくれ﹂
﹁今回は女性3名で目立つと思うが、ソ連は民間とはいえ女性パイ
ロットが多いと聞く。問題なかろう。その代わり、あくまで秋月が
首席として振舞え﹂
◇*◇*◇*◇*◇
ドイツ行は予想外に世の関心を呼ばなかった。
ハバロフスクからはソ連のSB−2が先導してくれる。
67
ツポレフSB−2bisは出現当時、ソビエトの誇る高速爆撃機と
してスペイン内戦やノモンハン、対フィンランドの冬戦争で活躍し
た機体だ。
先導機はもちろん爆装はしていないが、機銃はこの機体として最大
の6丁を装備しているらしい。
護衛もかねているという事か。
もっとも既に旧式化しつつある爆撃機が護衛では零戦も泣けてくる
だろうが・・・
その後も順調な飛行を続けた。事前に職員が巧く立ち回ったようだ。
途中、オムスクからの経路がサマーラ、ハリコフと変わった。
モスクワでの休養に充てていた1日を移動日とする事でベルリン着
の日程に変更は無いが、急に首都を避けた形となった。
理由は空港にトラブルありとの事だが・・・一抹の不安を感じつつ、
最後の経由地ハリコフを出発する。
旧ポーランドの都市ブレストに近づくと、フォッケウルフFw20
0が優雅な姿をみせた。
Fw200は1938年にベルリン∼ニューヨーク間を無着陸飛行
の名称でヒトラー総統専用機として使用されて
した優秀な旅客機だ。
インメルマンⅢ
いる。
のちに軍用タイプも生産され、日本も輸入を望んだが実現しなかっ
た。
4人はその優雅な姿に見とれつつも、ここまで先導を続けてくれた
SB−2に翼を振って謝意を示す。
Fw200とSB−2は互いに旋回をしながら近づいたところで翼
を振って分かれた。
68
ここからはベルリンまで独逸の空だ。
69
Ⅴ−3︵独日︶タイプ
ゼロ
いよいよ日本隊が到着する。
それを待ってイタリア隊も合流する手筈だ。
﹁いよいよか・・・13,000kmの距離を越えて・・・﹂
アンナは気持ちが高揚するのを感じた。
日本隊とイタリア隊が合流すれば9機、二個小隊を組める。
ドイツはスペイン内乱で活躍したヴェルナー・メルダースが考案し
たロッテ戦術を採用していた。
ロッテ戦術とは最小編隊構成を2機編隊のロッテ、ロッテ2組の4
機編成をシュヴァルムと呼び一個小隊とするものだ。
この時代、世界の主流は3機編隊だった。
ドイツではケッテと呼ばれる3機編隊は、隊長の後方に僚機が2機
ついて援護するスタイルだが、戦闘機の高速化に伴い、相互支援と
編隊維持の困難さが目立つようになってきていた。
この時期を境に戦闘機の編隊構成はロッテ戦術が世界中の空軍で採
用される事になる。
しかし、アンナはロッテをあえて採用せず、ケッテとも違う3機の
戦闘編隊を考えていた。
日本もイタリアもケッテからロッテへは移行していないはずだ。
当面は各国3機ごとの構成となるだろう。
﹁さて、その後は・・・﹂
アンナは自分の頭脳がめまぐるしく回転しているのを感じていた。
◇*◇*◇*◇*◇
70
その回転をセーブするように、アンナは過去に想いを馳せる。
ドイツ特戦隊が5機のホーク75を撃墜した戦闘以来、予定されて
いたものも含め、マスコットガールとしての任務は中止された。
この報告を受けたアンナは、特戦隊の今後について、あえて説明を
求めなかった。
上層部は悩み始めていたのだ。
アンナ達の能力は以前から一部では高く評価されていたが、先の実
戦で証明された形となった。
それにしても、スピードを重視したBf109でホーク75相手に
格闘戦を制するとは・・・単なる技量だけの問題なのだろうか。
アンナの高い指揮能力は様々なテストや任務で実証済みだ。状況を
的確に判断して確実な戦い方をする。
だからこそ、なぜ相手に分がある格闘戦を挑んだのか。どうしても
分らない。
結果を見る限り判断は正しかったのだろう。しかし・・・
違和感を感じながらも、戦術を含むフランスパイロットの質が低か
ったと判断するしかない。
釈然としないままレポートは提出された。
その後、特殊戦闘隊が所属するドイツ第3航空艦隊はパリに司令部
を置いてイギリス機と戦闘を続けていたが、特殊戦闘隊は後方に置
かれ、主な任務は哨戒と戦闘機空輸だった。
上層部がどのように評価しようと、女性パイロットの戦闘隊が受け
入れられる訳はなかった。
そのような状況下、アンナは戦闘編隊構成についても様々な工夫を
加え、特訓を繰り返す事で実力とチームワークを向上させていった。
そして、バトルオブブリテンでは、その力を遺憾なく発揮するが、
71
ドイツがバトルオブブリテンに敗退、イギリス侵攻作戦が頓挫する
と、第2航空艦隊は地中海へ転出。
第3航空艦隊の担当地区はフランス全土となった。イギリスへの大
規模作戦が行われなくなると、ふたたび特戦隊は後方へ置かれてし
まった。
アンナたち特戦隊は籍を第3航空艦隊に置きながらも、その特殊性
から正規戦力として考えられてはいなかった。
空輸が主な任務だったが、誰もが嫌がる他航空艦隊への空輸も行い、
時にはフランスのみならず地中海方面まで飛んだ。これによって、
後に北アフリカ戦線に参加する事となる。
◇*◇*◇*◇*◇
日本隊はベルリンの西郊にあるガトウ飛行場に14:00に到着の
予定だ。
アンナは上空で出迎えたいと申し出、許可が下りた。
なのだろう。
14:00を15分ほど過ぎた頃、東の空に黒い点が見え、次第に
はっきりと見えてきた。
ゼロ
その後方より白っぽい航空機が見える。
あの4機が日本の最新鋭機、タイプ
アンナたちは一気に加速していった。アンナを上、エマとラルが下、
正面から見ると三角形の編隊を組んでぐんぐん近づく。
Fw200は降下を始めた。
日本の4機はシュヴァルムの隊形を崩さず進んでくる。
相対速度であっという間に接近し、衝突直前のタイミングでアンナ
が上方へ、エマとラルが左右へ旋回して避けた。
アンナは日本機上空からスプリットSで今度は日本隊の下方から進
行方向へ、エマとラルは日本機の後方から左右の位置を変えて横に
72
つける。
ちょっと驚かせた挨拶だったが、日本機は微動だにしない。エマと
ラルはそれぞれ、手を振っている。日本隊は敬礼で返す。
﹁新鋭機って話でしたよね?﹂ラルが聞くと、エマがすかさず答え
る。
﹁んー、増槽を二つもつけているわ。これで航続距離をのばしたの
ゼロ
は元々、引込脚
かしら。主脚も固定脚としては少々角度がおかしい感じです﹂
﹁二人ともそれくらいにしておけ、タイプ
の戦闘機だ。ロシアの地を13,000kmも飛んできたのだ。1
週間かけて。何か理由があるのだろう﹂
﹁それにあの内1機はドイツ空軍が望んで取り寄せたのだ﹂
﹁主脚の間に燃料タンクがあるだろう。通常はアレを一つ装備して
3,000km以上の飛行が可能らしい﹂
﹃3,000km!?﹄
﹁あくまで情報だ。格戦闘能力も高いらしい。中国での戦闘では相
手がI−16ではあるが、負け知らずだそうだ﹂
﹁我々の歓迎はこれくらいにして、地上で出迎えよう。我らが先導
するぞ﹂
﹃はいっ!!﹄
73
Ⅴ−4︵独日︶天使の装甲
4機の改修零戦は、ほぼ等間隔でほぼ同時に着陸した。
素晴らしい短距離着陸だ。
機体性能もさることながら、パイロットの技量の高さも窺える。
ドイツが望んだ日本の新鋭機が到着したのだ。
本来であれば、盛大な歓迎式典が行われるべきだろう。
ただ、日本は大袈裟な儀式は一切不要と伝えてきた。
では、遠い同盟国から研究機がやってきた事を祝おうではないか。
ねぎら
擬装を施して1週間をかけて、それなりの苦労があっただろう。
その苦労を労おう。
音楽隊も無く、基地内の会議室、参加者も20名に満たない。
ささやかな、それはまさに飛行機の納品のような歓迎式典であった。
しかし、内容は破格だった。
ゲーリング元帥から出迎えられなかった事への謝辞と歓迎の言葉が、
なんとウーデット上級大将から代読され、直々に勲章が与えられた
のだ。
このささやかで破格の歓迎式典の後、4機の零戦はドイツ側に引き
渡された。
この後、アラド社の工場で秋月が立会いの下、本来の零戦に戻す予
定だ。
改修の為の部品は既にドイツに到着している。
改修に携わった零戦修復チームは日本から持参された書類どおりに
復元する事だけを命じられていた。
74
◇*◇*◇*◇*◇
アキヅキは良いヤツだ。
アキヅキは彼女達を守って13,000kmを飛び、ゲーリング元
帥から勲章を与えられたパイロットだ。
それなのに、ここに来てから油まみれだ。汗をかいて、汗を拭って、
油まみれだ。
少しでも良い状態でアキヅキを乗せてやりたいんだよ。
いや、アキヅキが乗らなくてもいいんだ、アキヅキが守ってきた3
人の天使が乗ってくれれば。
秋月が工場の事務室のソファーで眠りについた頃、アラド社の零戦
修復チームの一人が他のメンバーに言った。
増槽を外し、脚カバーを外す。
機首の機銃はMG17 7.92mm機銃、翼内銃はMGFF 2
0mmを搭載。重量が若干増えたが、20kg程度だ。
まずはドイツが希望していた分の1機が完成。
即、テストの為に輸送されていった。
続けて残る3機にも同様の修復をする予定であったが、翼の強度不
足に強い懸念を感じた修復チームは秋月に提案した。
﹁翼を補強して、13ミリ機銃を積もう﹂
秋月は困惑したように訊ねる。
﹁なぜ20ミリを積まない?﹂
﹁MGFFは機関砲として性能も低いし、何より安定性に欠ける。
新鋭のMG151/20は性能的には期待できるが、随分と重くな
る﹂
75
﹁訳が解らんぞ、九九式20ミリから13ミリのMG131にする
なら10kg以上軽くなるじゃないか。なぜ補強が必要なんだ?﹂
秋月は苛立っている。
﹁アキヅキ、積む機銃の話じゃないんだ。タイプゼロは急降下、い
や、高速降下ができない。それは致命的な事だ。だから翼を補強を
する﹂
﹁・・・﹂
秋月は指摘を認めて沈黙した。
秋月を気に入っているラウターは丁寧に説明を続けた。
﹁最低限の防弾装甲もつけねばならんし、MG151/20を積ん
で翼も補強するとなれば130kgは増えてしまうだろう﹂
﹁・・・﹂
今度は拒否の沈黙だった。
130kgだと?冗談じゃない。速度、機動、加速、上昇力、全て
が大幅に低下してしまう。
ラウターは秋月をなだめる様に続けた。
﹁・・・で、MG131 13mmなのさ。発射速度も初速も優れ
ているし、携行弾数的にもだいぶ戦える﹂
﹁20ミリを13ミリにすれば、翼にボックス補強ができる。外翼
内の燃料タンクも外そう。落下タンクを使えば良いだろう?﹂
﹁アキヅキ、私の提案を聞いてくれ。タイプゼロを殺さず出来る最
低限必要な補強だ﹂
﹁20ミリの代わりにMG131、座席背面には防弾鋼板を取り付
ける・・・と。この時点で差し引き30kg重くなる。翼には最低
限の補強を行うとして20kg、結局は50kg程重くなってしま
76
うが、制限速度は700kmはいけるだろう。﹂
秋月はラウターの説明を聞いている間に完全に落ち着きを取り戻し
ていた。
﹁考えれば簡単な話だ﹂
﹁分かってくれたか、アキヅキ﹂
﹁いや、俺の任務は、改装零戦と特務隊をドイツへ運び、零戦を修
復する事だった。提案はありがたいが、防弾鋼板も補強も要らない﹂
﹁・・・アキヅキ、本当にそれで良いのか?﹂
﹁ああ、構わない﹂
﹁しかし・・・﹂
﹁わかってる。でも、これが零戦なのさ。この先は彼女達が決める
だろう﹂
77
Ⅴ−5︵独日︶零戦ヨーロッパ型
秋月の出した結論に対して、修復チームは執拗だった。
﹁これから相手にするイギリスの機体は7.7ミリ機銃を8丁搭載
している。被弾を想定せねばならん。機体は少々の被弾に耐えても
人間は耐えられない。君が守ってきた彼女達を守る為だ。防弾鋼板
は絶対に必要なんだ。分かってくれ﹂
﹁アキヅキ頼む、ラウターの言う事を聞いてやってくれ。数日だが、
我々は一緒に汗と油にまみれてきた。1機は予定通り出来る限りオ
リジナルへの修復をしたが、残りの3機は変えなければならない。
何もタイプゼロにケチをつける訳じゃない。ヨーロッパの空に合わ
せてくれといってるんだ﹂
﹁なぁ、天使に装甲を施してやってくれ。被弾で花を散らせる訳に
はいかん﹂
◇*◇*◇*◇*◇
最後はチーム全員から懇願され、秋月は了承した。
この男達にとってこの提案は全く余計な仕事だ。それを懇願してま
で為そうとしている。
これは強い意志とプライドの仕事だ。量産機でもプロトタイプでも
ない。同じ機体はもう作れない。
今回のメンバーによる特別仕様、言うなれば零戦のスペシャルバー
ジョンだ。
翼端は折り畳み位置から切除して整形。若干の速度とロールの向上
を図った。
無線もドイツ製のものを乗せる。これで連携は格段に向上するだろ
78
う。
修復が終わった時、格納庫にはチームの一体感が満ちていた。
﹁零戦は無事修復された。これで俺の任務も完了だ。改めて礼を言
わせてくれ﹂
﹁零戦にドイツの魂が刻まれたと感じている。深く感謝している﹂
秋月は深ぶかと頭をさげ、少し照れた口調で次のように付け加えた。
﹁このチームで任務が行えた事に感謝している。本当にありがとう﹂
結果として、修復には6日を費やした。
その間、日本特務隊はドイツ航空機の取扱いや戦術などの講義と、
Bf109での訓練に明け暮れた。まだ試作機のFw190にも乗
った。
そういった中で彼女達にも変化がおきていた。戦闘には参加しなく
とも肌でヨーロッパの空を感じていた。これまでの戦場とは明らか
に違う。
ベルリンからパリまで約1000km、パリとロンドンにいたって
は500km、それぞれの首都が攻撃の圏内と言える。まるで足を
止めて殴りあうボクサーのようだ。
駆け引きなど存在しない鋭く隙の無い空気。
◇*◇*◇*◇*◇
ドイツ特戦隊は日本隊の到着当日に急遽の指令があり、ドーバー海
峡の哨戒任務に着いた。
哨戒といっても戦闘哨戒、しかも特定の敵機の補足と撃墜であった。
対象は、昨年のバトルオブブリテンで出現した見慣れない迷彩のス
ピットファイア3機。
隊長機と思われる機体はキャノピー横に薔薇、残る2機は稲妻が描
79
かれていた。
イギリス空軍はバトルオブブリテンにおいてレーダーによる防衛体
勢を構築、ドイツ機の侵入に対し、待ち伏せ作戦を取っていたが、
初期レーダーの性能は低く、待ち伏せが失敗する事も多かった。
そういった中で見慣れない迷彩を施した3機編隊のスピットファイ
アが出現。
常に待ち伏せを成功させ、次々とドイツ機を撃墜していった。
その戦闘隊形は独特で、通常の3機編隊と逆に2機を前方に置き、
隊長機が後ろに控えるといったものだった。
特に3個小隊12機を相手に、8機を撃墜した戦闘では、やっと逃
げ帰った4機からその異常な戦闘が報告された。
80
Ⅵ−1︵独英︶薔薇と稲妻
シュヴァルム
3個小隊12機中、8機が撃墜された戦闘の内容は逃げ帰った搭乗
員の報告により明らかになった。
第2航空艦隊戦闘第2集団に所属する12機、6人の編隊長、特に
小隊長の3人は優れた戦闘センスを持っていた。しかし、その隊長
機は全てが撃墜されている。
12機のメッサーシュミットMe109E4/Bはサウサンプトン
の空港を襲撃する為、ドーバー海峡上を飛行していた。
E4/BはEタイプに爆弾架を増設した戦闘爆撃機である。
先発した戦隊がロンドンとノーリッチに反復して襲撃を加えている。
こちらに気付いても迎撃は遅れる。
まずはSC250kg爆弾で空港施設を爆撃、続いて銃撃し、イギ
リス迎撃機が現れた場合は駆逐する予定だ。
レーダーを避けるための低空飛行から徐々に高度を取り始め、10
00mで一旦水平飛行に移ったその直後、太陽を背にした敵機の急
襲を受けた。
攻撃に気付いたのは後方のシュバルムの隊長機を含む3機が撃墜さ
れてからだった。
残る9機は直ちに爆弾を投棄、戦闘へ移った。
1機だけ残った後方のシュバルムのサブが敵機が3機である事と告
げ、前方・中央のシュバルムはロッテ単位で左右へ展開。
普通に考えれば、ドイツ機は9機が残っている。一方のイギリス機
は3機だ。
81
初撃で3機も落としているのだから、多勢に無勢で逃走を図るのが
常套というものだ。
9機のドイツ機もそう考えた。
イギリス機を逃がすまいと、追う立場で行動を組み立てる。
イギリス機の動きは高度は下方、方角はイギリス本土方面という動
きになるだろう。
しかし、9機のBf109Eが左右に旋回を始めた時、3機のスピ
ットファイアは下方へ突き抜けず高度を上げ始めていた。
ドイツ機はまたもや後方からの奇襲を受けて3機が落とされる。
この時点でパニックに陥らなかった小隊長は、これからエースにな
る素質を充分に備えたパイロットだっただろう。
彼はパニックに陥らない代わりに怒りに燃えていた。しかし敵機は
逃走したのか見当たらない。至急戦闘隊形を指示し、作戦中止を決
断した。
大変な被害だ。隊長機が4機、合計6機が僅か3機のスピットファ
イアに撃墜されてしまうとは・・・。
全く見えなかった。全く捉えられなかった。
何なのだ、あの敵機は!基地へ引き返しながら怒りと悔しさは増幅
していった。
ふと感じた・・・﹁前方に何かいる!﹂
唇を噛み締めた顔が一瞬緩み、険しくなる。前方に小さな黒点を見
る。
ドイツ機によるこの時間この空域での攻撃計画は無い。
・・・つまり、あれは敵機だ。なんと不敵な。
逃走するどころか引き返すドイツ機の頭を抑えるような機動。全て
見透かされている。
・・・しかし今度は視界に捉えた。奇襲でなければまだ6対3だ。
82
2人の隊長が残ったロッテが並んで前方に、後方中央からサブ2機
のロッテが続き、Vの字の隊形で敵機へ向かう。
相対速度でぐんぐん近づくが、敵機は低速であるようだ。
そのまま正面攻撃に移った。判断は正しい。正面攻撃はその攻撃力
で決まる。機数に優る側が断然有利だ。
・・・しかし敵は1機しか見あたらない。2機の隊長機はいぶかり、
速度をやや抑えつつも、敵機に直進する。
突然、2人の隊長は不思議な感覚に捉われた。
﹁撃たれる・・・いや敵機がくる!!﹂
それは、敵機がもう目前に迫っていて突入して来るというイメージ
だった。
実際は1000m以上の距離を残していたが、思わず左右に反転、
その途端に上空から稲妻マークのスピットファイアによって撃墜さ
れた。
残る4機はほうほうの体で逃げ帰った。
◇*◇*◇*◇*◇
その薔薇と稲妻のスピットファイア3機が、再びドーバー海峡に現
れたのだという。
アンナはラルにチラリと視線を向ける。
まずはパリ近郊の基地まで戻る事にした。任務からの帰還は1週間
後。
イタリア特飛隊もそれに合わせて合流する。
︵ 何だ、この心のざわめきは・・・ ︶アンナはBf109でパ
リを目指しながら、何かを感じていた。
83
Ⅵ−2︵独英︶哨戒
フランス北西部にある航空基地ブレスト。今はドイツ空軍の前線基
地として使用されている。
エマは搭乗する機体を﹁この子﹂と呼ぶ。﹁今日はこの子が頑張っ
スティック
てくれた﹂とか﹁ちょっと機嫌が悪い﹂とかだ。
コクピットに座って目を閉じる。操縦桿を握る。シートの密着を意
識しながら、少女の口づけのような表情でゆっくりと息を吐く。
エンジン音と振動が体を包む。エンジンとシンクロするよう意識す
る。
自分の鼻先がスピンナーの先端に両手が翼にあるようにイメージし
て機体との一体化を意識する。
そのうち振動を感じなくなる。エンジン音も聞きなれたBGMのよ
うになる。
タイプ
今日から新しい機体になったのだ。シンクロにも時間がかかる。前
タイプ
の子はE7型で、随分と頑張ってくれた。
新しい子の型はF2、速度重視のBf109シリーズにあって運動
性能も兼ね備えた戦闘機だ。
空気抵抗を考慮した設計機体によって、エンジンはE7と同じDB
601N︵1200HP︶にもかかわらず、運動性能だけでなく速
度も向上している。
予定されていたエンジンDB601E︵1300HP︶は諸問題に
よりF3以降に搭載される事となる。
﹁新しいエンジンの開発が遅れているからなぁ。扱いは慣れている
けど・・・ちょっと勿体ないわよねぇ﹂
武装はプロペラ軸に15ミリ機銃、機首に7.92ミリ機銃×2。
84
F1ではプロペラ軸に本来のMG151/20ミリが間に合わずM
GFF/M20ミリを搭載していたが、安定性に欠け、弾数も60
発しかないため、F2ではMG15/15ミリを搭載している。E
型の20ミリ×2、7.92ミリ×2からみると攻撃力としては大
幅に低下しているが、武装の中心軸への集中によってロール性能は
高まっている。
﹁モーターカノンの15ミリは評価が分かれるところだけど・・・
私は15ミリがいいわ。やっぱり250発ってのは魅力よね、気持
ちに余裕ができるもの﹂
そうこう考えている間にキャノピーの枠が限りなく細く感じて来た。
機体との一体化を感じる。これでアンナ隊長についていけそうだ。
才能
と言える。
既に試乗飛行はしているものの、ほんの僅かでもよりベストな状態
に努める。それは特別な才能を持たぬエマの
エンジンを停止して機体から降り、僅かばかりだろうが燃料の補充
を依頼する。
アンナとラルが待つ格納庫へ急ぐと発進予定の30分前だった。
ラルはいつもと同じく少々緊張しているようだ。
アンナ隊長はエマにしか判らない微笑で振り向いた。
エマが新しい機体に乗るたびにアンナはこの微かな微笑みで迎える。
アンナがエマに絶大な信頼を寄せる理由は、操縦技能や管理能力に
対してではなく、その誠実で真摯な人間性だ。命のやりとりの中で
自分の背後を任せるというのはそういう事だ。
アンナはいつも思う。﹁私が死ぬ時に、エマは生きてはいないだろ
う﹂
◇*◇*◇*◇*◇
空の戦いは大きな転換期を迎えた。空の騎士たる技能と精神力によ
85
る個人戦から連携を要するチーム戦へ、そして敵の発見と誘導とい
う組織戦へ。
それを示すように、バトル・オブ・ブリテンでイギリスが勝利した
理由の一つとしてレーダーがあげられる。
イギリスのレーダー警戒管制システムは2種類のレーダーの組み合
わせで成り立っている。
高空域探索のチェイン・ホーム︵CH︶と低空域探索のチェイン・
ホーム・ロウ︵CHL︶だ。
レーダーは高度が高いほど遠距離の探索が可能である。
CHレーダーは高度が9200mならば224kmまでの範囲を探
知できた。
つまり高空域ではフランス北部の沿岸地域は探知圏内となる。
ただし、高度が1500mでは64kmまで探知範囲が狭まり、そ
れより低い空域は低空域用のCHLが探索を行うが、探知範囲はほ
ぼ同程度であった。
つまり1500mまでの高度であれば、レーダー施設から約60k
mまでの距離は探知されないという事だ。
ドイツ空軍はそこまでの厳密さではないにせよ、バトル・オブ・ブ
リテンを通じてある程度のレーダー探知範囲を把握していた。
その空域をアンナ率いるドイツ特別戦闘隊で哨戒を行う。
第3航空艦隊の分担地区であるフランス北部、ドーバー海峡西端の
基地ブレストを飛び立ち、北北西へ約50km、イギリス本土から
約130kmで進路を東南東へとりシェルブールへ。
ちょうどレーダーに探知されない外側を高度約3,000mで飛行
する予定だ。
時を同じくして第10飛行群に属するローズ達のイギリス隊はロー
ボローから南へドーバー海峡上で東へ向かいウォームウェルへの哨
86
戒任務につく。
奇しくも両隊は同様の任務によって、ほぼ正面から遭遇する航路を
とっていた。
87
Ⅵ−3︵独英︶接触
ドーバー海峡ローボロー基地の南西50km
﹁ローズ隊長∼、今日も哨戒なの∼?﹂
﹃つまんないなぁ∼﹄
ミラとメイは巡航するローズを中心にバレルロールでグルグルと回
る。
敵機の前でもこれをやる時がある。まるで舐めた機動だが、敵機の
機動どころか敵パイロットの力量まで感じるミラとメイなら、逆に
敵機を欺く行為になり得るのだ。
﹁二人ともやめないか。燃料の消費が大きい﹂
◇*◇*◇*◇*◇
突然、ラルから通信が入る。
﹁アンナ隊長、2時の方角に何か感じます!﹂
︵・・・そうか、私も微かに感じていたが・・・︶
さらにラルが続ける﹁どんどん近づいてきます、どうしましょう﹂
﹁エマ、聞こえたな。お前は3番機で遊撃を行え、ラルはサブだ﹂
﹁ここからは私が1番機となる。2人とも着いて来い、絶対に離れ
るな。解ったな!﹂
﹃はいッ﹄
◇*◇*◇*◇*◇
ミラとメイはバレルロールを止めて、スッと隊長機の左右に位置を
取る。
﹁航空機?どの方面ですの?﹂
88
﹁エンジェル10、ベクトル120で∼す﹂
メイはレーダー基地との交信で使う隠語を使って答える。
エンジェルとは高度、千フィートが1エンジェルだ。
ベクトルは方角、真北より時計回りで360刻みを示している。
つまり高度1万フィート︵3,048m︶、方角は東南東、真南に
だ。
ボギー
と呼ぶ。敵機と確認し
向いている今なら10時の方向という事になる。
バンディット
また、航空機の隠語は未確認機を
たら
﹁どんどん近づいてくる。これは多分バンディットだわ﹂
﹁ん∼、何だか強く感じるわ。結構デキるみたい﹂
いかずち
﹁相手が優秀なパイロットならば・・・また二人の撃墜数が増える
いかずち
わね。ミラとメイは﹃スカイ・ドラグーン﹄の雷ですもの﹂
スカイ・ドラグーン
﹁スカイ・エンジェルと呼ばれてはいますけど、私達は雷の槍を持
った空の竜騎兵なの、最強のね﹂
ミラとメイはニコニコしながら通信機から響く隊長の声を聞いてい
た。
ドイツ隊とイギリス隊はほぼ同時に進路を変更する。この時、両隊
の距離は僅かに13km。
太陽を背に奇襲をかけるための進路変更だが、それぞれに相手の動
きを察知した両隊に衝撃が走る。
﹁あれぇ、ローズ隊長∼、敵機も進路を変えましたよぉ?﹂
﹁・・・方角は?﹂
﹁私達と同じです﹂
﹁そう・・・ミラ、メイ、2人とも戦闘隊形を維持。進行方向はこ
のままでね﹂
﹃はーい﹄
89
◇*◇*◇*◇*◇
﹁アンナ隊長、未確認機は敵のようです。しかも進路を南東へ向け
ました!﹂
﹁ああ、これだけ近ければ私もはっきり感じる。どうやら我々の標
的に出会ったようだ。だとすれば、こちらの動きも察知されている
はずだ﹂﹁しかし、相手は我々が察知している事は知るまい﹂
アンナの頭脳が回転を高める︵それを衝けるか・・・?︶
◇*◇*◇*◇*◇
ドゥネール
ドイツ第2・第3航空艦隊の一部では薔薇と稲妻のスピットファイ
アをDonner︵雷︶と呼んでいたが、あまりの被害に今ではケ
ラウノス︵ゼウスが投げる雷︶と呼ばれている。
常に奇襲を成功させ、優秀なパイロットが真っ先に撃墜される。撃
墜数以上に被害は大きい。
上層部に提出されたレポートでは、航空機にレーダーを装備した部
隊ではないかと指摘していた。
しかし、単座の戦闘機に搭載するレーダーの情報はない。
その重量と操作の煩雑さによって単座での使用は困難と考えられる
のだ。
上層部では後方に控える薔薇の機体がレーダー搭載の指令機で稲妻
の2機が戦闘用ではないかと考えているようだ。
その考えは非常に現実的といえる。
しかし、ドイツ軍は知らない。
薔薇を描いたスピットファイアの機動は重いレーダーを搭載した機
体のものではない。
むしろ卓越している事を。
90
無い
とみている。
アンナは単座戦闘機へのレーダー搭載はあり得るが、今回の敵にお
いてレーダー搭載は
遭遇したパイロットから得た情報からラルの能力がその答えだと考
えていた。
ラルは神がかり的な先読み機動の他に敵機を感じる能力も持ってい
る。
存在するに違いない。イギリスにも。しかも察知能力はラルより高
いと判断せざるを得ない。
アンナは上層部と同様に薔薇の機体が察知して稲妻の2機へ指示行
っていると考えていた。
先読み
察知
以外の新
しかし、事実はアンナの卓越した思考さえも超えていた。察知は稲
妻の両機、そして薔薇のパイロットは
たな能力を持つのだった。
こちらが気付いている事をイギリス隊は知らない。それを使って有
効な戦術は組めないか・・・両隊が進路を太陽に向けて、1分後、
アンナは決断をする。
陸・海に比較して空は時間が濃縮された戦いだ。相手を欺く間に一
撃を喰らうこともある。
それが最後の一撃かもしれないのだ。
﹁アンナ隊長、どうしますか﹂
珍しくラルがアンナに指示を促している。いや、決断を感じ取った
ケラウノス
のかもしれない。
﹁これからイギリス隊へ突入する﹂ここでアンナは少し間を置く。
﹁私の後方150、高度はプラス300。上空の稲妻の2機に気を
付けろ、私は薔薇の指揮官機を墜す﹂
﹃わかりましたッ﹄
両機とも機動に遅滞はない。アンナの口元が高揚感でかすかに微笑
91
む。
◇*◇*◇*◇*◇
ドイツがイギリスのスカイドラグーン隊をケラウノスと呼んで警戒
しているのと同様に、イギリス側もドイツ特戦隊を認識していた。
先のバトル・オブ・ブリテンにおいて、ドイツ特戦隊は機首の銃口
から後方へ炎を象ったペイントを施していたが、アンナ機を﹁鉄の
薔薇﹂、ラル機を﹁チェイサー﹂と呼んで警戒していた。
と呼んで喜んだという。
それらはドイツ情報部から伝えられていたが、エマに対するコード
イギリス諜報の穴
ネームはなかった。
アンナはそれを
ミラより通信。
スリーエス
﹁ローズ隊長!バンディットが進路をこちらへ変更!攻撃態勢です
!﹂
メイが追加する。
﹁敵隊長機のランクSSS!﹂
︵ドイツ戦闘機が3機編隊?・・・鉄の薔薇!?︶ローズは瞬時に
戦術を構築する。
﹁2人とも慌てないで、いつもと同じように行きます。ただ、2人
で隊長機を狙って確実に墜としてね﹂
ローズは口調を厳しくして付け加えた。
﹁あわよくばという考えは捨ててちょうだい。よろしくて?﹂
﹃ハイッ!﹄
珍しく2人とも緊張した声で返事をする。認識しているのだ今回は
強敵だと。
ローズは指示を確実に行う事だけに集中する2人に感謝の念を送る。
ミラとメイは喜びと緊張に包まれた。
92
Ⅵ−4︵独英︶激突
◇*◇*◇*◇*◇
隊長機とサブの前後の位置取り以外は高度も全く同じの両隊がぶつ
かる。
アンナは強いプレッシャーを正面から受けた。エマとラルへ通信。
﹁薔薇のスピットファイアに対しては感性を捨てろ、無視していい
!お前達は私を狙う稲妻の2機をインターセプトしろ!﹂
﹃了解!﹄
アンナの上空ではミラとメイがとまどっていた。なぜこの隊長機は
回避しない?
です!﹂
旋回降下して間に合うギリギリのタイミングまで待って攻撃に移る。
鉄の薔薇
旋回しつつローズへ通信。
﹁隊長!敵機は
チェイサー
ね。しかし・・・総合力
ローズは微動だにせず冷静さを保っていた。
﹁という事はサブの片方が
ではこちらが上ですわ﹂
アンナに向かうミラとメイ。
射撃に入るタイミングの寸前、ラルとエマが威嚇射撃を加えつつ割
って入る。
ミラとメイはドイツ隊サブ2機との戦闘に持ち込まれ、ローズとア
ンナの一騎討ちとなる。
プレッシャー
ドーバーの薔薇
か・・・意識を飛ばすのか?えぇい
アンナは恐ろしい重圧と対峙していた。
﹁こいつが
!読みづらい!﹂
93
プレッシャー
ローズはアンナとは別な意味で重圧を受けていた。
﹁全く動じないとは・・・少しは褒めてあげてもよろしくてよ﹂
この時、ローズ機は時速350km、逆にアンナ機はイギリス隊サ
ブ機を避ける為、時速600kmまで加速していた。
アンナとローズは正面から撃ち合う。
﹁ヨーロッパの空に薔薇は1つで充分だ、堕ちろ!﹂
﹁私はローズ、ニセモノはドーバーに堕ちて錆に染まりなさい!﹂
全く同時に射撃を開始、両機共に被弾、キャノピーの一部が吹き飛
ぶ。それでも両機は直進を続ける。
衝突寸前、それぞれが機体を左に傾け回避、機体下面をすり合わせ
るようにすれ違った。
ローズは破片でも当ったのか、こめかみから一筋の血を流していた。
それを意にも介さず格闘戦に持ち込もうと旋回に入る。機体を回せ
ばスピットファイアに分がある。
﹁この敵は・・・次の機会などと言ってられないようね。何として
も堕とさなければ!﹂
アンナは速度が乗っている分、旋回がきつい。速度を高度に置き換
えるべく機首を上げ、エマ達の先頭空域へ急ぐ。
察知の能力を持つのは稲妻2機だった。サブ同士の闘いが不利と考
えたのだ。
4機はそれぞれのペアがカバーしつつ闘っていた。
単機であればエマは不利だろうが、ラルのサブに徹する事で何とか
凌いでいる。
アンナは稲妻の2機へ射撃を加えて編隊を崩す。
遅れてローズ機も戦闘空域に到着、両隊長はそれぞれ退避を指示し
た。
94
アンナは乱戦を避けて、ローズはドイツ隊のサブが予想外に手強い
と判断して。
◇*◇*◇*◇*◇
﹁もうもう、も∼う!﹂
ミラが悔しがる。メイは押し黙ったままだ。
﹁2人とも﹂
ミラとメイはハッとしてローズ機に目を向け、初めて損傷に気付く。
よほど戦闘にのめり込んでいたようだ。
﹁ごめんなさいね。私が隊長機を仕留めていれば・・・メイとミラ
は優勢に闘っていたのに。あなた達は最高の闘いをしましたわ﹂
2人ともボロボロと涙を流し、ごめんなさいと繰り返すばかりだっ
た。
◇*◇*◇*◇*◇
﹁恐ろしい相手がいたものだな﹂
エマとラルは黙ったままうなずく。
ここは特戦隊室。テーブルのコーヒーには誰も手をつけない。
﹁察知能力があるのは稲妻の2機だ。ラルと同じ能力だろう。そし
て薔薇の隊長機は意識を飛ばして混乱させる﹂
これでこれまでの戦闘経過の説明がつく。どうして優秀なパイロッ
・・・敵機の機動や位置の察知は完璧な発
トが撃墜されるのかも。
﹁何かあるか?﹂
冴え
エマがすぐに応じる。
﹁隊長とラルの
動ではないと聞いていますが、敵機はどうなのでしょう﹂
﹁これまでの報告と今回の戦闘を考える限りでは、完璧に近いと考
95
えた方が良いだろう﹂﹁しかし、空戦技能はあまり高くない。彼女
らにエマほどの技量があったら、お前たちは今ここにいないだろう﹂
続けてエマが発言する。
﹁あの稲妻の2機のコンビネーションは異常です。通信会話に略語
などの工夫を加えたとしても連携が良すぎます。もしや新たな能力
が・・・﹂
﹁うむ、そうか・・・憶測で判断する訳にもいかんが、考慮すべき
だな﹂
﹁ラルは何かあるか?﹂
﹁あの・・・先読みの能力は乱戦では・・・﹂
﹁使えないか?﹂
﹁はい、頭でイメージが処理しきれません﹂
アンナの代わりにエマが答える。
﹁それはイメージに頼りすぎよ。能力の有無に係わらず、空戦では
空間認識と情報の組み合わせが重要なの。でも通常は見えていない
情報には対処できないでしょう。そこで先読みや察知の能力が力を
発揮するのよ﹂
エマは能力者であるように説明し、アンナはうなずきながら見守っ
ていた。
しかし、稲妻の2機はなんだ?その空戦技能は決して高いとは言え
ない。
これまでの被害を考えれば、むしろ低すぎる。
単なる未熟なのか、能力の為に限定されているのか、もし、あの2
機の技量が向上したら・・・恐ろしい事になるだろう。
早く手を打たねばなるまい。その為にも戦力の増強を急がねば・・・
。
イギリス隊と遭遇した2日後、任務期間が終了。アンナ達はドイツ
96
本国へ召還された。
日本隊、イタリア隊との正式な合流の為だ。
合流後は特戦隊と同様に第3航空艦隊のLG︵教導航空団・試験部
隊︶への配属となり、フランスでの任務に当たる事となる。本格的
にイギリスの薔薇と稲妻を相手にする事になるだろう。
◇*◇*◇*◇*◇
この時、フィーゼラー社でパルスジェットを用いた、有翼無人の飛
行爆弾が考案され、試作が行われていた。
これによりアンナは対イギリス隊の策を得る事となる。
97
Ⅶ−1︵米︶アフリカ戦線
リベーター・ロージー
と呼んだ。
第二次世界大戦当時、アメリカでは男性の代わりに工場で働いた女
性のことを
しかし女性の空への進出には偏見が満ち、体制不備は甚だしかった。
イギリスでは早くから婦人部隊が補助航空部隊として活躍しており、
アメリカでも陸軍によって検討されてはいたが、アメリカ世論は参
戦自体に否定的であったし、男性パイロットからの反感も強く、計
画は白紙の状態だった。
しかし、1941年12月の太平洋戦争勃発によりパイロット不足
の問題が浮上した為、WAFS︵女性空輸部隊:のちのWASP︶
が実行に移される事となる。
彼女達は1944年10月20日に計画が中止されるまで、戦闘機、
爆撃機に係わらず軍用機を飛ばし続け、空輸のみならず模擬戦の標
的やテストフライトなどの任務もこなした。
WASPは非戦闘部隊であり、最後まで正規の軍組織に組み込まれ
る事なく、賃金も旅費も支給されないまま解隊される事となる。
アメリカ空軍が名誉除隊の命令を出して、彼女ら女性パイロットの
存在が公式に認知されたのはそれから30年以上の年月を必要とし
た。
航空機大国アメリカでさえ、女性パイロットに対する考えはこの程
度だったのである。
◇*◇*◇*◇*◇
1940年9月13日イタリア軍はリビアからエジプトへの進軍を
開始した。
兵力ではイギリス軍を圧倒しており、シディ・バラニまで進撃する
98
が、北アフリカ軍総司令官グラツィアーニ元帥は装備・補給の不安
を理由に侵攻を停止する。
威信にかかわる
として拒否していた。
その反面、イタリア政府はドイツから戦車を中心とする援軍の打診
を
更にムッソリーニは何を考えたか10月28日にはギリシャへの侵
攻も開始、北アフリカへ送るはずの戦車1000輌もギリシャへ投
入してしまう。
その結果、十分な機械化と補給を受けたイギリス軍が優位に戦いを
進め、1940年12月のコンパス作戦をもって本格的な反攻を開
始。
イギリス軍の圧倒的な機甲戦力の前にまともな機甲戦力や機械化部
隊を持たないシディ・バラニのイタリア軍は包囲され壊滅、後方の
バルディアも翌年1月4日には陥落。
イタリア軍はトブルク要塞で頑強に抵抗するも1月22日にトブル
ク陥落、2月5日にはベンガジが陥落。イタリア軍はトリポリへ追
い込まれてしまう。
しかしドイツ軍がバルカン半島へ侵攻を開始、イギリス軍はギリシ
砂漠の
ャへ援軍を送るため進撃を中止せざるをえなかった。その間隙を縫
と恐れられたエルヴィン・ロンメルである。
ってドイツが北アフリカへ派遣したのが、後に連合軍から
狐
ロンメルは2月12に北アフリカに到着するや、劣勢な兵力・装備
にもかかわらず3月に進撃を開始、4月にはベンガジを奪回し、イ
ギリスのオコンナー将軍を捕虜にする戦果を挙げる。
トブルクを包囲されたイギリスはドイツアフリカ軍団に対し、5月
ブレビティ作戦、6月バトルアクス作戦を発動するも、ロンメルの
前にことごとく失敗に終わる。
北アフリカ戦線で空の戦いは、イギリスはグラディエーター、イタ
99
リアはCR42が使用され、ほぼ互角の戦いを続けていた。
北アフリカという独特な戦場において戦局を大きく動かすのは空で
はなく陸上の戦いであった。
イギリスのコンパス作戦以降、イタリア空軍も陸軍に巻き込まれる
ように撤退を続ける事になる。
戦線が海岸の波のように動いた事で思わぬ運命を辿る少女達があっ
た。
◇*◇*◇*◇*◇
﹁少しきつく回るけど、ついてこれる!?﹂
ドロシーの眼下には、いかにもイタリア爆撃機と思わせる3発のエ
ンジンを装備したSM79パルビエロの編隊が見える。最高速度は
430km/h、防御武装は7.7ミリ×1、12.7ミリ×3。
スペイン内乱から活躍している撃たれ強い爆撃機だ。
﹁チャンスは1回のみ、確実に一つ堕とすわよ!﹂
﹁了解!﹂パトロシアとキャサリンは短く答える。
3人の乗機はグラディエーター。
まがりなりにも戦闘機ではあるが複葉固定脚の旧式機で武装も7.
7ミリ×4と爆撃機相手には貧弱なうえ、最高速度は400km/
h程度で、逃げられたら追いつけない。
﹁私の後を遅れないで!頭を抑えて下に抜けるわよ!﹂
ドロシーは指示への返答も待たずに先頭の爆撃機に肉薄する。複葉
固定脚は急降下でも速度が出ない。
操縦席へ3機がそれぞれ連射を浴びせた。イタリア爆撃隊は何事も
なかったかのように飛び去る。と、先頭の隊長機が左へ傾き、機体
の腹を見せながら降下していった。
100
Ⅶ−2︵米︶アフリカの星
堕ちていく爆撃機と混乱しながらも飛行を続ける敵爆撃隊を見送り
ながら、ドロシーはパトリシアに不満をこぼした。
﹁後はハリケーンに任せるしかないわね。パット∼、私たちの機体
は何とかならないかしらねぇ﹂
﹁スピットファイアとはいわないけどハリケーンには乗りたいわ。
せめてP35かP36︵フランス軍のホーク75︶でもあればバリ
バリ戦えるのに・・・﹂
パトロシアはため息まじりに応じながら、ドロシーのセンスの高さ
を改めて感じていた。
さっきの攻撃タイミングは少し遅れたら隊長機の後ろに避けるしか
なく、爆撃機編隊の集中砲火を浴びていただろうし、早ければ有効
な射撃は出来なかっただろう。
キャサリンも口を挟む。
﹁本国から補充されるとしたら多分P40ですよね。合衆国はどう
するのかしら・・・か弱き乙女がこんな旧式機で戦ってるっていう
のに﹂
◇*◇*◇*◇*◇
30分後、3機は哨戒を行いつつ基地に戻る。
ドロシーは着陸前に基地上空で宙返りを行った。
最初にやった時は烈火のごとく怒った上官も今では諦めたのか何も
言わなくなった。
101
ドロシーの家族は、アメリカから戦術や作戦の立案に協力するべく
派遣された軍属だ。
父親が実業家であるキャサリン、軍人の娘パトロシアとは飛行機の
操縦を共に習った仲であり、3人とも操縦技能は高いが、特にドロ
シーのセンスは突出している。
ドロシー・ヴィンセントは、軍事戦術の研究をしている父親の影響
もあって、古今東西の戦いや兵法書戦術書に詳しく、近年の発展が
めざましい空軍に強い関心を持っていた。
空で勝たなければ戦争は勝てな
ドロシーは確信したが、イタリア空軍の敗北は陸軍の敗北の巻
ドイツの電撃戦を目の当りにして
い
き添えだった。
ここに至ってドロシーの知識とセンスは融合し、戦術家としての才
能を開花させる。
金髪を無造作に刈ったショートにトレードマークのゴーグル。
ゴーグルは地上でも常に身に付けている。
首からぶら下げていたり、頭に持ち上げていたりしているが、どう
勘が良い
で済ませているが、タイミングをはかる
やら父親の持ち物らしい。
また、本人は
に鋭い。
敵機に向かっていつダイブすべきか、射撃や回避まで、経験を積ん
だベテランのような動きをする。
それに加えて戦術家としての明晰な頭脳が彼女の空戦能力を天才の
域まで引きあげる。
しかし、どのような才能を持とうと20歳の少女だった。
性格的に子供っぽいところがあり、つまらないスリルを求めたりす
る。基地上空での宙返りもそうだ。
それを上手くフォローしているのが2番機のパトリシア・ブラウン
102
だ。
パットと呼ばれる彼女は軍人の娘で22歳。
ウェーブがかかったブルネットのボブカット、175cmの水泳で
鍛えられた身体は空戦でも耐久力を発揮する。
父親の影響で軍人のような考え方をするが、ドロシーを隊長として
立てながらも妹のように思っている。
3番機はキャサリン・マクガイヤ。父親が大農場を経営しており幼
い頃から飛行機に慣れ親しんでいた。
長い金髪をかきあげるのがクセで勝気な性格だ。飛行機の操縦では
誰にも負けないと思っていたが、ドロシーと出会ってその技能に驚
く。
しばらくはライバル視して反発していたが、今は何とかテクニック
を習得しようと努力しており、仲間からはケイトと呼ばれている。
1941年6月、アメリカでウォーホークと呼ばれるカーチスP4
0がイギリス送られキティホークと名付けられた。
ドロシー達は母国の戦闘機到着に喜んだが、P40はイギリスに送
られた時点でBf109との戦闘は困難と判断された戦闘機であっ
た。
ただ、堅牢な作りで信頼性も高かった。性能的にはハリケーンにも
劣らないし、何しろ航続距離がハリケーンの2倍ある。
チャンスを見極めて攻撃を行うドロシーにはありがたい。
しかし戦況は、イタリア空軍がマッキMC200やフィアットG5
0を戦線に投入、そして1941年4月には、ドイツ空軍がBf1
09を有する第27戦闘航空団︵JG27︶を派遣していた。
アフリカの
ことハンス・ヨハヒム・マルセイユ大尉︵最終階級︶が所属し
JG27といえば黄色の14をマーキングした機体、
星
ている部隊だ。
103
彼は卓越した操縦技倆と、優れた射撃能力を有する空戦の天才であ
り、特に旋回中の見越し射撃は発射した銃弾に敵機が向かっていく
と表現されるほど正確だった。
ルフトバッフェ最年少の大尉であり、Bf109E7Trop︵後
戦闘機パイロットで最高の名人
と言わしめた
にF4Trop︶を駆って驚異的なペースで撃墜数を伸ばし、あの
ガーラントをして
人物である。
104
Ⅶ−3︵米︶黄色の14番
ドロシーは敵の機体や戦術、パイロットの特性について出来うる限
り情報を集めていた。
特に重要視したのは交戦したパイロットの報告だった。それらは個
黄色の1
人的な感覚に大きく影響され、どの程度参考になるかは意見が分か
れるだろうが、ドロシーは熱心に聞いて回った。
に興味をそそられる。
黄色の14番
ドイツ空軍の戦闘機や戦術は非常に優秀であった。特に
4番
Bf109といえば高速重視の戦闘機のはずだが、
は旋回戦を挑んでくるという。
その戦闘を見た者は一様に﹁他のBf109より旋回能力が高い﹂
﹁なぜ当るのか解らない﹂と言った。
旋回能力が高い?
同じ機体のはずだ。恐らく何か機動があるのだろう。
なぜ当たるのか解らない?
直接目にした者でも解らない?
もしかすると黄色の14番のパイロット自身も理解していないのか
も・・・それは、説明できない、つまり特別なセンスという事だ。
ドロシーは気分が高揚するのは感じた。
自分と同じだ・・・黄色の14番は何かを感じているのかもしれな
い。
黄色の14番を直接見てみたい。できれば私一人で。
好きなように機動して失うのは自分だけ。
パイロットとしては非常に身勝手な考えだが、ドロシーの願いは意
105
外にも叶う事となる。
◇*◇*◇*◇*◇
スツーカ
に撃墜されたの
と通称された急降下爆撃機で、大戦初期に
9月3日の午前、Bf109Eに護衛されたJu87が来襲。
Ju87は
黄色の14番
は電撃戦の立役者として大活躍した機体である。
この迎撃にあがったハリケーンが
だという。
3ヶ月待ったドロシーの心は高鳴った。
もう恋と言っても過言ではないだろう。
の恐ろしさを再認識した。
ドロシーは志願して出撃するも接敵できなかった。この時にもP4
黄色の14番
0が2機撃墜されている。
この報告を受けた誰もが
ドロシーの心は高鳴ったままだ。
︵もう一度来る!︶
確信に近いものを感じ、出撃するハリケーンへの同行を申し出る。
キャサリンは午後の戦闘で機体が損傷しており、パトロシアと2機
で出撃する事とした。
しかしパトリシアも離陸後エンジンが不調となり引き返す事となる。
ドロシーはパトリシアと帰還するよう指示を受けたが、どうしても
ハリケーン隊と同行したかった。
パトリシアはドロシーの願いを聞き入れた。パトリシアを基地まで
見送った後、ハリケーン隊を追う。
ドロシーは無理な願いを聞いてくれたパトリシアに感謝する。
﹁パット、ありがとう。私が勝手に行ったと報告してね﹂
別れ際にパトリシアはからかう。
106
﹁王子様に会うのに化粧もなし?﹂
﹁今日は陰からこっそり見るだけだから大丈夫なの∼﹂
﹁へぇ∼、私だったら追いかけ回して赤くて硬いプレゼントを何百
も贈るけどね﹂
﹁あら、お生憎様。パットはケイトと待っていて頂戴。帰ったらど
んな王子様だったか教えてあげるわ﹂
一瞬の間を置いてパトロシアは通信機に語りかける。
﹁・・・必ず帰って来てよね、ドロシー﹂
﹁何いってんのよー!それより早く降りなさいよ、エンジンがプス
プスなんでしょ!﹂﹁じゃ、行ってくるわねー﹂
◇*◇*◇*◇*◇
黄色の14番マルセイユは迎撃で飛来したハリケーンを捕捉。
初撃で1機撃墜、機動戦に入る。
さすがに1日に3回の出撃はきつい。
さっき帰還した時も手が震えて煙草に火を着けるのも苦労した。
それほど空戦では体力と神経を消耗する。
しかしスピットファイアでなくて良かった。これならいける。
ハリケーンはデスサークル︵複数機で円を描くように飛行する︶で
防御するが、マルセイユはなんなく割って入って見越し射撃を加え
1機を撃墜。
マルセイユが次のハリケーンに向かって加速しはじめた時、右上方
から射撃受けた。
︵くそッ!僚機は何をしている!︶
マルセイユが急いで確認をすると、射撃を行ったのはP40である
事を見て取った。
107
︵ちッ、新手か!︶
108
Ⅶ−4︵米︶戦技と戦術
ドロシーは体勢不十分のまま威嚇射撃を行うのが精一杯だった。
マルセイユは僚機にも空域を確認させる。
通常なら一旦離脱して体勢を整えるべきだ。
しかしマルセイユはいけると感じた。
時として自分は神に愛されたパイロットなのではないかと真剣に思
う事があった。
いけると感じたという事は神が進めと仰っているのだ。
どうやらP40はたった1機らしい。
︵なぜ単機?・・・まぁいい、あるのは敵機が1機増えたという事
実のみだ︶
瞬間的に緩めた機動を再度絞り、ハリケーンに向かって距離を詰め
て行く。
ハリケーンは相変わらず撃ってくださいとばかりに空に浮いている。
疲労は極致にあるが、頭は冴えわたっている。
ハリケーンに向かいながら後方に何かを感じた。さっきのP40だ。
自分と僚機の後を追っている。
気にもせずハリケーンに向けて加速する。
この時ドロシーは射撃を開始した。
マルセイユは急激な旋回に入り、弾は後方に流れてしまう。
﹁ふん、当たるか!﹂
見込み射撃は速度と旋回だけではないのだ。
マルセイユはハリケーンを撃墜。
僚機のパイロットはマルセイユに付いて行くだけで精一杯だった。
109
任務は撃墜確認のみといっても良いだろう。
マルセイユはますます冴える。
まだ燃料と弾薬は残っている。そして敵機がいる。
﹁行くぞ!﹂
僚機と自分に声を掛けて加速する。
左旋回に入ったが、後方にはしつこくP40が着けている。
P40は高速での旋回能力は優れており、ドロシーは確かに優れた
パイロットだった。
﹁ほぉ、単機で挑んでくるだけの事はあるか。しかし・・・﹂
ドロシーは目前のBf109が止まったように見えた。
﹁いけない!オーバーする!﹂
Bf109は視界の左へ消えていく。
﹁くっ!﹂
パトロシアとの約束が頭をよぎる
︵今日は見るだけ・・・︶
ドロシーは離脱すべきと考えたが、考えに反して減速して操縦桿を
引いていた。
激しいプラスGに眼前が暗くなる。
その時、真っ暗な視界の中にBf109だけが鮮明に浮かび上がり、
視界は黄色の14番を追い越した。
﹁ここ!﹂
一連射が精一杯だった。
マルセイユはハリケーンを撃墜した直後、銃撃を受けた。
﹁なにっ!?﹂
左主翼と胴体後方に被弾している。
後方を振り返るとP40が切り返して離脱していく。
これまで被弾どころか6度の被撃墜も経験している。
110
しかし、今回は無いと確信した攻撃を受けた・・・
マルセイユの脳裏にいた神は姿を消した。ここが潮時のようだ。
﹁帰還する・・・﹂
僚機はほっとしながらも、マルセイユの声に疲労以外のものを感じ
た。
◇*◇*◇*◇*◇
スカイエ
イギリスから補充されたパイロットは、噂だが・・・と前置きした
と呼ばれているらしい。
上で、女性パイロットの戦闘機部隊の話をしてくれた。
ンジェル
自分達はあくまで軍属という立場だが、アメリカはどうするのだろ
う。
4月に枢軸国の日本がソ連と中立条約を締結したと思ったら、6月
にはドイツが不可侵条約を無視してソ連へ攻め込んだという。
日本は中国と東南アジアへ侵攻しており、戦線は拡大の一途だ。
アメリカの参戦は時間の問題だと思う。
アメリカ空軍が出てきたら、私達はお払い箱?それとも戦力?
今はイギリス空軍の管理下だし、ローズというパイロットにも会っ
てみたい。
パトリシアはあくまで戦闘機パイロットとして稼動したいというし、
キャサリンは女性パイロットを増やしたいという。
機体性能を考えると、スピットファイアでない限り劣勢は否めない。
もっと技術を磨かなければならないし、航空戦の戦術も調べて組み
立てられるようにしたい。
この後、ドロシーはむしろ陸上部隊の戦術家として力を開花させる。
北アフリカという戦場とロンメルという存在がドロシーの才能を引
き出さずにはおかなかったのだ。
111
神出鬼没のロンメルの行動を読みきって助言したが、やがてイギリ
ス陸軍に疎まれる事になる。
しかし空軍からは戦術および実戦において期待される存在となって
いくのだった。
112
Ⅷ−1︵露︶シスター
ロシア革命によって成立したソビエト連邦は、ロシア正教徒に対し
て過酷な弾圧を行った。
しかし、予想以上に強固な信仰を目の当たりにしたソ連政府は、宥
和策への方向転換を行う。
更にドイツの侵攻を受けてからは、国民の士気をあげるため、部分
的とはいえ教会活動を認めるまでに至った。
◇*◇*◇*◇*◇
1941年9月、デミヤンスクの東方に、空輸中のIL−2が2機
姿をみせた。
﹁おい、冗談だろ?ここに降りるってのか?﹂
それに応える声は女性のものだった。
﹁そうだよ、飛行前に任務内容を聞いてなかったのかい?﹂
﹁同志ソーニャ・・・いや、同志ソフィア、俺が聞いていたのは攻
撃機の輸送って話だけだ﹂
﹁ソーニャでいいよ﹂﹁普通の滑走路とは違うけど使用に問題はな
いよ﹂
ソフィア・ハミルコフは興味がない話題のように、そっけなく答え
た。
﹁そういう問題じゃないだろ、これは・・・﹂
今回初めて空輸に参加したパイロットは改めて機体を傾け、地上の
状況を確認をする。
113
まず東西に伸びる道路が目に入る。ただし舗装されているのは2k
mほどだ。
道路の西端は舗装工事が中止されたように未舗装の道路に変わる。
東端は100m四方の整地された広場に出る。
広場の先は丘の斜面が迫っており、広場の手前には道路を挟んで教
会と倉庫群が見える。
倉庫は穀物用と牧畜用のものが並んでいた。
そして、この道路に着陸するというのだ。
まず幅が狭い。しかも東端の丘のせいで離発着ともに西側しか使え
ないうえに、万が一着陸に失敗すれば丘に激突する危険があった。
危険極まりない。
しかし、パイロットが難色を示したのはそのような点ではなかった。
舗装された道路は何箇所も大きく亀裂がはいり、土がむき出しにな
っている。
飛行機の着陸どころかトラックの走行にも支障がありそうだ。
それを証明するかのように舗装道路に沿って未舗装の道路があり、
車輛が走行した跡が見える。
擬装
だよ。よく見てるんだね﹂
そんな事はお構い無しに、ソフィア・ミハルコフは着陸態勢に入る。
同時に送信。
﹁道路の損傷はペイントの
ソーニャは西端ぎりぎりに着陸、道路を滑走する。大きな亀裂の部
分でも機体はスムーズに通過し、丘の手前の広場に駐機すると、ど
こからともなく整備兵が走り寄りる。
機体から降りた女性パイロットは、ブルネットの髪をショートにま
とめ、非常に大柄で180cmはあるだろう。
意思の強い瞳とぶっきらぼうな口調、戦闘では常に危険な任務をこ
なすこの2番機パイロットが、実は非常に繊細な女性である事を整
114
備兵は知っていた。
ソーニャは機体から降りると教会へ向かう。隊長に任務の報告を行
う為だ。
その後、修道服に着替え、祈りを捧げたのち、他のシスター達への
挨拶に向かう。
ほどなくもう1機のIL−2も着陸した。
この空輸要員は補給トラックに便乗して帰る予定だ。
この基地にはポリカルポフI−16が3機、イリューシンIL−2
シュトルモビクが3機が配備されていた。
そして新たにIL−2が2機追加配備となった。
I−16は最高速度が490km/h、武装は7.62ミリ機銃×
4。スペイン内戦、ノモンハンでの対日戦、フィンランド戦争で活
躍した機体である。
1939年には旧式化を理由に生産が中止されていたが、第二次世
界大戦の勃発により生産が再開されていた。
それ自体驚くべき事だが、その後のソ連を代表する戦闘機、ヤコブ
レフYakやミコヤン・グレビッチMig、ラボーチキンLaなど
のシリーズは開発が遅れており、それだけソ連の航空機事情が厳し
かったと言える。
IL−2は頑丈な機体構造とエンジン・乗員・燃料タンクを風呂桶
型の装甲で対空砲火から保護し、低空での地上攻撃用に開発された
機体である。
当初は単座型であり、シスター隊に最初に配備された3機もこの単
座型である。
1942年には敵戦闘機による被害が増大した為、旋回機銃座を備
えた複座型︵IL−2M︶の生産も開始される事になるが、それ以
前にも現地部隊によって、後方銃座や固定またはリモコン銃の搭載
115
など改造が行われた。
武装は20ミリ機関砲×2、7.62ミリ機銃×2、後方銃座は1
2.7ミリ機銃×1、400kgまでの爆弾やロケット弾であるが、
シスター隊では以下のような武装となっている。
爆装を通常の半分である100kg×2とする代わり、前方火器は
VYa−23/23ミリ機関砲×2、7.62ミリ機銃×2、後方
火器は12.7ミリ2連装リモコン銃とした。
新たに補充された2機は後部に射撃手が搭乗する複座タイプだ。
23ミリ機関砲は後に正式搭載される事になるが、ドイツ軍の戦車
を撃破するためには400m以内の距離から、車体の上面に40度
以上の角度での射撃が必要だったし、後部のリモコン銃は上下にし
か動かない。
それらの使用は現実的ではないとされていたが、シスター隊のパイ
ロット達は驚異的な戦果を叩き出す事となる。
今回の補充2機を加えて8機となった機体は全て丘の斜面を掘削し
て作られた格納庫に置かれている。
上空からみれば、修道院と寂れた農産物集積場に見える事だろう。
この擬装基地は独ソ不可侵条約が成立した直後に計画された。
結局はドイツもソ連も条約は表面的かつ一時的なものと割り切って
いたのだ。
急ピッチで工事は行われ、施設としては形となったものの、フィン
ランド戦争で予想外の損害により、擬装基地に回す要員は不足して
しまう。
そこで宥和政策へ転換したロシア正教者の隔離と戦力化、更には創
設が検討されていた女性による航空隊の運用試験を行う事となった。
116
よって、女性パイロットだけでなく、その他の整備兵など全てがロ
シア正教者で構成されている。
それは消える事が前提で存在した飛行隊であり、信仰と戦争の狭間
で権力者に翻弄されることになる。
117
Ⅷ−2︵露︶祈り
ソビエトにおける女性飛行隊は、第586戦闘機連隊、第587爆
スターリングラードの白薔薇
と呼
撃機連隊、第588夜間爆撃機連隊と存在し、女性空軍部隊の生み
の親、マリナ・ラスコアや、
は1941年6月にドイツ
ばれたリディア・リトヴァクなどが有名だが、これらは全て194
シスター隊
2年以降の実戦稼動である。
擬装基地に展開している
の侵攻を受けて以降、休む間もなく対ドイツ戦に従事してきた。
ソ連の攻撃隊主力と協力する場合もあったが、多くは側面からゲリ
ラ的な攻撃を行う事が多く、特にIL−2を駆ってドイツ機甲師団
に対する攻撃ではその力を遺憾なく発揮していた。
彼女達の戦果は、擬装基地として運用されている事やロシア正教者
である事を理由に秘匿されたが、女性による飛行隊の設立を加速さ
せた。
そして、皮肉にもシスター隊への警戒を強める事になってしまう。
◇*◇*◇*◇*◇
この修道院にはパイロット3名を含め12名のシスターが居り、整
備兵などは別に暮らしている。最高齢のシスターは72歳、ほかも
40歳を超えた者が多かった。
整備兵も修道女も対ドイツ戦に協力するという事で信仰が守られ、
また他の教会とは比較にならない程の配給を得ている事を理解して
いた。
しかし、修道女が戦争に赴くという事にどうしても納得できない者
がいるのも事実であり、影で魔女・人殺しといった陰口もきかれた。
118
この隊の隊長はナターリア・レオンチェフ、れっきとした教会のシ
スターだ。
ナターシャという愛称で呼ばれる彼女は見事なゴールデンブロンド
のロングを戦闘時はツインのシニヨン︵ツインテールの巻上げ︶に
している。
きりりとした姿勢と清楚な顔立は、まさに聖女というイメージを与
え、彼女に接した誰もが心の安らぐのを感じていた。
大きな声を聞くのは出撃の時ぐらいだが、それすら凛々しく聞こえ
るのであった。
整備兵は彼女が帰還した後、傷だらけの機体を見るたびに彼女が何
かに護られているのだと感じた。
3番機は若干16歳のニーナ・トルスターヤ。
ナターシャと同じくみなしごだが、乳児の頃から教会で育てられた
ナターシャと違い、幼い時に両親を失って以来、親類などを転々と
して10歳の時に教会へ預けられた。
そのためか非常におとなしく引っ込み思案な性格だ。
栗色のボブカットに149cmと小柄な彼女は実年齢よりも更に幼
く見える。
とても攻撃機を駆るパイロットとは思えないが、攻撃精度は3人の
中でも最も優れている。
彼女らの機体は迷彩無しのダークブルー。
キャノピーの外周とキャノピー前方から左右前方へ白のラインをマ
ーカーした。
マーキングを修道服に見立て、味方からはNunsと呼ばれたが、
と恐れられた。
ソ連国旗に描かれた鎌を2つ描いたようにも見えた為、敵兵からは
悪魔の大鎌
119
前方上方から見ると白いリボンのように見える事から、機甲師団に
向けて急降下する彼女達はいつしかホワイトリボン隊と呼ばれる。
後日合流したアメリカ隊、イギリス隊はこのリボンのカラーリング
に倣い、アメリカ隊はレッドリボン、イギリス隊はブルーリボンと
して連合側のスカイエンジェルを構成する事となる。
◇*◇*◇*◇*◇
老修道女はナターリアから報告を受けて、感謝の言葉を口にした。
﹁ナターシャ、燃料や機材と共に食料や衣類が届きました。他の教
会は何も支給されないというのに﹂﹁教会のすぐ近くに飛行場が建
設されたとはいえ、あなた方の働きがあってこそ。感謝しています
よ﹂
﹁シスター、もったいないお言葉ですわ。皆さんの喜びが私たちの
喜びでもあります﹂
﹁でも、ソーニャもニーナも健気にやってはいますが、辛い思いば
かりさせてしまって・・・ほんとうに・・・﹂
老シスターは少しでもナターリアの力になりたかった。
﹁この修道院、いいえ、この基地の皆が感謝しています。あなた達
から受け取れる苦労があれば喜んで受け取るでしょう﹂﹁私に何で
も話して。ナターリア隊長としてもナターシャとしても何でも聞き
ます﹂
隊長ナターリアは少女ナターシャ変わっていく。
﹁私・・・私達は・・・戦うことで未来は開けるのでしょうか・・・
﹂﹁信仰の為の戦いなのでしょうか・・・配給を得るための戦いな
のでしょうか・・・﹂
心を許す老シスターへ話をするのも憚れる気がした。
120
ナターシャの声は消え入りそうだ。
隊員3名とはいえ死と隣り合わせの戦いに神経をすり減らし、この
基地のロシア正教徒の未来という重責が加わる。
敵は外だけではない。ついこの前までロシア正教徒は弾圧を受けて
いたのだ。いつ政策が変わってもおかしくない。
24歳のナターシャには余りにも大きな重圧だった。
いつしかナターシャはうつむき、握り締めた両手を膝の間にして震
えていた。
そこには少女のような心を持った女性が悩んでいる姿が見えた。
﹁主は私達の行いをお認めいただけるのでしょうか・・・﹂﹁私達
は・・・戦う私達は・・・魔女なのでしょうか・・・﹂
老シスターは皺の多い顔を濡らしながら、できる限り優しく抱きし
め、できる限り頼もしい声で、できる限り誠実に答えた。
﹁ナターシャ、かわいいナターシャ、私があなたの為に祈ります。
皆もあなた方の為に祈っています﹂﹁今はいいの、かわいいナター
シャでいなさい。乙女の涙は穢れも不幸も洗い落とすの。雪も誤解
も溶かすわ﹂
◇*◇*◇*◇*◇
隊員が目の前に並ぶ、その後方には修道女が並んでいる。
ナターリアは自分に言い聞かせるようにいつもより大きな声をあげ
た。
﹁情報が入りました。ドイツ機甲師団がポロツクから北東方面に進
撃中です。我が隊は、これを殲滅すべく出撃します﹂﹁悪魔の使徒
に神の鉄槌を打ち下ろすのです﹂
﹁さあ祈りましょう。哀れなドイツ機甲師団のために!﹂
121
Ⅷ−3︵露︶自由
今日も出撃の命令が下った。
基地は攻撃機の出撃準備に奔走する。
ナターシャは飛行服に身を包み、髪を巻き上げた。
ふと、俯いて長椅子に腰をおろすニーナに気付く。
﹁ニーナさん、どうしたのですか?早く着替えなさい﹂
ニーナは小さな身体を微かに震わせながらも無言だった。
更に声を掛けようとするナターシャをソーニャが静かに制する。
﹁シスター、ニーナは私が準備させますので、シスターはどうぞ﹂
﹁・・・分りました。いつもすみませんね、ソーニャ﹂
ナターシャが部屋から出ると、ソーニャに声を掛けられる前にニー
ナがつぶやく。
﹁お腹が痛い﹂
ソーニャは目を閉じて悲しい顔をしたが、目を開くと強い口調で言
い聞かせた。
﹁出撃したくないんだね。でもナチは待っちゃくれないよ。またた
くさんの人が死ぬ。冬のロシアじゃ、死んだ人間は土にも還れない
んだ﹂
﹁私のせいじゃないもん!人殺しはナチだもん!もう出撃するのは
嫌!私は何も悪くないのに!﹂
﹁ニーナ、私の顔を見な﹂﹁これまでお前が撃破した戦車の中身が
122
空だとでも思ってんのかい?冗談じゃない、人間が乗ってるんだ!﹂
﹁途中で辞めさせたりしないよ!最後まで付き合ってもらうからね
!さあ、祈るんだ、祈ったら搭乗しな!﹂
◇*◇*◇*◇*◇
ニーナは出撃から戻ると裏庭で膝を抱えて座り、飼っている猫を抱
く。
何か話しかけたりはしない。猫を抱いて身体を前後に揺らすだけだ。
﹁ニーナ、またここに居たの?﹂
ニーナが見上げると、一人の年老いた修道女が微笑んでいた。
老シスターは隣に腰を下ろすと労るように言う。
﹁出撃は辛いでしょう。私はもう年寄りだから祈る事しかできない
の。ニーナが無事でありますようにって﹂
この老シスターはニーナが修道院に引き取られた時から親代わりと
して接してきた。
﹁ナチが来て、ロシアはひとつになろうとしているわ。ソビエトに
なって随分と酷い目にあったけど、今は祈ることが許されているん
だもの﹂
﹁ニーナは本当に頑張っているわ。だから私が言ってあげる。ニー
ナの出撃を少なくしてもらえるように﹂
﹁ありがとう。でも、私は出撃しないといけないの﹂
年老いた修道女は思わず言葉をつまらせた。
﹁まだこんなに若いのに・・・﹂
ニーナは俯いたまま沈黙した。哀れまれる事には慣れてしまってい
た。
物心がついた頃から・・・。
123
修道女は人差し指で涙をすくいつつ、努めて優しく声をかける。
﹁ニーナ﹂
ニーナは横に座った修道女を見上げながら返事をした。
﹁はい?﹂
修道女は笑顔を見せて聞いた。
﹁飛行機って面白い?﹂
﹁はい!自由に空を飛べるの!﹂
﹁いいわね。どんな気持ちかしら。鳥のようかしら、それとも雲の
ようかしら﹂
﹁鳥よりも早く、雲よりも高く飛べるんです。行きたいところへ﹂
﹁子供の頃に聞いたおとぎ話のようだわ。一度でいいから飛んみた
い。でも、怖いかしら﹂
﹁私が乗せてあげる!﹂
﹁あらあら、ありがとう。世の中が落ち着いたらお願いするわね。
でもいつも1人で乗ってるんじゃないの?﹂
﹁新しいIL−2なら2人乗りだもの。でもシスターは後ろ向きに
座るんですよ﹂
ニーナはからかうように言って、うふふと笑う。
﹁えっ、気持ち悪くならないかしら・・・﹂
ニーナの声は久し振りに明るかった。
﹁あははっ、じゃ、シスター、今のうちに後ろ向きで歩いて慣れて
おいて下さい﹂
修道女はニーナの明るさが心底嬉しかった。
﹁ふふっ、操縦はニーナにお任せすればいいのね﹂
﹁どこへでも行けますよ、自由に行きたいところへ﹂
老修道女は目を細めながら遠くを見た。
ふるさと
﹁自由に・・・。戦場じゃないどこかへ行ければいいのに。あなた
も私も故郷へ飛んでいけたら・・・﹂
124
ニーナは声を落してつぶやいた。
﹁だって私には帰るところがないもの・・・。だからここに来たの、
だから爆弾を落として人を殺すの・・・﹂
﹁あぁ、なんてこと!ごめんなさい、ごめんなさいね、わたしが変
なこと言ってしまって。こちらに来てニーナ、抱きしめさせて。ニ
ーナのために祈らせて・・・﹂
125
Ⅷ−4︵露︶密告
ナターシャは書き込んだ飛行隊日誌を閉じると、改めて実感した。
・・・ソフィアには随分と助けられている。
ナターシャはソフィアが入隊した時の事を思い出していた。
入隊者はロシア正教徒であり、ソビエトへの感情は非常に悪かった。
その中で彼女は﹁同志諸君﹂と切り出し、その場にいた全員を唖然
とさせた。
まるで党員の演説のようだ。
保護を受けている修道院とはいえ、それまでの弾圧を考えれば考え
られない言葉だった。
モスクワでのロシア正教徒は評議会と巧く折り合いをつけねばなら
ないのだろうと察した年配の修道女が慮って諭すように言った。
﹁ここではソビエト評議会の人間は居りません。何かと苦労をして
きたのでしょうが、あなたは一人の教導者です。何の心配もいりま
せん﹂
その時、ソーニャはハッとして俯いた。
感謝の言葉を口にしたが、その表情に後悔の色を見たのは最高齢の
シスターだけだった。
﹁家族もつれて来れば良かったのに・・・﹂
他のシスターは言う。
ソーニャは家族をモスクワに残しており、週に1度の帰郷を許され
ていたのだ。
病気を患っていて動かせないと説明していたが、ドイツの侵攻が激
化した時でさえ帰郷をゆるされており、あまりにも違和感があった。
126
◇*◇*◇*◇*◇
モスクワにあるソビエト共産党の施設。
﹁誰だいありゃ、随分とデカイ女がいるぜ﹂
﹁何だ知らんのか。デミヤンスクに展開しているシスター隊だよ﹂
﹁何だって?あの噂は本当だったのか﹂
﹁あぁ、戦果も噂どおりらしいぜ﹂
﹁信じられんな、まだ若いだろう?﹂
﹁あの2番機は22歳、隊長にしても24歳だ。三番機は16歳ら
しい﹂
﹁総力戦も極まったな。彼女らは正教徒なんだろう?﹂
﹁弾圧の後は最前線だ。何とも複雑な気持ちになるな・・・﹂
﹁おい、あまり口が過ぎると密告されるぜ。﹂
か!10数
﹁はは、お互い気をつけようぜ。そういや、ずいぶん前になるらし
忠実なるソフィア
いが、あの2番機の女は父親を密告したらしい﹂
﹁なに?父親を・・・あっ、あの
年前の事だったな。年齢的には丁度そのくらいか・・・﹂
﹁あのニュースと同じ少女かはわからん。ただ密告は事実らしい。
父親は処刑されたよ。それから評議会の保護下で生活したらしい。
つまり、バリバリの党員だ﹂
﹁しかし、なんでそんな人物をシスター隊に入れたんだ?﹂
﹁監視役だろ。融和政策といっても信用していなって事だ。まぁ、
何が信用できるのかって事になるけどな・・・﹂
◇*◇*◇*◇*◇
お、俺、聞いちまったんです。評議会の奴等の話を。
配給隊で欠員が出たってんで、急にモスクワに連れて行かれて、物
資の積み下ろしの手伝いをさせられたんです。
127
この基地の人間は監視が必要なんで、俺と監視役の宿泊費が上から
出ていたようですけど、車の中で一晩過ごすように言われました。
翌朝、通行証にサインをもらいに行くように言われてました。
寒くて寝れないんで、事務局が開く随分前から並んでいました。
お、俺が一番に並んでたのに、窓口では午後から来るように言われ
ました。
配給隊の隊長は浮いた宿泊費で飲んでいたようで、約束の時間には
来ませんでした。
遅れてきて、通行証が午後になったと聞いて、俺を殴りました。
車で寝るのは当たり前だと言いました。俺の罰だと言ってました。
罰が先にある罪なんて聞いたこともありません。
朝も昼も抜きで待ってました。午後の窓口が開くのを。
そしたら、党員の男達が話してたんです。
俺の自慢は耳の良さです。奴等の話は全部聞こえました。
シスター隊のソフィア副長が党員だって言うんです。
父親を密告して評議会に育てられたって。
修道院に来たのはここの監視だって。
モスクワに行くのは報告の為だって。
128
Ⅷ−5︵露︶忠実なる
ソフィアは修道院の前で数人の男に囲まれた。
銃を突きつけられ、寄宿舎に入る。
そこには最年長の修道女とナターリアが居た。
ニーナと他の修道女は教会に居るようだ。
銃を持つ男たちの目は燃えている。
ナターリアはむしろそれが恐ろしかった。
老シスターは男達に言った。
﹁ソフィアは何度も戦場へ行きました。私達の為に﹂
﹁ソフィアは何度も負傷しました。私達の為に﹂
﹁ソフィアは毎日祈りを捧げました。神の為に﹂
﹁あなた方はどうしようというの。真っ赤な燃える目で、銃を突き
つけて﹂
うつむ
男たちは銃を下ろし、俯く。
﹁任せてくれないかしら。他の誰にも言わず、ここは私達に任せて
ください﹂
﹁事によっては私がこの身をもって責任を取ります﹂
ナターリアのみならず男達もソフィアも何かを言おうとした。
﹁何も言わないで。私に捧げられるものといったら、この短い命し
かないもの・・・﹂
129
男たちは出て行った。
ソフィアとナターリアは老シスターに促されて教会へ向かう。
ここでソフィアの話を聞くと思っていたナターリアは顔をこわばら
せた。
教会に入るとシスター達の目がこちらに向かう。
ただならぬ様子を気付いたのか、誰もが目礼をするだけだ。
老シスターは全てを明らかにした。その上でなければ私達は一緒に
居られない。
ソフィアはその大きな身体を椅子に預け、威圧するかのように話し
始めた。
﹁聞いてのとおり、私は評議会から送り込まれた監視員さ。つまり
スパイって事。だから好きにしていいよ。命も何もいらない﹂
﹁全てを話しなさい。祈るだけでは救われないの。事実を明らかに
して悔い改めなければ﹂
﹁苦しいでしょうが、お願いするわ。ソーニャ、この中で一番神に
向き合った時間が多いあなたですもの。いつも皆を気にかけていた
あなたですもの﹂
ソフィアはスパイであると知っても、ソーニャと呼び、心の葛藤、
慕う気持ちを理解してくれた老シスターに心が開かれる思いだった。
◇*◇*◇*◇*◇
ソフィアはいつの間にかうなだれるように身体を小さくして震えて
いた。
130
私は・・・。私はモスクワの郊外で産まれました。
父は土地を持たない農夫で母親も農地で働いていました。
とても貧しく、食べ物にも事欠きました。
父は気が小さいうえに思慮が足りない男でした。
役人だけでなく近所の男達にも怒鳴られ、殴られていました。
母は優しい女性でしたが、耐える事しか知りませんでした。
父は酔った時、母や私を殴りました。
父は、言う事を聞かないといっては私を納屋に閉じ込めました。
私が11歳の時、父は酔ってもいないのに母を殴りました。
殴った父の頬は赤く腫れていて、誰かに殴られたようでした。
父は私を納屋に閉じ込めました。そのまま父は出かけていきました。
いくら母を呼んでも母は何もしてはくれませんでした。
夜になると酔った父が帰ってきて、母を殴る様子が納屋まで聞こえ
ました。
母が声を殺して泣いているようでした。
もっと様子を聞こうと納屋の戸に耳を付けていたら、突然戸が開き、
父が入ってきました。
その時の父の顔は父ではないようでした。
感情が無い動物の顔でした。
感情の無い父の顔が私を見て、目に何か黒いものが灯ったように感
じました。
私は突然、頬を打たれて突き飛ばされ、積んだ藁に倒れこみました。
頬の痛みに耐えていると、父が・・・
父が、私の服を・・・乱暴に剥ぎ取り・・・ました。
私は・・・
﹁もういいわ!もういいわソフィア!﹂
131
私は、痛みに耐える事しかできませんでした。
母は大声をあげて泣きました。
それから何度も納屋に閉じ込められました。
母は泣かなくなりました。
ある日、党員の家に空き巣が入り、党員の書類と金品が盗まれまし
た。
私は捨てられた書類を見つけました。
翌日、父は連行されました。
その後、私は評議会の管理下で育てられました。
父も母も居ません。
でも、誰もが私を褒めました。私の嘘を褒めました。
後で父が処刑された事を聞きましたが、何とも思いませんでした。
食べ物とベッド、きれいな服に水が滲みない靴、そして学校にも行
きました。
よく頑張っていると褒めてくれました。
飛行機にも乗せてくれました。上手にできると褒めてくれました。
特別な教育も受けさせてくれました。期待していると言ってくれま
した。
・・・今でも感謝してる。
誰が何と言おうが、私は感謝してるんだ。
私の人生であれほど豊かな時は無かった。
あれほど期待された事は無かった。
党に対する感謝は今でも変わらない。
132
でもね、シスター隊にもここの皆にも感謝してるんだ。
本当に仲間だった。モノだけじゃない。利用する為じゃない。
心を私に取り戻してくれた。
心を取り戻すって事は本当に苦しかった。
−−私は父親を売った−−
私は、ナチと戦っている時だけは解放された気分だったよ。
党の為にも、ここの仲間の為にもなるのが戦いだったからね。
戦いの中で死ねたら、私は幸せだっただろう。
でも、生き残ってこうなっちまったのさ。
どうしてだろう。やっぱり罰なのかね。
だったら神様ってのはいるんだろうね。
ソフィアは泣き濡らしたまま少し微笑んだ。
133
Ⅸ−1︵枢軸︶合流
ドイツは1941年6月、バルバロッサ作戦を発動。
東西の両面作戦に突入し、戦車、戦闘機、弾薬、そして人員、全て
が不足していた。
スカイエンジェル
そんな状況下の7月、ついに枢軸のSAが合流した。
総勢9名、ドイツでは12機を中隊としている。9機はケッテ編隊
時代の中隊の規模だ。
ドイツ隊︵ブラウヘルツ:青い心臓︶
隊長:アンナ・メイヤー︻能力者:存在察知・機動先読︼
24歳、173cm、アッシュブロンド︵明るい灰色︶のセミロン
グ。
常に冷静沈着で状況把握・分析能力に優れ、作戦指揮能力が高い。
ヨーロッパでの枢軸SAの総隊長。
二番機:エマ・ショーペンハウアー
21歳、160cm、栗色のストレートロング。
事務処理能力に優れ、機体手配や補給などSAの裏方を担当。
地上勤務では眼鏡を掛けている。
三番機:エルフリーデ・ラル︻能力者:存在察知・機動先読︼
17歳、145cm、亜麻色のストレートロング。
元マスコットガール。天性の操縦センスを特戦隊で開花させる。
◇*◇*◇*◇*◇
134
日本隊︵ロートヘルツ:赤い心臓︶
隊長:吉田京子
25歳、身長160cm、腰まで届く黒髪。
空戦技能は高く、特に乱戦では無類の強さを誇る。
地上では温和で天然。居合いの達人でもある。
二番機:高杉銀子
24歳、身長162cm、黒髪のショート。
遠距離射撃能力に優れ、高速重武装の戦闘機で力を発揮する。
物怖じしない自由奔放な性格。
三番機:高千穂凛
20歳、165cm、黒髪のロング。
格闘戦において優れ、1on1での機動戦で力を発揮する。
生真面目だが、頑固で負けず嫌い。
◇*◇*◇*◇*◇
イタリア隊︵ヴァイスヘルツ:白い心臓︶
隊長:エレナ・ジェルマーノ︻能力者:未来予測︼
24歳、170cm、赤毛のセミロング。
イタリア空軍らしく機動戦を好み、その技量は高い。
姉貴肌の陽気な性格。
二番機:クラウディア・フィオーレ
22歳、177cm、金髪のロング。
カラダ
軍人精神にあふれ、戦い方は堅実一路。
美しい容姿で胸も大きいという反則な身体だが、鈍感かつ堅物のた
め色恋には疎い。
135
三番機:ナタリア・パレッティ
17歳 153cm、金髪のワンレン︻能力者:未来予測・危機察
知︼
アクロバティックな機動に優れるが、射撃はやや苦手。
イギリス機、特にソードフィッシュを見るとセーブが効かなくなる。
◇*◇*◇*◇*◇
合流の式典が行われたが、バルバロッサ作戦の発動により余裕がな
いとの理由で軍の高官は不参加となった。
式典は形式どおりに終了し、すぐにミーティングが行われる。
エマとラルが6名を会議室へ案内する。
すぐにアンナが現れ、改めて感謝と歓迎の意を口にした。
﹁私はドイツ隊隊長のアンナだ。ヨーロッパ戦線では総指揮をとる﹂
﹁バルバロッサ作戦の発動によりドイツの主戦場はロシアだ。アフ
リカ戦線も激しさを増している﹂
ルフトバッフェ
﹁我々はフランスを担当する第3航空艦隊のLGに配属となる。知
っての通りドイツ空軍はロッテ戦術が基本だが、各隊3機単位で運
用してもらう﹂
﹁当面は哨戒任務についてもらうが、実戦訓練と考えて結構だ。ド
イツ隊でできる限りのフォローは行う﹂
﹁飛行ルートやタイムスケジュールは指示に従ってもらうが、戦闘
では各隊長の判断で動いてもらって構わない﹂
﹁会議の前に報告しておく。日本から輸送されたレイセンだが、我
が軍の分析の結果が出た﹂
﹁機動性に優れ、航続距離は驚異的。機体強度・防弾・通信は極め
て貧弱。脆いバランス上でしか成り立たず、運用に値しないとの結
論だ﹂
136
﹁くっ・・・!﹂
凛が思わず唸る。
銀子はテーブルに両肘をつき、顎を支えるようにして言う。
﹁・・・なぁ、零戦ならイギリス上空で充分に戦える。あんたらみ
たいにドーバーの塩水を飲まなくても済むんだよ﹂
﹁ほぅ﹂エレナは興味を持った目を銀子に向けた。
﹁なんですって!﹂ラルが思わず立ち上がる。
﹁ラルよせ。性能の違いは用途の違いだ。それに、あくまで分析の
結果でしかない﹂
﹁特別な場合を除いて搭乗機は各隊に任せる﹂
アンナは、この話題はここまでというように各人を見渡し、明日、
ヘルツ
ヴラウ
明後日を訓練に充て、3日後から全機をもって哨戒を行うと指示す
る。
エマが説明を加えた。
ロート
ヴァイス
﹁私達SAの部隊マークとして心臓を使用します。ドイツは青を使
用しています。勝手ながら、日本隊は赤、イタリアは白とし、早速
マークを描かせますので、機体の確認をお願いします﹂
いよいよ後3日で枢軸のSAが実戦稼動する。
皆が3日後に遭遇するであろう驚きを想った。そして、その驚きは
自分達が他のチームに与えるものだと確信していた。
しかし、翌日の訓練から遭遇した驚きは、決して自分達だけのもの
ではなかった。
137
Ⅸ−2︵枢軸︶ 飛行爆弾
フィーゼラー社が開発した飛行物体はミサイルと考えて良い。
アルグス社のパルスジェットエンジンを一基搭載した全長8m、全
幅5mのそれは、形状こそ航空機だが、無人の飛行爆弾だった。
機首部分には炸薬800kgを搭載し、最高速度は約570km/
h、ジャイロスコープによって方位を、気圧計によって高度を設定
する。
機首先端についた風車の回転数で距離を割り出し、設定された回転
数に達すると降下を始める。
搭載されたパルスジェットエンジンは通常の航空機としては小さな
推力しか得られないが、パイロットと武装を搭載しない機体は実用
可能な航続距離と速度を得た。
バトル・オブ・ブリテンが無期延期となり、主な戦場が東部戦線へ
移ろうともイギリスとの戦いが終わった訳ではない。イギリスから
は夜間爆撃機、戦闘哨戒機が頻繁に飛来しているし、戦闘機同士の
会戦も少なくなかった。
イギリスへの攻撃は旧フランスからドイツ戦闘爆撃機が出撃してい
るが、イギリスの防空システムは強固であり、常に苦戦を強いられ
ていた。
ルフトバッフェの上層部はもう対イギリス戦に興味を無くしたのか、
それとも失点を東部戦線で取り戻そうとしているのか、第2航空艦
隊が地中海方面へ転属となり、第3航空艦隊はフランス全土を担当
する事となった。
全域といっても、やはりドーバー海峡が最大の戦場だ。枢軸SA隊
もドーバー海峡における戦闘哨戒が主な任務だ。
時折、第3航空艦隊への輸送なども行う。アフリカ戦線といえば、
138
ハンス・ヨアヒム・マルセイユ大尉だが、兵士の間では女性戦闘機
部隊であるSAに対する話題が多くなっていた。
その存在はプロパガンダの一環、キャンペーンガールとして認識さ
不確かな情報だが
との
れていたが、激戦のドーバーで戦闘にも参加しているという事実に
驚き、にわかに信用しなかった。
そして、ある空輸任務の際、整備兵から
戦術の天才にして最高のパイ
前置きのあと、北アフリカに展開する連合の女性部隊について話を
聞くことができた。
と称した。
墜落した敵パイロットはその少女を
ロット
アフリカの星
マル
地上戦の戦術家だったその女性パイロットはグロスターグラディエ
ーターでSM79パルビエロを撃墜し、あの
セイユに戦いを挑んで一撃を加えたという。
信じられない事だが、アンナは直感的にそれを事実だと判断した。
﹁面倒な事になったな﹂
同行していたラルもエマも連合SAを事実として考え始めていた。
﹁枢軸SAが合流してバリバリ戦おうって矢先なのに、もう﹂
ラルは不満をそのまま言葉にした。
総長
と呼ぶようになった。エ
﹁総長、私達は単なる女性パイロットではありません﹂
エマは枢軸SA合流後、アンナを
マは言葉を続ける。
﹁総長やラルの能力、エレナ分隊長やナタリアもそうですが、それ
らは特別なものなのでしょうか。私にはレベルの違いこそあれ、他
ケラウノス
にも同じ能力を持つ者が存在するのではないかと考えています。イ
ギリスのSA隊は3名ともに能力者ですし、アフリカ戦線のアメリ
カSA隊にも存在すると考えて間違い無いと思われます﹂
﹁当然、ドイツ軍の中にも能力者が存在するでしょう。マルセイユ
大尉やシュタインホフ少佐、ガーラント中将などは間違いなく能力
者でしょう。ただ、本人を含め誰もが優れた技量と天性の勘以上の
139
説明はできません。本人は気付いているのかもしれませんが・・・﹂
理解する者
です﹂
﹁では私達は何なのだ?﹂
﹁能力を
アンナは組んだ膝を両手で包むようにして言った。
﹁上層部は理解しようとはしないだろう。むしろ彼らにとって能力
者とは邪魔な存在だ﹂
﹁はい、確かに突出し過ぎる個人は戦いの近代化に逆行します。し
かし、空にはまだ残っているのです。中世の騎士のような戦いが﹂
飛行爆弾
と
戦闘爆撃
﹁それもすぐに消えてしまうだろう。フィーゼラーのアレをどう思
う?﹂
で全ての作戦への対応は可能です﹂
﹁いずれ爆撃機は不要になるでしょう。
機
・・・
アンナは少し寂しそうな表情を見せた。
﹁だろうな﹂﹁ただし、いずれだ﹂
爆撃機とは爆弾を目標まで運ぶ為の航空機だ。つまり爆撃機とは爆
弾を運ぶ手段でしかない。
飛行爆弾が有効に機能するなら爆撃機は必要ない。活動の場は飛行
爆弾の補助的なものとなるだろうし、それは戦闘爆撃機で十分に補
える。
それに伴って、空の騎士たる戦闘機は過去のものになるだろう。
﹁どちらにせよ出力競争で不利なDB600系統はいずれ消える運
命にあります﹂
﹁私も同感だ。しかしそれは圧倒的な発動機があってこそだ。この
戦いはそこまで続くまい﹂
﹁はい。ただ、現段階では飛行爆弾は役には立ちません。イギリス
の空は非常に緻密かつ重厚に防衛されていますし、性能面でも不十
分なうえ、不安定過ぎて効果が得られるレベルではありません﹂
140
﹁隊長はどうして飛行爆弾を必要としているのでしょうか﹂
﹁新兵器というインパクトを持ったデコイ。そして獲物はバラと稲
妻のケラウノス隊だ﹂
﹁でも、どうやって?﹂
アンナは腹心のエマにも明かさなかった。
﹁それは魔弾の射手を得てからだ。それに・・・私はドイツ隊隊長
の前に枢軸SAの総隊長なのだ。我々だけで話を進める訳にはいか
ない。お前に話さない事をエレナや吉田には話す場合もあるだろう。
エマには感謝している。気を悪くしないでくれ﹂
﹁いえ、私こそ気が回りませんでした﹂
そんなところにトレイを手にしたラルが現れた。
﹁はーい、エルフィーのコーヒーが入りましたよ∼﹂
ラルの本名はエルフリーデ・ラル。信頼しあえる間柄になってから
もラルと呼ばれている。
合流した当時の微妙な関係を物語っているが、今さら変えるまでも
ないだろう。
近頃のラルは能力者にして技量の向上も目覚しい。
少々そそかしいところもあるが、明るい性格はドイツ隊の良いムー
ドメーカーになっている。
141
Ⅸ−3︵枢軸︶ ロートヘルツ
その機体のカラーリングは機体を洗練させて見せた。
ロートヘルツ
明るい灰色に鮮明な日の丸。
そしてコックピット横には赤いハート
﹁美しい飛行機ですねぇ﹂
タイプゼロ
﹁まるでバレエダンサーのようだな。しなやかで美しい﹂
エマとアンナはやや速度を抑えつつ、編隊を組んだ
に先行させた。
これから高度を上げ、ドイツ隊は遊撃の位置を占める。
イタリア隊は更にその後方だ。両隊の乗機はメッサーシュミットB
f109F。
ラルから全機に無線。
﹁敵機来ます!12時、高度はマイナス1,000です!﹂
イタリア隊が速度を上げる。
先行している日本隊は吉田と高千穂が高度を取ったものの、銀子は
そのまま敵機と同じ高度を正面から進んでいる。
﹁無線が通じなかったか?いや、そんな事はあるまい。吉田と高千
穂が放っておくはずもない﹂
﹁敵機は8機前後!﹂
上昇しつつ吉田が大きく翼を振る。日本隊だけで戦うというサイン
だ。
*−*−*−*−*
ドイツ隊とイタリア隊は日本隊の後方から高度差+1000mで飛
行していたので、その戦闘の一部始終を目撃した。
142
敵はスピットファイアの8機編隊。発見した日本隊の速度が上がる。
優に800m以上はあろうかという距離から射撃を開始、瞬く間に
1機を撃墜、1機に損傷を与えた。
イギリス気は数に任せて正面攻撃を行う予定だったが、隊長機を撃
墜されてパニックに陥った。
編隊もバラバラに思い思いの方向へ旋回して逃れようとしている。
そこに上空から降下反転した吉田と高千穂が突入して乱戦となる。
吉田の空戦技量はアンナですら舌を巻くものだった。
スピットファイアが旋回戦を挑んだ事もあるが、零戦の長所が遺憾
なく発揮された。
後ろを取ろうとするスピットをわざと引き寄せ、旋回を緩くして速
度をあげる。スピットファイアが速度を上げた瞬間、目前の零戦は
照準から姿を消した。
スピットのパイロットが旋回・照準・射撃へと神経が集中されてい
る。機体は加速し始めている。
ここで吉田は旋回を小さくした。スピットは直進して逃げるべきだ
った。
しかし旋回性能で勝っていると信じている上に、とっさの切り換え
が出来る余裕もなかった。
別の一機がきつい体勢ながら威嚇射撃をを行ったが、吉田は少しも
乱れずスピットの真後ろについて射撃レバーを押した。
13mmと7.92mmの全門射撃だ。スピットファイアの美しい
楕円の翼はそのままに胴体に着弾が集中する。
胴体後方のタンクに引火したのか、炎が見えるや、吉田は更に機体
を回す。先ほど威嚇射撃を行った相手が背後に迫っているが、吉田
は攻撃中に確認済みだった。
ここというタイミングで吉田の機体は横滑りを起こす。スピットの
機銃弾は零戦の左を通過していく。
吉田は機体を滑らせ、旋回し、攻撃をかわし続けた。吉田の後方に
は実に4機のスピットファイアが連なるように続いている。
143
高千穂にしてみればカモ同然だ。
既に1機を撃墜していた高千穂は吉田を追うスピットの後方から近
づき、1機を撃墜。最後尾の1機を撃墜された事に気付かないのか
残る3機は吉田を追い続けていた。
高千穂が更に1機を撃墜した時点でやっとスピット2機は吉田を諦
めて旋回で離脱を図った。
高千穂はあえて追わず機体を上空に上げる。
1機は吉田が追い、残る1機は銀子の遠距離射撃の餌食となった。
ドイツ・イタリア両隊はあえて戦闘には介入しなかった。
離脱を図った1機をナタリアが墜としただけだ。
﹁あっという間だったな・・・﹂
アンナは驚きを隠さなかった。
ドイツ隊はいつでも介入できる位置取りだった。しかし介入する隙
すら無かった。
4機に追われている状況ですら吉田には余裕があった。それは援護
に入る余地すら無いほどの圧倒的な力量差だったと言える。
その機動は全てを盛り込んだと言っても過言ではないほど多様な動
きを見せた。
恐らく一つ一つの機動を意識してはいないだろう。
日本隊の戦闘はイタリア隊を刺激せずにはおかなかった。元々イタ
リア空軍は運動性能重視だ。それは時代錯誤と言えるのだが、零戦
の欧州デビュー戦はあまりに鮮烈過ぎた。
﹁エレナ隊長、あの戦闘機は、あのタイプゼロという戦闘機は、私
の理想の戦闘機です﹂
クラウディアが珍しく興奮している。
﹁隊長、私も乗りたい。タイプゼロに乗りたい﹂
元々アクロバットを得意とするナタリアも声を上げた。
若い2人がそう考えるのも無理は無い。エレナですら強く心を引か
れているのだから。
144
・・・
CR42は気に入っているが、戦闘機として考えれば現代の戦場と
はあまりにコンセプトがかけ離れている。タイプゼロなら何とか戦
場とかみ合うだろう。
気持ちが高揚するのを感じた。それはイタリア隊が抱く、ドイツ空
軍に対する引け目の裏返しでもあるかもしれない。
しかし、アンナは零戦を運用しなかったドイツ空軍の判断は正しか
ったと実感する。
﹁タイプゼロとは孤独な戦闘機だな﹂
﹁孤独・・・ですか?﹂
﹁あぁ、地上、後方、それらの連携がほとんど考慮されていない﹂
﹁無理をした航続距離と運動性だ。それでいて防御的戦闘を行わね
ばならない。せめて速度があったら恐ろしい存在になるのだが﹂
﹁確かにすごいチームです。遠距離から編隊を崩して乱戦に持ち込
とはさすがにエマもよく見ている。
めば、あの技量ですもの。緒戦ではかなりやれそうですね﹂
緒戦は
◇*◇*◇*◇*◇
この翌日、大規模な戦闘にSA隊も巻き込まれる。
この戦いでイタリア隊とドイツ隊の実力が遺憾なく発揮されるのだ
が、問題も発生した。
日本隊は迂回ルートを侵攻して接敵が遅れ、昨日とは逆に傍観者の
立場となった。
そしてイタリア隊とドイツ隊の実力を知る。
両チーム共に技量が高いのは分かる。しかしそれだけでは説明でき
ない機動だった。
特にドイツの三番機は敵の動きを完全に察知していた。これは長い
時間と経験を積み重ねて、やっと得られる感覚的なもののはずだ。
それを確信的に行っている。
145
﹁なんだい、ありゃ?﹂﹁あれが能力者なのでしょう。しかし・・・
相手の機動が読めるなど許される才能ではありませんね﹂
﹁私、1対1ならある程度やれるって思ってましたけど・・・あん
なパイロットを堕とす事なんて出来るんでしょうか?﹂
﹁できます。非常に目が良い、経験に基づいた予測、これらが異常
に優れていると考えれば良いでしょう。それに・・・﹂
ここで吉田は少し間を取った。
﹁あの能力を受身で使っている以上、いつかは堕とされます﹂
﹁でも相手の機動が判るんですよ?無敵じゃないですか﹂
﹁凛、お前は1on1しか考えていないのかい?﹂
﹁それだけではありません。優れたパイロットとは敵の動きに対応
するのではなく、敵をコントロールするのです。更に優れた者は空
間をコントロールするものです﹂
銀子が口を挟む。
﹁昨日の隊長と凛の連携がそれだよ﹂
吉田京子は油断なく警戒しながら続けた。
﹁まぁ、昨日のあれはコントロールなどと言えるほどのものではあ
りませんけど・・・勘違いをせずに聞いて下さいね、武蔵や小次郎
は合戦では活躍できないでしょう。多くの敵を斬るかもしれません
が、それだけです。﹂
﹁ドイツの無線は性能も良いし、今後はもっと連携を取った戦い方
を織り込んで行きましょう﹂
﹁私と凛さんでロッテを組んで、銀子さんは遊撃という形になるで
しょうか﹂
日本隊が上空で警戒に当たる中、イタリア隊はその戦果と裏腹に沈
んでいた。
146
Ⅸ−4 小鳥
クラウディアの乗機は激しく被弾して左翼のエルロンは吹き飛んで
しまっている。速度も出ないようだ。
そのクラウディア機を守るように寄り添うナタリア。
エレナはその後方で警戒態勢をとっている。そこへ零戦3機がカバ
ーに入った。
アンナはラルを最後尾に配置し、自らはエマとロッテで先頭に立っ
ている。
タイプ
イタリア隊の技量は決して低いものではなかったが、どうしても機
体を回そうとする。109Fは109シリーズでは機動性が高い型
だが、イタリア隊が使用していた複葉のCR42とは全くの別物だ。
その中でハリケーン3機、スピットファイア2機を撃墜した事は異
常とも言えるだろう。
戦いは次のようなものだった。
合流空域で敵編隊を捕捉したドイツ・イタリア隊は、敵を避けつつ
日本隊の到着を待った。
日本隊は西を大きく迂回し、この空域で集合する予定だ。アンナは
敵をかわすべく進路を変えた。エマとラルが続き、エレナも追従す
る。
その時、ナタリアは約1,200m下に航空機を発見する。
クラウディアがふと後方を確認した時、ナタリア機は左に旋回しつ
つ背面から降下を始めていた。
ラルもアンナも察知できなった機体はフェアリー ソードフィッシ
ュ。
先のイタリアのタラント軍港を空襲した機体だ。ナタリアにとって
147
サーチライト
は漆黒の空に照空灯で照らし出されたソードフィッシュは悪夢であ
り、憎しみの対象だ。
ナタリアはそのソードフィッシュを見てしまった。
ナタリアにとってイギリス機は仇だが、その中でもソードフィッシ
ュを見ると、冷静さを失ってしまい、どうしてもコントロールでき
なくなってしまうのだ。
しかし、そのソードフィッシュは赤十字をつけていた。
*−*−*−*−*−*
ドーバー海峡においてイギリス・ドイツは不時着したパイロットの
回収に航空機を飛ばした。
しかし、イギリスの救難体制はドイツに遠く及ばなかった。
バトル・オブ・ブリテンでのイギリス軍パイロットは救命胴衣もマ
ーカーも持ってはいなかったし、軍に救難飛行隊もなかった。しか
し、ドイツとの消耗戦ともいえる戦いでパイロットの消耗が何たる
かを身をもって学んだのだ。
パイロット1人の命はスピットファア10機と同等の損害として、
その救難に力を入れる。
もちろん救難機は攻撃の対象から外される。
しかし、両軍で赤十字をつけた救難機が、偵察や戦闘機を誘導、果
ては機雷の敷設まで行っている事が確認された。そしてついにはド
イツの赤十字機がイギリスに撃墜される事態に至る。
ドイツはイギリスの暴挙として訴え、イギリスは赤十字機が軍事行
為を行っていると反論した。
それでも赤十字機に対する攻撃は引き続き控えられた。人間は人殺
しの中にもルールを求める。
戦争は政治の継続であり、政治の道具であるといわれる。
だから違和感がないのだ。ルールがある殺人に。
148
いうなれば暴力を交渉の一つと認めている。戦争が無くならない世
ゲパルト
界を作らない限り暴力もなくなるまい。
ゲパルト
そして、戦争=暴力とは死と苦痛、遺恨と復讐を生む。
しかし、戦争=暴力とは勝者と英雄をも生むのだ。なんと始末の悪
い事だろう。
*−*−*−*−*−*
ナタリアはイギリス戦闘機を放り出して赤十字をつけたソードフィ
ッシュに機首を向けた。
攻撃態勢に入ったナタリアにクラウディアが割って入る。この時、
既に敵のハリケーンがクラウディアとナタリアに気付いて急速接近
していた。
ナタリア機はギリギリまで近づいたソードフィッシュをかすめて反
転。
直後、クラウディアはハリケーン2機の攻撃をまともに受けてしま
った。
もう日本隊を待っている時間はない。引き返したドイツ隊を含め乱
戦となった。
クラウディアも損傷した機体をコントロールしつつ、間接的に戦闘
へ参加。
敵を引き付けるという危険なアシストはクラウディアの技量の高さ
を証明する。
ドイツ・イタリアSAの戦闘力は凄まじく、イギリス空軍のスピッ
トファイアとハリケーン16機は瞬く間にその数が半減、組織戦は
ほとんど行えない状況に陥っていた。
日本隊が戦闘空域に到着。
﹁あれ?この辺りですよね?﹂
149
﹁凛、下だ﹂
高度1000以下の空域で、いかにも格闘戦という戦闘が繰り広げ
られていた。
エレナは敵3機を追っていたが、ふいに機体を上昇させた。
彼女が何かを避けたと理解した者が何人いただろうか。
﹁これも能力者ってヤツですかね?﹂
あきれたような銀子の問いに答える吉田の声は硬い。
﹁そうでしょう。しかし、ドイツ隊の能力者とは違うようです﹂
﹁違うっていうのは?﹂
凛は機体を傾けて下方を確認しつつ緊張した声できいた。
﹁ドイツの能力は、敵機の存在を察知する事と意識した相手の行動
を読む事、これらは能動的な能力で攻撃的に用いられます。一方、
イタリア隊の能力は危険の察知。索敵や攻撃に関しては通常のパイ
ロットと同じでしょう﹂
﹁あたしならイタリア隊の能力が欲しいな。好き勝手に飛んで危な
い時だけ分かるなんて便利だよ。見張りが少なくて済むなぁ﹂
銀子は眼下にイタリア隊の空戦を見ながらも口調は楽しそうだ。
﹁銀子さん、ドイツ隊の能力もそうだけど、イタリア隊の能力も完
全じゃないの。ドイツ隊の存在察知は稀に見逃しがあるでしょう?
ただ
気付く
それに先読みは意識した相手だけしか有効じゃないから乱戦では苦
労するでしょうね﹂﹁イタリア隊の能力は、危機に
だけ。どうすれば良いかまでは示されない。二重三重の危機だった
ら回避は出来ないでしょう﹂
﹁だから隊長は常人の才能の延長線と考えるんですね﹂
﹁そうです。それに人間の能力だけではないわ。あなた達に能力が
あれば九三中練で戦場に出る?﹂
﹁赤トンボで空戦やるのは遠慮しまーす﹂
銀子の戦場にそぐわない声を凛の高い声が遮る。
﹁ナタリアさんが!﹂
ナタリアは1機のハリケーンを追って左に旋回していたその右手上
150
空にはスピットファイアが2機、腹を見せたナタリア機に向けて降
下していた。
上空の日本隊からは、ナタリアは敵機の追従に気付いていないよう
に見えた。
﹁援護に!﹂
凛を吉田が制する。
﹁凛、黙って!よく見ておきなさい。彼女も能力者、そしてその能
力とは危機回避能力です﹂
ナタリアは敵機を追って後方は一切警戒していないように見えた。
危険察知
だ。
しかし後方につけた敵機からの攻撃はことごとくかわしてしまう。
これがナタリアの能力である
ナタリアは空を飛ぶ時には小鳥を頭の中に描いているのだそうだ。
その小鳥がポトリと落ちる。
この時、危険は間近に迫っているのだという。
空戦中の危険は何か言うまでもない。これによってナタリアの攻撃
回避能力は極限まで高められるのだ。
ナタリアにこの能力が備わったのはまだ10歳の頃だった。
151
Ⅸ−5 理由
10歳のナタリアは学校から帰り道を駆けていた。
たいして時間の短縮にならないのに裏通りも通った。
額から頬、首筋まで汗が流れ、息の苦しさが耐えがたくなってきた
時、やっと家が見えてきた。
さえず
去年のナタリアの誕生日に父が小鳥を買ってきた。ずっと欲しかっ
たのだ。
お洒落なドーム型ケージの中で小鳥は美しい声で囀った。
毎日、餌と水を換えるのはナタリアの役目だ。
ある日、ナタリアは餌を忘れて学校へ行った。
その日は野外で絵を描く授業や運動の授業があったし、放課後は父
と母を迎えに行ったりしてあっという間に夜になっていた。翌日の
朝は寝坊してしまい、学校へ急いだ。
友達から聞いて不安にな
小鳥の餌と水替えを忘れた事に学校で気付く。
小鳥は餌が無いとすぐに死んでしまう
った。
授業が終るとボール遊びの誘いを断って走って帰る。
息を切らしたナタリアが部屋に入ると小鳥は止まり木で小首をかし
げていた。
﹁はぁはぁ、よ、よかった、すぐに・・・﹂
しかし小鳥はナタリアを待っていたかのようにかごの底に落ちた。
ナタリアは泣いた。父と一緒に小鳥を埋めた。
父は叱らなかったが、慰めもしなかった。
ただ、﹁命とはこういうものだ﹂と一言だけ言った。
152
小鳥が死んでから1ヶ月が過ぎた。
ナタリアが古いアパートの前を歩いていると、突然小鳥が落ちる場
面が脳裏に浮かんだ。
ナタリアは思わず立ち止まる。
と、その時、悲鳴と共にひと抱えもありそうな植木が目の前に落ち
てきた。
鉢は割れて土が飛び散る。
見上げると作業中だったと思われる職人が一目見て引っ込み、年配
の女は口に手を当てたままナタリアを見つめていた。
建物から飛び出してきた職人がナタリアに走り寄り、怪我が無い事
を確認すると、膝をついて大きな息を吐く。
そして女を見上げて手を振る。後から年配の女が降りてきた時には
人だかりが出来ていた。
﹁このお嬢ちゃんが突然立ち止まったんだ。そしたら鉢が落ちて来
た。この子を止めたのは誰だい?それは神様って事かい?﹂
向かいのカフェで寛いでいた初老の男は興奮しているのか饒舌だっ
た。
年配の女と職人は鉢を落とした話題を避けるように﹁奇跡だ﹂と繰
り返した。
大人達の騒ぎの中、ナタリアだけは冷めていた。
﹁あの、私、帰らなくちゃ﹂
﹁おどろかせて済まなかったね、親御さんにご挨拶だけでもさせて
ほしい﹂
職人の申し出にナタリアは大人達が怪訝に思うほど落ち着いた声で
答えた。
﹁何もなかったわ﹂
﹁えっ?﹂
﹁私は家に帰る途中で何かを思い出して立ち止まったの。ただそれ
だけ﹂
職人は周囲を見渡した。﹁しかしだね・・・﹂
153
﹁私は怪我もしていないし、靴に少し土がついただけ﹂
﹁しかしだね、私にも責任というものがあるんだ﹂
職人は明らかに評判を気にしていた。
﹁学校で習ったの﹂
﹁えっ?﹂
﹁重力があるから物は落ちるんだって﹂﹁それに私でも知ってるわ。
植木鉢を落としたら割れる事ぐらい﹂
﹁いま目の前にあるのは当たり前の事なの。だから私の家に来るよ
りもコレを片付けた方がいいと思う﹂
見守っていた大人達の1人が笑い出し、その笑いは広がっていった。
植木鉢の持ち主である年配の女は救われたような顔をして言った。
﹁ありがとう。本当にありがとう。あなたが何かを思い出したお陰
で不幸が起きなかったわ﹂
﹁でも、植木鉢のせいで﹂
大人達の視線はナタリアに集まった。
﹁何を思い出したのかは忘れちゃったわ﹂
今度は全員が大きな声で笑った。
初老の男が言う。
﹁神様の思し召しだ。さっさと鉢と土を片付けてくれ。私は良いワ
インとチーズを買って帰ろう。家内に話して聞かせるために﹂
集まった大人達はまだ何か話している。
ナタリアはその声から遠ざかりながら、今までとは違う自分に戸惑
っていた。
◇*◇*◇*◇*◇
ここは枢軸SAに割り当てられた一室。
アンナの声は鋭くそして重かった。
確かにナタリアの行動はとても許されるものではない。
上空から好位置を占めるべく動いている中で、敵機から発見される
154
位置に降下、しかも赤十字をつけた航空機への攻撃態勢をとった。
もし撃墜でもしていようものなら第3航空艦隊長官のシュペール元
帥はヒトラー総統から激しく責められただろう。ヒトラーはアング
ロサクソンに対してゲルマンの系譜として人道面を考慮していた。
ロンドン爆撃を禁じていたのもその現れだ。
そしてシュペール元帥の性格を考えればSA隊は解散だけでは済ま
なかったはずだ。
確かに枢軸SAとしては消滅の危機であったかともいえた。
しかしアンナの指摘する問題点は、ナタリアは個人としてもメンバ
ーとしても不適切な行動をしたという点であり、ヒトラーの思想や
シュペールの性格など関係はなかった。
アンナは常に行動で評価した。結果で評価されるのは総隊長である
自分の責務だ。
それだけに指摘する言葉は鋭く重い。
﹁イタリアの三番機、ナタリアだったな。今日の戦闘で、なぜ私の
指示にもエレナの指示にも従わなかった?﹂
﹁お前が単独で突出した為に、クラウディアが危険にさらされ、日
本隊の参入が遅れたのだ﹂
押し黙ったナタリアの傍ら、クラウディアが口を開く。
﹁ナタリアはイギリスのジャッジメント作戦で家族を亡くしたので
す﹂
﹁そうか、ご両親の冥福を祈らせてもらう。しかし、我々が行って
いるのは戦争だ。私怨で戦うなら飛ばせる訳にはいかない﹂
ここで腕を組んでいたエレナが顎を引いた視線のまま低い声で言っ
た。
﹁総隊長さんよ、戦争ってのは所詮人殺しだ。こいつには理由って
ものが必要なんだよ﹂
﹁それを与えるのはエレナの役目だ﹂
155
﹁なんだと、お前みたいにクールにやれるか!こいつはほんの1年
前は学生だったんだぞ!﹂
熱くなったエレナの言葉をアンナの鋭い声が制する。
﹁人は!!﹂
﹁・・・人は愛する者のためなら簡単に命を投げ出す。愛する者の
仇を討つのも同様だ。私怨は人の命を軽くする﹂﹁今のままではナ
タリアに飛行許可は出せない﹂
﹁ナタリア、お前にとって両親は大切だろうが、それと同じく、い
や、それ以上に両親にとってお前はかけがえの無い存在なのだ﹂
﹁後は飛行許可も含めてエレナに任せる﹂
これでミーティングは終了だ。
156
Ⅸ−6 魔弾の射手
基地の格納庫に日本隊の3人と秋月がいた。
﹁まるで違う戦場だな﹂
﹁そうですね。零戦の脆弱性の理由は性能を引き上げる為の軽量化
にありますが、それを容認した背景は広大な海洋で運用されるとい
う点にあるのかもしれません﹂
﹁どういう事ですか﹂
﹁撃墜された場合、生存の可能性が非常に低いという事です。皆さ
落ちたら終り
って考えてる。ドイツでは墜
ん、ドーバー海峡での救難活動を見ましたね?﹂
﹁確かにあたし達は
落と戦死は必ずしもイコールじゃないんだね。あたしは初めてのミ
ーティングで総隊長にタンカ切っちまったけどさ﹂
﹁あぁ、そうだ。俺もアラドの技術者からドイツのエースについて
聞いたよ。何度も撃墜されてる。撃墜されても生き延びてまたスコ
アを重ねていく。だからあれ程の撃墜スコアを稼げるんだろう﹂
﹁そうですね、クラウディアの機体を見てもらえれば分かります﹂
損傷が激し過ぎて廃棄される予定のクラウディアの機体を前に吉田
は続けた。
﹁私達の乗機をBf109Fに変更します﹂
誰もが声を上げなかった。
﹁不満ですか?﹂
﹃・・・﹄
﹁じゃ、零戦はどうするんだ?﹂
秋月の問いに吉田は笑顔で答えた。
﹁私達だけで任務を行う事もあるでしょう。遠距離の戦闘哨戒や輸
送護衛、撹乱、まだまだ零戦の戦場は残っています﹂
この時、格納庫の奥からクラウディアが現れた。心なしか頬が紅潮
157
している。
クラウディアの乗機の前で集まっていた日本隊にやや俯いて言った。
﹁私には能力が備わっていないので、機体を無駄にしてしまいまし
た﹂
﹁一瞬でナタリアを2度も救いましたし、その後の戦闘でも良い動
きをしていました。あなたは優れたパイロットだという事は誰もが
知っています﹂
﹁そういってもらえると私の気持ちも少しは軽くなります・・・﹂
クラウディアは謙虚だった。そして戦いに真摯であった。
﹁実は日本隊の乗機をBf109に変更する予定なのです﹂
﹁はい、失礼ながら聞こえていました・・・。しかしタイプゼロは﹂
﹁作戦によっては搭乗する事もあるでしょう﹂
﹁祖国の戦闘機に未練は?﹂
﹁無いと言えば嘘になります。でもそんな感情が入り込む余地はあ
りません﹂
マッキ
﹁イタリアのMC202も素晴らしい戦闘機だと聞いています﹂
﹁MC202フォルゴーレ・・・エンジンはライセンス生産の借り
物ですし、武装が12.7mm×2丁と微妙ですけど、性能ではB
f109Fに負けていないと思います・・・。ただ、運用面を考え
るとやはりBf109がベストなのです﹂
﹁私達も同じ判断をしました。やなりSAは全員で戦わないと﹂
◇*◇*◇*◇*◇
日本隊の吉田隊長から申し出があった。
﹁日本隊の搭乗機をメッサーに変更したい﹂
ナタリアは面食らった。
自国の機体を捨てようというの?しかも先の戦いで十分に戦える事
を証明したばかりじゃない。
何か言い出しそうなナタリアをクラウディアが制し、アンナは吉田
158
の申し出を了承した。
モーターカノンもMG151/15からMG151/20に換装、
発射速度は毎分800発、装弾200発となり、MGFFに比べれ
ば雲泥の差だ。十分に戦える。
銀子は機種の7.92mmを13mmに換装した。ガーラントスペ
シャルをまねたのだ。
﹁あたしはねぇ、機首に20mmと13mm積んでもらえれば文句
魔弾の射手
を。
はないよ。あの速度といい、あたしには合ってるかな。Bf109
Fが﹂
アンナはついに手に入れた。
魔弾の射手
1820年に発表され翌年に初演されたオペラ。
作曲カール・マリア・フォン・ウェーバー、台本ヨハン・フリード
その代償は3年後に人間の魂で支払われる。ただし、
とは悪魔との契約によって作る事ができる、絶対に的中す
リヒ・キーント。
魔弾
る弾丸の事。
魔弾の射手の後継者を悪魔に紹介し、いけにえを奉げればこれを免
除される。
射撃の名手であるマックスという青年はアガーテという女性と将来
を誓っていた。アガーテと結婚する為には射撃大会でアガーテの父
から認められなければならない。
しかしマックスはスランプに悩んでいた。そこへ親友のカスパール
が魔弾を使う事を勧める。
マックスは悩んだ末、カスパールの言葉に従って魔弾を使用する事
を決心する。
しかし、カスパールは悪魔と契約をした魔弾の射手であり、マック
159
スのスランプも彼が仕組んだ罠だったのだ。カスパールは悪魔に、
魔弾の射手の後継者にマックスを指名、これから7発の魔弾を鋳造
し、6発は射手の意図する場所に、最後の1発は悪魔の望む場所に
命中するよう依頼した。この時、いけにえにはアガーテを指名する。
しかし悪魔は、後継者は承知したが、いけにえは最後の1発を発射
した時に決めると言った。
そしてカスパールはマックスに真夜中の森で魔弾を7発鋳造させる。
射撃大会でマックスは魔弾を6発使用して優勝する。領主は最後に
空を飛ぶ鳥を撃つように命じ、マックスは空に向けて撃った。これ
は悪魔が望むところへ命中する最後の魔弾だった。
撃った瞬間に魔弾はその弾道を変えてアガーテに向かう。アガーテ
は倒れ会場は大騒ぎとなる。しかし、アガーテは無傷であり、魔弾
に当って死んだのはカスパールだった。
マックスは全てを打ち明け、怒った領主に追放されるが、やがて許
されてアガーテとの結婚も認められた。
﹁では魔弾を鋳造するとしよう﹂
アンナはフィーゼラー社に連絡をとった。
160
Ⅸ−7 エンジン
﹁原因不明の爆発?﹂
﹁そうです。セントローレンスで既に数回の爆発が確認されていま
す。その爆発物はどうやら通常爆弾らしいのです。また甲高い音を
聞いたという報告もあります﹂
﹁爆撃機、いや、戦闘爆撃機かしら。でもどうしてあんな田舎の何
もない村を﹂
﹁わかりません。しかし、何かが始まろうとしている。それは間違
いないでしょう﹂
﹁では、その調査を行えばよろしいのね?﹂
﹁はい、話が早くて助かります。これが資料です﹂
﹁貴方もずいぶんと話が早くなくて?﹂
﹁少尉を見習ったまでです﹂
﹁あら、最近の軍人さんはお世辞も言うのね﹂
若い事務官はそれ以上の会話には乗らず、挨拶をして帰っていった。
ドアも丁寧に閉める。
﹁あの人、感じ悪∼い﹂
﹁何だか嫌な感じよねぇ﹂
ミラとメイのタイプではないようだ。
﹁それより隊長、さっきの話はどうやって調べるんですか﹂
﹁報告書を読んでから決めるわ。今日はお2人で訓練していただけ
る?﹂
﹃は∼い﹄
ミラとメイはピアノのお稽古にでも行くような雰囲気で出て行った。
ローズは2人を見送りながら、もう少しでイギリスSAは最強のチ
ームになると確信していた。聞くところによれば枢軸でもSAが組
161
織されているらしい。しかもあの東洋の島国、日本からも隊員が送
られているというのだ。またアフリカ戦線ではアメリカのSA隊が
活躍しているという。ソビエトからも女性の飛行隊については先進
国として安全な任務に就かせているとの発表があったらしい。
しかし・・・
しかし、我々に敵うチームは無いだろう。ミラとメイの能力と私の
能力、そしてミラとメイの訓練がもう少しで終わる。そうすればミ
ラとメイの操縦技量はもはやトップレベルに近い。
能力とテクニックの融合はとてつもない戦闘力を生み出すだろう。
そう、もう少しで・・・。
もう少し・・・
ローズが抱いた期待と同じ、いや、それ以上の危機を感じる者がい
る。
ローズと互角の空中戦を展開した枢軸SA総隊長のアンナ・ミュー
ラー。
奇しくも両者はほぼ同じ時期からこの問題に取り組んだといえる。
一歩でも早い方が戦いを制するだろう。
◇*◇*◇*◇*◇
ローズは資料を読み続けるうちに、頭の中に一つの黒い物体が浮か
び上がった。
最初の情報は爆弾だった。そこへドイツ軍の運用状況とレーダーサ
イトのデータ、目撃情報を付け合せていく。出てきたのは小型の飛
行機、それを融合すると爆弾に羽が生えた。
痺れに近い感覚が背骨を突き抜ける。
﹁まさか、でも、どうやって﹂
﹁博士、どうかしら?可能かしら?﹂
162
ローズはクリフトンの部屋を訪れ、自分の考えの可能性を訊ねた。
﹁答える前に質問してもよろしいですか?﹂
﹁珍しいわね、どうぞ﹂
﹁少尉はなぜこの話を空軍ではなく私に?﹂
﹁最近の博士は航空機漬けじゃありませんの?﹂
﹁えっ、まぁ、確かに、SAの運営において航空機性能の把握は作
戦上必要ですからね﹂
﹁素晴らしいです﹂
﹁はぁ、これは普通だと思いますが﹂
﹁いえ、博士がSA運営の為に、高い性能ではなく、性能の把握を
求めている点です﹂
﹁やはり、普通だと思いますが﹂
﹁博士もジョンブル魂をお持ちのようね。少し見直しましたわ﹂
﹁そうですか、そんな事言われたのは初めてですね﹂
﹁それはそうとして、空軍ではなく博士に頼みたい理由はもう一つ。
航空機の既成概念にとらわれずにお考えいただけるからですの﹂
﹁それって、シロウトって事ですよね﹂
﹁言葉を変えればそうかしら﹂
ローズは笑いながら依頼の内容を告げ、部屋を出て行った。
クラフトンはローズへの対応も大分慣れたようだ。
ローズはローズでクラフトンに最初から信頼を置いている。そして
その才能を認めていた。
︵後方支援者としてはもってこいの人物だわ︶
◇*◇*◇*◇*◇*◇
ローズがクリフトンの事務室を訪れた時、クリフトンの顔から見え
たのは徒労の影だった。
﹁ローズ少尉、十分に可能です。季節と天候に左右されますが、だ
163
いたいの地域へ落下させる事は可能です。しかし・・・﹂
﹁どうしましたか﹂
運用に値するかどうか。
まずエンジンのスロットルやキャブ、プロペラピッチ、この辺りの
自動化が非常に難しい。私にそれを判断する事はできません。です
から、ドイツがそれをクリアしたと考えましょう。その上で聞いて
ください。
例えば500Kg爆弾と燃料、それにジャイロなどの機材を考慮す
ると、1.2トン程度になるでしょう。
速度は最低でも500km/h、いや、600km/hは必要とし
ます。そうなると機体の全長と全幅はBf109の約70%、重量
は2.2トン程度、850馬力以上のエンジンが必要になります。
この時点で成り立ちません。
使い捨ての航空機に850馬力のエンジンとBf109の約半分の
航空機資材を投入する事になります。それに私の計算では都市とい
う単位への命中率は良くても30%に満たない。
こんな非効率な兵器はありませんよ。ドイツ空軍にパイロットが1,
000人しかいないというなら考えてもいいでしょうし、無尽蔵の
資材があるというなら話は別です。
しかし、この兵器はない。
﹁では、速度を550km/hでは?﹂
基本的には変わりません。
﹁この発想において致命的な部分とは何かしら?﹂
やはりエンジンですね。航空機は黙っていたらどんどん曲がる・・・
。
﹁博士、では・・・﹂
ちょっと待ってくれ・・・。そうかジェットか。簡易なジェットエ
ンジン・・・パルスジェットか!
164
﹁・・・博士?﹂
え?あ、あぁ、すみません!もう少しお時間を下さい。今日の夕方
お越し願えますか?
﹁分りましたわ。じゃ、今日の夕方に﹂
言い終わるや、クリフトンは部屋の奥にある書庫へ向かった。
165
Ⅸ−8 木馬
クリフトンは難解な数学の問題を解いた生徒のように爽快感を、そ
して同時に徒労をも感じていた。
﹁あくまで理論値ですが、例えば大都市。条件さえ整えば60%程
度は狙えるかもしれません﹂
﹁また、兵器として使用できるラインとして速度は550km/h、
爆弾は500Kgとして計算をやり直したところ、機体も小型化が
可能で、最終的には総重量は1.6トン程度です﹂
﹁エンジン及び機体構造が単純で生産も簡易ですし、発射設備も同
じです。モノさえ揃えばゲリラ的な攻撃も可能となるでしょう﹂
﹁ただ、同じものをイギリス空軍が使用すると言ったら、反対しま
す﹂
﹁なぜですの?﹂
﹁戦う道具として当てにならないからです﹂
﹁それでも採用されたら?﹂
﹁他部隊より高い命中率を叩き出して見せますよ﹂
﹁ふふ、本当にあなたはイギリス人らしいわ﹂
それから数日。
イギリスSAの行動はワイト島南端のセントローレンス空域の哨戒
が日課となった。
ついに捕まえた。
﹁これがドイツの飛行爆弾かぁ﹂
ミラとメイはもう興味津々だ。
166
おそらく実験段階なのだろう。だから人目を避けるようにこんな田
舎へ撃ち込んできたのだ。
攻撃態勢に入ったローズは撃たなかった。
ミラとメイを上空に上げ、自らは飛行爆弾に先行する事1,500
m、高度差500m、反転上空から的確な射撃を開始。飛行爆弾は
少し震えるようにバランスを崩したかに見えたが、爆発を起こした。
後には何も残ってはいなかった。炸薬量は500∼800kg程度
と思われた。
戦闘機にやるような迎撃をやると爆弾の爆風を浴びてしまう。小さ
いとはいえ、機体の破片も危険だ。
﹁危険ね。ミラ、メイ、貴方たちは飛行爆弾への射撃は禁止します
わ﹂
﹃えぇ∼、どうして∼﹄
﹁見ていたでしょう?あの爆風と破片が危険なのは分るでしょう?﹂
ローズは帰還後、直ちに事務官へ報告。
報告書と引き換えに調査の続行及び、対策の考案の指令を受ける。
しかしこの事務官は、その報告書を抱えたまま出張先のレーダー基
地でドイツ軍の空爆を受け爆死してしまう。
今のイギリス空軍にとって重要なのは、パイロットと航空機の確保
だった。毎日多くの戦闘機や爆撃機が進入してくる。勿論イギリス
からも発進させている。やらねばならない事が目の前に山のように
あったのだ。
片田舎の爆発事件など、もう誰も関心すら持ってはいなかった。
その翌日、また同じ時間に同じ方向から飛来している飛行爆弾を発
見した。
﹁やはり実験段階のようね、定期便で発射してくれると対策も立て
やすいわ﹂
ローズは上空から翼を狙って射撃。右翼を破壊された飛行爆弾はバ
167
ランスを崩して落ちていく。
﹁さすが隊長∼﹂ミラとメイは嬉しそうだ。
しかし、多銃装備のイギリス機にとってこれは意外と難しい。何し
ろ飛行爆弾の全幅は5m、翼は片方2mちょっとしかない。
今後イギリスパイロットが対応を迫られた場合は可能だろうか?
翌日もまた飛行爆弾は飛来した。
つつ
ローズは飛行爆弾の後上方、ちょうど射撃位置から追従し、安全に
撃ち落す武器はないか思案していた。
しかし、ミラとメイはすぐに対処法を見つけた。
彼女達は持ち前の好奇心で飛行爆弾に接近し、ついには翼で突き始
めたのだ。
そしてミラが飛行爆弾の翼端をヒョイと持ち上げるようにすると、
バランスを崩した飛行爆弾は、さながら攻撃態勢に入った戦闘機の
ように反転降下していった。
﹁なぁ∼んだ、簡単じゃない﹂
﹁これなら爆風をかぶる心配もないよね﹂
﹁隊長∼、これはどぉ?﹂
﹁ふふ、たいへん良くできましたわ﹂
﹁こんなのがロンドンにたくさん飛んできたら大変だもんね﹂
﹁そうですわね。でも、次は発射基地を見つけましょう。それなり
の基地があるでしょうから爆撃の対象としてもらわなければなりま
せんわね﹂
しかしこれらの様子はスパイによってアンナに逐一報告されていた。
﹁よし、ターゲットはデコイを本物と認識した。その対処法も私が
考えるものと同じ全く同じだ。予想していたよりも早いが、かえっ
て好都合だ﹂
﹁発射基地に伝えろ、明日もまた同じ時間、同じ方角へ発射するよ
168
スカイドラグーン
うに。ただし、今度は木馬を使う﹂
木馬とはアンナ達の隠語でイギリスSA隊を撃ち落すための飛行爆
という言葉をアンナは自分の中に抑えた。
弾を指す。
魔弾
◇*◇*◇*◇*◇
今日の飛行爆弾はこれまでと塗装が違っていた。
なんとスプリンター迷彩が施され、これまでと少々形状が異なる尾
翼部分の塗装は赤だった。
﹁へぇ∼、この飛行爆弾はおしゃれしてるね∼﹂ミラはもの珍しそ
うに右から接近した。
﹁でも何度みても変な感じよね、勝手に飛んでるなんて・・・﹂メ
イは飛行爆弾の左から近づいた。
ミラとメイが後方から何かが近づくのに気づいた瞬間、ローズから
通信が入る。
﹁メイ!ミラ!敵機!6時、距離1,300!﹂
﹁いつの間に・・・どうして・・・﹂
メイは察知が遅れた事を疑問に思った。
ミラはその事実に苛立ちを感じながらも言葉は軽い。
﹁何なの?飛行爆弾の護衛?まさかね・・・﹂
﹁こっちも速度が出てるから余裕はあるわ。さっさとロケットを片
付けて、敵機に向かいましょう﹂
ミラのバックミラーが小さな閃光を捉えた。
﹁あ、撃ってきた!この距離で当たるわけないわ、バカみたい﹂
この時、ミラとメイの体に電流が走る。
﹁あッ!!﹂
声にならない悲鳴が2人には聞こえた。
169
ミラとメイの意識に光が走る。
これまで敵機に気付いた事などなかった。全て感じたはずだった・・
・
﹁ミラ!離脱し・・・﹂
V1が爆発し、メイとミラのスピットファイアトは回避しきれず墜
落。
敵機は旋回に入った。
そのメッサーシュミットBf109Fは逃亡を図ろうとしている。
ローズはこの時、敵機を追うべきだと判断した。
私達は飛行気乗りだ。歩兵のように肩を貸す事はできないのだ。
ゆえに合理性が最も優先される。
あのパイロットは最優先の攻撃対象だ。
恐るべき射撃能力を持ち、このミッションに選ばれたパイロットな
のだから。
しかし、ローズは追わなかった。自分でも分からない。自らの判断
に従わなかったのは初めてだった。
ローズは速度を落とし旋回に入る。
この時、パラシュートが開いた。1つ、2つ。
ローズが近づくと、二人とも頭部から血を流していた。
飛行帽は飛んでしまって金色の髪が激しく舞い、小さな体はだらり
として動かない。
なぜ。
あの敵機に気づかなかったの。
定期的な飛来を疑わなかったの。
どうして私は敵機を追わなかったの。
なぜ。
170
どうして涙が出るの。
戦争なんだから当たり前なのに。
涙を流す事に何一つ有利な事はないのに。
どうしてこんなに涙が流れるの。
171
Ⅹ−1 転属
クルセーダー作戦
北アフリカ戦線1941年11月
イギリス軍は
と名付けた反攻作戦によって、
包囲されていたトブルクの開放に成功、ドイツ・アフリカ軍団にイ
砂漠の狐
ロンメルをエル・アゲイラまで撤退させるという戦
タリア軍二個師団で組織されたアフリカ装甲集団の司令官に就任し
た
果を得た。
しかし、イギリス軍の補給路は伸びきっており進軍は停止してしま
う。
一方、ドイツ軍の補給状況も厳しい。
北アフリカへの物資輸送は輸送船に頼っていたが、マルタ島を拠点
とするイギリスの航空・海上兵力によって、その多くが撃沈される
という憂き目にあっていた。その被害は1941年には56%に達
し、ドイツ空軍はシチリア島の航空戦力を増強、イタリア空軍と共
にマルタ島への大空襲を敢行する。
特に爆撃が激しかった1942年6月、マルタに投下された爆弾は
バトル・オブ・ブリテンにおいてロンドン空襲が本格化した194
0年9月の全イギリスに投下された爆弾量に匹敵し、イギリス航空
機の被害もバトル・オブ・ブリテンの915機に迫る707機にの
ぼった。
この戦いは北アフリカという最前線の背後で行われた第2戦線とい
えるが、こと航空戦という点では最前線以上の激戦区域となった。
枢軸SAが所属するドイツ空軍第3航空艦隊の担当地区はフランス
だが、地中海・北アフリカを担当する第2航空艦隊の補強にともな
い、1942年5月枢軸SAは地中海方面に転属となった。
172
ラテン語で
大地の中心
を意味する地中海はヨーロッパとアフリ
カ・アジアを隔てた内海だ。
地中海は比較的穏やかで良港にも恵まれ、その気候と相まって海上
交通が盛んであった。
そして交通の要所とは人や物だけでなく、思想や技術、権力の通路
であり、異なる文化の衝突の場所でもある。衝突の原因は数え切れ
ないが、解決の方法はごく僅かであり、その最たるものが武力衝突
だ。
◇*◇*◇*◇*◇
﹁きゃー!地中海ですよー!﹂
﹁凛、騒ぎすぎだ。あたし達はバカンスに来たんじゃないんだから
ね﹂
﹁銀子さんの言うとおりです。しかし何でしょうこの景色は。底抜
けにという言葉はありますが、ここは天が抜けたような明るさです
ね﹂
ロートヘルツ
ヴァイスヘルツ
﹁こんなところでドンパチかぁ。砂浜でゆっくり日光浴でもしたい
もんだ﹂
枢軸SA日本隊はイタリア隊のクラウディアに先導されてマルティ
ーナ・フランカ基地に向かっていた。
この基地はクラウディアがエレナと面接をする予定だった場所だ。
ナタリアの悪い癖︵居眠り︶のせいでエレナとの面接は行われなか
ったが、エレナが事務官に言った﹁技術と人物は保証する﹂という
評価に感動して即入隊を決めたのだ。
クラウディアの祖先は東ゴート王国の時代までさかのぼるという話
だが、長身金髪碧眼はその源をゲルマンに発しているのかもしれな
い。
それはともかく、今回の行程は次のとおりだ。
フランスの西端ブレストから東進してオルレアンで進路を南東へ、
173
リオン、トリノ、ジェノバとほぼ空輸の航空路を通って地中海の北
部、リグリア海に出る。
そこからはイタリア首都ローマを迂回するように東へ進み、ボロー
ニャへ、ラヴェンナからはアドリア海沿いにリミニ、アンコーナ、
ベスカーラ、フォッジャ、そしてマルティーナ・フランカへ。
距離にして2,100km。零戦にとって巡航速度であれば増槽が
無くとも可能な距離だが、SA隊が所有する零戦は改修によって燃
料搭載量が15%ほど低下しているので増槽を使用する事とした。
4日前。ブレストにあるドイツ空軍基地。
﹁これで2,600kmは十分に飛べるだろう﹂
整備を担当している秋月の言葉に、クラウディアは改めて驚きの声
をあげた。
﹁単座戦闘機ですよね﹂
﹁まぁな、増槽付きなら3,300kmがスペックだけどな﹂
﹁さ、3,000・・・爆撃機のSM.79並じゃないですか﹂
﹁そうさ、この戦闘機は爆撃機の全行程について護衛が可能なんだ﹂
﹁太平洋の戦闘は想像もつきません﹂
﹁それは俺たちも同じだった。ヨーロッパの戦いは濃密だ﹂
﹁秋月殿は日本では何を?﹂
﹁俺は以前、戦闘機乗りだった﹂
﹁以前?﹂
﹁まぁ、今じゃ整備の仕事でいっぱいいっぱいだ。哨戒任務で何度
か飛んだが、戦闘は一度も無かった﹂
﹁優れたパイロットだと聞いていますが﹂
﹁誰が言ったのか知らんが、それは褒めすぎだ。技量としてはそこ
そこってところだよ。だが、どんな任務にでも就く準備はいつもで
きてる﹂
﹁はい﹂
どうやら秋月とクラウディアは気が合いそうだ。
174
ねぇ
﹁銀姉、秋月さんとクラウディアさんは随分と仲が良いですね﹂
﹁は?あたいの知ったこっちゃないよ﹂
﹁そう?ですか。それにしても、クラウディアさんの体型は反則で
すよね﹂
﹁まぁ・・・ね﹂
﹁なのに男慣れしてないっていうかうぶで一途な感じですもん﹂
﹁男としてはたまらないだろうね﹂
﹁零戦の飛行訓練で一緒にいるし・・・﹂
﹁凛っっ!!﹂
﹁は、はいっ﹂
﹁あたしをイジるなんて10年早いよ!﹂
﹁いえいえいえ、そんな・・・﹂
﹁いいから搭乗しな、久しぶりに揉んでやろうじゃないか﹂
﹁いえいえ、零戦は整備中の機体もあるし余ってませんよ﹂
﹁いーや、練習機のユングマンがあるだろ﹂
﹁え゛?﹂
﹁なんだい、不満かい?﹂
﹁あの∼、機体を回すんですか﹂
﹁あぁ、グリグリにね!﹂
﹁いやぁ∼!お昼食べたばかりなのに∼﹂
ヴァイスヘルツ
マルティーナ・フランカはイタリア隊の本拠地だった場所で、枢軸
SAはここを当面の拠点として活動する予定だ。
それにしても、この基地からマルタ島まで600km、ギリシャ戦
線は400kmの距離でしかない。
京子も銀子もこの距離感には未だになじめないでいる。メッサーシ
ュミットやスピットファイアにとっては行動範囲外といえる距離だ
が、零戦にとってはほんの一息の距離だ。
今回の移動ではその零戦を使用する事になっている。地理を頭に入
175
れるために長時間の飛行が効率的と判断されたからだ。先導を命じ
レイセン
に乗れるとは光栄です﹂
られたクラウディアは狂喜した。
﹁
クラウディアはゼロではなく、きちんとレイセンと呼ぶ。そこがク
ラウディアらしいところが、実はナタリアやエマ、はてはエレナま
でこの先導役を買って出てひと悶着あったらしいのだ。
176
Ⅹ−2 工具
﹁何て言ったらいいのかな、私はイタリア隊のリーダーとして知っ
ておく必要があると思うんだ・・・。勿論知るためには搭乗するの
が一番だし、ある程度の時間も必要だ。それが任務と並行して行え
るのは実に効率的ではあるな、うん﹂
これに対し、いつもは控えめなエマが手を挙げて立ち上がった。
﹁あの、お言葉ですが、私は枢軸SAの機体から装備、備品から消
耗品に至るまで調達を担当しています。今後の作戦においてゼロが
必要な場合を想定せねばなりません。当たり前ですが戦闘機はただ
単独で使用されるものではなく様々な装備や補充を含めて運用され
るのです。ここまで説明差し上げればご理解頂けると思いますが、
ゼロを知る必要性について最も優先されるのは私ではないかと考え
る次第です﹂
﹁私は・・・ゼロに乗りたいの﹂
さして主張できる理由がないナタリアは立ち上がってストレートに
願いを発言した後、俯くようにして座った。
クラウディアが手を挙げた。3人とは違い発言の許可を得てから主
張する。
﹁私もナタリアと同様に正当な理由はありません。しかし軍人であ
る以上、兵器に対しては強い関心があります。私はまさしくパイロ
ットであり命を懸けて飛んでいます。目の前に優秀な兵器がある。
軍人として生まれたからにはどうしても搭乗したい。是非とも機会
軍人として生まれた
などとは将軍ですら言わないだろう。
を与えていただきたく強く希望します﹂
今時、
しかし、いかにもクラウディアらしい発言だった。クラウディアの
人間性はそこから出発しているのだ。
腕を組んで聞いていたアンナは視線を前に向けると、テーブルに肘
177
を着き、顎の前で手を組んで言った。
﹁エレナは今回の転属に伴い、先行して動いてもらいたいから却下。
エマも同様の理由でエレナに同行してもらうから却下﹂
ナタリアとクラウディアが顔を上げた。2人とも複雑な表情をして
いる。
﹁ナタリアとクラウディアは正当な理由がない。故に私が行こう﹂
﹃はぁ?﹄
思わず出た声にラルとナタリアは口を手で押さえた。
﹁冗談だ。適性を判断してクラウディアに行ってもらう﹂﹁では、
クラウディア・フィオーレ一等准尉、日本隊3名に対するマルティ
ーナ・フランカへの誘導およびイタリア方面の地理教授を命じる﹂
﹁はッ、喜んでお受けいたします﹂
銀子が﹁よろしくな﹂と声をかけ、京子はエレナにクラウディアを
お借りしますと礼を言った。凛はナタリアに次の機会に一緒に飛ぼ
うと慰めている。
ロートヘルツ
そして数日後、日本隊はブレストを出発、同日、マルティーナ・フ
ランカに到着する。
先行していたエレナとエマに出迎えられた日本隊は、後発のアンナ、
ラル、ナタリアが到着するまで地中海の空を満喫するのだった。勿
論エレナとエマは零戦に乗ったし、一方の日本隊は基地に配備して
あったイタリア戦闘機に乗ることができた。
そしてSA付として、秋月、オットー、ラウターが合流。エマの負
担を軽減すると共に、整備員を固定する事で新たな任地での摩擦を
軽減しようというのだ。
﹁お譲ちゃん、久しぶりだな﹂
オットーの声にドイツ隊が振り返った。
ドイツSAが慰安中だった基地が急襲を受けた時、整備員だったオ
ットーと面識を持ったのだ。
178
その時、オットーと言葉を交わしたアンナはこの整備員が自分より
強いと感じた。
事実、オットーは優れた技量を持ちながら、ある事件をきっかけに
戦闘機に乗る機会は奪われてしまったのだ。
突然の配置換えが通知され、新たな任地で行われた検査で眼に障害
があるとの診断された。
診断結果に驚き、そして理解した。オットーは飛行隊の訓練につい
てソ連に協力した事がある。勿論、上からの命令だ。それに参加し
た関係者は後に散り散りに配属され空から追われていった。
腐っていたところに現れた3名の女性パイロット。そのうちの1人
は少女と言ってよい年齢だった。
しかも閃きを操れるという。隊長も相当なものだった。
﹁よう、お譲ちゃん、ドーバーじゃだいぶ暴れたらしいな﹂
一同は驚いた。オットーがお譲ちゃんと呼んだのはアンナ隊長だっ
たのだ。
﹁はい。あなたがいらっしゃらなければ今の私達はありませんでし
た。改めて御礼申し上げます﹂
﹁おぉっと、相変わらずカタイな。そんなんじゃ男も寄ってこんだ
ろう。まぁ、ワシでよければ食事ぐらい連れて行ってやろう﹂
エマとラルは青くなっている。
﹁じゃ、俺も立候補しようかな﹂
秋月がおどけた調子で言う。
銀子がにらみ凛は首をすくめた。
﹁私も随分ともてるものだな。では、明日にでもお願いするとしま
しょう﹂
﹃えぇっ!?﹄
﹁明日は自主訓練の日なので調度良かった。お相手願いたい﹂
アンナの自主訓練は見ている者が苦しくなるぐらい厳しい。もはや
訓練を通り越して修行、いや苦行だと言っても過言ではないほどだ。
179
﹁ん∼、この基地の整備工具は今ひとつだからな、明日のうちに調
達せんとな。このままでは今後の整備に支障がでそうだ﹂
﹁じゃ、俺も手伝いましょう﹂
﹁おぉ、秋月、そうしてくれるか。助かるな。じゃ、ワシと二人で
出かけるとしよう﹂
﹁何やってんだい、自分で首突っ込んどいて。日本男児ならバシっ
と模擬戦でもやってみなよ﹂
﹁いやいやアンナ隊長の自主訓練は激しい上に長時間やるから付い
て行けないって﹂
﹁そうだ、ありゃ寿命が縮む。ワシも無理だ﹂
﹁ふん、だらしない男どもだね﹂
◇*◇*◇*◇*◇
昨年12月に日本がアメリカの真珠湾を攻撃して始まった日米戦は
瞬く間に枢軸国対連合国の様相を呈してきた。
開戦以来、日本軍はまさに破竹の勢いであり、陸海軍の航空兵力も
真珠湾奇襲、マレー沖海戦、翌1942年にはジャワ沖海戦、セイ
ロン沖海戦とその力を遺憾なく発揮していた。
しかし水面の波紋が広がるほどに弱くなるように、急速な戦線の拡
大は国力に見合ったものではなかった。
このような時、何かしらのきっかけで全てが崩れ始めるものだ。
3月にアメリカ陸軍機P51ムスタングがイギリスに渡った。
この機体はP−40と同じアリソンV−1710エンジンを搭載し
ており、低空域以外での性能は決して高くはなかったため地上攻撃
ムスタ
や偵察にしか使用されなかった。ヨーロッパの一線級戦闘機との戦
闘は無理と判断されたのだ。
ング
しかしロールス・ロイスのマーリンエンジンが搭載されるや、野生
180
馬は文字通り駿馬へと変貌する。この機体は後に長距離護衛戦闘機
として守勢に回った枢軸国を苦しめる事になるのだ。
また、翌4月には米空母ホーネットから発進したB25ミッチェル
16機が東京・川崎・横浜・名古屋・四日市・神戸の爆撃に成功。
これが日本を制海圏拡大に向かわせ、戦局の転換点といわれるミッ
ドウェー作戦が発動される事となる。
転換期やきっかけとは既に結果でしかないのだ。本当の原因とはな
かなか見えない、いや後でなければ見えないものなのである。それ
が見えるからこそ英雄は存在するのだ。
181
Ⅹ−3 復帰
1942年4月
ドゥーリットル中佐が率いる16機のB25ミッチェルが米空母ホ
ーネットから発進、日本本土を爆撃した。
この米国民を狂喜させた攻撃も、日本から同盟国へ伝えられる事は
ロートヘルツ
無かった。
枢軸SA日本隊が地中海に進出したのは丁度この頃であるが、伝え
られた太平洋方面の情報は日本の連戦連勝であり、日本隊のみなら
ず、ドイツ隊・イタリア隊をも狂喜させた。
日本軍の戦果は航空機が海戦の帰趨を左右する事を証明した。
それは痛快ではあったがアンナは胸騒ぎを覚えるのだった。
﹁空母とは航空機という砲弾を持つ戦艦だ。日本空軍はこれまでの
日本空軍
という言葉を使った。海軍と陸軍がそれぞれ
戦艦をお払い箱にしてしまった﹂
アンナは
に航空部隊を持つという事は合理主義のドイツでは理解しがたいの
だろうか。いや、海軍と陸軍の混成となっている日本隊への配慮な
のかもしれない。
そのドイツは元来陸軍国ではあるが、第一次世界大戦前にはイギリ
ス海軍に次いで世界第2位の戦力を誇り、アメリカや日本を遥かに
凌ぐ強力な海軍を保有していた。実際に第一次世界大戦前後に竣工
された戦艦と巡洋艦の数はイギリスの40隻に次ぐ25隻だ。
1935年にドイツが再軍備を宣言した際、建艦計画︵Z計画︶に
基づいて、シャインホルスト級2艦︵シャインホルスト、グナイゼ
ナウ︶の建造を再開、ビスマルク級︵ビスマルク、ティルピッツ︶
が起工される。
陸軍の機甲師団、空軍の航空艦隊、そして海軍にも並々ならぬ力を
注いだのである。
182
しかし建造経験が無い空母は、戦艦や潜水艦に比べ大幅に遅れてし
まう。やっと1936年に起工した空母グラーフ・ツェッペリンも
1938年に進水したものの、第二次世界大戦の勃発により艤装工
事が中断されてしまっていた。
﹁ドイツ海軍の空母グラーフ・ツェッペリンは貴国の空母赤城を参
考に設計されたのだ。今年に入って艤装工事が再開されたというが、
もし工事が中断されていなければ今頃、Uボートとの連携によって
大きな戦力となっていただろう﹂
また、空母不要を主張していたイタリアは、世界大戦勃発後にやっ
と空母の保持を決断、時間的な余裕が無いため客船を改造する事と
し、客船ローマを空母アクイラへ、客船アウグストゥスを空母スパ
ルヴィエロへとそれぞれの改造工事を急いでいたが、大戦に間に合
う事はなかった。
つまり、ヨーロッパの海はイギリス海軍の独壇場といって良かった。
太平洋戦線ほど広大な作戦区域を持たない欧州戦線とはいえ、動く
航空基地ともいえる空母の利用価値が大きい。
イギリス空母の搭載機数はタラント空襲を行ったイラストリアスが
30機、新鋭のアーク・ロイヤルは60機、ドイツのグラーフツェ
ッペリンが40∼50機、イタリアのアクイラ51機、スパルヴィ
エロは34機となっているから、日本の翔鶴型が70∼80機、ア
メリカのヨークタウン級で90機などと比べるとやはり搭載機数は
少なめだ。
これも補給を含めた作戦区域による用兵の違いだろうが、イギリス
の場合は、艦隊決戦を想定していない事と、ワシントン海軍軍縮条
約でアメリカと並んで最大の戦艦保有トン数を確保していた事、そ
して根底には大鑑巨砲主義があったに違いない。
また、日本も主力艦を抑制されたから空母に走ったのであって先見
性によるものではない。つまり、ドイツやイタリアが特別劣ってい
183
たとはいえないのだ。
◇*◇*◇*◇*◇
ドーバー海峡から枢軸SAは目撃されなくなってから数ヶ月が経つ。
新型の兵器をも投入し、ドーバーの薔薇が率いるイギリスSAのド
ラグーン隊を稼動不能に追い込んだ、枢軸国の女性パイロットで構
成された飛行隊。青、赤、白の心臓を持つ彼女達はどこへ行ったの
だろう。しかし、噂でしかない飛行隊を考えているほどの余裕はイ
ギリスには無かった。
相変わらずドイツ機は侵入してくるし、イギリスからもドイツの工
業地帯へ爆撃を行う。
北アフリカではロンメルが息を吹き返し、中東やバルカン、インド
方面にも戦力を割かねばならない。
しかし、そんな中でも漏れ聞こえてくる北アフリカのSA隊。こち
らは公式ではないにしてもアメリカ将校や軍属の子女で組織されて
いるという。
そんな中、機首に稲妻を描いたスピットファイアが空に舞った。
﹁いかがかしら、半年振りの空は﹂
﹁相変わらず雲が多いですよね﹂
﹁何言ってんのよ、ミラったら!隊長、私は違和感ないです﹂
﹁なによメイったら偉そうに!隊長!私もオッケーです﹂
﹁そう、それは良かったわ﹂
ミラの右目とメイの左目には黒い眼帯が掛けられている。海賊みた
いねと明るくはしゃいではいたが、顔に傷を負い視力を失ったとい
う事実は少女たちの心にどれだけの傷をつけたのだろう。
それに対してローズは何もしなかった。片目を失おうと、今の彼女
達をそのまま受け入れる事がローズにできる事だからだ。
そうだ。失ったものを数えるから心の傷は痛むのだ。いま手にして
いるものを見つめ、鍛え、大事にしよう。
184
ローズは逆に彼女達から力を得たような気分だった。その力によっ
て何事も無く振舞う事ができるのだ。
﹁視界が狭いから首が凝っちゃいそうよ﹂
﹁そうね。でも、やっぱり空はイイわ∼﹂
﹁メイ、ミラ、我々は戦闘隊形を考え直さなければなりませんの﹂
﹁えぇ∼、今までどおりで大丈夫ですよ∼﹂
﹁よいこと?私はもう2度とあんな思いをするのは嫌なの。私も自
分にこんな感情を持つなんて思いもしなかったわ﹂
﹃・・・ありがとう﹄ミラとメイは一筋づつの涙を流した。
ローズが速度を上げた。
メイとミラも慌てて追従する。
﹁通常の隊形なら、メイは私の右側、ミラは左側、そうすれば視界
をフォローできるわね。ただし攻撃する時は2人だけの機動になる
から心を上手く繋いで頂戴﹂
﹁はい、大丈夫です。私が右半分、メイが左半分、2人で1人だと
思えばいいのよね﹂
﹁あら、じゃぁ、紅茶とクッキーも1人分でいいのかしら?﹂
﹃それはだめぇ∼∼!!﹄
﹁ふふ、冗談ですわ。クリフトン博士の楽しみが減ってしまいます
もの﹂
無線機から無邪気な笑い声が響いた。
﹁2人とも聞いて欲しい話があります﹂
﹃何ですか∼﹄
﹁私達ドラグーン隊の仲間が増えます﹂
﹃・・・えっ?新しい人が来るの・・・﹄
ミラとメイの声は硬かった。元々他人に馴染まない2人だ。不安は
あるだろう。しかも久しぶりに復帰したばかりなのだから。
しかし、ローズとしても時間がなかった。ミラとメイが戦闘に耐え
られるかの確認が必要であったからギリギリまで待ったのだ。
185
ミラとメイ。特殊な能力を持つ双子の姉妹。目には見えないものを
感じ、お互いの情報を共有する。
その力ゆえ、2人だけの世界に閉じこもった。
その世界に入る事を許されたのがクリフトンで、こじ開けて入った
のがローズだ。
しかしこの2人以外には以前と変わらず心を開く事はなかった。
その点がこれだけの技量を持ちながら運用が難しい理由であり、ロ
ーズがソ連SAとの合流を懸念する理由であった。しかし、それは
とは言わず、
私
と言った。
クリフトンを含めた4人が一緒にいられる理由でもあるのだ。
ローズは意を決して口を開く。
我々
﹁私はエジプトに行きますの﹂
﹃え?﹄
ローズは
﹁軍からの命令がありました。ソ連のSA隊と合流し、北アフリカ
に展開しているアメリカの女性パイロット達とも接触します。最終
的な目的は彼女達とスカイエンジェル隊を作る事になりますわね﹂
﹃・・・﹄
﹁・・・﹂
﹁エジプトにソ連にアメリカ?ちょっと遠くない?﹂
﹁違うわよミラ、エジプトに行ってソ連とアメリカのSA隊と戦う
のよ﹂
﹁2人とも違いますわ!﹂
﹁ソ連とイギリスは対ドイツという点で協力しています。ソ連は物
資援助の代わりという訳ではないでしょうが、地上攻撃に優れた飛
行隊を北アフリカに派遣すると言っているらしいわ。それが女性パ
イロットで編成された、いわばソ連のSA隊なの﹂﹁そして北アフ
リカにはアメリカ人の女性パイロットがいるらしいわ。北アフリカ
に展開しているのはイギリス軍だから彼女達を取りまとめて運用で
きるようにというのが軍の命令内容ですの﹂
186
﹁それで、お2人に相談が・・・﹂
﹃行きます!﹄
﹁え?﹂
・・・・
﹁ローズ隊長、連れて行って。もう昔みたいに2人ぼっちになるの
は嫌だもん﹂
﹁分かりましたわ。一緒に頑張りましょう﹂
﹁あ、先生は?﹂
﹁勿論同行願う予定よ。博士がいなかったらドラグーン隊じゃあり
ませんもの﹂
﹃やったぁ∼!!﹄
﹁隊長、エジプトってどうやって行くんですか﹂
﹁勿論、船ですわ﹂
﹃え゛ぇ゛∼﹄
無線からは明るい声が一転、船が大嫌いな2人の悲鳴が響くのだっ
た。
187
Ⅹ−4 回廊
1941年8月にイギリスとソ連は南北からイランに侵入して占領
下に置き、ペルシャ湾から陸揚げされた物資をカスピ海沿岸のアゼ
ルバイジャンを経由してソ連に至る輸送ルート︵ペルシャ回廊︶を
確保した。
その輸送ルートが安定しはじめた1942年3月、このペルシャ回
廊を物資とは逆の南へ飛ぶ3機のIl−2シュトルモビク攻撃機が
目撃されている。対ドイツ戦でイギリスと連合したソ連がイギリス
との共闘を目的として北アフリカ戦線に送り込んだ特別任務部隊だ
という噂だ。
またある情報ではロンメルの北アフリカ軍団への対抗策としてタン
クバスターのシュトルモヴィクを供与したともいわれているし、空
輸には女性パイロットが従事しているとの証言もあった。
事実、ソ連が派遣したのは3名の女性パイロットだ。ソ連はドイツ
のソ連侵攻によってイギリスと同盟関係となり、イギリスよりSA
の存在が聞こえるや、シスター隊をソ連SAとして積極的に送り出
した。女性パイロットという先進的な国家のアピール、イギリスに
恩を売るという打算、ロシア正教徒の厄介払い、ソヴィエト政権に
とって悪い話ではなかった。
◇*◇*◇*◇*◇
﹁ナターシャ、お別れね﹂
﹁・・・はい、シスターを始め、皆さんには大変お世話になりまし
た。昨夜は送別の席まで設けて頂き感謝しています﹂
﹁いいえ、私たちの方こそ。本当に・・・・﹂
老シスターは楽しかったという言葉を飲み込んだ。
188
﹁この協会はどうなるのでしょうか?﹂
﹁まだ何の命令も無いの。協会はこのままでも基地の要員はこのま
まという訳にはいかないでしょう﹂
新たな飛行部隊が来るのなら別でしょうが、飛行機も全て移動して
しまったので、この基地は廃止になるのでしょう。整備兵は農夫と
して働くのかもしれませんね。
﹁ではこのまま協会は残るのでしょうか﹂
﹁そうでしょうとも。ソヴィエト評議会は私たちを嫌ってますから
ね。できればこの田舎に閉じ込めておくのでしょう﹂
ソフィアは老シスターの言葉を聞いて、そうだろうかと思った。評
議会で育てられたソフィアは評議会の性格を知り尽くしていた。そ
れは一言で言えば猜疑心の固まりだ。
一度疑ったらもう二度と信じない。いや、最初から信じる事などな
いのだ。
老シスターが言う、基地が閉鎖して教会だけが残るという考え方は
どうだろう。
そんなに甘くは無い
ソフィアは確信的にそう思った。
そして国外に送られ、監視が不要となったはずのシスター隊に含ま
れている自分は、すでに疑われているという事だ。
政治を一新する為にどうしたら良いか?
これまでの国を無くしてしまえばいい。
新しい思想を根付かせる為にどうすれば良いか?
宗教と文化を根絶やしにすればいい。
権力を守るためにどうした良いか?
賛同しない者を粛清すればいい。
ソフィアの大柄な身体が何かを予感するように震えた。
﹁ソーニャ﹂
189
老シスターに声を掛けられ、身体は無意識にこわばった。
傍らには自分を見上げる顔に暖かい目がある。
﹁ナターシャとニーナを頼みましたよ﹂
﹁ええ、それは勿論・・・﹂
ソフィアの言葉は途切れた。老シスターの目に覚悟と決別の色が見
えたから。
あぁ、分かっているのだ、この老シスターは。
この基地を評議会が放置するはずもなく、そうなれば新しく部隊が
到着するだろう。整備兵は厳しい監視と劣悪な環境の下で過酷な労
働に従事する事だろう。
むしろ消えるのは教会なのだ。
悲惨な未来が待っているに違いない。
﹁イランからアフリカまで行くと聞きました。私は心配でなりませ
ん﹂
心配を口にする老シスターの傍らにはいつの間にかニーナが立って
いた。
﹁シスター、あの、すみません。猫をお願いします﹂
ニーナがおずおずと言うと、老シスターは笑顔を返した。
﹁大丈夫。任せて頂戴。戦争が終わってあなたが帰ってくるまで面
倒を見てあげるわ﹂
﹁私が・・・帰ってくる・・・?﹂
﹁そうよニーナ。あなたが帰ってくるのはここよ。この協会なの﹂
﹁何も変わらないわ。冬の寒さも雪の白さも、夏の草原も黒い土も﹂
﹁帰ってくる場所・・・私の・・・﹂
﹁そうよ、皆が待ってるわ﹂
﹁みんなが待ってる、私が帰る場所・・・﹂
景色がぼやけた。
ニーナは流れる涙を拭いもせずただ立ち尽くしていた。
190
ソフィアは空を見上げた。涙がこぼれそうだったから。
老シスターは優しかった。その笑顔も声も料理も、そして嘘も。
◇*◇*◇*◇*◇
ソビエトSA隊は1941年12月にドイツ軍が侵攻を停止、退却
するや翌年早々に解体された。
軍当局はナターリア達の戦果を過小評価していた。正確な報告が無
かったからだ。
シスター隊と共同して戦いに赴いた近隣基地からの報告を鵜呑みに
したからだ。近隣基地ではシスター隊の戦果を自分たちの戦果とし
て報告していた。
監視員として送り込んだソフィアの報告も信用しなかった。ソフィ
アが正教徒であったからだ。
ソ連SAの移動には、途中からイギリス空軍のキティホークが2機、
護衛と先導を務めるために合流したものの、決して簡単な行程では
なかった。
まずイラクが情勢的に不安定だ。
イランやイラクも地中海︵特にバルカン半島︶と同じく交通の要所
強引なソ連
と
戦いにはシビアなイギリス
が示し合
なのだ。経済にせよ軍事にせよ力はその要所を通ろうとする。しか
も今回は
わせたゴリ押しだ。イラクは中立を宣言していたが、イギリスもソ
連も意に介さず侵入する。イラクはアメリカに仲介を依頼したもの
の、にべもなく断られている。
このように力がない中立とは何の意味もなさない。なぜなら、侵略
も防衛も中立も同じく国家の方策であり実施するには力必要だから
だ。力がなければ、侵攻や防衛ができないのと同じように中立も守
れないのだ。
191
3機のIl−2は少しでも航続距離を伸ばすため装備を外したが、
それでも航続距離はやっと850kmだ。
武装はShKAS7.62mm機銃×2のみとし、爆装は勿論のこ
とVYa23mm機関砲×2と12.7mmリモコン機関銃も撤去
している。
しかも気候の変化により機体にも問題が多く発生したため、調整を
行いながら移動しなければならなかった。そしてついには1機を放
棄せざるを得なくなる。
そしてアンマンでアメリカSAと合流。次いでイギリス隊に合流し、
ついに連合SAが結成される事になった。
192
Ⅹ−5 想定外
﹁暑いな。ニーナ、大丈夫かい?﹂
﹁はい。だいぶ慣れました。でも眼が痛くって﹂
﹁きついなら地上でもゴーグルをしな。パイロットが眼をやられた
らおしまいだからね﹂
そう言うソフィアも額に手をかざしている。
気候と同じ位慣れてきたアメリカ隊との訓練が終わって、今は休憩
中だ。
﹁キャサリン、隊長達は?﹂
﹁緊急の作戦会議が行われているようです﹂
﹁作戦会議?何の?﹂
﹁分りません。でも、枢軸に女性パイロットの部隊があるそうです。
イギリスのドラグーンは枢軸SAに撃墜されたと聞きました﹂
﹁えぇ?あいつ等を墜とす奴がいるのか?しかも女だって?﹂
﹁はい。そしてその枢軸SAが地中海方面で目撃されています﹂
﹁マジ?﹂
﹁はい。彼女達の機体には白・黄・青の心臓がペイントされている
ので間違いないと思います﹂
﹁そうか。しかしイギリスのローズもすごいけど、おたくの隊長も
異常に強いね。ちょっと相手してもらったけど、全く相手にならな
いよ﹂
﹁隊長はソフィアとニーナは短期間で私やパトリシアを超えるだろ
うと言ってました﹂
﹁ふ∼ん、おたくらに発破かけたんじゃないの?﹂
﹁それは分かりませんが、現時点ではあなたより私の方が上です﹂
﹁そりゃ、わかって・・・﹂
﹁そして、私もこのままではあなた達に抜かれてしまうと理解して
193
います﹂﹁だから分かりませんよ。どちらの方が強くなるのかは﹂
﹁ははっ、さすがに戦場に出てる女は違うってかい?これからはキ
ャシーと呼んでいいかい?﹂
﹁はい。パトリシアもパットと呼んだ方が喜ぶでしょう﹂
イギリスSAと合流してからキャサリンは変わった。空の戦いにの
めり込んでいったのだ。
それに伴なって言動も変わっていく。もう大農場のわがままな一人
娘ではない。
キャサリンは思う。﹁私はまだまだだ﹂
単機で戦えばローズに勝るパイロットはいないだろう。しかもイギ
リス隊には双子の稲妻が居る。彼女達の戦いは自分がどんなに努力
しても立ち入る事を許されない領域のものだ。
唯一ドロシーが彼女達に相対する事が可能だが、チーム戦となれば
勝ち目は無い。
と呼ばれたのも納得がいく。
一方、ソ連隊の対地攻撃能力はドロシーですら舌を巻くものだった。
悪魔の鎌
特筆すべきはニーナだ。合流当初、戦闘機での模擬戦では全く良い
ところが無かった。これまで攻撃機一辺倒だったのだから致し方な
いが、避けるタイミングが撃たれてからなのだ。
しかし、ローズとの模擬戦でニーナは能力の一端を見せた。ローズ
が射撃位置を取れないのだ。
それまでの模擬戦ではキャサリンですらやすやすと撃墜できる位置
につけたのに。
後になって分かった事だが、ニーナの能力は危機回避だという。
模擬戦では射撃の意志が無い、つまり攻撃を受ける危険性が無いか
ら能力が活かされなかったのだ。
ローズはニーナのパイロット適性を計るつもりで意識を飛ばした。
﹁撃つぞ﹂と。
ニーナ機はローズの射線から逃れ、その後一度たりともローズ機の
194
射線には入らなかった。
﹁それにしても、イギリス隊は全員が能力者って事だね。悔しいけ
ど、チームとしてはイギリス隊が抜けてるって事になるかな﹂
﹁ドロシー隊長はチーム戦力は個人戦力の和ではないと言ってまし
たけど、イギリス隊の能力はチーム戦力としても有効に機能してい
ると思います﹂
﹁そうだな。そのミラとメイを墜としたっていうなら枢軸のSAも
相当なもんだな。それとも3対9で戦ったとか?﹂
﹁いえ、敵は1機だったそうです﹂
﹁い、1機!?﹂
﹁正確に言うと2機でしょうか。無人の飛行機に爆弾を積んでイギ
リスを爆撃するという作戦を囮にしたんです﹂
﹁無人?無人の飛行機がどうやって飛ぶんだ?﹂
﹁それは・・・分かりません﹂
﹁ジャイロスコープと高度計ですよ﹂
声の主はイギリスから到着したばかりの軍属だった。
栗色の髪に眼鏡、少し疲れた顔には不精髭が伸びている。彼は手帳
を閉じながら説明を続けた。
﹁パルスジェットエンジンを搭載した機体にジャイロスコープと高
度計を搭載、方角と高度を設定して誘導します。距離は機体の先端
についたプロペラの回転数で割り出し、設定した回転数でエンジン
が停止して急降下する設計です﹂
薄い防砂コートを羽織った軍属は口元に笑みを湛えている。
﹁あんた、新しくイギリスから来たって言う・・・﹂
﹁はい。クリフトンです﹂
キャサリンは口を押さえるようにして言った。
﹁あなたがクリフトン博士ですか﹂
﹁ええ、本当はローズ達に同行する予定だったのですが、ちょっと
195
野暮用というか後始末に手間取りましてね。軍人というのは自分た
ちが知らないという状態を極端に恐れる方々ですから﹂
ソフィアが好奇心に満ちた表情を見せた。
﹁博士って、飛行機の?﹂
﹁いえ、私は心理学の方です﹂
﹁は?心理学の先生が何で飛行機なんかいじってるんだ?﹂
﹁行きがかり上そうなったというか・・・ローズ達と一緒では航空
機に詳しくならないではいられなかったのです﹂
ドクター
﹁ミラとメイは先生が来るって言ってましたけど﹂
﹁まぁ、彼女達とは長いのでね。でも、一度も博士と呼ばれた事は
ありません﹂
日頃のミラとメイの言動を知っている4人から笑い声が漏れた。
﹁ところで博士、飛行爆弾とは対地攻撃に使用されるのではないの
ですか?なぜ戦闘機が撃墜されたのでしょうか﹂
﹁私はあの作戦、ミラとメイを狙った作戦を決して許しません。し
かし、その内容は見事と言わざるをえない。あの飛行爆弾が通常使
用される兵器であるならばこの作戦を思いつくかもしれません。し
かし、まだ実験途中という段階で本来とは別の目的のために用いた
のです﹂﹁しかもSA隊の配属先と任務、軍の考えまで読みきって
いるし、制式兵器で無いからこそピンポイントでSA隊を狙えたの
です﹂
ルフトバッフェ
﹁ドイツの空軍の作戦室にはとんでもない策士がいるって事ですね﹂
しか考えられませんわ﹂
﹁いや、ドイツ空軍として動いた形跡はありません。むしろ作戦自
鉄の薔薇
体を知らなかったようです﹂
﹁じゃ、誰が?﹂
﹁ドイツSAを率いる
いつの間にか左右にミラとメイを伴ったローズがいた。
﹁せんせ∼﹂
ミラとメイはクリフトンにまとわりついた。
﹁ミラ、メイ、隊長の言う事を聞いていたかな?﹂
196
﹃いい子にしてたも∼ん﹄
年齢が若い上に元々子供っぽい外観と言動の2人だが、クリフトン
に甘える様子は更に2人を幼く見せた。
﹁お久しぶりです隊長﹂
クリフトンは未だにぎこちなさが抜けない敬礼をローズに向けた。
﹁飛行爆弾の後始末は大変だったようですわね。でも、やっとドラ
グーン隊が揃ったわ﹂
ローズの優しさは常にさり気ない。だからそれを見出した者の心に
響くのだ。
﹁マルタ航空戦で9機の枢軸SAが確認されています。まだ機体マ
ークだけですけど﹂
﹁そうですか。これから更にマルタ航空戦は激しさを増すでしょう
ね。この地はあまりに過酷な環境です。結局は補給が戦いを左右す
る事になるでしょうから﹂
﹁今日の作戦会議はもしやマルタ航空戦への参加についてですか?﹂
﹁いえ、連合SAはここを動きませんわ。ドイツのマルタ島爆撃が
激しくなれば枢軸SAは北アフリカへ押し出されるんですもの﹂
ローズは不確定な内容を断定的に言った。
﹁お話が盛り上がっていたようですけれど、博士は諸々の手続きを
済ませてもらえませんこと?﹂﹁SAメンバーには、紹介する場を
正式に設けますわ﹂
ローズはそう言うとミラとメイを連れて飛行場へ向かった。また哨
戒任務に就くようだ。
﹁じゃ、皆さん失礼するよ﹂
﹁あ、博士。あと1つだけ﹂
キャサリンが一歩踏み出すようにして声を掛けた。
﹁何でしょう﹂
﹁飛行爆弾の起爆はどうやって?﹂
197
﹁ミラとメイが囮の飛行爆弾に近づいたところを遠距離からの射撃
で爆発させたようです。1000m程度後方からの射撃と聞いてい
ます﹂
﹁1000!?﹂
﹁想定外です。そうでなければむざむざやられたりはしない﹂
クリフトンは鋭く言って振り返ると、にこりと笑顔を見せた。
198
Ⅹ−6 合流Ⅱ
﹁ではそろそろ行くとしよう・・・おや、君はロシア隊?﹂
﹁え、あの・・・わたし・・・﹂
﹁この子はニーナだよ。こんな感じだけど、対地攻撃、特に戦車相
手だったらあたしも隊長も敵わないね﹂
﹁へぇ、すごいねニーナ。私も応援しているよ。何か困った事があ
れば言って欲しい﹂
クリフトンはニーナの手を握って言った。
ニーナは顔を真っ赤にして俯くばかりだ。
腕を組んだソフィアが言った。
﹁博士?﹂
﹁はい、何でしょう?﹂
﹁ミラやメイといい、ニーナといい、博士ってそういう趣味?﹂
僅かな沈黙の後、クリフトンは手を振った。
﹁いやいやいや、そんな事はありませんよ。ま、皆さん後ほど改め
て﹂
クリフトンはそそくさと去っていった。
﹁クリフトンとやらは随分しゃべるんだね。イギリスの男ってのは
あんな感じなのかな?﹂
﹁でも・・・いい人です。きっと。握手してくれたし﹂
﹁ニーナ、握手は手の甲から握ったりしないよ。注意しときな﹂
﹁そんな人じゃない・・・と思う﹂
﹁ミラやメイが言うように学校の先生みたいな印象を受けます。小
やさおとこ
さい子への接し方なのではないでしょうか。心理学の博士という事
ですし﹂
﹁なんか優男って感じでいけ好かないんだよね﹂
﹁仕事さえしっかりやってくれればいいんじゃないのか?﹂
199
パトリシアの言葉でクリフトンの話題は終わった。
ローズは枢軸SAが北アフリカ戦線に投入されると考えているよう
だ。
それはあまりに唐突過ぎるが、ローズの口から出ると、そうなると
いう気持ちになってしまうから不思議だ。
翌日、クリフトンが連合SAの会議で紹介された。
夕食で歓迎会らしきものを予定していたが、クリフトンは断った。
﹁お心遣いには感謝しますが、私は皆さんの役に立つために来まし
た。ですから今後も私に対する気遣いはご無用に願います﹂﹁それ
に夜はやらねばならない仕事が多すぎる﹂
このようなクリフトンの態度は概ね好意的に受け入れられた。
︻イギリス隊︼
隊長:ローズ・マレット︻能力者:意志伝達︼
23歳 170cm 銀髪。
相手の第六感に働きかける能力を持つ。相手の感覚機能を混乱させ、
場合によっては行動不能に陥らせる。
二番機:メイ・コリンズ、三番機:ミラ・コリンズ︻能力者:存在
察知・意思疎通︼
15歳 138㎝ イエローブロンドのピッグテイル︵本人曰くエ
ンジェルウィング︶
完璧な意思疎通能力を持つ双子の姉妹。軍の情報通信実験で集めら
れた能力者。
その能力ゆえに他人との接触を嫌い、非常に攻撃的な行動を取る。
クリフトンとローズだけは認めている。ドイツSAの罠にかかりメ
イは左目、ミラは右目を失明してしまう。復帰後は黒い眼帯をして
いる。
200
︻ソ連隊︼
隊長:ナターリア・レオンチェフ
と
24歳 160㎝ ゴールデンブロンドのロング︵戦闘時はツイン
のシニヨン︶
孤児で両親の事は覚えてない。
清楚で美しいシスター。擬装航空基地の隊長。
二番機:ソフィア・ミハルコフ
忠実なるソフィア
22歳 182㎝ ブルネットのショート。
10歳で父親を密告し、父は処刑される。
してソヴィエト評議会の庇護と教育の下で成長し、ナターリア達の
擬装基地に監視として送り込まれるが、シスター達に触れ評議会に
疑問を持つ。
三番機:ニーナ・トルスターヤ︻能力者:危機回避︼
16歳 149cm 栗色のボブカット。
7歳で両親を失い親類を転々とした後に10歳で協会へ預けられた。
おとなしく引っ込み思案な性格。
︻アメリカ隊︼
隊長:ドロシー・ヴィンセント︻能力者:機動先読︼
20歳 160㎝ 金髪のショート
軍事研究家である父親の影響で戦史や戦術に詳しい。飛行技能は卓
越し、戦術家としての才能、先読能力と相まって非常に高い空戦能
力を持つ。
トレードマークのゴーグルは地上でも放さず頭に乗せている。
二番機:パトリシア・ブラウン
22歳 175㎝ ブルネットのボブカット
軍人の娘。運動能力に優れ、肉体的耐久力は高い。故に空戦も体力
201
勝負に出る事が多い。
ドロシーを隊長として立てながらも妹のように思っている。
三番機:キャサリン・マクガイヤ
18歳 168cm 金髪のロング
大農場経営者の娘。幼い頃から飛行機に慣れ親しむ。髪をかき上げ
るのが癖。
お嬢様育ちゆえに勝気な性格でわがままで、出合った頃はドロシー
をライバル視していた。
その2日後、クリフトンが初めて参加したSA会議では非常に重要
な発表があった。
総隊長はアメリカ隊のドロシー・ヴィンセント。
ここ北アフリカはイギリスの基地だ。本来ならローズが総指揮を執
るべきかもしれない。
しかし、この地での戦いはアメリカ隊に一日の長があり、ドロシー
は能力者であるだけではなく戦術家としての能力も高い。
先週行われた隊長会議でローズがドロシーを総隊長に推したという。
ドロシーは戦闘機乗りとしては身軽でいたいと望んでいたが、ロー
ズの提案は並みの提案ではない。
とんでもない圧力なのだ。ナターリアもローズに同意し、ついにド
ロシーは総隊長を務める事を了承する。
﹁もう、これじゃ誰が隊長なのかわからないじゃない﹂
ローズの圧力に屈した形のドロシーはぼやいたが、戦力の再分析に
取り掛かる。
そういった中、クリフトンの報告は非常に重要だった。
イギリスは戦いで大帝国を築いた国家だ。戦いに対してあれほど真
剣な国も珍しい。
政治も外交も開発も生産も平時は他の国と大差ない。つまらぬ失敗
をするし対策にもたつく。しかし、こと戦争となれば俄然冴えてく
202
る。国民も勇敢に戦う。
戦争に強い国とは慎重でリアルな思考を持ち、勇敢である事が条件
だ。
それを体現しているかのようなローズはドロシーがベストと判断し
たし、ロシア隊のナターリアも同意した。
基地の司令官は﹁ではドロシーは中尉相当で﹂と軽口を叩いたが、
後日正式に中尉に任官。
同時にパトリシアは曹長、キャサリンは軍曹に任じられた。
﹁改めて自己紹介します。私はドロシー・ヴィンセント。連合SA
の隊長に推されて受けたからにはそれなりの結果を出すわ。そのた
めの努力を求めるのでそのつもりで居てね﹂
﹁それと・・・私の言葉遣いは気にしないでね。軍隊って感じじゃ
ないでしょうけど・・・ね﹂
203
Ⅹ−7 捕捉
﹁戦況と基本方針は一昨日の会議から変更なし。じゃ、新しい情報
について、クリフトン博士よりお願い﹂
﹁はい。皆さんも耳にしていると思いますが、マルタ島に対するド
イツの爆撃が激化しています。戦いの原因は、ここ北アフリカ戦線
にあります。昨年エル・アゲイラまで侵攻したイギリス軍は今年に
入ってからは押されっぱなしです・・・﹂
﹁一方の東部戦線におけるペルシャ回廊からの援助は・・・﹂
﹁太平洋戦線はミッドウェーで日本の機動部隊が大損害を受け、イ
ンド洋方面の圧力は弱まる可能性が高く・・・﹂
クリフトンの説明は戦況の説明に終始したが、ドイツの機甲師団や
航空機、艦船、人員、それらを北アフリカに留めておく事が最大の
戦果だと締め括った。
ドロシーは我が意を得たという笑顔を見せ、ローズと視線を交わし
た。
その後、キャサリンから機体のペイントについての説明があった。
ロシアSAのIl−2シュトルモヴィクにはキャノピーの外周とキ
ホワイト
が施されているが、それを連合SAの部隊マーキングに採
ャノピー前部から左右前方へ白のラインをマーカーした
リボン
用するというのだ。
アメリカ隊はレッドリボン、イギリス隊はブルーリボンだ。
ミラとメイは例のごとくはしゃぎ出した。
﹁あれカワイイなぁって思ってたのよねぇ∼﹂
﹁そういえばドイツはブルーハートだったわよね﹂
﹁きゃ∼、因縁よねぇ﹂
﹁それにしてもアレよね。同じマーキングしてあるってだけでチー
204
ム感があるね﹂
﹁頑張ろうね、ニーナちゃん﹂
﹁あっ、は、はい﹂
メイとミラはニーナと親しくなり、ナターリアやソフィアに懐いた。
ホワイトリボン
そういえばソ連SAは3人とも家庭的には恵まれなかった。何か通
じるものがあったのかもしれない。
ベース
機体はスピットファイアを基本としたが、ソ連隊はP−40ウォー
ホークを好んだ。
P−40はドイツ空軍からカモにされていた戦闘機だ。
ドイツ空軍で伝説を築いたマルセイユも生涯撃墜数の半分以上がP
−40なのだ。
しかしアメリカの軍用機ならとりあえず使ってみるという当時のイ
ギリスにおいて、P−40と同じく大量に輸入したF2Aバッファ
ローが早々に見切りをつけられたのに、P−40は使用され続けて
いる。
しかも、より高性能なスピットファイアを有していながらである。
それはアメリカからの支援は少しでも多く受けたいという思惑があ
ったにせよ、それだけで使い続けるほど甘い戦場ではない。扱い易
く低空域性能に優れている事、頑強な機体で爆装が可能である事、
航続距離がスピットファイアの2倍ある事、つまり地上支援として
用いられたと言って良いだろう。
それならばドイツ戦闘機に狙われた理由も被撃墜数が多いのもうな
ずける。
全体会議の後は隊長3名とクリフトンの会議となった。
ドロシー中尉はロンメルの動きを完全に読んでいました。もし中尉
が地上戦の作戦に関与していたら、トブルクを防衛できたどころか
ロンメルを捕らえていたかもしれません。
彼女は天才です。
205
﹁随分と惚れ込んだようですわね﹂
いつもより少しだけ冷たい視線がクリフトンに向けられた。
﹁素晴らしい才能ですよ。ドロシー中尉と話していると時間が経つ
のも忘れてしまいます﹂
﹁え∼、それって私を誘ってるわけ?﹂
﹁えッ?いやいやいや、そんな事ありませんよ。あ、魅力がないっ
て事じゃなくて・・・﹂
どうやらクリフトンは女性にからかわれる才能もあるようだ。
﹁それにしてもこの機体は良いな﹂
パトリシアの声にキャサリンが応える。
﹁スピットファイアMk.Ⅴですね。何をとっても一線級の素晴ら
ホワイトリボン
しい機体です﹂
﹁ソ連隊がP−40を選ぶ気持ちも分からないでもないけど、シビ
アな戦いになればなるほど、ほんのちょっとした違いで生死が分か
ホワイトリボン
れるからね。スピットファイアに乗ってもらいたいよ﹂
そんな事を言っても任務がある。ソ連隊は地上攻撃能力が高いのだ
から、地上支援に回される可能性が高いとなれば、P−40に搭乗
する事になるだろう。
そう思いながらもキャサリンは何も言えなかった。
しかし、連合SAに与えられた任務はキプロス方面の哨戒が主であ
った。
ロンメルのアフリカ装甲集団が巻き返しをはかっていた。
主戦場から外されたSA隊にしてみれば不満が出て当然かもしれな
ぐら
いが、彼女達がもし捕虜にでもされようものならドイツがどんなプ
ロパガンダを展開してくるか分からない。
イギリス軍は、男が後方に隠れ女性を銃弾の盾にしている
いは言いそうだ。
元々女性の戦闘隊に対する抵抗が大きい前線において、他国の女性
206
パイロットまで居ては、軍としても前線には出しづらいのだろう。
それはドロシーとしても十分理解するところだが、やはり不満は残
る。
ドロシーは訓練と称しては北アフリカ沿岸地域の哨戒を行う。航続
距離の問題からP−40が使用された。遭遇戦を考えればスピット
ファイアにしたいところだが、足が短いイギリス機にとっては内海
とはいえ広すぎたのである。
当然だが、遭遇戦ではミラとメイの察知能力が非常に有効だ。基本
ブルーリボン
レッドリボン
ホワイトリボン
的に6機で哨戒を行うが、察知能力があるミラとメイは外せないの
で、イギリス隊+アメリカ隊orソ連隊という編成になった。
彼女達の出撃により同区域に展開するドイツ空軍に混乱が起きてい
た。部隊名は不明だが特徴的なペイントのP−40が必ず奇襲を成
ブルーリボン
功させるという。
これはイギリス隊の察知能力にドロシーの戦術家の能力が付加され
た結果といえるだろう。
207
Ⅹ−8 指令
マルタ島の航空戦で枢軸SAは凄まじい戦果を挙げた。
連合軍機の編隊は、崩されては墜とされ、追い立てられては墜とさ
シュワルベ
れ、戦闘機は爆撃機を守るどころではなく、自分の身を守るので精
一杯だったという。
ロッテ
また、この戦いで零戦が使われた作戦があった。
ケッテ
零戦で行うアウトレンジからの奇襲だ。
この頃、枢軸SAは各国ごとの3機編隊から2機編隊4機編隊への
変更を完了していた。
この作戦で日本隊に同行したのはラルだった。勿論、索敵能力を買
われての編成である。
﹁あの、大きく迂回してマルタ島を急襲するって聞いてるんですが﹂
ラルは少々不安そうに聞いた。
それに秋月は楽しそうに答える。
﹁そうだな。洋上飛行になるけど、吉田少尉がいるから大丈夫だろ
う。彼女は計器だけで飛行するのは慣れてる﹂
﹁計器だけ?﹂
﹁あぁ、日本海軍の戦闘機は地中海とは比較にならないほど広い洋
上を飛ぶんだ。それは陸地どころか島も見えない。だから計器飛行
ができないと空母にも基地にも帰れない﹂
﹁爆撃機でもないのにですか?﹂
﹁そうだな、爆撃機や偵察機が先導する場合もあるけど、戦闘機は
一人きりだから、自分でやるしかないのさ﹂
﹁それはすごいですね﹂
﹁あれ?ラルは相手の位置が分かるんだろ?地理的な位置とかは分
からないのかい?﹂
208
﹁そういうのは分からないんですぅ﹂
﹁じゃ、見失わないようにしないと。あ、それは分かるんだったな。
まぁ、マルタ島まで一息ってところだろう﹂
﹁一息ってどれくらいですか?﹂
﹁そうだな、1,000km、3∼4時間﹂
﹁うぁ、それが一息・・・﹂
﹁今回は増槽にも目一杯入れてマルタ島に到達する前に投棄する。
戦闘時間を30分程度と考えても、帰路は巡航速度で800kmは
飛べる。この基地までマルタ島からは直線で500kmだ、充分だ
ろう﹂
﹁私、そんなに長い時間飛んだ事はありません。大丈夫でしょうか﹂
﹁大丈夫だ﹂
﹁そうでしょうか・・・﹂
﹁この任務に選ばれたんだから。何しろ選んだのはアンナ総長なん
だぞ。だから大丈夫だよ﹂
﹁そうよね、そうですよね!ありがとう秋月さん!﹂
駆けていくラルを見送りながら、ふとつぶやく。
﹁整備員も悪かねぇな﹂
﹁ほぉ∼﹂
︵ぎくぅ!︶
﹁何だラウターか、驚かせないでくれ﹂
﹁いや、スマンスマン。しかしこんな可愛い娘ばかりではアキヅキ
もどこを見てよいか悩むだろう。大変だな﹂
﹁それよりも飛行能力に驚いてるよ﹂
﹁そうだな。しかし彼女達だって素手で戦える訳じゃないし、不死
身って訳でもない。だから私達が必要なんだろ?﹂
﹁ごもっともだ﹂
ラウターはゴータ社の技術者であったが、零戦を改造した担当者と
してマルティーナ・フランカを訪れていた。その後、本人の強い希
209
望もあって枢軸SAの技術者として心強い存在となっていく。
零戦によるアウトレンジからの奇襲。それ自体に大きな価値は無い。
ロートヘルツ
むしろ行うべき作戦ではないといえるかもしれない。
しかし、日本隊から強い要望があったのだ。当初、日本隊はクレタ
島を飛び石にしてアレクサンドリアへの奇襲を提言している。
アレクサンドリアは認められなかったが、マルタ島への奇襲は認め
られた。それでも特例中の特例というべきだろう。
この作戦は吉田にエマが付いて立案しているのだが、戦闘空域から
の離脱のタイミングがシビアだった。機数が4機なので本格的な戦
闘になる前に退避したい。帰投時に駆逐戦を展開されると零戦の速
度では厳しいのだ。
しかし、戦いは一方的な勝利に終わった。戦闘時間自体は短かった
ものの、イギリス補給船の船員が報告に使った表現を借りれば﹁6
機のスピットファイアは旋回した途端、空から墜ちた﹂のだった。
スピットファイアの運動性能を疑わないパイロット達は零戦に格戦
黄色の14番
は姿を消してい
闘を挑み、パニックの中で打ち落とされていったのだ。
◇*◇*◇*◇*◇
6月も後半、北アフリカの空から
た。
ハンス・ヨアヒム・マルセイユは1942年2月
諜報部からの報告では、ドイツ本土へ呼び戻されたという。
アフリカの星
には通算50機撃墜を記録、少尉への昇進。5月には中尉、6月に
・・
は撃墜数が100機に到達し中隊長に任命される。その後、ドイツ
本国に呼び戻されたマルセイユは、ヒトラーから直接剣付柏葉騎士
鉄十字章を授与され、2ヶ月間の休暇を与えられたのだ。宣伝相ゲ
ッペルスが戦意高揚のために大々的に取り上げ、マルセイユの人気
は大変なものであったという。
210
そっくり
消滅したため
イギリス軍は勿論把握していたが、マルセイユがいない北アフリカ
の空を枢軸SAが舞っていた。
イギリス空軍の被害は急増した。編隊が
事態把握ができないケースも少なくなかった。
連合SAと直接ぶつからなかったのは連合SAがキプロス方面に展
開していた為だが、質の前に数まで不足し始めたイギリス軍はSA
隊の投入を決断する。
その指令は数日前からイギリス北アフリカ司令部に詰めていたクリ
フトンから電話で伝えられた。
キャサリンの声が響く。
﹁ドロシー隊長、電話が鳴ったら受けて下さい。クリフトン博士が
指令を受けたそうです。詳細はクリフトン博士からの電話で﹂
﹁そう。まどろっこしい事するのね﹂
電話は直ぐに鳴った。
皆が見守る中、チラリと電話機を眺めた後、ドロシーが受話器を手
にする。
﹁はい、ドロシーです。何かご用ですか﹂
哨戒や機体輸送の仕事ばかりで不満気味のドロシーは無表情のまま
冷たい声で応えた。
クリフトンが期待以上の努力をしているのは分かるが、理解者であ
るという甘えもあってどうしても口調が崩れる。
﹁えぇ・・・また上の方ではそんな事言ってるの?もう。﹂
﹁わかってるわ、理解してるから気にしないで。で、指令って何?﹂
﹁9機の敵機に?ブレニム20機が護衛10機もろとも全滅?冗談
としてはつまらないけど、本当の話なら面白いわね﹂
211
﹁それで私たちに要請が来たってワケね。ローズから聞いてるわ。
ミラとメイが罠に掛けられて、墜とされたそうじゃない﹂
﹁え?シルバーフォックス?知らないわ。それが飛行爆弾を撃ち抜
いたパイロットなの?﹂
﹁それにしても、ロンメルの次は銀狐?枢軸はキツネさんばかりね﹂
﹁いいわよ。面白そうだから協力するわ﹂
212
Ⅹ−9 接近
﹁聞いたか?﹂
﹁はい、リボンペイントのスピットファイアですね。しかも、機首
に稲妻と薔薇を描いた青いリボンの3機﹂
﹁そうだ。ケラウノス隊とも思えるが、銀子の報告では稲妻の2機
を撃墜したはずだ﹂
銀子が撃ち抜いた飛行爆弾に詰められた炸薬は600kg。
とても脱出できるとは思えなかった。
﹁脱出に成功したのでしょうか﹂
﹁だとしも、なぜ北アフリカにいる?﹂
﹁分かりません。ただ、リボンは青の他に赤と白が確認されていま
す。それと・・・北アフリカはイギリスの基地です﹂
﹁私達と同じだというのか?﹂
﹁可能性はあります﹂
や
アンナとエマのやり取りを黙って聞いていた銀子が顔を上げた。
﹁殺り損ねたって訳かい?この銀子さんが﹂
﹁い、いえ、それ自体が不明です﹂
エマは言いようのないプレッシャーを感じた。
能力者のラルはエマよりもハッキリと感じるらしく身を硬くした。
︵うぁ、アンナ隊長並みだわ。感情コントロールしない分もの凄い
わ︶
﹁何だよ銀子、怖い顔してるじゃないか﹂
エレナが軽く水を差したが銀子の昂ぶりは消えるどころかますます
燃え盛った。
﹁うるさいね。それでなくても、あれだけお膳立てしてもらってイ
イとこだけ貰ったと思って気にしてたんだ。それが失敗してたって
いうなら、あたしは何なんだい、え?﹂
213
あまりの勢いにエマ、ラル、ナタリアはいうに及ばず、凛やクラウ
ディアも身を堅くしている。
火消しに失敗したエレナは知らぬ顔だし、アンナ隊長もじっと銀子
を見据えたままだった。
﹁ま、判定勝ちというところだったのでしょう﹂
﹃え?﹄
視線を集めた先には、場にそぐわない京子の微笑みがあった。
﹁報告では一本勝ちだと思いましたが、少し浅かったのかもしれま
せんね﹂﹁でも、ケラウノス隊の活動は半年ほど停止していた事に
なります。それを戦果とすれば良いでしょう﹂
﹁しかし・・・﹂
﹁しかしもカカシも無いッ!!﹂
京子が大声を出した。
﹁ひっ﹂ラルは思わず声を漏らした。
﹁あなたはお膳立てをしてもらったと言いましたね?なら2機撃墜
の戦果はお膳立てをしてくれた方々のものでもあるのですよ、それ
を一人で腐って!何だというのです!!﹂
﹁だ、だからこそ結果が大事だと・・・﹂
銀子はしどろもどろだ。
﹁味方に何の損害も出ない戦いで一方的に撃っておいて何ですか!
しかも相手はまた戦おうというのですよ!あなたより余程戦いに真
摯ではないですか!﹂﹁撃つ者は撃たれる覚悟をせねばなりません。
彼女達はあなたを、私達を撃とうというのです。ならば返り討ちに
してあげるのが武士の処し方というものでしょう、違いますか!﹂
︵うわっ、おっかねぇ∼!!︶さすがのエレナも京子の剣幕には驚
いたようだ。
いつも温和な京子だけに恐ろしさは格別だった。
当の銀子もついには尻尾を巻いた。
﹁は、はい、わかりました﹂
214
﹁分かれば良いでしょう。あなたは前戦の勝者なのですから。胸を
貸すつもりで戦いに望みなさい。懐深く、味わい濃く﹂
︵ザワザワ・・・味わい濃くって何だ?︶
﹁あ、味わい濃くっていうのは違いますねぇ∼、うふふ﹂
︵このタイミングで、これまた微妙な天然を・・・︶
一呼吸置いてアンナが口を開いた。さすがに動じた様子は見られな
い。
﹁では会議を始めるとしようか。これからは敵SAの存在を意識す
る必要がある。しかも今度は相手も我々の能力を掴んでいるはずだ。
ハナ
相手にも言える事だが、索敵戦は意味をなさない﹂
﹁空戦の基本は最初から捨てるって事か﹂
エレナの言葉にエマが応える。
﹁そういう事になります。後は戦う意志が双方にあるかどうかだけ
でしょう。しかしアンナ総長、直接対決を避けて有利に展開できる
敵に絞り込む戦いはどうなのでしょうか﹂
﹁エマ、それは想定される戦い方の提示か?それともそうすべきと
いう意見か?﹂
﹁あくまで提示でしかありません﹂
﹁それは良かった。もしそれを提案するようなら私の近くを飛ばせ
る訳にはいかないからな﹂
﹁クラウディア、お前は敵を倒す戦いと味方を守る戦いではどちら
を選ぶ?﹂
﹁はい、味方を守る戦いを上位とします﹂
﹁なぜか?﹂
﹁戦いとは守るという行為に発するからです﹂
﹁よし、単純に同胞が大事などという理由でなくて良かった﹂
﹁恐縮です﹂
﹁誰か意見がある者はいないか!?﹂
誰もが引き締まった顔でアンナを見つめた。その目には迷いなき意
215
志がある。
アンナは見渡すと満足そうに口許で微笑んだ。
﹁我々は強いぞ。これ以上になく﹂
﹃はいッ!!﹄
◇*◇*◇*◇*◇
何度も戦うような相手ではない
ついに北アフリカを舞台に枢軸SAと連合SAの総力戦が開始され
ようとしていた。
両隊とも想いは同じだ。
両隊とも相手の索敵能力を知っている。来ると分かっていて進むの
だ。
能力的には枢軸SAが上と言えるだろう。能力者の数でもそうだが、
能力者以外の技量に大きな差があった。
アンナは珍しく気持ちの昂ぶりを感じていた。
枢軸SAに全てが揃った。
索敵、機動先読、危機回避、未来予測の力を持った能力者。
しかし、それよりもアンナの自信を支えているのは日本隊だ。
銀子の遠距離射撃は能力者相手に対して有効に違いない。
能力者の力はその察知にある。遠距離では位置、近距離では機動を
察知する能力だ。
魔
だ。一人でも崩せばそこが突破口になる。その突破口から京子
遠距離で機動する銀子の射撃はどちらでも対応できない、正に
弾
とラル、エレナとナタリアが飛び込んで乱戦に持ち込めば有利に展
開するだろう。京子の乱戦の強さは驚愕に値する。
﹁後は薔薇と稲妻をどうするかだな。こんどこそ決着をつけてやる﹂
◇*◇*◇*◇*◇
216
ドイツ空軍とイギリス空軍が激しくぶつかった。地上兵力の潰し合
スリーエス
いは瞬く間に戦闘機同士の戦いまで発展する。
この時、ラルからアンナに連絡。
﹁見つけました!強く感じるもの2機はSSS!全ては判別できま
せんが10機前後!﹂
﹁どちらに向かっている?﹂
﹁こちらに・・・あっ、南に針路変更しました。前線の戦闘空域か
ら離脱しています﹂
﹁やはりな。全軍がぶつかり合う空域は避けようというのか﹂
﹁想定していたとおりだが、それを外すのも手だな。エマ!どう思
う?﹂
﹁はい、一度前線を突き抜けて戦うと相手の心理的に動揺を与えら
れるかもしれません。しかし戦う空域が敵勢力下になりますので、
この点は不利です。それに・・・﹂
﹁何か﹂
﹁連合SAは私達が察知していると知っています。ここで避けては
女が廃ります!﹂
﹁ははッッ!エマ!よく言ったね!﹂銀子の声が響いた。
﹁よし、作戦指示を行う。基本的な構成は変わらない。銀子は距離
1,200程度から射撃を開始してくれ。私とエマが直援する。標
的は私からできる限り正確に連絡するから狙ってくれ﹂
﹁りょーかい!﹂
﹁銀子の射撃の後でクラウディアと凛が上空から敵中を突き抜けろ。
戦わなくていい。そこへ吉田とラル、エレナとナタリアが突入﹂﹁
上空は私とエマが抑える。銀子は一旦戦闘空域を離脱して狙撃態勢
に入る。突き抜けたクラウディアと凛は空域外郭からの援護だ﹂
﹃了解!!﹄
*−*−*−*−*−*
217
﹁9機の編隊が針路をこちらに向けました!接触まで約2分!﹂
さすがにミラの声も硬い。
ドロシーはイギリス隊からの報告及び、マルタ島、北アフリカの航
空戦で枢軸SAの分析を済ませていた。シルヴァーフォックスが火
蓋を切り、ブルーとレッドの隊長機が空域の内外から戦いを組み立
てる。これが枢軸SAの戦いの軸だ。やっかいなのはイギリス隊が
ホワイトリボン
チェイサーと名付けたブルーの三番機と、マルタ島航空戦でダンデ
ライオンと呼ばれたホワイトの三番機。ロシア隊のニーナと同じ能
力を持つらしいが、全体の戦局を見る能力が高い。
レッドとブルーの三番機、ホワイトの二番機の堅実な戦い方がチー
ム戦力を底上げしている。
連合SAもパイロットとしての能力は決して低くは無い。しかしレ
ッドリボンのキャサリン、ホワイトリボンのナターリアが穴となる。
認めざるを得ないだろう。総合力では枢軸SAが数段上だ。乱戦に
巻き込まれたら勝ち目は無い。
ドロシーは初撃に賭けた。むしろ連合SAには初撃しかない。結果
がどうであれ離脱する。
しかし・・・
1機だけは必ず墜とす。
レッドリボンワン
ホワイトリボン
連合SAの全機の無線からドロシーの声が響く。
レッドリボン
﹁アメリカ隊1番機から全機へ、ソ連隊はこのまま、射撃を受けた
ブルーリボン
レッドリボン
ら針路を南へ、交差した後でアメリカ隊が反転して敵の鼻先を抑え
るわ。イギリス隊はアメリカ隊の後方500m上空から、狙いはジ
ャパン隊の単機。その1機でいいわ、ライジング・サンを叩き落し
て、そのまま離脱して頂戴﹂
ついに北アフリカを舞台に枢軸SAと連合SAの総力戦が開始され
218
た。
219
PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n9179k/
Angels
2016年7月15日00時39分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
220
Fly UP