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リスク社会とメディア

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リスク社会とメディア
リスク社会とメディア
柳瀬
公
〈東洋大学大学院社会学研究科〉
はじめに
現代はリスク社会〈りであるといわれている. Beck(1986) は,近代が技術をいかにして発展させ応用さ
せていくのかを問題にしてきたのに苅して,現代では,その高度な科学技術が予測不能な新しいタイプのリ
スクを生み出す時代であると指摘している. Beck(1986) は.現代の近代化を「自己内省的近代化」と称
し. r
自己内省的近代化」に伴って起こり得るさまざまなリスクの状況下での社会をリスク社会としている.
1日〉で経験することに
日本社会は. Beck(1986) が指摘するリスク社会を東日本大震災 (2011年 3用 1
なった.東日本大震災は,大地震や大津波,原子力事故などをも疋らした巨大複合災害であり,震災後約 1
年が経った今日においても,余震や放射能汚染問題で人びとに不安を与えている.特に,福島第一原発事故
は,事故後の避難計画や除染方法,主主日や水の安全性,健康被害,風評被害,政府の苅策,エネルギー問題,
環境問題,などのさまざまな問題を提起している.
人びとがこうした「新レいリスク」∞に対処し,解決する手がかりとなるものの 1つにメディア報道が
ある.現代のリスクは,個人が現実環境で直接経験しないちのが多く,不司視であり,社会に潜在化してお
り,そのリスクがメディア報道によって人びとに伝えられることにより,司視化され社会に顕在化するよう
になる〈福田. 2010).このように,人びとの「新レいリスク」に対する主要な情報源は,メディアに依害
するところが大きいといえる.
そこで本稿では,現代社会とリスク社会の関係を述べ,リスク社会にみられる「新レいリスク」の特徴と,
それを報道するメディアとの関係について考察を行う.
1.現代とリスク社会論
現代とはいかなる時代か,という聞いには大別レて 2つの捉え方がある.それは. 19世紀から 1970年代
と 1980年代以降の社会構造の変化を,近代と現代で異なった時代として捉える立場と,第 lの近代と第 2
の近代に区別する立場である.表 1は,代表的な近代と現代の昭称とその研究者である.①Lyotard(1979)
は,現代を「ポスト・モダン」として捉え,近代の「モダン」と区別している〈表 1参照).Lyotard(1979)
は,現代を「大きな物語」の終着という言葉で表している.
r
大きな物語」とは. r
モダン」の時代を指し,
この時代には,学術的〈意昧の解釈学).政治的〈労働者の解放).経済的(富の発展〉な発展があり,そ
の根底に理想や理意があったことを意味する.現代では,科学の進歩の結果.
r
モダン」の中山となる理想
や理詰と切り離されたところで,さまざまな問題が併害するようになった∞.
①Lyotard(1979)の「ポスト・モダン」に刻して,②Beck(1986;1994)と③Giddens(1990;1991;1994)
は,第 1の近代化の副作用の帰結によってもたらされた時代を第 2の近代,いわゆる,現代であると主張し
ている(表 l参照) .②と③は,共通して現代を「再帰的近代」として捉えている. Beckら (1994) は
,
「再帰的近代とは,発達が自己破壊に転化する司能性があり,またその自己破壊のなかで,ひとつの近代化
a
s
h
.
が別の近代化をむしばみ,変化させていくような新たな段階である」と説明レている (Beck.Giddens.&L
1
9
9
4:1
2
).近代社会は,経済発展や高度な技術の発達をもだらしだ.そして,再帰的近代では,その近代
化によってもたらされた科学技術や社会制度が,人びとの予測を超えて,人類を脅かす害在となる段階であ
る. Beck(1986) は,現代の人びとが,近代化の結果生じたさまざまな問題に対して,自ら反省し,再確
認しなければならない時代であるとし,現代を「自己内省的近代」と醇んでいるく表 l参照). Beckと同
様,再帰的近代論者の②Giddens(1990) は,①のポスト・モダ二ティ論との比較を通して,現代をモダ二
ティの帰結の徹底化であるとし.
r
ハイ・モダニティ」と特徴づけている〈表 1参照) .④Bauman(2000)
は,現代を近代とのつながりとしてみる意味で,②と③の再帰的近代論に考えが近い. Bauman(2000) は
,
-113-
近代を「ソリッド(個体的な)・モダ二ティ」と称し,現代を近代の新たな段階である「リキッド(流体的
な〉・モダニティ」と昭んでいる(表 l参照).
代表的研究者
y
o
t
a
r
d
(
1
9
7
9
)他
① L
表 1 近代と現代の哩称
1
9世紀 -1970
年代の呼称
モダン
e
c
k(
1
9
8
6
;1
9
9
4
)
単純な近代
② B
i
d
d
e
n
s
(
1
9
9
0
;1
9
9
1;
1
9
9
4
) モダニティ
③ G
a
u
m
a
n(
2
0
0
0
)
ソリッド・モダニティ
④ B
1
9
8
0年代以降(現代)の呼称
ポスト・モダン
自己内省的近代
ハイ・モダニティ
リキッド・モダニティ
これら現代の捉え方のなかで,リスク社会は. 1980 年代以降の現代がポスト・モダン論のように「近代
の終罵」レた状態ではなく,再帰的近代論にみられる「近代の変質」によって生じるさまざまなリスク環境
産業社会においては,
下の社会状況のことである.リスク社会という概怠を提唱した Beck(1986) は. i
富の生産の『倫理』がリスクの生産を圧するのに苅し,リスク社会ではこの関係が逆転する J (Beck.
1986=1998:1
4
) と述べ,再帰的近代の段階では,近代の生産力が悪と見なされるようになると指摘してい
る.具体的には,原子力工学,化学,遺伝子工学,医学上で起こりうるリスクを指している (Beck. 1986).
2
. リスク社会の「新しいリスク」
三上 (2010) は. Lau(1989) のリスクの 3類型を用いて,社会構造の変容ととちに変化レたリスクを以
下のように整理している. Lau(1989)のリスクの 3類型は,①伝統的リスク,②産業一福祉国家的リスク,
③現代の「新しいリスク」に分類されている.①は,初期資本主義の企業家や遠隔地貿易に伴うリスクであ
る.このリスクの特徴は,一定の仕事や職業に柑随し,自己責任が前提である.②は,不特定多数の労働者
や市民が,従事する業務や日常生活において被るリスクである.このなかには,失業や労働災害,生活破綻.
疾病などが含まれる.これは,産業社会が,工業製品を生産し社会的繁栄と成長を目指すとともに,同時に,
そこで発生する産業的・社会的リスクを保証する社会でもあったことが社会背景にある.③は.Beck(1986)
の『危険社会』以来に認識されたリスクである.リスク事象には,原発事故や残留農薬,核廃棄物,薬害な
どが挙げられる.これらは,近代科学が一定の水準を超え疋レベルに達し,科学が生み出レたにもかかわら
e
し③仁科学的予測を超え疋
す,科学によっては明確な予測も解決もできないリスクである.三上 (2010) l
自然災害や新型ウィルスを加えて現代の「新しいリスク」としている.
Lau(1989) の「新しいリスク」の新レさについて,小松 (2003) は,リスクの損害の大きさやその影響
を被る領域の広さではなく,決定とその決定による影響領域との聞の関係に「新しさ」があると指摘してい
る仰.①伝統的リスクでは,商人が自分の利益を獲得するために遠臨地で貿易を行う(決定〉に対して,
海難事故のリスクを決定者白星が負うことになる.②産業一福祉国家的リスクでは,労働者や市民が賃金を
得る疋め職業に従事する時(決定〉は,失業や苛働災害などのリスクに向き合わなければならない.しかレ,
②の社会背景には,福祉国家があり,社会保障システム(失業・雇用保険,年金など〉が整備されている.
こうした保険制度は,決定者の損害が発生したときの責任の所在を,個人から集合体(社会)へ転化してい
る(小松. 2003) .③「新しいリスク」は,①や②に比べると,回避や予測が不司能であり,突如,人びと
に降りかかる.したがって,社会が個人の損害を補ってきたこれまでの社会保障システムでは,保障できな
くなる.結果として,③は,決定を下す者と,その決定によって損害を被る者とを分離させることになる(小
松. 2003) .例えば,原発事故において,個人の決定(原子力エネルギーに賛成や反対といった態度)によ
らず,風評被害や住居規制,健康被害など経済的,精神的,身体的に損害を被る人びとが出現するようにな
るといったことである.
3
. r
新しいリスク」の特徴
3
. 1 リスクの個人他
リスク社会に生きる人びとは,個人レベルで「新しいリスク」に対応しなければならない. Beck (1986)
-114-
の個人化論は. i解放の次元 J. i呪術からの解放の次元 J. i統制ないし再統合の次元」の 3段階の次元
で構成されている. i解放の次元Jは,伝統的支配関係と扶養関係のような社会的形態と社会的結びつきか
らの解放である. i呪術からの解放の次元」は,行動や行為を規定する知識や規範のような伝統がもってい
た確実性の喪失である.そして. i統制ないし再統合の次元」では,社会の中にまったく新しいやり方で組
8
e
c
k
.1
9
8
6
=
1
9
9
8
:2
5
3・2
5
4
).これまで個人化していなかった労働者や女性は,職業選択や配
み込まれる (
偶者選択自由などの自由がちたらされる,一方で,自由になった個人は,家族や地域社会の準拠集団に依拠
することなく,労働市場や教育制度に個人単位で組み込まれ,再統合されるようになる.こうして,個人化
された人びとは,個人の判断で「新しいリスク」に向き合わなければならなくなった.
「新しいリスク」は,直接個人に降りかかり,その原因は個人的な要因の帰結とされる. 8eck (
1
9
8
6
)
は,個人化の条件下では. iかつては集団で経験され疋運命は,階級関係が失われた個人化され疋生活状況
においては,ますもって集団ではなく個人の運命になる」ことを指摘している (
8
e
c
k
.1
9
8
6
=
1
9
9
8
:1
7
4
)•
倒えば,人びとが食晶を購入する揚合,身体に影響がある放射線量はどの程度であるか,という判断は個人
に委ねられる.その結果,食日と放射線リスクの問題は,科学技術や経済政策の問題としてよりも,個人の
リスク情報の不足としてみられるようになる.
3
. 2 リスクの不確実性
リスクの不確実性は,リスクの概怠を定義する上で重要な特徴である.一般的に,リスクとは,被害の重
大性と被害の生起確率の積であるといわれる (
N
a
t
i
o
n
a
lR
e
s
e
a
r
c
hC
o
u
n
c
i
l
.1
9
8
9
)
. 被害の重大性は,ハザー
ドと醇ばれ,人や物に対して害 (harm) を与える司能性がある行為ないしは現象である.すなわち,この
ハザードがどのくらい起こりやすいかという期待値がリスクである(吉川. 1
9
9
9
)
. 経済面で損失をいう揚
合のリスクの定義は. i
確率として測定司能な不確実性」をリスクとし. i
事実の希少性から確率を測定し
0
0
8
).このように,リスクの定義は,研究分野,
得ない不確実性」を「真の不確実性」としている〈田柑. 2
研究者によってさまざまであるが,そこで共通して認められているリスクの本質は,不確実性である〈松原,
1
9
8
9
)•
しかし. i
新しいリスク」を N
a
t
i
o
n
a
lR
e
s
e
a
r
c
hCounci
1(
1
9
8
9
) や経済学のリスクの定義で示すことは非
常に困難であると考えられる.原発事故では,その発生確率が非常に値いので,リスクは倍く見積ちられる
ことになる.ま疋,被害内容は,食品や水の安全性,健康被害,風評被害,環境破壊といっ疋ように,被害
の範囲や性質が多様である,しかも,放射能汚染や放射性物質の被害は,長期的な観察による被害の測定を
新しいリスク」は,被害が甚大であるにもかかわらす. 1~ く見積ちられたり,
必要とされる.このように. i
被害の程度を測定することの難しさなどから,一般的なリスクの概意で定義することが不司能に近いといえ
る.
「新しいリスク」の不確実性は,それを受容する人びとの問題である.大津 (
2
0
1
1
)は,人びとの主観的
な世界にリスクがどのように現れるかを,リスク社会でのリスクの不確実性としている.まだ. Giddens
(
1
9
9
1
)は,リスク社会に生きる人びとに苅して. iリスクをリスクとして受け止めることは,どのような
活動も前ちってきめられたコースをたどることはなく,いつでも偶然な出来事が生じうる,ということを認
めることである J (
G
i
d
d
e
n
s
.1
9
9
1=
2
0
0
5:3
1
) と述べ,肯定的であるにせよ,否定的であるにせよ,行為の
聞かれた司能性と解釈し,計算的な態度をもって生きなければならないことを指摘している (
G
i
d
d
e
n
s
.
1
9
9
1
)•
4.
r
新しいリスク」とメディア
人びとが「新しいリスク」に対処し.その解決策や行動の指針となるものの 1つにメディア報道がある.
福田 (
2
0
1
0
)は,現代のリスクが社会に潜在していることを指摘し,人びとに「見えないリスク」を司視化
してくれるのがメディアであるという. Beck (
2
0
0
2
) は,人びとの「新しいリスク J (ここでいう「新し
いリスク」は環境問題に限定している〉の知識は,自分で得たわけでなく. i二次資料」によるもの,つま
り,社会的に構築され,メディア化されている他者(テレビや新聞,社会運動,環境組織,研究所など〉か
-1
1
5
-
ら入手されると述べている.人びとの「新しいリスク」の主要な情報源とレてのメディアの菩在は大きいと
いえる.
しかし,メディアは,現実をあるがままに人びとに伝えるものではなく,むしろ現実の一部を選ぴ取り,
i
ppmann (
1922)
再構成して伝えている.これはメディアの現実構成機能といわれる.現実構成機能は, L
の疑似環境論の考えが背景にある.疑似環境論では, r
外界 Jと人びとの「頭の中の映像Jとを媒介する手段が
ニュース・メディアであるとされる.メディアが外界の現実を再構成した疑似環境は,ステレオタイプ的な
枠組みがみられ,個人が現実として認識することによって.人びとの共有する固定概怠を補強する作用があ
る.現実世界を直接経験できない状況での人びとの現実認識は,メディアが作りだす現実描写を媒介として
「これが現実である」という定義づけを行う.このような,メディアが人びとの現実感に与える影響を現実
構成機能という.メディアは,リスク社会に潜在している「新しいリスク」を人びとに現実のものとして顕
在化させる働きをもっといえる.
また,メディアは,人びとが「新しいリスク」をどのくらい重要であると思うのか,という重要度の認知
にも影響を与えている.これは議題設定期果 (McCombs& Shaw, 1972) と昭ばれる.議題設定期果とは,
「マス・メディアである争点やトピックが強調されればされるほどその争点やトピックに対する人びとの重
要性の知覚も高まる」ことである(竹下, 1998:4) .図 1は,議題設定期果の基本的枠組みである.ます,
人びとが現実世界のリスクを認識するには,間接的にメディアを通してリスク情報に接触する,もしくは,
直接経験したり,他人から話を聞いたりしてリスク情報に接触する.という間接経験と直接経験の 2つの情
報ルートがある〈図 1参照).
r
新しいリスク」は,個人で経験することが少なく,その情報の多くは,メ
ディアから人びとへ間接的に伝えられる.図 1をみると,メディアで,現実世界のリスク 1を最重要リスク
として顕在化させると,人びとの認知ちリスク 1を最重要であると認知し,リヌク 1のリスク意識が高いの
がわかる.次いで,メディアの報道量の値下とともに,リスク 2,リスク 3の順位で,人びとのリスク意識
:
;
tれば,人びとの意識下に潜
は倍くなっていく〈図 1参照).リスク 4のようにメディアで取り上げられな I
在化したままである(図 1参照).このように,人びとの「新しいリスク」に対する重要度の認識は,メデ
ィアが取り上げる強調度のランクづけによって異なってくることが予測される.
の
'h
E
日-
明
一
顕在化 1(強調度大1
)
顕在化2
(強調度中)
議題設定効果
認知度 1(重要度大
リスク4(取り上げない)
リスク4(意識に上らない)
顕在化3(強調度小)
ど
な
ン
ヨ
シ識一
.・軍司
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人の,.摘一
tad, ' 誠 一
コ他,'ホ一
4
a
u
-
験仰一
経民一
,
,
"
メディアによるリスク事象の選択およ
びその格付け
対そ顕一
鎗、
直
、
、
、
、、‘ 、‘
、
,
,
,
,
,
,
認知度2(重要度中)
認知度3(重要度小)
(個人の主観的なリスクのイメージ)
(メディアが作り出す現実描写)
図 l 議題設定期果の基本枠組み(斉藤, 2001) を一部修正
5
. r
新レいリスク Jとメディアの問題点
メディアが「新しいリスク」を取り上げる際には,いくつかの間題点がある.その一つは,メディアが人
びとにステレオタイプ的な「被害のイメージ」を植えつけることである.
r
被害のイメージ」の集中は,長
期化すれば,風評被害という問題を引き起こす〈関谷, 2008).福島原発事故後の風評被害は,福島・茨城
産の農作物や肉牛の経済的な損失など,その地域に限定された問題だけでなく,世界各国の日本産食晶の輸
入規制に伴う貿易赤字にち拡大している.
-1
1
6
-
ま疋,関谷 (
2
0
0
8
)は,災害報道において,メディアの議題設定効果に負の側面があることを指摘してい
る.議題設定効果の負の側面とは,メディアで取り上げられやすい課題が報道される一方で,本来,重要視
されるべきはすの災害苅策が報道されす,見落とされることである(関谷, 2
0
0
8
).関谷 (
2
0
0
8
)は,こう
した報道傾向の原因として,状況の「画(映像) J になりやすさ,
[""被災者の悲惨さ」の強調,
[""ワンフレ
ーズ・ジャーナリズム J (めなどを挙げている.
さらに,現実構成機能や議題設定効果などのメディ?の機能によって,
[""新しいリスク」が集中して報道
されると,社会的に波及してくることが予測される. K
a
s
p
e
r
s
o
nら (
1
9
8
8
) は,リスクが個人単位から社会
単位に影響していく過程を「リスクの社会的増幅理論 (
T
h
es
o
c
i
a
la
m
p
l
i
f
i
c
a
t
i
o
no
fr
i
s
k
) Jで説明している.
この理論によれば,リスクを技術的側面からばかり取り上げて,その社会的影響を考慮しないことが,多く
の問題を引き起こすもととなっている(吉川, 1
9
9
9
)
. 特に,直接体験できないリスクについては,情報が
重要であり,情報の量や,議論の程度,
ドラマチックさ,シンボリックな意味などが,社会的な増幅器
(
a
m
p
l
i
f
i
e
r
) として働くことになるという(吉川, 1
9
9
9
).倒えぱ,福島県南相馬市で,国の基準値を超す
放射性セシウムが食肉用の牛から検出された問題 (
2
0
1
1年 7月 9日〉が起きると,メディアは,
ム汚染牛」の問題として頻繁に報道する.他方,情報の受け手である個人は,
[
"
"
セ
シ
ウ
[""セシウム汚染牛」の問題に
ついて,個人聞や集団聞で議論するようになり,福島産の食自に不安を抱くようになる.さらに,
[
"
"
セ
シ
ウ
ム活染牛」の問題は,国や県の行政によって,牛の出荷規制や全頭検査が実施されるなど,社会や制度に影
響を及ぼすようになる.このような増幅の結果,福島地域に対する人びとのネガティブなイメージを生み出
したり,経済的な被害を与えたりするようになってくる.
6
. まとめと今後の課題
本稿では,リスク社会でのメディアの重要性を横討した.リスク社会において,人びとは,不確実な「新
しいリスク J にさらされた状態で,生活上の決定や選択を余儀なくされる.結果として,
の損害を被った揚合,その原因や責任は個人に直接的に降りかかる.さらに,
[""新しいリスク」
[""新しいリスク」は,リスク
社会に潜在しているため,人びとには認識しづらい.そこで,リスク社会で生きる人びとが,
[""新しいリス
ク」に対応するために,個人単位でその情報を入手する手段がメディアである.しかしながら,メディアに
は,人びとにネガティブなステレオタイプを抱かせたり,被害の重要度の認識にバイアスをちたらし疋りす
る効果もみられる.こうしたメディアの効果は,過度な報道が集中すると,個人単位にとどまらす,社会単
位にまで影響力T及ぶことが想定される.
三上 (
2
0
1
0
) は,リスク社会で重要視されるのは,
いる.それは,
[""予防」ではなく,
[""警戒・用 J~\J であると指摘して
[""新しいリスク」が,従来の因果予測や責任帰属を無羽化するためであるという.リスク社
会では,あらゆる潜在的な危険性([""新しいリスク J)を洗い出し,それらをあらかじめ排除しなければな
らない(三上, 2
010). [""新しいリスク」の「警戒・用山」を人びとに伝える方法として,そこでのメディ
アの機能は重要であるといえる.
今後の課題は,リスク社会でのメディアの効果が人びとに与える影響を実証的に明らかにすることであ
る.実証的研究では,現実世界で実際に起こっている「新しいリスク J,それを報道するメディア,その受
け手となる人びとが,どのように「新しいリスク」を認識するのか,という 3者関係を考慮しなければなら
ない.そのためには,現代のリスク社会を捉える社会学的アブローチ,社会と個人の相 E作用を明らかにす
る社会山理学的アプローチ,個人を分析苅象とした山理学的?ブローチ,さらに,マス・コミュニケーショ
ン研究やリスク・コミュ二ケーション∞研究など,さまざまな研究分野から総合的に取り組む必要がある.
注
(
1
)
[
"
"
R
i
s
i
k
o
J を「危膜」と翻訳しているが, [""危陳」と「リス
ク」の区別は,明確にされていなし'. ~世界リスク社会論~ (
B
e
c
k,2
0
0
2
=
2
0
0
3
) の翻訳者である嶋
柑賢ーは, [
"
"
危
険 (
G
e
f
a
h
r
)Jと「リスク (
R
i
s
i
k
o
)Jとの遣いを以下のように説明している. [
"
"
危
険
~危隙社会~
(
B
e
c
k
,1
9
8
6
=
1
9
9
8
) では,
-117-
(
G
e
f
a
h
r
) J とは,例えば,天災のように人間の営み,自己の責任とは無関係に外からやってくるも
の,外から襲うものである.それに苅して,
r
リスク
(
R
i
s
i
k
o
) Jとは,倒えば事故のように人間白
書の営みによって起こる,まさに自らの責任に帰せられるものである.嶋村賢一は, Beckがいう再帰
的近代化に伴う事故は,単なる危陳でなく,リスクであると指摘する.本稿でもこれを採用し,
r
リ
スク」の語を用いている.
(
2
) Beck(1989) の『危陳社会』以来に認識されたリスクで, Lau(1989) のリスク類型の「新しいリス
ク」に分類される.具体的には,原発事故,残留農薬,核廃棄物,薬害などである.本稿では,主に
福島原発事故を指している.
(
3
) Beck(1989) は
,
r
医学が自認する本来の役目は,健康を守ることであったが,現代では,その最先
舗の医学自体が,不治の病気をつくり出す」と指摘する (Beck,1986=1998:410・
411)• Beck(
1
9
8
9
)
とL
y
o
t
a
r
d(
1
9
7
9
) は,現代の捉え方は異なるちのの,科学の進歩に苅する倫理的問題を指摘している
点では共通している.
(
4
) 小松 (2003) が指摘する「決定者/決定に関与しえない影響者」という区別は, Luhmannのリスクの
概怠に依拠している. Luhmannのリスク論は, I
J¥松丈男 (
2
0
0
3
) の『リスク論のルーマン』を参照.
(
5
) 2007年の新潟中越沖地震の災害報道では,
r
エコノミークラス症候群」という象徴的な言葉が頻繁
に報道されたため,人びとに「車中避難は危険である」という回象を形成した(関谷, 2008) .
(
6
) 吉川 (1999) は
, N
a
t
i
o
n
a
lR
e
s
a
r
c
hC
o
u
n
c
i
l (1989)の定義である「リスク・コミュ二ケーションとは,
個人,機関,集団聞での情報や意見のやりとりの相 E作用的過程である」を採用レている.
引用文献
Bauman,
Z
.
(
2
0
0
0
=
2
0
0
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(森田典正訳『リキッド・モダニティ』大月書庖)
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(畠柑賢一訳『世界リスク社会論』平凡社)
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) Wリスク・コミュ二ケーションとメディア』北樹出版
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松尾精文・小幡正敏訳『近代とはいかな
る時代か?モダ二ティの帰結』而立書房)
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(赦吉美都・安藤太郎・筒井淳也訳『モダ二ティと自己アイデンティティー後期近代における
自己と社会』ハーベスト社)
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吉川肇子 (
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) Wリスク・コミュ二ケーション一栢 E理解とよりよい意思決定をめざして』福柑出版
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) Wリスク論のルーマン』到草書房
小松丈晃 (
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.(掛)1トミ子訳『世論(上)(下)~岩波書庖)
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(小林康夫訳『ポスト・モダンの条件一知・社会・言
語ゲーム』水声社)
松原純子 (
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) Wリスク科学入門一環境から人間への危険の数量的評価』東京図書
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)W社会の思考ーリスクと監視と個人化』学文社
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)W社会は絶えす夢を見ている』朝日出版社
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)í マスメディアによる社会的現実の構成」川上善郎編『情報行動の社会,~\理学』北大路書房,
斉藤慎一 (
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関谷直由 (
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) i災害報道の負の効果」田中淳・吉井博明偏『災害情報論入門』弘文社, p
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) Wメディアの議題設定機能ーマスコミ効果研究における理論と実証』学文社
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経済学におけるリスク関連用語」日本リスク研究学会偏『リスク学用語小辞典』丸善,
田村祐一郎 (
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本論文は,島崎哲彦教擾の指導のもと執筆された。
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