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目次
THE SIGMA FORCE SERIES : MAP OF BONES
by James Rollins
Copyright © 2005 by JimCzajkowski
上巻
プロローグ
11
Japanese translation rights arrangement with
BAROR INTERNATIONAL
through OWL'S Agency Inc., Tokyo Japan
一日目
1 エイトボール
34
2 永遠の都
74
3 秘密
114
4 塵は塵に
144
二日目
5 大聖堂
190
6 疑い深きトマス 239
7 骨の謎
282
8 暗号
322
9 聖ペテロの墓 363
日本語版翻訳権独占
竹書房
主な登場人物
グレイソン(グレイ)
・ピアース………………米国国防総省の秘密特殊部隊シグマの隊員
ペインター・クロウ……………………………シグマの司令官
キャスリン
(キャット)
・ブライアント…………シグマの隊員
モンク・コッカリス……………………………シグマの隊員
ローガン・グレゴリー…………………………シグマの副司令官
ヴィゴー・ ヴェローナ…………………………ローマ法王庁考古学研究所の所長
ショーン・マクナイト…………………………米国国防総省防衛高等研究企画庁(DARPA)
の長官
レイチェル・ ヴェローナ………………………イタリア国防省警察の美術遺産保護部隊の隊員、
ヴィゴーの姪
ジョセフ・レンデ将軍…………………………イタリア国防省警察の美術遺産保護部隊の隊長
スペラ枢機卿…………………………………ヴァチカン市国の国務長官
ラウル・ド・ソヴァージュ………………………ドラゴンコートの軍団長
カミッラ・ヴェローナ…………………………レイチェルの祖母、
ヴィゴーの母
セイチャン ……………………………………ギルドの工作員
シグマフォース シリーズ①
アルベルト・メナルディ…………………………ヴァチカン市国公文書館の館長
マギの聖 骨 上 6

7
ヴァチカン市国
君たちの人生が夜空の星のごとく光り輝かんことを
アレクサンドラとアレクサンダーへ
地中海地域
8

9
しんぴょうせい
信 憑 性は、話の中で提示された事実を反映するものである。「事実は小
小説の持つ
説よりも奇なり」という言葉はあるが、たとえフィクションであっても、事実を見据
えた上で書かれる必要がある。本書に登場する美術品、遺跡、カタコンベ、財宝など
は、すべて実在する。本書で紹介した歴史的出来事も、すべて事実である。本書の中
心となる科学技術も、すべて最新の研究と発見に基づいている。
10

11
バルバロッサ帝によるミラノ 略奪の後、聖なる遺 物はケルンのライナルド・フォ
ン・ダッセル大司教(一一五九〜六七)の手に渡った。このような遺物がドイツの大
司教に与えられたのは、現皇帝に対する援助と助言への感謝の印であった。だが、こ
の遺物がイタリアの地を離れることを、快く思わない者たちもいた。彼らはおとなし
く遺物を手渡すことを拒んだのである。
(一八四五)より
『神聖ローマ帝国史』
プ
ロローグ
一一六二年三月
大司教の使者たちはさらに谷底の暗がりへと逃げ延びた。背後にそびえる雪に覆われた峠か
らは、矢を射られ切り裂かれた馬のいななきが聞こえる。男たちの叫び声、泣き声、うめき声
もこだまする。鉄と鉄がぶつかる音は、礼拝堂の鐘の音のような透明な響きがあった。
しかし、ここで行なわれているのは礼拝ではなかった。
〈後衛部隊には、何とか持ちこたえてもらわなければならない〉
た づな
手綱を強く握り締めた。荷
急坂を馬が尻をつきながら滑り降り始めると、ヨアヒム修道士は
馬車は無事に谷底に到達している。だが、完全に逃げ切るためには、まだ何キロも進まなけれ
ばならない。
たどり着くことさえできれば……
手綱をきつく握ったまま、ヨアヒムは疲れの見える馬を谷底へと進めた。氷のように冷たい
小川を渡りながら、見てはいけないと思いつつ、彼は後ろを振り返った。
春が近づいてきているとはいえ、標高の高い地点ではまだ冬が居座っていた。夕日に照らさ
とが
れて、山頂がまぶしく輝いている。 雪 が 光 を 反 射 し、尖った山 頂 からは 霧 氷が波 の ように 広
がって見える。しかし、陽光の届かないこの峡谷では、雪解け水のために森が沼地と化してい
た。馬はひづめの上まで泥につかりながら、骨が折れんばかりの力をこめて前に進もうともが
け
いている。前方に目をやると、荷馬車が車軸のすぐ下まで泥に埋まっていた。
ヨアヒムは馬をひと蹴りすると、荷馬車の周りにいる兵士たちのところへと向かった。
荷馬車の前には新たに何頭かの馬がつながれている。後ろからは男たちが荷馬車を押す。こ
の先の尾根沿いの道まで、何としてでもたどり着かなければならなかった。
「進め、進め」荷馬車の御者はむちを当てながら声をあげた。
しっ た
に引かれながらも、前に進もうと力をこめた。だが、一歩も進まな
先頭の馬は、首を後ろ
い
い。鎖がぴんと張り、凍てつく空気の中で、馬の口からは白い息が激しく吹き出している。男
たちは大声で馬を叱咤した。
胸に開いた傷口が空気を吸い込むような音を立てながら、荷馬車が徐々に、泥から抜け出し
始めた。いらいらするほどゆっくりではあるが、荷馬車は再び進み始めた。遅れが生じるたび
に、新たな血を呼ぶことになる。死に行く者たちの悲鳴が、背後の峠から聞こえてきた。
一つでも壊れるようなことがあれば……
荷馬車は再び上り坂に差し掛かった。ロープできつく結んであるにもかかわらず、覆いをか
けていない荷台に乗せられた三本の大きな石棺が少しずれた。
〈後衛部隊には、もう少しだけ持ちこたえてもらわなければならない〉
12
序章
13
14
序章
15
ヨアヒムは、あえぎながら坂を登っている荷馬車に追いついた。
同じ修道士のフランツが馬を寄せてきた。「前方に敵の姿はないとの報告がありました」
「遺物をイタリアに戻してはならない。国境まで行き着かなければ」
フランツはうなずいた。ヨアヒムの言葉の意味は理解していた。イタリア国内に置かれてい
ては、遺物の安全はもはや保証できない。真の法王がフランスに逃れ、偽の法王がローマに
入った今となっては。
度が上がった。それでもまだ、人の歩
足場のしっかりした地点に差し掛かると、荷馬車のか速
な た
くスピードの方が速い。ヨアヒムは馬の背中越しに彼方の尾根を見つめていた。
戦いの音は、うめき声と泣き声へと変わり、峡谷一帯に不気味に響き渡っている。剣を交え
る音はまったく聞こえなくなった。それはすなわち、後衛部隊の敗北を意味していた。
ヨアヒムは目を凝らしたが、山は影に覆われていた。クロマツの森に遮られて何も見えな
い。
その時、ヨアヒムの目は銀色の光をとらえた。かっちゅう
一人の男の姿が現れた。木漏れ日を受けて、甲冑が光っている。
甲冑の胸当てに描かれた赤い竜の印を見るまでもなく、ヨアヒムはその男の正体を見抜い
た。 黒 い 法 王 の 副 官。 神 の 名 を 汚 す そ の サ ラ セ ン 人 は、 カ ー ル 大 帝 の 勇 士 の 名 前 を 授 か り、
フィエラブラスの洗礼名を名乗っていた。男は他の兵士たちより、頭一つ抜きん出ている。巨
人といっても差しつかえあるまい。この男の手にかかり、どれほどのキリスト教徒の血が流れ
すう き きょう
たことか。一年前に洗礼を受けたこのサラセン人は、今ではオクタヴィウス枢機卿、またの名
を黒い法王ヴィクトル四世の右腕となっていた。
木々を通して輝く太陽の光を背に立つフィエラブラスは、追跡しようという動きを見せな
かった。
もはや手遅れだと悟ったのであろう。
つる
荷馬車は斜面を登りきり、尾根沿いの乾いた道に到達した。ここからは歩みが速くなる。ド
イツ国境まではあとほんの数キロだ。サラセン人の待ち伏せは、失敗に終わったのだ。
動きに気がついた。
その時、ヨアヒムは敵やの
み
まゆ
フィエラブラスは、闇のように黒い大きな弓を肩から外した。ゆっくりと矢を 弦につがえ
る。そして背筋を伸ばすと、力をこめて弓をいっぱいに引いた。
眉をひそめた。
〈羽根のついた一本の太矢で、いったい何ができるというのだ〉
ヨアヒムは
ば か
弓がうなり、矢が放たれた。大きく弧を描きながら、矢は谷の上を渡り、尾根のすぐ上にの
ぞく太陽の光に入って一瞬見えなくなる。ヨアヒムは空に目をやったまま身構えた。その時、
ひつぎ
急降下するタカのように音もなく、矢は中央の棺に突き刺さった。
馬鹿な……そして棺が
雷鳴のような音とともに、石棺のふたに大きなひびが入った。そんな
真っ二つに割れると同時に、ロープがほどけた。押さえをなくした三本の棺は、荷馬車の後部
から滑り落ち始めた。
男たちは荷馬車に駆け寄り、石棺が地面に落下するのを食い止めようとした。何本もの手が
16
序章
17
差し出される。荷馬車は停止した。しかし、一本の石棺はすでに大きく傾いてしまっていた。
棺はそのまま荷馬車から落下し、下敷きになった兵士の脚と骨盤を砕く。男の悲鳴が尾根に響
き渡った。
フランツは馬から飛び降りて駆け寄った。石棺の下敷きになった兵士を救い出さなければな
らない。そして何よりも、石棺を荷馬車に戻さなければならない。
ようやく石棺が持ち上がり、兵士は救出された。しかし、再び荷馬車に乗せるには、石棺は
あまりにも重すぎた。
「ロープだ!」この若き修道士は叫んだ。「ロープを持ってこい!」
棺を支えていた男の一人が足を滑らせた。棺が横倒しになり、石のふたが外れた。
馬のひづめの音が背後から聞こえてくる。尾根の方からだ。しかも、かなりの速度で迫って
くる。音の正体は見るまでもなくわかっていたが、それでもヨアヒムは振り返った。日の光を
浴びて噴き出す汗を輝かせながら、何頭もの馬がこちらに向かっている。まだ一キロほどの距
離があったが、馬に乗った男たちが全員黒い服に身を包んでいるのがはっきり見て取れた。サ
ラセン人の兵士たちだ。二カ所に分かれて待ち伏せしていたに違いない。
ヨアヒムはじっと馬にまたがっていた。もはや逃げ道はない。
を飲んだ。自分たちの身に迫った危険に対してではない。ふたの外れた石棺の
フランツは息
きょうがく
中身を見て、驚愕したのだ。中には何も入っていなかったからだ。
「空だ!」フランツは叫んだ。
「空っぽじゃないか」
ひざ
ショックのあまり、フランツは石棺から離れて立ち上がった。そして荷馬車の荷台へ倒れ込
むように登ると、サラセン人の矢に砕かれた石棺をのぞき込んだ。
「こっちも空だ」フランツは言うと、膝からくずおれた。「遺物はどこだ? いったいどうい
うことなんだ?」フランツはヨアヒムの目を見た。そこに驚きの色はなかった。
「あなたはご存じだったんですね」
視線を戻した。自分たちの役割は果たしたのだ。黒い法王配
ヨアヒムは向かってくる馬へと
おとり
下の兵たちを引き付けるための囮。本物の輸送団は一日前に出発していた。本物の遺物は粗布
を巻き、ラバの引く荷車に積み込まれ、干草の中に隠して運んでいた。
ヨアヒムは谷を挟んで立つフィエラブラスをじっと見つめた。サラセン人に今日この命を奪
われようとも、黒い法王には決して遺物を渡さない。
ドイツ ケルン
六月二十二日午後十一時四十六分
現 在
絶対に。
18
序章
19
「聴いてごらんよ。
まもなく夜の十二時。ジェイソンはマンディーにiPodを手渡した。
ゴッドスマックの新曲さ。アメリカじゃまだ発売されていないんだぜ。すごいだろ」
マンディーは、それほどすごいことだとは思っていないようだった。表情を変えずに肩をす
くめただけだ。それでも、イヤホンを手に取ると、先端をピンク色に染めた黒髪をかきあげ、
イヤホンを耳にはめた。その動作の中でジャケットの前が少し開き、黒いピクシーズのTシャ
ツで覆われているリンゴのような丸い胸があらわになった。
ジェイソンは思わず見入った。
「何も聞こえないじゃない」マンディーは気だるそうなため息をつくと、ジェイソンに向かっ
て眉をひそめた。
おっと。ジェイソンは我に返ると、iPodの再生ボタンを押した。
ジェイソンは頭の後ろで両手を組んだ。二人は「聖堂前広場」と呼ばれる一帯を囲む芝生の
上に腰を下ろしていた。広場の中央には、ゴシック様式の大聖堂、ケルンドームがそびえ立っ
せんとう
ている。大聖堂の丘の上に位置するケルンドームからは、市街が一望できた。
よみがえ
尖塔を見上げた。尖塔は多くの石像で装飾を施され、宗教的な
ジェイソンは大聖堂の二本の
ものから神秘的なものまで、大理石のレリーフが幾重にも彫られている。夜になって照明が当
たっている尖塔を見ると、古代から甦った何物かが地中深くからせりだしてきたような、奇妙
な感覚にとらわれる。この世の存在ではないように見える。
iPodから漏れてくる音楽を聴きながら、ジェイソンはマンディーを見つめた。二人はボ
ストンカレッジの学生で、夏休みを利用してドイツとオーストリアをバックパック旅行してい
けいけん
た。ブレンダとカールという二人の友人も一緒だったが、彼らは今夜の深夜ミサに出席するよ
りも、地元のパブで時間を過ごす方に興味があるようだった。だが、マンディーは敬虔なロー
マカトリックの家庭で育った。ケルン大聖堂で深夜ミサが行なわれるのは、祝祭日の中でも非
常に限られている。今夜行なわれる三人の王、すなわちマギの祝祭日も、その数少ない機会に
当たり、ケルンの大司教自らがミサを執り行なうのである。マンディーはこの機会を逃したく
なかった。
一方、ジェイソンはプロテスタントだったが、マンディーに付き合ってミサに出席すること
にした。
深夜十二時になるのを待つ間、マンディーは音楽に合わせて軽く頭を振っていた。音楽に集
中すると、彼女の前髪が前後に揺れ、下唇がちょっと突き出る。ジェイソンはそんな仕草が嫌
いじゃなかった。突然、何かが彼の手に触れた。マンディーが腕を寄せたため、彼女の手が
ジェイソンの手に触れる格好になったのだ。だが、マンディーの視線はじっと大聖堂を見つめ
ていた。
ジェイソンは息を飲んだ。
この十日間のうちに、二人で一緒に過ごす時間が次第に増えていた。旅行前は、二人は互い
に顔を知っている程度だった。マンディーは高校時代からのブレンダの親友。一方、ジェイソ
ンとカールはルームメイトだった。ブレンダとカールは交際を始めたばかりで、二人きりでの
旅行に二の足を踏んでいた。旅行中に恋が冷めてしまうことを恐れていたからだ。
結局、そんな心配は無用だった。
そんなわけで、ジェイソンとマンディーはしばしば二人だけで観光をする羽目になったので
ある。
今の状況を、ジェイソンはまったく気にしていなかった。大学で彼は美術史を学んでいる。
マンディーはヨーロッパ学が専攻だ。教科書に記述されている無味乾燥な内容が、ここでは実
体を与えられ、圧倒的な存在感をもって迫ってくる。発見というスリルを共有しながら、二人
は安心できる旅のパートナーとしてお互いを見るようになった。
ジェイソンは自分の手に触れたマンディーの手から視線をそらしながらも、指を一本動かし
て彼女の指に触れようとした。今夜は少しだけ、明るい希望が見えてきたのだろうか。
だが、運悪く曲の方が一瞬早く終わってしまった。マンディーは座り直すと、手を離して耳
からイヤホンを外した。
「そろそろ中に入った方がいいわ」マンディーは小声で言うと、建物内に入ろうと大聖堂の扉
の前に列をなしている人々の方を向いてうなずいた。彼女は立ち上がってジャケットのボタン
すそ
を留めた。派手な色のTシャツが、落ち着いた黒のスーツの下に隠れる。
裾を直し、ピンクに染めた髪の先端を耳の後ろへ手ぐ
マンディーが足首まで届くスカートの
しで隠すのを見ながら、ジェイソンも立ち上がった。ほんの一瞬のうちに、マンディーはパン
ク系の女子大生から、落ち着いたカトリック系の女子学生へと変わっていた。
彼女の変化をジェイソンはあっけにとられた様子で見つめていた。黒のジーンズに薄手の
ジャケットという自分の格好が、宗教儀式に出席するにはふさわしくない服装のような気がし
てきた。
「それで大丈夫よ」ジェイソンの心のうちを読み取ったかのように、マンディーは声をかけ
た。
「そうだよね」ジェイソンは小声で答えた。
こ
ん
ば
ん
は
二人は荷物を持ち、コカ・コーラの空き缶を近くのごみ箱に捨てると、舗装された広場を横
切った。
よ
う
こ
そ
「 グ ー テ ン・ ア ー ベ ン ト 」 扉 の 前 で 黒 の 修 道 服 を 着 た 助 祭 が、 ド イ ツ 語 で 二 人 を 迎 え た。
わ
ろうそくの光を浴びながら、ジェイソンは彫刻の施された大きな扉のところまでたどり着
き、マンディーの後から正面の待合室に入った。マンディーは水盤の聖水に触れると、十字を
しかし、そのような長い年月に思いを馳せても、実感は湧いてこない。
は
中に、ジェイソンはこの大聖堂の建設が始まったのは十三世紀のことだと説明を受けていた。
大聖堂の開いた扉の内側から、ろうそくの明かりが漏れ、石段の上で揺れている。その光
が、年月と古い趣が持つ味わいをいっそう高めていた。その日の昼間、大聖堂内の見学ツアー
「ダンケ」マンディーが小声で応じ、二人は階段を登った。
ど う も
「ヴィルコメン」
20
序章
21
22
序章
23
切った。ジェイソンは急に気まずい思いに襲われた。これは自分の宗派とは違う。彼は侵入
者、それも異教の侵入者だ。間違いを犯したら自分が気恥ずかしい思いをするし、マンディー
にも不快感を与えてしまうのではないだろうか。
「ついてきて」マンディーは言った。「いい席に座りたいの。あまり前すぎても嫌だし」
ィーの後について進んだ。教会の建物内に足を踏み入れると、気まずさ
ジェイソンはマいンけデ
い
に代わって心は畏敬の念でいっぱいになった。この大聖堂の内部には昼間にも入っていたし、
しん ろう
建物の歴史や芸術様式についても事前に十分学んでいたつもりだった。それでも、ジェイソン
よくろう
は改めてこの空間の持つ荘厳さに心を打たれた。目の前に伸びる中央の長大な身廊は百二十
メートル近くある。九十メートルほどの長さの翼廊が交差して十字を形成する中央部には、祭
壇が置かれていた。
ら せん
きさや広さではない。目もくらむよう
しかし、ジェイソンの心をとらえたのは、大聖堂のき大
ょうどう
な高さだった。上の方へと視線を向けると、尖った 拱 道、長い柱、そして丸天井と続く。千
本のろうそくから立ちのぼる煙は、香を放ちながら螺旋階段のように天へと向かっている。ろ
うそくの炎が壁面をぼんやりと照らしていた。
ほほ え
マンディーはジェイソンを引っ張るように祭壇の方へと向かった。祭壇の両側に位置する翼
廊部分はロープで仕切られていたが、身廊の中央部にはまだ空席があった。
「この辺はどうかしら」マンディーは通路の真ん中あたりで立ち止まった。彼女は軽く微笑ん
だ。ミサに付き合ってくれたお礼だろうか、それとも恥ずかしさを隠すためだろうか。
ジェイソンはマンディーの美しさに驚いて、ただうなずくことしかできなかった。まるで黒
い服を着た聖母のようだ。
マンディーはジェイソンの手を取ると、壁際の席の方へと導いた。あまり目立たない場所
だ。ジェイソンはほっとしながら腰を下ろした。
マンディーはジェイソンの手を握ったままだった。彼女の手のひらのぬくもりが伝わってく
る。
今夜は確実に、希望の光が見えている。
よ う や く 鐘 の 音 が 鳴 り、 聖 歌 隊 の 声 が 響 き 始 め た。 ミ サ の 始 ま り だ。 ジ ェ イ ソ ン は マ ン
ディーに動きを合わせた。信仰を表す複雑な動作とともに、立ち上がり、ひざまずき、再び座
る。ジェイソンはカトリック教徒ではなかったが、次第に興味を引かれ始めた。華麗な儀式に
心を奪われたのである。ローブをまとった司祭が煙を放つ香炉を揺らす。司教冠をかぶり金の
縁取りの衣装をまとった大司教と、彼に付き添う人々が列をなして姿を現す。聖歌隊と出席者
が声をそろえて歌う。祝祭のろうそくが光を放つ。
儀式に参加しているのは出席者だけではなかった。大聖堂内の各所に配置された美術品も、
ミサの一部を構成していた。
「ミラノのマリア」と呼ばれる聖母マリアと幼子イエスの木像は、
光を浴びて年代と優雅さを醸し出している。身廊を挟んだ向かい側には、小さな子供を抱いて
至福の微笑をたたえた聖クリストフォルスの大理石像がある。そして頭上からは、巨大なバイ
エルン風のステンドグラスがすべてを見守っていた。外からの光は入ってこないが、ろうそく
かぎ
の光を反射して、ステンドグラスは宝石のような輝きを発していた。
かなめ
鍵のかかったガラスと金属製のケースに納められて祭壇
しかし、何よりも目を引いたのは、
の背後に置かれた、黄金の石棺であった。やや大きめのトランクほどの大きさで、一見すると
教会をかたどった模型のように思える。だが、この聖骨箱こそがケルン大聖堂の要であった。
この聖骨箱のために、巨大な大聖堂が建設され、信仰と芸術の中心地となったのである。その
中にはケルン大聖堂が所蔵する最も神聖な遺物が保管されていた。純金製の聖骨箱は、大聖堂
の起工式が行なわれるより前に製作された。十三世紀にベルダンのニコラスによって設計され
た聖骨箱は、現存する中世金細工の最高峰と考えられている。
り返される中、ミサは次第
ジェイソンが内部を観察しているうちに、鐘の音や祈りの声がせ繰
いさん
に終わりに近づいていった。そして聖体拝領の時間となった。聖餐のパンを分け合う儀式であ
る。出席者たちはゆっくり信者席から立ち上がると整列し、通路に沿って進んでイエス・キリ
ストの肉体と血を受け取る。
自分の番が来ると、マンディーはジェイソンの手を放し、同じ列に座っていた人々とともに
立ち上がった。
「すぐに戻るわ」彼女はささやいた。
ざん げ
わき
ジェイソンの座っている列には誰もいなくなった。出席者たちは一列になって、ゆっくりと
祭壇の方へ進んでいく。マンディーが戻ってくるのを待つ間、ジェイソンは立ち上がって足を
伸ばしながら、懺悔室の両脇にある像を眺めていた。そうして待つうちに、ジェイソンはコー
ラを二本でやめておくべきだったと後悔し始めた。彼は教会の入り口の方を振り返った。一般
参列者用のトイレが身廊を出たところにあったはずだ。
ひも
そわそわしながらトイレを探していたジェイソンは、大聖堂後部のすべての扉から修道士た
ちが一斉に入ってくるのに気がついた。裾が床に届くくらいの長さの黒いローブをまとって
フードをかぶり、腰の周りを紐で留めている。ジェイソンはふと、何か違和感を感じた。彼ら
の歩みは速すぎる。まるで軍隊の行進のように整然と歩きながら、修道士たちは物陰に姿を消
した。
大げさな儀式の締めくくりとなる催しなのだろうか。
人影が次々と入ってきていた。
大聖堂内を見渡すと、そのほかの入り口からもローブを着た
ささ
こうべ
ロープで仕切られた祭壇の横の翼廊にも立っている。祈りを捧げるように頭を垂れているが、
見張りに立っているように見えなくもない。
いったい何が始まろうとしているんだ。
マンディーが祭壇の近くにいるのが見えた。ちょうど聖体を拝領しているところだ。マン
ディーの後ろには数人しかいない。「キリストの肉体と血を」ジェイソンは唇の動きを読むこ
とができた。
「あの修道士たちは何だい」彼は顔を近づけて聞いた。
聖体拝領は終わった。最後の出席者たちが信者席に戻り、マンディーも帰ってきた。ジェイ
ソンは手を振ってマンディーを呼ぶと、彼女の隣に腰掛けた。
「ア
ーメン」ジェイソンは自分で答えた。
24
序章
25
ひ ざ ま ず い て 頭 を 垂 れ て い た マ ン デ ィ ー か ら は、「 静 か に し て 」 と い う 声 し か 返 っ て こ な
かった。ジェイソンは座り直した。出席者のほとんどが、ひざまずいて頭を垂れた姿勢でい
る。座ったままなのは、ジェイソンをはじめ聖体拝領を受けなかったほんの数人だけだ。前を
あご
見ると、司祭がちょうど片付けを済ませたところだった。年配の大司教は一段高い壇の上に
ぼうこう
座っている。顎を胸につけて頭を垂れたその姿は、半分眠っているかのように見える。
ひじ
神秘と儀式の不思議な気持ちは、ジェイソンの心の中で消えようとしていた。膀胱内にだい
ぶたまっていたせいで、おかしな気分になったのかもしれない。いずれにしても、ジェイソン
は早く外の空気を吸いたくなった。そろそろ出ようよと促すために、マンディーの肘に手を伸
ばしかけたその時……
前方に動きを感じて、ジェイソンは手を止めた。祭壇の両側にいる修道士たちが、ローブの
下から武器を取り出した。ろうそくの炎に照らされて、油を塗布された鉄色の物体が輝く。銃
せ
身を短くしたウージー。長い黒のサイレンサーが装着されている。
咳き込んだ時のような小さな銃声が、祭壇の両側から響いた。信者席の
ヘビースモーカーが
人たちが一斉に顔を上げる。祭壇の後ろでは、白のローブを着た司祭が、銃弾の衝撃とともに
おび
小刻みに震えた。まるで深紅のペンキが入ったボールをいくつも投げつけられたようだ。司祭
は祭壇の上に倒れた。聖餐の杯からこぼれたワインが、彼の血と一体になった。
怯
一瞬静まり返った後、あちこちから悲鳴があがった。思わず立ち上がる人もいる。恐怖に
えた大司教は、立ち上がろうとした拍子に壇上でバランスを崩した。司教冠が床に転がった。
修道士たちは通路に展開した。後部にも、両側にも。命令がドイツ語、フランス語、そして
英語で発せられた。
ねら
狙ったものではなかっ
リーダーが脇にどくと、二人の男が進み出た。銃声が鳴り響く。人を
りした。
彼は祭壇にいる大司教と向き合った。二人の間で激しい口論が始まった。少ししてジェイソ
ンは、彼らがラテン語で話をしていることに気がついた。突然、大司教は恐怖に怯えて後ずさ
路を大股で悠然と歩いている。
おおまた
トを着ているように見える。おそらくリーダーであろう。彼は武器を持たずに、身廊の中央通
正面の入り口を固めていた修道士の中から、まるで何かの合図に応じるかのように、一人の
男が歩み出た。他の修道士たちと服装は同じだったが、背がかなり高い。ローブではなくマン
いったい何が起こっているんだ?
鍵がかけられ、見張りが立っている。
マンディーはジェイソンの隣に腰を下ろした。彼女の手が伸びてくる。ジェイソンはマン
ディーの指を固く握り締めると、まばたきするのも忘れてあたりを見回した。すべての扉には
「死
にたくなければ座ってろ!」
こもった声だった。フードの奥の顔の下半分が、黒いシルクのマスクで覆われているため
だ。それでも、手に持っている武器を見れば、何を命令されたかは理解できる。
「ブライベン・ジー・イン・イーレン・ジッツェン……ヌ・ブージュ・パ……」
26
序章
27
28
序章
29
た。彼らは黄金の聖骨箱を納めたケースをめがけて撃ったのだ。ガラスには傷がつき、くぼみ
ができた。だが、割れなかった。防弾ガラスでできているようだ。
「泥棒だ」ジェイソンはつぶやいた。これは手の込んだ、大掛かりな泥棒だ。
大司教はガラスが割れなかったことに力を得たのか、男をにらみ返した。リーダーの男は銃
撃を止めるように手を上げると、再びラテン語で話を始めた。大司教は首を振った。
「 ラ ッ セ ン・ ジ ー・ ダ ン・ ダ ス・ ブ ル ー ト・ イ ー ラ ー・ シ ャ ー フ ェ・ イ ー レ・ ハ ン デ・ ベ フ
レック」男は今度はドイツ語を使った。
〈 おまえの羊の血をおまえの手の上に〉
リーダーの男は新たに二人の修道士を呼び寄せた。二人は聖骨箱を挟んで向かい合うように
立つと、大きな金属製の円盤をケースの両側に当てた。効果はすぐに現れた。
傷が入って弱くなっていた防弾ガラスは、まるで見えない風に押されたかのように内側から
破裂した。ろうそくの炎に照らされて、聖骨箱がかすかに輝いた。突然、ジェイソンは気圧の
変化を感じた。耳の奥がぽんと鳴る。まるで大聖堂の壁が内側に収縮し、中にある物を押しつ
ぶそうとしているかのようだ。圧力で耳が聞こえなくなり、視界も狭くなった。
ジェイソンはマンディーの方に目を向けた。
マンディーの手はまだしっかりとジェイソンの手を握っていた。しかし、彼女の首は後ろに
大きく折れ曲がり、口が開いていた。
「マンディー……」
ジェイソンの目に、他の出席者たちも同じように苦しげな姿勢で硬直している様子が映っ
た。ジェイソンの握っていたマンディーの手が、まるでスピーカーのツイーターのように小刻
ほお
からだ
けいれん
みに震え始めた。涙が彼女の頰を流れ落ちる。だが、ジェイソンの見ている目の前で、涙は血
に変わった。彼女は息をしていない。マンディーの身体が突然痙攣を起こして硬直し、ジェイ
ソンの手が離れた。その直前、ジェイソンはマンディーの指先から自分の指先に、電気が伝わ
る衝撃を感じた。
ジェイソンは恐ろしさのあまり、思わず信者席から立ち上がった。
マンディーの口むから、一筋の煙がのぼった。
彼女は白目を剥いていた。その目の端は、焦げて黒くなり始めている。
死んでいる。
ジェイソンは恐怖で声も出なかった。大聖堂の中を見回すと、あちこちで同じことが起こっ
ている。無傷の者はほんの数人だった。両親の間に挟まれて身動きの取れなくなった二人の幼
い子供が、大声で泣きわめいている。ジェイソンは生き残った人たちに見覚えがあった。聖体
拝領でパンを口にしなかった人たちだ。
自分のように。
ざん げ
ジェイソンは光の届かない壁際へと移動した。彼の動きは今のところ気づかれていない。背
中が扉に触れた。修道士たちの立っていない扉だ。ただし、外へ通じる扉ではない。
懺悔室の中へ素早くもぐり込んだ。
ジェイソンはわずかに扉を開けると、
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序章
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彼はひざまずくと、うずくまるように座った。
彼の口から祈りの言葉が漏れた。
その時、突然それは終わった。ジェイソンは頭の中ではっきりと感じた。ぽん。圧力が外に
放たれる。大聖堂の壁が、大きくため息をついたように元に戻っていった。
ジェイソンは泣いていた。彼の頰を、冷たい涙が流れ落ちる。
彼は懺悔室の鍵穴から外をのぞいた。
鍵穴からは、身廊と祭壇がはっきりと見渡せる。燃えた髪の毛のにおいが漂ってくる。泣き
わめく声はまだ聞こえていたが、その声もほんの一握りの人たちのものだけになった。まだ命
のある者たち。ぼろぼろの服を着たホームレスと思われる男が、信者席からよろけるように立
ち上がると、横の通路を走り始めた。だが、十歩も進まないうちに、男は後頭部を打ち抜かれ
た。銃声は一発だけ。男の身体は通路に転がった。
〈 なんてことだ……なんてことだ……〉
泣き声が漏れそうになるのを必死でこらえながら、ジェイソンは祭壇の方に視線を移した。
四人の修道士が、粉々になったケースの中から黄金の聖骨箱を持ち上げている。殺された司
祭の死体は祭壇から蹴り落とされ、代わってその場所に聖骨箱が置かれた。リーダーの男が、
ローブの下から大きな布製の袋を取り出した。修道士たちは聖骨箱のふたを開けると、箱を逆
さにして中身を袋の中に空けている。中身が空になると、値段のつけられないほどの価値があ
る黄金の聖骨箱は投げ捨てられ、大きな音をたてて床に落下した。
リーダーは袋を肩に背負うと、盗んだ遺物とともに中央の通路を戻っていく。
大司教が男に向かって呼びかけた。今度もラテン語だった。ののしりの言葉のように聞こえ
た。
だが、男は手を振っただけであった。
別の修道士たちが大司教の背後に立つと、銃口を頭に向けた。
ジェイソンはしゃがみ込んだ。もうたくさんだ。
彼は目を閉じた。ほかにも何発かの銃声が、大聖堂の内部にこだました。散発的な銃声。泣
き声が不意にやんだ。修道士たちが生き残った目撃者を殺害し、大聖堂を死が支配した。
ジェイソンは目を閉じたまま、祈り続けた。
記された紋章を確認していた。
鍵穴から目をそらす直前に、ジェイソンはリーダーの上着に
ひ いろ
リーダーの男が手を上げた拍子に、黒いローブの前が開いて緋色の紋章が見えたのだ。円を描
き、尾を自分の首に巻きつけた竜。見たことのない紋章だった。だが、ジェイソンにはそれが
ぼうとく
ヨーロッパのものではなく、ペルシアかどこかのエキゾチックな紋章のように感じられた。
懺悔室の扉の向こうは、物音一つしなくなった。
やがて、足音が彼の隠れ場所に近づいてきた。
ジェイソンはきつく目を閉じた。恐怖に対して。ありえない事態に対して。神への冒瀆に対
して。
すべては袋に詰めた遺骨のために。
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序章
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この大聖堂が聖なる遺骨のために建てられたのは事実であるし、多くの皇帝が遺骨の前にひ
ざまずいてきた歴史もある。今晩のミサにしても、大昔に死んだこの遺骨の主 —
三人の王の
ための祝祭として行なわれた。それでも、ジェイソンの頭からは一つの疑問が離れない。
なぜなんだ?
もつやく
マギの姿は、大聖堂のいたるところに、石、ガラス、黄金などで見ることができた。マギが
ベツレヘムの星を目印に、ラクダを引いて砂漠を進む絵がある。幼きキリストへの崇拝を表す
ために、黄金、乳香、没薬を捧げてひざまずく人物の姿を描いた絵もある。
だが、ジェイソンの心の中には、これらの絵は映っていなかった。彼の心に浮かぶのは、マ
ンディーの最後の微笑だけ。そして、彼女のそっと触れた手。
すべて失われてしまった。
靴音が扉の外で止まった。
このような血の惨劇が起こった理由は何なのか、ジェイソンは涙を流しながらその答えを求
めた。
なぜなんだ?
なぜマギの聖骨を盗むのか?
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