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「木馬レースの勝者」 における少年の心理

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「木馬レースの勝者」 における少年の心理
奈良教育大学紀要 第48巻 第1号(人文・社会)平成11年
Bull.Nara Univ.Educ.,Vol .No KCult.&Soc), 1999
91
「木馬レースの勝者」における少年の心理
-フロイドのセクシュアリティの理論に照らして-
門 田 守
(奈良教育大学英米文学教室)
(平成11年4月30日受理)
キーワード'. ロレンス、フロイド、セクシュアリティ
1 は じ め に
が彼の後期の短編小説であることを考え合わせれば、最
初からロレンスの脳裏にフロイドの思想が浮かんでいた
学生に小説の読み方を教える際に、分析批評は非常に
有効である。何故なら、作品とその背景に関わる知識は
はずである。
「木馬レ-スの勝者」において、最初にポールと母親
原則として必要とされないのだから。また作品そのもの
との関係はどのようなものであったのであろうか。彼ら
と個人的に対時して、作品の与える喜びを味わうように
の心理的な関係について探っていこう。
指導すれば、概ね教授者の仕事の大半は終わったような
最初はポールを含めて、この家の子供たちは母親とは
ものなのだから。ただし、小説はそれ白身で自律的に存
心理的に疎遠な関係にあったと患われる。 ``She mar-
在しているものではないと言うこともできる。読者の意
ried for love, and the love turned to dust. She had
識において、他のテクスト、あるいはもっと広く社会文
bonnさ, children, yet she felt they had been thrust
化的影響が皆無であるとは考えられない。
upon her, and she could not love them." (444)と
ロレンス(D. H. Lawrence)の「木馬レ-スの勝者」
あるように、彼女と夫との愛は無味乾燥なものであった。
(`Rockmg-Horse Winner.I 1928)を読むとき、読者は
また夫との関係は、子供への愛情の枯渇へと彼女を導い
母親との関係で神経症に陥った少年ポ-ル(Paul)にオ
ていった。この家には愛がなかったし、加えて金もなかっ
イディプス・コンプレックスの症例を必ずや見出すであ
たのである。あるものは中・上流階級にかろうじて属し
ろう。オイディプス・コンプレックスはわれわれの文化
ていることを維持するための、上辺だけの上品さと気取
に溶け込んだ心理学的知識であり、それに無知な読者は
りだけであった。子供たちの視線は冷たく、あたかも母
まずいないであろう。いわは、子供のセクシュアリティ
親のあら探しをするかのようであった。しかし母親には、
の発達に関わる、フロイド(Sigmund Freud)のこの理
論は既に文化的な読みの枠組みとなっているのである。
自分の隠さねばならない欠点とは何であるかが皆目わか
文化現象に対して完全に二ュ-トラルな立場にいる、い
は自分の心がかたくなになり、彼らに対してついっい構
わば純粋なる読者は観念上にしか存在しないであろう。
えてしまうことを意識していた。こういうところからし
ここでは「木馬レ-スの勝者」を例に取り、それをフロ
て、この母親は実際には子供をまったく欲していなかっ
イドのテクストと重ね合わせて読解してみたい。そのこ
たと思われる。きわめて客観的な視点に立っ世間の人々
らなかったのでる。子供が自分のそばにいるとき、彼女
とにより、分析批評の限界を示しつつ、小説の読解作業
には、彼女は良くできた母親として見られていた。とこ
か他のテクストとの関係の読解過程によって起こるさま
ろが実のところ"Only she herself knew that at the
を示したい。
centre of her heart ∼,vas a hard little place that
could not feel love, no, not for anybod㌫" (444)
2 少年と母親の関係
とあるように、彼女は子供だけではなく、まったく誰に
対しても本当に愛情を感じたことはなかったのである。
ロレンスがフロイドの理論に親しんだのは、奔放なる
そして彼女が内面に抱いている他者との関係を拒絶する
妻フリーダ(Frieda Weeklev)の影響の下でであった。
障壁には、彼女自身と子供たちのみが気づいていた。ポー
フリーダはフロイドの高弟グロス(Otto Gross)とも
ルと下の妹二人は母親と一つの秘密を共有していたので
親交が深かったのである。特に、 「木馬レースの勝者」
ある。その秘密は「母は誰も愛していない」ということ
門 田
92
守
であった.とりわけこの秘密が影響を与えるのはポ-ル
いくらでも必要なものであった。そしてお金に対する必
である。男の子であるが故に、彼は特別な愛情を母親か
要性は無機質なものへの憧れである。お金とは家庭での
ら欲したのである。
幸福のための必要条件しか溝たLてくれないし、それだ
子供たちは通常は母親から愛情を要求するものである。
けでは決して家庭の幸福を保証してくれる十分条件には
子供がごく小さい時期に最初に愛情を受け取るのは母親
ならないものである。そして金をめぐってこの家庭では
の体からである。最初に栄養がもらえるのは母親の体か
夫婦の関係も冷えていた。夫はこの小説ではほとんど登
らである。よって、母親との肉体的接触は最初の愛情の
場しないか、少なくとも妻との関係は疎遠であったと見
対象として子供に意識される。特にフロイドは子供は母
ることができる。
親との肉体的接触を栄養の源でもあるし、性的な欲望の
こういう条件を考慮してみると、お金がないというこ
源泉であるとも考えている。彼によると、性的快感に関
とが家庭の不和の原因で、それが徐々に子供の心を蝕ん
わる身体の部位がもたらす満足感は、このように栄養へ
の欲求を満たすものでもある。
でいったように読めるであろう。さて、このお金がない
The satisfaction of the erotogenic zone is assiJei-
み、お金が欲しいと思うようになる。子供がそれほど世
ated,
in
the
first
mstanC蝣e,
with
the
satisfaction
of the need for nourishment. To begin with,
ということをめぐって、子供はそのことを大変に気に病
のIrlでのお金の価値について深く認識しているとは思わ
れない。とすると、このお金とはただのお金という意味
sexual activ由一 attaches itself to one of the
だけではなく、比唖的な意味を昔びているはずである。
functions serving the purpose of self-preserl,ation
その比職的な意味はf供が彼らの年代において最も必要
and does not become independent of them until
としているもの、その子供にとって最も大事なものを表
latei∴ ('Three Essavsっn the Theory of Sexualit了
しているのではないであろうか。つまりお金とは端的に
98)
言って、子供に一番必要な母親の愛情を比喰的に表して
母親との接触が欠けているこの家庭では、子供に愛情
いるのてはなかろうか。その他にもお金は比口離勺意味を
への洞渇感を産むに違いない。その影響は男子であるポ-
帯びているかもしれないが、母親の愛惜を繋ぎ止める手
ルに最も顕著に現れるであろう。この段階ではこの家庭
段に関係していることには違いないであろう。
の抱えている問題の根幹は、母親の性格に存しているこ
とを確認しておこう。
そしてお金をもっているということは一家を支えられ
る経済的能力をもっていることの指標となる。家庭を支
える力を得るということは、父親の地位を引き継ぐ力を
3 お金のもつ降職
得ることを意味するであろう。ということは、お金を欲
しがるようになるこの主人公の男の子はオイディプス・
「木馬レースの勝者」において、何故ポールは子供の
くせにお金に執着するのであろうか。お金とは彼にとっ
コンプレックスに陥り、父を殺して、あるいは追放して、
母親を要りたいという欲望に目覚めているのかもしれな
て、隠職としてお金以外のものを表してはいるのではな
い。
いであろうか。
とりあえず、これ以降の家庭の様子は概ね子供のファ
表向きは、この家庭の問題はお金がないということに
なっている。語り手は
ンタジーの視点から描かれている。木馬のきしむスプリ
ングの古、その音を聞く大きな人形、愚かな子犬など、
There was never enough money. The mother had a
これらはすべて子供が体験する世界の様子となっている。
small income, and the father had a small income,
そLて、そうLた家の中から"There must be more
but not nearly enough for the social position
moneyI"(445)という噴きが聞こえてくる。しかし、そ
れは誰も喋ったわけではなかった。この声にならない声
which
they
had
to
keep
up… There
was
always
the grinding sense of the shortage of moneさ,,
という点で、このお金がないというのは子供の母親の愛
though the style was always kept up (444)
を求める、神経症的状態を端的に表していると思われる。
と、中産階級の上品な生活にしがみつこうとするこの家
母親は自分の家にはお金がないから問題なんだ、と子
庭の様子を描き出す。語り手は"There must be more
供に語る。そしてさらに母親は、お金かない原因はお父
money:/ There must be more money!" (444)という
さんに"luck"(445)がないからだと言うのである。子
言柴を頻繁に用い、実際この小説中ではキーワ-ズある
供は"luck"があれば父親に勝てると恩うであろう。彼
いはキーセンテンスとなっていると言ってよいであろう。
は父親への反抗心をもっに違いない。愛しい母親を苦し
お金は体裁の良い暮らしの維持のために必要であろうが、
めている張本人は父親なのだから。とすれば、もう既に
お金とはこの作品ではものとしてのお金のみを表してい
この家庭でのオイディプス・コンプレックス的状況は濃
るだけではないように思われる。お金とはこの家庭では
厚である。
「木馬レースの勝者」における少年の心理
その後のこの母子の会話を聞いてみよう。内容は人の
And aren't vou [Paul's mother] lucky either,
たのであろうか。この子供が夢中になって乗りまくる木
馬は、彼の性的ドライブを表していると思う。馬に跨る
i/nothei-り"
"I can t be. if I married an unluck1, husband."
b、蝣 yourself,
aren
t
ときの彼の異常な様子を見てみよう。
When the two girls were plaving dolls in the
you?"
"I used to think I was, before I married. Now I
think I am verさ, unlucky indeed."
ma
ポールが"luck"が欲しいと思ったとき、何故彼は木
馬に固着したのであろうか。他のものでは何故いけなかっ
もつ運に関わるものである。
"But
93
nurseryつIe we-uld sit on his bier re-cking-horse,
chargi】lg madlv into space, with a frenzさ that
made the little girls peer at him uneasily. Wildlv
‖rat*
"Well-net,er mind'Perhaps I'm not really, she
said
the horse careered, the wal-ing dark hair of the
bo1.- tossedつus eyes had a strange glare m them.
The child looked at her t(つ see if she meant it.
The little girls dared not speak to him. (446)
But he saw, b1, the lines of her mouth, that she
快惚状態で木馬を前後に揺さぶる少年には、馬は確かに
㌔,vas
空間をtlJり裂いて走っているように感じられるのである。
onll
trying
to
hide
something
from
hnll.
[emphasis lline] (446)
気になるのは、卜線を施した一っの部分である。母親が
それは彼を目的地まで運んでくれる乗り物なのである。
言う"I'm not l、eall了の次には"unluck了か来るはず
語り手は少年が"the snorting steed"(446)に向かっ
て"Now, take me tC1 where there is luck: Now- take
である。母親に不幸を背負わせた原因は父親なのだ。母
meT''(446)と命令したと言う。鼻を鳴らす木馬とは、
親は本当は不幸の星のトに_/Lまれてきたと、自己卑トは
まさしく少年のファンクシ'-の世界にしか存在しないで
LたくなかったのかもしれないO そこで語り手の言う
あろう。運とは少年にとって父視に勝っための手段であっ
somethingつま母親の夫-の不満、結婚への後悔と読
むべきであろう。この甘子は父親さえいなければ、こん
入れるために木馬を走らせるのだ。ということは、木馬
な貧困に」77する必要なかったてあろうという気持ちを
はボーIIの性的衝動の現れを象徴していると言えるであ
共有している。母親は夫のことを悪く言い続け、さらに
ろう。
ポー/レの父親への敵悔心を煽るのである。すぐさま、子
供は"Well. anvh<コ\\∴ I'm a lucky lJerson I(446)
た。想像上の父の地位の墓奪を目指し、少年は運を手に
この性的衝動はポー]レか成長するにつれて、ますます
彼を悩ますようになる,。彼には最初"There must l」e
と胸を張って言い故っ。父親には"luck"かないが自分
more moneさ-! There must be more mone^-!"C445)と
にはあると言うことは、自分は父親を越える力をもっ存
いうささやき声か、家t頼こみなぎっていると患われた。
在だいう宣言である。運の力の獲得は隠噛的に父親を負
ところが、そのささやき声は音量を上げ、今や耳鳴りの
かすことなのてある。
ように"Theiでmust be more monev! Oh-h-h; there
must be more moneさ. Oh, m二爪 Now1㌔,-W-
4 木馬 の象徴
there must be lnorで momさv'-more than eVel、 More
than ,〔r!"(453)と少年の耳に響いてくるQ これはポ-
ところで、この小説で現れる木馬とは何の象徴なので
あろうか。,また、何故この少年は執鋤に木馬に乗りたが
るのであろうか。アト・ト.フリース(Ad de lries)
ルの性的衝動の高まりを如実に表していると言えるであ
ろう。
少年は家族に対してある秘密をもつようになるO それ
の『イ メ-ジ・シンホル事典』 (Dicti間 of
は密かに自分の寝室に持ち込んだ木馬であるL,乳母や乳
箪777わ。〕Is and lmago-再 に従えは、馬(horse) !ま動物的
母兼女家庭教師から解放される年齢になったとき、彼は
本能、性的衝動、男根、豊穣、無意識、下半身などを表
密かに寝室で木馬乗りに熱中する。木馬の材木の繋ぎ目
しているとされる(259-62)。血Flいことに、フリースは
がきしむくらいの体重の年齢になっても、彼は木馬に跨
馬は民間伝承ではぴったりと運命そのものを表すと言う
り前後に漕ぎ続ける。もう彼はパブリックスクールに上
のである。西洋の文化・文学におけるイメージの体系的
がる頃だから、 13歳くらいてあろうか。そんな年頃になっ
研究であるにせよ、フり-スの普作における馬のイメ-
ても木馬に乗るのは明らかに異常であり、家族には内緒
シ、がそのまま「木馬レ-スの勝者」に当てはめられるの
にせざるを得ないのである。,木馬に夢中になることには
かどうかはわからないO ただしこの作品においては、馬
心理的固着の意味があるのであろうC 息子の異常な行動
のイメ-ジが性的衝動と結ひついていることは明瞭であ
に気づいた母親は即座に木馬に跨ることを止めさせよう
ると思う。それを確かめるには、少年と木馬との関係を
とするが、少年はこのように言いっくろいをする,。
見さえすればいいであろう。
"\Yell,
)一ou
see,
mothei'
till
I
cali
ha,e
a
real
94
I"] ILI
horse∴I like to have some sort of animal about
守
親は残念ながら、彼の問いかけにまともに返答してくれ
ないのだ。母親にしてみれば、息子が熱病にかかって死
' (454)
馬への固着は、表層的には少年の競馬への熱中ぶりに換
につつあるのに、何故彼かラッキーであり待ようか。息
言できる。若い庭師のバセット(Bassett)に教えられ
子の死を喜ぶ母親などいないはずだから、彼女が答えら
て、少年は競馬に夢中になっているのだから。しかし、
れないのは当然である。しかし、この母親の無反応は少
それはあくまでも表層的にだけである。根本的には、何
年には残酷であった。彼はせっかく体をこわすまで競馬
故少年が競馬に夢中になってしまったのかという問いに
に夢中になったのに、肝心な母の愛は得られなかったの
対する理由が問題となるであろう。夏の問海岸に連れて
だ。木馬は彼を目的の地まで運んでくれたのに、そこに
いってあげるという母親の誘いにも、少年はダービーが
は母の愛はなかったのである。
あるからという理由で断る。その馬への心理的固着の裏
実際の話、木馬が少年に霊感を与えて、彼が競馬に次々
側に、語り手は彼は誰にもうち明けられない秘密をもっ
と当たったというのは茶番に過ぎないであろう。この作
ていたと言う。
品の最も読者を引きつける部分はポールの木馬への固着
He [Paul] gazed at her [his mother] without
を描いた部分であると思う。
speaking. He had a secret within a secret, some-
5 フロイドの性理論からの視点
thing he had not divulged, el-en to Bassett or to
his Uncle Oscar. (454)
バセットにも叔父のオスカーにも話せない秘密の中の秘
フロイドによる子供のセクシュアリティの発達理論に
密とは何であろうか。それは母親への性的願望であると
おけるオイディプス・コンプレックス説に照らして、ポー
思う。馬に跨って前後に体を揺するのは、母親を溝足さ
ルの症例はどのように/jl析されるのであろうか。精神分
せる金を得るためである。馬に乗っているとき霊感が少
析的にこの作品は少年のどういう心理的な問題を提示し
年を襲い、彼は競馬での勝ち馬を予想することかできるO
ているのであろうかG
ということは、金という媒体を介して、少年を母親を満
まず、フロイトに従えば、子供の性感発生部分(the
足させることを目指しているのだ。彼の秘密とは、母へ
erotogeme zone)はどのように推移していくのであろう
の性愛なのである。
か。ここでは彼の「性理論に関わる二つのエッセイ」
木馬は少年の体重を支えきれなかったのか、今や傾い
"Three Essav-s on thc Theory of Sexualit了' (1905)
でしまい、猛々しく手綱を引かれて踊り跳ねる体勢のま
に現れている、子供の性的対象の推移を検討してみよう。
まで正まってしまっていた。しかも、木馬は彼の寝室の
最初に子供の紐指吸いの行動が問題になる。フロイドの
rlHこ隠されて置かれている。木馬とフ7ロスとの親近性
説を見てみよう。
は明瞭であろう。イートン校(Eton C〔Jlege)に上ゎ
る年、彼は木馬に固執しつつ、熱病に確り、うなされた
c蝣hild who indulges in thumレsucking is Lietermmed
まま死んでしまう。バセットに競馬の楽しみを吹き込ま
bv a search f<)r s()me pleasuiでⅥ,Inch has alread\-
れ、彼は木馬を漕ぎっっ霊感に打たれ、最初は着実に勝
been experiL、need and is nC州- remembered In the
ち馬を当てていった。その後スランプに陥って勝ち馬が
simplest case he proceeds to find this satisfactionl
わからなくなってから、最後の最後にダービーで勝ち馬
by
sucking
マラバー(Malabar)を当て、彼は母親を完全に満足さ
or
muc、し)us
せる8万ボンドをL回る賞金を手に入れる。彼かいまわ
occ之ision
の際で母親に確認するのは、自分には運があるのかどう
かということであった。
luckv,
Did
I
mother?
saさ Malabar?
I
knew,
enc蝣e
of
it
is
clear
that
rhvthrmcall\,
on
the
membrane.
¥vhユch
lt
the
pleasure
the
at
some
is
also
child
which
he
had
is
behal-1し)ur
part
easy
his
now
of
to
r)f
the
skin
guess
first
a
the
experi-
stri1.-mar
to
renew. It was the child's first and most vital
"MalabarI Malabar! Did I say Malabar,
mother?
furthermorc
Do
Malabar,
roil
didn't
think
I?
I'm
0㌔;er
actil-lty, his sucking at his mother's breast, or at
substitutes for it, that must have familiarized
him
with
this
pleasure.
Thビchilds
hi)S.
m
our
eighty thousand pounds! I call that luckv, don t
view,
you, mother? Over eighty thousand pounds! I
doubt stimulation bv the warm flow of lllilk IS
knew, didn't I know I knew? Malabar came m all
the cause of the pleasurable sensatirm. (98)
right…
'
(457)
behaves
like
an
erotogen乙c
zone,
and
no
ここでは、子供の親指は母親の乳首の代用物となってい
自分かラッキ-であると母親に認めさせることは、自分
る。自分の親指を吸う行為が、母組の乳首や乳首から流
か父親に勝ったということの証明である。父親はラッキ-
れてくる暖かい母乳の流れを再現する行為として捉えら
になりそこねたからだ。この試みに少年は失敗する。母
れているのである。最初の親指吸いは栄養物を取り込む
「木馬レースの勝者」における少年の心理
自己保存本能に基づく所作であった。この段階では自己
保存と性本能が未分化であり、乳を吸う快感が性的な快
95
rocking is habitually used to induce sleep in
restless children. (120-21)
感としてのみは捉えられていない。しかし歯の生える頃
ここではリズミックな機械的な身体への刺激が、性的興
には乳を吸う行為が必要なくなり、その頃の親指吸いは
奮と切り離せないと語られている。母親に体を揺すられ
性的な行為となる。そして、子供の性感発生部分は自分
ることもその源泉の一つであろう。また、大きくなって
の身体白身に変わってくるのである。フロイドはこう言
からブランコに乗ったり、空中に体を放りhげられるこ
as
とを好むことも、このように体を揺すられる性的快楽か
No one who has seen a baby sinking back satiated
ら発生しているようである。
from the breast and falling asleep with flushed
こうLたことから、 「木馬レースの勝者」におけるポ-
cheeks and a blissful smile can escape the i・eflec-
ルの木馬に乗りたがる症例はどのように捉えられるであ
tion that this picture persists as a prototさ.'pe of
ろうか。彼が"luck"の力を得てお金を欲しがることは、
the expression of sexual satisfaction in later life
母親の愛情を要求している行為である。この子供にとっ
The need for repeating the sexual satisfactionl
てお金そのものよりも、母親の注意を自分に向けさせる
now becomes detached from the need for taking
ことの方か本当の目的である。そして木馬を揺らせる行
llC>unshment-a
scparとition
which
becomes
mevita-
ble when the teeth api〕ear and fciod is no longer
為は連続した自分の身体への刺激であり、かつ自分の下
半身的な欲動を満たす行為でもある。思春期に至る手前
taken in onl, by sucking, but is also chewed up.
の母親から他の女性へ関心を移行させる時期を、この少
Th〔 child does not make use of an 〔xtraneous
年はうまく乗り越えられなかったのであろう。そして母
bcdy for his sucking, but prefers a part of his
親の愛惜が「分豊かなものであったならば、この少年の
own skm because it is more ccりIvement, because it
ような問題は発生しなかったであろう。
makes
which
him
he
independent ⊃f
is
not
yet
able
to
the
external
control,
and
\lorld.
beL蝣ause
もう一つ、いわ13)る「家族ロマンス」 ("Family
Romancesつ におけるオイディプス・コンプレlソクス
in that ¥vこ1さ1 he pi、(⊃1,ides himself, as it wei・亡, with
の理論からボ-ルの症例はどう捉えられるであろうか。
a
フロイドは、子供は最初は自分が親のように強く、大き
second
erotogenic
zone,
though
onビ of
an
くなりたいと患うと言う。しかし次第に知識がついてく
inferiCr kind. (98)
これ以降自慰行為の発生か起こって、次第に快楽の発生
ると、自分の親は万能ではなく、世界にはたくさんの他
が他者の身体-と移行L、止常なセクシュアリティが獲
の視たちがいて、彼らのある者は自分の両親よりも優れ
得されるのである。
ていると気づいてくる。そして他の親か自分にはもっと
もう-一つ、身体の連続的揺れというものも性的快感の
相応Lいと思えるようになるのである。子供のもってあ
源泉となるようである。同しくフロイトの理論を見てみ
ろう親の取り替えへの欲望について、フロイトはこのよ
よう。
うに語っている。
. we must also lnention the production of sexual
IIlLIeed the wholヒ effort at replacing thc・ refll
C、f
father bl'a superior one is onlv an expression of
the bodl- Stimuli of this kind 01)erate in three
the child s longing土01、 the hapijさ,. ∼,anished dal-S
different wars: on the sensorさ apparatus of the
when his father seeillビd to him the noblest and
vピstibular nerlでS、 Cn thヒskin, and c-n the clビeper
strongest of Pn and his mothei、 the dearest and
parts (ビr. the muscles and articular structures),
loveliLst of women He is turning away from the
The
sonsatK⊃ns-and
father whom he knows today ttJ the lather m
it is worth emphasizing the fact that in this
whom he bビ11門,ed m tll earlier さ.-ears of clllid-
connectioil the concepts 。f 'sexual excitation
hood; and his phantasさ- 1S lio marビ than the
and 'satisfaction'can to a giでat extent be used
expression <⊃f a regret that those h之Ipp>, davs ha一e
excitation
b\
existence
rhythmic
of
these
illechanical
pleasurとlblP
agitation
ll-1thOut distmCtion. ... the existence, then, of
gone. (224-25)
thesビ1JleasuralJle sensations, caused I)v forms of
ここで最も強調すべき点は、父親をもっと立派な父親と
mechanical agitation of the body, is confirmed bv
取り替えたいと欲することは過去の幸福な時代を再現す
the fact that children arビso fond of games of
る願望に根ざしているということである.もし現実の自
being
分の父親が気に入らないならば、自分自身が立派になっ
thrown up into the air, and insist on such Fames
て、父親にとって代わればもっと話が簡単になってくる。
being incessantly repeated. It is well known that
「木馬レースの勝者」のポールは、父親には不満を抱きっ
passi\ナe
mO\ナement,
such
as
swinging
and
96
門 田
ぱなしだった。だから"luck"を手に入れることは、偉
守
ろう。ただしオイディプス・コンプレックスと言っても
い父親を家庭にもたらしたいという原白いを表しているの
この場合に限り、愛情の方向が逆で、息子が母親を父親
であるo こうしてみると、 「木馬レースの勝者」はオイ
から奪うのではなくして、母親か息子を他の女から取ら
ディプス・コンプレックスを扱った典型的な作品として
れるのを嫌うという意味で、息子ポールはIF.常な男とし
浮かび上がってくる。
ての性的成長か遂げられないという問題を生じている。
ポー/レは今度はミリアムとは全然性格か違う、クララ
6 他作品との関連
(Clara Dとiwes)という人妻と出会うDクララは肉体的
な女性で、ポールと関係を弔ねていく。ちょうどクララ
ロレンスはオイディプス・コンプレックスの問題をもっ
は夫と折り合いが合わず別居中であり、職を探していた
と広範囲に描いた作品を残しているQ それは『息子と恋
ので、ポールは自分の勤めていた医療器¥-X製造会社の職
人たち』 (Sons 上nd Lovers, 1913)である。このよう
を薦めてやるO ところか、ポ-ルはクララとの関係でも
な作品である。この小説では、主人公ボール(Paul
自分か縛られているという感情を禁じ得なくなるD 彼は
Morel)は父親と母親が絶えずいがみ合っている家庭に
ミリアムとの場合は精神的に縛られていたのであるが、
暮らしている。父親のウォ)レター(WとIiter)は1()歳か
クララとは今度は肉体的に女性に縛られていると感じ始
ら炭坑夫をしている肉体的力はあるか、知的素養のない
めるのである。ポ-ルは白分の自我が圧倒されるのを嫌
男であるo 母親のガ-トルード(GPrtlude)はピューリ
うようになる。,いわは、自らの自我の独_立性を主張した
タンの家の山で、知的で禁欲的な女である。彼女は夫uj
いのてあろうG ホールはクララとの肉体関係を彼女の夫
粗野さにはいっも不満をもっているO 長男のウィリアム
バクスター(Baxtei Dawes)に知られて、彼に殴り倒
(William)は良くできた少年て、頭も良いし運動も優
される。おかLなことに殴られたことで、ボールはかえっ
れているO ウィリアムを巡って、モレ,i,家ではいざこざ
てバクスターにかつての懐かLい父親の暖かさを見出し
か絶えないO ウサルク-は彼を炭坑夫にLて自分の後を
てしまうL,これも既にポ-ルかクララの魅力を越えて、
継がせようとするが、ガートルードは彼を教育して中産
もっと高い自我の主張をしていこうという立場にあった
階級の知的な仕事に就けようとする。ウィリアムは母親
ことを明らかにしていると思われる。
の教えに従い、ロンドンで事務仕事をするようになる,。
ボーIIは自分がミリアムやクララとうまくやっていけ
ところか、運悪く彼は丹毒症で死んでしまうD 首につけ
ないのは、自/j)カ燕モ意識のうちに母親に憧れて、彼女の
ていたカラーでできた傷か元であった。,
もとから立ち去りたくはないと思っているのではないか
とすると、短観の期待は次男のポ-ルに-一身に集まる
と気づくL,ところか、運か良いのか悪いのか、カ-トル-
ことになる。ポールは医療器真製造会社に勤めることに
ドは癌にかかって危篤状態に陥ってしまう。ポ-ルは苦
なる。r これは作者ロレンスの経歴とI一一・致する。ウィリア
しむ母親を楽にさせてやるために、わざとモルヒネを規
ムが死んだ頃、ポー)i,も肺炎に構って、死にかかるO オー
定量以上に密かに飲ませて、彼女を安楽死させてしまう
トルートはやっとの思いでボ-ルを回復させ、ますます
のである。しかしながら、翻って考えれば、母親を死な
自分の生き甲斐を彼の将来にかけるようになる。,
せてやることは彼女の束縛から逃れようとする願望の現
ポールも男なので、徐々に母親から離れて、女の子に
れではあるまいかtl
関心をもち始める。最初の柏手はミリアム(Miriam
ポーIIは母親の死後誰にも頼れなくなって、ミリアム
Lell-ers)という文学少女である,,り-バーで家は母親
に会いに行く,_,しかし彼如ま元のままの狭い精神しかな
の知り合いという関係でモレ,L,家とは交際が続いていた,つ
い女性であった。ボ-ルは頼れるのは自分Lかいないこ
ミリアムはロマンティックで、感傷的で、観念的な恋愛
とに気づき、自/>oo自我意識を高め、 -人で毘Lく生き
に憧れる少女である。′ ポ-Jレはミリアムに憧れるが、い
ていこうと決心する。,ロレンスと言えば、性的なものを
ま一歩彼女を愛するというところまでは至らない。とい
非常に高く、重視しているのではないかと思えるのであ
うのは彼如お古教徒の出であり、道徳的に厳格で、自分
るか、案外結論としてはセクシュアリティ自体を越えて、
を拘束するところがあったからであるD ポーIIは彼女と
主人公の自我の崇高さに至るという結未か多いように思
の関係でどうしても息苦しさを感じざるを得ないのだ。
われるO 『虹』 {.The Rainわnlc, 1915)では、 7-シュ
もう一つ、ポールとミr)アムの関係を妨げるものは、
ラ(Ursulと1 Br之mgwPll)は恋人アント ン(Anton
母親ガ-トルードの存在であるO この辺りてフロイドの
Skl、ebenskさ-)との関係を越えて、一人で達しく生きて
オイティブス・コンプレックスと関係しているのである。
いこうとするo 『恋する女たち』 (11'ome!i in Love.
またオイディプス・コンプレックスについては愛人フリー
1920)でもア-シュラとバ-キン(Runcrt Birkm)の
グ経由で、フロイドの弟オットー・ブロスの思想を知っ
力の均衡状態も、性的な力もさることながら、互いの自
ていたから、ロレンスはそれをここで反映させたのてあ
我を高め合うという関係であった。ロレンスは案外に個
「木馬レースの勝者」における少年のJL、理
97
人の自我の独立性に竃きを置く作家であったと思われる
を必然的に担っているべきなのである。フロイドの精神
のである。
分析批評のうち、読者が当然知っているであろうオイディ
「木馬レ-スの勝者」はロレンスの晩年の作品である。
プス・コンプレックスの理論を使って読解のモデルを提
そして、これは子供時代の性的発達が後の人間」活にど
示することは、むしろ学習者の興味を刺激するために有
う影響してくるかというテーマを扱っている。それはと
効であろう。これに加え、他作品におけるロレンスのオ
もかくとして、ある面ではロレンスの余裕に溢れた描き
イディプス・コンプレックスをテーマにした作晶と比較
方にも注目していいと思われる。つまり末馬と競馬を引っ
することにより、彼の性の理論が案外に自我の孤立性の
かけて描いたことや、たまたま少年の賭けた馬が勝った
賛美に向かう血があったことを指摘することも有意義で
ということである。それに一喜一憂する大人たちの様子
あろう。
も血白い。ロレンスか晩年に自分自身の楽しみのために、
ユーモアの感覚を混ぜて描いたという側面もこの作品に
参考文献
はあると思う。たぶん、ロレンスか余裕纏々で読者を楽
Freud Sigmund. On SexuahtJ Three Essays o/i the
しませたかった面もあったのではないかと思われる。
Theorx of Sexual申 and Other ¥rorks. The
Pelican Freud Library vol.7. Tr. Angela
f五
日目
R^^^^E s^i
Richards. Harmondsworth: Penguin, 1977
Lawrence, D. H. Selected Short Stories. Harmonds-
学_/Lに文学作品の読み方を教える際に、彼らのもつ予
worth: Penguin, 1985.
備知識は積極的に利用するべきであると思う。新批評が
vries, Ad de. DictionarJ・ Of恥mbols at乙d Imagery.
あたかも純粋な読者を想定するように、彼らの予備知識
Amstei、dam: North-Holland Publishing C。m-
を要求しないことは現実には無理である。むしろ、読者
panさ.-, 1974.
とは彼女または彼の今まで生きてきた知識・経験の総体
The Psychological Problem of the Protagonist in `Rocking-Horse Winner'
In
the
Light
of
Freudian
Theory
of
Sexualitヽ-
-
Ⅸ′iamoru KADOT,A
{Department
of
Engl乙sh
and
American
L乙terature,
Nam
Una-ersity
of
Education,
Nara
630-8528,
Japan)
(Received April 30, 1999)
The
so-called
anal、-tical
ci、Iticism
is
an
excellent
educational
method
to
t〔蝣ach
how
to
read
literarさ-
W。rks
t(⊃ students. The method, h。We、-er, is not a cure-all to the probleilis whic、h the beginners of literary studies
might face ㌔.vhile tiTing to present her or his creative mterpretatiC>ns. Literarさ- works also cannot stand alone.
the\ must be l、ead and criticized in conjunction with other fictional or non-fictional Works.
r〕
H.
Lawrellce's
`Rocking-Horse
Winner'
(1928)
offers
a
good
examplビto
show
the
limit
of
analytical
criticism. Almost anさ, reader here m Japan must be familiar with Freucl's theorさ, Lif Oedii)us complex, so the
theorさ, can be construビdとlS One part 。i the cultural machinery in this country.
l examined Paul s mental problems in the sheっrt novel to show that Fiでud's theory is full1.- relevant to the
interpretation
of
the
stoiT‥Also
I
demonst′rated
that
Sons
and
Lovers
(1913)
must
be
put
into
consideration
to examine meanings in `Rocking-HorsC- Winner.'In connection with The Rainbou, (1915), I suggested that
Lal.vrence's conclusicHi m each of these novels is to show the ,icton, of the self's autonomy.
Key Words: Lawrence. Freud, Sexuality
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