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私が“世の光”である 原文の

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私が“世の光”である 原文の
私が“世の光”である
ヨハネによる福音 32
私が“世の光”である
8:12-20
いま読んだ新共同訳では、イエス様の宣言は「わたしは世の光である」で、
柔らかく響きますし、文章としてもきれいです。「我は世の光なり」と訳し
た文語訳の余韻が、訳した人たちに影響しているのでしょう。でもこれでは、
どうしてこのあとファリサイ人たちが、それほどしつこく絡むのかが分かり
ません。イエスの宣言はもっと強烈なのです。
原文のは、むしろ、「私が 世の光だ!」
言い換えれば、「ほかのものは世の光ではない、この私がそれだ」という響
きで、非常に強いのです。前に出た「私が命のパンだ」、このあとでは「私
が道である」もそうですが、「他の何ものでもなく、この私が世の光なのだ」。
そういう言い方をされた結果が、ここのファリサイ派のからみと主の反論の、
そもそもの出発点でした。
20 節によると、このご発言は、エルサレム神殿の献金箱や会計事務所のあ
った場所―「婦人の庭」と言われた境内で、ファリサイ人も集まる議会の
本拠のすぐ近くでされたものです。それほど危険な発言と見なされたのなら、
現場で逮捕されても当然なのに、誰も捕らえる者は無なかったと言います。
イエスの生も死も、すべてが父の意志、父の手で動かされていて、その時が
来るまでは人間の権力や武力は、見えない手で押さえられているようであっ
たとは、ヨハネの言外の意図であります。
1.「世の光」の宣言. :12.
12.イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗
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闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
(エゴーイミ)という文は、単なる“ I am.”ではないと説明
しました。という主格の代名詞は、よほど強調して言うとき以外使わな
いのがギリシャ語の習慣です。ヨハネは当時の世界共通語ギリシャ語でこれ
を書くよう、“命の息”(霊)の導きを受けたのですが、この日、実際にイ
エスがヘブライ語で「アニー」ykinOa] と言われたものか、とにかく神ご自身の
宣言、「私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と似た、絶
対的な断言に聞こえたのだと思います。人間として、独りで断言できる限界
を超えた「不遜な主張」と受け取られたその感じを、きっとこの 
に意訳したのでしょう。
ヨハネは、イエスがこのとき、「私が世の光だ」と言われたと証言します。
「世の」というのは、「人間にとっての」の意味です。そのままでは闇の中
にいる人間に光を与える源が、イエスご自身なのです。闇は、聖書では罪や
不潔や死を表わす象徴ですから、罪の中に腐って死んで行く人間の魂に、清
さと命を供する唯一の光源、それが「ほかならぬ私である」という断言です。
この私が分かって、信じて服する者だけが、死から命の中へ入る。暗黒から
光の所有者になる。そのことをこの「私が人間の光である」という宣言に込
められた―これは大変なことでした。
罪に死んでいる人を「生かす」という絵が光ですが、どうして「光」の比
喩を使われたのかです。「仮庵祭」(スッコート)の祭りのイルミネーショ
ンは、エルサレムの呼び物になっていました。イルミネーションというと、
私は 70 年大阪万博の時の「スイス館」の光の木を思い出します。現代でも人
が驚く明かりでした。そんな電気の光がなかった時代を考えてください。神
殿の庭は、エルサレムっ子たちが目をむくほどの、無数のランプの洪水だっ
たのです。七日の間宮の庭で光を見た人たちは、八日目の「祭の終りの大事
な日」、すでにイルミネーションも消されて、昨日の光の海を思い出してい
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た人に、「あんなものではない。もっと凄い光、その光の根源がこの私だ」
と言われたイエスの言葉は、その時点では人々に強烈な印象をあたえた。と
説明している本も多いようです。反対に、この 8 章からは祭の群集は姿を消
しているし、ファリサイ派とイエス様とが直接ぶつかり会う形になっている
から、仮庵祭のイルミネーションとは結びつかないと見る人もいます。神殿
の庭の光よりも、かつて荒野でイスラエルを導いた「火の柱」の連想が背景
にあるとも考えられます。以上は光の連想がどこから来るかの背景です。
このヨハネの福音書は、最初のページから、命と光がテーマになっている
ことに注目してください。「ロゴスには光があった。この命を与える力が光
であった。その光はあの時からずっと輝き続けている。」それが、ヨハネ福
音書の第 1 頁です。そのテーマに戻ってきました。
2.「自分が光の源だとは不遜な暴言だ」
―ファリサイ派は食い下がり、イエスはさらに極言なさる。13-19.
13.それで、ファリサイ派の人々が言った。「あなたは自分について証しを
している。その証しは真実ではない。」 14.イエスは答えて言われた。「た
とえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自
分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。
しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。15.
あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。 16.しかし、
もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしは
ひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。 17.
あなたたちの律法には、二人が行う証しは真実であると書いてある。 18.わ
たしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたし
について証しをしてくださる。」 19.彼らが「あなたの父はどこにいるのか」
と言う……
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最後のファリサイ派の問い―「あなたの父はどこにいるのか」は、「そ
んな偉い『父』がいて保証してくれるとは、有り難い話だが、どこにいるか。
連れてきてみろ」という、次元の低い誤解である、と説明する本もあります。
でも、ここから先の話の流れと、10 章 30 節のクライマックスまで考えると、
やはりイエスが言われるその「私を決定的にこの仕事に派遣した父」という
のは、天の神を指すということは、先方もうすうす解って、それだけに、な
おさら憤りに満ちてきているわけで、それが神ご自身か……と認めたような
表現もできないので、わざとトボケて、「お前の父は、どこにもいないでは
ないか。お前を保証して証言してくれる父など、あろうはずがない」と、き
つい皮肉を言ったものです。
皮肉と言えば、イエスご自身の論法も、ユーモアと皮肉を交えておられま
す。このあたり、そういうヘブライ的論法を計算に入れて読まないと、単に
「証」とか「裁き」とか、抽象的な議論に聞こえるかと思います。本当はこ
の話、どこでどう噛み合っているのでしょうか……。
まず、13 節でファリサイ派はどう絡んできたか……。「あなたは人間に光
を与える光源だ、命の源だ、などと、一人で断定的にものを言うが、根拠も
なければ、保証して証言する人も無い。いうなれば申命記の言う二人の証言
の最小限の一致さえもない。無効もいいところだ!」
14 節のイエス―「あなたたちは私が何ものであるかが、分かっていない。
私がどこから来たか、どこへ帰って行くか、本当に知ったなら、腰を抜かす
だろう。私は本当に誰の裏書きがなくても、独自に断言してそれが絶対的に
正しい、唯一の存在なのだが、それは通じないだろう。あなたたちが二言目
に言う、申命記の二人の証言とやらでいこう。」
17,18,節のパンチ―「確かに二人証人がいないと無効だ。しかし、人間
でも二人一致して証言すれば、有効真実だと言うなら、天の父と子が完全に
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一致して証言しているのに、これが真実でないというか……?」イエスが言
われた趣旨は、「あなたたちには、私の一人芝居、自己証言に見えるか? 地
上最大の証人が二人、完全なハーモニーで一致しているのが見えないか!」
ということです。言い換えるなら、「私が世の光」という証言の中に、「聖
なるデュエットを」聞け!……と言われたのです。
3. イエスを洞察する人たちだけが神を知る. :19,20.
19.彼らが「あなたの父はどこにいるのか」と言うと、イエスはお答えにな
った。「あなたたちは、わたしもわたしの父も知らない。もし、わたしを知
っていたら、わたしの父をも知るはずだ。」
ここは英語の仮定法過去に当たる文型なので、「私を知らぬ、見抜けない
と言うなら、あなたたち自身、生ける神を知らない、全く無知だという証拠
だ」という意味になります。
これを何と、イスラエルの霊的指導者、神を知る第一人者をもって任じた
ファリサイ派を相手に言ってのけて、ユダヤを違背する宗教家、信仰の経験
者と自任する人たちを、神と無縁、宗教も信仰も知らぬ無知な人間と同じと
喝破したのです。これでは捕まって当然、殺されて当然です。しかし、それ
から半年、天の父が定めた時まで、不思議なことに、誰も指一本触れること
ができなかった、とヨハネの驚嘆で終わります。
20.イエスは神殿の境内で教えておられたとき、宝物殿の近くでこれらのこ
とを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ
来ていなかったからである。
この最後の行、20 節のところですが、宮の境内、神殿の経理部の事務所の
目と鼻の先で、これらの言葉を話されたということは、また別の響きもこめ
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て、書いてあると思います。
それはこの組織化された宗教、人が感心する偉大な制度や建物を、どんな
に改良しみても、そこにはもう神はおられない。「この私を個人的に知るこ
とだけが、私の父つまり神を知るただ一つの道だ……」とそれを神殿の宗務
局の目の前で話されたのです。これは事実上、次のような宣言です。「私を
知ることが神を知ること。私を見るまではどんな宗教家にも、どんな深い思
想家にも、神は見えない。」
聖書の言葉で、「神を知る」というのは、決して、いろいろな苦労や経験
を積んで、その結果、深い真理を洞察できたり、優れた宗教人になったりす
るのとは違うのです。宗教を誰よりも熱心にやっているうちに、物がわかっ
てきて、イエスの言われた事もなるほどもっともだ。これは私の考えてきた
事と合っている。イエスを信じてやろう……というのが世の方式で「神を知
る」ことになります。
しかし本当に「神を知る」知り方は、これと違っています。イエスという
方が何者であられたか、どんな生き方をされたか―その言われた言葉も、
どれほどショッキングな、拒絶反応をおこさせる断言を含んでいか―それ
に触れて、引き入れられて行くうちに、神が見えて、自分の罪が見えてくる。
十字架の意味が解り、復活の力が自分に迫ってくるのです。キリスト信仰の
入り口は、そこにだけししかありません。
私が最初にキリスト教の香りに触れたのは、母の歌っていた讃美歌だった
と思います。聖公会の聖歌で、「主よ、我の名は記されしや」という歌でし
た。和歌山聖公会に属した母の口から聞いたものか、それとも、ほろ酔い機
嫌の父から聞いたものか、定かではありません。私が七歳の時に死んだ母は、
浄土真宗の本も枕元に置いていましたし、葬儀は真言宗でしました。母の信
仰から何かを受けた記憶はありません。
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「日曜学校」という名は、父の叱責の言葉で知りました。「お前みたいな
もんは、日曜学校へ行って、ドショネ叩きなおしてもろて来い!」その「日
曜学校」ですが、家から 100 メートルほどの所に、ヘールさんという外国人
の屋敷がありました。和歌山にキリスト教を伝えて「紀州の聖者」と言われ
たヘール宣教師の、確か二代目のお住まいだったと思います。そのヘールさ
んの所へは、遂に行かなかったのです。
戦争中、旧制中学の 5 年間を含めて、6 年間を過した中国の北京では自転
車でよく「日本人教会」の前を通ったものです。青年会(チンニェンホイ)
という看板がある建物でしたが、YMCA のことだと思います。それを日本人
が補修して使っておりました。その教会には、若き日の佐藤文男氏が属して
おられたと聞きます。私はその玄関のドアを押して中に入ることはなかった
のです。私の時はまだ満ちていなかったのです。
元々精神的にオクテでしたし、キリスト教は日本精神と異質だと教えられ
たこともあって、今の高二まで過した北京では、キリスト教には関心を持ち
ませんでした。戦後大阪での学生時代は、行き詰まっていた私を、温かい心
で助けてくれた信者の友人もいました。半年余り、堺の聖マリア教会のミサ
に出席もしました。神父さんの公教要理の講義も受けたのですが、神様を、
父と子と聖霊の「三位一体」と考えよという教えは、理解しかねました。そ
うこうする内に、カトリック宣教四百年の記念大会で、「ザビエルの奇跡の
右手」のミイラに接吻する信徒たちを見て、キリスト教と教会に幻滅し、教
会からは遠ざかる結果になりました。
結局、自分を今の信仰に導いたものが何だったのか……考えてみると、箕
面の宣教師コール氏との、おもに語学の繋がりとか、高藤孝夫さんの素朴な
説教とか、教会の青年会の雰囲気とか、いろんな要素もあったと思います。
正直に言いますと、ある主日の夕拝に、吉岡鈴恵さんという方の讃美歌独唱
を聞いて、「讃美歌って綺麗だな」と思ったのが始まりだったかも知れませ
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ん。もちろん、讃美歌で入信したのではありません。そこから聖書のイエス・
キリストとの出会いが始まったのです。加えて、これは神様の恵みとしか言
いようがないのですが、讃美をしたその人は今、私の「助け手」として私の
側に、もう 40 年も一緒にいます。
以上は、キリストに触れる「きっかけ」と「始まり」に過ぎません。多く
の人は、そのあとイエスとの本当の触れ合い無しに、ハシカかオタフクカゼ
に感染したように、キリスト教に「かかった」だけで、やがて免疫ができて、
そのハシカとは縁が切れて終わるものです。本当に私を捉えたものは何だっ
たのか……。それを考えてみると、私はイエスを知るのと同時に、自分の中
の暗黒を見たのです。自分の行き詰まりや、性格的な弱さではなく、もっと
怖しいものを、自分の奥底に見て震えたのです。聖書の言葉で言えば、それ
は「罪」と「死」でした。そのとき初めて、「私が世の光である」と言われ
た方の力に触れる経験をしたのです。その光は私の暗闇に差し込んで、闇を
輝く世界に変えました。
それはどのようして起こったか……。イエスご自身のお言葉が、私の中に
“神の命の息吹”(霊)を吹き込んだのです。こうして私は、聖書の中心に
ある力に触れました。イエスの言葉とイエスの死とイエスの復活が、私のた
めに天の父がなされた出来事として、私を捕らえたのです。
今朝は、
「わたしが世の光である」と言う主の断言から出発しました。「世」
というのは人間―具体的には、この私という悲しい人間です。その「世」
というものが、本当に「光」を要するくらいに闇なのか……。光を必要とす
る「世」とは、この私だ! という現実に目覚めるとき、この「光」であるイ
エスの言葉と、イエスの生きた生涯を知ることが、一生をかけて取り組む価
値のある課題となります。
(1986/08/07)
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《研究者のための注》
1.ギリシャ語の動詞には人称語尾に主語が含蓄されるので、英語のように主格の代名詞
を入れなくても、例えばだけで「私は世の光である」が十
分に表現されますが、これに主格の代名詞を付け加えると「私が世の光であ
る」と「私が」が強調されます。手元にある訳文では NTD の Schulz-松田訳だけが「私
が世の光である」と訳してあります。
2.イエスのが「でない」の意味をバーナードは、「イエスは裁判
官が罪人を裁く時のような区別をせずに」徴税人や罪人と席を共にされたことを言う」
と説明し、マルコ 2:16,ルカ 7:39,ヨハネ 8:11 と結びつけます。
3.「だれをも裁かない」(:15)は、3:16 と同じ意味で、イエスが世に来られた主目
的が「裁き」ではなく、人を救うことにあると理解できます。「何びとをも
裁かない」という二重否定は、強調の修辞として、パウロの
に似た響きを持ち、「そんな裁きを私は全くしない」意味と推測されます。
4.最後の段落で述べた飛躍、「光を必要とする「世」とは、この私だ!」という現実に
目覚める経験の分析は、この講話の 18 年後の、ガラテヤ書 1:16a による福音宣言「御
子を示される」の中で、ベツレヘムでのマギたちへの霊感、ダマスコ街道でのタルソ
のサウロの体験、ミラノの家の庭でのアウグスティヌスの開眼と結びつけて試みまし
た。
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