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2004 年(平成 16 年)
1 月1日 木曜日(毎月 1 日発行)
発行所/天台宗出版室
発行人 / 出版室長 工藤 秀和
〒520- 0113 大津市坂本4- 6- 2
天台宗務庁内
電話 077-579-0022(代)
1 部 50 円(送料別)
E メール/ [email protected]
岡放送ラジオ)で、小学校三
第十回静岡一短い手紙(静
本人は、大人も子どもも互い
達は仏性と呼ぶ。かつて、日
この確かな信頼と愛情を私
ちゃん、仕事がんばってネ」
。
年生の金井みゆきちゃんは
にこのような気持ちを持って
再生の道がある。
「大好きなとおちゃんへ」で
をむいてねると、きかいの音
「 家 の 下 が 工 場 だ か ら、 横
である。
そう私たちは信ずる。
美しい心が日本を蘇らせるの
ある。言うまでもなく、この
静かに流れるのは仏の教えで
いた。そして、その根っこを
がするヨ。だから一人でねて
次のように書いた。
い て も こ わ く な い ヨ。 と お
悲しみのない人生などありま
せん。ときにはうちのめされる
こともあります。神様はちゃん
と見ていて天秤が悲しみばかり
に傾かないように、喜びも経験
させてくれる。喜びを探してご
らん。喜びを胸に刻んで、でき
ることなら、自分で喜びを作り
出してごらん。そして、どんな
喜びであろうと、それをいつま
でも大切に抱きしめていてくだ
さい。
「エミリーへの手紙」
キャムロン・ライト著
小田則子・恒志訳
な生れながらにして、仏の心
仏性の開発である。人は、み
に冒されて、人生の終わり
が出来ず、アルツハイマー
どもとは心を通わせること
妻に先立たれ、自分の子
のです。
ある」ということを教える
ためには、いろんな方法が
じゃない。物事を見極める
は、いつも目に見えるわけ
ていてもらいたいという願
を持っている。それに目覚め
が近づいた老人が書いた手
下さい。一日の終わりに鏡
これは、もう亡くなった
景気は回復のきざしといわ
ることが生きる喜びであり、
に映った自分を見て、今日
いをもっていますが、それ
れるが「頑張れ日本」や「危
源である。
日本流に言えば遺書と
は精いっぱいのことをした
老人が七歳の孫に残した手
機を救え」などのスローガン
他を怨み、
常に不満を抱え、
いうことになるのでしょ
以上に「人生における答え
は、やはりこの十年近く低迷
他人の思惑を気にして右往左
うが、この手紙には自分が
紙の一節です。
拠点のなかった沖縄県に、新
する我が国の現状を反映して
往している現状を「あなたの
と思えたら、その先もきっ
今年、天台宗は、これまで
新しい年が明けた。
しい法灯がともる予定であ
いる。金融危機、少子化、年
歩んできた人生や、自分の
真実の姿、家族の大切さを
と満足のいく人生を歩めま
「いつも最善を尽くして
る。
金不安などの内憂に加えて、
中の仏」に出会うことで、心
目 に 入 る。「 あ な た の 中 の 仏
ができるのである。
を利するは慈悲の極みなり」
いが込められています。
知ってもらいたいという願
分の人生を考えます。そし
祖父の人生を知り、また自
す」という言葉に、少女は
伝教大師は「己を忘れて他
物質による幸せ幻想に慣らさ
老 人 は、 自 分 の こ と を
て、また私達も。
と言われた。他の人を思いや
少女に「親友」として覚え
れてしまった日本の浅ましさ
のために努力することに日本
り、自分ではない誰かの幸せ
私達天台宗が総力を挙げて
がある。
その根底には、あまりにも
という外患も抱える。
紙です。
開宗千二百年慶讃大法会
テロや戦争、自衛隊海外派遣
推進している総授戒の目的は
Wonderful Words
も、檀信徒総授戒を掲げ二年
大好きなあなたへ
かつて、日本は世界から「エコノミックアニマル」といわれるまで、
経済至上で突き進んだ。その経済が低迷すれば、心の拠り所さえなくし
てしまったように見える。
モノ、カネという欲望の奴隷となるのではなく、自らの心の声に耳を
澄ませて生きてゆくことが必要だ。新年にあたり静かに、
そして素直に、
自分の中にある仏と向き合いたい。
豊かで幸せな人生とすること
に会いに」をキャッチフレー
ズに全国で授戒会が開かれ
る。
だ が、 気 に な る の は 日 本
にもうひとつ元気がないこと
だ。
虎から飛翔
第 10 号
昨年を表す漢字は「虎」だった。
やれば出来た阪神タイガースに日
本中が湧いた。
仏 者 な ら、 金 光 明 経 に 出 て く る、
大慈悲の故に薩捶王子が飢えた虎に
身を投げ与えた場面を思い浮かべる
ところである。
次 点 は「 戦 」、「 乱 」 だ っ た。 指
導者に、生後間もない七匹の子を持
つ飢餓瀕死の虎に、捨身した王子の
大慈悲心を持つことができれば、戦
や乱など起こりようがないのにと思
う。
さて、今年は、どんな年になるだ
ろうか。爽やかな漢字のふさわしい
年になって欲しいと念願する。
〈広報天台〉
1
蘇れ!日本人の仏性
自らの声に耳を澄ませて
2
3
仏と生きるのは、僧侶だけとは限らない。人生の重荷を背負った
人や、一見幸せに見えても、人には知られないように仏と生きてい
お茶、お花、書道、着物の
着付け、裁縫など、現代ギャ
ルには相当に高いハードルか
とも思われる。
「 そ れ は、 必 須 じ ゃ あ り ま
る人は多い。あるいは仏から逃げても、逃げても逃げ切れない人や、
それとは知らずに仏の手の中で生きている人もいる。新しいシリー
せん。要は住職と共に生きる
れらすべてに精通している。
れるものの、大沢自身は、こ
という姿勢の問題」とは言わ
ズ「仏と生きる」で訪ねるのは、天台宗とその周辺で、人生を仏に
託して生きる人々である。そして、ここで語られるのは、その人の
みが語ることができる、たったひとつの物語である。
「私達の時代はね、
一通り、
比叡山中に、ひっそり
と佇む花摘堂跡の石碑
いわれる。もしもそうである
い、惚れたあなたの所に来た
今は、お寺に来たんじゃな
時から、車も運転した。女性
生委員も二十四年務め、若い
っているばかりではない。民
聞く思いだが、寺に閉じこも
女性の道とは、また古語を
は、後述する長光寺仏教婦人
の木から落ちる銀杏を剥くの
走になった。境内にある銀杏
という「銀杏おこわ」をご馳
だった。毎年、成道会に作る
ど長光寺の成道会行事の翌日
取材に訪れたのは、ちょう
年中仏教行事のほか、講演会
た。一月の修正会から始まる
た。 四 百 人 の 会 員 が 集 ま っ
あった仏教婦人会を創設し
年には、長光寺に長年の夢で
国際婦人年である昭和五十
人連盟の常任理事も務める。
ある。現在は、全日本仏教婦
合会会長の就任は平成九年で
でした」
。
その笠原は、かつて十五歳の
のが楽しみ。席につくと、す
に乗ると、乗り物の中で寝る
それでも「会合などで汽車
名の由来だ。かつて比叡山は
を延暦寺の堂宇に供えたのが
がある。昔、ここで摘んだ花
名前の峰があり、花摘堂の跡
比叡山に花摘という風雅な
昭和五十四年に、延暦寺が建
堂跡」の石碑が建っていた。
一面の笹に囲まれて「花摘
頃に花摘堂跡に出る。
三十分登り、息が切れ始めた
摘堂を目指して登ってみた。
坂本の本坂(表坂)から花
りませんか」
。
女性議員が出てもいいじゃあ
る。
「天台宗の宗議会議員に
地位向上に関すると熱が入
しかし、嫁 い だ 当 時 の 長 光
なら、大沢は「あんなに楽し
いことなかった」女性による
生きてきたのかもしれない。
けてという目撃証言もあるの
「 い や で す ね ぇ、 そ れ は、
昭和四十二年、群馬教区に
信仰の会(僧伽)を創るべく
ちょっと目が悪いからです
だが……。
いけるぐらいに仕込まれたん
よ」
。
裁縫や料理で一人でも生きて
です。ですから、私ぐらいの
んです、という花嫁さんが多
会の役割である。もち米十五
や旅行を主催する。同会事務
味である。なるほど「一人で
娘を亡くして、長光寺に縁を
連合会相談役、喜寿は小堀節
ぐに寝てしまう」。
に入った最澄を訪ねてきた母
女人禁制だった。厳しい修行
立したものと聞いている。
「次に生れるなら男性です
それでは、と私は聞いた。
寺の境内には 、 長 屋 が あ っ て
寺庭婦人会を立ち上げた。連
年代の方はみな出来ますよ。
いと聞いた。
ドライバーなど、全国でも珍
キ ロ に 対 し て 銀 杏 五・五 キ ロ
局長の笠原公子は「会長のフ
そ れ が、 女 性 の 道 で し た か
「 い え ね、 惚 れ て 来 る の は
しかった時代を考えれば、古
を入れて炊きあげる。薄い塩
ァンクラブです」と笑うが、
とは、寺の婦人になりきると
いいんですけれど、続かない
風なだけの寺の奥さんではな
杏の甘みとよくマッチした禅
味に黒ゴマがよく効いて、銀
ら」
。
とダメでしょう。今の女(ひ
いのである。
長野まで、碓氷峠を越えて飛
も食べていけるように仕込ま
得た人である。どうしても消
いのが難点じゃないですか」
ばしたもんです。それも日帰
れた」
という味だと納得した。
と手厳しい。
お寺の婦人になりきるに
りで」
。サングラスを粋にか
えない悲しみを常に抱きなが
らを励ましてきた。二人は長
なのでしょうか、と聞くと即
は、どれくらいの時間が必要
「 以 前 は、 群 馬 か ら 実 家 の
いうことです。私の頃はそう
と)は、熱しやすく冷めやす
厳しく仕込まれた〝女性のたしなみ〟
寺庭婦 人 と は 、 家 庭 婦 人 に 対 し て 寺 の 婦 人 、 要 す る に
寺の奥さ ん の こ と で あ る 。 他 宗 で は 、 坊 守 さ ん 、 大 黒 さ
ん、裏方 さ ん な ど と 呼 ば れ る 。 ど の 呼 び 方 に も 、 住 職 を
支えて陰 で 頑 張 る と い う イ メ ー ジ が 強 い が 、 実 態 は 最 高
実力者の 場 合 が 多 い 。 そ の こ と は 、 家 庭 を 持 っ て い る 男
性諸賢な ら 容 易 に 推 察 の つ く 所 で あ ろ う 。
特に寺 で は 、 法 儀 以 外 は 、 檀 家 ・ 信 者 の 相 談 、 接 待 、
交際とい う 基 幹 部 分 は 「 奥 さ ん 」 や 「 若 奥 さ ん 」 が 受 け
持ってい る 。 寺 庭 婦 人 が 寺 に 果 た す 役 割 は 絶 大 で あ る 。
一 寺 院 に 住 職 は 一 人 だ が、 寺 庭 婦 人 数 の 実 態 は 住 職
婦 人 は も ち ろ ん、 前 住 職 婦 人 も、 副 住 職 婦 人 も 含 む の
で 住 職 数 を し の ぐ が、 台 帳 に 登 録 さ れ た 数 だ け み れ ば
千七百二 十 九 人 。 各 教 区 の 寺 庭 婦 人 会 を 全 国 規 模 で 統 合
したのが 天 台 宗 寺 庭 婦 人 連 合 会 で あ り 、 そ の ト ッ プ に 立
つのが会 長 ・ 大 沢 和 世 で あ る 。
が主催した「少女の集い」の
沢に寄り添うようにして、自
転機は、小学校三年生の時
ら、仏教婦人会に参加し、大
は「どうしていいのか分から
在家から嫁いできた女性から
それでも、あれこれとある寺
い時間を共に過ごしながら、
れなかった思いを満たすため
そうして生きてないと嫌なん
子同顧問のことである。五月
に、その後の人生を生きると
ですよ」という言葉にはっき
立派な姑を持つお嫁さんは大
しかしながら、このような
は、花摘堂で最澄と会ったと
「 寺 庭 婦 人 連 合 会 が、 比 叡
詠んだものだ。
い」という大沢だが、女性の
「仏を信じて明るく生きた
する息子や、かつて秘かに思
多くの女性が、比叡山で修行
縁ではない。大沢も挨拶では
女性たちがおかれた立場と無
た人がいる。それは、かつて
なら、また平均睡眠四時間
まれ、
またお寺に嫁ぎたい」
。
女性ですよ。それもお寺に生
が 大 沢 の 返 事 で あ る。
「絶対
「とんでもない」というの
ね」
。
いを寄せた男性を、この地で
「 最 澄 様 の 母 堂 を 思 う と き、
になるのではないか。それで
か。そう思いつつ、彼女の自
写真と文・出版室編集長
(文中敬称略)
る人だ。
いる。笠原もまた、仏と生き
ような会だった。そのあとが
座に
「十年」
であった。
一方で、
出 身 は、 信 濃 の 国 分 寺 。
だった。
「 父 は 激 怒 し ま し て ね、 母
ない。
友達もいなくて淋しい」
と一緒に本尊様にお詫びに行
の雑務をすませると、寝るの
わ れ て、 泊 ま り が け で 合 宿
かされました」
。
長野県上田市 の 塩 入 家 に 生 れ
「新しく嫁いでこられた方
をしたり、お話を聞いたり、
に 出 か け た ん で す。 ゲ ー ム
仏教婦人会の仕事をこなして
に は、 す ぐ 寺 庭 婦 人 会 に 入
タダでは済まない。
四、五 時 間 で あ る。 か な り ハ
ら れ る よ う お 誘 い し ま す。
あんなに楽しいことなかった
「近所のお姉さんたちに誘
群馬県の大沢亮啓長光寺
ードな生活だ。
大沢の生活は、
そうすれば友達も出来るし、
わ」
。
という悩みも聞かれる。
あったのは、 約 五 十 年 前 の こ
住職から、結 婚 の 申 し 込 み が
の根性とか種々解説はできよ
寺に生きる使命感とか、彼女
仲間同士の相談も容易ですか
は十二時。一日の平均睡眠は
とである。
うが、結局は、寺の生活が好
ら」
。
た。
老僧と檀家 総 代 を 二 人 連 れ
きでなければ出来ない暮らし
人は、子どもの頃に満たさ
て来たという か ら 、 寺 を あ げ
である。そのことは「私は、
気に感激し、 そ れ な ら と い う
「 父 も、 世 話 人 総 代 の 心 意
りと現れている。
それは、キリスト教の団体
てのプロポー ズ だ っ た 。
ことでしたし 、 私 も 、 こ れ は
五家族が居住 し 、 近 所 に は 練
変 で は な い の か? そ う 問 う
いう。その故事にちなんで、
山で行う報恩法要には、どこ
に開かれた総会で、二人の功
炭屋やアンカ の 工 場 も あ っ た
と、子息の亮湛普門寺住職は
女人禁制時代の比叡山は、旧
か哀切なものが漂う」と評し
思ったことだろう。
時代のことで あ る 。 上 州 の か
「 い や ぁ、 そ ん な こ と は な い
暦四月八日のみ女性がここま
まぁ、大事に し て い た だ け る
らっ風が吹く 中 、 寺 の 維 持 と
ね ぇ。 ま ぁ、 そ れ な り に 嫁・
で登ることを許したという。
労者に花束が渡された様子を
境内の整備に 取 り 組 ん だ 。
姑でやってますよ」と笑うの
かと」。
炭をおこし準 備 し た と い う 。
寒行には夜 明 け 前 に 起 き て
である。
「寺に嫁入りするというこ
は?
で は、 寺 庭 婦 人 の 心 得 と
今は、スイッ チ ひ と つ で 暖 房
は OKだ。し か し 、 寒 行 中 は
起床は毎朝四 時 だ っ た 。 夜 の
十時には、自 室 に 下 が る が 、
は 幸 せ だ 」 と い う。 し か し、
選句集をパラパラとめくって
も、 や は り お 寺 の 女 性 と し
大沢には「追悼」という一
いると、次のような句に出会
石碑のどこにも建立者の名前
冊の句集がある。兄の塩入良
った。
て生きることがいいのだろう
道国分寺住職を見舞いつつ一
ま と め た も の だ。 実 兄 の 入
院、遷化から、その後の自身
ある。自筆の絵が添えられた
横
山
和
人
の心境までを記録したもので
句集は、華やかな哀切感に充
※
紙面の都合により、荒了寛師の『ハワイ開教
奮戦記』は休載いたします。ご了承下さい。
った。卒寿は福田芳江同
寿二つ花束母の日に」だ
で詠まれたのは「卒寿喜
の寺庭婦人連合会総会
平成十四年の成田で
ある。
感性がみてとれるので
にする大沢の細やかな
らは、句と書と絵を趣味
ちている。また、その一冊か
享保雛母と飾りし日の遠し
カ月に一句づつ詠んだものを
は刻まれていない。
比叡山にお参り出来る私たち
「 次 に 生 ま れ て も、 絶 対 女 性。 そ し て 寺 に 嫁 ぎ た い 」
と語る大沢さん。後ろは長光寺本堂
「追悼」より。
句、書、画とも大沢さん
4
このほど日本放送協会よりN
HKライブラリーの一冊とし
て出版された。
同書は、著者が二〇〇二年
四月より二〇〇三年三月まで
NHKラジオ第二放送「宗教
の 時 間 」「 原 始 仏 典『 ス ッ タ
ニパータ』をよむ」で放送し
たガイドブックを採録したも
のである。
雲井師は、本書の基本姿勢
とし、もうひとつ「仏教とい
き彫りにすることを考えた」
みすえたかという生死観を浮
め、不可避の死をどのように
が自らの生をどのように見つ
開祖釈尊=ゴータマ・ブッダ
あり、釈尊の示唆に富む回答
る苦悩と密接に関わるもので
ごく普通の人間の営みにおけ
ているのか、その問いかけは
等々に仏教はどのように応え
飢餓と貧困、環境汚染の問題
世界各地域における闘争、
教観、人生観を大きく反映し
本書はまた雲井師自身の仏
う。
ていることを感じとったとい
した思想で縦横無尽に飾られ
岐にわたり、重層的かつ凝縮
ごとに、この聖典の内容が多
う泰斗であるが、年を重ねる
会ってから、六十有余年とい
天台宗の勧 学 院 長 で あ り 、
う宗教が現代にどう機能して
は如何に答えたか、人類の大
る。
総合研究セン タ ー 長 を つ と め
いるか、というテーマへのア
として「何よりもまず仏教の
る雲井昭善師 の 著 に な る 「 万
ある。
ており、現代人必読の一冊で
れたばかりであった。
院名誉教授の西村公朝師が また、天台宗の発行して
東 京 芸 術 大 学・ 叡 山 学
西村公朝師を偲んで
攻し「スッタニパータ」と出
著者は大学で原始仏教を専
きな指針となる。
西 郊 良 光
プローチ」をテーマとしてい
天台宗宗務総長
人に語りかけ る ブ ッ ダ 」 が 、
殺してはならない
いる
「開運招福カレンダー」
てきた。それは「大義のない
仏像彫刻の権威であり、
十二月二日に八十八歳で遷
戦争」だからではない。釈尊
天台宗大仏師法印の称号を
には、毎年快く仏画を寄贈
なマスコミ各 社 の 意 見 も 分 か
の み 教 え に 従 い、 人 の 命 を
化された。
れている。
奪い、環境を破壊する戦争そ
のものに反対してきたのであ
別功労賞を受賞された。そ
自坊の愛宕念仏寺でしめや
賜っていた。
頂き、惜しみないご協力を
たいと思うが、やはり自衛隊
法違反という 政 治 的 言 語 を 全
のイラク派遣のことが頭から どちらの主 張 も 、 国 益 や 憲
離れないので、そのことを書
きたい。
かに執り行われた。
し上げます。
彫刻の苦しさと迷いについ 謹んでご冥福をお祈り申
の時の記念講演では、仏像
て仏教の立場 か ら 考 え て み た 従 っ て 、 戦 争 の 継 続 し て い
る。
域に派遣することに反対する
わらず「天台の
て語られ、斯界の第一人者
な五つの戒律 を 五 戒 と い う 。 イ ラ ク 全 域 が 戦 闘 地 域 で あ
仏の形とは何か
る地域へは、自衛隊を派遣す
い。
る以上、自衛隊の安全確保も
であるにもかか
全に安全になったら出かけま
その第一番目 に あ る の は 「 殺
と考え続けてい
べきではないと考える。
す』ということで国際責任が
できず、「正当防衛」による「戦
進を続けられて
してはならな い 」 で あ る 。
いることを参加
果たせるのか。国際社会の中
のに慈しみの 心 を 持 つ こ と が テ ロ の 犠 牲 に 斃 れ ら れ た 奥
者に印象づけら
る」と、なお精
記官のご冥福を心よりお祈り
克彦大使、井ノ上正盛一等書
闘」
が予測されるからである。
いう憲法前文の精神と合致す
必要であると 説 か れ て い る 。
争そのものに 一 貫 し て 反 対 し
終戦以来、日本が直面した 私たち天台 宗 は 、 イ ラ ク 戦
初めてのケースである。有力
する。
るのか」と述べた。
で名誉ある地位を占めたいと すべての生 け と し 生 け る も
小 泉 首 相 は「 日 本 は『 完 釈尊の示さ れ た 最 も 基 本 的
意見が多い。
自衛のための組織を戦闘地 私は、ひと り の 仏 教 者 と し
面に出して展 開 さ れ て い る 。
持ち、今年四月には天台特 本葬儀は十二月十八日に
新年だから、明るい話をし
発行:日本放送出版協会
定価:本体 970 円 + 税
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