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VOL28 2016年 12月 発行

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VOL28 2016年 12月 発行
~報告~
管理職ユニオン・関西 第 21 回定期大会
去る 11 月 27 日(日)午後 1 時半から、管理職ユニオン・関西の第 21 回定期大会が開催さ
れました。当日はあいにくの雨でしたが、40 名の組合員が参加しました。また、大阪ユニオ
ンネットやコミュニティー・ユニオン関西ネット、連帯労組近畿地本、連帯労組関西クラフト
支部、北大阪合同労組、大阪府総合労働事務所の方も来賓としてご参加されました。以下、今
大会で決議された 2017 年度方針のポイントと、新役員の紹介をさせていただきます。
<2017 年度方針のポイント>
1 一人職場から複数化へ、組合員の拡大をめざします
私たちの組合の弱点は、
(1)個人加盟組織として組合員の自主性を尊重、当事者主義としているが故に、集団的活動
への集中力が弱いことです。組合員一人ひとりのトラブル解決のための相互協力(団体
交渉、抗議行動への参加)はそれなりに対応できますが、他団体・他労組への連帯・協
力、および労働法制改悪反対闘争の取り組み、政治課題の取り組みへの参加と集中力が
弱いということがあります。
(2)組合員の意識として、リストラや個別的不利益に対抗する組合員個人の利益が優先され、
労働組合組織の構成員としての自覚が弱いということがあります。労働運動の拡大・発
展のために貢献するという発想が乏しいと言えます。
(3)その結果、問題、トラブルが解決すると離れていくことが多いということがあります。
いわゆる、解決型ユニオンの弱点ということになります。
これらの弱点を克服することが、組織拡大につながります。危機にある労働組合運動の企業
主義、本工主義に対抗し、職場での複数化と職種別業種別グループ化を進め、組織拡大を図っ
て行きましょう。
2 教育・学習活動を強めます
管理職ユニオン・関西の「たたかうスタイルと合言葉」の学習を強め、実践と結び付けてい
きます。組合員自らのファイティングポーズとあわせて、他の労働者のために活動すること、
その必要性・重要性の自覚が労働運動の発展につながります。
新入組合員の入門編・実践偏の継続、時事問題を取り上げた教育計画の立案と実施、執行部
の政治・社会情勢分析の学習を実行します。
3 結成20年記念のつどいを開催します
来年 2017 年 5 月 24 日で、管理職ユニオン・関西結成から 20 年を迎えます。組合員は時代と
ともに入れ替わっていますが、大きな節目にしたいと考えています。
私たちの運動の弱点は、コミュニティユニオン全体の弱点でもあるといえます。その弱点の
克服のために、組織方針として職種別業種別ユニオンを目指します。それと共に、後任の若い
専従者を育成し、歴史的継承をしていきます。
「管理職ユニオン・関西 結成20年のつどい」を、過去の組合員にも呼びかけて来年6月
の日曜日に盛大に開催します。
4 ゼネラル・ユニオン構想を進めます
(1)事務所を同じくする関西ユニオンと一緒に、大きな団結を考えます。
管理職ユニオン・関西は、昨年度から原則として管理職・中高年齢労働者を組織対象とし、
それ以外に人については関西ユニオンを紹介する等して、関西ユニオンの組織拡大に協力し
てきました。
管理職ユニオン・関西と関西ユニオンの両組織は、業種別職種別グループ化、統一あるい
は他の労働組合との合流も考えた取り組みをしていきます。
(2)連帯労組近畿地本関西クラフト支部との共闘・協力関係を強めます
関西クラフト支部が、2016 年 2 月 7 日に結成されました。過去、仲村書記長が非正規労働
者のための協働センターを通して、関西生コン支部内の一般労働者の相談・組織化協力を行
ってきました。また、この1年、大橋副委員長が関西クラフト支部の執行委員会にオブザー
バー参加した他、相互に団体交渉・抗議行動などへの参加を進めてきました。互いの信頼関
係も出来つつあります。
仲村書記長の週 1 回の協働センター活動も再開し、新たな業種別の組織化や労働運動の階
級的再建に向かって活動してもらいます。
(3)貧困と格差と闘う「業種別職種別ユニオン研究会」
(仮称)の呼びかけに賛同し、関西
生コン型の様々な労働組合・ユニオン実践に学んでいきます。
5 社会運動、政治運動も取り組みます
(1)沖縄意見広告運動第8期、大阪労働学校・アソシエには引き続き参加し協力します。
(2)これまで政治集会・デモ、労働団体や市民運動の学習会にも参加を呼びかけきたものの、
集中して取り組むことは独自の春闘デモ以外は、きわめて弱いものでした。改憲、沖縄
の反基地、脱原発、TPP、共謀罪法制化反対などの取り組みを、今年度は、執行委員
を先頭に組合員にも積極的な参加を呼びかけていきます。
<新役員・執行委員の紹介>
●執行委員長 北村 庄司
第21 回定期大会において、執行委員
長に信任されました北村です。政府の
最終的に改善されない政策は、労働者
環境改善方向への明かりさえ見えず、
労働者コストは下がり、労働時間の軽
減なく右肩上がりの現状、非正規雇用
は増え、高齢社会での高齢者雇用も確
立されたものではありません。若者か
ら高齢者まで安心できる労働環境を作
らなければいけないと思います。労働
問題、労働者環境についてはこれまでと変わらず更に真摯に向き合い、改善に努力を心がけて
いきたいと思います。思いを一つに組合員一丸となり共に歩みましょう。
●副執行委員長 大橋 直人
管理職ユニオン・関西の役職専従になって 1 年半経ちました。今期は主に団体交渉等を中心
にやってきましたが、来期は組合の組織運営に力を入れます。
●書記長 仲村 実
運動方針を確実に実行しています。引き続き組織の強化と労働運動の再生・発展の方向で頑
張ります。
●書記次長 竪山 兼弘
近い将来の組織の在り方についてじっくり考え、早急に対応が必要な事柄から実践していき
たいと思います。多忙な中ではありますが、可能な限り組合活動に時間を作ろうと思いますの
で、よろしくお願いします。
●会計 TN
今期は他団体、他労組への連帯、協力関係を強めることに尽力していきたいです。また、組
合員の団体交渉、争議行動への支援にも積極的に協力していきたいと考えています。
●執行委員 WI
(推薦の言葉)今期に引き続き来年度も執行委員を務めていただきます。今期は卓球大会の開
催等をしてもらいました。現在会社から懲戒処分の攻撃を受けており、大変な状況ですが、引
き続き頑張ってもらいたいと思います。
●執行委員 I
今期は団体交渉に参加し、雇用の安定に少しでも寄与することに貢献したいと思います。ま
た、神戸地区の定期的運営に参加し、地区の団結と強化をされに進めます。
●執行委員 O
今年度は、団体交渉に 43 回、労働委員会に 21 回参加いたしました。来季も、これ以上に頑
張りたいと考えております。
●執行委員 K
今大会において 2013 年の初選出以来、4 期目の執行委員選出となりました。
職場で悩みを抱えた組合員の慰労の場になるようにとのモットーを変えることなく活動を行
って来ました。
昨今、異常な長時間労働や上司のパワハラによる自殺、賃金の未払い問題等が新聞紙上をに
ぎわしており、そのような企業の体質や遵法精神に欠ける姿勢に翻弄されて来た人はかなりの
数に上ると思われます。似た経験をして加入した組合員の方々も多いのではないでしょうか。
今期は組合員の話を今まで以上によく聞き、自分自身の体験を聞いてもらう事で、元気を取
り戻せられるよう、その上で良い方向性を見つける手伝いをしていきたいと思います。どうぞ
よろしくお願いします。
●執行委員 N
3 年余りの闘争や現在も職場との交渉など、組合の皆様にお世話になっているところです。
少しでも皆様のお手伝いをさせていただきたく立候補させていただきました。微力ではありま
すが、精いっぱい取り組ませていただきますので、よろしくお願いいたします。
●執行委員 H
初めての経験ですが、仲村書記長から推薦を受けた以上、精いっぱい努める覚悟であります。
組合内でも今後高齢者雇用の問題はますます増えてくるものと思いますが、自分自身が通って
きた経験を執行委員という立場で活かしていければ良いなと思っております。少しでも皆さん
のお役にたてるよう頑張りますので、よろしくお願いします。
●執行委員 F
今までの会社と闘ってきた経験を活かし、組合活動に貢献したいと思います。
(前回機関誌の続き)コミュニティーユニオン全国交流集会 in ひろしま参加報告
第7分科会「安心して働き続けたい!無期労働契約転換ルールを活かす」
KU執行委員:S
いよいよ、再来年の 4 月 1 日から、
「無期労働契約転換ルール」が始まります。関西ユニオンは、あ
ぱけん時代から多くの非正規社員の方が加入されています。
来年は組合をあげて転換ルールの対策につ
いて動きだします。その前に今一度勉強しなおそうと思い、分科会に参加してきました。分科会の形式
は、まず弁護士が転換ルールの説明を行い、その後に参加者の所属しているユニオンではどのような取
り組みを行っているのか、報告や意見の交換が熱心に行われました。以下、手短に内容と使用者がとる
だろう留意点を書いていきたいと思います。
「無期労働契約転換ルール」とは、有期労働契約が更新されて通算5年を超えた時は、労働者の申し
込みにより機関の定めのない労働契約(すなわち、無期労働契約)に転換できる事を言います。余談で
すが、安倍ちゃんがそれを 10 年に延ばすだのなんだのもぐもぐゆうてる、あれです。
しかし、ここに三つの落とし穴があります。一つ目は、その 5 年のカウントが労働契約法が改正され
た 2013 年 4 月 1 日以降ということ。二つ目は、
「クーリング期間」
。これは契約を反復更新していたと
しても、途中に契約のない期間がある場合どう扱うか、というものです。例えば、2013 年 4 月 1 日に 6
か月契約を結び、2015 年 3 月 31 日まで契約を反復更新したとします。そして、2015 年 4 月 1 日から同
年 9 月 30 日までは契約を結ばず、その後同年 10 月 1 日からまた 6 か月の契約を反復更新して 2018 年
3 月 31 日になったとします。この場合、2018 年 4 月 1 日から無期雇用転換申込権が発生するかと言え
ば、否ということになります。契約のなかった 6 か月を「クーリング期間」と言い、それ以前の契約の
反復更新はいったんチャラにされてしまうのです。ですから、この場合では、無期雇用転換申込権が発
生するのは、2015 年 10 月 1 日から 5 年後ということになります。
「クーリング期間」の適用には、6
か月以上の空白期間が必要とされていて、
6か月未満だとその前後の契約は通算されるというややこし
いものです。三つ目に、転換ルールが適用されないか、5 年という期間が緩和されている人たちもいま
す。定年退職後の再雇用組と、一部の専門職の人たちです。
それでは、転換権が生じれば、どうすればいいのでしょうか? 無期転換の申し込みを使用者に行う
必要があります。弁護士は、書面にて申し込みをした方がお互いの為になるとのこと。書面は、労基署
のサイトにUPされているようです。申し込みを使用者にするだけで、使用者側は、嫌でも、転換を認
めなければなりません。もっとも、無期契約になった時の労働条件の内容にご注意ください。法律上は
非正規時と同じ労働条件が適用することになっていますが、
これはあくまで非正規の時の労働条件を下
回ってはいけないということに過ぎません。正社員と同等の労働条件を求めて行くべきだと思います。
中には、明らかに仕事量が増えるが、時給は非正規時のまま・・・などなど様々な不利益をこうむる恐
れがあります。また、法律では、使用者が無期転換を申し込まないことを更新の条件にしたり、放棄さ
せることは出来ないとしています。しかし、契約更新の際には、百戦錬磨の皆様とは思いますが、IC
レコーダーをポケットに忍ばせておくことをお忘れなく。改めて、団体交渉をする事も考えるのも一つ
の手ではないでしょうか?
今一番心配なのが、
この無期転換ルールのカウント残り半年を目前にした、
企業の契約切り。
これは、
弁護士も裁判でしか決着がつかないと言っていましたが、労働組合としては、まず、団交で当該が、不
本意ながらも同意せざるを得ない状況ではなかったか、また、
「同意」とは当該の自由な意志に基づく
ものを言うのであるから、本当に「進んで同意」したのか、また、使用者側は十分な説明をしたのか、
また、不更新条項を締結せなあかん理由はあるのか確かめて、裁判に向けた資料を集める必要がある、
とおっしゃっていました。
KU 執行委員 A
●はじめに
11 月 11 日~11 月 14 日の 4 日間にかけて、MU
のKさんの案内でTさんとの 3 人で韓国へ行って
きました。よくよく考えると、短い間ではありまし
たが、とっても濃い時間だったので、書く内容を限
定させていただきます。
ソウル 120 万人デモに参加した様子を記したい
と思います。厳密に言うと、私達が参加したのは
100 万人の時点だったので、まぁ、あんまり、ゴニ
ョゴニョ・・・。それについて詳しく書きます。そ
の他の、清水初海外体験記は、機関紙に掲載しても
らえるのかは、分かりませんが、書きたいなぁと考
えています!
●報告会、します。
あえて、見出しにすることはないと思いますが
(笑)
、
来年の 1 月 28 日
(土)
の 15 時から豊富
(?)
な画像や動画を使って、報告会を行います。報告会
と言っても、参加いただいた方と談笑しながら、ゆ
る~い感じでやりたいなぁと考えているので、皆様、振るってご参加下さい!!
●旅行行程
1 日目は、関空発仁川空港着、そこからホテル最寄り駅の東大門駅へ電車移動。平和市場を歩
いてチョン・テイルの銅像前で記念撮影。銅像の周辺はレンガ敷きになっていて、夜道に光る
ものがあるので目を凝らすと、銘板がはめ込まれていた。チョン・テイルを偲ぶ日韓の活動家
がしているらしい。夕食は 1 件目はタッカンマリ。2 件目は広蔵市場(クァンジャンシジャン)
という屋台市場ではしご酒。韓国語が流暢な謎のおじさんにめっちゃおごってもらう。2 日目は、
昼からN猛さん主催の日韓労働者連帯の訪韓団へ合流。身体一杯デモを楽しんでから、カムジ
ャタンを食べる。3 日目は、猛さんらとチョン・テイルの 46 回忌へ出席。昼は、食堂で牛肉の
チゲを食べる。めちゃんこ辛かった。マッコリがよく合う理由が分かった気がする。訪韓団と
別れて、ウィンドウショッピングをしながら街ブラをして、ホテル近くの居酒屋で、ケブルを
食べる。4 日目は、ロッテマートで土産物を購入する。Kさんと別れてキンポ空港へ。というス
ケジュールでした。
●100万人の一人
11 月 12 日は、朝 8 時 30 分に、ホテルのエレベーターホール前に集合して、鱈の出汁がきい
たウドンと、キムパフという朝にしては多めのご飯を食べました。猛さん達との待ち合わせに
少し時間があるので、光化門広場周辺を腹ごなしにぶら街歩きをしようということになりまし
た。
駅を上がって、地上に出てみると、広場の周りを白いテントが立ち並び、奥の方にはステー
ジが設営されていました。その壇上では、若い男女がダンスのリハーサルを行っている姿が見
えます。私が、
「これが全国集会の会場ですか?」と金中さんにたずねると、
「あれは、農業関
係の集会やね」
。Kさん曰く、農家は労組より強し、とのこと。韓国は、労働運動だけではなく、
その他の市民団体も活動が顕著で、毎日韓国国内では、どこかで集会が開かれているそうです。
けれど、それを聞いても、この時はまだピンと来ませんでした。
まだ朝が早いせいか、人影がまだらで・・・と、タブレットのカメラを回していると、明ら
かに様子がおかしい。なんでや?と、よくよく辺りを見渡してみると、バスが何台も何台も付
近の道路へ路上駐車しています。初めはそれを観光バスかなぁ、と思っていたのですが、よく
よく車体を見ると、
「POLICE」の文字が。広場から少し離れて行っても、歩けば歩くほどポリ
バスとツーマンセルのポリに出会うので、びっくりしました。猛さん達とは昼前に合流して、
お昼をご一緒し、会場へ向かいました。
会場は、朝とは全く別の顔でした。ありとあらゆる団体が大人数で集まり、口々にシュプレ
ヒコールを絶叫している光景が、目に見える限り広がっていました。路上では、朴政権につい
て書かれた新聞を配る人や、あの「希望の灯」と呼ばれる紙コップに入ったロウソクを売る人
や、露店を営む人で溢れかえっていました。それでも今年は露店が少ないそうです。
全国集会の設営内容にもびっくりしました。2 台のクレーン車にライブばりのでっかいスピ
ーカーを吊るし、壇上を移す大型モニターも映像がきれいでした。そこへ朴政権をこきおろし
たような映像を流しています。内容は分かりませんが、中々編集がしっかりされていました。
もしかしたら、一流の映像会社に作成させているのかもしれませんね。
韓国の運動は、座り込みが主流です。うっかりミスは、携帯用のシート持って来たらよかっ
た。非常に申し訳なかったのですが、路上で配っていた新聞をおしりに引いてしまいました。
それでも、一番の強者はデモ用の看板を配っていたら、急にそれを尻に引いて座り込んだ人で
しょう。
集会に参加して思ったのが、参加者に若者が多い事。ベビーカーに乗った赤ちゃんや孫とお
ばあちゃんのエントリー等。日本人からしたら、とてもまぶしくてうらやましかったです。そ
して、集会自体を楽しんでいる事。デモの看板は、ステッカーで止めて、帽子にして被ってデ
モスタイルを気取る。ものを食べながら、皆で笑い合う。その姿をみて、韓国にとって、集会
はお祭りなんだなぁと思いました。そして、労働運動も、ここでは市民運動の一つに過ぎない
のだと思いました。
19 時過ぎになってようやくデモ行進がスタート。見渡せば、人の波。人が尽きることなく
集まり続けること、初詣のごとし。皆が口々に「パククネー、テジバラー(パククネ、退陣し
ろ)
」とシュプレヒコールを唱えながら行進していきます。皆でぞろぞろ光化門前を通りすぎ
ていくと朝見たゆるい縦列駐車をしていたポリバスが、バリケードと言わんばかりに、隙間な
くびっっしりと並んでいます。その隙間をのぞくと、腕組をした武装警察が立っていました。
う~ん、勝てる気がしねぇっ!Tさんが、歩きながら、
「これくらいの人数やったら、バス倒
せるやろうなぁ・・・」と、ポツリと呟やかれていました( ^ω^)
・・・。
光化門を過ぎたという事は、これって、まさか、大統領府まで行くの?!私の胸は期待で高
鳴ります。北合同のデラックス版のゴツイ街宣車も光化門前で、大音量でシュプレヒコールの
応援。しかし、そこから 30 分経つと、人の波が広場へ誘導されていきます。やっぱ、大統領
府突破はムズいか・・・。と歩いていると、突然脇から「パククネー、テジバラーっ!!」と
若い女性が叫びながら、ポリバスへ赤いテープをびろ~~~んと貼ったではありませんか!書
いてたハングルは分かりませんが、どうやら、パククネ辞めろ的な事が書いてあったそうです。
他に、何か書かれたノリ付箋(ポストイットみたいなん)も張っている人もいました。
結局、電車に乗れなくなるのが心配なので、中村さん率いる訪韓団と我々3 人組は、8 時過
ぎに退散しました。
「うそ、夜の 2 時にポリバスの上でポリともめて、放水されたんや・・・」
とか、9 時過ぎに始まった、120 万人で、光化門前でロウソクを持ってウェーブしたのには、
参加できませんでしたが、あの歴史的なデモ行進に参加でき、とても光栄でした。
●最後に
今回の訪韓は、私の自腹では決して叶えられなかった事をお伝えしなければなりません。こ
れには正体が明らかな「あしながおじさん」が何人もいるからです。
まず、MU執行委員会からカンパいただいたお金は、ホテル代や食事代、現地の交通費とし
て使わせていただきました。航空チケットは、
「組合のマゼラン」ことT氏の血と涙の「マイル」
から用立てていただきました。そして、右も左も分からない私を、日韓労働者連絡会の皆様に
紹介していただいたり、現地では、
「名コーディネーター」として働かれていたK氏に、この場
を借りて深くお礼申し上げます。
初めての海外旅行で、あの歴史的な場面に当事者として加われた事、韓国の労働運動の凄さ
を目の当たりにできたのは、皆様のおかげでございます。人生に一度あるかないかの貴重な体
験ができました。ありがとうございました。
訪問報告
北海道電力 泊原発再稼動反対運動の現地(書記長
仲村)
10 月 26 日から 31 日まで、北海道の泊村に住む友人の所に行っ
てきました。1年前から泊原発再稼動をさせない運動を、泊村に住
み活動を続けているSさんという友人がいます。私より年上で 70
歳を過ぎていますが、元気はつらつとしています。
新千歳から小樽までは快速エアポートというのがあり便利です
が、
その先の函館本線は、
1時間に1本も走っていないとのことで、
小樽駅まで迎えにきてもらいました。
Sさんは、北海道の小樽市で 1978 年 9 月に会社倒産、労働組合
による社屋占拠、行商物販、自主営業を行ったつわものです。倒産
から 2 年 5 ヶ月の 1981 年、和解が成立後、労組が 100%出資の㈱
K食品を設立し社長になりました。組合員 4 名が役員となり、社員 8 名の 12 名で船出。2007 年 6 月に
社長を退任し顧問に。小樽の運河保存運動、小樽から転居した石狩市でも護憲の運動、沖縄の反基地闘
争に参加など多彩な活動をしています。そして、1年前でしたか「泊原発を片付けて、沖縄へ」という
メモを私に送ってきた実践の人です。そのSさんの泊村の村営住居にお世話になりました。
泊村は、函館から見ると北になり、札幌からは西となる、日本海の海岸線である。積丹半島の南の付
け根であり、泊から海岸線の道路を北に向かうと、神威岬と積丹岬がある。
泊原発は、現在、1、2、3 号機とも停止中
北海道電力は3号機の再稼動を、現在、原子力規制
委員会に申請しています。
しりべし
後志管内 20 市町村で、原発再稼動反対が仁木町長、
積丹町長、欄越町長、小樽市長、どちらとも言えない
といっているのが赤井川村長、ニセコ町長、黒松内町
長、岩内町長、真狩村長、余市町長、神恵内村長、倶
知安町長、留寿都村長、島牧村長、古平町長、京極町
長、共和町長、賛成が寿都町長、喜茂別町長、泊村長
です。
瀬尾さんらは、再稼動反対の市・町は除き、どちら
ともいえないと言う町長、村長(ほとんどが再稼動賛
成派になる確立が高い)に対して申し入れ、役所前でのマイクを使った宣伝活動や住民へのポスティン
しりべし
グを続けています。後志管内 20 市町村全戸へのポスティングをめざしています。
岩内警察署へ
Sさんの岩内警察署への訪問に同行しました。前回の岩内役場前でのマイク情宣行動で、町長に対す
る批判をしていたら警察のパトカーが来ていちゃもんを付けられたそうです。こんなことは初めてのこ
とだったので、表現の自由などを盾に対応してきたとのこと。町長の指示で、役場から警察に通報した
のは確実であろうとのこと。
そのことに対する質問も兼ねた警察訪問をしたわけです。交通課の課長が対応してくれました。課長
は、施行規定に決まっているから、道路使用許可を申請せよという言い分です。Sさんも負けてはいま
せん。原則の表現の自由、警察の道交法の施行規則のコピーをくれとか、道路でなかったらいいのかな
どなど、時間もたって結論は物別れとなりました。
共和町の小沢地区のポスティング
1955 年(昭和 30 年)4 月 1 日に小沢村、前田村、発足村が合併して共和村となり、1971 年に共和町
になる。人口は 6136 人の町。
泊から南下し、東へ向かう途中から国道 5 号線に入り函館本線と平行線となりすぐ小沢駅となります。
その手前から道路沿いとその周辺に、車を降りポスティング、移動しポスティングを繰り返します。300
枚くらいだが結構時間がかかり、都会のポスティングとは大違いです。多くの住宅の入り口は、北海道
ならではの冬対策の二重ドアになっています。
ビラは、
「泊原発事故!その時 本当に逃げられるか?」
、
「後志地域のがん状況」
、
「泊原発運転前後
の後志地域の死亡率」
、
「あなたは子供たちの前で、家族に対して、泊原発の説明ができますか?」の見
出しである。発行ビラの多くは、瀬尾さんらが活動する「後志・原発とエネルギーを考える会広報行動
隊(全後志・行動隊)
」です。
岩内町の斉藤武一さん宅を訪問
「
【原発紙芝居】子供たちの未来のために」
(DV
D付)の著者であり、原発停止裁判、泊原発の排水
温をはかり続ける斉藤さんのお宅を訪ねました。
この日(10 月 28 日)の北海道新聞の1面トップ
記事、見出しは「泊防潮堤沈下の恐れ」
「3 号機再稼
動 18 年以降に」の話題から始まりました。
「泊の岩
盤はぐちゃぐちゃだ」
、ビラに使う写真のどれにし
ようかなどと、斉藤さんとSさんが話しているのを、
私は聞いていました。
私が話しに加わったところで、斉藤さんから聞い
た話しをいくつか紹介しておきます。
1号機の建設時の工事前の写真、国道をつぶして原発を作っていく過程、新国道のトンネル 1250m
を北海道電力が 50 億円ほどかけて掘って国に寄付したこと。元の国道は原発建設道路になり、岩盤を
崩して海を埋め立てそこに原発が建っていること。トンネルを掘った人たちが、この部分はもろくて水
が出て水で出てひどいと言っていたこと。
地質がもろくて、ぐちゃぐちゃという原因は水で、泊は地下水が 1 日 500 トン流れている。1・2・3
号機の地下に涌水ピットというのがあること。このピットに下から湧き出た地下水がたまるようになっ
ている。このピットは 7 つあり、だれも知らなかったことで北海道電力に何度も何度も聞いてやっとわ
かったこと。湧き出る地下水の量は、調べてないんです。ピットに 8 割くらい地下水がたまると自動的
に排水するシステムになっているといいます。午前午後とか、季節とかのデーターはないとのこと。
今後の再稼動を許さない運動の話もしました。Sさんから作戦、長期戦、各市町村での首長選挙戦に
向かって、理論面からも町村長に追求し迫っていくこと。北海道高橋知事に説明会を約束しているので、
防潮堤だけでもいいからやらせるとか。
私の質問関連では、北海道電力の発電で一番多いのは火力で、水力もある。今は(原発は)止まって
いるけれども、需要供給から言うと電力は充分たっているし、一度も停電していない。火力も稼働率8
割で余力がある。
「大胆に北海道電力が原発をやめると言えばかっこいいんだけどね」と斉藤さんは言
う。2019 年、天然ガスが再稼動することになっているので、ますます原発の必要性もなくなるとも。
その他、石炭から国際貿易の話し。北海道電力が国から強制的に石炭を買わされている話。市民参加
の、エネルギー政策の話。泊原発のある場所について北海道電力は 40 年前にうそ言っていた話。隆起
していた地層を大学の先生が見つけ、道路の隆起も起きている話。小プレートがあり、このプレートが
積丹半島に向かって隆起し年間ミリ単位という話し。
北海道電力の経営の話。防潮堤にボーリングでくいを打つと 100 億 200 億円がとんでいき、借金が増
えていく。北海道電力の借金が現在1兆円8千億円、2兆円を超えたら原発と借金の話がクローズアッ
プされてくるという話。
原発が稼動されている限り、放射能はなくならない。放射能と“がん”の発生率の話し。放射能、化
学物質、加工食品での添加物など“多重複合汚染”による病気の話。大人の自閉症が増えている話。ネ
オニコチノイド系の農薬の人体影響の話。障害児が増えている話などなど、斉藤さん宅に長時間の滞在
となってしまった。
積丹半島に向かって、沿線の住宅、漁港でのポスティング
泊村から北上し積丹半島に向かう。泊村の北隣が神恵内村であす。人口は 1000 名を切っているとの
こと。その町の唯一の密集地の漁港、役場、郵便局のある地域にポスティングを 100 枚くらい、それか
ら積丹半島に向かう途中の小さな漁港で点在の家へもビラ入れをしました。その後は、積丹半島の神威
岬、積丹岬への観光となりました。
札幌市手稲区の会館で私の労働運動の話を聴く会
この集まりは、泊村の住民になったSさんと札幌市に住んでいる私の友人が企画してくれました。労
働運動、市民運動の活動をしている方、ジャーナリストなどが多数参加してくれ、私の話しの後意見交
換をしました。
番外報告
泊村の村営住宅の家賃は、7,500 円。2 部屋と居間、バストイレ付。パソコンが村から貸与されてい
る。申し込めば、設置からインターネット接続、メールアドレス登録、故障の対応も村の費用でやって
くれる。泊町に温泉のある宿泊施設がある。この温泉の入浴券が年間百○十枚もらえる。私も 2 日、そ
のおこぼれに預かって入浴しました。岩内町に大型船用(客船、商船)の埠頭が建設されたが、現在は
すべて建物が取り払われ使用されていません。
小樽市にある重要文化財の「旧日本郵船㈱小樽支店」の参観をしました。ポーツマス条約にもとづく
日露の樺太国境画定会議が開かれた場所です。
11 月 11 日(金)午後 6 時 30 分から組合事務所で、岩内町(泊村の隣町)で原発反対運動を続ける
斉藤武一さんの「原発紙芝居」DVD上映と、私仲村からの報告をしました。
連載 管理職ユニオン・関西の20年(7)
書記長
仲村 実
初めての「リストラ・サバイバル講座」- 大阪労働者弁護団と共催
1999 年 3 月 4 日、エルおおさか
企業の決算期と人事異動のタイミングにあわせ、タ
ーゲットを金融業界及び境筋線沿線のオフィッス街の
ビジネスマンに絞りました。
当日、見込みをはるかに超え 100 名を上回る参加が
ありました。会場は満席となり、座席が不足する程の
盛況に迎えることができました。
まず、仲村書記長のあいさつに始まり、O講師は、
日本経済の現状分析と、それによるビジネスマンへの
矛盾のスワ寄せを平易に解説。H講師は、自らの管理
職ユニオンでの体験を通じ、実践的に、具体的闘争戦
術を指南。永嶋弁護士は、解雇問題に絞って、裁判闘
争の進め方を詳細説明されました。会場は終始熱気に
あふれ、中座する人もなく、最後まで熱心に聞き入り、
非常に緊張感が満ちておりました。
2 時間弱のセミナーではありましたが、ユニオンの初
の企画ということで、企画段階では様々な否定的意見や、危惧の声もありましたが、企画内容
が時宜にかなったものであったこと。又、延べ 50 人の事前街頭ビラ告知活動、マスメディア
への協力依頼等が功を奏し、組合員一丸となった準備活動の結果であることが証明されたとい
えます。このことは出席者のアンケートからも導き出される結論となっています。
そして、この企画は、潜在的な企業内のいじめや解雇問題を照らし出し、労働者の闘争主体
への自覚と、支援組織の存在を公然とオフィッス街に登場させた。関西における画期的意味を
持つこととなったと確信しております。
(報告:N、ニュース13号より)
リストラ・サバイバル講座「解雇からの生還」を開催
1999 年 9 月 24 日、エルおおさか
8 月 20 日(金)第 1 回講座実行委員が開かれ、講座の細部が決定されました。昨年の講座と大
きく違うのは、実際に解雇通告を受けた人が自ら壇上にあがり、自分の体験を語り、解雇撤回
までの道のりを語る事です。これは、今リストラ(解雇、配転、減給等)におびえている一般
サラリーマンやOLに、大きな励ましを与えることになることと思います。
大川弁護士には、体験者の話を法律
面から分析し、不当なリストラから身
を守る法律知識を分かり易く説明して
もらいます。トリの設楽書記長は、マ
スコミにも度々登場する旬の男と言え
ます。いわばこの講座の目玉です。元
気をくれる設楽節に期待しましょう。
(ニュース 30 号より)
9 月 24 日(金)、 第 2 回目の「リスト
ラ・サバイバル講座」が開かれました。
当日は台風が近づくあいにくの天候に
たたられ、参加者は 60 数名と昨年より大幅に少なかったのですが、内容は非常に充実したも
のになりました。
第 1 部の 3 名の組合員が自己の体験を語る「解雇からの生還」は、体験者でしか語れない真
実が聴衆を感動させました。第2部の大川弁護士の「リストラから身を守る法律知識」では、
「闘う勇気」を与える法律知識を熱心にメモを取る人の姿が目立ちました。最後の東京管理職
ユニオン書記長の話は、外国の話なども交え、大所高所から見た雇用の現状とユニオンの闘い
ぶりが、ユーモアたっぷりに語られ、決意があれば闘う戦術を編み出す話で会場に笑いと勇気
をもたらしてくれました。実行委員達は、工夫を重ね今後もこの講座を続けていくことを確認
し合いました。
(ニュース 31 号より)
リストラ・サバイバル講座 『職場のセルフ・ディフェンス』
2000 年 3 月 8 日、エルおおさか
第 3 回リストラ・サバイバル講座、
『職場のセルフ・ディフェンス(働き続けるための自己
防衛術)
』参加者 93 名、盛会のもとに終える!
3 月 8 日(水)よる6時開場、PM6 時 20 分開会~PM8
時 30 分、エルおおさか 6 階 606 号室で開催したこの
講座は、立ち見が出るほどの盛況でした。
定刻通りの開始で、解雇争議を闘う日本臓器製薬元
支店長のNさんの司会で、自らの仮処分裁判の勝利
と現況報告と開会の挨拶で始まりました。前回好評
だった組合員自身の事例紹介は、今回のテーマ「も
っか闘争中」で、①降格・減給・遠方配転等の嫌が
らせと闘う元部長のTさん。②解雇通知を徹回させ
たが、その後 4 割カットの減給、昨年夏・冬のボー
ナス 3 割カットされ、仕事も与えられずがんばっている女性のKさん。③解雇通行を受けたが
撤回させたが、些細なミスに対して始末書を要求する上司や職場いじめと闘う30代のKさん。
今回もなかなか好評でした。
「リストラから身を守る法律知識」は、大阪労働者弁護団事務局長の上原康夫弁護士、
「リ
ストラと闘うために労働組合を活用しよう」は、仲村書記長がそれぞれ話しました。締めは本
田委員長のあいさつでした。
(ニュース36号より)
リストラ・サバイバル講座 『復活の砦』をさがせ!
2000 年 9 月 27 日、エルおおさか
第 4 回 リストラ・サバイバル講座「復活の砦をさがせ」に参加を!
日時 9 月 27 日(水)午後 6 開場 6 時 20 分~8:30
会場 エル大阪(大阪府立センター) 5階 視聴覚教室
参加費 500 円 大阪市中央区北浜東 3 番 14 号 電話 06-6942-0001(代)
時
間
18:20~18:30
内
容
司会と挨拶:Nさん
備
考
管理職ユニオン・関西
執行委員
18:30~
体験者は語る「復活の砦」
19:15
① 降格・減給・遠方配転に勝利した元部長
Tさん。50代管理職。
テレビで取り上げられたビデオを上映。
② 職場いじめ、退職勧奨をはね返した
Sさん。30代。
③ 「業務命令」による仕事取り上げからの生還、
Mさん。40代管理職
そして、年俸減額とたたかう
19:15~
位田 浩 弁護士
20:00
20:00~
大阪労働者弁護団
「自己防衛のための最低限の法律知識」
仲村 実 氏
20:30
事務局次長
管理職ユニオン・関西
「労働組合とは何か、その活用の仕方」
書記長
組合員の皆さん(特に今年度加入された方)は、積極的に参加してください。又、職場の仲
間や友人に呼びかけてください。組合事務所に呼びかけのビラがあります。組合員としての活
動として近所や通勤途中の団地や住宅街のポストに配ってください。配布できる枚数は取りに
くるか、連絡下されば送りますので事務所まで連絡を。
(ニュース42号より)
リストラ・サバイバル講座- 関西ユニオン交流会で共催
一人でも入れる個人加盟のユニオンは 『闘いの砦になる』 !
時
間
内
容
18:15~
ビデオ上映: 管理職ユニオン・関西 の闘い
18:30~
1. 事例紹介(各ユニオン組合員)
19:15
①「自分で出向先をさがせ」攻撃からの生還
②ケガのやり損を許さない
備
考
管理職ユニオン・関西
男性・53才管理職
北大阪合同労組
男性・30代
③訪問介護事業所閉鎖による解雇闘って
なかまユニオン
女性・40代
19:15~
19:55
19:55~
20:30
2.重村達郎 弁護士
「リストラから身を守る法律知識」
大阪労働者弁護団
3.大浜 和明 氏
管理職ユニオン・関西
「リストラと闘うために労働組合を活用しよう」
書記次長
リストラサバイバル講座は大成功でした。
大阪労働者弁護団、北大阪合同労働組合、なかまユニオン、松屋町ユニオン・宮崎紙業労働
組合、滋賀地域ユニオン、管理職ユニオン・関西&ユニオンあゆみで、3 月 23 日に共同開催した
リストラサバイバル講座は、69 名の参加者があり大成功でした。ビラまきにご協力頂いた組合
員の皆さん、準備をしてくださった皆さん、
ありがとうございました。
当日のアンケートでは「各ユニオン」を今
回創めて知ったという方も多数おられました。
職場での問題は、減給を受けている方が一番
多く、次いで解雇問題、退職勧奨が続き、配
転問題、自宅待機、出向、退職金未払い、降
格の悩みの順番でした。
「事例紹介が生々しく
元気をもらった」
「参加してよかった」
「重村
弁護士の力強いリストラ対応策の話しがよか
った」
「リストラに直面している方が多いこと
を改めて認識した」
「今後も続けてほしい」と
いう声が寄せられました。
(ニュース49号より)
リストラ・サバイバル講座&『職場トラブルホットライン』
関西ユニオン交流会で共催
2001 年 10 月 5 日、エルおおさか
10/5『リストラサバイバル講座』 約 70 名が参加!
約 70 名の参加で開催されました。開催に先駆けて、各参加ユニオンがターミナル等でビラまきを展
開しました。管理職ユニオン・関西では、組合員の協力を得て 10 月 2 日に堺筋本町、天満橋、3 日に
北浜、梅田で約 3 千枚まきました。以下、簡単に報告します。
当日は、八尾ユニオンのMさんの司会で、開会しました。
事例報告の最初は、管理職ユニオン・関西の天理電子工業労組を結成したYさんが行いました。
「交
代制勤務手当ての一方的カットを取り返す一人の闘いから組合結成。そして現在」と題して報告をしま
した。一人からはじめた闘いと組合結成までは、ニュースの第 44 号(2000 年 11 月号)に詳しいので省
略します。
「現在」でYさんは、
『4 名の株主間の争いも絶えません。仕事は主にシャ-プ㈱の半導体や
液晶の製造検査を行っている会社で、現在、低迷基調といわれる IT 産業です。組合結成後約 1 年間の
組合活動の成果として、会社に未払い賃金を返還させ、違法行為として申し出ていた給与規程や退職金
規程の就業規則を労働基準監督所に提出させることに成功しました』
『従業員の雇用を守るとか、受注
努力をしようとしない社長で、今年の 8 月 6 日に 2003 年にシャ-プ㈱からの大半の受注が無くなる見
込みであるとし、従業員の 4 割に当たる 100 名もの人員削減しようとする合理化案を発表しました。最
近、社長自身の発言「私は経営手腕が無い。経営能力も無い。社員の雇用も責任を持つような人間でな
い」に対し、抗議書を掲示板に張ったんですが、その内容が名誉毀損にあたり、私を懲戒解雇するとい
うことで文書を受け取っています』と。現在争議状態であるという。
事例の 2 番目は、北大阪合同労組から「倒産攻撃の闘いの経験から、現在闘争中の労働債権確保の闘
い」でした。特別執行委員のIさんから、
『たくさんの倒産攻撃と闘っています。法的倒産から実質的
な倒産から、計画的な倒産から突発的に社長が自殺をしたといろいろあります。組合を毛嫌いして、偽
装倒産をして組合をつぶそうとするものとして、運送会社、人材派遣会社、病院、ビル管理会社で、組
合を作ったとたんに契約を打ち切ったり、時にはやくざと組んでそこにある債権を自分たちのものにし
ようとすらします。委託会社、地方自治体、市とか町で清掃とか警備の部分で毎年契約がされるから、
契約が変われば労働者は毎年解雇される。その中で学校警備員を組織し、闘っている』との報告がされ
ました。分会から、繊維会社で労働債権確保の闘いで、今工場を占拠している明宝分会、組合つぶしの
ための事業所の偽装閉鎖・全員解雇と闘っている上原学術研究所分会から報告されました。
続いて、位田浩弁護士から「リストラから身を守るための法律知識。会社倒産に関する法律知識」に
ついての講演がなされました。
「解雇・退職勧奨から身を守る」では、初歩的な解雇と退職、普通解雇
と懲戒解雇、整理解雇の4要件、退職勧奨と退職願・辞職届について。
「降格・配転・出向・転籍から
身を守る」では、それぞれと人事権との関係、法的根拠と正当不当の基準について。賃金引下げ(減給)
から身を守るまで。そしてリストラサバイバル講座初の、
「会社倒産に関する法律知識」では、最近は
やりの民事再生法について「マイカル」倒産を引き合いに出し説明がなされました。
(レジュメがあり
ますので、組合事務所まで請求ください)
質疑応答は 2 名からなされ、嫌がらせ攻撃と法的問題、整理解雇の 4 要件の限界性についてなされま
した。
結びは時間わずかしかない中で、なかまユニオンのK書記長が「今の時代ユニオンは必要とされてい
る」という角度から発言をされました。9 月 7 日の白木屋争議の和解記事を取り上げたもの、
次に、民事再生法を申請したマイカルの企業内組合のこと。闘争資金で再建中の会社の株を買おうとい
う。この考え方には同意できないと。ストライキや闘う時に使うものなのに、目的外のものに使ってい
る。こうした企業内組合の中からも、ユニオンへの相談が増えている。3 つ目が、この間、企業が希望
退職を募集した場合、すぐに定員を上回る現象のこと。
失業情勢は厳しい。小泉改革という局面を踏まえた
ら、どんなことがあっても出来ることなら企業に残る、
辞めないというのがユニオン運動の前提にある。
「私
はやめません」ときっちりと意思表示することがユニ
オンの思想だと思う。その第一声から闘いが、運動が
はじまる。ユニオンに加入し団体交渉申入書を出すだ
けで相手の出方も大きく変わってる。今本当にユニオ
ンが役に立つ運動の位置にあると思う、と語りました。
最後に司会の宮崎さんが、閉会の挨拶をし、記念写
真をとって終えました。
(報告 仲村実)
有給休暇よもやま話
KU I
今までの連載では、有給休暇の活用について、具
体的に書いておられたので、大変役に立つお話ばか
りで、まさに有効活用されてるなぁと感心しており
ました。
しかし、今回は趣をかえて有給休暇について徒然
なるままに書いていきたいと思います。
今からン十数年前・若かりしころ、病欠のあくる日、
上司の吉田さんが「昨日の病欠、有休で処理しとい
てあげたから」と優しく、でもちょっと恩着せがま
しく言われたのが初めての有給休暇との出会いでした。
自営業の家庭で育った私には、
「ボーナス」と同じくら
いなじみのない言葉でした。ですから組合に加入する
までは、有休を自ら取得したことはありませんでした。
今となっては、もったいないことしてたなァと思いま
す。
なぜ、有給休暇という制度があるのでしょうか?
私でも 6 ヶ月勤めると 10 日間の有休をもらえるのは知
ってますが、根本的な意義を知りたいと調べてみまし
た。厚生労働省のホームページでは、年次有給休暇と
は、一定期間勤続した労働者に対して、心身の疲労を
回復しゆとりある生活を保障するために付与される休
暇のことで、取得しても賃金が減額されない休暇の事とあります。
そこで大橋さんに聞いてみると「カレンダー通りの休日では少ないということですよ。文化
的な生活をするには、もっと休暇が必要ということですよ」と明快な答でした。目から鱗がポ
ロポロとはがれ落ち、大いに納得しました。
そうなのです、心身ともに休養し、文化的な
生活を送るためには有給休暇は必要なんです。
組合員の皆さんは、有休をどんどん取得し
て自分なりの有効活用をみつけて楽しみまし
ょう。
有効活用のなかで優先順位は低くとも、
組合活動をお忘れなきよう、よろしくお願い
します。
Mr.K のあれこれエッセイ第14 回
執行委員としての活動を終えて
先日の組合大会で執行委員を降りました。組合員の皆さま方の御協力で無事任期を全うでき
たことを心より感謝申し上げます。
日通労働者連絡会の各原告への支援活動がほぼ終わっていたところ、個人的に全日本港湾労
働組合などが取り組んでいた日韓労働者連帯の活動への協力を組合としてやってほしいとの
話がありました。そこで日通労働者連絡会の活動を妨げない限りで執行委員をお受けしたのが
数年前のことでした。以来、国際担当ということで活動に取り組んできました。韓国を中心に
海外の諸事情や文化についてご紹介してまいりましたが、関西生コン支部や全港湾に比べて管
理職ユニオンでは韓国に対して本当に関心が薄いという印象でした。それでも今年の韓国民主
労総の労働者集会(今回は朴政権への退陣要求集会)への参加には執行委員の方々からのカン
パをいただきましたし、訪日団の歓迎集会へは委員長が参加していただくなど、ご協力いただ
き嬉しく思っています。また若い S 組員員の訪韓も実現して、国際担当執行委員の最後の花道
を飾っていただきました。今後は一組合員に戻って、民主労総組合員との親睦など、小回りの
利いた日韓連帯の活動を続けていきますし、若い方々における韓国との交流を支援してまいり
ます。
さて、最近私個人の関心は韓国からフィリピンに移っており、自身の描く豊かな老後に向け
て新たな課題が山積みです。今年 5 月、7 月、9 月と首都マニラに通って紆余曲折の末、無事
フィリピンの永住権を取得しました。今後のフィリピンでのビジネスに必要だとの判断で早め
に取りました。すぐに移住する予定はありませんが、将来へ向けて選択肢を増やせると思いま
す。
ところでこのエッセイはもともと執行委員をお受けしたときに、韓国の労働運動について書
く目的で始めました。本来なら紙面の制約もあり、新しい執行委員の方に機会をお譲りするの
が良いのかもしれません。私自身の負担もありますし。しかしながら新しく国際的に活躍が期
待されている若い方々にフィリピンや韓国、香港といった私の大好きな海外諸地域のニュース
も発信できるかなと思い、続けることにしました。また労組として取り組む課題について、昔
から組合活動を続けておられる方々とは違った視点を引き続いて提案していきたいと思いま
す。
現在、ポピュリズムと偏狭なナショナリズムが世界を席
巻する様相を呈しているなかにあっても、技術革新や国際
交流はさらに加速して私たちの生活に新たなチャンスを広
げています。新しいものを取り入れていくこと、自分が変
わっていくこと、古くて良いものは守っていくことなどに
ついて、具体的事柄を通じて考えていきたいと思います。
子供や孫たちの生きる世界が素晴らしいものになるよう
に、ともに頑張りましょう!
メタボ解消! 遊歩会ハイキング
紅葉に照らされ、笠置・柳生を歩く
11 月 13 日(日)朝 10 時にJR笠置駅に集合。笠置は京都府と奈良県の境目に位置し、木
津川上流にある山あいの町。温泉街もあるが、日曜日のせいか駅前の商店は軒並みシャッター
を下ろしていてややさびれた感じであった。商店街を抜けて左手に折れると木津川沿いの小路
に出るが、巨岩奇石が続き、その中を渓流が流れている。岩のくぼみに留まった小石が水流で
回転し、長年かけて岩を削ってできるという甌穴群
もあると聞いていたが、よく分からなかった。とも
あれ、大きな滝こそないが、赤目の渓流を思わせる
景色が続いていて、飽きさせない。木津川沿いを 30
分ほど歩いた後は、布目川沿いに遡って行く。あち
こちに点在する真紅の紅葉、黄色の紅葉の合間から、
秋の穏やかな陽射しが渓流に反射してキラキラ光っ
ている。
一行は 2 時間弱渓流沿いを遡った後、柳生の里へ
と向かった。柳生の里は、柳生新陰流で有名な柳生
一族の里で、十兵衛杉や一刀石など剣豪伝説を伝えるものが点在している。最初に訪れたのは、
柳生一万石の家老屋敷。小奇麗に整備されているが、こじんまりとしている。一万石ならこれ
で精いっぱいだったのだろう。壁に貼られた家系図を見ながら、一行は『柳生一族の陰謀』や
『柳生十兵衛一人旅』等で得たいい加減な知識を口走っていた。他に観光客がいなかったのが
幸いである。その後は、今は公園になっている陣屋跡で昼食。そして、今も続く柳生道場を外
から見学して、柳生の里を後にし、笠置寺へと向かった。
笠置寺は笠置山の山頂一帯を占める広大な寺で、後醍醐天皇が
鎌倉幕府の大群と戦ったことでも有名である。山にはたくさんの
切り立った花崗岩の巨石・奇石があり、その岩壁には磨崖仏が鎮
座している。それをぐるりと見て回るのだが、岩の合間を縫うよ
うに道が続いているため、アスレチックコースでも歩いているよ
うな感じで楽しめる。もっとも、ここまですでに 10 キロは歩い
ていただろうか。疲れた身体にはややきついコースであった。
ここからは、260 メートルの山をひたすら降って笠置駅に。リ
ーダーのO氏はまたもや一行の足を引っ張り、最後尾をのろのろ
とついてきた。ところで、O氏については心配な話がある。以前
からO氏が現役で働いているという話を聞いていたので、たまた
まどんな仕事をしているのか聞いてみた。O氏の説明では、朝車
が迎えに来て、会社では折り紙を折ったり、皆で歌を謡ったり、
風呂に入ったりしているというのだ。そして、また車で家まで送
ってもらうと、連れ合いさんが出迎えて、
「お仕事お疲れ様でし
た」と迎えてくれるらしい。まあ、O氏がそれを仕事だと信じ込
んでいるのだから、私がどうこう言うことではない。O氏が幸せ
ならそれで良いことだ。
笠置駅には午後 3 時半頃に着いたが、田舎だけあって電車は 1 時間待ち。私は駅前にある産
業会館の椅子に座って一休みしていたのだが、HR氏が「酒の匂いがする」等と言って誘いに
きた。遊歩会の有力者であるHR氏の誘いを断ったりすれば、後でどんな不利益を受けるか分
からない。やむなく、私はHR氏に従い、数百メートル離れた「わかさぎ温泉笠置いこいの館」
なるところで、ビールと枝豆、ポテトフライ。ふわふわした気分になったところで、駅に戻り
電車に乗り込んだのであった。
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