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13日の金曜日

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13日の金曜日
エッセイ04
13日の金曜日
昭和46年の8月13日は、金曜日だった。
これまでに様々な出来事が身の回りで起きている。自分にとっての重要な出来事が、い
つの年の何月何日だったかは記憶している。例えば、結婚式を挙げたのは昭和52年の5月
31日、長女が誕生したのは昭和53年9月6日、長男が誕生したのは昭和59年4月3日等々
・・・・。しかし、残念ながらその日が何曜日だったかまでは記憶にない。
高校2年の秋口あたりから、右脇腹がチクチクするようになった。当
時、私の高校では『十里強歩』という学校行事があった。日中は正常に
学習して一旦帰宅し、夜の9時頃に全校生徒が登校して、夜中に約40Km
の道のりを走ったり歩いたりするのである。途中、何カ所かに検問所(休
憩所)があり、水やおにぎり等の差し入れ及び沿道の人たちの応援が、
生徒たちを元気づけてくれていた。
私はと言うと、調子よく走っていたが、10km近くを走り終えたあた
りから何だか右脇腹がチクチクと痛み出してきた。「おかしいな?」と思
いながらも、手でおなかを押さえながら、走ったり歩いたりを繰り返し
高校2年:5月 ながら、漸くゴールに辿り着くことができた。その後、腹痛が起きるこ
とはなかったので、多分『慢性盲腸炎』だろうと思い、病院にも行かずじまいだった。
さて、月日が流れて大学3年の夏休みの頃、何年か振りで右脇腹が痛み出し始めた。こ
のまま放っておく訳にはいかないだろう、ということで診察を受けたが最初は「盲腸炎で
はない」と言われた。医師の話では『盲腸炎』の場合は、白血球の数が増えるが、検査の
結果はその数値が低いということだった。
その後、何日かして同じ病院で再検査をしてもらったら、今度は『慢性盲腸炎』と言わ
れ、結局は1週間ばかり入院となった。
後期の講義が始まる9月、学生寮に戻って生活を始めて間もなく、
『もう腹痛は治まる』
と思っていたのに、また、痛くなるではないか・・・・?!「あの手術は一体何だったんだ・・
・・・」と思いつつ、大きな病院でこれまでの経緯を話した。今度は造影剤を打って検査を
することになった。その結果、尿管に小さな結石があることが判明した。医師の話では、
緊急の手術はいらないが何時かはこの結石を除去する必要があるとのことだった。ひとま
ずは腹痛の原因が分かってホッとした。
昭和46年の4月から、運良く教壇に立つことができ、充
実した日々を送っていた。4・5・6月と順風満帆に過ご
していたが、7月の半ば頃から『例の痛み』が影をちらつ
かせはじめた。丁度夏休みを目前に控え、預かった40人の
児童たちの顔を思い浮かべながら、アパートで一生懸命に
春の遠足:天覧山 通知表の記入に追われている頃だった。
異常事態が発生したのは、全児童の通知表の記入が完了した翌日だった。学校のトイレ
で用を足していたら、真っ赤な尿が出てきたのである。血尿が出てく
るなんて初めての出来事だったので、思わず「女になっったのか・・・
・?!」と驚いた。恐らく、結石が動いて尿管に傷がついたためだろう
・・・・。
奥多摩の病院に勤めている姉夫婦と相談の結果、夏休みを利用して
結石の除去手術をすることになった。手術日は、昭和46年8月13日の
金曜日だったのである。おなかに縦に17Cmくらいのメスを入れられた
奥多摩:甥の祐介と
が、出てきた結石はマッチ棒の頭くらいしかなかった。
つい最近、大泉第一小時代の同僚の塩谷通男さんが、この日に結婚式を挙げたと言う話
を聞き絶句した。
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