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11.開発経済学 (Development Economics)― 高 島 亮

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11.開発経済学 (Development Economics)― 高 島 亮
第Ⅲ章 専任教員による専門分野紹介
11.開発経済学
(Development Economics) ―
1
高 島
亮
1. 貧困の現実
世界人口が 67 億を超えた現在、その 10%以上の人口、およそ 9 億人が一日1ドル
以下で生活している。それぞれの国において物価はずいぶん異なるが、一日 1 ドルと
いう値はその物価 の違いを調整した統計である。つまりこれらの人々の生活水準は、
私たちが日本で 1 日 100 円で生き延びようとしたときの生活水準とまったく変わりない
のである。もっと統計に目を向けてみると、依然として存在する貧困と不平等の事実が
さらに目の前に浮かんでくる。世界人口の 80%、51 億人以上が一日 10 ドル(1000 円)
で暮らしている。一日一食しかありつけない多くの発展途上国の人々とは対照 的に、
私の場合は一日 3 食であるので 300 円のお弁当を 3 回買ってしまえば、その日は 100
円しか残らない。教育費 はおろか風邪を引いても医者に診てもらうこともできない。世
界人口の富裕層 20%が世界の総収入の 75%を稼いでるかたわら、貧困層 40%は世
界の総収入の 5%を分け合っている。小学校にも十分に通えない子供たちは 7000 万
人をゆうに超える。1000 万人もの子供が 5 歳の誕生日を迎える前に死んでしまう。毎
年 180 万人もの子供たちが Diarrhea(下痢)で死亡するが、衛生な飲料水さえあれば、
この数字は限りなくゼロに近づけることができると言われる。しかし現実には、11 億人の
人々が飲料水を利用できず、26 億人の人々は下水道設備がない環境で生活してい
る。
これらの貧困は発展途上国だけにみられるものなのだろうか。アメリカに 10 年以上も
住んだが、どこに行っても貧困の影が見られる。ストリート・ホームレスはやはり大都市
に集中しているが、小さな町にも同じく必ず見かけることができる。友人の家やモーテ
ルに留まってその日その日をしのいでいる、いわゆる隠れホームレス家族は五万といる。
2008 年に始まったファイナンシャルクライシスにより、その数は増加の一途をたどって
いる。経済大国のアメリカでは人口の 1 割(3000 万人)が貧困にあえいでいる。4500 万
人が健康保険を持たず、中には貧困のため一回の処方薬を分割して飲んでいる患者
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もいる。10 万ドル以上の給料を稼いでいる社員がごろごろいて、役員が何百万ドルも
のボーナスをもらっているような会社のビルで、掃除の従業員は労働組合を設立するこ
とも許されず健康保険ももらえず時給 6 ドルでひたすら働いている現実に容易に直面
する。先進国といわれるこの国でこんな現実を見て矛盾を感じずにいられるだろうか。
この過酷な貧困と不平等はなぜ存在するのか、なぜ一向になくならないのか。経済
発展とは何か、豊かさとは何か。そういった疑問が私が開発経済学に興味を抱いたき
っかけである。
2. 古典的な経済発展論
1980 年代までの開発経済学の焦点は概ね国の平均収入(1 人あたりの国内総生
産)であった。国の平均収入をどうしたら上げられるかを分析するためにできたのが経
済発展論である。そのなかでもいろいろな理論が作り上げられたが、ここでは簡単にそ
の特徴だけを説明する。一般に経済学でモデルと呼ぶこれらの理論では、収入の元と
なる物やサービスの生産は人々の労働と機械の利用によって可能になると考える。ここ
で重要なのは、労働と機械が密接 に関連しているということである。つまり、農業や工
業で機械をたくさん使えば、少しの労働者で同じレベルあるいはそれ以上の生産を導
き出すことが可能であるということだ。経済発展論の基本的なアイデアは、この機械の
導入 のための財政投 資や生産技術の向 上によって一人 当たりの生産 性をあげ平均
収入の上昇に結びつけるというものである。日本や他の先進国による発展途上国への
開発援助は、1980 年代まで基本的にこの経済発展論に基づく設備投資や技術協力
が中心であった。しかし発展途上国では、先進国で普及する機械や技術を使いこなす
ための知識や教育が社会全体に普及しておらず、識字率もそこまでのレベルにいたっ
ていないのが現状であった。また発展途上国 では、大多数が安月給の単純 労働者と
して従事しているため、労働市場で生産を人的労働から機械や高技術に置き換えて
いくことは、単純労働者の収入の向上に結びつかないばかりか、雇用機会さえも奪っ
てしまう。
また無償援助が基本である北欧と異なり、日本の援助は利子つきのローンが多い。
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このことは多くの発展途上国が返済不可 能であるほどの債務を負うにいたった事実と
必ずしも無関係ではない。また開発援助プロジェクトが決定されるプロセスにおいても、
発展途上国の貧困者の声が尊重されるあるいは貧困者自身がプロセスに参加すると
いうものではなく、近年にいたるまで、きわめて非民主的であったと言わざるを得ない。
これらのことは日本を始め先進国による政府開発援助(ODA)の抱える今後の課題で
ある。また、平均収入が向上した途上国においても教育や健康面において改善が見ら
れたとはいえない。これは必ずしも平均収入の向上=社会経済が豊かになるとは結び
つかないことを意味する。
3. 人間とは:原点に返って豊かさについて考える
本来人間とは、何かを知りたい、学びたいという欲求を持った生き物である。また知る
ことによって広がるさまざまな生活における選択肢がある。逆に、情報を得なければ目
の前には広がらない生活上の選択肢が沢山ある。したがって教育は人間が基本的欲
求をみたすための必須条件である。また健康 で長生きしたいという欲求は人間なら誰
しもが抱く。また健康でなければ労働生産性は落ちる。アマルティア・センは、人間が
幸せになりたいという欲求を満たすために本来持つだろう潜在能力を最大限生かしそ
の可能性を広げるにはどんな要素が必要かという観点から、平均収入とは違ったオル
ターナティブな豊かさの概念として「Capability Approach」を提唱した。センに始まった
豊 かさ と は 何 か と い う 議 論 に 基 づ い て 国 連 が 提 唱 し た の が 「 Human Development
Index(HDI)」である。これは平均 収入に加えて、教育 の分 野(識字率や学校 教育へ
の参加率)と健康の分野(出生時の予想平均寿命)の 3 つの分野を考慮し、点数の平
均値をとったものである。シンプルすぎるとはいえ、この HDI が、従来の平均収入の上
昇だけを目標にした経済発展や開発援助から、豊かさの度合いを測る尺度としてスタ
ンダード化したことは、開発経済学および開発援助にかかわる国際機関や NPO(非営
利団体)にとって転換期だったのではないだろうか。開発経済学において、教育や健
康は Human Capital と呼ばれているが、もうひとつ昨今話題に上がっているのが Social
Capital というものである。人間は本来それぞれが違った個性や才能を持って生まれ、
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これらを他者と分かち合いたいと願望するものである。つまり、人と交わりたいという願
望は、人間の基本的欲求の一つでもある。この人と交わりネットワークを築いていくこと
を Social Capital と呼んでいる。たとえば、職場での良好な人間関係は会社内の情報
交換をスムーズにするし、商工会などの業界内や異業種間のネットワークは生産コスト
を 抑 え た り 新 し い ビ ジ ネ ス 機 会 を 作 り だ し た り す る 。 経 済 学 で は こ の よ う に Social
Capital を生産におけるコスト・ベネフィットという視点から議論される。しかし人間は本
来社会性を持った生き物であると捉えて考察すると、Social Capital は生産活動をこえ
て豊かな社会経済を築くのに欠かせない一つの要素であることに気付く。近所づきあ
いや地域内の強いネットワークなど、近年日本やアメリカの大都市で消えつつあるこの
Social Capital も豊かなコミュニティー・地域社会を作っていくための大切な一つの要
素であるだろう。
4. 人々の顔が浮かび上がるような勉学
豊かさについて考察する上で人間とは本来 どういった生き物なのかを考えてみるの
は有益なことだろう。これによって現在私たちが経験している発展が本当の豊かさにか
なったものなのか、それとも非人間的な経済発展なのか、ヒントを与えてくれるかもしれ
ない。個性、自発性、知的好奇心、健康に生きようとする本能、文化的活動、社会性と
いった人間性の側面を考えて見ると、たとえばネットカフェ難民、孤独死、何万という自
殺者の存在は豊かさとは正反対の現象ではないだろうか。またデカセギ労働者、日雇
い労働者、外国人労働者等の権利を剥奪した上での生産性の向上も、たとえ経済全
体の平均収入を上昇させたとしても、豊かさとは逆の現象のように思う。駅前で『ビッグ
イシュー』(ホームレスが売る雑誌)を売っている人たちが持つ笑顔は毎朝通勤電車で
見るどんな人よりも生き生きとしていると感じてしまうのは私だけだろうか。発展途上と呼
ばれる国々では、まだ小学校低学年であろう子供たちが親の仕事を手伝うことを当然
のように受け止め、運がよければ一日一食ありつき小学校教育を終えることができる彼
らが日本という見知らぬ異国について異常なほどの好奇心を示し、また目を生き生きと
輝かせて自分たちの夢を語る。道を歩きすれ違う人に会釈すれば笑顔で返事が返っ
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てくる。こんな発展途上と私たちが呼ぶ国の人々から先進国日本に住む私たちは豊か
さについて学ぶことがたくさんあるのでは。最後に、経済学は社会科学の一つの分野
として数式を用いた理論やデータに基づいた分析を多様に駆使する。ただ本来は人
間の行動や社会現象をよりよく理解するための学問であり、理論やデータの裏には実
際に日々を生き抜こうとしている人々の存在がある。そういった人々の顔を思い浮かべ
ながら勉学に励みましょう。
5. 参考文献
一般的な教科書を 2 点あげておきます。
1.
Todaro, Michael and Stephen Smith, Economic Development, Tenth Edition,
Pearson Education, 2008
2. Ray, Debraj, Development Economics, Illustrated Edition, Princeton
University Press, 1998
1 は学部生向けの開発経済学の入門書です。洋書ですが開発経済学の大方のテー
マは載っていますので気に入った章から読んでみてもいいでしょう。2 は学部 4 年生か
ら大学院 1 年生向けです。同じく洋書ですがとてもいい教科書です。その他読んでみ
たらいい一般書やチェックしてみるといいホームページ等はたくさんありますができる限
り授業の中で紹介したいと思います。開発経済学に興味をもたれたらぜひ聴講してみ
てください。
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