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25 保育文化賞 実践論文3(PDF形式, 434.14KB)

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25 保育文化賞 実践論文3(PDF形式, 434.14KB)
京都市中京区における子育て困難家庭の実態と育児不安解消への手立て
聚楽保育所所長
仁志やよい
聚楽保育所副所長
中西佳代子
聚楽保育所拠点担当 伊藤 文
はじめに
半世紀前には,どうして普通に子育てができていたのだろう。
なぜ,こんなに子育てが難しくなってしまったのだろう。
50年前の日本では、誰が子育てをしていたのだろうか。農村でも漁村でも働き手は父
母、祖父母が子育てをしているのが普通ではなかったか。当時は地域の絆は強く、子ども
たちは自然の中で祖父母や大人たちに見守られながら地域の子どもたちと共に成長してい
た。母親はきびしい労働の後でようやく赤ちゃんを膝に乗せ,おっぱいを含ませるひと時
は子どもと母親にとって何よりも子どもがいとおしく可愛く思える至福のひと時だっただ
ろう。街中でも交通量は今よりずっと少なく,住環境も開放的で地域の中で子どもたちを
見守っていたのではないか。
祖父母や近所の人たちみんなで子育てをしていた時代には,盆、正月など何か行事があ
るたびに親戚中が集まり,近所とも繋がり,子どもたちも自然に赤ちゃんに触れる機会が
あった。
しかし現代,父や母となる世代は社会状況の変化,就労形態の変化,結婚生活の変化等
による核家族化の中で育ち,今まで一度も赤ちゃんに触れた事もなくそのまま父母になる
ことが多い。その上,今住んでいるのは,生まれ育った土地ではなく地域には知っている
人もいないという状況も珍しくはない。閉ざされたマンションの一室で、母が一人で赤ち
ゃん相手に孤独の中で奮闘している。母は子育ての情報が欲しくてインターネットを検索
するが情報は多すぎて何を信じていいか分らない。赤ちゃんに触れた事もなく,出産して
やむなく母となった。近所には親や知り合いが一人もいない中で,一人での子育ては,そ
もそもできなくて当然ではないか。今まで何の問題もなく生きてきて母となり,子育て困
難の状態になってしまったのであれば,必要な手立てがあればまた平常な状態に戻れるの
は当然の道理ではないだろうか。
地域の状況と研究の方法
中京区は京都市の中央部に位置し市役所・デパート・銀行などが立ち並び,交通の便も
良く次々とマンションが建ち、若い世代の人口が増えている。他の都市から移り住んだ人
も多く地域とのつながりが希薄である。4年制大学卒業の学歴を持ち,正職につき,経済
的には不自由のない人が多い。そんな中での子育て困難家庭とはどういうものなのか。家
庭訪問に行っての報告書,また担当者の事例を基にその実態に迫り,保育所が関連機関と
共にどのように関わりそこから抜け出したのか。その道筋を示したい。
1
聚楽保育所の在宅家庭訪問の取り組み(23年度)
平成22年より市営保育所16か所で行っている地域子育て支援拠点事業において,関
係機関と連携を図りながら,保育士が家庭訪問を行うことにより,保育士の専門性を生か
し,保護者と子どもの関係構築の援助や子育ての負担感等の緩和と育児力の向上を図ると
共に,虐待の予防や再発防止等を目的として家庭訪問事業を開始した。しかし,実績があ
げられずにいた。
一方,所長研究会では公立の役割は何だろうと考え,平成21年度より公立保育所とし
てできることはやっていこうと所長間で意思統一し,行政区でプロジェクトチームを作り
活動を始めた。23年度は聚楽保育所に異動となり,中京・右京ブロックのプロジェクト
チームで進んでいない在宅家庭訪問を進めようと提案し決定した。しかしどこに働きかけ
ていいか分らず,子育て支援センターの職員に会議を持ってもらえるように依頼し,やっ
と会議が実施できたが、実績はあるのかと問われ答えられなかった。そこで,在宅子育て
困難家庭への家庭訪問の実績を重ねようと考えた。
拠点担当職員の情報を基に,支援が必要と思われる母親に家庭訪問の希望を聞き,所長
と拠点担当職員で家庭訪問に行った。
一つの事例は,近所から「子どもの泣き声がする。虐待しているのではないか。
」と通報
され,虐待見守りとなっているケースだった。父親は公務員で母親もとてもまじめで一生
懸命自分の主義主張を持って子育てされている方だった。育児上で生じるたびたびの苦情
など涙ながらに延々と1時間ほど話した。ただ傾聴するだけでその日は終わった。
園庭開放に来て立ち話など何度かしていたが,ある日,話がしたいと事務所に訪ねてく
る。二人兄弟の幼稚園へ行っている兄が幼稚園に行かないと悩みを話する。ゆっくり話を
聞いた後,佐々木正美氏著書「子どもへのまなざし」を進めると読みますと言って持ち帰
る。次の日,兄が幼稚園に行ったと嬉しそうに弟を連れて報告に来る。10日程経って,
とても良かったと本を返しに来て,兄が行ったり行かなかったりです,と悩みを語る。あ
る時は,左利きは直したらいいのかと電話で相談がある。ある時は,近所から苦情があっ
た。ある日は幼稚園に行かなかったと園庭開放に連れてきて遊んで帰る。そんな中で母親
の気持ちが安定し,次第に来る回数が少なくなり,ある日育児書の完結編を返しに来て,
弟も幼稚園に行くようになりお弁当を作っています。お兄ちゃんの時にはお兄ちゃんのた
めにお弁当を作る事さえ苦痛でした,と話す。苦しかった過去を話せるようになっていた。
今も折にふれて,子育てに行き詰ると保育所に来られ,1時間ほど話をして帰られる。
「すごい泣き声がする。虐待しているのでは
もう1ケースは園庭開放に来ていた母親が,
ないか。
」と近所の人から警察に通報されて警察が家に来たという話を始めたため、別室で
面談をする。その後家庭訪問に行く。
新しいマンションを訪問。玄関は自動ロックになっており、新築物件だった。室内に入
2
ると8畳ほどのワンルームで、ロフトになっている。子どもは折りたたみの小さなテーブ
ルでマリービスケットを食べていた。おしめ一枚,ビスケット1枚にもお金が掛かると気
にしている。数少ない玩具や絵本は質の高い内容のものだった。
昨日,子どもが食事をこぼしホットカーペットを洗って風呂場に干してあるという。昨
日はカーペットを汚されたことで、自分の気持ちが煮詰まってしまい子どものほっぺたを
痕が付くほど叩いてしまった,と言う。
拠点担当者が子どもと遊び,所長が母親と話をした。母親の学歴に対する拘りが気にな
っていたのでそちらに話を向けると、母親の父母はある有名大学出身であること、自分も
夫も同じ大学出身であることを話す。しかし母親の父母は離婚しているため、甘えたくて
も拒否される。母親の母は子育てが終えて子どもを一人前にした後,離婚した。今は自分
の人生を歩んでいる。父親の両親とは交流がない。母親は子どもに対して,両祖父母が何
もしてくれないことを不満に思っている。
結婚して8カ月の時、突然夫は会社を辞めて帰ってきた。借金が沢山あることも分かっ
た。やり繰りをして借金を返しているのにクリスマスプレゼント等は買ってくる。金銭感
覚が違う。借金取りが来ると風呂場などに隠れていた。それまで住んでいたマンションは
出て,引っ越しした家は,古い暗い傾いている借家だった。それが嫌で今のワンルームマ
ンションに母子で引っ越した。
その後,保育所にSOSの電話が入る。
「警察が今玄関先に来ているどうしていいか分ら
ない」という。すぐ行くからと担当職員が家に行く。その後,児童相談所は助けてくれる
所だからねと話し,面談に同行し児童相談所に繋げる。4月になって,家の近くの保育所
に入所できたところで終了となる。
24年度,再び中京・右京プロジェクト会議でどうすれば在宅家庭訪問事業を進められ
るだろう。と話し合っていたところ,保健センターの係長が連携に前向きだという情報を
得る。早速,保健センターの課長を訪ねる。手が足りなくて困っていた,と話され,会議
の日程も調整して,保健センター課長・係長・係員と壬生保育所と聚楽保育所で中京区に
おける在宅家庭訪問について会議を持った。重いケースは支援センターなどで受け持って
もらっているが,気になるケースでも手が回らない状態である。そこに保育所の職員が関
わってくれるととても助かると話され,要項について話し合う。
その後,1歳半健診に担当職員が同行して発達診断の先生が家庭訪問について必要と判
断した場合,母親が家庭訪問を希望すれば単独で家庭訪問へ行く。書式を作って情報を共
有する。年に2回カンファレンスを行う。実施していく中で次々と要項に必要事項が盛り
込まれていった。壬生保育所は公営保育所のない右京担当,聚楽保育所が中京区を担当し
進めてきている。
また保健センターから依頼があり4カ月健診に出向き保育についての情報を提供してい
る。中京区の民間園の情報も集め母親たちに情報提供を行っている
3
一方、所長会では,大阪府立大学の関川教授より,プロジェクトチームでいい実践があ
れば全保育所で実施することが大切だと助言があり,アクションプランを策定し全保育所
で実施している。
例えば半日親子保育体験、親子で半日子どもと同年齢のクラスに入り生活や遊びを共に
経験し給食を親子で食べて帰る,というもの。聚楽保育所では、施設が狭いので、毎土曜
日ごとに実施している。ほとんど1歳児か0歳児の方が利用される。アンケートの結果を
見ても学びの多さが伺がえる。
全保育所で実施している一時保育補完事業においても園庭開放に来ている子育て困難家
庭の親子への支援ができないだろうか,今の人員でできる範囲で実施しようと所長会で提
案して始まった。一時保育事業をしていない保育所も全保育所でできる範囲で一時保育を
行う。聚楽保育所では全職員の協力で体制を作り,職員会議の日など月に3日ほど実施し
ている。
聚楽保育所の在宅家庭訪問について
平成 24 年度 4 月から25年9月までの聚楽保育所の拠点職員の在宅家庭訪問の実施記録
から
(1)兄弟数
(2)子どもの年齢
(3)訪問回数
(4)原因(育児困難・発達の遅れなど)
(5)連携機関
(6)その後どうなったか。どこにつながったか。どう終了したのか。
上記の項目ごとに比較を行った。
(1)兄弟がなくひとりっ子であるかどうか。
一人
15人
94%
二人
1人
6%
*集計から見えてくる事は,第一子が圧倒的に多く,94%を占める。母親の子育てへの
不安感が高いのは,初めての子どもの出産・育児であることが分かる。
4
(2)子どもの年齢
0歳
6
38%
1歳
8
50%
2歳
2
12%
*子どもの年齢については 0・1 歳児であることがほぼ90%を占める。子どもを産んで
悩みながら育てており 1 歳児の時がピークであることが分かる。
(3)訪問回数
1回
1
6%
2回
1
6%
3回
1
6%
4回
1
6%
5回以上~10回まで
5
31%
11回以上~20回まで
7
44%
*訪問回数については,継続の必要なケー
スが多い。
(4)原因
育児不安
5
23%
発達の遅れ
8
36%
母親のうつ病
5
23%
双子・三つ子
2
9%
体調不良
2
9%
*原因については,育児不安・発達の
遅れ・母親の鬱は重複している事が多
い。
5
(5)連携機関
保健センター
15
94%
1
6%
拠点
*連携先はほぼ保健センターだった。
保健センターが一番支援を必要とす
るケースについての情報を持ってい
る。
(6)その後どうなったか。どこにつながったか。どう終了したのか。
幼稚園・保育所・
2
9%
定期的一時保育利用
4
17%
子育て広場・教室など
10
44%
半日親子体験(聚楽)
3
13%
一時預かり
4
17%
*拠点担当職員が家庭訪問に行くことで,親のニーズをキャッチし,他機関へ繋げて終
了となるケースもある。
*保育所や幼稚園に入園して終了するまでに,家庭訪問の担当職員の情報提供をもとに
それぞれのニーズに合った取り組みに参加している。担当職員との関係作りから初めて一
時保育を利用し、利用することで子どもと母親が共に幸せな時間が過ごせることを実感し
始め,それをステップとして利用できるようになる。半日保育体験を利用した場合は,見
6
聞きした事すべてが学習となるようだ。結果的には保育所に入所で終了となっているがこ
のようにどの例もそこまでに色々な事業を体験している。
*定期的な一時保育利用につながったケースも母親はそのことでリズムができ穏やかな
子育てに繋がった。
*専門機関へ繋げることで救われた親子も多い。
担当職員の事例
つぎに拠点担当の職員の家庭訪問の実際の姿をエピソード記述で紹介する。
<背景>
子育て支援事業の中で,昨年度より当区の保健センターと連携を持ち,家庭訪問事業を
本格的に行っている。私が現在,訪問している家庭は7件で,学区担当の保健師から直接
依頼を受けるケースと1歳半健診時,発達心理士から直接依頼を受けるケースを担当して
いる。子育ての中で,子どもの成長発達上の不安や,直ぐに相談できる人が身近にいない
ため,母親自身がメンタル面での見守りの必要なケースで,育児支援のチームとして当地
区保健師,子ども支援センター相談員,ヘルパー,保育士が連携しながら行っているケー
スがある。
Aちゃん(女児,6か月)は,父母との三人家族。お母さんは産後体調がすぐれず,気
持ちも落ち込み,育児に対しての不安が強い状況にあるため,保健師からの依頼を受け,
保育士の訪問支援が始まった。
初回は,保健師,ヘルパー,保育士が同行訪問を行った。Aちゃんは「可愛いね」と微
笑む大人三人の顔を次々と見ながら,にっこりと微笑んだ。お母さんは少し緊張された様
子で,保健師の問いかけに言葉少なくとつとつと答えていた。
「保育士からは,離乳食や遊
びについて聞けますよ。」との保健師の言葉がけに「離乳食のことを詳しく聞きたい。」と
静かに話された。
室内は閉め切られ,きれいに整頓されている。そして母子での外出はできない状況が続
いていた。お母さんと保健師と相談し,2週間に一回の訪問となる。
エピソード
初回訪問以後,お母さんが一番気にしていた本児の離乳食について,話を聞く。お母さ
んは,
「Aちゃんのためにきちんと進めていきたいと思っているが,今は,自分で作ること
もできなくて。
」と悩んでいる様子だった。お母さんが少し先を見通しながら離乳食を安心
して進めていけるように,お母さんと相談しながらAちゃん専用の離乳食表を1か月分作
成する。また,ヘルパー,保健師と連携を密に取り合いながら,ヘルパーが作り置きして
いる本児用の冷凍の離乳食で進めていくことになった。お母さんも安心された様子だった。
ある日の訪問時,お母さんはいつもより硬い表情に見えた。そして,Aちゃんの側にう
ずくまるように座っていた。Aちゃんは,
「Aちゃん」と名前を呼びかける私の顔を『あー!
7
おばちゃん』と言うように,前回よりも柔らかい表情で笑い返してくれた。
お母さんはそんなAちゃんをじっと見つめながら「母乳をあげたいんですが,体調もすぐ
れずあまりでなくて・・・。離乳食も思うように進まないんです」と母乳と離乳食のこと
をずっと悩んでおり,次々と矢継ぎ早に尋ねてきた。
私が離乳食表を本児用に作ったことで,お母さんが『そうしなければ』という思いを募
らせたのだと感じ後悔した。私が動揺しお母さんを不安にさせてはいけないと思い,努め
て冷静を心がけ,離乳食表は気にせず進めていけるよう話した。しかし,母乳については,
どう答えたらよいのか,懸命に考えたが,
「悩まれますよね。お母さんの悩む気持ちは分か
ります。
」としか言えなかった。
Aちゃんは,
「どうしよう」と思っている私の顔とお母さんの顔を交互に見ながら,笑お
うとしながらも,不安そうな表情になったように感じた。そして,お母さんはAちゃんを
じっと見つめながら,「元気な頃にできていたことができないんです。元気な頃に戻りた
い。
」と絞り出すように話された。その悲痛な思いを聞きながら,私は頷いてお母さんの背
中を摩ることしかできなかった。そしてAちゃんを抱きしめた。
その後の訪問からは,努めて本児とのスキンシップをしっかりと持ち,向き合う時間を
多く取るようにしていった。お母さんとも相談し,週一回の訪問を行うようにした。訪問
を重ねるたびに,私を見る本児の表情が和らかくなり,泣く,笑う,くずるといろいろな
表現で気持ちを伝えるようになってきた。
この頃からAちゃんは私と遊んでいる時,
「あはっはっ」と大きな声で笑い,その後,必
ず,側に座っているお母さんに,キラキラの笑顔アイコンタクトを送るようになってきた。
お母さんはその笑顔を見つめながら,一生懸命笑い返えそうとするが,笑えず辛そうだっ
た。
Aちゃんがお母さんに笑顔でアイコンタクトを送っている時,私はAちゃんをしっかり
と見つめ,『いっぱいの気持ちを伝えているAちゃんは素敵』と感じ,「お母さん,見てく
れてるね。
」とそっと言葉を添えるようにした。
Aちゃんとの信頼関係が少しずつ出来てきた9カ月の頃,夜泣きで心身共に疲れている
お母さんに,横になってもらうよう声をかける。その繰り返しの中で,お母さんから,隣
室で寝てもよいかと問われ,そうしてもらう。お母さんは,本児に『行ってくるね』眼で
合図を送り,「お願いします。」とその場を離れる時,Aちゃんは「あっ!」という表情で
見送っていた。Aちゃんは二人だけの時間の中で,いろいろな表情を見せてくれ,お互い
の気心も分かってきた。
ある日,本児と共に出迎えてくれたお母さんは,少し笑顔で,
「Aちゃんの好きな先生き
てくれたで,大好きね。
」と言ってくれた。
「お母さんありがとう。うれしいわ。
」と答えた。
お母さんは『Aちゃんが大好きな人だから,預けて大丈夫』と一生懸命,自分を納得させ
ようとしていた。
8
お母さんに少しの時間横になってもらい,本児と一緒に遊ぶ訪問を繰り返していたある
日,お母さんはとても晴れやかな笑顔で出迎えてくれた。体調に回復が見られ,元気を取
り戻せてきていると話してくれた。また,Aちゃんの(10か月)目覚ましい成長に驚き
数々のエピソードを交えての親子3人の楽しい様子を初めて話してくれた。そして,本児
の成長をお母さんと二人で喜びあった。その様子を見ながら,Aちゃんは人さし指でおも
ちゃを細やかにくるくると回した。
「Aちゃん,くるくる回すの上手やね」私が拍手すると,
Aちゃんは得意満面の笑顔で直ぐにお母さんにアイコンタクトを送った。その瞬間,見つ
め合うAちゃんとお母さんの笑顔,そして,Aちゃんは満面の笑みで,見守っていた私に
ニコッとアイコンタクトを送りながら,嬉しそうにお母さんの胸の中に抱かれた。
<考察>
支援者として,お母さんとAちゃんをどのように支えていったらよいのか,考え取り組
んできた。お母さんの悩みにどう答えれば,お母さんが楽な気持ちになれるかを懸命に考
え,話しかけてきた。しかしお母さんの深い悩みや要求を汲み取れなかった事に気づいた。
自分の無力さを感じるたびに,励ましてくれたのは,Aちゃんの笑顔だった。そしてその
笑顔に主体はお母さんでもあるが,Aちゃんであることを教えられた。今まで,保育士と
して大切に思ってきた「子どもの思いに気づき,大切にする」という原点に立ち返らせて
くれた。お母さんが,元気になりたかったのは,本児にしてあげたいことが,たくさんあ
ったから。今,思うと本児に関わる質問ばかりだった。そして,お母さんが一番望んでい
たことは,本児と遊べない自分の代わりに,遊びながら,温かさ,やさしさで包んでほし
かったことに気づいた。
現象面だけにとらわれ,整えようとするのではなく,大切なのは,お母さんと子どもの
今の気持ちに気づくこと。今後,お母さんの病状の変化に寄り添い,関係機関との連携を
深めながら,Aちゃんとお母さんの気持ちに気づいていけるよう見守りたい。
終わりに
実際に子育て困難になってしまったお母さんに会って思う事はみんなまじめで頑張り屋
さんであった。一人目の子どもであること,地域に親や知り合いがいない事など幾つかの
条件が重なれば誰でも子育て困難に陥る,という事を実感した。親への印象は当初予想し
ていた内容とは大きく異なった。それぞれ人並み以上に優秀でそれまでの経歴も華やかだ
った。
「私ほど子育てで悩んでいる人は他に見た事がない。私のこれまでの人生でこんなに苦
しかった事はなかった。今までは努力すればそれなりに成果があった。努力すれば何でも
手に入った。でも子育ては違った。
」と語ったお母さんの言葉が印象的だった。
子育て困難な状態に陥った親子に対して,行政の一員として中京区全体の子育てに責任
を持ち,保健センターと連携して,家庭訪問に行き担当職員が親子と信頼関係を結び,一
9
時保育・半日親子保育体験そして園庭開放へと繋げていく。一時保育のための所長の面談
は育児相談のつもりでゆっくり時間をとる。次に実際に利用日が決まるとその日に保育す
る保育士が保育に際し必要な子どもの特徴の聞き取り,その日の食事の内容,アレルギー
の有無,食事形態に配慮の有無,持ち物など保護者と事前の受け入れ準備の話をする。そ
の保育士と一緒に1対1で年齢クラスに入る。子どもが泣いても1対1なので丁寧な対応
ができる。そしてその日の子どもの様子を母親に丁寧に伝える。次に半日親子保育体験を
進め、一緒に半日同年齢クラスで過ごし親子で昼食を食べて貰う。このように一緒に過ご
す中で同じ年齢の子どもたちがどのように遊ぶのか,どんな玩具で遊ぶのか大人がどんな
ふうに関わるのか、手洗い,排泄,食事など、一つ一つが保護者の学びとなる。土曜日で
出席数も少なく、色々な点で担任が質問をうけても丁寧に答えることができる。保育所で
多くの職員が関わることで,関係性が深まり園庭開放にも自分から来る事ができるように
なれば家庭訪問は卒業という事になる。保育所で拠点事業をする事の意味はここにある。
親子にとって,モデルがあるという事が大事だ。
園庭開放に自分で来る事ができるようになると家庭訪問は卒業だ。しかしなかなか卒業
までの道のりは険しく,家庭訪問が10回20回と重なる親子が多い。それだけ傷が深い
という事だろう。そこでもっと早い時期(0歳児・妊婦)への働きかけを強めている。困
った時に直ぐに信頼して相談できる保育士がいれば,きっと子育て困難には陥らずに済ん
だだろう,と考えている。
園庭開放は副所長を中心に子育て委員会を立ち上げ,月曜日から土曜日まで毎日行って
いるが,週一回は担当職員が保育所にいて「0歳児のひろば」を開いている。午前と午後
に設定していつでもだれでも自由に来る事が出来るようにしている。0歳児前半期は子ど
もの動きも少ないので,室内で親を中心にいろいろ情報交換をしたり,子育ての疑問を保
育士に聞いたり,親同士の友だち作りの場となっている。中京区の中での子育て広場の少
ない東部地域に民間保育園や地域の民生委員・主任児童委員と協同で親の居場所づくりを
進めている。出産前の妊婦へのプレパパ・ママ事業も助産院や産科病院の協力をもらいな
がら進めている。
中京区の子育てを街づくりの視点で進め,安心して出産し子育てできる街となるように,
行政の一員として自覚を持って出来ることを実践していきたい。
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