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抄録(PDF 191KB)

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抄録(PDF 191KB)
☆ 有徳塾 開塾記念の公開講座
(2001 年 12 月 7 日、南日本新聞社みなみホールにて)
川勝平太教授の講演「21 世紀 地方の役割」より
文明を語ることの意義について
(前略)
………文明ということで、少し先走ったことを申し上げますと、お隣の中国は黄河文
明というものを築き上げました。しかし最近、私どもの国際日本文化研究センターで、
日中の共同研究が進みまして、黄河文明のほかに揚子江文明、あるいは長江文明と呼ば
れるものがあったという証拠が固まってきております。
これは稲作と漁業を中心にした文明で、麦などの雑穀と牧畜を中心にした黄河文明と
は異なる文明です。さらにいえば、森を伐採して放牧するのでなく森が川を育む、川が
水田を可能にするという森の文明である。
このことは中国の教科書にはまだ書かれておりませんが、先日、京都でその研究成果
が発表されまして、文部省が注目し京セラの稲盛和夫さんも支援してくださっている。
中国政府もその存在には注目しているようですが、政府として前面に出しづらいという
面もあるようです。というのは、その存在を認めたら二つの中国論に結びつきかねない
という危惧がある。
これが教科書にのると、これまでの四大文明に長江文明が加わって五大文明というこ
とになります。その長江文明の連続線上にあるのが、国分上野原であり、共同研究を指
導された安田喜憲先生のお話によりますと、上野原の弥生式土器と間違えられた壷型土
器は、長江で発掘された土器を見れば一目瞭然、これは一体であったということが分か
るそうです。
そうだとすれば、人類がつくりだした最初の文明見直しの中で上野原、南九州が注目
されるはずで、お楽しみにしておいて下さい。つまり、これまで三内丸山との関係で語
られた南九州が、人類の文明論の中で見直されるということであり、数千年、数万年規
模の文明レンジを含めて、今われわれは文明を語るべき時代に来ていると思います。
もう一つ文明を語る意義は、9 月 11 日の同時多発テロの直後、アメリカのブッシュ
大統領は「civilized people、civilized society 、civilized world 、文明人、文明社会に
対する evil doers からの、non-civilized group、イスラム原理主義からの挑戦である」
といいました。これは、
「文明の名において evil をなすものを裁く、それによって報復
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テロを可能にする」という大義名分です。Evil doers という言い方は、かつてドナルド・
リーガンが大統領のときに、ロシアソビエトのことを「Evil empire」といったのを覚
えているでしょうか。悪の帝国と戦うことは意義がある。言い換えれば、アメリカの方
に善があり、Evil empire と戦うことに意義がある。他方(ソビエト)も善と考えてい
ましたから、二つの独善でしょうが、ともかく文明と悪の帝国との戦いであるという考
え方です。
もっと遡りますと、「これは文明の野蛮に対する戦いであり、世界を破滅から救うた
めに、文明は断固たる戦いを開始する」。1946 年の極東裁判、東京裁判首席判事のジョ
セフ・キーガン氏が、あの長大な論告、冒頭陳述の最初のパラグラフで述べた言葉です。
この裁判で日本は「文明」の名において「野蛮」として裁かれたということです。この
論理は、戦後、アメリカが日本や旧ソビエト、そして現代のイスラム原理主義、あるい
はビン・ラービン氏のグループに対して使っている議論と同じであると思うわけです。
そういたしますと、われわれは野蛮であったのか。
それこそ明治の初めから、日本は西洋の文明を目指すことを国家目標としてきました。
福沢諭吉は「学問のすすめ」や「文明論の概略」、あるいは最晩年の「福翁自伝」で、
このことを明瞭に何度も述べておられる。
王政復古がなった日本では、「国学を大事にしなければならない、歌を詠まなければ
ならない」という古来の学問を大切にする動きがあり、他方では孟子や孔子、大学、中
庸などの漢学を学ぶべきであるという意見もありました。これに対して福沢諭吉は、明
治 5 年初めに「学問のすすめ」を書いて、
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人を
つくらず」と述べたすぐ後に続けて、「国学者を見られよ。国学者のよすぎはへたくそ
である。論語、漢学者もまた、同然である」。これから必要なのは物理学であり、法学
であり、医学、あるいは経済学であり、法律である。つまり実学が大事であり、洋学を
学ばなければならないということを明瞭にいっている。
この思想を受けて、今日の教育制度のもとになった日本の学制・学問のシステム(明
治 5 年秋に施行)は、
「国学や漢学は一切入れない。洋学だけでやっていく」という方
針をたてた。この方針について、文部省の大臣であった江藤新平は「西洋の文物の丸写
しをもって施行するものなり」といっている。文明を「野蛮」
「半開」
「文明」の三段階
に分け、日本は野蛮ではないがトルコと同じ「半開」の状態にあるので、早く「文明」
の段階に持っていかなければならない。そのために、お抱えの外国人を雇いいれ、翻訳
本によって日本語になおし、それを大学、中学、小学校で教えていくという手順も示し
ている。
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江藤は 1900 年に他界しますが、晩年に「西洋文明を入れることが自分の人生の本懐
であった。これが達成でき、もう安心して死ねる」と述懐しています。その 2 年後の
1902 年に、日本は日英同盟を結び、英国を範に文明国をめざし、条約を二回、三回と
改訂していく。その都度、日本の地位はイギリスと対等になり、先の大戦では世界に冠
たるイギリスの東洋艦隊の最新鋭主力艦プリンス・オブ・ウエールズ、レパルスを沈め
て、イギリスを振るえあがらせた。個別的にいえば、日本はイギリスに勝ったといえる
でしょう。
イギリスのような富国強兵の国、つまり大英帝国に匹敵するような大日本帝国をつく
ることを目標にし、ようやく文明国の仲間入りをしたと思った途端、日本はアメリカか
ら野蛮人として裁かれることになったわけです。こういいますと、何かアメリアを批判
するようにも見えますが、アメリカ人の中にも、たとえばミアーズという人がいます。
この人は戦前日本に来た学者ですが、戦後「アメリカの鏡」という本を書いた。この中
で「日本はアメリカの鏡である。日本がやっていることは、アメリカがやっていること
と同じである。それを裁くことができますか」と書いて、マッカーサーから発禁処分に
されたことがあります。
ともかく、日本は文明の名においてアメリカから裁かれ、ロシアは敵視され、イスラ
ム原理主義者は報復攻撃をうけているとしたら、われわれには文明というものについて
十分考えるべき理由があるはずです。
(後略)
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