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Title 子どもの心理療法の研究法の必要性に関する
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子どもの心理療法の研究法の必要性に関する一考察 : 事
例研究の歴史とその展望
松本, 拓真
大阪大学教育学年報. 15 P.45-P.55
2010-03-31
Text Version publisher
URL
http://doi.org/10.18910/5161
DOI
10.18910/5161
Rights
Osaka University
45
大阪大学教育学年報 第 15 号
Annals of Educational Studies Vol. 15
子どもの心理療法の研究法の必要性に関する一考察
事例研究の歴史とその展望 松 本 拓 真
【要旨】
この論文は,子どもの心理療法の研究法について検討し,そこで必要とされるものを示すことを目的とし
ている。現代の子どもの置かれている状況と,子どもを支える制度は大きく変化している。その中で,子ど
もの心理療法が子どもを支援するための有効な資源であることを主張するために,研究によって外部に伝え
ていく事が求められるだろう。本論文では,まず心理療法の研究として広く用いられてきた事例研究を臨床
心理学以外の学問から問い直す。これまで事例研究は普遍性や厳密性から批判を受けることがあった。しか
し,社会学や心理学が量的な研究から質的な研究にも光を当てるというシフトをしていて,現実の主観と主
観の重なりを忠実に記述する事例研究も科学の一つと考えられるだろう。しかし,その検証のためには臨床
心理学も他の分野の研究法から学び,外的な量的・質的な尺度を利用する必要があると考えられる。そこで
日本よりも先駆的なイギリスの子どもの心理療法の研究の試みを紹介し,日本の子どもの心理療法の研究法
の新たな展望を示す。
Ⅰ はじめに 子どもを支えるために必要なこと 1.子どもを支えるための環境
人は誰もが子どもから大人になる。子どもは自分だけで生活を営むことが出来ないので,必然的に周囲の
大人や社会が子どもにとって適切な環境を整えなくてはならない。臨床心理学がその適切な環境の 1 つであ
ることを主張するためには,子どもの心理療法を対象とした研究法を確立することが不可欠であろう。本研
究は,その一助となることを目的としている。
幸せな子ども時代を送るため,親や社会が子どもを守らなくてはならないことは,1959年に国際連合で採
択された“子どもの権利宣言” に根拠を求めるまでもなく,今では自明のことと考えられている。しかし,
理想と現実は大きく異なる。世話をするはずの親やその他の大人から虐待やネグレクトを経験した子どもの
数は減少していない。厚生労働省の統計によると平成20年度の児童相談所が受けた児童虐待の相談件数は
42664件と軽視できる数字ではなく,年々増加している。BowlbyはWHOの要請を受けて戦争孤児や施設や
里親で育てられた子どもを調査した結果,不適切な養育が子どもの発達に重篤な影響を及ぼすという「母性
的養育の喪失」(Bowlby 訳書1967, 2 頁)を記述した。その後Bowlbyが提唱した,親子関係の重要性を
示唆する「アタッチメント理論」(Bowlby 1969)に基づいた研究が広く行われ,乳児期の親へのアタッチ
メントがその後の対人関係や養育行動などに大きな影響を及ぼすことが実証されている(Georgeら 1999,
数井ら 2000,Watersら 2000)。これは子どもの頃に不適切な養育環境にいる人を支援し,適切な環境を
整える事がいかに重要かを示す結果となっている。
再校
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松 本 拓 真
2.支援が必要な子どもと臨床心理学的な支援
心の困難を抱えているのは不適切な養育を受けている子どもだけではない。生得的もしくは二次的な障害
を持ち,困難を抱えている子どもも多い。発達障害に目を向けると,2002年に発達障害の実態を調べること
を目的として文部科学省により実施された全国調査では,通常の学級の児童生徒のうちの6.3%が学習や生
活において困難を抱えていることが教師より報告されている。これは児童精神科医が広汎性発達障害・学習
障害・注意欠陥多動性障害と診断したわけではないので,子どもたちの 6 %が広義の発達障害を有している
ことを意味しているわけではない。ただ,診断がないとしても,学校の教師にそれだけの数の子どもが困難
を抱えているように見えているという事実は私たちに大きな衝撃を与えるものである。
また,発達障害以外にも,身体的な障害や,慢性の病気と闘っている子どもなど,困難を抱えながら生き
ている子どもは数え上げればきりがない。そのような現状に対して,まずは社会的な制度を整えていくこと
が不可欠であろう。制度の整備によって,早期発見やその後の支援の体制を整え,そこから後の問題を防ぐ
ことが可能になる。しかし,制度の整備だけでは,今傷ついているその子どもの心を支えることは難しい。
臨床心理学は,そのような一人一人の子どもの心の困難と向き合い,その子どもがより良い生活をおくる一
助となるための学問である。
臨床心理学における子どもの支援のための中心的な方法の一つに,セラピストと子どもが堅固な構造で守
られた面接室で出会い,成長していく心理療法という手法がある。子どもの心理療法は,子どもに精神分析
を適用したKlein(1932)や,クライエント中心療法の考えを援用したAxline(1947)などの影響を受け,
日本でも多くの臨床家が子どもの心理療法を行っている。
3.子どもを取り巻く制度の大きな転換と子どもの心理療法の研究の必要性
近年,日本での子どもを取り巻く制度が大きく転換しつつある。先ほど発達障害の例を挙げたが,2006年
の学校教育法等の一部を改正する法律案が可決され,2007年 4 月よりこれまでの特殊教育の代わりに特別支
援教育が始まっている。この法律改正は,これまでの障害区分をなくし,それぞれの子どものニーズに合わ
せた支援を行うことを目的としている。学校現場には大きな混乱が生じているものの,子どもの個別なニー
ズに関心が向くという方向自体は子どもの福祉から考えると望ましいと考えられるだろう。また,2009年の
衆議院選挙で民主党が与党となり,
“子ども手当て”
を筆頭に子どもに対する政策の大きな変更が予想される。
子どもの心理療法もこのような転換点と無関係ではいられないだろう。心理療法は,それを受けるクライ
エントが実際に価値を実感することが最も重要として,これまでは対外的にその価値を伝えることに重きを
置いてこなかった。つまり,技法の改善や新たなアプローチの発見というような研究は行われてきたが,そ
こで何が起こっていて,どのように子どもの役に立っているかを説得力のある形で示す体系的な研究がほと
んど行われてこなかった。
子どもの心理療法では,クライエントである子どもの一人一人の個別的な特徴を尊重し,その子どもごと
のプロセスをたどって改善に向かうことが多い。そこには画一的な解決法はないため,臨床心理学における
研究は,多くは単一事例の事例研究によるものであった。一つ一つの事例に真摯に向かい合い,その子ども
の心を詳細に記述し,そこから深く学ぶことによって,他の子どもとの心理療法に活きることが出てくると
考えられてきた。しかし,そのような研究の科学性について異論がないわけではない。本研究では,子ども
の心理療法の事例研究を実りのあるものとするために,必要なことは何かを論じていく。そこで,まず社会
学や臨床心理学以外の心理学が,事例研究をどのように捉えているのかを述べることで,全体の学問の中で
再校
臨床心理学の事例研究がどのような位置づけにあるのかを示したいと思う。
子どもの心理療法の研究法の必要性に関する一考察
―事例研究の歴史とその展望―
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Ⅱ 事例研究の歴史
1.科学的な研究法としての事例研究
事例研究を科学的な研究法の一つとしての考えた時に,よく耳にする批判は普遍性の乏しさに関するもの
であろう。事例研究は一つの事例(個人の場合もあれば,グループの場合もある)を詳細に観察し,個々が
経験する多様な現象を多様性を維持したまま記述できるという利点がある。実験的に条件を統制し,測定可
能な変数として特定の部分にだけ注目するといった方法を避け,
生きている人間を生きているまま記述する。
ただ,その方法は測定可能なものを研究の対象としてきたこれまでの科学からは当然批判されるものである。
しかし,意外にも科学の発展には,事例から学んだことが寄与していることが多い。Newtonは果物が木
から落ちるという事例から万有引力の法則を考え出したという説がある。行動主義と呼ばれ,測定可能な科
学の中心的な人物の一人とも言われるWatsonも,恐怖の情緒の条件付けを論じる上で,Albert坊やの事例
を利用している(Watson & Rayner 1920)
。これらの研究はその後に客観的な方法を用いて実証されてい
ることを忘れてはならないが,事例研究が実証的な研究とは別の利点を持っていることが理解できるだろう。
人間が新しい理論の定式化に至る前には,個別の事例に目を向けることから,ひらめきを得ていることが多
いのだろう。
心理学の中での事例研究に話を移す前に,
社会学における事例研究の位置づけの変遷について触れておく。
先ほど,事例研究には理論の定式化のためのひらめきを提供するという側面があるいことを示唆したが,社
会学の中でも同様の考えがあった。Midgley(2006)は社会学における事例研究の歴史をレビューして次の
ように述べている。社会学においても事例研究は20世紀の始めまでは重要な位置を占めていた。しかし,
1935年のアメリカ社会学会(American Sociological Society)において,Columbia大学の学者が事例研究は
普遍性と厳密さに欠けるとして,事例研究の使用を予備的な調査に限るべきだと主張した。この会議が転換
点となり,アメリカからその他の国まで量的な研究と実証主義が広まっていき,事例研究は軽視され,実証
に至る以前の仮説生成的な研究に限られていく。その後,無作為比較の方法でグループに焦点を当てた量的
な研究が中心となっていくのだが,このアプローチのみでは限界が見え始めてくる。そして,
「社会学の研
究における事例研究のルネッサンス」(Midgley 2006,p126)が起こり,実験的研究によるものではなく
ても,事例研究が適切な基準をもった方法で評価するのであれば,社会学の正統な方法であると論じられる
ようになってきているという。そこでは,事例研究は予備的な方法としての地位ではなく,ある原因から生
じた影響やメカニズムを研究するのに意味のある研究法としばしば見なされるようになっている。
このような歴史的な背景から,社会学では量的で証拠に基づいた研究の評価は保たれながらも,徐々に質
的な研究法にも光が当たるようになってきている。質的研究には,それまでの現象を切り取って測定可能な
ものを対象にしてきた量的な研究と実際の現象との間のギャップを埋めることが期待されている。社会学に
おいて量的な研究から質的な研究へと関心が移っていく様は,心理学においても同様に見られている。次に
心理学の研究法として質的研究がどのような役割を果たしているかを検討し,さらに心理学の中での事例研
究の位置づけについて触れたいと思う。
2.心理学の中での質的研究法と事例研究
心理学を意識の学としようとしたWundtから,行動の学としようとしたWatsonらの行動主義への移行を
受けて,近年までの心理学は実験や統計などの量的な研究が中心的であった。量的な研究は,ある現象を一
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定の基準を持った尺度によって計測することで,ある特徴が多い・少ない,もしくは増加する・減少すると
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松 本 拓 真
いった結果を目に見えて示すことが出来るという利点がある。ただ,
量的な研究においては,
その量的なデー
タを得るための尺度が,測定しようとしている現象の質を正確に捉えていることが前提として重要となり,
“信頼性”・“妥当性”を常に問わなくてはならない。武藤(2004)が指摘するように,量的な研究も「量を
通して質に迫ろうとしている」( 3 頁)のであり,現象を詳細に記述する質的な研究と現象の質が母集団全
体に当てはまるかを検証する量的な研究は相互に有機的な関係を持ち続けなくてはならない。
ここで日本の心理学において,どのように質的研究が登場し,発展してきたのかという歴史に触れておき
たいと思う。サトウ(2004)は,日本での質的な研究が隆盛となる契機の年として,箕浦康子の『子供の異
文化体験』と佐藤郁哉の『暴走族のエスノグラフィー』が出版された1984年を挙げている。さらに,サトウ
(2004)は学会の動きとして,第58回日本心理学会(1994年)以降に“定性的研究の実際”という一連の発
表が継続し,質的心理学に関する議論が活発になったこと,2004年に日本質的心理学会が発足するに至った
ことを,質的心理学の展開として紹介している。
そのように心理学の研究の領域で質的な研究法が勢いを増しているという顕在的な転換の原動力となった
人間観や認識論の変化はどのようなものなのであろうか。やまだ(2004)は,質的研究が発展する基盤とし
て,「客観主義の基盤になってきた「素朴実在論」への懐疑」と「観察者と観察対象の相互作用や社会的相
互行為の重視」(11頁)の影響を挙げている。つまり,観察する対象と観察者が独立していると見なす,
“主
観”と“客観”の二分法への懐疑を示し,観察対象をより現実(リアリティ)に近い形で観察するためには,
その社会的な文脈や他者(観察者を含めた)との関係を見ていくことが重要と考えられるようになった。確
かに,言葉を例に挙げても,他者との関係を抜きに考えることが出来ない。言葉は,乳児期までの養育者と
の相互の関係を基盤に発達し,その後も語る相手を必要とし続ける。この論文のような客観的と考えられる
文章ですら,読者はそれぞれに違った印象を抱くだろう。それは読者ごとのこれまでの経験の多様性を考え
れば容易に納得できる。能智(2006)は質的心理学の発展に密接に関わってきた“語り”
“ナラティブ”の
概念を整理するなかで,ナラティブには真偽の判断が可能な内容としての「物語世界」と聞き手に対する働
きかけである「ストーリー領域」が図と地のような関係で存在していると述べている(44~49頁)
。つまり,
言葉が生じる現象に忠実であろうとするならば,語った内容だけでなく,それが聞くものの主観にどう影響
を与えるのかも考える必要がある。それは音声を伴った言葉と同様に,非言語的なコミュニケーションに関
しても同じことが言える。やまだ(1987)は,自分の子どもを自然な状況で観察し,自分の関わりも含めて
記録したものをデータとすることで,言葉が出てくるまでのプロセスを現象に忠実に描きだしている。その
研究法は客観性や一般化の観点からは批判される面があるかもしれないが,人間が自分の主観と他者の主観
が織り成す響き合いの中で生活し,発達を遂げていくということを考えれば,その研究がいかにリアリティ
を記述したものかが頷けるであろう。つまり,質的研究は人と人が相互に影響を及ぼしながら生活するとい
う自然な営みから学ぶことが出来るというメリットがある。
ここで再び事例研究に着目していこうと思う。先ほど述べた自分の子どもを対象に研究を行ったやまだ
(1987)は,その研究は一人の子どもの行動観察を基にしているが,
その子どもの個性を多角的に記述する「い
わゆる事例研究」ではなく,一般的・普遍的なことばが生まれるすじみちを調べることを目標にしていると
述べている(12頁)。それを説明するための例として恋愛を挙げ,多くの相手と恋愛することだけが恋につ
いて知るために必要なのではなく,一人の相手と大恋愛をすることも重要として,
“個”から“普遍”に到
達する方法の重要性を示唆している。この指摘は臨床心理学の事例研究を考える上で非常に興味深い視点を
与えてくれる。確かに臨床心理学の事例研究は,クライエントの個性とセラピストとの関係という事例ごと
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の特徴を記述することに主な目的が置かれていることも多い。しかし,
臨床心理学の事例研究は本当に“個”
子どもの心理療法の研究法の必要性に関する一考察
―事例研究の歴史とその展望―
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だけに注目してきたのだろうか。
3.臨床心理学による事例研究
河合(2001)も指摘するように,事例研究は臨床心理学の研究法の中心を占めている。なるべく多くの人
に当てはまるような現象を記述しようとする他の心理学と比べて,悩みを抱えた 1 人にでも当てはまる現象
を記述することに意義がある臨床心理学の性質からも,事例研究中心となることは自然であろう。しかし,
事例研究は事例の個性のみを記述することに限られているわけではない。山本(2001)は,単なる実践を報
告しただけの事例報告と区別し,事例研究は「何らかの新しい知見を事例を通して語らしめる」
(16頁)こ
とが重要だとしている。つまり,臨床心理学における事例研究は事例の個別性に寄り添い,詳細な記述を試
み,解釈を重ねることで,その事例以外へと一般化できる理論を構築することを目指している。臨床心理学
の原点の精神分析に注目してみても,Freudも事例の考察を通して精神分析理論を構築するという事例研究
による理論化が行われているのである。
しかし,セラピストの主観が混じった事例の記述と解釈から新しい理論を築き,一般化を行おうとする臨
床心理学的な研究に対して,他の領域からの批判も多い。哲学者の中村(1984)は,そのような批判は対象
を自分から切り離して客観的に分析する科学の知によるもので,学問的な知には近代科学とは異なる「臨床
の知」(186頁)という新たな科学があるとしている。河合(1992)は,臨床心理学は「臨床の知」を大切に
し,そのために主体者の体験を重視する必要があると述べている。そして斉藤(2008)は河合の事例研究観
の変遷をたどり,現代科学のパラダイムである「知識利用研究」と「物語研究」が臨床心理学の事例研究と
強い親和性を持っていて,「自然科学の知」も「臨床の知」も複数の科学的な知の一つに過ぎないと述べて
いる(30頁)。さらに,河合(2001)は,臨床心理学の事例研究がもたらす普遍性について,全く同様に別
の事例にも適用できるようなものではなく,報告者の主観を含んだ発表から読み手自身の主観を用いて類比
する状況に適用するという,主観を通じてしか伝えられない「間主観的普遍性」という言葉を提起している。
つまり,臨床心理学の事例研究では,研究者がその事例で経験した主観をデータの一つとし,それが読み手
の主観に訴え,何らかの新しい知見を生じさせることが重要であると言える。主観の重要性を実感するため
に,心理療法場面をイメージすることで具体的に考えてみたいと思う。心理療法では,クライエントは自分
が抱えてきた傷をセラピストに対して表現する。その時に私たちは鷲田(1999)が『聴くことの力』で述べ
たように,自分には客観的には傷はないのに,相手の傷と無関係でいることができない。悲惨な話(大切な
人と死別した,失恋した,暴力を受けたなど)をされた時,セラピストには自分の話かのように主観的に傷
が経験されることが,心理療法のプロセスの第一歩であり,重要な局面なのである。このように心理療法が
主観と主観の重なり合いによって展開していくため,心理療法の研究である事例研究も主観を扱うことが重
要なのである。
ここまで臨床心理学の研究が,臨床の知として科学の一つであることを論じてきたが,中村(1984)も述
べているように,自然科学の知に比べて臨床の知は評価することが難しい。ただ,その困難を解消するため
の方法は中村の記述の中にあると考えられる。それによると,経験や観察の記述は曖昧さを含んでいるため
正しさを判断することが難しいと考えるのは近代の知に囚われている証拠であり,
「観察し感じとったもの
を言語によって記述した場合,その記述は,ある程度永い期間にわたって多くの人々の検証にさらされれば,
それが正しいか正しくないか,どこまで信頼できるかを判定することは十分可能」
(中村 1984,190頁)だ
とされている。評価に必要なある程度の期間と多くの人々による検証を得るためには,どのような方法があ
再校
るだろうか。筆者は以下の 2 つの方法が挙げられると考えている。
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松 本 拓 真
①新しい知見を心理療法の実践を通して検証する
②外的な質的・量的な尺度によって,新しい知見が適切か検証する
第 1 の心理療法の実践による検証は,以前から自然と行われてきた検証方法である。
“臨床”と名前が付
いている通り,臨床心理学はクライエントと実際に向かい合うことで発展してきた学問であり,実践と理論
化の往復が常に繰り返される。理論はセラピストがそれぞれのクライエントと出会うための指針として存在
するのと同時に,クライエントの利益とならなくてはならない。そのため,たとえある新しい知見をセラピ
スト側が高い評価をしたとしても,それがクライエントのためにならないのであれば,自然とその知見は忘
れ去られていく。また,事例研究に発展していくプロセスを微視的に見ていくと,セラピストはそのクライ
エントに対する仮説と検証を毎回の面接ごとに行っているし,さらに細かく見ると分刻み,秒刻みでの仮説
生成と検証のプロセスがあると言えるだろう。そう考えると,面接の過程を事例研究にするためには,その
面接の実施期間が 1 年の面接であっても, 1 年という十分に長い期間をかけた評価が行われていると言える
だろう。さらに,臨床心理士の実践には,スーパービジョンという熟練の臨床家に相談し助言を受けるとい
う機会もある。特に精神分析的に心理療法を行う場合には,担当する事例のスーパービジョンを受けるだけ
ではなく,セラピスト自らが精神分析を受ける個人分析も経験することによって,自分自身の要因によって
現象を色眼鏡で見てしまうことに,より意識的でいることが求められる。その上,事例研究で新しい知見を
描き出す時には,先人の知見と比較するということも自分の経験を検証する働きを持っているだろう。つま
り,これまでの臨床心理学の実践と研究には,起こっていることを何重にも検証するシステムがすでに存在
している。
しかし,第 2 の方法による事例研究の検証はどうだろうか。臨床心理学の事例研究は,その個別的なプロ
セスを記述することに重点があり,解釈学に根ざした事例研究がほとんどであったように思われる。社会学
や心理学が事例研究の意義を見直し,臨床の知の方に近づいてきているのに,臨床心理学の方が社会学や心
理学のこれまでの知見から何も学ばないのは非常に勿体ないことである。臨床心理学の事例研究は,これま
での個を解釈学的に記述するような方法に加えて,
検証のために社会学や心理学が発展させてきている量的・
質的な研究法から様々なことを学ぶ必要があるのだろう。
Ⅲ 子どもの心理療法の事例研究のこれまで
1.子どもの心理療法に注目する意義
ここまで臨床心理学の事例研究の現状と課題について論じてきたが,次に心理療法の中でも子どもの心理
療法に目を向けることの意義について論じていきたいと思う。本論文のⅠ章で筆者が主張したように,子ど
もの置かれている状況には様々な支援が必要である。これから社会が情報化,多様化していくにつれて,子
どもを支援する方法も数多くの方法が主張されてくるようになるだろう。そこで子どもを取り巻く制度は,
社会情勢が不安定となっている現在ではどのように変化するか予測がつかない状況である。その中で臨床心
理学もいかに有効な資源かということを主張する必要に迫られているのではないだろうか。このような現状
からも,子どもの心理療法の研究法を確立するための研究が望まれていると言えるだろう。
筆者はこれまでも子どもの心理療法について研究し,修士論文では事例研究によって心理療法における関
係の変化をアタッチメント理論の知見を利用して把握するという研究を行い,アタッチメント理論の安全基
地という概念について,子どもの心理療法では「内面で機能する安全基地」と「顕在的な安全基地」の 2 水
再校
準で理解する事が有用であることを報告した(松本,2006)
。そこでは3つの子どもの事例を複合的に検討す
子どもの心理療法の研究法の必要性に関する一考察
―事例研究の歴史とその展望―
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る事で,得られた知見の普遍性にも配慮した。しかし,分析を子どもの「行動」
「象徴的な表現」
「セラピス
トの逆転移」という 3 つの視点から行ってはいたものの,明確な基準に基づいて行ったわけではなく,解釈
学的な研究に留まっていた。
日本に目を向けてみると,山本ら(2001)や斉藤(2008)など2000年を過ぎたあたりから,事例研究が科
学の研究として成立するような方法を目指すための指摘はなされるようになってきている。しかし,まだそ
のような試みは始まったばかりである。さらに,子どもの心理療法に限定すると,事例研究の研究法に言及
した研究はほとんど見当たらない。子どもの心理療法の研究を難しくさせる要因として,子どもと成人の心
理療法から得られるデータの違いが影響しているようである。成人の心理療法はある程度客観的に把握可能
な言語を主なデータとすることが出来る。一方,子どもの心理療法は“プレイセラピー”と呼ばれることも
あるように,言葉での表現が難しいとされ,遊びがデータとなる。遊びを客観的に言葉にすることは難しい。
なぜなら,遊びのような行動を言葉で記述する際には客観的な記述が難しくなるという記述上の問題と,遊
びが相互の主観の重なり合いによって成立するという遊びの本質による問題があるからである。このように
困難とされる子どもの心理療法の研究に,日本以外ではどのような取り組みがなされているのだろうか。
2.イギリスでの研究
日本では子どもの心理療法の研究法に関する研究はほとんど見られてないが,イギリスではいくつかの研
究が見られ,2009年にはChild Psychotherapy and Researchという一冊の本も出版されている。イギリスは,
現代の子どもの心理療法の土台ともなっているMelanie KleinとAnna Freudの論争が起こった土地でもあ
り,その後のイギリスの精神分析は,大人と会って過去を振り返って推測するという理論化ではなく,子ど
もを対象とした精神分析を行い,直接子どもの心と向き合うことで様々な知見を提起している。その知見は,
子どもの心理療法だけでなく大人の心理療法への波及的な効果も持ち,イギリスの精神分析は発展してきて
いる。また,イギリスではNHSという公的なサービスで必要な子どもに心理療法が無料で提供されるとい
うシステムが早くから整えられてきた。ただ,最近では子どもの心理療法が本当に子どものためになってい
るのかという財政的な問い直しが起こってきているため,イギリスでは公的な監査に耐え得る研究法の構築
の試みが促進されたのだろう。平井(2009)はイギリスの子どもに対する精神分析的な心理療法は福祉の理
念のもとに展開し,精神分析が裕福なエリート階級に適用されるのではなく,社会的・経済的に不利な立場
にある子どもたちへの援助の一つとして展開したと述べている( 3 頁)
。日本においても,心理療法を必要
としている子どもは裕福な層の子どもだけではなく,
社会的に不利な立場にある子どもが多いと考えられる。
以上の点から,日本の臨床心理学がイギリスの子どもの心理療法の研究から学ぶ点は多くあると考えられる。
本論文では,2009年にイギリスで出版されたChild Psychotherapy and Researchの一部を表 1 に紹介する。
この本は全 4 部で構成されていて,それぞれ“子どもの心理療法の研究の概論”
“プロセス研究”
“結果と臨
床的な有効性の研究”“他職種と協働したアプローチ”について書かれている。ここで紹介するのは,
“プロ
セス研究”の部分である。この部分では,子どもの心理療法のプロセスにおいて,
なぜ(why)
,
いかに(how)
変化が起こるのかを明らかにしようとしている。そのために,これまでの事例研究を発展させ,その他の明
確な基準のある測定法と組み合わせる方法を模索しているのである。
表 1 では,左列に著者と採用した方法を挙げている。ここに着目すると, 4 つの論文がこれまでの事例研
究を発展させるために,様々な方法を採用しようと試みていることがわかる。Ⅱ章で臨床心理学の事例研究
の検証のために必要と指摘した,外的な質的・量的な尺度を用いた研究がイギリスでは行われている。しか
再校
し,Moranら(2009)の研究は尿中のブドウ糖の数値という身体的で測定可能な値を変数として用いている
52
松 本 拓 真
表 1 Child Psychotherapy and Research(Midgley ら 2009)で紹介された
子どもの心理療法のプロセスの研究法の一覧 著者と採用した方法
内 容
Philps, J.
公的ケアを受けている 2 人の子どもに従来の「解釈的な科学」による事例研究を行っ
た後,外的な質的・量的な研究方法を適用し,外的な監査に対しても心理療法のプロ
①「対人関係プロフィール」 セスを明らかにすることが目的である。「対人関係プロフィール」は,成人の面接の
(Hobson, Patrick, Valentine ビデオの記録を見て,30項目を 5 件法で採点する方法で,高得点なほど抑うつ的な心
1998)
の状態ではなく,妄想-分裂的な心の状態であるとされる。ここでそのプロフィール
②「マッピングプロセス」
を子どもの心理療法の文字の記録に適用し,複数の採点者によって信頼性を確認した。
(Philps 2003)
さらに統計的な方法により捉えられなかった精神分析的なプロセスを明らかにする質
的な方法として,「マッピングプロセス」という方法を採用した。それはセッション
をエピソードに分け,そこでのセラピストとの相互作用とセラピストの介入を記述す
ることで,それぞれのエピソードを客観的に系統付ける方法である。
Schneider, C., Midgley, N., & 子どもの心理療法Qセットは 3 歳から13歳までの心理療法用に作成されている。子
Pruetzel-Thomas, A.
どもの心理療法の文献(精神分析的なアプローチと,経験的に妥当とされる他の治療
方法を含んでいる)を広範囲レビューして抽出された項目の蓄積の中から,選別した
①子どもの心理療法Qセット 文章が書かれた100枚のカードから成り立っている。採点の手続きは,子どもの心理
( C h i l d P s y o c h o t h e r a p y 療法のビデオを見て,採点者は100枚のカードをそのセッションに目立った部分と目
Q-set; Schneider & Jones 立たなかった部分に分類していく。それを系統付けていくことで,心理療法のパター
2004)
ンがモザイク状に表れてくる。事例ごとの違いがセラピストの要因かクライエントの
要因かを調べる,心理力動的な心理療法と認知行動療法の焦点の違いを明確にするな
どといった研究が行われた。
Moran, G., & Fonagy, P.
不安定型の糖尿病の女児に対する週 5 回の精神分析のプロセスを研究した。週ごと
の記録には,その週の主要なテーマの要約と,患者の困難や不安の実例と,セラピス
①セ ッションの週ごとの記 トの介入の仕方とそれに対する患者の反応が含まれていた。週ごとの記録から事例の
録の要約
18個の精神分析上のテーマが導き出され,操作的に定義できた10個のテーマを指標に
②事例のテーマを抽出し(最 用いた(例えば,父親から愛されていないという気持ちや父親の反応の乏しさへの怒
終 的 に10テ ー マ ), そ の りなど)。 2 人の独立した採点者が無作為に選ばれた週ごとの記録の 5 つを採点し,
テーマがそれぞれの週に セラピストと合わせて 3 人の採点者の間の相関によって信頼性が確認された。採点者
どのぐらい現れたかを数 間の相関係数の平均が0.6よりも低いテーマは除外され, 7 つのテーマが残った。顕著
量化する
なテーマと尿糖の値とを統計的な手法である時系列分析をすることで,ある葛藤の解
③1 日 2 回 の 尿 検 査 で 尿 糖 消は糖尿病の改善につながり,ある葛藤は糖尿病が改善した後で悪化するなどの因果
値 が 陰 性 と な る 回 数 が, 関係を調べた。
1 週 間14回 の 中 で 占 め る
割合
Carlberg, G.
19の「目標を設定し,時間制限した力動的な心理療法で,並行した両親との面接が
ある」面接を研究対象としている。18人のセラピストと親に, 3 ヶ月ごとに,「心理
①セラピストと親に対する, 療法での最も重要な変化は何か」
「いつ変化が起こったか」
「新しかったものは何か」
「そ
心理療法の転換点に関す の変化の基になっていただろう周囲の状況と重要な要因」について質問紙にて尋ねる。
る質問紙調査
回答は意味のあるまとまりごとに分けられると,そのテキストは「グラウンディッド・
セオリー」用の質的データ分析ソフトウェアを用いて分析された。
こと,Schneiderら(2009)とCarlberg(2009)が多数の心理療法をデータとしていることを考えると,事
例研究を検証するための方法としては利用しにくい。事例研究の検証という観点では,Philps(2009)の研
究は,これまでの解釈学的な事例研究に,量的・質的な研究法を併用することで,公的ケアを受けている子
どもに対して心理療法がどのように働いたかを描き出している。今後,日本においても,このような研究を
進めていく事が求められるだろう。
再校
子どもの心理療法の研究法の必要性に関する一考察
―事例研究の歴史とその展望―
53
Ⅳ おわりに 今後に必要なこと ここまで心理療法の事例研究の研究法を確立することが,現代の子どもを支援する資源の一つであること
を主張するためにも,科学としての臨床心理学を発展させていくためにも重要であることを論じてきた。そ
して社会学や心理学における質的研究の発展を紹介し,その流れの中で心理療法の研究も,他の質的・量的
な研究法の知見を積極的に採用する事が重要だということを示した。社会学者のRustin(2009)は,心理療
法の実践自体に研究としての側面があると主張する中で,心理療法士は研究法の専門技術を持っていないこ
とに不安を感じているため,心理療法の研究をすることに積極的でないと述べている(Rustin 2009,p45)
。
これは日本の臨床家にも当てはまる部分があるのではないだろうか。どこか心理臨床は把握しにくいもので
あるから,直接研究の対象にしないほうが良いという思い込みを続けているところがあるのかもしれない。
日本の臨床心理士は,研究機関である大学院で修士の学位を取ることが望まれていて,研究も臨床も行える
人材として養成されている。しかし,実践を積み重ねていけばいくほど,研究から離れていってしまうとす
れば,とても皮肉なことである。心理療法の実践と研究との間の架け橋となるような研究を今後積み重ねて
いく必要があり,そのためには他の領域の学問,特に近年発展していた質的な研究法から多くを学んでいく
必要があるだろう。
本論文では実践と研究の架け橋としての研究の参考としてイギリスの子どもの心理療法の研究を提示し
た。特に精神分析的な子どもの心理療法からの知見から多くを参考とした。質的研究の中でナラティブの研
究をしている能智(2006)は,発話者個人と結びついた厚みのある言葉の分析はFreudが早期から行ってい
たと述べている。精神分析は言葉や遊びを単体として捉えず,その人が置かれている状況を反映したものと
考え続けてきた歴史があるため,質的な研究法ともなじみやすい部分があるのだろう。
最後に,子どもの心理療法の事例研究の研究法が発展してこなかったことが持つ意味についても留意して
おきたい。おそらく子どもの心理療法家は,子どもという物事の理屈よりも本質に敏感な存在と会っている
ので,そこでの出会いを理屈にしてしまうことに抵抗があるのだろう。研究の発展は遅れるものの,そこに
は一人一人の子どもとの出会いを大切にするという意義があったように思える。Saint-Exupèry(1943)の『星
の王子さま』で,大人は数字が好きで数字で示されると安心するが目に見えない大切なことを何もわかって
いないと批判されていたことを,子どもの心理療法の研究を行っていく上でも忘れてはならないだう。
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再校
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再校
55
Considering the necessity of the research method
in child psychotherapy
History and prospects of the concept of case study MATSUMOTO Takuma
I examine the research method in child psychotherapy and wish to highlight the essential
factors in this research area. There have been significant changes in the current situation of
children and the institutions that support children. We need to assert that child psychotherapy
is an effective resource for supporting children through research in child psychotherapy. The
concept of case study has been widely used as psychotherapy research. In this article, I
examine the concept of case study as one of the research methods used in various studies. Case
studies are criticized in terms of generality and rigidness. However, sociology and psychology
are in a shift to illuminate from a quantitative study to a qualitative one. We will consider a case
study to describe subjectivity as one of the scientific studies. However, to verify the study,
clinical psychologists need to (1) learn the research method of other fields and (2) use
quantitative and/or qualitative instruments outside clinical psychology. Therefore, I introduce a
trial of child psychotherapy research in Britain where research began earlier and is more
advanced than Japan, and introduce new prospects of the research method in Japan.
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