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ロンドン地図と『コリオレーナス』

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ロンドン地図と『コリオレーナス』
ロンドン地図と『コリオレーナス』
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ロンドン地図と『コリオレーナス』
勝 山 貴 之
I.君主のロンドン地図
1572 年にドイツで出版された Georg Braun と Frans Hogenbergs の世界地図
Civitates Orbis Terrarum に収められたロンドン地図は,ロンドンを描いた最
古の地図のひとつである。(図1,Prockter and Taylor 32) 地図に冠せられ
た “Londinum Feracissimi Angliae Regni Metropolis” ( London capital of the most
fertile kingdom of England)の標題どおり,それは豊穣なる王国イングランド
の誇る首都ロンドンの全容を描いている。地図上には,テムズ川を中心に,
西はウエストミンスターから東はロンドン塔までの地域が網羅され,ひしめ
き合う建物の並んだ街並みや,入り組んだ街路の様子が詳細に記されている。
テムズ川上には,水上交易の盛んなことを伝える数多くの船舶や,重要な船
着場が描き込まれている。この Braun と Hogenbergs の地図とほぼ同じ時期
に製作された,いまひとつの木版ロンドン大地図が現存しており, 測量検査
官 Ralph Agas(1545-1621)によって製作されたことから一般に The ‘Agas’
Map(1561-70 製作)と呼ばれている。このロンドン大地図は,縦 71cm 横幅
183cmという大きなもので,ギルドホール図書館,公文書保管局,そしてケ
ンブリッジ大学のマグダレーン・コリッジに,その印刷版が残されているの
1
みである。
(図2,Prockter and Taylor vi)
実は,Braun と Hogenbergs の地
図とThe ‘Agas’ Mapは大きさこそ違うものの,類似点が非常に多く,地図上
に記された細かな情報や地名の綴りなどから判断して,どちらも今は失われ
てしまった作者不明の銅板ロンドン大地図を基に作成されたと推測されてい
勝 山 貴 之
図1
2
ロンドン地図と『コリオレーナス』
The ‘Agas’ Map 全体図
図2
図3
3
4
勝 山 貴 之
2
る。
この銅板地図こそ,ロンドンを描いた最古の地図なのかもしれない。
現存する Braun と Hogenbergs の地図と The ‘Agas’ Map には,ロンドン・
ブリッジの西にひときわ目を引く大きな船舶が描かれている。木版の The
'Agas' Mapでは,この船にチューダー朝の紋章が描かれていることが確認で
きることから,船に女王が乗船していることが知れる。地図上に描きこまれ
た君主の存在とともに,地図の東西に描き出されたホワイトホール宮殿とロ
ンドン塔が,市中における王権の象徴とも言うべき建築物であることから,
地図は首都ロンドンを,そしてイングランド全土を支配する君主の権力を賛
美する壮大なパノラマとなっているのである。
The ‘Agas’ Map は,時代がチューダーからスチュアートに移ってからも,
意匠を代えて使用されたらしく,地図の左上の紋章はJamesの紋章に取り代
えられ印刷されたものが現在に伝えられている。James もまた,ロンドン地
図の作成に強い関心を寄せていたらしく,地図製作の特許を与えていたとい
う記録が残されている(Gordon 74-75)。 国王はロンドンの地図が,大陸のあ
またの国々の君主のもとへ届けられることにより,スチュアート朝の栄華を,
そしてイングランドの国力を,誇示できると考えていたのであろう。
II. 市長のロンドン地図
Braun と Hogenberg の地図と The ‘Agas’ Map が,首都における君主の権力
と支配を賛美しているのに対して,John Norden製作のロンドン地図Specvlvm
Britanniae (1593)は,大都市ロンドンのもうひとつの顔を映し出している。
(図3) 地図は商業の中心地を画面中央に描き出し,君主の権力の象徴とし
てのウエストミンスターやホワイトホール宮殿は地図上に描かれていない。
そればかりかロンドン中心部のみを描いた地図の両端には,12のギルドの紋
章が描きこまれているのである(Marcus 168)。 16世紀から17世紀にかけて,
ロンドンの街は急速に発展し,その経済の成長と人口の増大には目を見張る
ものがあった(Keene57-58)。 Norden の地図は,まさに経済力の発展によっ
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て,政治的発言力をを増してきたギルドの存在を如実に物語るものである。
更に Norden の手になる,いまひとつの地図 Civitas Londini (1600)は,そ
の複雑な描写法によって,一層,興味深いものとなっている。(図4) 画面
中央にロンドンの街の中心部を強調するという手法によって,一種の鳥瞰図
となっているこの地図は,極端なまでの遠近法の採用によって東西の境界は
はるかかなた,画面の両端に消えていくかのように描かれている。ウエスト
ミンスターもロンドン塔も,大きく歪んで描かれた地形のために,画面の端
に小さく追いやられてしまっているのである。画面中央のテムズ川には,
Braun と Hogenberg の地図や The ‘Agas’ Map と同じく,多くの船が見受けら
れるが,君主の存在を知らせる船舶のあった位置に,3本マストの特徴的な
船が描かれている。“The gally fuste”と呼ばれるこの船は,ロンドン市長の式
典用公式船舶であり,この船の存在によって画面上に市長の存在が誇示され
ているのである(Gordon 81) 。そして何よりも,画面の下に挿入された市長の
行進が物語るように,Norden の地図 Civitas Londini は,大都市ロンドンにお
ける市長の権力を前面に押し出して描かれた地図なのである。
複雑な形をした地図の全体像に目を奪われ,画面上に,更に小さな二つの
地図が描きこまれていることを見落としてはならない。画面の右下には,装
飾を施された額縁の中にロンドンの中心部を描いた地図が配せられ,主な教
会,市場,門,通りなどが索引によって示されている。他方,画面の左下に
は,紙面を破るという独特の手法で,地図の下におかれたもう一枚の地図が
顔を覗かせている。ロンドン鳥瞰図の下からわずかにその姿を現している地
図こそ,ウエストミンスターを描いたものであり,ロンドンの中心部を描い
た他の大小2枚の地図からは省略され割愛されてしまった部分なのである。
ここからは,ロンドン市と王権の微妙な関係が読み取れる。経済的発展を遂
げ,膨張を続ける首都の自律性と国全体を統治する君主の支配下に組み込ま
れる必然性―自治と服従という,大都市であるがゆえにロンドンが直面す
る問題がここには窺える。
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図4
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ロンドン地図と『コリオレーナス』
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ロンドン市長の就任式もまた,こうした首都の自治と王権へ服従の関係を
儀式化し,両者の調和と協力を賛美するという形式を取っていた。新しく選
ばれた市長は,まずギルドホールにおいて,ギルドの代表たちに市長の責任
を全うするという宣誓をすることが求められる。その後,船に乗ってテムズ
川をウエストミンスターに向かい,そこで王をはじめ宮廷の高官や市政の要
職にある者たちを前にして忠誠を誓うのが慣わしであった。そして再び水路
で市街地に戻った市長は,就任式の祭に加わり,いよいよ全市をあげての市
長のパジェントが始まるのである。ギルドホールでの宣誓と君主の前での宣
誓という二度の誓いの儀式は,ロンドン市長の二重の政治的立場をよく表し
ている。ギルドホールでの宣誓は,市長が同業組合や市の参事会員に対して
義務と責任を担うことの証しであり,ウエストミンスターでの宣誓は,神か
ら王へそして市長へという国家の壮大なヒエラルキーの中に組み込まれるこ
とを再確認するための儀式なのである(Knowles 164-65)。
しかし王権にとって,ロンドンを完全に支配下におくことは容易いことで
はなかった。王にとっても政府にとっても,ロンドンは最も重要な財源で
あったため,なんとしてもその協力が必要であった。イングランド自体がロ
ンドン市と王権の協力なしには立ち行かなくなっていたのである。他方,ロ
ンドンは伝統的な慣習や特権を盾に,国家の網の目に取り込まれ自律性を喪
失することに対して,強い抵抗を示していた。市長のロンドン鳥瞰図におい
て,画面から消失してしまっていた部分が―むしろ抹消させられていた部
分が―まるで君主の権力が自己顕示するかのごとく,市長の地図の紙面を
破ってまで,顕在化しようとしている点は興味深い。ロンドンの自治と君主
の支配の衝突が,地図上に独特の手法を使って表現されているように思われ
るからである。
時代が Elizabeth 治世から James 治世へと移り行く中で,国王の絶対的権
力を標榜するJamesは,国家財政という難題を前に,自治と自由を盾に自分
たちの権利を守ろうとするロンドン市と激しい対立をみることとなった。
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James即位の直後から,「国家とは何か」という問いかけは,ロンドンの市民
たちにとって大きな関心となっていたはずである。
III.Coriolanus おける対立する国家観
James が即位して間もない 1607-1608 年頃の作とされる Shakespeare の
Coriolanus においても,まさにこの「国家とは何か」という問いかけが,作
品の中で繰り返し問われている。武人Coriolanusにとって,名誉こそ命をか
けるに値するものであり,国家のためなら自らを犠牲にすることすら厭わな
いのは当然のことである。ヴァルサイ人との戦闘で,志願兵を募るにあたっ
て,彼は全軍に呼びかける。
Mar.
. . . If any such be here –
As it were sin to doubt – that love this painting
Wherein you see me smear’d; if any fear
Lesser his person than an ill report;
If any think brave death outweighs bad life,
And that his country’s dearer than himself;
Let him alone, or so many so minded,
Wave thus to express his disposition,
And follow Martius.
(I. vi. 66-75)
Coriolanus の「自分自身よりも祖国を愛する者」という言葉どおり,個人は
国家のために存在し,国家の存続のためには,その命を投げ打つことが求め
られている。ここに見られる国家主義のイデオロギーは,Coriolanus の母
Volumniaの口からも繰り返し発せられ,愛する息子たちに,国家のために死
ぬことを求める彼女の科白(I. iii. 24-25)は,国家への忠誠こそ,国民にとっ
ての最大の美徳であると断言しているのである。
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こうした国家主義のイデオロギーにおいて,国家に忠誠をつくさない民衆
が自分たちの権利を主張することは許されない(III. i. 121-123)。他国との戦
の中で,国家の安寧が脅かされているにもかかわらず祖国を守ろうとし
ない者は,国政をつかさどる支配層の命令にひたすら服従することだけを求
められるのである。
従ってCoriolanusにしてみれば,民衆に護民官選出の権利を与えた元老院
の判断は,重大な過ちである。それが反乱や謀反を引き起こす災いの種とな
ることは,火を見るより明らかであるという。
Cor.
. . . I say again,
In soothing them, we nourish ’gainst our senate
The cockle of rebellion, insolence, sedition,
Which we ourselves have plough’d for, sow’d and scatter’d
By mingling them with us, the honour'd number
Who lack not virtue, no, nor power, but that
Which they have given to beggars. (III. i. 67-73)
それはまさに特権階級が長年にわたって築き上げてきた美徳や権力を,いと
も容易く乞食に与えるかのごとき所業なのである。Coriolanusは,
「ギリシャ
ではもっと大きな権力を民衆が持っていたが,俺に言わせれば,それが民衆
の不服従を育て,ついには国を滅ぼすこととなったのだ」(III. i. 115-117)と
断言して憚らない。ここには,イングランドの政治を帝政ローマの政治にな
ぞらえることを好んだ James の絶対王権の言説が読み取れる。
他方,民衆の代表たる護民官 Brutus はこうした Coriolanus の発言を容認す
ることはできない。Coriolanus の傲慢な態度を,人間を裁く神のごとき思い
上がりと激しく非難する。
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Bru.
You speak o’th’people
As if you were a god to punish, not
A man of their infirmity.
(III. i. 79-81)
支配者が,神の如く一方的に国家への忠誠を民衆に求めることはできない。
個人をないがしろにしての国家はありえないのである。もうひとりの護民官
Sicinius の問いかけに対して,民衆が声をそろえて応じているように,民衆
の自治の理念においては,民衆こそ国家なのである。
Sic.
What is the city but the people?
All Pleb.
True,
The people are the city.
(III. i. 197-198)
民衆の権利を認めようとせず,民衆をして国家への絶対的服従を誓わせよう
とする Coriolanus はまさしく民衆の敵である。Brutus は民衆を扇動し,民衆
の内に潜む Coriolanus に対する敵意に火をつけようとする。
Bru.
So it must fall out
To him; or our authoruty’s for an end;
We must suggest the people in what hatred
He still hath held them: that to’s power he would
Have made them mules, silenc’d their pleaders, and
Dispropertied their freedoms; holding them,
In human action and capacity,
Of no more soul nor fitness for the world
Than camels in their war, who have their provand
Only for bearing burthens, and sore blows
ロンドン地図と『コリオレーナス』
For sinking under them.
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(II. i. 241- 251)
Brutusの科白は,あながち民衆を扇動するために用意された口実とは言い難
い。ひとたびCoriolanusが執政官となり権力を握れば,彼はもはや民衆の声
に耳を傾けることはなく,民衆から自由を奪い,民衆を人間扱いしなくなる
であろうという Brutus の科白は,Coriolanus の言動を見聞きしてきた観客に
とって,充分,信憑性があるからである。Brutusが民衆に訴えているように,
Coriolanus は執政官になる以上,民衆の声を取り入れ,国家を治めていかな
ければならないはずである(II. iii 174-188)。民衆を侮蔑する者が執政官であっ
てはならない。
何にもまして民衆の声は,常に政治に反映されなければならない。執政官
になるにあたってCoriolanusが元老院の任命式に赴く前に,民衆の承認を得
るという慣習もまた,そうした民衆の声を為政者が汲み取っていることを表
明するための重要な儀式なのである。従って,儀式を軽んずることは許され
ないという Sicinius の科白は重要である。
Sic.
Sir, the people
Must have their voices; neither will they bate
One jot of ceremony. (II. ii 139-141)
他方,Coriolanus にしてみれば,戦場での名誉こそ彼の考える国家への忠誠
の証しであり,戦闘で受けた傷を民衆に見せることによって民衆の人気を得
ようとする行為は,民衆に阿ることでしかない。民衆の求める伝統的な儀式
は,Coriolanus の国家主義と決して相容れることはない。
民衆の権利などというものは,Coriolanus にとって決して容認してはなら
ないものなのである。民衆は権利を手に入れることにより,あらゆるものを
要求し,たとえその要求が通ったとしても,かえって支配層を侮るようなこ
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とにもなりかねない。むしろ民衆は,自分たちの要求がかなえられたことを
貴族たちの恩恵として感謝するどころか,貴族たちが民衆を恐れている証し
として判断するだろう(III. i. 131-136)と,民衆に権利を認めてやることの危
険性を彼は指摘する。Coriolanus に言わせれば,その能力のなさゆえに支配
することもできず,支配されることも嫌う(“such as cannot rule, Nor ever will
be rul’d.” III. i. 38-39)というのが,民衆の本質なのである。 更に,国政というものは,大多数の無能な民衆の意見によって左右される
べきものではないとCoriolanusは断言している。それが許されれば,国家の
政治目標は遂行できず,国家の取るべき最上の道を選ぶことができない。17
世紀の初頭に多くの議論を呼んだ支配層と民衆の双方が権利を有するという
政治的混合形態の難しさがCoriolanusによって指摘され,それによって生じ
る国家の存亡が問題にされるのである。
Cor.
This double worship,
Where one part does disdain with cause, the other
Insult without all reason: where gentry, title, wisdom,
Cannot conclude but by the yea and no
Of general ignorance, it must omit
Real necessities, and give way the while
To unstable slightness. Purpose so barr’d, it follows
Nothing is done to purpose. . . . Your dishonour
Mangles true judgement, and bereaves the state
Of that integrity which should becom’t,
Nor having the power to do the good it would
For th'ill which doth control’t.
(III. i. 141-159)
Coriolanus の科白は,まさに絶対主義の君主制の主張を代弁し,護民官に代
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表される民衆の主張は民衆自治の理念を表明している。劇は,時代の中で衝
突する二つの国家観をめぐる政治論争を激しく展開するのである。
IV.James とロンドン市
自治権をめぐるロンドン市と君主との衝突は,既にElizabethの時代から続
いていたが,1603年にJamesが即位することによって,一層,緊張した関係
を生み出すこととなった。James は,Elizabeth のように巧みにロンドン市の
主張を懐柔する術を知らず,絶対君主としての国王の主張を市側に飲ませよ
うとしたのである。両者の主張は互いに相容れることはなく,ロンドン市は
従来の自治と自由を保証する権利を是が非でも守り抜こうとした。両者の対
立のなかで,大きな争点となるのはやはり国家財政問題であった。イング
ランドの財政状況に無頓着であった James は数々の浪費を重ね,Elizabeth の
時代とは桁外れの宮廷予算が必要とされた。これを補填するための財政援助
に対して,ロンドン市は激しい抵抗を示したのである。
しかし作品 Coriolanus が執筆されたとされる 1607-8 年に,James とロンド
ン市の間では状況の変化が起こりつつあった。1608年,Jamesはロンドン市
に新たな特許状を与えている。この特許状は,ロンドン市の司法権を拡大す
ることおよび,テムズ川の交易に対しての税の徴収権が市側にあることを再
確認するという,市の自治権の保証を謳ったものであった。James は,即位
後数年を経て,ロンドン市の主張を認めることの必要性を徐々に感じ始めて
いた。莫大な費用を要する宮廷の運営を考えるなら,James にとっても,あ
る程度の妥協は避けられなかったのであろう。更に,ロンドン市にこの特権
を認めることと引き換えに,James は市から王室宴会場を建設する資金を捻
出しようと画策していたと考えられる(Marcus 208)。 James は,何としても
ロンドン市の財政援助が必要であった。
ロンドン市とすれば,国王からの妥協案を取り付け,市の自治と自由が保
障されたことは大きな前進であった。それは君主の絶対権力に対する民衆側
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勝 山 貴 之
の勝利を意味していたのである。劇のCoriolanusの科白がともすれば,貴族
階級の特権を鼓舞し,民衆への侮蔑をあらわにする絶対君主の言説を色濃く
反映するのはこのためであろう。舞台上の登場人物をとおして絶対君主の姿
を極端なまでに描くことにより,劇作家は,民衆弾圧に対する不満と憤りを
観客に再認識させようとしているのである。そればかりか民衆の求める伝統
的儀式を割愛しようとするCoriolanusの態度は,劇を観守るロンドン市民に
市長の就任宣誓式を思いださせずにはおかないであろう。Mark S.Kishlansky
は,Coriolanusの材源に市民選挙の様子が見当たらないことを指摘している
が,これはローマではなく,むしろイングランドでの選挙の手順を描いたも
のなのである。ロンドン市長の就任式が,ギルドホールでの宣誓と君主の前
での宣誓という二つの誓いを重要な儀式としていたように,護民官が民衆の
前での儀式に重きを置くのは,そこに為政者と民衆の間の契約があり,民衆
の政治参加を象徴的に描いたものであるからである。
劇の展開は,ロンドン市民にとってまさに自分たちの直面する身近な問題
であったに違いない。市民の権利を踏みにじるCoriolanusが民衆の審判を受
け,市の城門から追放される姿は,まさに暴君の追放による民衆の自治・自
由の重要性を描き出しているのである。劇は,James の絶対王政への支持の
表明という保守的な見解を表明している(Clifford Chalmers Huffman)のでは
なく,むしろ民衆の権利に対する不当な弾圧への抵抗と,その勝利の姿を描
いているのである。
しかし Shakespeare は二つの政治体制のどちらかに軍配を上げるというよ
うな短絡的な結末を導き出しはしていない。二幕二場の冒頭で二人の士官が
交わす会話は,政治の裏側を観客に垣間見せている。一方の士官が,
Coriolanus が民衆を愛してはいないことを憤るのに対して,もう一人の士官
は,昔から民衆に媚はするが,そのくせ少しも民衆を愛してはいなかった為
政者はたくさんいると指摘する。真の意味で民衆のための政治を行うことと,
民衆を愛していると表面的に見せかけ,巧みに民衆を懐柔しようとすること
ロンドン地図と『コリオレーナス』
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の政治的矛盾が,士官の雑談に盛り込まれ観客に示される。作品のなかでは,
こうした二つの国家観の対立の間に見え隠れする政治的陰謀が,繰り返し描
かれている点を忘れてはならない。
例えば,民衆の味方とも思える Menenius は,現政権への不満を口にする
民衆を前に,元老院と民衆の関係を腹部と体の各部になぞらえる喩え話を持
ち出して,支配と被支配の相互依存関係をいかにも有益なものと説明し,民
衆を支配体制の網の目に搦め捕ろうとする(I. i. 88-153)。また Volumnia も
「名誉」と「政治的策略(“policy”)」の関係について雄弁に語り,あくまで名
誉を重んじようとするCoriolanusに,政治的策略の重要性を説いているので
ある(III. ii. 46-50)。もちろん陰謀をめぐらすのは,貴族ばかりではない。護
民官たちもまた,Coriolanus の気性を知り,その弱点をつくため,自分たち
の思うように民衆を操ろうとしている。彼らは,民衆の不満に形を与え,攻
撃の矛先を見つけてやることによって,易々と民衆を扇動するのである(II.
i. 224-229,240-251,II. iii 174-188)。更に,政治的策略が繰り広げられるの
は,ローマに限ったことではない。コリオライにおいても Aufidius による
Coriolanusに対する陰謀が描かれている(V. iii 201-202,V. vi. 16-20)。Aufidius
が,「美徳というものはそれぞれの時代の解釈次第だ」
(IV. vii. 49-50)と述べ
ているように,劇のアクションの陰では,つねに政治的策略が渦巻き,陰謀
によって事が運ばれているのである。政治理念の裏に潜む政治の実態,生臭
い現実の姿がここにある。
V.結び
作品 Coriolanus を通して,Shakespeare は共和制への内なる共感を表明し
ているのであろうか。批評家たちの中には,劇の執筆によって劇作家が,共
和制の鑑を観客に提示しようとしているのだいう意見(Dennis Bathory)や,
ロンドン市民に彼らの政治的独立に向かっての心構えを説いているという意
見(Leah S. Marcus)
,更には,作品が共和制への共感を前面に打ち出したも
勝 山 貴 之
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のだとの解釈(Andrew Hadfield)が存在する(Bathory 256, Marcus 210,
Hadfield 180-181)
。しかしShakespeareの描き出した絶対君主の追放と民衆の
勝利を,そのまま共和制への共鳴と理解することは,あまりにも性急に過ぎ
るかもしれない。むしろ絶対王政の暴虐を糾弾するなかで,君主のあり方が
絶えず問われ続け,民衆の権利の意味が探求されていたと考えるほうが妥当
ではないだろうか。絶対君主の支配の意味するものが,舞台上で繰り返し議
論されるなかで,
「国家」の意味するものを観客に問いかけることこそ,劇作
家の狙いであったのかもしれない。劇を絶対王制への支持を表明するものと
解釈するのが,一面的であるように,共和制への支持を表明していると理解
することもまた偏った見方であろう。むしろ作品の中の対立を通して,膨張
するロンドン市の経済力や政治力の増大を前に,君主制の意味が再定義を迫
られている有様を描いているではないだろうか。そしてそこには共和主義へ
の迷うことのない賛同というより,政治という生き物に対する,ある種の失
望にも似た,皮肉で醒めた眼差しが同時に存在しているようにも思われるの
である。
君主の描かせたロンドン地図と市長の描かせたロンドン地図の相違,そし
て市長のロンドン地図の紙面を破って自己の存在を顕在化させようとするか
のように見える王権の存在にみる両者のせめぎ合い―これこそShakespeare
の Coriolanus のうちに秘められた時代のエネルギーの衝突なのである。
注
01 Ralph Agas製作とされているが,実際にAgasの手になる他の地図とはその製作手
法が随分違うことや,地図製作時期を考えるとAgasが若すぎることから,別の人物
の製作したものであろうと考えられている。
02 この銅板ロンドン大地図は,全15枚の銅板によって構成されているが,残念なが
ら現存するのはそのうち2枚のみである。これを基にした印刷版も残されていない。
ロンドン地図と『コリオレーナス』
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参考文献目録
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勝 山 貴 之
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Synopsis
The Map of London and Shakespeare’s Coriolanus
Takayuki Katsuyama
Georg Braun and Frans Hogenbergs’ engraved map-view entitled ‘Londinum
Feracissimi Angliae Regni Metropolis’ first appeared in Braun and Hogenberg’s
atlas Civitates Orbis Terrarum. Though this was published in Germany in
1572, the map is one of the oldest maps of the capital.
The map depicts an expanse from the royal palace of Whitehall through to
just east of the Tower of London. The city within the twin poles of monarchic
authority, with the royal barge bearing the Tudor arms depicted to the west of
London Bridge, offers a panorama which praises the power and glory of the
monarch.
Another map, Civitas Londini, by John Norden in 1600, however, shows a
different aspect of the capital. The curious wide angle of description in which
the curvature of the earth is widely exaggerated emphasizes the centrality of
the city of London and marginalizes the courtly neighbour. And in place of
the royal barge on the Thames to the west of London Bridge, is depicted a
distinctive triple-masted vessel which was the ceremonial craft used by the
Lord Mayor. Above all things, the illustration of a Lord Mayor’s procession
beneath the main image highlights the autonomy of the civic constitution.
During the sixteenth century London grew rapidly to become, with about
200,000 inhabitants, one of Europe’s largest cities. However, as the city came
to obtain an enormous financial influence on the government, friction often
developed over the exact relationship between the City’s privileges and its
ロンドン地図と『コリオレーナス』
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duty to the monarch.
Shakespeare’s Coriolanus which was written in 1607-1608 also foregrounds
the conflict in the City’s complicated political relations with the crown. The
lines voiced by Coriolanus represent the language of Stuart power, a strong
justification for absolutism. On the other hand, Brutus and Sicinius, tribunes
of the people, consider Coriolanus’s massive arrogance as threateningly
excessive and dangerous for civic liberties. It was a long way from Elizabethan
and Jacobean London to a republican regime, but Elizabethan and Jacobean
writers like Shakespeare encouraged a degree of openness to alternative forms
of political order, where the meaning of monarchy was being questioned and
reinvented in response to recurrent challenges.
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