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奥田研究室ゼミ生研究論文集 vol.4

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奥田研究室ゼミ生研究論文集 vol.4
2010年度
奥田研究室ゼミ生研究発表論文集
共愛学園前橋国際大学
心理・人間文化コース
目
次
第 1 部 三年生 レビュー論文
第 1 章 青木 未来(Miki Aoki)
高等教育における集団実践から学習について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1
第 2 章 中村 紘巳(Hiromi Nakamura)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6
優しい関係における優しい評価-自分を認められる友人関係を目指して-
第 3 章 佐藤 真衣(Mai Sato)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11
青年期における若者の自己形成―社会的比較の視点から―
第 2 部 四年生 卒業論文要約
第 1 章 阿部 圭佑(Keisuke Abe)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
16
大学生の動機づけに対する叱責の効果―教員との関係性という視点から―
第 2 章 阿部 孝文(Takafumi Abe)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
22
現代大学生の友人関係における希薄さの意味
第 3 章 阿部 廣二(Koji Abe)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
28
大学生のゼミナール活動における参加の構造-なじめなさという見えに着目して-
第 4 章 内山 枝里(Rie Uchiyama)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
援助行動・援助要請の両側面から捉える大学生の現代的友人関係
34
第 5 章 川島 千穂(Chiho Kawashima)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
40
他者が大学生のボディ・イメージに及ぼす影響―他者の身近さに着目して―
第 6 章 桑原 美里(Misato Kuwahara)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
46
現代大学生における友人との信頼関係とユニバーシティ・ブルーとの関連
第 7 章 馬場 菜津美(Natsumi Baba)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
52
青年期の恋愛におけるアイデンティティの変容 -カップルのマッチングによる検討-
第 8 章 堀内 祐希(Yuuki Horiuchi)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
58
大学生の活動水準と睡眠の関係
第 9 章 米島 小百合(Sayuri Yoneshima)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
移りゆく障害観―理学療法士の障害受容の語りから―
64
第 1 部 第 1 章 高等教育における集団実践から学習について
青木 未来
■はじめに
筆者が3 年生になってから,
教員が授業内容について一方的に講義を行うという2 年生までの座学形式の講義に比べ,
何人かの学生集団での学習を通して課題をこなしていくという演習形式をとる講義が増えた.ある授業は,4 人程度の
小集団を作り,その集団で協力しながら自分たちで計画した模擬授業を構成していくという課題を達成する形式の授業
であった.こうした講義では,教科書の特定の範囲をメンバーそれぞれが分担して発表を行ったり,集団で模擬授業や
指導案を考えたり,といった学習を行う.筆者はこうした経験をしていく中で,集団で何かをする,ということの難し
さを感じた.例えば,一人の意識が高いだけでは活動が円滑には進まないことであったり,またメンバー間での認識が
共有できていないことにより本番の発表になってから,内容が食い違ってしまったりということが起きてしまった.つ
まり,その集団において,具体的には,筆者ばかりが積極的に頑張ってしまい,他のメンバーとうまく協力して集団で
の学習を遂行することが出来なかったのである.筆者は,同じ集団にありながらともに学習できないことが非常に悔し
く,何とかしたいと感じた.しかし,筆者の周りの学生達は,違和感を感じていないように見えた.その違和感のずれ
がさらに筆者の違和感を強くした.筆者はそうした違和感を改善すべく,さらにその模擬授業についての知識を深め,
周りのメンバーにそのような知識を共有しようとした.しかし,このように講義で,筆者が集団での学習についての話
をすればするほど,ほかのメンバーはこの集団から離れて行ってしまったのであった.筆者は一生懸命頑張っていたの
にも関わらず,なぜ,ほかのメンバーは集団から離れてってしまったのか,どうして,集団での学習がうまくいかなか
ったのか,このような疑問から筆者の研究は始まった.
■なぜ集団での学習をするのか
本論では集団を,
「3 人以上 11 人未満
共同の中での発達水準
の人数と想定した一
つの共同体」と定義
自主的な発達水準
する.また,
「はじめ
に」における集団で
の共同作業での困難
の事例から,集団で
の学習を「課題に対
発達の最近接領域
して,集団で問題点
を設定し,解決して
図 1 発達の最近接領域
いくこと」と定義する.
そこでまず,個人で行う学習に比べ,集団での学習がメンバーにとって有効であるということを,Vygotsky の提唱
した発達の最近接領域という視点から述べる.Vygotsky(2001)によれば,発達の最近接領域を,
「子どもが自主的に解
答する問題によって決定される現下の発達水準と,子どもが非自主的に共同のなかで問題を解く場合に到達する水準と
のあいだの相違」としている.つまり,子どもが個人か共同体の中で問題に解答しているかが発達水準に差をもたらす
ということである. 発達の最近接猟奇の概念構造を模式的に示したものを図 1 に示す.
しかしながら,Vygotsky の発達の最近接領域は,子どもを対象とした概念であり,青年期の発達については述べて
いないが,西山ら(2009)が障害者の自立支援においてピアサポートという,理論化には発達の最近接領域の考えを用い
ているピアサポートについて述べたことからも,発達の最近接領域が子ども以外の対象にも有効だと考えられる.
1
発達の最近接領域を利用することにより,集団での学習に良い影響をもたらしたのが,守屋ら(2007)の相互コミュニ
ケーションである.守屋ら(2007)によると,学習者が発達の最近接領域内にいる他者と経験,知識両面での考え方や判
断の仕方について相互に学び合ったり,意見交換や討論したりする経験を通して,学習者考え方の適用可能な範囲を広
げることが可能となる.つまり,一人ではなく,他者と共同作業の中にこそ学びの質の向上が見込めるのである.
本節では,集団での学習に有用性があるということを述べた.では,実際の教育場面で用いられている集団での学習
にはどのようなものがあるのか,次節で述べていく.
■集団での学習の具体的事例
集団における学習の方法には様々な種類があるが,本節では,
「はじめに」に沿った形式として,特に大学などの高
等教育場面で活用される主なものについて概観する.
高等教育場面での集団における学習として,文部科学省(2007)は,様々な大学の取り組みを紹介している.そうした
取り組みの中から,本論では特に,学生による集団を強調した 3 つの取り組みを紹介する.
1.<重層的学生支援教育>による福祉人材養成(山口県立大学)
各学年で演習の授業にチュートリアル機能をプラスして,学科長・学年主任・教務主任などが連携して,重層的な
チームアプローチを行っている.1 年次から特定の小グループに学生を所属させ,家庭雰囲気で教員と親しくするこ
とで,大学生活や専門校幾への導入時期になじめなさを感じないようにする工夫をとっている.また,2,3 年次に
おける演習の講義では,実習現場における葛藤や失敗の経験を教育的に活用し,学生の内政を促し,支持することを
通じて人間的成長を促すことが出来る.
2.<協働の知を創造する体系的 IPW 教育>の展開(神戸大学)
神戸大学(2011)では,チーム医療を念頭に置き,学内の異なる 2 つの学科の学生を対象に新たなカリキュラムを行
っている.IPW(Interprofessional Work)は,グローバル化した現代社会における当事者が抱える複雑・多様な保健
医療福祉の課題とニーズに応え,安全・安心で質の高い保健医療福祉サービスを実践するための一つの方法で,異な
る専門職個々の視点よりむしろチームとしての視点の重視し,保健医療福祉専門職間関係の有り様への重要かつ実質
的なチャレンジのことである.協働の知とは,協働で学習することにより,同じ学習内容について知っている学生が,
知らない学生に教えることによる学習の方法のことを指す.つまり,協働で学習していくことにより,学生同士が相
互に協力し合い学習に取り組んでいく PBL 実践といえよう.
3.<協調演習>による理学的知力の育成支援(広島大学)
広島大学では,講義で得た知識を理解につなげるために学生と教師間,学生同士の深い信頼関係を築き,教える
ことによっての学習を促進している.つまり,他の大学とは異なり,教師と学生間での協調演習により教師の磨き
上げた知識を学生に反映し,創造性豊かで新しい学問領域のフロンティアとして活躍する研究者の育成を育成する
ことを期待できる点で,独自性を持った取り組みであるといえる.
上述したような各大学での取り組みからもわかるように,集団での学習が昨今の高等教育の分野で盛んに取り上げら
れていることが分かる.こういった集団での学習の代表的な例として,PBL(問題設定解決型教育プログラム
[Problem-Based-Learning]以降 PBL),ワークショップ,協働学習の 3 つの概念について,学習主旨と対象を表 1 にま
とめた.
2
表 1 集団学習の種類(村川(2006)と片桐ら(2010)を参考に独自に作成)
学習の種類
PBL
ワークショップ
どういったものか
1 つのシナリオ(課題)を少人数で検討し,問題点を発見,解決してい
く問題解決指向型の教育技法
学生への講義など
参加者全員が共通の課題に取り組み,相互作用や双方向性を通じて 住民参加型のまちづくり,
学びや成果を生み出すという体験的な取り組み
・スモール・グループで相互に協力し合いながら,共有する目標の
協働学習
対象
達成を目指す学習
・学習者たちが活動の過程で互いに影響を及ぼし合うことによって
学びの相乗効果が生まれる
演劇,アートなど
ある目標に対する知識の
違う学習者同士の相補的
な学習の場面
■PBL とは何か
PBLの起源は1960〜1970年代に北米で実施された医学教育にさかのぼります.PBLが医学教育で開発・
実施された背景は,生物医学的知見が日進月歩で急速に拡大・革新することに対して,従来型の教育体系では対応でき
ず,臨床医学的実践において,常に新しい知識と技法を教育せざるを得なかったことによります.一方,企業において
は,新入社員教育に実施される OJT(On the Job Training)がこれに対応します.
集団での活動の問題点として,佐伯(1995)によると現代の学生は,日頃物事をあたりまえに受け止め過ぎており,
「ど
うしてこうなるのだろう?」という問いが全く欠如していると指摘している .前述の指摘に対して光明を指すのが,
PBL である.濱田ら(2010)によると PBL とは,
「学習者自身に問題を発見させ,解決しながら,自分身で考えるプロセ
スを体験させることにより,チームワーキングの重要性を認識させる学習」と定義されている.
PBL での学習において,集団での活動が有益だという結果が得られた事例があるので紹介したい.鈴木ら(2009)によ
ると, 国際医療福祉大学では教育技法の一つとして,PBL の手法が取り入れられている.教師が選出した題材につい
ての学習課題を学生が能動的に見つけ,課題遂行のプロセスを含めた結果を発表するという形式を採用している.その
結果として,学生自身の自己達成レベルに比べ,集団達成レベルが優位に高かったことから,学生の効果的な実践にお
ける集団での学習の必要性が再認識されたと言える.以上の事例において,学生が実習において,能動的に行動するよ
うになったり,課題から広い視野で問題点を見つけ出すことが可能となったことから PBL を用いた学習が集団での学習
において大きな貢献をしていると考えられる.学生が臨床実習において,能動的に行動すること,症例から広い視野で
問題点を見つけ出すこと,デイリーノートの作成能力に影響すると考えられ,これは実習指導者からよく指摘を受けて
いることが多く,知識の暗記だけでなくその応用能力が必要な項目であると思われる.
■集団での学習の問題点
前述した鈴木ら(2009)の事例にあるように,PBL の手法は集団での学習において達成感に繋がるということが証明
された.しかし,
「はじめに」でも述べたように,筆者が属していた集団では ,集団での学習が上手く遂行されなかっ
たと言える.また,
「みごこち日記」というブログサイトにおいては,ある授業で集団での発表をする際に,
「協力して
やるように」という事前注意があったにも関わらず,実際の発表は各グループ代表者のみになってしまったという事例
が挙げられていた.なぜ,筆者やブログサイトにおいての集団での学習は成功しなかったのだろうか.先行研究によっ
ていくつかの視点から問題点についての原因が考えられることが出来たので,以下で検討していく.
3
1.特性論的視点
従来の心理学では PBL がうまくいかないことの原因を,
「対人恐怖的心性」という個人の病的心性といった特性
論的視点から検討していた.対人恐怖的心性とは,「人前に出ると過度に緊張する」,「他者の視線が非常に気に
なる」などの症状が見られる心理的傾向 (岡田,1993)である.堀井(2003)によれば,対人恐怖的心性は一般青年に
幅広く見られる心理的傾向である.つまり,対人恐怖的心性という病的心性というのは,人と話すことが怖く,集
団に個人がうまく入っていけないといった問題により,周りとうまく協力して問題に取り組めない,ということが
言える.
2.経済の視点
岩崎(2009)は,集団の運営において重要な要素として以下の 3 つを挙げている.
「リーダーの存在」
・
「集団の共通
意識があること」
・
「各人の強みが活かされていること」
.つまり,集団の運営においては,必要な要素があり,そ
の要素が揃っているということが円滑な集団の学習を進めるために不可欠であるということが言える.
3. コミュニケーションの視点
伊藤(2008)においては,特別な教育的支援が必要な児童の学習意欲を高めるために行われた小集団学習において,
会話によるコミュニケーションを必須としたところ,個人の特徴を生かした支援を行っていくことが可能となった.
また,片桐ら(2010)によると,人間の社会集団において,会話を通じたコミュニケーションは人間同士の相互信頼
感情を構築
し,メンバーの価値基準のすり合わせも行うことが出来るとした.この研究では,社会集団の中で,会話をすると
いうことが最重要視されている.尚,この定義の中で会話の主要な機能はメンバー間での相互合意を形成すること
にある.片桐ら(2010)の行った研究における会話の中では,図 2 に示すように,基盤を元に合意形成をすることを
通して各人が主観的に価値があるとしている評価をお互いにすり合わせる過程が進行している.つまり,会話をす
ることにより,集団内の価値基準のずれを修正することが出来たのである.
■まとめと今後の課題
本論では,集団での学習について高等教育の
視点から実践されているものをいくつか挙げた
後に,昨今注目されている PBL について詳しく
述べた.また,そういった集団での学習に潜ん
でいる問題点を自身や他者の事例から明確にし,
考えられる原因について従来の心理学を例に挙
図 1 信頼感構築の多層モデル
げた.そこで自分の事例にも当てはまっている
と考えられる会話コミュニケーションについて着目した.片桐ら(2010)の研究を鑑みて,筆者の属する集団の中には会
話が無かったということは顕著になった.筆者が属する集団では,課題遂行を重視しすぎて,学習に関係のない会話は
できる限り慎んでいた.しかし,青年期における人間関係というものは,坂本(2006)によれば,青年期の発達課題の達
成を支援する機能を果たすものと考えられていることからも,集団での学習が課題遂行という目標だけではないことを
物語っているように思う.例えば,坂本(2006)を参考にすれば,集団での学習にはメンバー内の人間関係を滞りないも
のとすることなどが必要となってくるのではないだろうか.
今後は,筆者の事例だけではなく,集団での学習の場をもっと多く想定し,研究を進めていき,課題が円滑に遂行さ
れていない集団や,何も滞りなく進んでいる集団を調査・研究していきたい.
4
■引用文献
濱田邦裕・北村充・睦田秀実 2010 学生を育てるしくみ―PBL 実践のための教育システムの構築―,日本船舶海洋工
学会誌,32,2-8.
岩崎夏海 2009 もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの「マネジメント」を読んだら,ダイヤモンド社.
片桐恭弘・高梨克也・石崎雅人・榎本美香・伝康晴・松坂要佐 2010 会話を通じた相互信頼感形成に関する一考察,
日本認知科学会第 27 回大会発表論文集,3-41.
桑野幸子・佐藤五郎 2007 新たな協働学習の試み‐群読活動の実践から‐,2007 年度実践研究フォーラム.
九州工業大学 2010 PBL(Project-based Learning 課題解決型学習)教育とは.
http://www.mns.kyutech.ac.jp/~nakao-m/pbl/about.html(2010.1/28).
守屋慶子・山崎史郎・土田宣明 2007 自己制御の発達に必要な社会的条件と働きかけ,日本教育心理学会第 49 回総
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村川雅弘 2006 「ワークショップ型研修の手引き」~研修デザイナーでまとめる全員参加型研修~,株式会社ジャ
ストシステム.
西山久子・山本力 2002 実践的ピアサポートおよび仲間支援活動の背景と動向-ピアサポート/仲間支援活動の起源か
ら現在まで‐,岡山大学教育実践総合センター紀要,2,8.
西山久子・淵上克義 2009 学校における教育相談担当者による教育相談活動の認知・定着に関する基礎的研究(1)-
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佐伯胖 1995 「学び」の構造,東洋館出版社.
坂本公男 2006 青年期の心の発達と自立の課題,高知県教育公務員長期研修生研究報告,平成 18 年度大学・大学院
等留学生.
http://www.kochinet.ed.jp/center/research_paper/H18_daigaku_kenshusei/14sakamoto.pdf(2010.1/28)
Suls, J & Mullen,B.1982 From the cradle to the grave: Comparison and self-evaluation across life-span. In J.
Suls(Ed.),Psyhcological Perspectives on the Self. Vol.1. Lawrence Erlbaum Associates.97-125.
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ヴィゴツキー・柴田義松(訳) 1962 思考と言語,新読書社,明治図書出版.
5
第 2 章 優しい関係における優しい評価-自分を認められる友人関係を目指して-
中村 紘巳
■はじめに
「ねぇねぇ,今日のコーデ,組み合わせ考えてみたんだけどどうかなぁ?」
筆者の友人 I は,日常生活においてしばしば,周囲の友人に対して上記のような質問をすることがある.I は,自分
が着ている服のコーディネイトの評価を求めているのだ.仮に筆者や他の友人らが「かっこいいよ」と賞賛すると,I
は心底安心し,嬉しそうな顔をするのである.
また,ある企画が行われた後に,反省会で I は,
「自分,結構頑張ったと思うんだけど,どうだった?」と友人に問
いかけ,I の友人は「うん,頑張ってたと思うよ」と答える.しかし I の友人は,I のいないところでは「I,もう少し
仕事してくれないかな…」と言っているのだ.そして I の友人と同じように筆者自身も,自分の本心と正反対の評価を
してしまうことがある.
こうした場面をいくつか経験していく中で筆者は,二つの疑問を抱いた.第一に,自分が良いと思ったコーディネイ
トにも関わらず,I はなぜ友人にコーディネイトの評価を求めるのか,といった疑問である.第二に,なぜ筆者を含め
I の友人らは,本心ではもう少し I に頑張ってほしいと思っているにも関わらず,「頑張ってたと思う」と評価してしま
うのだろうという疑問である.つまり,周囲に評価されたい I と,求められるままに評価してしまう友人たちに関心を
持ち,本研究を始めた.
■自尊心と自己評価の関連
はじめに上述した I の事例を踏まえ,自尊心と,自尊心を形成する自己評価について概観する.
自尊心と自己評価は,Self-esteem という言葉を訳す際に,同義にされる(村松,2009)が,自尊心とは,自己に関す
る全体的な評価を指す概念であり(Rosenberg,1965),社交能力や運動能力などの様々な個々の評価によって影響を受
けて形成される(山本,1982).言い換えれば,自尊心とは,誰にとっても自分は掛け替えのない,特別な存在であり,
価値あるものだと自分で自分を認める,いわば自己承認であるとしている(樋口,2002).一方,自己評価とは,自己概
念の個々の記述的側面に対する具体的評価である(山口,2010).こうした点で,この 2 つの概念は区別される.では次
に,自己評価の内容について概観する.
■自己評価と他者
自尊心の形成に影響を与える,様々な側面においての自己評価は個別的自己評価と呼ばれ,長谷川(2007)は個別的
自己評価が自尊心にどのように影響を与えるかについて,従来のモデルでは,自己評価の重要な側面,つまり社会的側
面について考慮されていないと指摘している.さらに長谷川(2007)は,自己評価は自己のみによって形成されるもの
ではなく,他者との相互影響過程の中で形成される(Swann,1987;McNulty &Swann,1977)という知見を用いて,自
己評価が形成される過程を,自己評価が他者からの評価によって影響を受けるプロセスのことであるとしている.ここ
で長谷川(2007)は,自尊心の形成要因について個別的自己評価とその重要性だけではなく,他者からの評価や反映的
自己評価を考慮する必要があることを明らかにし,従来とは異なる自尊心形成モデルを提示している(図 1 参照).
反映的自己評価とは,自己は他者との相互作用の中で形成され,自己に対する他者の評価が,その人からどのように
評価されていると思うかという,反映自己や鏡映自己と呼ばれる自己表象を形成し,それが現実の自己評価に反映され
るということである(長谷川 2007).つまり,従来の自己評価は,自分に対する自分の評価という見方をされていたが,
近年は他者の目を含めての自己評価を考えるべきではないだろうかということがいえる.
6
自己評価
自己評価
個別的自己評価
個別的自己評価
重要性
重要性
+
他者からの評価
反映的自己評価
従来のモデル
長谷川(2007)のモデル
図 1 自己評価の構成要因
■自己を追求する青年期の若者と他者
前述した自尊心や自己評価の問題は,青年期の発達と密接に関連していることが多くの先行研究によって指摘されて
いる.青年期は,それまでに積み上げてきた「自分」の感覚や同一化を主体的に問い直し,一個の人間として自己を確
立する時期であり,自己の所属する場や関係する他者からの承認を得て,安定したものとなる(山田 岡本,2007).こ
うした他者からの承認は,心理学においては承認欲求という概念で研究がなされてきた (菅原,1998).また,菅原(1998)
は,承認欲求の中には,他者からプラスの評価を得たいという賞賛獲得欲求と,マイナスの評価を避けたいという拒否
回避欲求の二つを区別することができることを指摘している.樋口(2002)は,自分の価値を認めてもらったり他者の価
値を認めたり,あるいは,認め合ったり,そのような承認の関係こそ,人間関係の基礎をなすものとしている.そして
樋口(2002)は,前述した自己承認とは主観的,独りよがりであるから,自己承認を客観化し,自分は価値のある存在だ
ということを他者にも承認してもらうことで,存在証明をし,自尊心は満たされるのだとしている.つまり,他者から
の承認とは,自尊心を満たす手段であり,青年期における承認とは,安定した自己の確立に不可欠であるといえるので
はないだろうか.
これまで見てきたように,青年期における自尊心や自己評価,承認といった諸問題に共通しているのは,それらのす
べての概念が何らかの形で他者とかかわる概念であるということである.特に,青年期においては不安定な自己を確立
するために,他者からの評価や承認を強く求めていることがわかった.それでは,青年期における他者とは,どのよう
な存在を指すのだろうか.青年期の若者を取り巻く他者としては,例えば両親,教師,兄弟など,さまざまな他者が想
定できる.そうした他者の中でも,先行研究では特に友人の重要性が指摘されている.青年期は,それまでに積み上げ
てきた「自分」の感覚や同一化を主体的に問い直す時期であると上述したが,鈴木ら(1998)は,青年期には自分の基盤
を改めて意識し変革するので,大きな不安や緊張を伴うとしている.また,鈴木ら(1998)は,不安定な自己を支える存
在として,同様の悩みを抱える友人の存在をあげている.こうした先行研究の知見からも,はじめに出取り上げた友人
I の行動は,青年期に特有な行動として理解可能であろう.では次に,青年期の友人関係についての先行研究を紹介す
る.
7
■従来の友人関係
友人関係とは,青年期においてどのようなものなのだろうか.まず,以前の社会における友人関係について概観して
いく.急激な身体的成長や心理的離乳に直面する青年期は,心身ともに不安定な時期であると指摘されてきた(落合,
1993).先にも概観したように,この不安定な時期にいる青年にとって,自分を理解し支えてくれる友人は重要な存在
である(齋藤,藤井,2009).
青年期における友人関係の特徴として,岡田(1999)は親密で内面を開示するような関わりを「内面的友人関係」と呼
んでいる.つまり,自己への関心が高まり,精神的に不安定になりやすい青年期という時期において,友人関係とは自
分たちの内面を曝け出しあい,本音でぶつかり合うものである(岡田,1999).さらに,土井(2008)によれば,以前の社
会においては,
「親友とは何かと問われたとき,従来なら互いの対立や葛藤を経験しながらも,決別と和解を何度も繰
り返すなかで,徐々に揺るぎない関係を創り上げていけるような間柄」であった.こういった従来の友人関係に加えて,
近年では新しい友人関係が指摘されるようになった(岡田 1995).次にその新しい友人関係について概観する.
■現代の友人関係
前述した従来の友人関係に比べて,現代の友人関係の特徴として,土井(2008)は「優しい関係」という特徴を挙げて
いる.土井(2008)によれば,優しい関係とは,
「対立の回避を最優先にする若者たちの人間関係」のことを指す.また,
優しい関係には,他者と積極的に関わることで相手を傷つけてしまうかもしれないことを危惧する優しさと,自分が傷
つけられてしまうかもしれないことを危惧する優しさの,二つの優しさが表れているとされている.つまり,土井(2008)
は,従来の友人関係においては他者と積極的に関わることが「優しさ」の表現であったが,現代においては「優しさ」
の意味が反転し,他者を傷つけないように積極的に関わらないことが「優しさ」の表現なのであると指摘している.
では,優しさとは本来どのような意味を持つのだろうか.広辞苑(第五版)の「やさしい」を見ると,以下のような意
味が記述されている.ここで,森(2008)は,やさしさという言葉の意味から,対人関係におけるルールについて論じて
いる.
表 1 広辞苑(第 5 版)による「やさしい」の意味
①身も痩せるように感じる.恥ずかしい.
②周囲や相手に気をつかって控えめである.つつましい.
③差し向かうと恥ずかしくなるほど優美である.
④おだやかである.すなおである.おとなしい.従順である.
⑤悪い影響を及ぼさない.
⑥情け深い.情がこまやかである.
⑦けなげである.殊勝である.神妙である.
⑧(易しいと書く) ア 簡単である.容易である. イ わかりやすい.
表 1 に表した 8 つの意味のうち,森(2008)は「⑤悪い影響を及ぼさない」という意味に着目して,悪い影響は,人を
傷つけることであるとし,現代におけるやさしさとは「人を傷つけないように気を遣う態度やふるまい」であると解釈
した.森(2008)は,このようなやさしさを,
「やさしいきびしさ」と,
「きびしいやさしさ」の二つに分け,それぞれの
特徴について論じている.
「やさしいきびしさ」とは,やさしさに基づいたきびしさであり,きびしく接することで相手を傷つけてしまうこと
もあるが,相手の将来を思うが故の厳しさである.いわゆる,
「愛のムチ」である.森(2008)は反対に,
「きびしいやさ
しさ」とは,現在相手を傷つけないように全力を尽くすやさしさのことを指す.相手を傷つけないという点ではやさし
8
いかもしれないが,このやさしさの背後には,傷つけたら許さない,というきびしさが潜んでいると指摘している.ま
た,土井(2008)は,現代の若者の友人関係には「薄氷を踏むような繊細さで相手の反応を察知しながら,自分の出方を
決めていかなければならない緊張感が絶えず漂っている」としている.上記から,相手をよく観察し,傷つけないよう,
傷つかないようにふるまうことが現代の若者にとってのルールであることが伺える.こうした優しい関係は,現代の若
者の日常生活に溢れているのではないだろうか.現代の若者にとっての友人との関わりは,土井(2008)が指摘するよう
に「地雷原」であり,地雷原を避けて歩くような,慎重を要する作業といえるのである.
■なんとかなってしまう友人関係
これまで,青年期という発達段階特有の,評価をされたい青年期の若者という特徴と,他者と対立しないために本音
とは異なる評価をしてしまう現代の青年期の友人関係について概観してきた.
青年期の若者は,自己を形成する上で自分が掛け替えのない存在であるという自尊心を,他者から評価され,認めて
もらうことで客観化し,正当性を得るというものであった.友人の評価や承認を必要としている.一方で,現代におけ
る若者の人間関係は,相手を傷つけないように,自分も傷つけられないように,深い関わりを避ける「優しい関係」で
あった.
つまり,現代社会においては,認めてほしいという若者の欲求と,衝突したくないという他者の欲求が,噛み合って
しまう.つまり,両者の欲求は何とかなってしまう友人関係となっているのだ.つまり,図 2 に表したように,認めら
れたい若者は周囲に評価や承認を求め,周囲の友人関係は,相手を衝突することや傷つけてしまうことを恐れて,相手
を承認してしまう.このように,評価や承認は,以前の社会に比べ,現代社会においては,友人関係という問題とより
密接に関連している.
認めてほしい
傷つけたくないから認めてしまう
図 2 青年期の若者と友人関係の相互関係
■おわりに
相手に気を遣いながらコミュニケーションを取る優しい関係は,衝突のない円滑な対人関係を営むことが出来る.現
代の青年期の友人関係においては,友人 I の事例のように,優しい関係の中で,本当は認めたくはないことでも,友人
を傷つけたくない,友人との関係を悪化させたくないという理由で本心とは違う評価を行ってしまうことがある.今日
における現代の若者の友人関係には,そのような場面が筆者の周りでは多々見られる.そして,多くの若者たちが,こ
うした友人関係に違和感を感じることなく過ごしているのではないだろうか.筆者自身もこれまで,友人関係において
優しい関係に甘んじ,なんとなくこれで良いのかなと思いながら今日に至っている.
しかし,優しい関係において行われる評価は,本当に相手のことを考えて行われているものなのだろうか.本当に相
手のことを思うのであれば,例え傷つけるようなことでも言わなければならない時があると筆者は考える.仮に,内面
9
的友人関係であれば,仮に友人と衝突して落ち込んだとしても,そこから立ち上がり,欠点を直し,成長することがで
きるからである.優しい関係は相手の欠点を上手に隠してしまい,欠点を改善するチャンスを奪ってしまうと筆者は考
える.
筆者は,内面的友人関係のように,友人からうわべの評価や承認を得るよりも,自分が欠点を克服してから,友人か
ら本音の評価や承認を得た方が嬉しい.また,自分の価値をただ誰かに認めてほしい,というのではなく,頑張った自
分を自分自身で認められるようになりたい.友人からの優しい評価を得るよりも,自分を振返り,頑張った自分の価値
を自分で肯定できるようになりたい.優しい評価や承認に甘んじず,自分で自分を認められるようになるために,筆者
はこれから,優しい関係に陥らずに,友人関係の中で本音の評価や承認が可能な有り方を検討していきたい.
■引用文献
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10
第 3 章 青年期における若者の自己形成 ―社会的比較の視点から―
佐藤 真衣
■はじめに
あなたは日常生活において,他者と自己を比較することがどの程度あるだろうか.例えば,スタイルが良く顔立ちも
綺麗な友人と自分の容姿を比較して友人を羨ましく感じたり,講義の成績を友人と比較して自分も頑張ろう!!と向上心
が湧いたりするなど,人間には日常生活のなかで他者と自己を比較する機会がたくさんあるのではないだろうか.筆者
も日常生活において,このように自己と他者を比較する経験が多々ある.さらに筆者は,自分に自信がないとき,次の
ような行動をとることが多い.例として,講義中のテストを挙げる.筆者は自分よりもテストの点数が悪かった人を見
て「自分はまだ良い方だ」と思って安心感を得たり,自分よりテストの成績が良かった人がいた場合,その人を見て「自
分はレベルが低いんだ」と結果に落ち込んでしまったりする.このことから筆者は,他者との比較は,自分に自信のな
い人が自信をもつために行っているのではないかと考えた.
なぜ,人は自己と他者を比較してしまうのであろうか,そのような自己と自己以外の他者を比べるといった行為は,
従来の心理学において社会的比較という概念によって研究されてきた.よって,本論文ではまず心理学における社会的
比較の概念を概観する.
■従来の青年期における自己
大学生は発達段階において青年期にあたるとされる.Erikson(1950)によると,青年期においてはアイデンティティ
の確立を目指すことが最も重要な発達課題となり,このアイデンティティの確立という発達課題が達成できるかどうか
が次の段階以降の人生を健全に送ることができるかどうかに関わってくると述べている.
詫摩(1987)によると, 青年期には,程度の差はあってもほとんどの青年が自身に対して自己嫌悪感をもっていると
される.その理由として詫摩(1987)は,第 1 に青年がこのようにありたいと望んでいる水準が高いということ.第 2 に
自分自身に期待するところが大きく,他との比較に敏感であるということ.そして第 3 に青年は自分のことを気にする
割には自分の客観的な姿を把握していないということの 3 点を挙げている.佐藤(1998)で示唆されているように,青年
は,理想の自己と現実の自己という 2 つの自己を持ち,理想自己に完全さを求めすぎているため,現実とのギャップが
生じ,自己嫌悪に陥ってしまうのではないだろうか.したがって,アイデンティティの確立がされていない精神的に不
安定な青年期の若者には,自己嫌悪感を抱く者が多く,自分に対する評価が低いのではないだろうか.自己と他者を比
較することが多いということも自己評価が低いためではないだろうか.次節では他者と自己を比較することについて述
べる.
■社会的比較とは
Festinger(1954)は自己と他者を比べることを社会的比較という概念で説明し,社会的比較過程理論という説を提唱
している.社会的比較過程理論の中心は,人間が適応した社会的生活を送るためには,自分自身や自分のおかれた状態・
環境を熟知していることが大切だという考えである.もし人々が自分や自分の周囲の出来事について的外れな見方をし
ていたなら,生活はたちまちおかしなものになってしまうだろう.例えば,一般の大学生がマイケル・ジャクソンのよ
うな世界的な大スターに本気でなれると考えるだろうか.いないだろう.このように,人間は自分自身のおかれた状況
を知り,適応した社会生活を送るために他者との比較を行うのである.次節より,社会的比較の機能である「自己評価」
「自己高揚」という 2 つの側面から述べていくことにする.
11
■自己評価のための社会的比較
Festinger(1954)によると,人間には自分のもつ意見や能力を正確に評価しようとする動因があるとされており,自
分の意見の正しさや自分の能力の程度を自分ではっきりと知る,つまり明確な自己評価をしようとする傾向が人間には
備わっているとされている.そして,ほかの多くの人々と意見・能力を比較したことで得られた確からしさのことを社
会的リアリティと呼ぶ(Festinger,1954).
では,自己評価をするために自分と他者とを比較する場合,比較の対象にはどのような人物が選ばれるのであろうか.
Festinger(1954)によると,比較の対象の選定には,自分と類似した人物が有効であるとされている.比較の対象に自
分と類似した人物が選定されることについて,高田(1992)は類似した他者と自分の意見が一致したなら自分の意見は
「正しく」
「妥当」であると感じ,社会的リアリティが得られるためであると述べている.また,Radloff(1966)は,自
分と類似した他者との比較の機会が多いほど,自己評価は正確で安定したものとなることを明らかにしている.
上述してきたとおり, 本節では,社会的比較の自己評価機能について人間には自分の意見において明確な自己評価
をする動機があり,そのために社会的比較を行うということを示した後,社会的比較の自己評価機能にとって重要であ
る他者の特徴は自分と類似した他者であるということを述べた.しかし,社会的比較を行う者が自分の意見の妥当性を
評価するためではなく能力の優劣を確認するために社会的比較しようとする場合,自己評価とは別の機能が発生する
(Latane,1966).それが,社会的比較のもう 1 つの機能である,自己高揚である(Latane,1966).では次項より,自己
高揚のために行われる社会的比較について述べる.
■自己高揚のための社会的比較
Latane(1966)によると,自己高揚のための社会的比較とは,自尊心を高めるため,あるいはその低下を防ぐために自
分と他者を比較するとされている.また,遠藤(1999)によると,自尊心とは自尊感情のことでもある.自尊感情とは,
自分に対する評価感情のことで自分自身を基本的に価値のあるものとする感覚のこととされている.高田(1992)による
と,自己高揚のための社会的比較は,主として積極的な社会的比較と消極的な社会的比較に分類される(図 1). 積極的
な社会的比較は,上方比較といわれ,自分の成績を向上させようとする動機づけが高い場合,あるいは自尊心が既に高
まっている場合に起こりやすく、また,消極的な社会的比較は,下方比較というものであり,他者との比較によって自
尊心が傷つけられる恐れがあるときに起こる(高田,1992).
自分より優秀な他者
(上方比較)
自分
↓
自尊心を高める・保つ
自分より劣った他者
(下方比較)
図 1 自己高揚比較(高田,1992)
12
■自己評価維持モデル
前節では、他者と比較して自尊心を高めたり,その低下を防いだりする自己高揚のための社会的比較は,主として上
方比較と下方比較に分類されるということを述べた.では,この 2 つの自己高揚の方法は互いにどのような関係にある
のだろうか.
表 1 に示したのは,Tesser&Campbell(1983)が前述のような問題について述べた,自己評価維持モデルという安定し
た自己評価を維持するための異なった 2 種類の心理的メカニズムである.
表 1 自己評価維持モデル(Tesser&Campbell, 1983)
反映過程
他者の成績を自分自身に結びつけ同一視する過程である.
比較過程
他者と自分自身の成績を比較する過程である.
Tesser&Campbell(1983)による自己評価維持モデルにおいては、優れた他者との間の反映過程と劣った他者との間の
比較過程はどちらも自尊心を高めるとされる.逆に,劣った他者との間の反映過程と優れた他者との間の比較過程は自
尊心を低めるとされる(Tesser&Campbell, 1983)
.Tesser&Campbell(1983)による自己評価維持モデルから考えると、
私たちは自尊心を維持し好ましい自己評価を持ち続けるように動機づけられているため,他者の成績が自分より高いと
きには反映過程,低いときには比較過程が優勢になりやすいといえる.
ここまで,Festinger の唱えた社会的比較過程理論に基づきながら社会的比較の機能について述べてきた. 人は正確
で安定した自己評価や自尊心を維持することや高めることを目的として社会的比較を行っているということが考えら
れる.更に,私たちが社会的比較について考える際には「自己」が密接に関連していることがわかった(Festinger,1954).
したがって,次節で特に「自己」について着目し,本研究の対象である青年期の自己形成に社会的比較がどのような関
係があるのか述べていく.
■青年期における自己形成と社会的比較との関連
先述したように,アイデンティティの確立という発達課題をもつ青年は、生活環境や他者との関わりの中から,自己
についての認識を高め,自己の確立を目指すのだと考えられる(Erikson,1950).
Suls&Mullen(1982)は,社会的比較の生涯発達モデルを提唱しており,他者との比較は青年期に最も多く行われて
いることを示した.また,狩野(1985)は,一般に個人主義であるといわれる欧米人に比べて,集団志向的で周囲の人々
との調和や一致を重んじるといわれる日本人においては,社会的比較が多く生じるということを指摘している.更に,
Markus&Kitayama(1991)はそのような日本人特有の自己の在り方を相互協調的自己理解,欧米人のような自己の在り
方を独立的自己理解として区分しており,表 2 に特徴を述べる.
表 2 相互協調的自己理解と相互独立的自己理解(Markus&Kitayama,1991)
相互協調的自己理解
個人は互いに結びついていて個別的ではなく,
さまざまな人間関係の一部になりきることが大切である.
個人はそれぞれ他者から分離しており,それ故,自己は自律的で独立している
相互独立的自己理解
ため,
個人は他者から独立し,独自性を主張することが必要である.
相互協調的自己理解が優勢な文化あるいは個人においては,自己概念が形成されるにあたり,他者との社会的な関係
13
に基づく社会的比較に依存する程度が相対的に高いことが考えられる(高田,1993).以上のことから、日本人の青年は
社会的比較を行う傾向が最も強いということが考えられるだろう.
Mead(1934)によれば,人は他者との相互作用があるからこそ自己を認識し,その相互作用が自己概念の一部として
内在化されるとしており,自己概念の発達は,成長とともに移り行く社会との関わり合いの変化の中で,時間を超えた
自己同一性(アイデンティティ)の獲得を目指して進行する.つまり,自己概念に連続性・単一性,または独自性・普遍
性を見出し,
「個人の同一性の意識的感覚」(Erikson,1959)を持つに至ったとき,その自己概念はアイデンティティと
して確立したといえるのである(Mead,1934).特に青年期は,家族からの離脱,社会における意志的・自立的な成人
の役割をとるための準備段階として人がアイデンティティの確立を試みる時期である(村本,1989).青年はこの動機に基
づいて自分をとりまく環境を見つめ,他者との社会関係の中での自分の位置づけを認知するための「社会的比較」を行
う(Gergen,1971).
■おわりに
本論文では,社会的比較の機能について概観するとともに青年期における自己形成に社会的比較がどのように関連す
るのかを述べてきた.社会的比較は,アイデンティティ確立を達成課題とする青年期において重要な役割を果たすこと
が示唆される.人間は安定した自己評価や自尊心の維持を求めることが社会的比較を行う動機づけとなっていることも
わかった.特にアイデンティティが確立されていない青年期においては自己概念が不確実であるため,社会的比較の必
要性が求められるのである.また,社会的比較の方法にも様々なものがあり,その場面に応じて他者との比較を行い,
自己を守ったり自己を認識したりしているということもわかった.
物事には必ず『ポジティブな側面』と『ネガティブな側面』が存在する.
「社会的比較」にも同様のことがいえると
筆者は考えている.例えば,他者と自己を比較することによって自己について良い方向に変わろうとする人もいれば,
他者との比較を頻繁に行いすぎるあまりに自信をなくしてしまう人もいる.また,
「社会的比較」という行為に対して
ポジティブなイメージを抱く者もいれば,他者との比較を避けるなどして「社会的比較」の行為をネガティブなものと
して捉える者もいるのだ.このように,人々が「社会的比較」という行為に対してどのように捉えているのかというこ
とに対しても,筆者は疑問を感じる.そして,
「社会的比較」の捉え方によって他者との比較が青年期における若者の
自己の形成に対しても影響を与えているのではないかと考えた.
今後の展望として,青年期における若者が捉える社会的比較の『ポジティブな側面』と『ネガティブな側面』につい
てより多面的に検討していきたいと考えている.更に,今回の研究では「社会的比較」は青年期における若者の自己形
成に重要な役割を果たすということを明らかにしたが,その他にも「社会的比較」が青年期の若者にどのような影響を
与えるかということも併せて検討していきたい.
■引用文献
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Latane,B. 1966 Studies in social comparison : Introduction and overview. Jurnal of Experimetal Social
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Markus,H.&Kitayama,S. 1991 Culture and the self : Implications for cognition,emotion,and motivation.
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14
村本由紀子 1989 アイデンティティ確立の発達段階の違いが社会的比較に及ぼす効果,社会心理学研究,4,1-10.
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Greenwald(Eds.), Psychological Perspectives on the Self. Vol.2. Lawrence Erlbaum Associates.1-31.
15
第 2 部 第 1 章 大学生の動機づけに対する叱責の効果
―教員との関係性という視点から―
阿部 圭佑
PISA ショックと日本教育の問題点
2003 年,OECD(経済開発協力機構)が行った PISA テストは,日本において学力低下が問題視される発端となった.
PISA テストでは,高校 1 年生(15 歳)を対象に,総合読解力・科学的リテラシー・数学的リテラシー・問題解決能力の
試験を行い,学力を測定している.日本は PISA2003 テストにおいて,順位が前回より低下してしまったのだ.多くの
メディアはこぞって順位低下を児童・生徒の学力低下と問題視し,大きな社会問題となった.こうした事態は PISA テ
ストが巻き起こした混乱という意味で「PISA ショック」と呼ばれた.だが,福田(2006)によると,数学・科学リテラ
シーの得点は1位グループに属しており,成績自体は問題視するほど悪いものでは無いという.しかし,日本の児童・
生徒に何も問題が無かったわけではない.PISA テストが学力テストと同時に行っている児童・生徒の生活実態調査,
そして IEA(国際教育到達度評価学会)が行った TIMSS テストの質問紙調査により,児童や生徒が学校での勉強に対し
て意欲や意義を見いだせていないという重大な問題が浮き彫りとなった. 図 1 は,中学生を対象とし,PISA2003 が
行った生活実態調査より国語(読解力)の項目「を抜き出している.さらに,小学 4 年生・中学 2 年生を対象とし,IEA(国
際教育到達度評価学会)が行っている TIMSS2007 において調査された「国際数学・理科教育調査」の質問紙調査結果
を記載している.TIMSS が行った質問紙調査より,数学・理科に関する意識に該当する 4 項目を抜き出している.図
1 の数値は,質問紙調査の対象者が質問項目に対し,
「強くそう思う・そう思う」と回答した割合を表している.
100%
80%
60%
40%
20%
0%
55%
32%
読趣
書味
はと
しし
なて
いの
84%
53%
82%
47%
55%
17%
成に
将
仕
績,
来
事
を理
,
に
あ取科
自
就
るる
分
く
必で
が
た
要良
望
め
がい
む
績に
を,
取数
る学
る
必で
要良
がい
あ成
日本
将
仕
来
事
,
に
自
就
分
く
が
た
望
め
む
へ数
の学
積の
極勉
性強
57%
17%
へ理
の科
積の
極勉
性強
国際平均
図 1 生徒・児童の生活実態調査(PISA2003)&国際数学・理科教育調査(TIMSS2003 & 2007)を基に作成
図 1 のように,日本は国際平均よりずっと勉学に対してのやる気を持っていないにも関わらず,成績では上位に位置
していると言える.学習に対して意欲が低い学習者に対して,大人たちはどの様に働きかければ良いのであろうか.様々
な分野で学習者のやる気が研究されている中,教育心理学においては,
「やる気」は,
「動機づけ」という概念として研
究されてきた.それでは,以下に教育心理学における動機づけ研究の知見を概観する.
主体性の構成要因を踏まえた動機づけ概念
櫻井(1995)は,動機づけを構成している要素として「主体性」と「目標性」の 2 点を挙げている.
「主体性」とは何
かをしようと思い立ち,行動を自ら行うことであり,
「目標性」とは行動に対する指標を定めることである.
しかし,本人がもつ「主体性」や「目標性」に対して,他者からの働きかけで高める方法を研究したものはほぼ存在
しない.こうした問題にアプローチしている研究として Shahar(2003)が定義した「基本的欲求の階層性」がある.
16
Shahar(2003)の「基本的欲求の階層性」という概念においては,図 2 で示したように,学習者自身が自分の能力に対し
ての自覚と,能力に対する自信の有無を現わす「有能さ」,学習者を取り巻く環境の中で,重要な他者との繋がりの有無
を現わす「関係性」,学習者が学習に向かう姿勢の有無を現わす「自律性」の 3 点によって動機づけが構成されている.3
点の中でも「有能さ」と「関係性」は同列に存在しており.
「有能さ」と「関係性」が肯定的に働く事で「自律性」が生まれ,
「適応的行動」を行うとされる.適応的行動とは,内発的動機づけ時に行う行動とほぼ同義であると考えられる(上淵,
2004).そこで本研究では,内発的動機づけを構成している要素は「自己有能感」,「関係性」,「自律性」の 3 点であると
定義する.
有能さ
自律性
自己効力感
適応的行動
自律的動機づけ
自己批判
不適応的行動
関係性
統制的動機づけ
関係性
実線は肯定的効果
必要性
点線は否定的効果
図 2 基本的欲求の階層性(Shahar,2003 より改訂)
上述した櫻井(1995)の動機づけ定義における「自主性」と「目標性」は,図 2 の基本的欲求の階層性に当てはめて考
える事ができる.
「自主性」は「自律性」
.
「目標性」は図 3 の右側「(不)適応的行動」と同じ意味を持つと言える.その
上で図 2 の基本的欲求の階層性では,学習者が自律的行動をとる為に必要な 2 つの要素を挙げている.つまり,他者が
学習者と関われる点は,言葉かけ等で学習者の自己有能感を高める事と,学習者との関係性を改善し,良好に保つ働き
かけの 2 点なのである.では,次節から自己有能感と関係性についての研究と,既存研究の問題の知見を整理していく.
従来の研究に見られる問題と本研究の目的
他者から学習者の自己有能感を高める研究としては,有本(2007)の研究が挙げられる.有本(2007)が児童に行った調
査によると,教員が働きかけることのできる学習場面 4 つの場面において、全て行為の結果に対して賞賛を行った際に,
児童の自己有能感が高まるとしている.
学習者に対する動機づけ研究では主に,効果的な「賞賛」という視点から研究がなされてきた.Herlock(1927)を始
めとした多くの研究結果では,外発的動機づけ段階の児童には,賞賛の働きかけが最も動機づけを高めることが明らか
とされている.だが,その働きかけだけが有効な働きかけと言えるのだろうか.一般的に教育現場では,叱る機会を減
らし,学習者に対して適切に褒めるというのが基本的な方針である.しかし,教育現場は「賞賛」のみを行える場所で
は無い.だが,児童・生徒を対象とした叱責研究は,教育界において不可侵の領域ともいえる.
叱責を含めた先行研究として,櫻井(1987)と中谷ら(2006)が挙げられる.だが,櫻井(1987)は児童に対し動機づけを
質問紙で調査した後,自身を担当している教員は叱る教員なのか,褒める教員なのかを児童自身が分類しているため,
実際の叱責場面や叱責方法を検証しているものではない.対象を高校生とした中谷ら(2006)の研究では,研究結果とし
て教員と良い関係を築いている生徒は罰の予告(課題を増やす等)と理由説明(○○をしないことは,君の為にならない)
によって動機づけが高まるとされている.さらに,動機づけが低い生徒は罰の予告を,動機づけが高い生徒は理由説明
によって動機づけが高まり,問いただし(なぜ○○をして来なかったのだ)を行う叱責は,どの状態の生徒も好まない事
が明らかとされている.つまり,教員との関係性によって叱責の有効性は大きく異なり,また叱責の中には動機づけを
高めるために有効ではない方法も存在する.
17
従来の研究では,学習者に対し,どの様な状況で,どの様な言葉かけを行うのか.また,学習者はどの様な教員を好
むのかといった,それぞれの要素が独立した研究しか存在しなかった.だが,働きかけを行なわれる学習者が同じ発達
段階・同じ動機づけ段階にあっても,有効な働きかけが同一ではない可能性もある.以上を踏まえて shahar(2003)の
基本的欲求の階層性を基に,学習者の「自己有能感」と,教員との愛着を示す「関係性」を組み合わせ,学習者の特性
によって分類し,量的研究を行うことで学習者の分類ごとの傾向を掴む事が可能であると考えられる.
大学での調査研究
本研究では質問紙調査を用いて,大学生を研究協力者として量的研究を行う.先述した様に,Shahar(2003)の基本
的欲求の階層性から,本研究では関係性と自己有能感を組み合わせた上での知見を明らかにすることを目的とし,対象
を大学生とした.本研究では,研究協力を依頼する大学は K 大学とした.依頼する理由として K 大学は,1 年次に基
礎ゼミと呼ばれる講義を必ず受講し,3・4 年次には研究したい分野からゼミを選択し課題ゼミに所属する.本研究で
は,より中谷ら(2006)の様に教員-生徒間の関係性を研究するものであるため,対象を基礎ゼミでの教員-学生間の関
係性に設定した. K 大学は基礎ゼミを 10 名弱の少人数制で行っており,小・中・高等学校の教員と学生との関係の様
に,親密な関係性が築かれている. 1 年生を研究協力者とするその他の利点としては,1 年次の学生は基礎ゼミを受講
している最中であり,他学年の大学生よりも学生と教員との関係性が構築されていると考えられること,さらに質問紙
で設定した叱責場面において,より現実味を持って想定することが可能である点が挙げられる.
問題と目的
有本(2007)や中谷ら(2006)の研究では,有効な賞賛の方法や,叱責をする側と受ける側の関係性を踏まえた有効な叱
責の方法を検討した.本研究ではさらに,Shahar(2003)の基本的欲求の階層性を基に,叱責を受ける側が持つ自己有
能感と,叱責をする側との関係性を調査し,有効な叱責の方法を検討する.
本調査を行う意義としては,実際の教育現場において避ける事の出来ない叱責の方法を学生にあわせて使い分ける方
法を検討することで,学業場面における有効な叱責方法を,各学生のタイプ毎に明示できることである.中谷ら(2006)
の研究では高校生において,適切な叱責によって動機づけが高まることが明らかとされている.大学の教員-学生間に
おいても叱責を効果的に行うことによって,動機づけを低下させることなく叱責を行う,もしくは叱責によって動機づ
けを高めることも可能であると考えられる.本研究では Shahar(2003)が定義した基本的欲求の階層性に基づき,学生
に対する有効的な叱責の方法を,教員との関係性と学生の自己有能感の高低を考慮して検討する.
まず,コンピテンス測定尺度(櫻井,1985)によって「自己有能感」の高低と,関係性尺度によって「関係性」の高低
を質問紙調査によって算出する.さらに「自己有能感」と「関係性」の合成得点の高低に応じて,学生の分類を 4 つの
群に分ける.群はそれぞれ自己が高く関係性が高い「有能高・関係高群」
,自己有能感が高く関係性が低い「有能低・
関係高群」
,自己有能感が低く関係性が低い「有能低・関係低群」
,自己有能感が高く関係性が低い「有能高・関係低群」
である.
自己有能感 (高い)
有能高・関係低群
有能高・関係高群
関係性
(低い)
関係性
有能低・関係低群
有能低・関係高群
(高い)
自己有能感 (低い)
図 3 学生の特性による 4 分類化
図 3 に示した様に,学生を分類したのち,学生に対して叱責の場面とその際の教員の言葉を示した質問紙を実地する.
18
回答の傾向によって,4 分類化した学生に対し,どの叱責パターンによってそれぞれの学生は動機づけが高まるのかを
明らかにする.中谷ら(2006)の先行研究によって明らかとされた高校生に対する効果的,非効果的な叱責の方法を踏ま
え,以下の 5 つの仮説を立てた.
《仮説 1》
:
「有能高・関係高群」と「有能低・関係高群」に比べて,
「有能高・関係低群」と「有能低・関係低群」は,
信頼していたことを伝える言葉かけによる動機得点が高い.
《仮説 2》
:
「有能高・関係高群」と「有能低・関係高群」に比べて,
「有能高・関係低群」と「有能低・関係低群」は
問いただしを行う言葉かけによる動機得点が高い.
《仮説 3》
:
「有能低・関係低群」と「有能低・関係高群」に比べて,
「有能高・関係高群」と「有能高・関係低群」は
罰の予告による動機づけ得点が高い.
《仮説 4》
:
「有能低・関係低群」と「有能高・関係低群」に比べて「有能高・関係高群」と「有能低・関係高群」は,
他者への迷惑による動機づけ得点が高い.
《仮説 5》
:
「有能低・関係低群」
,
「有能低・関係高群」
,
「有能高・関係高群」に比べて,
「有能高・関係低群」は,理
由説明による動機づけ得点が高い.
方法
調査協力者:群馬県内の K 大学の大学 1 年生 239 名(男性:73 名 女性:161 名 不明:5 名)
手続き:2010 年 12 月に,K 大学の教員から承諾を頂き,1 年生が必修で受講している講義中に配布した.配布後に講
回答・回収の方法をアナウンスし,回答後に回収した.回答に要する時間としては 10 分程度であった.
調査内容:
1)フェイスシート.コース・性別・学年の記入.
2)コンピテンス測定尺度(櫻井・高野,1985).(1,そう思わない,2,あまりそう思わない,3,どちらともいえない,
4,そう思う,5,とてもそう思う) ,の 5 件法であった.櫻井(1985)が作成した自己有能感尺度の中から 10 項目
のうちの 5 項目を使用した.
3)母親に対する愛着尺度(本多,2002).(1,そう思わない,2,あまりそう思わない,3,どちらともいえない,4,
そう思う,5,とてもそう思う),の 5 件法であった.本項目は,本多(2002)が作成した尺度集の「母親に対する愛
着尺度」を基に,教員を対象に変えて作成した. 8 項目のうちの 5 項目を使用した.
4) 叱責の場面と叱責方法 (有本(2007),中谷ら(2006)を基に,筆者が作成).調査する場面は,学習の場において想
定できる叱責場面として「レポートの出来が悪かったとき」
「講義中に雑談をしていたとき」
「講義で積極的に発言
をしないとき」の 3 種類を想定した.それぞれの場面で,叱責の方法を 5 つ「信頼」
「問いただし」
「罰の予告」
「身
近な他者への迷惑」
「理由説明」を想定した.各場面で,どの様な叱責を受けた時に「次からは気をつけよう」と
思うのか 5 件法で調査した.
結果と考察
《仮説 1》
「有能高・関係高群」と「有能低・関係高群」に比べて,
「有能高・関係低群」と「有能低・関係低群」は,
信頼していたことを伝える言葉かけによる動機づけ得点が高い.
《仮説 3》
:
「有能低・関係低群」と「有能低・関係高群」に比べて,
「有能高・関係高群」と「有能高・関係低群」は罰
の予告による動機づけ得点が高い.
《仮説 5》
:
「有能低・関係低群」
,
「有能低・関係高群」
,
「有能高・関係高群」に比べて,
「有能高・関係低群」は,理
由説明による動機づけ得点が高い.
作成した 4 群を独立変数とし,叱責を行う 3 場面から同一の叱責のパターンの得点を基として作成した合成得点を
19
従属変数として,一元配置の分散分析を行った.結果として,上記の仮説 3 点では,各群の間においての有意差は認め
られなかった.F(3,231)=1.75,p<.n.s. ),(F(3,231)=1.30,p<.n.s.),(F(3,231)=2.50,p<.n.s.).
仮説 1 において,各群の間で有意差が認められなかった結果であるが,大学生にとって教員からの信頼を失ったとい
う事実はあまり重要視されないものだと考えることができる.信頼を伝える叱責方法では,叱責を行う側からの嫌味と
受け取られてしまい,叱責を受ける側の動機づけを損なってしまうのではないかと考えられる.
仮説 3 と仮説 5 において,有意差が認められなかった結果について考察する.中谷ら(2006)の研究では,教員に対し
て情緒的支持を感じている生徒は,理由説明と罰の予告によって動機づけ得点が高まるとされているが,本研究では異
なる結果となった.高等学校と大学における環境の違いが,二者間の差を生んだと言えるだろう.例えば罰の効果の差
異であるが,高等学校においてテストの点が悪かったことが原因で出される課題の多くは,テストや出来の悪い教科を
補う為のものである.教員も自分の成長の為に課題を課している,と思い至ることができるため、高校生に対しての罰
は効果的であると考えられる.それに対し,大学は教科には関係のない研究のレポートである.勿論,大学の課題も意
義があり,今後社会に出るにあたって非常に重要なものではあるが,罰によって学んだことをその後に活かす機会が分
かりづらい.その違いが結果に表れたのではないだろうか.次に理由説明であるが,高校生は定期的に行われる定期試
験や期末試験などのテストが大学よりも多いこと.さらに高学年になるにつれて,大学入試や就職先を探し職に就くこ
とを目標とし,将来展望を抱く生徒も存在することから,より身近な未来についての緊張感が生まれていると考えられ
る,対して大学 1 年生にとっては,大学入試が終わり就職活動もまだ現実感がなく,一人暮らしや大学生活のカリキュ
ラムにも慣れてきた時期で,大学生活を楽しもうとしている矢先なのではないだろうか.そのため,将来のことについ
ての叱責を好まず,いわゆる「大学=社会に出るまでの猶予期間」という考えを持っているのではないかと考えられる.
《仮説 2》
:
「有能高・関係高群」と「有能低・関係高群」に比べて,
「有能高・関係低群」と「有能低・関係低群」は
問いただしを行う言葉かけによる動機得点が高い.
《仮説 4》
:
「有能低・関係低群」と「有能高・関係低群」に比べて「有能高・関係高群」と「有能低・関係高群」は,
他者への迷惑による動機づけ得点が高い.
自己有能感と教員との関係性から,高低を基に作成した 4 群化を独立変数とし,従属変数は叱責を行う 3 場面から
同一の叱責パターンの得点を基として作成した合成得点を従属変数として,一元配置の分散分析を行った.その結果,
図 4 と図 5 の様に,仮説 2 と(F(3,231)=4.48,p<.05),仮説 4 において有意差が認められた.(F(3,231)=4.47,p<.05).
5
5
*
4
3
2
1.85
4
2.29
2.16
3
2.01
*
2.19
*
2.60
2.46
2.62
2
1
1
有能低・関係低 有能低・関係高 有能高・関係低 有能高・関係高
n=79
n=48
n=54
n=54
F(3,231)=4.48,p<.05
有能低・関係低 有能低・関係高 有能高・関係低 有能高・関係高
n=79
n=48
n=54
n=54
F(3,231)=4.47,p<.05
図 4 教員からの問いただしを行う叱責方法
図 5 教員からの他者の迷惑を示唆する叱責方法
仮説 2 と仮説 4 において有為な差が認められたのは,教員との関係性における点が要因である.問いただしにおける
結果の違いは,叱責を受ける側の感じ方に違いがあるのではないかと考えられる.例えば,関係性の高い学生は「関係
20
性の良いこの教員であれば,自分の意見や話しをきちんと聞いてくれる.
」といった弁明のチャンスとして捉えたこと
と,関係性の低い学生は「自分の失敗を尋問されている.
」と捉えることによる違いであると考えられる.次に,他者
の迷惑における結果の違いであるが,教員との関係性が高い方が,より周りの成員の為に努力をしていると捉えられる.
大学という場所は,高等学校までのクラスの様な,決められた構成成員がほとんどいない.つまり,何時でも,どこに
行っても知人が居る.という状況ではないのである.その状況下も影響して,大学生は決められた成員での活動に際し,
非常に繊細に,注意を払うのではないだろうか.では,なぜ自己有能感が低く,関係性が低い学生は周りの他者を含ん
だ叱責を好まないのだろうか.自分と同じ立場の者のことを,関係性の低い目上の者から言いつけられることによって,
基礎ゼミ成員との関係が壊されると感じるのではないだろうか.
総合考察
本調査では,5 種類の叱責パターンの動機づけ得点が全て,平均の 3 を下回った.これは,大学 1 年生が非常に叱責
を嫌うこと,もしくは叱責されることを想定していないと言えるのではないだろうか.なぜならば,大学生の日常生活
とは高等学校や義務教育の段階とは違い,服装や学業において比較的自由である.多くの高等学校とは違い制服はなく,
髪の色・ピアス・ヘアワックスに関する規則はほぼ存在せず,講義を遅刻や欠席でその都度怒られることもない.
さらに,本研究の結果の総括として,K 大学の 1 年生は叱責を行われる際,叱責をする教員との関係性を重要視して
いる傾向が認められた.結果として有意差が認められた「問いただし」と「他者への迷惑」の 2 つの叱責場面で,有意
差が認められた独立変数の群は,どちらの場面も「有能低・関係低」と「有能低・関係高」の 2 つの群であった.それ
では,以上の結果は何故見られたのであろうか.学業場面という点に着目すると,小・中学校の義務教育.そして高等
学校では多くの場合,分かりやすく数値化されたテストが行われるが,調査を行った K 大学を始めとして,多くの大
学はレポートが定期試験の大部分であり,成績は学生の住む実家やアパートまで郵送される.つまり学業成績を明確に
比べる場面は小・中・高と比べると少ない.よって大学生は,自らの自己有能感をあまり重視しないのではないだろう
か.自身にどの程度の自信を持っているかより,言葉かけを自身に行う教員は自分の心許せる相手であるか,自身を取
り巻く要因の為に何ができるのかと言った,周囲の環境に影響を受けるのである.
引用文献
有本雄介 2007 教師の賞賛が児童の内発的動機づけに与える影響,兵庫教育大学大学院修士課程 学位論文.
Deci, E. L. & Ryan, R, M. 2002 Handbook of self-Determination Research. Rochester, NY:The Univercity of Rochester Press.
福田誠治 2006 競争やめたら学力世界 -フィンランド教育の成功-,朝日選書.
本多潤子 2002 児童の「母親に対する愛着」測定尺度の作成 カウンセリング研究,35,245-246.
Hurlock, E. B. 1925 An evaluation of certain incentive used in school work. Journal of Educational Psychology, 16, 145-159.
中谷素之 2008 教師・生徒関係が叱責場面における動機付けに及ぼす影響について,日本教育心理学会総会発表論文集 49, 255.
文部科学省 2003 国際数学・理科教育動向調査(TIMSS2003) 国際教育到達度評価学会報告書.
文部科学省 2007 国際数学・理科教育動向調査(TIMSS2007) 国際教育到達度評価学会報告書.
文部科学省 2006 OECD 生徒の学習到達度調査(PISA2006) 国際経済協力開発機構報告書.
櫻井茂男・高野清純 1985 内発的-外発的動機づけ測定尺度の開発,筑波大学心理学研究,7,43-54.
櫻井茂男 1987 両親および教師の賞賛・叱責が児童の内発的動機づけに及ぼす影響,奈良教育大学紀要(人文・社会科学)
,36,173 -182.
櫻井茂男 1995 学習意欲の心理学―自ら学ぶ子どもを育てる,誠信書房.
Shahar, G., Henrich, C,. Reiner, L. C., & Little, T. D. 2003 Development and initial validation of the belief adolescent life event scale(BALES).
Anxiety, stress, and coping: An international Journal, 16, 119-128.
上淵寿 2004 動機づけ研究の最前線,北大路書房.
21
第 2 章 現代大学生の友人関係における希薄さの意味
阿部 孝文
はじめに
現代青年は友人関係おいて,自他を傷つけることに対して非常に気を遣っていると指摘されている.例として,
「私
的には~かもしれない.
」といった曖昧な言葉遣いを用いて自分の発言の責任の追及を回避したり,本音を言わずに意
見を押し殺して相手に合わせてしまったりといったことなどが挙げられる.また,傷つけあうことを恐れてぶつかり合
うことを避ける現代青年の友人関係は,
「希薄なもの」として望ましくないネガティブなものとして捉えられている.
しかし,互いに傷つけあわない友人関係は,本当に希薄で望ましくないものなのだろうか.本研究では現代青年の友人
関係について概観すると共に,
「希薄さ」の持つ現代的な意味について考察する.
文献研究
青年期の友人関係の意味
梅本(2000)によれば,思春期や青年期における友人関係は,不安定な時期にいる青年にとって自分を理解し支えてく
れる重要な存在であるとされている.また,青年期の交友関係は,お互いに人格的な影響を及ぼし合うようになる(岩
永,1991)とされ,Havinghurst(1953)によると,親から精神的に自立して自己形成を行い,同性・異性の友人との親
密な関係を構築することも重要な課題とされている.つまり,友人関係は青年期の課題となる人格形成に関係しており,
青年期の精神発達において深い友人関係は重要な意味を持っているといえる.
優しい現代青年
以前の社会において,青年期の友人関係は,親密で内面を開示し合う関係であったとされる(西平,1990).しかし,
現代青年の友人関係は永田ら(2009)によると,従来の親密な関係から,相手を傷つけたり自分が傷つくのを極度に恐れ
るために,内面を吐露したり,友人間でぶつかり合うことのないという関係に変化したとされている.土井(2008)は,
意見の衝突を恐れ,対立の回避を最優先にする友人関係である「優しい関係」の存在を明らかにしている.
しかし,内面を吐露したり,友人間でぶつかり合ったりしない表層的な関係が必ずしも不適応な側面のみではないと
いう指摘もある.岩田(2006)は,友人関係における自己意識が,場面毎に使い分けられるようになり,それぞれの場面
や文脈を適切に読みとる繊細なコミュニケーションスキルが要求されているとしている.以上の先行研究をふまえ,土
井(2008)は現代青年の人間関係は希薄化「している」のではなく,互いに傷つく危険を回避するために友人関係をあえ
て希薄化「させている」のだと指摘している.
以上の知見から,現代青年の表層的な友人関係は,自分が傷ついてしまうリスクを回避するために用いられる手段の
1 つとしてみなすことができる.中でも友人に近づくことで自分が傷つけられてしまうこと,友人から離れることで自
分が寂しい思いをすることを回避する対自的要因が現代青年特有の表層的な関係に関係していると指摘している(藤井,
2004).他者との密接な関わりが必要なはずなのにも関わらず,現代青年は傷つくことを恐れて密接ではない表層的な
関わりをしているといえる.
“希薄化”の原因
従来の研究においては,土井(2008)や永田ら(2009)のように,現代青年の表層的な友人関係を希薄化とみなしてきた.
そうした現代青年の友人関係における希薄化の原因はさまざまであり,岡田(2007)は病理的な自己愛や発達的な障害,
丹波ら(2006)は社会的スキルの不足といった青年の性質などを挙げている.また,松下ら(2007)は,現代青年が楽しそ
うな見映えを重視するあまり,深く関わることによるネガティブな面に目を向けたり傷ついたりすることを恐れ,お互
22
いに気を遣い合い心理的距離を置くようになることを指摘している.
一方で,ネガティブな側面から捉えた研究だけでなく,ポジティブな側面から捉えた研究もある.上野ら(1994)は,
友人関係における心理的距離の大きさを自立性の高さとして捉え,友人と心理的距離を置くことが発達的に望ましいと
している.また,岡田(2007)は,友人関係における相手を傷つけない配慮が社会的スキルとしての機能を持っている可
能性を指摘している.加えて,橋本(2000)は友人関係における相手を傷つけることに気を遣う他者へのコミットの低減
という特徴を,現代社会への適応方略としての意味を持っている可能性として指摘している.つまり,以上の先行研究
から表層的な関係における“希薄さ”をネガティブなものとして捉えるのではなく,現代の友人関係への適応というポ
ジティブなものとしてもみることができる.
以上の知見から,現代青年は友人関係を意図的に希薄化させることで,自己の揺らぎや友人関係の崩壊を防ごうとし
ている可能性が示唆された.本研究においては,以上のように現代青年における“希薄化”を単にネガティブなものと
してとらえるのではなく,ポジティブな側面も有するものとしてみなし,そうした希薄化が現代青年の人間関係におい
ては,どのように機能しているのかを検討する.
調査研究
問題と目的
対人場面において,自分が傷つけられたり自分の考えが揺らいだりといった危機に対し,どのように対処し,課題を
解決するかといった問題は,対人関係における対処方略の視点から研究がなされてきた(加藤,2000).対処方略は,神
村ら(1995)によると,
「何らかの心理的ストレスを体験した個人が,嫌悪の程度を弱め,またその問題そのものを解決
するために行う,さまざまな認知的・行動的試み」と定義されている.本研究では友人グループといった集団における
対処方略と友人関係のタイプとの関連を検討する.
問題に対して積極的に関わる対処方略は,相手との関係を改善・維持する方略であり,利己的感情や欲求を抑制する
必要があるとしている(加藤,2000).古村ら(2008)によると,相手と対話をする方略は「親友と距離が縮まった」
・
「以
前よりも仲良くなった」などのポジティブな変化を促進する結果が得られた.つまり,友人に対して自己中心的な関わ
りをせず,自己の内面を開示できる親密な友人関係を築いている人は,問題に対して積極的に関わる対処方略を用いる
のではないかと考えられる.
問題への直接の関与ではなく,自分の感情を調節する対処方略はストレッサーそのものに働きかけないため,一時的
なストレス低減は期待できるが,根本的な問題解決には繋がらないとされる(藤原,2006).古村ら(2008)によると,相
手に対して自分が譲歩する方略は「自分は悪いとは思わないが自分から謝る」
・
「親友の気持ちに沿うように振舞う」な
どのネガティブな変化を促進する結果が得られた.つまり,友人に対して本音を言わず,対立が起きないように振る舞
う表層的な友人関係を築いている人は,問題に直接向き合わない対処方略を用いるのではないかと考えられる.
問題を解決せずに先送りにしてしまう対処方略を用いることは,表面的な手段を用いて関わったり,相手を傷つけな
いように気を遣ったりする必要のないその場の雰囲気を重視した関係を築いているとされる(加藤,2000).問題に積極
的に向き合う行動が必ずしも適応的であるとは限らないという加藤(2001)の知見と一致する.つまり,新たな友人関係
の構築や現在の友人関係の維持,消失に対する意識が低いその場だけの友人関係を築いている人は,問題に対する考え
を変化させたり他の物事に転嫁をしたりする対処方略を用いるのではないかと考えられる.
藤原(2006)や古村ら(2008)などの対処方略の先行研究においても,問題に積極的に関わることが望ましい方略とされ,
問題から退却することが望ましくない方略とされてきた.しかし,加藤(2001)の指摘があるように,一見望ましくない
方略であっても,方略を用いる人の性質に応じて適応的な方略として作用するのではないかと考えられる.
以上の知見をもとに,以下の仮説を立てた.
仮説 1:良好群は,問題解決・サポート希求得点が他の群と比べて有意に高い.
23
仮説 2:表層群は,問題回避得点が他の群と比べて有意に高い.
仮説 3:刹那群は,肯定的解釈と気そらし得点が他の群と比べて有意に高い.
方法
調査協力者:群馬県内の大学生 172 名.
手続き:2010 年 12 月に K 大学の学生に調査協力を依頼し,有効回答 168 票を得た.回答方法は講義内や友人,サー
クルなどを通して配布した.回答に要する時間は 10 分程度であった.
調査内容:
1)友人関係尺度(堀岡,2007).1「全くあてはまらない」
,2「ややあてはまらない」
,3「どちらでもない」
,4「ややあ
てはまる」
,5「非常にあてはまる」の 5 段階評定であり,尺度の構成は【表面的関係因子】
【気遣い・躁的防衛因子】
【内省傾向因子】
【軽薄短小因子】
【自己中心性因子】の 5 因子 30 項目であった.
2) 3 次元モデルにもとづく対処方略尺度(神村ら,1995).1「これまでにない」
,2「あまりない」
,3「どちらでもない」
,
4「だいたいそうしてきた」
,5「いつもそうしてきた」の 5 段階評定であり,尺度の構成は【問題解決・サポート希
求因子】
【問題回避因子】
【肯定的解釈と気そらし因子】の 3 因子 24 項目であった.
分析方法:SPSS を用いて分析を行った.はじめに,堀岡(2007)に基づき,友人関係尺度の 5 因子すべての Z 得点を変
数とした Ward 法によるクラスター分析を行い,友人関係を 4 つの群に分けた.次に,友人関係の群分けを独立変数
とし,対処方略尺度の【問題解決・サポート希求因子】
【問題回避因子】
【肯定的解釈と気そらし因子】の 3 因子の合
成得点を従属変数とし,一元配置の分散分析を行った.
群分けの結果
表 1 友人関係の群分け
行動不一致群
関係悲観群
関係無関心群
<表面的関係因子,自己中心的関係因子:高>
友人からの評価や自分の友人に対する言動を気にしながらも,自己中心的な関わりをする
<気遣い・躁的防衛因子,内省傾向因子:高・軽薄短小因子・自己中心的関係因子:低>
友人からの評価や自分の言動に関心があり,自己中心的なことはしない
<表面的関係因子,内省傾向因子:低>
友人関係に不満や疑問を抱かず,ありのままの自分をさらけ出している
<軽薄短小因子,自己中心的関係因子:高,気遣い・躁的防衛因子,内省傾向因子:低>
関係楽観群
友人と深く本音で関わるが,
自分の友人に対する言動を気にせず,軽い生き方や楽しさを追求している
堀岡(2007)と同様の尺度と分析方法を用いたが,堀岡(2007)と同様の群の構造とはならなかった.したがって,表 1
に示したように,独自に群分けを行った.第 1 クラスターは友人からの評価や自分の友人に対する言動を気にする表層
的な関係でありながらも,自己中心的な関わりをすると考えられることから「行動不一致群(N=54)」と命名した.第
2 クラスターは友人からの評価や自分の言動に関心があり,自己中心的なことはしないと考えられることから「関係悲
観群(N=61)」と命名した.第 3 クラスターは友人関係に不満や疑問を抱かず,ありのままの自分をさらけ出している
と考えられることから「関係無関心群(N=17)」と命名した.第 4 クラスターは友人と本音で関わるが,自分の友人に
対する言動を気にせず,軽い生き方や楽しさを追求していると考えられることから「関係楽観群(N=26)」と命名した.
24
仮説 1 の結果
<良好群は,問題解決・サポート希求得点が
5
*
他の群と比べて有意に高い>という仮説 1 を検
討した結果,図 1 に示すように,関係楽観群と
他の 3 群との間に有意な差がみられた(F(3,152)
=8.57,p<.05).関係悲観群が仮説における良好
群にあたると考えられるため仮説は支持された.
4
3.73
3.59
*
*
3.56
3.09
3
2
したがって自分の内面を見つめ,自己中心的な
振る舞いをしない現代青年は,問題に対して積
1
行動不一致群
極的に立ち向かい,友人に協力を要請する方略
n=54
を用いるという結果となった.
関係悲観群
n=61
関係無関心群
関係楽観群
n=26
n=17
F(3,152)=8.57,p<.05
図 1 友人関係のタイプと問題解決・サポート希求因子
仮説 2 の結果
<表層群は,問題回避得点が他の群と比べて
5
有意に高い>という仮説 2 を検討した結果,図
2に示すように,
行動不一致群とその他の3群,
関係悲観群と関係無関心群,関係悲観群と関係
楽観群に有意な差がみられた(F(3,151)=
17.64,p<.05).行動不一致群が仮説における表
4
3.16
3
*
2.49
*
*
2.62
2.03
2
層群にあたると考えられるため仮説は支持され
た.したがって友人と深い関係を築かず,友人
1
行動不一致群
への配慮を行っている人は,問題から目を逸ら
n=54
したり言い訳をしたりなどの退却的な方略を用
関係悲観群
n=61
関係無関心群
n=17
関係楽観群
n=26
F(3,151)=17.64,p<.05
いるという結果となった.
図 2 友人関係のタイプと問題回避因子
仮説 3 の結果
<刹那群は,肯定的解釈と気そらし得点が他の
5
群と比べて有意に高い>という仮説 3 を検討した
結果,図 3 に示すように関係楽観群とその他の 3
群との間に有意な差はみられなかった.刹那群は
関係楽観群にあたるため,仮説は棄却された
(F(3,154)=1.68,n.s.).したがって 物事を深く考
4
3.43
3.35
3.60
3.13
3
2
えない姿勢が,問題を前向きに解釈したり趣味や
スポーツなどに転嫁をしたりする方略に必ずしも
繋がらないという結果となった.
1
行動不一致群
n=54
関係悲観群
関係無関心群
関係楽観群
n=61
n=17
n=26
F(3,154)=1.68,p<.n.s.
図 3 友人関係のタイプと肯定的解釈・気そらし因子
25
考察
まず,堀岡(2007)の友人関係尺度による群分けを行ったが,堀岡(2007)とは異なる群の構造が得られたことについて
考察する.松下・吉田(2007)は,現代の友人関係における希薄さは,現在の青年の自己や友人関係を保ちつつも新たな
自己や人間関係を探求しようとする葛藤のあり方であると指摘しており,現代青年の葛藤が表面的な友人関係と内面的
な友人関係の二極化という形で表れたのではないかと考えられる.現在の自己や友人関係を手放さないように必死にな
ってしがみついている青年が行動不一致群として現れ,新たな自己や人間関係を探究しようと友人とのぶつかり合いを
行っている青年が関係悲観群として現れたのではないかと考えられる.
次に,本研究の 3 つの仮説について考察する.第一に,<良好群は,問題解決・サポート希求得点が他の群と比べて
有意に高い>という仮説 1 を支持する結果が得られたことについて考察する.加藤(2000)によれば,問題に対して積極
的に関わる方略は,自分本位な感情を抑制する必要があるとされており,西平(1990)によれば,相手と対話をする方略
は人間関係にポジティブな変化をもたらすとされている.しかし,今回の調査で友人を頼って話し合うことが,関係悲
観群の有効な対処方略であることが明らかになったが,ある問題について他者と対話すること自体が,更に友人との関
係が深まり,頼ったり頼られたりといった内面的な友人関係に繋がっていくのではないかと考えられる.
第二に,<表層群は,問題回避得点が他の群と比べて有意に高い>という仮説 2 を支持する結果が得られたことにつ
いて考察する.藤原(2006)によれば,問題に直接関わらずに感情を調節する方略は,一時的に負担を軽減できるが根本
的な解決には繋がらないとされており,古村ら(2008)によれば,相手と対話をしない方略は人間関係にネガティブな変
化をもたらすとされている.しかし,今回の調査で友人を頼らずに問題から逃げ出すことが行動不一致群の有効な対処
方略であることが明らかとなったが,問題を回避してしまうこと自体が,友人に深入りされたくないと感じ,友人に相
談をしようとせずに距離を置く表層的な友人関係に繋がっていくのではないかと考えられる.
第三に,<刹那群は,肯定的解釈と気そらし得点が他の群と比べて有意に高い>という仮説 3 を支持しない結果が得
られたことについて考察する.加藤(2000)によれば,問題に対して何もしないという方略は,相互に関わり合うことも
傷つけあうこともないため,表層的関わりや相手に気を遣う必要もなくなると考えられる.一方で,加藤(2001)では,
軽く生きる姿勢が前向きな考えや趣味への転嫁による気そらしに繋がり,問題に対して積極的に向き合う方略が必ずし
も適応的ではないという指摘と一致する.しかし,軽い生き方をする関係楽観群に有意な差が見られなかった結果を見
ると,関係楽観群がはじめから問題に対する脅威を感じないのではないかと考えられるため,問題の重みを軽くしよう
と問題を前向きに捉えたり他のことに転嫁して気持ちを安定させたりする必要がないのではないかと考えられる.
総合考察
本研究では,現代青年特有の互いに傷つけあわない友人関係があるとし,現代青年の友人関係について研究を進める
こととした.本研究では堀岡(2007)と同様の調査を行ったが,友人関係の群分けにおいて堀岡(2007)と同様の結果は得
られなかった.したがって,現代青年は表層的な友人関係と内面的な友人関係それぞれの要素が混在し,表層的でも内
面的でもない不安定な友人関係を築いている可能性が考えられるのではないだろうか.
また,本研究では青年期における友人関係の形態を,表層的な関係や自己を守るための対処方略という視点から検討
した.従来の研究では,表層的な友人関係は発達的に望ましくないもの,あるいは避けるべきものとして扱われてきた.
しかし,自己を安定させるための手段として表層的な友人関係を営むことを対処方略という視点から捉えた結果,友人
関係の分類に応じて用いられる方略が異なるという結果となった.以上の結果から,現代青年は現在の自己や友人関係
を壊さないように,友人関係の形態に応じて適切な問題に対する対処方略を選択しているのだと考えられる.現代青年
の互いに傷つけあわない表層的な友人関係は「希薄」という一言では簡単に表せないものであり,青年期特有の不安定
さに起因する複雑な形態をしているのである.
26
おわりに
現代青年の表層的な友人関係は「望ましくないもの」として扱われてきたが,内面的な関係からから表層的な関係へ
の「変化」を「適応」という形で捉えれば,現代青年の発達にとって「望ましいもの」といえるのではないか.梅本(2000)
が「思春期や青年期における友人関係は,不安定な時期にいる青年にとって自分を理解し支えてくれる重要な存在であ
るとされている.
」と指摘しているように,不安定な自己や自分を支えてくれる友人を守ろうとする,現代青年のもが
く姿が見てとれるだろう.
現代青年にとっての当たり前が,周りの大人からみれば当たり前ではないのであり,
「友人関係が希薄であることは
悪いことだ」という知見は現代青年においては通用しないのかもしれない.いわば,現代青年にとっての「希薄さ」と
は,今にも壊れてしまいそうな自己を守るための手段として,巧みに工夫を凝らして辿り着いた 1 つの答えであり,例
え周りからみて良くないだろうと感じることでも,当事者である本人達からすれば最適で最良の選択なのかもしれない.
引用文献
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27
第 3 章 大学生のゼミナール活動における参加の構造
なじめなさという見えに着目して
阿部 廣二
はじめに
現在4年生である筆者は,後輩の就職活動支援をおこなう学生グループに所属し,日々活動を行っている.そのグル
ープの会議中,突然リーダーが筆者らに「俺,このグループ抜けたいんだけど.」と告げた.筆者らは突然のリーダー
の告白に慌てふためいたのだが,彼はさらにこう語った.
「最初はやる気があったんだ.後輩には本当に頑張ってもらいたいし.でも,みんなとグループワークをしていくう
ちに,「俺,このグループになじめてないんじゃないか?」って思うようになって,そう考えたら一気にやる気がなく
なってきて..」最後には涙を流しながら,リーダーは語った.
就職活動支援グループは筆者らとして「うまくいっている」と感じていた.しかしリーダーはグループに対し,なじ
めなさを感じてしまった.そんな集団を通してなじめなさを生みだしていたものは一体何だったのであろうか.そんな
疑問から筆者の研究はスタートした.
文献研究
なじめなさに対する従来の心理学研究とその問題点
本論が問題としている現象は,大学生の集団に対するなじめなさである.従来の心理学において大学生のなじめなさ
という現象は,第一に他者に対するなじめなさである「対人恐怖的心性(岡田,1993)」や,より深い関係性へのなじめ
なさである「ふれあい恐怖的心性(山田ら,1987)」などの病的心性,第二に学業という「場面」に対しなじめなさを感
じてしまう「スチューデント・アパシー」(以下 S・A)と呼ばれる大学生(下山,1996)の視点から研究が行われていた.
つまり,従来の心理学研究においては,なじめなさという現象は,対人恐怖的心性,ふれあい恐怖的心性などの病的心
性や S・A などの,個人の内的な側面に着目する特性論的な視点から研究されてきたといえる.しかし特性論的な視点
では,
「はじめに」で述べたような事例を説明することができない.なぜなら筆者の事例で述べた企画のリーダーは,
今回の企画においてはなじめなさを感じていたが,通常の授業のグループワークや友人関係では,うまくグループにな
じむことが出来る.この説明できなさはどのような要因に起因するのだろうか.おそらく,従来の社会であれば,前述
のような分析枠組みで集団におけるなじめなさを説明しつくすことが可能であった.しかしながら,現代社会において
は,従来の枠組みでは説明しきることができない.なぜなら,かつてのモダン社会では所属集団が少なかった為,ある
特定の集団に対するなじめなさだけを考えればよかったが,ポストモダン社会(Lyotard,1989)と呼ばれる現代では,
所属集団も多様化・多元化してきており,なじめなさも多様化してきていると考えられる.つまり「特定の場面で感じ
るなじめなさ」とは,現代において多様化している所属集団の問題であると考えられよう.このような集団の問題は,
特性論的視点では説明することが出来ない.
ではなじめなさを集団の視点から検討する際,どのような理論的枠組みが有用なのであろうか.様々な現象を個人の
内的な要因によって説明する特性論と呼ばれる視点に対するものとして,
「人間の思考や行動が「状況に埋め込まれて
いる(situated)」と捉える考え方(伊藤ら,2004)」がある.こうした考え方は総じて状況論的アプローチと呼ばれる.
そのような状況論的視点からの実践研究として,
「正統的周辺参加論(LPP) (Lave & Wenger,1991)」という状況論的
視点を用いた Wenger(1998)が挙げられる.
「正統的周辺参加論の中心的な主張は学習を固体による知識,技能の獲得過
程としてではなく,実践共同体(community of practice)への参加(participation)過程として理解,叙述するということ」
と高木(1999)が指摘するように,LPP は学習を従来の心理学のように個人の能力と捉えるのではなく,集団的な現象,
つまり状況論的現象として捉える.その中でも Wenger(1998)は「実践共同体」という概念に着目している.
「実践共同
28
体」とは,ある一つの文化的活動1に関与する人の共同体のこと(伊藤ら,2004)であり,この実践共同体に参加すること
により学習がなされると Wenger(1998)は指摘している.さらに Wenger(1998)は実践共同体に重層的に参加すること
により,成員が「非参加のアイデンティティ」を有す可能性を指摘している.非参加のアイデンティティとは「なぜ自
分はこのような作業を行っているのだろう」と実践共同体に対して感じてしまう疎外感である.つまり,Wenger(1998)
は実践共同体へのなじめなさを「非参加のアイデンティティ」で検討したといえる.しかし,非参加のアイデンティテ
ィとは実践共同体に参加している個人が選択的に「なじまない」とした事例である.それに対し本論が問題としている
のは,個人がいかんともしがたく感じてしまう「実践共同体に参加したいが,なじめない」といった現象である.つま
り,非参加のアイデンティティと本論の問題としているなじめなさは本質的に違う問題であり,実践共同体においてな
じめなさは検討されていない.では LPP の視点から本論の問題としているなじめなさは,どのように検討できるので
あろうか.
LPP から捉えるなじめなさ
LPP における実践共同体への参加の形態は大きく分けて 2 つの段階,周辺参加と十全参加がある.ここまで述べて
きたなじめなさは,LPP でいえば,周辺参加に当たる.ここでいう「周辺参加」とは,
「実践共同体へ包摂されていく
過程のなかで先輩や親方と比した自分の「未熟さ」として感じるもの(高木,1999)」である.この「未熟さ」とは,
「能
力を有していない」という事ではない.例えば,能力を有している人でも,実践共同体に所属した時,周辺性を有す可
能性がある.なぜなら,いくら能力を有していたとしても,その実践共同体の成員から「能力を有している」と認めら
れなければ,実践共同体内においては無意味だからであり,
「未熟である」と捉えられてしまうからである.つまり「周
辺参加」とは,
「個人が技能を有していない」ということではなく,実践共同体内の成員のコミュニケーションによっ
て「未熟さ」として立ち現われるものであるといえよう.コミュニケーションによって様々な事が立ち現われていると
いう研究は,エスノメソドロジー2研究の文脈で行われている.例えば「子どもであること・大人であること」が,日
常的なコミュニケーションによって立ち現われている(Sacks,1987)という研究が,その代表例である.また,藤本(2005)
は,
「共同体の実践において言語が重要な要素ならば,実践を成員間の談話という観点から考察するのは極めて重要な
課題だろう」と指摘していることから,周辺参加という参加形態を,成員間の言語コミュニケーションという視点から
検討することは,非常に重要な課題であるといえよう.
本論における問題と目的
これまで見てきたように,心理学では,なじめなさは対人恐怖的心性やふれあい恐怖的心性,S・A などの個人の病
的心性や心理的傾向などの特性論の視点から研究されてきた.しかし特性論の視点からでは,
「ある特定の集団に対す
るなじめなさ」といった現代的な問題を説明することが出来ない.それに対し,LPP の視点に立てば,なじめなさと
いう問題を,コミュニケーションによって立ち現われる周辺・十全といった参加の形態,つまり,集団の中で個人が感
じる感覚を状況的構造として捉え直すことができる.以上のことから本研究では,大学のゼミナール活動を対象とし,
なじめなさを LPP における周辺参加とみなし,ゼミナール活動に新たに参加してきた新参者がその参加の過程の中で
なじめなさを感じる構造を検討することを目的とする.
1文化的活動とは「その文化で普通に行われている実践(伊藤ら,2004)のことを指す.
2
エスノメソドロジーとは、
「人々が実際的行動を秩序だった形で遂行する為に用いている方法を解明する研究分野(串田ら,2010)」
である。
29
調査研究
問題と目的
文献研究により,これまでの心理学の特性論的視点からの研究では,
「ある特定の集団におけるなじめなさ」という
現代的な問題を説明することが出来ないという問題が挙げられた.そのため,新たな理論的枠組みとして状況論的視点
が有用であることを示した.また状況論的視点の LPP から「非参加のアイデンティティ(Wenger,1998)」と呼ばれる
なじめなさが検討されていたが,本論が問題としている現象とは異なることが明らかになった.よって本論ではコミュ
ニケーションによって立ち現われる周辺参加の形態からなじめなさの構造を明らかにすることを目的とする.その為の
調査として K 大学の O ゼミナールで 11 月 5 日に行われた「空気人形3」という映画の上映会に対象として,ビデオカ
メラによる観察調査を行った.観察調査を行った理由としては,構造を検討することを目的としているので,全体の実
践の相互作用を見る必要があったこと,本論では周辺参加者が実践共同体内のコミュニケーションによって立ち現われ
ていると考えるため,成員間のコミュニケーションを分析する必要があったことが挙げられる.
方法
Table1 上映会参加者の属性
1:対象
K 大学のO ゼミナールが主催して開かれた上映
会でなされたディスカッションを分析対象とした.
O ゼミナール主催の映画会を対象としたのは,O
ゼミナールは比較的開かれたゼミナールであり,
外部からの参加者も多いため,周辺参加者が多い
と考えられた為である.今回の映画会では O ゼミ
ナール生の参加者が 7 名,O ゼミナール生以外の
参加者が 4 名であった.よって参加者は担当教官
である O を入れ総勢 12 名であった.各成員に A
―J までのアルファベットを割り当てた.成員は,
A
B
C
D
E
F
G
H
I
J
K
L
性別
ゼミ
参加状況
映画会
男性
女性
女性
男性
女性
女性
女性
女性
男性
女性
男性
男性
O ゼミ
O ゼミ
O ゼミ
O ゼミ
O ゼミ
O ゼミ
他ゼミ
他ゼミ
他ゼミ
O ゼミ
他ゼミ
他ゼミ
全参加
全参加
全参加
全参加
全参加
途中退室
全参加
全参加
途中退室
全参加
途中退室
途中参加
既参加
既参加
既参加
既参加
既参加
初参加
初参加
初参加
初参加
既参加
既参加
初参加
アルバイトや電車の時間の関係上,途中入退室する成員が認められた.各成員の属性は Table1 である.
2:手続き
スクリーン
O ゼミナール生に対しては,映画会を行う旨を口頭と
ゼミ専用メーリングリストを使って伝達した上映会参加
者を募集した.また O ゼミナールの成員以外には,ネッ
F
B
ト上のつぶやきサイトである「Twitter4」を用いてウェブ
K I
H
J E
G
C
上で宣伝を行い,新規参加者を募集した.そして参加者
全員に対して,メールにて映画会に参加するためのアポ
A
イントを取ってもらい,それに返信する形で「卒業論文
執筆のため観察調査を実施し,今回の映画会のディスカ
L
ッションを録画する」という旨を伝え,映画会が始まる
前にもう一度口頭で「観察調査を実施しディスカッショ
Figure1 ディスカッションのデザイン
3空気人形
4
2010 http://www.kuuki-ningyo.com/index.html(1/27).
Twitter 2010 http://twitter.com/(1/27).
30
D
ンを録画する」という旨を伝えた.成員が映画を見る席
は,筆者が指定した.その席配置は後のディスカッションでうまく成員が混ざるように O ゼミナール生と新規参加者
が交互に混ざるよう Figure1 のような形にデザインした.また事前によく発言する人(Figure1 にて黒く塗りつぶした
成員)を特定して,全体の端に配置し,全体の議論が活発になるように促した.映画を鑑賞後,前列の机を反転させ,
成員同士を対面させ,全体でのディスカッションを行った.本論におけるトランスクリプトデータは,映画鑑賞後のデ
ィスカッションで得られたものである.また,映画を鑑賞中,成員が Twitter につぶやきを投稿し,そのコメントが後
のディスカッションで議論の対象になることがあった.
3:分析
Table2 トランスクリプトの音声表記(森(1999)を参考に筆者が独自に作成)
まず,観察調査で得られたディスカ
記号
用法
ッションの会話データをトランスク
/
リプトした.なお,トランスクリプト
(間)
「/」以上の休止
の音声表記に関しては,森(1999)に習
↑
ある発話の途中で,他者が発話を開始した時点
い,Table2 の表記を用いた.そして,
?
語尾が上昇イントネーションで,疑問文であることが明白な表示
得られたデータに対し,会話分析を行
w
笑い声
った.そしてトランスクリプトから映
※
聞き取り不能箇所
画会の成員の言語実践を抽出し,分析
,.
句読点は,表記上のわかりやすさの為の用いた
発話の中の短い休止(0.5 から 1 秒程度)
を行った.
結果
本調査のトランスクリプトデータを会話分析した結果, 発話終了時における「うん」という発話を行うことにより,
メンバーの中に,自分で,自分の発話を終了させるものがいることが明らかとなった.
事例:周辺参加者の発話終了時の独特な語り
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
D
B
H
B
14
15
16
17
E
H
18
19
20
21
D
H
E
H
D
H
D
H
A
H
H
A
:
:
:
:
:
:
:
:
:
:
:
:
:
えーどんなんでしょうか?
喜んでるw
:
:
:
:
あははははwww
:
:
:
:
えーどうなんだろ..
・・・無茶ぶりが過ぎるわw
(一同笑い)
何がどうなのかがいまいち分からない.
え,何?
え!?
あ,なんかそういう風に思えない理由って言うのが映画の中に,別に自分の答えじゃないんすけど
うん
さっき出てきた店長が望みを
うん
俺もやらせろよみたいな,あーいう,あーいうシーンを見ると,
「あ,だから男はやなんだ」って,ははは
さっきもツイートで,やっぱり性欲の塊か男はみたいなww
(一同笑い)
でもなんか返事が返ってきて,10代から20代まではなんかやっぱり性欲,性対象として女を見るっていう
男の人が統計で多くて,30 過ぎると癒しを求めます,みたいなw
どこの統計だよそれw
わっかんないんですけど,こう,うーん
(3,0)
でもだからこそ,X とのセックスシーンは挿入じゃダメなんだよ.
31
鈴木(2007)は自閉症児のコミュニケーションを分析した綿巻(1998)の研究を引用しつつ,
「うん」という発話が会話
を促進させるメタメッセージであると指摘している.つまり「うん」という発話は,自分が発話者ではなく聞き手であ
り,話し手に発話を継続させることを達成する語りであると考えられる.
事例の 10 行目,12 行目の D による「うん」に着目してほしい.D と A の「うん」という発話の後,H は発話を継
続させている.このような事例からも,
「うん」という語りが話し手の発話を促進する機能を有しているといえよう.
しかし,事例の 21 行目では発話者であった H が自ら「うん」と発話している.この H の「うん」の発話後,3 秒間
の間全体が無言になっている.つまり H は「うん」という発話を行い,自分ではない誰かの発話を促進しようとして
いたと考えられる.しかし,その後誰も発話を行うことができず,無言の状態になってしまっており,H は実践共同体
になじめなさを感じていると考えられる.
考察
なぜ,映画会において H は議論に参加せず,自ら発話権を譲渡してしまっていたのであろうか.その原因を明らか
にする為,H を含んだメンバーで,O ゼミナールの研究室にてディスカッションを行った.メンバーは 10 人(映画会に
参加した A,B,C,D,G,H,K を含む)であった.メンバーのうち 5 名がゼミメンバーであり,他の成員は他ゼミ
ナール生,またはまだゼミに所属していない 2 年生であった.場所は O ゼミナール研究室で行い,時間は約 1 時間程
度であった.その結果, O ゼミナール生はゼミナール活動を「研究室にいること」と捉えており,他の成員はゼミナ
ールを「授業」と捉えていることが明らかとなった.つまり,成員間でゼミナールの見え方が違っていることが示唆さ
れた.O ゼミナール生は,研究室にいることや O ゼミナールが企画した企画に参加することが,
「ゼミを行っている」
という感覚であると述べている.つまり O ゼミナール生にとっての「ゼミナール」とは,授業ではなく,共に研究室
で活動することであり,研究や新たな企画などを共に実践していく場なのである.よって,毎週決まった場所で行う授
業のようなものではないし,誰かに指示された課題をこなしていく場ではない.一方,他のゼミナール生は,ゼミナー
ルは授業であり,毎週決まった時間に行き,講義を受けるものであると述べていた.つまり,他の成員にとってのゼミ
ナールとは「先生が講義を行い授業する時間」であり,議論を行ったり,企画を進めたりする場ではないのである.
ここでゼミの見え方のズレという視点から映画会について考察したい.O ゼミナール生にとって映画会とは,
「O ゼ
ミナールが立案した企画」であり,紛れもない「ゼミナール活動」であったと考えることができる.よって,積極的に
議論に参加すべき場として捉えられていた.しかし,他ゼミナールから参加した者にとって映画会とは「他ゼミナール
が立案した企画」であり,ゼミナール活動であると捉えられていなかったと考えられる.よって,O ゼミナール生は映
画会を「ゼミナール活動」だと見えているため,他の成員にもゼミナール活動として議論に参加することを求めてしま
い,
「ゼミナール活動」に見えていない H は議論する必要性を十分理解できず,自ら発話を終了させてしまったのでは
ないかと考えられる.
総合考察
本論では,大学のゼミナール活動を対象に,なじめなさを LPP における周辺参加とみなし,ゼミナール活動に新た
に参加してきた新参者がその参加の過程の中でなじめなさを感じる構造を検討することを目的とし,K 大学の O ゼミ
ナールが主催している映画会を対象に観察調査を行った.その結果として周辺参加している成員が発話終了時に「うん」
という発話を行うことにより,発話権を他の成員に譲渡し,議論に参加出来ないという特殊な言語実践が明らかとなっ
た.鈴木(2007)は「うん」という発話が会話を促進させるメタメッセージであると指摘しており,自ら進んで「うん」
と発話することにより,会話権を他の成員へ譲渡し,議論に参加出来なくなってしまっていると考えられる.
今回の調査により,
「なじめなさ」を,個人の属性といった特性論的視点からではなく,実践共同体という状況のな
かで見られる「発話」から捉えることが可能であることが示唆された.今後,心理学でなじめなさを研究する上で個人
32
の属性といった特性論的視点からではなく,状況論的視点からアプローチできる可能性が本調査から示唆できるといえ
よう.
また,
「うん」という発話を行うことによって,議論に参加出来なくなってしまったことの理由として,映画会の後
日に行ったディスカッションの結果からゼミナールの見え方のズレを挙げられた.O ゼミナール生にとって,ゼミナー
ルとは「研究室にいることや O ゼミナールが企画した企画に参加すること」であり,他のゼミナールに所属している
成員にとってゼミナールとは,
「先生が講義する授業」であることがディスカッション結果により明らかとなった.つ
まり,他のゼミナールに所属している成員にとってゼミは授業という「時間」であり,ディスカッションする「場」で
はないといえる.よって,O ゼミナールが主催する映画会において発言が求められても,発言する意味を深く理解する
ことができず,自ら発話権を他の成員に譲渡するなどの方法により,議論に参加しなかったのだと考えられる.つまり,
なじめなさの構造の背景には,実践共同体の見えの違いが存在している可能性がディスカッションにより示唆されたと
いえよう.
おわりに
はじめにで述べた就職活動支援グループのリーダーの発言後,リーダーに今後も参加してもらうべく会議を行った.
するとリーダーが筆者らに,
「当初やりたかった事はもっと身近な,素朴な内容の就職活動支援だったんだ.でも,だ
んだん規模が大きくなっていって,予算が下りると言う話になっていってしまって.
.
」と語ってくれた.リーダーと,
筆者らの実践共同体の見え方は根本的にズレていたのである.
リーダーが見ていた実践共同体とはいかなるものであったのだろうか.筆者は自分から見た実践共同体に固執し,彼
らが何を見ているのかを考慮出来ていなかった.しかし,そのズレを修正するのもまたコミュニケーションであると筆
者は考える.リーダーと会議をした結果,筆者らが完全に望む形ではないし,彼にとっても完全に望む結論ではなかっ
たが,互いが納得して,
「就職活動支援グループを継続させる」という結論を導き出すことが出来た.
これから先の人生で,筆者らは様々な実践共同体に所属することになるだろう.もしかしたら,筆者がなじめなさを
感じてしまうかもしれない.そんなときほど,今回の研究で分かった事を糧に,実践共同体内の成員とコミュニケーシ
ョンを取りながらズレを修正して行きたいと筆者は考える.
引用文献
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33
第 4 章 援助行動・援助要請の両側面から捉える大学生の現代的友人関係
内山 枝里
はじめに
あなたは,
「依存」と聞いて,どんなイメージを持つだろうか.多くの人は依存と聞いた際に,甘え,病気,執着な
ど,ネガティブなイメージを連想するのではないだろうか.では,
「対人関係依存」という言葉についてはどうだろう.
他者に対して身を委ね,自ら意思決定をすることの出来ないイメージ,または,執着や束縛など,やはりネガティブな
イメージが連想されると思われる.そうしたネガティブなイメージが連想される対人関係依存の中に,
「共依存」とい
うものがある.共依存とは,星野(2008)は「他人のコントロール(支配・操縦)を必要とする人と,コントロールされる
ことを通して相手をコントロールする人との間に展開する特有の人間関係」であるとしている.筆者の友人に,恋人と
の関係において共依存に陥ったと見られる女性がいる.彼女から語られる内容は,恋人にひどい仕打ちをされ続けてい
るのにもかかわらず,なぜか相手に対する好意が消えず,どうしても相手から離れられないといったものであった.筆
者は彼女が語る,ネガティブなエピソードにポジティブな「好き」という感情が織り交ぜられたパラドキシカルな世界に
圧倒された.なぜ恋人同士という関係に支配と献身のような関係が生まれるのだろう.なぜ苦しめられながらもその相
手に依存してしまうのだろう.これらは青年期特有のものなのであろうか.それらの疑問が本研究のきっかけであった.
1.文献研究
青年期における友人関係の重要性
岡田(1993)によれば,青年期は他の発達段階と比較し,友人との関わりを希求することで自己の安定や成長を促進さ
せる特徴が見られ,特に青年期後期には知的・情緒的成熟に伴い,お互いの違いを受容しつつ相手との信頼・自己開示・
相手への忠誠に基づいた親密で有意義な友人関係が維持されている.一方で千石(1985)は,現代青年の特徴として,ひ
とりになることを極端に恐れ群れ的な関係をとること,硬い話題や問題を避け,とりあえず楽しければそれでよいと考
えていること,互いに傷つけることを極端に恐れ,相手から一歩引いたところでしか関わろうとしないことなどを挙げ
ている.このように,青年期における友人関係や関係構築は,青年期の心理的発達に対して重要な影響をもたらすと考
えられる.しかしながら,はじめににおいて述べたように青年期の対人関係および友人関係の中で,共依存のような関
係を築いてしまう人が存在する.なぜ適切な関係構築が行えず,そのような不健康な関係を構築したり特定の対人関係
に依存をしたりしてしまう人がいるのであろうか.
依存のネガティブ的側面
従来の心理学において青年期以降における依存は退行的な心性として問題視され,依存を病理的な側面から捉えた研
究が多いとされてきた(竹澤,小玉 2004).例えば依存性人格障害である.DSM-Ⅳ(American Psychiatric
Association,1994)によれば,依存性人格障害とは自ら決断することができずに他者に任せてしまうという特徴が示され
ている.また他者に対して過度な献身を行ったり,他者を支配ないし操作したりするといった共依存も対人関係におけ
る依存の病理的側面として捉えることができよう.このように,病理的な側面から見た依存は,自分への自信のなさか
らものごとの判断を他者に任せてしまうといったような特徴や,他者に必要とされることにとらわれ他者に対して破壊
的同調を行ってしまうような状態を有しているがために,問
題視されていると言える.また,関(1982)は依存のあり方を依
存欲求・依存の拒否・統合された依存の 3 つに分類し尺度化
した.Figure1 に示したのは,関(1982)の依存のあり方を図式
Figure 1
化したものである.
依存のあり方の分類(関,1982)
統合された依存に分類される人は,他者に対し安心して適切な援助希求が行える人であり,依存欲求に分類される人
34
は何事にも他者の援助や助言を必要とする傾向のある人であり,依存の拒否に分類される人は他者に援助を求めること
に対して強い心理的負債感や抵抗感を感じ,他者に援助希求をしない傾向のある人である.関(1982)は依存欲求・依存
の拒否・統合された依存という各依存のあり方と自己像の肯定度によって表される適応との関連について検討した結果,
「統合された依存」の高さと適応の良好さに関連が見られることを明らかにし,依存とは適切なレベルで行った場合対
人関係において適応的に機能するが,依存することを避けたり過度な依存を行ったりした場合は対人関係において不適
応的に機能するということを明らかにした.
依存のポジティブ的側面
依存において問題とされるのは,上述してきたような過度に行ってしまう病理的な依存や,心理的負債や抵抗感によ
り適切な依存ができないような依存であり,一方では依存を適応的な側面で捉えた研究が高橋(1968,1970)を中心にこ
れまでになされてきた.高橋(1968,1970)は,依存を「道具的な価値ではなく,精神的な助力を求める欲求である」と
定義した上で,依存は発達にふさわしく変容し存在し続けるものであり,自立の獲得・増大に必要なものであるという
青年期における依存の特質を明らかにした.また,ソーシャル・サポートの観点からも他者への依存を「よりよい対人
関係」を考察する上で重要な手がかりとして取り上げ(福岡,2003) ,他者との温かい関係を持ちたいという欲求は人
間にとって基本的なものとし(Baumeister&Leary,1995),その欲求自体の強弱を扱っているのが他者依存性研究,この
欲求の対象としての対人関係を扱っているのがソーシャル・サポート研究であり,両者は裏表のような関係にあるとし
ている(谷口,福岡 2006).すなわち良好な互恵的関係を築くという視点において,依存とは適応的に機能する側面も
あると言えるのである.また,楠見・狩野(1986)は,青年期である大学生は,中学生や高校生とは異なり相手からの援
助を期待するだけでなく,自らも他者に援助をしたいといった要素が加わり,双方の価値を認め合う補助的関係を重視
することを明らかにした.青年期は,他者に対して信頼・自己開示を示しなおかつ他者へ援助を行い,補助的関係を構
築しながら心理的自立をしていくのである.
対人関係依存の定義としての援助行動・援助要請
対人関係依存について多面的な側面から捉え,相互依存は良好な互恵的関係を築くために重要であると記した.そこ
で,本研究における「対人関係依存」を,病理的な側面のみを有する概念ではなく,
「他者に援助を求めること」と定
義する.これは,高橋(1968,1970)による依存の定義「道具的な価値ではなく,精神的な助力を求める欲求である」の,
「助力を求める欲求」に基づいたものであり,単純に他者に執着したり,心理的な支えにしたりするだけでなく,他者
からの援助を実践的に求めることとする.
2.調査研究
問題と目的
高橋(1968,1970),福岡(2003)などによって,対人関係依存とは青年期において友人関係を築く上で適応的に機能す
る側面もあることが示唆された.しかしながら,先行研究においては個人の依存の強弱や個人がどういった依存のあり
方をもつかといった個人の依存傾向だけを測定するものがほとんどであった.他者との関係の中で,自らが他者に依存
(援助要請)をするだけでなく,同時に他者に援助を行うということの 2 側面についてアプローチしている研究は,これ
までなされてこなかったのである.青年期における対人関係依存とは,どちらか一方でなく互いに援助を求め,援助を
行いながら関係を構築していくという相補的なものである.その相補性についてアプローチするために,援助行動と援
助要請の両側面を同時に検討する必要があるのである.援助要請・援助行動にはどのような類型がありどういった類型
が現代的友人関係に関連が見られるのであろうか.本研究では,上述してきたような青年期における友人関係の相補性
を,現代青年の対人関係構築に特徴的とされる現代的友人関係(千,1985)とどのような関係にあるのかを検討すること
35
を目的とする.Figure 2 は,援助行動と援助要請という 2 つ
の軸から 4 群に分類したものである.
Figure 2 援助行動・援助要請の 4 分類
先述してきたように,現代青年は友人関係で自分の内面を開示するような関わり方を回避し,表面的な楽しさの中で
群れたり,互いの内面に踏み込まないように気を遣ったりする傾向がある(岡田,2007).また,岡田(2007)によれば現
代的友人関係の対極概念とされる内面的友人関係とは,親密で内面を開示するような関係,あるいは人格的共鳴や同一
視をもたらすような関係とされる.また「相手の感情と同じものを自分の中で経験する」といった人格的共鳴を「共感
性」といい(小池,2003),共感得点の高い人は低い人に比べて援助行動が多いという知見がある(桜井,1988) .すな
わち,友人関係において援助を行ったり援助を求めたりする上で,援助行動・援助要請がともに高い親密型は,互いに
内面を開示するような友人関係であると考えられるため(つまり援助行動や援助要請にかかるコストを惜しまない),現
代的友人関係に見られるような,表面的な関係に留まる現代的友人関係は持たないと推測される.また,援助要請を行
う際に,援助者に何らかの形で返報をしなければならないといった義務感のような心理的負債を感じる個人は,援助要
請に対して消極的だという知見もある(野崎・石井,2004).この知見は,現代的友人関係における,互いの内面に踏み
込みたくないと感じる項目に類似していると考えられる.したがって,援助行動が高く援助要請が低い他者本位型は,
自らを多少犠牲にしてまでも他者に気を遣う傾向があると考えられるため,現代的友人関係を持つ傾向があると考えら
れる.以上の知見を踏まえ,以下の 2 つの仮説を立てた.
仮説 1:親密型は,他者本位型,親密回避型,自己本位型と比較して,現代的友人関係得点が低い.
仮説 2:他者本位型は,親密型,親密回避型,自己本位型と比較して,現代的友人関係得点が高い.
方法
■調査協力者:群馬県において 3 大学,東京都内において 3 校,計 6 大学の学生 298 名であった.
■手続き:2010 年 11 月下旬にアンケート調査を実施した.回答方法は上述の大学のうち群馬県 1 大学においては
講義内で質問紙を配布,その場で回答してもらい回収した.またそれ以外の大学の学生は友人を通して
ゼミナールや部活動等で配布,その場で回答してもらい回収した.所要時間は約 10 分であった.
■調査内容
1)援助要請(久米,2001,竹澤・小玉,2004) :援助要請を行う度合いの高さを測定するための項目である.久米(2001)
作成した依存性尺度項目,竹澤・小玉(2004)が作成した対人依存欲求尺度の中から,個人の援助要請の高さを測定す
るための 8 項目(久米,2001,竹澤,小玉,2004)であった.
「1,全くあてはまらない」
,
「2,あてはまらない」
,
「3,
どちらでもない」
,
「4,あてはまる」
,
「5,非常によくあてはまる」の 5 件法で「あなたにあてはまると思う数字に○
をつけて下さい」と教示した.
2)援助行動:援助行動を行う度合いの高さを測定する項目である.久米(2001)の依存性尺度項目,竹澤・小玉(2004)対
人依存欲求尺度項目を「援助行動」に置き換える形に筆者が変更した 6 項目と,以上の項目を参考に筆者が独自に作
成した援助行動 2 項目で 8 項目である.
「1,全くあてはまらない」
,
「2,あてはまらない」
,
「3,どちらでもない」
,
「4,あてはまる」
,
「5,非常によくあてはまる」の 5 件法で,「あなたにあてはまると思う数字に○をつけて下さい」
と教示した.
3) 友人関係尺度(岡田,1995) :青年期の友人関係の特徴について実証的に測定を試みる尺度の内容であり 17 項目で
あった.
「1,全くあてはまらない」
,
「2,あてはまらない」
,
「3,どちらでもない」
,
「4,あてはまる」
,
「5,非常に
36
よくあてはまる」の 5 件法で,「あなたにあてはまると思う数字に○をつけて下さい」と教示した.
■分析方法
SPSS を用いて分析した.各尺度の合成得点を作成し,援助行動および援助要請をそれぞれ低群と高群に分類し独立
変数とし,現代的友人関係を従属変数とした一元配置の分散分析を行った.
結果
5
■仮説 1:親密型は,他者本位型,親密回避型,
自己本位型と比較して現代的友人関係得点が低い.
4
3.68
3.60
3.50
3.48
他者本位型
親密型
親密回避型
自己本位型
n=55
n=102
n=83
n=58
援助行動・援助要請について,他者本位型・親
密型・親密回避型・自己本位型の 4 つの群を独立
3
変数とし,現代的友人関係の合成得点を従属変数
とした一元配置の分散分析を行った結果,Figure
2 に示したように,親密型と他の 3 群との間に有
2
1
意な差は見られなかった(F(3.294)=3.33, n.s.).
F (3.294)=3.33,n .s.
Figure 2 援助行動・要請の現代的友人関得点
■仮説 2:他者本位型は,親密型,親密回避型,
5
自己本位型と比較して現代的友人関係得点が高い.
援助行動・援助要請について他者本位型・親密型・
親密回避型・自己本位型の 4 つの群を独立変数と
4
3.68
3.60
3.50
3.48
他者本位型
親密型
親密回避型
自己本位型
n=55
n=102
n=83
n=58
3
し,現代的友人関係の合成得点を従属変数とした
一元配置の分散分析を行った結果,Figure 3 に示
2
したように,他者本位型は親密回避型と自己本位
型と比較して有意に現代的友人関係を築く傾向が
1
高かったため,仮説は支持された(F(3.294)=3.33,
p<.05).
F (3.294)=3.33, p <.05
Figure 3 援助行動・要請の現代的友人関係得点
考察
■仮説 1:親密型は,他者本位型,親密回避型,自己本位型と比較して,現代的友人関係得点が低い.
分析の結果,親密型において現代的友人関係を築く傾向が低いという仮説は支持されなかった.土井(2008)は,現代
青年の特徴として自己肯定感が低く身近な他者から常に承認を受け続けないと自分自身を安定させることができない
ということ,相手の欲求や場の空気に注意を払うこと,相手から拒否されないように努力するという点を挙げている.
援助行動,援助要請ともに高い親密型は単純に友人との接触頻度が高い.加えて他者に対して援助をしたり他者に頼っ
たりする行動を仮説で挙げたような「親密性を求める・深い付き合いをする」といったような目的ではなく,
「嫌われ
ないようにする・仲間意識を持つ」といったような,友人関係を円滑且つ集団から疎外されないようにする手段として
行っているのではないだろうか.以上のことを踏まえ,親密型が現代的友人関係を築く傾向が高いという仮説が支持さ
れなかった原因を,現代青年にとっての援助行動,援助要請の意味が,友人関係維持の為の努力のひとつとして捉えら
37
れることにあると考える.
■仮説 2:他者本位型は,親密型,親密回避型,自己本位型と比較して,現代的友人関係得点が高い.
分析の結果,他者本位型は,現代的友人関係尺度において親密回避型と自己本位型と比較して有意に現代的友人関係
得点が高かったため,仮説は支持された.土井(2004)は,現代青年は対立の顕在化を怖れるために,親密な関係である
ほど自分の本当の姿を示さず相手を傷つけないように細かい配慮を強迫的に行い,相手の感情を敏感に察知しながら関
係をスムーズに維持することにエネルギーを使い果たしてしまうとしている.こうした現代青年の特徴を鑑みると,他
者に援助を行うが自らは頼らないという特徴を持つ他者本位型は,他者に頼ることに対して「相手の負担になるのでは
ないか」
「相手に敬遠されるのではないか」などという友人関係の崩壊を懸念してしまうがために,他者に頼ることに
対して消極的なのではないかと考えられる.さらに,他者本位型が積極的に他者へ援助を行うという点に関しては,上
述の土井(2004)の,他者に対して細かい配慮をしたり,他者の感情を敏感に察知したりするといった記述に見られるよ
うな,他者に対して積極的に援助を行うことで,他者に自らを承認してもらいたい,関係を維持させたいという目的に
よった行動だと考えられる.
総合考察
現代青年にとっての「援助行動」
「援助要請」が,現代的友人関係の「空気を読む」という特徴に関連付けられるこ
とが明らかになった.現代的友人関係を築く現代青年にとっての援助行動や援助要請とは,
「自らがそうしたいから行
う」
「友人のためを思って行う」といった内発的な動機よりも「そうしないと集団から疎外されるから」
「友人関係にお
ける対立を避けたいから」といった外発的な動機によって引き起こされるのではないだろうか.身近な人間関係を思い
描いてみると,相手を助けたい,力になりたいという思いや行動が結果として相手を蝕んでいる事例が各所において見
受けられる.これは言い換えれば,
「助けてあげたい」という援助行動意識が正常に機能していない状態であり,自ら
が相手のためにどのように働きかけることが,本当に相手のためになるのかという判断が出来なくなっている状態では
ないだろうか.一方で,現代青年における「空気を読む」という特徴から,相手の顔色を伺ったり対立を回避したりす
るがために他者に対してストレートに物事を頼めない,援助を求めることが出来ないという事例も身近に見受けられる.
これも,
「助けて欲しい」という援助要請欲求が十分にかなえられていない状態だと言えるのではないだろうか.
また,仮説 2 における他者本位型が,他の群と比較して有意に現代的友人関係傾向が高いという結果については,共
依存の概念と関連する部分があると考えられる.現代青年は,いやなことを断れない,相手に嫌われたくない,そのよ
うに関係崩壊を懸念することによって自らを犠牲にしてまで相手のために尽くしてしまうことがあるのではないだろ
うか.土井(2008)が挙げた現代青年の特徴の中の 1 つに,自己肯定感が低く,身近な他者から常に承認を受け続けない
と,自分自身を安定させることができないというものがある.現代青年はこのような特徴があるために,相手に嫌われ
ることを極端に恐れ,相手からの承認が欲しいために,自らの意に反して他者に尽くしてしまうことがあるのではない
かと考えられる.
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39
第 5 章 他者が大学生のボディ・イメージに及ぼす影響―他者の身近さに着目して―
川島 千穂
はじめに
欲望のおもむくままに食べて・寝て・遊んで,という生活を送ることで,キレイに痩せた!!!という人はいるだろうか.
もしも,我慢や苦痛を感じることなく痩せることができたなら,ダイエットというトピックが,テレビやラジオなどの
メディア,または女性誌においてこれほど取り上げられることはあるまい.多くの場合,痩せるということは決して“簡
単”ではなく,ましてや“楽”なものではないのである.ダイエットをする際に伴う食事制限,それによる葛藤や挫折,
慣れない運動等,少なくとも筆者にとってダイエットとは,辛く苦しい過程を生む行為なのである.それにもかかわら
ず,なぜ筆者をはじめ,若者たちは「痩せたい」と切望してしまうのだろうか.
こうした,ダイエットをはじめとする「自分の身体をどうとらえるか」といった問題は,これまで心理学の中では,
ボディ・イメージ(自分の身体について思い描いた心像・イメージのことであり,自分の心の目で見た自分の身体であ
る(永江,2000))という概念で研究されてきた.小平(2000)は,ダイエットは幅広い年代の中でも10代・20代を初めとし
た青年期の若者に多く実践されていることを明らかにしている.それでは,なぜ青年期の若者は痩せたいと切望してし
まうのだろうか.
文献研究
他者によって創られるボディ・イメージ
これまで,青年期の若者の痩せたい理由として,他者から見られる外見を意識しているということが明らかにされて
おり(伴藤ら,200 など),青年期の若者は,より他者からの視線や他者からみられる外見を意識していると言える.だか
らこそ,青年期の若者は痩せたいと切望するのである.
青年期の若者は,他者と自分を相対的に比較し判断することによって自らの身体を太っている,標準,痩せていると
いった判断をしていると考えられる.つまり,他者とは自分を,そのコミュニティの中で相対的に判断するための重要
なツールであり,Cooley(1902)の「鏡に映った自我」のように,多くの他者という「鏡」を通すことによって,その人
がなりたいであろう自分,すなわちボディ・イメージが創られるのである.
理想自己における研究
心理学では,理想の生き方や,
どのような自分になりたいかといった問題は,理想自己という概念で研究されており,
主に,現実自己,義務自己といった他の自己との関連で検討されてきた.本節でははじめに,理想自己,現実自己,義
務自己のそれぞれの概念がどのように位置しているのかを概観する.
Higgins(1987,1989)は,現実自己とそれぞれ2種類の自己(理想自己・義務自己)との不一致が別々の不快感情と関連し
ているという自己不一致理論を唱えている.図
1に示すように小平(2000)は,理想自己―現実自
日常的なもの
例)ダイエット
非日常的なもの
例)摂食障害
ボディ・イメージ
己のズレは,肯定的結果が得られない状態を介
理想自己
し,落胆と関連した感情(失望,不満,悲しみな
義務自己
ど)を生じさせ,さらに,義務自己―現実自己の
ズレは,否定的結果の存在を介して,動揺と関
連した感情(恐怖,落ち着きのなさ,緊張など)
を生じさせると指摘している.
落胆と関連した感情
(失望・不満・悲しみ 等)
現実自己
現在ある身体
動揺と関連した感情
(恐怖・落ち着きのなさ、緊張等)
図 1 理想自己とボディ・イメージの関連(小平(2000)を元に作成)
40
理想自己とボディ・イメージの関連
青年期の若者は美しくなりたいがために痩せようとしたり太ろうとしたりする.つまり,自己と同じように"こうな
りたい身体","こうあるべき身体"というものが存在する.
例えば,図1に示すように,ダイエットをしたことがある者は,思うように痩せられず,少なからず落ち込んだ経験
があるのではないだろうか.その時に伴う,不甲斐なくみじめな感情は,理想自己―現実自己の不一致による,落胆と
関連した感情とよく似ていると言える.また,「カラダカラ」という健康情報サイトにおいて書かれている「普通に食
べていて体重が増えてしまったときすごく怖くなりました.」という記述は,義務自己―現実自己の不一致による,動
揺と関連した感情(小平,2000)そのものであると言えるだろう.
理想自己の明確な目標として,身近な他者が関わってくることが明らかにされている一方で,身体については,これ
まで十分に研究がなされてこなかった.身体においても,図 1 に示すように,理想自己・現実自己・義務自己それぞれ
のズレに伴う感情と同様の感情を生じさせるのではないだろうか.以上のような視点から,現代社会における若者のボ
ディ・イメージに対する実証研究を行うものとする.
調査研究
予備調査
予備調査において,図 2 と図 3 に示すように,他者との親密度がボディ・イメージに及ぼす影響を検討した.その結
果,自己に限らず,身体においても身近ではない他者に比べて,身近な他者がボディ・イメージに影響を与えるという
ことを明らかにした.加えて,
「身近な他者」の中でも,なりたい身体・なりたくない身体ともに「友人」を挙げる人
が多くいることが明らかとなっている.そのため本調査では,青年期の若者において友人関係がどのように機能するの
か整理することとする.
400
400
*
200
*
300
300
284
200
231
100
255
179
100
0
0
友人
芸能人・有名人
家族+友人
x²=5.45,df=1,p<.05
芸能人・有名人
x²=13.31,df=1,p<.05
図 2 「なりたい身体」に対する身近な他者の影響
図 3 「なりたくない身体」に対する身近な他者の影響
本調査
人はそれぞれの発達段階によって友人に求めるものが異なり,青年期では「自己開示,個人的な感情の共有が特徴(遠
藤,2000)」となる.宮下(1995)は特に,青年期の若者が親しい友人を持つことに,精神的な安定化,自己理解,人間関
係を学ぶといった意義を挙げている.つまり,親から心理的離乳をした青年期の若者の心の支えとなり,自分を見つめ
なおし,人間関係を良好に保つための術を学ぶ環境として友人関係があるのである.
1980 年以降,若者の人間関係の変化とともに,友人関係に新しい特徴がみられるという指摘が様々な場所で言われ
るようになり,現代の若者は親密で内面を開示しあい,人格的共鳴や同一視をもたらすような関係(西平,1973)の内面的
友人関係(以下伝統的青年)と,このような伝統的青年を避け,互いに傷つけ合わないよう,表面的に円滑な関係を志向
する(千石,1991 等)現代的友人関係(以下現代的青年)とに分類することができる.
現代的青年の特徴として,岡田(2008)は,1 年生は相手に気を使いながらも関わりを持とうとする傾向,2 年生は友
人関係そのものから遠ざかる傾向,3 年生は相手の内面を気づかって自分の言動をコントロールする傾向,4 年生は異
41
なる価値観や考え方を相手と一定の距離を保ちながら関わる傾向がみられたと,学年による違いを指摘している.さら
に,
「異なる価値観や考え方の相手と一定の距離をもちながら関わる傾向(岡田,2008)」が挙げられることから,学年に
よる有意な差がみられると考えられる.また,現代的青年はそういった「優しい」関係を保つために,分かりやすい指
標となる身体を,友人関係維持のためのツールとして適用しているのではないだろうか.以上の知見をもとに,以下の
仮説を立てた.
仮説①:現代的青年は伝統的青年に比べ,より友人の身体に影響を受ける.
仮説②:4 年生に比べ 1 年生は,より友人の身体に影響を受ける.
方法
調査協力者:2010 年 10 月に,K 大学の学生に調査協力を依頼し,有効回答 459 票を得た.調査協力者の性別は男性
152 名,女性 307 名であった.学年は 1 年生 233 名,2 年生 89 名,3 年生 98 名,4 年生 40 名であった.質問紙は 2010
年 10 月に配布・回収された.解答に要する時間としては 10 分程度だった.
調査内容:
1)友人関係尺度(岡田,1999).1「あてはまらない」
,2「ややあてはまらない」
,3「どちらでもない」
,4「ややあては
まる」
,5「あてはまる」の 5 段階評定であり,4 因子構造の【自己閉鎖】
,
【傷つけられることの回避】
,
【傷つけること
の回避】
,
【快活的関係】のうち,
【傷つけられることの回避】と【傷つけることの回避】の 2 因子の 9 項目を使用した.
2)友人からの身体影響尺度(独自に作成).1「あてはまらない」
,2「ややあてはまらない」
,3「どちらでもない」
,4
「ややあてはまる」
,5「あてはまる」の 5 段階評定であり,大学生 19 名に友人の身体から影響を受けるとされる(一般
的に影響されたとされる)事柄をあげてもらい,その結果に基づいた 10 項目を【身体影響度】として使用した.
分析:友人関係尺度のうち【傷つけられることの回避】と【傷つけることの回避】の 2 因子の合成得点を出した後,高
群・低群に分け独立変数とし,友人からの身体影響尺度の合成得点を従属変数とし一要因の分散分析を行った.そして,
表 1 に示すように,現代の若者の友人関係を<傷つけられることの回避得点が高く,傷つけることの回避得点が高い>
現代的青年群,<傷つけられることの回避得点が高く,傷つけることの回避得点が低い>傷つけ回避群,<傷つけられ
ることの回避得点が低く,傷つけることの回避得点が高い>傷つけられ回避群,<傷つけられることの回避得点が低く,
傷つけることの回避得点が低い>伝統的青年群の 4 タイプに群分けした.
表 1 友人関係の 4 タイプ
<傷つけられることの回避得点高 × 傷つけることの回避得点高>
現代的青年群
相手のことについては指摘しない上に,
自分のことについても深くまで言及されたくない傾向
<傷つけられることの回避得点高 × 傷つけることの回避得点低>
傷つけ回避群
相手のことについては指摘しないが,
相手には自分のことを考えて厳しいことまで指摘して欲しい傾向
<傷つけられることの回避得点低 × 傷つけることの回避得点高>
傷つけられ回避群
相手のことを考えて厳しいことまで指摘するが,
自分のことについては深くまで言及されたくない傾向
<傷つけられることの回避得点低 × 傷つけることの回避得点低>
伝統的青年群
相手のことを考えて厳しいことまで指摘する上に,
相手にも自分のことを考えて厳しいことまで指摘して欲しい傾向
42
結果①
<現代的青年は伝統的青年に比べ,より友人の身体に影響を受ける>という仮説 1 を検討した結果,以下の結果が得
られた.
*
5
*
現代の若者の友人関係を独立変数
とし,友人からの身体影響尺度の合成
得点を従属変数として分散分析を行
った結果,伝統的青年群と傷つけられ
*
4
3
3.00
3.03
3.16
伝統的青年群
傷つけられ回避群
傷つけ回避群
現代的青年群
n=143
n=80
n=71
2.68
2
回避群の間,伝統的青年群と傷つけ回
避群の間,伝統的青年群と現代的青年
1
群の間に,いずれも有意な差がみられ
た(F(3,455)=10.49,p<.05).つまり,
F(3,455)=10.49,p<.05
仮説は支持された(図 4).
結果②
<4 年生に比べ 1 年生は,より友人
の身体に影響を受ける>という仮説 2
図 4 各群別友人による身体への影響
友人からの身体影響尺度の合成得
*
5
*
*
4
を検討した結果,以下の結果が得られ
た.
n=165
3
2.93
3.00
3.02
2.89
1年生
n=233
2年生
n=89
3年生
n=98
4年生
n=40
2
点を独立変数とし,学年を従属変数と
して分散分析を行った結果,1 年生と
1
4 年生の間に有意な差がみられなかっ
た(F(3,456)=0.49,n.s.).つまり,仮説
F(3,456)=0.49,n.s.
は支持されなかった(図 5).
図 5 学年別友人からの身体への影響
考察
まず,<現代的青年は伝統的青年に比べ,より友人の身体に影響を受ける>という仮説1に対して,仮説を支持する
有意な差がみられたことに対して考察する.
岡田(2007)は,現代的青年が,友人から低い評価を受けないように警戒する傾向がみられると指摘しており,この“低
い評価”の対象として,他者との比較を用いている.その際に,自らを低く見積もっているため,多くの場合他者と比
べて自己の身体をも低く見積もってしまうのではないか.つまり,現代的青年にとって友人の身体は低い評価の対象と
なりうることが推察される.例えば,私の友人B(以下B)は,中学校時代に所属していた部活動内において,自分とはか
け離れた体型を持つ友だちが入部してきた.Bの友だちは体型が細い上に背も高く,誰もがなりたいと望む理想の身体
だったのだ.その時,Bは初めて「自分ももう少し痩せなきゃいけない…」と思ってしまったのだと言う.おそらくB
は,その友だちが入部してきて,他の部員から低い評価を受けないために,そのように感じてしまったのだろう.そう
いった意味で,今回の結果のように,現代的青年は伝統的青年に比べより友人の身体に影響を受けると考えられる.
次に,伝統的青年群が現代的青年群だけでなく,傷つけられ回避群との間,そして,傷つけ回避群との間にも,友人
からの身体影響度において有意な差がみられたことに対して考察する.
伝統的青年が,友人の身体に影響を受けにくい理由として,第一に,現代的青年は,新しく友人関係を構築する際,
趣味嗜好や考え方の類似性の他に,自分と比較して社会的に優劣が生じないような身体的特徴を持つことを重要視して
43
いるのではないかと考えられる.そのため,身体は友人関係を構築するためのツールになっているのである.極論から
言えば,同じような趣味・似たような身体で構築された友人関係は「優しい関係(土井,2008)」であると言える.第二に,
伝統的青年は親密で内面を開示するような関係であることが挙げられる.西平(1973)によれば,人格的共鳴や同一視を
もたらすような関係を志向している伝統的青年は,友人を選ぶ際の基準として身体を用いないと考えられる.つまり,
改めて伝統的青年が友人の内面を重視することが示唆された結果であると言える.
最後に,<4年生に比べ1年生は,より友人の身体に影響を受ける>という仮説2において,有意な差がみられなかっ
たことに対して考察する.
前述したように,同じような体型の友人関係は,相互に身体に対して影響されていると捉え,現代的友人関係を築い
ている可能性がある.しかし,大学には必然的に所属しなければならないところとしてゼミがある.ゼミには,こんな
ことを研究したい.この先生に教わりたいといったいくつか同じ方向性を持った学生たちで構成されるが,ほとんどの
場合,ゼミが始まって初めてメンバー同士が対面する.つまり,ゼミにおける身体に関しては,その時初めて友人の身
体に影響されるか・されないかの対象になる.言い換えるならば,大学 1・2 年生は現代的青年として過ごし,大学 3・
4 年生は伝統的青年として過ごすはずなのだ.しかし,ゼミの中でも当然,内面的友人関係で構成されるゼミ,現代的
友人関係で構成されるゼミがある.その違いとしては,その友人たちと関係を維持したいがために,傷つけられたくな
い,傷つけたくない,といった現代的友人関係のどちらかの素質,もしくは両方の素質を持つ学生で構成されるゼミは
現代的青年で構成されているのではないだろうか.大学 1・2 年生のように,何もない状態から友だちを作る際は,現
代的青年になりやすく,友人関係が大きく変わる大学 3・4 年生は,ゼミによっては伝統的青年・現代的青年に分かれ
る.つまり,学年間で友人の身体に影響を受けるかについて有意な差が得られるはずである.しかし,今回,以上の知
見に関して有意な差は得られなかった.これはいったい何を意味するのだろうか.その理由として,お互いに傷つけた
くないし,傷つけられたくないといった「優しい関係」から,現代の若者は抜け出せないでいるということが挙げられ
る(土井,2008).つまり,一度踏み入れたら二度と出られない関係である「優しい関係」から,4 年間という大学生活を
送る上で,ゼミという友人関係の転機がありながらも,そこから抜け出せないでいる若者が予想以上に多かったのでは
ないかと考えられる.
総合考察 -「一人」を恐れる現代的青年-
昨今,流行りのランチメイト症候群を然り,大学生の中では「便所飯(朝日新聞,2009 年 7 月 6 日)」と呼ばれるほど,
「一人」というのが社会現象の話題として取り上げられている.以上のことからも分かるように,現代的青年にとって
友人といることは一種のステータスとなっていると言える.どんな状態であれ友人とは一緒にいなければならないので
ある.現代的青年の若者たちが,自分の身体はもちろんのこと自分を取り巻く身近な他者の身体までも気にするのは,
自分の身体が周囲と比較して「適切」かどうかを常に考えているからだ.自分と似通った体型の仲間と一緒にいるうち
は,自分一人が身体的特徴によって仲間外れにされることはない.そのためには,極力,気まずい雰囲気にはしたくな
いというのが本音なのだ.だからこそ,友人を失い一人になることを極端に恐れる現代の若者は,傷つけたくないし,
傷つけられたくもないといった,友人との関係を比較的良好なまま保たせ続けるために,一定の距離を保とうとするの
だと考えられる.上野(1998)が「極端な肥満はそれ自体でセルフ・コントールの失敗をあらわし,非難の対象となる.
・ ・ ・ ・ ・
ここでは身体が人格なのだ.
」と指摘しているように,太った身体を持つ友だちというのは非難対象となりえるのであ
る.だからこそ,現代的青年は,自分のステータスとして良否を判断する分かりやすい対象となり得る友人の身体に,
憧れたり拒んだりするのだ.
44
おわりに
時は遡り,筆者も高校生までは特注で仕立てた制服で学校へ通っていた.しかし,大学ではそうはいかない.既製服
を着なければならないのだ.しかも,当時の筆者には,毎日服装を変えて学校に通うという行為は,毎日くり返される
拷問であった.
「毎日同じ服を着ていたらみっともないし,友達もできないかもしれない.
」せっかく進学が決まったの
に,行く気さえ失せてくる.そこで筆者は,既製服のサイズに自分の身体を合わせるためダイエットを決意した.「太
っている」自分の身体が他者に見られてしまうこと,また,その身体によって自分が評価されてしまうことへの恐怖が,
筆者をそうさせたのだった.
しかし,現在,筆者はそのような恐怖を感じることはない.なぜなら,私の周りには,辛い時も楽しい時も共に支え,
闘ってきた信頼できる仲間がいるからだ.彼らは,私の身体ではなく「私」を見てくれているのである.真の仲間であ
れば身体など関係なく素晴らしい人間関係を築けるのではないだろうか.ゼミにおける筆者の人間関係は間違いなく伝
統的であり,本当に信頼できる関係であったと断言できる.
今後,筆者の後輩たちも様々な人と出会うだろう.その時,身体に影響されるのではなく,その人の本質を見て人間
関係を築いてほしいと筆者は望む.
引用文献
朝日新聞 夕刊 2009 年 7 月 6 日 友達いなくて便所飯?「一人で食べる姿,みられたくない」
半藤保 川嶋友子 2009 女子大学生の体型とやせ願望,新潟青陵学会誌,1,53-59.
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土井隆義 2008 友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル,筑摩書房.
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Erikson, E. H. 1959 Identity and the life cycle. Psychological Issue,No.1. New York : International Universities Press. 小此木哲吾
訳編 1973 自我同一性 誠信書房 Erikson, E. H. 1959 Psychological issues : Identity and the life cycle. International
University Press. 小此木啓吾訳編『自我同一性-アイデンティティとライフ・サイクル-』1973 誠信書房.
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千石保 1991 "まじめ"の崩壊:平成日本の若者たち,サイマル出版会.
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上野千鶴子 1998 発情装置―エロスのシナリオ―,筑摩書房.
45
第 6 章 現代大学生における友人との信頼関係とユニバーシティ・ブルーとの関連
桑原 美里
はじめに
うつ病とは,ひと昔前は簡単に口に出さない,出せないものだった.しかし現代社会の中で,
「うつ病」という言葉
は頻繁に聞かれるようになった.そして私たちも「うつだね」と,単なる気分の落ち込みで使うことが多くなっている.
テレビ番組でも特集をよく見かけるようになった.筆者と同じく,うつ病の意味をよく理解していないにも関わらず,
気分の落ち込みが続くだけで,自分はうつ病だと思い込んでしまったり,いっそうつ病になってしまいたいと思う人が
周りに少なくない.こうした状況のことを,心理学領域において専門用語として「現代型うつ病」と呼ばれる現象があ
る.
1.文献研究
メランコリー親和型とディスチミア親和型の比較
うつ病の種類についてはこれまでに様々な定義がなされてきたが,代表的なのものとしてメランコリー親和型がある.
表 1 に示したように,
「道玄坂しもやまクリニック(http://www.e556e556.com/knowledge/)」によると,メランコリー
親和型とは,性格としては几帳面で秩序を守り,基本的に仕事熱心であるという特徴が見られるうつ病のことを指す.
メランコリー親和型のうつ病を発症した人は,焦燥や自分がうつ病になってしまったことの罪悪感がある為,初期には
うつ病の診断に抵抗してしまうが,その後うつ病になったことにより「課長としての私」から「うつを経験した課長と
しての私」といったように新たな役割意識を獲得することによって,うつ病という病を超えていく.
表 1 メランコリー親和型とディスチミア親和型の比較
(http://www.e556e556.com/knowledge/ より)
年齢層
関連する気質
病前性格
症候学的特徴
治療関係と経過
薬物への反応
認知と行動特性
予後と環境変化
メランコリー親和型
中高年層
執着気質 メランコリー親和型
・社会的役割・規範への愛着
・規範に対して好意的で同一化 秩序を愛
し,配慮的で几帳面
・基本的に仕事熱心
・焦燥と抑制
・疲労と罪悪感(申し訳なさの表明)
・完遂しかねない“配慮した”自殺企図
・初期には「うつ病」の診断に抵抗
・その後は,「うつ病」の経験から新たな認知
・「無理しない生き方」を身につけ,新たな役
割意識となりうる
多くは良好(病み終える)
・疾病による行動変化が明らか
・「課長としての私」から「うつを経験した課長
としての私」へ(新たな役割意識の獲得)
ディスチミア親和型
青年期
student apathy 退却傾向と無気力
・自己自身(役割ぬき)への愛着
・規範に対して「ストレス」であると抵抗する
秩序への否定的感情を漠然とした万能感
・もともと仕事熱心ではない
・不完全と倦怠
・回避と他罰的感情(他者への避難)
・衝動的な自傷,一方で“軽やかな”自殺企図
・初期から「うつ病」の診断に協力的
・その後も「うつ病状」の存在確認に終始しがちと
なり「うつの文脈」からの離脱が困難,慢性化
多くは部分的効果にとどまる(病み終えない)
・どこまでが「生き方」でどこからが「症状経過」か
不分明
・「(単なる)私」から「うつの私」で固着し,新たな文
脈が形成されにくい
・休養と服薬で全般に軽快しやすい場・環境 ・休養と服用のみでしばしば慢性化
の変化は両価値である(ときに自責的とな ・置かれた場・環境の変化で急速に改善すること
る)
がある
46
現代においては回避的で他罰的感情が強く,青年期に見られるのが特徴の現代型うつ病と呼ばれるものがある.そう
した現代型うつ病の代表的なものとして,ディスチミア親和型が挙げられる.表 1 に示したように,ディスチミア親和
型の性格としては自己自身への愛着があり,メランコリー親和型と違い,もともと仕事熱心ではない.
「ディスチミア
親和型うつ病について(http://hrclub.daijob.com/hrclub/?p=375)」によると,
「最近の若者は社会全体が豊かになり,価
値観が多様化する環境の中で個性尊重と言われながら育ってきた.型にはまらないことは尊いことで価値を見出してき
た.生活は豊かで,苦労もなく,あまり勉強もせずに育った.何となく就職し,社会に出た.しかし,そこには現実の
厳しい企業社会が待っていた.社会規範,企業のルール,仕事のノルマ,人間関係など,がんじがらめの社会は壁とな
ってたちはだかり,彼らにとって大きなストレスとなった.こうして現代型のうつ,
「ディスチミア親和型のうつ病」
が出現した」と述べている.
スチューデント・アパシー(学生無気力症候群)
スチューデント・アパシーは元々,Walters(1961)が精神分裂病や重度のうつ病,脳器質疾患の症状とされていたア
パシーを引用し,特徴と成因に関して系統的な記述を行って,更に他の診断分類との鑑別の基準を示し,独自の臨床単
位として示したものである.1950 年代の高度経済成長期においての大学進学率の上昇に伴い,国立大学教養学部の大
量留年の実態が明らかになり,大学生の留年の増加が社会的な問題となった.そこで丸井(1967,1968)は,留年の類似
化を行う中で,
「自らも明らかに据えられないような空虚感や無感動」を示す一群の留年生が見られることを指摘し,
これを「意欲減退型留年」とした.その後,笠原(1972)が Walters(1961)のスチューデント・アパシーの概念を元に日本
の大学生の無気力に関しての概念の明確化を試み,新たな診断分類として「退却神経症」を提唱した.また笠原ら(1975)
は Walters(1961)のスチューデント・アパシーについて邦訳を「大学生に見られる,慢性的な無気力状態を示す男性に
特有の青年期発達の障害」と定義した.
しかし,Walters(1961)の定義は 1961 年と現代のスチューデント・アパシーを研究していくのにはデータが古く,全
てを使用することは不可能である.そこで以下にスチューデント・アパシーを提唱した Walters(1961)の概念,1997
年のデータという点から最も現代に近い,
“回避行動”や“他者”といったキーワードに着目し,下山(1997)の概念を
紹介する.
表 3 スチューデント・アパシーの概念の比較(Walters(1961),下山(1997)を元に作成)
原因
症状
Walters(1961)
・価値の尺度を学業達成だけに限定した
事の結果生じたもの.
・男らしさ形成をめぐる解決しがたい葛藤
のため青年期を遷延させている男性の
青年期発達の障害である(青年期後期,
特に大学 2 年次に生じ易い).
下山(1967)
・自らが陥っている困難な状況に関してその事実経過は認めて
も,それを自らが対処していかなければならない深刻な状況とし
て受け止められない.
・主観的にきちんとしていない時が済まない.きちんとできない
場合,それを避ける事できちんとした状態を保つ.
・情動的動きの減退,無気力,知的無力 ・感情の動きが乏しく,楽しいとの感覚がない.生き生きをした実
感,肉体的気だるさ,空虚感,情緒的引き 感がなく,物事に興味や意欲が湧かず,生活全体が受身的をな
篭もり,社会的参加の欠如が見られる.
る.(感情希薄)
・時間感覚が乏しく,生活リズムが乱れ(昼夜逆転など),生活に
張りがない(一日中ボーッとしている).それに焦りを感じない.
(時間感覚の希薄)
・自分の内的欲求を意識できず,また自分がやりたい事がない
事をも意識できないまま,周囲の期待にあわせて自分を保とうと
する.(欲求希薄)
・自分の弱みを知られる事は非難される事との意識が強く,他者
に自己の感情を伝え,情緒的に依存する事ができない.
47
行動
回避行動
別の病気?
・無関心は予期される敗北,屈辱,制限に
対する心理的恐怖を避ける行動である.
・攻撃性や競争的衝動のために他者を直
接傷付ける事を避けるための防衛であ
る.ただし,回避によって他者をどうしよう
もない状況に陥れて攻撃衝動を満たす.
・期待される事を先取りして行動する.他者の気持ちを汲む事に
優れている反面,自己の欲求に基づく行動ができない.
・批判が予想される状況からの選択的回避.
・問題解決行動を約束しておきながら,その場面になると回避行
動をとり,一貫性のない行動を繰り返す.
神経症に近い.
一つの臨床単位として,アパシー性人格障害を提唱.
ユニバーシティ・ブルー
学生にとっての 4 年間(6 年間)の捉え方や過ごし方が,ユニバーシティ・ブルーを用いるための大きな文脈となり,
憂鬱になる理由は学生によって多様であるが,入学前,大学に入ったら思いっきり好きなこと,やりたいことをやろう
と張り切っていたこと,入学後それがうまく実現できずに焦っていること,そのくせやらなければいけないことはたく
さんあるのにあっという間に時間が過ぎてしまい,この調子ではすぐ 4 年間(6 年間)が過ぎると思ってしまっている状
態を溝上(2004)はユニバーシティ・ブルーと呼び,ユニバーシティ・ブルー現象に陥っている大学生は授業にはまじめ
に出席し,サークル活動やアルバイトも忙しいが,表面の屈託なさとは裏腹に,大学生という人生の時期を充実させな
ければ.
.
.という何かしらの強迫観念ともいうべき“憂うつ感情”を抱いているという.
溝上(2004)は学生同士のコミュニケーションが,若者文化を構成する漫画や音楽,ゲーム,ファッションといった流
行的なモノ,超機能的なモノの差異による自己表現によって成り立つことが多くなってきたことにより,大学生活のな
かで消費文化世界の占める割合が高くなり,人生や将来のことを日常考えたり話し合ったりする量的,質的機会が減少
し,更に人生や将来の問題を話し合う相手や機会が現代大学生にはあまりに少なすぎると指摘している.和田(1990)に
よると 1980 年代の青年は,非常に良好な友人関係を営んでおり,親友や友人の数も多いという.しかし溝上(2004)は,
1980 年代の青年は相互の領域を侵さないという暗黙の了解を前提としており,
「本音の話」や「人生いかに生きるべき
か」といった内面に関する話はほとんどされていない,現代青年も楽しいだけ,一緒にいるだけの友人だけではなく,
人生や将来の問題も話し合える友人づくりを普段から心がけることが重要だと指摘した.
そして,ユニバーシティ・ブルーは決定的な概念もなく尺度もない為,ユニバーシティ・ブルーに陥っている大学生
を見つけることが出来ない.そのため,ユニバーシティ・ブルーの特徴を,溝上(2004)が提唱したユニバーシティ・ブ
ルーの状態を元に 4 つにまとめた.
表 4 ユニバーシティ・ブルーの分類 (溝上,2004 を元に作成)
理想と現実のギャップ
時間的余裕(忙しさ)
入学前の理想と入学後の現実とのギャップが良くない意味である.
大学に入学後,時間的に余裕がない.
精神的余裕(焦り)
やりたい事も出来ないまま卒業するのではないかという焦り.
大学生活の満足感
自分が通っている大学・自分の生活に満足していない.
2.調査研究
問題と目的
大学に入ったら思いっきり好きなこと,やりたいことをやろうと張り切っていたにも関わらず,入学後それがうまく
実現できずに焦り,あっという間に時間が過ぎて,この調子ではすぐ 4 年間(6 年間)が過ぎると思ってしまっているこ
とで憂鬱になる学生が指摘されている.こうした現象を溝上(2004)は,ユニバーシティ・ブルーと名付けている.しか
48
しながら,ユニバーシティ・ブルーは現象としては定義されているものの,概念として厳密に定義されておらず,ユニ
バーシティ・ブルーの程度を測定する尺度も作成されていない.
また近年,スチューデント・アパシー,ユニバーシティ・ブルーなどの大学生の無気力と,自身や他者への信頼関係
との関連が溝上(2004)によって指摘されている.そのため本研究では,ユニバーシティ・ブルーの尺度を作成し,自身
や他者への信頼関係とユニバーシティ・ブルーとの関連を検討する.以上のような問題意識に基づき,本研究では以下
の仮説を導き出した.
仮説 「ユニバーシティ・ブルー傾向にある人は自身も他者に対しても信頼度は低い.」
方法
研究協力者:群馬県内の大学生166名(男性65名,女性96名,無記入5名).
手続き:2010年12月16~17日に大学生に授業内,休憩時間にて質問紙を配布し回答を依頼した.
質問紙は全てその場で回収を行った.所要時間は約10分であった.
分析方法:SPSSを用いて分析を行った.
ユニバーシティ・ブルーを低群(1.00~3.05)・高群(3.06~5.00)の高低群に群分けを行ったものを独立変数とし,信
頼感19項目を【自分への信頼】【他人への信頼】【不信】の3因子を従属変数とし,t検定を行った.
調査内容:
1)ユニバーシティ・ブルー尺度.1「あてはまらない」,2「ややあてはまらない」,3「どちらともいえない」,4「ややあ
てはまる」,5「あてはまる」の5段階評定の一因子構造とし,質問項目は【理想と現実のギャップ】「大学に入学する前
に理想の大学生活があった」「大学でやりたいことが具体的にあった」「大学生活は比較的うまくいっている *」「予
想以上に授業や課題が多く自由な時間が少ない」「授業は思っていたよりも厳しかった」【時間的余裕因子】「やりた
いことはあるが時間がうまく作れない」「大学生活は暇だ *」「卒業までやり残していることがいくつもある」「課
題が多くて睡眠時間が減ってしまう」「卒業まで時間が足りないと思う」【精神的余裕】「やりたいことが出来ないま
ま卒業してしまいそうだ」「大学生活において目標がない *」「目標がなかなか達成できない」「あっという間に1
日が終わってしまう」「アルバイトに時間を取られてしまう」【大学生活の満足感】「自分が通っている大学に満足し
ている」「友人関係に満足していない」「授業内容に満足していない」「大学生活を楽しく思えない」「毎日が家と往
復で大変である」の20頄目を使用した.(*は逆転項目となる)
2)信頼感尺度.(天貝,1995;1997).1「全くあてはまらない」,2「あてはまらない」,3「あまりあてはまらない」,4「少
しあてはまる」,5「あてはまる」,6「非常によくあてはまる」の6段階評定であり4因子構造とし,質問項目は【自分へ
の信頼】「私は自分自身を,ある程度は信頼できる」「私は自分の人生に対し,何とかやっていけそうな気がする」「私
は自分自身が,信頼に値する人間だと思う」「自分自身の行動をある程度はコントロールすることができる確信を持っ
ている」「私は私で決して他人にはとってかわることの出来ない存在であると思う」【他人への信頼】「一般的に,人
間は信頼できるものだと思う」「これまでの経験から,他人もある程度は信頼できると感じる」「状況が許せば大抵人
間は互いに正直に・誠実に関わり合いたいと思っている」「私は多少の事があっても,今の信頼関係を保っていけると
思う」「私は現実に信頼できる特定の他人がいる」「無理をしなくてもこの先の人生でも信頼できる人と出会えるよう
な気がする」【不信】「今心から頼れる人にもいつか裏切られるかもしれないと思う」「所詮,周りは敵ばかりだと感
じる」「自分で自分をしっかり守っていないと,壊れてしまいそうな気がする」「過去に誰かに裏切られたり騙された
りしたので,信じるのが怖くなっている」「気をつけていないと,人は私の弱みにつけ込もうとするだろう」「人は自
分のためなら簡単に相手を裏切ることが出来るだろう」「相手が自分を大切にしてくれるのは,そうすると相手に利益
があるからだ」「私の地位や立場が変われば,私自身も今とは全く違う人間になるだろう」の24項目中の19項目を使
用した.
49
結果
ユニバーシティ・ブルーを低群(1.00~3.05)・高
群(3.06~5.00)に分け独立変数とし,信頼感 19 項
目を【自分への信頼】
【他人への信頼】
【不信】の
3 因子を従属変数とし,t 検定を行った結果,ユニ
5
4
3.66
3.83
UB低群
n=79
UB高群
n=80
3
バーシティ・ブルー高群と低群の間に,信頼感に
おいて【自分への信頼】
【他人への信頼】
【不信】
2
に お いて ,【不 信】 に有意 な 差が み られた
(t(159)=2.67,p<.05)
1
ユニバーシティ・ブルー傾向にある人は自身も
他者に対しても信頼度は低いという仮説を検討し
t(157)=1.25,n.s.
た結果,以下の結果が得られた.ユニバーシティ
・ブルー尺度の合成得点を独立変数とし,自分への
信頼を従属変数として t 検定を行った結果,ユニ
図 1 ユニバーシティ・ブルー低群・高群と自分への信頼
5
バーシティ・ブルーの低群(n=79)と高群(n=80)の
間に,信頼感において【自分への信頼】に有意な
4.08
4.17
UB低群
n=80
UB高群
n=81
4
差はみられなかった(t(157)=1.25,n.s.).つまり,
図 1 に示したようにユニバーシティ・ブルー高群
3
はユニバーシティ・ブルー低群よりも自分への信
頼が低いとは言えない.ユニバーシティ・ブルー
2
傾向にある人は自身も他者に対しても信頼度は低
いという仮説を検討した結果,以下の結果が得ら
1
れた.ユニバーシティ・ブルー尺度の合成得点を
独立変数とし,他人への信頼を従属変数として t
t(159)=0.74,n.s.
検定を行った結果,ユニバーシティ・ブルーの低
図 2 ユニバーシティ・ブルー低群・高群と他人への信頼
群(n=80)と高群(n=81)の間に,信頼感において【
5
他人への信頼】に有意な差はみられなかった
(t(159)=0.74,n.s.)つまり図 2 に示したようにユニ
*
4
バーシティ・ブルー高群はユニバーシティ・ブルー
低群よりも他人への信頼が低いとは言えない .
3.37
3.01
3
ユニバーシティ・ブルー傾向にある人は自身も他
者に対しても信頼度は低いという仮説を検討した結
2
果,以下の結果が得られた.ユニバーシティ・ブル
ー尺度の合成得点を独立変数とし,不信を従属変数
1
として t 検定を行った結果,ユニバーシティ・ブル
UB低群
n=80
ーの低群(n=80)と高群(n=81)の間に,信頼感におい
t(159)=2.67,p<.05
て【不信】に有意な差が見られた(t(159)=2.67,p<.05).
つまり,図 3 ユニバーシティ・ブルー高群は
UB高群
n=81
図3 ユニバーシティ・ブルー低群 ・高群と不信
ユニバーシティ・ブルー低群よりも不信感が強
いという結果になった.
50
考察
【ユニバーシティ・ブルー傾向にある人は自身も他者への信頼度は低い】という仮説を立てたが,ユニバーシティ・
ブルー低群・高群では有意な差が見られなかったことに対してまず考察する.
溝上(2004)は人生や将来のことを日常的に話し合う友人が現代の大学生には少なく,青年は相互の領域を侵さないと
いう暗黙の了解を前提としており,
「本音の話」や「人生いかに生きるべきか」といった内面に関する話はほとんどさ
れていないと指摘されているが,実際に筆者の周りの学生を見てみると,溝上(2008)が言う通り,学生同士のコミュニ
ケーションは,漫画,音楽,ゲームといった流行的なモノで交流する学生が多く見られる.現代社会の大学生たちにと
って友人とは,楽しいだけ,一緒にいるだけの友人なのだろうか.
自分への信頼,他人への信頼では有意差は見られなかったが,不信ではユニバーシティ・ブルー低群と高群に有意な
差が見られた.ユニバーシティ・ブルー高群はユニバーシティ・ブルー低群よりも不信を抱いているのだ.要するに,
ユニバーシティ・ブルー紅軍の学生たちにとって,自分自身や他人は信頼していたいが,いざという時,友人は自分の
事を裏切るのではないか.だから信じる事が出来ないと考えているのではないだろうかと考えられる.
総合考察
ディスチミア親和型(現代型うつ病)は現代では社会に出た時に問題になる現象として先行研究が行われてきた.しか
しディスチミア親和型と関連する気質としてスチューデント・アパシーが主に取り上げられる中,スチューデント・ア
パシーは未だ分類基準の未確定・概念の混乱があり,依然として明確な定義はなされないまま,研究は進んでいない.
そこで近年,新たに大学生の無気力・憂鬱を取り上げた問題としてユニバーシティ・ブルーが新たに提唱された.し
かしユニバーシティ・ブルーにおいても未だ分類基準も概念も未確定であったが,本研究でユニバーシティ・ブルーの
尺度を作成することにより,ユニバーシティ・ブルー高群(3.06~5.00)が全体の 50.3%という結果になった.
今回調査した中ではユニバーシティ・ブルー傾向にある理想と現実のギャップが悪い意味であり,大学に入学後,時
間に余裕がなく,やりたいことも出来ないまま卒業するのではないかと焦り,そして通っている大学,自分の生活に満
足が出来ない大学生は約半数であるということになる.
この約半数の大学生は自分や他人への信頼感が高くなり,不信感が低まれば,ユニバーシティ・ブルーに陥ることな
く大学生活を過ごせるのではないか.しかし大学生でもなくても,人間であれば理想と現実のギャップを感じることは
あるだろう.どんなコミュニティーに所属しても時間に余裕がなくなることもあるだろう.やりたいことが出来ず焦る
こともあるだろう.自分の現状に満足出来ないこともあるだろう.みんなが不信感を持たず過ごすことも難しいだろう.
うつ病と現代型うつ病の区別がつかなくなるように,スチューデント・アパシー,ユニバーシティ・ブルーが今後病
気として扱われる日が来るのだろうか.私の目標であった,ディスチミア親和型とユニバーシティ・ブルーの繋がりま
では調査することが出来なかったが,本研究が今後現代型うつ病やユニバーシティ・ブルーの研究の活性化の一助とな
ればと願う.
引用文献
うつにも年齢格差!?若年層に多いうつ病 2010 http://allabout.co.jp/r_health/gc/301496/(12/24).
生地新 1999 現代の大学生における自己愛の病理,山形大学医学部附属病院精神科神経科,39,19.
笠原嘉 木村敏 1975 うつ状態の臨床的分類に関する研究.精神神経学雑誌,77: 715-735,
下山晴彦 1997 臨床心理学研究の理論と実際―スチューデント・アパシー研究を例として―,東京大学出版.
“職場うつ”が増えている 2010 http://www.healthcare.omron.co.jp/resource/topics/58(12/24).
樽味伸・神庭重信 2005 うつ病の社会文化的試論―特に『ディスチミア親和型うつ病』について―,原著論文日社精医誌,13,129-136.
ディスチミア親和型うつ病について 2010 http://hrclub.daijob.com/hrclub/?p=375(12/24).
道玄坂しもやまクリニック2010 http://www.e556e556.com/knowledge/(1/27).
溝上慎一 2004 現代大学生論―ユニバーシティ・ブルーの風に揺れる―,NHKブックス.
吉野聡 2009 それってホントに「うつ」?──間違いだらけの企業の「職場うつ」対策,講談社.
Walters,P.A.J. 1961 Student Apathy BlaineB.Jr.&McArturC.C.(ed) Emotional Problem of the Student Appleton-Century-Crofts(笠原嘉,岡本
重慶(訳)石井完一郎他(監訳) 学生の情緒問題文光堂1975).
51
第 7 章 青年期の恋愛におけるアイデンティティの変容-カップルのマッチングによる検討-
馬場 菜津美
はじめに
青年期の若者にとって“恋愛”とは一体どのようなものなのか.恋愛はいつの時代も常に絶えることのない問題の一つ
であり,世間では映画,TV,雑誌などあらゆるところで恋愛というテーマがあげられ,人々の高い関心をよせている.
恋愛とは,幸せな気持ちにしてくれるもの,楽しいものとポジティブなイメージだけではないであろう.時に,悲しく
切ない気持ちにするものでもあるのだ.では,青年期の若者にとっての恋愛とはどのようなものなのか,そして,どの
ような影響を若者に与えているのであろうか.
青年期と恋愛
松井・戸田(1984)によると,恋愛は青年期の男女にとって最大の関心事の 1 つと位置づけられている.このことから
も青年期と恋愛というのは,密接な関係であることは明らかである.また Erikson(1950)によれば,
「青年期において
最も重要な課題は,自分とは何者であるかの解答(自我同一性,アイデンティティ)を見つけることであり,この発達
課題が達成できるかどうかが,次の段階以降の人生を健全に送ることができるかどうかに関わってくる.
」とされてい
る.つまり,堀毛(1994)の「恋愛関係を持つことにより対人スキルの向上につながる」といった恋愛によってスキルの向
上がみられるといえることから,青年期の発達課題であるアイデンティティ達成には,恋愛が必要とされると考えられ
るのではないか.
恋愛とアイデンティティとの関係
Erikson(1959)は,人生のそれぞれの段階によって獲得すべき発達課題があるとしている.特に青年期は,アイデン
ティティを達成しつつある期間であるとし,心理的危機を乗り越えてアイデンティティを獲得することが,青年期の主
な課題であるとしている.アイデンティティとは『自分とはこういう人間だ.
』ということをある程度言うことができ,
自分なりの考えを持ち,自分の行動,意見に責任が持てているということである.青年期においては,このアイデンテ
ィティを達成することが,以後の人生において自分らしく生きていく上で重要である. しかし,青年期の発達課題であ
るアイデンティティの達成というのは,一体どのような状態を指すのであろうか.自分なりの考えを持ち,自分の行動,
意見に責任が持てるということは,たった一人だけで,アイデンティティを達成できるということなのであろうか.
ここで,アイデンティティを達成したとされる,筆者の友人(以後Aとする)を紹介したい.当時のAは大学 3 年生で,
3 年間交際を続ける恋人がいた.Aは大学 3 年生ということもあり,就職活動を始め,自分の将来について向き合うよ
うになる.またゼミナールへ所属し,新たな出会いも増え,そこでは今まで経験することのできなかった体験をするこ
とになる.今まで,自分に自信がなく,自分を好きになれずにいたAは,この出会いや体験により,自分の新たな可能
生に気付くことができたのだ.このようにして,Aは誰から見てもたくましく,頼れる素敵な女性に変わっていくので
あった.このことから,Aは大学 3 年生になり,新たな出会いや経験によってアイデンティティが確立したと言えるだ
ろう.またアイデンティティを確立したのは,決して一人の力だけではなく,出会いや経験などの様々な要因によって
変化することができたからであると考えられる.
しかし,筆者の後輩(以後Bとする)Aとは,異なった型でアイデンティティを達成したとされる.筆者が高校時代
の部活動の後輩であった短大生のBは,部活の中でも,とても大人しく,自分の思っていることを口にすることはとて
も珍しく,そのため自分に自信を持てずにいた.半年ぶりに再会したBは,当時とは違っていた.活発でとても明るい
印象で,自身の恋愛への話を嬉しそうに話しているのである.そう,Bは同じ学年のCと交際を始めて,約半年である
というのだ. 毎日のように,電話やメールで連絡を取り合い,休みの日には必ずデートに出かけるというのだ.Bの生
52
活の中には彼という存在が絶えずにいることがわかる.このことから考えられるのは,Bの変化にはCという存在が影
響しているといえるのではないだろうか.故に,Cという存在によって,大人しく,自身に自信を持つことのできなか
ったBが,恋愛によって新たな自分に出会えたのではないかと考えられる.そして恋人の存在や恋愛によってBは,変
化することができたのだ.このように,Bは恋人の存在によってアイデンティティ達成に近づくことができたが,前章
で紹介したAは,恋人の存在ではなく,新たな人との出会いや関わりによる第 3 者からの影響によってアイデンティテ
ィが達成したとされAとBによって大きく違う変化が見られた.またBのように恋愛によってアイデンティティの達成
をする恋愛スタイルを大野(1993)はアイデンティティのための恋愛と定義している.
大野(1993)は,「アイデンティティは恋愛によって確立できるものではない.アイデンティティを統合している途中
段階の恋愛は,自己のアイデンティティを恋人からの評価によって補強しようとする心の営みに終始するものであって,
真の親密性を得るものではない.よって,だいたい長続きしない.」という「アイデンティティのための恋愛」を提唱
している.これは Erikson(1959)の「青年期の恋愛は,その大部分が,自分の拡張した自画像を他人に投射することに
より,それが反射され,除々に明確化されるのを見て,自己の同一性を定義づけようとする努力である.
」という考え
方から規定されたものである.大野(1993)のアイデンティティのための恋愛の特徴には,①相手からの賛美,賞賛を求
めたい,②相手からの評価が気になる,③しばらくすると相手から呑み込まれる不安を感じる,④相手の挙動に目が離
せなくなる,⑤結果として恋愛が長続きしないことが多い,という 5 つの特徴が挙げられている.アイデンティティの
ための恋愛という概念があり,同時にアイデンティティの達成には恋愛によって達成されるものと,そうではないもの
があるといえるであろう.
以上のことを踏まえると,大学生の時期は,達成すべき発達課題がアイデンティティと親密性の両方を混在しており,
異性と親密な関係を持つ恋愛によって成長し,その過程を通じてアイデンティティを達成していくと考えられる.この
ように恋愛とアイデンティティは密接に関係しているものなのである.
問題と目的
恋愛研究において過去の研究を見ると,直接的に恋愛とアイデンティティの達成の関係を検討している研究は極めて
少ない.大野(1993)の研究では青年期の若者の実態を調査し,検討するといった研究ではない.恋愛は青年期の身近な
問題であるため,恋愛とアイデンティティの関係を,数量的に研究するだけでなく,具体的な恋愛の質的な側面まで探
ることは,青年期をより理解する上で意味があると思われる.
また,従来の恋愛研究において,男性や女性,または恋人の有無が調査対象とされる研究は数多くみられる.しかし,
恋愛研究をする上で,必要不可欠であるのが,恋人やその意中の相手などの存在であると考えられる.前章でも述べた
ように,人間はたった 1 人の力でアイデンティティを達成していくのではなく,他者の存在が大事であることを論じた.
そのことからも,青年期の恋愛研究にはカップルを 1 単位として,検討していくことが必要とされると考えられる.そ
のため,本研究では大学生のカップルを 1 単位として,その 2 人の関係の中から,新たな恋愛研究の 1 ページとして明
らかにしていきたい.
また従来では,アイデンティティが達成しているのか,否かということに焦点をあて,アイデンティティの達成の仕
方はあまり重要視されていない(原田,2009)ことも指摘されている.しかし,アイデンティティ達成という,青年
期の若者の発達課題とされることで,この達成には恋愛スタイルによって大きな変化が見られると考えられるであろう.
そのアイデンティティの達成の仕方とは一体どのような達成の仕方であるのか,アイデンティティを恋愛によって達成
するのであれば,どのような恋愛の要因によって達成があるのであろうか.また変化が見られるのだろうか.
そこで本研究では,青年期の大学生がアイデンティティの変容が,恋愛スタイルにどのような変化をもたらすことが
あるのかについて,カップルの 2 人の関係の中から明らかにしていきたい.
53
方法
まず,本研究の目的は前節でも述べた,アイデンティティの変容によって,恋愛スタイルにどのような変化をもたら
すことがあるのか.また,そのアイデンティティの変容が恋愛によって達成されるか,否かによってどのような変化が
見られるのかを検討することである.そのため,第 1 にアイデンティティの変容,第 2 に個人の恋愛スタイルに着目す
ることを必要とする.また,変容を検討するべく全 2 回の調査を行う必要がある.そのため,アイデンティティの変容
については,確定できる情報を求めるために,質問紙調査を実施し,恋愛スタイルについては,より深く個人の恋愛に
ついての言及が必要なためインタヴュー調査を実施する.その調査を全 2 回行い変容を調査する.
また前節でも述べたように,本学の学生の中から学内で交際を続けるカップルに調査対象者を設定し,検討する.カ
ップルの関係や,カップルの言及の中から分析を行う.調査形式としては,カップルを同時に調査するのではなく,カ
ップル各個人ごとに調査を行うこととする.なぜなら,カップルの双方がいる際に調査を行うことによって,恋人の存
在を気にしてしまい,話したいことも話せなくなってしまうという状況を避けるためである.以下に,質問紙における
調査内容,また,面接調査による調査内容を記す.
研究1 質問紙調査
■研究協力者 大学内で交際をするカップル(男性:22 歳,女性:21 歳)を研究協力者とする.このカップルについ
ては学内で,調査内容を説明し,調査協力を促し,調査を協力することに賛成してくれたカップルを対象者とした.
■調査時期 第 1 回目の調査:2010 年 7 月 28 日~2010 年 8 月 6 日
第 2 回目の調査:2010 年 12 月 10 日~2010 年 12 月 17 日
■手続き 調査への協力を求めた,カップルの各個人へ回答を依頼し,面接調査開始前に配布した.質問紙はその場で
回収を行い,所要時間は 10 分程度であった.
■質問紙の構成
①フェイスシート 被面接者の属性(性別,学年,年齢)の記入を求めた.また今までの交際経験について尋ねた.
②アイデンティティの為の恋愛の特徴(大野,1993)
(大野,1993)によって提唱されたアイデンティティの為の恋愛
の特徴を,
(原田,2009)によって尺度化されたものを使用した.
③アイデンティティ尺度(下山,1992)
■分析方法
原田(2009)によって,アイデンティティ達成が恋愛によって達成されているものなのか否か,という
アイデンティティの達成の仕方が,青年期の恋人選択に影響を及ぼすのかという先行研究によって使用された,アイデ
ンティティ尺度(下山,1992)
,アイデンティティのための恋愛尺度(原田,2009)のデータに基づき再分析を行った.
その再分析で明らかになった平均値を使用し,図 1 の 4 分類表を作成した.
(アイデンティティ尺度の平均値は 2.6,
アイデンティティのための恋愛尺度の平均値は 3.4 であった)そして,個人がどの群に属するのかを明らかにした.
研究 2 面接調査
■手続き
調査協力者である,カップルの各個人に個別に面接を行い,会話を IC レコーダーに記録した.1 人あたり
の所有時間は約 30 分から 1 時間であった.今回の面接はすべて半構造化面接を用いた.予め用意された恋愛について
の質問とアイデンティティ達成において必要とされる個人の質問を中心として面接を進め,調査者の意図をもってデー
タを得た.調査に関しては,調査目的・得られたデータの使用方法など事前に説明し,了承が得られた者を調査協力者
とし,面接の会話を IC レコーダーに記録した.会話データの研究への使用に関しては,全て了承された.
54
■面接内容
本研究に沿った質問を含み,他にも恋愛関係に関するいくつかの質問をした.
①恋人はあなたにとってどのような存在ですか,②交際を通じて,恋人からの影響や自分自身に変化などはありますか,
③恋人の印象に変化はありますか,④恋人に求めるものはありますか,⑤恋人との将来や,恋人の将来について考えま
すか,⑥大学生活やあなた自身のこと(将来)について聞かせてください,以上の 6 つのカテゴリに分けて,質問を行っ
た.また,被面接者がエピソードを話しやすいように質問を行った.また探索的に検討できるように,なるべく多くの
エピソードを引き出すようにした.
■分析方法
まず,インタヴュー調査で得られた会話データを回答が損なわれないように要約を作成した.そしてそ
の要約から,まずは個人の恋愛スタイルについての考察を述べ,次に 2 人の要約の中から,アイデンティティ変容に影
響を受けていると考えられる内容を変化に焦点を当て,考察をした.
質問紙調査による結果
調査協力者である,カップルは大学 4 年生男性と大学 3 年生女性のカップルで,交際期間は 2 年 4 か月である.
アイデンティティの確立
A
アイデンティティの確立
B
●(2.8:2)
○(2.8:3.4)
C
D
A
ア
イ
デ
ン
テ
ィ
テ
ィ
の
た
め
の
恋
愛
B
△2.9:3.4)
▲(2.5:1.8)
C
D
図 1.第 1 回目調査
図 2.第 2 回目調査
男性:● 女性:○
男性:▲ 女性:△
ア
イ
デ
ン
テ
ィ
テ
ィ
の
た
め
の
恋
愛
結果は,男性は第 1 回目の調査において,アイデンティティ達成・アイデンティティのための恋愛をしないA群に属
する.また 2 回目では,アイデンティティ未達成・アイデンティティのための恋愛をしないD群に移行した.要するに,
アイデンティティ達成(A群)→アイデンティティ未達成(D群)
,故にアイデンティティの変容が起こっていること
が伺える.また,女性は,第 1 回目の調査において,アイデンティティ達成・アイデンティティのための恋愛傾向にお
いては,どちらにも属していないため,アイデンティティが達成されていることが示唆された.また,第 2 回目の調査
においては,アイデンティティの達成,そして第 1 回目と同様アイデンティティのための恋愛傾向においは,どちらに
も属さない群に属されている.よって女性は,アイデンティティのための恋愛傾向は変化せず,表 2 を見てもわかるよ
うに,アイデンティティの達成の得点が上がっていることがわかる.
55
インタヴュー調査による結果
質問項目
○恋人はあなたにとって
どのような存在ですか.
○交際を通じて,恋人からの影響や
自分自身に変化などはありますか.
○恋人の印象に変化はありますか.
○恋人に求めるものはありますか.
○恋人との将来や,
恋人の将来について考えますか.
○大学生活やあなた自身のこと
(将来)について聞かせてください.
カップルA
A
A'
第1回目 (2010年07月28日)
第2回目 (2010年12月17日)
第1回目 (2010年8月6日)
第2回目 (2010年12月10日)
「私よりも年下なのに数段しっかりしていて,尊敬できる存 「お互いが忙しくなったこともあって,彼女が自分の支えに 「家族,友人よりも1番の私の支えは恋人.落ち込んでいる 「色んなチャンスを与えてくれる人で,環境や知識,全て彼
在.しかし,ある意味で劣等感を抱いている.私はもともとで なっていることには変わりないけど,お互いがお互いのやる ときは察してくれて,優しく声をかけてくれるしかし,彼は私 からの影響ではないけど,成長させてくれるきっかけをくれ
きるタイプの人間ではないため,何でもうまくこなしている彼 べきことをそれぞれこなしていこうとは思っている.そのうえ の支えになっているが,彼にとっての私は支えになれている た.」
女をうらやましく思う.そういった意味でよきライバルだとも で2人の関係があると思う.そこで,また成長する彼女を見 のかと気になる.」
思っている.」これからも切磋琢磨していきたい.
て,私もがんばろうと思える」
「様々なことにがんばる彼を見て,全力で応援したいと思っ
ている.自分との時間よりも優先してがんばってほしい.」
「共通の趣味を通じて話をすることがよくあるが,自分とは
全く違う視点を持って意見をくれるので,刺激を与えても
らった.また,趣味の幅も広がり,今まで縁のなかったジャ
ンルにも興味を抱くようになり,そういった意味で知識を身
につけることもできた.」
「たぶん,今まで付き合ってきた中で1番成長したいと思える
相手で,今までの恋愛では,相手に合わせようとか,好きに
なってもらおうと必死になっていたと思う.でも今は,好かれ
ようとしたり,彼女に合わせることはなくなった.」
「彼女が新しく始めた校内でのプロジェクトで,企画が通らな
かったっていうことがあった.もうあきらめるかなと思ってい
たけど,あきらめず,次に何をやるべきか考え実行している
姿を見て,彼女の成長が嬉しく感じるとともに,私のモチ
ベーションもあがった」
「常に影響を受ける人で,以前は興味のなかったことなど彼
によって自分の幅が広がったと感じる.」
「自分の思っていることなどを口にすることが苦手で,彼に
対して我慢する部分もあったが,言いたいことを伝えられた
とき,ぶつかり合うことの大切さを知ることが出来た.またそ
れによって,仲を深めあえたとも感じている.」
「連絡をする回数や会うことも,お互い忙しくて減少した.前
の私なら,1日1回は連絡を取っていたが,今取らずにいれ
るのは,自分が中心の生活になったからだと思う.」
「彼氏が大事なポジションには変わりないが,あくまでも中
心は自分で,何より自分がしっかりしていなきゃと思うように
なった.」
「交際を始めた当初は,もっと連絡をまめにして欲しいと言 「積極的に行動するようになってから,今やらなきゃいけな
われていたが,現在では、自分の時間を少しずつ持つように い優先順位などを理解できるようになったと思う.また以前
なったからか,そのような理不尽なことは言わなくなった.そ と違って,色んな人と関わるようになったり,様々な経験を
の点,彼女が成長したことで良い関係を築けていると思って するようになって成長していることに築かされる.」
いる.」
「もっと積極的になってほしいと感じる.色んな経験をしてほ 「以前は,成長してほしいと思うところがあったけど今はそん
しいし,学生じゃなきゃできないことをしてほしい.また,私 なにはない.しかし,成長できたのだから,もっと自分に自
の知っている彼女と,周りの人が知っている彼女との印象 信を持ってほしいという気持はある.」
が違うので,もっと知ってもらいたいという意味で悔しく思
う.」
「2人の先のことについては全然考えたりしない.だけど,こ 「3年の後半ということもあり,就職活動が恥じ待てるけど,
の関係が変わるとなると,それはすごく怖い.でも変わらな 就活については少しイライラする.積極的に動いてほしい.
いと願いたい.」
心配をしているというのではなく,彼女のためにも自分のこ
「彼女には,私の存在とか関係なく自分の将来を考えてほし とを考えてもっと意識を高めてほしいと強く思う.」
いと強く思っている.」
「以前は自分を中心に考えていた彼が,後輩や友人にアド 「気を使ってくれるようになった.何に影響されても構わない
バイスする姿を見て,自分よりも周りに気を使えるように けど,その変化がすごく嬉しい.その少しの気遣いだった
なったと感じる.」
り,優しさで私もがんばろうって思える.」
「2人のこれからのことはとても気になっている.しかし,彼
の進路や先のことが決まっていないことを考えると,あまり
考えられない.」
「彼のこれからについて,とても心配している.」
「これからの2人のことはあまり考えない.彼のことを心配に
思う気持ちはあるが,将来のことを考えた時に,やはり自分
がしっかりしていればいいという考え方を持つようになっ
た.」
「就職活動もしていないし,全く先のことが見えない.こうな
りたい理想はあるけど,それも漠然としている.進みたい道
はあるけど,私自身にその実力があるのかもわからないし,
何より不安.」
「この先のことが決まったとき,もっと自分に自信は持てる
気がする.」
「彼女は,私自身これからについて,あまり聞いてくることは
しない.でも内心すごく気にしていると思う.」
「やりたいことはたくさんあるのだが,それが定まっていない
ため,まずは目標を立てたい.」
「先輩と話ができなくて、特定の友達と一緒にいるだけだっ
たが,積極的になれて,大学やサークルへの見方が変わ
り,今まで狭い中でいろんなことを考えていたということがわ
かった.」
「どこにいても,自分を持った人でいたいなと思うようになっ
た.色んな人と話すようになって,こうでありたい自分の姿
や理想を持つようになって,それに近づきたいと思えるよう
になった.そのきっかけをくれたのは,全部ではないけど彼
氏の存在が大きいのだと思う.」
「以前一緒にいた友人とは,あまり関わらなくなり,自分自
身のフィールドが変わった.」
「将来については相変わらず不安.しかし,前とは異なり,
進路は決まってないけどやりたいことは明確になった.あと
は,そのやりたいことをどの場所や環境でするのかを決め
なくてはいけない.」
「相変わらず,彼女は私のこれからの進路などについて聞
いてくることはない.」
56
「交際する期間も増え,慣れ合いによって,少しの感謝の気 「以前は,もっと気を使ってほしいなどという気持ちがあった
持ちを伝えられなくなっている.そういった少しの感謝の気 が,今はその願いが叶ったので得にはない.」
持ちはすごく大事なことだと思っている.」
考察
第 1 回目と 2 回目の調査において異なる大きな変化が見られることが分かった.男性は,第 1 回目の調査において,
「自分」という存在を視点に大半を語っていた.例えば,2 人の関係性において「この関係が変わるとなると,それは
すごく怖い.でも変わらないと願いたい.
」との語りからその傾向が伺える.また,女性の成長によって,自分自身の
成長にも繋がっているという語りなどがある.しかし,2 回目の調査において彼女のためにも自分のことを考えてもっ
と意識を高めてほしいと強く思う.
」という語りから,前述でも述べたが,
「自分」という視点から女性「個人」に視点
が変化していると考えられるのではないか.また,女性の最も変化した語りの内容として捉えられる 2 人の将来に向け
られた視点の変化が考えられることである.自分と彼という 2 人の存在がいる中で,2 人の関係の中で将来を見据えて
いた女性の視点が,自分という存在だけで,将来を考えられるようになったと言えるのではないか.つまり,男性は自
分中心の生活→女性の成長を自分のことのように喜ぶことのできるように変化し,また反対に女性は,2 人の関係の中
に自分をいう存在をおくこと→自分を中心とした考え方に変化したのではないかと考えられる.良い意味で,お互いの
きっかけによって成長し,補い合いながら,高め合いながら交際を続けていると言えるのではないだろうか.
本研究から得られた知見として,青年期においては,アイデンティティは変容し続けるものなのだろう.そうした変
化し続けるアイデンティティの中で,若者たちは恋愛をしていく.そうしたアイデンティティの変化は,時に恋人たち
の間で,どちらかがどちらかに頼りすぎたり,お互いに頼れなくなったりするなど,葛藤を引き起こす.一方で,お互
いのアイデンティティの変化がうまくかみ合った時には,一人では達成できないほどの発達的経験をもたらす.つまり,
二人でいることによって成長できることや,二人でいることによってより豊かな人生を送ることができる.
おわりに
青年期において,筆者が最も重要であると感じること.それは,地に足をつけ,自分 1 人の力で立つことであると考
える.支えとなる杖の存在に頼ってばかりではなく,その杖がなくなっても大丈夫なように自分の足を鍛え,そして自
分という存在に自信をもち,自分を好きになってあげることだと思う.そして,筆者が理想とする恋愛とは,お互いが 1
人の人間としての意味を持てるように,自分と恋人の 2 人で 1 人ではなく,1 人(自分)と 1 人(恋人)で 2 人となれ
るような関係を築くことが理想ではないだろうか.いつか,恋愛の中の自分という存在ではなく,自分というたった 1
人の存在に自信と誇りを持てるようなそんな強く,たくましく,素敵な女性になりたい.
引用文献
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- 57 -
第 8 章 大学生の活動水準と睡眠の関係
堀内 祐希
文献研究
睡眠とは
著者は寝付きが悪いなどの睡眠に悩まされ睡眠研究を行った.では,睡眠の定義とはどのようなものなのだろうか.
Kleitman(1963)は睡眠を「人間や動物の内部的な必要から発生する,意識水準の一時的低下現象」であると定義し,
「か
ならず覚醒可能のこと」という条件を付け加えている.以上のように定義すると催眠や薬物による,睡眠とよく似た意
識の低下状態は,個体の内部的な必要から発生したものではないので,睡眠とは別のものということになる.また,か
ならず覚醒可能なことという条件から,昏睡が除かれる.冬眠,夏眠,休眠などの特殊な不活動状態も,覚醒が著しく
困難であることから,睡眠とは別のものということになる(堀,2000).
以上のように,睡眠には多様な定義がある.本研究に置いては,Kleitman(1963)の定義にならい,睡眠を「内部的
な必要から発生する.意識水準の一時的低下であり,必ず覚醒すること」と定義する.
睡眠の時間
人間にとっての睡眠はいったい何時間とれ
時間:分
8:12
8:01
7:49
7:43
7:43
7:39
7:34
7:45
7:36
7:27
7:22
7:23
7:20
7:16
1976
1981
1986
1991
1996
2001
2006
ば適切であり,健康的であるといえるのだろ
うか.一般的には「健康のためには 1 日,8
時間の睡眠が必要である」と考えている人は
多いと思われるが,その根拠となる証拠はほ
男性有業者
女性有業者
とんどない(堀,2008).
日本では NHK 放送文化研究所によって,
年毎に国民生活時間調査が実施されており
(図 1),この調査から日本人の睡眠時間が年々
図 1 睡眠・食事・身の回りの用事の生活時間推移を元に作成
短縮していることが伺える.Hartmann,et
al.(1971)は標準的な人間の睡眠時間は 6 時間~9 時間であるとしている.図 1 に示したように,短縮傾向にあるとはい
え日本人の一般的な睡眠時間は 6 時間~9 時間以内という標準的な睡眠時間であるといえる.
しかし,中村(2004)によると 7 時間の睡眠摂取者でさえ 47%が睡眠不足に陥っており,睡眠時間だけでなく,睡眠の
深さ,中途覚醒,早朝覚醒の有無といった睡眠の質が睡眠の満足度に関連している.さらに,山本(2009)によると,充
分な睡眠時間がとれているからといって寝起きがよく,満足のいく睡眠がとれているとは限らず,睡眠時間は充分であ
っ て も ,満 足の い く睡 眠が と れ てい ると 感 じて いな い 人 が数 多く 存 在す ると 指 摘 して いる . 加えて
Jones&Oswald(1968)は,
「健康な不眠症者」という,1 日 4 時間以下の睡眠時間でも健康を維持できる,無駄のない
効率のいい睡眠をとっている人達の存在を指摘している.
以上のような先行研究から,一般的には睡眠時間が 6 時間~9 時間必要であるとされていながらも,一方で 4 時間以
下の睡眠時間でも健康を維持できる人達の存在も明らかになっており,睡眠の満足度には,睡眠の量よりも睡眠の質が
影響していることが伺える.
睡眠の質
Monroe(1967)によれば,主観的な睡眠評価において,入眠時間が 10 分以下で,夜間の中途覚醒がなく,入眠困難の
ない者を安眠型と定義し,それに対して入眠時間が 30 分以上で,夜間の中途覚醒が 1 回以上あり,実際の入眠時間と
- 58 -
は関係なく,入眠困難感がある者を不眠型と定義している.
Hyyppa ら(1991)の調査において,安眠型は不眠型に比べ,悪夢,金縛り,入眠時幻覚などが有意に少ないこと,ま
た,安眠型は日中における疲労が少なく,抑うつ気分も低いことが明らかにされており,睡眠の質が高いことは日中の
心身状態によい影響を及ぼしていると示唆されている.さらに山本ら(2009)によると,睡眠時間や中途覚醒の有無より
も入眠時間が主観的な睡眠の質に寄与していることを示唆している.
以上の知見をまとめると,睡眠の質は,入眠時間が大きく関係しており,睡眠の質が日常生活に大きな影響を与えて
いると考えられる.では,本研究が対象としている大学生の睡眠の状況はどのようになっているのだろうか.
大学生の睡眠問題
坂本(2009)によれば,大学生とはそれまでの規則正しい生活から離れ,自ら決めた時間割やサークル,アルバイトな
どの領域で自由度の大きい生活スタイルが可能になること,また,最先端の機器や流行にも敏感で,そうしたスタイル
を追って生活リズムを崩し,睡眠の不規則化や深夜化が進行しやすい状況に置かれており,大学生の睡眠は不規則化や
深夜化が進行しやすい状況に置かれるとされている.
また,徳永ら(2004)は大学生のアルバイトと睡眠の質の関連を指摘している.徳永ら(2004)によると,大学生の多く
がアルバイトを行っており,アルバイトを行っていない学生と比べ,休息や睡眠充実度が劣ることが明らかにされてい
る.
以上の先行研究の他にも,アルバイトを始めとした大学生の生活スタイルと睡眠の関連が検討されている.坂本
(2009)は大学生の生活スタイルと睡眠との関連について,大学生はレポートや試験勉強のためなどで徹夜の頻度が多い
こと,朝食をとらないこと,夜食をとること,昼寝の習慣があることなどの生活習慣の乱れが大学時代に生じやすいこ
とを挙げ,こうした大学生の生活スタイルがひいては彼らの睡眠の量,睡眠の質,リズムの悪化を招いていると指摘し
ている.
上述の坂本と類似した研究として,学校教育と睡眠との関連について Carskadon,et al. (1990)は,児童期や青年期に
おける不眠,不充分な睡眠やそれに関した疲労は,行動的問題や情動障害に関連し,二次的に,学業上の問題,集中力
欠如,成績の悪化などに結びつくと指摘している.
以上の知見から,不規則になりがちな大学生の生活スタイルは睡眠の質に対し悪影響を及ぼすと指摘されていた.よ
って,良好な睡眠を会得するために,自身の睡眠を取り巻く環境を検討していく必要があると考えられる.
睡眠に影響を与える要因
環境的要因
睡眠に影響を与える要因として環境的・心理的・身体的の 3 つが挙げられる.環境的要因として,梁瀬(1994)は温湿
度,音,光が大きく影響していることを指摘している.なかでも光は,温湿度,音と比べ自身で調節が容易であると考
えられる.光の特性には,照度,色温度,輝度,明暗コントラスト,光源の高さ,光の数,光の拡がりなどの要素ある
(北堂,2005).照度と色温度は,生体リズムや覚醒度など生体の生理面に大きな影響を与えると同時に,くつろぎ感や
落ち着き感など心理面にも大きく作用する(八十住,1994).そのため,良質な睡眠のための室内空間の光・照明環境の
設備は,特にこの 2 要素が必要となる(北堂,2005).入眠前,睡眠中,起床前後では適切な光,照明環境が異なり,1
日の生活サイクルに合わせて照度や色湿度を制御することが必要となる(北堂,2005).その他にも木暮(2005)は嗅覚や
寝具,寝衣など触り心地や着心地などの触覚も少なからず睡眠に影響を及ぼしていることが指摘している.
心理的要因
環境的要因以外で睡眠に影響を及ぼす要因として不安,抑うつといった心理的要因がある.Doi(2005)の勤労者を対
- 59 -
象とした調査では,30~45%の勤労者の間で寝付きが悪い,途中で目が覚めてしまうといった,不眠の症状が報告さ
れている. Murata,et al. (2007)の公務員を対象にした睡眠愁訴(入眠困難,睡眠維持障害,塾眠不全)と心理的要因と
の関係を検討する研究では,
「生きがいが感じられない」
,
「話し合える人がいない」
,ストレスを強く受けているなどの
心理的要因は,睡眠愁訴の全種類の不眠と関係していたと指摘している.さらに田口ら(2007)によると,特性不安が高
い者ほど不眠傾向が強いことが示された.不安を感じやすい性格の傾向の人は,些細な出来事でも精神的ストレスをか
かえてしまい,そのため「寝付けない」
,あるいは「眠りが浅い」などの不眠症状にも悩むことになると指摘している.
身体的要因
前述してきた環境要因,心理的要因の他,睡眠に影響を及ぼす要因として身体的要因,とりわけ,身体活動がある.
厚生労働省(2006)の健康づくりのための運動指針によると身体活動を「運動+生活活動」と定義している.生活活動は
言い換えると日常身体活動と言えよう.そこで本論文では身体活動を「運動+日常身体活動」と定義する(図 2).
身体活動の睡眠への影響についての研究を概観すると,活動的な生
活を送っている者のほうが睡眠に関する問題の報告が少ないこ
と(Sherrill,et al.1998),習慣的に運動を行っていない者ほど不眠
を報告すること(Kim,2000),運動プログラムへの参加によって
睡眠の質が改善すること(King,1997)が指摘されている.
Youngstedt(2000)によれば,身体活動が注目されるのは,第一
身体活動が睡眠を促進するという考えが直感的に認識されやす
い,第二に身体活動の恩恵はきわめて大きく,睡眠薬の有害さ
とは対照的である,第三に身体活動は費用がかからず,用いる
ことが容易で他の対処法の代替法になる,という 3 つの理由に
よると示唆している.
図 2 身体活動=運動+日常身体活動
(宮地(2008)をもとに著者が作成)
一方で身体活動が睡眠を阻害しているという研究も散見される.白川ら(2007)の運動習慣のない者に対して,運動強
度の違いを検討する研究において,睡眠ポリグラム,主観的な睡眠評価ともに,非運動日に比べて高強度運動日で有意
な睡眠阻害が認められた.また荒井ら(2006)によると中強度以上の運動を実施することよりも,日常身体活動を実施す
ることのほうが,好ましい睡眠の質を予測する可能性を示している.つまり身体活動は睡眠の改善に役立つことは明白
であるが,身体活動を行いすぎることはかえって睡眠を阻害すると言えよう.
調査研究
問題と目的
先行研究では環境要因,心理的要因,身体的要因が睡眠に影響していることが示唆された.Youngstedt(2000)は身体
活動が睡眠に及ぼす恩恵が大きいと指摘している一方で,白川ら(2007)は高強度の身体活動が睡眠を阻害すると指摘さ
れている.つまり身体活動は良くも悪くも睡眠に影響を及ぼしているといえる.
ではどのような身体活動であれば,睡眠に良好な影響を与えるのだろうか.中村(2004)は,従来行われてきた運動実
施日の睡眠と非実施日の睡眠を比較する研究において,低強度の活動や短時間の活動(日常身体活動)の効果が見落とさ
れてきた可能性があり,日常身体活動を継続して行うことによって,睡眠が好ましくなることが考えられると示唆して
いる.さらに荒井ら(2006)によると,日常身体活動を実施することのほうが,好ましい睡眠の質を予測する可能性を示
している.つまり身体活動においても日常身体活動ならば睡眠に良好な影響を与えていると考えられる.しかしながら,
日常身体活動といっても,図 2 からも伺えるように様々な種類の活動がある.そうした様々な身体活動の中でも本研究
では,大学生の日常身体活動として「通学」を取り上げる.
- 60 -
西薗ら(2001)の調査によれば,群馬県の大学生は 52.2%が自動車を,19.7%が自転車を,11.9%がバス・電車等の公
共交通機関をそれぞれ通学方法して利用していることが明らかにされている.厚生労働省(2006)の身体活動のエクササ
ズ数表によると,自動車の運転と自転車では,活動量に 2 倍の差が生じると示している.つまり通学方法の違いによっ
て,日常身体活動量に差異が見られ,睡眠に影響を及ぼしている可能性が考えられる.そこで本研究では,通学方法の
違いから「自動車,バイク」と「電車,徒歩,自転車」に分類し,睡眠に与える影響を検討する.
睡眠状況を計測する尺度については,中村(2004)が示唆したように睡眠の質が睡眠の満足度に影響しているため,本
研究においては回答者による「寝付きが良い・悪い」等の主観的な評価によって睡眠の質の測定を行う.
また本研究では通学の活動量の違いからも睡眠の質を検討を行う.厚生労働省(2006)の身体活動のエクササイズ数表
からも明らかのように,同じ通学時間でも通学方法の違いによって活動量に差異が生じることが予想される.そこで,
通学方法と通学時間から活動量を割り出し,検討を行う.以上の知見から以下の仮説を立てた.
≪仮説 1≫「自動車,バイク」通学手段の者は,
「電車,徒歩,自転車」通学手段の者に比べ,睡眠の質が悪い.
≪仮説 2≫通学の活動量が多い人は少ない人に比べ,睡眠の質が良い.
方法
調査協力者:群馬県内の大学 3 校の学生 209 人
手続き:2010 年 12 月 17 日にアンケート調査を実施した.回答方法は,大学の学生は講義内で質問紙を配布,その場
で回答してもらい,回収した.その他は,休み時間を利用し質問紙を配布し,その場で回答してもらい回収した.
所要時間は約 5 分であった.
調査内容:
1)フェイスシート.通学方法(自動車,電車,徒歩,自転車,バイク,自由記述)の中から通学時間の記入を求めた.
通学方法が電車のみの解答であった者は,駅から学校までの時間を考慮し徒歩 10 分を加えた.
2) 東京都神経研式生活習慣調査(宮下,1994).睡眠習慣尺度における質関連因子をもとに主観的な睡眠の質尺度を
独自に作成した.1「あてはまらない」
,2「ややあてはまらない」
,3「どちらでもない」
,4「ややあてはまる」
,5
「あてはまる」の 5 段階評定であり,質問項目は,
「寝床に入ってから寝付くまでに時間がかかるほうだ」
「寝付き
がいい」
「床が変わっても眠れる」
「普段,朝目覚めたときの気分がいい」
「普段の眠りが深いと感じている」
「夢を
見ることがある」の 6 項目を使用した.
分析方法:SPSS を用いて分析を行った.まず,回答者を「自動車・バイク」通学方法の者,
「徒歩・電車・自転車」
の通学方法の者に分け,それらの通学方法を独立変数とし,主観的な睡眠の質を従属変数とした t 検定を行った.
次に通学方法と通学時間から活動量低群と活動量高群に分け,活動量を独立変数とし,主観的な睡眠の質を従属変
数とした t 検定を行った.
結果
「自動車,バイク」通学手段の者は,
「電車,徒歩,
自転車」通学手段の者に比べ睡眠の質が悪い.
まず,
「自動車・バイク」通学方法の者(n=127)
と「徒歩・電車・自転車」の通学方法の者(n=79)
に分けた.なお,通学に「自動車,電車,徒歩」
を利用している者は「徒歩・電車・自転車」群に
5
4
3
2.84
2
1
自動車・バイク
徒歩・電車・自転車
t(204)=1.92,n.s.
含めた.
次に,
「自動車・バイク」通学手段の者と「徒歩・
3.00
図 3 通学手段の違いと主観的な睡眠の質尺度得点
- 61 -
電車・自転車」の通学手段の者を独立変数とし,主観的な睡眠尺度の合成得点を従属変数として t 検定を行った結果,
「自動車・バイク」通学手段の者と「徒歩・電車・自転車」の通学手段の者の間には有意な差が見られなかった
(t(204)=1.92,n.s) (図 3).
通学の活動量が多い人は少ない人に比べ,睡眠の質がいい.
通学方法,通学時間を厚生労働省(2006)の身体活動
のエクササイズ数表をもとに,重み付けを行った.自
動車を基準に,電車を 1.3 倍,徒歩を 2.0 倍,自転車を
5
4
2.3 倍,バイクを 1.2 倍とし,通学方法・時間から活動
3
量への変換を行った.活動量の合成得点を作成し,活
2
動量に応じて低群(n=102),高群(n=104)に分類した.
活動量を独立変数とした主観的な睡眠の質を従属変数
2.99
2.81
1
活動量低群
とした t 検定を行った結果,活動量低群,活動量高群
活動量高群
t(204)= 1.55,n.s.
との間に,
有意な差は見られなかった(t(204)=1.55,n.s.)
図 4 活動量の違いと主観的な睡眠の質尺度得点
(図 4).
考察
まず,仮説 1 の「
「自動車・バイク」通学手段の者は,
「徒歩・電車・自転車」の通学手段に比べ睡眠の質が悪い」と
いう仮説について考察する.
先行研究によると日常身体活動が睡眠に良好な影響していると示唆しているが,本研究では日常身体活動を通学とい
う手段に定義し,検討した結果,両群の間に有意な差は見られなかった.上記の結果から,通学という日常身体活動以
上に,他の身体活動が影響している可能性が考えられる.第一に,サークル・部活が考えられる.多くの学生が講義終
了後に,サークル・部活を行っているであろう.サークル・部活では中強度~高強度の運動が想定され,先行研究によ
れば,中強度の運動は睡眠に良好な影響を及ぼすが,高強度の運動は睡眠を阻害する.つまりサークル・部活によって
睡眠を良好に,または阻害している可能性が考えられる.第二に,大学生の多くが行っているアルバイトが考えられる.
アルバイトでは多くの歩行を伴う場合が多く,歩行により睡眠に良好な影響を与えていると考えられる.
しかし坂本(2007)の短大生に関する研究において,アルバイトを行っている学生の 72%が睡眠不足を表明していると
指摘している.つまりアルバイトでは,歩行という,睡眠を改善する要因がありながらも,深夜に及ぶ勤務から睡眠を
阻害している可能性があると考えられる.以上のような様々な要因が大学生の睡眠の質に影響を及ぼし,通学方法とい
った 1 要因では睡眠の質に影響を及ぼさなかったと考えられる.
次に仮説 2「通学の活動量が多い人は少ない人によりも睡眠の質が有意に高い」について考察を行う.
仮説 2 が棄却された要因として通学の活動量は身長,体重などによって大きく変化する.しかし本研究では,通学手
段のみを基準として重み付けを行ったため,性別や体型は考慮していない.よって活動量に大きな違いが表れた可能性
が考えられる.また通学の活動量が多い人は必然的に通学に時間も有しているため,通学の活動量が少ない者との間に
は睡眠時間の差異があり,睡眠時間の差異が睡眠の質に影響を及ぼしていることが考えられる.
総合考察
本論の仮説が支持されなかった理由として,本論の調査地である群馬という土地の特殊性があげられる.西薗ら
(2001)によると群馬は国内でも有数に自動車依存地域であり,日々の移動のほとんどに自動車を用いていることを示し
ている.本研究における群馬の大学生に通学においても自動車通学が半数以上を占めており,ほとんど動かないまま通
- 62 -
学を可能にしている.図 5 で示したように,本研究に
おける徒歩による活動時間は,10~20 分の間に推移し
ている.
厚生労働省(2006)のエクササイズガイドによると健
康のための歩行等の活動は 60 分と示している.つまり,
群馬の徒歩による活動時間 10~20 分は非常に短いも
のであると考えることができる.このような群馬の大
学生の活動時間の短さが,本研究の仮説が支持されな
30
25
20
15
10
5
0
時間
人数
かった要因であると考えることができる.よって,今
図 5 通学における徒歩の時間と人数
後通学手段について検討する際,地域の特殊性や日常
身体活動以外の身体活動を考慮する必要性があると,本研究の結果から示唆することができる.
引用文献
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- 63 -
第 9 章 移りゆく障害観
―理学療法士の障害受容の語りから―
米島 小百合
はじめに
幼い頃から,筆者の身近には身体障害を持つ人がいた.また,引越しによる保育園の転園や小学校の転校など,環境
は変われども行く先々で様々な障害を持つ人と出会う機会があった.同時に,障害を持つ人に対して不自然な態度を取
る人々を目にしてきた.例えば電車内で障害を持つ人に不審な視線や畏怖の視線を向けていたり,あるいはインターネ
ットの掲示板で障害を持っている人を見下し,侮辱するような書き込みをしたりする人々のことである.筆者にとって
は身近かつ自然でありながら,場所や人によっては不自然であるかのように扱われる“障害”というものを,筆者なり
の言葉で論じたい,という思いから本研究は始まった.
問題と目的
WHO(厚生労働省,2002)による障害の定義や障害をテーマとして扱った研究(Goffman,1984)の概観を通じて,障害を
考える際に障害受容が重要であること(南雲,2006),また,日本において障害受容を考える際に社会受容が重要であるこ
と(南雲,2006,田島,2007)を述べた.しかし,これまでなされてきた障害研究のほとんどは,社会全体の中で障害がどの
ように扱われているかという示唆に留まるものであり,現実社会における人々がどのように障害を受容しているかとい
ったような社会受容の実際を反映するものであるとは言いがたい.本研究では日本において障害受容を考える際に抜け
落ちがちである社会受容を捉えるため,普段障害者との関わりをもつ非障害者が,どのように障害を捉えているのかと
いうことを明らかにすることを目的とする.
方法
研究協力者:理学療法士の男性Aを研究協力者とした.平成21年7月のインタビュー当時,Aは23歳であった.同年3
月に4年生の専門学校を卒業し,同年4月に関東の病院に理学療法士として勤める.インタビュー当時,理学療法士とし
ての実務歴は約3ヶ月である.
調査内容
非障害者がどのように障害者を理解し受容するのかを調べるための手がかりとして,研究協力者が抱く障害について
のイメージを明らかにすることを目的に,面接を行った.特に,A の経験の中で A 自身の障害受容に影響を及ぼしたで
あろう出来事を想定し,その前後において,障害に対するイメージがどのように変化したか明らかにするため,A に以
下の経験をたずねた.
①初めて障害を持つ人と関わった経験
②理学療法士になるための学校で,専門的に勉強し始めた経験
③実習など,実際に障害を持つ人と関わるようになった経験
以上3つの経験について,A はその時々で障害をどのように捉えていたのか,自由に語ってもらった.
手続き
平成 21 年 7 月某日,喫茶店において A に半構造化面接法を用いたインタビューを約 20 分行い,会話の内容はすべ
て IC レコーダーに記録した.研究協力者に対しては,今回のインタビューで得られた会話記録を学術データとして研
- 64 -
究に使用することを説明し,インタビュー内容を IC レコーダーに録音をすることの了解を得た.また,インタビュー
で得られた会話記録をトランスクリプト化した後,トランスクリプトの内容に不備がないか,改めて研究協力者に確認
を依頼し,作成したトランスクリプトデータを研究に使用することの了解を得た.
分析
KJ 法(川喜多,1984)を参考に,研究協力者の発話内容にタグをつけ,その中でも特に障害に対して研究協力者が抱
く「イメージ」について語る部分を抽出し,分析対象とした.研究協力者の障害者への「イメージ」について語る発話
を時系列に沿って整理し,それぞれを関連づけながら,研究協力者の障害受容について考察した.
結果
Aより得られた全データ結果から障害・障害者についてのイメージに関する語りが見られる点を抜き出し,時系列に
沿って主に4つのデータ結果を取り上げた.4つのデータ結果を具体的に挙げると【結果1 高校時代に抱いていた身近
な障害者についてのイメージ】
,
【結果2 専門学校で学んだ上での障害についてのイメージ】
,
【結果3 実践を通しての
障害についてのイメージ】
,
【結果4 現在の障害についてのイメージ】である.それぞれのデータ結果を事例として紹
介した毎に,紹介したデータ内でのAの語りを引用したものを「」にて表記し,要約した.なお,データ内の記号はそ
れぞれ,・・・:沈黙,w:笑い,():補助,?:疑問を意味している.
結果1 高校時代に抱いていた身近な障害者についてのイメージ
面接者
面白い.え,何か,その,どう感じてたかとかある?
調査協力者
ん?
面接者
どう感じてたって.障害を持ってる人とかって
調査協力者
どう感じてた?その頃でしょ?
面接者
うん.イメージとか
調査協力者
大変だなって思った.
面接者
うん
大変なんだろうなって.頻繁にトイレ行っとかなきゃだし,エアコンがないとやってけないし.
調査協力者
客観的立場からの障害のイメージ
理学療法士の専門学校に入る以前に,障害者についてどのようなイメージを抱いていたか尋ねたところ,高校にいた
「車椅子の先生」の話が挙げられた.
「車椅子の先生」との関わりにより,高校時代のAは障害者に対して「大変なん
だろう」というイメージを抱いていた.
「大変」そうだと考えていた理由として「頻繁にトイレ行っとかなきゃだし,
エアコンがないとやってけない」ということが挙げられた.
結果2 専門学校で学んだ上での障害についてのイメージ
やっぱ専門入って学んでの,知識がなかったのを学び始めて,ま,一応専門的知識をすごい教わるじゃん.そ
面接者
調査協力者
面接者
ういう中で自分が考えてた障害のイメージが変わったかどうか.どういうふ,イメージになったか.
うん.変わった変わった.うん,学生時代はね,面白いなって思った.勉強していって,どんどん.
ふーん.
- 65 -
うん.その,なんつーかこう,ソフト面じゃなくてハード面っていうか,脳の機能だったり,ここやられるとこうな
っちゃうんだとか,どう関わるかとかじゃなくて,こうゆう病気はこういう風になるんだ,とか,なんか障害ってこ
調査協力者
ういう風になってくんだっていうような,なんて言うんだろうな.知識をいっぱいどんどん得ていって,そっちに
こう,偏っていったかな.
面接者
調査協力者
じゃあ・・なんだろ
人間を知るのが面白いって・・・どっちかというと機械的な感じ.
学習したことにより生じた障害のイメージ
理学療法士の専門学校に入学し,障害に関する専門的な知識を学んでいく中で,障害に関するイメージが「変わっ」
て言ったとAは語っている.A は専門的知識を「どんどん」
「勉強してい」く中で,障害というものを「面白い」と捉
えるようになった.その「面白」さとは,
「人間を知るのが面白い」という,
「どっちかというと機械的な感じ」での面
白さであり,障害者と関わる時に「どう関わるか」ということよりも,
「知識(ある病気・障害の起きる要因)をいっぱい
どんどん得ていって,そっちにこう,偏っていった」
.
結果3 実践を通しての障害についてのイメージ
じゃ,そしたら,働き始めてからで・・・働くってよりは,接する時期がかなり増えた時期?まあ,実習,だよね,だ
面接者
いたい.そこらへん以降で,うーんとまあ,障害を持ってる人に対して,こう,イメージは変わったかどうか?行っ
た前と行った後で
調査協力者
面接者
・・・イメージ・・・?
うん.印象・・・うーん・・
障害のイメージが変わったか・・・.ああ・・・.まあ,器質的なことで考えてたことからいうと,もっとこう,その人の
生活とか考えなきゃな,とは思った.結局そこだなって.その人,例えばその人の筋肉を付けたところで,その筋
調査協力者
力は生活の場面でどういったところに役立つのか,とか,その辺の繋がりだとか.
障害のイメージか・・・障害のイメージ・・・.難しいけど・・・.ていうよりは,その,サービスの仕方は考えた.が,変
わったかな.リハビリを提供しようっていう考え方は変わったけど・・・.
中略
あ,でもね,考え方・・・障害への考え方ちょっと変わったかもね. なん,なんていうか・・・やっぱこう毎日接して
ると・・・やっぱもうさ,なんていうんだろ・・・結局は同じ人間じゃん. だからその,なんだろうな・・・ある意味その
調査協力者
人にとっての一個の個性的な?なんかな,ぐらいにしか思わなくなった.
なんていうか,その,目が二重とか一重とか.そのちっちゃいとこの一個,みたいな.歩ける・歩けないとか,起き
れる・起きられないっていうのは,その人の一個の個性ぐらいにしか,思わなくなったかもね.
面接者
あーじゃあ結構なんか自然っていうかなんかまあ当たり前の違い?
まあ俺の場合,もう日常になってるからだと思うけどね.毎日接してると,うん,なんか,それはそれでその人らし
調査協力者
い,みたいな・・・
面接者
まあそういう人もいるよねー,みたいな?
でも実習行って最初の時ってさ,こうなんか,いっぱい障害者いて「うわっ」みたいの,あったかもしれない,うん.
調査協力者
今は全然普通だけど・・・まあ慣れっちゃ慣れかもね・・・うん.
- 66 -
理学療法士としての実践方針に関わる,実習経験
障害を機能的な側面から学んでいたAが,実習を通して障害者と実際に関わることで,ある困難さを抱いたことが語
られている.A は「ハード面(身体機能)」で障害者を捉えていたが,障害者個々の機能の状態や環境を観察し,自分自
身がその障害者にどのように関わっていくべきかを考えていかなくてはいけないと,実習を経験したことで意識するよ
うになった,という語りが見られた.
実践を通してのイメージの不確かさ,個性として捉える障害
障害を一つの個性・特徴として捉えるようになった,という語りが見られた.具体的には,
「ある意味その人にとっ
ての一個の個性的な?」
,障害があることは「目が二重」か「一重」というような「ちっちゃいとこの一個(些細な身体的
特徴)」
,
「歩ける・歩けないとか,起きれる・起きられないっていうのは,その人の一個の個性ぐらいにしか,思わな
くなったかもね」といった語りである.しかしそれらの語りの語尾はすべて「?」といった疑問符や「かもしれない」
「みたいな」
「感じ」といった曖昧な表現が見られた.
結果4 現在の障害についてのイメージ
ふーん・・・.理想的に,まあこうしていきたいなってのはあるじゃない.でも,そうじゃなくて,こうするべきなんだ,ってなんだろ,
面接者
そうじゃなきゃいけないんだっていう,接する時とか,関わったりとか. そういうこだわりって言うか.
ないないない.その辺は答えとかないって思う,でしょ?し,やっぱり個別性みたいな,一人一人違うから.その
人に合った関わり方,みたいな.まだまだ,その辺は経験しないと分からない部分もあるけど,でもこうじゃなき
ゃだめって一概に言っちゃうと怖いな,とは思う・・・.
調査協力者
でもなんか,だから本当にさあ,普通に人,なんだろ,対人でさ,初対面の人にさあ,こうしなきゃ絶対だめ,って
いう,まあマナーみたいのあるけどさ,誰にでもこう接すれば良い,みたいな,マニュアルみたいのって別にない
でしょ?友達とか作るときにさあ,みんなにこういう風に接すればみんなと友達になれるってわけじゃないじゃ
ん.その人その人によって変えてくでしょ? 障害者でも同じだと思う
障害とならない障害,個別性としてだけの障害
高校生時に抱いていた「大変」そう等,一貫した障害のイメージの語りは見られなかった.
「一人一人違うから.そ
の人に合った関わり方」といったように,障害を持つ人を一人の人間として捉えていることが分かった.
- 67 -
考察
表2 理学療法士のAへのインタビューを通して得られた障害に関するイメージの変遷
理学療法士のAへのインタビューを通して得られた障害に関するイメージの変遷
高校生時のAは,
「車椅子の先生」が「頻繁にトイレに行」かなければならない状況や,自分自身で「体温調整を出
来ない」様子を生徒として見る中で,障害について「大変なんだろう」といった,漠然とした障害へのイメージを抱い
たと考えられる.理学療法士になるための専門学校に入学し,障害を「器質的」な側面から理解する過程で,障害に関
して「面白い」と考えるようになった.しかし障害に関する専門的知識を得る過程で,障害者とは,どのような人間か
というよりも,この障害者はこの機能が欠損している人,といった障害の先行した捉え方をしていくようになった.障
害者における障害部分に着目する専門学生時から,実習に行き障害者と実際に関わるようになったことで,
「その人(対
峙した障害者)の生活」を「考え」なくては,とAは考えるようになる.障害のみに着目していた学生時代とは異なり,
障害以外の情報を踏まえた上で障害者とどのように関わるか考えなければいけない立場に立ったAは,今までにない困
難さを抱いて,障害者と関わるようになったと考えられる.ただの傍観者ではなく,自分が何をするべきか,どのよう
に関わることが相手に適したリハビリテーションであるかを考えながら「毎日接している」ことで,障害があることは
次第に「その人らしい」ものや,
「その人の一個の個性」という捉え方をするようになった.つまりAは,それぞれの
人に適したリハビリテーションを提供しようと考え,様々な事情や状態にある障害者それぞれを見つめたことから,障
害者にとっての障害は,健常者にとっての特定の身体的特徴と同様のもので,一つの個性である,という考えに至った
と考えられる.
総合考察
総合考察では,非障害者の障害受容について,田垣(2002)の「リハビリ現場を構成する医療関係者は障害者に対して
一般の人々よりも理解がある」という指摘を参考に,本論文の結果と考察から論じる.本論文の調査結果より,A は専
門学校時代に障害というものを思い描く際,リハビリテーションの現場の「実際」を見ずに「本」などで学んだ知識を
偏重し,
「器質的に障害を見る」ようになったと語っていた.このことから,専門学校時代の A は,障害者を考える際
に,彼らの身体機能を客観的に捉え,
「器質的」に障害を理解することで,障害者の理解を試みていたものと考えられ
る.
しかし,A がリハビリテーションの実習へ行った当時を振り返ったときの語りでは「でも実習行って最初の時ってさ,
こうなんか,いっぱい障害者いて「うわっ」みたいの,あったかもしれない,うん」という語りがみられた.こうした
A の語りは,実践の場における障害者に対して具体的に語り得ない拒否を抱いてしまったことを表すものである.A の
事例から,リハビリテーションについて学び,障害についての知識が深い段階にある人物であっても,障害者に初めか
ら「理解」を示せるわけではないということが考えられる.
以上のことから,田垣(2002)の「リハビリ現場を構成する医療関係者は障害者に対して一般の人々よりも理解がある」
- 68 -
という指摘が適切であるとは一概には成立しえないといえる.また,田垣(2002)の指摘にあるような障害に対する「理
解」とはどのようなものなのだろうか.障害に対する理解と一口に言えど,今回の A の事例からも分かるように,障
害の理解の仕方には知識・実践等,様々なアプローチがあり,またその障害の理解のプロセスには多様なかたちが存在
するものであるといえよう.
最終的に,Aは障害者と非障害者との関わり方の違いやイメージについて,
「誰にでもこう接すれば良い,みたいな,
マニュアルみたいのって別にないでしょ?友達とか作るときにさあ,みんなにこういう風に接すればみんなと友達にな
れるってわけじゃないじゃん.その人その人によって変えてくでしょ?障害者でも同じだと思う.」と言ってのける.
Aの「友達とか作るときにさ」という例えは,とても分かり易くシンプルである.障害者の持つ「障害」を特別扱いす
るのではなく,「一人の人間」として接することは,田垣(2002)のいうような「リハビリ現場を構成する医療関係者」
や「一般の人々」などといった区分に関係なく出来ることなのではないか.障害に対する専門的知識の有無が必ずしも
非障害者の障害者受容を促すものではない.障害受容の第一歩となる社会受容,また障害への理解のための第一歩は,
障害者と<関わること>無くして,生まれないのだ.
おわりに
この卒業論文を書きあげるまで,筆者にとって障害の問題は身近ではありながらも,決して踏み込めない問題として,
筆者の前に立ちはだかっていた.こうした状況の中,筆者は障害を持つ人と関わる際に,説明しがたい複雑な感情を抱
いていた.今回の卒業論文を書き終えた今,改めて振り返ると,これまで筆者が抱えていた説明しがたい感情を説明す
ることができる.筆者にとって身近であるはずの障害を持つ人を,何か特別なものであるかのような目で見てしまう自
分自身に「戸惑い」を感じていたのだ.
しかし,今の筆者は,障害を持つ人との関わりに戸惑いを感じない.それは,卒業論文を執筆する中で障害に関する
文献を読んだり障害に関する議論の場を多く持ったりしたことが多分に影響している.しかし何よりも影響しているの
は,卒業論文を執筆する中で,障害を持つ人に感じる不可解さよりも,自分自身に対する不可解さの方が上まわること
に気付いた,ということだろう.つまり,自分自身の欠点を筆者が痛感した,ということが大きい.筆者は自分自身の
人生を生きながら,自分自身がどうしても苦手なこと・出来ないことを心底痛感してからというもの,障害を持つ人に
戸惑うという,ある種の余裕とも言えるものがなくなった.卒業論文を通して,筆者は等身大の<私>を発見したので
あった.自分自身が障害者になったとまでは言えないかもしれないが,非障害者として障害者の正反対側に立つことが
出来なくなった.障害を持つ人との関わりに戸惑いを感じていた頃よりも,互いの立場にはっきりとした境界線を筆者
は持てなくなったのだ.そうして,筆者の中で障害というものの定義はどんどん曖昧になっている.
理学療法士のAにおける障害者の受容も,筆者における障害者の受容も,障害を持つ人々と関わり続けることなくし
てはなし得なかったはずだ.障害者というカテゴリーに戸惑いを感じなくなってから,ようやく対峙する障害を持つ人
を,障害者としてではなく,一人の人間として見つめることが出来るのであろう.
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川喜田二郎 1984 発想法―創造性開発のために,中央公論社.
厚生労働省 2002 「国際生活機能分類-国際障害分類改訂版-」(日本語版)の厚生労働省ホームページ掲載について,
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/08/h0805-1.html(12/24).
南雲直二 2006 エッセンシャルリハビリテーション心理学入門,荘道社.
田垣正普 2002 「障害受容」における生涯発達とライフストーリー観点の意義,京都大学大学院教育学研究科概要,48,342-352.
田島明子 2007 「障害受容」は一度したら不変か―視覚障害男性のライフストーリーから考える―,Core Ethics,3,409-419.
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