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世界文化遺産登録で賑わう萩市の5資産 2016.2

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世界文化遺産登録で賑わう萩市の5資産 2016.2
report 調査
世界文化遺産登録で賑わう萩市の5資産
∼観光客の増加を一過性に終わらせない戦略的な観光振興策を∼
〈 要 旨 〉
1.昨年7月、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録された。
8県11市(8エリア)の広域に分布する23資産で構成される遺産群で、日本の幕末から明治期に
かけての急速な近代化・工業化の歴史を物語る。
2.山口県内では萩市の5資産(萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡、萩城下町、
松下村塾)が含まれ、構成資産には大勢の観光客が訪れている。宿泊客数の増加にも結びつき、
2015年はNHK大河ドラマ「花燃ゆ」効果と相まって、観光地が大いに賑わった1年となった。
3.世界文化遺産登録を受け、観光客の受入体制が強化されている。今年1月末には「萩・世界遺産
ビジターセンター 学び舎(まなびーや)」がオープン。23資産全体のストーリーや価値、萩市の
資産の位置付け等を映像等で紹介し、萩市観光の特徴である「学ぶ観光」を推進する拠点施設の
一つとなる。
4.訪れた観光客らに世界文化遺産の魅力を伝えるには、萩市の観光を支えてきた市民のおもてなし
が大きな力となるが、高齢化でガイド等の人材が不足している。そこで、萩市は研修会等を通じ
て市民の関心を高める活動を強化し、市民を挙げて観光客を迎え入れる機運がさらに盛り上がり
つつある。
5.世界文化遺産登録に伴う観光客増加を一過性で終わらせることのないよう、これまで萩市が築き
上げてきた官民協働での観光振興のプラットフォームを一段と強固なものとし、広域・地域間連
携を推進するなどして、中長期の視点に立った戦略的な観光振興策を立案することが望まれる。
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やまぐち経済月報2016.2
◆はじめに
◆萩市の構成資産の概要
昨年7月、ユネスコ(国際連合教育科学文化
産業遺産は国内で19番目の世界遺産(文化遺
機関)世界遺産委員会が、
「明治日本の産業革
産としては15番目)で、九州・山口を中心とし
命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(以下、
て広域に分布している(図表1)。産業遺産を
産業遺産)を世界文化遺産に登録した。幕末か
構成する23資産を一つのストーリーにまとめた
ら明治期にかけての急速な近代化・工業化の歴
シリアル・ノミネーション(同種遺産の一括推
史を物語る産業遺産は、8県11市(8エリア)
薦)と呼ばれる手法を採用し、関係県市で構成
にまたがる23資産で構成され、山口県内では萩
する「九州・山口の近代化産業遺産群」世界遺
市の5資産(萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、
産登録推進協議会(事務局:鹿児島県、以下、
大板山たたら製鉄遺跡、萩城下町、松下村塾)
協議会)が中心となって登録に向けた取り組み
が含まれる。
を推進してきた。
世界文化遺産の登録効果で、萩市内には多く
日本の産業革命は19世紀後半から20世紀初頭
の観光客が訪れ、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」
にかけて僅か50年余りで達成され、19世紀末の
放送との相乗効果で、2015年は基幹産業である
世界史の奇跡とも評される。産業遺産は急速な
観光に追い風が吹いた1年となった。本稿では、
近代化・工業化の三つの段階(幕末期、明治時
世界文化遺産の登録後の観光・宿泊客の動き、
代初期、明治時代後期)を時系列に沿って証言
官民による受入体制の整備状況等を整理すると
している。「軍艦島」として有名な長崎市の端
ともに、遺産を活用して持続的に観光客を呼び
島炭坑など、機能を停止した廃墟だけでなく、
込むために必要とされる施策を検討する。
北九州市の新日鐵住金八幡製鐵所等の現役で活
図表1:「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産
(資料)山五青写真工業㈱提供のデータを基に当研究所作成
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躍する稼働施設が共存(一部は非公開)し、相
互に密接な関係をもつ多彩な資産が一つの群と
して近代化の全容を示す価値を認められた。
萩市の構成資産は5ヶ所(図表2)で、8県
図表3:「萩まちじゅう博物館構想」の事業例
研究・保存 文化遺産の研究・保存
NPO萩まちじゅう博物館の活動
ワンコイントラスト(100円信託)による土地や建物等の保
全・保存・修復
11市のうち最多の資産を抱える長崎市(8ヶ
所)に次ぐ多さとなる。萩市の5資産は近代化
の原点とされ、幕末期、萩(長州)藩の藩士達
が積極的に西洋の技術を勉強し、試行錯誤をし
ながら自力で近代化に取り組んだ様子が窺える。
戦後の高度成長期、全国各地で歴史的集落や
まち並みが失われていく中、萩市は1972年、全
国に先駆けて独自の歴史的景観保存条例を制定
し、土塀や武家屋敷など、まち並みの保存に取
展示・情報発信・活用
市民による文化遺産の再発見・評価・活用
文化財施設の一元管理
各種散策マップ、パンフレット等の作成
萩博物館企画展・特別展の開催
拠点整備と周辺整備
萩博物館(中核施設)と地域博物館(サテライト)の整備、
ネットワーク化
道路その他の交通アクセスの整備
発見の小径(ディスカバー・トレイル)の整備
「心のふるさと・萩」のおもてなし
り組んできた。その後も、「江戸時代の地図が
NPO萩まちじゅう博物館の設立
NPO萩観光ガイド協会の設立
「着物ウィークin萩」等のイベント開催
そのまま使えるまち」をキャッチフレーズに、
(資料)萩市 歴史まちづくり部 まちじゅう博物館推進課
図表2:萩市の構成資産
(資料)山五青写真工業㈱提供
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やまぐち経済月報2016.2
まち全体を屋根のない博物館に見立て、官民協
内に宿泊するプランも多く組まれ、登録を追い
働で「萩まちじゅう博物館構想」(4ページの
風にツアー申込者は好調に推移した。一部の宿
図表3)を推進するなど、長年にわたって「萩
泊施設では、関西方面を出発エリアとする個人
にしかないおたから」を大切に守り育て、「萩
客の増加が顕著となっているという。また、月
のストーリー」を語り継いできた。その大きな
間の売上高・宿泊客数が創業以来最高となった
成果として5資産の世界文化遺産登録が実現した。
宿泊施設もみられる。世界文化遺産登録により、
萩市の観光地としての知名度が一段と向上し、
◆観光客や宿泊客の動向
魅力の幅が広がったことから、かつて修学旅行
昨年5月、ユネスコの諮問機関である国際記
で萩を訪れた東京のシニア層など潜在的な萩
念物遺跡会議(イコモス)が登録の勧告を出し
ファンを掘り起こしているだけでなく、新たな
たことで登録が確実視されて以降、萩市の構成
観光需要の開拓(出発エリアの拡大)にもつな
資産には大勢の観光客が押し寄せている。
がったと考えられる。
2015年の入込客数をみると(図表4)、松下
但し、これまでと同様に日帰りあるいは他都
村塾のある松陰神社が前年比で8割近く増加し、
市で宿泊する県外観光客が目立ち、全体でみる
1998年以来17年ぶりに80万人を突破した。萩城
下町では、まち歩きが近年にない賑わいをみせ、
図表4:世界文化遺産関連観光施設の入込客数
城跡にある指月公園、旧町人地にある木戸孝允
施設
旧宅、旧上級武家地にある口羽家住宅の入込客
松陰神社
マ「花燃ゆ」の放送に、世界文化遺産登録が加
わった相乗効果で、1年を通じて観光客の波が
途切れることなく、例年であれば閑散期となる
冬場でも多くの団体観光バス等が訪れた。
また、萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、大板
山たたら製鉄遺跡の3資産は、これまでツアー
2015年
(人)
(人)
(前年比)
462,206
817,257
+76.8%
指月公園
44,963
81,920
+82.2%
木戸孝允旧宅
41,866
61,579
+47.1%
6,230
8,481
+36.1%
萩反射炉
−
154,609
−
恵美須ヶ鼻造船所跡
−
56,204
−
大板山たたら製鉄遺跡
−
14,824
−
萩城下町
数が大幅に前年を上回った。NHK大河ドラ
2014年
口羽家住宅
(資料)萩市 商工観光部 観光課
*集計開始日は、萩反射炉が2015年5月8日、恵美須ヶ鼻造船所跡が4
月1日、大板山たたら製鉄遺跡が4月20日。
に組み込まれることはほとんどなく、知名度の
低い文化財で観光客が多数訪れる場所ではな
かったが、萩市が受入体制を整え(6ページの
図表5:その他の施設等の入込・利用客数
図表6)
、萩反射炉の入込客数(2015年累計:
施設等
集計開始は5月8日)が15万人を超えるなど、
萩博物館
世界文化遺産登録で一躍脚光を浴びた。
+6.2%
萩八景遊覧船
周遊観光ガイド
90,210
(前年比)
道の駅「萩しーまーと」 1,487,923 1,580,796
も、2015年は約200万人で前年比49.2%増加し
各社は萩市の構成資産を巡るツアーを企画。市
(人)
+20.1%
萩循環まぁーるバス
客数も約44万人で同10.5%増加した。旅行会社
2015年
(人)
108,385
萩市全体(旧郡部を除く)の観光客数をみて
て39年ぶりの200万人台となった。また、宿泊
2014年
221,976
275,920
+24.3%
23,815
30,351
+27.4%
783
1,987
2.5倍
(資料)萩博物館、道の駅「萩しーまーと」、萩市 商工観光部 観光課
NPO萩観光ガイド協会
*萩八景遊覧船の運行は3∼11月。
周遊観光ガイドはNPO萩観光ガイド協会のガイド依頼件数。
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と宿泊客数の伸びは限定的となっている。また、
遺産登録の記念企画展「明治日本の産業革命
「立ち寄るスポットが増えて時間的な余裕がな
遺産と萩」(9∼11月)を開催し、今年1月に
くなり、土産物店や飲食店にお金が落ちていな
は、旧明倫小学校の体育館に、「萩・世界遺産
い」といった声も聞かれる。世界文化遺産登録
ビジターセンター 学び舎(まなびーや)」を開
によって、宿泊業のみならず、鉄道・バス等の
設した。同時に、現存していない産業遺産を映
交通関係、小売業やサービス業等にも経済効果
像で再現する「萩・世界遺産バーチャルアドベ
が及んでいる(5ページの図表5)のは確かだ
ンチャー」を開始。恵美須ヶ鼻造船所跡、萩城
が、広く経済全般に潤いを与える状況には至っ
下町(萩城跡)では、現地看板等に掲示されて
ていないといえる。
いるQRコードを、タブレットPC(無料で貸
し出し)やスマートフォンで読み取ると、VR
◆行政による受入対策の実施状況
(仮想現実)コンテンツ(7ページの写真)を
世界文化遺産登録を受け、観光客を受け入れ
操作できる。また、道の駅「ハピネスふくえ」
る様々な対策が実施されている。主な対策は下
の世界遺産インフォメーションセンターにテレ
表(図表6)の通りで、萩市は交通インフラ
ビモニターを設置し、たたら製鉄の様子を絵図
の面で、2次交通(シャトルバスの運行)と
で紹介する動画を上映している(3月から大板
駐車場の整備を行った。また、昨年9月の補
山たたら製鉄遺跡でも閲覧可能)。
正予算で、
「世界文化遺産活用推進事業」とし
「学び舎」(7ページの写真、図表7)は、大
て約6,000万円を計上。萩博物館で、世界文化
河ドラマ「花燃ゆ」を紹介する「大河ドラマ
図表6:世界文化遺産登録に伴う萩市の主な受入対策
施設
受入対策の内容
萩の産業遺産群ガイドマップの作成(日本語・英語版)
Wi-Fi整備
全体
時期
2015年7月
2015年10月
萩・世界遺産ビジターセンターの設置・運営
2016年1月
説明用映像技術活用整備(VRコンテンツ・ムービー)
2016年1月
アプリの作成(仮称 萩世界遺産ガイド)
2016年3月
萩城下町
城下町リーフレットの作成
2015年7月
萩反射炉
駐車場の整備(普通車9台)
2015年7月
小畑地区臨時駐車場の整備(大型車11台・普通車30台)
2015年5月
小畑地区世界遺産観光シャトルバス(9人乗りワゴン車)の運行
2015年7月
大型バス乗換シャトルバスの運行(⇔道の駅「ハピネスふくえ」)
2015年7月
インフォメーションセンターの整備(道の駅「ハピネスふくえ」内)
2015年8月
萩反射炉
恵美須ヶ鼻造船所跡
大板山たたら製鉄遺跡
(資料)萩市 歴史まちづくり部 世界文化遺産課
*説明用映像技術活用整備は、萩城下町(萩城跡)、恵美須ヶ鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡の3ヶ所。
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▲「萩・世界遺産ビジターセンター 学び舎」
今年1月 30 日∼来年2月 12 日までの期間限定で設置。
▲VRコンテンツ:「恵美須ヶ鼻造船所跡」の遺構及び、建造
された洋式木造帆船(丙辰丸・庚申丸)
▲「旧明倫小学校」(萩市 商工観光部 観光課提供)
1935 年に旧萩藩校「明倫館」跡地に建築された木造建の小
学校舎。4棟の校舎棟のうち2棟を保存整備中で、2017 年
春に世界遺産ビジターセンターの機能が移管される予定。
▲VRコンテンツ:「萩城下町」の萩城天守閣
図表7:「萩・世界遺産ビジターセンター 学び舎」の見どころMAP
(資料)萩市世界遺産活用推進協議会
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館」を衣替えした施設で、現地を訪れる前に観
説明板や記念碑、道路標識の設置等を進めてい
光客らが立ち寄る玄関口の役割を果たす。産
る。観光客がよりスムーズに分かりやすく産業
業遺産全体の中での萩市の5資産の位置付け、
遺産巡りをすることができるように、順次受入
全23資産のストーリーや価値を大型の映像装
体制が充実していく予定で、紹介DVD等の新
置(下写真)やアニメーション、パネル等で分
たなPRツールの制作によって、産業遺産の認
かりやすく展示している。また、「大河ドラマ
知度も高まっていくとみられる。
館」内にあった松下村塾を複製した建物はその
まま展示し、吉田松陰が日本の工業教育に果た
◆地域住民によるおもてなし
した役割を紹介している。萩市は、資産を見る
以上のような受入体制の整備に加え、構成資
だけの「物見遊山型の観光」ではなく、その萩
産の魅力を引き出し、訪れた人にきちんとその
物語(ストーリー)に触れる「学ぶ観光」を
価値や意義を伝えることも重要で、萩市の「学
推進しており、
「萩博物館」や松陰神社宝物殿
ぶ観光」を支えてきたNPO萩まちじゅう博物
「至誠館」といった施設とともに、「学び舎」は
館等のNPO法人や地域団体など、地元住民の
萩市観光の特徴である「学ぶ観光」を推進する
おもてなしが大きな力となる。
拠点施設の一つに位置付けられる。
世界文化遺産の登録勧告後の昨年5月には、
なお、萩市内には年間で3,000∼4,000人の外
NPO萩観光ガイド協会が萩反射炉及び恵美
国人観光客が宿泊することから、おもてなしな
須ヶ鼻造船所跡にガイドを各1名配置した。ま
ど外国人の視点を活用した各行政分野の取り組
た、大板山たたら製鉄遺跡のある紫福地区では、
みを行うため、昨年8月、萩市は初めて国際交
地元住民が福栄文化遺産活用保存会を立ち上げ
流員(CIR)を配置した。20歳代の英国人女
た。しかし、そうしたガイドの多くが60歳以上
性で、産業遺産の説明パネル等の英訳等の業務
で、中には80歳代もいる。高齢化に伴いガイド
しぶき
を通じ、今後増加が予想される外国人観光客へ
の魅力的な情報発信、受入体制の構築を目指す。
図表8:周遊観光ガイドの依頼件数
と延べ従事者数の推移
この他、協議会や国、県等の各主体が連携し、
▲「リキッド・ギャラクシー」
55 インチ縦型モニター 7 面を連結した大型スクリーンに産
業遺産等の映像を表示(1 月 30 日∼ 4 月 30 日までの限定
公開)。
8
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(資料)NPO萩観光ガイド協会
*Ⅰ(1-3月期)、Ⅱ(4-6月期)、Ⅲ(7-9月期)、Ⅳ(10-12月期)
の引退が相次ぎ、絶対数が不足している。NP
こうした各種講座や研修会等は定員オーバー
O萩観光ガイド協会のボランティアガイド数は
となることも多く、産業遺産の価値や意義を広
111名で、昨年度よりも30名程度拡充したもの
く発信し、訪れた観光客らに萩の良さや歴史を
の、ガイド依頼件数が急増し(8ページの図表
愛着と誇りをもって伝えることのできる市民が
8)
、繁忙期には依頼を断らざるを得ない状況
確実に増えている。行政や関連団体と地域住民
となった。今後、産業遺産等を訪れる観光客の
が一体となったおもてなしで観光客を迎え入れ
満足度を高めるには、ガイドの説明スキル向上
る機運がさらに盛り上がりつつあるといえ、リ
とともに、一人でも多くの市民がガイドに登録
ピーターの確保にも一役買うことが期待される。
することが喫緊の課題となっており、特に若い
世代の参画が必要不可欠となっている。
◆観光面での世界文化遺産活用の方向性
そこで萩市はNPO等の関連団体とともに、
国内の世界遺産における登録後の観光客の動
ボランティアガイドや語り部を育成するため、
きをみると、登録後、順調に観光客数が増加す
市民の関心を高める活動を強化している。昨年
る遺産がみられる一方、登録効果で観光客数が
12月には、ボランティアガイドを育成する「萩
急増しながらも、一定期間を過ぎると反動減で
観光セミナー・ボランティアガイド講座(座
低迷するケースもある。
学・現地)」を開催したほか、今年1月には、
例えば、2007年に世界文化遺産に登録された
市内における産業遺産の認知度向上を目的に、
「石見銀山遺跡とその文化的景観」(島根県)で
NPO萩まちじゅう博物館の主催で「世界遺産
は、2000年代前半に約30万人で推移していた観
研修会」(下写真)を開催した。また、椿東小
光客数が2007年に約70万人、2008年に約80万人
学校では、総合学習として全校児童が出席する
と2倍以上に急増した。しかし、2009年以降は
勉強会を開催したほか、萩市教育委員会が市内
世界遺産効果が一段落し、観光客数は40 ∼ 50
の全小・中学校(小学校21、中学校15)に萩市
万人台で推移している。観光客数は登録前の水
の5資産を説明する資料を配布して授業等で活
準を上回っているものの、島根県北部に位置し
用するなど、子ども達に産業遺産のもつ多様な
てアクセスが悪いことや、域内におけるバス路
価値、先人達の偉業を理解してもらう教育にも
線の廃止、宿泊施設の少なさなどから、登録効
力を注いでいる。
果の大部分が剥げ落ちた状況に陥り、観光客の
滞在時間増加、リピーターの確保等が課題と
なっている。
こうした事例にみられる通り、世界遺産に登
録されれば、観光客数が右肩上がりで増加する
という保証はない。また、新たな世界遺産1が
登録されると、そちらに観光客が流れやすくなる。
今後、萩市における観光客の増加を一過性で終
▲「世界遺産研修会」の様子
(萩市 歴史まちづくり部 世界文化遺産課提供)
1 世界遺産暫定一覧表の記載物件は、
「国立西洋美術館本館」
(東京都)、
「 宗像・沖ノ島と関連遺産群」
( 福岡県)、
「 長崎の
教会群とキリスト教関連遺産」
(長崎県、熊本県)等の10件。
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9
report
わらせない工夫に加え、増加した観光客を県内
報発信・プロモーションが必要となる。
各地に波及させる仕組みづくりが求められる。
今後、広域的な連携体制の強化に向け、各種
今、官民一体の観光地域づくり推進法人であ
取り組みが進展する予定(図表9)だが、産業
2
る日本版DMO が注目されているが、萩市で
遺産を有する自治体同士の連携に加え、県内の
は、前述した「萩まちじゅう博物館構想」(4
他観光地(山口市の湯田温泉、長門市の湯本温
ページの図表3)や2010年6月に策定された
泉、美祢市の秋芳洞等)、中国地域の世界遺産
「観光戦略5か年計画」等に基づき、行政、萩
(厳島神社、原爆ドーム、石見銀山)等との連
市観光協会のほか観光関連団体、市民グルー
携、「薩長同盟」に関連した連携(図表10)を
プ、民間企業等が連携を保ちつつ、一体となっ
て観光振興やまちづくりを推進してきた。今後
も「オール萩」で地域主体の観光地域づくりを
図表9:協議会等による周遊ルートづくり
事業
主体
行う体制をより強固なものとし、産業遺産をは
じめとする地域の観光資源を世界にも通用する
キラーコンテンツに磨き上げることができれば、
23資産周辺の空港や鉄道駅、
世界遺産
協議会
ルートの
国
構築
国内のみならず、海外からも萩市への観光客の
ては、単独の自治体による取り組みだけでな
を配布。多言語対応を進め、
ルート
カーナビ
協議会
港や駅等から目的地となる資
国
産までのルートや周遊ルート
を多言語でプリセット。
ら面へとネットワーク化することも重要となる。
スマートフォンやタブレット
端末用の無料アプリを開発。
特に、萩市の5資産を含む産業遺産は、8県
23資産の画像・映像、説明
11市もの広範囲に及ぶ。登録前、一部識者か
テキスト(順次、多言語化)
アプリ作成
があったが、実際に、観光客から「1ヶ所だけ
協議会
国・県・市
を表示。一部資産については、
古写真、3D画像、AR(拡
張現実)技術を活用した3D
映像を表示。資産間の周遊を
訪れても世界文化遺産としての価値を理解しづ
促すパスポートシステム(ポ
らい」との声が聞かれるほか、建物のない大板
山たたら製鉄遺跡、恵美須ヶ鼻造船所跡を訪れ
整備して、周遊ルートの地図
レンタカーのカーナビに、空
世界遺産
く、広域・地域連携によって、点から線、線か
ら「観光資源としてまとまりを欠く」との指摘
道の駅等に情報カウンターを
Wi-Fiも整備。
新たな流れを生み出すことができそうだ。
また、魅力ある観光地域づくりを行うにあたっ
内容
イント機能)の導入も検討。
(資料)新聞記事ほか
た観光客からは、「遺産が現存していないので、
物足りない」との不満も出ている。したがって、
各資産をネットワーク化(広域連携)し、効果
的なマーケティング戦略の策定、SNS等を活
用した資産の関係性等に関する分かりやすい情
2 DMOは、
「Destination Management /Marketing Organization」
の略称。国は地方創生の基本方針に日本版DMOの育成を
掲げており、行政が既存の観光協会、関連団体等と連携し、
観光地域づくりとマーケティングを行う上でのプラット
フォームを形成し、様々な地域資源を組み合わせた観光地
の一体的なブランディング等を実施する。
10
やまぐち経済月報2016.2
図表10:萩市の「薩長同盟」に関連した連携の動き
年月
内容
2010年
萩温泉旅館協同組合と鹿児島市ホテル旅館組
7月
2016年
1月
合が 「薩長友好盟約書」を締結。
「薩長同盟」(1866年)が結ばれて150年の
節目を迎えたことを機に、萩市と鹿児島市が
友好交流盟約を締結。
(資料)新聞記事ほか
はじめとする既存の県レベルや市町レベルでの
力していく重大な使命を負う。また、遺産を後
地域間連携を一層推進することで、新たな周遊
世に語り継ぎ、価値を高めていくには、地域住
ルートの開発、顧客ニーズに合わせた観光ルー
民や子ども達への理解を促進する活動も欠かせ
トの提案など、継続的な誘客の取り組みが求め
ない。その観点から世界遺産を活用した教育面
られている。
の強化に力を注ぐことも大切で、世界文化遺産
萩市の観光は、旧国鉄のディスカバー・ジャ
のあるまちにふさわしい総合的な地域づくりを
パン・キャンペーン 3 をきっかけとして一大
志向して地道な活動を積み上げていくことこそ、
ブームとなり、山陽新幹線が全線開業した1975
観光振興、ひいてはまちづくりや地域活性化へ
年には観光客数が約225万人、宿泊客数も約78
の近道となるに違いない。
(安岡 和政)
万人に達した。現在でも全国区の知名度を誇る
山口県屈指の観光地だが、観光客数・宿泊客
数ともに長年にわたって減少傾向を辿ってき
た。世界文化遺産登録はその悪い流れを断ち切
図表11:萩市の歴史・文化・人物・産業や史実の節目、
観光関連イベント
年月
り、大きな転換点となる可能性がある。しかも、
「明治維新胎動の地」である萩市では、2018年
高杉晋作没後150年
2017年
木戸孝允没後140年
王政復古150年
の「明治維新150年」をはじめ、歴史・文化・
人物・産業や史実の節目が相次ぎ、関連の記念
イベントが催されるなど、観光面での明るい話
歴史等の節目、イベント
JR西日本の豪華寝台列車「TWILIGHT
2017年春
EXPRESS 瑞風」の運行開始(東萩駅に停
車)
題に事欠かない(図表11)。観光面で千載一遇
の追い風が吹く今後数年を好機と捉え、一過性
2017年
「デスティネーションキャンペーン」の山口県
にとどまらない、持続可能な観光地を形成すべ
9∼12月
開催
く、中長期の視点に立った戦略的かつ自律的な
2018年
観光施策を立案・展開することが望まれる。
明治維新150年
萩藩校明倫館創建300年
吉田松陰没後160年
おわりに
世界文化遺産の登録によって、観光面での経
済効果に注目が集まりがちだが、登録の一義的
2019年
伊藤博文没後110年
版籍奉還150年
(資料)萩市総合戦略ほか
*デスティネーションキャンペーンは、JRグループと地元行政、観
光事業者等が一体となって実施する広域的な観光キャンペーン。
な意味は「顕著で普遍的な価値を有する」遺産
を守り、後世に残すことにある。今後、萩市は、
国や協議会等の関係機関と一体となって、「地
域の宝」である対象遺産を今度は「世界の宝」
として適切な保護・保全、監視活動に最大限尽
3 1970年のキャンペーン開始と時を同じくして、同年3月に
女性向けファッション誌「an・an」
、翌年5月に「no
n-no」が創刊。両誌は倉敷や萩・津和野など、古いまち並
みをファッションモデルが訪れる形式で紹介し、若い女性
の個人旅行スタイル「アンノン族」を生み出した。
やまぐち経済月報2016.2
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