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Page 1 北海道教育大学学術リポジトリ hue磐北海道教育大学
Title
実証的学知と教育政策の関係についての試論的考察
Author(s)
橋野, 晶寛
Citation
北海道教育大学紀要. 教育科学編, 65(1): 33-44
Issue Date
2014-08
URL
http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/7537
Rights
Hokkaido University of Education
北海道教育大学紀要(教育科学編)第65巻 第1号
JournalofHokkaidoUniversityofEducation(Education)Vol.65,No.1
平成26年8月
August,2014
実証的学知と教育政策の関係についての試論的考察
橋 野 晶 寛
北海道教育大学旭川枚数青学教室
ATrialStudyontheRelationshipbetweenthe
EmpiricalResearchandtheEducationPolicy
HASHINO Akihiro
Depart上11elltOfEducatioll,AsallikawaCa上11puS,HokkaidoUlliversltyofEducatioll
概 要
教育政策研究において政策科学としての実証研究には高い価値が見出されてきたが,政策と
研究の関係自体を実証分析・制度構想の対象とすることは比較的新しい試みに属す。本稿はそ
うした研究と政策の関係論の体系的考察に向けた枠組みと視点について検討する。実証的政策
研究と政策との関係の政策過程・制度構想に関する考察に向けた一般的枠組みを紹介した上
で,アメリカの事例のスケッチから教育政策分野における特質一広範な専門家,因果メカニ
ズムに関する理論の不在,学術ジャーナルのヒエラルキーの弱さ,多数の実務家の存在−を
抽出する。またそうしたアメリカ教育政策史の事例の相対化の視点として,統計手法の技術的
発展,司法積極主義,研究の市場構造といった論点の重要性を示す。
1.課題設定
当該政策の有効性や効率性を問うとことは政策研究の大きな在をなしており,それが実証科学の方法に
則って行われることは政策科学に対する当然の要請となっている。実際に実験による検証が困難な公共政策
分野における政策評価手法はこの20年余りの間に飛躍的な進歩を見せており,教育政策に関しても数多くの
応用がなされてきた。また,そうした実証分析の知見に基づいた公共政策に関する意思決定は,「エビデン
スに基づく政策(Evidence−BasedPolicy)」「研究に基づく意思決定(Research−BasedDecisionMaking)」
という規範として確立されている1。言い換えれば,政策研究における実証的学知はinformeddemocracyの
基盤をなす不可欠なものとして理解されている。無論,これは政策科学と政治・政策との関係を表す1つの
理想像であり,実際にそうであることを含意していない2。むしろ,そうでない現実がありうるゆえに理想・
規範なのである。そうでない現実がありうるとすれば,政策科学と政治・政策の関係について相互に関連す
る問いとして次の2点の大きな問いが碇起されるであろう。
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橋 野 晶 寛
1つは,政策過程において,実証研究の知見および研究者はどのような影響を与えているのかという事実
に関する問いである。「エビデンスに基づく政策」の理想像に従えば,実証科学(研究者)は政策問題に対
して解を与える者,あるいは対立する政策的選択肢・利害の裁定者として存在規定されるが,実証科学(研
究者)は実際にそのような立場にあるのか。また,研究と政治・政策との関係が一様でないのであれば,そ
の違いをもたらしているのはどのような環境の相違であるのか。従来の政策過程研究において主たるアク
ターとして想定されてきたのは政治家,官僚,利益団体といった政治的アクターであり,研究者自身を対象
アクターとして位置づけることは稀であった。これらの問いは,実証科学(研究者)自体を明示的に政策過
程分析の対象として設定することにほかならない。
もう1つは,政策過程において,実証研究および研究者はどのような役割を果たすべきかという規範に関
する問いである。研究者が実証的学知を生み出す研究プロセスにおいて学術的共同体の構成員として遵守す
べき規範は存在する。一方で,その知見が研究者の手を離れた後のプロセスにおいて研究者自身何をなすべ
きなのか。あるいはinformeddemocracyのためにどのような制度的仕組みを構想すべきなのか。基礎・応
用に関わらず公共政策に関わる分野の実証研究者は,自身を政治アクターとは独立の存在として,もしくは
−政策過程の研究者のように−観察者として自己規定してきた。あるいは,むしろ,後者のプロセスに
関して無関心・無作為であることが純粋な研究者としてのあるべき禁欲的心性だと考える者すらいるだろ
う。この間いは,実証研究(研究者)の政策過程における自己役割を自省的に問うことにほかならない。
こうした課題設定は,科学社会学,専門性の政治学,アイディアの政治学あるいは学際的分野としての科
学技術社会論の議論に属すが,本稿ではこうした一般的議論の単なる適用としてではなく,教育政策の特質・
課題から考察を試みる。無論,本小論だけで上記の問いに答えることは不可能であり,議論の対象は枠組み,
今後の研究の視点・展望に限定されるが,そうであったとしても現時点での研究上の到達点を鑑みれば,本
研究の議論には重要な意義があると考えられる。第1に,科学技術社会論などの議論の対象は環境,エネル
ギーおよび生命科学関連分野が多く,教育政策を含む社会政策を対象とした議論は少ない。特定の政策分野
での議論が他の分野に汎用化可能ならばさほど問題にはならないが,本論で述べる通り,研究と政策の関係
は学術・政策分野間で異なり,その異質性をもたらす社会的・制度的要因の特定が重要となる。第2に,教
育政策研究において,研究と政策・政治との関係に焦点を当てた文献としてはHess(2008)などがあるも
のの,事例研究という側面が強く,分析のための枠組みが系統的に提示されていない。今後も事例研究の蓄
積が進むことを考えればその解釈のための枠組みの構築は不可欠であると考えられる。第3に,アメリカの
動向紹介および政策史研究は本邦における教育政策研究において1つのジャンルを形成しているが,実証的
学知・技術の発展に関する記述及びそれと社会との関係に関する考察に注意が払われてきたとは言い難い。
堀(1983),河野(1995)のように政策研究の内容の変遷とその科学哲学的側面を論じた研究はあるが,政
策研究が実際の教育政治・行政過程の中にどのように位置づけられてきたかは議論の射程となっていない。
本稿の議論で言及する事例はアメリカ教育政策のものだが,アメリカ教育政策史・政策研究史研究に新たな
鉱脈を築く試論になるものと期待できよう。
次節では実証的政策研究と政策との関係の分析のための一般的枠組みを紹介し,3節ではその枠組みに対
してアメリカの事例のスケッチから教育政策分野における特質を抽出する。4節ではそうした事例の相対化
のための視点を提示し,今後の研究の展望を述べる。
2.研究と政策との関係の類型論
実証的政策研究の知見が現実の政策過程に及ぼす影響の考察は,どのような政治過程を想定し,研究を位
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実証的学知と教育政策の関係についての試論的考察
置づけるのかという点と密接に関連している。社会科学において最も重要な政策調査の当事者であった社会
学者J.コールマンは,自身の社会理論の著作の中で政策研究とその政策過程についてしばしば言及し
(Coleman1978,1982,1986,1990),特にColeman(1982:Ch5)では社会における政策研究の位置づけにつ
いて2つのモデルを提示している。
1つは,多くの官僚や研究者が暗黙に抱く「合理的アクターとしての政策形成者」モデルである。端的に
言えば,中央当局という単一の政策形成主体が存在し,政策効果等に関する情報がその中央当局にフィード
バックされるモデルである。そこには対立する複数の利益集団,あるいはそれらの圧力の均衡としての政策
決定は存在せず,「客観的に正しい」政策の存在が想定される。実証研究や科学技術によって正当化された
政策がその「客観性」ゆえに市民に対して抑圧的に作用するという懸念(Habermas1969=2000)はこのモ
デルを前提としている。
他方は,「多元的政策研究」モデルである。このモデルでは,研究の知見を自身の利益のために利用する
複数の利益集団の存在と,価値・利益対立の均衡の結果としての政策が想定されている。そうした異なる利
害に基づく政策研究の利用は交渉・妥協という政治の場のみならず,司法の場にも持ち込まれるのであり,
それぞれの主張を正当化する科学的知見が存在する。また同一のデータソースであっても再分析によって元
分析と異なる知見が提示され,そうした不確実性が利益集団多元主義を支えることになるのである。「合理
的アクターとしての政策形成者」モデルとは反対に,「多元的政策研究」モデルの危険性は−仮にあると
すれ古㌻−,利益集団の外部に属す行政当局の権威を弱体化する点にある。
これらの2つのモデルが妥当する局面はそれぞれ存在するが,現実の民主主義社会における社会政策の政
策過程を考える上では後者が該当する局面の方が多いように思われる。Coleman(1982)の議論では研究者
による知見が「消費者」側にどのように利用されるかという点に焦点化され,「生産者」側にある研究者自
体の動機・役割(存在としての役割と規範としての役割の双方)は必ずしも明示化されていない。
民主主義政治における研究者自体の役割に関する議論として,Pielke(2007)による類型論は一般的な枠
組みを提示しており,示唆に富んでいる。Pielke(2007)によれば,研究者の役割は,民主主義政治の態様
と科学の役割観の2点から把握される。まず,民主主義の態様は,「利益集団多元主義」と「競争システム」
に分けられる。民主主義政治を利益集団による多元主義と解するならば,科学による権威や専門性は政争の
具として利用されるものとして位置づけられる。一方で政治を競争システムとして考えるならば,政策的な
選択肢は専門家である研究者から発せられ,意思決定者に各政策的選択肢の含意を明らかにすることが期待
される。一方,科学の役割観は直線モデルとステークホルダーモデルに分けられる。直線モデルでは,基礎
研究から応用研究,そして発展や社会的利益という知識の流れが想定され,政治的合意の要件として科学的
知識における合意が含意されている。他方,ステークホルダーモデルでは,科学者と意思決定者の間の相互
作用を前提としている。
これらから,意思決定における科学者の役割は表1のように4つの類型として示される。第1の類型は,「純
粋な科学者」(PureScientist)としての役割であり,多元的民主主義と直線モデルの組み合わせからなる。
この場合,科学者は政策の意思決定者とは関わりを持たない独立の存在であり,研究の知見が研究者の意図
を離れて,意思決定者に利用されるのである。第2の類型は「提唱者」(IssueAdvocate)としての役割で
あり,多元的民主主義とステークホルダーモデルの組み合わせからなる。科学者自身が特定の政策的選択肢
を擁護し,政策形成・決定過程を通じて局所的利益を追求する。第3の類型は「科学的裁定者」(Science
Arbiter)としての役割であり,競争的民主主義と直線モデルの組み合わせからなる。政策の意思決定にお
いて,規範的な問題を避ける一方で事実的な問題にコミットし,対立する利害の裁定者として関わる。第4
の類型は「誠実な政策ブローカー」(HonestBrokerofPolicyAlternative)としての役割であり,競争的民
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橋 野 晶 寛
主主義とステークホルダーモデルの組み合わせからなる。「碇唱者」のように自身の利害に基づいて政策的
選択肢を絞り込むのではなく,反対に新たな政策的選択肢を提示し,選択肢を増やすという形で意思決定者
に関わる。
表1 意思決定における科学者の役割の類型
直線モデル
利益団体多元主義
純粋な科学者
競争システム
科学的裁定者
ステークホルダーモデル
提唱者
誠実な政策ブローカー
Pielke(2007:14)から作成
これらの類型から,「エビデンスに基づいた政策」という研究と政策の関係の理想像は,「純粋な科学者」
ないし「科学的裁定者」という役割を暗黙に研究者に課していることがわかる。そしてPielke(2007)はこ
れらの科学者の役割の類型を規定する要因として1)イシューにおける価値の合意の程度,2)決定の文脈
における不確実性の程度を挙げる。価値の合意の程度の相違は意思決定における情報の役割の相違に反映さ
れる。すなわち,研究者が提供する情報は,価値の合意の程度が高い時には選択肢間の帰結の比較・評価と
いう役割を果たす一方で,価値の合意の程度が低い時には,物語や逸話という形で特定の選択肢の正当化の
役割を負うことになるのである。不確実性とは,予期と整合的な結果が1つ以上ある状態であり,事象自体
のランダム性,知識・視界の限界,人間の意図的行為が存在するときには不確実性を縮減させることはでき
ない。また,価値の合意がない状況において不確実性の見積もりは高度に主観的であり,様々な立場の者が
不確実性を自身の利害に沿って認識する。それゆえ科学的不確実性をめぐる抗争は同時に政治的となるので
ある。
価値の合意の程度が高く,かつ,不確実性が低い状況では,研究者の役割は「純粋な科学者」ないし「科
学的裁定者」となる。研究者が政策との関わりを持つならば「科学的裁定者」であり,関わりを持たなけれ
ば「純粋な科学者」である。一方も価値の合意の程度が低く,また不確実性が高い状況では,研究者の役割
は「碇唱者」ないし「誠実なブローカー」となる。選択肢の範囲を狭める研究者は「碇唱者」であり,選択
肢の範囲を広げるのが「誠実なブローカー」である。
こうした政策過程および研究者の役割の類型論はシンプルなものだが,研究と政策との関係の値域とその
条件を明示化するという意味において有用であり,上記の議論を骨組みとして政策分野間,適時的・共時的
な事例比較による豊かなディティールと解釈の肉付けを得ていくことが以後の作業課題となるのである。
3.教育政策分野における実証的学知と政策の関係
研究者の類型の規定要因としてPielke(2007)が指摘する価値合意と不確実性の程度は,教育政策分野に
関するイシューでは,前者が低く,後者は高くなることは容易に予想できる。すなわち,上記の類型でいえ
ば,政策研究者が,「エビデンスに基づいた政策」に理想化されている「科学的裁定者」としてではなく,「提
唱者」として政策過程に立ち現れる可能性を大いに内包しているのである。アメリカ教育政策研究に関わる
学説史や教育政策過程に関する文献を参照するならばその例証は容易に得ることができよう。実際の政策過
程を一次史料によって詳細かつ系統的に検討するだけの準備は現在の筆者にはなく,ここでの議論は二次文
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実証的学知と教育政策の関係についての試論的考察
献の情報に拠らざるを得ないが,それでも,アメリカの教育政策研究(教育行政・経営研究3)の成立期か
ら現代に至るまで,「エビデンスに基づいた政策」の建前とともにそれから禿離した現実が併存してきた史
実を見出すことはできる。以下では20世紀の各期におけるアメリカの研究と政策との関係史の事例のスケッ
チを示してみたい4。
3.1.実証的教育行政・経営研究の黎明期における「学校調査」運動
アメリカ教育学研究の通史たるLagemann(2000)は,学術研究としての教育学の定立において,心理学
の哲学からの分離と行動主義心理学者の教育学研究への参入が大きな影響を与えたことを指摘する。その行
動主義心理学の多大な影響のもとに大学において教育学部門が普及し,また1920年までに教育学研究に関す
る合意が築かれた。すなわち,教育学研究は実証科学として,行動心理学周辺でうちたてられた量的測定の
技術,イデオロギーを伴って現れたのである。無論,この現象は,当時の学校教育関係者の職業的威信に由
来する,専門教育・学術研究としての教育学の地位の低さと無関係ではなく,学術研究としての承認を得る
ために,教育学研究者の間で「科学的手法」が渇望されていたという時代的背景がある。
教育行政・経営における問題へのそうした科学的手法の適用は,20世紀初頭の10年の間に,多くの研究者
の間で受け入れられた。教育行政研究の第一人者E.P.カバリーは,「学校調査」を発展させ,学術研究と
して教育行政と調査を関連付けたが5,それは同時期のテイラー流の「科学的管理法」の隆盛という社会的
趨勢を反映したものであった。「クリーブランド調査」など1910年代以降の学校調査の叢生は,調査に基づ
く実証・臨床という戦前アメリカの教育行政・経営研究を特徴づけ6,また,そうした調査技術の修得を含
む訓練を要する専門職としての教育長の地位と自律性一教育行政・経営の素人たる市長・教育委員に対峠
する専門職としての自律性−の確立,教育政策に関する学術研究者と実務家からなる政策共同体の形成を
後押ししたのである。
こうした学校調査は,当時の社会改革と結びついた社会調査というモデルの一環として急速に普及したが,
Lagemann(1992,2000)は,その普及においてRussellSage財団の思想の寄与が大きなものであったことを
指摘する。財団は,公衆への情報伝達,提唱を意図した社会調査を通じて社会改善を図ることを志向してい
たが,同時に,そうした調査は政策形成に携わるエリートが「客観的」かつ「科学的」な方法で自身の構想
の実現を促す道具でもあった(Lagemann2000:81)。すなわち,実証的手法による教育行政・経営研究の
黎明期であった20世紀初頭にして,広報,動員,公共的アジェンダの形成といった意図的手段,先進的技術
として社会・政策調査は確立されていたのである。
このように,実証的政策科学としての教育行政・経営研究(者)は,学問分野としての成立期からして,
実務家たる教育行政・管理職あるいは政策形成者と極めて近い立ち位置にいたのであり,政策過程における
「裁定者」として関わっていたのではなかったのである。
3.2.1960年代における「コールマン報告」をめぐる政治
アメリカ教育政策史において最も有名かつ影響力のあった実証的政策研究は,社会学者J.コールマンら
による報告書『教育機会における平等』(以下「コールマン報告」)であることは多くの社会科学者が同意す
るところであろう。Grant(1972,1973)は,コールマン報告公表直後の政治過程について詳細な分析を行っ
ており,本稿の課題設定に関わる非常に興味深い史実と考察を提供している。政治過程から見れば,コール
マン報告の知見は,コールマンらの意図とから離れて,ジョンソン政権とニクソン政権の2期に渡って政治
に巻き込まれたのである。
まず,ジョンソン政権期における政治的反応は,主たる知見一児童生徒の学業成績を規定する主要因は
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橋 野 晶 寛
社会経済的背景であり,学校教育はほとんど影響を与えていない−の歪曲と無視として起こったが,そこ
には3つの政治的背景があった(Grant1972:Chl)。第1は人種統合主義者の政治的圧力である。当時の統合
主義者は,白人が多くを占める学校と黒人が多くを占める学校とで施設やプログラムに格差が存在している
ことを政治的戦略として強調しようとしていた7。しかし,白人学校と黒人学校の間に大きな違いはなく,
その違いは成績に影響を及ぼしていないという報告の知見は,統合主義の活動家に福音をもたらさないもの
であった。また,当時のアメリカの伝統的政治の場面では,現実に反して,あたかも社会階層が存在しない
かのかのように振る舞うことが要求されたのであり,政治の焦点は人種にあてられていたのである。第2は,
報告が発表された時期が,1965年の初等中等教育法に基づく最初の連邦教育補助金の執行の時期にあったこ
とである。報告は補償教育への補助金を正当化するものとはなりえず,官僚にとっては報告の知見の影響を
最小化すべく,無視するという動機があった。第3に,コールマンの知見が差別主義者に利用されるのでは
ないかという政治的懸念があった。すなわち,白人と黒人の成績の差は学校によるものではないとすれば,
黒人が知的能力において先天的に劣り,公教育支出は無駄ではないかと受け止められるのを恐れていたので
ある。
こうした政治的背景のもとに,コールマン報告の知見の公表をめぐる利害関係者とコールマンやA.ムー
ドら研究者の間での抗争劇は,先行する報告要旨の発表において強調点が巧妙にずらされ一人種間の格差
が強調され−,後発の長大な報告書本文は無視されるという結果に終わったのである8。
一方,ニクソン政権においてはコールマン報告の扱いは異なっていた。ジョンソン政権期にコールマン報
告の知見が黙殺されつつあることを白日の下に晒したD.モイニハンは,ニクソン政権期の教育政策に大き
な影響を与えた。穏健な民主党支持者であったにも拘らず,モイニハンはニクソン政権の都市間題に関する
大統領顧問として就任し,1970年3月のニクソン大統領の示した教育改革の指針の草案作成者となり,それ
までのホワイトハウスとは異なるエビデンスに基づいた政策という方針を示したのである。
もっとも,ニクソン政権においてもジョンソン政権とは異なる方向でコールマン報告を政治利用する動き
も存在した。当初は,報告の統合に関する知見は軽視され,むしろ膨張する連邦の教育補助金の削減を正当
化するものとして擁護されたのである。この背景には,戦争とインフレへの直面によって,保健教育福祉省
の予算の大きな伸びを抑制する必要があったという状況があった。しかし,最終的には,ニクソンは史上最
高の初等中等教育支出を伴う法案に署名することになった。そして幾分,分離主義者に融和的な政策として
ではあるが,報告とコールマンの研究の知見を尊重した人種統合策を採った。実際に,コールマンは統合策
に関わる政策過程において,研究と閣僚委員会における直接的助言の2つの経路によって影響を与えたので
ある。
こうして描出されたコールマン報告をめぐる政治過程は,実証科学に基づく研究成果が,先決の政策目的
のために窓意的に利用されうることを示したものとして解釈できる9。Coleman(1982:Ch5,1990)の研究と
政策の関係に関わる議論もこのコールマン自身の経験に基づいたものである。
3.3.現代的教育財政訴訟における利益集団政治とエビデンス
実証研究の学知が政策形成に作用するルートは,議会,政府という場に限定されない。司法もまた実証研
究の学知が政策形成に影響を与える政治の場として存在している。とりわけ,1970年代以降から連綿と続く
教育財政訴訟の中でも近年の適切性(adequacy)をめぐる訴訟は,教育生産関数研究の不確実性がもたら
した政治とみなすことができる。訴訟過程の記述に示されるように,適切性をめぐる訴訟の焦点は,州によ
る学力等の成果基準を達成するための財政支出の必要額の推計にある。原告側と被告側(州)の間でその推
計をめぐる禿離が生じることとなるが,それらは単なる政治的利害の表出ではなく,ともに教育政策研究の
38
実証的学知と教育政策の関係についての試論的考察
実証的知見に基づくと称するものであったのである。
その大きな禿離の例は,テキサス州の補助金方式の不十分さを訴えたWestOrange−Cove合併学区よる
..」ト..ユこ・\■■/り・J・.Il■∫/川川Jg■−(−りハ(−りノバり/J′ん//■/JJ′/小JJ′/川/ヾ−イ=り//小/ノイーイ・:二L」=けニヒカ・’ごさ・:こ,;ト立いJ
性をめぐる訴訟における基準達成のための必要額推計には,一般的に,「専門家による判断モデル」
(professionaljudgmentmodel),「最先端モデル」(state−Of−the−artmOdel),「成功学枚モデル」
(successfulschoolmodel),「費用関数モデル」(costfunctionmodel)の4つのいずれかが用いられており10,
採用された方法によって推計額は大幅に異なる。この訴訟について注目すべきは,被告側・原告側ともに費
用関数モデルによる推計値をエビデンスとして採用していることにある。費用関数モデルは回帰分析に基づ
く計量経済学的モデルであるが,従来の教育経済学における教育生産関数研究における被説明変数と説明変
数の関係とは反対に,教育行政費用を被説明変数,学力等の成果変数を説明変数としたものであり,必要推
計額は回帰式のパラメータの推計値を求めた上で外挿することによって求められる。法廷では原告はIm−
azeki&Reschovsky(2004)の費用関数と専門家による判断による推計値を証拠として碇示したのに対し,
州側はGronbergetal.(2004)による費用関数による分析を示した。Gronbergetal.(2004)は州の定めた成
果基準を達成する上で,2学区を除く学区で十分な支出を行っていることを示したのに対し,Tmazeki&
Reschovsky(2004)は少なくとも年間4億5700万ドルの追加支出が必要であり,総額は被告側の推計値の500
倍になると主張した。
結果的には,州最高裁判所は原告の訴えを棄却したが,この訴訟は,エビデンスが極めて幅広い政策的選
択肢を生み出しうることを如実に物語っている。Springer&Guthrie(2007)はこうした適切性をめぐる訴
訟の過程を利益集団政治として捉え,「今日の適切性をめぐる研究と訴訟は,次第に,従来の政治的プロセ
スを迂回し,公的支出で私腹を肥やそうとする偏狭な利己的原告に導かれるようになった」という解釈を示
している。こうした評価が妥当か否かはともかくとしても,適切性をめぐる現代的訴訟は,多元主義的民主
主義政治において,政策研究における実証的学知が,アメリカ的司法積極主義とあいまって,政府の政策の
お墓付きにもそれに抗する社会アクターの政治的武器にも容易に転化しうることを示しているのである。
3.4.教育政策分野の特質
上記の教育政策研究と教育政策の関係史のスケッチはごく限られた事例に過ぎないが,実証科学による知
見が党派性や利害の対立を裁定するというよりも,むしろそれ自体,政治化する契機を内包していることを
示している。教育分野に限らず他の政策分野においてそのような事態が生じることは想定しうるが,とりわ
け,教育政策分野には,互いに関連する以下の4点の特質を抽出することができる。
第1は,広範な「専門家」の存在である。少子化問題をめぐる専門知と政治の関係について考察した堀江
(2009)は少子化という現象が耳目を集めることとなった1990年代以降,人口学に加えて経済学,社会学,
社会政策学,女性学など様々な「専門家」が少子化問題に新規参入し,原因や処方箋に関する議論が拡散し,
政治の発生を促したことを指摘するが,同種の問題は教育学研究が取り扱う教育政策にも該当する。むしろ
教育学においては教育学研究の出自自体に起因する構造的な問題と言える。教育学研究者は教育学内で共通
の基盤を共有しておらず,教育00学,教育△△論といった教育学下位分野間で母体となるディシプリンが
割拠している状態にある。場合によっては教育00学研究者の帰属意識は教育学ではなく00学にあり,他
の教育学下位分野研究者よりも00学内の他の研究者と近い距離にあるということもあろう。必然的に,医
療政策や金融政策といった専門性の高い政策分野に比較して教育政策に関わる研究者の間口は広くなる。ま
た,対象となる教育問題あるいは教育政策が他のイシューと容易にカップリングされやすいことも教育政策
研究への参入障壁を低くしている。
39
橋 野 晶 寛
第2は,学術研究の権威におけるヒエラルキーの潰さである。Henig(2008)は医学分野との比較におい
て教育学研究のヒエラルキーの潰さを指摘している。すなわち,臨床医学にはノわ〟γ〃α/げfゐg』∽gγ才cα〃
胞dダcα/』550Cダα如〃ないし且〃g/α〃dノわ〟γ〃α/げ胞dダcダ〃gといった旗艦的ジャーナルが存在し,専門用語お
よび議論・意見交換の場としてのフォーカルポイントとなっており,対外的には−ジャーナリストや政策
関係者を含めて−最新かつ最善のエビデンスを知らしめる権威的媒体となっている。それに対し,教育学
にはジャーナルの階層の頂点に立つ旗艦的ジャーナルが存在しない(Henig2008:52)。そしてこの点は政策
科学としての側面をもつ他の社会科学分野に比較しても教育学の顕著な特徴をなしているように思われる。
すなわち,教育学においては,経済学における且co〃0∽gわ′才cα,A∽gγ才cα〃且co〃0∽才c月g〃才g紺,政治学におけ
・::,l川げ/川ノ//吊///川いご.イ川.・./l,./イ川・.l川げ/川ノ/ノりJJ/・J/√//′イ/吊///川いご.イ川.・.、ホl.::ノjニ::二ご:;:ト:,l川げ/川ノ/
50Cわわg才cα/月g〃才g紺,A∽gγ才cα〃ノわ〟γ〃α/げ50Cわ/昭〕/に該当する学術雑誌は見当たらない。そして,このこ
とは教育政策を対象とした質の高い教育政策研究が必ずしも教育学のジャーナルに掲載されるとは限らない
こと,また,ジャーナルの権威のヒエラルキーの弱さゆえ,最善のエビデンスを提供している論文の情報と
シンクタンクのレポートに見られる党派的なパンフレットの情報とが対外的には識別されにくいということ
を含意する。
第3は,因果関係を説明する理論モデルないし理論志向の不在である。教育学研究における実証分析のほ
とんどは,高度な分析手法の適応の有無にかかわらず,datadrivenの記述であり,現象の因果メカニズム
についての理論モデルの存在を仮定していない。実際に統計学的手法を用いた教育学研究において言及され
る「理論」が与えるのは説明変数のリストと主効果の方向性に過ぎず,因果メカニズムに関する理論を反映
した関数形や解釈,政策的外挿のための枠組ではない。明確な因果メカニズムに関する理論が欠如した実証
分析では,データ分析の手順の自由度は大きくなり,分析者がstatisticalfishingを行う余地が生じる。そ
うした分析者の手続き的裁量は,後続の出版バイアス,出版後の研究成果の「消費者」による取捨選択とい
うプロセスを伴って,実証研究が政治化する可能性を増大させる11。
第4は,多数かつ多様な実務家の存在である。教育活動という営為は労働集約的な対人サービスであり,
教育政策の執行は地方政府の教育行政職,教員といった実務家に依存する。このことは多数の実務家が存在
することを意味し,政策研究の知見への多様な受容態度を生み出す。あるいは大部分の実務家が政策形成・
組織経営の意思決定において政策研究の知見を参照する機会は稀であると言えるかもしれない。Fusarelli
(2008)はアメリカにおいてスクールリーダーの多くが意思決定において学術研究の成果を参照していない現
実を指摘し,その一般的な理由として,実務のニーズとのレリヴァンスの希薄さ,専門性の欠如,情報収集・
理解にあてる時間の欠如,文化的なコンフリクト 研究者と実務家のコミュニケーション不全を挙げる。ま
た,一部のスクールリーダーは十分なデータを持っているにも拘らず分析スキルが伴っていないという。教
育大学院における専門職教育において,評価やデータマネジメント 実証分析の方法に関する科目の開講が
少なく,またスクールリーダーが学術雑誌や研究報告を読むことは稀である12。そして,実務家自身は,そ
もそも実証科学に基づく専門知とは異なるカテゴリーの知としての「現場知」13−自律性志向の価値や利
害と揮然一体となった教育事象の因果関係の解釈図式−を有しており,専門知に接触するインセンティブ
がない。こうした理由は学校経営に携わるスクールリーダーだけでなく,教育行政職にも該当するように思
われる。
上記の4つの構造的特質は相対的なものにすぎず,教育分野の固有性といえるものではないが,教育政策
における研究の政治化現象の有力な説明変数の候補と考えることができる。そしてこれらは2節で挙げた価
値の合意可能性と不確実性に密接に関連している。すなわち,専門家の広範さ,実務家の多さは,研究の側
においても実務家の側においても価値に関する合意可能性を減じる。また,専門家の広範さ,因果メカニズ
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実証的学知と教育政策の関係についての試論的考察
ムに関する理論モデルの不在,学術研究の権威におけるヒエラルキーの潰さは,不確実性を増幅させること
になる。これらの帰結として,政策形成・執行に携わる実務家は,選択的に実証科学の専門知との関係を築
くことが可能となる。すなわち,現場知を盾に不都合な専門知を無視することも,「科学的」であることを
盾に自身の政治的利害を政策・経営に投影することも可能となる。同時に政策研究者にとっても,学術的厳
密さとレリヴアンスの双方を追求する動機が与えられず,自身の提唱する政策が「科学的」「実証的」であ
ることを競う政治への没入が可能となるのである。
4.今後の研究に向けた展望と課題
無論,教育政策分野自体に内在する構造的特質のみならず,時代・国によって相違する文脈的要因も研究
と政策の関係を規定している可能性が高い。ここでは考慮すべき文脈的要因を仮説的に列挙し,今後の研究
における視点と展望を述べておく。
まず,時間的な変化として重要な要因は,統計学的手法の発展である。すなわち,統計学的手法の高度化
と低廉化・大衆化である。かつて研究機関の計算機センターで行われていた統計処理が個人の所有するコン
ピュータで実行可能となり,統計パッケージの利用によって,自身でプログラミングをすることなく,比較
的高度な統計学的手法を実行することが可能となった。こうした手法の高度化と大衆化によって,研究水準
が高まったことは疑いないが,同時に統計学的手法の誤用による知見の不確実性も高まったのである。具体
的には,統計学が諸学に応用されて以来存在してきた,不適切な偏ったサンプルに基づく判断,擬似相関や
生態的誤謬の看過,統計学的有意性と実質科学的有意性の混同14といった初歩的な誤用が生じる可能性が高
まったのである。特に,政策科学分野における統計的有意性と実質科学的有意性の混同は,それが意図的な
もの(印象操作)であるにせよ15,非意図的なもの(無免許運転)であるにせよ16,非常に多大な影響を及
ぼしうるものと言えよう。統計学的手法に不案内な消費者に統計的有意性に関する誤解を与える危険性は旧
来から存在していたが,大規模データを用いた実証研究が少なくない現在においてこの危険性は増大した。
すなわち,非常に微弱な効果・相関関係であるにも拘らず,実質科学的に意味のある大きな効果であると喧
伝する主張に科学的な装いを与えやすくなったのである。こうした「科学の文法」たる統計学的手法という
技術史的側面からも,研究と政策との関係史を記述・理解する必要があろう。
また,この小満で取り上げた事例はアメリカのものだが,当然,それを実証的学知と政策の関係に関する
普遍的現象と解釈できるわけではなく,アメリカの政治的環境の特質から史実の相対化を図る必要がある。
特に,政策過程における司法積極主義と教育研究の市場構造の2つの特質は考慮を要する大きな要素である
と思われる。
司法積極主義に関して,司法の政策形成機能は大きく,また司法の場に「科学的」と称する対立的なエビ
デンスが持ちこまれることは教育財政訴訟の例で既に見た。これは20世紀後半のアメリカにおける時代的現
象でもある。そもそもアメリカにおける判事の選任プロセス自体が政治的である上に,州裁判所のそれは連
邦裁判所よりもさらに政治的であり,州の権限に属す初等中等教育分野では,より社会科学的な実証研究の
知見が政治利用される可能性が存在する(Dunn&West2008)。また,教育財政訴訟で顕在化したように,
政府側のみならず,局所的利害を政策に反映させようとする社会アクターが,政治的プロセスを迂回する手
段として,不確実性の高いエビデンスと司法の場を選択的に利用する局面が存在する。
教育政策研究の市場構造に関して,供給市場においては一般的には主たるアクターとして大学が想定され
るが,アメリカの政策過程の文脈においてシンクタンクの影響力は無視できないものとなっており(横江
2008),この教育研究の生産における二重性が研究と政策の関係に関するアメリカ的特質を増幅させている
41
橋 野 晶 寛
ともいえる。大学とシンクタンクはそれぞれが異なった行動原理を有しており,大学は厳密性という価値を,
シンクタンクはレリヴァンスを追求する立場にあるとみることができるが,それぞれの機関もまた一枚岩で
はなく,内部に異なるインセンティブをもったアクターが同居している(Goldhaber&Brewer2008)。大
学に関して,テニュアを得ていない若手研究者には,既存データセットの二次分析もしくは少数事例の質的
分析といったローコストの研究方法を採用するインセンティブが働き,それらの集合的帰結として断片的知
見一課題設定から派生したものではないデータの分析,一般化できない知見−の量産に帰結する。また,
教育大学院は専門職教育機関という性質上,歳入を授業料収入に依存しており,所属研究者には,断片化さ
れた狭い射程の研究テーマを選択し,顧客かつ研究フィールドである教員・教育行政職との関係を損ねない
研究を行うインセンティブが存在する。一方でシンクタンクにおいても,豊富な資金源をもち,「顧客」に
売り込むための研究をする必要がない機関と,グラン1、や委託に依存し,顧客志向にならざるをえない機関
とが混在している。顧客志向・党派的なシンクタンクによって発信されるレポートは,学術研究のような査
読プロセスを経ないがゆえに時宜に適った政策提言となりうるのであり,学術的ジャーナルのヒエラルキー
が弱い教育政策分野においてなおさらその「有効性」は高まるのである。
こうした,アメリカの事例における政策研究の学知と政策との関係を特徴づける文脈変数はいくつかの事
,これらの変数の適時的・共時的変動という視
例から仮説的に示されたものであり,今後の研究課題として
点から学知と政策との関係史を系統的に再構成することが求められよう。無論,それは日本における学知と
政策の関係に関する政策過程論的考察をも射程として含むのであり,教育政策におけるinformeddemocracy
のための制度構想への結実を目指すものである。
注
1「エビデンスに基づいた政策」に関する近年の文献として,Bridgesetal.(2009),Hammersley(2007),OECD(2007),
大槻他(2012)など。
2 無論,本稿の意図は「エビデンスに基づいた政策」あるいはその中心をなす計量的実証研究を時代錯誤のポストモダン的
相対主義の視点から定めることにあるのではない。
3 アメT)カにおける“educationaladministration”に対応する訳語として,「教育行政」「教育経営」というように異なるニュ
アンスのタームが用いられるが,本稿では教育行政・経営と記す。
4 教育政策における研究と政治の関係についての近年の様々な事例についてはHess(2008),Henig(2009),チャータース
クールの事例についてはHenig(2008)などを参照。
5 我が国ではカバリーは教育史の著作によって知られているが,カバリー自身は教育学の専門教育において教育史が周辺化
する時期に研究者としてのキヤT)アを歩んでいる。Lageman(2000:78)は,カバT)−がTeachersCollege博士課程在学時
に「教育現象の科学的研究は続計学によるものでなくてはならない」という信念を持ったという自伝の記述を紹介している。
6 この時期は学校調査とともに標準化テストの普及時期でもあった。こうした学校調査と標準化テストがそれぞれ学校教育
における投入産出に関するデータを提供した。
7 すなわち,学校は分離されているだけでなく,大きな格差があることを示すことが重要であり,北部では,最新設備,現
代的なカリキュラムを備えた学校の設置という政治的公約が,白人中産階級に競合策を呑ませる見返りとなりうると見られ
ていた。
8 報告の本文は,保健教育福祉省教育局の官僚に無視されたが,その要因として,報告の知見が彼らの利害に沿わないもで
あったことに加えて,報告に用いられた統計的手法がテクニカルで理解できなかったことがある(Grant1972:Ch2)。
9 もっとも,Grantは短期的には政策研究が政策決定者に政治利用されることがあったとしても,1)強固なエビデンス
に基づいており,2)研究の政策的含意について研究者間で合意があり,3)その政策的含意が政策決定の場で手続きに則っ
て表明されたならば,政策研究の知見は無視されないことを指摘し,長期的にはコールマン報告が窓意的な政治利用の手段
から免れることを主張している(Grant1972:3)。2)のプロセスとしてはハーバード大学で行われたコールマン報告の再
分析のセミナーを念頭に置いている。
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実証的学知と教育政策の関係についての試論的考察
10 これらの方法の紹介,批判的検討としてMichaeletal.(2010),Hanushek(2006:Ch7)など。
11因果メカニズムに関する演繹的な理論モデルの有無のほかに,それが研究プログラムとして統計的な分析と補完関係にあ
るのか代替関係にあるのかは学術分野間で異なるように思われる。補完関係にある分野の例としては,構造形に基づく実証
分析を行う経済学の一部の下位分野がある。代替関係にある分野の例としては医学がある。津田(2013)は医学研究におけ
る根拠について,医師の個人的経験(「現場知」)を重んじる「直感派」,要素還元主義的・演繹的な説明を重視する「メカ
ニズム派」,統計的分析を用いる「数量化派」に分け,それぞれの関係について「三つ巴」として表現している。
12 スクールリーダーが実際に読む雑誌として,且d〟C(フォわ〃エゼ〟血相ゐ妙,タカオβゼ地軸抄α〃,且d〟C(フォわ〃肋ゼ点を挙げている。
13 この「現場知」というタームは,河野(2008:17)に拠った。
14 この間題は続計学が諸学に応用されてきた当初から論じられてきた。社会科学分野における問題提起としてMcCloskey
&Ziliak(1996)など。
15 続計的検定を用いた実証分析にしばしば見受けられる表現として,「00の効果は有意である」など,意図的に「続計的」
というタームを省くものがある。この表現は,続計学に不案内な読者に確率1で,実質科学的に意味のある大きな効果があ
るという誤解を生じさせる。
16 その端的表現は「アスタリスク続計学」である。アスタリスク続計学という機械的手続きは,論文投稿・査読のプロセス
においては,続計的手法を内在的に理解し,実質科学に照らして分析結果を考察・評価するという作業を放棄し,その手間
を節約するという意味で投稿者と査読者の双方に「利益」をもたらす。それゆえ各々に行動を変えるインセンティブがない
均衡状態に至らしめるのである。
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