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社会から見た鯨類の進化 長崎大学水産学部 天野雅男 動物の

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社会から見た鯨類の進化 長崎大学水産学部 天野雅男 動物の
社会から見た鯨類の進化
長崎大学水産学部
天野雅男
動物の社会,クジラの社会
社会は,生物の個体間の交渉の集合ととらえられる.そのような立場から人間以外の動物にも社会
があるという考えは,フランスの社会学者エスピナスによる1878年の「Sociétés Animales」によっ
て初めて提示された.その後,進化論が受け入られるにつれ,人間社会の理解には,動物(霊長類)
社会の理解が不可欠であるという考えに基づき,多くの研究がなされることとなった.日本でこのよ
うな考え方を最初に示したのが今西錦司であり,その考えは霊長類学の創建の基盤となった.霊長類
は非常に多様な社会構造を持つグループであり,多くの種社会の記載とともに,ヒトに至る社会進化
の筋道について,さまざまな議論がなされてきた(例えば伊谷, 1972; 山極, 1994; 古市, 2003など).
霊長類の社会のありかたには系統的な制約に加え,食性,捕食圧等の生態的圧力が大きな影響を持っ
ていることが理解されてきたが,社会構造の種間,種内変異についての知識が深まるにつれ,単純な
社会進化の構図は描くことが難しくなってきている(山極, 2008).
哺乳類においては,母子関係が不可避な持続的個体関係であるため,それが社会の基礎となる.つ
まり社会は母系であることが一般的である.普通大きな群れはいくつかの母系が集合することで形成
される.母子関係が延長し,群れ間の個体の移動が制限され,さらに世代が重複することにより,母
系の社会はより安定した持続的なものとなる.この母系の群れにオスが加わることで,両性を含む群
れができる.オスの加入のあり方は,オスにとっての資源である繁殖可能なメスの分布が重要な決定
要因になっている.鯨類の社会もこれらの基本は変わらない.この点で,繁殖と採餌を季節回遊によ
って分けてしまっているヒゲクジラ類では,母子関係が採餌期を越えて延長することはなく,世代の
重複は生じることが出来ない.ヒゲクジラ類が単純な社会構造しか持たないのは,これが主因と考え
られる.
鯨類は海洋という直接観察が極めて困難な環境に生息するため,その社会の研究は大きく遅れてき
たが,ハクジラ類は霊長類に匹敵する多様な社会を持つことが徐々に理解されるようになってきた.
その社会進化のありようについて初めて統一的に論じたのは粕谷(1990)であろう.彼は,いくつか
の小型ハクジラについての自らの研究結果(主に死体標本による)に基づき,カワイルカ類,ネズミ
イルカ類のように小さく一時的な個体の集合をなす原始的な社会構造から,多くの外洋性イルカ類の
ように,持続的な集団を作るが,年齢や繁殖周期に基づく個体の移動があるもの,さらに,コビレゴ
ンドウのように群れ間での個体の移動が制限され,母系に基づく安定した社会を作るものへと至る進
化的傾向を描いた.小型ハクジラ類以外のハクジラ類では,マッコウクジラも安定した母系社会,ア
カボウクジラ科ではトックリクジラ,ツチクジラが群集性を示す.ツチクジラは,哺乳類では例外的
にオスがメスよりも遥かに長命であることから特殊な社会構造をもつことが示唆されるが(Kasuya
1997),確認はされていない.
この小論では,ハクジラ類の社会についてのこれまでの知見に基づき,社会性を進化させた原動力
がなにであったのかを,たいへんおおざっぱではあるが考えてみることにする.同様でより詳細な議
論は,Mann et al. (2000),Whitehead (2003)などになされている.興味を持つ読者はそちらもあた
られたい.
ハクジラ類の社会構造に対する生態的圧力
最近の研究で提示されているハクジラ類の系統関係は図1のようなものである.アカボウクジラ科
の中の系統は,社会性の有る無しで系統を著者が勝手にくくったものだが,違っていても議論の大勢
に影響しない.図には安定した持続的社会を作る系統が星印で示されている.安定した社会は,マッ
コウクジラ科,アカボウクジラ科,マイルカ科(ゴンドウクジラ亜科)とさまざまな系統に出現して
おり,おそらくそれぞれの系統で独立に進化したものであることが示唆される.ハクジラ類の科程度
の大きなレベルで見る限り,明瞭な系統的慣性は見えない.では,安定した社会を形成する系統や種
に共通した生態的特徴を見てみよう.
ハビタット まず,生息場所を考えると,安定した持続的社会を形成する種に沿岸性のものはおらず,
すべて基本的に外洋性だということが分かる.個体群として沿岸環境に入り込んだと考えられるもの
もあるが(例えばシャチのレジデントなど),社会性は外洋で進化したと考えるのが節約的であろう.
外洋という生息環境はどのようなものだろうか.
外洋の3次元環境では,捕食者から逃れるシェルターがなく,捕食圧が高いことが予測される.捕
食圧はイルカ類の社会に大きな影響を与えていることが示唆されてきた(Conner, 2000).
外洋における捕食圧に対抗するために,ハクジラ類はさまざまな対応策をとっている.例えば,唯
一外洋に進出したネズミイルカ類であるイシイルカは,その系統の特徴である高繁殖率に加え,高速
遊泳能力により捕食に対抗していると考えられる.また,アカボウクジラの中でも小型で大きな群れ
を作らない,Mesoplodon属のクジラや,コマッコウ類は潜水することにより捕食を避けている可能
性がある.
しかし,多くの外洋性イルカ類は,基本的に群れサイズを大きくすることで,捕食圧に対抗してい
る.群れを大きくすることは,薄めの効果,混乱効果,警戒の向上などさまざまな対捕食者効果があ
る.
ハクジラ類では,外洋性のものほど大きな群れを作る傾向がある.場合によっては,いくつかの社
会的単位が集合して,群れサイズを大きくすることもある.さらにマッコウクジラでよく知られるよ
うに,群れのメンバーで共同して防御することも行われる.群れを作る時,また群れ内で共同行動を
行うときには,誰と一緒になるか,誰とどのように協力するのかということが重要になる.いくつか
の母系が集合することで群れが作られるときも,血縁の濃いもの同士がまず集るということが基本と
なるだろう.このような群れでは,血縁淘汰が働き,血縁者を正しく認知する能力が必要となる.さ
らに,直接血縁のない母系が群れに含まれる場合もでてくるだろう.このような場合,非血縁者間で
の協力の必要が生じる.個体識別と記憶の能力が向上すれば,互恵的利他行動が進化する.共同によ
る利益がさらにこれらの能力を高め,動物が認識する社会をより複雑なものにすることになる.
また,捕食圧が高いと,捕食の影響をより受けやすいコドモが群れから離れることを制限する方向
へと進化的な圧力が大きくなる.下で述べるように,餌資源を巡る個体間競争が軽減すると,コドモ
は群れに残るようになる.その結果,親子関係が長期化する.
個体のサイズを大型化することで捕食に対抗することもあるかもしれない.「大きさ」の項で述べ
るように大型化は社会の安定化の一つの条件である.オープンな3次元環境である外洋では,物理的
に体を大型化することが可能である.
外洋では,群集性魚類などに見られるように,餌生物が大きなパッチとして存在する.1つのパッ
チを共有できる個体数は多くなり,群れが大きくなることが可能となる.しかし,パッチ状の分布は,
そのパッチを巡る群れ間の競合ももたらす.群れの個体が共同して他の群れに対抗しなければならな
い状況も出て来るだろう.これは捕食者に対する共同防御と同様の効果を生む.
外洋は流動的な環境であり,海洋のさまざまな物理環境条件により,生物群集の移動,消長が生じ
る.栄養段階の高次の動物ほど,餌生物の消長に応じて移動するためにさらに大きな変動を示す.こ
のように変動がある資源を餌とするには,物理的な環境を把握し,その変動を推測する能力が必要と
なる.このことについては,次の食性で触れる.
食性 ついで,食性を見てみる.社会性の高い種は,マッコウクジラ,ツチクジラ,ゴンドウ類など
イカを中心に食べる種が多く,その他では,シャチ,オキゴンドウに見られるような大型動物食性で
あり,いずれも生態系の高位の餌生物を中心に捕食している.生態系の高次の生物は上で述べたよう
に空間的な変動が大きい.また,遊泳性が高く,群集性魚類等のように密集して存在しないため,捕
獲はより難しいことが予測される.そのような動物を効率よく探査して,捕獲するには学習や経験が
より重要な要素を占めるだろう.群れの個体間の協力関係が,捕獲の効率を格段に向上することもあ
るだろう.そのような共同採食の進化にあたっては,対捕食者行動での協力と同じように,社会性の
進化を促進する効果があるだろう.
さらに,採餌に関わる能力の進化により,食性の幅を広げることや,他の種が利用していない餌資
源を利用することが可能になると,餌を巡る種間競争が低減し,餌の供給が安定する.大型のイカ,
中深層性のイカ,さまざまな大型脊椎動物など,社会性の発達したハクジラ類が利用する餌生物は,
競合する捕食者が比較的少ない.マッコウクジラは中深層の頭足類を専食するが,餌生物の多様性は,
同じ採餌環境を利用する他の高次捕食者に比べて大きいことが知られている(Whitehead 2003).
シャチも局地的に豊富な食物に特化した個体群の存在が知られているが,群集性魚類から大型鯨まで,
その食性の幅は基本的に非常に広いものであろう.これらにより,安定した餌環境が得られると,群
れ内の個体間競合が軽減され,個体の分散が減少し,社会の安定化につながる.逆説的だが,かつて
社会性を進化させるもととなった外洋という困難な餌環境は,それを克服することで,さらに社会進
化を推し進めることになる.
大きさ 個体のサイズをみると社会性の発達した種は,ハクジラ類の中でも大きめの種であることに
気づく.とくに同一の系統の中では最も大型の種に安定した社会性を持つものが多い.これは,前に
述べたように,外洋における対捕食者戦略のひとつかもしれないが,そもそも外洋のオープンな環境
が物理的に大型化を可能にした前提条件であろう.
個体サイズが大型化すると,寿命が長くなり,成長にかかる時間も伸び,繁殖率も低下することが
理論的に知られている.低下した繁殖率を補うためにコドモの死亡率を低減する圧力がかかる.つま
りコドモの養育と保護により大きなエネルギーを投資するようになる.母子関係が強化,長期化し,
母子以外の血縁者とのコドモの共同保護も重要になる.いずれも群れ社会を安定した持続的なものに
向かわせる効果があるだろう.
オスの加入
本論では,基本的にメスの群れ形成にかかる要因について述べ,オスの加入の形については論じな
かった.コドモの養育に時間をかけ,繁殖率が下がると,繁殖可能なメスに対する繁殖可能なオスの
比(実効性比)がオスに偏るために,オス間の競争が厳しくなる.これが社会性が高いハクジラ類で
性的二型が著しい理由であろう.オス間のメスを巡る競争が厳しくなったことが,オス間の共同の重
要性を増し,その結果,社会を複雑化させるとともに知性の進化に貢献したことは確かであろう
(Conner, 2007).しかし,社会性の高い種でもオスの加入の形はさまざまのようであり,それらの
種で現在オス間競争が厳しいのかは分からない.マッコウクジラとシャチの一部の個体群ではオスが
どのようにメスの群れに関わるのかが分かってきているが,コビレゴンドウのように複数オスがメス
の群れに平和的に共存しているらしい例もあり,ツチクジラのように性的二型がほとんどないものも
ある.それぞれの種でオスの加入がどのように決まっているのか,それが社会性にどのような影響を
及ぼしているのかについては,性選択のありかた,オスの血縁個体への貢献,など解明しなくてはな
らない問題が多く,今後の研究に待つところが多い.
おわりに
やはり外洋という環境への進出がハクジラ類の社会の進化にはまず重要な要素であったものと思
われる.外洋の高い捕食圧,変動の大きな餌環境への適応戦略と体の大型化が相互に影響しあって,
一部のハクジラ類に安定した社会の進化をもたらす駆動力となった.もちろん,同じ外洋環境におい
ても,社会性を進化させなかった種もある.必要条件がうまくかみ合ったときに,安定した社会が進
化したのであろう.
ハクジラ類の社会の進化について大まかなアウトラインを描くことはできるようになってきたが,
それぞれの系統なり種にとって,どの要因が重要で,それによりどのように現在の社会の形が出来上
がってきたのかについて理解するには,われわれの知識は圧倒的に不足している.この理解のために
は,外洋性のハクジラ類の社会構造と生態を詳細に観察記載し比較していく必要があるだろう.特に
マイルカ科には,社会性の低いものから高い種まで多くの種が含まれており,それらの比較が重要で
あると思われる.さらに,社会構造に影響している生態的圧力を理解するには,個体群レベルでの比
較も重要である.社会構造の個体群間変異が明らかになりつつあるのは,今のところハンドウイルカ,
ミナミハンドウイルカなどの沿岸性個体群だけであるが,その研究結果は,やはり同種においても生
息場所によって,社会構造にかなりの変異があるということを示している.外洋性のイルカ類の追跡
調査には非常な困難が伴うであろうが,ハクジラ類の社会進化を考えるには避けて通れない道である.
これに挑む若い研究者の出現を期待したい.
引用文献
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ヒゲクジラ亜目
マッコウクジラ科
コマッコウ科
ガンジスカワイルカ科
Berardius, Hyperoodon
?
Mesoplodon, Ziphius
ヨウスコウカワイルカ科
アマゾンカワイルカ科
イッカク科
x
ネズミイルカ科
マイルカ亜科
ゴンドウクジラ亜科
図1.ハクジラ類の系統関係と社会性.白い星は持続的な群れ形成の,黒い星は安定した社会性の進
化を,xはそれらが失われたことを示している.(Nikaido et al., 2001; Nishida et al., 2007;
Agnarsson and May-Collado, 2008などを参考に作図).
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