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論文 アフリカにおける民族 ――ケニアにおける事例研究―― 服部浩昌

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論文 アフリカにおける民族 ――ケニアにおける事例研究―― 服部浩昌
アフリカにおける民族
論文
アフリカにおける民族
――ケニアにおける事例研究――
服部浩昌
目次
Ⅰ.はじめに
Ⅱ.研究の方法
Ⅲ.対照分析の結果と考察
Ⅳ.おわりに
キーワード
民族(ethnic group)
部族(tribe)
アフロバロメーター(Afrobarometer)
国勢調査(census)
人口(population)
社会集団(social group)
統計集団(statistical group)
Ethnic Groups in Africa
A Case Study of Kenya
by Hiromasa Hattori
─ 59 ─
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
─ 60 ─
アフリカにおける民族
Ⅰ.はじめに
本稿の目的は,ケニアの民族について書かれた文献の記述を収集・分類・整理し,
それらを実証的なデータを用いて確認(confirmation)することを通じて,今後の研
究の方向を示唆することである。
社会科学の領域で研究を進めていくときに,先行研究を手がかりとして,その「コ
メンタール(kommentar)」からはじめていくといういき方がある。コメンタールの
例として,たとえば安田三郎(1980)の「ウェーバー行為論の解釈と批判─『社会学
の根本概念』コメンタールⅠ」がある。安田(1980: 111)は「ウェーバーの『経済
と社会』第一章に出現する記述と命題を検討した。(中略)本稿は『批判的なコメン
タールの形』をとっている」と述べている。本稿でこころみたのは,このような「コ
メンタールの形」である。
安田によると「
『科学発展の原則』は『命題の累積』」(安田 1980: 111)である。ま
た,別の論文で安田は「科学としての社会学にとっては,命題の真偽こそ重要なので
ある」(1973: 67)と述べている。本稿では,まず「ケニアの民族」について書かれ
ている文献を対象にして,その文献に出現する記述(命題)を実証的なデータで確認
する。
真鍋一史は「広告における『他者性(Otherness)』の探求」において,William M
O'Barr ──アメリカ・デューク大学の文化人類学の教授──の著書 1)で取りあげられ
ている個々の事例について、O'Barr の「解釈・解読」を紹介し,それに対する筆者─
─真鍋──の「再解釈・再解読」につながる問題を提起するという仕方で議論を進め
ている。ここで真鍋は、議論を展開するなかでいくつかの研究テーマを示唆している
(真鍋 1996: 31-2)
。本稿では,記述(命題)をデータで確認した上で,確認されたこ
とをめぐって仮説を展開し,新たな研究テーマを示唆する,という方法で進める。
「安田は『命題の累積』(安田 1980: 111),『法則の定立』(安田 1975: 499)をもっ
て科学としての社会学の務め」(海野 1991: 94)と考えた。本稿では,ケニアの事例
1) William M O'Barr, 1994, Culture and the ad : exploring otherness in the world of advertising,
Westview Press ──「過去百年間に,National Geographic Magazine の広告に表れた日本の
イメージの変化を,一定の時代区分に基づいて分析している」(真鍋 1996:30)──
─ 61 ─
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
を用いて個々の記述(命題)を実証的なデータで確認し,確認された結果をもとに,
できるかぎり多くの仮説をたてることをこころみる。新たな仮説を導き出し,今後の
研究を示唆することを通じて,「法則の定立」に向けた社会科学の知の蓄積に貢献し
ていくことを目ざす。
Ⅱ.研究の方法
本稿では,真鍋(1984)が「日本人論の内容分析─日本人論の検証のための準備作
業─」で用いた「記述(命題)を整理する方法」を援用した。
まず,ケニアの民族について書かれた文献から記述(命題)を「京大型カード」
3
(梅棹 1969: 47-8)に書き出し,それらの記述(命題)を「KJ 法的 整理」の方法(真
鍋 1984: 75)を用いて分類し整理した。それらの記述(命題)を,2009 年に行われ
たケニア共和国の「国勢調査」2)と,ケニアで行われた「アフロバロメーター」3)のデー
タを用いて確認し,確認された結果をめぐって仮説を展開するという方法をとった。
以下,ここでの作業の手順についての詳細な説明を行う。
1.文献の収集
最初の作業は文献の収集である。文献の収集の際はつぎの諸点に留意した。
(1)ケニアで 2007 年 12 月に実施された総選挙に関して書かれていること 4)。
(2)単行本,もしくは単行本に収録された論文であること。
(3)日本で現在出版されているものであること。
(4)日本語で書かれたもの,あるいは翻訳があること。
(5)実証的記述──今まで知見として示されているもの──と体験的記述──自分の
2) ケニアの国勢調査については以下のウェブサイトを参照。
Kenya National Bureau of Statistics, 2011, (Retrieved January 25, 2013, http://www.knbs.or.ke/
population.php).
3) ア フ ロ バ ロ メ ー タ ー に つ い て は 以 下 の ウ ェ ブ サ イ ト を 参 照。Afrobarometer, 2012,
(Retrieved January 25, 2013, http://www.afrobarometer.org/).
4) 2007 年のケニアの総選挙に関して書かれた文献には,ケニアの民族についての記述が
含まれている。2007 年の総選挙では,選挙後に民族の対立が原因といわれている暴動が
発生した。「ケニア大統領選挙は 27 日投開票される。再選を狙う現職のムワイ・キバキ
氏(76)と,最大野党を率いるライラ・オディンガ氏(62)の事実上の一騎打ちで大接
戦となっており,激しい部族対立に発展している」(『朝日新聞』2008.12.27 朝刊)「キバ
キ氏は 02 年,長期独裁を続けたモイ前大統領の引退に伴い,政権の汚職体質の一掃を
掲げて当選。経済成長に貢献したとの評価はあるが,出身のキクユ族を優遇していると
の批判が強い。そのため,『キクユ族対非キクユ族』という部族選挙の様相を呈してい
る」(『朝日新聞』2008.12.27 朝刊)。
─ 62 ─
アフリカにおける民族
日常的な生活体験を意味するもの──を含むこと。
こうして選ばれたのがつぎの 3 つの文献である。
文献 A)ポール・コリアー(甘糟智子訳),2010「民族間の権力闘争」『民主主義がア
フリカ経済を殺す』日経 BP 社,70-101
文献 B) 津田みわ,2009「暴力化した『キクユ嫌い』-ケニア 2007 年総選挙後の混
乱と複数政党制政治-」『地域研究 9(1)』昭和堂,90-107
文献 C) 戸田真紀子,2008「アフリカの『民族』とは何か」『アフリカと政治 紛争と
貧困とジェンダー─わたしたちがアフリカを学ぶ理由』お茶の水書房,1940
2.カードの作成
つぎの作業は,こうして選んだ 3 つの文献から,記述(命題)を京大型カードに抜
き出すことである。記述(命題)を抜き出す際は,つぎの点に留意した。
(1)一枚のカードには一つの記述(命題)が記入されていることを原則とする。
(2)記述だけをカードに書き抜いた場合,そのままでは意味が不明なものは,その記
述の前後の文を含めるようにする。
(3)
(2)とは逆に,記述の内容を簡潔にするために,不要な文は(中略)の記号を用
いて省略する。
(4)一つの文献内に同じ内容の記述が複数ある場合,すべての記述をカードに書きだ
す。
(5)同じ内容の記述が,別の文献にある場合は,そのいずれもカードに書き出す。
(6)客観的事実に関する記述も含める。たとえば「ケニアには 48 の民族があり」な
どがそれである。
(7)歴史的事実に関する記述も含める。たとえば「1990 年代以降は民族別人口に関
する国勢調査結果は公表されていない」などがそれである。
(8)疑問文,命令文,推測文のような叙述文以外の形式の記述を含める。たとえば
「これは極度に民族アイデンティティーに基づいた投票行動だが,見過ごしても
いいことだろうか」などがそうである。
京大型カードに記述(命題)を記入する手順はつぎのとおりである。
(1)カードの左上に文献コード(A ~ C)を記入する。
(2)カードの中央左端に記述(命題)の書かれている頁数を記入する。
(3)ケニアで 2007 年 12 月に実施された総選挙に関する記述(命題)をカードの中央
─ 63 ─
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
部に記入する。
(4)カードの右上にカード全体の通し番号をつける。
以上のような方法で A ~ C の 3 つの文献から作成した記述(命題)カードは 538
枚となった。
カードの記入例
文献コード
頁数
B P.98
246 カレンジン、なかでもモイ
の属するトゥゲン人
カード全体の 通し番号 記述
(命題)
3.カードの分類
3
カードの分類は,いわゆる「KJ 的 整理」でおこなった。それは「KJ 法(川喜田
1967)から基本的な発想を借用しながらも,諸命題のまとめ方については,研究の目
的に合わせていくぶんか本来の KJ 法とは異なる仕方を採用する方法」
(真鍋 1984:
75)である。具体的な手順はつぎのとおりである。
(1)まず,ほとんど同じ内容,表現のカードを一つのグループにまとめていく。
(2)ケニアの民族,部族に関する記述(命題)が書かれたカードが含まれているグ
ループを選び出す。この過程で,文献から作成した 538 枚の記述(命題)カード
のなかから 418 枚のカードが除外され,残りのカードは 120 枚となった。
(2)本稿は,記述(命題)を実証的なデータで確認することが目的である。そこで,
それぞれのグループのカードについて,「国勢調査」と「アフロバロメーター」
のデータで確認が「できる」と「できない」の 2 つのグループに分ける。
(3)データで「確認ができない」に分けられたグループの例はつぎのとおりである。
①「カレンジンの歴史が始まったのは 1942 年だ」(A, P.95)などのカードが含ま
れるグループ
②「アフリカ人を『部族』と呼び,ヨーロッパ人を『民族』と呼ぶ」(C, P.19)
─ 64 ─
アフリカにおける民族
などのカードが含まれるグループ
③「後にケニア共和国(以下,ケニア)となる,この領域のなかでは,アフリカ
系住民は何らかの『民族』に帰属するものとされ」
(B, P.90)などのカードが含
まれるグループ
(4)手順(2)で,データで「確認ができない」に分けられたグループについては,
本稿の対象からは除外した。この過程で,8 グループ(31 枚のカード)がデータ
で「確認ができる」に分類された。
(5)データで「確認ができる」に分類された 8 グループ(31 枚のカード)に名前
─「KJ 法」では「表札」(川喜田 1967: 75)にあたる──をつける。名前をつ
ける際には「新社会学事典」(森岡ほか編 1993)と「現代社会学事典」
(大澤ほ
か編 2012)に掲載されている社会学における専門用語を参考として用いた。そ
の結果,8 つのグループは「民族の分類」「民族の数」
「民族別の人口」「民族の
州別の人口」
「民族と出身地」「民族と言語」
「信仰している宗教と人口」となっ
た。
以上の方法で分類・整理されたケニアの民族に関する記述(命題)を,実証的な
データによる確認のための文字情報として用いた。
4.「国勢調査」と「アフロバロメーター」のデータによる確認
本稿では,実証的なデータとして「国勢調査」と「アフロバロメーター」を用い
る。ここでは「国勢調査」と「アフロバロメーター」について,簡潔に説明しておき
たい。
ケニア国家統計局(The Kenya National Bureau of Statistics (KNBS))によると,ケニ
ア共和国の国勢調査は,1969 年以降,10 年おきに実施されている。2009 年の国勢調
査(2009 KENYA POPULATION & HOUSING CENSUS (2009 KPHC))は,1963 年のケ
ニア共和国の独立以降では 5 回目,1948 年以降では 7 回目となる。2009 年の国勢調
査は,8 月 24 日から 8 月 31 日にかけて国勢調査員(enumerator)が各世帯を訪問し
て,聞き取り調査を実施する方法でおこなわれた。調査票は「国勢調査調査票(main
census questionnaire)」 の ほ か に、4 種 類 の 調 査 票(short questionnaire) ─「 移 民
(emigrants)」
「ホテル / ロッジ宿泊者,病院入院患者,刑務所 / 留置所収容者(hotel/
lodge residents, hospital in-patients, prison/police cells)」
「旅行者,乗り継ぎ客(travelers
and persons on transit)」「浮浪者,屋外生活者(vagrants and outdoor sleepers)」「外交使
節団(diplomatic mission)
」──が使われた。国勢調査の結果は,2010 年 8 月 31 日に
「計画・国家開発・ビジョン 2030 担当国務大臣(Minister of State for Planning, National
─ 65 ─
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
Development and Vision 2030)」 が 発 表 し, 同 時 に 4 分 冊 の 報 告 書 が 発 行 さ れ た。
(Kenya National Bureau of Statistics, 2010)
アフロバロメーターは,アフリカで実施されている質問紙法に基づく国際比較調査
である。1999 年から 2001 年にかけてアフリカの 12 か国で第 1 回調査が行われた。
第 2 回 調 査は 2002 年 か ら 2003 年 に か け て 16 か 国 で, 第 3 回 調 査 は 2005 年 か ら
2006 年にかけて 18 か国で,第 4 回調査は 2008 年から 2009 年にかけて 20 か国で行
われた。2011 年から 2012 年にかけて第 5 回調査が行われている(服部 2012a: 131)。
アフロバロメーターの調査票は,調査各国共通の質問項目と,各国が独自に設定す
る質問項目(country-specific questions)からなる。第 4 回調査では,質問は全部で
100 問であった。調査票は,英語,フランス語,ポルトガル語で作られている。ま
た,これら 3 つの言語の他に,さらに地域の言語(local language)への翻訳が行われ
る。調査のサンプル数は 1,200 であるが,南アフリカとナイジェリアでは 2,400 サン
プ ルが採ら れてい る。 サ ン プ ル の 母 集 団 は「 選 挙 権 取 得 年 齢 以 上 の 全市 民(all
citizens of voting age)」とされている。サンプリングは無作為抽出法が用いられてい
る。実査は,他記式の個別面接調査法が採用されている。面接調査者は大学教育を受
け,地域の言語(local language)をよく理解し,話すことができる者とされている。
面接調査者は調査の前に 5 日間のトレーニング・ワークショップを受ける。面接は英
語,フランス語,ポルトガル語,もしくは翻訳された地域の言語のなかから回答者の
希望する言語で行われる(服部 2012b: 353)。
アフロバロメーターのウェブサイトでは,つぎのデータやデータ関連情報が提供さ
れている。①国ごとの spss.sav データと,すべての参加国のデータがまとめられた
merged data,②国ごとの回答の集計結果の報告書(summary result),③特定のテーマ
に関する調査で得られた知見がまとめられた報告書(briefing paper),④アフロバロ
メーターのデータを使った研究論文(working paper),⑤調査マニュアル,質問紙,
コードブック,テクニカル・インフォメーション。
ケニアの第 3 回調査は,実査が 2005 年 9 月 6 日から 28 日までの期間に行われた。
有効サンプル数は 1,278 であった。第 4 回調査は,実査が 2008 年 10 月 18 日から 11
月 14 日までの期間に行われた。有効サンプル数は 1,104 であった。第 5 回調査は,
実査が 2011 年 11 月 2 日から 29 日までの期間に行われた。有効サンプル数は 2,399
であった 5)。本稿では,ケニアの第 3 回,第 4 回,第 5 回調査の spss.sav データ,質問
5) ケ ニ ア の 第 5 回 ア フ ロ バ ロ メ ー タ ー の サ ン プ ル 数 は 2,400 で あ る(Afrobarometer
Network, 2011a)
─ 66 ─
アフリカにおける民族
紙,コードブックを用いて 2 次分析を行い,記述(命題)の確認を行なった。
5.対照分析と考察
これまで議論してきたような記述(命題)の確認の方法として ここでは「対照分
析」(真鍋 1985: 161-2)の方法と考察の仕方について説明する。まず,分類されたグ
ループごとに,個々の記述(命題)の内容を掲載する。つぎに,記述(命題)をデー
タで確認した結果を「対照分析の結果」としてまとめる。「対照分析の結果」から,
本稿の筆者の現地での滞在──筆者は独立行政法人国際協力機構の技術協力専門家と
して 2002 年 4 月から 2008 年 6 月までケニアに滞在した(服部 2011: 60; JICA 2009:
119)──の体験をもとにした仮説を展開し,今後の研究を示唆する。
Ⅲ.対照分析の結果と考察
(1)「民族の分類」に関する記述
A.対照分析の結果
1.「数十年にわたる植民地統治を経て,キクユ人,ルオ人,カンバ人などの民族分類
が定着するにいたった」(B, P.90)
2.「民族的な分類でいえば,彼は『ルオ人』となる」(B, P.98)
ここでの記述は「民族の分類」に関するものである。この記述に対応する国勢調査
の項目に「
(被調査者の名前)の部族もしくは国籍は何ですか(What is <NAME>ʼs
tribe or nationality?)──ケニア人は部族のコード番号を記入する。ケニア人でない場
合は国籍のコード番号を記入する。コード番号表あり(For Kenyans, write tribe code.
For non-Kenyans, write code for nationality. The code list is provided)──がある。(Kenya
National Bureau of Statistics 2009: 27)
表 1 は国勢調査の「民族ごとの人口(population by ethnic affiliation)」の結果(Kenya
National Bureau of Statistics 2010: 397-8)である。表 1 をみると,キクユ人(KIKUYU)
は 6,622,576 人,ルオ人(LUO)は 4,044,440 人,カンバ人(KAMBA)は 3,893,157
人となっており,それぞれが「独立した民族」として表わされている。
3.「1970 ~ 80 年代の数次の国勢調査結果でのケニアの主要民族には,キクユ,ルイ
ヤ,ルオ,カレンジン,カンバの名称が並ぶ」(B, P.91)
記述では「1970 ~ 80 年代の数次の国勢調査」と表現されている。表 1 は,1970 ~
─ 67 ─
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
80 年代の国勢調査ではなく,2009 年の国勢調査の結果であるが,キクユ(KIKUYU)
,
ルイヤ(LUHYA)
,ルオ(LUO),カレンジン(KALENJIN),カンバ(KAMBA)の
名称が確認できる。ルイヤ人,カレンジン人については,行を右側に少しずらせた位
置に,いくつかの民族が,ルイヤ人,カレンジン人の民族に含まれるような形で表現
されている。
4.
「カレンジン,なかでもモイの属するトゥゲン人」(B, P.98)
表 1 では,トゥゲン人(TUGEN)はカレンジン人に含まれるように表わされてい
る。
B.考察
国勢調査の結果(表 1)をみると,ルイヤ人,ミジケンダ人(MIJIKENDA)
,スワヒ
リ人(SWAHILI),カレンジン人,ソマリ系ケニア人(KENYAN SOMALI)では,行
を右側に少しずらせた位置に,いくつかの民族がそれぞれの民族に含まれるような形
で表現されている。
2009 年のケニアの国勢調査では,事前にケニア政府から民族の名前が公表されて
おり(Kenya National Bureau of Statistics 2009: 86-8)
,調査当日はそのなかから自分の
民族を自由に選ぶ方法が採用されていた。
Peter(2009)によると「政府は国勢調査で使用する 114 の民族名が書かれたリス
トを公表した。8 月 24 日夜に実施が予定されている国勢調査において,ケニア人は,
そ の リ ス ト の 中 か ら 自 由 に 自 分 の 民 族 を 選 ぶ こ と が で き る(The government has
published a list of the 114 tribes which Kenyans will be free to identify with during the
national census set for the night of August 24.)」「ケニアの国勢調査では初めて,『私はケ
ニア人です』という回答を自由に選んでもよいことになった。『ケニア人』ではなく
『ルイヤ人,カレンジン人,ミジケンダ人,スワヒリ人,ソマリ系ケニア人』と答え
てもよいし,それらの民族の下位グループとして書かれている民族を選んでもよい
(For the first time, one will be free to identify oneself simply as a Kenyan. Similarly, one will
be at liberty to break away from the broader Luhya, Kalenjin, Mijikenda, Swahili or Kenyan
Somali and identify with one or the other of the numerous sub groupings under them.)」
(Daily
Nation, August14, 2009)という。
コード表で,ルイヤ,カレンジン,スワヒリ,ミジケンダ,ソマリの 5 つの民族で
は,さらにいくつかの下位グループ(sub groupings)に分けられている。
─ 68 ─
─ 69 ─
Total Tribe/Nationality
38,610,097
DURUMA
610,122
GIRIAMA
139,271
JIBANA
324,092
KAMBE
3,893,157
KAUMA
6,622,576
POKOMO
2,205,669
RABAI
260,401
RIBE
4,044,440
WAATA
16,803 SWAHILI
841,622
SWAHILI (SO STATED)
168,155
AMU
1,658,108
BAJUNI
15,463
CHITUNDI
237,179
JOMVU
273,519
MUNYOYAYA
20,828
MVITA
338,833
NGARE
175,905
PATE
988,592
SIU
5,338,666
VUMBA
578,583
WACHANGAMWE
124,555
WAFAZA
273,198
WAKATWA
310,894
WAKILIFI
121,518
WAKILINDINI
1,432,810
WAMTWAPA
170,720
WASHAKA
217,327
WATANGANA
252,761
WATIKUU
137,268 KALENJIN
155,341
KALENJIN (SO STATED)
618,340
ARROR
152,427
BUNG'OMEK
124,952
CHERANGANY
118,363
DOROBO
209,814
EL MOLO
30,388
ENDO
309,407
KEIYO
1,960,574
KIPSIGIS
6,156
MARAKWET
7,602
NANDI
148,806
OGIEK
2,398
SABOAT
313,288
SAMOR
出所:Kenya National Bureau of Statistics (2010), Table. 13
Tribe/Nationality
KENYA TOTAL
KENYA (SO STATED)
BASUBA
EMBU
KAMBA
KIKUYU
KISII
KURIA
LUO
WALWANA
MASAI
MBEERE
MERU
NUBI
SAMBURU
TAITA
TAVETA
TESO
THARAKA
TURKANA
LUHYA
LUHYA (SO STATED)
BAKHAYO
BANYALA
BANYORE
BATSOTSO
BUKUSU
IDAKHO
ISUKHA
KABRAS
KISA
MARACHI
MARAGOLI
MARAMA
SAMIA
TACHONI
TIRIKI
TURA
WANGA
MIJIKENDA
MIJIKENDA (SO STATED)
BONI
CHONYI
DAHALO
DIGO
表 1. 民族別の人口(population by ethnic affiliation)
Total
396,667
751,531
35,216
25,350
52,851
94,965
98,680
14,482
12,582
110,614
10,783
6,294
69,110
1,088
5,294
1,611
1,471
1,636
1,419
3,829
1,890
2,607
487
172
711
699
299
289
644
281
4,967,328
95,842
25,099
3,704
15,956
35,015
2,844
6,058
313,925
1,916,317
180,149
949,835
78,691
240,886
5,484
Tribe/Nationality
SENGER
SENGWER
TERIK
TUGEN
POKOT
ENDOROIS
KENYAN SOMALI
SOMALI (SO STATED)
AJURAN
DEGODIA
GURREH
HAWIYAH
MURILE
OGADEN
ILCHAMUS
NJEMPS
BORANA
BURJI
DASENACH
GABRA
GALLA
GOSHA
KONSO
ORMA
RENDILE
SAKUYE
WAAT
GALJEEL
KENYAN ARABS
KENYAN ASIANS
KENYAN EUROPEANS
KENYAN AMERICANS
ISAAK
LEYSAN
EAST AFRICA
UGANDA
TANZANIA
RWANDA
BURUNDI
OTHER AFRICANS
ASIANS
EUROPE
AMERICANS
CARIBBEANS
AUSTRALIANS
Total
11,000
33,187
300,741
109,906
632,557
10,132
2,385,572
141,111
177,855
515,948
693,792
58,160
176,821
621,885
27,288
5,228
161,399
23,735
12,530
89,515
8,146
21,864
1,758
66,275
60,437
26,784
6,900
7,553
40,760
46,782
5,166
2,422
3,160
5,941
75,073
33,002
34,511
3,805
3,755
244,866
35,009
27,172
6,014
112
719
アフリカにおける民族
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
ここで,筆者はカレンジン人について現地でつぎのような体験をした。
①筆者の職場にカレンジン人の同僚が 4 人いた。それぞれの人に「あなたの民族は何
ですか?」と聞いたところ,4 人とも「私はカレンジン人です」と答えた。そのた
め,筆者はどの人もみんな「カレンジン人」だと思っていた。
②ルイヤ人はルイヤ人,カレンジン人はカレンジン人というように,それぞれ独立の
民族だと考えていた。「ルイヤ人やカレンジン人は,いくつかの民族が集まってでき
た民族である」ということはケニア人から聞いたことがなかった。
③筆者が 2002 年にケニアに赴任したときの大統領はモイ(Daniel Arap Moi)であっ
た。彼はカレンジン人であるということは知っていたが,トゥゲン人だということ
は,本研究の分析を進めていくなかで初めて知った。
ここではつぎの 2 つについて,筆者の現地での滞在の体験をもとに,以下のような
仮説を展開した。
(1)なぜ彼らは自分の出身の民族ではなくカレンジン人と答えたのか,
(2)なぜ「カレンジン人が多くの民族が集まってできている」ということに気づかな
かったのか,である。
(1)「なぜ彼らはカレンジン人と答えたのか」についての仮説。
①たとえば「トゥゲン人です」と答えても,「トゥゲン人」はあまり知られてな
い。日本人にはわからないと思ったので「カレンジン人です」と答えた。
②「トゥゲン人です」と答えると,「トゥゲン人?それはどういう民族ですか?」
と聞き返されると面倒なので「カレンジン人です」と答えた。
③自分の出身の民族については良い思い出もなくもう忘れてしまいたいので「カレ
ンジン人です」と答えた。
④よく聞かれる質問なので無意識に,反射的に「カレンジン人です」と答えた。
⑤エスニック・アイデンティティに関心があり,普段から意識して「カレンジン人
です」と答えるようにしている。
⑥カレンジン人の方がよく知られているので「カレンジン人です」と答えた。
⑦カレンジン人のことは好きではないがあえて「カレンジン人です」と答える。
⑧カレンジンとしての誇りをもっているので「カレンジン人です」と答えた。
⑨「トゥゲン人です」というような民族名で答えると,生まれた場所が特定されて
しまうかもしれないので,あいまいにさせるためにあえて「カレンジン人です」と答
えた。
─ 70 ─
アフリカにおける民族
(2)「なぜカレンジン人が多くの民族が集まってできていることに気づかなかったの
か」についての仮説。
①筆者には「いくつかの民族が集まって新たな民族をつくる」という考えがなかっ
た。想像していないことは,たとえ目の前で起こったとしても気がつかない。
②「日本人に説明してもわからないだろう」と思い,このことについてケニア人の
方から積極的に説明しようとしなかった。
③筆者の職場では,会話が民族や部族の話題になったときに,職場の同僚の中に
は,その場から立ち去ったり,会話には加わらずに苦笑いしながら仕事を続けたりす
る者がいたりするなど,職場の雰囲気が悪くなった。職場で民族や部族のことが話題
にならなかったので気がつかなかった。
④スワヒリ語が聞き取れなかった,職場の同僚が議論に熱中していたので加わるこ
とができなかったなどの理由で,ケニア人の同僚たちが職場で民族や部族のことを話
題にしていたにもかかわらず気がつかなかった。
⑤ケニアでは民族の話をすることはタブー(taboo)とされ,そのために日本人の
筆者にはわざと見せないように隠していた。
⑥カレンジン人がいくつかの民族が集まった民族であるということはケニア人に
とって当たり前のことであり,あえて話題にするほどのことでもなかった。
⑦民族が対立してきたこともあり,ケニア人同士が民族の話題には触れないように
していた。
⑧ケニア人がカレンジン人についての話をすること自体が嫌だったので話題になら
なかった。
表 1 では,
「ケニア人(そのように表現した)(KENYA (SO STATED))
」の回答は,
ケニアの総人口 38,610,097 人中の 610,122 人──ケニアの総人口の 1.6% ──いる。
ケニアにおいて今後,「私はケニア人です」と回答する人びとの割合は増えていく
のだろうか。
「ケニア人(Kenyan)である」ということに関して,つぎのような筆者
の「現地での体験①」と,現地の「新聞の記事②と③」があった。
①現地での体験。筆者の職場のルイヤ人の女性の同僚は,2007 年の総選挙のあと
─ 71 ─
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
に暴動 6)が起こっていたとき「私はルイヤ人であるがケニア人でもある。ケニア人ど
うしで民族がちがうからという理由で争ってはいけない。キクユ人もルオ人もみんな
ケニア人だ」といった。
②新聞の記事。国勢調査で「私はケニア人です」と回答することについて,ケニア
国家統計局の Anthony Kilele 局長は「私たちは,人びとが,自分の民族はルイヤ人か
マラゴリ人か,ソマリ人かボラナ人か,そのどちらかを選ぶことができるという機会
を与えている。人びとは,単に『私はケニア人です』と答えてもよい(“All we are
doing is to give people a chance to identify themselves either as Luhyas or Maragolis, Somalis
or Boranas, whichever tribe they prefer. There are even those who simply want to be known as
Kenyans,” )」
(Daily Nation, August 14, 2009)。
③新聞の記事。ケニアのカロンゾ・ムシオカ副大統領は「もし私たちが強くて団結
した国家をつくろうとするならば,私たちは『誰がどの部族出身なのか』というので
はなく『ケニア人である』ということをお互い認識しなければならない(We should
learn to accept each other as Kenyans irrespective of the tribe one comes from if we are to
build one strong and united nation)」(Daily Nation, December 16, 2012)
。
①,②,③から,ケニアにおいて今後,「私はケニア人です」と回答する人びとの
割合は増えていく,という仮説を考えた。
「私はケニア人である」ということについて,アフロバロメーターの調査項目に
「ナショナル・アイデンティティ(national identity)」に関するつぎの質問がある。「あ
なたの考えを一番表現しているのはつぎのうちのどれですか(Let us suppose that you
had to choose between being a Kenyan and being a __ [Rʼs Ethnic Group]. Which of the
following best expresses your feelings?)。回答は「私はケニア人であると感じる(I feel
only Kenyan)
」
「私は(民族名)人というよりもケニア人であると感じる(I feel more
Kenyan than [ethnic group])」「私はケニア人であるとも感じるし,(民族名)人である
とも感じる(I feel equally Kenyan and [ethnic group])」
「私はケニア人というよりも(民
族名)人であると感じる(I feel more [ethnic group] than Kenyan)
」
「私は(民族名)人
であると感じる(I feel only [ethnic group])
」「わからない(Donʼt know)
」である。
この質問は,第 3 回,第 4 回,第 5 回アフロバロメーターで行われた。結果(表
2)は,
「私はケニア人であると感じる」の回答の割合は,第 3 回調査では 24.4%,第
6) 「開票の遅れにいら立つ市民が 29 日朝から暴徒化する事態になっている。暴動が起き
ているのは,主にオディンガ氏の地盤で,ナイロビのキベラ地区では同氏の出身である
ルオ族と,キバキ氏の出身のキクユ族の間で衝突が起き,けが人が多数出ている」『朝
日新聞』2007.12.30 朝刊)
─ 72 ─
アフリカにおける民族
4 回調査では 30.9%,第 5 回調査では 44.3% となっている。「私はケニア人であると
感じる」という回答を「ナショナル・アイデンティティ」の指標の 1 つとするなら
ば,ケニアでは「ナショナル・アイデンティティ」の考えが強くなってきている,と
いうことが考えられる。
表 2.「ナショナル・アイデンティティ」と「エスニック・アイデンティティ」
(%)
私はケニア人であると感じる
私は(民族名)人というよりもケニア人であると感じる
私はケニア人であるとも感じるし,
(民族名)
人であるとも感じる
私はケニア人というよりも(民族名)人であると感じる
私は(民族名)人であると感じる
該当するものがない
わからない
合計(実数)
第3回
24.4
14.9
43.9
9.3
6.3
0.3
0.8
100
(1277)
第4回
30.9
15.1
40.1
8.7
3.5
0.6
1.1
100
(1100)
第5回
44.3
11.7
34.6
5.0
3.3
0.5
0.5
100
(2389)
出所:第 3,4,5 回アフロバロメーターのデータをもとに作成
つぎは「なぜ国勢調査やアフロバロメーターで『私はケニア人です』と答えたの
か」について,筆者の現地での滞在の体験をもとに,以下のような仮説を考えた。
①「ケニア人です」と答えた方が調査員によい印象を与えられる──「見栄っ張り
な回答」
「模範的な回答」
(真鍋 2011: 139)──と考えて「ケニア人です」と答えた。
②民族の対立があったので「ケニアの人びとが 1 つにまとまって欲しい」という願
いを込めて「ケニア人」と答えた。
③自分以外の人びとも「ケニア人」と回答するだろうと予想して「ケニア人」と答
えた。
④「ケニア人である」という回答は,今回の国勢調査で初めて答えても良いことに
なったので,試しにそう答えてみた。
⑤自分の出身の民族のことは忘れたいので「ケニア人」と答えた。
⑥ナイロビなどの大きな都市で生まれ育ったことなどが理由で,両親の民族にはこ
だわりがないので「ケニア人」と答えた。
⑦父親と母親の民族が異なるので,どちらかの民族の名前を答えてしまうと問題が
生じると思いケニア人と答えた。
⑧自分の民族が何かを考えることが面倒なので「ケニア人」と答えた。
⑨出身の民族が小さくて人数も少なくあまり知られていないので「ケニア人」と答
─ 73 ─
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
えた。
⑩外国に住んだことがあり,外からケニアをみて好きになったので「ケニア人」と
答えた。
⑪国籍はケニアであるが,インド系やソマリ系などで外見がケニアの人びとと異な
るので,ケニア人になりたいと思い「ケニア人」と答えた。
⑫職場が国際機関や大使館で,日常からものごとを国単位で考えているので「ケニ
ア人」と答えた。
筆者の職場の同僚であった日本人から「2009 年 8 月 28 日の昼間に国勢調査員が自
宅に来て調査がおこなわれた」ということを聞いた。表 1 によると,アジア人
(ASIANS)は 35,009 人である。アジア人には,日本人,韓国人,中国人などが含ま
れている。ケニア人ではない民族(non-Kenyan)について,筆者は現地でつぎのよう
な体験をした。
①筆者はケニアの人びとから「ムズング(Mzungu)」と声をかけられていた。ムズ
ングとはスワヒリ語で「白人」や「外国人」を意味する言葉だとケニア人から聞い
た。 韓 国 人 も ム ズ ン グ と 呼 ば れ て い る よ う だ っ た。 中 国 人 は「 チ ャ イ ニ ー ズ
(Chinese)」と呼ばれていた。同じアフリカの人びとでもエジプトやチュニジアなど
の北アフリカの人びともムズングと呼んでいるようであった。
②筆者の住んでいた集合住宅には,韓国人,中国人,アメリカ人,イギリス人,イ
タリア人,ベルギー人,インド人などの,国連の職員や大使館員,民間会社の社員の
外国人がいた。
③筆者のケニアでの知人にインド系ケニア人がいた。彼はケニアで生まれ育ち,ケ
ニアのパスポートを持っていた。インドには行ったことがないという。両親はインド
で生まれ育ったインド人であるが,ケニアに移り住んだそうである。この知人は「私
は ケ ニ ア 人 だ 」 と い っ て い た が, ま わ り の ケ ニ ア 人 は 彼 の こ と を「 ケ ニ ア 人
(Kenyan)」ではなく「アジア人(ASIANS)」と呼んでいた。ケニア人からすれば,
インド系ケニア人は「ケニア人ではない」ということだろう。
表 1 を み る と, ケ ニ ア 人 で は な い 外 国 人(non-Kenyans) と し て, 東 ア フ リ カ
(EAST AFRICA),ほかのアフリカ人(OTHER AFRICANS)
,アジア人(ASIANS)
,
ヨーロッパ人(EUROPE),アメリカ人(AMERICANS),カリブ人(CARIBBEANS)
,
オ ー ス ト ラ リ ア 人(AUSTRALIANS) が 含 ま れ て い る。 東 ア フ リ カ(EAST
AFRICA)は,ウガンダ人(UGANDA)
,タンザニア人(TANZANIAN)
,ルワンダ人
(RWANDAN),ブルンジ人(BRUNDI)の 4 つの国で表わされている。
─ 74 ─
アフリカにおける民族
国 勢 調 査 の 民 族 の コ ー ド 表 で は, 世 界 の 国 が, ア フ リ カ(AFRICA), ア ジ ア
(ASIA),ヨーロッパ(EUROPE),アメリカ(AMERICA),カリブ(CARIBBEAN)
,
オーストラリア(AUSTRALIA)の 5 つの地域にわけて表示されている。2009 年の国
勢調査の結果(表 1)ではこの 5 つの地域ごとの人口が示されているが,東アフリカ
の 4 つの国ぐに ─ウガンダ(UGANDA),タンザニア(TANZANIA)
,ルワンダ
(RWANDA),ブルンジ(BURUNDI)──の人口だけが別に示されている。今後,ケ
ニアで中国人の人口が増えれば中国人の人口がアジア人には含めずに表示されるかも
しれない。ここでは「国勢調査の国ごとの人口の表わされ方から,その国では外国人
をどのようにとらえているのかがわかる」という仮説を立てておく。
表 1 をみると,ルイヤ人(LUHYA)は,行を右側に少しずらせた位置に,いくつ
かの民族がルイヤ人に含まれるような形で表現されている。それに対して,キクユ人
(KIKUYU)では,行を右側に少しずらせた位置に,民族が 1 つも書かれていない。
ここでは筆者の現地での滞在の体験をもとに,なぜ,表 1 でキクユ人は,ルイヤ人の
ようにいくつかの民族がルイヤ人に含まれるような形で表現されているというのでは
なく,1 つの独立した民族として表わされているのか,について考える。
①筆者の職場の教員研修所の所長はキクユ人であった。教員研修所の施設があった
ケニア理科教員養成大学(Kenya Science Teachers College)──現在はナイロビ大学
ケニア・サイエンス・キャンパス(University of Nairobi, Kenya Science Campus)──
の校長もキクユ人,教育省の事務次官もキクユ人であった。中央省庁では事務次官や
局長などの比較的地位の高いキクユ人の行政官が多く,ケニアの全国各地にキクユ人
の実業家がいた印象がある。多くのキクユ人はすでに地位の高い役職についていたの
で,キクユ人とほかのいくつかの民族が集まって別の民族を作る必要がなかった。
②キクユ人の人口はケニアのなかでは一番多い。キクユ人はすでに数が多いので,
ほかの民族の人びとをキクユ人に含める方法で,人口を増やす必要がなかった。
③筆者の同僚のキシイ人の女性に「キクユ人の男性と結婚したら良い仕事に就けた
りして得をするかもしれない」といったところ「キクユ人とだけは結婚したくない」
といった。ほかの民族の人びとがキクユ人になることを嫌った。
④筆者の現地での滞在の体験では,「キクユ人」以外の人びとは,「キクユ」や「キ
クユ人」という用語に嫌悪感を抱いているように感じていた。キクユ人といくつかの
民族が集まって作られる新しい民族の名前が,「キクユ」ではなく別の名前であれ
ば,ルイヤ人やカレンジン人のような民族ができていたかもしれない。
⑤筆者の同僚のキクユ人は中央州で生まれ育ったものが多く,中央州はキクユ人が
─ 75 ─
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
多いという印象であった。2007 年の大統領選挙のときに,中央州とは隣り合わせで
ない沿岸州のある民族の人びとがキクユ人の大統領候補者を支持していることが報道
されていた。地理的に離れていることは,いくつかの民族が集まって 1 つの民族をつ
くることを妨げている,ということが考えられる。
⑥筆者の雇っていた家政婦はキクユ人の女性で,自家用車の運転手はルイヤ人の男
性であった。家政婦の女性に「運転手と一緒に昼食をとればいいのではないか」と
いったところ,
「食事の味つけや食べ方など食習慣が違うので昼食は別にしたい」と
答えた。それぞれの民族の人びとが多く住んでいる地域が地理的に離れていたとして
も,言語,文化,習慣,などが同じであれば,いくつかの民族が集まって新たな民族
をつくる可能性があるだろう。
⑦筆者の職場の同僚のキクユ人の女性に「好きになった人が別の民族だったらどう
するのか」と質問したところ「まず男性の民族を調べる。別の民族の人ははじめから
恋愛の対象ではない」と答えた。民族が集まって新たに民族をつくるという考えかた
自体がそもそもないのかもしれない。
アフロバロメーターの民族についての調査項目には「あなたの部族は何ですか。そ
れは,あなたの民族グループあるいは文化的なグループということです(What is
your tribe? You know your ethnic or cultural group)」という質問がある。この質問は第 3
回,第 4 回,第 5 回調査でおこなわれた。面接調査者は,民族のコード番号が示され
ているコード表から,質問の回答者が答えた民族の番号を選んで記録する。回答者が
コード表に名前がない民族名を答えた場合には「その他(other)」のところに民族の
名前を記入(specify)し,その民族は事後コード化(post code)される。表 3 と表 4
は,第 3 回と第 4 回のアフロバロメーターの質問紙にある民族のコード表である。第
3 回調査では 200 から 218 まで 19 の民族が,第 4 回調査では 300 から 322 まで 23 の
民族にコード番号が与えられている。表 5 と表 6 は第 3 回調査と第 4 回調査の回答の
結果である。
表 3.民族のコード表(第 3 回アフロバロメーター調査)
code
tribe
200
Kikuyu
201
Luo
202
Luhya
203
Kamba
─ 76 ─
アフリカにおける民族
204
Meru
205
Kisii
206
Kalenjin
207
Masai/Samburu
208
Mijikenda
209
Taita
210
Somali
211
Borana
212
Rendile
213
Bajuni
214
Kuria
215
Teso
216
Turkana
217
Embu
218
Pokot
出所:Afrobarometer Network(2005b)をもとに作成
表 4.民族のコード表(第 4 回アフロバロメーター調査)
code
tribe
300
Kikuyu
301
Luo
302
Luhya
303
Kamba
304
Meru
305
Kisii
306
Kalenjin
307
Masai
308
Mijikenda
309
Taita
310
Somali
311
Pokot
312
Turkana
313
Bajuni
314
Kuria
315
Teso
316
Rendile
317
Embu
318
Borana
─ 77 ─
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
319
Samburu
320
Arab
321
Swahili
322
Indian
出所:Afrobarometer Network(2008a)をもとに作成
表 3 と表 4 のコード番号表の比較からつぎのことがいえる。ここで,民族の名前の
後のカッコ内の数字はコード番号である。
①第 4 回調査では,第 3 回調査にはない Arab(320),Swahili(321)
,Indian(322)
のコード番号が追加された。
②第 3 回調査のコード番号 207 の Masai/Samburu は,第 4 回調査では Masai(307),
Samburu(319)の別のコード番号がつけられている。
表 5.民族(第 3 回アフロバロメーター調査)
tribe
実数
%
tribe
実数
%
Kikuyu
233
18.2
Teso
1
0.1
Luo
154
12.1
Wanga
7
0.5
Luhya
140
11.0
Kabarasi
1
0.1
Kamba
136
10.6
Bukusu
8
0.6
Meru
82
6.4
Ombuya
1
0.1
Kisii
91
7.1
Nyala
1
0.1
Kalenjin
128
10.0
Tachoni
2
0.2
Masaai
15
1.2
Nyore
1
0.1
Mijikenda
27
2.1
Maragoli
7
0.5
Taita
9
0.7
Marama
1
0.1
Somali
52
4.1
Sabaot
13
1.0
Pokot
29
2.3
Nandi
1
0.1
Turkana
19
1.5
Kipsigis
3
0.2
Bajuni
1
0.1
Tugen
2
0.2
Kuria
15
1.2
Keiyo
1
0.1
Embu
2
0.2
Burji
1
0.1
Borana
8
0.6
Murule
4
0.3
Swahili
11
0.9
Dagodia
3
0.2
Indian
4
0.3
Gari
3
0.2
Digo
12
0.9
Mupule
1
0.1
Giriama
20
1.6
Shabelle
1
0.1
─ 78 ─
アフリカにおける民族
Duruma
9
0.7
Gabawen
3
0.2
Chonyi
3
0.2
Garmug
1
0.1
Mijikenda
1
0.1
National identity only
1
0.1
Arab
3
0.2
Missing data
5
0.4
Gunya
1
0.1
Total
1278
100.0
出所:第 3 回アフロバロメーターのデータをもとに作成
表 6.民族(第 4 回アフロバロメーター調査)
tribe
実数
%
tribe
実数
%
Kikuyu
208
18.8
Teso
8
0.7
Luo
135
12.2
Embu
9
0.8
Luhya
136
12.3
Borana
2
0.2
Kamba
116
10.5
Arab
3
0.3
Meru
55
5.0
Swahili
4
0.4
Kisii
66
6.0
Indian
2
0.2
Kalenjin
128
11.6
Gabra
7
0.6
Maasai
21
1.9
Kenyan only,
6
0.5
Mijikenda
32
2.9
doesnʼt think of self
Taita
27
2.4
in those terms
Somali
96
8.7
Others
12
1.1
Pokot
12
1.1
Refused
1
0.1
Turkana
9
0.8
Missing
6
0.5
Bajuni
3
0.3
Total
1,104
100.0
出所:第 4 回アフロバロメーターのデータをもとに作成
表 5 と表 6 の調査の結果から,つぎのようなことが読みとれる。
①民族の数は第 3 回調査の結果では 49,第 4 回調査の結果では 21 である。
②コード番号が与えられている民族で回答がなかった民族は,第 3 回調査では
Rendile(212),第 4 回調査では Kuria(314)と Rendile(316)である。
③第 3 回調査では,「その他」の回答にあった 32 の民族が事後コード化された。
④第 4 回調査では,事後コード化された民族は Gabra(323)の 1 つである。
⑤第 3 回調査の結果(表 5)では,Mijikenda(208)と Teso(215)が 2 か所ある。
⑥第 3 回調査の Masai/Samburu(207)は,表 5 では Masai で表わされている。
⑦第 3 回調査の結果(表 5)をみると,「その他(Others)」の回答はない。
⑧第 4 回調査の結果(表 6)をみると,その他の回答が 12 ある。
─ 79 ─
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
読みとった内容(①から⑧)をもとにして,つぎの 5 つを考えた。
①第 3 回,第 4 回調査で回答のあった民族の数の差は 28(49-21=28)である。こ
れは「民族の数が減った」ということなのだろうか。第 4 回調査ではサンプリングの
方法が第 3 回調査の方法から変更されている(Afrobarometer Network, 2007b: 28)
。サ
ンプリング方法の変更によって民族の数が減った,ということが考えられる。
②第 3 回調査と第 4 回調査の結果で民族の数に差があるのは,質問の回答者が,自
分の出身の民族ではなく,ルイヤ人(LUHYA)やカレンジン人(KALENJIN)と回
答したのではないか,ということが考えられる。たとえば「サバオット人(Sabaot)」
で考えてみるならば,国勢調査の結果(表 1)では「サバオット人」は「カレンジン
人」に含められるような形で表わされている。第 3 回調査の結果(表 5)にある「サ
バオット人(Sabaot)」は,第 4 回調査の結果(表 6)にはない。ここでは,第 4 回調
査では「サバオット人」が「カレンジン人」と回答した,もしくは,回答者のなかに
「サバオット人」がいなかった,の 2 つが考えられる。
③第 4 回調査の結果(表 6)をみると「その他(Others)」の回答が 12 ある。第 3
回調査と第 4 回調査の結果で民族の数に差があるのは,「その他」の回答に含まれる
民族を結果に載せていないことが考えられる。第 4 回アフロバロメーターのデータを
確認したところ,その他の民族はつぎの 8 つであった。Bajuni (2 人 ), Digo (2 人 ),
Kipsigis (1 人 ), Tiriki (1 人 ), Saboti (1 人 ), Maragori (1 人 ), Giriama (2 人 ), Raabai (2 人 )
の 12 人である。
④第 3 回アフロバロメーターのコードブックによると,Mijikenda にはコード番号
208 と 807 が,Teso にはコード番号 215 と 810 が与えられている。同じ民族の名前に
コード番号が 2 つ与えられていることで,表 5 で Mijikenda(208)と Teso(215)は
2 か所にデータがあるということが考えられる。
⑤第 3 回アフロバロメーターの codebook によると,Samburu にコード番号 219 が
与えられている。Samburu は,調査票では「コード番号 207 の Masai/Samburu」とさ
れていた。第 3 回調査の結果(表 5)では,Masai/Samburu や Samburu のデータはな
く,Masai ─結果の実数は 15 である──で表わされている。これについては,最
初,Masai/Samburu でコード番号 207 をつけたが,調査した結果は Masai の回答数が
15,Samburu が 0 であったために,調査後にあらためて Masai と Samburu に分けて
コード番号をつけなおしてから,Masaai の結果だけを表示したのではないか,が考
えられる。
ソマリ系ケニア人(KENYAN SOMALI)について,筆者の現地での滞在の体験を
─ 80 ─
アフリカにおける民族
もとに,つぎのようなことを考えた。
①筆者の職場では高校の教員研修を行っていたが,ある時の研修の参加者に,ケニ
アで生まれ育ったソマリ系ケニア人の高校教員がいた。両親はソマリア人ということ
であった。彼はケニア人からは「ソマリ」と呼ばれていたが,その「ソマリ」という
呼び方には「ソマリア人」を蔑視するような雰囲気──たとえば眉間にしわを寄せて
「ソマリ」という──を感じていた。ソマリ系ケニア人については,筆者の同僚が
「ソマリア人がソマリアから武器が持ち込むせいでナイロビは治安が悪い」「ケニアに
いる犯罪者のほとんどはソマリア人だ」と話していた。「ソマリ=犯罪者」という
「 レ ッ テ ル は り 」( 井 上 1972: 85) が さ れ て い る の か も し れ な い。David K. Berlo
(1960=1972: 230-59)は「意味には 3 つの次元がある。それは,外延的,構造的,内
包的次元である」という。「ソマリ」という言葉の意味には「ソマリアの人」という
外延的な次元と,「犯罪をする悪い人びと」という内包的な次元があるのかもしれな
い。ここでは、この「ソマリ」の事例による「一般意味論」(井上 1972: 71-105)の
研究の広がりを示唆しておく。
②表 1 ではソマリ系ケニア人の人口は 2,385,572 人であり,これはケニアの総人口
の 6.2% である。ケニアのテレビや新聞をみていると,1 つのニュースにキクユ人,
ルオ人,ルイヤ人,カレンジン人,カンバ人,マサイ人,キシイ人,メル人などの民
族の名前が同時に出されることはよくあったが,ソマリ系ケニア人が含まれていない
ことがあった。ソマリ系ケニア人は人口比で 6.2% いるにもかかわらず含まれていな
かった。
「ソマリ系ケニア人はケニアでは目立った存在(salient)ではない」という
ことかもしれない。
(2)「民族の数」に関する記述
A.対照分析の結果
1.「ケニアには 48 の民族があり」(A, P.97)
2.
「ライラ・オディンガは,ケニアに 48 ある民族のうちのルオ族の出身」(A, P.101)
3.
「ケニアの分類では民族は 40 以上あるとされており」(B, P.105)
4.
「(キクユと隣接した 2 民族の)他の 37 の民族が反発した」(C, P.35)
ここでの記述は,ケニアにおける「民族の数」に関するものである。結果(表 1)
を見ると,表にあげられている部族(tribe),国籍(nationality)は 128 ある。
B.考察
─ 81 ─
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
国勢調査の結果(表 1)をみると,ケニアの民族(tribe)の数は 118,ケニア以外
の国──国籍(nationality)──もしくは地域の数は 10 である。本稿で用いた文献の
記述では,民族の数は,文献 A では「48」,文献 B では「40 以上」,文献 C では「40
── 37 の民族とキクユと隣接した 2 民族を合計すると 40 となる──」である。
ケニアの民族の数についての筆者の体験では,筆者が技術協力専門家としてケニア
に赴任する前に,独立行政法人国際協力機構による赴任前研修の講座に「ケニア任国
情報」があった。そのときの研修講師から「ケニアの民族の数は 40 くらいである」
と聞いた。
ケニアの国勢調査について,Peter(2009)によると「国勢調査員が実地調査で使用
するリストには 28 の民族だけが含まれている。しかし,ルイヤ,カレンジン,ミジ
ケンダ,スワヒリ,ソマリの各民族がさらにいくつかの民族に分けられているため,
民族の数は 113 まで増加している。『ケニア人』を 1 つの民族として数えた場合に
は, 民 族 の 数 は 114 と な る(Broadly, the list to be used by census enumerators while
collecting data on tribes contains only 28 ethnic communities. But once the Luhya, Kalenjin,
Swahili, Mijikenda and Somali are further split, the number swells to a record 113. The
number rises to 114 with the inclusion of “Kenyan” as a tribe.)」(Daily Nation, August14,
2009)ということである。
2012 年 11 月 7 日の朝日新聞に,在日ケニア国大使館の 1 等書記官が厚木市の小学
校に招かれてケニアについて話をしたことが紹介されている。1 等書記官の話では
「公用語はスワヒリ語と英語だが,部族の違いで 42 の独自の言葉がある」(『朝日新
聞』2012.11.7 朝刊)という。ケニア政府発行の報告書には「人口の 90% がアフリカ
系の人びとであり,それらは 42 の主要な民族に分かれている(People of African
descent constitute about 90 per cent of the population; divided into 42 main ethnic groups.)
」
(Republic of Kenya 2011)と書かれている。
文献 A,B,C の記述において,民族の数についての出典は書かれていない。はじ
めに誰かが書いたり話したりした情報が,事実を確認することなしに引用されている
のでないかということが考えられる。
つぎは「民族の数」について,筆者の現地での滞在の体験をもとに,つぎのような
ことを考えた。
①筆者が知っていた民族の名前は,職場の同僚から聞いたつぎの 7 つであった。キ
クユ(KIKUYU),カレンジン(KALENJIN),マサイ(MASAI),ルオ(LUO),ル
イヤ(LUHYA),カンバ(KAMBA)
,メル(MERU)である。民族の名前は,職場の
─ 82 ─
アフリカにおける民族
同僚などふだんの生活で接している人びとの民族しか記憶に残らなかった。
②ミジケンダ人(MIJIKENDA)とスワヒリ人(SWAHILI)は,そのような民族が
あることを知らなかった。これは,筆者のまわりにミジケンダ人とスワヒリ人がいな
かったか,もしいたとしても気がつかなかっただけなのかもしれない。ふだんの生活
でかかわりのない民族は,民族の名前すら知らずに「存在していない」ということに
なるのかもしれない。
③ソマリ(SOMALI)はソマリアからの難民でケニアの民族であるとは考えていな
かった。身体的な特徴などから判断してある民族の存在を知っていても,興味がなけ
ればその民族がどのような民族であるかはわかっていないということだろう。
④ エ ン ブ(EMBU)
, キ シ イ(KISII), ム ベ ー レ(MBEERE)
,サンブル
(SAMBURU), タ イ タ(TAITA), タ ベ タ(TABETA)
, テ ソ(TESO)
,トゥルカナ
(TURUKANA)は県(district)の名前であり民族の名前であるとは思わなかった。民
族の名前とは知らず,地名としてその言葉を使っていた。
(3)「民族別の人口」に関する記述
A.対照分析の結果
1.
「領域内の『民族別人口』は,キクユ人が約 2 割で最大」(B, P.90)
2.
「いまも最大の規模をもつ民族はキクユ人(人口の約 2 割)」(B, P.105)
3.
「彼が標的としたキクユ族は,全人口の四分の一に満たなかった」(A, P.96)
ここでの記述は,ケニアにおける「民族別の人口」に関するものである。民族別の
人口に対応する調査項目として国勢調査がある。結果(表 1)は,キクユ人の人口は
6,622,576 人であり,これはケニアの人口 38,610,097 人の 17.2% である。
4.
「いずれも人口比 1 割程度のルオ人,カンバ人が続く形となった」(B, P.90)
5.
「1 割強を占めるルイヤ人,ルオ人,カレンジン人,カンバ人」(B, P.105)
表 1 より,民族別の人口の割合は,ルイヤ人 13.8%,カレンジン人 12.9%,ルオ人
10.5%,カンバ人 10.1% である。
6.
「その五つの民族(キクユ,ルイヤ,ルオ,カレンジン,カンバ)の合計でケニア
人口の約 7 割を占めると考えてよい」(B, P.105)
7.「人口の残りの 3 割をシェア数パーセントの多数の民族が分け合う形となってい
─ 83 ─
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
る」
(B, P.105)
表 7 は民族別の人口の割合である。キクユ人 17.2%,ルイヤ人 13.8%,ルオ人
10.5%,カレンジン人 12.9%,カンバ人 10.1% の合計は,ケニア人口の 64.4% であ
る。キクユ,ルイヤ,ルオ,カレンジン,カンバの 5 つの民族を除く残りの民族の人
口の割合は 35.6% である。
表 7.民族別の人口の割合(2009 年国勢調査)
民族
パーセント
キクユ
17.2
ルイヤ
13.8
カレンジン
12.9
ルオ
10.5
カンバ
10.1
5 つの民族の合計
64.4
出所:表 1 をもとに作成
8.「カレンジン(なかでもモイの属するトゥゲン人)の人口が相対的に少ない」
(B,
P.98)
国勢調査の結果では,トゥゲン人の人口は 109,906 人である。これはカレンジン人
の人口 4,967,328 人の 2.2%,ケニアの人口 38,610,097 人の 0.28% である。
B.考察
筆者の現地での滞在の体験では,中央省庁では事務次官や局長などの比較的地位の
高いキクユ人の行政官が多く,ケニアの全国各地でキクユ人の実業家を見かけるな
ど,キクユ人はケニアの中では目立った(salient)な存在であった。そのためキクユ
人はケニアの民族の中で人口が多く,人口の 3 割くらいいるものと思っていた。キク
ユ人は人口比では 17.2% である。キクユ人はケニアの民族の中では割合がもっとも
高いが,現地に滞在していたときの筆者の印象──「人口比で 30% くらいいる」─
からすると,その割合──「たった 17.2% しかいない」──は低い。
筆者は「ケニアでカレンジン人は人口比で 1% もいないだろう」と感じていた。そ
れはつぎの 2 つの理由からである。
─ 84 ─
アフリカにおける民族
①筆者の現地での滞在の体験では,カレンジン人について,キクユ人の同僚から
「カレンジンは人口が少ない割には行政の長に就いている人数が多い」と聞いていた。
②国際協力機構の報告書(国際協力総合研修所 2007: 69)に「副大統領であったモ
イ(Daniel Moi)は少数民族カレンジン(Kalenjin)の出身であった」と書かれてい
たのを読んでいた。
表 7 では,ケニアの人口に占めるカレンジン人の割合は 12.9% である。これは「カ
レンジン=少数民族」という「誤った一般化・レッテルはり」
(井上 1972:85)をし
ていたと考えられる。井上は「レッテルをはるということは,われわれが心の中に一
種の固定観念を持ってしまい,ことがら自体をよく見ようとせず,その固定観念に反
応してしまうということである」という(井上 1972: 85)
。ここで用いた記述では,
ケニアにおいて,人口比で 17.2% のキクユ人を「ケニアで最大の民族」と呼び,
12.9% のカレンジン人を「少数民族」と呼んでいる。この事例は「『ことば』だけに
反応して『事実』を見ようとしないことからくる誤解の例」
(井上 1972: 85)である
といえよう。一般意味論では,「ことば=物そのもの」ではない,そして,言葉の背
後にある事実そのものに目を向けること,事実第一主義・観察第一主義をとることが
必要であるという(井上 1972: 84)。ここであげた「キクユ人=ケニアで最大の民族」
「カレンジン=少数民族」という「レッテルはり」の事例は,一般意味論の内容をよ
り豊かにするだろう。
筆者の現地での滞在の体験では,「ナイロビの小学校は女性教員の割合が高い」と
いう印象があった。ナイロビの小学校を視察したところ,教員 26 名のうち男性は副
校長の一人で,25 名は女性であった。その小学校の女性の校長に理由を聞いたとこ
ろつぎのような回答であった。
①ナイロビで男性の小学校教員が少ないのは,小学校教員の給料だけでは少なすぎ
て家族で生活することが難しい,
②ケニアの地方からナイロビに出てきた家族の場合,夫がナイロビの中央省庁や民
間会社で仕事をし,地方で以前に小学校教員をしていた妻がナイロビの小学校で教師
の職を得ることが多い,
③ケニアの場合,小学校の教員は他の学校への異動が少なく同じ学校で教員を続け
ることが多い。そのため新規教員採用が少なく一度増えてしまった女性教員の数はな
かなか減らないのではないか,ということであった。
筆者は「とりたてて仕事が無いのにもかかわらず,地方の人びとがとりあえずナイ
ロビに出てきている」という感じをもっていた。「都市化」については,これまでの
─ 85 ─
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
研究で,東アジア諸国を含め「都市化」と「経済成長」の関係が指摘されており「両
者 の 間 に は 強 い 正 の 相 関 関 係 が あ る 」(Asian Development Bank 1999, World Bank
2000)という。「ナイロビでは『経済成長を伴わない都市化』がおこっている」とい
うことが考えられる。
(4)「民族の州別の人口」に関する記述
A.対照分析の結果
1.「キクユ人が住民の多数を占めるのは,中央州およびリフト・バレー州の中部であ
る」(B, P.105)
2.「キクユ人が住民の多数を占める地域として,地元中央州,東部州中部およびリフ
ト・バレー州中部」(B, P.101)
3.「ルイヤ人は西部州,ルオ人はニャンザ州,カレンジン人はリフト・バレー州(と
くに州の中北部)
,カンバ人は東部州(とくに州の南部)でそれぞれ多数を占め
る」
(B, P.105)
ここでの記述は,それぞれの州において多数を占める民族に関するものである。
表 8.州別の民族の割合(%)
ナイロビ 中央州 東部州
キクユ
ルオ
ルイヤ
カンバ
メル
キシイ
カレンジン
マサイ
ミジケンダ
タイタ
ソマリ
合計
(実数)
34.1
23.9
8.0
11.4
3.4
1.1
2.3
1.1
1.1
1.1
5.7
100
88
95.0
1.7
0.0
1.7
0.0
0.0
0.0
0.0
0.8
0.0
0.0
100
120
1.3
0.0
0.0
58.8
30.0
0.6
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
100
160
リフト・ ニャン
バレー州 ザ州
21.3
1.9
8.4
1.1
0.8
5.3
45.2
7.2
0.4
0.0
0.0
100
263
0.0
66.2
2.6
0.0
0.0
31.1
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
100
151
出所:第 4 回アフロバロメーターのデータをもとに作成
─ 86 ─
西部州 北東部州
0.0
3.9
81.1
1.6
0.8
1.6
4.7
0.0
0.0
0.0
0.0
100
127
1.0
0.0
0.0
0.0
1.0
0.0
0.0
0.0
0.0
3.1
92.7
100
96
沿岸州
合計
5.4
2.2
0.0
5.4
0.0
1.1
1.1
1.1
31.2
24.7
2.2
100
93
18.9
12.3
12.4
10.6
5.0
6.0
11.7
1.9
2.9
2.5
8.7
100
1098
アフリカにおける民族
これに対応するアフロバロメーターの質問は「あなたの部族は何ですか。それは,あ
なたの民族グループあるいは文化的なグループということです(What is your tribe?
You know your ethnic or cultural group)」である。州別の集計にはサンプリングされた
調査地点の「地域または州(region/province)」のデータ を用いる。結果(表 8)をみ
ると,中央州ではキクユ人の割合が 95.0% である。リフト・バレー州ではキクユ人
の割合は 21.3%,カレンジン人の割合は 45.2% である。西部州におけるルイヤ人の割
合は 81.1%,ニャンザ州におけるルオ人の割合は 66.2%,キシイ人の割合は 31.1% で
ある。東部州ではカンバ人の割合は 58.8%,メル人が 30.0% である。
B.考察
筆者の現地での滞在の体験では,地方研修の視察の際に,視察する地域に両親や家
族の家がある職員は視察のメンバーに含めないようにしていた。たとえばニャンザ州
や西部州を視察する場合には,ルオ人,ルイヤ人は含めないということである。理由
の 1 つとして,指定された宿泊所に泊まらずに両親や家族の家に帰ってしまい,宿泊
所での夜のミーティングや翌日の視察に参加しない職員がいたからである。そのた
め,西部州の視察にはキクユ人やカンバ人が行くことが多く,中央州の視察にはルオ
人やルイヤ人が行くことが多くあった。これについては,職場でつぎの 2 つの意見が
あった。
①別の民族が視察することによって同じ民族では気がつかない点を指摘することが
できるなど視察の質が向上する。
②視察する地域の同じ民族の職員が視察にいく方が,その民族の言葉を話すことが
でき,知り合いがいることで視察の手続きが円滑に進められる点で良い。
筆者の職場には 55 名の研修講師がいた。キクユ人の同僚から聞いた話では「名前
がキプ(Kip-)から始まれば,それはカレンジンの名前である。リフト・バレー州の
エルドレッドとかバリンゴで生まれ育ったものが多い」「名前がアルファベットの O
で始まればルオ人が多い。たとえばオディンガ(Odinga)とかオペル(Opel)とかオ
バマ(Obama)がそうである。ルオ人であればニャンザ州か西部州で生まれ育ったも
のが多い」ということであった。筆者が東京で「オポンド(Opondo)
」という名前の
ケニア人に会ったとき,彼に「あなたはケニアの西の方の出身ですか?もしかしてル
オ人ですか?」と聞いたところ「そうなのだが,なぜわかったのか?」と驚いてい
た。これは,ケニアでは「民族」と「名前」,そして「出生地」につながりがあり,
「似たような名前の同じ民族の人びとが同じところに住んでいる」ということだろ
─ 87 ─
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
う。ここでは「ケニアでは人口の移動があまり行われていない」ということが考えら
れる。
筆者の現地での滞在の体験では,ケニアに滞在している日本人の家族が家政婦とし
て雇う民族で多いのは,キクユ人,ルイヤ人,ルオ人であった。日本人の家族や日本
人のいる職場で雇用されていた車の運転手においても,キクユ人,ルイヤ人,ルオ人
が多かった。住宅やショッピングセンターの警備員は,マサイ人,カレンジン人,ソ
マリ人が多いという印象であった。キクユ人の家政婦や運転手は家族や両親が住んで
いる自宅から通う場合が多かった。ルオ人やルイヤ人は,ナイロビの特定の地区に,
地元から出てきた家族や親類とともに同じ家に住んでいるという印象があった。この
事例は「民族と職業」「民族の人口移動」の研究の広がりを可能にするだろう。
(5)「民族と出身地」に関する記述
A.対照分析の結果
1.「キバキは中央州出身のキクユ人,対するオディンガはニャンザ州出身のルオ人で
ある」
(B, P.101)
2.「彼は仲間内でただ一人の中央州出身キクユ人であった」(B, P.98)
3.「ルオ人とルイヤ人,みな西の出身だ」(B, P.98)
4.「彼は民族的属性でいえばメル人,まさに『マウント・ケニア地域』の出身であ
る」(B, P.99)
5.「2002 年の政権交代を境におこったのは,『中央州の人』
『西の出身』
『ルオ人』と
の名付けだった」(B, P.99)
ここでの記述は「民族の出身地」に関するものである。ここで分類された記述に対
応する質問は「(4)『民族の州別の人口』に関する記述」で用いた質問と同じである
が,結果(表 9)は「民族の人口の州別の割合」のクロス表である。結果は,キクユ
人の割合は中央州で 54.8%,リフト・バレー州で 26.9%,ナイロビで 14.4% である。
ルオ人の割合はニャンザ州で 74.1%,ナイロビで 15.6% である。ルイヤ人の割合は西
部州で 75.7% である。メル人は中央州で 87.3% である。
─ 88 ─
アフリカにおける民族
表 9.民族の人口の州別の割合(%)
キクユ
ルオ
ルイヤ
カンバ
メル
キシイ
カレンジン
マサイ
ミジケンダ
タイタ
ソマリ
合計
ナイロビ 中央州 東部州 リフト・ ニャン
バレー州 ザ州
14.4
15.6
5.1
8.6
5.5
1.5
1.6
4.8
3.1
3.7
5.2
8.0
54.8
1.5
0.0
1.7
0.0
0.0
0.0
0.0
3.1
0.0
0.0
10.9
1.0
0.0
0.0
81.0
87.3
1.5
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
14.6
26.9
3.7
16.2
2.6
3.6
21.2
93.0
90.5
3.1
0.0
0.0
24.0
0.0
74.1
2.9
0.0
0.0
71.2
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
13.8
西部州 北東部州 沿岸州
0.0
3.7
75.7
1.7
1.8
3.0
4.7
0.0
0.0
0.0
0.0
11.6
0.5
0.0
0.0
0.0
1.8
0.0
0.0
0.0
0.0
11.1
92.7
8.7
2.4
1.5
0.0
4.3
0.0
1.5
0.8
4.8
90.6
85.2
2.1
8.5
合計
100.0(208)
100.0(135)
100.0(136)
100.0(116)
100.0(55)
100.0(66)
100.0(128)
100.0(21)
100.0(32)
100.0(27)
100.0(96)
100.0(1098)
出所:第 4 回アフロバロメーターのデータをもとに作成
B.考察
筆者の職場では,ナイロビに単身赴任している男性の同僚が何人かいた。彼らは研
修施設内の職員住宅に 3,4 人で一緒に住んだり,職場の近くの部屋が 1 つの住宅に
住んだりしていた。単身赴任している同僚の妻や子どもの住んでいる家が,ナイロビ
から近い中央州や東部州にある同僚は,毎週末にバスで 3 時間程度かかる実家に帰っ
ているようであった。その同僚はキクユ人やメル人,カンバ人であった。バスで 8 時
間以上かかるニャンザ州,西部州,沿岸州に実家がある同僚は,長期休暇がとれたと
きに家族が住んでいる地方の家に帰っているようであった。彼らはルオ人,ルイヤ
人,カレンジン人,キシイ人が多かった。筆者は「アフリカでは単身赴任するという
考えはなく,人びとは必ず家族と一緒に住む」と考えていたので,職場の同僚の男性
のかなり多くが単身赴任していることを知って驚いた。ケニア人にナイロビで単身赴
任をしている理由を尋ねたところ,①ナイロビは家が狭くて家賃が高い,②家族で住
むのには物価が高い,③自分の子どもを友達が同じ民族である小学校に通わせたい,
④地方の家には畑や牧場があるので退職すれば実家に戻りたい,④自分が高校生のと
きに寄宿舎生活をしていたので単身生活には慣れている,ということであった。地方
よりもナイロビの方が仕事は多いが,ナイロビは生活費が高く,家族が一緒に暮らす
には,給料所得が多いか,職場から住居が提供される,などがないと難しいのだろ
う。ここではアフリカにおける単身赴任を事例とした「都市化」「家族」「職業」の研
究を示唆しておきたい。
─ 89 ─
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
2008 年 1 月 20 日の朝日新聞によると,ケニアでは「大統領選挙では現職のキバキ
氏(キクユ族)が接戦のすえ再選を決めたが,最大野党を率いて敗れたオディンガ氏
(ルオ族)が『不正があった』として対立。キクユ対非キクユの民族対立に発展し
た」
(
『朝日新聞』2008.1.20 朝刊)という。「民族対立」に関して,筆者は現地で滞在
していたときに雇用していたルイヤ人の運転手からつぎの話を聞いた。2007 年 12 月
に行われた総選挙が終わったあとの 2008 年 1 月のナイロビで,ルイヤ人の運転手が
乗っていた小型バスが突然数人の若い男たちに止められたそうである。その際に,男
たちは「名前を言え」「身分証明書を見せろ」と言いながら車に乗り込もうとした。
危険を感じた小型バスの運転手がバスを急発進させて男たちを振り切ってその場から
逃れた,ということであった。
2008 年 1 月 5 日の朝日新聞によると「エルドレトからナイロビに向かう幹線道路
は数キロにわたり,町の主流派のカレンジン族が石や電柱で封鎖。男性が通行者の身
分証明書を確認し,キクユ族を捜していた」(『朝日新聞』2008.1.5 夕刊)という。人
びとは「バスや車がどの地域から来たのか」や「バスや車に乗っているケニア人の名
前」から,その人がどの民族の人なのかを判断しているようであった。
(6)「集団の大きさ」に関する記述
A.対照分析の結果
1.「アフリカでは,様々な規模の様々なレベルの集団をみることができます」(C,
P.34)
2.
「人口が 1000 万人を超える集団もあれば,人口 50 万人という集団,もっと小さな
集団もあります」(C, P.34)
3.「周囲の大きな集団に吸収されつつある小さな集団もあります」(C, P.37)
ここでの記述は「集団の大きさ」に関するものである。この記述に対応する調査項
目は国勢調査の「民族別の人口」である。結果(表 1)は,キクユ人が 6,622,576 人
でありケニアの人口に占める割合がもっとも高い。人口がもっとも少ないのは人口
110,614 人のスワヒリ人に分類されている WAKATWA の 172 人である。スワヒリ人
では WAKATWA 以外でも,WATIKUU が 281 人,WAHAKA が 289 人,WAMTWAPA
が 299 人となっている。
B.考察
筆者の現地での滞在の体験では,ナイロビ市内中心部のビルが多くある通りでマサ
─ 90 ─
アフリカにおける民族
イ族の衣装を着た青年が歩いているのをみかけたことがあった。同僚に聞くと「あれ
は観光客用に民族衣装を着ているマサイだ」ということであった。ケニアで少数民族
といえばマサイ族か西部州のウガンダ国境近くにいるポコット族(POKOT)くらい
しか筆者は思い浮かばない。ケニアでは農村部でもほとんどの人が襟付きのシャツか
T シャツを着ているのを見ることが多かった。筆者は「少数民族は民族衣装を着て伝
統的な飾り物をつけている」と考えていたので,服装などの外見からだけではそれぞ
れの人が人口の少ない民族の人なのか,人口の多い民族の人なのかは判断できなかっ
た。それぞれの人がどの民族の人なのかは,その人に聞いてみないことにはわからな
かった。
ここに分類される記述は「集団」に関するものである。社会学では今まで,テン
ニース,F.による「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」,デュルケーム,E.
による「環節的社会」と「有機的社会」,クーリー,C.H.の「第一次集団」と「第
二次集団」,マッキ─バー,R.M.の「コミュニティー」と「アソシエーション」
,
高田保馬の「基礎社会」と「派生社会」などがあげられてきている。ケニアの国勢調
査の民族ごとの人口の結果(表 1)で,たとえば,ブクス人(BUKUSU)の人口はル
イヤ人の人口に含まれるように表わされている。ブクス人にとって,ブクス人はクー
リー,C.H.の「第一次集団」──家族,近隣,子どもの遊び仲間など,親密で対
面的な結びつきと共同(intimate face-to-face association and cooperation)を特徴とする
集団(磯部 1993: 934-5)──であり,ルイヤ人は「第二次集団」─国家や政党,
企業や労働組合など,特定の目的のために合理的に組織された集団(磯部 1993: 9345)──になるのか。ブクス人にとっては,ルイヤ人も「第一次集団」となるのか。
それとも,これまでの「社会集団の分類」であげられてきたこういったものではな
い,
「新たな別の分類」が考えられるのか。今後の課題といえよう。
(7)「民族と言語」に関する記述
A.対照分析の結果
1.「スワヒリ語は東アフリカのケニア,タンザニア,ウガンダで英語と共に公用語と
して用いられ」
(C, P.37)
2.「スワヒリ語は(中略)周辺のルワンダ,ブルンジ,コンゴ民主共和国,コモロ,
モザンビーク,マラウイなどでも広く話されているリンガフランカ(地域共通
語)です」
(C, P.37)
3.「スワヒリ語は,話者は 5000 万人以上といわれています」(C, P.37)
─ 91 ─
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
ここでの記述は「民族の言語」に関するものである。これに対応する調査項目は,
第 4 回アフロバロメーターで行われたつぎの質問である。
「あなたは家ではどの言葉
で話していますか──面接調査者は必要に応じて『それはあなたの生まれた集団の言
葉です』という説明を付け加える──(Which Kenyan language is your home language?
[Interviewer: Prompt if necessary: That is, the language of your group of origin.])
」。
結果(表 10)をみると,「スワヒリ語(kiswahili)」の回答の割合は 1.6% である。
表 10.家で話す言葉(home language)
言語
English
Kiswahili
Kikuyu
Luo
Luhya
Kamba
Kalenjin
Kisii
Meru/Embu
Masai/Samburu
MijiKenda
Taita
Somali
Pokot
Turkana
Teso
Gabra
その他
欠損値
合計
実数
4
18
205
136
134
115
131
66
62
19
34
24
96
14
8
7
7
21
3
1104
%
0.4
1.6
18.6
12.3
12.1
10.4
11.9
6.0
5.6
1.7
3.1
2.2
8.7
1.3
0.7
0.6
0.6
1.9
0.3
100.0
出所:第 4 回アフロバロメーターのデータをもとに作成
B.考察
ケニアでは「家で話す言葉(home language)」を質問されたときには,質問の回答
者は,公用語(official language)の英語や,共通語(national language)のスワヒリ語
ではなく,民族の言語を答えるようである。
筆者の現地での滞在の体験では,筆者の職場のケニア人の同僚は,英語,スワヒリ
語,自分の民族の言葉の 3 つを話せる人が多かった。筆者が雇っていた運転手や家政
婦も,英語,スワヒリ語,そして自分の民族の言葉を話していた。筆者の職場には自
─ 92 ─
アフリカにおける民族
分の民族の言葉がスワヒリ語であるケニア人の女性が一人いた。彼女は,スワヒリ語
と英語のほかに,フランス語も話せるようであった。ケニア人は,場所や相手によっ
て,いくつかの言語を使い分けているようであった。
第 4 回アフロバロメーターの言語に関する調査項目につぎの質問がある。「あなた
は何語を上手く話せますか──面接調査者は質問の回答者があげたすべての言葉を記
録する─(What languages do you speak well? [Interviewer: List all languages mentioned.])
」
「面接調査者は質問の回答者があげた言語の総数を 2 ケタの数で記入する。回答が
『わからない』のときは 99 を記入する([Interviewer: Enter total number of languages
listed as a two-digit number. Enter 99 for “donʼt know.”])
」
表 11 は,質問の回答者があげた言語の数である。回答の割合がもっとも高いのは
「3 つの言語」の 53.4% である。すべての回答(1,104 人)の中で,英語とスワヒリ語
と自分の民族の 3 つの言語と回答したのは 647 人(58.6%)であった。
「あなたは何語を上手く話せますか」の質問の回答で,スワヒリ語を答えに含めた
のは 1,030 人(93.3%)であった。スワヒリ語はケニアの共通語といえそうである。
表 11.話せる言語の数
言語の数
1
2
3
4
5
6
合計
実数
63
364
589
72
13
3
1104
%
5.7
33.0
53.4
6.5
1.2
0.3
100.0
出所:第 4 回アフロバロメーターのデータをもとに作成
筆者の現地での滞在の体験では,筆者の職場で使われていた言語は英語であった。
スワヒリ語は仕事で使う機会はなかったが,日常生活で使うために職場のルイヤ人の
同僚にスワヒリ語の会話を教えてもらっていた。そのなかでときどき特殊な用語や表
現が出てきた。そのときには「スワヒリ語は学校で習っただけなのでどういうかはわ
からない。スワヒリ語が母語(mother tongue)の沿岸州の同僚に聞いてほしい」とい
われたことがあった。ケニアでは小学 1 年生から 3 年生までは,教室で使われている
言葉はそれぞれの民族の言葉である。小学 4 年生からすべての科目が英語をつかって
教えられる。スワヒリ語の授業は 1 年から,英語の授業は 3 年生から始まる。
アフロバロメーター調査では,面接調査で使用された言語が記録されている。結果
─ 93 ─
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
はつぎのとおりである。
①面接調査で使用された言語は,割合の高かった順に,スワヒリ語 49.1%,英語
32.2%,キクユ語 5.3%,ルオ語 5.2%,ソマリ語 3.1%,カンバ語 2.5%,カレンジン語
1.5%,ルイヤ語 0.8% の 8 言語である。
②スワヒリ語,英語以外の 6 言語──キクユ語,ルオ語,ソマリ語,カンバ語,カレ
ンジン語,ルイヤ語──については,面接調査者と回答者の民族が同じであった。
③面接調査者と回答者の民族が異なる場合,スワヒリ語か英語で調査がおこなわれて
いた。
④使われた言語が英語やスワヒリ語であった調査のなかには,面接調査者と回答者の
民族が同じ民族の場合──たとえば,面接調査者がキクユ人で回答者がキクユ人の場
合に英語で面接をしている──があった。
ケニアでは「面接調査者と回答者が同じ民族の場合でも,回答者の学歴が高い場合
には,民族の言語ではなく,スワヒリ語か英語を使う」ことが考えられる。
テレビ,ラジオ,新聞に関する筆者の現地での滞在の体験である。
①テレビ。ケニアでは夜 7 時のニュースがスワヒリ語で放送されていた。夜 9 時の
ニュースは,7 時のニュースと同じ内容,同じ映像,同じ順番で,英語で放送されて
いた。筆者はスワヒリ語の聞き取りが難しかったので 9 時からの英語の放送を見てい
たが,筆者の職場の同僚には,7 時のスワヒリ語で放送されるニュースの方が良いと
いって見る人がいた。
②ラジオ。筆者はナイロビでは英語の FM 放送を聞いていた。年配の男性が小型ラ
ジオでスワヒリ語のラジオ放送を聞いているのを見たことがよくあった。筆者がニャ
ンザ州のキスムに出張したときに「ルオ語」のラジオ放送が聞こえた。キクユ語のラ
ジオ放送はナイロビで聞くことができた。
③新聞。筆者はケニアでは日刊の英字新聞──「NATION」もしくは「STANDARD」
──を読んでいた。筆者の職場の同僚は新聞を読むのが好きで,仕事中に新聞──ほ
とんどが「NATION」か「STANDARD」──を読んでいる姿をよく目にしていた。運
転手や家政婦も英字新聞を読んでいるようであった。ケニアではほかにスワヒリ語の
新聞「TAIFA LEO」があるが,この新聞を読んでいる姿は職場でも街中でもあまり見
かけなかった。
これらから以下のような仮説を考えてみた。
①ケニアでは公的な書類はすべて英語であり,スワヒリ語で書かれた書類はほとん
ど目にしなかった。このことからケニアにおいて読んだり書いたりする言語は英語が
─ 94 ─
アフリカにおける民族
多く使われている,ということである。
②テレビで牧師が英語で説教すると,すぐそのあとでスワヒリ語の同時通訳が行わ
れていた。スワヒリ語は,テレビやラジオなどで聞いたり,別の民族のケニア人と話
したりするときに使われている,ということである。
筆者の職場での同僚に数人のカレンジン人がいた。彼らは仕事では英語やスワヒリ
語を使っていたが,カレンジン人どうしではカレンジン語と思われるような言葉で話
をしていた。しかし,彼らが話していた言語がカレンジン語なのか,たとえばトゥゲ
ン人(TUGEN)の話すトゥゲン語だったのかはわからなかった。
アフロバロメーターの言語に関する調査項目「あなたは家ではどの言葉で話してい
ますか(Which Kenyan language is your home language?)」で,有効回答 1,104 のすべて
について「あなたの部族は何ですか。それは,あなたの民族グループとか文化的なグ
ループとかということです」で回答された「民族」と「家で話している言語」が一致
しているかを確認した。「民族」と「言語」が一致したデータの割合は 94.3% であっ
た。
「民族」と「言語」が一致していないのは回答の 3.6% で,回答の 2.0% はケニア
の公用語である英語,もしくはスワヒリ語という回答であった。
「民族」と「言語」
が一致していない回答のなかには,民族はカレンジン人であるが,家で使う言語は
トゥゲン語である,もしくは民族はトゥゲン人であるが家で使う言語はカレンジン語
である,というように「民族」と「家で使う言語」を使い分けていることが考えられ
る。
「トゥゲン人」なのか「カレンジン人」なのか,「トゥゲン語」を話すのか「カレ
ンジン語」を話すのか。端(1993)によると「民族とはある程度の血縁的共通性と居
住地域の同一性を基礎として成立した文化共同体と定義することができる。この文化
共同体の最も明確な指標は言語である。つまり言語を共通にすることで,その民族の
成員は互いに意思を伝えあい,さらには思考形式を同じくすることによって価値観の
共通が認識され,そこに独自の民族的性格も形成される」という。ここでは,この
「トゥゲン語」と「カレンジン語」の事例を用いた研究により,「民族と共通の言語」
に関する新たな概念を提示する可能性が示唆できるだろう。
筆者がキクユ人の同僚とロンドンに出張にいったとき,乗車したロンドンの路線バ
スの車内に,アフリカ出身と思われる母子がいた。母子の会話を聞いていた同僚が
「あの母子はケニア人でありキクユ語で話している」といい,母子にキクユ語で話し
かけたことがあった。母子はロンドンに住んで地下鉄の掃除の仕事をしているという
ことであった。
─ 95 ─
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
筆者の職場があったケニア理数科教員養成大学のキクユ人の校長の妻はロンドンで
看護師の仕事をしていた。ケニアの医療技術訓練学校で専門家をしていた日本人から
「ケニアの看護師は英語ができることもありイギリスなどのヨーロッパで働いてい
る」という話を聞いたことがあった。早瀬(1999: 222-3)によると「国際人口移動に
おいて,移住者による本国への送金は本国経済に相当の貢献をするが,一方で本国の
人的資源の喪失──頭脳流出をもたらす。先進諸国で働くアフリカ人頭脳労働者は,
先進諸国の慢性的な労働力不足とともに増加した」という。ケニア人の看護師の先進
国への労働移動の事例は,「発展途上国の専門職の女性の労働移動」という点に特徴
があるといえるかもしれない。ここではこの事例を用いた「国際人口移動」について
の研究が示唆できるだろう。
(8)「信仰している宗教と人口」と地域に関する記述
A.対照分析の結果
1.
「ムスリム人口は東部州北部,北東州,沿岸州では住民の多数を占める」(B, P.101)
ここでの記述は,
「信仰している宗教」と住民が多数を占める州に関するものであ
る。表 12 は「信仰している宗教」の州ごとの人口(Population by Religious Affiliation
and Province)の 2009 年の国勢調査の結果である。
表 12.「信仰している宗教」の州ごとの人口(%)
カトリック
プロテスタント
他のキリスト教
イスラム教
ヒンドゥー教
伝統的な宗教
その他の宗教
宗教はない
わからない
合計
(実数)
ナイロビ 中央州 東部州 リフト・ ニャン 西部州 北東部州 沿岸州
バレー州 ザ州
27.7
46.7
13.8
7.2
1.1
0.3
1.6
1.5
0.1
100
27.3
52.0
16.2
0.5
0.0
0.1
1.5
2.1
0.1
100
30.0
53.2
8.1
4.5
0.0
1.7
1.1
1.3
0.1
100
25.7
55.1
8.2
1.2
0.1
4.2
1.1
4.4
0.2
100
3,106,911
4,367,811
5,637,252
9,949,698
25.7
51.7
18.3
0.6
0.1
0.3
2.7
0.6
0.1
100
21.3
52.7
19.7
3.0
0.0
0.4
2.3
0.6
0.0
100
5,418,487 4,318,239
出所:Kenya National Bureau of Statistics(2011)をもとに作成。
─ 96 ─
合計
0.3
0.3
0.2
99.1
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
100
12.0
30.9
9.3
37.9
0.2
2.4
0.7
6.6
0.1
100
23.5
47.7
11.9
11.2
0.1
1.7
1.5
2.4
0.1
100
2,301,067
3,289,677
38,389,142
アフリカにおける民族
結果は,「イスラム教」と回答した割合は,北東州では 99.1%,東部州では 4.5%,
沿岸州では 37.9% である 7)。
B.考察
北東部州でイスラム教徒が多いのは,イスラム教徒であるソマリ系ケニア人が北東
部州に多いからではないかと考えられる。アフロバロメーターの調査項目に「あなた
が信仰している宗教は何ですか──回答はコード表から選ぶ。回答の選択肢は読み上
げない──(What is your religion, if any? [Code from answer. Do not read options])
」があ
る。表 13 は「あなたが信仰している宗教は何ですか」の回答の民族ごとの結果であ
る。 ソ マ リ 系 ケ ニ ア 人 で「 イ ス ラ ム 教 」 と 回 答 し た ─ ─「 イ ス ラ ム 教(Muslim
only)」
「スンニ派(Sunni only)」「シーア派(Shia only)」の回答の合計──割合は
100% である。表 8 では北東部州におけるソマリ系ケニア人の割合は 92.7% である。
北東部州でイスラム教徒が多いのは,イスラム教徒のソマリ系ケニア人が北東部州に
多いからであるといえる。ケニアでは,イスラム教徒の事例から,同じ「民族」が同
じ「宗教」を信仰し,同じ「場所」に住んでいるといえる。ここでは,「民族」と
「信仰する宗教」と「住み分け」に関する研究が示唆できるだろう。
表 13.民族別の信仰する宗教(%)
キクユ
ルオ
ルイヤ
カンバ
メル
キシイ
カレンジン
マサイ
ミジケンダ
タイタ
ソマリ
全体
キリスト教
イスラム教
その他
ない
92.8
89.6
94.1
92.2
100.0
98.5
95.3
57.1
43.8
85.2
0.0
81.1
0.0
1.5
1.5
5.2
0.0
0.0
0.0
4.8
53.1
11.1
100.0
13.8
5.3
7.4
3.7
0.9
0.0
1.5
3.1
9.5
3.1
3.7
0.0
3.6
0.5
0.0
0.0
0.9
0.0
0.0
1.6
28.6
0.0
0.0
0.0
0.9
わからない / 合計(実数)
回答を拒否
1.4
100.0 (208)
1.5
100.0 (135)
0.7
100.0 (136)
0.9
100.0 (116)
0.0
100.0 (55)
0.0
100.0 (66)
0.0
100.0 (128)
0.0
100.0 (21)
0.0
100.0 (32)
0.0
100.0 (27)
0.0
100.0 (96)
0.4
100 (1098)
出所:第 4 回アフロバロメーターのデータをもとに作成
7) 2009 年国勢調査の州ごとの「信仰している宗教」の人口の結果については以下のウェ
ブサイトを参照。
Kenya National Bureau of Statistics, 2011, (Retrieved January 25, 2013, http://www.knbs.or.ke/
Population%20by%20Religious%20Affiliation%20and%20Province.php)
─ 97 ─
青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
つぎは「イスラム教」に関する筆者の現地での滞在の体験である。
①筆者の職場では,会議や研修の最初に「始めの祈り(opening prayer)」が行われ
ていた。それは,出張に行く際の出発前の車の中でも行われていた。ほとんどの場合
はキリスト教の形式で行われるのだが,たまにイスラム教の信者がいるときは,イス
ラム教の形式で行われていた。
②筆者の職場では,ケニア全土から学校教員を集めて指導法の研修をおこなってい
た。研修所には宿泊施設があり食事が提供されていた。研修は州(province)や県
(district)ごとにおこなわれるが,北東部州や沿岸州からの参加者がいる場合には,
豚肉を使わない料理を別に用意して,イスラム教徒に対する食事の配慮をしていた。
③研修のなかで,イスラム教徒の教員は金曜の午後にモスクに礼拝にいくことを希
望していた。そこでイスラム教徒については金曜午後の研修を別の日に振り替えて実
施するようにしていた。
これらの体験から筆者は,①ケニアではイスラム教はキリスト教と同じように扱わ
れている,②ケニアの人びとはイスラム教を尊重している,と感じていた。
筆者の周りのケニア人はほとんどがキリスト教徒であったが,「これだけ尊重され
ているのだからイスラム教徒はナイロビに少ないだけで,ケニア全体でみれば人口の
3 割くらいいるのではないか」と考えていた。表 12 によると、2009 年の国勢調査で
「信仰している宗教はイスラム教である」と回答した割合は 11.2% である。ケニアの
イスラム教徒は,キリスト教徒と比べれば割合では少ないから,目立った存在
(salient)なのだろう。
筆者の現地での滞在の体験では,筆者の職場にいた 55 名の研修講師のうち,イス
ラム教徒は沿岸州出身の女性の 1 名であった。カンバ人の同僚から聞いた話では「ほ
とんどのカンバ人はキリスト教であるが,なかにはイスラム教の人がいる」というこ
とであった。表 13 では,カンバ人のイスラム教徒の割合は 5.2% である。
表 13 では,イスラム教徒の割合は,ルオ人では 1.5%,ルイヤ人では 1.5%,マサ
イ人では 4.8%,ミジケンダ人では 53.1%,タイタ人では 11.1% である。この結果か
ら「民族が同じであれば同じ宗教を信仰している」というわけではないといえる。
Ⅳ.おわりに
今後の研究課題として,つぎの 2 点をあげておきたい。
─ 98 ─
アフリカにおける民族
(1)ケニアの国勢調査の質問では「部族(tribe)」が,アフロバロメーターの質問
では「民族(ethnic group)」と「部族(tribe)」という用語が同時に使われている。
「民族」「部族」「種族」については,さまざまな議論があるが,本稿では,より「価
値自由」的な用語ともいうべき「民族」と「○○人」を使用することにした。「部
族」と「民族」の呼び方について,本稿で用いた文献 C につぎのような記述がある。
1.
「『部族』という言葉には,『未開』とか『原始的』というイメージが付着してい
る」
(C, P.19)
2.「学術用語としての定義上,『部族』と『民族』の間にきちんとした区別がない」
(C, P.20)
3.
「(アフリカ人を『部族』と呼び,ヨーロッパ人を『民族』と呼ぶことは)白人よ
りも低い地位にアフリカ人を貶めている」(C, P.19)
4. 「
(アフリカの人々を『部族』と呼ぶ,つまり『○○族』と呼ぶか,
『民族』と呼
ぶ,つまり『○○人』と呼ぶかという問題は)アフリカを専門とする研究者の間
でも,意見の一致がありません」(C, P.19)
“tribe” や ”ethnic group” を「民族」と呼ぶか「部族」と呼ぶか,「○○人」と呼ぶか
「○○族」と呼ぶかという問題については,また別の機会に議論したい。
(2)本稿では,ケニアの「民族」について書かれた個々の記述(命題)を,実証的
なデータで確認する対照分析をおこなった。本稿で議論したのは「個々の命題の真
偽」(安田 1973: 67)の確認を踏まえたうえで,法則定立に向けてのあらたな仮説を
できるかぎり多く導き出すというものである。本稿で立てた仮説を 1 つ 1 つ検証して
いくことが,今後に残された重要な研究課題である。
[文献]
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─ 99 ─
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青山総合文化政策学 第 6 号(2013 年 3 月)
Ethnic Groups in Africa: A Case Study of Kenya
by Hiromasa Hattori
This study examines the descriptions/propositions about ethnic groups in Kenya. The
descriptions/propositions were chosen from three Japanese books that discuss the ethnic
groups and tribes in Kenya. Each description/proposition was written on a card, and the cards
were then sorted into groups according to related content. Each grouped description/
proposition was confirmed by data from the 2009 Kenya Population and Housing Census
(2009 KPHC) and the Afrobarometer survey in Kenya. The 2009 KPHC was conducted from
the night of 24th/25th to 31st August 2009 (Kenya National Bureau of Statistics, 2010). The
Afrobarometer, initiated in 1999, is a research project comprising cross-national public attitude
surveys on democracy and governance in Africa (Hattori 2012a: 152). The data used for this
study are derived from Afrobarometer Round 3, 4 and 5 conducted in September 2005,
October 2008, and November 2011, respectively.
The descriptions/propositions were classified into eight groups, including the
classification of ethnic groups, number of ethnic groups, population by ethnic affiliation,
regional population by ethnic affiliation, ethnic groups and native places, ethnic groups and
languages and population by religious affiliation.
The results indicate that certain descriptions/propositions were not confirmed by the data.
However working hypothesizes were formulated in the discussion using my experience in
Kenya.
Further examination is needed to test the hypotheses to contribute to the formulation of
laws in social science.
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