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第五章 歴史から見た宗教・哲学と科学の関係今
第五章 歴史から見た宗教・ 哲学と科学の関係 今日まで、宗教と科学は闘争の歴史をつづってきたと見られることが多かっ た。そして、宗教は科学の発展を阻害してきたと考えられてきた。しかし、果た してそうであったのだろうか。 (一)歴史的考案 (1)古代オリエント 人類文化の発生の地といわれるメソポタミア、エジプトに花開いた古代文化 において、科学は宗教と密接に結びついていた。すなわち数学、天文学、医学、 建築などは、すべて宗教的な宇宙観や儀式と結びついていたのである。 (2)ギリシア時代 ソクラテス以前の時代は自然科学の時代であったが、哲学と科学は密接に結 びついていた。例えば「万物は流転する」という哲学的見解をもっていたヘラ クレイトス(ca. 535-475B.C.)は、自然の最も変化しやすい火を万物の起源と 考えたのであった。 やがてアテナイ期に至ると、ソクラテス(470-399B.C.)は、哲学者の第一の 仕事は人間と社会とを秩序づけることであって、自然界を理解したり支配する ことではないとして、自然哲学を退けた。そのため、しばらくの間、自然科学 も自然哲学も衰えたのであった。 しかし、プラトン(427-347B.C.)とアリストテレス(384-322B.C.)は、哲 学と科学を統一した体系にまとめあげ、再び自然科学に哲学的意味を与えた。 プラトンは宇宙のはじまりを混沌と考えたが、神がその知的な計画でもって宇 宙を秩序づけたと考えた。そして宇宙を秩序づけているものをイデアと呼んだ。 かくして哲学(イデア界)と科学(現象界)は結びつけられたのである。アリ ストテレスにおいては、すべての事物には形相(実体をして、そのものたらし めている本質)と質料(材料)からなりたっているとしたが、形相は目的性を 含むものであった。そこにおいて哲学と科学は統一されていた。哲学は自然科 学と結びつき、自然科学の発展を支えていたのである。 (3)ヘレニズム・ローマ時代 1 ところが、アレキサンドリア時代からローマ帝政時代にかけて、科学は哲学 から離れて実用面のみを追求するようになった。アレキサンドリアには一時、 高い水準の技術文化が開化したが、ローマ帝政時代に至ると、科学は次第に霊 感を失い、生命力を失って衰退していった。 (4)中世 アウグスティヌス(354-430)は「戸外に出るな。あなた自身のうちに戻れ。 人間の内面にこそ真理は存在する (1)」と教えた。そして教父たちは「星の研究 をすれば、おそらく、天にまします神に無関心になるだろう(2)」と考えた。そ して自然現象そのものの研究にたいしては何ら積極的意義を認めなかった。そ のため自然科学は顧みられることなく衰退していった。中世前期を通じて、西 欧世界では自然界への関心は、ただそこに宗教的な真理のための実例を見い出 すことにすぎなかった。その間、ギリシアの哲学と科学はアラビア世界に移り、 そこで保存され発展することになった。 ようやく一二世紀に至り、西欧世界はアラビアよりアリストテレスの哲学を 移入した。そして一三世紀になると、キリスト教はアリストテレスの哲学を受 け入れて、それをキリスト教神学に統合した。それとともに自然科学に積極的 な意義を見出すようになった。 (5)ルネサンス時代から一七世紀にかけて コペルニクス(1473-1542)の提唱した地動説は大革命をもたらしたが、神を 中心とした宇宙観が、神を排除した宇宙観に変わったわけではなかった。彼は 宇宙を創造主の目的に従って造られたものと見ていたのである。ガリレイ (1564-1642)はコペルニクス説の立場から重大な天文学上の発見をして、コペ ルニクス体系を広めた。彼らはキリスト教の権威によって排斥されたが、彼ら の目的は神を否定することではなく、かえって神の創造の業をより正確に捉え ようとするものであった。 ニュートン(1642-1727)は力学を樹立し、天体の運動を力学によって根拠づ けた。彼は宇宙を巨大な機械として捉えたが、この機械を動かすために最初の 一撃を加え、またその運行を調整するのが神であると考えた。ニュートンにお いて、神は宇宙の唯一の支配者であった。彼は次のように記している。 神は永遠に存在し、あらゆる場所に現在し、いついかなる所にも実在するも のであり、時間と空間とを構成するものである。……神は、形なきもの、愛、 知恵であり、無限の空間内の普遍的存在であり、その感能はすべての物事を くまなく見わけ、完全に知り、しかもそれらは、かれ自身の中の存在である がゆえに、あますところなく理解する(3)。 2 一七世紀には、神が創られた自然の姿を明らかにすることによって、神の栄 光を高めるという信念が科学者の信条となっており、そのような立場から科学 は目覚しい発展を遂げたのである。 (6)一八世紀~一九世紀 ニュートンの形而上学的な機械論から神を退けたのがフランスの機械的唯物 論であった。機械論は、はじめは不変的、固定的な世界観であったが、人間の 進歩を目指すフランスの啓蒙主義者たちはその機械論的世界観に進歩の観念を 植えつけた。 啓蒙主義者の進歩の観念は、ラプラスによる太陽系の進化説(星雲説)とラ マルクによる生物進化論を生み出した。そして生物進化論はダーウィンの自然 選択説によって確立されることになり、宗教(創造論)に対する科学の勝利と されて、唯物論哲学の理論的な支柱となった。しかし、このような無神論的な 世界観に基づいて、この時代に科学が発展したのではなかった。 科学の発展を支えたのはむしろ有神論的な世界観であった。例えばデンマー クのエルステッド(Oersted, 1777-1851)は電気と磁気の関係を研究し、電流 が磁針を動かすことから、その結びつきを正確に証明した。彼は、すべての自 然現象は一つの根源的な力の現れであるというドイツ自然哲学の影響を強く受 けていた。すなわち、メイスン著の『科学の歴史』によれば、 「自然の発展の背 後にはただ一つの力、すなわち世界精神の力があるだけであるから、光も、電 気も、磁気も、化学親和力も、すべて相互連関をもつものであり、すべての現 象はそれらの異なった相のあらわれ(4)」であったのである。 またマイヤー(Mayer, 1814-78)やヘルムホルツ(Hermholtz, 1821-94)に よって「エネルギー保存の原理」が立てられたが、そこには形而上学的な「基 層に横たわる不滅の力」、すなわち「すべての自然現象の基低にある唯一の破壊 できない力」というドイツ自然哲学の観念があったのである。つまり科学者た ちは哲学を指針として研究を進めたのである。 (7)二〇世紀 二〇世紀に至り科学は飛躍的な発展を遂げた。その結果、分子レベル、原子 レベルでの物質の運動や機構が解明されて、物理学も化学も生物学も互いの境 界線がなくなり、統一された一つの科学像を形成しつつある。またアインシュ タイン(Albert Einstein, 1879-1955)の相対性理論はニュートン力学による 宇宙観を根本的に揺り動かすものとなった。客観的に存在する絶対的空間や絶 対的時間は否定されるようになり、時間と空間は分離して扱うべきものではな く、統一的に把握すべきものであることが示された。またアインシュタインと 3 ド・ブロイ(de Broglie, 1892-1987)により、光も含めてすべての粒子は波動 性と粒子性を統一的に持つことが明らかにされた。二〇世紀の科学は統一され た自然観によって導かれてきたのである。アインシュタインが「神がどういう 原理に基づいてこの世界を創造されたかを知りたい」と語ったように、その統 一的な自然観の背後には、唯一の実体である神のもとでの自然法則という信念 があったのである。 (二)科学と宗教・哲学の関係はいかなるものか 以上、科学と宗教・哲学の関係を歴史的に考察してみると、その関係は対立 や闘争ではなくて、宗教ないし哲学の示す方向に従って科学は発展してきたこ とが分かる。つまり、宗教・哲学が羅針盤の役割を果たし、それによって科学 の船が航海を続けることができたのである。 しかし、今日まで宗教や哲学の示した方向は必ずしも正しいものではなかっ た。それは今日までの宗教や哲学が完全なものでなかったからである。そのた めに、一時代において、ある宗教や哲学が示した方向は科学の発展にとって不 毛なものとなる場合があった。その展型的な例が中世初期における、人間の内 面性のみを重視した教父たちによるキリスト教価値観であった。 また古い価値観と、新しい価値観が衝突するという場合があった。例えばル ネッサンス時代から一七世紀にかけて、中世社会を支配したアリストテレスや プトレマイオス(天動説の完成者)の世界像が、コペルニクスからニュートン に至る科学者たちによって崩壊せしめられたが、これは神を認める宗教と神を 認めない科学との闘争ではなかった。そのいずれもが、神の存在と神による創 造を認める立場であった。それは天動説という古い自然哲学にたいする地動説 という新しい自然哲学の闘争、すなわち古い自然観にたいする新しい自然観の 闘争であった。新しい自然観の担い手である、コペルニクス、ガリレオ、ケプ ラー、ニュートンらは、はげしく攻撃され、迫害を受けながら、偏狭な宗教者 たちと闘ったのであるが、彼らは科学者であると同時に、古い神観を打破しよ うとする新しい神観の担い手であったといえよう。 一つの哲学が、ある時代において新しい哲学であったが、次の時代において はその役割を終えて古い哲学となり、新たに登場した哲学と衝突するようにな るという場合もあった。機械論という一つの世界観(哲学)が果たした役割に ついて考えてみよう。近代において機械論を打ち出したのはルネ・デカルトで あるが、その機械論哲学はニュートンに強力な影響を及ぼして、ニュートン力 学を生み出し、一九世紀には、化学と熱を原子の言葉で説明するようになった。 かくして機械論はその頂点に達したのである。ところが、機械論の立場からは、 4 重力や電磁気力が真空を越えて作用するということを認めることはできず、エ ーテルと呼ばれる物理的媒質を通じて力は運ばれると考えた。そのエーテルを 追放し、真空を越えて力が作用すると結論したのが、アインシュタインであっ た。そのことに関して、素粒子物理学者のワインバーグ(Steven Weinberg)は 次のように述べている。 ニュートン主義の勝利の後も、機械的な伝統は物理学の中で栄えつづけた。 一九世紀にマイケル・ファラデイとマクスウェルが作った電場と磁場の理論 は、エーテルと呼ばれる、あらゆるところに浸透する物質的媒質の中の応力 の言葉で、機械的な枠組みの中で言い表された。一九世紀の物理学者が愚か であったわけではない。どんな物理学者にも、進歩のためには、何らかの試 行的な世界観がいる。そして機械的な世界観は、どんなものよりよい候補に 思えたのである。しかしそれは長生きしすぎてしまった(5)。 ワインバーグが「どんな物理学者にも、進歩のためには、何らかの試行的な 世界観がいる」と言っているように、哲学を指針として、科学は発達してきた のである。 現代において、創造論と進化論の対立があるが、これも宗教と科学の闘争で はない。創造を主張する自然観と、進化を主張する自然観が、科学的な事実を それぞれの立場から解釈しながら対立しているのである。その関係を図5―1 に示す。したがって、創造論か進化論かという問題は、結局、どちらがより合 理的に、論理的に、科学的な事実に基づいて現象を説明しうるかということで ある。 ダーウィンの進化論の登場以来、今日まで、キリスト教の創造論は進化論と の対決において劣勢であり、進化論が創造論を制圧する勢いであった。しかし 今や、統一思想の新創造論の登場によって、創造論が最終的に勝利を得る日が 来ているのである。 宗教や哲学は今日まで、それぞれの時代に応じて、暗闇を照らす灯の役割を 果たしてきた。したがって、時代の移り変わりとともに、古い時代を照らした 宗教や哲学は次第に用をなさなくなっていった。そうして新しい時代にふさわ しい宗教や哲学が現れて、さらなる科学の発展を導いたのである。今日、科学 はいかなる方向へ進むべきか、その行くべき道を模索している。したがって、 ここに科学の行くべき真なる道を示すことのできる、新しい宗教と新しい哲学 の登場が切に望まれているのである。 哲学と哲学(あるいは宗教と宗教)の対立、闘争を通じて、文化の歴史は次 第に創造本然の方向へと転換されていった。もちろん、ある時代において、宗 教が形骸化し、無神論的な哲学が支配的となって、文化が創造本然の方向から 5 離れていく場合もあった。しかしやがて、宗教が刷新され、より強力な有神論 的な哲学が現れて、文化をより一層、創造本然の方向へ導いたのである。 歴史のある一時期において、キリスト教も形骸化して、科学の発展を妨げる という場合があった。しかし歴史を通じて見れば、キリスト教は科学の発展に 大きな貢献をなしたのである。アメリカのコーネル大学の創設者の一人である ホワイト(Andrew D. White, 1832-1918)は、そのことを次のように語ってい る。 宗教は科学に貢献してきたのである。キリスト教の業績はまさに偉大だった。 ……キリスト教はまた、人類のためにおのれを犠牲にするあの精神をはぐく んだ。そしてこの精神が勇敢な人々を科学のための戦いへと鼓舞したのであ る。不幸にして、数世紀前、信仰深い献身的な一隊が、自由な科学的探究は 危険であり、その方法を監督するためには神学が干渉すべきであり、そして 聖書の記録は、歴史の撮要、科学の論文として科学の研究成果を判定する基 準となるべきものだ、とする思想をもって出陣した。大きな近代戦はこうし てはじまった(6)。(ゴシックは引用者) 哲学と哲学(あるいは宗教と宗教)の闘争を通じた文化歴史の変遷を図5 ― 2に表す。ここで宗教と哲学の関係についていえば、宗教は究極的存在に関す る教えであり、哲学は人間社会の現実的な問題に対して指針となるものである。 したがって哲学は宗教に基づいて成立しているのである。神を否定する哲学も、 神ならぬものを絶対視する無神論という一種の宗教(擬似宗教)に基づいてい る哲学なのである。したがって文化歴史の変遷は、現実的には哲学と哲学の闘 争を通じてなされるが、その背後には宗教と宗教の闘争があるのである。そし てそこには宗教と擬似宗教の闘争や、同一の宗教における古い理念と新しい理 念の闘争の場合も含まれるのである。 (三)科学の発展と神の摂理 科学の発展は、個々の科学者の意思を越えた、背後の神の摂理によってなさ れてきた。それは次のような事実からも明らかである。 一九世紀の初め、「幾何学のプリンス」とよばれたガウス(Gauss, 1777-1855) およびその他の人々によって、一種の曲がった空間に対する非ユークリッド幾 何学がつくられた。その後、リーマン(Riemann, 1826-66)によって、非ユー クリッド幾何学は任意次元の曲がった空間の一般論に拡張されて、リーマン幾 何学となった。ガウスもリーマンも、抽象的な世界での理論を展開したのであ 6 って、その数学が現実の世界にあてはまるとは考えていなかった。ところが後 に、アインシュタインが一般相対論の展開を始めたとき、その数学が役立った。 アインシュタインが重力を時空の曲率の結果であると考え、曲がった三次元空 間や四次元時空を記述するのに、その数学を用いることになったのである。ワ インバーグは、次のように述べている。 数学はアインシュタインが利用するのを待っていた。と言っても、ガウスやリ ーマンやその他の一九世紀の微分幾何学者が、彼らの仕事が重力の物理的理論 に応用されるとはまったく考えていなかったと、私は信じている(7)。 (ゴシッ クは引用者) さらに一九世紀にガロア(Galois, 1811-32)が創始した群論が、後に素粒子 物理学に応用されるようになったという例もある。物理学において内部対称性 の原理というものが見出された。それにより中性子と陽子および六個のハイペ ロンという粒子は一つの族にまとめられるというように、よく知られている粒 子が八個ずつの粒子を含む属に分類されたのである。そしてそれはゲルマン (Murray Gell-Mann)とネーマン(Yuval Neéman)によってSU(3)という リー群で記述されることが明らかにされた。そしてそれがゲルマンとツワイク (George Zweig)によって、クォーク理論へと発展したのである。ワインバー グはこのような事実をふまえて、次のように述べている。 数学者が数学的な美の感覚に導かれて形式的な構造をつくりだし、後になっ て物理学者が(数学者にはそんな目標は頭になかった場合でも)それが有用で あることを見つけるのは、非常に不思議なことである。物理学者ウィグナーの 有名なエッセイは、この現象を「理屈では説明できない数学の有効性」と呼んで いる。物理学者の理論で必要になる数学を予想する数学者の能力を、一般の物 理学者はまったく神秘的なものと見る。……では物理学者は、現実世界の理論 を発見するのに役立つだけでなく、物理理論の正しさを(ある場合には実験的 な証拠に逆らってまで)判断するのにも役立つ美の感覚を、一体どこで手に入 れるのだろうか。そして数学者の美の感覚は、何十年あるいは何世紀も後の物 理学者にとって価値のある構造に(数学者自身は物理学への応用に関心がない 場合すら)、どのようにして導くのだろうか(8)。(ゴシックは引用者) 数学者の発見した理論がやがて物理学者によって利用されるようになってい たということは、始めに数学者を立てて数学の理論を構築せしめ、後に物理学 者を立て、その数学を用いて自然界の物理法則を発見せしめるように導いた神 の摂理があったと見ざるをえない。 7 (四)むすび 以上見てきたように、文化の発展を導いているのは神の摂理であり、哲学と 哲学の対立、闘争の過程を通じながら、文化は次第に創造本然の状態に向かっ て前進してきたのであった。そして今や、神の摂理は創造理想世界の実現とい う最終段階を迎えようとしている。ここにおいて、現代の科学と完全に調和し た立場から、神の存在と、神の創造の目的と、神の創造のみわざを明確に示す、 新しい宗教真理が必要とされているのである。そしてその示す方向に導かれて 科学は前進しなくてはならない。A・D・ホワイトも次のように言っている。 そこで、われわれは科学の戦いを変えようではないか。宗教と科学とが敵とし てではなく同盟者として立ち上がる戦いに変えようではないか。その闘争を、 あらゆる虚偽に対する、あらゆる真理のためにする戦いに変えようではないか。 不正に対する正義のための、誤謬に対する真実のための、宗派やドグマの枯死 した殻のためではなく宗教の生きた核心のための、戦いに変えようではないか。 そうすれば、その闘争のために多くの受難をもたらした大軍も、ついには協力 して神の豊かな祝福で地上を満たすことになるであろう。 (ゴシックは引用者) (9) 8 図 5-1 創造論と進化論の対立の実相 9 図 5-2 哲学と哲学の対立を通じた文化歴史の変遷 10