...

第2回企画展 南極、自然と人 (PDFファイル)

by user

on
Category: Documents
12

views

Report

Comments

Transcript

第2回企画展 南極、自然と人 (PDFファイル)
立正大学博物館
第 2回 企画展
南 極 、 自然 こ人
一南極観測 の 記録 か ら一
会期 :平 成 16年4月 12日 (月)∼5月 H日 (火)
立 正 大 学 博 物 館
協 力 : 国 立 極 地 研 究 所 ・( 財) 日本 極 地 研 究 振 興 会
2004
ご あ い
さ つ
氷山とペ ンギ ンに象徴 され る南極、それは人類にとつて永遠
に魅 せ られ る トポスであろ う。その南極にスポ ッ トをあてて第
2回 の企画展 を開催す ることにな つた。
この企ては、本年 3月 まで、本学 の学長 の労を執 られた吉田
榮夫先生の 「
半世紀 にわたる南極観測 の思 い出」を、玄人脱帽
の写真 と南極大陸の資料を中心に構成 したもので ある。
とくに、国立極地研究所 の格別 のご協力を得て 「
南極 の石」
ほかが展 覧 された ことを、 ご参観 の皆 さん と共に喜びたい。
ご支援 を頂 い た国立極地研 究所 。(財)日 本極地研究振興会
のご厚志 に感謝 の意 を表 させて頂 きたい と思 う。
南極 の ロマ ンテス ト、吉田榮夫先 生に乾杯。
平成 16(2004)年
館長
表紙の写真 (アデ リーペ ンギン)は 吉口榮夫氏撮影
坂
4月 12日
詣
秀
一
「南極 、 自然 と人 」
1
南極事始 め
打極 人1 1 が発 鬼され た の ま 1 8 2 0 ′2 1 1 1 のことで 8 8 2 , 8 3 年 の 第 1 1 ‖」際い
1
(
の ら 8 9 5 1 1 第 6 1 1 1 際 地理 学 会`
oH IPY)の
¬ n l o n H 。 熙l I P o a r ヽ
l 探検 は今 │ : “
こ ' に■ F す べ き大きな1 , t 題
議 ( ロン ドン) で の 「お ●
│ と い う意
の 決議 を受 け て行われ た 1 9 1 t i ご末か ら2 0 1 : イ
の各 Jの探lrで
J 初ゴ0 こか
' 1 1 1 ノル ウェーの
人│ │ ヽの t l l l かり越 冬に よる 調 が
され た 9 1 年 1'2て
`
ヽ
l
l
れ
'
1
'
台
アムンゼ ン隊が初 ツ) て市極l i を
イギ リスの スコ ッ
次 いで 1 9 1 2 0 ●
'
1
1
7
ト1 子
が1 前
極 1 1 に, 1 , 上した 我 が r l l l ` x t , 1 9 2 1 4 1 , 1 2 8 ロス棚冽( にの 前イ
ホ8 0 ′
彙
111 1来 た
5 分 にせ し あた り 1 , を 人泊「│ “│ ( や ヽとゆ きは ら) と 命 名 した ′) である
, なく 1 9 1 6 1 1 7 年υ) アメ リカ バー ド■ い る′ヽイジャ ンフ ¬喪を″
合め 多 くの 各 日の
第 2 次 人 喪後出 て
)
ノル
ー
ス
ス
ー
214υ
ウェ
ウェ テ ン “
3日
, l l l が, H 始さ, した。 1 で t , 1 9 1 9 ■
イギ リ
検ほ は 地球
111調
探´i を行 つたの
バ ラン スの 山係n “
の1 1 1 ■
り│ を大きな 標 と して 広 l L ′
t 「1 '学的,
化 と極地 の 水床 の 1 1 1 ヽ
alional et,.,lyヽ
ぃ │ ヽてar, IGV)の llliJが
力,IIIさ
た 195715811の 朝際lL球 視,"│:(lnl・「■
││カ
'し
の
の
り
して
が
1
る
月 参加 を│ : て行われ そ 中心1 な 日際 l l F l 測
観と
我
Jを 命
Jに
ll 純
l Ⅲ が 円│
'
,
1
2
カ
`」
″
台きオt7 .
南 極 観 測 へ の挑 戦
の 未知の ところを除いて 地球 : 〔ム
,た lL
極地●深7 " 力
ヽな どI I , 卜
t t , 知られていない ところであ ´
ステムの
めに
の
球シ
企体像 を知るた
は 極地 i 者
¬を l i り
■「ると要があ り 1 9 1 t イしか , , のl P Y 実 施や
I C Y で υ) ' 極 協同l F t 測
が 渕られてきたの こある
■点 ( ヒ
´
の現地l l lには
市極i 見
究に とと共らない魅 力がある それl t │ イにとつ
測 ●l l k で
● 逝■の利十●「
ては 「い 人「
●υJ 「倒1 つ
な 自然の 力を, 1 にした 人出の 在の 1 1 小さを思 うことであ り 他 方そ うした
の
の
で 自然 イ「
環境
詢1 を解きり, そうと″
メカす る人の意思
■ るの意味を みえる ことであった l l ` 寒
“
(
プ
リザー ド) 他 と遠 く略絶 さオt た1 1 , t ての1 ■
, 社く激 しい・: 嵐
で ' 1 1 ■での観測やJ r 外での l l
Ⅲ∫ て
Aを
観測
こと 機械 " H 理 迪「 「″ な ど観洲1 を支える. 役
■Ⅲl 当ことが 絆■ をともに し
" l ■的 のi t 成に
なが `ら│ うり
t 迦の
す る. 腋 しいI み であるが これ すまた ●極観測のi t l l l u て
ぁる
t,で
'
`
力
の
)
面
の
′
)
十
には り″ で l l 戦もある i 卜 , ` 社
究n i で
I J 際協 ¬と して i l 1 4 , ‖
1 " の 日際│ , な0 「
誨l み t
ヽ人か らなる
J 際十1 1 連合会議 ( C S t l l l 口際r 十 会, 誰
) の 「に和l 縦された加‖1 4 J の イ
II別
" r測
究の成
' ●1` 観
, 「/ . ■
委員会 ( S ( : A R■南Il・
1 学委員会) が らこである 他 方 G ヽ における l l l l i ノ 協1
" J 祭 政治的 法的
功を 礎 と して 南極観淑1 に参加 した1 2 カ J の 出1 ( 1 9 5 9 1 : 1 2 ' 1t布
された南l l i 条
i古
約が
'
ヽ
の
の
l
l
●[
,
L
めら
I I ] 題で , , ■ 条に
確 : 供 凛結か
‖静l みである そ レ こ 価 [ ■
れ ている こυ
'1/1
"
す
迪月, 1 山
成である ●l 1 6 0 , 1 以わを 武装l L 成とす ること 1 1 ヤ 胡 の 向 の l l , 1 動を 4 す ること
` ヽ と, │ わオt てお り f l` ヽr イ の 立l ・
の I,:な
の J 際的な I 法 のモデルになった
どが l l t されている '後「
“
・
か“
ら, ; えば 科学を
に した 1 際的な取 り“
決″) が行われ る ようになった ■, な 出 , ( 1 ' である 条約
1側係にル
礎
1・
│ る冷i' 喪
, った 1 て
, 1 諸 J と 経, 斉
1 つこ対 立した市1 ヒ
Iい こ ち
れ, “
1 1 + いわ ′
: 者月力` ここではお ′
調す る R 要 な フ ォー ラムを形成 していた とい う1 1 史│ │ なせ, t t , あり これ│ す」際政治十1 1 地政I n“
う
な1 兆
1 ,と
マも : え 1 う _
2
3
日本 の 南 極 観 測 の 歩 み
1)“ 宗谷"の 時代
の 参加が 詢議決定に 1 ' 1 : 式 ん せさオt J 家 1 ' ■としての
1955年
1 1 , 綺1 , ‖
口探協1 l l F tヽ
洲
・`に
れ
●
L ‐ 'ヽ
測 1 ' ■7 1 N I始‖さオt た 1 9 5 0 0 ■1 サ
, 8 ' ( I 寺r 価位洲 と呼ばオした, 1 次 l t 測はが改■ さオt ′
'
│
“
ヽ
し
た
乗‖
東京港をl n t し
フ リン ス′ヽラル ロ, , │ のリュツ ´ ホ ルム, 1 1 ●
F子
1 1 , オ ン′ルI サ
にI “
n ' : 地を■, 女
, l 次 l l l " Iは
`
11,全
, F い 水で ビセ ッ
市1 , の■, 切
‖に′
十「のイ
見洲│ を
ととヽ
, に1 : 名υ
を入 した
ド │十
'世
'“
`iう
`I求
'イ
卜され ソ連 の砕水船オ ビ号の救援 を受 けた。
本観測 と呼ばれた第 2次 観測隊は1957年10月東京港を出航 して南極に赴 いたが、昭和基地の北北東
お よそ160キロの地点で ビセ ッ トされ、40日間にわたつて水 とともに漂流する事態に適遇 した。アメ リ
カの砕氷船パ ー トンアイ ラン ド号の牧援 を受けた ものの、第 2次 越冬隊を送 り込めず 15頭 の樺太大
宗谷'は 帰国せ ぎるを得なか つた。
を残 したまま、“
厳 しい昭和基地沖の水状 を克服するため、第 3次 観測か らは他国に類を見なかつたベ リコプターに
よるす べ ての物資の輸送 とい う作戦を導入 し 以後継続的 に越冬観測 を行えるようになつた。筆者 に
ラバー ス (踏査旅
とつては 第 4次 越冬での 自瀬氷河 の調査 この年発見 された内陸のや まと山lFkト
ー
行)な どが思 い出深いが 福島 紳隊員 とともに激 しいプ リザ ド中仕事で外出 し、彼 を見失 つて独
り生き残 ったのが痛切な記憶 として、今 も鮮や力│こ脳裏に残 つている。
南極国際協同観測は IGVを 超 えて続 けられ る ことにな り、我が国 も延長 してきたが、臨時的態勢、
基地は
“宗谷 "に よる支援 の限界な どのため観測を―■中断す るのやむなきに至 り、1962年2月 lll和
閉鎖 された。
2)“ ふ じ"の 時 代
将来の半18久的な観測 研究体制 の芽 が、国立科学博物館極地学課 (後に極地研究セ ンター さら
宗谷"の には 2倍 の大きさの砕氷船
に独立 して国立極地研究所 となる)と して作 られ るとともに、 “
・
ふ じ"が 建造 され、1966年1月 昭和基地は第 7次 観測隊によつて再開 された。第 9次 越冬隊は昭和
基地か ら南極点までの往復5,200キロの トラバースに成功、以後野外観淑│は広域概査か ら目的を明確に
したプ ロジェク ト調査の rf代を迎えた。第 8次 赳冬で第 9次 隊のためのルー ト開設に参カロした筆者が
始めた道標 のための旗年 を利用 した積雪量測定は、今 も各隊によつて引き継 がれてい る。
3)・ し らせ "の 時 代
老朽化 した “ふ じ"に 代 わって その 2倍 の大 きさの砕水船 “しらせ"が 1983年 11月就航 した。
砕氷能力、輸送量 行動範囲が格段 に大き くな り、新たな挑戦が可能 となつた。内陸の大山地セール
ロンダーネ山麓近 くに “あすか観測拠点"を 設けての地学調査、昭和基地の南方1,000キロの海抜3810
mの地点 、年平均気温 -54℃ の極寒の地に “ドームふ じ観測拠 点"を 設けての水床深層堀肖1等々である。
4
日本 南 極 地 域 観 測 隊 以 外 の 観 測
の夏 シーズンか ら、 ロス海 ロス島のアメ リカ隊マ クマー
i)ア メリカの全米科学財団極地局は1963/64年
ド基地に 日本人チームを受け入れ、同チームによる南極最大 の露岩地 ドライパ レー地域 の地球化
学的調査を支援 してきた。 これは1970/71年シーズン以降ニュー ジーラン ド南極局に引き継 がれ
1986/87年まで続 け られた。 日本側経費の多 くを (財)日 本極地研究振興会が助成 した。 こうした
活rllが
契機 となつて 1976777年以降、国立極地研究所が中,いとな り、日米共同隕石探査、日米ニュー
ジー ラン ド共同のエ レパス火山観測な どが行われた。
●)交 換科学者制度 による観測な ど南極条約に基づ く交換科学者 として我が国は毎年原貝1的に 1名 の
研究者 を外国隊に派遣 し また、諸外国か ら研究者 を受け入れてきた。例 えば筆者は1977年11/12
月イギ リス隊プランスフィール ド号に乗船 し 南極半島地域 を訪れて貴重な経験 を得た。 これ と
は別 に外国留学や在外研究の間、それぞれ の国の観測隊に参力0して越冬 した人達 もいた。
5
結 び に代 え て
l G Y での南極観測 か ら間 もな く5 0 年となる。地球の歴史の上で また 現在 の地球システムに果たす
ヒを知 るための、
南極 の役ヨ1 の解明が続 く一方 地球のl f 来の鍵を握 る過去か ら未来にわたる環境変イ
った
研究がなければ重大な
目され
るよ
うにな
。継続的な観測
重要な地域 としての南極が最近特に注
自然の変化 を的確に捉 えることは難 しい。 このことを改めて想起 し、南極観測 を見守 りたい。
南
極
大
陸
方キ ロ わ力¬日の3 6
ヽ
として広がつている南極人降は 山i 秋お よそ 1 0 0 0 ' 1 ′
0市 イ
1 9 0 度の市極 l i を し́
「 がいつけ1 から
の9 5 % 以 1 は 1 1 : 大 な人降水 ( 水沐) に おおわれている。 打I I t 大
に達す る。 人I ∼
1″
∼
[
に
か
し
2
億
年以
i
t
υ i 炭‖の 作イ
'
「
つていない_
し
か
った力
ヽ
ま
まだよくわ
水におおわれ るよ うにな
' イ が成 り
つ
ス
か
ては「本
ル
ら
ス
ロ
さ
れ
ることか
ウ
見
ト
サ
もt
の爬■類である
リ
,年 計
ゃ 1 億 及 千′
動物がすむ環境 にあ つた ことがわか る.
l L の1 1 均標
外のF ∼
の 1 1 均標
れに いたl l 水の部分をなくと 約2 3 0 0 m といわれ る. 打
人I ∼
い
て
ん
これは
水におおわれ
'
以
もちろ
'
手
であるかがわかる.
ので
がい力
J
こ
「
1
い人降
ある" は
市極
高は
' ′ 非■に冬 い人
」
い
ことが
こ
'
3
0
m
で
る
7
1
・
おおわれて
い
水
の
うことと
地であると
こ F i い│ ∼
い るためである
べて ' 詢
lTい
方が 1 : 均( 2 0 度 も気
l・
をつ くり H してい るといえよう. こ とに 北価地 に比 “
'Hが
`
地
'
ア
い
づ
ことが大き
.
L
l
1
/
の
く
いつたl
│
"
i
に
の
の ま J ヒ極 い心部が海であると
の 含まれ るほぼ■1 1 水に
1し
',と
I“
に大き く 1 つに分 けることができる
人旺 t , 地質十1 り
この
5億 年
1
0
億
にい1 化し その lt・
キ
の3
9
億
か
ア1
ら
'
ル
年前
レカンプ
年
フ
リ
代
て お もに
が 束市1 ' 大│ ∼
あるH ` 分
'極
ル海
エ
ロス
とウ
ッデ
い
ツ
は
れ
プ
る
:
から
H
来て
の
こつた
│
や花
‖
オ
llど
前に広 くオi ぼり■象 起
」までの 変成オ1 7 し出
l l:∵
で ここには I i 4 1ヽ
イか ら第 1 “
大, 午
に含 まれ る│ 1'打
を結 んだ ほぼ
い
この ■うに T l l l k t'は
tII ∼
い
して
る
│
に属
│
力
造
‖
'
1
1
1
人
あつて
比崚│
i
し
l l ■が分4 i し 新 しい人 も
“
の
つている
である
の
)
'
以
1
つ
か
らな
瀾
南‖ , 1 市 l l k ′ t l l な
1〔
“
' 分L 最 後の人│ ∼として充l L された 1 9 世 イ
J の終わ りか ら2 0 t イこ初頭
南極 人│ = は今か ら約 1 8 0 0 ■ 地球
を, ヽ
り広 く木力のl L l 文
の
にわた
後なお■年
たが
そ
ヽ
,
なされ
の
にかけて多 く 探索が行われ' 極点到迪
の白
つて
そ
た市極社脚
1
によ
(
1
9
5
7
∼
5
8
1
つ
として行われ
を契機
i
l
年
していた しか し 口際地球観
証はこの4 0 年円1 に大きく変化 した
の メスが加えらオι ■たちの , な
然に約1 識的に
1
'
(
ヒ
ールの
にl F う江m i 変動な ど地l F 規模の環境変化に関係 して、
温
l
1
/
成
や
l
L
ホ
1学
近で t 'オノンホ
約加1 盟 口t , 現在1 3 カl J と な
つた
当り
, 2 カヽ] 1 であつた
'
こ
うにな
。
の
が
i
t
るよ
│さ
極地 , t たす役1 訓
の
い
である
'
1
4
`
条
ら
る
'
卜
のない観測が続け
れて
―
の
体み
つ
17σ
■1 探 協力 もと
改変は1 1 )
(『
0 眈 振興会 1 9 9 7 年 7 ' 1 よ り 出∫
市極大昨』 ( 1 わ 本
":1巴
′ 0 ●・
“.珈¨動.い
写 真 で 見 る 「南 極 、 自然 と人 」
)が 、
(lt(前 立11大学学長 引
地研究所イ)誉教1■
0こ こに掲載 した写真は 占 1榮 り
'`極
り
あ
企画展に
iが
i:で
したソ
│イ
に参加 したお り払t影した写真や採集
本 市極地域l lll隊
なお 解,"[は
占 1`による
ある
た
‖
力t“tし
`で
jlit‖
i↑
I艤
│11ゼ
│]」
│:」
‖
に 1 , 迎I L した
〔│ , , たか ヒセ ツト1 ' t 態
'ti場
ヨ
いィ
l也
々' 卜を′夕ろ │ ――ロラ ' 召 n ' │ 1 也│ ヽ
IⅢ
・
■ ド│ = 位│ . : L l l i れて t ヽ イ ′ l υ)
' I1 I- ′r , が
'1
る
に
'1,れ
地 ギ 十 1転
堤
窯
│夕rlキ1‖
ポ1]株.‖
1獅
1 足, 1 )
I ) ヽ口 [ ル, る ・や ヽL W i ‐
‖1■ lLII綺
ヽ・k L1 111t
′)L´,′,口lltt7)
' 1 淑´) 11'II古
“
:‖
│ツ
1lT
Ψ
り
illllキ
燿
警
:撲
:‖
‖
‖
t
オ
兄
[た
綸
∴
it硫
:瞥
な
ふ
│lilt!‖
た
鼎
‖
│
=ん
で
ヤ
│き
命
ttに
,│は
',′
'tア
F‖
t!ヒ
l 螂│
∵
1り
L t t ス: 世
│ル
貧:ォ
‖ ‖を ‖場1 , 芽
た
11:t:11‖
1‖
編
11て い る
lt占
,
隕石
鉄 隕 石 ( 隕鉄 )
普 通 コ ン ドライ ト
′│ │ '│ :J I
11 11: .1 1 :: :・
II■ 1‐ ‐
11
■● II
, .1 .■
、` t l . : │ │ │ │
■ │ │ 卜│ . 1 , │ │ │ ●
1■
1 1¬ │::│
■ │=│11 :=1 1
11 111
:11111 1 '│ 1 1111■
鉱物
サ ク ロ石黒 雲 母 片麻 岩
│││││●
11111[
粗粒玄武岩
│ │'1 1 1
││ │
││││
ビー コ ン層 群 の 頁岩 に含 まれ る植 物 の 菜 の
. 11′
化石 │
火 山 弾 ・‐ ・・ │ │ ■ Ⅲ
■ 1‐
11111 '
│■
ビー コ ン層 群 中 に含 まれ る珪 化 木
■ .│││ .1. ,│ ││:││ │││││
│:'│
││
││11.1[1‐
.: │ ││││'│││││
││
││::│.:`│
・
│■
.‐ .1 1
1:││●
│
‐●
1 11:│
地図
◆南極の地図
地図、ことに基本的な地形図は、す べての観測の基礎 となるもので、地図作 りは国際的に重要な仕
事 とされ てい る。 日本は国土地理院 〈
南極観測が始ま つた時は地理調査所であ つた)が 担 当 して、正
式な地図 としては (仮製版 の図 もい くつかあるが)ま ず昭和基地 のある東オ ングル 島の 5千 分 の 1地
形図を作 り、次いで 2葉 の25万分 の 1地 形図 〈
他 の国で も25万分 の 1地 形図が主たるものであった)
を作製 し、次い て 2万 5千 分 の 1地 形図の作製整備 を図 つて きた。 このような南極 としては縮尺 の大
きい地形図は、他国では多 くはない。 面積 の広いセール ロンダーネ山地では、 5万 分 の 1地 形図が作
られた。
このよ うな基本的な地形図を基図 として、地質図や地形学図な どの主題図が作 られてきた。 このは
か 、重力分布図、海底地形図、雪氷学 フォ リオな ど種 々の主題図が作 られている。
「
南極大陸J l千 万分 の 1南 極全図第 16版 (2003年(財)日本極地研究振興会編刊行)
a聯
1、 r東オ ングル島」 5千 分 の 1地 形図
(地理調査所 (当時、現国土地理院)1957年6月
刊行)
3、 リュツオ ・ホルム湾25万分 の 1衛 星写
真図
←
―
― ―
― 一
グホ ブ詢
2万 5千 分 の 1地 形
( 平川一 巨ほか に よる。 国立極地研究所 1984
年T l 行〉
4 、 「リュツ オ ・ホルム湾」2 5 万分の 1 地
形図
―― ―― ―― ― ●
(1957年1∼ 2月 )の 結果 による、すべ ての観測 の基本
1、 第 1次 南極観測隊 (JARI-1)夏 隊の観測
的資料 としての最初の地形図。
2、 本図は南極 で最初 の地形学図である。
星写真を用 いて、国土地理院
3、 ラン ドサ ッ ト1号 によ り1973年12月お よび1974年1月 撮影 された衛
岸線近 くの書氷地帯の様子が よく
によ り1984年作製刊行 された。疑似 カラーであるが、氷河や海
分かる。
る地域は、東経3゛か ら4ずの間
4、 国際地球観測年 (ICY)の 国際協力で、我が国が地図作製 を分担す
30′までの 「リェツオ ホル ム湾Jお よび
か ら40°
とされた とい う。 1963年国土地理院 は東経 37°
1962
プ リンス オラフ海岸Jの 2葉 の25万分の 1地 形図を、1957、1959、
4゛30′
か ら4げまでの 「
1961 1962年に実施 した天文測量 と二角
年 に撮影 した垂直お よび斜 め航空写真 と、1957、1960、
1961年2月 7日 それ まで全 く知 られていなかつ
測量の成果 を用いて作製、刊行 した。吉口榮夫は
ヘ コプターで飛んで 海岸線 をスケ ッチす
たプ リンス オラフ海岸 の上を110km余りにわた つて リ
57′
付近の露
29′
南緯67°
22′
付近 の露岩地、20日東経44°
南緯68°
るとともに、同月 10日東経42°13′
の地名命名原 案作製で、国土地理院
岩地 で天文測量に よる基準点を設置 した。 また、露岩や氷河
に協力 した ことが思 い起 こされる。
の
された多 くの 2万 5千 分 の 1
展示 した 「リュツオ ホル ム湾J26万 分 の 1地 形図は、そ 後作製
地形図を編集 して 1989年 刊行 された修正版 である。
南極 か らの便 リ
◆南極の郵便事情
昭和二地内郵便局日付印
③¨
昭和基地内には郵便局があ り、郵政事業庁長官か ら昭和基地内郵便局長 を任命 された隊員が、観測 の
合間に郵便 の仕事を行います。 また、市極観測船 ( しらせ) に も船内郵便局が設置 されてお り、昭和
基地郵使局 と共に 東京郵政局が郵政公報な どで、風景入通信付印、普通通信付印の押印サー ビス案
内を行 つています。
風景入通信付印
基地内局は郵政省か ら認可 された郵便局て 集
配 のほか、切手や官製はがきも販売 してお り 昭
和基地内 としらせ船 内の隊員は、 日本あての郵使
を出す ことができます。 その郵使 は、南極か らの
帰路 「しらせ Jに 託 され、船が帰着す る4月 下旬
頃に配達 され ます。 尚、同局留めて郵使物 を送れ
ば、次の隊が基地 に着 く12月には各隊員に届 くよ
うになつています。
●昭和基地郵使局 〈
郵便番号1000071)の 消印
(昭和54年 1月 1日 ll 第20次隊)(吉 口氏所蔵〕
しらせ船内割 更局 日付印
風景入通信付印
ηモ V ●Y A r O m = ヽ
普通通●付印
熙 =
●第2 然 観測の際 の砕 水船 ・しらせ ・ の出航か ら寄港
地を経て帰港までの各地 〈
東京港晴海ヽ頭 オー ス ト
ラリア フ リマン トル 昭和基地 モー ツシャス ポー
トル イ ス シンガポール) の 切手 と消F p を収集 した も
の 〔
吉口氏所蔵〕
0電 報 の 時 代 か ら衛 星 通 信 の時 代 ヘ
日本の第 1次 観測隊が昭和基地で越冬を開始 して以来21次隊まで、隊員が家族 と連絡 をとるには電
報が唯 ―の方 法で した。 ところが、電報文にはカタカナ と数字 しか使 えないため、思 っていることを
十分に相手に伝 えよ うとす る と大変長 くなって しまいます。 これ ではなかなか手紙 のかわ りにはな り
ません。電報を送るたびに、少ない文字数で、できるだけ多 くの月件を伝 えよ うと頭 をひねったこと
か ら 数 々の名文、奇文7.S生
まれ ま した。 この電報の時代を大きく変えたのが1981年に22次隊で もち
こまれ た衛星通信用の設備です。 これ は太平洋 大西洋 イン ド洋の赤道上空にある 3個 の静止衛星
を利用 し 地球上のほ とん どの地域か ら 24時 間いつて もとこへ でも電話やファクシ ミンができるよ
うに したシステ ムです。いまや南極か ら世界中へ気軽に電話が力■ナられ る時ヽをむかえたのです。
しか し 便利にな つてひんばんに電話をかけるよ うになると、当然その分だけrl金もかか り、隊員
にとつては新たな悩みの種が生まれた といえます。 らなみ に通話料金は国際電話の扱い とな り、1990
年 4月 現在 もつ とも安 い]キ
間帯で 1分 600円と このシステムが導入 された当初に比べ 3分 の 1に
まで安 くはな りま した。それ で も少 し長話 しをす るとす ぐに 1万 を超 えて しまいます。越冬中の電話
代だけで100万円 も支払 う隊員がでたほ どです。
(国立極地研究所編 『南極科学館 ―南極 を見る 知る 驚 く』古今書院 1990年 12月より転載)
歴代 の 日本南極地域観 測隊 の 隊長 と副 隊長
1次
(561
6300)
710‐ 5304)
2次
o次
4カ
5友
6次
i田
■
学 =貪 R
面 促
晏 =食 R
西 燎
永田 i
村山 雅美
な 1
永口 武
村 山 雅実
村山 雅姜
鳥居 鍍 th
6103)
立 見 辰撻
亀居 螢 ●
601
6203)
村山
雅美
守 日 膚太郎
村 山 雅姜
(611
6204)
吉 :│
芹摯
原 口 事憤
なし
6704)
村 山 雅事
武藤 晃
予 薩
鳥居 鉄●
楠
自民 姜■
`591
7茨
(65,
3次
(661
9カ
`671
10友
麟 各 は■
副 曖=
は■
曖 茨
宏
早
村山 雅美
■ 野 喜二薔
村 山
(631
7003
楠
村誠
望
補
自男
松口 達郎
-6903)
宏
雅 事
宏
1次
(091
7,04
松日 薇郎
‖ 口
2次
(701
7204)
Jヽ口 言
村晟 望
o次
(71
r,り 、
7303)
着野
川 ロ
貞勇
,`0ユ )
楠
平 運
蔵 里
平澤 咸男
(701
7504)
村 山 雅美
村誠
望
村麟 望
76Ю3)
星合 = 景
★吉 日 螢 夫
星合 孝男
7次
7703)
言野 糾夫
平澤 虚 男
,野
8次
7800)
綺
国分 征
縮
大 歯
T■
平澤 威 雪
山崎
猶 美
山崎 道 夫
‖ロ
貞男
`ヵ
5茨
6次
1741
0,ヤ
20茨
731
21 次
26次
2,次
,R茨
宏
,o no)
平澤
☆吉 口 榮 夫
3103)
末峙
咸 男
甲子 郎
★言 日 螢 美
31
,4カ
25次
宏
8003)
22次
20次
書二衝
`,,■
(301
`8ol
福西 浩
‖口
百早
ユ=
宏
貞男
‖ロ
`吉
口 なキ
前 晋爾
星合
前 晋爾
大 山
前 晋詈
平澤 咸 男
内藤 靖 青
T・
澤 咸勇
福西 浩
福西 浩
内藤 靖 彦
内 藤
工 査
■山 ■郭
大山
■ 邦
興 亜
3303)
星合
0000ヽ
3503)
341
(351
1 ヽ口 =
‖ロ
孝易
百旱
■吉 日 曼 夫
,郭
=易
8803)
旱合
29茨
(871
8903)
違 邊 奥亜
チ苺 I 雄
渡J
30攻
(83
9003)
汀 日
IT内
百瞑
江尻 全確
佐野 雅壼
内藤 靖 彦
藤 丼 理行
藤■
理 行
=鮮
雅申
福肺
■9
嗜ニ
佐藤
軍雄
=男
0構
31次
(891
-0(00)
内藤
32次
(90
‐9203)
国介 征
“
R3カ
`91
9303)
福 ,■
9403)
佐 藤 互撻
虚歯
9503)
渡邊 興王
構 山 宏 太郎
9703)
藤 ♯ 理行
神日 啓史
菫 +理
84茨
`92
35次
(93
06次
(94
37次
(95
L日
産
男
●
召 ロ
蔵奎
構 山 宏太 郎
召 田 成美
行
3R茨
`96
9803)
山内 恭
山岸 久雄
山肉 慕
■o 47
rO,
oo noう
贅 谷 和雄
=睦
渋谷 和雄
和行
●田 宏
■ ―
営団 宏
40攻
(93
0000)
白石
41次
(99
0(00)
鮎 11
腸
掟j研
42次
(00
0203)
去 言
世 ―
加 藤 好=
太 吉
40カ
(01
0303)
西日 文芝
神 山 孝吉
神 山 =吉
44次
(02
0403)
鮎川 勝
小島 ヽ ぼ
小G秀
45次
(03
ね R
山 岸 久雄
山岸 久壼
啓 申
X l i 「榮 夫氏 は k の 隊長 m 隊 長 ( ★日1 ) 以外 に
参力│して,ヽる
太郎
波 邊 研太 郎
=―
疲
観 測隊員 と して第 2 4 8 次
に
記念請議会
期 日 ,5月8日 (土)
会場 ,立正大学熊谷校舎 l号館 H02教 室
時間 :13:00∼15:00
演題
「
南極 に魅せ られ て半世 紀」
吉田 榮夫 (前立正大学学長 ・国立極地研究所名誉教授)
立正大学博物館 第 2回 企画展
「
南極 、 自然 と人 一南極観測の記録から一」
会期 平成 16年4月 12(月)∼ 5月 11日 (火)
平成 16(2004)年4月 12日 発行
立正大学博物館
編集 発行
〒36011194
埼玉県熊谷市万吉 1700
TEL:048-536-6150 FAX:048-536-6170
E‐mall:museumOns acjp
( 東プリ)
Fly UP