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海外動向
〔北東アジアのマーケット動向〕
中国の“繊維力”
― 内側から見た繊維事情 ―
第 4 回 繊維雑感(その 1)繊維と観光
東レ株式会社 専任理事
御法川 紘一(みのりかわ こういち)
1971 年東レ(株)入社、1986 年 P.T.Easterntex(取締役工場長)
、1993 年陜西華昌紡織印
染有限公司(総経理)出向、1998 年理事、繊維加工技術部長、2000 年取締役、TSD 董事長
兼総経理、TSW 董事長総経理。2004 年から専任理事。経営企画室・生産本部(高次加工・
海外特命事項)担当。
要 点
1 繊維の消費量に象徴されるように生活水準は向上し、都市部では海外旅行が「三種の神器」の一角になった。
一方、大型連休を利用した手短かな国内旅行も急拡大している。
2 スパンデックスは中国が世界の半分近いシェアを占め、水着の普及も急速に進んでいる。
3 しかし、未だ「旅行衣」という衣料分野は未開拓で今後の伸びが期待される。
1. はじめに
図表1 政治、経済環境と「三種の神器」の変遷
中国はつい最近、外貨準備高で日本を抜いて
世界一となった。
70 年 代
計画経済、出島貿易
鉄鋼、繊維、アパレル、ビール、セメントなど
ダントツに世界一のものがたくさんあり、国力は強
『三種の神器:自転車、ミシン、腕時計』
80 年 代
『カラーTV、冷蔵庫、洗濯機』
90 年 代
錯する。このシリーズでは繊維を一つの切り口とし
巻くいろいろな事情を体験を中心に報告する。
全面対外開放、高度成長
外資導入本格化、外資国内販売参入
『携帯電話、エアコン、ステレオ』
て中国のいろいろな姿を内側から検証して見る。
第 1 回は繊維と観光について、それらを取り
対外開放開始、市場経済導入
経済重視、地方分権
大なものになりつつある。しかし、一般の人々の生
活について見れば、貧しさと豊かさの両極端論が交
政治の時代、中央集権
2000 年 代
WTO加盟
世界の工場から世界の市場へ
『マイホーム、マイカー、海外旅行』
出所:各種資料より筆者作成
2. 中国の成長過程と観光
(1)時代の変遷
文革が終了した 70 年代の「三種の神器」は自
成長率が 10 %以上の高度成長期に入った。GDP
転車とミシンと腕時計であった。80 年代に入り
は 10 年間で倍増以上、カラー TV、冷蔵庫、洗濯
対外開放政策と市場経済導入により GDP は 2 ケ
機は都市部ではほぼ行き渡り、携帯電話、エアコ
タ成長に近づき、「三種の神器」は 1 台 3,000 元
ン、ステレオ(カラオケセット)が「新三種の神
前後のカラー TV、冷蔵庫、洗濯機になった。90
器」にあげられた。これらも既に 50 %以上普及、
年代は E 小平主導で全面的な対外開放が進み、
WTO 加入によって世界の仲間入りを果たすと、
繊維トレンド 2006.5・6 月号
29
海外動向
GDP 規模はアメリカに次ぎ、関心の的は家、車、
図表2 連休期間中の観光客数と観光収入
海外旅行となってきた。
観 光客 数
(万人)
(2)海外旅行
家、車にはすぐに手が届かないが、海外旅行
は 1 万元前後で欧米、日本に行けるので関心が特
に高い。料金の一例をあげる。(元切り上げ前、
1999 年 国 慶 節
2,800
141
2000 年 春 節
2,000
163
労働節
4,000
181
国慶節
5,980
230
4,496
198
労働節
7,376
288
国慶節
6,397
250
5,158
228
労働節
8,710
331
国慶節
8,071
306
5,947
258
2001 年 春 節
12.5 円/ 1 元)
2002 年 春 節
日 本 「東京、大阪本州エコノミーツアー」
6,999元( 87,500円)
マ レ ー シ ア 「10日間古典ツアー」 2,000元( 25,000円)
オーストラリア 「9日間」
2003 年 春 節
11,300元(141,200円)
韓 国 「5日間」
3,680元( 46,000円)
で 2,022 万人と 2.2 倍に、年率では 22 %と急増し
ている(中国統計年鑑)
。
−
労働節
−
国慶節
8,999
346
6,329
289
労働節
10,400
390
国慶節
10,100
397
6,902
313
2004 年 春 節
99 年の海外旅行者数 923 万人が 4 年後の 03 年
観光収入
(億元)
2005 年 春 節
03 年労働節は新型肺炎 SARS の影響により統計対象外
出所:国際商報 ’
06.2.22
この原因の大きな部分は経済交流の活発化で
ある。今後はこれに加え、団体でかつ政府の認め
た国という制約下ではあるが、海外旅行の解禁が
府の大型連休導入による内需活性策は大成功して
加わる。団体旅行が解禁された国は、04 年末で
いる。
63 カ国、地域に及び、05 年はアメリカが加えら
一昨年は 6 億 8 千万人、すなわち 2 人のうち
れた。人気は欧州であり、ドイツは個人ビザも
1 人は国内旅行し、1,000 億元以上のお金を使っ
OK となった。
た。昨年の春節は観客数+ 9.1 %、観光収入は
日本に渡航できる地域は北京、上海、広州、
天津、遼寧、山東、江蘇、浙江の各市・省まで拡
大された。
一人当たりの GDP が 5,000 ドルを超えると旅
+ 8.1 %、一人当たりの消費額は 453 元になった。
お陰様でこの連休の間は手軽に行ける観光地
はどこに行っても人、人、人。しかし、旅行者の
服装はこざっぱりしている。特別の旅行着という
行ブームになると言われているが、05 年で上海、
ものはないが、日本のどこかの観光地にいるみた
広州が 5,000 ドル以上、北京、天津はもう少しで
いである。筆者もなるべく混雑しにくい観光地を
到達する。これから本当の旅行ブームを迎える。
常日頃研究し、早くから綿密な計画を作ってこの
日本でも中国から団体客を多く見かけるようにな
大連休の遠出に挑戦してきた。
ったが、お揃いの帽子とカバンはセンスが良くな
って目立たなくなってきた。
中国は広大なユーラシア大陸の生み出した自
然遺産(景観)と 5000 年の歴史が育んだ歴史遺
産が数え切れない程ある。中国に関わって 15 年、
(3)国内観光
国内は既に旅行ブームに火がついている。政
30
繊維トレンド 2006.5・6 月号
その間に暇を見つけてはいろいろな所を訪れた。
その中で印象深かった三亜(旅行回数 4 回)、敦
中国の“繊維力”
煌/トルファン(同 2 回)、九寨溝/黄龍(同 2
に公園と大きな四つ星ホテルが出来ていた。3 度
回)、万里の長城(同 3 回)、桂林、石林(昆明)
目の年には大きなホテルに三方を囲まれて、ク
について紹介する。
ローズしていた。大東海から半島を越えたとこ
ろにある亜龍湾は国家プロジェクトのリゾート
開発によって「東洋の真珠」「東洋のハワイ」に
3.観光と繊維のかかわり
(1)三亜と水着
なった。「東洋のバリ」もよく似合う。シェラト
日本の 20 倍以上もある大きな国土の最南端は
ン、マリオット、ホリデーイン、グロリアなど
海南島の三亜である。北緯 18 度、インドのムン
世界のホテルや中国内外の有力ホテルが数十 km
バイと同じ緯度で、亜熱帯というよりは熱帯に入
の緑豊かな海辺に点在している。グロリアには
る。春節の 1 ∼ 2 月でも泳いでいる。上海から直
夜間照明付のゴルフ場が隣接しており日本から
行便で 3 時間、深C、珠海経由で 4 時間で着く。
の観光客も多い。
はるばる北方のハルピン、北京、大連からの便も
ホリデーインは海辺がプライベートビーチの
あり、北の人は暖かい春節を過ごすためにやって
ようになっている。バルコニーから見る南の海は
来る。歴史的には日本とのかかわりも深い。1200
心温まる。人っ子一人いない夜の砂浜を心地よい
年前に鑑真和上は 4 度の日本渡航に失敗し、5 度
砂の感触と波の音にすべてを忘れて散歩するのは
目を試みたがやはり台風によって日本ではなく三
心が和む。
亜にたどり着いた。ここで 1 年を過ごし、6 度目
今、この地は別荘ブームがバブルになってい
にしてやっと鹿児島に着くことが出来たという因
る。そこかしこの至るところに別荘が建っている。
縁の地である。
このお正月に 2 年振りに訪れてその増加振りには
驚かされた。海の見えるマンションは 100 万元
写真1 三亜の海
(1,500 万円)以上もすると運転手は自潮気味に言
っていた。ちなみに現地の人の住宅は 20 万元も
しない。
初めて来た頃は、水着を着ている人はいかに
もリッチに見えたし、店先にもワンピーススタイ
ルのさえないものがぶらさがっているだけであっ
た。今では日本のどこかの海水浴場かと錯覚する。
夏には南通でも 100 元ぐらいでたくさん出回って
出所:筆者
いた。90 年代の初めは週末に催されるホテルの
ファッションショーに人気があった。目玉はスラ
リとしたモデルによる水着ショーであった。ホテ
歴史と最南端というロマンにひかれて 2000 年
ルの住人としてはいつもかぶり付きに座らせても
に初めて三亜を訪れた。明るい陽光と青い海、
らえてじっくり観察できたが、モデルが身に付け
ゆったりと揺れるココナツ椰子の木。− 一昔前
ている水着は明らかに輸入品であった。スパンデ
のバリそのものであった。この時は三亜市内か
ックスの生産量を見るとこの状況がよく判る。90
ら 15 分ぐらいのところにある大東海(砂浜の海
年代にはほんの僅かしかスパンデックスは生産さ
岸)に建つ東方花園酒店に泊まった。コテージ
れていなかった。
が海辺の砂浜にあり、目の前が渚でコテージか
図表 3 で示すように、この 3 年間で能力、生
ら直接裸で海に行けた。次の年に行った時は隣
産量とも 2.5 倍になり世界の半分近くを占める。
繊維トレンド 2006.5・6 月号
31
海外動向
マッチ棒の様に頭の丸い独特の山の連なり、
06 年は在庫調整で伸びが落ちるが、 10 年まで年
率(年平均)10 ∼ 15 %成長すると予想されてい
麗江ののんびりとした流れ、水墨画の世界は多く
る。主力メーカーとしては煙台気論、華峰気論、
の人を引きつける。麗江は豊饒の川、川魚は独特
江蘇双良、デュポン(中国)、嘉興暁星などがあ
の黒いヌメリに輝き、実に多くの種類がある。路
る。デュポン(中国)、嘉興暁星は直紡方式であ
地の至るところの店先で海鮮流の川鮮がたくさん
る。
あった。ギギに似た小さなナマズ、大きなカジカ、
小ぶりのウナギ、臭いは全くなくておいしかった。
オフシーズンは麗江の水位は下がるが、観光客の
図表3 中国のスパンテックス生産能力
少ないのが何よりである。麗江下りの船は客の要
(万トン、%)
’03
望に応じて川岸の漁師の家に寄って魚を仕入れ
’04(予測) ’05(予測) ’06(予測)
8.0
15.0
20.0
20.7
る。それを船内で料理してもらい、窓側の席で昼
世界シェア
33.0
40.0
49.0
50.0
食といく。船はゆったりと川の流れにまかせて下
名目需要量
8.0
12.0
13.4
12.8
生産能力
りながらビール片手に水墨画の一員になる。
出所:化合繊情報週刊 ’
04 48 期
紡織情報週刊 ’
06
3期
01 年以降の 5 年間で都市の所得は 1.53 倍であ
ったが、農村は 1.37 倍と都市を下回る。その結
果、都市と農村の格差は 3.2 倍となり、拡大して
いる(図表 4 参照)
。
中国においてスパンデックスは靴下やファン
デーション以外にもカジュアルウエア、ユニフォ
このことから、「農村の反乱」を多くの人が心
ームにごく普通に使われている。高級 T シャツ
配している。しかし、農村の生活の向上も大きな
にもスパンデックスが入っている。
ものがある。
水着用の 2 ウエイトリコットの主力産地は浙江
90 年代の頃は桂林の船着き場には物乞いが溢
省海寧市である。2,000 台以上の経編機が稼動して
れていた。船にたどり着くのが大変であった。鄭
いる。その中に市営の経編工業団地があり、染色
州でも洛陽でも同じ経験をした。そこの人々の身
を含めた経編会社が 100 社以上集まっている。編
なりは農民の暮らしの様が想像させられた。今
機は国産機が多いが、輸出企業はマイヤーの新鋭
は・・・・・。第 11 次 5 カ年計画では安定社会
機を設置している。国産機で作られる製品はほと
実現のために農村の生活向上を主要課題にあげて
んど内需向けである。100 台以上の最新鋭機を有す
いる。03 年は農民税を廃止したが、06 年からは
る編染一貫メーカーも出現した。輸入糸を使って
義務教育費を一切無料にした。この頃はプロの物
2 ウエイトリコットを 2,000rpm で操業していた。
乞いを除いて深刻な身なりの物乞いの人は見かけ
なくなった。
(2)桂林の思い出
新彊は中国綿花の 40 %近くを生産する大綿作
地帯であり、その収穫(綿摘み)は他省からの出
中国の豊かさを思う時いつも桂林が頭に浮かぶ。
図表4 都市部と農村部の所得差
2001 年
2002 年
2003 年
2004 年
2005 年
都市部
6,860 元
7,730 元
8,472 元
9,422 元
10,493 元
1.53 倍
農村部
2,366 元
2,476 元
2,622 元
2,936 元
3,255 元
1.37 倍
2.9 倍
3.1 倍
3.2 倍
3.2 倍
都市/農村
3.2 倍
’05/ ’01
−
出所: 2006 年3月 1 日「経済日報」
32
繊維トレンド 2006.5・6 月号
中国の“繊維力”
稼ぎでまかなわれてきた。毎年、20 万人もの出
時間かかる。5 ∼ 10 月のシーズン中でも定期便
稼ぎ者が集まった。しかし、03 年は例年の半分
は西安、蘭州からの数便しか飛んでいないため観
も集まらなかった。この年は市長までが皆の先頭
光客は制限され、人で溢れることはない。古来の
に立って綿摘みをしなければならなかった。
シルクロードの趣を残す、心癒される西域の地は
ちなみに綿摘みの賃金は 1kg 0.2 元(3 円)の
歩合制である。慣れた人は 1 日 200kg を摘むが、
いつまでも僻地であってほしい。
敦煌の目抜き通りの夜の露店マーケットは異国
初めての人は 80kg 摘むのがやっとであり、腰痛
情趣豊かである。ウイグル族のおじさんの羊の串焼
というおまけをもらう。摘まれた綿はジンニング
きを、おじさんと 1 対 1 の対面で焼いてもらって食
工場で種が除かれ、50 %が綿花となる。種には
べる仕組みは何とも言い難い。回教徒であるから酒
高級植物油の綿実油が 20 %含まれる。絞りカス
は売っていないが、付近の店からビールを買って持
は飼料や肥料となる。
ち込むのは構わない。羊肉は脂肪に甘みとコクがあ
いよいよ新彊もコンバインの機械化を真剣に
取り上げるようになってきた。
り、臭いはほとんど気にならないのでとてもおいし
い。インドネシアのサテカンビン(山羊肉の焼とり)
とよく似ている。一人で 50 串ぐらいは食べられる。
(3)敦煌とトルファン − 天上の衣
新彊と甘粛省の境近くに敦煌の莫高窟がある。
もともと敦煌、雲崗、龍門は三大石窟と言われて
1 串、0.5 元程度であるが、アバラは最高に旨い部
位で計り売りの時価であった。
莫高窟は日本で大ブームになり日本人観光客
きたが、他にも庫車(クチャ)のキジル千仏洞、
が多い。三つ星、四つ星の現地で最高級クラスの
トルファンのベゼクリク千仏洞、蘭州炳霊寺の石
ホテルは日本人観光客、特に年輩の旅行者で一杯
窟などたくさんの石窟がある。敦煌はタクラマカ
であった。莫高窟はたくさんの仏像や壁画が有名
ン砂漠の入口に位置する緑豊かで広大なオアシス
であるが、その中でも飛天はとても興味深い。天
である。ここに流れ込む宕河のほとりの断崖に紀
女は天界の女性で「天の羽衣」によって人間界と
元 200 ∼ 300 年頃から 1000 年以上にわたって莫
の間を往来し、各地に天女にまつわるたくさんの
高窟は作られた。国の繁栄に合わせて築かれた大
伝説があるが、飛天は菩薩のように思う。
規模な石窟とともに、厳しいシルクロードの旅の
「仏様がここにおられますよ」と人々に知らし
安全を願って、あるいは旅の成功の感謝に祈りを
める宣伝係であり、たくさんの人々を呼び込むた
込めて 492 もの石窟が作られた。シルクロードは
め仏様の頭上で楽器を奏で、舞を踊り、見ている
1000 年以上もの間、西洋と東洋を結ぶ唯一、最
人をとても楽しい気分にしてくれる。自由奔放な
大の物流ルートであったが、1400 年代になって
姿にはいろいろな想像が掻きたてられる。
海路が開かれると難渋苦難を強いられるシルクロ
莫高窟 492 窟のうち 250 窟に 4,500 体の飛天が
ードは忘れ去られた。19 世紀後半に欧米の探検
舞うと言われている。飛天は飄帯という長いマフ
家によって再発見され世界に紹介されて有名にな
ラーをなびかせている。
った。しかし、再発見後の遺跡の破壊(経典や仏
風に舞うとても薄く軽い布地であり、1700 年
像のみならず、壁画を剥ぎ取って外部、特にヨー
以上もの昔、おそらく絹で作られた薄い布地から
ロッパに持ち出した。
)は悲惨なものである。
イメージされたに違いない。手機で絹の単糸ほど
敦煌に行くには陸路と空路がある。陸路は西
の細糸をどうやって織ったのであろうか。現代の
安から汽車で丸 3 日かかり、余程の旅好きでなけ
織の匠はクモの糸よりも細い 7 デニールの合繊で
れば躊躇する。空路はボンバルディアで西安から
高密度の織物を作っている。この布地を手に取れ
たっぷり 3 時間半、蘭州からでもジェット機で 2
ばまさに飛天に思いが馳せる。
繊維トレンド 2006.5・6 月号
33
海外動向
写真2 飛天(トルファン天井画)
写真3 敦煌の飛天(反弾琵琶.木彫)
出所:筆者
出所:筆者
抽象画から写実的な絵まで飛天画はいろいろ
写真4 ウイグル族女性の伝統柄
とあるが、反弾琵琶の石像は敦煌のシンボルであ
り、蘭州のホテルの庭園で見た像や北京空港の壁
画など全国各地に素晴らしい飛天の模写がある。
トルファンのベゼクリク千仏洞は破壊されて
見る影もないが、その入口に新しく作られた仏像
の上に美しい飛天が舞っていた。
ウイグル族は伝統的な柄の布地を身につける。
飄帯にはほど遠いがこれを着て踊るウイグル族の
小女には何となく飛天の面影が感じられた。
出所:筆者
(4)石林(昆明)− 松茸の話
雲南の昆明は平均気温が冬でも 8 ℃、夏は
がたくさんあり、その中のいかにも老舗といった
20 ℃と穏やかで過ごしやすい地で、昔から春城
ごちゃごちゃした食堂のおっさんにやっと松茸を
と呼ばれてきた。
理解してもらった。しかし、それは白酒の中にあ
昆明から南東に 100km、車で 2 時間弱のとこ
った。すなわち白酒仕込みの松茸酒であった。そ
ろに石林はある。広大なカルスト台地の中に風雨
して大きな間違いのあることを知らされた。雲南
によって浸食された高さ 5 ∼ 10m もある先の鋭
の松茸のシーズンは 7 ∼ 8 月、10 月はとっくに
く尖った石柱が剣山のごとく林立する。雲南は蒼
シーズンオフであった。確かに日本では輸入松茸
山や玉龍雪山など 4,000m を越える山々が連なっ
は 7 月頃から出始め、10 月頃がピークとなる。
ており、漢方薬の宝庫として知られている。松茸
すなわち夏の松茸は雲南から、秋の松茸は韓国、
もたくさん採れると聞いたので国慶節の休暇に石
北朝鮮、中国東北地方産ということになっていた。
林観光とあこがれの松茸を求めて昆明を訪れた。
松茸酒をペットボトル 1 本 10 元で分けてもらい、
石林への往復の道すがらと昆明の下町の市場で松
南通に帰って皆で飲んだが、確かに松茸の香りは
茸を捜したが、いくら捜せども影も形もなかった。
した。それから夏の松茸は雲南産と言い聞かせて
そのあたりは野生キノコ専門のレストラン(食堂)
食べることにしている。
34
繊維トレンド 2006.5・6 月号
中国の“繊維力”
(5)万里の長城とカジュアルウエア
万里の長城は北京から 3 時間で行けるのでお
のぼりさんには人気のある観光地である。八達嶺
が、ポケットに入れて持ち歩く習慣の中国人には
ポケットの多いベストが旅行ウエアとして受け入
れられそうな気がする。
は昔から長城観光の中心地である。連休ともなれ
ば人、人、人で埋まる。万里の長城は「人民の長
城」に変貌する。押し寄せる観光客をさばくため、
(6)九寨溝・黄龍と雨具
ユネスコの世界自然遺産と世界動物園保護区
駐車場は下へ下へと伸びて、車を降りてから長城
に登録されている九寨溝・黄龍は、成都から車で
の入口にたどりつくまでちょっとしたハイキング
一日近くかかり、訪れる人も少ない「翠海」と呼
である。慕田峪は北京から八達嶺と同じ 3 時間で
ばれる秘境中の秘境であった。しかし、03 年に
行けるが、大型連休中でも観光客は少なくゆった
標高 3,000m の山上に九寨溝・黄龍空港が開か
りとした気分で長城の圧巻を味わうことができ
れ、成都から僅か 40 分で行けるようになった。
た。どうしてこんなに長大なものを作ったのであ
重慶、西安からの便も飛び、シェラトンホテルも
ろうと単純な疑問が浮かぶが、はるかに続く北の
オープンして国内外から多くの人が訪れている。
大地を見やる時、彼方からやって来る外敵がいか
空港からチベット寺院のある村をぬけ、峠から九
に強く恐ろしかったのであろうと納得させられ
曲がり、十曲がりの道を一気に下ってホテルのあ
る。
る九寨溝入口に着く。九寨溝は重慶で長江に注ぐ
慕田峪に行く道すがら、日本元祖の虹マス養
一大支流の嘉陵江の上流、黄龍は蜀の時代に造ら
殖場とこれを看板料理にしたレストラン(食堂)
れた都江堰で有名な岷江の上流であり、この峠は
が続く。駐車場から少し上がるとロープウエイ駅
二つの河の分水嶺となっている。
で、山稜に連なる長城の一角に到着しとても楽で
空港に降り立つと頭痛がする。お酒の飲み過
ある。中国の観光客はジャンパーと T シャツに
ぎかと思ってみるが、いつもこうなので気圧のせ
綿パンかジーンズが定番である。いずれも日常的
いと分かる。一旦、ホテルのある九寨溝入口付近
なものであり、特に旅行用というものは見かけな
の 1,900m まで降りるので自然と高度に順応して
い。日本人よりもジャンパーを好んで用いるので
頭痛は治る。
旅行には便利である。時折、ポケットのたくさん
九寨溝は氷河によって刻まれた 50km にわたる
ついたカメラマンベストを着た旅行者を見かける
渓谷に織りなす湖沼と瀑布群である。天然ガスで
が、韓国人か日本人の年輩の方か台湾人である。
走るエコバスが間断なくあって観光客は希望のと
未だ、「旅行着」というコンセプトは見られない
ころに移動することができる。
写真5 万里の長城(八達嶺)
出所:筆者
写真6 万里の長城(慕田峪)
出所:筆者
繊維トレンド 2006.5・6 月号
35
海外動向
写真7 九寨溝
写真8 黄龍
出所:筆者
出所:筆者
最奥部の原始森林は太古を思わせるが、日測
この地は雨や霧が多い。入口ではちゃんと折
溝(渓谷)の瀑布群もさることながら樹正溝(渓
り畳み傘やビニール合羽が売っていた。九寨溝も
谷)右岸に続く木道の散歩は素晴らしい。数日か
そうであったが、国の管理なので売店の品物はほ
けてじっくりとまわってやろうという将来の課題
とんどプレミアなしの平地価格で嬉しかった。ち
がまた一つ加えられる。
なみに傘は 30 元であった。街でも 30 ∼ 50 元で
黄龍はちょうど空港の反対側になる。ヤク
(牛毛
牛)が草を食む 4,000m に近い峠を越えて両側に
あり、デザイン、柄とも実にバラエティ豊かにな
った。
山の迫るところに黄龍はあった。入口の標高は
ただ、日本の様な「コンパクト」というコン
3,100m、最奥部の黄龍寺は 3,700m と高山の
セプトは未だ見られない。この傘の進歩の背景に
600m の高度差を歩く。初めて行った時は時間が
は傘産業のほとんどが台湾から中国の福建省、広
なく、観光客の間を縫って 2 時間半で往復した。
東省に移ったことがある。中国は今や中級品の世
黄龍寺の手前までしか行けなかった。
界供給基地であり、日本のコンビニで売っている
鍾乳洞の天井を取り払ったような景観はこの
世のものとは思えない。岩の黄色、水の瑠璃色は
500 円、1,000 円の折り畳み傘は中国製、ビニー
ル傘はベトナム・ミャンマー製となっている。
何とも言えない。盆景池はお盆を積み重ねた池々
九寨溝、黄龍の観光客は大部分が中国人であ
群で、黄龍のシンボルである。山上から見ると黄
ったが、香港の人も目立った。日本人ツアー客も
色い龍に見えるので黄龍と呼ばれる。
何組かいた。中国人観光客の山登りルックはやは
2 度目は昨年のお盆休み時であったが、石灰岩
り T シャツ、綿パン、ジャンパーで、雨具と携
の上の草や苔の間に羽蝶蘭(石蘭)が咲き乱れて
帯酸素とペットボトルを持っていた。携帯酸素の
いた。日本の山野では幻となった羽蝶蘭の群生を
ない人は途中に何カ所かある酸素ステーションを
見てとてもびっくりした。
利用していた。
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繊維トレンド 2006.5・6 月号
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