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ヴィオロンの妻(真実の記録)前編

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ヴィオロンの妻(真実の記録)前編
ヴィオロンの妻(真実の記録)前編
村上サガン
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
ヴィオロンの妻︵真実の記録︶前編
︻Nコード︼
N3440Y
︻作者名︼
村上サガン
︻あらすじ︼
ヴィオロンとはバイオリンのフランス語読みです。
妻の生まれは東京の笹塚で、
国立音楽大学バイオリン科卒業、
ピアノバイオリン教師で、
某フィルハーモニア管弦楽団では
コンサートマスター︵コンサートミストレス︶をつとめていました。
1
︵2013年9月 5万アクセス突破、ありがとうございます︶
妻の不倫を目撃∼実話です
2001年12月26日、24時になろうとしていた。
妻が自宅マンションの周りの明治通りを
見知らぬ男と恋人のように一周している。
一階の正面入口にあるゲストルームの窓から、
のぞいている僕に気づくと、二人はあっというまに離れて、
妻は違う第二の門から入ってしまった。
あっけにとられた僕は、
妻から離れて逃げるように去っていく男を追いかけた。
==
2014年10月
妻の9回忌に、出版して、
同月で、完売しましたが、
再版してamazonでお求めできます。
http://www.amazon.co.jp/gp/pro
duct/4908231346
真実の写真集
http://murakamisagan.web.fc2.c
om/sakubun/violon.html
2
お化けで出てきた、赤い服の女の子
2006年4月11日
妻は文京区にある大学付属病院に入院していた。
見舞いを終えて帰る途中に、妻の言ったことが気になって、母に持
たせた携帯に電話してたずねた。
﹁赤い服を着た女の子が出て来たって言ってる﹂
黙って聞いていた母はひとこと答えた。
﹁その子はミユキかもしれんね﹂
母のカンはするどい。
父は仕事のことを母に逐一相談していたほどで、それは恐ろしいく
らいに的中する。
僕の仕事のことでも、誰が救ってくれて、誰に裏切られるか、すべ
て見抜かれてしまう。
母はカンを働かせた後に寝込むことがあった。
尋常でないエネルギーを費やしていたと想像する。
電話を終えて思った。
ミユキが助けに来ているのだろうか。
母に初めて妻を会わせた時に、﹁この子は体が弱かね﹂と、ひとめ
見て直感した。
もう赤い服の女の子の出現について母には答えは出ていたが、僕に
は言わないと決めたそうだ。
3
﹁顔を見ればわかるんやけど﹂と母は言った。
﹁顔でわかるんだ?﹂
﹁死相がでとるか、すぐわかる﹂
妻の顔を見れば妻は延命するか、できないかすぐわかるらしいが、
母は足を悪くしていて、九州からの上京は、かなわなかった。
もう一度妻の言ったことを思いかえした。
﹁パパ、赤い服を着た女の子が海に、
暗い海に私を引き込むの。
とても臭いの、その子、とても臭いにおいがするの﹂
赤い女の子はミユキだと、妻は言わなかったし、
僕とて、ミユキとは考えもしなかった。
4
女優と言われた妻
ヴィオリニストの妻について説明していきます。
真実の記録で、プライバシーに配慮して偽名にしています。
また僕の自伝でもあり、三部構成になっており、これは第二部です。
ヴィオロンとはヴァイオリンのフランス語読み。
妻の生まれは東京の笹塚で、
国立音楽大学ヴァイオリン科卒業、
学校でのあだ名は﹁蝶々﹂、
ピアノとヴァイオリンの教師で、
某フィルハーモニア管弦楽団では
コンサートマスター︵コンサートミストレス︶を務めていた。
妻は僕より有名だった。
僕の親戚友人から﹁女優﹂と言われていた。
背は約170センチ、やせていて、
足は欧米人のように長く、年齢は僕より1歳下だった。
ある時、主婦参加型のテレビ番組に出演できることになり、
妻の友人らは参加できたが、
妻だけは顔の問題で出演を却下された。
5
テレビ局としては、ヤラセはしたくない、
妻は普通の主婦の顔ではないという。
妻は怒っていた。
妻はヴァイオリン一筋で、
もしヴァイオリニストでなかったら、
女優になっていたかもしれない。
6
新幹線での出会い
妻とのなれそめは1986年3月の土曜日のことだった。
僕は住んでいた六本木から地下鉄で上野駅に行き、
湯沢行きの新幹線にスキー道具を持って乗り込んだ。
自由席の車内は混んでいて、空いている席を探すがみつからず、
一輌二輌と進んで、左にひとつだけ空いている席をみつけた。
窓側に女性が座っていたが、僕は横顔すら見ずに黙って着席した。
女性に声をかけたりすることは控えていた。
ストイックでいれば、いつか理想の女性に会えると思っていたから
だ。
今思うと愚かな考えだが、僕の映画好きは人生に影響していて、
映画に出てくるような美人女優としか結婚しないと決めていたのだ。
クギづけになるような女性と出会った時に大事なのは、
他に交際している女性がいないこと、
一人でいることほど強いものはなく、
何度も味わった苦い経験から習得した。
着席して湯沢まで眠ることにした。
早起きのために眠気が襲ってきた。
7
30分ほど経過しただろうか、車内販売の声で目が覚めた。
朝はコーヒーを飲む習慣なので
ホットコーヒーを注文すると、
20秒もしないで隣に座っていた
女性もコーヒーを注文した。
女性がコーヒーを受け取る時に、僕は女性の顔を初めて見た。
コーヒーで目を覚まそうと思ったが、
飲む前に女性の顔を見て目が覚めてしまった。
女性がどんな服装だったか、思い出せない、
髪は僕の好きなワンレンではなく、
ミドルショートでウエーブのかからないストレート気味。
僕は話しかけずにいられなかった。
﹁朝はコーヒーがないと落ち着かないんですよね﹂
とコーヒーをひとくち飲んで言った。
女性は肯いて﹁朝のコーヒーは欠かせませんね﹂と話しに応じてく
れた。
8
ヴィオロンのためいき︵第二稿︶
世間話がはじまった。
話してゆくうちにわかったことは、ぼくより一歳年下だった。
なぜわかったか、思い出せない。
おそらく好きな歌手の話しでわかったのかもしれない。
お互いにスキー道具を持ち込んでいたので、
女性が﹁ひとりで行かれるの?﹂とたずねたことを覚えている。
﹁スキーがうまくなりたくて、特訓をしに行くんです﹂
﹁わたしも、いっこうにうまくならないの﹂
﹁そちらも、ひとりで行くんですか?﹂
﹁仲間が先にいっているので、1日遅れて合流するの﹂
ぼくは会話がとぎれないように突拍子もないというか、
即座に思いついたことを質問した。
﹁仕事かなんかで、仲間といっしょに行けなかったんだ﹂
9
﹁お稽古があったの﹂
﹁お稽古?﹂
﹁わたし、バイオリンとピアノを教えているの﹂
﹁バイオリンか、あれ難しそう。ぼくはサウスポーだし弦関係はう
まくなれなかった﹂
﹁弦? バイオリン弾いているの?﹂
﹁いえ、弦違いで、ギターですよ。ぼくはギッチョだけど、
小さい頃に右へ過酷な矯正をされて、箸と書くのは右、
でもフォークや絵は矯正されなくて左のままなんです﹂
﹁矯正すると、あとあと子供には良くない影響を与えるようね﹂
﹁ドモリになったりするようですね。
ぼくの場合は反抗心が人以上にあることかもしれません﹂コーヒー
をひとくち飲んで応えた。
﹁え! どんな?﹂
﹁えらそうにしている人が嫌いで、意味なく命令されると腹が立つ
んです。
学生の頃、デパートでバイトをしていて、朝礼で軍隊のような挨拶
10
をさせようとする
デパート側の若い社員なんですが、いかにもえらそうに命令する。
ながいものにまかれろなんだけど、他のバイトの仲間も従っている
けど、
なぜか腹がたって、ぼくだけ直立しなかったんです。
納得のいかない命令には反抗してしまうんです。
全部反抗するんじゃないけど、これだけは許せないと思うと反抗し
ちゃうんです﹂
﹁わかるような気がする。幼少の頃に受けたことが影響しているの
よね﹂
女性は黙ってうなずき、コーヒーを飲んで言った。
﹁ギターの話し、聞かせて﹂
﹁下手なんですよ。ビートルズのポールみたいに、
左で弾こうか悩んだけど、
左用のギターなんてないですよね。
それで右用で練習して、とりあえず伴奏程度はできるけど上達しま
せんでした﹂
11
﹁バンドとかやっていたの?﹂
﹁一応。あの頃、グループサウンドが流行っていて、あれに影響を
受けた人は多いですよね。
ぼくは中学生からバンドに目覚めたようです﹂
﹁誰でもが通る青春よね﹂
﹁バンドの経験あるんですか?﹂と、ぼくはたずねた。
﹁高校の頃、バンドとかいうかミニグループを作っていた経験はあ
るけど
、私、オケに入っているんで、そちらが忙しいので余興程度に終わ
った﹂ ﹁オケって、オーケストラ?﹂
﹁アマチュアだけど、設立は古いオケに所属しているの。
今日合流するのはオケの仲間たちなの﹂
﹁クラシックか。難しそう﹂
﹁父がクラシック好きで、幼稚園の頃からバイオリン習ったの。
今思うと一種のカタワかもしれない。
ずっとバイオリン一筋で、練習ばかりしていて、一時期反抗してや
めたことがあるの﹂
12
﹁ヴィオロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲し。なんで
すかね﹂
﹁ヴィオロンって、フランス語でバイオリンの意味よね﹂
﹁どうしてもバイオリンというとヴィオロンって言ってしまうんで
す。
ごめんなさい、変なこと言って。それで反抗してどうしたんですか﹂
﹁親はバイオリンをやれと、命令するかと思ったら、何も言わない
の。
バイオリンなんか、なかったかのような感じなの﹂
﹁かしこい親だ。北風と太陽の法則だ。ウチもそうだったらよかっ
たのに﹂
﹁同じことがあったの?﹂
﹁母がぼくをピアニストにしたくて、幼稚園の頃、北風攻撃にあっ
たんです。
根っから反抗心が旺盛なんで、記憶だと2年程度でピアノ教室をや
めたんです﹂
﹁強制されると、子供って嫌がるよね﹂
﹁覚えているのは幼稚園が終わって音楽教室に行かない、家に帰ら
13
ないで、
隣駅に住む祖父のいるところまで電車で行ったんです。ミニ家出で
すね﹂
﹁やるわね﹂
﹁でも、今思うと後悔していて、中学生になって、グループサウン
ズの影響で、
弾きたくなって、うちにあったオルガンで、最初は﹃蝶々﹄から独
学で練習して、
高校の頃はクラシックをちょっとかじる程度になったけど、譜面の
初見はできないし、
壁にぶち当たって、小さい頃にやっていればと、後悔したんです﹂
﹁ギターじゃなくてピアノなの?﹂
﹁ピアノも好きですが、やっているのはキーボードですね。
今はヤマハでエレクトーン教室に通っているんですよ﹂
﹁熱心ね﹂
﹁先輩たちとロックバンドを組んでいて、週に一回、渋谷の道玄坂
にある三浦スタジオで練習しているんですが、アドリブがうまく弾
けないので教室に入ったんですよ﹂
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﹁ねえ∼ 聞いていい。仕事とは何やっているの﹂
﹁サラリーマンやってます﹂
﹁わたしは東京の笹塚生まれだけど、言葉のアクセントがちょっと
違う、どこ出身?﹂
﹁ばれたか。九州の福岡です。アクセントの強弱が九州と東京では
正反対ですよね﹂
﹁東京には、いつから?﹂
﹁大学で上京したんです﹂
女性は次に聞こうか、ためらっていたが、決心したような顔になっ
て、ぼくにたずねた。
﹁聞いていいですか、大学はどこなんですか?﹂
﹁﹃仁義なき戦い﹄って映画、知ってます?﹂
ぼくはいつもこんな言い方をしてしまう。
女性はきょとんとして答えた。﹁観たことある。ヤクザ映画よね﹂
﹁そうなんです。主演の菅原文太さんのいた、ヤクザな大学ですよ﹂
﹁え! どこ どこ?﹂
﹁じゃ、ちょっとヒントを甘くして、タモリのいた大学ですよ﹂
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﹁ワセダ﹂
ぼくは頷いて、女性の表情をみた。
顔をみると、いい反応をしているので安堵した。
ワセダで嫌われたことが何度もある。
やぼったい大学で、貧乏そうにみえるからだ。
東京にはいい大学が多く、劣等感があった。せめて慶応。
早稲田は、ぼくには学風があわず、慶応に気のあう仲間が多かった。
今でも慶応に行けなかったことを後悔しているが、
父が慶応受験に猛反対だった。
﹁大学は、どこの音大ですか﹂
﹁音大って、わかります?﹂
﹁なんとなく、カンで﹂
﹁国立音大。中学から入学したの﹂
﹁クニタチか・・・﹂とぼくがつぶやいていると
﹁まもなく湯沢に到着です﹂とアナウンスされた。
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﹁ぼくはこれで。湯沢で降りますから﹂
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ヴァージニア・ウルフは、末期の眼が、お好き︵第二稿︶
女性も立ち上がって、
﹁わたしも、湯沢で降りるの。湯沢からバスで苗場に行くの﹂
急いでスキー荷物を通路に出して、湯沢駅で降りた。
駅構内を二人でスキー道具を持って歩いた。
見えてくるのは、長身でやせていて、脚は日本人ばなれして長かっ
た。
苗場行きのバスまで時間があると言うので、
駅前の喫茶店に入ってコーヒーを注文した。
喫茶店に座って正面から女性を見ると、僕のタイプを超えていた。
普通の美人の、もうひとつ上の美貌で、普通の女性として扱えばい
いが、
バッターボックスに入いると力んでしまう。
顔だけでなく、スタイルも雰囲気も、トップクラスの美人女優を観
ているようだ。
好感を持ったのは、美貌をひけらかして、ぼくを見下さないこと。
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誇らしげに自分の美貌を称えたポーズをしなかったことだ。
コーヒーを注文して、最初のフレーズ、どんなイントロだったか忘
れてしまった。
本の話しになって、最近は横溝正史を読んだと女性は言った。
典型的な文学少女ではないようだが、女性のよく好む猟奇系だ。
それから女性は数名の好きな小説家をならべた後に言った。
﹁あとは川端康成を読んだ。湯沢は﹃雪国﹄の舞台となったところ
よね﹂
﹁日本ではじめてノーベル賞をとって、晩年は重圧に負けたみたい
ですね﹂
と、ぼくは応えた。
﹁なぜ自殺なんか。しなくていいのにね﹂
物知り顔になったぼくは言った。
﹁作家の表現方法に自殺があるらしいんです。
ある本で読んだけど、芥川龍之介が自殺した時に残した、
末期の眼に川端は影響されたそうです﹂
﹁末期の眼?﹂
19
﹁これが最期だという思いで、いろんなことにのぞむと、見える景
色も変わってくる。
例えば引越しする時とか、会社を辞める時でも、今まで見えなかっ
たことに気づいたりする。
引越しの時に物を整理していると、見つからなかった探し物がでて
きたりしますね。
芥川は死を前にして、﹃自然がこんな美しいと思わなかった﹄とか、
﹃美しいのは僕の末期の眼に映るから﹄と書いていて、
川端康成がこのことを﹃末期の眼﹄という題でまとめているんです
よ﹂
ぼくは女性の顔をうかがった。こんな話題についていけるのだろう
か。
話したことに反省しながら言った。
﹁あと、川端と、とても仲の良かった三島由紀夫が自決した時から、
精神的におかしくなったという説もあるんですよ。
﹃三島君が呼んでいる﹄と言ったりしたようです﹂
﹁詳しいのね﹂
20
﹁ぼくは自殺賛美者じゃないんですが、気になると調べるクセがあ
るんです。
彼らが、なぜ自殺したのか、解説している本を読んでいるだけです。
いまだに、なぜ作家が自殺するか、理解できません﹂
もうこの話題は限界かなぁと思いつつ、女性の顔をうかがうと、
話題についてゆこうと我慢しているのか、それとも興味あるのか、
顔から読めないので、さらに付け加えた。
﹁作家の自殺の謎の追求をしていて、
とうとうヴァージニア・ウルフに、たどりついてしまったんです﹂
﹁それで?﹂
初対面で自分ばかり話しだすなんて、恋愛失格だと思いつつ、
女性が聞き上手すぎると、勝手に自分で言い訳しながら、
ぼくはメモ帳をポケットからとりだして書いていることを見ながら
話した。
﹁ヴァージニア・ウルフってイギリスの作家なんですよ。
女性です。日本では大正時代の頃ですね。
自殺について、彼女が持論を述べているんです。
21
メモしたんで読んでみますね。
﹃人生は影の行列にすぎない﹄
﹃死は挑戦である。死は伝達の試みである﹄
﹃死はものの本質・実在・現実に達することであり、
かさ
その時、精神は不滅の魂となり永遠に連なる﹄﹂
口をあけたように女性は聞いていた。
女性の顔をみて、退屈しているように思えた。
﹁難しくて、ぼくにはまったく意味がわからないんですよ。
ヴァージニア・ウルフは狂っているとしか思えませんが、
少しでも理解しようと思ってメモしたんです。ただそれだけ。
ぼくは思うんです。死ぬときはお迎えが来るんですよ。
人は死神だというけれど、自殺もお迎えがさせることなんでは﹂
﹁霊的な話しね。 そんなに難しい本ばかり読んでいるの?﹂
﹁好きな作家は別にいるけど。ぼくは変っているので、言ってもわ
からないかも﹂
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﹁たとえば?﹂
﹁大学の頃に図書館通いをしながら、
千作読破に挑んで一応世界の名作はひととおり読みました。
その中で特に好きなのはフランスの小説ですね。
モーパッサンとかフランソワーズサガンとか。
日本だと夏目漱石ですね﹂
再び、話に興味がありそうな顔になって、女性は話し出した。
﹁サガンなら﹃悲しみよこんにちは﹄は読んだわ。夏目漱石だと﹃
坊ちゃん﹄﹂
﹁ぼくは﹃悲しみよこんにちは﹄と﹃坊ちゃん﹄は映画で観て、
原作は読んでいないんですよ。
サガンの作品なら、﹃悲しみよこんにちは﹄以外の作品は夢中にな
り、ひととおり読んだかな。
中学生の頃ですが。夏目漱石も﹃こころ﹄からはじまる三部作が好
きですね﹂
﹁本当に変っているわね﹂と女性は言った。
﹁サガンを好きな人が周りにいなかった。 今もそうかな﹂
23
女性はこれ以上、趣味の合わない話しに深入りするのをやめたのだ
ろう。
﹁湯沢で滑るの?﹂と、たずねてきた。
﹁駅からちょっとのところにレンタルルームがあるんで、
そこで着替えると、ゲレンデは隣にあるんですよ﹂
﹁それは便利ねえ﹂
﹁ただのフェミリーゲレンデで、本格的に滑るには、そこからリフ
トで上にあがるんです。
と女性が言った。
低い山なので、もう3月だから、雪質は悪いかも﹂
﹁それだったら、いっしょに苗場へ行かない?﹂
ぼくは警戒して、なぜ?という顔をした。
﹁苗場にはダンヒルコースもあるし、まだ雪のコンディションはい
いはず。
オケの仲間だけど、大勢で滑ると楽しいよ﹂
苗場にはオケの仲間が大勢で来ていて、男性もいるらしい。行った
場面を想像した。
電車で会ったばかりのぼくが行って、プラスになることは、なにも
ない。
24
スキーも下手だし、マイナスになることばかりだ。
とびっきりの美人を追いかけて、やってきた間抜けな男でしかない。
それに、美人すぎる、交際できるわけがないと思った。
縁があれば縁があるだろう。
﹁苗場まで行ったら、帰りが大変なので、湯沢で滑ります﹂と答え
た。
女性は了解した顔になって時計を見ながら言った。
﹁そろそろバスの時間﹂
別れの時がきた。
男は目で、女は記憶で恋をするというが、ぼくはひとめぼれしてし
まった。
女性はぼくのことを嫌いではないと、恋愛評論家が証明書を出して
くれると思った。
勇気をもって、喫茶店を出ようとする最後のタイミングで、
電話番号を聞くと、政治家のようなハギレのない態度でなくて、
2秒もしないでOKをもらった。
25
電話での男女の差︵第二稿︶
東京に戻って、電話をするタイミングを考えた。
電話はすぐにかけないほういいと思ってしまう、男の不思議な心理。
男は﹁また会おう。あとで電話するよ﹂と言うと、
女は明日電話してくれるものと思い込む。
3日経って電話がないと、女は﹁私に気がない﹂と思う。
しかし同じ3日後でも男の方は
﹁すぐに電話をかけて熱心すぎると思われたら、嫌だな﹂と考える。
学者によると、男は本能的に女性への興味や期待を表に出さないよ
うにする。
そうしないとモテナイ男だと思われてしまうと思い込みをするそう
だ。
1986年の3月の下旬だった。
女性に電話を3度したが、留守で、4度目で電話がつながった。
﹁はじめて電話します﹂
26
﹁あら∼﹂と女性の第一声。
そのあとの言葉は一生忘れない。
ぼくの名前を呼んだのだ。
高音のぼくの声を聞いただけで、僕の名前を告げた。
よく覚えていたものだ。
これはデートに誘えると確信した。
﹁どこに住んでいるの?﹂とぼくはたずねた。
﹁センゴク﹂
﹁センゴク? それ、どこだっけ?﹂
﹁巣鴨駅からも歩けるよ﹂
﹁ああミタ線のセンゴク駅、文京区だね、ハクサン駅の隣だ﹂
﹁よくわかるのね﹂
﹁ハクサンの隣駅のカスガに会社があるんで。ぼくは後楽園駅から
通っているけど﹂
﹁会社、ここから近いのね﹂
27
﹁たしかに、近いね﹂
﹁〇〇さんは、どこに住んでいるの?﹂とたずねてきた。
﹁六本木﹂
﹁嘘でしょ﹂
﹁六本木だよ。
東京に来てから、六本木に住むのが夢になって﹂
﹁あんなところに住むところあるの?﹂
﹁地下鉄の六本木駅からアマンドを通って数分にあるマンション、
ロアビルまで行かないよ﹂
﹁どうして住みたいと思ったの?﹂
﹁六本木のイタリアレストラン﹃キャンティ﹄に
はじめて行った時からかな。
将来六本木に絶対住むと思った。
六本木は日本じゃない、ヨーロッパみたいな場所に思えた。
それと、ぼくは田舎者だから都会に住みたくて東京に来たんで、
郊外に住むなんてありえない、
28
年をとったら青山に引っ込むつもり﹂
﹁サラリーマンよね?﹂
﹁六本木に住むために外資系の会社に転職しちゃった﹂
﹁どんな仕事なの?﹂
﹁コンピュータの仕事﹂
﹁プログラマー?﹂
﹁プログラマーは卒業﹂
﹁じゃ、システムエンジニア?﹂
﹁それも、一応卒業したような・・・﹂
﹁じゃ、何?﹂
﹁システムアナリスト﹂ ﹁何、それ?﹂
﹁システムを分析する仕事。
ある事務作業の仕事を分析してコンピュータ化したら、
どんなメリットがあるか、
29
ユーザーや経理部門やトップに提案する。
システムのグランドデザインを設計して、
開発に必要なシステムエンジニア、プログラマーは何名必要とか、
いろいろと立案する。
開発がスタートしたらプロジェクトのお守りをする役になる﹂
﹁わあ∼ 難しそう﹂
﹁ユーザーはコンピュータに素人だから、
わかりやすく説明しなければ理解されない。
誤解されることも多い。 コンピュータが勝手にやってくれると思っている。
ひとつひとつ編み物のようにプログラムで、
縫い上げているなんて思われていない。
政治と同じで、うまくいってあたりまえ、必ずバグがでる。
するとクレームの嵐になる。
いつも難しい顔をしていると言われ、
30
他の人から何に悩んでいるかも理解されない。
頭だけが疲労する、つらい肉体頭脳労働で、体力勝負なんですよ﹂
﹁大変そうね﹂
﹁そっちの仕事はどうですか?﹂
﹁そうね。 バイオリンの生徒が少ないの、ピアノの方が多いわ。
稽古だけでは生活できないので、秋葉の会社でバイトをしているの。
基盤回路を作る仕事で、ハンダ付けをするの﹂
﹁ハンダ付けか、苦手だったなぁ﹂
﹁やってみると、わたしに向いていたの﹂
とりとめもなく、電話での会話は進んで、﹁よければ映画でも観ま
せんか?﹂
﹁いいわよ﹂
次の日曜に銀座のソニービルで待ち合わせすることが決まった。
31
バンドの結婚式場CMソングがテレビに︵第二稿︶
銀座ソニープラザ前で待ち合わせした。
映画はメリル・ストリープ、ロバート・レッドフォード主演の﹁愛
と哀しみの果て﹂
を観に行こうと映画館に向かうと、予想外の行列待ちで、2時間以
上はかかるらしい。
断念して喫茶店に入った。
女性は濃紺に白い水玉のワーピース、
やせているのでウエストがルーズな仕立てがサマになっていて、
普通の体型だと妊婦服にみえてしまうのを、見事に着こなしている。
女性は﹁パッパラ﹂と言って、このワンピースを何着も持っていた。
ぼくには、
映画﹁ローマの休日﹂のオードリーへップバーンが
スクリーンから飛び出してきたように錯覚した。
恋をすると快楽を司るドーパミンという脳内物質が大量分泌される。
相手の悪い面や嫌な面を見ないようにするそうだ。
いわゆる恋は盲目状態。
32
動物と同じように子育ての期間だけ起こる名残りのようで、
長くてニ年、受精して出産後、
子供が落ち着くまでは別れさせないための子孫繁栄システムだとさ
れている。
高い代謝を要求するドーパミンの大量分泌は身体への負担が大きく
て、
平均ニ年程度しか続かない。
だから恋愛して子供が生まれたら、他の動物と同じように男女は別
れて、
新たな配偶者を探す旅に出るようになっている。
あくまでも原始時代のことだが、
結婚しなくても自立できる女性ならば、平均ニ年で離婚するのが自
然なのだ。
芸能人で女性に自活能力があれば、ニ年前後で離婚するのは異常で
はない。
動物のほとんどがずっと添い遂げることはなく、
あのオシドリさえ、よく観察していると浮気している。
さて喫茶店での会話は、
どんな話しが展開されたのか、今振り返ると取調べのようにも思え
た。
33
﹁ピアノを独学ではじめたのよね。
どうして習わなかったの?﹂というお尋ねがあった。
ピアノ教師だから興味があるのだろう。
﹁受験生だから、時間はないし。
習うと言ったら親からは猛反対だったと思う。
高校は受験校で、成績でクラス替えがあった。
1クラス50名で9クラスあって、
成績順にクラス編成される。
ぼくは成績が45番前後で、かろうじてトップクラスの1組にしが
みついていた。
高校は早朝、夜も補講があって、進学塾に行かずにすむスパルタで
した﹂
﹁受験地獄の頃ね。
わたしは中学から大学までスライドだから、受験で悩まなかった。
その高校のやりかたは、ある種の差別ね﹂
﹁下位クラスの連中は劣等感の塊になっていたね﹂
﹁そんなスパルタなら、ピアノの練習なんかできないじゃない?﹂
﹁高校に入って、なぜかピアノのある場所へ自然と足が行ったんで
すよ。
音楽部で、部室にサウンドオブミュージックの映画ポスターが壁一
34
面に張ってあって、
コーラス部には、あこがれの映画だよね﹂
﹁知ってる。ドレミの歌とか名曲が多いよね﹂
﹁たしか部長がピアノの前に座っていたのを覚えている。
メガネをはめてセミロングの髪で背は高く、時々メガネをとると美
人顔でした﹂
﹁恋したの?﹂
﹁いえ。 姉さんのような感じだね﹂
﹁ふ∼ん。 それで?﹂
と続けて言ったき
﹁部長が﹃どう、入部する?﹄と聞くんで、ぼくが悩んでいると、
﹃男性コーラス部員が少ないので助かるわ﹄﹂
た。
ぼくは﹃いいけど ....部長さん ピアノ教えてください﹄と
かえした。
部長が﹃ピアノで、何を弾きたいの?﹄と聞いてきたので
﹃ビートルズです﹄と答えた。
﹃じゃ、まず、コードを覚えないと。いい、Cはこう弾くの﹄
35
と鍵盤で実際に弾いて教えてもらった。
こんな感じで高校一年の時に、部長からピアノのコードを教わり、
昼休みと放課後に練習するようになった﹂
﹁わたし、ビートルズよく知らないの、
好きだったのはゴダイゴ﹂
﹁ゴダイゴか﹂とぼくはつぶやいた。
﹁ボーカルのタケカワさんの大ファンよ﹂と女性が言った。
﹁たしか東京外語大の卒業で、英語の発音は日本人ばなれしている
よね﹂
とぼくは思い出したように言った。
﹁タケカワさんの母方がバイオリン一家で鈴木と言ってスズキメソ
ッドで有名なの﹂
﹁スズキメソッドって?﹂
﹁バイオリンの教育方法なの。鈴木家は国産バイオリンのパイオニ
アでもあるの﹂
﹁バイオリンが、からんでいるんだ﹂
36
﹁タケカワさんは5歳からバイオリンを、10歳から作曲を始めて
いるの﹂
﹁それは知らなかった。加山雄三みたい﹂
﹁そう、作曲もしているの﹂
﹁ヒット曲、多いよね﹂
﹁わたしは﹃ガンダーラ﹄が一番好き﹂
﹁有名だね。 ぼくは﹃ビューティフル・ネーム﹄かなあ﹂
それから4秒ほど沈黙となった。
﹁コーラスに興味あるの?﹂と女性が聞いてきた。
﹁高い声が出るし、中学の頃、﹃ウィーン少年合唱団﹄が人気だっ
たよね﹂
﹁美少年ばかりで、びっくりした。覚えている、覚えている﹂と女
性が言った。
﹁中学でもコールス部にいたんだけど、
だんだんに男が部をやめてゆき、自分1人になった。
ぼくは女性コーラスのマネージャーになった。
覚えているのは、大会での移動の手伝かなぁ。
37
出演時のリハーサル室や待機室への誘導とか、
のどを痛めないようにキャンディを買いに行ったりした﹂
﹁男一人で恥ずかしくなかった?﹂
﹁他からなんと言われようと平気な性格なんですよ。
男らしいとか女らしいとか決めつけるのが嫌いだし、別にそれでイ
ジメはなかった﹂
また3秒沈黙になった。
﹁今バンドやっているのよね?﹂と女性がたずねた。
﹁大学時代の先輩に誘われて、週一回スタジオを借りて、
楽しんでいるだけかな﹂
﹁バンドねえ。
今思い出したけど、高校時代にバンド組んでテレビで優勝したこと
ある。
せんだみつおさんが司会やっていた番組よ。
ラッキーだったわ﹂
﹁それってTBSの銀座ナウという番組では?﹂
38
﹁それ、それよ。たしか5週勝ち抜いたの﹂
﹁ぼくは大学に入ってナレオというロックバンドのクラブに入部し
たよ﹂
﹁ナレオ? 早稲田大学のナレオ? 聞き覚えがある。 銀座ナウに出てなかった?﹂
﹁先輩らが、その番組の素人コンテストのバック演奏をしていて、
僕ら一年はバンドボーイで、スタジオ入りしてた﹂
﹁その素人コンテストで優勝したの。
高校三年の時だった﹂
﹁ということは、僕が、ひとつ上だから、
スタジオでニアミスしているかもしれないんだ﹂
﹁へえ∼ そんなことがあるのね﹂
﹁ナレオは、すぐにやめたんですよ。
一年間のバンドボーイが嫌で、
東京に来た頃は世間知らずと言うか、
テレビで﹃駅のそば丸井﹄と宣伝しているので、
39
蕎麦屋が宣伝していると思ったくらいですから﹂
女性が笑った。
﹁今思うと無謀なんだけど、ピアノの弾き語りでバイトができると
思っていて、
あの頃、まだカラオケがない時代で、
ピアノバーが流行っていたんだけど。
そこに行って、余興で歌っていたら、
そのうちプロのピアノマンが弟子にしてくれるというので、
浅草のスナックで働きながら、修行に入ったけど。
いっこうにチャンスはこなかった﹂
﹁どんな弾き語り?﹂
youかな。
youは簡単でシンプルなピアノ伴奏で、
﹁ビートルズナンバーが主で、他だと明日にかける橋、witho
ut
特にwithout
ぼくのようなテクニックがなくても弾けた。
単純なCでなく黒鍵を加える、Cディミニッシュ、C6、C9など
40
のコード展開。
youは知
原曲はビートルズの弟子バッドフィンガーの曲だけど、
ニールソンのアレンジには今でも感心する﹂
﹁明日に架ける橋は知っているけど、without
らない﹂
﹁それは残念。歌詩もなかなかいいよ﹂
女性は思いついたような顔で、切り出した。
﹁私も趣味というか、駄作だけど、詩を書いているの。歌詞よ﹂
﹁へえ∼どんな歌詞作っているのかみてみたい﹂
﹁つまらない詩よ﹂と女性はこたえた。
﹁歌詞って、わざと意味不明にするとヒットするよね﹂とぼくは言
った。
﹁例えば?﹂
﹁英語の歌詞だけど﹂
﹁訳すの? わたしはそこまで興味ない﹂
﹁ぼくは歌詞の訳で英語の勉強をすませてきたんで。
41
意味不明はビートルズでもあるけど、有名なのは﹃青い影﹄かな﹂
﹁知ってる、ハモンド? オルガンの綺麗な曲よね﹂
﹁イギリスでおそらくナンバーワンの曲だと思う。
ユーミンも大好きな曲のようで、バンマスが毎回歌うんだけど、
ぼくもこの曲は好きで伴奏するといい気分になる。
歌詞が意味不明で、まず16人の処女というのが出てくる。
なんだ、これはって思ったんですよ﹂
﹁そんな風に歌詞が気になるんだ﹂と感心した顔で答えた。
﹁16人の処女ってローマ時代の巫女なんだよね。
歌詞の内容は諸説が飛び交って、
有力なのは潜水艦が今にも大破しそうで、
死んでゆく顔面蒼白の青い影なんですよ﹂
﹁へえ∼ 結婚式では使わない方がいいのね﹂
﹁結婚式で使ったんだ?﹂
﹁知らなかった。演奏したことあるわ﹂
42
﹁日本人って不可解。
歌詞をちゃんと調べないで葬式とか失恋の歌を
結婚式で歌ってしまう。
だから外国人から誤解される﹂
女性は言葉が出ずに黙って聞いていた。
﹁そうだ。結婚式と言えば・・・。
バンドのメンバーが広告代理店に勤めているので、
最近、テレビ向けのコマーシャルソングを録音したんですよ﹂
﹁え! スゴイ﹂
﹁とんでもない。地方のテレビ局で曲が流れただけ﹂
﹁歌なの?﹂
﹁バンマスが作曲した結婚式場用のオリジナルソング。
一応ぼくが歌とピアノ、担当だけど﹂
﹁聞きたい﹂
﹁今度、そのテープ、持ってきますか﹂
43
喫茶店での会話は一時間経過しただろうか、
﹁じゃ、これで﹂とぼくが言うと。
女性は﹁え! もう帰るの?﹂と聞いてきた。
今思うと、飲みに行きたかったのだろう。
長居はしないと決めていたので、銀座で解散となった。
44
ニアミスは、赤い糸の一種?︵第二稿︶
2回目の電話をした。
どんな話しをしたかは、記憶が曖昧で、
小説﹁ノルウェイの森﹂でのワタナベ氏と同じ気持ちになった。
記憶をたどりながら文章を書いていると、ときどき不安になる。
ひょっとしたら自分は肝心な記憶を失っているじゃないかと、ふと
思う。
電話で、なぜか信濃町の話しになった。
﹁学生の頃はシナノマチに住んでいたよ﹂
﹁シナノマチ? 信濃町って、四谷の次の駅よね?﹂
﹁そう。慶応大学病院の隣に住んでいた﹂
﹁びっくり。わたし、そこの慶應大学病院で生まれたの。
近くに花屋なかった、そこは親戚で、よく行った﹂
﹁あった、あったよ。アパートの隣だ﹂
﹁ふ∼∼ん。不思議ね。
もしかしたら顔をあわせていたかもしれないのね﹂
﹁銀座ナウに続いて、二回目のニアミスだね﹂
45
﹁あそこは神宮外苑のイチョウ並木も近いし、いいとこよね﹂と女
性が言った。
﹁イチョウ並木は絵になる場所だよ。散歩がてらにその先の青山ま
で行ってブラブラしていたよ﹂
﹁それで、青山に住みたいんだ﹂と女性は言った。
﹁キラー通りとか骨董通りとか、青山は日本じゃない、パリみたい
な感じがする﹂
﹁確かに青山は日本じゃない感じね。わたしには縁のないところだ
わ﹂
﹁信濃町もいいところだったよ。
住んでいたアパートは高桑アパートメントと言って、
カルフォルニアみたいだと新聞記事で読んだことがある﹂
﹁新聞にでたの?﹂
﹁地上げ屋にあい、最後は火事で消失してしまったんだ﹂
﹁東京の真ん中にマンションじゃなくて、アパートがあるだけでも
不思議﹂
﹁新聞によると、日本には滅多にない建築物で、二階建てで部屋数
は22室。
ぼくが印象深いのは水タンクが上にあるオールドファッションの水
46
洗トイレ。
あれは昭和初期か大正時代のトイレだろう。とてもレトロだった﹂
ここで、電話での会話を中断して、高桑アパートメントの新聞記事
を紹介しよう。
信濃町駅から歩いて一、二分。
家主は画商高桑掬子さん、土地は借地で、底地買いされて、
地上げ屋の攻勢にあうと、一週間で空き地になった。
一室一室、制服姿の数名の男達が訪れては、300万払うからと
札束を見せられて、出ていってくれと言われた。
記事では建物の思い出を、かつての住人が語っている。
住んでいたライターは
﹁廊下はエンジと黒の市松模様、壁はピンク、
敷石はトルコ石のような深いブルー﹂
﹁虚無感覚というか、すごくいい昔の雰囲気があった﹂
アメリカ暮らしが長かった人は﹁カルフォルニアのアパートみたい﹂
他には
わずか一週間で15名が立ち退き、不審火で建物はなくなった。
11月1日高桑さんは男達に借地権を約16億円で売却した。
47
再び女性との電話会話へ戻ろう。
﹁アパートなんで、銭湯をやっと見つけて、行って驚いたよ。そこ
は幽霊エリアなんだよね﹂
﹁どんな、どんな﹂
﹁アパートを出て外苑東通りを渡って左門町から右折して、
しばらくして左折したところに銭湯があった。
銭湯の並びにお岩神社があって、その日は夜で、不気味だった﹂
﹁ああ、そこは、もう四谷エリアよね。四谷怪談だ﹂
﹁いつだったか散歩していて番町なんて地名がでてきて、ビクっと
したよ﹂
﹁でたでた。一枚二枚の番町皿屋敷﹂
﹁こわいけど、新宿も近いし、赤坂や六本木もタクシーですぐだっ
た、下手したら歩ける﹂
﹁どうして信濃町に住んだの?﹂
﹁その前はババに住んでいたんだ﹂
﹁高田馬場ね、大学のあるところね﹂
﹁そう。大学に歩いて行けるからで、その頃はバンドでバイトして
48
いたので、
小さなマンションに暮らしていた﹂
﹁学生なのに贅沢ね﹂
﹁キーボードができる人って少ないので、ぼくのようなアマチュア
でも
バンドで需要があった。
あの頃、ディスコはまだDJシステムでなくて、生バンド演奏だっ
たよ。
いくつかのバンドで演奏して、収入が多かった﹂
﹁ディスコで演奏したんだ。どれくらい、もらったの?﹂
﹁当時で月10万以上は、もらっていたよ﹂
﹁あの頃10万と言えば、今の30万? サラリーマン以上だね﹂
﹁おそらく、そうだろうね。深夜の仕事だから報酬がいいんだよ﹂
﹁あの頃って、﹃神田川﹄が流行った頃よね。三畳一間の小さな下
宿﹂
﹁大学の知人で覚えているだけでも7名は、そのパターンだね。
ぼくはラッキーだった。
でも月一の休みで、夕方6時に店に入って次の朝4時まで演奏する。
そんな生活を続けていて大学に行けなくなった。
キーボードの練習もできない。それに才能がないと見切ったんだ。
このまま続けていて、もしかして一曲くらいはヒットするバンドに
いるかもしれないけど。
49
それだとしても将来生活ができるような世界じゃないことがわかっ
た﹂
﹁ふ∼ん﹂
﹁それで、三畳一間の小さな下宿を探したんだ。
夢は六本木だけど、二番目に住みたかったのが新宿でね。
それで物件をみてまわったよ。
新宿と言っても新大久保あたりだけどね。
その延長で信濃町のアパートが見つかったんだ。
二階の六畳一間で、窓の下は慶応大学病院で、通学には交通の便が
良かったよ。
総武線の信濃町駅から千駄ヶ谷、代々木、次の新宿駅で降りると、
そのプラットフォーム上で山手線に乗り換えができた。
ほとんど待ち時間がなく乗り換えができたよ﹂
﹁代々木駅でも乗換えできるけど、
新宿へは、階段で隣のプラットフォームまで歩くからね﹂と女性が
言った。
﹁そうだね。代々木駅では渋谷への乗換えは便利だったよ﹂
50
女性との電話の最後は、結婚式場のCMソングの件だった。
﹁例のテープだけど、いつ持っていこうか?﹂とぼくはたずねた。
﹁こんどの日曜はどう?
その日は、上野でオケの仲間と花見しているから﹂
﹁大丈夫?﹂
﹁ちょっとなら抜け出せる﹂
* *
運命的な出会いをする男と女は、
生まれたときからお互いの小指と小指が目に見えない赤い糸で結ば
れているという。
もし赤い糸があるとしたら、
二人が知りあう前に、何度かすれ違ったり、無意識に会ったりして、
赤い糸の結び目が強くなっているのかもしれない。
確認できたニアミスは銀座ナウと信濃町だったが、それ以外にある
かもしれない。
恋愛映画でも、二人が出会う前に、知らず知らずに二人は素通りす
る。
映画では伏線というけど、
現実には運命の赤い糸を少しずつ張っていく作業かもしれない。
51
つぐないとプロポーズ︵第二稿︶
4月、桜が満開の頃だった。
上野にある西郷隆盛の銅像の前にいると、
とぼくはたずねた。
女性は肩に黒いバイオリンケースをしょってやってきた。
﹁花見いいの?﹂
﹁ちょっとなら、いいの﹂
ぼくはテープを渡した。
﹁ありがとう。楽しみ﹂
バイオリンケースに注目して尋ねた。
﹁お花見で演奏するんだ。クラシック?﹂
﹁まさか。歌謡曲よ﹂
ここでクラシックだと言われると、近寄りがたい気がした。
歌謡曲と聞いて、意外だったが、親しみを感じた。
﹁カラオケなんか、するんだ?﹂
52
女性は肯いて、﹁﹃つぐない﹄が愛唱歌よ﹂と答えた。
﹁テレサ・テンか。ちょっと暗いね﹂
﹁歌詞がいいのよ﹂
たしかに、歌詞はいい。
あとはどんな話しをしたかは記憶にない。
テープを渡すだけの、立ち話しだった。
﹁じゃ、またね﹂とぼくが言うと。
﹁ねえ、今度、六本木のカフェバーを案内してくれない?﹂
﹁ああ、いいよ。インクスティックでも行こうか﹂
﹁安全地帯が出演したバーね。楽しみ﹂
渡したテープには結婚式場のCMソングが二曲入っていた。
ひとつはバラードで、﹁君はブライド﹂、これから結婚するプロセ
good
day、そうさ、今日は、ブライ
スを沢田研二に真似た声で歌った。
day
もう一曲は速いテンポで、
﹁good
ダル﹂という歌詞で始まり、
53
ぼくの声を二回重ねた。
部屋に戻って、テレサテンの﹁つぐない﹂の歌詞を思い出した。
﹁愛をつぐなえば、別れになるけど﹂という歌詞は、
女が裏切るようなことをして、一緒に暮らした部屋を出ていく。
裏切った以上、一緒にはいられない。
この歌が好きだと言うことは、女性は過去に、つらい別れをしてい
るんだと思った。
* *
女性のことを考えた。
30歳の撃墜王、求愛を搭載した戦闘機を何度でも墜落させたのだ
ろうか。
いや、近寄りがたい存在かもしれない。
とにかく、ぼくは待つしかない。
みえてくるのは、能動的な性格で、自分から好きになるタイプのよ
うだ。
物事は、ぼくの思ったようには動かない、縁があればと思った。
流れにまかせるしかないのだ。
54
僕らは六本木のカフェバー﹁インクスティック﹂に飲みに行った。
その前に﹁キャンティ﹂か﹁パブカージナル﹂で食事しているはず
だが、
記憶がない。
﹁インクスティック﹂は防衛庁正門の対面にある道路を入ったとこ
ろにあったと思う。
現在は防衛庁もなく、東京ミッドタウンとなっているし、記憶が曖
昧である。
店のイメージで記憶があるのはミントグリーンの色に統一されたイ
ンテリア。
時計は21時をすぎていただろう。
どんなカクテルを飲んだか思い出せない。
VIC'S﹂
妻が好きだったのはモスコーミュール、ソルティドッグだったので、
同じ可能性がある。
ぼくはギムレット、マティーニ、
そして赤坂プリンスホテルにあった店﹁TRADER
Chi﹂か﹁Coco﹂だっただろう。
で飲んで以来好きになった
スウィート系の﹁Chi
55
酒を飲むのは年に数回で、
バンドでレッドチェッペリンの曲を歌っていたので、
高音の声を保つために、タバコ、酒は控えていた。
九州生まれだが、酒を飲まないでいられる習慣は、
父母も親戚も飲まなかったからだろう。
カクテルはアルコール度が強いので気づかないうちに酔ってしまう。
どんな会話をしたか思い出せない。
素敵だと思えた時間は長くは感じられず、
花火と似たひとときだけが残ってしまう。
人生80年だとすると約70万時間生きるわけだが、
時は無常で10倍速したかのように、
いつのまにか地下鉄の終電時間となっていた。
店を出たのは夜中の1時前だっただろう。
女性の住んでいる千石は六本木から遠くなく、
タクシーで帰るだろうと思いながら、
六本木交差点に向かって歩いていると、
女性は﹁部屋を見たい﹂と言った。
交差点に着いて、青信号を渡る。
六本木は真夜中でも、常時お祭りのようなにぎあいがある。
外苑東通りを飯倉方面に歩き、後藤花屋を右にみながら進み、
56
ロアビル手前の建物の一角を右に入って立ち止まった。
﹁ここだよ﹂
﹁こんなところに住んでいるの。駅から3分もしないのね﹂
六階建てのビルで、一階はカフェバー、二階はパブ。
ぼくは三階の2DKで、五階と六階は大家が住んでいた。
エレベータに乗った時だ。
カクテルのしわざか、女性は酔っていて、
涙目になって﹃信じていいのね﹄と、ぼくの両肩をつかんで言った。
懇願に近い感じだった。
女性の行動の理由は﹁インクスティック﹂で、﹁結婚してほしい﹂
と言ったからだ。
ぼくは単刀直入にプロポーズした。
和歌で言うと古今集でなくて万葉集だ。
ぼくはドラマ﹁ロングバケーション﹂のミナミと同じ、シンプルな
ことしかいえない。
ミナミは、キムタクに何しに来たかと聞かれて﹁キスしにきた﹂と
言う。
57
観ていたぼくは思わず手をたたいて笑った。
似ているからだ。
ぼくは女性に﹁結婚してほしい﹂とひとこと言った。
早くも遅くもない、部屋を決めるときも、高価なものを買うときも、
決めるときは、迷いのない一瞬の気持ちであることが多い。
女性が涙を流し、信じていいのねと言ったことが意外で、
過去に、泣くほどの別れがあったことが予想できた。
ぼくの部屋は、なんの飾りもない白い壁と、窓は薄いピンク色のブ
ラインド、
家電も含めて、すべて薄いピンクで統一していた。
小さい頃から絵を書くと、白と薄いピンク︵桜色︶の背景にしてし
まう。
部屋に、ものを置くのが嫌いで、好きなヴィトンのボストンバッグ
があるだけだった。
女性は、ぼくの部屋に泊まった。
朝の4時まで毎日繰り返される祭りの賑わいは、部屋にも聞こえて
くるので、
58
女性は眠れなかったかもしれない。
それから半同棲がはじまった。
一緒に生活できるかどうかのテストのようなものだ。
寝食を共にすれば、やっていけるかわかるものだ。
* *
いつだったか、妻が結婚した理由について話したことがあった。
﹁あのテープがいけないかもね。
ずっと聴いているうちに、歌が頭でグルグルまわって、
暗示、サブリミナル効果だね。
この人と結婚するかもと思った﹂
﹁そうだよな。
あのテープの歌詞は﹃結婚しよう﹄とか﹃今日は結婚式﹄なんて
結婚式場のCMソングだからね﹂
本当は、暗示させるつもりで聞かせたのではないけど。
ただ、僕らのバンドの曲を聞いて欲しかっただけだった。
六本木デートで、ぼくが着ていたシャツがお気に入りで、
妻にとられてしまった。10年経っても、妻はよく着ていた。
59
﹁あのJUNのシャツ、あれ、好きよ﹂
﹁チャコールグレイのタペストリー柄のシャツか。ぼくより、シャ
ツに惚れたんだ﹂
﹁女性って、そんなところあるのよ﹂
﹁まるで、﹃さよならコロンバス﹄のようだね﹂
﹁読んだことない﹂
﹁女性って、男本人より着ているものが気になる話しだよ﹂
30歳までという妻の結婚電車に、
ぎりぎりに、ぼくが乗りたいと言って手をあげたら、
女性は妥協という名の切符を与えてくれたのが、ぼくとの結婚の真
相ではないのだろうか。
60
結婚詐欺師と影千代︵第二稿︶
女性の両親に挨拶をした。
4歳と10歳以上離れた弟が二人いたが、結婚式直前まで会うこと
はなかった。
両親は猫好きで二匹も飼っていて、
父親は全部のクラシック曲が揃っていると思えるCDの棚があって、
湯豆腐と日本酒の熱燗があれば、毎度の夕食は十分と豪語していた。
女性の顔は父親に似ていた。
母親は看護婦をしていて、女性と同じく長身で、後姿はそっくりだ
った。
ぼくのことを義母は﹁とうさん、そっくり﹂と言っていた。
父親と同じO型で大雑把な性格のようだ。
結婚後に衣服の着脱はセルフサービスなので、急いでぼくが出社し
た時に、
引き出しから靴下が5センチほど、はみ出したままになったことが
あった。
61
そんなところを妻は、父そっくりだと言った。
娘は父親に似た人と結婚して、真逆な人と不倫するのかもしれない。
ぼくが﹁結婚させてください﹂と言うと、
両親からの返事は﹁娘に任せている﹂と反対はしなかった。
両親には、娘がじゃじゃ馬で勝気なところが心配だったようだ。
挨拶した時はわからなかったが、今思うとそういう顔をしていた。
会社が終わると、千石の女性の部屋に帰るようになった。
﹁なにが好きなの?﹂
﹁和食。肉じゃが、きんぴら、酢の物とか﹂
﹁そうなの。和食か・・・﹂と女性は困った顔をしていて、
近くに住む母親の元で料理した肉ジャガ、おひたしなどを運んだ。
﹁6月には結婚しよう﹂と僕は言った。
女性は時期早々と悩んでいたが、僕は迷うことはなかった。
出遭って1ヵ月が過ぎたばかりだが、長い春になってはいけないと
思った。
﹁お互い思ったときに、さっと結婚しよう。
62
結婚とは賭けのようなものだ。
結婚は、してもしなくても後悔するものだよ。
思いっきり飛び込む勇気と度胸が必要﹂と主張した。
﹁清水の舞台から飛び降りるようなものね﹂と女性は言った。
結婚を提案して、数日たった頃だった。
﹁友人に相談したのよ﹂と女性は言った。
﹁なんて言われた?﹂
六本木に住んで、外資系に勤めて、バンドをやっ
﹁結婚詐欺師だと・・・・・﹂
僕は納得した。
ていて、
知り合って一ヶ月で結婚を急ぐ、結婚詐欺師と言われても仕方がな
い。
女性は振り子のように激しく揺れるマリッジブルーの嵐の中にあっ
た。
結婚の決め手のひとつにあげるとしたら、それは飼っていた猫だろ
う。
女性は三階建ての建物の二階に住んでいて、
63
2DKの部屋で、オケでコンサートマスターを務めるほどに、
音譜通りに、見事にかたづいていた。
いつだったか覚えていないが、泊まった翌朝だった。
﹁影千代がわかっている﹂とぼくの耳元でつぶやいて、涙する女性
がいた。
布団で寝ているぼくと女性の足の真ん中に猫が入ってきたのだ。
影千代は名前からするとオスだが、メスだった。
黒と白のマスクをしていた。
名前は漫画﹁忍者ハットリくん﹂に登場する猫に似ているので、
そこからとったそうだ。
変わった猫で、女性以外に誰にも絶対なつかない。
猫好きの両親や二人の弟にも、なつかない、近寄りもしない。
影千代に近づこうものなら、さっと逃げていく。
なんとか捕まえても﹁フー﹂と威嚇したり、爪を立てて激しく抵抗
する。
女性の部屋を訪問した時、いつも影千代はいなかった。
64
二階の窓から外に出て、どこかの軒下などに潜んでいるらしい。
女性が在宅の時は、部屋にいるが、他人が来ると逃げ出してしまう、
人間嫌いの猫だ。
女性が言った。
﹁ビックリした。どんな人にも、近づかなかった猫よ。
生まれたばかりの捨て猫だった時に拾ってきたの。
仕事で昼間は相手できないから、ずっと部屋に閉じ込めていて、
他の人に接することもなく、夜帰ってきた時だけ、可愛がった。
そんな育て方をしたので、人見知りする変な猫になった。
不思議よね、影千代は、あれからあなたがいても逃げないのよね。
あなたと暮らすことを覚悟しているみたい﹂
女性の飼っている猫だと思えば、無理しても積極的にこちらから可
愛がりにいくだろう。
でもぼくは行わない。猫がおびえた顔をしていたからだ。
最初に足元に来たからといって、ぼくになついたわけではない。
影千代は、常に距離をおいてぼくの前にいた。
65
逃げ出したり隠れることだけはしなかった。
影千代がぼくの膝まで来たのは生涯でも一、二度だった。
犬を飼った経験はあるが、猫を飼った経験はなかった。
犬のよさもわかるが、気まぐれで、プライドが高いが愛嬌のある、
猫のよさも理解した。
66
ノルウェイの森で結婚式︵第二稿︶
6月のジューンブライドに結婚する。
先延ばしをするとチェンスを逃すことがある。
野球の試合でもチャンスをおろそかにすると、
次の回にピンチとなり、ゲームを失うことがある。
人生も同じで、タイミングが大事。
式が来年の6月に延びたことで結婚自体がダメになることがある。
人生は絶対思い通りにならない、何が起こるかわからない。
4月の終わり、式場をどこにするか考えた。
理想の結婚式は目黒のサレジオ教会で式をあげて、帝国ホテルで披
露宴だった。
ぼくには苦い過去があり、婚約が破談となり、
帝国ホテルにキャンセルに行ったことがある。
取り消し料金をとらないホテル側の真心は忘れられない。
さすが日本一のホテルだと思った。
縁のない教会とホテルでの挙式は女性に申し訳ないと思った。
ホテルオークラも理想の披露宴ホテルだったが、
バンドのバンマスが先に挙式していた。
67
新婦がテレビ局のアナウンサーで、仲人が土居
まさる。
芸能人並みの盛大な結婚式だっただけに、バンマスと張り合う気は
ない。
豪華なホテルでの披露宴はしない、質素な式にしようと思った。
なぜクリスチャンでもないのに、教会で式をあげたいと思ったかは、
大学2年の時だった。
革マル派が学費値上げに反対して全学部ストライキ突入、
後期試験は教場外試験となった。
2月17日に大学から教場外試験の内容が届き、
試験はレポート提出となった。
14科目、各々数十枚にまとめる論文形式で、
一部を除いては3月6日締め切りだった。
信濃町に住んでいたぼくはレポートに必要な資料を探すために、
一番いい図書館を探した。
日本で一番の蔵書数を誇る国会図書館は申し込み閲覧システムなの
で、
資料取り出しの効率が悪い。
港区麻布の有栖川宮記念公園にある都立中央図書館をみつけた。
国会図書館に次ぐ蔵書量の東京都一の図書館で、
5階建ての近代的建造物で食堂もあった。
20時まで篭ってレポートを書くことにした。
通うバスも、バス停5つ目と、便利だった。
68
図書館に通っている時に何度も、映画に出てくるような結婚式を見
た。
有栖川宮記念公園から見えるドイツ大使館の隣にある南部坂教会で
の挙式だ。
有栖川の宮様と和宮とのロマンスもかぶって、
微笑む二人へのライスシャワーは幸福の絶頂にあるシーンで、目に
焼きつけられた。
人生で一番の笑顔をしている二人、映画を観ているようだった。
麻布南部坂教会で式を挙げようと思っていたら、
俳優の田中健と古手川祐子がカテドラル教会で式を挙げるニュース
を知った。
カテドラル教会、正式には目白東京カテドラル聖マリア大聖堂と言
って、
東京の教会の総本山、明治時代に日本で最初に聖堂が建てられた。
空襲で焼失してしまい、現在は建築家丹下健三の設計による、
約40メートルの高さの大聖堂とフランスのルルドの泉の洞窟の岩場
が再現されている。
カテドラル教会には縁がある。
東京に来てはじめて住んだ下宿の隣だ。
村上春樹氏の小説﹁ノルウェイの森﹂の舞台にある教会で、
ぼくは18歳の時にカテドラル聖マリア大聖堂の鐘を聞きながら寝
起きしていた。
69
結婚式はカテドラル教会で、披露宴は目白通りを挟んだ、
カテドラル教会の斜向かいにある﹁椿山荘﹂に決めた。
さっそく教会に申し込みにいくと、毎週教会の講習会に参加すれば、
仮の教徒になれて、結婚式を挙げられると言う。
19時に始まる講習会に女性と通うと、講習の内容は夫婦生活での
カトリックの教えや、
結婚後の人生の入門みたいなものだった。
俳優の田中健さんと古手川祐子さんも講習に来ているとのことだっ
たが会うことはなかった。
﹁椿山荘﹂には思い出がある。
蛍のことだ。
小説﹁ノルウェイの森﹂でも蛍が登場する、引用すると
その月の終わりに突撃隊が僕に蛍をくれた。
﹁庭にいたんだよ﹂
﹁ここの庭に?﹂と僕はびっくりして訊いた。
﹁ほら、こ、この近くのホテルで夏になると客寄せに蛍を放すだろ
う。
あれがこっちに紛れこんできたんだよ﹂
70
小説に登場するホテルとは﹁椿山荘﹂で、周辺は森になっている。
ぼくが下宿に住んでいた頃だった。
夜アルバイトが終わって帰宅する、地下鉄早稲田駅から馬場下町、
左に早稲田高校を見ながら直進すると
左に早稲田大学正門のある早稲田鶴巻町の交差点に出る。
それを直進すると新目白通りに出た。
新目白通りを渡ってジグザクに曲がると神田川が見えてくる。
橋がひとつだけあって、神田川を渡ると、右に松尾芭蕉庵があるが、
背後は﹁椿山荘﹂の深い森である。
﹁胸突坂﹂という、名前の通りに胸を突く急坂を通るのだが、
街灯がなく、夜は人気もなく、暗闇で不気味だ。
ここから先を、ぼくは﹁ノルウェイの森﹂と呼んでいて、
この﹁胸突坂﹂を通る時に道案内にやってくるのが蛍だった。
坂を登っていくと右は椿山荘の塀が続き、左は永青文庫や妖しげな
洋館があり、
71
村上春樹氏が下宿して、小説﹁ノルウェイの森﹂に登場する和敬塾
があった。
72
キャンティで結納︵第二稿︶
結納は5月の終わり頃、六本木飯倉にあるキャンティ本店の二階を
貸し切って、
九州からぼくの両親、女性の両親の6名が集まった。
キャンティの洋一氏が鯛一尾で祝ってくれた。
﹁弟が下宿先でいっしょだった、ご縁なんですよ﹂と洋一氏が言っ
た。
弟の新さんとは、結婚式をするカテドラル教会付近の下宿でいっし
ょだった。
二つ年上で、ロックバンドマザーブレインの紹介もしてくれた。
お互いに同じ月に下宿を出ることになり、
お別れ会を兄貴のいる﹁キャンティ﹂で行ってくれた。
新さんがいなかったらロックバンドに入ってディスコで演奏したり、
﹁キャンティ﹂との縁もなかっただろうし、
六本木に住みたいとも思わなかったかもしれない。
有名人が集うイタリア老舗レストラン﹁キャンティ﹂で、
73
どんな有名人を見かけたかを列挙すると、1ページ以上は必要とな
るので語るまい。
淡いピンク色の和服を着た女性に、
両親は女優というあだ名をつけてしまった。
友人に会わせるたびに、同じことを言った。
﹁新さんはどうしているの?﹂と女性がたずねた。
﹁鳥取の郷里で就職して結婚してしまった﹂
新居は六本木を離れて青山にしようと思ったが、バンドの先輩を手
本にすると、
妻の実家に近い、スープの冷めない距離がいいらしい。
女性のことを考えて南大塚のマンションに新居を決めた。
最寄り駅は大塚駅で、女性の実家とはスープまではいかないが、
シチュウが冷めない距離だった。
結婚式より先に入籍して、良き日を選んで女性はマクラと猫を連れ
てやってきた。
70年代の青春映画﹁卒業﹂のような、
結婚式ドタキャンだけは避けようと思った世代かもしれない。
74
the
Bathroom
Came
in
Window﹂が、
女性が新居に来た日に、ビートルズの﹁She
Through
ぼくの頭の中をかけめぐった。
歌詞を勝手に、ぼくは変えてしまっているが、
﹁彼女がバスルームの窓から裸でやってきた。ひとつのスプーンで
隠しながら・・﹂
結婚式で思い出深いのは日本一のパイプオルガン︵マショーニ・オ
ルガン︶が鳴り響いて、
式が終わった後は、椿山荘まで徒歩で3分だが、リムジンカーに乗
ったことだ。
It
Be﹂を弾き語り
披露宴では、夫婦の共通点である﹁出たがり屋﹂が出て、
余興で妻は弦楽四重奏、ぼくは﹁Let
した。
披露宴での音楽は全部選曲した。
お色直しの入場には新婦の好きな﹁真冬の帰り道﹂、
キャンドルサービスはビートルズの﹁ビコーズ﹂にした。
こうして女性は、ぼくの妻となった。
75
人生のゴールデンイヤーズだったと思う。
76
成田離婚と言われた関係︵第二稿︶
1986年7月にハネムーンに出かけた。
新婚旅行で冒険をしない方がいい、ガイドつきツアーと、安全策を
とった。
ヨーロッパに行きたかったが爆弾テロなどが頻発していたので避け
て、
音信不通の祖母の姉がハワ
ハワイ、カルフォルニアに行くことにした。
永住したいくらいにハワイが好きで、
イに永住していた。
ツアーの間に、他の新婚カップルと仲良くなり、僕らは成田離婚だ
と言われた。
成田離婚というのは、死語になっているかもしれないが、
新婚旅行からの帰りの空港で、既に離婚状態という意味だ。
他の新婚カップルと違うのは、親密度を周辺にアピールしていない
ところかもしれない。
手をつなぐわけでもなく、食事もセルフサービスで、お互いに食べ
あうこともしない。
77
黙々と食べている風景は、冷めた関係にみえるのだろう。
妻もぼくも無口だし、ドラマで、えがかれるような新婚さんとは違
いすぎて、
二人で熱々というものはなかった。
お互いに気を使う必要がなかったのかもしれない。
さて新婚生活が始まった。
家庭生活を始めるにあたり、印象にあるのは、妻の宣誓だった。
﹁自分で着て、出社して下さいね、帰宅したら自分で脱いで下さい
ね。
夫の身支度をすることはしませんから﹂と言われた。
掃除洗濯は日に数回行うほどの神経質な妻だが、朝起きるのが苦手
だった。
ぼくは弁当が嫌いで、作ったものは、すぐに食べないといけない。
時間経過したものは口にしたくなかった。
朝は妻の寝顔をみながら出勤した。
夫婦生活初日から長続きできそうだったかもしれない。
そのかわりに夕食はきちんと毎日怠りなく作ってくれた。
78
﹁キッチンドランカー﹂と名付けた。
帰宅すると妻は晩酌をしながら台所で料理していた。
料理は酒のつまみ中心で、
妻は酒豪だが、僕は酒より食事したいタイプだった。
﹁私だけでよかった。二人とも酒飲みだと家計は破産しているわ﹂
と好きな酒を独占していた。
新婚旅行から帰った翌月の8月に、新婚二ヶ月目で妻は中国へ演奏
旅行に出かけた。
静岡フィルハーモニー管弦楽団の客演だった。
寛
﹁運命﹂
寛:中国横笛のための小協奏
8/12ー17中国公演︵北京音楽庁・杭州劇院︶
指揮/石丸
交響曲第5番
曲目/ペンデル:水上の音楽、石丸
曲、
ベートーウ'ェン:
石丸寛が中国生まれだから招聘されたのだろう。
中国人は﹁運命﹂が好きだと言って、練習部屋から、
名器ストラディヴァリの﹁運命﹂が流れた。
帰国後はオケの秋公演で真剣にバイオリンの練習をしていた。
79
毎週土日のどちらかはオケの練習に出かけた、妻はコンサートマス
ターなのだ。
ぼくはロックバンドのスタジオでの練習とヤマハエレクトーン教室
に通っていたので、
バランスの良い週末だった。
コンサートマスター︵concertmaster︶は、オーケス
トラの演奏をとりまとめる職をいい、
︵concertmistr
一般にはヴァイオリンの第1パートのトップ︵首席奏者︶が、この
職を担う。
女性の場合はコンサートミストレス
ess︶が正確で、
妻はコンミスと呼ばれていた。
ボウイングという運弓法、弦楽器で弓をどのように動かすかという
方法を
指示する必要があり、妻は頭を痛めていた。
妻の演奏をみると、観客にいる僕には知らん振り、
まるで別人のような真剣な顔で演奏していた。
視力がセロ以下で、コンタクトをしていたが、コンタクトでも視力
がカバーできないから、
80
ぼくのことが見えないかもと思うが、まるで離婚した夫のような感
じだった。
本番前は胃が痛くなるタイプで、血液型Aの典型的な緊張体質だし、
コンミスが演奏前に、僕にアイコンコンタクトをするわけがないと、
良い方に解釈したが、このクールさが妻の特徴だ。
二人で演奏したことがある。
鮮明に覚えているのは、従妹の結婚式の披露宴で、
モーツアルトの﹁アイネクライネナハトムジーク﹂を妻がバイオリ
ンを弾き、
ぼくがピアノ伴奏した。
初めてのクラシック演奏に不慣れな僕は不安からテンポが異常に速
くなっていく、
妻は見事に僕の異常な速さに合わせてくれた。
それから会社で、会長と家族がイギリスに帰国することになり、
池袋サンシャインのホテルで送別会が行われた。
社員で即席バンドを作ってビートルズの﹁イエスタディ﹂をピアノ
を弾きながら歌ったが、
81
音あわせしていないのに妻のバイオリンが見事にからんできて、
やはり僕の妻なのかもしれないと思った。
82
ミユキ︵第二稿︶ 結婚した年の晩秋に、妻が妊娠した。
子供を望んでいたので、二人で喜びあった。
妻もオケを休んでも子供が欲しいと強く望んでいた。
初めて新幹線で妻の顔を見た時、
子供が好きだと直感、それが結婚したいと思った理由でもあった。
ぼくはなぜか女の子しか生まれないと信じていて、名前をミユキと
決めた。
僕は風邪で寝込んだことが何度かあったが、
妻は一度もなく健康で、家事をテキパキとこなし、
﹁私は強いのよ﹂が妻の口癖だった。
お腹が膨らんでからも布団干しをやっていて、毎日やらないと駄目
らしい。
﹁今は疲れているから、明日手伝うから﹂と言って、布団干しを手
伝わなかった。
妻はコゴトも言わずに布団を干していた。
83
言い訳じゃないが仕事が精神的に疲れるシステム設計で、
頭を疲労させていて、家では寝ていることが多く、家事を手伝わな
いでいたのだ。
さらに言い訳だが九州男児という悪い習慣が残っていて、
家事は手伝わないでいいと思っていて、
﹁男は外で稼いでナンボじゃけん﹂というところがある。
反省しても遅いが、結婚して男が家事するようになると、
身に染みて理解するひとつだろう。
家事は仕事より大変だということ。
毎日のふとん上げがいけなかったらしく、妻は異常出血して、
切迫流産の危険ありで入院した。
離婚調停の書類に、まっさきに書き込まれるひとつだろう。
妻の﹁スティング﹂のひとつになった。
映画の題名だが、意味は一撃。
妊娠時に家事の手伝いをしなかったことは、妻の恨み節となってい
った。
84
妻の子宮口は緩い体質だった。
入院は3ヶ月以上になり、5月6日、大型連休の最後の日だった。
流産を止めるために子宮口を縛る直前だったが、
担当医師が休みをとっている間にあっというまに、
入院している病院のベッドの上で流産してしまった。
病室流産は、よくあることだろうか?
事件にかけつけた僕は担当医師をにらんだ。
肝心な時に医師不在で申し訳ないような顔をしていた。
子宮口を縛るタイミングを間違え、医師怠慢だと裁判したくなるほ
ど怒りを感じたが、
ミユキが戻るわけではないので、とどまった。
毎日の病院通いと、家には猫だけが残り、部屋はすっかり男所帯に
なっていた。
妻の愛猫﹁影千代﹂の糞の後始末が意外にめんどうだった。
下痢はよくするし、猫を育てるのは大変だ。
子育てができる女性かどうかを、見極めるには、
85
ペットを長年飼っているかは、ひとつのポイントになるだろう。
5月には母が九州から来て家事を手伝ってくれた。
母がミユキの遺体を引き取って、
福岡の祇園町にある菩提寺﹁萬行寺﹂の墓に納骨してくれた。
母は僕らに遺体を見せなかった。
だから女の子かどうかわからないが、母はミユキと呼んでいた。
大げさだが妻はマリリンモンローに似ていると思った。
マリリンは二度流産している、子宮口が緩かったようで、
自伝を読んで流産で悲しむ部分は、いたたまれなかった。
マリリンに子供が生まれていたら自殺はしなかったかもしれない。
天は二物を与えない、稀にみる美貌は与えたが、必ず人よりは劣る
ものがある。
流産の後、退院して実家で静養した妻に二度目の仕打ちが襲った。
母乳が定期的に大量に出るので、出し切らなくてはならない。
妊娠後期には妻の胸はニ倍以上に膨らみ、
86
産道を通ることによりミルクタンクとなるようだ。
女体って不思議だ。
タライ一杯に母乳を出す作業を見ていて痛々しかった。
家に戻った後は飲ませてもらって、妻の赤ん坊になった気分だった。
﹁名前を先につけたから、早く出たくてしようがなかったのよ。
もうちょっと頑張れば未熟児で生きて出られたのに﹂と、
コゴトも、愚痴も言わない、クールな妻が言った。
生まれるまでは名前をつけないことを決めた。
2006年に母がなぜ赤い女の子はミユキだと言ったのか、
妻と僕が思えなかったのは1987年流産した一年後の出来事の解
釈にあった。
87
女は無口なほうがいい︵第二稿︶
﹁なぜ、蝶々って、あだ名なんだ?﹂
た。
と妻にたずねたことがあっ
﹁蝶々みたいに、あっちいったり、こっちいったりしているからっ
て言われた﹂
﹁漫画にある﹃エースをねらえ﹄の、お蝶夫人からきたんじゃない
か?﹂
﹁お蝶夫人ね、クールでかっこいいキャラクターよね﹂
﹁クールで派手なところはそっくりだと思う﹂
流産について愚痴を言うわけでもない、
いらだつこともなく、淡々としている、
自分を哀れんで泣くわけでもなく、八つ当たりもしない。
これはどこから来ているのだろう、
バイオリンに集中することで悲しさをまぎらわしていたのだろうか。
ぼくに心配かけないように無理していたのかも知れないが、
88
江戸っ子、前を向いていて、過去のことでクヨクヨしない、
竹で割ったような性格で、
男にしたら、カリスマのある良いリーダーになれたろう、
弟が二人もいることも大きく影響していたと思う。
一方、ぼくの母はおしゃべりで、話さずにいられない、機関銃のよ
うだった。
聞き役が親孝行だと思い、我慢の数時間をじっと耐える。
ラジオような電源があれば、すぐに消したくなる。
妻は逆に、必要以上しゃべらない。
あまり語らず、クールだ、おしゃべりじゃないことは落ち着かせる。
歌謡曲︵八代亜紀の船唄︶に、
お酒はぬるめの燗がいい・・・.
魚はあぶったイカでいい・・・.
ともりゃいい∼とあるが、
女は無口なほうがいい・・・.
灯りはぼんやり
89
男の本音だろう。
男には24時間ずっといっしょにいて疲れない、楽な女性だ。
思えばこれまで無口な女性とつきあっている。
誤解しないでほしいのは、いつも無口ではないことだ。
ぼくでさえ、おしゃべりになることがある。
妻も熱く語ることは何度もあった。 5月に流産して、妻が健康体に戻った頃の8月に、
二人ともに好きな京都へ旅行した。
東京から自家用車で出かけ、3泊くらいだった思う。
暑い京都だったはずだが、暑い思い出はなかった。
名所を回ったが大原三千院の苔の庭園が一番美しく、忘れられない。
妻は僕が嫌いな車の運転が大好きで六割は妻が運転していた。
所変われば子宝に授かるというが、秋に妻は妊娠した。
再び女体の話しだが、お産した年が一番妊娠しやすいそうだ。
妻も流産というか早産だった。
90
お腹が脹らむと昨年の流産のトラウマが襲ってくるようだ。
外を歩くにも、僕の付き添いが必要だった。
平らな道なのに妻が転倒してしまった。
舗装された道路にあった微小な砂利に、
妻の靴が少々滑っただけでパニックになって尻餅をついてしまい、
わっと泣きだした。
あわてて妻の手をつかむと、僕に抱きついてきて、さらに泣き出し
た。
クールな妻の牙城が崩壊した最初だった。
家に戻って様子を見たが、その後出血はなかった。
91
空蝉橋の子宮縛りの名人︵第二稿︶
子宮を縛るのが上手と評判の﹁石川医院﹂に、お世話になることに
なった。
石川医院は自宅から徒歩7分程度のところにあって、
大塚駅の北口出て左に進み、ラブホテルの並ぶコーナーの隅にあっ
た。
人気のない場所で、山手線高架橋の空蝉橋の下に、うずまっている
ようだった。
古いコンクリートの三階建てだった。
子宮を縛る名人は女医で、医院はベット数が少なく10もなかった
と思うが、
妻のような子宮状態で悩んでいる女性で、満席だった。
毎日必ず二回病院に通った。
当時自転車で通勤していて、会社は自宅から自転車で15分程度の
後楽園にあったので、
昼は妻の好きなパンや、これまた好きなモスバーガーを買って病院
で、いっしょに食べた。
92
妻は夜になると隣のラブホテルから声がしてくると言っていた。
会社と病院は都道436号線という道路でつながっていた。
仕事を終えると436号線の文京区側は﹁千川通り﹂と呼ばれた。
進むと右に小石川植物園があり、他には小さい印刷屋が立ち並んで
いる。
千石三丁目交差点を越えると南大塚側は﹁プラタナス通り﹂と呼ば
れていた。
大塚駅に着くと都電の線路を横切って大塚駅北口のロータリーに出
て病院へ行った。
入院といっても健康体の妻だ。
夕食は外食で済ませて、松屋かケンタッキーでサラダと、
大塚駅のコージーコーナーでケーキを買って差し入れした。
牛スジ肉が子宮にいいというので、おでん種で買っていったり、
たまには肉をじっくり煮込んだものを持っていったこともあった。
自炊する気はおこらず、家では家事と猫の世話を行う日々が続き、
数度マンションに住む
住人から苦情をうけた。
93
猫の紙砂がドア経由で廊下に、お邪魔していたからだ。
妊娠期間は十月十日というが、月は昔の﹁数え﹂で計算するので
正確には九ヶ月と十日ということになる。
そろそろ生まれる時期の5月になった。
昨年の魔の5月6日を迎えた夕方のことだった。
妻が異常に興奮していて、
僕の手をとって、それからだきついてきた、妻の手はふるえている。
異常な状態を石川女医に知らせて、診てもらった結果、手術しなけ
ればならないと言われた。
94
勲章とハンコ︵第二稿︶
石川女医は帝王切開すると言う。
なぜ帝王切開するのか疑問があった。
子宮はしばってある、正確には卵管がしばられている。
細径のチューブのような硬いものでしばられていて、手でさわると
わかる。
子宮しばりは、お腹を切らずに、すべてを腟からの操作で行う手術
のようで、
らんかんけっさつ
卵管結紮術というらしい。
しばったチューブを取れば、赤ちゃんは出てくるはずなのだ。
それが駄目らしい。
手術なので出産に立ち会えず、帝王切開で、女の子が生まれた。
それと同時に手のこぶしほどあった肉の塊を見せられた。
子宮筋腫で、昨年の流産の原因でもあるらしい。
母乳のことだが、なんと皮肉なことだろう。
95
帝王切開で産道を通っていないので、母乳が出ないのだ。
妻の心は複雑だったに違いない、母乳を飲ませたかったと思う。
赤ん坊はミユキのよみがえりだと思った。
昨年の5月6日の夜中にミユキを流産して、
一年違うが、翌日の5月7日に生まれたのだ。
誕生日に7がからむ、因縁の数字のようだ。
僕が7月7日、父が2月7日、母が7月31日、
妻が7月16日、義理の父母も7がからんでいたからだ。
妻のお腹には見事なミシンの縫い目のような、
正中線の手術跡が残った。
﹁女の勲章よ﹂と妻は言った。
妊娠線というものがお腹に残ることも知った。
この頃からだろう、妻のことを﹁ママ﹂と呼ぶようになって、
ぼくは﹁パパ﹂と呼ばれた。
妻は赤ん坊を
﹁ハンコよ、私の判子みたいなものよ。ミユキの生まれ変わり﹂と
言っていた。
96
熟睡できない、魔の嵐のクライ・ベイビー・クライの期間が始まっ
た。
赤ん坊に深夜も未明もないのだ、泣き出したら起きて対応するしか
ない。
便秘になって深夜出動したことがあった。
ミルクに混ぜる便秘薬のマルツエキスを探しに、巣鴨から池袋まで
車で奔走した。
長女は哺乳瓶を片手で持って、片足を曲げた膝で、瓶を固定させて
飲む、
いかにも生意気そうに飲んでいる。
性格は持って生まれてくるようだ。
ぼくに似た頑固一徹さは飲む態度でわかった。
ぼくが名前をつけることになった。
名前を決めるにあたって決めていたのは国際的に通用する名前であ
ること。
六本木飯倉のキャンティの建物の並びで、
飯倉公館の向かいにあったIBMの研修センターで講習を受けてい
る時に、
﹁リサ﹂に決めた。
97
そして女の子には﹁子﹂をつけることにしていた。
﹁子﹂というのは天皇皇族しか本当は、つけてはいけないらしい。
子をつけようと決めたのは、友人の母の葬式に出席した時だった。
葬式はキリスト教会で行われた。
友人の母方の叔父が言った。
﹁なぜ教会でするんだ。俺は許さないからな、親戚も不満だぞ。
いいか、もう一度田舎で、坊さん呼んで葬式するからな﹂
叔父は納得ゆかないような、気がおさまらない顔をしていた。
ぼくも教会の葬式は記憶がなく、神父といっしょに歌って送ったが、
いまだに忘れられない葬式だった。
叔父が親戚代表で気になるスピーチをした。
亡くなった母の名前は﹁ヒロ﹂というが、
スピーチの中に、ひっかかる一節があった。 ﹁ヒロはヒロコじゃなくて、コがない。どうしてもハイカラにした
いらしい・・﹂
﹁子がない﹂と二度言う、なにか皮肉にきこえた言葉だった。
﹁子﹂がないのは女の子には縁起が悪いと思った。
それでリサコと名付けた。 妻はぼくの妻から完全に母にチェンジしてしまった。
朝はきちんと起きるようになった。
98
今までぼくのために一度も朝起きたことがないのに。
教育ママになり、亭主より娘に集中していく。
命がけで授かった子は妻にはこのうえもない宝だったのだろう。
長女が二歳になった時だった。
妻はリサコのために二人目を生むと言い出した。
﹁パパ、お産で母子のどちらかしか救えないとなったら、子供を助
けてね。
リサコのために・・・﹂
妻は命がけの勝負に出たのだ。
再度帝王切開が、できるのだろうか?
99
週末は母子家庭︵第二稿︶
1991年7月19日、二人目の出産となり、カムリ車で出かけた。
石川医院の隣のラブホテル側に駐車して、医院に向う時に事件が起
こった。
背後から衝突音がした。
ふりむくと、カムリの横腹に、ラブホテルから出てきた車が激突し
た。
すぐに現場まで行って加害者の車の窓をたたいて、
ウインドーを開けさせた。
運転しているのは男で、隣に座っている女性は下を向いていた。
加害者は示談を希望し、
カムリの修理費用を加害者側に全額支払いさせることを
確定させるのに時間がかかった。
示談を終えて医院にかけつけると、帝王切開でなくて自然分娩で、
女の子が生まれたことを知った。
100
妻は、ぼくが出産に立ち会わなかったことで不機嫌な顔だったが、
衝突事故を伝えると、﹁大丈夫だった?﹂と聞いてきた。
﹁うむ、乗っている時じゃなくて良かったよ﹂
カムリが犠牲になって、出産の難儀をかぶってくれたように思えた。
名前はリカコとした。
リサコと分け隔てのない公平な命名ルールと思ってリカコとしたが、
失敗だった。
まぎらわしいのである。
リカコのことをリサコと言い間違えたりする。
妻は再び胸が膨らみ、満悦した顔で、母乳を与えていた。
﹁ずっと、こんななら、いいのに﹂と妻は胸をみて言った。
見るたびに自分じゃないような、別のものをみるような感じだった
のだろう。
産道を通ると母乳がでるのだろうか、母体の不思議さをあらためて
感じた。
妻は子育てに専念すればするほど、ぼくの疎外感は強まった。
101
次女が幼稚園に行くようになると、
家庭内で女3名が一致団結して連帯感があり、
異性のぼくは浮いていて、なにか阻害されているように思えるよう
になった。
ここで積極的に参加すればいいのだろう、子供は好きだが、
どうもなじめない、何かがあった。
A型の妻はなんでも完璧にやらないと気が済まない性分で、
妻の色と違った夫の色で染めさせたくない雰囲気があった。
幼児から塾に通わせる教育ママで、ぼくは反対したが、きかなかっ
た。
ぼく自身は中学生になって塾に行き、それまでは勝手気ままに育て
られた。
小学生までは自由な方がいいという考えだった。
食事も娘中心で、妻は育児に没頭していく、なんともいえない疎外
感。
どこの家庭でも起こることらしい、子が生まれると、妻の夫への愛
情は消滅に近くなる。
102
﹁あなたにまでかまっていられない﹂というのが妻の本音で、
夫のことは好きで、大切だが、子供が生まれる前の感情とは明らか
に違う。
子供を絆にして繋がっている家族という感じだ。
それまでは、恋人感覚だったが、今は、肉親に近いような感じとな
っていった。
この疎外感を埋めるためだったのか、
ぼくはイントゥ・ザ・ワイルドに、のめりこむようになり、
山や離島に単独で出かけた。
金曜の夜に出撃して原生林に入り、日曜の夜まで帰ってこない生活
が始まった。
極端な懲り性で、熱中するとまわりが見えなくなってしまう。
やるとなれば、どこまでもやってしまう、中途半端ができない。
そのかわり、やらないと思えば、どこまでもやらない。
春と夏だけだが、週末は家にいなくなって、
妻からは﹁週末は母子家庭と﹂言われるようになった。
妻だけでなく長女もぼくに反感をいだき、
103
﹁あなたは、父親じゃない﹂と言われてしまった。
週末に家庭をみないで、野生へ逃避していったことが、
始まりとなるのだろう。
夫婦に亀裂がはいり始めていた。
104
妻は家庭でも女優 ︵第二稿︶
2000年、正月は母を連れて、ハワイに家族旅行に行き、
﹁一生に一度、あこがれのハワイに行きたい﹂と
言っていた母の念願をかなえた。
長女は小学6年、次女が小学3年、妻は46歳になった。
妻の風貌は衰えてきたが、他人には変わらなく見えるだろう。
体の線も変わらない、170センチになろうとする長身は、
すらりとしていた。
週末はアウトドアに熱心なぼくは、母子家庭と言われたが、
妻は家庭でも女優を維持していた。
家にいても、いつも身奇麗にしている妻。
朝起きると、いつも、﹁おはよう﹂と言う女優の微笑みがある。
だらしのない格好は絶対に見せない、家でもスキをみせないのだ。
毎日の暮らしに美人がいて、ながめているだけで、幸せだったかも
しれない。
105
出会った頃はオードリーヘップバーンに似ていたような幻を見た。
恋は盲目と言うが、完全に妻の顔がヘップと、妄想化していたのか
もしれない。
松嶋菜々子にも雰囲気が似ていると勝手に思った。
菜々子は同じ二女の母だし、血液型も同じA、
体の感じも雰囲気もそっくり、
菜々子が出ているテレビを観ていると、まるで妻をみるようだった。
妻はいつまでたっても所帯じみないのだ。
香水は7種類以上ある、耳のピアスもいくつもある、
髪をダークブラウンに染めていて、
﹁私はぬかみそ臭い女にだけはなりたくない﹂と常に言って、
毎日ストレッチ、美肌対策などして、
美しさの維持には大変な努力をしていた。
いっしょに外出して知人に会い、妻を紹介すると、
妻を見て一瞬フリーズしてしまう、
106
稀にみる美麗種なのだろう。
以前も述べたが、45歳の頃、主婦参加のテレビ番組に友人らと出
られることになったが、
妻だけ、顔のチェックで、出演拒否された。
テレビ局側は﹁やらせはしたくない﹂という。
妻でもなく、二人の子持ちの母でもない、女優というのが一番的確
だ。
どうしてぼくのようなブサイクで、金持ちでもない、凡人と結婚し
てくれたのだろう。
叔母さんが妻に尋ねているのを聞いたことがある。
﹁うちの甥って、ちょっと顔が可愛いよね? そこがよかったのか
な?﹂
妻がうなづいていた。
妻の方からすると、年齢的なものがあった。
30歳という、結婚するには大晦日前のぎりぎりのタイミングで、
お見合いした相手との縁談も進んでいた。
もし妻が20歳代だったら結婚には至らなかったことは確かだろう。
107
46歳になっても、女優を維持しているのは、夫のためでも、
娘のためでもないことが、
わかるようなことが起こることになる。
108
妻の不倫を目撃
2001年12月26日、24時になろうとしていた。
結婚して16年目、46歳になっていた妻が
自宅マンションの周りの明治通りを見知らぬ男と恋人のように一周
している。
一階の正面入口にあるゲストルームの窓から、
のぞいている僕に気づくと、二人はあっというまに離れて、
妻は違う第二の門から入ってしまった。あっけにとられた僕は、
妻から離れて逃げるように去っていく男を追いかけた。
男の進行をさえぎって、顔をじっと見た。
なぜか顔を見たかっただけだ。
男は酔っているように思えた。泥酔に近かった。
何も言葉を交わさなかった。
沈黙状態は10秒も続いただろうか、僕は自宅へ戻った。
109
七階の部屋に戻った妻を呼び、一階のゲストルームに呼んだ。
﹁僕はコキュに、とうとう、なりさがったのでしょうか?﹂
僕は怒りを覚えると、冷静になろうとして、
わざと他人めいた丁寧語になってしまう。
﹁コキュって?﹂
﹁フランス語で、妻を寝取られた夫のことです﹂
﹁絶対に、それはないわ﹂
﹁本当にそうなんですか? じゃ、どんな関係なんですか?﹂
妻は男のことについて、これまでの経緯を述べた。
経緯は別途あらためて説明する。
﹁彼のことは好きよ、でも﹂
﹁好きなら、彼のところへ行ってくださいよ﹂
もともと妻は無口で、謝るわけでもない。
真夜中でもあり、翌日に詰問再開で、部屋に戻った。
その日は眠れなかった。離婚しようと思った。
110
信じきっていた僕のハートは機関銃で蜂の巣のようになって、
寒い風が吹き荒れていた。
腹いせに自殺するのもいいかと思った。
自分に落ち度があるから浮気されるんだ。
本当にコキュになっていないのだろうか。
そんなことが頭の中、津波のように押し寄せた。
==========
この続きは
﹁ヴィオロンの妻﹂ Amazonで再版
2014年10月に出版され、
すぐに絶版になったノンフィクション自叙伝、
新たに第二版として出版されました。
Amazonでの紹介
http://www.amazon.co.jp/gp/pro
duct/4908231346
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本の目次の紹介
1.お化けで出てきた、赤い服の女の子
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2.ノルウェイの森で結婚
3.空蝉橋の子宮縛りの名人 4.日記編﹁不倫は別れの理由にならない﹂ 5.日記編﹁麻薬のままサヨナラ﹂
6.ミユキの骨壷の水
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真実の写真集
http://murakamisagan.web.fc2.c
om/sakubun/violon.html
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n3440y/
ヴィオロンの妻(真実の記録)前編
2016年9月15日05時54分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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