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営業の大発明アルバムビデオがVHS-β戦の初期を制した

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営業の大発明アルバムビデオがVHS-β戦の初期を制した
【平成25年度黎明会資料】
平成 25 年 6 月 15 日
牛頭
進
◆営業の大発明「アルバムビデオ」がVHS-β戦の初期を制した
昨年10月28日TBSラジオが司会爆笑問題の日曜サンデーに「VHS」を取り上げ2
7人の証言を放送した。ここでの当時β開発責任者河野文男さんのコメントが気になった
廣田昭さんは後日、その河野さんに直接に会って聞いたそうだ。河野さんはソニーとして
「当時すでにβの 2 時間化を達成し、2 年間の先行による技術力、生産力、コスト力等、全
ての面でVHSを上回っていた、にもかかわらず、なぜβが VHS に負けたのかわからな
い?」。河野さんは疑問点をぶつけてきた。
このソニーの疑問に廣田さんは即答ができなかったそうだが、ホームビデオの初期にお
けるその答えは、菅谷光雄さん(当時営業課長)が会社退職時に残した「ミスターVHS」
(「経営倫理
2001 年 11 月 25 日
経営倫理センター発行」
)にある。この 23 ページに“営
業の大発明” 「アルバムビデオ」として紹介されている。
◆「アルバムビデオ」の開発展開~ハードを売るな、ハートを売れ~
VHS発売から 1,2 年は規格競争が熾烈を極めたが売れ行きは芳しくなく在庫が膨れ
上がっていった。「こんなに素晴らしい商品を営業は売り込むことできないのか。自分に知
恵がなかったらもっといろんな人たちの知恵を借りたり、お客さんの声をもっと聞いたら
どうかね」。 髙野さんからこう言われた菅谷さんは、市場を歩き回って様々な体験談や提
案を集めた。そのひとつが「アルバムビデオ」である。テレビ放送のタイムシフトとは別
に、ビデオカメラを使って自分や家族の写真を映像化し、
BGMやアフレコで演出した
りする販促・普及策である。菅谷さんをリーダーとしたプロジェクトクトは
ひとつの販
売店から得たヒントを使い「ハードを売るな、ハートを売れ」を合言葉に全国に展開し、
結果として価格を下げたβと比べVHSはその効用と価値を売ったのである。
◆小さなVショップ川崎F電化からスタートした「アルバムビデオ」
(当時のF電化担当セールスマンの話より)
・私は、VHS を毎日のごとく売り込んでいたが、店主は「ビデオはまだ早い。価格は高
いし番組を録画するなんて必要ないよ。テレビの買い替えの方が先だよ。あんたもしつこ
いなぁ」と言われ続けていた。なかなか取り扱ってもらえない VHS の売り込みはもう無理
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かと思い“これがだめならしばらく売り込むのは止めよう”と腹をくくり最後の話を切り
出した。「社長が毎年参加している戦争中の仲間との慰労会はもうすぐですよね。今年も出
席するなら、その仲間の人たちにビデオソフトを見せてあげられないかなぁ。カメラで写
真を撮影して、アフレコして BGM を入れてあげたら喜ばれると思うのですが・・・」
・その話にも店主は無反応だった。仕方なく奥さんに「戦時中の仲間の写真を 10 枚くら
い貸してもらえないかと頼み、その写真の、仲間の人となりなどを聞き出した。そして、
その夜から GC カメラで写真を1枚1枚撮影し、ストーリーに合わせて自分でナレーショ
ンを入れ、さらに BGM に“同期の桜”を記録した。5 分程の短い VHS 自主制作のビデオ
ソフトがようやく完成した。
・しばらくして、私はそのソフトを持って店主に会う。「またビデオか。話はもういい」
と言われたが「今日はビデオの話はしません。このソフトを見てくれるだけでいいです」。
店主はいい顔はしてくれなかったが、少したってからビデオを見出した。説明しようと思
い口を出したら「うるさい。もう一度見るにはどう操作したらいいのか」と言われ「ここ
は当分、ビデオは扱ってくれない」とあきらめた。帰り際に店主に言われた。なぜか、店
主の瞳は濡れていたように思えた。「これと同じソフトを 10 本、すぐコピーしてくれない
か」。 私は言われたことの意味が良くわからなかったがコピーは届けた。
・1 カ月近くたって私は店主に呼ばれた。「この間はありがとう。戦時中の仲間との会合
で君がコピーしてくれた VHS ソフトをみんなに配ってあげた」と話を切り出した。「ソフ
トを見るにはビデオが必要だよと VHS をすすめたら 3 人から”すぐ見たい”って言われた。
君のお陰だよ」と凄く喜んでくれた。F 電化さんはそれをきっかけに VHS を扱ってくれる
ようになった。数は少ないが毎月確実にお客さんを増やしていった。
この話をスタートに“アルバムビデオ”は、ビデオカメラを使い VHS ビデオの効用、価
値を訴求する販促・普及の中心政策として定着していった。後に全国展開のコーデイネー
ターとして活躍してくれた加藤豊昌さん(当時営業本部部長)は「ハードを売るな。ハー
トを売れ!」をキーワードにした。VHS 開発メーカーならではの知恵と工夫が営業から生
まれ「営業の大発明」として普及のきっかけとなった。
・「そうか、営業がやったか。いい策を営業が考えたか」高野さんは誉めてくれた。「そん
ないいことは他のメーカーに教えてやれ。みんなでやったらもっと広がるんだから」とも
言われた。さすがに高野さんである。
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昭和61年ビデオ事業部発行VHS10周年記念誌より
◆VHSの世界制覇に向けて
菅谷さんの「ミスターVHS」には市場導入当時の営業活動の実態が鮮明に記されている。
それによると VHS は、その頃から技術や生産領域以外にも独自の営業開発活動を活発化
させ、世界普及に向けて密かに動き出していたのだ。カメラを使った自作ソフトでビデオ
のメリットを広げる「アルバムビデオ」の開発はそのスタートで、VHS 第2弾の HR-3600
では静止画再生や倍速再生などを実現した。静止画再生はアジマス記録の VHS やβには不
可能と思われていた時代に、菅谷さんと森さんたちは技術屋を説き伏せ、VHS にしかでき
ない画期的機能が開発された。
また、“眠ってる間にソフトができる”というキャッチフレーズで深夜から朝までの放送
を長時間記録できるという VHS しかできないテレビ番組「録画チャンネルチャンネル 4.5」
にもつながっていく。VHS ならではの特徴を生かした番組という業界の常識を打ち破った
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画期的番組で、長時間録画や音声 2ch アフレコなどの機能がホームビデオの可能性を広げ
ていった。
さらには、放送局とタイアップして日常の中の身近なできごとを記録した映像をテレビ
にオンエアするという「ビデオリポータークラブ」を全国に広げたり、全世界のビデオフ
ァンを対象にして作品を通した映像文化の対話を広げる「東京ビデオフェスティバル」は
現在でも有志によって NPO に継続されており、通算 36 年目を迎えようとしている。
これらはいずれも“VHSによって世界の産業と文化を育てていく“という髙野さんの
思想、信念に基づくものであり、”メデイアとしてのVHS“世界普及策でもある。規格競
争の初期に行った営業の試みは、ハードのみならずソフトの分野においてもその存在を確
かなものにしたことは言うまでもない。こうしたことがホームビデオの世界動向を決定的
にし、VHS が世界に類のない”デファクトスタンダード“に発展していった歴史的事実を
見逃すことはできない。
(了)
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