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は じ め に

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は じ め に
≪は じ め に≫
2002年の夏の始め、突然のように豊島区で文化政策懇話会を始めるので
座長を務めるようにとの大変に熱心な依頼を頂いた。
しかし正直に申すと私はこのお申し出にきわめて懐疑的であった。その理由
のひとつは、私は文化政策の専門家ではない。ただこれまで財団法人日本ファ
ッション協会の日本生活文化大賞の選考に関わって来たので、各地での文化政
策、文化イベント、町おこしなどの一連のうごきには少なからぬ興味を持って
接していた程度である。第二に私自身は銀座人であって、豊島区とは残念なが
ら何の地縁もない。第三にかって東京都をはじめとして、いくつかの地域の文
化について意見を述べたり勉強したりする機会があったが、それらはすべて時
間の無駄に終わり、何の成果も実現していない。だから過去の経験に鑑みて、
いまさら私が時間を作ってもまた同じことになってしまうのではないかと考え
たのだ。
しかしいろいろお聞きするうちに今回の件は少し様相がちがうことを知った。
まず高野区長が豊島区と区民の将来を考えて、文化を軸とした区政の展開を真
剣に考えておられることを知り、次にわが国の文化政策学の発展をリードして
おられる埼玉大学の後藤先生が専門部会長としてデータの収集から基礎的な構
想づくりに参加していただけることを知った。
それならば、将来あるべき姿のモデルとしてこの懇話会での研究成果のいく
つかが実現し、住みやすくたのしい地域づくりのお手伝いができるかも知れな
いと思って協力をお約束した。それからのことはこの提言書にあるような地域
の文化資源の調査にはじまり、それをどう生かすか、さらに後藤先生が名づけ
られた文化クラスターの構造づくりなど、専門部会の方々の熱心なご努力と何
回かの懇話会での討議を経て、提言をまとめる段階となった。
偶然のことだが、2003年12月の第一週にフランス外務省からの招待を
いただいてナンシーとナントの地域における文化政策の展開を学ぶ機会を得た。
私に頂いた肩書きの一つは日仏都市会議2003名誉会長というものだったか
ら、両市でとても多くのことを学ばせて頂けた。
ナントはかってこの町を支えていた海運と造船業の二大産業を失い、失業率
も高く、過去の栄光の歴史と文化の発信力を持つのにすっかり衰退した。19
89年に二十代の若さでジャン=マルク・アイロール市長が就任してから、フ
ランス第五位のナント市は文化政策を柱として着々と復興し、2003年の
ル・ポアン誌の人口十万人超の市に対するアンケートでは、フランスで住みよ
い町の一位にランクされた。二十年先の都市計画までを見据えたナント市の
数々の文化事業とそれぞれのプロジェクトの推進者からは私のこれまで気づか
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なかった視点を教えられたが、しかし豊島区の文化政策懇話会で論じて来たこ
との方向は決して間違っていなかったことを改めて確認する機会でもあった。
ナント市は総人口56万と称する地方都市であり、豊島区はメトロポリタン
東京の一区域であって、おかれた状況は全く異なっている。しかし地域の政策
と住民との根本的な関係においては変わるところがない。
私は文化とは人間がよりよく生きようとする行為の過程とその結果であると
思っている。それが活性化したときに、住民はその成果を享受することができ
るのである。
今回の提言書はある部分はデータベースであり、ある部分は発見であり、あ
るいは抽象的な方向づけであり、またある部分は具体的な提言を含んでいる。
遅くも数年の内にはそのいくつかが実現し、文化政策による地域づくりが目に
見えるようになると、その勢いは加速度的になるだろうと願っている。
豊島区文化政策懇話会座長
福 原 義 春 (㈱資生堂名誉会長/企業メセナ協議会会長)
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