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1 のぼり祭り(PDF:378KB)

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1 のぼり祭り(PDF:378KB)
2014.6.30更新
解説シート No.7-1
まつ
の ぼ り 祭 り
………………………………………………………………………………………………………
せんげん
れい さいじつ
上 篠 崎 一 丁 目 の 浅間 神 社 の 例 祭日 は
毎年7月1日 で、 通称 「の ぼ り祭 り」
と 呼 ば れ て い ま す 。 高 さ 20m 以 上 も
お お のぼり
あ る 大 幟 が 10本 も 立 て ら れ る こ と か
うじ こ
ら こ の 名 が あ り ま す 。 氏 子 た ち は 5地
なか ず
し
区 (上 篠 崎 ・ 中 図師 ・ 本 郷 ・ 西 篠 崎 ・ 下
篠 崎 )に 分 か れ て い て 、 そ れ ぞ れ の 地 区
ご と に 2本 ず つ 幟 を あ げ ま す 。 祭 り の
当 日 、 10本 の 大 幟 が 森 の 木 立 を 越 え
て大空にひるがえる壮観さは関東でも
大変珍しい祭礼といわれています。
幟 が あ げ ら れ る の は 、 6月 30日 の 早 朝 、
のぼり祭り(浅間神社)
ま だ 暗 い 午 前 4 時 30 分 頃 か ら 始 ま り ま す 。 1 本 の 幟 を 立 て る の に 30 分 か ら 40
分 か か り 、 10本 す べ て が 立 ち 並 ぶ の は 午 前 11時 頃 に な り ま す 。 か つ て は 、 毎
年立てていましたが、近年は隔年ごとに立てるようになりました。
幟を立てる日は、梅雨時のため雨になることが多く、境内の土がぬかるん
で泥まみれになるので、別名「どろんこ祭り」ともいわれています。
「のぼり祭り」の歴史は古く、江戸時代中期、八代将軍吉宗の時代以前か
ら行われてきたといわれています。戦後は、費用や人手の関係で、幟を立て
る の は 3年 に 1度 と な り 、 ま た ク レ ー ン な ど の 機 械 を つ か っ て 立 て ざ る を 得 な
くなっていました。
昭 和 55年 (1980)、氏 子 の 中 か ら 、
「 機 械 に 頼 ら ず 、昔 の よ う に 人 力 で 幟 を 立
てたい」という声が出て、氏子を中心に「幟会」が結成されました。それ以
来、一年おきに昔と同じように、幟は人力で立てられています。なお、立て
た 幟 は 7月 2日 に お ろ さ れ ま す 。昭 和 55年 (1980)に は 区 指 定 無 形 民 俗 文 化 財 (風
俗 慣 習 )に 認 定 さ れ ま し た 。
浅 間 神 社 (上 篠 崎 一 丁 目 )
てんぎょう
このはな さ く や ひめ
天 慶 元 年 (938)5月 の 創 建 と い わ れ 、 区 内 で 最 も 古 い 神 社 で す 。 木 花 開 耶 姫
のみこと
まつ
たいらのまさかど
たいらの さ だ も り
尊 を 祀 っ て い ま す 。 天 慶 3年 (940) 平 将 門 の 乱 を 鎮 め る た め 、 平 貞 盛 が 将
きんぺい
門降伏の祈願をこめ、金幣と弓矢を奉納したと伝えられています。文化文政
さんけいしゃ
こうしゃ
(1804~ 1830)の 頃 か ら 江 戸 や そ の 周 辺 か ら の 参 詣 者 が 増 加 し 、 講 社 な ど も 組
織されるようになりました。
けいだい
境内には多くの樹木が生い茂り、昔から「せんげん様の森」として親しま
しゃそう
れ て い ま す 。 な か に は 区 の 保 護 樹 が 何 本 も あ り 、 「 社 叢 」は 区 指 定 の 天 然 記 念
物 に も な っ て い ま す (昭 和 57年 認 定 )。
浅間神社の富士講碑
ずいうん
にちりん
がちりん
上 部 に 富 士 山 の 図 、 そ の 両 側 に 瑞 雲 に の っ た 日 輪 (左 )と 月 輪 (右 )が 描 か れ 、
じきぎょう み ろ く か
中 央 に「 元 祖 食 行 身 禄 価 」と 大 き く 彫 ら れ (石 碑 に は「 禄 」が「
ね
」と 彫 刻 )、
し ん ぼ り く が ん し ゅ ちゅう
右 端 に は「 天 保 十 一 子 年 五 月 吉 日 」(1840)、左 端 に は「 江 戸 北 新 堀 狗 願 主 中 」
さんえん
と刻まれています。下部には線刻の三猿があり
ま す 。 昭 和 56年 (1981)に は 区 登 録 有 形 文 化 財 (歴
史 資 料 )に 認 定 さ れ ま し た 。
じ き ぎょう み ろ く
食 行 身 禄 (1671 ~ 1733) は 伊 勢 の 人 で 油 商 を 営
み、伊藤伊兵衛と称していましたが、江戸に来
て富士信仰の熱心な信者となりました。富士講
の発展に際して中心となった人物で、富士信仰
身禄派の元祖といわれています。
富士講碑
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