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条件不利地におけるツーリズム事業の発展要因

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条件不利地におけるツーリズム事業の発展要因
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条件不利地におけるツーリズム事業の発展要因
―長崎県小値賀町の事例―
The factors for development of the tourism business in a disadvantaged place
―A case of Ojika-cho in Nagasaki Prefecture, Japan―
田
代
雅
彦
Masahiko Tashiro
目次
1. はじめに
1.1 本研究の意義
1.2 既往の研究と問題の所在
1.3 研究の対象地域と方法
2. 条件不利地である小値賀町
2.1 小値賀町の概要と
通条件
2.2 観光開発の失敗と合併騒動
3. ツーリズム振興の契機
3.1 Iターン者による民泊事業の立ち上げ
3.2 ツーリズム産業を一元化する組織の設立
3.3 民泊事業の発展と充実する体験メニュー
4. アイランドツーリズムの地元経済への影響
4.1 増加に転じた入込客数
4.2 地元経済への波及
5. ツーリズム事業の限界と次なる展開
5.1 民泊事業の限界
5.2 株式会社の設立
6. おわりに
1. はじめに
1.1 本研究の意義
わが国では近年,国から地方に至るまでツーリズム振興に力を入れるようになった。国では,2003
年1月に当時の小泉純一郎首相が行った施政方針演説を契機として,同年4月にはビジット・ジャパ
ン・キャンペーン(VJC)が開始され,2006年12月に「観光立国推進基本法」が成立,2007年6月に
は「観光立国推進基本計画」が閣議決定され,2008年10月には「観光庁」が発足した 。政権が自民党
から民主党に変わっても観光の振興方針は継続されており,2010年6月に発表された政府の「新成長
戦略」では,6つの戦略 野の1つとして「観光立国・地域活性化戦略」が掲げられている 。
九州大学大学院経済学府博士後期課程
1) 観光庁ホームページ「観光立国の契機」http://www.mlit.go.jp/kankocho/about/keiki.html,2010.11.23アクセス
経 済 論 究 第 139 号
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地方においても,例えば九州では, 2003年10月に「九州はひとつ」の理念のもと官民が一体となっ
た「九州地域戦略会議」が設置され,その活動の一環として,それまで各県単位で実行されていた観
光戦略を一体的に行うべく,
「九州観光戦略(第一次)」が策定された 。そして,2005年4月には,九
州観光戦略の実行組織として,九州7県と民間が参加して「九州観光推進機構」が発足し,九州一体
での観光振興の取組が開始されている。
九州など地方圏では,人口減少や少子高齢化が進行し,それまで地域経済を支えてきた産業が低迷
するなか,これまでツーリズムとは無縁であった市町村でも,地域経済を牽引する新たな産業として
ツーリズムが注目されている(田代,2003,pp.1-3)
。とりわけ,企業誘致が困難な地域では,地域の
再生や活性化の重要な手段としてツーリズムへの期待が高い。
ツーリズム」は,わが国では「観光」と訳されることが多いが,
「観光」はsight seeingの訳語でも
ある。そのほか類義語として,レジャー,レクリエーションなどもある。宿泊の有無によりツーリズ
ムとレクリエーションを ける場合もある。溝尾(2003,pp.12-13)は,古今東西のこれらに関する既
存研究の定義を整理した上で,「観光を広義に 用するときには,観光とレクリエーションと保養・休
養を目的とした『旅行』になり,…(中略)…英語のツーリズムは,この広義の観光にさらに,ビジ
ネスと家事帰省を加えたすべての目的を含めた旅行で
る。本稿でも溝尾の
用されるのが主流を占めている。
」としてい
えを踏襲し,「観光」より幅広い意味で捉えた「ツーリズム」という用語を 用
する。
また,溝尾(2003,pp17-18)によれば「観光は,旅行者と観光対象の関係で成立する…(中略)…,
旅行者の旅行目的となる観光対象のなかには,観光施設と観光資源とがある。
」としている。さらに,
ページ(2001,p.2)は,「 通は観光の3つの基本的な構成要素の1つである。他の2つは観光の生産
物(または供給)と観光市場(または需要)である。 通がなければほとんどの観光は不可能である。
」
としている。つまりツーリズムは,需要者としての旅行者,ツーリズムの対象,そして両者をつなぐ
通から成り立ち,ツーリズム事業による地域振興には,需要者としての旅行者ならびに地域におけ
る観光対象と,当該地域まで旅行者を運ぶ 通手段が必要不可欠だと言える。
本稿では,需要地に住む多くの旅行者を引きつけるだけのツーリズム対象(ツーリズム資源やツー
リズム施設)が存在せず,かつ需要地である大都市からの 通条件に恵まれていない地域を,ツーリ
ズムの「条件不利地」と定義する。そうした「条件不利地」は,わが国では地方圏の山間地域や離島
に多く,地域内での産業振興や企業誘致が困難なことから,一般に地域活性化の手段としてツーリズ
ムへの期待が高いにもかかわらず,条件不利地ゆえに旅行者が増えず,ツーリズム事業による地域活
性化が困難な地域である。このような条件不利地におけるツーリズム事業の発展は,わが国の地域活
性化の重要な課題の一つだと言える。
2) 首 相 官 邸 ホーム ページ「新 成 長 戦 略(平 成22年 6 月18日 閣 議 決 定)」 http://www.kantei.go.jp/jp/
sinseichousenryaku/sinseichou01.pdf,2010.11.23アクセス
3) 九州観光推進機構ホームページ「九州観光推進機構とは」http://www.welcomekyushu.jp/about/,2010.11.23アク
セス
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1.2 既往の研究と問題の所在
ツーリズムを含む地域活性化の成功要因について,九州では,九州経済調査協会や九州経済産業局
などで,いくつかの
析が行われている。九州経済調査協会(2003,p.132)は,ツーリズムを含む九
州の15事例を調査した結果,
地域の自立に必要な共通条件としてキーパーソンの存在を挙げ,
キーパー
ソンに求められる役割としてプロデューサー(制作者)的役割,シナリオライター(脚本家)的役割,
ディレクター(監督)的役割の3つがあると指摘している。例えば,ツーリズム
野のキーパーソン
として,熊本県黒川温泉では新明館の3代目主人の後藤哲也氏,大 県安心院町(現宇佐市)では安
心院町グリーンツーリズム研究会事務局長の宮田静一氏,長崎県観光連盟では海外誘致課長の井川博
行氏を紹介している。また,その続編として刊行された日本政策投資銀行九州支店・九州経済調査協
会
(2005,pp.20-21)
では,さらに11事例を調査して,キーパーソンの存在のほかに,きっかけづくり,
場づくり,
コンセンサスづくりを行う行政の側面支援の役割に着目し,
地域再生を成功させるキーワー
ドとして, 共経営,経営的発想,パートナーシップ,地域資源,地域ブランド,地域外の人材と知
恵,外部評価という7点を指摘している。つまり,地域活性化には,キーパーソンの存在と行政(多
くは市町村)の側面支援が重要だとして,事例として,県の補助事業を有効に活用して「昭和の町」
で中心商店街を再生した大 県豊後高田市や,特産品展示即売所「鳴神の庄」を整備して都市からの
集客による再生に取り組んだ佐賀県七山村(現唐津市)
,日本一の炭酸温泉である長湯温泉をドイツと
の国際 流で再生した大 県直入町(現竹田市)を紹介している。キーパーソンの重要性は,地理学
の 野でも研究されており,林(2007)は,青森県南部町名川地域を例に,地域リーダーの功績と多
くの住民の協力体制による観光農業の展開事例を紹介している。
しかし,キーパーソンの存在と行政の協力だけで地域が活性化するとは限らない。九州経済産業局
では,2007∼2009年度にかけて,視点を変えながら地域の活性化方策を探る3つの調査を実施してい
る 。九州経済産業局(2008,pp.77-81)は,自然・地理条件や域外との 流条件に恵まれない地域,
伝統産業や石炭産業などこれまで地域を支えてきた移出産業が低迷する地域を「構造的不況地域」と
して,九州を中心に18事例を 析し,そうした地域の産業再生・活性化の方向性として,農山漁村に
おいては食品加工と産直ルートの構築,輸出市場の開拓,都市住民との 流が必要だとしている。つ
まり,地域の産物の付加価値向上と,それを商品として販売することであり,その手段の1つにツー
リズムを含む産直や都市住民との 流があると指摘している。例えば,長崎県 浦市および周辺市町
村での「
浦党の里ほんなもん体験」では地元の生活体験を「商品」として中学・高 の修学旅行を
受け入れ,宮崎県諸塚村では林業の再生として「産直住宅プロジェクト」に取り組み,エコツアーを
企画して都市住民との継続的な 流を実施している。
九州経済産業局(2009,p.14)は,
「観光」を通じた地域経済活性化の9つの事例を調査し,取り組
みのカギとして,①地域づくりを担い,多様な主体をつなぐ
「中核的組織とリーダーづくり」
,②地域
資源を活かした「魅力ある観光資源づくり」
,③受入態勢の充実とその「見える化」の3点を提示し,
それらの取り組みのカギによる地域資源の活用と観光集客拡大の好循環を形成することが重要である
4) 九州経済産業局から九州経済調査協会への委託調査であり,筆者はこれら一連の調査に参加した。
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経 済 論 究 第 139 号
としている。例えば,熊本県阿蘇地域では,
「中核的組織」
として(財)
阿蘇地域振興デザインセンター
(阿蘇DC)を設立し,
「魅力ある観光資源づくり」として,グリーンツーリズム,タウンツーリズム,
エコツーリズムの3つを阿蘇カルデラツーリズムとしてパッケージ化して滞在型観光に対応し,
「見え
る化」として阿蘇DCでのワンストップサービスを実現してツーリストの求めに応じて提案できるコン
シェルジュ機能の強化に取り組んでいる。また,大 県別府温泉では,
「中核的組織」
としてNPO法人
ハットウ・オンパクを設立し,
「魅力ある観光資源づくり」として市民が街歩きの事業化や,温泉と
康・美容を組み合わせたウェルネス産業の開発に取り組み,
「見える化」として統一感のあるコンセプ
トでのイベント「別府八湯温泉博覧会(オンパク)
」を開催している。
九州経済産業局(2010,pp.28-36)は,地域活性化への取り組みを,始動,発展,成熟の3段階に区
し,自然を守り,ほんものにこだわるまちづくりで集客を拡大する宮崎県綾町,地域ぐるみの環境
体験学習で集客を拡大する熊本県水俣市のNPO法人水俣教育旅行プランニング,ITや最先端医療で
康・癒しを追求して指宿温泉の再生に取り組む鹿児島県 康保養地域活性化協議会など,九州を中
心としたツーリズムを含む19の先進事例を紹介している。それらから導き出された共通項として,始
動段階では,①課題の発見・課題に直面した経験・参加者との理念の共有,②域外の経営資源の取り
込み,③課題解決型の組織化,発展段階では,④資源の価値の発見,⑤知識の習得,⑥収入の獲得,
⑦外部からの注目,成熟段階では,⑧獲得した収益等の再投資,⑨取り組みの拡がりと発展,⑩地域
や参加者の元気を 出,という10項目をあげている。つまり,始動,発展,成熟の3段階で,それぞ
れ共通項に挙げられたような事項に地域で取り組み,多様な主体を取り込みつつ内容を深め,それら
を好循環させられれば,地域活性化に導けるという青写真を描いている。
しかしながら,このような青写真は,事例調査から得られた個々の断片的情報を整理し,昇華させ
た結果導き出されたものである。実際にこうしたプロセスを経てツーリズム事業が発展した地域があ
るのだろうか。入込客数の増加した地域は一部にあるものの,それが地域の収入の増加や雇用の拡大
にまで結びついている地域は非常に少ないのが実情である。まして,条件不利地ともなれば,ツーリ
ズム事業で発展した事例はほとんどないと言ってよい。条件不利地のツーリズム事業に関する地理学
野での論文として大橋
(2002)
があり,長野県秋山郷を例に,ルーラルアメニティの視点から,ツー
リズムの発展が山村住民の文化維持には好影響を与えても,本業である農業的要素を維持発展させる
には限界があったことを指摘している。しかし,条件不利地におけるツーリズムの発展に何が必要で
あるのかは明らかにされていない。
ここで既往の研究を整理すると,ツーリズムによる地域活性化に必要な要素は,①課題や理念の共
有,②キーパーソンの存在,③資源の価値の発見と魅力ある観光資源づくり,④ツーリズムを推進す
る中核的組織と行政の側面支援,⑤収入の獲得という5つにまとめることができる。
本稿では,これら5つの要素が条件不利地のツーリズム事業でも当てはまるのか。また,条件不利
地のツーリズムならではの特徴にはどのようなものがあるのかを明らかにすることを目的としてい
る。
条件不利地におけるツーリズム事業の発展要因
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1.3 研究の対象地域と方法
本稿で取り上げる長崎県小値賀町は,後述のように条件不利地にありながら,独特なツーリズム事
業を展開し,入込客数を増加させ,地域への経済波及と雇用拡大に結びつけた希有な事例の1つであ
る。小値賀町のツーリズム事業は,後述のように全国的な表彰を複数受賞し,すでにルーラルツーリ
ズムの関係者には有名な事例である。そして,新聞やテレビなどマスコミでも多数取り上げられてい
る 。しかし,マスコミの報道は条件不利地なのに集客が増加した現象面やキーパーソンの人物像を紹
介するものが多く,その要因や課題まで深く切り込んだものではない。金丸(2009,pp.18-26)も小値
賀町の事例を取り上げているが,地域の良さの発見とよそ者の目による発見の重要性の事例として取
り上げられているに過ぎない。先述の九州経済産業局(2009,pp.42-47)でも小値賀の事例を取り上げ
ているが,①「中核的組織とリーダーづくり」,②「魅力ある観光資源づくり」
,③受入態勢の充実と
その「見える化」の3点について,キーワード別に列挙する程度にとどまっている。田代(2009)は,
小値賀町のツーリズムの概要を紹介しているが,現象面の記述にとどまっており,条件不利地のツー
リズム事業が発展に至ったプロセスの 析や 察は不十 である。
本稿の目的を達成するための調査方法は,小値賀町に関する文献ならびに統計の 析,そして2009
年2月9∼10日並びに10月14∼15日に実施した,NPO法人おぢかアイランドツーリズム協会(以下,
,小値賀町役場,町内の民宿や民泊へのヒアリングによる。なお,以下では,特に注記のない
IT協会)
ものは,これらへのヒアリングによるものである。
2. 条件不利地である小値賀町
2.1 小値賀町の概要と 通条件
小値賀町は,九州本土から西に約60kmの五島列島の北に位置する離島の町であり,小値賀島を中心
に大小17の島々からなる
(図1,図2)。多くの離島と同様に過疎化,高齢化が進行しており,人口は
1950年の1万968人をピークに減少を続け,2008年の推計人口では,ピーク時の3 の1以下の2,922
人,高齢化率は42.3%にまで高まっている
(図3)
。長崎県における離島の人口の推移を,1985年を100
とする指数でみると,2009年に長崎県平 が90で,壱岐が75,対馬が71,五島列島が67なのに対し,
小値賀町は56であり,他の離島と比較して減少幅が大きい。
1978年刊行の『小値賀町郷土 』によると,小値賀島は中世から米や野菜を自給できる豊かな離島
であった(小値賀町郷土 編纂委員会,1978,pp.264-379)
。現在でも農業と漁業を中心とする島だが,
近年ではそれらの産業も縮小している。長崎県「市町村民経済計算」によると,小値賀町の域内 生
産は1996年から2006年に37.4%減少した。この間,サービス業こそ38.3%増加したものの,
設業
82.2%減,水産業44.4%減,卸・小売業38.8%減,農業18.3%減と,かつての主要産業は軒並み減少
5) 例えば,2009年以降の主なものだけでも,西日本新聞2009.4.18夕刊,NHKハイビジョン特集「日本巡礼」2009.5.16,
日本経済新聞2009.9.9夕刊,長崎新聞2009.10.27朝刊,朝日新聞2010.1.4朝刊,読売新聞2010.1.28朝刊,NHK 合(九
州・沖縄)
「ふるさと再生スタジアム」2010.1.29,テレビ東京系「ガイアの夜明け」2010.4.10,月刊「ソトコト」4
月号,西日本新聞2010.6.19朝刊などがある。
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図1
小値賀町の位置
資料)筆者作成
図2
小値賀諸島
資料)筆者作成
条件不利地におけるツーリズム事業の発展要因
図3
83
小値賀町の人口と高齢化率の推移
注)2008年は推計人口
資料)
務省「国勢調査報告」,長崎県「平成20年市町村別年齢別推計人口」
している(長崎県,2009,p46)
。
人口や産業の縮小に伴い本土との
通アクセシビリティは縮小傾向にある。1985年12月に供用開始
した小値賀空港は,福岡 が2004年3月に,長崎 が2006年3月にそれぞれ休止され,それ以降定期
は就航していない 。2009年6月には佐世保港と小値賀港とを結ぶ高速
とフェリーの各1
止された 。2009年9月時点での小値賀へのアクセスは,毎日佐世保港からフェリーが2
が休
(約3時
間)
,高速 が2 (約2時間)
,博多港からフェリーが1 (約5時間)の計5 となっている 。小
値賀町は福岡市や県都である長崎市からの日帰りも困難な条件不利地なのである。
2.2 観光開発の失敗と合併騒動
小値賀町は,もともとツーリズムが盛んな島ではなかった。
『小値賀町 』
(1978)にもツーリズム
(観光)の記述は皆無である。町の
合計画に初めて「観光」が位置づけられたのは1988年のことで
あり,重点的に整備を進める事業として,野崎島での「ワイルド・パーク構想」が掲げられた(小値
賀町,1988,p.21-22)
。野崎島は,西海国立 園の一画をなし,野首集落には1908年(明治41年)に教
会 築の名工と言われた鉄川与助が設計・施工した日本初のレンガ造りの教会「旧野首教会」が っ
ている (長崎県ホームページ,2008)。しかし,野崎島は急峻な地形のため,主島の小値賀島に次ぐ
大きさにも拘わらず,もともと3集落しかなく,高度成長期に人口流出が相次ぎ,1990年代には実質
的な無人島となった 。
6) JTB「時刻表」,2004年3月号,4月号,2006年3月号,4月号にて確認
7) 美咲海運の佐世保港窓口にて2009.10.14確認。
8) 小値賀町ホームページ→ 通→
早見表→「九州商 及び美咲海運時刻表」
,http://www.ojika.net/town/
sangyou/zikoku.htm,2009.9.18アクセス。野母商 グループホームページ「太古」,http://www.nomo.co.jp/09 taiko
04.htm,2009.9.18アクセスにて確認。
9) 旧野首教会は,2007年に「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の1つとしてUNESCOの世界遺産暫定リストに追
加されている。
経 済 論 究 第 139 号
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図4
長崎県島嶼部の自治体別にみた観光客数の推移
注)1990年=100とした指数
資料)長崎県「長崎県観光統計」http://www.nagasaki-tabinet.com/public/statistics/
1988年の 合計画策定当時,野崎島は人口20人に対し,九州鹿が約500頭生息しており,過疎対策と
して鹿と人間の共存を目指した野生
園計画が推進された(小値賀町,1988,p.81)。小値賀町役場に
よると,同構想は,鹿牧場の宿泊施設の整備を柱として,まず野崎集落の北側に鹿牧場が 設された。
しかし,野生化した鹿の飼育は困難で,ツーリズム振興の効果もなく数年で閉鎖された。小値賀町で
は,このことから集客施設だけを整備してもツーリズム事業は失敗することを学んだという。
野崎島の宿泊施設は,1982年に閉 された野崎小中学
を県の補助事業で改装し,1989年に簡易宿
泊施設および野営場として「野崎島ワイルドパーク自然学習塾村」をオープンした(させぼパール・
シー㈱,2006)
。この自然学習塾村は,1998年には環境庁(当時)と自治省(当時)の「自然体験型環
境学習拠点ふるさと自然塾事業」の指定を受け,2001年には管理運営主体としてNPO法人「ながさき
島の自然学 」が設立された(漁港漁場漁村技術研究所ホームページ,2002)
。同NPOは国や県の補助
金と町からの委託金で運営され,春と夏の子どもキャンプを中核事業として,子ども達を中心に受け
入れていた。このように1990年代から2000年代初頭にかけて,小値賀町のツーリズム事業は,野崎島
での子どもキャンプからスタートした。
こうしたツーリズム施設整備の努力にも拘わらず,小値賀町への入込客数は伸びなかった。1990年
以降の長崎県の島嶼部における入込客数の推移を,1990年を100とした指数で比較してみると,小値賀
町は2007年に59で,他の島嶼部と比較して際だって低くなっている
(図4)
。1990年代以降も小値賀町
10) 野崎島は,「ながさき島の自然学 」の管理人が1人だけ住んでいるだけの実質的な無人島となっている。
11) 小値賀町立小値賀小学 ホームページ,http://www.ojika.net/syougakkou/ojika/enkaku.html,2009.11.7アクセ
スにて確認
条件不利地におけるツーリズム事業の発展要因
表1
小値賀町の合併をめぐる動き
年月
内
容
2002年5月
第1回佐世保・宇久・小値賀任意合併協議会を開催
2003年10月
第7回協議会で小値賀町長が,脱退の意思を表明。
2003年11月
小値賀町住民から,法定合併協議会設置請求が提出される。
2004年2月
佐世保市長が小値賀町長へ協議会復帰への拒否を回答。
2008年1月
2008年4月
85
佐世保市長が小値賀町を訪問し,中核市を目指した合併協議を打診
したが,小値賀町長は「当
の間は単独運営」と回答。
佐世保市長が再度訪問し,合併協議を申入れたが,小値賀町長は正
式に拒否。
資料) 佐世保市・宇久町合併協議会ホームページ,
http://www.city.sasebo.nagasaki.jp/gappei uku/01 setti keika.htm,2009.9.18アクセス.
長崎県市町村合併ホームページ,
http://www.pref.nagasaki.jp/gappei/kennnainougoki/sasebo%20kitamatuura.html,2009.9.18アクセス,より作成
のツーリズムは全く振るわなかった。このように小値賀町は,ハード整備を中心としたツーリズム事
業で一度失敗した経験を持つのである。
小値賀町でツーリズム発展の契機となったのは,
平成の市町村合併をめぐる動きだと言われている。
人口減少や高齢化に伴う将来への不安と町の財政悪化から,小値賀町でも2002年から佐世保市や旧・
宇久町との合併を巡る動きがあり,町を二 する議論が展開された (表1)
。2008年4月に最終的に
合併しないことを決断したが,約6年にわたる合併議論の過程で町民の多くが町の将来を真剣に え
るようになり,次第にツーリズム事業へと動き出すこととなった。
小値賀町ではツーリズム事業が本格化する以前,ツーリズム事業の失敗と合併騒動から,島民の間
に「①課題や理念の共有」が進んでいたのである。
3. ツーリズム振興の契機
3.1 Iターン者による民泊事業の立ち上げ
2002年からの合併議論のさなか,町の活性化の手段としてツーリズム振興の必要性を説いたのが,
後にNPO法人おぢかアイランドツーリズム協会(IT協会)の専務理事となる高砂樹 氏である。高砂
氏は大阪出身で,田舎暮らしを希望していたので様々な移住先を調べて小値賀島を知り,2005年に横
浜出身の妻や子どもとともに移住したIターン者である。移住後,NPO法人「ながさき島の自然学 」
のインストラクターとなり,それまで経験のなかったツーリズムと関わるようになった。
小値賀島は開放的で高砂氏の家族も島の暮らしに溶け込むことができた。しかし,一方で島には若
者の就職先がなく,人口減少と高齢化が進み,高 や診療所の存続も危ぶまれていた 。高砂氏は
「こ
12) 小値賀町「館報おぢか」2002年5月号によると,2002年2月に小値賀町 務課が実施した市町村合併に関する住民ア
ンケート(対象者数,3,028人,回答者数2,554人,回収率84%)では,合併が「必要」が29%,
「必要ない」が30%,
「わからない」が37%,
「無回答」が4%となっている。
経 済 論 究 第 139 号
86
のままでは子供たちの故郷がなくなる」との危機感から,それまで一切経験の無かったツーリズム振
興を機会のあるごとに町民に説き,その えは合併議論の中で町の将来に不安を感じていた町民にも
次第に受け入れられていった 。
高砂氏が特に力を入れて取り組んだのが,小値賀本島での「民泊」 である。高砂氏は,小値賀の最
大の観光資源を,島の住民のくらしそのもの,それら住民とのふれあいだと えたからである。小値
賀本島には,旅館業法や食品衛生法などに基づいて運営される宿泊施設として旅館と民宿が計8軒あ
る(表2)
。2009年9月現在,旅館・民宿8軒の客室数はのべ50室,収容人数は140人,1泊2食の料
金は旅館が7,000円,民宿が5,500∼6,500円である(おぢかアイランドツーリズム協会,2009)。すべ
て小値賀港に隣接して役場のある中心集落の笛吹地区に立地しており,出張者や工事関係者など業務
利用が中心である。しかし,民宿へのヒアリングでは, 共工事の縮小とともに宿泊者数は減少傾向
にあった。
表2
№
小値賀町の旅館・民宿の規模と料金
種別
客室数 収容人数
(室) (人)
1泊2食料金
(円)
1
旅館
15
40
7,000
2
旅館
7
20
7,000
3
4
民宿
民宿
7
3
21
9
6,500
5,500
5
民宿
5
15
6,000
6
民宿
6
14
6,000
7
民宿
4
12
5,500
8
民宿
3
9
5,500
合
計
50
140
−
注)2009年9月現在
資料) NPO法人おぢかアイランドツーリズム協
会(2009)
『「おぢか」島らいふ手帖“あ∼と
と”
』p20より作成
こうした中,全国的には2003年4月1日に施行された厚生労働省令により,農林漁業体験民宿業を
営む施設の客室の 床面積に関する基準が緩和された 。そして,長崎県では,2005年3月10日に発表
した「長崎県農林漁業体験民宿推進方針」で,グリーン・ツーリズム等の体験型・滞在型観光を推進
13) 2009年現在,町では小値賀町にある長崎県立北 高 の存続に向け,長崎県初の小中高一貫教育を目指して活動して
いる。また,小値賀町国民 康保険診療所の医師数は2名で,最低限の人数だという。
14) ツーリズム振興に対して町民から大きな反対は出ず,比較的円滑に受け入れられたという。
15) 長崎県は「農林漁業体験民宿」あるいは「体験民宿」と呼称するが,小値賀町では「民泊」と呼称しているため,本
稿では「民泊」という表現を 用する。
16) 2005年1月24日厚生労働省令第7号第1項第4号及び第2項により,農林漁業体験民宿業を営む施設については,旅
館業法施行令第1条第3項第1号に示された,簡易宿所営業の施設の設備構造の基準である「客室の 床面積は33m
以上であること」という基準は適用されなくなった。旅館業法施行規則,http://www.lawdata.org/law/htmldata/
S23/S23F03601000028.html。旅館業法施行令,農山漁村滞在型余暇活動のための基盤整備の促進に関する法律,http://
law.e-gov.go.jp/,2009.11.24アクセスにて確認。
条件不利地におけるツーリズム事業の発展要因
87
するため,民泊(体験民宿)設置の関連法令等の規制が緩和された 。こうした規制緩和と軌を一にし
て小値賀町でも民泊事業が発展していくこととなった。
小値賀町でも,高砂化という「キーパーソンの存在」があり,島の住民のくらしそのもの,住民と
のふれあいに着目した民泊事業という「資源の価値の発見と魅力ある観光資源づくり」に取り組んだ
と言える。
3.2 ツーリズム産業を一元化する組織の設立
小値賀町では2005年11月に,グリーン・ツーリズム等を推進する任意団体として「小値賀町アイラ
ンドツーリズム推進協議会」を設立し,その中に民泊部会を設置した(
「おぢか新聞」2006年1月号,
3月号) 。民泊事業に参加する家 に対する許可申請の支援など民泊事業の活動資金は,それまで町
が小値賀町観光協会の活動資金として拠出していた700∼800万円の補助金を活用した。そして,2006
年1月には,11軒の家 が消防署と町役場の許可を受け,保 所への登録申請を完了し,同年3月に
民泊モニターツアーの客10名を初めて受け入れた(
「おぢか新聞」2006年3月号)
。
2007年4月には,ツーリズム産業を一元化する組織として,町の補助金で運営されていた「小値賀
町観光協会」
,野崎島を活動拠点とするNPO法人「ながさき・島の自然学 」
,そして民泊組織を含む
任意団体の「小値賀町アイランドツーリズム推進協議会」
,の3つを統合し,
「NPO法人おぢかアイラ
ンドツーリズム協会(理事長:小辻隆二郎。当時)
」を立ち上げた(
「おぢか新聞」2006年3月号,4
月号) (図5)
。
IT協会では,物流が不安定な離島のハンディキャップから,特産品の販売は困難だと判断して,町
民の協力を仰ぎながら「観光(ツーリズム)
」をターゲットにすることを再確認した。そして,ツーリ
ズム事業の推進に当たり,単に 流人口を増やして賑わいを 出するのではなく,産業として島の経
済が潤うように,
“外貨”
獲得としての売上増加,島内への経済波及,常勤職員の増加,行政からの自
立という攻めの経営戦略を立て,
「ツーリズム産業で年間売上5億円,常勤雇用50人を目指す」という
大きな目標を掲げた。5億円という目標は,島の主要産業である漁業の売上高が約10億円,農業が約
5億円であり,まずは農業を目標にしたからである。ちなみに発足時のスタッフは,理事長を除いて
わずか6名であった(
「おぢか新聞」2006年5月号)
。これ以後,町役場はツーリズム事業には直接関
与せず,イベントを実施するための補助金獲得など側面支援に徹している。
小値賀町でも,
「ツーリズムを推進する中核的組織と行政の側面支援」が存在したのである。
17) その内容は,①自宅 物を利用した体験民宿を行うこと,②グリーン・ツーリズム等の推進団体の構成員であること,
③衛生上支障がないこと,の3点を満たす場合に,旅館業法,食品衛生法,浄化槽法が緩和されることとなり,農家や
漁家が新たな設備投資をせずに民泊事業に取り組めることとなった。具体的には,旅館業法については浴室の浴槽面積
や洗い場面積,給水(湯)栓数,洗面設備の広さ, 所の 器数等の基準が適用されなくなった。食品衛生法について
は,宿泊客が全ての飲食物を農林漁家の指導のもと,一緒に調理し飲食する体験型であれば,飲食店営業の許可が不要
となった。浄化槽法については,適正な維持管理等を条件に,現状のまま 用することが認められた。
18) 小値賀町アイランドツーリズム推進協議会の事務局は「ながさき・島の自然学 」に設置された。
19) 形態としてNPO法人を選んだ理由は,第1に自立した組織を目指したこと,第2に旅行会社等と契約できる責任あ
る組織を目指したこと,第3に 的なまちづくりに貢献すべきだと えたことにある。
経 済 論 究 第 139 号
88
図5
NPO法人
おぢかアイランドツーリズム協会の設立概念図(2007年)
資料)筆者作成
3.3 民泊事業の発展と充実する体験メニュー
2006年3月に初の宿泊客を受け入れた民泊は,その後,旅館や民宿に泊まっていた従来からのイベ
ント客を受け入れたり,野崎島の自然学 と宿泊を組み合わせたりして実績を重ねた(「おぢか新聞」
2006年4月号) 。民泊事業の展開により,大型の宿泊施設を持たない条件不利地の小値賀町でも,
宿により団体客の受け入れが可能となった。2007年4月にIT協会が設立して,初の大型団体は「ピー
プル・トゥ・ピープル国際学生大 」であり,条件不利地の町にアメリカの修学旅行団体が来て高い
評価を受けた 。民泊事業を含む小値賀のアイランドツーリズム事業は行政や旅行会社から注目され
て視察・取材が増えるとともに,業界誌や新聞などマスコミにも取り上げられるようになり,知名度
が高まっていった 。
小値賀町の民泊数は,2006年度の7軒から,2007年度には約40軒,2008年度には約50軒へと急増し
た 。長崎県「長崎県移動人口調査」によると,2009年10月1日現在の小値賀町の世帯数は1,315世帯
であり,3.8%の世帯が民泊に協力していることとなる。そして,2005年にはゼロだった民泊への べ
宿泊者数も2006年に442人から,2007年には1,239人,2008年には1,976人へと急増した。各家 の事情
があるため,一度に全ての民泊が稼働できるわけではないが,仮に1軒に4人ずつ宿泊すると200人の
団体を受け入れることができ,その収容能力は既存の旅館や民宿を上回ることとなる。2009年度から
は修学旅行の受け入れを開始し,4つの高 団体を受け入れた 。2009年の民泊宿泊者数は べ2,042
人となっている。
IT協会では,訪問希望の客や旅行会社から問い合わせがあると,事前に要望をつぶさに聞いた上で,
20) 例えば,毎年恒例の「国際音楽祭」でも訪問客を民泊に受け入れ,
「春休み子ども自然王国―宝島」では5泊6日の
うち2泊を民泊で対応した。
21) ピープル・トゥ・ピープル国際学生大 については,田代雅彦(2009)を参照。
22) 小値賀町「おぢか新聞」2006年7月号によると,2006年上期には,長崎県観光連盟,長崎県農政課,福岡県少年の
協議会,JTB本社,JTB西日本,日本旅行などが視察に訪れ,季刊
「エコツーリズム」
(日本エコツーリズム協会),月
刊「教育旅行」(日本修学旅行協会)
,季刊「しま」(日本離島センター),西日本新聞,読売新聞,長崎新聞などに掲載
された。
23) 小値賀町では小規模離島ゆえに小中高 のスポーツ大会等で来島する域外の児童や生徒を,小中高 生のいる家
へ 宿させていた経験があり,他人を家 に宿泊させることに慣れている家 が多かったことも,民泊への協力者が比
較的早く増加した理由である。
24) 京都200人×2回×2泊,神奈川200人×2泊,大阪70人×3泊,静岡200人×2泊の4団体。
条件不利地におけるツーリズム事業の発展要因
表3
小値賀島・野崎島体験プログラム一覧
種別
体験メニュー
実施期間
トレッキング(王位石コース)
通年
野崎島ガイドツアー
通年
トレッキング(舟森コース)
通年
シュノーケリング
6月中旬∼10月
磯観察体験
6月中旬∼10月
カヌー
3月下旬∼11月上旬
稲刈りと脱穀体験
8月
田植え体験
4∼5月
小値賀島
苗植え・野菜収穫体験
通年
農業体験
アールスメロン栽培・収穫体験
5∼12月
ハウス野菜の収穫体験
3∼12月
黒毛和牛のお世話体験
通年
刺し網体験
カヌー体験
通年
3月下旬∼11月上旬
磯観察体験
通年
アジ釣り体験
通年
イカ釣り体験
4∼11月
魚さばき体験
通年
鮑の餌やり体験
通年
かんころ餅作り体験
しばつけ団子作り体験
通年
通年
小値賀島
アジ・すりみ揚げ作り体験
通年
味覚体験
おぢかの塩作り体験
通年
押し寿司体験
通年
カツオの燻製作り体験
通年
おぢか焼き体験
通年
マリンクラフト体験
和太鼓体験
通年
通年
伝統・工芸
こま回し体験
通年
・文化体験
凧作り体験
通年
しめ縄作り体験
通年
各野外活動体験プログラム
通年
小値賀観光案内
通年
漁師町さるく
通年
野崎島
自然体験
小値賀島
漁業体験
小値賀島
小値賀島
観光ガイド
89
注)2009年9月現在
資料)IT協会提供資料より抜粋
島内のインストラクターや民泊協力者への受入調整を行うといった,ワンストップ型できめの細かい
オーダーメイド型の旅行を実現している。IT協会発足以前,小値賀町での体験プログラムは,野崎島
での自然体験が中心であったが,小値賀島でも民泊協力世帯をはじめとする町民の協力で,顧客の要
望に応える様々な体験プログラムが整備されてきた。2009年9月現在の体験プログラム数は34種類に
のぼっている(表3)
。小値賀島での体験プログラムの多くは,農業や漁業などの生業や,郷土料理,
工芸といった島民が特別な訓練を行わなくても提供できるものである。
経 済 論 究 第 139 号
90
小値賀町では,
「ツーリズムを推進する中核的組織」が有効に機能し,島民の幅広い「課題や理念の
共有」により,
「資源の価値の発見と魅力ある観光資源づくり」が進められ,民泊や体験プログラムな
ど,まさに島民の生活そのものをツーリズム資源に変えることに成功したのである。
4. アイランドツーリズムの地元経済への影響
4.1 増加に転じた入込客数
ここで,小値賀町のツーリズム事業について,データで確認しておこう。小値賀町での べ宿泊客
数は,2005年の11,048人から2008年の13,875人へと増加し,2009年は若干減少したものの1万3,402人
となっている(表4)
。その内訳をみると,旅館・民宿や研修施設である若者 流センターでの宿泊客
数は2006∼2009年に概ね横ばいからやや減少なのに対し,民泊は2005年にはゼロだったものが2006年
には442人,IT協会が設立された2007年には1,239人,2008年には1,976人,2009年には2,042人へと着
実に増加している。特に2008∼2009年にかけては,旅館・民宿や若者
流センターでの宿泊が減少す
るなか,野崎島自然学塾村は横ばい,民泊は増加している。このように,特に近年の宿泊客数の増加
は,民泊によるところが大きい。
表4
小値賀町の
べ宿泊客数の推移
べ宿泊客数(人日)
2005
旅館・民宿
若者
流センター
自然学塾村
2006
2007
2008
2009
7,997
8,142
7,721
8,720
912
675
823
751
8,258
671
2,139
2,522
2,427
2,428
2,431
民
泊
0
442
1,239
1,976
2,042
合
計
11,048
11,781
12,210
13,875
13,402
資料)小値賀町役場提供資料より作成
民泊の集落別 布は,港に近い中心集落の笛吹地区に集積しているが,島内各地に存在している。
(図6)。民泊協力家 は,自らは営業や宣伝を一切行っておらず,IT協会が一元的に予約を受け付け,
各民泊家
の事情を聞いて振り けている。民泊の宿泊価格は,体験メニューを含めて1人1泊2食
6,300円で統一されており,うちIT協会の仲介手数料が2,300円,各家 の取り は4,000円である。
小値賀町の民泊家
は,客の受け入れ度合いにより3種に大別される。まず,体験宿泊客を熱心に
受け入れる3軒で,民泊での年間収入は平 約80万円にのぼる。それに続く7軒は,約40万円の収入
がある。これら10軒が個人・グループ客を含めて恒常的に体験宿泊客を受け入れており,残る40軒は
団体客が来たときに受け入れる程度である。
例えば,最も多くの客を受け入れている民泊の1つである漁師家 へのヒアリング(2009.10.14実
施)
によると,年間約130人を受け入れており,民泊での収入は年間約85万円にのぼる。民泊事業に取
り組むに当たって登録手数料以外に設備投資は一切していない 。一方,本業の漁師としての収入は,
条件不利地におけるツーリズム事業の発展要因
図6
小値賀町の集落別民泊
91
布(2009年10月現在)
資料)IT協会へのヒアリングにより作成
24∼25年前は年収1,600万円に達したこともあるが今は500万円を切るほどまで減っている。この家
では民泊への協力は島の発展のためと自身の楽しみのためで儲けは えていないというが,高齢化と
燃料高騰により本業の漁業収入が激減し,今後も増える見通しが立たないため,貴重な生活の足しに
なっているという。今後,島の高齢化が一段と進み,多くの世帯で本業である農業や漁業が体力的に
困難になることが予想され,協力家
にとって民泊での収入は益々重要になっていくと えられる。
このように,協力家 にとって民泊事業は,決して本業での収入を上回るほどではないものの,老
後の生きがいとともに貴重な副収入になっており,島のツーリズム事業に協力する大きな動機となっ
ている。
4.2 地元経済への波及
入込客の増加に伴い地元経済への波及も見られる。IT協会によるとツーリズムによる事業収入は,
民泊事業に取り組み始めた2006年度から顕著な増加に転じ,IT協会設立2年目の2008年度には約1億
円に達した(図7)。2003年度には,町から観光協会への運営補助金が1,300万円あり,事業規模全体
の46.4%を占めていたが,2008年度には町からの運営補助金を一切受け取らずに運営できるまでに自
立した。
また,IT協会が2007年度の事業で支払った領収書を独自に調査したところ,町内で購入した比率が
87%に達していた(図8)
。燃料代や肥料代などで町外への支払が多くなる農業や水産業と比較して,
25) 民泊で増えた出費は,名物の海草サラダ用に海草を購入する程度だという。
経 済 論 究 第 139 号
92
図7
おぢかアイランドツーリズム協会の事業収入と町からの運営補助金の推移
注)事業収入は運営補助金を除く。2008年度は予算
資料IT協会提供資料
図8
おぢかアイランドツーリズム協会の支出内訳(2007年度)
注)
・町内商店での仕入・購入…観光物産仕入れ,食材費,印刷費,等
・民泊・各種体験インストラクター費…民泊民家に支払う費用,各種体験メニューのインストラクター代,町内高
ルバイト謝金,等
・人件費(小値賀町民)…常勤スタッフ8名の人件費
・町外支出…福利厚生費,町外からの講師招聘謝金,等
資料)IT協会提供資料
生ア
条件不利地におけるツーリズム事業の発展要因
93
ツーリズム事業では町内への経済波及にも一定の効果があると言える。
小値賀町では,単に入込客数を増加させただけでなく,民泊協力家 をはじめ町全体で,
「収入の獲
得」を実現したのである。
ツーリズム事業は,入込数や収入の拡大のみならず雇用拡大にも結びついている。2007年4月にIT
協会が発足した当初のスタッフ数は6名であった。その後徐々に雇用を増やし,2009年10月現在,常
勤雇用者は発足当初の4名を含む10名に達している
(表5)
。10名のうち小値賀町の出身者は,もと観
光協会の事務局長でIT協会の理事長を務める男性(B)と,もと漁協の職員で野崎島自然学塾村の管
理を担当する男性(E)の2名だけであり,その他の8名は全て島外からのIターン者である。出身
地も,長崎県内2名,福岡県2名,関西3名,関東1名と幅広く,全ての職員が様々な 野での職業
経験を持った人材である。最近では小値賀のツーリズムの知名度が上がり,求人を出すと数十名規模
の応募があるという。後述の株式会社設立後の2010年3月現在,常勤職員数は会社8名,NPO法人4
名,研修生6名の計18人にまで拡大している 。
表5
NPO法人おぢかアイランドツーリズム協会の常勤職員(2009年10月現在)
プロフィール
No.
A
常務理事。男性。大阪府出身。もと劇団員。2007年4月の発足時より
B
理事長。男性。小値賀町出身。もと観光協会の事務局長。2007年4月の発足時より
C
男性。長崎県諫早市出身。もと少年自然の家に勤務。2007年4月の発足時より
D
女性。京都府出身。もと京都の会社で勤務。2007年4月の発足時より
E
男性。小値賀町出身。もと漁業協同組合職員
F
男性。大阪府出身。もと海外青年協力隊員
G
女性。福岡県久留米市出身。大学で小値賀を研究。もとアウトドア用品店勤務
H
男性。福岡県北九州市出身。旅行会社勤務を経てエコツーリズム会社経営
I
男性。長崎県出身。もとゼネコン勤務
J
男性。神奈川県出身。もと県庁勤務
資料)IT協会へのヒアリングによる
「ツーリズムで50人の雇用」という人口3,000人足らずの過疎の島としては過
IT協会では発足当初,
大とも言える目標を立てた。目標にはまだ及ばず,小値賀出身者の雇用の場としては未だ不十 であ
るが,条件不利の離島にとっては大きな雇用効果だと言える。IT協会には,町内外の賛助会員がおり,
2009年10月には町内の会員数が100世帯を上回っている。小値賀町の世帯数は2010年4月末日現在で
1,350世帯のため,およそ13軒に1軒が入会している計算になる。ツーリズム事業の効果を肌で感じる
町民の協力の裾野が拡大し,それが新たなツーリズム事業を育む好循環が形成されつつある。
民泊事業や体験プログラム事業の充実とツーリストの増加により,小値賀町は次第に注目される観
光地となっていった。2008年度には,
「第4回JTB 流文化賞
26) 2010年3月,おぢかアイランドツーリズム協会へ電話確認。
最優秀賞」
(第1位),
「毎日新聞社2008
経 済 論 究 第 139 号
94
グリーンツーリズム大賞(農水省&国 省関連)優秀賞」
(第2位)
,
「第4回日本エコツーリズム大賞
特別賞」
(第3位)
,
「オーライニッポン大賞グランプリ
(内閣 理大臣賞)
」
(第1位)
,
「PTPアメリカ
国際親善大 プログラム 世界№1表彰」(2年連続)など,グリーン・ツーリズムに関する全国規模
の表彰を相次いで受賞している 。さらに,2008年には,アサヒビール㈱の地域活性化プロジェクトと
して小値賀町が選定されている 。こうした表彰もあってマスコミへの登場も増えた結果,多大なコス
トをかけずにPRすることが可能となり,認知度と集客拡大の好循環も生まれている。
5. ツーリズム事業の限界と次なる展開
5.1 民泊事業の限界
一見,順風満帆に見える小値賀町のツーリズムだが,いくつかの課題も指摘できる。1つには,ま
だ完全に自立したツーリズム事業とは言い切れない点である。2008年度の事業収入約1億円のうち,
約2000万円は,環境省,国土 通省,農林水産省などの補助事業収入である 。条件不利地で自治体財
政が 迫する中,町からの運営補助金をゼロにしたことは,それだけで賞賛すべきものであるが,成
功事例の小値賀といえども 的な補助金なしでは事業が成り立たっていないのである。
2つには,民泊事業の限界である。前述のように小値賀町の民泊数は,2006年度の7軒から,2008
年度には約50軒となったが,2009年度見込でも約50軒で頭打ちである。今後の修学旅行等の大型団体
の受け入れのためにも,民泊協力家
のさらなる増加が課題となっているが,新規参入がある一方で,
高齢化等を理由に止める家 もあり伸び悩んでいる。
それぞれの家 の事情もあり,民泊協力家 はそう簡単に増えるものではない。民泊事業を拡大し
て集客数を増やし,収入を拡大していくことには自ずと限界がある。会員制民泊「安心院方式」を導
入し,わが国の民泊事業に大きな影響を与えた先進地の大 県宇佐市安心院でも,常時受入可能な農
家民泊数は17軒,修学旅行受入を含めて50軒に過ぎない
(九州グリーン・ツーリズム研究会ホームペー
ジ,2010.5.11アクセス)
。九州最大の民泊事業を展開し,最大2,000人を受け入れる,まつうら党 流
社(長崎県 浦市と平戸市,そして佐世保市の旧鹿町町,旧小佐々町のエリアで活動)でも,2010
年5月現在の民泊数は355軒である 。2005年の国勢調査の世帯数に対する民泊数の割合は,旧安心院
町では57軒に1軒,
浦地域では76軒に1軒なのに対し,小値賀町では27軒に1軒と既にかなり高率
であり,これ以上の大幅な伸びは期待しにくいのである。
27) これらの表彰については,IT協会事務所(小値賀港ターミナルビル)にて表彰状確認(2009.9.25)。「第4回日本エ
コツーリズム大賞 特別賞」のみ環境省ホームページで確認。http://www.env.go.jp/nature/ecotourism/eco award
-4.pdf,2010.4.18アクセス。
28) 朝日新聞2009.1.5夕刊によると,2008年12月15日∼2009年1月14日の期間,長崎県内の酒販店でアサヒスーパードラ
イ(缶500ml,,350ml)を買うと,1本につき1円が期間終了後に小値賀町に寄付される仕組み。野崎島の旧野首教会
の保全支援が目的で全国初の試みである。
29) 九州経済産業局主催「九州地域活性化セミナー」
(2009.3.23)での高砂樹 氏の講演より。
30) まつうら党 流 社への電話取材。2010.5.11
条件不利地におけるツーリズム事業の発展要因
95
5.2 株式会社の設立
IT協会は,2007年4月の発足以来,順調に事業を拡大してきたが,収益事業に制限のあるNPO法人
という形態での事業継続が次第に困難となってきた。2007年度と2008年度のIT協会の事業報告書をみ
ると,特定非営利活動に係る事業の支出額が減少しているのに対し,その他の事業の支出額が約10倍
に拡大している(表6) 。
そこで,2009年4月に「株式会社小値賀観光まちづくり 社(代表取締役社長 小辻隆治郎氏)」を
設立し,NPOとの事業内容の調整を行い,NPOと株式会社で「おぢかアイランドツーリズム」グルー
プを形成して多様な事業を一体的に展開しつつ,収益を拡大できる体制を整えた 。
2008年以来,おぢかアイランドツーリズムグループが次なる収益の柱として取り組んでいるのが,
大型古民家再生事業である。テレビ取材で小値賀島を訪れた東洋文化研究者のアレックス・カー氏の
助言をきっかけに取り組むこととなった
( 務省ホームページ,2008)
。これまでの小値賀のツーリズ
ムは,子どもの団体や家族連れが中心で客単価が低く,夏場に集中することが課題であった。そこで,
古民家4軒を宿泊施設,1軒をレストランへとそれぞれ高級感のあるものに改造し,2011年夏から営
業を開始した 。大人の個人をターゲットに年間を通じて集客し,客単価3万円(宿泊1.5万円,夕食
5千円,朝食2千円,体験2千円など)を目指している。
表6
NPO法人おぢかアイランドツーリズム事業の事業支出額
定款の事業名
支出額(千円)
2007年度
⑴特定非営利活動に係る事業
①体験型観光の担い手育成事業
23,446
1,121
783
23,308
19,641
③観光の情報発信事業
1,509
2,128
④まちづくりにかかわる地域振興事業
⑤ 的施設の管理・運営事業
995
3,146
459
435
⑥上記事項に関する各種イベント事業
0
0
1,418
14,282
31,497
37,728
②国際
流・体験型観光推進事業
⑵その他の事業
合
30,079
2008年度
計
資料)IT協会の各年度事業報告書より作成
しかし,再生古民家は,これまでの小値賀のツーリズム資源とは若干性質を異にする。小値賀のツー
リズムはこれまで,ありのままの自然や島民の生活そのものを資源として展開してきた。ツーリスト
はそこに魅力を感じているのであり,必ずしも高級感を求めてはいないと えられる。また,小値賀
31) 2007年 度 報 告 書 は,長 崎 県 ホーム ページ NPO/ボ ラ ン ティア 情 報 よ り,http://www.pref.nagasaki.jp/npo/
。2008年度報告書は,おぢかアイランドツーリズム協会よ
M nuRes2.php?number=307&start=0(2009.9.16アクセス)
り入手(2009.10.11)
32) おぢかアイランドツーリズムグループへの電話取材(2010年1月)
33) 2009年10月現在,これら古民家を旅館業法に基づく旅館ではなく,農林漁業体験民宿として拡大解釈するよう長崎県
に請願中である。
96
経 済 論 究 第 139 号
では,これまで農業や漁業,商業など島民の生業による収入を主としながら,それにツーリズムによ
る利益を付加する形で展開してきた。つまり,集客が不安定なツーリズム事業に頼り切っていないと
ころに,条件不利地である小値賀のツーリズムの強靱さがあると えられる。その点で再生古民家は,
島民が日常的に利用することがない純粋なツーリズム施設であり,安定的な集客が求められることと
なる。再生古民家を既存のツーリズム事業といかにバランス良く発展させていくかが課題となってい
る。
6. おわりに
長崎県小値賀町のツーリズム事業は急速に拡大し,条件不利地としては異例の発展を遂げた。本稿
では,その発展経緯を精査し,既往の研究から抽出した,①課題や理念の共有,②キーパーソンの存
在,③資源の価値の発見と魅力ある観光資源づくり,④ツーリズムを推進する中核的組織と行政の側
面支援,⑤収入の獲得という地域活性化に必要な5つの要素が,条件不利地のツーリズム事業でも当
てはまるのかを検証した。
その結果, 小値賀町では,1980年代のハード事業を中心としたツーリズム事業の失敗と合併騒動か
ら,島民の間に「①課題や理念の共有」が進んだ。そして,2005年にIターンして後にIT協会の専務理
事となる高砂樹 氏が「②キーパーソン」としての役割を果たし,高砂氏の提唱で,島の住民のくら
しそのもの,住民とのふれあいに着目した民泊事業という「③資源の価値の発見と魅力ある観光資源
づくり」が進められた。さらに,町の観光協会,自然体験活動を行うNPO法人,民泊組織を含む任意
団体の3つを統合してNPO法人のIT協会を立ち上げてツーリズムにおけるワンストップサービスを
実現し,町はツーリズム事業には直接関与せず,イベントを実施するための補助金獲得に動くなど
「④
ツーリズムを推進する中核的組織と行政の側面支援」の体制が構築されている。そして,入込客数を
増加に転じさせ,IT協会設立2年目には約1億円の事業収入を上げるとともに,設立当初6名であっ
たIT協会のスタッフは,2010年3月にはIターン者を中心に18名まで拡大するなど「⑤収入の獲得」
と「雇用の獲得」も実現した。このように,小値賀町は条件不利地にありながら5つの要素の全てを
あわせ持ち,それらを相乗的に発展させて雇用拡大にまで結びつけたことが明らかとなった。
さらに,条件不利地のツーリズムならではの特徴も指摘できる。まず,小値賀町は 通不 で気軽
に訪問できず,日帰りも困難である。 通が不 なことは,一般にツーリズム事業にとって不利な条
件である。しかし,条件不利地ゆえに通過型にならず,ツーリストは「小値賀に行きたい」という明
確な意思を持って訪問し,地元での宿泊を含むツーリストによる確実な消費につながっている。
条件不利地ゆえに大型投資を伴う観光施設が整備されてこなかったこともプラスになった。
それが,
ありのままの離島の生活として島外からのツーリストに支持され,島民とのふれあい増加が満足度向
上につながっている。
そして,島を二 する合併騒動と非合併の選択を通じて,却って島民が団結するようになり,それ
が島民のツーリズム事業への理解と協力,見えやすい経済効果へとつながっている。つまり,小値賀
町では,不利な条件をうまく有利に変えてツーリズム事業を展開していること,それがツーリストの
条件不利地におけるツーリズム事業の発展要因
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ニーズに合致したことが,ツーリズム発展の大きな要因となっていると えられる。
但し,条件不利地の集客力,販売力には限界がある。条件不利地でのツーリズム事業は,その限界
を見通すことが重要である。あくまでもそれぞれの生業を基本として,特定の要素に過度に投資する
ことなく,民泊,体験,観光施設,物産販売などをうまく組み合わせていくことが必要だろう。
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