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放送大学大阪同窓会会報「おおさか」第17号

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放送大学大阪同窓会会報「おおさか」第17号
放送大学大阪同窓会会報
第 17 号
発 行
放送大学大阪同窓会
編 集
会報編集委員会
責任者
原田美紗子
発行日
平成 21 年 1 月 1 日
会員数 308 名
(平成 21 年 1 月 1 日現在)
ゆうざん
題字は村上日出俊氏(雅号酉山)
学生の要求に根ざした学習センターづくりの实践
大阪学習センター事務長
鶴 田 英 雄
【はじめに】实はわたしも放送大学の学生です。とはいっても、一昨年10月、事務長
に就任してから選科履修生として入学しましたので、まだ2年目の新米学生です。さて、
日頃献身的な取組を行っておられる役員の方の依頼を断りきれず、初めて同窓会誌に登
場となった次第です。放送大学との出会いと大阪学習センターの取組の一端を紹介して、
その責任を果たしたいと思います。
【放送大学との出会い】放送大学との初めての出会いは、大阪学習センターが旧大阪大
学医学部跡地から、現在の天王寺キャンパスに移転した平成6年。当時わたしは大阪教育大学第二部学務係長とし
て勤務していましたが、教育大学本体が柏原市旭ヶ丘に移転統合したため、空き家同然となった本館北東隅(現在
の放送大学1階掲示板付近から東側)に、大阪学習センターが移転してきたことをよく覚えています。二度目の出
会いは、それから6年後の平成12年。その年に柏原キャンパスから再び天王寺に戻っていたわたしは、現中央館
建設の現場の当事者として深く関わりました。三度目は、更にその6年後の平成18年、奇しき縁に導かれるよう
に、大阪学習センターの第5代事務長に就任することになり、その後、選科履修生として入学することで、同窓会
員の皆様と同じ「学ぶよろこび」との出会いも得ました。
【「学生の要求に根ざした学習センターづくり」の实践】着任当初から「学生の要求に根ざした学習センターづくり」
に努めては来ましたが、なかなか充分なことが出来ずに申し訳なく思っています。それでも、所長のリーダシップ
と係員の尽力により、新たな取組として形になったものもいくつかありますので、その紹介をさせていただきます。
以下の諸取組は、
「河堀祭」を除き、何れも昨年度から新たに開始したものです。
实践の手順:毎月1回、所長以下全職員参加による「事務連絡会議」を開催し、センター運営の重要事項を審議
決定しています。なかでも、
「学生の要求に根ざした学習センターづくり」については、最重要の恒常的議題として
毎回掲げて、その具体的方策を検討しています。
個々の实践の概要:①「卒業者証の発行」皆様よくご存知と思いますが、在学していない卒業生の便宜を図るた
めに開始しました。現在、13名の方に発行しています。②「学習支援の集い-先輩学生に聞く学生生活-の開催」
主として新入生への支援を目的に開始しました。同窓会はじめ先輩学生の支援・協力を得て、各学期2回ずつ開催
しています。③「顔写真データベースの作成」学習センターを利用する学生へのサービスを充实させる方策として、
学生の顔と名前を覚えコミュニケーションを密にする目的で開始しました。④「提案箱の改善」学生の意見や要望
をセンターの運営等に反映させるために、従前から实施してきたものですが、近年、あまり有効に機能していなか
ったので、仕組み(要望書等が投函された後の、事務処理等の流れ)を改善するとともに、改めて機関紙で全員に
周知しました。このことを通じて、図書机への照明設備設置や面接授業の改善等を行いました。⑤その他、紙幅の
関係で説明は省きますが、
「自動販売機の設置」
、「入学者の集いの改善」、
「河堀祭の開催」などがあります。
【おわりに】殆どの方が現役学生でもある同窓会の皆様が、パソコン講習会を始め、様々な取組みで後輩学生を、
そして大学・大阪学習センターを支援していただいていることに心から感謝申し上げます。一般の大学とは異なり、
むしろ職員が大学の通過集団である放送大学にあっては、学生、とりわけ同窓会の果たす役割は極めて大きく、重
要と考えます。今後とも「学生の要求に根ざした学習センターづくり」に努めて参りますが、よりよい大学・大阪
学習センターづくりのために、引き続きご支援いただきますようお願い申し上げます。
放送大学創立25周年記念募金のお願い
… 世界に羽ばたく遠隔教育の殿堂を目指して …
別途、「募金趣意書」を同封しています。ご協力くださいますようお願いいたします。
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放送大学大阪同窓会会報「おおさか」第 17 号
(2)
~ 卒業祝賀懇親会 ~
さる9月28日大阪学習センター主催の卒業式に引続き、大阪同窓会主催の卒業祝賀懇親会を開催しました。
大阪学習センター所長・柏木隆雄先生と前所長・西原浩先生、又鶴田事務長にご同席いただき、総勢27名(内
新卒生15名)が和気藹々と交流しました。
ご参加くださいました新卒生の方々の感想文をご紹介します。
★奥田登代子(生活と福祉)
祝賀懇親会に参加して初めて、同窓会の方々の学校での
思いや、今後の事など知ることができました。
自分が困っていたことや、思っていたこと、1人ではな
く他の人も同じだったのだと知り安心し、また、もっと
早く知っていたら語り合えたのに、尐し残念な気持にも
なりましたが、同窓会に入会しましたので、これからは
共感することを語り合ったり、卒業後の学習や研究のは
げみにもさせて頂いたりしたいと楽しみにしています。
★加藤徳江
今日は、私達の為に会席を催して頂き感謝しています。
尐人数でのなごやかな中に感想を、又、勉強に取り組んで来たかを話して下さったのが耳に残ります。十人
十色、自分らしい生き方で学ぶ姿に、これぞ放送大学生としての生き方だなと感心しました。
再入学をして全専攻を八年後に卒業出来たらいいな~と思った次第です。
★松本賀洋子
長いなが~い期間かかってやっと卒業出来ました。立派な卒業証書を頂き感無量です。
色々異なる環境の方々と共に喜びを共に味わうことが出来ました。
懇親会は、15名と尐人数でしたが、お一人おひとりの感想や経験をゆっくり聞かせて頂きました。
同窓会の皆様にも大へんお世話になりましてありがとうございました。
★安政元子(発達と教育)
放送大学に編入学して5年間でやっと卒業できました。在学中は、放送授業は仕事との両立で、自宅でテレ
ビとラジオをつかって、孤独の中で自分との戦いでした。心理士を目指していたので面接授業で心理实験・
研究法などを学びました。面接授業では大阪学習センターの他にも、北海道・新潟・東京・広島・徳島へ出
かけて行きました。
そこで心理学を学ぶたくさんの学生仲間と出会い、その後も文通等のやりとりも続きました。
面接授業で学んだことが、テレビやラジオでの放送授業に生きてきて、勉強もどんどん楽しくなってきまし
た。
尐しの心残りは卒論を取らなかったことですが、次はお世話になった先生やセンター職員の皆様・学生仲間
に心から感謝しています。
★小原千鶴子(生活と福祉卒業)
卒業目指す気持になってから保健体育や外国語を履修し
はじめました。科目登録も 10 教科登録し、試験の時、
フーフー言いながらの生活でした。今日この日に卒業す
ることが出来て感激しています。
もう尐し計画的に単位履修したら、もう尐し早く卒業出
来たはず…と思ったり、なかなか覚えることが出来ない
時、やっぱり私ってダメなんだ…と落ち込んだり……そ
んな時、放送大でお友達になった元気いっぱいの先輩に
電話して元気を頂き、また頑張ることができました。
これからも放送大学を私の人生の軸として関心のある科
目を勉強し、何か社会のお役に立てることが出来たらと
思っています。
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放送大学大阪同窓会会報「おおさか」第 17 号
(3)
★角谷順美(人間探求コース)
“私らしく進化”
ゆっくりマイペースでとの思いの生涯学習の過程で卒業という節目に出会えたことは大きな幸せでした。
日常の生活設計のなかで、自由に学ぶ時間を決められたことが卒業に至ったのだと思います。
人間探求コースは、生きることへの根源的な問いや、ものごとの本質を見つめる哲学的な科目が数多くあり、
私自身これらの学問によって有意義に、より豊かに学生生活を送ることが出来ました。また大学のクラブや
同好会に所属し皆とのコミュニケーションによって一層豊かな人間形成をはかり得たと思っています。
この 12 年間で私らしく進化出来たことに喜びを感じ、感謝をし、新たな気持でさらに学んでいきたいと思
います。
★野口玉子
いよいよ卒業、と思うと感無量です。この嬉しい体験を共有する学友の皆様と、懇親会にて、食事を共にで
きて、本当に良かった、と思います。本学にて学ぶことを、先に入学していた妹や友人に背中を押してもら
って、一歩踏み出せたことを思い、私自身も悩んでいる人がいれば、ソッと“大丈夫、あなたにならできる
ョ”と言える人になりたいと思います。
★田平孝子(自然の理解)
「継続は力なり」私は、知らないことを知る喜びと楽しさを、当大学で学びました。それと共に自分自身が、
ほんとうに元気になったと思います。入学以前は、どこが痛いとか、しんどいとか良く言っていた様ですが、
自宅から二時間を要する三田に住んでおり、大阪センターへも神戸へも電車とバスの乗り換えを数回しない
と学校に行けません。しかし、何年か通っている間にお陰で元気になり、心身・頭?共に健康になり感謝し
ている毎日です。
「勉学は一生なり」私は、今後この言葉をモットーに当大学で継続して学んで行こうと決心
しています。(了)
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2009 年(平成 21 年)1 月 1 日
放送大学大阪同窓会会報「おおさか」第 17 号
(4)
~ 秋の研修旅行 ~
今年度の秋の研修旅行は源氏物語千年紀に
因み、「源氏物語ミュージアムと近辺散策」を
企画しました。当日はすばらしい秋晴れに恵ま
れ、参加者23名、2名のボランティアガイド
さんをお願いし、それぞれの源氏の世界に想い
を馳せました。
「源氏物語ミュージアム見学と近辺散策」
市村始子
11 月 1 日秋晴れ、諸先輩方に混じり、私は 9 月に卒業したばかりのホヤホヤの同窓生。着物姿で参加の女性
もおられ、京都気分が盛り上がります。
源氏物語五十四帖のうち最後の十帖は、宇治を舞台に展開することから「宇治十帖」とよばれています。宇
治は、嵐山に似た上品さに加え川幅が大きく町全体が広々としています。以下のウンチクは地元ボランティア
ガイドさんの受け売りです。
宇治十帖は巻名「橋姫」から「夢の浮橋」まで、橋に始まり橋に終わります。物語の背景には常に宇治川が
流れています。
京阪宇治駅前の「宇治橋」は、大化の改新の翌年に架けられた、宇治の象徴。木製の高欄に擬宝珠があしら
われ、幅の広い立派な橋です。何度も水害や地震・戦乱で失われ、そのたびに架けなおされてきました。川の
水が橋桁に巻きつくかのような勢いです。高校生が15km も流されて無傷だったというニュースがありまし
たが、奇跡です。中州の「塔の島」の十三塔は、宇治川の氾濫は鮎漁の祟りだとして平安時代に建てられた鮎
の供養塔です。
さて、いよいよ平等院です。参道にいくつものお茶のお店が立ち並び、なんともいえない宇治茶の良い香り。
朱塗りの門を抜けると、目の前に風雪に耐えた真っ黒な木造建築が。
「ずいぶん古い建物ですね」と言いなが
ら前に回ると、十円玉の裏と同じ形。参拝実から口々に「前はもっと朱かったわ。50 年前やけど」「前に来た
ときは朱くてきれいやったわ。約 100 年前やけど。
」しかし、まさしく鳳凰が飛び立とうとするお堂の姿。
「鳳
凰堂」とは江戸時代からの呼び名だそうですが、建てた人は鳳凰を思い描いたに違いありません。
宇治は、平安時代は貴族の別荘地(当時は別業と呼びました)
。平等院は、藤原道長の別業(宇治十帖の主人
公「薫」の別業のモデルといわれています)を、その子頼通が寺院としました。鳳凰堂は東向きに建てられ扉
に丸い切り込み部分が有り、大きな金色の阿弥陀如来の朝日に輝く御顔を、池をはさんだ正面から拝むことが
できるのです。阿弥陀如来を囲み音楽を奏でる姿の雲中供養菩薩 52 体の半数は、敷地内の宝物館(「鳳翔館」)
にて造形美を堪能できます。鳳翔館ではコンピュータグラフィックスで完成当時の鳳凰堂内部が再現され、末
法思想の影響で極楽を地上に再現したという、その色鮮やかさに息をのみます。
宇治橋のたもとの「夢の浮橋古跡」をはじめとして、宇治には源氏物語がまるで史实であるかのように数多
くの「古跡」が建てられています。「橋姫」
「総角」
「早蕨」の古跡も巡ることが出来ました。
宇治神社・宇治上神社は、もとはひとつだったとされています。宇治上神社は宇治十帖の登場人物「大君」と
「中君」の住まいのモデルで、現存する神社としては最古の形をとどめています。
その先にある源氏物語ミュージアムは物語の世界にすんなり入っていける雅な建物です。五十四帖をわずか
8 分(!)でわかりやすく紹介しています。その説明にはちょっとした仕掛けがあるのですが、それは是非現
地で体験してみてください。
平等院の建築美と、古来より源氏物語に寄せる人々の思い入れが宇治川に浮かんで心に流れ込んでくるよう
な、印象的な一日となりました。
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放送大学大阪同窓会会報「おおさか」第 17 号
(5)
レジョンドヌウル勲章と生薬
枡谷
優
大阪府庁外事課へビザ申請に行った。
職員が僕に尋ねた。
「中央アフリカはどこへ行かれますか」
「バンギです。首都です」
「ホテルに入られたら外出しないでください。又動物に触れないで下さい」
「どうしてですか」
「原因不明の疫病にかかるおそれがあります。出来ればこの国へ行かれない方が良いんですが」
「重要な商取引の相手国です。現地の情勢を見てみたいと考えているんですが、危険ですか」
「疫学的にね。それに日本はこの国と外交関係がありませんのでビザを発給出来ません。この国の最寄りのフ
ランス領事館でビザをもらって下さい。セネガルとかモロッコとか。日本ではフランスが利益代表国ですから」
こうして僕は1973年十二月二十日から翌年一月十日まで、取引の端境期を利用して成田からアンカレッ
ジ、シベリヤ経由でパリ、パリからカサブランカへ向かった。結局このとき僕はカサブランカから北へラバト、
メクネス、フェズへ向かって日程を費やし、バンギへ足を伸ばせなかった。
(このとき行っていれば僕は中央ア
フリカへ第一歩を印した初めての日本人になったはずである)
。(アトラス山脈の中のフェズでは初めての日本
人でたくさんの見物人だった)
。
僕は1955年以来ヨーロッパ、アフリカ向けの輸出に従事している。現在は繊維機械を主に取り扱ってい
るが、当初は繊維製品、主に生地が主力商品だった。当時はアジア、中近東、アフリカでは繊維工業が未発達
だった。加えて世界大戦終結から十年、独立国が叢出し戦後復興が頂点に達した時期である。
僕が開拓を目指した市場はフランス語圏である。地中海の諸国、エジプト、チュニジア、アルジェリア、モ
ロッコ、シリア、レバノン、ギリシャ、トルコ、イタリア、アフリカ大西洋沿岸諸国、モーリタニア、セネガ
ル、アイボリイコースト、そうして中央アフリカ共和国。
中央アフリカは僕にとってエデンの園だった。美しい風土に四季の花が年中咲き乱れ、人々は花を頂いて町
を通っている。花の流れが国を彩っている。可憐な動物が花園を跳びはねている。人々は穏和で花を通貨とし
て使っている。
何故このような空想が僕を占めていたのか。ケニヤのヴィクトリヤ湖の西にブルンヂウルンジと言う緑豊か
な国があり、ベルギーの独占市場のように考えられていたが、それから西、サハラ砂漠の南、ベルギー領コン
ゴの北は全く情報がなかった。地図から見ると赤道直下である。高地だから気候は温暖なのだろうと勝手に解
釈していた。
カメルーンのドウアラからバンギまで単線鉄道が通じている。僕の貨物はフランス汽船で神戸を出てから約
一ヶ月でドウアラに到着して、それから鉄道でバンギへは三ヶ月目に到着する。輸出していたのは主にスーチ
ング(紳士服用生地)である。
相手先はレジョンドヌウル勲章受勲者ミシェル・ロベール氏が社長を勤める共和国唯一の縫製工場で、ボカ
サ大統領の文化政策で、国民は背広を着用することを義務づけられていた。
これに先立って僕はスフサージの生地を、スイスの国境にあるイタリアの町ヴァレセの商社へ二十万ヤード
販売し、その商社の指図でドウアラへ船積みしていた。当然この生地はバガンギへ向かった。小学生の制服と
して仕立てられるものである。
文化はまず形からと大統領は考えたようである。
モロッコ、モーリタニア、セネガルではほとんどの人が背広を着ていた。小学生はフランスの小学生とそっく
りの制服を着け鞄を背負っていた。
中央アフリカ共和国は第二次世界大戦の英雄ド・ゴール将軍のフランス政府のもとに1960年に独立を果
たし、大統領も国民も燃えていたのである。
日本のほとんどの輸出商社は主に旧英国領のナイジェリアとガーナへ輸出をしていた。又インド商社、ダラ
マル、ムウラマル、チョットルマル、アングロアフリカ等も主力はやはりナイジェリアだった。
希なるアフリカ新興独立国と、サンテクジュベリの「星の王子さま」の国のようにバオバブの木の生っている
国と交易していると、僕も熱くなっていた。
しかし中央アフリカ共和国の大型の切手のデザインは科学に関するものが多かった。大統領はダイアモンド
の産出を背景に科学立国を目論んでいたようである。
僕は1974年から毎月約五万フラン(四百万円)のスーチングを船積みしていた。L/C(輸出信用状)
がフランス銀行から毎回到着して良好な関係が二年間続いたが、L/C開設の煩瑣な手続きを省く為D/P(船
積み書類引き換え支払い)取引に移行したいとミシェル・ロベール氏から申し入れがあった。僕は考えた。今
までの实績から推察して信用に申し分ない。加えて氏はレジョンドヌウル勲章の受勲者である。名誉を重んず
るフランス人である。
僕は快諾した。自由、平等、友愛の精神で取引を進めようと。そうして一年ほど経過した。手紙の切手が僕
の目を惹いた。戴冠したボカサ皇帝の肖像のある200F切手だった。中央アフリカ帝国になっていた。消印
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のスタンプも帝国となっていた。僕は呆気にとらえられた。何時の間にすり替わったのか。もういちど手紙の
頭書を見た。やはり帝国になっている。(僕の目を掠めて、1977.4.22)。
しかしぼくは仰天しなかった。選挙制の王様や輪番制の王様、指名制の王様がアフリカの各部族ではたくさん
あった。まあ王様の王様、つまり大王様のような地位かと解釈した。そうして相変わらずミシェル・ロベール
氏と交易を続けていた。三年経った。
爽涼の好季節、十月のある朝僕は頭にかかっている帷が1枚1枚ゆっくり剥がれて行くと、事務审にあるテ
レックスの鳴り方が異常だと感じた。ミシェル・ロベール氏からである。中央アフリカ帝国で大暴動がおきて
工場が焼き討ちにあったと。皇帝と一緒にニースへ避難したと。
(1979年)
。
このときロベール氏との間に経過中の貨物は約十万フラン(八百万円)あった。しまった。そこまで考えて
いなかった。不測の事態である。貨物に海上保険は掛けているが、戦争、暴動、革命、反乱、ストライキは免
責条項である。又輸出保険も掛けていなかった。この保険を掛けると相手商社名が通産省に登録され公開され
る。僕は商取引の内容を秘匿するため掛けなかった。
(掛けない方に賭けた)
。個人企業に摂っては甚大な損害
である。
追ってロベール氏から情報が寄せられた。帝国政府はニースへ移っている。反乱側と折衝中である。偶発的
な暴動ではなく組織的な反乱だった。これは厄介なことになったと思った。僕はエチオピア、アルジェリア、
リビヤ、マダガスカルで何回も同様の経験をしていたにも拘わらず迂闊だった。このうちアルジェリア、リビ
ヤでは巧く回収出来た。いずれも共産革命だったがイギリス、フランスの銀行が関係していて解決できた。今
回期待出来るのはロベール氏の名誉だけである。氏は告げる。フランスで損害賠償の裁判を起こし、新しい共
和国政府に弁償してもらう。そうして貴社への債務を果たすと。僕が当地で損害の穴埋めに奔走している三ヶ
月後にロベール氏がバンギから、荒らされた工場の証拠写真を封入した手紙を送ってきた。手紙に貼られた切
手は帝国の崩壊と言う言葉と図柄になっていた。もう皇帝の復権は不可能である。ロベール氏に地中海沿岸諸
国、大西洋沿岸諸国での貿易仲介が出来ないか、出来れば10%のコミッシオンを見込み、そのうちの5%を
弁償に充当したいと提案した。
勿論ロベール氏は提案を呑んだ。氏のコネを利用して種々の商品や見本が送られてきた。中でも興味を惹い
たのは生薬である。現地では日本の漢方薬屋でのように店頭で販売されているようだったが、日本で売られて
いるものとは植物の種類が違って図鑑に載っていないものばかりである。正体不明のものは薬事法によって輸
入出来ない。
結局カメルーンの牛黄を二百グラム輸入出来たが品質が悪く、薬種商から継続輸入の話は立ち消えた。つい
でフランスの化粧品(バニシングクリーム)の説明書、カタログを送ってきた。説明書によると、ピレネー山
脈の人跡の絶えた山中に自生する梓の樹皮を原料の一部とするクリームで、一年に一度入札が行われ、フラン
スでは入手がはなはだ難しい希尐価値の薬用化粧品である。
僕は化粧品に不案内である。専門外で全くコネがない。ただしこの梓の樹皮がフランスでは煎じ薬としてコ
レストレールの除去に使用されているものである。
ロベール氏の手紙にはこの樹皮を煎じて、三回飲めばもう一生コレストレールの気遣いはなくなると記して
ある。僕はそのころ肥満気味で肩こりに悩んでいた。又吉野の山中で育ったので煎薬の効き目を信じていた。
ロベール氏に梓の樹皮を送ってくれるよう依頼した。自分で試してみようと。三ヶ月ほどしてロベール氏か
らシーズンに入って入手出来たと梓の樹皮一キロが送られてきた。早速煎じてお茶代わりに三日間飲んだ。一
時的に血圧が上がるが、二日ほどで正常に復するとロベール氏が注意書きしていたが、その通りだった。飲量
は飲める範囲でとも。煎薬はもともとゆっくり効くもので常用するが、この梓の樹皮は一回きりと言うところ
が違っている。
しばらくはなんの徴もなかったが六ヶ月程経って肩こりを起こしていないことに気づいた。腹囲も三センチ
縮んだ。病院での検査でもコレステロール値は正常値の範囲である。梓の樹皮の煎薬が効いたのかどうか断言
は出来ない。しかし僕の生活のスタイルは当時のままである。十万フランの煎薬だったと考えれば安いか高い
か。
その間ロベール氏からカンヌへ転居や、アンチーブへの転居通知が届き、又フランスでのフットボール世界
選手権(1998)の記念切手、封筒が送られて来た。貴重なもので発行当日の消印もスタンプされている。
同じ被害者であるロベール氏とはこれからも貿易関係以上の交渉を続けていく積もりである。同じ苦労をなめ
た友人として。
最近の報道によると(2008年初頭)ボカサ元皇帝は中央アフリカ共和国の裁判に、死刑の宠告の危険を
冒して、フランスから出頭すると報ぜられている。彼には人道的な問題もあって危険は非常に大きい。彼も知
名を感じたのだろうか。政治的野心で賭けに打って出たのだろうか。生まれ故郷へのノスタルジャーか。
思うに彼の文化政策が急進的だった。その裏で人道問題も起こした。
深く考えれば僕もロベール氏も知らず知らずボカサ元皇帝の政策に載って稼いでいた。八百万円は煎薬代のみ
ならずその代償でもある。詳しい状況はわからないが裁判の結果に注目している。
なお、僕の妻も一緒に梓の樹皮の煎じ薬を飲んだ。そしてともに元気で、今年、息子や娘に金婚式を祝って
もらった。
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(7)
「マイブーム」について
中村 恵美子
今、流行の言葉に「マイブーム」というのがあります。それは、自分だけのこだわりというか、今凝ってい
るというか、はまって夢中になっていることを指すようです。つまり、生活の中での自分だけのブームという
ことを言います。
それで、私はレコーディングダイエットに今、はまっています。正直に言えば、そのきっかけは健康診断の
結果から減量を迫られ仕方なく始まったことなのでした。
今は、いたるところで国を挙げてのメタボ征伐?の大指令が出ています。私もその指令に引っかかったので
す。
そんなわけで、今ダイエットに取り組んでいますが、なかなか敵は大物です。これまでの体重を維持しよう
とする自分の「身体」と、痩せたいと願っている「心」が戦っている毎日なのです。それでも、私はめげませ
ん。来る日も来る日もノートをつけています。まず、その日に起きた時間から始まって、血圧、体重、運動、
食事内容、就寝時間というふうに記録をつけています。これは、何でもメモる書く癖があったからそれが幸い
しました。小さなノートを手帳にはさんで忘れないうちに書き留めています。
だいたい人間の記憶というものはいい加減なもので、一晩眠ると前の日に食べたものもすっかりと忘れてい
ます。だから、まだ頭の中の記憶の部屋から情報が逃げ出さないうちに書き留めるようにしています。今日で
ちょうど 2 ヶ月続きました。まあ、この分なら続けられそうです。でも、肝心の体重は減りません。尐し、ほ
んの尐し 1 キロぐらいは減りましたが、まだ横ばい状態です。
しかし、よかったこともありました。それは、自分が何をどのくらい食べているのかが、わかったことです。
記録をつける前は、自分はそんなに食べていないだろうと思っていたのですが、なんの、なんの、その思い込
みは覆されました。書き出すことで自分が実観的に見えてきたのです。自分の毎日の食生活と運動、生活リズ
ムなどを書き出すことで実観的な事实として、自分と向き合うことができてきたと言うことでしょう。
それまでにも毎日の行動記録のようなものは手帳につけていましたが、自分の健康を考えるようなものはつけ
ていませんでした。
今回、レコーディングダイエットに取り組んで、より自分の「身体」の健康に関心を持ちました。これまで
「心」に目を向けることはあっても、
「身体」はちょっとおざなりになっていました。身体と心がその人を作っ
ているのです。これからは、心の声だけでなく身体の声にも耳を傾けられる余裕を持ちたいと思います。一生、
自分の命の終わるその日までを伴に生きるのはこの「身体」なのですから。そして、元気で過ごすためにも健
康のためにも痩せたいと願う「心」と折り合いをつけて共存していきたいと思っています。
7/10
2009 年(平成 21 年)1 月 1 日
☆
放送大学大阪同窓会会報「おおさか」第 17 号
(8)
新入会員のご紹介
ご卒業おめでとうございます。次の方々が同窓会のお仲間に加わって下さいました。(敬称略)
伊勢悠紀彦
市村始子
井上富夫
小原千鶴子
奥田登代子
川崎良子
二谷貴裕
野口玉子
橋本多佳子
橋本益善
本田鞠子
藤田秀美
松本賀洋子
宮川隆子
安政元子
柳内義憲
吉川真一
☆
角谷順美
加藤徳江
片見征生
大阪同窓会会則についてのご報告
前回20年4月19日の総会でご提案のありました、同窓会の業務年度と会計年度を一致させる件につきま
しては、前回会報で世話人会において継続協議中である旨お伝えしましたが、その後検討の結果双方を一致
させるには技術的に困難が多いため、現状のまま、業務年度は4月より3月まで、会計年度は1月より12
月までとすることに決定致しましたので、ご了承下さいますようお願い申し上げます。
☆
行事予定
● パソコン教审 :
1月11日(日)表やグラフを作成しよう
2月15日(日)名刺を作ろう
3月 8日(日)いろいろな関数を使ってみよう
<時間>13:00~15:00 <場所>7F实習审
<費用>700円
(詳細は掲示板かホームページをご覧下さい)
● 卒業祝賀懇親会
:
3月22日(日)
11時~13時
(第二講義审)
新卒の皆様を迎えての恒例の懇親会です。会員の皆様のご参加をお待ちしています。
● 研究発表会
:
4月11日(土)(時間、発表者、テーマ等詳細検討中)
● 第10回定期総会 :
4月11日(土)(時間検討中)
卒業研究発表会(新企画)に引き続き総会を開催、総会終了後、発表者を囲んで茶話会を開く予定です。
どうぞ皆様ご参加下さい。
☆
お知らせ
●「他学習センターの会報がご覧になれます
http://uair-dosokairengo.net/modules/mydownloads/viewcat.php?cid=4
●「大阪同窓会のお知らせ」はホームページでも随時ご覧下さい
HPは「Google」又は「Yahoo」の検索窓に、「放送大学大阪同窓会」と入れ検索を
クリックください。
(HPはリニューアルしURLが変わりました http://www.geocities.jp/houdaiosakadousoukai/)
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2009 年(平成 21 年)1 月 1 日
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放送大学大阪同窓会会報「おおさか」第 17 号
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メールアドレスを教えて下さい
今後お知らせなどの場合、メールを使用できればと考えています。
お差支えなければ、件名欄に「同窓会アドレス」と書き、以下へご連絡下さい。
アドレスの保護には細心の注意を払い、ご本人への連絡以外には使用いたしません。
原田
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美紗子
[email protected]
学生募集に協力しましょう
現在放送大学では学生を募集しています。私たちも友人や知人に声をかけ、協力致しましょう。
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行事实施報告
● 公開コンサート開催
20年6月18日
恒例の公開コンサートを開催、当重先生、伊原先生の素晴らしい
歌声と演奏に一同感激、コーラスサークルも参加し、盛会裏に終了することができまし
た。
● 11月22日
文化祭
河堀(こぼれ)祭が開催されました。
同窓会はロボット展、ロボット講演会で参加、多数のご参加を頂き、ロボットの愛らしさ、素晴らしさに
一同感動しました。石古様にはお忙しい中ご協力頂き感謝申し上げます。
他サークルも多彩な出し物で、大勢の人たちで賑わいました。
● 12月19日楓林閣において忘年会を開催しました。
出席者18名、柏木所長もご出席下さり、有意義なそして和気藹々の3時間でした。
はじめての企画でしたが、今後は皆様の参加頂ける機会をもっと多く持つようにしたいと考えています。
ご協力をお願いいたします。
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放送大学大阪同窓会会報「おおさか」第 17 号
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同窓会にあなたのお力を貸していただけませんか
同窓会の運営にボランティアとして携わって下さる方を募集しています。気軽にご自分の出来る事でご協力下
さい。
仕事の内容は講演会場の設営や受付などの単発的なものから、世話人として本会活動の企画運営に加わって頂
くものまでさまざまです。ご協力いただける方は世話人会へお越し下さるか、又は本会事務局へご連絡下さい。
世話人会は基本的に、毎月第1金曜日14:30~17:30 实習审にて開催しております。但し1月と7月は休会です。
歴史サークル2月例会講演会のお誘い
歴史サークルでは、下記の企画を致しました。在校生は勿論、卒業生、お知り合いで興味を
お持ちの方の参加を歓迎いたします。
記
日時
2009年2月28日『土』午前10時半より
場所
第1講義审にて
講演内容
『遺跡から考える大阪の歴史』
難波の宮跡、大阪城跡の発掘成果から考えられる大阪の歴史を、映像資料を使いながら判り
易くお話して戴きます。
講師
森
参加費
不要
毅氏(大阪市教育委員会生涯学習部、文化財保護課担当)
* 申込みは上田または山根までFAXまたはメールにてお願いします。
なるべく、早めの申し込みを、お願いします。先着60名です。
以上
歴史サークル
会長
幹事長
山根達雄
上田敏夫
TEL&FAX
06-6340-1550
TEL&FAX
06-6765-0578
メール[email protected]
【編集後記】
今号も貴重なお時間を割いて、ご寄稿頂きました皆様に厚くお礼を申し上げます。
厳寒の折から皆様のご健勝を心よりお祈り申し上げます。(橋本)
平成になって20年が経過しました。平安とはかけ離れた、ますます不安と混沌が闊歩する
世の中となってきました。皆様の生活の安寧と健康をお祈り申し上げます。(宮田)
【連絡先】〒543-0054 大阪市天王寺区南河堀町 4-88
(大阪教育大学天王寺キャンパス内)
放送大学大阪学習センター内
大阪同窓会
広報宛
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