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ニュース32号 (PDF1,888KB) - j
NEWS
32 号
2011 年 3 月 11 日発行
【私の意見】 立命館はただ『流行』の学園だったか?
‐‐‐‐‐‐‐‐‐名誉教授:岩井忠熊
【お知らせ】 3 月 18 日の観劇案内・「哀しみの南京」
【豆ニュース】退職者からのお手紙紹介
【編集後記】 上田副総長はなぜ憎まれ役を買ってでたのか?(M&H)
岩井先生の「私の意見」は、
「京都私学退職者の会」20 周年記念冊子『20 年のあゆみ』に掲載された小山茂
二氏の小論、「不易と流行―どこへ行く立命館―」の主に歴史的評価に対する反論です。先生は「この一文、本
当は私もその一員である同会に提出するのが順当である」と思われていたのですが、その冊子が京都私教連参加
の各組合に 1 冊贈呈され、それを目にした「考える会」世話人会からの要請に応えて、執筆頂いたものです。
小山氏は 15 年前にも学校法人立命館と宇治学園の合併を題材にし、小説「立命館の野望」というタイトルで、
週刊教育 PRO とい雑誌に連載し、私学関係者からひんしゅくを買っておりました。今回の文書もその延長線上
のものです。小山氏の小論は 10 年前の M 専従副委員長個人の「京都私学退職者の会」への失礼な対応をイン
トロに、最近の立命館の状況を川本前理事長個人の責任にして批判しつつ、それを支えたのは立命館教職員組合
だと攻撃しています。岩井先生は、かかる「陰謀史観」を批判しつつ、歴史に照らして自らの私学観を述べてお
られます。参考にして頂けたら幸いです。
【私の意見】
立命館はただ『流行』の学園だったか?
-平和と民主主義を信ずる老人のつぶやき-
「考える会」顧問
立命館大学名誉教授 岩井忠熊
私は立命館在職39年間の38年を文学部史学科日本史学専攻の教員としてすごした(最初の1年
は専門学校文学科所属)。その末期に頭をなやました一つの問題は考古学だった。私が京大史学科在学
中は、考古学専攻は学生がいたりいなかったりという、不人気な分野だったが、浜田耕作(のち総長)、
梅原末治等の著名な先生の下に日本一といってよい陳列館まであった。
親方日の丸の帝国大学でなければ維持できないぜいたくな分野だったといえる。
だが高度成長下に各地で大規模な土木工事がおこなわれて大量の遺跡・遺物が出土し、
文化財保護法が制定され、教育委員会は考古学専門の職員を採用するようになった。
考古学と文献史学がつながって古代史が面目を一新し、
「邪馬台国」問題が新聞で取り上げられるよ
うになり、古代史と考古学を学びたいという学生が立命日本史にも大勢集まった。だが立命に考古学
を専門とする教員も、教育・研究の施設もなく、ただ非常勤講師による講義があるだけだった。
国立大学を本務とする非常勤講師は内緒でふろしき包みに勤務先の土器等をつつんで講義の教材に
持参する始末である。バスの中で土器がこわれたらどうなるだろうか、そんなことを考えるとハラハ
ラせざるをえない。当然だが学生は不満である。結局、独学にちかい勉学で考古学の世界に入り、中
には「学士院賞」を受けるほどのすぐれた考古学者まで出た。
そこで私は意を決して理事会に対し考古学コース充実の必要性をうったえる一文を上程した。
曲折はあったがやがて考古学専任教員の採用、考古学実習室、考古学コースの開設等が実現した。当
然だが学生定員が増えていく。かっては文系学部の学生定員がみな550名となっていたが、受験生
‐1‐
と社会的要求にしたがって文系の中で文学部学生定員は突出して増大した。こういう経験から、私は
私立大学の『膨張』自体はさけられぬ事案であり、教学的観点から一概に否定すべきではないと考え
ている。ITやバイオテクノロジーが世界を変えようとしている時代に、ただ従来からの学園規模を
固守するだけの学園は困ったものである。
私立学校は一面からいえば企業体であり、経済法則にさからって存続できるものではない。だが理
事者がただの事業家になってはおしまいである。資本主義の経済法則は拡大再生産であり、たえず成
長をもとめてやまない。だから私学が最近の立命館のように経営優先になると『膨張主義』におちい
りやすい。警戒すべき点である。自治体や公共機関が有利な土地を提供しようというのであれば、そ
れを私学が利用するのは当然である。また問題によっては大学が自治体や企業と提携することも必要
である。そうしなければいま人類の直面する『環境問題』にソッポをむいた教育や研究など没落する
ほかあるまい。国民的要求に応ずるべきだ。
私の兄は戦時中に慶応の学生だった。三田の校門に衛所がもうけられ、ゲートルをまいた『哨兵』
まがいの人物が立っていたという。そのたぐいの話を散々きかされたので、私は慶応が一貫して『不
易』だったという神話を信じない。実際に友人の慶応の教授から愚痴をきいてもいる。最近の歴史学
界では安川寿之輔氏をはじめ「福沢諭吉」神話を批判する業績がつぎつぎに出現した。同志社は戦時
中に神学部の存在理由を『大東亜共栄圏』に存在する多数のキリスト教信者に対する日本の政策上の
必要性から力説した。だから同志社の人たちは戦後に『戦時下抵抗の研究』(同大人文研編 1968)
2冊を出し、その1で「キリスト者・自由主義者の場合」を取り上げた。私が親しくおつき合いし、
教示をうけること多大だった和田洋一教授(同研究グループ代表者)はその書の「はじめに」で、同
志社にわずかながら抵抗と挫折の歴史があったが、それは全体として「誇らしい歴史ではなく、恥ず
かしい歴史であったという悔恨と反省」に立っていた。和田先生自身は戦時中に同志社から追放され
ている。
私は『戦時下抵抗の研究』に賛辞を惜しまないひとりだが、それだけに同志社がただ『不易』だっ
たという浅薄な理解には到底同意できない。戦時中不遇だった同志社『不易』のシンボル的存在の田
畑忍先生は、田辺移転に反対だった。だが同志社が田辺キャンパスに新校地を取得していなかったな
らば、いまの同志社はミジメな境地に立たされることになったろう。『流行』の勝利である。
正確にいえば、戦前の立命は大正期には大正デモクラシーの一翼をなす学園だった。創立者中川小
十郎は樺太庁をへて台湾銀行といそがしく、立命館学園の経営に全力を注ぐ余裕がなかったから、織
田萬、佐々木惣一ら京大法科の有力教授たちが事実上の中心だったのである。くわしくは『立命館百
年史』第1巻を見てほしい。中川は1925年(大正 14)に台湾銀行頭取を退いて京都に帰
住し、立命館の経営に専念する。こうして1928年(昭和 3)の御大典に際して禁衛隊をつ
くり、はじめは有志の組織だったが、やがて全学園をあげる組織にした。立命館の歴史の
中で「禁衛立命」といえる時期は中川の死去(1944 年)でおわった。立命110年の歴史の
中の16年間にすぎなかったのである。
中川は明治の男らしく、言行に矛盾が大きかった。明らかに政治的主義を異にする西園寺公望に忠
実に仕えたのは、今の人間には理解しがたい君臣関係の情義にもとずくとしか考えられない。西園寺
がきらった軍人たちと関係を結び、右翼的立場を標榜した。しかし優秀な人材であれば立命館に左翼
的学者をかかえることも平気でしている。俺は右翼だ、有力軍人も背景にしているという居直りの中
で、彼らをかばったといいうる。もっとも治安維持法で検挙された教員をかばいきれなかったのは、
あの時代のどの大学とも同じだった。
私は歴史をつくるのは人間だと信じている。だがそれを矮小化して、だれか特定の人間たちで何か
ができ上がってしまうという見方には反対だ。そういう歴史の見方を『陰謀史観』とよんで批判して
きたのが歴史学の主流である。私が「立命館の民主主義を考える会」に参加したのは、そのようなケ
‐2‐
チくさい『陰謀史観』で1人の人間を追及しようとしたわけではない。あえていえば大学にも及ぼう
としている『新自由主義イデオロギー』を許すことができなかったからだ。
かって3度も書記長をつとめた私でも、退職後、
「非核の政府を求める京都の会」代表として立命館
教職員組合の協力を求めて、事実上つめたい拒否にあって失望したことが10年前にあった。新採用
の教職員がなかなか組合に加入しない傾向がつづいているというボヤキも聞いてきた。
執行部も苦しい立場にたたされてきたことに同情もする。しかし組合はあえて学園理事会と訴訟で
争う「一時金訴訟をすすめる会」の支援を辞さなかった。私はその根性を信頼する。たたかう教職員
組合と国際平和ミュージアムがある限り、立命館が平和と民主主義の学園としてつづいていくであろ
うことを確信する。
2011 年 2 月 17 日
【お知らせ】須田稔先生からの舞台のお知らせです
IMAGINE 21 が描く断魂と蘇生
地獄の DECEMBER
3 月 18 日(金)
PM 6:30 開演
哀しみの南京
いのち
いとおしむ
地獄の DECEMBER
哀しみの南京
呉竹文化センター
あなた
大切な人と一緒に観て下さい
(近鉄・京阪「丹波橋」駅西)
一 般 ¥3500
大学生 ¥1500
高校生 ¥1000
南京大虐殺をテーマに、戦争の加害の罪に迫る二人芝居。
南京大虐殺(1937 年)70 周年記念追悼公演として
2006 年 12 月から 2007 年 12 月にかけて中国・上海市、南京市、アメリカ・ニューヨー
ク市、 そして日本国内 30 ヵ所で絶賛された舞台を今、京都に。。。
渡辺さんと横井さんは御夫妻である。
戦争から帰った渡辺さんの父は粗暴となり家族にも辛くあたった。戦地からいち早く帰国。中国人を殺害し部下を見捨てると言う二重の罪。世
間は戦犯と冷たかった。母はよく父から暴力を受けていた。夜中によくうなされていた父。戦地から隠し持ちかえった日本刀を箪笥に隠していた。
母はうつ病になり、妻である量子さんに自らの血で息子は「自分のもの」と書いてよこした。量子さんがその手紙をくずかごに捨てると、今度は
渡辺さんが暴力をふるった。まさしく暴力の連鎖。母は夫の1周忌に首吊り自殺をする。
一方、量子さんの父は軍隊の雑貨を納める商いをしていた。うちだけが悪いのかとつぶやく夫の言葉に彼女は自分の父の加害を認識する。父
の「楽して儲けた」と言う言葉を忘れなかった。その儲けは戦後、兄たちの病で消えた。渡辺さんは嫌がる妻と中国東北部へ。
長江の虐殺現場で手を合わせた瞬間、ハチ割れるような頭痛に襲われ「南京大虐殺」と向き合わねばと思った。
「自分たち家族は何か大きな罪を背負っているという意識のまま大人になった。幸せになれない」「(この劇は)戦後、私の家族の中にあった闇-
戦争加害罪-への私達自身の告白であり懺悔なのです」この舞台は、芝居と朗読と踊りとで創られた実話です。
過去を忘れず 心こめて 語り継ぐのは 今と未来で 過ちを 繰り返さないため
アジアの 日本の 人びとの いのちが 虫けらみたいに殺し殺された戦争の悲惨を詫び悔い改めるから
戦争放棄の憲法がある
いま日本は戦争していないから平和ですか?いのち尊ぶ私たち主権者の尊厳が試されてる
日米軍事同盟を公共財と言う政府を その暗愚と凶暴を 許しますか 許せますか
絶望の山から 希望の石を切り出しましょう
‐3‐
【編集後記】
上田副総長はなぜ憎まれ役を買ってでたのか?
新中期計画委員会中間まとめ特集:<UNITAS REVIEW VoL22.2010.6.28 発行>において、上田副総長は、中
期計画を考える際の前提として、「規模を拡大しながら全体を発展させる進め方とは一線を画し、現状の学園規模を維持
しながら、質の向上を目指して教学やキャンパスの再編を議論していくべきだ」と述べていました。
上田副総長は、正義を尊ぶ法学者らしく、自らが述べたこの主張をつらぬき、全学の合意形成を追究すべきでありまし
た。だが、なぜかその主張を取り下げて、長田理事長や森島常務の弁護役を引受け、新キャンパス創造の理論的バック
ボーンは自分だとばかりに、この間常任理事会や組合との交渉で憎まれ役を買ってきました。そして、「茨木に経営、政
策科学部が移転したら、既存学部の学生を割引け、教学の質的向上ができる」、「2020年からの赤字だけを取上げるの
はおかしい」、財政状態は「経営学部あるいは経営管理研究科の教員の専門家も評価した」、「4 万人規模の学園だから
全学一致の合意づくりは難しい」等々の、その場しのぎの戯言を繰り返してきました。自らの変節を糊塗するために、五
学部長や組合に八つ当たりしたのでしょうか?
財務部局の愚痴を洩れ聞けば、具体的に移転学部や学部規模、建物構造も決まっていないうちに、学園トップの好き
かってな言動に振り回されて、シミュレーションづくりに苦労させられたそうです。
学園の1千億円に近い膨大な基金を使い、父母・学生の願いに反する高学費を引続き維持する前提であれば、政策
科学部の規模を倍にしたり、新学部や新研究所を作るのはそう難しくはないでしょう。学園トップにはこの膨大な基金を蓄
積した『超健全な財政構造』についての背景説明と反省がありません。公費助成は経常経費に対する部分的な補填であ
るはずですし、不況時に寄付金は集まらず、受験料収入も毎年減少しているのですから、膨大な基金の大部分が学生
納付金に依存していることは、火を見るより明らかです。予算編成時や春闘団交には財政が厳しいといい、長期にわたり
教職員のベースアップを0回答に抑え込み、あまつさえ2005年度から年間一時金を1ヶ月カットし、決算時には黒字が
表面上目立たないように教員定員の未充足分等も含め基金に振り替える。その結果として出来上がったのが、立命館の
『超健全財政』であったのです。
それでも 2020 年には消費収支が赤字になり、それ以降の試算が示されないのに、「少子化問題への対応は全社会的
な課題、国際化課題」に一般化、「専門家」が退職金引当金等を含め資金収支が良好だと評価したことを口実にして、上
田副総長は財政上の問題を過少評価し、批判を切り捨てる。これで学生、教職員は納得できるのでしょうか?上田副総
長は筆頭副総長として教学的観点が弱くなった総長をたしなめる立場にあったのに、数々の不一致点を総長が「今後の
議論で解決できると確信」していると述べれば、それ以上何もいえないということなのでしょうか?この情けない副総長ぶ
りは、トップに進言できない監事と同様、現在の立命館の経営陣の歪んだ構造を表しています。
学生・父母から集めた貴重な財産をサッポロビールやゼネコンに奉げ、「意見の違いは歴史が証明してくれるでしょう」
という長田流“殿様商売”は、強引な茨木移転を強行して「今後の議論」に「確信」を寄せる総長の無責任極まりない対応
と好一対を成しています。これ以上のドタバタ劇を防ぐためにも、何処かの国のようになる前に、早く“人心一新"を実現し
たいものです。
(M&H)
【豆ニュース】
退職教員の方から「考える会」へ激励のお手紙と 1 万円の募金。ここに感謝の意を込めてご紹介します。
前略
「立命館の民主主義を考える会」の活動にご尽力頂き感謝しております。会報を送って頂いて読む度に、立命館大学はどう
にかならないのかというくやしい思いをさせられます。前理事長時代の立命館株式会社といわれた経営主義的な極端な膨張
政策に対して、川口総長が批判を受けながら登場したとしても、学園民主主義の再建、学園組織の改革、学園発展政策の再
検討を川口氏なりに取りくむかと思っていましたが、変わることなく従来通りの経営主義的な膨張政策を路線としているよ
うで、残念に思っております。
大変申し譯ないことですが、ここ数年体調を壊して会合に出席できなくなっていますこと、何卒ご了承ください。
本日郵送にて1万円募金することに致しました。どうぞ宜しくお願いします。
草々
二月四日
事務局連絡先:〒603-8577 京都市北区等持院北町 56-1 立命館大学教職員組合 気付
「立命館の民主主義を考える会(元教職員)
」
TEL:075-465-8200(宮澤気付)
FAX:075-465-8201
会のメールアドレス [email protected](ご意見、ご感想を)
バックナンバー掲載:ホームページアドレス http://rits-democracy.blogspot.com/
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