...

創立50周年 - 東京都立日野高等学校ホームページ

by user

on
Category: Documents
898

views

Report

Comments

Transcript

創立50周年 - 東京都立日野高等学校ホームページ
創立50周年
記念誌
東京都立日野高等学校
創立50周年
記念誌
東京都立日野高等学校
校旗・校章・校歌・教育目標
校章の意匠(デザイン)は校樹センペルセコイアにちなんだものを、という条
件で創立当初の生徒全員から募集したものの中から選んだ。中央に日野の「日」
を意味する朝日を配し、抱き込む形でセンペルセコイアの葉をめぐらせたもので
ある。校樹に守られ、励まされて、共にすくすくと伸びようという願いを込めて
いる。
教育目標
1 自主・協調の精神を養う
2 知性を高め、体力の向上を図る
3 豊かな心を培う
東京都立日野高等学校 校歌
勝 承夫 作詞
井上 武士 作曲
一、みどりさわやかに 空広やかに
窓には清き 武蔵野の風
若き英知の みなぎるところ
夢多き センペルセコイヤ
純情の われらあり
日野高校に のびゆく力
二、光なごやかに 日に新しく
呼べば答える 高幡の丘
多摩もながれを 寄せ合うところ
永遠の意気のまほろば 友情の 泉あり
日野高校に かがやくわれら
三、遠きあこがれよ 富士晴れやかに
明日待つすがた 情熱の雲
つねに希望の 燃えたつところ
かぎりなき 愛のふるさと
青春の 星座あり
日野高校よ われらが母校
平成27年度(2015) 部活動集合写真
目 次
校旗・校章・校歌・教育目標
写真で見る日野高校
挨拶・祝辞
50周年を迎えて~明日へ、未来へ、輝け! 校長 小宮德健 /1
創立50周年に寄せて 第15代校長 宮﨑高一 /2
永続する学び舎 第14代校長 伊藤 清 /3
世界へ羽ばたく人材を輩出する学校へ 第12代校長 上原健夫 /4
50年の歴史と次の一歩へ いちい会(PTA)会長 米沢 剛 /5
母校創立50周年にあたって 同窓会会長 後藤正幸 /6
50年の歩み
学校の沿革… …………………………………………………………………………………………………………… 8
創立から10年 / 14
11年から20年 / 16
21年から30年 / 18
31年から40年 / 20
41年から50年 / 22
校地、校舎の変遷……………………………………………………………………………………………………… 24
部・同好会一覧… ……………………………………………………………………………………………………… 32
卒業生と日野高校……………………………………………………………………………………………………… 38
美術部OB会展 / 38
学校創立50周年にあたって 5期生 野球部後援会副会長 梅田 武 / 39
同じ時間の流れの中で過ごしてきた 12期生 泉田洋一 / 40
私の人生を変えてくれた日野高校 13期生 松下 耕 / 41
日野高校生物部と私 旧職員 8期生 京本 隆 / 42
日野高校の現在(10年間の記録)
移り行く時の中で……………………………………………………………………………………………………… 44
学力向上の試み / 44
部活動の躍進 / 46
主将としての3年間 46期生 元野球部主将 工藤誠也 / 48
東京国体 日野高校ダンス部の活躍 徳田雅信 / 49
映画★演劇部が映画祭にかけた思い 48期生 辻 菜々子 / 50
異文化交流 / 51
「日野」から「世界」へ 旧職員 高島みゆき / 53
TVに映った日野高校 / 54
NHKドラマ「トランジスタ・ラジオ」に参加して 49期生 坪井秀記 / 55
学級数の増減 / 56
50周年記念デザイン!日野高校3代目制服決定! 制服検討委員会 / 57
生徒の活動… …………………………………………………………………………………………………………… 58
体育祭 / 58
文化祭 / 61
合唱祭 / 65
修学旅行と校外学習 / 67
マラソン大会 / 69
その他の行事 / 72
生徒の活動~部活動~ / 73
生徒会活動10年間の推移 / 79 挑戦、それから。 45期生 元生徒会長 草野晴菜 / 81
校務分掌からの報告…………………………………………………………………………………………………… 82
教務部 / 82
生活指導部 / 84
進路指導部 / 85
保健部 / 87
総務部 / 89
図書館 / 91
経営企画室 / 93
いちい会のページ……………………………………………………………………………………………………… 94
資料編
教育課程の変遷 / 96
ここ10年の卒業生 進路状況推移(及びそのグラフ) / 103
ここ10年の進学・就職先 / 104
10年間の担任団 / 107
在籍教職員一覧 / 109
50周年を迎えて ~明日へ、未来へ、輝け!
校長 小宮 德健
東京都立日野高等学校は、創立50周年を迎えること
指定校、スポーツ教育推進校、26年度にオリンピック
になりました。この記念すべき日を迎えることができ
教育推進校、安全教育推進校、27年度にはオリンピッ
たのもひとえに、創立以来本校の教育に御支援、御協
ク・パラリンピック教育推進校・スポーツ特別強化校
力いただきました地域の皆様方、PTAいちい会をは
として指定され、教育活動の充実を進めてきました。
じめとした保護者の皆様方、また、これまで本校の教
現 在 本 校 は、『 日 野 高 か ら 始 ま る 未 来、 輝 け 自
育を支えてこられました歴代の校長先生をはじめ多く
分!』、『切り拓け 自分の未来』をスローガンとし
の教職員の方々、そして何よりも努力を積み重ねた卒
て、あらゆる場面で生徒一人一人に徹底して寄り添
業生のおかげであると心より感謝申し上げます。
い、生徒の成長と希望実現のための教育活動を実践し
本校の歴史を遡りますと、ベッドタウンである多摩
ています。「迷ったら四年制大学、迷ったら一般受
地区の人口急増により、当時の日野市や多摩町、稲城
験」の方針を掲げて、「部活動にも勉強にも全力を尽
町からの都立高等学校を誘致しようという熱き思いに
くす!」日野高生を育て、「学力」(=「自ら学ぼうと
より、昭和39年12月、日野市から請願書が提出されま
する意欲」+「思考力」+「判断力」+「自己表現
した。昭和41年1月1日、都立日野高等学校が設置さ
力」)の向上を目指した授業を展開し、平成26年度か
れ、4月1日、地域の皆様方の大きな期待を受けて開
らは、年間18回程度の土曜授業を実施しています。進
校しました。開校当時は、プレハブの仮校舎でした
学実績では、四年制大学合格者数が、3年前と比較し
が、昭和42年4月に本校舎が落成、その当時に植樹さ
倍増するなど着実に成果を挙げています。また、部活
れた校樹でもある3本のセンペルセコイアに見守られ
動では、女子バスケットボール、女子バレーボール
ながら巣立っていった卒業生は、16,000人を超えてい
部、陸上部が関東大会に出場し、硬式野球部が西東京
ます。
大会で準優勝、吹奏楽部が都のコンクールで金賞など
初代故松吉利夫校長は、
「都立高校の良い所を日野
多くの部が上位進出を果たしました。さらに、生物部
に結集しよう」を合言葉に、教職員、生徒ともに一丸
による日野市や国土交通省と連携したホトケドジョウ
となって学校づくりに励まれたとされています。松吉
復活再生事業の実施、地学部による日野市民天体観測
校長は、
「自発的に自分で勉強し、自分で考えてはじ
会の実施など、地域でも積極的に活動しております。
めて学力も真に身についてくるものである。」と「学
現代社会は、急激な変革期にあり、グローバル化が
問に王道なし」を説き、
「進路の選択について」は、
進み、次期学習指導要領や大学入試についても検討さ
「人間の適性は仕事に対する経験や努力によって成長
れているところです。今後、社会の変化は、益々急激
し、発展し、変化していくものであることを忘れては
に進むものと思われます。卒業生、在校生ともに「入
ならぬ。適性がないのだからといって努力をしないの
学して良かった、やって良かったと言える学校」にす
は、自己の責任を適性に転嫁したものである。」と訴
ることはもとより、建学の精神を受け継ぎ、これまで
えています。こうした建学の精神は、半世紀もの間受
の教育実践をさらに加速させ、豊かな個性とすぐれた
け継がれ、
「明るく伸び伸びとした」校風の下で学ん
人格、心身ともに健康で進んで未来を切り拓き、たく
だ多くの卒業生が、社会の一員として社会の発展に貢
ましく生きる生徒を育成できる学校を目指します。本
献し、活躍していることは、本校の誇りでもありま
校発展のために、今後とも、皆様方からの御支援、御
す。
指導を賜りますようよろしくお願いいたします。
この10年間、本校は東京都教育委員会から、平成18
結びに、本校50周年記念行事の準備に当たり、御尽
年度に重点支援校に指定され、
「日野サンライズプラ
力、御協力いただきました皆様方、御多忙中にもかか
ン21」を策定し、学校の改革に取り組みました。平成
わらず玉稿をいただきました皆様方に深く御礼を申し
22、23年度に部活動推進指定校、25年度に部活動推進
上げます。
1
創立50周年に寄せて
第15代校長 宮﨑 高一
(現 東京都立砂川高等学校)
東京都立日野高等学校創立50周年にあたり、心から
お祝い申し上げます。
たが、それだけ、日野高校の、日野高校生徒のパワー
を見せてくれた出来事だったと思います。その後も、
私が日野高校に着任した平成25年は、日野高校の歴
行事や多くの部活動、地域での奉仕等の活動で、生き
史の中で最も大きな話題にあふれた年でした。4月に
生きとした活動があり、保護者、地域や各方面の皆さ
着任して間もなく女子バレーボール部の関東大会出場
んから期待と温かい励ましの言葉を頂くことが続きま
のニュースがあり、さすがにスポーツが盛んな学校な
した。高校の最も望ましい本当の姿がここにあったと
んだと強く感じました。また、平成25年は国民体育大
思います。
会が東京で開催、日野市が空手、ホッケー、ボクシン
そしてもう一つ、大きな話題となったことが卒業生
グの会場となっておりました。実行委員会の中でも日
の活躍であります。芸能界で活躍するアンジャッシュ
野高校の協力についていろいろな方々から声をかけら
のお二人が学校を訪れ、親しくお話しさせていただき
れ、わけもわからぬまま、協力に当たったダンス部や
ました。また、忌野清志郎さんの母校ということで、
関係の先生方と連絡をしたことを記憶しています。 高校時代をモチーフにしたドラマが制作され、日野高
そのような中で日野高校として決して忘れられない
校の校舎を撮影場所として使っていただきました。生
大きな出来事がありました。かねてより注目を集めて
徒の皆さんや、先生方にも多くの協力を頂きました。
いた硬式野球部の活躍です。私も生徒の校外での活動
忌野清志郎さんの卒業時に描いた自画像が本校に所蔵
はなるべく足を運び、声援を送るようにしていたので
されています。通称『顔のない自画像』と言われてい
すが、所用の関係で、緒戦には八王子球場での一戦の
ますが、その撮影の際に、裏面に本人自筆のタイトル
みしか観戦できませんでした。その後、順調に勝ち進
ではないかと思われる言葉が確認されました。
『春』
み、神宮球場での上位出場、対明大中野八王子、そし
というひと文字ですが、悩みつつも夢を追いかけ、迎
て、準決勝で対国士舘戦となりました。当日は、高等
えようとする卒業を前にしての気持ちを端的に表現し
学校文化連盟写真部門の地区大会閉会式にて入賞者の
た言葉と思います。50年を経て時代が変わっても、今
表彰をすることがあり、対国士舘戦の勝利を見届けて
の高校生にも共有できるものではないでしょうか。
から、タクシーで新宿の会場に駆けつけた思い出が強
私は、平成27年3月をもって退職し日野高校をはな
く残っています。そして、日野高校が決勝進出という
れ ま し た が、 最 後 の 卒 業 式 で、 卒 業 生 の 皆 さ ん に
ニュースがかけめぐり、神宮球場は駆けつけた応援の
『やってみなはれ』という言葉を贈りました。これか
皆さんで超満員となりました。外野席にも入れず、相
らの日野高校で学ぶ生徒の皆さんが、充実した生活を
手校側のスタンドに入れたという日野高校応援の人の
送るとともに、培った『人間力』を、社会に出てから
声を聞くこともありました。また、東京都教育委員会
も遺憾なく発揮していただけることを祈っています。
の教育長、地元日野市の市長と教育長をはじめとした
日野高では、先生方、経営企画室の皆様のおかげ
方々も駆けつけてくださり、一緒に観戦しました。惜
で、生徒の諸活動が十分満足のいくものとなり、進路
しくも準優勝という結果とはなりましたが、ベンチに
状況も希望実現に向けてより向上していると伺いま
入っていた選手の活躍はもちろん、応戦していたダン
す。職務を遂行するに当たり、大変助けられ、感謝し
ス部や吹奏楽部をはじめとした生徒、保護者、そして
ております。
多くの卒業生、地域近隣の皆さんに、感謝の思いで一
皆様とともに創立50周年を迎えられたことをお祝い
杯でした。日野高校だけでなく都立高校全体に、大き
申し上げ、東京都立日野高等学校のますますの飛躍と
な希望と元気を与えてくれた熱い夏のひとこまだった
発展、関係する皆様の御健勝を祈念して挨拶とさせて
と思います。
いただきます。
冒頭から硬式野球部のことで長くなってしまいまし
2
■ 挨拶・祝辞
永続する学び舎
第14代校長 伊藤 清
(現 日体桜華高等学校)
日野高校在任期間の4年4月の思い出はあまりに多
にたどり着くかを考えるのである。そんなことを夢想
くその密度はあまりに濃い。紙面には載せられない体
しているうちに私は万願寺や高幡不動から日野高を目
験をいくつもした。それらの個人的な体験は日野高の
指して浅川の土手に生徒があふれる光景を目に浮かべ
イメージと重なり当時の日野高だからこそ体験できた
た。過去に都立高校で甲子園に行った学校があるが、
貴重なものだと思う。生徒が母校に抱く思い出も日々
私は校長が示す学校経営計画に位置付けて、意図して
の学校生活と重なってインプットされる。そしてそれ
計画的に達成してみたいと考えた。
が母校への懐かしい思い出となってその後の人生を生
き抜く力となる。
教育活動の標語に文武両道や文武不岐という言葉が
あるが、もとより文も武も一つである。武から逃げて
学校はそのような思い出作りの場でなければならな
文はない。文から逃げて武はない。武は文を求め文は
いと思う。楽しさも苦しさも友と交わり教師とはぐく
武を求める。私が日野高で目指した方針は教育活動の
む。そんな私たちの学校はいつまでも残ってほしい。
根本を成すものだと考える。
そして発展し続けてほしい。卒業生だけでなく教職員
そんな日野高校は100周年に向けて確実に発展し続
にとってもそれは共通の願いに違いない。そういう意
けるだろう。私が夢想した突飛な夢を誰かが現実のも
味で日野高が50周年を迎えるに至ったことを本当にう
のとして形にするに違いない。今のところ5合目あた
れしく思う。ようやく大人の仲間入りを果たせたよう
りまで登っただろうか。次の50年を迎えるころには過
な気がする。
去の一校長の突飛な夢は当たり前のように学校の柱と
学校が元気で永続するにはミッションが必要だ。元
して位置づくだろう。在校生、卒業生、教職員、保護
気はつらつ自信をもって生き抜くには一丸となって取
者、日野高の歴史を紡いでくれるすべての皆様に感謝
り組める高い目標と大義を創出しなければならない。
の気持ちとエールを送る。本当にありがとう。
それは時代の変化につれて変わっていく。大切なの
は、いつの時代にあっても未来を見据えることだろ
う。私は日野高を初めて見たとき周りに民家が少な
く、浅川と多摩川が合流する砂州の中にあって、自然
いっぱいの環境に着目した。そこで二つの目標を立て
た。甲子園と東大である。周りを気にせずにスポーツ
に打ち込める。大声を出しても苦情がこない。勉強し
ようと思えば静かな環境がわたしたちを深い思考へと
いざなってくれる。甲子園も東大もそれを達成したか
らといってそれ自体に意義があるわけではない。やれ
ばできるという明快な事実をもっともビジュアルな形
で示したいと考えたのである。できないから目指さな
いのではない。まず、目標を立てて、どうすればそこ
3
世界へ羽ばたく人材を輩出する学校へ
第12代校長 上原 健夫
(現 東京女子体育大学)
開校50周年を、心からお慶び申し上げます。
募者増に向けて、中学校や学習塾へのローラー作戦の
日野高校には、中学校長を4年間務めた後、平成15
展開でした。ただ訪問しても目玉になるものがなくて
年に着任し、5年間お世話になりました。この間、開
は相手にしてもらえませんので、東京都重点支援校の
校40周年を迎え、PTA(いちい会)のご尽力により
指定を受けることを考えました。テーマを「生徒が輝
A棟屋上に校名看板を設置していただくことができま
く『日野サンライズプラン21』~生徒の希望進路の実
した。また、京王電鉄高幡不動駅の大改修に伴い、案
現と豊かな人間性を目指す健康づくり~」として、学
内表示に「日野高校」を入れていただくこともできま
校改革に取り組む具体的な計画を作成しました。しか
した。
し、1年目は応募校が数多くあり、指定を受けるまで
着任した当時の第一印象は、生徒達はとても明るい
には至りませんでした。再度計画を練り直し、ようや
のですが、
「自主・協調の精神を養う」という教育目
く2回目の挑戦で指定を受けることができ、この看板
標がいつの間にか「自由・放任・無秩序」という校風
を背負って中学校や学習塾を訪問しました。一方で、
に変わってしまっているように感じました。初めは、
地域や中学校に信頼される生徒を育成する生活指導の
中学校から高校へと勤務先が変わったことによる錯覚
徹底を目指し、今ではどの学校でも当たり前になって
かとも思いました。しかし、平成13年度頃から、日野
いますが、まず頭髪指導に着手しました。保護者への
高離れが進み、自由すぎる校風の為か女子中学生には
通知や、学年・生活指導部の先生方が中心となって、
好まれても、男子中学生には敬遠され気味となり、募
生徒への粘り強い指導を行い、確実に指導が浸透して
集状況の低迷が続いていることは錯覚ではなかったと
いきました。スポーツ・文化部の躍進も加わり、現在
実感しました。自由がない所には発展はあり得ず、秩
のような意欲的に学習する生徒、部活動や学校行事に
序のない所ではその発展は持続しないとも言えるので
汗を流す生徒、地域に貢献する生徒で満ち溢れた日野
はないでしょうか。また、当時は多くの都立高校に慣
高校になったと自負しています。私は、現在大学に勤
行慣例が残っており、本校でもそれを打破することか
務しており、学生募集も兼ねて毎年4月に日野高校を
ら始めなくてはなりませんでした。折しも私が着任し
訪問します。明るく礼儀正しい挨拶をする生徒に会う
た平成15年度から全都立学校長は、
「学校経営計画」
たびに嬉しさが込み上げます。
の提出が義務付けられることとなりました。職員会議
着任から10年たった平成25年には、野球部が夏の東
に原案を出したところ先生方から猛反発を受けました
京都大会で決勝まで進出しました。神宮球場には西東
が、良い意見は取り入れて都教育委員会に提出しまし
京で都立国立高校以来33年ぶりの都立高校の甲子園行
た。私の学校改革に向けた最初の課題は、大職員室が
きを応援しようと3万人を超える観客が球場を埋め尽
ないことでした。学校の図面には載っているのです
くしました。相手校の日大三高よりも多くの人が日野
が、実際は各教科職員室になっているのです。担当分
高校に声援を送ってくれる姿を見て、こんなにも都民
掌ごとに席が固まっている大職員室は、生徒を指導し
から愛される学校になったのかと目頭が熱くなりまし
ていく上で、また、先生方のチームワークづくりには
た。残念ながら甲子園出場は叶いませんでしたが、日
不可欠なものです。改革の糸口として大職員室の設置
野高校の歴史に新たな1ページを刻んだ野球部員、そ
を提案しましたが、先生方の意見は二分し、校長の職
れを支えて下さった保護者、卒業生、地域の皆さんに
権をもって、ようやく2年目の夏休みに設置すること
改めて感謝したいと思います。日野高校が、これから
ができました。人数分必要な先生方の机と椅子は、当
先も校樹センペルセコイアのようにたくましく大きく
時の柴田事務長が全都立学校に連絡をとり、お金をか
成長を遂げ、世界に羽ばたく人材を輩出する高校とし
けないで調達するという手腕を発揮し、念願の大職員
て躍進が続いていくことを願っています。
室が実現しました。次の学校改革への着手は、入学応
4
■ 挨拶・祝辞
50年の歴史と次の一歩へ
いちい会(PTA)会長 米沢 剛
日野高校の50年、本当におめでとうございます。心
を与えてくれています。
日野高校の50年×365日=18250日、とても重みのあ
からのお慶びを申し上げます。
この50周年記念誌への寄稿に当たり、創立20周年記
る日々の積み重ねだったかと思います。先生方と生徒
念誌と当時のPTA広報誌をめくりました。50年前の
たち、そして保護者の汗と涙と、喜びと悲しみや口惜
開校当時や30年前の学校の様子とPTA活動がつづら
しさや様々のピンチもあったかと思いますが、みんな
れており、大変興味深い内容です。これまでの50年の
の知恵と勇気で乗り越えてきたことでしょう。今ま
歩みに敬意を表すとともに、お節介とは思いますが、
で、本当にありがとうございます。
皆さんにぜひ日野高校の歴史の一端を知っていただ
現在のPTA活動は、当時の先輩方からするとやや
き、ますます日野高校が好きになり、これからの未来
希 薄 に 映 る か も し れ ま せ ん が、「 こ の 1 年 を 楽 し
をみんなでつくっていくことにつながればとの気持ち
く!」と活動をしています。子供たちが日々の日野高
を添え、お祝いの言葉に代えたいと思います。
校での学びを最優先に、そして、日野高校で過ごした
3年間を大切にし、社会に貢献してもらえるように支
《開校当初~創立20周年の頃》
えていきたいと思います。ぜひ、子供たちには、「何
①1966年1月、
「住民の絶大な期待のもと、日野市に
のために高校に通うのか」「なぜ日野高校に通うの
都立高を誘致」
「農協の倉庫にて、日野高校開設準
か?」「どのような道に進み、どんな大人になりたい
備が始まる」←準備室に机一つなかったそうです。
か!」を考え、目標を定めてしっかり勉強して欲しい
②同年1月末、グレーの制服に決定「明るい校風と進
と思います。そして、いつも笑顔で弱きを助け、自分
取な気質を養うため」←当時は斬新なものであった
で判断できる人間になって欲しいと思います。
「日野高校が大好き」「自分の子供が卒業すると日野
そうです。
③同年1月、校樹センペルセコイアに決定。「すくす
高校に行く理由がなくなってしまいさみしい。」と
く成長してほしい」←最初植えたのがダメになっ
おっしゃっていただく保護者が多数います。日野高校
て、何度も土をいれかえ、4本新しく植え、10年
には、日野市内の老舗として地域からも信頼され続け
たっても2ⅿの高さしかなかったそうです。
る学校でいて欲しいと思います。先生方には、これか
④同年3月、いちい会の名称が決まりました。
らもますます日野高校と生徒たちを全力で愛して、3
⑤1979年、卒業記念講演 サッカー岡野俊一郎氏、
年間育てていただき、卒業してからも卒業生と共に保
1985年 5 月、 冒 険 家 の 植 村 直 己 氏 講 演 会 中 止
←2月12日、マッキンリー登はん後の下山途中に消
同窓会の皆様は、人生の目標となる先輩の姿そのも
息を絶ったため。講演を心待ちにしていた生徒の悲
のです。次の60周年に向けて、ますますの御健勝をお
痛な顔が瞼に焼き付いているとの、記録があり、今
祈りするとともに、いつでも笑顔で集まれる大切な場
読んでも胸が痛くなります。
を作り続けていただきたいと思います。
4
4
4
44
4
1985年当時のいちい会スローガンに「日野高は、日
4
護者も笑顔で迎えていただけたらと願います。
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
日野高校が、次の10年の歩みを進める一歩を、私た
野市の誇りとならねばならない」とあり、斬新大胆さ
ちPTAいちい会も、微力ながら御協力させていただ
にとても驚くとともに、学校とPTAで遠慮のない関
きます。これからの日野高校のますますの発展を願い
係であったのだと感じさせられます。当時のPTA活
ます。願うだけでなく、共に歩みたいと思います。こ
動は、全国PTAから認められ表彰されたこともある
れからの人生の一部を日野高校と共に。
ことを知りました。これらは、ほんの一部です。今、
いちい会会長である私に、PTAの運営を任される責
任の大きさを改めて感じるとともに大きな勇気と刺激
5
母校創立50周年にあたって
同窓会会長 後藤 正幸
都立日野高校の創立50周年、誠におめでとうござい
余談ながら、学校群制度は2期生の我々の入学時か
ます。同窓会を代表して御挨拶させていただきます。
らの制度でした。入学後、複数の友人から群の他の学
本校の同窓会は、平成28年3月まで48回の卒業生を
校に行きたかったといった意見を耳にしましたが、受
迎え、1万5千人を超える会員を抱える組織となり、
験生の希望は一切聞き入れられない制度には私自身も
今回の50周年記念を晴れて祝うことができることは、
納得できないものを感じていました。
会員・役員一同喜ばしい限りと感じているところで
また、その後都立高校も統廃合が検討された時期が
あり、わが母校は大丈夫だろうかと心配したこともあ
す。
さて、私は本校の第2回卒業生です。私たちのころ
の昔話しを少しさせてください。
りました。実際に一時期は入学選抜の結果、二次募集
するといったこともあったようです。
入学したのは昭和42年4月でした。校舎は現在の位
幸いに、ここ10年くらいの間、部活動が活発になる
置に新たに建築されピカピカでしたが、体育館はまだ
にしたがって、明るく、元気良く、かつ礼儀正しいと
なく、入学式は中庭で行われました。2期生でこれで
いう生徒の姿が見えるようになったと感じているのは
すから、仮校舎での1期生の御苦労は大変だっただろ
私だけでしょうか。ある先生に聞いた「今の生徒達の
うと思っていました。
うち帰宅部は1割未満」というお話しからも、在校生
体育館は2年の時に建設されましたが、プールは結
らが部活を含め本校での高校生活を、しっかりとした
局卒業までできませんでした。校庭も粘土質の水はけ
目的意識をもち、そして楽しく過ごしている様子が見
の悪い土質で、雨が降るとなかなか水が引かず、体育
てとれます。
の授業も水たまりのある中でハンドボールやサッカー
をやったと記憶しています。
体育館がない時期、バスケット部やバレー部などは
屋外で、卓球部は通路でといった部活の練習環境でし
50年にわたる日野高生一人一人の日々の学習活動の
積み重ねが「伝統」と呼べる歴史を刻み、そして今後
の50年に向けて新たな歴史を後輩諸君が刻み続けてく
れることを会員・役員一同願っております。
た。なんか急いで学校を設置して施設は後回しみたい
日野高校の多くの卒業生が旅立ち、そして今立派な
な印象がありましたが「団塊世代」が高校入学年齢に
社会人・学生として活躍することができているのは、
さしかかってからの東京都教育委員会のあわただしい
本校に着任された先生方のよろしき薫陶を受けてのこ
対応だったという印象を拭えませんでした。
とで、同窓生一同を代表し、この場をお借りして諸先
学校の周囲も、今テニスコートがあるところは「た
生方に感謝の気持ちを表します。
んぼ」と林で、近在に農家が点在するようなのどかな
ありがとうございました。
環境でしたが、学校内は新設校らしい活気があって、
私たち同窓会は、今後も日野高校の発展と在校生徒
生徒一人一人が自分たちで伝統を作るんだといった気
の多方面にわたる活躍のために、末永く応援役を務め
概があったように思います。先生方も新たな学校つく
ることをお約束してお祝いの言葉とします。
りに取り組むといった気持ちを強くお持ちであったよ
うにお見受けしましたが、生徒指導は非常に穏やか
で、他の都立高に比較して自由・闊達な雰囲気はこの
頃から醸成されたと思っています。
それから、50年が経過したわけですが、その間、学
校群制度が終わって単独選抜になったり、学区制も撤
廃されるなど、都立高校を取り巻く環境は大きな変化
の時代を過ごしてきました。
6
■ 挨拶・祝辞
50年の歩み
学校の沿革
昭和
41 . 1 . 1
東京都立日野高等学校設置。
1 . 1
元都立白鷗高等学校教頭松吉利夫初代校長に着任。
1 . 10
日野市日野2835日野市農業協同組合内に仮事務所を開設。
4 . 10
都立立川高等学校において第1回入学式挙行。
4 . 11
日野市三沢689仮校舎に移転。
9 . 13
本校舎地鎮祭挙行。
9 . 21
校章、バッジを制定。
10 . 14
都教育委員会規則第41号により、富士森・南多摩高校とともに第71群に所属。
11 . 1
本日を開校記念日とする。
11 . 30
校旗推戴式。
42 . 4 . 7
日野市石田190本校舎へ移転。
6 . 26
本校舎(第1期工事)引継。
9 . 1
校歌完成。伝達式挙行。
11 . 1
43 . 4 . 27
6 . 26
44 . 3 . 16
3 . 28
45 . 4 . 1
開校記念日並びに第1期工事竣工式挙行。
本校舎(第2期工事)仮引継。
本校舎引継。
第1回卒業式挙行(卒業生396名)。
体育館竣工。
初代校長松吉利夫都立九段高等学校長として転補。
4 . 1
都立大泉高等学校教頭佐田彊2代校長に着任。
4 . 20
プール竣工。
47 . 1 . 20
生徒部室竣工。
48 . 4 . 1
佐田彊校長教育庁指導部長として転補。
4 . 1
51 . 5 . 15
10 . 23
52 . 4 . 1
4 . 1
10 . 20
都立武蔵丘高等学校教頭青柳甲子男3代校長に着任。
隣接都有地5,761㎡を第2グラウンドとして借用。
創立10周年記念式典及び記念行事挙行(立川市民会館)。
青柳甲子男校長都立城南高等学校長として転補。
都立久留米高等学校教頭中里富美雄4代校長に着任。
都教育委員会規則改定により、第71群より分離し、単独選抜校となる。
53 . 8 . 30
体育館床貼替工事竣工。
54 . 11 . 28
教学高発第309号により昭和55年度より募集人員男子235名、女子235名、計470名と決定。
55 . 12 . 30
教学高発第283号により昭和56年度募集人員男子188名、女子188名、計376名と決定。
56 . 3 . 10
普通教室2教室及び体育館ステージ新設工事竣工。
3 . 31
中里富美雄校長退任。
4 . 1
都立八王子北高等学校長中里義夫5代校長に着任。
10 . 1
都教育委員会規則第12号により第7学区第71グループに所属。
12 . 17
格技棟新設及び体育館フロアー拡張工事竣工。
57 . 3 . 15
3 . 31
中里義夫校長退任。
4 . 1
都立竹早高等学校教頭松原恒久6代校長に着任。
58 . 3 . 31
8
特別教室棟新設工事竣工。
グラウンド改修工事竣工。
4 . 1
昭和58年度より募集人員男子235名、女子235名、計470名となる。
3 . 31
30学級移行による校舎改修及び普通教室改修工事竣工。
■
50 年の歩み
59 . 11 . 30
2教室増築工事竣工。これにより30学級関係工事終了。
60 . 3 . 16
落成記念式を挙行。
61 . 3 . 31
松原恒久校長退任。
4 . 1
10 . 30
都立館高等学校教頭松本信義7代校長に着任。
創立20周年記念式典及び記念行事挙行(八王子市民会館)。
平成
元 . 4 . 1
4 . 1
2 . 11 . 9
12 . 25
3 . 1 . 10
松本信義校長都立武蔵丘高等学校長として転補。
都立富士森高等学校教頭濱中勇次8代校長に着任。
教学高発第405号により平成3年度募集人員男子180名、 女子170名、転勤者4月入学2名、計
352名と決定。
校舎西側の国有地8,610㎡を東京都教育庁施設部施設計画課第1164号により知事から引継。
上記の土地の所有権移転完了。
6 . 5
テニスコート、バレーコート、バスケットコートの整備工事着工。
7 . 11
大規模改修工事着工。
10 . 24
テニスコート、バレーコート、バスケットコートの整備工事竣工。
12 . 19
A棟工事竣工。
4 . 3 . 1
研究紀要創刊。
3 . 31
濱中勇次校長退任。
4 . 1
都立井草高等学校教頭藤本勤9代校長に着任。
7 . 31
大規模改修工事竣工。
10 . 16
中庭等環境整備工事着工。
5 . 3 . 12
中庭等環境整備工事竣工。
11 . 11
6 . 3 . 10
4 . 1
7 . 3 . 31
教学高発第461号により平成6年度募集人員男子165名(隣接33)、女子153名(隣接30)、転勤
者4月入学2名、計320名と決定。
忌野清志郎氏(2期生)本校体育館にて「卒業記念ライブ」を開く。
校医及び産業医に土方英史氏就任(内科・4期生)。
藤本勤校長退任。
4 . 1
都立五日市高等学校教頭池田宜弘10代校長に着任。
5 . 24
新制服の提案。
12 . 6
8 . 4 . 1
11 . 6
10 . 3 . 31
新制服の決定。グレーのブレザー(紺のチェックのスカート)。
平成8年4月1日より第1学年は7学級となる。
創立30周年記念式典及び記念行事挙行(日野市民会館)。
池田宜弘校長退任。
4 . 1
都立桜町高等学校教頭喜多村健二11代校長に着任。
4 . 1
平成10年度より各学年7学級計21学級、 1学級の募集人員、40名となる。
9 . 20
文化祭閉祭式にアンジャッシュ出演。
9 . 30
校舎等耐震補強改修工事(1期)竣工。
11 . 3 . 9
9 . 22
防球網設置工事竣工。
校舎等耐震補強改修工事(2期)竣工。
★この年、 校樹センペルセコイアの中央の最も高い木に落雷。
12 . 3 . 9
グラウンド改修工事竣工。
15 . 4 . 1
喜多村健二校長都立国分寺高等学校長として転補。
4 . 1
区立北中野中学校長上原健夫12代校長に着任。
9 . 14
文化祭閉祭式にアンジャッシュ出演。
17 . 4 . 1
平成17年4月1日より第1学年は6学級となる。
18 . 3 . 31
平成17年度卒業生数は275名。
以上、学校要覧、記念誌を参考に記述。
9
■この10年のできごと
平成18年度
18 . 4 . 1
東京都教育委員会より重点支援校の指定を受ける。
これより3年間、生徒が輝く「日野サンライズプラン21」―希望進路の実現と豊かな人間性を
目指す健康づくり―をテーマに掲げ、様々な取り組みを展開。
4 . 1
1・2学年6学級、3学年7学級となる。
5 . 2
校外学習(1年 昭和記念公園 2年 鎌倉・江の島 3年 大学巡り)。
6 . 2
体育祭。
6 . 17
中学生体験授業。
7 . 5
芸術鑑賞教室 歌舞伎鑑賞教室「彦山権現誓助剣」(国立劇場大劇場)。
8 . 10
A棟屋上に「東京都立日野高等学校」の看板設置。
9 . 16
~ 17 文化祭
11 . 3
開校40周年記念式典並び記念行事を挙行(本校体育館)。
12 . 6
~ 9 修学旅行(沖縄)。
19 . 2 . 6
合唱祭(日野市民会館)。
2 . 14
マラソン大会。
3 . 31
平成18年度卒業生徒数263名。
★この年度に低倍率への対策、授業態度指導の徹底などが職員会議で話し合われる。
平成19年度
19 . 4 . 1
1学年6学級で全学年が6学級にそろう。
4 . 27
校外学習(1年 秋川橋河川公園バーベキューランド 2年 鎌倉 3年 東京ディズ
ニーランド)。
7 . 7
中学生体験授業。
6 . 1
体育祭。
9 . 15
~ 16 文化祭(美術部OB会展が多目的室にて行われる)。
9 . 28
芸術鑑賞教室 「キャッツ」(キャッツシアター東京)。
12 . 11
~ 14 修学旅行(沖縄)。
20 . 2 . 6
合唱祭(日野市民会館)。
3 . 31
平成19年度卒業生徒数233名。
上原健夫校長退任。
平成20年度
20 . 4 . 1
人事部職員課担当副参事丹治芳男13代校長に着任。
1学年6学級で全学年が6学級に揃う。
4 . 28
校外学習(1年 多摩テックキャンプ場 2年 東京下町見学〈浅草・上野方面〉 3年 東京ディズニーシー)。
6 . 5
女子バスケットボール部 関東大会出場の壮行会。
6 . 6
体育祭。
7 . 10
セーフティ教室(1年AED講習)(2年は3月、3年は12月に実施)。
9 . 13
~ 14 文化祭。
10 . 30
大学訪問(1年)。
11 . 14
芸術鑑賞教室 「さんしょう太夫―説教節より―」(前進座)(日野市民会館)。
12 . 5
~ 8 修学旅行(沖縄)。
12 . 1
都立瑞穂農芸高等学校副校長伊藤清14代校長に着任。
21 . 2 . 13
マラソン大会。
2 . 19
合唱祭(この年より学校行事となる)(日野市民会館)。
3 . 31
平成20年度卒業生徒数215名。
平成21年度
21 . 4 . 1
10
■
1学年7学級、2・3年6学級となる。
50 年の歩み
5 . 8
校外学習(1年 西湖 浜の家キャンプ場 2年 羽田空港・横浜 3年東京ディズニー
シー)。
7 . 9
国際理解。
9 . 12
~ 13 文化祭。
11 . 18
22 . 1 . 12
芸術鑑賞教室「韓国舞踊・音楽(鼓舞) 朴貞子韓国舞踊団」(日野市民会館)。
~ 15 修学旅行(沖縄)。
2 . 18
マラソン大会。
2 . 26
合唱祭(日野市民会館)。
3 . 17
セーフティ教室(万引き、軽犯罪防止)。
3 . 31
平成21年度卒業生徒数222名。
平成22年度
22 . 4 . 1
東京都教育委員会より部活動推進指定校に指定される。
1・2学年7学級、3年6学級となる。
5 . 7
校外学習(1年 富士緑の休暇村 2年 羽田空港・横浜 3年 東京ディズニーラン
ド)
。
5 . 21
~ 24 インドの高校生との国際交流。
7 . 10
中学生体験授業。
9 . 11
~ 12 文化祭(いちい会、同窓会による座談会、展示「愛し合ってるよ~ 清志郎さんと日
野高の仲間たち」を視聴覚室で開催)。
11 . 12
芸術鑑賞教室「ライオンキング」(四季劇場「春」)。
11 . 16
サウジアラビアの高校生との国際交流。
11 . 18
サウジアラビアの高校生との国際交流。
12 . 14
~ 17 修学旅行(沖縄)。
23 . 1 . 14
百人一首大会。
2 . 10
合唱祭(日野市民会館)。
2 . 17
マラソン大会。
3 . 11
東日本大震災発生。深夜まで帰宅できない生徒への対応をする。13名の教職員が学校に泊まる。
3 . 31
平成22年度卒業生徒数236名。
平成23年度
23 . 4 . 1
1年7学級で、全学年が7学級にそろう。
4 . 1
国際交流委員会設置。
5 . 6
校外学習(1年 東京サマーランドで飯ごう炊さん 2年 羽田空港・横浜 3年 東京
ディズニーシー)。
6 . 2
体育祭。
6 . 16
大学・専門学校訪問(2年)。
7 . 14
国際理解講座 (拓殖大学国際学部留学生との交流)。
7 . 15
AED講習会。
7 . 16
中学生体験授業。
9 . 17
~ 18 文化祭。
10 . 22
アスリートによる部活指導(男女テニス部 長塚京子氏による指導)。
10 . 25
アスリートによる部活指導(男女テニス部 長塚京子氏による指導)。
11 . 19
~ 21 ベトナムの高校生との国際交流。
11 . 22
芸術鑑賞教室 俳優座プロデュース「十二人の怒れる男たち」(日野市民会館)。
12 . 12
セーフティ教室「自転車の安全な利用について・講話」。
12 . 17
~ 20 修学旅行(沖縄)。
12 . 19
性教育講演会「エイズから学んだこと」。
24 . 1 . 17
百人一首大会。
2 . 8
合唱祭(日野市民会館)。
2 . 16
マラソン大会。
11
3 . 31
平成23年度卒業生徒数281名。
平成24年度
24 . 4 . 1
1学年8学級、2・3年7学級となる。
東京都教育委員会よりスポーツ教育推進校に指定される。
東京都教育委員会よりOJT推進指定モデル校に指定される。
5 . 11
校外学習(1年 レイクホテル西湖にてほうとう作り 2年 羽田空港・横浜 3年 東
京ディズニーシー)。
5 . 21
金環日食の観測会(地学部)。
6 . 8
体育祭。
6 . 15
~ 16 宿泊防災訓練。
6 . 21
大学・専門学校訪問(2年)。
6 . 26
ミャンマー学習会。
7 . 6
AED講習会(1年)。
7 . 10
国際理解講座(2年)。拓殖大学国際学部留学生との交流。
7 . 14
中学生体験授業。
9 . 15
~ 16 文化祭。
11 . 15
インドを学ぶ特別講座(2年)。
11 . 21
芸術鑑賞教室 「地球のステージ」(日野市民会館)。
12 . 18
セーフティ教室「自転車の安全な利用について」。
25 . 1 . 15
~ 18 修学旅行(沖縄)。
1 . 17
百人一首大会。
1 . 18
HIV講演会。
2 . 2
インドを学ぶ特別講座修了記念式典に2年生10名が参加。
2 . 7
合唱祭(日野市民会館)。
2 . 13
マラソン大会。
3 . 31
生徒シンポジウム2013を本校を会場に開催。
3 . 31
平成24年度卒業生徒数270名。
伊藤清校長退任。
平成25年度
25 . 4 . 1
都立立川高等学校副校長宮﨑高一15代校長に着任。
1・ 2年8学級、3年7学級となる。
東京都教育委員会より部活動推進指定校に指定される。
東京都教育委員会よりスポーツ教育推進校に指定される。
スクールカウンセラー配置。
5 . 10
校外学習(1年 西湖 浜の家キャンプ場 2年 羽田空港・横浜 3年 東京ディズ
ニーシー)。
5 . 30
女子バレーボール部・陸上部・関東大会出場の壮行会。
6 . 7
体育祭。
6 . 20
大学訪問(2年)。
6 . 21
~ 22 宿泊防災訓練。
7 . 26
~ 28 国際交流 台湾の高校生のホームステイ受け入れと柔道部を中心に交流。
7 . 28
野球部夏季西東京大会準優勝。
9 . 14
~ 15 文化祭。
10 . 24
カウンセリング研修会「思春期の心理―支援が必要な生徒のサイン―」。
11 . 14
芸術鑑賞教室 「ミュージカル『リトルマーメイド』東京公演」 (四季劇場「夏」)。
12 . 24
セーフティ教室「自転車の安全走行・歩行者保護について」。
26 . 1 . 14
1 . 16
12
■
~ 17 修学旅行(沖縄)。
百人一首大会。
50 年の歩み
2 . 13
合唱祭(日野市民会館)。
2 . 19
マラソン大会の予定であったが、雪のため中止。
3 . 31
平成25年度卒業生徒数282名。
平成26年度
26 . 4 . 1
東京都教育委員会よりオリンピック教育推進校に指定される。
東京都教育委員会より安全教育推進校に指定される。
1年8学級で、全学年が8学級にそろう。
5 . 9
校外学習(1年 西湖 浜の家キャンプ場 2年 羽田空港・横浜 3年 東京ディズ
ニーシー)。
6 . 9
体育祭。従来の赤・青・白に黄団を加えて、初めて4団で競う。
6 . 13
~ 14 宿泊防災訓練。13日に「地球のステージ」鑑賞。
6 . 18
上級学校見学会。
7 . 11
AED講習会(1年)。
9 . 13
~ 14 文化祭。
11 . 13
カウンセリング研修会(教員対象)「不登校その背景と関わり」。
12 . 18
大学見学(1年)。
12 . 24
セーフティ教室「情報モラル講座・サイバー犯罪防止について」。
27 . 1 . 13
~ 16 修学旅行(沖縄)。
2 . 5
合唱祭(日野市民会館)。
2 . 17
マラソン大会。
3 . 23
百人一首大会。
3 .
中旬~下旬 忌野清志郎さん在学中の本校を舞台としたNHKドラマ「トランジスタ・ラジ
オ」の撮影が行われ、在校生がエキストラとして出演した。
3 . 31
平成26年度卒業生徒数316名。
宮﨑高一校長退任。
平成27年度
27 . 4 . 1
教育庁指導部指導企画課統括指導主事小宮德健16代校長に着任。
東京都教育委員会よりオリンピック・パラリンピック教育推進校に指定される。
1年8学級で、全学年が8学級にそろう。
5 . 7
上級救命講習(1年)。
5 . 8
校外学習(1年 西湖 浜の家キャンプ場 2年 羽田空港・横浜 3年 東京ディズ
ニーシー)。
6 . 4
体育祭。
6 . 19
~ 20 宿泊防災訓練。19日に「地球のステージ」鑑賞。
9 . 12
~ 13 文化祭(開会式にアンジャッシュのビデオレター上映・中夜祭で花火の打ち上げ)。
12 . 24
セーフティ教室「情報モラル講座・サイバー犯罪防止について」。
28 . 1 . 12
~ 15 修学旅行(沖縄)。
2 . 4
合唱祭(日野市民会館)。
2 . 10
マラソン大会。
3 . 11
卒業式にアンジャッシュ渡部さん司会のTV番組の収録があり、渡部健さん、歌手の藤巻亮太
さんが来校。藤巻さんが「3月9日」を歌う。
3 . 22
百人一首大会。
3 . 31
平成27年度卒業生徒数309名。
13
になることを防ぐため、当時の生徒指導主任や学年主
任は生徒集会において「学校のルールを守れ」
「お互
創立から10年
いの信頼関係を失わないようにしよう」「如何なるこ
とがあっても暴力に訴えてはならない」ということを
説いたようだ。これらの言葉が生徒たちの胸に響いた
とすれば、それは常に教職員と生徒とのつながりが密
東京都立日野高校は昭和41年1月1日に設置され
た。1月10日には日野市農業協同組合事務所別棟倉庫
で、お互いが信頼によって結びついているという創立
当時の精神が受け継がれていたからであろう。
2階に仮事務所を開設し、2月22日に日野一中で入学
こうして教職員と生徒の意欲と熱意が相まって日野
選抜学力検査が行われるまでに、初代松吉利夫校長の
高校の教育活動は安定と充実の時を迎えることにな
下、制服決定、教育方針決定、校樹決定が次々となさ
る。48年、49年は必修クラブ研究中心校、49年には修
れていく。1期生入学後の9月には1年生であった生
学旅行研究協力校となっているが、創立以来の日野高
徒の図案をもとに校章の制定が、翌年9月には校歌が
校の教育活動の深化が見て取れる。
完成し、学校として備えるべきものがそろっていく。
創立から10年にかけての学校行事は現在以上の盛況
創立の年の10月に、学校群制度により日野高校は富士
ぶりを見せている。遠足、体育祭、文化祭、マラソン
森、南多摩高校と共に第7学区71群となる。昭和53年
大会、修学旅行(2年 奈良京都)
、球技大会のほか
入学の13期生までの11年間、日野高校はこの群制度の
に、 水 泳 教 室、 ス キ ー 教 室、 林 間 学 校( 1 年 蓼
もとにあった。
科)、演劇教室、芸術鑑賞教室、そして毎年ではない
都立立川高校で行われた第1回入学式では、男子
200名、女子201名が1期生として入学を果たした。翌
が講演会も行われていた。また、昭和48年度より、学
校行事という位置付けで昼礼が始まっている。
42年に本校舎が完成するまでの1年間は、日野市三沢
校外学習、特に修学旅行については、その是非が議
689の地に建てられた鉄骨プレハブ2階建て2棟の仮
論されている時代であったが、事前学習と事後の指導
校舎において諸活動が展開された。42年2月の読売新
を重視し、惰性に陥りやすい行事に、新設校らしく、
聞に、「耐え抜いた一年間 待望の新校舎も完成近
新しい積極的な意義を見出す形で実施されていたよう
い」という記事が掲載されている。夏は暑く、冬は寒
だ。行き先は「日本人の文化のふるさとを見学すると
いプレハブ校舎での日々はさぞ苦労多きものであった
いう意図から」奈良・京都と決め、各教科の連携のも
ろうと思う。
と、効果的な事前学習が行われていたようである。林
日野高校創立にあたって、松吉校長は「東京中の高
間学校は1年の夏休みに実施されていた。1回目は41
校のよい所を集めて日野高校を創る」というスローガ
年8月1日から6日の日程で蓼科高原に開設されてい
ンを掲げ、
「是非明るい学校を創りたい」との熱意を
る。蓼科山登山のほか、宿舎でのキャンプファイヤー
もってその責務を担われた。自由闊達な校風、学校行
やフォークダンスなど、この時代ならではのレクリ
事の充実など、今の日野高校が引き継いでいる伝統
エーションも企画されていた。
は、松吉校長の時代に築かれたものである。プレハブ
校舎の時はもとより、本校舎に移ってからも、校庭の
意欲に燃えた創立期から安定と充実の時期を経て、
昭和51年、日野高校は10周年を迎えた。
整備など、文字通り教職員と生徒が一丸となって新し
い学校作りに励んだようだ。
教職員と生徒たちの結びつきの強さは、昭和44年、
45年あたりの学園紛争時代を乗りきるのにも功を奏し
た。この時代、大学の学生運動が高校にも波及し、紛
争状態になる高校も少なくなかった。日野高校でも、
そうした時代の影響が及ぶことは十分懸念されてお
り、10周年記念誌を紐解くと、その対策に長時間の会
議がもたれ、数名の教員が泊まり込んだことが書かれ
ている。生徒たちが実力行使に出て、校内が紛争状態
14
■
50 年の歩み
第1回蓼科林間学校
校樹 センペルセコイア
現在も日野高校のシンボルとして親しまれている校
日野高校今昔
水道水
樹センペルセコイア。この木が校樹と決まるにあたっ
ては、初代校長の「日野高生にすくすくと成長しても
らいたい、それに相応しい樹木を校樹にしたい」との
希望があったようだ。その希望を受け、当時の理科教
諭が近くの農林省浅川実験林にいらした方に相談し、
センペルセコイアが選定された。
センペルセコイアは開校当時浅川実験林より2本授
かつての学校では、喉が渇けば生徒たちは水
道の水でその渇きを癒していた。現在は、各自
ペットボトルや紙パックに入ったお気に入りの
飲料を用意しているのが主流のようで、水道水
をがぶ飲みする姿を見かけることもほとんどな
くなった。
与され、三沢の仮校舎に移植された。昭和42年4月に
創立当初、日野高校の給水用には井戸水が使
現在地の本校舎落成と共に三沢から移されたが、間も
われていた。しかし水質が悪く砂が混じるなど
なく枯死してしまった。そこで改めて浅川実験林より
の問題もあり、PTAと共に都に対して上水道設
3本の授与を受け、現在地に植樹され、今の姿に成長
したのである。
センペルセコイアは、「柔らかい幹ながら耐久力の
ある常緑高木で、北米太平洋岸山地では樹高100m、
置のための働きかけを行い、日野高校に上水道
が通ったのは昭和47年のことである。そのころ
は、運動の後に蛇口をひねってがぶがぶ水を飲
む日野高生の姿があったに違いない。
直径6mのものもあり、1年で約1mも伸びる」とい
う特徴を持ち、
「柔軟、耐久力、成長」と日野高生に
望む条件をそろえている。現在は校舎を越える高さに
成長しているが、10周年の頃はまだ2mほどの高さ
だったようだ。途中、落雷に見舞われたこともある
が、今も青々と葉を茂らせ、私たちを見守っている。
第1回体育祭
現在のセンペルセコイア
創立10周年記念式典
(生徒有志による演劇)
15
11年から20年
草創期の自由で闊達な校風を受け継ぎながら、日野
高校の教育活動は充実期を迎えていた。だが、新設か
ら10年がたち、内外に様々な変化が訪れていた。昭和
51年に創立10周年記念式典が立川市民会館で行われた
完成したばかりの渡り廊下
が、この10周年を機に昭和46年以来申請を続けてきた
昭和59年11月に30学級移行への諸工事はほぼ終了
単独校移行運動が活発化する。そして、昭和52年10
し、日野高校の施設は格段の充実をみた。しかし長引
月、
「悲願」は達成され、日野高校は71群から離れ、
く工事は、教育活動にも大きな影響があった。一例と
晴れて単独校となる。昭和53年入学の13期生より、昭
しては、昭和56年から58年の3年間にわたる体育祭の
和56年度グループ制入試制度が導入されるまでのこと
中止があげられる。
である。単独選抜校として新入生を迎えた翌54年、30
10学級の受け入れは昭和55年度新入生より始まった
学級移行への東京都教育委員会の施策決定が内示され
が、56、57年度は一旦8学級に戻っている。これは、
た。30学級ともなれば、集会その他、学校運営と教育
工事において2階建てのHR教室増築が不測の事態に
活動に支障をきたすことが予想される。当然、すんな
よって頓挫したため10学級受け入れが一時凍結された
り受け入れられるはずはなく、様々な議論と動きが
ことが原因のようだ。各方面の努力により事態は解決
あった。しかし、最終的には受け入れざるを得ず、昭
し、昭和58年度新入生から再び10学級となり、昭和60
和55年より30学級規模の学校となるべく、大規模工事
年度には全学年が10学級にそろい、30学級の大規模校
が始まることになる。この工事の概要は次の通りであ
となっている。
学級増と並行して、それまで多種多様に行われてい
る。
・特別教室棟(C棟)と格技棟の新築。
た学校行事の見直しが始められた。昭和54年に行事精
(特別教室棟には、生物、化学の実験室と講義室、
選のための特別委員会が発足し検討が進められ、結果
保健室、図書館、視聴覚室、LL教室、多目的室が
として宿泊リーダートレーニング、林間学校、後夜
置かれ、格技棟には男女更衣室、体育準備室、器具
祭、卒業記念行事、スキー教室の5つの行事の廃止が
庫、柔道場、剣道場・トレーニングルームが置かれ
決定された(のちにスキー教室は復活している)。廃
た。
)
止されたものもあるが、さらに充実したものもある。
・A棟東側に2階建てHR教室4教室分の増築。
例えば修学旅行の事前学習がそれに当たる。修学旅行
・校地の拡張とグラウンド整備。
の事前学習は以前より熱心に行われていたが、昭和52
・既存設備の改修。
年2月に「修学旅行を効果あらしめるために」修学旅
行委員会が設置された。委員会のメンバーが奈良京都
に足を運んで、指導用のスライドを作るという熱の入
れようであった。
建設中のC棟
16
■
50 年の歩み
当時の修学旅行ノート
入試制度の変化や大規模工事による制約の中にあっ
ても、生徒たちは「日野高生」としての日々を変わら
日野高校今昔
パンの購入
ずに過ごしていた。部活動では、バドミントン同好会
(昭和52年度)
、茶道同好会(昭和54年度)、SF研究
同好会(昭和54年度)が発足し、卓球部がインターハ
イ出場(昭和55年度)、コーラス部がNHK全国学校音
楽コンクール東京西部地区大会高校の部最優秀校(昭
和57年度)
、同コンクール東京C地区大会高校の部最
優秀校(昭和59年度)
、同コンクール同地区大会高校
お昼休みになると、購買の前には生徒の人だ
かりができるのは日々の風景である。その昔も
お昼のパンの販売はあったが、予約して買うこ
とのできる時代もあった。パンの種類と価格が
書 か れ た 小 さ な 紙 袋 に チ ェ ッ ク し、 お 金 を 入
れ、日直が取りまとめて2時間目の休み時間まで
の部金賞(昭和60年度)
、陸上部走り幅跳びでイン
に出しに行くのだ。そうすると、お昼には頼ん
ターハイ出場(昭和60年度)と、各大会で健闘してい
だパンが届くという訳である。しかし、時には
る。
頼んだパンがなくて、代替品のパンが入ってい
またこの時期、日野高校は図書館活動が活発であっ
たことで名高い。図書部を事務局とした研究活動が各
たこともあったらしい。
「甘食が入っていて悲し
かった」という思い出話を聞いたことがある。
教科、特別活動の両分野でさまざまに行われ、その成
果は授業や行事を通して生徒に還元されていった。司
書と司書教諭が常に図書館に常駐するという恵まれた
環境の下、図書委員会も縦横無尽の活躍をみせた。読
書会、広報、整理、調査統計、資料、視聴覚の各班に
分かれ、それぞれの業務を担当する傍ら、文化祭での
展示(作家研究が多い)
、蔵書点検の手伝い、講演会
の主催などを精力的に行っている。委員会ながら、一
つの部に匹敵する活動がなされていたようだ。
大規模校化という大きな流れを乗り越え、20周年を
迎えた日野高校は、昭和61年、八王子市民会館で創立
20周年の記念式典を行った。
第1回日野高祭
創立20周年記念式典
17
平高校も開校し、日野市内に3校の都立高校が存在し
ていた。都立高校の統廃合の動きもあり、危機感をあ
21年から30年
おられることもあったのかもしれない。そうした流れ
に沿うように平成4年度の2学期から有志による学校
PR委員会が活動を開始し、「学校案内」の刷新など
に着手し、翌年には学校説明会が実施されている。平
30学級が続く中で迎えた20周年だが、大規模校は平
成4年にPR委員会が打診したことをきっかけに、創
成2年を最後に縮小に転じていく。平成3年度は8学
立以来の制服を改定しようという動きも具体化してい
級、平成8年度は7学級の新入生が入学している。大
く。制服を規則通りに着用しない生徒が少なからずお
規模校に向けての諸工事は昭和59年に終了したばかり
り、生徒指導の観点からも「生徒の着たいと思う制服
だが、再び改修の時を迎える。平成元年より計画、設
に変えよう」という声は上がっていたが、募集対策上
計が始まり、都に移管された校舎西側の国有地にテニ
の必要が重なり、実現に向けて歩を進めることになっ
スコート、バレーコート、バスケットコートが整備さ
たようだ。制服検討委員会が発足し、教職員と生徒の
れる平成3年6月の工事を皮切りに、大規模改修工事
間で丁寧な話し合いの場が持たれ、平成7年に新制服
が次々と行われた。平成4年からは中庭等環境整備工
が決定し、平成8年度入学生より新制服が着用される
事が入り、この時期の工事によってほぼ現在の校地、
ことになった。伝統のグレーはそのままに、当時の流
校舎の姿となる。校舎内でも、2教室分のパソコン教
行を取り入れた制服は斬新さには欠けるものの、それ
室がA棟2階に造られ、茶室風の和室が整備されるな
だけに「日野高生らしさ」を受け継ぐものであった。
ど、教育環境が整っていった。
何年にもわたる工事の期間も、日々の教育活動は
平成4年9月から月に1回(平成7年度からは月2
脈々と変わらず続けられており、ゆとりのある学校運
回)の学校週五日制が導入されたことと、学級減によ
営の中で学校行事が種々に企画されていた。平成元年
る教職員定数の減少により、カリキュラムにも変化が
から4年にかけて、毎年ではないが、スキー教室も実
あった。平成4、5年度には1、2年に芸術以外の選
施されている。本物や伝統的なものを見せようという
択科目はなかったが、平成6年度には2年に社会(地
草創期からの考え方が教員の間で共有されていたよう
理)と数学(代数・幾何)に3単位分の選択科目が導
で、芸術鑑賞会や校外学習の機会には、落語や歌舞伎
入された。平成8年度には、国語(現代国語、古典
といった古典的なものを鑑賞している。外部施設での
Ⅰ)数学(数学B)理科(物理ⅠA、ⅠB、生物Ⅰ
講演会が行われた年もあり、当時の生徒たちは、今よ
A、ⅠB)保健体育(体育)から6単位分を選択する
り文化的なものに触れる機会に恵まれていたと言えそ
ようになっている。総単位数も平成4年度が1、2年
うだ。また授業にも実習や体験の要素をもつものが多
32単位であったものが、平成5年度が31単位、平成6
かったようで、生物では、校外の樹木や池の微生物観
年度以降が30単位と減少している。現在も日野高校で
察、蚕を用いた観察や実験が行われていた。
は2年生より、ゆるく文系・理系に分かれるように
生徒たちも自由に個性を活かした活動に邁進し、そ
なっているが、それはこの時期に形作られたものであ
の努力は図書委員会の活動(文化祭での展示や史跡巡
る。
りのビデオ上映、読書会など)や高校生料理コンクー
入試制度にも変化があり、平成6年度の入試より推
ルにおける受賞などに結実した。
薦制度が行われるようになった。初年度の合格数は定
しかし進路実績という面からは、この10年間、専門
員の15%(翌年からは20%)で、面接試験を実施して
学校進学が優位の状況で、四年制大学への合格者は
いる。
20%近くを推移しており、中堅普通科高校としては難
新教育課程の編成方針案に「都立高校間の競争化と
いう事態に対応して、特色ある学校づくりに資するカ
リキュラムをめざす」とあるように、このころから都
立高校間にも自校を魅力的にPRして意欲のある生徒
を獲得し、競争力を高めようという空気が流れ始め
る。昭和55年の日野台高校に続いて、昭和60年には南
18
■
50 年の歩み
しい局面を迎えていたことが想像される。
そうした中、日野高校は30周年を迎え、平成8年11
月、記念式典を日野市民会館で挙行する。
日野高校今昔
理科の実験
授業の中でも、実験には座学とは違った楽し
さ が あ っ た。 実 験 は 理 系 の 科 目 に つ き も の だ
が、日野高校にはかつて生物の実験用の専用報
告用紙があった。入学すると用紙の綴りが一人
一冊配られ、実験の後には必ず提出しなければ
ならなかった。生物の実験ではカエルやザリガ
ニが使われた。それらは近くの川で調達された
ものだとか、夜中に逃げ出して、生物部が捕ま
えに行ったとか、今となっては確かめようもな
い話がまことしやかにささやかれていた。何と
も牧歌的な日々であった。
修学旅行の研究レポートと記念文集
創立30周年記念式典
(生徒によるアトラクション)
研究紀要(平成4年3月創刊)
整備された昇降口前
新制服を紹介する平成8年度学校案内
19
と、現役志向などの影響により、この10年間は四年制
大学に進学する者が増加した。平成9年には四年制大
31年から40年
学進学者は22%であったものが平成18年には40%に上
昇している。
こうした教育活動の充実の一方で、社会的な風潮も
あってか制服を着崩したり、髪を染めたりする生徒も
平成7年の阪神淡路大震災のあと、建物の耐震構造
目立つようになっていった。平成14年度の生徒会アン
が社会的な話題になった。日野高校の校舎はその規模
ケートにも、「『日野高生はちょっと怖い』『マナーが
の地震に耐えられないとの判断で、平成10年、11年の
悪い』『学校が汚い』などの声も時々耳にします」と
夏休みに大規模な耐震工事が行われた。また、平成12
の言葉がある。また同じアンケートに、日野高生自身
年の1月には多摩都市モノレールが立川北―多摩セン
も「だらしない」「見た目が良くない」「いいかげんな
ター間で営業を開始し、万願寺駅が最寄り駅となり、
ところ」を良くない点として挙げている。この平成14
より広域からの通学が可能となった。さらに平成12年
年度あたりから、日野高校のあり方について考えなく
の冬にはグラウンドが全面改修され、野球部が待ち望
てはいけないという気運が高まっていったようだ。生
んでいたバックネットも設置された。
徒の動きに呼応するように、教員側でも生活指導部主
この改修が功を奏したのか、野球部は平成13年の秋
季大会で東京都ベスト8に進出し、
「21世紀枠候補
催の研修会が催されるなど、議論、討論の場が様々に
設けられた。
校」になり、この時捕手であった横川選手は平成14年
身近に接していれば、部活動や行事に汗を流す高校
のプロ野球ドラフト会議で指名され、プロ球団に入団
生らしい姿を目にすることもあるが、外の目で見ると
するなど、野球部が注目を浴びた。他にも美術部が平
「自由な校風」が「放埓」に映ってしまうこともあろ
成12年度から全日本美術展や全国高等学校総合文化祭
う。外見や校外での行動から、日野高校の評判は芳し
に出展し、毎年のように受賞者や東京代表者を輩出す
くないものとなっていき、応募倍率が低迷するように
るなど、活発な活動によって校内に明るい話題がもた
なってしまう。日野高校が多くの中学生にとって魅力
らされた。
ある進学先となるために、改善策が模索されることに
生徒会も活気に満ちており、平成12年度には七生特
なる。学校活性化の起爆剤として考えられたのが、重
別支援学校との交流会が始まり、平成14年度には、
点支援校への応募である。平成16年度に応募を試みた
「過ごしやすい学校をめざして」とのテーマでアン
が、このときは指定に至らなかった。支援に対するコ
ケートを実施したり、美化委員と共に校内美化活動を
ンセプトをより明確にし、関連する資料を詳細に整え
行ったりしている。また学校行事においても、平成15
るなどの手直しを加え、再度応募して平成18年度より
年度には文化祭にOBのアンジャッシュがライブを行
重点支援校に指定されたのである。
い、合唱祭を復活させ、盛んな様子が見られる。この
変革の予兆をはらみつつ、日野高校は創立40周年を
ように生徒たちは自由な校風を継承しつつ、個性を活
迎え、平成18年11月本校体育館において記念式典が行
かして諸活動に精一杯取り組んでいた。
われた。
学習内容の変化としては、平成6年度より2学年に
必修選択が置かれた流れをさらに進め、平成15年度に
は13単位分の選択科目が導入された。それぞれの興味
や関心、進路希望に合わせた科目を選択でき、学習意
欲を高めようとの意図である。
進路指導にも力が注がれ、生徒たちの多様な進路に
対応するため平成15年度より導入された「総合的な学
習の時間」を有効に使いキャリア教育の充実が図られ
た。また全教員が講師役となる「進路アドバイザー制
度」が設置されたのもこのころである。キャリア教育
の充実と少子化により大学入学がたやすくなったこ
20
■
50 年の歩み
開校40周年を記念して設置された大看板
平成9年頃の日野高校と周辺の様子
34期生合唱祭 ルーズソックス全盛の時代
日野高校今昔
肘あて
上 下 グ レ ー の ス ー ツ と い う 創 設 当 初 の 制 服 は、 リ
ニューアルされ、現代的なものになっている。生地も
違っているのか、擦り切れて穴の開いた制服を着ている
生徒を見かけなくなった。かつての制服は、3年生とも
なると、生地が薄くなって、肘などが擦り切れることが
あった。そんな時には、丸い肘あてで繕う生徒が多かっ
た。ワイシャツの上にセーターを着ることがなかった時
代の生徒にとって、制服のブレザーは擦り切れるまで愛
用するものだった。
さまざまな時代の学級通信
21
への帰属意識も高まり、学校行事へも積極的な姿勢で
参加するようになる。落ち着いた雰囲気の中で授業を
41年から50年
受け、部活動に熱中し、行事を楽しむ生徒が増える
と、学校生活への満足度も高まっていった。また、
「奉仕体験活動」などで地域の方々と交流する機会を
もち、日野高生の純朴で明るい人柄も好意的に理解さ
生徒たちの外見や行動によって地元の評判が思わし
れるようになっていった。こうした一年一年の努力に
くないものになれば、規範意識の高い中学生は遠のい
よって、地域の評判も徐々に上向き、日野高校は中学
ていく。そしてそれは、受験倍率の数字に如実に表れ
生たちの間で、部活動や学校行事が盛んで、生活指導
てしまう。日野高校も40周年を前に、低倍率に悩んだ
のしっかりとした高校というイメージで捉えられるよ
時期があった。そうした中、平成18年度に重点支援校
うになってきた。
に指定されたことを嚆矢とし、改革の策が具体化され
そして、それらの取り組みの成果を広く知ってもら
ていく。それ以前より改善のための動きは見えてはい
い、応募倍率の上昇につなげるため、募集対策にも力
たが、重点支援校に指定されたことによって、日野高
を注いだ。「学校案内」は表紙を入れて8ページだっ
校で実現したいプランを持った教員の採用と実現に必
たものを平成22年度用より12ページのものへと充実さ
要な予算の確保が可能になった。それが改革の動きに
せ、私学に見劣りしないことを目標に作成するように
拍車をかけることになる。
「生徒が輝く『日野サンラ
なった。その「学校案内」はそれまで教員や管理職に
イズプラン21』―希望進路の実現と豊かな人間性を目
よって中学校や塾に届けられていたが、平成24年度よ
指す健康づくり―」をスローガンに掲げ、様々な取り
り、生徒によって出身中学へ届けられるようになっ
組みが展開された。希望進路の実現については、学力
た。平成25年度より総務部が設置され、募集対策業務
向上策やキャリア教育の充実が、豊かな人間性の育成
を専門に担当するようになり、外部説明会への参加や
については、部活動や学校行事の活性化と地域との連
出前授業、学校見学の受入れもそれまで以上に積極的
携が、そして健康づくりについては外部講師による講
に行うことが可能になった。校内で行う説明会も学校
演会などが実施されていった。
紹介ビデオを制作し、生徒会の生徒が自分たちの言葉
生徒への指導としては、髪の染色やピアス等の禁
止、制服の着こなしに一定のルールを設けるなど、外
で学校生活を紹介するなど、日野高校の教育活動と生
徒たちを魅力的にアピールする工夫をしている。
見を整える指導を強化した。また、遅刻や中抜け、授
この10年は、IT機器の教育現場での活用が推進さ
業中のマナーなどにも指導への共通理解を深めつつ、
れ、様々な変化がもたらされた10年でもある。平成18
学年団や授業担当者が対応して規範意識の向上と基本
年度あたりから都立高校にTAIMSというシステムが
的な生活習慣の確立に努めた。また、教員間では授業
導入され、教職員はパソコン端末を使ってメールのや
力向上のために研究授業や各種研修が企画された。平
り取りや事務処理を行うようになっている。学習活動
成26年度からは土曜授業が導入され、1日4時間、年
においては、パソコン上のデータや視聴覚教材を授業
に18日程度の授業が行われている。こうした取り組み
で活用できるように、教室にはプロジェクターが備え
はもちろん大きな障壁を乗り越えつつ進められてきた
られるようになった。今後はこうした機材を駆使した
ことである。特にその始まりにおいては、それぞれの
授業内容の研究、研修が実践されることだろう。
教育観による衝突や軋轢が教員間に生じ、生徒からの
反発、抵抗も大きかった。日野高校のあり方を巡っ
このようにして、平成27年度に50期生を迎え、日野
高校は次の10年へと歩みを進めている。
て、様々に話し合いの場がもたれたであろうことが、
40周年記念誌からも読み取れる。
震災の日の日野高校
部活動の活性化も進められ、部活動加入率は重点支
突然の大きな揺れに見舞われたのは、職員会議の最
援期間(平成18 ~ 20年度)に目標としていた1年生
中だった。平成23年3月11日(金)14時46分のことで
100%、2、3年生75%という数値目標は、平成23年
ある。しばらく続く横揺れに緊張の時が流れたが、ほ
度には概ね達成され、いくつかの部は「強豪校」と言
どなく収まった。会議後、職員室に戻ると、机上のプ
われるほどになった。部活動加入率が高まると、学校
リントや書籍が床に落ちている。だが、ガラスが割れ
22
■
50 年の歩み
たり、棚が倒れたりといった大きな被害は見当たらな
い。ニュースで状況を確認しようとテレビをつける
と、津波の押し寄せる様子が次々と映し出され、大変
な事態になったことが呑み込めた。
その日は午前授業で、校内に残っているのは部活動
中の生徒がほとんどである。多くの鉄道が運行停止の
状態となっているので、帰れなくなった生徒は、各自
保護者と連絡を取り、迎えを待つことになった。携帯
電話を持たない生徒は職員室の電話を使うようにし
日野高校今昔
雨の日
まだモノレールがない頃、最寄りの駅は高幡
不動だけだった。しかも改札口は不動尊側にし
か な く、 登 下 校 に は 今 よ り 時 間 が か か っ て い
た。風雨の激しい時など、ふきっさらしの土手
の 道 は 誰 で も 歩 き た く な い も の で あ る。 そ こ
で、雨が激しい時は、タクシーを呼んで、見ず
た。倉庫から備蓄してある食料と水を出し、夕食をと
知らずの日野高生たちが乗合で利用することが
り、会議室に集まって保護者の到着を待った。校舎か
あ っ た。 そ し て、 濡 れ て、 だ れ て し ま っ た ス
らは浅川の土手道しか見えないが、道路も当然大渋滞
カートは、乾かした後、布団の下に敷く「寝押
で、わずかな距離にもかなりの時間を要するようだっ
し」によってパリッとよみがえらせていた。
た。そこで、迎えに来ることが可能な方には、近隣の
生徒も一緒に乗せて行ってもらうことにした。一人、
また一人と保護者と共に帰宅して行ったが、最後の生
徒に迎えが来たのは、日付が変わってからだった。帰
宅できないのは教職員も同じで、13名が翌日(土曜
日)の鉄道の復旧を待って学校で一晩を明かした。
震災のあと、福島から2名の転学者を迎えることに
なったが、無事本校を巣立って行った。
センペル君誕生
40周年記念誌にも、日野高校のマスコットが考えら
れたことが書かれている。しかしそれは男子バスケッ
トボール部のものに類似していたせいか、その後校内
であまり話題にならなかったようだ。そこで登場した
のが「センペル君」だ。平成24年度、カリキュラムが
改定され、3年生の選択に初めて「類型」がおかれ
た。科目選択について何か説明できるものがほしいと
宿泊防災訓練(三沢給水塔での給水訓練)
いうことで、教務部が文芸部に依頼して作成したの
が、
「教えて!センペル君」という漫画だった。セン
ペルセコイアの精であるセンペル君が、迷える日野高
生に選択の取り方を指南するという内容で、赤い頭巾
を被り、頭に3本のセンペルセコイアが生えたキャラ
クターがデザインされた。その後、マニュアルアーツ
部がぬいぐるみを作ったり、学校紹介ビデオに登場し
たりして徐々に「出番」を増やし、生徒たちの間にも
浸透してきている。
センペルセコイアの精
センペル君
23
校地、校舎の変遷
歴代の学校要覧の「校地と校舎」より、校地と校舎の配置に変化があった年の見取り図を、当時の写真を織り
交ぜながら年代順に並べてみた。要覧によって図の南北がまちまちで見にくかったので統一した。そのため文字
の向きが寝てしまったりしているがご容赦いただきたい。
昭和41年度学校要覧より
日野市三沢689の仮校舎時代の配置図。家庭科と芸術が一つの教室にまとめられているが、どのように授業を
やりくりしていたのか気になる。
昭和42年度学校要覧より
現在の校地となり、A棟B棟が現れるが、この年には一部をまだ工事していたらしい。
建設中の本校舎。ボンネットのダンプカーがなつかしい
24
■
50 年の歩み
昭和43年度学校要覧より
体育館を工事しているようで、予定地が描かれている。
裏門が出現する。
昭和44年度学校要覧より
体育館が完成したようだ。まだプールを工事している
ようで、予定地が描かれている。
裏門の外側50mが校地拡張予定地として描かれている。
完成当初の体育館
25
昭和47年度学校要覧より
プールは完成し実線で描かれた。部室棟もできあがった。
昭和48年度学校要覧より
現在のC棟付近にテニスコートが描かれた。
26
■
50 年の歩み
昭和50年度学校要覧より
テニスコートの隣にバレーコートが描かれた。
バレーコートから見た校舎
昭和52年度学校要覧より
校地が拡張され、裏門の外側に「第二グランド」ができる。
27
昭和57年度学校要覧より
裏門が消え、グラウンドが拡張して描かれた。現在はクリーンセンターとの間は空地になっているが、この場
所に第二グラウンドがあったようだ。
C棟が完成し、テニスコートが描かれていた場所が「特別講義棟」に書きかえられた。
完成当初のC棟
28
■
50 年の歩み
昭和58年度学校要覧より
拡張された部分に「テニスコート」、「バレーボールコート」の文字が入った。
平成3年度学校要覧より
東側に拡張した校庭が消え、西側に拡張した校地にバレーコート、バスケットコート、テニスコートが出現。
29
平成5年度学校要覧より
バレーコート、バスケットコート、テニスコートが詳細に区分されて描かれた。
平成7年度学校要覧より
グラウンド東側の一部が消え、現在の校地境界と同一になる。
30
■
50 年の歩み
平成12年度学校要覧より
図面がリニューアルされ、グラウンドのラインやバックネットが描かれた。
この図面は現在まで使用され続けている。
31
リーントーンやコピック、PCアプリ等の漫研画材に
4
4
4
4
恵まれなかった時代、難易度の高いつけペンのみでレ
部・同好会一覧
ベルの高い原稿を描いている所が素晴らしい!
SFブームに乗った「SF研究会」はどんな部活
だったのだろう。こちらも当時の部誌「ゴボゴボ」と
「宇宙散歩」が現存している。内容は論評と小説など
卒業アルバムをもとに、1期生(昭和44年卒業)か
の文章と、漫画・イラストで構成されている。同時期
ら47期生(平成27年卒業)までの部活動をまとめてみ
に活動していた「漫画研究」との住み分けがどうなっ
た。その年度のアルバムに写っている部活動写真があ
ていたのか気になったが、おそらく漫画人口のうち多
れば網掛け表示としている(P.34 ~参照)
。部であっ
くの女子が漫研にいて、多くの男子がSF研にいたの
たり同好会であったりするがいずれの場合も表示して
ではないかと想像する。
いる。基本的に卒業生のみの写真をもとにしているの
「鉄道研究会」は平成元年に登場し、Nゲージの大
で、表示がなくても1、2年生で活動していた可能性
きなレイアウトが写っている。あれは何処へ行ってし
もある。すなわち表示がなければただちにその部同好
まったのだろう。鉄道好きはいつの時代も存在するの
会が存在しなかったことを意味するものではない。
で、指導する顧問さえいれば現在でも入部する生徒が
予想はしていたが、運動部はほぼ安定して切れ目な
く存続している部・同好会が多い反面、文化部は興亡
がさかんであり、さまざまな活動が存在していた。
いたのではないだろうか。
平成13年、14年に登場する「ハイキング」は一体ど
んな活動をしていたのか?一応文化部の欄に入れた
例えば現吹奏楽部と現合唱部の元になった「音楽
が、平成8年以来途切れていた「ワンダーフォーゲ
部」はすでに1期には存在していて、コーラス部門の
ル」の代わりになるような部活動だったのだろうか?
生徒と楽器部門の生徒が別々の写真に写っていた。2
運動部は男子部女子部がある。バスケットボール、
期のアルバムにはそれぞれ「ブラスバンド」と「コー
バレーボールはすでに1期の時に男女分かれて写って
ラス」に分かれて写っている。その後9期で再び「音
いるのでそのまま47期まで表示した。硬式テニス部、
楽部」に統合されるが10期ではブラスバンドが分離さ
卓球部は1期の時には男女まとめて1枚で写っている
れ、音楽部はコーラスの生徒だけが残留したものと思
が、その後男子部女子部で分かれて写っていたりまと
われる。11期には「ブラスバンド」と「コーラス」に
めて写っていたりとまちまちだったので、表示は一本
戻り、今に至っている息の長い文化部である。
にした。文化部と違ってどの部もほとんど切れ目なく
その他、1期から現在までほぼ切れ目なく続く息の
長い文化部として、
「美術」
、
「地学」
、
「生物」が挙げ
存続しているのが運動部の特徴だが、「体操」と「ダ
ンス」「自転車」は少し様子が違う。
られる。次点として「ギター」は2期からほぼ切れ目
1期から長く続いた「体操」は平成7年に姿を消
なく現在まで存続している。
「マニュアルアーツ」と
す。一方翌平成8年に「ダンス」が登場する。最初は
「写真」は4期にはすでに存在し、所々切れ目はある
クラシックダンスのような印象なので、「体操」の代
ものの現在まで続く老舗(?)である。「ギター」は
わりになった部活なのかと思いきや、途中からスト
発足当初クラッシックギターであったがその後フォー
リートダンス系の生徒が混ざり、その後それ一色とな
クギターが登場し、15期(昭和58年/ 1983年)に遂
り現在の「ダンス部」に続いている。
にエレキギターが登場する。時代の風を感じる文化部
である。
たった1回だけ登場した「自転車」。唯一の写真は
ロードレーサー風1台とマウンテンバイク風1台、シ
「漫画研究」は10期に登場し27期を最後に姿を消す
ティサイクル1台の異色の3車種混合。こちらも指導
が、33期に再登場(15年ぶり)した「文芸」に合流し
顧問のもと、大会に出場するなどの活動が行われてい
たものと思われ、現在まで続く。当時の部誌「コズ
れば、運動能力の高い日野高生の部活動として現在で
ミック」が奇跡的に残存していたので拝見したが、レ
も続いていたかもしれない。
ベルの高さに驚かされた。近年の高校漫画研究はコ
ミックイラスト系が主流であると思われるが、これは
ほとんどがストーリー漫画で構成されている。スク
32
■
50 年の歩み
1期(昭和44年/ 1969年)の卒業アルバムより、「音楽
部」の写真。この時すでに楽器部門と合唱部門に分かれ
て写っている。翌年から「ブラスバンド部」と「コーラ
ス部」に名称変更される。
昭和56年/ 1981年の漫画研究部誌「コズミック」表紙
(左)内容の一部(右)
つけペンで描かれ、ストーリー漫画で構成されるハイレ
ベルな部誌。
SF研究の部誌 右から「ゴボゴボ」vol. 9(昭和57年
/ 1982年)
、同vol.12(年代不明)
、
「宇宙散歩」(昭和56
年/ 1981年)
2期(昭和45年/ 1970年)の卒業アルバムより、発足当
初の「ギター部」の写真。現在の軽音楽部の前身であ
る。ダブルベース(コントラバス)とクラッシックギ
ターの組み合わせ。どんな演奏をしていたのだろうか?
21期(平成元年/ 1989年)の卒業アルバムより、
「鉄道
研究」の写真。Nゲージの大きなレイアウトが少なくと
も2つ確認できる。
33
1期生 2期生 3期生 4期生 5期生 6期生 7期生 8期生 9期生 10期生
1969年 1970年 1971年 1972年 1973年 1974年 1975年 1976年 1977年 1978年
文化部
運動部
34
社会研究
社会科学研究同好会
物理・化学
化学
理化
科学
英語
演劇
音楽
ブラスバンド(吹奏楽)
コーラス(合唱)
美術
地学
華道
茶道
文芸
漫画研究
生物
放送
ギター
出版委員会
新聞
生徒会総務
マニュアルアーツ
写真
英文タイプ
SF研究
アマチュア無線
図書委員会
修学旅行委員会
鉄道研究
発見工房「卵」
ハイキング
パソコン
お笑い
将棋
学習
映画制作
映画・演劇
園芸
剣道
ハンドボール
女子バレーボール
男子バレーボール
女子バスケットボール
男子バスケットボール
陸上
体操
卓球
硬式テニス
サッカー
柔道
ワンダーフォーゲル(山岳)
野球
水泳
バドミントン
軟式テニス(ソフトテニス)
ソフトボール
ダンス
自転車
■
50 年の歩み
昭和44年 昭和45年 昭和46年 昭和47年 昭和48年 昭和49年 昭和50年 昭和51年 昭和52年 昭和53年
11期生 12期生 13期生 14期生 15期生 16期生 17期生 18期生 19期生 20期生 21期生 22期生 23期生 24期生
1979年 1980年 1981年 1982年 1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 1988年 1989年 1990年 1991年 1992年
昭和54年 昭和55年 昭和56年 昭和57年 昭和58年 昭和59年 昭和60年 昭和61年 昭和62年 昭和63年 平成元年 平成2年 平成3年 平成4年
35
25期生 26期生 27期生 28期生 29期生 30期生 31期生 32期生 33期生 34期生
1993年 1994年 1995年 1996年 1997年 1998年 1999年 2000年 2001年 2002年
文化部
運動部
36
社会研究
社会科学研究同好会
物理・化学
化学
理化
科学
英語
演劇
音楽
ブラスバンド(吹奏楽)
コーラス(合唱)
美術
地学
華道
茶道
文芸
漫画研究
生物
放送
ギター
出版委員会
新聞
生徒会総務
マニュアルアーツ
写真
英文タイプ
SF研究
アマチュア無線
図書委員会
修学旅行委員会
鉄道研究
発見工房「卵」
ハイキング
パソコン
お笑い
将棋
学習
映画制作
映画・演劇
園芸
剣道
ハンドボール
女子バレーボール
男子バレーボール
女子バスケットボール
男子バスケットボール
陸上
体操
卓球
硬式テニス
サッカー
柔道
ワンダーフォーゲル(山岳)
野球
水泳
バドミントン
軟式テニス(ソフトテニス)
ソフトボール
ダンス
自転車
■
50 年の歩み
平成5年
平成6年
平成7年
平成8年
平成9年 平成10年 平成11年 平成12年 平成13年 平成14年
35期生 36期生 37期生 38期生 39期生 40期生 41期生 42期生 43期生 44期生 45期生 46期生 47期生
2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年 2012年 2013年 2014年 2015年
平成15年 平成16年 平成17年 平成18年 平成19年 平成20年 平成21年 平成22年 平成23年 平成24年 平成25年 平成26年 平成27年
37
卒業生と日野高校
卒業してもなお日野高校と関わりのあった卒業生がいる。継続的であったり、一時的であったり、関わり
方に違いはあっても、母校を大切に思う気持ちには変わりがない。そんな卒業生たちの姿や声をお届けしよ
う。
会展の輪に入りたいという人は、作品展に足を運んだ
折に出品の希望を伝えてみてはいかがだろうか。
美術部OB会展
作品展の会期中、特別ゲストによるアトラクション
が催されたこともあった。平成23年(2011)の第30回
の作品展ではRCサクセションとも親交のあったサッ
クス奏者、梅津和時さんの演奏が行われた。ある時、
美術部の卒業生たちが、毎年国立のギャラリーで作
会員のひとりがジャズ喫茶をやっているOBから、梅
品展を開いているのをご存じだろうか。その活動は今
津さんが来店されるので来ないかという誘いを受け
年で35回目を迎える。日野高校の部活動OB会として
た。そこで店に行き、その帰りがけの駅で一緒になっ
これほど息の長い活動をしている会は稀であろう。そ
た梅津さんに作品展での演奏を頼んでみた。すると見
の活動の様子をぜひ多くの在校生、卒業生にお伝えし
ず知らずであるにも関わらず、快く引き受けてくれた
たい。
そうだ。日野高校の人間関係の中で、たまたま、ある
作品展は忌野清志郎さんの歌のモデルとして知られ
る小林晴雄先生の教え子たちを中心に営まれている。
いは偶然結ばれた縁によっても作品展は支えられてい
ると言えようか。
美術部ではなかったとのことだが、清志郎さんも生前
年代を越えて多くの人が集まり、まとまりをもった
よく出展されていたそうだ。会員は小林先生が教えて
ひとつの活動を展開して行くというのはすばらしいこ
いらした、1期から12期までの卒業生で、絵画、焼き
とだ。仕事や家庭のほかにも気持ちを傾けて取り組む
物、染め物、アクセサリーなど、多彩な作品が来場者
ことがあり、温かい関係が保たれているのはなんと豊
を楽しませている。もう何十年も続いている作品展だ
かなことだろう。しかし、仕事や家庭のある人たち
が、その第一歩は日野高校の会議室からだという。そ
が、毎年作品展を開くのは容易なことではない。途切
の後、立川高島屋近くのギャラリー、八王子のギャラ
れずに続けて来た陰には、この作品展に並々ならぬ情
リー、国立のギャラリーへと場を移し、ここ12、3年
熱を注ぎこんできた人たちの強い思いがあったはず
は国立のコートギャラリーで、1月か2月に開催する
だ。そうした会員たちの中心にいらっしゃる小林先生
のが恒例となっている。平成19年(2007)9月にも再
は、誰にとっても、いつまでも「ぼくの好きな先生」
び日野高校の多目的室で開催された。本校文化祭への
であり続けるに違いない。
参加であった。しかし、その時は見に来る人が少な
く、手ごたえが得られなかったということで、それ以
後は日野高校での開催は成されていない。
現在、会員は40名以上で、作品の出品者は三十数名
ほどとのこと。美術部の卒業生に組織的に声をかけた
訳ではなく、たまたま友人に誘われたり、作品展を見
に行った際に声をかけられたりして集まって来たのだ
という。切り絵をされている理科の川本先生も出品さ
れているが、きっかけは切り絵用品を購入したお店が
会員のお店であったことだ。三浦友和さんも在学中は
他の部に所属されていたが、同期で懇意にされている
方との結びつきから陶芸作品を出品されるようになっ
たそうだ。三浦友和さんと忌野清志郎さんという、著
名なお二方が参加されているということで、各方面か
らの取材もあったという。12期までの卒業生で、OB
38
■
50 年の歩み
小林先生(中央)と三浦友和さん(左)忌野清志郎さん(右)
学校創立50周年にあたって
5期生 野球部後援会副会長 梅田 武
私たち野球部後援会は、平成13年の秋季東京都大会
のべスト8になったことをきっかけに、以前から後援
数が増えたとのこと。そのようなところで野球部の活
躍が貢献しているのかとうれしく思います。
会の立ち上げを望んでおられた当時の監督先生の意向
現在の日野高校は部活に力を入れているように感じ
を受けて、翌14年6月に発足しました。野球部員の保
られます。野球部以外の部活でも東京都大会で上位の
護者や野球部のOBを中心に「甲子園のアルプススタ
成績を収めて関東大会に出場した部活もあるとのこと
ンドで日野高校の校歌を!」をモットーに、現役野球
で、これも生徒の元気の良さの一因であろうかと思い
部員への主にボール・バット購入代などの支援を行っ
ます。
てきました。
また、野球部の公式戦には、日程が合えばブラスバ
幸いに、その後の野球部は歴代の監督・部長先生ら
ンド部とダンス部の多くの生徒が球場に駆け付けてく
のご尽力と良き指導を得て成長を続け、最近はいたる
れて、私どもと一緒にかつ整然と一生懸命に応援して
ところで「都立の強豪校」などといわれているようで
くれます。その他にも、夏の大会はじめ野球部の公式
す。平成25年夏の西東京大会では決勝まで進出し、残
戦に多くの制服着用の生徒が応援に来てくれます。
念ながら準優勝に止まりましたが、まさに甲子園まで
あと一歩のところまできました。
話が少しずれますが、この決勝戦は神宮球場が、プ
ロ球団のヤクルトがうらやむ立ち見が出るほどの超満
在校生のこういった行動は、学校としての一体感や
自分の高校に対する愛校心があってのことと思われ、
年々日野高校が良い学校になっているなと感じさせて
くれます。
員でした。日野高校の応援者が圧倒的に多かったと自
また、公式戦の応援スタンドでは、卒業した各期の
負していますが、さぞ多くの卒業生などが駆けつけて
同級生と思しき方々がグループになって応援している
くださった結果と、後援会として感謝に堪えないとこ
姿を度々拝見します。あたかもミニ同期会が開かれて
ろです。
いるかのようです。
話を戻します。現役部員たちにはこの準優勝という
野球部の活躍が、部のOBに限らず多くの卒業生に
結果に満足せず、励みに励んで近年中に甲子園出場を
応援する楽しみや甲子園出場の期待を与えてくれてお
つかみとり活躍してくれるだろうことを後援会として
り、同じ学校の卒業生としてそのような共有するもの
確信し、後援活動をなお一層活発化する考えです。
があることは素晴らしいこととあらためて考えさせら
私事になりますが、私自身も日野高校の第5期卒業
れます。このような、多くの卒業生や応援者の方々が
生で、妻も5期生で野球部のマネージャーをしていた
大会の都度嬉々として球場に足を運び、懸命に応援す
ということもありますが、長男が34期で野球部に在籍
る状況がずっと続くことを願ってやみません。
した関係で後援会に入会したという経緯です。
さらに、現役野球部員の父母会も非常に活発に活動
そのようなことから、この10年ほど野球部と日野高
されています。野球部後援会はこの父母会と共に手を
校を遠く近くに眺めてきましたが、長男の在学時よ
携えて現役生徒たちの支えとしての役目を果たしてい
り、最近の生徒の元気良さ、明るさが増したと感じら
く所存です。
れます。用事があって高校に行きますと、他の部活の
最後になりますが、私たち野球部後援会は、今後も
生徒はもちろん、制服の生徒も元気のよい挨拶をして
野球部の活躍のみならず、日野高校の発展のために、
くれます。その度にとても清々しい気持ちにさせてく
末永く活動を継続することをお約束して、日野高校50
れ、さぞ在校生らは日々楽しい高校生活を送っている
周年へのお祝いの言葉とします。
のだろうなと感じさせてくれます。
聞くところによると、野球部に入ることを願う生徒
が増えたことによって、結果として学力検査の受検者
39
同じ時間の流れの中で過ごしてきた
12期生 泉田 洋一(キャリアコンサルタント)
日野高校50周年おめでとうございます。なんだ、私
より年下だったんだ、日野高は。(笑)。
人を待っていても、気にならないのです(図書委員あ
るある)。
私は12期生で、高校1年生の後半から2年生の後半
年月が過ぎ、結婚する人が出てからは、新婚家庭に
までの1年半だけ、図書委員をやっていました。卒業
お邪魔をしたりして、ご主人/奥様たちとも一緒に遊
後35年以上も経つのに、図書委員の後輩(13期生から
んでいました。子供が生まれると、今までのOB会の
16期生)と、年3、4回ぐらいは集まっています。部
イベントへの参加は難しくなりました。「ならば、子
活動ではなく、委員会のメンバーが卒業後もこんなに
供主体のイベントをやろう!」ということになり、こ
長い期間、つながっているのは珍しいことだと思うの
どもの国、まちだリス園、上野科学博物館や昭和記念
で、そのことを書かせていただきます。
公園等に行くようになりました。子供たちが迷子に
まずは、図書委員の仕事内容を説明しておきます。
なったときは、みんなで探しました。
多くの方は、
「図書委員は、図書室で本の貸出しを手
子供たちが大きくなり、子供主体のイベントから、
伝っている人」くらいしか知らないと思います。実際
単なる飲み会へと変わってきました。どこかへ遊びに
には、図書に透明なシールや貸出カードをつけていた
行く体力が無くなってきたのかもしれません(笑)。
り、新聞記事をスクラップしていたり、読書会や映画
普通の飲み会と違うのは、読んだ本の話がちょくちょ
会の開催、図書新聞「あぜみち」の発行、図書の貸出
く出てくることでしょうか(図書委員あるある)。
状況把握等々を、当時は行っていました。このような
ある年の1月、私の同期の図書委員が入院している
活動を、班ごとにやっていました。こういう活動が、
ということで、後輩たちとお見舞いに行きました。し
一種の部活動のようなものであり、部活動同様、先
かし、彼は、目は動いてはいるが私たちのことを認識
輩・後輩関係が作られていったのです。
できない状態になっていました。耳はまだ聞こえるの
図書委員会は文化祭にも出展していました。
「図書
ではないかと思い、みんなで彼に声をかけてきまし
委員会がなんで、文化祭に出ているの??」という感
た。その年の10月の飲み会で「久しぶりに、彼のお見
じがしますよね。でも、しっかり出展していたので
舞いに行こう」という話をした翌日、彼の訃報が入り
す。私が1年生の時には井上靖、2年生の時は安部公
ました。もう同じ時間の流れで過ごせないと思うと、
房の研究でした。どちらもノーベル文学賞候補と噂さ
とても寂しいです。彼は、最後に、私たちの飲み会に
れた作家ですね。先輩たちは、実際に井上靖さんと対
顔を出してくれたのかしれません。それ以降の飲み会
談をされていました。あの井上靖と対談って、すごい
では、いつも彼の名前を出しています。彼も、一緒に
ですよ!!こういう研究作業をまじめにやっていたか
飲み会に参加してくれていると思っています。
らこそ、委員会としては異例の先輩・後輩関係が深
まっていったのだと感じています。
最近の飲み会には、お酒も飲めるようになった図書
委員OBのお子さんも参加してくれています。子供主
図書委員OBは、高校を卒業した後も、司書の先生
体のイベントで迷子になった子と、酒を飲み交わす時
や後輩たちに会うために、日野高図書室によく顔をだ
が来たというのは、感慨深いものがあります。子供た
していました。みんな図書室のアットホームな雰囲気
ちにとっては迷惑かな?という思いもありますが、高
が大好きだったのでしょう。こうしているうちに、後
校卒業後、35年以上経っても、こんなに会える仲間が
輩の後輩たちと知り合いになっていきました。
いることの幸せさを感じてもらえればと思っていま
私や後輩たちが就職してからは、会う場所は、日野
す。
高の図書室ではなくなりました。まだ、20代だったの
こんな長い付き合いができるのも、日野高という
で、ディズニーランド、西武遊園地、富士急ハイラン
「場」があったからでしょう。こういう「場」を作れ
ド、まだ体力があったので高尾山・陣馬山ハイキング
る日野高であり続けて欲しいです。50年後、日野高が
等々でした。ちなみに、図書委員が待ち合わせにする
100周年を迎えたとき、また、こういう原稿をぜひ書
場所は本屋が多いです。本屋なら、時間に遅れてきた
きたいと思っています。
40
■
50 年の歩み
私の人生を変えてくれた日野高校
13期生 松下 耕(作曲家 合唱指揮者)
日野高校創立50周年、誠におめでとうございます。
私は、13期の松下 耕と申します。現在、作曲家、合
唱指揮者として活動させていただいております。仕事
の内容は、東京近郊及び関東、中部地方に17団体の合
唱団をもち、合唱曲を中心に作曲活動をしておりま
す。これまでに、NHK全国学校音楽コンクールな
ど、国内外のコンクールの課題曲を作曲しています。
また、海外の合唱団の客演指揮や、ワークショップの
講師、また、ヨーロッパやアジアの国際合唱コンクー
ルの審査員も数多くさせていただいています。
このように、私の人生は合唱音楽一筋、そして、合
唱のおかげで、世界を忙しく回っている身なのです
が、この合唱に出会ったのが、日野高校でした。日野
高校に入学しなければ、今の私の人生はありませんで
した。
ですから、私にとって日野高校は、感謝してもしき
れないほどの重要な場所です。
幼少の頃から、私はピアノの英才教育を受けており
ました。そのおかげで、私の、ピアノの技術と、音を
聞き分ける耳は、そこそこ上達したのではないか、と
思います。しかし、音楽が全く楽しくなかったのであ
ります。上達するために「弾かされていた」状態で、
音楽に感動を覚えたことはあまり記憶にありません。
私が中学生の時、ピアノの教師から、君には音楽の
才能が見受けられないから音楽の道に進むのを諦めた
ほうがいい、と宣告されました。失意と無気力の中、
高校受験を迎え、日野高校に入学しました。理由は、
家に近いこと。そして、当時の都立高校で施行されて
いた、学校群から離れ、その年に単独校になったこと
でした。失礼ながら、
「入りたくてたまらなくて入学
した」学校ではなかったのです。音楽の道を諦めたこ
とにより、高校生活に対する夢や希望といったもの
は、ほとんどなかったと思います。高校は、どこでも
よかった、と言っても過言ではなかったでしょう。
そんな私に、もう一度、いや、それまでの人生には
感じたこともなかった夢と人生の楽しさを与えてくれ
たのが、当時の音楽の先生であられた長澤明正先生で
した。
私は、上に書いたような気持ちで入学しましたか
ら、高校で音楽の部活動に入ろうなどとは露程も思っ
ていなかったのですが、そんな私を、長澤先生は粘り
強くコーラス部に誘ってくださったのです。のらりく
らり逃げ回る私を、ある時は、昇降口で、ある時は廊
下で、ある時はトイレの中で(笑)私を誘ってくださ
いました。
ある日、ついに先生の根気強さに負けた形で、コー
ラス部に入部した私ですが、何しろやる気の全く無い
不良学生でしたから、最初のうちは幽霊部員で、先輩
や同期のメンバーにとても迷惑をかけていました。そ
んな私を、目覚めさせてくれたのが、1年生の秋に行
われたNHKコンクールの東京D地区コンクールでし
た。場所は立川市民会館。その日のことは、今でも
はっきりと覚えています。仲間と共に、一つの音楽を
作り上げていく喜び、感動を共にしているという実感
を、ステージの上で味わった私は、その日を境にすっ
かり、合唱の虜となってしまったのです。長澤先生
は、絶えず笑顔で、私たち生徒に向かってくださいま
した。そして、トレードマークであった、パイプをく
ゆらせながら、音楽のすばらしさ、歌うことの意義を
私たちに教えてくださったのです。私は、生まれて初
めて、音楽はこんなに楽しいものなんだ、そして、人
生は希望とともにあるのだということを知りました。
同時に、何でも腹を割って話せる友人や、先輩後輩を
持つことが出来ました。私の人生は、日野高校で180
度変わったのです。
一度は諦めた音楽の道を、もう一度歩もうと決心
し、音大の作曲科に進み、その後、ハンガリーへの留
学の時期を含め、ずっと、この仕事を続けています。
大学を卒業したのが昭和60年(1985)ですから、私の
音楽家生活は、今年でちょうど30周年を迎えました。
大好きな合唱と共に、音楽と共にこの人生を歩んで
こられたのは、日野高校と、長澤先生、そして、高校
時代私を支えてくれたコーラス部の仲間たちがいてく
れたからに他なりません。今、本当に素晴らしい高校
で学ばせていただいたと、心から感謝しています。
現在、日野高校の合唱祭では、課題曲として、拙作
を歌っていただいています。これは、私にとって何よ
りも嬉しく、光栄なことであります。後輩たちに私の
曲を歌っていただいているとは、なんと誇らしいこと
でしょうか。ありがとうございます。
そして、日野高校のホームページを拝見すると、し
ばらく廃部状態だった合唱部が、再び結成されたこと
を知りました。私は、家内と(家内も、日野高出身
で、コーラス部17期です)、この嬉しいニュースに喜
びあいました。そして、合唱部が大きく育ちますよ
う、心からお祈り申し上げます。また、私たちの時代
にはなかった、合唱祭が、現在行われていることを、
とても感慨深く思っております。今後とも、我が母校
日野高校が、平和と融合、愛と慈しみの象徴である合
唱、美しい歌声とともに、創立100年を目指してます
ます発展されることを、お祈り申し上げます。
41
日野高校生物部と私
旧職員 8期生 京本 隆(現 東京都立町田高等学校)
私が日野高校に入学したのは昭和48年4月、生物部
もあった。
に入部したのは連休明けだった。当時から生物部は、
日常活動は、伝統を引継ぎ各班に分かれて行い、年
鳥班、プランクトン班、蝶班、植物班などの班単位で
間を通して活動することで結果が得られるよう、生物
活動していた。入部すると先輩からどの班で活動する
目録の作製、季節変動の調査、分布の調査を各班共通
か聞かれ、先輩のいない蝶班に入ることにした。蝶班
のテーマとした。他にも野鳥観察会、磯の生物の観察
のメンバーは私一人であったので、河原に鳥や植物の
会、山や海での合宿、水質調査などさまざまな活動を
観察に出かける先輩や同級生に混ざって捕虫網で蝶を
行った。これらの活動のうち、「浅川水系の水質調
捕まえ、生物室で標本作り(展翅)をしていた。この
査」と「多摩川・浅川合流点の鳥の季節変化」は、高
頃、好きだった蝶はヒメアカタテハとアオスジアゲハ
校生物教科書(三省堂)に自然環境における調査研究
で、今でもヒメアカタテハやアオスジアゲハが舞う姿
の例として示すことができた。
を見ると当時を思い出す。
数年前のある日、私が顧問であった時の生物部員で
冬のある日、同級生と合流点に遊びに行った。そこ
ある内村君(19期)から、「日野高校のHPを見てい
で、当時は珍しかったカワセミを発見し、その美しさ
たら生物部が復活して元気に活動しているようなので
に感動した。そして、もう一度見たい、他にはどんな
一緒に行きませんか」と電話があり、数名のOBと一
鳥がいるのだろうかと、捕虫網とともに双眼鏡を持っ
緒に文化祭に出かけることにした。それ以来、毎年生
て合流点に出かけるようになった。一度鳥に興味を持
物部OBと一緒に文化祭にお邪魔している。まず、土
ち始めると、自分の家の周りにもさまざまな野鳥がい
手から生物室の様子を確認してから日野高の門をくぐ
ることに気が付いた。そんな生活を2年間過ごし、3
る。そして受付を済ませ真っ直ぐ生物室を目指す。生
年秋のある日、生物の時間に紹介されたオパーリンの
物室では、昆虫、魚、動物などをテーマにした展示の
「生命の起源」という本を図書館で見つけ借りてき
他に、夏合宿のまとめ、理数チャレンジ団体としての
た。
「生命の起源」には、コアセルベートが始原細胞
研究発表などがあり、案内役の部員が丁寧に解説をし
として有力であるという仮説が書かれていた。そこ
ていた。現在、多くの高校で生物部の活動が衰退して
で、生物部顧問の栃本先生に相談し「短時間で崩壊し
いるにも関わらず、日野高校ではしっかりとした活動
ないコアセルベートを作るにはどうしたらよいか」と
が行われている。そして、何よりも生き物好きの生徒
いう課題に生物部員としての最後の活動として取り組
の活躍の場が日野高校にあることをうれしく思う。
み、ほぼノート一冊分のレポートを書いた。
生物室の机の上に部誌「ノウプリウス」の最新号が
そんな高校生活だったので、生物こそ我が学びの道
あった。「ノウプリウス」は、生物部の調査研究活動
と思い込み、生物を学べる大学への進学を目指した。
を部員が分担して1年間の活動の成果をまとめたもの
大学に入ると専門科目の他に、理科と農業の教職免許
で、日野高校生物部の活動の証である。高校時代に顧
取得に必要な単位をとり、東京都教員採用試験を受
問の栃本先生に、部誌の名前の由来を聞いたことがあ
け、高校理科生物の合格者名簿に登載されることがで
る。すると、「ノウプリウスは海に浮遊している甲殻
きた。そして、3月に勤務先の高校が決まった。それ
類フジツボの幼生である。浮遊生活を終えると岩にへ
は、母校日野高校であり、8年間勤務することにな
ばりついて固着生活をするようになる。みんながノウ
る。
プリウスの様に、やがては自分の場所に定着するよう
日野高校の近くには、浅川と多摩川という二つの一
に名前をつけた。」とおしゃっていた。歴代の生物部
級河川の合流点があり、河川敷にも水の中にもさまざ
員がまとめてきた「ノウプリウス」。現顧問の長谷川
まな生物がいる。そんな自然環境に恵まれた都立高校
先生の指導の下、今の生物部員にも受け継がれ、今後
は他にない。生物部顧問になった私は、部員にできる
も「ノウプリウス」が製作され続けていることを期待
だけ野外で生き物を観察し記録を残すように指導し
している。
た。部員にも恵まれ、一時期部員が40名を超えた時期
42
■
50 年の歩み
日野高校の現在
(10年間の記録)
移り行く時の中で
この10年間、私たちを取り巻く環境には様々な変化があった。幾度かの大きな天災。携帯電話やスマート
フォンといったコミュニケーションツールの進化と普及。長引く不況や経済格差。グローバル化の波、
等々。そうした影響を受けつつの高校生活には、もちろん不変の営みもあるが、変わらざるを得なかったこ
ともある。
本校における新しい動きや特徴的な変化について、いくつかの観点から振り返り、日野高校の10年を俯瞰
してみよう。
数学や理科の苦手な生徒に補講をするという活動で
あったようだ。ほかに、文化祭で展示やコントを行う
学力向上の試み
など、学校行事への積極的な参加もあり、独特な存在
感を醸し出していた。
結果としては、学習クラブの中心メンバーであった
44期生(平成21年度入学)はMARCHクラスの大学
中学生にとって、落ち着いた環境で学習のできる学
への現役合格は果たせなかった。しかし、この頃よ
校であるかどうか、そして進路実績はどうかというこ
り、MARCHや同等レベルの大学への一般受験によ
とは高校選びの際の関心事である。そのためほとんど
る合格者が現れるようになる。学習クラブの活動は、
の高校で独自の学力向上策を展開しているが、日野高
しっかりとした勉強をして受験に挑戦するという現在
校も例外ではない。この10年間、学力向上のための
の流れの端緒を開くものだったといえよう。
様々な取り組みがなされつつ現在に至っている。あぶ
また、「学習クラブ」顧問が中心となって、「HI
くのようにポッと浮かんですぐに消えてしまったもの
NO土曜塾」も運営された。これは東京都教育委員会
もあれば、現在も継続しているものもある。
によって発表された「都立高等学校土曜日補習の充実
それらの試みの中でも、異彩を放っていたのは「学
に係る外部指導者活用支援事業」を受けて企画された
習クラブ」の存在であろう。
「学習クラブ」の発足は
もので、学校外から講師を招き、毎週土曜日に合計
平成21年度である。平成21年1月16日にその運営につ
270時間の講習が行われた。講座内容は英語・化学・
いてのプリントが作成されている。それによると「学
物理・日本史で、主に河合塾の講師による指導であ
習クラブ」の目的は、「クラブ員同士が切磋琢磨して
る。HINO土曜塾は24年度まで行われていた。この
勉学に励み、進路の可能性を広げる(例:一段階上の
ような土曜日を利用した学習は、26年度より土曜授業
志望校へ合格する)ための環境を提供する。
」とあ
が導入されることによって終焉を迎えた。
る。具体的には「MARCHレベルの大学に現役合格
その他、1年の各クラスが競い合う「学習クラス
すること」を目標としていた。(平成22年度の『研究
マッチ」(平成25年度)や外部講師を招いて添削指導
紀要』による)この「学習クラブ」には顧問がつい
を受ける「小論文講座」(平成23・24年度)などが行
て、部活動のような形態で運営された。具体的な活動
われた。平成23年度には、職員室前の廊下に学習相
内容は次のとおりである。
談・質問コーナーが設置されたが、これは、A棟とB
①補講組指導
棟の間の渡り廊下にも広がり、現在も面談やテスト前
②合宿
の学習に活用されている。同じく23年度には、卒業生
③検定試験・模擬試験受験(英検、数研、進研模
2名が英語・数学の受験勉強の指導者として招かれて
いる。
試、大手予備校模試)
44期生が始めた「週末課題」は現在も継続中であ
④HINO土曜塾
⑤英検対策講座
る。これは、家庭での学習を習慣づけたいとの目的で
⑥学校行事(新入生募集、文化祭、学校説明会、合
行われるようになったもので、週末にプリントが渡さ
れ、週明けに提出するというものである。現在、1、
唱祭など。
)
このうち、最も中心的な活動は、週に1回、部員が
44
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
2年生で実施しており、2~3科目の出題をプリント
1枚にまとめたものを課題として生徒に渡している。
部活動加入者の多い本校において、家庭での学習時
日野高校今昔
自習時間
間の確保は悩むところである。大学進学希望者が増加
し、さらに現役志向が強まっている今、部活動と学習
の両立は日野高校にとっての大きな課題となってい
る。
今は先生が休みで自習になる時は、出欠の確
認を自習監督が行い、生徒は出された課題に取
り組むことになっている。その昔、自習監督の
先生が、しばらくの間、話をしてくださること
があった。自習の時は毎回そうだったのか、た
ま た ま そ う だ っ た の か は 覚 え て い な い。 あ る
時、校歌の歌詞にある「まほろば」の意味を話
された。その時、「まほろば」というのは古典の
言葉で、とても良い場所のことをいうのだと説
明された。話された先生はそのことをもうお忘
れかもしれない。何気なく聞いた言葉がずっと
記憶の中に残っているというのは、時々あるこ
とだ。
職員室前廊下の相談コーナー
HINO土曜塾授業風景
週末課題のファイル
45
平成21(2009)年
・12月 7 日、 野 球 部 「21世 紀 枠 」 の 推 薦 校 に選ば
れ、表彰される。
部活動の躍進
平成23(2011)年
・水泳部女子 100mバタフライで全国大会進出
学校説明会に行くと、中学生の質問の中に、部活動
に関することが多いのに気付く。中学生にとって、入
平成24(2012)年
学後にどんな部活動に入れるのかは、高校選びの大き
・女子バレーボール部 関東大会出場
な着目点になっている。そういう中学生において、日
野高校は、部活動の盛んな高校という一定の評価があ
るようだ。中堅の都立高校という、競合相手が多い現
状を考えると、本校ならではの特色として魅力的な部
活動が多数あるというのは、大きなセールスポイント
になる。
実 際 の 部 活 動 加 入 率 を 見 て み よ う。 平 成21年 度
(2009)は全体で71%、男子75%・女子68%であった
の が、 平 成27年 度(2015) は、 全 体 で91 %、 男 子
85%・女子97%にまで上昇している。特に女子の加入
率が上昇しているのがわかる。学年では3年生の加入
率が伸びていて、平成21年度は60%だったが、平成27
平成25(2013)年
年度は83%になっている。平成27年度において、日野
・女子バレーボール部 関東大会出場
高生の放課後は、ほとんどが部活動に費やされている
・陸上部(女子400m) 南関東大会出場
5月30日に壮行会を行う。
といえよう。
しかし、こうした状況は、短期間の努力で築きあげ
・野球部 夏季西東京大会準優勝
ることはできない。そこには、生徒たちの頑張りに加
え、部員に寄り添い、支え、少しずつ入部者を増や
し、活動を盛んなものにしていった、顧問一人一人の
尽力があったはずである。
この10年、顕著な活躍で、注目を浴びた出来事を挙
げてみる。
平成20年(2008)
・女子バスケットボール部 関東大会出場 「祝 関東大会出場 女子バスケ部」の横断幕 テ
ニスコート西側防球ネット最上部に掲出。
京王線高幡不動駅に手作りポスター(5/ 30 ~6
/6まで)
高幡まんじゅう松盛堂店舗に垂れ幕掲出。
「女子バ
平成27(2015)年
スケットボール部 関東大会出場決定 野球部春季
・女子バレーボール部 関東大会出場
大会ベスト16 西東京大会シード権獲得」本校11期
・ソフトボール部 関東公立大会出場
生の社長の御厚意により、製作費は御負担いただ
こうしてみると、運動部系の部活動の活躍が目立っ
く。
ている。しかし、文化系部活動が衰退しているという
6月5日に壮行会を行う。
46
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
訳ではない。増学級により、文化系の部活動への加入
も増え、充実した活動を展開している部も少なくな
い。毎年コンクールに出場、出展している吹奏楽部や
美術部。天体観測の市民講座を開催している地学部。
休部状態から、平成21年度に活動を再開し、校外の機
関や団体と連携した活動を行っている生物部。奉仕体
験活動で「水再生センター」のイベントに参加してい
る文芸部や発見工房「卵」同好会(平成25年廃部)。
日野市の映像コンクールに連続入賞の映画★演劇部。
市のイベントに招かれ、演奏を披露する軽音楽部(平
成27年にギター部から改称)
。文化祭で意欲的な活動
を見せる、マニュアルアーツ、華道、茶道の各部。吹
奏楽、美術、地学、生物、文芸、映画★演劇の各部は
夏季休業中に合宿も行っている。
華やかな戦績を誇る運動部と、校内にしっかりと根
を張る文化部。これら部活動は、この10年間、心置き
なく付き合える友人のいる場として、日野高生たちの
高校生活を実り豊かなものとしてきた。
日野高校今昔
自主映画
パソコンが普及し、動画の編集や上映は昔と
比べて格段に楽になった。ホームビデオやパソ
コンのない時代に自主映画を上映するには結構
な 手 間 が か か っ た。 フ ィ ル ム を 切 り 貼 り し た
り、映写機を借りたり、映写機を扱うための講
習を受けに行ったりしたOBもいることだろう。
手間がかかっても、自主映画の製作が盛んだっ
た時代がある。いつの時代も青年たちは自己表
現への欲求をもつものなのだろう。しかし、昔
に比べると今の高校生たちは自分たちの物語を
作りたいという欲求が希薄になっているような
気がする。スマートフォンなどの普及に何か関
係があるのだろうか。
47
主将としての3年間
46期生 元野球部主将 工藤 誠也(現 桜美林大学)
この度は、都立日野高校の創立50周年を迎えられた
3万人の観客の多くが日野高校を応援していることを
ことを心よりお祝い申し上げます。私が卒業してから
感じ、私は自分のやってきたことは間違いじゃない、
2年の月日が経ちますが、高校生活3年間がとても充
人から認められる最高のチームに成長したということ
実した日々だったため卒業してからの2年が長く感じ
を肌で感じました。
ます。私は野球部の主将を務め、西東京大会で準優勝
私は大学に進学し、野球部に所属しています。大学
を果たし、多くのことを経験しました。まず、主将と
の野球部員から日野高校はどんな練習をしているの
いう立場は誰よりも頑張らなければならないというこ
か、なぜ大会で毎回好成績を残せるかなど色々なこと
とです。人の先頭に立ち指示を出す立場にある以上人
を聞かれます。そこで私は自信をもって高校時代の3
一倍の努力が必要です。しかし、私はそこまで強い人
年間の話をすることができます。私のやってきた日々
間ではありませんでした。そのため何度もくじけそう
は多くの人に認められている、日野高校野球部は多く
になりました。練習や試合で失敗を繰り返し、先生に
の人から興味をもたれていると改めて感じ、うれしく
叱られ、つらい思いを何度も経験しました。それでも
思います。
私がくじけずにやっていけたのは仲間がいたからで
私はこれからも日野高校野球部卒業生として、野球
す。私は主将としての役目を果たせたかは分かりませ
部を応援し続け、さらに飛躍することを期待しており
んが、仲間と共にいくつもの壁を乗り越えた日々は私
ます。末筆ながら、都立日野高校の一層の御発展と皆
の誇りです。
様方の御活躍を祈念いたしまして、お祝いの言葉とさ
西東京大会を勝ち抜くに当たって、とても心強く感
じたことが二つあります。一つは試合に出ていないベ
ンチ入りしている選手の存在です。試合に出なくて
も、試合に出ている選手のために声を出し、雰囲気を
盛り上げてくれたり、ベンチに帰ってきたときにタオ
ルや給水を渡してくれたり、自分の役目を一人一人が
理解しており、ベンチ入りしている20人全員が試合に
戦っている状態でした。チャンスでは盛り上がり、ピ
ンチであっても励ましあい、全員野球で大会を戦い抜
きました。このチームワークはどの高校にも負けない
自信があります。二つ目はアルプススタンドからの応
援です。吹奏楽部の演奏、ダンス部のチアリーディン
グ、ベンチに入れなかった選手、選手の保護者、日野
高校の生徒などの声援はとても大きなものでした。
ヒット一本に対して大きな声援が上がり、とても気持
ちよく試合に臨めました。そして得点を挙げたときに
流れる校歌は相手にとって脅威になっていたと思いま
す。試合に興奮していて落ち着きがないときにスタン
ドを見ると多くの人達が私達に声を上げている姿が見
え、気持ちが自然と落ち着き、もっとやってやろうと
いう気持ちになりました。勝ち続けていくにつれて私
達を応援する人が増えているのが分かり、決勝では約
48
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
せていただきます。
東京国体 日野高校ダンス部の活躍
徳田 雅信(前 日野市企画部 国体担当参事)
創立50周年、誠におめでとうございます。
平成24年(2012)は、7月29日に「ひのよさこい
この50年間、日野高校は日野市で最初に開校した高
祭」、10月8日に「スポーツレクリエーション大会」、
校として、様々な場面で地元日野市とともに歴史を刻
10月14日に「手をつなごう・こどもまつり」、11月11
んできました。
日には「日野市産業まつり」に出演し、「ゆりーとダ
さ て、 日 野 市 は 日 野 高 校 よ り も 早 く、 平 成25年
ンス」や、オリジナルダンスを披露してくれました。
(2013)に市制施行50周年を迎えました。この年は、
平成25年(2013)には、4月3日に「日野市スポー
4月に新しい市長を迎え、節目を刻む年となったわけ
ツ祭東京実行委員会総会」、4月12日に「日野市市民
ですが、日野市と日野高校にとっても、新しい歴史を
体育大会開会式」、5月12日には「スポーツ祭東京100
刻む年となりました。
日前イベント炬火式」に出演しました。
まず、日野高校野球部の快進撃です。日野高校だけ
でなく多くの市民が喜び、感動し神宮球場へと駆けつ
6月16日には、東京都からゆりーとダンス推進大使
に任命されました。
けました。市民の心が一つとなる機会になりました。
そしていよいよ国体の開幕です。平成25年(2013)
そして、秋には、第68回国民体育大会(スポーツ祭
9月28日の「スポーツ祭東京2013総合開会式」で味の
東京2013)が54年ぶりに東京で開催され、日野市も空
素スタジアムのフィールドに日野高校ダンス部が登場
手道、ボクシング、ホッケー3競技の会場となりまし
し、元気いっぱいのダンスを披露しました。
た。会期中には、天皇皇后両陛下を迎える行幸啓も行
われ、日野市の歴史に残る一年となりました。
この国体の開催成功に、日野高校ダンス部は大きな
役割を果たしてくれました。
9月29日には、日野市市民の森ふれあいホールで開
催された、空手道競技大会のプラカーダーを務めると
ともに、アトラクションで「ゆりーとダンス」の披露
もありました。10月1日には、ひの煉瓦ホール(市民
始まりは前年の平成24年(2012)でした。日野市が
会館)で開催されたホッケー競技大会開会式のアトラ
国体への気運醸成に取り組んでいるさなか、6月16日
クションで「ゆりーとダンス」を披露してくれまし
七生公会堂で行われた「がんばっぺ福島!チャリティ
た。
ダンス&トーク」で日野高校ダンス部が「ゆりーとダ
また、平成25年(2013)10月8日午後、第1回ゆ
ンス」を披露しました。これを見た日野市職員が即座
りーとダンスコンテストが、駒沢オリンピック公園総
にスカウトし、国体終了までの長い道のりがスタート
合運動場で開催され、日野高校ダンス部は見事「審査
したのです。
員特別賞」を受賞しました。
「ゆりーとダンス」は、スポーツ祭東京のマスコッ
振り返ると、こんなにもたくさんのイベントに協力
トキャラクターである「ゆりーと」の名前を冠してい
いただいたことに驚きます。空手道の開会式のリハー
て、ユリカモメをモチーフに丸っこいデザインのゆる
サルで、日野市と競技団体との調整不足があったにも
キャラ「ゆりーと」のダンスで、子供から大人まで楽
かかわらず、目に涙をたたえながら頑張ってくれたこ
しく、かわいく踊れるものになっています。
となど、大変な思いをしながらも責任感を持ってやり
当時、開催気運醸成のため、東京都や日野市が「ゆ
遂げてくださったことが思い起こされます。
りーとダンス」の普及促進に努めていましたが、日野
初めて日野市で開催された国体で、その成功に向け
高校ダンス部の「ゆりーとダンス」は市民にとって見
て日野高校が、そしてダンス部が取り組んでくれたこ
本となるものでした。黄色いTシャツとショートパン
とにより、日野市と日野高校が共有できる歴史を築く
ツ姿の日野高校ダンス部は、さながらご当地アイドル
ことができました。重ねて感謝申し上げます。
のように、日野市のイベントにデビューしていったの
です。
49
映画★演劇部が映画祭にかけた思い
48期生 辻 菜々子
私たち、映画★演劇部は3年連続で、日野市が主催
にしたことは、自分たちらしい作品で日野市の魅力を
する「青春映画祭」で優秀賞をとり続けています。こ
PRすることでした。自分たち日野高生と日野市の歴
の祭典は日野市をPRするために毎年決められたテー
史や風景を絡め、自分たちならではの強いメッセージ
マに沿って映画を作製するものです。参加者は日野市
性を出すことを意識しました。いずれの作品にして
と関連のある中・高・大学生と限定されていますが、
も、部員や台本へのアドバイスをしてくださった顧問
テーマに沿っていれば内容は自由に設定でき、編集ソ
の先生方、その他の人々の協力なくしては生まれな
フトも統一されていないので、部活で活動している
かった作品ばかりです。
我々では大学生に勝てる見込みなどありませんでし
私たち映画★演劇部は、部員の基礎の力や協力だけ
た。しかし、そんな私たちがなぜ3年連続できたかと
でなく、周囲の人々の支えによって大学生などの強豪
いうと、普段の部活動や日野高校を取り巻く様々な人
校の中、3年連続で優秀賞を受賞することができまし
達との関係が重要だったと私は思います。
た。この受賞は周りの人々の支えと、部員の普段の取
映画★演劇部は、自主制作映画を撮影し、舞台公演
り組みの結晶です。このことを胸に刻み、感謝し、さ
もするという一つの部活で二つの体験ができる珍しい
らに連続受賞ということに驕ることなくこれからも大
部活です。そのため、部員一人ひとりの仕事が重要
会に向けて努力を続けていきたいです。
で、その全てが組合わさることで歯車がスムーズに
回っていき、すばらしい作品が作れ、賞が取れるので
す。部員の協力以外にも普段の部活で大切にしている
ことがあります。それは基礎練習です。これは映画★
演劇部だけでなく、ほぼ全ての部活に共通することだ
と思います。うちの部活では基礎練習として、発声練
習や滑舌、思いどおりに体を動かせるように軽い筋ト
レなどもしています。これらをしっかりとトレーニン
グすることで、映画や舞台できれいな動きや、しっか
りとした発声での台詞回しが可能になるのです。この
ような普段の活動により、役者は相応の力をつけ、ス
タッフもそれに応えることで部としての実力をつけて
いきました。しかし、自主制作映画はこれだけでは賞
は取れません。内容も大事になっていくからです。
私たちは毎年与えられるテーマに真摯に向き合い、
内容の方向性を決めると一人が台本に起こし、さらに
その内容を部活動で審議します。その結果により、最
初の台本とは全く違ったものができたり、登場人物が
変わったりします。私の参加した代では、チームを二
つに分けてそれぞれ作品を出したり、台本を捨て切る
ことができずにとりあえず二作品制作し、生徒や先生
方の投票で大会に出す作品を決めた年もありました。
またエキストラとして映画に出演してくれた生徒もい
ました。どのような作り方になっても、私たちが大切
50
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
11.16及び11.18 サウジアラビアの高校生(ダル アル フィックル
異文化交流
ハイスクールの生徒)との国際交流。
中東協力センター(日本の経済産業省の外郭団体)
とサウジアラビアとの共同プログラムで、企業家育
成プログラムで来日した生徒との交流。
平成22年度(2010)あたりから日野高校では異文化
交流が盛んになり、多くの外国の高校生が本校を訪れ
16日 日野高校を訪問し、市場調査を行う。
放課後は部活動交流と校内見学。
た。平成24年度(2012)、生徒9名がミャンマーへ派
遣されるというプロジェクトへの参加を頂点とする諸
18日 1・2年の各1クラス対象の疑似販売体験
活動は、日野高校の一時代を築いたと言って良いだろ
10月に生徒会則の改定があり、「交流」係が
う。その流れを記してみたい。
できる。
平成22年度(2010)
平成23年度(2011)
5.21 ~ 24
4. 1
インドの高校生との国際交流。
国際交流委員会が設置される。
21日 講義室の飾り付け・日野クリーンセンター見
7.14
学。
22日 高幡不動見学・対面式(講義室)。
国際理解講座(2学年)。
23日 ホームステイの受入れ。
拓殖大学 国際学部 留学生 約35名と交流。
24日 1日学校にて交流・・歓迎会(吹奏楽・ダン
剣道場にて全体会、その後各クラスにて交流。
ス部。
オカリナペンダント作りや書道体験、英語で
11.19 ~ 21
の交流、生物実験。
ベトナムの高校生(24名)との国際交流。
日野高歓迎パフォーマンス(吹奏楽部・ダン
19日~ 20日 ホームステイ。
ス部・新日本舞踊)。
21日 日野高校での1日学校交流(ダンス部・新日
本舞踊の披露・ベトナムの歌や踊りの鑑賞)。
インド文化紹介のパフォーマンス。
部活動交流(発見工房『卵』
・茶道・地学・
剣道・ソフトボール・男女テニス・バドミン
トン・男子バスケットボール)。
歓送会(ホストファミリー参加の食事会)。
平成23年度 国際交流
平成24年度(2012)
平成22年度 国際交流
7.10
国際理解講座(2学年)。
拓殖大学 国際学部 留学生 約14名と交流。
51
剣道場にて全体会、その後講義室で学校紹介DVD
ステイ受け入れ。柔道部との交流。26日は校内で部
を視聴し、校内と部活動の見学。
活動交流などを行い、27日は都立秋留台高校で柔道
の高校合同練習会に参加。28日は本校にて歓送会を
行う。
7.24 ~8. 2
21世紀東アジア青少年大交流計画(JENESYS
プログラム)により9名の生徒と1名の引率教員を
平成26年度(2014)
ミャンマーに派遣。
JICA「東京グローバルユースキャンプ」に生徒
ミャンマーの学校や各施設の訪問・書道や歌、踊り
1名参加。
などの日本文化の披露・学生との交流やディスカッ
平成27年度(2015)
ションを行う。
派遣に先立ち、4月~6月にかけて、5回程度の事
JICA「東京グローバルユースキャンプ」に生徒
前学習を行う。外部講師による講演会は次の通り。
1名参加。
4.28
社団法人 日本ミャンマー友好協会理事・NPO
ザ・コンサルタンツミャンマー理事 浅野静二 氏
6.26
フリージャーナリスト 田辺寿夫 氏
台湾の学生との柔道国際交流(平成25年度)
11.15 日印国交樹立60周年記念教育行事。
インドを学ぶ特別講座~インドを学び、インドを知
る~(2学年)
。
体育館での全体会の後、分科会。
分科会内容
①インドの食文化「インドの食文化~一緒にチャイ
を作りましょう!」。
②インド舞踊「一緒に、インド舞踊を体験しましょ
う!」
。
③「日本とインドの教育の相違、インド式エデュ
ケーションを学びましょう」。
平成25年度国際交流
平成25年度(2013)
2. 2
日印国交樹立60周年記念教育行事。
インドを学ぶ特別講座修了記念式典プログラムに2
年生10名が参加。「インドの教育」「インドの食」
「インド舞踊」について発表(於 在日インド大使
館)
。
7.26 ~ 28
台湾高校生(
「スポーツ交流」柔道25名)のホーム
52
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
インドの学生との交流記念
「日野」から「世界」へ
旧職員 高島 みゆき(現 東京都立若葉総合高等学校)
「今、アメリカの大学に通っています。毎日忙しい
もっと気持ちを共有したいと思うようになりました。
けど充実しています。」「ケニアのインターンシップに
国や言葉が違うからと自分から交流するチャンスを逃
行ってから、今は、アフリカで起業しようと考えてい
がしてはいけないと実感しました。」
ます。
」
「今、大学の枠を超えた様々な活動をしていま
すが、今度インドのインターンシップに行こうと思っ
その後平成23年(2011)11月21日(月)同様のベト
ナム生徒の受入れをしました。
ています。」これは、日野高時代、国際交流に積極的
次は、平成24年(2012)7月24日~8月2日ミャン
に参加した卒業生の声です。私自身もその力強い言葉
マー(ビルマ)派遣(生徒9名、引率教員秋山先生)
に感動し、勇気づけられました。
に参加しました。当時「ミャンマー」は軍事政権から
日野高校では、拓殖大学留学生、サウジアラビア中
民主化されたばかり。不安材料ばかりでした。そこ
高校生、日野市姉妹都市のアメリカの高校生との交流
で、ミャンマー専門家の浅野静二さんや、元NHK国
など様々な国際交流を行いましたが、自由に活動をさ
際放送局田辺寿夫さんをお呼びし、学習会を企画しま
せていただいた日野高校に感謝の気持ちでいっぱいで
した。話をいただく方皆が、「いい国だよ。いい人た
す。ここでは『外務省の21世紀東アジア青少年大交流
ちだよ。」と話され、徐々に不安は解消されました。
計画(JENESYS:ジェネシス)』について御紹介した
明るい9名は、日本との違いも積極的に受入れ、笑い
いと思います。
に変えていました。派遣後も、文化祭での発表展示、
平成22年(2010)5月、初めてインド高校生23名の
伊藤清元校長の同僚だった根本敬上智大教授を招いて
受入れをしました。ホームステイも含まれる事業でし
の 発 表 会。 ミ ャ ン マ ー の 留 学 生 と 秋 川 渓 谷バーベ
たので、当初、受入先があるか心配しました。「イン
キュー大会など活動を継続させていました。この中か
ドの高校生のホームステイ先を探しているんだけど、
ら急成長するミャンマーとの架け橋になる人物が生ま
誰かの家庭でお願いできないかなあ」と尋ねたとこ
れることを期待しています。
ろ、すぐに「興味があります…」と反応してくれたの
平成25年(2013)7月には、台湾生徒(柔道)の受
が、上記の卒業生たちでした。その一言が「引受けを
入れをしました。万田先生の受入れにより実現した交
しよう」という気持ちにしてくれたのをよく覚えてい
流でしたが、ちょうど、野球部夏の選手権西東京大会
ます。5月21日(金)日野クリーンセンター(ゴミ処
準優勝の時。忙しい中、活動に協力していただいた
理・環境問題)視察。22日(土)~ 23日(日)12家
方々に心から感謝の気持ちでいっぱいでした。
庭でのホームステイ。24日(月)1~4時限美術、書
「初めは不安も多かったが、いろいろ体験すること
道、生物、英語他の授業参加。5~6時限歓迎会:日
で、自信がついた。」「高校時代は、いろいろやって鍛
野高校からは吹奏楽部、ダンス部、日本舞踊の披露。
えて、挑戦することが大切。」「様々な価値観を知り、
インドからはインド紹介のプレゼンテーション、歌、
それを尊重することが大切だと思った。この考えが世
踊り。放課後は各部活動見学。そして体育祭の応援団
界平和につながる。」卒業生の言葉です。明るく、元
の練習にも参加しました。夕刻:涙、涙の歓送会。明
気で、パワーがあり、真剣に頑張る人たちを素敵だと
るく元気な日野高生と実に楽しく交流していました。
思い、周りへの配慮ができる校風。これが日野高の魅
(生徒の感想)
力だと痛感します。今でも日野高校応援団です!!
「この交流を通じて言葉や人種の壁は、自分の考え
方次第でどうにでもなるんだと強く感じました。国が
違っても自分たちは皆同じ人間なのだということで
す。確かに英語が話せず、コミュニケーションが上手
くとれずに困ったりしましたが、もっと話したい、
53
平成27(2015)年 5月3日 NHKBS
「プレミアムドラマ『忌野清志郎 トランジスタ・
TVに映った日野高校
ラジオ』」
昭和43年頃の日野高校を舞台としたドラマ。忌野清
志郎さんに憧れる「日野高生」が主人公。日野高校
でロケが行われ、在校生がエキストラとして出演し
日野高校の卒業生の中には、芸能活動によって名を
た。
知られている人も多い。そのため本校はそうした方々
の「母校」として取材を受けたり、その様子がTV放
平成28年(2016) 1月20日 テレビ朝日
映されたりすることも少なくない。本校がいつどのよ
「あいつ今何してる?ゴールデンスペシャル」
うにTVに映ってきたか、まずはその記録を記してみ
アンジャッシュ結成の経緯を語る中で、お二人の同
たい。
級生であった卒業生が登場。
平成19年(2007)
5月26日 テレビ東京
平成28年(2016) 3月28日 フジテレビジョン
「出没!アド街ック天国」
高幡不動周辺の紹介で
「FNSうたの春まつり」 日野高校が11位になる。
卒業式にアンジャッシュ渡部建さんと歌手の藤巻亮
太さんが現れ、藤巻さんが「3月9日」を歌う。
平成22年(2010)
7月23日 BShi
「ハイビジョン特集『ぼくはロックで大人になった
卒業式のサプライズ
~忌野清志郎が描いた500枚の絵~』
平成28年3月11日、春とは思えない冷たい雨の降る
忌野清志郎さんの歌のモデルとなった小林先生が日
中、48期生の卒業式が行われた。卒業の歌「3月9
野高校で思い出を語る。
日」を歌い終わり、閉式の辞が述べられ、いよいよ卒
業生退場の直前、「今年はこれでは終わりません。皆
平成23年(2011)
11月4日 TBS
さんの卒業を祝ってOBの方が駆けつけてくださいま
「A-Studio」
した」という司会者の言葉に続いて、舞台上にアン
笑福亭鶴瓶さんとシェリーさんが三浦友和さんの母
ジャッシュ渡部建さんが現れた。参加者の歓声があが
校として本校を訪問。
る。
この日、「旅立ち・卒業・出会い」さまざまな場面
平成26年(2014)
2月16日 日本テレビ
で歌われている春の名曲を紹介する番組の撮影が本校
「誰だって波乱爆笑~アンジャッシュ~」
で行われた。企画と準備は秘密裏に行われ、生徒には
アンジャッシュのお二人が日野高校や芸人になるこ
もちろん、多くの教員にも伏せられていた。渡部さん
とを応援してくれた担任宅を訪問。
の紹介でレミオロメンの一人だった藤巻亮太さんがギ
ターを弾きながら「3月9日」を歌う。見つめる生徒
平成26年(2014)
10月28日 テレビ東京
たちの目の輝き。感涙にむせぶ姿。前日にスタッフに
「ポンコツ&さまぁ~ず」
よって舞台装飾が施されており、色とりどりのライト
廃油で走る車で旅をするという企画で、アンジャッ
とともに体育館は美しいライブ会場となった。演奏が
シュの児嶋一哉さんが母校の日野高校に廃油をもら
終わると、渡部さん、藤巻さんとともに記念撮影が行
いに立ち寄る。狩野英孝さんが当時の宮﨑校長の似
われた。
お二人からは卒業生にあてた色紙もいただき、48期
顔絵を描く。
生にとって、忘れ難い卒業式となったに違いない。
平成27年(2015)
5月2日 NHK総合
「ラストデイズ『忌野清志郎×太田光』」
卒業式のサプライズにも大きな反響があったが、特
爆笑問題の太田光さんが、日野高校で忌野清志郎さ
筆すべきは、「プレミアムドラマ『忌野清志郎 トラ
んを知る同窓生と対談。
ンジスタ・ラジオ』」であろう。日野高校が全面的に
54
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
協力し、平成27年の3月、春休み期間中に大掛かりな
初めてドラマ作りの現場に参加した生徒も大きな驚
ロケが行われた。生徒も何人かがエキストラで出演
きと刺激を感じたようだ。エキストラとして参加した
し、PR番組では出演した在校生の一人が紹介された。
生徒の感想にもそのような気持ちがよく表れている。
NHKドラマ「トランジスタ・ラジオ」に参加して
49期生 坪井 秀記
3月の終わり頃、私は、NHKプレミアムドラマ「トランジスタ・ラジオ」に出演しました。と言っても、私た
ち現役日野高校生は主人公のクラスメイト役でエキストラだったのですが、とても貴重な体験をさせていただけた
と思います。
私は映画★演劇部に所属していて、映画の撮影をしているのですが、本物は違いました。カメラの値段もそうな
のですが、撮影方法や音声さん、大道具さんの技術面に私は感動してしまいました。そして何より、撮影スタッフ
さんたちの恐怖すら感じるやる気に現場の空気は、ピリッと張りつめていました。そして撮影の本番を迎えまし
た。私は、とてつもない緊張感に襲われました。ですが、同じエキストラの役者さんが私に、「大丈夫だよ。気楽
に、落ち着いて演じれば。」と温かく優しい言葉をかけて下さいました。その言葉に私は肩の力が抜け、変なぎこち
なさがとれました。そして、何カット目かの撮影を終え、昼食に入りました。そこには撮影待ちをしていた先輩方
がいらっしゃいました。先輩方は昼食を食べつつ、口々に「待ち時間がとても長い。
」と言っていました。確かに
我々の数シーンだけでも4時間以上たっていて、ドラマの制作とは、こんなに時間をかける大変な作業だと改めて
感じました。
日野高校を訪れた方々からの色紙
55
通教室が置かれるようになり、選択教室がなくなり、
生徒会室が3階に移動した。
7学級でそろった平成23年度には、1階は普通教室
学級数の増減
の他は社会科準備室・同講義室、進路指導室のみとな
り、進路資料室は2階に移された。さらに平成24年度
には、進路指導室とするため社会科準備室がB棟3階
平成18年度(2006)に第1・2学年6学級、第3学
に移り、社会科講義室はなくなり、進路資料室となっ
年7学級であった学級数は、平成27年度(2015)に、
た。翌25年には進路資料室は2部屋に仕切られ、進路
全学年8学級となった。毎年のように学級数が変わ
資料室と選択11教室になった。こうして8学級にそ
り、それに対応するため、校内の配置転換に追われる
ろった26年度を迎えたのである。生徒会室と社会科準
年が続いた。具体的な学級数の推移は次のとおりであ
備室・同講義室の移動においては、かなりの物品を備
る。
えた部屋であったため、相当の労力を費やしたようで
ある。
1学年
2学年
3学年
平成18年度(2006)
6
6
7
平成19年度(2007)
6
6
6
平成20年度(2008)
6
6
6
平成21年度(2009)
7
6
6
平成22年度(2010)
7
7
6
平成23年度(2011)
7
7
7
平成24年度(2012)
8
7
7
平成25年度(2013)
8
8
7
平成26年度(2014)
8
8
8
平成27年度(2015)
8
8
8
平成28年度(2016)
9
8
8
平成26・27年度は各学年が8クラスにそろい、部活
動においては、文化部にも入部者が多く、充実した活
動が展開できた。学校行事も大いに盛り上がり、50周
年にふさわしい体育祭・文化祭となった。
28年度は1学年がさらに増学級となり、9学級と
なったため、選択31教室を普通教室とすることで3、
4階に1学年を収めることになった。しかし、今のと
ころ、1、2階は8学級までの教室しか同フロアーに
確保することができないので、2年次からの教室割が
懸案事項として残っている。
日野高校今昔
日野高体操
今はなくなってしまったが、かつて日野高に
は「日野高体操」なるものがあった(5・6期あ
たりまでは「どんどん体操」と呼ばれていたら
しい)。入学後の体育の授業はまず「日野高体
操」を覚えることから始まる。授業前の準備体
操はもちろん、在学中の体操はすべて「日野高
平成21年度より、学級数が増加しているため、普通
教室の確保が課題となった。違う学年を同一階にする
ことは避けたい、しかし展開授業で使用する選択教室
や進路指導室なども確保しなければならない。毎年の
ように教室配置の案が出され、部屋の移動が相次ぐこ
とになった。
平成19年度の校舎配置図を見ると、A棟の教室は、
1学年が4階、2学年が3階、3学年が2階で、1階
には社会科準備室・同講義室、進路相談室、進路資料
室、生徒会室が2教室、選択教室が4教室となってい
る。学級数が増えるにしたがって、1階に3学年の普
56
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
体操」なので、その動きは3年間でしっかり体に
染みついてしまう。
「あの奇妙な動きを今の高校
がやっているとは思えない」というOGの感想
が あ る ほ ど の、 個 性 的 な 体 操 で あ っ た。 卒 業
後、 ラ ジ オ 体 操 を や ろ う と し た ら、 忘 れ て し
まってできなかったというOBがいたとか、い
なかったとか…
50周年記念デザイン!
冬服は、校樹センペルセコイアの深緑と日野市の鳥
であるカワセミの翡翠色をアクセントカラーに取入れ
日野高校3代目制服決定!
た上品なデザインである。夏服には水に恵まれた日野
制服検討委員会
る。ネクタイは深緑と紺の2種類、リボンも深緑とワ
高校らしく清涼感のあるサックスブルーを取入れてい
インレッドの2種類があり、自由にコーディネートす
伝統のグレー
ることができる。また、女子にもスラックスを採用し
平成27年4月「50周年を機に制服を変えよう」とい
ている。さらに生地は、型崩れしにくく耐久性に優れ
う声があがった。現在のデザインはすでに20年愛用さ
たウォッシャブル素材で扱いやすくしている。
れている。高校生の体格やその嗜好は変化し、さすが
制服は日野高校らしさのイメージをつくり出すひと
にシルエットや色を変更する時期だとみなが感じてい
つのツールである。制服を変更させることで本校のあ
たようだ。
るべきイメージを作り出し新しいビジョンが見えてく
教職員の声は「やはりグレーは外せない」「チェッ
る。今あるものを大切に活用し、さらなる発展を求め
クのズボン」
「アイドルのようなものはダメ」「実用的
る新制服は本校のPR計画のひとつのアイテムとなり
なもの」
「指導しやすい工夫」など現在のものをベー
うると考えている。
スに、より現代風に変更する案が多く出た。在校生が
対象のアンケートからは「金ボタンがいい」
「ネクタ
きちんとした着こなしを
イの種類を増やしたい」
「ズボンとスカートを同じ柄
あとは入学してくる生徒たちに誇りをもって着用し
に」など、在校生は自分たちの着ている制服が嫌なわ
てもらいたいと願う。
軽い着用感と着心地の重視、十分なゆとりと美しい
けではないことがわかった。
紺ブレザーが主流の今、グレーブレザーは日野高ブ
シルエットは活発な本校の生徒の動きに対応するもの
ランドのひとつである。新制服ではこの独自性を生か
であり、高校生としてのフォーマルな場面にも映え
したマイナーチェンジを行うこととした。
る。さらに要所に配したアルファベットのHとセンペ
ルセコイアのモチーフに本校の社会的責任を感じる。
らしさの構築~スクールアイデンティティ
服装を考えるにはコミュニケーションスキルが必要
平成28年度入学生より着用となる新制服は今までの
である。人を外見で判断してはいけないといわれる
制服の良い点を踏襲しつつ、ディテールにまでこだ
が、それは人は外見で判断されてしまうということで
わった他校にはない本校らしい制服となった。
ある。制服を綺麗に着こなすことは皆が気持ちよく生
日野高校伝統のグレーは今までよりも少し濃いグ
活していくためのマナーである。「身だしなみ」の正
レーを採用し、全体的に落ち着きのあるデザインであ
しい知識を身に付け、さらにしっかりと目的をもって
る。
着用してもらいたいものである。
冬服(正装)
夏服
女子スラックス
57
生徒の活動
社会の状況が変わろうとも、日野高校が10代後半の若い人々の学び舎であり続けたことには変わりがな
い。いつの時代も、青春期を送る生徒たちの声が響いていた。勇ましく挑む姿、楽しく談笑する姿、傷つき
涙する姿。学校行事や部活動では、授業中とは一味違う表情を見せる生徒たち。センペルセコイアが見守り
続けた生徒たちの活動を中心に10年を振り返ってみる。
応援合戦とマスコット
各団が力を結集してパフォーマンスを繰り広げる応
体育祭
援合戦は、毎年観客たちの楽しみとなっている。生徒
自らがデザインした衣装に身を包み、7分間を力いっ
ぱい踊りきる。競技とは別に審査が行われ、競技での
勝敗と同様にその結果が注目される。
体育祭は平成9年度より秋の文化祭と分かれて6月
各団の席の後ろに立てられるベニヤ板8~ 10枚ほ
に実施されるようになった。梅雨に入る直前で、天候
どのマスコットも、体育祭を華やかに盛り上げる重要
不安定な時期ではあるが、準備期間の確保を考えると
な要素のひとつである。運動はあまり得意ではなくて
妥当な時期であると言えよう。学年を縦割りにして、
も、絵やイラストが描ければ、それを活かして体育祭
団を結成するという方法は代々受け継がれている。5
に積極的に参加することができる。以前は、既存の有
月の生徒総会時に結団式を行うことも変わらず継承さ
名なキャラクターを使うこともあったが、最近は著作
れている。この10年、学年により学級数に違いがあ
権に抵触するという問題もあり、オリジナリティーで
り、赤・青・白の3団に分けるのに苦心をしてきた。
勝負する傾向になっている。また、ペンキで彩色した
平成26年・27年は、学級数が8クラスにそろったの
上に、異素材を使って装飾したり、立体的にしたりと
で、黄団を加え、各学年2クラスずつ、4つの団を組
いった工夫を凝らしたものも多い。
織した。
運動部系の生徒が多い本校において、体育祭は大変
競技プログラム
力の入る行事である。かつては、上級生が競技中にふ
この10年間、ほぼ定着している。学年種目・団体種
ざけたパフォーマンスを行い、ひんしゅくを買うこと
目・個人種目ともに種目・内容・構成は不変である。
もあったようだ。現在は、遊びの要素が入っている障
7~8年前迄は、100m走・200m走の最終レースにパ
害物競走に、多少その傾向が残っているが、そのほか
フォーマンス部門が入っており、仮装したランナーが
の種目は真剣勝負の場となっている。
お菓子をまきながら走るというしまりのないおふざけ
学年種目は1年が「大縄跳び」
、2年が「むかで競
走」
、3年が「全員リレー」で、これはここ10年変わ
の幕切れであったが、現在は最後まで力の限り本気で
走るレースが展開されている。
りがない。体育祭が近づくと各クラスの朝練と放課後
部活対抗リレーは、男女とも真剣勝負の場が設定さ
の応援団のダンスが始まるというのも変わらない本校
れている。男子の硬式野球部VS陸上競技部の一騎打
の風景である。若い命の、弾けるごとき躍動感に感嘆
ちや女子の陸上競技部VSバスケットボール部の息詰
しつつ、喧噪の中での授業準備に堪えるという複雑な
まる闘いは毎年最高の盛り上がりを見せている。男子
時間を送るのも、本校に勤務する者の常である。
第2レースは、文化部や教職員チームも参加し、例年
1年生にとっては、入学後、初めて挑む大きな学校
会場を沸かせている。
行事である。この体育祭を経て、新入生としての硬さ
平成22年度(2010)大会時、女子団体棒引きで大け
が取れ、本校生徒としての位置が定まると言ってよい
がを負うアクシデントが起き、次年度は一旦中止に
だろう。
し、代わりに「借り物競争」を実施したが、企画倒れ
で不評のまま終わった。平成23年度(2011)からは、
58
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
棒の先端に安全甲のクッションを装備する等の工夫
存在も忘れてはならない。
で、同競技は復活し、今年度まで続いている。
男・女騎馬戦は、毎年のように教職員アンケートか
係分担
らは「危険」
・
「野蛮」という声も上がり、常に検討課
部・同好会の活動が、この10年間で更に活発にな
題としてあがっているが、かたや「活発」・「醍醐味」
り、人数・まとまりともに、まさに体育祭の大きな
という声も聞かれ、何よりも実際に競技を行う生徒達
“戦力”として定着している。運動部を主体として、文
の希望で継承しており、依然として注目競技・花形競
化系の部・同好会にも役割を担ってもらい、各種委員
技として盛り上がっている。
会も組織的に機能している。2015年第50回体育祭の係
しかしその陰で、自ら危険を顧みず、ホイッスルを
分担は以下の通りである。
吹きながら審判に当たってくれている多数の教職員の
■平成27年度 体育祭 役割分担
係
担当生徒(部・委員会)
総務・進行
体育祭実行企画委員会(3学年)
硬式野球部
剣道
女子バスケットボール
陸上競技
サッカー
バドミントン
水泳
女子バレーボール
男子硬式テニス
女子硬式テニス
柔道
陸上競技
召集
誘導
審判
記録
会場
係
用具
警備
救護
美化
放送
受付
応援団
応援会計
マスコット
マスコット会計
写真
担当生徒(部・委員会)
男子バスケットボール
卓球
風紀委員会
保健委員会
美化委員会
ダンス
ソフトボール
放送委員会
図書委員会
3学年
映画★演劇、写真
平成27年度(2015年度)体育祭
59
60
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
6団体、販売が2団体となっている。調理6団体のう
ち主食となるようなメニューの提供は2団体と決まっ
文化祭
ているが、その他のメニューは年によって流動的だ。
平成25年度は「世界のメニュー」というコンセプト
で、バラエティー豊かな食を提供した。提供数も「す
ぐに完売してしまう」との声を受けて増やした。毎
実行委員を中心とした主体的な運営へ
年、クラスの連携や手際のよさが試される。
毎年9月に行われる。企画のクオリティーを上げる
べく、文化祭実行委員を中心に、体育祭前の5月下旬
文化部の企画
から準備が始まる。
この10年間で生徒数の増加があり、文化部の部員も
増加した。活動も活発になってきた。また新しい文化
開祭式と閉祭式
部や同好会の創設もあった。これらの部や同好会によ
開祭式は初日の朝、体育館で開催される。参加団体
る展示や研究発表も年々充実してきている。運動部と
の1分間PRは長い間継承されている。テンポのよい
違い、文化部の活動は実態が見えにくい。文化祭は
PRが続き、体育館が和やかな雰囲気に包まれる。
うってつけのアピールの場となる。中学生や保護者も
閉祭式は日をあらため、全校の片付け・清掃の後、
注目しているはずだ。毎年多くの来客があるが、本校
体育館で開催される。審査結果の発表及び講評を行
文化部の隆盛を目にし、文化部入部希望者にも選ばれ
い、生徒の健闘をねぎらう場となっている。
る学校となるよう期待したい。
クラス企画
PRボード
平成16年度より1学年は舞台部門での参加となり、
過去各団体のPRは、1×2メートルの布(垂れ
その流れはこの10年間継続されている。演劇には役者
幕)に描かれていたが、平成24年に1枚のベニヤ板に
のほかに多くの裏方が必要だ。一人一人の生徒が得意
描く「PRボード」となった。垂れ幕同様、通用門を
なことを活かし何らかの作業に関われるという点で、
入ったフェンスに展示される。全団体のPRボードが
よい企画であろう。しかし40人ほどの人数で一つの舞
そろうと壮観で、文化祭への期待を高める役割を果た
台を仕上げるためには相応の苦労がある。平成26年度
している。最近では、ペンキでの色付けだけでなく、
までは夏休み中に専門家を招き演技指導を受けてい
布や毛糸を使用する、立体的にするなど手の込んだも
た。そのため夏休み前に脚本を仕上げなければならな
のも増えている。
い。しかし1年生の中でオリジナルの物語を創作でき
る生徒は少なく、脚本の完成にはどのクラスも難儀す
オブジェ
る。そこで多くのクラスが「シンデレラ」や「桃太
毎年趣向を凝らして来場者を楽しませている。例年
郎」
、
「ドラえもん」といった既存の話を下敷きにし、
2学年のクラスが担当してきたが、希望するクラスが
それをアレンジして上演している。多くの生徒が知っ
出ない年度もある。その場合、文化祭実行委員や2学
ている話は限られているので、毎年変化に乏しい舞台
年有志が制作してきた。
になってしまうという課題があった。そこで平成27年
最近大きな話題になったのは、平成26年に2年2組
度は、学年で「時代劇」等の分野を設けクラスを割り
及び有志が手掛けた爪楊枝アートだ。これは、白・
振り、似通った内容にならない工夫をした。
黒・グレーに塗られた19万800本ほどの爪楊枝を巨大
2・3学年の企画に縛りはないが、例年2学年がお
なボードに刺し、新撰組副長の土方歳三の姿を浮かび
化け屋敷や縁日といったバラエティー部門、3学年が
上がらせるものである。文化祭終了後は「新撰組のふ
飲食部門での参加となっている。お化け屋敷は作るの
るさと歴史館」に移設され、複数のメディアに大きく
も片付けるのも大変だが、毎年人気のある企画だ。お
取り上げられた。
化け屋敷に限らずバラエティー部門の企画は遊びに偏
平成27年度の取り組みも素晴らしかった。2学年有
りすぎているという批判もあるが、それぞれのクラス
志( 男 子 バ ス ケ ッ ト ボ ー ル 部 員 を 中 心 と するメン
で生徒は企画を練り、創意工夫を凝らしている。
バー)が2つのプロジェクトに取り組んだ。1つは、
飲食部門については、この数年は調理を伴うものが
昇降口前に設置された、雄大な海に躍動する生き物た
61
ちの姿を描いた巨大な壁画。丁寧に描き込まれ、見る
コラボレーションがあり盛り上がった。野球部生徒数
ほどに完成度の高い作品であった。もう1つは、中庭
名によるアカペラのコーラスもこの年に初めて登場し
に浮き上がった、物理の実験も兼ねた巨大なクジラの
た。相当量の練習を積み、質の高いパフォーマンスを
ソーラーバルーン。破損のため一時的な展示に終わっ
披露した。これはバージョンアップしたかたちで27年
てしまったが、ゆらゆらと中庭を「泳ぐ」姿は見る者
度にも引き継がれた。出場団体数はダンスが最も多い
に強い印象を与えた。
が、近年はダンス部のレベルが上がり、全体の印象を
平成26年度及び27年度のオブジェには特別賞が授与
引き締めている。
された。
第50回記念祭
公演部門
平成27年度の文化祭は50回目という区切りを意識し
近年はダンス部、吹奏楽部、映画★演劇部の3団体
が体育館で公演を行っている。
て、スローガンに「繋(つなぐ)―50年目の青春―」
を掲げた。意欲溢れる実行委員がそろい、強力なリー
ダンス部は年々部員が増加し、平成27年度は1学年
ダーシップの下、全校生徒を巻き込むかたちで準備が
から3学年までで86人となっている。大人数である
進められた。結果的に素晴らしい記念祭となったが、
が、しっかりと統制のとれた部で、練習熱心な生徒が
それは3年生の実行委員の力によるところが大きい。
多く、パフォーマンスの質は高い。一人一人のダンス
一人一人が自身の得意分野を活かし、独創的なアイデ
だけでなく、ショー全体の構成も完成度が高い。
アを次々と出し、実現に向けての戦略を立て、様々な
ダンス部の陰に隠れがちになってしまっているが、
交渉及び膨大な作業をいとわなかった。
吹奏楽部も毎年安定して、ハイレベルな演奏を披露し
開祭式では、卒業生でお笑い芸人のアンジャッシュ
ている。和やか、かつ妥協しない普段の雰囲気がよく
のお二人からのビデオレターが上映されるというサプ
表れたパフォーマンスだ。文化祭の要と言っていいだ
ライズがあり、生徒の歓声が上がった。実行委員長が
ろう。
発案し、自ら交渉し実現したものである。
映画★演劇部のレベルも上がっている。近年は指導
全学年、全生徒に呼びかけ、中庭上空装飾にもチャ
する教員もそろい、発声練習など普段から地道な練習
レンジした。A棟・B棟間を、千個近い色とりどりの
を積み重ねている。体育館での演劇に加え、視聴覚室
風船が結んだ。
では映画も上演している。
一日目の午後7時からは花火大会。校庭の真ん中か
ら花火師による本格的な花火が打ち上げられた。生徒
いちい会
は校庭あるいは校舎屋上に集まった。近隣の住民のみ
毎年会議室をお休み処とし、来場者がホッとできる
なさんにも集まっていただいた。みんなで校歌を歌
空間を演出している。また、年によって細かな違いは
い、みんなでカウントダウンをして、いよいよスター
あるが、バザーや募金、小物づくりの講習なども行っ
ト。時間としては5分程度であったが、数としては千
ている。平成22年度には、その年の7月に衛星ハイビ
発近い花火が打ち上げられた。真下から見上げる花火
ジョン「ボクはロックで大人になった~忌野清志郎が
は迫力満点。見る者に強い印象を残した。
書いた500枚の絵画」が放映されたのを機に、同窓会
圧巻は、今年度に限り、一日目の一般公開終了後、
とタイアップし、初日に視聴覚室で座談会と展示会
この打ち上げ花火の時間まで体育館で開催された「中
「愛し合ってるよ~清志郎さんと日野高の仲間たち」
夜祭」。全学年全クラスが参加した「男女逆転コンテ
を開催。日野高に寄贈された自画像も公開された。
スト」、ダンス、コーラス、ボディービル……。一つ
一つの企画のクオリティーも高かったが、全体の構成
後夜祭
もよかった。大いに盛り上がり、実行委員がこだわっ
生徒からの要望を受け、平成22年度に、それまでの
た「全校生徒が一つになりたい」がここで実現するこ
閉祭式に代わる形で開催されるようになった。参加は
とになった。
有志で、バンド演奏やダンスで盛り上がる。出演者も
この年は8月下旬から長期にわたり悪天候が続いた
観客も3年生が中心となっている。平成26年度には男
が、文化祭期間は好天に恵まれた。生徒は、多くの来
子テニス部を中心としたメンバーによるペンライトを
場者とともに、50回目の文化祭を心行くまで楽しん
使用したパフォーマンスと、その団体のダンス部との
だ。
62
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
第50回日野高祭
見れば見るほど完成度が高かったウェルカム・オブジェ
27年度は第50回記念祭で盛り上がりました
メイドの部屋?
まるで生きているようだった……中庭に浮かぶ巨大クジラ
野球部を引退した3年生が素晴らしいアカペラを披露
63
■文化祭スローガン
年度
月日
回
文化祭テーマ〈スローガン)
オブジェ
平成 18 年度(2006) 9月 16・17 日 第 41 回
ついに来た! 40th 日野高祭
~ You 達みんな
来ちゃいな Yo ☆~
ドラえもん
不思議の国のアリス
平成 19 年度(2007) 9月 15・16 日 第 42 回
Surprise!! ビッグバン
起きちゃったよ日野高祭
タージマハール
アーチと壁画
平成 20 年度(2008) 9月 13・14 日 第 43 回
カムカムカミングーググー
Sweets Castele
くま城
平成 21 年度(2009) 9月 12・13 日 第 44 回
日野のココあいてますよ !!
忌野清志郎さんの壁画
竜宮城
平成 22 年度(2010) 9月 11・12 日 第 45 回
思い出残す センペルセコ year
見に来 year ~ !!
風神雷神図
弁財船
平成 23 年度(2011) 9月 17・18 日 第 46 回
H 日野高祭
A 明日に向かって
P ピースサイン
P パーッと
Y やろうぜ !!
写真アート
本のオブジェ
平成 24 年度(2012) 9月 15・16 日 第 47 回
Laugh & laugh
君がやらなきゃ始まらない
スカイツリー
平成 25 年度(2013) 9月 14・15 日 第 48 回
どこの文化祭行くの?
日野高でしょ!
~ special day in your heart ~
虹の風車
平成 26 年度(2014) 9月 13・14 日 第 49 回
let it go
~文化祭つくーろー♪~
爪楊枝アート
(土方歳三像)
平成 27 年度(2015) 9月 12・13 日 第 50 回
つなぐ
繋 ―50 年目の青春―
ソーラーバルーン(鯨)
ウェルカムオブジェ(海)
毎年恒例のPRボード
爪楊枝アート(土方歳三像)
64
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
演奏上の注意は、あまり細かく述べたくありませ
ん。皆さんがこの曲から感じたままに、自由に表現し
ていただくことが、一番大切だと思っています。
合唱祭
全体的にレガートで、滑らかに、優しく、愛情に満
ちた表現をしてください。しかし、曲中、アクセント
記号が付いた場所は、決然と表現して、そのほかの部
合唱祭は平成19年度(2007)まで1・2学年主催の
分とのコントラストを作ってください。各節の最後、
行事であった。平成19年度末に1・2学年より、学年
『生きることに/膨らみゆく この胸』の部分も、
行事から学校行事への変更の希望が出され、それを受
はっきりと、一つひとつの音を強調して、クライマッ
けて平成20年度(2008)に学校行事として位置付けら
クスを効果的に演出してください。しかし、乱暴にな
れ、生活指導部が担当することとなった。一週間の短
らぬよう、丁寧に歌いきってほしいと思います。
縮授業を組み、練習時間を確保し、毎年2月に、1・
音楽は、この地球上に残された、最後の『平和を表
2年生の各クラスが日野市民会館にその歌声を響かせ
現する武器』だと思います。皆さんが力を合わせてこ
ている。
の曲を歌うとき、その時こそ、この地球上の、真の平
平成20年度(2008)の課題曲は、1学年が『日野高
等学校校歌』で2学年が『ローレライ』であった。平
成21年度(2009)より、2年生の課題曲は、本校13期
和の実現への第一歩を踏み出すことになるのです。
高らかに、希望と平和を叫んでいただきたいと思い
ます。
松下 耕
の作曲家、松下耕さん作曲の『四月の風』となった。
これは「松下さんの曲をぜひ歌いたい」という合唱祭
委員会の要望が実現したものである。松下さんに歌う
『四月の風』は平成23年度(2011)まで2年生の課
際の注意点などを伺ったところ、大変丁寧なFAXを
題曲として歌われ、平成24年度(2012)からは同じく
いただいたので、その一部をご紹介したい。
松下さん作曲の『ほらね』が2年生の課題曲となって
いる。また、平成26年度(2014)は、それまで1年生
この曲が、日野高校におけ
は校歌を課題曲としてきたが、初めて1・2年共通で
る合唱祭の課題曲として歌っ
『ほらね』を課題曲とした。この課題曲は3年間続い
ていただけることを、心から
たので、そろそろ新しい曲に挑戦しようということ
嬉しく、誇りに思っておりま
で、松下さんに相談し、平成27年度(2015)は『たっ
す。
たいま』を課題曲とした。
また自由曲は、ここ数年は音楽科と合唱部顧問によ
皆さんが歌ってくださる
り推薦作品を予め数十曲提示し各クラスが選曲する形
『四月の風』は、詩も、この
式をとっている。また平成24年度(2012)からは、
曲に対する書き下ろしです。
ポップスを演奏するクラスはなく、むしろ合唱曲とし
作詞は、現在東京家政大学の学長であられる、片岡 て難易度の高い作品が選曲されるようになった。さら
輝先生です。全てのものが芽吹く春、人生も希望に満
に現在は無伴奏作品に挑戦するクラスもあり、全体の
ちようじゃないか、という、とても積極的な讃歌で
演奏レベルも年々向上している。
す。
この素晴らしい詩に、私なりの音楽を付けてみまし
た。
この曲は、もともと教科書に掲載するための曲でし
たが、同時に、私の長男誕生の記念としての作曲でも
合唱祭には、生徒有志や、教員による合唱団も参加
し、審査の間の楽しい時間を提供している。教員合唱
は毎年練習不足で仕上げるのが厳しい。だが生徒たち
の頑張りに応えるべく、毎年同じ舞台に立ち、真剣勝
負の後の和ませ役を果たしている。
ありました。その長男も、今ではみなさんと同じ高校
生です。皆さんと同じように、都立高校に通っていま
す。つまり、この曲は、私にとっても、忘れることが
できない、大切な曲なのです。
65
■合唱祭の記録
年度
月日
最優秀賞
テーマ
教員合唱
有志・部などの合唱
平成18(2006) 平成19. 2. 6
『予感』(2-4)
『エーデルワイス』
平成19(2007) 平成20. 2. 6
『3月9日』(2-6)
『あのすばらしい愛を もう一度』
平成20(2008) 平成21. 2.19
『河口』(2-6)
『決意』(1-6)
『手紙 ~拝啓15の君へ』
平成21(2009) 平成22. 2.26
『信じる』(2-2)
『行こうふたたび』
『虹』
平成22(2010) 平成23. 2.10
『落葉松』(2-7)
日野高校合唱祭
最響合唱にしようぜ
『夢の中へ』
『種子』『カリンカ』
平成23(2011) 平成24. 2. 8
『走る川』(2-2)
合唱祭
歌え楽しめ盛り上がれ
『道化師のソネット』
『宇宙戦艦ヤマト』ほか
平成24(2012) 平成25. 2. 7
『きこえてくる』(2-5) 金賞・合唱・歌いまshow
『オー・ソレ・ミオ』
『全部』(合唱同好会)
平成25(2013) 平成26. 2.13
『今ここに』
一致団結・以心伝心・一声入魂
『流浪の民』(2-5) 『Cantate
Domino』
『みやこわすれ』(1-7) ~己の青春を歌に捧げよ~
『言わない』『古の君へ』
平成26(2014) 平成27. 2. 5
平成27(2015) 平成28. 2. 4
66
■ 日野高校の現在(10
『わが抒情詩』(2-1)
『前へ』
『一ばんぼし』『心に花を咲
かせよう』(合唱部)
『汽車ぽっぽ』『はっか草』
(音楽Ⅱ合唱団)
『君や忘る道』(2-7)
『なごり雪』
松下耕さんの作品より
(音楽Ⅱ合唱団)
『Dear snow』『出発』
『こころよ うたえ』
(合唱部)
年間の記録)
跡」、エイサー鑑賞など(恩納村泊)
第3日目…シーカヤック、沖縄菓子づくりなどの体
修学旅行と校外学習
験学習、美ら海水族館など(恩納村泊)
第4日目…世界遺産「首里城」、那覇市内班別研修
事前学習の概要
校外学習は、入学あるいはクラス替えの後、初めて
体験する学校行事である。毎年、4月末から5月初め
に予定されており、クラスの親睦を図る良い機会と
なっている。
事前学習は、1年次の3学期から「総合」の時間を
中心に行った。
沖縄協会製作ビデオ「清ら島 沖縄~摩文仁からの
メッセージ~」、沖縄コンベンションビューロー製作
行先は年によって多少の違いがあるが、各学年の目
ビデオ「沖縄修学旅行紹介」ビデオ、アニメ映画「か
的とするところは定まっている。1学年は、自然の中
んからさんしん」、映画「GAMA-月桃の花」、「ド
で、バーベキューや飯ごう炊さんといった共同作業を
キュメント沖縄戦」の鑑賞のほか、沖縄の自然や文化
行うことで、クラスメートと円滑な人間関係を築く場
などのついても映像による学習、旅行委員会による新
としている。2学年は、修学旅行の事前指導としての
聞「行逢えば兄弟」の月1回の発行、沖縄菓子「ポー
色合いが濃く、羽田空港に集合し、その後横浜などで
ポー」の調理実習、夏休みの宿題として「私の沖縄新
グループ行動を行っている。3学年は、本格的な受験
聞」と沖縄に関する本の「ポップ」の製作を一人一人
勉強に入る前の楽しい思い出づくりとして、生徒の要
で行った。これらの学習成果については、文化祭で旅
望を取り入れ、ディズニーランドなどのテーマパーク
行委員会が中心になって特設コーナーを設けて発表
に行く年が続いている。
し、沖縄に持っていく折鶴づくりを来校者に呼びかけ
いちゃりばちょーでー
修学旅行は、学年が2年近くの年月をかけて練り上
るなどを行った。2学期には、文化や自然について映
げる行事である。2学年の冬に予定される修学旅行の
像で鑑賞したり、修学旅行後には文集を作って現地で
行先は、この10年沖縄が選ばれている。毎年、学年の
学んだことなどをまとめることを計画している。この
修学旅行担当者が中心となり、教科などの協力を得な
ほか、日本史や理科、家庭科の授業などでも、沖縄の
がら、様々な事前学習が行われている。テーマを決め
歴史や自然の特異性、食べ物の違いなどにも触れてい
ての調べ学習、沖縄戦にまつわる映画の視聴、郷土料
る。
理の調理や試食、エイサーの鑑賞などである。
戦後70年目に当たり、テレビや新聞などでも数多く
修学旅行の集合場所への交通手段を確認するため、
の特集が組まれ、選挙権が18歳以上に改正され(対象
2年の校外学習は羽田空港へ行くことも7年間の恒例
の最初の学年にあたる)、また改正安保法案が話題に
となっている。
なったためか、戦争と平和について自分がどのように
沖縄修学旅行の主眼は、琉球王朝の流れをくむ文化
かかわっていくべきか考え、映画「GAMA-月桃の
の理解とともに、沖縄戦の戦跡や壕を訪ね、体験者の
花」を感想文で表明した生徒もいた。ここに紹介す
講話を聞くといった平和学習にある。生徒たちが、そ
る。
れぞれの感受性を通して、戦争の悲惨な実態を捉え、
平和を維持する主体としての自己を意識する、貴重な
私は今まで戦争映画を見たことがありませんでし
体験となっている。沖縄修学旅行の概要紹介として、
た。今まで戦争映画はただ感動させるためのもの、言
49期生の旅行の内容と事前指導について記しておく。
い方は悪いですが、お涙頂戴のイメージがありまし
た。しかし今日、「GAMA-月桃の花」を観てその
行程の概要
イメージは変わりました。戦争映画は私たちに戦争の
第1日目…県立平和祈念資料館、平和の礎、平和講
恐ろしさを教えてくれ、受け継がれていかなければい
演「元白梅学徒隊中山きくさん」(那覇
かないものだと思いました。…中略…今回は映画を観
市内泊)
て戦争のいろいろなことを知りました。そこで私は、
第2日目…南部戦跡、ガマの暗闇体験、浜比嘉島散
私が戦争の恐ろしさを伝えていくために何ができるか
策、 米 軍 基 地、 世 界 遺 産「 座 喜 味 城
考えてみました。私にはもちろん映画を作ることはで
67
きません。しかし、私たちにもできることはありま
す。今の私たちにはインターネットやSNSなどの情報
をたくさんの人に伝えられるものもあります。将来子
どもができたとき戦争の恐ろしさを話すこともできま
す。また、選挙に行きしっかりと国の代表を選ぶこと
も戦争を起こさないための一つだと思います。今話題
になっている安保法案、本当にそんなものを作ってい
いのかと思う人はたくさんいると思います。だからこ
そ自分たちの国の代表をきちんと決めなければいけな
いと思います。来年の夏から18歳から選挙権が適用さ
れます。私は来年の夏には18歳になるので選挙にしっ
かり行きたいと思います。戦争の恐ろしさをしっかり
伝え、もう二度と戦争を起こさない、そうするために
は私たちが戦争をしっかり学び、伝え、考えて行動す
ることが大切だと思いました。
日野高校今昔
修学旅行
その昔、修学旅行といえば「京都・奈良」が
主流だった。班別の自主行動の日があり、みん
なで、ガイドブックを見ながら行程を考えた。
パソコンもなかった時代の高校生は、今よりよ
ほど苦労して案を練ったことだろう。事前学習
も充実しており、修学旅行の記録をつけるノー
ト が 一 人 一 人 に 配 ら れ た 年 も あ る。 班 員 が そ
ろって行動していなかったことがばれて、青く
なって宿に着いたという思い出を語ったOBも
い る。 携 帯 電 話 も な い 昔 の こ と で、 失 敗 も 多
かった。今も昔も修学旅行は高校生活の中の一
大イベントだ。
68
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
ここ10年間では、1度だけ実施できなかった年があ
る。平成25年度(2013)のことで、雪のための中止で
マラソン大会
あった。残念に思う生徒たちのために、後日の放課
後、有志による大会が行われた。その年を除けば毎年
実施され、日野高生それぞれの力走が見られた。また
マラソン大会の日は、いちい会の方々が豚汁を用意し
マラソン大会は日野高校創立当時より続けられてき
た行事である。以前は学校のグラウンドを出発し、浅
てくださり、毎年走り終わった生徒たちが温かい豚汁
に和み、疲れを癒している。
川・多摩川の堤防上を通り、学校のグラウンドに戻る
コースで、男子が10㎞、女子が6. 5㎞を走り、脚力
を競っていた。また、実施時期も11月下旬で、全学年
が参加して行われていた。しかし、平成8年度より
1・2年生のみが参加し、時期も3学期に行われるよ
うになった。これは、3年生の推薦入学希望者が増加
し、3年生のマラソン大会参加の負担を考慮してのこ
とである。コースも、近年は学校内グラウンド入口付
近からまず男子が、そして少し時間をおいて女子がス
タートし、浅川堤防上を通り、通用門を通過し、グラ
ウンド入口付近に戻るというものである。距離は、男
子10㎞、女子7㎞と、女子の距離が伸びている。マラ
ソン大会に備え、1月から体育の授業は長距離走とな
り、生徒たちは気力と体力を十分に高めて大会に臨む
ことになっている。
近年のマラソン大会
昭和46年度のマラソン大会
69
■マラソン大会歴代記録 男子(34回大会以降)
歴代順位
1位
2位
3位
4位
5位
6位
7位
8位
9位
9位
11位
11位
13位
14位
15位
16位
17位
18位
18位
20位
21位
22位
23位
24位
25位
25位
27位
28位
29位
29位
31位
32位
33位
33位
35位
36位
37位
38位
38位
40位
40位
42位
42位
44位
45位
45位
47位
48位
48位
50位
50位
70
開催回
38回
44回
48回
44回
44回
44回
48回
43回
43回
45回
35回
48回
48回
48回
43回
38回
44回
35回
46回
46回
44回
37回
43回
42回
42回
47回有志大会
44回
34回
45回
46回
49回
38回
43回
49回
44回
42回
45回
46回
49回
48回
38回
35回
42回
43回
38回
43回
45回
44回
49回
42回
45回
当時の順位
1位
1位
1位
2位
3位
4位
2位
1位
2位
1位
1位
3位
4位
5位
3位
2位
5位
2位
1位
2位
6位
1位
4位
1位
2位
1位
7位
1位
2位
3位
1位
3位
5位
2位
8位
3位
3位
4位
3位
6位
4位
3位
4位
6位
5位
7位
4位
9位
4位
5位
5位
■ 日野高校の現在(10
タイム
34分43秒
34分46秒
35分01秒
35分04秒
35分12秒
35分16秒
35分26秒
35分34秒
35分35秒
35分35秒
35分40秒
35分40秒
35分45秒
35分52秒
35分58秒
36分01秒
36分01秒
36分06秒
36分06秒
36分11秒
36分19秒
36分21秒
36分21秒
36分28秒
36分29秒
36分29秒
36分31秒
36分32秒
36分34秒
36分34秒
36分35秒
36分38秒
36分40秒
36分40秒
36分44秒
36分46秒
36分47秒
36分48秒
36分48秒
36分51秒
36分55秒
37分00秒
37分01秒
37分01秒
37分04秒
37分04秒
37分05秒
37分06秒
37分06秒
37分07秒
37分07秒
年間の記録)
学籍番号
2506
2423
2219
2203
1140
1229
2229
2215
1406
2340
2521
1539
2807
1222
1626
2515
2231
2310
1616
1418
2128
1616
1133
2115
1519
2223
1523
1716
1214
2520
2823
2407
1333
2236
2130
1218
1621
2623
1620
2618
2301
2503
2528
2520
2721
2424
2511
2621
2138
2210
2405
氏名
今 野 大 輔
田 倉 勝
坂 本 佳 樹
池 野 翔 太
吉 田 一 彦
平 野 和 哉
箱 田 奏 平
栗 原 峻
池 野 翔 太
吉 田 一 彦
高 橋 綾 一
矢 島 嵩 大
金 子 幹
杉 本 純 平
田 倉 勝
小谷野 竜 成
早 川 雅 也
川 和 絋 平
小 林 正 人
志 岐 健太郎
増 村 慎之介
小谷野 竜 成
早 川 雅 也
齋 藤 弘 明
坂 田 宏 基
頓 宮 啓 太
田 中 涼
高 橋 綾 一
坂 愼 航
嶋 津 慧 青
宮 下 一之介
岩 澤 航 也
宮 川 洋 喜
矢 島 嵩 大
宮 川 洋 喜
櫻 井 秀 一
嶋 津 慧 青
中 井 崇 麿
下 島 龍
後 藤 秀 隆
赤 木 啓 太
青 松 貴 志
福 島 拓 弥
櫻 井 秀 一
丹 野 修 平
高 山 健
小 野 翼
相 澤 勇 介
若 林 龍 介
小 椋 幹
金 子 智 祐
所属部等
硬式野球
硬式野球
陸上競技
硬式野球
FC東京
硬式野球
硬式野球
無所属
硬式野球
FC東京
硬式野球
陸上競技
硬式野球
バスケット
硬式野球
硬式野球
バドミントン
バスケット
硬式野球部
硬式野球部
陸上競技
硬式野球
バドミントン
硬式野球
バスケット
バスケット
バスケット
硬式野球
硬式野球
バスケット
陸上競技
硬式野球
硬式テニス
陸上競技
硬式テニス
硬式野球
バスケット
バスケット
陸上競技
陸上競技
硬式野球
硬式野球
サッカー
硬式野球
バスケット
地学・卓球
陸上競技
硬式野球
陸上競技
サッカー
硬式野球
■マラソン大会歴代記録 女子(34回大会以降)
歴代順位
1位
2位
3位
4位
5位
6位
7位
8位
9位
10位
11位
12位
12位
14位
15位
15位
17位
18位
19位
20位
21位
22位
22位
24位
25位
26位
27位
28位
29位
30位
31位
31位
33位
34位
35位
35位
37位
38位
39位
40位
41位
41位
41位
44位
45位
46位
47位
48位
49位
49位
49位
開催回
49回
49回
34回
48回
49回
47回有志大会
48回
42回
44回
43回
48回
42回
46回
46回
46回
49回
35回
35回
36回
46回
44回
36回
49回
34回
35回
37回
45回
45回
48回
46回
34回
34回
38回
38回
46回
44回
43回
44回
36回
38回
44回
45回
49回
42回
49回
49回
40回
38回
38回
46回
48回
当時の順位
1位
2位
1位
1位
3位
1位
2位
1位
1位
1位
3位
2位
1位
2位
3位
4位
1位
2位
1位
4位
2位
2位
5位
2位
3位
1位
1位
2位
4位
5位
3位
4位
1位
2位
6位
3位
2位
4位
3位
3位
5位
3位
6位
3位
7位
8位
1位
4位
5位
7位
5位
タイム
26分47秒
27分28秒
27分35秒
27分36秒
27分49秒
27分57秒
28分30秒
28分33秒
28分40秒
28分48秒
28分50秒
28分51秒
28分52秒
28分53秒
28分56秒
28分56秒
28分58秒
29分00秒
29分02秒
29分05秒
29分06秒
29分08秒
29分08秒
29分10秒
29分11秒
29分11秒
29分14秒
29分17秒
29分25秒
29分26秒
29分28秒
29分30秒
29分31秒
29分32秒
29分34秒
29分35秒
29分37秒
29分38秒
29分40秒
29分43秒
29分44秒
29分44秒
29分44秒
29分46秒
29分51秒
29分55秒
29分57秒
29分58秒
30分00秒
30分00秒
30分00秒
学籍番号
1817
1622
2734
2214
2129
2205
2335
1608
1707
1120
1114
2617
1805
1808
1123
2815
2117
2338
2710
1212
2321
1530
1439
2138
2516
2736
2105
2316
1609
2615
2642
1338
2616
1512
2618
1306
2110
2339
1134
1612
1438
2308
2829
2409
2829
2115
2413
2640
1211
2718
2421
氏名
小 林 蒼
瀬 戸 希 更
梅久保 知 世
熊 澤 遥 香
古 川 遥 子
大 野 夏 生
森 田 捺 美
伊 藤 桃 美
大 塚 みのり
鈴 木 花 野
小 石 夏 泉
田 上 瑠 衣
大 野 夏 生
川 崎 理 惠
飛 内 若 菜
久 住 知沙都
高 橋 由記子
望 月 梢
木 下 さと子
小 林 桃 華
鈴 木 花 野
峯 尾 綾
吉 田 有 里
木住野 早 苗
小 林 美 奈
峯 尾 綾
大 野 千 穂
小 山 里 奈
久 住 知沙都
清 崎 嘉 恵
根 岸 恵利香
望 月 梢
小 林 陽 子
斉 藤 めぐみ
信太 すずらん
大 野 千 穂
伊 藤 桃 美
山 下 文 音
三 浦 真 紀
川 幡 なつみ
森 園 斉 子
伊 藤 誠 夏
日 向 彩 夏
越前屋 友 香
吉 田 李 音
佐久間 渓 夏
大 潤 富士花
吉 田 窓 香
菅 野 紗 穂
斎 藤 明日香
杉 山 詩 織
所属部等
陸上競技
バスケット
バスケット
バスケット
陸上競技
陸上競技
バスケット
バレー
バレー
バスケット
バスケット
バスケット
陸上競技
バスケット
バレー
バスケット
バスケット
バスケット
バレー
陸上競技
バスケット
バレー
バスケット
バスケット
バスケット
バレー
バスケット
バスケット
バスケット
ダンス
バスケット
バスケット
バスケット
バスケット
バレー
バスケット
バレー
陸上競技
バスケット
バスケット
バレー
バスケット
バスケット
ソフトボール
バスケット
バスケット
バレー
バスケット
バスケット
バスケット
陸上競技
71
対面式・生徒会オリエンテーション・生徒総会
ともに生徒会が主催している。対面式は、新入生が
その他の行事
初めて上級生と顔を合わせる機会で、やや緊張気味の
新入生の姿が初々しい。
生徒会オリエンテーションは新入生に対する部活動
の紹介が主で、各部数分間のパフォーマンスを行う。
百人一首大会
新入生は、生徒会が作成した冊子を手に、各部のPR
百人一首大会は、45期生(平成22年度〈2010〉入
に耳を傾ける。
学 ) が 1 年 生 で あ っ た 時( 平 成23年〈2011〉・ 1・
生徒総会は5月と11月の年2回行われる。各委員会
14)から始まったものである。国語科と学年が協力
からの報告や予算案のほか、学校生活を送る上での諸
し、毎年1学年を対象に、3学期に実施している。各
問題について生徒同士で議論し、解決策を考えて行く
クラス、国語の授業において練習が行われる。和室や
場である。
柔道場で行われる熱戦は、冬の寒さを忘れるほどであ
予餞会
る。
ここ4、5年、3年生が卒業前に体育館で行ってい
る。有志参加で歌やダンスを繰り広げ、高校生活との
別れを惜しむ。
球技大会
球技大会は、例年3学期の期末テスト後に行ってい
る。
(3年生は卒業前)学年ごとに、生徒自身が運営
し、進行や審判も部活を中心に担当している。クラス
対抗で行う最後の行事なので、応援にも熱が入り、参
加者はスポーツの楽しさを満喫する。
72
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
生徒の活動 ~部活動~
②1年15名、2年11名、3年7名
③高体連主催公式戦、高校総体・全国選手権・新人戦
①現在の活動日 ②部員数 ③現在の活動状況
兼関東大会予選参加
④ここ数年の主な活動実績 ⑤部の特徴
東京都サッカー連盟主催U-18地域リーグ参加
<50音順>
その他練習試合など
運動部
■剣道部
④公式戦における2回戦・3回戦進出。
⑤マッチの反省点をトレーニングで解決し、次の試合
でその課題を生かし、よりよいプレーができるよう
に取り組んでいる。
①毎週 火、木、土
②1年6名、2年3名、3年8名
■山岳部
③4月1年生部員が9名入部し、活況を呈してきた。
①毎週火・金(トレーニング)月1回休日(野外活
そのうち二段を有する者が3名もいて生徒相互間で
動)
指導し合える雰囲気も強くなった。各種大会にも、
②1年10名、2年6名、3年4名
個人戦・団体戦とも積極的に参加している。
③登山―生藤山、丹沢塔ノ岳、高尾山、杓子山、高水
④平成25年 東京都新人戦男子団体部 都大会出場
平成26年 東京都秋季大会女子団体戦3回戦進出
平成27年 東京都国公立大会個人戦無段の部3位
⑤初心者でも、真面目に続ければ高校時代に二段はと
れるので、取得をめざし日々練習をしている。七段
の外部指導員の方からご指導を受けている。
三山 夏合宿―北アルプス槍ヶ岳 奥多摩河原バー
ベキュー 高尾山清掃登山
④3年前、部活昇格をして以来、着々と実績を積み上
げてきています。夏合宿も3年連続実施(①北アル
プス焼岳②尾瀬ヶ原至仏山③北アルプス槍ヶ岳)
⑤山が好き、自然が好き、そして人が好きな山男たち
の集まりです。でも、できたら女子部員がいた方が
いいかも。
■柔道部
①月、火、水、木、土、日
②1年3名、2年8名、3年4名
③放課後の柔道場での稽古以外に週2日朝トレーニン
グを実施。週末には他校との合同練習や大学へ出稽
古を実施。多摩地区の中学生と合同練習も行い、近
隣の道場からも参加者が増加している状況である。
④平成27年4月 第63回関東高等学校柔道大会第4支
部予選会 女子団体優勝 平成27年6月 第64回全
国高等学校総合体育大会東京都予選会 女子団体第
■硬式野球部
①週6日(月曜定休日)
5位 その他女子個人戦東京5位多数
⑤男子は高校から柔道を始めるが全員が昇段し黒帯を
②1年33名、2年42名、3年34名
取得。女子は関東大会初出場に向け稽古に取り組
③夏の西東京大会ベスト16
む。
秋季東京都大会ブロック優勝
④平成25年 第95回全国高等学校野球選手権記念大会 ■女子硬式テニス部
西東京大会準優勝 平成21年2度目の21世紀枠候補
①火、水、木、金、土、日(月曜日以外)
校
②1年6名、2年10名、3年15名
⑤厳しい練習と規律のなか言い訳をせず本気で甲子園
を狙う。
③インターハイ予選や新人戦などの公式戦のほかに、
秋季団体戦、杉並杯、多摩西部大会、西東京大会な
どと様々な大会に出場している。
■サッカー部
①原則週6日程度
④平成24年 高校総体予選4回戦進出(シングルス・
ダブルス)、5回戦進出(団体)、都立高大会(団
73
体)4回戦進出、新人戦(ダブルス)5回戦進出。
合(1月)三島フェスティバル(3月)8ブロック
平成25年 高校総体予選5回戦進出(シングルス)
フェスティバル(3月・8月)10ブロックフェス
4回戦進出(ダブルス)ベスト32(団体)
ティバル(7月)座間フェスティバル(8月・12
平成26年 高校総体予選 4回戦進出(シングル
月)湘南フェスティバル(8月)多摩フェスティバ
ス)5回戦進出(ダブルス)都立高大会(団体)ベ
ル(8月・1月)秦野市招待試合(9月)クリスマ
スト16 新人戦4回戦進出(シングルス・ダブル
スマッチ(12月)年忘れマッチ(12月)
ス)
④平成24年度(山梨県)25年度(東京都)27年度(栃
⑤毎年10名程度の入部があり、現在は1、2年生16名
木県)関東大会出場。24年度関東大会予選、25年度
で活動を行っている。テニスは個人競技の性質があ
春高予選、27年度関東大会予選、27年度インターハ
るものの本校テニス部はチームで協力し、実力向
イ予選 都ベスト8。23年度新人選手権大会~ 27
上、大会での実績を残すことに主眼を置いている。
年度春高予選、6シーズンに渡って、都ベスト16以
今年の目標は都立高校の中でベスト16を取ることで
上 連続堅持。都立大会21、22年度 全都第3位、
ある。
24、25、26年度 全都準優勝。
⑤「我武者羅」「信頼・団結・闘志」「乾坤一擲」を部
のモットーに常に“明るく、楽しく、元気よく”活動
を進めております。先代の先輩方が築き上げて下
さった伝統を継承し、『強い日野』を更にアピール
して行きます。文武両道を守り、これからも精一杯
精進致しますので、今後とも御声援お願いします。
■水泳部
①月、水、木、土
②1年6名、2年4名、3年9名
③新人戦で男子50m背泳ぎ 第2位。春季大会、東京
都高等学校選手権にも参加。夏は学校のプールで活
動、プールの使用できない季節はランニングや筋力
■女子バスケットボール部
トレーニング。
①月曜日以外毎日
④平成23年、女子100mバタフライで関東大会及び全
②1年9名、2年10名、3年7名
国大会に進出。
③4~5月関東大会予選 ベスト32。5~6月イン
⑤上級生も下級生も仲が良く、皆が協力しあって部の
ターハイ(総体)予選 ベスト32。7月25日~ 29
運営をしている。個人競技なので自由度が高く、学
日夏季合宿(長野県)8月夏季大会 2回戦進出
業との両立もしやすい。
④平成24年 関東大会予選 ベスト32 総体予選 ベ
スト32 新人大会 ベスト32
■ソフトボール部
平成25年 関東大会予選 ベスト56 総体予選 ベ
①月曜日以外毎日
スト32 新人大会 ベスト32
②1年8名、2年5名、3年3名
平成26年 関東大会予選 ベスト32 総体予選 ベ
③公立新人戦東京都3位 関東公立出場決定
スト32 新人大会 ベスト56
④高体連新人戦都大会出場
⑤東京都ベスト8 関東大会出場を目標に自主的に練
習に取り組んでいる。
⑤毎日地道に練習しています。3年生最後の大会、夏
の公立選手権では3年連続してブロック優勝、都大
会に出ています。
■女子バレーボール部
⑥人数は少なく、経験者も少ない部活ですが、毎日地
①月曜日以外毎日・土日祝及び長期休業中は全日練習
試合等
②1年12名、2年7名、3年8名
③高体連の公式戦は年間5大会(関東大会を含む)。
都立大会年1回。各地、招待大会…松蔭大学招待試
74
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
道に積み重ねています。
③高体連公式戦(春季大会、インターハイ予選)の
他、夏季合宿(4泊5日:長野県鹿教湯にて)、各
種地域の大会(日野市近隣の4校リーグ他)、市内
中学校交流大会(日野カップ他)、特別支援学校
チームとの合同練習会、中学生対象の体験入部、定
期考査1週間前の部活勉強会、等を実施。
④高体連公式戦においては、都ベスト32までは頻繁に
進出している。5年ぶりのベスト16を、さらにはベ
スト8を目指し、日々練習に励んでいる。平成24年
以降、支部選抜対抗戦に本校生徒が計3名選出され
出場。平成25年のスポーツ祭東京[東京国体]での
少年男子決勝戦のTO(テーブルオフィシャルズ)
■卓球部
を担当した他、毎年全国大会[ウインターカップ]
①火、水、木、土
のTO補助役員として大会運営をサポートしている。
②1年5名、2年11名、3年5名
⑤ここ数年で入部者数が激増し、現在1、2学年で40
③部員たちで話し合い、練習計画を立て、強くなろう
名を超える大所帯での活動となっているが、マネー
と努力しています。公式戦や練習試合を通して経験
ジャーも含め部員相互は学年の枠を超え仲が良い。
を積み、一歩一歩強くなってきました。
部員数が多い分、激しい競争やライバル関係を作
④シングルス5回戦など。
り、みんなで切磋琢磨し、目標に向け頑張っていま
⑤一人一人の個性を生かし、自主性を重んじるクラブ
す。
です。強くなるために力を合わせてが頑張っていま
す。東京都国公立大会の幹事校を務めるなど、少し
■ダンス部
でも卓球を盛り上げていくのに役に立てればいいな
①月、水、金、授業日の土曜
あと思っています。
②1年23名、2年31名、3年32名
③西部南区文化交流発表会、新井地区夕涼み会、日野
■男子硬式テニス部
市 民 フ ェ ア、 八 王 子 ト レ イ ン ズ オ ー プ ニ ン グ パ
①月~土 日曜日は不定期
フォーマンス、多摩地区都立学校教育フェア西風、
②1年20名、2年18名、3年16名
交 通 遺 児 チ ャ リ テ ィ イ ベ ン トDANCE SHOW
③公式戦(インターハイ予選、個人の部 団体の部、
CASE、たにぞうファミリーコンサート 新人戦)に出場。都立校大会(団体戦)に出場。夏
校内―引退ライブ、文化祭発表、クリスマスライ
季合宿を実施(山中湖3泊4日)
ブ、野球部応援チア
④平成24年 都立校大会団体4回戦進出、多摩西部大
④③の上記地域イベントに参加し、地域交流を行って
会準優勝。
いるが、平成25年の東京国体において、ゆりーとダ
平成25年 新人戦シングルス4回戦進出、ダブルス
ンス推進大使に任命され、国体オープニングイベン
5回戦進出。都立校大会シングルスベスト16、ダブ
トや、日野市での競技補助員など務め、平成25年度
ルスベスト32。
東京都教育委員会児童生徒の表彰を受けた。
平成26年インターハイ予選シングルス4回戦進出。
⑤1年から3年まで約90名の部員数で、本校では野球
都立校大会ダブルス4回戦進出。多摩西部大会ベス
部につぐ、最大規模の部活であり、日野市での地域
ト8。
活動、学校行事などにおいて、かかせない部活と
⑤試合(公式戦)に勝てる技術と精神力を身につける
なっている。
ために、毎日練習している。勉強との両立を図りな
がら、自主的に活動している。
■バドミントン部
①月、水、木、金、土、日
■男子バスケットボール部
②1年24名、2年15名、3年6名
① 土 日 は 練 習 試 合 を 中 心 に 活 動。 平 日 は 火 曜 日
③インターハイ予選 女子単 都ベスト40。女子団体 (REST)以外、体育館練習及びトレーニングで活動。
②1年26名、2年20名、3年8名
西ブロック予選 ベスト16。新人大会 女子複 都
ベスト40。
75
④平成24年 関東大会予選 団体女子ベスト40。高校
③NHK全国学校音楽コンクール東京都予選出場
総体予選 団体女子ベスト32。国公立大会 団体 東京都高等学校文化祭音楽部門 中央大会出場
男女 決勝トーナメント進出。
東京都高等学校文化祭音楽部門 第6地区大会出場
平成25年 関東大会予選 女子団体ベスト24。高校
④平成24年度 同好会 発足
総体予選男子ダブルスベスト40、女子シングルスベ
平成26年度 部 昇格
スト24、女子団体 4回戦進出。国公立大会 女子
⑤兼部者が大多数である。
団体 決勝トーナメント進出。
平成26年 関東大会予選 女子 都ベスト40。国公
■華道同好会
立大会 団体 男女 決勝トーナメント進出。
①金曜日の放課後(和室にて)
⑤ここ数年、部員数は増加傾向にある。使用できる
②1年1名、2年2名、3年8名
コートが十分ではないことが悩みの種。実績として
③部員は積極的で毎回きちんと活動して帳面に、はん
は女子が上回っているが、男子部員も増えてきたの
こを押してもらっています。楽しそうに生けていま
で、今後に期待できる。
す。
④去年から、文化祭で教室を借りて展示ができるよう
■陸上競技部
になりました。多くのお客さんを迎え、コメントを
①月、火、水、金、土
書いてもらっています。校内の美化にも貢献してい
②1年17名、2年15名、3年20名
ます。
③東京都高校総体 男子800m7位、男子やり投げ7
⑤しばらく休止状態だった華道部がここ3年の活動か
位
ら華道同好会に立上がり、軌道に乗始めました。生
東京都高校新人 女子800m6位
徒の「花を愛する心」を感じて嬉しく思います。
④平成25年東京都高校総体 女子400m6位 関東大
■軽音楽部
会出場
⑤「自己ベスト更新」を目標に日々、頑張っていま
す。
①月~金 授業のある土曜日
②1年40名、2年22名、3年18名
③日野高校で合同ライブ(上水高校と富士森高校)
昭和高校で合同ライブ(昭和高校と日大明誠高校)
文化部
文化祭HINO ROCK FES
④平成25、26年度 育成会 復興支援チャリティーコ
■映画★演劇部
ンサートに参加
①毎週火・金を基本に、文化祭前はほぼ毎日活動
⑤日野高校の軽音楽部の特徴は、部員の多さと、1年
②1年8名、2年1名、3年2名
生のためのLIVE講習や1年生LIVEといった初心者
③映画制作、文化祭での舞台演劇等
でも上達できる環境があるところです。(部長)
④平成24年度 日野「青春」映画祭 青年会議所賞 ケーブルテレビ賞、地域賞 受賞
■茶道部
平成25年度 日野「青春」映画祭 優秀賞受賞
①月、水(文化祭前は毎日)
平成26年度 日野「青春」映画祭 優秀賞受賞
②1年6名、2年5名、3年0名
⑤平成22年度に、
「映画製作同好会」として発足し、
その後、平成24年度に「映画★演劇部」に昇格した
③文化祭でお手前披露(120席)裏千家第八東支部懇
茶会参加(11月1日高幡不動尊茶室)
新しい部です。昇格にあたっては、映像だけでな
④文化祭でのお手前披露。校内茶会の開催。
く、舞台演劇にもチャレンジしたいという気持ちか
⑤茶道部は本校卒業生である佐藤裕子先生を外部講師
ら映画★演劇部とも名称に決めました。部員数は少
としてお招きし、裏千家の作法修得を目指して活動
ないながら、文化祭では「体育館公演」と「映画上
しています。初心者として入部する生徒がほとんど
演」の両方に挑戦しています。
ですが、文化祭でのお手前や日々の練習を経て、卒
業時に学校茶道奨励証を取得できるまでに上達する
■合唱部
生徒もいます。
①月、火、木、土
②1年3名、2年2名、3年4名
76
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
■生物部
①週4日活動、土日に活動することもある。(飼育
(主に魚)のえさやりは毎日交代制で)
②1年1名、2年1名、3年3名
③昆虫班は昨年からアリジゴクの生態研究、ホ乳類班
は日本獣医生命科学大と共同で日野市内のロードキ
ル(ホ乳類の交通事故死)研究を行っています。こ
の他、共通の部全体の課題として、メダカの遺伝子
保全やアユの遡上鑑賞会、高尾山でのムササビ観察
なども行っています。夏休みは、地学部と合同で、
長野県入笠山で夏季合宿も行いました。
④平成24年度 東京都理数教育推進事業助成研究 ポ
■写真同好会
スター発表、科学の甲子園 予選参加、多摩川流域
①毎週水曜 そのほか不定期
市民学会ポスター発表
②1年2名、2年1名、3年2名
平成25年度 全国一斉水環境調査、潤徳水辺の楽校
③文化祭での展示
支援、ツバメの集団ねぐら保全活動、その他
④特になし
平成26年度 日本動物学会関東支部大会 優秀賞受
⑤平成24年度に「写真同好会」として2年生を中心に
賞
発足しました。写真を撮ることが好きな生徒の集ま
⑤部員数は少ないのですが、毎年熱心な部員が入部、
りで、学校行事やのんびり地域の風景の撮影会を行
活動しています。大学や地域と協力しあって活動し
い、校内で作品展示を行っています。
ている点が特色です。部室代わりに使っているC棟
生物講義室では、魚や昆虫を飼育していて、校内で
■吹奏楽部 は異色の空間となっています。
①月~土(本番前は日曜も活動)
②1年12名、2年13名、3年8名
■地学部
③7月野球応援 8月都コンクールBⅡ組銀賞
①月・水
9月文化祭 11月高文連地区大会 1月都アンサン
②1年5名、2年3名、3年5名
ブルコンテスト 3月定期演奏会
③7/ 17プラネタリウム見学実施 7/ 26市民講座
④25年度 都コンクールBⅡ組金賞
「夏の天体観望会」実施(日野どんぐりクラブと共
26年度 都コンクールBⅡ組銀賞 催)8/ 14 ~ 16地学部・生物部夏季合同合宿(長
TAMAアンサンブルフェスタ2014金管五重奏金賞
野県入笠山)実施4/2、7/ 25多摩川河川敷に
⑤野球応援をしたくて、入部した部員も実はいるが、
て化石採集実施
入部後は当然、コンクール、定演の練習をメインと
④平成22年中高生の科学部活動振興事業シンポジウム
している。パート内の結びつきが強く、楽しく、自
にて発表 平成23年(独)科学技術振興機構 地球
分に厳しく練習している。
惑星科学連合大会にて発表 平成24年(独)科学技
術振興機構 中高生の科学部活動振興事業実施(採
択) 日野高校地学のガイド発行 日野市民天体観
測会実施 学びの収穫祭 発表 相模原市立博物館
研究発表会 平成25年日野市民天体観測会実施 平
成26年日野市民天体観測会実施
⑤天体観測と化石採集を中心に活動していますが、地
学は広い分野にまたがる学問なので、地球や宇宙に
関する幅広い興味を持った部員が活動しています。
日々の活動としては、晴れた日の昼休みの黒点観測
があります。また、週2日の活動日のうちどちらか
晴れた日には、屋上にて天体観測を行います。7月
には、ひのどんぐりクラブとの共催で、主に地域の
77
小学生を対象に市民講座「夏の天体観望会」を開催
します。
ラ画、油絵等の作品制作
④文化祭での作品展示及び油絵、デッサンの体験・指
8月のペルセウス座の流星群の時期には、生物部
と合同で夏季合宿を行います。9月の文化祭には、
日々の活動の成果を発表するとともに、例年プラネ
タリウムの上映を行っています。
導 中央展(東京都高等学校文化祭 美術・工芸部
門)で作品発表
⑤今年は2年生部員が一人もおらず、3年生も引退し
てしまった中、1年生部員のみで頑張って活動を盛
り上げています。
■文芸部
①月、水、金
②1年5名、2年11名、3年9名
③夏休みに1年の部員が「水再生センター」で奉仕体
験活動に参加。文化祭ではオフセット印刷の部誌を
発行する他、合宿の報告、イラストの展示、ラミ
ネートカードの配布を行う。
④部誌を年4回発行。文化祭での展示活動。奉仕体験
活動では「水再生センター」でカップコースター作
りを行う。
⑤自由な雰囲気の中で、切磋琢磨しながら創作活動を
■パソコン部
行っています。活動内容も自分たちで話し合いなが
①月、火、水、木、金
ら決めています。今後は文学の分野での活動を増や
②1年5名、2年7名、3年3名
して行く予定です。
③平日(月~金)の放課後は、ほぼ毎日活動していま
す。今年度は、パソコン室の機器更新のため、4月
■マニュアルアーツ部
当初から5月中旬頃まで活動できない期間がありま
①週2日 火・水曜日
したが、機器の更新後は、新しい機器を利用して活
②1年9名、2年5名、3年8名
動できるようになりました。
③お菓子作りやワンプレート料理等、調理を中心に活
④例年、9月に実施される文化祭へ向けて作品制作を
動しています。夏季休業中には檜原村の紅茶畑再生
行い、展示を行っています。昨年度と今年度は、主
プロジェクトに参加しました。茶摘みし作った茶葉
にゲームを制作して展示しました。今年度の文化祭
をパウンドケーキにして、日野高祭にて販売しまし
終了後は、来年度の文化祭で映像作品を展示するこ
た。本校キャラクター「センペルくん」のぬいぐる
とを目指して制作を開始した部員もいます。また、
み作りにチャレンジしています。
今年度は、1月頃にグラフィック作品のコンテスト
④日野高祭でのお菓子販売が日頃の努力の成果を発揮
が実施されるとの連絡が入り、そちらに向けたグラ
する場です。連続して展示部門賞を獲得していま
フィック作品の制作を始めた部員もいます。
す。さらに他校の家庭科部との交流や地域活動へも
⑤各自、自分の興味のある分野に取り組んでいます。
参加しています。
プログラミングに取り組んでいる部員、コンピュー
⑤現在全員女子部員(1年9名、2年5名、3年8
タグラフィックスの制作に取り組んでいる部員、
名)レシピや型紙作成から、材料の購入、調理、製
ゲームのシナリオ等の制作を行っている部員、映像
作、片付けまで自分達で計画的に活動しています。
作品の制作に取り組んでいる部員等がいます。
部員は全員男子です。女子の入部を禁止している
わけではありません。女子の入部も歓迎します。
■美術部 ①月・火・水(木)金(土)
②1年6名、2年0名、3年3名
③クロッキー、鉛筆デッサン、木炭デッサン、テンペ
78
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
ている様子がうかがわれるからだ。そして平成27年度
には生徒会は文化祭に出展し、本校の紹介を教員組織
生徒会活動10年間の推移
の総務部と協働して行った。雨天時には傘を貸し出す
サービスをしているように、学校生活改善への意欲は
高い。
日野高校生徒会の活動が盛んであるのは、多摩地域
本校生徒会の10年は、大げさにいえば時代の趨勢に
全体の特徴かもしれない。例えば目安箱を設置して生
沿い変化してきた。身の回りの事柄を自治で決める
徒の意見を吸い上げ教員側にながすという活動は、
ローカル化と、世界と関係をもつことを当たり前とす
「多摩生徒会協議会」をはじめ近隣の生徒会と情報交
るグローバル化の流れを感じさせるからだ。それを象
換しているなかで始めたものである。そうした横のつ
徴するのが平成22年10月の生徒会則変更である。この
ながりを大切にする出来事として、平成25年3月に
時期から現在につながる生徒会を特徴づける「交流」
あった「生徒シンポジウム2013」がある。会場校にな
と「庶務」の担当が新設されたのである。
り、全国から100名程度の中高生を集めて、本校生徒
交流担当とは、教員側の学校組織である「国際交流
会役員が実行委員長を務めている。本校、地域、国、
委員会」並びに「特別支援教育推進委員会」に対応し
そしてアジア諸国の人たちが何を考えどう行動するも
たものである。国際交流については、国際理解教育を
のかを肌で感じながら活動をするのが、日野高校生徒
ライフワークとしている高島みゆき先生が、財団法人
会である。
日本国際協力センター(JICE)実施事業であるア
ジア各国留学生の訪日にあわせ本校に招待し、部活動
七生特別支援学校交流会
体験並びに有志生徒との座談会を催したのが嚆矢であ
7月中旬・12月中旬の年2回の交流会は完全定着
る。インド(平成22)、ベトナム(平成23)、台湾(平
し、生徒会同士で事前打ち合わせを行い綿密な計画を
成24)から高校生が来ている。さらにミャンマーにも
立てて進めている。両校生徒会執行部主催のゲーム・
事前研修をして本校生徒を派遣している。かなりのイ
アトラクションは毎回盛り上がり、温かなふれあい溢
ンパクトがあり、現3年生まではごく自然に英語で国
れる場となり、終了後は七生の生徒がつくってくれた
際交流するという認識が残っている。もう一つの柱で
お菓子を頂き、親しくおしゃべりしながらのコミュニ
ある特別支援教育については、7月並びに12月の考査
ケーションを楽しんでいる。参加は部単位で、執行部
明けに、部活動紹介やアイスブレイクのためのゲーム
の他、バドミントン部・ソフトボール部・ダンス部・
をする「交流会」を七生特別支援学校の生徒会と共催
柔道部・陸上部・軽音楽部・男女バスケットボール
している。相手校にある球技部やダンス部と本校生徒
部・女子バレーボール部等が、七生の要望にも応えて
がコラボして一緒に身体を動かすのが好評である。そ
出席し、バド・ソフト・ダンスは、部単独でも独自に
の他にも、
「赤い羽根募金」や「ペットボトルキャッ
交流し、親交を深めている。
プ回収」を通して日野市社会福祉協議会に協力してい
る。
一方、庶務といえば学校生活に直接かかわる事項を
先輩の指導のもと主に1年生が自治とはどういうもの
目安箱
より多くの一般生徒から「生の声を聞く」という趣
旨で校内数ヶ所に設置している。
かを学ぶべく担当している。長年にわたり生徒会が要
広く意見・要望を募り、クリエイティブに活動を推
望してきた制服の規則改訂で実ったことに、ベストや
進していきたいという強い思いから、5~6年前に機
セーターの色がある。従来は制服では定番の白、黒、
能し始めた。平成24年役員改選後、選挙公約にも掲げ
紺、灰色のみであったところに、ベージュや緑が加わ
ており多くの生徒からの要望もあり、支持も厚かった
りオシャレ度が増した。しかしそういった改革をして
ことから「セーター類の色を増やす」という生徒指導
も、ブレザーの灰色については一切変えてほしいとい
部の生徒心得の改正をしたいという大きな動きが生徒
わず、むしろ現在の制服を「着こなす」ことを目指し
会で起きた。
ているのが頼もしい。生徒会広報がだす学校紹介誌
「日野人」
(ひのんちゅ)からは、制服に誇りをもっ
79
深緑・濃青の許可
全校生徒の圧倒的な支持を生徒総会で確認し、セー
ター類の色を新たに2色加える要望を生徒会執行部か
ら教職員団体に提出。“数ヶ月間、現行のルールを全
校生徒で遵守出来れば”と条件を出したがそれをクリ
アし、深緑・濃青の2色を加えた現行の8色に規定を
広げて身だしなみ指導をするに至った。生徒の意見・
要望から学校が動いてルールが変わるという本来ある
べき姿が光った。
生徒会・共同募金
生徒昇降口にある目安箱
日野高校今昔
輪転機
かつて、生徒会は印刷用の輪転機を部活動な
どに貸し出していた。文化系の部活では、部誌
などを印刷する際、学校の印刷室を借りるので
はなく、生徒会から輪転機を借りて教室で印刷
をした。顧問の先生にお願いして原稿から原紙
を作っていただき、それを輪転機にセットして
ハンドルを手で回して一枚一枚印刷したのであ
る。こうして手間暇かけて作った部誌は、出来
はどうであれ部員にとっては愛着のある一冊と
な っ た。 今 は 印 刷 室 の 機 械 を 生 徒 も 使 え る の
で、高品質の印刷物があっという間にできるよ
うになった。
文化祭・学校PRコーナーへの協力とスタンプラリー景品
80
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
挑戦、それから。
45期生 元生徒会長 草野 晴菜(現 中央大学)
本寄稿文を執筆するにあたって、懐かしい高校時代
ら成し遂げられた校則改正だったと、改めて思いま
を思い出しておりましたが、改めて振返ると、私の高
す。前例がなくても、とにかくやってみればいい。そ
校生活は、自分の視野を大きく広げるきっかけとなっ
う思えるようになった経験でした。
た、大切な時間でした。書き始めたらきりがないほど
2つ目は、高校3年時に渡航したミャンマーでの経
の多くの経験を与えてくれた高校生活。その中でも強
験です。それまで大して海外に興味がなく、単純に
く印象に残っていることが、大きく2つあります。
「あまりお金がかからず海外に行ける」というだけで
1つ目は3年間を通して取り組んだ生徒会活動。大
参加を決定しましたが、これに参加したことが、間違
したビジョンもなく、興味本位で始めた生徒会活動で
いなく人生のターニングポイントとなったと確信して
したが、関わっていくにつれてその面白さに引込まれ
います。日本とは全く違う習慣、言葉、環境。見るも
ていき、最後は生徒会長に任命されるほどに生徒会と
のすべてが新しく、とにかく新鮮でした。海外に行く
いう活動にはまっていたことを覚えています。生徒総
ということだけでも当時の自分には大きな挑戦でした
会を開催するにあたって、その準備が山ほどあったこ
が、そこでもらった言葉が、今でも心に残っていま
と、毎週月曜日に定例会を実施していたこと、1年生
す。それが「日本はチャンスがたくさんあるから頑
の時は定期的に生徒会だよりを発行していたこと、海
張って」という一言。生まれた場所、地域で同じ努力
外の学生が本校に来たときは、校内を案内したこと…
量でもチャンスの差があることをまざまざと突き付け
生徒会の一員だったことで、私の高校生活はたくさん
られた一言です。海外、面白い!と思った反面、平等
の「考え、挑戦する」機会がありました。その集大成
にチャンスが与えられる世界にしたい、そう考え始め
ともいえるのが、高校3年時に行った、校則改正で
た経験でした。
す。私が1年生として高校に入学した頃からすでに話
高校での経験を経て、今は「海外×人材育成」とい
題に上がっていた「校則で許されるカーディガンの色
うことをテーマに活動をしています。学生が運営して
を増やしてほしい」という生徒からのニーズ。何とな
いる全国規模の社団法人に入り、「グローバルエデュ
く生徒会内でもうやむやになってしまっていたこの
ケーション」をテーマに高校生向けのキャリア教育事
ニーズ、どうして取り組もうと思ったのか?それは、
業を立ち上げ統括を任されたり、はたまた茨城の高校
単純に仲のいい友達の多くが変えてほしいと思ってい
に講演をしに行ったり、海外インターンシップを仲介
て、それをできるのが私たちだったから。校則改正な
している企業で1年半以上インターンシップをしてい
んて頻繁にあることではなく、手探り状態から始まっ
たり…。高校時代に学んだ「とにかくやってみる精
た校則改正への道。2度も全校生徒へアンケートを実
神」を最大限に活用し大学生活を送ることができてい
施し、生徒会メンバー全員で数百名分のアンケートの
ます。そして、この寄稿文を書いている今、まさに人
集計を行い、結果と共に先生へ提案をしに行く。しば
生で最大の挑戦をしています。実はこの寄稿文、イン
らく返事がなければこちらから聞きに行って進捗を把
ドで執筆しています。というのも、現在、現地にいる
握する。そうやって少しずつ、生徒会メンバー一丸と
日本人向けにフリーペーパーを発行する企業でイン
なって校則改正へ向け努力をしました。その努力が、
ターンシップをしているんです。そして、インターン
少しずつ実ってきていると感じられたのが、1週間の
シップが終わったあとすぐに、南米パラグアイに行
試用期間を設けてもらえたとき。そして、その試用期
き、現地のリアルな情報を発信するサイトを一人で立
間中に誰も校則違反をしなかったとき。それを経て
ち上げようと思っています。前例なんてない。だから
やっと校則改正を達成することができました。体育大
こそ面白い。高校時代の経験が、今なお生き続け、私
会の予行演習の日、全校生徒の前で校則改正の報告を
の人生を形作っています。高校時代の経験に感謝し、
したことが忘れられません。みんなの協力があったか
より一層大きな挑戦をし続けていきます。
81
校務分掌からの報告
分掌等は、平成27年度の担当者です。
より合計2単位分の授業を確保しています。
教務部
入学者選抜においては、部活動推進の一環として、
硬式野球・男女バスケットボール・女子バレーボール
教務部主任 井上小百合
本校は、本年度創立50周年を迎えています。開校以
において文化・スポーツ特別推薦を実施しています。
一時期硬式テニスも実施していましたが、応募人数の
関係で現在実施はしていません。一般推薦及び学力検
査による入試という形式は変化ありませんが、平成25
来次の教育目標を掲げ、日々を送ってきました。
年度入試からは推薦選抜において個人面接の他、集団
1.自主・協調の精神を養う。
討論・作文が実施されるようになっています。また平
2.知性を高め、体力の向上を図る。
成27年度入試では、学力及び人数のバランス調整のた
3.豊かな心を培う。
め男女別定員制の緩和を実施しています。さらに平成
以上の点に留意して、豊かな個性とすぐれた人格、心
28年度入試からは、東京都全体として学力検査におい
身ともに健康な人間の育成を目指す教育を行っていま
てマークシート方式が導入されます。この年度は、本
す。
校として学級増・制服改変もあり、新生日野高校の記
ここ10年の日野高校の歩みを確認すると、学級規模
念すべき第51期の受検生を迎えることとなります。
の変動が挙げられます。平成17年度から6学級が始ま
り、完成年度の翌年にはさらに7学級へと、また平成
平成18年度
24年度からは8学級規模へと段階的に学級数が増えま
重点支援校の指定(活力に満ちた魅力ある学校づく
した。平成28年度にはさらに51期生が9学級へと学級
りを目指す「重点支援校」改革の推進)
数増加の一途をたどっています。
数学Ⅰ、Ⅱ、英語Ⅰで習熟度別授業実施
平成18年度から活力に満ちた魅力ある学校づくりを
目指す「重点支援校」改革推進のもと、1、2年次の
数学・英語において2クラス3展開の習熟度別少人数
長期休業日等の弾力的運用試行校として土曜日を柔
軟に活用(7回)開始
平成19年度
学習に力を入れてきました。授業内容としても平成19
重点支援校の指定
年度からは1年次の「総合的な学習の時間」の代替と
各学年6学級(18学級)
して、東京都の設定科目である「奉仕」が1単位導入
1学年の「総合的な学習の時間」で「奉仕」を代替
されています。教育課程上は、様々な生徒の進路希望
実施開始
に応じることが可能なように、低学年で基礎基本科目
平成20年度
を配置し、上級学年では進路実現にむけ選択可能な科
目配置としてきました。土曜授業の実施により単位数
重点支援校の指定
平成21年度
も増加したことを受け、3年次に3類型を設けるなど
7学級開始
更なる工夫をしています。
部活動の形で「学習クラブ」が始まる
完全学校週5日制が定着する中、授業確保及び学力
平成22年度
向上を図るため、まずは長期休業日の弾力的運用を図
部活動推進指定校の指定
り、土曜日を柔軟に活用していました(当初は年7、
週1回7時間目授業の開始
8回程度)
。平成21年度には、部活動の形で「学習ク
「学習クラブ」が主体となり、土曜講習を実施
ラブ」が始まり、ここを主体として土曜講習が実施さ
平成23年度
れましたが、平成22年度からは週1回7時間目を設け
各学年7学級(21学級)
ることで単位増を、さらに平成26年度からは年間21回
部活動推進指定校・スポーツ教育推進校の指定
(平成27年度からは年18回程度)の土曜授業の開始に
学力開拓推進プラン実施
82
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
で習熟度別授業開始
「学習クラブ」及びHINO土曜塾が主体となり、土
平成26年度
曜講習・学習合宿を実施
家庭学習の定着のため1年次より週末課題を組織的
各学年8学級(24学級)
に実施
安全教育推進校・オリンピック教育推進校の指定
学力スタンダード開始
平成24年度
8学級開始
土曜授業の実施開始(年間21回)
OJT推進指定モデル校・スポーツ教育推進校の指定
数学Ⅱ、コミュニケーション英語Ⅰで習熟度別授業
開始
平成25年度
平成27年度
部活動推進指定校・スポーツ教育推進校の指定
数学Ⅱ、コミュニケーション英語Ⅰ、ライティング
オリンピック・パラリンピック教育推進校の指定
日野高校今昔
日直の仕事
今では日誌を書くぐらいになってしまった日
直 の 仕 事 だ が、 か つ て の 日 直 は 責 任 重 大 だ っ
た。昼のパン購入のお世話の他、帰りのHRで諸
連絡を伝えるのも日直の仕事だった。職員室の
前の黒板に委員会の開催などが書き込まれてい
るので、日直は事前にそれをメモし、HRで読み
上げるのである。過去の記念誌にもメモを取る
日直の写真が載せられていた。
「呼び出し状」や
「連絡票」の必要のないシステムは環境面から
も良いと思われるが、復活は難しいだろうか?
48期卒業式 色紙の前で
合格発表
83
伸び伸びとして闊達な気風はそのまま育てていきた
い。そこで、行事や部活動の運営には生徒たちの意欲
生活指導部
や意向を大事にするという姿勢で臨んできた。その結
生活指導部主任 関 博文
果、部活動や同好会も数を増やして行った。平成23年
度には「映画制作同好会」(のちに「映画★演劇部」)、
24年度には「ワンダーフォーゲル同好会」(のちに
日野高校の生徒の様子はこの10年でかなりの変化を
「山岳部」)、「華道同好会」が発足した。また、名前
見せた。平成17年度からの頭髪指導の後、外見と生活
はあっても部員がおらず休部状態であった「生物部」
習慣をただす指導が次々に入れられた。平成19年度入
「合唱部」「柔道部」も活動を再開し、素晴らしい成
学の43期生よりの遅刻指導、平成22年度入学の45期生
果を上げている。部活動の中には、行事の役割分担や
よりのピアス禁止、そして平成27年度入学の50期生よ
奉仕体験活動の母体となっているものもあり、部活動
りのスカート丈指導などである。
によって培われた生徒と顧問の信頼関係は、様々な場
自由な校風を伝統とし、活力あふれる生徒たちを育
面で日野高校の教育活動を支えるものとなっている。
んできた日野高校であるが、他校の制服を着用した
また、学年団も学年通信や面談、保護者会を通して学
り、1時間目の授業に10人以上の生徒が来ていなかっ
校の様子を伝え、指導方針への理解と協力を求め続け
たりする状況があり、地域の信頼も薄らいでしまって
ている。生徒や保護者に対して、丁寧な説明と細やか
いた。そうした状況に危機感を抱いた教職員が、規律
な気遣いがあって初めて生徒の校則遵守の精神を涵養
ある高校の姿を取り戻すべく、力を注いできたのがこ
することができる。
また、昨今はコミュニケーションツールの発達に
の10年である。
朝の立ち番指導や特別指導に関しては、生活指導部
よって、かつてとは違ったいじめや犯罪が増えている
が中心となっているが、遅刻や中抜け、ピアス、授業
し、薬物使用への抵抗感も弱くなっている。それらの
中のルール違反については学年が中心となって指導を
脅威から生徒たちを守る手立てを考えるのも生活指導
している。また、頭髪指導も、指導そのものは生活指
部の役目である。終業式における注意喚起やいじめに
導部が担当するが、定期テストの際にテスト監督が違
ついてのアンケート、警察と連携しての不審者対応の
反者をチェックするなど、組織的な指導体制となって
ほか、毎年、セーフティ教室を実施して、生徒たちが
いる。
健全な高校生活を送れるよう心を砕いている。
平成22年頃までは、期日までに頭髪を直さず、再登
校指導になる生徒や、違反したセーターやベストを着
近年のセーフティ教室の内容は次のようなものであ
る。
用して登校する生徒も見られたが、27年度の現在、そ
のような生徒はほぼ見られなくなった。授業において
平成22年度 「万引き、軽犯罪防止」
も、携帯電話やスマートフォンの使用などマナー違反
平成23年度 「自転車の安全な利用について 講話」
は皆無とはいかないが、指導に従わないという事態は
平成24年度 「自転車の安全な利用について」
なくなった。保護者の方々の協力もあり、無断欠席や
平成25年度 「自転車の安全走行・歩行者保護につ
いて」
無断遅刻もほとんどなく、朝から授業をしっかり受
け、放課後は部活動や受験勉強にいそしむというのが
平成26年度 「情報モラル講座・サイバー犯罪防止
について」
当たり前の日野高生の姿となっている。ここ2、3年
は運動部を中心に挨拶が励行され、職員室や準備室に
平成27年度 「情報モラル講座・サイバー犯罪防止
について」
入る際のマナーなどの改善も進んでいる。規範意識の
向上は日野高生全体に及んでいると見られ、特別指導
の件数も減少している。平成20年度には20件、45名
これからも高校生を取り巻く社会の状況は刻々と変
だった特別指導が平成25年度は5件、6名、26年度は
化していくことだろう。指導のあり方もそうした状況
7件、8名にとどまっている。
をにらみつつ、試行錯誤しながら探ってゆくほかはな
校則違反に対する厳しい指導だけでは、生徒たちを
萎縮させてしまうことになりかねない。日野高生の、
84
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
い。センペルセコイアとともに生徒たちのこれからを
見守りたい。
ため、平成23年度からこの形をかえ、本校の現状に
進路指導部
進路指導部主任 梶 貴子
合った進路指導をしていくこととなる。
進路の手引き
進路指導部では、年度ごとに卒業生徒の合否状況と
生徒の在学時の成績をリンクさせた資料と、受験体験
この10年の間、生徒の生活態度や服装・頭髪等、大
記を冊子として作成し、3学年のみに配布していた。
きく変化し、それと同時に進路状況も右肩上がりにな
しかし、高校3年間の進路学習の指針となるような資
り大学合格者数も増加した。また、フリーターや卒業
料の様なものは含まれてはいなかった。
後の進路先が未定の生徒がほとんどいなくなってきて
そこで平成23年度に、生徒が手元に置き、進路につ
いる。このことは、
「生徒一人一人に対応する指導体
いて疑問や知りたいことが出てきたとき、「自分が
制を積み重ねてきた成果だ」と思われる。
今、何をどのように調べるべきか」が分かるような進
路資料と、本校生徒の進路状況などを合わせた『進路
進路指導方針
の手引き』を作成した。そして、前年度までに行って
平成10年代後半ごろからであろうか、本校では推薦
いた「進路アドバイザー制度」に代わるものとして
入試やAO入試などで早期に学校を決めるなど、「入
『進路の手引き』を使った進路講話などを実施する事
りたい学校」ではなく、
「入れる学校」に安易に進学
とした。
してしまう生徒がおり、生徒自身の力を十分発揮させ
ることなく自ら進路決定してしまうという状況が少な
総合的な学習の時間
からずあった。そこで、四年制大学の一般受験を想定
現在、本校の「総合的な学習の時間」は、キャリア
して学習に臨むことにより、その後どのような進路に
教育を中心とした学習としており、1学年では教科
変更しても対応できる実力がつき、前向きな進路を選
「奉仕」とキャリア教育、2学年では、自己の進路を
択できるという考えによって、以下の方針を打ち出し
具体化するための進路学習や修学旅行に向けた学習、
た。
3学年では、それぞれの進路希望に合わせた分野別進
平成22年度に、1学年においては「進路理解」、2
学年においては「進路希望の具体化」
、3学年におい
ては「希望進路の実現」と、具体的目標を掲げた。
さらに、平成24年度には「迷ったら四年制大学、
迷ったら一般受験」というメッセージを掲げた。
路学習としている。
平成19年度から教科「奉仕」が導入され、その時の
42期生から1学年の「総合的な学習の時間」を「奉
仕」とした。
それまで総合的な学習の時間は、1~3学年にそれ
ぞれ1単位ずつ設置されていたが、1学年においては
進路アドバイザー制度
「奉仕」を実施する事とし、2学年では「総合的な学
平成12年度、当時の進路担当者が、他校で行われ成
習の時間」は実施せず、3学年に進路学習を中心とし
功をおさめていたキャリア教育の方法を知り、本校に
た「総合的な学習の時間」を2単位実施する事とし
もそれを導入し活性化を図ることを発案した。それ
た。しかし、2学年において「総合的な学習の時間」
は、
「全教員が進路指導に当たることで、生徒はより
がなくなると進路指導の継続性が損なわれた。その結
きめ細かな指導を受けられるようになり、各担当は少
果「総合的な学習の時間」を1・3学年での形で実施
人数の生徒に対してじっくりと指導ができる」とい
したのは、41期生から44期生までとなった。
う、年2回実施の進路アドバイザー制度がスタートし
た。
この制度は、生徒からは評価されている面もあると
聞いている。しかしその一方で、充分な準備がされな
また、3学年における「総合的な学習の時間」は、
進路決定における重要な時間となるので、43期生~
46期生まで、様々な試行錯誤の繰り返しで、実施して
きた。
いままのスタートとなり、
「全校の生徒に対して、き
現在では、様々な進路先に進む本校生徒の一人一人
め細かな指導が必ずしもできない」という実態になっ
へのきめ細かい進路指導が出来る体制として、分野別
た。順調に機能していると言い切れない面も出てきた
にクラス分けを行いそれぞれの分野に適した説明会な
85
どを行っている。今後の課題としては、早期に進路決
定した生徒のさらなる学習向上について検討しなけれ
ばならないと思われる。
校内での模試の実施を多く取り入れ始めた。
1・2学年においては、定期テスト以外の実力テス
トなど例年定期的に実施してきたが、年々大学進学希
望者が増加してきたこともあり、平成23年度から1・
奉仕
2学年全員に11月模試も新たに加えた。また、変則的
平成19年度から、東京都設定教科「奉仕」が導入さ
に実施していたさまざまな進路説明会も年間行事に載
れ、本校は1学年の総合的な学習の時間に代替し実施
せ、計画的に実施するようにしている。以前より行っ
を始めた。本校の「奉仕」体験活動は、恵まれた自然
ていた「卒業生を囲む会」も3学年のみ対象としてき
環境と日野市内の施設を中心に、地域に開かれ魅力あ
たが、2学年まで広げた。
る学校をめざし、近隣地域に根ざした社会貢献となる
また、土曜授業の実施とともに「卒業生を囲む会」
を土曜日に設定することで、様々な分野の卒業生が参
よう進めてきた。
奉仕体験活動は、学年全体で行う体験活動と、個人
加できるように配慮した。
の選択による体験活動とした。
学年全体での体験活動は、本校の目の前に流れる浅
補講・講習
川の環境美化を目的とした「集団での奉仕活動」とし
夏季休業中における講習については、進路指導部が
た。
「個人の選択による体験活動」でも体験場所とし
集約を行ってきたが、開講する講習の数や実施時間
ている日野市クリーンセンターの方に、浅川周辺のゴ
は、この10年それほど大幅には変わっていない。しか
ミの状況や、クリーンセンターの役割などの講話のあ
し、参加する生徒の延べ人数は大きく変化している。
とクラスごとに分かれゴミの収集を行うものである。
平成19年度は延べ人数227人、平成23年度812人、平成
「個人の選択による体験活動」は、日野市にある公
26年度1,663人、著しく増加しているのがわかる。ま
共施設の東京都多摩動物公園、東京都水道局浅川水再
た、平日の放課後に3年生に対する講習も実施し、塾
生センター、日野市クリーンセンターなどを「環境共
などに行かない生徒も志望校へ合格している。このよ
生施設」とし、
「特別支援学校」、「保育園」「高齢者施
うな学習への姿勢は、この数年、放課後など、教室や
設」「障がい者施設」
「美術館」「動物愛護相談セン
自習室で学習している生徒の姿が多くなってきたこと
ター」等の分野から生徒が選択し、夏季休業中に施設
にも反映している。
に出向き体験活動を行うとした。また、本校は部活動
も盛んであるため一部の部活動では部活動ごとに地域
まとめ
清掃、市民講座、地域のイベントのお手伝いなど部活
現在の都立高校における本校の特徴や生徒気質など
動で実施できる部に関しては「部活動」も選択できる
から鑑みると、これからも多種多様な進路希望先や受
ように分野の1つとした。
験方法を選択する生徒が入学してくることは変わらな
体験活動の成果発表は壁新聞を体験グループごとに
作成し、生徒全員ですべての壁新聞を読み、評価する
という形にした。
開かれた魅力ある学校として信頼され続けるために
も、これからも地域に根ざした「奉仕」体験活動を続
けていくことが望まれている。
校外模試・各種説明会
本校生徒は四年制大学進学者が7割弱を占めるよう
になってきたが、短大、専門学校、公務員、民間就職
と進路先が幅広い。
平成22年度から3学年においては、大学入試に向け
た模試や看護医療模試、公務員模試など希望者を募り
■ 日野高校の現在(10
そうした生徒たち一人一人が満足できるような進路
決定が出来るように、よりよいキャリア教育、進路指
この奉仕体験活動は、地元日野市において、地域に
86
いと思われる。
年間の記録)
導を組織的に行っていきたい。
ゴミとされていたプラスチックが不燃ゴミに分別の仕
保健部
方が変わり、不燃ゴミが大量に増加し、予定された予
算では処理しきれなくなる事態になった。最終的には
保健部主任 前野貴美子
保健部では、定期健康診断、健康相談(合宿前・修
学旅行前・マラソン大会)及び美化活動を行ってき
た。
全て回収されたが、プラスチックゴミの多さを改めて
認識した。現在(平成27年度)は、おもに紙類などの
可燃ゴミ、プラスチックなどの不燃ゴミ、缶、ペット
ボトルを分別し、美化委員がゴミの分別をチェック
し、分別を徹底している。
平成23年度に特別支援推進委員会を設置し、平成25
平成18年度から3年間は重点支援校として「家庭・
年度にはスクールカウンセラーが全都立高校に配置さ
地域と連携した心と体の健康づくり」に取り組んだ。
れると同時に教育相談委員会を設置し、平成26年度よ
重点支援予算でAED 2台を購入し、1年を対象とし
りいじめ対策委員会を設置した。
たAED講習会を現在まで継続して取り組んでいる。
教員対象の研修は、特別支援教育に関する研修(平
また、教員対象のAED研修会も実施した(平成19年
成25年度)、カウンセリング研修(平成26年度)など
度)
。
を実施した。
1年生にはHIV講演会を継続して行ってきたが、平
平成24年度までは、保健・図書部として組織されて
成25年度からは、性感染症・オーラルケア・心の健
いた。平成25年度に総務部が新設され、それに伴い、
康・スポーツ障害の4部門に分かれて健康講話を行っ
保健部として再編された。
た。
平成19年度には、都内で麻疹の流行があり、予防接
種を希望者に実施した。
保健室の利用状況
毎年、6月、9月・10月頃に来室のピークがある
平成19年度末に教室の空調設備工事が完了し、平成
が、これはどこの学校でも同じ傾向がみられる。新し
20年度から使用している。節電のため、温度設定等制
い環境に慣れ緊張が解けてきた頃、季節の変わり目、
限はあるが、夏の暑い日は扇風機しかなかったころに
夏休み明けの生活リズムの乱れなどが影響していると
比べ、授業中の学習環境はかなり改善された。エアコ
思われる。
ンの導入と当時に、冬季には加湿器を使用している。
年 に よ っ て 若 干 の 差 は あ る が、 年 間 来 室 人 数 は
美化活動としては、ペットボトル持ち込み禁止の指
1,000人前後を推移しており、この10年で大きな変化
導を続けていたが、ペットボトルのゴミが増え、平成
はみられない。同規模の学校と比べても保健室来室者
19年度にはペットボトルのリサイクルを開始した。ま
は多くはなく、落ち着いている。
主任養護教諭・馬場智子
た、古紙のリサイクルのために各教室に古紙回収箱を
設置した。平成22年度には、一般ごみに古紙が混ざっ
ているものは回収不可となり、古紙の分別を徹底し、
ゴミのチェックを厳しく行った。自動販売機でのペッ
トボトルの販売は、平成19年度頃から検討されていた
が、ゴミの分別等の問題によってなかなか実現されな
かった。空き缶のデポジット制も行っていたが、一時
中断するなど、継続が危ぶまれていた。平成23年度に
飲料用の缶のデポジット制を廃止するとともに、よう
やく自販機でペットボトルが販売されることになっ
た。デポジット制廃止後も空き缶やペットボトルの分
別は順調に行われ、リサイクルされている。平成22年
度よりゴミ袋にクラスや部活動などの団体名を記名す
る方式が始まり、その方式が継続されている。平成25
日野高校今昔
自動販売機
今はどこの学校でも飲み物の自動販売機がお
かれている時代だが、現在のような多種の飲み
物が販売される前、日野高での自販機の飲み物
と い え ば 牛 乳 と コ ー ヒ ー 牛 乳 で あ っ た。 し か
も、今は見かけなくなってしまったピラミッド
のような「三角パック」である。それでも、中
学校にはない「コーヒー牛乳」が買えるという
ことで、ちょっとだけ大人になった気がしたも
のだ。喉が渇けば水を飲むというのが当たり前
であった、遠い昔のことである。
年度にはゴミ回収業者の変更に伴い、それまで、可燃
87
■保健部の10年間の主な取り組み
平成
主な取り組み
生徒向け研修
委員会
18
家庭・地域と連携した心と体の健康
づくり
AED 2台購入
AED講習会・ HIV講演会(1年)
19
家庭・地域と連携した心と体の健康
づくり
古紙回収箱を設置
AED講習会・ HIV講演会(1年)
20
家庭・地域と連携した心と体の健康
づくり
AED講習会・ HIV講演会(1年)
21
各教室にペットボトル回収箱設置
AED講習会・ HIV講演会(1年)
22
ゴミ袋記名方式導入
古紙分別の徹底
AED講習会・ HIV講演会(1年)
23
自販機に缶に加え、ペットボトル導
入
AED講習会・ HIV講演会(1年)
24
24年度まで分掌名は保健・図書部
AED講習会・ HIV講演会(1年)
25
保健部として再編
スクールカウンセラー配置
AED講習会・健康講話(1年)
教育相談委員会設置
26
スクールカウンセラーによる1年全
員面接
AED講習会・ 健康講話(1年)
いじめ対策委員会設置
27
スクールカウンセラーによる1年全
員面接
上級救命講習会(1年)
学校保健委員会
(平成17年度より)
特別支援推進委員会設置
■保健室利用状況
(人)
300
H27
H26
250
H25
H24
200
H23
150
H22
100
H20
50
H18
0
88
H21
H19
4月
5月
6月
■ 日野高校の現在(10
7月
9月
年間の記録)
10月
11月
12月
1月
2月
3月
平成27年度 824組
総務部
学校説明会は、同日に他の都立高校が行っている場
総務部主任 新井一弘
合が多いので組数の変動が予測しにくいが、夏季休業
中の学校見学者組数は、期間が長いだけに本校の注目
度がそのまま数字に出やすい。この2、3年で見学組
平成24年度から始まった増学級(新入生7クラスか
数は増加している。特に平成27年度は1,000組を突破
ら8クラス)により教職員定数が増員となり、分掌の
した。日によっては午前の部で40組を超え、人数でい
定員枠にゆとりが生じてきた。今まで教務部が担当し
うと(大体生徒本人と保護者で見学に来る)80名以上
てきた入学式・卒業式全般、各事務用品の整理、職員
が校内を見学する。基本は当日の日直が対応するが、
室環境整備、防災関係、対PTA窓口等を担当する新
これだけの見学者数であると、充分な説明や見学がで
たな分掌として、平成25年度より総務部が発足した。
きなくなる恐れがある。
加えて図書館、募集対策も担うこととし、定員5名
(教員4・学校図書1)で4月よりスタートした。
業務は多岐にわたっているが、その中でより多くの
来年以降はネットによる申込みと中学3年生即ち高
校受験生を対象とした日と中学1、2年生を対象とし
た日に分けることも現在検討中である。
エネルギーを必要とするのが、募集対策分野である。
防災関係では、平成24年度より実施された『宿泊防
総務部設立以前、本校でPR委員会が募集対策を担
災訓練』は総務部と第1学年団が担当している。対象
当し、
「学校案内」製作、外部説明会への教職員派
となる学年は第1学年で、時期は毎年6月中旬に設定
遣、学校見学対応、学校説明会の企画・立案・実施
している。この時期は運動系の部活動公式戦で、3年
等、ひとつの分掌並みの業務をこなしていた。人員は
生の引退試合と重なっている部が多い。入部して間も
各教科・分掌・学年から各1名を拠出していたが、各
ない1年生に先輩の最後の公式戦に賭ける姿を見せた
自の仕事をこなしながらの業務のため、その負担の重
いと思っていても当訓練と重なり、やりくりの点で当
さがかねがね指摘されていた。
惑する顧問も多い。かといって、他の時期は、大きな
それが、総務部の立ち上げにより募集対策業務の特
化を図り、校務運営の継続性と一貫性を目指したもの
となった。
総務部設立以降の募集対策関係の数字を示すと、
学校行事や第一学年から計画的に実施される進路指導
との調整が難しく今後の課題である。
しかしながら内容は日野市役所防災安全課、日野警
察署警備課、日野消防署高幡出張所、東京都水道局八
王子給水事務所の協力を受け充実したものとなってい
まず外部説明会件数(出張授業も含む)
る。特に水道局の全面的な協力を受けている給水訓練
は、60余名の生徒が3㎞離れた給水所まで一人当たり
平成25年度 19件
5リットルの水を本校まで運ぶもので、災害が発生し
平成26年度 16件
た場合、地域住民の避難生活に貢献ができるものと思
平成27年度 15件
われる。
総務部は発足により今まで保健・図書部が担当して
夏季休業中の学校見学者組数
きた図書館関係の業務を受け継いだ。図書館関係は別
項に譲るが、図書部が担当していた行事の中に全学年
平成25年度 835組
対象の「芸術鑑賞教室」がある。しかし、落ち着いた
平成26年度 896組
学習環境を目指す中、行事の精選を進めていった結
平成27年度 1,104組
果、平成25年度をもって廃止となった。廃止には様々
な意見も出て存続を望む声もあったが、他行事とのか
学校説明会出席組数(3回の合計)
らみ、第3学年は推薦等の大学受験日程との重なりで
適切な時期が設けられない事情もあり、廃止を決定し
平成25年度 727組
た。
平成26年度 695組
89
ここ10年間の演目は以下の通り。
平成17年度 クラシック音楽鑑賞
モーツァルト交響曲第40番
平成18年度 歌舞伎鑑賞教室
「彦山権現誓助剣」
平成19年度 劇団四季ミュージカル
「CATS」
平成20年度 前進座
「さんしょう大夫」
平成21年度 韓流雑技
「演舞・曲芸」
平成22年度 劇団四季ミュージカル
学校説明会で使用したスライド
「ライオンキング」
平成23年度 劇団俳優座
「十二人の怒れる男達」
平成24年度 歌と音楽と映像のコラボ
「地球のステージ」
平成25年度 劇団四季ミュージカル
「リトルマーメイド」
日野高校今昔
貸出しカード
文化祭PRコーナーでの部活動ユニフォーム展示
図書館がパソコン管理になる前、本の貸出し
はカードで行われていた。入学と同時に一人一
人のカードが作られ、借りた本の書名が書き込
まれていった。高校時代の読書の記録が積み重
なっていくものだ。3年間使われたカードは、
卒業の時に図書委員によってお祝いのメッセー
ジカードと一緒に封筒に入れられ、一人一人に
返却された。
総務部発行の日野高通信
90
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
3 それぞれの発表の後に参加者全員でその発表に関
図書館
するディスカッションを2~3分行う。
司 書 籠島雪子
総務部 松村玲子
4 全ての発表が終了した後に「どの本が一番読みた
くなったか?」を基準とした投票を参加者全員で
行い、最多票を集めたものを『チャンプ本』とす
る。
図書館の運営は、現在総務部に位置付けられてい
る。それまでの分掌組織では、保健・図書部となって
このビブリオバトルは平成25年度以降、各校から選
いたが、学校のPR活動と図書館運営を行う新しい分
出された代表生徒による全都規模の大会も開かれるよ
掌、
「総務部」が平成25年度に設置されたためであ
うになった。
る。この組織改編により、司書のほかにも図書館業務
高校生の読書離れへの対策として、本校でも図書館
に担当者を割り当てることができるようになり、より
を中心にいくつかの試みがなされている。教職員・図
活発な委員会活動が展開されることになった。
書委員による「推薦図書」の冊子作成・各教科や学年
日野高校の図書館には、現在約27,000冊の蔵書があ
と連携しての調べ学習やポップ作りなどである。ま
る。これらの蔵書はデータ化され、コンピュータに
た、1学期に1、2回、図書館だよりを発行し、図書
よって管理されている。館内には、生徒たちが自由に
館での種々の活動や読書への興味を喚起するようにし
使うことのできる検索用のパソコンが2台設置されて
ている。
いる。図書館は平成21年にIT化が導入され、図書の
司書の外部委託という大きな流れの中で、これらの
貸出しや返却、蔵書点検もIT機器によるものとなっ
活発な委員会活動を支え、多くの生徒が書物に親しむ
た。
環境をいかに維持していくかが今後の図書館運営の課
図書の管理や使用についての業務のほか、図書館は
題となるだろう。
自習室としての役割も果たしている。15脚のキャレル
デスクがあり、選択の空き時間や放課後は、3年生を
中心に受験勉強や課題に熱心に取り組む姿が見られ
る。
IT化導入の現在にあっても、図書委員会の活動は
基本的には委員たちの意欲と責任感という人間的な面
に支えられている。図書委員会は、各クラスから選出
された2名によって構成されている。そして、専任司
書と司書教諭、総務部担当者がその指導に当たってい
る。役職は委員長(1名)、副委員長(2名)、書記
(2名)で、役付きの委員も含めて全員が読書会班、
広報班という2つの班に分けられ、それぞれの業務を
担当している。また、貸し出しと返却を担うカウン
ター当番も、輪番で公平に担当することになってい
る。
読書会班は、月に1度程度のペースで、読書会また
はビブリオバトルを開催している。ビブリオバトルは
書評合戦とも言われ、平成24年度より行われるように
なったもので、次のように実施される。
1 発表参加者が読んで面白いと思った本を持って集
まる。
日野高校今昔
春日文庫と加藤文庫
図書館には在職中に亡くなった二人の教員ゆ
かりの蔵書がある。「春日文庫」と「加藤文庫」
である。
「春日文庫」は平成元年度(1988)~平
成12年 度(2000) 在 職 の、 春 日 奈 保 先 生( 養
護)の蔵書が寄贈されたものである。「加藤文
庫」は平成15年度(2003)~平成22年度(2010)
在職の加藤陽一先生(数学科)のご葬儀手伝い
の謝礼を資金に作られたものである。現在、「加
藤文庫」の書籍は一般の書架に移されている
が、日野高生を温かく見守ってくださった二人
の思いを今も図書館に見ることができる。
2 順番に一人5分間で本を紹介する。
91
■読書会の記録
平成23. 5.23
石田衣良 著 『約束』より「ハートストーン」
6. 7
星新一 著『ボッコちゃん』より 「ボッコちゃん」「年賀の客」
7.11
時雨沢恵一 著 『キノの旅 Ⅱ』より「自由報道の国」「努力する国」
9. 5
乙一 著 「失はれる物語」
11. 7
角田光代 著 『presents』より「名前」「涙」
平成24. 1.16 有川浩 著 アンソロジー『Story Seller』より「ストーリー・セラー」
2.13
柴村仁 著 『4Girls』より「Run!!Girl!!Run!!」
5.29
坂木司 著『短劇』より「迷子」
7. 6
三崎亜記 著 『鼓笛隊の襲来』より「覆面社員」
9.28
乙一 著 『ZOO1』より「SO-far そ・ふぁー」 10.31
グリム童話より「ホレおばさん」
12.21
乙一著 『君が見つける物語 恋愛編』より「しあわせは子猫のかたち」
平成25. 6.19
伊坂幸太郎 著 『死神の精度』より「~恋愛で死神~」
11.12
太宰治 著 『御伽草子』より「瘤取り」
又吉直樹 著 『第2図書係補佐』より「コインロッカー・ベイビーズ」
平成26. 3.13
「銀河鉄道の夜」「人間失格」「ジョン・レノン対火星人」
4.28
星新一 著 『悪魔のいる天国』より「もたらされた文明」
6.16
緑川聖司 著 『赤い本』より「おいてかないで」
9.26
「魔女の恋人」(生徒作品)
12.15
東野圭吾 著 『毒笑小説』より「本格推理関連グッズ鑑定ショー」
平成27. 2. 9 川端康成 著 『伊豆の踊子』
3.17
浅田次郎 著 『雛の花』
5.11
角田光代 著 『さがしもの』より「さがしもの」
7.11
『君が見つける物語』より 森絵都 著「17レボリューション」
10.29
北條民雄 著 『命の初夜』
12.17
乙一 著 『ZOO1』より「カザリとヨーコ」 平成28. 3. 9 『短編工場』より 桜木紫乃 著「かみさまの娘」
■ビブリオバトルの記録〈( )内はチャンプ本〉
平成24. 2.18
2.20
平成25. 6.10
6.14
7.11
9.14,15
11.19
平成26. 5.12
11. 5
平成27. 2.19
6.22
9.17
11.19
ビブリオバトル 2年
ビブリオバトル 1年
ビブリオバトル(『キノの旅』)
ビブリオバトル(『ヘンたて 幹館大学ヘンな建物研究会』)
ビブリオバトル(『ジョーカーゲーム』)
文化祭にて読書会・ビブリオバトルのまとめ及び1学年ポップを渡り廊下に展示
ビブリオバトル(『強気な小心者ちゃん』)
ビブリオバトル(『リブセンス』)
ビブリオバトル(『ひぐらしの鳴く頃に』『空想科学読本』『二十四の瞳』同数票)
ビブリオバトル(『ハーモニー』)
ビブリオバトル(『カラフル』『カフェかもめ亭』同数票)
ビブリオバトル(『嫌われる勇気』)
ビブリオバトル(『りぽぐら!』)
■ビブリオバトル全都大会出場者
■10年間の貸出数
平成25年度
平成26年度
平成27年度
貸出統計
平成26年度
1,485
平成25年度
1,792
平成24年度
1,828
平成23年度
2,470
平成22年度
1,607
平成21年度
1,368
平成20年度
1,522
平成19年度
910
平成18年度
1,226
平成17年度
1,788
92
武井 優奈 (1年)
辻 悠樹(2年)
岡西 花奈(1年)
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
は200名を超えています)」等々…。この10年間、教職
経営企画室
経営企画室長 伊藤恵子
員や生徒、保護者に地元の方々までが力を合わせて、
地道に進んできた結果が、現在の輝く日野高なので
す。
私たち経営企画室にとっても、この10年は激動の10
年でした。平成18年4月1日付で施行された「東京都
平成9年度から実施された都立学校改革推進計画に
立学校の経営企画室に関する規程」により、それまで
より、都立高校は様々な「改革」を実践してきまし
「事務室」と呼ばれていた私たちが「経営企画室」に
た。普通科から異なるタイプの校種に転換した学校
変わったのです。これまで先生方の学校運営を陰から
や、統廃合により新たな学校に生まれ変わったところ
支える縁の下の力持ちだった私たちが、いきなり学校
も多数です。普通科高校として引き続くことを選択し
経営に主体的に関わる立場になりました。
た学校も、それぞれの個性を見つけ出し、精一杯それ
現在の経営企画室の業務は、いわゆる事務だけでは
を打ち出してきました。まさに、都立学校サバイバル
ありません。まず「学校経営計画、企画調整その他学
時代です。そんな中、本校もまた「日野高校」として
校経営に関すること」が業務の筆頭です。続いて「広
の個性を模索し、管理職をはじめ生徒指導に携わる全
報・広聴」、「学校運営連絡協議会等連絡調整」、「学
ての先生方の地道な努力により、現在の「日野高校」
事」と来て、その次あたりにやっと各種の事務手続き
の姿にたどりついたのでしょう。
になります。その事務も「人事」「文書」「予算・決
私が本校に着任したのは平成25年度でした。当時私
算・会計・契約」「物品管理」「徴収金」「施設管理」
が本校に感じた印象は「勉強も課外活動も全力で取り
「環境整備」「警備」「図書館」…随分広範囲に様々な
組む中堅進学校」というところでしょうか。文化ス
分野に広がっています。分野によっては、ある程度専
ポーツ等特別推薦入試がほぼ定着し、運動部を中心に
門的な知識を必要とするものもあります。これを事務
活発に活動している。勉強にも手を抜かず、生徒一人
4名、用務2名、司書1名で担当します。
一人が3年間の学校生活を目いっぱい楽しんで過ごし
都立学校は都民の税金が主たる財源です。その執行
ている。卒業する生徒たちは母校を愛し、日野高生で
には細かいルールが存在します。このルールと毎日の
あったことを誇りに思っている…日野高校は「学校へ
学校運営がうまく噛み合うように「調整」し、「学校
来ることが楽しい生徒」であふれていました。
経営」の「企画」の一助となることが、私たちの職務
学校外の一般都民の方々の目から見たとき、現在の
だと考えています。そのためには、学校がこれまでた
日野高校の学校生活は、いわゆる「高校生」の典型で
どってきた道筋を振り返り、諸先輩方の努力を慮り、
しょう。生徒はいつも元気いっぱい、授業中は少し眠
これからの本校の未来を全教職員が一丸となって模索
そうだけど、放課後の部活動になるとフルパワーで動
していくことが必要不可欠です。経営企画室が目指す
き始め、辺りが暗くなってもまだ屋外で活動してい
のはただの「事務」ではなく、「生き生きとした学校
る。行事の前はクラス一丸となって準備を行い、当日
を作り出すための事務」であることが求められている
は全員で燃え尽きるまで張切る。学校休業日もせっせ
時代になりました。
と部活動練習に精を出し、試合があればクラブ全体で
応援する…。
本校は創立50周年を迎え、伝統校の一端に名を連ね
ました。これからまだまだ取り組むべき課題は山積み
でも10年前、ちょうど創立40周年を迎えた本校は、
です。ただ、どんな時でも、校長先生をはじめとし
今からは想像できないような状況でした。平成18年度
て、全教職員が一丸となれば、乗越えられないことは
に本校は東京都教育委員会により重点支援校の指定を
ないように思います。これからますます大きくはばた
受けています。当時の「重点支援校改革推進状況資
く「日野高」を目指して、頑張ってまいりましょう。
料」等を見ると、当時の教職員の努力が垣間見られる
ような文言がたくさん記載されています。
「基礎的・
基本的な学力の確実な定着」
「制服着用徹底と染髪禁
止」
「部活動加入率の向上(この当時の定着率は今よ
りかなり低めでした)」「4年制大学進学140名(現在
93
いちい会のページ
年度
平成18年度
平成19年度
平成20年度
平成21年度
平成22年度
平成23年度
平成24年度
平成25年度
平成26年度
平成27年度
役職
氏名
会 長
石 橋 ひとみ
副会長
糸 山 良 子
副会長
渡 部 公 成
会 長
青 木 武 子
副会長
渡 部 公 成
副会長
古 屋 典 恵
副会長
松 本 功
会 長
高 木 千津子
副会長
古 屋 典 恵
副会長
阿 部 二三枝
副会長
赤 川 千賀子
会 長
高 木 千津子
副会長
阿 部 二三枝
副会長
岸 由紀子
会 長
岸 由紀子
副会長
阿 部 二三枝
副会長
橋 本 加津子
副会長
岡 田 英 樹
会 長
阿 部 二三枝
副会長
大 島 かおる
副会長
前 田 暁 子
副会長
中 澤 友 子
会 長
阿 部 二三枝
副会長
中 澤 友 子
副会長
上 田 晋 也
副会長
出 口 尚 子
会 長
上 田 晋 也
副会長
奥 住 さゆり
副会長
土 居 弘 美
副会長
真 野 由香利
会 長
米 沢 剛
副会長
大 山 朝 恵
副会長
土 居 弘 美
副会長
増 渕 和 子
会 長
米 沢 剛
副会長
西 村 木綿子
副会長
益 留 香穂里
副会長
鈴 木 ひとみ
94
■ 日野高校の現在(10
年間の記録)
資料編
■教育課程の変遷
教
科
国 語 総 合
現
代
文
国
語
古
典
国語表現Ⅰ
世 界 史 A
世 界 史 B
日 本 史 A
地理歴史
日 本 史 B
地
理
A
地
理
B
倫
理
公
民
政治・経済
数
学
Ⅰ
数
学
Ⅱ
数
学
Ⅲ
数
学
数
学
A
数
学
B
数
学
C
理科総合 B
物
理
Ⅰ
物
理
Ⅱ
化
学
Ⅰ
学
Ⅱ
理
科 化
生
物
Ⅰ
生
物
Ⅱ
地
学
Ⅰ
地
学
Ⅱ
体
育
保健体育
保
健
音
楽
Ⅰ
音
楽
Ⅱ
音
楽
Ⅲ
美
術
Ⅰ
芸
術
美
術
Ⅱ
美
術
Ⅲ
書
道
Ⅰ
書
道
Ⅱ
英
語
Ⅰ
英
語
Ⅱ
外 国 語 O.C.I
ライティング
リーディング
家 庭 総 合
服 飾 手 芸
被
服
家
庭
フードデザイン
食
物
保
育
情
報
A
情
報
情
報
B
総合的な学習の時間
備 考
96
■ 資料編
標準単位
平成 18 年度(2006)~
1 学 年
必 修
必 修
選 択
4
2 学 年
必修選択
必 修
選択Ⅰ 選択Ⅱ
3 学 年
必 修 自 由
必 修
選 択 選 択
4
4
3
3
4
2 C
2
2
2
2
2
2 F
3
4
2B1
2 F
2
3
4
2B2
2 F
2
2
4
2
2
2
2
2
3
3
2
4
4B3
4
2
3
4
2
2
2
2 C
2
2
2
2
3
3 D
3
3
3
2
3
3
3
3
3 D
3
2
3
3
3 D
3
3
7~8
3
2
2
3
2
2
1
1
2
2A
2
2
2E
2
2
2
2A
2
2
2E
2
2
2
2A
2
2E
3
3
4
3
1
3
2
2
4
2 C
2
4
3
4
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
3
1
1
1
⑴ 1学年の必修選択…A の中から 1科目選択
⑵ 2学年の必修選択…①必修選択Ⅰ 文系は B1+ B2、理系は B3 を選択
②必修選択Ⅱ 4単位選択(物理Ⅰ、化学Ⅱ・生物Ⅰを
選択したときは英語Ⅱ(1単位)を同時に選択)
③ C は文系は古典またはライティングを選択、理系は数
学 B を選択
④ D、E より各1科目を選択
⑶ 3学年の必修選択…F より文系は世界史 B・日本史 B を選択、理系は世界史
A を選択
3学年の自由選択…文系は 0 ~ 12単位選択、理系は 2 ~ 14単位選択
教
科
国 語 総 合
現
代
文
古
典
世 界 史 A
世 界 史 B
世界史演習
日 本 史 A
地理歴史
日 本 史 B
日本史演習
地
理
A
地
理
B
倫
理
公
民 政治・経済
政治・経済演習
数
学
Ⅰ
数
学
Ⅱ
数
学
Ⅲ
数
学
数
学
A
数
学
B
数
学
C
理科総合 A
物
理
Ⅰ
物
理
Ⅱ
物 理 演 習
学
Ⅰ
理
科 化
化
学
Ⅱ
生
物
Ⅰ
生
物
Ⅱ
地
学
Ⅰ
体
育
保健体育 体 育 特 講
保
健
音
楽
Ⅰ
音
楽
Ⅱ
音
楽
Ⅲ
美
術
Ⅰ
芸
術
美
術
Ⅱ
美
術
Ⅲ
書
道
Ⅰ
書
道
Ⅱ
英
語
Ⅰ
英
語
Ⅱ
外 国 語 O.C.I
ライティング
リーディング
家 庭 総 合
家
庭 フードデザイン
発達と保育
情
報
A
情
報
情
報
B
総合的な学習の時間
国
語
備 考
標準単位
平成 19 年度(2007)~
1 学 年
必 修
必 修
選 択
5
2 学 年
必 修
必修選択
3 学 年
必 修 自 由
必 修
選 択 選 択
4
4
3
3
4
3D
2
2
2F
4
3
2F
2
2
2
4
3E
2F
2
2
2
2
4
2
2
2
2
2
3
3
2
4
3
2
3
4
2
2
2
3D
2
2
2
2
3
3B
3E
3
3
2
2
3
2
3
2
3
3B
3E
2
3
3
3B
3E
2
7~8
3
2
2
2
2
2
1
1
2
2A
2
2C
2
2
2
2A
2
2C
2
2
2
2A
2
2C
3
3
4
3
3
2
2
4
2
2
4
3
4
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
3
1※
0
1
⑴ 1学年の必修選択…A の中から 1科目選択
⑵ 2学年の必修選択…① B の中から 1科目選択
② C の中から 1科目選択
③ D の中から、文系は古典を、理系は数学 B を選択
④ E の中から、文系は日本史 B を、理系は B で選択し
た以外の 1科目を選択
⑶ 3学年の必修選択…F の中から、文系は世界史 B と日本史 B を選択、理系
は世界史 A を選択
3学年の自由選択…文系は 0 ~ 12単位選択、理系は 2 ~ 14単位選択
※東京都設定教科科目「奉仕」は、1年の「総合的な学習の時間」で代替
97
教
科
国語表現Ⅱ
国 語 総 合
国
語
現
代
文
古
典
世 界 史 A
世 界 史 B
日 本 史 A
地理歴史
日 本 史 B
地
理
A
地
理
B
現 代 社 会
倫
理
公
民
政治・経済
政治・経済演習
数
学
Ⅰ
数
学
Ⅱ
数
学
Ⅲ
数
学
数
学
A
数
学
B
数
学
C
理科総合 A
物
理
Ⅰ
物
理
Ⅱ
物 理 演 習
化
学
Ⅰ
理
科 化
学
Ⅱ
生
物
Ⅰ
生
物
Ⅱ
地
学
Ⅰ
地
学
Ⅱ
地 学 特 講
体
育
保健体育 体 育 特 講
保
健
音
楽
Ⅰ
音
楽
Ⅱ
音
楽
Ⅲ
美
術
Ⅰ
芸
術
美
術
Ⅱ
美
術
Ⅲ
書
道
Ⅰ
書
道
Ⅱ
英
語
Ⅰ
英
語
Ⅱ
外 国 語 O.C.I
ライティング
リーディング
家 庭 総 合
家
庭 フードデザイン
発達と保育
情
報
A
情
報
情
報
B
商
業 簿
記
総合的な学習の時間
備 考
標準単位
平成 20 年度(2008)~
2
4
4
4
2
4
2
4
2
4
1 学 年
必 修
必 修
選 択
5
2 学 年
必 修
必修選択
3
3D
3 学 年
必 修 自 由
必 修
選 択 選 択
2
2
2
3
3
3E
2
3
2F
2G
2G
2
2
3
4
3
2
2
2
2
3
3
3
3
3
3
2
3
2
2
7~8
3
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
3
4
2
4
4
4
2
2
2
2
1
1
2
3
3D
2
3B
2A
2
3B
3E
2
4
4
3
2
2
2
2C
2A
2
3E
4
2C
2A
3
2
3E
3B
2
2
2
4
2
2C
3
3
2
2
2
2
2
3
2
2
2
2
3
1※
0
2
⑴ 1学年の必修選択…A の中から 1科目選択
⑵ 2学年の必修選択…① B の中から 1科目選択
② C の中から 1科目選択
③ D の中から、文系は古典を、理系は数学 B を選択
④ E の中から、文系は日本史 B を、理系は B で選択し
た以外の 1科目を選択
⑶ 3学年の必修選択…理系は F の 1科目を、文系は G の 2科目を選択
3学年の自由選択…文系は 0 ~ 12単位選択、理系は 2 ~ 14単位選択
※東京都設定教科科目「奉仕」は、1年の「総合的な学習の時間」で代替
98
■ 資料編
教
科
国語表現Ⅱ
国 語 総 合
国
語
現
代
文
古
典
世 界 史 A
世 界 史 B
日 本 史 A
地理歴史
日 本 史 B
地
理
A
地
理
B
現 代 社 会
倫
理
公
民
政治・経済
政治・経済演習
数
学
Ⅰ
数
学
Ⅱ
数
学
Ⅲ
数
学
数
学
A
数
学
B
数
学
C
理科総合 A
物
理
Ⅰ
物
理
Ⅱ
物 理 演 習
化
学
Ⅰ
理
科 化
学
Ⅱ
生
物
Ⅰ
生
物
Ⅱ
地
学
Ⅰ
地
学
Ⅱ
地 学 特 講
体
育
保健体育 体 育 特 講
保
健
音
楽
Ⅰ
音
楽
Ⅱ
音
楽
Ⅲ
美
術
Ⅰ
芸
術
美
術
Ⅱ
美
術
Ⅲ
書
道
Ⅰ
書
道
Ⅱ
英
語
Ⅰ
英
語
Ⅱ
外 国 語 O.C.I
ライティング
リーディング
家 庭 総 合
家
庭 フードデザイン
発達と保育
情
報
A
情
報
情
報
B
商
業 簿
記
総合的な学習の時間
備 考
標準単位
平成 22 年度(2010)~
2
4
4
4
2
4
2
4
2
4
1 学 年
必 修
必 修
選 択
5
2 学 年
必 修
必修選択
2
3 D
3 学 年
必 修 自 由
必 修
選 択 選 択
2
3
3
2
3 E
2
2
2 F
2 G
2 G
2
2
3
4
3
2
2
2
2
3
3
2
3
2
3
3 D
2
3 B
3
3
3
2
3
2
2
7~8
3
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
3
4
2
4
4
4
2
2
2
2
1
1
2A
2
3 B
3 E
2
4
3
4
2
2
2
2
2
2C
2A
2
3 E
2
4
2C
2A
3
2
3 E
3 B
2
2
2
4
2
2C
3
3
2
2
2
2
3
2
2
2
2
3
1※
0
2
⑴ 1学年の必修選択…A の中から 1科目選択
⑵ 2学年の必修選択…① B の中から 1科目選択
② C の中から 1科目選択
③ D の中から、文系は古典を、理系は数学 B を選択
④ E の中から、文系は日本史 B を、理系は B で選択し
た以外の 1科目を選択
⑶ 3学年の必修選択…理系は F の 1科目を、文系は G の 2科目を選択
3学年の自由選択…文系は 0 ~ 12単位選択、理系は 2 ~ 14単位選択
※東京都設定教科科目「奉仕」は、1年の「総合的な学習の時間」で代替
99
教
科
国語表現Ⅱ
国 語 総 合
国
語
現
代
文
古
典
世 界 史 A
世 界 史 B
地理歴史
日 本 史 A
日 本 史 B
現 代 社 会
倫
理
公
民
政治・経済
政治・経済演習
数
学
Ⅰ
数
学
Ⅱ
学
Ⅲ
数
学 数
数
学
A
数
学
B
物 理 基 礎
物
理
化 学 基 礎
化
学
生 物 基 礎
理
科
生
物
地 学 基 礎
地
学
生 物 特 講
地 学 特 講
体
育
保健体育 体 育 特 講
保
健
音
楽
Ⅰ
音
楽
Ⅱ
音
楽
Ⅲ
美
術
Ⅰ
芸
術
美
術
Ⅱ
美
術
Ⅲ
書
道
Ⅰ
書
道
Ⅱ
英
語
Ⅰ
英
語
Ⅱ
O.C.I
外 国 語
ライティング
リーディング
総 合 英 語
家 庭 総 合
家
庭 フードデザイン
発達と保育
情
報
A
情
報
情
報
B
総合的な学習の時間
備 考
標準単位
平成 24 年度(2012)~
2
4
4
4
2
4
2
4
2
2
2
3
4
5
2
2
2
4
2
4
2
4
2
4
1 学 年
必 修
必 修
選 択
5
2 学 年
必修選択
必 修
文 系 理 系
3
2
2
2A
2
2
3
2C
2 AB
2 AB
4
2 BC
2
3
2
2
4C
3E
3
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
3
4
2
4
4
1
1
2D
2D
2D
3
2
3
2F
2F
2F
2F
2F
2F
2
2
6
2
2・4
4
2
2B
7~8
2
2
3E
2
2
2
3
2
2
3
3 学 年
類 型 選 択
必 修
選 択 科 目
2
2
2
2
2
2
3
3
2
2
2A
4
2
2
2
2
2
2
2
3
1※
1
1
⑴ 1学年の必修選択…D の中から 1科目選択
⑵ 2学年の必修選択…① E の中から 1科目選択
② F の中から 1科目選択
⑶ 3学年の類型選択…A、B、C の 3類型(8単位)のいずれかを選択
選択科目…2 ~ 8単位選択
2
2
2
2
※東京都設定教科科目「奉仕」は、1年の「総合的な学習の時間」で代替
100
■ 資料編
教
科
国 語 総 合
現
代
文
古
典
世 界 史 A
世 界 史 B
地理歴史
日 本 史 A
日 本 史 B
現 代 社 会
倫
理
公
民
政治・経済
政治・経済演習
数
学
Ⅰ
数
学
Ⅱ
学
Ⅲ
数
学 数
数
学
A
数
学
B
物 理 基 礎
物
理
化 学 基 礎
化
学
生 物 基 礎
理
科
生
物
地 学 基 礎
地
学
生 物 特 講
地 学 特 講
体
育
保健体育 体 育 特 講
保
健
音
楽
Ⅰ
音
楽
Ⅱ
音
楽
Ⅲ
美
術
Ⅰ
芸
術
美
術
Ⅱ
美
術
Ⅲ
書
道
Ⅰ
書
道
Ⅱ
コミュニケーション英語Ⅰ
コミュニケーション英語Ⅱ
コミュニケーション英語Ⅲ
外 国 語
英語表現Ⅰ
英語表現Ⅱ
総 合 英 語
家 庭 総 合
家
庭 フードデザイン
子どもの発達と保育
社会と情報
情
報
情報の科学
総合的な学習の時間
国
語
備 考
標準単位
平成 25 年度(2013)~
4
4
4
2
4
2
4
2
2
2
3
4
5
2
2
2
4
2
4
2
4
2
4
1 学 年
必 修
必 修
選 択
5
2 学 年
必修選択
必 修
文 系 理 系
3
2
3
2
2
2
3
2
3
3 学 年
類 型 選 択
必 修
選 択 科 目
2A
2
2
2
2C
2 AB
2 AB
4
2 BC
2
3
2
4C
2B
3
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
3
4
4
2
4
1
1
2D
2D
2D
3
2
4
2
6
2
2・4
4
2
2
7~8
2
2
2
3
2
2
3
2E
2E
2E
2E
2E
2E
2
2
2
2
2A
3
2
4
2
2
2
2
2
2
2
3
1※
1
1
⑴ 1学年の必修選択…D の中から 1科目選択
⑵ 2学年の必修選択…E の中から 1科目選択
⑶ 3学年の類型選択…A、B、C の 3類型(8単位)のいずれかを選択
選択科目…2 ~ 8単位選択
2
2
2
2
2
※東京都設定教科科目「奉仕」は、1年の「総合的な学習の時間」で代替
101
教
科
国 語 総 合
現 代 文 B
古
典
B
世 界 史 A
世 界 史 B
地理歴史
日 本 史 A
日 本 史 B
現 代 社 会
倫
理
公
民
政治・経済
政 経 演 習
数
学
Ⅰ
数
学
Ⅱ
学
Ⅲ
数
学 数
数
学
A
数
学
B
物 理 基 礎
物
理
化 学 基 礎
化
学
生 物 基 礎
物
理
科 生
地 学 基 礎
地
学
生 物 特 講
地 学 特 講
環
境
学
体
育
保健体育 体 育 特 講
保
健
音
楽
Ⅰ
音
楽
Ⅱ
演 奏 研 究
美
術
Ⅰ
術
Ⅱ
芸
術 美
美 術 特 講
書
道
Ⅰ
書
道
Ⅱ
実
用
書
コミュニケーション英語Ⅰ
コミュニケーション英語Ⅱ
コミュニケーション英語Ⅲ
外 国 語
英語表現Ⅰ
英語表現Ⅱ
総 合 英 語
家 庭 総 合
家
庭 フードデザイン
子どもの発達と保育
社会と情報
情
報
情報の科学
総合的な学習の時間
国
語
備 考
標準単位
平成 26 年度入学生
4
4
4
2
4
2
4
2
2
2
3
4
5
2
2
2
4
2
4
2
4
2
4
1 学 年
必 修
必 修
選 択
5
2 学 年
必修選択
必 修
文 系 理 系
3
2
2
2
3
2C
2 AB
2 AB
4
2 BC
2
3
2
2
2
2
2
6
2
4C
3
2
2
4
2
2B
7~8
3
2
2
2
2
1
1
2D
2
2
2D
2
2
2D
3
4
4
2
4
3
2
2
3
3 学 年
類 型 選 択
必 修
選 択 科 目
2A
2
2
2
3
3
4
2
2
3
2E
2E
2E
2E
2E
2E
2
2
2
2
3
2A
2
4
2
2
2
2
2
2
2
3
1 ※
1
1
⑴ 1学年の必修選択…D の中から 1科目選択
⑵ 2学年の必修選択…E の中から 1科目選択
⑶ 3学年の類型選択…A、B、C の 3類型(8単位)のいずれかを選択
選択科目…2 ~ 8単位選択
2
2
2
2
※東京都設定教科科目「奉仕」は、1年の「総合的な学習の時間」で代替
102
■ 資料編
【進路指導部関連資料】
■ここ10年の卒業生 進路状況推移(及びそのグラフ)
期
卒業年月
学級数 卒業生
38 期生 平成 18 年(2006 年)3月
7
39 期生 平成 19 年(2007 年)3月
7
40 期生 平成 20 年(2008 年)3月
6
41 期生 平成 21 年(2009 年)3月
6
42 期生 平成 22 年(2010 年)3月
6
43 期生 平成 23 年(2011 年)3月
6
44 期生 平成 24 年(2012 年)3月
7
45 期生 平成 25 年(2013 年)3月
7
46 期生 平成 26 年(2014 年)3月
7
47 期生 平成 27 年(2015 年)3月
8
男
275
女
決定率
男
263
女
決定率
男
233
女
決定率
男
215
女
決定率
男
222
女
決定率
男
236
女
決定率
男
281
女
決定率
男
270
女
決定率
男
282
女
決定率
男
316
女
決定率
四年制大学 短期大学 専門学校
58
0
34
53
24
51
40%
9%
30%
78
1
21
59
18
36
52%
7%
22%
69
2
15
43
13
46
48%
6%
26%
57
1
15
53
19
21
51%
9%
17%
82
0
12
48
11
31
59%
5%
17%
74
0
15
37
18
43
47%
8%
25%
77
0
36
53
25
48
46%
9%
30%
91
2
19
55
21
46
54%
9%
24%
99
2
21
68
22
39
59%
9%
21%
120
2
22
94
11
40
68%
4%
20%
就職
5
2
3%
3
5
3%
6
3
4%
9
3
6%
1
4
2%
3
3
3%
6
1
2%
4
2
2%
2
1
1%
4
2
2%
その他
34
14
18%
33
9
18%
24
12
16%
23
14
17%
26
7
17%
33
10
18%
27
8
12%
26
4
11%
25
3
10%
17
4
7%
合計
131
144
100%
136
127
100%
116
117
100%
105
110
100%
121
101
100%
125
111
100%
146
135
100%
142
128
100%
149
133
100%
165
151
100%
(%)
80
70
60
50
四年制大学
短期大学
40
専門学校
就職
30
その他
20
10
0
38期
39期
40期
41期
42期
43期
44期
45期
46期
47期
103
■ここ 10 年の進学・就職先
①四年制大学
国公立大学
大学名
会津大学
鹿児島大学
首都大学東京
電気通信大学
東京外国語大学
東京海洋大学
東京学芸大学
新潟大学
山梨県立大学
合計
平成18年3月 平成19年3月 平成20年3月 平成21年3月 平成22年3月 平成23年3月 平成24年3月 平成25年3月 平成26年3月 平成27年3月
現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒
(38期)
(39期)
(40期)
(41期)
(42期)
(43期)
(44期)
(45期)
(46期)
(47期)
1
1
3
1
0
4
0
0
0
1
0
0
0
0
1
1
1
1
1
1
1
2
1
1
1
1
2
1
1
1
0
1
0
私立大学
大学名
青山学院大学
麻布大学
亜細亜大学
跡見学園女子大学
江戸川大学
桜美林大学
大阪芸術大学
大妻女子大学
嘉悦大学
学習院大学
神奈川大学
神奈川工科大学
金沢工業大学
神田外語大学
関東学院大学
北里大学
京都産業大学
共立女子大学
杏林大学
群馬医療福祉大学
慶應義塾大学
恵泉女学園大学
工学院大学
皇學館大學
國學院大學
国際医療福祉大学
国際武道大学
国士舘大学
駒澤大学
駒沢女子大学
埼玉医科大学
相模女子大学
産業能率大学
実践女子大学
芝浦工業大学
十文字学園女子大学
淑徳大学
松蔭大学
順天堂大学
城西大学
城西国際大学
上智大学
湘南工科大学
尚美学園大学
昭和大学
昭和音楽大学
昭和女子大学
職業能力開発総合大学校
女子栄養大学
女子美術大学
白梅学園大学
白百合女子大学
杉野服飾大学
駿河台大学
成蹊大学
成城大学
清泉女子大学
聖徳大学
聖母大学
専修大学
洗足学園音楽大学
104
■ 資料編
平成18年3月 平成19年3月 平成20年3月 平成21年3月 平成22年3月 平成23年3月 平成24年3月 平成25年3月 平成26年3月 平成27年3月
現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒
(38期)
(39期)
(40期)
(41期)
(42期)
(43期)
(44期)
(45期)
(46期)
(47期)
1
1
4
2
3
1
3
1
1
4
1
1
3
3
3
2
3
1
2
3
1
3
7
1
2
6
1
4
1
3
8
1
10
2
3
4
5
1
2
3
2
1
1
1
2
1
1
2
1
1
2
1
1
2
2
6
2
6
3
1
2
1
1
1
4
6
1
1
1
5
1
1
2
1
4
1
5
1
1
1
6
7
2
2
1
1
4
1
3
1
2
4
1
1
1
5
3
3
4
2
2
2
1
1
1
1
2
2
1
4
1
4
1
3
1
1
2
1
3
5
2
1
2
1
7
1
1
3
1
1
2
3
1
1
1
1
1
15
1
1
2
4
3
1
2
3
1
1
1
1
1
2
1
2
3
2
1
6
3
2
5
1
2
1
2
4
1
1
1
1
1
7
1
1
2
2
1
1
1
2
1
1
1
2
1
2
1
1
3
1
5
1
1
2
1
1
1
3
6
1
1
1
1
3
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
7
1
1
2
1
2
6
5
1
3
10
6
10
8
3
1
2
5
3
2
2
1
1
3
1
1
1
3
1
2
1
1
2
1
1
2
2
1
5
3
1
1
9
1
2
1
18
3
16
1
3
5
4
11
1
1
2
5
2
1
1
1
1
12
1
8
8
1
10
1
1
1
1
2
1
1
1
2
3
2
13
2
1
4
1
10
2
大学名
平成18年3月 平成19年3月 平成20年3月 平成21年3月 平成22年3月 平成23年3月 平成24年3月 平成25年3月 平成26年3月 平成27年3月
現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒
(38期)
(39期)
(40期)
(41期)
(42期)
(43期)
(44期)
(45期)
(46期)
(47期)
創価大学
2
大正大学
拓殖大学
10
多摩大学
2
玉川大学
3
多摩美術大学
1
千葉科学大学
中央大学
3
つくば国際大学
津田塾大学
帝京大学
9
帝京科学大学
2
帝京平成大学
1
デジタルハリウッド大学
田園調布学園大学
桐蔭横浜大学
東海大学
4
東京医療保健大学
東京家政学院大学
2
東京経済大学
11
東京工科大学
3
東京工芸大学
東京国際大学
3
東京聖栄大学
東京成徳大学
東京純心大学
2
東京女子体育大学
3
東京造形大学
東京電機大学
2
東京都市大学
東京農業大学
1
東京福祉大学
1
東京薬科大学
東京理科大学
1
東邦大学
東洋大学
5
東洋学園大学
東洋英和女学院大学
獨協大学
新潟薬科大学
二松学舎大学
日本医療科学大学
日本獣医生命科学大学
1
日本大学
7
日本映画大学
日本女子体育大学
日本体育大学
1
日本文化大学
日本薬科大学
白鴎大学
フェリス女学院大学
人間総合科学大学
文教大学
文京学院大学
1
文化学園大学(文化女子)
2
法政大学
3
北陸大学
武蔵大学
1
武蔵野大学
2
武蔵野音楽大学
武蔵野学院大学
武蔵野美術大学
2
明海大学
明治大学
1
明治学院大学
明星大学
12
目白大学
2
山梨英和大学
1
山梨学院大学
1
横浜薬科大学
酪農学園大学
立教大学
立正大学
立命館大学
ルーテル学院大学
1
和光大学
3
早稲田大学
和洋女子大学
海外の大学
合計
163
国公立私立合計
165
1
1
3
9
5
4
1
1
3
1
1
11
3
1
3
2
1
2
1
1
1
1
1
9
6
7
5
2
3
1
1
1
1
2
1
3
1
2
1
1
2
2
2
1
13
2
1
12
1
2
2
3
2
3
15
1
4
5
5
4
2
1
1
1
1
2
2
3
7
1
1
9
1
4
1
10
3
1
2
1
1
1
2
1
5
1
3
1
2
1
7
8
4
6
4
6
1
1
2
1
1
1
1
1
1
2
1
1
1
1
2
3
5
2
1
1
2
19
2
1
1
2
1
187
191
4
2
5
1
2
1
6
2
1
36
36
4
12
2
1
2
1
7
9
5
9
12
5
4
7
10
3
3
1
1
1
1
1
3
1
2
1
2
7
2
3
2
4
4
24
1
3
1
1
1
2
2
2
2
1
3
1
3
1
2
1
1
1
1
4
25
5
1
1
1
1
1
1
3
2
2
2
2
2
3
1
4
4
1
8
1
1
149
149
1
36
36
2
136
137
2
1
2
7
1
1
5
4
2
8
30
13
1
1
1
1
2
2
1
1
1
3
2
2
1
1
1
1
1
7
3
2
4
9
1
11
2
2
1
1
4
2
3
1
11
1
2
6
2
3
1
1
2
18
1
5
1
1
1
1
1
2
1
4
10
5
5
21
13
6
1
1
12
2
1
1
1
6
1
3
7
2
2
25
4
1
1
2
1
6
3
1
4
1
40
40
1
1
2
1
7
3
1
1
2
1
1
6
1
9
3
6
1
2
1
3
1
2
4
2
4
3
1
1
1
2
1
1
4
3
1
1
9
1
2
1
1
1
9
1
2
5
2
4
2
5
5
2
1
1
1
1
2
2
1
3
1
14
3
1
1
152
152
20
20
145
145
10
11
2
1
7
1
1
1
1
1
16
1
1
4
4
1
29
4
1
1
26
26
2
4
1
1
1
1
2
1
24
4
1
2
2
3
2
1
1
2
1
3
179
180
21
22
211
213
60
61
1
275
276
2
1
7
1
1
1
1
1
1
53
3
1
3
2
26
26
3
369
370
49
49
105
②短期大学
平成18年3月 平成19年3月 平成20年3月 平成21年3月 平成22年3月 平成23年3月 平成24年3月 平成25年3月 平成26年3月 平成27年3月
現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒 現役 既卒
(38期)
(39期)
(40期)
(41期)
(42期)
(43期)
(44期)
(45期)
(46期)
(47期)
短大名
国立宮古海上技術短期大学校
職業能力開発総合短期大学校東京校
青山学院女子短期大学
秋草学園短期大学
亜細亜大学短期大学部
和泉短期大学
大妻女子大学短期大学部
嘉悦大学短期大学部
共立女子短期大学
国際短期大学
駒沢女子短期大学
埼玉女子短期大学
相模女子大学短期大学部
実践女子短期大学
自由が丘産能短期大学
湘北短期大学
十文字学園短期大学
昭和女子大学短期大学部
淑徳短期大学
女子栄養大学短期大学部
女子美術大学短期大学部
白梅学園大学短期大学
聖セシリア女子短期大学
星美学園短期大学
洗足こども短期大学(洗足学園)
創価女子短期大学
鶴見大学短期大学部
帝京大学短期大学
帝京短期大学
戸板女子短期大学
東京交通短期大学
東京家政大学短期大学部
東京家政学院短期大学
東京女子体育短期大学
東京成徳短期大学
東京農業大学短期大学部
東横学園女子短期大学
新渡戸文化短期大学
日本大学短期大学部
日本体育大学女子短期大学部
武蔵野短期大学
目白短期大学
山野美容芸術短期大学
立教女学院短期大学
合計
2
2
1
1
1
4
6
1
3
1
1
5
2
1
1
3
1
1
2
1
1
2
1
2
2
2
1
1
3
1
1
1
2
1
1
2
1
3
2
2
1
1
1
3
4
1
1
1
4
1
1
2
2
1
2
2
2
1
1
1
1
2
1
1
1
1
3
1
2
1
1
0
20
0
17
1
22
0
2
1
2
2
1
2
1
1
2
1
2
1
2
1
1
1
1
1
1
1
11
1
21
1
29
0
1
1
2
1
1
1
1
1
3
1
2
1
2
2
1
1
1
1
2
1
1
1
1
1
3
1
1
4
26
1
3
3
1
2
4
1
0
0
3
1
1
24
1
1
26
0
1
1
14
0
③専門学校(分野別)
平成18年3月 平成19年3月 平成20年3月 平成21年3月 平成22年3月 平成23年3月 平成24年3月 平成25年3月 平成26年3月 平成27年3月
(38期)
(39期)
(40期)
(41期)
(42期)
(43期)
(44期)
(45期)
(46期)
(47期)
男 女 計 男 女 計 男 女 計 男 女 計 男 女 計 男 女 計 男 女 計 男 女 計 男 女 計 男 女 計
工業系
5
2
7
4
0
4
3
2
5 10
5 15
2
1
3
2
1
3 12
0 12
7
0
7
6
0
6
6
0
6
看護・医療系
6 22 28
9 13 22
7 10 17
1 11 12
3
8 11
2
8 10
5 15 20
3 16 19
3 21 24
4 15 19
栄養・調理系
4
7 11
1
1
2
1
0
1
0
0
0
1
3
4
0
4
4
2
4
6
1
8
9
3
4
7
2
4
6
理容・美容系
0 11 11
0 12 12
0
9
9
1
1
2
1
4
5
0 11 11
4
3
7
0
6
6
2
3
5
0 11 11
保育・福祉系
3
3
6
0
2
2
0
8
8
1
0
1
0
1
1
1
3
4
1
3
4
0
1
1
0
1
1
0
1
1
商業実務系
9
1 10
3
3
6
1
8
9
1
3
4
1
7
8
6
4 10
3
4
7
1
3
4
4 10 14
7
4 11
デザイン・服飾系 2
3
5
0
2
2
3
2
5
0
1
1
0
1
1
0
1
1
0
6
6
0
4
4
1
2
3
1
3
4
語学系
0
3
3
0
0
0
0
2
2
1
0
1
0
0
0
0
1
1
0
0
0
0
2
2
0
0
0
0
1
1
音楽・芸術系
5
2
7
4
5
9
0
5
5
0
3
3
3
1
4
4
8 12
6
6 12
2
3
5
1
1
2
2
2
4
その他
0
3
3
1
1
2
0
1
1
0
0
0
1
6
7
0
2
2
3
7 10
5
3
8
0
5
5
1
4
5
合計
34 57 91 22 39 61 15 47 62 15 24 39 12 32 44 15 43 58 36 48 84 19 46 65 20 47 67 23 45 68
④就職
平成18年3月(38期) 平成19年3月(39期) 平成20年3月(40期) 平成21年3月(41期) 平成22年3月(42期) 平成23年3月(43期) 平成24年3月(44期) 平成25年3月(45期) 平成26年3月(46期) 平成27年3月(47期)
警視庁
男子
女子
計
海上自衛隊
陸上自衛隊
警視庁
㈱多摩計装
神奈川県警
警視庁
㈱凸版フォームズ ㈱日本通運
新光電業株式会社 東邦建設工業
陸上自衛隊
自衛隊
日野工場
ファイブフォック
㈱凸版フォームズ ㈱東京ミサワ建設
㈲町田
日野精機
自衛隊
ス
日野工場
株式会社 アント 株式会社 アント
東京電力
自衛隊
ワークス
ワークス
㈱梅香荘(警察犬・
株 式 会 社 ヘ ル ㈱凸版フォームズ
自衛隊
フェン
家庭犬学校)
ドリームファンタ ㈱ヤマト運輸
E-Light
ジア事務所
㈱ムサシノアロー
飲食関係
社会福祉法人 和 ジョイステージ
日野自動車株式会 日野自動車株式会 ㈱サトウ
東京スバル
警視庁
光園
社
社
S H I N E B E 日本分光
㈱ライフコミュー ㈱スーパーアルプ
ミツウロコ
ツルヤ靴店
MODEL
ン
ス
パイオニアトレー カネボウ化粧品販 on2L シガノ
アパレル系
㈱マイテック
ディング
売
町田市農業協同組
東京ガス葛飾エナ
合
ジー株式会社
ファイブフォック
ス
男子 5名
男子 3名
男子 6名
男子 9名
男子 1名
男子 3名
男子 6名
女子 2名
女子 5名
女子 3名
女子 3名
女子 4名
女子 3名
女子 1名
合計 7名
合計 8名
合計 9名
合計 12名
合計 5名
合計 6名
合計 7名
106
■ 資料編
警視庁
東京都
京王運輸株式会社 自衛隊
ゼストクック株式
会社
日本高齢者施設マ
ネジメント協会
東京消防庁
三英印刷
トップアート
芸能活動
男子 4名
女子 2名
合計 6名
三省堂印刷株式会
社
株式会社 ガーデ
ンベーカリー
三菱ふそうバスト
ラック株式会社
男子 2名
女子 1名
合計 4名
トヨタ東京自動車
大学校
飛鳥ドライビング
カレッジ日野
男子 4名
女子 2名
合計 6名
■10年間の担任団
年度 組 1学年
平成
年度(2006)
18
2学年
3学年
1
君島 達也
竹井 美矢子
濱中 俊仁
2
中沢 真知子
篠原 真奈美
風見 岳快
3
俵川 高明
山倉 和正
宮﨑 多美子
4
柴野 文
加藤 陽一
佐藤 賢司
5
石川 重行
赤崎 伸一
並川 朋美
6
戸倉 信一
瀬川 康兼
小野 幸代
古屋 哲
1
八木 寿郎
君島 達也
竹井 美矢子
2
大橋 一生
中沢 真知子
赤崎 伸一
3
新海 幸平
俵川 高明
山倉 和正
4
奈良林 稔
柴野 文
篠原 真奈美
5
鈴木 久美子
石川 重行
加藤 陽一
6
新井 一弘
戸倉 信一
瀬川 康兼
1
柴山 潤
奈良林 稔
君島 達也
年度(2008)
2
須藤 剛
新井 一弘
中沢 真知子
3
嶋田 雅之
新海 幸平
俵川 高明
4
秋山 秋子
鈴木 久美子
柴野 文
5
可長 清美
大橋 一生
石川 重行
6
青嶋 一
山田 幸博
戸倉 信一
平成
平成 年度(2007) 平成
7
1
関 博文
秋山 秋子
奈良林 稔
2
小早川 恭子
青嶋 一
新井 一弘
3
野澤 直規
柴山 潤
新海 幸平
4
吾妻 依理子
須藤 剛
山田 幸博
5
梶 貴子
嶋田 雅之
大橋 一生
6
森田 聡
可長 清美
鈴木 久美子
7
江沼 直樹
1
北久保 靖司
関 博文
柴山 潤
2
柴野 文
新井 一弘
青嶋 一
3
沼田 大作
野澤 直規
須藤 剛
4
松村 玲子
森田 聡
嶋田 雅之
5
河野 明夫
梶 貴子
秋山 秋子
6
三宅 七重
小早川 恭子
長谷川 博之
7
友光 厚直
吾妻 依理子
19
20
年度(2009)
21
平成
年度(2010)
22
107
年度 組 1学年
平成 年度(2011)
23
平成
年度(2012)
24
2学年
3学年
1 須田 英一
三宅 七重
関 博文
2 高島 みゆき
柴野 文
野澤 直規
3 森 浩一
松村 玲子
小早川 恭子
4 奈良林 稔
沼田 大作
吾妻 依理子
5 伊藤 惠美子
友光 厚直
梶 貴子
6 俵川 高明
河野 明夫
新井 一弘
7
北久保 靖司
森田 聡
1 高取 克明
須田 英一
松村 玲子
2 宮下 洋
高島 みゆき
渡邊 七重
3 吉岡 幸隆
佐藤 貴弘
沼田 大作
4 田村 糸子
伊藤 惠美子
北久保 靖司
5 須藤 剛
奈良林 稔
友光 厚直
6 吉川 みなみ
俵川 高明
柴野 文
7 相沢 栄
森 浩一
河野 明夫
1 嶋田 雅之
吉岡 幸隆
森 浩一
2 川崎 直子
青木 正由
伊藤 惠美子
3 新海 多恵子
大久保 龍
佐藤 貴弘
4 沼田 大作
梶 貴子
俵川 高明
5 長谷川 博之
宮下 洋
高島 みゆき
6 西川 緑
吉川 みなみ
須田 英一
7 加藤 文恵
相沢 栄
奈良林 稔
8 小林 正晴
大杉 恵子
1 北久保 靖司
加藤 文恵
梶 貴子
2 加藤 洋章
嶋田 雅之
吉岡 幸隆
3 笠木 由希
長谷川 博之
吉川 みなみ
4 吉武 康平
小林 正晴
大久保 龍
5 万田 友和
西川 緑
青木 正由
6 小山 治子
川崎 直子
大杉 恵子
7 増渕 真弓
沼田 大作
宮下 洋
8 舞薗 浩司
武藤 正人
相沢 栄
1 友光 厚直
加藤 洋章
武藤 正人
2 河西 正貴
笠木 由希
沼田 大作
3 奥田 和広
万田 友和
加藤 文恵
4 山﨑 仁士
舞薗 浩司
小林 正晴
5 三好 達也
北久保 靖司
嶋田 雅之
6 丸山 みち子
吉武 康平
川崎 直子
7 栗原 郁夫
妹尾 ゆみ子
西川 緑
8 佐藤 恵子
増渕 真弓
長谷川 博之
8 大杉 恵子
平成
年度(2013)
25
平成
年度(2014)
26
平成
年度(2015)
27
108
■ 資料編
■在籍教職員一覧
職名・所属
校 長
(H
副 校 長
年度以前は教頭)
15
国 語
氏 名
松吉 利夫
佐田 彊
青柳 甲子男
中里 富美男
中里 義夫
松原 恒久
松本 信義
濱中 勇次
藤本 勤
池田 宜弘
喜多村 健二
上原 健夫
丹治 芳男
伊藤 清
宮﨑 高一
小宮 德健
斉藤 登
三浦 富美雄
松井 章
馬庭 計夫
小西 至
細谷 七井
坂田 敬一
北澤 道夫
柴田 英男
北川 英一
青木 修
佐藤 和彦
福原 利信
畠山 義和
遠藤 誠治
稲垣 津那子
小野 脩
木村 秀次
勝俣 静雄
角田 豊子
宿谷 恒夫
三上 滋
金田 友行
山田 平
花上 しのぶ
河井 博信
入倉 健
高野 正美
鈴木 隆二
西尾 文雄
楠木 繁雄
大越 喜文
宮部 恒雄
山川 裕子
田中 均
坪田 美恵子
前田 知信
小川原 健太
棗 隆
片桐 須美子
石塚 律子
新井 珠枝
田口 かおる
馬場 重行
藤田 正和
橋本 真理子
ロドリゲス 美香
八木岡 章夫
福江 香
赤崎 伸一
佐々木 寿恵
竹澤 美江子
在籍年度
S41/1 ~ S44
S45 ~ S47
S48 ~ S51
S52 ~ S55
S56
S57 ~ S60
S61 ~ S63
H元~ H3
H4 ~ H6
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27
S41/1 ~ S45
S46 ~ S49
S50 ~ S57/10
S57/11 ~ H3
H4 ~
S41 ~ S50
S41 ~ S45
S41 ~ S42
S42 ~ S52
S43 ~ S45
S43 ~ S55
S43 ~ S49
S43 ~ S45
S46 ~ S51
S46 ~ S49
S46 ~ S48
S49 ~ H元
S49 ~ S63
S50 ~ S63
S50
S51 ~ S62
S51 ~ S53
S52 ~ H2
S53 ~ S55
S54 ~ S60
S55 ~ H5
S55 ~ S57
S56 ~ H5
S56 ~ S63
S58 ~ S62
S61 ~ S62
S63 ~
S63 ~ H6
H元~ H6
H元~
H元~ H4
H5 ~
H6 ~
109
職名・所属
国 語
地理歴史・公民
(H元年度以前は社会科)
学
数
110
氏 名
平 和子
中沢 真知子
小野 幸代
柴山 潤
奈良林 稔
吾妻 依理子
松村 玲子
森 浩一
大杉 恵子
川崎 直子
青木 正由
井上 小百合
奥田 和広
加藤 洋章
宗像 弘吉
白石 誠吾
藤本 和代
安田 修一
高橋 和巳
松田 四郎
疋田 通文
高原 将
多田保 次郎
田中 穀一
松井 和彦
上田 敏夫
深沢 信
川 さゆり
杉本 仁
梅原 康弘
伊藤 彁
大川 潤一
幡野 龍一
松井 和彦
濱田 俊裕
浅野 治
金井 徳幸
対馬 俊也
山田 俊明
奥原 千年
茨木 智志
末次 紳一郎
瀬戸 彰
関根 秋雄
戸塚 吉彦
和田 仁
福嶋 正明
古屋 哲
山倉 和正
瀬川 康兼
樋口 兼久
新井 一弘
戸倉 信一
佐久間 曜一
小早川 恭子
沼田 大作
名越 寿昭
相沢 栄
吉武 康平
河西 正貴
三好 達也
武藤 正人
杉村 保
稲垣 昭次
芝田 敬久
磯野 幸
塩沢 宏夫
入手 髞雄
内田 米子
栗田 茂
■ 資料編
在籍年度
倫理
地理
地理
世界史
日本史
政経
日本史
世界史
世界史
世界史
地理
現代社会
日本史
地理
倫理
世界史
日本史
政経
世界史
日本史
地理
世界史
日本史
政経
日本史
地理
世界史
地理
地歴
地歴
政経
地歴
政経
地歴
地歴
地歴
地歴
S41/1 ~ S58
S41 ~ S51/12
S41 ~ S49
S42 ~ S51
S43 ~ S61
S43 ~ S56
S43 ~ S55
S43 ~ S45
S46 ~ S57
S51
S52 ~ S63
S52 ~ H元
S56 ~ H3
S57 ~ H6
S58 ~ H5
S59 ~ H4
S59 ~ S61
S60 ~ H6
S60 ~ H3
S61 ~ S63
S63 ~
S63 ~
H元~ H5
H2 ~
H5 ~
H6 ~
H6 ~
S41/1 ~ S46
S41 ~ S52/12
S41 ~ S50
S42 ~ S53
S42 ~ S49
S42
S43 ~ S52
S43 ~ S48
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27
職名・所属
数 学
理 科
氏 名
細川 達
高橋 亘
小池 文夫
伊井野 通保
小野 久
田中 孝司
斉藤 寧
片桐 三郎
中谷 伸子
岡田 弘
白田 尚輝
荻原 康敬
町田 和生
禰津 朋彦
小林 槇男
川津 鉄礼
平岡 さゆり
内田 寛
濱中 俊仁
村野 文男
大久保 望
齋藤 優子
及川 秀子
福原 稔
菅又 基紀
五十嵐 俊典
加藤 陽一
黒澤 敏明
八木 寿郎
山田 幸博
濱中 俊仁
中里 健
佐藤 貴弘
秋山 秋子
黒崎 忠夫
森田 聡
河野 明夫
吉岡 幸隆
大久保 龍
小林 正晴
西川 緑
阿久津 和浩
舞薗 浩司
丸山 みち子
山﨑 修平
高水 典夫
近藤 正義
有元 則夫
栃本 忠良
舛田 辰郎
松本 夷男
花沢 廸明
貫井 茂
下田 知
金井 克明
川本 秀雄
早川 隆雄
遠藤 和雄
京本 隆
柿崎 晶子
林 道雄
藤川 博之
山崎 和敏
大桐 幸則
小笠 一樹
服部 知樹
篠塚 美夏
老固 勉
中島 和夫
津川 卓也
在籍年度
S47 ~ S61
S49 ~ S60
S49 ~ S54
S51 ~ S54
S53 ~ S61
S53 ~ S57
S54 ~ S58
S55 ~ H4
S55 ~ S57
S58 ~ H6
S58 ~ H6
S59 ~ S61
S59 ~
S60 ~
S61 ~ H4
S61 ~ H3
S62 ~
S63 ~
H4 ~
生物
地学
物理
生物
化学
物理
化学
地学
生物
化学
物理
生物
化学
化学
化学
物理
物理
生物
生物
化学
化学
物理
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27
S41 ~ S50
S41 ~ S49
S42 ~ S59
S42 ~ S55
S42 ~ S54
S42 ~ S50
S43 ~ S63
S50 ~ H2
S51 ~ S57/7
S52 ~ S54
S55 ~ H3
S55 ~ S63
S56 ~ S63
S56 ~ S63
S58 ~ S63
S59 ~
S59 ~
S60 ~
S60 ~
H元~
H元~ H5
H4 ~
111
職名・所属
理 科
保 健 体 育
芸
術
英
語
112
氏 名
清水 政義
飯山 高久
可長 清美
磯部 昭彦
山之口 和宏
江沼 直樹
柴野 文
赤羽 一郎
桑原 哲史
長谷川 博之
前野 貴美子
増渕 真弓
田村 糸子
佐藤 恵子
山﨑 仁士
磯野 良夫
下野 紀子
増島 輝次
保坂 邦雄
北原 文雄
佐藤 久男
加藤 修
栗岩 淳一
小西 輝幸
初道 恵美子
秋本 嘉一
原口 えり
重松 正寛
二階堂 国光
馬場 寿
酒井 嘉幸
藤原 大生
石山 彰義
柿添 佳子
川上 佳子
清見 昭
荒木 孝二
君島 達也
佐藤 賢司
大橋 一生
竹井 美矢子
鈴木 純子
嶋田 雅之
関 博文
北久保 靖司
高取 克明
伊藤 惠美子
吉川 みなみ
万田 友和
シャイ 久美
原田 洋子
小林 晴雄
野口 啓吉
石川 昌敬
長沢 明正
中沢 洋次郎
大越 なおみ
原 宣夫
小峰 和則
鈴木 朋子
岡部 芳広
宮﨑 多美子
車田 和寿
鈴木 久美子
須藤 剛
井上 雅文
大高 利之
浜島 良子
野村 紀久
永尾 二郎
■ 資料編
地学
生物
地学
生物
化学
物理
化学
生物
生物
化学
物理
地学
化学
地学
美術
音楽
音楽
音楽
美術
音楽
美術
音楽
音楽
音楽
美術
音楽
音楽
美術
音楽
美術
在籍年度
S41 ~ S49
S41 ~ S54
S42 ~ S63
S42 ~ S54/12
S43 ~ S52/12
S50 ~ S61
S53 ~ S55
S55 ~ H3
S55 ~ S62
S55 ~ H4
S56 ~ S63
S59 ~ H5
S61 ~
S61 ~ S63
S62 ~
H元~
H元~
H元~ H6
H5 ~
H6 ~
S42 ~ S52
S42 ~ S44
S45 ~ S49
S50 ~ S53
S53 ~ S63
S54 ~ H2
H2 ~
H3 ~
S41 ~ S44
S41 ~ S43
S42 ~ S47
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27
職名・所属
英 語
家 庭
氏 名
山崎 岳夫
渡辺 輝之
福田 健次郎
仁平 正男
伊原 緑
山口 喜美子
西内 弘人
塩田 春美
佐藤 文雄
宮尾 真人
木口 由美子
依田 清彦
佐々木 光男
徳永 松雄
小林 三代次
渡辺 敏子
秦 一夫
亀岡 美文
菅田 真代
高野 敏子
野田 隆
眞弓 かおる
志賀野 夫佐子
井上 佳子
矢島 利彦
木村 大二
纓坂 美穂
板谷 進
黒沢 令子
池田 麻奈
中村 良弘
岡野 明子
初海 三津枝
菅野 正則
北出 良子
山﨑 尋
田村 茂
平岩 順
青田 愛
牛込 久雄
村上 真輝
海老原 明美
前田 道子
風見 岳快
篠原 真奈美
石川 重行
新海 幸平
長谷川 正
青嶋 一
野澤 直規
渡邊(三宅)
七重
須田 英一
友光 厚直
川口 徹
堀米 信行
川野 一郎
笠木 由希
新海 多恵子
宮下 洋
加藤 文恵
栗原 郁夫
市川 憂樹
小山 治子
若井 康博
妹尾 ゆみ子
古川 敏子
江川 良子
中島 郁代
渡邊 康子
長田 三枝子
在籍年度
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27
S42 ~ S47
S42 ~ S46
S43 ~ S61
S43 ~ S50/12
S44 ~ S46/4
S45 ~ S50
S45 ~ S48
S46/5 ~ S48
S47 ~ S50
S48 ~ S57
S49 ~ S58
S50 ~ S56
S50 ~ S51
S51 ~ H4
S51 ~ S54
S51 ~ S54
S52 ~ S56
S55 ~ S63
S55 ~ S62
S55 ~ S62
S57 ~ H3
S57 ~ S58/12
S58 ~ H4
S59 ~ H3
S59 ~ H3
S59 ~ S63
S62 ~
S62 ~
S63 ~ H5
S63 ~ H5
H元~
H元~
H4 ~
H4 ~
H5 ~
H5 ~
S41 ~ S44
S45 ~ S52
S53 ~ H4
H元~ H5
H5 ~
113
職名・所属
家 庭
情 報
養 護
実習支援専門員
(旧 実習助手)
(H
経営企画室長
年度以前は事務長)
17
主 任
(旧 次席・主査含む)
主 事
(旧 一般事務)
114
氏 名
吉田(鎌田)
靖子
小宮山 雅子
仁神 康子
並川 朋美
羽野 みき子
梶 貴子
高島 みゆき
鈴木 民子
竹澤 美江子
俵川 高明
島田 元
古谷 昭代
石井 律子
松田 留美子
宮津 百代
春日 奈保
山口 紀子
山口 洋子
馬場 智子
青木 利夫
田多園 節雄
田畑 了
石橋 郁子
原島 重樹
伏見 忠
堀 敦子
舘野 文子
加藤 由紀子
林 陽一郎
市川 家康
石井 周次
伊野 一雄
菊池 久幸
奥住 茂
伊藤 禮之
助川 勝男
金子 弘
岩元 達郎
酒井 秀雄
柴田 進
片山 一比古
黒田 篤
新井 麻由美
伊藤 恵子
八巻 美枝
中村 正子
谷口 明
大久保 昌也
鈴木 友幸
小林 岳朗
川村 みさ子
渡邊 智子
鍋嶋 直樹
山田 和子
加來 宏章
佐藤 壽子
岡本 礼子
太田 幌一
大坪 一司
松川 泰子
小林 幸子
羽賀 典子
成内 頴一
荒井 道子
吉沢 実
横尾 正和
依田 春江
府川 俊江
外川 寿子
野島 清
■ 資料編
在籍年度
H6 ~
S43
S44 ~ S48
S49 ~ S50
S51 ~ S63
H元~
S47
S48 ~ S60
S62 ~
S41 ~ S44
S45 ~ S47
S48 ~ S51
S52 ~ S53
S54 ~ S61
S62 ~ H2
H3 ~ H6
S53 ~ S57
S58 ~ S61
S62 ~ S63
H3 ~ H6
H4 ~
S41/1 ~ S44
S41/1 ~ S44
S41/1 ~ S41
S42 ~ S51
S42 ~ S45
S43 ~ S49/5
S43 ~ S48/4
S45 ~ S50
S45 ~ S49
S46 ~ S48
S48/5 ~ S52
S49 ~ S52
S50/6~S54/11
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27
職名・所属
主 事
(旧 一般事務)
司 書
(司書教諭含む)
技 能
(旧 一般技能Ⅰ・Ⅱ、
業務員含む)
氏 名
菊池 範雄
金高 京子
穂坂 稔
上野 律子
宮城 千嘉子
旭沢 茂徳
戸部 健一
浅田 浩一
山田 裕紀子
浅田 光代
佐々木 卓也
宮澤 由紀子
武藤 加枝
山田 和子
河村 公義
小峰 利行
畠中 美知子
古平 路乃
吉田 敦
冨山 隆
関口 芳見
平 美佐子
清水 和子
布川 りか
島田 満智子
林 直子
山内 真美枝
佐藤 壮一
佐々木 雅美
若林 美果
小野 順子
川畑 忠行
安部 政佳
井上 力重
室井(鷲崎)
旬子
田中 陽子
中西 明子
島崎 明広
田村 恭一
近藤 直美
篠原 公枝
二木 レイ
坂本 路代
松根 勝也
松川 美砂
笹本 知宏
村久木 綾子
高田 敬子
吉田 尚樹
古藤田 博貴
岸川 浩史
稲垣 信子
永浜 郁子
増田 道子
廣井 季葉
増田 松江
海老名 このみ
島田 満智子
籠島 雪子
土方 勝男
内田 ウメ
岡田 薫子
小荒井 国夫
山下 久次
三神 イサ
馬場 文雄
小林 美武
佐々木 陽子
志茂 充彦
八代 倉充
在籍年度
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27
S50 ~ S53/11
S51/5 ~ S52
S52 ~ S57
S53 ~ S55
S53 ~ S55
S54/5 ~ S58
S54/12 ~ S57
S56 ~ S59
S56 ~ S58
S58 ~ S60
S58 ~ S60
S59 ~ S62
S59 ~ S60
S60 ~ H3
S60 ~ S63
S61 ~ S62
S61 ~ H5
S61 ~ H元
S63 ~ H3
S63 ~ H2
H元~ H5
H元~ H2
H2 ~ H5
H4 ~ H5
H5 ~ H6
H6 ~
H6 ~
H6 ~
S41 ~ S61
S46/7 ~ S47
S48 ~ S58
S59 ~ H4
技能Ⅰ
技能Ⅱ
技能Ⅱ
技能Ⅰ
技能Ⅱ
業務員
技能Ⅱ
技能Ⅰ
技能Ⅱ
技能Ⅱ
技能Ⅰ
S41 ~ S61
S41/6 ~ S60
S41 ~ S58/4
S41 ~ S48
S41 ~ S45/5
S44 ~ S46
S46/5 ~ S62
S49 ~ H4
S61 ~ H2
S63 ~
S63 ~ H6
115
技 能
(旧 一般技能Ⅰ・Ⅱ、
業務員含む)
職名・所属
非常勤職員
(旧 嘱託員)
講 師
英語指導員
116
氏 名
高見 芳見
井上 力重
川畑 忠行
篠原 公枝
坂本 路代
島崎 明広
石川 秀夫
田口 美和
柴田 智子
目崎 正明
佐伯 礼
石戸 キン
飯島 タマ
井上 昇二
林 哲二
林 信光
窪寺 隆雄
佐々木 守
中山 祐一
小阪 年雄
粟谷 きみ子
下野 富紹
高橋 俊
木下 孝治
江本 栄三
池亀 倭子
持田 好子
中村 洋一
緒環 三雄
菅井 博之
見須 慶子
蛭川 乃理子
岡田 富子
三島 由明
吉田 喜久
小川 武賢
中村 京子
平井 尚志
古川 祟子
沼屋 悦子
竹内 久恵
加藤 里花
石塚 史子
大洞 ゆかり
永井 美陽
嶋田 武浩
鈴木 智美
木村 博子
横田 ゆかり
吉永 清子
保井 俊一郎
深谷 希誉香
上村 綾子
島田 高志
守谷 充江 Glenn Warwick
Christopher Clayton
Joseph Peter Heilman
Phioip Steven Olson
Daniel Scheerwatzky
Colin McAulay
Charls Hunter Watson
Damien Anderson
James Ying-Pak Tag
■ 資料編
在籍年度
技能Ⅰ H5 ~ H6
技能Ⅱ
技能Ⅱ
主任
国語
家庭
養護
技能Ⅱ
技能Ⅱ
化学
物理
主事
日本史
世界史
技能
教育相談
保健体育
S62 ~ H3
S62 ~ H3
H2 ~
H2 ~ H6
H2 ~ H3
H3 ~
H3 ~
H3 ~ H5
H4 ~
H4 ~
H4 ~
書道 S55 ~
家庭
世界史
日本史
英語
国語
国語
保健体育
数学
家庭
世界史
家庭
英語
美術
世界史
化学
理科
音楽
生物
保健体育
家庭
芸術
国語
家庭
JET 青年
ALT
ALT
ALT
JET 青年
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27
創立50周年記念式典及び記念行事
日時 平成28年(2016)5月7日 午後1時30分開式
会場 オリンパスホール八王子
式次第
記念式典 記念行事
開式の辞 記念演奏
国歌斉唱 吹奏楽部
校長式辞 合唱部
東京都教育委員会挨拶 PTA&同窓会合唱「大地讃頌」
来賓祝辞 記念公演
来賓紹介 ダンス部
祝電披露 ビデオレター
記念品贈呈 本校卒業生 三浦友和氏
校歌斉唱 アンジャッシュ 児嶋一哉氏・渡部建氏
閉式の辞 学校紹介ビデオ上映
編集後記
日野高校も創立以来半世紀を迎えた。振り返れば、長い一本の道が続いている。その道から見える
風景をできるかぎり書き留めておきたい。そんな思いで始めた記念誌編集だが、触れられなかったこ
とも多く、50年の歴史のほんの一端を書き留められたに過ぎない。10年ごとに編まれている記念誌を
道標にしようと、丹念に確認してみた。どの記念誌を開いても生き生きと躍動する生徒たちの姿と、
真摯に向き合う大人たちの姿が立ち現れるようだった。今の私たちもその直向きさを失っていないだ
ろうか。先達の言葉を読むと、自問せずにはいられない気がした。
卒業生は1万数千人になる。その一人一人の記憶の中に、日野高校の50年の様々な場面が収められ
ている。
「おはよう」と笑顔で挨拶する友達の顔、土手から見る富士山、黒板に書かれた味のある文
字、体育館の舞台で賞状を受け取る先輩―日野高生が分かちもつ、それら一つ一つを集めてコラー
ジュにしたらどんな絵が出来上がるのだろう。そんなことを想像しながらの編纂作業だった。そし
て、もしこれからもそのコラージュは完結することなく描き足していけるとしたら、日野高校に縁を
得た私たちとしては、この上なく嬉しいことだ。
この記念誌を編むにあたっては、本当にたくさんの方々の力をお借りした。玉稿をお寄せくださっ
た方、執筆してくださった方、問い合わせに応じてくださった方、その方々に「ありがとうございま
した」と心からお礼を申し上げたい。その方々の労に報いるためにも読み応えのある記念誌にしなけ
ればと思い、編集者一同力を尽くした。果たして創立50周年にふさわしい一冊に仕上がっただろう
か。その判断は読者の方々に委ねることにしよう。
創立50周年 記念誌
発 行
平成28年(2016) 5月7日
発行者
東京都立日野高等学校長 小宮 德健
東京都日野市石田1-190-1
電話 042(581)7123
FAX 042(581)5835
編 集
創立50周年実行委員会 記念誌編集特命係
印 刷
ぎょうせいデジタル株式会社
東京都立川市曙町1-25-12
電話 042(522)3176
Fly UP