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利休信楽作品は復刻に不可欠な信楽地域周辺にしかないわら灰、長石

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利休信楽作品は復刻に不可欠な信楽地域周辺にしかないわら灰、長石
信楽焼伝統工芸士 重蔵、日光
2013,NO1利休信楽手洗い鉢
利休信楽作品は復刻に不可欠な信楽地域周辺にしかないわら灰、長石、土灰を使用
還元高温焼成に耐える高品質の天然信楽粘土にて作品を復刻しております。
補導所実習風景
【愛撫の心で土を練れ、生み出す心で形を作れ、炎のご
とく焼け】
信楽焼の歴史的な変遷について
奈良時代 聖武天皇が信楽に紫香楽宮を造営され総国分寺として甲賀寺に大
仏を建立するという盧舎那佛造立の詔を発表されました。山火事や地震がつ
づき断念され現在の東大寺に大仏を造成されました このことが瓦や日常食
器の信楽焼の始まりになったようです。本能寺の変の時代明智光秀に追われ
た徳川家康を岡崎に警護し助けたのが多羅尾一族であったことから幕府と信
楽のつながりが強固になり、献上茶壷に信楽焼が選ばれることとなりました。
これにより、全国的にも信楽焼が認識されることとなりました。
生産地としての優位性について
742年建造された予定で大仏が仙蔵さ
れるはずでした。紫香楽宮再現模型
大物陶器とは、縦、横、高さが30cm以上の陶器の総称であり、生産には通
常の陶器とは異なる高度な技術が求められます。大物陶器の産地としては信
楽の他に常滑(愛知県)と大谷(徳島県)があります。常滑は信楽に次ぐ大
物陶器の産地ですが、陶土を信楽より購入しており、原材料に関する配合ノ
ウハウやコスト競争力といった観点から、信楽に優位性があります。大谷は
信楽より大物ロクロの技術を導入し大物陶器の生産を開始した経緯があり、
生産規模が小さく、比較できる規模ではありません。このような理由により、
大物陶器の生産地としての信楽焼の優位性が高いことがわかります。
戦後間もなく、昭和天皇試験場訪問
大物ロクロ考案の歴史
大正時代奥田三代吉の考案による大物ロクロ成形の造り方上のものと下のも
のを切り離し造り上のものを半回転させてくっつける 継ぎ目を充分にくっ
つける技術、全体の形づくりに工夫が要求され現在に伝授されています。こ
の革新的な大物ロクロ技術によって生産が飛躍的に向上し 大きな陶器は大
量に日常製品として普及し、全国的に認知度を上げていきました。
大物ロクロ工芸士について
大物ロクロ技術は奥田三代吉士が考案し、奥田陶器夫士から当社の重蔵、そ
して日光に継承された技術です。この技術は高度な技量が求められるため、
通常のロクロ比べた場合、習得に多くの時間を要します。そのような理由か
ら、2013年2月現在、全国に大物ロクロ士は4名しか存在しないのが現状で
す。この希少な技術を守り、伝えていく役割が当社が担っていくべき使命だ
と感じています。
海鼠釉(明治時代)信楽代表
釉薬、コバルト原料が貴重な
時代天然材で考案された。
釉色が海鼠に似ているところ
から命名された釉薬
大きな陶製火鉢を作る
のが得意とする信楽焼
が昭和初期全国販売
シェア90%の製造拠点
でした。 ●JR東海道本線 石山駅下車 バス信楽行き 50分
●JR琵琶湖線 草津経由、JR草津線 貴生川駅乗りかえ
SRK信楽高原鉄道 信楽駅下車(JR草津駅から約1時間)
大物ロクロの成形技術
成形時のポイント
私は土が生きているよ
うに、感じています。
ろくろの回転に逆らわ
ず作業をしています。
伝統工芸士 重蔵 談
道
具
へ
の
こ
だ
わ
り
底ごて
自分の手
の一部の
つもりで、
作る 底
ごて内ご
て30年
使用
荒ごて
4方の角
を使って
厚みを均
等にし、
土を締め
ながらの
ばす
京ごて
角を
使って
表面の
スジを
消し美
しくす
る
内ごて
1年間水
につける
ことで年
輪の目が
つまり堅
くなる
利休信楽のボウル-­‐001炎杉灰 001-­‐31 本体価格¥19,000-­‐
W300×D310×H125 利休信楽のボウル-­‐002変形炎木灰 002-­‐29 本体価格¥18.000-­‐
W300×D290×H135 利休信楽のボウル-­‐003炎栗灰 003-­‐33 本体価格¥20,000-­‐
W330×D330×H120 利休信楽のボウル-­‐004平津長石藁灰 004-­‐30 本体価格¥18,000-­‐
W300×D300×H125 利休信楽のボウル-­‐005耳付平津長石松灰 005-­‐34 本体価格¥20,000-­‐
W300×D340×H120 利休信楽のボウル-­‐006変形青古信楽平津長石 006-­‐35 本体価格¥18,000-­‐
W300×D350×H135 利休信楽のボウル-­‐007角青古信楽長石 007-­‐33 本体価格¥20,000-­‐ W300×260×D330×H125 利休信楽のボウル-­‐008耳付火色古信楽平津長石 008-­‐33 本体価格¥19,000-­‐
W300×D330×H125 利休信楽のボウル-­‐009白泥千紋様 009-­‐33 本体価格¥20,000-­‐
W330×D330×H120 利休信楽のボウル-­‐010白泥描落紋様 010-­‐32 本体価格¥19,000-­‐
W270×D320×H135 利休信楽のボウル-­‐011黒天目藁灰 011-­‐30 本体価格¥18,000-­‐
W300×D300×H135 利休信楽のボウル-­‐012変形黒天目松灰 012-­‐29 本体価格¥20,000-­‐
W300×D290×H135 利休信楽のボウル-­‐013赤天目柞灰 013-­‐30 本体価格¥19,000-­‐
W300×D300×H135 利休信楽のボウル-­‐014黒泥立渥紋様 014-­‐30 本体価格¥18,000-­‐
W300×D300×H135 利休信楽のボウル-­‐015黒泥千引渥紋様 015-­‐31 本体価格¥19,000-­‐
W310×D310×H120 利休信楽のボウル-­‐016海鼠(なまこ) 016-­‐33 本体価格¥19,000-­‐
W330×D330×H120 利休信楽のボウル-­‐017変形海鼠(なまこ) 017-­‐29 本体価格¥18,000-­‐
W300×D290×H135 利休信楽のボウル-­‐018変形飴釉土灰 018-­‐29 本体価格¥18,000-­‐
W300×D290×H135 利休信楽のボウル-­‐019窯自然釉松灰 019-­‐34 本体価格¥18,000-­‐
W300×D340×H110 利休信楽のボウル-­‐020黄金焼締め 020-­‐31 本体価格¥20,000-­‐
W310×D300×H120 利休信楽のボウル-­‐021木灰窯変 021-­‐30 本体価格¥18,000-­‐
W300×D300×H135 利休信楽のボウル-­‐022栗灰窯変 022-­‐31 本体価格¥19,000-­‐
W310×D310×H120 利休信楽のボウル-­‐023松灰窯変 023-­‐29 本体価格¥18,000-­‐
W300×D290×H135 利休信楽とは
室町時代になると、茶がおこりわび茶(書院における豪華な茶の湯に対し、四畳半以下の茶室を用
いた簡素な茶の湯を指す。又は千利休の茶道全体を指す。)の求める日本本来の美、『わび、さび』と
焼締めの陶が持つ素朴さが一つになり、村田珠光(むらた じゅこう)応永29年(1422年)室町時代中期
の茶人「わび茶」の創始者と目されている人物が信楽の焼物をお茶の道具として取り入れている。
利休信楽と言われるものがある。これは千利休(1522-1591)が武野紹鴎(たけの じょうおう)、文亀2
年(1502年)や珠光が茶の湯の世界に取り上げたと同じように、信楽の焼き物の持つ風流な味わいと
利休の茶の湯の精神とが合致したからである。そして、利休の好みを信楽の陶工に指図して茶道具を
造らせた。これが利休信楽である。
日用雑器の中に新たな美を見つけ茶の湯に取り込もうとする彼の態度は、後に柳宗悦 やなぎ むね
よし、明治22年によって始められた「民芸」の思想に生きる。 こうして信楽焼も、16世紀の中頃から、
すり鉢、甕(カメ)、壷以外に、茶の湯の道具をも焼くようになっていく。それは、信楽焼きの持つ素朴さ、
わびとさびの美を備えた信楽焼きが、茶の湯の精神と合致し、それまでの日用雑器としての信楽と共
に美術品としての信楽焼の面をもって行くことになる。
<重蔵窯(工場内窯跡)明治末期に3代目重蔵が築炉し昭和40年まで火鉢を焼成してきました。> 利休信楽手洗い鉢の設置方法のご注意
●本作品は埋め込みタイプではありませんので、設置方法にはご注意ください。
●配水管の接続部は必ずシールをして下さい。漏水で家財などをぬらすおそれがあります。
排水金具 SAN-­‐EI :PH31-­‐25丸鉢排水栓 パイプ径25mm用 製品材質:黄銅:NBR:SBR 他社排水金具に変更する場合がございます。 (パイプ径25mm用規格は同じに) 利休信楽手洗い鉢使用上のご注意
本作品は、信楽焼の陶製品です。ワレモノですので取扱いには十分ご注意ください。
●配水管の接続部は必ずシールをして下さい。漏水で家財などをぬらす財産損害発生のおそれがあります。
●作品によっては表面及び内面のザラ付き等にご注意下さい。
●重量物を洗ったり、堅いものなどで強い衝撃を与えないようにご注意下さい。破損のおそれがあります。
●破損した際のお取り扱いは、けがをしないよう十分に気を付けて下さい。
●お子様がご利用になる際はお取り扱い上の注意をご指導下さい。 お手入れについて
●利休信楽は土物ですので陶磁器の洗面鉢に比べると多少は汚れやすいです。洗面鉢は汚れにくい加工をしております。 ●汚れた場合は、中性洗剤を古い歯ブラシなどに付け、 こすって頂ければ きれいになります。 販売店
納期、品質、特注作品について ●在庫切れの場合、約2か月お待ちください。 ●特注作品のご要望はお見積りと納期をお知らせいたします。 ● 重蔵窯手洗い鉢は一作品づつ手作り作品の為カタログより
色調子、形、サイズが窯により多少異なる場合がございます。
●貴重なわら灰など、天然粘土を使用復刻 したため月の作品数に限りがございます。
信楽焼伝統工芸士 重蔵、日光
2013,NO1琴音手洗い鉢
利休信楽作品は復刻に不可欠な信楽地域周辺にしかないわら灰、長石、土灰を使
用
還元高温焼成に耐える高品質の天然信楽粘土にて作品を復刻しております。
補導所実習風景
【愛撫の心で土を練れ、生み出す心で形を作れ、炎のごとく焼け】
利休信楽とは
室町時代になると、茶がおこりわび茶(書院における豪華な茶の湯に対し、四畳半以下の茶室
を用いた簡素な茶の湯を指す。又は千利休の茶道全体を指す。)の求める日本本来の美、『わび、
さび』と焼締めの陶が持つ素朴さが一つになり、村田珠光(むらた じゅこう)応永29年(1422年)室
町時代中期の茶人「わび茶」の創始者と目されている人物が信楽の焼物をお茶の道具として取り
入れている。
利休信楽と言われるものがある。これは千利休(1522-1591)が武野紹鴎(たけの じょうおう)、文
亀2年(1502年)や珠光が茶の湯の世界に取り上げたと同じように、信楽の焼き物の持つ風流な味
わいと利休の茶の湯の精神とが合致したからである。そして、利休の好みを信楽の陶工に指図し
て茶道具を造らせた。これが利休信楽である。
日用雑器の中に新たな美を見つけ茶の湯に取り込もうとする彼の態度は、後に柳宗悦 やなぎ
むねよし、明治22年によって始められた「民芸」の思想に生きる。 こうして信楽焼も、16世紀の中
頃から、すり鉢、甕(カメ)、壷以外に、茶の湯の道具をも焼くようになっていく。それは、信楽焼きの
持つ素朴さ、わびとさびの美を備えた信楽焼きが、茶の湯の精神と合致し、それまでの日用雑器と
しての信楽と共に美術品としての信楽焼の面をもって行くことになる。
<重蔵窯(工場内窯跡)明治末期に3代目重蔵が築炉し昭和40年まで火鉢を焼成してきました。> 信楽は、付近の丘陵から良質の陶土がでる土地柄である。長い歴史と文化に支えられ、
伝統的な技術によって今日に伝えられて、日本六古窯のひとつに数えられている。
信楽特有の土味を発揮して、登窯、窖窯の焼成によって得られる温かみのある火色(緋
色)の発色と自然釉によるビードロ釉と焦げの味わいに特色づけられ、土と炎が織りなす
芸術として“わびさび”の趣を今に伝えている。
信楽の土は、耐火性に富み、可塑性とともに腰が強いといわれ、「大物づくり」に適し、か
つ「小物づくり」においても細工しやすい粘性であり、多種多様のバラエティーに富んだ信
楽焼が開発されている。
ビードロ
釉
自然釉
茶壷(ちゃつぼ)は、抹茶になる前の葉茶「碾茶」
を入れる壺のことです。 茶壷は、正式には「葉茶壺」(はちゃつぼ)といい、
挽き上げた濃茶を入れておく壺は「抹茶壺」とか
「碾茶入」といい、一般的には「茶入」と呼ばれ、
茶入を「小壷」と呼ぶのに対し「大壷」ともいいま
す。 茶壷の中には、紙袋に入れた幾種類かの濃茶
用の碾茶を収め、その周りに「詰め茶」といわれ
る薄茶用の碾茶を入れ、木製の蓋をし三重に和
紙で包み貼りして封印をします。 茶壷は、信長・秀吉が書院の飾り道具に用いた
ことにより、諸大名もこれに倣い争って茶壺を求
め、利休時代では茶器の中でも筆頭道具として鎌倉時代から瀬戸・祖母懐物があり、室町時代
尊重されました
から信楽・備前・丹波などで焼かれた。
利休信楽の茶壺水琴窟復刻
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