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京豆腐 鳥本健介・水町洋介・岡田朱民

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京豆腐 鳥本健介・水町洋介・岡田朱民
岡田、鳥本、水町
1
も
◇ルポをはじめるにあたって
く
じ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
◇嵯峨豆腐「森嘉」について書かれた「豆腐道」から探ってみる
◇京都の地下水について
◇豆腐職人に聞く!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7
◇豆腐職人のこだわりを知って・・・
◇豆腐の知識
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10
◇漫画「美味しんぼ」から本物の豆腐を斬る!
◇京都「あだしの念仏寺」
◇全体まとめ
◇ルポを終えて
・・・・・・・・・・・1
・・・・・・・・・・・・・・・・・17
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・19
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・22
2
◇ルポをはじめるにあたって
京都の名産物と水の関係について調べてみることに・・・
京都の名産物には、お酒や豆腐、京野菜、漬物などがある。これらに共通するものとして、
“水“が
考えられる。名産物といわれるゆえんは、京都の水なのではないか。私たちは、これらの名産物を通
じて見えてくる水の秘密について調べてみたいと考えた。
そこで、京都のお豆腐屋さんでは地下水を利用しているところが今でも多いと聞くので、京都の豆腐
について調べ、豆腐に隠された地下水について探ってみようと思う。そして、京都の地形と水の歴史
や現代社会における水事情についても調べ、私たちに教えてくれるお宝性について考えてたいと思う。
◇嵯峨豆腐「森嘉」について書かれた「豆腐道」から探ってみる
「森井源一:豆腐道,新朝社,2004.」からの抜粋
はじめに
森嘉のお豆腐の需要が伸び始めたのは、昭和 40 年代の半ばぐらいからである。まず、その頃から、世
間一般的にお豆腐の需要が増え始め、そこへもってきて、嵐山や嵯峨野が観光地となり、どんどん人が来
るようになった。
同じ頃、天竜寺塔頭の妙智院というお寺の奥さんが、禅宗のお寺のお客さんに対する最高のもてなし料
理であるお豆腐を使った料理をはじめられた。ごま豆腐や湯豆腐である。そのときに森嘉の豆腐を使って
もらい、それがこのあたりの湯豆腐の始まりである。だから、東山の湯豆腐とかと違って、西の湯豆腐は
歴史的にはすごく浅い。
森嘉の豆腐の生産は、大きな機械を使って大規模な量を生産していると思われているが、実は機械等な
くて、道具的なものしかなくて、お釜であれば、どういうふうに炊き上がってきたら炊けているかとかは、
結局目で確認している。例えば、豆漬けしようと思った場合、タイマー式の蛇口をセットしておけばいい
のかもしれないが、それでは仕事を覚えたことにはならない。毎日天気は違う。その豆を見たときに、何
割浸っているのか、七割なのか八割なのか、完全にふやけているのか。浸すのをもう少し早くしようか、
遅くしようかというのを毎日体で感じているわけである。
森嘉では、豆を計るところから、水に漬けるところから、みんな一人ひとりの手でやっている。すごい
設備で、すごい量を生産している工場ではない。森嘉の豆腐に秘密があるとすれば、そういうところにあ
る。
1.森嘉の歴史
森嘉の歴史は、安政年間(1854~1860)から。それ以前のことは、森嘉の宿墓のお寺が燃えてしまい、
ここまでしかさかのぼれない。
角倉了以(江戸初期の豪商・土木家)が保津川を開き、丹波から材木を流して送ってくるのを受ける
木挽き職をもともとやっていて、その頃森嘉に嫁いできた嫁さんが、お豆腐の道具を持ってきて豆腐を
作っていたらしい。それがいつ頃か専業になってきた。
三代目は、次男の庄太郎じいさん。長男は大陸(大連)に渡ったので、次男が「森井商店」という豆
腐屋をやっていた。四代目(五代目源一氏の父)は、支那事変で大陸に渡り、一度帰ってきてからまた
現地召集となって大東亜戦争に行っている。日本に戻ってきたのは、昭和 21年ぐらいだった。
父親は、中国にいたとき、豆腐村のあたりも通っていたのではないかと思う。
「中国は豆腐留学したよう
なもの」とよく言っていた。
日本では、その頃も凝固剤としてにがりを使っていたけれども、大連の方では石膏、つまり硫酸カル
シウム、澄まし粉といったりもするが、それを使っていた。それで、終戦になって帰ってきたら、にが
りが手に入りにくかったので、代わりの凝固剤としてすまし粉という商品を使い出した。
にがりの場合は、凝固させるときむらむらと蛋白だけが固まるので、どうしても水分が離れてしまい
お豆腐が堅くなる。しかし、すましこの場合は、水分も一緒に固める為、堅さは自由にできる。おぼろ
を細かくつぶせば堅くできるし、大きいまま積み重ねれば柔らかくなる。大きいまま積み重ねるという
のを父親がやっていた。だから、
「箸にもかからんのが森嘉の豆腐や」といわれたこともある。この柔ら
かい豆腐は、川端康成の『古都』にも出てくる。このころ、三代目と四代目でひと悶着あったようで、
3
すまし粉で固める父の豆腐でやるのか、にがりを使った庄太郎じいさんの豆腐でいくのかと。結局柔ら
かいけれども評判になってきたということもあって、庄太郎じいさんが手をひいたんだと思う。
2.豆腐作り
森嘉では、薪で炊く地釜を使っていた。地釜は火の加減が難しい。お湯を沸かした後、沸いたお
湯の中にすりつぶした大豆の呉をいれて、それを焦げ付かせないように炊き上げる。それが生炊けにな
ってはダメだし、ちょっとでも炊けすぎたら焦げてしまうので、かなりシビアな作業なのである。それ
を上手く炊き上げることによって、お豆腐に香ばしい豆を煎ったような匂いが移ったり、炊き足らなか
ったら青臭い豆腐になったりする。それを焦げ付かさないように上手く炊き上げるのが難しい。ガスの
火力じゃダメで、無限の火力がある薪じゃないといけない。熱ではない、火力なのである。薪で炊いて
いても、途中で薪がへたってしまってあとで薪をたすと、一旦火がふさった状態になって釜の肌に呉が
引っ付く。それでまた、炎がたったときに、そのひっついた呉が焦げてしまう。だから、ずっと炎が立
った状態で炊き上がるまでを維持しなければならない。そのためには、薪運びが重要になってくる。
薪にする木でベストなのは、クヌギである。あとは、中木といって、栗の木とか桜の木とかいろいろ
混ざったやつを使う。でもクヌギが一番いい。火持ちがいいから。マツは、送風機を使わないときは燃
えやすくていいが、火力を得るときは送風機を使っている。
昭和 42 年、豆腐製造業が中小企業近代化促進法の指定業種になった。それは、言ってみれば、均一な
商品を大量に作って全国に安価で売ることを促進する法律であった。合同で企業を立ち上げて、一箇所
に豆腐工場を作る。そしてもとからある小さなお豆腐屋さんが販売店になってその豆腐を売る。あるい
はスーパーに流す。そういう方式に変わった。その中で、四代目は「それは豆腐やない。豆腐というの
は、そういうもんやない」と反対した。その頃から、森嘉の豆腐は、よそと変わってきた。本来の豆腐
でいいんじゃないか、おいしいものを作ろうじゃないかということだった。
3.大豆と地球環境
使う大豆は、前年に穫れたものである。以前は、その年の秋に収穫したのもが11月の半ばぐらいに
入ってきていた。しかし、入札制度になってからは、年が明けないと入ってこなくなった。大きな組織
が検品したものを入札するというシステムだが、日本の農業制度では、お米が第一であるからお米を先
に入札にかけられる。それが終わらないと大豆まで手がまわってこない。だから、平成 15 年産が 15 年
のうちに出荷されるというのは本当に稀で、必ず 16 年にずれ込む。ひどいときには、それが2月半ば
から5月半ばまでぐらいかかる。昔は今ほど大豆の保管状況がよくなかったから、梅雨を越すと大豆の
力がなくなるといわれた。大豆を収穫してからいかに早く市場に出てきたかを考える。
大豆の品種は、エンレイ、タマホマレ、フクユタカ、さらには京都で開発したオオツルとかがある。
オオツルとかは、糖分が高すぎて豆腐にした場合、いつまでもが口の中に甘みがベターとはりついたよ
うに残る。やはり、お豆腐というのは口の中に入れて、甘みがきて、のどごしと甘みが消える方が次に
食が進む。現在、森嘉で使っている大豆はエンレイ種である。作業性がいいということと、大豆が本来
持っているかすかな甘みがあるから。以前からは製品安定の為、アメリカ産の大豆も取り入れている。
日本の大豆の品種は少しずつ変わってきている。それには、地球温暖化が影響していると考えられる。
平均気温が上がってくると、だんだん九州あたりで作っていた大豆の種類が北上してくる。その品種が
北上した土地に馴染むのかどうかもあり、大豆を扱う側としてはやりずらい。また、エルニーニョ現象
などで、大豆が不足し、日本へ回ってこないことが起こった。日本の自給率が 40 パーセントを割って
いるが、せめて 50~60 パーセントぐらいに持っていかないと、いざ何かあったときにはお手上げ状態
である。天候異変が起こった場合は、しっぺ返しを食らうことになる。
4.石臼の力
森嘉では、戦後ちょっとしてグラインダーにとってかわるまで、百十年間か石臼を使ってきた。擂れ
るのは遅いが、呉がやわらかくなっても水の上に浮く。それまで使っていたグラインダーでやわらかく
大豆を擂りつぶすと、薪で炊く釜だったので呉が沈み底に焦げ付いていた。そうすると固く擂らないと
水の上に浮かないので、浮くように固く擂ると、呉が熱を持ってしまう。そうすると、擂り上がったら
すぐにお釜の中に入れてしまわないと、たんぱく質の熱変性が起きるのでちょっと歩留まり(材料効率)
が悪くなる。しかし、グラインダーは石臼に比べて早く擂れるという点で便利であった。しかし、
「NH
K市民大学」で「石臼は熱を持たない」といっていたことから、石臼でお豆腐を作ってみたいと思い、
4
研究を始めた。まずは、作業効率を考えたり、生絞り用の石臼原理応用のグラインダーを作っていると
いう東京の会社に行ったりした。また、石臼で使う石を探すのも大変であった。
こだわって新しい石臼を作ったが、かかったお金はバカ高く全部で 500 万円ぐらいかかった。豆腐の
機械屋さんは、石臼がいいというのはみんなわかっているが、コストが高すぎて、能率も悪いし売れな
いといっている。グラインダーに比べたら、断然作業効率はわるい。しかし、森嘉では、地釜に薪を使
って炊いているから、ひと釜が炊きあがるまでに擂りつぶせたらいいので
ある。グラインダーの場合、それが炊きあがるまえに擂りつぶせてしまう。そうすると、おいておく
時間が長くなるからたんぱく質の変性が起きて、収量が少なくなったりする。石臼の場合、時間がかか
るなと思うのは、一番最初のひと釜分だけで、あとは連続作業で動いていける。ちょうど炊ける前に擂
りつぶせて、焦げずに炊きやすくなった。収量もよくなった。高いものではあったけど、かえって作業
がスムーズにいくようになった。スムーズに流れて、回転数が低いから、仕事をしていてもものすごく
気分が楽になった。機会に追われているという感じがなくなり、自分たちが使っているという感じで、
のんびり仕事ができていると思う。
5.豆腐と水
水は、上水道は使わず、地下水一本である。
昭和 51 年に、中京区の旅館で食中毒が発生した。その旅館で使っていた井戸水から細菌が見つかっ
て、それが原因であったとの事だった。それをきっかけに、缶詰用の冷却用、上水道のない地域の上水
道用として以外は一切使ってはならないという市の条例が出された。それに対して豆腐屋の組合は反対
運動を起こした。その結果、口頭ではあるが、
「滅菌すればつかってもよい」という回答があって、森嘉
でも地下水を使っている。
森嘉では、地下水を塩素滅菌している。しかし、地下水でも普通の浅井戸であれば、下水などが浸透
して流れ込んで細菌がわくこともあるが、中深層というか、地下 20 か 25 メートルより下であると、ほ
とんど雑菌も大腸菌もいない。森嘉では、地下 28 メートルと 32 メートルと2つの層から取っている。
地下には、いい層、金気のある層などいろいろな層がある。井戸を掘る時には、掘った砂に番茶をか
けると鉄分があると真っ赤になったり、黒くなる。そうやって何メートルの砂、何メートルの砂と簡易
検査をしながら掘り進んでいく。礫があったり、砂混じりの礫があったり、砂利になったり、砂になっ
たりといろいろな層があるが、その中の一番金気の少ない層から水をとる。
京都のどこの水がいいかと言われたら、洛西だと松尾大社、清水寺の音羽の滝、あと御所の中や千家
さんのところの井戸などもいいのでは。まだ、井戸水を使っているところは結構あるが、地下鉄工事が
あってから、水脈が切れてそのあと戻らなかったところもあったようである。
京都の水道は、琵琶湖の水だから夏場は赤潮が発生したり、藻が発生したりして臭気がきついし、水
温が高いので豆腐の製造には使えない。地下水の温度は年間を通じて 17 度。だから、井戸水は生命線
なのである。
京都の水質は、渇水期になるとマンガン質が多くなる。もともと土壌にマンガン質が多く溶け込んで
いるので、それが渇水期になると数値が高くなる。マンガンが多いと塩素と反応して鉄管にコレステロ
ールのように黒いものがたまってくる。それを付着させないようにと塩素濃度を少し上げると、水に色
が着き出す。透明な水ではなく、色度が上がったりする。銀の杯に入れると、ちょっと赤みがかかった
茶色っぽい水に見える。塩素滅菌しなければそんなことはないが、衛生局との約束なので守らないとい
けない。塩素滅菌する以外には、ろ過方法もあるが、使う水の量が多いので、ちゃちな装置では通用し
ない。
日本の水は、昔に比べればもうだめである。山も汚染されているし、植林されているところであれば、
その水はもうだめである。山の水はきれいやというのはとんでもない。山は、廃棄物の処分場になって
いたり、ゴルフ場ができたりしているから、農薬やカドミウム、ヒ素、水銀・・・なんでもでる。日本
はミネラルウォーターを買う国ではなかった。こんな状況になったのは、行政の怠慢もあるし、みんな
がひとりひとり汚さないということを強く思わないから。
森嘉の真髄
お豆腐というのは、地域があっての食品だと考えている。あくまでもその路線をはずれなようにと思
ってやっている。味もそのときの気温とかを考えて出しているし、
「この嵯峨の気候風土全てが味のうち」
であるから。その土地で、その日に作ったものをその日のうちに食べていただくというのが一番である。
だから、京都の豆腐ではなくて、嵯峨の豆腐なのである。
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◎豆腐作りには、大豆や水などの材質、気候や気温などの環境、そして石臼や釜炊きなどの
製造用具など様々なことが重要であることがわかった!そしてさらには、職人の豆腐作り
に込められた情熱がおいしい豆腐の秘訣であることがわかった!
おいしい豆腐作りのために必要な地下水についてさらに探ってみることにする!
◇京都の地下水について
1.京都の地下水
豆腐に限らず、京野菜、伏見の酒、友禅染など京都の文化と水は非常に密接な関係にある。しか
しなぜ京都の地下水が豊富なにか、京都の地下水が文化の利用に適しているのか、ほかの地域のも
のとどう違うのかという疑問が浮かび上がってきた。それを解決するためにも、京都の地形という
自然地理学的な観点や水質や歴史など他角度から京都の地下水を見つめなおすことにした。
1)地形
京都の地形は、北、東、西の三方を襟のように取り囲む山々や、南へとなだらかに続く下り坂
の京都盆地、そしてそこを帯のように流れる桂川、鴨川、宇治川、木津川という最後は淀川に繋
がる川々から成り立っている。また、北部は大森林地帯であり、山林が 70%を占めているという
のも大きな特徴である。市内中央部の平地は、加茂川と高野川からなる複合扇状地である。
このような地形になったのは今からおよそ 80 万年前といわれ、この地形が良質の地下水を生み
出したといわれている。その秘密は、上記のような地質と、地価の岩盤にある。天王山や男山、
京都盆地を取り囲む山々はすべて「古生層」といった特別な地質で出来ていてその特徴のひとつ
がきわめて固い岩盤であるということに着目したい。そのため、水を大変通しにくく、普通なら
地下から染み出てしまうはずの水は、どんどん地下に溜められていった。またこの岩盤の形状が
通常の岩盤の形状とまったく違っていて、京都盆地の地下はお椀のような形をしていた。京都盆
地の地下は東西12km、南北30km、もっとも深いところでは深さが 80m 近くにもなり、蓄えら
れている水量は約 211 億トン(琵琶湖の水量 270 億トン)という莫大な量なのです。要するに雨水
が、山地や扇状地などで濾過されて大地にしみ、そのきれいな水が地下の受け皿にたまり大量の
良質の地下水ができたということである。
2)水質
京都の地下水は年間を通して温度が18度前後と一定である。これは 1 年を通して同じ状態の
水で作業ができるということを意味する。そして成分的な大きな特徴として京都の地下水には「金
気」が少ないということがあげられる。つまり、鉄分が少ないということである。染物では鉄分
が多い水だと赤茶けた色になってしまうこともあり、文化に適した水質といえる。また、酒をつ
くるためには、酒米の産地が近く、良質の水が豊富であることと、厳しい寒さとが必要である。
活断層運動でできた盆地の底冷えと、破砕帯を流れる地下水がまさにこの条件を満たしている。
そして、カルシウムやマグネシウムを適度に含んだ伏見の名水は京料理にあう、酸の少ない、な
めらかできめこまやかな風味の伏見の名酒を生んだといえる。また、この盆地の冷え込みと、名
水は京野菜にも通ずるところがある。硬度による水の特徴は、地下水が通過する地層のちがいに
よって表われる。伏見(京都)の地層は花崗岩であり、ほどよい量のミネラル分が水に溶けだし
てくるため、硬度 60~80mg/L の中硬水となっている。
2.地下水が本当においしいかどうかの実験
その 1
地下水が飲めるかどうかは緑茶で試験すればわかるとのこと。早速この地下水と、違う層から
取った水質が良くない地下水それぞれに緑茶を注いでみると、水質の良くない地下水は、数分で
真っ黒に変色しました。これは、水の中に鉄などの金属が多く含まれていると緑茶の中のタンニ
6
ンと反応して色が黒く変化してしまうからなのです。このお茶の試験に合格した地下水はとても
美味しく飲めました。
その 2
東京の地下水と京都の地下水を比較するため、それぞれの水で昆布ダシをとってどちらが美味
しいか対決してみました。審査員は舌には絶対の自信を持つ3人のソムリエの方々と特別参加の
佐藤アナ。慎重なテイスティングの結果、なんと、佐藤アナ以外の全員が京都の水でとったダシ
が美味しいと選びました。感想を聞いてみると、京都の水は、余韻が長い、奥が深いというのに
対し東京の水は、苦味や雑味を感じるとのことでした。一体どういうことなのでしょうか?実は
ダシを取っている時に東京の水の方が灰汁が多く出ていたのです。この灰汁こそが、昆布ダシを
飲んだ時に感じられる雑味の元だったのです。
なぜこのような差が出たのか?その理由は硬度の差にありました。硬度とは、水に含まれてい
るカルシウムやマグネシウムなどのミネラルの量を表します。硬度を比較してみると、京都の水
は15度、東京の水は150度と、東京の水はミネラルが10倍も多かったのです。東京のよう
な硬度の高い水でダシを取ると、昆布のうま味成分グルタミン酸が水のミネラル分と結びついて
灰汁になるのです。素材の味を活かす京料理にはやはり京都の水が適していたのです。関東の水
が関西の水より硬度が高いのは関東地方が火山灰土壌で、ミネラルが溶け出しやすい性質を持っ
ているからなのです。一般に、カツオなどの魚介系ダシの場合は魚の臭みを取る硬度の高い硬水
の方が向いていると言われています。
3.京都の名水
三方を山に囲まれ桂川と鴨川に挟まれた京都は、伏流水が涌き出る井泉も多く、茶の湯の発達
した室町時代以降、茶の名水とされるものも数多くあった。今では言い伝えのみが残っている所
や場所すらわからない所もあるが。それでも今も昔と変わらずに涌き出ていて、飲むことの出来
る名水もたくさん残っている。自由に飲むことの出来る所と、山からの涌き水については、以下
の通りである。
染井 (梨木神社)・・・・・・・・・・・室町時代からの名水。(京都市上京区染殿町)
亀の井 (松尾大社)・・・・・・・・お酒の神さまの水。(京都市西京区嵐山宮町)
神供水 (若一神社)・・・・・・・・近年復活した神水。(京都市下京区七条御所ノ内本町)
不二の水 (藤森神社)・・・・・・三代目の神水。(京都市伏見区深草鳥居崎町)
御香水 (御香宮神社)・・・・・・香り高い伏見の名水。(京都市伏見区御香宮門前町)
音羽の滝 (清水寺)・・・・・・・・誰でも一度は行きました。(京都市東山区清水一丁目)
祇園神水 (八坂神社)・・・・・・力水と呼ばれ、美人になります。(京都市東山区祇園町北側)
独鈷水 (柳谷観音、楊谷寺)・・眼病に効く名水。(長岡京市浄土谷柳谷)
花背峠 山の水・・・・・・・・・・・・・北山の奥深い山の水。(京都市左京区花背別所町)
水尾の里 山の水・・・・・・・・・・・杉林からの冷たい水。(京都市右京区嵯峨水尾)
町角の名水 (柳水町内)・・・・普通の地下水ではありません。(京都市中京区柳水町)
貴船神社 神水・・・・・・・・・・・・京都の水を司る神水です。(京都市左京区鞍馬貴船町)
板橋白菊の井戸・・・・・・・・・・・・伏見では小学校にも名水が。(京都市伏見区下板橋町)
天之真名井(一姫神社)・・・・・・女性にお勧めの名水。(京都市下京区河原町五条下る)
真名井 (出雲大神宮)・・・・・折り紙つきの名水。(亀岡市千歳町出雲)
京見峠の水 山の水・・・・・・・・京見峠の山道に湧き出るおいしい水。(京都市北区鷹峯)
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4.京の水事情
1)琵琶湖疎水の計画
都市機能の再生のために、明治前期に造られた琵琶湖と京都を結ぶ水路。第1期工事は18
85年(明治 18)起工、1890年(明治 23)に完成した。計画時の目的は第1に水運で、
北陸から琵琶湖上を運んだ物資を大津で牛車に積み替えずに運ぶこと。第2は灌漑、第3は動
力源確保で、第4は飲料水確保だった。指揮を執ったのは東大工学部の前身である工部大学校
を出たばかりの田辺朔郎(1861~1944年)で、日本人だけで行われた。疏水開通によ
り蹴上発電所が設けられ市内の電化が進み、1895年(明治 28)には市電が走るようになっ
た。一方、高瀬川曳舟人足の失業や南禅寺付近の掘削工事による井水枯渇などの問題も発生し
た。
この計画には賛否両論が起こる。
(反対側の意見の一例)
・滋賀の水を京都盆地に流し込めば、鴨川の水が変質し、京美人が台無しになる。なぜなら
京都の女性は鴨川の水で顔を洗うから色白なのである。
・滋賀の水が入ることによって、京都の水の特性が失われる。これは明治時代の京の人々の
水に対する誇りが現れている。
2)人々との結びつき
京都は日本で一番銭湯に水風呂が多い。なぜなら、地下水が年間を通して温度が一定で、水
温調節が必要なく、水風呂にピッタリだから。 こんなところでも京の人々と水の関係が見え
る。
3)他の水との比較
京都の水を東京の水と比較すると・・・
硬度は京都の水が 15 度、東京が 150 度。つまり 10 倍の差がある。
料理をするとき、硬度が高いと他の素材と水の味が結合してしまい、素材の味が生きない。
京都の水は軟水なので素材の味を生かすことができる。
4)京都の川と人々
堀川灯篭祭り・・・枯れ川になった堀川の清流復活を願う祭り。京の人々の水に対する思い
入れの深さが伺える。
今も京の地下には、良質な水が流れている。これは大都市では珍しいことである。京の都が千
年も続いたのは、豊富な地下水により農業や生活が守られたから。
◎豆腐に限らず、京野菜、伏見の酒、友禅染など京都の文化は、豊富な地下水と密接
な関係にあることがよくわかった!そして、地下水が京の都が千年も続いた秘訣だ
とわかった!
そこで、実際に豆腐作りに専念されている職人さんの声を聞いてみることにする。
8
◇豆腐職人に聞く!
1.訪問日:6 月 7 日(木)15時~
2.訪問先:竜安寺禅豆腐 六田
〒616-8017 京都市右京区竜安寺五反田町 14
3.対話の内容
Q1:京都の豆腐は、京都の名産物の一つになっているが、豆腐作りでこだわっていることがあ
れば教えてください。
A1:現在は、京都の豆腐は「京とうふ」といわれてブランドになっているけれど、私たちの代
だけでブランドになったわけではない。昔はブランドでもなんでもなく、自分たちの地域
で豆腐を食するために作られていて、長年培われて今のようなブランドといわれる豆腐な
った。
他府県の豆腐と違うところは、にがりの量である。京都の豆腐はにがりの量が少ない為、
まろやかに仕上がる。また、にがりが少ない方が大豆の風味が出せる。また、お茶もまろ
やかになるように京の水で変わる。しょうゆなどをつけずに大豆の香りを味わうことがで
きる。他県の人が作り方を教えて欲しいとやってくる。
自分がこだわっていることは、総合的な調整。水温を常に一定にしておく必要があるし、
何度で焼くのかということも、そのときによって微妙に違ってくる。同じものを使ってい
ても、気候によっても変わってくるからまったく同じものはできない。だから、できるだ
け、毎日同じ豆腐になるよういろんなところで調整している。
Q2:豆腐作りに欠かせないことはなんですか?
A2:豆腐作りを自分のものにするまでにはとても長い時間がかかっている。
今(現代)は、地方の大きな工場で大量生産大量消費を行ない、安定供給が優先される。こ
ういうのは、職人ではない。技師である。大量生産する工場では、大きな機械でたくさん
作るのでいくらでも作ることができる。でも、そのような方法では、たくさん作ったとい
う結果しか出せない。豆腐を作っている工程で、判断はしない。一つひとつの工程で、豆
腐の本当の味を出せているかとこだわる過程はない。大豆は、1 年に一度しかできない。
お米と一緒。収穫してすぐの大豆には力があるけれど、時間がたつと温度によって力がな
くなる。お米も新米はおいしいといわれるけれど、大豆も同じで収穫したてのものは、甘
味がある。そういう大豆ひとつでも、いつの時期の大豆かということで、水に浸す度合も
変わってくる。しかし、機会で大量生産する場合は、力のある大豆であろうがなかろうが
とにかくたくさん作って安定供給できればいいので、こだわることもないし、判断するこ
ともない。
安定供給という市場には、なかなか力がなくて太刀打ちできないけれど、豆腐を作る過程
9
で、いいお豆腐を作るというこだわりをもって、自分の持ち味を出し、お客さんに信頼し
てもらうことで勝負しないと仕方がない。
「京どうふ」は、今やブランドになっているが、そのことで、仕事をしていても誇りが持
てる。変なものを作れないという責任もあるし。
豆腐がこれだけ喜ばれるのは、やはり水である。昔は、地下水で一定の水温を保つことが
できたけれど、今は地下水も滅菌水にしないといけないので、結局は水道水と同じになっ
てしまう。年間通じて水温には気を配っている。水温が高いと冷却しないといけないし、
高い場合は豆腐をつけている時間も短くしないといけない。
うちの豆腐は、13 アイテムある。地方発送もしている。本来豆腐は、その日に作ってそ
の日に食べるものであり、地域の商品であった。しかし、生活様式の変化もあり、低温で
遠方への発送が可能となり、地方にも発送している。しかし、商品が着いたその日が賞味
期限であるとお客さんには言っている。
Q3:地下鉄工事によって水脈が切れたということを聞いたことがありますか?
A3:三条大宮のあたりは、地下水が出なくなったと聞いたことがある。水脈にあたるまで掘っ
ていけば地下水にあたる。しかし、地下水も今は塩素を投入しないと使えない。
このあたりは、立命の校舎が立って水の流れが変わってしまった。また、四条通りから南
は、三菱重工の排水で水が汚染してダメになったといううわさはあった。
◇豆腐職人のこだわりを知って・・・
▽鳥本健介
今回豆腐屋さんの取材をすることで、今までインターネットや文献で得てきた知識とは違った、
新鮮な現場の声をたくさん聴くことができました。
その中でもご主人の大豆に対する気持ちの強さには非常に驚かされました。一年に一回した取れ
ない大豆を大切に使う。このこだわりが伝統を支えているのだと感じました。
さらに、地下水の脈が地下鉄工事のせいで潰れているということを調べていたのですが、実際は
立命館の建設も付近の地下水に被害を与えたという事実を知ったときは本当にショックを受けま
した。
このような貴重な意見をくださった豆腐屋さんのご主人、本当にありがとうございました。
▽岡田朱民
今回、六田さんに訪問させて頂き、おはなしを聞かせていただくことができた。お話の中で
印象に残ったことは、「安定供給のために大量生産する工場では、機械が豆腐を作っているの
で量という結果は得ることができるが、豆腐を作っているプロセスで長年培われた職人の判断
というものは込められていない。一つひとつの工程で、豆腐の本当の味を出せているかとこだ
わる過程はない。大豆は、1 年に一度しかできない。お米と一緒。収穫してすぐの大豆には力
があるけれど、時間がたつと温度によって力がなくなる。お米も新米はおいしいといわれるけ
れど、大豆も同じで収穫したてのものは、甘味がある。そういう大豆ひとつでも、いつの時期
の大豆かということで、水に浸す度合も変わってくる。しかし、機械で大量生産する場合は、
力のある大豆であろうがなかろうがとにかくたくさん作って安定供給できればいいので、こだ
わることもないし、判断することもない」と話されたことである。
大量生産・大量消費の現代社会において、結果を出すことが最大の評価に繋がる面があるよう
に感じる。例えば、学習面においても、良い点数をとることが目的になって、自らのこだわりに
行き着くような学び方がなかなかできないという傾向があることもそのひとつであると思う。し
かし、今回訪問させていただいて、豆腐作りにおいても、本当においしくて人々に喜ばれるもの
を作りたいというこだわりをもって、失敗を重ねながら長い年月をかけて現在の豆腐に行き着い
ていると感じ、職人魂というものを感じた。そして結果ももちろん大切だが、人々の思いが込め
られたプロセスもとても大切であり、現代人はその重要性を見失っているように感じた。
食する人の心を想いながら作る職人のこだわりが、京都の自然を生かす巧みな技となり、これ
10
らのバランスが折り重なって京のもてなしの心をはぐくみ、京の食文化を支え続けてきたのでは
ないかと想う。
▽水町洋介
―豆腐を通して、京の水を探り、気付いた京のお宝―
私たち2班は、最初に京都の文化は、すべて水に関わっていて、水が京の文化を生み出した、
つまり、水こそが京都のお宝なんだ!!!という安易な発想でこのルポを始めた。そのころの予
定としては、京野菜、豆腐、お酒、など水にまつわるものを調べて、それぞれにインタビューに
いって、それらの職人から、
「やっぱり~を作るには京都の地下水がかかせない!!」という言葉
をいただいて、京都のお宝は、文化の生みの親である水です!!と、完結できるじゃないかとい
うような、安易な計画でした。確かにこれでいっても、野菜のこと、豆腐のことなど調べていけ
ば量は多くなって、それなりのものができるだろうとたかをくくっていた。
しかし、実際に水の歴史などを調べていく上で、確かに水が宝だということは間違いないこと
であるし、それらが文化に精通していることでもある。しかし、全国各地に名水は存在するのに、
なぜ京都だけがこんなに風情をもった趣のある町になり、数々の文化の発祥地となったのかは、
水の良質さだけでは納得できないものがあった。そうして私たちの調査は足踏みをつづけること
になってしまった。
このままではいけないと、当初から予定していたように、インタビューに出かけることにした。
京野菜や、豆腐や、お酒、すべてに出かけたかったが、私たちの安易な考えとは裏腹に、それら
は多くの歴史をもち、調べるだけでも大変であるうえ、水に関することを聞くなら、大体どこで
も同じことをおっしゃるのではないかという意見も出て、先生が教えてくれた「豆腐道」という
本をきっかけに、豆腐に焦点を当て、インタビューにでかけることにした。
インタビューでは、事前に調べていったことと同じようなことも多くあったが、私たちが見落
としていたものを多く気付かされた。それは、文化には機械には真似できない職人の技、熱意、
一代では成しえない歴史である。また実際に、豆腐を購入し、食したときに気付いたこともあっ
た。それは、文化により喜ばされる人の心である。文化によって生み出される人々の笑顔である。
近代になり、社会は経済がどうだのこうだとうるさくなって、効率化主義の社会へと変化して
いる。ほとんどの日本人が、無駄を削ってかしこく生きていて、趣を楽しむという価値観を忘れ
かけている。しかし、京都の文化には機械による大量生産にはない、一つ一つの商品にこめる職
人さんの想いがあり、忘れかけた価値観を思い出させる。
京都には「一見さんお断り」という看板があるが、これはそっけない冷たい格式の高いもので
はなく、お客さんのことをよく知らないと、よいもてなしができないからという、京の心意気に
よるものなのである。常に消費者の顔をみつめて、最大限の喜びを味わってもらおうという京の
もてなしの心が良質の水が作り出す文化をより彩り付けるのであるのだと感じた。
◎確かに、地下水は京の食文化を支え、大きな役割を果たしてきたが、豆腐を作る職人さん
の語りから、職人の価値観や自然を生かす巧みな技が、もてなしの心となって豆腐にこめ
られていることを知り、改めて豆腐のことをもっと知りたいと思った!
そこで、豆腐ついて調べてみることにする。
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◇豆腐の知識
京都府豆腐湯揚商工組合
http://tofu.or.jp/knowledge/ からの抜粋
1.豆腐の歴史
1)発祥
豆腐発祥の地は、中国とされている。その起源は、西暦の
紀元前2世紀、前漢の淮南王・劉安の創作にあるという説があ
る。 これは、16 世紀の中国の書「本草網目」の中に〈豆腐は、
漢の淮南王劉安に始まる〉とかかれていることが根拠となっ
ている。
しかし、豆腐について書かれた文献が唐の時代(618~907
年)以降まで何もないことから、期限は劉安の時代ではなく、
もっと歴史を下った唐代の中期という説もあり定かではない。
ただ、少なくとも唐代中期頃には、豆腐は造られていたと思わ
れる。
なお、淮南地方に関していえば、豆腐の別名として淮南術、 淮
南佳品等の呼名があるほか、この地(安徽省淮南市)では中国各地
さらに世界からも関係者が集い中国豆腐文化節が盛大に開催され
ている。
2)日本への伝来
古くは奈良時代(710~784 年)に、中国に渡った遣唐使の僧侶等に
よって伝えられたとされているが、明確な記録はない。
豆腐が記録として登場したのは、寿永 2 年(1183 年)、奈良春日大
社の神主の日記に、お供え物として「春近唐符一種」の記載があり、
この「唐符」が最初の記録といわれている。いずれにしてもわが国
で豆腐が造られたのは、奈良・平安時代からといえる。
当初は、寺院の僧侶などの間で、次いで精進料理の普及等にともな
い貴族社会や武家社会に伝わり、室町時代(1393~1572 年)になって、
ようやく全国的にもかなり浸透したようです。製造も奈良から京都へ
と伝わり、次第に全国へと広がっていった。
3)庶民の生活へ
本格的に、庶民の食べ物として取り入れられるようになったのは、江戸時代である。天明 2 年
(1982 年)に刊行された豆腐料理の本「豆腐百珍」は、爆発的な人
気を呼び、翌年「豆腐百珍続編」、翌々年「豆腐百珍余禄」が出版
され、 当時ブームとなった料理本〈百珍物〉のさきがけとなった
といわれている。当時の豆腐の普及ぶりがうかがえる。
その後、豆腐は全国の津々浦々まで普及し、今日では健康食品、
ダイエット食品としても注目され、広く支持されている。
この間、豆腐製品は、日本の気候、風土、水、あるいは日本人の繊
細な気質等にはぐくまれ、日本の豆腐として独自の製品に発展、今
日にいたっている。
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2.豆腐の種類
豆腐とその関連製品
豆
木
綿
豆
腐
絹
ご
し
豆
腐
腐
充
填
豆
腐
豆
寄
席
豆
腐
焼
き
豆
腐
腐
生
揚
げ
豆
腐
加
工
湯
上
げ
豆
腐
品
その他関連品
が
ん
も
ど
き
豆
乳
ゆ
ば
凍
り
豆
腐
オ
カ
ラ
古来豆腐・珍品・新製品
豆腐でない豆腐
■豆腐の名称:豆腐の名は、豆腐発祥地中国の文字で、豆腐の「腐」は腐るということから、何処
かで取り間違えたのではないかとの疑念がもたれる。中国での腐の意・語源は、「液
状のものが寄り集まって固形状になった柔らかいもの」
「液体でもなく固体でもない
様なもの」を指すといわれている。現に、豆腐の歴史のところで紹介しているよう
に、中国では「中国豆腐文化節」が豆腐の文字を使って盛大に開催されており、誤
りでないことを証している。なお、豆腐の別名としては、かべ(壁)、おかべ、しろ
もの、もみじ、淮南佳品、淮南術、菽乳、小宰羊等々がある。
豆
腐
1.木綿豆腐
木綿豆腐は最も一般的な昔からの豆腐。木綿豆腐の名称は、従来、型箱の中に木綿の布を引いて
いたため、豆腐の表面にその布目がついていたことに由来している。製法は、先ず豆腐を凝固さ
せることから始まる。
◇凝固
豆腐を熱いまま凝固機(寄せ桶)に注入し→凝固剤を入れ→凝固剤が均一に行き渡るように撹
拌する→一定時間をおくと凝固。
◇崩ずし
豆腐状に凝固したものを用具を用いて「くずす」。これは、豆腐に取り込まれなかった水分や
油分(上澄み=「ゆ」という)を分けやすくすること、次の工程の型箱にきちんと入れやすく
するため。
■寄せる:ここまでの一連の作業は、豆腐に寄せるということから、
「寄せる」といっている。
■(カイ):撹拌や崩ずしに用いる用具のことで、昔からの呼び名。船の櫂と同名。
◇型入れ・圧搾
崩ずし・上澄みを取った凝固物を柄杓などで型箱に盛り込む。型箱は孔があいたものを用い、
箱の中に布を引いておき、凝固物がほぼ一杯になったら布を覆い、蓋をして、上から重しを乗
せ圧力を加える。これにより、箱の穴から「ゆ」が出て、キッチリとした豆腐が型ち造られ(成
型)る。
◇型出し・水晒し・カット
型箱の中で成型された凝固物(豆腐)を、水槽に取り出し、水晒しを行い、一定の大きさに切
り分け(カット)し、木綿豆腐ができあがる。その後、通常は、日持ちを良くするため水槽の
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中で豆腐の芯まで冷却(そのまま、または包装して)し、冷蔵庫に保管、出荷という運びとな
る。なお、工程のなかの水晒しは、製品を冷やすと同時に、余分な凝固剤や「アク」などを除
くために行う。また、工程のなかで他の豆腐と異なる点は、重しで圧搾し「ゆ」を出すことで
あるが、それにより量目当りの蛋白質の割合が高くなっている。
①ソフト豆腐
木綿豆腐の工程中、余り崩ずしを行わないで、かつ、圧搾を少なくし、
「ゆ」を余り取らないで
仕上げた豆腐。木綿豆腐同様のしっかりとした特徴がある。最近の「柔らかさ」指向に応じて、
このような仕上げが増えているが、木綿豆腐の一種なので特に表示をしない場合が一般的。
2.寄席豆腐
木綿豆腐の工程中、型箱に入れる前の「寄せた状態」のものを器に盛って製品としたものと思わ
れる。型箱での圧搾や晒しをしないので、木綿豆腐とは一味違った食味・風味が得られる。別名
の「おぼろ豆腐」は、おぼろ月夜のもやもやとした状態に似ているからとの説がある。昔は、近
隣の方が、持参した丼などの容器に盛って渡していたが、最近はプラスチック容器の普及等によ
り広範に売られるようになった。また、この「寄せた状態」のものをザルに盛ったものがざる豆
腐である。ザルから自然と「ゆ」が出て、これも木綿豆腐とは一味違った食味。
3.絹ごし豆腐
この豆腐は、柔らかで滑らかな豆腐である。そのため製法も、木綿豆腐のように寄せ桶のなかで
の撹拌・崩ずしや型箱でも圧搾を行わず「ゆ」を取ることをしない。熱い豆腐を、凝固剤を入れ
た穴のない布を引かない型箱に直に一気に流し込む。その流し込みの勢い等で凝固剤が均てんに
混ざり、一定の時間静かにしておき固める。その後の型出し、水晒し等は木綿豆腐と同様にする。
圧搾や「ゆ」取りをしないため、濃い豆乳を用い形作りを図っている。なお、絹ごしは、豆乳を
全部凝固させるものであるが、保水に力のある凝固剤・澄まし粉(硫酸カルシウム)、その後のグ
ルコノデルタラクトンの出現が製造しやすくなっている。そのため、戦後になって今日のように
普及をみている。
■絹ごし豆腐の名称:絹のように、あるいは絹の布で漉したように、なめらかで、キメ細かい肌
目をしているため、このように呼ばれている。絹で漉かしてはいない。
4.充填豆腐
絹ごし豆腐と同様ななめらかさがあり、充填絹ごし豆腐とも称している。製法は、豆乳を一旦冷
やし、凝固剤と一緒に 1 丁づつの容器に注入(充填)・密閉し、加熱して凝固させる。豆乳を冷やす
のは、熱いとすぐ凝固し容器への充填に不便なためである。型箱に入れない、水晒しをしないの
も特徴であるが、1丁ずつカット(切断)しないので、充填豆腐と対比して、他の豆腐をカット豆
腐ともいっている。容器は、ソーセージ状のものを用いたことがあるが、今は一般と同様の角型
が普通。この豆腐の製法は機械化による流れ作業の大量生産に適しており、戦後機械化の進展に
伴い産まれた豆腐。また、豆腐充填・容器密閉後、加熱凝固させるので、その間殺菌が行われる
ため、日持ちの良いのも特徴。
豆腐加工品
1.焼き豆腐
焼き豆腐は、固めに造った木綿豆腐を水切りしてから、炭火やガスなどで焼いて焼き目を付けた
もの。崩れにくく味がしみやすいため、すき焼きや煮物、田楽(でんがく)などに多く使われる。
2.生揚げ豆腐
生揚げ豆腐は、通常木綿豆腐を水切りしてから、高温で揚げたもの。油揚げの別称「薄揚げ」に対
して厚揚げともいう。表面は油で揚げられているが、中は豆腐である。形は豆腐同様のもののほ
か三角形などもあり、煮物、おでんなど広く使われている。
3.油揚げ
油揚げは、薄揚げとも呼ぶように、木綿豆腐を薄く小さく切って圧しをし脱水をして「生地」を
作る。生地を、最初は低温で揚げ3杯程度に膨張させ(ノバスという)、次に高温でもう一度揚げ(水
分を飛ばして表面を硬くし(カラシという)収縮を防ぐため)て製品となる。
油揚げ用の豆腐は、木綿豆腐と同様の工程で作られるが、
「膨張」等のために豆乳濃度を薄くする
14
など、最初から油揚げように作られる。呼び名は、薄揚げのほか、手揚げ、機械揚げ(自動揚げ
機で連続式に製造)、稲荷揚げ(いなり寿司用に中の開いたもの)等業界用語がある。油揚げは、
味噌汁の具、惣菜、煮物、稲荷寿司等に用いられる広い食材である。
なお、油揚げは、江戸時代初期に既に文献に登場するが、その頃より流行し始めた「天ぷら」な
どの揚げ物料理の一つとして考案されたものと思われる。
4.がんもどき
がんもどきは、木綿豆腐を崩し十分に水を切り、つなぎに山芋のすりおろしを入れ練った中に、
具(加役・加料=かやく)として、笹がきごぼう、人参のみじん切り、刻んだきくらげ、昆布、
ごま、ぎんなん、麻の実などを入れ、機械で撹拌し、一定の形(普通は団子型)に成型。これを、
油揚げ同様江戸時代に揚げ物の一つとして考案されたと思われるが、今はそのまま、おでんの具、
惣菜、煮物などとして広く食されている。なお、この製品の名称には、二つあり、がんもどき(雁
元・雁擬)は主に関東方面の呼び名、関西では「ひりょうず(飛竜頭)、ひろうす」と呼ばれてい
る。
■名称の由来:がんもどきは、その味が、雁の肉に似ているからという説。戒律の厳しい当時の僧
侶たちの肉食へのあこがれが想像される。ひりょうず等は、ポルトガルの菓子「フ
ィリオース」の製法に似ているから・あるいはその製法を借りたから、すなわちポ
ルトガル語に由来するとの説。また、形が竜の頭に似ているからとの説、その他の
説もある。
その他関連品
1.豆乳
豆腐製品ではないが、その重要不可欠の「母液」。発祥地中国では結構飲まれているようであるが、
わが国では、これを飲料する習慣が根づかず推移して来たところ、最近の一時期栄養に着目され
たことがある。しかし、その後消費の伸びはみられていない。現在、市販されているのは主に大
手食品メーカーによるものである。
「豆腐屋の豆乳」は、近隣の方からの注文により分けている程
度。
2.ゆば(湯葉)
ゆばも豆腐製品ではなく、豆乳から採れる製品、その点では兄弟製品ともいる。製法は、豆乳を
加熱すると表面に」膜が張られるが、これを竹串で引き上げたままのものが「生ゆば」で、即く
料理に使う。一般に食べる習慣がないので、一部の豆腐業者のみ造っている。栄養面は、蛋白質
と油脂分に富んでおり、乾燥品は保存食品でもある。
3.凍り豆腐
豆腐を凍らせた後、乾燥させて造る。栄養価の高い保存食品でもあるが、長野県で圧倒的な生産
高を占めている。名称は高野山の宿坊で作り始めたということで高野豆腐、信州辺りは、凍みる
の意で「凍み豆腐」といわれている。なお、豆腐製造業者は本製品を作らず、専業メーカーによ
っているので、独自の業界組織がある。
4.オカラ
煮た呉から豆乳を絞っての残滓が、オカラである。オカラには、食物繊維、微量栄養成分が含ま
れており、「卯の花」等として食用にも供され、また大部分は家畜の飼料として利用されてきた。
最近では、状況変化により廃棄物としての処分が増加しており、有効利用が懸案である。
古来豆腐・珍品・新製品
1.六浄豆腐
食塩で豆腐から水を抜き、乾燥させ削り節様にし、削って酢の物など精進料理等に使う。出羽三山
の行者が京都から伝えたという。ただ一軒で製造。(山形県)
2.いぶり豆腐
固く造った豆腐を、桜の木で燻した豆腐。燻した香りが珍品。(岩手県)
3.つと豆腐
豆腐を竹づと(竹すだれ)に入れ、糸巻きにして締め、熱湯で加熱。保存性が良く、煮物などに用
いる。(福島県)竹づとに代え、藁づと、または菰で包み(こも豆腐)、同様の処理をしたものも
15
ある。(茨城県)
4.固(堅)豆腐
「豆腐を縄で縛って運んだ」といわれるように、昔は各地に在ったようだが、現在は岐阜県白峯
村や富山県五箇山(岩とうふ)などが著名。
5.灰干し豆腐(しめおかべ)
布で包んだ豆腐を灰で覆い押しをし、一夜置いたもの。東京小金井の三光院の精進料理。
6.豆腐羹
固豆腐のように水を切り、しょう油の低温で数時間煮込んだもの。チーズ様の味。(京都府)
7.豆腐かまぼこ
豆腐を崩し水切りし、調味料を加え練る、すだれで巻いて蒸す。かまぼこ状となる。(秋田県)
8.豆腐ちくわ
豆腐と魚のすり身を混ぜて焼きあげたもの。ソフトで味も淡白。(鳥取県)
9.栃尾揚げ
新潟県栃尾地方の油揚げ。肉厚で特大なのが有名。
10.豆腐の味噌漬け
水を切った豆腐を長期間味噌漬けにしたもの。平家の落人の保存食ともいわれる。(熊本県)
11.有色豆腐
丹羽の黒大豆を使った黒豆豆腐(兵庫県)、青大豆を使った青豆豆腐・青肌豆腐(宮城、福島、秋
田県など)、いずれも最近の試み。
12.梅豆腐
特産の梅に着目し開発されたもの。水抜きした豆腐を梅酢に漬け置き下チーズ状の製品。(茨城県)
13.しま豆腐
木綿豆腐の一種で沖縄の豆腐の主流。生絞りの豆乳から作られた豆腐を固豆腐のように強く押し、
水晒しをしないで、温かいまま食する。1丁 1kg程度と大きい。また本土の寄せ豆腐にあたるも
のを「ゆし豆腐」という。
14.豆腐よう
沖縄県の特産。豆腐を「泡盛」米麹を使って発酵させたもの。酒の肴にも合う珍品。
◇新製品の試み
いろいろな試みが行われてきたが、最近の傾向としては健康志向のものが多い。例えば、頭がよく
なるといわれる魚の油のDHA、モロヘイヤ、カルシウム、ベーターカロチン、ハーブ、ペルラ
ン、食物繊維のオカラ、抹茶、胡麻など、体に良いといわれる成分のある食物等を取り込んだ豆腐。
また、紅麹豆腐(ピンク色の豆腐)、豆腐ようかん、豆腐プリン、豆腐アイス、温泉玉子風豆腐等々。
豆腐でない豆腐
大豆を原料としているものを豆腐としているが、大豆を使ってなくても、豆腐に似ているため豆腐
という名を付けている次のようなものがある。
1.卵豆腐
溶き卵に調味料を加え蒸したもの。
2.ごま豆腐
ごま(胡麻)をすり、葛粉(または片栗粉)で固めたもの。ただし、大豆からのごま豆腐もある。
3.くるみ豆腐
胡桃を原料とする、ごま豆腐と同様の製法で作る。
4.杏仁豆腐
中華料理のデザート。杏子の種の成分を入れて寒天で固めたもの。
16
3.豆腐の製造過程
1)製造工程
大
豆
豆
精
乳
選
冷
洗
却
浄
侵
漬
豆
乳
( 凝固剤 )
型
凝
入
れ
固
(凝固剤)
凝
固
(凝固剤)
型
圧
入
れ
搾
型
出
し
カ
水
ッ
晒
ト
し
容器・充填
加熱・凝固
生
呉
加
熱
冷
出
し
カ
水
ッ
晒
ト
し
却
包
充填豆腐
煮
型
装
包
装
呉
絹ごし豆腐
木綿豆腐
絞
オ
り
カ
ラ
精選:割豆、破砕豆、虫喰豆、他の種子類、異物などの夾雑物を取り除く。
洗浄:大豆の表面に付着している土埃などを十分取り除くために、水洗いを何回も繰り返す。
浸漬:次の工程の大豆磨砕をし易くするために、水に漬ける。漬ける時間は、水温によって異なる
ので、気温にも神経を使う。
磨砕:浸漬し水分を含んで大きくなった大豆を細かく砕く。昔は石臼で挽いていたが、現在はグ
ラインダーが一般に用いられている。 磨砕は、大豆の細胞を破り蛋白質等の成分の抽出に
役立つ。磨砕は注水しながら行うが、加水量によって豆乳の濃度を加減する。
生呉(煮呉):磨砕したものを呉という。次の工程で加熱したものを煮呉というが、対比して生呉
である。昔、家庭で大豆を水に浸しすりつぶし煮たものを呉汁といったが、同じよ
うな工程といえる。
加熱:生呉を加熱する。加熱は、大豆蛋白を凝固しやすく、成分を最大に溶出させるために行う。
昔は、呉を釜に入れ直火で加熱(地釜)していたが、現在はボイラーによる蒸気加熱が主
流。加熱温度は、100℃前後。
絞ぼり:濾過、分離などともいうが、加熱した呉(煮呉)を「豆乳」と「オカラ」に分離する工程・
作業である。昔は、煮呉を布袋に入れ、手作業でしぼる重労働だった。現在は、機械化
が進んでいる。 生絞り:煮呉ではなく生呉を絞り、その後加熱する製法があり、沖縄
の「しま豆腐」はこの方法であるが本土では現在一般にもちいられていない。
豆乳:上のような工程を経て「豆乳」が生み出される。この豆乳から、各種の豆腐製品が製造さ
れる。そのため豆腐製品の種類に応じた豆乳が造られている。
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2)豆腐の添加物
豆腐には、製造過程において、次の2種類の添加物が使用されている。いずれも食品衛生法で
規定され、その使用基準法等に基づいている。なお、防腐剤は、使用されていない。
消泡剤
砕いた(磨砕)大豆(生呉)を加熱(煮沸)すると泡が生じる。この泡を消すために使用される。泡
があると、食感の良いきれいな豆腐に仕上がらなく、日持ちも悪くなる。消泡剤には、a.高酸化油、
b.グリセリン脂肪酸エステル、c.シリコーン樹脂がある。昔は、油揚げの廃油に灰などを混ぜたも
のを自家製で使用していたが、同様の成分で商品化したのが a である。 b は、食用油脂とグリセリ
ンを反応させて造ったもので、乳化剤として広く用いられている。c は、自然界に広く存在するけ
い珪石を構成する珪素が主成分。これらのうち、使用度の高いものは、b と c である。なお、これ
ら消泡剤は、食品衛生法で、加工中に消滅または最終食品に残っていても微量な「加工助剤」とし
て扱われている。
凝固剤
豆乳から豆腐を作る次の工程「凝固」のための添加物で、豆腐製造には不可欠なものである。 豆
腐の凝固剤として食品衛生法で指定されているものは、次の凝固剤である。a.硫酸カルシウム、
b.塩化マグネシウム(ニガリ)、c.グルコノデルタラクトン、 d.塩化カルシウム、e.硫酸マグネ
シウムである。このうち、主に使われているものは、a.b.c.d である。また、凝固剤には、それ
ぞれ特質があり、 豆腐の種類に応じた使用がなされており、ミックスされた製品をそれぞれ工夫
して使用している場合もある。
a.硫酸カルシウム(澄まし粉)
天然ものとしては石膏から作られるが、現在では化学的に合成されたものが大くを占めてい
る。業者間でが、「澄まし粉」と一般に呼ばれている。この澄まし粉は、昔から使用されてき
た「ニガリ」が第二次大戦中に軍需物資として 調達された代替品として多く使われるように
なったものである。豆腐が作りやすいなど特質があり、現在まで凝固剤の主流となってきた。
硫酸カルシウムは、水に溶けにくく、豆乳の凝固反応が遅い(遅効性)ため使いやすく、また
保水力が高いので舌ざわりのよい滑らかで弾力のある豆腐のできる特徴がある。
b.塩化マグネシウム(ニガリ)
塩化マグネシウムは、ニガリの主成分である。昔から豆腐はニガリで作られてきたが、戦時
中に軍需物資(ジュラルミンの原料など)として調達されたことを契機として、その使用は大
きく減少してきた。しかし、最近では、自然指向やグルメ指向もあって、使用が増えつつある。
ニガリは、海水から塩(塩化ナトリウム)を採った残りのものから産出されるが、主成分が塩化
マグネシウムである。なお、海水から塩化ナトリウムと塩化カリウムを分離した粗製のもの(粗
製海水塩化マグネシウム(別名・塩化マグネシウム含有物))もニガリとして付記表示が認めら
れている。 ニガリは、水に溶けやすく、豆乳の凝固反応が速い(速効性)ので、凝固に技術
を要するともいえる。ニガリは大豆の甘みなどを引き出す面もある。
ニガリの名称:苦汁(苦が味のある汁)からきている。
c.グルコノテルタラクトン
でん粉を原料として、発酵法で作られたもの。この凝固剤は、水に溶けやすく、豆乳に均一
に溶けるので、均一で保水性に富んだ豆腐が得られる。そのため、絹ごし豆腐の製造にも適し
ており、また凝固の速度が遅いこともあって機械による製造にも向いている面がある。なお、
他の凝固剤が塩で反応する凝固であるのに対し、酸で反応(酸凝固)するという特質がある。
d.塩化カルシウム
この凝固剤は、水に溶けやすく、凝固力が強く、凝固の速度が速い等のため、主に油揚げや
凍り豆腐に使用されている。
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◇ 漫画「美味しんぼ」から本物の豆腐を斬る!
漫画より一部引用(略)
◎美味しんぼを読んでみると、凝固剤の使い方によって、豆腐の品質も変わってくるこ
とがわかり、安定供給のための豆腐と本物の豆腐では出来上がりも違うとわかる!
◇ 京都「あだしの念仏寺」
寺仏によれば、化野の地にお寺が建立されたの
は、約千百年年前、弘法大使が、五智山如来寺を
開創され、野ざらしとなっていた遺骸を埋葬した
と伝えられる。
その後、法然上人の常念仏道場となり、現在、
華西山東漸院念仏寺と称し浄土宗に属する。
あだしの念仏寺には、本堂の横にこの「豆腐」
の掛け軸がかけられている。
どなたが言われたのかはわからないが、前々の住職
さんが書きとめて、個々に飾られたと言っておられ
た。
◎なるほど、豆腐はどんな人からも好まれ、どんな料理に使っても趣がある。豆腐って、
とても奥が深いと思わされる。
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◇全体まとめ
▽鳥本健介
京都の豆腐を調べると見えてきたものは、現代社会が抱える問題でした。現在スーパーなどで売
られている豆腐の多くは機械による大量生産によって作られたもので、一つ一つに職人の心がこも
っている訳ではない。確かに低コストで大量生産した方が安定した供給を望めるだろうが、本当に
大切なのは職人の気持ちと豆腐作りの過程ではないかと思う。
さらに取材をする上で職人さんとお客さんの繋がりを感じた。やはり大量生産大量消費のスーパー
等では繋がりは生まれないはずである。実際取材中にも配達の電話が入るなど、お客さんとの繋が
りを直に感じることができた。
今回のルポを通して私たちが忘れていた大切なものを教えてもらった。
▽水町洋介
スーパーに出かけると、安価で、それなりにおいしくて、賞味期限も2,3日はもつような豆腐
が、これでもかというくらいと並んでいる。そんななかに見つけた、京風豆腐!!という豆腐。~
風ってどういう意味なんでしょうか。その豆腐の一体どのへんが京風だったのでしょうか。この授
業で豆腐について調べて、京のお宝を究明するまでは、一人暮らしで、財力のない私もふつうにこ
の安売りの豆腐を普通に食べていた。しかし、このルポを通して、次のような疑問を持つようにな
ったのだ。
そもそも大豆というのは、古くから、日本国内で作られ、日本人の貴重なタンパク源として、日
本の食生活を支えてきた。そして、そこから保存のための加工や、風味を味わうために、職人たち
が努力を重ねて作り上げ、今まで守ってきた京豆腐というものがある。こちらの、京風豆腐ならぬ
京豆腐は、大量生産もできなければ、保存もあまり利かないし、全国あちこちで売られているわけ
でもなく、職人さんが多くの利益を得ているわけでもない。この職人さんたちの生き方というのは、
現代の利潤追求主義、効率化主義とは遠く離れた世界にあると感じられる。こんな生き方をして、
得があるかないかといわれれば、確かに物質的な利潤はないだろう。例えばラーメン屋さんだって、
ちょっと行列ができるようになったら、全国チェーンだのカップラーメン化だというように、利益
を追求するのが普通で賢いのが現代の価値観である。しかし、大事なものを忘れていやしないだろ
うか。職人の技や魂がそこに伝わっているのか、おいしいといってくれるお客さんの笑顔は直に見
ることができるのか、作る過程は安全なのか、食材の供給はどうなっているのか、と大量生産の不
透明さや問題は多々ある。
最近でいえば、牛肉 100%といっておきながら安価なブタの心臓を混ぜていたり、賞味期限切れ
の牛乳や卵でケーキを作っていたりと、その問題は明らかになっている。これも私たちの利潤追求
の価値観が元凶といえるだろう。
豆腐作りからみえたものは、一つ一つの工程をこだわっていくその魂だけではなく、つくる量を
ふやさないという発想、消費者との直接的なつながりとの中で生まれる安心や信頼といった、忘れ
てしまった物達を思い出させてくれることであった。
▽岡田朱民
私たちは今回、京都の食文化を支えてきた水からお宝性を探ってみることにした。確かに、水に
ついて調べていくことで、京都には豊かな地下水が眠っていることや、その水によって「都」が発
展してきたこと、また食文化が支えられてきたこと、その食文化を支えるために住民や商人が連帯
して水脈を守ってきたことなど、多くのことを知ることができた。そして、この水についてさらに
深めてみようと、豆腐職人の方にお話を伺うことにした。しかしその職人さんの語りから、人に美
味しいと喜んでもらうために、大豆の質や力の有無からこだわり、一つ一つの工程で加減を判断し
ていく豆腐作りに秘められた職人技とこだわりに引き付けられた。また、安定供給するために大量
生産、大量消費が最優先される社会の中で、利潤追求に埋没することなくこだわりと誇りを持って
豆腐作りに精を出しておられる姿に感銘を受けた。
日本の食の歴史は、弥生時代の稲作によるお米に始まり、主食のご飯を中心に、魚や野菜、大豆
から作られる豆腐や納豆などの副食を摂るのが我が国の伝統的な食生活であった。しかし、近代社
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会における高度経済成長の発展に伴って、この伝統的な食生活も大きく変化した。食品の安定供給
のための大量生産、大量消費の文化によって、24 時間いつでも自分の食べたいときに、自分の好き
な食べ物だけを食べることができるようになり、食生活に便宜性をもたらし豊かとなった。しかし
一方で、BSE問題や雪印乳業の原材料再利用の際における不衛生な取り扱いが発覚した問題、最
近では不二家の期限切れ原材料を使用していた問題やミートホープ社の牛ミンチ偽装問題など食の
安全がまったく確保されていない状況が浮き彫りにされている。また、脂質の消費が増加したこと
により糖尿病や肥満などが若い世代の人々にも及び、食生活の乱れが生じてきている。さらに、大
量かつ安価な輸入食品への需要が高まり、食料自給率が昭和 40 年には 73%であったものが、平成
10 年には 40%代へと低下し、何かの事情で輸入できなくなったりすると、たちまち社会問題に発展
するような状況にある。
今回、ろくたさんに訪問させていただき、食する人の心を想いながら作る職人のこだわりを知り、
大量生産、大量消費の豊かな社会の中で、私たちは「食」の意味というものを見失っていたのでは
ないかと思わされた。私たちが心身ともに健康で、生涯にわたって生き生きと暮らすためには何よ
りも「食」が大切なのではないか。地産地消といわれるように、その地で生産される農産物は、昔
からそこに住む人にとって、身体に一番あっているといわれている。先人は、豊かな緑と水に恵ま
れた自然の下で、地産地消によって地域の多様性や豊かな味覚を食文化として継承し、種族保存に
つとめてきたのではないだろうか?
京都には「一見さんお断り」という看板があるが、これはそっけない冷たい格式の高いものでは
なく、お客さんのことをよく知らないと、よいもてなしができないからという、京の心意気による
ものなのである。常に消費者の顔をみつめて、最大限の喜びを味わってもらおうという京のもてな
しの心が込められているのである。ろくたさんもこの心でもって豆腐作りをされていると感じた。
京都の食する人を想うもてなしの心が、私たち現代人が忘れかけている「食」の意味の重要性を語
っているのではないかと思う。
参考文献
1)森井源一:豆腐道,新朝社,2004.
2)日本地下水学会:「名水を科学する」,1994.10.25.
3)鈴木康久,大滝裕一,平野圭祐 編:もっと知りたい!水の都 京都,人文書院,2003.
4)平野圭祐:京都水ものがたり 平安京一二〇〇年を歩く,淡交社,2003.
5)槌田劭,嘉田由紀子 編:水と暮らしの環境文化 京都から世界へつなぐ,2003.
6)小野芳朗:水の環境史「京の名水」はなぜ失われたか,PHP新書,2001.
7)知識の宝庫 目が点ライブラリー:
http://www.ntv.co.jp/megaten/library/date/07/04/0429.html 2007.5.23.
8)月桂冠 : http://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/water/index.html 2007.5.23.
9)京都の謎:ミツカン水の文化センター:
http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/mizu_14/index.html ,2007.5.25.
10)京都湧き水名水マップ:http://www.k3.dion.ne.jp/~mkoba911/mizuF2.html ,2007.5.25.
11)豆腐「豆」豆知識:京都府豆腐湯揚商工組合,http://tofu.or.jp/knowledge/ 2007.6.11.
12)ろくたお店紹介:竜安寺禅豆腐 六田, http://rokuta.skr.jp/rokuta/shop.html 2007.6.11.
13)雁屋哲 作,花咲アキラ 画:美味しんぼ 7 大地の赤,小学館 1986.
14)食育・食生活指針の情報センター e-shokuiku.com : http://www.e-shokuiku.com/:2007.7.4.
◇ルポを終えて
▽鳥本健介
今回のルポを通して私はただ単に豆腐の知識だけでなく、人との繋がりを教えてもらいました。
豆腐屋さんとお客さんの繋がりももちろんですが、何より一緒にグループワークをした二人との繋
がりです。何回も助けてもらい、最後までやり遂げたことが僕にとって大きな財産となりました。
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▽水町洋介
総合演習の授業の実践として、このタイトルに挑んだわけですが、ひとつのことをこれだけ多角
度に、実際にインタビューにいって、しかも半期間で、というのはすこし大変な作業でした。しか
し、それだけに考えさせられたことも多く、日常にありふれている豆腐というひとつのことを調べ
るだけで、こんなにも発見があるのかという感動もあり、自分の中で物の見方が少し変わった気が
します。中学生などの学生期に、自分で動いて、自分でルポを作り上げるというのは、これからの
学びや、生活していく上での考え方に大きく影響を与えるのではないかと思いました。
僕たちのグループは岡田さんが引っ張ってくれてここまでこれたと思います。感謝です。グルー
プで作業する中で、一人に重荷がかかってしまうことはよくないことですが、僕と鳥本君もある程
度は活動したと思います。こういうグループワークを長期間行うことにも、その中での人間関係の
やりとり、役割分担と、普段できないような経験がつまっていました。
正直、大変でしんどかったのですが、この体験はぜひ今の子供たちにもやってもらっていろんな
ことを感じてもらいたいとおもいました。
2班おつかれさまでした!!
▽岡田朱民
今回のルポでは、どこに見通しを持ってまとめていけばよいのかわからなくてとても苦労した。
だいたいいつもは、頭の中にまとめたいことが浮かび、そのために何を勉強していくか、どういう
プロセスをたどるのか見通しを持って勉強し、そのことをまとめにつなげていくので、自分の問題
意識の追求の結果としてまとめが出来上がるように思う。しかし、今回は今勉強していることが本
当にまとめに役立つのか、問題意識の結果がまとめになるのかとても不安で、とにかく自分たちが
この授業の期間にできる限りのことをやり、そのプロセスをなんとかまとめ上げたという感じであ
る。だから問題意識から出発して、一貫性のあるまとめになったかどうかは自分でも疑問である。
ただ、私の中では自分の最初の問題意識であった水については、色んな文献を読み、水に関する京
都の歴史や食文化など深めることができ、ほんとにとても大きな学びになった。もっと時間があれ
ばさらに深めてみたいと思っている。あと、やはり人から話を聞くということは、自分の持ってい
る概念の幅をとても大きく広げてくれ、改めて大きな学びをあたえてくれるものだと痛感した。
お忙しい中、長時間にわたりお話を聞かせてくださったろくたのご主人には、心から感謝します。
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