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すまん、資金ブーストよりチートなスキル持ってる奴お

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すまん、資金ブーストよりチートなスキル持ってる奴お
すまん、資金ブーストよりチートなスキル持ってる奴お
る?
えきさいたー
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
すまん、資金ブーストよりチートなスキル持ってる奴おる?
︻Nコード︼
N0065DH
︻作者名︼
えきさいたー
︻あらすじ︼
神側の手違いで予定より早く死んだ俺は、埋め合わせとして異世
界に転生させてもらえることになった。手土産にひとつだけ特別な
能力をやると言われたのだが、努力も労働も危険も嫌いな俺はこう
頼んだ。﹁楽して生きさせてくれ﹂と。それでもらったのが﹃獲得
資金アップ︵大︶﹄のスキル。ちょっと待て、これ、確かに人より
楽に稼げそうだけど、何かしら倒さないと効果ないやつじゃねーの?
1
※ダッシュエックス文庫様から書籍化されました。二巻の出版は2
/24の予定です。
2
俺、要求する
最近即死した。トラックに轢かれて。
まあそれはいいのだが、死後の世界で女神から衝撃の告白を受け
た。
﹁申し訳ありません! お迎えの順番を間違えました!﹂
どうやら俺はミスって死んだらしい。
﹁おいおい勘弁してくれ。あと五、六十年は生きられたんだぞ﹂
さすがにキレる権利があるので文句をつけておいた。
﹁お詫びと言ってはなんですが、今すぐに生き返らせてさしあげま
す﹂
﹁いや、それはちょっと待ってくれ﹂
よくよく考えてみれば生きてても別にいいことなかったな。あの
まま日雇いバイトを続けたところでまともな人生が開けているわけ
がない。
生きるために働く必要があるのに、実際は働くために生きていた
ような毎日だ。死んだ今だから冷静になって見られるが、ろくな生
涯じゃなかったな、俺。
というか借金も残ってるし。
3
⋮⋮苦行なだけじゃないか。戻りたくない。
﹁すまん、死んでるままでいいわ﹂
﹁それはできません。寿命を満たしていない魂は天国にも地獄にも
属せないのですから。このままだとあなたは自然消滅してしまいま
す﹂
む⋮⋮じゃあ復活するしかないか。
﹁生き返るにしても、前いた世界はごめんだ。なんか他の選択肢な
いのか?﹂
﹁えっ、他のですか? うーん、それでは﹃ドルバドル﹄という世
界はいかがでしょう﹂
﹁現世じゃなきゃどこでもいい。それで頼む﹂
﹁こちらは剣と魔法の世界ですが、本当によろしいですか?﹂
面倒そうなキーワードが出てきたな。
﹁そこさー、俺みたいな一般人が暮らしてても問題ないところなの
か?﹂
﹁大丈夫だと思いますよ。収入を得る手段はちょっと特殊で大変で
すが﹂
﹁稼ぐのが大変ってダメじゃん﹂
﹁もちろん手ぶらで送り出すだなんて粗相はしません。こちらのミ
スの補填はします。あなたが新しい世界で快適に生きていけるよう
サポートさせていただきます﹂
﹁ほう⋮⋮で、どうやって?﹂
ついてこられても困るぞ。
4
﹁ひとつだけ特別なスキルをプレゼントいたします。うまく活用で
きれば英雄にも王様にも、はたまた闇の支配者にまでなれますよ﹂
﹁ええ⋮⋮別にそんなのなりたくないんだが﹂
正直引いている。
﹁でもドルバドルでは強さこそが一番大きく稼げる手段なのですよ
?﹂
﹁戦うとかそういうのはあんまり⋮⋮俺は平和主義者なんだ。せっ
かく飛び道具一個くれるんなら、もっとこう、楽して生きていける
感じのをくれ﹂
日本国憲法にも最低限文化的な暮らしとかそんな感じのことが書
かれていたはずだが、俺が求めているのはそれ。不満なく暮らせる
レベルでいい。
﹁で、でも、でもですよ、めちゃくちゃ凄い魔法とか使ってみたく
ないですか?﹂
﹁金になるの?﹂
﹁それはもう! 高額の懸賞金がかかった魔物を討伐する必要はあ
りますが﹂
﹁じゃあいいや⋮⋮﹂
すげーしんどそう。
﹁それだと⋮⋮ええと⋮⋮戦闘で役立つものはいっぱいあるのに⋮
⋮﹂
女神はあれこれ思案しながら贈与可能なスキルをいろいろ探って
5
いる。
﹁⋮⋮決まりました。このスキルならば人より遥かに楽ができるか
と思います﹂
﹁そりゃ助かる。ありがたく有効利用させてもらうぜ﹂
俺としては万々歳だが、女神はまだ微妙に納得していない顔をし
ている。
﹁ではこれより、白澤秀人はシュウト・シラサワとして、ドルバド
ルの地に転生します﹂
情けない魂だけの存在に過ぎなかった俺が、女神のその一言で徐
々に肉体を取り戻していくのが分かった。けれど同時に頭の芯も霞
み、思考が混濁していく。
生まれ変わるとはこんな心地なのか︱︱そんなことを考えている
うちに、俺は意識を失った。
6
俺、転生する
目が覚めた時、俺はどこかも定かではない部屋の中にいた。
だが手のひらを覗きこんでみると、まぎれもなく肉体を得ている
のが分かる。どうやら女神の言っていたことはマジだったらしい。
寝そべっていたベッドから跳ね起きる。
﹁本当に転生するとはな⋮⋮ってことは﹂
ここは例の異世界と考えて間違いない。よく見たら俺の服も死ぬ
前に着ていたジャージではなく、村人Aって感じだ。
ひとまずドアを開けて部屋から出てみる。
﹁うわっ!﹂
めちゃくちゃ通行人がいたので思わず声を上げて驚いてしまう。
部屋というか家のドアだったようだ。
通りに面したこの小さな石造りの家には﹃シュウト・シラサワ﹄
のプレートが飾られている。
﹁自宅付き転生か。こりゃ確かにありがたいが⋮⋮﹂
すぐさま中に戻る。家があるのはいいが、肝心の﹃アレ﹄がなか
ったら意味がない。まあその辺は女神も鬼じゃないから都合はつけ
7
てくれてるとは思うが⋮⋮。
﹁⋮⋮って、ねーぞ!﹂
家中どこを探しても金がない。
楽して生きられると言っていたのに、これでは餓死待ったなしじ
ゃないか。
﹁転生早々に家を売りに出すのか⋮⋮?﹂
だがそれはいくらなんでも目先の利益に走りすぎている。どう考
えてもマイホームは持っていたほうが長い目で見れば得になる。
さてどうしよう。ビル一棟もらって賃貸収益だけで生きていくの
が俺の長年の夢ではあったが、こんなしょーもない建物で稼げる気
はしないぞ。
﹁やっぱまともに働けってか?﹂
とりあえず町にある仕事の斡旋所へ行ってみる。
﹁ようこそギルドへ﹂
ギルドってなんだよ。それはいいから何か仕事をくれと受付のお
っさんに催促する。
﹁簡単で安全な依頼っていうと⋮⋮港にやってくる交易船の荷降ろ
しになるな。一日で1000G﹂
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最初に薦められた仕事はまったくやる気がしない。
庫内整理のバイトをやったことがあるが、暑いわ疲れるわ腰が痛
いわで最悪だった。
﹁もっと楽なのはないのか﹂
﹁楽さでいえば、薬屋から頼まれている薬草採取というのがある。
一個につき10Gだ﹂
﹁ほう。ちなみに飯を食うのに必要な額はいくらだ﹂
﹁人並みの食事がしたかったら200Gはいるな﹂
馬鹿にしてんのか。誰がやるかそんな利率の低い仕事。
﹁もっと手早くバーンと稼げるのはどれだ? 受けるかどうかはさ
ておき教えてくれ﹂
﹁要人警護なら一気に大金が手に入るぞ。ただし失敗したら最悪殺
される﹂
﹁ぶっ﹂
いきなり殺されるとか言われてむせてしまった。もう死ぬのはこ
りごりだ。
﹁やるわけねーだろ。他は?﹂
﹁あとはレアな素材を拾ってくるとかだな﹂
﹁おっ、それなら俺でもできそうだな﹂
﹁⋮⋮レア素材のほとんどは僻地にいる魔物由来だぞ? それも強
力な﹂
おっさんが﹁悪いこと言わないからやめとけ﹂みたいな顔をして
きた。俺もそう思う。
9
﹁結局この世界では強くなきゃ金にならなくて、俺は地道に稼ぐし
かないのか⋮⋮?﹂
こんなことなら女神がオススメするとおりに超人になれるスキル
をもらっておけばよかった。だが今となっては後の祭り。あるのは
生きやすさを望んだがゆえに逆に生きにくくなった哀れな俺の姿だ
け。
﹁あー、他に稼ぐ手立てだが、依頼を受けなくてもその辺の魔物を
倒すことでも可能だぞ﹂
﹁なんだそりゃ。素材を剥いで売るのか?﹂
﹁それもあるが、連中は貴金属を溜めこむ習性を持っているからな。
倒せば奴らが拾ってきた硬貨を入手することができる﹂
薬草集めのついでにやってみたらどうだ、とおっさんは諭した。
仕方ない、やるか。
俺は町の裏手にある森へと足を運んだ。おっさんの話によるとこ
の近辺に出現する魔物は弱いので、ヘボ装備しかない俺でも頑張れ
ば倒せるとのこと。
﹁っていうか、薬草ってどれだよ﹂
植物が多すぎてよく分からない。
﹁ん?﹂
突然俺の前を何かが横切ったが、それは一羽のウサギだった。な
10
んだ、驚かせるなよ。かわいい森の仲間達じゃないか。
⋮⋮と思った次の瞬間、そいつは俺めがけて突進をしかけてきた。
﹁うおっ!?﹂
こいつはただのウサギじゃない。直観ですぐに分かった。魔物だ。
俺は自宅にあった唯一の武器である棍棒を振り回し、なんとか払
いのけようとする。
顔をそむけてしまったのでどうなったかは見えなかったのだが、
手応えはある。どうやらクリーンヒットはしたようだ。
おそるおそる視線を前に戻してみる。
﹁⋮⋮あ、あぶねぇ﹂
そこには白目を剥いて倒れている殺人ウサギ︵さっき名付けた︶
の姿があった。棍棒にぶん殴られて完全に意識を飛ばされたらしい。
ぴくぴく震えている。
弱い弱いとは聞いていたが、マジで弱かった。
倒した魔物は煙となって消滅し、所持していた硬貨がその場に報
奨金として残される。
銀貨が二枚。おっさんに教わったレートだと一枚が100G相当
だったはずだから、これで200Gか。
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﹁おいおい、いきなり一食分稼げちゃったんだが。割のいい仕事だ
なこれ﹂
薬草とか採ってる場合じゃないな。というか、これだけ効率がい
いなら一番最初に教えてくれりゃよかったのに。
﹁はい二匹目。これで二食分だな﹂
俺は殺人ウサギ狩りを続行し、合計で十三匹しとめて町に帰還し
た。往復の移動こみでもおそらく二時間と経っていない。時給換算
した俺は思わず笑みをこぼしてしまう。
これでしばらくは持つな。一応稼ぎ方を教えてくれた斡旋所のお
っさんに挨拶してから帰るか。
﹁おう、お疲れ。随分と早かったな。薬草は集まったか?﹂
﹁いや採ってきてない。雑草と区別つかなかったし﹂
﹁はあ。じゃあ魔物は倒せたのか?﹂
﹁それはバッチリだ。変なウサギを十三匹倒してきた﹂
﹁やるじゃないか。初めてにしては上出来だぜ﹂
ただ、とおっさんは続ける。
﹁それだとせいぜい今日の分しか食えないだろうなぁ。日用品や嗜
好品も買おうと思ったらもっと張り切って稼がないとダメだぜ﹂
は? からかってんのか。
﹁めっちゃ稼げたぞ。ほれ﹂
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財布代わりの布袋に入れた銀貨を見せる。
﹁これでも俺はあんたには感謝してるんだぜ。うまいやり方っての
を教えてくれたんだから。一枚手間賃として置いていくわ。そんじ
ゃあな﹂
と言って去ろうとするが、後ろからおっさんの妙に慌てた声が聞
こえてきたので、足を止める。
﹁おい、それは本当なのか?﹂
﹁嘘なんかつくかよ。たった100Gだろ、それでなんか酒の一杯
でも⋮⋮﹂
﹁違う、そっちじゃない! ウサギを倒してその額を得たっていう
話だ!﹂
振り返った先にいたおっさんは、今までになく神妙な顔つきをし
ている。
﹁森に出るウサギだろ? ⋮⋮あんなの倒しても、一枚が10Gに
満たないボロ硬貨しか落とさないんだぞ?﹂
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俺、理解する
﹁んなアホな。どいつもこいつもちゃんとした銀貨を落としたぞ。
俺でも倒せるくらいだから弱い魔物なのは間違いないし﹂
俺はありのままを話したが、おっさんは疑いの目を向けている。
﹁盗んできたってか? おいおい、俺がそんなことできるタマに見
えるかよ﹂
自慢じゃないが、俺は度胸の据わった男のナリはしていない。
顔が精悍じゃないのは言うに及ばず、身長も低めだし、ガリガリ
だし。
﹁確かにそうだな。疑って悪かったよ﹂
﹁おう、理解が早くて助かる﹂
なんか悲しくなってきた。
﹁⋮⋮だとしたら変だ。どうしてお前だけ雑魚相手でも多額の報奨
を手に入れられたんだ? ちょっと普通じゃないぞ﹂
﹁そんなこと言われても、思い当たる節なんて⋮⋮﹂
あったわ。
人より遥かに楽ができる︱︱俺は女神の言葉を振り返っていた。 14
﹁もしかして、俺に与えられたスキルってそういうことなのか⋮⋮
?﹂
﹁どうかしたか?﹂
﹁あ、いやなんでもない﹂
ひとまずこの件は隠しておこう。種を明かしても俺に一切利益が
ない。
下手したら噂が広がって意に沿わない魔物退治に連れて行かれる
可能性もある。俺自身が開運アイテムみたいな存在になってるし。
そんなのは御免だ。
﹁俺もギルドに勤めて長いが、ウサギが銀貨を落としたなんて話は
初耳だ。これでもし倒したのが強力なモンスターだったりしたら⋮
⋮﹂
ほら、なんかもうそういう方向に持ってかれそうになってるじゃ
ん。
﹁偶然だよ。あんま深く考えるなって﹂
﹁そうか?﹂
﹁とにかく俺は運がよかっただけだ。今日だけかも知れないしさ。
まあ次からも食っていくために地道にコツコツ稼ぐよ﹂
俺は斡旋所を飛び出した。
﹁⋮⋮さて⋮⋮﹂
銀貨の詰まった布袋を見下ろす。ようやく女神の言っていたこと
が理解できた。なるほど、これが俺が異世界で楽して生きていくた
15
めの手段か。
いいものをもらった。素直にそう思う。
たまに森にウサギを狩りに行くだけで、十分に食べて行ける。い
い身分じゃないか。昔のイギリスの貴族みたいな生活だな。
とにかく数日分の食費はできた。となれば。
﹁飯だ飯。起きてから何も食ってねぇ﹂
気づけば日も暮れている。空腹を満たすのが急務だ。
町をうろついて、適当な飯屋に入った。料理名から内容をまった
く想像できないので注文したメニューも適当である。
運ばれてきたのは原材料不明な肉を炒めたものと、湯気の立った
香味野菜のスープ。あとは拳大のパンがふたつほど。
それからジョッキに注がれた真っ黒い謎の飲み物。店員はエール
という酒だと答えた。
﹁こ、こ、こいつは⋮⋮﹂
これで肝心の味がまずかったら悲しみに暮れるところだったが、
しっかりうまいので言うことはない。
肉は脂身が少なくて硬いが、その分イノシン酸だかグルタミン酸
だかの味がよく分かる。スープも塩が効いていてメリハリ抜群だ。
この店、客層をよく理解してやがる。
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合間に飲むエールが一汗かいた体に沁みる。ロックを浮かべた焼
酎だったら百点満点だったのだが、ないものは仕方ない。気分よく
酔えるだけマシだろう。
他のテーブルを眺めると俺だけでなくどいつもこいつも酔っ払っ
て顔を赤くしているあたり、この店にはアルコール飲料しか置いて
ないようだ。町を見て回った感じの時代的に、沸かしてない水飲ん
で大丈夫なのかって問題もあるしな。
酒の勢いか調子に乗って食いすぎて200Gを余裕でオーバーし
てしまったが、まあいいだろう。
帰るか。
食って寝るだけの人生。最高だな。
﹁⋮⋮いやちょっと待て﹂
三大欲求ってもう一個あったな、そういえば。
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俺、煩悶する
自家発電でも構わないのだが、燃料が見つかりそうにない。
俺は参考資料がないと事を成せない人間だ。
仕方あるまい、プロの力を頼るか。
ルネサンス真っ只中といった雰囲気のこの町にオトナのお店の案
内所なんてあるとは思えないから、恥を忍んで通りがかりの人に聞
くしかないだろう。当然、野郎に。
﹁娼館∼? そんなものあるわけないだろ、この国は人身売買禁止
なんだぜ﹂
ほろ酔い気分で歩いている男の台詞は俺を失望させた。
﹁な、なんだと⋮⋮まさかの展開だわ﹂
﹁どうしてもっていうなら、奴隷市場で女の奴隷をお買い上げする
しかないな﹂
ほう。そそる響きの単語が出てきたな。
﹁でもさっき、人身売買禁止って言ったじゃねぇか。奴隷とかまん
まそれだろ﹂
﹁奴隷として売られているのは獣人だけだ。獣人なら法に触れない
んだとさ。あいつらは基本的に野生の中で暮らしているから、奴隷
商人に片っ端から捕まえられてる﹂
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うーむ、中々ひどい話である。俺はここで世の理不尽に激昂して
頭に血をのぼらせるべきなのかも知れないが、残念なことに血液は
下腹部に集中していた。
しかし奴隷を買うとなればこの金額では全然足りないだろう。
﹁興味もあるし、一応行くだけ行ってみるか﹂
﹁言っとくけど、奴隷ってのは本来冒険の付き添いや屋敷の使用人
として雇うもんだからな? あんまり期待するなよ﹂
﹁ヤリモクが相手にされないのは慣れてるよ﹂
酔っ払いに教えてもらった奴隷市場は町の外れにあった。
外れにあるといっても建物自体は半端なくでかい。一見すると有
力者が住む大豪邸に思えてしまうような館だ。相当儲かってんな。
入ってみる。
内装もちょっと気圧されるくらい華美だ。
﹁いらっしゃいませ﹂
うさんくさいヒゲを生やした男が接客に出てきた。
﹁奴隷の購入をご検討中でしょうか﹂
﹁ま、まあな﹂
どうしよう。俺がただの冷やかしだってバレたら叩き出されるだ
ろうか。
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とりあえず金持ちのふりをしておこう。堂々とな、堂々と。
﹁どういった奴隷をお求めでしょう﹂
﹁ん? 違いなんてあるのか?﹂
﹁顧客のニーズに合わせて様々な獣人を取り揃えております﹂
﹁へえ﹂
﹁例を挙げると犬の遺伝子を引くものは非常に従順で、調教すれば
最高のメイドになります。馬の遺伝子を引くものは力が強くて持久
力もあり、旅のお供にうってつけです。狐の遺伝子を引くものは魔
法の適正が高いため、頼れる相棒となること間違いなし﹂
﹁指名料は取られるのか?﹂
﹁何の話でしょうか﹂
おっと。そういう店じゃなかったな。
﹁俺はそういう機能性云々はどうでもいいんだよ。俺が知りたいの
は、たとえば牛の娘ならおっぱいがでかいとかそういうのだ﹂
﹁まあ、そういった外見的特徴はなきにしもあらずですが⋮⋮﹂
商人は考え込むそぶりを見せる。
﹁しかし女の奴隷は特別値が張ります。男であれば十万から二十万
ほどでお売りできますが、女となると桁がひとつ変わってまいりま
す﹂
高っ。
﹁いかがなさいますか? ご希望であれば展示室に案内いたします
が﹂ 20
﹁そ、そう急かすんじゃない。こっちにも心の準備がある﹂
そんなところまで通されたら後戻りできなくなるじゃないか。俺
の手持ちは手軽に得たとはいえ2000Gちょっとしかないんだぞ。
⋮⋮予想はしていたが、高い買い物になるな。
森にいるウサギを一日五十匹狩ったとして、俺のスキルこみでよ
うやく一万G。
それを数百日⋮⋮?
﹁ちょいとばかり考えることができたから、一度帰らせてくれ﹂
俺は館を後にした。現実的に可能な範囲内とはいえ、こんな気の
遠くなる値段を提示されたら今のところは諦めるしかない。
こうなりゃその辺で女を引っ掛けるしかないか。
人通りの多い区画に行き、気は強そうだが顔は俺好みの女に声を
かけてみる。
﹁嫌よ。だってあなた、その格好を見た感じだと冒険者じゃないん
でしょ?﹂
﹁それがどうかしたか?﹂
﹁どうかするわよ。あなたも見た目は悪くないけど、功績の冴えな
い男を相手するほど安い女じゃないの。バイバイ﹂
女は俺を軽くあしらうように手を振って、どこかに行ってしまっ
た。
21
﹁⋮⋮まあ初っ端から成功するとは思っちゃいないさ。次⋮⋮﹂
﹁やめとけ、やめとけ﹂
品定めしていると、逆に俺が声をかけられた。しかも嬉しくない
ことに中年のおっさんにだ。
﹁なんだよ。俺は今下手な鉄砲作戦を実行してる最中なんだけど﹂
﹁それが無駄だって忠告してやってるんだよ。人生の先輩としてな﹂
うわ、しかもよくいるめんどくさいタイプのおっさんじゃん。
﹁目の色変えさせたかったら男を磨かなきゃ始まらなねぇよ。女の
惚れる男になりな﹂
﹁んな精神論みたいなこといわれてもなぁ。どうすりゃいいんだよ﹂
﹁そりゃ、冒険者になって名声を集めることだ﹂
名声?
﹁そんなのより、男の甲斐性ってのは金払いのよさだろ﹂
﹁兄さんがとんでもない大富豪っていうんなら別だけど、その風体
だと絶対違うじゃないか﹂
せやな。
とはいえ唯一無二のスキルがある俺ならやろうと思えば⋮⋮まあ、
そんな大金を持っていたら奴隷商人の世話になるだろうから意味の
ない仮定だが。
﹁それにデキる冒険者ってのは危険な依頼をバンバンこなしてるか
22
ら金も持ってんだよ。富も名声も両方持ってる奴にかなうわけない
だろう?﹂
ぐっ、反論できない。俺は確かに金は人より稼げる体質だが、別
に誰かから賞賛を受けているわけではない。
﹁じゃあ俺はどうやってストレス発散すりゃいいんだよ。一生女日
照りか?﹂
﹁真面目にお付き合いしな。ハッハッハ!﹂
大笑いするおっさん。それができるんなら苦労しないっての。
結局なにもかも空振りに終わった俺は一人自宅に帰り、寂しい夜
を明かした。
23
俺、決断する
無防備な顔全体に、窓から入ってきた陽射しが容赦なく浴びせら
れる。
﹁⋮⋮朝か⋮⋮﹂
眩しさに叩き起こされた俺はテーブル上に置いてある布袋を真っ
先に見る。
まだ食費に余裕はある⋮⋮今日は一日ゴロゴロしていてもいいか。
元々こうやって自堕落な生活を送るために異世界行きを望んだんだ
し。
しかし驚くほど退屈だった。
テレビもなければ雑誌もなく、ネットやゲームなんてもってのほ
か。
やることといえば二度寝くらいで、それもせいぜい昼までしか持
たない。
限界はすぐ訪れた。
暇すぎる。
確かに悠々自適の生活を望みはしたが、なんの娯楽もないんじゃ
カビが生えちまう。俺が外に飛び出し向かった先は⋮⋮他に行く当
24
てもないので仕事の斡旋所だ。
﹁ようこそギルドへ⋮⋮ってまたお前か﹂
﹁頼む、仕事を回してくれ﹂
﹁どうしたんだいきなり。一回落ち着け。茶でも飲むか? 暖かい
毛布は?﹂
適当になだめられた俺は、一旦冷静になって事情を明かす。
﹁俺は真理に達してしまった。この世界で地位も商才もなしに充実
した生活をしようと思ったら、冒険者になるしかないって﹂
﹁な、なんか様子がおかしいみたいだが⋮⋮まあ、そうだろうな。
一発逆転を夢見て冒険者になる奴らは後を絶たない﹂
というわけで、俺もこの斡旋所に冒険者として登録してもらうこ
とになった。
﹁じゃあうちのギルドメンバーに加盟させておくから、ここにサイ
ンを書いてくれ﹂
﹁なんだそのギルドメンバーってのは。派遣みたいなもんか﹂
イマイチ仕組みがよく分かってないが、とにかくこれで俺も自由
に依頼が受けられるようになったわけだ。
﹁でだ、シュウト。どんな依頼を受注するつもりだ﹂
﹁やるからには一気に稼げて一気に名前を上げられるのがいい﹂
おっさんが依頼一覧の載った紙をペラペラとめくる。
﹁そうだなぁ、盗賊団の壊滅を達成すればお前の評判はドカンと上
25
がるだろうな。あとは鉱山の奥地からレアメタルを採掘してくると
か、こういった採取系の依頼も地味に実入りがいい。取ってくる代
物の入手難度にもよるがね﹂
﹁さすがにきついわ。奥地って響きだけでめっちゃ危険そうだし﹂
ていうかそんな依頼を受ける意味は俺にない。魔物が落とす額は
上がっているが、だからって人からもらえる報酬は変動しないだろ
う。
﹁戦ってるだけでおいしく稼げるようなのはないのか?﹂
﹁王都が発布してる要注意モンスターのリストがある。こいつらを
倒して証拠の素材を持ち帰れば多額の懸賞金が手に入るぞ﹂
﹁それだ﹂
魔物が隠し持っている分と依頼者が支払う分。両取りが期待でき
るな。
だが根本的な疑問が浮かんでくる。
﹁俺でも勝てんの?﹂
﹁駆け出しには無理﹂
﹁だよな﹂
力も技もない俺がそう易々と倒せるような奴なら、国から害獣認
定くらわないだろ。
﹁そもそも、大半はパーティーを組んで挑むような相手だぜ﹂
﹁パーティーか⋮⋮そういうのはちょっと。できれば一人でやって
いきたいんだよ﹂
26
分け前が減るのもそうだが、俺の持っているスキルがバレるのも
本意ではない。俺がスキルを悪用する分にはいいが、スキル目当て
で俺が悪用されるのはぞっとしない。
﹁じゃあ地道に鍛えるしかないな﹂
﹁努力とかそういうの嫌いなんだよな⋮⋮﹂
となれば、やっぱ奴隷が必要だな。
聞いた話だと奴隷は戦闘の役にも立つらしいじゃないか。当面の
目標は公私のパートナーとしての奴隷の獲得。これだ。
⋮⋮ん? なんか目的と手段が入れ替わってるぞ。
﹁そうじゃない。それじゃダメだ﹂
﹁どうかしたのか?﹂
﹁いや、こっちの話だから無視してくれ﹂
やっぱりまずは俺自身が一人前になる必要があるらしい。人生に
近道なし。まさかこんな見ず知らずの土地で痛感させられるとは思
わなかった。
くそっ、楽に生きるのも楽じゃないな。
﹁手っ取り早く強くなるためにはどうすりゃいいんだ?﹂
﹁手っ取り早く? おいおい、シュウト。まじめに冒険者やってる
連中にブン殴られるぞ﹂
知ったこっちゃない。スナック感覚で強くなれるならそれが一番
だろ。
27
﹁魔法には才能がいるし、長い時間をかけて勉強する必要もある。
剣や槍の達人になるのだって日々の修練と肉体のトレーニングが欠
かせない﹂
﹁そういう積み重ねとか今更やっても遅いんだよなー。なんか裏ル
ートみたいなのが欲しいんだよ﹂
﹁一切鍛えずにか? うーん、腕を補えるくらい強力な装備を揃え
るとか?﹂
おお、中々有力な意見だ。
﹁聞くまでもないだろうけど、この町でも買えるよな?﹂
﹁武器屋と鍛冶屋が何軒かある。品揃えはバラバラだから、覗くだ
け覗いてみな﹂
よし。回ってみるか。
とりあえず一店目の武器屋へ。
鋼鉄の剣やら斧やらがごちゃごちゃと壁に並べられている。
﹁おっさん、この店で一番の武器はどれだ?﹂
うつらうつらと船を漕いでいた店主に尋ねてみる。それにしても
この町には接客してくれるのが中年男性しかいねぇのか。
﹁そりゃあもちろん、このグレートソードだ。幅広で質量のある刃
は破壊力抜群だよ﹂
﹁重いのは無理。俺でも扱えそうな中で一番強いのを教えてくれ﹂
﹁だったら弓かなぁ。ただこれは技術がいるから向いてなさそうだ
28
ね﹂
と言っておっさんが持ってきてくれたのは、なるほど俺でも振り
回せそうな小ぶりの剣だった。
﹁この前やってきた交易船経由で手に入れた、海賊印のカットラス
だ。こいつはいいぞ。揺れる船の上で戦う男のために作られた一品
で、軽くて最高に扱いやすい。特殊な製法で製鉄された金属を用い
ているから軽さの割りに強度もバッチリだ﹂
握らせてもらうと、なるほど他の剣よりは大分軽い。非力な俺で
も問題なく使えそうだ。
﹁これ、予約で﹂
だが輸入物のいい武器なだけあって、値段のほうも結構する。そ
の額、四万G。一日で稼ぎ出すには少々厳しい。
﹁取り置きの期限は一週間までだよ﹂
﹁分かった。なるべく早く工面はつけておく﹂
それまでは棍棒に頼るしかないか。ひとまず安価な剣を買ってお
茶を濁すのもありだが、別にこれで殺人ウサギを狩れているうちは
不都合はないだろう。
﹁だけど冒険者が場末の町にある店売りの武器で満足しちゃいけな
いよ。本当にいいものは王都じゃないと手に入らないんだ。もしく
は素材を集めて鍛冶工に作ってもらうかだね﹂
﹁へえ、一応頭の片隅にでも引っかけておくわ﹂
29
次に向かったのは防具屋。しかしここで俺は大きな問題と直面す
ることになる。
﹁こんなの着込めるかよ!﹂
頑丈な鎧ってのはどいつもこいつも馬鹿みたいに重いのだ。
﹁俺が身につけたら強敵に辿り着く前に鎧に潰されちまうよ。軽装
から選ばせてくれ﹂
﹁ベストやローブは見劣りするけど、いいのか? 竜の琴線だとか
不死鳥の羽だとか、そういった希少な素材を編みこんだ服なら薄く
ても鎧並の防御性能があるがね﹂
﹁ここに置いてある?﹂
﹁まさか﹂
だろうな。当然のようにおっさんの店主も﹁うちがそんな凄い店
に見えるか?﹂みたいな自虐交じりの表情をしている。
﹁素材を取ってきてくれれば、馴染みの裁縫職人に頼んで作っても
らえるけど﹂
それができたらこんなところで頭を悩ましてないっての。
﹁保留で﹂
元々俺は某ゲームだと全裸でブーメランを持って洞窟にこもるプ
レイスタイルだ。防具は狩りの効率性に貢献しないから後回しにし
ておこう。
まずは上質な武器を手に入れることだ。
30
善は急げ。早速森へウサギを討伐しに⋮⋮。
⋮⋮いや、思ったより疲れたから明日からにしよう。
俺は食料品市場でパンとワインと魚の燻製を目一杯買い込み、自
宅に戻った。
31
俺、奮闘する
翌朝、ちゃんとサボらずウサギ狩りに出向いた俺だったが、途中
であることに気づく。
もしかして自分、生産性低いんじゃないかと。
ウサギを倒して得られる200Gは難易度を考えれば破格の額。
だがこいつらは弱すぎる。
もっとサクサク稼げるんじゃないか? という考えが芽生え始め
た。こいつらより若干強い代わりに、資金を多めに落とす魔物はい
くらでもいるはず。
危険は嫌いだが手間も同じかそれ以上に嫌いだ。安全と効率と天
秤にかけた結果、俺は別の獲物を探しに森の奥に踏み入ってみる。
で、そいつはいた。
ぶよぶよとした水の塊、スライムだ。
いかにも雑魚っぽい見た目だが、奥手にいたということはウサギ
より強い可能性が高い。油断せずにかからないとな。
﹁うりゃ!﹂
棍棒を振り下ろす。動きがトロいので当てやすかったが、てんで
32
手応えがない。
﹁衝撃が吸収されてんのか?﹂
アクアベッドかよ、という感想を漏らす前に、今度はスライムが
体当たりをしかけてくる。
たまらず腕で顔をかばう⋮⋮が、ぶつかってきたはずなのに全然
痛くない。どうやらこいつ、体が柔らかいせいで攻撃力もろくにな
いようだ。
しかし困った。切れ味鋭い刃物ならスパッといけるのかも知れな
いが、生憎俺の武器は叩いて殴るだけの棍棒。スライムとは相性が
よろしくない。
何度も何度も攻撃し続けてようやく倒すことができた。
落とした資金は500G。た、確かに一体あたりの価値はウサギ
よりは上だが⋮⋮。
﹁時間かかりすぎて逆に効率悪いわ﹂
別の場所へ。
道中コウモリの群れを見かけたが、あいつらは飛んでてまともに
戦えそうにないので放置。
俺が求めているのは虫っぽい魔物だ。虫なら棍棒の一撃で潰れて
くれそうだしな。
33
森の各地を巡って、ようやく行き当たる。
﹁蜘蛛か⋮⋮﹂
ただでさえキモいフォルムなのに、サイズが犬くらいまで膨れ上
がっているから尚更キモい。
とはいえ所詮は蜘蛛。見た感じ特別硬そうでもないし、殴ればぺ
しゃっといくだろう。
そう楽観視していたのも束の間。
﹁おわっ!?﹂
蜘蛛は糸を吐いて先制攻撃をしかけてきた。粘ついた糸が俺の足
に絡みつき、動きの自由を奪う。その間にも蜘蛛はじりじりと距離
を詰めてくる!
﹁ぐっ、デカグモめ⋮⋮こいつはやべぇな⋮⋮﹂
とその場の雰囲気でそれっぽいことを口走ってみたものの、よく
よく考えれば糸に巻きつかれているだけでダメージはまったくない。
しかも向こうから勝手に近寄ってきてくれているおかげで動けなく
ても手を伸ばせる。
冷静になると大してピンチでもなかった。
﹁えいっ﹂
一発脳天に棍棒を叩きこむと、デカグモ︵採用︶は気色の悪い汁
34
を出しながら即死した。
絡んでいた糸ごと煙となって消え、例によって所持していた硬貨
が残される。
ただ今回はそれだけでなく真っ白な毛玉も落ちていた。どうやら
蜘蛛の糸らしい。これが素材アイテムってやつか。
もらえるものはもらっておこうと背負っていたカバンの中に放り
こんだが、問題はこっち。
金だ。蜘蛛が落とした硬貨はたった一枚︱︱しかしそれは美しい
輝きを放つ金貨だった。
﹁お、おお⋮⋮!﹂
どうせ混ぜ物をしてるだろうから純金製ではないだろうが、その
レートは一枚で1000G。ウサギよりやや手こずる程度でこれだ
け稼げるなら、万々歳だ。
﹁他の冒険者連中はこんなの倒したところで端金にしかならないん
だろうなー﹂
そう思うと優越感がふつふつと湧いてくる。
さておき、棍棒を装備している俺にぴったりの狩場は見つかった。
俺はウサギ狩りから蜘蛛駆除へと切り替え、次々に金貨を拾ってい
く。
狩りを楽しむ貴族から益虫を虐殺するサイコパスになったのは悲
35
しいが、そうも言ってられない。
優雅さは金には勝てないのだよ。
買っておいたパンとワインで昼食を済ませた後も、黙々とデカグ
モを退治し続ける。
戦闘に慣れてきたせいか手際も段々よくなっていた。まったくア
テにしていなかった俺自身の力だが、少しはついてきてるんだな。
結局、日の出から日没までの間に五万G近くを稼ぎ出した。
ボーナスかかった状態でこれなんだから、まともに一から冒険者
やって稼ぐのはどんだけしんどいんだよって話である。
俺はヘトヘトになりながらも町に帰還し、その足で予約を入れて
いた武器屋に向かった。
﹁おっさん、例の剣の代金持ってきたぜ﹂
布袋に入れていた金貨を積み上げる。
﹁十枚、二十枚、三十枚、四十枚⋮⋮ちょうどあるね。はい、じゃ
あこれ﹂
鞘に納まった状態で渡された高級カットラスを、そのまま腰に装
着してみる。
36
うむ、悪くない。
鞘といい柄といい豪華かつ細やかな装飾が施されている。武器を
腕時計感覚で語っていいかは知らないが、俺という男のステータス
がワンランクアップした気分だ。
﹁それにしてもこの金額をポンと出せるだなんて、お客さんは見た
目によらず気風がいいんだな。よっぽどの冒険者と見た﹂
﹁まあな﹂
異世界に来て三日目なことは黙っていよう。
さて。
次に俺は裁縫職人がいるという工房を訪ねてみた。
大量に集まった蜘蛛の糸を使って防具が作れないかと考えたのだ。
﹁蜘蛛の糸ねぇ﹂
名うての職人だというオネエっぽいおっさんは、毛玉を手の中で
転がしながら語る。
﹁確かにポピュラーな素材ではあるわ。うちでも既製品をいくつか
販売してるわよ﹂
そう言われて持ってきてもらった上下揃いの衣服には、蜘蛛の糸
を編みこんでいることを証明するかのように小さく蜘蛛の刺繍がさ
れている。
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﹁なんだ、よくあるものなのか⋮⋮﹂
﹁そう落ちこまないの。蜘蛛の糸はしなやかな上に耐久性も兼ね備
えてるから、お手頃価格な割には実用的よ。一着買っていきなさい
な。あなたの持っている分を下取りしてあげるから、その差額だけ
でいいわ﹂
服はセットで4800G。別に手持ちでも買える値段だが、持参
した素材を相場で買い取ってくれるとのことなので、せっかくなの
でそうしてもらった。
﹁糸は全部で四十六個⋮⋮凄い数ね⋮⋮一個50Gだから2300
Gになるわ﹂
足りない分の2500Gを金貨と銀貨で支払う。にしても、一個
でたった50Gか。金銭感覚が麻痺してしまってるからイマイチあ
りがたみを感じない。
﹁蜘蛛はいいわよねぇ。持ってるお金は大したことないけど、素材
を売って足しにできるもの﹂
﹁だな﹂
俺の場合は前者のほうが遥かにうまいけど。
工房を出た俺は、首の骨を鳴らすついでに夜空を見上げる。
これで支度は整った。今日はもう遅いから休むとして、明日は試
し斬りついでに近隣に出現する魔物と片っ端から戦ってみよう。
どいつがどれだけ資金を落とすか気になるところだしな。
38
その勢いで討伐依頼も⋮⋮まだ早いか。死ぬかも知れんし。
若いうちから貯蓄して四十代でリタイア、なんて考え方してる奴
の気持ちが今なら分かる。この世界で俺が目指してるのはまさにそ
れだからな。
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俺、実感する
朝の陽射しが眩しい。
チーズと燻製肉を挟んだヘビーな朝食を出店で買い、俺は英気を
養っていた。
手持ちの荷物はカバンと新調した硬貨入れ、埋めてる途中の手書
きの森の地図、紙に包んだ昼飯にワインの瓶、そして昨晩購入した
新兵器。
それにしても異世界にやってきてからアルコールばかり飲んでる
気がする。本当は飲料水を買いたいところなのだがワインのほうが
安いから仕方ない。
よし、行くか。
目的地はもちろん近場の森。というか、ここしか知らんし。
﹁おっ﹂
草むらから飛び出してきたスライムを見て、頭にあることが浮か
ぶ。
昨日は有効打がなくてグダグダになったが、剣を手にした今の俺
ならどうだろう。
鞘からカットラスの真新しい刃を抜いて、斬りかかってみる。
40
手応えは一切なかった。効果がなかったからじゃない。自分でも
驚くほどするりと切断できてしまったからである。まるで水を切り
裂いたかのような⋮⋮そんな感覚だった。
﹁つよっ! ⋮⋮待て待て、スライムが斬撃に弱いだけって可能性
もあるか﹂
なにせ素人の剣技だ。作法なんてまるでなっていないから自分で
も恥ずかしくなるくらい無茶苦茶な振り方だった。
他の魔物に通用してから武器による影響を信じよう。
更に奥へ。
立ち入ったことのない区域で新たな敵を発見した。
それもとびきりやばそうなのを。
俺の視界に飛びこんできたのは、平地を這う全長、直径ともに二
回りほどでかい蛇。面構えといい色合いといい、いかにも毒を持っ
てそうな外観で、正直びびる。
だが俺は丸腰ではない。なんのために大枚はたいてクソ高い剣を
買ったと思ってる。
﹁俺にはお前しか頼れるもんがないんだからな⋮⋮﹂
頼むぜ、と物言わぬ相棒に話しかける。
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俺は武器屋のおっさんの言葉を信じて猛毒ヘビ︵仮名︶に対決を
挑んだ。
睨み合いの中で先手を取り、急接近。微妙に青みがかった銀色に
輝くカットラスの刀身を、棍棒の時と同じような感覚で叩きつける。
勝負は一瞬だった。
一刀両断⋮⋮蛇はあまりにもあっけなく煙に変わってしまったの
だから。
﹁ま、マジか﹂
あまりにも切れ味がよかったので返り血を浴びることもなかった。
カットラスには刃こぼれひとつない。軽くて小さいから半信半疑
だったが、こうして結果に表れてしまったら攻撃力には文句のつけ
ようがないな。
これが四万Gの力か。
ひいては一夜で四万Gを貯めた俺の力ともいえる。
⋮⋮なんて調子のいいことを考えていると。
﹁ぎやっ!?﹂
死角からもう一体の蛇が襲いかかってきていた。
大きく開いた口から、毒液のしたたる牙を剥き出しにして。
42
反応が遅れた俺は、足に狙いを定める魔物の攻撃に対処しきれな
かった。異様に発達した顎が俺の太ももを挟み、喰いつき、閉じら
れる!
やべ、これ死んだだろ。
とっさにそう諦めてしまったのだが、どういうわけか無事だった。
呼吸もできるし意識もある。毒が回っている感じもない。完璧に噛
まれているのにだ。
なぜかといぶかしみ、噛まれた箇所を覗いてみる。
俺は驚嘆した。
蛇は確実に俺の足に喰らいついているものの、その牙は俺の皮膚
を貫いてはいなかった。生地の段階で牙と、そこから染み出る毒が
止まっている。
これが服の効果ってやつか。すげーな、蜘蛛の糸。
ただ布越しに牙が当たっているのでまったく痛くないわけじゃな
い。ていうか割と、痛い。
﹁食物連鎖ってのを教えてやる。人間、舐めてんじゃねぇ!﹂
噛みついてきた蛇も斬り伏せる。例によって一撃で。
﹁ハァ、ハァ⋮⋮焦らせやがって﹂
43
一発で倒せるっていうのに無駄に苦戦してしまった。
次からはもうちょい慎重にやるか。二体分の金貨を拾った後、ひ
とまず﹃猛毒ヘビ出没注意﹄と地図に書きこんでおく。
しかしまあ、いい稼ぎになった。
俺が布袋に放りこんだのは金貨が四枚と銀貨が十枚。単価あたり
2500Gなり。 ﹁利率やべぇな⋮⋮ウサギ一匹で一食とか言って喜んでたのがアホ
くさくなってくるぜ﹂
蜘蛛より大分殺傷力が高いだけあって得られる金額もそれ相応だ。
素材ドロップこそなかったが、蜘蛛の糸の買取価格を鑑みた限りだ
と大した儲けにならないだろうから、いいや。
その後も俺は森を巡って魔物を狩り続けた。
予想はしていたけど、コウモリは素早いだけの雑魚なので全然金
を持っていなかった。そのくせたまにしか降りてこない。今後もシ
カトで問題なし。
一方で狼は一筋縄ではいかない相手であるらしく、毛皮に加えて
3000Gもの資金を落とした。﹃らしい﹄と言ったのはあまり苦
戦を強いられなかったからで、ぶっちゃけると瞬殺だった。すまん、
新参らしからぬ強装備で。
逆にムカデの姿をした魔物には参らされた。いや別にこいつも強
さ自体はしょっぱいのだけれど、真っ二つにした後もしばらくウネ
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ウネ動くので俺の精神衛生上よろしくない。金も蜘蛛よりちょっと
多いくらいの額しか落とさないのでなるべく避けて通りたいところ
である。
他にもいろいろと戦ってみたが、共通して言えるのはどいつも俺
の敵じゃないってことだ。
おっさんが語っていたとおり、森には弱い魔物しか出ないっての
はマジのようだな。
それにしたって俺みたいな戦闘のいろはも知らない人間がこれだ
けスムーズに魔物退治をやれるんだから、武器がもたらす影響力は
とんでもない。
これ一本あればしばらくは困らないだろう。明日からは本格的な
依頼を受けることも考慮してみるかな。
自信のついた俺は帰宅の準備を始める。
その時、二十メートルほど先にある草むらがガサガサと揺れた。
視線をそちらに合わせると、生い茂った草木の中に紛れてふたつ
の点が光っていた。目を光らせている魔物と見て間違いない。
﹁ありゃ狼か? ついでだし狩ってくかぁ、あいつ一匹で五日分は
飯まかなえるし﹂
そう思って近づこうとした途端、俺は無性に違和感を覚えた。
違和感の正体は狼の容貌だ。草むらから出てきたそいつは、俺が
45
ついさっきまで狩っていた灰色ではなく、赤褐色の毛皮に覆われて
いる。
嫌な予感がする。目線を合わせたまま後ずさろうとするが⋮⋮。
﹁⋮⋮おいおい、イレギュラーな事態は勘弁してくれっての﹂
別の茂みからもう二匹姿を見せていた。
46
俺、激闘する
ままま、落ち着け。
森の魔物に大した奴はいない、多少見た目が違うだけで実際には
⋮⋮。
﹃ダッ!﹄
⋮⋮ん? なんだ今の音は。
﹁いでぇっ!?﹂
その音の正体がレッドウルフ︵仮称︶が大地を蹴った音だと察し
た時には既に、俺の左腕はそいつに噛みつかれていた。
なんて速さだ。これまでの魔物と比べて別格じゃないか。
いやそれより、痛い。とんでもなく痛い!
牙の鋭さも蛇とは比べ物にならない。蜘蛛糸で編まれた布を突き
破り、その下にある俺の肉にしっかりと喰らいついている。
滲み出てくる血を前に、俺は﹁雑菌とかどうなってんだ﹂なんて
考える余裕もなく動転する。
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とはいえ自分の防御面がいまひとつな点は折りこみ済み。俺の装
備の真価は武器にある。
﹁く、くそっ、馬鹿犬の分際で⋮⋮! おらっ!﹂
カットラスを横腹に突き立てる。
血飛沫が噴き上がるがしかし、都合の悪いことに一撃ではくたば
らなかった。こんなケースはカットラスを手にして以降初めてだ。
おまけに骨かどこかに挟まってしまったのか、中々刃が抜けない。
その間にも残りの二匹が俺に向かって疾駆してきている。
⋮⋮どうする?
どうする、どうする、どうする!
俺は錯乱状態にあった。
噛みついている奴は依然として離れようとしないし、更にここに
二匹追加されつつある。全てに対処しなければならない。腕に走っ
ている激痛は治まる気配もないっていうのに。
こうなったらやるしかない。やっていくしかない!
﹁どこでもいいから、当たってくれーっ!﹂
力任せにカットラスを引き抜き、そのまま向かってくるレッドウ
ルフにぶつけようとした。
48
最早やぶれかぶれ。おみくじを引いているようなものである。
だが強引に抜いた刃から舞い上がった雫は狼の生き血だけではな
かった。キラキラと光る、美しい︱︱。
﹁水?﹂
そう、水だ。水の粒が日光を反射して輝いている。そしてそれは
間違いなく、カットラスから溢れ出ているものだった。
前触れもなく起こった奇妙な現象はそれだけじゃない。
三日月を横倒しにしたような形状の何かが二匹の狼を押し返して
いる。﹃何か﹄とは言ったが、それが衝撃波の類であるのは明白だ
った。現に、狼の体表に切り傷を作っている。
幅にしておよそ二メートルから三メートル。厚みは極めて薄い。
色は透明だ。
透明ということはつまり、水でできているのか? 水といえば⋮
⋮。
﹁⋮⋮この剣から放たれたのか?﹂
だとしか考えられない。
ならば。
﹁頼む、今の奇跡がもう一回起きてくれ!﹂
49
そう念じると、剣は応えてくれた。またしても水圧のカッターが
振り払った刃から発射され、数メートル先にいる二匹に命中する。
幅だけでなく、射程もそれなりにあるらしい。
今度は剣を縦に振ってみる。なんとなく予想はしていたが、出て
くる衝撃波も刃の軌道に合わせて縦型になった。
威力自体は直接斬るより低そうだが、離れた位置から攻撃できる
んだから素晴らしい。
窮地が一転、優勢になる。
﹁でやあっ!﹂
まとめて巻きこめるように剣を横薙ぎに振るう。生み出された衝
撃波は地面に水平に飛んでいき、二匹のレッドウルフを同時に切り
裂く。
やったか? ⋮⋮やったな。
﹁っと、こいつもだった﹂
俺はふと我に返り、腕に喰いついている奴に視線を戻す。
呆然とするあまり痛みごと存在を忘れるところだった。胴体めが
けて再び剣を突き刺し、ようやく息の根を止めた。
やっと左腕が解放される。ひどい出血だ。もっとも返り血も相当
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浴びているから、どれが俺のなのかよく分からない。
どっと疲弊感が押し寄せてきた。俺はその場にへたりこみ、今回
のピンチを救ってくれた英雄であるカットラスを見つめる。
﹁これ、どうなってんだ⋮⋮?﹂
単なる武器のはずなのに。
けれどそんな疑問以上に、俺の腹の底から沸き起こってくる素直
な感情があった。
﹁⋮⋮よ、よかった﹂
生きててよかった。本当に。
俺はしばらく体を休めた後、落ち着いて成果を確認する。
﹁すげぇな、マジで⋮⋮﹂
報奨として転がっていたのは、赤褐色の毛皮と、数えるのも面倒
くさいくらいの大量の金貨。
確かに強敵だったし、俺のスキルなしでも金貨の一枚くらいは落
としたであろう。
だが現実には俺は幸運の女神に愛されているわけで、これだけの
枚数になったというわけだ。
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もしかしたらこいつらが噂の懸賞金つきモンスターなのかも知れ
ない。ということは毛皮を持っていけば更に追加の儲けになるので
は。
﹁行ってみるか﹂
俺は帰りの足で斡旋所に寄ることにした。
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俺、自問する
﹁ようこそギルドへ⋮⋮って、うおっ!? ボロボロじゃないか!﹂
おっさんは俺の小汚い格好を見るなり素っ頓狂な声を上げた。
まあ、そのリアクションは正しい。今の俺は血まみれだし、土埃
もかぶってるし、服はところどころ破けてるし、おまけに狼とたわ
むれていたから獣臭い。
﹁一回魔法屋に行け。そんでさっぱりしてこい﹂
どうやら汚れを落としてからにしろって話らしい。
おっさんの紹介を受けて訪れた魔法屋とかいう店には、眼鏡をか
けたおっさんがいた。いい加減おっさん以外の人間とも会話したい
んだが。
﹁いらっしゃい。おや、これまた一段とひどいお客さんだね﹂
﹁なんか綺麗にしてくれるって聞いたから来たけど、どうやってや
るんだ? できるんなら早くやってくれ﹂
﹁任せなさい。フルコースで処置してあげるよ。ほれっ﹂
そう言っておっさんが杖を振ると、俺が負っていた傷はたちまち
塞がった。衣服も完全に汚れが落ちているし、それどころかほつれ
た部分まで修繕されている。
あと、四日間風呂に入ってなかったのに湯上がりのような爽快感
53
がある。
﹁これが魔法の力か。凄いな﹂
﹁だろう? ヒールで治療、リペアで補修。冒険者には欠かせない
作業が一瞬でまかなえるからね。そしてリフレッシュがあれば洗い
場いらずさ﹂
おお、便利じゃん。
﹁ヒールで300G、リペアで500Gね。初サービスだからリフ
レッシュはおまけしておいたよ﹂
だが意外と高めの料金設定だった。
すっきりした俺は斡旋所に戻る。
﹁おっさん、ちょっと話があるんだけど﹂
﹁どうした?﹂
﹁これ﹂
手に入れた素材、レッドウルフの毛皮を見せる。
﹁おや、これは⋮⋮驚いた、ヤルベドロジスカ・リスキの皮じゃな
いか!﹂
わけの分からん正式名称だったので、俺の中では今後もレッドウ
ルフと呼んでいくとしよう。
﹁かなり強かったから、ひょっとして珍しい魔物なんじゃないかっ
て思ったんだけど﹂
54
﹁その通りだ。こいつは王都から要注意の御達しが出ている﹂
﹁やっぱりか。ってか、こんな奴がいるなら先に教えておいてくれ
よ。森は余裕って聞いてたから安心して探索してたのに、マジで死
ぬかと思ったぞ﹂
﹁すまんすまん、たまに出るんだよ、たまに。通説だと普通の狼を
狩り続けると怒って出てくるらしいが、それにしたって絶対じゃな
いからな﹂
ふむ。となると俺は運がよかったのか悪かったのか。
﹁だがにわかには信じられないな。こいつは森に生息する魔物の中
では例外的な存在だぜ。しかも三匹もだなんて! 駆け出しのシュ
ウトが一人で討伐できるとはとても⋮⋮﹂
﹁まあ聞いてくれよ﹂
俺は剣を見せる。
﹁装備で腕を補えっておっさんに言われたから、かなりいいものを
買ったんだ﹂
﹁お、これは⋮⋮海洋鉱のカットラスじゃないか! 身の丈に合わ
ない品持ってんなぁ⋮⋮﹂
うるせぇ。それより気になるワードが出てきたな。
﹁海洋鉱ってのは海底に埋まっているレアメタルだ。海の中でも金
属質を保てるくらいだから非常に錆びづらいし、水属性の魔力を宿
している。含有量は合金全体の十パーセントくらいだろうが、まあ
十分効果を発揮できるレベルだろう﹂
そういや、特殊な金属を使ってると武器屋の店主も言ってたな。
55
﹁詳しいな﹂
﹁何年この町のギルドを運営してると思ってるんだ。俺こそがこの
町一番の情報通だぜ﹂
﹁どうでもいい。それより﹃水属性の魔力﹄ってなんだよ﹂
ただごとではなさそうだが。
﹁剣を使用していておかしな点はなかったか?﹂
﹁あった。刀身から水が湧き出てきたな﹂
﹁じゃあ、それだな。レアな素材には素材自体に魔力が宿っている
んだよ。それらを用いて作られた装備品には、当然特別な性質が付
いてくる、ってな具合だ﹂
追加効果ってことか。
つまり俺の持っているカットラスには、水の刃を生成する力が秘
められているわけだな。
にしても、魔法を使えなくても魔法の真似事ができるとは。装備
ってのは奥が深い。
﹁こんな良質な武器、どこで手に入れたんだ?﹂
﹁普通に武器屋で売ってたぞ﹂
﹁武器屋か⋮⋮この町で作られたものとは思えないけどなぁ﹂
あ、そういえば交易船から仕入れたんだっけか。
そのことは黙っていよう。
56
﹁いくらした?﹂
﹁う⋮⋮四万Gだよ﹂
ここで不自然に安い買値を言うと怪しすぎるので、正直に答える。
﹁四万? モノの割には随分と安価だな。まあお前でも支払えるく
らいなんだから、そう高額じゃなかったのは間違いないけどさ﹂
もしかすると武器屋のおっさんは価値があまりよく分かってなか
ったのかも知れない。希少な金属の影響も﹁軽くて強い﹂程度のこ
としか語ってなかったし。
だが俺としてはありがたい話だ。本来もっとしたであろう武器を、
希望小売価格以下で入手できたんだからな。
﹁それにしても、本当に見事な剣だ。お前もこのカットラスを振り
かざしている間は、荒々しいヴァイキングの勇壮な姿が浮かんでき
たことだろう﹂
﹁生憎だが、俺はそういう抽象的な感性は持ってないんだよ﹂
そんなくだらないことより、ヤル⋮⋮ヤル⋮⋮レッドウルフに懸
けられているという報酬だ。
﹁ああ、そうだったな。ヤルベドロジスカ・リスキ一匹の懸賞金は
5000G。毛皮と引き換えだ。いい稼ぎになったな、シュウト﹂
えっ、やっす。
思わず口に出してしまいそうになった。
57
いや実際には決して低額ではないのだろうけど、今の俺からすれ
ばかなり物足りない。
おっさんいわく丈夫だという毛皮を素材に使って防具を作ったほ
うがマシなのでは、という思いも生まれるが、これを納品しないと
俺の名声が上がらない。
ぐ、ぐぐぐ⋮⋮。
転生初日に学んだ鉄則、富は名声に変えられないか⋮⋮。
俺は泣く泣く三枚の毛皮を手渡す。
﹁よし、じゃあ三匹分で一万と5000Gだな。これで何かうまい
もんでも食って、上等な装備を揃えて、明日からの冒険に向けて精
をつけるといいぞ!﹂
十五枚の金貨を渡しながらおっさんは笑うが、正直そんなに嬉し
さはなかった。
なにせ俺の布袋の中には、その十倍以上の金貨がひしめきあって
いるのだから。
58
俺、買物する
早めの夕食を済ませて帰宅した俺は、大いに頭を悩ませた。
何も困っているわけではない。
﹁どう使うかなー、これ﹂
数えてみたところ、レッドウルフ三匹が落としただけでも金貨二
百四十枚。
これに懸賞金や他の魔物から得た硬貨を合わせると、総額三十万
G近い資金を俺は今日一日で稼ぎ出していた。
途轍もない額だ。しばらくは遊んで暮らせるだろう。
しかし⋮⋮しかしだ!
﹁まともに遊べねぇんだよ、この世界じゃ﹂
俺は下半身のうずきをなんとか鎮めた後で、これだけ金貨があっ
てもまだまだ目標金額に足りていない事実を噛み締める。
女の奴隷を買うには最低でも百万Gは必要。現状は半分にも達し
てない。
まだ軍資金の段階だ。ここから更に増やしていかねば。
59
考えられる用途は二つ。
一つ目は貯金。奴隷を買うという目的のために、一切手をつけず
に取っておく。
二つ目は新しい装備の購入。武器は問題ないが、よりよい成果を
目指すなら防具はもっといいものにすべきだ。
さて、どうするか。
前者を選ぶのであれば、このまま地道に森で雑魚狩りにいそしむ
ことになる。今日のように一気に稼げる機会が巡ってこずとも、一
週間から二週間あれば百万Gには到達するはず。これは安全な道だ。
片や後者を選べば他の場所にも探索に行けるようになるだろう。
そうなれば受けられる依頼や討伐できる魔物にも幅が出るし、結果
的に稼ぎの効率はよくなるに違いない。その上、俺の評判も高まる。
ただし相応の危険は伴うが。
リスクとリターンを天秤にかけ、俺が下した結論は⋮⋮。
﹁⋮⋮起きた時でいっか﹂
とにかくもう、眠い。
翌日午前、俺は町中を歩いていた。
最終的に俺は、装備を整えて派遣可能な範囲を広げるという選択
を取った。一種のギャンブルだが、そうしたほうが長い目で見れば
60
有益なはず。
なによりも依頼をこなしていかなければ名声は上がらない。
奴隷を買うのもいいが、普通にモテたいという願望も捨て切れな
かった。
楽に生きるのは容易。しかし楽しく生きようと思ったら一歩踏み
こまなければならない。
金を稼いで、名声も得る。一挙両得を目指すべく、俺は高品質の
防具を探す。
⋮⋮で、どこにそんなもんがあるのかという問題だが。
俺にはアテがある。昨日の斡旋所とのおっさんとの会話の中にヒ
ントが隠れていた。
一応、革細工職人のところに行き普通の狼の毛皮で何か作っても
らうことも検討してみたが。
﹁あのなぁ、衣服の素材にするったって時間がかかるんだぞ。塩漬
けに一週間、塩抜きに一週間、それからようやく革になめして、更
に加工が⋮⋮﹂
と長々と説教されたので、下取だけしてもらった。
やはり当初の思惑どおり、﹃あそこ﹄に行くしかなさそうだな。
﹁おー、活気があり余ってんな﹂
61
行き交う人々の合間をぬって吹いてきた潮風が、遠慮の﹁え﹂の
字もなく俺の頬をなでる。
俺が向かった場所とは、港だ。
港の市場では、多くの耳の生えた男が魚やら荷物やらの詰まった
箱を運搬していた。
あれが獣人か。働いているということは奴隷だろう。純粋な労働
力としてみた場合単価が高すぎるのか、女の奴隷は一人として見な
かった。
なぜ港なんかに来たのかといえば、交易品狙いである。
斡旋所のおっさんの言葉が本当なら、レアな装備はこの町にある
店では通常まず手に入らない。となれば町の外からもたらされる物
資に期待するしかない。
俺の所有しているカットラスも元はといえば交易船由来の代物、
きっと掘り出し物が眠っているはず。
とりあえず市場をうろついて、よさげな品がないか露店を見て回
る。
﹁これはなんだ?﹂
﹁暴れ馬の革で作られたブーツだ。安くしとくよ﹂
商人が手を揉むが、大して珍しそうでもないのでスルー。
62
別の露店を訪ねる。
二人の用心棒が睨みを利かせるその店では、武具類ではなくアク
セサリーをたくさん売っていた。
﹁どうです、キレイでしょう? ただキレイなだけじゃなく、魔力
を封じた宝石を用いていますから冒険者の方にも最適です﹂
﹁おっ、いいじゃん。俺が求めてたのはそういうのだぜ。いくらす
るんだ?﹂
﹁こちらのネックレスですと、特価で八十万Gでございます。お支
払いは為替手形で結構ですよ﹂
﹁無理!﹂
高すぎアホか。さすがの俺も踵を返した。
﹁くそっ、中々手頃なのがないな⋮⋮﹂
珍しい金属で鋳造されたという盾やすね当てはいくつかあったが、
肝心の服が見当たらない。
金属製の防具はいらんぞ。重すぎて身動き取れないしな。
﹁⋮⋮おっ﹂
手応えのなさに辟易してきた時、俺の目にとあるものが止まった。
素人ながらに美麗と感じるほど見事な刺繍の施された、藍色のベ
ストだ。これだけ丁寧な仕事がされているということは、きっと貴
重な一品に違いない。
63
すぐさま売りに出している商人に問う。
﹁これは⋮⋮ベストだよな?﹂
﹁見たままだが﹂
﹁いやそういうことを聞いてるんじゃない﹂
愛想悪いなこのおっさん。よく見たら商人というより船乗りって
感じの風貌だし。
﹁ただのベストかってことか? 聞かれたから答えてやるが、単な
るベストじゃない。これは大型のグリズリーの革で作られたものだ。
表面に手の混んだ飾り布をあしらっているおかげでデザイン性も両
立してある﹂
グリズリーっていうと、熊か。それの大型版ってことはドン引き
するほどでかそうだな。
ベストをじっと見つめる俺に、おっさんはニヤリと不適に笑いか
ける。
﹁気になるか? 帯剣してる以上あんたも冒険者だろうから教えて
やるが、この革には強化属性の魔力がこめられている。ベスト自体
も頑丈だが、それ以上の耐久力を着ているだけで得られるぞ﹂
﹁おお!﹂
それそれ。そういうのを求めてたんだよ。
﹁特に直接的な衝撃に対しては抜群に強い。鎧並とは言わないがな﹂
﹁そこまでの高望みはしねぇよ。軽けりゃなんでもいい。で、値段
は?﹂
64
﹁一点ものだから高めにつけさせてもらうが、五万と7000Gだ﹂
うむむ、確かに安くはない。とはいえ十分に支払える範囲だ。
ただ、少しばかり疑念がある。
﹁⋮⋮偽物じゃねぇよな?﹂
﹁商業ギルドから爪弾きにあうリスクを冒してまで、偽物なんてつ
かませるかよ。もしバレようもんなら俺は帰りの船から突き落とさ
れて海の藻屑さ﹂
﹁よし、じゃあ買おう﹂
俺は布袋から取り出した金貨を並べようとする。
﹁待った。もう少し商談をしようじゃないか。装飾品には興味がな
いか?﹂
おっさんが手に取ったのは革紐のチョーカーだ。
﹁同じグリズリーの革を使ったものだ。奴らは図体が馬鹿でかいか
ら、服を一着作っただけじゃ毛皮が余るんだよ。こっちは筋力に効
果がある。セットで買うなら端数はまけてやるが﹂
﹁この際だからそいつもくれ﹂
俺の貧弱さを補ってくれるならなんでも大歓迎だ。
いや、すまん、なんでもは言いすぎた。もしここで頭につけるリ
ボンとかを提示されていたらさすがにお断りさせてもらっていた。
俺はおっさんに合計六万Gを支払い、その場で装着する。
65
姿見がないから全身像がどうなってるかよく分からないが、なん
となく風格がアップした気がする。あとは効き目のほどだが⋮⋮。
﹁⋮⋮実際に試してみないと判断できねーよな﹂
まだ昼飯時にもなっていない。今からどこかの狩場に出発しても
余裕で帰ってこられるだろう。
また今日も厄介になりに行くか。
66
俺、受注する
ところがいつもに比べて様子がおかしい。
斡旋所に入ってすぐ、薄手の鎧をまとった女に呼び止められた。
﹁あなたがシュウトさんですね?﹂
しかも強めの態度で。
口調そのものは丁寧だが、やたら圧迫感がある。
﹁そうだけど﹂
﹁失礼を承知でお聞きします。森に出現する要注意指定モンスター
を三匹、それも一人で討伐したというのは事実でしょうか?﹂
﹁あー⋮⋮事実で間違いねぇ﹂
嘘を吐く意味もなさそうなので普通に答える。
しかし答えてやったにもかかわらず黄金色の髪の女は一層むっと
した表情を作った。
ぶっちゃけると若い女、しかも結構な美人とまともに会話したの
は異世界に来て初と言っていいので若干喜びもあったのだが、とは
いえこんなふうに詰問されるとなると穏やかではない。
﹁というか、どこでその話を聞いたんだよ﹂
﹁サダさんからお伺いしました。ですが⋮⋮﹂
67
どこか悔しそうな口ぶりをする。
﹁この目で確認してもまだ信じられません。あなたみたいな何の変
哲もなさそうな冒険者が、それだけの実績を成し遂げられただなん
て!﹂
そう言うと女はヒステリックに地団駄を踏んだ。
な、なんだこいつ⋮⋮。
﹁まあまあまあ、一回落ち着け。そもそもサダって誰だよ﹂
﹁すまん、シュウト。俺だ﹂
奥のほうでおっさんが手を合わせて苦笑いしている。ってかそん
な名前だったんだな、あんた。
﹁⋮⋮はぁ、はぁ。失礼、取り乱しました。そうですね、冷静にな
れば理由は明らかでした。腑には落ちませんが単純なカラクリです﹂
女は俺の身につけているカットラス、ベスト、チョーカーの豪華
三点セットを見ながら。
﹁あなたではなく、装備品が強かったのでしょう﹂
少々がっかりしたように呟く。
さすがの俺もイラッときた。
並の冒険者が腕五十点、装備五十点くらいのバランスでしのいで
68
いるところを、俺は腕二十点装備八十点でやらせてもらってるのだ
からこの発言自体には異論ない。
﹁だが装備を揃えたのは俺自身だ。それ含めての実力だろ。大体な、
カットラス以外は狼を倒した後で買ったものなんだぜ﹂
﹁むむ⋮⋮も、森の魔物を倒しただけでいい気にならないでくださ
い!﹂
﹁いや別になってないんだが﹂
俺のツッコミも気にせず女はまくしたてる。
﹁いいですか、この町を拠点にする冒険者は、北にある鉱山の最上
部に出現するオークと戦えてようやく一人前とされています。あな
たにオークを難なく倒せるだけの実力があるなら、それを証明して
みてください﹂
﹁え、なんでだよ⋮⋮﹂
めんどくさい。
﹁それに証明するったって、どうやってお前を納得させりゃいいん
だよ。目の前でやれってか? それは嫌だぜ、俺は単独行動派なん
だ﹂
ありえない量の金貨を目撃されるわけにはいかないんでな。
﹁オークのはびこる最上層でしか取れない鉱物、銀があります。そ
れを持ってきてくれれば信じましょう。これは依頼です!﹂
女はズビシィッという効果音が似合いそうな指差しポーズを取っ
た。
69
﹁報酬は6000G。例の懸賞金を上回る額を出しましょう。あな
たにとっても悪い話ではないはずです﹂
どうだ! とばかりに金額を提示されたものの、俺からしたらそ
んなめちゃくちゃおいしい儲け話でもない。
もちろん口にも態度にも出さないでおくが。
﹁おいおい、そんな身銭切って大丈夫なのか?﹂
﹁かまいません! 私の四日分の食費ですが、そのくらいの覚悟と
いうことです﹂
心配したのかおっさんも口を挟んできたが、女の決意は変わらな
いらしい。あとさらっと聞き流してしまったが一日あたり1500
Gって食いすぎだろ。
﹁期限は明日の十八時までとします。お願いしますね﹂
そう一方的に告げると、女はどこかに行ってしまった。
﹁⋮⋮なんだ今のは﹂
﹁ヒメリって冒険者だ。まあ、大目に見てやってくれ。あれがあい
つのかわいいところなんだよ。お前が来るまでうちのギルドで一番
の成長株だったから、要するに嫉妬だな﹂
なにせ登録から一週間と経たずに懸賞金付きの魔物を倒すなんて
のは前例がないからなぁ、とおっさんは続ける。
﹁そもそもなんで俺の話をしてんだよ﹂
70
﹁悪い悪い、でもつい自慢したくなったんだよ。そういうのあるだ
ろ?﹂
﹁俺の業績だ﹂
おかげで厄介事に巻き込まれてしまった俺の身にもなってほしい。
どこの世界にも新人イビリってのはあるんだな。外見からすると
歳は俺より下っぽいが。
とはいえ、やるべきことはハナから決まってる。
﹁どうせ森以外にも行ってみるつもりだったし、ついでにこなして
おくわ。あいつに絡まれ続けたらめんどくさくてかなわん﹂
無視したなら無視したでウザ絡みしてくるのは目に見えてるので、
さっさと片付けたほうが得策だろう。
ああいう向こうっ気の強い美人をシュンとさせるのも悪くない。
いろんな意味で。
﹁そうか。だったら鉱山について説明しておこう。この町の北にあ
る場所で、片道一時間くらいで着く。レアメタルは出土しないが鉄
と銀が取れるから、ここで採掘と鍛冶の面白さを覚える冒険者も多
いぞ﹂
﹁鉄と銀だけかぁ﹂
だとしたら素材入手の面ではあまりおいしくないな。
凡庸な武器には乗り換える価値がない。海洋鉱のカットラスより
強い武器となると、やはり希少な鉱石をふんだんに使用したもので
71
ないと。
﹁ただ一層にはゴブリン、二層にはコボルト、三層にはオークが生
息している。どいつもお前の倒した懸賞首よりは弱いが、その分数
は多い。いわば冒険者の登竜門みたいなもんだ。警戒は怠るなよ﹂
それだけ聞けば十分。俺はおっさんから地図の写しをもらって出
発した。
72
俺、開拓する
昼飯に買ったサンドイッチをかじりながら歩いた先が、目指す鉱
山である。
鍛冶の基本的な材料がよく取れるらしいが、大して興味はない。
重要なのはここに生息する魔物がどれだけの金額を落とすかだけ
だ。
だってのに採掘にも時間を割かなければならない。そのせいでツ
ルハシまで買わされるハメになった。誠に遺憾である。とはいえ勘
違い女に先輩風を吹かせられっぱなしなのもシャクに触る。
新装備の性能を試しがてら、様子を見て銀のひとかけらでも拾っ
ておく程度でいいか。
ポピュラーな探索場所なだけあり、鉱山には何人かの冒険者が出
入りしていた。
俺の特異なスキルが発覚しないためにも、なるべく他の連中とは
鉢合わせしないようにしないとな。資金の回収も手早く済ませよう。
いざ、坑道へ。
﹁おお!﹂
てっきり真っ暗なのかと思ったが、岩の突き出た壁面のいたると
73
ころにランプが埋めこまれていたので案外明るかった。
利用者が多いだけあって、インフラは整備してあるようだ。
こういう文明的な措置がなされているのを目にするとなぜか無駄
に感動してしまう。
安心して前進。
鉱山の第一層はトンネルがいくつも交差したような構造になって
いる。
一番奥に二層に続くハシゴがかかっているらしい。地図を見なが
ら進んでいく。
道中カツンカツンという音を大量に耳にした。採掘に励んでいる
のだろう。そのまま俺には気を向けずに頑張っていてもらいたい。
俺はゴブリンを狩らせてもらうので。
﹁⋮⋮いやがったか﹂
ゴブリンは数だけは立派だった。
小さな体に木の棒を武器として持っているだけという貧相な連中
だが、常に集団で襲ってくるので侮れない。
しかしながら俺の磐石な装備の前だと、はっきり言って敵ではな
かった。
一匹一匹着実に倒していく。
74
もっともゴブリンはカットラスの一撃で瞬殺だったので、肝心の
ベストの性能のほうは分からずじまいだった。まあそんなのは贅沢
な悩みだ。楽に倒せるなら感謝感激。これだけ弱いのに4000G
も落としてくれるのだから、うますぎワロタですわ。
特に支障なく二層に。
二層は一層よりも更に入り組んでいた。
﹁ほとんど迷路じゃねーか。地図を携帯してなかったらまともに歩
けもしないな﹂
道幅も狭まっている。薄暗い中で正面から何かが歩いてくる姿が
視界に入ると、それが冒険者であったとしても一瞬ドキリとさせら
れる。
ましてそれが魔物なら⋮⋮。
﹁わっ!? ⋮⋮くそっ、おどかすんじゃねぇよ﹂
全身が浮かび上がる。
こいつがコボルトか。
野良犬みたいな面をしたコボルトは、ナタを握りしめているため
パッと見はやばい相手に思えた。が、よく観察すればひどいなまく
らだったので恐るるに足らず。
﹁ちゃっちゃと片付けさせてもらうぜ﹂
75
蒼銀の刃を思い切り叩きこむ。
転生してから幾度となく戦闘を重ねたせいか、大分俺の所作もマ
シになってきている。
それでも一太刀で仕舞いだ、とはいかず、生き残ったコボルトは
ナタをでたらめに振り回して反撃をしかけてくる!
﹁痛っ⋮⋮くなかったわ、全然﹂
びびり損だった。
刃こぼれしたナタとはいえ鈍器としての機能は失っていない。そ
れなのにまったく痛みを感じなかった。惚れ惚れするような防御性
能だ。
コボルトに総額十万Gコンビネーションをくらわし、煙の跡から
6500Gを獲得。
﹁既に依頼報酬より多いんだが﹂
とはいえ俺の終着駅はここではない。
その後も何匹かのコボルトを退けた後、ハシゴをつたって最上部
へ移動。
下とはまったく構造が違う。だだっ広い部屋がいくつか連なって
いるような造りだ。
76
﹁兄さん、見ない顔だけど、ここまで来るとはやるじゃないか﹂
﹁まあな﹂
銀目当てでやってきたのであろう、いかにも鉱夫って感じの冒険
者に話しかけられる。
﹁だけどここからはオークが出るから、作業中もちゃんと注意は払
っておかないとダメだよ﹂
カバンにくくりつけているツルハシを見てか、俺も銀を掘りに来
たと思われたらしい。いや実際掘りに来たには来たのだが、そんな
本腰を入れて作業するわけじゃない。俺のスキルが取得物にも適用
されるのであればそれも考慮に入れたけど。
﹁忠告ありがたく受け取っておくよ﹂
心配してくれた人間に邪険な態度をとるのもアレなので、礼儀と
して返事しておく。
さて。
俺はオークを求めて各部屋を巡回する。
﹁っ! ⋮⋮ここにいたか⋮⋮﹂
のんきに歩いているオークを発見。動きもとろくさいし、ブサイ
クな豚の顔をしているからどことなくアホっぽく見える。
けれども体格は俺より遥かにいい。身長は確実に二メートルは超
えているだろうし、体重に至っては下手したら三倍はあるんじゃな
77
かろうか。
武器は削り出した岩石でできた棍棒。
﹁見た目どおりのパワー系だろうから、直撃したらまずいな⋮⋮﹂
いくらベストの魔力で守られているとはいえ、あのガタイを目の
当たりにすると若干戦うのを躊躇してしまう。何度も言うが俺自身
は一般人レベルの肉体でしかない。
﹁あいつ倒せて一人前って、冒険者ってのは超人か?﹂
どうしよ、逃げてやろうか。
ついそんな弱気が脳裏をよぎったが、いやいや、思い出せ俺。
あれくらい軽く捻れないと俺が冒険者として名を上げるビジョン
は未来永劫訪れない。まとまった金も手に入らないから急務である
奴隷の買い上げも先延ばしになる。
食って寝るだけの人生に戻るか?
冗談。食って寝て、そして︵違う意味で︶寝て、ようやく全部の
欲求が満たされるんだろうが。
物凄い情けない発言だと冷笑するなら、好きなだけすればいい。
今の俺を支えるモチベーションはそれだけなんだから。本当に。
俺は男として、最高で最低なプライドをもってオークに戦闘を挑
んだ。
78
﹁おらあああああっ!﹂
先手必勝。水がたゆたうカットラスから衝撃波を発射する。
どんくさいオークに避けられるはずもなく、クリーンヒット。分
厚い皮膚に泥に似た血が滲む。
それでもオークはブオオと苦悶の声を上げただけで、地に伏せた
りはしない。
﹁⋮⋮一撃じゃあ、無理だよな﹂
そんなのは分かってる。俺にできるのは奴がくたばるまで同じ技
を連発するだけだ。
こちらに向けてどすどすと走り寄ってくるオークに、これでもか
ってくらい何度も何度も水の刃を浴びせる。
⋮⋮まだ倒れない。やはり威力はカットラスで直接攻撃したほう
が高いらしい。
﹁チッ!﹂
接近戦は歓迎しないが、仕方ない。
﹁こいつでぶっ倒れてくれりゃ⋮⋮!﹂
右手に強く握ったカットラスで力の限り斬りつける。
79
狙いをつけた場所は比較的柔らかそうな脇腹だ。
切れ味は申し分ない。またしても血が噴き上がる。オークの進軍
がついに止まってくれるかと、これだけ攻撃を繰り返したのだから
さすがに期待した。
だが、まだ足りないらしい。オークは瀕死ではあるが、本能だけ
でガタついた膝を支えている。
そして残る力のすべてで俺に襲いかかる!
﹁ひっ⋮⋮!﹂
思わず息を飲む。ネガティブなイメージが俺の頭を埋め尽くす。
迫り来る棍棒は、俺の肋骨をまとめて打ち砕き︱︱。
︱︱はしなかった。
﹁こ、このベスト、マジでただもんじゃないな⋮⋮﹂
意外にも無傷。
いや、優秀な装備をまとっている以上必然の結果だったか。
オークの強力な打撃をくらっても、俺には一切のダメージが通っ
ていなかった。
元より勝負は成立していなかったのだ。相手の攻撃は通じず、俺
だけが一方的にダメージを与えられるんだから、負ける要因はない。
80
自分自身が強くなった感覚を得られないから気づかなかった。
新たな防具の効能は驚異的だ。
﹁いい加減くたばれや!﹂
何がなんだか分かっていない様子のオークに、俺はトドメの一撃
を見舞う。ヘソめがけてカットラスを突き立て、そこでやっと、オ
ークは死亡し煙となって消えた。
﹁ハァ⋮⋮ハァ⋮⋮て、手こずらせやがって﹂
ベストのおかげで俺に怪我はない。
けれど、随分と疲れた。かなり神経をすり減らしていた。俺が戦
っていたのはオークではなく、俺の装備を信じ切れないがゆえの恐
怖心だったのだろう。
﹁⋮⋮これからは、余裕をもうちょい持つか⋮⋮﹂
俺は強い。ちゃんと自覚しておかないとな。
﹁にしても、いい稼ぎになるぜ、こいつは﹂
オークが残していった金貨は十枚。ぴったり一万Gだ。
こいつを安定して狩れるようになれば、すぐにでも奴隷の購入資
金は貯まるだろう。
81
ベストを着ている限り敗北はありえない。冷静さを失わなければ
問題なくこなしていける。明日からはオーク退治で金を稼ぐとする
か。
残り八十万ほど貯めればいいから⋮⋮早けりゃ二日もあればいけ
るな。
しかし性欲を糧にオークを狩って女奴隷を買うとか、エロゲー頻
出単語表みたいな文面だな。
﹁っと、忘れるところだった﹂
俺は用事を思い出し、カットラスからツルハシに持ち変える。
ここであることに気づいた。
﹁⋮⋮採掘ってどうやんの?﹂
やり方もよく知らないので、適当にそのへんの壁を削ってみる。
クズ鉄しか出てこない。
いやいや、そんなはずは。
もう一発ツルハシを振る。やはり銀は出ない。ていうか、めっち
ゃ疲れるんですけど。ただの肉体労働なんですが。岩盤がアホみた
いに固いから手痛いし。
結局、銀を掘り当てるのに体感で三時間はかかってしまった。
82
俺、貯蓄する
帰路に着いた俺はクタクタだった。
魔物と戦うよりしんどいことがこの世界にあるとは思わなかった。
それで得られたのがほんの僅かに銀が混じった石ころひとつって、
割に合わなすぎる。
俺は二度と自力で採掘なんかしないことを誓った。
﹁おう、お帰り。上層には行けたか?﹂
﹁それは楽勝。銀もほら、ちっこいけど取ってきた﹂
斡旋所で出迎えてくれたおっさんに銀の鉱石を渡す。
﹁こっちはすげー手間かかったぞ。絶対次はやらねぇ﹂
﹁ハハハ、いい社会勉強にはなっただろう?﹂
﹁ああ、理解したよ。俺に鍛冶の注文は向いてないってな﹂
とにかく、納品は完了。これで依頼達成となり、ヒメリから預か
っていたであろう6000Gを一括で支払われる。
大してうまみはないが、まあ、臨時収入とでも考えておくか。
﹁直接渡してもいいんだぞ? いろいろ言ってやりたいこともある
だろう﹂
﹁ねぇよ。どうでもいい。勘違い女の相手をするのはもうこりごり
83
だ﹂
これは明確に嘘だった。反論材料も整ったことだし、本当は鼻を
明かしてやりたいという気持ちは多々ある。
しかし俺もそこまで暇ではない。明日からはまた金策の日々が待
っている。
﹁そういえばシュウト﹂
﹁なんだよ﹂
﹁これがお前の初の依頼成功になるな﹂
⋮⋮あー、そうなるのか。
﹁薬草採取はバックレたし、お尋ね者の討伐は別に誰かから頼まれ
たわけじゃないしな﹂
﹁普通、懸賞金を獲得するほうが後になるんだがな⋮⋮ともあれ、
これでお前も駆け出しは卒業だ。Eランクに昇格させておくよ﹂
﹁なにそれ﹂
﹁ギルド所属の冒険者にはランクというものがある。加盟直後は何
の階級もなし。これは簡単な依頼だけを受けられる状態だ。で、ひ
とつでも達成したらEランクにステップアップする。受けられる依
頼に幅が出るぞ﹂
求人が増えるのか。資格みたいなもんだな。
﹁そこから更に功績を積み重ねていけば、ランクもそれに従って上
がっていくぜ。ある程度上がれば通行証を発行してやれるようにな
るから、他の宿場町にも遠征できる﹂
84
別の土地に行けるのか。
ゆくゆくはボロ家を手放し、大都会にでかい屋敷を建てて豪勢な
生活をしてみたいものだ。
﹁けどこの港町だって、王都を除けばドルバドルでもかなり栄えて
るほうだぜ?﹂
見捨てたもんじゃないぞ、と弁解してからおっさんは続ける。
﹁それと、上位ランク限定で要請される依頼もあるから、でかく稼
ぎたいならランクは上げておいて損はない。名うての盗賊団や暗殺
者集団の相手をしようと思ったら、それなりの腕と実績が求められ
るからな﹂
﹁おいおい、受けられないと分かってて盗賊団解体すりゃ稼げるぞ
とか言ってたのかよ﹂
こいつ、どうせ俺が断るだろうと踏んでハッタリかましやがって
たのか。
﹁お前が一度で大金を得たいって無茶言うから例として挙げてやっ
たんだろうが。結局近道なんてのはないってことだ﹂
俺にはあるけどな、と口走りたくなりそうになるのを堪える。
さておきだ。
高ランクの依頼自体には食指は動かない。頭のネジが外れてそう
な反社会勢力と戦ってまで高額報酬を取りに行く意義は、女神がく
れた資金アップスキル持ちの俺には一切ないからな。そんなリスク
85
に身を投じるくらいならゴブリンでも狩ってたほうが賢明だ。
だがランクには関心を寄せていた。要するにこれは俺の世間的な
地位みたいなもの。どんなに金を持ってても﹁え⋮⋮でもEでしょ
?﹂みたいな扱われ方をするのは虚しい。
そういう意味ではヒメリの依頼をやっておいてよかったな。
﹁感謝しとけよ。銀一個持ってくるだけの依頼なんて、こんな楽な
条件ないんだからな﹂
﹁そっか﹂
となると、あいつは俺が冒険者としてやっていけるよう背中を押
してくれたのかも知れない。
まさか⋮⋮ツンデレってやつなのか?
﹁真面目な話をすると、ランクも持ってないような奴に抜かれそう
なのが納得いかないから、とりあえず箔だけつけておいて安心した
かったんだろう﹂
そういう無情な意見は求めてない。
﹁だが鉱山も余裕だったとなれば、次は湖畔くらいしか今のシュウ
トが行けるところはないな﹂
﹁お? 他にも探索できるとこがあるのか﹂
﹁西にずーっと行けば広大な湖がある。周辺に生息する魔物が手強
いのは当然として、遠いから野営の支度もいる。本来Eランクで立
ち入るような区域じゃない﹂
﹁肩書きはそうだが、実力は違うぜ﹂
86
自信を持って言うと、おっさんはうむと頷いた。
﹁だろうな。なんせ一人で同時に三匹の賞金首を仕留められるくら
いなんだから。⋮⋮ここで採れる植物は珍しいものが多い。一度足
を運んでみるのも悪くないぞ﹂
ほう、なにやらレア素材が眠っていそうな気配だ。
﹁ただなぁ、ここの魔物はマジで強いからな。パーティーを組んで
行くような場所だぞ? うちではパーティー結成も仲介しているが、
どうする?﹂
﹁いや、行くなら今回も単独だ﹂
そうはいっても一人は心もとない。仲間を募れというのは真っ当
な忠告だろう。
やはり名実ともに必要なようだな、アレが。
翌日から俺は鉱山でのオーク狩りにいそしんだ。
最上部に出現するこいつの撃破報奨は一匹あたり一万G。
絶好かどうかは不明だが、まだまだ探索範囲の狭い現状において
は一番の金策スポットといえる。
一度倒した経験のある魔物なのでそう苦労はしない。かつてはび
びりながらの戦闘を強いられたけれど、被害がないと分かっていれ
ば恐れる必要はなかった。
87
遭遇する、ボコる、金貨を拾う。
単純作業の繰り返しだ。
二日目の昼過ぎには予定どおり設定金額の百万Gに達したが、足
りない可能性も考えて次の日も狩りを行った。
三日三晩働き詰めという、怠惰な俺にしてはありえない量の労働
である。
結果として、俺の手元には百五十万Gという莫大な資産が残った。
これ、金運がなかったら果たして何日がかりだったんだろうか。
﹁短いようで、長い旅路だった⋮⋮﹂
オーク狩りを始めてから三日目の夜、自宅に戻った俺は金貨の群
れを前にしてそわそわと浮き足立った気分に襲われていた。
落ち着けというのも無理な話だろう。
﹁これで⋮⋮これで⋮⋮﹂
そう、これでついに買える。
俺の奴隷が。
88
俺、制御する
大量の金貨を抱えて自宅を飛び出た俺は、足取りのおぼつかない
酔っ払いどもをかきわけながら町外れへ向かう。
巨大な館が俺を出迎える。
転生初日に訪れた奴隷市場。
あの時はまったく手が届きそうになかったが、たった一週間で再
訪することになるとは。
つくづく俺のスキルは偉大だ。
﹁いらっしゃいませ﹂
前回と同じく、ヒゲの男が接客に出てくる。
﹁おや、以前お見えになった方ですね﹂
﹁ああ、あの時は話だけさせて悪かった。今回はちゃんと取引をし
にきたぞ﹂
金貨のぎっしり詰まった布袋を掲げると、商人は一瞬目を丸くし
た。
﹁どうかしたか?﹂
﹁いえ、その、少しばかり驚いてしまいまして⋮⋮。まさか本当に
入念深く検討するためにお帰りになっていたとは﹂
89
やはりと言うべきか、俺は単なる冷やかしだと思われていたらし
い。
﹁大変失礼いたしました。僅か一週間でこれだけの額を工面できる
のでしたら、お客様はこの町有数の長者でいらっしゃるのでしょう﹂
﹁ま、まあそんなところだ。それより﹂
俺はこほんと咳払いしてごまかす。
﹁展示室とやらに行ってみたいんだが。一度見てみないことには商
談もできねぇ﹂
﹁承知いたしました。ではこちらへ﹂
奥の広間に通される。
心臓がバクバク鳴っているのが分かった。なんて緊張感なんだ⋮
⋮。
﹁こちらが展示室になります。品定めはご慎重に﹂
扉が開き、その内部が明らかになった。
そこは部屋というよりも、牢獄を思わせる造りだった。
室内は鉄柵で二つに区分され、俺のいる手前側の床には豪華な絨
毯が敷き詰められていたが、柵の向こうでは質素な布がかぶさって
いるだけである。
そこに、数十人の奴隷が入れられていた。 90
全員頭に動物の耳を生やしている。なるほど、これが獣人ってや
つなのか。
どうしても檻を連想してしまう。
⋮⋮ただ率直な感想を言わせてもらうと、それほどひどい環境で
はなかった。
俺は﹃奴隷﹄という言葉から、勝手に足枷や首輪といった拘束具
を想像してしまっていたが、そういったものは嵌められていない。
大事な商品だから、と体を傷つけないための配慮だろう。
衣服もさほどみすぼらしくない。汚い服を着させると実物以上に
見劣りしてしまうからだろうか。そう考えさせられるほど、美人が
揃っていた。俺の好みを抜きにしてもだ。
いやいや、このルックス水準は異常だろ。
誰が来てもノーチェンジなんだが。
そもそも獣人自体が遺伝子的に目鼻立ちの整った種族なのだろう
か?
体型ひとつ眺めても、肉感的な子、細身な子、ロリっぽい子⋮⋮
購入者ごとの趣味に合わせているとしか思えない。
皆期待と不安の入り混じった眼差しで俺のことを見てくる。俺が
見にきたはずなのに、こう一斉に全員の視線が向いていると、俺こ
91
そが衆目に晒されているかのような気分になる。
どちらかといえば期待するような目のほうが多かった。なんでも
いいからこんな場所から早くオサラバしたいということか。
たくさんの美女からそんなふうに見つめられたらそりゃ⋮⋮。
やばい。治まれ俺。大人しくしていろ俺!
﹁お客様﹂
﹁おっ、おう、なんだ﹂
急に話しかけられたので動転してしまう。
﹁どういった基準で奴隷をお選びになりますか﹂
﹁うむ、それなんだが⋮⋮目移りしちゃって選ぼうにも選べず⋮⋮﹂
﹁では僭越ながら提案させていただきますが、実用性で選ぶのがよ
ろしいかと思われます﹂
じ、実用性だと? なんてストレートな言い回しなんだ。
﹁お見受けしたところお客様は冒険者でしょうから、戦力として計
算できる獣人を推薦します。肉弾戦、もしくは魔法への適正がある
者はいくらかおりますので﹂
なんだ、実用性ってそういう意味か⋮⋮。
じゃなくて。
﹁確かに、ちょうど探索にも連れていける子を探していたんだ。ど
92
の女の子がいいかな﹂
﹁お客様、失礼ですが魔法の技量は?﹂
﹁皆無﹂
﹁では、魔力を有している獣人がよろしいかと。きっとお客様の長
所を活かし、短所を補ってくれる存在となってくれます﹂
ふむ、それは的確な意見だ。仮に戦闘に参加してくれなくとも、
魔法屋で体験したように、ヒールやリペアが使える味方がいれば長
旅で頼れるだろう。
﹁よし、じゃあそれで﹂
﹁かしこまりました。ですがお客様、ひとえに魔法の適正といって
も、たとえば狐の遺伝子を引く獣人は非常に秀でていますのでワン
ランク高値となります。ご予算はいかほどですか?﹂
﹁百五十万だ﹂
﹁ああ⋮⋮それですと足りませんね。その金額の前後で買うとなり
ますと、山羊の獣人が最適かと思われます﹂
﹁や、山羊?﹂
なんか強くはなさそう。
﹁山羊は悪魔との関連性が深いとされています。侮ってはなりませ
んよ﹂
﹁へえ。まあ能書きは分かったから、とりあえず見させてくれ﹂
頼むと、商人は﹁ミミ、ミミ﹂と手招きして柵の一番手前までそ
の子を来させた。
﹁こちらが山羊の獣人になります。名はミミ。いかがでございまし
ょう﹂
93
﹁いかがもなにも⋮⋮﹂
百点です、としか答えられないんだが。
ショートカットの真っ白な髪の毛から突き出た、ぴんと張った耳
と弧を描く角を見ると、なるほど山羊なのが分かる。
エメラルドの澄み切った瞳は、草食動物の遺伝子の名残だろうか。
そんな理性的な考察なんて全部投げ捨ててしまいたくなるくらい、
ミミは美しい娘だった。
喜怒哀楽を表に出さない、ぽーっとした表情もまたいい。
しかもである。背はそれほど高くないのに体つきは豊満で、着衣
越しにもはっきりとした体のラインが浮き出ている。どんだけ俺の
ツボを抑えてくるんだ。
もう魔法とかどうでもよく、このまま早く連れて帰りたい気分に
なってくる。
﹁本来百五十二万Gの値をつけていたところなのですが、冒険者で
あるお客様の前途を祝して百五十万Gでの提供とさせていただきま
す﹂
﹁いいのか?﹂
﹁はい。その分、今後もご贔屓にお願いしますよ﹂
うーむ、いかにもな商人のやり方だ。損して得取れってやつだろ
う。
94
﹁分かった。この子に決めよう﹂
俺は布袋ごと金貨を商人に渡した。
奴隷商人は慣れた手つきで素早く精算を終え、俺に売約書を切る。
それから柵の端に取りつけられた戸の鍵を開け、ミミを窮屈な牢
屋から解放した。
邪魔な柵を隔てずに目にしたミミは輪をかけて魅力的に感じた。
間近で彼女を前にして、俺は人目もはばからずゴクリと生唾を飲み
こむ。
﹁ミミ、こちらはこれよりお前の主人となるお方だ。挨拶しておき
なさい﹂
指示されたミミは眠そうな目のまま頭を下げ。
﹁よろしくお願いします、マスター﹂
と、少しだけ微笑を添えて言った。
俺の男心に響く、とろけるようなウィスパーボイスで。
95
俺、制御する︵後書き︶
次回、ようやく女の子回なのでみっちりやります。
96
俺、到達する
ミミを従えて館を去ろうとする俺に、奴隷商人が見送りについて
きた。
﹁お客様、満足いただけましたか?﹂
﹁あ、ああ、そりゃもう﹂
俺は隣に立つミミをちらちら脇見しながら答える。
﹁それは幸いでございます。ミミは聞き分けのいい娘ですし、魔法
だけでなく家事をしこむのもよいでしょう。お客様の生活が一層豊
かになることを願っております﹂
と、ここで商人は声のトーンを下げ、俺のすぐそばに近寄る。
特に重要な話だ、と前置きして。
﹁しかしミミは生娘です。夜の相手を任せるには力不足かと﹂
耳打ちする商人。
﹁それと獣人は種の異なる人間との間にはめったに子を成しません。
世継ぎを残すような用途には即しませんので、くれぐれもお忘れに
ならずに﹂
まとめると、最高ということらしい。
97
なんとも落ち着かない心地で自宅に帰る俺だったが、ミミは遠慮
してか主従関係を重んじているのか、その三歩後ろに付き従ってい
た。
﹁横にいていいんだぞ﹂
﹁ですが﹂
﹁ていうか、いてくれ。話がしたいんだ﹂
とりあえずコミュニケーションを取らないことには始まらない。
歩きながら親密さを深めようとする。
しかし何を話せばいいのだろう。奴隷商人にさらわれる前のこと
を聞くのはさすがにデリカシーがなさすぎるし。当たり障りのない
質問くらいしかできないんだが。
﹁歳はいくつなんだ?﹂
﹁先日十九を迎えました﹂
十九⋮⋮分かっちゃいたが俺よりまあまあ年下だな。
﹁ミミはマスターのお名前が知りとうございます﹂
会話の続かない俺を見かねて、逆にミミから聞き出してくる。
﹁シュウトだ。シュウト・シラサワ。今気づいたけど、こっち来て
から苗字で呼ばれたことねぇな、そういや﹂
﹁それでは、シュウト様とお呼びいたします﹂
98
なんてもどかしい呼ばれ方なんだ。
ミミはいちいち語尾にハートマークが似合いそうな甘い声で話す
ので、脳を溶かされないようにするのに精一杯だ。
﹁シュウト様は冒険者とお聞きしました。ミミに力添えできること
はありますでしょうか﹂
﹁そりゃもう、魔法やらなんやらでサポートを⋮⋮﹂
﹁ですが、ミミはひとつも魔法を扱えません﹂
﹁えっ、マジで?﹂
そういえばあの商人、適正があるって紹介しただけで今すぐ使え
るとは言ってなかったな。
﹁⋮⋮じゃあまずは覚えてもらうとこからだな﹂
武器屋や魔法屋で表紙は目にしたことがあるが、ああいった魔術
書でも読ませればいいんだろうか。何冊か買ってみるか。
とはいえ今の俺は奴隷の購入に全財産を注ぎこんだせいで素寒貧
だ。
金貨と銀貨が数枚しか残っていない。
⋮⋮とりあえず明日もオークを狩りに行って当座の資金を作って
おくとしよう。
﹁あっ、ついでに気づいたことなんだが﹂
﹁いかがなさいました?﹂
﹁一緒に探索するなら、ミミの分の装備も揃えておかないとな﹂
99
ミミはごくごく普通のチュニックを一枚着ているだけで、転生直
後の俺と同様、村人A感が強い。
バカンスじゃあるまいし、魔物の蔓延る危険な場所に連れて行く
のにこの服装は論外。
﹁そんな上等の服をミミなんかにくださらなくとも⋮⋮﹂
﹁違う違う。ミミがどう思うかだけじゃなく、俺がそうしたいんだ
よ﹂
やっとの思いで手に入れたミミを万が一にも失おうものなら、俺
はしばらくショックで立ち上がれなくなるに違いない。
﹁シュウト様は優しいお方なのですね﹂
ミミが頬を染めて微笑む。表情が乏しい分、たまに見せる笑顔の
破壊力が異常だ。 俺が更にいいものを買って今使用している衣類をおさがりとして
ミミに渡す、というのも考えたが、服にしてもベストにしても男モ
ノなのでサイズが合わないだろう。特に胸の辺りは窮屈そうだ。俺
は一体何を言っているんだ。
それに魔法を担当してもらうのに、武器が剣というのもチグハグ
である。
﹁明日の午前中に俺一人で稼いでくるから、その後でいろいろ買い
物に行こうか﹂
﹁承知しました。素敵な服を楽しみにしています﹂
100
服を着ていないミミが一番素敵だけどな。
俺の頭にはそんなアホみたいな口説き文句が浮かんでいた。
そんなこんなで自宅に到着。
ドアをくぐって中に入ると、ミミは少しだけ表情に戸惑いの色を
滲ませた。
﹁どうかしたか?﹂
﹁いえ、その﹂
言いにくそうにするミミ。
﹁ミミを雇ってくださるほどなのですから、立派なお屋敷かとばか
り﹂
うっ。痛いところを⋮⋮。
確かに俺が初日から住んでいる家は、寝泊まりするくらいのこと
しかできない。最低限の家具に最低限の敷地。安い宿みたいな部屋
だ。
客観的に考えると、四畳半のアパートに住んで外車乗り回してる
ようなもんだからな、俺。
﹁今はこんなんだが、そのうちいい暮らしができるようにしてやる
よ﹂
101
俺は見栄を張った。
自分の特質を考えれば、決して無謀ではない、はず。
﹁本当でしょうか? でしたら、ミミはその日を心待ちにしたいと
思います﹂
どうやら期待させてしまったらしい。
元々奴隷を買うのが最大の目的で、俺を突き動かす原動力だった
が、こうなったら明日からもサボらず金策に努めないとな⋮⋮。
﹁まあ、ここが狭苦しいのは間違いないからな⋮⋮その上今日から
は二人で住むわけだし﹂
﹁はい。それにしても⋮⋮﹂
妙に気まずい空気が流れる。
それもそのはずで、ミミが見つめているのは一つしかないベッド。
正直、そういう根幹に関わる反応はやめてほしい。女一人部屋に
連れこんでる時点で俺の内側には真っ黒い感情が渦巻いているんだ
から、なんというか、こっちも、いろいろと困る。
﹁もう夜も遅いですけど、ミミはどちらで眠ればよいのでしょうか﹂
視点をベッドから動かさないまま聞いてきた。
ど、どう答えればいいんだ。
102
床で寝ろとは言いづらいし、俺が床で寝るというのもどっちが主
人だよって話になる。
ミミは市場で見かけた時から変わらない惚けた表情のままだ。や
や焦点を下げると、滑らかな腰のラインが目に入る。
本音を言わせてもらうなら、この腕に抱きたくて仕方がない。
一緒に寝ようよとか誘うべきなのか? 俺はそんなスケベ親父み
たいな台詞は吐けんぞ。
強権発動で命令するか? ただこの世界の奴隷は必ずしも性奴隷
ってわけじゃないみたいだし、拒まれたらそれまでになってしまい
そうだ。
ここは男らしく、手は出さないと宣言すべきでは。そして好感度
を上げて向こうから心を開いてくれることを待つ。平和的解決に見
えるが、こんなのは机上の空論。我慢できるかっての。言っておく
けど俺はフルチャージ状態である。
もう欲望に任せて有無を言わさず押し倒すのが⋮⋮いやいや待て
待て、嫌悪感を持たれるのも今後に響くし⋮⋮。
﹁そ、添い寝してくれ!﹂
悩みに悩んだ挙句俺が口走ったのは、童貞みたいな妥協点だった。
ミミは一瞬目をぱちくりさせた後。
﹁承知しました﹂
103
と少しだけ照れた表情で返事した。
﹁⋮⋮えっ? いいの?﹂
﹁シュウト様の申し出であるなら。それに床で寝るように指示され
るよりは、ずっと嬉しいお言葉ですよ﹂
こんな次第で。
消灯後、俺とミミは一枚の布団にくるまった。
久々のぬくもりやら自分の甲斐性のなさやらで無性に気恥ずかし
くなった俺は、あろうことか背を向けて寝るという大失態を演じて
しまったのだが、ミミはぴったりと寄り添っている。
寄り添っているということはすなわち、俺の背中に柔らかいもの
が当たっているわけでして。
ミミのかわいらしい寝息がかすかに聴こえてくる。
緊迫感が半端ではない。
俺の心臓は休まることなく収縮してフィーバー状態になっている。
まったく寝られないんだが。
﹁シュウト様、どうかなさいましたか?﹂
﹁お、起きていたのか﹂
﹁マスターが安心してお休みになるまで、眠るわけにはいきません
から﹂
104
ああ、なんてかいがいしいことを言ってくれるんだ。そういう発
言のせいでますます興奮して目が冴えてしまうんだけども。
﹁もしかして、シュウト様は緊張して寝つけないのでしょうか⋮⋮
ミミがいるから﹂
﹁そういうわけじゃ⋮⋮いやそういうわけではあるけれど!﹂
全身をもぞもぞさせながら慌てる俺の様子で、ミミは何かを察し
たらしい。
ふふ、と笑う声が聴こえた。
﹁ミ、ミミ?﹂
うろたえる俺の心をミミは知ってか知らずか⋮⋮いや確実に知っ
ているのだろう、ぎゅっと距離を詰めてくる。
体温がはっきりと伝わってくる。
細くしなやかな髪が俺の首筋をくすぐった。
ミミは俺の腰の辺りに腕を回した。密着の度合いは増し、ふよふ
よとした胸が触れているどころか押しつけられているかたちになる。
絡ませた腕で、ゆっくりと俺の下腹部を撫でるミミ。
﹁いいのですよ﹂
耳元でささやかれる。吐息が崩壊寸前の俺の耳に吹きかかり、ま
105
すます劣情をかきたてる。
より一層甘く儚げな声で、ミミはトドメを刺しにくる。
﹁ミミは既にあなたのものなのですから﹂
さらば理性。こんにちは本能。
ここが俺の臨界点だった。
106
俺、逢瀬する
なんて清々しい朝なんだ。
スズメの鳴く声が俺を祝福するファンファーレに聴こえてくる。
﹁おはようございます。お目覚めになられましたか﹂
ベッドから出て伸びをする俺に、先に起きていたミミが朝の挨拶
をかける。
﹁服は着たほうがいいですよ﹂
視線をとある一ヶ所に固めたままミミは面白おかしそうに言った。
にしても、体が軽い。
昨晩散々堪能したんだから疲れているはずなのだが、それ以上に
気力の充実を感じる。
しばらくは冒険者稼業に身が入りそうだ。
それにしても、ウブだと聞いていたにもかかわらずあれとは⋮⋮
山羊は悪魔との結びつきが強いって話が今なら分かるな。
買い置きしてあった塩味のきついパンとワインで二人の朝食を済
ませ、俺は予定どおり出発の準備を整える。
107
﹁んじゃ、ちょっくら行ってくるわ。腹が減ったら適当に干し肉で
も炙って食べといてくれ﹂
﹁いつごろお帰りになられますか﹂
﹁昼過ぎには帰る。まあ十万Gもあれば足りるだろ﹂
﹁たった半日でそれだけ集まるのですか?﹂
﹁おう。任せとけ﹂
﹁シュウト様、あまり無理はなさらずにお願いしますね。シュウト
様の無事が一番なのですから﹂
ミミはどうやら俺が怪しい仕事に手を染めてるのではないかと案
じたようだ。
﹁そんな危ない橋は渡らねぇよ。やる度胸もないし。普通に魔物が
落とす金を集めるだけだ。俺は金運だけは並大抵じゃないからな﹂
そう言い残して俺は鉱山へ向かった。
毎度思うが、移動の手間のほうが断然かかる。いざ鉱山で活動し
始めると大した苦難はない。
サクッとオークを十体狩り、道中ついでに倒しておいたゴブリン
とコボルトの分も含め懐に余裕を持たせた状態で帰還。
﹁おかえりなさいませ⋮⋮わっ、本当にぎっしりです﹂
ミミはまだ半信半疑だったようだが、布袋の中でジャラジャラ鳴
る金貨を目にして俺の言葉が真実であることを理解したようだ。
﹁町に出るぞ。買うものはたくさんあるからな﹂
﹁お供いたします。⋮⋮お隣を歩いても構わないでしょうか?﹂
108
﹁お、おう﹂
まずは防具屋へ。
本当はレア素材を用いた防具を手に入れられればベストなのだが、
俺と違って才能のあるミミはそこまで高性能な品を必要としない。
とはいえ、できる限り品質のいいものを買ってやりたいところだ。
﹁そちらのお嬢さんは⋮⋮獣人か。お前さんも中々どうして隅に置
けないなぁ﹂
﹁うるせぇよ。そんなことより、ローブを見せてもらえるか?﹂
鎧をまとえるほどミミは体力の面で優れているわけじゃないので、
ここは魔法使いらしくローブ一択だろう。前衛は俺、後衛にミミ。
完璧な布陣だ。
﹁ローブだったら、あそこに吊ってるので全部だ。狭い店だがゆっ
くり見ていきな﹂
店主のおっさんが指差したスペースでは多くのローブがごちゃ混
ぜになっていた。
﹁値段もピンキリだな⋮⋮なあおっさん、高けりゃ高いほど上物っ
て考えていいのか?﹂
﹁基本的には﹂
だとすれば、大分候補が絞られてくる。
値札を参考に何着かリストアップした。デザインはバラバラだし、
109
触った感じ生地にも違いはあるが、売値はどれも似たようなものだ。
﹁ミミはどれがいい?﹂
﹁シュウト様が与えてくださるものなら、なんでも好きになる努力
をします﹂
﹁そういう答えは困るんだよ⋮⋮俺の美的センスにゆだねないでく
れ﹂
なにせ現代ではバイト先の制服以外だとジャージかスウェットく
らいしか着たことがないくらい、俺はファッションに無頓着な人間
だ。
なんとか説得して本人に選んでもらう。
眠たげな瞳に僅かながら真剣みを帯びさせて、ローブを物色する
ミミ。こういう姿を見ると女の子だなーと思わされる。ベッドの中
の次くらいには。
﹁ミミはこれが気に入りました﹂
彼女が手に取ったのは鮮やかなパステルブルーが眩しい薄手のロ
ーブだった。
淡色だし、白い髪をしたミミによく似合うと思う。多分。
﹁目が高いな。そいつは植物由来の繊維をふんだんに使った最新型
だぜ。丈夫さでは少し劣るが、動きやすさはピカイチだ。風通しも
いいから涼しいぞ﹂
﹁分かった。これを買っていこう﹂
110
俺は十二枚の金貨をカウンターに詰む。
﹁ここで装備していくか?﹂
おっさんがお決まりの台詞を口にする。
﹁そうしたいのはヤマヤマだが、エロ親父はあっち向いてろ﹂
﹁なんだ、お前さんは見てても許される間柄ってことか。これはこ
れは﹂
﹁ニヤニヤすんな。いいから壁でも眺めてな﹂
俺はおっさんが振り向かないか小まめに監視しつつ、ミミが着替
え終わるのを待つ。
﹁⋮⋮どうでしょうか﹂
真新しいローブを羽織ったミミは魅力が数段増していた。
胸元がまったく開いていないデザインだからか、清純な印象を受
ける。
﹁あ、ああ、似合ってると思うぞ。なんていうかこう、知性みたい
なのを感じる﹂
﹁ありがとうございます。奴隷である自分に、こんなにも素敵なロ
ーブを与えてくださったシュウト様には感謝の言葉も尽きません﹂
ミミが頭を下げる。こうやって改まられるとどうにも照れ臭い。
次いで武器屋を訪ねる。
111
ここの店主はいつも座って眠そうにしているから、いちいち大声
で話しかけないといけないのが面倒くさい。
﹁しっかりしてくれよ。今日はちょっと頼みがあって来たんだ﹂
﹁なんだね?﹂
﹁魔法を使うのに適した武器が欲しいんだよ。あー、別に俺が使う
ってわけじゃなくてだな、こいつに持たせたいんだ﹂
俺がおっさんにミミを紹介すると、二人して眠そうな顔のまま挨
拶を交わす。
なんとも気の抜ける光景だ。
﹁魔法ねぇ。定番は杖だけど、魔術書や水晶なんかも人気だね。魔
法の心得が十分なら杖が一番いいけども、そうでないなら魔術書を
持って戦ったほうがいいかな﹂
﹁どうしてだ?﹂
﹁本は魔力を増幅してくれたりはしないけど、やり方を読みながら
魔法を使えるから勉強の手間が大分省けるんだよ。暗唱できるよう
になったら用済みだけどさ﹂
カンペみたいなもんか。
﹁よし。じゃあ回復魔法が載ってある魔術書を売ってくれ。ミミに
はまずヒールとリペアを使えるようになってもらわないとな﹂
﹁それだけでいいのかい? 将来性を考えれば攻撃魔法も習得させ
るべきだと思うよ﹂
﹁んー⋮⋮せっかくだしそっちも買うか﹂
112
教材を兼ねるからか魔術書はただの紙のくせにやたら高く、二冊
で四万と9000Gもした。
痛い出費だが⋮⋮必要経費なので仕方ない。
恐ろしいことにこれで基礎中の基礎の教本だというのだから、レ
ベルの高い魔法を覚えさせようと思ったら相当金を食いそうだな。
﹁一生懸命学びます﹂
魔術書を抱えるミミはあまりやる気のある表情には見えないのだ
が、どうなることやら。
まあ普段からこのぽけっとした顔つきではあるが。
とにかく、これで差し当たりの装備は整った。
残った費用で雑貨屋に寄り、斡旋所のおっさんのアドバイスに則
って湖畔での野営用にテントとランプ、そして燃料を購入。
更に市場で食料を買いこんだ頃には、すっかり日が暮れていた。
﹁腹減ったな⋮⋮﹂
そういや昼は食ってなかったな。や、それより。
﹁ミミ、飯でも食いに行こう。まだ金は残ってるからちょっとくら
い贅沢しようぜ﹂
昨日契約を結んで以降、まだミミに温かい食事を取らせてないこ
113
とを思い出した。
﹁ミミなんかにごちそうだなんて、そんな﹂
﹁どんだけ謙遜しても連れて行くぞ。そもそも俺自身がすぐにでも
何か腹に入れたいんだからな﹂
奮発して今までよく行っていた飯屋よりも、ワンランク上の店に
入る。
真っ赤なレンガ造りの小洒落た店だ。
外食するたびに感じさせられるが、相変わらずメニューが意味不
明すぎる。見慣れない料理名しかない。かろうじてパンとアルコー
ル類だけが認識できる。
﹁なあ、この料理何か知ってるか?﹂
﹁いえ⋮⋮不勉強でして﹂
案の定ミミもよく分かってない。
ここは奥義、﹃勘﹄を発動させる。
なんとなくで頼んだところ、運ばれてきたのは大量の腸詰めだっ
た。上に溶かしたチーズがこれでもかってくらいかかっている。
次にひんまがった形をした野菜の酢漬けがテーブルに置かれる。
箸休めってか。
とりあえず腸詰めの一本にフォークを突き刺す。
114
﹁⋮⋮う、うめぇ!﹂
パキッと音の鳴る理想的な茹で加減だ。この肉厚さが頼もしい。
例によってなんの肉かは謎だが、うまいのであまり深く考えないよ
うにしておこう。
チーズの塩気もいいじゃないか。
俺はエールを、ミミは酸味の利いたシードルを注文していたが、
どちらにも合いそうだな。実際に俺がグビグビやってるエールとの
相性は百点満点中百三十点はある。
﹁とてもとてもおいしいです。こんなに幸せな食卓は初めてかも知
れません﹂
腸詰めを頬張るミミはとろんとした表情をしている。
うむ、連れてきて正解だった。この感慨が金貨一枚で買えるとは
安いもんだ。
帰宅後、俺たちは今日の戦利品を一度並べてみる。
ローブに魔術書、湖畔での必需品⋮⋮最低限の準備はできたか。
﹁シュウト様、ミミはしばらく魔法を勉強させていただきます。先
にお休みになってください﹂
安心して就寝しようとする俺にミミがそう告げた。小さなロウソ
クの火だけをつけ、夜中まで﹃初級再生のグリモワール﹄と表紙に
ある魔術書を学習するつもりらしい。
115
﹁寝ないのか?﹂
﹁しばらくしたらミミも眠ります。ですが、早くシュウト様のお役
に立ちたくて﹂
ミミの決意は存外に固い。
少し残念だったが、せっかく乗り気でいるところに水を差すのも
悪い。それに﹁役に立ちたい﹂なんて健気な台詞を聞かされたら﹁
そ、そう﹂みたいなドキドキした返事しかできないじゃないか。
やむなし。一人で寝よう。
俺は瞳を閉じ、明日からのミミとの冒険に想いを馳せていた。
116
俺、発進する
顔の上にスライムが乗っかっている。
目が覚めた時、真っ先にそう感じた。
いやいや、家の中にスライムとかいるわけないし。いるのは俺と
ミミだけだし。だとしたらぷにぷにのこれは、後から布団に入って
きたミミの⋮⋮。
﹁おわっ!?﹂
思わず跳ね起きる俺。
﹁あ⋮⋮おはようございます。申し訳ありません。寝過ごしてしま
いました﹂
驚く声でミミを起こしてしまったようだ。半開きのまぶたを眠り
足りなそうにこすっている。
﹁い、いや、いいんだ。昨日は疲れただろうしな! 遅くまで勉強
してたし!﹂
こっちはそれどころじゃねっての。朝っぱらから不意打ちで刺激
を受けて困惑してるんだぞ。
要するに朝特有の生理現象のせいでギンなところをギンギンにさ
せられたってな具合だ。
117
オークの生傷から漂う悪臭を思い返して鎮める。
よし、落ち着いた。
﹁魔術書を軽く読んでみた感じ、どうだった?﹂
﹁とても興味深く学ばせていただきました。魔法は難しいですが面
白くもありますね﹂
センスに恵まれた種族なだけはあり、飲みこみは早そうだ。
うむ。この調子なら大丈夫だろう。
﹁飯食ったら出発するかー﹂
俺はごそごそと棚からワインの瓶を取り出す。
朝湯には縁がないが朝酒は毎日のように浴びている。最初の頃は
これダメ人間じゃねーかという気分になったが、今ではすっかり慣
れてしまった。というか、この世界ではそれが普通。ワインは最も
ポピュラーな飲み物のひとつだ。
パンを並べて簡単な朝飯の完成。
食料品市場で買ったジャムを開封しつつ、ミミがぽつりと漏らす。
﹁おうちでも温かいスープが飲めたら、素敵だとは思いませんか?﹂
﹁そりゃまあ﹂
﹁ミミは魔法だけでなく、その、料理も覚えとうございます。奴隷
であるからにはシュウト様の身の回りの世話もできなければ申し訳
118
が立ちません﹂
だが俺の家にはかまども炊事場もない。
となると次の目標は⋮⋮引越しか⋮⋮。先は長いな。
﹁第一歩を踏み出すためにも、今日から二人で励んでいかねぇとな﹂
一生分の貯えをして、でかい屋敷でダラダラしながらメイドのミ
ミと暮らす。
夢のような生活じゃないか。
いつかは雇う奴隷の数も増やして、美女に囲まれた華々しい毎日
を過ごすのが究極形だな。
﹁ま、ミミに飽きるなんてことはありえないけども﹂
﹁どうかなさいましたか?﹂
﹁いや、なんでもない﹂
パンをたいらげた俺たちは多くの荷物をかついで家を出る。
目指すは無論、初の本格的な遠征となる湖畔。
ただその前に、一度訪ねておきたいところがある。いわんや斡旋
所である。
せっかくなので湖畔で行える依頼を一個か二個、可能ならあるだ
け全部受けておいて、俺の名声も同時に稼いでおきたい。
119
ランクが上がらないと他の町に移ることもできないしな。
﹁なんかすげー久々に感じるな、ここ﹂
数日顔を出してなかっただけなのに。
情報はナマモノだから、定期的につまんでおかないと腐っちまう
ってことか。
変に詮索されると困るのでミミには外で待っておくように伝えた。
それにおそらく、ミミを冒険者に登録するのは不可能か、仮にで
きたとしても適切じゃないだろう。奴隷に身分を与えるのはよくな
いとかそんなんで。
﹁ようこそギルドへ⋮⋮おお、シュウトか。えらく久しぶりじゃな
いか﹂
﹁いろいろと準備に追われてたからな﹂
﹁ということは、湖畔に向かう覚悟ができたってことか﹂
﹁まあ、そんなとこだ﹂
それより。
﹁俺はこんなどーでもいい世間話をしに来たんじゃない。仕事を探
しに来たんだ﹂
﹁おっ、気合が入ってるな。いい傾向だ﹂
﹁派遣先が湖畔のやつを教えてくれ。採掘以外ならどれでもやるぞ﹂
それなら、とおっさんは記帳をめくる。
120
﹁急ピッチで進めてほしい依頼がある。今朝入ったばかりの救援依
頼だ﹂
﹁ほう。なにやら穏やかじゃないな﹂
﹁湖畔で活動していたパーティーが昨日未明、賞金首の魔物に襲わ
れて散り散りになったらしい。ほとんどの奴はなんとかここまで帰
ってこられたんだが、一人怪我してまともに身動きが取れない仲間
がいるそうだ﹂
﹁え⋮⋮それって大丈夫なのか?﹂
不謹慎なイメージが脳裏をよぎる。
﹁朝一番に戻ってきた奴の話だと、多分草むらに身をひそめている
はず、とのことだ。眠れぬ夜を過ごしただろうから早く助けに行っ
てくれってさ﹂
死にはしてないだろう、とおっさんは意外にも楽観的に語る。
冒険者のサバイバル能力を信用しているようだ。
﹁だが三日を超えて持つどうかは、神様の気まぐれになってしまう。
早めに対応してやってほしいところなんだが、どいつもこいつも札
付きが出たって聞いて怖気づいててな⋮⋮﹂
﹁よっしゃ、だったら俺が救出してくるよ﹂
載せられた報酬の三万Gは、他の依頼群と比べてダントツで多い。
だが俺にとってはそんなのは些細な差。重要なのは、この依頼を
達成することで俺の地位の飛躍的な向上が望めるということだ。
斡旋所の同僚を助ける。これ以上にヒロイックな出来事はない。
121
それに野垂れ死にされるのも後生が悪いしな。打算を抜きにして
も救えるもんなら救ってやりたいところだ。
まったく恐怖心がないと言うと嘘になるが、俺には強力極まりな
いカットラスがある。多少のことじゃビクともしないベストがある。
今回は更にミミもいる⋮⋮もっとも、初陣なのであまり無理はさ
せられないが。
⋮⋮危険に晒されるなんて大っ嫌いだったのに、俺も随分変わっ
たな。
でも根底にあるのは最終的に満ち足りた生活を送りたいっていう
欲望ダダ漏れの精神だから、そんなに変わってないか。
﹁で、動けないってのはどこのどいつだ?﹂
その他の採取系依頼もまとめて承諾しながら、救出対象の冒険者
について尋ねる俺。
おっさんはここで初めて苦々しげな表情を作り、答える。
﹁ヒメリだ﹂
﹁えっ?﹂
マジかよ。
122
俺、奔走する
﹁あの馬鹿野郎、なんですぐに撤退しなかったんだ﹂
﹁功を焦ったんだろうな。ヒメリの奴、お前への対抗心凄かったか
らな⋮⋮最後まで倒す気で向かっていったに違いない﹂
おっさんが言うには、ヒメリはこれまで要注意指定の魔物を討伐
したことがなかったらしい。
新参者の俺が先に成し遂げてしまったから焦燥感に苛まれたのだ
ろう。
で、遭遇に及んだ今回張り切りすぎたと。
あの性格だ。ありえる話だな。
﹁高ランクの連中はドルバドル全域を転々としているからこの町に
は残っていない。逆によそからやってきてる冒険者にとっちゃ、う
ちのお家事情なんて対岸の火事だ。お前だけが頼みだぜ、シュウト﹂
おっさんが俺の肩を力強く叩いた。
本音を言うと、あの女とはあまり積極的には関わりたくないと思
っていたが⋮⋮だからって私情を差し挟むほど俺はろくでなしじゃ
ねぇ。
﹁任せろよ﹂
123
俺はそう返答した。
斡旋所から離脱し、外で待機していたミミに声をかける。
﹁行くぞ、ミミ。結構な大仕事を取ってきた﹂
湖畔までの道のりはこれまでとは比べ物にならないくらい長かっ
た。
往路で昼食を取りつつ、地図を参考に歩いていく。
結局六、七時間は歩いただろうか? 既に日が傾きつつある。
﹁疲れましたね⋮⋮﹂
﹁⋮⋮だな﹂
荷物が多いから俺もミミも余計に疲労している。
こういう旅を続けていくなら、いずれは力自慢の奴隷を雇うこと
も念頭に入れとかないとな。
﹁さて、へばってばかりもいられないな。明るいうちにヒメリを探
し出さねぇと﹂
草むらに隠れているはず、と情報をもらったが、湖畔の周りには
植物が多すぎてまったくと言っていいほど所在地の見当がつかない。
﹁邪魔くせー!﹂
124
豊かな自然がうっとうしく感じたのは初めてだ。
片っ端から探すしかないか。
しかし各ポイントを順々に巡っていくということは、敵と出くわ
す機会も増えるわけで。
﹁シュウト様、魔物です﹂
﹁分かってる。手早く済ませるぞ﹂
俺たちの進路をふさいだのは俺の背丈ほどもある巨大な花だ。長
い二本のツルが腕のようにうごめき、根っこが足代わりとなって自
律している。
小走りフラワーと命名しよう。
﹁うらぁっ!﹂
カットラスから水を溢れさせ、衝撃波を生成。いつものように初
手を取る。
ダメージ自体は軽微︱︱だがひるませることはできた。
﹁バッサリいくぜ!﹂
間合いを詰め、カットラス本体で本命の一撃を叩きこむ。硬度と
鋭利さを両立した刃がまっぷたつに茎を切断し、生命力を失った魔
物は煙となった。
﹁ざっとこんなもんよ﹂
125
十五枚の金貨と、何かの素材になりそうな葉っぱが撃破報奨とし
て残される。
ドロップ品を見る限り鉱山の魔物よりも強いみたいだが、あまり
そういった手応えはなかった。オークを倒しまくったせいか俺自身
の戦闘力も上がっているらしい。慣れってのは恐ろしいな。
﹁凄いです。シュウト様は、とてもお強いのですね。それに⋮⋮﹂
感情の起伏がなだらかなミミが、ちょっとだけ戸惑った顔つきを
している。
﹁こんなにいっぱいの金貨⋮⋮なぜ得られたのでしょう? ミミは
びっくりしています﹂
﹁俺は神に愛されてんだよ﹂
その辺にいる人間ならともかく、身内のミミに隠す意味はあるま
い。
﹁雑魚を狩ってるだけの俺が誰よりも稼げてる理由ってのは、ま、
こういうことだ。それより、急ぐぞ。ここには人の気配がねぇ﹂
﹁は、はい。分かりました﹂
湖を一周するように進む。
完全なローラー作戦だ。
道中出現する魔物はさっきみたいなのを更に凶暴にした植物っぽ
い奴、四足歩行の爬虫類っぽい奴、バタバタとやかましく羽ばたく
126
鳥っぽい奴など、かなりバリエーションに富んでいた。
いずれもでかい。この世界の生態系の壊れ方には毎度のことなが
ら冷や冷やさせられる。
ちなみに名前はそれぞれ食人フラワー、突進トカゲ、ノイズ鳥と
つけてやった。
なるべくミミは戦闘に参加させずに、俺一人でそいつらの全部を
なぎ倒していく。
疲れてきたらミミにヒールをかけてもらい、また捜索を続行。
これだけでもスキルの恩恵もあって結構な収益になった。
ついでに傷薬の材料になる薬草も拾っておく。これにはミミにも
手伝ってもらった。死ぬほど退屈で地味な作業だが、収集依頼も受
けているから仕方ない。
﹁ミミは採取も好きですよ﹂
とミミは草食動物のサガか割と楽しそうにするが、俺は清掃のバ
イトを思い出すからダルさしか感じられない。
夕陽が湖面を赤く染め始めた。
女剣士はまだ見つからない。
﹁くそっ、一体どこにいるんだ? ヒメリ! いるなら返事くらい
しやがれ!﹂
127
俺は枯れかけた声を振り絞って呼びかけるが、反応は返ってこな
い。
その声に呼び寄せられたのは魔物どもである。
﹁め、めんどくせぇ⋮⋮﹂
トカゲが俺へと体当たりを見舞ったが、さしたるダメージはない。
慌てず騒がず、背中にざっくり刃を尽き立てて処理。次に向かって
きた奴も同様に対処した。
﹁シュウト様﹂
﹁なんだ?﹂
いい加減嫌気の差してきた俺にミミが話しかけてくる。
﹁あちらの草場から、すすり泣く声が聞こえてきませんか?﹂
﹁泣き声?﹂
ちっとも聞こえないんだが。
とはいえ他にアテにできるものもないので、大人しくミミに従う。
ある程度歩を進めたところで。
﹁⋮⋮っく⋮⋮ひっく⋮⋮ぐす⋮⋮﹂
自分にもその声が聞こえた。トーンの高さからして女であること
は間違いない。
128
え。っていうか⋮⋮。
泣いてんの? あのタマが?
129
俺、対面する
かなり意外だった。心細さに打ちひしがれるようなタイプには見
えなかったけど。
﹁ヒメリ!﹂
名前を呼ぶ。
﹁だ、誰⋮⋮シュウトさん!?﹂
ヒメリは助けに来たのが俺だと気づいた瞬間、凄まじい勢いで涙
を拭い始めた。
﹁もう遅いっつーの﹂
﹁いや、これは⋮⋮そ、そんなことよりです、どうしてシュウトさ
んが湖畔まで?﹂
﹁お前の救助要請が出てたんだよ。感謝しろよな、マジで﹂
へたりこんでいるヒメリの足には目立った外傷はないが、身動き
するのも困難ということは捻挫でもしているのだろう。
ともあれ命が無事ならば、それに越したことはなし。
﹁しかしまあ、お前みたいな気の強い女がおっかなくて泣いてると
は予想だにしなかったな﹂
﹁ちっ、違います! 私はただ⋮⋮その⋮⋮﹂
﹁なんだよ﹂
130
﹁⋮⋮お腹がすいてることが辛かったんです!﹂
ヒメリは顔を真っ赤にして告げた。
﹁はぁ?﹂
﹁これ⋮⋮﹂
気まずそうな表情でカバンの中身を見せてくるヒメリ。
地図、コンパス、水筒、ランプ、ナイフ、ロープ、毛布、ピック
⋮⋮ありきたりな冒険アイテムが詰まっている。着替えのパンツも
さりげなく入っていたのだが、俺は見てないふりをした。色が白だ
ったとか、そういうのは墓場まで持っていく。
が、肝心のブツがない。
﹁食料、ひとつも残ってねーじゃん﹂
﹁眠れないストレスでつい⋮⋮最低でも三日分は携帯していたはず
なんですけど﹂
どうやら寝込みを襲われないよう夜通し起きていた間、ずっと食
ってたらしい。
で、今日の分がなくなったと。
俺は呆れた。というか、結構余裕あるじゃねぇか。
﹁いけませんか﹂
﹁なにが?﹂
﹁女の子がたくさん食べちゃいけませんか!﹂
131
ヒメリは開き直ったような台詞を言ってくる。目の端に涙を溜め
て。 ﹁ふ、太ってないから、いいと思うぞ﹂
﹁そういうことじゃなくてですね⋮⋮!﹂
よく分からんので、とりあえず持ってたパンで餌付けしてみる。
﹁⋮⋮はあ、餓えから解放されたら気分が落ち着いてきました﹂
やっとか。こういうのも腹の虫が治まるっていうんだろうか。
﹁た、助けてくれたんですから一応礼は述べていおきます。感謝さ
せていただきます﹂
﹁普通にありがとうって言えよ。どういたしましてくらいは返して
やるぞ﹂
なんの意地があるのか知らないが、ヒメリは複雑な表情でごにょ
ごにょ口籠もるだけだった。
嬉しい気持ちもなくはないのだろうが、大方俺に貸しを作られた
のが不覚なのだろう。もっと素直になっとけっての。
まあこいつがどんなふうに考えてようがどうでもいい。
連れて帰るのが俺の任務だからな。
﹁さっさと帰るぞ。ここでまたバケモンに出てこられたらかなわん
からな。立てるか?﹂
132
﹁いえ、まだ⋮⋮痛みが﹂
﹁そうか。なら専門家の手を借りるっきゃないな。おーい、ミミ﹂
離れた位置にいる従者を呼び寄せる。
﹁こいつの手当てをしてやってくれ。まずはヒールと⋮⋮他に処置
しておいたほうがいい魔法があればそれも頼む﹂
﹁かしこまりました﹂
失礼します、とミミはヒメリに許可を取ってから足に触れる。片
側の手で魔術書を読みながら、適切な再生魔法をピックアップしつ
つ順に施していった。
ヒメリは自分の治療を行っている女が俺の仲間であることは理解
したようだが、何者かまではしばらく分からなかったらしい。が、
その頭に生えている角を目にした瞬間、真っ赤な顔で、しかも妙に
取り乱した様子で俺を睨んできた。
﹁ふ、不潔な!﹂
﹁何を想像してんだよ﹂
口ではそう突っぱねたが、純朴少女の妄想は概ね合っているので
黙っておこう。
﹁終わりましたよ。歩けるようになったはずです。ですが、あまり
無理はなさらずに﹂
﹁あ、ありがとうございます⋮⋮ミミさん、でしたっけ。優れた魔
法の使い手なんですね。おかげでくじいた足もよくなりました。シ
ュウトさんにはもったいないくらいです﹂
133
なぜかミミにはあっさり謝意を示すヒメリ。というか、そこで俺
への嫌味はいらんだろ。
﹁そんじゃ、依頼もすべて達成したことだし⋮⋮町に戻るぞ﹂
日は既に沈んでいるためかなり帰りは遅くなってしまうが、今か
らなら十分寝床には間に合う。
復路はめちゃくちゃ疲れるだろうが、野営しないで済んだのはラ
ッキーだった。
どうせ寝るなら布団の中が一番だよな⋮⋮。
そう考えていた時、俺はどういうわけかヒメリの視点が一ヶ所に
釘付けになっていることに気がついた。
ヒメリの肩はかすかに震えている。
それが何を意味するか読み取れないほど、俺はマヌケじゃない。
﹁⋮⋮このタイミングで出てくるかね﹂
敵襲。
それも飛び切りの大物だ。腹を腐らせた馬鹿でかいカエルだなん
て気の狂った生き物は、生まれてこの方お目にかかった試しがない。
134
俺、献上する
それにしてもブサイクな魔物だ。子供が憧れる要素をひとつも持
ち合わせていない。
視界にはうっすらと暗闇の幕が張られている。
ギリギリ瞳は暗順応が間に合っているが、それでも見えづらいこ
とには変わりない。
﹁あいつがお前のパーティーを襲った奴か?﹂
﹁そ、そうです! 普段は湖に潜っていて、地上に出てきたとして
も深夜のはずなのですが⋮⋮﹂
ヒメリの解説が事実なら、出没時間帯がいつもより早いことにな
る。
理由が分からない、とヒメリは想定外の事態に混乱するが、俺に
はなんとなく察しがつく。
気分だろ。人間にだってよくある話じゃん。
﹁気をつけてください! 見た目は、ええと、ちょっとグロテスク
なだけであまり強そうには思えないかも知れませんが、非常に危険
な個体です!﹂
言われずとも分かっている。
135
カエルの分際で俺の背丈を上回っている時点で只者じゃない。
﹁ミミ、絶対に前には出るなよ。サポートに専念してくれ﹂
とカットラスを構えながらビシッと決めてみた俺だったが、ここ
である重要事項を思い出す。
﹁⋮⋮ヒメリ﹂
﹁どうしました?﹂
﹁お前も戦うのか?﹂
念のため確認。
﹁こうなってしまっては共闘するしかないでしょう。釈然としませ
んが﹂
あ、やっぱりですか。
となると、俺の収入形態が発覚してしまうんですが。
﹁なあ、ヒメリよ。ここは俺に任せておいても大丈夫だぞ。お前だ
け先に帰っていいぜ﹂
﹁そうはいきません! 私にも冒険者としての矜持があります!﹂
よくないイメージがまだ尾を引いているだろうに、一切退く気配
はなく、がっしりと両手持ちの剣を握り締めている。
くっ、ヒメリの頑固さがここに来て裏目を引いたか⋮⋮。
だが四の五の言ってはいられない。まずはあいつをぶちのめすこ
136
とに集中せねば。
﹁こんなにすぐ再戦の機会が巡ってくるとは思いませんでした⋮⋮
いざ!﹂
悲願である強敵撃破に燃えているヒメリが、流れるような体さば
きでカエルゾンビ︵例によって本名はクソ長いだろうから臨時の呼
称︶に斬りかかる。
その鮮やかな手並みからして、剣の腕前が俺より遥か上なのは間
違いない。
しかし武器に用いられた金属が精彩に欠けているのか、ヒメリの
剣は元々ぐちゃぐちゃだった腹をかき乱しただけだった。
断ててはいない。
﹁いやいや、っていうかあんなのどうやって斬りゃいいんだ?﹂
柔らかさの方向性がスライムとは違う。あっちは水まんじゅうみ
たいなものだが、このカエルは肉が最初から崩れているという反則
を犯している。
カエルゾンビは長い舌を伸ばして反撃に出る。ぶつぶつが大量に
浮いた気色の悪い舌だ。
﹁くっ!﹂
腕に巻きついてきたそれをヒメリが切断。血が噴き出し、鼻の曲
がりそうな臭いが立ちこめるが、舌は斬られた根本からあっという
137
間に復元する。
ミミがヒメリをすぐさま回復し、戦線を保つ。
俺もぼーっと眺めているだけじゃいられないので、おそるおそる
ながらもヒメリに加勢。
とはいえ腹を裂こうとしたところでロクな手応えはないし、舌を
狙って敵の攻め手を奪おうにも一瞬で元通りに戻る。
﹁はあ? 無理なんだが﹂
無尽蔵の耐久。きつい冗談だな。
初期からの相棒であるカットラスの切れ味がこんなにも物足りな
く感じたのは初めてだ。
﹁おい! こいつ防御面やばくねぇか?﹂
﹁その通りです。私たちのパーティーも決め手が見つからずじまい
でした﹂
﹁それでバラバラになったのか。じゃあお前、怪我して、一人きり
になって、それでもまだ挑み続けたっていうのか?﹂
ヒメリは唇をぎゅっと結んだまま答えない。
しかし強情な眼差しが肯定の意志をこれ以上なくはっきりと告げ
ている。
﹁無茶しやがんなぁ﹂
﹁⋮⋮そうしなければ、次のランクに辿りつけませんから﹂
138
﹁そんな気負うなよ。もっと気楽に冒険者やってこうぜ﹂
﹁私はあなたとは違います!﹂
確かに別物だ。ヒメリが努力の末に得たであろう武技の差を、俺
は装備品の出来で埋めている。
﹁だからって焦っても損するだけだぜ。よく考えてみな? お前だ
ってそのうち上質な武器を手に入れられるようになるだろう。そう
なりゃ俺の優位点なんて消し飛ぶわけだ﹂
﹁私には足踏みしてる暇なんてないんです。そんな不確定な未来を
アテにしたって﹂
﹁だから﹃そのうち﹄って言ってるじゃねぇか﹂
会話の最中にも戦闘は続いている。
﹁﹃そのうち﹄は生きてりゃいつかやってくるもんだぜ。こっちか
ら急ぐのも、あっちから来てくれるのも、大して変わらないっての﹂
﹁⋮⋮そうなのかも、知れませんが⋮⋮﹂
ヒメリは珍しく、肩の荷を下ろしたような気取らない表情を見せ
た。
なんだ、かわいげのある顔もできるんじゃないか。
というかさっきからちょっと思ってたけど、こいつ反応面白いな。
﹁ま、その頃には俺自身も鍛えられてるだろうし、もっといい武器
に持ち替えてるけどな﹂
﹁っ⋮⋮そういう⋮⋮余計な一言が⋮⋮大嫌いです!﹂
139
急にカッとなったヒメリ。頬が上気している。
﹁少しでも流されそうになった数秒前の自分を殺してやりたい気分
です﹂
﹁そうトゲトゲすんなよ⋮⋮とにかく俺がお前に言えるのは、お互
い今できる範囲でやってこうぜ、ってことだ﹂
そのためには、まず目先の怪物から片付けないとな。
⋮⋮。
格好つけてみたはいいものの、やっべ、気の利いたやり方がひら
めいてこないわ。
﹁どうすりゃいいんだろ﹂
頭をかく。全然糸口がつかめない。
が、打開策は意外なところから飛んできた。
﹁ヒール!﹂
後方にいるミミは俺たちにではなく、あろうことか敵に向けて回
復魔法を放った。
けれどそれは決して血迷ったとかではない。ちゃんとミミなりに
思うところがあっての行動である。治癒の魔術を浴びたカエルゾン
ビの腹部が、肉体再生効果によって修復されていくではないか!
ミミはなおも同じ魔法を連打。
140
ただれた肉塊に過ぎなかった腹が、みるみるうちに張りのあるカ
エルらしいものになる。
﹁ミミ、お前は本当に最高の女だ﹂
俺と、ついでにヒメリにはない柔軟な発想力ってやつを持ってい
る。
やっぱ魔法の才能って、単純に頭のよしあしなのか?
﹁そんなのは今はどうだっていい﹂
ただのカエルに成り下がったのであれば臆することはない。
ダッシュの慣性をつけた俺は、胴体めがけて勢いよくカットラス
の先端を突き刺す。
腹が血の詰まった袋であるかのように盛大に弾ける。
かろうじて形状を維持している魔物は、無理やり言語化するとし
たら﹁ゲギョギョオ!﹂といった感じのみっともない苦悶の声を上
げた。
﹁よし、次の一撃で︱︱﹂
ストップ。
﹁あー⋮⋮そういや﹂
141
集中しすぎて忘れるところだった。
今ここで俺が完全にカエルの息の根を止めれば、そりゃもう硬貨
がジャブジャブと確変状態に突入するだろう。
その光景を見てヒメリがどう思うか。
あんだけかっこつけといてマネーイズパワーの現実が白日の下に
晒されたらどうなるか。
ていうか当初から懸念してるとおり、ギルドの面々に俺の特異性
が広まりかねないし。
こ、これは⋮⋮。
窮地を切り抜けたようで、実は異世界生活始まって以来のピンチ
なのでは⋮⋮。
﹁⋮⋮おい﹂
﹁何をしているんですか。弱っているうちにトドメを!﹂
﹁それなんだが⋮⋮ヒメリ、お前がやってくれ﹂
﹁ええ!?﹂
﹁お前、討伐報酬の出る魔物を倒すのが目標だったんだろ? こい
つの落とす素材持っておっさんに渡すといい﹂
俺の思いついた浅知恵は、戦闘から離脱するというものだった。
金も惜しい、名誉も惜しいが⋮⋮しかし⋮⋮!
背に腹は代えられない⋮⋮!
142
﹁いやー、なんていうのかな、これは俺の好意みたいなものだと思
ってくれ。別に俺は懸賞金目当てにここに来たわけでもないしさ、
うん﹂
ここは一時の損を一生の得のために差し出そう。
﹁⋮⋮私は⋮⋮﹂
ヒメリは唇を噛む。
そして、刃を納めた。
﹁⋮⋮私はあなたに手柄を譲ってもらって喜ぶほど、恥知らずでは
ありません!﹂
強い信念がうかがえる、ハキハキした口調でそう言った。
﹁その魔物を倒したのはシュウトさんたちです。私は一度敗れ、二
度目も同じ過ちを繰り返しかけただけでした。シュウトさんの言っ
たとおり、私は拙速に陥っていたに違いありません。今回は負けを
認めましょう⋮⋮ですが!﹂
踵を返しながらヒメリは宣告する。
﹁次こそは! あなたを超える功績を挙げてみせます!﹂
俺に背を向けたヒメリは一人で湖畔を去っていった。
細身の剣士の姿が夜の闇の中に紛れていく。一度たりとも振り返
143
らずに。
残された俺はしばし呆然としていたが、カエルの成れの果てがも
ぞもぞと動き出しているのを見て我に返る。
﹁あぶね、息を吹き返す前にしとめとかないと﹂
ザックリやる。
予想していたとおり、煙が払われた跡には尋常でない量の金貨が
積もっていた。
﹁す、凄い⋮⋮﹂
驚嘆のあまり口元を覆うミミ。
俺はオマケのように落ちていた新鮮なカエルの肝を空き瓶に詰め
ながら、ようやく一息つく。
前回といい、レア敵との戦いは疲労度が段違いだ。
﹁この金を得られたのって、ぶっちゃけ俺よりミミの力だけどな。
あの機転には舌を巻いたよ﹂
﹁いえ、結果的にそうなっただけに過ぎません。見たところ先程の
魔物はアンデッドなので、もしかしたら回復魔法が効くのではない
かと﹂
﹁結果オーライでも倒せたんだからそれでいいんだよ。ありがとな﹂
とまあ、俺たちのほうはこんなぬるい感じでいいんだが。
144
﹁あいつ、一人で帰っちゃったな﹂
﹁怪我は完治しているかと思いますけど、付き添いなしで大丈夫な
のでしょうか﹂
﹁まあ心配は無用じゃないかな。あの腕なら並の魔物は余裕だろう
し。それにじっとしてた分体力余ってんだろ⋮⋮俺は行きの道も今
日の話だからヘトヘトだよ﹂
﹁ミミもです﹂
夜空にはとっくの昔に星がバラ撒かれている。
﹁⋮⋮泊まってくか、テントに﹂
﹁そう、ですね﹂
今から歩いて帰る気にはとてもなれなかった。
145
俺、進歩する
魔物が出現しないポイントまで移動し、そこにテントを設営する。
晩飯は質素にパンと燻製肉だけ。
勉強熱心なミミはテントの中でもランプの灯を頼りに﹃初級呪術
のグリモワール﹄という魔術書を読んでいたが、スタミナ切れを起
こしていた俺はさっさと寝てしまった。
明朝、せっかくなので湖畔の探索を続行する。
レアな植物があるとのことだが、とりわけ特徴的なものは見当た
らず、平凡な薬草しかない。
三時間ほど探し回っても、これといって目立った成果はなし。
﹁⋮⋮スカだな﹂
俺はそう決断を下し、ミミに帰宅を促した。
徒歩で二十キロを超える道のりを進むという馬鹿げた行軍を経て、
俺たちは町に辿り着いた。
とっくに夕暮れ時だ。一泊二日のキャンプだったな、完全に。
146
先にミミを自宅に戻らせる。
奴隷を一人にするのは逃亡のおそれがあるから避けるべき、なん
てささやかれがちだが、俺は特に案じてはいなかった。
その後の生活が保証されてるわけでもないし、何よりミミがもし
本気でそう考えているのであれば、俺が寝息を立てている間に首を
かっ切っているだろう。
﹁シュウト、今回はよくやってくれたな!﹂
斡旋所に入るなり、おっさんが手を叩きながら俺を歓迎した。
﹁ヒメリは見かけたか?﹂
真っ先に尋ねる。
﹁あいつ、勝手に帰りやがったもんだから顛末がよく分かってねぇ
んだよな﹂
﹁営業終了間際に顔を見せに来たぜ。﹃迷惑をおかけしました﹄っ
て頭下げたらすぐ帰ってしまったけどな﹂
﹁俺になにかしら伝言はあるか?﹂
﹁ハッハッハ、あの意地っ張りな性格でそういうのを残すと思うか
?﹂
﹁⋮⋮ないな﹂
﹁代わりに俺が感謝を伝えとくよ。本当に助かった。ギルドメンバ
ーを失う辛さは何十年経っても慣れないからな﹂
ま、その件についてはこんなとこでいい。
147
﹁他の依頼も全部こなしてきたぞ。やること多すぎてくたびれちま
ったよ﹂
湖畔で採取してきたものをドカドカと提示する。カエルの肝も一
緒に。
﹁おっ、こいつはゲゲナ・ギギエラの肝じゃないか﹂
なんとなく分かってたけどまた覚えにくい名前だな。
俺のシンプルイズベストなネーミングセンスを見習ってもらいた
いものだ。
﹁これがまた高価な薬の材料になるんだよなぁ⋮⋮ってことは、お
いおいまさか、賞金首の討伐も達成してきたのか?﹂
﹁ま、そうなるわな﹂
﹁ううむ﹂
肝の入れられた瓶を手中で転がしながら唸るおっさん。
﹁湖畔でのクエストも問題なし、強敵撃破も達成している、加えて
ギルドへの貢献⋮⋮実力、実績共に申し分ないな。シュウト﹂
﹁なんだよ﹂
﹁お前のランクをDに上げておくよ﹂
⋮⋮お?
﹁マジでか?﹂
﹁本来、三ヶ月はかかるとこなんだけどな。だが能力があるならこ
っちとしても優先的に仕事を手配してやりたいし、お前も一段上の
148
肩書きは欲しいところだろう﹂
確かに、俺が今もっとも欲しているのは地位だ。
それが与えられることに不満なんてあるわけがない。
しかしまあ、もうDランクか。二週間くらいしか活動してなくて
これは順調すぎるな。
﹁ってことは、これでやっと他の町にも行けるようになるんだな﹂
﹁なに先走ってんだ、通行証を発行してやれるのはCランクからだ
ぞ﹂
おっさんは﹁寝ぼけたことぬかすな﹂みたいな目で俺を見る。
﹁は? ⋮⋮おい、じゃあDランクの利点ってなんだよ﹂
﹁さっき説明してやっただろ。回せる依頼が増えるってことだ﹂
﹁そんだけ?﹂
﹁そんだけ﹂
おっさんはガハハと笑う。
くっ⋮⋮結局まだまだ下っ端ってことかよ。
﹁これでも実力だけならC相当と評価してやってるんだぜ。比較的
弱めとはいえ、要注意の魔物を二種類も倒してるんだからな﹂
﹁だったら飛び級させてくれよ。俺は実質上とかそういうのはいら
んぞ﹂
﹁それは周りを納得させるだけの実績を積んでからだな﹂
149
コツコツ真面目になんてのはめんどくさいが、仕方ないか。
今回の遠征で新たな課題もいくつか見つかったことだしな。女神
謹製のスキルがあるとはいえ着実にやっていくしかない。
﹁よっしゃ、だったらまずはこの名もなき町で﹂
﹁町名はフィーだ﹂
﹁⋮⋮このフィーの町で俺の名前を上げてやるよ﹂
懸賞金の二万Gを含めた報酬を受け取り、俺は斡旋所を後にした。
多額の撃破報奨と足すと七十万弱の稼ぎにはなったが、半日移動
に費やしていることを考慮すると割に合っているとは言えない。湖
畔に行くならレア素材を持ち帰ってこそって感じだな。
夕陽に照らされながら帰宅。
﹁おかえりなさいませ﹂
ミミが深々と一礼して出迎える。
懐かしい自宅の匂いを嗅いだ途端、疲れが一気に倍増したように
感じた。
ああ俺、この二日間ずっと冒険やってたんだな⋮⋮。
そう思うと体が脱力感に押し流されて、ぐでんとベッドに横たわ
る。
寝転んだ姿勢のまま俺は思考する。
150
やるべきことが多すぎるな。
第一の目標は引越しなのだが、かまど付きの住居の購入にいくら
必要なのか見当もつかない。それに立地がここでいいかどうかも保
留状態だ。どうせならいろいろと巡った上で住む土地を決めたいじ
ゃないか。この町に貸家があればベストなのだが。
となれば資金の面でも足の面でも、まずは俺のランクを上げるの
が先決だろう。
﹁⋮⋮それにしたってなぁ﹂
腰から外し、今はテーブルの上に置かれてあるカットラスに視線
を送る。
あのゲゲ⋮⋮ゲゲギギ⋮⋮カエルの魔物にはちっとも通用しなか
った。
ミミのおかげでなんとかなりはしたが、今後冒険者稼業を続けて
いくならああいった硬い敵と遭遇する場面も増えてくるはず。早い
うちに戦力を伸ばしておかなければならない。
けれど俺自身が強くなるには、はっきりいってめちゃくちゃな時
間がかかる。そもそもにしてイチから修行を積むような根性もない。
そろそろ買い替え時なのかも知れないな。
しかしまあ、こっち来てから働きすぎだな、俺。
151
生き甲斐を感じられている分、死んだ目でライン工やってた頃よ
りは遥かにマシだが。
﹁考えごとですか?﹂
ベッドに腰かけたミミが俺の顔を覗きこむ。
白い前髪がふわりと揺れている。
﹁旅路の帰りです。あまり根は詰めなさらずに﹂
柔らかな声音でささやきながら、俺の熱っぽい額に手を置いた。
⋮⋮そうだな、ひとまずは一切合財を放棄して休むか。ただでさ
え頭の回転が早いほうじゃないのに、疲れた脳で考えたところで妙
案が浮かんでくるはずもないし。
俺は寝そべったままミミを抱き寄せ、その可憐な唇を奪った。
明日はゆっくりするとしよう。
152
俺、募集する
一日、と前置きしていたのに、結局次の日もミミとダラダラ過ご
してしまった。
しかしその甲斐あって磨り減っていた気力体力とも万全になり、
今後の指針も定まった。やはり休息は必要ということだ。現代日本
も週休三日の導入を論議すべきだな。
俺はミミを部屋に残し、手始めに鍛冶屋へと向かっていた。
手ぶらで、である。
﹁冷やかしか?﹂
当然、頑固そうな鍛冶工のおっさんに睨まれる。
すげぇ嫌そうだ。
﹁今日はそうだけど、まあまあ、そんなカリカリしないでくれよ。
次に顔見せた時はちゃんと仕事を頼みに来るからさ﹂
﹁まったく信用できんな。フン、まあいい。用件はなんだ?﹂
おっさんがいぶかしげな目つきで俺に問う。
﹁上等な金属について教えてほしいんだよ﹂
﹁上等な金属? レアメタルのことか?﹂
﹁そう、それ﹂
153
顎ヒゲを撫でながら、過去の出来事を引っ張り出してきて語るお
っさん。
﹁俺も何度か鍛えたことがあるが、どいつもこいつも凄まじいクセ
モノ揃いでな﹂
﹁いやそういう職人っぽい話が聞きたいんじゃない﹂
俺はワビサビは重視しない人間なんでね。
﹁どういうレアメタルがあるかってのと、どこに行けば採れるのか
ってことだ﹂
﹁種類だったら多すぎて俺も全部は把握できていないぞ。ただ、ど
こでよく採れるかは知っている。デルガガ鉱山だ﹂
なるほどなるほど? 俺は頷きながら聞く。
﹁ここからずう⋮⋮っと東に行けばデルガガという地方に辿り着く。
その最奥にそびえる鉱山は多様かつ良質なレアメタルの産地だ﹂
﹁そりゃ耳寄りな情報だ﹂
﹁まさかと思うが、お前がそこに行くとか言い出すんじゃあるまい
な? 忠告しておいてやるが、Bランク以上の冒険者が出入りする
ような過酷な場所だぞ﹂
﹁行くわけないじゃん。大体俺Dランクだから通行許可下りねぇし﹂
だったら最初から聞くな、とおっさんは至極もっともな意見をぼ
やいた。
﹁というか、お前はたったDランクぽっちだったのか。その腕で寝
言をほざくのはやめときな。レアメタルというのは難所を攻略し強
154
くなった証として手に入れるもんだぞ﹂
﹁俺にとっちゃ強くなるための道具なんだよ﹂
﹁順番があべこべだ﹂
おっさんは呆れた口調をするが、俺にはどうしてもそれが欲しい
理由がある。
今更明かすまでもなく、俺は次なる武器の獲得を企てている。
多少の防御の穴はミミお得意の回復魔法である程度リカバーでき
ても、攻撃に関してはそうはいかない。
武器を新調するしかないだろう。
﹁特注の武器が欲しいなら大人しく鉄を持ってこい。剣でも斧でも
鎚でも、店で売っているどれよりもいいものを作ってやるぞ﹂
﹁それじゃ意味ないんだよなー。いや、おっさんの腕を舐めてるっ
てわけじゃないけどさ。まあ今日のところはこの辺で去るよ﹂
俺の未熟な腕前を補ってもらわないと困るから、当然魔力を帯び
た希少な素材で作られてあるのは必須条件。
交易船が目当ての品を運んできてくれるような幸運はそう何回も
続かないだろうし、今度は鍛冶を利用しようと考えたってわけだ。
だがおっさんの話だと最低Bランクはないとダメらしい。
ランクを上げるために必要なのに、ランクを上げなければ入手の
機会が訪れない。
155
俺にあるのは金だけ。
謎は解けたな。
つまり、俺自身が依頼人となることだ。
﹁邪魔するぜ﹂
俺はその足で斡旋所に赴いた。
いつものようにいつものおっさんが受付に立っている。
ただ斡旋所の中にいた他の冒険者の様子がこれまでとは違った。
今までは高級ベストへの羨望の眼差しくらいしか向けられたこと
がないが、先日全員共通の同僚であるヒメリを助け出してきたから
か、俺に対して一目置いた視線を送ってきている。
﹁おおシュウトか。今日はどうした?﹂
﹁なあ、最初の頃にレアメタルの採掘依頼の話をしてくれたよな?﹂
﹁した記憶があるな。確かにありゃあ金になる依頼だが、今は出て
ないぞ。仮に出ていたとしてもこの近辺で採れはしないから、これ
ばっかりはお前にも任せられない﹂
おっさんは難色を示す。が、別に俺は仕事をもらいにきたわけで
はない。
﹁そうじゃなくてだなー、俺がレアメタルを持ってきてくれって依
頼を出したいんだよ﹂
﹁お前が?﹂
156
﹁おう。デルガガ鉱山のやつだ。どんくらい報酬を用意すりゃいい
んだ?﹂
﹁まあ待て。勝手に話を進めるな﹂
おっさんはカップに注いでいた紅茶を飲み干してから続ける。
﹁もちろんお前が依頼を出すこともできる。誰でも募集はかけられ
るからな。この町には各地を転戦中のトップランカーも滞在してる
から、そいつらを対象にすれば大丈夫だろう。もし荷馬車を引いて
素材収集の旅にふけってる奴がいれば、もう既に所持しているかも
知れんしな﹂
ほほう。ってことは即日納品もありえるわけか。
﹁しかしなぁ、シュウト。さっき伝えたようにこれは金になる依頼
なんだぞ? ってことはすなわち、多額の報酬を依頼人は設定しな
ければならない。危険相応の儲けがなかったら誰も受けないからな。
お前だって貴重な代物を安く買い叩かれたらブチキレるだろう﹂
﹁そんくらい覚悟してるっての。相場はいくらだ? 色はつけるぞ﹂
﹁軽く言うがなぁ⋮⋮通常市場に並ぶものじゃないからおおよそだ
が、武器や盾を製造する分なら十五万Gは最低でもいるな。全身の
鎧ならその三倍だ﹂
ふむ、確かに莫大ではある。
まあそれは平均的な金銭事情ならの話だが。
﹁分かった。じゃあ俺は二十万出そう。剣を一本作れるだけの量を
持ってきてもらうとするか﹂
﹁に、二十万?﹂
157
おっさんは俺がカバンから取り出した布袋のふくらみ具合に目を
丸くする。
無論、中身はすべて金貨だ。湖畔で得た収入のうち経費として二
十万Gを携帯していたのだが、ちょうどいい金額だったな。
全部を預ける。
﹁お前、いつどこでそれだけ稼いだんだ?﹂
﹁なんとか捻出した全財産だ。俺はそれだけマジってことだよ﹂
真っ赤な嘘をついて乗り切った。
﹁急募、デルガガ鉱山産レアメタル⋮⋮謝礼金二十万G也。署名は
これでよし、と﹂
ともあれ、依頼の掲示は済んだ。
あとは待つだけだ。どのレアメタルが納品されるかは当日になっ
てみないと判明しないが、それもまた楽しみにしておこう。
手持ちも尽きたのでまっすぐ帰宅。
自宅の戸をくぐった俺に気づくなりミミは読書をやめて立ち上が
り、会釈する。
﹁おかえりなさいませ、シュウト様。武器の件はいかがでしたか﹂
﹁んー、明確な日取りはまだ決まってないけど、一応は目星がつい
たかな﹂
158
﹁それはよかったです﹂
ぱあっと目を細めて微笑むミミ。
ミミは表情といい雰囲気といいぼんやりしているから一見アホの
子っぽく見えるのだが、実際はこの上なく聡明な女だ。
賢く、美しく、気立てもよく、その上⋮⋮。
﹁今日もなさりますか﹂
奔放だ。
﹁や、やめとく﹂
俺は苦笑いを返す。
気持ちも嬉しいし気持ちもよろしいが、そろそろ腰を痛めそうだ
からな。
﹁久々に魔物退治に出てくるわ。健康的にな﹂
町を離れる俺、
金はいくらあっても足りない。俺はなまった体を慣らす目的も兼
ねて、夜になるまでひたすらオークを狩り続けた。
いい加減飽きてはいる。ここを上回る稼ぎスポットにとっとと移
りたいよ。
159
俺、贈答する
依頼が満たされるのはかなり先になると踏んでいたが、どうやら
そうではなかったらしい。
﹁お前は本当に運に恵まれてるよ。ちょうどデルガガ帰りの冒険者
がいてな﹂
金策に励むかたわら何気なく斡旋所に顔を出してみると、望外に
も注文していたブツの納品はとっくに済まされていた。
何個かあるうちのひとつを譲ってもらえたという。
採掘依頼を張り出してから四日目の朝のことだ。
﹁ほれ﹂
おっさんがカウンターの上にレアメタルの鉱石を置く。
サイズは十分。ただ。
﹁⋮⋮これ、本当にレア物なのか?﹂
くすんだ黄土色をしたそれは、希少品であるという自覚がまった
くなさそうな、なんとも威厳に乏しい外観をしていた。こう言っち
ゃなんだが、泥の塊っぽい。
﹁見た目小汚いんだけど﹂
160
﹁鑑定書をつけさせたから間違いないぞ。目を通しておきな﹂
おっさんが俺にペラ紙を一枚押しつける。
鑑定結果がやたら長々しくつづられており、正直流し読みするの
もめんどくさいくらいなのだが、偽物にしては手が込みすぎてるか
ら多分本物なんだろう。
文面の最後には、﹃土竜鉱﹄とある。
﹁竜か。中々いいじゃねぇか﹂
第一印象ではそう思ったが、ん? 待てよ。
﹁おい、土竜ってモグラだろ。全然かっこよくないんだが﹂
﹁そう外見や名前につっかかるなよ。これはかなり凄い代物だぜ。
土竜鉱はちと重いが、極めて丈夫で温度変化に強いレアメタルだ。
宿っている魔力は地属性。防具に適している素材だが、武器に使っ
ても面白いだろうな﹂
﹁重いのかよ⋮⋮﹂
贅沢になるが、できれば違うものがよかったな。
﹁シュウトみたいなモヤシにはこのくらいのほうがいいだろ。振っ
てるだけで筋トレになるからな。どんどん鍛えて立派な冒険者にな
れることを祈ってるぜ﹂
おっさんは腕を組んで愉快そうに笑っている。目にかけてくれて
るのは分かるが、ありがた迷惑もいいとこだ。
161
とはいえ最上級の品質であることは確からしい。
使いこなせれば凄い戦力にはなるだろう。
﹁よし、次はこいつの加工だな﹂
ズシリとくる鉱石を抱えながら俺は浮かれ気分で鍛冶屋を訪ねた
のだが。
﹁すぐには無理だぞ。冶金して製鉄して鋼にして、そこからようや
く鍛冶の工程に入れるんだからな。明日の夕方取りに来い﹂
﹁そんなかかるのかよ!﹂
﹁当たり前だ。これでも魔力炉の助けを借りてるから短縮されてる
ほうだぞ﹂
少なくとも今日持ち帰ったりはできなさそうだ。
﹁それにしても、どういうルートでこんな上物を手に入れたんだ?﹂
﹁俺にもいろいろあるのさ。くだらない詮索をしてる暇があったら
すぐにでも作業を始めてくれ﹂
﹁調子づきおって。まあ、きっかり金が支払われるんなら喜んでや
るがね。それより武器の種類は決めてあるか? 様式は?﹂
﹁剣だ﹂
金属製の武器なんて他に握ったこともない。
﹁慣れてるものが一番だ。剣を作ってくれ。どういうデザインかは
おまかせで﹂
﹁剣か⋮⋮剣と一口に言っても⋮⋮おい、戦闘中に盾は装備してい
るか?﹂
162
﹁いや、使ってないな。使う気も起きない﹂
かさばるし、使い方もよく分からんし。
﹁なのに片手剣か。もったいない真似をしやがる﹂
おっさんは俺の腰にあるカットラスを一瞥する。
﹁武器に望む要素はなんだ?﹂
﹁そりゃ、威力だな。今の武器の切れ味に物足りなくなったからこ
こに来てるんだし。あと軽いこと。どっちかっていうとこっちのほ
うが重要だな﹂
俺の挙げた注文を逐一メモに取っている。
無骨なナリをしてるくせに、仕事に対しては真摯だな、このおっ
さん。これが職人気質ってやつか。
﹁⋮⋮よし、分かった。お前にはツヴァイハンダーを作ってやる﹂
﹁ツヴァイハンダー?﹂
な、なんてオシャレな響き。
﹁両手剣だ。柄を含めるとお前の背丈よりも長くなる、特大の剣だ
な﹂
﹁ちょい待て。軽いのがいいって俺言ったよな? そんなでかい武
器扱えないんだが﹂
ただでさえ重量のあるレアメタルだってのに。
163
危ない危ない、語感のカッコよさに騙されるところだった。とん
だ地雷じゃん。
﹁ツヴァイハンダーは見かけの印象ほど重くはない。リーチに優れ
ているし、両腕の力が伝わるから威力も折り紙つきだぞ﹂
﹁だからってでかすぎるわ。見かけよりはってだけで絶対重いだろ。
それに俺は取り回しの悪い武器を使いこなせるほど器用じゃないぜ﹂
﹁仕方のない奴だな。なら削れるところは極限まで削って軽量化し
てやるよ﹂
﹁長さも頼む。俺の身長以上ってのはやりすぎ﹂
﹁要求が多いな⋮⋮刀身の規格も変更しておこう﹂
こういったやりとりを経て、新しい剣の方向性は決まった。
﹁忘れるなよ、明日の夕方だ。手間賃持って受け取りに来い﹂
早速作業に入ろうとするおっさんは、そう釘を刺してから俺を送
り出した。
しかし、明日か。
今日一日が暇になってしまったな。
当初の予定どおり今からオークを狩りに行ったんでもいいが、斡
旋所で依頼の成功を知った時点で思考がオフに切り替わっている。
外部まで出歩く気になれない。
というわけで俺は一旦自宅に戻り、魔術書の勉強中だったミミを
気晴らしに連れ出した。
164
﹁どこに行くのですか?﹂
﹁町中をぶらぶらとな﹂
もっとも、まったくの無計画かと言われれば答えはノーだ。
﹁ミミ、二冊の魔術書は覚えられたか?﹂
﹁回復魔法の本はおおむね理解しましたけど、でも完璧ではありま
せん。まだ身近に持っていないと実戦の時は不安です﹂
﹁うーん、やっぱりか﹂
﹁申し訳ありません﹂
﹁いや、いいんだ。まだまだ始めたてだしな﹂
むしろ快調すぎる成長スピードじゃなかろうか?
だが魔術書では魔力は強化されないとのことなので、現状のミミ
をこの先戦力として計算するのは少し厳しい。早く杖を持てるよう
になってほしいのだがそうトントン拍子にはいかない。
となると、武器以外で稼ぐしかないだろう。
ヒントは俺が肌身離さずつけている熊革のチョーカーにあった。
こいつは非常に地味だが、俺の筋力を補助してくれている。
装飾品にもそうした効果があるのは判明しているから、所持金に
余裕もあることだしミミの分も買ってやろうと俺は考えた。
﹁アクセサリーだなんて⋮⋮もったいないです﹂
165
ミミは案の定謙遜したが、今後戦闘でも活躍してもらうためだと
説得した。俺からすれば主人としてプレゼントのひとつくらいは贈
らせてくれ、って想いもある。
で。
俺たちは装飾品店を訪れたわけだが。
﹁⋮⋮めちゃくちゃいづらい⋮⋮﹂
というのも、バイトっぽい立ち位置の娘が入店以来ずっとこちら
を凝視し続けているからだ。ライトグリーンの髪をしたそいつはそ
こそこ顔立ちは整っているものの、柄が悪いというか、ヤンキーみ
たいな雰囲気なので、ぶっちゃけびびってる。
なのに店の感じは女子ウケするファンシーな内装と品揃えなので、
俺とは裏腹にミミは純粋に胸躍らせている。
﹁気に入ったものはあったか? さっさと買って帰ろうぜ﹂
﹁ミミの好きなものはたくさんありました。ここは夢の中みたいな
ところですね。ですが、どれが魔法に影響があるものかは分かりま
せん﹂
う、それもそうだな。
値段が高いものはなんとなくレアな品だと分かるが、秘められた
効果までは予測できない。
店員に尋ねるしかないか⋮⋮店員といえば⋮⋮。
166
﹁⋮⋮ミミ、聞いてみてくれ﹂
﹁分かりました。すみません、少しお話をうかがってもよろしいで
しょうか﹂
ミミは無愛想なヤンキー娘を呼び寄せて品定めを始める。
俺は後ろのほうで空気になるよう徹した。 それでも会話は聞こえてくる。
﹁この辺にあるのは大体魔術師向けだよ。好きなンを買ってけばい
い﹂
﹁わあ、綺麗なネックレスがあります。つけてみて構わないでしょ
うか﹂
﹁ん﹂
店員の許可を得て、ミミは金細工がきらびやかなネックレスを装
着する。
あまり美的センスのない俺でも唸るくらいの傑作だった。ミミが
身につけているからそう見えているだけかも知れないが、豪華さと
かわいらしさを兼ね備えている。
中央に据えられた紫の小石がおそらくレア素材だな。
﹁シュウト様、どうでしょうか?﹂
﹁似合ってるぞ。そいつを買って帰ろう。うん﹂
そそくさと店を出ようとする俺だったが、財布を握っているのが
自分であることに気づく。
167
さすがに支払いを奴隷にやらせるわけにもいかない。ってことは。
﹁勘定。八万と5000Gね﹂
﹁お、おう⋮⋮﹂
妙に緊張感のある精算現場だった。
これならおっさん相手のほうがよかったな。すまんおっさんたち、
いい加減他の人間が接客してくれとか失礼なこと考えちゃって。
﹁とてもとても素晴らしいアクセサリーばかりです。王都で仕入れ
たものなのでしょうか﹂
﹁ほとんどアタシが作った﹂
﹁えっ?﹂
聞いてもいない俺のほうが思わず声を漏らしてしまった。
まずい、めっちゃ睨んできてるし。
﹁何がおかしいんだよ。アタシはこの店に正式に雇われてる彫金細
工師だ﹂
﹁あ、そうなのか⋮⋮﹂
バイトじゃねーんだな。
俺はてっきり町のゴロツキが更正目的にお務めさせられているん
だとばかり。
﹁だったらあんなにジロジロ見ないでくれよ。ちゃんとした職人な
168
のに怖ぇよ﹂
﹁そ、それは﹂
なにか後ろめたい感情でもあるのかヤンキー娘は若干たじろぐよ
うな仕草をしてから。
﹁こ、こんな店に男が来るの、珍しいなって﹂
とぶっきらぼうな口ぶりのまま、伏し目がちに頬を赤らめた。
こ、こいつ。
実はかわいい奴なのかも知れない⋮⋮。
とはいえ長居は無用。俺とミミは店を出て帰路につく。とりあえ
ず、あの店に行くのに気兼ねはいらないってことは学んだ。
おっさんたち、悪い、俺はまた女っ気になびくとするわ。
169
俺、強化する
トンカチを叩く音が工房全体に響き渡る中。
﹁お、おお⋮⋮﹂
俺は黒鉄のテーブルに置かれた芸術品を眺めて、感嘆の声を上げ
ていた。
﹁加工には四苦八苦したぞ。なにせこいつが折れる曲がるたわむの
嫌いな、レアメタル界きってのじゃじゃ馬だからな。鋼にする過程
でさえ⋮⋮﹂
脇で鍛冶工のおっさんがウンチクを語っているが、視覚からの情
報が鮮烈すぎて耳に入ってこない。
約束の時刻にツヴァイハンダーを受け取りに来た俺だったが、そ
のあまりの出来栄えのよさに惚れ惚れしてしまった。
パッとしない黄土色だった鉱石が、今ではオレンジがかった金色
の輝きを放っている。
剣のこしらえ自体はシンプルなのに金属そのものの高級感が素晴
らしい。
﹁土竜鉱は鉄と反応するとこんなふうに性質がガラリと変わる。最
大限軽量化させたから、まったく装飾は施せなかったがな。機能性
重視の一品だと思って諦めてくれ﹂
170
﹁こんな見事な剣に文句つけてたらバチが当たるぜ。だがな⋮⋮﹂
俺は鑑賞中ずっと呑みこんでいた言葉をようやく吐き出す。
﹁でけーよ﹂
ギャグかってくらいでかい。
刀身は幅、厚み共にさほどではないが、長さがやはり目につく。
﹁俺の身長は超えるなって伝えたじゃん!﹂
﹁超えてはいないぞ。お前の身長と﹃ちょうど﹄になるように作っ
た﹂
してやったりの表情をするおっさんは大剣を手に取ると、俺の隣
に並べる。
まったく同じ長さだった。
﹁な?﹂
ぐっ、言葉のマジックを使いやがって⋮⋮。
それにしても目測で俺の身長をぴたりと当てるとは、これが熟練
の技師のなせる業ってやつなのか。
﹁ま、使ってるうちに違和感は消えるだろ﹂
﹁だといいけどな⋮⋮﹂
﹁二万Gだ。個人的にも面白い仕事だったから鉄の分はサービスし
てやるよ﹂
171
金貨をおっさんの手の中に落とす。
この瞬間、俺に新たな相棒が生まれた。
馬鹿でかくて少し不安だが、今日から頼りにさせてもらおう。
﹁毎度あり。俺の作品を粗末に扱ったら承知せんぞ﹂
﹁それは分かってるけどさ、鞘はないのか? 抜き身で持ち歩くの
は物騒すぎるぜ﹂
﹁そんなものはない。大体これだけの長さの剣をいちいち鞘から抜
き差ししていたら手間でかなわんだろう。紐をつけてやるから後ろ
に背負え﹂
言いながらおっさんはツヴァイハンダーを緩めに縛りつけ、俺の
背中に固定した。
俺は今までカバンは背負って持ち運びしていたが、これからは片
腕に引っかけるしかないな。
ていうか、重っ。
これ持って適当にうろうろしてるだけでトレーニングになりそう
んだが。
﹁一度素振りでもしてみるか? そのつもりなら裏手にある製鉄所
を使え﹂
そうさせてもらうことにした。
172
試し斬りに森に向かおうにも、今日はもう遅い。だからって刃物
を町中で振り回すわけにもいかないからな。
工房裏の製鉄現場へ。
そこは広場と呼んでいいほどの敷地面積があった。
大量の鉄鉱石が山のように積み上げられている。巨大な溶鉱炉も
フル稼働だ。
﹁ここなら安全ではあるな﹂
背中の大剣を外す。
﹁お、重てぇ⋮⋮﹂
持ってみると二、三キロくらいに感じる。今の俺はチョーカーで
補強されてる状態だから実際はその倍はあるな。
重さだけなら大したことないかもしれないが、これをブン回すと
なれば話は別。
﹁う、お、おおおお!﹂
とりあえず試してはみる。
剣を振り回すというより、剣に振り回されているような感じだっ
た。
重量と遠心力を利用して斬る、という動作を早めに体に馴染ませ
173
ないと﹁いざ本番﹂となった時に苦労するだろう。
﹁やべぇなこいつ、めっちゃ疲れるぞ⋮⋮﹂
ただ威力が凄まじいことになってるのはなんとなく分かった。
感触がカットラスとは違いすぎる。
あとは隠された魔力のほどだが⋮⋮。
﹁でりゃあ!﹂
気合を入れたはいいものの、カットラスのように刃から何かが出
るような現象は起きない。
﹁⋮⋮振り方が悪いのか?﹂
ひいひい言いながら横振り、縦振り、斜め振りと順番にやってみ
たが、反応なし。
俺の腕がダルくなっただけだ。
﹁ちょ、無理⋮⋮﹂
何度目かの実験中、俺は疲れからか振り下ろしたツヴァイハンダ
ーの軌道を止めることができなかった。
そのまま切っ先が地面に落ちる。
すると。
174
﹁おおっ!?﹂
触れた部分の土が隆起し、細長い三角錐のような形になった。
﹁なんじゃこりゃ⋮⋮トゲというか、槍というか⋮⋮まさか﹂
俺は試しに剣の先端を三回、間隔を空けて地面にぶつけてみる。
さっきと同じものが三本突き上がった。あたかも地底から爪が伸
ばされてきたかのように。
どうやら、これが新武器の追加効果らしい。
﹁やってくれそうな性能じゃないか﹂
うまく使えば防御にも役立ちそうだ。剣がスカった時のフォロー
にもなりそうだし。攻撃範囲は前より狭まっているが、それは剣自
体のリーチで補うしかないな。
というか剣を振り回すより断然楽なので、しばらくはこっちをメ
インの攻撃にしとくか。
俺はツヴァイハンダーを背負い直し、帰路につく。
当たり前だがめちゃくちゃ目立った。すれ違う全員が俺のほうを
見てきている。
正面からでこれなんだから、背中は穴が開くほどジロジロ見られ
てるんだろうな。
175
少し早足で歩いた。
﹁帰ってきたぞ﹂
﹁おかえりなさいませ、シュウト様。お待ちしておりました﹂
ミミが勉強を中断して俺を出迎える。
テーブルの上にはもう既にパンを入れたカゴとチーズが並んでい
た。
﹁わ、大きな武器ですね﹂
俺の背中にあるツヴァイハンダーを興味深そうに眺めるミミ。
﹁きっとシュウト様の冒険に貢献してくれるでしょう﹂
﹁そのために手に入れたもんだからな。ただ、クソ重いんだよな⋮
⋮こいつ﹂
思い返せばカットラスは⋮⋮。
﹁おっと﹂
あぶね、未練がましいことを考えてしまった。
モノに愛着とかなかったほうだったんだけどな。
俺の手を離れたカットラスは今朝から部屋の片隅にポツンと置か
れている。
176
鞘に納まったままのそいつを拾い上げ、じっと見つめる。
出会いは偶然だったか、そういや。
そんなに長い付き合いではなかったが、毎日のように握っていた
せいでグリップ部分は俺の手垢で少々黒ずんでいた。
今まで世話になったな。俺は胸の裏で柄にもないことを呟き、戦
友を壁に飾った。
177
俺、護衛する
さようなら昨日までの俺、こんにちは今日からの自分。
新しい武器を手に入れた俺は朝を迎えるや否や、意気揚々と斡旋
所に乗りこんだ。
大物のこいつにふさわしい仕事を探すとするか。
﹁⋮⋮あれ?﹂
いつもだったら﹁ようこそギルドへ﹂なんて気取った挨拶をされ
るのだが、おっさんは受付の前に立っている男となにやら話しこん
でいる。
ボサボサの灰髪に三白眼が印象的なその男は、俺以上の痩せ細り
方といい薄汚れた格好といい正直浮浪者にしか見えなかった。が、
おっさんとは妙に親密そうである。
﹁おお、シュウトか﹂
ようやく俺に気づいたらしい。
﹁こりゃまた派手な武器を注文したもんだな⋮⋮いやすまない、懐
かしい顔が見えたもんだから昔話に花が咲いてさ。なあ、ジキ?﹂
ジキと呼ばれた男は口元だけで笑って。
178
﹁大して懐かしくもないだろう。半年前に一度戻ってきたばかりだ﹂
﹁そうだったか? 随分間が空いたように思ったがなぁ﹂
置いてけぼりの俺。知ってる奴が知らない奴と喋ってるとなんで
こんなに居心地が悪いんだろうか。
﹁シュウト、紹介しておくよ。こいつはジキ。大陸全土を飛び回っ
てるギルドメンバーだ。この町に定住しなくなってもう二年くらい
か⋮⋮とにかく、そういう自由な奴なんだよ﹂
おっさんの紹介を受けたジキは腕を組んだまま俺に目線をよこす。
野良犬じみた雰囲気の男だ。
﹁よろしくな﹂
﹁お、おう。よろしく﹂
顔をよく見ると俺と同世代であろうことが分かったが、タダモノ
ならぬオーラがある。なんだこの歴戦の猛者感は。ボロボロなだけ
ともいうが。
﹁ん? 各地を飛び回ってるってことは⋮⋮﹂
﹁ああ。ジキはCランクの冒険者だ﹂
なるほど。だとしたらこの強者臭も納得だな。
﹁期待させて悪いが、オレは強くもなんともない。現にオレがここ
を尋ねたのは同行者を雇うためだ。今集まっている奴で一番戦える
奴は誰だ、ってな﹂
179
えっ、弱いのか。
言われてみれば俺より更に軽装だし、武器らしい武器も持ってい
ない。
じゃあなんでCにまでなってんだ。
﹁ジキはうちに登録されている冒険者の中でも指折りの変わり者で
な、調査と採取、あとは捜索依頼だけで地位を固めたんだよ。ほと
んど一人でだ﹂
つまりは、本当の意味での﹃冒険﹄をし続けている男のようだ。
﹁ヒトとモノを探すのに凶器はいらない。オレの身ひとつで十分だ
からな﹂
﹁そりゃそうかも知れないが、要注意の魔物と出くわした時はどう
やって切り抜けてきたんだ?﹂
﹁事前に出現条件を下調べしておけば回避できるし、仮に遭遇して
も罠にかければ逃げられるだけの猶予は確保できる。恐れるような
ことじゃない﹂
無茶苦茶なことを口走っているようにしか聞こえないが、表情が
冗談っぽくないのでどうやらマジらしい。
要するに、こいつはサバイバルの達人ということか。
﹁⋮⋮それにしてもジキ、相方を雇うってことは、またあの密林に
向かうのか?﹂
﹁そうだ。オレが故郷に戻る理由は他にない﹂
﹁まだ調べ足りないだなんて、よくやるよ、本当に﹂
180
﹁どう思ってくれようが構わない。これはオレのライフワークみた
いなものだからな﹂
意味深な内容のやりとりが交わされているが、俺にとってはそれ
以前に。
﹁おい、密林ってなんだよ?﹂
馴染みのない場所名が出てきたのでおっさんに尋ねる。
﹁そういや、シュウトにはまだ話してなかったっけか。ここから南
の方角に進んでいくと広大な密林地帯がある。湖畔よりは近いが、
必要なら野営の準備もしておいたほうがいいな﹂
おっさんは地図を広げて説明する。日帰りには微妙な距離だ。
﹁視界に難があるから注意しとけよ。その上、生息する魔物はこの
地方でもトップクラスに強い﹂
﹁へえ﹂
これまでの経験則に基づけば、強い魔物ほどより多くの硬貨を所
持している。
となれば、俺が次に狩りに出向くべきポイントはそこだな。
﹁強いからこそ、オレは腕のいい奴の協力を求めている﹂
﹁腕がいい、ったってなぁ⋮⋮最近の連中は通行証を出してやった
そばから町を離れるから⋮⋮おっ、そうだ!﹂
おっさんが手をパチンと打つ音がやたらうるさく響く。
181
﹁ジキ、こいつを連れて行け﹂
﹁はあ?﹂
妙案とばかりにおっさんが指名したのは、よりにもよって俺だっ
た。
﹁ほう﹂
よろしくないことにジキもニヤリと笑い、関心を覗かせている。
﹁シュウトはランクこそまだDだが、戦闘力はその器じゃない。き
っと役に立つぞ﹂
﹁待て待て待て、俺の話を聞け!﹂
俺は手と首を同時に振って制する。
﹁前にも言ったけど、俺は単独行動でやってくつもりなんだよ。他
のメンツと冒険だなんてまっぴらごめんだぜ﹂
そうしないとスキルの存在がバレるからな。
﹁俺は一人で戦いたいんだ﹂
この台詞を翻訳すると﹁俺は金貨を独り占めしたいんだ﹂になる。
﹁分かった、シュウト。ならこうしよう。お前が戦闘している間、
オレは一切干渉しない﹂
ジキが妥協案を出す。
182
﹁だからドロップアイテムの折半もなしだ。総取りするといい。た
だし、オレはその間好きに探索させてもらう﹂
いわく、戦闘風景に気を配りもしないから俺の勝手で構わないと
のこと。
﹁報酬は一万Gと、発見できれば成果に応じてレア素材を譲る。つ
まりオレが活動しやすくなればなるほど、シュウトにもうまみがあ
る。悪い話じゃないだろう?﹂
ぐっ、強力な交渉材料を持ってくるな⋮⋮。
ジキの推察どおり、レア素材は俺が常々求めている代物だ。
まあ、一介の冒険者であれば俺に限った話でもないのだろうが。
素材目当てで探索するなら、その筋のプロフェッショナルである
ジキに一任したほうが効率的なのは間違いない。さしづめ魔物担当
俺、採取担当ジキ、といったところか。
﹁なあシュウト、これはチャンスだと考えたほうがいいぞ。用心棒
の仕事もやっておいたほうが今後のためになるからな﹂
おっさんが後押ししてくる。確かに名声を稼ぐのにも適した依頼
ではあるが⋮⋮。
﹁⋮⋮分かった、ついていってやるよ。どうせ密林には俺もそのう
ち行く予定だったしな。その代わり、邪魔はすんなよ﹂
183
俺はリターンの大きさに賭けることにした。
せっかく得られるものが多いっていうのに見過ごすのは惜しい。
異世界の仕組みを分かっていなかった転生直後の俺なら、絶対取
らなかったような選択肢だと自分でも思う。
とにかく金貨がザクザク落ちてくる現場さえ押さえられなければ
セーフのはず⋮⋮即時回収を心がけねば。
﹁そうか、ありがたい!﹂
指を鳴らすジキ。
﹁だが密林にハイキング感覚で向かうわけにはいかない。一度戻っ
て支度を整えてきてくれ。十二時にまたここで落ち合おう﹂
そう指示されて、一旦別れる。
支度といっても、探索道具とテントの用意はジキがすべてやって
くれるとの話なので、俺自身はあまりすることがない。
となると問題になるのは、ミミを連れて行くかどうか。
長旅ではミミの回復魔法はありがたい存在だろう。だがジキの要
望では、可能な限り少ない人員で密林に向かいたいらしい。数が多
いと隠密行動が取りづらいのだそうだ。
﹁名残惜しいが、ここは諦めるしかないな﹂
184
てなわけで、今回はミミは留守番。
代わりといっちゃなんだが魔法屋で﹃初級促進のグリモワール﹄
という魔術書を買っておいた。俺が出払っている間は学習に集中し
てもらうとしよう。
薬の手配をジキがやってくれるそうなので、治療はそれをアテに
するか。
腹ごしらえだけを済ませて、俺はジキと合流した。
﹁じゃあジキは、全然魔物と戦わないのか?﹂
密林までの道すがらにジキと会話をしてみたのだが、衝撃ばかり
だった。
﹁そうだ。依頼の達成条件に含まれていないのであれば、戦う価値
はない。逃げるのが最善だ。そんな暇があったらオレはより広く、
より遠くまで探検する﹂
一応ナイフは装備しているものの、獲物をしとめるというよりは
雑務が主な使い道なのだろう。
俺とは対極に位置する冒険者だ。
﹁それにほとんど野宿って⋮⋮﹂
﹁町に戻る手間がもったいないだろう?﹂
ジキはさも当たり前かのように語る。なるほど、おっさんの言う
185
とおり変人だ。
その割にはジキの荷物がやけに少なく、心配になる。
﹁所持品は必要最低限にまとめるのが長時間探検するコツだ。体に
かかる負荷の差は馬鹿にならない﹂
とはいうが、本当に大丈夫なんだろうか?
まあクソ重い剣を背負ってるせいでへばりかけてる俺が反論でき
るはずもないんだが。
﹁剣、か﹂
ツヴァイハンダーの実戦投入は今回が初。果たしてどのくらいの
破壊力なのやら。
﹁見えてきたぞ﹂
ジキが指差した先を見ると、うっそうと生い茂る密林地帯がそこ
には広がっていた。
⋮⋮なんていうか、完全にジャングルだな、あれ。
186
俺、乱舞する
密林の中は異常な繁殖の仕方をした植物で溢れていた。
当然見通しが悪い。
足場も不安定だ。土が柔らかいせいでちょっと踏んだだけで沈ん
でしまう。けれど他に人が通れるような道はないので、ここを歩い
ていくしかない。
あと湿気が多くてムシムシする。割と薄手の服装をしているのだ
が、暑くてたまらない。
豊かな自然といえば聞こえはいいが、俺からしてみれば終わって
る環境だ。
﹁邪魔なツルは遠慮せず切って進め。あと、余裕があれば目立つ木
に傷をつけてマーキングしておくといい﹂
身軽なジキはナイフ片手にひょいひょい進んでいくが、生憎俺の
得物は重厚長大も甚だしいツヴァイハンダー先生である。ナイフの
ように気軽に扱うことはできない。
﹁ええい、うっとうしい!﹂
俺は目の前に立ちふさがる植物を払いのけながら進んでいった。
﹁待て、シュウト﹂
187
先を行くジキが足を止める。
﹁どうかしたのか?﹂
﹁オレの足元にある植物に注目してみろ﹂
しゃがみこんで白眼がちな目を爛々と輝かせるジキ。俺もそれに
ならって観察してみたが、よくある雑草にしか見えない。
﹁複数の効能がある薬草だ。配合を変えれば傷薬、解毒剤、解熱剤、
あらゆる薬に分化する。これはいいものを見つけたな。摘んでいこ
う、後々役に立つ﹂
﹁別にそんなのに頼らなくたって、普通に市販の薬を使えばいいだ
ろ﹂
﹁何を言っている。オレのモットーは現地調達だ﹂
は?
﹁いや、お前、薬手配するって⋮⋮﹂
﹁だから今しているだろう?﹂
ダメだこいつ、アホだ。
不安さを増す俺とは対照的に、収穫を済ませたジキは満足げな表
情をしている。
もっとも俺は初めて密林に来ているんだから、ベテランであるこ
いつには意見のしようがない。信じるしかないな。無事を。
﹁ストップだ、シュウト﹂
188
またジキが停止する。
人差し指を顔の前に当て、﹁シィー﹂のポーズを作っていた。
﹁今度はなんだよ﹂
﹁耳を澄ませろ。聴こえてこないか?﹂
﹁いや、なんも⋮⋮﹂
ジキは瞼を閉じ、手の平を耳の裏にかざす。俺も真似してみたが
葉っぱが揺れてザアザアいってる音しか聴こえない。
﹁魔物の出没区域だ。ここから先は任せる。おそらく、七メートル
ほど進行方向に歩いていけば自ずと襲いかかってくるだろう。頼む
ぞ﹂
そう言い残してジキは辿ってきたルートを逆走し、脇の草むらに
踏み入っていった。
﹁頼むったって、どこにそんな奴がいるんだよ⋮⋮﹂
全然気配を感じないのに﹁張り切ってこい﹂なんて活を入れられ
ても、イマイチ気分が乗ってこない。
﹁まあ事実で間違いないんなら、俺は俺の仕事をやるだけだけどな﹂
背負った大剣をようやく下ろす。
事前に決めていた俺とジキの役割分担はこうだ。
189
まずジキが魔物を索敵。
そして俺が指示されたポイントで立ち回る。
その間ジキが安全が確認されている箇所を探索する。
俺が粗方魔物を狩り尽くせばジキの活動半径が広がるので、更に
奥へと進んでいけるようになる。
個人行動の積み重ねなのだが、結果的に密林の攻略に繋がってい
るってわけだ。
﹁⋮⋮さて﹂
ジキの監視もなくなったことだし、存分に稼がせてもらうか。
二十歩ほど歩いたところで、両サイドの草陰から何者かが飛び出
してきた。
﹁おっと!﹂
巨大な甲虫が二匹。男らしい一本ヅノが生えている。飛んできた
際に一瞬見えてしまったのだが裏側がとんでもなく気持ち悪かった。
とりあえずツノムシとそれっぽい名前をつけておく。
﹁見た目どおりなら、頑丈そうではあるが⋮⋮﹂
今の俺にはツヴァイハンダーがある。
190
﹁おりゃあ!﹂
まずは剣そのもので攻撃。
振りかぶるのには苦労するものの、刀身にかなりの重量があるか
ら、一度振り下ろしてしまえばオートで加速がつく。
壮絶。
一言で表してしまえばそれだった。
切断なんて生ぬるいもんじゃない。魔物の立場からすれば、一思
いにまっぷたつに斬られていたほうがマシだったろう。
硬い甲殻が弾け飛び、自慢のツノは伝播してきた衝撃だけで粉々
になるという︱︱原型をまったく留めていない惨たらしい残骸にな
ってしまったのだから。
﹁やべぇ⋮⋮﹂
なんつー威力だ。
乾いた笑いがこぼれてくる。
文字どおりの﹁重い一撃﹂だな。
﹁よし、次は﹂
追加効果のほうを試してみる。
191
ツヴァイハンダー本体による攻撃は桁違いの爆発力を誇っている
のだが、予備動作がどうしても長くなりがちだからとっさの事態に
は対応しづらいし、なによりも疲れる。自由自在に繰り出すことが
できないので主軸にはしにくい。
となれば、大地の力を借りるしかなかろう。
俺は地面に切っ先を当てた。
ふかふかで締まりのない土が一気に引き締まり、二メートル級の
鋭いトゲが形成される。
トゲの先端が甲虫の無防備な腹部を勢いよく突き破った。正攻法
で挑むなら、おそらくこの部位が弱点なのだろう。
こちらも一撃だった。運よく急所をつけたがゆえでもあるけど。
その後も何体か昆虫のフォルムをした魔物が湧き出てきたが、そ
のすべてを、これといって特筆するような出来事もなく一蹴した。
﹁つ、強すぎる⋮⋮俺は無敵か?﹂
あっさり片付いてしまったので拍子抜けする俺。
魔物はどいつも三万G前後の資金をドロップした。邪魔者がいな
い間にありがたくいただいておく。
﹁終わったか﹂
﹁ふおっ!?﹂
192
噂をすればなんとやら。ジキはいつの間にか俺の後ろにやってき
ていた。
﹁オレだ、シュウト。無為に大声を出すな。余計に体力を消費する
ぞ﹂
﹁きゅ、急に話しかけるなよ、寿命が縮むだろ。それより、なんで
離れてたのに戦闘終了のタイミングが分かったんだ?﹂
﹁お前の荒れた息遣いが聴こえなくなったからな﹂
真顔で気持ちの悪いことを言ってきた。
よく見てみると、ジキが握っている皮袋には樹皮や草花がいくつ
か詰められている。
﹁また薬草か?﹂
﹁それもあるが、杖や服に用いる素材を採取してきた﹂
﹁お、その話題は俺も気になるな﹂
﹁期待に添える結果ではない。残念ながら希少な物資は見当たらな
かったが、これでも売れば多少の金にはなるだろう。比較的高値で
取引されているものに絞って探したからな﹂
こいつはこいつでしっかりしてやがんな。
﹁それより、大体片付いたみたいだな。結構。奥地を目指すぞ﹂
ジキがまた先頭に立ってどんどん歩いていく。
視界も足元もおぼつかないってのによくやるよ。
若干けだるさを覚えながらも、俺も続く。
193
戦闘より移動のほうが遥かに疲れる。俺は滝のように汗をかいて
いた。薄めたワインをラッパ飲みしながらでないと気力が持たない。
﹁疲れたか? ならこれをやろう。手を貸せ﹂
差し出した俺の指先に置かれたのは、一センチ角の紙片だった。
しっとりと濡れている。
﹁なんだこりゃ?﹂
﹁疲労回復薬に浸しておいたものだ。舌の上に乗せろ。しばらくす
れば効いてくる﹂
それだけ説明してさっさと進むジキ。
﹁舌に乗せたら疲れが吹っ飛ぶって⋮⋮﹂
どうしてもヤバいおクスリを連想してしまうのだが、タブレット
みたいなものだと考え直して口の中に放りこむ。
うわ、あめー。
あとやっぱり薬品っぽい味もする。砂糖でごまかさなかったら到
底口に入れられないとかじゃないだろうな。
まあもらったもんだし、贅沢言わずに舐めさせてもらうか。
俺は効能があることを祈って、先を行くジキのやつれた背中を追
いかけた。
194
俺、宿泊する
視野を緑が占める割合が高くなってきた。
エコだね、なんてのんきなことを言える心の余裕は、今の俺には
ない。
出現する魔物の傾向は、おおむね虫っぽい奴と鳥っぽい奴に二分
できる。
異様に肥大化した虫が重戦車とするなら、色鮮やかな羽を持つ鳥
は爆撃機だ。
﹁あっ、ぶねぇ⋮⋮!﹂
素早い動きで攻め立てる鳥の魔物は、俺に向けて何度も何度も突
進を繰り返してくる。
スピードに意識を割きすぎているのか命中率はカスみたいなもん
なのだが、あのクチバシがまともに当たろうものなら、ベストの加
護を計算に含めても一定の被害は免れないだろう。
ヒヤヒヤさせてくれるよ。
﹁でいやぁっ!﹂
降下してきたところを狙って剣を叩きつける。
195
ツヴァイハンダーは機敏な鳥の脳天をとらえることなく空を切る。
しかし。
俺は焦らず、そのまま刃を地面にまで下ろす。
第二波で表れた追加効果のトゲが、油断する魔物の体を貫いた。
﹁これで何十体目だ?﹂
素材アイテムと金貨を拾いながらも、立て続けに襲いかかってく
る魔物に辟易としてくる俺。
もう既に五、六十万Gは軽く集まっている。卸したての布袋が重
い。
嬉しい悲鳴ではあるが、今回に限ってはジキの動向のほうが気に
なる。
ジキは俺が戦っている間、獣道みたいなところを通って付近を調
べ回っている。何を探しているかは知らないが、よく飽きないな。
﹁掃討できたか、シュウト﹂
﹁おう、バッチリだ﹂
戻ってきたジキに親指を立てる。
﹁そうか。これほど順調に密林を進めたのは初めてだ。礼を言うぞ﹂
﹁そりゃどうも﹂
﹁今日はもう遅い。夜間の探索は危険だ、一度ここに拠点を設ける
としよう﹂
196
やっと休めるのか。
﹁んじゃ、テントを張るか。手伝うぜ﹂ ﹁お前の手を煩わせることはしない﹂
そう言うとジキは慣れた様子で樹木の幹によじのぼり、木々の間
にロープを渡し始めた。
それをもうワンセット。
二本のロープに広げた布を縛りつけて⋮⋮。
﹁寝床ができたぞ﹂
﹁どこが寝床だ!﹂
レジャーシートとそう変わらない簡易さだ。
﹁雨が降ったらどうするんだよ﹂
﹁大丈夫だ。気象の変わる兆候があるようならもう一組作って屋根
にする﹂
﹁そういうことじゃなくてだな⋮⋮﹂
悠然と布の上に座りこむジキは俺の困惑をよそに、枝に小さなカ
ゴをくくりつける作業に集中している。カゴの中にはなにやら灰み
たいな物体が入れられている。
﹁これはオレが調合した魔物避けだ。炙ればここら一帯の魔物が忌
避する臭いを放つ。昼間は奴らも餓えているから遠慮なく寄ってく
るが、活発でない夜間なら十分な効果が望める﹂
197
それだけ説明すると、ジキはさも当たり前のようにゴロンと横に
なった。
マジでここで寝るのか、俺。
おかげで明日に向けてのモチベーションは逆に高まった。二泊は
したくないからな。
が、まずはその前に。
﹁どうした? 早く上がってこい。高所に設営してあるから見晴ら
しもいいぞ﹂
﹁いや、そのだな、ちょっとお花を摘みに⋮⋮﹂
﹁視界が悪い中で不慣れな者が行うのはリスキーだ。それはオレに
任せておけばいい﹂
くっ、なんとなくそんな気はしたが冗談が通じないタイプか⋮⋮。
﹁トイレだよ、でかいほうだ﹂
﹁なにっ!? 本当か!?﹂
なぜかめちゃくちゃ食いついてきた。
﹁よし! なら、あのポイントでしてくるといい。あそこの土には
多くの種が眠っている。栄養価の高い人糞は優れた肥料になるから
な。次に訪れた時には様々な植物が育っていることだろう。シュウ
ト、でかしたぞ! 存分に撒いてくるといい﹂
﹁わ、分かったから、嬉々として人の排泄を語るんじゃない!﹂
198
やっぱこいつ、変人だわ。
非常に心外なことに、寝心地はよかった。
ジキが持参した布はかなり分厚かったのだが、使いこまれている
せいか伸縮性も柔軟性もある。
夜空が木の葉で覆われて見えないのは残念ではあるけども。
﹁晩飯は食わないのか?﹂
空腹を覚えた俺は身を起こしてパンをかじっていたのだが、ジキ
は寝そべったままだ。
﹁オレは一日一食だ。過剰な食料は持ちこんでいない﹂
﹁修行僧かっての⋮⋮ほら、一個やるよ﹂
俺はカバンから塩気のきついプレッツェルを取り出し、仰向けの
ジキの顔の上に置いた。
ジキは顔面にパンを乗せたまま、無表情を崩さず。
﹁お前の分がなくなるぞ。オレに気を遣うことはない﹂
﹁三日分も持ってきてるから、かさばるんだよ。捨てるくらいなら
お前に処分してもらったほうが断然マシだ﹂
﹁確かに三日も要するつもりはないが、万が一がある。シュウトが
管理しておいたほうがいい﹂
﹁いらねぇ。明日で全部終わらせようぜ﹂
199
なるべく早くな、と俺が言うと、ジキはやむを得ずといった面持
ちでパンを口にした。
﹁いいパンだな。オレ好みだ﹂
﹁だろ? 市場でもうまいって評判の店で⋮⋮﹂
﹁そうじゃない。日中の汗で失った塩分を摂取できるから好ましい
んだ﹂
﹁ああ、そうかい﹂
味はどうでもいいらしかった。
食い終わった俺は飲みかけのワインの栓を抜き、残りを一気に飲
み干す。
後はもう寝るだけだな。
とはいえ密林の高温多湿な気候は夜になったところでちっとも変
わらず、下手したら昼間よりも蒸し暑いんじゃなかろうか。
ね、寝苦しい⋮⋮。
﹁よくこんな場所に何度も何度も足を運べるな﹂
﹁どうしても探り当てたいモノがある。達成するまでオレは死ねん﹂
﹁そこまでするって、ここになにがあるんだよ?﹂
尋ねる。
﹁遺跡だ﹂
﹁遺跡?﹂
﹁ここには人々から忘れられた遺跡がある。大陸を渡り歩き、人伝
200
に聞き、数多の文献を読み漁って得た情報だ﹂
﹁それってもしかして、誰も辿り着いたことがない幻の秘境⋮⋮み
たいなやつか?﹂
ミステリー特番でそういうのを見たことがある。大抵ヤラセなの
だが。
﹁かつてはそうだった。しかし現在は違う。オレが以前訪れた際に
発見したからな﹂
﹁な、なんだよ。じゃあ目的達成してるじゃん﹂
ジキは﹁それだけでは不十分だ﹂と答えた。
﹁まだ解き明かしていない真相が残されている。オレは今回仮説を
検証しに来た﹂
﹁動機は分かったけど、にしても遺跡って⋮⋮。そこまで固執する
ようなもんなのか?﹂
﹁性分だ。地元に未解決の謎があって、気にならないわけがないだ
ろう﹂
﹁だったら町に残ればいいじゃんか。いつでも来られるぜ﹂
﹁生憎、オレは見聞を広めている最中でな。同じ土地に留まり続け
るわけにはいかない﹂
﹁どうしてまた﹂
﹁学者になるためだ﹂
俺は思わず咳きこんでしまった。
﹁おかしいか?﹂
﹁い、いや、立派な夢だと思うぞ? ただちょっと、意外だったも
んだから﹂
201
﹁意外か? フィールドワークは基本なんだがな。見識を深めるだ
けでなく、現地に赴いて視察しなければならない。この地方でくす
ぶっていては、それもままならんだろう﹂
ジキはよどみなく話す。
大体把握した。
こいつの言う学者とは一般にイメージされる机とにらめっこする
ようなそれではなく、民俗学者とか考古学者とかその手のだろう。
しかしまあ、この世捨て人っぽい出で立ちから語られる夢がまさ
か学者とは。
﹁お前こそどうなんだ? 冒険者を続けている以上、目指すところ
はあるはずだろう﹂
﹁えっ、俺? 急に言われてもなー⋮⋮﹂
そういや具体的な最終目標みたいなものは決めてないな。
なんとなくで答える。
﹁とりあえず⋮⋮家を買うことかな﹂
﹁家? たったそれだけか﹂
﹁家は家でも、でかい屋敷だ。俺はそこでたくさんの美女をはべら
せて、自由気ままな生活を送る。それが今のところの夢だな﹂
﹁俗だな﹂
﹁うるせぇよ﹂
﹁だが、スケールの大きさは感じる。オレたち冒険者にとって、永
遠の休息というのはそれだけ手の届きづらいものだからな﹂
202
まあ、そりゃそうだろうな。
もし俺に並の金運しかなかったら無謀すぎるし。
﹁どうせなら、王都? だったかの華やかな町に住むのが理想だな。
うむ﹂
﹁オレならフィーに建てる﹂
﹁いつでもここに来られるからか? どんだけ密林マニアなんだよ﹂
﹁それは関係ない。終の住処ににするなら故郷がベターだからだ﹂
﹁へえ﹂
あちこちを飛び回るCランク冒険者にしては意外な回答だった。
﹁妙な愛着だな、渡り鳥のくせして﹂
﹁鳥は帰巣本能が強いからな﹂
その言葉を最後に、眠りについたのかジキは何も語らなくなった。
203
俺、探検する
密林探索二日目。
﹁これで通算⋮⋮えーと⋮⋮もうどうでもいいか﹂
俺は相変わらず、ジキの指示に従って付近の魔物を処理し続けて
いた。
取り回しの難を考えなければ、ツヴァイハンダーの圧倒的な攻撃
力は実に頼もしい。触れた先から獲物を粉微塵に変えていく。
おかげで腐るほど金が貯まった。
﹁ジキ、目的地まではまだなのか?﹂
﹁あと少しだ。一度喉を潤す時間を取ろうか﹂
﹁や、その前にだ﹂
気になる点があった。
戻ってきたジキは一メートル強の木の枝を杖代わりにして握って
いる。
﹁なんだよ、その汚い枝﹂
﹁これは古木の枝だ。レア物を拾ってきた﹂
マジか。普通にゴミだと思った。
204
﹁でもそれ、ただの木じゃん。全然珍しいものには見えないけどな﹂
﹁どの木かは関係ない。古びていることが肝心なんだ﹂
解説するジキ。
﹁古木の枝は折ることでは決して手に入らない。一本の老樹が死に、
朽ち果てて自然に落下したものでなければ実用レベルの魔力は蓄積
されないからだ﹂
﹁へー、こんなボロっちい枝がねぇ⋮⋮﹂
持たせてもらったが水分が完璧に抜けていてびっくりするくらい
軽い。
そのくせまったく折れそうな気配がなく、叩くとカンカンと金属
質な音がする。
なるほど、こりゃそうそうは手に入らなさそうだな。
﹁細々したものはオレの資金源にさせてもらうが、最も長かったこ
れをお前にはやろう﹂
﹁いいのか? ありがたく受け取っちまうぜ?﹂
﹁約束だからな。これだけの尺なら価値も高い。通常、市場に出回
ることはまずないだろう。売りさばくなり加工するなり好きにすれ
ばいい﹂
ふむ、これはいい品をもらったな。
当然売却なんて無意味な使い方はスルー。
そのまま杖に仕立てるのが王道だが、裂いた繊維を服に編みこん
205
でもらうのも悪くない。
が、しかし、長さがあるためカバンには突っこめない。
仕方ないので、逆に枝にカバンをくくりつけて肩にかつぐことに
した。
﹁止まれ、シュウト﹂
先頭のジキが手をかざす。
﹁また魔物か?﹂
﹁ああ。それも大物だ。耳を済ませてみろ﹂
今回は俺にもはっきりと聴こえた。みし、みし、という大地を踏
みしめる足音が。
﹁まず間違いなく、クジャタだろう﹂
﹁なんだそりゃ?﹂
﹁牡牛によく似た魔物だ。要注意指定まではされていないが、凶暴
な魔物で知られている。油断はするなよ﹂
凶暴、というワードに少し尻込みしてしまうものの。
﹁っても、先に進むためには倒すしかねぇからな﹂
俺は一人クジャタの居場所へと忍び寄る。
果たして、そいつは待ち構えていた。
206
体型といい、ツノといい、鼻と口の突き出た面といい、確かに牛
そっくりだった。問題はそれが三周りほどでかく、異常に興奮して
いるというだけで。
気配を察知したクジャタは俺が武器を構えるより先に突進を開始。
⋮⋮速い!
反応が追いつかなかった俺はモロに直撃をくらう。ベストのおか
げで致命傷には至らなかったが、それでもダメージは緩和し切れず、
全身に痛みが走る。
﹁ごほっ⋮⋮!﹂
一瞬呼吸が止まった。ふざけた推進力だ。
﹁バ、バケモンめ﹂
﹁シュウト、こっちだ!﹂
衝突音を耳にしたジキが俺を呼ぶ。
戦闘には干渉しない、というスタンスを貫いていたが、さすがに
窮地を察してそうも言ってられなくなったらしい。
﹁この道を通って逃げてこい、早く!﹂
手招きするジキ。
一太刀も浴びせずに尻尾巻いて逃げられっかよ、とは思うが、こ
こは一旦体勢を整え直したほうがいいだろう。
207
あれだけ強烈なぶちかましをこの身に受けておきながら﹁じゃあ
もう一度﹂と工夫もなしに真正面から挑むのはアホくさいし、痛い
のも勘弁だ。
﹁分かった、一度退く!﹂
後ろからクジャタが追ってくる足音を聴きながらも、俺はジキの
ところへひとまず退避。
それから振り返り、応戦しようとする⋮⋮が。
﹁⋮⋮あれ?﹂
クジャタはなぜか、木と木の間で動きを止めていた。ただ止まっ
ているだけでなく、苦しそうにもがいている。
よく見ればクジャタの馬鹿でかい図体には糸が絡みついていた。
糸は縦横だけでなく、立体的に張り巡らされている。
﹁まさかとは思うが⋮⋮あれがジキが言ってた罠なのか?﹂
﹁他に何がある﹂
どうやら俺がクジャタに向かっていっているうちにひっそりと仕
掛けておいたらしい。にしても、あのサイズの魔物を抑えこめるく
らい周到な罠ってお前。
﹁なるほど、そりゃあんなのに追い回されても逃げられるわな﹂
208
さすがは逃走のプロである。
﹁だが、そう長くは捕まえていられない。一時的な処置に過ぎない。
あの膨大な膂力をもってすれば、すぐにでもすべての糸を引き千切
るだろう。そうなれば奴は自由だ﹂
﹁ならチャンスは今しかないってことか⋮⋮﹂
﹁なにも倒す必要性はない。このまま戦闘から離脱することもでき
るが﹂
逃げる。簡単で魅力的な選択肢ではあるが。
﹁やられっぱなしでいられるかよ。この剣はダテじゃねぇ﹂
と、その前に。
﹁⋮⋮危ないから離れていてくれ﹂
念のためジキに避難を命じておく。
まあ身を案じているとかではなくドロップ品がバレないようにな
んだが。
俺は再び魔物へと接近。身動きの取れないクジャタは、巨躯を誇
っている分狙いやすい的としか呼びようがない。
間近で改めて眺めたクジャタはありえないほど毛深かった。多少
の衝撃なら吸収してしまうだろう。
ま、俺はそんなヤワじゃない。
209
思う存分ツヴァイハンダーの刃を叩きこんでやった。
報奨として五万Gと、焦げ茶色の毛皮をゲット。
この距離なら、ギリギリ背中に隠れて見えていないだろう。金貨
をパパッと拾い上げている間にジキが近づいてくる。
﹁これが噂のクジャタの毛皮か。幾度となく遭遇している魔物だと
いうのに、実際に目にしたのはこれが初だな﹂
﹁毎回逃げてるからだろ﹂
﹁無茶を言うな。オレごときが戦って勝てる相手じゃない。とはい
え他の冒険者を雇った時も討伐までには至らなかったから、シュウ
トが特例なんだろう﹂
﹁お、おう、そうか。その口調で褒められるとムズムズするな﹂
中々レアな一品とのことなので、これも町に戻ったら合成素材に
使ってみるか。
密林のヌシ的存在を撃破した俺とジキは、更に前進。
途中から通路を外れ、生い茂った草むらをかき分けて進んでいく。
﹁こんなところを通らないと着かないのかよ⋮⋮﹂
﹁弱音を吐いている余裕はないぞ、シュウト。踏破は近い。もう一
息だ﹂
そうはいっても、そこらじゅうに伸びている背の高い植物の葉が
俺の頬をかきむしってくるのがウザすぎるんだが。
不平不満は尽きないが、我慢して歩く。
210
やがて。
﹁見えてきたぞ﹂
立ち止まったジキが指を差す。うっすらとだが、口元には達成感
からくる笑みが滲んでいた。
﹁遺跡だ﹂
211
俺、解決する
そこは廃墟と成り果てた神殿だった。
神秘的、というより退廃的な空気が漂っている。
ずらっと並んだ石柱は雑草の侵食を許しており、その上風雨に晒
されて崩壊寸前である。
生えている苔を観察するジキ。
俺は正直この手のスポットにはさほど興味がないので、退屈だ。
﹁そうか⋮⋮やはり⋮⋮﹂
ジキはぶつぶつ呟きながら、つまんだ苔を指先でこねている。
やることもないので、仕方なくその辺を適当にぶらつく俺。
古びた石畳をひとしきり歩いてみた後で、ひび割れた石柱を見上
げる。高さは五メートルくらいか。いくつかは既に倒壊してしまっ
ている
﹁これ、触って大丈夫なのか⋮⋮?﹂
見た目はただの瓦礫なのだが、もしかしたらとんでもなく貴重な
歴史文化財の可能性もある。
212
うーん。
やめとくか。崩れたら責任取れんし。
そうこうしているとやがてジキが俺に、なぜか浮かない表情で問
いかけてきた。
﹁シュウト、この場所はなんだと思う?﹂
﹁なにって、神殿だろ﹂
﹁神殿の建造目的とはなんだ?﹂
﹁そりゃ、あれだろ⋮⋮よくは分からねぇけど⋮⋮神様を祀るとか
なんとか﹂
役割的には神社みたいなもののはず。
﹁ではなぜ神殿をこんな極地に建造する必要があったと思う?﹂
﹁ええ⋮⋮んー、見つからないように?﹂
﹁そうだ。シュウト、やはりお前は冴えている﹂
褒められてしまった。とりあえず喜んでおこう。
﹁深い緑に包まれた密林の中であれば、人目につくことはまずない﹂
﹁いやちょっと待った。先にまず神殿があって、後から植物が生え
てきたとかって可能性はないのか?﹂
﹁それこそがオレの追い求めていた謎の正体だ。だが今日、結論が
出た﹂
苔をかかげながら断言するジキ。
﹁この苔がオレの立てた仮説の裏づけになってくれた﹂
213
﹁ただの苔がか?﹂
﹁オレはこの種類の苔の性質について調べ上げた。これは密林全域
に植生しているものだが、神殿に用いられた石材を覆う苔は他のど
の場所に生えているものよりも年代が浅い﹂
﹁新しいものってことか﹂
﹁順序が逆であればそのようなことは起こりえない。ここから広ま
ったのではなく、ここまで広がってきたと考えるべきだ﹂
よく分からんが、そういうことらしい。
というかこいつ、探索中に採取だけじゃなくて各地の苔の状態も
調べていたのか。随分と気の遠くなる作業をやってたんだな。
﹁信仰を集める施設であるはずなのに、その存在を知らぬ者を遠ざ
けていた。隠れて祀り上げなければならなかった。つまりそれは、
信仰対象が邪神だったがゆえにだろう﹂
﹁へえ。じゃあ神は神でも、悪い神様か﹂
﹁今では見捨てられた廃墟だがな。しかし﹂
ジキは自嘲気味に笑う。
﹁オレが必死になって探し当てた故郷に眠るレガシーが、よりによ
って邪神の居所だなんて、皮肉なものだな﹂
残念がる気持ちは分からないでもない。
どうせなら文化的な遺産のほうがよかっただろうな、とは素人の
俺でも思う。
﹁さて、これでオレの探検は終わりだ。ここに来るのは今後避けた
214
ほうがいい。価値もないし、神が誰からも信仰されなくなった今、
相当鬱屈して狂気を高めていることだろしな﹂
﹁さらっと怖いことを口走るなよ⋮⋮﹂
そう言われると悪霊がいるかのように感じてしまうから恐ろしい。
背筋がぞくりとする。
結局のところこの遺跡は、暴くべきではない場所だったのだろう。
モヤモヤしたものを抱えたまま俺たちは帰還する。最速で密林を
抜けられるルートはジキが完璧に把握していた。
﹁これでオレがこの土地に戻ってくる意味はなくなったな﹂
目的を成し遂げたというのに、その顔はどこか寂しげだった。
ジキはおそらく⋮⋮密林を調査するために戻ってきているという、
生まれ故郷を訪れる口実が欲しかったのだろう。
それがなくなった今、虚無感に襲われているに違いない。
ただでさえ不遇な結果だったというのに。
﹁そう肩を落とすなよ、ジキ﹂
﹁ショックなどない。オレはひとつの謎を解明した。その事実だけ
で十分だ﹂
そう答えるだろうなとは思った。
不都合な仮説が立った段階で、そこから逃れて立証しないでおく
215
という選択も取れたはず。そうしなかったということは、停滞して
はいられないという意志があったからに違いない。
﹁これでオレは縛られることなく世界を回れる。いい餞別になった
よ﹂
故郷を愛する冒険家の言葉は、これ以上ない強がりにしか聞こえ
なかった。
﹁ジキ、シュウト! お前らが無事に帰ってきてくれて何よりだ﹂
斡旋所に報告にいくなり、おっさんがうんうん頷きながら迎えに
出てきた。
﹁無事じゃねぇよ。見ろ、このボロボロさを﹂
泥やら潰れた草木の汁やらで汚れまくっている。さっさと自宅に
帰ってミミに再生魔法をかけてもらわないとな。
一方でジキは衣服の汚れを欠片も気にするそぶりを見せない。
﹁シュウト、約束の分だ﹂
十枚の金貨が俺の手の上に置かれる。
﹁これもらえた時点で、ぶっちゃけどうでもいいけどな、金なんて﹂
俺からしてみればボーナスとして譲ってもらった古木の枝のほう
が大きな収入である。
216
実際、密林の魔物を倒した分だけでも財布の中身が凄いことにな
ってるし。
﹁これでオレの目的と義理は済んだ。また旅を続けなければな﹂
﹁もう行くのか? もう一泊くらいしていけよ。酒の一杯や二杯程
度ならおごるぞ?﹂
名残惜しそうにするおっさん。
だがジキの決意は固く。
﹁宿も結構だが、慣れ親しんだ野宿のほうがよく眠れる。サダ、そ
れからシュウト、しばらく会うことはないだろう。じゃあな﹂
とだけさらりと言い残して斡旋所を去っていった。
おっさんは﹁また来いよ﹂とジキに声をかけて送り出したが、次
にあいつが戻ってくるのは仮にあったとしてもかなり先になるだろ
う。
﹁郷土愛、ねぇ﹂
正直あまりピンとはきていない。
異世界で生きることを女神に頼んだ時点で、俺に今更故郷云々の
しがらみはない。
さっさとランクを上げて他の町にも行けるようにしないとな。
217
それが俺にとっての前進だ。
218
俺、新調する
前進、だなんてポジティブなことを言ったはいいものの、企業戦
士に休息が必要なのと同様に、冒険者にもたまの休暇が必要だ。
ジャングルから帰ってきた翌日に出勤しろだなんて鬼にもほどが
ある。
現代人には癒しと潤いがないとな。
﹁大分お疲れのようですね。お休みになられますか?﹂
と帰宅直後に癒しと潤いの化身であるミミも気遣ってくれたので、
甘えさせてもらうことにした。
いろいろと。
で、その明くる日のこと。
俺は日程をまるっきりオフにして、新たな装備品の作成に着手す
ることに決めた。
もちろん使用素材は密林で獲得した二つの品々である。古木の枝
にクジャタの毛皮。どちらもめったに手に入らない良素材だという。
ジキの置き土産、ありがたく有効活用させてもらうか。
﹁魔法は覚えられたか?﹂
219
﹁回復魔法はもう大丈夫だと思います。ですが、他二冊は⋮⋮﹂
ミミは﹁不勉強ですみません﹂と謝ったが、別に責めるようなこ
とでもない。むしろこの短期間で一冊理解してくれただけでも喜ば
しい成果だ。
となれば古木は防具に使うか⋮⋮ただ、繊維なら短い枝の寄せ集
めでも用意できる。
せっかくの一本モノなんだから立派な杖に昇華させてやりたいと
ころだ。
古木の枝はしばらく保留にしておくとして、次。
﹁毛皮か⋮⋮﹂
濃い茶色が特徴的なクジャタの毛は、やたらモサモサとしている。
羊ほどではないがバッファローのそれでもない。
革をなめすのには時間がかかると口酸っぱく言われたので、紡い
で毛糸にしてもらおうか。
アウターはベストがあれば十分だろう。ごく一般的に流通してる
蜘蛛の服だといい加減キツくなってくるし。そろそろ買い替え時だ
な。
というわけで服を作ってもらうことに決定。
﹁だとしたら、あの工房に行くしかねぇな﹂
220
久々にオカマに頼るとしよう。
裁縫職人のおっさんの店は町のド真ん中にある。
おっさんの腕が評判なのか知らないが店内は大層繁盛していた。
しかも女性客の比率高め。まあこれは男物の防具の主流が鎧だから
というのもある。
﹁デザインがいいからよ﹂
とおっさんはウィンクしてきたが俺はそれを素早く回避。即座に
体勢を立て直す。
﹁それより、たまげるようなものを持ちこんだわねぇ。これ、クジ
ャタのでしょ? 南のジャングルの奥深くまで行かないと出会えな
いはずだけど﹂
﹁やり遂げてきたってことだよ。それよりだな﹂
﹁分かってるわ。これでベストの下に着る服を作ってほしいんでし
ょう﹂
おっさんは俺の委託内容をサクッと言い当てる。
﹁そのベスト、いいものじゃない。着替えるのはもったいないわ﹂
プロの目からすれば良品は一発で見極められるらしい。
﹁服にしてもらいたい、ってのはそうなんだけど、うまくできるの
か? これ、結構硬いぜ?﹂
﹁伸縮性のない素材だけど、ウールのシャツに編みこめば問題ない
221
わ。ズボンも同じね。身体機能を高める魔力があるから薄く軽く仕
上げても効き目はバッチリよ﹂
﹁ほう﹂
﹁ただし、肌触りはちょっと落ちるけどね﹂
多少ゴワゴワするくらいなら許容範囲。貧弱な俺のボディを守っ
てくれることが最優先だ。
俺は正式に服の注文を行う。
﹁それじゃ、寸法を測るわね。一度こっちに来てくれる?﹂
オーダーメイドなのでおっさんに採寸してもらう。一瞬も気が抜
けなかった。
﹁はい、これでサイズチェックはおしまい。後は任せておいて。今
がちょうど十一時だから⋮⋮午後の二時にはできるかしら﹂
ん? 随分早いな。
剣は一本作ってもらうのに二日はかかったのに。
﹁機織機も紡績機も今時は魔力でチョチョイのチョイよ﹂
﹁鍛冶や革細工とは違うんだな﹂
﹁単純に動作スピードを上げるだけだもの。でも最後の仕上げは私
がやらないと細かいニュアンスが出ないから、その分の時間だけち
ょうだい﹂
ふむ。なら全面的におまかせするとするか。
222
手の空いた俺は、これといって目的もなく市場をうろつく。
密林で稼ぎまくったおかげで資金にはかなり余裕がある。
一泊二日のサバイバルで百万G。過酷ではあったけど涎が出そう
になる見返りだ。なんか治験みたいなことをやった記憶もあるが、
百万Gの前では霞む。
﹁なにか、お宝でも転がってねーかなー﹂
謎肉の丸焼きの切り落としを挟んだパンを頬張りながら、手当た
り次第にその辺の店を見て回る俺。ごく稀に掘り出し物が埋もれて
いるかも⋮⋮という淡い希望を抱いて。
ま、そんな都合よくあるわけないんですけどね。
これといった収穫もなく三時間ぶらぶらしたのち、裁縫工房へ。
﹁できたわよ﹂
できていた。
﹁お、おお⋮⋮こいつはすげぇ﹂
まず最初に見せてもらったシャツは、ほんのり色あせた白。大人
の色合いである。
蛍光ブルーの刺繍が腕の部分に施されている。中々カッコよろし
いが原理が謎すぎる。
223
﹁これ、どうやってんの?﹂
﹁クジャタの毛はテンションをかけると青く光るのよ。そこで性質
を固定したの。あとはそのまま刺繍したってわけ﹂
手がこんでるな。
刺繍そのものもかなり緻密で、高級感に溢れている。
一方でズボンは元の毛皮と同じ、焦げ茶色の野性味溢れるデザイ
ンになっている。見るからに頑丈そうだが、いざ試着してみると案
外柔らかい。さすがに蜘蛛糸並とはいわないまでも、支障なく膝の
曲げ伸ばしができる。
﹁上はウール多め、下はクジャタ多めにしたわ。でもその分、シャ
ツは刺繍用の糸で増強してあるから、トータルだとトントンってと
ころかしら﹂
﹁そんな一手間かけなくても、普通に均等にやったんでいいんじゃ
ねぇの?﹂
俺が率直に尋ねると、おっさんはチッチと人差し指を振った。
﹁同じ色味だと面白くないし、染めるのも安直じゃない。自然の色
彩が一番よ、一番﹂
オシャレに仕立てつつ性能も確保。うーむ、職人芸だ。
﹁体温調節の得意なクジャタの毛だから、暑い時は涼しくて、寒い
時は暖かいわよ﹂
﹁そいつは嬉しいオマケだな。重宝させてもらうぜ﹂
224
製作料金の8300Gを支払い、その場で着用する。
これで俺はついに、すべての装備をレアで統一したことになった。
完璧なコーディネートとなった俺は鼻高々に帰宅。
待っていたミミに自慢する。
﹁素敵な召し物ですね。シュウト様によくお似合いです﹂
手を合わせて微笑むミミを目にした俺は、着替えたばかりだとい
うのに無性に装備を解除したい気持ちに襲われる。
勇敢な俺は鎧を脱ぎ捨て剣一本で勝負を挑むことにした。
休みの日にまでフルアーマーなのは野暮ってもんだろう、うん。
225
俺、勧善する
休みすぎると働きたくなくなる病気が発症するので、俺は翌日か
らきちんと斡旋所に足を運んだ。
装備もかなり整ったので、万全の状態で依頼に臨める。付近の探
索をするにあたってはなんの問題点もなくなっていた。
というか攻撃面が強すぎて、新たな防具の真価はまだ発揮できて
いないのだが。
そんなある日のこと。
﹁しっかし、まあ⋮⋮﹂
俺は受付で依頼一覧表を見せてもらいながら、音を上げそうにな
った。
どれもこれもめんどくせー。
バッサバッサ敵を倒すだけで終わり、みたいな依頼はなく、採取
に採掘、調査に運搬、といった単純作業を要求するものばかりだ。
だがこういう仕事をこなさないと俺のランクは上がっていかない
のが実情。
人の評価を金で買うことはできない。一個一個コツコツと達成し
ていく以外に名声を高める手立てはなく、さっさとステップアップ
226
したい俺にとってネックになっていた。
金は天下の回り物、とはいうのに、金で解決できない問題が多す
ぎるわ。
いや、やろうと思えばできなくもない
以前こんなアイディアを考えついたことがある。
たとえば今出ている求人広告だが。
﹃薬草三十個募集! 報酬300G 薬屋店主まで﹄
﹃規定量の鉄鉱石の納品 報酬1000G 製鉄所一同﹄
﹃湖畔にいる仲間に食料を宅配してきてくれ 報酬3000G
とある冒険者A﹄
こんな具合になっている。
ではここで次のような依頼が出たとしよう。
﹃薬草三十個募集! 報酬500G byシュウト﹄
﹃鉄鉱石の納品 報酬1500G byシュウト﹄
﹃湖畔にいる仲間に食料を宅配してきてくれ 報酬4000G
227
byシュウト﹄
どうなるか。当然、同じ仕事内容で給料の高い下に冒険者は飛び
つくだろう。
その間に俺が上記の依頼群を受注する。
要するに、俺の代わりにやってきてもらうわけだ。
冒険者は多めに金をもらえてハッピー。
俺は金を名声に変えられてハッピー。
依頼者は特に問題なく頼みごとが遂行されるからもちろんハッピ
ー。
幸福の連鎖である。
金を犠牲に名声を二重取りするという画期的な手口。この逆中間
搾取とでも呼ぶべきシステムは一見完璧に思える。
が、しかしだ。それは全部が機械処理されているなら、の話。
実際は欠陥しかない。
こんな意味不明な金の使い方をする俺が周りの人間から不審に思
われないはずがないだろう。斡旋所内での地位を高めないといけな
いのに、逆に不信感を抱かれる結果になる。
228
なにより、俺の昇格決定権を持つサダのおっさんに悪印象を持た
れたらすべて終わり。だというのに既にあるものとかぶりまくった
依頼を俺が出し続けたら、いくらなんでも怪しまれる。
重ねて言うが俺は奴隷のミミ以外にはスキルのことを明かしてい
ない。
なんで平気で無駄遣いができるんだ、という話になったら資産家
の息子設定を追加しない限り答えようがないのに、アホみたいなバ
ラ撒きなんてやってる場合じゃない。
結論。
真面目に働け。
﹁シュウト、どれを受ける予定だ?﹂
こっちの思惑を知らないおっさんは﹁好きに選びたまえ﹂とでも
言いたげなニヤケ面をしている。
﹁ええと、そうだな⋮⋮﹂
仕方ない、今日は森に行くついでに薬草採取でお茶を濁すとして
⋮⋮。
その時。
バタン! という盛大な音と共に斡旋所の扉が開いた。
次いで、ドサッ、と力なく倒れこむ音。
229
人だ。傷を負っている。ざわざわという動揺の声が段々と室内に
広がっていく。
﹁ケビン、どうした!?﹂
おっさんが名前を呼びながら慌てて駆け寄った。その様子を見る
限り、倒れた男はここに登録された冒険者であるらしい。
だがその装備は剥ぎ取られていた。
﹁⋮⋮盗賊だ、剣と盾を奪われた﹂
ケビンという男は声を絞り出してそう言った。
﹁ゲホッ、湖畔からの帰りで消耗しているところを襲われた⋮⋮し
くじったぜ﹂
﹁じゃ、じゃあ、強盗ってことか?﹂
傍観していた俺も思わず聞いてしまう。無茶苦茶やりやがるな、
盗賊ってのは。
﹁あ、いや、この傷は湖畔で鳥の魔物にやられたものだ。⋮⋮元々
弱っていたから武器を差し出せと言われても抵抗できなくて﹂
﹁へっ? だったら盗賊にはやられなかったのか?﹂
﹁ああ。刃物で脅されはしたが﹂
﹁金は?﹂
﹁無事だ﹂
なんかキナ臭くなってきたぞ。
230
ケビンの傷はよく見たら、そんなに深手ではなかった。血もとっ
くに止まってるし。
﹁⋮⋮まさかとは思うが、入り口でぶっ倒れたのは腹が減ってたか
らじゃないだろうな﹂
おっさんが指摘すると、ケビンはぎくりとした表情を作る。
﹁し、仕方ないだろ! いつまで経っても食料が送られてこないし
⋮⋮だから帰ろうとしたんだからな! そのせいで運悪く盗賊と出
くわしちゃったしよぉ!﹂
ああ、表にあった宅配依頼の受取先ってこいつだったのか。
あの依頼、人気なさそうだったからな⋮⋮わざわざ遠い湖畔にま
で行きたくないし。
﹁お前なぁ、だったらあんなに派手に倒れるなよ。俺もギルドにい
る連中も余計に心配しちまっただろ﹂
﹁うっ⋮⋮ちょ、ちょっと同情を買いたかったんだよ。俺地味だし
⋮⋮こういう時くらいしか目立つ機会ないし⋮⋮﹂
皆呆れる。俺も。とはいえ、盗みにあったというのは紛れもなく
事実らしい。
﹁まあしかし、大した怪我がなくてよかった。それにしても金も命
も奪われなかったということは⋮⋮賊は賊でも盗賊ギルドの仕業と
見て間違いないな﹂
231
思い悩んだ顔つきをするおっさん。
﹁盗賊ギルド? なんだそれ。ってかそんないかにもやばそうなの
が野放しにされてるのか﹂ ﹁勝手にギルドを名乗ってるだけで認可はされてないけどな。だか
ら横の繋がりなんてものはなくて、各地方ごとにバラバラで存在し
ている﹂
それだけ聞いたらカラーギャングとか暴走族みたいだな。
﹁うちの地方にいる奴らは⋮⋮確か、﹃モノを盗む﹄以外のことは
やらない主義とかだったか。隙をついて武具や貴重品を奪っていく
だけで、それほど暴力的な手段には訴えてこないはず﹂
怪盗かよ。いやどっちかっていうとスリか。
﹁ただ被害が出ていることには変わりないからな⋮⋮天災みたいな
もので、頭痛の種だよ。できることならさっさと解体してやりたい
んだが﹂
﹁ふーん。でもまあ、武器を取られる以外に何もされなかったんだ
からマシじゃないか。今回はツキがなかったと諦めて、また明日か
ら頑張るしかねぇな﹂
俺なりに慰めてみたのだが、当事者であるケビンの怒りはさすが
に収まっていない。
﹁よ、よくなんてあるか! あの剣と盾には俺の三ヶ月分の食費を
注ぎこんでるんだぞ! せっかく奮発していいものを揃えたのにそ
う簡単に諦められるか!﹂
﹁取り返す気か? お前一人で?﹂
232
﹁うっ⋮⋮そ、それはちょっと難しいけども﹂
おっさんの言葉に口籠もるケビン。
﹁そもそも、連中は根城をコロコロ変えているからなぁ。取り返し
に行こうにも今どこにいるかなんて分からないじゃないか﹂
﹁それは足をつかめてる! 去り際に﹃洞窟まで帰ろうぜ∼﹄とご
機嫌で喋ってた奴がいたからな﹂
とんでもないマヌケだなそいつ。よくこれまで悪党やってこれた
な。
﹁洞窟? このあたりで洞窟というと⋮⋮鉱山近くにある縦穴か。
なるほど、あそこは坑廃水が流れ込んでくると噂だから、誰も近寄
らないわな。ちゃんと補修さえしてしまえば身を隠すにはうってつ
けってことか﹂
一人納得するおっさん。
対して、俺はあることを考えていた。
﹁そうか。よし、ケビン。お前今から奪還依頼を出せ。俺がそれを
受けて行ってくる﹂
﹁はあ?﹂ 俺の言葉に、まずおっさんが驚いた。
﹁正気か? シュウト﹂
﹁俺はふざけてなんかいないさ。ってか、そんくらいやらないと俺
はいつまで経っても評価が横ばいのままだろ。たまには同僚の役に
233
も立ってくるぜ﹂
スキルをひた隠しにしている俺は、ここの人間とはほとんど交流
を持っていない。
信頼を勝ち取るなんて行動で示すくらいでしかできないからな。
稀にしか来ないチャンスを逃していたら、いつまで経っても下っ
端のままだ。それに俺の性分的にもコツコツやるより一気に稼げる
ほうが合っている。
﹁急いだほうがいいだろ、ケビン。早く出してくれ﹂
﹁でも報酬が⋮⋮﹂
﹁いらねぇよ。そんなの払うくらいならお前も買い戻すだろ? だ
からいらねぇ﹂
善意でもなんでもなく、マジでいらないからな。
渋々⋮⋮というほどでもないが依頼人となったケビンは形式とし
て10Gだけ報酬を設定し、俺がすぐに受注した。
﹁⋮⋮危険だぞ﹂
﹁分かってるよ﹂
念を押してきたおっさんにそう答えた。
危うい賭けかも知れないが、よくよく考えてみれば、弱った冒険
者しか襲撃できない時点でそんなに戦闘力に長けた集団じゃないだ
ろう。
234
大体強かったら普通に冒険者としてやっていけてるだろ。そう恐
れるもんじゃない、はず。
ま、今の俺はなんといってもフル装備だしな。
﹁そうだ、取り返してくる、とは言ったけど﹂
現場に向かう俺は扉の前で一旦立ち止まり、こう置き台詞を残し
てやった。
﹁別に潰してきてもいいんだろ?﹂
カッコよく決めたつもりだったが、頻出のフラグ発言だったこと
に後から気づいた。
235
俺、懲悪する
俺は単身で窃盗犯グループのアジトへと乗りこんだ。
潜伏任務を行うなら一人のほうがいいだろう。
念のために傷薬をしこたま買いこんでおいたので、フォローも万
端。
﹁さーて、洞窟は⋮⋮﹂
鉱山までの道は行き慣れたものだった。おっさんの話だとこの付
近にあるということなので、山脈に沿って探し歩いてみる。
﹁⋮⋮これか﹂
発見。入り口は小さいが、奥に進むにつれて広がっていっている
のだろう。
で、だ。
なにも俺はここまで無策で来たわけじゃない。
正直言うと人殺しなんて俺にできるわけない。そりゃそうだろ、
一ヶ月前まで俺はどこにでもいる一般人だったんだし。魔物に対し
ては害獣駆除のバイトの時の感覚で大丈夫だったが、悪党とはいえ
人間相手にバーサーカーになれるほど頭のネジは飛んでない。
236
できることなら平和的解決がベスト。適当に力を見せて、向こう
から降伏宣言を引き出すとするか。
そして、交渉材料もある。
結局ここにいる連中がアウトローやってるのは、まともに食って
いけないからだろう。俺はこういう奴らが更正できるように手引き
してやれる。
なぜなら、金があるから。
保釈金も含めてある程度の手配ならしてやれないこともない。
巨大な投資になるが、見返りのためなら仕方ない。組織を解体し、
罪を償わせ、社会復帰させる。こんだけやれば町での俺の評判も上
がるだろう。
ようやく俺のスキル、というか財布が本格的に火を噴く時がきた。
腕が鳴るな。
洞窟の中へと進入する。
真っ暗だ。けれどそれは最初の十メートルほどだけで、奥には明
かりが見える。
ランプが設置されているのだろう。俺はその灯を追う。
﹁止まれ!﹂
灯の近くまで来てやっと視界が開けてきたように感じた時、細長
237
い剣を手にした男が二人、俺の行く手を阻んだ。見張りか。
﹁なんだお前は?﹂
﹁どう見ても不審者だろ。聞くようなことか?﹂
俺がそう答えると、両者共に剣をかかげて襲いかかってきた。
だが俺は落ち着いて剣先で二度地面をつつく。
レアメタルの魔力が発現。突如目の前に突き出てきた土塊に進路
を阻まれた見張り番は、驚きのあまり二人して腰を抜かす。俺はそ
いつらを見下ろしながら。
﹁どいてろ﹂
と言い捨て、へたりこむ二人の間を颯爽と通過した。
やべ、今の俺、めっちゃかっこよかったな。
先へと進むごとに備えつけられたランプの数は多くなっていた。
それに伴い構成員とも接触する回数が増えていったが、俺が一度ツ
ヴァイハンダーを地面に下ろしただけで敵わないと察したのか、最
初の威勢以降は一切かかってこなかった。
こいつらは俺と同じ人間だから魔物と違ってストッパーがかかっ
ている。
話が早くて助かるよ。
﹁盗品はどこにあるんだ? 証拠として押収させてもらうぞ﹂
238
俺は夕方の再放送によくある刑事ドラマの真似をした。
﹁ほ、宝物庫に﹂
﹁宝物庫? もっと奥に行けばいいのか?﹂
コクコクと頷く男に促されるまま、さらに足を進める。というか
長さ的に、そろそろ行き止まりでもおかしくない気がするんだが。
不思議なことに、洞窟内部は奥に近づくにつれて幅が広くなるつ
いでに︱︱内装が絢爛豪華になっていった。
何を言ってるか分からないかも知れないが、直接目にしている俺
自身もよく分かってないので安心してほしい。ランプじゃなくてク
リスタルのシャンデリアが天井に吊られているし、岩肌の床の上に
は真っ赤な絨毯が敷かれている。家財道具も一式完備。それもやた
ら高そうなのを。
﹁意味あんのか、これ﹂
まったくの無駄に見えるが、あえて好意的に解釈するなら単なる
洞穴が住環境っぽくなってはいる。
﹁ん?﹂
その絨毯を遠慮なしに闊歩する俺の視界に飛びこんできたのは、
人影。
刀身の短い剣を携えた誰かが、俺の数メートル先に立っている。
他の連中とは違い、血気盛んな感じではなく、妙に余裕がある。
239
そいつは﹁やあ﹂と軽い調子で声をかけてきた。
﹁ちょっと騒ぎが聴こえたからね。不法侵入だなんてよくないなぁ、
お兄さん﹂
﹁邪魔させてもらってるぜ﹂
俺はそう返した。
どちらからともなく踏み寄る。
目の細い男だった。顔の下半分はバンダナが巻かれて隠されてい
る。
視線で牽制し合いながらゆっくりと近づいていく俺たちだったが、
突然、相手の男がアクセルを入れた。
⋮⋮速い。瞬く間に距離を詰めてくる!
﹁ちょっ、先に裏切ってんじゃねぇよ!﹂
どれだけ強力な装備で身を固めたところで、俺自身の反射神経が
鋭くなっているわけではない。すぐさま反応しろというのは酷な話
だ。
隣接を許す。まだ剣を合わせようともする前に。
素早く、正確な剣捌きで、男は俺の太ももに斬りかかる!
﹁ッ!﹂
240
俺は歯を噛んで耐えようとする⋮⋮が、耐えるほどの痛みは走ら
なかった。
むしろ無痛といっていい。縫い目が少々ほつれただけで、俺もズ
ボンもほとんど傷ついていない。クジャタの毛糸の防御性能たるや。
俺の反撃を受けないよう一旦後ろにステップしていた男も、手応
えのなさにきょとんとしている。
﹁おかしいな、筋が切れるくらいには力を入れたんだけど﹂
さらっと怖い台詞を口にしたが、聞かなかったことにした。
﹁お兄さん、もしかして、強いね?﹂
﹁そう見えるか?﹂
﹁見えなかったなぁ﹂
クスクスとおかしそうに男は言う。俺は若干ムカついたが、実際
俺そのものは全然強くないのでそうした意見もやむなし。
﹁だがな、この剣を握ってる時の俺は別だぜ﹂
再度接近してきた男の前に、長大なトゲを出現させる。絨毯の上
からで大丈夫かとちょっと不安になったが、無事突き破ってきてく
れた。
男は身を逸らして回避。
俺はそれを見て、下ろした刃を闇雲に振り上げた。
241
今度は俺の肩目がけて斬りかかってきた男の剣と、ちょうど鍔迫
り合いのかたちになる。
技量の差を考えればこちらが圧倒されてしかるべき⋮⋮なのだが、
ツヴァイハンダーの質量とチョーカーの筋力補助のおかげで、逆に
俺が押し返す。
﹁このやろっ!﹂
懸命に力をこめてなんとか跳ね飛ばすと、今度は地面を五回叩い
た。
相手に狙いをつけたものではなかった。第一、ハナから殺す気も
ない。
隆起した土の槍が五本、洞窟の天井に向けて雄々しく突き立てら
れる。
地下に潜む悪魔が爪を伸ばしているかのようだった。それは俺の
実力⋮⋮正しくは武器の性能を誇示するには十分な光景であるはず。
俺はそして、精一杯のドヤ顔を作った。
﹁⋮⋮まだやんのか?﹂
威圧する。なんか今日は﹁人生で一度は言ってみたい台詞﹂って
やつを言いまくっている気がする。
ただ、こけおどしだ。
242
はっきり言うが俺に人並み以上の体力はない。ツヴァイハンダー
の攻撃力は凄まじいが、肝心の俺に持続するスタミナが備わってい
ない。
なのでこれまで瞬殺を心がけていたのだがこのままだと分の悪い
持久戦になりそうなので、余力を費やして派手な技を見せ、相手か
ら折れてくれるよう仕向けた。
最早ポーカーのテキサスホールデムの世界である。
内心バックバクだが、どうやら祈りは通じたらしく。
﹁うひー。こりゃちょっと、敵いそうにないかな。参った、参った。
降参だよ﹂
男は大して悔しがる様子もなく握力を緩め、持っていた剣を落と
す。戦闘の意志がないことをアピールしているようだ。
﹁信じねぇぞ。この世界にゃ魔法ってのがあるからな﹂
﹁やだなぁ、お兄さん。俺がそんな高尚なテクを使えるんだったら、
最初からそうしてるさ﹂
ふむ。それは確かに。
﹁俺の武器はこの鋼鉄製のマインゴーシュだけだ。もう何もできな
い﹂
﹁分かった分かった。信じてやるよ。別に俺も取って食いに来たわ
けじゃねぇし﹂
﹁おっ。それは嬉しい話だなぁ。殺されるのだけは俺だって嫌だか
243
らね﹂
﹁そんなことよりだ、質問がある。お前がこの集団の主犯格なのか
?﹂
﹁いや、俺は雇われてるだけさ。宝物庫の前にある部屋⋮⋮部屋っ
ていっていいのかな? とにかく、そこにウチのギルドマスターは
いるよ﹂
そう話しながらバンダナをほどく。口元のだらしない、ニタニタ
とした細面の男だった。どことなく招き猫を思わせる顔をしている。
﹁全部喋るんだな﹂
﹁おしゃべりだってみんなにはよく怒られるよ﹂
まあいい。宝物庫のすぐ近くにいることは把握した。
剣と盾を取り返すついでに話をつけるか。
﹁親玉に会いに行くのかい?﹂
﹁当たり前だろ。俺は交渉しにも来てるんだからな。直接ケリをつ
けないと﹂
﹁じゃあ、あの子が黙ってないなぁ﹂
なんだよ、あの子って。
俺がそう聞き返そうとした瞬間、首筋に不意にひんやりとした感
触を覚えた。
﹁冷たっ⋮⋮!?﹂
その正体が刃物であることはすぐに判明した。
244
︱︱俺の後ろに何かがいる!
245
俺、嘆願する
いつの間に、だなんてテンプレな驚き方をする猶予もなく。
﹁動かないで﹂
俺の耳に聞こえてきた声は女のものだった。
高く澄み切った、しかしまったく人間味の感じられない、無機質
な氷めいた声色。
﹁う、動けるかよ、そもそも⋮⋮﹂
鋭利なダガーナイフが首筋に当たっているのに、変な真似をでき
るわけがない。
﹁話ちげーんだが!? 命は奪わない主義なんじゃなかったのかよ
!?﹂
目の前にいる男に弁明を求めた。
﹁確かに、ウチのギルドの掟じゃコロシは御法度になってる﹂
いつの間にやらバンダナを頭に巻き替えていた男は、相変わらず
のニヤケ面で話す。
﹁でもその子はギルドの一員じゃないからね。あくまでボスが雇っ
てる奴隷だから、ルール無視して私刑執行しちゃっても、まあお咎
246
めはないよね﹂
﹁奴隷だぁ?﹂
刃を当てられたままの俺はできる限界まで首を捻って振り向いて
みる。頭のてっぺんしか見えないが、なるほど、こいつは間違いな
く獣人だ。光沢のある黒髪から猫の耳が生えている。
ミミのように種族固有の特質があるのかも知れない。だとしたら、
音もなく背後に回りこめたのもそれが理由なんだろうか。
﹁動かないでって伝えた。手、滑らせちゃうかも知れないから﹂
猫女が抑揚のない声音でぞっとするようなことを呟いてくる。
こうなってしまったら﹁我、不殺に殉ず﹂なんてぬるいことを言
ってる場合ではないが、俺が剣でどうこうしようにも、それより先
に女のほうがアクションを起こせるのは自明だ。
よって大人しくするしかない。
あ、これ。
過去最大のやばさなのでは。
いくら装備で補強されているとはいえ直に頚動脈をバッサリいか
れたら死ぬに決まってるだろう。
﹁武器を手放して﹂
ぐぐ、これも従うしかないか⋮⋮。
247
ツヴァイハンダーの柄にかけていた両手の指を離す。ズガン、と
いう重量を感じさせる鈍い音を立ててそれは地面に落ちた。
﹁うわ、重たいなぁ。全然持ち上がらないよ﹂
男がそれをひきずるように回収し、壁際に寄せた。背はともかく
体型は俺とそう変わらないから、そりゃ重いだろうな。
﹁ロア。もう脅すのはなしにしてよ。君は自由にふるまえるかも知
れないけど、アジトでコロシが起きちゃった責任を取る覚悟は俺に
はないんでね﹂
ここで俺はようやく解放される。解放、といっても縄で手を縛ら
れた状態で、だが。
ただどうやら俺は、殺されはしないらしい。
首筋を脅かし続けていたナイフは下ろされ、真後ろにいた猫女が
男の隣に並ぶ。
鎖帷子で全身を包んだそいつは、かわいらしい顔立ちをしている
くせにロボットかよってくらい無表情だった。
ミミも表情は乏しいほうだが、あっちがぽやっとしているだけな
のに比べて、こいつは感情が凍りついているかのような冷たい顔つ
きをしている。
猫のような風貌の男と、猫そのものの耳を生やした女。
248
二人揃って俺を見返してきている。
﹁いやあ、お兄さん、怯えさせてごめんね。この子はロアっていう
んだけど、何がなんでもボスの身を守ることを義務づけられてるか
らさ。ちょっと強硬な手段を取りがちなんだ﹂
がち、ってなんだよ。たまに取らないとかあるのか。
﹁あ、ちなみに俺の名前はユイシュンね﹂
﹁そんなことまで平気でバラすんだな、お前。名前とかトップシー
クレットじゃないのか?﹂
﹁教えておいたほうが話しやすいからさ﹂
とらえどころのない男だ。とりあえず人懐っこい性格なことだけ
は分かるけれども。
しばらくの沈黙の後、俺への尋問が始まる。
﹁目的は何﹂
まずロアとかいう女から質問された。
﹁目的って、こんなとこまで来てる時点で大体察しがつくだろ。お
前らが盗んだものを取り返しに来たんだよ﹂
それにだ、と俺は続ける。
﹁別に全員ぶっ殺して無理やり取り返そうだなんてするつもりはな
いし、実際してこなかったぞ。びびらせて道を開けさせたただけで
傷つけてはいねぇ。返してくれさえすりゃそれでよかったんだ﹂
249
﹁うん、それは確かだね。無事を許されたのは俺もだったし﹂
ユイシュンは納得したように頷いている。
﹁でも、あなたは失敗してる。本当だったら死んでた﹂
情け容赦のない言葉を浴びせてくるのは睨みを利かせるロアの側。
﹁ぐっ、そりゃそうなんだが⋮⋮だけどな、ちょっと話を聞いてく
れ﹂
同僚の武器の奪還はこのままだと、しかしまだ交渉材料はある。
﹁さっきも言ったけど、俺はお前らのリーダーに話をつけにきたん
だ﹂
﹁それがダメって言ってる﹂
ナイフの背を叩きながらロアが警戒心を表す。物騒だからやめろ、
そういう仕草。
﹁武器を置いていくんなら、このまま帰してあげてもいいのに﹂
それだけでいいってマジか。あぶねー、下手に出まくって泣きつ
かずに済んでよかったー。
⋮⋮なんて三下みたいなことを漏らして終われるほど、今の俺は
ゴミクズではない。成果主義の異世界での生活を経験して、少しは
考え方もマシになっている。少しは。
俺は粘り強く訴えた。
250
﹁いやお前らにとってもいい話なんだっての! マジで! ヘマや
らかしておいて頼むのもなんだが、とにかく一回会わせてくれ﹂
命が助かったのはもう本当に恐悦至極の限りなのだが、失敗した
ままで帰るのはダサすぎる。
武器も失い、信用も失う。結局最悪じゃねぇか。
面の皮が厚いことは自覚しているが、ここは道理もクソもなく押
し通すしかない。通りさえすれば勝算はある。残された一手で逆転
を狙うしか⋮⋮。
﹁まあ、いいんじゃないかな?﹂
俺の必死さが伝わったのか、ユイシュンが肯定的な態度を示して
くれた。
﹁でも﹂
﹁ボスだって暇してそうだしさ。たまには外の人間と喋らせてあげ
るのもいいじゃないか。今まで俺たちのアジトにまで来るような骨
のある冒険者なんていなかったしね﹂
うおお、ユイシュン、お前はなんて素晴らしい人格の持ち主なん
だ!
いや一目見た瞬間からいい奴そうだなとは思ったんだよ、窃盗犯
やってるのが惜しいくらいに。よく見たらまあまあ男前だし⋮⋮と
俺は心の中でユイシュンへの賛美を送り続ける。
251
ロアは渋り続けるが、﹁主人のため﹂という誘い文句を受けてや
むなく提案を呑んだようだ。
﹁⋮⋮来て﹂
招かれる。当然、両手の自由が奪われたままでだ。
しかし﹁来て﹂と言われたはいいが少し歩いただけで行き止まり
が見えてくる。
﹁なあ、本当にこっちで合ってんのか? 宝物庫もないし⋮⋮﹂
先導するロアが無言で指を差して示す。
指した方向は横。つまり洞窟の壁なのだが。
﹁ああ、そういうことか﹂
そこには横穴が開いており、簡単な門のような木製の設備が取り
つけられていた。
よく見ると反対側の壁にも横穴が穿たれている。そこに詰めこま
れた大量の物資を見る限りだと、こちらはどうやら、件の宝物庫で
あるらしい。
門をくぐらされる俺。
小部屋の中はインテリアが取り揃えられており、一段と豪勢な装
いだった。
252
そこにいたのは︱︱。
﹁まあ。ご来客だなんて珍しいですわ﹂
ふざけた格好の女だった。
253
俺、接続する
ロアが速やかに俺の真横に立ち、おかしな行動が取れないよう警
備につく。
にしても、こいつのどのへんが窃盗団のメンバーなのか。
そうツッコミたくなるくらいの気合の入った着飾り方だ。どこぞ
のいいとこのお嬢様が節目節目の行事に着させられるようなやたら
華美な装飾のドレスをまとっている。ただ色が漆黒なので喪服くら
いにしかロクな用途がなさそうだが、葬式にこんなの着てくる奴が
いたら徳を積んだ坊さんですら不謹慎に噴き出すだろう。
金髪碧眼の顔にしても﹁盗賊﹂という単語から連想される粗野さ
は皆無。俺みたいな根っからのブルーカラーとは違い肌のツヤとキ
メが抜群だ。誠にうるわしゅうございますわ。
落ち着いた品のある表情といい、人種として一個上のランクにい
るような感じがする。
上流階級の娘です、と紹介されたらノータイムで信じるだろう。
なんでこんなとこにこんな場違いな奴がいるんだ?
俺のイメージだと賊っていったらモヒカンなんだが。
いや、待て。
254
主犯に会わせろと頼んでこいつの前に通されたということは⋮⋮。
﹁驚いた? まあそりゃそうだよね、みんな盗賊ギルドをどんな人
が率いてるかなんて知らないし。彼女がウチの設立者、ギルドマス
ターだよ﹂
脇に控えるユイシュンが、くすりと愉快げに笑いながらそう告げ
た。
目を丸くしている俺に、早速そのギルドマスターとやらが話しか
けてくる。
﹁どちら様でしょう?﹂
﹁お、おう、冒険者のシュウトだ。ちょいと話がしたくて来させて
もらったんだけど⋮⋮﹂
こっちが言い切るより先に、あっちがマイペースに自己紹介を述
べてくる。
﹁シュウトさん、ですね。わたくしはこちらの盗賊ギルドの首領を
務めております、エリザベート・マリールイゼ・ヴェルストレンゲ
ンと申しますわ﹂
なげー名前だな。レアモンスターかよ。
俺のセンスに当てはめると通称は金髪ブラックになってしまうわ
けだけども、さすがに面と向かってそうは呼べない。てか、呼んだ
ら多分ロアに殺される。
﹁ちょっと覚えられないから、なにかいい呼び名を教えてくれない
255
か?﹂
﹁ふふ、ではエリザとお呼びくださいませ﹂
﹁んじゃエリザで﹂
俺がそう口にした途端ロアから物凄い量の殺気が発されたので、
若干冷や汗をかく。
落ち着け自分。どっしり構えてないと説得力も持たせられない。
﹁さて、ご用件はいかがなものでしょう。奪い返しにきたのかしら
?﹂
﹁まあそれもある。ってか一番の目的なんだけど、あんたにも話が
あるんだよ﹂
しかもうまい話だ、と俺は追加する。
﹁頼みがある。この組織を解散してくれ﹂
﹁あら、刺激的な申し出ですこと﹂
とんでもなく押しつけがましいことを申し出たのに、なぜか嬉し
そうな面持ちをするエリザ。
微笑んで目を弓なりにすると長い睫毛がますます目立つ。
﹁そのようにおっしゃるからには、何か交換条件があるのですよね
?﹂
﹁もちろんあるさ。出頭した後、俺がある程度は面倒見てやる﹂
俺の言葉に反応を示したのはエリザのみならず、ユイシュンとロ
アもだった。
256
﹁保釈金も何割かは工面してやるし、やり直しに必要な初期費用も
出してやる。悪い申し出じゃないだろうよ。あんたらだっていつま
でも綱渡りの悪党やってける見通しなんてないんだろ? 損害少な
く足を洗うチャンスだぜ﹂
﹁シュウトさんは優しいお方ですのね。それにお金持ちじゃないと
そんなことはできませんわ﹂
﹁金ならあるんだよ、金なら。ただし、保釈金を払ったのが俺だと
は⋮⋮﹂
そう続けようとした矢先⋮⋮エリザは片手で口を押さえて、俺の
生涯で一度も目にかかったことのない冗談みたいに上品な挙措で笑
った。
﹁うふふ、シュウトさんは大変な勘違いをしていますわぁ﹂
﹁な、なにがだよ﹂
﹁わたくしはお金でなんて動きませんわ。もう既に﹃ある﹄んです
もの﹂
さも当然のように答えるエリザ。
﹁んなわけあるか。だったらこんな犯罪でなんて⋮⋮﹂
﹁盗みの稼ぎだけじゃ厳しいのは間違いありませんわ。でも、わた
くしがギルドの皆さんを養わせてあげられるのですから、それでよ
ろしいのですよ。お給料は歩合制ですから、ちゃんと盗みにも行っ
てはもらいますけれど﹂
なに言ってんだこいつ。
理屈が意味不明なので尋ね返そうとするが、隣にいるロアがひっ
257
そりと耳打ちしてきた。
﹁エリザベート様はドルバドルでも有数の資産家のご息女。手紙で
無心するだけで、一度に五百万Gの援助がある。経済的な理由で出
頭できないとかじゃ、ない﹂
な、なんだと⋮⋮。
つまりこいつは、金持ちの道楽で盗賊団の顔役をやっているのか。
盗サーの姫ってか。
﹁なんで家に残らなかったんだ。なんもしなくたっていくらでも贅
沢できたろうに﹂
つーかそれ、俺の理想の生活なんだけど。
﹁だって、お屋敷は退屈ですもの。やることといえば魔術書を学習
するくらいで⋮⋮わたくしは外の世界が見たくてたまりませんでし
たわ。ですからお父様に無理を聞いてもらって、十年の期限つきで
放浪を許していただいたんですのよ﹂
幼い頃からメイドを務めていたロアと一緒にね、とエリザは思い
出深そうに語った。
﹁諸国漫遊の末にこの地方にまで流れてきたんですの。港町があっ
て、海の景色が綺麗な土地ですから、とても気に入りましたわ﹂
﹁だからってやることが盗賊って⋮⋮他にもなにかあっただろ﹂
﹁ふふ、一番刺激的そうだったからですよ﹂
258
ゆるふわな金髪を優雅にかき上げるエリザは、悪びれもせずにそ
う返答する。
﹁親はこのことを知ってるのか?﹂
﹁もちろんご存知ありませんわ。お父様はきっと、わたくしが町で
悠々自適に個人商店でも営んでいると思っておられるでしょうね﹂
むむ、羨ましい⋮⋮じゃなくて。
俺は愕然とした。
アテが外れたのだ。
金を交渉材料に使えるかと踏んでいたのに、その金が既に蓄えら
れている。
普通に雇用形態が成立しているし、これだけ資金があれば俺が介
在するまでもなくアフターサービスがついてくるだろう。
すなわち俺は用無しである。
頭が真っ白になる。秘策が通用しないと判明した途端、俺の強気
はどこかに消え失せた。
﹁それとシュウトさん、同じギルドの方の装備品を返してほしいと
のことですけど﹂
もしかしてお情けでで返却してくれたりするのか、なんて淡い希
望を抱いてみるが。
259
﹁申し訳ありませんけれど、その頼みも受け入れられませんわぁ。
わたくしたちは盗賊ですから、せっかくの戦利品をそんなに易々と
手放したりはできませんもの﹂
ですよね。
落胆する俺をよそに、エリザはくすくすと面白そうに笑っている。
﹁とても興味深いお話をしていただけて楽しく過ごさせていただき
ましたけれど、そういうことですから、お引き取り願えますか?﹂
﹁い、いや、もう少しだけ話を聞いてくれ﹂
食い下がる俺だったが、ロアに制された。
﹁帰れと言われたら、帰る。あと、エリザベート様のことを誰かに
口外したら、許さないから﹂
﹁分かってる、言わねぇ、言わねぇからさ﹂
どうする俺。このままなんの成果もなく、その上ツヴァイハンダ
ーまで失って帰るのか。
せめて武器だけは取り返せはしないものか。
地獄の沙汰も金次第。なにか⋮⋮手段は⋮⋮。
⋮⋮あっ。あった。
﹁よし、分かった。だったら⋮⋮﹂
し、しかしこのやり方は⋮⋮とはいえそれしか方法がない。
260
﹁盗んだ武器を売ってくれ!﹂
俺がそう口にすると、しばらく居心地の悪い沈黙が流れた。突然
空気の読めない発言をしてしまった時のあれみたいな。
ユイシュンが﹁なるほど!﹂とばかりに手の平を打ったことで、
その静けさは破られる。
﹁うーん、お兄さん、うまい交渉をしてくるねぇ。盗品を横流しす
るのも楽じゃないから、俺たちからしても買ってくれるっていうん
ならすぐに買ってもらいたいところなんだよね﹂
どうやら願ってもない申し出だったらしい。
エリザも満更でもなさそうな顔をしている。唯一ロアだけが俺を
めっちゃ蔑んだ目で睨んでいて、中々くるものがある。
﹁ユイシュン、いくらくらいになる?﹂
﹁同僚さんの剣の相場が二万前後、盾が一万と少しってところだろ
うから⋮⋮六掛けで一万と8000G。この額なら喜んで売るよ﹂
そのくらいなら余裕で払える。問題は俺のツヴァイハンダーなの
だが。
﹁ですが、シュウトさんの武器は売れませんわ。これは質とさせて
いただきます﹂
ぐぐぐ、だとは思ったけど⋮⋮ここは涙を飲んで一時の別れを告
げるしかあるまい。
261
俺は剣と盾の分だけを支払い、宝物庫から持ってきてもらった。
屈辱極まりない。なにが屈辱って、客観視すると本来の俺らしい
行動に見えてしまうからだ。なんかしっくりきてしまっている。
クソッ、もう泥なんかすすってらんねぇってのに。
﹁大変有益な取引でしたわ。またお会いしたく願っています、ごき
げんよう﹂
悪意は一切ないのだろうが、微笑を浮かべるエリザの別れの挨拶
は今の俺には相当応えた。
洞窟の外までユイシュンとロアに連れて行かれ、そこで縄を解か
れる。
﹁はい、剣と盾。約束だからね﹂
﹁こんな雑な引き渡し方でいいのか? これ持った瞬間俺が暴れ出
したらどうするんだよ。それに帰った後で俺が言いふらさない保証
はないぞ﹂
﹁そんなことがないように、今からこれを付けるのさ﹂
言いながら、ユイシュンは俺のチョーカーをの位置を少し下にず
らす。
追加で首にはめられたのは銀の輪っかだった。
﹁な、なんだこれは?﹂
262
まったく伸び縮みしないからチョーカーと違ってきつい。金属製
だから当たり前だが。
﹁服従の首輪だよ。これをつけている限り、お兄さんはオレたちに
敵対的な行動は取れない。もしそうしようとしたら、身体に規制が
かかるようになってるからね﹂
試しに俺を殴ってごらん、と言ってユイシュンは自分の顔を指差
した。
やれ、と指示されたので、仕方なく殴ろうとするも。
﹁⋮⋮がっ、ぐ⋮⋮?﹂
腕が上がらない。誰かに無理やり押さえつけられているかのよう
に。
﹁危害を加えようとしたら筋肉が急激に萎縮するし、口外しようと
すると喉が詰まる。凄いでしょ? 正規には流通してないよ。まあ、
こんなのがあるのもウチのボスの経済力のおかげだけどさ﹂
ふ、ふざけやがって⋮⋮。殺人はしないが法律ギリギリのことは
やってくるんだな。
﹁ボスはお人好しだから、口約束で大丈夫だと考えてるけどね。で
も俺とロアはそうはいかない。汚れ仕事は俺たちの役目だよ。俺な
んか給料のほとんどをこの手のアイテムに注ぎこんでるし。契約期
間は一ヶ月しか持たないけど、その頃には俺たちも拠点を変えてる
からさ﹂
263
確かめる手段がなくなるから、俺の証言の効力も切れるってこと
か。
﹁ギルドの人たちには、交渉のパイプが結べたから盗賊のことは全
部俺に任せておけばいい、とでも伝えておいてよ。じゃあね。また
すぐに会うことになるかも知れないな、お兄さんとは﹂
まったくだよ。
一ヶ月も待ってられるか。すぐにでも納得させてこの首輪を外さ
せてやる。
ツヴァイハンダーを担保に取られてるんだから、いつか必ず奪い
返しに来るからな。
その野望と共に帰路につく俺。一応形の上では装備品は取り戻せ
たので、事情さえ明かさなければ依頼は成功、ということになるだ
ろう。
予定とは違うが、金でなんとかなりはした。
ああ、でも、これって。
反社会勢力への関与、ってやつじゃないのか⋮⋮?
264
俺、激白する
あの苦い経験から一週間が過ぎた。
﹁シュウト、またお前に依頼が舞いこんでるぞ﹂
斡旋所を訪れた俺におっさんが提示してきたのは、思わず﹁また
これか﹂とため息を吐いてしまうような内容だった。
過去に盗まれたものを取り返してくれ︱︱。
俺があの日ケビンの装備品を持ち帰ったことから、この手の依頼
が毎日のように来るようになった。
おまけに俺が連中と交渉ラインを持てたと説明せざるを得なかっ
たために、どいつもこいつも穏便に解決されてるものだと思ってい
る。実際には下取りしているだけなのだが。
そのせいで﹃ネゴシエイター﹄とかいうありがたくない称号を最
近与えられた。
いらねぇ。
﹁この調子だと大きないさかいなく盗賊ギルドの解体までこぎつけ
られるかも知れんなぁ。いやまさか、シュウトに説得の才能があっ
たとは思わなかったよ﹂
おっさんはのんきにそんなことを言うが、俺には苦笑しかできな
265
い。
ただ真相を明かそうにも、ユイシュンに取りつけられた服従の首
輪が枷になる。
よっぽどレアな代物なのか、もしくは一般人には知りえない道具
なのか⋮⋮おそらく、その両方なのだろうとは思うが、この首輪に
対して違和感を持たれることはなかった。
無駄にシルバーでオシャレな外観をしているのがよくない。もっ
と首輪首輪しとけよ、
﹁⋮⋮行ってくるよ﹂
窃盗団の件は俺に一任されてしまっている。出た依頼をすべて受
け、出立した。
だが奴らのところに通い詰めるのは不利益ばかりではない。
今回に関しては生来だらしのない性分の俺も珍しく燃えている。
俺はまだ諦めていないからな。
自分のケツくらい自分で拭いてやる。
洞窟の前にはユイシュンが一人で立っていた。
﹁お兄さん、待っていたよ﹂
266
笑みを絶やさない人当たりのいい表情も、今となってはうさんく
ささしかない。
聞かされた身の上話だと、元々はCランクの冒険者として活動し
ていたらしい。旅の途中でエリザに用心棒として雇われ、そのまま
付き添っているとのこと。
他の盗賊とは比べ物にならないくらい武芸が達者なのも納得か。
﹁今日も買取に来てくれたのかな? 嬉しいね、それじゃ、中に入
ってよ﹂
ランプの明かりが満たされ始めたあたりで、ユイシュンは案内役
をロアにバトンタッチする。
臨戦態勢でないロアはメイド服を着ていた。ひどく無愛想な顔で。
﹁そのまま、まっすぐ歩いて﹂ ﹁分かってるっての⋮⋮﹂
こいつらに制定された俺がこのアジトに入るための条件は、武器
を持参しないこと、そして常に監視がついていることの二つ。
完全に丸腰だが、危害を加えられる兆候はなかった。なぜなら。
﹁おっ、シュウトさんだ﹂
﹁へへっ、毎度お世話になっておりやす﹂
﹁うるせぇ﹂
アジト内部を歩くたびにヒャッハーな風体をした盗賊どもが手を
267
揉みながら寄ってくる。俺のやっていることは要するに闇商人なの
で、ここの連中からは一目置かれていた。
というか、結果だけ見れば俺は名声を金で買えていることになる。
それは俺が望み続けた最高の逆錬金術ではあるが、こいつらの活動
資金になっているのは不本意だ。
いいように扱われている⋮⋮のだが、デメリットだけかといえば
そうでもない。
ロアいわく﹁主人の退屈しのぎ﹂とのことだが、エリザとの面会
の時間は与えられていた。
身から出た錆じゃないけど、交渉するパイプが繋がっているのは
本当だ。
ここで踏ん張るしかないのだが⋮⋮。
﹁うふふ、無理ですわ﹂
小部屋で瀟洒に紅茶を飲むエリザは今日も俺の解散勧告を一蹴し
た。
﹁シュウトさんとのお喋りはとても楽しいですけど、その申し出だ
けはお断りさせていただきます﹂
﹁頼むから盗賊団なんてやめてくれよ。そんだけ金があるなら普通
に暮らしていけっての﹂
﹁普通の暮らしは刺激的じゃないですもの﹂
世間知らずの馬鹿女め、と俺は心の奥で悪態をついた。
268
俺の釈放を口約束で済ませたことといい、殺人を禁止するルール
を設けたり、服従の首輪を﹁素敵なアクセサリーですわね﹂と勘違
いしたりなど、およそ窃盗グループの主犯らしからぬのほほんとし
た行動ばかりが目立つ。
趣味で悪党をやりたがる時点でなんとなく分かるが、そもそも罪
の意識自体薄いのだろう。
ロアから教わった話では、こいつ自身の手で盗みを働いたことは
ないそうだしな。ただただ﹁盗賊団の首領﹂というアウトローな肩
書きに陶酔しているようだ。
浮世離れしすぎていて感覚が常人とは異なっているに違いない。
俺はスキルによって得た金で難局を切り抜けてきたが、今回、つ
いにそれが通じない相手が現れている。リアルチートの持ち主、エ
リザベートなんとか。この道楽娘を観念させなければ俺の気が済ま
ない。
財力関係なくエリザを従わせる方法⋮⋮いや、ある。あるにはあ
るのだ。
エリザが俺になびけばいい。
つまり俺は、こいつを籠絡させるしかない。
しかしどうやってだ?
とんでもない難問だ。
269
歴戦のジゴロなら楽勝かも知れないが俺である。繰り返すが、俺
である。
俺は特別イケメンでもなければ、流行の細マッチョとかいうので
もなく、出が裕福じゃないのはもちろんのこと、高身長も高学歴も
持ち合わせていない。
悲しさしかないプロフィールだが、﹁配られたカードで勝負する
しかない﹂というこれまで幾度となく俺を勇気づけてくれた格言が
あるので、希望は捨てない。
まあ配られたカードで勝負した結果が、転生初日の玉砕なんだが。
﹁エリザ﹂
﹁なんでしょう?﹂
俺はエリザのサファイアめいた瞳を見る。
ここで突然、好きだ! とか言い出したら、確定で頭のおかしい
人間扱いで終了だろう。
好感度を上げてくれ⋮⋮ゲームかっての。俺を気に入ってくださ
いとでも言えばいいのか? どんな要求だ。新入社員でももうちょ
いまともなゴマのすり方をするだろ。
こうなんか、ほのめかす程度で⋮⋮急に距離を縮めすぎないよう
な⋮⋮。
あれこれと口説き文句を思い悩んでいた時。
270
﹁なにやら、騒がしいですわねぇ﹂
慌しい足音が聴こえてきた。密閉された洞窟の中だからかよく響
く。
﹁た、大変だ!﹂
現れたのは、珍しく余裕がない様子のユイシュンだった。
糸のような目を限界まで見開いている。
﹁どうなさいました? アフタヌーンティーの時間はまだまだ残っ
ているはずですよ﹂
﹁この洞窟に来た時、最初に大きなヒビを埋めたのを覚えてる?﹂
﹁坑廃水が漏れてきていたところですよね。もちろん覚えています
わ﹂
﹁それが、決壊してて﹂
廃水が流入してくるだけでそんなに慌てるようなことか? と会
話を傍聴する俺は感じたが、どうやらそうではないらしく。
﹁穴は自然にじゃなく、無理やりこじ開けられたんだ⋮⋮魔物だよ
!﹂
﹁なんですって!?﹂
動転した声を上げるエリザ。
ユイシュンは続ける。
271
﹁かなり強そうな奴だ。今は全身が出てきてるから、完全に道をふ
さいでしまってる。のんびりなんてしてる暇ないよ!﹂
その瞬間、張り詰めた表情のロアが人目もはばからずメイド服を
脱ぎ捨てた。
俺は思いがけず眼福にありつくが、ロアは気にするそぶりもなく、
即座に壁にかけてあった鎖帷子を着こんでナイフを手に取ると、猛
ダッシュで駆けていく。
﹁俺もまた向かわないと⋮⋮クソッ、他の連中が逃げ出してなきゃ、
もうちょいやりようがあったのに⋮⋮﹂
﹁逃げた?﹂
質問を出したのはエリザではなく俺からだった。
﹁そうだ! あいつらは入り口に向かって走っていったんだ、奥に
はボスがいるのに!﹂
ユイシュンは味方に対する怒りで肩を震わせている。こいつとは
ムカつく腐れ縁で一週間ほぼ毎日顔を合わせているが、こんなに感
情的になっているところを見るのは初めてだ。
多分だが、下っ端たちは魔物相手の戦闘経験がないのだろう。あ
いつらは俺からスキルを引き算したようなもんだし。そりゃびびる
わな。
﹁なんでお前は逃げなかったんだよ﹂
﹁そんなのボスを置いていけないからに決まってるだろ!﹂
272
お? こいつのこの感じ⋮⋮。
だがそれを指摘するより先に、ユイシュンは出現したという魔物
の下に戻っていった。
﹁ど、どうしましょう⋮⋮﹂
魔物に急襲されたことと部下に見捨てられたことの両方の恐怖で、
エリザはガタガタと小刻みに震えている。
﹁どうもこうもないだろ﹂
別にこいつらが魔物に襲われようが関係のない俺には知ったこと
ではない。
だがこれは、恩を売るチャンスなのでは?
助けてもらっておきながら俺を邪険に扱うことはできないだろう。
﹁死んでたよりマシだろ?﹂とでも爽やかに言い放ってやればいい。
俺は打算的な考え方だけは得意だ。
あいつらの武器はリーチが短い。何をしでかすか分からないバケ
モノを相手にするなら、俺のほうが断然向いている。
それに俺自身もこの場にいるせいで魔物の脅威に晒されている。
どうせ洞窟を出ようと思ったらそいつとすれ違わなければならない
んだし。
﹁エリザ、剣を返せ﹂
﹁剣ですか? あの大きな⋮⋮﹂
273
﹁嫌だって言われても、取り返させてもらうからな。もう監視とか
いねぇし﹂
俺はエリザの部屋の真向かいにある宝物庫に立ち入り、寝転がっ
ていた相棒を奪還する。
黄金色に輝くツヴァイハンダー。
久々に持つこいつは、肩腰膝にずしりとくるな⋮⋮。
﹁ひっ、そ、それで、わたくしを斬首するおつもりなのですか⋮⋮
?﹂
怯えるエリザだったが、俺は首を水平に振って否定した。
﹁んな火事場泥棒みたいなことするか。俺も戦ってくるんだよ﹂
大体、したくても首輪があるからできないしな。まあハナからや
る気もないが。
﹁ついでに助けてやるって言ってるんだ。あんたらをだぞ? 俺を
こんな目にあわせてくれているな﹂
釈然としないが、でかい目的のためなら仕方ない。
これは失態をしでかした俺のケジメみたいなもんだ。
無闇に人の血が見たいわけでもないしな。俺は平和主義者だ。
﹁ここで待ってろ、絶対動くなよ﹂
274
そう伝えて小部屋を去ろうとすると、エリザが戸惑いがちに尋ね
てくる。
﹁どうして無関係の、いえ、それどころかわたくしのために⋮⋮?
それが冒険者の本分なのでしょうか?﹂
﹁違う﹂
急いでいた俺は思考を介すことなく、それまでずっと頭に浮かべ
ていたことをそのまま口に出して答える。
﹁お前に惚れられたいからだ﹂
⋮⋮ん?
声にしてから気づく。
待て待て待て。俺はこんなストレートな物言いをする予定じゃな
かったんだが。
﹁⋮⋮それは、どういう意味なのでしょう?﹂
しかもなんか、エリザも脳天貫かれたような惚けた顔してるし。
﹁い、いや、深い意味なんか別にない。ていうかなかったことにし
てくれ。忘れろ!﹂
俺はそれだけ言い残して、魔物の暴れる現場へと一目散に向かっ
た。
275
俺、挽回する
洞窟中腹では既に戦闘が始まっていた。
都合の悪いことに、劣勢だ。特にナイフを武器にするロアは攻め
あぐねている。
そりゃそうだろう。出現している魔物は固体と液体の中間といっ
た感じの、核を持つゼリー状の生命体だったんだから。
二メートルほどの高さがある。形は潰れているから、道幅全体に
広がっている。
廃水を吸っているからか色がドス黒い。ヘドロがのたうちまわっ
ているようで不気味だ。
﹁お兄さん、なんで来たんだよ。俺たちの問題なのにさ﹂
﹁勘違いしてんじゃねーよ。俺が百パーセントの善意でなんか動く
か。お前らの問題だから俺がやるんだよ。教えとくけど、こういう
の情けは人のためならずっていうんだからな﹂
マインゴーシュとかいったか、ユイシュンの手にしている短剣も
ブラックゼリー︵俺の中での俗称︶を相手にするには不十分だろう
⋮⋮ってか⋮⋮。
﹁お前、なんだよその手は﹂
柄を握るユイシュンの右腕は、袖が溶け、皮膚がただれてしまっ
276
ていた。よく見れば手だけでなく、足にも傷を負っている。立って
いるのがやっとといったところか。
﹁こいつ、強い酸を持っているみたいでね⋮⋮ちょっと攻撃しただ
けでこうさ﹂
﹁お前ら向けの相手じゃないだろ。下がるか逃げるかどっちかした
ほうがいい﹂
俺は長尺のツヴァイハンダーを構える。
﹁でも﹂
困ったような面持ちでロアが俺を見る。
﹁もうあんなヘマはしねぇよ。魔物相手なら俺⋮⋮というか剣の本
気が出せるんだ。この場だけは大人しく言うことを聞いてくれ、頼
む﹂
強引に言って説得すると。
﹁わ、分かった﹂
元よりロクに戦う手立てのなかったロアはユイシュンに肩を貸し、
奥へと引き下がっていった。
﹁⋮⋮さあて﹂
俺は魔物と対峙する。
でかくて気持ち悪く、正直こんなのを相手にはしたくないのだが、
277
やるしかない。
幸い、動きは非常にスローだ。たまに地を這う触手をのばしてく
るだけで、俺の動体視力でも余裕でかわせる。
後は酸性だというボディへの対処だな。まあこれは、いつものに
頼るとするか。 ﹁おらっ!﹂
遠慮はいらない。俺は勢いよく剣の切っ先で地面を叩く。
俺の呼びかけに応じて、大地が隆起する!
鋭く尖った土塊がブラックゼリーの一部分を下から貫く。
﹁ひっさびさだな、この感覚⋮⋮﹂
手の平に伝わる重量感、砂埃の臭い、地面を吐き破る轟音。一週
間しか経ってないのに随分と懐かしい。 その後も剣の追加効果を連打。
鍛えていない俺と比べてさえ相手のほうが動きが遥かに緩慢だか
ら、手数は稼げている。
ただし、決定打はない。
剣に宿った魔力による攻撃では、さほど大きなダメージは与えら
れていないらしい。
278
こういうのって、あれか。ゲームとかにはよく設定されてるが、
物理耐性より魔法耐性のほうが高い、とかなのか。
となれば、直接剣で斬りつけるのがベストなのだが⋮⋮。
このツヴァイハンダーに用いられている金属は希少度の極めて高
いレアメタル。
雑に使うには躊躇する一品だ。
とはいえ、ぶっちゃけると、払えなくはない。単に俺の愛着の問
題なだけで。
﹁すまん、帰ったら直してやっから!﹂
俺は二十二万Gを、魔物のゲル状の肉体へと叩きこんだ。
目を見張る効果があった。切断というよりは、衝撃のかかったポ
イントからパアンと弾け飛ぶように、ブラックゼリーの肉体は砕け
る。
﹁う、うおおおお!?﹂
飛んできた断片から顔を守る。レザーベストとクジャタの服の重
ね着のおかげで俺自身に影響はなかったものの、衣装のところどこ
ろが焼けてしまった。
俺の受けた被害といえばそのくらいだが、一方の魔物は露骨に苦
しんでいる。
279
こいつはやはり斬撃に対しては極端に脆い。だからこそ強酸でそ
の弱点をカバーしているのだろう。
俺はなおも続行。二度、三度、思い切り大剣を振り下ろし、魔物
の水分保有量を減らし本体を縮小させていく。
やはりこいつの破壊力は癖になる。この有無を言わさぬ力で捻じ
伏せてる感じがたまらんな。
魔物はあっという間に五十センチ程度のサイズになった。
だが、ツヴァイハンダーの美しい刀身は段々と腐食していって⋮
⋮。
﹁リペア!﹂
⋮⋮るところで進行は止まり、ある程度の状態まで修復された。
もちろんミミはいない。となれば、ここで魔法を使えるのは一人
しかいない。
﹁大丈夫ですか、シュウトさん﹂
黒のドレスが揺れている。いてもたってもいられず様子を見に来
たらしいエリザだ。
﹁ま、魔物が⋮⋮でも、随分と弱っておりますわ。シュウトさんが
おやられになったのですね﹂
﹁あんたな⋮⋮来るなって忠告しておいただろ﹂
280
剣を補強してもらえたのはありがたいが、別に今でなくてもでき
る。完全に消滅しない限りは剣としての機能は失われないし。
むしろ俺としては、トドメの一撃が入れづらくてもにょもにょす
るんだけど。
﹁ユイシュンさんの治療をした後、心配で⋮⋮それに﹂
エリザは唇をぎゅっと結んでから言った。
﹁先ほどのお言葉の真意をうかがいたくて﹂
﹁は?﹂
さっきの言葉って⋮⋮あ⋮⋮アレか。
﹁頼む、忘れてくれ﹂
﹁そうしようにも、できませんわ。あれからわたくしの胸を、今も
きつく締めつけ続けているんですもの﹂
どういうわけか感動的な表情をしている。俺はこういう瞳をした
子供をデパートの屋上で着ぐるみショーのバイトをした時に山ほど
見たことがある。
そんなくだらないことを考えている場合じゃない。
﹁いいから、ここは俺に任せて下がっていろ﹂
﹁シュウトさん、わたくしを気遣って⋮⋮﹂
ちげーよ。金貨が激増してるところを見られたくないんだよ。
281
﹁早く部屋に戻れ。こいつが息を吹き返さないとは限らないんだか
らさ﹂
﹁分かりましたわ、無事をお祈りいたします﹂
やっと下がってくれた。
﹁⋮⋮ハァ、ハァ、行ったか⋮⋮﹂
無駄に疲れさせられたな。さっさと終わらせておくか。
俺は小さくなった魔物にトドメを見舞う。
ややボロくなったツヴァイハンダーを盛大に突き立て、その中心
にある核を破壊した。
山積みの金貨と砕けた核がドロップされる。当然急いで回収し、
痕跡を隠滅。
今回のMVPは、首に巻いてるチョーカーだな。俺以外にツヴァ
イハンダーを扱える奴がいないというシチュエーションは中々劇的
な演出になった。
すべてを終えられたことを報告しに、奥の部屋へと戻る。
﹁⋮⋮倒したの?﹂
扉近辺にいたロアが信じられないというような顔をする。こいつ
の中では俺に対して弱々しいイメージを持っていたらしいが、自分
がまったく歯が立たなかったブラックゼリーを倒してきたことで、
282
評価を改めたらしい。
俺はスカートを抱えてしゃがみこんでいる放蕩娘を見下ろす。
﹁あんたも理解しただろ。あんな上司のピンチに逃げ出すような連
中を率いてまで、盗賊団やる価値ないって﹂
最後まで忠誠心があったのはこの二人だけだ。あとは烏合の衆に
過ぎない。
﹁もういいだろ。奴らが帰ってきたとして、また盗賊ごっこやるの
か? 今回は死ぬよりはマシだと思って、考え方を悔い改めてだな
⋮⋮﹂
﹁⋮⋮分かりましたわ﹂
そう言うとエリザは、部屋にかけてあった旗を外す。
﹁これがわたくしたちのギルドのギルドマークですわ﹂
シンプルにした薔薇のような模様が描かれている。
なんだそれ。社章みたいなもんと考えていいのか?
﹁これを、解散の証として冒険者ギルドまで持っていってください
な﹂
﹁おっ、じゃあ!﹂
﹁わたくしは恩人であるシュウトさんの要求を呑みます。今日をも
って盗賊ギルドは解体しますわ。自警団に出頭し、罪を白状するこ
とにします﹂
283
エリザの発言にユイシュンとロアも当然驚く⋮⋮かと思えば、案
外冷静だった。
なんかそういうリアクション見るとこいつらの苦労が伝わるな。
何回もこういう思いつきの行動があったんだろう。
﹁ボス、本当にそれでいいのかい? いや俺たちは別に構わないけ
どさ﹂
﹁ええ、だって⋮⋮﹂
そこでエリザは、なぜか頬を赤らめた。
﹁盗賊よりも刺激的なことを見つけてしまったんですもの﹂
エリザの熱っぽい視線は俺に向けて注がれている。
﹁先ほどの強引な告白⋮⋮お屋敷を出るまでも出てからも、された
ことがありませんでしたわぁ。わたくしの人生で一番の刺激でした
よ、シュウトさん﹂
や、やめろ、うっとりした顔をするな。いや美人にそういう目で
見られる分にはマシなのだが、それはお前の内面を知らない場合に
限った話だ。
どうやら俺は金で買えないものを買ったらしい。なにか大変な勘
違いを起こしてしまったが、ともあれコトは片付いた。
宝物庫に蓄えられた貴金属類を置いてあった荷台に詰み、それを
ユイシュンとロア、あと人手が足りないので俺も引きながら洞窟を
去る。エリザは筋力がなさすぎで役に立たなかった。
284
﹁⋮⋮というわけだ。ユイシュン、これを外せ。もう用済みだろ﹂
三人を引き連れて町に向かう途中、エリザの目が届かないところ
でひっそりとユイシュンに話しかける。
﹁安心しろっての。ありゃあいつの暴走だ﹂
微妙な表情で首輪を外すユイシュンにフォローを入れておいた。
俺の威信もあるので。
そんなこんなで警察本部に到着。
﹁おお、あなたがシュウトさんか! 自警団一同、お話はうかがっ
ております。本当に交渉術だけで盗賊ギルドを無血分解したのです
ね。さすがは﹃ネゴシエイター﹄だ!﹂
これは斡旋所のおっさんが喋った感じだな。あいつ世間話大好き
だし。
ひとまず三人を突き出す。
事情聴取に聞き耳を立ててみたところ、もっとも悪質な手段でも
脅迫止まりで、殺人や傷害は行っていないことから量刑は割と軽め
らしかった。
そうなるだろうと踏んだからこそ、ユイシュンとロアも受容した
のだろう。
まあ俺はユイシュンに斬りかかられたわけだけども、穏健交渉で
285
終わらせた設定でせっかく丸く収まってるので話をややこしくしな
いために黙っておいた。
たださすがに首謀者であるエリザはそうはいかない。といっても、
こいつ金あるからな⋮⋮大量の保釈金パワーで解決してきそうで恐
い。
あとは逃げ出した残党の行方だが、組織の中心と拠点を同時に失
って宙ぶらりんになった以上、もう自警団だけでも簡単に潰せるそ
うだ。
とりあえずこれで用は済んだし、さっさと立ち去るか⋮⋮と施設
を後にしようとする俺だったが、捕縛されたエリザが別れ際に挨拶
をしたいと申し出てきた。
﹁しばらくは会えませんわね﹂
永遠に会いたくないんだが。
﹁それに俺はこの町を出るつもりなんだぜ﹂
﹁少しも気にしませんわ。妻は夫の帰りを待つものなのですから﹂
勘弁してくれ。
む、しかし。ここで俺に天啓走る。
よく考えたらこいつはちょっとせがむだけで親から大金が振って
くるような令嬢。こいつから好意を抱かれているということはつま
り⋮⋮。
286
うーん。
とりあえずキープだな。
﹁分かった。いつか迎えに来てやるよ。いつかな﹂
俺はそう爽やかに告げた。
287
俺、昇進する
激動の時から数日。
風の噂で聞いた話だと、エリザは莫大な額の保釈金と資産家であ
る父親の威光であっさり釈放されたらしい。
いつの時代もカネとコネは最強だな。
とはいえしばらくは監視が付けられるので、この町で大人しくす
るしかないらしいが。
溶かされてしまったツヴァイハンダーも魔法屋で最高料金のリペ
アをかけてもらったことで、元通りの美麗なフォルムと輝きを取り
戻した。金属の質に応じた価格だったので目玉が飛び出るほど高か
ったものの、これからも頼らせてもらうとしよう。
で、俺はといえば。
﹁おめでとう、シュウト。いや、よくぞやったと言うべきかな﹂
斡旋所の受付に立つおっさんが感慨深い表情を浮かべている。
盗賊ギルドの解体という大役を果たしたおかげで俺の名声は一気
に高まった。
更に、どうやら洞窟の中で俺が倒したゼリー状の魔物は要注意指
定を受けていたらしく、確か正式名称はアブババババ・ビバババと
288
かそんな感じの発音だったと思うが、とにかくそいつの撃破も実績
に加えられている。
結果⋮⋮。
﹁今日からお前はCランク冒険者だ。成し遂げたな、シュウト!﹂
おっさんが手をパチパチと打つと、斡旋所内にいた面々からもま
ばらな拍手が起こった。
﹁いや、そんな人から祝われるようなことじゃないと思うんだけど﹂
﹁なにを言ってるんだ。ギルドに登録して一ヶ月ちょっとでCラン
クだなんて、異例のスピード出世だぞ。このギルドでも過去に一度
か二度あったかどうか⋮⋮﹂
記憶を漁り始めるおっさんだったが、俺が知りたいのはそんなこ
とじゃない。
﹁それより、これで通行証を発行してもらえるようになったんだよ
な?﹂
﹁ああ、そうだな。⋮⋮シュウト、もう行くつもりなのか?﹂
﹁準備ができたらな﹂
旅、といってもこの世界じゃバスや新幹線でひとっとびという
わけにはいかず、ひたすら歩き続けることになるのだろう。
アホほど疲れるだろうが俺には楽園となる屋敷を買う夢がある。
そのためには土地を比較できなければならない。ジキのように世
界を回ってみないとな。幸い俺はあいつと違って軍資金に困ること
289
はない体質だし。
それに、通行証の権利を得た今、名声稼ぎに躍起になる必要もな
くなった。
これはありがたい。ようやく資金繰りに全力を注ぐことができる。
﹁そうか。いやしかし、最初にお前のことを見かけた時は、ここま
でやってくれるとは微塵も思わなかったなぁ。というか、今でも見
えないしな﹂
﹁うるせーよ。とりあえず、買い物もしなくちゃいけねぇから、明
日一日はオフにするぜ。明後日通行証を受け取りに来るよ﹂
そう伝言を残して俺は家路についた。
ミミに帰宅を報告。
﹁おかえりなさいませ。本日は、ランクの確認だったそうですけど
⋮⋮﹂
﹁ああ、上がってたよ。Cランクだ。これでどこにも行けるように
なったぜ﹂
俺がそう吉報を届けるとミミは﹁おめでとうございます﹂と微笑
んだ。山羊の角もどことなく万歳しているように見えてくる。
﹁それでは、明日はお買い物ですね。支度をしませんと﹂
﹁買い物っていっても、ある程度の食料と飲み物と、あとはテント
の予備くらいしかないけどな。風呂や洗濯はミミの魔法でまかなえ
るし、そんなにいらないよ。地図も斡旋所でもらえるしさ﹂
290
やることもないので、ベッドに横たわる。
しかしまあ、今回はこたえた。
あれだけヒメリに先を急ぐなとか偉そうに言っておきながら、俺
自身が功を焦って窮地に陥ってるんだからな。反省せねば。
ランクも上がったことだし、今後は自分のペースで金を稼ごう。
他の地方に移れば普通に金持ちとしてふるまえるから、スキルバレ
以外の行動制限も緩くなるしな。
できることならまとめて稼げればそりゃ最高だが。
﹁シュウト様﹂
ベッドの隅に腰かけるミミ。
﹁ミミたちが持っていく荷物は少なくとも、道中で獲得したものを
積むだけの装置は必要だと思います。荷車や荷馬車を買われてはい
かがですか?﹂
﹁あー、それもそうだな﹂
アイテムにしろ金にしろ、運搬し続けるならそれを載せるための
土台がないとな。金は特にこれから増え続けることが予測されるし、
装備品にしてもそうだ。
しかしそれだけの荷物を俺とミミで牽引するのはきつい。
どうせ買うなら荷馬車がいいか。
291
エリザとの一件以降も細々と金策に出かけていたおかげで、我が
家の貯蓄も三百万G以上まで膨らんでいるし、少しくらいなら贅沢
できる。これから得られるものの大きさを考えれば安い投資だろう。
﹁でも馬とか飼育できないし、まともに扱うノウハウも持ってない
んだけど﹂
一瞬で根本的な問題にぶつかる。
うーむ、これはあれしかないな。
馬ではなく、馬の獣人を買おう。
292
俺、支度する
翌日、ミミと一緒に旅で必要となる物資の買い物をあらかた済ま
せた俺は、夜中に一人奴隷市場へと出向いた。
ままま、そう萎縮するようなことでもないだろう。今回俺が求め
ているのは純粋な労働力、長旅の負担を軽減してもらうための奴隷
であって、そこに他の意図を差し挟む意味はない。実用性、ひいて
はコストパフォーマンスを考えて⋮⋮。
﹁男女どちらをご希望でしょうか?﹂
﹁女で﹂
でも気づいたらそう返事していた。
展示室に通してもらうまでもなく、俺は奴隷商人にこう伝える。
﹁馬の獣人を雇いたいんだ。荷物の運搬を手伝ってもらいたいから
な﹂
一番最初にここに来た時に、旅のパートナーに最適と聞いたこと
を覚えている。
まあ馬力というくらいだしな。
﹁馬でございますか。それでしたら一人まだ残っております。いや
馬の獣人はその高い機能性から人気の種族ですからね﹂
﹁予算なら十分あるぞ。即決で買おう﹂
293
﹁心強いお言葉です。では早速、フロントまで連れてきましょうか
?﹂
﹁おう、頼む﹂
しばらくして、奥にひっこんでいた奴隷商人がぴしりと立った馬
の耳を生やしている獣人を連れて現れた。
﹁ホクト、こちらがお前の主人となるお方だ。ご挨拶しておきなさ
い﹂
ホクトという紹介を受けた獣人は、背の高い女だった。
具体的にいうと俺よりでかい。
獣人の例によって容姿も美しいが、なんかこう、それ以上にオト
コマエって感じがする。
凛とした表情が印象的な、とても勇ましい顔つきで精悍さを感じ
させる。が、髪の色はライトブラウンで女子力が高い。なるほどこ
れは栗毛だな。
髪よりもやや濃い茶色の瞳が俺のほうを向く。
そして、すたんとひざまずいた。
﹁紹介にあずかったホクトであります! これより我が主のために、
誠心誠意努力していく所存であります!﹂
な、なんか堅苦しいな。やる気に満ち溢れてくれているのは嬉し
いけども。
294
﹁ホクトはしなやかな筋肉と優れた体力の持ち主です。多くの荷物
を運び、お客様の順風満帆な旅を約束するでしょう﹂
ふむふむ、言われてみれば着衣越しにも引き締まった身体をして
いるのが分かる。その分胸は控えめなのだがそれはそれで嫌いでは
ない。
﹁いい子だな﹂
いろんな意味で。
まあでもこの実直な性格だとミミみたいにはいかないだろうな。
女の奴隷を望んだのは単純に旅の彩りにもなってほしかったってだ
けだし、そういう下心は一旦どっかにやっておこう。
﹁本来百六十五万Gの値をつけておりますが、お客様の門出を祝し
て百六十万Gでの提供とさせていただきます﹂
こいつ毎回割引してんな。
パンパンに膨らんだ布袋から金貨をすくい上げ、ジャストの額を
支払う。
これで売買契約は成立。ホクトが俺の配下に加わった。
﹁シュウトだ。今日からよろしくな﹂
﹁はっ! よろしくであります!﹂
ホクトを連れて外へ。
295
﹁明日はお前に引いてもらう荷馬車を買いに行くからな。今日買っ
ても俺の家に置くスペースないし。それが済んだら、この町を離れ
る。長い旅になると思うから頼りにさせてもらうぜ﹂
﹁拝承しました。本日は船出に備え、しっかりと気概を磨かせてい
ただくであります﹂
うーむ、こうして慇懃な口調のホクトと会話していると自分が責
任ある立場の人間になったかのように錯覚してしまうな。
それにしてもホクトはスタイルがいい。筋肉質な上に手足も長い。
戦闘要員として雇ったわけじゃないが、これなら武器を持たせて
もいい線いくんじゃなかろうか。多分だけど鎧も装備できそうだし。
俺が使っていて頭打ちになったものはホクトに渡していくとする
か。
そんな計画を立てながら帰宅し、先輩であるミミに会わせる。
﹁わあ、とても格好いいお方ですね﹂
ミミはホクトの風貌を見るなりそう呟いた。
﹁ミミといいます。今日からよろしくお願いしますね﹂
﹁これはこれは、自分なぞにはもったいない丁寧な挨拶を。おっと
紹介が遅れましたな。我が名はホクト。共に主殿を盛り立てていき
ましょうぞ!﹂
真面目すぎるきらいはあるが、案外コミュ力が高いほうだな、ホ
296
クトは。
もし奴隷二人のソリが合わなかったらどうしたもんかと内心案じ
ていたのだが、杞憂だったか。
﹁さあ主殿。明日からの旅路に備えて休みましょうぞ。今日の睡眠
は明日の精気。よき眠りがよき一日を作るのであります﹂
今日はもうやるべきこともないし、そうするとしよう。
﹁あー、でも、ホクトの寝る場所がないな⋮⋮﹂
﹁いえいえ、お気遣いなく。自分には毛布があればそれで十分すぎ
るほどでありますよ﹂
ホクトがそう言うので、探索に出る時に使っている毛布を渡す。
どうやら床で寝るらしい。
木板の床に寝転がるホクトを見てると、なんかめちゃくちゃ申し
訳ない気分になるな。今日一日だけ我慢してもらうか。泊まる宿は
大きめの部屋を取らないと⋮⋮。
﹁む、主殿はミミ殿と同じベッドで寝るのでありますか﹂
﹁そうだけど﹂
いつものように一枚の布団に入る俺とミミの様子を眺めたホクト
は、なにやらぽかんとした表情をして、それから慌てふためき始め
た。
﹁い、いえ、これは失礼つかまつりました。自分は石になっておく
であります⋮﹂
297
と言って、毛布に包まって背中を向けるホクト。一瞬覗いた顔は
赤くなっていたように思える。
﹁⋮⋮ええと、なしで﹂
気まずくなった俺はミミにそう小声で伝える。
﹁分かりました。それでは、シュウト様、おやすみなさい﹂
ミミが俺の肩だけを抱いて眠りにつく。
これは頻度を下げざるを得ないな。
悶々としながら寝た翌朝。
﹁や、これは快晴でありますな! 出立の日にふさわしい天候であ
ります!﹂
自宅を出た途端にホクトがそう快哉を叫ぶくらい、雲ひとつない
晴れ模様だった。俺は日光を浴びても大して元気にならないタイプ
だが、ミミとホクトはどちらも気持ちよさそうにしている。
まず向かった先は各種牽引車を販売している業者の店だ。
町の南端にあるそこには木製車両がズラッと並べられている。管
理しているおっさんのところに、俺は商談を持ちかけにいく。
﹁荷馬車を買いたいんだ。これから旅に出るんだよ﹂
298
﹁軽々と口にするがな、馬は維持が大変なんだぞ? それよりは人
の力で引っ張れる荷車のほうが⋮⋮﹂
﹁いや、馬っていうかこいつが引く﹂
俺はかたわらに立つホクトを指差した。ホクトは表情、というか
眉をより一層キリリとさせ、俺とおっさんの両方に気力のみなぎり
をアピールする。
﹁獣人か⋮⋮本物の馬よりは劣るが、それなら荷馬車を引けなくは
ないな﹂
﹁そんじゃ、ちょうどいいのを売ってくれ。見た目は気にしないぞ﹂
おっさんに選んでもらった荷馬車は数ある中でも一番小ぶりなも
のだった。小さい、といってもそれは馬で引く場合を基準にしただ
けで、フルに積んだ状態のこれを人間一人が引っ張るにはかなり厳
しい。
ホロとそれをかけるための柱がついており、雨風にも耐えられる
仕様になっている。
﹁言っておくけど、積載重量に余裕があるからって荷台には乗らな
いほうがいいぞ。野盗に遭ったら対応が遅れるからな。最低一人は
護送役としてついたほうがいい﹂
﹁む⋮⋮じゃあ少なくとも俺はちゃんと歩くしかないか﹂
後方支援が主な役割のミミではダメだろうから、剣を武器にした
誰かが前に出ていないとならない。
かといってホクトに武装させるのは一人で背負いこむ仕事量が多
すぎる。
299
しんどいが、仕方ねぇな。また気を抜いて下手こくわけにもいか
ないし。
他にも荷馬車の使い方を簡単に教わった後、俺は料金の九万と3
000Gを払って出発前最後の買い物を終えた。
一度自宅に戻って荷物を積みこむ。
金と食料はもちろんのこと、溜まっている未使用素材やら探索用
アイテムなんかも。
家具類はすべてそのままにした。しばらく家は空けるだけで売却
するわけじゃないしな。ベッドがあれば野宿で便利だろうけど、さ
すがにかさばりすぎだわ。
﹁で、問題はこいつだな⋮⋮﹂
俺はツヴァイハンダーを手に取り、悩む。
正直これを背負い続けて長々と歩くのは辛い。
一般道には魔物は出てこないし、移動中は武器とか積んでおけば
いいじゃんと考えていたが、そうもいかないらしい。規則があるか
ら同業者に襲われることはなくても、野盗に対する自衛手段は常に
用意しておく必要がある。
となれば、久々にあいつの出番だな。
﹁頼むぜ、久しぶりによ﹂
300
俺は護身用としてカットラスを腰に差すことに決めた。
うわ、軽っ。
数週間ぶりだからか感動するな、この軽さは。
威力はツヴァイハンダーには負けるが、遠距離攻撃もできること
だし、魔物相手でなければまだまだ現役でやっていけるだろう。
ツヴァイハンダーは荷台の前方に載せておき、キツそうなら機を
見て持ち替えるとするか。
﹁んじゃ、行くかー﹂
もうちょいこの部屋でダラダラ過ごしたかったという気持ちもな
くはない、というか相当あるのだが、引越しを決めたからにはやら
ないとな。
それに大した娯楽もなく過ごすよりは、旅でもしてたほうがマシ
だろう。
狭い家より広い屋敷。その目標と共に俺はミミとホクトを連れ、
自宅を後にした。
301
俺、相乗する
町を歩く俺と二人。
﹁ホクト、引いてみた感じはどうだ?﹂
﹁問題ないであります! これはいい車輪を用いてありますな、実
にスムーズであります﹂
荷馬車を引くホクトにはまだまだ余裕がある。実際、そんなに量
積んでないしな。今後旅の中でどんどん荷物が増えていくんだろう
けど。
まずは通行証をもらいに斡旋所へ。ミミとホクトには外で待機し
てもらう。
室内にはあまり人がいなかった。それなりに関わりのあったヒメ
リがいれば軽く挨拶でもしていくかと思ったが、不在なら仕方ない
な。
﹁待っていたぜ。ほら、もう作っておいてやったよ﹂ 仕事が早いな。俺は完成済の通行証をおっさんから受け取る。
カード状のそれには、俺の名前、所属、冒険者ランク、発行日付、
そしておっさんのサインが入っている。
﹁お前もサインしておけ。筆跡で本人確認するからな﹂
302
当たり前だがICチップみたいなハイテクはないらしい。その代
わり、筆跡鑑定は魔法を用いて完璧な精度で行えるそうだ。
指示通り俺もサインを書きこむ。
﹁そいつはよそのギルドを訪ねた時、お前のランクを証明する手立
てにもなるからな。今までは俺がお前の情報を管理してやったが、
これからは自力でやるんだぞ。他の町の冒険者ギルドとのネットワ
ークだって完璧じゃないんだからな﹂
﹁了解。覚えとくよ﹂
まあ、聞かれたら見せりゃいいだけだし。
﹁そういやこれ、更新って必要なのか? あとなくした時の再発行
とかも﹂
﹁ランクが変動した時は新たに発行する必要があるが、そうでない
場合は基本的に永続利用できる。それと、再発行は自由だ。近場の
ギルドで申請すればいい﹂
すげー。普通免許よりストレスフリーな身分証明書じゃん。
﹁だからって適当に扱うなよ。紛失したら信用が下がるからな。そ
うなればランクも降格になるし、発行までかなりの時間を要するぞ﹂
う、それは嫌だな⋮⋮。見知らぬ土地でDに落とされて、そこで
また名声稼ぎに走らないとならないとか最悪すぎる。
﹁分かった。大事にしとくわ﹂
﹁それと、こいつもだな﹂
303
おっさんが取り出したのは、大陸全土を記してある地図。もうち
ょい縮尺考えとけよって言いたくなるくらい、広げるとかなりのサ
イズになる。
﹁海を渡れば王都のある大陸まで行けるが、まあそれはまだ考える
ようなことじゃないだろう﹂
﹁え、こっち側にはないのかよ﹂
正直、真っ先に行きたい町だったのだが。
﹁ってか、ここ港あったよな。船でさっさと行ってやろうか⋮⋮﹂
﹁そう焦るな。どうせ全部の土地を回るつもりなんだろ﹂
﹁まあな﹂
﹁それならまず西に行け。湖畔よりも更に先にだ。そこにある検問
を抜けたら、アセルという町が見えてくる。俺たちの町フィーから
一番近くにあるのはここだから、まずはここから訪れるといい﹂
﹁ふーん。じゃあそうするよ﹂
﹁おう。で、それからだな﹂
おっさんがなにやら改まった顔つきをする。
﹁お前が田舎者だと思われないために、ひとつアドバイスをしてや
ろう﹂
﹁なんだ?﹂
﹁こういった施設は、ちゃんと正式にギルドと呼べ﹂
﹁そんなことかよ。いや、俺にも言い慣れた呼び方があってだな﹂
﹁ダメだ。ギルドだ﹂
﹁⋮⋮じゃあ職安は﹂
﹁ギルドだ﹂
304
このままだといつまで経っても出発できそうにないので、やむな
く呼称を矯正した。
俺はおっさんに﹁じゃあな﹂と手を振り、あっせ⋮⋮ギルドの玄
関を抜ける。
それにしても、随分と世話になったな、この場所には。
なんだかんだで寂しさはなくもない。
けれどまたここに来るかどうかは、ちょっと今の段階じゃ分から
ないな。
﹁行こうぜ﹂
荷馬車の前で待ってもらっていた二人と合流し、いよいよ町の外
へ。
﹁ついにですね。ミミはどきどきしています﹂
﹁だな﹂
平原を横断するこの一般道自体は過去にも通ったことがあるのだ
が、旅立ちとなるとやはり特別な感慨があるな。
⋮⋮と言いたいところだったが、すぐに見知った顔を目撃してし
まった。
﹁ようやく来ましたね﹂
フフンという微妙にイラッとする表情をして待ち構えていたのは、
305
ヒメリだった。
ブロンドの髪はそのままだが、まとっている鎧が真紅のものに変
わっている。
﹁⋮⋮というか、また女の人が増えてません?﹂
荷馬車を引くホクトを眺めながら呆気に取られるヒメリ。
﹁装備品といい、この人たちといい⋮⋮シュウトさん、あなた一体
どれだけ裕福なんですか?﹂
﹁黙っていたが、俺は大富豪だったんだよ。荷物もほとんど金だか
ら漁るなよ﹂
町も離れたことだし、適当にフカしておく。
どうせこれからはナチュラル金持ち設定で押し通す予定だしな。
﹁むむ、主殿のご友人でありましたか。自分は運輸作業を請け負っ
ておりますホクトという者であります﹂
﹁ホクトさんですね。覚えました。ですがひとつ、語弊があります。
私たちは友人などではありません。あえて語るなら⋮⋮そう、宿敵
とでも申しましょうか﹂
﹁おお、それはなにやらただならぬ因縁がありそうでありますな﹂
大してねぇよ。勝手に話広げるなっての。
﹁それにしても、こんな真面目そうな方にまで⋮⋮ど、どこまでも
ハレンチな!﹂
﹁だからなにを想像してるんだよ。全然違うぞ﹂
306
これはマジなのできちんと弁解しておく。
﹁それよりだ、なんでこんなところにお前がいるんだよ﹂
また湖畔に行く途中か? と続けようとした矢先、ヒメリが何か
を突き出してきた。
個人情報とギルドの許可が載せられたカード⋮⋮通行証だ。
﹁私、昨日ついにCランクに昇格したんですよ! 長い道のりでし
た。コツコツと依頼達成を積み重ね、装備を新調し、賞金首を苦難
の末に撃破して⋮⋮﹂
﹁おっ、ついにやったのか﹂
﹁そうです。そのために何度も湖畔まで遠征しましたからね。その
結果がこれです!﹂
またしても自慢げに通行証をかざす。
手練の剣士であるヒメリは俺が登録されるまでは一番の若手有望
株だったらしいから、別にCランクになってもおかしいことではな
いが。
﹁そんなドヤられてもなぁ。俺も一昨日昇格して、さっき通行証も
らってきたし﹂
﹁そう、それです!﹂
ヒメリはビシッと俺の鼻先に向けて人差し指を突き出した。
﹁昨日サダさんから話をうかがいました。それもう震え上がるほど
307
のショックでしたよ。タッチの差で今回もまた一歩先を行かれてし
まったんですからね﹂
﹁うん﹂
そこそこの姿勢で聞く俺。
﹁あなたを超えるためにはあなたの足跡を追わなければなりません。
常に情勢を知っておく必要があります。シュウトさん、私もあなた
の旅についていかせていただきます﹂
﹁はあ?﹂
俺は唐突な申し出に口をあんぐりと開けてしまった。
﹁勘違いしないでください。パーティーを組むというわけではあり
ません。私は私自身の手で功績を重ねなければいけないのですから﹂
﹁ん? じゃあ探索はバラバラでいいのか?﹂
﹁いかにもです。ただ、シュウトさんと同じルート同じスケジュー
ルで移動をするというだけです。これは私にとっての修行の旅。現
地についたら別々に行動しましょう﹂
要は道中だけご一緒させてくれ、ってことらしい。
﹁そんな話を急にされてもな⋮⋮﹂
口ではそう言ったが、冷静になって考えてみるとだ。
こいつもなんだかんだでCランクまで来たってことは、かなり腕
を上げているはず。カットラス装備状態の俺程度と考えたら、移動
中の戦闘は十二分に任せられる。多くの金を運ぶことになるんだし、
強盗から身を守る戦力は多いに越したことはない。
308
ポイントポイントを結ぶ道には魔物は出てこないから、俺の隠し
通しているスキルが発覚するおそれがないのも好都合。
うむむ、これは利点も多いな。
俺よりはヒメリのほうがこの世界についての知識も豊富だろうし。
一度ミミとホクトにアイコンタクトを取ってみる。二人とも特に
拒否は示していない。
じゃあ、いいか。
﹁分かったよ。別に人数が多いことで損はしないしな。むしろ俺の
負担が減るから得だ﹂
﹁その返事を待っていました﹂
﹁ただしお前の分の食費は一銭も出さんぞ﹂
﹁う。わ、分かってますよ﹂
密かに期待していたような顔をしている。こいつの考えているこ
とは本当に分かりやすい。
俺はアセルという町を目指していることを伝え、ヒメリを一行に
加えた。
﹁まさかとは思うが﹂
﹁なんでしょう﹂
﹁勢いで﹃私も旅に出る!﹄とかおっさんに言っちゃったけど、心
細くなったとかじゃないだろうな﹂
﹁ハハハ、私に限ってまさか﹂
309
ギクシャクした笑い方だった。表情が左右非対称になっている。
ま、深くはツッコまないでおくか。
﹁華やかな旅になりそうですね﹂
検問へと続く道を歩きながら、ミミがどこか楽しそうに言った。
310
俺、通過する
検問所まではおよそ十時間というふざけた行程の歩き詰めを要し
た。
もうクタクタだ。足が棒になっている。
﹁やっとか⋮⋮マジで長かった﹂
俺はワインをラッパ飲みし、乾いた喉に潤いを与える。
ミミもかなり疲れているようで、泣き言こそ口にしないものの、
ホロをかぶせた荷台に寄りかかっている。
﹁自分はまだまだ元気一杯でありますぞ!﹂
一方でホクトはピンピンしていた。荷馬車を引いていたから一番
負担が大きかったはずなんだが、さすがは馬の遺伝子か。
しかし検問というから関所みたいなものがポンと置かれているだ
けかと思っていたが、小屋があったり荷車の停留所があったりテン
トの設営場があったりで、一種の拠点のようになっていた。
なんていうかキャンプ場っぽい。
俺たち以外にも多くの冒険者と思しき連中が集まっていて、やれ
アルコールだの焚き火で炙った厚切りのハムだのでやかましく過ご
している。
311
火の他にも大量のランプが吊られているから、夜にもかかわらず
割と明るい。
ヒメリが解説してくる。
﹁ここ以外にも、冒険者たちの寄り合いになるポイントは国道にい
くつも設けられていますからね。夜間の野営はこういった場所で行
うのがセオリーです﹂
﹁ふーん﹂
同業者同士で自衛しあうことで夜間に強盗に遭うリスクを減らし
てるんだろう。
﹁で、どうします? アセルまでは地図によれば、あと二十キロほ
どですが﹂
﹁いや、もうバテたから小休止で﹂
とりあえず俺は荷馬車を止め、ここで一泊することにした。
お天道様がギンギラと空で暴れ始めた朝、いよいよ検問をくぐる。
﹁身元を明かせ﹂
鎧で着飾った兵士っぽい奴が、めっちゃ威圧的に身分証の提示を
求めてくる。
まあ大人しく出せば済むことなので、俺はギルド産の通行証を渡
し、それから帳簿にサインをした。
312
﹁ふむ、筆跡に問題はなし。Cランク、所属はフィーのギルド、か。
称号は﹃ネゴシ⋮⋮﹂
﹁そんなのは読み上げんでいいぞ﹂
﹁後ろの三人は?﹂
﹁俺の召使いだ﹂
﹁私は違いますよ!﹂
通行証を持った手をぶんぶん振って否定するヒメリ。
﹁まあ、耳で奴隷だとは分かったがな。どれ、そっちの女は⋮⋮こ
っちも問題なしか。うむ、全員通ってよし!﹂
チェックポイントをクリアーした俺たちは、いざアセルへ。
海辺からかなり離れた地域まで来たから景色が新鮮だ。山が多く、
あと気候も涼しい。
アセルには大体四時間くらいで到着した。
数基の巨大な風車が建てられていて、のどかな田舎町といった情
緒がある。
﹁ようやく着きましたね。それでは約束どおり一旦解散しましょう。
私は自由行動を取らせていただきます、後日落ち合いましょう﹂
そう言ってヒメリは町の中をダッシュで駆け抜けていった。
あの感じは、飯を食いに行ったな。
313
﹁シュウト様、いかがなされますか﹂
﹁そうだな⋮⋮まずは宿を探すか。足痛いし﹂
適当にぶらつく。冒険者ギルドを持つ宿場町なだけあって、選択
肢は多い。
駐車場がついててオンボロでなければどこでもいいので、まあま
あ外観の小綺麗な宿に目をつける。ミミとホクトに荷馬車の見張り
を頼んでおき、ロビーへ。
おっさんではなく、白髪のジイさんが受付に立っていた。
接客がおっさんじゃないというだけで新鮮に感じてしまうんだか
ら俺は毒されている。
﹁何名様でしょうか?﹂
﹁三人だ。男一人の女二人﹂
﹁部屋割はいかがなさいます?﹂
﹁一部屋でよろしく⋮⋮と思ったけど、三人部屋ってあんの?﹂
さすがに宿でまでホクトに床に寝転がせるわけにはいかない。
﹁三階にございますよ。一泊1800Gになりますが﹂
﹁それじゃ、とりあえず一週間分払っておくよ。しばらく厄介にな
るぜ﹂
というわけでこの町における拠点が決定。
荷馬車を繋ぎ、部屋まで中の積荷を運びこむ。
314
またこの作業がクソめんどい。とはいえ置きっ放しは盗まれるた
めやむなし。
﹁お、結構いい部屋じゃん﹂
内装はシンプルだが、広々としたゆとりの空間だ。女神にもらっ
た家を軽く超えているので上等も上等すぎる。ってか低いハードル
だな。
﹁し、しかし主殿、ベッドが三つもありますぞ﹂
ところがホクトはそわそわと落ち着かない様子でいる。
﹁三人いるんだから三つだろ﹂
﹁自分は毛布があればそれで十分であります。主殿の家計の重荷に
なるのは⋮⋮﹂
﹁気にすんなよ。俺金だけはあるし。ていうか俺らの中だとダント
ツでホクトが疲れてるんだから、ゆっくりしときな﹂
﹁誠にありがたきお言葉なのですが、それなら二つでも⋮⋮その⋮
⋮﹂
﹁え?﹂
﹁い、いや、なんでもないであります﹂
ホクトは顔を赤らめてしまった。で、そのままベッドにダイブし
て枕に顔をうずめる。
その際めくれあがったチュニックの裾から太ももがのぞいたのだ
が、競輪選手並に太かった。脚の筋肉の量が半端ではない。
俺もちょっとベッドの具合を味見してみるか。寝心地が一番重要
315
だし。
﹁お、おおほお⋮⋮﹂
感動のあまりふぬけた声を漏らしてしまった。
すげー柔らかい。いかに自宅のベッドが安物だったか分かるな。
まあ死ぬ前は万年床な上にペラッペラの煎餅布団だったのでそれ以
下だったんだが。
﹁これはダメになってしまうわ⋮⋮体も疲れ切ってるし。なあ、二
人とも、頑張るのは明日からにしようぜ﹂
結局俺はこの日、夕食以外で外出しなかった。
あ、飯自体はうまかったです。
そして翌日。
俺とミミは装備を整え、探索の準備を進めていた。
滞在費用を捻出するだけならおそらく一時間もあれば十分だろう
が、貯金残高を増やそうと思ったらひたすら魔物を狩り続けなけれ
ばならない。
目標はとりあえず一日平均五十万G。
まずは狩場を教えてもらいにギルドまで足を運ぶか。
316
﹁そうだ、ホクト﹂
﹁なんでありましょう?﹂
﹁お前ってさ、武器とかに興味あったりする?﹂
ホクトは道中の荷物の運搬を目当てに雇った奴隷だが、探索中の
戦力にもなってくれるなら非常に助かる。こいつがいれば撃破報奨
も持ち運びやすくなるしな。
﹁興味、でありますか。主殿をお守りするために、いずれは武芸も
会得していきたいとは思っておりますが⋮⋮恥ずかしながら経験は
まだありません﹂
﹁んじゃ、ちょっと一回試してみてくれよ﹂
俺はサブ武器のカットラスをホクトへと放り投げる。
﹁室内で剣を振り回しても構わぬのでありますか?﹂
キャッチしたホクトは周囲にスペースがあることを確認した上で、
少し遠慮がちにする。
﹁大丈夫だよ、鞘はめたままだから﹂
﹁では、僭越ながら⋮⋮不肖ホクト、生涯初の剣技を主殿に披露さ
せていただきます!﹂
真剣な眼差しをするホクト。めっちゃイケメンだ。
剣に限らず武器を握ったのは今日が初めてらしいが、まあでもこ
の恵まれた体格だしそんなおかしなことには⋮⋮。
﹁であっ!﹂
317
へにゃっ。
⋮⋮ん?
なんだ今の情けない効果音は。音響担当が間違えたのか。
もう一度ホクトがカットラスを振る。
へにゃっ。
またか。そこは普通﹁ブン!﹂だろ。
いや一応ブンブン鳴ってはいるんだけど、絵的に似合いそうな効
果音となると﹁へにゃっ﹂になってしまう。
というのも、あまりにホクトの剣の素振りがへなちょこすぎるか
らである。腰が入ってなさすぎて、俺の脳内で勝手に﹁へにゃっ﹂
に変換されていた。
転生直後の頃の俺でももうちょいマシだったぞ。
せっかくのイケ馬なのに駄馬に見えてしまうから恐ろしい。隣に
いるミミもなんとも言えない表情を浮かべている。
当の本人もセンスのなさを自覚しているらしく。
﹁うう、自分は役立たずであります! 主殿に仕えることも満足に
できないとは⋮⋮!﹂
﹁そう落ちこむなって⋮⋮しばらくそのカットラス貸しておくから
318
さ﹂
嘆き悲しむホクトになぐさめの言葉をかける俺。
この感じだと戦わせるのは、もう少し練習させてからにしたほう
がいいな。
とはいえ現状ホクト用の防具はない。なんの装備もなしに探索に
向かわせるわけにもいかないので、かわいそうだが留守番を命じた。
俺とミミの二人で出発する。
帰りにホクト用の鎧でも買っておくか⋮⋮。
319
俺、斡旋する
住民に聞いたところ、ギルドは町の南端にあるらしい。
しかしまあこの町はいいところだな。
四方に山があるからか空気が澄んでいて気分がいい。
風車の下には広大な小麦畑が広がっている。昨日飯屋で出された
パンがやけにうまかったが、名産と見て間違いないだろう。
おまけに物価も安いときた。
住むなら都会だろと考えていたが、まったりとした田舎も悪くな
い。
﹁ミミはこの町がとてもとても好きになりました﹂
ミミは機嫌よく真っ白な耳を上下にぴこぴこ動かしている。変化
の少ない顔よりも耳を見ていたほうが感情の動きが分かりやすい。
うむ、有力な候補地だな。
それなりに町を眺めてからギルドへ。
中は妙にすいていた。ポツポツと冒険者っぽい奴がいるだけだ。
ラウンジの一角にミミを座らせ、受付に行く。
320
﹁風の町アセルのギルドへようこそ﹂
ガタイのいいおっさんがいた。この町におけるサダ的な存在だな。
﹁おや、見ない顔だが⋮⋮﹂
﹁ああ、こういうもんだ﹂
俺は通行証を見せて身分を明かす。
﹁ということは⋮⋮しばらくこの町に留まるのか﹂
おっさんはなぜか残念そうに眉尻を下げる。
﹁依頼の受注だな。ちょっと待っていてくれよ﹂
﹁いや、俺は依頼には興味がない。そんなのより魔物が出るスポッ
トを教えてくれ﹂
一覧表を取り出したおっさんにそう伝える。
﹁ん、違うのか。それはよかった⋮⋮ああいや、なんでもない。魔
物だったら大抵の山には生息しているぞ。Cランク向けとなると、
ここから北側に行ったところにある山道なんかが⋮⋮﹂
おっさんが喋っている間に、ふと求人広告が見えてしまった。
収穫の手伝い、馬車の荷降ろし、公共設備の点検⋮⋮。
﹁なんだこりゃ。ロクな依頼がねぇな﹂
321
到底冒険者らしくないバイトみたいな仕事しかない。
一応採取や採掘の依頼も出ているものの、いずれも悲しくなるく
らい薄給だ。
﹁ひどい有様だろう﹂
自嘲気味に力なく笑うおっさん。
﹁なんでこんな微妙な依頼しかないんだよ。採取って普通もっとも
らえるぞ﹂
﹁商業ギルドの人間が絡んでない委託業務は報酬がグッと下がるか
らな。レア物なら話は別だが、どれもありふれた品ばかりの募集だ
し﹂
依頼者の欄を見てみると、なるほど、個人名ばかりである。
ふむ、これはフリマやネットオークションの取引額が低水準なの
と同じ理屈だな。
多分。
﹁でもさ、商店が出してる依頼だってあるんじゃないのか?﹂
﹁あるにはあるが、残ってないんだ。まともな依頼はよそから来た
人間に取られていくからな⋮⋮。彼らのほうが実力もあるし、依頼
人にとっちゃ安心なんだろうが﹂
なんでも長いこと居着いている冒険者パーティーがいるらしく、
目ぼしい仕事はそいつらが独占しているとのこと。
322
﹁依頼の掲示は日に二回更新してるんだが、新しくなるたびに根こ
そぎ持っていかれるよ。ルールを破ってるわけじゃないから文句も
つけられないしな﹂
まあアウトなことはやってないからな、それ。 ﹁朝イチで並べよ。早い者勝ちじゃん﹂
﹁無茶言うなって。アセル生まれの冒険者であいつらに意見できる
奴なんていやしないぜ﹂
﹁んなアホな。何人かは強い奴もいるんじゃ﹂
﹁この田舎だぞ? Cランクになった瞬間出ていったに決まってる
じゃないか﹂
まるで村の過疎化が進む現代社会のようだな。切ない。
﹁といってもそれは嬉しいことでもあるんだけどな。なにせ最近は、
Cランクに上がれそうな奴が出てくる気配もないからなぁ﹂
﹁よくそれで治安が保ててるな﹂
﹁この町は犯罪率が国内でぶっちぎりの低さだからな。自警団だけ
でも安全なのさ﹂
確かに俺が接した町民たちは皆おおらかな人柄だったし、平和な
のは間違いないだろう。
﹁だからって仕事にありつけないのはきついな﹂
﹁本当はうちのギルドに登録してる奴らにも外の仕事が行き渡るよ
うにしてやりたいんだけどな。おかげでいつまで経ってもランクが
上がらないし、魔物と戦う機会が得られないから成長もしない﹂
地元の冒険者が育たないことをおっさんは嘆く。
323
Cランクに上がれる奴が久しく出ていない、というのはこれが理
由か。
﹁近隣には銅と鉄しか採れないとはいえ鉱山もあるし、山林にはい
い服の素材になる植物がたくさん生えてるんだがなぁ⋮⋮この状況
じゃうちのギルドメンバーで行く奴はいないよ。安請け合いを覚悟
で鉱山や山林に通う奴もいることはいるけど、当然それだけで食っ
てけるほどの稼ぎにはならない﹂ そういえば魔物って本来大して金落とさないんだったな。
スキルの効果で常時フィーバーしまくってるから感覚麻痺してた
けど。
﹁どんだけ労働してもロクな金にならないとか最悪だな﹂
﹁そうなんだよ⋮⋮だからって冒険者稼業を引退したところで他に
仕事のアテもないし、無計画に辞めるわけにはいかないしな。俺と
しても胸が痛くなるよ﹂
なんか普通に気の毒になってきた。転生前の自分とかぶる。あの
時代の俺を一言で表すならワーキングプアだからな。働けど働けど
ってやつだ。
こういう話には無性にシンパシーを覚えてしまう。
﹁よし、だったら俺が求人を出すか﹂
俺はおっさんにそう提案した。
324
﹁はぁ? お前がか?﹂
﹁そんでランク制限をつけよう。D以下しか受けられなくすればい
い。そうすりゃ通行証持ってやってきてる連中に取られることもな
い﹂
そう話すと、おっさんは複雑な表情を浮かべた。
俺の申し出を喜ばしく思うかたわら、その必然性に疑念があるら
しい。
﹁だがな、シュウト⋮⋮だったか。ランク制限ってのは通常﹃以上﹄
で設けるもんなんだぞ? 危険や難易度に応じてな。﹃以下﹄なん
てなんのメリットもない。応募を狭めるのに、腕の未熟な者が受け
る確率だけが上がってしまう﹂
﹁いや別に成功するしないが目的じゃないし。慈善事業みたいなも
のだと思ってくれ﹂
人のために金を使うなんて体調を崩すレベルで嫌いだが、どうに
も他人の気がしない。
それに将来ここに住むかも知れないんだし、あんまり寂れられて
も困る。
﹁鉄鉱石、銅鉱石、薬草、香り花、木材、これだけ募集⋮⋮っと﹂
俺は収集系の依頼をシュウト名義で大量に出した。
出費は締めて二万Gくらい。強めの魔物一匹分と考えたら余裕だ
な。
325
ぶっちゃけると集まった素材の使い道はないのだが、次の町に移
った時に売り飛ばせばいいか。物価の安いここよりはまだマシな価
格で売れるだろう。
﹁じゃあこれを掲示しておくが⋮⋮本当にいいのか?﹂
﹁いいよ。全部相場前後の金額にしてあるからどっちが特別得する
とかもないだろ。俺は採取の手間が省ける、他の奴らは仕事がもら
える。イーブンじゃないか﹂
﹁とはいえ、弾みでこれだけ悠々と報酬を出せるとは⋮⋮﹂
﹁俺は金持ちなんだ﹂
それだけ言い置いて俺はミミと共に、おっさんとの会話の中で聞
いた山道を目指すことにした。
326
俺、登山する
およそ二時間ほどで山道の入り口には到着した。
道の両端は木ばかりだ。葉がほのかに色づいていて、郷愁を誘わ
れる。
緩やかな傾斜のそこは登頂に六時間はかかる⋮⋮と、立て看板に
書いてあるが。
﹁しんどすぎるわ﹂
俺は別にハイキングをしに来たわけではない。当然頂上まで行く
つもりもないので、ダラダラと中腹くらいまでを目指す。
にしても、風が強い。ミミが手にしている魔術書のページがバタ
バタとめくれている。
﹁ん、その本は⋮⋮﹂
ミミが持っている書物には﹃初級促進のグリモワール﹄とある。
これは最初の二冊の後から追加で購入したものだが。
﹁回復と攻撃の魔法は身につけられました。こちらも、もう少しで
覚えられると思います﹂
﹁早いな。最初の魔術書はかなり時間かかったのに﹂
﹁一冊理解すると、コツ、というんでしょうか。要領が分かってき
たんです﹂
327
ほう。どうやら魔術書は読破すればするほど魔法の基礎力が高ま
るらしい。
ミミは暇さえあれば本を開くほど勉強熱心なので、これからも定
期的に買い与えていくか。
いやいや、それよりだ。魔術書なしで魔法を使えるようになった
ということは、そろそろ杖を作る頃合いではなかろうか。
アセルにいる間にでも仕立ててみるか。
﹁む﹂
山道を進む俺たちの前に、ガサガサを音を立てて木陰から何者が
出現する。
入り組んだ形のツノを持つ、鹿のような魔物だ。黒い体毛に赤い
瞳という邪悪な、というか中二病チックなカラーリングのそいつは、
前足で地面を蹴って今にも突進してきそうな体勢をとっている。
ここが山道のエンカウント地帯だな。
﹁ミミ、サポートしてくれ﹂
﹁分かりました⋮⋮フィジカルアップ!﹂
習得中の強化魔法が俺を対象に唱えられる。
俺の上半身が赤いオーラに包まれるのが分かった。
328
おお、ツヴァイハンダーが劇的に軽く⋮⋮はなってない。強化さ
れたとはいえ腕力自体が跳ね上がったりはしないらしい。
﹁上昇するのはあくまで物理攻撃力と物理防御力⋮⋮だそうです﹂
﹁実感しにくいな⋮⋮攻撃するかされるかしないと分かんねぇか﹂
ということで、早速ダークジカ︵今さっき命名︶に剣を直接ぶつ
けてみる。
向こうから馬鹿正直に走ってきてくれたので狙い自体はつけやす
かった。重量感に満ちた刃がクリーンヒットし、瞬く間に魔物は煙
へと姿を変えた。
報奨として鹿の毛皮と、十八枚の金貨が残される。
﹁シュウト様、もう一体が来ています!﹂
﹁どっちだ?﹂
﹁ひ、左です!﹂
ミミの警告を受けて俺は体の向きを入れ替える。
斜面を猛烈な勢いで駆け下りてきている魔物が俺の視界に飛びこ
んできた。
今度は鹿ではない。猪だ。これまた全身黒ずくめでガイアに囁か
れている感じの風貌。
﹁⋮⋮って、速くね!?﹂
シャドウイノシシ︵同上︶は落ち葉を吹き散らしながら先ほどの
329
魔物を遥かに凌駕するスピードで突撃してくる。
落ち着け俺。
こうやって突っこんでくる相手にはちゃんと対処法があったろう
に。
﹁よく考えりゃそんな慌てることでもなかったな⋮⋮おりゃっ﹂
俺はまず剣先を二回接地させ、出現した泥と岩石の柱を強固な盾
にする。
ブレーキをかけられない魔物はあえなく激突。土塊も衝撃に耐え
られずガラガラと崩れ落ちたが、魔物も反動で豪快に転倒し、仰向
けになってピヨる。
怯んだところを俺は剣本体で突き刺す。
ドロップ品はまたしても毛皮。そしてちょっぴり多めに二十枚の
金貨が。
﹁お見事です、シュウト様﹂
﹁俺も段々戦術ってやつが分かってきたよ。さすがにな﹂
身体能力はともかくとして、ちっとは頭を使えるようにはなって
きたか。
少なくとも武器の特性は把握していないとな。俺の強さは装備依
存なわけだし。
330
さて装備といえばだ。
﹁小回りはともかくとして、やっぱパワフルだぜ、こいつは﹂
相変わらずのツヴァイハンダーの攻防一体感にうんうん唸る俺だ
ったが、肝心の強化魔法の効力はというと⋮⋮。
うーん。
よく分からんな。
おそらくだが魔法の影響がなくとも一撃で葬れただろう。
しかも持続は一分程度で切れた。これは現状だと使いどころが難
しい。懸賞金付きの奴に出くわした時だけ頼らせてもらうか。
ってことでミミにはいつものように回復と疲労軽減に専念しても
らうとして、俺はサクサクと魔物を狩り続ける。
強さ的にはフィー周辺にある湖畔の、やや上くらいか。
鹿や猪を模した魔物ばかり出てくるので、本当にハンターになっ
た気分だ。武器が猟銃なら完璧だったな。
﹁ミミは攻撃しなくても構わないのですか?﹂
﹁その分の気力がもったいないからなー。回復だけでいいよ﹂
雑魚しかいないし。
そんなのより、なだらかとはいえ坂道を歩き続けることによる疲
331
労のほうが辛い。
ミミの再生魔法で疲れを癒やしてもらいながらでないとすぐに音
を上げてしまいそうだ。
三合目くらいに差しかかってきた頃。
﹁おっ﹂
下山中の冒険者が見える⋮⋮って、ヒメリかよ。
﹁あっ、シュウトさん。あなたも狩りですか?﹂
﹁そんなところだな﹂
﹁まあここが一番出没する魔物のレベルが高いですからね。Cラン
クの私たちが足を運べるとなるとここくらいです﹂
だろうな。他は駆け出し向けっぽいし。
﹁頂上まで行ったのか?﹂
﹁行くわけないじゃないですか。時間がかかりすぎます。早朝出発
して中腹までは頑張ってみましたが﹂
﹁よくやるよ﹂
﹁ただ、この町は羽は伸ばせても滞在には不向きですね。シュウト
さんはお金があるからいいでしょうけど、手ごろな依頼がありませ
ん。探索がてらに魔物を倒して素材も売って、ようやく一日500
0Gくらいでしょうか⋮⋮諸経費も馬鹿になりませんし、貯金も残
さないといけませんからカツカツですよ﹂
﹁食う量減らせよ﹂
﹁それは無理な注文です﹂
332
ヒメリのカバンが膨らんでいるが、どうせ半分以上がパンである
のは目に見えてる。
﹁物価が安いのがせめてもの救いですね。とりあえず、今日のノル
マは達成しましたから私は戻ります。進言させていただきますが、
早めに次の町に移ったほうがいいですよ﹂
と言い残して下っていくヒメリ。
﹁いかがなさいますか?﹂
﹁俺はもうちょいのんびりしたいんだけどなー﹂
矢継ぎ早に移動を繰り返すのはきつい。
まあ最悪、飯をおごってやればあいつは手なずけられるだろう。
結局俺は山道を登ることはそこでやめ、魔物の出現する場所だけ
を行き来した。四時間ひたすらに戦闘だけをし続け、やっと目標の
五十万Gに到達する。
﹁よ、ようやくか。坂を往復するのは疲れるぜ、まったく﹂
ミミにヒールをかけてもらいながらその場にへたりこむ俺。
ここで稼ぐなら、最低でも荷物だけは代わりに誰かに持っといて
もらわないと⋮⋮。
﹁となると、やっぱりホクトの助けは必要だな﹂
ここで俺は、はっとする。
333
﹁⋮⋮ミミ﹂
﹁なんでしょう?﹂
﹁いや、そのだな、宿は三人一緒だし、明日からはホクトも金策に
参加するわけだから⋮⋮二人きりというのは今しかなくてだな⋮⋮﹂
しばしきょとんとしていたミミだったが、俺の発言の意味が分か
ったらしく、少しだけ恥ずかしそうにうつむく。それからコクリと
首を小さく縦に振った。
俺はこの日、動物になった。
山道で活動したのは四時間少々とはいえ実際にはそれと同じだけ
の移動時間を費やしてるわけで、俺たちが町に戻った頃には夜にな
っていた。
疲弊しきった足でまず向かったのは防具屋だ。
営業時間には間に合ったらしく、三十路くらいの男性店主に対応
してもらう。
﹁鎧はいいですよ。伸縮性はてんでない代わりに、防御性能はピカ
イチです。一般的な鉄製のものですらレア素材で作られた服と同程
度の頑丈さがありますし﹂
ふむ、そのへんの品でも俺くらいの防御力があるんだな。
や、むしろ、布でできてるくせに金属並に身を守れるのが凄いの
か。
334
﹁鎧には多くの種類があります。布鎧、革鎧⋮⋮おっとこれらは別
にしましょうか﹂
﹁全部言わなくていいぞ。一番丈夫なのをくれ﹂
﹁となれば、やはりプレートメイルでしょうね。非常に重い分機動
性は大きく損ないますが、耐久力はダントツです﹂
さすがに重いのか。まあホクトなら大丈夫だろう。
俺は三万と2000Gを支払い、プレートメイルを購入。重すぎ
て持ち帰るのは困難だったので明日取りに来ることにした。
あとうまそうだったのでパン屋に寄って晩飯も買っていった。
﹁主殿、ミミ殿、お疲れ様であります!﹂
宿では直立不動の姿勢でホクトが出迎えた。
﹁今朝方の失態、心より恥じ入っております。能のない自分には謝
意を示すことくらいしか⋮⋮﹂
﹁そういうのいいからさ⋮⋮ほら、これ﹂
俺はホクトに紙に包んだパンを手渡す。
﹁晩飯。一緒に食おうぜ﹂
﹁ですが﹂
ホクトはためらいを見せる。
﹁自分は本日なにもしておりません。働かざるもの食うべからず、
335
身に余る賞与であります﹂
﹁いや食っとけよ。腹ごしらえしといてくれないと俺が困る﹂
﹁どういうことでありましょう?﹂
﹁明日からお前にもついてきてもらうんだからさ。防具も用意して
おいたし、頼むぜ﹂
バターのたっぷり入ったお菓子みたいなパンをかじりながら俺は
そう返した。
ホクトは﹁おお⋮⋮﹂とじんときているかのような表情を浮かべ
て、パンを口にした後。
﹁誠に美味であります!﹂
と言った。
336
俺、邂逅する
俺は防具屋の開店に合わせて宿を出た。
﹁お待ちしておりました。それではお渡しします﹂
店主から受け取ったプレートメイルをホクトに装着させる。
可動域以外がすべて黒鉄の板金で覆われた、堅牢な鎧。
この鎧を堂々とまとったホクトの勇ましさたるや。外見だけなら
エリート騎士みたいだな。使うかどうかはともかくとして念のため
カットラスも装備させてあるし。
﹁重くないか?﹂
﹁支障ないであります! さあ、いざ魔物退治へ参りましょう!﹂
初探索に臨むホクトの気力の充実っぷりは凄まじい。が、その前
に。
まずはギルドへ。
前日出した依頼がどうなってるかが気になる。
﹁うわっ、めっちゃいるじゃん﹂
昨日に比べて人の数が激増していた。しかもどいつもこいつも妙
に活気があって、なんていうか内定式に紛れこんだような感じがす
337
る。
会話に聞き耳を立ててみると﹁山林行ってみてさ∼﹂だの﹁鉱山
の魔物が⋮⋮﹂だの、そういった内容だった。
﹁全員冒険者か⋮⋮?﹂
﹁おっ、シュウトじゃないか﹂
受付のおっさんに呼び止められる。
﹁待ってたぜ。出ていた依頼のうち、十七個はもう達成されてある
ぞ﹂
﹁そんなにか。はえーな﹂
﹁掲示されたらすぐに埋まったよ。やっと駆け出しが探索に行ける
依頼が出たんだからなぁ﹂
よっぽど仕事に餓えてたんだな。
想像以上にこの町の冒険者は困窮していたようだ。
﹁納品されたアイテムがたくさんあるぞ。持ってくるからちょっと
待っててくれ﹂
﹁それなんだけど、受け取りは帰ってからで⋮⋮﹂
と、俺が頼もうとした時。
﹁あの﹂
誰かに声をかけられた。振り返ると、そこには青い髪を後ろで縛
った男⋮⋮というか少年がいた。かなり若い容姿をしていて十五と
338
かそのくらいに見える。
﹁い、今さっき、シュウトって聞こえたんですけど、あなたがシュ
ウトさん⋮⋮ってことでいいんですよね?﹂
﹁そうだけど﹂
隠す意味もないので答えておく。
ところが、なんとなくで返答しただけだったのにギルドの待合室
にいた連中がざわめきながら立ち上がった。そしてその全員が俺の
ところまで寄ってくる。
﹁採取依頼を出してた方ですよね? ありがとうございます!﹂
﹁俺、初めて鉱山行けたんスよ! 魔物もやっと倒せたッス!﹂
﹁畑仕事以外の依頼やったのなんて初めてでしたよ。めちゃくちゃ
興奮しました!﹂
﹁私は今まで魔物と戦ってただけなんですけど、あなたのおかげで
Eランクになれました! 本当にありがとうございます!﹂
よく分からんけどすげー感謝されてるんだが。
﹁ちょっと待て。一人ずつ喋れ﹂
俺は手のひらをかざしてお礼攻めをストップする。
﹁一体俺がなにしたっていうんだよ﹂
﹁えと、一言挨拶しておきたかったんです。だって、全部依頼者の
名前が﹃シュウト﹄になってましたから⋮⋮﹂
少年が代表して答える。
339
ああ、そういうことね。要は仕事くれてサンキューって話か。
﹁でも俺が出した依頼の報酬なんて500Gとか1000Gとかだ
ぞ。大して高くないぜ﹂
﹁額の多寡じゃないッス。似たような報酬だったら魔物の出る地域
に行ったほうがいいッスよ。鍛えて強くなれるッスからね。それに
冒険者やってるって気がするッス﹂
﹁それに魔物の撃破報奨を合わせれば、追加で1000Gくらいは
行きますからね﹂
﹁ふーん﹂
そういやこいつら全員地元民だったな。
飯食ってくだけならそれだけあれば十分か。
﹁今までは魔物を倒して1000Gを得るか、町で働いて1000
Gを得るかの二択で⋮⋮﹂
﹁悲しい話をするなよ。こっちまで落ちこんでくる⋮⋮ま、そんな
に有意義だったってんなら、もうちょい働いてもらうぞ﹂
俺はおっさんに頼んで更に依頼を追加し、ギルドを後にした。
ただこの感じだと、俺が町を去ったらまた路頭に迷いそうだな、
あいつら。
さっさとランクを上げて、ヒメリいわく5000Gは稼げるとい
う山道にまで来られるようになれば問題なくなるんだろうが。
で、その山道だが。
340
この地を再度訪れた俺は、昨日に比べて随分と体の軽さを感じて
いた。
説明するまでもなく、荷物をホクトに運んでもらっているからで
ある。金にしろ素材にしろ戦闘を重ねるごとに膨れ上がってくるわ
けで、金策を続ける上で厄介になってくる。
そこをホクトがカバーしてくれるのはありがたい。
﹁それにしても凄い金貨の数でありますなぁ。魔物とはこれほどま
でに貴金属を貯めこむものなのでありましょうか﹂
﹁いや、これは魔物どうこうじゃなくて俺の影響だ﹂
薄々勘づいてはいたが、魔物が落とす硬貨を大幅に増やす俺のス
キルは世界にインフレを起こすことに繋がっている。
魔物が硬貨を持っている理由は誰かが紛失した金を拾っているか
らだ。
そいつらを倒して金銭を獲得する冒険者は、すなわち埋没金を循
環させてやってるわけで、社会への貢献度は地味に高い。
一方俺は増やした状態で返していた。
まあ魔物が生きてる限り余裕で眠ってる金のほうが多いだろうか
ら、気にすることでもないが。
﹁よっしゃ、これで二十体目⋮⋮あともうちょいで五十万Gに届く
な﹂
341
気にしてたらこんなふうに屈託なく狩りなんてやってない。
難しいこと考えても仕方ねー。金貨の流通量が減ったままよりマ
シだろ。
俺はこのマップになにがあるかをガン無視して、ただひたすら魔
物を倒し続けた。
﹁今日もお疲れさまでした﹂
﹁おう﹂
目標金額に達したところで俺たちは帰ろうとする⋮⋮が。
宿へと続く道の途中で、得体の知れない面々と出くわした。格好
からして冒険者だろう。
俺はそのまま素通りしようとしたのだが。
﹁やあ、見ない顔だね﹂
白い鎧で全身を固めた男が声をかけてくる。
サラサラの銀髪をなびかせた、いいとこのおぼっちゃんって雰囲
気のイケメンだ。
﹁もしかして、君が例のシュウトって人かな?﹂
﹁そのとおりだけど、なんで知ってるんだよ﹂
﹁低ランクで山道に向かう冒険者はいないからね。アセルにいる高
ランクの冒険者となれば、遠征者に限られる。それと﹂
342
男は人差し指を立てた。気取った所作だが育ちのよさが表情に出
てるからか嫌味さがない。
﹁依頼の一覧に﹃シュウト﹄という見慣れない名前があったからね。
全部に制限がかかっていたのも妙だったけど、なにより僕がこれま
で受注してきた中にそんな依頼者はいなかった。となると、このシ
ュウトなる人物は遠征者だと推測できるよ﹂
﹁へえ、そういう理屈か﹂
ただちょっと待てよと。
﹁ということは依頼を独占してるってのは、お前らか﹂
﹁独占? ああ、商業ギルドの人たちから請け負ってる依頼のこと
か﹂
顎に手を当てる男。いちいち仕草がキザだなこいつ。
﹁強引なやり方だとは自覚している。でも僕にはお金が必要なんだ﹂
﹁いや別に責めてるわけじゃないけどさ。権利で認められてるんだ
し﹂
俺も名声目当ての時は一度に複数受けてたしな。
﹁そうか。安心したよ。⋮⋮僕には夢があるからね。この町を離れ
る前に、少しの区画でいいから小麦畑の所有権を買っていきたいん
だ﹂
﹁また金のかかる買い物をするつもりなんだな﹂
﹁僕はアセルのパンが気に入ったんだ。小麦の流通ルートを確保し
ておきたいんだよ。そうすればこの味を実家の両親にまで届けられ
343
る﹂
﹁親孝行な奴だな⋮⋮援助してもらえばいいじゃん﹂
﹁できるわけないじゃないか。僕は農家の出身だよ﹂
そう言って男はくすりと笑い、﹁よく貴族の血筋と勘違いされる
けどね﹂と添えた。
ま、まさか、この物腰が育った環境云々ではなかったとは。
依頼の独占と聞いていたからどんだけあくどい奴なのかと思った
が、普通に好青年だった。
しかしそれはそれでなんかムカつく。
﹁皆には迷惑をかけちゃってるけどね。旅を中断してるんだから﹂
﹁あー、そういやいるのはお前だけじゃなかったな﹂
言われてみれば、この土地での滞在を決めたのはこいつ一人の一
存なんだから、仲間だからってそれに異論なく付き従っているのは
従順すぎる。
⋮⋮と思ったが、後ろに控えているパーティーのメンツを見渡し
てみたところ、一人の例外もなく全員女だった。
これはあれだな。
こいつら全員惚れてるんだろう。
まさに王子様だな。
344
多分だが、この女たちがギルドで依頼待ちの列をなしてたんだろ
う。そりゃ意見できないわな。なんか恐いし。
﹁それにしても、山道の帰りだっていうのに全然怪我や汚れがない
ね。あそこはこの近辺じゃ一番魔物のレベルが高い場所なのにさ﹂
﹁そんな大したもんじゃねぇよ﹂
﹁君は強いんだね﹂
﹁自分が強くないみたいな言い方だな。そんなわきゃないんだろ?﹂
男はその問いには答えず、肯定とも謙遜とも取れる微笑を返して
くる。
﹁シュウトはいつまで留まるつもりなんだい?﹂
﹁決めてねぇな。せっかくの過ごしやすい町なんだしゆっくりはし
ていく予定だけど﹂
﹁そうか。じゃあ、またどこかですれ違うこともあるかも知れない
な﹂
俺は特別興味もないが、男は﹁これもなにかの縁だよ﹂と語り、
それから名乗った。
﹁ヤンネだ。いつかまた会いたいね﹂
345
俺、説明する
アセルに滞在して早二週間が過ぎた。
いすぎだろって言われそうだが、居心地がよすぎてつい長居して
しまっている。
予想していたとおり、ヒメリはあれだけ個別行動を強調していた
のに俺に干渉しまくって﹁早く次の町に行きましょう﹂と催促して
きたのだが、飯をおごることを約束したら文句は言わなくなった。
現金な奴だ。
ヤンネとは何度か遭遇したが、軽く会話を交わして終わりだった。
あいつも目的に向けて金策に精を出しているんだろう。
ただ付属品の女軍団にはよくガンを飛ばされた。あいつらは恐い、
マジで。
それと先日、古木の枝をミミ用の杖に加工してもらった。
まあ加工といっても滑らかに磨いて形を整えた後、先端部分に銀
細工をちょろっとあしらっただけなので外見上はほとんど木のまま
なのだが。
あとはまあ、特に変化はない。日課に山道に出かけて金を稼いで
くるくらいで⋮⋮。
﹁あっ、シュウトさん! おはようございます!﹂
346
⋮⋮ああ、こいつがいたな。
探索帰りにギルドに立ち寄った俺にやたら懐いてくるこの青髪の
少年は、リクという名前だ。
貧乏冒険者たちがどうにも他人事に思えず、俺は依頼を出し続け
ていたのだが、そのせいかリクに限らず俺はここの連中からの信奉
を集めている。
﹁シュウトさんのおかげで本当にみんな助かってます。感謝しても
しきれません﹂
﹁それはいいんだけどさ⋮⋮俺がこの町を離れた後のことも考えと
けよ﹂
お前ら少しは俺に頼る以外のこともしろって言いたくなる。
ただリクはその中ではまだマシな部類だった。俺が来る前から鉱
山に足を運び、大して金にならないながらも採掘と狩りに励んでい
たという。
﹁きっと大丈夫だと思います。探索に行くようになってからみんな
グングン成長してますからね。なにより、自分もそうですけど、冒
険者としての自信がついてきています。僕だって昨日は魔物の討伐
だけで2000Gも稼いできたんですよ!﹂
無邪気な笑顔で嬉しそうに報告してくるリク。
﹁だったらまあ、安心していいか﹂
﹁それもこれもシュウトさんがきっかけを作ってくれたおかげで⋮
347
⋮﹂
﹁もういいっての﹂
人から賞賛されることに慣れてないから褒め殺しはムズ痒い。
リクと会話する最中で、不意にギルドの扉が開く。
立っているのはヒメリだ。
﹁シュウトさん、いますか?﹂
﹁どうしたんだよ、そんなに慌てて﹂
﹁どうしたもこうしたもないですよ、大至急広場までついてきてく
ださい!﹂
ヒメリは俺の手を引いて無理やりに走らせた。
連れて行かれた町中央の広場には⋮⋮どういうわけか住民が大挙
していた。
何人かが﹃断固ヤンネ支持﹄という看板をかかげている。
そしてまた別の何人かは﹃絶対シュウト支持﹄という看板を⋮⋮
って、それ俺じゃねーか。勝手に人の名前使ってなにしてくれてん
だ。
﹁なにやってんの、こいつら﹂
﹁支持者による権勢争いですよ。今この町で影響力のある人物は二
人です。一人は商業ギルドにとって安定した仕入先となっているヤ
ンネという方﹂
348
一本、二本と指を立てていくヒメリ。
﹁そしてもう一人は、冒険者ギルドの求人を増やしている⋮⋮シュ
ウトさんです﹂
﹁は? 俺?﹂
﹁そうですよ。たった二週間で人心掌握してしまってるんですよ、
あなたは﹂
マジか。これがバラ撒きの効果なのか。地方再生ってやつだな。
じゃなくて。
﹁俺はともかくとして、なんでヤンネまでこんなに支持層がいるん
だよ﹂
﹁それはもちろん、依頼を確実に達成してくれるからですよ。発注
者は受注者を選べませんからね。どうせなら腕のいい方が行ってく
れたほうがありがたいはずです﹂
ふむ、一理あるか。
この町で依頼を達成し続けているヤンネは数え切れないほどの名
声を得ているに違いない。
﹁ですが、このままシュウトさんを推す声が増え続けたら、ヤンネ
さんが気分を害して町を離れてしまうのではないかと危惧している
みたいです﹂
﹁んなことありえるかよ﹂
俺の知るヤンネはそんなことを気にする男には見えなかったぞ。
349
ヤンネを王として担ぎ上げてるのは周りの人間だろうに。
﹁というかお前、町の情勢に詳しいな﹂
﹁シュウトさんに食費を負担してもらってますから、その分町内で
の活動が多くなりましたからね﹂
高い情報料だ。
ここで集団の一人が俺に気づいたらしく﹁シュウト! シュウト
!﹂のコールを始めた。それを契機としてヤンネコールも上がり、
もはや収拾がつかない状況になる。
ってか、うるせー。
﹁シュウトさん、ここはなにかしら事態を収めるために発言したほ
うがいいですよ﹂
﹁ええ⋮⋮めんどくせぇよ。俺が町を去ったらいいだけじゃん﹂
﹁今ここでそんなことしたら最悪ですよ。負けを自ら認めたことに
なるんですから。そうなったら冒険者ギルドの盛り上がりに水を差
すことになります﹂
む、それはちょっと複雑な心境になるな。
ダメな子ほどかわいいじゃないが、なんだかんだでこの町の冒険
者たちには情が移っている。
ようやく高まった気運が落ちこんだら投資の甲斐がなくなるし、
丸々損だ。
﹁しょうがねぇな⋮⋮あー、商業ギルドの人らは気づいてないみた
350
いだが﹂
一旦静かになってもらい、俺は簡単なスピーチを開始する。
やべー、政治家にでもなった気分だわ。
﹁冒険者稼業が盛んになるメリットを無視してないか? 探索に行
くようになれば各種品々が要りようになるだろう。いいか、雇用の
拡大は消費の増加に繋がるんだぜ。こんなの俺でも知ってるぞ﹂
﹁出ていかれたら終わりじゃないか!﹂
﹁地元の勇士の門出くらい祝ってやれよ。そのうち故郷に錦を飾り
にくるかも知れないだろ﹂
﹁そうやって何人も見送ってきたが、誰も帰郷してこなかったよ!
その点ヤンネさんは町の産業に還元もしてくれるし⋮⋮﹂
﹁いつまでも続くってわけじゃないだろうに﹂
目先の利益追いすぎだなこいつら。口に出すと余計に刺激してし
まうから言わないが。
こうなったら買収するしかないな。
俺は汚い大人なので金で解決できるならそうさせてもらう。
ただよくよく考えれば、効果があるかは微妙だな。今後の付き合
いが続くわけじゃないから受け取るだけ受け取って知らん顔してり
ゃいいだけだし。
マジモンの選挙と違って投票をするわけじゃないから、当選した
暁には云々みたいな根回しも意味がない。
351
﹁シュウトさんは俺たちの希望だ!﹂
﹁いや、ヤンネさんこそがこの町を支えている!﹂
ああもう、いつ終わるんだよこれ。
と、そこに。
﹁シュウト、君も来ていたのか﹂
女軍団を引き連れたヤンネが現れた。どうやらこいつも騒ぎを聞
きつけてきたらしい。
ヤンネコールが沸く中、仲間に待機を命じて俺の近くにまで駆け
寄る。
﹁大変なことになったね﹂
﹁大変どころじゃねぇよ。お前もなんか言ってやってくれ。俺だけ
じゃどうしようもない﹂
﹁僕が発言しても顰蹙を買うだけさ。僕のやり方は利己的だからね。
冒険者ギルドにはいい感情を持たれていないことは察してるよ﹂
まあそうなるか。
すると、群集の一人がこう叫んだ。
﹁二人で決着をつけてくれ! 俺はその結果に従うぞ!﹂
無茶苦茶な要求にしか思えなかったが、その波は徐々に広がって
いき、気づけば﹁そうだそうだ﹂の大合唱に発展していく。
352
﹁はあ? 誰がやるかそんなもん﹂
俺は当然そう即答したのだが、ヤンネは違った。
﹁それだけで混乱が収まるなら悪くないんじゃないかな。それに、
僕も一度シュウトとは手合わせしてみたかったんだ﹂
ヤンネがそう口にした途端、広場の盛り上がりは最高潮に達した。
﹁いやいやいや、馬鹿な話はやめろって。同業者間でやりあうのは
ご法度だぜ﹂
﹁双方合意なら認められるよ。もちろん、立会人監視の下で、お互
いに不殺の呪縛がかかった状況でないとダメだけどさ﹂
﹁なんだそりゃ﹂
知らないワードが出てきたので、尋ねる。
﹁与えるダメージに制限をかける呪いだよ。致命傷には絶対ならな
いから、戦闘不能に陥っても死にはしない。本来すぐ解除できる状
態異常だけど、あえてそのままで戦うんだ﹂
これがあるからこそ冒険者同士で競い合う闘技場なるものが成り
立っているらしい。
﹁僕だって元を辿れば強者を目指して冒険の旅に出たんだ。君のよ
うにわずか二週間で町内に一大ムーブメントを巻き起こせる冒険者
なんて、そうそう出会える相手じゃないからね﹂
﹁だからこの機会に腕を比べたいってか? 悪いけど俺は空気とか
読めないから平気で断るぞ。めんどくさいし、痛いのも嫌だ﹂
353
俺は素直にそう返事した。
﹁じゃあ、こうしよう。山道にはヒスト・ラクシャリアという蝶が
出現するんだけどさ﹂
名前からしてレアモンスターだな。もう傾向で分かる。
﹁戦闘力はほとんどなく、とても美しいとされているんだけど、非
常に珍しい魔物でね⋮⋮僕もまだお目にかかったことがない。日取
りを決めて、この蝶を捕まえたほうが勝ちにしよう﹂
﹁なるほど、それは公平かつ平和的な条件ですね﹂
ヒメリまで乗ってきやがったんだけど。
﹁シュウトさん、受けてみてはいかがですか? こうなったら白黒
つけないとここに集まった人たちは納得しませんよ。それに勝ちさ
えすればあなたの名誉にもなります﹂
なんか異論を差し挟む暇もなく話を進められてるが、こっちにも
都合ってものがある。
﹁待てっての。山道って一口にいっても、山頂までは六時間かかる
んだぜ? 蝶がどこにいるかも分からないのに、俺がそんなしんど
いことをやるわけが⋮⋮﹂
﹁自分が背負って走るであります!﹂
どこかからよく響く声が上がった。
声の出所を視線で追う。
354
両足を肩幅に開いた、威風堂々たる立ち姿のホクトがそこにはい
た。
355
俺、利用する
おい待て。
どんどん外堀が埋まっていくんだが。
ホクトがそばにまで来る。
﹁自分は主殿の役に立ちたいであります。自分のように馬車馬のご
とく働くしか能がない者には、他に主殿のためにできることはあり
ませぬ。どうか大役を担わせていただきたいであります!﹂
どうやらホクトは俺への貢献度の低さに引け目を感じていたらし
い。
魔法によって戦闘をサポートできるミミと違って、荷物持ちしか
やらせていないからな。
﹁いいね、これなら君の足労にもならないだろう。それならルール
も厳格化しないとダメだな。お互いにパートナーを一人ずつつける、
ということでいいかな?﹂
﹁いや俺はまだ受けるとは言ってないんだが﹂
まあそう焦るなよ、と。
﹁まず第一にお前の出した条件っていうのが不信だ。蝶を捕まえる
ったって、当日じゃなくても前もって捕まえておいたらいいだけじ
ゃねぇか。それにめったに見ることのできない珍しい魔物なら、偽
356
物持ってきてもバレないだろ﹂
﹁ギルドの職員に鑑定してもらえばいいよ。彼らは魔物に関する知
識のエキスパートだ。ヒスト・ラクシャリアが本物であるか、捕ま
えた日付がいつか、きっちり導き出してくれるはずさ﹂
そういやレアメタルといい筆跡といい、この世界の鑑定技術はや
たら精度が高かったな。
﹁でもさ、自分で言うのもなんだが、冒険者ギルドは俺よりだぜ﹂
﹁僕はギルドマスターの中立性を信じるよ﹂
ムカつくくらいに清々しく答えるヤンネ。
その潔さにまた観衆が沸いた。
これはまずい。なにがまずいって、ここまで来て断ったら俺の敵
前逃亡になる。結局のところ尻尾巻いて町を去るのと同じことにな
るからな、このままだと。
追いかけてきたであろうリクたちの不安げな姿が見える。
受けないのが最悪の結果か。
この町の冒険者は長らくゴミのような扱いだったと聞いている。
せっかくゴミが燃えてきたところなんだし、その火を絶やすのは
ダメだよな。
﹁分かったよ。俺が一肌脱げばいいんだろ﹂
357
俺を支持する人間が息を吹き返す声が、一斉に沸き起こった。
﹁シュウト様、本当によろしかったのですか?﹂
﹁仕方ないじゃん。俺がうんって頷かないとどうしようもない空気
だったじゃねぇか﹂
﹁自分は燃えております! 主殿の名誉のために全力を尽くすであ
ります!﹂
﹁お前のやる気で完全に退路断たれたんだけどな⋮⋮今更だからい
いけど﹂
広場での騒動が静まった後、俺はギルドに戻ってラウンジで管を
巻いていた。
日時はインターバルを置いて五日後の朝六時に決まった。
他に定められたルールとしては回復アイテムの持ちこみ可、相互
干渉の禁止、など。
要するにタイムアタックレースみたいなもんだ。
﹁がんばってください、シュウトさん﹂
﹁私、精一杯応援します!﹂
﹁シュウトさんの男気に俺たちも勇気づけられたッス!﹂
Eランクの冒険者たちが束になって声援を送ってくるが、別に責
任だとか男らしさだとかそういうことを考えて受けたわけじゃない。
こいつらを裏切るのが忍びないからという、言っちゃなんだが自
己満足だ。
358
俺は別に弱者の味方ではない。元々社会的弱者だったからこそ似
たような弱者に同情してるだけに過ぎない。客観的に見ると完全に
ツンデレの思考なのだが、ここの連中にシンパシーを抱いてしまっ
てるんだからしょうがないだろう。
﹁俺に構う暇があったら仕事してこいよ。リクはもう鉱山まで行っ
てんだぞ、ちょっとは見習え﹂
と言って、俺は働きに行くよう促した。
まあでもやるからには勝たないと意味がない。なんのためにこい
つらの世話を焼いてやったんだってことになるからな。
ホクトのコンプレックスもなんとかしてやりたいところだし。
皆が出発したのを見届けてから、受付まで歩み寄る。
﹁おっさん、なんとかかんとかっていう蝶の情報を教えてくれ﹂
まずはそこから知らないことには始まらない。
﹁ヒスト・ラクシャリアか? 分類上は魔物扱いだが、観賞用とし
て有名なラクシャリア種の中でも山岳地帯に生息するといわれてい
る個体で、しかも特に希少な⋮⋮﹂
﹁いやそういう情報を聞きたいんじゃなくてだな﹂
俺はペットショップに来ているわけではない。
﹁外見的特徴とかか?﹂
359
﹁それ。そういうのだ﹂
﹁俺も直接目にしたわけじゃないから伝聞でしか知らないが、通常
の蝶よりも一回り大きく、鮮やかな青紫の翅を持つといわれている﹂
それだけ聞いたら日本の国蝶みたいだな。
よって今後微妙にもじってビッグムラサキと呼ぶことにする。
﹁実物は貴族くらいしか見たことがないから、どれほどのものかは
分からんがな﹂
﹁見たことないのに鑑定はできるんだな﹂
﹁そりゃあな。でないと要注意指定の魔物の素材が持ちこまれたと
きに審査できないだろ﹂
ふむ、確かに。
以前の町で素材を持ち帰る都度、一発でどの魔物のものか見破ら
れたことを思い出す。
﹁ってことはおっさんが鑑定役を務めてくれるんだな。ヤンネもギ
ルドマスターがどうこう言ってたし﹂
﹁ああ。アセルで適任なのは俺くらいだろう﹂
﹁どうせなら俺に肩入れしてくれたりは⋮⋮﹂
﹁それはいくらシュウトとはいえ聞けない頼みだな。冒険者ギルド
の責任を負っている以上、冒険者に対しては公正な立場であること
が求められる﹂
だろうな。でなければヤンネ軍団が押しかけてきた時に﹁俺の門
下生がかわいいからお前らはアウト﹂って依頼から弾くこともでき
たろうし。
360
それにしてもヤンネという男は爽やかなくせに妙に不気味だ。取
り巻きにしても商業組合にしても、そして挑戦を受けることになっ
た俺にしても、本人の意図どおりなのかは知らないが世論を先導す
る力がある。
あれがカリスマ性ってやつなのか。
﹁蝶の出現条件みたいなのは分かってるのか?﹂
﹁目撃情報に寄れば時間帯は関係ないらしい。だが、残りは未明だ。
出現場所が頂上付近ということだけは判明しているが⋮⋮﹂
﹁げ、よりによっててっぺんかよ﹂
もっと低空を飛べよな。
﹁捕まえさえしなければルール破りにはならないから、下調べに行
ってみるのもいいだろう﹂
﹁山頂まで行く時点で相当な手間だしな⋮⋮﹂
いくらホクトに背負ってもらったとしても、場所移動こみで往復
十六時間はきつい。丸々一日をそれだけに費やすことになる。
これは人員を雇うか。資金は大量にあるし。
ただ地元の冒険者はまだ山道で活動できるほど鍛えられてないし、
Cランクをアテにするにしても遠征中の奴しかいない。つまりはヤ
ンネの一派なわけで。
﹁あいつら金で動いてくれるかな⋮⋮﹂
361
無理だな。愛しのヤンネ様に操を捧げるだろう。
⋮⋮ん? 待てよ。
﹁いたじゃねーか。ちょうどいい第三者が﹂
俺は無性に愉快な気分になってしまった。
精々こきつかってやるか。
362
俺、騎乗する
次の次の日。
俺は練習とテストを兼ねて、宿の裏手にある路地で朝から走りこ
みを敢行していた。
正確にはホクトと合体した俺、であるが。
合体といってもジョイントしているわけではない。ただおんぶし
てもらってるだけだ。
﹁主殿、自分の乗り心地はいかがでありますか?﹂
﹁乗り心地って言うな乗り心地って﹂
そういう卑猥に聞こえる表現を堂々と口にするのはやめていただ
きたい。俺はこれでも内心で留めている。
で、その乗った感じはというと、鎧越しなので柔らかいとかそう
いうのはない。多分ホクトもなんの感触も覚えていないだろう。い
ろいろと無機質である。
﹁これ、本当に走れんのか?﹂
俺の体重を抜きに考えても鎧だけでかなり重そうだが。
﹁加えて俺は大剣を背負った状態だぜ﹂
﹁大丈夫であります! でえやああああああ!﹂
363
ホクトは気合一喝走り出す。
﹁おおっ﹂
はえー。俺が自力で走るよりも断然速い。
しかも安定していて持続性もある。パワー、スピード、スタミナ、
バランス、いずれも申し分ない。
﹁このペース配分でいつまで持つんだ?﹂
背中越しに語りかける俺。
先に山頂にまで到達したほうが圧倒的に有利なのは明白。となれ
ばスピード勝負を挑むのがもっとも分かりやすい正攻法だろう。
﹁は、八分ほどでしょうか﹂
﹁え、そんなもんなのか?﹂
﹁これは全力疾走でありますから。数時間もは保てないであります﹂
﹁ふーむ﹂
まあ全力で走って八分もスピードを維持できるんなら凄まじいこ
とではあるんだが。
﹁息が続く速度で走ってみてくれ﹂
﹁了解であります!﹂
ランニング程度までペースを落としてもらう。
364
これでも十分に速いな。風を切る爽快感はなくなったが、俺がと
ことこ歩くよりも遥かにいい。
ただ鎧を着こんでいるからガッシャンガッシャンうるさい。まあ
それはいいにしても、やはりというべきかホクトが走りにくそうに
しているのが難点だ。全身に合板がまとわりついているせいで実際
の重量以上に負荷がある。
その上本番は斜面だ。今のように平坦な道と同じ感覚では臨めな
い。
二時間ほど走ってもらったところでホクトの呼吸が荒くなってき
たので、今度はジョギングくらいにまでペースを下げさせる。
﹁期待以上の結果を残せず申し訳ないであります⋮⋮﹂
﹁鎧つけてこれだけ走れるなら上出来だよ。あまり気負うなって﹂
ホクトはやっと俺の役に立てる機会が来たとモチベーションをマ
ックスまで高めているのだが、張り切りすぎるのが玉にキズだ。
﹁万全ならもっとスピードを出せるのでありますが⋮⋮軽い服に着
替えましょうか?﹂
﹁うーん、それだと魔物に遭遇したときに不利になるからなー﹂
三日後に控える決戦の舞台となる山道は、低ランクでは足を運べ
ない、それなりの難所。
俺なら大抵一撃で葬れるとはいえ油断は禁物だ。速度ばかり重視
して守りをおろそかにするわけにはいかない。
365
﹁理想を言えば一切戦闘せずに突破できればいいんだが⋮⋮﹂
難しいな。
ってか、無理だろ。絶対に魔物の出没地帯を通らないといけない
わけだし。
とりあえずホクトの背中に乗ってるのが楽しくなってきたので、
そのまま町に出てもらった。
﹁もう昼か。腹減ったな⋮⋮どっかでパンでも買うか﹂
﹁では、お運びいたします!﹂
市場までダッシュしてもらったのだが、途中。
数人が言い争っている光景が目に入った。入ったというか、横に
広がって進路をふさいでるので邪魔になっている。
﹁だから私がもっともふさわしいって言ってるでしょ!? ヤンネ
様が山道に向かう時はいつもお供しているもの!﹂
﹁そんなの関係ないわ! 一番ヤンネ様のためになってる人がなる
べきよ。それは間違いなくアタシだわ。だってこの中で一番多くの
依頼を達成しているんだから﹂
﹁数じゃないわ。仕事の難儀さで測るべきよ。あなたなんて薬草採
取しかしてないじゃない。私は鉱山まで採掘に行ってるのよ!? どれだけ疲れて帰ってきてるか分かる?﹂
﹁そんな感情論はいらないの。金額で見るのが客観的だわ。わたし
がこの前山林で拾ってきた古木の枝なんて凄く高値で取引されて⋮
⋮﹂
﹁これまでどれだけ貢献したかなんてどうでもいいじゃない! そ
366
の日一番活躍できる人がなるのが合理的だと思わない?﹂
﹁それなら私ね。私はこの中で一番年下なのに、同じCランクだわ。
皆より才能がある証拠でしょう﹂
﹁ねえ、今若さって関係ある? あまりふざけないで。わたくしは
あなたたちとは過ごした時間が違うの﹂
﹁一番古株だから一番偉いっていうの? そんなの押しつけよ。ヤ
ンネ様の気持ちを無視してるわ﹂
やかましい上にかしましい。
あー、これは。
ヤンネのパートナーの座を巡って内輪揉めしてるんだな。
お前らが長々と議論したところで、結局選ぶのはヤンネ本人なん
だから意味ないのに。
﹁というか、こいつら報酬献上しまくってたんだな⋮⋮﹂
まるでアイドルに群がるファンだな。
今後ヤンネファンクラブと呼ぼう。
﹁悪い、ちょっとどいてくれ﹂
俺は一旦ホクトの背中から降り、道を開けてもらうよう頼む。
なんとなくそんな予感はしていたが俺の存在は認識されていたら
しく、その場の全員から敵意を向けられた。
367
﹁あら、あなたは確か⋮⋮シュウト、でしたっけ? ちょうどよか
ったわ、いつか伝えておきたかったのですけど、ヤンネ様に気安く
話しかけるのはやめてくださるかしら?﹂
気安くって、ヤンネは王族かなにかかよ。
でもこいつらなら﹁はいそうです﹂と答えかねないな。
﹁本当に、なんであなたみたいな何の変哲もない人にヤンネ様は興
味を持たれたのかしら⋮⋮﹂
﹁とてもじゃないけれど通行証をもらえるCランクには見えないわ﹂
﹁その点ヤンネ様は、実力、威厳、気品すべて揃っていて⋮⋮はあ、
本当に、なんであなたなんかに﹂
言いたい放題だなおい。いいからどけっての。
﹁主殿の悪口は聞き捨てなりませぬぞ﹂
ホクトが毅然とした態度で立ち向かう。
獣人に指図されたのがよほど腹立たしかったのか、ヤンネファン
クラブの一人が吐き捨てるようにこう告げた。
﹁なによ、奴隷の分際で。金で買われた信頼関係のくせに﹂
ホクトの顔がみるみる赤くなる。その面持ちは怒りに震えている
ようにも、羞恥に堪えているようにも見えて、どちらにせよ沈痛な
ものだった。
まあ奴隷に対する世間一般の認識なんてこんなものなのかも知れ
368
ないし、実際俺も金で手に入れたわけだけども。
﹁⋮⋮自分への侮蔑で気が済むならこれに勝る喜びはありませぬ。
これをもって主殿の悪口はやめていただきたい﹂
俺は歯を噛みしめるホクトの肩を叩き。
﹁ほっとけよ。俺は金で忠誠心を買ったかも知れないけど、忠誠心
で金を貢いでるこいつらよりはダサくねぇよ。俺は俺の利益のため
に金を使っただけだからな﹂
そう言ってやった。
﹁早くどいてくれよ。俺以外にも邪魔になるからさ﹂
無理やりに道を開けさせる。
﹁ヤンネ様のメンツがあるから今日はなにもいたしませんが、これ
だけは言い残しておきます。あなたの口の汚さは天下一品ですわ﹂
﹁生憎俺は名家に生まれた人格者なんかじゃなくて、性格の悪いタ
イプの金持ちだからな﹂
俺はホクトの手を引いて通り過ぎた。 あいつらを失望させられるなら、ヤンネを負かすのも悪くない。
それはともかくとして、目的は飯だ。俺は市場でパンを複数個買
い、そのうちの一個をくわえながら歩く。
残りは宿に戻ってからミミも含めた三人で食うか。
369
と、その前に。
ギルドへと立ち寄る。
﹁遅かったじゃないですか﹂
ラウンジのテーブル席にヒメリが座っていた。疲労困憊の様子で。
というのも、俺がヒメリを直々に指名してビッグムラサキの調査
依頼に出向いてもらったからに他ならない。一応こいつの立ち位置
的には﹁俺とは別パーティー﹂なのだが⋮⋮。
﹁よく行ってきてくれたな。感謝するぜ﹂
﹁感謝もなにも、さすがに報酬五万Gは受けるに決まってるじゃな
いですか。山頂で二泊もした甲斐がありましたよ﹂
くたびれている割に口元だけニヤけているが、どうせ晩飯をどの
くらいリッチにするかでも考えてるんだろうな。
それをともかく、ヒメリは俺にメモを手渡す。
﹁どこに聞き耳が立っているか分かりませんから、口頭では伝えな
いでおきます。貴重なマル秘データですので﹂
﹁気が利くな﹂
﹁シュウトさんが日頃迂闊すぎるだけです﹂
澄まし顔でピシッと人差し指を立てるヒメリ。
﹁それより本番に向けての準備はどうなんですか? ホクトさんに
370
背負ってもらうにしても、あの上り坂を一定のペースで走り続ける
のは不可能でしょう﹂
﹁それなんだよなぁ。防具の軽量化も考えてるんだが﹂
﹁自分にもっと戦闘力があれば⋮⋮面目ないであります﹂
﹁いや別にホクトの責任じゃないけどな。重力とかいう融通の利か
ないシステムのせいなだけで﹂
椅子に深く腰かけ、腕を組んで考えこむ俺。まあ考えこんでるふ
うなだけで特にアイディアが出てくる気配はないんだが。
その時、ギルドの扉をゆっくりとくぐる人影が見えた。
青のポニーテールが揺れている。
﹁リクか。今日も鉱山に行ってきたのか?﹂
﹁いえ⋮⋮﹂
どうやら違うらしい。
﹁じゃあこれからか﹂
﹁今日は探索に行く予定はありません。えと、シュウトさんに用事
があって﹂
﹁俺に?﹂
あと、様子もちょっと違っている。いつもは人懐っこい表情を浮
かべていることが多いが、そのあどけない顔から、今日はなにやら
決意めいた心情がのぞいている。
﹁シュウトさんだから話せることです。一度、僕の家にまで来てく
れませんか?﹂
371
リクの瞳には静かな炎が灯っていた。
372
俺、疾走する
決戦当日の朝。
﹁眠たそうだね﹂
﹁何時起きだと思ってやがる﹂
山道の入り口前で、あくびする俺と純白の鎧で決めたヤンネが肩
を並べていた。
ヤンネは結局ローブを着た魔術師っぽい役割の女をパートナーに
選んだらしい。前衛タイプである自分の欠点を補うことが狙いか。
一方の俺は、もちろんホクトとタッグを組んでいる。
﹁コンディションは十全であります! 迅速に頂上まで駆け上がる
であります!﹂
気合も満タンだ。
パドックでこれを見かけたら追加で単勝買っちゃうな。
﹁あー、それではルールの再確認を行うが﹂
見届け役として立ち会っているギルドマスターのおっさんが説明
を始める。
もっとも山道前に来たのはおっさんだけではない。多くの町民が
373
押し寄せてきていた。
雌雄が決する瞬間を見に来たらしいが、どっちかが蝶を捕まえて
戻ってくるのはおそらく日没後になるだろうに、よく待とうと思え
るな。俺なら絶対お断りなんだが。
当然ヤンネファンクラブの連中も集まっているし、別に宿で寝て
ていいと言ったのに律儀にミミもついてきている。
﹁先にヒスト・ラクシャリアを捕獲して帰還したほうを勝者とする。
魔物の討伐数や被害の大小は評価に含めない。アイテムは使用可、
装備は自由。唯一禁止なのは対人攻撃だけだ﹂
こんなのは事前に知らされている。今更姿勢を正して聞くような
ものでもない。
市場の面々が全員ヤンネに与して俺には回復薬を売らない、なん
てこともあるかと思ったが、おっさんが依頼の受注を止めないのと
同様に、売買に私情を差し挟んではこなかった。
備蓄は万端。
それにしても、虫取り網なんて握ったのはいつぶりだろうか。ヤ
ンネ側も持参しているからなんか夏休みっぽくて今ひとつ緊迫感が
ない。
﹁⋮⋮ただなぁ、シュウト﹂
出走間際になっておっさんが心配性な口ぶりで話しかけてくる。
374
﹁なんだ?﹂
﹁本当にその防具でいいのか?﹂
﹁いつもの服装だけど﹂
﹁お前じゃない、お前の相方だよ。随分と軽装じゃないか﹂
﹁ああ、そっちか﹂
クジャタの服にレザーベストといういつもの格好に剣を背負った
俺とは違い、ホクトはプレートメイルではなく、新たに購入した皮
鎧を着こんでいる。
﹁軽くて走りやすそうだったからな﹂
﹁軽いったってなぁ。皮革は刃物に対してはまずまず耐性があるが、
ここの魔物がしかけてくる攻撃は体当たりだぞ?﹂
﹁まあ結果を待ってなって﹂
俺はそうとだけ返答した。
﹁いよいよだね。正々堂々戦おう﹂
手を差し伸べてくるヤンネ。
だが俺は握手を拒んだ。
﹁お前のそういう行為が勘違いを生むんだぜ﹂
﹁勘違い?﹂
﹁周りをその気にさせるってやつだよ。これといった思惑なんてな
くとも、王様みたいな振る舞いをするから皆そうだと思っちまうん
だ﹂
自然に出てしまう所作なんだろうが、だからこそ危うい。知らず
375
知らずのうちに女を虜にし、民衆を扇動し、話題の中心にい続ける。
それがこいつの特性だ。
相手のペースに呑まれてたまるか。
﹁時間だ。始めるぞ!﹂
響き渡る大声と共に、おっさんが手に持っていた鐘をガランガラ
ンと鳴らす。
ついに開始か。
颯爽とスタートを切るヤンネ組。一方で俺は剣と交差させるよう
に虫取り網を背負い、ホクトの背中へと飛び乗った。
﹁行くぜ、ホクト﹂
﹁了解であります! 一世一代の大勝負、支えさせていただきます
!﹂
ホクトが疾駆を開始する。
素晴らしいスピードだ。あっという間にヤンネを抜き去り、どん
どん差を離していく。
﹁うおおおお! 全速全開であります!﹂
坂道をものともせず駆け上がっていくホクトの足腰は強靭極まり
ない。装備も軽量級で統一してあるから、走る妨げになるものはな
にひとつとしてない。
376
問題は⋮⋮。
﹁主殿! 斜め前方に魔物の影をとらえたであります!﹂
魔物の出現地帯にさしかかったようだ。
数にして二体。例によって真っ黒ボディの鹿と猪である。
どちらも俺たちの方向へと突進してきている。防御面の乏しいホ
クトに命中すればかなりのダメージを負うことになるだろう。
しかしそれは命中すればの話だ。
さらに言うならば、戦闘に及びさえしなければ何も不都合は起こ
り得ない。
向かってくる魔物を視界に収めた俺は、それでもホクトの背中か
らは降りなかった。
動ずることはない。
俺は背負っている剣を︱︱﹃鞘から﹄引き抜いた。
﹁吹き飛べええっ!﹂
淡いエメラルド色の輝きを帯びた刀身から、勢いよく暴風が放た
れた。
377
﹁僕の父は鉱夫でした。まだ鉱山に魔物が跋扈していなかった頃の
ことです﹂
俺を自宅に招いたリクは、唐突に身の上話を始めた。
それにしても、質素な家だ。木造建築の時点でかなりボロいこと
がうかがえる。これだったら最初に女神にもらった家のほうがずっ
とマシだな。
﹁この地方の鉱山はそれほど貴重な金属は取れませんから、苦労の
割に大した稼ぎにはなりませんでした。それでも父は採掘に行って
くれたんです⋮⋮僕と母を養うために﹂
神妙な顔つきをするリク。
﹁魔物が出るようになってからは鉱夫を引退せざるを得なくなりま
したが、ツルハシひとつで出かけていく父の大きな背中を、僕はま
だ忘れられません﹂
﹁急に来てくれなんて言うかと思ったら、親父の話かよ﹂
まさか亡くなったとかいうんじゃあるまいな。
そういえばこいつには以前から鉱山に潜り続けてるという伏線も
あった。お涙頂戴なストーリーが展開しそうな予感がする。俺はそ
ういう湿っぽい話を聞かされるのは苦手だぞ。
﹁いえ、父も母も健在です。今はアセル郊外でのんびり過ごしてま
すよ。別に遺志を継いで鉱山に通っているとかではないです﹂
﹁おどかすなよ。なんだったんだよさっきの意味深なエピソードは﹂
﹁えと、父が関係することですので、一応話はしておこうかと﹂
378
俺はお前の家庭環境に興味なんてないっての。
早く本題に入るよう催促する。
﹁わ、分かりました。あのですね、僕が冒険者になると伝えた時に、
父から教えてもらった情報があるんです。長く鉱夫として勤めてい
た父は鉱山に関してはエキスパートでしたから﹂
﹁まあ地形とかそういうのは詳しいだろうな﹂
﹁それだけじゃありません。もっと重要な⋮⋮秘密の事実を教わり
ました。僕が鉱山に通い続けている理由は、これです﹂
リクは床板を外して、そこに隠していた布袋を引っ張り出した。
黒ずんだ袋の紐を解き、ザッと床の上に広げられた中身は⋮⋮一
見すると、青サビが浮いているようにしか見えない銅鉱石だった。
一個一個は小粒だが数がやたら多い。
﹁なんだこれは。こんな錆びてる石を隠す意味あるのか?﹂
﹁シュウトさん、これはサビなんかじゃないです。金属自体の色で
すよ﹂
鉱石のひとつをつまみ上げながらリクが解説する。
﹁これは征鳥鉱⋮⋮風属性の魔力を宿した金属です。微量な上に見
た目も地味だから見逃してしまうだけで、この土地の鉱山にはレア
メタルが含まれているんです﹂
﹁マジか。ギルドのおっさんですらそんなこと知らなかったぞ﹂
﹁父が偶然発見したみたいです。ただ、本当に少しずつしか取れま
379
せんから、武器に仕立てられるまで溜めるのは骨が折れましたが⋮
⋮﹂
﹁ふーむ、だとしたら今から俺が集めるのは厳しいか﹂
人員を割けばできなくもないが、俺にだけ話すってことは内緒に
してくれってことだろうからそうするのもはばかられる。
俺は素材にはうるさいから手に入れたいところだが、時間的な制
約で無理そうだな。
﹁大丈夫です。本当は僕が鍛冶に用いるつもりでしたけど⋮⋮これ
をシュウトさんに使ってもらいたいんです﹂
﹁へ? いいの?﹂
﹁シュウトさんの大事な一戦を応援しようと思ったら、僕にはこの
くらいしかできませんから。冒険者ギルドをここまで育ててくれた
お返しがしたいんです﹂
願ってもない申し出だが、いやいや、だからって苦労の証をそう
易々と受け取るわけには。
まあめっちゃニコニコしてしまってるんだが。
﹁いいんです。シュウトさんはいずれいなくなってしまいますけど、
僕はまだまだこの町に留まりますから。また一から集めなおします。
修行にもなりますしね。その代わり﹂
絶対に勝ってください、と力強い言葉で少年は結んだ。
な、なんていい奴なんだ、リクよ。俺は今猛烈に感動している。
380
﹁お前の心意気は伝わったよ。ありがたく受け取っとくぜ﹂
﹁えっ、あげませんよ。十五万Gでお売りしようかなって﹂
リクは感動を一瞬で台無しにした。
﹁おいおい、今のは﹃是非お納めください!﹄でプレゼントの流れ
だろ﹂
﹁イーブンな取引をしろというのが、シュウトさんから教わった心
得ですから﹂
ちゃっかりしてやがる。
けど、それでいい。
﹁やるようになったじゃねぇか﹂
このたくましさなら俺が町を去った後もなんの問題もないだろう。
成長の記念に、俺は一万Gを上乗せしてやった。
﹁吹き飛べええっ!﹂
ようやく秘蔵の武器が実戦投入となったことでテンションが上が
っていた俺は、柄にもなくドヤった台詞を吐いてしまっていた。
とはいえ剣先から渦を巻くようにして放たれた風は、二体の魔物
を台詞どおりに吹き飛ばしてくれたため、俺としても溜飲が下がる
ところだ。
381
新たな剣、ブロードソードの効力は、どうやらケチのつけようが
ないようだな。
リクから買い取ったレアメタルをベースに鍛冶屋に委託したこの
幅広の剣は、切っ先を前にしてかざすことで突風を起こす追加効果
が発生する。
風自体にはほとんどダメージはないが、その風圧をもって対象を
吹き飛ばし、大きくノックバックさせることができる。
強制的に戦闘を離脱させられるわけだ。
緑がかった外観も中々よろしい。ただのサビにしか見えなかった
状態の時はどうなることかと思ったが、いざ合金にしてみると非常
に格調高いカラーリングになっている。
﹁順調でありますな、主殿!﹂
﹁うむ﹂
戦わないから防具も最低限でいい。
魔物との交戦をすべて回避しながら俺たちは突き進む。
目指すは頂上。
382
俺、捜索する
﹁ホクト、一旦ストップだ﹂
山の中腹を過ぎたあたりで俺はホクトに一時停止を命じた。
﹁ま、まだいけるであります﹂
﹁いやバテてきてるだろ。小休止するぞ﹂
スタートからおよそ二時間ほどが経っただろうか。快調に飛ばし
ていたがそれでもやはり疲労の色は否めない。
とりあえずホクトに回復薬をガブ飲みさせる。
﹁や、これは中々甘露な⋮⋮喉も潤うでありますな﹂
﹁座って休んどけ。相当大差をつけてるからな、そう焦らなくても
大丈夫だ﹂
﹁ではお言葉に甘えて、しばし気力体力を蓄えさせていただくであ
ります﹂
にしても、山を登れば登るほどに秋の趣が出てくるな。入り口の
あたりでは黄色かった葉っぱがオレンジになっている。この感じだ
と山頂では完璧に紅葉してるだろう。
四季とかこの世界にはなさそうなのに不思議なもんだ。
﹁んじゃ、そろそろてっぺんまで行くか﹂
383
ホクトの呼吸が整ってきたところで登頂を再開。
妨害してくる魔物は出会った先からブロードソードで吹き飛ばし
てやった。
やがて。
﹁主殿! 頂は近いでありますぞ!﹂
永遠に続くかと思われた山道が途絶え、代わりに薄く雲のかかっ
た空が見えてくる。
俺を背負うホクトはラストスパートをかけて一気に登り詰めた。
片道六時間はかかるとされる道程を、その半分程度の時間で踏破
した。
﹁主殿、や、やりましたぞ。ついに頂上であります!﹂
﹁ああ、よくやってくれたぜ﹂
前屈みになって膝を押さえるホクトは明らかにバテバテだが、俺
はほとんどといっていいほど歩いていないので余裕綽々である。
もっとも目的を完遂できたこと、そしてようやく俺の役に立てた
ことによって得られたホクトの達成感たるや凄まじく、これまでに
なく晴れやかな顔つきをしている。
﹁絶景でありますな!﹂
﹁おっ、こりゃあ見晴らしがいいな﹂
384
遠くを眺めると町のシンボルである風車がばっちり見通せる。
それほど標高は高くないものの、山頂からはアセルの地方が一望
できた。山ばっかで面白みが一切ないので速攻で飽きたけれども。
さて、ここからが本題。
俺はトップシークレットであるヒメリメモを再確認する。
﹁蝶は感情を探知して行動する。自身のみならずあらゆる敵意に対
して距離を置くが、幸福な感情には寄ってくる習性がある⋮⋮か﹂
いわく、ビッグムラサキは探そうとすればするほどに遠ざかって
いくらしい。
それゆえ前情報なしに捜索しようものならまず発見できず、仮に
習性を知った上であっても、人間というのは下心を消しきれないた
めに捕獲に際しては相当な苦労を要するとのこと。
ではなぜヒメリがその真相に気づけたのかといえば、アセル産の
小麦で作った極上のパンを食べていたら寄ってきてくれたからだそ
うだ。
どんだけ純粋な気持ちで飯食ってんだよ。お手頃な幸せだな。
まあ、パンを手放して捕まえようとした瞬間飛び去っていったら
しいが。
さて。
385
﹁いかにして無邪気な気分になれるかだが⋮⋮﹂
頂上近辺をうろうろと歩き回りながら思案する。
俺は下心の権化なので無理。となれば。
﹁ホクト﹂
﹁なんでありましょう?﹂
﹁お前は本当によくできた部下だ﹂
﹁ほへ?﹂
それまでキリッとし続けていたのに、ホクトは急に気の抜けた面
になる。
﹁なっ、一体どうしたのでありますか?﹂
﹁俺のために山頂までダッシュしてくれたじゃないか﹂
﹁それは自分が勝手に申し出たことで⋮⋮﹂
﹁今日だけじゃない。不平不満も漏らさず重い荷馬車を引いてくれ
ているし、毎日一生懸命に頑張ってくれて心から感謝してるよ﹂
﹁いえいえ! もったいなきお言葉であります!﹂
﹁もったいなくなんてねぇよ。むしろ足りないぐらいだ。そのパワ
ーにどれだけ助けられてるか⋮⋮俺の旅はお前がいないと成り立た
ないだろうな﹂
俺は賞賛の嵐を送った。
﹁きゅ、急にどうしたのでありますか。お褒めにあずかるのは光栄
ではありますが⋮⋮その⋮⋮なんというかこうムズムズするであり
ます﹂
﹁急にじゃない。今日がきっかけで改めてそう実感したんだ﹂
386
ホクトは動揺しながらも嬉々とした様子を見せている。
もう一押しいくか。
﹁それにホクトは美人だしさ。こういうのをあれだな⋮⋮才色兼備
っていうんだろうな﹂
顔を真っ赤にするホクト。
﹁目鼻立ちがはっきりしてるから強く印象に残るし、凛とした表情
もたまらないな。それから、えー、背も高いし、栗毛もキュートだ
し、太い脚に挟まれたいだとかそういう特殊な性癖の持ち主からし
たら最高のボディだし﹂
褒め言葉が足りなくなってきたので後半は適当だった。
それでもホクトはじーんときている。
﹁うう、無学無才な自分なぞがこんなにも主殿に褒めていただける
とは⋮⋮!﹂
というか、若干泣いていた。
常々思っていたが、ホクトは脳筋である。脳筋ゆえに素直だ。
とめどない賛辞句のシャワーを浴びまくって幸福度が見るからに
マックスになっている。なんならメーターを振り切っているまであ
る。
387
俺の﹁蝶出てこいや﹂オーラを相殺して余りあるほどに。
﹁⋮⋮ホクト。そのまま目をつむれ﹂
﹁め、目でありますか!?﹂
なぜかホクトは異様にドギマギしている。
﹁そうだ。早くしてくれ。あと動くのもダメだぞ。お前が緊張して
動いたりしないように瞼を閉じさせてるんだからな﹂
﹁りょ、了解しました。あの、その、なるべくお手柔らかにお頼み
するあります⋮⋮﹂
﹁よし、ではいくぞ﹂
ホクトの茹だった顔をじっと見つめる。
ゆっくり時間をかけて精神を集中させ⋮⋮。
俺はホクトのつむじに止まった蝶に虫取り網をかぶせた。
﹁ぎゃああああああああ!? バタバタいってるであります!﹂
当然ホクトの頭ごとすっぽり収まってるわけで、網の中で暴れる
蝶の羽音をホクトは耳元でモロに聴いている。聴いているというか、
くらっている。顔全体に。
俺は慎重に下から網に手を突っこみ、蝶の美しい翅をつかんだ。
そのまま持参の虫カゴへと放りこむ。
﹁おお、こいつが⋮⋮﹂
388
追い求めていた蝶!
確かに俺が現代で目にしてきた蝶よりもでかい。そしてため息が
出るほどに美麗だ。好事家相手に高く売れそうな感じが半端ではな
い。
それにしても幸せな感情に吸い寄せられてくる蝶とか、なんてメ
ルヘンな生き物なんだ。
いざ俺が捕まえようとしても逃げなかったということは、あの瞬
間もホクトの幸福感は限界値で高止まりしてたわけだな。
﹁あ、あ、主殿、今のはなんだったのでありますか?﹂
未だに何が起きたのが理解が追いついていないホクトが尋ねてく
る。
﹁なんだもなにも、蝶だよ、お目当ての。お前の頭の上に止まって
たんだ。だから動かないようにしてくれって言ったんだろ﹂
﹁あ、そういうことでありましたか⋮⋮﹂
﹁他にどういうことがあるんだ。呆けてないでさっさと下山しよう
ぜ﹂
﹁はっ。こ、これは失礼を。気分を一新して参るであります!﹂
虫カゴの紐を首にかけた俺は再びホクトの背中に乗り、帰りの山
道を駆け抜けてもらう。
⋮⋮が、なんかやたら速い。
389
﹁ちょ、速くねーか?﹂
﹁下り坂は加速がつくであります!﹂
﹁本当にそれだけか⋮⋮? めちゃくちゃ飛ばしてるように思える
んだが﹂
﹁それだけであります! 他意はないであります!﹂
口はそう語るが、無我夢中で全力疾走することで気を紛らわせて
るような雰囲気だ。
まあスピードが出ているので文句はない。
途中、ヤンネの姿が前方に見えた。まだ山道を登り切ってすらい
ない。
何も知らないヤンネの奴は﹁やあ﹂とばかりに軽く手を上げてき
たが、俺はホクトに停止の指示を出さず、すれ違いざまに虫カゴを
かかげて。
﹁俺の勝ちだ﹂
とだけ報告してやった。
390
俺、離別する
俺が麓まで降りてきてから約四時間。
日が傾き出した頃、ようやくヤンネが下山を済ませて現れた。
熱烈に支持する人物の帰還だというのに、商業ギルドからの拍手
やコールは起きなかった。それもそのはずで連中はすっかり意気消
沈してしまっている。
一方で冒険者の奴らは四時間ずっとお祭り騒ぎだ。まず俺が戻っ
てくるや否やシュウトシュウトの大合唱が発生。蝶の鑑定結果が出
るとその声のボリュームは更に増した。
正直煩わしいので、ヤンネも帰ってきたことだし、この場を仕切
るギルドマスターのおっさんには早く閉会の音頭を取ってもらいた
いところだ。
そう思っていたのだが、この混沌の中で口火を切ったのは帰って
きたばかりのヤンネだった。
﹁シュウト、君を称えよう。僕の完敗だ。勝負の土俵にすら上がれ
なかったよ﹂
﹁往生際のいい奴だな﹂
そんな気はしていたけども。
﹁お前はよくても、こいつらは別だぜ﹂
391
俺は気落ちしている商人たちを見渡すように言った。
﹁こいつらはお前の勝利に賭けてたからな。勝ち馬に乗ろうとして
た、ってのが実情だけど﹂
﹁彼らには非常に申し訳ないことをしたと思う。せっかく僕なんか
を英雄視してくれたのに、失望させてしまったね﹂
山道前に集った人々の様子は見事なまでに対照的だ。
悲喜こもごもとはこういう状況を指すのだろう。
﹁これでシュウトさんが町一番の有力者に決まった! この町に王
は二人もいらない!﹂
どこかから⋮⋮まあ冒険者のうちの一人なんだろうが、そんな声
が上がった。
間髪入れずに周りの奴らが﹁そうだそうだ﹂と囃し立てる。
盛り上がってるところ悪いが、ちょっと訂正させてもらおうか。
﹁はあ? なにアホなこと言ってるんだ。勝ったからって俺が居残
るわけじゃないし、負けたヤンネが志半ばでどっかに行くわけでも
ないぞ。むしろ俺がもうじきこの町を離れるからな。用事が全部終
わったんだから﹂
俺の言葉に一同がざわつく。何人かは﹁えっ?﹂と呆気に取られ
たように口にしていた。
392
﹁そりゃそうだろうが。俺は旅の途中で、ヤンネは貯蓄の真っ只中
だ。お前らが納得したかどうかで変わるもんじゃねぇ。そうだろ?
ヤンネ﹂
﹁まあ、そのとおりだね。敗北しておいて居座るのかと白い目で見
られるかも知れないけど、だからって僕は計画を変えるつもりはな
い﹂
苦笑しながら答えるヤンネ。
途端に商業ギルドの面々が活発になり始めた。
﹁なんでまた調子に乗り出してんだよ! 二人の結果に従うんじゃ
なかったのかよ﹂
﹁け、けどシュウトは町からいなくなるようだし⋮⋮ヤンネさんは
残るんだぞ?﹂
﹁だからって事前に決めたことを無視するのはよくないじゃないで
すか﹂
﹁うるせー! ヤンネさんが出ていかないってんなら話は別だ!﹂
﹁シュウトさん! アセルを離れるって本当ですか?﹂
﹁まだまだいてくれるんですよね、ヤンネさん?﹂
まーたややこしい話になってるんだけど。
こいつらに主体性ってもんはないのか。
⋮⋮ないな。結局こいつらは力のある人間を担ぎ上げるだけ担ぎ
上げて、できた柱に寄りかかり、自分たちの意志をそこに預けてし
まっている。
めんどくせぇ。こういうゴタゴタにはついていけない。
393
もうリセットしてやるか。
それが一番こいつらのためにもなるだろ。
﹁おい、ヤンネ﹂
﹁なんだい?﹂
﹁名案が浮かんだ。百万Gやるから、お前もこの町を出ろ﹂
俺がそう発言すると、民衆のざわめきは一段とエスカレートした。
﹁小麦畑を買うのに足りない分はそこから出せ。そうすりゃ、もう
お前がここに留まる理由はなくなるだろ﹂
﹁確かにそれだけあれば手持ちと合わせて購入できるけど⋮⋮だか
らってそんな大金をおいそれと受け取ることはできない。君の善意
だとしてもだ﹂
﹁お前への善意なんかじゃねぇ。俺の身勝手な自己満足だ。俺が俺
の目的以外のために金を使うかよ。お前がいたらいつまで経っても
ダメになるんだ、全員な﹂
それはヤンネが、本人の意とは関係ないところで王として機能し
てしまうからに他ならない。
そして俺もまた王の御輿に担がれようとしている。
しかしながらそんなのは一切不要だ。
﹁二人も、じゃない。王なんて一人もいらねぇんだよ﹂
俺はヤンネだけでなく全員に聞こえるよう、あえて声量を上げて
394
言った。
﹁じゃあ私たちはどうなるんですか?﹂
﹁ヤンネさんがいなくなったら、素材の仕入れが⋮⋮﹂
めいめい不安そうに質問を飛ばしてくる。
﹁簡単な話だろ。商人はいつもどおり依頼を出して、冒険者はそれ
を受注すりゃいいだけだ。俺とヤンネが関係しなくなるっていう、
ただそれだけのことだぜ﹂
これからは自力でなんとかしろ、と俺は地元の冒険者のほうを見
据えて答えた。
﹁二週間でどれだけ依頼を出し続けたと思ってんだ。お前らはもう
十分モノになってる。馬鹿にならない投資だったがな﹂
﹁そのとおりです!﹂
一人が快活な声と共に立ち上がった。
青いポニーテールが起立の勢いで上下に揺れている⋮⋮リクだ。
﹁商業ギルドの皆さん、あなたたちが僕らに不信感を抱いているの
はもっともだと思います。これまで僕らはずっと日陰で作業をして
いるだけでしたから⋮⋮でも﹂
リクは固く拳を握りしめている。
﹁今は違います。ギルドの全員が採取と採掘の依頼を問題なくこな
せるまでになりました。山道での探索だって、パーティーを組めば
395
なんとか行えます。だから、これからは﹂
ぐっと力をこめて。
﹁僕らに仕事を託してください!﹂
まるで主人公のような口調で、さながら労働組合のような宣誓を
した。
ダサいのかカッコいいのか分からんな。
﹁そ、そうだ! 自分たちはもう駆け出しじゃないぞ!﹂
﹁ええ、そうですよ。ヤンネさんがいなくたって私たちがやればい
いだけです﹂
﹁シュウトさんの依頼でもう慣れたッス! 任せてほしいッス!﹂
だが効果はきっかりあったようで、突如俺の離脱を知らされてへ
こんでいた冒険者連中がまたしても活気を取り戻した。
やっとこいつらもこのくらい申し立てられるようになったか。
ただ商人たちはまだ戸惑っている。
それもこれも、俺の隣にいる男の立ち位置が揺れているからなわ
けで。
﹁ヤンネ、黙って金を受け取れ﹂
﹁だけど﹂
﹁いいから﹂
396
拒むヤンネに対し、強固に主張する俺。
それにしてもヤンネは真面目な奴だ。俺だったら金をやるって言
われたら慎むまでもなく最速でありがたく頂戴するが。
まあ、金をもらってくれと懇願する、というのも奇妙な話ではあ
る。
﹁僕だって金銭への執着心がないわけじゃないけど、無償で受け取
るのは気が引けるよ﹂
﹁後ろめたいだとかそういうのはナシにしてくれ。それに無償じゃ
ない。俺は見返りを要求してるんだぜ。町の奴らは買収できなかっ
たからな。お前を買収するんだよ、出てってくれって﹂
巨額の財の押し付けあいはしばらく続いたが、俺の根気強い説得
がようやく頭の固いヤンネにも通じたらしく。
﹁⋮⋮本当にいいのかい?﹂
﹁いいんだよ。金なんて腐るほどある⋮⋮﹂
いや、正しくないな。
﹁すまん、比喩を間違えたわ。湯水のように湧いてくる、にしとく﹂
俺は百万Gの契約を交わした。
明日穏やかな旅立ちを迎えるために。
397
俺、御暇する
翌日。
風車下に広がる小麦畑の売買契約は速やかに交わされた。
小作人つきなので管理にも問題はない。
ただ百万Gやると言ったが実際には七十八万Gだった。ヤンネの
貯金と合わせてそれでちょうど買えたらしい。
ヤンネファンクラブの連中は当然というべきかイマイチ納得して
いない様子だったが、知ったことではない。金を出しているのは俺
なので引っこんでもらった。
﹁シュウト。また君に会える日が来ることを願ってるよ。いや、再
会しなくてはいけない。今度は僕が君に借りを返す番なんだから﹂
﹁会いたくねぇよ。どうせまたくだらないトラブルになってそうだ
からな﹂
別れの言葉はそれだけだった。
俺は背後に女たちを引き連れた銀髪の貴公子を見送りながら、改
めて実感する。
無自覚に多数の潜在意識をコントロールする奴ほど恐ろしい人間
はいない。悪意があるならばその行為を糾弾できるが、ヤンネには
それがない。
398
惑わされるほうに責任がある⋮⋮とも言いづらいからな。
とりあえず俺から言えるのは、冒険者やってるより新興宗教でも
立ち上げたほうが天職だぞってことくらいだ。
絶対やらないだろうけど。
それはさておいて。
﹁この町でやること、これで全部終わっちまったな﹂
ヤンネがいなくなった今、俺が直々に依頼を発出する必要もない。
達成報酬、滞在費、装備品の代金、レアメタルの買取、そしてな
によりヤンネへの賄賂と、総合すると結構な出費にはなったが、そ
れでもまだ六百万G以上は残っている。
まだまだ新天地で膨らませ続けられることを考えれば、痒くはあ
っても痛くはない。
あと、捕獲した蝶もある。こいつは高く売れるに違いない。俺の
勘がそう告げている。一番高額取引できる町でいずれ売りさばくと
しよう。
﹁行くか﹂
宿のチェックアウトは既に完了済。俺はミミとホクトに声をかけ
た。
399
﹁お供いたします﹂
﹁地の果てまでついていくであります!﹂
うむ、やる気があってよろしい。
﹁結束を高めているところで恐縮ですが、私の存在を忘れていませ
んか?﹂
⋮⋮ああ、こいつもいたわ。
生真面目な面をしたヒメリがずいと俺のそばにまで近づいてくる。
﹁ところでさっきのやりとり、完全に地上げですよね﹂
﹁うるせーよ﹂
﹁それより、次の町の行き先は決めてあるんですか?﹂
﹁いやまったく。地図もよく見てないし﹂
﹁だと思いましたよ﹂
ヒメリは呆れ顔をしながらも自身の世界地図を取り出し、ここか
ら取れそうな進路について説明を始める。
﹁次に向かうべき町の候補は二つあります。南西に進んだ先にある
ジェムナ⋮⋮宝石鉱山で有名な町です。もうひとつは南東のウィク
ライフ。こちらは学問の発展を理念としてかかげた町ですね﹂
﹁どっちのが近いんだ?﹂
﹁距離はほとんど同じです。ですから、どちらに先に訪れるかだけ
ですよ﹂
ふーむ、なるほど。地図を見てアセルを含めた位置関係を確認し、
点を線で結んでみると、ちょうど縦長の二等辺三角形のようになっ
400
ている。
ジェムナ・ウィクライフ間は比較的近いが、ここからはかなり距
離がある。
三日か四日はかかりそうだ。
﹁私は断然ジェムナ派ですね。宝石には魔力を含むものが多々あり
ますから、今後のためにもここでアクセサリーを一点作っていただ
きたいので﹂
﹁ほう﹂
﹁ただ、ウィクライフの図書館には貴重な魔術書がありますから、
ミミさんを擁するシュウトさんには向いているかも知れません﹂
それはそうなんだが、肝心の俺が大の勉強嫌いだからな。
二百字より長い文章読むと頭痛くなってくるし。
﹁いずれにせよ、私はシュウトさんの決定についていくだけですけ
ど﹂
﹁それじゃあ、ジェムナだな。宝石には俺も興味がある。どうせ行
くならここからだ﹂
強力な装備品の匂いがする。劇的な戦力アップを見こめるだろう。
とはいえ採掘をやるつもりはないので、サクッとキャッシュで購
入で。
﹁では、早速出発するであります!﹂
401
ふんふんと鼻息も荒くホクトは荷馬車を引こうとするが。
﹁いや、ちょっと待った﹂
俺はその勇んだ足取りを止めた。
段々と冒険者連中が集まってきている。どいつもこいつもシケた
面構えだ。
俺からしても多少は思い入れのあるメンツではあるが、そこまで
かって感じだ。
﹁見送りとかいらねぇぞ。そんな暇があったら出稼ぎに行ってこい
よ﹂
﹁いえ⋮⋮どうしても挨拶しておきたくて﹂
代表してリクが前に出る。
他の奴らよりはマシだが、例によって無駄に改まった神妙な顔つ
きをしている。
だからって今の心境を尋ねるほど俺は野暮ではない。センチな感
傷に浸りたいなら好きにさせておけばいい。
﹁本当にお世話になりました。シュウトさんにしても、その、ヤン
ネさんにしても、僕たち町の住人は大きな柱を失うことになりまし
たけど、でもきっと上手くやっていけると思います﹂
﹁お前らがいるからか? 随分強気に出るようになったな。まあ人
並に依頼をこなせるようになったことは認めてやるが﹂
﹁僕らがいるからじゃないです。あなたがいてくれたから、ですよ﹂
402
中々気の利いた言葉遊びをしてきたリクだったが、正直、それほ
どの感慨はない。
俺は過去の自分の姿を投影して、同情の証として金を出してやっ
ただけだ。
そうしなくなったということはつまり、同情する価値がこいつら
からなくなっただけのこと。
貧困層の面影は消えている。
﹁まあ、ほどほどに頑張れよ﹂
俺はそう最後に伝えてリクの頭に手を置いた。
小さく﹁はい﹂と答えたリクの喉が僅かに震えていたような気が
する。
他に言い残すこともない。
リクの青く細い髪をくしゃりと撫でた後、さよなら、といういく
つもの声を背中に浴びながら、俺たちは緑の風が舞う町から旅立っ
た。
遠く離れたジェムナを目指す道中、俺は身を守る術としてブロー
ドソードを選んだ。
威力はやや落ちるが、戦闘を避ける目的ならこれ以上のものはな
403
い。
それに割と軽いしな。ブロードソードは全長八十センチほどの片
手剣なのだが、幅広の刀身を持つため見た目の重量感は結構ある。
それでも楽々振り回せるんだから金属自体が軽いんだろう。
あと、抜き身のまま背負っていたツヴァイハンダーと違って革細
工の鞘に入っているのもいい。オシャレだし、目立たないし。
ホクトの装備も皮鎧にさせてある。あんなアホみたいに重い鎧を
着た状態で百キロを超える道のりを歩かせるのは酷だ。とりあえず、
移動中はこれで。
﹁シュウト様、アセルはいかがでしたか?﹂
隣を歩くミミが質問してくる。要するに、土地を買うのにふさわ
しいかってことだろう。
﹁まあまあだな﹂
俺はそう答えて、広げた地図上に﹁七十点﹂と記入した。 パンはうまいし気候も過ごしやすい。ただ施設は充実していない
から、こんなもんだな。
にしても、アセル周辺は山の他にはだだっ広い平原がどこまでも
どこまでも続いているばかりで、全然次の町が見えてくる気配がし
てこない。
とんでもないド田舎だ。
404
﹁一体どれだけ歩けばいいんだよ⋮⋮﹂
ぶつくさ言ったところで距離が縮むわけでもないので、我慢して
ひたすら歩き続ける。
買いこんでいたワインの瓶がどんどん空になった。
アセル産のパンも⋮⋮まあこれはほとんどヒメリの胃袋に消えて
いったのだが。
結局、三度の野宿と一度の検問を経て、俺たちはようやく違う景
色を拝むことができた。
空の青、草原の緑、枯れ葉の黄色、といった鮮やかな色合いだっ
たアセル周辺とは異なり、そこは全体的に茶色がかった地方だった。
よくも悪くも泥臭い。粗野なドワーフが暮らす炭鉱って感じがす
る。
今にもツルハシがカツンカツン岩を砕く音が聴こえてきそうだ。
﹁パッとしない場所だな﹂
俺は率直にそんな感想を抱いた。
実際に、鉱山事業が主な産業になっているそうだから、そんな華
やかな地域じゃないのはなんとなく予想がついていたけれども。
405
﹁うむ、確かに地味ではありますな。ですが質実剛健ともいいます
し、自分は嫌いな景観ではないであります﹂
三日三晩荷馬車を引き続けてなお元気なホクトが、そう語りなが
ら興味深そうに頷く。
まあ景色はいいにしても、問題は住環境なわけで。
﹁この感じだと町も期待できないな。宝石商人くらいはいるんだろ
うけどさ﹂
⋮⋮と思っていたのだが。
﹁そろそろ到着だが⋮⋮あれが⋮⋮ジェムナか? マジで?﹂
茶色い大地に根ざした町の佇まいを、外から眺めただけで分かっ
た。
めちゃくちゃ栄えていることが。
406
俺、乾杯する
想定外のことにいささか面食らった俺だったが、立ち止まるわけ
にもいかないので意を決して町の中に足を踏み入れる。
直接体感してみて確定した。
アセルはおろか、フィーなんかよりも全然繁栄している町だ。
そもそも人口が多い。
町内を歩いているのは、武器を担いだ格好からして、ほとんどが
冒険者と見て間違いない。
冒険者が多いということは、当然武具やアイテム類の店も多く立
ち並んでいるわけで、ストリートはどこも大賑わいだった。
宿も選り取り見取りだ。あらゆる価格帯に対応している。
﹁これです、これですよ! 私が求めていたのは﹂
外の景色から連想する無骨さなど欠片もない町の様子に、うずう
ずし出すヒメリ。
﹁これぞ、宿場町! という趣がありますね。冒険者のためにある
ような町ですよ﹂
﹁それはいいんだが、なんでこんなに活気づいてるんだ? 鉱山で
まかなってる町、っていう割には穏やかじゃないぜ﹂
407
軽く物色しただけで判明したが、この町の武器屋は品揃えがいい。
値段も相応の額がついている。
﹁疑問点はありますが、それはギルドで尋ねてみないことには始ま
りませんよ。おっと、いけません。ここからは別行動ですね。また
後日落ち合いましょう﹂
そう置き台詞を残してヒメリはどこかへと走り去ってしまった。
が、ギルドのある方向ではない。
﹁また飯屋か﹂
この別れ方も二度目なので慣れたものだ。
俺たちはセオリーどおりに宿を探した後、事情を聞くべくギルド
本部へと立ち寄る。
﹁ようこそ、ジェムナのギルドへ﹂
オールバックでまとめた、ダンディな雰囲気のおっさんがいた。
﹁私はここでギルドマスターを務めている⋮⋮﹂
﹁いやいや、その前にだな﹂
﹁いかがなさいました?﹂
﹁ここのどこがギルドなんだ?﹂
看板が出ていたから入ってみたが、仕事の斡旋所というよりは酒
408
場と呼んだほうが正しい内部のしつらえだった。
俺がこうして立っている受付のカウンターもバーのようだし、ラ
ウンジでは多くの男たちが昼間から浴びるように石油じみたドス黒
いエールを飲んでいる。
できたてアツアツの料理も運ばれてるし、副業にしては本格的す
ぎる。
現代社会の職安がこんなことになっていたら、失業率は脅威的な
数値を叩き出すのではなかろうか。
﹁ああ、今は一階のテーブル席は満席ですが、そちらの階段を上が
れば二階がありますので﹂
﹁見たら分かるよ。吹き抜けになってるからな﹂
そっちでも当たり前のように宴会が繰り広げられていた。
﹁なにがどうなってこうなった﹂
﹁元々冒険者同士の情報交換の活性化を目的に始めたんですよ。情
報の行き交う場所といえばやはり、酒場じゃないですか﹂
﹁そりゃそうかも知れないが、酒くせーよ﹂
俺は今日はまだ紅茶しか飲んでいないのでシラフだ。
﹁や、それよりだな、なんでこの町はこんなにも冒険者が多いんだ
?﹂
﹁それはもちろん、名物の宝石鉱山で一攫千金を目論む方が多数お
られるからに他なりません﹂
﹁宝石鉱山ってのはそんなに稼げるのか?﹂
409
﹁ええ⋮⋮といっても、採掘は必ずしも行わなくてよいのですが﹂
理解不能なことを喋ってきた。
﹁鉱山なのになんで採掘がいらないんだよ﹂
﹁魔物自身が溜めこむからですよ。宝石鉱山にはゴーレムという強
大な魔物が出現しまして、こちらが素材として稀に宝石類をドロッ
プするのです﹂
﹁へえ﹂
素材ということは俺のスキルで増やせたりはしなさそうだな。残
念。
﹁もちろん、クズ石であることがほとんどですがね。ただし、通常
の採掘では手に入らないような希少度の高い宝石を落とす場合もあ
るとか、ないとか⋮⋮﹂
﹁どっちだよ﹂
﹁それはあなた自身の目でお確かめください﹂
うまい文句で締めやがって。
だが俄然宝石について気にはなってきた。
激レア物の売却価格もそうだが、こめられた魔力にも関心がある。
﹁私からお伝えできるのはこのくらいです。詳しい話は、一杯やっ
ていらっしゃる方々からおうかがいください﹂
﹁そうさせてもらうか⋮⋮ミミ、ホクト﹂
俺は後ろに控えていた二人に声をかける。
410
﹁なんでありましょう?﹂
﹁酒を注文するから、お前らもなんか頼め﹂
俺はメニュー表から蜂蜜酒のレモン果汁割りをオーダーした。
﹁ええ? 自分たちもでありますか?﹂
﹁そうだ。酔ってないと雰囲気悪くするからな、郷に入っては郷に
従うぞ。そっちのほうが円滑に会話がしやすくなる﹂
﹁ええと、それでは⋮⋮ミミは甘口のロゼでお願いします﹂
案外いけるクチのミミは飲む気満々だ。かわいらしいピンク色の
液体が注がれたグラスがカウンターに置かれると、山羊の耳がうっ
とりしてタランと垂れる。
一方でホクトは職務中に遊興目的で飲酒していいのかと逡巡して
いる。
﹁まあいらないってんなら無理に飲まなくてもいいけどな。﹃上司
の杯が受けられないのか﹄とか、そういうパワハラはやりたくねぇ
し﹂
﹁い、いえ、主殿のお誘いを断るわけにはいかないであります!﹂
﹁いいのか?﹂
﹁是非!﹂
ということでホクトには樽入りのエールをジョッキで与えた。
それぞれのドリンクを手に俺たちは二階へ。 ﹁おっさん、相席いいか?﹂
411
六人がけの円卓に、どういうわけか一人で座っていた恰幅のいい
男に許可を求める。
周りが少しざわついた気もしたが、特に何か干渉してくるわけで
もないので無視。
それにしてもガッシリした男だな。ラガーマンかよ。巨大な諸刃
の斧を座席下に置いているあたり、このおっさんも冒険者だろう。
﹁おう、好きにしな﹂
﹁サンキュー﹂
﹁後ろのお嬢さんたちもこっち来て座りな。遠慮するこたァない﹂
﹁構わないのか? こいつら俺の奴隷だぜ﹂
﹁気にしねェよ﹂
おっさんは赤ら顔をくしゃくしゃにして﹁グワハハハ﹂と豪快に
笑った。
テーブルの上には大量に空きのジョッキが並んでいる。相当酔っ
てやがんな。
まあミミとホクトも一緒していいとのことなので、ありがたく厚
意に甘えさせてもらう。
﹁早速だが、聞きたいことがあってだな⋮⋮﹂
﹁その前に乾杯しようじゃないか。おーい、店員さん! もう一杯
エールをくれ。そう、ジョッキで﹂
丸太のような腕を上げておっさんは酒の追加注文をする。
412
﹁んじゃ乾杯すっか。今日の出会いに、乾杯ィ﹂
オヤジくさいノリにはついていけないが、一応の礼儀としてグラ
スをぶつける。
俺が一口飲む間におっさんはジョッキの半分を飲み干してしまっ
た。
どんだけウワバミなんだよ。
﹁⋮⋮で、質問ってェのはなんだ? どんなことでも答えてやるぜ﹂
﹁宝石鉱山についてだ。ちょっと宝石ってのに興味があってな﹂
﹁宝石か。ありゃミステリアスだぜ。高く売れるだけじゃなく、宝
石でアクセサリーを作ればいろんな追加効果が見こめるからな。な
ぜなら⋮⋮﹂
﹁魔力があるからだろ。そのことは知ってる﹂
﹁おっ、勉強してきてんじゃねェか﹂
﹁俺も欲しくてね。掘るか、ゴーレムを倒せば手に入るってところ
までは聞いてるんだけど﹂
入手法について詳細を尋ねる。
﹁ま、その二つのやり方しかないわな。宝石が欲しけりゃ地道に採
掘するのが一番だが、腕に自信があるならゴーレムを狩ったほうが
早ェ。大半がゴミでも、十体に一体か二体は宝石を落としやがるか
らなァ、あいつらは﹂
確率ひっくいな。
413
そこから更にレアドロップとなるとどれだけ小数点以下に0が並
ぶのか。
まあ俺の場合、潤沢な予算を活かして誰かが拾ったのを買い取っ
たんでいいが。
﹁宝石の原石は、まあバラつきはあるが一個五万から二十万くらい
が相場だな。これがゴーレム産限定の珍しいモンだと十倍近くに跳
ね上がるがね﹂
クソたけーな、おい。
とはいえ宝石目当てでゴーレムを狩りまくればそのうち資金も貯
まってくるだろうし⋮⋮。
⋮⋮だがおっさんの次の言葉は俺のワクワクを一気に奈落の底へ
と沈めた。
﹁ゴーレムの奴はロマンの塊だからなァ。一切硬貨を落とさないく
せにレア宝石を落とせばデカい稼ぎになるんだから、夢しか詰まっ
てねェぜ﹂
﹁はあ!?﹂
衝撃の事実に思わず唖然としてしまう俺。
﹁マジかよ。ゴーレムって金を落とさないのか?﹂
﹁そんなに驚くようなことか? あいつらは硬貨の代わりに、宝石
を溜めこんでるからな﹂
なんて最悪な敵だ。森のウサギより倒し甲斐のない魔物がついに
414
現れてしまったか。
﹁レア物が生まれる理由も、ゴーレムの成分と反応した結果突然変
異を起こすから、ってのが通説だ。あいつらの体は石でできてやが
るからな﹂
ふむ、そういう理屈か。
金貨を落とさないという情報の余波がでかすぎるせいで今ひとつ
頭に入ってこないが。
﹁まっ、俺から教えられるのはこんくらいかな。⋮⋮ん? なにを
ぼーっとしてんだ?﹂
﹁⋮⋮あ、ああ、悪い。酒が回っててさ。話のお礼に一杯おごるよ﹂
﹁それには及ばねェ。俺もこれから用事があっからな⋮⋮よっと!﹂
おっさんは床に置かれた斧を軽々持ち上げ、それを背負うと。
﹁宝石取りにいくんなら、しっかり準備はしておけよ。お前さん、
装備を見た感じ中々やりそうだが、気なんて抜けないからな。ゴー
レムは馬鹿になんねェぜ?﹂
と言ってフラフラの足取りで階段を下りていき、酒場⋮⋮ではな
くギルドから退席した。
残された俺は、まだ先ほどのショックが拭えていない。
﹁ゴーレム、金落とさねぇのかよ⋮⋮﹂
同じことを何度も何度も呟いていた。
415
とはいえ、そういうことになっているのだとしたら仕方あるまい。
とりあえずレア宝石の募集だけ出しておいて、早めにこの町を去
るとするか。
ここじゃ金策にならないからな。ゲットした宝石で自身を強化し
て、より効率を上げた状態で次のスポットに望もう。
﹁⋮⋮シュウト様﹂
﹁どうした?﹂
ほろ酔いのミミが俺の腕をつっついてくる。
﹁ミミたちは宝石鉱山には行かなくてもいいのですか?﹂
﹁うーん、それなんだよな﹂
納品が済むまでの間はかなり暇になる。
それなら一応鉱山に出向いてみて、自力での発見も狙ったほうが
いいだろう。
﹁明日依頼を出したら、俺たちもゴーレム狩りに行ってみるか。ホ
クト、運搬は任せたぜ﹂
﹁了解しちゃでありはす!﹂
ホクトはかなりできあがっていた。
顔全体が上気している。
416
とはいっても一杯だけだから明日に引きずるほどではないので、
気分よく酔わせといておくか。日頃相当働いているし。
﹁ああ、それから、明日は防具屋にも寄るからな。磐石の態勢でい
こうぜ﹂
おっさんにゴーレム相手は気を抜くなと忠告されたことだしな。
良品があればいいんだが。
417
俺、掘削する
翌日、俺がギルドに掲示した依頼は﹃希少宝石募集 要相談﹄と
いった内容だ。
モノによって価格が変わってくるので報酬は浮動にしてある。
次いでいつもの三人で防具屋に向かったのだが⋮⋮。
﹁こりゃすげーわ﹂
文句なしのラインナップだ。
衣服から重鎧にいたるまで、広い店内を埋め尽くすほどにギッチ
リと並べられている。需要が分かっているからこその品揃えだな。
価格帯も様々だが、中でも銀色の輝きを放つ防具類が目につく。
﹁この鎧、結構な額してるけど⋮⋮もしかして﹂
﹁お客さん、鋭いねぇ。そいつはレアメタルを十パーセントほど含
んだ上物さ。量産品の中ではトップクラスの性能だね﹂
﹁ほう﹂
光銀鉱なる土属性の魔力を宿したレアメタルが用いられていると
のこと。
ただレアメタルといっても比較的ありふれた素材であり、純度百
パーセントの鉄よりもやや硬度に優れるという程度のものらしい。
418
だからこそ安定した生産ラインに乗せられるのだろう。
﹁っても、並の防具より良質なのは間違いないか﹂
けれど、それらよりも俺の目を奪っている代物がある。
店の片隅に吊られたカーキ色のレザーコート。
一点限りで十三万7000Gの値段がつけられている。鎧よりも
更に上だ。
丈の長いそれは、金属パーツが随所にあしらわれており、見た目
も中々格好がいい。
﹁あれはなんだ?﹂
﹁以前に交易で仕入れた品でね、カトブレパスの革を使ったコート
だ。あらゆるタイプの衝撃に対して十分な防御力があるし、石化に
も耐性がつく。値段相応の性能なことは保証するよ﹂
﹁にしては売れ残ってるな﹂
というか、埃被ってるし。
﹁そりゃあね、いくら高性能でも所詮は服のカテゴリーでの話だか
らだよ。似たような丈夫さでも光銀鉱の鎧のほうが安いんだから客
はそっちを選ぶってもんだ。石化の呪縛を使ってくる魔物もこの辺
りにはいないしさ﹂
﹁でも軽いんだよな?﹂
﹁それはもちろん﹂
﹁なるほど。そいつは非常に俺向きだな。これを買っていくぜ﹂
419
俺は迷わず購入を決意した。
値段さえ無視すれば曲がりなりにもレアメタル製である鎧クラス
の防御性能が得られるっていうんなら、買わない理由はない。
一括払いしてその場で装備。
姿見で確認する。
うむ、スタイリッシュだ。
背中の剣にロングコート。完璧な組み合わせだな。
﹁よし、じゃあ今までアウターとして着ていたベストはミミに⋮⋮﹂
﹁そいつは無理だよ、男性ものじゃないか﹂
は?
﹁男専用の防具は女は装備できない。常識だろ?﹂
﹁んなアホな。サイズが多少でかいくらいで着られないはずが﹂
﹁いや、ダメ﹂
この世界の謎のルールにより、ベストをミミに装備させることは
できなかった。
どうにも腑に落ちないがそういう仕組みになっているらしい。
﹁くっ⋮⋮だったら新しいローブを買っていくか⋮⋮﹂
420
しかしローブはどれも同じようなもので、今羽織っている植物繊
維のものより明確に上と言い切れる一品は見当たらなかった。
﹁うーむ﹂
仕方ない。どうせミミは後衛だし、防御面は後回しにするしかな
いか。
とりあえずホクト用のプレートメイルを買って、防具屋を去る。
その足で宝石鉱山へと向かった。
﹁うおお、なんて賑わいだ⋮⋮圧倒されるな﹂
町を出て一時間ほど歩いた先にあるそこは、既に多くの冒険者が
集まっていた。ツルハシを相棒に続々と坑道の中へと踏み入ってい
く。
坑道、といっても人の手が入りまくっているからか、まるで現実
世界のトンネルのようだし、当然のように灯りも確保されている。
入口前には宝石の鑑定所が併設されている。
見た感じ、買取も行っているようだ。
﹁よっしゃ、俺たちもいっちょ挑戦するか﹂
銀の鎧に身を包んだホクトと、杖を掲げたミミが同時に﹁おー﹂
と手を上げた。
421
いざ坑道へ。
各所にランプが設置されているから暗さは欠片もない。
道幅も広いし天井も高いな。
﹁活気がありますなぁ。まさに鉱夫たちの戦場といったところであ
りましょうか﹂
ホクトが思わずそう感心して呟くくらい、大量の冒険者たちが岩
壁に向けて一心不乱にツルハシを振っていた。
﹁俺はまったく興味ないけどな⋮⋮あいつらも汗水垂らしてよくや
るよ﹂
採掘なんてめんどくさい作業はやる気がしない。
ゴーレムを倒して手っ取り早く宝石をいただくとしよう。
依頼を出すついでにもらった宝石鉱山の地図を眺めてみる。
手前側は採掘専用のエリアであり、魔物はほとんど発生しない。
奥に行けば行くほどゴーレムの出現率が上がっていくそうなので、
俺はガンガン進んでいった。
﹁人が減ってきましたね﹂
﹁そうだな﹂
手前の採掘場には多くの人々が群がっていたが、半ばを過ぎた頃
には少数になっていた。
422
戦闘で宝石を稼ごうとしているのはこれだけということか。やは
りゴーレム相手は一筋縄ではいかないらしい。
ところで、現在の俺の装備はブロードソードのままだ。
土属性のツヴァイハンダーだと、全身が岩石で構成されていると
いうゴーレムには効きにくいかも知れない。純粋な威力では劣って
もブロードソードのほうがマシなのではなかろうか。
まあこれは俺の意見ではなくミミのアイディアなのだが。
とはいえ俺としてもこの剣は戦闘で扱ってみたかった。風を起こ
す追加効果には応用力がある。練習がてらに振るってみるのも悪く
ない。
﹁⋮⋮おっ﹂
異変を察知して足を止める。
﹁早速お出ましか﹂
いくつもの立方体で組み立てられたような外見の、灰褐色の石像。
ゆっくりとだが動いている⋮⋮あれがゴーレムだな。
体高は二メートルちょっとか。イメージしてたよりは小さいな。
慎重に接近。
423
剣を抜き、対峙する。
この睨み合った状態の緊張感が⋮⋮。
﹁⋮⋮いや、動けよ﹂
まったくしかけてこない。こっちから先に斬りかかっても構わな
いってことか?
﹁それじゃ遠慮なく﹂
なにかしらアクションしないことには始まらない。俺はブロード
ソードの緑の刃を思いっきり叩きこんでやる。
﹁うおりゃ! ⋮⋮って、痛ぁっ!?﹂
右手が電流でも走ったかのように痺れる。剣と石との激しい衝突
による反動が原因だと理解するまで数秒かかった。
かてーよ、馬鹿。
これはあれか。フィーの洞窟で見かけたゼリーの逆パターンか。
もっとも一切通じていないわけでもなさそうで、ゴーレムの表面
にはヒビが走っている。さすがはレアメタルの破壊力といったとこ
ろか。
そんなことを考えている間に、ゴーレムは恐ろしくでかい手を握
りしめると、俺に向けて拳打を放ってきた。
424
回避できるような技量は俺にはない。モロに命中する⋮⋮が。
﹁⋮⋮全然効いてねぇな﹂
まったくの無事だった。怪我はもちろんのこと痛みすらほとんど
ない。ベストよりも防護範囲が広いおかげか、明らかに受けている
ダメージが少ない。
なんなら剣をぶつけた時のほうが痛かったな。
﹁だがまあ、倒れる心配がないってんなら安心して挑めるな﹂
さて、どうこのデカブツを料理するか。
さっき推考したように、多分こいつは物理に対して頑丈な代わり
に魔法には弱いはず。
しかしブロードソードが起こす風にはほとんど威力がない。
となると。
﹁ミミ、連繋していくぞ﹂
﹁はい。シュウト様の指示に従います﹂
焦ることはない。こっちには優秀な魔法使いであるミミがいる。
まず俺は向かってくるゴーレムに向けて切っ先を突きつけ、旋風
を浴びせる。猛烈な勢いの風に吹き飛ばされたゴーレムは鉱山の岩
壁に叩きつけられ、一時的に意識を飛ばした。
425
本来剣が持てる役割はここまでなのだが、逃げるための時間稼ぎ、
ではなく、追い討ちのチャンスとして活用する。
﹁今だ! 魔法で追撃してくれ!﹂
﹁分かりました⋮⋮パラライズ!﹂
杖をかざしたミミによる遠距離攻撃が飛ぶ。
魔力によって生成された光の糸がゴーレムの肉体に巻きついた。
ミミが習得している﹃初級呪術﹄は、属性などは一切存在しない
代わりに呪縛効果がある、らしい。ミミから聞いた話なので詳しく
はよく知らない。
うまくいけばダメージだけでなく敵に不利益を与えることができ
るそうだが⋮⋮。
﹁⋮⋮これ、成功してるよな?﹂
糸から逃れた後もゴーレムは動きがギクシャクとした不自然なも
のになっている。
﹁ええと、麻痺の呪縛にかかっていると思います⋮⋮他の魔法も試
してみましょうか?﹂
﹁おう、任せた﹂
﹁では⋮⋮フラジリティ!﹂
今度は真っ黒な煙が尾を引くように杖先から放たれた。
黒煙がゴーレムを包む。
426
にしても、近接していないと完全にデクの坊だな、この魔物は。
﹁先ほどの魔法には虚弱の呪縛をかける効果があります。きっと今
なら、シュウト様が剣で攻撃しても大丈夫だと思います!﹂
やってみるか。
﹁でりゃあっ!﹂
再接近し、剣を振りかぶった。
相手は麻痺しているから反撃をくらう心配もない。存分に刀身を
ぶつける。
手に痺れは⋮⋮伝わってこない! 衝撃はすべてゴーレムへと流
れ、その肉体があたかも砂であるかのように粉微塵になって崩れ去
っていく。
ゴーレムは瓦解し、おぼろな煙へと姿を変えた。
﹁よくやってくれたぜ、ミミ﹂
俺は勝利の立役者であるミミとハイタッチを交わす。
ミミはいつにも増してぽけっとした表情を浮かべていた。魔法が
もたらす効力に自分自身でも驚いているようだ。
﹁ミミはとてもとてもドキドキしています。攻撃魔法を使ったのは、
初めてですから﹂
427
﹁その割には上出来だったけどな。状況に合わせて使い分けてたし﹂
これが才能ってやつなのか。
加えてレア素材の杖とアクセサリーで補強しているからな。呪縛
効果だけじゃなく実ダメージも相当稼いでいたことだろう。
﹁⋮⋮だが⋮⋮﹂
ゴーレムの討伐に成功したというのに、俺はその結果をイマイチ
喜べずにいる。
それもそのはずで、ゴーレムが落としたのは昨日説明を受けたと
おり石の塊だけ。
金貨は影も形もない。
スキルが発動しないから人目を気にせずに戦えるのはいいのだが
⋮⋮が⋮⋮。
﹁すげーモチベーション下がるわ⋮⋮﹂
ドロップアイテムにしたって、宝石なのかクズ石なのか現段階で
は区別できないし。
成果が実感できないとは、なんて過酷なシチュエーションなんだ。
428
俺、発案する
苦境にもめげずゴーレムを討伐し続ける俺とミミ。
虚弱の呪縛とやらはかなり強力で、一度風圧で距離を取ってから
重ねることで硬度自慢のゴーレムもさほど難航せず倒していけた。
まあ手間がかかる分サクサクとはいかないけども。
﹁おお、素晴らしいお手並みであります!﹂
戦闘要員でないホクトはすっかりさすごしゅポジションが板につ
いてきた感があるが、表情をチラリとのぞきこんでみるとやや物足
りなそうだ。
やはりミミのように戦闘で役立てないことに複雑な想いがあるら
しい。
俺からしたら素材を詰め込んだカバンを運んでくれるだけであり
がたいんだがな。
結局、俺は四時間ほどで十七体のゴーレムを叩き割った。
しかしこれだけやっても手元に残されたのは十七個のよく分から
ん石の塊のみ。
実感もクソもない。
429
唯一手応えを得られたのはブロードソードの使い勝手ぐらいだな。
ゴリ押しはできなくなったが、頭をひねって戦ってる気がするから
満足感は高い。
とりあえず今日のところはこんなもんでいいか。
疲れてきたので脱出。
出入り口の近くにある鑑定所にて宝石か否かをチェックしてもら
う。
﹁この数⋮⋮採掘で獲得してきたのか?﹂
カウンターの上にゴロゴロと並べた石をじっくりと眺めながら、
顔の怖いおっさんがいぶかしげに聞いてくる。
﹁いや、ゴーレムをボコって取ってきた﹂
﹁ほう。だったら期待はできるか﹂
ニヤリと唇を曲げるおっさん。
ほほう、採掘よりはゴーレム産のほうが期待が持てるのか。
まあレア中のレアはゴーレムからしか入手できないそうだしな。
﹁うむ、性質からして紛れもなくゴーレム由来の石だな﹂
そんなことまで分かるのか。この世界の鑑定技術は相変わらず最
先端をいってやがる。
430
﹁すべての鑑定が終わったぞ﹂
﹁どうだった?﹂
﹁十五個はなんの価値もないただのクズ石だ。しかしルビーとオパ
ールの原石が一個ずつある。それぞれ七万4400Gと九万150
0Gで買い取ろう﹂
ええ⋮⋮たったそんだけかよ。
俺はついうっかり提示された額に不満を漏らしそうになる。
ゴーレムは強さから逆算して、俺の見立てだと金貨三十枚くらい
は落としてもおかしくない。ってことは本来五十一万Gは稼げたは
ずなのだが⋮⋮。
﹁一応聞いておくけど、レア物なんかじゃないよな、これ﹂
﹁仮にそうだったらこの金額じゃ済まないな﹂
ですよね。
ということは普通に装飾品として市場に出回っているレベルだろ
う。イチから加工するのも面倒だし、どちらの原石も買い取っても
らった。
﹁毎度あり。いやいや、さすがにゴーレムを十七体も倒しただけの
ことはあるな。今日だけで一ヶ月分は稼いだんじゃないか? 笑い
が止まらんだろう﹂
金貨を積み上げるおっさんは景気のいい話をしているつもりなん
だろうが、俺は到底そんな上機嫌にはなれない。
431
あれだけ働いて十六万ちょっとって。
俺は苦笑しか返せなかった。
﹁これだったら、同じ鉱山でもオーク狩ってた頃のほうがマシだな﹂
鑑定所を出た後、そのへんにあった岩にハァと溜め息を吐きなが
ら腰かける俺。
﹁お疲れのようですね。ミミにできることはありますでしょうか?﹂
﹁いや⋮⋮ないな。体が疲れてるわけじゃないし﹂
気遣ってもらえるのはありがたいが、今抱えている重苦しい感覚
はミミの魔法でどうこうできるもんではない。
それにしても、我ながら金銭感覚が狂ってしまってるな。確かに
十六万もあれば何不自由なく一ヶ月間暮らせるんだろうが、どうし
ても少なく感じてしまう。
﹁⋮⋮そういや、やけに集団で行動してるな、ここの奴らは﹂
鑑定所に出入りしている冒険者は複数人同時なのがほとんど。
討伐組はパーティーを組んで臨んでいるケースがあるだろうから
ともかく、採掘組までそうなのは謎である。
﹁それはチームを結成してっからだ﹂
後ろから声をかけられる。座りこんだ俺をでかい体で覆うように
顔をのぞきこんできたのは、昨日酒場⋮⋮じゃない、ギルドで顔を
432
合わせた斧のおっさんだ。
﹁よう兄ちゃん。ゴーレムとは戦ってみたか?﹂
﹁ああ。今がその帰りだ﹂
﹁だろうなァ。疲れた顔してるし。で、宝石は見つかったか?﹂
﹁見つけたよ。二個な。十七体も倒したんだから、そのくらいはも
らわないと困るぜ﹂
﹁そんなにか! そりゃ凄ェ。Dランク四人でパーティーを組んで
も、せいぜい一日に三体か四体が限度なんだがなァ。武闘派のCラ
ンクのソロでもそんくらいだ﹂
﹁ふーん﹂
ということは期待値だけ考えたらそこまで利率がいいわけじゃな
いのか。
冒険者が集まっているから物価も高いし、ヤンネがここで金策し
なかった理由も分かるな。あいつ本人はともかく周りの女たちは戦
闘力より依頼で名声高めたタイプっぽいし。
﹁兄ちゃん、相当やるねェ。こりゃ俺もウカウカしてられないな﹂
まあ、正確には俺一人で倒したわけじゃないが。
﹁それよりチームってなんのことだ?﹂
﹁簡単な話さ。一人で採掘したって毎回原石を掘り当てられるわけ
じゃない。取得確率はゴーレム経由なら十分の一くれェだが採掘で
だと百分の一にまで下がる。当たりゃあデカいが外した日は完全に
オケラだ。しかもほとんどが外すんだから落差が激しすぎるだろう
?﹂
﹁まあな﹂
433
ギャンブルもいいとこだ。
﹁だから生活を安定させたい奴らは、チームを組んで活動するんだ
よ。一人では一日に二十個しか掘れなくても、五人集まりゃァ百個
になるわけで、そうすりゃ理屈の上じゃ毎日一個はチームで原石を
獲得できる。その売却額を山分けすんのさ﹂
﹁なるほど仕組みは分かった。だがな、こっそり隠し持つ奴がいた
らどうなるんだ?﹂
﹁そこがミソでな。チームに所属している間は、個人で鑑定も売却
も加工もできやしねェんだ。全部チームぐるみでないと行えない﹂
だから鑑定所に束になって押しかけてきてたのか。
﹁知ってのとおり石ってのは鑑定してみねェことには価値があるか
どうかハッキリしない。チームを抜けるまでの間、百に九十九はク
ズ石のものを密かに集め続けるってのは苦行もいいとこだぜ。ちょ
ろまかすのは虚しすぎらァ﹂
﹁ああ⋮⋮なんとなく分かるわ。人目を気にしつつ家にゴミ溜めこ
むようなもんだからな﹂
﹁それなら大人しく提出して早めに鑑定してもらったほうがいいっ
てもんよ﹂
それに他の奴と比べて採掘量が少ないと怪しまれるしな、とおっ
さんは続ける。
﹁当然、一発で大きく当てたい奴は単独で行動するがね。お前さん
みたいにさ﹂
﹁ふむ﹂
434
言うまでもなく、ゴーレム討伐をパーティーで行ってる連中も取
り分は人数割りになるか。
﹁まあその辺に転がってるような宝石はどうでもいいんだよ。俺は
レア物を求めてるんだ﹂
土地探しの旅を続ける中でどんな至難が待っているか分からんか
らな。
絶大な効果を持つアイテムは喉から手が出るほど欲しい。
﹁一応、ギルドに募集はかけてみたけどさ﹂
﹁そいつァ難しい注文をしたもんだ。ゴーレムを狩りに来る冒険者
ってェのは、大概己の強さを求めてるのが多いからよォ。レア物が
手に入っても自分用に使うんじゃないかな。パーティーを組んでい
て独占が困難な場合は売るかも知れんがね﹂
むむ、そう聞くと望みは薄そうだな。
アホほど金を積めばいけるかも知れないが、いくらなんでも全財
産の半分を超えた額になったりしたら一度に注ぎこむのは勇気がい
る。
﹁ま、自分で拾うにしても、人から譲ってもらうにしても、気長に
待つしかないわな。若いんだしゆっくりやっていきな、兄ちゃん﹂
おっさんはガハハと絵に描いたような豪放磊落さで笑って、どこ
かへと消えていった。
残された俺は腕を組んで静かに考えこむ。
435
もちろんレア宝石の入手手段についてなわけだが、俺はこの時、
とある冴えたやり方を頭に浮かべていた。
物価も高い。金も︵当社比で︶稼ぎにくい。はっきり言って、俺
がこの町に長居するメリットは皆無である。徒労感が半端ではない。
今ある金でやりくりして速やかに目的を果たし、さっさとオサラバ
したいところだ。
必要に迫られているからだろうか、珍しく脳ミソがよく回転して
くれていた。
﹁気長に待て、か﹂
その必要はない。
あらゆる話を総合して妙案に辿り着いた。
これは明日にでも実行に移すっきゃない。
436
俺、設立する
その日、俺はミミとホクトを宿に残して、一人ギルドのラウンジ
で優雅にモーニングコーヒー⋮⋮ではなく、迎え酒をあおっていた。
運ばれてきた未確認肉の香草焼きを肴に、朝っぱらから飲むワイ
ンもオツなものである。
午前中だから客も少ない。
そんな俺のゆるりとした朝の静かな時間を、慌しい足音がぶち壊
した。
﹁シュウトさん、少々お時間いいですか?﹂
ブロンドヘアーを振り乱した落ち着かない様子で、張り紙を握っ
たヒメリがテーブル席にまでやってくる。
﹁おい。それ俺が受付のスペースに貼っておいてもらったのに剥が
すなよ﹂
﹁ちゃんと許可はいただきましたよ。それよりです﹂
張り紙をバンバン叩きながら質問してくるヒメリ。
﹁なんですか、この﹃財団法人・チームシラサワ﹄というのは?﹂
﹁書いてあるとおりだけど﹂
﹁いえ、そういう話ではなくてですね⋮⋮﹂
﹁業務内容まで説明しないとダメか? それも一緒に書いてあるじ
437
ゃん。分かりやすく言うとだな、採掘みたいにゴーレム討伐でもチ
ーム制度を導入したわけよ。一昨日思いついて昨日準備したからな、
かなりの急ピッチだぜ﹂
﹁だから組織の仕組みについて尋ねてるんじゃないですよ! どう
してこんなものを作ったのかということです﹂
成り行きか。そんなの簡単な理由なんだが。
﹁レアな宝石が欲しかったんだよ。でも買取だと難しそうだったか
らな。その分の金を別の方法で運用することにした﹂
﹁だから財団ですか。資本金があるからってまた派手な真似をしま
すねぇ﹂
﹁そう褒めるなよ﹂
まったく褒めてませんよ、ヒメリが冷ややかに言ったが、心にゆ
とりのある俺は気にも留めなかった。
﹁⋮⋮それで、何人がチームシラサワに登録したんですか﹂
﹁今日は四十五人を派遣している。ソロ登録が七人、パーティー登
録が十組で三十八人だ。ま、初日だからこんなもんだろ﹂
﹁随分な大所帯ですね。本当にうまく回るんですか?﹂
﹁ちゃんと規律は用意してあるさ。まあ見てなって﹂
そうヒメリに答えた俺は、ワインの瓶を空にしてから宿に戻り、
余裕を持って二度寝した。
夕方、俺は宝石鉱山へと出発する。
重役出勤気分を味わいながら向かった鉱山前には、既に作業を終
438
えたチームのメンツが何人か戻ってきていた。
﹁シュウトさん、待ってたよ﹂
﹁おう。それじゃ、集めていくから順番に並んでくれ﹂
俺の号令で冒険者たちが列をなしていく。
班の人数に違いはあるが、共通してゴーレムから得た石を詰めた
皮袋を担いでいる。
袋は俺が支給したものであり、表面に番号が記されている。
登録時に割り振った番号と同じ数字だ。
こうすることで石を取得した日付をごまかしたり、非ゴーレム産
のものを納入する不届き者がいた際に瞬時に見分けることができる。
﹁よし、確かに受け取ったぜ﹂
中身を確認しつつ、袋ごと石を回収する俺。
まずは日当として2000Gを渡す。
これはソロ登録だろうとパーティー登録だろうと同じ額だ。人数
ごとに出していたら架空のパーティーを用意する奴が現れかねない
からな。
また、石の納品量にもよらない。
固定給みたいなものである。
439
当たり前だが、ゼロの奴は納品すらできないので日当を受け取る
ことはできない。サボりには厳しくいかせてもらう。
それから歩合給として、石一個につき7000Gを支払う。
﹁四個だから⋮⋮お前には二万8000Gだな﹂
﹁へへっ、毎度あり﹂
﹁こっちこそありがたいぜ﹂
その後、俺はサインを記入させた。
チームを組んでいるという扱いなので個人では鑑定不可能。この
ルールは石を勝手に管理されることを防げもするが、当然俺にも適
用されるので、鑑定所のおっさんのところに持っていく前に全員か
ら許可を取る必要がある。
﹁いや助かったよ。これだけ安定した稼ぎになるんなら、ゴーレム
を狩るのも悪くないねぇ﹂
感謝を述べながら納品を済ませた冒険者たちは去っていく。
つまりはそういうことだ。
誰しもがゴーレムを大量に狩れるわけではない。パーティーを組
んでようやく三個か四個、よくて五個しか石を獲得できないのだと
したら、外れるリスクを天秤にかけて、コツコツ採掘をしたほうが
マシと考えてもおかしくはない。
ゴーレムを狩りに来る奴の大半は自己強化が目的というのも、そ
440
ういった事情ゆえだろう。
だから俺は、ハズレかアタリか分からない状態の石を一個あたり
の期待値に近い金額で引き取ることにした。
安定志向の冒険者が乗ってくるのは想像に難くない。
手に入るのはひとつの班につきたったの数個。
だが塵も積もれば山となる⋮⋮集めに集めた石の総数は、八十個
に至った。
全部まとめて鑑定所に持ちこむ。まとめて、とはいっても、どれ
が誰の納品物か分かるように袋ごとにである。
ではこれより、八十連ガチャを開始する。
クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、﹃トルマリン﹄、クズ、
クズ、クズ。
クズ、クズ、﹃ガーネット﹄、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、
クズ、クズ。
クズ、クズ、クズ、クズ、﹃トパーズ﹄、クズ、クズ、クズ、﹃
サファイア﹄、クズ。
クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、﹃ダイヤモンド﹄、クズ、
クズ、クズ。
441
クズ、クズ、クズ、﹃アイオライト﹄、クズ、クズ、クズ、クズ、
クズ、クズ。
クズ、﹃トパーズ﹄、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、ク
ズ、クズ。
クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、﹃ヘリオライト﹄、
クズ、クズ。
クズ、クズ、クズ、クズ、﹃アクアマリン﹄、クズ、クズ、クズ、
クズ、クズ。
鑑定の結果、宝石の原石と判明したのは九個。
しかし、どうやら希少品、いわゆるSSRは含まれていないらし
い。⋮⋮スカか。
ガッカリしながらもクズ石をその場で廃棄し、すべての原石を買
い取ってもらう。
合計査定額は七十一万2800G。
石の買取総額である五十六万Gを超えているので、差額分は一旦
プールしておく。
売却金額を記した受取証明書を切ってもらい、帰還。
﹁おかえりなさいませ。ウェルカムドリンクはいかがですかな﹂
﹁うむ、一杯もらおうか。だがその前に、こいつを貼っといてくれ﹂
442
ギルドのダンディズム溢れるおっさんに頼み、鑑定所の書類をチ
ームシラサワの張り紙の隣に掲示しておいてもらう。
収支を発表することで透明性をアピール。基本だな。
買取と売却によって生じた差額は次回以降に持ち越しになり、レ
ア物を取ってきた奴にすべて渡すことにしてある。仮にマイナスに
なればその日の分は加算しない。
日当の支払いや差額の補填を行っている分俺が金銭的に得するこ
とは絶対にない。逆に言えば参加者が全面的に得をするため、不満
の声が上がることもない。
完璧な資産運用だな。
まあ今日はスカに終わったのだが、明日からのお楽しみとするか。
晩飯のパンと魚の燻製を買って宿にに戻る。
﹁お疲れさまでした、シュウト様﹂
ドアを開けるや否や、早速ミミが一礼する。
﹁いかがでしたか?﹂
﹁ダーメだ。ハズレ。まあいきなり一日目からうまくいくとか、そ
んな甘くはないわな﹂
それより飯にしよう、と俺は切り出したのだが。
443
﹁いえ、ちょっと﹂
ホクトが遠慮がちにする。
﹁どうした?﹂
﹁一人で考え事をしたい気分なので、自分は屋上で食べてくるであ
ります﹂
﹁そうか﹂
﹁⋮⋮少し長引くかも知れませぬので、ご理解をいただければ幸い
であります﹂
燻製を挟んだパンを片手に部屋を出るホクト。
前の町にいた時からそうだったが、ホクトは数日おきに二時間ほ
ど席を外すようになっている。
俺とミミのオトナの関係を知っているからだろう。
せっかく気遣いをしてもらえたんだから、無碍にするのもよくな
い。決して俺の性欲がこみ上げてきているだとか、そういうのでは、
まあ、本音を申すと、あるんではありますけども。
﹁ミミ、リフレッシュをかけてくれ﹂
﹁今ですか?﹂
﹁鉱山帰りで汚いからな﹂
コートを脱ぎながらだった俺の発言の意図を読み取ったらしく、
ミミは恥じらいをかすかにのぞかせつつも母性に満ちた笑みをたた
えて、浄化作用のある魔法を唱える。
444
俺はテーブル上の食事をほったらかしにして、頬を染めたミミを
ベッドに押し倒した。
ミミは魔法の才能がBとしたら抱き心地はSSSくらいはあるか
らな。
445
俺、参戦する
チームシラサワの営業を始めてから四日が経過した。
依然として超貴重な宝石は見つかっていない。
ただ登録人数だけは増え続けていた。これはどんどん溜まってい
く差額に惹かれて、一発のデカさを重視する層までも宝クジ感覚で
集まってきているのだと思われる。
まあ人手が増えればガチャを回すチャンスも増えるので、俺とし
てはありがたい話だ。
あと、俺自身が働かなくていいのも最高。
しかし五日目を迎えたこの日⋮⋮。
﹁参加希望者ゼロ!? なんでだ?﹂
午前九時頃にギルドを訪れた俺は、おっさんからその数字を聞か
されて愕然とした。
けど、ラウンジに詰めかけている人数を見ればそれも納得だ。ま
だ朝だというのに妙に多い。探索に出向いている冒険者自体がかな
り少ないことが一目瞭然である。
﹁このところ、ゴーレムの駆除数が爆発的に増えてますからねぇ﹂
446
そりゃあ、俺が差し金を送り続けてるからな。
﹁例年よりゴーレム・グレバンダニカ・ティランティの出現時期が
早まっているようです。おかげで宝石鉱山に向かう冒険者は激減し
ていますよ﹂
﹁なんだそいつは?﹂
慣例として尋ねはしたものの、聞いた数秒後に忘れてしまうよう
な名前からしてどうせレアモンスターなのは分かり切っている。
﹁ゴーレムを一定の数だけ倒すと現れるという、いわば、ゴーレム
たちのボスのような存在です﹂
なら呼び方はキングゴーレムでいいか。
⋮⋮いや、ありきたりすぎるな。俺のセンスが疑われる。
ここはカイザーゴーレムとしよう。
﹁姿を見せるのはおよそ三ヶ月に一度の周期なのですが、今回は若
干間隔が短い。本来であれば二週間ほど後に出現が予見されていた
のですがね﹂
ってことは、俺のチームは四日で半月分のゴーレムを狩っている
んだな。
それだけやってもレア物に辿り着けなかったというのか⋮⋮。
﹁じゃあなんだ、そいつがいなくならないことには鉱山ではロクに
活動できないってことか﹂
447
﹁左様でございます。とはいえ一日で倒しきるのは少々厳しい。極
めて頑丈な魔物ですからね。志願者を募って討伐隊を結成し、少し
ずつダメージを蓄積させながら⋮⋮そうですね、撃破に一週間は要
するでしょうか﹂
﹁はあ。そんなに日数かかるのかよ﹂
待ってらんねー。
﹁討伐隊って大体何人くらいになんの?﹂
﹁完全志願制ですからね。それほど多くはありません。対応に当た
っていただくのは、いつもだと五、六人のパーティーでしょうか﹂
﹁ふむ﹂
おっさんに見せてもらった依頼一覧には、なるほどギルド名義に
よるボスの討伐要請が一人あたりの報酬二万G、かつ募集人数無制
限で出されている。
受注者名簿にある氏名はイェルグ、ガードナー、ヒメリ⋮⋮って
ヒメリかよ。相変わらず強敵の好きな奴だな。
現時点ではまだこの三人しか集まっていない。
名誉は相当得られるだろうが、手間と危険度の割には安価だから
仕方ないか。多分だがボランティアみたいなもんなんだろう。
本来は。
﹁おっさん﹂
﹁いかがなさいました?﹂
﹁この依頼破棄してくれ。俺が新しく出すわ。報酬六万で﹂
448
ギルド全体がざわついた。
﹁このくらい出せば日頃﹃我関せず﹄を貫いてる奴らでも腰を浮か
すだろ﹂
﹁よろしいのですか? 個人の利益になる依頼ではありませんが﹂
﹁さっさと終わらせて宝石探しをやりたいからな。あまり時間は無
駄にしたくねぇ﹂
そう答え終えると同時に﹁ガッハッハ﹂と聞き覚えのある笑い声
が二階から響いた。
大柄な体をのしのし揺らして声の主が階段を下りてくる。
あのガタイのいいおっさんか。
﹁こいつァ面白い奴がいたもんだ。ギルドじゃなくて自分で討伐隊
を結成するとはな。一目見た時から他の男とは空気が違うとは思っ
てはいたが﹂
﹁俺は行かないぞ。しんどいし。出資するだけだ﹂
﹁甘ェな兄ちゃん。一日で十七体もゴーレムを狩れて、討伐隊まで
ポケットマネーで作れる冒険者なんてそうそういねェ。これだけの
実力者がご隠居なんざ世論が許してくれないよ﹂
おっさんのいうことはもっともで、発案者である俺を実働部隊の
リーダーとして推す声が上がり始めている。
﹁それに親玉の出現が早まった原因は兄ちゃんにあるからなァ。そ
の落とし前もつけないと皆納得しねェぜ﹂
﹁む、そりゃそうだが⋮⋮﹂
449
痛いところを突いてきやがる。
先日起こしたチームについては既に大多数に知れ渡っているだろ
うしな。
結果として引き起こしてしまった事態を無視すれば、非関係者か
らは疎まれ、参加者からは信用を失う。
﹁⋮⋮おっさん、ちょっといいか?﹂
俺はギルドマスターのほうに質問を飛ばす。
﹁ゴーレムのボスってことは、こいつも金は落とさないってことで
いいんだよな﹂
﹁そのとおりです。未鑑定の石を多めにドロップするだけですね﹂
だったらスキルもバレないか。
﹁分かった。俺も行ってやるよ。そっちのほうが早く片付くだろう
しさ﹂
﹁そうこなくちゃな! グワッハッハ!﹂
おっさんは俺の背中を体育会系のノリと筋力でバシバシ叩く。
﹁行くとは言ったが、リーダーは嫌だぞ。俺は的確に指示とか送れ
るようなタイプじゃないからな﹂
責任とかもあまり負いたくないし。
450
﹁ならば、今回もガードナーさんに率いてもらうとしよう﹂
別のどこかから朗々とした声が上がった。
長身で槍を携えたそいつは、イェルグと名乗った。さっきリスト
にあった名前だな。
﹁誰だよ、ガードナーって﹂
﹁んあ? 俺のことだが﹂
目の前のおっさんがのんきそうに言った。
あんたかよ。
﹁ガードナーさんはこの町に残っている唯一のBランク冒険者だ。
討伐隊には毎回参加してもらっている﹂
思い返してみると、その名前も載ってたな。
にしても、Bランクって。そんな凄腕だったのか。俺はてっきり
ただの酔っ払いだとばかり。
﹁彼が信頼に値する人物であることを、シュウト⋮⋮だったか、お
前にも保障しよう﹂
﹁そっか。なら頼りにさせてもらうか﹂
﹁無論、私も討伐隊に加入する。破棄された依頼の時点で記名して
いたからな﹂
イェルグは迷いなく隊員リストに名を連ねた。
451
その後も続々と手が上がった。
報酬を三倍にしたおかげで志願者数は大幅に増加している。
その数、合計十六人。
これに俺と俺の奴隷も加わるから、もはやパーティーというより
一個小隊だ。
﹁いや私もいますからね。忘れないでください﹂
⋮⋮ヒメリも追加。
そういや事前申請していた最後の一人だったな、こいつ。
﹁本当はギルドの正規部隊で挑みたかったのですが⋮⋮仕方ありま
せんね。幸いリーダーはシュウトさんではないみたいですし、上下
関係が生まれないのは好都合です﹂
﹁どうでもいいことを気にすんなよな⋮⋮﹂
とにかく、これで全員のようだ。
﹁えー、ってことは⋮⋮冒険者が俺を含めて十八人に、ミミとホク
トで⋮⋮二十人か﹂
報酬の支払いだけで百万オーバーとは、さすがの俺も震えてくる。
﹁ガッハッハ、空前絶後の大部隊だ! こりゃあ一段と面白くなっ
てきたぜ。もしかしたら三日もかからないかもなァ﹂
452
三日ですらなげーよ。できることなら、一日で終わらせてやりた
いんだが。
ただしあくまで個人的な希望に過ぎないので口には出さないでお
く。
﹁さあさあ、役者は整った。これより目指すは魑魅魍魎の待ち受け
る死地。ひとつこの町のために暴れてやろうじゃねェか、お前らァ
ッ!﹂
おっさんがそう胴間声で吠えて斧を高々とかかげると、俺とヒメ
リ、それからミミとホクトを除いた地元の面々は﹁オー!﹂と士気
を昂揚させて応じる。
これが統率力ってやつなのか。
何度も討伐隊のリーダーをやってるという話も頷けるな。
そのおっさんによる先導の下、俺たちは宝石鉱山へと向かった。
453
俺、驚愕する
宝石鉱山までの順路は分かりやすく、かつ短い。
町を北口から出て一直線に進めばすぐだ。距離にすると五キロく
らいか。
﹁⋮⋮ん?﹂
その道すがらで、俺はヒメリの髪の中に深緋に輝くなにかを見つ
けた。
﹁なんですか。人の顔をジロジロ見たりなんかして﹂
﹁顔は見てねぇよ。髪の毛に付けてる飾りを見てたんだ﹂
﹁気づきましたか? ふふ、昨日やっと完成したんですよ﹂
得意げな顔をするヒメリ。
﹁初日に運よくレッドベリルという宝石を獲得できましてね、こん
なふうに髪留めに加工してもらったわけです﹂
﹁でもよくあるもんなんだろ。羨ましくはないな﹂
﹁シュウトさんは理想が高すぎるんですよ。実用性はこれでも十分
です﹂
理想が高い、とか言われても、俺はお前と違って基礎が成ってな
いからな。
近道をしないとこの先やっていけない。
454
﹁それで、どういう性能をしてるんだ、それ﹂
﹁剣速アップの効果がある⋮⋮とは聞きましたけど、今日が初の実
演ですからね。試してみないことには正確に把握できません。性能
については私の活躍ぶりから判断してください﹂
﹁大きく出たな﹂
﹁シュウトさんに対して下手に出ても仕方がないです。何度も申し
ますが、私はあなたを超えなければいけませんので﹂
ヒメリの言葉や態度、そして新たな装備品からは、今回の討伐戦
に対する意気込みが相当なものであることがうかがえる。
まあ、やる気があるならその分俺が楽できるからいいか。
目的地には日が高くなる前に着いた。
宝石鉱山の入り口の手前で、一度人数の再確認をした後。
﹁まごついてる暇はねェ。とっとと進んで、ちゃっちゃと始めるぞ﹂
恐れ知らずといった雰囲気をかもすガードナーのおっさんを先頭
に、人気が失せて静まり返った坑道へと突入する鉱山殴りこみ部隊。
ほとんどが傭兵で構成された部隊だが、そんな中、数少ない義勇
兵もいる。
ちょうど今俺の脇を歩いているイェルグがそうだ。
﹁一時も油断をするなよ、シュウト。敵のヘイトを集める役割は我
々が務める。お前は隙をついて適宜攻撃を当ててくれ﹂
455
﹁お、おう。先陣は任せる﹂
騎士然としたイェルグが俺に戦略を伝える。
緊迫したその横顔は、手にしている槍の穂先と瓜二つの鋭さだっ
た。
イェルグはようやく現れたまともな人物かと思われたが、服飾の
センスが致命的に悪趣味である。坑道に踏み入った途端戦化粧だと
ばかりに両手の指に合計七個の指輪を装着し始め、ゴテゴテとした
拳を力強く握り出した時は、イカれてしまったのかと思った。
どこの成金だよとツッコミたくなるが、本人はいたって真面目な
表情なので何も言えない。
﹁あれも全部宝石の加護を得るためですよ﹂
ヒメリ解説員が耳打ちしてくる。
﹁宝石系のアクセサリーは二個目以降は効果がどんどん薄くなって
いくそうですけど、あれだけ数があれば多少はデメリットを相殺で
きるでしょうね﹂
﹁あそこまでやったら、逆に邪魔になりそうだけどな⋮⋮﹂
ともあれ危険な役目を引き受けてくれるっていうんなら、俺とし
ても望むところではある。
それにしても坑道内は静かだ。
ツルハシが岩盤を叩く音がなくなっただけで、随分と雰囲気が違
456
って感じる。
壁面のランプに火を灯しながら進んでいく俺ら一行。
﹁そろそろゴーレムが出てくるポイントじゃないか?﹂
誰かがそう質問した。自信のない口ぶりからして俺と同様に今回
が初参加だろう。
俺は坑道には一度しか来たことがないが、記憶にある限りだと確
かにこのあたりから通常のゴーレムが出没し始めたはずである。
となればその親玉もここらへんに現れると考えるのが自然だが⋮
⋮。
﹁や、もう少しだけ奥だなァ。ただここで待ったほうがいいな﹂
おっさんは足を止めながら答えた。
﹁なんだそりゃ。矛盾してないか? 奥にいるのにここで待てって﹂
﹁前進しすぎて、灯りつける前に暗ェとこで鉢合わせしたら最悪だ
からな﹂
そういうものなのか。
新参の俺が口を差し挟めるはずもないので、ここは経験者に従う
としよう。
適当にノーマルゴーレムを数の暴力で瞬殺しつつ、指示どおりに
待ち続けていると⋮⋮十数分ほどで地響きが聴こえてきた。
457
﹁さあさあ、ついに来やがったぜ。お前らァ! ただちに戦闘準備
につけ!﹂
ツヤのない漆黒の刃を持つ斧を握りしめながら、おっさんが一同
を見回して檄を飛ばす。
坑道の奥はまだ暗い。
その暗闇の中から﹃そいつ﹄は姿を現した。
﹁⋮⋮え?﹂
思わずそんな気の抜けた声が喉から漏れた。
俺はボス格のゴーレムというから、せいぜいサイズが大きくなっ
たバージョンの奴が仁王立ちしているだけだろうと踏んでいた。
天井まではおよそ四メートル。どれだけでかくてもこれが限界だ
ろうと。
だがそいつは立っているのではなく、﹃這って﹄いた。
這っていてなお、天井スレスレまで伸びているという意味不明さ。
﹁こ、こんなのありえるのか?﹂
積石細工めいた容貌は一緒だが、そいつはあまりにもでかすぎた。
全長を推測することすらアホらしくなってくる。四つんばいの姿
458
勢で歩いているというのに頭をぶつけそうになっているんだから。
桁違いの巨体だ。数人がかりで一週間かけて撃破する⋮⋮という
逸話も頷けるな。
初めて直に目にしたであろう連中は例外なく驚嘆している。
﹁臆するこたねェ! でかくて硬ェがそんだけだ! 気合入れてか
かるぞ!﹂
一方で過去に何度も戦っているというガードナーのおっさんは慣
れたもので、余裕のある振る舞いを見せている。
﹁こいつァ中々くたばらねェ。持久戦になることを覚悟しとけよ!﹂
まずはイェルグに命じて、盾役となる冒険者たちを前に出させた。
これまでボスと戦ったことのない面々は尻込みするが、槍を軍旗
のように振るったイェルグが自ら最前線に立つことで鼓舞する。
﹁いざ参る! 巨像よ、私の守勢は微塵も破らせぬぞ!﹂
まるで蟻が象に話しかけているようだった。
矢面に立ったイェルグを、カイザーゴーレムが目障りな虫ケラで
も潰すようにデコピンで弾き飛ばそうとする!
⋮⋮が、イェルグは鋼鉄製の槍の柄を使ってうまく防御。
鎧の重量もあるのか踏ん張りが利いている。
459
ダメージは軽微に見える。これが宝石の力なんだろうか。だとし
たらすげーな。七個分の価値が発揮できているかは別にしても。
その後、おっさんは魔法が扱える奴に一斉放射の指示を出す。
﹁馬鹿正直に武器ブン回してただけじゃ、あのバケモンをしとめる
のはちと辛ェからよ。お前らが要だ、しっかり頼むぜ!﹂
ある程度綻びが生まれるまでは、自分を含めた物理攻撃担当は様
子見するらしい。
その一員には長剣を構えたヒメリも混じっている。今にも斬りか
かりたくて堪らないといった、焦れったそうな顔をしているのが遠
目にもよく分かる。
そして俺に与えられた役割は、遊撃として状況に応じた働きをす
る⋮⋮といったものなのだが、ブロードソードが起こす風をもって
しても、この馬鹿でかいカイザーゴーレムを吹き飛ばすのはいくら
なんでも不可能。
﹁シュウト! お前さんは邪魔者の排除を頼むぜ! 味方が行動し
やすいようにな!﹂
﹁邪魔者ってどれだ?﹂
﹁普通のゴーレムだ! 横穴からワンサカ沸いてきてるだろ? 親
分が来てくれたからって調子づいてんだよォ、こいつらは!﹂
ああ、本当だ。まるで腰巾着のかってくらい次から次にMサイズ
が押し寄せてきている。
460
とりあえずこいつらを追い払ってお茶を濁す。
さて、俺もミミとホクトの二人になにかしら命令を出さないとい
けないな。奴隷は俺の管轄下にあるからおっさんはノータッチでい
る。
﹁ミミ、お前は魔法で攻撃してくれ。あのデカブツめがけてだ﹂
﹁承知しました﹂
虚弱の呪縛を付与するフラジリティとかいう魔法は、あれに対し
ても有効だろう。
ミミに指令を授けた後、やる気満々といった表情のホクトに視線
を移す。
﹁自分もご拝命を頂戴したく思うであります!﹂
﹁ホクトは⋮⋮ええと、ホクトは⋮⋮﹂
どうしよ。よく考えたらこの場でやらせることがないんだが。
しかしここで﹁待機で﹂とか告げるとまたコンプレックスを刺激
してしまうしな。
﹁倒れて動けない奴がいたら運んでくれ。片時も目を離さず、じっ
くりと戦況を見極めるんだぞ﹂
俺はそれっぽいことを言った。
﹁はっ! 了解であります!﹂
461
それっぽいことでその気になってくれるからホクトは優しい。
にしても、である。
なんて映画じみた光景なんだろうか。
坑道を這いずるカイザーゴーレムは動きこそ鈍いが、その図体の
凄まじさゆえに一挙手一投足がいちいち重々しく、軽く手のひらを
横に振っただけで前衛に立つ冒険者たちがいっぺんに薙ぎ払われて
いる。
﹁これしきっ⋮⋮!﹂
ラインを押し返されてたまるかと即座に立ち上がるイェルグ。
大したタマだ。これで宝石がギラついてなかったら男の中の男と
呼んでやれたのに。
﹁サポートしてやらないとな。ミミ、攻撃魔法のペースを上げてく
れ。回復薬はホクトが持っているから、治療はそっちに任せろ﹂
﹁分かりました⋮⋮フラジリティ!﹂
魔法を唱えるミミのスイートな声が響く。
こんなに甘く儚げなトーンなのに、その声で囁いているのは真綿
で締めつけるようにいやらしい呪術なのだから怖い。
﹁ガッハッハッハ! お前さんとこのお嬢さんも中々やるじゃねェ
か!﹂
462
ガードナーのおっさんは弱体化を狙ったミミの魔法に大層ご満悦
らしい。
﹁こりゃァ好き放題暴れられそうだぜ。人数も多いしよ﹂
ここが潮時だと見たのか、おっさんは諸刃の斧を、まったく重さ
を苦にすることなく高くかかげ、そのまま頭上で豪快に一回転させ
る。
俺はその所作は周りに号令を送っているか、あるいは自らを奮い
立たせるための儀式めいたものだと最初考えた。 しかしそうではなかった。
二枚の分厚い刃から、赤黒い煙が噴き出し始めている。
463
俺、助演する
目の前で起きている出来事を摩訶不思議現象で片付けるほど俺は
無知ではない。
いや摩訶不思議現象であるにはあるのだが、理屈は分かっている。
﹁レアメタルか﹂
としか考えられない。この具合の悪そうな色をした煙がおっさん
の武器に秘められている追加効果なのだろう。
だがそれは魔物に向けて放たれはせず、おっさんのゴツい右腕と
斧にまとわりついていた。
大男は煙を揺らめかせたまま接近。
﹁オラッシャア!﹂
斧による、打撃とも斬撃ともつかない一発をカイザーゴーレムの
手首にくらわせる。
密度の高い質量同士の接触。
金属質の轟音は⋮⋮奇妙にも鳴り響かない。
だが被害を負っているのは明らかに魔物の側だった。手首を構成
する石材がいくつか欠けてしまっている。
464
﹁もういっちょう!﹂
おっさんが再度斧を振り回して追撃。
そこで俺はハッキリと、いかにして手首の損傷が行われているか
を知る。
とても石とは思えないような壊れ方をした。割れる、砕けるとい
った感じではなく、溜まった水が飛び散るような︱︱そんな絵図が
広がっていた。
刃があまりにもスムーズに入っていき過ぎている。だからこそ目
立った衝突音も上がらなかったのだろう。
﹁グワーハッハッハ! イイ気分だ! さあお前ら、露払いは済ん
だ! 続け、続けィ!﹂
拳を作った左腕を大きく突き上げ、これまで控えていた物理組に
後詰めを命じるおっさん。
その発令を契機に、ヒメリを筆頭として次々に剣を携えた冒険者
たちがカイザーゴーレムの懐へと飛びかかり始める。
更に防護役に徹していた連中も得物を握り直して加勢。
壮観だった。
十を超える武芸者が一斉に巨人に襲いかかっている。更には魔法
による援護射撃。
465
見てるだけでいいとはなんて楽なんだ。
﹁いいわけないでしょう! シュウトさんも続いてください!﹂
ヒメリがぷんすかしながら言ってきた。
﹁ちっ。やっぱ俺も戦わないとダメか﹂
﹁当然です! 今はもう様子見してる場合じゃないですからね。一
気に攻め立てますよ!﹂
このまま観客気分でいられると淡い期待を寄せてたんだが、やむ
なし。
ゴーレムの子分のあしらいをやめて、親分の元へと進軍する。
﹁今更だが⋮⋮クソでけーな、おい﹂
間近で眺めるとその圧倒的なスケールが如実になる。首を九十度
に持ち上げなければご尊顔を拝むことすらできない。
根から絶つ、じゃないが、まずは四つんばいの姿勢を支えている
両腕に照準を定めるというのは理に適ってるな。
ここさえ崩してしまえば大きくバランスを損なうだろう。
俺もおっさんの真似をしてブロードソードを手首へと叩きつけた。
ミミの呪術が効いているからか、手の平に跳ね返ってくる反発は
少ない。俺の攻撃によって石の一部が削り取られる。
466
︱︱そこにヒメリが追い討ちをかけに跳躍。
﹁はぁっ!﹂
両手にしっかりと握り締められた長剣が更なるダメージを重ねる。
振りが鋭くなっている⋮⋮かどうかは正直よく分からないが、当
の本人が満足げな顔で手応えを感じているので宝石の影響力は確か
なんだろう。
もっとも、こと破壊力に関していえば⋮⋮。
﹁ウオラァ! ガハハ、相変わらずしぶとい輩だ!﹂
レアメタル製の斧を、その豪腕をもって振り回すガードナーのお
っさんがずば抜けている。煙に包まれた刃を怪力に任せてブチ当て
るだけで、硬い石がぷるぷるしたスライムであるかのように弾け飛
んでいくんだから、痛快としか言いようがない。
﹁凄い⋮⋮あれが﹃壊し屋﹄の異名の正体なのね﹂
後ろにいる女魔術師がそんな感嘆の言葉を漏らした。
俺の冠についている﹃ネゴシエイター﹄とかいうしょーもないア
レと同じようなもんだろう。
ただこうして観察を続けていると、おっさんが楽々解体作業を進
められている原理がなんとなくつかめてきた。おっさん自身の腕力
もあるだろうが、一番はあの瘴気じみた赤黒い煙。あれには摩擦や
467
抵抗を限りなくゼロに近づける効果があるに違いない。
虚弱の呪縛にちょっと似ているな。
﹁あれが噴煙鉱のラブリュスの真価だ﹂
ジャンプの勢いを乗せた槍を投げつけたイェルグが、俺の真横に
着地しつつ語る。
今回は解説役が多いので非常に助かる。
﹁属性は火。極めて重く扱いづらい金属だが、ガードナーさんの類
稀なる筋骨をもってすればなんの障害にもならない﹂
﹁はあ。そりゃ頼もしいことだ﹂
﹁だがシュウトよ。お前も希少な武器の持ち主であるからには、ガ
ードナーさんに近い働きを期待させてもらうぞ﹂
﹁無茶言うなよ⋮⋮俺は雑魚を吹き飛ばすのがせいぜいだぜ﹂
槍を拾いに行くイェルグの背中に俺はそう返答した。
とはいえ、これだけの人数がいる。俺一人にのしかかる負担は軽
いだろうから、マイペースにやっていけばいい。
そう楽観的に考えていたのだが、討伐に一週間を要するとされる
魔物だけあって、その耐久力は尋常ではない。
戦闘開始から三時間は経過したと思うが、まったく手首が崩壊す
る気配がない。
部分部分で見れば損害は間違いなく負わせられているものの⋮⋮。
468
﹁いい加減くたばれよな!﹂
俺はブロードソードの刀身を叩きこむと同時に積もり積もった苛
立ちをぶつけた。
ここまでの戦局を見通した感じだと、一撃の威力はどうやら、魔
法を含めたとしても俺が二番手であるらしい。
常時カイザーゴーレムが呪縛にかかり続けていることもあり、武
器での攻撃も有効打になっている。だというのにちっとも倒れそう
にないんだからタフにもほどがある。
一方でこちらは少しずつではあるが消耗している。
敵も能無しではないから、反撃をしかけてくるに決まっている。
指先で軽く突いただけでそのへんの魔物が突進してくるくらいの衝
撃があるんだから堪らない。
これが大きめの動作になってくると、そのダメージはシャレにな
らない。両手を叩き合わせて押し潰そうとする攻撃には相当肝を冷
やされた。予備動作が長い上に大振りなおかげで俺ですら回避は容
易だが、直撃しようものならマジで死んでもおかしくないだろう。
地面を叩けば一帯に震動が起きて足元をすくわれそうになるし、
腕を真横に振っての薙ぎ払いは範囲が広く避けづらい。
無駄に行動パターンが豊富でムカついてくるが、その分隙を作っ
てくれるので、なんとか冷静さを保って臨む。
469
それから更に二時間。
全員が躍起になって攻め続けたことで、手首へのダメージは着実
に累積している。が、しかし、それでもまだ瓦解寸前で踏みとどま
っていた。
加えて、やはり自軍の被害ゼロ、というわけにもいかない。
何発かの攻撃を受け、要回復状態で一時的に戦闘から離脱する者
が出始めている。
アイテム入りのカバンを持つホクトが救護班として戦場をあくせ
く駆け回っているが、このままだといずれ回復薬は尽きる。それま
でに終わってほしいんだけど⋮⋮厳しいか?
﹁さすがにきつくなってきたなァ、こりゃ。こいつと初めてやり合
う奴が多いから仕方ねェがな﹂
﹁ここで退却、とか言わないよな、おっさん﹂
宝石ガチャをすぐにでも再開したい俺としては、一日で片付けた
いのだが。
﹁ハナから三日を目途に考えてたんだがな。これでもかなりのハイ
ペースだぞ﹂
﹁⋮⋮じゃあ、間を取って二日だ。今日やれるとこまでやろうぜ﹂
できることなら他人任せで終わらせたかったのだが、こうなって
は仕方ない。この俺も人並以上の努力をする場面がきたようだ。
﹁やっと本気になってくれんのか? そいつァ嬉しいこったな﹂
470
おっさんはニヤッと口角を片方だけ上げた。
﹁だったら一段落させておこうぜ。奴の手を一緒にぶっ壊そうじゃ
ないか﹂
その部位さえ破壊すれば、移動を完全に阻害することができるら
しい。坑道内でのこれ以上の進攻は防げるってわけだな。
﹁俺は右の手首を狙う。お前さんは左を担当してくれ﹂
﹁分かった。あー、でも、その前にだな﹂
﹁どうした?﹂
﹁今思いついた。ちょっと右腕を前に突き出してみてくれ。斧を持
ったままで頼む﹂
おっさんは特に疑う様子もなく、俺の言ったとおりにする。
どうもこの剣を持っている時は頭が冴えてくるな。パワーでゴリ
押しできない分、工夫しようって意志が湧いてくるんだろうか。
俺は剣をかざし、おっさんの丸太めいた腕に狙いをつけて緩めの
風を吹かせる。
緩め、といっても斧が吹き飛ばない程度であり、十分に強風の部
類だ。事実、おっさんの右腕全体に絡みついていた煙は風で流され
⋮⋮そのまま前にいたヒメリの剣に居場所を移す。
﹁ぎゃ!? な、なんですかこれは!?﹂
突然の事態に慌てふためくヒメリ。
471
そりゃ、いきなり自分の武器がまがまがしいオーラに包まれたら
こうなるわな。
﹁ふー。成功してくれたか﹂
﹁シュウト、こりゃあどういうことだ?﹂
﹁煙をちょっと拝借させてもらったんだよ。それにやるのは俺だけ
じゃない。こいつもやる﹂
言いながら、俺はヒメリに目配せする。
﹁この煙があればヒメリのフツーの剣でもかなりの破壊力が見こめ
るだろ﹂
﹁ふ、普通とは失礼な。これでも上等の鉄を鍛えた業物でしてね⋮
⋮というか、それよりです。私がやるってなんの話ですか。あなた
たちのやりとりなんて聞いてませんでしたよ﹂
反論と質問を同時にしようとするヒメリだったが、おっさんがご
機嫌で大笑いし始めると、その努力も無駄になった。
﹁こいつは面白いことをしやがる。俺の煙を剥がすなんざ、並の風
じゃできやしねェ﹂
愉快そうにおっさんは斧を一回転させ、新しく煙を生成する。
﹁レアメタルの風だからかァ? ま、そんなのはどうでもいい。こ
れで三人がかりだな。手際よくいこうぜ、お二人さん﹂
おっさんが魔物へと再接近を開始した。
472
俺も向かうとするか。
や、俺﹃たち﹄か。
﹁そういうことだ﹂
﹁どういうことですか。私、巻きこまれただけですよね? という
か、シュウトさんの剣に煙をまとわせればいいじゃないですか﹂
﹁どうやって俺の剣にくっつけるんだよ。風はこの剣から出てるん
だぞ﹂
﹁急に正論で来ましたね⋮⋮何も言えなくなるじゃないですか﹂
﹁あまり深く考えるな。チャンスが巡ってきたくらいに思ってくれ﹂
﹁むっ⋮⋮分かりましたよ。功績を挙げることは私の本願でもあり
ますからね﹂
こいつの扱いやすさは驚異的ですらある。
﹁そうと決まれば、ぐずぐずはしてられません。行きますよ、シュ
ウトさん!﹂
おう、と俺が答えるよりも先にヒメリは疾駆を始めていた。
行き先は当然、城砦めいたカイザーゴーレムの左手首。
﹁いざっ!﹂
煙をなびかせながら、両手剣を袈裟懸けに振り下ろすヒメリ。
本家であるおっさん並とはいかなかったが、威力に不足はなし。
石の破片がさながら水滴のように弾け飛んでいった。
473
ヒメリが何度も何度もラッシュを繰り出す中、俺も密かに追撃を
入れる。損傷の激しい部分を思いっ切り幅広の刀身で殴りつけてや
ると⋮⋮。
﹁おわっ!? ぜ、全員魔物のそばから離れろ!﹂
警告を発しつつ急いで後方へと避難した。
その箇所が唯一残されていた支柱だったらしく、最後の砦までも
失った石像の左腕は、ガラガラと騒々しい音を立てて崩れ落ちた。
魔物の体勢がガクッと左に傾く。
しかしそれは一時のことだった。
すぐに右側でも同じような崩落が発生したために他ならない。斧
を肩にかついだおっさんが、﹁どうだ!﹂とばかりにドヤった表情
を見せている。
両腕を失ったカイザーゴーレムは這うことすら不可能になった。
頭をダラリと垂らした姿勢で、まるで廃墟化した巨大建築物のよ
うにその場に佇んでいる。ようやく出た目に見える成果だが、五時
間以上かけてまだこの程度かよ、という気がしないでもない。
﹁す、凄い⋮⋮まるで剣聖にでもなったような気分がしてきます﹂
一方レアメタルの効果を疑似体験したヒメリはいたく感動してい
るようで、数多の破損箇所を見つめながら目を輝かせている。
474
なんにせよ、これでひとまずの区切りはついたか。
﹁よォし! 動きはこれで止まった! 一旦町に戻るぞ! こいつ
はしばらくここに釘付けだ、入念に打ち合わせて、明日じっくりカ
タをつけようぜ!﹂
おっさんは大声で号令をかけ、疲弊しきった討伐軍を撤退させた。
475
俺、会議する
ガードナーのおっさんを中心として明日に向けての対策会議を行
う、とのことで、ギルドに戻ってからも帰宅は許されなかった。
俺はすぐにでも宿のベッドに飛びこみたい気分だったので若干興
を削がれる。
その上。
﹁どこが会議だよ﹂
ギルドでは会議とは名ばかりの酒宴が繰り広げられていた。
討伐作戦に参加した者もそうでない者もグラス片手にドンチャン
騒ぎだ。次から次に湯気の立った料理が運びこまれている。
たった一日でボスの腕を破壊した︱︱という報は、ギルドに待機
していた冒険者たちを大いに勇気づけた。史上類を見ないハイペー
スであるらしい。
こうした経緯もあり、凱旋を称える宴会は馬鹿みたいに盛り上が
ることになった。
群集の真ん中ではおっさんが、例によって粗暴な笑い声を上げな
がらジョッキ入りのエールを水かってくらいの勢いで喉に流しこん
でいる。
476
﹁決して数の暴力だけじゃねェ! 一人ひとりがベストを尽くした
結果だぜ! 仕上げは明日のお楽しみだ、今日は飲んで食らって気
力を蓄えときな!﹂
おっさんは立ち上がり、自身を取り囲む討伐隊のメンツに発破を
かけた。
この男がなにかしら喋るたびにギルド全体がどっと沸く。ジェム
ナの冒険者間におけるアイコンのような存在なのだろう。
その輪から外れた一階席の片隅で、俺はミミとホクト、それから
ヒメリと共に管を巻いていた。一応礼儀としてワインボトルのオー
ダーはしていたが、到底酔える心地ではない。
﹁さっさと寝てぇんだけど。明日もまた五時間六時間の勝負になっ
たら堪らんぞ﹂
頬杖をついたままグラスを空にして、俺はアクビを漏らす。
﹁堅い話かと思ったらこれだからな﹂
﹁どちらかといえば決起集会ですね。ですが、親睦を深めるのは重
要なことですよ。部隊の士気にかかわってきますから﹂
﹁ホントかよ。飲みたいだけにしか見えないけどな﹂
俺も酒は好きなほうだがあそこまでではない。
ただ積み重なった皿の枚数では互角かそれ以上である。今日の一
戦で燃料切れを起こしたヒメリが冗談みたいに料理を頼みまくった
からだが。
477
思えばここで最初に会った時もおっさんは酩酊していた。よっぽ
どだな、あれは。
﹁グハハハハ、兄ちゃんも姉ちゃんも飲んでるかァ?﹂
危惧していたことが現実化した。おっさんがこっちにも絡み酒に
来る。
しかもビヤ樽を抱えてだ。
﹁コックをひねりゃァいくらでも出るぜ。好きなだけ注いでグッと
いきな!﹂
﹁俺はパスで。その分ホクトが飲むと言ってる﹂
﹁え? いや、言ってないでありますよ?﹂
アルコールに強くないホクトは割ったワインですら一杯で顔を赤
くしている。
くすくす笑っているミミも既にほっぺが桜色だ。宴会は二時間く
らい続いているから、もう酒は十分に入っている。
﹁もう飲めないっす。勘弁してくれ﹂
机につっぷしながらそう答える俺。
おっさんは特段ガッカリするでもなく、俺のダラけた格好でさえ
も愉快そうに笑い飛ばした。
﹁そうかそうか。ま、仕方ねェわな。お前さんたちは今日は要にな
ってくれたからなァ。他の奴らよりも祝してやりたかったんだが﹂
478
﹁で、では、私はありがたくいただかせていただきます﹂
グラスを差し出すヒメリ。
まだ飲むのかよ。意外だな。
酒を受けるヒメリは、表情や仕草を見た感じだと満更でもないら
しい。おっさんの並外れた戦闘力に対して純粋な敬意があるらしく、
憧憬混じりの視線を送っている。
一方で俺はぐったりしていた。
よくもまあ、あんな規格外の化け物と戦った帰りにこれだけ元気
が残っているもんだ。
﹁明日からも期待させてもらうぜ。腕のなくなったゴーレム・グレ
バンダニカ・ティランティは攻撃手段も限られてくるからよォ、真
っ向勝負が挑みやすくならァ﹂
酔っ払ってるくせに完璧に発音できているあたり、この世界で魔
物の名前にピンときていないのはやはり俺だけらしい。
これが俺の知能レベルの問題でないことを祈る。
﹁シュウト、お前も景気づけの一杯、最後にどうだ?﹂
﹁だから勘弁してくれって言ったろ。俺は今にも寝落ちしそうなん
だぜ﹂
﹁ほう。じゃあ残りは俺が全部飲むとするか! ガッハッハ!﹂
大口を開けたおっさんは樽を脇に抱えたまま席に戻っていく。
479
集団におけるコミュニケーションの重要性は俺もなんとなく理解
はしているが、そうはいっても疲れている時に体育会系の絡まれ方
をされるとしんどい。
話しているだけで余計にくたびれる。圧が凄いんだよ、圧が。
﹁肝臓やられても知らねぇからな⋮⋮っと﹂
﹁主殿、どちらへ?﹂
席を立つ俺に気づいたホクトは生真面目にも護衛につこうとする。
﹁小便だよ、言わせんなっての﹂
﹁あっ⋮⋮それでしたら、ミミがお供いたします﹂
ミミよ、別に隠語でもないぞ。
﹁そんな何人もで行くようなことじゃないだろ。すぐ戻るから待っ
ててくれ﹂
そのまま俺は一人、トイレに行くふりをしてこっそりとギルドの
外に出る。
部屋中に充満する酒臭い空気にあてられて体が火照ってきたので、
夜風にでも当たって冷まそうと考えたのだが。
﹁ん?﹂
既に先客がいる。
480
﹁イェルグか﹂
外壁に寄りかかって黄昏ている男の正体は、背の高さですぐに分
かった。
﹁⋮⋮誰かと思えば、シュウトか﹂
﹁一人で何してんだよ﹂
﹁私はどうにも、こうした騒々しい場が苦手でな﹂
まあそんなタイプには見える。
﹁だったら帰りゃいいのに。どうせみんな酔ってるから誰がいない
とか気づかないぜ﹂
﹁それは非礼に当たる。ガードナーさんが主催している手前、その
ような真似はできん﹂
﹁やけに顔を立てるんだな﹂
﹁当たり前だ。彼よりも尊敬を集めている冒険者はこの町にいない﹂
﹁へえ﹂
地域で唯一のBランク冒険者にして、討伐隊を率いて人々に貢献
する英雄。
それがガードナーという男のとらえられ方なんだろう。
﹁でもなんで毎回ボス退治になんて行くんだ? 別に強制じゃない
のに﹂
﹁ガードナーさんは責任感の強い男だ。持てる者が持たざる者の分
まで義務を果たす。大陸全土に広く知れ渡ったその理念に則ってい
るのだろう﹂
﹁そんなお人好しな考え方がよくある思想みたいになってんのかよ。
481
信じらんねぇな﹂
たとえば俺がいくら金を持ってるからって、持ってない奴のため
にどうこうなんて⋮⋮。
⋮⋮いや、してたわ。アセルの貧乏冒険者連中のために、依頼を
介してとはいえ、ある程度支援してやっていたことを思い返す。
あいつらは俺を異常に信奉してたし、おっさんがここの奴らから
神聖視される理由も頷けるか。
﹁ただ、それゆえに我々にとっては遠い位置におられるお方だ。近
寄りがたい⋮⋮とは、勝手にこちらが抱いてしまっているだけなの
だが、中々こちらから声をかける機会がない。それこそ、討伐隊で
ご一緒しなければ接点を持つことはないだろう﹂
﹁ふうん﹂
思い当たる節があった。
初対面の時の記憶を手繰ってみる。そういえばおっさんはテーブ
ルには一人で座っていたし、俺が気安く話しかけた時は周りがやた
ら困惑していたな。
そのくらい畏敬の念を集めてるってことか。
﹁でもそういうキャラじゃないじゃん、おっさんって﹂
先入観がなかったら、近寄りがたさなんて微塵も感じない。
なんなら向こうから近寄ってくるぞ。
482
﹁あのおっさん、嘘みたいに気さくだから普通に話しかけりゃいい
と思うけどな。今だって酒が入ってるとはいえ誰彼かまわず絡みま
くってるぜ﹂
ウザいくらいに。
﹁それが自然にできれば誰も苦労はしないよ﹂
イェルグは苦い笑いをこぼした。
﹁だがたとえ言葉は交わされずとも、示された行動の数々が我らの
指針となる。私もガードナーさんに追随すべく、討伐隊に志願する
ようになったからな﹂
熱弁するイェルグ。話を聞く限り、おっさんを慕う何人かの間に
そうした傾向が生まれてくるのは俺にも分からなくはない。
けど、皮肉なもんだ。
今回討伐隊が大人数で結成されたのは、俺の設定した報酬が多額
だったからでしかない。
それはつまり、模範的な上司の偉大な背中なんかより、金のほう
が労働者の心を容易く突き動かせるということの証左だろう。
現実と一緒だな。
人間ってやつは、どこまでいっても実益に忠実な生き物だよ。
483
俺、破壊する
翌朝、昨夜の酒も抜け切らぬうちに宝石鉱山に再訪する。
編成に変更はなし。昨日同様大部隊での乗りこみだ。
標的は撤退前とまったく変わらない体勢で待ち受けていた。ケツ
を高く上げて伏せた姿を遠目に眺めた俺は、グラビア雑誌に載って
いたポーズを思い出す。
無論欠片もエロくはない。
構築物に興奮するほど俺は性欲溜め散らかしてないからな。
それはともかくとして、だ。
﹁この状態でまだ反抗できんのかよ、本当に﹂
俺は坑道内にそびえるカイザーゴーレムを見やり、今更ながら疑
問を抱く。
見てのとおり、こいつは四肢のうちの半分がズタボロになってい
て、おまけに天井に阻まれて立ち上がることもできない。
これで一体どう攻撃するのやら。
﹁気ィ抜くんじゃねェぞ、お前ら! 来るぜ!﹂
484
最前線に立ち続けるおっさんは危機の前触れを嗅ぎ取ったのか、
全員に一時避難を命じた。
魔物が特大の上半身をグイッと持ち上げている。背筋を鍛えるよ
うな挙動だ。
そのまま勢いよく地面に叩きつける。
位置エネルギーを最大限利用した、豪快極まりないボディプレス!
凄絶な地響きが坑道全体に鳴り渡った。そのけたたましさを表す
のに、ドスンとかズシンだなんてありがちな擬音をあてがうのは生
温い。あえて言語化しようとするなら﹁ガ﹂と﹁ザ﹂の音を合計百
回くらい連ねる必要がある。
なるほど、これなら腕がなくたってワラワラと群がってくる人間
を押し潰せるわけか。
むしろ威力に関していえば向上してさえいる。
その分、反動も凄まじい。プレスをかけた自分自身の体からもポ
ロポロと石の破片が剥げ落ちていて痛々しい。まさに捨て身の攻撃
だな。
スケールの大きな攻撃を前にして足が竦んでいる新米討伐隊員た
ちを、おっさんが力強く叱咤激励する。
﹁手負いの獣が一番危険だからなァ、詰めの段階だからって油断は
すんなよ! 俺たちジェムナの底力も見せてやろうじゃねェか!﹂
485
決してびびるな、と迫力に満ちた声で締めくくる。
おっさんの言うとおりである。冷静になって分析してみれば、モ
ーションが分かりやすい上に最接近しなければ当たることもない。
慎重に挑めばさほど脅威にはならないだろう。
﹁だったらシュウトさんも前に出て加勢してくださいよ﹂
﹁いや危ねぇよ。逃げ遅れたら一巻の終わりじゃん﹂
ヒメリがもっと積極的に来いと催促してくるが、中の下程度の運
動神経しかない俺がそんなキビキビ動けると思ったら大間違いだ。
衝撃以上に重さがやばい。下敷きになろうもんなら確実に死ぬ。
消極性こそが安全への第一歩だと過去から学んでるからな。ここ
は細心の注意を払わせていただく。
﹁それに今日の俺の役割はサポートだぜ﹂
やるべきことは前回の戦闘で分かっている。
俺はミミと同じラインにまで下がっていた。魔法を専門にするミ
ミの横ということは、当然接近戦は捨てている。
ブロードソードから放たれる風だけが今日の俺のすべてだ。
逐次風向きを変えて、おっさんの斧が吐き出す煙を各員に分配す
る。ポジションとしては自軍の強化役といったところか。
赤黒い煙を帯びた武器は、ほとんどが平凡な合金でできているに
486
もかかわらず、カイザーゴーレムの頑丈な体を容易に削り取ってい
く。
﹁効率やべぇな⋮⋮魔法撃ってるより早いんじゃないか、これ﹂
手数が圧倒的だ。物理抵抗という難関を克服しているおかげでサ
クサク進められている。
にしても、すげー楽だな。
煙は五分ほどで持続が切れるので効果を絶やさないよう気を配る
必要はあるが、いったら手間になるのはそれだけなので楽勝も楽勝。
距離を置いてあるからこっちにまでプレスの影響が及ぶこともな
し。
もしかしなくても近距離ゴリ押しよりも遠距離射撃中心のスタイ
ルのほうがこの世界では生きやすいんだろうか。
﹁⋮⋮といっても、大人数だからこれだけ余裕を持ててるってのも
あるか﹂
普段の三人で考えてみた場合、これまで壁を兼任していた俺が後
ろに下がるなら、代わりに不器用なホクトを前に出さないといけな
い。
さすがに無謀すぎる。
まあそのへんの台所事情は追々考えていけばいいか。
487
まずは目先の敵に集中。
﹁また例の一撃が来るぞ! 総員下がれ、下がれェ!﹂
おっさんが号令をかける。カイザーゴーレムが上半身を叩きつけ
た時には、とうに冒険者たちの影はなく、石の砕ける音だけが虚し
く響いた。
﹁なるほどな﹂
その光景にううむと唸る俺。
⋮⋮当たってないからいいものの、あのド派手な攻撃にどれほど
の威力が込められているか想像もつかない。
揺れがこちらにまで伝わってきている。
それにしてもおっさんは予備動作を見分けるのが早い。これが経
験のなせる技か。
﹁へへっ、なんか順調すぎるくらい順調じゃないか﹂
後ろまで下がってきた冒険者のうちの一人が、手応え十分といっ
た口ぶりで呟く。並の剣ですらボス級の魔物に効果抜群なんだから、
そう思っても不思議じゃない。
﹁この煙は半端じゃないな⋮⋮ガードナーの強さの秘密って、結局
あの武器が凄いだけなんじゃねーか?﹂
誰かが発したその言葉は、とっくに前線へと復帰しているおっさ
488
んに聴こえるような音量ではなかった。
︱︱けれどイェルグの耳には届いていたらしく。
﹁貴様、どういう了見だ!﹂
宝石にまみれた右手でそいつの胸倉をつかんでいた。
眉毛が急角度で吊り上がっている。
﹁ど、どうもなにも、ちょっと思っただけじゃないか。別に本気で
言ったわけじゃ⋮⋮﹂
﹁思い上がるな。貴様にガードナーさんに成り代われる資質はない。
なぜ避けられる? 的確な指示があるからだ。なぜ戦える? 奮起
をうながされているからだ。人に従うだけの兵が、人を率いる将に
なれるはずがなかろう!﹂
イェルグは思ったよりずっと激昂していた。こんなに熱い男だっ
たとは。
熱いっていうか、信者の部類だな、もはや。
﹁まあ落ち着けよ。軽口くらいで目くじら立てんなって﹂
俺は間に入ってなんとかなだめ、﹁仲間割れしてる暇なんてない
だろ﹂と告げて二人をカイザーゴーレムへと向かわせた。
もっとも俺から言えることは他になにもない。装備が強いだけ、
というのは俺にこそ当てはまっているからな。
489
逆にガードナーのおっさんにはこれっぽっちも該当しない。イェ
ルグの話だとあのラブリュスとかいう諸刃の斧に使われている金属
は、ひたすら重く使いづらいものだそうじゃないか。それを軽々と
振り回せる所以はおっさん自身の筋力あってのこと。
煙だけを都合よくレンタルさせてもらってるから勘違いが起きて
るんだろう。
なにより、イェルグが語ったように、おっさんの状況判断力や精
神的なタフさ、リーダーシップといったものは武器云々で備わるも
のではない。
羨ましい、という感覚はない。
別に嫉妬するようなことでもないし、こいつはそういう奴なんだ
な、で終わりだ。
ただしもどかしさは感じる。
内面の強さとかはともかく、俺も自在に武器を使いこなすとかや
ってみたいんだが。
﹁や、しかしだ﹂
ここだけの話、アイディアはもう浮かんでいる。俺だってただぼ
ーっと戦況を流し見ていたわけではない。ちゃんと頭はひねってあ
る。
あとは発想を実行に移すタイミングだけなのだが⋮⋮。
490
その機会は数分後に訪れた。
﹁さあ、来たぞ! 急いで下がれ!﹂
﹁やっと来たか。待ってたぜ﹂
おっさんが号令を出した瞬間、離れた位置にいる俺は剣を突き出
して風を吹かせる。
﹁それであいつの体を持ち上げようってか? 兄ちゃん、そいつは
さすがに無理があるぜ!﹂
﹁違ぇよ﹂
風速は遅めに設定したままだ。ハナからそんな気はない。
俺が風を浴びせた対象はカイザーゴーレムではなく︱︱避難して
くる全員の武器にだ。まとわりついていた煙がすべて剥がされ、坑
道の地面へとへばりつく。
プレスの着地点となる区画に。
﹁たまには当たってくれよ、俺の勘!﹂
若干の緊張と共に成り行きを見守る俺。
加速しながら落ちてくるカイザーゴーレムの肉体が、地面に接触
した瞬間⋮⋮。
その上半身が盛大に砕け散った。
﹁やったか?﹂
491
俺は露骨なフラグを立てるが。
﹁⋮⋮やったな﹂
それすらも叩き割られた。
ガシャガシャと次から次に積み石が崩れ落ち、無残にもガレキに
なっていく巨像を眺めて、俺は人知れず指を鳴らした。
衝撃の余波は下半身にまで伝わっている。亀裂が走り、そこから
も崩壊が始まる。
全壊は時間の問題だろう。
この場にいる全員が呆気に取られていた。どう見ても自爆したよ
うにしか見えないからな。
だが策をしかけた張本人である俺は理由が分かっている。
プレスのたびに無視できないレベルの反動が生じていたからもし
やと思ったが、どうやらうまくいったらしい。
あの煙は付着した武器の性能を一段も二段も底上げする。ならば
地面自体が魔物にダメージを与える超ド級の武器だと考えて、それ
を強化してやれば⋮⋮。
結果がこれだ。
カイザーゴーレムの上半身は完全に瓦解した。
492
やはりブロードソードを握っている時の俺は冴えている。
493
俺、的中する
大破したカイザーゴーレムの残骸が砂煙に紛れながら消えていく。
跡には大量の鉱石だけが残された。
まだ一同がポカンとする中。
﹁ガーハッハッハッハ! こりゃあ愉快痛快なことをやるもんだ!﹂
おっさんが大笑いし始めた。
めんどくさいので何が起きたのかいちいち解説したりはしなかっ
たのだが、この男はすぐに気づいたらしく、いたく満足げに俺の背
中をバンバンと叩いた。
いてーよ。
自分が熊みたいなものであることを理解してほしい。
﹁こいつァ一本取られたぜ。見た目と違って大胆なことしやがる﹂
﹁見た目は余計だ﹂
俺は素っ気ない相槌を返したが、それでも十分とばかりに歯を覗
かせるおっさん。
それから、討伐隊全員を見渡して告げる。
494
﹁見てのとおりだ、俺たちの勝利だぜ! あのゴーレム・グレバン
ダニカ・ティランティをわずか二日で撃破した! ギルドの歴史に
刻まれるべき快挙だ! 大いに喜ぼうじゃねェか!﹂
おっさんが勝鬨を上げると皆が片手を振りかざした。傭兵の集ま
りではあるが、それなりに結束力は固かったようで各々ハイタッチ
を交わしている。
ただイェルグはまだトサカにきているらしく、不機嫌な面をぶら
下げている。
しかしそれもおっさんが﹁よくやってくれた﹂と肩に手を置いて
功をねぎらうと、あっという間に態度を軟化させた。よく気の回る
奴だ。そりゃリーダーに推されるわな。
戦利品である二十四個の石はその状態でシェアされたりはせず、
一旦鑑定に回された。
売却額を均等に割って配るらしい。
それが公平性ってやつだ、と討伐隊のまとめ役であるおっさんは
説明した。
ここでレア物を引いてしまおうものなら俺は泣くに泣けない状況
になるのだが、幸か不幸か普通の宝石しかなく、俺は分け前として
8160Gを受け取った。
奴隷は分母に含まれないので三人分の働きでこの額と考えたら少
々寂しい。
495
まあそんなのは瑣末な問題だろう。ここにいる連中一人一人に達
成報酬として六万Gを支払っている俺がそんな小さなことを気にか
けるのはアホくさい。
重要なのは事業を再開できるという、その一点だ。
人足を遠ざけていたカイザーゴーレムが消滅したことで、宝石鉱
山は翌日からまた復興を見せ始めた。
夕方俺が向かった時には既に多くの冒険者たちが鑑定結果に一喜
一憂していた。
もちろん、俺が運営するチームシラサワの連中も大挙して押し寄
せている。
今日派遣した人数は過去最多の九十八人。ソロ十六人、パーティ
ー二十三組という、もはや一大勢力と呼んでしまっていいほどの大
部隊である。
集めに集めた石の数は総計百五十個。
﹁まったく手で持てる気がしねぇな﹂
仕方ないので小型の荷車をレンタルし、それに皮袋を積みこんで
運ぶ。
﹁なんだこの数は⋮⋮﹂
鑑定士のおっさんも量の凄まじさに若干引いていた。
496
﹁大変だとは思うが、なんとか頑張ってくれ﹂
﹁仕事だからやりはするが⋮⋮二時間はかかるぞ?﹂
﹁そのくらいは待つさ﹂
時間はどうでもいい。これでスカだった時の喪失感のほうが俺に
とっては恐ろしい。
だからって鑑定に回さないわけにもいかないからな。覚悟を決め、
リセット不可の百五十連ガチャという底なし沼に飛びこむ。
クズ、クズ、﹃スピネル﹄、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、ク
ズ、クズ。
クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、﹃サファイア﹄、
クズ、クズ。
クズ、クズ、クズ、﹃ペリドット﹄、﹃ヒスイ﹄、クズ、クズ、
クズ、クズ、クズ。
連続であったか。幸先としては悪くない。
クズ、﹃ダイヤモンド﹄、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、
クズ、クズ。
クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、﹃ローズクォーツ﹄、クズ、ク
ズ、クズ、クズ。
497
﹃ラピスラズリ﹄、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、
クズ、クズ。
まあこんなすぐに出るとは思っちゃいない。
鑑定を続行。
クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、﹃ソーダライト﹄、クズ、
クズ、クズ。
クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、﹃ブルート
ルマリン﹄、クズ。
クズ、クズ、﹃ジェット﹄、クズ、クズ、﹃トパーズ﹄、クズ、
クズ、クズ、クズ。
どれも見慣れた宝石だ。
俺がお目にかかりたいのはこいつらじゃない。
クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、﹃ル
ビー﹄。
クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、﹃ジルコニア﹄、クズ、
クズ、クズ。
498
クズ、クズ、﹃アメジスト﹄、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、
クズ、クズ。
容赦ないクズの嵐に心が折れそうになってきた。
もう残り三十個なんだが。
クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、﹃エメラルド﹄、クズ、クズ、
クズ、クズ。
クズ、クズ、クズ、クズ、﹃治癒のアレキサンドライト﹄、クズ、
クズ、クズ、クズ、クズ。
クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、﹃セレスタイト﹄、
クズ、クズ。
﹁ん?﹂
ストップ。
﹁なんか今、変なのが混じってなかったか?﹂
三十四番の袋から出てきた宝石には他とは異なり接頭語が与えら
れている。
﹁そいつがレア宝石だ。見たところ、自然治癒力を著しく向上させ
499
る働きがあるようだな。詳しい話は宝石細工の職人に聞いたほうが
いいだろう。アクセサリーになってからでないと実際の性能は分か
らんからな﹂
おっさんから渡された鑑定書には、紛れもなく﹃希少品﹄という
記述がなされていた。
﹁お、おお⋮⋮ってことは、ついに入手できたのか⋮⋮﹂
薄汚れた原石が早くも輝いて見えてくる。
それ以外を買い取ってもらいながら、俺は改めて喜びを噛み締め
ようとするが、不思議と達成感よりも脱力感が上回っていた。
通算で五百個は鑑定したはずだが、ようやくか⋮⋮。
イヤッホウとガッツポーズを決めたい気持ちもなくはないものの、
それ以上にガチャという深淵から解放されたことに対する安堵のほ
うが強い。
実感を得られるのは、おっさんが言うように装飾として身につけ
てからになるか。
ひとまずの説明を聞いた限りだと、傷の治りが早くなりそうな感
じがする。欲を言えばそもそも無傷なのがベストだが悪くはない。
すぐにでも恩恵にあずかりたいところだ。
とはいえ、時刻を確認するまでもなくとっくに夜を迎えてしまっ
ている。
500
加工作業は明日だな。
501
俺、盛装する
窓から差しこむ光が俺の熟睡を妨げた。
まだ夢の世界から抜け切れていない俺は朝陽から逃げようと寝返
りを打つ。
すると腰のあたりをゴリッとした硬い感触が襲い、思いがけず一
気に眠気が吹っ飛んだ。
いてぇ。なんだこれは。
﹁⋮⋮って、なんだもなにもねぇか﹂
布団の中でアレキサンドライトの原石と目が合った。
そういやこれ、なくさないようにって用心して抱いたまま寝たん
だったな。
結果的にいうとやりすぎだったわ。
こっちが寝ぼけてると牙を剥いてくる。ゴツゴツしてるから余計
に痛いし。
ベッドで抱くならすべすべして柔らかいものに限る、という結論
に一晩で気づかせてくれたという意味ではいい勉強になった。
﹁おはようございます、シュウト様。今朝は暖かくて過ごしやすい
502
ですよ﹂
すべすべして柔らかいもの筆頭であるミミが俺の枕元でささやく。
もう既にローブに着替えていた。
ホクトも町での普段着代わりの皮鎧を装備しているし、二人とも
出発準備は万端といった様相だ。俺だけがパンイチでだらしなく寝
転がっている。
本当はもっと布団に丸まっていたいところなのだが⋮⋮そうも言
ってられない。
無理やりに体を奮い立たせて、三人総出で朝一番にギルドへ。
先に後始末をしておかなくては。
﹁ようこそ⋮⋮なんて無粋な挨拶は、最早いりませんかな﹂
受付に立つおっさんは相も変わらずダンディズム溢れる物腰で俺
に応対する。
﹁本日も宝石鉱山への派遣業務を行うのでしょうか?﹂
﹁いや、そうじゃない。むしろ中止のお知らせだ﹂
集まっていたチームシラサワの面々を手招きして呼び寄せる。
﹁えー、みんなには残念な報告にも聞こえるかも知れねぇが⋮⋮昨
日ついにレア物を引き当てることができた。つまり、俺が設立した
チームの目的は果たされたわけだ﹂
503
継続することも可能ではあるが、ミミとホクトの分まで揃えると
なれば時間がかかりすぎる。今ある一個を手に入れるために相当な
労力を割いているからな。あと二個獲得するまでロクに収入源のな
いこの町に滞在し続けるのはきつい。
というわけで、本日限りで営業停止。
まずは公約どおり、過剰収益としてプールされていた約六十万G
を、袋の番号から逆算して割り出したレア宝石の発見者にまとめて
支払う。
巨額の臨時収入を受け取った男は小躍りしていた。
うむ、大いに喜んでくれ。
﹁そして我が財団法人も今日をもって解散だ。諸君、これまでよく
やってくれた﹂
いかにも代表っぽい挨拶をして締めくくる俺。
もっともせいぜい一週間程度の付き合いに感慨もクソもないので、
まばらな拍手が起きただけだったかが。
﹁シュウトさんにとっちゃめでたい話だけど、オレたちは微妙な気
分だぜ﹂
﹁これまで儲けさせてくれたからなぁ。はあ、今日からはまた運試
しの始まりか﹂
解散を惜しむ声もチラホラ聞こえてくるが、まあ、割り切っても
504
らうしかない。
ビジネスとはシビアなものである。
諸々の整理を済ませた後で、俺はいよいよ、鑑定所のおっさんか
ら紹介をもらっていた宝石細工の工房へと向かう。
大規模な宝飾品店の隣に建てられたそこは、比較的若い職人たち
で切り盛りされていた。
ミミとホクトには店側でウィンドウショッピングを楽しませてお
いて、俺は工房にいたおっさん⋮⋮ではなく、眼鏡をかけた青年に
宝石について尋ねてみる。
﹁ああ、これは珍しい。特殊な魔力が秘められた宝石ですね。失礼、
鑑定書を拝見させていただきます⋮⋮﹃治癒のアレキサンドライト﹄
ですか﹂
興味深げに眺めて。
﹁こちらは人間が本来持つ自己修復能力を極限まで高める一品です。
装備していれば傷口は瞬時に塞がりますし、疲労の回復も早まりま
すよ﹂
﹁ダメージ自体はそのままくらうんだな﹂
﹁はい。あくまで再生機能を増進するだけで、体そのものが丈夫に
なったりはしません﹂
完全な疲れ知らずの医者いらず、とはいかないらしい。
﹁ってことは、痛いのは痛いのか?﹂
505
﹁それはまあ﹂
ぐっ。せっかくのレア素材なのにそれは辛い。
とはいえ、どれだけ重い傷を負っても﹁死ぬほど痛い﹂で収まる
のはありがたい⋮⋮のか?
実際に効果を体験してみないことには分からないな。
にしても、どのくらい凄い性能なのかは怪我をしてみないと分か
らないってのも中々皮肉の効いた話だ。そういうおとぎ話があって
もおかしくない。
どんなアクセサリーにするかは完全に職人に委ねることにした。
俺の美的センスで口出ししてもロクなことにならないのは自覚して
いる。
ただひとつだけ、髪飾りはやめてくれと注文しておいた。絶対似
合わないからな。
﹁石素材のアクセサリーは他と競合することは覚えておいたほうが
いいですね。例えば、そちらの女性のネックレス﹂
男はミミの首元を指して語る。
﹁魔石を用いたものですから、同時に宝石由来の品を装着するとお
互いに効果が弱まります。ゼロになるというわけではないですが﹂
﹁うーむ、そうなのか﹂
ややこしい。
506
これは今後も構成を考えていく必要があるな。
﹁まあ、それは後になってやることか﹂
俺のチョーカーは革製だし、食い合うこともない。気兼ねなく宝
石を加工に出せる。
﹁研磨に四時間、装飾品に仕立てるのに二時間いただきますが、構
いませんか?﹂
﹁そのくらいなら待てるぜ。出来上がった頃にまた来るよ﹂
とりあえず市場のほうでダラダラやってればいいか。
町の中央まで戻って何軒か雑貨屋巡りをしていると、朝食を取ら
なかった分早めに腹が鳴ってきたので、うまそうな匂いが漂ってい
る飯屋に直観で飛び入る。
オーダーはいつものように適当オブ適当。そもそもメニューを見
る意味がないのでコックに全部おまかせした。
いい加減ちゃんとした料理名を覚えるべきなんだろうか⋮⋮。
﹁⋮⋮別にいいや、食えりゃ一緒だし﹂
当たり前だが商売として出している料理なんだからどれも味に文
句はない。
こんがりと焼かれた、種類どころか部位すら謎の骨付き肉にかぶ
りつきながら、くだらない会話をして時間を潰す。
507
喋ることがなくなってきたらアルコールを追加。
うまい肉をアテに酒を飲んでいるだけでも暇は楽しめるものだ。
それに、ほろ酔いのミミを眺めるのは面白い。
意識はしっかりしているのに表情がどんどんとろけていく。
実に官能的で耽美な⋮⋮といった小難しい言い方をここはしてお
こう。本当はもっとストレートな表現をしたいのだが、俺の倫理観
が問われるのでやめておく。
﹁アクセサリーが完成したら、この町を離れるんですか?﹂
﹁そんなとこだな。とにかく物価が高いからなー。さっさと他の地
方を巡ろうぜ﹂
たとえば、今まさに俺の前にある飯だ。
以前までは200Gで一人前の飯が食えてたのに、ここでは30
0Gはないとパンにワインと肉料理をつけることができない。
飯屋だからこんなもんで済んでいるが、他の品々も概ね五割増と
考えるとげんなりしてくる。
ただ売値が高いということは買値も相応なわけで、アセルで集め
た大量の素材は全部そこそこの価格でさばけた。
特に、この地方に属する鉱山では宝石しか採掘できないからか、
鉄は高値で売れた。鉄のみならず、鍛冶屋の多くはよそから来た冒
508
険者や行商から鉱石類を納めてもらっているそうだ。
こうして足を使った交易で収入を増やす、というのもひとつのや
り方なんだろう。
俺は雑魚をボコッて稼がさせてもらいますが。
﹁だからこそ、この町に留まり続けるのは下策なんだよな﹂
いかに骨付きステーキがうまかろうと、だ。
スキルの役立つ機会がなく、人並程度にしか稼げないんじゃ宝の
持ち腐れもいいところだ。そもそも今更人並に働くのがきつい。低
賃金労働なんて死ぬ前にいくらでもやったっての。
視線をずらしてみると、ホクトは骨を砕いて髄まで味わっている。
ワイルドというレベルを超えてまんま動物じみてるのだが、顔立
ちがひたすらに凛々しいので、その食べっぷりすらサマになってい
た。
有り体に言うとかっこいいのだ。
剣さえ握っていなければホクトはサラブレッドである。
﹁主殿、もうじき約束の時間であります﹂
ホクトはハーブティーばかり飲んでいたのでシラフだ。呂律もは
っきりしている。危ない危ない、褒めておいてなんだが酒が入った
らいきなり駄馬化が始まるからな、こいつは。
509
シャキッとしている間は実に頼りがいがある。
﹁あと二十分ほどで店を出れば、ちょうどよろしいかと﹂
﹁いや、今出よう﹂
﹁あっ、いえ、自分は急かすつもりなど⋮⋮﹂
申し訳なさげにするホクトだったが、そうではない。
﹁それこそちょうどいい時間だからだよ﹂
俺は工房ではなく、先に宝飾品店へと足を運んだ。
目当ては当然⋮⋮。
﹁では、こちらのトパーズの指輪でよろしいでしょうか﹂
確認してくる女の店員に俺は大きく頷いて返答した。
﹁⋮⋮で、値段はいくらだ﹂
﹁十二万9800Gでございます﹂
うわ、たっけー。
そもそも宝石としての価値も含まれてるから仕方ないが⋮⋮。
とはいえこの町に来てからその何倍も人件費に使ってるんだから、
今になって躊躇するようなことでもない。俺は黙って金貨を積み上
げた。
510
慌てたのはホクト。
たった今購入した指輪を唐突に渡されたんだから、驚くのも無理
はない。
﹁ミミには前に金の首飾りを買ってやったからな、これはお前の分
だ﹂
﹁ですが、自分なぞにこのような高価な品物は恐れ多いであります
!﹂
﹁お前が倒れたら俺が困るからだよ。そんだけだ﹂
濃いイエローの輝きを宿したそれを、恐縮するホクトの長い指に
はめさせる。
薬指は変な空気が流れそうだったので人差し指につけさせるとい
う、肝心なとこで俺の日和見が発動したが、なんとか受け取っても
らうことはできた。
﹁イェルグを見ていて宝石の有効性は分かったしさ。あれだけ耐久
を上げられるなら、一個持っておけば安心できるだろ﹂
あそこまで身につける必要があるかは甚だ疑問だけども。
﹁うう、自分はつくづく果報者であります! 生涯大事にさせてい
ただきます!﹂
﹁いや、もっといいものが手に入ったら変えてもらいたいんだが⋮
⋮﹂
まあいいか。めっちゃ喜んでくれてるし。
511
そんなことより。
﹁そろそろ俺のやつも完成してる頃だな﹂
買ったその足で工房へ。
﹁お待たせしました。﹂
男はそう言って、コートの隙間に手をつっこみ俺の胸元にゴソゴ
ソとなにかを取りつける。
ブローチだ。ただのゴミにしか見えなかった石は、研磨職人の巧
みなカット技術によって、透き通った赤の輝きを放つ美麗な宝石へ
と姿を変えていた。
﹁アレキサンドライトは通す光によって色が変化します。ひとつで
二度楽しめるお得な宝石ですよ﹂
今は屋内なので赤色だが、太陽光を浴びるとまた変わるそうだ。
﹁でもなんでブローチなんだ﹂
﹁治癒力をアップするという性質上、バランスを取るために宝石は
体の中央に据える必要がありますからね。となればブローチかペン
ダントが最善でしょう。お客さんの場合既に首にはチョーカーを装
備していますから、邪魔にならないようブローチにさせていただき
ました﹂
確かにユイシュンに服従の首輪をつけられている時はうっとうし
くて仕方なかった。
512
ほほう。だからブローチか。
それはいいとして、どことなく光の国からやってきたみたいなん
だが。
まあ性能はお墨付きのようだし、ありがたく利用させてもらうと
しよう。
加工費として三万G少々を払い、一歩工房の外に出てみると、な
るほど説明にあったとおり、それまで鮮明な赤い光をたたえていた
宝石が落ち着いたダークグリーンに移り変わった。
なんか急に元気になった気がしてくる。
これが魔力ではなく石そのものの性質だというんだから、殊更に
不思議な一品だ。
513
俺、移行する
目当ての品を手中に収めた今、俺がこの町に滞在する理由はなく
なった。
名残惜しい⋮⋮というほどでもないので、迷わず明朝すぐの出発
を決める。
ホクトが荷馬車に物資を積みこんでいる間、俺は世界地図を広げ
て﹃ジェムナ﹄の町を示す黒点の真下に、小さく三十点と記入した。
世話になっておきながら情の欠片もないシビアな評価だが、それ
はそれ。
ここに家を建てるか? となれば話は別だ。
物価も高く、金も得にくい。とてもじゃないが一生住み続けるの
に適しているとは言えない。
いくら町が栄えていようとそこは譲れないんでな。
﹁主殿! 荷造りが完了したであります!﹂
ホクトから報告が入る。
﹁よし。そんじゃ、次の場所に行くとするか﹂
地図に落としていた目線を少し横にずらす。
514
ここからすぐ近くに﹃ウィクライフ﹄という町がある。以前ヒメ
リから聞かされた話だと、確か、学問で有名な町だったはずだが⋮
⋮。
﹁俺に縁がなさすぎて震えてくるな﹂
というか俺に限らず、ヒメリも割とアホ寄りだし、ホクトは言う
までもなく肉体派だ。
となればここではミミくらいしか馴染めそうな奴がいない。頼り
ない我々の分まで是非とも頑張っていただきたい。
﹁どうかしましたか?﹂
﹁いや、なんでもねぇ﹂
不思議そうに小首を傾げるミミ。
無意識のうちにそっちに視線を送っていたらしい。
しかしまあ、町の雰囲気に呑まれる呑まれないに関係なく、ミミ
には努力してもらう予定ではある。
高度な魔術書がゴロゴロ転がっているそうだからな。どれかひと
つくらいは町を去る前に身につけてもらいたいところ。
﹁ま、一度行ってみてからだな﹂
具体的なスケジュールは着いてから考えればいいや。どうせ皮算
用にしかならないし。
515
俺の胸で輝いている治癒のアレキサンドライトを入手するまでの
道筋にしたって、想像以上に経費と知恵と、なによりも根気が要求
された。
もうクズまみれの石ガチャを回すのはこりごりだ。
ギルド前の大通りまで移動する。
そこでは別行動を取っていたヒメリが俺たちの到来を待っていた。
昨日のうちに旅立つ旨は話してあったからな。ここで約束をすっ
ぽかされたら遠慮なく置いていくつもりだったんだが、どうやらヒ
メリはまだまだ同行を続ける意志は固いらしく、むしろ俺を﹁遅い
じゃないですか﹂と何度見たか分からない指差しポーズで咎めてき
た。
﹁ウィクライフまでは五十キロ弱しか離れていません。特に問題が
起きなければ、今晩は宿の暖かいベッドで寝られるかと﹂
﹁だから急ごうってか?﹂
﹁そのとおりです。早く出発しましょう。⋮⋮ここを離れるのは少
し残念ですが、やるべきことは概ね達成したので不満はないですね﹂
この町での活動内容について振り返っているらしいヒメリは、目
を閉じてふふんと満足げな笑みを浮かべている。
﹁念願の魔力効果付きのアクセサリーも手に入れられましたし、他
に原石を三つ見つけましたからお財布にも余裕ができましたよ。そ
れになにより! 特級の魔物の討伐作戦に参加したことで私の評判
も高まりましたからね。実りある二週間でした﹂
516
喜んでいるところに水を差すようで悪いので内緒にしておくが、
討伐隊を自ら結成した上で任務を終えた俺のほうが遥かに多くの名
声を得ている。
果たしてこいつの﹁俺を超える﹂という目標はいつ成就するんだ
ろうか。
いちいち張り合われるのも疲れるのでさっさと抜いてってほしい
んだが。
⋮⋮不意に。
﹁おっ! シュウトじゃねェか!﹂
上のほうから馬鹿でかい声が飛んできた。
目線を上げて見えたのは、二階席の窓から上半身を乗り出したガ
ードナーのおっさんの姿。顔全体が茹でられたように赤く、相当朝
酒を浴びていることが一瞬で分かる。
厚みのある図体のせいもあって、鬼に見下ろされているかのよう
な気分になるな。
﹁その荷物の量ってこたァ、ジェムナを出ていくんだな﹂
﹁ああ。他の町も巡らないといけないんでね﹂
﹁まだまだ旅の途中ってことか。俺はこの町を離れたことがないか
らなァ。また立ち寄ることがあれば旅の話でも聞かせてくれ﹂
﹁多分だが、もう来ないぞ。ここはモノの値段が高くてやってらん
ねぇ﹂
517
﹁ガハハハ! そりゃ違ェねェな!﹂
なにがそんなに面白いのかは謎だが、おっさんは愉快愉快とばか
りに大笑いした。
﹁兄ちゃんたちには随分と助けられたからなァ。ここのギルドを代
表して、ってわけじゃねェが、別れる前に俺から礼を伝えておくぜ﹂
大男は両手の親指をグッと立てる。
隣にいるヒメリは﹁いえ、こちらこそ﹂と頭を下げていたが、俺
の頭は成長不良の稲みたいに持ち上がったままだ。
﹁別にあんたらのためにやったわけじゃないけどな﹂
操業再開を一週間も待たされるのが嫌だっただけだし。
﹁グッフッフ。結果を出してくれりゃ動機なんてどうでもいいのさ。
俺がデカブツ退治に向かうのだって似たようなもんだからよ﹂
どこが似てるんだよ、と俺は自嘲気味に苦笑いしそうになるが、
しかし。
結局はおっさんも、決して自己犠牲の精神ではやっていない、と
いうことだろう。
金や名誉といった見返りを求めもせず、ただ、最も戦える者が大
仕事を請け負うのが自然だと考えている。それはむしろ自己満足の
部類なのかも知れない。
518
あれだけの実力と実績がありながらジェムナに留まり続けている
のは、そういった考えが根底にあるからじゃなかろうか。
俺はおっさんに、苦笑の代わりに念押しを返す。
﹁自分のやりたいようにやってるだけってか?﹂
﹁そういうこった。結果として町が発展するんなら、願ったり叶っ
たりってやつだぜ﹂
まったく自慢げな感じを滲ませずにさらっとそう語るおっさん。
それほど尽くしてもまだ、完璧には人心掌握できていないってん
だから、世は非情だ。
事実、情で動く冒険者よりも、金で動く冒険者のほうが多かった。
それはごくごく普通の思考ともいえる。誰だって自分の生活が第
一。俺にしたってそうだ。
敬意なんてフワフワしたものはいざって時に信用できないしな。
おっさんの目が届かないところでその実力にケチをつけていた奴
のことを思い出す。
憧れと妬みは表裏一体で、誰もが同業者の活躍を素直に喜べるよ
うな優れた人間性を持っているわけじゃない。
けれどガードナーはそれすらも気に留めないだろう。
他人の評価を気にするような男が大勢の前で見知らぬ輩の奴隷を
519
同卓させるだろうか?
﹁いや、ねぇな﹂
知らずのうちに俺はそんなことをボソッと呟いていた。
おっさんは飽きもせずにジョッキを傾けながら、この高低差でも
分かるくらいに酒臭い息で俺に語りかけてくる。
﹁お前さんの名前は町の歴史に長く刻まれるぜ。なにせ二日であの
厄介者を退けた部隊を作り上げた張本人なんだから。忘れようった
って忘れらんねェよ﹂
﹁へえ、そうかい。なら一応光栄には思っておくか﹂
﹁そうしてくれるなら俺としても誇らしいぜ。んじゃ、達者でなァ﹂
手を振るおっさんに向けて、俺は一言﹁おう﹂とだけ返して置き
土産とした。
次の行き先へと続く道を進む。
俺もやりたいようにやるだけだ。方針を変えたりなんかしない。
ただし、やれる範囲で、な。
520
俺、窒息する
ウィクライフまでは一日あれば着く、というのはマジだったよう
で、検問をくぐると茶一色だった世界に次第に萌葱色の草が生え始
めた。
いつの間にやら地方が切り替わっていることが一目瞭然。
泥臭い土地から平穏な雰囲気漂う草原へと景色が様変わりしてい
る。
﹁⋮⋮で、あれが噂の町か﹂
火も落ちて荷馬車に吊るしたランプを頼りに歩いていると、よう
やく一ヶ所にまとまった明かりが見えてきた。
到着。
およそ半日歩き詰めという強行日程だったが、重ねた毛布ではな
くちゃんとしたベッドで寝られると考えれば柄にもなく頑張った価
値がある。
例によってヒメリと一時的に別れ、三人で町の中をうろつく。
﹁ここがウィクライフでありますか⋮⋮夜も更けているのであまり
趣が分かりませんな﹂
せわしなくキョロキョロと視線を移しまくるホクトとは対照的に、
521
ミミはぐったりしていた。
あれだけ歩いてまだ元気とは恐れ入る。
とはいえ、実は俺もあまり息は切らしていない。胸につけている
ブローチの効果だろう。こいつには怪我だけでなく疲労の回復も早
めるオマケがついている。
とりあえず一旦ミミに渡しておいた。
まあ、疲れてないからって眠くないのかといえば、そんなことは
ない。それとこれは別だ。
もう遅いことだし町の様子を見て回ったりはせず、宿に直行。
クジャタの毛糸で編んだシャツを脱いだ瞬間に、どっと疲労が押
し寄せてきた。肉体的には問題なくとも精神的な疲れが溜まってい
る。
﹁もう寝るか⋮⋮明日なにやるかなんて明日決めればいいことだし﹂
おやすみ、と二人に言って、ぐでんと横になる。
ものの数秒で俺の意識は飛んでいった。
さて、朝である。
買い置きのバゲットを食べ、着替えを済ませた俺はミミとホクト
を連れて町へと出る。
522
左右対称にデザインされた建物の数々が整然と並んでいて、景観
がゴミゴミとしていないのが、この町の分かりやすい特徴だった。
生活感のない綺麗さっぱりとした部屋に招かれたようで俺的には
落ち着かない。
﹁あちらは学習用の施設みたいです﹂
ミミが看板を遠巻きに眺めて言う。
﹁勉強するためのとこか⋮⋮俺が極力避けて通ってきたものだな﹂
﹁魔法について教えてくれるそうですよ。あっ、あそこにもありま
した﹂
いつになく興味深そうにするミミ。
学校とか塾みたいなもんか。それも複数あるってんだから驚きだ。
パイの取り合いにならないんだろうか。いずれにせよ今までの町と
は空気が違いすぎる。
で、だ。
いつもなら最初に冒険者ギルドを訪れるのが鉄板なのだが、今回
はまず、図書館とやらに行ってみたいと思う。
どんなものか知っておきたいしな。
道行く人に尋ねて経路を聞く。
523
⋮⋮にしても。
﹁ここには賢い奴しかいないのか?﹂
すれ違う住民はどいつもこいつも細面で頭のよさそうな顔をして
いる。鋼鉄のハンマーを背負った大柄な冒険者ですら、眼鏡をかけ
ていてどこか知的なイメージを漂わせている。
特に女はその傾向が強い。真面目な顔つきで背筋をピンと伸ばし
て歩いているからまったくナンパに引っかかるような感じではない。
しかしこれはこれで逆に燃えてくるものがあるのだが、実行に移す
と即お縄なので妄想の中で脱がせるに留めておいた。
こいつらの笑い方は多分﹁ハハハ﹂﹁フフフ﹂なんだろうな。﹁
ゲッヘッヘ﹂とか﹁グヒヒヒ﹂みたいな下品な台詞は到底吐きそう
にない。
そんなこんなで図書館に。
アホほど巨大な建物だったので場所はすぐに分かった。
﹁無駄に緊張してくるな﹂
﹁自分もであります。この厳かな空気、只者ではありませぬな﹂
エントランス前に立っただけで俺とホクトは気圧されてしまって
いた。
入館はできたが蔵書室の扉をくぐるには審査が必要とのことなの
で、受付に向かう。
524
﹁身分を証明するものはございますか?﹂
見るからに﹁私、知性あります﹂って顔をした女の館員に黙って
通行証を差し出す。
﹁冒険者の方ですね。では筆跡を鑑定いたしますので、こちらに署
名を﹂
渡された羽ペンで﹃シュウト﹄と書きこむ。
何回もやってきたことだが、本人確認のたびにいちいちサインを
するのは結構めんどくさい。指紋とかで鑑定してくれりゃいいのに。
﹁後ろの方は?﹂
﹁俺の付き添いだ。こいつらの責任は俺が持つ﹂
﹁承知しました。では施設を利用するにあたっての禁忌事項をお伝
えしておきます。図書の破損および窃盗、他の利用者の方々への非
紳士的な行為、正当な理由のない過度の大声、などは固く禁じられ
ております。発見次第自警団へと連行させていただきますので、ご
留意を﹂
そんなことしないっての。
と自信を持って言いたいところだが、故意じゃなくてもうっかり
やってしまいかねないからな。
まあ本に触らなきゃ大丈夫だろ。どうせ俺は読まないし。
扉を開き、その中に入る。
525
俺は圧倒された。
静謐な空気が張り詰めたホールに広がっているのは、見渡す限り
の本の海。
一見して壁や仕切りかと思われたのはすべて書棚だった。
十メートルを超える天井スレスレまで高さがあるそれに、ぎっし
りと本が詰めこまれている。
いたるところにハシゴがかかっていてなんか危なっかしい。
この棚が広い部屋全体に置かれているんだから、蔵書量の合計が
一体何冊に上るのか想像もつかないな。
﹁わあ、凄いですね、シュウト様﹂
ミミはどこかしら波長の合うところがあったのか、爛々と目を輝
かせている。日頃はぼんやりした眠たげな表情をしているくせに、
この日ばかりは活力が瞳に宿っていた。
﹁凄いのは分かるが⋮⋮俺にはちょい居心地が悪いぜ﹂
こういうとこにいると呼吸のタイミングが分からなくなるんだよ
な。
いる人の様子はといえば、コツコツと足音を響かせて興味の引か
れる図書を探しているか、黙々と机に向かっているかの二択。
会話はほとんどない。
526
床にしても棚にしても机にしても、総じて暖かみのある木目調な
ので、落ち着いた雰囲気がある⋮⋮はずなのだが、俺は無性に息苦
しさを覚えた。
やべー。俺の住む世界じゃないわ、ここ。
﹁というか、どこから見て回っていいか全然分からんな﹂
小声でぼやく。
﹁とてもとてもたくさんの魔術書があります。どれも気になります
けど、どれを手に取ってみればいいんでしょうか⋮⋮﹂
肝心のミミもあまりの種類の多さに困惑している。ホクトは周り
の空気に合わせて小難しい顔をしているが多分俺と一緒でなんも考
えてない。
右も左も分からずまごついていると。
﹁何をお探しでしょう﹂
痩せ型で濃いブルーのローブを着た、いかにも文系って風体の男
に声をかけられた。
﹁なにやらお困りのようでしたので。失礼、申し遅れました。私は
ここ、ウィクライフ王立図書館の司書代理を務めております、パウ
ロという者です。本のことなら私にお任せを﹂
おっ。中々頼りにできそうな奴が来てくれたな。
527
口調や態度が丁寧なのも好感が持てる。
なんでも相談していいとのことなので、遠慮なく聞く。
﹁ちょっと魔術書を探してたんだよ﹂
﹁魔術書ですか。それは結構。魔法は当図書館を始めとしてウィク
ライフでもっとも学ばれている分野です﹂
﹁へえ。そりゃちょうどいいな﹂
﹁当代最高の魔導師、アインバッシュ・ラナゲートもこの町の出身
ですから﹂
そいつが何者であるかはどうでもいい。
﹁俺が探しているのは珍しい魔術書だよ。⋮⋮といっても読むのは
自分じゃないけどな﹂
横にいるミミに目配せして、それとなく伝える。
﹁どの程度まで魔法の知識はございますか?﹂
﹁初級の魔法なら大体使えるぜ﹂
﹁ふむ⋮⋮でしたら、先に中級から読み解くことをオススメします。
失礼かとは思いますが、今時点での学術理解で複雑な魔術書に挑戦
するのは少々困難かと﹂
まあ、一理あるか。
俺たちが連れて行かれたのは、入り口側から見て右から二番目に
ある陳列棚だ。
528
﹁この列にあるのはすべて中級魔法について記された書物です。魔
術書を借りる際はレンタル料を徴収させていただきますので、ご注
意ください﹂
金取るのかよ。
まあ魔術書は一冊が数万Gはするからな。タダで貸し出したりは
しないだろう。
﹁借りて返さなかったらどうなるんだ? 丸損じゃん﹂
﹁それは大丈夫です。事前に魔術書の流通価格と同等の金貨を納め
ていただくことになっていますから。本の返却時に差額を返金いた
します﹂
ほう。じゃあ持ち逃げは単に買っただけになるんだな。
ってことはそもそも無銭で乗りこむような真似はできないってわ
けか。
﹁⋮⋮もっとも、外部持ち出し不可の魔術書もありますけどね﹂
パウロはちらりと奥の棚に目をやった。
﹁まともに手に入らない代物、ってことか﹂
﹁そのとおりです。ものによっては、世界に数点⋮⋮といった魔術
書もありますからね﹂
棚から下ろすだけでも許可が必要、とパウロは説明した。それだ
け貴重な本なんだろう。
529
一応背表紙だけでも見させてもらう。
どれも古びていて黴臭いが、俺が求めていたのはこれだ。
普通に売っている魔術書なんていつでも購入できる。とりあえず
今日のところは魔法屋か武器屋に行って中級の魔術書を買って帰る
か。
その後もいくつか蔵書を案内してもらった。
パウロには悪いけど、ほとんどに興味が湧かなかった。インクの
臭いだけで腹が痛くなる。
一方でミミは興味津々といった感じでパウロのガイダンスに耳を
傾けていた。ホクトも腕を組んで﹁うむ、うむ﹂と分かったふうに
頷いていたが、俺の優しさで詳細については聞かないでおく。
それにしてもパウロは本の置き場所をよく把握している。
驚嘆に値する記憶力だ。
﹁こんなに知識があるのに代理なんだな﹂
﹁本来の司書である方は数年前から療養中でして。代わって私に一
任されているのです﹂
ところで、とパウロが話題を振る。
﹁あなたは魔法を学んでみよう、とは考えたことはありませんか?﹂
﹁ないな。難しそうだし﹂
﹁では、使ってみたい、とは﹂
530
﹁それなら頻繁にある﹂
ミミの回復魔法の効力は何度も目の当たりにしてるからな。
そりゃ使えるもんなら使いたいが⋮⋮。
﹁勉強できなくちゃダメなんだろ?﹂
﹁それは仕方ありません。知者を目指す上で必ず通過しなくてはい
けない課題です﹂
﹁じゃあ無理だわ。俺、頭よくないし﹂
﹁元々の出来不出来はそれほど重要ではないですよ。優れた学徒で
あるためには、まず清廉であること﹂
指折り数えるパウロ。
﹁それから勤勉であること。最後に、上昇志向が強いことが条件と
して挙げられます﹂
うーむ、見事なまでに俺の性格と真逆をいっているな。
未練なくすっぱり諦められてむしろよかったかも知れない。
531
俺、味見する
結局ウィクライフでの初日は町内を散策しただけで終わった。
予定どおり、武器屋に寄った際に中級の魔術書を何冊か買ってみ
たのだが、まあ高い。
おまけに一冊あたりに載せられた魔法の数が減っているから実質
的な単価は更に上。たとえば﹃初級再生のグリモワール﹄では戦闘
で役立つ回復魔法と日常生活で便利な﹃リペア﹄﹃リフレッシュ﹄
などがセットになっていたのに、中級ではバラ売りされていた。
攻撃魔法に至っては何巻にも渡らせた分割商法だ。
ページが薄くなっているのに、お値段は据え置きどころか引き上
げ。
詐欺にでも遭った気分になる。
店主のジイさんは﹁これらが扱えるようになれば魔術師としては
一級﹂ってなことを話していたが、そもそも前提として金銭的な事
情をクリアするハードルが高いんじゃなかろうか。
まだまだ手持ちがあるとはいえ、前の町で総額百五十万Gほど溶
かしていることを省みて、現状入り用な分⋮⋮具体的に言うと今ミ
ミが習得している魔法の上位版に絞って購入した。
どうせ他を買ったところで、まず始めに初級からやっておかない
532
とダメそうだし。
ただそれでも三十万近くかかったのだが。
﹁中級呪術ってやつ、一体何種類あるんだよ⋮⋮﹂
呪いの数だけ巻数がありやがる。
あくどいやり口だな。
ついでに隣にあった防具屋を冷やかしてみると、なんとなく予想
はしていたが鎧や盾の品質は並も並。逆にローブやサーコートの取
り揃えは豊富だった。
とことん魔法使い向けにできている町だな、ここは。
ミミの装備をようやく新調できるかもしれないし、今度ゆっくり
物色してみるとしよう。
で、肝心要の食事はといえば。
飯は取り立ててうまいわけでもないが、デザート類が充実してい
た。頭脳労働をしていると甘いものが欲しくなるのはこの世界でも
共通らしい。
俺はそれらをガン無視して辛口のロゼを飲んでいたが、砂糖とバ
ターが結婚したみたいな見るからに高カロリーな焼き菓子が飛ぶよ
うにオーダーされている。
これだけ売れてるとさすがに気になる。
533
﹁二人とも﹂
﹁はい﹂
﹁なんでありましょう?﹂
﹁甘いものは好きか?﹂
﹁きゅ、急にどうしたのでありますか﹂
ホクトはまだ骨付き肉のソテーにかじりついている。というか、
骨をしゃぶっている。
﹁よし、二人とも好きみたいだな! ここはいっちょ頼んでみると
しよう!﹂
﹁シュウト様が好きなものでしたら、ミミはなんでも好きになりま
す﹂
強引に話を持っていこうとする俺だったがミミにはとっくに看破
されていたらしい。
﹁いやまあ、好きっていうか⋮⋮冒険みたいなもんだ﹂
﹁おお、でしたら存分にご賞味なさってください。主殿が召し上が
っている間、自分はしばし控えておきますので﹂
﹁待て、置いていくなっての。全員分頼むからな。男の俺だけ頼む
のは、なんかこう、微妙に恥ずかしい﹂
見慣れない言葉がずらっと並ぶ中に﹃ケーキ﹄という文字を発見
した俺は、安心感からノータイムでそれを注文。
しばらくして、芳醇なバターの香りを漂わせながらそれは運ばれ
てきた。
534
﹁お待たせいたしました、バターブレンドのケーキでございます﹂
目の前で店員が切り分けているそれは、ケーキといってもクリー
ムが塗られたものではなく、パンの進化形って感じだ。間にナッツ
とレーズンが挟まっている。
俺は肉を食ったのとは別のフォークでそいつを突き刺し、口に運
ぶ。
﹁こ、これは⋮⋮﹂
超あめー。
なんだこの甘さは。
しっとりした砂糖づくしの生地だけでなく、レーズンもシロップ
にアホほど漬かっているから激甘だ。わずかに塩気の残ったナッツ
が一番うまく感じる。
﹁想像以上だったわ⋮⋮一口でもういいやってなってしまうとは﹂
仕事終わりでクタクタの時にはいいかも知れないが、生憎今日の
俺はまったく疲れていない。
これは相当ヘビーだ。
しかしミミとホクトはうまそうに食っている。ケーキだけあって
女ウケは抜群のようだな。
﹁とてもとても、とてもおいしいです。ほっぺが落ちてしまいそう
535
です。こんなに幸せな味の食べ物があるだなんて知りませんでした﹂
ミミは頬に手を当ててうっとりした表情を作った。
ちょうど、ミミを連れて初めて町に繰り出した時の、その帰りに
入ったレンガ造りの料理店で見た表情によく似ていた。
そういやミミを雇ってからというものの、しょっぱくて脂っこい
料理ばかり食ってたからな。こういう本格的なデザートを口にする
機会は今日までなかった気がする。
まあこいつらが満足してくれたんなら、ノリで頼んでみた甲斐は
あったか。
図書館を訪れた、その翌日。
俺はホクトだけを連れてウィクライフの冒険者ギルドに直行した。
ミミは宿で留守番。ステップアップのためにも買いこんだ魔術書
を勉強してもらわないとな。
﹁⋮⋮ですが主殿。従者が自分などで本当によろしいのであります
か?﹂
﹁なにがだよ﹂
﹁自分ではミミ殿のような目覚ましい活躍は⋮⋮﹂
﹁いやいや、今日は稼ぎに出てるんだから、むしろホクトの働きの
ほうが重要だぜ﹂
俺がギルドに向かう理由なんてひとつしかない。
536
どこに行けばちょうどいい雑魚が出るか。知りたいのはその一点
のみ。
なお、今日の装備は攻撃力を重視してツヴァイハンダーにしてあ
る。
それにしても、元いた町を発ってからというものの一回も依頼を
受けていないから、全然斡旋所という感じはしなくなった。どちら
かというと若い奴らの寄合所みたいに思っている。
﹁ようこそ、学問の町ウィクライフのギルドへ﹂
ここのカウンターに立っている奴は無駄に爽やかな男前だった。
髪と同じ黄緑色をしたローブをまとっているから、多分こいつも
魔法が使えるんだろうな。
学術に特化した町ということでもっとガリ勉なタイプを想定して
いたもんだから、意表をつかれるとともに、なんだろう、妙な悔し
さを覚える。
﹁依頼の受注ですか? それとも協力者の募集でしょうか﹂
﹁そんなんじゃない。魔物を狩れるポイントを教えてほしいんだよ﹂
﹁でしたら、南にある鉱山をまずはオススメしましょう。そこで採
れる質の高い銀はウィクライフ地方の特産品です。銀の怜悧な輝き
は知性の象徴とされていますからね﹂
﹁ほう⋮⋮で、どんな奴が出るんだ?﹂
﹁マップ全域に渡ってオークが出没します﹂
537
よりによって知性の欠片もない野郎かよ。
﹁オークって普通のオークだよな﹂
﹁はい。広くドルバドル全土に蔓延している、オーソドックスな魔
物ですね﹂
﹁ふーむ﹂
だとしたら、前例からいって一体につきスキルこみで一万Gにし
かならないだろう。
今更オークで金策というのも寂しい。
ここはもう少し上の相手を討伐したいところだ。銀の採掘なんて
やるつもりないし。
﹁実は俺はこういう者でな﹂
通行証を見せる。
﹁なるほど、顔に馴染みがないと思ったらフィーから来た方でした
か。称号は﹃ネゴシ⋮⋮﹂
﹁そこは読まなくていい。それよりだ。そのカードにあるとおり俺
はCランクなんだよ。オークじゃ物足りないから、もうちょい強め
の敵が出る場所はないか?﹂
﹁それなら東へずっと行った先にある遺跡周辺などはいかがでしょ
うか。こちらはランク相応の難易度がありますよ﹂
﹁遺跡か。中々歯応えがありそうだな。そこにはなにが出る?﹂
﹁オークです﹂
オークじゃねぇか。
538
﹁侮ってはいけません。オークといっても、棍棒ではなく杖を持っ
たオークメイジです。彼らは高い知能を誇ります⋮⋮といってもオ
ーク種の中ではですが﹂
﹁へえ。一味違うんだな﹂
オーク業界に関してはよく分からないが、標準偏差がやばいこと
になってそうなのは想像がつく。
﹁オークメイジはその名の通り、簡単な魔法を使用してきます。威
力はさほどではありませんが警戒しておくに越したことはありませ
んよ﹂
魔法使えるのか。
オークのくせにしれっと俺を超えてるんだが。
﹁でもまあ、棍棒持ちじゃないってことは接近戦は下手クソになっ
てると見ていいんだよな﹂
﹁ご明察のとおりです。クラスとしては上ですが、完全な上位互換
というわけではありません﹂
ならそんなに過大評価する必要もないか。
﹁他にもトカゲ型の魔物の出没が確認されています。こちらにもご
注意を﹂
地図を受け取り、早速遺跡を目指す。
⋮⋮と、その前に。
539
﹁ホクト、目的地まで乗せてってくれ﹂
﹁了解であります!﹂
俺はホクトの背中へと騎乗した。
今回は重量感溢れるプレートメイルを着させているから、あの頃
よりスピードはない。
それでも俺のペースでチンタラ歩くよりはずっと速い。しかも。
﹁おお! 誠に素晴らしい効力でありますな! まったく息が上が
らないであります!﹂
﹁だろ。⋮⋮実は俺が持ってるよりいいんじゃないか、これ﹂
一時的にホクトの指輪を外し、俺の胸から外したアレキサンドラ
イトと交換してある。回復が追いつかないほどの全力疾走さえしな
ければホクトの勢いが衰えることはない。
無尽蔵のスタミナで俺たちは草原を駆け抜ける。
540
俺、回帰する
走った先には意味深な雑木林が繁茂してあって、そこも一気に突
っ切る。
ものの一時間足らずで遺跡には到着した。
ホクトとの二人組だからこそできる芸当だな。
さて、遺跡というと俺は密林で見かけた朽ち果てかけの神殿をど
うしても想起してしまうんだけども、今回はそんな秘境めいた雰囲
気はなく、むしろ禍々しさを感じさせる。
なにせ石像だらけだ。
頭が牛やらカラスになっている人間を模したそれらは、大きな円
を描くように配置されており、円の中心にはちょっとしたコンビニ
くらいのサイズの建物が据えられている。
茂みの中にポツンと置かれていた割には強烈なインパクトがある。
﹁なんかの儀式でもやってたのかよ﹂
こっちのほうがよっぽど邪神を召喚してきそうじゃねぇか。
とはいえ、この遺跡の正体はどうでもいい。
重要なのは茂みのほうで、ここに魔物が多く出没するとのこと。
541
遺跡に入るまでの道筋にはいなかったから、もっと奥側だな。
屋敷の購入資金のためにも狩らせていただくとするか。
﹁行こうぜ、ホクト。目標はとりあえず五十万Gだ﹂
﹁いざ参りましょう! や、その前に、これをお返しするでありま
す﹂
ホクトがやや背をかがめてブローチを俺の胸元に取りつける。
なんか子供に戻ったみたいな気がしてくるな。
回復はまあ、この装飾品と多めに持ちこんだ市販の薬があればな
んとかなるだろう。ただ被弾時のダメージがなくなるわけじゃない
からそこは注意しておくか。痛いのはどうしようもない。ダメージ
量に関してはクジャタとカトブレパス由来の素材がどんだけ頑張っ
てくれるか次第。
ここはやられる前にやれだな。
せっかく火力重視でツヴァイハンダーを持ってきてるんだから一
体あたりにかける時間は少なめでいきたいところだ。
再度茂みの中へ。
ガサガサと揺れる葉の音を頼りに標的を探す。
﹁⋮⋮いたか﹂
俺は細い幹の向こうに馬鹿でかいデブを発見する。
542
距離にして十メートル程度か。涎を垂らした醜悪な豚面に似つか
わしくない木の杖を携えたそいつが、話に聞いたオークメイジであ
ることは即座に分かった。
気づいたのは相手もらしい。
黄褐色に濁った目が俺をとらえている。
睨み合いになりそうになるが。
﹁膠着してても意味ねぇからな⋮⋮いくぜ!﹂
オークを何百体と狩ってきてるせいか、この関取以上の巨体を前
にしても不思議と恐怖心は湧いてこなかった。微妙に差異はあるら
しいが初見の魔物より大分マシだ。 俺はダッシュして間合いを詰める。
ジリジリしていたところで打開はできない。むしろ魔法で遠当て
ができる分、オークメイジに有利な状況が続くだけだ。
というか、そもそも距離を置いているほうがやばい。通常のオー
クですらベスト装備時代の俺にかすり傷ひとつ付けられなかったん
だから、それより接近戦で劣る︵らしい︶こいつに近づくことにび
びっても仕方ないだろう。
待ち受けるオークメイジは杖を振り上げ、なにやらモゴモゴと口
を動かす。
543
そして﹁ヴォア!﹂と重低音で唸り声を上げた。
それが魔法の詠唱完了を表する最終通告だったらしい。俺へと向
けられた杖先から、バレーボール大の白い光弾がシュッという音を
立てて射出される!
とっさに避けたりとかは今更語るまでもなく無理なので、俺は事
前に剣を盾としてかざしていた。しかしながら大した意味はなかっ
たようで無慈悲にも光弾が俺の腹部に直撃する。
オークメイジの魔法は着弾した瞬間、盛大に破裂してまばゆいば
かりの閃光を放った。
﹁ぐおっ!?﹂
よく考えたら、魔法をくらうのってこれが初めてなんだけど。
どのくらい痛いものかと身構えたが⋮⋮さしてダメージにはなっ
ていない。ん? どういうことだこれ。俺のドキドキは一体なんだ
ったんだ。
﹁ってか、カスみたいなもんなんだけど﹂
エフェクトの派手さに騙されそうになったが、ほぼ無痛。
なんなら獣型の魔物に突進された時のほうがまだ痛みを感じたま
である。
これはあれだな、魔法といっても初歩的なものだから、そんな驚
くほどの威力はないんだろう。
544
にしても被害が軽微すぎる。もしかしたらレア素材ってのは魔法
のほうがダメージを弾きやすいのかもな。布のくせに激しい衝撃を
緩和するんだからそのくらいはやってくれてもおかしくない。
ただ、少し痺れるような感覚は残っている。
逆に言うと尾を引いているのはそれだけなわけで。
﹁これなら問題なく戦えるな⋮⋮想定してたより全然楽そうだ﹂
次なる攻撃が飛んでくるより早く、オークメイジのすぐ手前まで
踏みこむ俺。
﹁消えてろっ!﹂
斬るというよりは叩き潰すようなイメージで、ツヴァイハンダー
の重厚な刀身を直にぶつける。
多少振りが鈍かろうと、敵の動きも鈍重であれば関係ない。
一撃。
骨を断つ、どころじゃない。骨を粉微塵になるまで砕き割ってい
る。久しぶりに振るってみたが相変わらず凄まじい破壊力だ。
煙となったオークメイジは冥途の土産に二十枚の金貨を置いてい
った。無印オークの倍。まあ強さを考えたらこんなもんか。
痺れは今になって解除された。ひょっとして呪いの一種だったん
545
だろうか。
だとしたらブローチがなかったら相当長引いたかもな。
そうこうしているうちに二体目と遭遇。
﹁ホクト、ちょっとカットラスをあいつに向けて振ってみてくれ﹂
﹁自分がでありますか?﹂
﹁そのカットラスからは水を出せるからな。そいつをぶつけるんだ。
なに、俺なんかにもできたくらいなんだからそんな難しいことじゃ
ねぇ。少し念じてみりゃいい﹂
遠距離には遠距離、じゃないが、魔法を唱える妨害くらいはでき
るはず。
﹁承知したであります! 直々に命じられたからには精一杯努めさ
せていただく所存! でやあああああっ!﹂
えらく気合の入った掛け声と共に、ホクトは威勢とは真逆のへっ
ぴり腰でカットラスを縦振りする。
まあなんというか、予想どおりではあったが水の刃は生成されな
かった。
ちょっと要求が高度だったらしい。
⋮⋮やむなし。戦闘面でのサポートには期待せず、俺は被弾前提
の正攻法で二体目のオークメイジを撃破した。
ホクトに視線をやると、やっぱりというべきか浮かない顔で落ち
546
こんでいる。
まずい。駄馬化してる。
﹁うう、自分に心底腹が立つであります⋮⋮主殿の手前でまたして
もこのようなみっともない姿を見せてしまうとは⋮⋮﹂
﹁で、でも振り自体は前に見た時よりよくなってたと思うぞ﹂
それは本音だ。アセルの宿で披露してもらった時はもっとギャグ
っぽい構えをしていた。あの時に比べたら幾分マシになっている。
﹁今日もいつもどおりの役割分担でいくか﹂
﹁わ、分かったであります。自分は主殿の邪魔にならないよう侍し
ておくであります﹂
ホクトはやたらと卑下するが、戦闘以外ではこの上なく有能なん
だけどな、こいつ。ホクトが荷馬車を引いてくれてるおかげで長旅
に耐えられてると言っても過言じゃないし。
探索にしたって持参の道具やドロップアイテムを大量に運んでく
れるのはありがたい。
何事も適材適所だな、うむ。簡単な雑魚戦くらいは俺一人でやっ
ておくか。
金策を続行。
遺跡近辺に多く出現するオークメイジは接近戦になると完全に無
防備だった。あまりにも守りがザルすぎる。CGライクな魔法の見
た目にさえ怯まなければ特に苦労せず倒すことができた。
547
逆に付録みたいなもんだと思われたトカゲの魔物は結構強かった。
トカゲといっても四足歩行ではなく、二本足の前傾姿勢で立ってい
るからどことなく恐竜っぽさがある。
トカゲサウルスと命名したそいつは動きも機敏で、鞭のごとくし
ならせた尻尾のキレも鋭い。
全身を覆う鱗の硬質な感触からいって、防御性能もそれなりに有
していることがうかがえる。
もっとも今の俺の武器は近距離での戦いに優れるツヴァイハンダ
ー。いくら素早かろうが向こうから突っこんでこないと俺に攻撃で
きないんだから、タイミングを見て剣先で地面をつつき、隆起した
土の槍でカチ上げれば瞬殺である。
片っ端から千切っては投げていった。
報奨は一万6000Gと切れた尻尾。なんに使うんだこの気味の
悪い素材は。
それにしてもツヴァイハンダーは単純明快でいいな。力任せに振
り回しているだけでそこそこ戦えてしまうから、なんも考えなくて
いい。
こいつを握っている時のゴリラ感は半端ではない。原始人にでも
なった気分がする。
原始人が恐竜を狩るって、まさに石器時代だな。
548
昼飯休憩を挟みつつ、際限なく現れる魔物相手に適当にウホウホ
やった結果、およそ三時間半で目標金額の五十万Gには到達した。
けど、まだまだ時間は余っている。移動の手間が大幅に省略され
ている分、もうちょい粘っても暗くなる前に余裕を持って帰還でき
るだろう。
﹁あと二十万、追加で稼いでいくからな﹂
﹁了解であります。硬貨の運搬は自分にお任せください﹂
幸いにも治癒のアレキサンドライトのおかげで疲弊はまったくし
ていない。
黙々と魔物を狩り続け⋮⋮夕方を迎える前に利益は七十万Gを超
えた。
財布代わりにしている携帯用の布袋がパンパンだ。
いやしかし、働いた対価として金がもらえるというのは素晴らし
い。やりがいがある。ちょっと前までは九割がたハズレの石だった
からな。
本日の成果に満足した俺は、行きと同様ホクトに騎乗して帰路に
つく。
ここはかなりいい狩場だな。敵もそんなに強くないからミミを連
れてこないでも大丈夫だし、その分ホクトに乗ることで移動時間を
大幅に短縮できる。
時給換算すると今までで一番じゃなかろうか。
549
いろいろと肌に合わない町だと思ったが、これなら長期滞在も視
野に入れられるかな。
550
俺、発散する
遺跡での金策を始めてから早三日が経過した。
日を追うごとにオークメイジ狩りの効率の良さを実感する。大し
て苦戦もせずに一日ごとに六十万から七十万の貯蓄が増えていくも
んだから、笑いが止まらない。
この日も俺はホクトを伴って狩りに出向いていて、今はその帰り
だ。
町に着くと同時にホクトの背中から下りる。
﹁先に部屋に戻っててくれ。晩飯は買って帰るから﹂
﹁はっ。心得たであります﹂
ホクトを宿に帰し、それから酸味のあるワインで喉を潤しながら
俺が向かった先は、この町のシンボルともいえる王立図書館。
別に座学しようだとかそういう殊勝な心がけではない。
﹁⋮⋮あっ、シュウト様﹂
﹁よう。迎えに来たぜ﹂
片手を上げて、淑やかに座っているミミに合図する俺。
どうやらミミは宿の一室よりも図書館のほうが集中できるようで、
昨日から魔術書の学習はここで行っている。宿に戻るより先にミミ
551
を迎えに行くのが俺の新たな日課に追加されていた。
ミミが自発的に帰ってくるのを待ったんでもいいが、それだと何
時になるか分からない。
飯の時間がずれるのは不本意だ。
﹁今日も来てくださるだなんて、ミミはとても嬉しいです﹂
﹁声かけに行かないとずっとここにいそうだからな。そんなに落ち
着くのか?﹂
﹁はい。ここにいると心が豊かになったようで⋮⋮とてもとてもリ
ラックスできるんです。⋮⋮申し訳ありません、ご迷惑でしたら、
もう図書館に来るのはやめにいたします﹂
﹁いや、構わねぇぜ。ミミに合った場所で勉強してくれたほうが俺
にとってもありがたい。そっちのほうが能率上がるだろうしさ﹂
俺からすればこんな堅苦しい施設で気が休まるだなんて信じられ
ないのだが、まあ、個人差ということにしておこう。
実際のところ勉強はかなりはかどっているようで、話を聞くと中
級の回復魔法は既にマスターしたとのこと。
問題は呪術。こっちは七巻にも別れているから一筋縄ではいかな
い。
その上文章も難解らしく。
﹁中級呪術はまだまだ理解できない部分が多くて⋮⋮もう少し、が
んばりたいと思います﹂
552
ミミはほんのわずかにしゅんとした表情をのぞかせたが、別に焦
ることはない。どうせしばらくはこの地に滞在する予定なんだから
な。
なおでかい声を出すと大目玉をくらうのでここまで全部ヒソヒソ
話である。
ふと、俺は机の上に見慣れない表紙の本が混じっていることに気
がついた。買い与えた魔術書とは明らかに異なる。
﹁なんだこれ﹂
手に取ってみる。
﹁あっ、それは⋮⋮﹂
ミミはなぜか、珍しく慌てた態度を取った。眉を寄せた困り顔も
中々劣情を駆り立てられるものがあるな⋮⋮じゃなくて。
﹁⋮⋮﹃嫁ぐ前に知っておくべき料理の基礎﹄?﹂
本のタイトルを読み上げた瞬間、ミミは顔をカッと赤くして、恥
ずかしそうにする。
要は初心者向けのレシピ本だ。軽くページをめくってみると、う
む、なにがなんだかさっぱり分からない。塩少々とかスパイス適量
って具体的に何グラムなんだよ。
﹁その、勉強の合間に、ちょっとだけ⋮⋮本当にちょっとだけなん
です﹂
553
なにがそんなに恥ずかしいのか知らないが、上気しっぱなしの頬
を押さえるミミ。
ははあ。そういうことか。
﹁覚えてたんだな、家で炊事がしたいって話﹂
まあそもそも、かまど付きの家に引っ越したいっていうのがコト
の発端だからな。ミミがあそこで身の回りの世話もしたいって俺に
明かさなければ理想の土地探しの旅もなかったわけだ。
料理について学びたい、という想いは常々持ち続けてくれてたっ
てことか。
﹁俺はそういう健気なところは好きだぞ﹂
率直にそう伝えると、ミミはますます赤面した。白い山羊の耳ま
で赤く染まりそうなほどに。
なんだろう、この、夜が熱くなりそうな気配は。
タイミングのいいことにその日の夜はホクトがいろいろと察して
部屋を空けてくれた。
となれば俺は流れのままに従うだけで、ベッドの中でミミの柔ら
かな肢体にすべてを預けた。お互いがお互いを求め合う情熱的な一
時。男であれば陶酔しないはずがない。歯止めになる理性を一旦ど
こかへとしまって、あらん限りの欲望をぶつけた。
554
もったいぶった言い方をやめると、空っぽになったってことだ。
しばらくの間ぐったりと横たわる俺。
こればっかりはブローチをつけても回復しない。
﹁今宵は少々蒸すでありますな。寝苦しくなるかも知れませぬので、
窓はしばらく開けたままにしておきましょう﹂
約二時間後に戻ってきたホクトは不自然なくらい全開になってい
る窓を見て、どこまでも空気の読めるコメントをしてくれた。
ありがとうの言葉しかない。
で、明くる日。
精も根も生まれ変わった俺は、非常に清々しい心地でホクトと共
にギルドを訪れる。
なぜ遺跡へと直行しなかったのかといえば、理由はこの溜まりに
溜まったトカゲの尻尾。
捨て値で投げ売りしようとした時に市場で教わったが、この気持
ちの悪い素材はなんでも滋養強壮の薬になるらしく、結構な頻度で
収集要請が出ているらしい。
このまま持ち続けているのも夜中にビチビチ跳ねてきそうで薄気
味悪いので、処分ついでに納品しておこうと考えた。
555
普通に売るよりは依頼経由のほうが楽だろう。足を運ぶのが一ヶ
所で済むし。
善は急げとばかりに求人表を確認。
﹁おお、結構多いな⋮⋮相場は五本で1000Gか﹂
ぶっちゃけ端金ではある。ないよりマシってところか。
⋮⋮と、ここで風変わりな依頼を発見する。
﹁人探し、か。えーと、なになに⋮⋮当方に尋ね人あり。仔細は直
接応対にて﹂
探偵じゃあるまいし。
しかも詳しい業務内容が併記されてないからどういう依頼なのか
もよく分からん。とりあえず話を聞いて目的の人物を連れてくれば
よさそうではあるが。
俺が怪訝そうにしていると男前の受付が顔を寄せて補足を入れて
くる。
﹁そちらのクエストには人数制限はありません。探し当てた者勝ち、
といったところですかね﹂
﹁へえ、変わってんな﹂
発見者にしか報酬が出ないのだとしたら、さぞや大層な金額が設
けられているに違いない。
556
そう思い、やるやらないは別にしてとりあえず確認してみたのだ
が。
﹁達成報酬は⋮⋮蔵書からどれでも一冊進呈? なんじゃこりゃ﹂
金じゃないのかよ。
しかも本って。
こうなると逆に気になってきた。普通に金だったらあっさりスル
ーしていたのだが。
依頼人の名前に目を通す。
﹃ウィクライフ王立図書館司書 ビザール﹄
そう書かれていた。
557
俺、訪問する
うむむ、なんとなく見えてきたぞ。
図書館で会ったパウロによれば、ホンモノの司書は病床に伏せて
いるとの話。で、その司書が捜索依頼を掲示している。長時間出歩
けないから冒険者を頼ってるわけだな。
﹁なにやら気になる依頼でありますな、主殿﹂
﹁だな﹂
ただ悲しいかな、俺もホクトも本には一切興味がない。
この件は活字中毒を患ってる奴らに任せておくか。
﹁⋮⋮ん? でもよく考えたら⋮⋮﹂
わざわざ司書の肩書きを出してまで﹃蔵書﹄と明記したからには、
あの図書館に置かれている本すべてが範囲に含まれてたりするんじ
ゃなかろうか。
となると俺の頭に浮かぶのは持ち出し禁止の魔術書に関してであ
る。
あれから一冊くれるっていうんなら話は変わってくるな。魔術書
は丸暗記するのは大変だが、素質ゼロの俺とかが持った場合はとも
かくとして、武器として装備すれば載っている魔法自体は少ない勉
強量でも使えるわけだし。
558
ミミの著しいパワーアップが見込める。
ある意味では常々渇望しているレア素材より希少かも知れん。
﹁話聞くだけならタダだしな⋮⋮一応会いに行ってみるか﹂
受付の男に住所と行き方を教わり、ビザール邸へと足を運ぶ。
元々喧騒とは無縁な町ではあるが、更に静けさを増した郊外にあ
ったそこは、さほど大きな家ではない。
木戸を二回ノックする。
﹁おお、お客さんか﹂
白髪を伸ばしっぱなしにした老人が戸を開けた。
﹁客っていうか、業者だよ。あんたがビザール⋮⋮でいいんだよな
?﹂
﹁いかにもそうじゃが﹂
﹁なら単刀直入に言うぜ。俺はシュウトっていうんだけど、依頼を
見て来たんだ。詳しい話を聞かせてくれ﹂
﹁なんと! こりゃありがたい、お前さんで来てくれた冒険者は七
人目だ。続々集まってくれて嬉しいわい。さ、さ、入っとくれ﹂
にこやかな表情で俺とホクトを招き入れるビザール。
俺は司書というからどんなカタブツが出てくるものかと身構えて
いたのだが、案外フランクな口調のジイさんだった。
559
タンが絡んだようなしゃがれ声は別にして、喋っているところを
聞くと歳の割には結構元気に思えるのだが、顔つきはかなりやつれ
ている。
目は落ち窪んでいてドクロのようだ。
袖や裾からチラリと見えている手足も枯れ枝みたいに細くしなび
ているし、病気で自宅療養中というのは間違いないらしい。
家の中は、外観どおりの広さしかなかった。同居人の姿も見当た
らない。
﹁一人で暮らしてんのか﹂
﹁生涯独身で身寄りは誰もおらんからの﹂
寂しい老後だな。こういう老人を救うために行政が頑張るんじゃ
ないのか普通。
どこの世界も世知辛いものよ。
﹁⋮⋮さて! 本題に入らせていただこうか﹂
居間に通されると依頼についての説明が始まった。
﹁見てのとおりワシはもう老い先短い。数年前から病に体を蝕まれ
ていて、今も進行中じゃ。せめて死ぬ前に、もう一度会いたい人物
がおってな﹂
なんとなくだが、そんな感じの内容だとは予想していた。これだ
560
け衰弱した様子を見せられたらどうしても寿命の問題が頭をよぎっ
てしまう。
切り出し方を聞いた限りだと、そいつに死に際を看取ってもらい
たい、なんて重い頼みにまでは至らないみたいだが。
俺は耳を傾ける。
﹁お前さんに探してほしいのは、とある女の子じゃよ。その子は猫
の獣人でな﹂
﹁獣人? どういう関係性なんだ。ジイさんの雇ってた奴隷か?﹂
﹁いやいや、そうではない。あの子は⋮⋮ワシはアイシャと呼んで
いたが⋮⋮薬屋からの帰りに通った路地裏で偶然出会ったのじゃよ。
どうやら仕事を探していたみたいでな﹂
昔を懐かしむように語るビザール。
﹁冒険者ギルドには籍を置けないし、かといって奴隷商人に自ら身
売りするのは嫌だとかで、様々な職種を日雇い契約で転々と渡り歩
いていたようじゃ﹂
﹁それで、雇ったのか﹂
﹁うむ﹂
そんな怪しい奴をよく雇えたな、というツッコミは無粋なのでや
めておく。
﹁その頃はワシも休業直後で、病との付き合い方が下手でな。それ
はもう身の回りのことをやってくれるのはありがたかった! 住み
こみの使用人として二ヶ月ほど働いてもらったよ﹂
﹁なるほどな。それで親しみが湧いたのか⋮⋮でもさ、それだけ愛
561
着があったのにたった二ヶ月で別れたんだな﹂
﹁同じ場所に長くは留まり続けない主義らしくてのう。それが結べ
る最長の期限じゃった。契約が満了した朝、置き手紙を残して去っ
てしまったよ﹂
そういう理由か。
寝てる間に奴隷市場に売り飛ばしたって答えられたらどうしよう
かと思った。
﹁脳が腐っておらん間にまたアイシャの顔が見たいんじゃ。なんと
か探し出してくれんか? 無論、タダ働きではないことは、承知し
てくれておるのだろう?﹂
﹁ああ、それなんだけど﹂
気になっていた質問をようやく投げかけられるタイミングが来た。
﹁報酬欄に﹃蔵書を一冊進呈﹄って書いてあったけどさ、あれって
図書館の本も含むのか?﹂
﹁もちろん。正式な引継ぎをしていない以上、まだワシに司書の権
限が残っておるからの。一冊だけならなんとか口利きできようて﹂
役職の私物化もいいとこだが、しかし、それならこっちとしては
好都合。
そりゃ応募者続出するわな。市販の魔術書ですら数万Gの額がつ
いてるんだから、これが激レア品となれば一体どれだけになるのや
ら。
まあ金額はどうでもいい。
562
俺の場合は中身のほうが重要だ。
﹁よし。だったら俺も探してみるよ﹂
野良猫探しも金策と平行してやっていくとしよう。
﹁⋮⋮ところで﹂
﹁なんじゃ?﹂
﹁いや、なんでパウロにまだ司書の座を譲ってないのかなって。俺
も図書館には行ってみたけど、あいつ相当なやり手だったぜ﹂
﹁パウロ? あれはダメじゃ、ダメ﹂
ビザールは﹁ないない﹂とでも言いたげに大きく手を振って否定
した。
﹁読書が好きすぎる奴は司書には向かない。冷静な判断ができんこ
とがある。それに性格にも難アリじゃ。上っ面はいいが腹黒い男じ
ゃからな。最初はよくとも次第にその利口ぶった態度が嫌味に感じ
てくるタイプよ﹂
急に元気になったな、このジイさん。悪口が止まんないんだけど。
﹁⋮⋮はっ! すまん、人物評がいくつになっても大好きでのう。
ついつい言い過ぎてしまったわい。とにかく、パウロはまだまだ未
熟。ワシの目が黒い間は正当な司書としては認めん。もっともワシ
が死ねばその瞬間制度の力でさっくり委譲されてしまうがね。フフ
フッ﹂
﹁まったく冗談に聞こえないからやめろっての﹂
563
老人のブラックジョークは頻繁に死が絡んでくるから笑えない。
というか、こっちの明け透けな性格が素っぽいな。湿っぽい話題
を続けていた時より遥かに舌が回っている。
﹁まあそれはともかく、その獣人の特徴について教えてくれよ。そ
れが分からないことには見つけようがねぇ﹂
猫の獣人、なんてありふれてそうだしな。
現に俺も一度遭遇したことがある。あいつは無愛想でいけすかな
い女だったが忠義にだけは厚かった。
﹁特徴か。まず背は低めじゃ。髪は目を引く青緑色で⋮⋮容姿は活
発そうな感じかの﹂
﹁ふむふむ﹂
﹁それから獣人ゆえに当然耳がある。髪と同じ色をした、やや小ぶ
りな耳じゃ。ピンと立っているが先はやや丸みを帯びていて、全体
のフォルムは、そうじゃのう、正三角形に近いかの。毛並みもよく、
手触りが非常によい。毛先がとにかくふわふわでな。そうそう、先
端部分はほんの少し黒みがかっておるぞ。間近で見ないと分からな
いくらい繊細な濃淡の具合じゃ﹂
なんか耳の描写だけ異様に長いぞ。
このジジイの趣味が出てるとかじゃないよな。
﹁大体分かった。見つけ次第話をつけておくよ﹂
﹁よろしく頼んだぞ。期日は⋮⋮ワシが死ぬまでとでもしておこう
か﹂
564
﹁だからどういうリアクションしたらいいか分からないからそうい
うのはやめてくれ﹂
俺は苦笑いにもならない微妙な面を浮かべたまま、用事も済んだ
ことだし御暇しようとする。
が、背を向けた矢先にビザールが﹁ちょっと待った﹂と呼び止め
てきた。
﹁ん、まだなにか伝言があるのか?﹂
﹁いやな、そこのお嬢さんのことなんだが﹂
﹁自分でありますか?﹂
これまで主人である俺に配慮して固く口を閉ざしていたホクトに、
唐突に視線を送るビザール。
﹁ホクトがどうかしたのかよ﹂
﹁その者はお前さんが登用している獣人よな?﹂
﹁見たまんまだけど﹂
﹁ならちょっと、帰る前に耳を触らせてくれんか。アイシャが離れ
てから獣人と触れ合う機会なんてなかったもんでな﹂
ビザールが細い指をワキワキさせる。
やはり性癖だったか。
﹁当然、ダメ﹂
﹁頼む! 五秒だけ許しとくれ! 死にかけのジジイの頼みじゃぞ
!﹂
﹁ええい、すがりついてくるな! ってか死にかけのジジイって言
565
っておきながら意外と握力あるじゃん!﹂
﹁うっ、急に発作が⋮⋮﹂
﹁騙されるかよ。起きてんのは違う発作じゃねぇか!﹂
﹁ぐぬぬぬ、ケチな男は大成せんぞ﹂
耳触らせただけで出世できるんなら誰も苦労しねーっての。
情けをかけたホクトがついうっかり許可を出しかねないので、俺
はビザールの魔の手を振りほどいて早々に撤退した。
566
俺、実験する
ビザール邸を出て町の中心部へと戻った俺は、考えこんだ表情の
ホクトと顔を突き合わせる。
﹁うーん、しかし、野良猫探しねぇ﹂
サブクエスト感覚で受けてはみたものの、思った以上に難儀しそ
うだな。
伝えられているのは名前と外見的特徴くらいで、手がかりとして
は不十分。
町の人間に手当たり次第聞き込みを行う、といった堅実極まりな
いやり方しか今のところ思いつかないが、それはあまりにも億劫す
ぎる。
そんな大変な苦労をするくらいなら俺は躊躇なく諦めることを選
ぶぞ。
﹁⋮⋮分かっちゃいたけど、俺らだけで話し合っててもロクに案が
浮かんでこねぇな。遺跡から帰ってからゆっくり考えようぜ﹂
﹁そ、そうでありますな。ミミ殿の意見も聞いてみましょう﹂
﹁それが一番だな。ミミのほうが絶対いいアイディア出してくれる
だろうし﹂
てなわけで、この件は夕方まで棚上げ。
567
他の連中に先を越されるかも知れないが、どうせそんなすぐには
発見できないだろう。ヒントが少ないのは全員同条件だ。
体力自慢のホクトの背中に乗って、当初の予定に則り遺跡周辺へ
と出向いた。
ここに跋扈しているオークメイジももはや倒し慣れたもので、過
度に恐れたりせず平常心で大剣をブチかませば秒殺である。手応え
からいって、防御面は通常の種族より若干低いと見た。カットラス
だとなんだかんだで二回か三回は斬りつけないと倒せなかったから
な、奴らは。
そのカットラスも今やホクトのスレンダーな腰で暇そうにしてい
る。
﹁ホクト、ちょっとお前の剣を貸してくれ﹂
何体目かのオークメイジを発見したところで俺はそんな要求をし
た。
﹁こちらでありますか? 元々主殿の所有品なのですから、もちろ
ん構いませんが⋮⋮どうなさるのでありましょう?﹂
﹁なに、こいつで耐久性チェックをやるんだよ﹂
もしカットラスでも一撃で倒せるのであれば、そちらのほうが回
転率がいい。一度試してみる価値はある。
ツヴァイハンダーを一旦ホクトへと預け、装備変更。
渡されたカットラスを鞘から抜く。
568
刃全体をコーティングしている青みがかった銀の輝きがどこか懐
かしい。右手に握ったそれを二度、ヒュンと風を切る音を鳴らすよ
うに素早く振ってみる。
おお、なんて軽やかなんだ。
俺の背丈ジャストの全長を誇るツヴァイハンダーは、材質のせい
もあるがチョーカーの補助があってもクソ重いからな。
まあパワーのあるホクトは特に問題なくそいつを持てているわけ
ですけども。
﹁そんじゃ、試し斬りさせてもらおうかな﹂
まずは近づくところから⋮⋮。
﹁いや、待てよ﹂
そういえばこの武器の最大のウリって、遠距離攻撃が出来ること
だったな。そっちも久々に使ってみるか。
﹁でやっ!﹂
剣から溢れ出た水が、なだらかな弧を描くような形状で撃ち出さ
れる。
当然のように魔物は杖を振るって迎撃。
水の刃が、光弾と激しく衝突し︱︱。
569
﹁⋮⋮ん?﹂
なんか両方消えたんだが。一瞬カッと光った後で。
﹁相殺したのか? 奇妙なこともあるもんだ﹂
レアメタル製の武器が持つ追加効果ってのは、要するにやってる
ことは魔法もどきだからな。こんなふうに本物の魔法とも張り合え
るわけか。
今回でいうとどっちも威力は控えめだから、がっぷり四つに組ん
で水入りになったんだろう。
たぶん。
﹁主殿、今の出来事は一体なんでありますか? ⋮⋮恥を忍んで申
し上げますが、不勉強な自分には理解が及ばないであります﹂
﹁俺もよく分からん。もう一回実験してみるか﹂
オークメイジの攻撃に合わせて、テニスのラリーのように剣を振
っていく。
またしても相殺現象は起こった。二度ならず、三度、四度と連続
して、相手が放つ魔法は俺に届くことなく、水の刃に阻まれて次々
に打ち消されていった。
﹁お、おお⋮⋮こりゃ面白いな﹂
やべー、これ結構気持ちいいかもしれない。
570
魔法同士がぶつかった瞬間とかちょっとした花火みたいだし。
しかし豚とキャッキャじゃれ合ってるだけという現実に気づいた
途端凄い勢いで冷めたので、真顔になって接近。容赦なく刀身その
もので襲撃する。
一発では悪臭を伴う血飛沫が舞っただけでくたばらない。ならば
二発、と大きくガードの開いた脇腹に突き立てる。
ブヨブヨとした脂肪をかき分けて、カットラスの薄い刃は痛点の
密集した局部へと達した。
俺はそこでもう一段階、柄を握る指に力をこめる。
それを境に、絶えず手の平に伝わってきていた硬く萎縮した感触
が、だるんと弛緩したものに変わった。
生命力を失ったことの決定的な証拠だった。
煙に変わる前の断末魔の叫びを聞きながら、俺はオークメイジの
耐久力について結論を下す。
﹁やっぱしばらくはツヴァイハンダーでいいや﹂
一撃と二撃の差は、あまりにもでかいっすわ。
報奨総額が五十万Gを少し超えたあたりで、俺は早めの帰還を済
ませた。
571
ミミを図書館まで迎えに上がり、そのまま雰囲気のよさげな飯屋
に直行する。
その店では珍しく、燻製にも塩漬けにもなっていない魚を出して
いた。港があるフィーにいた頃は手軽に魚も食べられたが、漁場か
ら離れた町でこれは違和感がある。
﹁どういう輸送をやってんだ。傷んでたりしないよな?﹂
ムニエルになっている異常に大ぶりの切り身をフォークでつつい
てみる。適度に弾力があって、食べ頃を逃している感じはない。鼻
を近づけても古い魚特有の嫌な臭みは一切なかった。
﹁まだ騙されねぇぞ、バターの香りで隠してるだけかも知れないし
⋮⋮﹂
でも口に運んでみると歯応えはしっかりしてるんだよな。腐って
たらもっとフニャフニャだろ。いや別に腐った魚なんて食ったこと
ないけど。
﹁シュウト様、このお店のお魚はフィーの漁港でとれたものみたい
ですよ﹂
いつの間にかミミは暗号文じみたメニュー表から原産地名を発掘
していた。
あっさり言ってるけど、そこからここまでって相当離れてるぞ。
俺が辿ってきた旅路の長さとちょうど同じなんだから。
572
鮮度を保ったまま地方都市に送れるってすげーな。クール便とか
あるはずないのに。
考えつくとしたらやはり魔法の力になってしまうが、冷凍保存と
かそういう芸当もできたりするのか?
﹁⋮⋮まあそんなのはどうでもいい﹂
うまいし。
﹁作戦会議を始めるぞ﹂
深海魚以上に謎めいた魚のフライを頬張っているミミに、今日受
けた依頼について話した。
﹁人探し⋮⋮ですか﹂
﹁ああ。ただなー、情報があんまりないんだよ﹂
猫耳の時点で見た目には分かりやすいが、現在どこに雲隠れして
いるかなんて知りようがない。
ただミミにはすぐに提案が浮かんだようで。
﹁シュウト様、所見を述べさせてもらってもよろしいでしょうか?﹂
﹁なんでも言ってくれ。俺はお手上げだ﹂
﹁自分もであります﹂
単純労働専門の俺とホクトは揃って手詰まりだった。
ここは是非とも頭脳担当のミミにお色気担当だけではないところ
573
を発揮してもらいたい。
﹁アイシャさんはミミたちと同じ獣人です。出会った人であれば、
きっと強く印象に残っているのではないでしょうか﹂
﹁まあな﹂
奴隷なんてたまにしか見かけないし。
おまけに特定の誰かに付き従う、なんて生活もしていないとくれ
ば、かなりの珍獣だろう。
﹁ですから、聞き込みを行うのが一番効果的だと思います﹂
﹁やっぱそうなるか⋮⋮俺もそれは考えたんだよな。でもめちゃく
ちゃ手間がかかるじゃん﹂
﹁いえ、範囲はぐっ、と狭められますよ﹂
ポイントを伝えてくるミミ。
﹁商業ギルドの人たちに絞って聞いて回るのがいいとミミは思いま
す。シュウト様のお話ですと、アイシャさんはいろいろな職業を渡
り歩いているようですから﹂
﹁なるほど! それだ﹂
ジイさんいわく日雇い奴隷で生計立ててたみたいだしな。他に世
話になった雇い主が何人かいてもおかしくない。
まったく見当がつかないと半ば思索を放棄していたアイシャの足
跡だけれど、どうやら追えなくもなさそうだ。
まずはそこからだな。
574
﹁よし、明日は一日休養にして市場を巡ってみるか﹂
俺はムニエルにグリーンソースを絡めながら、対面の席に座る二
人にそう告げた。
方針は定まった。ここからは俺の交渉力︵主に金︶の出番である。
575
俺、巡回する
町の西手側に所在を置くウィクライフ商業区。
青果市場を始めとして、数多くの商店が立ち並ぶ活気に溢れた区
域である。
俺たちは今朝からここを訪れている。言うまでもなく尋ね人の情
報を求めて⋮⋮なのだが。
﹁ああ、猫の獣人なら一年前にうちで働いてたよ。きっとその子だ
ね﹂
﹁マジで?﹂
とりあえず入ってみた日用雑貨店でいきなり耳寄りな話を聞けた。
あまりにも呆気なく一端をつかめて若干拍子抜けする俺。ただ、
肝の据わった顔つきをした店員のおばさんはこうも言う。
﹁でも変だね。あの子はアイシャなんて名乗らなかったよ。あたし
はミルって呼んでた﹂
﹁ん? どういうことだ、それ﹂
﹁好きに呼んでくれっていうからさ、名前をつけてあげたの。かわ
いいでしょ? まあ娘ができたらつけようと思ってた名前なんだけ
どさ。なにせうちの子供は長男次男三男四男で、一人も女の子がい
ないから持て余しちゃってたのよ﹂
ザ・おばさんって感じでめっちゃ世間話してくるが、聞くのもそ
576
こそこに俺は考えを改める。
﹁うーん、名前はその時その時で雇い主につけてもらってんのか﹂
ってことは、アイシャという名前はまったく手がかりにならない
ってわけか。ジイさんは愛着をこめて呼んでたかもしれないが、本
人的には単なる一時的な名称に過ぎなかったんだろう。
結構ドライな奴だな。
﹁だけどねぇ、せっかくよく働いてくれてたのに一ヶ月しかいてく
れなかったよ。かわいらしい子だったからずっと雇っていたたかっ
たのに﹂
一ヶ所に留まらない、というのはジイさんの話どおりか。
﹁じゃあさ、もう一個質問していいか?﹂
﹁難しい話だったらお断りだよ。こちとら学術書と睨めっこできな
いから商人やってんだから﹂
計算なら得意だけどね、とおばさんはケラケラと笑う。
﹁なんも難しくなんかねぇよ﹂
まず俺がそんな話をできないからな。
﹁また獣人についてだ。ここにいたことがあるのは分かったけど、
次どこに行くかとかは聞いてたりしないか?﹂
﹁それは教えてくれなかったね﹂
577
予想はしてたがその点も一緒か。やむなし。
﹁分かった、時間取らせてすまなかったな。他も当たってみるよ﹂
俺は店を出る。
その後もいくつか回ってみたのだが︱︱。
﹁ああ、ペティのことか。それならうちに二十日ほどいたな﹂
﹁懐かしいな。シェバちゃんには倉庫の整理をやってもらってたよ﹂
﹁うちではウェイトレスとして働いてましたね。フユは愛嬌があり
ましたから割と評判でしたよ﹂
﹁ロンドを雇っていたのは二年前かな。今? それは知らない﹂
﹁エリオネの奴がどこ行ったか? 分かるわけないだろ、数週間し
か付き合いねぇってのに﹂
﹁その子なら半年前までここで荷降ろしをやってたよ。小さい体で
頑張ってたね、ミッヒは﹂
﹁猫の獣人? 三年くらい前にはいたね∼。キミーって子のことで
しょ?﹂
まあ話が出るわ出るわ。
大体四軒に一軒のペースで流れ者の獣人が奉公に来たことがある
と聞かされた。ほっといたらそのうち町内の全店制覇しそうな勢い
なんだけど。
しかも毎回名前が違う。何個通称持ってんだよこいつは。
とはいえ、足取りは分からずじまい。
578
獣人は自分の素性を誰にも明かしていなかった。
以前はいた、ということはさして重要じゃない。そんな情報が何
十個集まったところで結局今どこにいるかが分からないんじゃなん
の意味もないからな。
おまけに。
﹁待った。冷やかしで帰すほどうちはぬるい商売はしてないよ。な
にか一品くらい買っていくのが義理と人情ってもんじゃないのかい﹂
﹁あんたに話をしてあげてる間にどれだけの損益が出てると思って
るのさ。その時間があれば軽く帳面をつけるくらいの仕事はできた
よ﹂
ほぼ毎回のように情報提供の対価として欲しくもない商品を買わ
された。
商人のがめつさはどうやら風土によらないらしい。
まあ金はあるので大した痛手ではないものの、そのせいで壺やら
絨毯やら生鮮食品やらがどんどん溜まっていった。
途中で﹁あ、これやばい気配だな﹂と気づいて急遽荷車の購入を
決めなかったら、溢れんばかりのモノの運搬に困ってまともに身動
きが取れなかったに違いない。
﹁くそっ、ここもニアミスか﹂
店から出た俺は、押し売りされた奇怪な色の花束をホクトが引っ
張る荷車へと投じる。
579
積荷に統一感がなさすぎて荷台がカオスなことになっていた。
気づけばもう夕方。
要は現在進行形で奴隷契約を交わしている店主のところに行けば、
目的はサクッと達成されるわけだが、まだそこまで至っていない。
一日中歩き回って未だ目立った成果なし、だなんて徒労もいいと
こだ。﹃骨折り損﹄は数ある俺の嫌いな言葉の中でも上位に位置す
る。
﹁これだけ回ったのですから、確率的にはそろそろ今の職場に辿り
着いてもおかしくはないと思いますけど⋮⋮﹂
ミミもぐったりしている。
荷車を引くホクトはまだ余力はあるが、ひとつ前の店で買ってし
まったマッチョな石像がその凄まじい重量を遺憾なく発揮している
せいで、歩く速度が大分鈍っていた。
﹁主殿、これは、かなり足腰に来るでありますなっ﹂
﹁すまん、俺も今になって後悔してる﹂
彫刻の販売店になんて入るんじゃなかった。
店員の説明によれば交易品になるらしいけど、どこで売ったらい
いんだ、これ。アセルで捕まえた蝶はセレブな町を訪れるまで大事
に取っておくつもりだが、こんな意味不明にかさばる物体はすぐに
でも損切りしたいぞ。
580
ということで、俺はなんでも買い取ると噂の露天市場に立ち寄っ
た。
露天商のおっさんが広げた布の上に並ぶ土産物の顔ぶれは、ホク
トの荷車とタメを張れるくらいの雑多さを誇っている。
﹁こ、これを俺が買うのか⋮⋮こんなの置いてたら客が逃げるぞ﹂
おっさんはムキムキの像を前にして引いていた。
﹁頼むよ。いくらでもいいから売らせてくれ。俺にはこいつと旅す
る度胸はない﹂
﹁しゃーねーなー。今回だけだぞ?﹂
買値の二十パーセント以下での売却だったが、引き取ってくれる
だけでもありがたい。そのへんに不法投棄するよりは精神的にマシ
だからな。もうなんか粗大ゴミみたいな扱いだが、実際感覚として
はほぼそれに近い。粗大ゴミだって金出さないと捨てられなかった
んだし。
﹁あ、そういや﹂
一応このおっさんにも尋ねてみるか。
﹁猫の獣人が﹃雇ってくれ﹄って申し出てきたことはないか?﹂
﹁猫? 変な色の髪をした奴か?﹂
﹁たぶんそいつだ。おっさんのところにも来たのか?﹂
﹁来たもなにも、二週間前までは俺のところで働いてたぜ。客引き
をやらせてたんだけどよ﹂
581
﹁二週間前?﹂
思いがけず今までで一番近い数字が出てきた。
﹁こんなジャンクな店までカバーしてたのか⋮⋮しかもかなり最近
じゃん﹂
もしかしたらこの周辺こそが現在の活動拠点なのかも知れない。
別の露店へ。
﹁⋮⋮全然いねぇ!﹂
あるだけ巡ってみたが、まあ現実ってやつは相変わらずシビアで、
そんな都合よくはいかなかった。
一定の場所に留まらない、というのは、同じ職種を続けないって
ことでもあるのか?
参照できそうな傾向がちっとも見えてこない。
﹁シュウト様、まだもう一軒あります。ハーブと香辛料のお店みた
いですよ。いい香りですね﹂
ミミがぽわんとした顔をする。
﹁あちらも確認しておきますか?﹂
﹁やるだけやってみるか⋮⋮﹂
ただ、俺の直観は﹁どうせいないぞ﹂とネガティブな忠告をして
582
いる。だからといって見過ごす利点もないので若めの男が経営する
その店で聞いてはみたが。
﹁うちにはいないね。いたこともない﹂
ほらな。
﹁だけど、それって少し前まであそこの露店で働いてた女の子のこ
とでしょ? なら知ってることがひとつだけあるよ﹂
お?
﹁見てのとおりここはちゃんとした店舗を持たない露天市場だ。当
然住みこみで働くなんてことはできないよね﹂
﹁ふむ、確かに﹂
屋台やレジャーシートみたいな場所で寝泊まりするはずがないか
らな。
﹁だから獣人の子はどこかから通わなきゃいけないわけだ。実際に
僕も彼女が出勤してくる様子は目にしているよ﹂
﹁⋮⋮自分の家を持っているってことか?﹂
﹁家、とまでは断言できないかな。だけど獣人の子がどの方面から
来ていたかは推測できてる﹂
布を巻いて作ったような帽子に黒い髪を押しこんだ男は、きっぱ
りとそう言った。
﹁本当か!? 町のどこだ?﹂
﹁町じゃない。町の外にある森からだね﹂
583
意外な回答が返ってきた。
それもやけに具体的だ。根拠がなければ決して出せないであろう
突飛な答えじゃないか。
﹁なんでそんなとこまで分かるんだよ。まさか尾行したとか﹂
﹁僕もそんな暇じゃないって。単純に、その子から白樺の匂いが漂
ってたからさ。白樺の木が生えている地帯なんてウィクライフ北東
にある﹃白の森﹄しかない﹂
﹁それは確実なのか? 嗅覚が頼りってのもなぁ﹂
﹁商売柄鼻だけは利くからね。間違いないよ﹂
沈着とした男の表情からはかなり自信があることがうかがえる。
匂いの見極めに関してはプロだという自負があるんだろう。
他にアテがないのも事実。ダメ元と思ってこの船に乗るとするか。
しかしまあ、雇ってない奴が雇ってた奴より有力な情報を持って
るんだから、分からないもんだな。
﹁にしても、森の中とはねぇ﹂
これはもう自らの目と足で確かめてみるしかない。ギルドで仔細
を聞いておかないと。
﹁ありがとよ。あんたのおかげでようやく尻尾をつかめそうだ﹂
﹁じゃ、毎度あり﹂
﹁は?﹂
﹁だから、毎度あり、だよ。﹃そんな暇じゃない﹄って言ったでし
584
ょ? 生まれた損益は埋めないと﹂
小気味よい調子で話しながら男は保存用の瓶に詰めた香辛料を俺
の前に大量に並べる。
よりどりみどり、とばかりに。
﹁僕にだって商談をする権利はあってもいいじゃないか﹂
ぐっ、こいつもやはり商人の血が流れていたか⋮⋮。
とはいえ重量も体積も小粒なだけマシだな。日持ちするから近日
中に消費しないといけないわけでもないし。あるだけ買っていくか。
585
俺、散策する
露天市場を離脱したその足で、日が落ちる前にギルドへと向かう。
それにしても香辛料の販売価格は﹁これボッタクリなんじゃねぇ
か﹂ってくらい高かった。少量でも当たり前のように金貨を要求し
てくる。
ひとつまみでも利くから実質的には安い、とかなんとか言ってい
たが、眉唾ものだ。
それに、よく考えたら現状これといって使い道がない。食料品に
分類されるとはいえ結局は調味料。メインになる食材がないとなん
の意味も成さない。語り口が飄々としてるからその時は特に疑念は
抱かなかったが、買った後で無用の長物だと気づいた。
セールストークで煙に巻かれたな。
これだから口の上手い奴は。
﹁⋮⋮まあ、いいか﹂
情報料だと思っておこう。やっとのことで手がかりらしき話が聞
けたんだから。
ギルドにて、件の﹃白の森﹄について尋ねる。
﹁﹃白の森﹄は駆け出し冒険者向けの探索スポットです。出現する
586
魔物は多岐に渡りますが、どれもドルバドル全土に生息しているも
のと変わりません﹂
じゃあ狼とかスライムとかあのへんか。転生当初は難敵に感じた
が今更だな。
﹁主な採取可能素材は白樺の樹液と樹皮ですね。樹液は薬、樹皮は
紙の原料にできますね。植物製の紙は羊皮紙に比べて粗悪ですが日
常で用いる分には便利ですよ﹂
﹁へえ。そりゃちょうどいいな﹂
教育機関がいくつもあるこの町は、比例して紙の消費量も凄まじ
そうだし、近場で原材料が集まるのはありがたいに違いない。
﹁森の地図をお渡ししておきます。ただこれは簡易なものですから
ね。詳しい地理が知りたいのでしたら、図書館にある資料集を読ん
だほうが正確かと﹂
﹁今からじゃ遅いしな⋮⋮この地図だけでいいよ。森にはどのくら
いで着くんだ?﹂
﹁徒歩で一時間程度ですかね﹂
歩いて一時間か。
ってことは、ホクト換算で十分だな。
翌日、ホクトにまたがった俺はまだ陽も昇り切らないうちに森を
目指した。
﹃女にまたがる﹄なんて言葉をちっともいやらしくない意味で使
587
ったのなんて初めてだ。
﹁主殿、到着したであります! さあ、気合を入れて参りましょう
!﹂
﹁ん、おう⋮⋮お前朝から元気だな﹂
﹁元気だけが自分の取り柄ですので!﹂
ホクトが健脚を飛ばしまくったから出発から到着までほとんど間
が空かなかった。もうちょい背中の上でうたた寝してたかったんだ
けど。
とはいえいつまでも夢見心地でいるわけにもいかない。
まずは手前付近で張り込みを決行。
ここで対面できれば話は早いのだが⋮⋮二時間近く待ってもそれ
らしき人物は現れない。
そろそろ商人が一斉に開店準備にかかる頃だろう。ってことは現
在、森からの出勤はしていない、と考えていいはず。日雇いで遅刻
したら即クビだろうし。
﹁ってことは求職中か。今はまだ寝てる時間か?﹂
こちらから接触を試みないとダメらしい。
これで既に下宿付きの仕事が決まってたりしたら無駄足もいいと
こだな。のろのろと真昼間にやってきても不在の可能性が高いから、
したくもない早起きをしたってのに。
588
寝ぼけ眼をこすりながら、どこか神聖な雰囲気のある森に踏み入
る。
さて。
訪れたそこは、白樺の木が所狭しと立ち並ぶ分かりやすい森林地
帯だった。
ただで少ない太陽光が大量の木々の葉で遮られているから、やや
暗く視界に難がある。
これは時間の経過と共に解消されるとして、問題は⋮⋮。
﹁ここ、どのへんなんだよ﹂
俺は後頭部をかく。 どこを見回しても目につくものが木しかないから、現在地が全然
分からん。
ギルドマスターに譲ってもらった﹃白の森﹄の地図は、懇切丁寧
に特定のルートが記されていたりはせず、大雑把にしか地形を表し
ていない。
浅めの区画であれば迷うこともないんだろうが、猫を尋ねて奥へ
と踏みこんでいくと前後左右が曖昧になってくる。
かつて出会ったサバイバル専門家の教えを守って、ちょくちょく
幹に小さな傷をつけて目印にしてはいるが⋮⋮帰り道の参考になる
だけで、どこへ進めばいいかは気分に任せるしかない。
589
﹁甘ぇな、これ。ほとんど砂糖じゃん﹂
傷口から染み出してきた樹液が指についたのでなんとなく舐めて
みたけど、予想よりずっと輪郭のある味がした。
ってかこの味、俺食ったことあるな。いや、別にカブトムシの真
似事をやってたとかじゃない。なんかガムみたいな甘さがする。
ただ樹液は乾くとべたべたとして気持ち悪い。ホクトから借りた
カットラスの水で洗い流さないと指同士がくっついてロクに物も持
てやしない。
この水が飲めればワインの瓶を持参する必要もなくなるんだが、
まあ無理だろう。レアメタルの由来からして恐らく海水だし。﹁水
がなければワインを飲めばいいじゃない﹂を地でいってる世界なの
で、大人しくこれからもブドウに感謝を捧げ続けるとするか。
﹁ややっ。主殿、十一時の方角から敵襲であります﹂
﹁どれどれ⋮⋮またこいつらか。もう飽きたぜ﹂
森林内部はゴブリンや狼、鳥に毒ヘビなど、既視感のある連中し
か出てこなかった。
﹁念には念を入れてツヴァイハンダーにしておいたけど、これだっ
たらいらなかったな﹂
会った瞬間に蹴散らせるレベルなので、当然成果的にも寂しいこ
とになっている。この期に及んで報奨が金貨と銀貨合わせて数枚と
いうのもアホらしい。
590
余計な戦闘はしなくていい。さっさとジイさんの元世話人を見つ
け出さねば。
ところが、である。
﹁⋮⋮なあ、ホクト﹂
﹁いえ、主殿。おっしゃらずとも把握しております﹂
﹁だよな﹂
手探りながらに三時間うろついた末、俺たちの目に広がったのは、
だだっ広い草原だった。
つまり、森を抜けてしまったということ。
小屋などの人の居住区になりそうなものは、なにひとつとして目
撃しなかった。進めそうな道は一通り歩いてみたというのに。
﹁おいおいおい、待てよ。じゃあ通り過ぎちまったってことか?﹂
﹁おかしいでありますな。見逃していたルートがあったのでありま
しょうか﹂
﹁んー⋮⋮ひとまず逆走してみるか。脇道があるかも知れねぇ﹂
﹁では、お運びするであります。今ならばまだ魔物は散ったままで
しょう﹂
ホクトの背に乗って、ここが中心あたりだろうと目星をつけてい
たポイントまで戻る。
腐葉土で覆われた不安定な地面をまったく苦にせずに疾駆するホ
クト。一度通った道なので脇目を振る必要もない。
591
切り傷が刻まれた、郡を抜いて幹が太い白樺の木が生えている場
所に辿り着く。
一応、ここから分岐はできなくもない。この木を中心として東西
に当たる方向は未調査。
﹁ちょっと横道に逸れてみるか﹂
もっとも、進めば進むほどに木々の密度が上がっていくだけで、
どんどん道幅が狭まってくる。
歩くのも困難だ。
﹁こりゃ無理だな。もっかい戻るぞ﹂
俺は早めに切り上げて、元の位置へと復帰する。
そして再び思考。
﹁全然見当がつかねぇな。森中全部回らないといけないのか?﹂
まさか。とても人間が入りこめないような閉所も多数含まれてる
っていうのに。
ひょっとして秘密の隠れ家でもあるんだろうか。カラクリ解かな
いと発見できないような。
もしくは俺たちの気配を察して逃げ回っているとかだな。過去に
出会った猫の獣人は隠密行動を得意としていた。同じ種族なわけだ
592
し、似たような能力を持っていても不思議ではない。
一番最悪なのは、普通に町中で住みこみで働いている、というパ
ターンだ。それだと振り出しに戻るだけでますます徒労感に襲われ
る。
いずれにせよ、捜索は想定していたより厳しそうだ。
今ですら嫌気が差すほど面倒な思いをしているのに、これ以上な
んて耐えられないんだけど。
﹁これはもう諦めるしか⋮⋮ん?﹂
俺が早々に捜査の打ち切りを視野に入れ始めた時。
﹁なにやってんだ?﹂
十メートルほど先で、地面に手の平を当てるホクトの姿が目につ
いた。表情はいつになく真剣で、鋭い目つきにいたってはハードボ
イルドな敏腕探偵のようでさえある。
こうやって真面目な顔をしただけで絵になるから、立派な容姿の
持ち主はずるい。
﹁主殿。もしかしたらでありますが⋮⋮前後左右ではなく、上下で
考えるべきだったのかも知れません﹂
﹁ほう。⋮⋮で、どういうことだ﹂
俺は分かったふりをしただけで微塵も分かっていなかった。
593
﹁幾度となく往復しているうちに足の裏に伝わってくる感触の違い
に気づいたのであります。全体的には非常に柔らかい地質でありま
すのに、ここだけひどく硬かったので﹂
ホクトが手を当てていたのは、覆いかぶさっている腐葉土を払い
のけていたからだった。
近づいて、そこに隠されていたモノを俺も見下ろす。
一メートル正方の石版だ。得体の知れない文章が刻まれている。
﹁何語だ、これ?﹂
転生した時点で異世界の言語は通じるようになっていたのに、ま
ったく読めそうにない。まるで暗号文じゃないか。
しかし、これが魔術書の写しであることは即座に判明した。右下
に﹃中級移送のグリモワール﹄という単語がひっそりと添えられて
いる。
﹁とある魔法を抜粋したもののようであります。読み上げて魔法を
詠唱することで何かが起こるのではないでしょうか?﹂
﹁だろうな。しかも移送ってことは⋮⋮﹂
どこかに繋がるはず。
それこそ、身を隠せるのに都合がいい小屋なんかに。
仮に害を与えるための罠であれば、こんなふうに手の込んだ秘匿
をしないだろう。
594
﹁でかしたぞホクト! 頭じゃなく体で感じ取れることならお前は
ピカイチだな﹂
語彙の乏しい俺は褒めてるんだか貶してるんだか微妙な褒め方を
したが、ホクトは背筋を伸ばして大いに喜んだ。お互い単純だと楽
でいいな、マジで。
﹁⋮⋮で、だ。ホクト﹂
﹁はっ。なんでありましょう﹂
﹁お前、この暗号解読できる?﹂
﹁⋮⋮申し訳ありませぬが⋮⋮﹂
﹁気にするな。俺も一緒だ﹂
だがお互いオツムが弱いので、案の定ここでピタッと停滞。
﹁ま、別に全文解けなくたって問題ねぇけどな。要するに魔術書の
書き写しなんだろ? だったらコピー元を持ってきてミミに唱えて
もらえばいい。中級なら図書館でも借りられるだろ﹂
﹁おお、なるほど!﹂
﹁ただ指定されてる行き先だけは自力で解読しないとダメみたいだ
な。これも図書館行って調べりゃ分かるんだろうか﹂
うーむ、となると一度町に戻るしかないか。
なんか人探しの依頼を受けて以降、タライ回しにされてばかりな
気がする。どれだけ東奔西走すれば目的地に辿り着けるのやら。
﹁でも近いところまでは来たっぽいな。というか、なんでこんなの
が森の中にあるんだろ﹂
595
﹁甚だ謎でありますな﹂
﹁それにこの一個だけとは限らないしな⋮⋮もし何個もあるんなら
順々に確かめていかなきゃいけないんだろ? めんどくせぇ⋮⋮﹂
それを含めて図書館で調べたほうがいいかもな。図書館には﹃白
の森﹄の資料がある、とは前もってギルドマスターに聞かされてい
る。
﹁本⋮⋮本か⋮⋮﹂
果たして俺の脳ミソで何分我慢できるんだろうか。
596
俺、精読する
地図の裏になにかの記号めいた暗号文を模写して超特急で町へと
Uターンした時、まだ正午も迎えていなかった。
まっすぐ図書館に向かう。
澄まし顔の全面から知性を滲ませた受付嬢は、これだけ何度もこ
の施設に来てるというのに、顔パスを許すこともなくマニュアルど
おりに身分証明書の提示を要求してくる。
連日この手続きを踏んでるんだからいい加減俺の顔くらい覚えて
いるに決まっているのだが、規則ってやつは絶対らしい。
﹁審査が済みました。それでは、よき読書を﹂
サインを確認した知的な女性は顔色ひとつ変えずにそう言って、
入室許可を出した。
ぶっちゃけ﹁知的な女性﹂なんてのは﹁美人﹂とほぼイコールの
意味なわけで、仮に風貌がメスオークだったらそんな形容はしてい
ない。
だからこそ長々としたやりとりを強制されても悪い気がしてこな
いのだが。
それはともかくとして。
597
無駄に緊張した面持ちのホクトを従えて蔵書室に入る。
異様な高さを誇る書棚の数々が多大な威圧感を与えてくる広い館
内は、当然ながら、相変わらずぞっとするほど静まり返っていた。
ごく小さな息を吸う音を立てることさえためらわれる。
書店の店員なんて洒落たバイトはやってこなかったので、どうに
もこの水槽の中じみた沈静な空気には馴染めない。
﹁お、あの席か﹂
紐付きの会員証を首から提げたミミの姿はすぐに発見できた。感
心なことにメモに魔術書の要点をまとめながら学習している。ファ
ストフード店で働いていた頃に五時間水とポテトだけで粘ってこれ
をやっている客がいた時はイラついて仕方なかったが、ここは知的
好奇心を満たすために開放された図書館。素直に学徒の鑑といえる。
ミミはいつもよりかなり早い俺の登場に少し驚いていたが、小声
でカクカクシカジカと耳打ちするとすぐに事情を理解してくれた。
人目につくテーブルを離れ、三人で部屋の隅に集まって会議する。
暗号の写しを眺めるミミの表情は、いつものぽやっとしたものと
はまるで異なっていた。他方、ホクトは普段どおりの凛々しさを保
っている。つまり特に何も思い浮かんでいない。
﹁ではまず、ひとつずつ資料を持ち寄りましょう。ミミは暗号を解
く鍵になりそうな本を探してみますね。おそらくですけど、古文書
や歴史書の中にヒントがあるように思います﹂
598
一番厄介そうな役回りを快く引き受けるミミ。最高にありがたい。
俺とホクトにやらせてもどうせ無理だろう、と考えたのかも知れな
いけど。
﹁じゃあ俺は森の細かいデータを調べてみるか。ホクトは﹃中級移
送のグリモワール﹄ってのを探しておいてくれ。これはすぐ見つか
るだろ﹂
﹁了解したであります。手が空き次第、至急ミミ殿を補佐するつも
りであります!﹂
一時解散。
別々に行動し、必要な書籍を探し出す。
が、すぐに行き詰まった。
せーので始めてみたはいいものの、地理や土壌について記した本
がどこにあるかとか全然分からんな。
こんな時はあいつを頼るしかない。
﹁地理書ですか? それならあちらへ﹂
蔵書の整理を行っていた司書代理ことパウロに声をかけ、案内し
てもらう。
﹁範囲の広いものがお望みでしたら、ウィクライフが置かれた大陸
全土、あるいはドルバドル全域を編纂した書物も何冊かありますが﹂
﹁そこまで大規模じゃなくていい。この辺のだけで十分だ﹂
599
﹁近隣ですと⋮⋮このあたりが詳しいですかね﹂
慣れた様子でハシゴを昇降するパウロが見繕った本は、合計で六
冊。
その中には﹃白の森﹄に関するものも含まれている。﹃白樺樹林
の地形と産出物﹄というタイトルからしてそのものズバリだ。
﹁これだよ、これこれ。助かったよ。ありがとな﹂
﹁いえ、当然のことをしたまでです。これが王立図書館の管理を託
された私の職務ですので﹂
嫌な顔ひとつせず手伝ってくれたパウロに感謝を述べた俺はそれ
を手に集合場所にまで戻ったのだが、やはりというべきかミミのほ
うは難航しているようで、まだ鍵となる本を捜索中らしい。
ホクトはそのサポートに回っているといったところか。長い手足
を伸ばしながら精力的に書棚と書棚の間を歩き回っている姿が見え
る。
とりあえず、自分の担当である本に目を通してみるか。
まず一ページ目。
目次か。一応確認はしておこう。
﹃森林全体図と主要なポイント﹄
﹃西部縮尺図・三﹄
﹃南部縮尺図・五﹄
﹃地質構造の調査報告﹄
600
﹃筆者一同による森林東部ルート検証﹄
﹃白樺の商業利用及び価値の不動性﹄
﹃局所的歴史考察 ∼原住民の生活と民俗∼﹄
﹃オブジェクト概説﹄
﹃持続的な伐採にまつわる諸理論﹄
﹃方角を見失わないために覚えておくべき六か条﹄
﹃森林内の生態系と、欄外に属する魔物の傾向﹄
⋮⋮。
俺はギブアップした。
やばい。欠片たりともページをめくる気がしないぞ、これ。
もうここで詰んだんだが。
そもそも頭が痛くなる内容の本をじっくり読むなんてことは生涯
⋮⋮いや一回女神の凡ミスで死んでるから生前か。ともあれそんな
殊勝な真似はやったことがない。
誠に残念ながら、俺は﹁よし、精読するか﹂と気合を入れただけ
でサクッとできてしまうような頭の出来はしていない。想定が甘か
ったか。不覚。
だが投げ出すには早い。まだ他力本願という必殺の手口が残って
いる。
俺はパウえもんを呼んだ。
﹁魔法が刻印された石版、ですか?﹂
601
﹁そうだ。森の中で偶然見つけたんだよ﹂
博識なこいつのことだから石版文字についても既知のはず、と踏
んでいたのだが、どうやらそうではなかったらしい。
パウロは小難しい顔で考えこんでいる。
﹁申し訳ありません。私にも分かりかねます。生誕から三十年近く
もウィクライフに住んでいるというのに、まだ未開の知識があった
とは。私自身にとっても驚きですよ﹂
﹁そうか⋮⋮﹂
﹁ですが思い当たる説はあります。中級の移送魔法を書き写したも
のである、ということでよろしいんですよね?﹂
﹁それは間違いない﹂
はず。
﹁なら、推察ですが⋮⋮それは木こりの休息所に繋がっているので
はないでしょうか﹂
﹁木こり?﹂
﹁はい。﹃白の森﹄は天然資源である白樺が多く生えている地帯で
すからね﹂
﹁それはギルドで聞いたな。薬や紙になるって﹂
﹁歴史書によれば、元々は木こりの手で資源利用を進めていたそう
です。魔物が出没するようになってからはそういった林業は木こり
ではなく冒険者の仕事になりましたけれど﹂
俺はふと、アセルでのリクの話を思い出した。
森林と鉱山の違いはあるが、あれも似たようなケースだな。
602
﹁冒険者に転職できた木こりもいた、とは歴史に残っていますが、
いかにして適応したかは長年謎のままでした。しかし、そうか、そ
ういうことだったんですね﹂
細く尖った顎に手を当て、うんうん頷くパウロ。
﹁待った待った、一人で納得してないで俺にも説明してくれよ。ど
ういうことなのか全然分からねぇぞ﹂
﹁ああ、すみません。どうにも考え事をすると視野狭窄を起こして
しまいがちで。ええとですね、要するに、安全な休息所を設けるこ
とで探索の難易度を下げていたわけです。隠れているということは
魔物の目が届かないのと同義ですから、ゆっくり休憩できたでしょ
うね。何事も折り返し地点で休めるのと休めないのとでは大違いで
すから﹂
﹁ほう﹂
なんとなく分かるな。
俺も小学生の頃は二十五メートルは泳げても五十メートルになる
ときつくて無理だったし。
﹁そしてもちろん、休息所の中にも外に戻るための魔法を唱える補
助となるものがあるんでしょう。おそらくは元となった魔術書でし
ょうが⋮⋮石版はどのあたりに置かれていたのですか?﹂
﹁森の真ん中くらいかな﹂
﹁中央⋮⋮なるほど、最善のポイントですね。どこから森に侵入し
ても同じ間隔で到達できるのですから、これより公平な位置はあり
ませんよ。となれば休息所はその一ヶ所だけという可能性が高いで
すね。共有の拠点だったのでしょう﹂
603
﹁休息所はそこだけかも知れないけど、石版は一個とは限らなくね
ぇか? だって移送ってことは飛べるんだろ?﹂
石版さえあればどこからでも移れそうだが。
﹁いえ、石版の数と休息所の数は同じと見て間違いありません。中
級移送魔法の﹃テレポート﹄は自分を離れた位置に転送できる魔法
ですが、その距離はおよそ二十メートルが限界です﹂
﹁あー、そういうことか﹂
﹁もっとも、これは魔力に応じて拡大可能ではありますが⋮⋮しか
しながら木こりが石版を読むことで詠唱するのですから、それほど
高度な使い方はできないはず﹂
﹁まあ、そりゃそうだな﹂
カンニングなしで自由自在に使えるんなら、ヒントなんて用意す
る意味ないし。
﹁原典ではなく写しでも魔法が発動するくらいなのですから、石版
の素材自体に魔力が宿っていないと辻褄が合いませんが、それを考
慮しても平均的な範囲を超えることはないかと﹂
﹁⋮⋮ん? それはそれでおかしいぞ。そんだけの距離しか移動で
きないなら休息所も石版のすぐ近くにないと変じゃん﹂
﹁そこです。そこが最大の落とし穴だったのです。ああ、だから先
人たちも解明できなかったのですね﹂
興奮しているらしいパウロは背中をくねらせた奇怪な立ち方をし
た。
﹁妙なポーズしてないで教えてくれよ﹂
﹁ああ、また自分の世界に入ってしまいました。はい、続けましょ
604
う。これはなぜ暗号形式にしてまで石版を置く必要があったか、な
ぜそこが安全だったか、という理由付けにもなるのですが⋮⋮石版
の真下、地面の中に休息所が作られているに違いありません﹂
﹁地面?﹂
とんでもない発想だな、おい。
だが当のパウロはキリリとした眼差しを見る限り真面目も大真面
目だ。
﹁石版の配置場所から最高で二十メートル、となると、それはもう
地下しかないでしょう。地下ということは魔物を隔離できますし、
石版は地表で目印としての役割を果たします﹂
﹁ははあ、そういう理屈か﹂
筋が通っている。
そして身を隠せる場所、というのはまさにぴったりだ。
俺は確信を持つ。そこにジイさんが探している獣人がいることを。
いつの間にやら、ミミとホクトも達成感に溢れた表情で戻ってき
ている。やけに嬉しそうだな、と俺が期待混じりに聞くと。
﹁暗号が分かったのですから、それはもう狂喜するでありますよ!
歴史書をひたすら漁っていたらミミ殿が見つけてくれたでありま
す!﹂
﹁とてもとても大変でした⋮⋮どうやら大昔の原住民さんが使って
いた言語みたいです﹂
605
眼精疲労で痛んでいるであろう目頭を抑えながら。
﹁意味は、ええと、﹃小部屋﹄だそうです﹂
ミミはそうささやいた。
606
俺、困惑する
これで地下室の存在はほぼ確定か。
そうと決まればこんなおちおちクシャミもできないような場所に
いる義理はない。すぐに森へと再出発しようとするが。
﹁ふむ、古来語か⋮⋮しかし⋮⋮地下室建造における技術的課題以
上に不可思議だな。すべてひっくるめて当時の木こりたちの文化レ
ベルについて再考してみなければ﹂
パウロはまだ考察を続けていた。なぜ木こりがそのような設備を
用意できたのか、なぜ原住民族の言語を操れたのかと、しきりにブ
ツブツ独り言を口ずさんでいる。
正直、俺にとってはどうでもいい。
今そこに入っているであろう人物のほうが断然重要なわけで。
﹁なにかと世話になったな。用事が済んだから帰るよ﹂
魔術書のレンタルをして図書館から離脱する。
一気に解放された気分になった。危機的状況を知らせるかのごと
く文字通りのレッドゾーンに突入していた胸元のアレキサンドライ
トも、今では落ち着き払った緑の輝きを放っている。いや別に俺の
精神状況を反映しているわけじゃないけども。
607
やはり風格ある学術的な建造物なんてものは、俺には窮屈らしい。
﹁さて、と﹂
首の骨を鳴らしつつ、頂点をやや過ぎたばかりの太陽を見上げる。
まだ時間的には真昼間の範囲。捜索を明日に先延ばしにしたんで
もいいが、この中途半端にできた暇を簡単に埋めてくれるほどこの
世界は娯楽で溢れていない。
ましてやここは学問の町。
俺向けの退屈しのぎがあるはずもなく。
それだったらもう一働きしたほうがいくらかマシだ。その辺のパ
ン屋で腹ごしらえをして、再び﹃白の森﹄へ。
﹁ホクト、ミミをおぶってやってくれ。それでミミはその間に読書
だ﹂
移動の時間を使ってミミに魔術書をざっと流し読みさせる。テレ
ポートとかいう魔法が成功するかはぶっつけ本番になるが、素養は
十分にあるからな、ミミは。朗読でなら大丈夫だろう。
森にはおよそ一時間で到着した。
にしても、この町に滞在してから移動はずっとホクトに頼りっき
りだったから、まともに歩くと時間を無駄にしたように思えて仕方
ないな。
608
朝以上に木漏れ日が満ちた森林内部は、白樺の玄人ウケするゴシ
ックな色調も相まって幻想的な印象が強まっていた。
見飽きた雑魚をスルーして中心部を目指す。
前もってつけておいた目印があるから迷いなく進める。
大きな波風が立つこともなく、石版の置かれた地点に辿り着けた。
埋め直していた石版をホクトが掘り起こし、土の中からこんにち
はしたそれをミミがじっくりと観察する。
﹁これが例の暗号文ですね﹂
﹁おう。ま、読む必要はないけどな﹂
魔術書そのものがあるから読み解く手順をざっくり省略できる。
﹁ミミ、唱えてみてくれ﹂
﹁分かりました。でも、その前に⋮⋮ホクトさん﹂
﹁ええっ、自分でありますか?﹂
手についた腐葉土を払っていたホクトは、まさかここで自分の名
前が呼ばれるとは思っていなかったようで、若干狼狽した様子を見
せた。
﹁自分になんの用でありましょう。協力できることなら、なんでも
申しつけてほしいであります﹂
﹁その、手を繋いでいただけますでしょうか﹂
﹁なっ!? 手でありますか!?﹂
﹁はい﹂
609
突然始まった百合展開に鼻血が出そうになった。
つい﹁待て﹂と言おうとして﹁続けて﹂と喉から出そうになる程
度には慌てている俺をよそに、もじもじしながらミミはこう続ける。
﹁テレポートは自分自身を対象にした魔法ですから、ぴったりくっ
ついていないと他の人を運ぶことができません。ですからシュウト
様もお願いします﹂
ああ、そういうことですか。
なんだろう、この安堵とも残念ともつかない複雑な感情は。
﹁いやはや、そんな真意でありましたか。了解したであります。こ
ちらからしっかりと握っておくので、ミミ殿は魔法に集中しててく
だされば﹂
ホクトがミミの手を握る。
しかしミミは無意識なのか知らないが指と指を絡めるような繋ぎ
方をするので、そこはかとなく背徳的な雰囲気が漂っている。
そしてミミは反対の手で俺にも同じ繋ぎ方をした。
しなやかな指がソフトな感触で絡みついてくる。
不真面目な生徒である我が息子はこれだけで起立しそうになる。
ちゃんと着席しろ、授業参観中だぞ。
610
﹁いきます﹂
俺がまったく生産的でない葛藤をしている間に、ミミはいよいよ
詠唱に入った。ホクトに支えてもらった魔術書のページを目で追い
ながら。
﹁テレポート。到達地点は地下のニル・カウラ︱︱小部屋へ﹂
いつもと変わらない、砂糖菓子のように甘い声が響く。
耳に優しい、安心感すら覚える声音だったが、そこで世界は一度
暗転した。
611
俺、命名する
瞬きよりはやや長いブラックアウトの後には、白樺の木が生い茂
る森とはまるで異なる風景が広がっていた。
ここが木こりの隠し部屋か。
ってことは地面の下に来ていると考えていいな。
照明はランプが一個だけ。
積み上げたレンガが剥き出しになった、ごくごく簡素な壁が四方
を囲んでいる。
そして狭い。狭苦しい。
まともな建築基準を満たしているかどうかはかなり怪しい。
だが地下室の中の様子なんかは、気になりはすれど所詮添え物に
過ぎなかった。
俺はそこで、設置されたベンチに寝転がっている女を発見したの
だから。
﹁にゃにゃにゃあっ!?﹂
そいつが発した声は仰天している割には間が抜けていた。
612
元々大きな目が驚きで更に見開かれていて、綺麗に﹁あ﹂の形で
開いた口からは八重歯がのぞいている。そのせいもあってか全体的
に幼い顔立ちに見えた。
低めの身長にザンギリにしたターコイズブルーの髪。
そして猫特有のツンとした耳。
間違いなくこいつだな。これだけ特徴が一致していてこいつじゃ
なかったらたまげる。
﹁い、い、いきなりなんだにゃ? なんで急にミャーのおうちに三
人も来たんだにゃ?﹂
獣人は突然のことに慌てふためいている。そりゃそうだろうな。
立場が逆だったら俺も同じようなリアクション取ってただろうし。
ってかその前に、さっきからなんだこいつの喋り方は。
イタい子なのか。
﹁しかしまあ、狭い部屋だな。隠れて休むだけならこれで十分って
ことか?﹂
改めて部屋を見渡してみる。
高さは三メートル弱、広さは六畳くらいしかない。格安ワンルー
ムですらもうちょいマシな間取りをしているぞ。
壁には何個か通気口と思しき穴が開いているが、あそこから地上
613
までパイプが伸びているんだろうか。森を散策している時は全然そ
んなものは見当たらなかったから、木の影にでも隠れていたのかも
知れない。
床には燻製などの保存食を入れた箱が置いてある。隠れている間
はこれでしのいでるわけだな。
﹁無視しないでほしいですにゃ! もっと﹃落ち着け﹄とか﹃俺た
ちは怪しい集団じゃない﹄とかそういう言葉がほしかったですにゃ
⋮⋮お約束がないと不安になるにゃ﹂
あ、忘れてた。
﹁すまんすまん。いやさ、ずっとお前のことを探してたんだよ﹂
﹁ミャーを? じゃあここに来たのは偶然じゃないってことですか
にゃ?﹂
﹁ああ。急で悪いとは思うけど、ノックしようがないんだからそこ
は大目に見てくれ﹂
詳しい話を始める前に、ミミとホクトを後ろに下げる。
山羊︵♀︶と馬︵♀︶と猫︵♀︶と俺︵♂︶とで会話していたら、
どう考えても俺が一番浮きそうだからな。
一対一で軽く事情を話す。
﹁日雇いの獣人を探してくれっていう依頼があってさ。居場所を転
々としてるっていうから苦労したぜ⋮⋮本当に﹂
﹁うう、お仕事を早めにもらいに行けばよかったにゃ⋮⋮そうして
ればここは見つからなかったはずだにゃ⋮⋮﹂
614
読みは当たっていたようで、今はまだ休職期間だったらしい。
﹁だけど、どうやってここに入ったんだ? よくあの暗号が読めた
な﹂
﹁暗号?﹂
﹁石版に書いてあったろ﹂
﹁あれのことですかにゃ? 普通に読めましたにゃ﹂
﹁普通に読めた?﹂
﹁にゃん。お給料がほしくて山里を下りた時、森を通っていたら偶
然見つけて、なんとなく読んでみたのですにゃ。おかげでおうちを
ゲットできましたにゃ!﹂
妙なこともあるもんだな。原住民族の言葉って聞いたんだが。
どうやって知ったか⋮⋮はいちいち追及しないでいいか。今回の
件には関係ないし。
﹁発見できたからそれでいいや。とりあえず町まで来てくれないか
?﹂
﹁はっ! ということはミャーもついに奴隷市場に売られてしまう
のかにゃ? 今はご主人様と契約してないからそうなったら逃れら
れないにゃー!﹂
﹁そんなことしないっての。お前に会いたいって人がいるんだよ。
そいつが依頼者だ﹂
﹁むむっ。それならちょっとお話を聞かせてもらいたいですにゃ﹂
頭を抱えていた獣人は電源のオンオフが切り替わったかのように
スッと落ち着きを取り戻した。
615
それにしても物怖じしない性格をしているな、こいつ。
いきなり訪問客が現れてもマイペースで受け答えできてるんだか
ら、変な喋り方はともかくとして、相当環境適応力が高い。
﹁けどそれがミャーのことだってなんで分かるんですかにゃ?﹂
﹁いや、本人確認とかいらねぇかなと思って﹂
明らかにこいつがジイさんの尋ね人だし。
一応聞いてはみるか。
﹁昔、アイシャって名前で働いてたことはないか?﹂
﹁アイシャ? ふむむ、そんな時期もありましたかにゃ⋮⋮確か⋮
⋮ビザールってお爺さんの自宅でお仕事していた時は、そう呼ばれ
ていたような記憶がありますにゃ﹂
思い出せたのか、獣人はポンと手を打つ。
﹁そう、それ。実はそのジイさんから頼まれて来たんだよ。死ぬ前
に一度会いたいってさ。ジイさんの体がよくないのは知ってるだろ
?﹂
﹁それはもちろんですにゃ。でも死ぬ前、とはどういうことですか
にゃ? ミャーの契約が切れる頃には大分回復してましたにゃ﹂
アホみたいな話になるが、それは耳好きなジイさんの欲求が満た
されたからなんだろうな。
やはり病は気からなのか。気というか、性というか。
616
﹁あれから悪化し続けてるらしいんだよ。そろそろお迎えが来そう
だから、最後に世話を焼いてくれた恩人と再会したいんだそうだ。
感謝でも伝えたいんじゃないかな﹂
﹁にゃにゃっ! それは穏やかじゃないですにゃ!﹂
獣人は俺が唐突に現れた時以上の驚きを顔いっぱいに浮かべる。
﹁お爺さんの話をしてくれたから信用できましたにゃ。ミャーで助
けになれるならお安い御用。早く行きましょうにゃ!﹂
﹁そりゃありがたい。⋮⋮で、ちょっとその前に聞いておきたいこ
とがあるんだが﹂
﹁なんですかにゃ?﹂
小首をかしげる獣人。
﹁本当はなんて名前なんだ? 何個もあるからどう呼んでいいのや
ら﹂
﹁あなたの好きに呼んでくれてかまいませんにゃ﹂
﹁別に雇うわけじゃないしな。本名を教えてくれよ。でないと話し
にくい﹂
﹁ふっ。ミャーに決まった名前はありませんにゃ。強いて言うなら、
名も無き風来坊といったところですかにゃ⋮⋮﹂
めっちゃカッコつけた顔つきをしてきた。
﹁なんだそりゃ。タクサンアッテナとかにするぞ。エピソードを踏
まえて﹂
﹁にゃにゃ!? そんな妙ちくりんな名前は嫌ですにゃ⋮⋮﹂
﹁好きに呼べって言ったじゃねぇか。めんどくせぇな、じゃあネコ
スケな、ネコスケ﹂
617
俺は便宜的にそう呼ぶことにした。
どうせ今日しか使わない名前だしな。このくらいシンプルでいい
だろ。
618
俺、一善する
ネコスケ︵仮︶を連れて地下室の外へ。
地上に戻るための装置は魔術書の原本などではなく、これまた石
版だったのは意外だったが、まあ関係ない。せっかくなのでネコス
ケに読んでもらう。
﹁にゃにゃにゃ、なんだかプレッシャーを感じますにゃ⋮⋮﹂
小柄なネコスケに三人ひっついているから異様なことになってい
る。
ネコスケは特に、頭二つ分は身長が離れているホクトに対して緊
張感を覚えているような素振りを見せていた。が。
﹁にゃひひひはは!﹂
警戒を解こうと語りかけたホクトの生真面目すぎる喋り方を耳に
した途端、プッと噴き出して、そのまま腹を抱えて笑った。
ツボに入ったらしい。
﹁にゃ、にゃ、こんなふうに喋る人は初めて見たにゃっ。凄い個性
だにゃ⋮⋮負けたにゃ﹂
﹁なっ⋮⋮そちらの口調こそ風変わりではありませぬか!﹂
﹁にゃにゃ!? ミャーはそんなに変じゃないにゃ!﹂
﹁あ、主殿。自分のほうが異質なのでありましょうか?﹂
619
﹁うーん﹂
互角だな。
さておきネコスケも大分緊張がほぐれたようで、密着する俺たち
に気を取られることなく詠唱をスタートする。
黒い瞳孔がきゅっと引き締まり。
﹁テレポート、行き先は﹃森の石版前﹄だにゃ!﹂
甲高い声でネコスケがそう口にしてから、一秒と経たないうちに、
俺たちは日が陰り始めた森へと投げ出されていた。
ふむ、マジで石版文字を理解できているらしいな。奇怪な話もあ
るもんだ。
﹁はー、やっぱ隠し部屋とは空気のうまさが全然違うな﹂
腕を伸ばしながら深呼吸をする。
酸素の濃さが段違いだ。
﹁夜になると森は、それはもう不気味なムードになりますにゃ。早
く抜けてしまいましょうにゃ﹂
﹁おう。⋮⋮そういえば﹂
﹁なんですかにゃ?﹂
﹁いや、どうやってお前がここで活動できてんだろうなって﹂
ネコスケの装備はどこにでも売ってそうな服と靴に、護身用のナ
620
イフが一本。
この軽装にもほどがある格好で、曲がりなりにも魔物の生息地で
ある森の中を行き来できるとは思えないんだが。
﹁大丈夫。ミャーには素早い身のこなしと、足音を消す特技があり
ますにゃ。魔物とばったり出会う前にスタコラサッサですにゃ﹂
﹁へえ﹂
ロアとほぼ同じか。
どうやらそれが猫の遺伝子を持つ獣人の特性のようだな。かなり
汎用性が高そうに思えるが、俺の発想力だと軽犯罪ばかりが使い道
として浮かんでくる。我ながらロクなもんじゃねぇな。
﹁それにいざとなったらこのナイフで戦えますにゃ!﹂
鞘から外したナイフを手の中でクルクルと回すネコスケ。
刃がモロに露出しているのに危なっかしさはなく、手つきが慣れ
ている。
﹁身を守るくらいはできるってことか﹂
駆け出し冒険者向けのポイントだしな。そこまで手こずらないか。
﹁そういうことですにゃ﹂
ナイフをホルダーに納めたネコスケは目を閉じて頷きながら、顎
に親指と差し指を当てて分かりやすく気取ったポーズを取る。
621
﹁ふっ、ミャーはさすらいのナイフ格闘の使い手でもありますのに
ゃ⋮⋮﹂
﹁そっかー。んじゃさっさとジイさんのとこに行くぞ﹂
﹁うにゃにゃ、もっと構ってほしいですにゃ⋮⋮﹂
森を抜け、ビザール邸のある閑静なウィクライフ郊外へ直行。
ここまで来れば依頼は九割がた達成したようなもの。
目当てにしていたミミ用の貴重な魔術書はほぼ手中に収めたと言
っていい。
ただ途中で通過した広場にそびえ立つ時計台を見ると、時刻は午
後六時を回ったところだった。
図書館の閉館時間にはもう間に合いそうにないな。
まあ魔術書選びなんてのはいつでもできる。とりあえず報告だけ
でも済ませるとするか。
ビザールの屋敷の戸を叩く。
﹁おや、確かお前さんは⋮⋮シュウトという冒険者だったか﹂
﹁おう。忘れられてなくてほっとしたぜ﹂
﹁馬のお嬢さんを連れていたからよーく覚えておるぞ。おお、しか
も! この前とは違う獣人が!﹂
すぐ隣に立っているミミの真っ白な山羊耳を見て異様にテンショ
ンを上げるスケベジジイを、俺は呆れた目で見やっていた。
622
ってかどんな覚え方をしてんだよ。
俺の特徴とは一体⋮⋮。
それにしても相変わらず精神面だけは健康なジイさんだな。本当
に病気にかかってんのか。
﹁セクハラまがいのことやってる場合じゃないっての。あんたが会
いたいのはそっちの獣人じゃないだろ﹂
﹁うん? ⋮⋮ああ、もしや!﹂
﹁俺がまた来たってことは、そういうことだ。連れてきてやったぞ﹂
背中の後ろにいたネコスケを前に出す。
困った顔をする一方のミミからふっと外された老人の視線は、そ
こに急速に集約した。
痩せて陥没してしまったビザールの双眸に、ネコスケはほんの一
瞬だけハッとした表情を見せる。
﹁お久しぶりですにゃ﹂
右手だけを胸の前に残した、芝居がかった挨拶をするネコスケ。
﹁お話をうかがって会いに来ましたにゃ。あれから大変でしたよう
で﹂
﹁お、お、おお⋮⋮アイシャ⋮⋮﹂
ビザールの目尻と目頭の両方に涙が溜まり始めたのを俺は見逃さ
623
なかった。
苦しい時期を救ってくれた恩人との、感動の再会である。
俺はてっきりジイさんは握手をするか、なんなら性格からいって
役得で抱きつくくらいのことはするかと思ったが、そうではなかっ
た。
ただただ感極まっていた。
伝えたかったであろう言葉さえ失ってその場に崩れ落ちるほどに。
ガクンと膝をつき、深い皺の刻まれた顔をより一層クシャクシャ
にして人目もはばからず号泣するビザールのあられもない姿を、俺
もミミもホクトも、ただ黙って見守ることしかできない。
﹁本当に、本当にもう一度会えるとは⋮⋮!﹂
かろうじてそれだけが喉からこぼれている。
衰弱したビザールの枯れ枝のように細い足では、こみ上げてくる
感情を支えられはしなかった。
とにかく今回の依頼は苦労した。
町中駆け回るわ、森と図書館を往復するわで、かけた時間も労力
も過去最大クラスだろう。明日は臨時休暇確定だな。暖かいベッド
が俺を呼んでいる。
624
⋮⋮結果的に、存外でかい人助けになったみたいだが、
﹁まさか、あそこまで大泣きするとはな﹂
落ち着きを取り戻したビザールは俺たちをリビングへと招き入れ
た。
そこの椅子に腰かけた俺は対面の席に座っているビザールと、そ
の膝の上に乗ったネコスケとの会話を小耳に挟みつつ、そんなこと
をつぶやいていた。
こうして見ると祖父と孫みたいだが、ビザールが絶えず猫の耳を
この上なく愉快そうに撫でているから飼い主とペットのようでもあ
る。
﹁悪いけど、そんなガラをしてるとは思わなかったぜ﹂
﹁失敬な。ワシはガラス細工のように繊細な心の持ち主じゃぞ﹂
﹁ならそのギリギリアウトな手つきやめろよ。もうキャラ戻ってん
ぞ﹂
﹁これはワシの生き甲斐だから、やめろと咎められてもやめられん
わい﹂
かすれた声でそうワガママっぽく言って、老人はそっぽを向いた。
ネコスケの耳の先っぽをつまんだまま。
﹁お前もそれでいいのかよ﹂
﹁ふっ、他言はご無用ですにゃ。ミャーはお爺さんの好きなように
させてあげたいですにゃ﹂
﹁うむ、そのとおり。もうじき死ぬジジイはなにをしても許される
625
んじゃぞ﹂
﹁ええい、最強の権力を笠に着やがって﹂
ちょっとでももらい泣きしそうになったのがアホくさくなってく
る。
﹁うっうっ、人と人の繋がりとは誠にいいものでありますな、主殿
!﹂
というかホクトなんかまだ玄関先での感傷的な空気に流されて泣
いてるし。
まあしかし、ジイさんもそれだけ嬉しかったってことか。
再会した瞬間こそ感情が爆発して泣き崩れていたが、それ以降は
ずっと楽しげにニコニコニヤニヤを繰り返しているところからも、
ネコスケと会えた喜びの大きさがよく分かる。
一方でネコスケは、依然として自身のキャラクターに忠実に明る
くふるまっているが、若干表情に影が差している感じは否めない。
﹁お爺さん、少し聞いてもいいですかにゃ﹂
かつての雇い主と対面したネコスケは意を決して、不安げながら
に﹁お体のほうはいかがですかにゃ?﹂と病状について尋ねる。
ネコスケは痩せ細ったビザールを見て、極力表には出さないよう
努めていたものの、少なからずショックを受けていた。
つまり務めていた当時よりもずっと弱ってしまっているというこ
626
とだろう。
﹁快方に向かっている、とは冗談でも言えんのう⋮⋮だがもう思い
残すこともあるまい﹂
﹁またそうやってくだらねぇ話を⋮⋮﹂
俺は﹁ハイハイ﹂と聞き流そうとしたのだが、ビザールの表情か
らは今までのようなどこか憎めない茶目っ気は消えていた。
おいおい、本気で笑えないぞ。
﹁まだまだ司書も譲らないって言ってたじゃんか﹂
﹁うむ。確かにそうじゃの。ワシが未だに司書の座に就いているか
らこそ、やれる報酬もあるのだから⋮⋮﹂
ビザールはそう言うと、ネコスケを膝から下ろして机に向かう。
卓上に乱雑に置かれていた紙切れのうちの一枚に一筆したため、
それを俺に渡した。
仰々しく礼を述べながら。
﹁シュウトよ、お前さんには感謝してもし尽くせぬほどの恩ができ
た。半ば諦めておったのに、冒険者とは実に見事なものじゃ。胸が
一杯じゃよ。本当にありがとう﹂
﹁お、おう。そうか﹂
戸惑った俺は返答にやや窮した。
﹁約束の書状じゃ。これを持って王立図書館を訪ねるがよい。受付
627
の者に手引きしてもらえばお前さんが望む書物は滞りなく譲渡され
よう﹂
﹁急に改まらないでくれよ。そわそわしちまうだろ﹂
﹁なら気兼ねなくお節介を言わせてもらうぞ。書物を持ち出す際は、
難儀かも知れんがちゃんと正式な手続きを踏むんじゃぞ。これがワ
シの最後の仕事になるかも分からぬのに、適当な処理をしたせいで
申請が通らなかったら、死んでも死に切れんからの﹂
ビザールから受け取ったサインは紙の薄さもさることながら、文
字の線がひどく頼りなかった。
こんなに寂然とした依頼達成報酬は初めてだ。
628
俺、試用する
結局ネコスケはビザールに再雇用される運びになった。
ネコスケにとってもひとまずの仕事が決まったことだし、これに
て一件落着。
俺の手元には報酬の書状⋮⋮ざっくばらんに言ってしまえば魔術
書引換券が残された。
しかし今から図書館に向かうにはもう遅い。
月が太陽を追い出して夜空にのさばっている。
明日だな。
⋮⋮と考えたけど、前言撤回。明後日にしよう。明日は丸一日オ
フにして宿でゴロゴロするという、崇高な目的がある。
そんな素晴らしい一日に堅苦しい時間が混ざるのはふさわしくな
い。
魔術書選びは探索帰りにミミを迎えに行くついでの際でいいか。
ということで、依頼を終えた翌日、俺は昼まで寝て夜まで酒を浴
びるという自堕落極まりない過ごし方をした。
もっともたまに休むからいいんであって、これが毎日となるとマ
629
ジで心が腐る。
贅沢な話だが、繰り返し痛感してきたように、室内で退屈を潰そ
うと思ったらこの世界ではいろんな意味で寝るくらいの行為しかで
きない。
よって次の日からはまたツヴァイハンダーを相棒に働き始めよう
としたのだが。
﹁⋮⋮なんでお前がここにいるんだよ﹂
勉強をしに行くミミを見届けた後、依頼完了を報告するために立
ち寄ったギルドの軒先には、妙なことにネコスケがちょこんと座っ
ていた。
﹁どうもですにゃ﹂
愛想のいい笑みを浮かべてこっちに駆け寄ってくる。
﹁おいおい、ジイさんの看病はしなくていいのか?﹂
﹁にゃにゃ、ご主人様直々の命令ですにゃ。しばらくシュウトさん
たちのお手伝いをしなさいと言われたのですにゃ﹂
﹁家空けてて大丈夫なのかよ﹂
﹁ちゃんと朝昼の分のごはんは作っておいたから心配ご無用ですに
ゃー﹂
話を聞く限り、ビザールは恩義に応えるためにこいつをよこした
らしい。
ネコスケはネコスケで猶予のないビザールがそう言うなら、とい
630
う想いがあるようで。
﹁ミャーもご主人様の頼みは聞いてあげたいですにゃ。お願いしま
すにゃ﹂
﹁手伝いったってなぁ。要は探索しに行くんだぞ? しかも森なん
かより遥かにランクが上の場所に行くつもりなんだぜ、俺たちは﹂
なにかアピールポイントはあるのか、と聞く。
﹁もちろんですにゃ。ミャーはいろいろなお仕事を経験してきたか
ら役立てることがいっぱいありますにゃ!﹂
﹁ほう。たとえば?﹂
﹁それは見てからのお楽しみですにゃ﹂
思わせぶりにウィンクしてくるネコスケ。
なんてしょうもない交渉材料なんだ。
ただ、ここで追い返すのもジイさんに悪いな。厚意を無碍にした
せいで心労が祟ってポックリ逝ってしまうかも知れない。
それに猫の獣人ってのがどれだけ有用なのかは気になる。
スキルを隠すために冒険者連中とパーティーを組むことができな
い俺にとっては、装備の次に獣人の存在が生命線だからな。場合に
よっては次に買うべき奴隷の参考にもなるのでは。
うーん。
いっか。タダだし。
631
﹁じゃあ遠慮なくこき使わせてもらうぞ。それと探索中に起きたこ
とは他に口外しないようにな﹂
具体的にいうと金貨のザクザク感な。
﹁にゃっ! よろしくお願いしますですにゃ﹂
ネコスケはぺこりと頭を下げた。
﹁そちらの方もよろしくですにゃ﹂
﹁や、こちらこそ。先日は名乗る暇もありませんでしたので、改め
て。自分はホクトと申す者であります﹂
﹁ホクトさんですかにゃ。覚えましたにゃ。ミャーのことはお好き
なようにお呼びくださいにゃ﹂
﹁では主殿にならって、ネコスケ殿で。ネコスケ殿のご助力、心よ
り感謝するであります。短い間ではありますが共に主殿を支えまし
ょうぞ﹂
﹁にゃにゃ! 頑張りますにゃ!﹂
気合を入れながらも目を細めて、親しみを込めた笑顔をホクトに
見せるネコスケ。
なぜかネコスケはホクトに懐いているし、ホクトもホクトでネコ
スケに対して好印象を持っているように見受けられた。
なんとなく理由は分かる。情に厚いホクトはまだ再会シーンの残
像が焼きついていて、それゆえに相手の人柄を肯定的にとらえてい
るのだろう。
632
ネコスケのほうは⋮⋮うーむ、﹁こいつ面白い奴だにゃん﹂とか
そんな感じだろうな、多分。
どちらの喋り方が変かで張り合っていた初対面の時が懐かしく思
えてくる。
﹁だがひとつ、言っておくことがある。まあちょっとホクトの装備
と自分を比べてみろよ﹂
親指をクイッと向けて、今まさに顔を突き合わせている最中であ
るホクトの出で立ちをネコスケに改めて指し示す。
堂々たる長躯を光沢のある分厚いプレートメイルが包んでいるか
ら、見るからに物騒なことになっている。
まあ戦いはしないので厳ついのは見た目だけなんだが。
他方、ネコスケは散歩以上ピクニック未満の軽々とした服装であ
る。
﹁さすがに自殺モンだぜ。もうちょいマシな服は持ってないのかよ。
せめてローブとか﹂
﹁これが一番ミャーの力が発揮できる格好ですにゃ。重かったりヒ
ラヒラしてたりすると動きにくいですにゃ﹂
﹁その気持ちは分かるけどさ﹂
俺も鎧とか着ようともしてないし。
でもこいつ、確か素早い身のこなしが武器だとか言ってたな。重
装備だと長所が損なわれるというのは説得力がある。
633
とりあえず連れて行くだけ連れて行ってみて、それから判断する
か。
やばそうならホクトの後ろにでも下げておけばいいだろう。ホク
トは剣の扱いこそコメディチックだが、レア素材づくしの装備品と
身体能力のおかげで防御面は万全だしな。
﹁ですが主殿﹂
﹁なんだ?﹂
ホクトが横槍を入れてくる。
﹁三人ですと自分が背負って走ることは不可能であります﹂
﹁あー﹂
その問題があったか。
最も稼げるスポットである遺跡まではかなり遠い。ホクトの並外
れた馬力があるから今まではものともしていなかったが、まともに
歩いたら往復で八時間はかかる。
本来なら野営が推奨されるような探索地点だろう。
だが妥協案はすぐに思い浮かんだ。
日頃ロクに機能しないくせに小ずるいことだけは割とあっさり考
えつくんだから、俺の脳ってやつは不思議な構造をしている。
﹁この前商業区を回ってる時に買った荷車があったじゃん﹂
634
﹁あの小型のものでありますか?﹂
﹁そうだ。あれを使おう。乗ってる間だけ俺がカットラスを装備し
ておけば、もし野盗が襲ってきても水の刃で先んじて対処できるだ
ろうしな﹂
旅路用の荷馬車より断然取り回しがいいし、あれなら人が乗って
いても牽引できるはず。
それに俺はモヤシだしネコスケはチビだ。
二人足してもせいぜい二桁キログラムがいいとこだろうし、とい
うことは、あの筋肉の化身じみた石像一体分に遠く及ばない。
﹁⋮⋮余計なもんを思い出しちまったじゃねぇか﹂
マッチョに押し潰される悪夢にうなされそうで今夜が怖い。
それはともかく。
一旦宿に戻り、停車場に止めていた荷車を引っ張り出す。
﹁こんなの使い捨てだと思ってたけど⋮⋮まさかこんなところで役
に立つとはな﹂
で、荷台に乗ってみる俺とネコスケ。
サイズ的に乗れて二人だな。重量の面でもこれが引いて走れる限
界だろう。
﹁ホクト、任せたぞ﹂
635
﹁了解であります!﹂
疲労回復を早めるブローチをホクトに渡し、いざ出発。
﹁おおお、凄いですにゃ! 速いですにゃ!﹂
全身に風を浴びたネコスケは興奮気味の声を上げた。
もっとも、普段のホクトの走りっぷりを知っている俺からしたら
そうでもない。
やはり直接背中に乗って走るよりは見劣りする。
あとホクトが実際に牽引してから気づいたのだが、乗り心地は最
悪に近い。車輪が小石を踏みつけようものならケツが死ぬ。
それでもスピードは十分だ。
流れていく大草原のパノラマを楽しそうに眺めるネコスケの、ふ
にゃふにゃした音程の鼻歌を真横で聴きながら遺跡へとひた走った。
636
俺、絶賛する
目的地までは二時間少々で到着した。
足場と道幅が通行制限を生んでいるので荷車は入り口前に止めて
おく。
装備を戻してから雑木林を通り過ぎ、動物と頭を挿げ替えた石像
が立ち並ぶ遺跡本殿へ。
ここは魔物が出没しないため拠点に適している。
ただほっと息をつこうにも、お子様を泣かしにかかっているとし
か思えない造形をした石像のせいでまったくといっていいほどくつ
ろげないのだが。
﹁作った奴の心の闇を感じるぜ。首の継ぎ目に違和感がないのがま
た⋮⋮﹂
無駄にリアリティが高い。
職人頑張りすぎだろ。
この像を見ていると精神が病んでいきそうで辟易としてくるのだ
が、意外なことにネコスケは気に入ったらしい。興味深そうにぺた
ぺたと撫でている。
﹁よくそんな気持ち悪いもんにじゃれつけるな。俺からしたら触る
637
のもおっかないのに﹂
﹁そうですかにゃ? ミャーにはなんだか惹かれるものがあるので
すにゃ﹂
﹁ネコスケ殿、失礼を承知であえて申し上げますが⋮⋮中々悪趣味
でありますな﹂
﹁にゃっ!? そ、そんなことないですにゃ。ユーモアがあってか
わいいじゃないですかにゃ﹂
﹁かわいいのハードル低すぎだろ。女子校生かよ﹂
理解できそうにない。
まあネコスケのセンス云々は今はどうでもいい。
金ヅルことオークメイジを求めて茂みの奥へ。
雑木林をのそのそと徘徊するそいつは、悪者丸出しな面のせいも
あってすぐに見つかった。
向こうはまだこちらと枝葉の区別がついていない。
いつもならここで真正面から急襲をしかけ、有無を言わせずボコ
って終わりなのだが、今回はネコスケがいる。
﹁シュウトさん、シュウトさん﹂
﹁なんだ?﹂
﹁あの魔物と戦ってみていいですかにゃ? ミャーがばっちりお手
伝いできるところをお見せしたいですにゃ!﹂
﹁俺もちょうどそれを確かめたかった﹂
たとえば山羊の獣人であるミミは魔法の才覚に溢れているし、馬
638
の獣人であるホクトには桁外れの膂力がある。
では猫の獣人の場合はどうか。
なにかと役に立つ、とは本人談だがどの程度のことができるのや
ら。
﹁でもさ﹂
﹁なんですかにゃ?﹂
﹁武器、そのナイフだろ? そんなので本当に倒せるのかよ﹂
﹁甘く見ちゃダメですにゃ。これは武器屋さんで働いていた頃に譲
ってもらった一等品ですにゃ﹂
﹁はあ? もらった?﹂
﹁勤務態度がいいから、ってナイフを新調してくれたのですにゃ﹂
ボーナスみたいなもんか。
しかし、仕事の絡みで上物をよこすとは。俺がスーパーでバイト
していたころはせいぜい売れ残りのナマスとキンピラくらいしか回
ってこなかったというのに。
﹁それを更に鍛冶屋さんにいた時に鍛え直して⋮⋮﹂
﹁そんなことまでしてたのかよ﹂
﹁にゃ。トンカチの使い方も教わりましたにゃ﹂
こいつ本当になんでもやってんな。
ジイさんの飯を準備してきた、っていうくらいだから家事も当然
できるだろうし。
639
﹁武器がオンボロじゃないのは分かった。けどやばそうならさっさ
と逃げろよ。森の雑魚よりは手強いぜ、あいつ﹂
﹁肝に銘じておきますにゃ﹂
ネコスケは胸に両手を当てるジェスチャーをしながら答えた。
﹁それにしても、むむむ、おっきな魔物ですにゃ﹂
ホクトの背中越しに、目を凝らして観察するネコスケ。
瞳が集束して縦長になっている。
﹁でかいだけじゃねぇぞ。あんなアホっぽい見た目をしておきなが
らいっちょまえに魔法を使ってきやがるからな﹂
﹁なるほど、把握しましたにゃ。大きいということは小回りが利か
ず、魔法を使うということは動作が長いと見てよいですかにゃ﹂
﹁まあそんなとこだな﹂
﹁ふっ、つまりミャーの実力を見せるにはもってこいの相手という
ことですかにゃ﹂
キザな台詞を恥ずかしげもなく口にしたネコスケは、小兵である
自分より縦・横・厚みのすべてで圧倒的に上回るオークメイジ相手
にしてなお。
﹁いきますにゃ!﹂
露ほども怯むことなく駆け出した。
︱︱軽快に疾走しているにもかかわらず、足音は皆無。
640
ゆえに魔物がネコスケの接近に勘づくまでには多大なタイムラグ
が生じた。
自らに迫り来る何者かの存在を魔物が認識した時には既に、ネコ
スケは目と鼻の先にまで急接近している。
杖をかざすにはあまりにも遅く。
﹁にゃっ!﹂
魔法が唱え切られる前にネコスケは最初の一太刀を入れた。
鈍色のナイフが血に染まる。
しかし、いくら接近戦になると途端にサンドバッグと化すオーク
メイジといえど、その一撃でくたばるはずもない。
なりふり構わず、杖をただの鈍器として振り回した。
それすらも猫のナイフ使いには当たらない。ネコスケはいつの間
にやら後ろにぴょいんと跳躍していて、リーチ外に逃げている。
杖が空振った瞬間を見極めてネコスケは再度隣接。
でっぷりとした腹を切り裂く。
そして素早くバックステップを踏む。ネコスケは常に動き回って
いた。とらえどころがない、とはこのことを表すのだろうか。
回避からの攻撃。わずか一分足らずの間に、その一連の流れが九
641
度繰り返された。
九度、オークメイジは浅くない傷を負った。
息を絶やすにはそれで十分だったらしい。
万が一に備えてフォローに走っていた俺の手が入るまでもなく、
巨体は煙となって散らされた。
﹁ま、マジかよ﹂
鮮やかな速攻に俺は度肝を抜かされる。
一人だけで倒し切るとは、予想どころか期待さえも超えていた。
﹁⋮⋮ってか、どこでそれだけの技術をつけたんだよ﹂
そのへんの冒険者より戦えるように見えたんだが。
﹁自分も気になるであります﹂
同調するホクト。
﹁あれほどの体さばき、一朝一夕で身につけたものとは﹂
﹁森で特訓しましたにゃ。輸送時の護衛を任されても大丈夫なよう
にしておけば、お仕事に就きやすくなれるからですにゃ﹂
﹁はあ、そういうもんなのか﹂
﹁ですにゃ﹂
さながら資格勉強だな。
642
手に職つけてんな、こいつ。
﹁ところでシュウトさん﹂
﹁どうした⋮⋮とか聞き返すまでもねぇか。この金貨のことだろ?﹂
﹁にゃん﹂
オークメイジが消え去った後に残された異常な量の金貨を目にし
て、ネコスケは頭にハテナマークを浮かべている。
﹁まあなんというか、俺の宿命みたいなもんだ。誰にも話すなよ﹂
﹁むむ、なにやら事情がありそうですにゃ⋮⋮ふっ、ミャーは守秘
義務を守ることで信頼を勝ち得てきたのですにゃ。お任せください
にゃ﹂
﹁さっき普通にナイフもらったとか話してたじゃん。あれどういう
計上になってんだよ﹂
﹁本当に言っちゃダメなことは言わないのですにゃ!﹂
まあ大丈夫か。こいつの筋から信憑性を含んで冒険者に話が伝わ
ることはないだろうし。
その後もネコスケは次々に魔物を撃破していった。
ネコスケのオークメイジ討伐は実にスムーズで、危機に陥りそう
な瞬間すらなかった。魔法が放たれたところで巧みに回避できるだ
けの瞬発力があるし、そもそも、唱えるより先に近づいているパタ
ーンがほとんど。伝家の宝刀を抜かせさえしない。
二発ツヴァイハンダーを叩きこめばそれで終わりの俺よりは時間
をかけているが、それでも十分な働きぶりだ。
643
うーむ、見ていて気づいたが、これに関してはネコスケの戦闘力
どうこう以前に相性がよすぎるってのもあるな。
事実、機敏さでさほど差をつけられないトカゲサウルス戦は苦手
にしていた。もっともそっちは俺の土の槍で一撃なので特に問題は
ない。
純粋に戦闘要員が倍になったようなものなので、稼ぎの効率は大
きく向上。
移動時間の増加を帳消しにして余りある戦果が上がっていた。
﹁お見事! まさしく疾風迅雷のごとくでありますな!﹂
ホクトも舌を巻いている。
ただ素直に賞賛を送りながらも、表情はどこか悔しそうにも見え
た。幾度となくホクトがこういう複雑な顔をするところを見てきた
から分かるが、自分は戦えない、という事実を改めて思い知らされ
て、歯がゆさを感じているのだろう。
別にいいじゃんって思うけどな、俺は。
逆に俺やネコスケでは荷台に人乗せて走るとか絶対無理なんだし。
⋮⋮ただここで、俺にとある考えが浮かぶ。
これ、猫の獣人とか関係なく単純にネコスケが凄いだけじゃねー
か?
644
音もなくオークメイジに忍び寄れるのは、確かに種族特有の能力
のおかげなんだろうが、ナイフの扱いや武器の手配なんかはネコス
ケ自身の豊富な職業体験からきてるものだろ。
極めつけはトカゲの尻尾がネコスケの腹をかすめた時。
回避自体はネコスケの優れた運動神経もあって特に危うげなく成
功したのだが。
﹁にゃっ!?﹂
尾の先端に服の一部分を破かれた。
ネコスケのちんまりとしたヘソが露になる。
もうちょい上のほうが破れてくれりゃ下乳までは拝めたのに、と
俺はくだらないことを考えながらトカゲを処理したのだが、驚いた
のはその後。
﹁リペア!﹂
金貨を拾い上げる俺の真ん前でネコスケがそう高らかに宣言する
と、みるみるうちに衣服のほつれは修繕された。
何回もこうした現象は目撃してきたから分かる。
今、完全に魔法使ったんですけど。
﹁おいおいおい、さすがにそこまでは想定してなかったんだけど﹂
645
﹁さっきの魔法のことですかにゃ? 魔法屋さんに雇ってもらって
た時に身につけたのですにゃ。あれは苦労しましたにゃ⋮⋮閉店後
に居残りで勉強しましたにゃ﹂
なんでも簡単な店頭業務をこなすためにヒールなどの初級再生魔
法を覚えさせられたらしいが、こいつの履歴書は一体どうなってん
だ。
職歴どころか特技欄まで溢れかえってそうだな。
俺は毎回定番の﹁どこでも寝られる﹂で埋めていたというのに。
﹁リペアが使えるようになるまでは大変でしたにゃ。服はこれ一着
しかないから、破れたら自分でちくちく縫っていましたにゃ⋮⋮﹂
﹁縫い物までできるのか﹂
﹁裁縫工房で働いていた時に覚えましたにゃ!﹂
ネコスケは右手をぴっと上げてアピールした。
﹁いろいろな仕事を渡り歩いてきたとは聞いたが⋮⋮これほどとは﹂
過去のバイト経験をまったく活かしてこなかった俺だからこそ分
かる。
こいつはマジで有能だ。
646
俺、背伸する
ネコスケの協力もあり、結局この日の稼ぎは八十万Gにまで上っ
た。
八十万。
八十万である。とんでもない巨額だ。ネコスケが同行し続けてく
れるのであれば、この土地での収入だけで一千万超えも夢ではない。
といっても、ここにいて面白い物事は何もないからな。
魔術書の権利も獲得したことだし、頃合を見て次の町に移るとす
るか。
帰還後、ネコスケと別れる。
﹁本日のご助力、心より感謝いたすであります! 自分の不甲斐な
さを痛感したであります。もっと自分も精進せねば﹂
﹁にゃにゃっ。こちらこそありがとですにゃ。荷車に乗って走るだ
なんて初めての経験でしたにゃー﹂
俺の分までホクトがネコスケの労をねぎらっている。
ネコスケは薬を購入してからビザールのところに戻るらしい。
ただ、何年も自宅療養が続いているとの話だから、今更薬でどう
こうなるような病気ではなさそうにも思える。
647
それこそ気力で補うしかないのでは。
﹁また次の機会がありましたら、その時はよろしくお願いしますに
ゃ﹂
ぶんぶんと手を振りながら遠ざかっていくネコスケを見送る。
それから俺は首の骨をコキリと鳴らした。
﹁⋮⋮さてと﹂
図書館に行くか。
ホクトと共に訪れた王立図書館は、夕刻ということもあってか客
入りはまばらだった。
入館希望者はピーク時に比べてめっきり減ってしまっているにも
かかわらず、エントランスの受付嬢は気を緩める様子を一切見せな
いでいた。
プロ意識の高さを感じる。
﹁⋮⋮っても、顔パスくらいはいい加減させてくれよ﹂
﹁特例はありません。審査は厳密に下させていただきます。⋮⋮さ、
終わりましたよ。蔵書室への入室を許可します。よき読書を﹂
返ってきた通行証を受け取りながら。
648
﹁実はこれで終わりじゃないんだな。まだ見せたいものがあってさ﹂
ごそごそとコートの内側から紹介状を取り出し、ジイさんに言わ
れたとおりに提示する。
﹁これは⋮⋮司書様の!?﹂
書面に記されているビザールのサインを目にした途端、それまで
クールに徹していた受付嬢の表情がわずかに揺らいだ⋮⋮ような気
がした。
そりゃまあ、驚くわな。
突然長い間休んでいた本職の司書から指示が飛んできたんだから。
筆跡の鑑定がなされる。
もちろん本人のもので間違いない。俺自身の目で直接確認してい
るのに、これで偽物だったら白昼夢でも見てたのかって話になる。
﹁ジイさん⋮⋮あー、いや、司書の人とちょっと縁が出来てね、土
産にこの紙をもらったんだ。こいつを出せば本が一冊もらえるって
聞いたんだけど﹂
﹁た、確かにそうした効力はあります。この書状は図書館からいず
こかに蔵書が移譲される場合に切られるものですから⋮⋮ですが⋮
⋮﹂
受付嬢はなぜか言葉を濁している。
﹁ん? なんか引っかかるとこでもあるのか?﹂
649
﹁⋮⋮いえ、なんでもありません﹂
そう言うと受付嬢は軽くかぶりをふり、若干動揺の色が滲んでい
た表情をぴしっと引き締めた。あやふやだった受け答えも前々みた
いにハキハキとした⋮⋮もっと言うと、ちょっとキツめの利口ぶっ
た話し方に戻っている。
俺の苦手なタイプの口調なのに妙に安心する。
やはりキャラに合ってるからだろう。この知性と品のある外見で
喋りが江戸っ子だったらいろいろと不安になる。
﹁お話は分かりました。あなたを図書引取の権利保有者として承認
します。当館の全責任を有する司書様の判断なのですから、我々は
それに従うまでです﹂
すげー強権発動してるな。
ビザールのジイさんってマジで偉い人だったのか。
﹁希望の書籍が見つかり次第こちらまでお持ちください。受け渡し
の手続きを行います﹂
﹁分かった。しばらくの間選ばせてもらうぜ﹂
取っ手を握り、蔵書室の鉄扉を開く。
沈殿していた空気がその隙間からいっぺんに流れ出ていった。そ
のほんの些細な気流にさえ呑まれそうになるんだから、どれだけこ
こに苦手意識があるんだよ、俺って奴は。
650
ただ隣を見るとホクトも似たような緊迫した顔つきになっていた。
肩肘もカチコチである。
なぜだろう、無性に胸を撫で下ろしたくなる。
それはともかくとして、まずはミミと合流。
三人で以前パウロに教えてもらっていた希少な魔術書の置き場に
急行する。
適当に一冊抜き取ってみたのだが、力の入った表紙の装丁からし
てそんじょそこらの市販品とは風格が違う。
﹁﹃地と天を繋ぐためのグリモワール﹄か﹂
おもむろにページを開く。
埃とカビと油ジミの混じった、すえた臭いが漂う。
軽く目を通す。
⋮⋮よし。
分からん。
﹁これは無理ですわ﹂
なんの基礎知識もない俺が専門分野中の専門分野である文献の内
容を読み取ろうという行為自体が無謀だった。
651
ここはミミに任せるとしよう。
ただミミも自分で選んだ本︱︱﹃占砂術のグリモワール﹄とタイ
トルに書かれていた︱︱を何ページか読み進めたところで、くらく
らと気を失いそうに上半身を傾けた。
慌てて肩を支える俺。
﹁大丈夫かよ。そんなにややこしかったのか?﹂
﹁とても、とてもとても難しいです⋮⋮頭が破裂してしまいそうで
す﹂
﹁うーん、勉強してるミミでも難しいのか﹂
﹁読むことはできますが、理解まではたくさん時間がかかりそうで
す⋮⋮すみません、シュウト様﹂
﹁ま、時間はいくらでもあるけどな﹂
なにせ一冊丸々もらえるんだから。
﹁⋮⋮でも難しいって言ってる割に熱中して読んでるな﹂
﹁はい。とても難解ではありますけど、その分だけ興味をそそられ
ます。それになんだか魔法の性質もユニークですね。今まで読んで
きた魔術書とは全然違います﹂
﹁へえ、そうなのか﹂
正直、普通の魔術書がどんな具合なのかも分からないので俺には
比較しようがない。
けれどミミが言うからにはそうなのだろう。
﹁載っている魔法の種類もあまり多くないように思います。凄く専
652
門的な本ですね。ミミはなんだかドキドキします﹂
﹁だったら全部に目を通してみてから決めるか。明日からはここに
置いてある本を順番に閲覧してみてくれ。そんでミミが一番気に入
ったのを受け取ろう﹂
﹁分かりました、やってみます﹂
となると、今日のところは一旦引き上げだな。
ミミが魔術書を選び終わったら出発するか。それまではひたすら
金策。分かりやすい滞在スケジュールができたと考えておこう。
そう決めて退室しようとしたら、書棚間の通路でパウロとすれ違
った。
本日はどうしましたか、と尋ねられる。
﹁ちょっと魔術書の試し読みをな。レアなやつ﹂
﹁ああ、そうだったのですか。どうです、非常に難解だったでしょ
う?﹂
﹁まあな﹂
といっても読んだのは俺じゃないが。
﹁もしかしてだけど、パウロは使えたりはするのか?﹂
﹁まさか。恥ずかしながら、私は魔法はそれほど得意ではありませ
んから。通っていたアカデミーにも私より優秀な方はゴマンといま
したしね﹂
だからデスクワーク中心の図書館に勤めているのですよ、とパウ
ロは語る。
653
﹁上級に属する魔法というものは、独自性が高いですからね⋮⋮過
去の知識を活かしたりはできませんから習熟には多大な労苦がつき
まといます﹂
﹁ふーん。単純に効果が凄くなっただけだと思ったぜ﹂
﹁効果だけなら中級魔法でも十分に強力ですよ。あれらを自在に扱
えることができれば魔術師としてはほぼ完成形といっても過言では
ないです﹂
確かに武器屋の店主もそんな感じのことを語っていたな。
その時はただの売り文句くらいに思っていたが、どうやら。
﹁上級魔法は他にない効果を持ちます。中には一見して役に立たな
いのでは⋮⋮と感じるものもあるのですが、いざ使用するとなると
他に類を見ないがゆえに甚だ困難だったりするのです﹂
﹁変な話だな。しょぼいのに難しいのか﹂
﹁例えば⋮⋮そうですね、こちらを御覧ください﹂
パウロは無作為に本を一冊棚から取り出す。
﹁この書物を十秒で消失させる手段については、考えるまでもない
ですよね。単純明快に火をつければいいだけなのですから。ですが、
百年かけて焼却させる⋮⋮となればどうでしょうか? 並大抵の火
では到底不可能でしょう﹂
﹁ふむ、それを可能にする火にあたるのが上級魔法なわけだな﹂
﹁そういうことです﹂
なるほどな。
654
そりゃムズい。
﹁それより、先日の石版の件についてなのですが﹂
パウロが切り出す。
﹁あれか。ちゃんと石版の下に地下室があったぜ。休憩所なのかま
では分からねぇけど﹂
﹁おお、やはりですか。あれから考察を重ねてみたのですが、冒険
者ギルドが設置したものなのではないかと私は推測しています。木
こりだけの技術では半信半疑でしたがギルド単位となれば話は別。
森の地理に精通している木こりからの転向組を重用したい、という
考えが、当時まだ地形把握の不十分だったギルドの面々にもあった
のでしょう﹂
﹁⋮⋮いや、もういいよ。その件は片付いたし﹂
話なげーよ。
﹁探してた野良猫が見つかったからそれで終わりだ﹂
﹁野良猫ですか? それに探していたとは﹂
﹁ビザールのジイさんに頼まれてな。死ぬ前にどうしてもそいつに
会いたいってさ﹂
﹁お待ちください。ビザールとは当館の司書であられるビザール様
のことですか?﹂
﹁ああ﹂
﹁そうですか、それは⋮⋮おいたわしい﹂
パウロは下唇を噛んでうつむくと、思い詰めたような面持ちでじ
っと床の一点を見つめた。
655
そういう辛気くさい演出はやめろっての。
﹁俺が見た感じだと結構元気だったぜ。ありゃ意外と長生きして天
寿をまっとうするだろうな。だからそんなに深刻に考えるなよ﹂
俺はそう声をかけて図書館から去ろうとする。
⋮⋮と、忘れるところだった。本の受取手続きはしばらく保留に
してくれって言っておかないと。
そう思い受付カウンターまで行ってみたのだが。
﹁おいおい、なんでまた⋮⋮どうしたっていうんだよ﹂
受付嬢は瞼を腫らしていた。
涙の跡がくっきりと残っている。今しがた泣き出したというわけ
でもないらしい。
意味が分からなかった。いつどこで泣くほどのことがあったんだ?
あったとしてもそれは涙を堪えきれないほどなんだろうか。あん
なインテリジェンスの権化みたいな冷淡な面をしてたっていうのに。
﹁なにがあったんだ?﹂
﹁ぐすっ。すみません、お見苦しいところを⋮⋮この、書状は﹂
鼻をすすりながら答える受付嬢。
知的さは面影すらない。怯える子供みたいな弱々しい表情をして
656
いた。
﹁この書状は本来、学術機関や他の町の図書館などに本を贈呈する
際に切られるものです。⋮⋮その決定権は司書様にあります﹂
ですが、と声を一層震わせて続ける。
﹁個人への譲渡は明確な規約違反⋮⋮つまり、それは⋮⋮司書様が、
司書様が⋮⋮強制解雇されることを意味します﹂
657
俺、再訪する
ウィクライフ王立図書館司書ビザール辞任の報は一晩のうちに町
中を駆け巡った。
翌朝にもなればどこもその話題で持ちきりだった。
図書館こそが象徴にして中心、というこの町の実態がよく分かる。
それにしたって、だ。
俺はどうにも釈然としないものを抱えていた。﹃現職でいる間は﹄
一冊は口利きできるって、そういうことかよ。一冊手配した時点で
職を失う、という内部事情を言い換えただけだなんて、あの時点で
気づけるはずがない。
そしてこうも言っていた。
自身が死ねば制度の力で司書の権限は委譲される、と。
なるほど、まさに規則に準じた解任劇だ。規約違反を犯したこと
による懲戒免職なんだからこれ以上に厳格な処置はない。
制度に判決を下させるのに、死を待つ必要はなかったってことか。
658
⋮⋮なにが﹁まだまだ司書の座は譲れない﹂だよ。
書物を報酬にした捜索願を出した時点で辞職する覚悟があったん
じゃねぇか。
本当に残っていた未練はそれだけだったんだな。
ビザールの噂を小耳に挟むたびに、ガラじゃないとは分かってい
ても、俺はどうにもやりきれなさを覚える。
﹁大変な騒ぎでありますな⋮⋮それだけ重大な事件だったのであり
ましょうか﹂
﹁まあな﹂
今日もネコスケが来ていないかとふらっと寄ってみたギルドでも、
朝っぱらから突然のビザールの解任について盛んに議論が飛んでい
た。
冒険者とはいえここの連中は粗暴さとは無縁なインテリ揃い。
少し立ち聞きしただけでも理屈っぽさが伝わってくる。
ただおおむね、ビザールの解雇を惜しむ声が大半だった。
俺はそんな中、ギルドマスターと会話を交わしていた。
多くの人間が出入りするギルドを取り仕切っているこいつ以上に、
情報に明るい奴なんてそうそういないだろう。
﹁ビザール卿の件ですか。もちろんうかがっております﹂
659
ホクトを後ろに立たせて話を聞く。
﹁偉大な方の引退は胸にくるものがあります﹂
﹁あんたもそうなのか。みんな残念がってたけどさ﹂
﹁残念という素直な想いと、ついにその時がきたか、という感覚が
半々でしょうか。いずれにせよ僕たちには彼の下した決断を尊重す
ることしかできません﹂
﹁口惜しそうじゃないか﹂
﹁ビザール卿の功績を考えれば当然ですよ。七期途中二十七年とい
う在任期間は歴代の司書の中でも最長ですから⋮⋮もっとも、ここ
数年は静養にあてていたようですが﹂
ギルドマスターは整った顔を寂しげに曇らせた。
それだけ慕われていたということだろう。
あのカタブツを絵に描いたような受付嬢がショックで涙を流すほ
どなのだから、それも頷ける。
寂莫とした感情は、俺の胸にもなくはない。
よそ者である俺がこの町に思い入れなんてあるはずもないが、あ
のジイさんとは赤の他人と呼べない程度には縁がある。
﹁⋮⋮なあ﹂
﹁なんでしょう?﹂
﹁新しい司書ってどういうふうに決めるんだ?﹂
﹁伝統的に任命制です。知ってのとおりこの町の図書館は王立。次
期司書の地位に就く人物は絶対権力者である国王から任命される運
660
びとなっています﹂
ですが、とギルドマスターは続ける。
﹁それはあくまで形式上の話であって、実際には住民投票で候補者
を一人にまで絞ります。王都を離れられない国王にはウィクライフ
の情勢を知る由がありませんからね。誰が適任かは我々の間で決め
るようお達しが出ているのです﹂
おかげで民意が多少なりとも反映されるようになっている、との
こと。
だから町全体がざわついていたのか。
住人総出での投票になるんだとしたら、これから更に慌しくなる
に違いない。
﹁最終候補が決まり次第駐在の騎士の方々に王都へ報告しにいって
もらい、国王の承認を得て新体制による図書館運営が始まります﹂
﹁ふーん。ややこしいことになってんだな﹂
﹁それほど複雑ではないですよ。結局は投票を行って決まるのです
から﹂
﹁じゃあさ、候補者って誰がなるんだ? 立候補すりゃ誰でもいい
⋮⋮ってわけじゃなさそうだけど﹂
俺は政見放送を賑やかすファンキーな面々を思い出していた。
﹁基本的には他の図書館職員の中から数人が選ばれます。稀に前任
の司書が外部招聘するケースもありますが⋮⋮そこから最終候補に
残ったことは一度もありません﹂
661
﹁そうか。なら次はパウロでほぼ決まりだな﹂
代理を務めているくらいなのだから筆頭候補であるのは間違いな
い。
ジイさんは口では未熟と評していたとはいえ、他にふさわしい人
物がいるようには思えない。
それはジイさん自身も考えているはず。ハナからパウロに譲る気
なんだろうな。
﹁パウロですか。館内で頭角を現しているとは耳にしていましたが
⋮⋮いやはや、となれば彼が一番の出世頭になってしまいましたか﹂
﹁なんか知ってるような口ぶりだな﹂
﹁ええ。僕は彼とはアカデミーで同期生でしたから﹂
﹁へえ﹂
意外な繋がりもあるもんだ。
﹁パウロは当時から優秀な学生でしたからね。若くして司書にまで
登り詰めても不思議ではありません﹂
﹁優秀? 俺が会った時は魔法は苦手とか言ってたぜ﹂
﹁それはただの謙遜でしょう。同期の中でパウロより上と断言でき
る成績を残せた生徒なんて一人か二人しかいませんでしたよ﹂
﹁なんだよ、嘘だったのかよ﹂
それなら堂々と自慢されたほうがいっそ清々しい。
これだから秀才は。嫌味に感じてくるとジイさんが語っていたの
も理解できるな。
662
﹁研究者気質ゆえに、冒険者の道は選ばなかったみたいですが⋮⋮
今にして思えば正しい選択だったんでしょうね。パウロが読書に向
けた熱意は執念じみてすらいましたから﹂
パウロはかつて﹁本に囲まれるだなんて夢のような職場だ﹂と語
っていたと、遠い目をしてギルドマスターは明かした。
昔話は無駄に長かった。
当時から凝り性で授業範囲外のことまで調べ物をしていた、とか、
学内に置かれていた本をすべて読み尽くしていた⋮⋮など、あまり
興味が持てないエピソードが続く。
こういう高偏差値なあるあるトークを俺にしたって馬の耳に念仏
だぞ。
別にホクトの悪口じゃないけども。
﹁ただ不安な部分もあります。パウロはなにかに没頭すると、こう
︱︱﹂
並列にした手の平を顔の前に立て、ギルドマスターは﹁視野が狭
い﹂を表すジェスチャーをする。
﹁︱︱なるきらいがありますからね。人の上に立つ資質に関しては、
図書館の仲間内でよくよく審査されることでしょう﹂
﹁まあ、そのへんは後からついてくるものだと思うけどな﹂
﹁だといいのですが﹂
663
話しているうちに。
﹁主殿﹂
不意にホクトが俺の肩を叩いた。
﹁なんだ?﹂
﹁あちらをご覧に。ネコスケ殿が参られているであります﹂
ホクトが窓の外を指差す。そこには報告どおりにネコスケの姿が
あった。
俺もそうしてくれることを期待してここに来たのだが、今日も探
索に同行するつもりらしい。
ギルドマスターとの雑談を切り上げて外に出る。
﹁よう﹂
﹁にゃっ、お先でしたかにゃ﹂
ネコスケは建物から出てきた俺とホクトを見つけるなりこちらに
駆け寄ってきた。
相も変わらず愛嬌のある笑顔を振りまいている。これが生来のも
のなのか、接客を任されるうちに身につけた渡世術なのかは結構な
ブラックボックスである。
﹁今日も手伝ってこいってジイさんに言われたのか?﹂
﹁はいですにゃ! お役に立てたと話したらご主人様も喜んでくれ
ましたにゃ﹂
664
﹁⋮⋮それだけか?﹂
ビザールから重要な相談をされなかったかと尋ねる。
﹁にゃ? なんのお話ですかにゃ?﹂
きょとんとするネコスケ。なにも聞かされていないらしい。
⋮⋮よく考えたら、あのジイさん自身の口からはなんの声明も出
てないな。司書の座を降りたのだって辞意を示したり体調不良を訴
えたりしたんじゃなく、規則によるものだし。
どうにもジイさんの思惑が気になって仕方がない。
いつもならよそはよそ、うちはうちで片付けるところなのだが、
依頼を終わらせた俺が実質的に辞職の引き金を引いたようで後味の
悪さを感じているせいか、無性にそわそわとしてしまう。
せめて話くらいしてくれたっていいだろ。
﹁ちょっとだけここでホクトと待ってくれ﹂
俺はネコスケをホクトに預けて、郊外に向かった。
665
俺、対話する
三度目の訪問ともなれば行き慣れたもので、ビザールの屋敷には
最短経路で到着した。
﹁ジイさん、いるか? 俺だ。シュウトだ﹂
木戸をノックしてみるが反応はない。
だが鍵は開いている。不在というわけでもないらしい。
寝ているんだろうか⋮⋮と思い始めた矢先。
﹁どうしたどうした、こんな早くに﹂
ようやくビザールが顔を出す。
様子は、俺のよく知るものとは少し異なっていた。
その顔はやつれているのに加えて、精力が随分と抜け落ちている
ように見えた。表情に張りがなく頬の筋肉の動きが乏しい。それこ
そ典型的な病人、といった感じである。
﹁なんの用事じゃ?﹂
﹁用事もなにも⋮⋮話を聞きにきたんだよ。分かってんだろ?﹂
無言で顎をさする老人。
666
﹁町中あんたの噂で溢れてるぜ。どうして突然クビになるような真
似をしてしまったのか、ってな﹂
﹁ふむ、その件か。つまらぬ巷説にすら飛びつくとはここの人間は
よっぽど暇なんじゃの﹂
﹁他人事みたいに言うなよ。ジイさん自身のことだろうに。なのに
あんたはちっとも口も割らないじゃないか。猫にすら話してないっ
て聞いたぜ﹂
誰もビザール本人のコメントを知らない。
だからこそ憶測が憶測を呼んでいるし、俺もモヤモヤとしている。
﹁せめて俺にだけでも真意を明かしてくれよ。聞く権利はあるはず
だ。なんせジイさんの手の込んだ辞表を届けたのは俺なんだからな﹂
その後も続いた俺のしつこい追及にビザールは観念したようで、
ふうと息を吐いた後。
﹁⋮⋮とりあえず中に入っとくれ﹂
詳しい話をしてやる、とのことで、俺は室内に上げられた。
椅子に沈みこむように深く腰かけたビザールは、今にも眠りこけ
てしまいそうなほど全身脱力しきっていて、呼吸の頻度も少なく、
目の焦点もどこか虚ろになっている。
見ているだけで危なっかしかった。
俺はまず、なぜこんなにも弱っているのかを恐る恐る尋ねた。
667
歳や病の割には元気なジイさんだとばかり思っていたが、それは
結局ただの人前限定での強がりなだけで、これが本来の姿なんだろ
うか?
だとしたら楽観的な認識を覆されたようで絶句ものなのだが、そ
うではないらしく。
﹁これは鎮痛剤が効いているだけじゃ。気にすることじゃない﹂
﹁鎮痛剤?﹂
﹁うむ。体の隅々まで麻痺させるから、しばらくの間はどうしても
こうなってしまうんじゃよ﹂
薬の副作用だとビザールは説明する。
二年前から使い始めたとのこと。
﹁一服で半日は持つが、最初の数十分はこうして奈落の底に叩き落
されたような憂鬱さと付き合わされてしまうんじゃ﹂
神経だけでなく、脳髄にまで効いているんだろうな。
それだけ聞くと現代的な価値観ではヤバそうな薬に思えるが、れ
っきとした医療用の薬品として売られているのなら、俺から言える
ことは特にない。
﹁まあ、やむを得ないわい。この薬がなかければ咳払いひとつした
だけで全身が千切れそうなくらい痛むからの﹂
﹁おいおい⋮⋮それはそれできつい話だな﹂
﹁フフフ、心配してくれるのか? シケた面に似合わず案外かわい
げのある男じゃな﹂
668
﹁うるせぇよ﹂
﹁じゃが安心せえ。ワシがこうなのは投薬直後のみよ﹂
とはいえ、このダウナーな状態をアイシャには見せたくない、と
もビザールは語った。余計な心配をかけるからだという。だから俺
の手伝いに行けと命じたのか。
普段は強がっている、というのは、あながち間違いでもないらし
い。
だが俺が気になるのは、病気そのものに効く薬ではないという点
だ。
最早手の施しようがないんだろうか。⋮⋮ないんだろうな。そん
なものがあったら現場に復帰できているだろうし。
傷は治せても病気はそうもいかないみたいだから、魔法も万能で
はないんだな。
﹁体調が優れないワケは分かったよ。本題に入ってもいいか?﹂
﹁あまり多くは話せぬぞ。教えたとおり、今のワシは口を動かすの
も億劫なんじゃから﹂
所在なさげに長い白髪を撫でつけるビザールに、俺は単刀直入に
問いかけた。
﹁なぜ辞めたのか、なんてのは今更聞かない。そんなのはジイさん
の気分だからな。俺が知りたいのはどうしてわざわざ遠回しなやり
方で辞めようとしたのかってことだ﹂
669
それが明かされないことには胸のつっかえが下りない。
﹁使いっ走りにされた俺の身にもなってくれっての。嫌でも責任感
じちまってんだから﹂
﹁責任なぞお前さんには一切なかろう。全部ワシのわがままじゃ。
ただただ辞めるのは損じゃから、蔵書の譲渡権を人探しの報酬にし
たまでに過ぎん﹂
﹁それでもだ。直接図書館の奴らに辞意を表明しなかった理由を教
えてくれ﹂
﹁ワシの口からそれを言わせるのか? 酷な奴じゃのう﹂
﹁頼むよ﹂
﹁理由なぞ、なんとなく想像できておるくせに﹂
ビザールは俺の心中を見透かすように目を細める。
想像、は俺なりにしているのは事実。それは先ほど語られた﹁ア
イシャに姿を見られたくない﹂というエピソードも踏まえてだ。
﹁仕方ないのう﹂
司書だった男は自らの口で語る。
﹁単純な話じゃ。恥ずかしかったんじゃよ﹂
赤裸々な答えだった。
﹁このいつ死ぬかも分からぬ体じゃ。いい加減身を引くのが妥当じ
ゃろうて。そんなことは当人であるワシが自覚しとらんわけがない﹂
だが、と続ける。
670
﹁頑固で偏屈で口の悪いジジイで通っていたワシが、どの面下げて
それまで酷評していた者どもに後を託すなどと伝えられようか。急
にしおらしくなって司書を辞めると言い出そうものならワシが築き
上げたイメージも形無しじゃ。最後の最後まで、憎たらしい上司で
いたかったんじゃよ﹂
ジイさんはそう言って、フッと自嘲気味に笑った。
﹁長く休んでおったから、部下たちもワシが正式に辞めることは日
々覚悟していたじゃろう。いつその時が来てもいいようにと準備は
怠っておらぬはず﹂
その台詞がパウロのことを指しているとはすぐに分かった。
あの完璧な仕事ぶりだからな。いつでも後継者になれるだろう。
﹁出しゃばる必要がなく、今生に心残りもないのじゃから、辞職す
るに当たってなんの不安も後悔もなかろうて﹂
ひっそりと未練がないことも語られた。
やはり恩人との再会は大きなファクターを占めていたらしい。そ
うでなければこの願いを辞任のトリガーに設定したりはしないから、
当たり前か。
ビザールが本を依頼達成報酬にしていたことは遅かれ早かれ、い
ずれ図書館の面々の耳にも届くだろう。
彼らはジイさんが望むとおり、その身勝手さに呆れるだろうか。
671
それとも持ち前の頭の冴えで規約違反の裏に隠された虚勢を読み
取るのだろうか。どう転んでも、あの人らしいな、と語られるよう
に俺は思う。
﹁どうじゃ、気持ち悪いじゃろう。老いぼれが意地を張っても醜い
だけじゃからな﹂
﹁別にそんなふうには思わねぇよ﹂
俺はビザールの選択を、茶化したり糾弾したりはできない。
冷たく事務的な引継ぎがなされるよりはよっぽど人間味がある。
こんなめちゃくちゃなジイさんがあんな堅苦しい施設のトップを張
れていたんだから、その人望の厚さがうかがえる。
でなきゃ受付嬢が号泣したりなんかしないか。
真っ向から規則を破っているくせに町全体から惜しまれながらの
解雇ってのもおかしな話だが、このジイさんだからなんだろうな。
﹁ジイさんの心境が聞けてよかったよ。これで無駄に罪悪感とか覚
えなくて済むからな﹂
﹁つくづく性格の悪い男よな。死にかけたワシに減らず口を叩ける
のはお前さんぐらいじゃぞ﹂
﹁別にいいじゃん。もう司書じゃないんだしさ﹂
﹁ふむ! それもそうじゃな﹂
﹁それにまだまだ生きるだろ﹂
辞めてすぐ逝かれたら後生が悪いってもんじゃない。俺に限らず。
672
﹁でもネコスケ⋮⋮じゃねぇや、アイシャには話したほうがいいぜ。
薬のことも含めてな。あいつを雇っている間は好きに甘えろよ﹂
あれだけ趣味を全開にして耳をモフっておきながら、それよりプ
ライベートでない退任騒動や健康面の不具合は隠すというのもアホ
な話だ。
﹁ならば頼みがある。とあるハーブを持ってきてもらいたい﹂
﹁ハーブ? なんでまたそんなのを﹂
﹁ただのハーブではないぞ。多大な鎮痛成分を含むフレシアルバと
いう特殊なハーブじゃ。ワシが使っている薬とは違い、精神状態の
悪影響を及ぼさないとされておる。それがあればアイシャにいらぬ
負担をかけずに済む﹂
要注意指定されている魔物同様ピンとこない名称だが、よく考え
たら一般的なハーブの名前もロクに知らないのでそれほど違和感は
なかった。
ただそれは滅多に手に入るものではないという。並の薬屋にはま
ず置いておらず、ウィクライフ圏内で採取もできないため、文献で
確認しただけなのだそうだ。
﹁無論報酬は出そう。ギルドを介さないとはいえ依頼じゃからな﹂
﹁金なら興味ないからいらねぇぞ﹂
﹁ワシだってやれるほどの金は残っておらぬわ。今日からは無職な
んじゃからな﹂
提示されたのは、洋棚にしまわれていた白い衣類だった。
平たく畳まれているからそれがなんなのかは一見して分からなか
673
ったが、司書に支給される専用のローブらしい。
﹁七期目の着任時に仕立てたものじゃが、既に療養に入っておった
から一度も袖を通しておらん。これをやろう。おそらく、この町の
武具店で売られているローブにこれより上質な生地を用いたものは
なかろう。お前さんが先日連れてきていた山羊のお嬢さんに着させ
るといい﹂
﹁いいのか?﹂
﹁もう使うことはないからの﹂
しんみりとさせるようなことを言ったかと思えば、﹁非売品だか
らレアじゃぞ?﹂なんて俗っぽくおどけてくるんだから、このジイ
さんは喰えない。
しかしまあ、ローブか。
防具屋で買うよりも上等だというなら、悪い報酬ではない。
﹁ローブは男女兼用だからお前さんが着ることもできるぞ。司書ご
っこがしたければ存分にすればよかろう﹂
﹁誰がやるか、誰が﹂
﹁珍しい奴じゃな。司書のローブは学徒の憧れじゃというのに。も
っとも任期ごとにデザインが新しくなるから、ワシの代で終わりの
これを着ていたところで権威を示すなんてことはできんがな﹂
ローブをぼんやりと見つめるビザールは、改めてに辞職について
咀嚼しているようだった。
到底勇退とは呼べない引き際なのに、その表情から悔いは見当た
らない。
674
﹁にしても、文献でしか見たことがない⋮⋮ねぇ﹂
﹁お前さんの目的のついでで構わぬ。あればでいいから探すだけ探
してみとくれ﹂
と言われても、このへんで採れない素材を持ってこいなんて雲を
つかむようなもんなんだが。
﹁でも、ハーブか﹂
それならアテがなくもない。
675
俺、奇想する
﹁とりあえず一日だけ待っててくれよ﹂
ジイさんにそう言い残して郊外を離れた俺が向かったのは、露天
市場だ。
真面目くさった町の中にあってとりわけダーティーなこの場所に
は、一般には流通しない商品がゴロゴロと転がっている。
それが掘り出し物なのか、はたまたただのガラクタなのかは別に
して。
潔癖に生きていたらまずお目にかかれないような品々がズラッと
並ぶ様は壮観である。
俺は数ある露店の中から、布をぐるぐる巻きにした帽子に縛った
裾以外が膨らんだ服という、砂漠の王子様みたいな格好をした男を
探す。
そいつは簡単に見つかった。
目で追うよりも、粘膜を突くような香辛料の匂いを辿るほうが早
い。
﹁やあ、いらっしゃい。また見る顔だね﹂
商人はうさんくさいとさえ感じるほどの過剰に愛想のいい笑顔で
676
接客する。
店を冷やかしている客は俺の他にいなかった。
スパイスやハーブなんていう、用途がマニアックな割に高額な嗜
好品ばかりを店頭に並べているんだから、そんなもんなのだろう。
ただ今日は特に朝から客入りが悪いと、商人は苦笑いして愚痴を
こぼした。
﹁司書選を近日中に控えているからね⋮⋮ああ、お客さんはまだご
存知なかったかな?﹂
﹁知ってるよ。ビザールが解雇されたことだろ﹂
むしろ大きく関わってすらいる。
﹁これは失礼。嫌でも耳にすることだしね、それも当然か。やれ辞
任の真相だの、やれ次の司書は誰がふさわしいかだの⋮⋮今朝はそ
んな話ばかり聞こえてくるよ﹂
﹁人間って奴はどいつもこいつもゴシップが大好物だからな。でも
なんで司書選が近いと客足が遠のくんだ?﹂
﹁簡単な話さ。新しい司書が決定されたら、祝儀の意味を込めて商
業ギルド全体で値下げセールを敢行することになっているからだよ﹂
﹁へえ﹂
王立図書館の司書交代というのは、どうやら俺が思っている以上
に一大行事のようだ。
町中がその話題一色なのも合点がいくな。
677
﹁王都からの使節団や他地方から来てくれる人も増えるからかき入
れ時でもあるんだよね。ただし、それまでは住民の貯蓄傾向が進む
から消費が落ちるんだ﹂
﹁ふーん。買い控えってことか﹂
﹁でも僕たち露店商にはデメリットしかないけどね。値段云々で売
上が大きく変わるようなものはこのマーケットにはほとんどないん
だから﹂
﹁まあ、そりゃそうだな﹂
大特価になったからって、たとえば隣の露店で売っている意味不
明なサイズの弦楽器を買おうだなんて微塵も思わないし。
不景気な話だとは思うが、しかし俺がどうこう口を挟めるような
ことではない。
一人の客として来た目的を説く。
﹁探しているハーブがあるんだ。フレシアルバっていうんだけどさ﹂
﹁ああ、それならうちでも取り扱っているよ。在庫は然程ないけど、
それで構わないなら﹂
﹁おっ! マジか!﹂
ボッタクリ商品を大量に扱っているんだから、輸入品のひとつや
ふたつくらい置いていても不思議ではないと考えたが、ドンピシャ
だったらしい。
商人は包み紙をほどいて、中身の乾燥ハーブを俺に紹介する。
この指が三本もあればつまめる程度の分量で1600Gの値段が
付けられているんだから、まったくアコギな商売だ。
678
﹁フレシアルバは爽快感のある香りが特徴だ。このまま吸引するだ
けでも心身をリラックスさせるはたらきがあるよ﹂
﹁爽快感ねぇ﹂
ちょっと嗅いだところ、安物の芳香剤みたいにしか思えないけど。
ただ効果が本物であることは即座に判明した。ほんの少し吸った
だけでもうっかり魂を手放してしまいそうになるくらい、全身から
気持ちよく力が抜けていく感覚に襲われる。
あまり長く嗅いでいると逆に危ねぇな、これ。
﹁もしやとは思ったけどこんなにあっさり見つかるとは⋮⋮どこで
入手したんだ? この近くじゃ採れないんだろ?﹂
﹁遠征中の行商から仕入れたんだよ。露天市場と各地を旅歩く行商
人が密な関係にあることは、まあ言わなくてもなんとなく伝わるよ
ね﹂
それは理解できる。
転生直後の町にいた頃、珍しい装備品は大体行商経由で手に入れ
ていたし。
それにしても、あのジイさんが本の中でしか見たことのない代物
を単なる商人が仕入れられているとは。よほど情報に敏感でないと
こうはいくまい。
﹁けど妙な注文だね。これは料理やお茶に使うものじゃない。どち
らかというと薬用ハーブだ。煎じて飲めば痛みに対して鈍感になれ
679
るけど、日常でそうそう必要になるような用途じゃないよ﹂
﹁薬でいいんだよ⋮⋮実はな﹂
事情を話す。
﹁そうか、ビザール卿が⋮⋮療養中とはうかがっていたけど、そこ
まで深刻な病魔に侵されていたのか﹂
﹁まあ精神的には年寄りとは思えないくらい元気だけどな﹂
今にも折れてしまいそうな腕で、ホクトの耳触りたさに俺の手首
をきつく握ってきた時のことを思い出す。
あのバイタリティはどう考えても老衰したジジイのそれではない。
﹁だけど、変だね﹂
﹁なにがだ?﹂
﹁今朝服用していたのも鎮痛剤で、お客さんにお使いを頼んだのも
痛み止めだ。病気を治すことは諦めてしまったのかな﹂
それは俺も引っかかりはした。
しかし。
﹁もうどうしようもないって自分でも分かってるんだろ。もし打つ
手があるんならジイさんだってそうしてるさ﹂
多分だが、ネコスケに買いに行かせていた薬も例の副作用付きの
鎮痛剤なんだろうし。
﹁どうしようもない、なんていうのは、どうにかしようとしてから
680
でないと出てこない言葉だよ﹂
商人はそれでもまだ疑問が晴れていないらしく、口元を手で覆っ
て考えこんでいる。
接客中の嘘のようにニコニコとした顔はどこにもない。
思考している間の商人の目は、宝とゴミが入り混じった闇市には
似つかわしくない、整然とした知性に満ちている。
俺はこの鋭い眼差しを見ているだけでこいつの本分がキレ者であ
ると分かった。
思えばネコスケの行方を言い当てたのもこいつだしな。その時も
こんな冷静沈着な表情を張りつかせていた。
﹁今は手元にないけれど、たとえばセリールディアという貴重なハ
ーブには万病に効くという伝承が残っている。﹃知者の長﹄ともい
える司書を長年務めておられたビザール卿ともあろうお方がその存
在を知らない道理がない。どうしてこれを探すように頼まなかった
のかな?﹂
﹁そりゃお前⋮⋮そこまでレアなものは望み薄だからだろ﹂
﹁どうだろう。場所をウィクライフに限るなら、入手難度にそれほ
ど差はないけどね。結局はどこかから運ばれてくることを祈るしか
ないんだから﹂
商人は含みのある言い方しかしてこない。
﹁な、なんだよ。きっぱりと言ってくれよ﹂
﹁うん。おそらくだけど⋮⋮ビザール卿は既に、セリールディアを
681
含めてありとあらゆる特効薬を試している。そしてどれもダメだっ
たんじゃないかな﹂
ありえる話ではある。
すべて試した上で諦観に至ったのだとしたら、自然な成り行きだ
ろう。
だが商人の怪訝はそこで終わりではなかった。
﹁どの薬も効かないほど珍しく、鎮痛剤に頼らないといけないほど
重い病なのに、何年もゆっくりと時間をかけて進行している⋮⋮少
し奇妙じゃないかな?﹂
﹁は? おいおい、すぐ死なないとおかしいみたいに言うなよ。ド
キッとするじゃねぇか﹂
﹁ごめん。でもどうしても気になってしまってね。それにビザール
卿は元気なんだよね? これだけの難病にもかかわらず﹂
﹁そりゃもう、病人とは思えないくらいに⋮⋮﹂
俺はそこでふと、今までなんの問題もなく受け入れられていたこ
とが急激に不自然に感じてきた。
強烈に死を意識させられる衰弱した体に、その外見から想像でき
ない健康的な人格。
俺はそのギャップを﹁そういう人物﹂の一言で片付けていた。
病を気力で抑えつけているのだと。
しかし商人との会話を経た今、改めて考えてみると、ビザールの
682
外面と内面の乖離が途端にありえなく思えてくる。
それはまるで、肉体だけが精神を置き去りにして死んでいってい
るかのような⋮⋮。
﹁ビザール卿がかかっているのは本当に病気なのかな?﹂
商人は根底からひっくり返すようなことを平然と口にした。
それはちょうど、今まさに俺の頭をよぎり始めていたことと一致
していた。
683
俺、転換する
﹁⋮⋮知るかよ、そんなの﹂
俺にはそうとしか答えられなかった。
いやむしろ、病気だと直球で言い切れないほどに心境が揺らいで
いると見るべきか。
﹁けどな、病気じゃないんだとしたらなんだってんだよ﹂
そう口にするのには墓を暴いているような背徳感がある。
少なくともビザール本人は不治の病だと信じこんでいるだろうに。
﹁予測は立っているけど、断言はまだできない。それは細かい症状
を知ってからでないと﹂
﹁症状を聞ければいいんだな?﹂
それなら適任者がいる。
ネコスケだ。過去に二ヶ月もの間住みこみで働いていた経験のあ
るネコスケならば、ジイさんの様態や病状についてより詳しい説明
ができるはず。
﹁ついてきてくれるか?﹂
﹁もちろんだとも。この件は僕も気がかりだしね﹂
684
承諾はたやすく得られた。
﹁どうせ今日明日はまともに商売にならないんだ、店の営業よりも
そっちを優先するよ﹂
﹁ありがとよ⋮⋮あー、ただ﹂
﹁どうかしたかい?﹂
﹁さっきのハーブだけは売ってくれ。あるだけ買っていくから﹂
﹁毎度あり、と言わせてもらうよ﹂
大枚叩いて萎びたハーブを購入した俺は、そのまま商人をギルド
へと連れていく。
こいつは明らかに俺よりも賢い。それも遥かにだ。自分の頭の出
来なんざ嫌というほど把握しているから今更恥にも思わないが、喋
っているだけで洞察力の違いを思い知らされる。
角度のついた意見を引き出そうと思ったらこいつを頼るしかない。
ギルド前の街道に戻った時、ネコスケは落ち着かない様子でホク
トの周りをうろうろと歩いていた。
待っている間にジイさんが辞任した旨を耳にしたのだろう。
ギルドを訪れる人間がしきりにそのことについて話し合っている
から、ここに足を運んだからには避けようがない話題ではあるが。
﹁おお、主殿。お戻りになられましたか。随分とお時間を取られて
いたようでありますが⋮⋮そちらの方は?﹂
ホクトは急遽俺が連れてきた石油王めいた服装の男に、ウェルダ
685
ンな焦げ茶色の瞳を向ける。
男は男で涼しげな目で﹁しがない商人さ﹂としか語らない。
﹁そんな適当な紹介で終わらすなよ。ほら、ホクトも覚えてるだろ。
ネコスケを探している時のスパイス売りだよ﹂
﹁ああ、あの時の露店商の方でありましたか。その節は大変世話に
なったであります!﹂
シャキッという擬音がこれ以上なく似合いそうなほど背筋を伸ば
して敬意を示すホクト。
﹁まあその話は別にどうでもいいんだけどな⋮⋮ええと、ネコスケ﹂
﹁にゃっ? ⋮⋮うにゃ、なんですかにゃ﹂
上の空だったネコスケは俺の呼びかけにぴくんと肩と耳を動かす。
心ここにあらず、といった感じだ。
﹁この男の質問に答えてほしいんだ﹂
﹁質問⋮⋮?﹂
﹁立ち話をしてるうちに、二人してとある疑問点が浮かんできてな。
ネコスケの協力がないと解消できそうにないんだ﹂
俺は一番の要点を伝える。
﹁ジイさんに関することなんだよ﹂
﹁っ!﹂
ネコスケは息を呑んだ。
686
﹁嫌でも耳に入ってるだろうけど、ジイさん、司書辞めちまっただ
ろ?﹂
﹁にゃ⋮⋮体調がよろしくないから仕方ないですにゃ﹂
﹁そこなんだよ。この男と話していてそのことに引っかかる点が出
てきたんだ。分かる範囲でいいからジイさんの症状について話して
くれないか? もしかしたら今の状況が変わるかも知れねぇからさ﹂
﹁わ、分かりましたにゃ。真面目にお答えしますにゃ﹂
ネコスケは商人とまっすぐに視線を合わせる。
やや視点をずらした商人はその鮮烈な青緑色の髪を見て﹁ふむ﹂
と納得したように頷き。
﹁なるほど、探していた彼女は見つかったんだね﹂
﹁お前の読みがズバリ当たったからな。⋮⋮で、こいつなんだけど、
以前ビザールのジイさんの屋敷で働いてたことがあるんだよ﹂
﹁間近で健康状態を見ていたわけか。それなら詳細を聞けるだろう
ね﹂
商人は質問を始めようとする。
と、その前に。
﹁あなたのことはなんて呼べばいいのかな?﹂
律儀にもそこから尋ねていた。
﹁今はアイシャですにゃ。にゃにゃ、でも、シュウトさんからはネ
コスケですにゃ﹂
687
﹁名前はひとつじゃないのか。変わったこともあるもんだ。じゃあ
僕はこの場を混乱させないようにネコスケと呼ぶようにしよう﹂
﹁にゃ、それより、ご主人様﹂
﹁そうだな。時系列順に聞かせてもらいたいかな﹂
﹁了解しましたにゃ。四年前のことからお話しますにゃ﹂
ネコスケはとうとうと語る。
耳を覆いたくなるような内容も含まれていた。
激しい咳と吐血を交互に繰り返していた時の様子を克明に語られ
ると、さすがに聞いているのが辛くなる。
それでも、生活リズムに大きな異常はなかったらしい。筋肉の衰
えや全身の痛みで家事は中々行えなかったものの、睡眠や食事はし
っかり摂っていたという。
あの病的な痩せ方も食欲減衰が原因じゃないのか。
⋮⋮あのケモ耳への執着ぶりを見りゃ、他の欲が衰えてないのも
当然か。
だとしたらますます疑念は深まる。
身体は弱っていく一方なのに健康的な生活を送る上では支障がな
いだなんて不可解だ。
それは商人にとっても決定的な証言だったようで。
﹁⋮⋮間違いない。病気に見せかけた呪いの一種だろう。徐々に死
688
に至らしめる﹃呪縛﹄だ﹂
ショッキングな結論を下していた。
当然ながら、ネコスケが最初に、かつ最大に驚愕した。黒目を縮
こまらせて、後頭部をハンマーでブン殴られたような面をしている。
﹁にゃっにゃっ!? そ、そ、そんなの⋮⋮無茶苦茶ですにゃ! おかしいですにゃ!﹂
﹁あなたの話を聞く限り、病気よりも呪いの特徴が大きく出ている
ように見受けられるよ。精神的な部分が一切侵食されていないのは
不自然じゃないか﹂
﹁そ、それは、きっとご主人様のがんばりですにゃ⋮⋮﹂
ネコスケは動揺しっぱなしである。
無理もない。自分が看病していた人物が、実は悪質な呪いによっ
て苦しめられていただなんて、冗談にしてもタチが悪すぎる。
俺もまだ完全には商人の推理を受け入れられているわけではない。
奇想天外な説をかかげても、それを確定させるだけの裏づけがあ
りはせず、状況から判断しているだけに過ぎない。
なのに、なぜだか知らないが、妙な説得力がこいつの言葉にはあ
る。
口の上手さ以上に。
﹁段々死んでいく呪い、ねぇ。本当にそんなもんあるのか?﹂
689
﹁分からない﹂
﹁⋮⋮まあ、そう答えるとは思ったけどさ﹂
思考の速さは本物だが、あくまでもこいつは商売人。
魔法の専門家なんかじゃないしな。
﹁ただ、はっきりしていることがひとつだけある。僕の考えが正し
いとするなら、ビザール卿に明確な殺意をもって呪術をかけた人物
がいるということだ﹂
信じられないような言葉の数々にネコスケは今にも泣き出しそう
な顔をした。
だったら、誰がなんのために?
ジイさんが死ぬことで得をする人間がいるっていうんだろうか。
﹁そんな奴がどこに⋮⋮﹂
いや︱︱いる。
パウロだ。
その名前がパッと浮かんだ瞬間、断片的だった記憶が洪水のよう
に押し寄せてきた。
﹃司書のローブは学徒の憧れじゃというのに﹄
690
﹃本に囲まれるだなんて夢のような職場だ﹄
司書こそがパウロの目標だったのか?
﹃ワシが死ねばその瞬間制度の力でさっくり委譲されてしまうがね﹄
それはビザールさえいなければ達成されるんだろう。
﹃並大抵の火では到底不可能でしょう﹄
十秒で殺せば即座に発覚する。しかし十年かけてなら︱︱。
﹃ああ、また自分の世界に入ってしまいました﹄
﹃パウロはなにかに没頭すると、こうなるきらいがありますからね﹄
狭まった視野に良識が入る隙間はあっただろうか。
﹃それになんだか魔法の性質もユニークですね﹄
﹃いざ使用するとなると他に類を見ないがゆえに甚だ困難だったり
するのです﹄
独特で難解。仮に呪いなら上級魔法の一種であろう。
﹃パウロは当時から優秀な学生でしたからね﹄
習得できたとしてもおかしくない。
﹃優れた学徒であるためには、上昇志向が強いことが条件として挙
げられます﹄
691
優等生らしく、願望を果たすために努力を惜しまない性格をして
いるのならば。
じゃあどこでだ?
背表紙をざっと眺めた限り、そんなまどろっこしい呪縛を連想さ
せてくるタイトルの魔術書は見当たらなかった。
その疑問にも記憶がささやきかける。
﹃この書状は本来、学術機関や他の町の図書館などに本を贈呈する
際に切られるものです﹄
﹃学内に置かれていた本をすべて読み尽くしていた﹄
学生時代に知ったのだとすれば、図書館から証拠が挙がることも
ない。
﹃恥ずかしながら、私は魔法はそれほど得意ではありませんから﹄
﹃パウロより上と断言できる成績を残せた生徒なんて一人か二人し
かいませんでしたよ﹄
謙遜ではなく、隠蔽だとしたら?
﹃そうですか、それは⋮⋮おいたわしい﹄
あの表情は心から悲しんでいるのではなく。
本当にただの演出だったようにしか、今となっては思えない。
﹃上っ面はいいが腹黒い男じゃからな﹄
692
記憶は破片となって、商人から渡されたパズルの設計図を埋めて
いく。
そこに描かれていた絵に美しいストーリー性なんてものはひとつ
もない。
俺は今までは見えていた世界がガラリと姿を変えてしまったよう
に感じてならなかった。
693
俺、強奪する
﹁⋮⋮主殿、いかがなされましたか﹂
愕然とする俺にホクトから声がかかる。
なんでもない、なんて適当に答えられるようなことじゃなかった。
﹁お客さんも予想が立ったみたいだね﹂
﹁ああ⋮⋮ジイさんが死んで得をする奴なんてのは一人しかいねぇ﹂
﹁そう。パウロだ。次の司書の座を奪おうと計画したのだとしたら、
最もその位置に近い彼しかいない﹂
代理を任されるほどの人材だ。
空位にさえなれば後は勝手に世論が背中を押すだろう。
裏に流れる濁った水脈が見えてきた途端、俺はパウロに対して怒
り以上に、畏れを抱いた。自らの願望のためにそこまでするのか、
と。
ネコスケは図書館のお家事情を知らないらしくパウロの名を聞い
てもピンときていなかったが、少なからず面識のあったホクトは目
を丸くしていた。
﹁あの方がでありますか!? 自分の目では、とてもそのようには
⋮⋮﹂
﹁内に秘めた狂気より恐ろしいものはないよ﹂
694
商人は冷たく言い放つ。
﹁ほっ、本当だったら許せないですにゃ!﹂
片やネコスケはヒートアップしていた。無理もない。数日縁を結
んだだけの俺ですらムカついているんだから、それより馴染みの深
いネコスケなら尚更だろう。
しかしこんなところでキレていてもしょうがない。
﹁少し落ち着けよ、ネコスケ。まずは早いとこジイさんに教えてや
ろうぜ﹂
﹁そうですにゃ! ご主人様にもお伝えしないと!﹂
﹁おう。呪いだってんなら解除してやれるだろうしな﹂
ミミが覚えている再生魔法の中には呪いを消し去るものもあった
はず。
なんならジイさん自身が唱えられても不思議ではない。
﹁待った。それは少し難しいと思うよ﹂
﹁どうしてだ。病気なんかよりよっぽど治せそうじゃないか﹂
﹁何年もの歳月をかけて死なせる呪いだなんて仮にあったとしても
非常に稀じゃないか。時間の経過でも解けないようだしね。そんな
珍しい種類の呪縛をありふれた魔法で解除できるのかな﹂
﹁む⋮⋮﹂
言われてみれば、である。
695
上級魔法とは効果そのものよりも独自性の要素が強いとは、他な
らぬパウロの談。
呪術をかけた本人にしか解けなくてもおかしくない。
﹁ならパウロに詰め寄るか⋮⋮ゲロってくれるかな﹂
﹁無謀だよ。証拠がないんだから﹂
﹁だよな。そりゃそうか﹂
知らないの一点張りで通されたらどうしようもない。だからって
剣をちらつかせて力ずくで脅そうものなら即ブタ箱行きだろう。俺
はこんなところで前科者にはなりたかねぇぞ。
それに取引にならなきゃ意味ないしな。パウロの手で解除させる
必要があるんだから、ある程度慎重に扱ねば。
ええい、なんて回りくどいんだ。
まったくもって単純には話が進みそうにない。
﹁パウロだけじゃない。十分な証拠なしに町の人々に呼びかけても
効果は見込めないよ﹂
﹁まあ、そうだろうな⋮⋮っていうか、証拠があっても説得力があ
るかっていうと微妙じゃねーか? 俺らって﹂
﹁だね。自虐になってしまうけど、信用に足る顔ぶれとは呼べない
かな﹂
流れの冒険者とその奴隷。スパイス売りに日雇い獣人。
改めて再認してみるまでもなく吹けば飛ぶような路傍の石だ。
696
こんな奴らの言葉に聴衆が耳を貸すことは、まあ期待できないわ
な。その上内容が内容だ。司書候補が前任者を暗殺しようとしてい
るだなんて気安く信じられるような話じゃない。
﹁それじゃあ、ご主人様に話すのもやめておいたほうがいいですか
にゃ?﹂
﹁そうだね。余計な混乱を招くかも知れない﹂
ここでいう﹃余計な混乱﹄とは、商人は口にこそしなかったがビ
ザールの精神状態のことを指しているのだろう。
直接我が身にふりかかった事件じゃないから俺たちはなんとか議
論できているがジイさんは当事者である。急に大したソースもなく
﹁病気じゃなくて呪い﹂﹁容疑者はあんたが目にかけてる部下﹂な
んて身も蓋もないショッキングな話を聞かされたらたまったもんじ
ゃない。
近年の体の不調が呪いのせいだと確定するまでは黙っておくべき
か。
﹁分かりましたにゃ。うう、もどかしいですにゃ⋮⋮﹂
じれったそうに二の腕を何度もさするネコスケ。
不安と心配と、そして苛立ちが顔にあからさまに書いてある。
﹁とはいえ、水面下でコトを運ぶにしてもな﹂
こいつもジイさんも不憫だし、助けてやれるなら助けてやりたい
697
が、どうすればいいのやら。
﹁まだ推測の範疇を出ていない。公に発信するなら確証を得てから
じゃないと⋮⋮ただ﹂
商人は頬に手を当てて二の句を継ぐ。
﹁時間がない。パウロが司書選に通ってからだと遅いだろう﹂
﹁なんでだよ?﹂
﹁彼にウィクライフにおける絶対的な権力が生まれてしまう。図書
館はこの町の象徴で、その頂点に君臨するのが司書なんだから﹂
﹁実質的な町のトップってことか?﹂
﹁うん。そうなってしまったら多少の疑惑はもみ消してしまえるだ
ろうね﹂
証拠をつかむまでの時間稼ぎ。
暴露が信用されるだけの地位獲得。
その両方が必要だと商人は語る。
ふむ、そうか。
だったらシンプルな手段があるじゃないか。
﹁パウロじゃない奴を司書にすりゃいいだけだな。俺たちで擁立し
ようぜ﹂
俺の出したアイディアにホクトは面食らい、ネコスケは大きな目
をパチクリさせ、そして商人はそう提案することを予期していかの
698
ように満足げに頷いた。
﹁そうすりゃ時間にゆとりができる。そんで証拠が揃ったらそいつ
に発表してもらおう。現役司書以上に発言力がある奴なんてこの町
にはいないんだろ?﹂
﹁ああ。それが一番リターンが望めるやり方だろうね﹂
﹁しかもパウロの野郎に一泡吹かせてやれる。こうなりゃドス黒い
夢ごとぶち砕いてやるぜ﹂
要はパウロが司書の座に就くべく立てた計画のすべてをご破算に
してしまえばいいわけで、達成できれば時間的制約も発言力の低さ
も、更には胸糞悪さまで、全部まとめて解決させられる。
うむ、中々気持ちよさそうじゃないか。
娯楽の一切ない町にはもったいないくらいに。
﹁ですが主殿、その、スケールが少々大きすぎやありませぬか?﹂
﹁無茶じゃないことはお前も知ってるだろ?﹂
ホクトが案じているとおり、俺がやろうとしていることは端的に
言ってしまえば選挙活動。
それも大本命相手に勝つと決めたからには正攻法で立ち向かうは
ずもない。なにかと金がかかることは予測されるが、まあ、問題は
なかろう。
その点にもし問題があるならば、そもそも俺はホクトを雇えてす
らいない。
699
﹁にゃっ! それでしたらミャーも全力でお手伝いしますにゃ!﹂
ネコスケは握りしめた拳をぶんぶんと上下に振って熱くなってい
る。
﹁でも確か⋮⋮図書館の職員しか候補者にはなれないんだったか﹂
あとは前任者からの推薦。
だがこれはビザールの了解を得ないと無理なのでハナから選択肢
から外れている。
できれば経緯を理解してくれる人間がいいが、こちらの話を無条
件で聞いてくれそうな奴なんてあの場所には⋮⋮。
﹁⋮⋮いや、いるじゃないか﹂
一人熱心なビザール派が。
早速図書館へと一同総出で向かった。
今日一日の予定はすっかりキャンセルされてしまったが、気にす
るほどのことでもない。
金なんていつでも手に入る。俺だけに許された特権をどう費やそ
うが俺の勝手だ。
目的の人物は入館とほぼ同時に見つかった。
当たり前だ。そいつは受付カウンターにいるんだから。
700
﹁少しだけ時間をもらえないか?﹂
浮かない顔で仕事に臨んでいた受付嬢に一旦席を離れるよう頼み、
人気の比較的少ない通路で俺たちがここに来た理由を明かす。
受付嬢︱︱会話の中でシルフィアと名前を教わった彼女は、あり
がたいことに事情はすぐに呑みこんでくれた。
ビザールへの信頼がそれだけ厚いってことだな。
現時点でパウロの対抗馬として手を挙げる職員は現れていないた
め、名乗り出さえすればまず間違いなく司書候補者の中に入れると
いう。
最初から勝負を避けられているくらいなんだから、結果を待つま
でもなくパウロがぶっちぎりの大本命なのだろう。
だからこそ入りこめる余地が生まれたともいえる。
﹁ですが私が立候補したとして、住民の方々からの票が集まるとは
思えません。見てのとおり単なる受付係なのですよ?﹂
ただ、仕方のないことだが、自信はまったくなさげである。
﹁任せろ。こっちにはこいつがいる﹂
﹁にゃっ!?﹂
俺の腕に肩を抱き寄せられたネコスケはびっくりして調子の外れ
た声を上げた。
701
町中を探し回っている時に気づかされた。ネコスケはその働きぶ
りのよさから商業ギルド内でかなりの評判となっている。
こいつの応援があれば、でかい組合ひとつ分の票が期待できるは
ず。
そして俺の金だ。政治資金なんていくらでも出せる。
﹁俺のカバンとネコスケの地盤、ふたつ合わさりゃ無敵だ。看板が
なんだろうと勝たせてやるよ﹂
あえてでかいことを言ってシルフィアをその気にさせる。
﹁⋮⋮了解しました﹂
シルフィアはぐっとタメを作ってから口を開いた。
﹁ビザール卿の無念を晴らすため、私の名前を皆様に捧げましょう﹂
﹁その言い方だともうジイさんが死んじまったみたいじゃねぇかよ
⋮⋮まあいいか﹂
了承は得られた。
さて、あとはいかにしてこいつを売りこむかだな。
﹁候補者の発表は二日後になっています。それから投票までは七日
間の猶予がありますので、その期間を利用しましょう﹂
﹁分かった。忙しくなりそうだな⋮⋮ホクトとミミにも働いてもら
わねぇと﹂
702
あれこれ予定を立てる俺の様子を、なぜか商人は妙にニコニコと
して見やってきている。
﹁その間僕は可能な限りで証拠を漁ってみよう。なに、これでも情
報筋だけは多いからね﹂
﹁そうしてくれるなら助かるけどさ﹂
ふと奇妙に思う。
そういやこいつ、なんでここまで首をつっこんでいるんだろうか。
知恵のあるこいつが話に参加してくれているおかげでなにかと捗
っているのは間違いないが、俺やネコスケと違ってジイさんとはな
んの縁もないってのに。
﹁どうして無関係のあんたがそんなにも協力してくれるんだ?﹂
﹁正義感だよ。お客さんと一緒さ﹂
﹁俺と一緒? 冗談きついぜ﹂
そう苦々しく返すと商人はどこが面白いのか知らないがクスクス
と小さく笑った。
﹁僕も名乗っておこう。フラーゼンだ。次にこの名前をお客さんが
聞くまでには、なにかひとつくらいは情報をつかんでおくよ。お互
い尽力しよう﹂
商人はダブダブの服をなびかせながら図書館を去っていく。
司書選開始まで残り二日。
703
時計の針は既に動き始めている。
704
俺、監督する
選挙期間初日。
公示された司書候補者はパウロと、そしてシルフィアのみだった。
すなわち、一騎討ちである。
限られた時間を余すことなく使い切りたい俺たちシルフィア陣営
は、寝ぼけ眼をこすりながらも早朝から時計台前の広場にやってき
ていた。
まるで早番でシフトに入ったような気分だ。
どれだけダルくても出勤時間には間に合わせるという、俺の数少
ない真面目な部分が出てしまったな。バイト根性ともいうが。
さておき、ポッと出のシルフィアなど歯牙にもかけていないのか
知らないが、パウロの宣伝が行われている気配はない。
余裕をこいていられるのも今日までだからな。
こっちにゃ秘策がある。
﹁始めるか﹂
705
俺は情報収集に奔走しているフラーゼンを除いた四人に声をかけ
る。
まずは名前を広めるためのビラ配りから。
一枚一枚が本に使われるような羊皮紙でできている。
印刷業者のおっさんは羊皮紙を広告なんかに使うのは無駄だと本
気でキレていたが、その分の金は払っているんだから文句は言わせ
ない。
ボロ紙だと平気で道端に捨てられるが、品質がよく保存性の高い
これなら自宅までは持ち帰ってもらえるだろう。
さて。
到着時こそ人通りはまばらだったが、ミミとホクト、それにネコ
スケがビラ配りを始めた頃には、あれよあれよという間に人だかり
ができていた。
﹁よろしくお願いします。ビザール前司書の後継者、シルフィア候
補に清き一票を﹂
﹁お願いしますにゃ!﹂
主に男どもで。
﹁まあ、妥当な結果だな﹂
道具やらなんやらを積んだ荷車のへりに腰かけ、その光景をプロ
デューサー気分で眺める俺は、想定どおりに進んでいる作戦の順調
706
さに力強く頷く。
公示まで二日の空きがあったので、その間にビラ以外にもなにか
と準備をしておいた。
そのうちのひとつがコレ。
我が軍の誇る女性陣が身に纏っている選挙活動用の衣装だ。
一言で表してしまうとワンピースタイプのチュニックなのだが、
その大きな特徴としては、男に媚びまくったデザインにある。
一応よくある清廉潔白アピールのためにカラーは明るめのホワイ
トにしているけれども、胸元はザックリ開いているし、スカート部
分の丈も短い。
はっきり言って、白より肌色のほうが断然多い。
足とか膝上まで露出してるし。
おまけにキツめに作ってあるから体のラインがよく分かる。発育
の止まっているネコスケは、まあ、うんって感じだが、ミミの腰周
りの優美な曲線なんかはグッとくるものがある。それより更に凄い
ところまで知っている俺でさえそう思うのだから、他の連中は辛抱
たまらんだろう。
ネコスケとコネのある裁縫職人に発注したのだが、中々人目を引
いてよろしい。﹁なるべく布面積少なめで﹂とデザインに口出しし
た甲斐があるってもんだ。
707
快く着用を引き受けてくれたネコスケたちには感謝しかない。
なにせこれこそが票の獲得を狙った最初の一手だからな。
この世界の女物の服はとにかく露出度が低い。太ももや膝小僧ど
ころか脛すら拝めないっていうんだから、そのガードの固さが分か
るだろう。
その中にあってこれだけ魅力的な格好をしているんだから、そり
ゃウケる。
男という生き物は突き詰めるとアホしかいないからな。
ゴッソリ男性票をいただかせてもらうか。
もっとも俺もアホの一員なので、あまり冷静には客観視できない。
ミミの自然体なエロさも最高だが、ネコスケの健康的なかわいら
しさも捨てがたい。
﹁うーむ、素晴らしいコンパニオンだな﹂
というかアイドルユニットみたいだ。
獣人だから三人とも容姿も整っているし、世が世なら天下取れた
な。少なくともビザールのジイさんは絶頂するに違いない。
﹁しかし主殿﹂
﹁どうした?﹂
﹁やっ、その、自分にはさすがに似合っていないのではありませぬ
708
か?﹂
ビラを補充しに来たホクトはどこかそわそわとしていた。
無骨で勇ましい鎧からフェミニンな服に着替えたホクトは特にイ
メージが激変している。
﹁そんなことないけどな。ホクトはスタイルがいいから見栄えは抜
群だぞ﹂
﹁ですが、その⋮⋮であります﹂
﹁その、なんだよ﹂
﹁じ、じ、自分のような脚の太い者はっ、あまり殿方に好かれると
は思えないでありますっ!﹂
ホクトは赤面しながら早口で言った。
ふむ、確かに、衣装越しに見える太もも回りはムチムチを超えて
パンパンである。
﹁バッカ、お前、それがいいんだろ。分かってないなー。立派な武
器だぜ?﹂
﹁そう⋮⋮なのでありますか?﹂
﹁俺は好きだぞ﹂
と言ってやった。
﹁真でありましょうか? 主殿にそう言っていただけるのであれば
⋮⋮﹂
﹁そうだ。かわいいぞ、ホクト﹂
﹁ななな!?﹂
709
﹁かわいいぞ、ホクト﹂
なんか面白くなってきたので復唱してしまった。
﹁し、失礼するでありますー!﹂
追加のビラを脇に抱えて小走りで現場に戻っていくホクト。
ますます風呂上がりみたいに火照った顔を手で扇いでいたが、少
しは引け目がなくなったのか、投票を呼びかける声のボリュームは
増していた。
うむ、やはり三人並んでいるほうが収まりがいい。身長もバラン
スが取れている。
他方、これから街頭演説に臨むシルフィアが着ているのは三人と
は対照的に、ハーブ依頼の報酬にもらった旧デザインの司書のロー
ブだ。
親ビザールをアピールするにはこれ以上ない勝負装束だろう。
ここ数日の町の声を聞く限り、まだまだビザールの時代は懐かし
まれていた。
シンパであることを強く打ち出せばそういった層からの支持が期
待できる。
といっても別にビザール本人から直々に譲り受けたものではない
のだが、そんな裏事情なぞ誰にも知る由はない。
710
世の中フカしたもん勝ちである。
幸い、ジイさんは身の回りのことは全部ネコスケに任せて外出を
控えているしな。見咎められる心配もないから自由にやれる。
それに⋮⋮。
﹁いかがなされましたか、シュウトさん﹂
﹁いやちょっと、どうでもいい考え事﹂
シルフィアもまたお世辞抜きにかなりの美人だ。
しかし喜怒哀楽が現れた表情よりは、感情を押し殺してキリッと
している面構えのほうが切れ長の目をしたシルフィアにはよく似合
う。
そういう意味ではこの知性と品格に溢れた司書のローブはこいつ
にうってつけだろう。
ミミたちのように華やかな格好をしていないのに、負けず劣らず
魅力的に映る。
これはあれだな。
巫女やシスターに興奮するのと同じ理論なのではなかろうか。
﹁シュウトさん、また様子がおかしいようですが﹂
﹁あ、悪い。また脇道にそれちまってた﹂
﹁しっかりしてください。私はあなたを頼りにしているのですから。
⋮⋮そろそろ街頭演説を行おうかと思います。司書様のイシを継ぐ
711
意向をはっきりと伝えるつもりです﹂
﹁ん? お、おう﹂
俺は真剣ながらも悲壮感のあるシルフィアの顔つきのせいで意志
なのか遺志なのかイマイチ区別できなかった。
ともあれ、いよいよ演説本番。
お飾りであることを承知で大役を引き受けたシルフィアだったが、
こいつもこいつなりにアピールポイントを考えてきたらしく、何度
もメモに目を通している。
こういう堅く深い話に及ぶと俺が意見できることはない。
シルフィアにおまかせするとしよう。
それにしたって、ネコスケは愛想がいい。
緊張がほぐれていないホクトや常にマイペースで表情に動きの少
ないミミと違って、弾けんばかりの笑顔を男女問わず振りまきまく
っている。
ウェイトレスもやっていたという話だから、その経験が活きてい
るんだろうか。
おかげでいいアピールになっているが、それ以上に。
﹁ネコスケ、そろそろ﹂
﹁にゃっ? ⋮⋮あっ、そうでしたにゃ。今のうちに行ってきます
にゃ﹂
712
シルフィアの主張が始まったのを見計らってネコスケに耳打ちす
る俺。
あらゆる職業を渡り歩いてきたネコスケが仲間にいる最大のメリ
ットは商人たちとの繋がりだ。町の見取り図とちょっとした﹃手土
産﹄を握らせて商業ギルドの本部に走らせる。
大衆に向けて投票を訴えるシルフィアの姿は立派だった。
使っている言葉が難しいのでぶっちゃけ内容にまでは頭が追いつ
かなかったのだが、理知的な声のトーンや手ぶりなんかを軽く拝見
した感じだと、その優れたルックスも相まってか様になっている。
俺みたいなロクに判断基準のない人間からしたら、心情的には風
体の冴えないパウロなんかよりこっちに票を入れたくなるものだが
⋮⋮果たしてどうなるか。
﹁⋮⋮っと。ぼーっとばかりしてられねぇな﹂
時計台が示している時刻を確認し、荷車から尻を浮かす。
広場に集った通行人には一人だけシルフィア陣営でサボっている
奴がいるようにしか見えなかっただろうが、まあ待ってほしい。俺
にも重要な仕事がある。
むしろ一番の鉄火場だ。
シルフィアに注目が向いている間に俺は広場を抜け出し、気が引
けながらも着々と目指す。
713
多数の学術機関が立ち並ぶウィクライフ南部︱︱昨夜命名した通
称﹃鬼門﹄へと。
714
俺、暗躍する
歩き詰めた先の学区に漂う冷淡な⋮⋮というか意識の高い空気は、
場違いな俺の肌を容赦なく突き刺す。
まさしく鬼門である。
しかし臆してはいられない。
多くの生徒や職員を抱える学術機関が町内有数の票田なのは明ら
か。
これだけ学問をウリにしている町なんだから各方面に太いパイプ
もあるだろうし、ここを押さえておけば票数は一気に稼げるに違い
あるまい。
表面をテカテカに磨き上げた石壁が印象的な建物にまずは入る。
看板には﹃レクフェリウス・ジュニアアカデミー﹄とある。偉大
な創立者の名前から取られたと注釈が添えられているが、誰でもい
いよそんなのくらいにしか思わない。
ただ子供向けの学校であることだけは分かった。
事実、丈を余したローブ姿のガチんちょ集団が続々と登校してき
ている。
﹁どうも。司書選の挨拶に参りました﹂
715
﹁はいはい、挨拶回りですね。こちらにどうぞ﹂
﹁し、失礼します﹂
選挙期間中に投票の呼びかけに来られるのは慣れたものなのか、
若い女性職員の応対は非常にスムーズだった。
むしろ俺のほうが戸惑っている。こんな簡単に進むとは。
応接室に通され、でっぷりとした学長と対面。
﹁ようこそいらっしゃいました。このたびは受付嬢のシルフィア氏
が候補になられたそうで﹂
﹁ええ。それでですね、是非とも学界きっての知者揃いであるこち
らのご理解を得たいと思いまして﹂
不得意なりに下手に出る俺。
﹁それで参られたのですか。ええ、ええ、分かりますよ。司書選に
なると慌しくなるのは恒例ですからな。挨拶回りも大変でしょう﹂
﹁挨拶、といえば聞こえはいいですが⋮⋮私どもの場合は根回しと
でも申しましょうか⋮⋮﹂
﹁⋮⋮と、言いますと?﹂
﹁こちらです﹂
テーブルに金貨を積み上げる。
﹁前金で十万G。当選すれば追加で倍出しましょう﹂
﹁⋮⋮ほう。私に望む見返りはなんですかな?﹂
﹁それはもちろん固定票ですよ﹂
716
俺はいやらしくそう伝えると、口元をほころばせた学長は遠慮な
く金貨に手を伸ばしてザッと自分の側に寄せた。
この光景、すぐ近くで無邪気に勉強に励んでる少年少女たちには
到底見せられないな。
﹁協力しましょうとも﹂
﹁ありがとうございます。言わずもがなですが、この件は内密にお
願いしますよ﹂
﹁分かっております。それにしても、中々大胆なことをしますなぁ﹂
﹁いえいえ、学長さんこそ﹂
悪代官コントもそこそこに、次の現場へ。
壁一面が白く塗られた、いかにもクリーンそうな研究施設だった
が⋮⋮。
﹁お納めください﹂
﹁これはこれは⋮⋮! ありがたく受け取らせていただきます﹂
あっさりと賄賂は授受された。 研究にはなにかと費用がかかるようで、金貨を提示すると目の色
を変えられた。図書館のように王都から運営予算が出ていない以上、
寄付、というか個人献金は切っても切れない関係にあるらしい。
その後も。
﹁もちろんシルフィアくんを応援しよう﹂
﹁受け取りはする! するが⋮⋮これは補助金として計上だな!﹂
717
﹁シルフィア優勢? ならば足並みを揃えるとしましょうか﹂
﹁了承した。こちらからしても好都合だよ。あそこのアカデミーの
卒業生であるパウロが司書になろうものなら、そちらに新規の学生
を奪われかねないのでな⋮⋮﹂
﹁有名人を輩出したとなれば、母校の評判も高まりますからね。こ
こは派閥に絡んでいないシルフィアさんが勝ってくれたほうが助か
りますよ﹂
﹁この金銭そのものより今後の予測収益のほうが大きいかも知れま
せんな。ハッハッハ﹂
他校の出身者であるパウロを勝たせたくないという思惑と一致し
たようで、投票の約束は難なく得られた。
なんか、大人の汚い部分をこの短時間の間に大量に垣間見た気が
する。
とはいえでかい建造物に的を絞って訪ねたことが功を奏したのか、
俺が相手した八名は肩書きを聞いた限りだとそうそうたる顔ぶれだ
った。業界内で発言権を持ってそうだし、端々まで口利きしてくれ
ることを期待するとしよう。
﹁次は⋮⋮あそこだな﹂
ちょっとしたキャンバスを思わせる大規模な複合施設の門をくぐ
る。
そこの敷地内を歩いている時。
﹁⋮⋮ん?﹂
718
通路を行き交う学生たちの中に、思いがけずよく知った顔を見か
ける。
﹁げ﹂
﹁げ、ってなんだよ﹂
意外なことにヒメリだ。
しかもいつもの鎧なんかじゃなく、いっちょまえに賢げなローブ
を着ている。
似合わねー。
﹁まさかこんなところでシュウトさんと鉢合わせするとは⋮⋮﹂
﹁そっちこそなにやってんだよ。そんな格好までして﹂
﹁いやっ、これはですね﹂
妙にあたふたするヒメリ。
﹁隠すようなことか? まあその気持ちは分かるよ。年増がフレッ
シュな若者に混じって学生気分でキャッキャやってるのはイタいか
らな﹂
﹁違います! あと私もまだまだ若いですから! ちょっとその⋮
⋮つい最近十代じゃなくなったというだけで⋮⋮﹂
微妙に口ごもっている。
もっともヒメリが若い部類なのは間違いない。俺も意地の悪い言
い方をしたが、ギリギリ女子高生のコスプレが許されるラインだろ
う。
719
﹁そんなことはどうでもいいんです! もう正直に言います。秘密
にするようなことでもありませんし。私がいるのはですね、こうい
うわけですよ﹂
カバンから取り出したパンフレットを目の前に突き出される。
短期集中コース、とそこには書かれてあった。
﹁シュウトさんの依頼をこれまで受けていた分お金に余裕があった
ので、簡単な再生魔法を覚えてみようかと思いまして﹂
﹁おいおい、授業料とか結構したんじゃないのか?﹂
﹁魔術書を購入するのと出費はそう変わりませんでしたよ。なら指
導してもらえたほうがありがたいじゃないですか﹂
﹁へえ。じゃあそのローブは?﹂
﹁制服です。これを着ていないと講義は受けられませんから﹂
マジで学生やってたらしい。
しばらく顔を見ていないと思ったら、そういうことだったのかよ。
﹁で、一個くらい魔法は使えるようになったのか?﹂
﹁うっ⋮⋮それはですね、ええと、あともう一歩といったところで
しょうか﹂
なんとなくそんな気はしていたが案の定ネコスケ以下だった。
﹁大体です。シュウトさんこそアカデミーを訪れる理由がないじゃ
ないですか﹂
﹁暇潰しだよ、暇潰し﹂
720
﹁変ですね。どこを歩いても司書選の話題一色ですから、町にいて
もシュウトさんにとって面白そうなことはひとつもありませんよ﹂
﹁うるせぇよ。まるでお前は興味があるみたいじゃんか。でしたら
ヒメリさんの此度の選挙についての見解をお聞かせ願えますか?﹂
﹁ま、まあ私のことは、いいじゃありませんか﹂
結局アホの子ぶりを如何なく発揮して最後まで答えられなかった
ヒメリは放置し、当初の目的どおり学長に会いに行く。が。
﹁申し訳ありませぬが、ご挨拶は結構です﹂
ヒゲ面の顔と突き合わせた瞬間、シルフィアの名前を出すよりも
先に、一方的に断られる。
﹁なぜです?﹂
﹁学内では一貫して当アカデミーの門下生だったパウロを支持する
と決めておりますからな﹂
む⋮⋮思わぬ展開だな。
パウロの奴、ここに通っていたのか。
﹁そこをなんとか、お話だけでも﹂
﹁あなたの貴重なお時間を無駄にするだけですよ﹂
﹁なにがあっても譲れませぬぞ。ようやく我が校からも名のある人
物が生まれるチャンスが来たのですから!﹂
強硬に突っぱねられた。
これは懐柔できそうにないな。名誉がかかっているし、金をちら
721
つかせても無駄だろう。逆に不正資金として報告されてしまう可能
性すらある。
そうなったら終わりだ。変に勘繰られる前に、ほどほどで切り上
げるとするか。
﹁分かりました。では引き取らせていただきます﹂
﹁すみませんな、わざわざ足を運んでいただいたのに。パウロは我
が校の歴史の中でも群を抜いて優秀だった生徒。彼の活躍は願った
り叶ったりなのですよ﹂
ようやく芽が出てきたばかりだ、と学長はしみじみ語る。
昔話はそれで終わりではなかった。
﹁ですが、もう一人の三十五期生中の秀才⋮⋮いや彼の場合は天才
になるか⋮⋮彼にかけていた期待はそれ以上でしたよ。あのまま学
問の道を志し続けていれば大輪の花を咲かせたであろうに、本当に
惜しい﹂
過去を振り返っているうちに、どうやら別の、それもトップクラ
スの素質を無駄にした生徒のことまで思い出したらしく、渋い表情
を作っている。
そういえばギルドマスターもパウロより好成績だった同級生がい
た、みたいなことはほのめかしていたな。
といっても部外者の俺にはなんの関係もない話だ、で片付けよう
としたが︱︱しかし。
722
﹁あの類稀な才能をなぜドブに捨てようなどと思ったのか⋮⋮フラ
ーゼンは﹂
﹁フラーゼン?﹂
学長がふと何気なく口にした名前を聞き捨てすることは、俺には
できなかった。
723
俺、追及する
選挙活動二日目は激動と呼ぶにふさわしい一日だった。
もっとも俺たちの地道な運動に変化はない。
ビラを撒き、華のあるビジュアルで人を寄せ、満を持してシルフ
ィアがスピーチを行う。
それの反復だ。
大きく異なったのはパウロ陣営。
一日遅れでようやく腰を上げたこいつらには明らかに焦りが見て
取れた。
パウロの司書就任に箔をつけるための数合わせくらいにしか思わ
れていなかったシルフィアが、聴衆の間で存外の支持を得ていたた
めであろう。
早朝からパウロ派の面々に時計台前を占拠されていたため、俺た
ちは別の場所での活動を余儀なくされた。
まあ、だからなんだという話だ。
結局のところ戦局を左右するのは細々とした票ではなく、まとま
った集団票。
724
俺はそこを押さえている。
あえて言わせてもらおう。
負ける要素はない。
で、その夜。
片付け作業を抜け出して俺が足を運んだ先は、露天市場の隅っこ
に佇む、店と呼ぶのも気が引ける絨毯一枚だけのスペース。
昨日来た時には既に閉店後だったが、どうやら今回は営業時間内
には間に合った。
数多の香辛料が並ぶそこは、言うまでもなくフラーゼンが経営す
る露店である。
売り物に興味はない。
俺が会いたいのは微笑を浮かべ続けた店主なんだから。
﹁いらっしゃい。ハーブは一包700Gから、スパイスは一瓶10
00Gから、そして小ネタは持ってけドロボーの0Gだ。どれをお
売りしましょうか﹂
﹁わざわざ聞くようなことか?﹂
﹁だね。早急に伝えておこう。ツテを使ってパウロが通っていたア
カデミーの図書室について調べてみたけど、該当する呪術について
記された魔術書はなかったみたいだ。成績優秀者しか立ち入れない
特別室にさえ、ね﹂
725
ただし、近い内容のものはあったとフラーゼンは続ける。
﹁たぶんだけど、それを参考にして独学で開発したんじゃないのか
な。ビザール卿が気づけないわけだよ﹂
﹁そうか。情報ありがとよ﹂
﹁⋮⋮どこにツテがあったのかまでは聞かないんだね﹂
﹁そんなもん分かりきってるからな﹂
俺は理由を答えてやる。
﹁おまえ自身がそこの生徒だったからだろ?﹂
フラーゼンは驚きすらしない。ミステリー映画にありがちな憎た
らしい登場人物のように、ご名答、とでも言いたげですらある。
﹁参ったね、そんなことまで知られちゃったのか﹂
口でこそそんなふうにうそぶいているが、まったく気にも留めて
いないのは悠然とした態度を見れば一目瞭然。
﹁しょーもない芝居はやめろよ。バレるとこまで想定済み、みたい
な顔してるくせに﹂
そう指摘してようやく、フラーゼンは﹁まあね﹂と認める。
﹁俺のカバンがあれば無敵だ、ってお客さん自身が口にしたでしょ
? お金で票を操作しようと思ったらこの町ではまず真っ先に南部
の学術機関が着目される。そこで活動したのなら、遅かれ早かれ僕
の経歴に辿り着くはずだからね﹂
726
こともなげに説明するフラーゼンを、俺はだんだん薄気味悪く感
じていた。
前述の予測を立てた上で、なおかつ、パウロの母校でフラーゼン
の名前を耳にしたなら必ず自分の下に真相を問いただしに来るに違
いない⋮⋮と計算できていなければ、こんな泰然とは構えられない
だろう。
にしても、次にこの名前を聞く時までには、か。
なるほどな。今になって真の意味が分かった。質問への返答つい
でに情報を教えられるようにしておこうと考えていたってわけか。
こいつが見ている世界の広さは俺には想像もつかない。
ジイさんの呪縛を推考した時にしてもだ。
﹁でも、僕が自分で知っていたのは一般に開放された図書までだ。
特別室にある本に関しては本当に知人のツテを頼らせてもらったよ。
生憎、僕は真面目な生徒なんかじゃなかったからさ﹂
﹁嘘くさい話だな。﹃学園一位のフラーゼン﹄のくせに﹂
俺のその嫌味にもフラーゼンは欠片も動揺する素振りを見せなか
った。
﹁学長のおっさんが聞いてもねぇのにベラベラと昔話を喋ってくれ
たぞ。アカデミー開設以降で最高峰の天才だったってな。それに、
えー、なんだ、森の先住民族がどうのこうので⋮⋮﹂
﹁先住民族に関する新説と実験考古学的論拠、のことかな﹂
﹁そう。それだ﹂
727
未だに何語なのかもよく分からないタイトルのそれは、フラーゼ
ンが学生時代に提出した研究課題だそうだが。
﹁発表と同時に大騒ぎになったそうじゃないか﹂
﹁突飛すぎるって馬鹿にされただけだよ﹂
﹁ホントかよ。おっさんは﹃あんな学説は他の誰にも出せない﹄っ
て昨日のことかのように思い出しては震えてたぜ﹂
﹁まあ、奇抜ではあったかな。けれど今となっては先住民族を語る
際に引用されることもない。それが世間の答えだよ﹂
けど、とフラーゼンは付け加える。
﹁真面目じゃなかったのは本当だ。権利はあったとはいえ特別室に
なんて行こうとも思わなかったよ。王立図書館から寄贈された貴重
な本があることは聞いていたけど、だからって関心があったわけで
もないしね﹂
﹁おっさんもそんな感じの話はしてたな。フラーゼンは学問の天才
だが、才能を腐らせる天才でもあったって﹂
﹁悔しいけど、言い得て妙な評価だ。それにしても、学長からそん
なふうに思われてただなんて⋮⋮今更ながら恥ずかしいなぁ﹂
さほど悔しそうでもなさそうにフラーゼンは帽子を被り直す所作
をする。
﹁僕の過去についてはこのくらいでいいじゃないか。司書選には一
切関係のない話題だ。六日後には投票が始まる。まずはそこに集中
しよう﹂
﹁そりゃそうなんだが⋮⋮もったいねぇことしてんな、お前﹂
﹁なにがだい?﹂
728
﹁いや、そんだけ頭がよかったのに、なんでまたこんな無法地帯一
歩手前の場所で商売やってんのかなって﹂
﹁パウロが読書に興味があったのと同じで、僕は金儲けに興味があ
った。それだけの話さ﹂
フラーゼンが言うには、薬草学を履修しているうちに﹁これは金
になる﹂と思い当たったらしい。
珍重される植物の効果ではなく、市場価格に着眼した結果だそう
だ。
﹁希少性を金銭に変換するのは一種の錬金術じゃないか。これほど
興味深いものはないよ﹂
で、そこから現在にまで至ると。
﹁はあ。訳分かんねぇ人生歩んでんな。勉強してたってことは魔法
も使えるんだろ?﹂
﹁一応は。でもどうかな、もうリフレッシュあたりの再生魔法以外
は忘れちゃったかも知れない﹂
かつて神童扱いされていた男は悪びれもせずクスリと笑う。
商売をやる上では他に必要ない、と断言しているようなものだっ
た。
﹁でもまあ、おかげでお前が協力してくれる理由も少しは分かった
ぜ﹂
﹁へえ。聞かせてみてくれないかな﹂
﹁あれだろ、パウロへの対抗心みたいな﹂
729
﹁そんなものはないよ﹂
あっけらかんと答えるフラーゼン。取り繕っているようにはまっ
たく聞こえない。
なぜなら次の言葉は⋮⋮。
﹁僕のほうが天才だって分かり切ってるんだから﹂
そんなものだったからだ。
﹁ここに来てそれかよ! 悪い、お前って奴のことが全っ然分かん
ねーわ﹂
﹁だから純粋な正義感でしかないんだよ。僕がビザール卿を救いた
いっていうのは﹂
﹁そうやってはっきり口にしてくれるのは逆に気持ちいいけどさ⋮
⋮なんか腑に落ちねぇな﹂
﹁ビザール卿のために奮闘しているのはお客さんもじゃないか﹂
﹁お、俺のことはどうでもいいだろ。大体そんなんじゃねぇし。関
わっちまったからには最後までケツを拭いてやるってだけだ。はい、
これでこの話題は終了!﹂
矛先を向けられた俺は強引に話題を打ち切る。
﹁そうだね。目的を同じくする僕たちの間に私語なんて無粋か。⋮
⋮こちらも調査を継続していく。共にがんばろう﹂
顔色も声のトーンも変えずに、フラーゼンは﹁続報はまた次の機
会に﹂と伝言を残した。
730
本当にこいつの考えていることだけは謎めいている。
手助けする動機もそうだが、なにより、天才自覚しておきながら
その道を逸れて露店商って。
俺には井戸の中を泳ぎたがるクジラの気持ちなんてものは理解で
きるはずもなかった。
731
俺、開票する
選挙の日には投票に行こう!
⋮⋮なんてのは選挙権を持っている奴らに向けたスローガンであ
って、ここの住民でない俺には無関係な話だ。
候補者公示から早一週間。
この日、王族に司書として推薦される人物を決める投票が朝から
開催されていた。
決戦の舞台は図書館。ざっと町の様子を見回しただけでも、その
方角に歩いていく足並みの数が普段よりも多い。票を投じに行って
いるものと見てまず間違いないだろう。
見学する意味もないので日中は探索にでも行って時間を潰す予定
だが、結果が発表される頃には俺もシルフィア陣営の一員として顔
くらい出しておくとするか。
期限は十八時まで。集計結果は今夜のうちにも出るそうだが、果
たして。
もっともこちらには勝算しかなかった。
大勢は既にシルフィアに傾いている。ありがたいことに商業ギル
ドの面々はめちゃくちゃ協力的だった。投票の約束だけでなくビラ
の店頭張り出しまでやってくれたんだから、それはもう宣伝効果は
732
ウナギ上りである。
事実、パウロは昨日から姿も見せていないと伝え聞いている。
出馬だけで当選確定、と住民どころかパウロ本人でさえ思ってい
たんだろうが、その戦前予測は見事に引っくり返った。
それもこれもネコスケが築き上げたコネのおかげだ。
今も俺とホクトに挟まれて荷車の点検をやってくれているが、こ
いつがもたらした影響の大きさは非常にでかい。
本当に頼りになる奴だ。
バイト先の後輩にこんな奴がいてくれたら、俺も少しはワンオペ
をやらされる回数が減っていただろうな。
﹁シュウトさん、油が差し終わりましたにゃ! 遺跡にレッツゴー
ですにゃ!﹂
﹁よし、行くとするかー。ここんとこ金遣いが荒かったからな⋮⋮
少しは埋めとかねぇと﹂
分かっちゃいたが選挙ってのは無限に金が必要になる。
準備だけでも金貨が千枚近く吹き飛んでいったし、裏金の手配に
はもっとかかった。
当選したらここから更に謝礼金の支払い百六十万Gが上乗せされ
るんだからたまったもんじゃない。
733
なんか町から町へ移動するたびに使ってる金額がでかくなってる
気がする。理想の土地を見つけるまでに本当に貯金ができてるのか
不安になってくるな、マジで。
﹁だからこうやって選挙当日ですら金策に行こうとしてるんだけど
さ﹂
荷台に飛び乗る俺。
﹁ホクト、出発だ。車両を引いてくれ﹂
了解であります、とホクトがいつものように元気よく答える。
プレートメイルを装着した探索仕様のホクトは勇ましく、俺がよ
く見慣れている姿である。
俺の背中には苦楽を共にしたツヴァイハンダー。このふざけた重
量感を茶目っ気と言い換えてしまえるくらいには、こいつには愛着
がある。
探索に出かける朝。
ありふれた日常のはずだった。
後方で、静かな町の情景に似つかわしくない悲鳴が次々に叫ばれ
るのを聴くまでは。
﹁なっ、なんだ?﹂
734
パッと振り返る。
俺だけでなく、周りにいた全員がそうしていた。
悲鳴が上がった理由は即座に判明した。
﹁⋮⋮こりゃあ、どんなエリートだってお澄まししてる余裕なんて
ないわな﹂
この距離からでも分かる。そのくらい巨大な﹃そいつ﹄は路面を
突き破り、町のほぼ中心に位置する時計台前の広場に伸びていた。
植物なのは間違いない。茎があり、葉があり、花がある。
だがその茎には無数のトゲが生えており、花びらは血のように真
っ赤だ。
﹁あれは⋮⋮薔薇か?﹂
咄嗟にタワーローズと名付けたそいつは、俺がそんな安直なネー
ミングをしてしまうほどに異様な背丈を誇っていた。
高さにして十メートルは優にあるだろうか。
直立不動ならまだマシだったが、全身がうねうねとドジョウみた
いに波打っていやがるから気色が悪い。いや、待てよ。動いている
ということはつまり⋮⋮。
﹁魔物かにゃ!?﹂
735
まったく同じことをネコスケは考えていたらしい。
俺たちが規格外の薔薇の花を見やっている間にも、恐怖心に支配
された通行人はワーキャーとわめきながら、我先にと広場とは反対
方向に逃げている。
無理もない。あんなのを見てまともな感覚でいろって言われても
酷だ。
一応Cランク冒険者であるはずの俺ですら﹁突然すぎるだろ!﹂
と若干びびってんだから。
ホクトも表情をキッと引き締めつつも、汗の雫と共に動揺を滲ま
せている。
﹁なぜ市街地に魔物が⋮⋮!? そのようなことが起こり得るので
ありましょうか?﹂
﹁聞いたことがねぇな。いくらなんでも掟破りすぎるだろ、これは﹂
町中に魔物が出るなんて不測の事態は初体験だし、周りの連中の
オロオロとした反応を見た感じだと、前例もなさそうだ。
﹁⋮⋮偶然なのでありましょうか?﹂
﹁かも知れないけどよ﹂
にしては不自然だ。急も急すぎる。
﹁こう、臭いものを感じるよな、なんか﹂
736
なにより選挙当日に⋮⋮というのは、ちょっとタイミングが出来
すぎてやいないだろうか?
この違和感、フラーゼンならきっとこう言うだろう。
本当にそれは偶然なのか、ってな。
仮に仕組まれたものなのだとしたら、それによるメリットがある
はず。
﹁どうやったかは分かんねぇけど⋮⋮なにか仕掛けたとしたらパウ
ロだろ﹂
選挙が邪魔されて得するのは、当日の投票結果を待つまでもなく
敗戦濃厚なムードが漂っていたパウロだけだ。
考えてみればそうだ。一人宿で学習中のミミと合流しようと思っ
たら、あの騒がしい広場の真っ只中を通らないといけない。図書館
を目指すのも同様に困難だろう。
完全に町が分断されている。最早投票どころじゃない。
あいつの居場所を探さなければ。
﹁いや、その前にか﹂
あのバケモンをなんとかするのが先決だな。
﹁タダ働きさせやがって。もしマジでお前の仕業だったら本気で恨
むからな、パウロの野郎﹂
737
﹁主殿、お供するであります!﹂
﹁おう。回復薬はまだあったよな﹂
﹁はっ。備蓄は万全であります﹂
﹁よし。ならホクトは治療に控えていてくれ。⋮⋮で、えーと、ネ
コスケは⋮⋮﹂
﹁ミャーもついていきますにゃ! お手伝いできることならなんで
もがんばりますにゃ!﹂
ナイフをぐっと握り締める動作からも気合十分なのは伝わってく
る。
が、相手はノロマなオークとはわけが違う。もしネコスケと相性
のよくない魔物だったなら、この軽装で数発耐えられるかどうかは
かなり怪しい。
﹁とりあえず様子見していてくれるか。魔法でアシストできそうな
ら、その時は任せたぞ﹂
﹁わ、分かりましたにゃ﹂
ゲロを吐きそうなくらい嫌だが、ここは防御力と再生力を兼ね備
えた俺が矢面に立つしかない。
738
俺、共有する
ダッシュで向かった広場には既に多くの魔術師が集結していた。
学問の町だけあって、その数は多い。二十人程度はいるだろうか。
魔法ではなく真っ当な武器で戦おうという戦士タイプの冒険者は
俺を除いて三人。
これがこのクラスの魔物と戦える面々ってことか。
⋮⋮と思ったのだが、どうやらそういう話でもないらしく。
﹁クソッ! 時計台に来れたのはこれだけか!﹂
ローブの上から複雑な刺繍が施されたコートを羽織った男が、戦
力不足を嘆いてかギリリと歯軋りをする。
俺はそいつに質問を飛ばす。
﹁待てよ。﹃これだけ﹄ってどういうことだ?﹂
﹁商業区にもこいつと同じ魔物が出現しているんだ。そっちにはギ
ルドマスターのエデルさんに担当してもらってはいるが⋮⋮傾向的
に見てこの二体だけとは限らないからな。何人かは他の地区に出現
することを警戒して巡回任務に当たっているんだよ﹂
﹁非番ね。そういうことか﹂
なるほど、道理でヒメリがこの場にいないわけだ。あの功名大好
739
きな奴がこんな分かりやすい町の窮地に立ち上がらないはずないし
な。
﹁だが、この人数で勝負するしかない。あなたも見たところ冒険者
のようだが⋮⋮加勢してくれるか?﹂
﹁そのために来たんだっての﹂
俺は背中のツヴァイハンダーを両手に構える。
とはいえ、頃合を見て離脱するつもりだけどな。こんな町のド真
ん中で大々的にスキルの存在を公にするわけにはいかない。
トドメだけは周囲の奴に刺してもらって、ミミと落ち合うか。
で、だ。
肝心の敵について観察する。
間近で見る、というか見上げるタワーローズは威圧感満点だが、
クネクネと左右に揺れるだけで攻撃は仕掛けてこない。
それが不気味ではある。とはいえ眺めてばかりではなにも解決し
ない。
﹁総員、放て!﹂
誰かの掛け声が口火となって、魔術師軍団は一斉に魔法を発射し
た。
その多くは高熱を帯びた緋色の光線か、あるいは燃え盛る炎の弾
740
丸だった。やはり草木の弱点が火というのは定番のようで、焼き尽
くそうと試みているらしい。
だが着火さえ起きなかった。これだけ盛大に火炎を浴びせたとい
うのに、茎の表面を僅かに焦がしただけに留まっている。
﹁含んでいる水気が多いのかしら⋮⋮? 皆さん、元素を切り替え
ましょう!﹂
隣のお姉さんって感じの無駄にエロい女魔術師が水晶片手に檄を
飛ばすが、魔法の詠唱は連続しては行えない。
仕方ねぇな、と俺は魔物に接近する。
そう考えていたのは俺だけでなく、残る三人の近接戦闘の専門家
もであった。
﹁シンプルでいい! 植物ベースであるなら、断てぬ道理はない!﹂
厳しい面をした男が、まるで木こりのように大斧を茎に打ちつけ
る。
その瞬間。
﹁うおおおおっ!?﹂
衝撃が起因したのか知らないが、茎全体にびっしりとくっついて
いたトゲが弾け飛んだ。
強烈なカウンターに見舞われる俺含む一同。
741
俺以外は鎧を着込んでいるから刺さることもないが、こっちはや
や厚い程度の布地の服。
やばい、これはついに死んだか。
⋮⋮まあ、当然そんなことはない。確かに革や布ではあるが、魔
力の宿ったレア素材で製造されているんだから、そう簡単にはくた
ばらない。
﹁いっ、てぇ⋮⋮この、ふざけた真似しやがって﹂
何本かのトゲがコートに突き刺さっていた。トゲ、と一口に言っ
ても一本が数十センチ大もある。並の衣服であれば造作もなく突き
破られていただろう。
水分が多くてトゲを飛ばすって、薔薇というよりサボテンじゃね
ーか。
俺たちの後ろでもトゲによる被害が及んでいたようで、第二波に
詠唱しようとしていた魔法は中断させられていた。代わりにヒール
が口々に唱えられている。
その状況をよろしくないと見てかネコスケが治療に走る。気の回
る奴だ。
﹁しかしまあ、ちょっと茎を殴ったらこれかよ﹂
どうやら目には目を、歯には歯をを地でいく戦闘スタイルらしい
な、この魔物。
742
体をブルルッと揺すってトゲを振り落とす。トゲの先端を見ると
微妙に血が染みていた。治癒のアレキサンドライトの効果であっと
いう間に傷が塞がったのでそれ以上に出血はないが、ダメージを受
けた直後の痛みはハッキリと俺の体に刻まれている。
許すかボケ。反撃だ。
﹁おい! あんた!﹂
最初に会話を交わした、リーダー然として振舞っていた男魔術師
に声をかける。
﹁テレポートって魔法は使えるか?﹂
﹁もちろんだが⋮⋮それがどうかするのか? あまり長い距離を離
脱することはできないぞ﹂
﹁離脱じゃないし、もっと言ったら前後左右とかじゃない﹂
俺は森の中でのホクトの言葉を思い出しながら告げる。
﹁上だ。俺を連れて上にテレポートしてくれ。あいつの花びらのと
ころまで頼む﹂
﹁上に? 可能ではあるが⋮⋮どうするつもりなんだ?﹂
﹁んなもん決まってる。花なんだからおしべめしべがあるだろ。マ
ウント取ってそこに一発俺の剣をお見舞いしてやる﹂
﹁どうしてその部分が弱点だと思うんだ?﹂
﹁あんただっておしべにキツいのぶち込まれたら悶絶するじゃん?﹂
俺の非論理的な理屈が炸裂する。
743
しかしながら問答無用の説得力があったようで、魔術師は無言で
作戦に首肯した。
うむ、俺とお前が男同士であることを実感するよ。
﹁テレポート!﹂
とある共通認識によって戦友レベルに分かり合った魔術師の腕に
しがみついて、一瞬でタワーローズの最上階に登り詰める。
視界がガラリと様変わりした。
町全体が一望できている。商業区に現れたという個体も確認でき
た。
けど俺が注目すべきは足元。
それこそが標的だ。
着地した花びらは質感が柔らかく、バランスを取るのが難しい。
魔物は相変わらず腰をクネらせていることだし振り落とされないよ
うにしないとな。
﹁うっ⋮⋮これは⋮⋮気味が悪いな﹂
花の実態を目の当たりにした魔術師は吐き気を催したかのように
口を押さえる。俺も同感である。おしべというから粉っぽい感じを
予想していたのに、眼前に現れた実物は粘りのある汁気をたっぷり
含んだ触手みたいな形状だ。
744
中心にあるめしべらしき器官は、それを更に上回って卑猥なこと
になっている。
ただやはり目につくのは、動きのあるおしべ。
﹁キショすぎだろ⋮⋮女の子ドン引きだぞ﹂
これが巻きつこうとしてこようものなら男の俺でも発狂ものなの
だが、ジュルジュルとうごめくだけでこちらに危害を加える気配は
ない。
落ち着いて照準を定め、躊躇なくツヴァイハンダーの刀身を突き
立てる!
すると。
﹁わ、っとと!?﹂
ぬるりとした手応えに顔をしかめる間もなく、ガクン、と急激に
足場が傾いた。
不可抗力的に姿勢を崩す。
﹁お、落ちる!﹂
﹁落下はしない! つかまれ!﹂
魔術師が俺の手をつかんだ。俺もほとんど無意識でその手を握り
返す。
﹁テレポート! 地上へ!﹂
745
移送魔法が紡がれたのを頭が認識した時には、もう俺は地面の上
に降り立っていた。
どうやら魔物は急所を突かれて全身の力を失ったらしい。生殖器
官が弱点という俺の読みは、うまいこと当たってくれていた。
崩れ落ちた魔物は茎が何節にも渡ってポキリと折れていて、なん
とも貧相な外観になってしまっている。
﹁よしよし。それじゃ、後はあんたらで始末をしておいてくれるか
? 俺は次の現場に行くよ。こうなったらもう問題なく倒せるだろ﹂
スキルが明るみになる前にその場を離れようとする。が。
﹁⋮⋮始末もなにも、既に魔物は絶命していますよ?﹂
お姉さん風魔術師がぽかんとして言った。
﹁は? いやでも、まだ形残ってるじゃん。後は煮るなり焼くなり
好きにしてさ⋮⋮﹂
﹁その必要はありませんよ。生命反応はすっかり消えています﹂
﹁じゃあこれ、とっくに死んでるってことか?﹂
﹁ええ。それにしても、こんなに大きな薔薇をたった一撃で倒すだ
なんて⋮⋮うふふ、お兄さんたら、お強いんですね﹂
微笑んだ女魔術師は艶かしい眼差しを送ってくるが、今の俺は鼻
の下を伸ばすよりも、花の謎を追うほうに意識が向いていた。
﹁んんん? だとしたら、おかしくねーか?﹂
746
折れたタワーローズは金貨を落とさないどころか、煙となって消
えてすらいかない。
植物片がそのまま残っている。
死んだのにそのままって、まさかとは思うが⋮⋮これ、魔物じゃ
ないのか?
747
俺、王手する
考えてみればこいつは自ら襲ってはこなかった。
魔物といったらどいつもこいつも人間への敵意に満ちた連中揃い
だっていうのに。
となるとこれは、ただの薔薇が突然変異しただけのものなんだろ
うか。
﹁まずい! 居住区にも出現しているぞ!﹂
誰かの咆哮を聴き、俺は町北東部の一軒家が密集した地区へと視
線を移す。
たった今対処したものとまったく同様の異端極まる花が咲いてい
た。
﹁このメンバーで向かうぞ! 弱点は知れている、そう手間取りは
⋮⋮﹂
﹁待った。ほっといても大丈夫じゃねーか?﹂
俺は居住区に急行しようとする魔術師たちにストップをかけた。
﹁ありゃ見かけ倒しだ。俺たちが攻撃しなけりゃなにも起きなかっ
たじゃないか﹂
﹁む⋮⋮それはそうだが﹂
748
男が言葉を濁している間に、色気のある女魔術師が﹁同意見です﹂
と俺の考えを補強してくる。
﹁いつまで経っても消滅しませんし、これが魔物でないことは確定
しましたもの。人為的に引き起こされた事件じゃないかしら?﹂
辺り一帯に散らばった薔薇の残骸を指し示しながら言った。
﹁ならば、なんのためにだ?﹂
﹁こうやって混乱させること自体が目的なんだろ。放置しとけばい
いったって異様なことには変わりないし、邪魔は邪魔だからな﹂
﹁確かに、町は機能停止してしまっているが⋮⋮﹂
﹁それよりパウロを探してくれ﹂
﹁パウロ? 彼がなにか関係あるのか?﹂
﹁考えれば考えるほどあいつになっちまうんだよ⋮⋮とにかく頼む﹂
魔物でないとすれば、こんな奇々怪々な現象にこじつけられるの
は魔法だけだ。
そして魔術師の誰にも魔法と気づかれなかったとなれば、滅多に
人目に触れない魔術書でしか覚えられないはず︱︱それこそ、図書
館で管理されているような。
条件が絞られていく。
ただ奇妙なのは、付近にパウロの姿が見当たらないことだ。もし
魔法で馬鹿でかい植物を出現させたのだとしたら、奴がこの場にい
ないという事実との符合がつかない。
﹁分かった。探してみよう。ギルドの者にも通達しておく﹂
749
﹁頼んだぜ﹂
捜索の理解を得た俺は、まずは部屋を借りている宿に直行。
ミミと合流を図る。
﹁シュウト様、この騒ぎは⋮⋮?﹂
﹁話は後だ。ついてきてくれ!﹂
﹁わ、分かりましたっ﹂
宿のある区画にもパニックは広がっていた。多くの人々が逃げ惑
っているが、どこに逃げ延びたらいいのか分からず走り出す方向は
バラバラだ。
困惑の色が拭い切れないミミの手を引いて、俺は人ごみの中をか
き分けていく。
﹁にゃにゃっ? 凄い人の数ですにゃ、はぐれちゃいそうですにゃ﹂
﹁ネコスケ殿、自分の背を貸すであります!﹂
小柄なネコスケが人の波に呑まれていきそうになるのを防ぐホク
ト。ナイスフォローだ。頭を撫でてやりたいところだが俺のほうが
背が低いのが難点である。
って、そんな場合じゃない。
パウロを見つけ出さなくては。
とはいえ、手がかりはひとつもない⋮⋮頭の回る奴が必要だな。
750
俺の身内と呼べる中でそれに当てはまるのはミミ、シルフィア、
ビザール、そしてフラーゼン。
ビザールをアテにするのは酷だろう。まだ真相を打ち明ける段階
じゃない。
それとシルフィアは確か、今朝からビザールの屋敷まで挨拶に行
っていたはずだから、この二人は行動を共にしている。
最寄りから聞いてみるか。
﹁ミミ、パウロの居場所についてなんか思い当たる節はないか?﹂
﹁申し訳ありません、ミミには⋮⋮﹂
うーむ、やっぱり無茶振りだったか。
そりゃミミに分かるわけないわな。いくら図書館に通い詰めてい
た分俺よりはパウロと面識があるとはいえ、だからどうしたって話
だし。
﹁それに、パウロさんがあの背の高い植物を出現させたのだとした
ら、その渦中にいないのはとてもとても不可解です﹂
ミミも俺と同じ疑問を抱えていた。
ってことは、やはり頼るべきはフラーゼンか。
香辛料屋がある商業区へと走る。
魔術師の男が語っていたとおり、この地にもタワーローズの茎が
751
天高く伸びていた。
それを囲むように複数名の冒険者たちが布陣している。
輪の中にはヒメリも混じっていた。さすがになんちゃって魔法使
いではお話にならないと自覚していたのか、きっちりロングソード
と鎧を装備している。感心感心。
﹁なに保護者みたいにうんうん頷いてるんですか! シュウトさん
も加勢してください! 手を出すと危険ですから、ずっと睨み合い
が続いていて⋮⋮﹂
﹁だったらずっと手出さなきゃいいだけだろ。そもそもそいつ、魔
物じゃないぜ。倒しても煙にならなかったし﹂
﹁ええっ!?﹂
ヒメリは調子っ外れな声を上げてこっちが期待していたとおりの
リアクションをした。
相変わらず分かりやすい性格してるな、こいつ。
﹁障害物みたいなもんだ。俺はもう行くけど、そんな暇があったら
避難誘導でもしてたほうが評判稼げるんじゃないか? じゃあな﹂
﹁ちょっと! シュウトさん!?﹂
現場を無視し、まっすぐ露天市場へ。
﹁お客さんじゃないか。来てくれたのか﹂
﹁別に心配でとかじゃねぇぞ。お前の知恵がいるんだよ﹂
フラーゼンの広げた絨毯の上にはひとつとして商品が並んでいな
752
い。当たり前だが、商売どころじゃない、ってことか。
﹁この騒動について、シュウトの見解を聞かせてくれないか﹂
﹁んなもんパウロがやったに決まってるだろ。投票が妨害されて得
するのはあいつだけだ﹂
﹁僕もだ。敗勢を悟ったパウロが仕向けたものだと思う﹂
﹁でもさ、こんなことってありえるのか? あの薔薇、魔物なんか
じゃないんだぞ﹂
俺は戦闘の中で知ったタワーローズに関するデータを伝える。
フラーゼンはしばし情報を噛み砕いて。
﹁大量に地下水を吸い上げて異常な成長をしたんだろう。水分が多
いのはそのためだ﹂
いともたやすく推測を立てた。
﹁そして水分過多ということは全体にテンションがかかった状態に
あるのと同じだから、強い衝撃に弱くなる。茎表面の組織が弾け飛
んだ理由もこれで説明がつくんじゃないかな﹂
﹁お、おう。なるほど分からん﹂
﹁簡単なことだよ。水の詰まった袋は破裂しやすい。それと一緒だ﹂
おお、そういう理屈か。
﹁それは分かったけど、パウロの仕業だとしたら薔薇が伸びたすぐ
そばにいないと変じゃねぇか?﹂
﹁さっき教えたじゃないか。薔薇は成長したんだ。発芽の瞬間にパ
ウロがいる必要はない﹂
753
﹁ほう?﹂
﹁おそらく、薔薇の種を撒いた土に向けてなにかしらの魔法をかけ
たんだろう。水分を飽和状態にしたり、栄養分を圧倒的に増やした
りとかさ。その魔法が水属性に分類されるのか土属性に分類される
かは分からないけどね﹂
﹁マジかよ。そんなキテレツな魔法が⋮⋮あるよな⋮⋮﹂
上級魔法は独自性に富む、というのは再三聞いてきた話。
だがこれでパウロの不在証明は崩れた。
﹁時間差であれを出現させられるんなら、パウロが現場にいなくて
も矛盾はないか⋮⋮どこにいやがるんだろうな﹂
﹁どうだろう。アリバイを完璧にしたいのであれば、少なくとも町
の中には潜んでいないように思うよ﹂
ふむ。昨日から雲隠れしているという話だから、それはありうる
な。
とはいえ町以外で安全に身を隠せるような場所なんて限られてい
る。その上人目にもつかないところなんて⋮⋮。
﹁⋮⋮いや、あったか﹂
パウロと、そして俺たちだけが知っている場所が。
﹁⋮⋮ネコスケ﹂
﹁はいですにゃ!﹂
﹁お前の家に行くぞ。騒がしくなるかも知れないけど、勘弁してく
れよな﹂
754
あの﹃白の森﹄の石版は他の誰にも知られていない。
755
俺、判定する
全員で急ぎ秘密の小部屋へ。
白樺の木々の間をぬって辿り着いたそこは、石版が露出してはい
なかった。
どうやらパウロもまた、暗号を無視して直に魔法を唱えて移動し
たらしい。
﹁こんな代物が森の中にあったとはね﹂
ホクトが掘り起こした石版を興味に満ちた目で眺めながらフラー
ゼンは呟く。
﹁僕も知らなかった。そしてこれは先住民の言語じゃないか﹂
﹁分かるのか?﹂
﹁昔研究したことがあったからね。ほら、あの日の夜に学説の話を
したじゃないか﹂
そういえばそうだったな。
しかしそうなると、ますますネコスケが難なく読めてしまえるこ
とが不思議になる。フラーゼンレベルの頭脳の持ち主が勉強してよ
うやく読み解けるものを、なんでこいつは最初から理解できたんだ
ろうか。
⋮⋮まあそんなことは、今はどうでもいいか。
756
パウロの身柄確保が先決だ。
﹁ネコスケ、俺とお前で行くぞ。このクソ狭い部屋に大所帯で乗り
こんでも動きにくいだけだからな﹂
﹁にゃっ? だ、大丈夫ですかにゃ。相手はきっと魔法を使ってき
ますにゃ!﹂
﹁分かってるっての。そのへんは逆に﹃狭いから﹄いいんだよ﹂
っと、その前に。
﹁ホクト、武器を変えてくれるか? ツヴァイハンダーじゃロクに
振り回せそうにない﹂
﹁了解であります! ⋮⋮主殿、必ずやご無事で﹂
抜き身のままのカットラスを受け取った俺は、ネコスケの肩を左
腕で抱き寄る。
﹁準備万端だ。地下まで送ってくれ、ネコスケ﹂
年に一度クラスの真剣な顔つきを作ってそう告げたものの、どう
いうわけかネコスケは俺の腕の中でモジモジしている。
﹁心配すんなって。前に出るのは俺だ。俺の防具はそんじょそこら
の魔法じゃびくともしねぇからな﹂
﹁にゃにゃ、そうじゃないですにゃ。あの、シュウトさんっ﹂
﹁なんだ?﹂
﹁前も肩をギュッとされた時がありましたけど⋮⋮ミャーも乙女で
すにゃ。ええと、その、ちょっとドキドキしてしまいますにゃ﹂
﹁うっ。わ、悪い﹂
757
﹁にゃ、別に嫌ってわけじゃないですにゃ! ただその、慣れてな
くて⋮⋮﹂
そんなふうなことをネコスケは頬を赤らめながら言うもんだから、
こっちまで意識してしまうじゃないか。
よく考えたらジイさんに使用人として雇われていた時期で既に四
年も前なんだから、外見ほどは幼くないんだよな。
うむむ、女の扱いってやつは難しい。
とはいえ密着していないと俺ごとテレポートできないので、この
腕を離すわけにはいかない。
二重の緊張感がある中、ネコスケはすうと息を吸って石版の文字
を読み上げる。
﹁テレポート! 小部屋へ!﹂
見えている映像が切り替わる。
幻想的な景色が広がる森から、ほの暗い地下室の殺風景へと。
そこには︱︱。
﹁リキッド・ブレット!﹂
様子をうかがう猶予すらない。
半病人みたいな面をして部屋の片隅に座りこんでいた男は、俺た
758
ちの襲来を知るなり取りつく島もなく魔法らしき単語を唱えた。
どこからか浮かび上がった水の塊がラグビーボール大の砲弾とな
ってこちらへと飛来する。
俺に人並み以上の動体視力もなければ、見てからかわせるような
運動神経もない。
だが!
先読みできていたなら話は別だ。
﹁させるかっての!﹂
ネコスケを背中でかばい、ほぼ同時にカットラスから放った水の
刃で応戦。
水で成形された兵器同士が激しくぶつかり合い⋮⋮鎬を削った末、
互いに消失した。
偶然に起こった現象なんかじゃない。
オークメイジ相手に何回この相殺を試したと思ってんだ。
よし! 上手くいったか。
俺は内心、拳を握り締めていた。
この窮屈な空間で、下手すれば自分も巻きこみかねない大がかり
な魔法なんて使えるはずがない。
759
更に言及するなら突然現れた敵に対してそんな派手な魔法を唱え
ている暇があるとも思えない。
使ってくるとしたら予備動作の短く、かつ小規模なものに限られ
るだろう。
その読みは、どうやら当たってくれたようだな。
おかげで威力の乏しい魔法モドキでも打ち消すことができた。
そして。
﹁おっと、下手な真似はするなよ⋮⋮パウロ﹂
俺はカットラスの切っ先を策謀家の目と鼻の先に突きつけた。
魔法は切れ目なく連発はできない。逃げ場のない、否応なく肉弾
戦を強いられるこの場所では、剣のほうが圧倒的に有利。
二の太刀なんてものは必要なかった。
最初で勝敗は決したんだから。
﹁追い詰めたぜ、やっとな﹂
勝負は一瞬だというのに、ここに至るまではどこまでもどこまで
も長かった。
﹁あなたは⋮⋮図書館でお見かけした冒険者の方ですか。そうか、
760
あなたなら私の居所が予測できてもおかしくはありませんね﹂
ネコスケに命じて両手をロープで縛らせている間、パウロは空虚
な目をしていた。抱いていた理想を諦めてしまったかのように。
﹁誰にも知られず逃げこめそうな場所っていったら、この部屋にな
るからな。⋮⋮町に薔薇を仕掛けたのはお前か?﹂
﹁ええ﹂
﹁選挙を台無しにするためにか﹂
﹁そのとおりです。司書選の結果を恐れたあまり罪を犯してしまっ
たことを認めましょう﹂
観念したのか尋問には素直に答えるパウロ。
﹁それだけじゃねぇだろ。確認させてもらうぜ、ビザールのジイさ
んが弱った真相をな﹂
﹁そこまで辿り着いていましたか。ふふふ、恐れ入りますよ、本当
に﹂
シラを切られるかと思っていた呪いについてさえだ。
﹁なによりも司書に憧れていた。それが私という人間なんです﹂
いつごろからビザールを疎ましく感じるようになったか、いかに
して死の呪縛を完成させ、それを密かにかけたか⋮⋮。
なにもかもを包み隠さずに語った。
﹁誰にも知られることのない毒針だと信じていた⋮⋮ですがそれす
ら、発掘されてしまったのですね。はっ、はは﹂
761
パウロは自暴自棄になっていた。出会った時に感じた聡明さは欠
片もない。すべてを失った男は、これほどまでに哀れなものなのか。
だが同情なんてものは一切沸いてこない。
こいつは狂っている。利己主義がいきすぎて、あらゆるものを見
落としてしまっている。
﹁う、うう⋮⋮おミャーみたいな奴は大っ嫌いだにゃ!﹂
ネコスケは涙目になりながらも、強い怒りを露にしていた。
けれど決して手出しはしない。ジイさんの呪いを解けるのはこい
つしかいないのだから、あまり手荒にはできない。それを分かって
いるからこそパウロにも私刑に怯えて表情を引きつらせたりはして
いないのだろう。
﹁連れてくぞ。こいつを絞るのは自警団と、それからジイさんの役
目だ。俺たちじゃない﹂
パウロを連れて地上へ。
﹁シュウト様!﹂
ミミは浮上してきた俺の無事を確認するなり、ぱあっと嬉しそう
な笑顔を見せた。
一方でホクトは毅然とした表情を維持し、パウロが妙な真似を起
こさないようにとその身をがっしり抑えている。
762
﹁フラーゼン⋮⋮!?﹂
パウロは思わぬ知己の顔に驚いていた。
﹁君が知恵を貸していたのか。そうか、そういうことだったのか﹂
﹁パウロ、かつての学友として言わせてくれ。僕は君を軽蔑する。
その非道と傲慢と、なによりも浅慮にだ。君は自分が見ている世界
でしか生きていない﹂
﹁⋮⋮勝ち誇ったような顔で、僕を愚弄するな、フラーゼン!﹂
突然激昂し始めるパウロ。
な、なんだ一体。
﹁僕はビザール様に負け、シルフィアに負け、そしてたった今流れ
者の冒険者にすら負けた。だが貴様には負けていない!﹂
パウロはフラーゼンにだけ異様に目の色を変えている。
様子を見た感じ、パウロがフラーゼンに対して劣等感を抱いてい
るのは明らかだった。学校の成績で上回られていたことを根にでも
持っていたんだろうか。
学生時代につけられた﹃格﹄ってのは、結構長く効力を持つから
な。
﹁いや、むしろ、貴様にだけは勝利したといえよう。僕は長年解明
されていなかった木こりの冒険者転向問題に新風をもたらした。こ
の小部屋が証拠だ!﹂
763
パウロは以前に図書館で俺に説明した持論をフラーゼンにも語っ
た。
﹁僕の説には裏づけがある。奇抜なだけの貴様とは違って。ふふ、
ハハハ、最後の最後に学園一位様を超えられたのなら、法の下に裁
かれたとしても後悔はないな﹂
得意げにするパウロに対し、フラーゼンは⋮⋮。
心の底から悲しそうな顔をした。
﹁パウロ。君は本当に視野が狭いな。先住民族の言語で記されてい
るのなら、彼ら自身が用意したものと考えるのが一番自然じゃない
か﹂
﹁⋮⋮なんだって?﹂
﹁身を隠す場所として利用していたのが原住民だとしても矛盾はな
い。彼らが迫害されて森を追われたという歴史は、多数の論拠から
確定していることなんだから﹂
﹁その話はもうたくさんだ! どうせまたあの学説に結びつけるつ
もりなんだろう!?﹂
パウロは苛立っている。
あの学説って、あれか。正式な名称を思い出すのは、まあ、ちょ
っと、無理なのですが、どのことを指しているのかは分かる。
﹁前から気になってたけど、その説ってどんな内容なんだ?﹂
﹁簡単な話だよ。僕が提唱したのは﹃白の森﹄の原住民とは獣人だ
ったんじゃないかってことさ﹂
764
想像以上にぶっとんでいた。
﹁な、なんだそりゃ。どこからそんな話が出てきたんだ﹂
﹁ちゃんと根拠はあるよ。文化や慣習もそうだけど、一番の理由は
遺跡だ﹂
﹁遺跡ってあれか、雑木林の奥の⋮⋮﹂
﹁うん。ここからは僕の推察だけど、森を追われた先住民族は、遠
く離れたその地で自分たちの居場所を主張するためのオブジェクト
を建造した。あの像は獣人を表していたんだ。半人半獣の特徴を視
覚的に誇張することで、より一層存在感は増す﹂
⋮⋮というのが、こいつが十代半ばの頃に唱えた説の大筋らしい。
﹁学問の道を自ら閉ざしておきながら、まだそんな高説が垂れられ
たんだな、フラーゼン﹂
パウロは憎々しげに眉根を限界まで寄せている。
﹁その主張が一般論にならなかったことを知っておきながら⋮⋮﹂
﹁いや、それはどうかな﹂
フラーゼンではなく、俺が反論した。
﹁なるほどなー、そういうことか。フラーゼン、お前の考えこそが
正しいかもな﹂
なにも適当に口からデマカセを言っているわけではない。もちろ
ん俺にも根拠はある。
765
それはネコスケだ。
ネコスケはおそらく、フラーゼンが語るところの原住民の子孫な
んじゃないだろうか?
そう考えればネコスケが古い言葉を直感的に読めたり、遺跡に立
つ不気味な像をやたらと気に入ったりしたのにも説明がつく。
それらの記憶は種族固有の能力のように遺伝子に刻みこまれてい
るのだろう。
俺なりに出してみた理屈にパウロは閉口したが、フラーゼンはニ
ヤリと笑った。
﹁獣人の血の濃さは僕たちとは比べ物にならないからね。合点のい
く話だ﹂
﹁ええっ? そうだったんですかにゃ?﹂
⋮⋮当のネコスケ本人に自覚はまったくなかったが、ともかく。
﹁俺は断然フラーゼンを支持するぜ﹂
と、呆然とするパウロに向けて言ってやった。
﹁お前の負けだ、パウロ。偉大さでジイさんに負け、武力で俺に負
け、そして一番負けたくなさそうだった頭の出来でもフラーゼンに
負けたんだ。お前が勝ってるところなんてどこにもなかったんだよ﹂
おっと、忘れるところだったな。
766
訂正入れとくか。
﹁選挙でシルフィアに負けたように思ってるみたいだけど、あれ仕
組んだのは全部俺だぜ。だから俺とお前は二勝〇敗だ﹂
そう言って、俺は指を二本立てた。
767
俺、改名する
結局、司書選は中止を余儀なくされていた。
俺が帰還した時にはまだタワーローズが数本残っていたし、それ
らへの対処も含めて投票どころではなくなってたから、致し方なし。
もっとも、結論から言うと選挙なんてものは不要だった。
なぜなら⋮⋮。
﹁現在審査中です。しばらくそのままお待ちください﹂
﹁⋮⋮なあ、なんでそんな他人行儀なの?﹂
﹁仕事ですので﹂
町全体を巻きこんでの騒乱から数日。
朝っぱらから図書館を訪れていた俺とミミは、相も変わらず事務
的でわずらわしい入館手続を﹃受付嬢の﹄シルフィアにやってもら
っていた。
平坦な声音と冷たい眼差しに徹したシルフィアは俺のよく知る姿
ではあった。
少なくとも、瞼を腫らしていた時よりはずっとしっくりきている。
﹁だからってなぁ。ちょっとの間だけとはいえ仲間だったんだから
さ、もっとこう、情緒みたいなのはないわけ?﹂
768
﹁私語は慎むようにと忠言されていますから。⋮⋮ですが﹂
シルフィアは咳払いをしてから。
﹁一人の図書館職員として謝辞を述べさせていただきます。このた
びは本当に、ありがとうございました﹂
と、喜怒哀楽をかき消した表情のまま、深々と頭を下げた。
﹁一人のビザールファンとしてはどういう意見になるんですかね﹂
﹁⋮⋮それを私の口から言わせますか?﹂
﹁じょ、冗談だって。そんなムッとするなよ。美人が台無しだ﹂
俺はキリッとした顔をして言った。
まあ生涯ナンパ成功率一桁パーセントの俺じゃ様にならないので、
普通にスルーされたわけだが。
こういう時だけは伊達男が羨ましくなる。
﹁シュウト様、ミミは素敵なお言葉だったと思います﹂
フォローを入れてくれるミミの優しさが沁みるな。
﹁あんたもせめて笑ってくれよ。すげー悲しくなるから﹂
﹁何度も申しますが、仕事中ですので﹂
らしい答えだよ、まったく。
﹁二人とも審査が終わりましたよ。それでは、よき読書を﹂
769
﹁おう。じゃあな﹂
﹁いつもありがとうございます﹂
ぺこりと礼をしたミミを連れ、蔵書室に向かう。
先ほどの受付でのやり取りを見てのとおり、シルフィアが司書候
補として王都に届け出られるようなことはなかった。
今現在司書を務めているのは、それはもう言うまでもないだろう。
﹁おお、シュウトか! いやはやよく来た!﹂
真新しい司書のローブに袖を通したビザールが、破顔して俺を迎
え入れた。
﹁卸したてじゃぞ、中々よかろう?﹂
﹁ウキウキなのはいいけど、声でけぇよ、ジイさん。今度こそマジ
で解雇されるぞ﹂
﹁フフ、それは恐ろしい。多少の粗相は許してもらわねばな。なに
せ久々の職務じゃ。そちらのお嬢さんも相変わらず麗しい耳をして
おるのう﹂
﹁え、ええ﹂
愛想笑いをしながら若干後ずさりするミミ。
譲り受けた旧デザインの純白のローブは、今ではミミが着用して
いる。ビザールのものはそれよりもゆったりとしていて色の基調も
紫だ。
﹁だから触れようとすんなっての! ミミは俺のものだ﹂
770
﹁ううむ、妬けることを言いおって﹂
これだからエロジジイは油断ならない。
呪いが解けて元気になったジイさんは今日から職場に復帰してい
た。
元気になった、といっても、そんな数日で肉づきが戻ったりはす
るはずもないので、依然として痩せ細ってはいるのだが。
表沙汰になったパウロの陰謀は町中に衝撃を与えた。
日頃見せていたあいつの人物像とはかけ離れた裏の顔に、多くの
住民が失望したという。
けれど小耳に挟んだ話では、自警団の本部でパウロに対面したビ
ザールは、命を脅かされていたというのにさほど怒気を露にはせず、
罵声を浴びせることもなかったらしい。
﹃下の人間に疎まれるのは、上司として当然じゃ﹄
とかなんとか。
器がでかいのか、お気楽なだけなのか。あるいは、長年目にかけ
ていたパウロへの複雑な愛憎があるのか。それは俺に理解できるこ
とじゃない。
とはいえパウロが重罪人であることには変わりない。ジイさんの
解呪を済ませた後は余罪多数で即収監された。
771
本さえ与えていれば大人しくしているので、他に比べて遥かに扱
いやすい囚人なんだとか。
ある意味では牢獄の中も、奴が望み続けた本に囲まれた生活とい
えるのだろう。
で、なんでジイさんが司書を続けられてるのかというと。
単純な話で、俺が受領書を破棄した。それだけである。
懲戒免職に相当する規約違反自体がなかったことになった。俺が
まだ魔術書を受け取っていなかったのでギリギリ踏み止まれたって
わけだ。
任期満了までは、少なくともビザールの時代のままだ。
﹁もしやとは思うが、もうじき町を去るのかの?﹂
﹁まあな。あれから遺跡をヘビロテして金も貯まったし﹂
﹁なら最後に言わせとくれ。お前さんには、本っ⋮⋮当になにから
なにまで世話になった。生涯で一番の恩人じゃ。感謝してもし尽く
せぬわい﹂
﹁うっ、改めてそう言われるとそわそわするな⋮⋮﹂
あんまり感謝されるのって慣れてないからな、俺。
だがここで丸損を受け入れるほど俺は美しすぎる良心を持ってい
るわけではない。
もらえるものはもらう。それがポリシーである。
772
ではどうすればいいのかというと、結局のところ図書館が俺個人
に直接本を渡さなければいいだけなので、一旦どこかの協力的な団
体に寄贈する。
それから俺が団体を経由してスッと受け取れば完成。
この露骨な三店方式により、ジイさんが規則に抵触することなく
蔵書の譲渡ができるってカラクリだ。
で、だ。俺が今日ここに来ているのは、その本を選ぶために他な
らない。上級魔術書のチェックを任せていたミミを連れてきている
のもそれが理由。
話は前日のうちにまとまってある。
登記上の手続は全部図書館側でやってくれるとのことなので、特
に俺に負担はない。
そのまま持ち帰っていいと説明を受けている。
﹁さて、どれにするかな⋮⋮っても俺じゃ分からねぇか﹂
ということで。
﹁ミミが決めてくれるか? なんでもいいぞ。別に上級魔法ってや
つが威力がどうこうってもんじゃないのは知ってるし﹂
﹁はい。ミミはこの魔術書が気に入りました﹂
ほう、もう心に決めてあったのか。
773
ミミがハシゴをうんしょと上って書棚から抜き取った魔術書の表
紙タイトルは、なになに、﹃かまどの火のグリモワール﹄⋮⋮?
﹁自在に加減を調節できる火を起こせる魔法だそうです﹂
﹁なんでまたこんなものを⋮⋮ああ、あれか。料理の教本とかも見
てたしな﹂
俺の言葉に、ミミは山羊の耳をへにゃっと曲げて恥ずかしそうに
した。
ううむ、なんていじらしいんだ。
そんなかわいい仕草と想いをされて断れるわけがないだろう。
﹁いいぜ。これにしよう。ミミに使ってもらうためのものなんだか
ら、ミミが欲しがってるものが一番だ﹂
﹁はっ、はい! わがままを聞いてくださってありがとうございま
す、シュウト様﹂
﹁わがままなんかじゃないだろ。俺にだって嬉しいことだしさ。い
つかうまい飯作ってくれよ﹂
﹁たくさんたくさん、ミミはがんばります﹂
ミミはにこりと純真な少女のように笑った。
ちなみに火力最大にすれば攻撃にも使えるらしい。一般のご家庭
では絶対に真似してはいけないな、この使い方。
﹁それにしても、料理か。そういや⋮⋮﹂
図書館からの帰路で、俺はふと大量に買いこんだ香辛料のことを
774
思い出した。
無用の長物だと思っていたが、やっと使い道ができたか。
﹁もうちょい補充しておいてもいいな。露天市場まで行ってみるか﹂
﹁ふふ。ついていきます、シュウト様﹂
本当の目的を察したようにクスリとするミミ。
バレバレだったか、さすがに。
﹁やあ、いらっしゃい﹂
フラーゼンは営業用なのか元々なのか区別のつきにくいスマイル
を、いつもと同じように浮かべて店頭に立っていた。
﹁今日こそは商売させてくれるかな? このところ、お客さんとは
違う関わりばかりだったからさ﹂
﹁ちゃんと冷やかしじゃなく買っていってやるよ。⋮⋮まあ、それ
も用事ではあるんだけど、一応顔くらいは出してからにしようと思
ってな﹂
﹁そうか。もうウィクライフを離れるんだね﹂
多くを語る前にフラーゼンは言い当ててきた。
﹁お前には世話になったからな。お前がいなけりゃ分からない事実
ばかりだったよ﹂
﹁別れの挨拶だなんて、なんだかお客さんらしくないなぁ﹂
﹁うるせーよ! もういい、お前にセンチメンタルなことを期待し
た俺が馬鹿だった﹂
775
俺は照れを隠しながらぶっきらぼうに瓶を三個ほど選び、対価を
支払う。
﹁お買い上げありがとうございます。またのお越しを﹂
﹁旅に出るって言ってんのに﹃またの﹄って、きつい皮肉だな﹂
﹁皮肉になるかどうかは、僕にもお客さんにも分からないよ﹂
未来は読めないからね、と、理詰めの天才は去り際にそう悟った
ようにつぶやいた。
こいつの目で見えている世界ですら、未来にまでは繋がっていな
いのか。
そう考えると妙に勇気が湧いてくる。学問を修めていても分から
ない、先の出来事なんてものを、俺が気にしても仕方ない。
これからもやるようにやって、なるようになるだけなんだろうな。
じゃあな、相棒。
⋮⋮なんて似合わないことを考えながらホクトを待たせている宿
に戻ろうとしたのだが、その道の途中。
ネコスケとばったり出会った。
奇遇ですにゃー、なんて話しかけてこないあたり、もしかしたら
俺を待っていたのかも知れない。
なにやら浮かない顔をしている。
776
表情が暗いと色鮮やかなはずの青緑の髪までくすんで見えてしま
うから不思議だ。そのくらいネコスケは顔色に感情が表れやすい。
﹁お暇をいただきましたにゃ﹂
﹁うん﹂
﹁長いお暇をいただいたんですにゃ﹂
要するに、クビになったらしい。
クビ、という言い方が悪いが、すっかり快復したビザールはネコ
スケの手を借りずともよくなった。変化を愛するネコスケの気質を
汲んで契約解除したのは思いやりではある。
﹁じゃあまた求職活動か。それまでは自宅通いだな﹂
﹁う∼、知ってるくせに⋮⋮﹂
ネコスケは泣きそうな声をして。
﹁おうちがないのですにゃ!﹂
と、﹁だろうな﹂と苦笑してしか返せないことを言った。
パウロの供述によって明らかになった森の中の隠し部屋は、今で
は学者たちの格好の研究対象になっている。
とてもじゃないがネコスケがのんびり住めるような感じではない。
﹁今のミャーは住所不定無職ですにゃあ。⋮⋮早くお仕事を探さな
いとっ﹂
777
﹁でも住み込みでじゃないとダメなんだろ? 野宿ってわけにもい
かないだろうし﹂
﹁そうなんですにゃ。条件が厳しいですにゃ⋮⋮うう、いつ見つか
りますかにゃ﹂
﹁だったら俺が奴隷として雇ってもいいか?﹂
俺は、前々から考えていたことを伝える。
最初に一緒に探索に出かけた時から目をつけていた。
なんて万能なんだ、ってな。
こいつよりマルチに活躍できそうな獣人に、この先出会えるかど
うかの保証はない。
﹁安心してくれ。一ヶ所に留まり続けることなんてないからさ。や
ることも毎回別物だ﹂
﹁本当ですかにゃ? 魅力的なお話ですにゃっ﹂
﹁まあでも、専属にはなっちまうけども﹂
﹁ふむむむ⋮⋮だけど、いろんな場所に行けるのは凄く惹かれます
にゃ﹂
旅への誘い文句はネコスケの冒険心に火をつけたらしい。
元々好奇心の強い性格だったんだろう。でなければひとつの職業
を長く続けないなんていう生活スタイルはしてないだろうし。
﹁お受けしますにゃ! シュウトさんとなら飽きずにお仕事ができ
そうですにゃ!﹂
778
ネコスケは胸に右手を当てて、演劇みたいにキザな礼をした。
﹁世話になった人らに挨拶しておきたかったら、今日明日のうちに
頼むぞ。そろそろ俺たちは町を離れるつもりだからな﹂
﹁にゃっ。⋮⋮あのですにゃ。それでしたら、ミャーに名前をつけ
てくれませんかにゃ?﹂
猫耳をぴこんと動かしながら、おずおずと言い出すネコスケ。
﹁え? ネコスケじゃダメなのか?﹂
﹁正式にシュウトさんと契約するんですから、それ用のお名前が欲
しいですにゃ﹂
うーむ、困った。
まあなんとなくでつけた仮名だしな。俺の思いつきをいつまで引
っ張るのも悪いか。
ここは主人らしく、ちゃんとした名前をつけるとしよう。
⋮⋮。
あれだな、せっかく学問の町なんだし、少しは頭を使って命名し
てやったほうがいいか。めっちゃワクワクした顔で見てきてるし。
﹁決めた。お前の名前はナツメだ。今日からそう呼ぼう﹂
俺は精一杯の文学知識で、じっくりと練り上げて考えた名前をつ
けた。
779
﹁はいですにゃ、ご主人様!﹂
ナツメは八重歯をのぞかせて忠誠を誓う笑みを見せた。
780
俺、改名する︵後書き︶
長くなりましたがウィクライフでの話は終了です。
次回から次の町に移ります。
781
俺、進展する
出立当日の朝。
町の東口で待ち合わせていたヒメリは、遅れてやってきた俺たち
を見つけるなり雷にでも打たれたような顔をした。
﹁なんだ? ああ、積荷のことか。最初に言っておくけどやらない
ぞ﹂
四人分の食料やら衣類やらを補給したから仕方ないが、ホクトが
引いている荷馬車はパンパンになっている。これでも余計なものは
粗方売り払ったんだけど。
﹁違います! どうしてまたまた女の人が増えてるんですか!?﹂
﹁そりゃまあ、需要の関係で﹂
﹁⋮⋮勘違いしているのかも知れませんから忠告しますが、色を好
むことは必ずしも英雄の条件ってわけではないですよ﹂
﹁分かってるっての。俺は戦力としてこいつに期待してるんだよ﹂
なんならナツメが男でも雇っていた可能性すらある。
とはいえ現実のナツメがかわいらしい見た目をした女の子である
ことは、まあ、大変喜ばしい話なのではありますが。
﹁ナツメといいますにゃ。なにとぞよろしくお願いしますにゃ﹂
初対面のヒメリにもまったく人見知りしないナツメは、何度も見
782
せてきたようにやたらと芝居がかったお辞儀をする。
﹁あっ、わざわざありがとうございます。礼儀正しい方ですね。シ
ュウトさんと違って﹂
﹁いちいちこっちを見なくていい。それよりだな﹂
次に向かうべき町についてヒメリに聞く。
ヒメリはフフン、と調子のいい表情をしながら。
﹁もちろん入念に調べてありますよ。ここから南東に行けば﹃リス
テリア﹄という大きな宿場町があります。およそ二日ほどの旅路に
なるでしょうか﹂
﹁ふむふむ、南東ね﹂
俺は地図を広げ、﹃五十点﹄という可もなく不可もない点数を記
してあるウィクライフから右下に視線をずらすと、なるほど確かに
リステリアなる名前の町がある。
﹁リステリアはドルバドル屈指の大教会がある町だそうです。きっ
と神聖な空気に包まれた厳かな町なのでしょうね﹂
﹁ええ⋮⋮﹂
またそんな感じのところか。もっと俺にぴったりくる愉快な町は
ないのかよ。
﹁嫌そうな顔をしてもダメですよ。他にここから短期間で行ける町
はないんですから﹂
﹁仕方ねぇか⋮⋮ところで﹂
﹁なんですか?﹂
783
﹁魔法って覚えられたの?﹂
﹁うっ。え、ええ、それは大丈夫です。教材が優秀でしたからね、
教材が﹂
なんだその不審なリアクション。
﹁⋮⋮本当に覚えられたのか?﹂
﹁ほ、本当ですよ! ええと、その、お風呂に入らなくても済む程
度には⋮⋮﹂
どうやら数ある中でリフレッシュだけは習得できたらしい。
﹁そっか。それなら寂しくなるな。俺は臭いお前が好きだったんだ
けどな﹂
﹁なっ!? く、く、臭くなんてありませんよ! これでも毎日鎧
の下のシュミーズは着替えていますし、下着も⋮⋮ってなにを言わ
せるんですか!﹂
﹁お前が勝手に言ってんじゃねぇか﹂
冗談をいちいち本気にとらえて顔を赤くするヒメリを見ていると、
ああ、こいつマジでいじりやすいなという平和的要素を改めて実感
する。
ていうかいつ出発するんだ、俺ら。
﹁⋮⋮主殿、そろそろ出発してはいかがでしょうか﹂
痺れを切らしたのかホクトが進言してきた。
ホクトはどことなく居心地が悪そうにしている。というのも、大
784
がかりな荷馬車を引いているせいで人目につくのを気にしているら
しい。
そりゃまあ、通行人にジロジロ見られるのはいい気がしないわな。
俺もツヴァイハンダーを背負っている時はめちゃくちゃ視線を浴び
るけどそれより目立ってるわけだし。
﹁おっと、そうだったな。それじゃ行くとするか﹂
そう言うと、ナツメは大きな声で﹁おー!﹂と片手を突き上げて
叫んだ。次いでホクトも真面目な顔つきで続き、ミミもくすくすと
楽しそうに笑いながら小さく手を上げた。
検問所付近で一泊した次の日には、国道の周囲に広がる草原は次
第に湿地帯へと推移していった。
ライトな黄緑色の景色は、落ち着いた深い緑にその色調を変化さ
せている。
﹁なんかジジくさい雰囲気の土地だな、ここらは﹂
平野全体に苔が繁茂している。なんというか、特に理由もなくほ
っとさせられる風景だ。
この辺は俺の日本人としての感性がそう思わせているんだろうな。
もっともワビサビとかそういうのはまったく分からないんだけども。
﹁ですが、ここを走り抜けるのは厳しいように見受けられるであり
ます﹂
785
ホクトは﹃らしい﹄意見を口にする。
﹁うーん。それは問題だな﹂
できることなら、脇道に逸れなくても行けるような狩場があって
くれればいいのだが。
そうこうしているうちに。
﹁ご主人様、ご主人様。見えてきましたにゃ!﹂
夕方を迎えつつあった頃、ナツメが俺のコートをクイクイと引っ
張って知らせる。
﹁どこだ?﹂
﹁ふっ、このミャーの目にぬかりはありませんにゃ﹂
﹁どこだよ﹂
そんなキメ顔をされても困る。
﹁あそこですにゃ!﹂
正面やや右を指差すナツメ。
﹁おっ、あれか⋮⋮あんまよく分からねぇけど﹂
とはいえ凡人の俺とナツメでは相当視力に差があるのか、まだう
っすらとしか見えない。
786
もう少しだけ歩いてみて、ようやく俺の目にもはっきりとそれを
収めることができた。
この距離からでも判別できる。そこには確かに、真っ白い大理石
を積み上げた教会の威厳に満ちた立ち姿があった。
四番目の町、リステリアに到着。
ウィクライフからの移動距離は百キロあるかないかだろうか。
﹁長旅、ってほどでもなかったな﹂
﹁ですね。それではシュウトさん、私はこれで。次に会う時には一
段と成長した姿をお見せしましょう﹂
ぐうと腹を鳴らしたヒメリは料理店にダッシュしていった。
﹁シュウト様、いかがなさいますか?﹂
﹁飯は⋮⋮そうだな、めんどくさいから買いこんであるパンで済ま
せようぜ。今日のところは休むのが先決だ﹂
もうとっくに陽も落ちているし、今からなにかしら大きな行動は
できない。まずはこれまでどおり泊まる宿を探すとしよう。
町中をぶらりと歩く。
ご立派な教会のお膝元にある新天地は、それはもう敬虔な教徒た
ちで溢れて⋮⋮。
⋮⋮はいなかった。
787
﹁意外だな。あんまりじゃないな﹂
リステリアは俺がイメージしていたものとは違い、たくさんのエ
ネルギッシュな冒険者たちが行き交う活気のある町だった。
あと、繁華街が充実している。軽く覗いただけでも分かるくらい
飲み屋の軒数が多く、店先から笑い声と共に漏れてくる炙った塩漬
け肉の香ばしい匂いが俺の胃袋を刺激する。
うむむ、パンで済ませるとは言ったが⋮⋮燻製も何切れか食卓に
並べるか。
誘惑を振り切り、木材と石材が合わさったシックな様相の宿へ。
四人部屋を借りる。これだけの人数ともなると、さすがに一泊あ
たりの料金も高い。
﹁主殿、ええと、その﹂
﹁なんだ?﹂
部屋に入ってすぐ、ごにょごにょと小声で話しかけてくるホクト。
﹁二人部屋をふたつ、ではダメだったのでありましょうか?﹂
あー、これ。
ミミと俺の二人でしっぽり過ごしたらどうですかって暗に示して
るんだな。
﹁いや、四人のほうが賑やかでいいよ﹂
788
そう取り繕って答えた。
そりゃもちろん、﹁じゃあお前したくねーのかよ﹂って問われた
ら一人のオスとして首を横に振らざるを得ない。
だけどまあ、別に俺は絶倫ってわけじゃない。いかにミミが魅惑
的で抱き心地抜群で気立ても最高の女とはいえ、さすがに毎日は干
からびてしまう。
だったら今までどおりのペースでいい。
あんまり堕落が過ぎると、すべての町を巡る前に力尽きてしまい
そうだしな。
これでもリミッターは設けているつもりだ。
それに。
﹁ミャーは皆さんと一緒にいたいですにゃ!﹂
ナツメは新参者であることを自覚しているのか、俺たち全員と積
極的にコミュニケーションを取りたがっている。
特にミミとはほとんど喋る機会がなかったので仲良くなりたそう
だった。
奴隷同士の信頼関係の構築は俺としても望むところ。この町に滞
在している間に是非とも親睦を深めてもらいたい。
789
⋮⋮ただナツメがいる分、﹃今までのペース﹄が維持できるかは
怪しくなってるんだが。
﹁そこまでお考えになられていたとは。出過ぎた真似をいたしまし
た。無礼をお許しいただきたく存ずるであります﹂
﹁いやそこまで堅苦しくしないでいいけどな。オフの時くらい気楽
にいこうぜ、気楽に﹂
﹁⋮⋮はっ﹂
そんな会話を交わしていたら。
﹁シュウト様、ホクトさん。夕食の準備ができましたよ﹂
﹁食べましょうにゃ!﹂
向こうからミミとナツメが呼んでくる。テーブルの上にはバゲッ
トボックスとワイングラス、そして燻製肉を盛った皿がセットされ
ていた。
﹁にゃっにゃっ、たくさんで食べるごはんなんて久しぶりですにゃ。
息子さんが四人いる雑貨屋さんのところに下宿してた時以来ですに
ゃあ﹂
嬉々として目を細める猫娘を、ミミもまた優しく微笑みながら見
つめている。
﹁おう。今行くよ⋮⋮ほら、ホクトも着替えが済んだら飯にしよう
ぜ。腹減って仕方ねぇや﹂
﹁了解したであります! ⋮⋮今のも堅かったでありましょうか?﹂
﹁少しだけな、少しだけ﹂
790
俺は親指と人差し指の間に微妙な隙間を作ってみせる。
その所作を見たホクトは器用じゃないなりにも、皮鎧を繋ぎ止め
る金具と、凛々しさ一辺倒だった表情を同時に緩めた。
791
俺、購買する
爽快、というほどでもない朝。
俺たち一行はギルドより先に裁縫工房の暖簾をくぐっていた。
いや実際にこの世界に暖簾があるはずもないんだが、気分として
はそんな感じだ。
目的はひとつ。ナツメの装備品の変更である。
﹁おおおお! カッコイイ服がいっぱいですにゃ!﹂
真っ黒い瞳を煌々とさせて店内を物色するナツメは見てのとおり
の薄着で、今の装備のままだとこの先探索をしていく中で不安がつ
きまとう。
とはいえ小柄で非力なこいつが鎧なんて着られるはずもないし、
裾が長いローブやガウンも機敏な戦闘スタイルと合わない。
ここは動きやすい冒険者向けの服が最善だろう。
﹁ご主人様、本当に買ってくださるんですかにゃ?﹂
﹁ああ。ってか買っておかないと俺が困る。でかい怪我はさせたく
ないし﹂
ただその辺の生地だと大差がない。俺のようにレア素材を用いた
ものが売っていればそれに越したことはないのだが⋮⋮。
792
﹁うちでは仕入れられてないね。残念ながら﹂
店主のおっさんはきっぱりと言った。
やはり市販品ではそうそう手に入らないか。
﹁じゃあ革製品だな。せめて﹂
布よりはマシだろう。以前に聞いた説明だと強い衝撃はともかく
として、出血の元になる切り傷擦り傷は割と防げるみたいだし。
﹁レザーか。レザーならよりどりみどりだ。この地方でポピュラー
なものとなると、ワニ型の魔物から剥いだ皮革になるな﹂
﹁ふむ。ワニか﹂
﹁湿地帯に多く生息する魔物だからな。そりゃもう尽きることなく
採れる。軽量級の盾の素材としても人気だぞ﹂
見せてもらった服はかなりタイトだった。
上下共に黒で、光沢がある。要所要所では金属パーツも使われて
いる。
デザインはまずまずだが、問題は実用性。
﹁丈夫さのほうはどうなんだ?﹂
﹁爪や牙、刃物に対してはかなり頑丈だ。そうそう簡単には引き裂
かれない。ただ、どこまでいっても服は服だからなぁ。あまり過度
に信用されても責任は取れないぜ﹂
﹁うーん。でも服の中ではいい線いってるんだろ?﹂
793
﹁そりゃ当然﹂
﹁だったら買うよ。今あるものよりずっとマシだし﹂
俺は迷いなく購入を決めた。
﹁あー、ただ﹂
﹁なんだい?﹂
﹁一番小さいサイズで頼む﹂
新しい服を買い与えられたことにぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶ
ナツメは、二十センチくらい浮いているのに全然ホクトの頭を超え
られていなかった。
価格にして一万と9000G。早速カーテンの向こう側で着替え
させる。
﹁ふっ、どうですかにゃ﹂
腰に手を当ててビシッとポーズを決めてみせるナツメ。
ほぼ膨らみのない体にぴっちりとフィットしている。
どうやら通気性がイマイチなようで暑いらしく、袖まくりをして
いた。
斜に構えた女が着るとサマになるんだろうが、ニコニコと笑顔を
絶やさないナツメだとギャップがありすぎて子供がコスプレしてる
みたいだ。
﹁わあ、とてもとても素敵です。大人っぽいですね﹂
794
優しいミミはぱちぱちと小さく拍手している。ナツメもナツメで
素直な奴なので、﹁にゃーん﹂と嬉しそうな猫撫で声を漏らしてい
た。
﹁ありがとですにゃ! ⋮⋮ご主人様、似合いますかにゃ?﹂
ナツメがこっちにキラキラとした視線を送ってくる。
﹁中々いいぞ。ロックンローラーって感じだ﹂
﹁よく分からないけど嬉しいですにゃ!﹂
とりあえず現状はこれでいくか。
で、次。
武器である。前日のうちに﹁使ってみたい武器はあるか?﹂と聞
いてみたのだが。
﹁ミャーは使い慣れたものがいいですにゃ﹂
と答えられた。つまり得物がコンパクトな短剣でないと即戦力に
はなってくれないらしい。
普通の剣なら余ってるんだが、まあ仕方ない。
﹁⋮⋮といっても、短剣といわれてもなぁ﹂
武器屋に寄った俺は腕を組んで悩む。
795
近接武器の花形は長く厚く重い一品だ。片手剣、大剣、槍、斧、
鎚。これらはどこの地域どこの店に行っても品揃えは一定の質を保
っているが、短剣の類はそんなにバリーエション豊かではない。
この町の武器屋もよくあるナイフしか置いていない。材質も概ね
鉄か銀、少し変わったところでガラスがあるくらいだ。
レアメタルなんてそうそうあるはずもなく。
﹁んー、これだったら今使ってるやつでも一緒か﹂
ナツメが最初から所持していたナイフも、それなりに上等だそう
だしな。
あまり高くもないので予備として銀のナイフだけ買って撤退。
﹁持っておくだけ持っておくか? 軽いし﹂
﹁にゃっ。ありがたくちょうだいしますにゃ﹂
買ったばかりのナイフを渡す。
﹁あっ、せっかくだからご主人様にも見てほしいですにゃ!﹂
﹁なにをだ?﹂
﹁これですにゃ。ひょい、ひょい、ひょいっと﹂
するとナツメは手馴れた様子で二本のナイフを使ってジャグリン
グをしてみせた。安全に配慮してか鞘をつけたままとはいえ、ちっ
とも落としそうな気配がない。
﹁お前⋮⋮そんな芸までできたのか﹂
796
﹁果物屋さんで教えてもらいましたにゃ。お客さんを呼べるように
って﹂
とことん器用だな、こいつ。
これだけ手先が器用ならどんな武器でもすぐ扱えるようになりそ
うだが、そういう問題でもないんだろうな。こいつの装備を考える
際は重量に気をつけておくか。
ホクトの怪力とナツメの技術が合わされば完璧なんだが、世の中
そんな都合よくはできてない。これが個性ってことなんだろう。
さておき、買い物も済んだことなのでいよいよギルドに向かう。
﹁ようこそ、神の息吹が根づく町リステリアへ﹂
ここの受付に立っているのは小太りのおっさんだった。建物の中
の雰囲気は大体港町のフィーと似たようなものか。要するに普通だ。
旅で立ち寄った町のギルドはどこも独特だったからな。妙に安心
感がある。
﹁受注待ちの依頼は多数あるから、どれでも好きなものを⋮⋮﹂
﹁いや、そっちの情報はいらない。魔物が出る場所を教えてくれな
いか?﹂
通行証を見せながら聞く。
﹁魔物? それなら湿地に行けばいくらでも戦えるが﹂
﹁湿地ね。ほうほう﹂
797
ちょうど防具屋でワニ型の魔物が出没すると聞いたとこだったな。
﹁だがランクを確認した感じだと腕に自信があるようだし、湿地よ
りも地下層に潜ったほうが向いているように思えるけどな﹂
﹁なんだそりゃ﹂
﹁町の地下深くに広がる空洞だ。ま、ちょっと依頼を見てみなよ﹂
おもむろに一覧表を提示される。
﹁こんなもん見せられてもな⋮⋮ん?﹂
俺はあることに気がつく。
出ている依頼のほぼすべてが素材採取なのはまだいいとして、そ
の依頼者。
名義が﹃リステリア大教会﹄になっているものばかりだ。
﹁教会がわざわざ仕事を斡旋してるのか? 公共事業みたいだな﹂
﹁それもあるが⋮⋮これは地下層の存在が大きく関わっているんだ
よ。あそこに跋扈している魔物は教会側からしたら最も厄介だから
な﹂
﹁ふーん﹂
どう繋がりがあるのか全然分からん。
﹁地下層については教会のほうが詳しく教えられるから、興味があ
るなら一度行ってみるといい。それにだ、せっかくこの町を訪れた
んだから教会は観覧しておいて損はないぞ。あそこは俺たち町の住
798
人が誇れる唯一の場所だからな﹂
力説してくるおっさん。
ふむ。じゃあ記念代わりに行ってみるとするか。地下層ってのも
気になるしな。
﹁訪ねるのであれば、教団の中枢である司祭様と聖女様には挨拶し
ておくんだぞ。くれぐれも粗相のないようにな﹂
去り際におっさんはそうアドバイスしてきた。
司祭様とかいうのは俺の貧困な発想力では白髪のジジイしかイメ
ージできないからいいとして、聖女様とは中々気になるワードを出
してきやがったな。
きっとその名のとおり神聖なオーラをまとった人なんだろうな⋮
⋮。
シスター服に身を包んだ清楚な美女を思い浮かべながら、俺は淡
い期待を抱いて教会へと進路を取った。
799
俺、参拝する
町の最北端にそびえる教会は間近で見ると迫力があった。
だがそれ以上に、すぐ隣に併設されている四角い木造建築が気に
なる。オマケにしてはやけに建坪がでかいがなんなんだあれは。
疑問には思うが、とりあえず教会の中へ。
扉をくぐってすぐ、途轍もなく巨大なステンドグラスが視界に飛
びこんできた。大理石の床は丹念に磨き上げられていてピカピカの
ツヤツヤだ。
祭壇に続く道は赤い絨毯で分かりやすく示されている。
これぞ聖地って感じだな。
あと外観どおり広い。天井に至っては﹁嘘だろ﹂ってツッコミた
くなる高さだ。
﹁よくぞいらっしゃりました。リステリア教団はあなたを歓迎いた
します﹂
いかにもな神官風の男が俺を出迎えた。
﹁拝観料は無料です。あなたにも神のご加護があらんことを﹂
﹁こりゃどうも﹂
﹁ですが寄付はいつでも受け付けております。神のご加護があらん
800
ことを﹂
﹁はあ﹂
﹁神の気分も寄付次第とは有名な話でございます。神のご加護が﹂
俺は一銭も出さずに先へ進んだ。
﹁とてもとても綺麗な場所ですね。心が洗われます﹂
息を呑みそうになるほど壮大な純白の壁面から、精巧な彫金細工
が施された燭台に至るまで、おもちゃ屋に来た子供のように無垢な
瞳で見渡すミミは、ふんわりとした声で感想を漏らした。
﹁そんなに面白いか?﹂
﹁はい。シュウト様との旅はいつも新鮮ですけど、今日はとびきり
です﹂
興味津々な割に目元は睡眠五秒前ってなくらいにとろんとしてい
るが、まあ、いつものことだから今更の話だな。
一方でホクトは萎縮している。
﹁神の御前で恥はかけぬでありますからな。自分は心が洗われると
いうより、研磨されているような心地であります﹂
身が引き締まりますな、とシャキッとした姿勢で頷くホクト。
体が硬直してくる感覚は分からなくもない。そういう意味では普
段と同じように陽気な面でにゃんにゃん言ってるナツメの精神力は
大したもんだ。
801
﹁司祭様⋮⋮ってのは、あのジイさんか﹂
俺は遠く先にある祭壇の前で祈りを捧げている老人を見て、すぐ
にそれがギルドのおっさんが語っていた教団幹部の一人だと理解で
きた。
周りにいる若手のシスターと比べてどう見ても偉そうだ。
一点の汚れもない白装束に総白髪だから、本当に真っ白である。
﹁⋮⋮む、参拝希望者か﹂
なんかイメージと違う喋り方だったが、それはさておいて。
﹁少しだけ時間もらってもいいかな?﹂
﹁構わんが。ふむ、見たところ冒険者のようだし、大方子羊も冒険
者ギルドの者に地下層の探索でもそそのかされたのだろう﹂
﹁まあ簡単に言うとそういうわけでして。その﹃地下層﹄ってやつ
について具体的に教えてほしいんだ﹂
ところで子羊っていうのは俺のことなんだろうか。
﹁リステリア地下層とは四つのフロアによって構成される迷宮だ。
そこには数多くの邪悪なる異形ども⋮⋮アンデッドが生息している﹂
﹁ア、アンデッドね﹂
嫌な敵が出てきてしまったな。
俺はオバケとかゾンビとかそういうホラーテイストな奴は昔から
苦手だった。いかにもな作り話と違って、いそうでいない絶妙なラ
802
インを突いてきてるからな、あいつらは。
それでも﹁いやいや、いるわけねーじゃん﹂と小学生の強がりみ
たいに笑い飛ばして乗り切れたが、今回は、いる。確定で。
⋮⋮いや、むしろ存在が明らかになってるほうがマシか。
あの手のはいるかいないか曖昧な立ち位置にいる時が一番恐ろし
く感じるし。
﹁当然瘴気の濃い下層に行けば行くほど強大になっていく。もっと
も、最上層に現れる連中の時点で中々手強いがね﹂
不吉なことを言われる。
﹁ってことは、それなりにランクが高い冒険者向けのスポットなん
だな﹂
﹁うむ。町の各所に転送用の魔法陣が設置されているから、軽い気
持ちで踏み入る冒険者が後を断たない。子羊らがそうならないこと
を願っておこう﹂
ほう。油断はできなさそうだな。
とはいえ深くまで潜る価値があるかは場合による。
浅いフロアに出る雑魚で十分稼げるならそれでいいし、仮に最下
層を探索するのがあまりにも難しいようなら、無理する必要はない。
事情を知るはずもない神官に、神の加護、なんてことをささやか
れたが⋮⋮。
803
最初から持ってるんだな、これが。
﹁地下層がどういうとこなのかはなんとなく分かったよ。でもさ、
どうして教会があんなにドカッと依頼を出してるんだ?﹂
﹁教授したように、この町の地下は忌まわしき者どもで溢れている。
神が苛んでしまわれないよう浄化する定めが我々にはあるのだ。我
ら教団にとって、不浄の使者であるアンデッドは最大の天敵といえ
よう﹂
おお、もっともらしい理由だ。
深い低音ボイスだから説得力が半端ないな。
が、納得する俺をよそに当の司祭は難儀そうな顔をしている。
﹁⋮⋮というのが、表向きだな﹂
﹁へっ? なんだそりゃ﹂
まるで別の理由があるみたいな言い方してるけど。
﹁詳細は裏手の施設で聞け。あちらで教わったほうが理解が早い。
聖女のアリッサがいるから話にならなくはないだろう⋮⋮おそらく﹂
おそらく、というのがどういう意味なのかは引っかかるが、それ
より。
﹁聖女⋮⋮聖女か﹂
無駄に緊張してきた。
804
お目にかかりたかった聖女様とやらは、あんな怪しげな建造物の
中にいたのか。
なんか意外だな。てっきり昼夜問わず祈祷に励んでいるものだと
ばかり。
﹁だからこそベッドでの姿を想像すると燃えてくるんだけどな﹂
そんなしょーもないことを考えながら、件の建物へ。
﹁うおっ!﹂
鉄の扉を開いた瞬間に、内部に充満していたムワッとした空気が
雪崩れこんできた。
ただ単に湿度と温度が高いだけじゃない。なんていうか⋮⋮物凄
く⋮⋮。
﹁ふにゃにゃにゃにゃ、クラクラしてきたにゃあ∼﹂
ナツメは濃厚な匂いを嗅いだだけでよろめいていた。
ホクトも同様。俺とミミだけが比較的この空気に中てられないで
いられている。
﹁ここ、酒蔵じゃん!﹂
ずらっと並ぶメートル級の樽の数々に、俺は思わず驚嘆してしま
った。
805
プレートがかかっているから分かったが、これ、全部酒だ。
白ぶどうと赤ぶどうのワインが山盛りある。
まだ熟成段階なのか知らないが、室温はやや高めに管理されてい
た。涼やかな気候の町だったから温度差が激しい。
﹁なんで教会の裏に、こんな大量に溜めこんで⋮⋮﹂
﹁溜めてるだけじゃないんだな∼!﹂
奥のほうから、やたらとカラッとした声が響いた。
﹁おや!? 見ない顔じゃないか!﹂
俺たちの前に現れたのは、シスター⋮⋮はシスターなんだろうが、
聖者の服をめちゃくちゃ雑に着崩した女だった。
長くしなやかなプラチナの髪を、そんなの知ったこっちゃないと
ばかりに振り乱している。
﹁昼間っからカワイコちゃん三人も連れ回して、羨ましいねぇ。こ
のこのっ﹂
喋ってる内容も大体見た目どおりだった。
たぶん、性格もそれ準拠。
だらしのない胸元で下品にゆっさゆっさしてる谷間といい。たく
し上げたスカートの裾からのぞいている艶かしい生足といい、眼福
806
は眼福なのだが、ロマンもクソもない。最初から八割方削れている
スクラッチくじを与えられたような気分だ。こういうのは過程が一
番興奮するっていうのに。
ていうか、酒臭っ。
こいつ酔ってやがるな。よく見たら右手に酒瓶持ってるし。って
いうか今もグビグビとラッパ飲みしてるし。
ぶっちゃけると非の打ち所がないくらい目鼻立ちは整っているし、
プロポーションも抜群なんだが、表情と体勢がぐでんぐでんだから
マイナス補正がかかっている。
﹁横から失礼するであります。溜めこむだけでない、とは一体どう
いう意味なのでありましょうか?﹂
俺に代わってホクトが質問した。
アルコール混じりの空気に浸されているがギリギリ酔いは回って
ないらしく、まだ呂律はしっかりしている。
﹁んふふ∼、ここではねぇ、お酒を造ってるの﹂
﹁酒? でもここって教会の一部分だろ。そんなことやってて大丈
夫なのか?﹂
﹁知らないの? かーっ、これだから今時の子は!﹂
年寄りくさい反応をされた。
何歳なんだこの人。見た感じ俺よりはひとつ上の世代っぽいけど。
807
﹁教会はワイン造りの本場だよ! どこの教会でも副産業としてワ
インを造ってるの! お金がタダで湧いてくるわけじゃないんだか
らさ∼、アタシたちも生きてくために真面目にお仕事してるってこ
と﹂
﹁へえ、そうなのか﹂
﹁常識、常識! あっ、そうだ、よかったら見学してく? もっと
奥まで行けばバッチリ製造現場が見られるよ!﹂
﹁おおっ、それは面白そうですにゃあ。みゅふん﹂
不規則に足踏みするナツメはマタタビを与えられたみたいにふに
ゃっていた。
そういやワインって案外宗教的な意味もあったんだったか。
ただ真面目に働いてるようには見えないが、その前に。
﹁もしかして⋮⋮あんたがアリッサなのか?﹂
﹁そだよ﹂
﹁教会の聖女様だっていう﹂
﹁いかにもね!﹂
﹁すみません、人違いでした。それでは﹂
﹁待った待った∼! せっかくだからちょっとお話していこうじゃ
ないの!﹂
強引に呼び止められる。
にしても、こいつのどのへんが聖職者なのか。酔っ払ってうひゃ
うひゃ騒いでるのを見てると人生の落伍者って感じなんだが。
俺が思い描いていた清らかな想像図はガラガラと音を立てて崩れ
808
去っていた。
後に残ったのは燃えカスじみた廃墟である。
﹁まあまあまあ、まずは景気づけに一杯⋮⋮﹂
﹁いらねぇよ。ってか、それ飲みかけじゃん!﹂
口をつけた瓶を平気で飲まそうとしてくるから恐れ入る。
中学生ならそれで落ちるかもしれないが、生憎俺はれっきとした
成人男性。その程度ではなび⋮⋮なび⋮⋮いや逆にアリだな。
﹁でもやっぱいらないわ。ワインなら飽きるほど飲んできてるし﹂
今朝もパンと一緒に食卓を飾っていた。お馴染みの構図だ。
しかしながらアリッサは意味深な表情で指を振り。
﹁ちっちっ、甘いね、お兄さん。この瓶に入ってるのはブランデー
だよ﹂
そんな誘惑をしかけてきた。
809
俺、渇望する
﹁はぁ? そりゃ珍しいな、ここにはそんなものまで置いてあるの
かよ﹂
﹁んー、置いてあるというか、造ってるというか?﹂
どうやらワイン以外の製造も手がけているようだ。
それを割らずに喉で飲んでいることにもびびるが、なによりも。
﹁蒸留酒も造れるのか? マジで?﹂
﹁そう! むっふっふ、ウチの他には数えるほどしかないよ∼? ブランデーやウィスキーを造ってるところなんて﹂
アリッサはふふんと余裕でFカップはありそうな胸を張る。
﹁リステリア大教会はね∼、ドルバドルきってのお酒造りの名所な
の。技術も設備も人員もみーんな揃ってるし、それこそ聖地ってや
つだねっ!﹂
な、なんだと⋮⋮。
聖地の意味変わってきてる気がするが、こいつは驚きだ。
俺は醸造酒よりどちらかというとキレ味鋭い蒸留酒のほうが好み
だ。だが転生してからというものの果物や麦を発酵させた醸造酒に
しかありつけていない。
810
それはそれでうまいのだが、心のどこかでは物足りなさを覚えて
いた。
まさかこんなところで希望の品を拝めるとは。
﹁製法が一般化されてないから、こんな激ウマなお酒の販売権を独
占できてんのよねぇ、うちらって。そりゃもうガッポガッポ儲かっ
て笑いが止まりませんわよ﹂
ぬひひと女らしからぬ笑い方をするアリッサ。
で、話を更に聞くと。
こいつは酒造事業を全面的に任されているのだそうだ。
品質チェックのため頻繁に試飲を行っているから、式典祭典の時
以外はほぼ毎日酩酊しているとのこと。
﹁⋮⋮ホントか? 単に飲みたいだけじゃないのか?﹂
﹁それもある!﹂
やっぱりな。
ただ酒の味にうるさいアリッサが監督し始めてからクオリティが
飛躍的に高まり、売れ行きが好調になったのは事実らしい。
その功績が認められて聖女まで昇り詰めたそうだが、いやはや出
世街道にも裏ルートってのはあるもんなんだな。
﹁この施設のことは分かった。でもさ、実を言うと俺が本気で知り
811
たいのはそういうんじゃないんだよ﹂
﹁じゃあどういうの?﹂
﹁地下層についてだ﹂
﹁地下層? ⋮⋮あー、そかそか、司祭様に言われて来たのか!﹂
アリッサは瓶の底でポンと手を打つ。
﹁今から行っちゃう感じ?﹂
﹁まあな﹂
﹁それじゃあちゃんと教えとこうかな﹂
こほん、とわざとらしい咳払いをしてから。
﹁水を守ってほしいんだよね、あたしらからしたら﹂
と赤ら顔のまま言った。
﹁あそこは魔物がたくさんいるからねぇ。あんまり数が多すぎると
地下にある水脈が汚されちゃうのよ。特に腐った連中なんかは最悪
!﹂
﹁へえ﹂
﹁ほら、うちって汲み上げた地下水を使ってるじゃない?﹂
ご存知みたいなテイで話しかけてきた。
﹁お酒を造る上で水の良し悪しは死活問題っ! リステリアのお酒
がおいしい一番の理由も質のいい地下水が汲めるからだしさ﹂
それは理解できる。日本でも基本的に銘酒は名水の産地で造られ
てたからな。
812
﹁蒸留酒には綺麗なお水が必要不可欠だからね∼。せっかくの澄ん
だ地下水を台無しにされたら困るってものですよ、ええまったく﹂
﹁はあ。じゃあなんだ、酒の出来栄えを保つために教会側で依頼を
出してるのか﹂
﹁そゆこと!﹂
持ち帰った素材が討伐の証拠になるわけだな。
にしても、そんなのが真の理由か。
教会というから随分とお堅い場所なんだろうなと想像していたが、
案外俗っぽい考え方がされてるようで俺としては親近感が湧く。
そうと分かれば違うモチベーションも生まれてくるな。俺だって
どうせ飲むならうまい酒のほうがいい。
金を稼ぐことが飯のランクアップにも繋がる。これこそ一挙両得
じゃないか。
﹁今日は外食だな、うん。帰りにどっかに寄ろうぜ﹂
俺はミミら三人に向けてそう伝えた。
﹁なになに、飲み会の打ち合わせ? 町中にはうちの直営店も出て
るからそっちもよろしく頼むよっ!﹂
﹁そんな事業にまで手を広げてんのかよ⋮⋮まあ寄ってはみるけど﹂
﹁お兄さん毎度! ⋮⋮あっ、そうだ﹂
そう思い出したようにつぶやくと、アリッサは突然、ことあるご
813
とに揺れているたわわに実ったメロンが眩しい胸元に無造作に手を
突っこんだ。
﹁これ、あげとく﹂
取り出したのは手の平サイズに折りたたまれた地図だった。
例の地下層の構造が大雑把にではあるが記されている。
ってか、その前にどこに隠してんだよ。めっちゃ人肌に温まって
るんだけど。しかもなんかいい匂いがするし。おいおい最高か。
﹁大事に使うこと! アリッサお姉さんとの約束だよっ!﹂
手をひらひらさせて見送るアリッサを残し、早速俺たちは地下層
へ。
教会のすぐ近くにあった魔法陣から一番最初のフロアに降下する。
いちいち遠出する必要がないというのは楽でいい。
移動は一瞬だった。以前に体感した移送魔法とまったく同質のよ
うに感じた。
﹁うわっ、というか⋮⋮﹂
暗っ!
湿った土の臭いが立ちこめているからここが地下層とやらだとい
うことはなんとなく分かるが、明かりが皆無だからまともに周りが
814
見えない。
﹁ホクト、ランプを出してくれるか?﹂
俺はホクトが担いでいるカバンを頼ろうとするが、それより先に。
﹁口の中でほどける肉を煮込むための火!﹂
ミミが何事かを口ずさむ声が響いた。
するとどうだ、ポンッと小さく空中に灯った火が俺たちの周囲を
ぼんやりと照らし始めたではないか。
火はふよふよとミミに付き従うように浮遊している。
さながら文鳥のように。
﹁これ、まさか﹃かまどの火﹄ってやつか?﹂
ミミの手には図書館から譲られた魔術書がすっぽりと収まってい
た。
﹁はい。長時間使い続けるのにちょうどよい弱火、だそうです。ラ
ンプの代わりにもなるかと思いまして﹂
どこかかわいげのある火を、うっすらと笑みをたたえて見つめる
ミミ。
実際ランプの役割は完璧に果たしてくれている。どうやら火の軌
道は正確にコントロールされているようで、決して俺たちに接触は
815
しない。
料理用の魔法、という名目の割には、意外と汎用性がありそうだ
な。
なによりこれを照明に転用しようというミミの柔軟性が素晴らし
い。俺は思わず﹁ううむ﹂と唸ってしまった。
﹁ところで凄い名前の魔法だな﹂
﹁ええと⋮⋮そう載っていましたから﹂
ミミは目線を少しだけ伏せて恥ずかしそうにした。
それはともかくとして。
照らし出された地形を確認する。おおまかな造りは坑道や洞窟と
似ているが、四方八方を覆っているのは岩石ではなく土だ。
道幅、高さ共に五メートルくらいか。広くはないが、特別狭くも
ない。
﹁この湿潤、気力体力を奪われてしまいそうでありますな。精神統
一せねば﹂
ホクトが顔をしかめているとおり、梅雨時以上にジメジメしてい
てとてもじゃないが快適な空間とは言えない。
ここが地下層の第一フロアか。
近くに他の冒険者の影はない。スタート地点で長居する意味もな
816
いってことか。
﹁にゃっ? ご主人様、壁の向こうから音が聴こえますにゃ﹂
ナツメに促されるままに耳を済ませてみる。
極力静かにして︱︱。
﹁って、全然聴こえねぇんだけど﹂
﹁あっちから水の音がするんですにゃ。チャプチャプって﹂
﹁本当かよ﹂
﹁間違いありませんにゃ!﹂
視力だけでなく聴力もナツメはいいらしい。
なんなら五感全部が優れてるんだろうか。ともあれダメ元でナツ
メが指差した方向の壁に耳をくっつけてみる。
﹁おっ、これのことか﹂
確かに溜まった水が揺らめくような音が、かすかにだが聴こえて
くる。
﹁貯水層でしょうか。ここから地下水を汲み上げているんですね﹂
俺の隣でミミが同じポーズをしていた。
この壁の向こうに町の水道事情を支える何百何千リットルもの水
源があるとは到底信じられないが、こうして聴こえるからには事実
なのだろう。
817
しかし地下の魔物が増えると水が汚れるということは⋮⋮。
⋮⋮あまり深く考えるのはやめとこう。
ミミが浮かべた火に導かれながら、手頃な魔物を求めて先に進む。
数分ほど歩くと展開があった。
﹁主殿、重々警戒を﹂
﹁おう。俺にも見えた﹂
ホクトの一歩前に出た俺はツヴァイハンダーを構え、道すがらに
出くわした奇怪極まりない魔物に注目を合わせる。
人型の骨だ。まんま骸骨である。
それが何体もの群れをなしていた。
ないはずの眼球で俺たちを恨めしそうに睨みつけてくる。連中が
のっそりとした動作で一歩踏み出すたびに、膝や腰の骨がカラカラ
と高い音を立て、真夏の怪談じみた不気味さを演出していた。
﹁肉が一片も残ってないのに、どうやって生きてんだ、ああいうの
って﹂
素朴な疑問を抱きつつも俺はスケルトン軍団との距離を詰める。
先手を取って。
818
﹁ううお、りゃあああああ!﹂
裏返る一歩手前の雄叫びを上げ、ツヴァイハンダーをフルスイン
グする。
このくらい大きな声を出さないと力が入らない。
この無闇にでかい剣を扱う際は重量を活かすために縦振りするこ
とが多いが、今回は黄金色の刀身を寝かせて水平に薙いでいた。
それが大声の理由である。
当然俺の腕力では鈍い剣速しか出せないが、鈍いなりに、複数ま
とめて攻撃。
骨が一斉に砕け散る、乾いた音が鳴り渡った。
傷の軽微な奴には地面から突き上がらせた土の槍で追い討ちをか
ける。足の骨が粉砕されたのを確認してから、もう一度薙ぎ払いを
浴びせる!
またも軽快な骨の破壊音がカーニバルを織り成した。
﹁よし! あと一体か﹂
だがそれには。
﹁にゃっ!﹂
半歩遅れて飛びかかったナツメのナイフが刺しこまれていた。
819
肋骨の間にグサリと刃が侵入しているとはいえ、肉を持たないス
ケルトンなのでもちろん血は噴き上がらない。
だがナツメの狙いはそこではなかった︱︱巧みにナイフを滑らせ
て骨組みを外し、わずか十秒足らずで上半身をバラバラに解体して
しまったのだから。
驚く俺にナツメは﹁模型屋さんで働いてた時の要領ですにゃ﹂と
ケロッとした顔で言ってみせたが、うーむ、凄い。
形態を維持できなくなった魔物たちは例外なく煙となる。
﹁ふう、片付いたか﹂
﹁お見事であります! 相変わらずの豪胆な戦いぶりですな﹂
﹁別に肝は凄くないけどな、俺。戦い方がそれっぽかったってだけ
だし。こいつが勝手に豪傑に仕立て上げてくれてるんだよ﹂
ホクトが手渡してきたワインで渇きを潤しながら、俺は地面に突
き立てたツヴァイハンダーの柄に手を置く。
一応格好つけたつもりだったのだが、なにせこいつは分身と呼ん
でいいレベルで俺の身長と寸分違わない規格をしているから、肘と
肩が上がってしまってあまり見栄えのいいポーズにはならなかった。
しかしまあ、弱い。
落とした金額も一体につき6000Gとパッとしない。まだまだ
序の口ってとこか。
820
けれども司祭は﹁浅い階層でも手強い﹂と解説していたから、こ
いつらより歯応えのある魔物はまだまだいそうだな。
更に前進。
821
俺、分解する
まだまだスケルトンの湧くエリアが続いていた。
目についたそばからサクサクと退けていき、道を切り拓く。
それにしてもかなり広い。
定期的に三叉路や十字路に行き当たるあたり、正しく迷宮してい
る。
地図を見ているだけだとそんな感じはしないが、おそらく地上に
あるリステリアの町全体とほとんど変わらない面積がありそうだ。
﹁⋮⋮おっ?﹂
四度目の曲がり角を左に曲がったところで、俺は一味違ったスケ
ルトンを発見する。
そいつは素手ではなく、武器を持っていた。
乾燥した血がへばりついた禍々しい見た目の剣を握り、こちらを
威嚇してくる。
﹁ご主人様。あいつにはミャーがいきますにゃ!﹂
新品の革の服をまとったナツメは﹁刃物なら任せろ﹂とばかりに
平たい胸を叩く。
822
﹁大丈夫だっての。俺のコートの頑丈さを舐めるなよ。⋮⋮それに
だな﹂
骸骨︱︱ナイトフォルムとでもしておくか。こいつが装備してい
る剣は、この間合いからでも明らかなくらい刃こぼれがひどい。
あんなんじゃ仮に攻撃を受けたとしても大したダメージにはなら
ないだろう。
というわけで。
﹁でりゃっ!﹂
臆することなく接近し、ただでさえヘビー級のツヴァイハンダー
に俺の体重を乗せて、強烈な一太刀を浴びせる。
例によって瞬殺。そもそも剣同士が触れ合う機会すらなかった。
所要時間と労力は普通のスケルトンを倒した時とまったく一緒な
のだが、ドロップアイテムは金貨十枚に折れた刃と微妙に豪華にな
っている。
攻撃性能が上がっている分報酬もグレードアップされてるってわ
けか。
まあその攻撃性能とやらが発揮される前に終わったんだが。
とはいえこの程度の額で妥協しろというのも無理な話。
823
﹁行こうぜ﹂
稼げる魔物探しを続行する。
⋮⋮が、その後に遭遇したのも全部スケルトンの派生だった。
鉄板を貼りつけた鎧を着ていたり、棍棒を振り回していたり、細
長い槍を携えていたり、ハンマーを担いでいたり⋮⋮無駄にバリエ
ーションが豊富で飽きないものの、基本はどれもこれも脆い骨であ
る。
簡単に言うと雑魚だった。
どのフォルムであろうと苦戦の﹁く﹂の字もなく倒せる。
実際、報酬もしょっぱい。素材が異なるだけで落とす金の額は一
万Gで固定だ。
片っ端からカルシウムをぶっ壊しながら進んでいく俺は息も上が
っていない。
宝石のおかげで勝手に疲労は回復していくし、ヒールを使える味
方が二人に増えているから保険も万全。
安心して戦闘に臨むことができた。
﹁ってか、やっぱこの剣が強すぎるな⋮⋮﹂
最初の町でこんなクソ強い武器を入手できてるんだから、反則も
いいとこだ。
824
﹁順風満帆でありますな﹂
朗々とした声をかけてくるホクト。
﹁いつもながらお見事であります。主殿の腕では骸骨のみで構成さ
れた第一層だと物足りなく感じることでありましょう﹂
﹁それな。さっさとポイントを移りたいぜ﹂
地図を確認した限りだと、下に繋がる魔法陣は数ヶ所に渡って配
置されている。
ここから一番近い場所となると⋮⋮フロア中央だな。
そこを目指すか。
ただ魔物がこっちの都合を配慮してくれるはずもなく、邪魔な奴
らを排除していかないと先に進めない。めんどくせーなと思いつつ
も渋々狩っていくが⋮⋮。
﹁ん?﹂
通算何十体目かのスケルトン亜種を叩き割った時のことだった。
俺は不意に、地下層内の空気の流れが一変したような感覚に襲わ
れる。
﹁う、うわああああああ!?﹂
どうやら気のせいなんかではないらしい。ミミの灯火の明かりが
825
届いていない奥手側から素っ頓狂な悲鳴がいくつか上がっていた。
悲鳴の主たちがこちらに向かって必死の形相で走ってくる。
人数からいってパーティーでも組んでいたんだろうか。
﹁なんかあったのか?﹂
﹁クァーテッド・デバスシアライドが出たんだ! あなたも逃げた
ほうがいい!﹂
そのうちの一人、若々しい風貌をした男は早口でそう答える。
ただでさえ焦っているのに、その上で舌を噛みそうになる固有名
詞を出されたので最高に聞き取りづらかったのだが、それが一体な
にを指しているのかは独特すぎる響きからすんなりと推測できる。
﹁懸賞首か。なんの前触れもなく出やがるんだな⋮⋮どこの地方で
も﹂
俺が適当なスケルトンを倒した瞬間にこれってことは、魔物の合
計撃破数が出現条件なのかも知れない。
﹁出現場所はどこだ?﹂
﹁フロアの中心部だよ! Dランク止まりの俺じゃ敵いっこない⋮
⋮ああ、もう、急いで逃げないと! チンタラしてるとこっちにま
でやってくるぞ!﹂
狼狽する男を始めとしたパーティーは猛ダッシュで後退していっ
た。
826
うーん、これは判断が難しい。あいつらが落とす報奨金は桁違い
とはいえ、毎度毎度討伐には苦労させられてるからな。
ここは他の冒険者に任せておくか。
と、思っていたのだが。
﹁⋮⋮続々と逃げてくるな﹂
﹁ですにゃあ﹂
中央にいたであろう面々が次から次に俺たちの横を駆け抜けてい
く。
戦う気なさすぎだろこいつら。俺が言えた義理じゃないが。
ひょっとして低いランクの奴らしか今潜っていないんじゃなかろ
うか。さっきの﹁俺じゃ敵わない﹂と正直に話していた男もDだっ
たし。
まあ腕に覚えがあるならここじゃなくてもっと下を探索してるか。
﹁シュウト様、いかがなさいますか?﹂
ミミがふっと俺を焚きつけるようなことを言ってきた。
仕方あるまい。
﹁誰もやらないならやるしかねぇか。倒しとかないと酒の味も落ち
るし﹂
827
それに他に誰もいないんならそれはそれで好都合だしな。ゴール
ドラッシュを目撃される心配もない。
俺が取った選択にミミは﹁はい﹂と微笑を添えて頷いた。
さっきの思わせぶりな台詞といい、その庇護欲を煽る表情といい、
相変わらずその気にさせる天才だな。
無意識のうちに人の感情をコントロールしてしまうからこいつは
恐ろしい。これが魔性ってやつなのか。さすが悪魔と関わりがある
という山羊の遺伝子。
﹁では、参りましょう! 自分も血を滾らせていただくであります
!﹂
﹁もう滾ってるじゃん﹂
大仕事にホクトが熱くなるのもいつものことだ。
後ろではなく、前に舵を切る。
﹁あれか⋮⋮というか、でかっ!?﹂
魔物の影をとらえた俺は、まず真っ先にその体格に驚愕した。
でかい。重心の低いどっしりとした四足歩行でうろつく、動物の
形によく似たそいつは象に迫るサイズがある。今にも背中が天井と
擦れてしまいそうだ。
しかし図体が巨大なだけならば過去にもっと凄い奴を目にしてい
る。
828
この魔物が本当に異様なのは⋮⋮これだけの巨躯を誇っていると
いうのに、その肉体を成しているのがすべて剥き出しの骨であると
いう点。
皮膚や筋肉はなく骨格だけで動いている。
すなわち、こいつもまたスケルトンの一種だった。
声帯がないせいか一言も鳴き声を発さない。それが尚更不気味に
感じさせる。
﹁怪物にもほどがあるっての。マンモスの骨か? とことん骨で押
してくるな﹂
とりあえずビーストフォルムと名付けておいた。
で。
こいつの攻略法だが、これといって作戦はない。愚直に攻め立て
る以外できない大剣装備時の俺ができることなんざ、一に攻撃、二
に攻撃だけだ。
みんなに指示だけ出しておくか。
﹁ミミはなんでもいいから呪いがかかるか試してみてくれ。ナツメ
は⋮⋮そうだな、ナイフじゃ心もとないし回復を頼む。ホクトは二
人のガード。任せたぞ﹂
ホクトが敬礼する姿を見届けてから魔物へと接近を図る。
829
これだけの体格差があっても、不思議と恐怖心は薄かった。ツヴ
ァイハンダーを装備している間はその辺の理性が鈍っているような
気がする。あと知性も。あらゆる意味でブロードソードを握ってい
る時とは真逆だ。
まあ今は発想や機知よりも力と勇壮さのほうが重要だろう。
マンモスを相手にするのは原始人と相場が決まっている。
﹁ブッ潰れろ!﹂
ミミが虚弱の呪縛をかけた前足部分目がけて、ストレートに刀身
を叩きこむ。
砕き割れた大腿骨の一部が粉となって舞う。
当たり前だがこの一撃で終わってはくれない。でかいだけあって、
耐久力も他のスケルトンとはまったく別物といっていい。
ダメージを負った前足は、今度は魔物の武器として稼動した。
わずかに浮かせて外側に開いたかと思うと⋮⋮。
﹁ごほっ!?﹂
一気に振り払う!
野性的に放たれた蹴りをモロに受けた俺は、人身事故にでも遭っ
たかのように三メートルほど吹っ飛ばされた。
830
足だけで俺の背丈を上回っているのだから、威力は推して知るべ
し。
﹁無茶苦茶してきやがって⋮⋮というか意外と素早いな、こいつ﹂
なんとか受身を取る俺。
途方もない衝撃力で派手に弾き飛ばされた割にダメージは少ない。
さすがはレア素材を惜しげもなく使った衣服といったところか。
﹁ご主人様ー! 大丈夫ですかにゃ!?﹂
ナツメがすかさず回復魔法で支援する。
﹁大丈夫っちゃ大丈夫だが⋮⋮近づくとめんどくせぇな、この感じ
だと﹂
いくらダメージがしょぼいとはいえ、毎回こうやって香港映画じ
みた吹き飛び方をしていたら気分が萎えてくる。
﹁でもまあ、やるっきゃないんだけどな﹂
嫌々ながらに最接近。再び前足をツヴァイハンダーで斬りつける。
先ほど与えたダメージと相まってか、今度は目に見える成果があ
った。スケルトン・ビーストフォルムはガクンと体勢を崩し、大き
な隙が生まれた。
踏ん張りが利いていない。今なら反撃をくらうこともない、はず。
831
﹁うりゃあっ!﹂
この機会を活かさない手はない。立ち上がる前に限界までダメー
ジを稼いでやろうと俺は全力を注ぐ。
側面に回って力任せに剣を振り下ろし、そのまま切っ先を地面へ
とぶつけた。
隆起した土が返し刀となって脇腹に追撃を入れる。
ツヴァイハンダーを振るたびバケモノの体を構築する骨が次々に
粉砕されていく。一発で並の魔物を消滅させるだけの破壊力を誇る
武器だ。どれだけ丈夫だろうが、数を重ねられていつまでも耐えら
れるわけがない。
けれど時間も無制限とはいかない。
あと数発で倒し切れるかというところで、全身の骨がガタガタと
振動し始める。
やば。起き上がるか?
︱︱そう考えていたのだが。
﹁高熱の釜でピザ生地を焦がすための火!﹂
遠くでミミがそう、柔らかくも芯の強い声音で言葉を紡いだ瞬間、
ビーストフォルムの後ろ足が激しい炎に包まれた。
832
焼けつくような温度がこちらにまで伝わってくる。
あれだけの火だ。魔物は決して吠えはしないが、その実苦しみ悶
えているであろうことは容易に想像がつく。
﹁今のもかまどの火の魔法か?﹂
﹁はい! シュウト様にお力添えしたくて⋮⋮﹂
嬉しいことを言ってくれるよ、まったく。
けどこれ、料理ってレベル超えてないですかね?
魔術師が火属性の魔法を使っているところは過去に目にしたが、
それよりも火力が高いように思える。
お構いなしに次なる技を唱えるミミ。
﹁鮮魚を薫り高い香草焼きに仕立てるための火!﹂
さっきよりはやや勢力の弱い火が追加される。
それよりミミよ。マジで変な名前の魔法しか載ってないんだな、
その魔術書。
だがミミが加勢してくれた甲斐あって、魔物が復帰する勢いは完
全に削げた。頭がぐったり垂れ、首の部分が手の届く高さにまで下
りてきている。
﹁これで死ななきゃ大したもんだ。好きなだけ喰らいなっ!﹂
833
そこにトドメとなる一撃を見舞う!
刃が魔物の頚椎を完璧にとらえた。
自画自賛するのもアレだが、会心の一撃だった。手の平に伝わっ
てきた感触といい、鳴り響いた骨が砕け散る音といい、爽快さに満
ちていた。
死骸に限りなく近い生命体はようやく昇天した。
溢れ出た煙の量も半端ではない。全部消え去るまで結構な秒数を
要した。
肉体が滅び去る中で魔物が残していったものは、俺一人では抱え
きれないほどの膨大な枚数の金貨と、そして長大な肋骨。
﹁うおお⋮⋮これだけまとまった報奨金を見たのは久しぶりだな⋮
⋮﹂
蝶は捕まえただけだったし、ゴーレムは原石しか落とさなかった。
うむ、百枚単位の金貨の山っていうのはいつ見てもいいものだな。
俺が感慨に浸っていると、いつの間にか隣にまで来ていたナツメ
が目を閉じて何度も頷いている。
﹁やりましたにゃっ! ご主人様ってこんなに強かったんですにゃ
あ。ふむふむ﹂
﹁はい。シュウト様はとてもとても頼もしいマスターですよ﹂
834
ミミはナツメに、どことなく嬉しそうに声を弾ませて語った。
﹁お疲れさまであります。主殿の力強い剣技、自分も見習わねば⋮
⋮﹂
水分補給用のワインを俺に手渡すホクト。
﹁ところで主殿、このまま探索を継続するのでありますか?﹂
﹁んー、それだけどさ﹂
すぐ奥に魔法陣も見えているが⋮⋮大金も得られたことだし、今
日のところはこれらを持ち帰って終わりにしておくか。
そんな精力的に活動し続けられるほど、俺は殊勝な人間じゃない。
835
俺、飲酒する
戦利品を回収し、地上に帰還。
今回獲得した素材は二メートル近くもあるから運ぶのも一苦労だ。
久々に拝む日光が浮上したての俺の目をくらませ⋮⋮たりはしな
かった。
長いこと地下にいたから分からなかったが既に太陽は沈みつつあ
る。ちょうどいいくらいの時間帯だな。
冒険者ギルドに直行。
﹁ようこそギルドへ⋮⋮おや、それはまさか﹂
おっさんは俺が持ち帰った魔物の骨を見るなり、ニヤリと口角を
上げた。
﹁ふうむ、スケールからして間違いない。クァーテッド・デバスシ
アライドの骨だな﹂
﹁さっき倒してきたんだよ。結構手を焼いたぜ﹂
﹁初日でこれとはやるもんだ。フィーの出身者も中々どうして侮れ
んなぁ﹂
俺の顔をジロジロと見ながらおっさんは腕を組む。
﹁死者の怨みに応えて湧き起こるとされている魔物でな。調子に乗
836
ってスケルトンを撃破しすぎるとこいつに痛い目に遭わされるんだ
よ﹂
つまり第一層のボス的存在らしい。
それにしても、出現条件が初見殺しすぎるだろ。
﹁そういうのは先に言ってくれよな﹂
﹁教会で教わらなかったのか?﹂
﹁全然。それっぽいことは司祭が話してくれたけど。ま、勝てたか
らいいんだけどさ﹂
金にもなったしな。第一層はあまり稼げないと思っていたが、こ
いつ目当てでスケルトン狩りをする、という手法も悪くないかも知
れない。
でもまあ、まずは下層も巡ってみてからか、それを決めるのは。
今後の計画についてあれこれ思案する俺をよそに、おっさんは骨
をコツコツと叩きながら真贋を再鑑定している。
﹁それにしても肋骨か。これはまた良品を持ってきてくれたもんだ﹂
﹁素材にいい悪いとかあるのか? どれも一緒なんじゃ﹂
﹁奴は三種類の素材を落とす魔物なんだよ。最も希少なのは背骨で、
これは滅多に落とさない。肋骨はそれなりの頻度。よく落とすのは
腰骨だ。基本的に珍しい部位ほど加工の幅が広く、上等な素材とさ
れる﹂
﹁ほう﹂
ってことは松竹梅でいったら竹だな。
837
まあ背骨なんて落とされてもでかすぎて少人数じゃ運搬できそう
にないが。
﹁とはいえ、どれを持ちこもうが討伐の証拠になるのは一緒だ。ク
ァーテッド・デバスシアライドに設けられた懸賞金は四万5000
G。その骨と交換しておこう﹂
﹁え、あげないけど﹂
俺はそう当然のように返答した。
﹁は? いや、賞金が出るんだぞ? お前の評判も王都に伝わるだ
ろうし⋮⋮﹂
﹁どっちもいらねぇからな。この素材のほうが欲しいし﹂
これはギルドに寄る前から決めていたことである。
レア敵がドロップしたものがレア素材なのは分かり切った話。
以前は名声のために涙を飲んで納品していたが、通行証のある今
となってはそうする義務はない。
金にしたってギリギリ諦めをつけられるラインだ。四万5000
Gという数字は確かに高額だが、ビーストフォルム自体がその十倍
近い資金を落としていっているんだし。
素材は素材として役立たせてもらう。
﹁⋮⋮まあそれもひとつのやり方だな。こっちが指図することじゃ
ないか﹂
838
﹁理解してくれて助かるよ﹂
﹁装備品として使うのであれば、そうだなぁ、杖やアクセサリーな
んかが一般的だな。骨系統の素材はそれほど衝撃に強い性質を有し
ていないから、激しい接触が起こる武器や防具には向いていない﹂
なんか俺向けじゃないな、話聞いてると。
﹁材質そのものが頑強なレアメタルと比べるのは酷ってもんだ。そ
ういう意味では杖に仕立てるのがベストだろうな﹂
うーん、杖か。それはもう間に合ってるんだよな。
古木の枝より優れているようなら変える価値はあるが、そもそも
ミミにはしばらく魔術書を装備していてもらう予定だ。かまどの火
もそうだが、まだまだ中級呪術の魔術書セットも残っている。
ここはアクセサリーにするのが妥当か。
いやいや、ここは他の選択肢も検討してから⋮⋮。
﹁随分と悩んでいる様子だな﹂
﹁そりゃあ悩むって⋮⋮考え甲斐もあるしさ﹂
﹁どう使うかはお前の自由だからこれ以上はなにも言わない。いい
装備品が出来上がることを神に祈っておくよ﹂
﹁分かった。いろいろとありがとな﹂
⋮⋮と、そうだった。
﹁こっちも使い道があるかどうか聞いておきたいんだけど﹂
839
俺はホクトから受け取った皮袋の中身を見せる。
そこにはスケルトンが所持していた武器の残骸が大量に詰まって
いる。折れた刃に割れた穂先、金鎚の破片⋮⋮などなど。
﹁これは大したものじゃないな。鋳潰せば鉄になるだけだ﹂
﹁なんだ、しょーもな﹂
期待はハナからしてなかったが、そんなもんか。
ということで、まとめて納品した。
一応は依頼達成扱いになるのでささやかながら報酬をもらう。
﹁じゃあな。また明日にでも来るよ﹂
おっさんに別れを告げて建物の外に出てみると、とっくに町の情
景は夕焼けに覆われていた。レンガ造りの家々がいい感じのオレン
ジ色に染まっている。
今の俺にはそれが赤提灯の明かりにしか見えない。
腹も減ったし喉も渇いた。ミミたちも同じだろう。
﹁晩飯にしようぜ。せっかくだし、うまい料理を食おうじゃないか﹂
それとうまい酒もな。
俺はこの瞬間を探索中もずっと心待ちにしていた。アリッサから
聞かされたとおり、この町には蒸留酒がある。是が非でも味わいた
840
いところ。
ナツメも飯と聞いてテンションを上げている。
﹁お付き合いしますにゃ。ふっ、ミャーは隠れた酒豪なのですにゃ
⋮⋮﹂
﹁いや匂いだけで酔ってただろ。素直に牛乳にしておけ﹂
﹁子猫じゃないですにゃっ!﹂
と言いながらも、ナツメは甘いミルクの味を想像して涎を垂らし
ていた。
夕陽に包まれた町を歩き、仕事帰りの人々で溢れた繁華街に行き
着く。
あちこち目移りしてしまうが、客入りからしてどの店も一定の水
準はあるだろう。
直観で選んだよさげな店へ。
どうせ分からないのでメニューを見もせずに注文に入る。
﹁四人前の料理をおまかせで。それとウィスキーを頼みたいんだけ
ど、ある?﹂
﹁もちろんですよ。当店では教会印の上質なアルコール類を各種取
り揃えております。混ぜ物の果汁ジュースや冷えた地下水もありま
すよ﹂
なんという親切設計。とりあえずウィスキーの水割りを頼んでお
いた。
841
ミミは俺にならって同じものを、ナツメは無駄にかっこつけた顔
つきと声色で﹁牛乳のミルク割りで﹂とオーダーしていた。
で、ホクトだが。
﹁一杯だけならお付き合いできるであります﹂
﹁無理しなくていいぜ。すぐベロベロになっちゃうじゃん﹂
﹁いえ、自分としてもそうしたいのであります。主君と酒を酌み交
わすのは配下の本望でありますから﹂
本人がそう主張するので柑橘類で割ったカクテルを頼んだが、ど
うなることやら。
ドリンクは十分と経たず運ばれてきた。
﹁おお⋮⋮マジでウィスキーだ﹂
この混じり気のない透明感。待ち焦がれておりました。
早速一口。
俺は感動の涙を流しそうになった。
うますぎて泣けてくる。
舌に触れた瞬間のインパクトと、喉を通ってから後を引かないキ
レ味。このグラスには蒸留酒の醍醐味が詰まっている。
﹁ふあ⋮⋮すぐに酔ってしまいそうです﹂
842
両手で握ったグラスを傾けるやいなや、瞳に熱を帯びさせてかす
かにくらりとするミミの色っぽい仕草にもやられそうになる。
﹁そうなったらシュウト様、申し訳ありませんが⋮⋮﹂
﹁な、なんだ﹂
﹁寄りかかってしまうかも知れません﹂
今すぐにでもそうしてほしいくらいなんだが。
しかしまあ、気分よく酔えるな、この店は。
変な言い方だが、客の行儀がよくないのがいいんだろう。かしこ
まって飲む酒はどうにもまずい。それよりはこんな騒がしい雰囲気
のほうが俺には合っている。
そうこうしているうちに、料理の皿が遅れてやってくる。
ハーブを混ぜたパン粉をまぶして焼かれた謎の肉とグリーンサラ
ダ、煮込んだ豆、薄くスライスしたチーズに、それからやりすぎな
くらい熱々のスープ。
息を吹いて冷ましてから口にしたスープは塩漬け肉をお湯にぶち
こんだだけの一品なのだが、これがたまらなくうまい。熟成した肉
から旨味がでろでろと溶け出ている。肉は肉でスプーンで小突いた
だけで繊維がホロホロと剥がれる柔らかさ。
塩気の利いたこれに固めのバゲットを浸して食べると最高だな。
汁がなくなった後の肉はいい酒のツマミになる。
843
二杯目を注文してからフォークを刺したメインディッシュはとい
えば。
﹁美味であります!﹂
とホクトが感嘆符をつけて賞賛するほど絶品だった。
まずアホみたいな話だが外のパン粉がうまい。複数種類のハーブ
に加えて粗い塩が混ぜこまれているのだが、これが軽く油を吸って
サクサクとした食感になっている。
肉は脂身が少なく、かなり筋肉質だ。
味も歯応えもしっかりしていて、噛み切ろうとすると筋が歯を跳
ね返してくる。
俺は貧乏性だから焼いて旨味を閉じこめた肉は固ければ固いほど
いいという持論がある。噛む回数が多いと得に感じるからな。
顎が疲れたら冷たい水割りを煽る。
油と塩味が綺麗さっぱり洗い流されると、また次の一口が欲しく
なってくる。
凄まじい相互作用である。
ただの付け合わせと思っていた豆にも手抜きはない。濃い目に味
付けされていて、これだけで十分酒が進む。
﹁それにしても、食事がめちゃくちゃ新鮮に感じてしまうな⋮⋮た
844
だ飲み物がワインじゃなくなっただけなのに﹂
﹁うむ、これまでの町で経験してきたものとは一味違いますな﹂
ホクトも酒の味には満足しているらしい。今のところは表情もキ
リリとしている。まあグラスが空になる頃には記憶も吹き飛んでい
ることだろう。
一方ナツメはマイペースに牛乳をコクコクと飲み干していた。
845
俺、潜行する
地下層探索二日目。
調子に乗って飲みすぎたツケの重い二日酔いに耐えながら降下し
た第二層は、昨日探索したフロアとほぼ同じ構造をしていた。
ほぼ、と付けたのは微妙に違いがあるためで、一定の間隔で柱が
立てられている。
﹁これって要するに⋮⋮崩れやすい層ってことなんだろ?﹂
俺は天井が落ちてこないかにびくつきながら進んだ。
で、このポイントに出没する魔物に関してだが。
端的に言うと最悪だった。
﹁つ、ついに出てきてしまったか⋮⋮﹂
少し前を飛ぶ魔力の火が照らし出したのは、いよいよ真打のお出
ましだとばかりに凶悪なオーラを放っている︱︱ゾンビ。
二本足でぼーっと立っているだけなのに凄まじい存在感だ。
朽ちた肉体の隙間からは臓器がこぼれ落ち、あばら骨が垣間見え
ている。
846
﹁中々どうしてセクシーな奴じゃないか﹂
俺は皮肉をつぶやく。
いやもう本当に、こういうビジュアルの敵はきついっす。
﹁にゃにゃにゃっ!? ご主人様、すっごく臭いですにゃっ﹂
﹁俺が臭いみたいな言い方はやめろ﹂
﹁ふみゃあ、鼻が曲がりますにゃあ⋮⋮﹂
ナツメの敏感な嗅覚だと、ゾンビから否応なしに漂ってくる腐乱
臭には相当我慢しがたいものがあるらしい。
﹁解決策があるぞ。呼吸をしない﹂
﹁死にますにゃ!﹂
﹁ずっとじゃねぇよ。あいつを倒すまでだ﹂
ゾンビを倒さない限り前進はできない。
かといって後退するのも生産性がなさすぎて馬鹿らしい。
大柄な相棒ツヴァイハンダーを握り締め、俺は﹁なんでこんな気
色悪い奴と戦わなきゃならんのだ﹂という嫌気を無理やりごまかし
ながら接近。
﹁だらあっ!﹂
一気に振り下ろす。
いつもならこの一発で弾け飛ぶか、最低でも裂傷を走らせられる
847
のだが⋮⋮。
﹁はぁ? おいおい、ふざけるのも大概にしてくれよな﹂
目に見えるダメージには至っていなかった。
それどころか手応えも薄い。出血しようにも血液がなく、傷を作
ろうにも皮膚が最初から破れている。
ゾンビの背丈は俺と変わらない。つまりツヴァイハンダーの刀身
とも近似しているというのに、それだけ巨大な金属塊をその身に受
けても膝を折らないとは。
﹁雑魚のくせになんつー耐久力だよ⋮⋮﹂
湖畔で遭遇した死に損ないのカエルを思い出す。そういえばあれ
も剣での攻撃には異様に耐性があった。
ゾンビってのは基本的に斬撃に対して強くできている、と考えて
いいな。
ただし、その分動きは非常にトロくさい。反撃に振り回した腕は、
並の動体視力しかない俺でも軌道を見切れるくらい遅かった。
﹁だったらこっちだ!﹂
地面に剣先端を接触させる。
ゾンビの足元から鋭く伸びた土砂の剣山が、反応すら起こさせず
に標的を貫く。
848
間髪入れずに二本目。
断末魔と共に飛び散った肉片はすぐに煙へと変わった。
うむ、レアメタル製の武器にはこれがあるから便利だ。物理ある
いは魔法が効かないといった想定外のシチュエーションへの対応力
が素晴らしい。
この追加効果があればゾンビ戦も特に手間取ることなくこなせる
だろう。
問題は心的外傷になりそうなくらいグロテスクな光景を間近で見
させられることだが。
﹁やべぇ、今日はちょっと肉は食えないかも⋮⋮﹂
爽やかに野菜だけにしとくか。
﹁⋮⋮ぷはっ。終わりましたかにゃ?﹂
ナツメは本気で息を止めていたらしい。
っと、忘れるところだった。戦果を確認しておかないと。
金貨が十四枚、それと素材アイテムと思しきボロ切れが落ちてい
る。このボロ切れを集めてもどうせ普通の布に作り変えられるだけ
なんだろうな、前例からいって。
くっ、二層でもこの程度か⋮⋮。
849
悲観するほど悪い収益ではないけども。
そんなことを考えている間に、地面からずるりと次なるゾンビが
湧き出てくる。
﹁うわ、ゾンビってこんな感じで出現してくるのかよ﹂
マジでB級ホラー映画みたいだ。
﹁ここは⋮⋮ミミ﹂
﹁はい。シュウト様のお考えはミミにも分かっております﹂
ミミは俺が言伝する前から魔術書のページをめくっていた。
﹁あちらの敵に、火を浴びせればよろしいのですね?﹂
﹁ああ。察しがよくて助かるぜ﹂
魔法が効果的っていうんなら、俺よりもミミのほうが適任なのは
明白。
それにアンデッドは火に弱いというのが定番だしな。これでくた
ばらないようならそれはもうゾンビではない。ゾンビを超えたナニ
カだ。
すう、と小さく息を吸って精神統一するミミ。
﹁参ります⋮⋮神事に捧げる丸焼きを炙るための火!﹂
例によってヘンテコな名称の魔法が唱えられると、およそ一メー
850
トルの高さはあろうかという火柱がゾンビ付近に噴き上がった。
猛々しく燃え盛る緋色の炎は一切の慈悲なくゾンビを焼き払う。
まさしく火炙りである。
腐敗した肉体は瞬く間に灰となって焼失し、後には撃破報奨だけ
が残される。
それにしても、この火力でないと火が通らない肉とは一体。
﹁ナイスだ、ミミ! ⋮⋮しかし一撃か﹂
にこりと微笑むミミに向けて親指を立てつつも、俺は頭にとある
考えを浮かべる。
これ、俺が下手に戦うよりもミミに任せたほうが効率いいんじゃ。
というわけで作戦変更。
俺はゾンビの汚らしい手から三人を守ることだけに集中して、攻
撃はすべてミミにやってもらうようにした。
予想どおり討伐の回転率は飛躍的に向上した。
フロアを探索していて気づいたがゾンビには三パターン存在して
いた。さっきも相手したオーソドックスな人型と、それから獣型と
鳥型だ。
ゾンビ犬は地面を這いつくばるだけだが、ゾンビ鳥はボロボロの
851
翼をはためかせて遅いながらに飛行する。どちらもグズグズになっ
た体で突進を仕掛けてくるのでダメージは元より不快感がやばい。
他に目立った特徴としては素材をよこさない代わりに、通常のゾ
ンビよりもわずかに落とす金貨の量が多いといったところか。
そいつらが現れたそばからミミがかまどの火を浴びせかける。
たったそれだけで、対象になったゾンビはしつこくしがみついて
いた生を手放した。
適切に火力が調整された、ゾンビだけを喰らい尽くす炎。
一撃で倒し切る威力、発見から撃退までの瞬発力、何度も放てる
だけの持久力⋮⋮いずれも申し分ない。
﹁うーん、俺の出る幕なさすぎて笑えてくるな﹂
それはけれど、嬉しい悲鳴だ。
眺めていて感じたが、ミミは魔法使いとして目覚ましい成長を遂
げている。
図書館でじっくりと勉強したことで魔法の基礎力が上がっている
んだろう。
その結果がこのテンポのいいゾンビキラーぶり。
これだけ迅速に片付けられるとなると、一匹一匹の報奨はしょぼ
くても総額は結構な数字になってくれるな。
852
ホクトが背負っているカバンも徐々に金貨で埋まり始めている。
なんというかモグラ叩きだな。なので俺の中での作戦名を﹃ミミ
ミミパニック﹄にしようかとも思ったが、すげー言いにくいのでや
めた。
と、ここで。
﹁ん? あいつは﹂
第二層の右側の通路を歩いていたら、真紅の鎧を着た女剣士を発
見。
いわんやヒメリである。
パーティーを組んでいるような気配はない。一人だけで潜ってい
るのか。
﹁む、シュウトさんですか。探索スポットがかぶるとは奇遇ですね﹂
﹁そんな奇遇ってほどでもないだろ。他は湿地帯くらいしかねぇし
⋮⋮それより、よくソロで活動できてるな﹂
俺の超強力な武器ですら通じにくかったのに、真っ当に剣で斬り
かかるしか攻撃手段のないヒメリはかなり苦戦しそうなものだが。
﹁ふふ、みくびらないでもらいたいですね。戦士たる者、日々の進
歩は務めです﹂
めっちゃドヤられた。
853
ただその自信ありげな顔にも根拠はあるようで。
﹁私は新しい力を得たんですよ!﹂
ヒメリがシャキンと軽やかな音を立てて鞘から引き抜いた長剣は
⋮⋮無骨な鋼鉄の鈍色ではなく、美しい白銀の輝きを宿していた。
刃渡り八十センチほどある刀身は芸術品かと見紛うような気品が
あり、さながら鏡のように俺とヒメリの顔を映し出している。
﹁これ、銀で出来てるのか?﹂
﹁そうです! もっとも百パーセントの銀ではなく、銀を加えた鋼
ですが﹂
﹁へえ﹂
﹁地下層対策でこの町で一番という鍛冶工の方に作ってもらいまし
た。今朝完成したばかりでしたが⋮⋮はあ、素晴らしい業物です﹂
ヒメリはうっとりとした表情で溜め息混じりに剣の出来栄えを称
える。
﹁よくこれだけの銀があったな﹂
﹁ウィクライフで採れた銀鉱石を持ちこんだんですよ。あの地方の
鉱山は銀の産出地として有名ですからね﹂
﹁なんだ、勉強ばっかしてたわけじゃないのか﹂
﹁当たり前です。文武両道、晴耕雨読。剣の腕を磨くことも怠って
はいません!﹂
ビシッと人差し指を垂直に立てるヒメリ。
854
俺には剣じゃないほうの腕をおろそかにしているように見えるが、
それよりだ。
﹁なんでその剣が地下層の対策になるんだ?﹂
﹁簡単です。アンデッド系の魔物は銀を用いた武器が弱点。それだ
けのことですよ﹂
﹁銀が弱点?﹂
急に重大な情報を告げてきた。
﹁マジでか? 俺、普通に知らなかったんだけど﹂
﹁初日に訪ねた酒場で、地元の冒険者の方たちに地下層の魔物につ
いて情報収集しましたからね。ちょうど銀鉱石の手持ちがあって好
都合でした﹂
﹁そんなことまでしてたのか。飯食ってただけだと思ってたよ﹂
﹁まあごはんもおいしくはいただいたんですが⋮⋮ってそんな話は
いいでしょう!﹂
ヒメリは食いしん坊キャラを否定するためにぶんぶんと首を振っ
たが、一緒に揺れているぎゅうぎゅう詰めのバックパックからパン
クズがこぼれ落ちていた。
﹁⋮⋮はあ。とにかく、この剣があればここまでは大きな危険なく
探索できるんですよ。下のフロアに行くかはもう少し様子をうかが
ってからにしますが⋮⋮﹂
﹁そうか。まあお互いゆっくりじっくりやってこうぜ﹂
﹁言われずともです。それでは、お先に﹂
小さく手を振ったヒメリは俺たちが通ってきた道を進んでいった。
855
﹁うーん、銀が有効だったのか﹂
かなりの耳寄り情報だ。しかしよく考えてみると、ヒメリの剣技
があってようやく銀製の武器を活かせるんだから、素人に毛が生え
た程度の俺じゃ無理だろう。
俺はレアメタル一本でいかせてもらうか。
﹁ご主人様。銀といえばミャーが装備していますにゃ﹂
ナツメが紅葉のように小さな手の中で、くるくると銀色の刃を回
転させる。
そういや物色のついでで銀のナイフを買ってあったんだったか。
﹁そうだなぁ。モノは試しでナツメのナイフがどのくらい効くか見
てみるか﹂
﹁分かりましたにゃ!﹂
タイミングよく、ゾンビ犬が地面からおどろおどろしく這い上が
ってきた。
四足歩行という違いこそあれど、ベースは人型と大差ない。刃物
には雑魚敵とは思えぬほど強いが敏捷性は皆無。
機動力がないということはすなわち、ナツメにとってはやりやす
い相手だ。
息をもつかせぬ速度で急接近。
856
スピードを緩めず、慣性を乗せて銀のナイフを魔物の喉元に突き
刺す。
朽ち果てた魔物は、ゲファ、と異物を飲みこんだかのような苦し
げな声を漏らした。
それもそのはずで、銀の成分と反応してか患部が焼けついていた。
おお、効いている。
とはいえ重量感のないナイフでは一撃必殺とはいかない。ナイフ、
ひいてはナツメの真骨頂は手数。ゾンビ犬が反撃に出る前に、連続
で刃を肉の下に潜りこませる!
六、七度目にナイフが突き刺さった時、ついに魔物は煙となって
消滅した。
﹁ぷはっ! 近づくと息を止めてても臭いですにゃあ⋮⋮﹂
敵を倒し終えたナツメは新鮮な空気を求めて後退する。ミミが﹁
お疲れさまです﹂と一声かけるとすぐにご機嫌な笑顔を見せた。
﹁なるほどな、これが銀の効果か﹂
ナツメの技量も当然あるだろうが、魔法でなくとも割とサクッと
倒せてしまった。
これは更なるシフトチェンジを敢行すべきか。
前衛ナツメ、後衛ミミ。これだな。俺が一番楽できる構えだ。
857
﹁⋮⋮あー、待てよ﹂
ポジションを決める中で、俺は大事な人物を失念していたことに
気づく。
ホクトだ。道具を運ぶだけでずっと黙っていたホクトが不意に気
にかかる。
いつもなら魔物を相手取る俺を激励してくれるのだが、生憎今日
の俺はほとんど戦闘に参加していない。なのでホクトは今回本当に
暇だったに違いない。
視線を滑らせる。
﹁ホクト、一緒に金貨の回収をしようぜ。他の連中に見られるわけ
にはいかないから、速やかにな﹂
けれど聞き慣れた﹁了解であります!﹂の台詞はすぐには返って
こなかった。
ホクトは同僚二人を、どこか寂しげな瞳で見つめている。
﹁なあホクト、どうかしたのか?﹂
﹁⋮⋮はっ! ああ、いえ、なんでもありませぬ﹂
﹁そうか? ならいいけど﹂
﹁申し訳ないであります。いやはや、常在戦場の心構えが足りてい
ませんでした﹂
ささっと凛々しい顔を作って返事をしたホクトは取り繕ったつも
858
りなんだろうが、言葉の節々にはなにか秘め事がありそうな響きが
滲んでいた。
859
俺、検討する
これがいわゆるフラストレーションというやつか。
俺としてもできることなら派手に活躍できる舞台を与えてやりた
いところではあるが、中々折り合いがつかず難しい。
自分の仕事に誇りを持ってもらうしかないな。
といっても、やってることはただの荷物持ちだから、単調すぎて
やりがいを感じられないのは間違いない。
なにかいい案があればいいのだが。
﹁⋮⋮おや?﹂
フロア内をうろついている途中、ふと行き着いた突き当たりに魔
法陣を発見する。
﹁えーと、これは⋮⋮下に続く分の装置か﹂
いそいそと地図を参照。
かまどの火を引き寄せたミミも一緒に覗きこんでくる。
この暗闇に閉ざされた迷宮は全部で四層に渡ると表記されている
から、次からいよいよ地下層攻略の後半戦といったところか。
860
﹁一旦準備に戻ってもいいな。傾向からいって魔物も強くなるだろ
うし﹂
﹁いかがなさいますか?﹂
﹁うーん﹂
どうしよ。引き返すのも手だけども。
﹁まだ余裕があるからなー。見るだけ見てみるか﹂
ということで移動。
これまでとまったく同一の光景が広がっている。要するに、暗い。
ミミの灯火を頼りに恐る恐る進んでいく。
依然として湿度は高いものの、上二層に比べて妙にひんやりとし
た空気がこのフロアには流れていた。首筋や背中が時折、冷たさに
襲われてぞくりと震える。
快適といえば快適だが、薄気味悪くもある。
その薄気味悪さを象徴するかのように、最初にエンカウントした
魔物は異質な様相をしていた。
﹁うおっと?﹂
見かけた拍子に思わず立ち止まり、そこから更に一歩後ずさりす
る俺。
暗所にぼうっと浮かんだそれは、黄色いガスの塊⋮⋮というか、
861
ざっくばらんに言ってしまうと幽霊だった。
半透明な上に不定形だが、その中でもドクロに似た顔らしき部位
を持ち、漆黒の布を安物の外套のように体にまとわせている。
武器の類はない。両手を恨めしそうに前に突き出していた。
﹁だからこういう敵はやめろっての。まんまオバケじゃねぇか﹂
もっとモンスター感のあるものでお願いしたい。
だが出会ってしまったからには仕方がない。奴の対処法を探らな
ければ。
﹁あれって剣やナイフで斬れるんですかにゃ?﹂
小首をかしげるナツメ。
﹁どう見ても無理﹂
なんてったって実体持ってるかも怪しいし。
そのため再度陣形を入れ替える。大剣の追加効果で攻撃できる俺
が前に出て、ナツメをホクトのラインまで下げてサポート役に。
﹁礼儀として、じゃねぇけど⋮⋮試してはおくかな﹂
念のため透き通った霊体に斬りかかってみる。
案の定、刃は空を切った。手応えは一切なく、するりと布を撫で
862
ただけだ。
まあここまでは織りこみ済み。ここからが本番である。
虚空を通過したツヴァイハンダーの先端を︱︱。
﹁でぇい!﹂
そのまま地面へと振り落とす!
平穏をたたえていた大地はレアメタルから流れ出る魔力に応じ、
あたかも土中に眠る竜が猛り狂ったかのように隆起。
幾度となく魔物を屠ってきた土の槍だ。
⋮⋮だというのに。
﹁おいおいおいおい﹂
幽霊は槍に穿たれはしなかった。魔力によって生成されたゴツゴ
ツとした突起さえもその体に触れることはできず、すり抜けてしま
う。
武器が通じないことに絶句する俺。
いやいや、その展開はさすがの俺もキレそうなんだが。
﹁これはまさか、地属性無効ってやつか⋮⋮?﹂
土竜鉱の特質を振り返る。ただでさえ直接攻撃が効かないってい
863
うのに、その上にこれだと現状の装備では打つ手がないじゃないか。
﹁浮遊しているから、でしょうか?﹂
小声でつぶやかれたミミの考察が聞こえてくる。
常時浮いてるから効きませんというのも酷い話だ。
同じく宙に浮かんでいようとも鳥型の魔物連中は素直に喰らって
くれたのに、幽霊ってやつはとことんワガママなボディをしている
らしい。
かといってホクトに命じて武器を取り替えてもな。
カットラスから発射できる水の刃はダメージ自体はあまり高くな
いし。
﹁俺じゃ無理だ。ミミの魔法で攻めてみてくれ﹂
﹁は、はい⋮⋮冷めたスープを煮えたぎらせるための火!﹂
直線軌道を描いて飛ぶ火球が、純白のローブが眩しいミミのかざ
した手の平から唸りを上げて射出された。
火の玉は幽霊にクリーンヒットする。
特殊な生地で出来ているのか、まとっているボロ布は火を被って
も燃え上がらない。それでも本体はアンデッド共通の弱点に則り、
身を焼く炎に苦しめられていた。
だが火の持続が切れる頃に至ってもその息は絶えなかった。
864
実体なき魔物は反撃の構えを取る。
狙いは、ただ一人前衛に立っていた俺だ。
﹁決してさせません、シュウト様への無礼は!﹂
自らも瞳に焔を灯したミミは、珍しく、機敏な所作で二の矢を放
った。
灼熱に苛まされた魔物は身悶えしながらも、それ以上に内なる執
念を燃やして俺にしがみつこうとするのをやめない。
火が消えたのを確認して、ぬらりと腕を伸ばしてくる︱︱ためら
いなく首に。
﹁ぐっ、ごはっ⋮⋮!?﹂
きつく締めつけてくる指に俺は必死で抵抗する。
く、苦しい⋮⋮! 信じられない握力だ。
こっちからは触れられないのに、向こうからは触れられるとは。
なにからなにまで都合のいい体をしてやがる。
﹁好き放題やってんじゃねぇぞ、くたばり損ないが!﹂
意識を失う前に、俺は霊体ではなく、それを覆っている布をガシ
ッとつかんだ。
865
チョーカーの効果で増幅された腕力を振り絞って強引に引き剥が
す。
﹁おりゃあっ!﹂
首から指が離れたら、そのまま思い切り放り投げて壁に叩きつけ
た。
無論、ダメージは一切入っていない。けれど距離を取れただけで
も十分。
ミミが三度目の詠唱を終えるまでの時間は稼げた。
﹁昨夜のスープをグツグツと沸騰させるための火!﹂
相変わらず気の抜けてくる名前だが、発生した業火の勢いは冗談
ではない。先ほどよりも一回り大きな火球が魔物の全身を飲み干す。
焚きつけられた炎は赤々と燃え盛り。
幽霊の冷め切った体は見事に蒸発させられた。
二万7000Gという高めの報奨金に加えて極々薄手の布がドロ
ップされる。
ふうと息をつく俺に。
﹁主殿、無事でありますか!?﹂
回復薬を握り締めたホクトが駆け寄ってきた。
866
﹁無事も無事。痛いとかじゃないからな⋮⋮ただちょっと苦しかっ
ただけで﹂
軽く喉をさする。幽霊らしからぬ力加減だったな、今思い返して
も。
ほっと胸を撫で下ろすホクトに、俺は薬ではなく飲み物をくれと
頼んだ。喉全体がひりひりしていて、なにかしら液体を流さないと
この疼きが収まりそうにない。
いつものようにぬるいワインが差し出される。
昨日キインと冷えたウィスキーをしこたま飲んだから物足りなく
感じてしまうな。
別に味に不満があるわけじゃないが。
﹁まあ、探索やってる時に度数の高い酒を飲むのは自殺行為だけど
さ﹂
そのへんは俺もわきまえている。
さて。
﹁これからどうすっかな﹂
全員で臨時の検討会を行う。
﹁この感じだと、第三層は出てくる魔物の強さが跳ね上がってそう
867
だし﹂
﹁そうですね⋮⋮あの魔物が特別、という雰囲気ではなさそうでし
た﹂
悩んだ顔をしたミミもそんな感想を抱くくらい、あの幽霊は難敵
だった。
少なくともツヴァイハンダーは通用しない。
それとナツメも攻め手には回れないな。銀がいくらアンデッドに
有効だろうと、接触を回避されたんじゃどうしようもないし。
唯一効き目があるのはミミの魔法だけだが、討伐には三発必要に
なる。
その間に飛んでくる敵の攻勢を耐えられるのは、頑丈な防具を装
備している俺とホクトくらいなものだろう。
もっと火力を上げれば攻撃回数は少なく済むかもしれないが、そ
うするには地理的な制約が多すぎる。ミミが火力を抑えているのは
俺にまで被害が及ばないようにするためだろうし、地下層という場
所そのものも、際限なく火を扱うには狭い。
ただ二万7000Gに素材をプラスした撃破報奨が魅力的なのも
事実。
﹁⋮⋮でもなー、めんどくせぇわ﹂
安全に第二層で稼げるならそれでいいという気しかしてこない。
868
無理して強敵の相手をする意味はない。俺は冒険者にして冒険者
にあらず。幽霊の落とす素材を納品したほうが難易度から考えて多
くの名声と依頼達成報酬を得られる可能性が高いが、そんなもんは
微塵も欲しくないわけで。
楽に倒せる方法が見つかるまではこのフロアはスルーしておくか。
﹁ここは撤退だな。作戦を練り直そうぜ。対策は基本、ってな﹂
そう伝えて、俺たちは地下層から脱出した。
869
俺、納入する
大量に集まったゾンビ素材を抱えて、まずはギルドへ。
端数は出たものの二つ分の依頼達成に相当した。
十個納品して1500Gの報酬という、なんともみみっちい小遣
い稼ぎにしかならなかったが、まあ贅沢は言えまい。
なにせゾンビがドロップするのは何の変哲もない布切れ。俺の最
序盤を支えた一個あたり50Gの蜘蛛糸よりも価値の低い合成素材
なのだから、依頼という名目でこのレートで引き取ってもらえるだ
けマシである。
少なくとも捨てるよりはずっといいだろう。
﹁昨日今日でかなりの依頼をこなしているな。これは教会の人間も
喜ぶだろう﹂
ギルドのおっさんは帳面に書きこまれた﹃納品者 シュウト﹄の
項目の数を確認しながら、ニヤニヤとした顔で俺のほうを見てくる。
﹁この調子なら、教団への貢献が認められて表彰されるかも知れな
いぞ?﹂
﹁教会から褒められたところでねぇ﹂
ひとつも嬉しくないんだが。
870
⋮⋮あっ、そういえば。
﹁いけね、これも拾ってきたんだった﹂
俺はごそごそとコートの裏側を漁る。
取り出したのは、世界中にある光が軒並み死に絶えてしまったか
のように真っ黒い布の切れ端。説明するまでもなく幽霊が落とした
代物だ。
﹁おや、こいつは⋮⋮霊布じゃないか! レイスとも戦ってきたの
か﹂
ふうむ、と二重顎に三本指を当てて素材を観察するおっさん。
﹁レイス? なんだそれ﹂
﹁おいおい、倒しておきながら分からないのか⋮⋮第三層には行っ
たんだよな?﹂
﹁ちょっとだけな﹂
﹁そこに黄色いモヤのような魔物がいただろう?﹂
﹁あー、あの幽霊か﹂
どうやらレイスというのが正式名称らしい。
﹁レイスは死者の霊魂だ。明確な肉体を持たないから、直接的な物
理攻撃に対して完全な抵抗がある。その装備だと手を焼いただろう﹂
おっさんは俺の背中であぐらをかいている大剣に目をやりながら
言う。
871
﹁ホントだよ。仲間の魔法がなかったら詰んでたぜ﹂
﹁あれを厄介にしているのはうちに登録している連中もだ。物理一
辺倒でランクを上げた奴は大体レイスに困らされる。だがまあ、レ
イスは第三層に出没するとされているエネミーの中では平均的な強
さの魔物だけどな﹂
﹁あれで平均かよ⋮⋮﹂
地下第三層は想像以上に厳しい場所らしい。
これは心置きなく諦めをつけられるな、と考えていた矢先。
﹁もっとも、聖水か聖灰を振りかければ剣で斬ることはできるがね﹂
﹁ん? そんな便利なアイテムがあるのか?﹂
話が変わってきたんだが。
﹁詳しく頼む。手短に、簡潔に﹂
﹁調子のいい奴だな⋮⋮まあいい。第三層まで行けたのなら教えて
おこう。聖水と聖灰にはアンデッド系の魔物を弱らせる働きがあっ
てな。レイスであれば実体化という形でその効能が現れるんだよ﹂
﹁ふーん。その二つに違いはあるのか?﹂
﹁聖灰はアンデッドにだけ限定的な効果を持つ。聖水は自分自身に
かければ呪縛の解除にも使えるぞ﹂
おお。それは素晴らしい。
﹁しかしなぁ、どちらも市販品じゃないぞ? 教会から賜るものだ
からな﹂
喜ぶ俺におっさんは注釈を入れた。
872
﹁じゃあなんだ、非売品ってことか?﹂
﹁ああ。神への信仰の深さに応じて与えられる﹂
﹁ちょっと待てよ。俺別に教徒ってわけじゃないんだけど﹂
入信しなければ取得不可能とでもいうんだろうか?
﹁なにも教団に加わる必要はない。依頼を数多く達成していけば、
それだけで教団、ひいては神に多大な貢献をしたとみなされるから
な﹂
﹁ははあ。そういうシステムになってるのか﹂
思い返せば司祭も﹁魔物の駆除は神のため﹂と言ってたな。外面
とはいえ。
﹁教会側も熱心に働いてくれる冒険者を優先して支援したいと考え
ているんだよ。依頼をこなせばこなすほど、より先に進みやすくな
る。いい循環だ﹂
なんかポイントカードみたいな仕組みだな。特典でもらえるって
ことか。
地下層を探索する冒険者にとってこの上なく実用的な道具のため、
人伝に入手するのも難しいんだとか。
﹁もしくは多額の寄付をするかだ﹂
もう一個条件を提示される。
要はどれだけ教会に利益をもたらせるかという話らしい。
873
﹁寄付か⋮⋮﹂
悩ましいところである。確かに教会謹製のアイテムがあれば第三
層で効率よく稼げるはずなのだが、そのために投資が要求されるわ
けか。
一度アリッサか司祭にかけあってみるとしよう。
﹁その前に、この素材も納めておきたいんだけど﹂
霊布とやらを差し出す。
今にもそよ風に乗って飛んでいきそうなそれは、手に持っている
とは思えないほど、まるで質量を感じられない。
﹁一個からは納品できないな。霊布を対象にした依頼も出てはいる
が﹂
む⋮⋮やっぱりそうか。
﹁なら持ち帰るっきゃねぇか⋮⋮防具の素材にはできる?﹂
﹁もちろん。霊布は極めて軽量な素材で、それに通気性も抜群。枚
数はかかるが、この素材で作った衣服を着れば生まれ変わったかの
ように身軽に動けるだろう﹂
﹁へえ﹂
解説を聞いてるだけならかなりよさそうである。
﹁ただなぁ、防御力は皆無だぞ、こいつは。魔法はまあまあ遮断で
874
きるがね﹂
が、酷すぎる短所が明らかになった。
とはいえ軽くて涼しいなら普段着には向いてそうだな。後々のた
めに保管しておくか。
ギルドを後にした俺はミミたちを連れて繁華街を目指す。
ここからはオフ。一仕事終えたことだし、今日も一杯やるとしよ
う。
そう思ってジョッキがぶつかり合う音が聴こえてくる飲み屋に入
ったのだが⋮⋮。
見覚えのある酔っ払いがいた。
﹁おっ! 昨日のお兄さんじゃないの!﹂
カウンター席に腰かけたアリッサは俺たちを見かけるなり、ワイ
ンボトルを握ったほうの手を高々とかかげた。
朗らかに笑った顔は天狗のように赤く、はだけた服装も風紀を大
いに乱していて店内の﹁未成年お断り﹂度合いを更に強めている。
﹁今日も元気にハーレム魔人してるね∼﹂
﹁人聞きが悪すぎるだろ。なんでこんなとこで飲んでるんだよ﹂
﹁んっふっふ、なんでもなにも、ここは教会の直営店なのよ。あた
しも行きつけにしてるってわけ! 経費で飲めるから最高なんです
ね∼、これがまた﹂
875
どこまでぶっちゃけるんだろう、この人。
それにしても教会が経営してる店か。
道理で客や店員がグズグズになったシスターの姿に動じてないは
ずだ。勝手を知り尽くしてるからすっかり周囲にも馴染んでいるん
だろう。
﹁まあちょうどよかった。教会に行く手間省けたし。ちょっと話が
⋮⋮﹂
﹁話ならこっちも! ままま、すぐ終わる話なんだけどさっ。お兄
さんに確認しておきたいことがあるんだよね﹂
有無を言わさず、ぽんぽん、と二回肩を叩かれる。
﹁いやね、今朝依頼の進捗をチェックしてみたら、やけにシュウト
っていう見慣れない名前の受注者が多くてさ﹂
どうやら、スケルトン討伐依頼のことを言っているらしい。
﹁あれってやっぱりお兄さんな感じ?﹂
﹁そうだけど﹂
﹁やっぱりそうだったんだ! やー、ありがたいねぇ。初日から何
個も依頼をクリアしてくれるなんて。これは相当腕利きと見た!﹂
﹁はあ。そりゃどうも﹂
﹁おかげでお兄さんの信仰ポイント、順調に溜まってきてるよ∼?﹂
聖女がそんな俗な直喩表現をしていいのだろうか。
876
そこはもっとこう信仰心とかぼかした言い方にしたほうがいいの
では。
﹁溜まったらどうなるんだ?﹂
﹁満タンになると、なんと大事な式典に参加できます!﹂
うわ、いらねー。
﹁そんなんより俺は聖水ってやつが欲しいんだが﹂
﹁聖水? そんなのでいいの? んー、それだったら今の段階でも
一個か二個はあげられるかな。手持ちの分があるから持っていきな
よっ﹂
アリッサはガサツに襟から服の中に手を入れて、小さなガラス瓶
を取り出す。
瓶の中ではほのかに青みがかった液体が揺れていた。内容量はご
くわずかで、一回使用したらそれだけでなくなりそうだ。
これが聖水か。
昨日丸一日骨の群れを狩ってようやくこの量なんだから、割かし
貴重な品だな。
どうでもいいが、おっぱいは決して収納スペースなどではない。
彼女にも早いうちに理解していただきたい要項である。
877
俺、決心する
⋮⋮と、後ろからグウと腹の鳴る音が聴こえてきた。
振り向くとナツメが手持ち無沙汰そうにしている。そしてまたグ
ルルと、さっきより大きめに鳴った。音の出所がナツメなのは言う
までもない。
﹁お腹空きましたにゃ⋮⋮﹂
﹁ああ、すまん。さっさと飯にするか﹂
本来の目的を思い出した俺はテーブル席の一角に座ろうとするも。
﹁ねえ、せっかくだし一緒しない?﹂
にやけた表情を浮かべたアリッサがそんな誘いをしてきた。
﹁一人で飲んでても寂しいもん。あたしもかわいい子たちと騒ぎた
ーい!﹂
﹁おっさんかよ﹂
﹁お兄さんもよく見たら彫りが深くて中々イイ男じゃないか。むふ
ふ﹂
﹁そんなの初めて言われたわ﹂
痩せてるから贅肉が少なくて骨が浮き出てるだけだ。
いや嬉しいけど。
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プラチナブロンドの巨乳の美女にそんなふうに言い寄られるのは
非常に嬉しいことではありますけども。
﹁ってか、まだ飲むのか﹂
もう大分出来上がっているように見えるが、当然俺のそんな労り
が通じるはずもなく、アリッサは﹁コニャック常温で!﹂とくだけ
た口調で追加注文していた。
﹁明日に響いても知らないぜ﹂
﹁だいじょぶだってば。あたしもまだ二十八歳! まだまだ無理で
きる体だもんね∼﹂
﹁二十八歳か⋮⋮﹂
めちゃくちゃリアルな年齢だった。
いろいろと生々しい。
﹁こらっ、今失礼なこと考えたでしょ! お兄さんだって同世代で
しょお、同世代﹂
﹁いやそれはそうだけど、俺は四捨五入してもギリギリにじゅ⋮⋮﹂
﹁はいストーップ! それ以上は言わない! 禁句指定!﹂
俺は唇に二本の人差し指で作ったペケ印を押し当てられた。
﹁まあまあ歳のことはポイ捨てして無礼講でいいじゃないの! お
姉さん奮発しておごっちゃうよ∼? きっちり四人前っ!﹂
﹁おごるって、教会の金でだろ⋮⋮﹂
口ではそう言ったが、タダ酒よりうまいものはない。
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ありがたく頂戴しておくか。
が、しかし。
﹁ぐおお、気持ち悪い⋮⋮﹂
店を後にして夜道を行く俺の足取りはフラフラもフラフラだった。
二杯目の時点でグラスを固辞したホクトの肩を借りていなければ、
散々な羽目になっていたに違いない。
アリッサの酒豪っぷりを甘く見ていたのは一生の不覚だった。
一度付き合ったが最後、吐く寸前まで飲まされてしまったんだか
ら。
もっとも苦痛にまみれた酒の席だったのかといえばそうではない。
白状するが俺はむしろ楽しんでいた。アリッサは﹃聖女﹄という肩
書きを鼻にかけもしない、親しみやすい人柄をしているので、なん
だかんだで意気投合してしまった。
これがよくないんだよな。緊迫感のない宴会ほど酒が進むシチュ
エーションはない。
あと美人に酒を注がれて舞い上がってたのもある。
悲しき男のサガである。
880
﹁はー。もう一歩も動けんぞ、これ﹂
宿へと戻った俺は、部屋に着くなり服を脱ぎもせずにベッドに倒
れこむ。
そんなぐったりとした姿を見兼ねてか、ホクトは﹁井戸の水をい
ただいてくるであります﹂と告げてフロントへと駆けていった。
よっぽど泥酔して見えてるんだろうな、今の俺。
レモンを絞ったウォッカをハイペースで飲んでいる現場もホクト
は目にしているんだから、そりゃそうか。
しかしただ酔い潰れていたわけではない。アリッサから第三層に
出没する魔物の特徴を聞き出せたので、次回以降は役立てられるだ
ろう。
問題は聖水だな。
一日一個程度しか手に入らないんじゃここぞでしか使えない。
先行投資でいくらか寄付金を納めてもいいが、本末転倒な気がし
てくる。
大きく金を稼ごうと思ったらまずは初期資産が必要って、なんか
社会の仕組みを叩きこまれているようで憂鬱になってくるな。
まあ考え事はここでやめにしておこう。日付も変わりかけている
ことだし。
881
寝よ。
﹁シュウト様、おやすみになられますか?﹂
ミミがベッドに横たわる俺の顔を少し心配そうに覗きこんでくる。
ホットミルクを腹が膨らむまで飲んで芯から体の温まってるナツ
メは、一足先に夢の世界に旅立っていた。
気持ちよく寝息を立てて熟睡している。寝つきのいい奴だ。
﹁もう寝るよ。みんなおやすみ⋮⋮﹂
俺も迷わず睡魔に身をゆだねることにした。
目を覚ました時、俺は瞼を開けているというのにべっとりと視界
に張りつく暗闇が拭い去られていなかった。
それもそのはずで、上半身を起こして窓の向こう側に視線をやる
とまだ全然夜が明けていない。それどころか深夜の真っ最中といっ
た趣がある。
早く起きすぎたな。眠気が酔いごと消え失せてしまったのか。
﹁⋮⋮おや?﹂
ゆっくりと暗順応し始めた瞳で何気なく室内を見渡してみると、
ベッドが二つも空になっていることに気がついた。
882
いるのは至福の表情で眠りこけているナツメだけだ。
﹁ところでなんで俺は裸なんだ?﹂
パンツだけは身につけているのでかろうじて放映規制からは免れ
ている。
その答えは、体重を預けようとベッドに右手をついた直後に分か
った。びっくりしてすぐに離した手の平には柔らかな感触が残って
いたが、それは布団に詰められた綿や羽毛などではなく、人の柔ら
かさだった。
もっと言及すると尻だった。
改めてベッドの中を確認してみると⋮⋮そこには穏やかな寝顔を
晒したミミが。
体を横に向けて軽く膝を曲げ、俺に寄り添うように寝転がってい
る。
どうやら服はミミが脱がせてくれたらしい。
それから添い寝してくれたのか。
ははあ、ホクトがいない理由も判明したぞ。俺を介抱するミミの
様子を見て、いつものように気を遣って二人きりにしてくれたんだ
な。
部屋に帰ってきた時にミミが俺の服を脱がしていたから勘違いし
たんだろう。
883
まあ爆睡中とはいえ猫がいるので厳密には二人きりじゃないんだ
けど。
﹁それにしちゃあ、遅いな⋮⋮﹂
ホクトも疲れていることだろうから、いつまでも床に就けずにい
させるのは忍びない。
寝直す気にもなれないし、呼びに行くか。さすがに遠出はしてい
ないはず。
着替えを済ませた俺は部屋を出て、宿の近辺を歩き回ってみる。
外はやや肌寒く、そして青白い月の光がよく分かる。月明かりは
微量なれど、静まり返った夜の世界に他に例を見ない独自の神秘性
を付与している。
その月下の、どこにもホクトはいなかった。
﹁おかしいな⋮⋮どこにいるんだ? 夜中だっていうのに﹂
考えこむ俺。
ホクトが行きそうな場所をあれこれ予想してみる。
が、その推察が無意味そうなことには、割と早い段階で気がつけ
た。
﹁待てよ。そういや今の宿には屋上があったな﹂
884
建物に戻り、他の宿泊客にどやされないよう息を潜めて階段を上
がっていく。
屋上へ続く扉を開くと︱︱思ったとおり、ホクトはそこにいた。
流れる汗に構うことなく、一心不乱にカットラスの素振りを繰り
返しながら。
Eラインのはっきりした横顔は鍛え抜かれた鏃のように鋭く、そ
して美麗だ。ホクトが持つ雰囲気とは対照的な淡い月光に照らし出
されているから殊更に凛として映る。
ただ、お世辞にも剣の作法が上出来とは言えなかった。
三ヶ月程度しか武器を使った経験のないペーペーの俺でも分かる
くらい、筋肉の使い方が下手くそで、力の入れ加減と抜き加減に苦
心していそうだった。
結果として上半身と下半身が同期せずチグハグな振り方になって
いる。
風貌が騎士然している分、余計にコミカルに見えてしまう。
それでも俺は笑えなかった。素振りに向かうホクトの姿はどこま
でも真剣で、そのひたむきさを笑うことはとてもじゃないができな
い。
声をかけることもためらわれたが、意を決してホクトの名を呼ぶ。
885
集中が解けてようやく俺に気づいたホクトは、一瞬だけ﹁あっ﹂
という表情をした後。
﹁⋮⋮これはお見苦しいところを御覧に入れてしまいましたな﹂
と、苦笑して言った。
﹁見苦しくなんかねぇよ。むしろ感心しかしないぜ。剣の練習だろ
?﹂
﹁そうであります⋮⋮いえ、唐突に思い立ったことではないのであ
りますが⋮⋮﹂
﹁前からやってたのか? あーでも、それもそうか﹂
遺跡で目にした剣を振る姿が、まるでダメダメだった以前に比べ
てかなりマシになっていたことを思い出す。
あれが練習による成果なのだとしたら合点がいく。
﹁でもそんな時間あったっけ。探索でも町でも宿でもずっと一緒だ
し⋮⋮あっ!﹂
勘づいた瞬間に、思わず素っ頓狂な声を喉から漏らしてしまった。
今日に限らず定期的にあったじゃないか。俺のために席を外して
いた時が。
﹁⋮⋮ずっとこうして特訓してたってことか?﹂
ホクトは黙ったまま首を縦に振る。
886
﹁そ、そうだったのか﹂
その事実を知った途端、たまらなく申し訳ない気分になった。
こいつ、俺がよろしくやっている間にも密かに努力してたんだな
⋮⋮。
なんだか無性に恥ずかしくなってくる。
同時にホクトへの愛おしさが急激に増した。こんなにも尽くして
くれていたとは。
俺は感動して胸を打たれていたのだが、一方のホクトは表情を曇
らせている。おずおずと﹁ですが﹂と切り出す声にも覇気がない。
﹁できることなら、主殿には隠し通していたかったであります⋮⋮
この件は﹂
なぜなら、と続ける。
語尾に少し熱気がこもっているような感じがした。
﹁自分の剣の技術は御覧のとおりであります。鍛えてこれでは馬鹿
にされても仕方のない話。主殿、笑ってやってください。才能がな
いのみならず、ないなりに磨けてもいないのでありますから、自分
は﹂
馬の耳を垂らしたホクトは早口で、自嘲気味に語る。
﹁⋮⋮自分は戦士としても、女としてもミミ殿には及びません。せ
887
めて、主殿を助ける刃の端くれにはなりたいと、そう常々願い続け
ていますのに⋮⋮この有様であります﹂
﹁分かった、分かったからさ⋮⋮﹂
見ていられなかった。俺はホクトに手を伸ばし。
﹁泣くなよ﹂
濡れた目尻にそっと指を当てた。
指先にじんわりと熱が伝わってくる。実際の涙の温度以上に。
﹁お前がこんなに頑張ってくれてるなんて知らなかったよ。それだ
けで俺は嬉しいぜ。信頼できる部下が持てた、ってな。だからそん
なふうに捨て鉢になるなよ﹂
﹁うう、も、申し訳ありません⋮⋮﹂
よく響くホクトの声が不規則に震えている。
慰めるつもりでかけた言葉のせいか、一層感情の整理をつけられ
なくなっていた。
﹁戦えもせず、主殿の寵愛も受けられず⋮⋮たゆまぬ精進をしてい
かなければならない立場でありますのに、自分は⋮⋮主殿の前で、
このような⋮⋮!﹂
こみ上げてくる涙をこらえようとして、それでもこらえられない
ホクトは見るからに自己嫌悪に陥っていた。弱く、惨めで、情けの
ない姿を主人である俺に晒すことがこの上ない恥辱と不義理に感じ
ているようで、何度も何度も謝り続ける。
888
ホクトは奴隷として雇用されてからずっと、俺の役に立ちたいと
申し出ていた。
俺はその気持ちだけでも満足だったが、ホクトはそうではなかっ
た。
だからこそ陰で剣を練習し続けていたんだろう。
その身を砕くことを惜しまない、不断の忠誠心こそがホクトとい
う人間の性格であり、信条であり、そして絶対の個性に違いない。
許される範囲で怠惰に、可能な限り楽に生きていきたいと考えて
いる俺とは真逆だ。
だからといって。
自分のために懸命に尽くしてくれる気持ちを無視できるほど俺が
軽薄な人間だと思ったら、そいつは大間違いだからな。
﹁⋮⋮よし、分かった﹂
ここで一肌脱げないようじゃ、元々あってないようなもんではあ
るが俺の名が廃る。
俺はうつむいて泣き顔を隠そうとするホクトの頭に手を置いた。
自分より背の高い女なのに、こうしていると縮こまって見えるな。
﹁新しい戦術を作ってやる。お前も魔物相手に活躍できるようにだ。
889
ただし、その分今まで以上に忙しくなるからな。覚悟してくれよ﹂
﹁主殿⋮⋮?﹂
﹁そこはいつもみたいな返事を聞かせてくれよ。一発で決まるアレ
をさ﹂
﹁あっ⋮⋮りょ、了解であります!﹂
ビシッと鞭打たれたように背筋を伸ばして、ホクトは堂に入った
敬礼をした。
﹁うむ、それでこそだ﹂
大きく頷く俺。
正直に言うと少し前からアイディア自体はあった。大変個人的な
問題で実行に移すかどうか保留していたのだが⋮⋮これで踏ん切り
がついたな。
任せろホクト。俺のこともお前に任せるから。
﹁そして女にもしてやるよ﹂
あと、その場の勢いでそんなことも口走っていた。
890
俺、実行する
翌日。
結局あの後一睡もできなかった俺は、小鳥が笛によく似た声でや
かましく鳴く朝早くから工芸品職人の作業場にまで足を運んでいた。
肩に魔物の肋骨を担いで。
﹁こいつで弓を作りたいだぁ?﹂
頭に布を巻いた職人のおっさんは、俺の申し出に顔の右半分をひ
ん曲げた。
﹁そうだ。微妙にカーブしてるからちょうどいい形だろ﹂
肋骨特有のなだらかな曲線を手でなぞってみせる俺。
骨の素材は激しい接触が起こる武器には向かない、とはギルドで
教わっていた。
ってことは接触さえ起きなければいいわけで、俺が考えついたの
は弓にする案だった。
ここに来てついに遠距離武器の導入である。
﹁これだけの長さがあるんだから、足りなくはないだろ?﹂
﹁ふーむ、確かに骨はコンポジットボウの素材としてはそこそこメ
891
ジャーだがなぁ。骨だけで作るとなりゃ強度やしなり、あと加工に
難が出てくるぜ﹂
工房には多くの弓が並べられていたが、その多くが木で出来てい
る。いわゆる一本物となるとやはりというべきか木製が弓業界の王
者なのだろう。
﹁まあでも、地下層のでけぇ奴の骨か。だったら耐久性は問題ねぇ
かな﹂
﹁おっ、それなら﹂
﹁待て待て。話はまだ終わっちゃいない。一番面倒なのは加工だよ﹂
おっさんはひとつ溜め息を吐いた。
﹁木のなにがいいってぶっちぎりで扱いやすいところだからな。削
り出すにしても型をつけるにしても。ところが骨はそうはいかねぇ﹂
﹁む、じゃあ無理なのか?﹂
﹁いや無理ってわけじゃないけどな⋮⋮あんたの言うように、この
弧を描いた形状をうまいこと活かせりゃ短期間で製作できる。ただ
技術がいるんだよ﹂
﹁俺はおっさんの腕を買って頼んでるんだぜ﹂
﹁適当なおだて方しやがって。はあ、まったく仕方ねぇ奴だ﹂
やれやれ、とおっさんは観念したようにつぶやく。
﹁分かったよ、突貫工事で明日の朝までには間に合わせてみせらぁ﹂
﹁そうこなくちゃな。感謝するよ﹂
俺は約束を取りつけることに成功し、ほっと一安心する。勝手を
聞いてもらったんだし駄賃もいくらか弾んでおかないとな。
892
﹁どんなタイプの弓が希望だ?﹂
﹁あんまり詳しくないからな⋮⋮そっちに任せるよ﹂
﹁なら長弓だな。デザインは?﹂
﹁かっこいい感じで﹂
﹁そいつは曖昧すぎるぜ。ま、美的感覚には自信があるから安心し
な。この俺が作りゃあなんでも芸術品だ﹂
﹁けどゴテゴテしたのはやめてくれよ。邪魔になるようなのは困る
ぞ﹂
﹁任せとけって。俺のモットーは機能美の追求だからな﹂
スラスラと要望をメモに取っていくおっさん。
﹁ところで、この骨に宿ってる魔力の属性ってなんなんだ?﹂
﹁こいつの性質は火だ。骸のくせに情熱的だろ? といってもレア
メタルほど派手な効果は見込めないから、あまり期待はすんなよ﹂
追加効果のほうはイマイチか。まあ地属性でないだけマシだな。
せっかくの新武器が、レイス相手には無力です、なんてことにな
ったら虚しすぎる。
﹁朝一番に取りに来るよ﹂
そう言い置いて工房を後にする。
本日の予定はこれだけではない。次に向かったのは防具屋だ。
﹁主殿、お待ちしておりました!﹂
893
防具屋にはホクトを先回りさせていた。ミミとナツメには市場で
食料品の買出しを命じているから、少なくとも昼まではこの二人で
の行動になる。
﹁⋮⋮して、主殿﹂
﹁なんだ?﹂
﹁一体なにを購入なさるのでありますか?﹂
﹁ああ、それか﹂
不思議がるのも無理はない。昨晩ホクトには﹁防具屋で買い物を
する﹂としか話していないから、まだピンときておらず怪訝そうな
表情を作っている。
﹁まあ見てなって。おーい、ちょっといいか?﹂
前後にギコギコと揺れるチェアに腰かけていた店主のおっさんを
呼ぶ。
﹁いらっしゃいませ。どのようなご用件ですか﹂
﹁盾を買いたいんだ﹂
店内をざっと見渡しながら俺は目的を明かす。
品揃えはまずまずといったところか。在庫は豊富である。ただ価
格帯を見た限り、レア素材で作られた装備は売られていなさそうな
ので残念だが。
﹁ほう、盾ですか。盾、と一口に言っても多数の種類がありますが
⋮⋮お客さんみたいな軽戦士におすすめなのは手甲やバックラーで
すね﹂
894
﹁俺じゃなくて、こっちな﹂
後ろで直立不動の姿勢を貫いているホクトを店主に紹介する。
俺よりも遥かに筋肉質な体格をしたホクトを眺めて、店主は﹁な
るほど、これは盾を持つにふさわしい﹂と納得して手を打った。
なんか一人の男として悔しくなってくるが、まあそれはいいとし
てだ。
﹁だから軽いのじゃなくて頑丈なのがいいんだよ﹂
﹁頑丈⋮⋮といいますと、そうですね、主なものにはラウンドシー
ルド、カイトシールド、グレートシールド、タワーシールドとあり
ますが﹂
﹁どれが一番丈夫なんだ?﹂
﹁それはもうダントツでタワーシールドですね。その分重量も凄ま
じいですけど、守りを固めるのが目的でしたらこれ一択といってい
いです﹂
店主は盾類が立てかけられたスペースにまで俺たちを案内する。
そこに鎮座していたタワーシールドは、ナツメの全身くらいは楽
々裏に匿えてしまえそうなサイズを誇っていた。光沢は一切なく、
無骨な外観をしている。
﹁木材と金属を張り合わせた合板ですと、耐久力は若干劣りますが
比較的軽いですよ。全面金属のものはひたすらに重いのであまりオ
ススメはしませんが⋮⋮﹂
﹁大丈夫だ。ホクトは力だけは並大抵じゃないからな﹂
895
俺は即断でフルメタルの盾に決めた。
欲を言えば素材にもこだわりたいところではあったが⋮⋮ないも
のねだりをしても仕方がない。現状は鋼鉄製のこれで妥協しておく
か。
﹁その盾を買っていこう﹂
﹁お買い上げ誠にありがとうございます。こちらには二万1000
Gの値をつけさせていただいていますが、よろしいでしょうか?﹂
﹁よし。じゃあそれを二個頼む﹂
﹁は?﹂
当然のように二本の指を立てる俺に、店主は﹁なにを言い出すん
だこいつは﹂みたいな呆気に取られた顔をした。
﹁なんかおかしいか? ダブルで装備させるつもりなんだが﹂
﹁いえ、装備できはしますけど⋮⋮両手がふさがってしまいますよ
?﹂
﹁でも二個あれば効果も倍だろ?﹂
単純な計算だ。
最近分数の掛け算割り算が怪しくなってきた俺でも分かるような。
で。
二つ売ってくれ、というのは想定外の要求だったようだが、商人
であるおっさんとしても断る理由がない。盾の売買はそれ以上滞る
ことなく済まされた。
896
﹁それではこちらをお渡します。運搬はご慎重に﹂
出口前で引き渡しが行われたのだが。
﹁うおっ、お、重いな⋮⋮ホクト、運んでくれるか?﹂
潰されるかと思った。
片方だけでも十キロ超はある。それをまとめて悠々持ち上げてみ
せるホクト。
﹁おお、さすがだな。要塞みたいだ﹂
﹁し、しかし、主殿!﹂
ホクトは盾を両手に勇ましく構えながらも、顔には戸惑いの色を
浮かべていた。
﹁店主の方が話したように、これでは防御一辺倒であります! 武
器もなしに主殿の支えになれるとは⋮⋮﹂
﹁剣なんか使えなくたっていいじゃねぇか。お前の武器はお前自身
なんだから﹂
技術どうこうじゃない。俺はそう続けた。
﹁荷馬車を引いたり、俺を背負って走ったり、アイテムを運んだり
⋮⋮全部ホクトにしかできないことだろ。俺に同じことができるか
? ミミは? ナツメは? 言うまでもないけど全員無理だぜ。お
前と違ってパワーがないからさ﹂
女の子だらけの登場人物の中に約一名ほど成人男性が混じってい
897
ることに気づいてはいけない。
﹁俺はその長所を活かしてやりたいんだよ。他の奴にできない役割
で、な﹂
﹁それが盾⋮⋮でありますか?﹂
﹁ああ。こんな馬鹿でかい盾を二個も持てるのなんて、俺たちの中
じゃお前だけだ。それが最大の武器なんだよ。最前線に立って俺を
守る盾になってくれよな﹂
しばらく俺は後ろにいさせてもらうぜ、と軽口を添えてホクトの
肩を叩く。
重量級の防具を装備できるホクトを前に出す⋮⋮というのは、宝
石採掘場でゴーレムを相手にしていた頃から考えてはいた。
これまではきっかけがなく試せずじまいだったけれど、今は新加
入の戦闘要員としてナツメもいる。遠距離から攻撃できる手段とし
て弓の製作にも入っている。
そしてなにより、ホクト自身が奮闘を望んでいる。
今が実践してみるのに最適な時期なのかも知れない。
﹁主殿⋮⋮﹂
しばらくの間唇を真一文字に結んでいたホクトは、やがて二枚の
盾を片手に抱え、空いた側の手で頬をパシンと打ってから俺にこう
話しかけてきた。
﹁⋮⋮ありがとうございます。胸のつっかえが取れたような気分で
898
あります﹂
﹁そうか。だったらここに来た甲斐があったよ﹂
﹁主殿から任された大役、全力で務め上げさせていただく所存であ
ります!﹂
張り切るホクトだったが、決意を述べ終えると急にもじもじとし
始める。
その理由は女心に疎い俺でもなんとなく分かった。
﹁ですが、ええと、その、昨夜のことはミミ殿とナツメ殿には内緒
にしておいてほしいであります。⋮⋮特にミミ殿には﹂
﹁分かってるっての﹂
そう答えると、ホクトはやっと重くのしかかっていた肩の荷が下
りたのか、珍しく優しい女性的な笑みを見せてくれた。 が、これでオール解決とはいかないのが世が不条理である所以。
この期に及ぶまで弓の導入を渋っていた最大の理由︱︱﹃自主ト
レ﹄という名の苦行が待っているんだからな、俺には。
899
俺、弓道する
幸か不幸か時間は有り余っている。
﹁⋮⋮今日のうちに練習しておくか⋮⋮﹂
ってことで、お試し用の手頃な長弓を求めて武器屋に立ち寄る。
店主いわく最もオーソドックスだという樫の弓を6700Gで購
入。
﹁樫の木はいいぞ。堅く、弾力性に富み、加工が容易で、なにより
安価だ! まさに最高ではないが最善の木材だな﹂
と、こんな具合に素材のウンチクをだらだらと語られたが、そん
なに興味はなかったので俺の耳を右から左に突き抜けていった。
﹁長弓は垂直に立てて構えても、水平に寝かせて構えてもいい。使
い手の自由だ﹂
﹁自由ねぇ﹂
そう言われても、弓の全長は一メートル少々もあるので、そんな
に取り回しがいいようには思えない。
大体弓の正式なマナーを知らないから応用もクソもないし。
﹁で、だ。兄ちゃん、矢はどうするんだ?﹂
﹁あー⋮⋮そういやそれもいるんだったな﹂
900
弓と矢が抱き合わせ商法であることを失念していた。
﹁だけどさ、矢に差なんてあるのか? 全部一緒じゃないの?﹂
﹁甘い甘い。鏃の違いで大きく性能が変わってくるぜ﹂
﹁そんなに違うのか﹂
﹁おう。大きく分けて石と金属があるが、石製の鏃は威力と貫通力
が高く、金属製の鏃は皮膚や鱗といった魔物のサーフェスによる影
響が少ない。一長一短だな﹂
ふーむ。つまり石の鏃のほうがハマった時の最大値はでかく、金
属の鏃だとバラつきの小さい安定したダメージを稼げるってことか。
﹁ま、基本は黒曜石と鉄の二種類さえ覚えておけば大丈夫だ。こい
つらが石と金属それぞれの代表みたいなもんだからな﹂
﹁へえ。だったらそれを買っていくか﹂
﹁一束十本から販売させてもらうぜ。黒曜石の矢は一束450G、
鉄の矢は一束400Gだ﹂
﹁んじゃ、とりあえず三束ずつ頼むわ。あと矢筒もな﹂
﹁毎度!﹂
肩掛け紐つきの矢筒二つに収められた状態で矢を売り渡される。
﹁うちじゃ矢のオーダーメイドも承ってるから、気が向いたら検討
してみてくれよ﹂
﹁そんなことまでやってんのか﹂
﹁ああ。矢柄の長さや鏃の重さを自分に合ったものにできるぞ﹂
﹁素材そのものは弄れないのか?﹂
﹁それも可能だぜ。たとえばうちは鉄と銅を金属製の矢として置い
ているけど、人によっては鉛のほうがいいってケースもあるし﹂
901
﹁じゃあ銀で﹂
﹁は?﹂
﹁純銀で﹂
俺は至って真面目にそう提案したのだが、残念なことに店主は﹁
頭大丈夫かこいつ﹂みたいな目で見てきた。
﹁別に銀でも作れるだろ? 金属なんだし﹂
﹁いやできなくはないが⋮⋮コストって概念を知ってるか?﹂
銀の価値を説かれる。
﹁言うまでもないとは思うけど矢は消耗品だぞ? 使うたびに耐久
度は落ちていくし、毎回回収できるわけじゃない。ただでさえ割高
な特注品だっていうのに⋮⋮﹂
﹁別に高くていいから頼むよ。銀が地下層の連中に効くのは分かっ
てるんだから﹂
潤沢な資産をバックに意見をゴリ押しし、手始めに二百本ほど注
文しておいた。
製作費用が一本あたり210Gかかったが、まあその辺はご愛嬌。
これまた明日の朝には出来上がっているというので、肋骨の弓を
取りに行くついでに受け取りに来るとしよう。
﹁行こうぜ﹂
待機させていたホクトに声をかけ、その足で近場の湿地帯へと出
向いた。
902
目当ての湿地には徒歩三十分で到着した。
四方を柵で囲まれたそこは付近の探索スポットの中でも特に魔物
のレベルが低く、駆け出し冒険者にとっての修行場という話だった
が⋮⋮。
﹁意外でありますな。強そうな方々もちらほらと見えるであります﹂
吸収できるものがないかと他人の戦闘風景を遠巻きに眺めるホク
トがつぶやいているとおり、湿地には到底初心者には見えない手練
がゴロゴロいた。
特に魔術師風の格好をした奴が多い。こんな不安定な足場で裾の
長いローブなんか着ていて動きづらくないんだろうか。重装備のホ
クトはホクトで若干沈んでるけど。
いぶかしむ俺の耳に、ふと、おしとやかな声が届く。
﹁ここでは質のいい魔石が採れるんですよ﹂
振り向くとオレンジのローブに身を包み、頭にティアラを飾った
女性がいた。
黒いロングヘアーにキメの細かい雪めいた肌。
おお⋮⋮正統派の美人だ。
が、その後ろには五人の野郎どもが控えていた。全員揃って俺に
血眼の視線を送ってきているので、姫とそのナイトといった関係性
903
があからさまに透けて見える。
というか、剣を抜くな。こえーから。
﹁ごく稀に、ですけどね。だから私たちのような魔術師はよく訪れ
るんです﹂
﹁そうだったのか。ははあ、なるほどな﹂
﹁もちろん資金源として探す方もいますから、激しい競争にはなり
ますけどね﹂
美人魔術師は子供のように舌をぺろっと出して笑った。
親切な解説をしてくれるのはありがたいが、俺が彼女と一言会話
を交わすたびにジャキジャキと殺気立った金属音が鳴り響くので、
名残惜しくも退散。
しかしこれだけ人がいるとなるとスキルを隠すのは困難だな。
ルートを微妙に逸れ、人目につきづらい小規模な針葉樹林へと移
動。
弓の弦をピンピンと弾きながら得物を品定めする。
﹁ちょうどいい奴は⋮⋮いてくれたか﹂
枝に逆さまになって止まっているコウモリを発見。
フィーの森で飽きるほど見てきた相手だ。攻撃しにくい割に落と
す額がしょぼいという、かなり実益の薄い魔物ではあるが。
904
﹁あいつで練習してみるかな。攻めも守りも大したことないし﹂
なにせ俺は弓に関してはまったくの初心者だ。なので最初に戦う
敵は弱い魔物であればあるほどいい。安全第一。
﹁といっても金にはならないからな⋮⋮はー、モチベが保てねぇ⋮
⋮﹂
いまひとつ気が乗らないながらも、鉄の矢を弦にかけ、ギリリと
引き絞る。
狙いは当然枝にぶらさがって休んでいるコウモリだ。
でたらめな構えで指を弦から離した刹那、矢がヒュンと風を切り
裂いて放たれる。
音の感じは悪くない。
とはいえ、弓を使うのは初体験。一発目からそんなうまくいくな
んてことは︱︱。
﹁あっ﹂
当たった。
めちゃくちゃ呆気なく。
俺の謙遜とは一体なんだったのか⋮⋮いやいや、そうじゃなくて
だな。
905
﹁弓ってこんな簡単に成功するようなもんなのか?﹂
んなアホな。適当も適当だったのに。
だが魔物が一発でくたばらないあたり、ダメージはさほどではな
さそうだった。
樫の弓はあくまでも平均的な代物。肋骨の弓が完成するまでの代
替品に過ぎない。腕をカバーしてくれるだけの性能があるはずもな
く。
﹁そりゃそうだよな、チッ﹂
襲撃を知ったコウモリは傷に苦しみながらも飛行を開始。
両手にタワーシールドを掲げたホクトが急いで前に出るが、空高
くを飛ぶコウモリ相手にはブロックが成り立たない。
まっすぐにこちらへと向かってくる!
﹁⋮⋮だからなんだ感が凄いな﹂
切羽詰まった﹁!﹂なんて記号はまったく必要なかった。
あいつの攻撃力じゃフル装備の俺たちにロクにダメージを与えら
れないのは分かりきっているから、欠片も焦りが生まれてこない。
落ち着いて二発目の矢を番える。
またしても命中。その射撃によってコウモリは墜落し、1500
906
Gだけを残して消えた。
﹁おお! 主殿、お見事であります!﹂
喝采を送るホクトは心から嬉しそうにしていたが、当の俺はとい
うと、このケチのつけようのない成果を額面どおりには受け取れな
い。
あまりにも過不足なく出来すぎているせいで逆に疑わしい。
もしかして俺、弓のセンスがあったのか?
﹁まさか。いやでも、結果が結果だからな⋮⋮手こずりもしなかっ
たし⋮⋮﹂
まあ待て。結論を出すにはまだ早い。もっと試行回数を増やして
みないとな。
そう考えていると、おあつらえむきに。
﹁っ! 主殿、あちらを!﹂
気配を察したホクトが指差した先にいたのは、二足歩行のトカゲ
⋮⋮と呼ぶには、いささか人間の形態に寄りすぎている。
顔はトカゲそのものだし、だらりと長たらしく伸びた尻尾もある
し、体表も緑の鱗で防護され尽くしているが、全体的なシルエット
は人型だ。
あれか、リザードマンとかいうやつか。
907
装備はなにもなく、ボクサーがヤケを起こしたみたいな奇妙なス
テップを踏んでいる。
﹁⋮⋮あれって練習台にできるレベルの魔物なのか?﹂
まあまあ強そうだが。
﹁お下がりください。あやつの進軍は自分が食い止めるであります﹂
その間に援護を、とホクトは願い出てきた。
﹁機が熟した頃に、主殿の弓術をご披露いただければ﹂
﹁よし。やってみるか﹂
断る理由はない。俺はホクトに前衛を任せ、チャンスをうかがう
ことに専念する。
爬虫類の変異種が大股で接近してくる中。
﹁さあ、かかってくるであります!﹂
ホクトは二枚の鋼鉄の盾を、ガチンとド派手に打ち鳴らした。
けたたましく響き渡る衝突音に、魔物の注目は一気にホクトへと
引き寄せられる。
魔物は俊敏なフットワークで続けざまに殴りかかるが、その連打
を受けようとも、重装備で統一されたホクトはびくともしない。太
く、たくましい脚部でしっかりと地面を踏みしめている︱︱ぬかる
908
みをものともせずに。
﹁貴様の進むべき道を、開いてなるものか! でいやああっ!﹂
気合一喝。ホクトは隙間なく繋ぎ合わせた盾で勢いよく敵を押し
返す。
ホクトの馬鹿力で思い切り弾き飛ばされたリザードマンは、水気
を多量に含んだ泥に足をすくわれてスリップし、大きく体勢を崩し
ながら転倒。
機を得た俺はそこに狙いを定める。
闇雲に、ではない。俺がつけた照準はリザードマンの右目に固定
されていた。
﹁本当に俺にセンスがあるんだったら⋮⋮これも当たってくれよな
!﹂
果断して矢を放つ。貫通力に優れた黒曜石の矢を。
鋭く尖った鏃は、鱗に覆われていない右の眼球をピンポイントで
射抜いた。透明度の乏しい、下水道の澱みじみた黄褐色の血が噴き
上がる。
おびただしい流血も、無様な身悶えも、金切り声も⋮⋮数秒の間
に治まった。
その一撃のみで息絶えてしまったのだから。
909
﹁おいおい⋮⋮マジか、これ﹂
やばい。
俺、人生で初めて﹃才﹄ってやつを見つけてしまったのかも知れ
ない。
910
俺、寄付する
明くる日の午前、俺は一人意気揚々と工芸品店に乗りこむ。
ミミ、ホクト、ナツメの三人は地下層に繋がる魔法陣に先回りさ
せてある。
ちゃっちゃと下準備を終わらせておかないとな。
﹁なんでそんなにニヤニヤしてんのか知らねぇが⋮⋮ほら、完成さ
せてあるぜ。一本の骨から削り出した正真正銘混じりっ気なしのス
カルボウだ﹂
会心の自信作だぞ、と語る職人のおっさんが作業用テーブルの上
に乗せた弓は、隅から隅まで燃え尽きた灰のように真っ白だった。
形状としては﹁C﹂よりも、横倒しにした上でグイッと引き伸ば
した﹁W﹂に近い。
小さな牙のような装飾が何個かあしらわれているが、これはおっ
さんいわく﹁ターゲットに照準を合わせる際の目安に使え﹂とのこ
と。
持ってみると、大きさの割に非常に軽い。それから手触りがサラ
サラしている。
﹁どうだ、いい弓だろ? 湿気にかなり強い素材だから、樹液でコ
ーティングせずに骨の質感をそのまま残してあるぜ。おかげで手に
911
よく馴染むように仕上げられたよ。全体の剛性との兼ね合いは大変
だったけどな﹂
﹁うーむ、確かに収まりがいいな。滑りそうにないし、こう、指に
フィットするというか﹂
俺は手間賃の一万3000Gを支払いながらそれっぽいコメント
を発した。
﹁ただなぁ、木材製じゃないからちぃとばかりクセはあるぞ。慣れ
るまでしんどいかも知れないが、ま、そこは勘弁してくれ﹂
﹁大丈夫だよ。この俺だからな﹂
﹁さっきからやけに自信うかがわせてるが⋮⋮あんた弓使ったこと
ないんだろ?﹂
﹁ふっふっふ。いやな、昨日ちょっと試しに湿地で弓矢を使ってみ
たんだけど、これが百発百中だったんだよ。さすがに震えたね。俺
のセンスに﹂
スカルボウを背負ってこれ以上ないくらい得意満面になる俺。
が。
﹁⋮⋮なに言ってんだ? 今時の弓の性能じゃまっすぐ飛ばすこと
くらい訳ないぜ﹂
﹁えっ﹂
﹁そうでないとハードル高すぎて売れねぇしよ。近めの距離でゆっ
くり引いてじっくり狙いをつけたんなら、そりゃまあ触って数分の
初級者でも当てることはできるわな﹂
﹁な、なんだと⋮⋮﹂
衝撃的にして残酷な真相である。
912
てっきり俺の中には某国民的漫画のメガネくん的な才能が眠って
いるのだとばかり思っていたが、盛大なぬか喜びだった。
弓という武器自体が、ある程度持ち主の腕を補えるように作られ
ているらしい。
一気に脱力する。
まさか誰でもできることだったとは⋮⋮。
﹁でも手振れとかはなかったし⋮⋮弦もスムーズに引けたし⋮⋮﹂
﹁それは腕力の問題な﹂
ああ、またあなたの働きですか、と俺は首元のチョーカーに手を
当てた。
こいつの助演男優っぷりには毎度頭が下がる。
﹁じゃあ弓の技術ってなんなんだよ!﹂
﹁そりゃあ照準を定めるまでの速度と精度、それと判断力だ。ちん
たらやってるのを強い魔物が待ってくれるわけねぇだろ? 優れた
射手ってのはそれこそ雨のように矢を降らせられっからな。ビギナ
ーとエキスパートじゃ手数が全然違ってくるぜ﹂
そこを練磨しろ、とおっさんは俺にアドバイスという名の正論を
送った。
といっても、パッパパッパと矢を連射できるようになるまで実戦
投入を封印、なんてことをやっていたら永遠に弓を扱える日は来そ
913
うにない。俺がそんなに長期間日陰の努力を継続できるとは思えな
いし。
やむを得ない。ここは一矢入魂のスタイルでいくか。
レア素材を元にしたこの弓が攻撃力に秀でているのは疑いのない
事実だからな。 おまけに。
﹁おお⋮⋮本当に全部銀の鏃だ﹂
武器屋に予約していた銀の矢を引き取りに行った俺は、二百とい
うゆとりある本数に頼もしさを覚えると共に、その仕事の早さに感
心する。
地下層の魔物相手には効き目抜群なのは間違いない。
この矢が加われば更に倍率アップだな。
とはいえ、この量だと矢筒に収まり切らないので三分の二は皮袋
にストックしておく。一日で二百本使い果たすのかって話になると
多分そんなことはないのだが、備えあれば憂いなしとも言うし、こ
れもホクトに運んでもらうか。
﹁それにしても、矢だけで四万2000Gって⋮⋮下手な剣より値
が張ってるぞ。こっちとしては嬉しいオファーではあるけども﹂
﹁ああそれなんだけど、数日でなくなるかも知れないから追加でも
う二百本同じのを注文しとくよ。よろしく頼む﹂
914
店の財政事情を更に潤わせた俺は、そのまま北を目指し︱︱。
リステリア大教会本棟に踏み入る。
前回訪れた時もそうだったが、神聖なムードがムンムンに漂って
いる。この清らかな空気に包まれていると積年の邪念も消えていっ
てくれそうだな。
だが世俗に肩までどっぷり浸かった俺から邪念が消えたら消えた
でクソつまんない人生になりそうなので、その辺の宗教的体験はそ
こそこに留める。
教会に来た目的はただひとつ。
ここにしかないアンデッドを弱体化させる品物の調達だ。
﹁ようこそ。拝観料はいただきませんが、寄付は二十四時間毎日受
け付けております。神のご加護があらんことを﹂
こっちから言い出す前に例のしつこい神官が寄ってきた。
都合がいいっちゃいいが。
﹁寄付なら今すぐにでもしたいんだが、構わないか?﹂
﹁⋮⋮むむっ! 本当でございますか!?﹂
神官の目の色が変わった。
色、というか、¥マーク$マークに似たなにかというか。
915
﹁それでは早速ご説明させていただきます。寄付は一口1000G
からとなっておりまして、職業身分を問わず金額に上限はございま
せん。いえ! お気持ちで結構なのですが! 念のため金額に上限
はございません﹂
﹁制限ないのは分かったから、寄付の見返りについて教えてくれよ。
聖水がもらえるって聞いてるんだけど﹂
﹁はい。三口で聖灰を、五口で聖水を、十口でこれらを複数セット
にして、教会から粗品として提供させていただく決まりになってい
ます﹂
﹁その上はある?﹂
﹁ございますが、我々もそこまで多額の寄付をいただくわけには⋮
⋮いただけるものならいただきたいのではありますが⋮⋮﹂
めっちゃ本音漏れてるぞ。
それはともかく、今のところは聖水と聖灰以外いらないな。
﹁とりあえず一万G分寄付するか。ものは試しだ﹂
俺は布袋から金貨を十枚つかみとる。
﹁ほい﹂
﹁確かに受け取らせていただきました。誠にありがたいことでござ
います。では、こちらのリストにご記名を﹂
なんらかの教典だと思われた神官が小脇に抱えている本は、なん
のことはなくてこれまでの寄付者一覧だった。俺もそこにサインを
入れる。
﹁それでは感謝のしるしとして、聖水と聖灰の詰め合わせを差し上
916
げます。あなたにも神のご加護があらんことを﹂
詰め合わせって。お歳暮みたいだな。
実際木箱に入った状態で聖水と聖灰のセットを渡されたので、マ
ジで﹁今年もお世話になりました﹂の挨拶感が強い。
中身を見てみる。
結構しっかりした外箱なのに中はスカスカだ。景品表示法に則っ
て訴訟を起こしてやりたいところだが、この世界で通用するはずも
ないのでグッとこらえるしかない。
聖水の瓶が一本に、聖灰の挟まれた紙が二包か。
バラでもらうよりは多少お得だが。
﹁全然足りねぇな⋮⋮もう九十口寄付しておくか﹂
﹁おお、なんと信心深いお方か! これほどまでに私財を投げ打っ
ていただけるとは! 神のご加﹂
﹁いやもういいよ﹂
総額十万Gの寄付を行って、得られた聖水の数は十本。聖灰は二
十包。
動いた金額だけ見れば消費アイテムの風上にも置けない高値だが、
入手経路の特殊さゆえ致し方なし。
まあ十万Gくらいならすぐ取り戻せるだろう。
917
待ってろ二万7000G。
俺は弓・矢・聖水の新生三種の神器を手に、三人が待つ魔法陣へ
と急いだ。
918
俺、焼却する
皆と合流を果たしたら即刻地下層に。
先陣はホクトに切らせていた。
ミミがふわりと飛ばした灯火に照らし出される中、荷物と共に巨
大な盾を担ぐ後ろ姿には惚れ惚れさせられる。
底知れぬ馬力を感じるな。
とはいえデカブツを呼び寄せるつもりがない以上、撃破報奨の少
ない第一層のスケルトンと戦う意味はないのでさっさとフロアを移
動する。
柱に支えられた第二層を散策する俺たち一行。
この階層は地面から魔物がぞろぞろと湧いてくるので片時も油断
ならない。が、今回ばかりは早く出現してきてほしかった。なぜな
ら⋮⋮。
﹁おっ、やっと出てきやがったか﹂
お待ちかねのターゲットの登場だ。
背負った矢筒から銀の矢を一本抜き、腐臭を撒き散らしながら這
い上がってきたゾンビに向けて、弓を立てて構える。
919
同時にミミもかまどの火を放とうとしたが、俺はそれを声で制し
た。
﹁どのくらい効くか知っておきたいからな﹂
新装備の試し撃ちだ。スカルボウ側面に設えられた円錐状の装飾
を矢印代わりに使って照準を調節しつつ、キリ、キリと胸の筋肉で
弦を引っ張り︱︱。
﹁りゃっ!﹂
指を離す。
矢は目視可能な放物線は描かず、ほぼ地面と平行に等しい直線軌
道で飛んでいく。
ゾンビを狂乱させるにはその一射さえあれば事足りた。
銀の鏃が突き刺さった箇所を観察すると、その部分だけ肉が溶け
ていて、硝酸でも浴びせられたかのようになっている。
やがて煙へと成り果て、跡にはボロ布の覆いかぶさった金貨が残
った。
﹁うおお⋮⋮マジでつえーな、銀﹂
生産コストを度外視して手配しただけあり、ことアンデッドで埋
め尽くされた地下層においては絶大な効果を誇ってくれるらしい。
これならゾンビ相手に聖水と聖灰は必要ないな。第二層では温存
920
できるか。
﹁わあ、シュウト様、今度の武器は洗練されてますね。とてもとて
も格好いいです﹂
弓矢の貫通力とスタイリッシュな攻撃スタイルにはミミもご満悦
だ。
で、スカルボウの感想だけども。
﹁ちょっと違和感があるな。なんか物理法則ってやつに喧嘩売って
る感じがするし﹂
骨だからか樫の弓に比べてしなりが少ない。そのくせ発射された
矢の速度は遥かに増しているんだから、不思議なものである。
それと、おっさんに指摘されたとおりテンポがよくないな。どう
せ一撃で倒せるならミミが魔法を唱えたほうが断然早い。こればっ
かりは修練あるのみか。
ただ、骨製の飾りをポインタにする撃ち方はなんとなく理解でき
た。
弓に何個もくっついた獣の牙じみた形のパーツは一見すると単な
るカッコつけた装飾品にしか映らないが、鋭く尖ったそれぞれには
微妙に角度がつけられていて、先端を目で追うと自動的に矢の焦点
が合うようになっている。
この機能を活かせば敵をロックオンするまでの時間を大幅に短縮
化できるだろう。
921
習うより慣れろだな、それこそ。
にしても、余分な手間だったろうに職人のおっさんも心憎いカス
タマイズをしてくれたもんだ。俺を初心者と睨んでの仕様だろうけ
ど、ありがたく役立たせてもらおう。
あと気になるのは追加効果か。
﹁こういうのは大概、矢に対してなにかしら作用してくれそうなも
んだが⋮⋮﹂
矢をセットした状態で念じてみる。
なにも起きない。
﹁まさか、接近戦にも対応してます、とかそういうことだったりし
て﹂
弓自体をブンと振り回してみる。
なにも起きない。
﹁む⋮⋮じゃあ小突いたり叩いたりなのか。脆いのにそんなことし
て大丈夫かな﹂
矢柄で弓を二度三度叩いてみる。
なにも起きない。
922
﹁なんだこれ。不良品か?﹂
俺は秒でおっさんへの感謝の心をなくしていた。
いやいやいや、結論早すぎ。あの腕の立つ職人がそんな初歩的な
ミスをやらかすはずないでしょ⋮⋮と俺の中の天使がなんとか人を
信じる心を取り戻すようささやきかけてくれたので、完全な畜生道
に落ちることは寸前で回避する。
すまんおっさん、疑って悪かった。もうちょい粘ってみるわ。
﹁別のやり方を試してみるか⋮⋮他にどんなのがあるっけ﹂
﹁矢なしで弦だけ引っ張ってみたらどうですかにゃ? これででき
たらすっごく魔法っぽいですにゃ﹂
﹁それだ﹂
ナツメの案を採用。
可能性の塊ことスカルボウを少し傾けて構え、ギュッと引き絞る。
すると。
﹁うおおっ!?﹂
ないはずの矢が顕現した。
正確には、矢のフォルムをした炎が、である。
矢の周囲ではちぎれた火が飛沫のように舞っている。
だが、元々がアンデッドの骨だったせいか、炎は鮮やかな緋色で
923
はなく︱︱地獄から呼び覚まされたかのように禍々しい黒色をして
いた。
さすがの俺も驚きを隠せない。原理は不明だが、これだけありあ
りと燃え盛っているのに弓を引く俺自身はまったく熱くないという
のも戸惑いに拍車をかけている。
﹁っていうかこれ、指離せないんだけど﹂
﹁ぎにゃー! 熱いですにゃ! こっち向けないでくださいにゃ!﹂
﹁そんな逃げなくてもいいじゃん﹂
﹁ふにゃああああああ!? フーッ、フーッ!﹂
仕方ないのでこの体勢のまま適当な魔物を探すことに。
こういう時に限ってエンカウントするまでに間が空いたのだが、
十字路を曲がったところで念願の的、ゾンビ鳥を発見。
﹁あいつにぶつけるか。いい加減腕も限界だし⋮⋮でやっ!﹂
作り置きしていた炎の矢をぶつける。
俺の指を離れた途端、邪悪な炎は螺旋状に渦巻いた。その回転は
推進力となり、魔物に届く頃には本来減衰するはずの矢の勢いがピ
ークに達していた。
加速している。
そして炎なので当然、着弾地点から大きく火の手は広がっていっ
た。
924
﹁おお! 凄いな、こりゃ﹂
しかもめっちゃ見た目がいい。魔力で精製された上にダークな黒
い炎って。
やばい、もう気に入ってしまったんだが。
もっとも威力という観点で見てみるとそんなに甚大ではなかった。
銀と並んでアンデッドに特攻であるはずの火なのに標的が一発では
倒れていない。
普通に矢を射るよりもダメージは低そうだな。矢束は節約できる
とはいえ。
﹁まあ、レアメタルほどには魔力はない、とは聞いてたけどさ﹂
﹁にゃにゃっ!? ご主人様、来ますにゃ!﹂
敵のモーションの変化に真っ先に気づいたナツメが警鐘を鳴らし
た。
ゾンビ鳥は火をボロボロの翼ではたいてかき消すと、随所が焼け
焦げてしまった肉体に構うことなく捨て身の突進を始める。
その進撃は二枚の盾をかかげたホクトが強硬に防いだ。
﹁させぬであります!﹂
タワーシールドの防御性能と、それを扱うホクトの膂力が遺憾な
く発揮される。
925
湿地で繰り返し練習していたから盾さばきは格段によくなってい
る。機敏にステップするリザードマンに比べたら、ノロマなゾンビ
なんて屁でもないだろう。
﹁さあ主殿、次なる一手を!﹂
﹁分かってるっての⋮⋮そらっ!﹂
空っぽの弓を引き、炎の矢を更に作り出す俺。
所要時間を意識して照準を固定。コンマ数秒呼吸を整えてから発
射する。
流れる火が彗星のように尾を引いた。
黒ずんだ焔に穿たれ、死の現実から逃れ続けた魔物はやっとのこ
とで成仏した。
ドロップした金貨はナツメが素早くかき集める。
この編成も悪くないな。前衛ホクト、後衛が俺とミミ。自由に動
けるナツメがサポートとアイテム回収要員。剣がなくなった分瞬間
火力は落ちたが、安定感はある。
なんといっても楽だ。俺が危険に晒される場面が激減している。
後ろにいていいってこんなにも幸福だったのか⋮⋮。
﹁けど追加効果がイマイチなのは痛いな﹂
せっかくの格好よさなので、積極的に使っていきたいという気持
926
ちもあるが。
﹁しゃーねぇ。銀の矢だけにしとくか。火ならミミもいるし﹂
﹁⋮⋮ですがシュウト様、ひょっとしてですけど﹂
ほんの少しだけ思索していたミミが口を開く。
﹁ダメージ以外にも効果があるような気がします﹂
﹁本当か? 全然そんな感じしなかったけど﹂
﹁あの炎からはミミの魔法と同じものを感じました。もしかしたら
呪縛を与える効果があるのかも知れません﹂
﹁ふーむ、なるほどな﹂
呪術魔法を得意とするミミの見立てなので、信憑性は高い。
素材元もおどろおどろしい亡骸だし、なによりあの邪悪な色彩だ。
そういった特質が秘められていてもありえなくはないな。俺のセン
サーがそう告げている。
とはいえ二発で倒せる相手から呪いのありがたみを享受できるは
ずもない。
落とす資金もそこそこ止まりだし。
﹁どうせならレイスの野郎で試さねぇとな﹂
下降用の魔法陣が設営されたポイントまで進み、いざ、第三層へ。
再挑戦だ。
927
俺、収集する
前回の時もそうだったように、そいつは第三層に転送された直後
に現れた。
レイスのお出ましである。揺らめくボロ布は浮遊の証。さながら
俺たちを異界まで手招きしているかのようだった。
﹁さて、と﹂
どう料理してやろうか。今回は前回とは違って用意は周到。俺と
ミミの二人でツープラトンの火を浴びせたんでもいいし、聖灰をぶ
っかけて物理で攻めたんでもいい。
﹁だがまずは⋮⋮こっちからだな﹂
俺は矢をあてがわずに弓を引く。
こいつがもたらす呪縛の効果がどんなもんか、早めに知っておく
か。
狙いが定まったことを確認して、ためらわずに弦を弾く。
メラメラと燃焼する矢は錐揉み回転しながら一直線に飛んでいっ
た。命中するや否や、魔物のガス状の肉体が暗色の炎に包まれる。
数秒かけて鎮火した後のレイスの状態を、じっくりと監視してみ
る。
928
﹁⋮⋮なんか変わったところあんの?﹂
正直俺では分からない。ビフォーとアフターが一緒に見える。せ
めて焦げ目くらいは残っていてほしかった。
が、魔法の専門家であるミミの目によれば。
﹁判別できました。鈍化の呪いで間違いないと思います﹂
﹁なにそれ﹂
﹁文字どおり、です。動きが鈍くなる呪いですよ。シュウト様の炎
には初級呪術のスロウに近い効果があるみたいですね﹂
ふむ、悪くないバッドステータスだな。使いどころは多岐に渡り
そうだ。
﹁そういやゾンビ鳥も相当遅くなってたな⋮⋮っと、それより﹂
レイスに視点を戻す。
まだ倒れる気配はない。挙動が鈍重になっているなりに必死に腕
を伸ばし、前線のホクトへつかみかかろうとしていた。
次に試すべきは⋮⋮。
﹁ナツメ、灰を撒いてみてくれ﹂
﹁はいですにゃ!﹂
指示を受けてリュックから聖灰を包んだ紙を取り出したナツメは、
敏捷性豊かな身のこなしで魔物との間合いを速やかに詰め、バッと
929
それを振り撒いた。
聖灰のかかった部分だけが固体化し、石のような質感に移り変わ
る。
その様子を見届けてからナツメは離脱。
俺は変質した霊体目がけて、一本で一食分まかなえる純銀の矢を
放った。
矢はすり抜けてはいかず、グサリと音を立てて突き刺さる。
鏃の埋まった箇所からは白煙が立ち昇っている。効いている証拠
だろう。ドクロの顔も大きく歪み、上顎と下顎の噛み合わせが酷い
有り様になっていた。
ひとしきり苦しんだ後レイスは昇天する。
落とした二十七枚の金貨と霊布をせっせと拾い集めるナツメ。手
際がいい。
﹁すげぇな、マジで実体化してるじゃんか﹂
教会も凄いもんを開発したもんだ。
蒸留酒の次くらいに素晴らしい発明だな。
﹁えーと、聖灰は三口相当の寄付でもらえるから⋮⋮差し引き二万
4000Gか﹂
930
第二層の奴らを相手にするより全然マシだな。それにあいつらは
悪臭が公害の域に達してるし。今日からは涼やかなこのフロアで金
策に励むとしよう。
更に歩を進める。
﹁⋮⋮む。主殿、ご警戒を﹂
細い通路にさしかかったところでホクトが足を止めた。
それもそのはず。かまどの火の光がかろうじて届いている少し先
には、ぼんやりと魔物の影が見える。
ミミが明度を上げると、全容が白日の下に晒された。
そいつはカタカタと、剥き出しの歯を鳴らしながら怪しげに立ち
尽くしている。眼窩に中身はなく、折り曲げた指に肉はない。それ
はつまり骸骨であることを表していた。
外見は第一層のスケルトンに似ているが微妙に違う。どこが違う
かといえば、まとっている衣装だ。そいつは貴族が着ていそうな赤
褐色のコートを羽織っていた。
﹁アンデッドのくせにいい服着てやがるな⋮⋮じゃなくて﹂
地図を引っくり返す。
だだっ広い裏面にはアリッサから教わった魔物の情報が簡潔に記
してあるのだが、そのメモによればワイトという種類のアンデッド
らしい。
931
﹁幽霊じゃないんだし、特に工夫せずとも矢は当たる⋮⋮よな? さすがに﹂
とはいえ弱くできるんならやっておくに越したことはない。
退治に時間をかけるのは得策じゃない。どういう攻撃をしかけて
くるか分かったもんじゃないからな。圧倒的破壊力で敵に反撃の余
地を与えず瞬殺。これこそが俺が今まで続けてきた必勝パターンだ。
﹁ナツメ、任せた﹂
指令を送る。
﹁承りましたにゃ! ていにゃあっ!﹂
後ろには行かせまいとホクトが懸命に盾で敵の前進を阻んでいる
間に、ナツメは対象と距離を置いたまま瓶ごと聖水を投げつけた。
ガラス瓶はゆるやかな弧を描いてワイトの頭蓋骨に命中する。中
々いいコントロールである。後から聞いたが手の平大のものの扱い
は鉄鉱石の集積場で働いていた時に鍛えられたものらしい。なんで
もありだな。
聖水の浸みこんだ骨は見るからに脆弱そうだった。
そこに向けて遠慮なく矢を放つ俺。
﹁げっ、これでもダメなのかよ﹂
932
完璧に銀の矢が突き立ったのにワイトはくたばらない。意外と頑
丈だな。
﹁炒って豆殻を弾き飛ばすための火!﹂
間断なくミミがフォローを入れたことでようやく煙へと姿を変え
た。
レイスを超える三万Gの報奨金に加えて、赤黒い布が素材として
残される。
﹁これも霊布か?﹂
持ってみた限りでは同じにしか感じられない。めちゃくちゃ軽い
し、めちゃくちゃ薄い。この辺の差異は帰還してからギルドマスタ
ーのおっさんに質問するか。
﹁でも一発で倒せないのは痛いな。時間のロスだぜ﹂
﹁ミミがサポートします。フラジリティなら虚弱の呪いをかけられ
ますから、矢のダメージもグンと増すと思います﹂
﹁そいつは助かる。次から頼んだぞ﹂
ミミの肩をぽんと叩いた時。
﹁どうやら敵方は息つく暇を与えてはくれないみたいでありますぞ、
主殿!﹂
最前線でホクトが吠える。今度はなにかと眺めてみれば、またし
ても宙に浮かんだアンデッドの姿が。
933
浮いているがしかし、幽霊の類ではない。紫苑のローブを着込ん
だそいつもまたスケルトンに酷似した容姿をしていたが、それは上
半身のみに限った話。下半身に足はなく、ほつれたローブの裾がは
ためいているだけだった。
骨張った、というか骨そのものの指には細い杖が握られている。
﹁あれは、えー、確か⋮⋮﹂
﹁リッチですにゃ!﹂
俺よりナツメが先に早押しアンデッド当てクイズに正解した。
一人だけアルコールを口にしていなかったから、飲み屋でのアリ
ッサの話がしっかり頭に叩きこまれているらしい。
で、リッチの特徴についてだが。
見たまんまだ。杖とローブを装着している時点で﹁私、魔法を使
います﹂と告白しているようなもの。この風貌で真っ向から肉弾戦
を挑んでくるわけがない。
予測と違わず、魔術師を髣髴とさせるアンデッドは弾速の遅い火
を発してきた。
﹁これしきッ!﹂ 二枚のタワーシールドを隙間なく繋ぎ合わせてホクトが火をせき
止める。多少高熱な程度では鍛え抜かれた鋼鉄に太刀打ちできるは
ずもない。
934
戦線は決して崩れない。
盾を支えるホクトの背中は、剣を握っていた頃とは見違えて立派
だった。
﹁いいぞホクト! 最高に輝いてるぜ﹂
おだてると馬の耳がぴこっと動いた。喜んでいるらしい。
この機に乗じてちゃっかりナツメが清らかな灰をバラ撒いていた。
それを確認してから矢を射る。
リッチの物理耐久は同フロアに出現する他二種に比べてダントツ
で低いようで、たったその一射に貫かれただけでお陀仏となった。
撃破報奨は二万8000G。そしておまけで紫色の布。
﹁って、また布かよ﹂
しかも空気のように軽いところまで同じ。一体違いはなんなんだ。
ただ分かったことがある。リッチ戦が一番うまい。所持金の額か
らして本当なら魔法に苦しめられるんだろうが、手早く片付けたい
俺からすれば攻撃面が充実している代わりに守りがおろそかな敵と
いうのは希望どおりである。
金はワイトのほうが落とすがあいつは無駄に硬い。レイスに至っ
てはアイテムの使用を半強制的に要求してくるくせに報奨は一番低
いから最悪。
935
﹁こいつばっか出てきてくれりゃいいんだけどな﹂
皆も同意見だった。
唯一他の魔物を相手する際より負担のあるホクトにしても、魔法
から俺を守るという役割にかつてないやりがいを感じている。
﹁にゃにゃにゃっ!? ご主人様、今度は二体いっぺんに来ました
にゃ!﹂
⋮⋮こういう時に限って一番会いたくないレイスが連続して襲っ
てくるんだから、まったく人生ってやつはホロ苦くできていやがる。
第三層の探索を始めてから二時間半が経過した。
現時点でもまずまずの成果を収められている。
獲得した金銭もそうだが、手探りで戦闘を重ねるうちに、少ない
行動回数でアンデッドを討伐できる組み合わせがつかめてきたのは
収穫だった。
レイスであれば、聖灰を投げつけてから銀の矢+ミミの火球。
ワイトであれば、聖水とミミの呪術で弱らせてからの銀の矢で一
撃必殺。
そしてリッチであれば、単純に聖灰と銀の矢コンボだけで撃破可
能。
936
聖水のほうがやや大きめに弱体化させられるが、その分貴重なの
でワイト以外にはなるべく使いたくない⋮⋮のだが、ぶっちゃけ俺
の所持金を考えると微差なのでそんなに気にする必要はない。むし
ろ細々と使い分けてるほうがストレスが溜まる。
足りなくなったらまた寄付すりゃいいだけだしな。
とりあえず、効率のよさを求めるならワイト相手に聖灰は厳禁、
という点のみを念頭に置いておく。
消耗品といえば、もうひとつ。矢の問題がある。
矢は可能な限りナツメが回収してくれたものの、全部が全部再利
用できるわけではなかった。少々銀製の鏃が欠けた程度ならリペア
で補修できる範疇だが、明らかに砕けていたり、そもそも矢柄が折
れてしまったものはどうしようもない。
もっともこれも後で補充すればさして問題にはならない。
このフロアで活動していれば消費した額をチャラにして余りある
ほど稼げるんだから。
これだけ多くの枚数の金貨をドロップする魔物と連戦できたのは、
ジキと密林を歩き回っていた時以来だ。
移動時間や出現数も合わせて考えると過去最高の狩場といえよう。
落とす素材がどれも軽くて薄手なのも助かる。カバンの中には多
彩な布がぎゅうぎゅうに押しこめられているのに、腕力のないナツ
937
メでも楽勝で運べていた。
﹁というかここの魔物、他になにも落とさないんだな⋮⋮﹂
金を集めているのか布を集めているのか目的が分からなくなって
くるんだが。
この素材を一挙に納品して教会からの信任を得るか、衣服の製作
にあてるか。
難しい二択である。
938
俺、試食する
布の使い道を思案しつつ十何体目かのアンデッドを始末した時、
俺の胃袋がついに救助を求めてきた。
﹁やべ、これ午後からの仕事に響くやつだ。休憩しようぜ﹂
魔物を粗方駆除し尽くしたポイントに陣取る。
地べたに直接腰を下ろしたが、ひんやりと冷えていて尻がびっく
りしていた。
確かパンの類はホクトのカバンに入っていたはず⋮⋮なんてこと
を考えていると。
﹁⋮⋮なにやってんの?﹂
転がる石を鼻歌交じりに拾うナツメの動きに気が向く。
ナツメは拾った石をてきぱきと積む。その作業に加担しているの
はミミもで、輪っか状に組み上げた石の中心にかまどの火を灯して
いた。
﹁にゃにゃーん! そしていよいよこの道具の出番ですにゃ!﹂ じゃじゃーん、みたいなノリでナツメがリュックから取り出した
のは小型の鍋。
939
と、水筒である。澄んだ井戸水をなみなみ鍋に注いで火にかける。
﹁ふっ、セッティング完了ですにゃ﹂
﹁いやいや、ドヤ顔してないでちゃんと説明してくれ﹂
﹁それはですにゃ⋮⋮﹂
指をぴんと立てて解説しようとするナツメの台詞を、横からミミ
が受け継いだ。
﹁えと、昨日お買い物をしている時にナツメさんと打ち合わせした
んです。ダンジョンの中で料理をしましょうって﹂
﹁ほう。でもどうしてまた﹂
﹁その⋮⋮第三層は気温が低くなっていますから、体を冷やさない
ようにシュウト様には温かい食べ物を召し上がってほしいと思った
んです﹂
ミミは表情に照れを浮かべて言った。
照れながらにも手には角切り肉の塩漬けが詰まった瓶を持ってい
る。
それを沸騰した水の中にドボンと投入。
調理工程終了。
﹁おっ、見たことあるぞ。この前店で出てきたスープだよな?﹂
﹁はい。これでしたらミミにも作れそうかな、と﹂
うーむ、さもありなん。ダシも塩分も勝手に塩漬け肉から溶け出
てくるので絶対に失敗しない料理といえる。いきなり難しい料理に
940
挑戦せず、自分にできる範囲で作ろうとするのが理知的なミミらし
い。
それにしても気の利いたことをしてくれるな。日頃突っ張りっぱ
なしの俺の頬も自然と緩んでくる。
適当にパンをかじりながら待つこと三十分。
﹁もう出来上がったのではないでしょうか? 鍋全体から熟成した
肉の滋味深そうな香りが⋮⋮いやはや、実にそそるであります﹂
鍋を覗きこむホクトが言うとおり、透明だった湯はほんのりと色
づいていた。こんな冗談みたいに雑な作り方なのに、淡く上品な黄
金色をしたスープになっている。
ミミが丁寧に白木のさじで肉の繊維をほぐし、金属製の小さなカ
ップに注ぐ。
よし、では味見を⋮⋮と思われたが、ミミは仕上げになにかをパ
サッと振りかけた。
この唐辛子によく似た赤い粉末はフラーゼンの店で買ったものだ。
なるほど、香辛料でアレンジを加えたってわけだな。
かくしてミミ史上初の手料理が完成。
﹁どっ、どうぞ﹂
珍しく緊張した面持ちでカップを差し出してくる。
941
振り返ってみれば、ミミはずっと前から家事もしたいと言い続け
ていたな。ようやくその願いがひとつ達成できたわけだ。そう思う
とミミがドキドキしながら心臓を抑えている理由も分かるし、俺か
らしても感慨深いものがある。
湯気の立ったスープ表面には脂の膜が張られていて中々冷めそう
にない。
探索中はパンだの干し肉だの燻製だの、乾いたものしか食えてい
なかったから、こういう汁気のあるメニューは大歓迎である。
それにプラスしてこの温かさ。命の水と呼んでしまっても過言で
はないな。
﹁んじゃ、いただきます﹂
いつもの眠たげな目とは違い、所期を孕んだ真剣な眼差しのミミ
が見守る中、スープに口をつける。
信じられないくらいうまかった。
冷えた体にじんわりと沁みてくる。
店で食べた味を完璧に再現している。いや、なんならこっちのほ
うが塩加減が優れているかも知れない。俺の贔屓目ならぬ贔屓舌で
ある可能性も高いが。
そしてこの鼻から抜ける爽やかなスパイスの香りが⋮⋮って⋮⋮。
﹁か、かかかか、辛っ!?﹂
942
喉を通った後で凄まじい刺激が襲ってきた。
舌は痺れて喉は焼け、本気で口から火を吹きそうになる。
なんだこれ。ピリリと辛いとかいうマイルド表現で済むレベルじ
ゃないんですけど!
﹁だ、大丈夫ですかにゃ?﹂
ナツメが慌てて水筒の残りを俺の口に突っこんだ。まだ冷たさを
保っている井戸水をゴクゴクと夢中で喉を鳴らして飲む俺。
ふう、生き返った。
本物の命の水に巡り会ってしまったか。
﹁久しぶりに脳が破裂しそうになったわ。くほっ、まだ喉がいてぇ﹂
俺の胸で燦然と輝くアレキサンドライトも痛みまでは取り除いて
くれない。
﹁申し訳ありません、シュウト様⋮⋮﹂
山羊の耳を萎れさせてしゅんとするミミ。
一手間のつもりが余計なお世話になってしまったことを気に病ん
でいる様子だ。
﹁おいしい料理どころかシュウト様にひどいものを食べさせてしま
943
いました⋮⋮ミミは奴隷失格です⋮⋮﹂
﹁いやミミはなんも悪くねぇよ⋮⋮フラーゼンの奴め、やらかしや
がったな﹂
真犯人は特定できている。
なんちゅー代物を売りつけてくれたんだ、と思ったが、よく考え
たら﹃ひとつまみで劇的に効く﹄とか言ってたな。
どうやら誇大広告なんかではなかったらしい。
看板に偽りなしってことかよ。
まあ﹁用法用量を守ってお使いください﹂ってことなんだろう。
量さえ間違えなければこの強烈な発汗作用が役に立つ場面もある、
はず。多分。
頑張ってくれたミミにメシマズ属性をつけたくない俺はカップの
残りを気合で飲み干し、それから鍋の中身も空にして︱︱味覚が麻
痺していたので俺一人だけ舌鼓を打てなかったが︱︱汗だくになり
ながらも金策を再開。
地下にそびえる迷宮をひたすらに歩き回る。
剣士泣かせのレイス。タフさに自信のワイト。魔法はお手の物の
リッチ。
出会ったそばから矢で射抜いて屍の山を築き上げる。まさしく死
屍累々である。どれも最初っから死んでいるようなもんだけれども。
944
が、しかし、残念ながら聖水と聖灰の備蓄は純益七十万Gを超え
たあたりで底を尽きてしまったので、途中からはゴリ押しで倒して
いかざるを得なくなった。
次回以降はもっと多めに持ってくるか。
そうこうしているうちに。
﹁おっと?﹂
魔法陣が配置された地点にまで辿り着く。地図の記述によれば複
雑怪奇な模様で構成されたこいつは上昇用ではなく、下のフロアに
繋がったものだ。
第三層には下降用魔法陣はこれを含めてたった二つしかない。
次にこの場所を訪れようと思ったら、今日と似たような手順を踏
まなくてはならない。つまりは結構な量の移動が必須。
先頭を行くホクトは円の手前でぴたりと停止する。
﹁いかがなさりますか? 我々は主殿のご意向に従うであります﹂
﹁そんなもん決まってるよ﹂
この後に待ち受けているのは最難関であろう最下層だけ。
アイテムがないと第三層の魔物でさえ手を焼くんだから、持ち合
わせのない今の状態でそんなリスクを負いにいくのは賢明じゃない。
叩ける石橋は限界まで叩くが吉。
945
﹁戻ろうか。今日はもう十分稼いだしさ﹂
濡れ手に粟の金貨に大量の布切れを手土産に、俺たちは地下層内
部を逆走した。
浮上したら真っ先にギルドに足を運ぶ。
﹁ようこそギルドへ。コートが薄汚れているが今日も地下に潜って
きたのか?﹂
﹁まあな﹂
これがその成果だ、とばかりに俺は素材採集用の皮袋の口を広げ
る。
﹁おお、こんなにか! リッチやレイスをこれだけ討伐してくると
はやるもんだ﹂
おっさんは第三層に出現するアンデッドの傾向と戦闘力について
はよくよく理解しているようで、だからこそ俺のぶっちぎった撃破
数に舌を巻いたのだろう。
﹁それはいいんだけどさー、この布ってなにかしら違いはあんの?﹂
気になっていた質問を飛ばす。
﹁もちろん。例えば、この赤褐色のやつは骸布だな。霊布に似てい
るが別物だ。それからこっちの濃い紫の素材は冥布。知ってのとお
りリッチが頻繁に落とす﹂
﹁どこで見分けりゃいいんだ。色か?﹂
946
﹁一番の判断基準はそこになる。重量も微妙に違うんだけどな。ま
あ測りもなしに手の感覚で区別しろと言われたら誰にもできないと
は思うが﹂
俺は利き布選手権をしたいわけじゃないからいらない心配だな。
﹁霊布、骸布、冥布ね。素材としてはどうなんだ?﹂
﹁いずれも打撃や斬撃への耐久性はゼロに等しいが、最高峰の軽さ
がある霊布は体さばきを助け、骸布は呪縛に抵抗を持つ。冥布は魔
法に対して強いぞ﹂
﹁ほほう﹂
それだけ聞くと骸布は比較的有用そうに感じる。
この先呪いをかけてくるいやらしい魔物と出くわさないという保
障はないからな。
防御面の終わりっぷりゆえに半歩間違えばゴミ装備になりかねな
いが、ひとまずは一着だけでも作っておくか。軽いなら携帯もでき
るだろうし。
他の素材についても納品しないで保持を決める。
教会への貢献度が欲しいなら寄付すりゃいいだけの話。どうせ明
日から今日以上に聖水聖灰目当てでキャッシュを投入するのは規定
路線だ。
﹁そうだ。ついでじゃないけど、最下層の魔物についても聞かせて
くれないか?﹂
﹁最下層というと、第四層か。教えられなくはないが⋮⋮Bランク
947
に満たない腕で挑むのは無謀かも知れんぞ﹂
﹁む。そんなに強いのか﹂
﹁ああ。あそこに現れるのは、軽く挙げただけでもデュラハン、ウ
ォーロック⋮⋮特に危険なのがグリムリーパーだ。数は多くないが
どいつもこいつも恐ろしく強い﹂
少年の心を刺激してやまないネーミングだけでやばそうなのが伝
わってきた。
スルー安定すぎる。
となれば、しばらくは第三層で金を貯めるのが正解だな。
あのフロアでもうまくやれば一日につき百万Gの収益を目指せる。
町を離れるまでにどれだけ稼げるか、自分のことではあるが大いに
期待しておくとしよう。
俺たちはギルドを離れ、魅惑と喧騒に満ちた夜の繁華街へと紛れ
ていった。
948
俺、了承する
第三層での稼ぎ方を心得た俺は、着々と預金残高を増やしていっ
た。
無論、地下に潜るたびに相当量の矢と聖水聖灰を必要としたが、
得られる金額の大きさに比べたら些細な出費である。
これまでの町で自主的に課していたノルマは概ね五十万G程度だ
ったのに、リステリアではその倍を目指すことができる。しかも町
内から出なくて済むというオマケつき。
加えてここには俺の愛する蒸留酒がある。
仕事の疲れをスッキリとした酒で癒す。これが本当の本当に最高
だった。蜂蜜に漬けた柑橘類を皮ごと輪切りにしてグラスの底に置
き、そこに穀物由来の澄み切ったスピリッツを注いだ時なんかはた
まらない。
稼げて、飲めて、くつろげる。
言うことなしだ。
土地を買う候補地としては現状一歩リードしている。
そんな生活が二週間続いた頃。
949
﹁明後日の式典に出席して欲しい?﹂
この日も地下層からの帰りに教会直営の酒場に立ち寄った俺は、
そこでアリッサからそんな誘いを持ちかけられた。
アリッサとは妙にここで交流する機会が多く、その底抜けに明る
いキャラクターもあってか、自然と仲がよくなっていた。
単にいつ行っても顔を見かけるというだけな気もするが。
とはいえ、アルコール類の取り揃えがよそに比べて頭一つ抜けて
充実したこの店を俺が贔屓にしているのは紛れもない事実。
酒造産業の発展したリステリア大教会が開いているだけのことは
ある。
既に酒の席は深いところまで進んでいて、ホクトはカウンターテ
ーブルに突っ伏して酔い潰れているし、おかわりを重ねたミミも胡
乱な表情でうとうとしている。ナツメはミルクの飲みすぎでトイレ
から戻ってきていない。
俺がちびちびとウォッカベースのカクテルを舐めているだけだ。
﹁そう! 年に一度しかない特別な行事だよっ!﹂
一方でアリッサはタダなのをいいことにガンガン新しいボトルを
注文している。
なお俺は近頃は骸布で作ったインナーを着こんでいる。町で評判
950
の洋裁職人に製作を依頼したのだが、これが中々どうして感触がい
い。軽量素材を繋ぎ合わせた服はなにも身につけていないのではと
錯覚するほどに軽やかな着心地で、肌触りもさらっとしている。長
らく愛用していたゴワゴワしたクジャタの毛糸とは大違いだ。
ホクトを前に出したおかげで攻撃を受ける機会が著しく減ったた
め、動きやすい防具のほうがなにかと都合がよかった。
カトブレパスのコートだけでも一定の防御力は保てていることだ
しな。
この服を作るのに結構な枚数の骸布を要したが、それだけ費やし
てもまだまだ大量に在庫が有り余っているんだから、俺がこの二週
間で狩ったアンデッドの個体数も推して知るべしである。
﹁はあ、特別ねぇ。なんで教団の関係者じゃない俺にそんな話が来
るんだ﹂
﹁だってさ∼、お兄さん、めちゃくちゃうちによくしてくれてるじ
ゃない? 他の人とは違う扱いをしないと失礼だもん﹂
飲んだくれの聖女はそう説明する。
そういや信仰を篤くする⋮⋮ってな名目で教会に貢ぐと、最終的
には祝祭事への招待権がもらえるんだったな。
魔物との戦闘を楽にするために毎日二十から三十万Gは寄付して
いるから、通算するとかなりの金額に及んでいるであろうことは想
像に難くない。
﹁でもさ、見返りは全部聖水と聖灰にしてもらってるぜ、俺﹂
951
﹁それはそれ、これはこれ! 寄付金の総額でも見てるからねっ!﹂
なんでも、贈答品の引き換えとはまた別に点数がカウントされて
いるらしい。
これは困った。いらない特典を押しつけられてもな⋮⋮。
﹁お願いだから来てよぉ。あたしだって最初から最後まで出なくち
ゃいけないんだし﹂
﹁仕方ないだろ。あんたは聖女様なんだから﹂
﹁そうだけどさぁ⋮⋮はー、まったく嫌になっちゃうよ!﹂
やけくそ気味にぼやきながら、ブランデーのボトルを新しく開け
るアリッサ。
﹁義務を果たすことがそんなに偉いんですかねぇ、この社会では!﹂
絡み酒をしてくる。
高雅なプラチナの髪を惜しみなく振り乱して。
﹁あー、やだやだ。行きたくないな∼。今年こそお休みしたーい!﹂
﹁なんでそんな嫌そうなんだよ。そこまでのことか?﹂
﹁だって式典の日は夜までお酒飲めないんだもんっ! 司祭様に怒
られちゃうから! そりゃあ憂鬱になるってものですわよ﹂
だから、とアリッサは懇願するような目つきで俺の瞳を覗きこむ。
﹁一日二人で禁酒してみない? ね?﹂
﹁﹃ね?﹄じゃねぇよ。俺まで付き合う義理はないぜ。一人で頑張
952
ってくれたまえ﹂
﹁それじゃ寂しくて耐えられないよっ! 一緒に地獄に落ちようよ
∼!﹂
聖職者にあるまじき発言だった。
﹁分かったぞ、俺を道連れにしようって魂胆だな! そうはいかね
ぇぞ。せっかく蒸留酒が飲める町にいるんだから、好きな時に好き
なだけ楽しまないとな﹂
﹁いいじゃん! あたし意志弱いから一人じゃ断酒できないもん!﹂
﹁まさかとは思うが、毎年俺みたいな犠牲者を生んでんのか?﹂
﹁うん﹂
正直でよろしい。
﹁⋮⋮じゃなくて、真面目にやれ。今年で甘えは終わりにしとけ﹂
いい歳なんだから、と続けようとして俺は口をつぐんだ。
﹁ふええん、手厳しい⋮⋮あっ! じゃあさ、一日式典に付き合っ
てくれたら、うちの酒蔵で一番高級なお酒を樽ごとプレゼントする
よ?﹂
﹁そんなの買えばいいだけじゃん。これだけ寄付してるんだから俺
が金でヒイヒイ言ってないのは分かるだろ?﹂
﹁実は非売品の幻の銘酒が⋮⋮!﹂
﹁あるの?﹂
﹁⋮⋮ないっす﹂
正直その二。
953
﹁お疲れさまでした﹂
﹁待って、帰らないで! じゃあねじゃあね、んとねぇ⋮⋮﹂
﹁今度はなんだよ⋮⋮﹂
﹁おっぱい揉ませてあげる﹂
平然とそう言い放ったアリッサは、長い睫毛をはためかせてウィ
ンクしながら、特に恥ずかしがるふうもなく襟をクイッと引っ張っ
た。
元々たるんでいた襟ぐりが更に伸びて絶景が広がる。
やばいこいつ。アホだ。
﹁だって他にあたしにできることないし! 文字どおりの身売りで
す!﹂
﹁⋮⋮俺が十四、十五のガキなら乗ってたかもな﹂
口ではそう呆れたっぽく言いながらも、悲しきかな本能に忠実な
俺の下半身はしっかり反応していた。正直その三が俺の中に潜んで
いたとは。
めんどくさいが仕方あるまい。行ってやるか。いやホント仕方な
い。
すべては金でおっぱいを揉めない世の中が悪い。
﹁ではまず、前金ならぬ前乳の拝借を⋮⋮﹂
さすがに無理だった。
954
俺、参列する
式典当日の朝、俺は約束の時刻に合わせて教会に出向いた。
寄付の名義は俺だけなので当然単身での出席である。
﹁⋮⋮で、どちら様ですか?﹂
﹁ふふ。毎日のようにお会いしているじゃないですか﹂
教会の入り口の前に陣取る、修道女の一団を従えた女がアリッサ
だとは、一目見ただけでは気づけなかった。
いつ見てもボサボサだった髪は懇切にとかされているし、着衣の
乱れもない。ふしだらで不真面目な印象は綺麗さっぱり消え失せて
いた。唯一、はち切れんばかりに自己主張している胸の膨らみだけ
が、その人物がアリッサであることを証明していた。
﹁ようこそいらっしゃってくださいました、シュウト・シラサワ様。
日頃の感謝の意を改めて表明させていただきます﹂
アリッサの丁重な礼にシスターたちも続く。
﹁頭下げるような性格だったっけ⋮⋮逆に怖いんだが⋮⋮﹂
というか、口調まで変わってるし。
﹁解熱剤でも買ってこようか? 粉末と液体どっちがいい?﹂
﹁病などではありませんよ。今日は教団にとって特別な日ですから。
955
さしもの私といえど、平素のようにおちゃらけては参れません﹂
﹁はあ﹂
式典のある今日一日はこの感じで貫き通すつもりらしい。しかし
本性を知っている俺やその他大勢からしてみれば、これが今日のた
めに用意されたインスタントの人格であることは分かり切っていた。
﹁この日くらいは聖女らしい振る舞いをしなくてはなりませんから
ね﹂
そう言って見せてきた微笑みが眉の角度といい頬の引きつり方と
いい物凄く不自然だったので、めちゃくちゃ無理してキャラ作りし
ていることが伝わってくる。
なるほどこれは本人的には地獄かも知れない。
﹁そんなことより早いとこ式典ってのを始めてほしいんだが﹂
式典には教会外からも教団に貢献した功労者の中から毎年一人だ
け招かれているらしいが、今回はアリッサの推挙も含めて俺、とい
うわけだ。
が、周りには白を基調にした装束をまとった神官とシスターしか
いないので、地味な色合いのコートをルーズに着た俺だけが異常に
浮いている。
居心地はよろしくない。
﹁かしこまりました。司祭様の到着次第、出発することにいたしま
しょう﹂
956
﹁出発? 別の場所に移動するのか?﹂
﹁はい。リステリアから北東に進んだ先にある神殿にて、式典は厳
粛に開催される運びになっています﹂
歩くのかよ。めんどくせー。
俺は此度のイベントは礼拝堂内で完結しているものだとばかり思
っていたけども、どうやらそうではなかったようだ。
数分後に白髪のジイさんが重役出勤してきたところで、ようやく。
﹁それでは参りましょう。皆々深く承知しておられるかとは思いま
すが、我らが向かう先はドルバドルを守護する神々の御前。くれぐ
れも失礼のなきように﹂
アリッサいわく神官長だというおっさんが号令を出した。
目指すは神殿。
三頭の白馬に牽引されて、神への捧げ物を載せた荷馬車が走り始
める。
町を出てからだらだらと二時間近くも歩かされたのは誤算だった
が、いざ目的地に着いてしまうとそのあくびの出そうな退屈さは一
発で吹き飛んだ。
﹁な、なんだこのスケール⋮⋮﹂
とんでもなくでかい。でかすぎる。
957
果たして何千何万平米あるんだろうか。
敷地面積もさることながら、神殿自体の様式も底知れぬ威厳を感
じさせた。床面から屋根に至るまで全篇に渡って大理石が使用され
ており、すべての柱に緻密な模様の彫刻が施されているのだから、
開いた口がふさがらないほどに圧倒される。
柱の隙間からは祭壇と燭台、そしてバリエーション豊かな石像の
数々が垣間見える。
フィー地方の密林で見た神殿はこんなにも壮大な建物ではなかっ
た。
見慣れているであろう他の参加者が談笑や祈祷にふける中、俺一
人だけがあまりの迫力に唖然としていると、不意にアリッサに声を
かけられる。
﹁シュウト様、神事の開始まではもう少し時間がございます。しば
らく神殿内部を見学なされてはいかがでしょう?﹂
﹁見学といってもなぁ⋮⋮﹂
ぶっちゃけそんなに興味はない。すげーとは思うけど。
﹁中には神々を象った石像が鎮座しておられます。私たちの教団は
多神教ですから、数多くの神のご威光に触れることができますよ﹂
﹁そんなに種類があるのか﹂
﹁ええ。見かけ上の老若男女は様々ですが、いずれの神も大変威風
のあるお姿をされています。なので飽きることはないですよ。ご安
心ください﹂
958
後半の投げやりな表現にアリッサの地が出ているような気はした
が、ふむ。
それなら不敬かも知れないが美術館感覚でのぞくだけのぞいてみ
るか。
﹁どうせ式典本番まで暇だしな。見に行くか﹂
﹁では案内役のシスターを一人付けましょう。サヤさん、こちらへ﹂
アリッサが手を叩いて呼んだのは、まだ幼さの残る少女。
ハの字になった眉が印象的だ。
まっさらな修道服を着ているからか清純な雰囲気がある。少なく
とも、酒場で片膝立ててワインを瓶から直飲みする某聖女よりは断
然。
﹁なっ、なんでしょうか、聖女様﹂
﹁この方に神々について解説していただけますか? 石像を見て回
るそうなので﹂
﹁わ、わ、分かりました、精一杯務めさせていただきますっ﹂
サヤと呼ばれた少女はなぜかカチコチに緊張していた。
﹁彼女はまだ十四歳ですが、聖典と教典を愛読する非常に熱心な教
徒です。きっと神にまつわる詳しい逸話を聞けるかと﹂
﹁へえ。それじゃあ頼りにさせてもらいますかね﹂
よろしく頼む、とサヤに軽く挨拶する俺。
959
﹁よろしくお願いしますっ﹂
サヤは慌ててぺこりと一礼した。リアクションが初々しい。俺が
このくらいの年齢の時はもっとすれていたと思うが、なんとも純朴
な乙女である。
そんなサヤに導かれて神殿の敷居をまたぐ。
まず最初に目についたのは、斧をかかげた髭面の男の石像だった。
やたらと大柄で筋肉質だったので他の像に比べて格段に目立ってい
る。すぐそばにある温和な表情をした女神像︵半裸なので無駄にエ
ロい︶と比較すると雲泥の差だ。
﹁こちらは山の神ノイグラン様の像ですね。ノイグラン様はその屈
強な肉体で山を切り開き、豊かな自然と生態系を作り出したとされ
ています。その隣におられるのは海の神であるセシレナ様。神話に
よりますと二人は夫婦であったそうです﹂
こんな野獣みたいな風貌をしておきながら嫁持ちかよ。羨ましい
神様だな。
次に気になったのは剣を構えた将軍じみた像。とても神とは思え
ないような怒り狂った形相をしている。完全に俺のことを睨んでる
だろ、これ。
﹁ダグラカ様は戦いの神であられます。苛烈にして勇猛な戦いぶり
を信条としたダグラカ様は多くの冒険者の方々から信奉を集めてい
るんですよ﹂
冒険者といえば、とサヤは付け加える。
960
﹁あちらにあります弓を持った神様⋮⋮狩猟の神ヘンデルシク様も
また多くの支持者を抱えています。魔物を狩る心構えを教えてくだ
さりますからね﹂
ヘンデルシクの像は無茶苦茶イケメンに作られていた。
同じ弓を武器にする者としてシンパを覚えたいところだったが、
これでは無理である。
共感できそうにない神はもう一名。
分厚い本を手に持った、全国の小学校に設置してもPTAからお
叱りを受けそうにない感じの像が右手に見える。
﹁学問の神、フェシア様についてお教えします。フェシア様はドル
バドル三賢人の一人として数えられることもあるほど親しまれた⋮
⋮﹂
﹁いや、あの神様についてはいい﹂
絶対助けを求めることはないし。
﹁それより、あの子供みたいな格好の像は誰なんだ?﹂
ひとつだけ群を抜いて小さいから気にかかっていた。
﹁エルシード様のことですか? 彼は幸運の神です。人々が最終的
にすがるのはいつの時代もエルシード様、というのがちょっとした
ジョークのように語られがちですが⋮⋮それを抜きにしても広く信
仰されている神様ですよ﹂
961
まあ誰だって幸運の女神には見放されたくないからな。
でも﹃彼﹄ってことは女神じゃなくて少年の神か。愛嬌のある笑
顔がまぶしい外見だけなら女の子でも余裕で通用しそうだけど。
広く信仰されているってそういう意味じゃないだろうな。
﹁だったら俺はこっちの神様を信じたいところだけどな﹂
俺が眺めたのはコケティッシュな服装をした、石であることを感
じさせない柔らかい女性的な曲線がありありと浮き出た像だ。
この石像を作った職人はいい趣味をしている。
﹁豊穣の神ルミッテ様ですね。リステリア地方に限らず、この大陸
で働く農家のほとんどは彼女を信仰しているのではないでしょうか﹂
﹁ふむふむ。作物の神様か﹂
俺の見立てどおり偉大な神様だな。衣食住を担当する神ってのは
とりわけありがたがられるのが相場だ。ルミッテ様の名前は忘れな
いでおこう。
﹁じゃああっちの女神像は⋮⋮﹂
女性の神にばかり自然と目線がいってしまうのは許してもらいた
い。俺も男だからこれはもう仕方のないことなのだ。条件反射の一
例として教科書にでも載せてくれれば誤解は解けるだろう。
﹁あちらにおられますのは創造の神イリヤ様です。この世界を創り
962
出し、すべての神々を束ねる、最も位の高い神様なんです﹂
サヤは敬愛の眼差しをイリヤ像に送りながら答えた。
﹁そんな凄い神様なのか⋮⋮ん?﹂
なんかこの女神、どっかで見たことあるんだが。
963
俺、再会する
見たというか⋮⋮会ったというか⋮⋮。
﹁あっ! そうか、あの時の女神か﹂
死後の世界で対面したっけ、そういや。
今もこうして立っている俺の転生先はこいつが作り上げた世界だ
ったのか。
だとしたら大まかな部分で地球がベースになっていることにも頷
ける。世界観の引き出しが地球くらいしかなかったんだろう。なん
か今凄く身も蓋もないことを言った気がする。神を怒らせるのはま
ずい。本気で。
それよりだ。
﹁女神が実在しているってことは⋮⋮他の神もなのか?﹂
いやいや、まさかな。
﹁どうかなさいましたか?﹂
たじろぐ俺を不思議そうに見つめてくるサヤ。
﹁なんでもないよ。ちょっと神様ってのにリアリティ感じてきただ
け﹂
964
﹁神は天界のみならず私たち一人一人の心に宿っています。目を閉
じればいつでも神にお会いすることができますよ﹂
サヤは意外とデジタルな解釈の神仏論を述べた。
それにしても、すげー賛美された姿で作られてんな、この女神。
彫刻で表されたイリヤは聖母のような笑みをたたえていて、とて
もじゃないがうっかりで人一人事故死させるドジっ子には見えない。
﹁石像はこの辺でいいや。そろそろ式典が始まりそうだしな﹂
徐々に俺たち以外にも神殿内で行動する人が増え出している。
その中にはアリッサ率いる修道女の一団も含まれていた。燭台の
一本一本に火を灯して回り、酒瓶を始めとした貢物を祭壇上に並べ
ている。
ぶらぶらしてると邪魔になるな。
俺は端で大人しくしとくか。手伝ってくれとか声をかけられるの
も嫌だし。
解説ありがとう、とサヤに告げようとしたが、肝心の少女はぽや
っとした表情で離れた位置にいるアリッサに見惚れていた。
﹁アリッサがどうかしたのか? はっ、あいつまさか、ついに青少
年には絶対に見せてはいけないとこまではみ出させたとかじゃ﹂
﹁いえっ、その、違うんです。⋮⋮聖女様は私の憧れなんです。申
し訳ありません、ぼんやりしてしまいました﹂
965
﹁憧れ? アリッサにぃ?﹂
﹁はい。聖女様は美しくて、私のような者にも優しい、本当に素敵
な女性ですから﹂
サヤは少し恥じらった様子で、頬を朱色に染めながら言う。
うん、これはあれだな。アリッサの実態を知らないがゆえの発言
だろう。十四歳だから酒蔵にも酒場にも行くことがないだろうし。
純粋なサヤの目にはちゃんとした聖女に映っているに違いない。
そのままの君でいてもらいたいものである。
⋮⋮と、俺が無垢な少女の行く末を案じていると。
﹁これより本年度の海陸婚礼の式典を開始する。ただちに集まるよ
うに﹂
冒険者というわけでもないのに謎に歴戦の強者じみた雰囲気を漂
わせる司祭が、よく響く胴間声で全員に集合をかける。
散らばっていた神官たちはその宣言だけで速やかに一堂に会する。
驚異的な統率力だな。
﹁ってか、今日の式典ってそんな名称だったのか。これまた風変わ
りな⋮⋮﹂
﹁海と陸が手を取り合って、災害のない一年になりますようにとお
祈りを捧げるんです。先ほどご説明しましたノイグラン様とセシレ
ナ様を主祭にした式典なんですよ﹂
966
﹁へえ﹂
﹁それから、四ヶ月後には天地婚礼の式典があります。こちらは遠
くかけ離れた天と地を繋ぎ合わせる楔⋮⋮すなわち潤いの雨を祈る
ための儀式です。雨は私たちの命の源となる、とっても大事なもの
ですからね﹂
そんなことまでサヤは丁寧に教えてくれた。マジでいい子すぎる。
この子の教育だけはアリッサは間違えないでいただきたいものだ。
にしても﹃婚礼﹄とは、随分とロマンチックな表現をしているな、
この教団も。
このくらいキャッチーじゃないと民衆から受け入れられないのか
も知れない。
﹁ところでイリヤはカップルにはなってないの?﹂
﹁イリヤ様は唯一無二の創造主ですから、釣り合う神はおられませ
んよ﹂
なんて寂しい女神なんだ。
﹁それではここリステリアの地にて、母なる海洋と父なる陸地を司
る神々の、その永遠の愛を祝す。各自、胸裏にて礼賛を﹂
司祭のジイさんの挨拶を皮切りに式が開幕する。
信徒ならば誰でも出席可というわけではなく、教会関係者の内々
だけで執り行なわれる神聖な催し。その列の中に信仰心の欠片もな
い俺が加わっているというのは違和感しかないが、正当な権利を持
ってこの場にいるのだから、変に気を揉んだりはしないでおくか。
967
天に召します我らが神よ、ってな感じのお決まりの文言から始ま
る司祭の教義を態度もそこそこに聞きながら、時間がさっさと経過
してくれるのを待つ。
⋮⋮。
長っ。
﹁以上が第七教典における水難に関する教えである。続く第八教典
には︱︱﹂
まだ続くんかい!
ようやく終わってくれた頃には俺はすっかりグロッキー状態だっ
た。実際は知らないが体感だと五時間はある。久々に貧血を起こす
かと思った。
式典は次の段階、賛美歌合唱に進行する。
力強い男声の主旋律に、美麗な女声のコーラスが絡む荘厳な楽曲
だった。おそらくこれはサヤの言っていた山の神と海の女神を表し
ているのだろう。
曲を知らない俺は黙って聴くことしかできない。暇なので何気な
く脇目を振ってみると、アリッサが歌詞カードをガン見していた。
いや、お前は覚えておけよ。
歌が終わると司祭は今年の功労者の名前を読み上げ始めた。
968
神への報告、だという。
数人の教団幹部の名前に混じって﹁冒険者ギルド所属、シュウト・
シラサワ﹂とアナウンスされた時は、妙にこそばゆかった。人生で
表彰なんてされたことないからな。
﹁この者は遠くフィーの地にて生を授かりながら、我々の活動拠点
であるリステリア大教会に財産寄付という形で多大な貢献を残し︱
︱﹂
司祭のディープな声音で俺の実績が具体的に語られていく。
な、なんか普通に恥ずかしくなってきた。
これを素直に光栄だと受け取れないんだから、つくづく俺って奴
は小市民だ。
功労者顕彰の完遂をもって式の大半は終了となったようで。
﹁では皆、今から祝杯を挙げようではないか。堅苦しい儀式は終い
だ。これよりは神の婚礼を祝う宴席の時間。大いに盛り上げようぞ﹂
形式として披露宴までやってしまうのか。
本格的というか、実益を兼ねているというか。
まあ、祭壇に置かれた供物の中には大量にアルコール類が混じっ
ているから、この展開も不自然ではない。神と杯を酌み交わすとい
うのも中々風流である。
969
神官連中がクリスタルのグラスを配り出す。当然俺にも。
サヤを始めとした幼いシスターたちもおちょこに似た小さな器を
手にしている。
﹁シュウト様、こちらは名産の白ぶどうのワインでございます。甘
い香りと痛快な酸味が特徴的な逸品です。是非ご賞味いただければ、
と﹂
募金担当︵と俺は思っている︶の神官がボトルを持って俺のとこ
ろまで来た。
﹁へえ。じゃあもらおうかな﹂
﹁お注ぎいたします。ささ、どうぞどうぞ。販売は教会でも行って
おりますので!﹂
やっぱ宣伝かよ。
とはいえ俺としても質のいい酒は大歓迎だ。味見の感想次第では
買い溜めも考慮しておくか。もちろん限定品の蒸留酒をしこたま買
いこむのは前提として。
全員分のグラスが満たされると、いよいよその瞬間は訪れた。
﹁ノイグランとセシレナが誓った、永遠の愛に乾杯!﹂
司祭の音頭に合わせ、乾杯、とほうぼうでグラスがかかげられた。
一応俺も真似をする。
970
それからグラスを傾け、注がれた淡い色のワインを一口。のしか
かっていた倦怠感を吹き飛ばしてくれたからか、いつにも増してう
まく感じる。
つまみは捧げ物の残りから自由に持っていっていいようなので、
適当に見繕う。
瓶詰めされた魚のオイル漬けもいいが、ガチガチに熟成したいか
にも噛み応えのありそうなベーコンも捨てがたい。ビジュアルだけ
なら青カビのチーズも気になるところ。
﹁シュウト様、少々お時間よろしいでしょうか﹂
酒のアテに迷う俺に飛んできた声の主は、誰あろうアリッサだっ
た。
すっと近寄ってくる。そして会話が盗み聞きされていないことを
確かめると、俺の耳に吐息の溶けた色っぽい声でこうささやいた。
﹁こっそり抜け出そうよ。町に戻ってサシで飲まない?﹂
聞き慣れたラフな口調に戻して。
﹁おいおい、勝手に神殿を離れても平気なのか?﹂
﹁大丈夫! 式典はもうほとんど終わったようなものだよ。どうせ
この後は司祭様も含めての宴会なんだから、だーれも気にしないっ
て﹂
﹁俺たちもここで一杯やればいいじゃん﹂
﹁こんなとこであたしがお酒飲んだら、みんなに迷惑かけちゃうか
らさ∼﹂
971
自覚はあったらしい。
というかですね、密着してるから胸が思いっ切り当たってるんで
すけど。
﹁⋮⋮まあサヤみたいな子がいる前でベロンベロンになるのはやめ
たほうがいいな。情操教育によくない﹂
﹁そそっ、キャラは大事にしないとね。でもずっと我慢してたら体
に悪いもん。聖女様の時間はここで終わりだよっ﹂
そう言って見せたいたずらな笑顔は、俺のよく知るいつものアリ
ッサの姿だった。
972
俺、愛撫する
町に戻ってすぐ、通い慣れた教会資本の飲み屋に直行。
昼食には遅く、晩酌には早すぎる時刻に、俺たちは本日二度目の
乾杯を交わした。
﹁くぁ∼! うまいっ! やっと人生が始まった気がしてくるねっ
!﹂
馴染みの店の馴染みの空気の中、馴染みのカウンター席で馴染み
のジョッキを片手に馴染みの赤ら顔を見せるアリッサは、心底嬉し
そうに酔いを満喫する。
とっくに服の紐も緩められていて、泥酔を迎え入れる体勢は万全
だった。
するりと飲めてしまう常温のエールはあっという間に底をつき、
料理が到着する前からご機嫌で二杯目を注文するアリッサ。俺はま
だ最初に頼んだ水割りをすする程度にしか飲んでいないというのに、
だ。
﹁ほら、どんどん頼んじゃっていいんだよ? 今日はおごっちゃう
からさ!﹂
﹁ツケで飲んでるんだから教会の金じゃん⋮⋮﹂
﹁教会のお金を稼いでるのはあたしっ!﹂
実績ある人物にそうスパッと言われたらもうなにも物申せない。
973
﹁あ、今の拍手ポイントだよ。聖女様すげえええしてもいいんだよ
?﹂
﹁しねぇよ﹂
どうでもいい会話をしていたら、カウンター越しに﹁お待ちどお
さま﹂の声が。
﹁ニンニクのオイル煮です。軽く塩を振っていっちゃってください﹂
表面はほのかにキツネ色になっているが、オイル煮というからに
は揚げているわけではないらしい。よく分からん料理だ。
店員に勧められたとおり、添えられていた塩を指でつまんでパラ
パラと振りかける。
その指を使ってスナック感覚で口の中に放りこむ。生のニンニク
にありがちな鼻腔を突き刺す辛味はまるでなく、むしろ甘い。ホク
ホクとした食感といいイモに近い。しかしながらニンニク独特のあ
の臭いは、限界まで凝縮されている。強力無比だ。
﹁うおお、一粒で一気にニンニクの世界に連れて行かれるな、こり
ゃ﹂
﹁んふふ∼、おいしいでしょ? これいくならワインやシードルじ
ゃないんだよね、キレのあるお酒じゃないと﹂
アリッサはひょいっとつまみあげたオイル煮を、ストレートのウ
ォッカで流しこむ。
いつに間にやら着衣は一層乱れていて、目のやり場に困る格好に
974
なっている。他の客の視線が胸のグランドキャニオンに注がれてい
てもアリッサは気にするふうもなく、けらけらと楽しげに笑うのみ
だ。なので、特等席にいる俺も恩恵にあずかっておいた。
﹁なるほど。確かに甘い酒だとせっかくのニンニクの味が薄まりそ
うだな﹂
﹁あと度数は強ければ強いほどいいね!﹂
﹁なんで?﹂
﹁すぐ酔えてお得だから!﹂
アリッサ、酒じゃなくてエタノールでもいいのではないか疑惑。
﹁いや∼、今日は地獄かと思ったけど、蓋をパカッと開けてみたら
天国だったね! お兄さんと気分よくお酒飲めてるしさっ!﹂
﹁はあ。さいですか﹂
なんとなく照れ臭いので素っ気ない返事にしたが、俺もアリッサ
と飲む酒のうまさは否定しない。アリッサは太陽すら超えて陽気だ
から話していて飽きることはないし、常にポジティブで嫌味がない
し、美人だし、おっぱいでかいし。
と、そこに。
﹁さっきのニンニクを煮たオイルで炒めた魚介の盛り合わせです﹂
ようやくメインディッシュが運ばれてきた。切り身の魚に大ぶり
の貝、殻つきのエビ、それとブツ切りのイカが一枚の皿の上でスク
ラムを組んでいる。
具材はすべて乾物を戻したものらしいが、一度干した分旨味が増
975
幅していて⋮⋮ともっともらしいことを言ってはみたが、ニンニク
の香りが移った油とレモンの皮を混ぜた塩が全面にまぶされている
ので繊細な味云々を語るのは無理だった。
豪快で下品で粗暴で濃厚で野蛮な、まとめると俺好みのジャンク
な味わいである。
俺はゲソを噛みながら、まだまだほろ酔い止まりのアリッサの話
を聞く。
﹁今日はほん⋮⋮っとありがとね! お兄さんが付き合ってくれて
なきゃ息が詰まって死んじゃうところだったよ。ふう、危なかった
∼﹂
﹁よくそれで聖女が務まるよな⋮⋮あんたが教団にいる理由が分か
らねぇ﹂
﹁それはほら、あれですよ、他に居場所もないから∼みたいな?﹂
﹁なんだそりゃ。どういうことだよ﹂
んー、とアリッサは少しだけ言葉を探ってから。
﹁あたし、孤児なんだよね﹂
グラスの中の液体をのぞきこみながらつぶやいた。
﹁あっ⋮⋮悪い﹂
迂闊を詫びる俺。
教会なのだから、そういう出自の人間がいてもおかしくない。
976
﹁別にそんなシリアスな話じゃないよ? ちっちゃい頃のこととか
覚えてないし。ま、だからってわけじゃないけど、他の教徒の人た
ちみたいにはできないんだよね、あたしって。入りたくて入ったん
じゃないから神様の教えも受動的に聞いてきたし﹂
でも、とアリッサは二の句を継ぐ。
﹁信仰とかそういうのは、ぶっちゃけちゃうとあんまりないんだけ
どさ、教会には恩返しがしたいの。どこにも行けない、行く当ても
ないあたしを育ててくれたもん。特に司祭様にはいっぱいお世話に
なったからね﹂
﹁⋮⋮その恩返しってのが、酒造りか?﹂
﹁そ。自分の好きなことで大好きな教会に役立てるんだから、これ
よりありがたい話はないよ。だからまあ教団を離れるなんてことは、
うん、まずないかなぁ﹂
アリッサは自らの暗いバックボーンをエビの殻を剥きながらあっ
けらかんとして語るだけでなく、教会への深い愛着を明かした。
そうか、そうだったのか。
およそシスターらしからぬ不純な言動をするアリッサに初めて会
った時は﹁なんだこのビービーエーは﹂と感じたものだが、こうし
て身の上話を聞かされると、急激に見方が変わってくる。
アリッサは﹁恩返し﹂と暖かみのあるフレーズを使ったが、副業
に過ぎない酒造事業で聖女の位にまで昇格するほどの功績を残した
のだから、その影には本当は、他者には到底真似できない努力があ
ったに違いない。
977
それだけの献身の原動力を﹁教会が好きだから﹂で片付ける度量。
俺はこいつのことを、心からいい女だと思える。
思えるが、しかし。
﹁このムードの中で切り出すことではないとは思いますが⋮⋮俺が
したいのはそんな話ではなくてですね﹂
﹁あ、もしかしておっぱいの件?﹂
﹁はい。いや本当に空気を読めてないとは思うのですが﹂
揉むと言ったからには揉む。それが俺の流儀である。
そもそもその対価がなかったら俺は式典になんて出席していない
し、この店にもついてきていない。
﹁約束だもんね。じゃ、どうぞ!﹂
アリッサは不敵な笑みを浮かべて、純白の修道女服越しに胸を張
り出してきた。
今にもバルンッと音を立てて中身が溢れ出てきそうだ。
﹁けどエッチな揉み方はダメだからね?﹂
﹁どこまでいったらエッチなのか基準を教えてくれ﹂
﹁お兄さんもオトナだから知ってるでしょ∼?﹂
むふふと笑うアリッサ。
しかしながら俺は性的な揉み方しか知らんのだが。
978
﹁つまりそれとは逆の手法を取ればいいわけだな⋮⋮﹂
ということで、触れるか触れないかのソフトタッチではなく、ガ
ッツリ鷲掴みにした。
﹃ふにっ﹄
お?
﹃ふにっ、ふにっ﹄
なんだこの衝撃的な柔らかさは⋮⋮。
指がおっぱいに吸いこまれていくようだ。勝手に指が沈んでいく
から揉んでいてちっとも疲れが来ない。ミミのそれは柔らかい中に
もほどよい張りと弾力があって指を押し返してくるのだが、アリッ
サの胸は異次元である。
とにもかくにもふんわりしている。揉むために要求される握力が
ひたすら少ない。
だが下から持ち上げると重量感もあった。圧倒的なボリュームが
手の平にひしひしと伝わってきている。これが幸福の重さだと言わ
れたら納得してしまいそうだ。
そしてとても温かい。縁側よりも落ち着く。
うまい形容詞が思いつかない。そのくらい独特の感触だ。つきた
ての餅やプリンだなんていう陳腐な表現じゃ表せない。直接触れて
979
いないから正確ではないが、お湯を張った水面にチャプチャプと手
をつけているような、そんな感じだろうか。
形が少しも崩れていないのに、これだけの柔らかさを維持してい
るというのは信じられない。信じられないから何度も揉んで確かめ
る。信じられないから仕方ない。
﹁⋮⋮んっ⋮⋮﹂
夢中でしがみついていると、アリッサが色っぽい吐息を漏らした。
その瞬間。
﹁はい! 今感じちゃったからここまでね! 終了∼!﹂
﹁ちょっ、まだ堪能し切れては⋮⋮﹂
﹁エッチな揉み方はダメって言ったでしょ?﹂
どうやらやりすぎたのがよくなかったようで、ここでおあずけと
なった。というか﹁感じたからアウト﹂とか臆面もなく言われた俺
は一体どういう顔をすればいいんだ。終わったというのに興奮が収
まらないんだが。
なにが恐ろしいってこのやり取りが公衆の面前で普通に行われて
いることである。客たちは俺に嫉妬と羨望の目を向けてはいるが、
皆の規範である聖女様がどこの馬の骨かも分からない男に胸を揉ま
れていても騒ぎにならないあたり、﹁あ、この人ならこういうこと
やってても変じゃないな﹂と思われているんだろう。教育の行き届
いた店だ。
﹁お兄さんがもーっと頑張ってくれたら、続きさせてあげてもいい
よ?﹂
980
﹁えっ、マジで?﹂
初めてこいつが聖女に見えてきた。
﹁特別だよぉ? あたし、お兄さんのこと好きだからさ﹂
はっ!?
﹁だってお兄さん、あたしたちによくしてくれるじゃん。寄付もそ
うだけど、魔物もたくさん倒してくれてるしね。教会のために頑張
ってくれる人なら誰でも大好きだよ!﹂
﹁す、好きってそんな軽い意味かよ⋮⋮﹂
ガラにもなくドキドキしてしまった。
そりゃそうか。ここまでのどこに恋愛感情の芽生える要素があっ
たんだ。
当のアリッサは俺の狼狽になんてまったく気づく素振りもなく、
残ったウォッカを喉を艶かしく動かしながら一息に飲み干して。
﹁また今度飲む時は、お兄さんの話を聞かせてよっ﹂
片目をパチッと閉じて店を後にした。
だが俺の手には、アリッサの名残がしっかりと焼きついていた。
981
俺、発奮する
﹁ええっ、四層に潜るんですかにゃ?﹂
多くの人々が行き交う冒険者ギルド前で、朝飯の挽き肉とチーズ
を包んだフォカッチャを頬張るナツメの目が点になった。
俺の発案に驚いたのはホクトもである。
﹁恐縮ですが主殿、第三層でも屋敷の購入資金は十分に集まってい
るであります。一体どのような風の吹き回しなのでしょうか⋮⋮?﹂
確かに金を稼ぐだけなら現状維持でも問題はない。
だがそれとはまた話が異なる。
﹁分かりやすく言うと、虎穴に入らずんばおっぱいを揉めず、とい
うことなんだ﹂
﹁⋮⋮はい?﹂
﹁タイガーおっぱいなんだ﹂
昨日の感動的で官能的な感触は今も俺の手に残っている。
あの衝撃をもう一度、と追い求めるなら、これはもう寄付だけで
なく強力な魔物を狩って地下水の清浄化に貢献するしかない。
それにアリッサの口ぶりからすると、寄付よりも魔物の討伐のほ
うが喜んでいるように見受けられた。活動資金は自身の手で稼ぎ出
982
せるという自負と、酒造りに欠かせない水に対する熱い想いがある
のだろう。
﹁ミミはシュウト様のお言葉に従います。シュウト様が四層を探索
するとおっしゃるのでしたら、お力になれるようミミも張り切りま
すね﹂
そう快く承諾してくれたミミは、こっそりと自分の胸に手を当て
てサイズを再確認するような仕草を見せていた。
しかしながら無策で特攻するわけにもいかない。
﹁そのために、こいつを持ってきているからな﹂
俺は久々に征鳥鉱のブロードソードを持ち出していた。
が、これは俺が使うものではない。両手と背中は弓でふさがって
いる。
﹁ナツメ、ナイフじゃなくてこっちを装備してくれるか? やばそ
うだったら風を起こして戦闘から排除だ。思いっ切り吹き飛ばして
やれ﹂
﹁承知しましたにゃ!﹂
現状のシフトで適任なのはナツメしかいない。
剣は扱ったことがないらしいが、まあその辺はナツメ持ち前の飲
みこみの早さですぐに克服できる、と思う。どうせ追加効果しか使
わないしな。敵に攻撃せずアイテム係に専念しているナツメにはう
ってつけの役割だろう。
983
てなわけで渡した鞘つきのブロードソードをナツメは早速背負う
と、わずかに上体を反らせてから腰に手を当ててポーズを決めた。
フフンという台詞が似合いそうな表情から察するにカッコつけて
いるつもりらしい。
﹁フフン! どうですかにゃ!﹂
というか実際に言っていた。
だが金属の割に軽量な征鳥鉱でもまだナツメには重いのか、反っ
た上体が剣に引きずられてどんどん後ろに倒れていって、最終的に
﹁ぶみゃっ!?﹂と尻餅をついた。
﹁こ、これは手に持っていたほうがいいですにゃあ⋮⋮﹂
﹁うん⋮⋮そうしてくれると助かる﹂
日常コントもそこそこに、ギルド近くにある魔法陣を通って地下
へ。
弱っちいスケルトンばかりが繁殖している第一層、臭いだけが取
り得の第二層はさっさと通り過ぎ、第三層に行き着く。
下に続く魔法陣までは距離がある。ここからは真面目に攻略しな
ければならない。
﹁聖灰がもったいないな。できるだけ無視していくか﹂
﹁ふっ、言われずとも分かっておりますにゃ!﹂
984
魔物にエンカウントすると同時にナツメが剣先から風を発生させ
る。
重量級のゴーレムさえ吹き飛ばす暴力的な旋風を、朽ちた肉体し
か持たないアンデッドが耐えられるはずもない。
阻まれた道が次々に開かれていく。
特にレイスは風属性の魔法に対しては無力なのか、ナツメが突風
を浴びせるとんでもないスピードで吹き飛んでいった。いい気味で
ある。
﹁主殿、見えてきたでありますぞ!﹂
先頭を行くホクトが魔法陣を発見する。やっとこの場所まで到着
できたか。
﹁ここまでは前座だからな⋮⋮ここからが本番だぜ﹂
四人揃って紋様を踏み、俺たちは淡い光に吸いこまれる。
視界が暗転した秒数は小数点以下に過ぎなかった。
が、俺は目からの情報よりも先に、肌を襲う異変のほうに意識が
向いていた。
﹁さ、寒っ!﹂
なんだここ。めちゃくちゃ気温が低いんだが。
985
第三層も冷気を感じはしたがその比じゃない。皮膚にぺとりとま
とわりつくような薄気味の悪い寒さだ。地上から離れすぎるとこん
なにも寒いのか⋮⋮。
ひとしきり寒気に身を晒したところで、ようやく周囲の風景が頭
に入ってくる。
魔法陣によって転送される座標は大概通路の隅っこで、そこに適
当に放り出されるだけだったのだが、第四層の着地点はベースキャ
ンプ場のような趣があった。
事実、先客が焚き火を囲んで休憩を取っていた。無精ヒゲの目立
つ野生的な男、小柄な背丈には不釣り合いなド級のハンマーを横に
置いた少女、頬に傷のある厳しい面構えの青年、それとは対照的に
余裕綽々の表情をした魔術師風の女、屈強な体躯を誇る重装備の中
年男性⋮⋮風貌からして冒険者なのは明白で、どいつもこいつも凄
腕の雰囲気がある。ここまで降りてきているくらいなんだから熟練
者に決まっているけども。
﹁ん?﹂
俺はその中に、見たことのある顔が数人混じっていることに気づ
く。顔見知りというわけではなく、本当に見かけたことがある程度
ではあるが。
﹁⋮⋮というか昨日会ったな﹂
なぜだか知らないが神官がいる。
﹁おや、あなたは確か﹂
986
向こうも向こうで俺に気がついたようで。
﹁シュウトさん、でしたっけ。ははあ、こんなところまで潜ってい
らしたとは﹂
﹁いや来たのは初めてなんだけど⋮⋮なんで神官のあんたらがここ
に?﹂
﹁私たちは教会から派遣されているんですよ。冒険者の手助けにな
るように、と﹂
﹁へえ。でも大丈夫なのか?﹂
こう言っちゃなんだが、俺よりも戦闘経験がなさそうに見える。
だがそれは俺の思い過ごしだったらしく。
﹁神官は優れた再生魔法の使い手だからな。パーティーの回復役と
して活躍してもらっているんだよ﹂
いかにもベテランって感じの雰囲気を漂わせたおっさんが横槍を
入れてきた。
きらびやかな銀の鎧をまとっている。これはホクトのものと同じ
で光銀鉱だな。地面に突き立てた大剣は赤紫色の毒々しい輝きを放
っていて、並の金属でないことが明らかだ。全身レアメタルコーデ
ィネートと見て間違いない。
﹁逆に言えば腕の立つヒーラーがいないとまともに進めないんだよ、
ここは。被るダメージの量が桁違いだからな。君も重々警戒してお
くべきだ﹂
﹁任せろ。なんといっても俺には優秀な魔法使いがついてるからな﹂
987
そう答えて、俺はすぐ隣のミミに目配せした。
おっさんは﹁そいつは朗報だ﹂と頷く。
﹁ここの魔物は難敵揃いだから気を引き締めてかかれよ。デュラハ
ンはまあ、剣と鎧を装備しているだけで特別な行動パターンを持つ
わけじゃないが、ウォーロックは一筋縄ではいかない。奴らは呪術
魔法を得意としているからな﹂
そんなもん使ってくるのかよ。呪いに耐性がある骸布の服を着て
おいてよかった。
﹁特に危険なのはグリムリーパーとノーライフキングの二種だ。異
常な殺傷力を持つ前者を相手にする時は常に死が付きまとう。討伐
の困難さだけでいえばノーライフキングはそれ以上。無理せず逃げ
るのも手だぞ﹂
﹁やばいのはそいつらね。覚えておくよ﹂
﹁あとはまあ、鬼火︱︱ウィスプだな。こいつらは雑魚だ。殺伐と
した第四層における一服の清涼剤くらいに思っておけばいい﹂
出現するアンデッドはこれで全部とのこと。
それにしても有益な情報ばかりだ。実体験に基づいているからか
ギルドマスターのおっさんよりも詳しく語ってくれている。大いに
活用させてもらうか。
﹁ありがとな。いい訓戒になったよ﹂
﹁なに、礼には及ばん。同業者を死なせるわけにはいかんからな﹂
988
な、なんていい奴なんだ。
世の女性諸君はおっさんだからと毛嫌いせずに、もっとこういう
心がイケメンな男にこそ惚れるべきだ。
さておき、ありがたい忠告を得た俺はいよいよ探索に入る。
入りはしたが⋮⋮。
﹁へきしっ! うう、寒いですにゃ⋮⋮へしょんっ!﹂
くしゃみをしたナツメがブルブルと震えている。いつもはレザー
スーツの袖を肘までまくっているのに、それも下ろしていた。凍え
ている証拠だ。
﹁マジでさみぃな⋮⋮どうなってんだ、ここ﹂
﹁地面の下がちょうど帯水層になっているんだと思います。地下水
の極低温でこのフロア全体が冷やされているのではないでしょうか﹂
ですから、とミミは続ける。
﹁定期的に暖を取って、体温が下がりすぎないようにしましょうね﹂
﹁おう。⋮⋮で、どうやって? 歩きながらだと意外と難しいな﹂
﹁⋮⋮シュウト様、失礼します﹂
ミミは体を寄せてきた。
暖かい。凄く。
そしてとても心地がいい。なにがどう心地いいかは伏せておく。
989
﹁でもさー、ミミ。今思ったけどかまどの火で暖まったほうがよく
ない? 弱火にして﹂
﹁そ、その、火よりも人肌のほうがいいかと思いまして⋮⋮﹂
ミミはそう早口で言って、目を逸らした。
逸らしながら更に俺の腕にぎゅっと抱きついて密着する。
なんか今日のミミはかわいらしいリアクションが多いな。妬いて
いるんだろうか。
990
俺、連戦する
猫らしく寒がるナツメもミミを真似してひっついてきたので、両
手に花状態のまま、地図と実際の地形とを見比べて進んでいく。
それほど複雑ではない。分岐点だらけで道が迷路のように入り組
んではいるが、そんなのはこれまでと一緒だ。今更特筆すべきこと
でもないだろう。
特徴的なのは、第四層に設置された魔法陣の数が、上三つよりも
多いという点。
最下層なので当然そのすべてが上昇専用だ。
すぐに逃げこめるように、という先人の配慮だろう。それだけこ
の階層に出没するアンデッドのレベルが上がっているとも言えるが。
﹁主殿、早速の敵機襲来でありますぞ!﹂
かまどの火に導かれて先を行くホクトが、魔物の登場を報告する。
﹁あいつは⋮⋮デュラハンか﹂
一目見ただけで判別がついた。
ここだけの話﹃デュラハン﹄というモンスターは俺も転生前の時
点で耳にしたことがあるのだが、そのイメージと寸分違わず、首の
ない騎士がそこに佇んでいる。
991
鎧に剣、そして盾とフル装備である。
まあ誰が相手だろうとやるべきことは同じ。デュラハンの剣とホ
クトのタワーシールドがせめぎ合っている隙に、密かに忍び寄った
ナツメがふぁさっと聖灰をバラ撒く。そこに追加でミミが虚弱の呪
縛を入れて、仕上げに俺が銀の矢で射抜く。
ここまでワンセット。飽きるほど繰り返した反復作業だ。
が。
﹁さすがは第四層のアンデッド、ですね﹂
次なる魔法の必要性を知って新しくかまどの火を起こそうとする
ミミの挙措から明らかなように、この黄金パターンをもってしても
デュラハンは倒れない。
鉄の鎧をまとっているだけのことはある。その中身はがらんどう
とはいえ。
﹁じゃあさ、いっそ限界まで弱らせてみようぜ。呪縛漬けにしてや
るか﹂
﹁では火ではなく⋮⋮ブラインド!﹂
そうミミが甘い声色で唱えると︱︱なにもなかったはずの空間か
ら突如、墨の塊めいた球体が発生し、デュラハンの頭上で盛大に破
裂した。
俺も負けじと火の矢を放つ。黒い水に黒い炎。九十年代初頭の少
992
年漫画世代が泣いて喜びそうな大魔王感溢れる取り合わせだな。
スカルボウの追加効果は目に見えて分かりやすい。動作が如実に
遅くなっている。
そしてミミいわく、ブラインドなる魔法によってもたらされるの
は盲目の呪いらしいが、頭が丸ごとないのに盲目ってなんなんだ。
哲学か。
だがバッチリ効いていたようで。
﹁な、なんだか大変可哀想なことになっているであります﹂
物凄く鈍い動きで見当違いの方向を攻撃し出すデュラハンを哀れ
むホクト。
ただでさえ聖灰を浴びてご自慢の戦闘力がガタ落ちしているんだ
から、最早弱体化どころか無力化と言ってしまっていい。
﹁ひと思いに殺してやるか⋮⋮よっと!﹂
銀の矢を立て続けに二発放ってトドメを刺す。
霊魂に支えられて人型を保っていた空っぽの鎧が崩れ落ちた。
恒例となった撃破報奨として、錆びた篭手と三万Gが⋮⋮ん? 三万?
﹁ちょっと待った。安くね?﹂
993
第三層のワイトと同額なんだが。
﹁あれだけ手間かけさせられてこれって、冗談きつすぎるだろ⋮⋮﹂
俺は地図の裏に﹁デュラハンはクソ﹂とメモした。
そうはいっても続々と湧いて出てくるのがアンデッドである。さ
したる時間を置かず、またしても通路上でデュラハンと遭遇した。
﹁ええい、ヤケクソだ。片っ端から打ちのめしてやる!﹂
ここで戦闘回避を選択できないあたり俺は貧乏性だ。労苦にやや
見合っていないとはいえ、道端に落ちてる三万Gは拾えるものなら
拾っておかねば。あとおっぱいの足がかりにもなるしな、うむ。
とことん弱らせ尽くしてから安全に撃退。
もちろん獲得資金は変わることなく三万G。ドロップ素材も上に
同じ。
﹁もう一体来るであります!﹂
﹁またかよ! なんだここ、デュラハンの名産地か!?﹂
異常発生するのはイナゴだけにしてくれよ。いやイナゴもダメな
んだけど。
悪態を吐きながらも撃って撃って撃ちまくり、押し寄せてくるデ
ュラハンの波を真っ向からはねのける俺とミミ。
火と火が絡み合い、純銀の光が淀んだ黒煙を引き裂く。
994
十体以上連続で討伐しただろうか。﹃治癒のアレキサンドライト﹄
のブローチがあるおかげで疲労は溜まっていないものの、こうも連
戦が続くとげんなりしてくる。
三百枚を超える金貨が転がっているから、なんとか元気を取り戻
せるが︱︱。
﹁にゃにゃっ?﹂
せっせと魔物が落とした戦利品を拾い集めるナツメが、ふと怪訝
そうな声を発した。
﹁ご主人様∼、不思議なものが混じってましたにゃ﹂
﹁不思議なもの?﹂
﹁これですにゃ。よいしょっ﹂
重そうにナツメが持ち上げたのは篭手ではなく、漆黒の鞘に納ま
った剣だった。
抜いてみると刀身まで真っ黒で気味が悪い。
﹁謎だな。こいつ倒すのになんか変わったことしたっけ?﹂
﹁うーん、分かりませんにゃ。たまに落とすアイテムなのかもです
にゃ﹂
﹁そんなケースがありえるのか? ⋮⋮って、もうあったわ﹂
そういえば第一層で狩ったビーストフォルムは三種類の素材を落
とすんだったな。デュラハンにも所謂レアドロップがあるってこと
か。
995
﹁まあ珍しい品っぽいし、もらっておいて損はないか。なあホクト。
運んでくれるか?﹂
﹁承知したであります﹂
空いているホクトの背中に装着される。とはいえホクトがこの剣
を抜く機会は訪れないだろう。両手は二枚の盾で一杯だし、そもそ
も抜いたところで、ごにょごにょ。
﹁アイテムの回収も終わったし、行くかー﹂
歩を進める。
地図を参考にぐるりとこのフロアを周回できるルートを取る。
﹁ッ! 前方から複数体の魔物が迫ってきているであります!﹂
﹁今度はなんだ?﹂
﹁デュラハンであります!﹂
﹁もういいって!﹂
狭い通路のド真ん中で彷徨う鎧が大群を成していた。
壮観とはこのことか。
というか、注意していたウォーロックその他が全然出てこないん
だが。
今週はデュラハン強化週間とかなんだろうか。
だ、だるすぎる⋮⋮だが見過ごすわけにはいかない。
996
﹁ブラインド! ええと、遠くの敵には⋮⋮パラライズ! それか
ら⋮⋮﹂
﹁じっくり弱らせていったんじゃラチが明かねぇ。ダメージ重視で
いくぞ﹂
﹁わ、分かりました。ヴァン・ルージュ用のフォンを作る大鍋を沸
かすための火!﹂
ミミも俺もフル回転だ。かまどの火を唱えるスペルも専門的すぎ
てなにを言っているのか分からないところまで来ている。
一個5000G相当の聖水が乱れ飛ぶかたわら、様子を見てナツ
メが突風を巻き起こし、攻撃の手を割けないデュラハンを弾き飛ば
してくれるのもありがたい。
しかしながら一番奮闘しているのは︱︱ぶっちぎりでホクトだろ
う。
﹁おおおおおおおっ!﹂
剣を携えたデュラハンが襲い来る中、気合に満ちた声を上げ、煮
え滾る闘志を全面に押し出して、ぴたりと繋ぎ合わせた一対のタワ
ーシールドを構え続けている。
ホクトの馬鹿力で強固にかかげられた盾をデュラハンは突破でき
ない。
たった一人で戦線を支えていた。
腰砕けした素振りをして嘆き悲しむ卑屈なホクトの姿は、もうそ
997
こにはない。あるのは頼もしい背中だけだ。
俺はその健気で愛おしい背中に応えなくてはならない。
それがあの夜、屋上で交わした契りだ。
﹁りゃっ!﹂
可能な限り素早く、可能な限り的確に照準を合わせ、休みなく矢
を乱射する。
ガシャガシャと鎧のパーツが崩れ、煙となって消えていく。ひと
つ、またひとつと。
﹁よし、ラストだ!﹂
最後の一射は自画自賛したくなる出来だった。銀の鏃がピンポイ
ントで鎧の継ぎ目に突き刺さっている。まさに防御の網をかいくぐ
った、って感じだな。
すべての残骸が煙に変わった。
腐るほどいたデュラハンの群れもこれで全滅だ。
遺物は金貨と篭手だけ。やはりあの不吉な色の剣はレア物である
らしい。
﹁まったくよくやったよ、俺も、お前らも。特にホクトな。頼りに
させてもらったぜ﹂
998
俺はホクトの頭を撫でる。格好をつけるために微妙に背伸びした
のは内緒だ。
﹁自分なんぞには、もったいなきお言葉と褒賞であります﹂
ホクトはそう謙虚に、いつもの生真面目な口調で語ったが、晴れ
やかな表情のせいで少しも内心が隠せていなかった。
それでいいと思う。素直さってのは替えの利かない美徳だからな。
999
俺、遭遇する
落ち着いたところで、群発性デュラハンが去ってすっきりした直
線を通行。
やがてT字路に行き当たる。
ここまで時計回りに進んでいるので、もちろん右、と言いたいと
ころだが。
﹁うわ、取り込み中か﹂
右に曲がった先では冒険者のパーティーが大量の火の玉と格闘し
ていた。
その内の一人が水の滴り落ちるマリンブルーの大剣から濁流を噴
きつけて一網打尽にするも、依然として火の玉のポップが止まる兆
しはない。無尽蔵に湧いている。おっさん情報によれば第四層唯一
の雑魚らしいが、これだけチリツモだと悪夢だな。
﹁いかがなさいます、シュウト様? ミミたちもあちらに向かうべ
きでしょうか﹂
﹁やー、それには及ばんだろ。結局勝ちそうなムードだし﹂
パッと見た感じ、強そうなメンツが揃っているから、時間さえ考
慮しなければ特に支障なく切り抜けられるだろう。
それに常々気を配っているように他の連中とはなるべく鉢合わせ
1000
したくない。ここは少々迂回することになるが逆方向に進路を取る
か。
ということで、かまどの火を左に渡らせるようミミに命じた。
その先。
﹁む、あれは⋮⋮﹂
影に紛れた異物にホクトが気づいたのは、俺とほぼ同じタイミン
グだった。
ぼうっと暗闇の中になにかが浮かんでいる。
ミミの灯火によってライトアップされ、その全容が明らかになっ
た。
見た目は上層にいるリッチとそう大差ない。というか、ほとんど
同一だ。恐怖心を煽るドクロの顔に色違いのローブ、その袖から覗
いている白骨の腕。下半身を持たず無秩序に揺れながら浮遊してい
るところまで一致している。
違うのは得物だけ。杖ではなく、大柄な鎌がその手には握られて
いた。
﹁やべぇわこれ。ナツメ。あんま前に出るなよ﹂
あれは完全にアカン奴。殺しに来てるタイプの魔物だ。
あの鋭利な鎌に切り裂かれては、いくら刃物に強い革素材とはい
1001
え、所詮は軽装のナツメだとひとたまりもないだろう。
﹁ひょっとしてグリムリーパーって奴ですかにゃ?﹂
﹁多分な。半端に長いから死神って呼ぶか﹂
もっとも、相手がなんだろうと作戦の軸は変わらない。
死神は俺たちの気配を嗅ぎ取るや否や、弧状の刃を振り上げて斬
りかかってくる。
迎え撃つホクト。鎌の軌道に合わせて盾をかかげ応戦。
﹁ぜやっ!﹂
しっかりと地面に根を下ろし、降り注いできた残虐な刃を受け止
めた。
質量の塊である盾はそう易々とは切断されない。その強度と硬度
に不足なし。
鋼鉄同士が激しく接触したことでバチッと火花が弾けた。暗がり
に散った些細な光を目印に、間合いを離したままナツメが聖水の瓶
を遠投。ガラス瓶は死神の頭蓋骨に叩きつけられると同時に砕け、
中に詰まった清浄な水が振り撒かれる。
人の目には清らかに思えるそれも、アンデッドにとっては劇薬。
みるみるうちに衰弱していく。
その隙をついて、俺が銀の矢で着実にダメージを稼ぐ一方。
1002
﹁ホクトさん、援護します! ブラインド!﹂
攻撃に特化した敵であることを見抜いたミミは攻めの起点を潰し
にかかる。
死神の目の前で飛散した黒い液体が眼窩の空洞を埋め尽くした。
盲目の呪いに囚われた死神はデタラメに鎌を振り回すだけとなっ
た。狙いが定まっていないから湾曲した刃はホクトの盾に届くこと
なく平気で空を切るし、その結果にすら魔物自身は気づかない。無
駄骨に終わった事実を知るのは︱︱。
﹁お膳立ては整った⋮⋮な!﹂
俺が放った反撃の矢に貫かれてからだ。
路上に転がる割れた刃先と三万8000Gが、死神の末路をはっ
きりと告げている。
うむ。上々の成果だな。
感想としては防御面に欠陥がある分、デュラハン戦より楽だった
な、ここだけの話。俺が前衛のままだったらこうはいかなかったか
も知れないけども。
現に、ホクトが﹁グリムリーパーの手腕がこれほどとは﹂と驚嘆
気味に見せてきたタワーシールド表面には刃の痕跡が深々と刻まれ
ており、大鎌の殺傷力を物語っている。これくらったのが俺だった
ら結構な確率で死んでるだろ。シフトチェンジして正解だった。
1003
しかしまあ結論から述べると、こんなのは前哨戦に過ぎなかった。
余力のあるナツメが盾をリペアで補修し、探索を再開した俺たち
を次に待ち受けていたのは、狭い通路の中央に無造作に置かれた︱
︱椅子。
椅子である。シュールすぎて笑いそうになった。
﹁ええ、なにこれ⋮⋮﹂
ただその椅子は無闇やたらと飾り立てられていて、その豪華な装
いからして﹃玉座﹄と呼んでしまったほうが正しいだろうか。
椅子に扮した魔物なのか単なる置物なのか曖昧すぎる。
﹁警戒に越したことはありませぬ。主殿は自分の後に続いてくださ
い﹂
一歩進むホクト。すると。
﹁む?﹂
ぬるりと一体のスケルトンが地面から這い上がってきた。野晒し
になった骨の姿をしたそいつは、厄介な敵が跋扈する最下層には相
応しくない弱々しさだ。
一番浅いフロアに出没するアンデッドがなぜここに、といぶかし
むも、俺はすぐに別種の違和感を覚えた。そのスケルトンは全裸︵
果たしてこの風体を全裸と定義していいのかは怪しいが︶のくせに、
1004
頭に古びた王冠をかぶっていた。
スケルトンは﹁よいしょ、よいしょ﹂とどこかユーモラスな動き
で玉座によじ登ると、そこにドカッと腰かけた。頬杖をついて足を
組み、いたく満足げである。
王冠、玉座、威張り散らしたポーズ。そのすべてが﹃王様﹄の文
字を連想させる。
つまりこいつこそが︱︱。
﹁ノーライフキングか!﹂
急いで矢を番える俺。おっさんに教わった情報によれば、手強さ
という意味ではこのアンデッドが第四層でトップだという。
が、しかし。
どうにも信じられない。めっちゃ弱そうなんだが。
骨全部丸出しだし。
﹁だからって油断は禁物だな⋮⋮先手必勝でいくか﹂
﹁分かりました、シュウト様﹂
﹁ですにゃ!﹂
開幕から聖水、呪術、火の矢のアンハッピーセットを手配する。
集中砲火を受けつつあるのにノーライフキングは悠然と座ってい
るだけだ。
1005
その余裕さが逆に不気味だ。弦を引く俺の手に汗が滲む。
﹁挨拶代わりだ。くらっとけ!﹂
俺が指を離したのと、ナツメが聖水の瓶を投じたのはまったくの
同時。
ほんの少しだけ遅れてミミのフラジリティが唱えられる。
魔物はまだ座っているだけだ⋮⋮俺たちが攻撃をしかけた瞬間に、
指をパチンと鳴らしたことを除いてではあるが。
その音を契機に、地面の土が不均一に脈打った。
﹁にゃにゃっ!? どういうことですかにゃ?﹂
二桁に迫ろうかという数のスケルトンが這い出てきたのが、その
隆起の正体。なんの前兆もなく唐突に現れたから、ナツメが目を点
にするのも無理はなかった。
スケルトンは横一列に整列し壁を作る。
聖水が散り、火の手が広がる。ミミの呪術で肉壁ならぬ骨壁が黒
煙に覆われる。
耐えられるわけがない。第一層レベルの魔物なのだから。
焼き払われていく同胞をノーライフキングは身じろぎもせずに見
やっている。
1006
使い捨てにされた連中は即死したが、身を呈して防いだだけのこ
とはあり、こちらの攻撃は今も大胆不敵に座り続けるノーライフキ
ングには届かなかった。
もう一度指を鳴らす。
今度は刃こぼれした剣を持つスケルトンの軍団が一斉に湧いてき
た。
休む間もなく数の暴力を活かして攻めこんでくる。
﹁な、なんだこいつ⋮⋮好きなだけスケルトンを呼べるってのかよ
?﹂
押し返そうとナツメが起こしたブロードソードの風が吹き荒れる
中、精一杯進撃を食い止めるホクトの背中越しに、俺は玉座にもた
れる骸骨を眺める。
なるほど、まさしくこいつは死者の王だな。
1007
俺、悪用する
質より量がこのアンデッドの本領に違いない。
実際問題物量で攻められると、アホみたいな殲滅力の魔法や剣で
大立ち回りするなどの広範囲攻撃手段を持っていなければ誰であろ
うと苦戦を強いられるだろう。
討伐困難というのはマジもマジらしい。
ホクトが持ちこたえている間に数減らしにかかる。
数は確かに多いとはいえ、一体一体は雑魚。ささっと火の矢で射
抜けば瞬殺だ。
同じく炎を繰るミミと共にスケルトンを掃討し、ようやく射線が
開ける。
﹁今度こそやってやりますにゃっ!﹂
ノーライフキングに向けて聖水の瓶を投擲するナツメ。
が、またしても泥をかき分けて親衛隊が出現し、こちらの企みを
阻む。
玉座に背中を預けたノーライフキングは手を打って喜び、そして
こちらを嘲弄する。
1008
おいどうすんだこれ。鉄壁にもほどがあるんだが。
そうしている間にも剣士フォルムのスケルトンが湧き直し︱︱。
﹁⋮⋮ん? 待てよ﹂
俺はそこでふと、地面に散らばる硬貨の輝きに目がいった。
召喚されたこいつらも普通に金を落とすのか。
﹁待て待て待て待て待て待て。ちょっと計算させてくれよ﹂
壁役として湧いてくるのが通常のスケルトンだから、一体につき
6000G。
攻撃手段として湧いてくるのが剣持ちだから、一体につき一万G
+二束三文の素材。
一度に呼ばれる個体数は、前者が十体、後者が五体。
こ、これは⋮⋮。
﹁なんてこった⋮⋮俺はついに金のなる木を見つけてしまったのか
?﹂
というわけで。
﹁業務連絡。あの椅子に座ってる奴はしばらくシカトするよーに﹂
急遽生かさず殺さずの戦闘に切り替えた。
1009
ナツメはアイテム係ではなく、ダメージと疲労を一手に引き受け
るホクトの回復に専念させる。速さだけでなく、こういう持久戦に
も対応しているからこいつは便利だ。
スケルトンを狩るのは俺とミミの仕事。
出てきたそばから焼き尽くす。
ひたすらに倒せば倒すほどに、地面を覆う金貨の枚数は膨れ上が
った。
尋常ならざるフィーバーだ。完全に設定六。
とはいえ面倒ではある。スケルトンの防御力は中の下未満だが、
まとめて退治する手立てを持っていないからな、俺たちは。威力は
そこそこでいいから一挙に薙ぎ払える攻撃方法があればそりゃもう
超の字が七個はつくハイペースで金を稼げたことだろう。
ノーライフキング出没注意の情報が広まっているのか、この通路
は他の冒険者から避けられているようで、誰かが﹁ちょっと通りま
すよ﹂と首をつっこんでくる様子もない。
第一層じゃないからいくら討伐したところでビーストフォルムも
出現せず。
俺とノーライフキングだけの秘密のランデブーである。
心を無にして火の矢を飛ばし続けた。
1010
ああ、この感じ、深夜にライン工のバイトをしていた時期を思い
出すな⋮⋮。
反復作業に没頭し、いい加減時間の感覚がなくなってきた頃。
﹁あ、主殿、いくらなんでもこれ以上の戦利品は持ち帰れないであ
ります!﹂
困惑気味のホクトがタオルの投入を求めてきた。
正論である。
金貨もそうだが素材も凄い。折れた剣の残骸が堆く積み上げられ
ている。
ガラクタとしか言いようのない鉄クズの山なのだが、これを納品
すれば教会の心象がよくなる=アリッサのウケがよくなる=おっぱ
いという図式を考えると、途端に光り輝いて見えてくるから不思議
だ。真に不思議なのは単なる脂肪の塊に興奮を覚えてしまう人間の
オスの習性だが、俺はそんな無粋な話はしたくない。
けれども回収するためには戦闘を一旦終えなくてはならない。
﹁そろそろ本体を叩くか⋮⋮大体のパターンも把握できたしな﹂
これだけ何度もアンデッドが湧き出る場面を見ていれば、さすが
の俺でも戦略が立つ。
まずは適当に玉座の主へ矢を射る。
1011
当然のように手下たちの体を張った防護障壁によって妨害される
が、そこは問題ではない。重要なのはその後に召集をかけられる剣
を携えた部隊。
﹁ホクト、きついだろうけど頼んだぞ﹂
﹁了解であります!﹂
ホクトは明朗な声で返事しながらも、こう言った。
﹁ですが主殿、それは恐れ多い心遣いであります。自分はいかな逆
境も苦しくなどはありません。主殿の恩義に報いることこそが自分
の喜びなのですから﹂
攻めこんでくるスケルトンに、タワーシールドが突き出される。
防御に徹するだけのホクトは、五体の敵から一方的に袋叩きに遭
って⋮⋮いるように傍目には映るが、実のところ微塵も危険には陥
っていない。
所詮は第一層で門番役をやっているだけの、階層不相応な魔物。
強健な身体を頑丈な防具で固めたホクトに通用するはずがなかっ
た。
俺はそいつらを無視し、壁を担当するスケルトンをミミと足並み
揃えて全滅させる。
﹁シュウト様、次が来ます!﹂
﹁分かってるって﹂
1012
全滅ついでに奥のノーライフキングにも牽制として火の矢を放っ
たのだが、それも新しく出現したスケルトンの軍団に防がれていた。
﹁次を来させるためにやってるんだからな﹂
繰り返すが、これは問題にはならない。狙い通りである。
半分まで減らすと剣士フォルムが地面を突き破って姿を現す。
十体を同時に相手するホクト。
﹁なるべく早く終わらせてやるからな⋮⋮おらっ!﹂
急いで残りを焼き払う。
それから再三に渡るノーライフキングへの攻撃を行ったのだが、
これまでとは違い、王を守るために身を投げ出したスケルトンは五
体止まりだった。
﹁鮮魚を薫り高い香草焼きに仕立てるための火!﹂
ミミの火球がすかさず飛ぶ。俺も負けじと魔力の矢で追撃。
呪縛が本命である俺の黒炎とは違い、ミミが操るかまどの火の燃
焼作用は凄まじい。標的をオーバーキルの消し炭に変えてしまう。
炎の嵐に包まれて後列にいる連中が火葬されると、例に漏れず、
ノーライフキングは攻めに転じて剣士フォルムを呼び寄せる。
前線のホクトに襲いかかるスケルトンの数は、ついに十五に達し
1013
た。
﹁今だナツメ! 思いっ切りやってやれ!﹂
﹁承りましたにゃ! うみゅう、豪速球でいきますにゃ⋮⋮にゃあ
っ!﹂
大きく振りかぶってナツメが聖水を投げつける。
幾度となく撃墜されたその瓶がスケルトンの壁に防がれることは
︱︱なかった。
﹁⋮⋮やっぱりな﹂
観察していて分かったが、同時に使役できるのは十五体が限界。
数を調整して攻撃にのみ人員を割かせるようにすればガードはガラ
空きだ。
技を誘ってからの反撃、という一貫した戦術が仇になったな、王
様よ。
聖水をモロに浴びたノーライフキングは顎の骨をカクンと落とし
て呆気に取られている。
相変わらずの人間臭い仕草でどことなく憎めない奴だが、スカル
ボウが軋むほどに目一杯引き絞った弦を、今更反故にはできない。
照準をドクロの顔面に合わせる。
﹁りゃっ!﹂
1014
銀の矢はまっすぐに飛んだ。
弓から頭蓋骨までの点と点を、歪みのない線で結ぶ。
どれだけ偉ぶった態度を取ったところで、器の肉体はその辺のス
ケルトンと変わらないという恥ずかしい事実が、盛大に爆ぜた骨片
のせいで明るみに出た。
末期の訪れは平等。
屍の王は、そこで潰えた。
所有者の死に殉ずるように玉座も消滅する。
いや、もしかしたらこっちこそが本体なのかもな。なんとなくそ
んな気にさせられた。
強敵の散り様を見届けた俺はふうと一息つく。
俺の冒険者稼業史上に残る長期戦だった。そのうちの大半は無限
1UPみたいな裏技じみた作業に費やされているのだが。
その甲斐あって、俺の前には金貨の海が広がっている。数えるの
も億劫な量だ。果たしてどれがノーライフキングのドロップ分なの
かも区別がつかない。
全員で手分けして拾い集める。おまけの素材も忘れずに。
﹁ご主人様、見てくださいにゃ∼。王冠ですにゃ。えっへん!﹂
﹁それオモチャじゃん。すげーチャチな作りだな、こうして間近で
1015
見ると﹂
得意げにナツメが頭に載せたそれは安っぽい金メッキとビー玉で
出来ている。
どうやらこいつがノーライフキングのドロップ素材らしい。
﹁⋮⋮一個から納品受け付けてくれんのかな⋮⋮﹂
いずれにしても、今日はここで帰還しないとな。荷物が多すぎる。
ホクトだけでなく俺とミミも皮袋を担いで、近場の魔法陣を探す。
どれも同じなのでどれでもいい。地図の説明書きにあるように全
部上層に昇るだけのものだし。
﹁おっ、あったな。これでいいか﹂
通路を抜けた先で見つけた魔法陣に飛び乗り、俺たちは第四層を
離脱した。
⋮⋮第四層、を離脱できたのは間違いなかった。
﹁な、なんだここ⋮⋮?﹂
だが到達したのはすぐ上のフロアではない。
転送された瞬間に風向きのおかしさを感じた。俺の目の前には、
揺れる水面にミミの灯火を映し出す、直径にして百メートル規模の
地底湖が広がっていたのだから。
1016
俺、観取する
これまで通過してきた階層では多少なりとも人の手が感じられた
のに、いきなり洞窟めいた原始的な場所に俺たちは投げ出されてい
た。
足元はゴツゴツとした岩場だ。
一枚のプレートめいた構造からして、岩盤、と呼んだほうが正し
いかも知れない。
﹁あっ! シュウト様、あちらを御覧ください﹂
ランプ代わりのかまどの火をいくつも放って辺り一帯をライトア
ップしているうちに、ミミはなにかに気づいたらしく、俺のコート
の裾を引きながら天井を指差す。
そんなものを見上げたところで鍾乳洞風の岩肌があるだけで⋮⋮
ん?
﹁水滴?﹂
数箇所からポタポタと雫が垂れていた。
風もないのに湖面が揺れていたのはこれが原因か。
ミミは解説を付け加える。
1017
﹁きっと上の層から浸み出ているんだと思います。この小さな水滴
が長年かけて地底湖を形成したんでしょうね。とてもとても壮大な
物語性を感じます﹂
本当なのだとしたら呆れるほどスケールの大きな話だ。
雨垂れ石をも穿つ、とは言うが、こんなクソでかい水溜まりまで
作ってしまうとはな。
﹁えー、と。ってことはだな⋮⋮﹂
状況を整理する。
第四層の真下が帯水層、すなわち地下水が納まっているスペース
である。そこからこの場所に向けて水が滴り落ちているということ
は⋮⋮。
﹁ここはさっきのフロアより下ってことか?﹂
無言ながらに首を縦に振って同調するミミ。
おいおいおい、まさかここは﹃真の最下層﹄なんていうんじゃな
いだろうな?
﹁んなアホな。そんなもんが見つかってるならハナから地図に書い
てるだろ﹂
俺は先人の知恵の結晶である地図には全幅の信頼を置いている。
そこに載せられていない以上、眼前の地底湖はイレギュラーな存在
に違いない。
1018
下手したら俺たちが第一発見者の可能性もある。
全然ありがたくない名誉だった。
﹁そもそも第四層にある魔法陣って上昇専用じゃなかったのかよ。
どういう理屈で下に降りるんだ下に﹂
穴が開きそうなくらい念入りに地図を見直しても、俺たちが使っ
たと思しき魔法陣はちゃんと書き記されている。隠しスポットとい
う感じではない。
考えられる要因はひとつ。
バグったな。
じゃあなんでバグったんだって話になる。
ここまで別段問題もなく利用できてたから人数オーバーというの
はありえないし、時間帯がよくなかったというのも考えにくい。と
なると。
﹁もしや重量超過か⋮⋮?﹂
持参した袋類はすべて、ぎっしりと中身が詰まっている。一度に
転送できる許容量を超えてしまっていたとかそういうことなんだろ
うか。
やるせなさを覚えた俺はハァと息を吐き、波紋の広がる水面に視
線を投げ打つ。
1019
地層で濾過されているせいか湖の水は透き通っていて、こんな緊
急事態に放りこまれているにもかかわらず、思わず美麗だと賞した
くなる。
これだけ澄んでいても底が見えないから恐ろしい。ミミの灯火し
か明かりがないから光が届きにくいとはいえ、水深何メートルある
んだよ。
水滴だけで削られたとはちょっと信じ難いな。
これが大自然の神秘なのか。
﹁ど、どうすればよいのでありましょう? このままでは生き埋め
であります!﹂
狼狽するホクトが口にした心配はもっともだ。バグ︵推定︶で飛
ばされた場所だから帰還用の魔法陣なんてあるはずがない。
テレポートで代替しようにも、ミミもナツメも魔術書なしで唱え
ることはできない。
つまり、詰み。
﹁⋮⋮じゃないんだな、これが﹂
まあそう焦るなよ、と俺が颯爽とカバンから取り出したのは、ウ
ィクライフ地方にある﹃白の森﹄の地図。
裏面には石版文字︱︱テレポートを唱えるための暗号の書き写し
1020
がある。
図書館で調べるためにメモしたものだが、こいつが後々になって
こんなところで窮地を救ってくれるんだから、まったくもって人生
ってやつは予測不能だ。
﹁それで、なにゆえに自分の鎧に文字を書くのでありますか!?﹂
﹁だってコピーで魔法発動しようと思ったら元から魔力のある素材
に書いてないとダメらしいし。帰ったら消すから気にすんな﹂
﹁しかしこの意味の通じぬ文字列だらけ外装は、その、世間巷間で
叫ばれるところの﹃ダサい﹄というものなのではありませぬか?﹂
﹁大丈夫。いずれオシャレと呼ばれる時代が来る﹂
かくして光銀鉱のプレートメイル︵グリモワールエディション︶
が出来上がる。
早速ナツメに読んでもらうとするか。
﹁おーい、ナツメ⋮⋮って⋮⋮﹂
名前を呼んだ時には、ナツメは岸辺できゃっきゃと水と戯れてい
た。
オモチャの王冠をかぶったままやけに心地よさそうな表情を浮か
べて、両手でパシャパシャと水飛沫を跳ねさせている。
あまりにも楽しそうなので俺も軽く手をつけてみたが、ナツメが
笑顔になるのも納得の清涼さだ。サラリとした水質で、ひんやりし
ていて気持ちがいい。加えて先述したとおり抜群の透明度も完備し
ているから名水百選に選ばれていてもなんら違和感はない。
1021
﹁だからって飲むなよ。得体が知れないし﹂
﹁の、飲みませんにゃ﹂
飲んだ顔をしていた。
ただミミも地底湖の生活用水としての価値には目をつけているよ
うで。
﹁これだけ綺麗ですと、浄水すればおいしいお酒が造れそうですね﹂
﹁うーむ、確かにな﹂
汲み上げる装置がどこにも設けられていないから、この隠された
水資源が井戸に繋がっていないのは確定的。地上に戻ったら教会に
報告するか。
教会というか、酒造事業を任されているアリッサにだな。
おっぱいポイント⋮⋮じゃなくて信仰心の足しにさせてもらおう。
それにしても、偶然とはいえ貴重な発見をしたもんだ。
災い転じて福となす。俺の好きな言葉だ。結果オーライ。こっち
は俺の頭でも分かりやすいからもっと好きな言葉だ。
﹁それじゃあ第四層まで移動しますにゃ。そうそう、大雑把にしか
移動できないから戦闘の準備をお願いしますにゃ﹂
﹁無論であります。主殿と、そしてもちろんミミ殿とナツメ殿にも、
何人たりとも近づけはさせぬであります﹂
﹁あ、でも、もしかしたら第四層は二十メートルより上かも知れま
1022
せんにゃあ。もしそうだったら帯水層を挟みますにゃ。水の中だか
らご注意よろしくお願いしますにゃ﹂
﹁み、水でありますか⋮⋮それは沈んでしまうであります⋮⋮﹂
テレポート前にそんなくだらないやりとりをしていると。
フロア全体が急に明るくなった。
⋮⋮明るい、の一言で済むならまだ許せた。まだ辛抱ができた。
実際に行われていたのは光による侵略活動である。
﹁なんだ!?﹂
視神経への暴力に、俺はたまらず腕をかざしてガードモーション
を取る。
﹁わっ、分かりません﹂
ミミの火が理由ではない。地底湖周辺を淡く照らしていた小型の
灯火はすべて、突然世界を無秩序に覆い尽くした強い光の中に紛れ
てしまっている。
薄暗い景色を洗い流しているというのに、俺はそのまばゆさを微
塵も歓迎できなかった。光は夢や希望の象徴みたいにとらえられが
ちだが、この目を狂わせる白熱を見てもまだそんなことが言えるだ
ろうか? こんなのはもう悪質な嫌がらせと変わらない。
発光を起こした犯人は︱︱水の中に潜んでいた。
1023
だから﹃犯人﹄というのは誤りだ。
犯魚に訂正する。のっそりと浮上してきたそいつは巨大な図体さ
え除けば、限りなくチョウチンアンコウなどの深海魚に近い、グロ
テスクなフォルムをしていた。
1024
俺、釣人する
﹁にゃあああああああああああああああっ!?﹂
その異様な姿を見ていの一番に絶叫したのは、ナツメだった。
もっともこいつの場合﹁こんな気持ち悪い魚が泳いでる水を生で
飲んでしまった﹂というショックからなんだろうが。
まあ俺も吐きたくなる気分は理解できる。
地下層に出現する魔物はアンデッドのみ、という法則性を完全に
無視した水棲生物であるものの、見た目の不気味さだけならアンデ
ッド連中とタメを張れているからな。
茶色と緑が混ざった彩りに欠ける体色に、下膨れした無愛想なブ
サイク面。
水族館で不人気待ったなしなタイプの魚だ。
頭から発光体のついた触覚を生やしていなければなんの取り柄も
なかっただろう。
しかしその発光体すらも、カンデラの値がでかすぎてうざったい
んだから救いようがない。
だからこいつはニシビアンコウと呼ぶことにする。
1025
﹁主殿、お下がりください! わざわざ水面まで浮上して姿を見せ
てきたということはこちらに敵意がある証左であります!﹂
盾を手に果敢に前に出たホクトの言うとおり、ニシビアンコウは
苛立ちを露にした表情でこちらを睥睨している。
ちょっとした船くらいのサイズがあるからその威圧感たるや凄ま
じい。
怪魚はくるりと身を反転させると、エラの部分からジェット水流
を噴射!
タワーシールドをダブルで構えたホクトがその水流に立ち向かう。
﹁ぐっ⋮⋮これしきのことで!﹂
驚異的な水圧だ。必死で踏ん張るホクトが押されている。
いや、押されているだけならまだいい。
強い衝撃にホクトは顔を歪めていた。
体への負担を和らげるのはプレートメイルの仕事だが、文字が書
きこまれて魔術書の代用品になっているからか、鎧としての機能が
その分低下しているらしい。
﹁一度消去しましょう! ⋮⋮苦心して準備したものではあります
けど、仕方ないです﹂
﹁またあの訳分かんねぇ字を書かなきゃならないのかよ⋮⋮﹂
1026
だがホクトの無事が最優先。
ミミの唱えたリフレッシュによってインクが取り除かれる。
これでホクトの耐久力も元に戻ったはず。その隙に仕留めてしま
わないとな。
﹁でも、どうすりゃいいんだ?﹂
アンデッドじゃないので聖灰や聖水を浴びせたところで無意味。
火で攻撃しようにも、湖の中にいるから効果は期待できない。まし
てや近づいて斬りかかろうなんて持ってのほかだ。あいつがプカプ
カ浮かんでいる位置まで泳げってか。
﹁頼れるのはこいつだけか⋮⋮しっかり刺さってくれよ﹂
俺は銀の矢をスカルボウにセットした。
鏃が銀であるメリットは一切ない。この弓の真価が試されている。
﹁お支えします、シュウト様。フラジリティで物理耐性を下げてみ
ますね﹂
﹁任せたぜ﹂
ミミは俺と肩を並べて⋮⋮というか、ほとんど寄り添って呪術の
詠唱に入った。
その瞬間。
﹁うおおっ!?﹂
1027
魔物は頭の発光体の輝きを更に強めた。
光は刺激である、という忘れがちな定義を再認識させられるよう
な、そんな眩さ。
ここまで来ると西日どころではない。双眼鏡で直接太陽を覗いて
しまった少年時代の苦い記憶がフラッシュバックする。
﹁馬鹿のひとつ覚えみたいにチカチカさせやがって⋮⋮ん?﹂
瞼を開けた時、俺は隣にいるミミが胡乱な表情をしていることに
気がついた。
目の焦点が合っていない。普段からぽやっとした顔をしているが、
それとは異なり不安そうな感情が滲んでいる。まるで世界から切り
離されてしまったかのような︱︱。
﹁大丈夫か?﹂
﹁はっ、はい。シュウト様、心配をかけさせてしまって申し訳あり
ません﹂
もう平気です、とミミは答えながら、祈りを捧げるように胸の前
で手を組み。
﹁キュア!﹂
そう口にした瞬間、清らかな光が降り注いだ。
微光に包まれたミミは数回まばたきしてから﹁ほっ﹂と安堵の息
1028
を漏らす。
聞いたことのない魔法だった。ミミに尋ねると、ウィクライフで
購入した﹃中級再生のグリモワール﹄で覚えた、呪いを解除するた
めの魔法だという。
﹁じゃあなんだ、さっきのは呪いをかけにきたってことか?﹂
﹁はい。ブラインドに似た効果だと思います⋮⋮極めて広範囲なこ
とを除いて、ですけど﹂
ミミは慮るような目線をナツメとホクトに送った。
二人とも戸惑った様子でいる。呪いに喘いでいるのは明らかだ。
﹁聖水を使え、ナツメ。あれには呪縛を解く効果もあるからな﹂
﹁分かりましたにゃ! うにゃっ!﹂
気合の入った掛け声からして頭で瓶を割るのかと思ったが、ちゃ
んと蓋を開けていた。
ナツメは自分に聖水をかけて盲目の呪いを解いた後、ホクトにも
分け与える。
間隔を空けざるを得ない魔法とは違ってアイテムだと一瞬だ。
まあめっちゃ高いんですけども。
さて。
なんとか戦線は立て直せたが⋮⋮ニシビアンコウの光がこんなに
1029
も厄介だったとは。
だが俺の目は特に異変をきたしていない。呪縛に強いという触れ
こみの骸布の服を着ているおかげか。
けどこの様子だと、ミミのサポートは難しいな。
治療のためにワンテンポ遅れてしまう。
﹁正攻法でいくしかねぇな﹂
素直に矢を放つ。
矢はヌラヌラとした質感の鱗を突き破り、傷口から淀んだ黄色の
血が流れ出る。痛覚を騙すためかアンコウは尾ビレを何度も湖面に
叩きつけ、水が高々と舞い上がっている。
これで効いていないとは言わせない。
さすがはレア素材製のスカルボウ。単純に長弓としての性能だけ
で見ても一等品だな。
俺はなおも矢を撃ち続けた。
的がでかいから狙いやすい。光の妨害をものともせず、間断なく
攻撃を仕掛ける。
﹁な、なんか想像してたより弱いな⋮⋮﹂
水流はホクトが、呪縛は服が防いでくれている。負けるきっかけ
1030
が見当たらない。
が。
矢を全身に受け満身創痍になったニシビアンコウは、ある時突然、
ふっと俺たちに背を向けて湖の中に潜っていってしまった。
ん? この状況⋮⋮。
﹁どうやって攻撃すりゃいいんだ?﹂
水の抵抗をかいくぐって矢が届くわけがない。せっかくここまで
コツコツとダメージを稼いできたっていうのに、じっくり休憩時間
を与えてしまう羽目になった。
三分ほど経って、傷が癒えた魔物は再浮上してきた。
当然俺は矢の雨で迎撃⋮⋮しようとして止める。
確かにここで俺が攻撃を再開すればアンコウは瀕死に追い込まれ
るだろう。
で、また逃げる。逃げたら治してまた浮かぶ。それを繰り返され
たら、矢の本数に制限のある俺はそのうち攻撃手段を失ってしまう。
いやこれ、負けないけど勝てないんだが。
﹁こっちも逃げてやるか⋮⋮﹂
しかし、またイチから暗号文を書き写すだけの猶予はない。
1031
﹁ええい、まどろっこしい! 要は水中に逃げられなきゃいいんだ
ろ? だったらどうにかして陸まで引きずり上げてやるだけだ﹂
ない知恵を絞り出す俺。
導かれた答えは、至極シンプルなものだった。
﹁相手は魚なんだから方法はひとつしかねぇ。一本釣りだ﹂
とはいえ魚好みの餌なんていう便利な代物が手元にあるはずもな
く。
針と糸だけの引っかけ漁でやるしかない。
﹁でもご主人様﹂
きょとんとした顔を見せるナツメ。
﹁針と糸もなくないですかにゃ?﹂
﹁いや、それはある。針は俺の背中に、糸はホクトの背中にな﹂
﹁背中って矢筒しかありませんにゃ⋮⋮にゃっ? もしかして針っ
て⋮⋮﹂
﹁おう。矢だ。ロープを巻いた矢で撃ち抜いてやるんだよ﹂
時間を作るために一旦魔物を追い払ってからホクトに命じて、探
索道具を入れたカバンからロープを取り出させる。
長さは三十メートルくらいか。これだけあればギリギリ足りるな。
1032
銀の矢に縛りつける。
﹁シュウト様、これだと抜けてしまわないでしょうか?﹂
﹁ありえるな﹂
ここはナツメの出番だ。かまどの火で熱した鏃を岩場に転がって
いた石で叩き、鍛冶屋仕込みのテクニックで形状を微妙に変化させ、
返しを作る。
﹁ふっ、完璧な出来栄えですにゃ﹂
めちゃくちゃ不恰好な見た目だった。
まあ問題なく機能してくれるなら不満はない。
タイミングよく、傷口の塞がったアンコウが閃光を振り撒きなが
ら再び姿を現す。
まずは弱らせにかかる。数発の矢を放ってダメージを蓄積。
潜水する素振りを見せたところで⋮⋮。
﹁もう逃がしてやるかっての!﹂
不機嫌そうに開いていた口の中目がけて矢を撃ちこんだ。
絶大な推進力をまとった矢は喉の奥まで飛びこんでいった。ここ
まで深々と突き刺せば、そうそう抜けることはないはず。
ここからはホクトの独壇場だ。
1033
﹁頼んだぞ﹂
俺はそう言いながらチョーカーを外し、ホクトの首に巻く。
﹁了解であります! で、い、やああああああああっ!﹂
全力でロープを引っ張るホクト。
怒涛の勢いとはまさにこのこと。
グリズリーのチョーカーの作用で、ただでさえ桁外れなホクトの
怪力が更にもう一段階上がっていた。いくら常識破りの巨体を誇っ
ていようと、矢のダメージで衰弱している魔物では到底太刀打ちで
きない。
途中で矢柄が折れてしまわないかと心配する間もなく、ものの二
十秒足らずで、大魚ニシビアンコウは陸に打ち上げられた。
エラ呼吸がままならないのかパクパクと苦しげに口を開閉してい
る。
まな板の上の鯉よりも無防備な状態だ。
ここに俺は﹁馬に引きずられた深海魚﹂という新たなことわざを
提唱する。
﹁ナツメ、ブロードソードを貸せ!﹂
﹁アイアイサーですにゃ!﹂
1034
そっとスカルボウを置いた俺に、ナツメからブロードソードが投
げ渡される。
チョーカーを装備していないから若干重く感じるが、まあ誤差の
範囲。
ライトグリーンの輝きを宿した刀身を、俺はアンコウの脳天に突
き刺してやった。
それが死に至る最後のピースだったらしい。
誰に知られることもなかった地底湖のヌシの目は、急速に白濁し
ていった。
﹁ハァ、ハァ⋮⋮無駄に手間取っちまったな⋮⋮けど手間取ってこ
の仕打ちかよ⋮⋮﹂
アンコウは金貨を一枚たりとも落とさなかった。
何分ここは未踏の地だから、集めようにも集められなかったんだ
ろう。
そのせいで実際以上に疲弊を感じた俺は、流れ出る汗をヤケクソ
で振り払う。無銭戦闘はご法度だと魔物界で法律を定めておいても
らいたいものだ。
にしても、たまたま発見した名所でこれだけの強敵に出くわすと
はな。
あんな奴が住んでいたんじゃ、この地底湖の資源的価値にもミソ
1035
がつきそうだ。
ツイてるんだかツイてないんだか⋮⋮。
﹁わあ、素敵なドロップ素材です。見てくださいシュウト様。とて
もとても綺麗ですよ﹂
微笑むミミが手にしているのはアンコウの頭にくっついていた発
光体だ。あれだけ激しく光を撒き散らしていたのに、その面影はな
く、淡い幻想的な輝きに収束している。
とりあえず、これを持ち帰ってギルドのおっさんと話をしてみる
か。
魔物にしても、地底湖にしても。
1036
俺、把握する
﹁ようこそギルドへ⋮⋮今日はまた一段と手土産が多いな﹂
地上に戻ってすぐに訪れたギルドでは、当たり前だが熱烈な歓迎
なんてものはなく、代わりに中年男性特有の哀愁漂う苦笑いを見せ
られた。
まあ、おっさんがそんな表情をするのも無理はない。
いつもはナツメのリュックサックに入り切る布素材ばかり持ち帰
っているのに、この日の俺たちはガチャガチャと乱雑な金属音を響
かせているからな。
﹁こっちの袋は全部スケルトンの素材か。凄い量だが、なんでまた
第一層なんかを? お前の冒険者ランクだと物足りないだろうに﹂
﹁違う違う。ノーライフキングを相手に集めたんだよ﹂
納品を済ませながら、俺はその証拠として王冠を提示する。
﹁ノーライフキング? ということは第四層まで進んだのか?﹂
﹁ああ﹂
おっさんは﹁ふうむ﹂と二重顎をさすって頷く。
﹁アホみたいに湧いてきたからな。ひたすら狩った結果がこれって
わけ﹂
﹁よくやるよ。相当悪戦苦闘したんじゃないのか? ノーライフキ
1037
ングは第四層の魔物の中では最強格だからな﹂
﹁そうでもないかな。普通だよ、普通。どっちかというとこっちの
ほうが苦労したぜ﹂
鎧の残骸を詰めこんだ皮袋の紐を解き、テーブル上に置く⋮⋮シ
ャレにならないくらい重いのでホクトが。
﹁デュラハンはタフすぎて倒すのに難儀したよ。この素材ってなに
かいい使い道ある?﹂
﹁溶かして鉄にするくらいだな﹂
やっぱクソモンスターだわ。
おかげで後腐れなく教会から出ている収集依頼に回せた。
﹁⋮⋮あっ、そうだ。デュラハンといえば﹂
存在感が薄いから忘れるところだった。
一本だけ手に入った例のブツ︱︱黒一色の片手剣をおっさんに見
せる。
﹁この剣も落としたんだけど﹂
鞘から抜いてみせた途端に、おっさんの瞳に好奇心が満ち始めた。
刃渡りは六十センチくらいとあまり長くはない。
先端に向かうにつれて幅が広くなり、遠心力が乗りやすい形状に
なっている。厚みも結構あるので全長の割には案外重い。
1038
﹁おっ、こいつは珍しい。玄霊鉱のファルシオンじゃないか﹂
﹁なにそれ﹂
﹁玄霊鉱はデュラハンの魂が宿った金属のことだ。人為的に生成さ
れるレアメタルとでも呼ぼうか。デュラハンは死の間際に及ぶと、
ごく稀に自らの武器に魂魄を残す。その現象が起こるとただの鉄が
レアメタルに変質するんだよ﹂
﹁魂が魔力代わりになってるってことか?﹂
﹁大体そんな感じだな﹂
それだけ聞いたら呪われた装備っぽくて怖いんだが。色味も色味
だし。
﹁ファルシオンっていうのは武器の分類だ。値段も手頃で扱いやす
いから見習い騎士の間で人気の剣だぞ。日用大工にも使えて⋮⋮﹂
﹁そっちの説明はどうでもいい。金属の特徴について教えてくれ﹂
﹁ウンチクの語り甲斐のない奴だな。まあいいだろう。過去にも入
手に成功した冒険者はいたから、どういう代物かは自分も知ってい
るしな﹂
前例があるのか。
そいつは助かる。毎度のことだがレアメタル製の武器は、性能や
追加効果がどのようなものかを知るためにそれなりに試行錯誤させ
られるからな。
﹁玄霊鉱は元の鉄よりもやや重く、その分だけ硬度が向上している。
とはいえ平均的なレアメタルと比較すると軟らかい部類だ。鉄がグ
レードアップした程度、くらいの認識でいい﹂
﹁え、そんだけ?﹂
1039
﹁大まかに特徴を述べるとそうなる﹂
なんか物々しい謂れの割にしょぼいんですけど。
﹁そう焦るな。重要なのは魔力の発現。これがまた面白いんだよ﹂
おっさんはそう言って、剣を手に取る。
﹁こうやって念じて⋮⋮ふっ!﹂
柄をがっしりと握ったおっさんはダルンダルンの腹に力を入れる。
ぼうっと浮かび上がったのは、直径三十センチほどの、淡白な桃
色の燈。
非常にファンタジックで少女漫画的な色合いなのだが、心の汚れ
た大人である俺からしてみると、いかがわしいお店の照明を思い出
してしまうのが悔しい。
﹁これがこの武器の真骨頂だ。俺は魂の火と呼んでいるがね。火属
性の魔力が秘められていることもこれで分かったろう?﹂
﹁凄ぇ仰々しいネーミングだな⋮⋮また名前倒れだったりしないよ
な?﹂
というか既に嫌な予感はしている。ふわふわとおっさんの周りを
浮遊するそれは火にしては熱くなく、光源にしてはまぶしくない。
間接照明くらいにしか役立たなさそうなんだが、これ。
﹁﹃魂﹄と名を打った理由はちゃんとある。これは剣の所有者⋮⋮
1040
今の場合は俺だな、その生命力の半分を消費して作られる火なんだ。
分身みたいなもんだと思ってくれ﹂
﹁とんでもない代償だな、おい﹂
危ぶむ俺に、おっさんは﹁言葉から受ける印象ほど大きなリスク
じゃない﹂と語る。
﹁消費、というか分割と言ったほうが正しいかな。魂の火を戻せば
体力も返ってくる。余裕のある時に作っておくと色々と便利なんだ
よ。失った分をなにかしらの回復手段で埋めれば、純粋に体力のス
トックになってくれるからな。中々テクニカルな使い方ができるぜ﹂
﹁ふーん。だったら使いではあるか﹂
熱のない火をつついて遊ぶナツメを見やりながら、俺はその有用
性について考える。
再生魔法のヒールと抜群の相性を誇るのはすぐに分かった。
だがそれ以上に、装備しているだけで勝手に回復し続ける﹃治癒
のアレキサンドライト﹄との組み合わせが最良なのではないだろう
か。
試す価値はある。
﹁同時に出せるのは一個までだから留意してくれよ。それにだ、魂
の火はこう見えてかわいい奴でな、敵性対象を感知すると自動的に
追尾してじわじわ体力を吸い取ってくれるぞ。これによって蓄えら
れた分も戻した際の回復量に影響するから攻防一体だ﹂
﹁なんだ。なら作り得じゃん﹂
﹁ところがうまい話ばかりじゃないんだな。魂の火が攻撃されて消
1041
えてしまうと、失った体力は返ってこない。自分の体力と合わせて
しっかり管理する必要がある﹂
だからテクニカルなんだよ、と火を納めながらおっさんは締めく
くった。
﹁重ね重ね言うが、このファルシオンは近接武器としては際立って
優秀じゃない。真価を発揮できるかはすべて魂の火の使い方次第だ。
な? 面白い武器だろ?﹂
﹁面白いというか、手がかかるというか⋮⋮とりあえずこいつの性
能は分かったよ﹂
俺は剣を受け取って答える。
難しい装備品だ。これまでの脳筋武器たちとは全然方向性が違う
な。
﹁今すぐには出番はないだろうけど、一応持っておくか﹂
地下層を潜るにあたって、アンデッドに有効な銀と火の両方を使
いこなせるスカルボウよりも優れているとは思えないし。試してみ
るとしたらまた次の町でだな。
次に俺は、死神⋮⋮グリムリーパーが落とした鎌の欠片を卓上に
置く。
﹁こりゃまたぞっとしない魔物を倒したもんだ。教会側もグリムリ
ーパーとノーライフキングがいかに脅威かは知っているからな、一
個からでも納品を受け付けてあるぞ﹂
﹁そうか。そいつは嬉しいけど、素材としての使い道はどんな感じ
1042
?﹂
﹁鉄クズだ﹂
﹁王冠は?﹂
﹁ゴミだ﹂
俺は無言で両方とも差し出した。
﹁毎度。これだけ種類も豊富にアンデッドを倒してきたんだから、
教団も喜ぶだろう﹂
﹁いや実は⋮⋮まだ本命のアイテムがあってさ﹂
いよいよアンコウの発光体に順番が回ってきた。
カバンから取り出したそれは、相変わらず消える気配のない淡い
光を放っている。
﹁⋮⋮なんだこれは?﹂
﹁俺もよく分かってない。地底湖にいた奴を倒したら落としたんだ﹂
﹁地底湖? どこにあったんだ、そんなもの﹂
やはり知られていなかったらしい。
おっさんが言うには、地下層に関しては冒険者ギルドよりも教会
のほうが精通しているとのこと。
﹁最下層の更に下だ。地下水が溜まっている層のちょうど真下だと
思う。魔法陣がバグって連れて行かれたんだけどさ、そこに地底湖
が形成されてたんだよ﹂
その後も詳細を説明する俺。
1043
やれ水滴が岩盤を削っていただの、やれ水の透明度が素晴らしか
っただの。
そして当然、湖の底に眠っていた巨大生物のことも。
﹁地底湖のことは教会にかけあってみるつもりだけど、魔物につい
てはおっさんにしか聞けねぇからな。分かることがあれば教えてく
れないか?﹂
﹁ふうむ、良質な水場にしか生息しないとされる魔物は何種類かい
るが⋮⋮魚型か﹂
﹁おう。チョウチンアンコウみたいな奴だったぜ﹂
﹁それならランタニアだとは思うが⋮⋮﹂
意外と普通の名前が出てきた。
俺は二十文字くらいの横文字を覚悟していたのだが。
﹁しかしランタニアは美しい魔物だぞ? 観賞用に捕獲されること
もあるくらいだしな。お前の話だとドブみたいな色をしていたよう
だから、別物な気がするな﹂
それに、とおっさんは付け加える。
﹁これだけのサイズの発光体はちょっと考えられない。確かに通常
のランタニアも発光体を素材として落とすが、こんなに大きなもの
は見たことも聞いたこともないぞ﹂
﹁じゃあ突然変異だな。あまりにも水が綺麗すぎて風光明媚な存在
として生を受けたはずの自分の醜悪な部分に気づかされて、醜い部
分が表に出てきてしまった。これだ﹂
1044
﹁お前の魔物観はどうなってるんだ。そんなニキビを気にする思春
期の少女たちみたいな機微がありえるかっての。ま、突然変異の線
は濃厚か﹂
なんでも要注意指定は出されていないとのこと。
あれだけの戦闘力がありながら撃破報奨も落とさない上に懸賞金
までついていないとは、デュラハンを上回る酷さだな。
﹁とりあえずウィクライフのラボに報告してみよう。王都から公認
された魔物学者もいるだろうから、きっちり解明してくれるはずだ。
もしかしたら新種の魔物に登録されるかも知れん。そうなったら発
見者としてシュウトの名前が刻まれるかもな﹂
﹁納品しないとダメ?﹂
﹁資料だからな。別に持っててもいいが、おそらくインテリアにし
か使えないぞ、それ﹂
渋々手渡す俺。
お情け程度におっさんから協力報酬をもらう。
﹁結果が届いたら真っ先にお前に知らせるよ。その時は研究機関か
らも報酬があるだろうから楽しみに待っていてくれ﹂
﹁そんなのはどうでもいいんだけどな⋮⋮﹂
まあ俺が価値を見出しているのはこの発光体ではない。あくまで
も副産物。
地底湖の情報を伝えに教会に向かった。
1045
俺、改称する
司祭のジイさんとアリッサに地底湖の存在を告げてから間もなく、
リステリア地下層の再開発がスタートした。
練達の冒険者を総動員してなんとか第四層での不具合を再現した
らしく、今では教会関係者だけが利用できる専用の魔法陣が設けら
れている。
なぜ教団限定なのかといえば、それはもう語るまでもないだろう。
地底湖の水は丹念な浄化作業を経て蒸留酒の製造にあてられてい
た。
澄み切った水質には酒造業を取り仕切るアリッサもご満悦。魔物
が泳いでいたけど大丈夫かとも尋ねてみたが、﹁そんなぶっちゃけ
井戸にもボウフラとかいるっしょ!﹂と、分かっちゃいたけど分か
りたくなかった現実を例に出されて納得させられた。
それともうひとつ。
ニシビアンコウの話題が出たついでに語っておくと、先日、ウィ
クライフからの研究報告がギルドまで届いていた。
発光体の綿密な分析を行った結果、やはり俺とおっさんが揃って
1046
ツバをつけていたとおり、ランタニアなる魔物が突然変異したもの
だと解き明かされたそうな。
添付書類によると、変異種の発生は稀にではあるが観測され得る
ケースなんだとか。
俺がこの世界で一番初めに討伐した賞金首、レッドウルフ︱︱正
式名称は忘却の彼方だが︱︱も、元を辿れば通常の狼型の魔物がル
ーツになっているらしい。
この新発見で俺は、人類の歴史と発展に貢献したとかがどーのこ
ーので事後協賛金として五万Gを手にした。
しかし命名権はくれなかったので﹃ランタニア・デル・ベネヒト
リクス﹄という舌と言語野をとことんいじめるような名前が勝手に
つけられていた。
勝手につけられた、で思い出したが。
それは俺にもである。
未開のマップに到達した功績が称えられて﹃ワイルド・フロンテ
ィア﹄、そして新種の生命体を発見したことから﹃ディスカバリー・
ハンター﹄の称号が、冒険者ギルドから正式に俺に与えられた。
前々から通行証にくっついている﹃ネゴシエイター﹄を含めて三
つあるうちの好きなものを名乗れとおっさんには言われたが、正直
どれも標榜したくない。
今の俺が欲しいのはそんなんじゃなくて、名実でいうところの﹃
1047
実﹄の部分。
実といえば︱︱。
﹁ついに、ついに試作第一号が完成したよっ!﹂
酒場の一席に腰かけた俺の目の前には今、たわわに育った果実が
二個並んでいる。
むしゃぶりついた瞬間に人生が終わる禁断の果実である。
﹁試作っていっても、アルコールを薄める加水用に使っただけだけ
どね∼﹂
﹁それがこの酒か﹂
﹁そう! クセのない麦のスピリッツ! 水のおいしさが一番よく
分かるよ!﹂
完熟フルーツの栽培者ことアリッサは、地底湖の水をふんだんに
使用したという蒸留酒を自慢げに持ちこんでいた。
確かにグラスに注がれた液体は素晴らしい透明感に満ちている。
﹁量に限りがあるから計画生産にしなくちゃだし、貴重な分お値段
も高めにつけさせてもらうけどさ、むふふ、こりゃいいブランド銘
柄になりそうだね!﹂
人当たりのいい笑顔で﹁ささ、どうぞ一杯﹂と勧めてくるアリッ
サ。
無味無臭で無色透明。パッと見だとただの水だ。
1048
﹁お兄さんのおかげで作れたお酒だからね、おすそわけじゃないけ
ど、試飲もお兄さんにしてもらわないと!﹂
真昼間からここに俺が呼ばれた理由が判明する。
﹁そいつはありがたいが⋮⋮これ割ってんの?﹂
﹁普通の水で割ったら味が濁っちゃうよ。クッとストレートでいっ
ちゃって!﹂
水を味わえということらしい。
ふむ、一理あるな。この美しい飲み物になにかを足すのは神への
冒涜に思える。原材料の麦を実らせた豊穣の女神ルミッテもさぞお
怒りになるだろう。なんでルミッテの名前が出てきたかというと、
覚えている神様がそれしかいないというだけなのだが。
グラスを持ち上げて、その端麗な水質を眺める。
この至高としか例えようがないルックスの時点で絶品は約束され
たようなものだ。
では早速⋮⋮。
﹁あっ、言い忘れてたけど、すっごい度数キツいよ?﹂
﹁ぶっ﹂
口に含み過ぎた分を噴き出す俺。
おせーよ!
1049
喉から尋常じゃない量の熱が込み上げてくるんだが!?
三半規管がイカれて横転する俺を、アリッサが珍しく深刻そうな
表情で覗きこむ。
﹁大丈夫? おっぱい揉む?﹂
が、発言の傾向はいつもどおりだった。
﹁お願いします﹂
大変魅力的なオファーだったので即承諾した俺も俺だけれども。
地底湖水を活かした蒸留酒は一気に飲まずに水なり果汁なりで割
りさえすれば、その最高品質の味わいを遺憾なく披露した。
が、しかし、掛け値なしに美味と分かればアリッサも調子に乗っ
て飲み続けるわけで。俺もなんだかんだでそれに付き合わされるわ
けで。
結局夕方まで飲み屋で管を巻いた俺は、痛む頭を抑えながら宿へ
と続く帰路につく。
町のメインストリートは地下層帰りと思しき冒険者たちで溢れて
いた。
誰も彼もがくたびれた顔をしているが、決して鬱屈とはしておら
ず、むしろ足取りは軽やかで、内心では胸を弾ませているに違いな
1050
かった。
それもそのはずだ、一日の疲れを癒やす美酒がこいつらには待っ
ているんだからな。
人々は色とりどりのランタンの明かりに導かれて、日が傾くにつ
れて活性化の一途を辿る繁華街へと誘われていく。
ここはいい町だとつくづく実感させられるな。
酒もうまいし、稼げるし。長期滞在プランも考慮に入れるべきか。
ただナツメには﹁同じ場所には長居しない﹂と雇う際に条件提示
してるからな。もう既に一ヶ月はリステリアに留まっているし、そ
ろそろ次の町に向かうべきか⋮⋮。
だが俺は声を大にして言いたい。
次の土地ではアリッサ級のおっぱいを揉めるのかと。
﹁ただいま⋮⋮って、あれ? ホクトだけか﹂
帰宅した俺を出迎えてくれたのは、部屋着代わりのチュニックに
着替えたホクト一人。
ミミとナツメの姿は見えない。
﹁お二方は買い物であります。夕食のパンとチーズを購入されるよ
うで﹂
﹁そうか。ナツメの目利きは確かだからな、うまいパンを買ってき
1051
てくれそうだ﹂
ホクトの説明を聞きながらベッドに横たわる。
﹁いやー、しかし、ここを離れるのはマジで惜しいな。ホクトも戦
えるようになって、安定して一日に百万G以上稼げてるからさ﹂
﹁それなのですが、主殿。今のうちに話したいことがあるのであり
ますが﹂
﹁なんだ?﹂
﹁や、大した話ではないのですが⋮⋮﹂
自分から切り出しておきながら、なぜかもじもじと言いにくそう
にするホクト。
背丈があって引き締まった四肢を持つホクトがそういう仕草をす
ると、ギャップのせいか妙にかわいげがあるように感じる。
﹁なんだよ。二人だけなんだから遠慮せずに話してくれていいんだ
ぜ﹂
﹁二人だけだからこそ逡巡してしまうのではありますが⋮⋮ええと、
まずは謝辞から述べさせていただいても構わないでしょうか?﹂
﹁謝辞? なんかしたっけ、俺﹂
﹁先ほど主殿が語ったとおりであります。自分のような不才にも活
躍の場を与えてくださったではないですか。主殿のはからいには日
々、心より感謝しているであります﹂
ホクトは真剣な眼差しで、けれど口元には笑みをたたえて語る。
﹁そのことか⋮⋮でも俺はきっかけを作っただけだよ。後はホクト
が頑張った結果だ﹂
1052
﹁きっかけを作っていただけたことへの感謝の念が尽きないのであ
ります。それまでの自分にはなにもありませんでしたから。ゼロを
イチにしてくださったのは主殿であります﹂
﹁そんなことはねぇけどな。元々ホクトは頼れる奴だったよ﹂
ベッドから身を起こし、ホクトに向き直る。
盾を手に八面六臂に立ち回るホクトが頼もしいのは間違いないが、
その前のアイテム運搬に従事していた頃から、俺の雑魚狩り中心の
探索活動には欠かせない存在だった。
並外れた怪力と、そしてなによりその篤い忠誠心を、俺は好きで
いる。
⋮⋮好きって、我ながらまた直接的な表現をしたものだな。
無駄に照れる俺は天井を指差しながら。
﹁お前とこういう話をしてると、真夜中の屋上を思い出すな﹂
﹁自分もであります。あの夜主殿にお言葉をいただけなかったら、
今も自分は忸怩たる想いを抱えたままだったでしょう﹂
ダークブラウンのホクトの瞳から迷いの色が消えて久しい。
久しいのだが、こうして長時間まじまじとホクトの目を覗きこむ
のも、おそらく屋上での一件以来ではなかろうか。
﹁⋮⋮なんか手放しで褒めちぎり合ってると気恥ずかしくなってく
るな。こりゃ確かに二人きりの時でないと出来ない話だわ﹂
﹁いえ、まだ続きがっ!﹂
1053
慌てて会話を継ぐホクト。
﹁またしても屋上で交わした話の振り返りになってしまうのであり
ますが⋮⋮ええとであります、あれです、あれなのでありますよ﹂
﹁どれだよ﹂
いつもは凛々しく伸ばしている背筋を若干及び腰になったように
曲げて、しかも目線を落ち着きなく左右に揺らしながら話すホクト
は、見るからに頭で考えていることを声に出して伝えるのを尻込み
していた。
それでもついに覚悟を決めたようで。
俺の目をうかがいながらこう言った。
﹁その⋮⋮あの夜主殿から﹃女にしてやる﹄とのお言葉を頂戴した
のでありますが⋮⋮覚えておられるでしょうか?﹂
そう口にしたホクトは、今日一番のもじもじ加減を見せた。
1054
俺、回収する
このタイミングでそんなことを言われて動揺するなというのも無
茶な話だ。
俺は﹁お、おう﹂とドギマギした返答をする。
確かに勢いに任せて豪語したけど。したけどだな。
﹁そりゃあ覚えてるけどさ⋮⋮ってかお前も本気で受け止めてたの
か、あれ﹂
目を伏せてこくりと頷くホクト。
どうやらホクトは、あの夜の俺の台詞がずっと脳裏に焼き付いて
いたらしい。
﹁差し出がましい真似とは重々承知の上でありますが⋮⋮﹂
耳を直立させたホクトは一世一代の告白でもしているかのように
気負いまくっている。
というか実際しているんだろうが。
﹁⋮⋮意味分かってんのか?﹂
﹁いっ、意味は分かるであります! そしてそれは不束ながら自分
も所望するところでありますゆえ⋮⋮その⋮⋮﹂
﹁その?﹂
1055
﹁じっ、自分も、敬愛する主殿の寵愛をお受けしたく!﹂
意を決したのか声のボリュームを上げたホクトは、どこまでも不
器用にどこまでも不恰好に、けれどどこまでも素朴でどこまでも真
剣な想いを言葉に乗せてきた。
変に着飾らない分、ダイレクトに胸に響き渡ってくる。
この期に及んで﹁あれは弾みだ﹂なんて言えるはずがない。
俺も男気を見せる時が来たようだ。
﹁分かったぜホクト。男に二言はねぇからな﹂
腹をくくった俺は、一度ホクトの人差し指からトパーズの指輪を
外し。
そして白らかな薬指にはめ直した。
﹁今日から俺とお前の繋がりは主従関係だけじゃない。男と女の関
係もだ﹂
今更言うまでもないがホクトは美形である。
鼻筋は通っているし、ほっそりとした顎のラインも玲瓏さを強く
印象づける。
だが愛玩動物的なかわいらしさのあるミミやナツメとは違い、体
格のせいもあるが、常に毅然とした態度を尊ぶこいつからは気高い
イメージが漂っている。
1056
そんな高潔な女を手籠めにするというのは⋮⋮。
率直に言って最高に興奮するな。
﹁ホクト、目を閉じろ﹂
﹁構いませぬが⋮⋮なにゆえでありましょうか?﹂
﹁いや分かれよ。俺だって目を見ながらは恥ずかしいんだからな﹂
俺がそう告げるとこの手の物事に疎そうなホクトもやっと理解し
たようで、瞬く間に額から首筋に至るまで顔中を紅潮させた。
それから二、三度深呼吸した後、グッと力を入れてきつく瞼を閉
じる。
俺はその緊張し切った顔を見上げ⋮⋮。
見上げ⋮⋮。
﹁しゃ、しゃがめ、ちょっとだけ﹂
男の俺がかわいく爪先立ちしたんじゃ格好がつかない。
ホクトは﹁面目ないであります﹂と恐縮して中腰になる。
﹁よーし。それじゃ気を取り直して⋮⋮﹂
﹁はっ。なにとぞよろしくお願いするであります﹂
再び目頭に力を込めるホクト。
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その気合の入りすぎた所作からも明らかなように、まだちょっと
表情や姿勢が硬い。顔も正面のアングルで固定してるし。
﹁もっと楽にしてくれ。首も少し曲げたほうがいいぞ。鼻が当たる
からな﹂
﹁あっ、す、すみませぬ。何分こういったことは経験が浅く⋮⋮﹂
﹁浅く?﹂
﹁⋮⋮申し訳ありません、つまらない見栄を張りました。無であり
ます⋮⋮﹂
ホクトはこの歳になるまでなんの常識も知らなかったことを恥じ
ているらしい。
﹁分かってないなー。そういうとこが逆に男ウケするんだぞ﹂
﹁そ、そういうものなのでしょうか。ですが自分はどうにも⋮⋮世
間知らずが露呈していくようで⋮⋮﹂
﹁まあいいから、言ったとおりにしてくれるか?﹂
﹁りょ、了解であります。では⋮⋮っ!﹂
首の筋が攣りそうなくらい全力で傾けていた。
なんだこのかわいい生き物は。
﹁じゃなくて、やりすぎだっての。自然体でいいんだよ自然体で﹂
﹁こ、こんな具合でありましょうか﹂
﹁そうだ。じっとしてろよ﹂
俺はホクトの後頭部に手を回し、軽く顎を上げさせると、ゆっく
りと顔を寄せて︱︱。
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﹁⋮⋮はぁっ⋮⋮﹂
重なった瞬間に、ホクトの唇から切なげな声がこぼれた。
しばらく時間の流れるがままにする俺とホクト。
最初は合間の息継ぎも忘れるほど硬直して強張っていたホクトの
体も、次第に力が抜けていき、こちらに身を委ねるようになる。
俺はその隙を見計らい。
ニュッと舌を忍びこませた。
﹁∼∼∼∼∼∼∼っ!?﹂
案の定、めっちゃジタバタされた。
ホクトの馬力で本気で暴れられるとモヤシの俺は放り投げられか
ねないのだが、なんというかこう、ほどよくふぬけていて平均的な
女子の腕力にまで落ちていた。
俺はホクトを抱き寄せたままキスを続行。
舌同士を絡ませ、上顎をくすぐり、歯の裏をなぞる。
そこまでやってもホクトは俺を弾き飛ばさない。それどころか未
体験のショックにも幾分慣れたようで、されるがままにしている。
ええい、だったら極限までやってやるぞ!
1059
逃げられるもんなら逃げてみやがれとばかりにキスに託した情熱
を増していく。
客観的に見ると俺もかなりのアホである。未だに酔いが残ってい
るらしい。
ひとしきり愛情を表現して唇を離した時、俺はホクトの絶佳美人
な顔が風呂上がりみたいに茹だっていることに意識を向けさせられ
た。
﹁あ、主殿ぉ⋮⋮﹂
唇を奪われたホクトはくらくらとして、ピシッと通っていた芯が
一本丸々抜けてしまったかのようになっていた。これは初めての口
づけで骨抜きにされたというだけでなく、飲み屋帰りの俺が吐く息
が酒気を帯びているからでもあるだろう。
﹁この気持ちが、疲労感が⋮⋮女になる、ということなの、で、あ
りましょうか⋮⋮﹂
表情も声音もとろけ尽くしたホクトが、しとどに濡れた瞳で俺を
じっと見据えている。
﹁いいやまだだ。すまんホクト、完全にスイッチ入ったわ﹂
俺はホクトの肩に手を置いて、そのまま体重をかけてベッドに押
し倒した。
昼夜問わず気丈に振る舞っている上に、腕力に長けた女相手だか
ら征服感が凄まじい。
1060
﹁一応聞いておくけど、今ならまだ引き返せるぜ﹂
﹁⋮⋮か、覚悟はしておりました。不肖ホクト、すべてを捧げる心
積もりでありますっ﹂
無自覚だろうにやたらと俺のツボを突いてくるな。
ともあれ、本人が覚悟を決めているのであれば、それに応えない
わけにはいかない。
そもそも俺自身もパンツの中が窮屈になり始めていますし。
よし、なによりも心踊る探索を開始するとするか。
﹁あっ、ですが、下着はっ!﹂
慌てた様子のホクトがなにかを言い終わる前に、俺はチュニック
と、その下のパステルカラーのシュミーズもポイポイッと脱がせて
いた。
日々鎧による厳重なガードが敷かれたホクトの裸体が露になる。
﹁やああ⋮⋮お見せしてしまいました⋮⋮﹂
馬の耳をへたらせて、赤面した顔を心底恥ずかしそうに両手で覆
ったホクトは、日頃のしたたかさが見る影もないふにゃふにゃの声
でそう言う。
どこに恥じるようなところがあるのか俺には分からない。
1061
さらけ出されたホクトの胸はさほど大きくはないが、思わず特筆
したくなるような見事な張りが合り、瑞々しい肌と相まって十分な
魅力を備えていた。
しかしそれ以上に俺はホクトの腹に目を奪われていた。服の上か
らでもうっすらと分かる筋肉の質感でなんとなく想像はできていた
が、綺麗に六つに割れている。
﹁うう、お目汚しを詫びるであります⋮⋮自分はこのような女性ら
しからぬ蛮骨な体の持ち主、主殿がお気に召されないのももっとも
であります⋮⋮﹂
﹁い、いや、俺はこういうのも⋮⋮その、なんだ、﹃アリ﹄だと思
うぞ﹂
俺は自らの貧困な語彙力を呪った。
﹁ア、アリとは?﹂
﹁アリといったらアリなんだ﹂
﹁主殿としてはアリなのでありましょうか?﹂
﹁そう。アリなんだよ﹂
が、頭のレベルが近いのでちゃんと伝わってくれた。
﹁つまりだな、これはお前に盾を持たせた時の話と同じだ。欠点な
んかじゃなくて他にない長所なんだよ。これからの時代はおっぱい
よりお腹なんだよ!﹂
一体俺という奴はなにを口走っているんだと内心冷ややかにツッ
コミながらも、勢いを重視する俺はふよっと揺れている胸ではなく、
あえて性感帯要素のない腹筋に触れる。
1062
﹁俺はお前の個性をとことん愛してやるからな。ほれほれほれ﹂
﹁主殿っ、く、くすぐったいであります! ひゃっ、ふひゃひゃっ
!﹂
悦ばせるというよりも、緊張をほぐすようにホクトの腹をさする。
腹筋の割れ目を指でなぞるように。あるいは盛り上がった箇所を
撫でるように。
魔物と対峙している時には断固として鉄壁の守りを崩さないが、
くすぐったさには耐えられないようで、屈託のない笑い声を漏らす
ホクト。
﹁ひゃっ⋮⋮あ⋮⋮んっ⋮⋮﹂
でも触ってるうちにどんどん艶っぽい嬌声に変わっていった。
⋮⋮。
前言撤回。要素はあった。ホクトにはこっちの才能がある。
しかしながら溢れんばかりのその才能も、本職には敵わなかった。
この先は語るまでもないだろう。
下ネタを盛りこんだ創作落語みたいなしょーもない話になってし
まうが、なぜ馬の肉のことを﹃桜肉﹄と呼ぶのかが、なんとなく分
かった気になったとだけ言っておく。
1063
﹁ただいまですにゃ∼。にゃにゃっ!? さ、さ、寒いですにゃ⋮
⋮窓を閉めちゃってもいいですかにゃ?﹂
ハミングしながら各種のパンを山盛り詰めこんだカゴを抱えて戻
ってきたナツメは、帰宅するなり全開になっている窓を閉めて回っ
た。
俺とホクトはそれを﹁ははは﹂﹁ふふふ﹂と白々しい笑顔で見守
る。
が。
さすがにミミは勘付いたらしい。というかホクトの薬指を見た時
点で、自分たちが買い物に行っている間になにがあったかは概ね察
せたようで。
﹁シュウト様、ミミも、もっともっと頑張りますね﹂
と、﹁頑張ります﹂が﹁頑張るぞい﹂に聞こえてきそうな表情で
ぐっと両手の拳を握って意気込まれた。
俺は二人して熱っぽい視線を送るミミとホクトの顔を見比べて、
いい加減女奴隷の主人らしく甲斐性も磨かなきゃならないなと痛感
させられる。
苦笑いしていると﹁ごはんにしましょうにゃっ﹂という俺の心境
など露知らずな浮かれた声がかかった。
ナツメが準備した夕食を囲みながら、改めて思案する。
1064
とうとうホクトとも一線を越えてしまった。
だがこれでホクトと屋上で交わした約束はどちらも叶えたわけだ
し、この町で建造したフラグは全部回収したともいえる。
ある意味では区切りがついたか。
貯蓄も昨日の時点で総額二千五百万Gを超えている。
そのうちの半分以上がここリステリアで稼いだ金だ。一つの町で
得られた収益にしては十二分だろう。
地下層を上回る金策スポットが次に向かう地方にあるかどうかは
ギャンブルになってしまうが、度を過ぎた長居をする理由には薄い。
ナツメへの建前もあるし、なにより屋敷を買うに相応しい町を決め
るまでは、根無し草を続けるつもりだ。
他にこの地でやり残したことといえば⋮⋮いや、厳密には二回や
っているから心残りと言い換えるが⋮⋮アリッサのおっぱいくらい
だな。
あの魅惑的な果実とお別れするのは惜しい。惜しいが、しかし。
﹁このハーブのフォカッチャは実に美味でありますな、主殿!﹂
憂いのない晴れやかな顔つきでパンをかじるホクトを見ていると、
その未練を断ち切ってもいいやと思わされる。
そろそろ楽園から追放されとくか。
1065
俺、祝福する
翌朝。
市場で旅の補給︱︱といっても地域限定のアルコール類の買い溜
めがほとんどだが︱︱を済ませた俺は、ミミたちにヒメリを呼びに
行かせ一人教会へと出向いていた。
壮麗にして荘厳なステンドグラスがいつものごとく俺を迎え入れ
る。
結構な期間この施設には世話になったことだし、黙って去るのは
忍びない。
袖振り合うも多少の縁。別れくらいは告げておかないとな。
まずは礼儀として、教団のトップである司祭のジイさんに。
祭壇の前には今日も数多くのシスターと神官が恭しい面と姿勢を
して集まっている。その輪の中心に、真っ白い装束をはためかせた
司祭はいた。
﹁子羊ではないか。祭壇にまで赴くとは珍しい。如何な用件だ?﹂
﹁用件、ってほど大それた話じゃねぇけどな⋮⋮今日の午後にはこ
の町を離れるから、伝えておこうと思い立ってさ﹂
そう明かすと、神官連中がざわついた。
1066
まあ多額の寄付を繰り返した俺はこいつらにとっちゃお得意先だ
ったろうしな。
﹁だからもう俺をアテにしないでくれよ。この先財政が落ちこむか
も知れねぇけど⋮⋮﹂
﹁いや、心配には及ばん。子羊が案ずるような問題でもない。先の
出来事を見通すなど、それは神にしかできぬ所業だ﹂
司祭は厳然として答えた。
﹁先を望むのは大切だ。しかし過去の価値が消えるわけではない。
ゆえに子羊が過去に築き上げた功績を、我々はただただ称えよう⋮
⋮盛大にな﹂
貫禄のある声でそう言ったかと思えば、信徒一同を見渡して﹁送
別の準備を﹂と告げる。
その号令を契機ににわかに慌しくなり始めた。
どうやら俺を送り出す式典を緊急で開くつもりらしい。
数人の神官がワインを取りに行っている間にサヤを含む修道女た
ちが急いでクリスタル細工のグラスを手配すると、しばらくして台
車に乗せられた樽が運ばれてくる。
﹁樽からかよ。また本格的な⋮⋮というかこの教会、ことあるごと
に酒飲んでないか?﹂
﹁酒は百薬の長というからな﹂
ニヤリと笑う老人。
1067
その大義名分めいた言い草と、サヤにワインを注いでもらってい
る時の嬉しそうな表情で察した。このジイさん、なんだかんだでア
リッサと同類だ。
いや、そもそもアリッサが司祭に色濃く影響を受けているのかも
知れない。
ものの十分ほどで臨時式典を行う用意は整った。
慣例なのかどうかは謎だが、無駄に長々と繰り広げられる教義を
まずはやり過ごす俺。
本題に入ってくれたのはそれからだった。
﹁式を開いたのは他でもない。勇敢なる﹃ワイルド・フロンティア﹄
の⋮⋮﹂
﹁異名で呼ぶのはやめてくれ。死ぬほど恥ずい﹂
ギルドのおっさんにつけられた称号にシスターたちが失笑してい
る。
思春期の少女のクスクス声はなぜこんなにも胸をえぐるのだろう
か。
でも﹃ディスカバリー・ハンター﹄を名乗るよりはマシなんだ。
あっちは衛星放送とかで過酷なロケを敢行させられてそうだし。
﹁では、港町より来たりし冒険者シュウトよ﹂
1068
司祭が腕を伸ばし、高々と杯をかかげる。
真紅の液体がステンドグラスから漏れる日差しを透過した。
﹁終わりなき旅路に身をやつす汝に、戦いの神ダグラカの加護があ
らんことを﹂
神の祝福を祈られる。教団最高位の人物だけあって、一言一句に
深みがある。
﹁そしてその新たな門出を祝して︱︱乾杯!﹂
参列していた全員がグラスを持ち上げた。
神妙な面持ち、なんてものは誰の顔にもなく、むしろ明るい雰囲
気に終始していた。
金にガメつい神官が、穏和な笑みを向ける熟年シスターが、威風
堂々とした佇まいの神官長が、﹁お疲れさまでした﹂と一言添えた
サヤが、そしてほんの少しだけ頬に朱を差した司祭が、続々と近づ
いてきてグラスを俺のものとぶつける。
飲んだワインの量がバラバラだから、グラスが鳴る音程もバラバ
ラだった。一人として同じ音色がなく、それがまるで軽快な楽曲を
奏でているようで、耳を飽きさせない。
別れに付きまとう物悲しさとは無縁だ。こういう送り出され方の
ほうがありがたい。
だが俺はそわそわと浮き足立った感覚が拭えないでいた。
1069
この場にいない奴がいるからだろう。
俺は皆に見送られると、すぐに教会裏手にある酒蔵へと走った。
﹁そっか。行っちゃうんだね﹂
町を出ることを伝えた時、アリッサはしんみりとした台詞を口に
した。
が、その手には当たり前のように飲みかけのワインボトルが握ら
れているし、なんなら口元もだらしなく緩んでいて、要するに普段
どおりの聖女様のご様子なのでまったく情感ってもんがなかった。
﹁せっかく仲良くなれたのに、寂しくなるね∼。うっうっ﹂
﹁泣く演技をするならもうちょいうまくやれよ﹂
﹁バレた?﹂
﹁バラす気しかないだろ﹂
けど、それでいいとも感じる。湿っぽい別れは俺とこいつには似
合わないからな。
﹁でも寂しいのはホントだよ﹂
声のトーンを少し落とすアリッサ。
﹁魔物もたくさん倒してくれたし、この前なんて地底湖まで見つけ
てくれたでしょ? おかげでお酒造りが凄いはかどったもん。お兄
さんには感謝しかないよ。だから、感謝の印を渡しておきたいな﹂
1070
そう言って胸元に手を入れ、ごそごそとまさぐった。
しかし﹁ごそごそ﹂という効果音が正しいかは微妙だ。手を動か
すたびに胸が揺れているから﹁ぷるぷる﹂とか﹁ゆさゆさ﹂のほう
が適切かも知れない。ぷるぷるとまさぐる。この表現がセーフにな
るか否かで国の平和さの尺度になると思われる。
俺がそんなことを考えている間にアリッサはなにかを取り出して
いた。
﹁あたしがずっと持ってたロザリオ。エルシード様の教えが刻まれ
たものだけどさ﹂
十字架つきの数珠だ。静かな銀の輝きをたたえている。
﹁これ、あげるね﹂
それが俺の手の平の中にぎゅっと握りこまされた。
アリッサの体温がほんのりと伝わってくる。俺の手に触れた指先
からだけでなく、肌身離さず胸の中にしまわれていたロザリオから
も。
十字架には小さく刻印が入っているが、俺にはその文字が読めな
かった。
﹁んふふ、司祭様は真面目だからダグラカ様の薫陶を授けたと思う
けど、お兄さんにはこっちのほうが似合いそうよね。なんてったっ
てエルシード様は幸運の神様! 楽しく生きようと思ったら天に愛
1071
されてるのが一番だよ、いつでもどこでも﹂
﹁いいのか? ずっと持ってたって⋮⋮貴重なものなんだろ?﹂
﹁ここだけの話、十字架って支給品だからなくしたって言えば新し
くもらえるわけよ﹂
最後の最後まで酷いなこいつは。
﹁このロザリオをあたしだと思って⋮⋮あっ、訂正。あたしのおっ
ぱいだと思って﹂
﹁思うかよ﹂
﹁でも温度は近いよ?﹂
﹁いつか冷えるわ﹂
不毛すぎる会話が続いた後で。
﹁とにかくさ、忘れないで持っていてほしいな﹂
急にそんなしおらしいことを寂莫さの滲んだ微笑混じりに言って
くるから、こいつは男の扱いがうまいなと感服させられる。
﹁忘れるかよ。俺はうまい酒といい女は忘れないからな﹂
﹁それなら安心だね! うちのお酒はどこの町よりもおいしいもん
!﹂
赤らんだ顔で﹁じゃあね﹂と言って上げたアリッサの手には特産
のワインの瓶が握られたままで、中身がちゃぷんと揺れる音が響い
ていた。
それが、らしいな、と思う。
1072
ここが切れ目なんかじゃないことを、言葉よりも態度で示してく
れているようで。
1073
俺、祝福する︵後書き︶
これでリステリアでの話はおしまいです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
評価感想大変励みにさせていただいています。次話からは違う町で
のストーリー︵冒険者にスポットを当てた話の予定︶になりますの
で、もうしばらくお付き合いいただければ幸いです。
1074
俺、迂回する
街道の外に広がる湿原地帯が、ようやく違った景色になり始めた。
今の俺の目には代わりに茫漠な平野部が映っている。
色鮮やかな緑が散りばめられた大草原だ。
吹きつけてくる風からも濡れた土と苔の臭いが消え失せ、その乾
いた感触が、もうここがリステリア地方ではないことをありありと
告げていた。
ここに至るまでに二晩の野営を要した。
狭いテントの中で過ごすのはいつまで経っても好きになれない。
ベッドを使えないからどうしても寝つきは悪くなる。俺も、そし
て隣をうとうとして歩くミミも寝不足だ。もっともミミの場合はい
つも眠そうに瞼をとろんとさせているので、本当に寝不足なのかど
うかは表情からだと読み取れないのだが。
一方でナツメは元気なものだ。今朝からずっと鼻歌を絶やしてい
ない。
昨夜からして俺が眠りに就く頃にはヘソ丸出しで幸せそうにイビ
1075
キをかいていたし、その環境適応力の高さが羨ましい。
だが、それすら凌駕して活気づいているのは⋮⋮ヒメリである。
深緋の鎧と銀の剣の重量をものともせず、軽やかな足取りで俺の
前を行っている。
﹁さあ! あともう少しですよシュウトさん! 新天地が私たちを
呼んでいます!﹂
なぜか、気持ち悪いくらい張り切った様子で。
話は二日前にさかのぼる。
﹁おはようございます、シュウトさん。それとお三方も。早速です
が次に行くことのできる町について説明させていただきますよ﹂
リステリアを発つ前にヒメリが提示してきた目的地候補は、三つ
もあった。
﹁まず一つ目は、ここから南にある﹃ハーミーン﹄﹂
世界地図を開いて﹃ハーミーン﹄なる町名を探してみる。
ヒメリは、南、と簡単に述べていたが、地図上で見つけたそこは
現在地リステリアからはかなりの距離が隔てられている。
というかこの大陸の一番端っこだ。最南端に位置する町か。
1076
﹁ハーミーンは私たちの出身地、フィーと双璧をなす港町です。で
すが港としての機能よりも観光地としてのほうが有名でしょうか。
温暖な気候と新鮮な魚介類、そしてドルバドル随一の美しい砂浜を
持ちますからね。そこから望む海は絶景と聞きます﹂
﹁海か。泳げるじゃん。海水浴しようぜ海水浴﹂
﹁更に港からは﹃ジーベン諸島﹄と呼ばれる自然豊かなリゾート地
に渡れます。七つある島々はそれぞれ趣が異なるそうですが⋮⋮ど
こも貴族などの富裕層に人気ですよ﹂
﹁最高だな。そこにしよう﹂
のんきに答える俺。が、ヒメリは待ったをかけた。
﹁申し上げましたがハーミーンは港町。つまり、ここから反対側の
大陸に移動できるんですからね。私たちが取る道順を鑑みるとこの
町は後回しにすべきです﹂
どうやらスケジュールってもんがヒメリの中では組み上がってい
るらしい。
﹁じゃあ最初から言うなよ﹂
﹁い、一応お話しておくべきかと思いまして﹂
まあ俺としては、こいつがツアーコンダクターみたいな役割をや
ってくれるんならそれはそれで楽でいい。
自信ありげなヒメリ添乗員のプランを聞かせてもらうか。
﹁まあいいや。他の二つは?﹂
﹁第二候補は﹃ユペリオ﹄という町です。地域的特徴を簡素に説明
しますと、南西部にある火山地帯ですね﹂
1077
﹁火山て。行きたくねぇなあ⋮⋮﹂
﹁ですがユペリオも巷で評判の行楽地ですよ。なにせ温泉が湧いて
いますから﹂
﹁なっ⋮⋮温泉だと?﹂
水着チャンスが却下されたと思ったらそれ以上が来た。
俺の大和魂とスケベ心が同時に騒ぐ。
﹁ええ。なんでも、町全体が観光用に改造された温泉街になってい
るんだとか。それに火山内部は高ランクを志す冒険者にとって憧れ
の修練の地で⋮⋮﹂
﹁いやそっちはどうでもいい。温泉ってだけで魅力満点だ。早く行
こう﹂
暫定的にリステリアに下した﹃八十点﹄という良評価を更新する
可能性が極めて高い。
﹁いえ、こちらもルート的には後半に回したほうが合理的です。ま
だ大陸の東側には多くの町が残っていますので。どうせ最終的には
ハーミーンに向かうんですから、一旦この方角にまで戻る予定です
しね﹂
またかよ。
﹁分かった分かった。要するにお前は残る最後の候補地に行きたい
んだな?﹂
﹁うっ。ま、まあ、そういうことなのですが﹂
﹁いいよ。たまにはお前の決めた町に行こうぜ。どの道全部の町を
見て回るんだからな、順番がちょっと入れ替わるだけだ﹂
1078
勝手についてきているだけとはいえ、こいつもまた旅の連れの一
人。
この程度のささやかなワガママくらいは聞いてやるか。
俺の了承に、ぱあっと分かりやすく表情を晴らして﹁ありがとう
ございます!﹂と心の底から嬉しそうに礼を口にしたヒメリは、す
ぐさま橙色の瞳にメラメラと炎を灯して。
﹁感謝しきりです。どうしても、今の時期でないといけませんから
⋮⋮!﹂
今の時期じゃないといけない、というヒメリの言葉の意味は分か
らずじまいだったが。
しかし町の特色を聞くとヒメリが行きたがる理由は汲めた。
上昇志向が服を着て歩いているようなこいつの性格を考えれば、
その土地に強い憧憬を抱くのはごくごく自然な流れだろう。
﹁服着て歩くなよ。どうせなら上昇志向剥き出しで歩いてくれ﹂
﹁一体なにを言ってるんですか﹂
町から町へ移動する時は大体こんなふうにアホみたいな会話をし
ているが、昨日今日はセクハラ気味の発言をしてもあまり怒られな
かった。
ヒメリの機嫌が最高潮だからだろう。
1079
今なら抱きついても﹁も∼﹂みたいな感じで許されそうな気がす
る。しないけど。
﹁そんなことよりです﹂
徐々に目的地が迫ってきているという事実を噛み締めて、欣喜雀
躍の感情を隠し切れないでいるヒメリの人差し指が︱︱ぴっ、と前
を示す。
俺は思わず足を止めた。俺だけじゃなく、荷馬車を引くホクトで
さえ。
﹁いよいよ見えてきましたよ。あちらが此度の町です!﹂
この距離からでも視認できる巨大なドーム状の建造物が、広大な
面積の中にいくつも点在するそこは、ヒメリがこれまでになく熱意
を込めて解説していた場所。
剣士ヒメリの眼差しはそこに集約して動かない。
まんじりと見つめる目の燦然たる輝きは、夜空を彩る星や気品に
満ちた宝石細工さえも及ばないのではと錯覚させられる。
あれが闘技場の町、﹃ネシェス﹄。
大陸最大級の町だ。
1080
俺、赴任する
町に踏み入った瞬間、俺はその規模のでかさに目眩がしそうにな
った。
円形闘技場を中心とした町作りが進められているというネシェス
は、この世界基準だと屈指の大都会のように思われた。
鮮明な色彩感覚が押し出されたレンガ建築がずらっと立ち並ぶ様
は壮観で、それがどこまでもどこまでも続いている。居住区と商業
区の境目が見当たらない。
だが同時に、古代ローマのような威風も備わっている。それもす
べて、町のド真ん中に鎮座する、どの方角からでも望めるであろう
壮大すぎる闘技場から受ける印象のせいに違いない。あのひとつだ
けが類似の施設と比べて格段に古式ゆかしく、かつ重厚長大だ。
これまでのどの町より先進的でありながら、この上なく伝統的で
もある。
相反する要素が見事なまでに同居していた。
そして溢れんばかりの人、人、人。しかもその過半数がガチガチ
に武装した冒険者だというのだから恐ろしい。盛んに情報交換がな
される様子や、店先で物資の補充を行っている光景がそこかしこで
見られる。
にしても、ちょいとばかし多すぎるんじゃないか、これ。
1081
この町のギルドのキャパシティはどうなってるんだ。
﹁ふふふ、やはり時期が功を奏しているようですね。見てください、
感じてください、この町中にほとばしる活気を! なにからなにま
で私が夢見ていたとおり、いえ、夢見ていた以上の場所です﹂
ヒメリはネシェスに到着してからずっと興奮しっぱなしだった。
童心に返ったかのように目をキラキラとさせて、独特な町の景観
を、そのひとつも見落としたくなさそうな勢いで見物している。年
甲斐もなく。
﹁見物している。年甲斐もなく﹂
﹁全部声に出てますよ! というかわざとでしょう!﹂
ヒメリは二十代らしからぬ溌剌としたリアクションを見せた。
﹁いいんですよ。シュウトさんと違ってあと十年間二十代を名乗れ
るんですから﹂
﹁そうか。ところでミミ、お前いくつだったっけ﹂
﹁今年で十九を迎えました﹂
﹁うむ﹂
﹁なんで私を見ながら頷いてるんですか!﹂
そんなことは関係なくてですね、とヒメリは続ける。
﹁御覧のとおり、この町は闘技場が大きなファクターを占めていま
す﹂
﹁まあ、そんな感じはするな。だからってこんなにも冒険者がいる
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もんかね﹂
雑然とした周囲を見渡しながら言う俺。
﹁全員闘技場で腕比べでもしてんのかな。めっちゃ飽きそうだけど﹂
﹁その件に関してですが⋮⋮一度シュウトさんにも詳しい話をして
さしあげようかと﹂
﹁ほう。珍しいな、お前がこんなに干渉してくるなんて﹂
﹁そのくらい重要な話なんです。今の時期のネシェスに滞在する限
り、絶対に避けては通れない話題ですから﹂
﹁随分と煽るな。そんなにでかい話なのか﹂
こくりと首肯するヒメリ。
﹁闘技場絡みか?﹂
この質問にも頷いた。その瞳には強い意志の炎が未だ宿っている。
﹁そこまで言われたら俺も気になってくるな。早く教えてくれよ﹂
﹁いえ、ここよりも闘技場を見学しながらのほうが明快にお分かり
いただけるかと。視覚的な情報を添えられる分説明もしやすいです
からね﹂
なぜかもったいぶってきた。
﹁私は一足先に町中央の闘技場に向かっていますので、宿泊手続が
終わったらでいいですから、シュウトさんも是非来ていただければ
!﹂
ヒメリは﹁お待ちしています﹂と最後に一言残して、石畳の道路
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を駆けていった。
﹁回りくどい奴だな。さっさと喋ってくれりゃいいのに﹂
後頭部をポリポリと掻く俺に、ミミが問いかけてくる。
﹁いかがなさいますか? シュウト様﹂
﹁どうすっかな⋮⋮放置したら面白そうだけど、キレるよな、さす
がに﹂
﹁自分は強く興味を引かれるであります。いやはや、町全体を包む
武人たちの熱気に中てられてしまったのかも知れませぬな﹂
ホクトは血の騒ぎを覚えているようだった。
で、目新しいもの好きのナツメはといえば。
﹁楽しそうだから行ってみたいですにゃ! せっかくですし!﹂
概ねいつもどおりだった。
﹁うーん。だったら行ってみるかな﹂
やけに含みを持たせたヒメリの言いぶりも気になるし、闘技場と
やらの観戦ついでに話を聞くとするか。
どうせ今日は時間的に探索には出かけられないしな。
﹁けどその前に、いつもの作業からやっておくか﹂
俺が新しい町に着いて最初にやることなんて大体決まっている。
1084
まずは手頃な宿探しと、それからその町で運営されているギルド
に顔を出すこと。次に武器屋と防具屋の品揃えチェック。そしてう
まいパン屋があるかどうかの確認だ。
幸いにも四人部屋のある宿はあっさり見つかったし、荷物の運び
入れもホクトがほとんど一人で終わらせてくれた。
探索スポットの調査を兼ねたギルドへの顔見せも滞りなく済ませ
られた。
炙ったベーコンを挟んだパニーニを頬張るナツメの多幸感に満ち
た表情が物語っているように、これからしばらく世話になりそうな
パン屋も発掘できている。
大方の地盤は固まった。
後は装備品関連なのだが⋮⋮。
﹁マ、マジか、この剣⋮⋮こっちのハンマーも⋮⋮﹂
二階建て構造の広い店内を物色する俺は衝撃を受けていた。
鉄や鋼の質実剛健を絵に描いた鈍い輝きとはまるで異なる、赤や
青などの原色が含まれたセンセーショナルで芸術品めいた美麗な色
合い。
見紛うはずがない。
1085
﹁なんで当たり前のように売られているんだ? これレアメタルだ
ろ?﹂
﹁そうだね。こっち側の壁にかけてあるものは全部そうだ﹂
こともなげに答える店主のおっさん。
片や俺は、口をあんぐりと開けることしかできなかった。
確かに大型店だし、白と黒のタイルが貼られたゴシック調の外装
も洒落てるなとは思って入った武器屋だが、これほどまでに充実し
ているとは予想外だ。
﹁別にうちだけじゃないよ。この町はレアメタルの名産地デルガガ
との交易ルートが開通してるからね。供給が安定してるのさ﹂
なるほどな。
闘技場という単純明快な競争の舞台があるから需要も凄いんだろ
う。
しかし価格はボッタクリである。レアメタルの取引相場は、武器
に用いられるだけの量だと十五万G前後⋮⋮と俺はフィーにいた頃
に学んでいたが、この店で売られているレアメタル製の武器はいず
れも四十万Gを超える値がつけられている。
手間賃と人件費にいくらかけてるんだよ。
しかしこれだけ強気な価格設定でも商いをやっていけてるってこ
とは、問題なく売れてるんだろうな。恐るべし闘技場特需。
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無論俺としても見逃せない。
ただ、これだけ種類が豊富だと目移りしてしまうな。
両手持ちの鎚や斧のような重い武器は迷いなくパス。棍や槍など
の長物も使いこなすまでが遠そうなのでスルー。
そうやって適正を考えていったら結局剣しか候補に残らなかった。
﹁剣か⋮⋮もう四本もあるからな⋮⋮﹂
今のところは不自由していない。となれば。
﹁短剣を見せてくれるか?﹂
この機に安価な武器しか与えられていないナツメを強化しとくか。
﹁レアメタルの短剣だと、これがイチオシかな﹂
柔和な顔をしたおっさんが一旦席を外して取ってきたのは、全長
三十センチにも満たないナイフ︱︱が、二本。鞘も柄もまったく同
じデザインが施されている。
おっさんはそれらをスッと抜いて。
﹁こいつは﹃断崖鉱のダガーナイフ﹄といってね、二本で一つの武
器だ。強度と切れ味が抜群なのはレアメタルだから当たり前。真骨
頂はなんといっても地属性の魔力だね。使い方は至ってシンプル。
こうやって刃同士を軽くぶつけ合うだけでいい﹂
﹁うおっ!? 危なっ⋮⋮﹂
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⋮⋮くなかった。かすかに黄味がかった銀刃と銀刃とが接触した
が、見た目にはなにも発生していない。
﹁な、なんも起こってないじゃん﹂
﹁外見上はね。でもこうすることでナイフの重量に変化が起きるん
だよ﹂
﹁重量?﹂
﹁手に持ってごらん﹂
おっさんから一対のナイフを渡される。
俺は怪訝に思いつつも何気なく握ったつもりだったが、左右の手
にそれぞれ伝わってきた感覚は、意外にも大きく異なっていた。
片方は軽く、もう片方は重い。
二本の規格はまったく同じだというのに。
﹁驚いたかい? このダガーナイフはね、天秤のように質量に揺ら
ぎを起こせるんだよ。今だとお客さんが右手に持っているほうが元
の四分の一程度にまで軽くなっていて、減った分の重さが左手側の
ナイフに移動している。そっちは重く感じるでしょ? だけど総重
量に変化はない。だから二本で一つの武器なのさ﹂
﹁どういう意味があるんだ、それ﹂
﹁簡単だよ。軽くなったほうは威力こそ落ちるけど、その分素早く
振れるから剣速がグッと上がる。重くなったほうはその逆で、振り
辛くなる代わりに与えるダメージが増す﹂
﹁ふーん。そういう使い方か﹂
﹁もちろん通常の状態のままで戦うこともできるから、使い分けが
1088
肝心だね﹂
質量保存の法則を鼻で笑うかのような武器だな。
それにしても相当クセのありそうな追加効果である。少なくとも
俺にはどう扱っていいのか分からんので、短剣慣れしたナツメに任
せるとしよう。
代金の四十二万6000Gを支払って早速ナツメに手渡すと。
﹁大事に使わせていただきますにゃ!﹂
と、弓なりの目をして言って、愛用する皮製のナイフホルダーに
チャッと納めた。
ナツメはそこからしばらく気取ったポーズを模索していたが、ど
のキメポーズを試してもミミがその都度拍手を送っていたので、程
々で満足したらしい。今では得意げに瞼を閉じてやり切った顔をし
ている。
さて。
とりあえずの装備の新調も終わったし、闘技場のヒメリに会いに
行くか。
1089
俺、観戦する
町の中心部に向けてだらだらと歩くだけで辿り着けた闘技場周辺
には、ここは祭かアジアの夜かってくらいの数の屋台が出店してい
た。
肉の脂が焦げる、胃袋を鷲づかみにして離さない匂いと、スパイ
スの爽やかでありながら難解でもある香りがそこら中に漂っている。
かと思えばエールを貯蔵した樽からは大麦の薫香もしてくるし、種
々様々なパンが焼き上がる香ばしい匂いも俺の鼻をくすぐってくる。
端的に言うと、なんでもあった。
これらを片手に観戦しろってことなんだろう。
実際、門の前で待っていたヒメリはファストフードをどっちゃり
買いこんでいた。
﹁お待ちしていました。約束どおりに来ていただけて光栄です。も
のぐさなシュウトさんのことですから平気ですっぽかされるかと思
っていました﹂
﹁うるせぇよ。次から本当にそうするぞ。⋮⋮ってか、妙にウキウ
キしてんな、お前﹂
﹁当然です。この闘技場には是が非でも訪れたいと思っていました
から﹂
とはいうが、メープルシロップのかかったプレーンピザを一口く
わえるたびに至福の笑みを浮かべていたので、一体どっちが本当の
1090
目的なのか謎である。
ともあれ﹁深い話は入場を済ませてから﹂と腹ペコ剣士ヒメリち
ゃんが言ってきたので、それに従う。
まずは入場窓口へ。
﹁伝統と歴史あるメイン・コロシアムへようこそ。本日は終日模擬
戦となっていますので、座席も無料開放させていただいております。
ご自由にお入りください﹂
窓口のお姉さんはニコニコと愛想よく応対してくれた。が。
﹁模擬戦ってなに?﹂
観客席に続く通路を歩きながらヒメリに尋ねる。
﹁練習試合みたいなものですよ。つまり今日は報酬が発生する対戦
は行われない、ということですね﹂
﹁なんだ。つまんねぇな。数少ない娯楽施設なのに﹂
﹁その代わり無料で入れるんですからいいじゃないですか。それに
模擬戦とはいえ、目で見て学べることはたくさんあるはずです﹂
やる気の塊であるヒメリはポジティブな発言を繰り返していたが、
俺が見たいのは真剣勝負である。
タダだからって練習なんか見ても仕方ないだろ、と俺なんかは思
うのだが、わざわざキャンプ地にまで赴く熱狂的なスポーツファン
のように、お気に入りの選手を眺めて喜ぶ奇特な客もいるのかも知
れない。
1091
現に、通路を抜けた先にそびえる観客席にはちらほらと見物人の
姿が見られた。
万単位の客を楽に収容できそうな馬鹿でかい会場だからまばらに
感じるが、実数で測ると三百人程度はいるだろうか。
﹁おお⋮⋮めっちゃ広いな﹂
俺はこの観客席のすべてが埋まった情景を想像して、軽く身震い
した。
で、だ。
座席を選ばなくてはならない。
全席自由だしどの方位からでも観戦できるようになっているが、
近い距離で見たい、というヒメリのたっての希望で最前列の席に座
る。
けれどヒメリ以上に、ナツメが興奮を覚えていた。
﹁にゃにゃにゃあっ! と、途轍もないエンターテイメントですに
ゃ!﹂
目を輝かせて席を立ち、より間近で体感しようと柵のほうまで駆
け寄るくらいに。
その興奮はホクトも巻きこみ、そしてミミにまで伝播した。ミミ
は眠そうな瞼を持ち上げ、ホクトは手の平に滲んだ汗をぐっと握り
1092
こんでいる。
それもそのはずだ。正方形のフィールドに視線を落とすと、そこ
では臨場感溢れる模擬戦が繰り広げられているんだから。
装飾が一切施されていない無骨なこしらえの片手剣を手にした重
戦士が、これまた質素な外観の丸型の盾を構えて突進すると、砂埃
が豪快に舞った。
それに応じるように対戦相手の男は大斧を刃の広い面を前にして
かかげる。
衝突に真っ向から挑む構えだ。
果たして両者の激突は起こり、耳をつんざくような轟音が鳴り響
いた。
質量と質量とが直にぶつかり合う光景は壮絶だった。最早事故と
呼んでしまっていい。二人が握る金属は緩衝材でありながら、しか
し相手を打ち倒すための道具である。そこに全体重が乗せられてい
る⋮⋮生じた衝撃はちょっと計算したくないな。
ファーストコンタクトの後には烈々とした乱打戦が展開された。
一発の重さだけなら、大斧を装備した男のほうが上だろう。だが
重戦士は盾でうまくその軌道を逸らし、決定的な一撃をかわし、的
を絞らせないようにしている。
確かな腕と、そして先読みを可能にする経験知がなければこうは
いかないだろう。
1093
中々有効打に至れない男は度重なる攻撃の末に疲労の影響が見ら
れるようになり、一度だけ斧を振り下ろした後にバランスを崩した。
といっても些細な隙でしかなかったのだが、目を光らせて猛攻を
凌ぎ続けた重戦士はこのチャンスを見逃さなかった。
剣ではなく、盾でもなく、意識の外にある足を使う。
自分でも制御し切れないほどの相手の勢いを逆手にとって転ばせ
︱︱地面と熱い抱擁を交わさせた。
倒れた男の眼前に、刃が突きつけられる。
守備の徹底が攻めの姿勢を上回った瞬間だった。
そこで互いに勝負が決したことを悟ったのか、大斧の男は苦笑い
を浮かべて撤収し、そして重戦士は﹁よしっ﹂と小さくガッツポー
ズしながら長い後ろ髪をなびかせて、ようやく年頃の女の子らしい
可憐な笑みをのぞかせた。
凄まじい迫力だ。男も女も関係ない。
これが人間対人間の戦いか。
﹁素晴らしい妙技の数々を拝見させていただきました。女性の身で
ありながらあの勇猛果敢な戦いぶり、そして巧みな盾さばき⋮⋮見
習うべきことしかありませぬな﹂
ホクトはえらく感心している。同じ盾を持つ者として、その高い
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技術力に裏打ちされた男勝りな勇姿には痛み入るところがあったに
違いない。
ううむ、練習だからと侮ってはいかんな。
以前にヤンネとの会話で聞いていたが、致命傷を相手に与えるこ
とを回避する不殺の呪縛があるから人同士で対戦する闘技場が成立
しているのだという。
あくまで練習だから今の時点で呪いのかかった状態をキープして
いるかは不明だが、仮に本番なら絶対必要だな。
全力でやり合ったらお互い無事じゃ済まされないだろう。
﹁彼らが﹃剣闘士﹄と呼ばれる方々ですね。冒険者ギルドに登録し
ていなければ、剣闘士として活動することはできないと厳格に定め
られているそうです﹂
裏を返すと私たちも参加しようと思えば︱︱とヒメリは少なから
ず気持ちの入った声音で語っていたが、俺が気になるのはそこでは
ない。
﹁これ賭けとかできねぇの?﹂
﹁できるわけないでしょう﹂
﹁そうか、練習だからか﹂
﹁関係ないです﹂
ヒメリは呆れながらも、視線を模擬戦が行われているフィールド
から逸らさない。
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ただこういう場所で賭けに興じたくなる俺の気持ちも分かっても
らいたい。
真昼間からエールをなみなみ注いだジョッキを傾けつつ、燻製の
魚とスライスオニオンを挟んだサンドイッチをかっ食らうおっさん
連中があーだこーだ言い合ったり、あるいはもう既に出来上がって
いる重度のおっさんが立見席まで降りてきて赤ら顔で野次を飛ばし
ている風景を目にすると、なんだか地方競馬場に来ている気分にな
る。
しかしながら若い観衆はいないのかといえばそうではない。
デートに利用しているのか知らないがイチャついているカップル
もいるし、俺たちの席のすぐ近くにも、ナツメよりも幼い容姿をし
た少年少女のペアがいる。
が、この二人は遊びに来ているという感じではなかった。
身の丈に余る大剣を背に、赤茶けた皮鎧を着たツンツン頭の少年
は、身を前に乗り出して食い入るように練習の模様を眺めていた。
一方真っ黒い三角帽をかぶった魔法使い風の少女のほうは表情に
乏しく、パッと見興味がなさそうだが、その実少年に劣らない熱視
線を剣闘士たちに注いでいる。
どちらも燃えるような赤い瞳と髪をしているから、兄妹であるこ
とは一目瞭然だった。
見るからに冒険者な出で立ちのこいつらも、俺⋮⋮というかヒメ
リと同様に、模擬戦からなにかを学び取ろうとしているのだろう。
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﹁どうですか、シュウトさん。闘技場の雰囲気は﹂
﹁悪くねぇな。というか、むしろ好みかも。俺のオトコノコの部分
が焚きつけられるぜ﹂
次の模擬戦は早くも開始されている。今度は槍を持った背の高い
男が、眼鏡をかけたインテリ青年と対峙している。眼鏡のほうが装
備しているのは節くれだった杖だ。剣闘士というから魔法使いお断
りかと思ったが、どうやらそういうわけでもないらしい。
﹁それより話ってなんなんだよ。俺はそれを聞くために来てやった
んだぞ﹂
﹁実はですね⋮⋮大会があるんですよ、近日中に﹂
﹁大会?﹂
﹁ええ。各闘技場を舞台に一週間をかけて行われる、二年に一度の
特大規模のトーナメントです。なんでも参加者数は千に迫る勢いだ
とか﹂
その数字に思わず唸る俺。
ハナから上位進出を見込めない奴はまず出場しないだろうから、
実力に覚えがあるだけでこの人数。そりゃ唸り声のひとつも上がる。
闘技場絡みと軽く説明していたから、なにかしら対人戦に関する
ことなのだろうとは推測していたが⋮⋮こりゃまたスケールのでか
いイベントだな。
﹁優勝者に与えられるのは、多額の賞金、そして栄誉です﹂
ヒメリは後者のほうにより強いイントネーションを置いていた。
1097
﹁二年前の優勝者はその経歴を手土産に、流浪の冒険者から王宮騎
士に転進したとうかがっています。それだけの名声を勝ち取れるん
ですよ!﹂
﹁大きく出たな⋮⋮そんな簡単に優勝できねぇだろ、いくらなんで
も﹂
﹁かも知れませんが、今日まで鍛え続けた剣の技量を試せるだけで
も私は本望です﹂
﹁その口ぶりだと、お前は出場する気満々なんだな﹂
まあこいつの性格を考えたら、その選択を取らないほうが不自然
だが。
﹁もちろんです! この機会を逃したら、また二年待たないといけ
ませんから﹂
﹁だから﹃今の時期じゃないとダメ﹄ってか。ははあ、冒険者がた
くさんいる理由も分かったぞ。大会に出るために集まってるんだな﹂
﹁はい。ドルバドル各地から腕に自信のある冒険者が集結している
んです。といっても観戦目的の方も多数いるとは思いますが﹂
それでですね、とヒメリは本題に入ろうとしてきた。
﹁前回大会は個人戦での開催でしたが、今回は三人一組の団体戦で
行われるんですよ﹂
﹁ん? 毎回レギュレーションが違うのか?﹂
﹁交互に入れ替わる、と私は聞いています。チーム同士での激突と
いうのも燃えてくるものがあるとは思いませんか?﹂
﹁うーん、それも面白いかもな。戦略性とかも楽しめそうだし、応
援のしがいも⋮⋮﹂
﹁観客として、だけではありませんよ﹂
1098
ヒメリはそこで、語調をきゅっと鋭くする。
職員に連行される野次好きのおっさんのわめき声をバックに。
﹁今回シュウトさんをお呼びしたのは他でもありません⋮⋮もしよ
ろしければ、私とチームを組んでいただけないでしょうか?﹂
そう切り出したヒメリは、いつになく真剣な眼差しを俺に向けて
きた。
1099
俺、会話する
ふむ、なるほど。
そういうことか。
﹁いや出ないぞ、俺は﹂
﹁⋮⋮へ?﹂
﹁痛いのとか嫌だし﹂
俺があまりにもあっさりと答えたので、ヒメリが動転しながら聞
き返してくるまでには数秒のタイムラグがあった。
﹁で、でもですよ、破格の優勝賞金が出るんですよ?﹂
﹁金のアテならあるからなぁ﹂
﹁富だけでなく名誉が⋮⋮﹂
﹁いらねぇよ、そんなの﹂
﹁う、腕を競う場として⋮⋮﹂
﹁俺がそんなもんに興味を示すわけないじゃん﹂
どうやらヒメリは、俺という人間への理解力が足りてなかったと
思われる。
そんな茨の道を通るような稼ぎ方に俺が乗るわけないだろ。
﹁⋮⋮なぜ私はこんな人を目標にしているのでしょうか⋮⋮﹂
﹁俺に聞くなよ﹂
﹁もういいです! ギルドに立ち寄ってチームメイトを斡旋しても
1100
らいます!﹂
﹁ほう。そんなことまでやってもらえるのか﹂
﹁己の武だけを頼りに単身でネシェス入りする冒険者もいますから
ね⋮⋮シュウトさん以上の手練の方と出会えることを期待しますよ﹂
なぜか知らないがヒメリはプリプリした様子で、ぷいっとそっぽ
を向いた。
﹁じゃあ俺は観客として楽しませてもらうかね。ちょうど今みたい
にさ﹂
槍と魔法が織り成す異種格闘技に視線を戻す。
いつの間にやら、眼鏡の魔術師が圧倒的な優勢を築いていた。リ
ーチのある槍使いをまったく寄せつけることなく、矢継ぎ早に魔法
を詠唱し、攻め手を切らさない。
ごく小規模な竜巻を発生させ、攻撃と撹乱を同時に行う。
距離が縮まりそうになったら突風を吹かせ、相手を押し返して振
り出しに戻す。
けど魔法ひとつひとつを切り取ってみると小粒で、それほど範囲
とダメージに優れているわけではない。手数を重視した戦法だろう
か。もし俺が魔法を使えるなら大技でドーンといきたくなるものだ
が、それが常に最善策になるとは限らないらしい。
変動し続ける戦況の注視こそがキモ、ってことなのだろう。
﹁あの眼鏡、相当できるな﹂
1101
﹁はい。とてもとても凄い魔法使いさんです﹂
近くで観覧してもよろしいでしょうか、とミミが申し出てきたの
で、柵をよじ登る勢いで対戦風景にかじりついているナツメのそば
にまで行かせた。
ミミはこんな時でも勉強熱心だな⋮⋮と俺が感心していると。
不意に。
﹁⋮⋮ん?﹂
背中をつつかれる。
振り返ると、ちっこい奴がいた。
頭にかぶった三角帽がずり落ちそうになるたびに両手で必死に押
さえるそいつは、さっき見かけた赤髪の兄妹の片割れだった。編ん
だ髪の鮮烈極まりない色調とは対照的に相変わらず表情は薄いが、
微妙にムッとしているようにも見える。
少女は鈴のような声で。
﹁できるもん﹂
﹁な、なにがだ﹂
﹁私にだってあのくらい、できるもん﹂
そうつぶやくと今度は、唇を﹁へ﹂の字にして泣きそうな顔にな
った。
1102
なんだこの子。情緒不安定なのか⋮⋮。
﹁シュウトさん、さすがにアウトです。いくらあなたが稀代の好色
とはいえこの年代の子に手を出すのは⋮⋮﹂
﹁いや出してねぇだろ。濡れ衣はやめろ!﹂
ヒメリが向けてきた疑いを晴らす。善良な市民を誘拐犯扱いする
なっての。
﹁こらっ! チノ! またそうやって知らない人に!﹂
戸惑う俺と意固地になる少女のやりとりに気づいたのか、兄貴︵
と推定される︶のほうが血相を変えて慌てて駆け寄ってきた。
これまた容姿があどけない。身長も百六十センチあるかないかだ。
﹁す、すみません。妹が変なことを⋮⋮﹂
﹁いやいいけどさ⋮⋮ってか、﹃私にだってできる﹄ってなんの話
だよ﹂
﹁ええと、それは⋮⋮ちょっと身の上話にもなっちゃうんですけど
⋮⋮﹂
代わりに謝る兄の背中に隠れた妹は、まだジトッとした目でぐず
っている。
﹁オレたちは闘技場で生計を立てている剣闘士なんです﹂
﹁剣闘士? その歳でか?﹂
﹁オレは十六で、妹のチノは十五です。そんなにおかしな年齢じゃ
ないですよ﹂
﹁若いうちから苦労してんだな﹂
1103
そうしないと食っていけませんから、と応じながら、少年は続け
る。
﹁チノは元素魔法が得意で、オレもそこは認めてるんですけど⋮⋮
他の魔術師系剣闘士の人たちへの対抗心が強すぎるんですよ。それ
で時々こんなふうに⋮⋮﹂
﹁自分以外が褒められてると噛みついちまうのか?﹂
﹁そういうことなんです﹂
﹁ふうん。大人しそうな見た目と違ってバッチバチなんだな﹂
﹁ご迷惑をおかけして本当にすみません。ほら、チノも﹂
一緒に謝るよう言われた小さな魔法使いは前に連れて来られて。
﹁ごめんなさいでした﹂
と、よく分からない文法の謝罪をした。
表情筋がほとんど動かない妹の分まで申し訳なさそうにする兄は、
ツンツンと尖った髪を萎れさせている。色々と気苦労が察せられる
な。
こんなふうに表情に差異はあるが顔はそっくりだ。どちらも中性
的で愛らしい。というか外見や仕草が愛らしいから、チノって子は
大人たちに許されてきたのだと思われる。
﹁まあ、そのくらい負けず嫌いなほうがいいじゃないか。闘技場向
けの性格じゃん﹂
﹁色んな人からそう言われます。オレとしては早く治してもらいた
いんですが⋮⋮﹂
1104
﹁伸ばし甲斐のある部分だと思っとけって。それにまだ十五歳だろ
? かわいいもんだ。俺の隣でピザ食ってる奴なんか二十歳で同じ
ような性格してるからな﹂
﹁わ、私は今まったく関係ないじゃないですか!﹂
そんな感じでヒメリを交えて兄妹ととりとめもない会話をしてい
るうちに、気づけば横並びの席で試合を観戦するようになっていた。
こういうスポーツ観戦は他人と意見を交わしながらのほうが楽し
める。
会話の中で分かったが、兄のほうはカイという名前らしい。選手
が入れ代わり立ち代わり更新される模擬戦を本気すぎる目で見つめ
ているからその間は話しかけづらいが、一戦終わるごとに﹁今の剣
士の足運びは見事だった﹂とか﹁さっき勝利した鎚使いの筋肉は惚
れ惚れする﹂みたいなことを、緋色の瞳を燦々と輝かせて早口で語
ってきた。
アセルで出会ったリクといい、どうも俺は、この年代の少年に懐
かれやすいらしい。
﹁めちゃくちゃマジになって試合を見るんだな。参考にしてるのか
?﹂
﹁その思いもありますけど、実は、チームに誘いたい人を探してる
んです﹂
﹁おっ、ということはお前らもトーナメントに出るんだな﹂
カイの代わりに、かたわらにいるチノが大きく頷いた。
﹁前回大会の時はまだまだ未熟で、参加費も安くないから出場を見
1105
送りましたが⋮⋮今年は優勝を目指すつもりですよ、オレたちも!﹂
力強いその啖呵に俺は﹁そうか﹂と返そうとしたが、カイにはな
にやら心に期するところがあるらしく、言葉はまだ途切れていなか
った。
﹁勝たなきゃいけないんですよ⋮⋮今回こそは﹂
﹁な、なんか重いぞ。一体どうしたんだよ﹂
しばしの沈黙を経てから、手の平を見つめながらカイは訥々と語
り始めた。
﹁個人戦も団体戦も、百年以上に渡ってネシェスの出身じゃない冒
険者が優勝しているんです。地元のオレたちが勝って威信を取り戻
さないとダメなんです﹂
兄の言葉にチノもブンブンと何度も首を縦に振った。
﹁闘技大会は元々町興しで始まったと記録に残っています﹂
﹁へえ。きっかけはそうだったのか﹂
﹁その噂がどんどんドルバドル全土に広まって、評判になって、参
加者数も増えて⋮⋮それに合わせて町も大きくなったとかで﹂
いわく、このメイン・コロシアムを中心にして都市開発が進み、
徐々に町の規模が拡大していったのだそうだ。
﹁だけどお話ししたとおり、トロフィーはよその出身者に持ち出さ
れてばかりになってます。闘技場の町、なんて謳われてますけど、
地元で活動してる剣闘士は負け続けで⋮⋮皮肉なもんでしょう?﹂
﹁うーん。でも仕方なくねぇか? 分母が違いすぎるだろ。俺とヒ
1106
メリなんかはCランク止まりだけど、それ以上の冒険者ってのは各
地にいるだろうしさ﹂
﹁それはそうですけど、だからってオレは諦めたくないんです! ネシェスの誇りと伝統を取り戻したいんですよ!﹂
チノがまた高速で首を振った。
あまりにも速く振りすぎたので気分を悪くしてよろめき、ホクト
に支えられていた。
﹁なるほどなぁ。その想いがチノの人格形成にもなってるわけだ﹂
﹁⋮⋮そうかも、知れません﹂
顔色にわずかに影が差したカイは、それでもまだ瞳の中の炎を絶
やさないでいた。
この歳で随分と重い宿命を背負ってやがんな、こいつら。
周囲からの期待もあるのだろう。いやらしい話になってしまうが、
こういう若くて見た目のいいスポーツ選手ってのは、大抵固定ファ
ンがつくからな。
﹁郷土愛、ねぇ。生憎だけど俺はあんまピンとこないんだよな﹂
﹁えっ?﹂
﹁俺、一応フィーって町の出身ってことになってるけどさ、別に故
郷なんてないんだよ﹂
強いて言うなら某県某市、とかになってしまうが、それはあくま
で死ぬ前の話。
1107
俺にあるのは今の居場所だけだ。
﹁あっ⋮⋮! す、すみません!﹂
﹁おいおい、なんか変なこと想像してないか? とある不幸で故郷
を失ったとかそんなんじゃねぇぞ。最初っからないんだよ﹂
﹁そ、そうなんですか﹂
﹁ああ。そんなまっさらな俺だからこそ、お前たちに言ってやれる
ことがある﹂
俺はカイとチノを交互に見やってから︱︱。
﹁応援の贔屓にするからなっ!﹂
せっかく俺が爽やかな台詞をかけたというのに、ヒメリがずっこ
けて台無しにした。
﹁いやいや! 今の﹃しがらみのない俺と組もうぜ﹄の流れじゃな
いんですか? すっごい美談になりそうな雰囲気が漂ってましたよ
?﹂
﹁だから痛いのは嫌なんだってば﹂
ていうか。
﹁それならお前が組めよ、ヒメリ。お前もチームメイト募集中だろ
?﹂
﹁えっ。わっ、私がですか? そりゃあ組んでいただけるなら助か
りますけど⋮⋮私なんてよそ者中のよそ者ですよ?﹂
﹁構いません! むしろオレ、ヒメリさんが了解してくれるなら嬉
しいです!﹂
1108
いかにも少年らしいストレートな物言いをするカイ。チノも口は
開かないでいたが、首をコクコクと、酔わないように小さく振って
兄の意見に賛同していた。
﹁他のCランクの人と組めるかどうかなんて分かりませんし、それ
にヒメリさんとはこうやって話していて⋮⋮他人の気がしませんで
したから﹂
ヒメリは思春期の男の子にそんなことを言われてキュンときてい
た。
きつい。
﹁シュウトさん! 今酷い悪口を胸の奥で叫んでいませんでしたか
!?﹂
﹁叫ぶかっての。微笑ましいなって感想を持っただけだ﹂
適当にごまかす俺。
﹁まあでも、カイとチノがお前に共感してる理由は分かるぜ。お前
自身は認めないかも知れないけど、似た者同士だからな﹂
1109
俺、結成する
そうと決まればエントリーをしよう、ということで、一度受付窓
口にまで戻る。
出る意志のない俺と出る権利のないミミたちがそこに立ち寄る意
味はないのだが、闘技場事情に明るいカイが大会について色々と解
説してくれるというので、便乗。
﹁そうだ、こっちの通路にまで来てみてください﹂
窓口に行く前にカイは脇道に逸れた。
ついていくとそこは臙脂色の絨毯が敷かれた広間だった。が、単
なる広間ではない。カイが展示場と説明したその部屋の壁には数多
の肖像画がかけられており、そして中央には騎士然とした風貌の男
六人による厳重警護の下、黄金のトロフィーが据えられている。
俺の身長よりも余裕で高い。
優勝者はこれをかかげて称賛のシャワーを浴びるのか。
﹁比較的最近の人でいうと、この絵に描かれたゴツい戦士はデラフ
レイヤといって、﹃ブレイド・オウガ﹄の称号を授けられた剣の達
人。で、こっちの絵はアインバッシュ⋮⋮個人戦で連覇を成し遂げ
た魔術師です﹂
歴代のチャンピオンだという肖像画の人物を真面目に解説するカ
1110
イだったが、俺︱︱と嬉々としてはしゃぐナツメ︱︱の視線は美し
い金色の輝きに強奪されていた。
﹁やっぱりそっちのほうが気になりますよね。目立ちますもん﹂
﹁お、おう。悪い。普通に見入っちまったわ﹂
﹁トロフィー、だけじゃない﹂
ホクトにくっついたチノが指でつついてくる。よりによって脇腹
を。
﹁あれ。カップもあるよ﹂
指差した先にあるのは、トロフィーの足元で慎ましく佇んでいた
銅製の賜杯。贅の限りを尽くした豪華絢爛な設えのトロフィーとは
違い、ひどくボロっちい。高さも台座部分を含めて三十センチくら
いしかないし、ところどころ欠けている。
﹁みんなの憧れ﹂
﹁どこに憧れる要素があるんだ⋮⋮言っちゃ悪いが凄ぇ貧相だぞ﹂
俺の忌憚のない意見にカイが苦笑する。
﹁毎回新しく用意されるトロフィーとは違って、カップは使い回し
ですからね⋮⋮言っちゃなんですがあんまり重視されてないのが実
情です。四年後の大会までに返却が義務づけられてるんですけど、
見てのとおりぞんざいな保管しかされてませんし﹂
﹁四年後? 二年後じゃなくて?﹂
﹁個人戦用のものもあるからです。そっちはもっと小さいですよ。
こんなもんですかね﹂
1111
カイは両手を平行に向かい合わせて、おおよそのサイズを示した。
それにしても副賞とは思えないくらい哀れな扱われ方だ。
﹁よく捨てられずにここまで残せてこれたな﹂
﹁紛失したら獲得賞金額と同じだけの罰金が科せられますんで。だ
けどカップにもちゃんと役割があるんですよ。あそこに賞金を入れ
るんですから﹂
﹁は? あんなのに?﹂
﹁はい。賞金はあの賜杯に納めた状態で優勝者に渡されるんです﹂
注釈を加えてくるカイ。
﹁大会参加費がそのまま優勝賞金としてプールされて、あの中に入
れられるんです。今回は団体戦なんで一チームにつき二万Gですけ
ど﹂
﹁たっけーなおい。参加するだけでそんなに取られるのか﹂
﹁生半可な覚悟じゃ挑めない、ってことですよ。四年前に団体戦で
行われた時は二百八十七組が参加して、これはチーム数の歴代最多
記録でした。最近の傾向からいって今年はもっと増加すると予想さ
れてます。オレも今から武者震いが止まりません﹂
﹁ってことは大体三百チームと仮定して⋮⋮六百万Gか。はー、た
まげるな﹂
﹁それだけじゃないです。参加チームの数だけ大会運営側が一万G
を追加するから、もし三百組もいたら九百万Gにまで膨れ上がりま
すね﹂
﹁きゅ、九百万だと⋮⋮﹂
﹁ふっふっふ。ようやく興味が出てきましたか、シュウトさんも﹂
今度はヒメリが肘を使ってつついてくる。お前までチノになるの
1112
か。
﹁確かに目の玉が飛び出そうになる額だが、俺の流儀が揺らぐほど
じゃねぇな。けど九百万Gか。そりゃ全国各地から集まってくるわ
な﹂
﹁⋮⋮でもそのうちの四割は王都に租税として徴収されてしまうん
ですけどね﹂
カイはひそひそと、騎士連中に聴こえないような声量で耳打ちし
た。
北米の宝クジみたいな話だな。
﹁それでも五百万Gくらいは残るからマシか⋮⋮ん? でも待てよ﹂
俺はそこで、とんでもない矛盾に気がついた。
﹁あのカップの中に賞金を入れるんだよな?﹂
﹁はい﹂
﹁九百万Gってことは、金貨九千枚だよな?﹂
チノがこくんと頷く。
﹁いやいやいや。どう考えてもあの中には入り切らねーだろ!﹂
俺は至極妥当な正論を述べたつもりだったが、兄妹にはきょとん
とされた。
﹁入りますよ。硬貨ならいくらでも投入できるって聞いてます。杯
に投じたら台座に貯まる仕組みになってるんだとか﹂
1113
﹁な、なんじゃそりゃ。どういうカラクリだよ﹂
﹁あれは大昔の移送魔法の権威の人が作ったとかで⋮⋮オレもその
へんの難しい話はよく分かんないんで詳しいことは省きますが﹂
どうやら突飛な魔法によって製造された発明品らしい。
﹁なんでもあまりにもカップが不人気すぎて、表彰式での扱いがト
ロフィーに比べておざなりになってたからそういう機能を追加した
らしいですよ。賞金が入ってる、となれば、その場だけでも大事に
受け取ってもらえますからね﹂
カイの歴史講座が続いている。
だが俺はその博識に感服するでも、魔法のトンデモっぷりに感嘆
するでもなく︱︱恒例の悪知恵が働いていた。
﹁優勝したらあの不思議アイテムももらえるってことでいいんだよ
な?﹂
﹁もらえるっていうか、四年間借りられるだけですけど⋮⋮﹂
﹁ふむふむ、なるほど。そうか。そういうことか﹂
﹁どこにそんなに頷くようなことがあったんですか﹂
腰に手を当てたヒメリがいぶかしむような視線を送ってくる。
﹁いやな、俺は賞金はいらねぇが、賞金を入れる器は欲しいんだよ﹂
俺は由緒ある賜杯を、勝者の証ではなく、持ち運びに便利な貯金
箱として見ていた。
﹁ええっ? だけどあれ、要は外箱ですよ?﹂
1114
﹁それがいいんじゃないか、それが﹂
このところ貯まった金貨を運ぶのにも一苦労してるからな。重量
はもちろん、容積も馬鹿にならない。あのカップがあれば間違いな
く旅は楽になるだろう。
永遠に土地探しを続けるわけじゃないし、レンタル期間四年と考
えれば十分。
だが﹁なくしたら罰金﹂な代物を易々と譲ってもらえるとは考え
にくい。
自力で勝ち取らねば。
﹁い、今更遅いですよ。カイくんとチノちゃんは私のチームメイト
ですからね!﹂
﹁安心しろ。出場する気ゼロだから﹂
ヒメリはまたずっこけた。こいつはリアクションがよすぎるから
飽きないな。
﹁だが理由は少し違うぜ。俺よりもお前らのほうが勝算があるから
出ないだけだ﹂
そこで俺は、カイとチノ、ついでにヒメリを見回す。
﹁頼む! 金は一銭もいらないから、あのカップの所有権だけ俺に
くれ!﹂
全員が全員、意表をつかれた顔をした。
1115
﹁その代わり、俺はお前らが優勝できるように全面的にサポートす
る。主に物資の面でだ。スポンサーだと思ってくれ﹂
﹁スポンサーって⋮⋮﹂
﹁たとえば、装備品のレンタルとかだな﹂
俺が参加しないのはそういうわけだ。
素人技術を高性能な武器でやりくりしてきた俺が出るよりも、き
っちり基礎から戦闘訓練を重ねてきたこいつらを強化して大会に臨
ませたほうが、遥かに期待値は高い。
幸いにもこの町に売られている装具は優良品が揃っている。
どっちにしろよさげなものは購入する予定だったし、実戦で三人
に使ってもらえばその性能を把握できるだろう。まさに一石二鳥。
﹁で、ですが、腕試しの舞台でシュウトさんの助力を得たのでは⋮
⋮﹂
﹁甘い、甘いよヒメリちゃん。純粋に腕を競うのであれば条件はイ
ーブンにすべきだ。レアメタルにはレアメタル。そこが揃ってこそ
真の実力が測れるってものだよ﹂
俺の舌先三寸にヒメリは﹁な、なるほど﹂と合点のいったような
顔つきをしていた。
なんてちょろい奴なんだ。
他方、カイは多少なりとも逡巡した素振りを見せていた。
1116
﹁⋮⋮オレは正直、伝統を受け継いできたカップにも魅力を感じて
ます﹂
後ろでチノも首を小刻みに振って同調している。
﹁だけど一番欲しいものは大会優勝者という実績で、その栄光を象
った、あのトロフィーなんです。カップは返還しないとダメですけ
ど、トロフィーはネシェスの町で永遠に手元に残りますから。⋮⋮
チノも同じ考えだと思います﹂
妹に目を合わせるカイ。
赤い瞳を通じて意思の疎通が行われたのか、チノは今までで一番
の﹁うん﹂をした。
﹁オレたちは勝つために戦う剣闘士。勝てなければゴミクズと変わ
りません。協力してくれるのであれば、喜んで応じますとも﹂
カイは熱血な台詞を吐いた。
﹁おお! 感謝するぜ、二人とも﹂
こちらこそです、とチノがぺこりと頭を下げ、その数秒後に﹁こ
れからよろしく﹂と持ち上げた頭をまた下げた。
その所作のせいで床に落ちていった三角帽を慌てて拾い、ぎゅむ
っと頭に押しこむ。今回は納まりよくかぶれたようで、どことなく
満足そうにしていた。
﹁よし、なら決まりだな。お前らはトロフィー、俺はカップ、そし
1117
てヒメリはカネのために頑張るということで﹂
﹁ちょっと待ってください! その言い方だと私だけめちゃくちゃ
俗な人間みたいじゃないですか!﹂
﹁なんだ、違うのかよ﹂
﹁そ、そりゃあ賞金が欲しくないと言えば嘘になりますけど⋮⋮で
も私も一番は名誉ですからね! そこは前もって明らかにしておき
ます!﹂
協議の結果、優勝した場合の賞金はきっちり三等分されることに
決まった。
ヒメリは﹁旅の邪魔になるのでトロフィーはお二人に差し上げま
す﹂と強がり丸出しな発言をしていたが、まあ実際問題、冒険の枷
にはなっても役に立つことはあるまい。重いし、でかいし、かさば
るし、すぐに先っちょが折れそうだし。
で、俺の取り分はカップだけ。
十分すぎる報酬だな。
チーム体制が改めて成立したところで、善は急げとばかりに窓口
へ。
﹁リザーブメンバーを一人まで登録することが可能です。いかがな
さいますか?﹂
エントリーシートへの記入を済ませている間に、受付嬢はにこや
かな表情を崩さないままそうガイダンスした。
その制度を知ったヒメリはニヤッとして。
1118
﹁それはもうシュウトさんですよ。名義だけでも貸してください﹂
﹁でもリザーブって、怪我人が出た時の交代枠ってことだろ? そ
いつはちょっと⋮⋮﹂
﹁選手として登録されていたほうがなにかと都合がいいです。スタ
ンドからじゃなくて、フィールド袖で観戦できますし。大丈夫です
よ。オレたちだけでなんとかしてみせます﹂
﹁うーん、じゃあ俺の名前も書いとくか﹂
カイいわく控え要員は指示なども飛ばせるそうなので、スポンサ
ーというよりプロデューサーみたくなってきたが、この権限を有効
活用しないとな。
かくして﹃カイ/チノ/ヒメリ﹄のチーム︵スポンサード・バイ・
俺︶が正式に結成。
今日からは一ヵ月後の本番に向けての調整期間となる。
﹁ところでシュウトさん﹂
﹁なんだ?﹂
観客席に再入場しようとした時、ヒメリがなにやら尋ねてきた。
﹁どうして支援するにしても私たちなんですか? 優勝カップが欲
しいだけなら、身も蓋もありませんけど、有力なチームをサポート
すればいいじゃないですか﹂
﹁俺が知らない連中とうまくやっていけるわけないだろ。知ってる
お前がいるからいいんだよ。それにだな、チームワークは何者にも
勝るんであって⋮⋮﹂
1119
俺が﹃チームワーク﹄と口にした瞬間に目を丸くするヒメリ。
﹁まさかシュウトさんの口からそんな爽やかな単語が聞けるとは⋮
⋮﹂
﹁失礼な奴だな。俺の好きな言葉はオールフォーワンだぞ﹂
﹁ワンフォーオールのほうはどうしたんですか。ワン甘やかされて
るだけですけど﹂
﹁気にするな。なにが言いたいかっていうとだ、性格が似たり寄っ
たりなお前らのほうがうまくいく気がしてるんだよ﹂
﹁﹃人の和﹄ってことですか? シュウトさんも案外情を重視する
タイプなんですね﹂
﹁かもな﹂
﹁見かけによらず﹂
﹁うるせぇ。お前の食い意地のほうが見かけによらねぇだろ﹂
そんなことより。
﹁早速明日から団結力を鍛えていくぞ。お前らには優勝してもらわ
ないと困る﹂
﹁積極的ですね。珍しく﹂
﹁別に俺がくたびれるわけじゃないからな﹂
﹁だとは思いましたが⋮⋮。けど鍛えるって、そんな簡単にできる
ことじゃないですよ。組織内の連繋というのは一朝一夕の練習で身
につくものではないでしょう﹂
﹁練習じゃないんだなー、これが﹂
チームのスポンサーになる、と決めた瞬間から思いついたアイデ
ィアである。
﹁とりあえず明日の正午、カイとチノと一緒に冒険者ギルドに集ま
1120
ってくれ﹂
俺はそう伝えて、無数に浮かぶ計画の数々に想いを馳せていた。
1121
俺、賃借する
明くる日、待ち合わせ時刻ぴったりにヒメリはチノとカイを率い
て現れた。
カイとチノに不信感は見られなかった。身元を明かすだけで相応
の信頼を得られるんだから、冒険者という立場は旅をする上で本当
に融通が利く。
それにしても兄妹の冒険者ギルド内での人気は絶大だった。建物
に姿を見せるなり、ラウンジでたむろしていた大人連中から次々に
声援をかけられるくらいに。
町の未来を背負って立つ若手有望株としての期待があるのだろう。
﹁それだけじゃないです﹂
目的地へと案内する道すがらに、小声で話しかけてくるカイ。
﹁オレたちのこの赤い髪が古代ネシェス人の特徴を色濃く受け継い
でるとかで⋮⋮だから皆応援してくれてるんだと思います﹂
ふむ、寄せられまくった期待の大きさにはそんな理由があったの
か。
民族色の強いこいつらに精強だった時代のネシェスを投影してい
るのだろう。ありがちだが、勝手な話だ。これが度を越えたプレッ
シャーにならなければいいが。
1122
﹁ところでシュウトさん﹂
会話を持ちかけてきたのはカイだけでなく、ヒメリもだった。
ただこいつの場合は会話というよりは問答に近い。
﹁なんだよ。質問多いぞ。疲れるから一日三回までにしてくれ﹂
﹁多くもなりますよ! どんどん町の中心部から外れていってます
し、一体どこに連れて行こうというんですか? それにミミさんた
ちの姿も見えませんし⋮⋮﹂
﹁あー、ミミたちはもう先に入ってもらってるからな﹂
﹁意味深な発言を連打しますね。﹃入ってもらう﹄とはどういうこ
となんでしょう?﹂
﹁到着すりゃ分かる﹂
で、ついに到着する。
町の郊外に居を構えているそこは︱︱。
﹁い、家!?﹂
カイとヒメリが同時に仰天していた。
灰色がかった漆喰の壁に、木製の三角屋根。どこからどう見ても
一軒家である。
興味津々に﹁おー﹂と声を漏らして二階建ての屋敷を見上げるチ
ノの両肩に手を置きながら、俺は本題を伝える。
1123
﹁中々いい家だろ? そんなにでかくはないが裏手には体を動かせ
る庭もあるし、トレーニングのできる環境もばっちりだ。今日から
ここで合宿して本戦に望むぞ﹂
﹁合宿って、オレたちでですか?﹂
﹁おう。共同生活をしてりゃ、自然とチームワークも身につくだろ﹂
大会に向けた下地作りに専念するための場所。
それこそが俺が手始めに準備したものなのだが、さすがのヒメリ
はそこまでするとは予想していなかったらしく、﹁やりすぎでしょ﹂
みたいな顔をしている。
﹁まさかとは思いますが⋮⋮この家、昨日購入したんですか?﹂
﹁買えるほどの金はねぇよ。借家だ。二ヶ月で六十万G。本当は一
ヶ月で頼んだけど二ヶ月からでないと貸してくれなかったからな。
無駄に高くついちまった﹂
﹁ああ、びっくりした⋮⋮一瞬どこまで成金なのかと⋮⋮って、よ
くよく考えなくても六十万Gでも相当な出費ですよ!?﹂
﹁本気で勝ちにいくならそのくらいは身銭を切らないとな。さあさ
あ、四の五の言ってないで入居しとけ。滞在費の節約にもなるだろ﹂
ヒメリは釈然としない表情を浮かべていたが、チノはといえば素
直なもので、玄関の扉を開けた瞬間からまっさらで広々とした室内
に目を燦々と輝かせていた。
暖かみのある木目調の内装。
柔らかな日光を取り入れる格子状の窓とレースのカーテン。
必要最低限だがデザイン性も備わった家具一式。
1124
そして扉をくぐってすぐのリビングで﹁おかえりなさいませ﹂と
俺たちを出迎える、淑やかなメイド服に身を包んだ三人の︱︱。
﹁ストップ! ストーップ!﹂
いきなりヒメリが割って入ってきた。
﹁左から順にミミさんナツメさんホクトさんじゃないですか! な
んでお三方がメイドになってるんですか?﹂
﹁よくぞ聞いてくれた。これはな、俺の趣味﹂
そう答えるとヒメリはもうなにも言ってこなくなった。呆れたと
もいうが。
だが俺は三人のメイドぶりには満足している。この手の仕事もや
っていたであろうナツメの身振りは堂に入ったものだし、ミミもこ
う見えてノリノリだ。
というのもこの家には、念願のかまどが据えられている。一ヶ月
の間料理の勉強ができそうだと知った途端に、ミミは目に見えて上
機嫌になっていた。具体的に言うと瞼が平時の二十パーセント増し
でぱっちりとしていた。
﹁ですが、昨日も申しましたが⋮⋮自分までこの格好をするのはい
ささか無理があるのではないでしょうか?﹂
その一方で、本人のキャラクター性とは真逆も真逆なフリルつき
のフェミニンな衣装に着られているホクトは、やや恥じらいが残っ
ている。
1125
﹁いや似合ってるぞ。お前は人一倍スタイルがいいからな﹂
﹁そ、そうでありましょうか﹂
﹁ああ。戦場とは違った魅力がかもし出されてるぜ﹂
俺が思ったままの感想を伝えると、ホクトは頬をぽっと赤く染め
てロングスカートの膨らみを抑えた。
﹁⋮⋮なんだか以前までよりホクトさんと親密になってませんか?﹂
﹁いつもこんな感じだぞ? まあそのへんはどうでもいいだろ。そ
れより、三人とも。後でいいから必要な荷物は持参してきてくれよ。
ヒメリは宿のチェックアウトもな﹂
﹁どこで寝たらいいの?﹂
屋敷に来てからずっと興奮気味のチノがコートの裾を引っ張って
くる。
﹁二階に個室が三つある。一番広い部屋をお前と兄貴で使ってくれ。
残りの二つはそれぞれヒメリとナツメが使う予定だから﹂
チノは﹁ん﹂とだけ返事し、トテトテと足音を立てて階段を駆け
上がっていった。
溢れ出る好奇心に任せて部屋を下見しに行ったようだ。チームで
合宿と聞いてワクワクが止まらないみたいだな。
ちなみに俺はミミと共に一階の寝室を使用するつもりだ。ホクト
もまたリビングのソファを駆使して一階で眠るらしい。たまには俺
が付き添ってやるのもいいだろう。一階利用者の人選に偏りがある
ように感じるかも知れないが、気のせいである。恣意的な抽出に見
1126
えたとしても、それは気のせいなのである。
それはともかくとして。
ようやく入居の意志を固めたらしいヒメリがトイレの確認に行っ
ている間も、カイはどこか浮き足立っていた。キョロキョロと落ち
着きなく室内を見渡しては、床に視線を落とすといった所作を繰り
返している。
﹁悪いな。急な話で戸惑ってるとは思うが⋮⋮﹂
一声かける俺。
﹁い、いや、戸惑いはいずれ慣れますけど⋮⋮そうじゃなくてです。
本当にオレたちなんかを迎え入れて構わないんですか?﹂
﹁うん?﹂
﹁言っちゃなんですがオレたちはどこの馬の骨とも知れないような
奴ですよ? それなのにこんな立派な寝床まで用意してもらって⋮
⋮﹂
自分だったら﹁物件ひとつ自由に使っていいよ﹂と言われたら狂
喜乱舞するところなのだが、カイは根が真面目なようで、待遇がよ
すぎることに恐縮しているらしい。
﹁選手のお前が気にするようなことじゃねぇよ。俺はスポンサーな
んだからな、優勝してもらうためならとことんやるぜ﹂
カイとチノはチャンピオンの座が欲しい。俺はオマケのカップが
欲しい。
1127
それだけの話だ。費やす努力の形が違うだけで。
利害関係の一致、という大人特有の連帯性が少年にも分かる時が
来るだろう。
﹁それと﹃どこの馬の骨﹄なんかじゃないだろ。そんなん言い出し
たらお前らにとっての俺やヒメリも似たようなもんだ。昨日闘技場
でエントリーした時点で俺たちは同志。それでまとまっとこうぜ﹂
﹁同志、ですか?﹂
﹁そうだ。俺とお前は共通のゴールに向かって走る同志だ﹂
調子のいい麗句を思いつくままに並べ立てる俺だったが、それで
もカイはいたく感動した様子で﹁オレ、絶対に期待に応えてみせま
す!﹂と拳を握り締めて語った。
この感じ、熱い言葉に弱いと見た。
﹁まあ合宿所の説明についてはこんなもんでいいだろう。それより
だ﹂
俺はパチンと手を打ち鳴らして、全員の注目を集める。
二階の吹き抜けから顔を出すチノの瞳が、気合を入れ直したカイ
の目が、そしてお手洗いの綺麗さに安堵して戻ってきたヒメリの眼
差しが、俺という一点に注がれた。
﹁強豪相手にいかにして勝つかの話も進めるぞ。昨日のうちに準備
しておいたのは、なにも家だけってわけじゃないんだからな﹂
俺はメイドたちを引き連れながらヒメリと兄妹を裏庭へと招き。
1128
その地面にオブジェのように突き立てられた、色とりどりの七本
の剣を見せた。
1129
俺、復習する
﹁これ、もしかして⋮⋮全部レアメタルですか?﹂
金属の虹を目にしてカイはびっくらこいていた。そういう真っ正
直なリアクションが返ってくると俺もやり甲斐が出てくるってもの
だ。
﹁そうだ。この武器でチームの戦力をグンと引き上げる﹂
﹁ちょ、ちょーっと整理させてくださいよ。この七本揃えるのにい
くらかけたんですか?﹂
﹁新しく買っただけで百五十万Gくらいかな﹂
﹁ひゃくご⋮⋮?﹂
金額を聞いただけで卒倒しそうになるヒメリ。
﹁基準にできそうだからって食費換算するなよ。大体八ヶ月くらい
だろうけど﹂
﹁しませんよ! あとそこまでではないです!﹂
微妙にありえそうな数字だったので強めに訂正された。
カイとヒメリがにわかに沸き立つその一方で、三角帽に長袖のロ
ーブというザ・魔法使いファッションのチノは手持ち無沙汰にして
いた。まあ今のこいつが置かれてる状況ってのは俺が本の山に囲ま
れてるようなものだから、心中は察せられる。
﹁チノの分の武器は明日だ。一緒に魔法屋に買いに行こうぜ。俺じ
1130
ゃ杖や水晶の良し悪しは分かんねーからな﹂
そのへんの詳しい話は明日に回すとして。
﹁早速だが、一本ずつ簡単な説明をしていくぞ。今の段階じゃ向き
不向きは判断できないから、まずは好みで頼む﹂
俺は昨晩まとめておいたメモ書きを取り出し、剣についての講座
を始め⋮⋮ようとしたところでヒメリが苦笑いを浮かべてツッコミ
を入れてきた。
﹁先生役、恐ろしく似合いませんねぇ﹂
﹁ぐっ⋮⋮反論できないことを⋮⋮﹂
﹁そんなことないです。指南するシュウト様も素敵ですよ﹂
自覚がある分だけ効いた言葉のナイフの傷を、すかさずミミが励
まして回復。
魔法だけでなく言葉でも癒しを与えてくれるからミミは暖かい。
﹁不慣れなことには目をつむれ! 始めるからな!﹂
俺は無理やりにスタートさせた。
まず最初に、青と銀の美しい刃が特徴的な剣を地面から引っこ抜
く。
﹁こいつは海洋鉱のカットラス。見てのとおり小振りだが、その分
軽くて扱いやすいし、水のカッターを射出できる。このナリで遠近
両用なのがいいところだな﹂
1131
装備に不自由していた時代を支えてくれた相棒だけあって俺にも
思い入れがある。
性能としては他の武器に比べてやや見劣りするが、その使い勝手
のよさは天下一品。まだまだ現役を張れるはず。
次に一際刀身の長い剣を。
﹁これは土竜鉱のツヴァイハンダーだ。冗談みたいに重くて取り回
しに難アリだが、リーチもあるし威力もやばい。俺が今まで使って
きた剣の中で最強はこれだな﹂
﹁オレはこれが気になります。両手持ちの剣ですよね?﹂
大剣慣れしているというカイは、やはりと言うべきか興味を引か
れている。
﹁そうだけど、ただすげーでかいぞ? 俺の身長に合わせて作られ
てるし。それでも構わないってんならいいけどな﹂
まあ﹃とりあえずの一本﹄を決めるにはまだ早い。
最後まで聞いてからでいいだろ、と告げて、続きを進める。
﹁このブロードソードは征鳥鉱とかいう名前のレアメタルがベース
になっている。すげー綺麗な緑色だろ? で、性能のほうだが、幅
広な割に見た目ほどは重くない。軽めの金属で作られてるからな。
持ち方は片手でも両手でもいけるとは思うが﹂
﹁これは私もよく知っていますよ。宝石鉱山では大車輪の働きをし
てくれていましたから。ただ両手で振るには軽すぎるかも知れませ
1132
ん。そこは懸念材料ですね﹂
しっかりと力が伝わる両手持ちの剣がご所望らしいヒメリは、さ
ほど食指が動いていないようだった。
当たり前だが軽いということはその分だけ破壊力の面で損をする。
カイにしてもヒメリにしても、なんちゃって冒険者の俺とは違っ
て真っ当な剣士。威力の高は最も重要視したいポイントらしい。
﹁あとこれ、追加効果も闘技場向けじゃないからなー。風にはほと
んどダメージないし。戦闘を避けたい時は役に立つけど、闘技場じ
ゃ戦闘しねぇと意味ないからな﹂
というか。
﹁お前ら両手両手って条件に挙げてるけど、片手剣は使えないのか
? 使えるものなら盾なんかも使って欲しいんだが﹂
冷静にパーティーメンバーの役割を再確認しよう。
ヒメリは両手剣装備のアタッカー。
カイも両手剣装備のアタッカー。
チノは兄いわく元素魔法を専門とするソーサラー。
⋮⋮。
改めてみるとバランス最悪だな。
1133
﹁恥ずかしい話ですけど、オレ、盾とか持ったことないですね⋮⋮
重くて攻撃力の高い剣を装備するために鎧も犠牲にしてるくらいで
すし﹂
カイはポリポリと耳の裏をかく。
﹁ヒメリ、人生の先輩としての選択をするチャンスだぞ﹂
﹁私がタンクを務めるということですか? むむ⋮⋮ひ、必要とあ
らば﹂
﹁おっ﹂
少年少女と組んだ時点で年長者としての自覚が芽生えつつあった
のか、意外にもヒメリは﹁考慮してみます﹂と大人の回答をした。
そもそもヒメリ自身もチームが抱える欠陥を把捉していたのだろ
う。
確認した大会ルールだと薬品アイテムの持ち込みは不可になって
いたので、この構成だと回復手段は皆無である。ヒメリが唯一使え
る再生魔法がよりにもよって日常生活向けのリフレッシュなのが貧
しさに拍車をかけている。
しかし粗探しをしても仕方ない。このパーティーでいかに勝つか
だけを考えよう。
﹁そういう意味ではこの玄霊鉱のファルシオンは使いどころがあり
そうだな﹂
﹁あっ、それはオレも見たことあります! リステリアの地下迷宮
で拾える武器ですよね? 剣闘士の中にそれと同じ剣を使っている
1134
人がいますよ﹂
初見ではないというカイの発言にはチノも頷いている。
二人にとってこの漆黒の刀身はそれなりに見慣れたものらしい。
まあランダムとはいえ隣町で入手できる武器だし、この土地に所有
者がいても不思議ではないか。
﹁魂の火とかいうオプションを出せば回復に使えるらしいからな⋮
⋮あまり長くもないから両手で持つには不十分だろうが﹂
体力を分割できるこいつを導入するとしたら、自動的に傷や疲労
を取り去る﹃治癒のアレキサンドライト﹄とセット運用になるだろ
う。
﹁といっても机上の空論なんだけどな、今のところは﹂
そのへんも含めて色々と模索していくか。人数が多い分試行回数
も稼げるだろうし。
﹁⋮⋮で、ここからが新しく手に入れた武器になる。ぶっちゃけ俺
も詳細はまだよく分かってないから説明不足があっても勘弁してく
れよ﹂
そう前置きして、俺は波打つ刃にオリオンブルーのきらめきを宿
した長剣の柄に手を置いた。
1135
俺、貸出する
﹁蒼天鉱のフランベルジュ⋮⋮だったかな、ちゃんとした名称は。
見た目は奇抜だが、このおかげで滑らかな斬り心地を実現している
んだとさ﹂
店主のおっさんからの受け売りで喋る俺。
﹁秘められた魔力の性質は風らしい。それが顕現すると、こんなふ
うにだな⋮⋮﹂
剣を引き抜いて実演してみせる。
両手でがっしりと握り、直立した状態で天を突くかのごとく頭上
にかかげた瞬間。
刀身と俺の腕が青白いオーラに包まれた。
﹁肩が痛くなるからあんまやりたくねぇんだよな、この発動方法⋮
⋮ともあれ、このオーラが出ている間は最強だ。空気との、えー、
親和性だったか、それが高まるから抵抗が激減して剣速も上がるし、
切れ味も増す。その代わり一分くらいしか持続しねぇけど﹂
ミミがちょろっとだけ覚えている促進魔法とやらに似た効果とい
えよう。
﹁だから純粋に剣としての性能だけで戦う武器だな。俺にゃ向いて
ないが、自分の腕をそのまま反映したいのならこいつが最適かもな﹂
1136
その上この剣、ビジュアルがカッコよすぎる。
蒼天の名のとおり爽やかな青が目を引く合金に、波線が走ってい
るかのような独特の刃の形状。柄と鍔に施された彫金にも抜かりは
なく、大変芸術性が高い。
そっちの方面でもマニアに評価されそうな逸品である。
フランベルジュって名前もなんとなくオシャレだし。
だからだろうが、カイは最高に好奇心をそそられていた。
こいつ好みのパワフルな両手剣であることに加えて、少年の魂を
震わせてやまないヒロイックな外観。おまけに光をまとうことでパ
ワーアップときた。幼心をくすぐる要素をこれでもかと詰めこんで
いるから鼻息を荒くするのも無理はない。
真っ赤な髪のツンツン具合も心なしか上がっているように見える。
﹁確かに素晴らしい業物ですが、同じ両手持ちの長剣であれば、そ
ちらにあります一振りのほうが私は気になります。質量を感じさせ
る厚くて幅の広い刀身⋮⋮凄まじい刃痕を刻めそうですね。落ち着
いた緑の色味も渋くていいじゃないですか﹂
逆にヒメリはモスグリーンの剣に関心を示していた。
しかし俺にはその内心が手に取るように読める。こういう誰の目
にも分かりやすい武器以外を褒めたほうが通っぽく思われそう、と
いう打算が働いているに違いない。
1137
フフンって感じのしたり顔をしているのですぐ分かった。
﹁さすがはヒメリさん、お目が高い。そいつは蝦蟇鉱っていう水属
性のレアメタルで製造された剣だ。やっぱカエルに愛着持ってんだ
な、お前﹂
﹁がまっ⋮⋮﹂
予想外に珍妙な鉱石名に固まるヒメリ。
﹁なんだその嫌そうな顔は。お前のセンスだとこれが一番なんだろ﹂
﹁⋮⋮ネーミングが格好悪すぎませんか?﹂
﹁名前だけなら土竜鉱も似たようなもんだぜ。モグラだぞ、モグラ﹂
なのに俺の所持武器の中で最強クラスなんだから、レアメタルは
名前によらない。
﹁それはさておいてだ、このウルフバートって剣は凄いぜ。大きく
振れば朦朧の呪縛を招く霧を発生させることができる。ダメージは
ないに等しいそうだけど、敵を呪ってしまえば戦闘を有利に運べる
からな。俺がミミの呪術で散々経験してきたことだ﹂
一メートル少々の全長だが、ヒメリが言ったように刀身は肉厚で、
重さは十分。その重量をフルに使って断ち斬る剣と店主から教わっ
ている。
﹁そして、最後にこいつだな。地脈鉱のスパタっていうんだが﹂
﹁地味⋮⋮﹂
チノがそんなストレートな感想を漏らすくらい、この武器には派
1138
手さがない。
ツヤや光沢なんて贅沢なものはなく、鈍い鉛のような金属だ。な
んの装飾もない実戦にウェイトを置いたデザインも地味さの演出に
一役買っている。
柄まで含めた長さは七十センチ弱。特に目立つ部分もない。
﹁でもこれが一番高かったぞ。貴重な追加効果があるからって﹂
﹁む、それは気になる台詞ですね。教えていただけますか?﹂
﹁まあ待て。こういう感じで、刃の腹に手を添えてだな﹂
そのまま横にし、顔の正面に突き出す。
﹁わっ!?﹂
ヒメリは驚きの声を上げた。
突然自分の足元から⋮⋮いや、全員の足元から黄緑色の泡めいた
光がぷくぷくと湧き起こってきたのだから、そのリアクションは正
当なものといえる。
﹁優しい光。それに凄く、あったかいかも﹂
光に包まれながらチノがつぶやく。
ないはずの温度を感じ取れるとは、こいつは感受性豊かだな。
事実、この淡い光の粒子は有益だ。これもまた促進魔法に近い作
用がある。
1139
﹁⋮⋮とまあこんなふうに、味方をまとめて強化できるわけだ。肉
体と防具両方の耐久性を何割か増しで引き上げてくれるんだとさ。
便利だろ?﹂
ナツメたちが着ているメイド服まで蛍光イエローに染まっている
のがちょっと面白い。
﹁ただ剣としては並らしい。もちろん他のレアメタルと比較して、
だが﹂
守備を第一に考えるならめちゃくちゃ有効だが、その分攻撃面は
劣化する。
何事も万能とはいかないから装備品は奥が深い。
数分経過して光が収まった後、片手剣でありながら﹁追加効果が
絶妙﹂と聞いて興味が湧いてきたのか、一度握ってみたいと申し出
たカイに手渡す。
﹁グラディウスによく似てますね。あっちは剣闘士の皆がよく使っ
てますよ。オレも一時期グラディウスでの戦い方を練習したことが
あります。⋮⋮盾とセットで用いることが前提の武器だったから一
回も実戦投入しませんでしたけど﹂
ただそれよりは幾分長めとのこと。
﹁だったらそれを最初に試してみるか?﹂
﹁ううん⋮⋮でもやっぱり、この中だったらオレはツヴァイハンダ
ーとフランベルジュに執心してしまいます﹂
1140
﹁だろうな。その二本、名前もカッコいいし﹂
﹁ですよね! オレもそう思います!﹂
男として通じ合えたのが嬉しかったのかカイは快活な笑みを見せ
た。
﹁よし。じゃあ、どっちでも好きなほうを貸してやるから試してみ
てくれ。庭の広さがこれだけあったらブンブン振り回せるだろ﹂
そう伝えると、カイは第一希望としてフランベルジュを挙げた。
﹁けど本当にいいんですか? こんな希少な剣をオレなんかが⋮⋮﹂
﹁そんなことを気にする暇があったら一秒でも早く手に馴染ませと
け。使い込みが足りずに本番でポカされたら困る﹂
俺は要望どおりに、長尺のフランベルジュをカイの小さな、しか
しマメだらけで皮膚の厚くなった手に握らせる。
刃先をじいっと見つめるその表情からは、金属自体の重みと俺か
ら寄せられた期待の重み、そしてなによりも、剣闘士の本場として
栄えた町の歴史の重みを噛み締めているような心境がうかがえた。
闘技場で会話した時から感じていたが、こいつの大会に懸ける意
気込みは本物だ。
スポンサーの俺も支援に精を出せるってものだ。
﹁では昨夜主殿に指示されたとおり、スパーリング相手は自分が務
めましょう。いやはや、やはり自分にはこういう体を存分に動かせ
る役目のほうがしっくりくるでありますな﹂
1141
馬の耳を立たせ直したホクトがごそごそと鎧と盾を持ち出し、装
着しようとする。
が。
﹁大丈夫。お姉ちゃん、そんな痛いことしなくていいよ﹂
チノがぴとっと足に抱きついて止めた。
かと思えば、大きく開いたローブの袖から水晶玉を取り出して⋮
⋮。
﹁ソイル・イミテーション﹂
抑揚のない一本調子で魔法らしき言葉を唱えた。
チノの言霊に応えるかのように庭の地面がわずかながらに震動。
その揺れに引き寄せられるように表面の土が震央に向けて集まっ
ていき、高さと立体感を生み、そして︱︱人を模した形態が作り上
げられた。
﹁げっ、なんじゃこいつ⋮⋮﹂
ドロドロとした質感を除けば、ジェムナの鉱山に出没するゴーレ
ムに近似している。
だがこちらに攻撃してくる気配はない。マジモンの魔物じゃない
から当然とはいえ。
1142
魔力で生み出された偽ゴーレムを交互におっかなびっくり突っつ
くナツメとヒメリをよそに、妹のことなんて全部知っているとばか
りに、カイはただ一人平静さを保っていた。
﹁これはダミーですよ。チノがよく使う元素魔法の一種です。オレ
たちはこの土人形を相手にずっと特訓してきましたからね﹂
ふむ。つまりサンドバッグや巻き藁みたいなものか。
これはありがたい。怪我を気にせずトレーニングに励めるわけだ
からな。
俺は小さな魔法使いに賛辞を送ると、それでもチノは﹁ん﹂とだ
け、顔色ひとつ変えず素っ気のない返事をする。けれどその無表情
の中にも若干の照れを滲ませていたのは見間違いではあるまい。
そうしている間にもカイの精神統一は進められていた。
﹁行きます!﹂
決意の一喝が響き、ダミーを見据えるカイの目つきが変わる。
既に少年の目ではなく、剣士の目だ。
瞳の奥で燃える炎は火力を数段増している。
﹁天よ、オレに力を!﹂
青空に届かんばかりに両腕を突き上げてフランベルジュをかかげ
1143
るカイ。
⋮⋮やけに気合の入った掛け声と動作をしていたような気がする
が、とにかく。
レアメタル製の武器を手にしたのは今日が初めてだという割には、
スムーズに追加効果を発動させていた。
力強さと儚さが同居した青白いオーラに覆われたカイは、体を半
身にして足を前後に大きく開き、腰の重心を低く落とした、非常に
勇者的なポーズで剣を構える。
その構えが成立した瞬間に、カイは大股で勢いよく踏みこんだ。
清涼な青い残像を俺たちの眼に焼き付けながら波状の刃が振り下
ろされる。
一刀両断︱︱かどうかさえ素人目には疑わしかった。
あまりにも剣がダミーに触れている時間が短すぎたため、集中し
ていなければ﹃零刀両断﹄のように映ってしまいかねない。
斬り伏せられたダミーは崩れ落ち、破片を残すことなく土に還っ
た。
カイが両手持ちの大剣を使い慣れているという、その小柄な体躯
からは少々信じ難い話は、今し方の電光石火の一振りのみで証明さ
れた。これだけ長大な武器だというのに、パワーよりもスピードを
感じさせるというのは並大抵ではない。
1144
ただ、俺以上にカイのほうが感動でぞくぞくと肩を震わせていた。
忘れがちだがレアメタルの性能ってのは鉄や銅と比べて別格。幼
い頃から戦いの世界に身を投じていたカイがそれを初体験したら、
ああなるか。
﹁どんどん作るよ。どんどん斬って﹂
目を離している間にチノがダミー人形の量産体制に入っていた。
土の化物がワンサカと庭にひしめいている。異様な光景だ。この
現場を次の入居予定者に目撃されたら屋敷の不動産価値が著しく低
下するであろう。
﹁ちょっ、多すぎやしねぇか? まあいいや。ヒメリ、ウルフバー
トでガツンといっとけ。ただし毒は見境なく出すのはやめてくれよ
な﹂
﹁なんで私は武器固定されてるんですか?﹂
結局ヒメリは﹁大会では盾を装備してみたらどうだ﹂という俺の
アドバイスにならって、各種片手剣⋮⋮ファルシオン、スパタ、カ
ットラスあたりを満遍なく練習。
いずれも威力の面では劣るが拡張性の高い武器である。どうやら
使ってみるたびに新発見があるらしく、フレッシュな反応を示して
いた。
ところで、これらの剣に宿った魔力の元素は火、地、水。
レアメタルの属性をカイお気に入りの蒼天鉱とかぶらせていない
1145
のは、ヒメリなりに考えあってのことだろうな。
俺がその密やかな配慮を﹁お姉さん気取りか?﹂と冷やかすと、
唇を尖らせながらも先輩剣士は﹁そうですけど?﹂と平然として答
えた。
1146
俺、引率する
合宿初日はまずまず有意義な練習ができた。
カイは若いからか飲み込みが早い。新しい剣を握るたびに初々し
い反応を見せるので、そこがまたかわいげがある。
独力でCランクまで昇格したヒメリもなんだかんだで剣の腕に関
しては本物なので、片手剣での戦闘スタイルを一日で自分のものに
していた。
体格に合う盾がまだなかったので、鍋のフタで練習していたが。
七人で食卓を囲んだことで親睦も深まったし、順調なスタートを
切れたといえよう。
で、その翌日。
俺は公約どおり、チノを連れて魔法屋を訪ねていた。
スペシャルアドバイザーとしてミミも一緒に。
なにせ俺は魔法に関してはズブの素人。その手の知識はからっき
しだから、ある程度ミミにフォローしてもらわないとな。
というわけで本日はチノが生成するダミー人形ではなく、当初の
方針どおりホクトがスパーリングパートナーを務めている。万が一
に備えてヒールの使えるナツメも家の掃除ついでに待機しているか
1147
ら大事にはなるまい。
それにしても、だ。
商業ギルドの本部まで行って﹁町一番の高級店を教えてくれ﹂と
質問してやってきた古風な店構えの魔法屋だが、その触れこみに偽
りなく、どれもこれもゼロ一個多いんじゃないかと疑いたくなるよ
うな値段がついている。
だが売り物は高値に見合うだけのことはあった。
さすがに上級魔術書までは棚に置いていないとはいえ、書物の品
目数は本場ウィクライフの店と比べても遜色ない。
杖や十字架などの魔術道具に至ってはハッキリ上と分かる。
多彩なレアメタルがウリのこの町の武器屋においてもそれほど優
れた杖は販売していなかったが、さすがは専門店、文句なしのライ
ンナップだな。
﹁おおー﹂
真っ赤な三つ編みのおさげを揺らして店内を歩き回るチノの様子
から見てもそれは明らかである。昨日は自分だけ武器を貸してもら
えなくてつまらなそうにしていたが、今日はテンションが高い。チ
ノ比で。
ずらっと並んだ杖のストックに胸弾ませているのはミミもだ。
﹁とてもとてもワクワクするお店です。思わず目移りしてしまいま
1148
す﹂
そう口にしつつも顔つきは寝起きみたいにぽやっとしているので、
これまたミミ比。
二人揃って表情の変化が少ないから微妙な感情の移ろいを見極め
るのに苦労する。
﹁魔法使いの武器ってどれがベストなんだろ⋮⋮やっぱ杖か?﹂
﹁ミミはそう思います。以前シュウト様に作っていただいた古木の
杖はとてもとてもいいものでした。手にしているだけで魔力がぐん
と増幅するような感じがして⋮⋮﹂
ふむ。なら店主に聞いて何本か見繕ってもらうか。
そう思案していたら。
﹁私は水晶がいいな﹂
おねだりするような声を俺にかけながら、袖から出したマイ水晶
をぎゅっと握るチノ。
﹁他の武器、全然使ったことない。難しいもん﹂
﹁杖に難しいとかあるのか⋮⋮?﹂
﹁あるよ﹂
本人があると言っているのなら仕方ない。俺には魔法使いがどう
いう感性で自分の手にフィットする武器を選んでるのかさっぱり分
からんし。
1149
ってことで水晶を購入することに決めたのだが、まあ高い。
珍しい枝や骨を素材にした杖でも七、八万Gがいいとこなのに、
水晶は最安値の品ですら同等の価格がつけられていて、少しいい鉱
物になってくるとその倍以上する。
﹁宝石みたいなもんだからなぁ、水晶は。どんなありふれたものだ
ろうと微量な魔力が含まれてるから安くはできないのさ﹂
ゆったりしたチェアに腰かけた店主のおっさんはそう説明する。
加えて杖の素材となるものは安定供給が難しいため、本当に貴重な
品はそうそう店頭に並ばないんだとか。
﹁その代わり最高品質の杖ってのは水晶すら凌駕するがね。そうい
う意味じゃそちらの獣人のお嬢さんの言葉もあながち間違っちゃい
ないな﹂
ほう、杖最強説は信憑性があるのか。
まあ現時点で入手不可能なものを欲しても皮算用が過ぎるので、
大人しく水晶だけ買っていくか。チノもそれが希望のようだし。
てなわけでおっさんにオススメ商品を尋ねてみる。
﹁よし来た。商談の開始だ﹂
精が出るのかおっさんは腕まくりをした。
﹁まずはこれ、血水晶だな。呪縛の成功率を上げる効果がある。絡
め手となる呪術魔法が得意な魔法使いにはぴったりの逸品だぞ﹂
1150
おっさんがカウンターに置いた球状水晶は、パッと見だと澄んだ
ピンク色だが、中心部に向けて赤みが強くなっていっている。核の
部分にまで及ぶと、その名に違わず血が溜まっているかのようだ。
その個性的な外観は恐ろしくもあるが、耽美でもある。
﹁そしてこれが雪水晶。治癒の才覚が引き上げられるから、再生魔
法や促進魔法で仲間をサポートする冒険者にはうってつけ。うちの
店で一番評判のいい水晶だ﹂
二個目の水晶は真っ白に曇っていた。透明度が低く、不純物だら
けなのだが、冬の雪景色を想起させられるその淡く白い色合いには
不思議と求心力がある。眺めているだけでほっとしてくるような安
心感とでも言おうか。
﹁最後はこれ。翠水晶だ。持っているだけで自然との融和力が高ま
る。精霊信仰に基づく元素魔法でガンガン攻撃していくならこいつ
が最適だろうな﹂
ラストの商品は緑色の見た目からして一瞬エメラルドかと錯覚し
たが、それよりも遥かに色が濃く、透過光まで深緑に変わっていた。
元素魔法といえばチノの専門。水晶を覗きこむチノ自身も強く興味
を引きつけられている。
﹁いっぱいクオリア得られそう﹂
そんなチノがした表現はやたらと難解だった。
分かったふうに頷いて未知なる単語との遭遇を乗り切る俺に、お
っさんがセールストークをしかけてくる。
1151
﹁どの水晶も二十万G前後で販売させてもらっている。懐が痛むか
も知れないが、それだけの価値があることは保障しよう﹂
﹁じゃあ全部で﹂
﹁は?﹂
﹁全部で﹂
将来的にミミや、もしかしたら今後新たに雇う奴隷が使うかも知
れないし。
大人買いしておいて損はないだろう。
まとめて支払う。
﹁もう少し商売の駆け引きを楽しみたかったんだがな⋮⋮まあこっ
ちとしちゃ、儲からせてくれるんならなんの不満もないけどさ﹂
﹁いやもう十分駆け引きしただろ。前後と言いながら全部﹃後﹄だ
ったじゃねぇか﹂
俺は七百近い枚数の金貨を積み上げながらぼやく。商人ってのは
どの町に行っても言葉のトリックを弄してくるから油断できない。
﹁ほら。落とすなよ﹂
買ったうちの一つ、翠水晶とかいう道具をチノに渡す。受け取っ
たチノはそれをすぐには袖にしまわず、手の中で大事そうに握り締
めて︱︱。
﹁プレゼントありがとうでした﹂
﹁いやレンタルだからな?﹂
1152
﹁むー﹂
重要なことなのでちゃんと訂正しておいた。
さて、用は済んだな。
﹁帰りに市場に寄ってこうぜ。飯の材料を買わないとな﹂
﹁ごはん? 昨日のパンおいしかった、また食べたいかも﹂
﹁パンだけじゃ寂しいからおかずもな。栄養取らねぇと大会でロク
に動けなくなるぜ﹂
落ちそうになっていたチノを帽子を押さえながら、俺はミミに目
配せする。
﹁はいっ、シュウト様。たくさん頑張りますね!﹂
ミミは両手にぐっと力をこめて返答した。
素晴らしいやる気である。
というのも、せっかくの調理場つき物件ということで、家を借り
たその日に料理本とキッチン用具をいくつか買ってあったのがその
理由。
かねてからの念願もあることだし、料理の勉強がてらネシェス滞
在中の飯番をミミに任せるつもりだ。
今はまだ簡単なスープとサラダにかけるドレッシングくらいしか
作れないが、ミミ本人がレシピのレパートリーを増やす意欲を燃や
しているので、いずれ火の通った肉や魚が食卓に並ぶだろう。
1153
かまどのある家を借りている間にミミの料理の腕前がどのくらい
上がるか、そのへんも楽しみにしておくとするか。
⋮⋮と、そこに。
魔法屋の古ぼけた戸が開き、来客を告げるベルが鳴った。
﹁すみませーん! とっっっっっっっても強い杖ってありますかー
?﹂
ベルよりも甲高いキャピキャピとした声が一切の遠慮なく店中に
響いていた。
1154
俺、胸焼する
戸口には目の覚めるようなショッキングピンクの髪を束ねた女が
立っている。
女というか、顔立ちや背格好からいって少女だな。ゆったりした
サーコートを着ているから体型は判別しにくいが、推定年齢はチノ
以上ミミ未満といったところか。
﹁ここがネシェスで一番すっごい魔法屋さんなんですよね?﹂
﹁まあ、世間的にはそうなってるが﹂
﹁さっき闘技場でユグドラシルの杖を使ってる人を見ました! わ
たしも欲しいです!﹂
﹁ユグドラシルの杖? そんなレア中のレアな品はうちでは取り扱
ってないよ。きっとそいつはシャーマン連中が管理する世界樹の地
まで行って自力で採取してきたんだろう﹂
﹁ふえっ、そうなんですか? しょんぼりです⋮⋮﹂
店主のおっさんとのやりとりを観察する限り、所作や言動がいち
いちブリッコじみているからめんどくさそうな雰囲気がある。
さっさとお暇しておくか。
﹁強力な杖を求めるってことは、お嬢ちゃんもトーナメントに出場
するのか?﹂
﹁はい! ただいまメンバー募集中です!﹂
﹁ギルドで斡旋してもらうのか。ただ競争は激しいぞ。誰だって実
力のない者とは組みたがらないからなぁ﹂
1155
﹁ふふーん、大丈夫ですよう。わたしこう見えてもBランク冒険者
ですから!﹂
﹁えっ? その感じで?﹂
通り過ぎる予定だったのに、話が意外すぎて思わず声を漏らして
しまっていた。
おっさんに自らのランクを胸を張って答えていた少女は、俺の茶
々にハッとした表情を束の間浮かべた後、こっちを向く。
﹁あー! 今、わたしのこと疑いましたよね? でもでもっ、仕方
ないです。新しい町に行くたびにあなたとまったく同じ反応をされ
ますから﹂
と言って、ずいっと通行証を差し出してくる。
そこの冒険者ランク欄には紛れもなく﹃B﹄と記されていた。
同時に名前のサインも視界に入る。プリシラ・レメラスース。そ
れがこいつの名か。
称号も複数持っている。
いわく﹃戦場の天使﹄﹃フォータウンズ・アイドル﹄﹃英雄たち
の薬箱﹄。
うーん。
ノーコメントで。
1156
﹁どうです? ちゃーんとBランクって書いてありましたよね? ねっ?﹂
長い睫毛をバッチンバッチンさせながらまくしたててくる。
俺の知っているBランク冒険者といえば、ジェムナの首領格だっ
たガードナーだけ。
あいつはやや豪放磊落すぎるきらいはあるが、風格といい煽動力
といい高ランクに相応しい男で、そしてなにより、ずば抜けた強さ
の持ち主だった。
しかし今俺の目の前にいるのは巨漢のガードナーとは似ても似つ
かない華奢な少女。
声だけじゃなく仕草もきゃるんっとしてるし、あらゆる点で町の
平穏を担う男の剛毅さとは対極に位置している。こうして通行証を
見せられてもまだイマイチ信じられない。
﹁たっくさん強敵と戦いましたからね。わたし、再生魔法だけは大
得意ですから!﹂
﹁へえ、そうなのか。得意ってどんなふうに?﹂
﹁ええと、まずヒールでしょ、ハイ・ヒールでしょ、それとチェイ
ン・ヒール、アルファ・ヒール、グロウアップ・ヒールと、それか
らヒール・レインに⋮⋮﹂
﹁わ、分かった。もういい﹂
永遠に続きそうだったので中断させた。
要は回復役として各地で重宝されて、懸賞首の討伐を目指すパー
1157
ティーから引っ張りダコに遭っているうちに自然とランクが上がっ
ていったのだそうだ。
なんて堅実な昇格のし方だ。本人のキャラとは裏腹に。
ところでさっきから、ミミの背中に隠れたチノが顔だけ出してプ
リシラとかいう子にバチバチとした視線を送り続けている。
プリシラが闘技大会に出ると聞いて早速今からライバル視してい
るのだろう。
しかも自分と同じ魔法使いだから乗算形式で対抗心が燃え上がっ
ている。
﹁ここの魔法屋さんに来るくらいですし、皆さんも冒険者ですよね
? もしかして皆さんもチーム戦に出場するんですかあ?﹂
﹁いや出るのはこいつだけだ。そこでちっこくなってるこいつな。
俺はスポンサーをやらせてもらってる﹂
﹁はわ、そうなんですか!?﹂
﹁体は小さいけど経験は豊富だぞ。なにせ闘技場で生計立ててるか
らな、この子は﹂
﹁ほへ∼﹂
感心した様子で少しだけ膝を曲げたプリシラは、チノと目線を合
わせて⋮⋮。
﹁じゃあ、わたしたちは今日からお友達ですねっ! 共に競技者で
すし!﹂
そんなハッピーな台詞をニコッと笑いながら口にしていた。
1158
例によってアニメ声で。
﹁違う。敵。全力で倒すべき障害﹂
一方でチノはぴくりとも表情を動かさずにそう即答した。
ただプリシラはどういう思考回路を経た結果そうなっているのか
不明だが、まったく気にする素振りもなくますますフレンドリーに
接してくる。
﹁お友達の証に名前を聞かせてくれませんか?﹂
﹁チノ。恐れを知らない、勇猛なるけんとーし﹂
顎を上げてふんすっと鼻を鳴らしながら名乗るチノ。だが三角帽
がずり落ちてきて目深になっているので妙にユーモラスに映る。
﹁ふむふむ、チノちゃんというんですね。ばっちり覚えました! 本番まではまだまだ時間はありますけど、お互い頑張りましょう!﹂
﹁私のほうが百倍頑張るもん﹂
﹁ではわたしは千倍!﹂
﹁せっ⋮⋮えーと⋮⋮いっぱい頑張るから負けない﹂
よく分からない張り合いをした後で、プリシラは手を振って魔法
屋を去っていった。
これがまた両手を前に突き出したアイドルみたいな振り方だった
ので胸焼けしそうになる。容姿もアイドル並にかわいらしいからな
んとか許せるけども。
1159
﹁あれでBランクってんだから、世の中は分からんな⋮⋮﹂
単独で成し遂げた功績でないとはいえ、多くの冒険者たちから声
をかけられるくらいなんだから、その実力は看板に違わないものな
んだろう。
﹁大丈夫。再生魔法なんかに負けないよ﹂
どこから湧いてくるのか知らないが自信満々にそう言い切る我が
軍の魔術師。
いつの間にやらミミのローブから手を離し、曲げていたヘソを元
に戻している。
﹁そう言ってくれるんなら心強いけどな。⋮⋮そういやチノ﹂
﹁なに?﹂
﹁お前ってヒールとかを習得しようとしたことあるの?﹂
俺の質問にチノはふるふると首を横に振り、﹁使いたいと思った
ことない﹂と語った。
﹁再生魔法、試合ぐだぐだになるし、地味⋮⋮お客さん盛り上がら
ないもん﹂
﹁はあ。そんなとこまで考えて魔法選んでるのか﹂
﹁﹃しょーびじねす﹄ですから﹂
チノはどことなくキリッとして言った。
﹁でもチノさんの言うことは理に適っています。魔法はインターバ
ルがありますから、一対一だと回復している暇はあまりないのでは
1160
ないでしょうか﹂
頭の冴えるミミが冷静に分析する。
確かに、負けないように戦ってるだけじゃ早い段階で手詰まりに
陥りそうだな。
普段はタイマンでの試合が主らしいし。
﹁だけどチーム戦、ってなったらヒーラーの役割ってのは相当でか
そうだからなー。魔物退治のパーティー組んでるのとほとんど変わ
らないじゃん﹂
﹁⋮⋮私も覚えたほうがいい?﹂
﹁そりゃあ、できることならそうしてもらいたいよ。カイもヒメリ
も攻撃一辺倒だしさ﹂
手の中で水晶を転がしながら、しばらく迷ったふうにするチノ。
﹁再生魔法でしたらミミが教えられます。二人でお勉強してみませ
んか?﹂
﹁⋮⋮じゃあちょっとだけ、やってみる﹂
ミミに背中を押されたのが決め手だったのか、ついにそう決断し
てくれた。
いや、違うか。
一番の決め手はチノ自身の﹁勝ちたい﹂という気持ちだな。兄に
よく似た強靭な意志の炎を瞳に灯しているところからもそれは明ら
かだ。
1161
熱血漢のカイとは対照的に無口で無表情なチノだが、根底に流れ
ているものはきっと一緒で、今年の大会に懸ける想いはひとしお強
いんだろう。
この辺はやっぱり兄妹だな。
﹁だけどミミ、チノを手伝うのもいいけどだな﹂
﹁承知していますよ、シュウト様。お料理の勉強もしっかりと頑張
ります﹂
それに、とミミは言葉を継ぐ。
﹁夜はちゃんと空けておきますね﹂
⋮⋮こいつが時たま見せる、ぽやぽやした雰囲気とギャップのあ
る奔放な一面にも俺は慣れたものだが、他に客も来ないからと一息
入れていた店主のおっさんには奇襲すぎた。
飲みかけの紅茶を噴き出してむせる彼に合掌。
1162
俺、日課する
強化合宿三日目。
三種の水晶の購入によって︵といっても本人は翠水晶以外使う気
なさそうだが︶、チノも新武器の実験を兼ねたトレーニングに参加
できるようになった。
魔力の拡大によってダミーの生産ペースも向上し、結果的にヒメ
リとカイの練習効率もよくなったのは、思わぬ、しかし嬉しい副産
物である。
今日からはより濃密な訓練を展開できるだろう。
チノは更に空いた時間を使って家庭教師のミミ先生と治癒系統の
魔法の学習に励むとのことなので、最年少ながらに結構なハードス
ケジュールになってしまうが⋮⋮チームバランス改善のためにも頑
張ってもらいたい。
それに二日も寝食を共にすれば大分打ち解けてくるものだ。
昨日はまだぎこちなかった朝食の席も随分と賑やかになっている。
﹁カイさん、頬にジャムが付いていますよ。拭いて差し上げます﹂
﹁じっ、自分でできますよ﹂
﹁それよりカイ殿、パンのおかわりはいかがでありますか? 戦士
は体が資本。しっかり栄養を摂取しませんとな﹂
﹁気持ちは嬉しいですけど、オレもう、みんなから勧められて七個
1163
も食べましたから⋮⋮﹂
﹁お姉ちゃんの言うとーり。お兄ちゃん、もっと食べたほうがいい。
これとこれも﹂
﹁それは自分のサラダだろ、チノ! ちゃんと野菜も食べなさい!﹂
主にカイをいじることで。
﹁カイくん、大人気ですねぇ﹂
﹁分からんでもない。あいつかわいいからな﹂
﹁⋮⋮シュウトさん、今の発言、かなり際どいです﹂
﹁変な勘繰りはやめろ! 深読みしすぎなんだよお前は﹂
いわれなき疑惑をかけられそうになったのを速やかに訂正する。
こいつの妄想の方向性、無駄に一貫しすぎだろ。
そんなことを考えながら食後のワインを開けつつ、空になった皿
をテキパキと洗い場まで運んでいくナツメの働きぶりを眺めている
と、これまで干渉される一方だったカイが﹁そういえば﹂と自ら切
り出してきた。
﹁オレたち、明日は闘技場のイベントに出場する予定が入ってるん
です﹂
﹁おっ? そうなのか﹂
﹁模擬戦じゃないガチの試合ですよ。よかったらシュウトさんたち
も見に来てください。オレとチノが剣闘士としてどのくらい戦える
かを披露したいです!﹂
﹁こりゃ関係者席でタダ見できる流れだな﹂
﹁⋮⋮いやオレ、そこまでの力はないんで⋮⋮﹂
﹁冗談だ。こんな家借りておいてチケット買う金がないわけねぇじ
1164
ゃん﹂
軽口を叩き合ったところでカイが声のトーンをやや落とす。
真面目な話があるらしい。
﹁それで、ええと、武器のことなんですけど⋮⋮﹂
﹁武器がどうかしたか? フランベルジュとツヴァイハンダーだっ
け、今練習してんの﹂
﹁メインはその二本です。でもこれ、明日は使わないほうがいいで
すよね?﹂
﹁隠すってことか?﹂
﹁そうです。レアメタル製の武器を装備していることが知られると、
他の参加者からのマークがきつくなっちゃいますから﹂
﹁ふーむ﹂
一理ある理屈だ。
が。
﹁いや、手加減なしでいったほうがいい。大会まで隠したところで
どうせ一回戦終わったらバレるんだしな。それなら今から強さをア
ピールしていったほうが得だ﹂
﹁⋮⋮利点があるんですか?﹂
﹁ある。俺が味方につけたいのは世論なんだよ。お前らはネシェス
の人間からはめちゃくちゃ期待されてるんだからな。ここで溜飲を
下げさせて、優勝を本気で狙えるって知らしめておけば、大会本番
で浴びる声援も倍増するだろうよ﹂
会場の空気がチノ・カイ一色になってしまえば、対峙する相手か
1165
らしてみればやりにくくて仕方ないに違いない。
﹁お前らが浴びるのは声援、そして対戦相手が浴びるのはアウェー
の洗礼だ﹂
﹁相変わらず悪巧みは得意ですね。さすがの性格の悪さです﹂
俺はヒメリにデコピンをくらわせてから対話を継続する。
﹁だから明日は全力でいけ。余ってるベストも貸してやるから﹂
そう伝えておいた。
しばし思慮していたカイも納得したらしく、﹁全開でいってきま
す﹂と返答する。
うむ。その意気やよし。
﹁それに小細工なしでいったほうがオレらしいや。プレッシャーに
もなりますけど、それも撥ねのけられるよう奮起します!﹂
毎度のことながら口にする台詞の温度が高い。
そんな兄とは逆にチノはハナから新しい水晶玉を使う気満々だっ
たようで、許可が下りたことに小さくガッツポーズしていた。
もっともチノの装備の変更点は今のところ武器のみ。
軽装が好ましいカイは最悪本戦でも俺のお下がりを使えばいいが、
ヒメリの鎧とチノのローブは新調しておく必要がある。練習段階で
は防具はあまり重要じゃないから後回しにしているとはいえ、大会
1166
当日までには万端にしておかないと。
もう既に三百万G近く投資しているが、まだまだ金を注ぎこめる
ポイントは多い。
⋮⋮そういう意味じゃ日課の金策もサボるわけにはいかないな。
せめて消費した分くらいは回収しておきたいところ。
しかしミミはチノに魔法を教える役割があるから手を離せない。
チノが勉強している間のスパー相手を務めなくてはならないため、
ホクトも同上。
ということで。
﹁ナツメ、行こうぜ﹂
﹁ガッテンですにゃ!﹂
俺はこの土地での探索パートナーにナツメを選んだ。
初歩的な再生魔法も扱えることだし、一人でも頼れる相方だろう。
問題はこの構成だと俺が多めに荷物を運ばないといけないという点
だが。
﹁あと弓は持っていけねぇな。ナツメを一人で前に出すわけにゃい
かないし﹂
てなわけで、今ひとつ人気薄のウルフバートを抜き身のまま紐に
通して背負う。
1167
うわ、重っ。
重量で斬るタイプの剣は毎回こんなんだな。
﹁これから探索ですか? お言葉ですけど、この町でもシュウトさ
んの所持金にさざ波が立つような依頼はないと思いますよ。どこの
町にもなさそうですけど﹂
カバンの中にパンと水分補給に不可欠な薄いワイン、それからナ
ツメ用のリンゴジュースを詰めこんでいると、赤くなった額を押さ
えながらヒメリがそんなことを聞いてくる。
あー、こいつの目があったか。
といっても、まさかこいつも俺の莫大な資金の出所が雑魚モンス
ターだとは思うまい。持ち帰った金貨は秘密裏に個室まで運ばない
とな。
﹁金が目当てじゃない。俺だって鍛えたいんだよ、いろいろと﹂
適当な嘘をつき、﹁留守番サボるなよ﹂と言い置いてから屋敷を
後にした。
初日にギルドで聞いたCランク向けの魔物出没地域。
それが町を出て北東にそびえ立つ鉱山である。
徒歩でおよそ一時間半と、遠くもないが特筆するほど近くもない
距離にあるそこは、早くも多くの冒険者で溢れかえっていた。
1168
ギルドマスターのおっさんによれば鉄や火打石だけでなく金が出
土するということで、常時ツルハシを担いでいるような採掘メイン
の冒険者にも人気の場所なんだとか。
そんな名物には目もくれず、アリの巣状になっている金鉱山内部
をひたすら進んでいく俺とナツメ。
開拓が進められていて一定の感覚でランプが吊られているから視
界に問題はない。
坑道を闊歩し、金目の敵が出現するポイントを目指す。
地図を確認すると鉱山は上下二層に分割されている。
比較的危険の少ない下層は採掘者に、そして手強い魔物が蔓延す
る上層は修行者に適しているとの話だが、果たしてどうなっている
ことやら。
それにしても、密閉されている割には湿気の少ない鉱山だ。
足元の土がサラサラとしている。剥き出しになった岩肌の壁に触
れても、湿った感じはほとんどしない。
﹁さーて、いよいよこの辺からおでましだな﹂
ハシゴをつたって二層に上がってすぐ、俺は前方に、巨大な影を
発見した。
鉱山の定番、豚面のオークである。
1169
だがこれまで相手してきた個体とは違い、手にはなにも持ってい
ない。
俺的には単純明快に素手オークと命名したいところだったが、生
憎あいつにはちゃんとした通称がある。ギルドではオークモンクと
呼ばれていた。
背中から重剣を外し、滑り止めのラバーが巻かれたグリップを握
る。
ナツメもホルダーから一対のダガーナイフを抜いていた。黄色い
刃をクルリと軽く手の中で回転させた後、それぞれを両手に握りこ
む。
相手もこちらの気配を察知している。ゆっくりと、かつ重々しく
地面を踏みしめ、拳の骨を鳴らしながら近づいてくる様子が見て取
れた。
確かに威圧感はあるが、この動作のトロくささからして、オーク
の種族に生まれたサガでゴミみたいな俊敏性しかないのは明白。
先手を取る!
﹁うおお、り、やぁ!﹂
俺はやや離れた位置からウルフバートをフルスイングした。
当然先端がオークモンクに届くはずはない︱︱しかし。
1170
レアメタル固有の魔力による追加効果はそうではない。
モスグリーンの刀身とまったく同じ色の霧が発生し、対象にまと
わりつく。
霧、ではあるが、それにしては大粒だ。剣だからこのカラーリン
グでも気にならなかったけどこうして液状化しているとヘドロ感が
凄い。完全に毒霧である。
﹁絶対にくらいたくねぇ技だな⋮⋮﹂
我ながらそう思う。
それはさておくとして、だ。
注意力が散漫になる︵ミミ談︶という朦朧の呪縛の効果でオーク
モンクは戦闘に集中できなくなり、ガードが下がって懐がガラ空き
になっている。
そこ目がけて腰の入った強烈な一撃を見舞⋮⋮おうとしたが。
身軽なナツメが先に隣接していた。
﹁スマートに参りますにゃ!﹂
得物同士を打ちつけてキィンと金属音を響かせると、自分より二
回りはでかい怪物相手に怯むことなく、接近する際の助走を活かし
て跳躍。
﹁にゃっにゃあ!﹂
1171
右手に持った側のナイフを魔物の盛り上がった肩口に突き入れる。
鉄のナイフを手にしていた時よりも振りが鈍かったから、おそら
くあちらが重くなったほうだろう。そのせいか、破壊力が凄まじい。
あんな小振りなナイフが刺さっただけなのにオークモンクの肉は大
きく弾け飛んでいた。
皮下にある肉でそれなのだから、血飛沫の量は言わずもがな。
レアメタルだけあって元々の攻撃性能も抜群なのだろう。
﹁こっちも忘れちゃダメですにゃ!﹂
次いで左手のナイフを滑らせる。
わずかな秒数で三度も胸板を斬りつける、視認困難な早業で。
オークモンクの出血は止まらない。それだけ惨い目に遭っている
のに、当の本人、いや本豚は胡乱な眼差しをナツメに向けるだけな
のだから、悲痛ですらある。
だが意識が混濁しているなりに闘争本能は枯れ切ってはいないら
しく、ようやく攻撃動作を取った。
ガニ股になって腰を落とし、正拳突きをナツメに放つ!
モンクと名付けられるだけあってその拳は中々重そうである。が、
やはり呪いの影響は大きいのか、それともナツメの身のこなしが素
早すぎるのか⋮⋮惜しくもなく外れる。
1172
すかさず後詰に入る俺。
﹁ド級の一発をくれてやるよ。こんなふうに、なっ!﹂
その重量をフルに活かして、ウルフバートの分厚い刀身を上段か
ら叩きこむ。
要領はツヴァイハンダーとそう変わらない。初動にあらん限りの
力を込めるだけだ。後は右手も左手も添えるだけ。
位置エネルギーを乗せた刃が魔物の生存権を剥奪した。
撃破報奨で落とした金貨は二十枚。
オークメイジと同じか。悪くはない。特別よくもないが。
しかしまあ、ギルドでは通常のオークより攻撃力防御力共にスケ
ールアップしているという評価がなされていたが、なんのことはな
いな。レアメタルの波状攻撃を耐え切れるほどじゃないのなら俺た
ちとしては懸念すべき要素はない。
この町にいる間はこいつを討伐して稼がせてもらおう。
﹁とりあえず三十体を目途にするか﹂
﹁お昼ごはんはいつ頃にしますかにゃ?﹂
﹁十体倒したら﹂
﹁にゃにゃ、精一杯頑張りますにゃ!﹂
ナツメのやる気を焚きつけて、俺は黙々とオークモンクを狩る作
1173
業にふけった。
1174
俺、整列する
目標数に達したところで帰還。
町に戻った頃にはとっくに夕方、ということもなく、まだまだ空
では太陽が現役バリバリで働いている。西に隠居するまでにはあと
二時間くらいあるだろうか。
﹁お買い物をして帰りましょうにゃ。ミミさんが﹃今晩は卵料理に
チャレンジしたい﹄って朝から張り切ってましたにゃ﹂
ポケットに手を突っこみ、ミミから渡されていたらしい献立メモ
を出すナツメ。
﹁その前に一度ギルドに寄るぞ﹂
﹁ギルド? なにか用事ってありましたかにゃ?﹂
﹁ちょっと調べておきたい情報があるからな﹂
小首をかしげて不思議がるナツメを伴い、ギルドへ。
昼下がりのそこは尋常じゃない量の熱気が充満していた。
この町の人間なのか、はたまた闘技場に引き寄せられた各地方の
猛者なのかは分からないが、とにかく人の数が多くラウンジが満席
になっている。
盛んに議論を交わす、三人組で座っている面々は大会のために結
成されたチームメンバーなのだと推測が立つが、そうでない奴らは
1175
ピリピリしたムードをまとっている。自分の出した条件に適う冒険
者が中々見つからないからだろうか。
かといって妥協してハグレ者同士で手を組むなんて気配もなく、
剣呑な雰囲気だ。
まあ、こいつらが仲間探しで難航している理由はなんとなく分か
る。
その装備品を見るだけで一目瞭然。金属製の重厚な鎧に、剣や槍
といった接近戦主体の武器⋮⋮どいつもこいつも前衛タイプだ。役
割のかぶった奴を誘ってもチーム力は上がらない。だからできるこ
となら魔法の使える味方を求めているんだろう。
裏を返せば自分が引き入れられる場合は競争相手が多すぎて厳し
い。
脳筋の辛いところである。
うーむ、癒し手のプリシラが引く手数多だったという話も頷ける
な。
逆に今はプリシラが募集をかけているらしいから、あいつに選ば
れた奴は幸運だな。
⋮⋮と、それより。
﹁おっさんに厄介にならないとな﹂
といっても先ほどの話とまったくの無関係ではない。
1176
俺が知りたい情報とはつまり、現在ここで斡旋希望として登録さ
れているか、メンバー募集をかけている冒険者のデータである。
売りこみをかけるからには簡単な自己アピールは必須だろうし、
名前以外にもランクや戦闘スタイルくらいは知れるだろう。
が、しかし。
受付に向かうと先客がいた。
全身金ピカの、体格のいい男である。
あまりにも着ている鎧が眩しいので短く刈り揃えたアッシュの髪
の印象が薄れてしまう。
両サイドにマッシブな獣人男性を従えているがそいつらも同様の
格好だ。
なんて悪趣味な鎧なんだ⋮⋮とゲロを吐きそうになるも、よくよ
く考えてみればこの微妙に赤みがかった黄金の輝きには見覚えがあ
る。
俺のツヴァイハンダーと同じだ。ってこと土竜鉱が原料か。
俺は訳あって武器にしたが、本来は防具に適したレアメタルと聞
いている。
めちゃくちゃ頑丈そうだな。
1177
そして、それだけ高性能な鎧を三つも所有しているということは、
この男も相当のやり手に違いあるまい。
密かにそんな分析をしながら後ろに並んで順番を待つ。
﹁⋮⋮だからだな、闘技大会に剣闘士として参加できるのは冒険者
登録が済んでいる者だけだ。奴隷は冒険者ギルドに登録できないか
らトーナメントにも出られないんだよ。この説明四度目だぞ?﹂
﹁うむ、それは重々理解している。闘技場の受付で見目麗しいご令
嬢から同種の内容のことをうかがった﹂
﹁そのエピソードを聞くのも四度目だ。ギルドで紹介してもらえっ
て言われたんだろ?﹂
﹁しかり﹂
﹁だったら君も大人しく斡旋希望か人員募集の届出をだな﹂
﹁いーや! 私は断固として他人とは組まんぞ! 気心の知れたこ
いつらを置いていくわけにはいかない!﹂
﹁話が大げさすぎるだろ⋮⋮今生の別れってわけじゃあるまいに﹂
﹁私が戦地に赴く時は常にその覚悟だ。闘技場も例外ではないのさ
!﹂
待つだけじゃ暇なのでギルドマスターのおっさんとの会話を盗み
聞いていたが、どうやらこの三人で出られないかとゴネているらし
い。
馴染みのメンツで出場したいという気持ちも分かる。分かるが、
無理と言われているのだからいい加減折れてもらいたい。虎と馬の
耳を生やした二人のお供もこっちにめっちゃ申し訳なさそうな目線
を送っていることだし。
そんな俺の願いも虚しく、強行は続いている。
1178
﹁君も腕に自信があるからネシェスに来たんだろう? どんな仲間
とでもやっていけるさ﹂
﹁私は真の達人と比べれば未熟な男だ。そんな買いかぶりはやめて
くれたまえ﹂
﹁もういいから早くどっちかにサインしろ﹂
めんどくさくなったのかおっさんの応対も適当になっている。
ってか、なげーよ。
ナツメも横で大あくびしている。虎くんと馬くんはついに主人に
隠れて無言で手を合わせて謝り始めた。なんか同情させられる。
そこから更に十分弱の押し問答が続き︱︱やっとのことで男は納
得したらしく。
﹁これは神が私に与えた試練と受け止めよう⋮⋮!﹂
聞いてるこっちが疲れてくるような台詞を口走りながら署名をし
た。
で、施設を出ていく。
自分が世界の運命を背負った英雄であるかのような顔をする主人
をよそに、虎馬コンビが去り際に何度も頭を下げていたのが俺の胸
を打った。
﹁やっと行ってくれたか⋮⋮しつこい奴だった﹂
﹁すまん、待たせたな。ようこそギルドへ。君はカイとチノのパト
1179
ロンだったかな﹂
﹁表現が直球すぎるだろ。いや合ってるけども﹂
﹁それよりなんの用だ?﹂
﹁おっと、そうだったそうだった。斡旋希望者のリストを見せてほ
しいんだよ。どういう連中が集まってるのか気になってね﹂
﹁ほう、君もか。情報収集に余念がないな﹂
ニヤリと片側の口角を上げながらおっさんが一覧表を見せてくる。
しかし﹁君も﹂ってことは、俺以外にも同様の下調べをやってる
奴が複数名いるってことだよな。考えることは皆同じか。
まあだからって目的は変わらない。ささっと閲覧する。
名前、ランク、出身地、それから備考が記されていた。
備考欄はまあ、アピールポイントを書く場所だな。軽く眺めてい
ると﹁前衛・片手斧と盾﹂といった簡潔な自己紹介や、﹁ヒーラー
優先﹂のような仲間への要望、あるいは﹁光銀鉱のラメラーメイル
保有﹂みたいに装備品の良好度をアピールしている奴もいる。
そしてランクに目を通してみると、ずらっと並ぶC、C、C。
低いランクは見当たらない。
もっとも、これは別に奇妙な傾向ではない。Cランクで発行され
る通行証がないとよその町からは来られないし、地元の冒険者は親
しい間柄の奴と組むケースが多そうだから、斡旋希望者の名簿は自
然とそうなってしまうんだろう。
1180
実際、フィーの出身者はほとんどいなかった。
﹁この斜線が入ってるのはなんなんだ?﹂
いくつか人名が消されているのが目に止まる。
﹁それはチームが決まったってことだよ。めでたいことだ﹂
﹁へえ﹂
早い段階で話がまとまった人たちってことか。
傾向としては、やはりと言うべきか備考欄に﹁魔法使用可﹂と書
いてある奴の名前が多く消されていっている。
それと、この表に載っているのはごく少数だがBランクの奴もだ
な。同じ前衛タイプを味方に招くなら、そりゃあ当然腕のいいほう
を誘うわな。
けれどその中に、まだ斜線が引かれていないBランク冒険者を見
つける。
﹁まだこいつフリーなのか。勧誘が殺到しそうだけどな﹂
﹁そりゃそうだ。その男はたった今登録したばかりなんだから﹂
﹁え?﹂
﹁さっきの話のくどい戦士だよ﹂
即座に再確認する俺。
デヴィン。Bランク。デルガガ出身。
1181
それがあの男のプロフィールらしい。
備考欄も見てみたが、﹃私は私の力を必要とする者の味方だ!﹄
としか書いていないのでよく分からなかった。
彼はきっと備考の意味を勘違いをしているのだと思われる。
﹁少し世間話もしてみたが⋮⋮まあ正確にはさせられたんだが、あ
いつは鉱夫の町デルガガの生まれだけあって、力自慢の獣人を率い
て採掘の旅をしているらしいぞ。大会の参加目的は自分がどれだけ
強くなれたかの腕試しだとさ﹂
﹁デルガガってレアメタルがよく採れる地方だったっけ﹂
﹁ああ。この町にいる間は金を掘って滞在費を稼ぐ予定らしいから、
もしかしたら君も鉱山に行った時は出会うかもな﹂
﹁ええ⋮⋮﹂
どうしよ。あんまり会いたいタイプの人間じゃないんだけど。
なにかと暑苦しそうだし。
⋮⋮とはいえ、少なくとも明日は絶対に出くわすことはないから
一安心できるか。
闘技場にカイとチノの勇姿を見に行くんだからな。
1182
俺、来場する
その日、剣闘士の兄妹は眠たげな目をこすりながら朝一番に出発
していった。
出番は昼からと言っていたが、早めに現地入りしなければならな
いらしい。
剣闘士というのも楽じゃない職業だな。
で。
時刻は午前十一時。
俺たちは今、町の中心で悠々あぐらをかくメイン・コロシアム周
辺に来ている。
初日にも訪れたがその活気は健在。むしろイベントの開催に合わ
せてか、より一層屋台の出店数が増えているように思える。軽食類
はもちろんのこと、土産物やパンフレットまで売られているから、
この町の人間も商魂たくましい。
﹁なんともはや⋮⋮さながら祭典のようでありますな﹂
ガヤガヤとした雰囲気に包まれ、ホクトが困惑気味にそんなこと
を口にしていた。
当たり前だが人足も多い。全員が観戦目的だろうな。
1183
﹁盛り上がるに決まってるさ! なにせ今日のイベントには、よそ
の町の冒険者も何人か大会に向けた調整のために出場するんだから
な。燃えないはずがないよ!﹂
持参のジョッキにエールを注いでくれた商人が理由を明かした。
なるほど、って感じだ。
腕自慢の連中の試合が見られるとあらば、普段より客が集まるの
は道理である。
﹁お二人の出番はタイムスケジュールどおりですと、チノちゃんが
十三時、カイくんが十五時半ですね。健闘を祈って見守りましょう
⋮⋮と冷静に言いたいところですが、私までなんだかドキドキして
きましたよ。他人事ではありませんからね﹂
ヒメリが飲食費の余りで購入したパンフレットを眺めながらつぶ
やく。
ちなみに入場料金を除いた本日の予算は2000Gだったらしい。
これでパンフレットが買えるギリギリの端数しか残らないんだから、
どれだけ食ってんだって話だ。
﹁それにしても、このマッチアップ⋮⋮作為的なものを感じます﹂
﹁どのあたりがだ?﹂
横から覗きこむ俺。
﹁見てくださいよ。名前以外にも出身地と年齢が載せられているん
1184
ですけど、半分以上の対戦カードがネシェス対その他の地方になっ
ています。町外の出身者同士で当たる組み合わせは一つもありませ
ん﹂
﹁うお、マジだ。対抗戦状態じゃん﹂
﹁これが仕組まれたものでないのだとしたら逆に怖いですね﹂
武の聖地に集った強豪たち。そこを迎え撃つホームの剣闘士。
確かに血が沸騰してくるシチュエーションではある。ここの運営、
エンターテイメントってのをよく理解してやがるな。
﹁ネシェス同士で当たってるのは、実力順であぶれたってことか﹂
﹁でしょうね。⋮⋮カイくんとチノちゃんがそうなっていないのは、
なんとも複雑な気分にさせられます。誇らしくもありますが、不安
にもなりますから﹂
﹁うーむ。ま、武器も一新したことだし、そんな惨めな試合にはな
らないだろうさ﹂
﹁だといいですけど﹂
十時開演なので既に序盤の試合は進行している。
地元対地方のカードは後半に固まっていた。ここが本日の山場と
見て間違いない。
﹁そっちもいいけど、こっちも楽しまないとな、どうせなら﹂
俺は視線をパンフレットから屋台に移した。
そうした瞬間にナツメの表情が急速に明るくなったのが見えた。
1185
﹁ごはんですかにゃ? ごはんなのですかにゃ?﹂
瞳の輝きはそれ以上だった。
そもそもなんで十一時とかいう微妙極まりない時間に来ているか
といえば、昼飯代わりに屋台を巡ろうという計画を立てていたから
である。
バジルを使ったピザを小手調べに分け合って食ったが、まだ小腹
が空いている。
ここは追加でなにかもう一品買っておくか。
といっても迷いはしない。初日から気になっていた屋台がある。
肉。
簡易の窯でひたすらに肉を焼きまくっている屋台だ。
立ち寄ると、まず最初に軒先に吊るされた肉のローストに目を引
きつけられるが、そこから嗅覚がぐぐっと串刺し肉の焼き場に俺の
関心を誘導する。
いてもたってもいられず、俺はおっさんに売り物の詳細を尋ねる。
﹁ここはなんの屋台なんだ﹂
﹁パン屋だ﹂
どこがだよ。
1186
﹁いやいや、めっちゃ肉が前面に出てるじゃん﹂
﹁おっと肉はあくまでオマケだぜ。うちの自慢は古来から伝わるピ
タってパンだ。肉はピタを味わうための土台だと思ってくれ﹂
土台の解説を始めるおっさん。
﹁何枚も重ねた薄切り肉の炙り焼きがギロス、小さくぶつ切りにし
た肉の串焼きがスブラキだ。どちらかを選んで、広げたピタにぶち
こんで食べる。最高にうまいぞ﹂
そりゃあそうだろう。この調理工程でまずいわけがないわな。
﹁好きな野菜も二種類までトッピングできるぜ﹂
﹁ほう。どんなものがあるんだ?﹂
﹁定番は玉ねぎとヒヨコ豆。あとはまあ、グリーンレタスや揚げイ
モだな。それと若い子向けにトマトもある。かつては観賞用だった
植物を平気でかじれるんだから最近の子は怖いもの知らずで驚くよ。
俺が若かりし頃のトマトといえば⋮⋮﹂
﹁ギロスとスブラキを二つずつ頼む。トッピングはお任せで﹂
ウンチクと昔話をセットで語られそうだったので、さっさと購入
を決めた。
さっきから肉の焼ける匂いに俺の内臓たちが絞り上げられている
ことだし。
﹁かけるソースはどうする? ホットソースとサワーソースがある
が﹂
﹁違いは?﹂
﹁辛いか酸っぱいかだ﹂
1187
﹁分かりやすいな。だったら俺はサワーソースにしとくか﹂
アンケートを取ったところ、ミミとホクトはホット、ナツメはサ
ワーを選択。
四つ分の代金480Gを支払い、適当に頬張りながらぶらつく。
しかしこのギロピタとかいう料理は味も手頃さも最上級だな。余
分な脂が落ちてるから案外あっさりしてるし、爽やかなヨーグルト
のソースもしつこさのない後味に貢献している。片手で持てる割に
手が汚れにくいのもスポーツ観戦的にはポイントが高い。
ミミがホットソースがふんだんにかけられたスブラキ入りピタを
一口くれたが、こっちも大変おいしゅうござった。
チノの試合が始まる前にもう一回買いに来るか。
手ぶらで観戦しても味気ないからな。
あとエールの二杯目も飲みたいし。
﹁いやもうジョッキ空じゃないですか﹂
ヒメリが冷然なツッコミを入れてきた。
﹁仕方ねぇだろ。飯を食えば喉が渇く。これ人体の常識な﹂
というか今も結構渇いている。パンと焼肉という、共に口の中の
水分を奪っていくことに定評のある両者がタッグを組めばこうなる
のは自明か。
1188
てなわけで、俺だけ一人おかわりをもらいにいく。
エールの樽を設置した屋台はいくつもある。せっかくだし次は別
の銘柄にするか。
そんなことを考えながら歩いていると、ふと、他の店とはまった
く趣の異なる、しかしながらどこよりも人だかりのできた屋台を見
かけた。
﹁さあさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。大人の遊戯の始まり
だ。白勝て黒勝て? そうじゃない。俺の魂震えりゃいい。そんな
諸君にご朗報。鉄板情報教えます﹂
小気味のいい調子で弁舌をふるうダミ声のおっさんはどうやら、
客引き代わりに今日のイベントの見所解説をやっているらしい。
一応ドリンク類を売っているようだが、どっちがメインなんだか
判別つかなくなる。
予想屋みたいなもんだな。
賭けられないから魅力も半減だが。
とはいえ面白そうなので、覗くだけ覗いてみる。
﹁まずは開幕一戦目。みんなのアイドルチノちゃんだ! 背は小さ
くとも魔力は強大、同じく人気のカイとは兄妹。彼女と対する戦士
も名手。異名はなくとも腕は本物。一ヵ月後にはヒーローか、それ
とも今日でヒーローか。蓋を開けてのお楽しみ!﹂
1189
チノも見所に入っているのか。なんか嬉しくなるな。
ところで、おっさんはあえて﹃開幕﹄という表現をしていたが、
ここからネシェス対その他の試合がスタートするということだろう。
﹁そこから少し時間は飛んで、十五時からの好カード、三つ一気に
ご紹介﹂
つらつらと淀みなく、面白そうなマッチアップを語っていくおっ
さん。
その中には。
﹁⋮⋮三連戦の最後を飾るは、ネシェス期待の若武者カイ。身の丈
近い大剣で、バッタバッタと薙ぎ倒す、正統派の剣闘士。相手もこ
れまた剣使い。技の光る剣豪だ。運がどちらに転んでも、勝つも一
瞬、負けるも一瞬! ゆめゆめ目を離したりせず﹂
俺が特に目をかけているカイも含まれていた。
チノの時もそうだったが、二人が紹介されると野次馬が沸き立つ
のが分かった。二人のこの町での信望に疑う余地はない。これがプ
ラスに運べればベストなんだが。
俺が思考する間にもおっさんの独演は続いていた。
徐々にクライマックスに近づいているのか、語調もますます熱く
なっている。
1190
﹁次なる試合はお待ちかね、現役最強の剣闘士、﹃戦姫﹄イゾルダ
の登場だ! ご存知ネシェスの大スター、闘技場のアーティスト。
なにも知らずに美貌に惹かれて、贔屓を決めた旅の方、あんたはそ
れで大正解。決して損はさせません﹂
な、なんか凄そうな奴が出てきたな⋮⋮。
﹁巧みな剣技と凄烈な魔術、その鮮やかな調和こそ、イゾルダ女史
の代名詞。しかし彼女の本当の、魅力はそう華やかさ。一挙手さえ
も艶やかで、紡ぐ呪文はリリカルだ。観客沸かす戦いぶりは、まさ
に剣闘士の鑑でしょう﹂
おっさんはイゾルダとかいう奴のことばかり喋っていた。
対戦相手が哀れになってくる。聴衆もまたそっちには興味なさそ
うなのが切ない。
まあこいつの試合は相手が誰だろうと見る価値ありってことだろ
う。
﹁そして大トリ務めるは! トリックスターのクィンシー! 目に
も止まらぬ早業で、幾多の難敵超えてきた、ファンの間じゃちった
ァ知られた、変幻自在の剣闘士。流麗なる剣さばき、心ゆくまでご
堪能を﹂
ついに最終戦の解説が始まった。
ん? でもさっき、剣闘士で最強はイゾルダとか言ってたよな。
なんでこいつがラストなんだ?
1191
⋮⋮だが不思議がる余裕は俺や他の客には与えられなかった。
﹁相対するは辣腕ジェラルド!﹂
その名前が出た時点で周囲にざわめきが広がり、些細な疑問がす
べて有耶無耶になってしまったせいで。
付け加えると、先ほどまでカイやイゾルダでやんややんやと騒い
でいた連中ほど大きくうろたえているように見えた。
﹁彼の強さを語るには、言葉の数だけ無粋になる。あえて説明省き
ましょう。たった一言あればいい。個人戦での前回大会、三位入賞
の実力者!﹂
それはつまり、この町を象徴する文化である闘技大会をよく知る
地元の人間のほうが、その名の意味を深く受け止めているというこ
とに他ならない。
﹁Aランク冒険者ジェラルド! なにがなんでもお見逃しなく!﹂
おっさんはそこでバンバンと、二回屋台の側板を叩き鳴らした。
1192
俺、喜悦する
Aランク! そんな奴が来ているのか。
俺自身E、D、Cときて、Bランクの存在も確認できているのだ
から、その上が設けられているのは分かり切っていたが、いざこう
して現実に聞かされるとゾクッとくるものがある。
しかも個人戦の大会で好成績を収めているときた。
ハリボテの肩書きではなさそうだな。
とはいえ今からこいつのことを過剰に意識しても仕方がない。興
味深い話を聞けた礼代わりにこの屋台のおっさんからエールを買い、
四人のところに戻る。
﹁⋮⋮シュウト様、いかがなさいましたか?﹂
﹁どうもしてないけど。なんか変に見えたか?﹂
﹁いえ、難しいお顔をされていたので﹂
﹁まあ、考え事はしてたかな。でも大したことじゃないよ。それよ
りさっさと入場しようぜ。何時から観戦してようと料金は一緒なん
だから、会場の外にいるだけ損だ﹂
ミミの憂慮を晴らしてから闘技場に入る。
入場料金は一人600G。メイン・コロシアムの収容可能人数を
考えたら今日だけで一千万Gは利益が出そうだな、このイベント。
羨ましい限りだ。
1193
スタンド席に辿り着くと、そこは興奮のるつぼと化していた。
剣闘士同士の真剣勝負が行われているのだから当然だろう。今は
ちょうど二人の若い戦士が互いに一歩も譲らない鍔迫り合いを繰り
広げている。これは熱い。
見ているとどちらの腕にも鈍色のリングがはめられている。
あれでトドメを刺せない呪縛状態をキープしているんだろうな。
特等席とは呼べずともなるべく前のほうのベンチシートを確保し、
ナツメ、ミミ、俺、ヒメリ、ホクトの順で腰かける。
席を選んでいる間に決着はついてしまっていた。根負けしたほう
が弾き飛ばされ、手痛い一撃を被り行動不能になっている。
すると。
﹃勝者、オーウェン! 皆様、盛大な拍手をお願いします﹄
丁寧な口調の女性によるアナウンスが、会場全体に響き渡って勝
者を告げていた。
まるでスピーカーから流れるように、だ。
それにしたって異常にクリアな音像なのでびびらされる。
﹃次の試合は十一時四十分から開始します。対戦カードは⋮⋮﹄
1194
次節の案内までやっている。
なんだこれ。どうなってんだ。
﹁この場内アナウンスも移送魔法の技術転用みたいですよ。優勝カ
ップといい、この闘技場では独自の移送魔法のテクノロジーが様々
な分野に使われていますね﹂
極太のソーセージと刻んだピクルスを挟んだ白パンを頬張りなが
ら、隣にいるヒメリがタネを明かした。
無駄に得意げに。
﹁なんでお前が知ってるんだよ?﹂
﹁昨日カイくんに教えてもらいました。闘技場特有の機能に逐一驚
いていたら常連客から笑われるから、だそうで。ふふふ、シュウト
さんは見事に驚きましたね﹂
﹁先に言え、先に﹂
﹁デコピンのお返しです﹂
真顔だったので、割と効いていたらしい。
つまりはここはよりよい興行のために最先端技術が結集している
のか。
だが大昔の異才魔術師が一人でしかけたギミックだそうなので、
それを最先端と呼んでいいかどうかは疑問符がつくが。
その後も中堅どころの試合が続いた。
1195
中堅、といってもさすがは対人戦慣れした剣闘士、その戦いぶり
はどいつも見事なものだった。ただ勝つだけでなく魅せることも考
えているのか、しょっぱい試合はひとつとしてない。全員がショー
マンシップに溢れている。おかげで酒が進んでしょうがない。
これがプロの仕事か。
それゆえに観客も大いにエキサイトしていた。言葉は悪いが前座
の時点でこれなんだから、ホームアウェーの対戦が始まったら一体
どうなってしまうんだ。
そう思った矢先。
﹃次は十三時、十三時ちょうどに始まります。対戦カードはチノ対
ユーク。詳細は掲示板または公式パンフレットをご参照ください﹄
いつの間にか、擬似対抗戦の先陣を切るチノの順番が巡ってきて
いた。
もうそんな時間か。
試合に集中していたせいで時間の感覚を忘れてしまっていたらし
い。俺はホクトを連れて急いで食料とアルコールの追加を買いに行
き、再入場する。
席に戻るやいなや、ピタを包んだ紙袋でいっぱいのホクトの両手
にナツメが目の色を変えて飛びついた。完全にネズミを狙う猫の目
である。しかし刺激的なホットソースの効いたヒヨコ豆と肉にかぶ
りついた途端、その目は弓なりになった。
1196
ヒメリは最初にアホほどファストフードを買いこんでいたのでま
だまだ備蓄が切れる気配はない。というかこいつ、ここに来てから
ずっと食い続けているんだけど。
﹁始まりそうですよ、シュウト様﹂
そんなヒメリを横目で見ていたら、ミミに肩を叩かれる。
フィールド上に視線を戻すと︱︱舞台袖から入場してくるチノの
姿が見えた。
その手には深緑の水晶がしっかりと、あたかも宝物かのように握
られている。
トレードマークの三角帽を揺らして歩くだけでチノは大歓声を浴
びている。ここからが本番と理解している闘技場マニアだけでなく、
誇りある古代ネシェス人の血を引く彼女自体のファンと思しき奴ら
もヒートアップしていた。
﹁チノちゃあああああああああああん!﹂
﹁こっち向いて、チノちゃああああああああああん!﹂
﹁チノちゃんかわいいよ、今日も世界で一番だよ!﹂
﹁怪我だけはっ! 怪我だけはしないでねっ!﹂
しかし動機が不純そうなのが気がかりではある。
もっともチノの顔に変化はない。
いつもどおりの、少しだけムスッとした無表情である。
1197
スタンドの客に媚びるような真似もしない。﹁そこがまたいい﹂
みたいな意見が後ろから聞こえてきた。深い。
そんなチノも俺たちを客席の中に発見すると親指を立ててアピー
ルしてきた。
俺が怨嗟の目に晒されることになったのは言うまでもない。
対する相手は若めの男。
装備からしてオーソドックスな剣士だろう。盾はなく、全身を覆
うプレートメイルで防御面を補っている。武器は細長い剣。両手で
その重量を支えていた。
睨み合う両者。
やがて低音で響く鐘が鳴り、戦いの幕が切って落とされた。
先手を取ったのは初動の瞬発力に優れる剣士⋮⋮みたいに詳しく
解説しようと思ったのだが、まったく無意味な行為だった。
勝負の行方は早い段階で決まってしまったからな。
﹁ティ︱︱ップ︱︱ミ︱︱ション﹂
割れんばかりの歓声が巻き起こっているせいでかすかにそれだけ
しか聞き取れなかったが、チノが口ずさんだ言葉が魔法の詠唱であ
ることは明らかだった。
それを立証するかのように無数の細やかな雫が空間上に浮かび、
1198
赤髪の少女の前方に配置される。
雫は光を乱反射して一粒一粒がまばゆいばかりに輝いている。
その輝きは止まることなく増していく。相互に反射し合っている
からだろうか。限界に達したところで、溢れた光がごくごく小規模
なレーザーとして射出された。
それが、幾条も。
剣士に向けて一斉に放たれる!
だから一撃必殺なんかではない。千撃必殺とでも言おうか。
一発の威力はレーザーの太さからしてかなり低そうだったが、こ
れだけ短時間でこれだけ大量に浴びてしまえば、タダで済むはずが
ない。
照射された剣士はその厚い鎧をもってしても、警報を発令すべき
勢力の光線の雨のダメージには耐え切れなかった。不規則によろめ
き、ついに膝をつく。
﹃勝者、チノ!﹄
アナウンスが公平な判断を下す。
その瞬間、闘技場のボルテージは今日イチに達した。
俺はその盛り上がりの中、唸ることしかできなかった。相手も闘
技大会のためにネシェスを訪れたのだから、決して弱くはない。そ
1199
れを一蹴するとは。
すこぶる喜ばしいことだ。
つーか、強っ。
これほどの実力があったのか、あいつ。
もちろん貸した武器の影響力もあるだろうが、うーむ、面白くな
ってきたな。
⋮⋮と。
勝利を収めたチノは退場前に、今度はVサインを向けてきた。
お澄ましした表情のままで。
ホクトは﹁お見事!﹂と惜しみない拍手を送り、ナツメがぴょん
ぴょん飛び跳ねながら拳を突き上げる。微笑みながら手を振るミミ
とチームメイトの活躍に頷くヒメリに挟まれて、俺だけなにもしな
いのもアレなので、とりあえず、Vサインを返しておいた。
1200
俺、見物する
チノ以降もスケジュールは滞りなく進行していく。
勝ったり負けたりの繰り返しだ。俺としてはこの辺の試合の勝敗
にはそんなに興味はなかったが、ヒメリはなにやらうんうん頷きな
がらパンフレットにメモをしている。
チラッと覗いてみると対戦結果や試合の展開が細かく書かれてい
る。
研究熱心な奴だ。
ギルドまで行って出場者数十名の簡易データを調べた俺が言えた
義理ではないが。
ただヒメリのつけたスコアによってホーム側が勝ち越しているこ
とが判明した。
だから会場の盛り上がりが水を挿されることなく増していってい
るのか。
しかしまあ、何試合か観戦していて思ったが、後から出てきた選
手だからといってチノより強いかというとそうではなかった。
むしろここまで見た中だと圧倒的火力で捻じ伏せたチノが最強に
感じる。
1201
やはり開幕の一戦は、景気づけに人気のある剣闘士を出しておこ
うということか。ここの主催者はつくづく客の心理を分かっている。
とはいっても、十五時台に突入するとレベルはグンと上がった。
とりわけサリーとかいう青い髪色をした女魔術師は強い上にスタ
イルが独特だった。
なにせこいつ、氷柱を降らせて戦っていたからな。
これに驚いたのは俺よりも図書館で魔法について自習していたミ
ミで、なんでも元素魔法で凍結現象を再現するのは非常に難しいと
のこと。
これはあれだな、チノが嫉妬するタイプの奴。
地方出身の冒険者ではあったものの、その珍奇な魔法のおかげで
若干排他的な気配のある闘技場でも上々の人気を集めていた。思う
に、ローブの上からでも分かる秀でたプロポーションも無関係では
なさそうだが。
だが観客を魅了することにかけけてはうちのカイも負けてはいな
い。
予告どおりの十五時半に、藍色のベストにオリオンブルーの大剣
という涼やかな出で立ちで登場したカイは、町の人間から多くの声
援を得たのはもちろんのこと、その一歩も退かない勇猛果敢な戦い
ぶりで観光客からも拍手を引き出していた。
対戦相手である剣士の男とは二十センチは身長が離れていたよう
1202
に見えたが、決して臆したりせずに立ち向かい︱︱。
﹁でああああああっ!﹂
気合一喝。
歓声さえもかき消して、全身のバネをフルに使った特大の斬撃を
叩きこむ。
鍛えた技の冴えに俺の財力を尽くした武器。
これで倒れないほうがどうかしてる。
嫌な言い方になるが剣闘士業界のアイドル的な存在である兄妹二
人が揃って、それも余裕のある内容で勝利したことで、会場全体が
熱狂。
トーナメント本戦への期待感が高まっていくのを肌でひしひしと
感じる。
﹁なあ、今年、マジでうちのプレイヤー強くね?﹂
十六時までの試合が終了した頃、そんな会話がほうぼうでささや
かれ始める。
こっそり聞き耳を立てる俺。
﹁特にカイ! デビューの時から見てきたが、随分と成長したもん
だ。この大舞台ででかいことをやらかしてくれるかもなぁ﹂
﹁カイ自身の気合もうかがえるしな。さっき持ってた剣見たか? 1203
ありゃどう見てもレアメタルだぞ。あんないい武器を準備するくら
いなんだからよっぽど本気なんだろうよ﹂
﹁おう。で、チームメイトはあの妹さんだろ? こいつは応援し甲
斐があるぜ﹂
うむうむ。俺が聞きたかったのはその言葉だ。
本番でも応援よろしく。
で。
閉演時刻の十七時が迫ってきた頃。
﹃次の試合はイゾルダ対シュテル、イゾルダ対シュテルです﹄
やっと気になっていた奴の試合になった。
イゾルダ。この町一の剣闘士。
ツヤのある黒髪にこの距離からでも分かる端正なルックス、薄手
の鎧に藤色をした両手持ちの長剣という装備をしたそいつは、なる
ほど人気が出そうな雰囲気がある。
男女を問わない黄色い歓声に迎え入れられているのがその証拠。
一種冷淡にも映る厳しい表情をしているのに、それがちっとも美
貌を妨げていない。
世が世なら美人アスリートとしてマスメディアに特集されていた
に違いない。
1204
﹁ただ者ならぬオーラがあります。さぞや名高き武人なのでありま
しょうな﹂
凛々しさでは負けていないホクトも感心した態度を示していた。
そんなシュッとしたイゾルダだが、戦いの鐘が鳴るとクールな印
象が一転。
﹁リキッド・ブレット! 撃ち抜かれよ!﹂
よく通る声で魔法を唱え、なにかしらアクションを起こすたびに
威勢よく叫ぶ。
会場中に聴こえるような大声を上げながら戦うから否応なく目立
つ。むちゃくちゃ派手な立ち居振る舞いだ。演劇じみてすらいる。
﹁いやわざとでしょう。観衆へのアピールでしょうね﹂
ヒメリは冷静に解析する。
﹁まあ、だろうな﹂
イゾルダが勇壮に吠える都度、スタンドが大いに沸いていること
からも明らかだ。
剣闘士とは戦いを﹃魅せる﹄客商売なのだから、ただ勝利するだ
けでは許されない。勝つにしても面白い試合でなければファンは離
れてしまう。地道に魔物を狩って依頼をこなすという、どこか泥臭
さがある普通の冒険者とは根底からして違うのだろう。
1205
﹁ってか、だから地元の奴らは勝ててないんじゃないのか? 勝つ
こと目当ての奴らが大挙して押し寄せてくるんだからそりゃきつい
だろ﹂
﹁ぶっちゃけますね⋮⋮私も正直その線が濃厚だとは思いますけど﹂
周りに聞こえないようヒソヒソと話す俺とヒメリ。
この件に突っこみすぎると根深い闘争に発展しそうなので。
﹁だけどご主人様、あの女の人は腕も一流ですにゃ! すっごく強
いですにゃ!﹂
目の前で繰り広げられている大活劇にふんふんと鼻息を荒げるナ
ツメが言うように、イゾルダは単純に剣士として見てもぶっ飛んだ
実力を持っている。
剣さばきや歩法ひとつ取ってみても流麗で、息遣いまで聴こえて
きそうだ。
おまけに。
﹁ハードソイル・エッジ! 呼び覚ますぞ、大地!﹂
適切なタイミングで魔法を放ち、太刀筋を見極めようとする相手
を撹乱させている。
技巧的な剣技だけでも十分すぎるほど圧倒しているのに、そこに
角度の異なる魔法が加わったらどうしようもない。
1206
オーバー気味に左手をかざして唱えられた魔法は、俺のツヴァイ
ハンダーの追加効果とよく似ている。地面から土の塊が隆起すると
ころまではほぼ同一。違いは形状くらいだ。俺のものは槍のように
鋭く尖っているが、あちらは刃物を思わせる薄さである。
ただ剣先で突いた場所以外からも出現させられる分、あちらのほ
うが便利か。
どうでもいいが、ガチンコなら掛け声の後半はいらないのではな
かろうか。
あの舞台っぽさが人気の秘訣なんだろうけど。
⋮⋮いや、それだけじゃないな。
強さも本物だ。現に、対戦相手になにもさせないまま完封してい
る。
魔法はあくまでも補助、というか目くらましのようで。
﹁決めさせていただこう!﹂
女優のようにキメ台詞を述べてから、本命のロングソードによる
剣閃を走らせる。
その一撃をクリーンヒットさせた瞬間にイゾルダの勝利が確定し
た。力感たっぷりの大地の刃ですら足止めに過ぎなかったことを知
らしめる、凄絶極まりない一太刀。
だかイゾルダの所作は依然として劇場的だった。身のこなし、足
1207
の位置、斬りつけた後の姿勢、そのすべてが華やかさに満ちている
︱︱鎧を着た大の男を戦闘不能に追いこんだというのに。
﹁これお前の上位互換だな﹂
﹁わっ、わざわざ言わなくていいですよ! 自覚はありますので!﹂
それでもヒメリはポジティブに﹁超えるべき壁は多ければ多いほ
どいいですから﹂と、強がりにも聞こえる言葉を口にした。
闘技場きってのスター選手の勝利に盛り上がるスタンド席。また
イゾルダがそれに応えるように堂々胸を張って手を振るもんだから
加熱していく一方だ。
鳴り止まない拍手と指笛をやかましく感じながらも、俺はふと、
残念に思う。
あの剣に使われてる金属、どう考えてもレアメタルだよな。
どうせならその真価も拝見したいところだったが、ま、終わった
もんはしょうがない。
もうひとつ注目のマッチアップが残ってることだし。
﹃ご来場のお客様、本日はお越しいただき、誠にありがとうござい
ます。それでは本日の最終戦、クィンシー対ジェラルドの試合を開
始いたします﹄
場内アナウンスを聞き取りながら、俺は手の平の汗をズボンで拭
う。
1208
ついに来たか。Aランク様の出番が。
1209
俺、閉幕する
入場してくる。
どんな貫禄のある奴が出てくるのかと身構えていたが⋮⋮なんの
ことはない、至って普通の男だ。リボンで縛った栗色の髪と背中に
負った紅蓮の長剣こそ目立つが、印象に残るのはそれくらい。
こう言っちゃなんだが威厳や風格みたいなものは感じられない。
確かにそこそこ顔もよく、そこそこ背も高い。
俺と足して二で割ったら人間のオスの平均が出来上がるような感
じである。
ただ表情は余裕に満ちているので、場慣れしてるな、とは思う。
他方でクィンシーとかいう痩身の剣闘士は、頭髪をツルンと剃り
上げ、顔の左半分に墨を入れた、見る者に強烈にインパクトを刻み
こむ風体をしていた。
対戦相手のジェラルドに向けて挑発的に舌を出し、ギラついた目
で客席を睨み返すなどヒールレスラーじみたパフォーマンスに徹し
ている。
それでも観客がクィンシーにコールを送り続けているあたり、嫌
われるどころか好かれているように見受けられる。
1210
まあ、ヒール役って性格よくないと務まらなかったりするからな、
大抵。
﹁いよいよですね。後学のためにジェラルドさんの武技は是非見て
おかなければ⋮⋮!﹂
パンフレットを参照しながら緊張感を高めるヒメリ。
会場全体が一度静まり返ってから、合図の鐘は鳴り響いた。
先に動いたのは軽装のクィンシー。
屋台のおっさんが﹁スピードがウリ﹂と強調して語っていただけ
のことはあり、俊敏なステップであっという間にジェラルドとの距
離を詰める。
そのまま一気に射程圏内へ、と思いきや、ジェラルドの剣先が届
く手前で急停止。
一旦横に跳躍し、切りこむ角度を変える。実に軽快なフットワー
クである。
針を想起させられる、突き技に特化したフォルムの片手剣がジェ
ラルドを襲う!
⋮⋮が、気の毒なことにそこでクィンシーの見せ場は終了。
空を切ったかに思われたジェラルドの剣からは、その個性的な刀
身とまったく同色の、紅蓮の炎が溢れ出ていた。
1211
剣から解放された炎はまるで自我でも持っているかのように宙を
駆け、攻撃対象であるクィンシーへと絡みつく。
うねった火が剣闘士の体力と思考力を急速に奪っていく。
クィンシーの攻撃の手が止まるのは仕方のないことだ。そこを見
計らい︱︱。
ジェラルドは長尺の剣を横薙ぎに振り払った。
刃で斬るというよりも、刀身全体を使って打ち据えるような荒々
しい大技。
痩せ細ったクィンシーの体が吹き飛ばされる。
仰向けになったまま動かない。
胸がわずかに上下しているのが観測できるし、そもそも不殺の呪
縛で加減されてるから死んでいるわけではなさそうだが、かといっ
て無事とも呼べまい。
倒れたクィンシーが救護班に運ばれていく間に、結果を告げるア
ナウンスが流れる。
﹃勝者、ジェラルド!﹄
分かり切った事実を再確認させるだけの働きしかしていなかった。
﹁⋮⋮え? もう終わりですかにゃ?﹂
1212
最終戦の勝敗が呆気なく決してしまったことにナツメは消化不良
そうな顔をする。
というか、他の客も似たような感じだ。﹁大会本番じゃないんだ
からもうちょっと長く楽しませてくれよ﹂と不満そうにしている。
なんならブーイングも起きているような⋮⋮。
そんな空気の中でも当のジェラルドは飄々とした表情を崩さない
でいた。
退場する時なんかは両手を上げて、歓声に応えているかのような
おどけたアクションをしていたくらいだから、精神的な余裕があり
すぎる。
﹁うーん、ジェラルドねぇ﹂
ケチのつけようがない腕前なのは分かった。大会前だからって武
器の特性を隠そうともしないあたりも好感が持てる。
しかしなんだろう、超つまんない。
なにもジェラルド本人に責任があると言うつもりはないが、Aラ
ンク級の抜きん出た強さもはたから見る分には困り物だ。一方的な
瞬殺劇にならない実力が拮抗したマッチアップじゃないと、こいつ
の試合で面白いと感じることはないだろうな。
﹁といっても、別にプロの剣闘士ってわけじゃないからそんなもん
か﹂
﹁そうですよ。魔物相手に加減は禁物ですからね。その経験を闘技
場の舞台で活かそうと思ったら、ああいった即実的な戦い方になる
1213
のは自然なことです﹂
外に続く通路を歩きながら、俺とヒメリはそんな会話を交わす。
当たり前のことではある。やるかやられるかの戦いを日常的にし
ているのは、魔物を征伐して稼いでいる純然たる冒険者のほうなん
だからな。手加減知らずの異貌を前につまるつまらないなんて概念
は存在しない。
俺がオークを延々狩ってる場面を見せて金が取れるか?
絶対無理だろ。
だがこれで、なぜ剣闘士業界一位のイゾルダをトリに回さなかっ
たのか理解できた。
本番前にビッグマッチを組むと当日の興が削がれるというのもあ
るだろうが、予想される最大の理由は、スター選手を負けさせるわ
けにはいかないという配慮だろう。
かわいそうだがクィンシーは噛ませ犬にされたってことだ。
﹁それにしても⋮⋮見ましたか? あの技のキレ! 卓越したテク
ニックと強靭な肉体が備わっていなければ不可能な芸当です。さす
がはAランク冒険者ですね﹂
ヒメリはジェラルドの戦闘シーンを拝めたことに感動している様
子だった。
剣のイロハも知らない俺の目には適当に振り回しただけにしか映
1214
らなかったが、こいつからしてみればあの一瞬の間にも無数に見所
があったらしい。
そのせいで発言がミーハーっぽくなってしまってるのはご愛嬌。
俺と同じく剣術に明るいわけではないホクトも凄味だけは伝わっ
たようで。
﹁あのような武人を﹃剛の者﹄というのでありましょうな﹂
と、しきりに唸っていた。
﹁ですけど、ヒメリさんたちが優勝するためにはあの人たちに勝っ
ていかないといけないんですよね⋮⋮とてもとても不安です﹂
ミミはその弱気な発言にも表れているとおり、純粋に楽しんでい
たナツメとは反対に、先行きを案じる気持ちが今日のイベントを通
じて増幅していた。
不安、という意見にはヒメリも同調する。
﹁ええ。まさにそのとおりです。ジェラルドさんだけでなく、イゾ
ルダという方も目を見張る技量をお持ちでした。他にも優れた冒険
者が集まっていましたし、本戦は難敵揃いになりそうです。⋮⋮私
個人は全力で腕を競えればそれで満足ですけど、シュウトさんから
してみたらあまり歓迎したくない事態でしょうね﹂
﹁そうか? 俺はそんなに心配してないぜ。むしろ強い奴がある程
度多いほうが俺たちにとって好都合に思うけどな﹂
この返答は予想外だったのか、ヒメリは鼻先を指で弾かれたよう
1215
な面をする。
﹁なぜですか? 優勝が目標なら相手が強いと不利益しかありませ
んよ﹂
﹁分かってない奴だなー。いいか? この大会はトーナメント形式
なんだぞ﹂
そして再三実感させられた、闘技場を取り仕切る連中の傾向。
これらを加味すれば自明である。
﹁ま、積まれた課題が一切ないとは言わないけど、少なくともお前
が想像しているほどのことにはならねぇよ﹂
﹁⋮⋮一体その余裕はどこから来るんですか?﹂
﹁要するに、経営的判断、ってことだ﹂
ヒメリは納得しない顔をしていたが、会場の外に出た途端に﹁試
合、見てくれましたか?﹂と爛々と輝く目で駆け寄ってくるカイと、
その後ろからマイペースに三角帽を押さえながら歩いてくるチノの
姿が見えたので、感想を述べながら帰路に就くことになった。
しかしまあ今日は来ておいてよかった。
貴重な娯楽としてもそうだが、覚えておくべき名前もいくつか知
れたからな。
1216
俺、手配する
合宿七日目。
これだけの期間共同生活を続けると自然と距離は縮まるものだ。
カイとチノはチーム内の親密さを深めようと考えているのか、は
たまた甘えられる年長者がいることが嬉しいのか、このところヒメ
リにべったりである。もっともチノに関しては別にヒメリに限った
話ではなく、隙さえあればスパー相手のホクトや魔法の先生を務め
るミミ、探索帰りにソファでくつろぐ俺にも表情を変えないままぴ
とっとくっつくのだが。
あとミミ、ナツメ、ホクトのメイド業も板についてきた。
特にミミはチノに再生魔法を教えるかたわら、空いた時間を使っ
てレシピ本を隅から隅まで読み漁り、飛躍的に料理の知識を増やし
ている。
昨日なんかはフラーゼンの店で買ったハーブを用いて肉の香草焼
きを作ってくれた。焼き加減はまだまだ研究の余地はあったが味は
申し分なし。出来を褒めると﹁教本のとおりですから﹂と謙遜する
奥ゆかしさも、シックなメイド服と相まってたまらないものがある。
で、仕上がりのほうだが、こっちも順調に進んでいる。
1217
闘技場で開催されたイベントで実力者たちの妙技を目の当たりに
したことは大いに発奮材料になったらしく、三人の練習にも熱が入
るようになった。
カイは本戦で使用する剣をフランベルジュ一本に絞ったらしい。
その一方、相変わらずヒメリは様々な武器をローテーションして
いる。対戦相手に合わせた使い分けが肝心とかそんな感じのことを
言っていたが、果たして脳筋気味のこいつにそんな臨機応変な真似
ができるんだろうか。
まあ俺としては、こいつらが優勝できるよう手厚い支援をしてや
るだけだ。
待ってろ貯金箱。
ということで、この日。
早朝から日課の素振りに励むカイとヒメリを庭先に残して、俺は
ナツメを引き連れ町の商業区まで足を伸ばしていた。
目当ては防具。
そろそろこっちの準備もやっておかないとな。
﹁おお⋮⋮壮観だなこりゃ﹂
防具屋奥の区画にはレアメタル製と思われる色彩豊かな鎧がずら
りと並んでいた。
1218
うーむ、カラフルである。
しかし性能差は視覚だけではまったく判別できない。プロに意見
を求めねば。
ってことで店主のおっさんを頼る。
﹁どれがイチオシなんだ?﹂
﹁同価格帯の売り物に優劣なんてつけられないね。しいて言うなら
用途次第だ﹂
﹁む⋮⋮だったら、なるべく軽いものがいいんだが﹂
ホクトがまとっているようなプレートメイルは、大食いのくせし
て華奢なヒメリには向いていないだろう。身を守るための鎧に逆に
潰されてしまいかねない。
﹁軽量鎧か。先月入荷できた分の中じゃ、波濤鉱か飛竜鉱で作られ
たバンデッドメイルが比較的軽い部類になるかな﹂
おっさんが二つの鎧を前に出す。
片方はマリンブルーが目に鮮やかな、曲面が多く全体的に丸っこ
いデザイン。
もう片方はそれとは反対に角張っていて、色も深みのある大人び
たワインレッドだ。
﹁にゃにゃっ、これは美人さんと偉丈夫さんですにゃ﹂
1219
独特の表現で鎧を例えるナツメ。
丸みを帯びた青いほうの鎧に女性的なイメージを感じるのは分か
らなくもない。
後者は謎だが。
﹁バンデットメイルは必要最小限の金属板で補強した鎧だ。プレー
トメイルやブリガンダインほどの防御性能はないが、その分軽く、
然程動きを阻害しない﹂
﹁ほうほう。よさそうだな﹂
﹁軽いといってもチェインメイルほどではないがね。まあ、それは
また別の話だからいいとして、こっちの青い鎧から説明するぞ。波
濤鉱は名前のとおり水属性の魔力が宿ったレアメタル。合金にして
防具にすることで高い物理耐久を得られる。それに加えて火に強い
性質も備えているぞ。水のヴェールで守られた鎧とでも呼ぼうか﹂
話を聞いてるだけで頬ずりしたくなるような高性能だな。
﹁飛竜鉱ってのも教えてくれ﹂
催促する俺。
名前のカッコよさからして期待が持てる。なにせ飛ぶ竜と断言し
ているのだから、﹁実はモグラでした﹂なんていうオチになりはし
ないだろう。
﹁なにを想像しているのかは知らんが、これは飛竜、つまりワイバ
ーンと戦うのに最適という理由でその名がついた地属性のレアメタ
ルだ。猛毒の呪縛に対して高い耐性を持つのが一番の特徴だな。斬
1220
撃にも強く、魔法にはそこそこといったところか﹂
﹁い、意外と地味だな⋮⋮﹂
﹁地味なものか。呪いに抵抗のある鎧は珍しいんだぞ。ともかく、
この二品がお前さんの要求に当てはまるものだ。買うかどうかじっ
くり吟味してくれ﹂
﹁吟味ねぇ﹂
前者の価格は八十七万と5000G。気が狂いそうになる値段だ。
鎧を作るには武器のおよそ倍の量の金属が必要と聞いてはいたが、
割高なとこまで反映させないでもいいのに。
飛竜鉱のほうも価格を確認してみたが、八十四万9000Gとこ
れまた高額。
といっても購入をためらうような案件ではない。
合わせて百七十万G少々だが俺の資産は二千万オーバーである。
大体、百七十万Gくらい三日で集まる。実際昨日までに三回鉱山に
行ってその額超えてるし。
そんなわけで両方買いたい旨をおっさんに伝える。
お前マジかみたいな顔をされた。
﹁でも重いから明日仲間と引き取りに来るよ。手持ちも足りてない
し。それまで予約で﹂
この後鉱山で金を稼ぐ予定もあるしな。さすがに鎧を二個も担い
で探索するわけにはいかない。腰が死ぬ。
1221
明日はホクトに運搬を頑張ってもらわないと。
⋮⋮と、ホクトで思い出した。
﹁ついでに盾も見ていこうと思うんだけど﹂
﹁盾か? 盾ならあそこの壁にかかっているもので全部だ。まあゆ
っくり眺めてみな﹂
店主のおっさんが指で示したスペースに移動し、片手剣見習いの
ヒメリでも扱えそうな小型の盾と、後々のためにホクトに持たせた
いタワーシールドをチェック。
ナツメも俺の真似をして小難しい顔で良品を見極めている。
﹁むむむ⋮⋮ご主人様、どう思いますかにゃ?﹂
﹁クソたけーことしか分からん﹂
﹁ミャーも見事に同意見ですにゃ﹂
もっとも素人目だと見るべきところは値札しかない。すぐにおっ
さんを呼んだ。
﹁小振りの盾がいいなら腕に装着するラウンドシールドが一番だ。
剣を受け止めるだけじゃなく、軌道を逸らすのにも向いている。波
濤鉱のものがあるからそれにしたらどうだ?﹂
﹁よし。じゃあそれも予約させてくれ﹂
気軽に返事したが、その盾もまた量産品とは桁の違う高額商品な
のは言うまでもない。
﹁毎度。ところでタワーシールドも気にしていたみたいだが﹂
1222
﹁ちょっと装備させたい奴がいてね。まあ明日連れてくるんだけど﹂
﹁だったら本人と一緒に選んだほうがいい。タワーシールドは使用
者の体格との兼ね合いが他のどの種類の盾よりも大きいからな﹂
﹁そうは言ってもその間に売り切れられたら困るんだが﹂
﹁なに、そんなすぐに在庫が切れたりはしないさ。一日だぞ? 誰
も彼もがポンポンと高級防具に買い換えられるわけじゃないんだぜ﹂
俺はスナック感覚で買ってるから麻痺してるが、それもそうだな。
焦らず騒がずホクト自身に決めてもらうか。
﹁⋮⋮で、あとは﹂
チノの装備品だな。具体的にいうとローブが望ましい。
けれど防具屋の主は腕を組んで難色を示した。
﹁ローブは標準的な商品しかないな。生憎だが﹂
﹁そうか。しゃあねぇ、他の店を当たるしかないか⋮⋮﹂
﹁いや、そいつも厳しいと思うぞ﹂
おっさんは渋い顔をする。
﹁ネシェスはレアメタルの安定した供給ルートは確保できてるけど、
布にできる素材はそうじゃないからなぁ。いい服やローブはどこの
店舗にも置いてないんじゃないか﹂
む、そうなのか。
しかしながら俺が所有する素材は霊布や冥布など、飛び抜けて軽
1223
いだけで防御性能は紙切れ同然のものしかない。
﹁どうしても強力な衣料が欲しいなら、南方の狩猟区に行くしかな
いな﹂
﹁なにそれ﹂
﹁珍しい素材を落とす動物系の魔物が多く生息しているそうだ。詳
しいことは冒険者ギルドで聞いてくれ。俺はあくまで商人、その分
野については門外漢なんだからさ﹂
ふむ。それはいいことを教わった。
とはいえ今から俺とナツメだけで行くのは微妙だな。ギルドマス
ターのおっさんが紹介してこなかったってことはランク不相応の難
所と考えて間違いないだろうし。
探索するなら万全のパーティーで挑みたいところ。
⋮⋮まあいずれにしても明日以降だな。とりあえず今日のところ
はノルマをこなすことだけに集中するとしよう。
主旋律がおぼつかないナツメの鼻歌を聞きながら、金鉱山へと向
かう。
1224
俺、再見する
﹁おー。今日も精が出まくってんな﹂
一時間半かけて辿り着いた鉱山では、この日もツルハシを手にし
た冒険者たちが汗水垂らして作業にふけっていた。
掘り当てられさえすれば金は鉄鉱石なんかより遥かに利率がいい。
儲かる現場に人が群がるのは当然のことである。
もっとも俺は興味ないのでスルー。
さっさと二層に上がる。
﹁ん?﹂
上がったところで、異変に気がついた。
カツン、カツンと、ツルハシが岩盤を打ちつける音が響いている。
それも音の重なり方からして一人の仕業ではない。
妙な話だ。金を採りたいだけなら弱い魔物しか出ない下でやれば
いいのに。
﹁ふむふむ、あっちのほうで採掘を行っているみたいですにゃ﹂
五感に優れるナツメがあっさりと居場所を突き止める。
1225
﹁ちょっと覗いてみますかにゃ?﹂
﹁いや、邪魔しちゃ悪いからノータッチで﹂
めんどくさいし。
﹁それよりこっちはこっちの仕事をやるぞ。おあつらえ向きにオー
クの野郎も豚鼻ひくつかせて寄ってきてるからな﹂
﹁分かりましたにゃ!﹂
坑道内をうろつくオークモンクを見つけたそばから二人がかりで
狩っていき、着々と金貨を貯めていく。
が、どうにも気が散る。ツルハシの音が無茶苦茶うるさい。
それだけならまだいいが、貴重な素材を掘り当てたのか鉱山中に
響き渡るような大声で歓喜の雄叫びを上げ出したから手に負えない。
﹁おお! やはり目をつけて正解だったか!﹂
しかも聴いたことのある声だった。
これあいつじゃん。ギルドの受付で長話してた奴。
確か⋮⋮デヴィンだったか。
と、ここで。
﹁むっ、新手の魔物か!﹂
1226
耳に届いてきた言葉からして、デヴィンもまたオークモンクとエ
ンカウントしたらしい。ツルハシの音がぴたっと止む。採掘を中断
して戦闘に臨んでいるのだろう。
⋮⋮。
いやいや、急に静かになるなよ。嫌な想像しちまうだろ。
⋮⋮。
なんかマジで声しなくなったんだが。
﹁だ、大丈夫なんでしょうかにゃ?﹂
﹁いくらなんでも大丈夫だろ⋮⋮あいつBランクだったはずだし、
それに獣人の従者もいたじゃん﹂
しかしここで俺は思い出す。ひたすら魔物を避け続けてCランク
に到達した男を。
もしかしてデヴィンも魔物討伐とは関係ない功績で昇格ていった
パターンなのか?
だとしたらまずい。あんまり関わりたいタイプの奴じゃないが、
さすがに見殺しにするのは後生が悪いのでナツメに示された場所へ
と走る。
結論から述べると、杞憂だった。
﹁おや、どうかしたのか?﹂
1227
ツルハシではなく長柄の斧を右手に握ったデヴィンは﹁無事か?﹂
と呼びかけながら駆け寄ってきた俺の顔を見て、キョトンとした。
お付きの虎と馬の獣人も一緒だったがそっちも似たような顔をし
ている。
それもそのはず。
俺とナツメが現場に到着した時にはとっくに魔物は煙へと姿を変
えていて、頭によぎっていた流血沙汰なんてものはなかった。数枚
の銀貨が転がっているだけである。
その銀の輝きさえ、デヴィンらがまとう橙金の鎧のせいで陰りが
ちになっていた。
﹁いや⋮⋮さっきまでやかましかった声がしなくなったから﹂
﹁だから心配して来てくれたのか。それはすまなかった。そして心
遣いに感謝しようとも。私は戦闘になるとそっちに没頭してしまう
んだ﹂
笑いながら﹁君は掛け声で自分を奮い立たせる派なのか?﹂と聞
いてくるデヴィン。
うるせー、そのとおりだよ。
﹁ところで君は何者なんだ? いや、もちろん、格好と状況からい
って一端の冒険者であることは分かるよ﹂
役目を終えた武器を背中に預けるデヴィンにそんなことを尋ねら
れる。
1228
そういえばそうだった。
俺はこいつを知っているがこいつは俺を知らない。
が、後ろに並んでいた俺たちに謝り倒していた二人の従者はそう
ではない。デヴィンに耳打ちしてギルドで一度居合わせたことがあ
ると伝える。
﹁そうか! 君もあの列にいたとは奇遇だな。ということは君も私
と同様にチームの斡旋希望を出しているのか。だとしたらライバル
じゃないか!﹂
﹁いや俺はどんな奴がいるのか名簿を見させてもらっただけで⋮⋮
まあ、ライバルっちゃライバルになんのかな﹂
﹁ならば今日のうちに、よろしくと申させてもらおう。そして健闘
も祈ろうじゃないか﹂
﹁そりゃどうも﹂
﹁ハハハ、出会いというのはいつ何時起きてもいいものだな﹂
デヴィンは爽やかさと暑苦しさが同居した台詞を吐き続ける。
聞いているだけで疲れが溜まりそうだ。俺のスタミナを支え続け
るアレキサンドライトでも癒せないタイプの疲労だな、これは。
﹁それにしても、君も心配性な奴だな。名簿を見たのであれば私が
Bランク冒険者であることも知れたのだろう? まだまだ達人の域
には届いていないという自覚はあるが、この程度の魔物に手こずる
はずがないじゃないか﹂
﹁そうだけどさ、ひょっとしたら名声だけ先行しちまった可能性も
あるんじゃねぇかなと思ったんだよ﹂
1229
﹁ハッハッハ、それは穿ちすぎだよ。なにせBランクには撃破困難
な懸賞首を規定数倒さなければ上がれないからね。もっともこれは
条件のひとつでしかないけれど﹂
つまりこいつはハリボテではなく、ランク相応の強さがあるって
ことか。
というかこいつの言い分だと、Bランクにまで到達した冒険者は
全員一定の戦闘力が備わっていることになる。風変わりな名前のレ
アモンスターを複数倒しているという実績を絶対に持っているんだ
からな。
でもよく考えたらそれ、俺もなんだが。
そんな折にナツメが挙手をする。
﹁少し質問してよろしいですかにゃ? さっきなにかを見つけてい
たみたいですけど、一体なんだったんですかにゃ?﹂
﹁それも聞こえていたのか。なあに、大したことじゃない﹂
私を喜ばせた正体はこれだ、とデヴィンは手の平を開いて﹃なに
か﹄を見せた。
それは黒光りする甲殻で覆われたずんぐりとしたボディに、わさ
わさと不規則に動く足が何十本も生えた︱︱端的に言ってクッソ気
持ち悪い生命体だった。
﹁うおおっ!? ちょっ、あんま近づけるなっての!﹂
﹁そんなに動転しなくてもいいじゃないか﹂
1230
不思議そうにするデヴィン。俺からすれば、こんなグロテスクな
生き物を平気で素手で触れるほうが不思議だ。
質問者のナツメも速攻で半歩下がって毛を逆立てている。
﹁これは私が生まれ育ったデルガガの山岳地帯でもよく捕まえられ
た虫だ。ここの鉱山の地質は非常に乾いていて、デルガガとよく似
ているから、もしかしたらいるんじゃないかなと思って探してみた
が⋮⋮狙いどおりだったよ。中々かわいいものだろう?﹂
﹁全然かわいくねぇよ!﹂
﹁私は懐かしさで嬉々とさせられたが﹂
﹁そりゃお前の問題だ。俺がこいつに愛着あるわけねぇだろ。⋮⋮
というか、地質でそこまで推測立てられるのか﹂
﹁うむ。地質調査は私の特技であり、ライフワークだ﹂
デヴィンは腰に引っかけていた布袋の紐を解き、そこにグロ虫︵
命名者俺︶を入れながら語り始める。ってか持ち帰るつもりなのか
それ。
﹁私はこの二人と共に各地の鉱山を練り歩いているのだよ﹂
﹁はあ。要は採掘ツアーってことか?﹂
﹁まさしく。私はお国柄もあってか鉱山資源がなによりも好きでね。
北と南、双方の大陸で採れるすべての鉱物を目にすることが我が生
涯における究極の夢といえよう!﹂
その熱弁にはここまで黙って侍していた虎と馬のコンビも大きく
頷く。
こいつらも主人の壮大な目的を叶えるためにいろいろと尽くして
きたに違いない。振り回される気苦労もやばそうだけど。
1231
ふむ、しかし、採掘がメインの冒険者か。
希少な金属は僻地にしか埋まっていないと聞くから、そこに進む
ために武芸も磨き続けたんだろうな。
で、Bランクにまでなったと。
﹁なるほどねぇ。それはそれとして、この辺で俺は去らせてもらう
ぜ。何事もなかったって確認できたし﹂
﹁っと、すまないな。君の時間を奪いすぎた。最後に、助力に来て
くれたことを今一度感謝しよう﹂
﹁まあそれは徒労だったけどな⋮⋮﹂
﹁それは違う。君のその冒険者精神溢れる気概が私を勇気づけてく
れた。だから決して徒労などではない﹂
無駄に熱っぽいフォローをされる。
その後デヴィンはツルハシを右肩に担ぎ直し。
﹁さらばだ。トーナメントで相見える瞬間を楽しみにしていよう﹂
持ち場に戻っていく俺に向けて餞別の言葉を贈った。
俺がくるりと背中を向けると、またツルハシが岩盤を貫く硬質な
音が鳴り始める。デヴィンにとっての日常が再開した証拠だ。
こっちもこっちの日常を過ごすとしよう。金策という日常を。
﹁なにはともあれ無事でよかったですにゃ﹂
1232
目を細めたナツメがそんなことを隣で言ってくる。
﹁それに意外といい人そうで安心しましたにゃあ。てっきり﹃私を
見くびりおってー!﹄って怒られるのかと思いましたにゃ﹂
頷けなくもない。
なにかと面倒くさい発言の多い奴だが、悪い人間でなさそうなの
は確か。
﹁それにしたってあの恐ろしい虫をいきなり見せるのはやめてくれ
よな﹂
﹁にゃ、あれにはミャーも参りましたにゃ⋮⋮身の毛がよだちまし
たにゃ⋮⋮﹂
﹁だよな。心臓に悪いっての﹂
左手から突然そんなものを公開されるんだから⋮⋮。
⋮⋮ん? 待てよ。
﹁虫を捕まえたのは、えーと、聞こえてきた声の順番からいってオ
ークモンクに襲われる前だから⋮⋮あれ潰さずに戦ったってことか
?﹂
あの長柄の武器で。
おいおい、なにが﹃達人の域ではない﹄だよ。
十分離れ業やってんじゃねぇか。
1233
俺、団欒する
七十万ほど稼いで帰宅した時、リビングではミミが付きっきりで
チノに再生魔法をレクチャーしていた。
微笑ましい光景だった。一番最初にミミに買い与えた﹃初級再生
のグリモワール﹄が今の時期になっても役立ってるんだから、世の
中分からんものである。
﹁あっ、お帰りなさいませ、シュウト様﹂
ミミは俺に気づいたらしくソファから立ち上がって一礼する。
毎度のことだが、メイドさんの格好でその台詞を言われるとゾク
ッとくるな。
﹁すぐに夕食の支度をしますね。チノさん、続きはまた夜で構いま
せんか?﹂
短く﹁ん﹂と答えるチノ。
その間にナツメが階段を駆け上がっていく。着替えに向かったの
だろう。あいつ家にいる間はずっとメイドの衣装でいるからな。気
に入ったのか知らないが。
俺も一旦自室に戻り、金貨を詰めこんだ布袋を置いてから居間で
休む。
1234
炊事場からはミミが包丁で野菜を刻む軽快な音が響いている。ソ
ファに尻を沈めてリラックスする俺には最高のBGMだ。
しかし同じソファに腰かけたチノは先生がいなくなったのが不服
なのか、俺の真横で物足りなそうに魔術書のページをめくっている。
﹁代わりに教えてほしいかも﹂
﹁無理なの知ってて言ってるだろ﹂
チノの冗談は顔色を変えないから分かりにくい。
そんなくだらない会話をしているうちに﹁出来上がりましたよ﹂
とミミが呼ぶ。
水で戻した魚介の乾物をガーリックバターで炒めたものと、ザク
切りの野菜を盛ったサラダボウル、そして人数分︱︱といっても約
一名が馬鹿みたいに食うから十人前を軽く超えているんだが︱︱の
バゲットが卓上を彩っている。
更にミミはそこに、干しエビの戻し汁で作ったスープを添えた。
塩に漬けたレモンをオイルと和えたメインディッシュとサラダ兼
用のドレッシングも。
これにワインボトルを並べたらもう立派も立派なディナーである。
だがミミは気が利くので、ワインだけでなく、俺用にリステリア
土産のウィスキーまで出している。
当然のように割るための井戸水もセットにしてくれているから心
1235
憎い。
﹁にゃにゃっ!? くんくん⋮⋮こ、このいい予感しかしない匂い
は⋮⋮こうしちゃいられませんにゃっ!﹂
階段から下りてくるなりニンニクの匂いを嗅ぎつけたナツメが大
至急庭先にいるヒメリたちを呼びに行った。全員揃ったところで、
飯にする。
﹁今宵の夕食も素晴らしい味わいであります。ミミ殿、また腕を上
げましたな﹂
剥き身のエビを噛んだホクトが開口一番そう言った。
賞賛を受けてミミは微笑を見せる。
﹁わあ、ありがとうございます。でもホクトさん、ミミはまだまだ
ですよ。どれもすぐに作れるものばかりですし、難しい料理は全然
できませんから﹂
確かに完成が早かった。乾物はあらかじめ水に浸していただろう
し、それを考えると調理にややこしい工程や時間を要するメニュー
は一品もない。
ただそれは手際がいいとも言える。
﹁しかし胃袋をつかまれますと、自分としましては⋮⋮﹂
﹁なんの話だよ﹂
﹁や、なんでもないであります﹂
1236
ホクトは焦りながらも笑ってごまかした。
﹁けどうまいのは間違いないな。味付け完璧だし﹂
﹁本当でしょうか?﹂
﹁なんの得にもならないのに嘘なんてつくわけないじゃん。ってか、
あいつ見てたら一発で分かるだろ﹂
と俺はミミに、ヒメリに目を向けるよう伝える。
ヒメリは割って更にちぎったバゲットを、魚介類の旨味が溶け出
たスープでふやかして味わっている。めちゃくちゃ嬉しそうな笑顔
で。飯食ってる時のこいつは五歳児よりも純真な表情をしているか
ら他愛もない。
﹁⋮⋮な、なんですか、二人して﹂
あ、視線に気づいた。
﹁いや、お前の幸せってコスパいいのか悪いのか分かんねーなと思
って﹂
﹁私は高みを志す剣士です! 別に食事こそ至上というわけではな
いですからね!﹂
そう言いながらも片割れのバゲットを、今度はニンニク香るバタ
ーに浸してモリモリ食べているんだから説得力がない。
まあいいや。俺もゆっくりミミの手料理で幸せ感じさせてもらい
ますか。
溶けたバターの絡んだ白身魚に塩漬けレモンを乗せて、口に運ぶ。
1237
ともすればしつこくなりがちなバター炒めをさっぱりといただけ
る、穏和なミミらしい、老若男女に受けそうな料理だ。
だが口の中を洗い流すことにかけてはウィスキーの水割りが最強。
俺はあえて大量にガーリックバターをまぶしてギットギトにして
から貝柱を頬張る。
この舌を犯されてるような感じ。たまんねぇな。
もちろんこのままだと﹁油には勝てなかったよ﹂になってしまう
ので、クイッとグラスを傾けて水割りで中和。
やばい、無敵か。
﹁はー、生き返るぜ﹂
ベタな台詞を実際に生き返ってる俺が言うとアホっぽくなってし
まうな。
﹁カイ、お前も一杯いっとくか? 蒸留酒なんて滅多に見ないだろ﹂
﹁いっ、いや、やめときます。オレ酒弱いんで﹂
﹁そうか? なら仕方ねぇ、俺だけで楽しませてもらいますか﹂
今日に限らずカイはどうにもアルコール類を飲みたがらない。ナ
ツメやチノと白ブドウのジュースを分け合っている。
兄妹揃って甘酸っぱいジュースをハイペースで飲んでいるから﹁
取り合っている﹂と表したほうが正しい気もするが、とにかく酒に
1238
はまったく興味がなさそうだった。
﹁シュウトさん、酔った拍子であまりカイくんに変なことを吹きこ
まないでくださいよ。明日に響きますから﹂
﹁人を悪い大人みたいに言うなっての。それにトレーニングなんて
二日酔いが醒めてからでも⋮⋮﹂
﹁違う。明日は模擬戦に出る予定入れてるから﹂
チノがボソッと俺とヒメリの会話に割って入る。
﹁模擬戦?﹂
﹁はい。チーム戦の練習をしようってことで、三人で話し合って決
めたんです﹂
言葉足らずな妹の注釈をする世話焼きなカイ。
﹁ぶっつけ本番というわけにもいきませんしね。模擬戦は連繋を試
すには持ってこいです。同じような理由でオレたち以外のチームも
いくつか集まってるはずですから﹂
﹁ふーん、そうなのか﹂
止める道理もない。存分に実戦形式で鍛錬してきてもらおう。
﹁それでしたら、お弁当を作りますね﹂
パンの追加をバゲットケースに補充しながら、ミミがそんなこと
を口にした。
﹁やめとけミミ。カイとチノの分はともかく、こいつの昼飯を準備
しようと思ったら炊き出しに出張するくらいのことは覚悟しないと
1239
いけねぇ﹂
﹁どういう想定をしてるんですか!﹂
頬を膨らませるヒメリを﹁まあまあ﹂とカイが苦笑いして諌める。
﹁昼飯は屋台で買いますよ﹂
﹁飯代くらいなら出すぞ﹂
﹁大丈夫です。この前のイベントでお客さんを冷まさずに勝てたお
かげで、オレもチノも闘技場のオーナーから多めに報酬もらってま
すから﹂
チノもこくりと頷く。
で、その後。
﹁だからお姉ちゃんの分も出せるよ。おごらせていただきます﹂
どことなく表情をキリリと引き締めてチノは宣言した。
﹁ヒメリよ、年下におごられる気分はどうだ?﹂
﹁ふ、複雑ではありますがありがたくも⋮⋮って、なにを言わせる
んですか!﹂
期待を微塵も裏切らない反応を返してくるヒメリを適当にからか
いながらも、その陰で思考する。
明日はヒメリとカイ、そしてチノがまとめて不在になるのか。
なるほど。となると。
1240
﹁俺たちはフリーなわけだな﹂
探索用の装備ではないメイド服を着て、淑女然としたミミ、ホク
ト、ナツメを見やる。
どうせホクトは防具屋まで同伴する予定だった。
狩猟区とやらに向かうには、このタイミングしかないな。
1241
俺、用意する
メイド服を純白のローブに、オタマを魔術書に持ち替えたミミ。
ナイフを差してリュックを背負った、いかにもな冒険者ルックの
ナツメ。
そして頑健なプレートメイルでガッチリと身を固めたホクト。
この編成で探索に出かけるのも久しぶりだな。
﹁やはり自分には、こちらのほうが性に合うでありますな!﹂
中でもホクトは久々に制限なく体を動かせるとあって、人一倍や
る気を見せている。この気の張り具合、頼もしい働きをしてくれそ
うだ。
ヒメリたちが全体練習を兼ねた模擬戦で家を空けているこの日、
俺はスカルボウを相棒に選び、朝から三人を連れ出してギルドを訪
れていた。
目的は当然、レア素材の宝庫であるという狩猟区についての情報
収集。
早速ギルドマスターのおっさんに厄介になる。
﹁ようこそギルドへ。また名簿の確認か? あれから何人か増えて
はいるが﹂
1242
﹁そっちも気になるが、今日の用件はそうじゃない。狩猟区とかい
う探索スポットについて教えてほしいんだよ﹂
﹁狩猟区だと?﹂
おっさんは眉間に皺を寄せ、苦み走った表情をする。
﹁そんな顔されても俺は行く気満々だぞ。服の素材が欲しいからな﹂
﹁確かにここから南にある狩猟区では、数多く生息する鳥や獣型の
魔物から良質な素材を手に入れることができる。ただ魔物の強弱に
バラつきがあってな⋮⋮強い輩はとことん強い。油断すると一瞬で
壊滅状態に陥れられる場所だ﹂
﹁だから一人じゃなくてパーティー組んで来てるんじゃないか﹂
前衛後衛のバランスが取れた構成をおっさんに示す。
﹁俺一人では無謀でも、四人集まればそうじゃねぇだろ?﹂
﹁君の決意は固いようだな﹂
そう言って、重々しく﹁うむ﹂と頷くおっさん。
﹁ならば我々は出来得る限りのサポートをするまでだ。その一歩と
して、地図を渡しておこう。外周の密林部分は迷いやすいから気を
つけるように。それと中央の平野部は身を隠す手立てがない。つま
り魔物から逃れづらいということだ。深追いは禁物だぞ﹂
﹁胸に留めておくよ。あ、それと﹂
﹁なんだ?﹂
﹁一応採取依頼も俺名義で出しておくわ。ダメだった時の保険で﹂
何十枚かの金貨をカウンター上に積む。
1243
真面目な顔で狩猟区に挑む際の心構えを説いていたおっさんの、
強張った肩の力が抜けていくのが目に見えて分かった。
﹁いろいろと台無しだな⋮⋮﹂
﹁そこは用意周到と呼んでくれよ﹂
﹁慎重さは認めるよ。ただ、魔物が貴重な素材を落とすかどうかは
運次第なところもあるからなぁ。納品があるかどうかは怪しいぞ﹂
﹁その時はその時だ﹂
俺は受け取った地図をコートの裏にしまい、ギルドを去る。
いざ出発⋮⋮ではない。
その足で先に防具屋に向かう。
﹁おっさん、約束を果たしに来たぞ。タワーシールドの使い手を連
れてきたぜ﹂
開店したばかりで慌しくしている店主のおっさんに声をかける。
少し緊張した面持ちのホクトを前に出して紹介しながら。
なんのためにこいつを手ぶらで連れてきてるのかって話だ。
﹁こりゃまた長身の獣人だな⋮⋮ふむ、しかし、耳からして馬の血
統か。それなら重量級の盾でも問題なく装備できるだろう﹂
﹁一個じゃない。二個売ってくれ。両手に装備させるつもりだから﹂
﹁両手をふさぐのか⋮⋮それだと重すぎるものはよくないか。とは
いえ、そんなに選択の幅があるわけでもないがね。ちょっと待って
ろ﹂
1244
と言って、おっさんは三つの候補を提示した。それらを順番に解
説する。
﹁これは光銀鉱製。定番のレアメタルだな。といってもよくある流
通品とは違って含有量が多いから強度は一枚上手だ。特徴としては
打撃、斬撃、突撃すべてに満遍なく強い。防具に向いた地属性だけ
なことはある﹂
高級感溢れる銀色のタワーシールドを試しに手に取ってみたホク
トは、中々どうしてしっくりきていそうだった。
装着している鎧と同じ金属なこともあり、美しいシルバーで統一
されていて色彩の取り合わせが非常にいい。まあこれは正直どうで
もいい要素ではあるが。
で、次。
﹁そしてこっちが緋銅鉱。一番ポピュラーな火属性のレアメタルと
いえるかな﹂
銅によく似た、しかしそれよりも赤みの強い合金で出来た盾を売
りこまれる。
﹁火属性は魅力的な追加効果を持つケースが多いから主に武器にさ
れるが、こいつは鍛冶屋の気まぐれで盾になった。面白いからと入
荷してみたが魔法全般に耐性があって意外と実用的な一品に仕上が
っているぞ﹂
﹁魔法に強い、かぁ﹂
1245
魅力的な売り文句だ。防御面の穴埋めで役に立ちそうな臭いがプ
ンプンする。
﹁最後はこれ。こいつはかなりユニークだぞ﹂
﹁もったいぶらずに早く教えてくれ﹂
﹁醍醐味の分からん奴だな。まあいい、話を進めようじゃないか﹂
おっさんはパステルピンクの盾を重たそうにかかげながら続ける。
﹁この盾に使われているのは息吹鉱といって、風属性の魔力が宿っ
ているんだが、はっきり言ってそれほど丈夫じゃない。鋼鉄よりは
マシ程度だ。ただし装備しているだけで失った体力を少しずつ回復
してくれる。持久戦に向いた盾といえるな﹂
﹁ほうほう﹂
俺のブローチに効果が近い。もちろんこいつほどの即効性はない
だろうけども。
﹁まとめると、物理に強い光銀鉱、魔法に強い緋銅鉱、特異性のあ
る息吹鉱、といった感じかな。どれにするかは娘さんと二人で話し
合ってくれ﹂
﹁そうさせてもらうか。でも二人じゃなくて四人で話させてもらう
ぜ﹂
どういう役割をホクトにやらせるかは、パーティー全体の問題だ
からな。
さて。
﹁どうしよっかな﹂
1246
三種類全部買うのもありっちゃありだが、それはこの後の探索に
差し障りが出る。とりあえず狩猟区に装備していく二つを選ばない
といけない。
﹁治療はミミと、それにナツメさんでもできますから、耐久力を重
視した組み合わせの二枚にしてはいかがでしょうか?﹂
﹁だけどホクトさんが自分で回復できたら便利そうですにゃあ。そ
の間ミャーの手も空きますからにゃ﹂
ミミとナツメ、どちらの意見も一理ある。
うむむ⋮⋮難しいが、狩猟区に出没する魔物の傾向を考えると物
理耐久を最優先すべきではなかろうか。鳥獣連中が魔法を使ってく
るとは考えにくいし。
それと狩りの能率を上げるためにミミにも攻撃に回ってもらいた
いところ。
ということで。
﹁光銀鉱と、息吹鉱のタワーシールドを一個ずつ売ってくれ﹂
俺はそうおっさんに注文した。
今日のために金貨を大量に持参していたので、値段交渉をするま
でもなく即決。
合わせて七十六万9400G。でかい買い物だ。
1247
もっとも本日中に済ます予定の買い物はこれだけに留まらないの
だが。
﹁予約していた防具はまた夜に取りに来るよ﹂
﹁お? ということは今からどこかに探索に行くのか﹂
﹁そういうこった。もしかしなくても、あんたが言ってた狩猟区に
な﹂
ホクトに盾の握り心地を再確認させながら応じる俺。
どんなに値が張ろうが店頭で揃えられる防具は楽なもんだ。自力
で素材から集めないと作れない装備品のほうが遥かに入手難易度が
高い。
﹁なるほどねぇ。だから盾が必要だったわけか。あまり無茶はする
んじゃないぞ﹂
﹁分かってるって﹂
そう返して、今度は武器屋に。
貫通力の高い黒曜石の矢をしこたま買いこみ、これで出発前の準
備は完了。
俺は三人に﹁行くぜ﹂と告げて、町の南口から発進した。
1248
俺、狩人する
体感三時間ほどで到着した狩猟区は、これぞ大自然って感じの場
所だった。
遠目からでも分かった辺り一帯を埋め尽くす樹林に、人間の都合
なぞお構いなしに伸び放題の野草。そこら中に緑が溢れまくってい
る。
おまけにかなり広い。全体を回ろうと思ったら一日じゃとても足
りそうにない。
気候が割と涼しいのは幸いか。
雨が降る気配もないし、絶好の狩り日和ではある。
﹁さーて、一丁ハンティングをやらさせてもらいますか﹂
新調した二種類の盾を構えるホクトを先頭に、ガサガサと草木を
揺らしながら狩猟区へと踏み入る。
足元の雑草が邪魔で仕方ないが、ぶつくさ不平不満を述べたとこ
ろで庭師が芝刈に出張しに来てくれるわけじゃない。我慢して進む。
と。
﹁シュウト様、あちらを﹂
1249
ミミが草むらのわずかな揺れを指摘してきた。
そこからひょっこりと顔を出したのは⋮⋮。
﹁ウサギ?﹂
長い耳に真っ白な毛。念を押すまでもなくウサギである。という
かあれ、フィー近辺の森で俺が初めて出会った魔物じゃん。
見た目は愛らしいが裏に秘められた凶暴性は健在。
いきり立ってこちらに向かって体当たりを仕掛けてくる⋮⋮が、
その突進はホクトが正面にかざしたタワーシールドで難なく受け止
められ、俺の思い出の中で色褪せていた雑魚モンスターは盾にぶつ
かる反動ダメージだけでお陀仏してしまった。
﹁こいつ⋮⋮相変わらずの弱さだな﹂
素材を落とすこともなく、二枚の銀貨だけが撃破報奨として残さ
れる。
あー、この感じ、懐かしい。
しかし嬉しくない懐かしさだ。今更200Gなんてもらったとこ
ろで雀の涙でしかない。
魔物のレベルにはムラがあるとは聞いていたが、底辺でこれって
ことは相当上下の幅が広そうだな。弱い奴はできるだけ無視して進
むとするか。
1250
手荒い、というほどでもない歓迎を受けた俺たちは更に奥を目指
す。
ところどころにテントを設営した跡がある。
やはり本格的に探索したければ野営覚悟で臨めということか。
密林部分は視界がよくないので地図のド真ん中に記された草原地
帯にさっさと移動したいのだが、ここにしか出没しない魔物が貴重
な素材を落とすのだとしたら、それこそ重大な見落としになる。
慌てず騒がず、地道に魔物を捜索する。
こういう一時も休まずに目を凝らすような作業はダルすぎて好き
になれないな。検品のバイトとかも長続きしなかったし。
そんなことを頭に浮かべていると、不意にナツメが俺のコートを
引っ張った。
﹁なんだ?﹂
﹁ご主人様、あれあれ。御覧くださいにゃ﹂
視力のいいナツメが指差した先、葉の生い茂った木のてっぺんを
見る。
⋮⋮全然見えないので、もう少し近づいてから再チャレンジ。
そこでは鳥が枝に乗って羽を休めていた。鋭い眼光とクチバシの
形状からいって、猛禽類だろうか。
1251
ただサイズがやたらとでかい。しかも体色は赤と茶色が混ざった
およそ鳥とは思えないような斑模様だ。どう見ても自然界の常識に
唾を吐きかけている。
魔物と考えて間違いなし。 ﹁りゃっ!﹂
勘付かれる前に先制の一射を放つ。
こうしているとマジで狩猟者になった気分だな。弓で鳥を射るな
んてまんまだろう。
などと思う間もなく。
黒曜石の矢に貫かれたマーブル鷹︵外見的特徴から命名︶が木か
ら落下した。
射程といい威力といい、スカルボウの性能はこの区域においては
最適だな。
魔物は地面に叩きつけられると同時に煙となり、俺のスキル補正
で激増した所持金一万2000Gに加えて、個性的な模様をそのま
ま抜き出したような羽根をドロップする。
金額からいってそんなに強い魔物じゃなさそうだ。ってことは素
材もそれ相応か。
﹁あまり良質な品ではないかも知れませぬな﹂
﹁だな。それにこの羽根、一枚だけじゃなんも作れそうにないしな
1252
ぁ。まあ持ち帰るだけ持ち帰るか﹂
ホクトとそんな会話を交わしながら、素材用の皮袋に放りこむ。
﹁ご、ご主人様、それどころじゃありませんにゃっ﹂
﹁どうかしたのかよ﹂
﹁上! 正確には斜め前ですにゃ! いっぱい鳥が来てますにゃ!﹂
慌てふためくナツメの様子から察するまでもなく、俺は上空を仰
ぎ見た瞬間にその言葉の意味を理解した。
極彩色の羽根を持つ、隠れる気皆無な鳥型の魔物が何羽も向かっ
てきている。
マーブル鷹を撃ち落したことで刺激されたのだろうか?
それとも獲物の臭いを嗅ぎつけたか。
﹁この場合の獲物って⋮⋮俺たちになるよな、当然﹂
新しく矢を番える俺。その隣ではミミも魔法の詠唱準備に入って
いる。
ただでさえ飛んでいる相手はやりにくいってのに、あの数かよ。
だからって退くわけにはいかない。退いたところで、というのも
あるが、素材をいっぺんに稼ぐチャンスを見過ごすのは大損。
面倒さを覚えながらも注意深く観察する。
1253
魔物が攻撃をしかけてくる角度は斜め上から。真正面の敵を押し
返すのに特化したホクトのタワーシールドで防ぎ切れるかは大分怪
しい。
こういうのは攻めるが勝ちだな。
派手なカラーリングの鳥の群れが急降下を始めた瞬間に合わせて、
俺は矢を放つ。
⋮⋮ここで射たのがただの矢だったら、手遅れもいいとこだった
だろう。これだけの数を同時に相手にするにはあまりにも頼りない。
だが俺が番えていたのは、スカルボウの魔力が生成した、黒炎の
矢である。
群れの中の一羽に命中すると瞬く間に火は拡散し、群れ全体に燃
え広がる。
無論、呪縛効果ももたらされる。それこそが火の矢の最大の利点
だ。鈍化の呪いに苛まれた魔物どもは降下速度の緩和を余儀なくさ
れ、そこを︱︱。
﹁一家の食卓を飾るブリオッシュを焼き上げるための火!﹂
本命であるミミの火炎がまとめて薙ぎ払った。
毎度のことながら、料理に用いるためだけとは思えない大火力だ。
奇抜な魔法のネーミングといい、この魔術書を記述した奴は若干馬
鹿寄りの紙一重に違いない。
1254
ただ、範囲はそれほどでもない。﹁まとめて﹂とはいえ精々三羽
程度。
ゆえに俺は撃ち漏らした連中目がけ、回転率重視で火の矢を連射
する。
動きがトロくなっているからこんな大雑把な照準でも当たってく
れる。一発一発は低威力でも累積すればジョークでは済まない。俺
が何羽か撃墜する間にもミミは新たにかまどの火の魔法を唱え、そ
の濃いオレンジ色の煌きを空中に描く。
更に距離がある程度縮まってきたところでナツメも加勢。
﹁ミャーのテクニック、お見せしますにゃ!﹂
ナイフを投げつけて最後の一羽を狩った。
降り注いできた金貨と合わせて手際よくナツメが回収する。
量が多すぎて一羽あたりの資金がいくらなのかよく分からない。
が、ドロップアイテムの個数から魔物の出現数も逆算できた。九
羽か。なんとなく不吉な数字だが、総額十六万2000Gという利
益の前ではその縁起の悪さも霞む。
とはいえこっちは今日のメインではない。肝心なのは素材のほう。
﹁また羽根かー﹂
黄色をベースにした色調は先ほどの猛禽が落としたものよりも遥
1255
かに明るいが、それ以外に変わった点は見受けられない。
九枚一挙に集まったのはありがたいが。
﹁いい装備品に出来るといいですね﹂
﹁作れんのかな⋮⋮羽根だぞ羽根。ローブにするのは無理っぽいし﹂
﹁だけど綺麗な髪飾りにはなりそうですよ﹂
そう言ってミミは羽根を一枚、すっと自分の髪に差し、悪戯っぽ
い笑みを見せた。
ミミの真っ白な髪は無地のキャンバスにも似ていて、だからこそ
色彩に富んだ羽根がよく似合う。今ひとつ美的センスのない俺でも
そう思わせられるのは、それだけ羽根が美しいからなのか、はたま
たミミの魅力あってのことか。
そんなミミの様子を眺めていたナツメは物欲しそうな顔でささっ
と寄ってきて、﹁ミャーもオシャレしたいですにゃっ!﹂とすかさ
ず真似をした。
しかしながらナツメのセンセーショナルなターコイズブルーの髪
に紛れると、途端に色鮮やかなはずの羽根が埋もれてしまうから不
思議なものである。
ナツメ本人は満足そうにしてるからいいけど。
他方、女の子らしい一面を垣間見せる二人をよそにホクトは凛と
し続けていた。
﹁やはりここは獣型の魔物を仕留めるのがよいのではないでしょう
1256
か。衣服の素材といえば植物繊維と、そして紡いだ毛糸が両巨頭で
あります﹂
冷静な意見を伝えてくる。
﹁うーん、確かにな。毛皮を落とす奴がいれば最高なんだが﹂
﹁探しに参りましょう。もしかしたら樹林よりも、中央の平野部の
ほうに多く生息しているのかも知れません。たった今この界隈での
騒ぎを聞きつけてやってきたのは、すべて鳥型の魔物でしたから﹂
﹁ありえるな。一度行ってみるか⋮⋮ところでホクト﹂
﹁はっ。なんでありましょうか﹂
﹁お前は羽根で遊ばなくていいの?﹂
俺の純粋な疑問に、それまでキリッとしていたホクトの表情が微
妙に揺らいだ。
揺らいだというか、和らいだというか。
﹁やっ、道半ばの自分がそのようなことにうつつを抜かすわけには
⋮⋮。そ、それに、自分ごときが着飾っても無謀であります﹂
﹁そうですかにゃ? ホクトさんもオシャレしたら似合いそうです
けどにゃあ﹂
ナツメが楽しそうに手に取ったのは、鷹が落とした大きめの羽根。
他より縦幅のあるそれをリボンに見立て、くるっと巻いてホクトの
長く無造作な髪を束ねる。
ポニーテール女子ホクトの完成である。
﹁ふっ、ちょちょいのちょいですにゃ﹂
1257
なぜかナツメのほうがドヤっていた。
まあ自慢げになる気持ちは分かる。少し髪型を弄っただけで、ホ
クトの印象も随分変わったからな。
﹁結構似合うな。雰囲気も崩れてないし、美形が引き立ってるぞ﹂
髪にまとまりが出来たことでむしろ勇ましさが増したように思え
る。
あと褒めるたびにホクトの頬が緩んだり締まったりするから飽き
が来ない。主人の前では気丈であるべきという感情と、女性の部分
を褒められて嬉しいという想いがせめぎ合って葛藤しているのだと
思われる。
﹁町に戻ったらちゃんとしたリボンも買ってみるか﹂
﹁は、早く向かいましょう。自分なぞに構っていても仕方ないであ
ります!﹂
そう恥ずかしげに言いながらも、満更でもない顔をしていたのは
ホクトの名誉のために内緒にしておく。
実際問題、平地目指して歩いている間まったく結び目を解こうと
しなかったし。
さて。
無加工のままのアクセサリーを身につけた三人と共に進んでいく
俺だったが、道中、記憶の片隅に引っかかっている顔を発見する。
1258
﹁⋮⋮ん? あれは﹂
見えたのは後ろ姿だから、顔っていうか頭だな。
もっとも後頭部だけで十二分に判断材料になり得た。
綺麗さっぱりと剃られた禿げ頭はそうそう忘れられる代物ではな
い。その隣を歩く黒のロングヘアーの女剣士が誰であるかも、自然
と知れてくるというものだ。
1259
俺、接触する
﹁何者だっ!﹂
唐突に女剣士︱︱イゾルダが振り返り、こちらに鋭角な眼光を飛
ばしてきた。
枯れ枝を踏むかすかな音を聞き分けて俺たちの接近を察したらし
い。
魔物と間違われては敵わんと、俺は﹁通りすがりの労働者だよ﹂
と一声かけて姿を見せる。
﹁⋮⋮人か。脅かすな。危うく斬りかかるところだったじゃないか﹂
﹁イゾルダさん、そういう物騒なことはあまり面と向かって言わな
いほうがいいですよ。昨日もそうやって他の冒険者の方を萎縮させ
てしまったじゃないですか﹂
﹁むっ、そこを掘り返されると苦しいな﹂
剣を下げたイゾルダは、隣にいる細身の男に諭されてバツが悪そ
うにした。
男はこちらにも話しかけてくる。
やけに申し訳なさそうな顔で。
﹁すみません、こちらこそ脅かしてしまって﹂
﹁お、おう﹂
1260
微妙に困惑する俺。
外見からしてクィンシーなのは明らかなものの、記憶の中にある
キャラと違いすぎてて一瞬﹁誰だこいつ﹂と思ってしまった。
その間にもイゾルダは俺たちをじろりと見渡し、そして不審でな
いと断定できたのかおもむろに口を開く。
﹁ところで見ない顔だな。旅の者か?﹂
イゾルダの口調はいちいち屹然としている。
なんかホクトと話しているような気分になるが、それよりも更に
堅苦しく、そして仰々しい。
俺はイゾルダを舞台女優のようにとらえていたが、ステージから
降りた姿をこうして眺める限り、闘技場で感じたイメージはあまり
本人の性格とかけ離れていないらしい。
それとは逆なのがクィンシー。
闘技場での悪漢めいた振る舞いはどこへやら。スキンヘッドに顔
面のタトゥーという厳つい風貌はそのままだが、表情は穏和だし腰
も低い。というかこの見た目で﹁僕﹂とか言われると戸惑うんだが。
うーん。
色々と感じ入るものがあるな。観客の心をつかむためにはあそこ
まで徹底してキャラクターを演じなければならないのか⋮⋮。
1261
さておき、質問に答える。
﹁そんなところだ。先に言っておくけど、この時期に来てるからっ
て別に闘技大会に出場する予定はないからな。あまり警戒しないで
くれよ﹂
﹁む、そうなのか。それは惜しい。その整った装備、配下の数、そ
して狩猟区に足を運んでいる事実。これらを踏まえると旅の者が相
当の練達だとは容易に推測できるからな﹂
﹁はあ、どうも﹂
﹁強敵と戦えぬということは残念極まりないよ﹂
全部マネーパワーだと知ったらもっと残念がるに違いない。
﹁俺のことをこれ以上詮索したって埃くらいしか出てこないぜ。そ
れよりだ、あんたらはイゾルダとクィンシーだよな?﹂
﹁僕たちを存じているんですか?﹂
﹁有名人だったから知ってるよ。この前のイベントも観戦しに行っ
てたし﹂
ありがとうございます、とクィンシーは朗らかに言う。
﹁けど恥ずかしいですね、こうしてオフの姿を見られるのは﹂
﹁俺も最初驚いたよ。素はこんな好青年だったのかって﹂
﹁そんないいものじゃないですよ﹂
そう謙遜してから。
﹁メイン・コロシアム付近では、なるべくファンの方々のイメージ
を壊さないように応対するよう心がけているんですが⋮⋮参ったな。
1262
油断していました﹂
照れの滲んだ苦笑いを浮かべた。
こいつから漂う苦労人臭は凄いな。
﹁⋮⋮で、その貴重なオフの日になんで狩猟区で探索してんの?﹂
﹁火に強い素材を探しているんだ﹂
クィンシーに代わって即答するイゾルダ。
﹁でなければジェラルドのレーヴァテインに対抗できん﹂
﹁レーヴァテイン? なんだそれ﹂
﹁奴が握っていた剣だ。秀でた火の性質を持つ金属で作られた剣だ
けが、レーヴァテインの銘を名乗ることができる﹂
﹁ふーん﹂
火だけ特別扱いとはずるいな。もしかしたら他の元素にも同種の
ケースがあるのかも知れないけども。
﹁今回、私はこのクィンシーとチームを組んでいる。旅の者も観戦
に来ていたのであれば知っているだろうが、彼はジェラルドが放つ
焔に太刀打ちできなかった⋮⋮二の轍を踏むわけにはいかない。私
は鎧をまとうから多少なりとも無理は利くが、軽装で戦うクィンシ
ーのためにも火に耐性のある服を作るのは急務だ﹂
それがこの地を訪れている目的らしい。
要は俺と似たような理由だ。
1263
﹁それにしても、前回のトーナメントから武器を変えてきてくると
はな。ジェラルドの奴も中々味な真似をする。それでこそ我が宿敵
だ﹂
熱をこめて語るイゾルダは、そこで拳を力強く握り締めた。
なにをそんなに熱くなることがあるのかと思っていたら、クィン
シーの耳打ちでその事情が知れた。
﹁イゾルダさんは二年前、ジェラルドさんに敗れて大会から脱落し
ましたからね。﹃打倒ジェラルド﹄に燃えるのも当然です﹂
﹁へえ。そうなのか﹂
﹁だから先日のイベントでジェラルドさんとイゾルダさんがマッチ
アップは実現しなかったんですよ。それは本番のお楽しみってやつ
です。⋮⋮まあ、僕が勝てれば万々歳だったんですけどね、本当は。
中々うまくいかないもんです﹂
苦笑しつつクィンシーはそう説明したが、おそらく、心の底では
剣闘士業界のスターであるイゾルダの地位を保護するために自分が
捨て駒にされたことを分かっているだろう。話を聞いてる感じだと
察しのよさそうな性格をしてるし。
それを表に出さないあたりマジで人格者だな。
彼には報われてもらいたいものである。
⋮⋮なんてことを考えていると、突然。
﹁ハッ!﹂
1264
前触れもなく、イゾルダが長剣を振るった。
なにもない虚空を切り裂いている。そこだけ見ると頭がおかしく
なったとしか思えない行動だが、無論イゾルダの気は確かである。
多分。
でなければ目の前で起きている現象を﹃たまたま﹄で片付けなく
てはならなくなる。
斜めに斬り下ろされた若紫の刀身から︱︱稲光が走っているとい
うのに。
﹁うおおっ!? な、なんだ!?﹂
当たり前だが俺を狙ったものではない。
イゾルダの剣の切っ先は見当違いの方角に向けられている。
しかしながら、あまりに突拍子もないので俺は肝を冷やす。目を
覆うべきなのか、それとも伏せるべきなのか咄嗟には判断できなか
った。
ミミにしても同じようなもので、ホクトはその場に立ち尽くすの
み。ナツメは耳を押さえながらしゃがみこんでいる。平静を保って
いるのは稲妻を放った張本人と、そしてそれを見慣れていそうなク
ィンシーくらいだ。
紫電は無作為に立ち並んだ幹の間をぬってジグザグに疾走し、や
がて雑木林の一角に突き刺さる。
1265
この間五秒ほど。
﹁あ、危ねぇな⋮⋮本気で冷や汗かいたぞ。急になにやってんだよ
!?﹂
﹁危ないだと? あやつを放置しておくほうが余程危険だ﹂
イゾルダがまっすぐに人差し指を伸ばす。
示された方向を目で追う俺。
その先では一体の狼に似た魔物が仰向けにひっくり返っていた。
狼といっても俺が森で見かけたことのある個体とは違い、大型な上
に筋骨が発達している。
それだけの体躯の持ち主がただの一発で行動不能に陥っているの
だから、イゾルダが放った雷撃のダメージは推して知るべし。
﹁ま、魔物を狩ったのか﹂
無言で首肯するイゾルダ。
感電しているのか魔物は小刻みに痙攣しており、数秒後には煙と
なって消滅する。
パーティーを組んでいるわけではないので俺のスキルが効果を発
揮することもなく、数枚の銀貨だけが狼の毛皮に乗っかっていた。
﹁頼むから事前にちゃんと説明してくれって。びびるから﹂
﹁そんな暇はなかったのでな。許せ﹂
1266
涼しい顔で言いながら剣士は撃破報奨を拾い上げる。
﹁この毛皮も入手済みだな。違うものを落とすかとも予期したが、
そう易々と狩猟の神ヘンデルシクは微笑んではくれないか﹂
一応持っていてくれ、と拾った素材をチームメイトに渡すイゾル
ダ。
そのかたわら、俺はようやく落ち着いてきた頭で先ほどの光景を
振り返る。
あの雷は闘技場では目にしなかった。
今のは魔法だろうか? それとも武器の追加効果か?
いずれにしても凄まじい威力と射程、そして精度だ。じゃじゃ馬
のように折れ曲がって進む電撃でピンポイントに標的を撃ち抜くと
は。
なにより、この距離から敵の接近を察知したイゾルダの直観力に
驚く。
伊達に闘技場の看板を張っちゃいない。
﹁にしてもなぁ﹂
﹁どうした? 不可解そうな顔をして﹂
﹁いや、闘技場みたいにカッコよく叫ばないんだなって﹂
俺の素朴な疑問に、イゾルダは微塵も表情を崩さず平然と答える。
1267
﹁当たり前だ。本能に突き動かされた魔物相手になにをアピールす
る必要がある﹂
そこは演技の部分だったらしい。
ですよね。
1268
俺、狙撃する
イゾルダとクィンシーはその後、﹁先を急ぐ﹂と告げて林の奥へ
と突き進んでいった。
去り際にこう言い残して。
﹁耐火作用のある素材を見つけたら情報提供をお願いできないか?﹂
些細ながら謝礼もしよう、とイゾルダは言っていたが、別に端金
なんてもらってもな。教えても減るもんじゃないから見つけられた
ら報告してやるつもりだけど。
ふむ、しかし、火に強い素材か。
あればなにかと便利ではある。こっちでも探してみるとするか。
﹁火に対して抵抗を持つ魔物を探しましょう。きっと落とす毛皮に
もその性質が反映されるはずですから﹂
ミミは前向きなコメントを発したが、そんな都合よく見つかるも
のなんだろうか?
なにはともあれ平野部へ。
そこは草食動物たちの楽園といった感じの場所だった。
ガゼルやシマウマによく似た生き物が草原を駆け巡り、かと思え
1269
ば小さな池の周りではヌーたちがどっしりと構えて芝を食んでいる。
大型のサイがのしのしと歩く様なんかは威厳たっぷりだ。
ちょっとしたサバンナみたいな趣がある。どいつもこいつもツノ
が肥大化していたり体色がどす黒かったりするから魔物なのは丸分
かりなものの。
地形を確認すると、これだけ魔物が溢れているのに視界を遮るも
のは一切ない。
下手に身を晒すのは危険だな。なるべく離れた位置から討伐して
いきたいところだ。
で。
どれに狙いをつけるべきかだが。
﹁とりあえず火に耐えられる奴を探し当てればいいんだろ? だっ
たら⋮⋮﹂
茂みの中に隠れたまま弓を構える俺。
先端の鏃は黒曜石ではなく、闇色の炎で象られている。
要は片っ端から火の矢を放ってダメージの通りが悪い奴を炙り出
せばいいわけだ。
手始めにブラックガゼル︵さっき名付けた︶から。
﹁よっ、と!﹂
1270
横っ腹に矢を突き立てる。
被弾箇所から炎が燃え広がっていき⋮⋮。
﹁なんだか凄く弱ってますにゃあ﹂
低威力の火の矢を一発くらっただけで息も絶え絶えになっている
様子を見て、俺より先にナツメがそうつぶやいていた。
火に強いどころか苦手だったらしい。
だったらヌーだな、ヌー。
自分が狙われているとも知らずに水辺で休憩している魔物目がけ、
火の矢を射る。
距離はあるが動かないから照準は定めやすい。
矢はなだらかな弧を描いて飛び、ビッグ・ヌー︵俺の中での俗称︶
に命中。
⋮⋮と同時に、体重を支えられなくなったのか後ろ足がガクッと
くずおれた。
うわっ、結構効いてるし。
まあヌーといったら牛なわけで、この種族に生まれた時点で焼か
れる運命にあるのかも知れない。
1271
こうなったら大本命のサイにいくしかあるまい。
あの分厚い灰褐色の皮膚、ちょっとやそっとのことじゃ傷つかな
さそうだが、高温に対しても鈍感でいてくれるんじゃなかろうか。
ボコボコと隆起した筋肉と立派すぎるツノを有しているし、戦闘
力も高そうだ。
魔物としての格もワンランク上と見ていいだろう。
﹁そろそろアタリが出てくれてもいい頃だろ。頼むぜ、ってな!﹂
螺旋状に渦巻いた火の矢がグレーターライノ︵即席で命名︶に突
き刺さる。
が、魔物はケロッとしていた。まるで蚊にでも刺されたような反
応しか示していない。
﹁おお! 全然効いてねぇぞ!﹂
本来なら悲しむべき結果なのだが今回に限っては別。俺は小さく
ガッツポーズする。
が、喜べたのも束の間。
魔物に異変が見られる。具体的には、表情が徐々に凶悪になって
いっていた。
火には鈍感だが、敵の気配には敏感らしい。
1272
実態は正確には認識できていないだろうが、矢の放たれた方角か
らおおよその見当をつけ、茂みに潜む俺たちに向かって猛進を始め
る。
﹁主殿、後退を! ここは自分が引き受けるであります!﹂
﹁いや、それには及ばないぜ、ホクト﹂
俺は一歩進み出たホクトの肩を叩く。
﹁こっちに辿り着くまでに倒しちまえばいいんだからな﹂
確かにグレーターライノが火で負ったダメージは少ない。
だが呪いの可否は別問題だ。地面を踏み締める重量感に満ちた轟
音が鼓膜を揺らしているとはいえ、その突進速度はスローモーショ
ンになったように遅い。
ご自由に撃ち抜いて下さいとアピールしているようなものだ。
俺は黒曜石の矢に持ち替え、弦を引き絞る。
その隣では、ミミがなにも伝えていないというのに魔法の詠唱準
備に入っていた。
﹁シュウト様の考えは承知しています⋮⋮フラジリティ!﹂
ミミの呪術を浴びたサイが瘴気に包まれる。
物理耐性を下げる虚弱の呪縛はこの状況で最も欲しかったサポー
ト。いつもながらミミは気が利く女だ。言葉にせずとも行動してく
1273
れるんだから、意志の疎通もバッチリだな。
お膳立ては万全。指を離す行程しか俺には残されていない。
それを実行に移した瞬間が魔物の最期となった。
貫通力に長けた黒曜石の鏃はサイの脆弱化した皮膚を突き破り、
血を噴かせる。
あと十メートルほど長く走れていれば、魔物は俺たちが陣取る地
点の真っ只中で暴れ回れただろう。しかしそれには時間も距離も、
体力も足りていない。
噴き上がり続けた血はやがて、天に向かって立ち昇る煙へと移り
変わった。
狩猟完遂!
ドロップ品はすばしっこさと足音を消す特技を活かしてナツメが
速やかに回収してくる。
﹁二十四枚も金貨がありましたにゃ!﹂
﹁まあまあの資金を貯めこんでやがるな。で、素材は?﹂
﹁これですにゃ﹂
ナツメがよいしょとリュックから取り出したアイテムを差し出す。
ザラザラとした手触り。太く硬くたくましく、そして先の尖った
︱︱。
1274
﹁これ⋮⋮もしかしないでもツノだよな﹂
﹁ツノですにゃ﹂
どこからどう見ても服の素材になりそうにない。
﹁こ、これはこれで貴重な代物だと思いますよ、シュウト様﹂
ミミのフォローが虚しく胸に響く。
いやツノって。なんの装備が作れるんだこれ。
マジモンの密猟者かよ、と自虐する俺とは反対に、ホクトは関心
のありそうな目でサイのツノをしげしげと眺めている。
﹁装飾品には出来るのではないでしょうか。もしくは粉末状に砕い
て薬品に精製できる可能性も。いずれにせよ興味深くはあります﹂
﹁使い道がありゃいいんだけどな⋮⋮ん?﹂
俺はふと、草原を横断する魔物の群れに気がついた。
ここから五、六十メートルばかり先だろうか。
バッファローじみた獣型の魔物が五体、蹄を激しく打ち鳴らして
大地を蹴っている。
だがその先頭を走っているのはバッファローではない。フォルム
は近似しているが、その体格は他の連中より飛び抜けてでかく、そ
して異様なまでに毛むくじゃらだ。
見覚えがある。
1275
﹁ありゃクジャタじゃないか﹂
遺跡捜査をしている時に遭遇した、希少かつ強力な魔物。
こんなところでまた見かけることになるとは。
雑魚オブ雑魚のウサギからレアモンスターのクジャタまで、とは、
本当に魔物の質にバラつきのある探索スポットだ。高低差がきつす
ぎる。
いやいや、それより。
クジャタといえばその毛皮。
こいつの繊維には身体能力を向上させる魔力が眠っている。
今も俺のシャツとなって役立っているんだから信頼と実績がある。
火に特別強いわけじゃないが、衣料に用いる素材としての価値は我
が身をもって立証済みだ。
そもそも今日の目的はチノのローブに使う素材を得ること。
ここで良品を落とすと知れているクジャタを見逃そうものなら大
損こく羽目になる。耐火素材を見つけるのもいいが、まずはこっち
が最優先だな。
ってことで。
﹁うりゃっ!﹂
1276
俺は初手として、クジャタをこちらに誘導するために火の矢を放
った。
四方八方から魔物に襲撃されかねない平野部のド真ん中であんな
デカブツと戦うほど、俺はアホではない。いくらホクトの盾で守っ
てもらえるからといって許容量がある。
楔の一撃を受けたクジャタはその場で立ち止まり、辺りを見渡す。
近くに標的がいないことを確認したのか、矢が飛んできた方角だ
けを頼りに闇雲に走り出した。
ここまでは想定どおり。
が、厄介なことに子分のバッファローまで一緒に走ってきている。
ってかこのイエスマン連中はロクに自我がないのか、クジャタの
疾駆する方向に合わせてついていっているだけに見えた。スカルボ
ウの追加効果による影響で鈍足になっているクジャタを追い抜こう
とせず、わざわざ後ろに並んでるし。
﹁うげ、めんどくせぇ⋮⋮あいつらも撃退しなきゃならねぇのかよ﹂
﹁やりましょう、シュウト様。ミミもお支えします﹂
﹁引きつけ役は自分にお任せを﹂
それぞれの役割を改めて主張するミミとホクト。
以前クジャタを倒した時はジキがしかけた罠のおかげだったが⋮
⋮今回はこいつらの手を借りるとするか。
1277
俺とミミ、それからナツメは一旦ホクトの後方に避難する。
とはいえ可能なことならホクトの盾に接触が起こる前に決着をつ
けたい。
そのためにも俺はクジャタに攻撃を集中させる。
文字通りの矢継ぎ早ってやつだ。
従えている子分どもは所詮引きずられているだけで、クジャタ本
体をさっさと倒してしまえば脅威ではなくなる、はず。
だから呪術を連発しているミミの狙いも明白だ。俺の意図を汲ん
で、クジャタを徹底的に弱体化させるつもりだろう。
麻痺、虚弱、盲目、鈍化⋮⋮諸々の呪縛が剛毛の猛獣を蝕む。
ここまで弱れば無力化と呼んでいいだろう。
自慢の膂力はどこへやら、ウドの大木でしかなくなったクジャタ
に照準を合わせる。
﹁行けっ!﹂
黒曜石に念を込め、俺はトドメの一射を放った。
剣と違って弓矢で手応えを得ることは難しい。けれどありがたい
ことに、この世界では煙の有無で魔物の死を知らせてくれる。
1278
クジャタの討伐は一切の被害なく終えられた。
司令塔を失ったバッファローたちはその場でまごつくだけで、挙
動不審になっている。
ついでだしこいつらも狩っておくか。最低でも追い払わないとせ
っかくクジャタが落とした焦げ茶色の毛皮を回収できないし。
そう思って火の矢を放ったのだが⋮⋮。
﹁あんま効いてねぇな、こいつらも火に強いのか?﹂
原型になっているのが水牛だからなのか知らないが、スカルボウ
から射出された黒炎を浴びてもぴくりともしない。
もっともこれは威力が低いせいもある。ミミが唱えたかまどの火
だと耐性をものともせずに二発でこんがり焼き上がっていたしな。
まあ俺も黒曜石の矢なら一撃で仕留められるから問題ない。
ミミが二体焼却する間に、俺は残りの三体を片付けた。
すかさずアイテムの回収に向かうナツメ。こいつを連れて来てな
かったら素材を拾いに行くだけでも相当難産しただろうな。助かる
よ、ホント。
そんなナツメが持ち帰ったのは十三万Gの撃破報奨と、そして六
枚の毛皮。
そのうちの一枚、他に比べて格段にサイズの大きな毛皮はクジャ
1279
タのものである。このゴワゴワとした毛の質感、懐かしすぎるな。
で、残る五枚だが。
﹁⋮⋮なんで二種類あんの?﹂
奇妙なことにバッファローの毛皮には二通りがあった。一方は生
前の色合いそのままに黒く、もう一方は燃えるような朱色に染まっ
ている。
前者が三枚、後者が二枚。
こいつもまた確率でドロップする素材を変えるんだろうか?
それにしては三枚と二枚って均等すぎるような。
﹁もしかしたらですけど﹂
推測が立ったらしいミミが意見を述べてくる。
﹁倒し方で変わるのかも知れません。三枚と二枚、ですよね? こ
れはシュウト様とミミがそれぞれ退治した魔物の個体数と同じです﹂
﹁ふーむ、なるほどな。ありえなくもない。俺とミミがやった攻撃
というと⋮⋮﹂
﹁はい。シュウト様は矢で、ミミは火で、です﹂
その説を聞かされた俺はすぐさま草原に視線を戻し、バッファロ
ーがいないか探す。
右斜め前方に、ちょうど二体のバファローが並んで駆けているの
1280
が見えた。
俺はその足元に向けて火の矢を放って挑発。
血相を変えてこちらに進んできたところを、皺の寄った眉間に狙
いをつけて黒曜石の鏃を突き立てる。そこから少し遅れてミミがか
まどの火を連打。二体のバッファローが地面に倒れこみ、おぼろな
煙となって消える。
ささっと回収するナツメ。
八重歯を覗かせながら見せてきた二枚の毛皮は、見事なまでに色
分かれしていた。
すなわち、黒と赤。
﹁どうやらミミの考えで合ってたっぽいな﹂
俺がその相変わらずの聡明さを褒めると、ミミはエメラルドの瞳
に淡い光を宿して、嬉しそうに微笑を見せる。
﹁それにしても、火に強い魔物を、あえて火で倒すと落とす素材⋮
⋮かぁ﹂
いい予感しかしないのはなんでだろうな。
1281
俺、逢遭する
以降、重点的にバッファローを乱獲。
物は試しとサイを火攻めで倒してみたりもしたが、めちゃくちゃ
手間取っただけでツノしか落とさなかった。くっ。
まあクジャタの毛皮も手に入ったし、初めてここを訪れたにして
は上出来だろう。
陽が傾き始めたところで帰還する。
六時間程度しか探索していないので立ち入っていないポイントも
無数にあり、狩猟区全域を巡れたとは到底言えない。とはいえ日帰
りではこれが限界だ。
イゾルダたちとは再会できなかったが、ギルドに伝言を残してお
けば大丈夫だろう。
予約していた鎧を引き取って帰宅した時には既に午後九時を回っ
ていた。
そのせいで先に戻っていたヒメリに﹁遅いお帰りでしたね﹂と嫌
味くさいことを言われたが、どういう風の吹き回しか夕飯の準備を
済ませていたので、ありがたくいただいた。
その翌日。
1282
小鳥の鳴き声ではなく、素振りに励むカイの気力溢れる掛け声で
目覚めた俺は、朝食のサンドイッチと素材袋を手に取り町中へと出
かける。
目指す先は裁縫工房。
ローブの製作依頼と、それから素材の性質を見てもらわないとな。
七色のレンガで組まれた工房に着くなり、俺は安定のクジャタの
毛皮から提示する。
﹁おっ、こりゃまた上玉を持ってきてくれたもんだ﹂
鼻の下にヒゲを蓄えた裁縫職人のおっさんは手の平全体で毛を撫
で、その硬質な感触を確かめながら唸る。
﹁クジャタ素材はなめしてよし、紡いでよしだけど、さてどうする
? なめすんだったら知り合いの革細工職人に紹介状を書くぞ﹂
﹁紡いで毛糸にしてくれ。それでローブを作ってほしいんだよ。こ
のくらいの﹂
手を広げて大体の寸法を伝える俺。
﹁ふむ、ローブか。そりゃまた面白い。腕によりをかけて縫わせて
もらおう﹂
﹁あ、それと﹂
俺はもうひとつ注文をつける。
1283
﹁帽子もセットで頼む。とんがったやつ﹂
お安い御用だ、とおっさんは親指を立てた。
明日の午前までには完成するとのこと。チノと一緒に受け取りに
来るとするか。
⋮⋮とまあ、ここまでは規定路線。
ここからは狩猟区で入手した素材の品評会である。
まずはバッファローから剥げた毛皮の、黒版から。
﹁こいつは牡牛の毛皮か。革にする素材としてはまずまずだな﹂
﹁毛糸にはできないのか?﹂
﹁表面を見たら一目瞭然じゃないか。ほとんど毛が生えていないか
ら紡ぐのは難しい。これは革細工に回したほうがいいよ﹂
革か⋮⋮加工に一週間はかかるんだったか。
といっても大会本番までまだ三週間はあるから猶予は十分だな。
﹁でも素材としては普通なんだよな、これ﹂
﹁まあな。売り物の鎧や篭手にもよく使われている﹂
﹁じゃあ、いいや﹂
俺はまとめて下取りに出した。
一枚につき350Gでしかなかったが、使う予定がないのに持っ
ていても仕方ないし。
1284
﹁もしかしてこっちも期待できないとかいうオチじゃないよな⋮⋮﹂
先行きを案じつつも、深緋に染まった毛皮を見せる。
ところがおっさんは予想外のリアクションを示した。
﹁ん? これは火牛の毛皮じゃないか。珍しい。⋮⋮はて、近隣に
火牛が出る地区なんてあったかな﹂
不思議がる口ぶりを聞く限り、これが狩猟区のバッファローから
得られた素材だとは思っていなさそうだった。
俺は仔細を説明する。
﹁ふうむ、なるほど、素材を変容させたとはなぁ。結果火牛と同じ
赤い毛皮が出来たと﹂
おっさんがいうには、火牛とは炎をまとって体当たりをしかけて
くる魔物だとか。
いろんな意味で危うすぎる。
﹁それにしたって火に強い魔物をあえて火で倒そうなんてよく思え
たもんだ。思ってもそう簡単に達成できることじゃないだろうに﹂
﹁最初から狙ってそうしたわけじゃないけどな⋮⋮それよりもだ、
見た目だけじゃなくて性能も別物になってるんだよな?﹂
﹁ああ。この素材で作った防具は耐熱性を持つし、装備者の火への
免疫も高くなる。強度も並大抵の革よりは上だ﹂
﹁クジャタを革にした時とどっちが丈夫なんだ?﹂
1285
﹁さすがにクジャタには負けるかな﹂
ってことは火に対する耐性が一番の利点か。それなら俺が長らく
愛用しているチョーカーのようにアクセサリーにするのもいいかも
な。
とりあえず、なめさなければ始まらないのでおっさんに一筆書い
てもらう。
使い道は革になってから決めるとしよう。
﹁あとはまあ、オマケみたいなもんなんだけど﹂
狩猟区で集まった他の素材、主に鳥型の魔物が落とした羽根を並
べる。
﹁これって防具に出来んの?﹂
﹁ほぐせば服に編みこめなくはない。といっても不死鳥やコカトリ
スの羽根あたりじゃないと劇的な効果は望めないね﹂
﹁やっぱそうだよな﹂
﹁ペンの原材料としては人気だけどさ。たとえばこの黄色い羽根。
こいつは色も綺麗だからそこそこいい値段で取引されるぞ。出すべ
きところに出せば一枚800Gくらいは値がつくんじゃないかな﹂
800Gか⋮⋮一日分の食費をこれ一枚でまかなえるんだから確
かに﹃いい値段﹄なのかも知れないけど、そんな稼ぎ方をしなくて
もいいからな、俺は。
諦めてこれも下取りに。裁縫工房に売ったから安価だったが、特
に惜しくはない。
1286
﹁それと最後に、こいつらなんだが﹂
二本あるサイのツノを、デンとカウンターテーブルに置く。
﹁うちの管轄外だな﹂
知ってた。
まあ耐火素材の存在と入手方法が確定しただけでも収穫だった。
早速その足でギルドに行き、イゾルダが来たら話しておいてくれ
と伝言を残す。
次に革細工工房へ。
﹁これ全部なめしてくれ﹂
紹介状と共に真っ赤な毛皮数枚を職人のおっさんに差し出し、加
工を依頼する。
﹁もちろん承るが、こいつでなにを俺たちに作らせるつもりだい?﹂
﹁それは革が出来上がってから考える。実物見ないと分かんねぇし
な。今日のところはこれでお暇させてもらうよ﹂
﹁なるほどねぇ。それじゃ、一週間後に来てくんな。じっくり話を
しようじゃないか。それまでコトコト塩茹でしておくからよ!﹂
古今東西ありとあらゆる中年男性を見てきたが、ここの奴は侠気
に溢れていた。
1287
職人らしさがあって信頼が置ける。
さて。
すべての用を済ませた俺は帰路に就いた。
腹も減ってるし、途中でなにか買い食いでもしていこうか⋮⋮な
んて考えつつ市場をぶらぶらと歩いていると。
﹁あー! もしかして!﹂
後ろから甲高く、なおかつ気の抜けるような声をかけられる。
振り返った俺の視界を染めたのは、一度見たら忘れられそうにな
いけばけばしいピンク色︱︱の髪の毛。プリシラだ。
ただ一人ではない。両隣に冒険者と思しき奴らがいる。
﹁えへへっ、またお会いしましたね!﹂
﹁会ってしまいましたな﹂
邪険にするほどでもないので俺も俺なりの挨拶を返しておく。
﹁今日はチノちゃんと一緒じゃないんですね∼。チノちゃんにも会
いたかったから残念です、ぐっすん﹂
﹁全然泣いてねーじゃん﹂
いちいちツッコむのもめんどくさい。
﹁ところで三人固まってるけど、もしかしてチームが決まったのか
1288
?﹂
﹁はい、そうなんです! 今から三人揃って闘技場で練習です! 仲良しさでは誰にも負けませんからね!﹂
﹁全員斡旋だろ﹂
どこで張り合ってるのか謎だし、どういう理屈でそうなるのかも
謎だ。
が、ここで俺はあることに気がつく。
絶えずかわいこぶったポーズを取り続けるプリシラが一人でピシ
ピシと存在感を放っているから最初意識が向かなかったが、こいつ
といる二人の顔にも、俺は見覚えがあった。
一人は豪勢な銀の鎧を着込んだ、絵に描いたようなベテラン戦士。
もう一人はプリシラよりも身長の低い、しかし巨大な鉄鎚を背負
った少女。
﹁あれ、俺たち一度リステリアで会ってるよな?﹂
﹁後姿を目にした時はまさかと思ったが、やはりそうだったか。地
下層以来になるな﹂
おっさんは﹁これもエルシード様の引き合わせか﹂と続けた。
このおっさんには第四層の休憩所で世話になったが、こんなとこ
ろで再会するとは。
﹁あんたらも闘技大会にエントリーしに来たのか?﹂
﹁そういうことだ。本当は地下層を攻略しているメンツで参加した
1289
かったのだが、正規の冒険者ではない神官の青年を連れてくること
は叶わなかったのでな﹂
﹁だからプリシラと組んでるのか。ははあ、回復役だしな、こいつ
も﹂
﹁うむ。かなりの練達とうかがっているから我々としても心強い﹂
﹁レンタツだなんて、そんなあ、褒めすぎですよう﹂
喜んでいるのかくねくねするプリシラ。
そんな感情と態度が直通しているプリシラを、ハンマー少女はに
こりともせず、つっけんどんな目線で見やっている。思考をトレー
スすると﹁うざっ﹂ってところか。
唯一まともに会話可能なおっさんは、俺に質問をしてきた。
﹁お前もトーナメントに出場するつもりか?﹂
﹁出るっちゃ出てるし、出てないといったら出てない﹂
﹁曖昧な返答だな﹂
フッ、と熟練の戦士はニヒルに笑う。
﹁エントリーの締め切りは近い。決断するのであれば、早めにな﹂
﹁忠告ありがとよ。ただ決断はもうしてるけどな。大会当日になっ
たら分かることだ﹂
俺はそう返した。
しかしまあ、名うての癒し手であるBランク冒険者のプリシラに、
ハードな第四層を潜れる実力のある武辺者二人か。
1290
短所が見当たらない。チームの総合力を考えると相当なもんだな。
注意しておかねば。
﹁模擬戦の開始が近い。我々はここで去らせてもらうよ。汝に戦い
の神ダグラカの加護があらんことを﹂
﹁お互い頑張りましょうねー!﹂
別れを告げたおっさんの広い背中についていきながら、鬱陶しい
くらいにぶんぶぶんと片手を振るプリシラ。
礼儀として俺も手を振ったが、善良な市民から同類に見られてい
ないか不安だ。
⋮⋮と。
送り出す間際になって、ついに沈黙を保っていたハンマー少女ま
でもが口を開いた。
﹁大会出るならぶっ殺すんで、ヨロシク﹂
怖っ。
1291
俺、差入する
工房隅に設置された試着室のカーテンが、サアッと音を立てて開
く。
その瞬間に俺の視線を惹きつけたのは、ネシェス周辺に広がる大
草原を連想させる、目に優しいビリジアンの布。
その布がチノの小さな身体を包んでいた。
﹁これ、本当にクジャタの毛皮から紡いだのか? 染色する時間と
かなかったろ?﹂
職人のおっさんは満足げに笑いながら。
﹁ピンと引っ張って青くして、自前の黄色に染めた羊毛とより合わ
せたのさ。女の子に着せるのに地味な茶色じゃ味気ないだろ?﹂
そう種を明かした。
一夜明けたこの日、俺はチノを連れて裁縫工房を訪れ直していた。
目的は当然ローブと三角帽の受け取りである。現物は試着室に置
いてあるから早速着てみてくれと言われたのでチノを向かわせたが、
こんなデザインになっていたとは。
﹁よった糸で編めば緑のローブと帽子の出来上がりってわけだ。徐
々に緩めながら抑えた発光になるテンションを探るのは多少手間だ
1292
ったがね﹂
クジャタの毛は負担をかけると青く光るのは知っていたとはいえ、
そんなふうに活用するとは予想していなかった。
オカマのおっさんも敏腕だったが、ここの職人も負けず劣らずっ
てことか。
気前よく製作費の1万4800Gも支払えるってもんだ。
﹁ただ肌触りはそんなによくないかもな﹂
おっさんが一言だけ添える。
﹁クジャタの毛ってのはそのままだと硬すぎて衣料には適さない。
だから他の動物繊維と混ぜてあるんだが⋮⋮どうだろう。それで隠
し切れるってわけにはいかないからなぁ﹂
分かる、分かるぞ。
俺自身クジャタの毛糸で作られた服を愛用しているからよく分か
る。
念のためチノに着心地を聞いてみると。
﹁ゴリラになった気分﹂
悪くない感想だな。
チノは喜怒哀楽のうちアタマとケツの感情を滅多に発露しないか
1293
らローブの出来についてどう思っているのかイマイチ読み取りにく
いが、翠水晶片手に姿見を眺めて﹁中々のこーでぃねいと﹂と澄ま
し顔でつぶやいていたので、気に入ってはいるらしい。
後々ミミが着られるようにと大きめに発注してあるから、背の低
いチノには少々丈が余っているものの、まあ許容範囲内だろう。
﹁でも帽子はしっくりきてるだろ? ミミは角があるからこういう
のかぶれないからな。ってことでチノに合わせておいたぜ﹂
﹁ん﹂
とはいうが、チノは三角帽をかぶり直す仕草をやめる気配がない。
これはもう本人の癖みたいなものなので今すぐに矯正できるような
ことでもないし、するほどのことでもない。好きなだけぎゅむぎゅ
むやってもらうか。
で。
この後の予定だが、俺は暇しかない。鉱山まで貯蓄を増やしに行
ってもいいし、家のリビングでまったり過ごしてもいいし、もしく
は適当に町をぶらついてもいい。
一方でチノは模擬戦に出場する予定を入れている。
先にカイとヒメリが闘技場に赴いているから合流しなくてはなら
ない⋮⋮のだが。
﹁お兄ちゃんも、来る?﹂
チノはそんな提案をしてきた。
1294
﹁俺が行ってどうすんだよ。見物ならもう初日に十分してるしなー﹂
﹁してないところあるよ。選手の控え室﹂
﹁そんなところに俺みたいな部外者が侵入できないだろ﹂
﹁できるよ。だってリザーブで登録してあるもん﹂
そういやそうだったな。
﹁じゃあなんだ、俺って扱い上は剣闘士ってことになってるのか⋮
⋮﹂
﹁そーゆーこと﹂
コクンと頷くチノ。
﹁だったらちょっと覗いてみるかな。どんな雰囲気なのか見ておき
たいし﹂
大会が始まれば俺もスタンド席ではなく、フィールド脇に立つこ
とになる。未体験の場所にいきなり放りこまれるよりは一回空気に
触れておいたほうがずっとマシだ。
てなわけで、メイン・コロシアムまで同行することに。
手ぶらじゃなんなので、途中で焼き菓子の詰め合わせを購入。
チームのスポンサーとして差し入れのひとつくらいはしてやらな
いとな。うむ。
﹁控え室、裏手からじゃないと入れないよ﹂
1295
闘技場付近に来たところで、チノが﹁こっちこっち﹂と手招きし
ながら先導する。
大人しくついていくと、そこには闘技場正面にドでかく据えられ
たメインゲートとは比較するのもおこがましいほど貧相な鉄扉があ
った。
慣れた様子で開閉するチノ。
オンボロで、蝶番が取れかけている。油もロクに差していないの
かキイキイとうるさい。
しかしながら歴史の重みもひしひしと感じられる。
数多の剣闘士が俺の目の前にある扉をくぐってきたと考えると、
途端にこのボロさが風格に様変わりするんだから不思議なものであ
る。
それはさておき、チノを追って中へ。
⋮⋮立ち入った瞬間に警備員らしき男二人と目が合った。二人し
て鋼鉄の鎧と槍を装備しており、なにかと物騒だが、これは入場審
査を行っているようだ。
馴染みの剣闘士であるチノはあっさり顔パスをもらっていたが、
俺は別。
いちいち説明しなくてはならなかった。
チノと一緒だったから話は簡単に通ってくれたが、もしこいつが
1296
いなかったら一度エントリーシートを管理している受付まで連行さ
れていたのではなかろうか。
想像するだけでげんなりする。
﹁控え室はあっちだよ。ついてきて﹂
そんな俺の心中を察する素振りもなく、チノはマイペースに先を
行く。
引き続きついていく俺。
通路もまた古びていて、しかも小汚い。床のヒビは補修されてい
ないし、壁は石材が剥き出しだ。観客の目に触れる場所ではないの
でそんなもんなんだろうが。
にしても、舞台裏を覗いているみたいで新鮮だな。スポットライ
トを浴びる表舞台ばかりが闘技場じゃないと身に沁みて実感できる。
やがて、木戸が見えてくる。
チノはそれを指差しながら何度も首を縦に振る。ここが控え室だ
と告げているらしい。
﹁開けていいの?﹂
﹁どうぞご自由に﹂
現役剣闘士の許可も降りたので、そうさせてもらった。
そこは楽屋というかロッカールームというか⋮⋮とにかくそんな
1297
感じの雑然とした大部屋だった。
ベンチくらいしか置かれているものがなく、後は利用者が持ちこ
んだ荷物程度。
楽屋泥棒が頻発しそうな臭いがするが、常に出番というわけでも
ないし、待機している者も多い。これだけの数の剣士や魔法使いに
囲まれた中でそんな不届きな真似を働くのは無謀ってもんだ。
出番待ちの奴らの中には見慣れた顔が混じっている。
もちろん赤いツンツンヘアーが目立つカイと、新しく用意した波
濤鉱のバンデットメイルとラウンドシールドを身につけたヒメリな
のは言うまでもない。
﹁⋮⋮へっ? ど、どうしてシュウトさんがこちらに?﹂
カイと並んでベンチに腰かけていたヒメリは俺を見かけるなり、
やけにびっくりした。なにやらあわあわと取り繕うような態度を取
っている。
﹁チノに連れて来てもらったんだよ。見学ついでに﹂
俺も選手待遇を受けられるらしいからな、と繋ぐ。
その間、チノはカイに近寄ってクジャタのローブを自慢していた。
﹁似合う?﹂を連呼する妹に﹁貸してもらったものなんだから粗末
に扱ったらダメだぞ﹂とお兄さんらしい注意をするカイは本当によ
くできた子である。
1298
﹁ていうかなんでそんな動転してんだよ。俺たちの見てないところ
でカイにお姉さんぶったことでも喋ってたのか?﹂
﹁そ、そ、そ、そんな痛々しいことするわけないじゃないですかっ
!﹂
あ、してたなこれ。
﹁まあいいや。差し入れ持ってきたから小腹が空いた時にでもつま
んどいてくれ﹂
菓子折りを渡すと、カイが一番に﹁ありがとうございます﹂と言
ってきた。
﹁ただ気をつけとけよ。ヒメリは独占禁止のルールを平気で破って
くるから﹂
﹁私にも分別くらいはあります! ⋮⋮あ、ありがたく頂戴はしま
すけど﹂
なんて取りとめもない会話をしていると。
﹁久しいな、旅の者よ﹂
不意に声をかけられた。
声の出所に目を向けると、これまた見覚えのある顔︱︱イゾルダ
とクィンシーがそこに立っていた。
﹁そして恩義に報いよう。耐火素材の入手方法を残してくれたこと
への﹂
1299
イゾルダは深々と、騎士道精神に満ちた折り目正しい礼をした。
その様子にカイの表情が目に見えて驚いたものに変わる。
﹁イゾルダさんと知り合いなんですか?﹂
﹁知り合いといったら、知り合いになんのかな⋮⋮﹂
狩猟区で偶然鉢合わせしただけの縁ではあるが。
なんでもイゾルダたちはあれから一晩野営し、その翌日も夜遅く
まで活動して狩猟区全域を回ったらしい。
帰ってきたのは今日の午前三時だか四時だかの朝とも夜とも言い
難い時間帯で、そのまま仮眠だけ取りギルドを経由して闘技場まで
来たとのこと。
どういうバイタリティをしているんだ。
﹁謝礼がしたい。下世話な相談になってしまうが、いくら出せばよ
いだろうか?﹂
﹁別にいらねぇよ﹂
﹁そうはいかない。恩に不義で応えていては私の気が済まないので
な﹂
﹁こんな不毛なやり取りをしてるほうが謝礼金なしよりよっぽどき
ついぜ、俺の場合﹂
﹁む、すまない。善意の押しつけになってしまったか﹂
イゾルダは畏まってみせた。
﹁旅の者がそう言ってくれるのであれば、それに殉じよう。やれや
1300
れ、私も自らの狭量を恥じねばならぬな﹂
﹁そういうのもどうリアクションしていいのか困るんだけど⋮⋮﹂
こほんと咳払いをし、俺は改めて伝える。
﹁そもそも隠すような情報でもないじゃん。だからギルドのおっさ
んにべらべら喋ったんだぜ。俺としちゃ、参加者全員が火に強い防
具を揃えてジェラルド包囲網が敷かれてくれたほうがありがたいく
らいだ﹂
﹁ふむ。旅の者は大局的な見地を持っているようだな﹂
﹁そんな大層なもんじゃないっての﹂
林の中で装備品の充実具合を称えられた時もそうだったが、こい
つは妙に俺に対する評価が高い。ありがた迷惑っていうのはこうい
う状態を指すんだろうか。
﹁あと﹃旅の者﹄とかいう呼び方はやめてくれ。すげーむずむずす
る﹂
﹁では名前で呼ぼうか。なんというのだ?﹂
﹁シュウトだ﹂
﹁よかろう。記憶した﹂
腕を組んだイゾルダは、なにやら意味ありげな視線を送ってきた。
﹁それにしてもシュウトも意地が悪い。ここにいるということは﹃
出場するつもりはない﹄という話は大法螺ではないか。先ほどの様
子だと赤髪の兄妹と懇意のようだが﹂
イゾルダは二人︵と、ついでにヒメリ︶の座るベンチに目をやる。
1301
﹁だとしたら侮れん存在になるな。彼らは一流の剣闘士。それが未
知なる力を秘めた流浪の冒険者と組むとなれば、ふふ、面白いじゃ
ないか﹂
微笑混じりのその目配せにカイは石になったように硬直する。闘
技場の花形から褒められて恐縮しているのだろう。チノは平気でク
ッキーをかじっているが。
﹁選手っていうか、監督だけどな、俺は。だからそんな嬉々とされ
ても困る﹂
﹁だが闘技大会と無関係ということもないのだろう?﹂
﹁⋮⋮まあ、そうなんだが﹂
﹁せっかくだ、袖から対人戦の興奮を肌身で感じてくるといい。今
も戦闘最中だからな﹂
ここのトップランナーから許しも得たので、クッキーを数枚手に
取ったチノに案内されるがままに足を運んでみる。
行き着いたのは、入場口に続く通路。ここが袖ってことか。
﹁反対側にもう一個ある。こっちは今日私たちの登場するほうだよ﹂
チノはそう語る。
フィールドと直通したそこには多くの人間が密集していた。知人
と立ち話する者、壁にもたれかかる者、対戦風景を覗き見る者、準
備運動に余念がない者、チームメイトらと作戦会議を行う者、黙っ
て瞑想する者⋮⋮などなど様々である。
とりわけ目を引いたのは、黒光りする棍棒を担いだ熊みたいに大
1302
柄な男。
棍棒といっても長い柄が付属していて、そして鋲が打たれている。
こんな見た目のお菓子があったな⋮⋮なんて考えながらぼんやり
眺めていると。
﹁若人よ、棍棒に興味があるのか?﹂
﹁は?﹂
武器の持ち主から声をかけられた。
それからどことなく嬉しそうな顔つきで近づいてくる。
モミアゲと顎ヒゲの繋がった毛深い容貌をしていて、顔まで野生
の熊みたいだ。三十代から四十代と見られる中年男性のまともに手
入れされていないヒゲ面をアップで拝まされる俺の気持ちにもなっ
てもらいたい。
﹁棍棒に興味がおありかな?﹂
﹁いや、そんなには⋮⋮﹂
﹁やあやあ、皆まで言わずとも分かろうとも。並々ならぬ興味があ
るからこそ俺の棍棒に釘付けになっていたんだろうからな﹂
俺の棍棒っていう言い方はやめろ。
しかしその話しぶりから分かったが、どうやら棍棒のよさについ
て説きに来た様子。
﹁棍棒はいいぞ。近頃の冒険者は魔法や刃物に対する耐久性ばかり
1303
を防具に求めがちだが、そこに強烈な打撃をお見舞いしてやるんだ。
流行の薄い金属板を貼り合わせるタイプの鎧なんかはひとたまりも
ない。つまりだ若人よ。棍棒は、いい﹂
﹁お、おう⋮⋮﹂
返答に窮する。どうでもよすぎて。
﹁棍棒の長所はそれだけに留まらない。ダメージの安定性という観
点で見てもだな﹂
⋮⋮って終わりじゃなかったのかよ。
まだ続くとか拷問なんだが。
そんな危機を救ってくれたのは、群を抜いて厳つい風貌の男︱︱
クィンシーだった。
﹁ゴードンさん、雑談はその辺にしておきましょう。もうすぐ僕ら
の出番ですから﹂
﹁おや、もうそんな時間か。待ち侘びるかと思ったが案外すぐだっ
たな﹂
ゴードンと呼ばれた男は空き地みたいに広い後頭部をポリポリと
かく。
助かった。マジで。
それにしても、顔面の半分に凶悪極まりない刺青を入れた悪党じ
みたルックスだというのに相変わらず物腰穏やかな奴だ。
1304
ん? でも待てよ、僕らってことは⋮⋮。
などと思索を始めた矢先、クィンシーの後ろから堂々たる足取り
で通路を歩いてきたイゾルダが顔をのぞかせ、予感どおりの言葉を
告げる。
﹁そうだ。彼が我々のチームの三人目だ﹂
1305
俺、傍観する
﹁このおっさんが?﹂
﹁ああ。彼は闘技場随一の鈍器の使い手。信頼の置ける仲間だ﹂
正直、意外である。
何度も耳にしてきたように剣闘士は観客を沸かせるのが役目。
なのに華のある見た目をしているのはイゾルダだけで、一人は痩
せ細った強面、一人はむさ苦しい中年男性だ。
だがイゾルダは﹁剣闘士の中でも屈指の実力者を集めた﹂と語る。
勝利にこだわったチームってことか。
﹁ゴードンのおじちゃん、すっごく強いよ﹂
と下から聞こえてきたように、チノのお墨付きも得ている。魔法
使いじゃないからか腕の評価基準にも色眼鏡がかかっていない。
﹁ネチネチしてるけど﹂
人物評も的確だな。
﹁時間だ。参ろうか﹂
前試合の決着を確認したイゾルダの号令に沿い、三人は闘技場の
1306
職員らしき面々から渡された不殺の呪縛状態を維持する腕輪をはめ
てゲートをくぐっていった。
それにしてもメンバー構成を見ただけでなんとなくそのチームの
戦術ってやつが分かってくるな。イゾルダの元素魔法による角度を
変えた攻撃手段があるとはいえ、基本的には肉弾戦をメインに据え
ていると考えて間違いあるまい。
とりあえず模擬戦の様子を見て答え合わせをしてみるか。
⋮⋮なんて考えている間に、窮屈なフィールド袖に詰めかけた人
数が倍以上に膨らんでいた。最強の剣闘士と誉れ高いイゾルダの腕
前を間近で見ておこうと、初めてネシェスに来た連中が主に押し寄
せているのだと思われる。
そのガヤの中にはヒメリもちゃっかり混じっていた。
俺とチノを見つけたのかこちらに走り寄ってくる。
﹁いつからいたんだ?﹂
﹁そうですね。シュウトさんが棍棒について力説を受けていたあた
りからでしょうか﹂
﹁あそこからかよ⋮⋮ってか、お前出番まだなんじゃないの?﹂
﹁学べる機会を見過ごすわけにはいきませんから﹂
そう答えるとは思った。
わざわざ俺の顔を指差しながら言う必要はあったのか不明だが、
それはともかく。
1307
﹁始まりそうだぜ﹂
フィールドへと視線を戻す。
練習に過ぎない模擬戦ということもあり、場内アナウンスなどの
派手な仕掛けは今日はない。客入りもまばら⋮⋮といっても千人く
らいはいる。全席無料というのもあるが、選手の仕上がりをチェッ
クしようというコアなファンがこれだけいることに驚かされる。
さて。
イゾルダたちはほぼ並ぶようにして布陣していた。真ん中に陣取
るゴードンだけが他の二人に比べてやや前に出ているか。
相手は装備品を参照する限り、前衛が二人に後衛の魔法使いが一
人。バランスの取れた編成といえる。菱形の盾と短めの槍を構えた
がっしりした青年がチームの中心らしく、しきりに発破をかけてい
た。全員男なので応答の声も野太い。
歓声もない中、開始を告げる鐘だけが鳴り。
本番さながらの激闘が幕を開ける。
しかしながら﹃激闘﹄と呼ぶには、少々イゾルダ側が優勢すぎる
ように思えた。
﹁ぬおお、りゃああああああああっ!﹂
こっちにまで届いてくる地鳴りじみた大声を上げながら先陣を切
ったゴードンが、迎撃に怯むことなく盾と鎧で防御を固めた戦士に
1308
襲いかかり、相手の思い描いていた戦略を初っ端からかき乱したの
がまずは理由の一つ。
棍棒によるフルスイングをくらわせて戦士を打ちのめし、敵の守
勢をあっという間に崩壊させたのが二つめだ。
見るからに重そうな金属製の棍棒を軽々扱っているんだから、お
ぞましい怪力である。
倒れた男の治療に手を割かれ、後衛の魔術師が攻撃に回れないと
見るや、俊敏なクィンシーが一気に間合いを詰める。
﹁再生魔法の使える方を先に倒すつもりでしょうね。定石といえま
す。支援経路を断てば長期戦に持ちこまれることは避けられますか
ら﹂
ヒメリがドヤ顔で解説してきたが、そんなのは俺でも分かった。
が、当然のようにもう一人の前衛にブロックされる。
それでもまだイニシアチブを握っているのはクィンシー。白銀の
細剣で素早い突きを放ち、反撃の隙も与えずに制圧する。
そうする中でも、催し事じゃないとはいえ客前ということもあり、
随所で舌を出したり首切りポーズを取ったりしているのがプロ根性
だな。
前回目にした時はアホみたいに強いジェラルド相手ということも
あって特にいいところもなく敗れていたが、こうして見ているとこ
いつもまた凄腕なのがよく分かる。
1309
ただ戦局をコントロールしているのは、やはりというべきかイゾ
ルダだった。
二人が躊躇なく隣接をしかけられたのも、イゾルダが唱えた地走
りのような魔法が近づくまでの隙を埋めたためであろう。
して、そのイゾルダだが。
先手を打って一対一の状況を作り上げることに成功したからか、
妨げられることなく魔術師の下に向かえていた。
藤色の刀身が美しいロングソードを勇ましくかかげるイゾルダ。
魔法﹃が﹄専門の者と、魔法﹃も﹄扱える剣士。近距離戦になっ
た際にどちらが有利かなんて、コーラを飲んだら云々を語るまでも
なく答えを導き出せる。
袋小路に追い詰めたネズミがヤケクソを起こす前に、猫⋮⋮じゃ
なくてイゾルダは冷静に足を払って尻餅をつかせ、剣先を突きつけ
る。
唇の動きから推測する限り、終いだ、と宣告しているように見ら
れた。
呪縛如何ではなく無用な怪我をさせる気はない、ってことか。
いちいち所作が様になっている。情熱的な台詞がない分、逆にク
ールだ。別に芝居がかった台詞なんてなくても人気取れたんじゃな
いのか、こいつ。
1310
模擬戦を終えて戻ってきたイゾルダたちは腕輪を職員に預け、颯
爽と控え室へと繋がる通路を抜けていった。
⋮⋮すまん、嘘だった。颯爽としていたのはイゾルダだけで、ク
ィンシーは戦闘中とは豹変して丁寧に頭を下げながら退場していっ
たし、ゴードンは汗を拭いながら﹁これが棍棒の威力だ﹂と自慢し
て回ってたわ。
それはさておいて、である。
﹁見ましたか? シュウトさん。これが剣闘士の最先端ですよ!﹂
﹁そりゃ見たけど、それにしたって興奮しすぎだろ﹂
﹁冴え渡る技の数々を前にして興奮を抑えろというほうが無理難題
です。ゴードンさんのパワー、クィンシーさんのスピード、それら
を束ねるイゾルダさんのテクニック。すべてに拝見する価値があり
ましたね。またひとつ成長させていただきました﹂
一部始終を見届けたヒメリは感心しきりといった様子だ。
確かに個々の力量が優れているのは語るまでもない。
で、チーム全体でのプランだが、ヒーラーがいない構成というこ
ともあり、泥仕合になる前に速攻で勝負を決めようという思惑は見
て取れた。
攻めに偏重した、という意味ではカイ・チノ・ヒメリのチームも
同様。
﹁あー、だからそんなに見入ってたのか﹂
1311
参考にしているわけだな。
﹁でも私、ちょっとだけならヒールも使えるようになったよ﹂
コートの裾を引っ張りながらチノが会話に割りこんでくる。
﹁つまり、﹃じょーいごかん﹄なのでは?﹂
大きく出たな、おい。
しかしヒメリはその負けず嫌いな言葉を真摯に受け止めていた。
﹁⋮⋮ふふ、そうですね。まったくもってチノちゃんの言うとおり
です。見習うだけではなく、超えなければいけません﹂
﹁ん。その意気﹂
﹁共に励んでいきましょう!﹂
結束を固めているらしかったが、端から見ている俺は﹁めでたい
姉妹だな﹂という感想を抱いていた。まあ前向きとも言い換えられ
るわけで、そのことで一致してチームワークを高めてくれるのであ
れば俺としてもありがたいことではある。
それから十数分経って、本当の兄ことカイがやってきた。
もうじき出場順らしい。ヒメリにそのことを伝えながら、三角帽
をぎゅぎゅっと押しこんで表情は変えないなりにやる気をみなぎら
せたチノに忠告する。
﹁チノ、危なそうだったらオレやヒメリさんに任せるんだぞ。普段
1312
と違ってチーム戦なんだから無茶しなくていいからな﹂
﹁お兄ちゃん、この前もそれ言ってた﹂
チノは不服そうに頬を膨らませる。
兄という生き物が妹に対して異常に心配性なのはどの世界も共通
のようだ。
﹁行きましょう、二人とも﹂
兄妹特有の会話を交わす二人を、先に登場ゲート付近まで進んで
いたヒメリがお姉さんぶった口ぶりで呼ぶ。
めちゃくちゃ気取っていたが、さっき見たばかりのイゾルダの模
倣なのは明白だった。
さておき、俺としては手首に制限用のリングを取りつけてフィー
ルドに降り立つ三人を見守ることしかできない。
一度始まってしまえば指示の声を飛ばす以外に手出しのしようが
なく、下準備だけして後は祈るのみ、というのも焦らされる。
大会当日もこんな感じと考えると妙に不安と緊迫感があるな。
とりあえず、こちらと相手側の隊形を確認。
自軍はただ一人合金製の防具を装着したヒメリを先頭にして、カ
イがやや下がった位置に陣取っている。チノはその更に後方だ。
対する敵軍は魔術師の男を頂点にした正三角形の陣形を取ってい
1313
る。前にいる二人はどちらも気の強そうな女剣士で、量産型ヒメリ
って感じだ。ただしここで我が軍が負けるとヒメリのほうが量産型
になってしまうので、それはそれで面白い⋮⋮ではなく、あくまで
模擬戦とはいえ頑張ってもらいたいところである。
鐘が鳴り響くと同時に、女の片割れが両手剣の先端を下げて果敢
にダッシュ。
一方のヒメリは腰に取り付けた鞘から鉛色の剣を抜いた。
地脈鉱のスパタだ。抜くと同時に顔の前にかざし、秘められた魔
力を解き放つ。
自身と、そしてカイとチノの足元から耐久力を引き上げる光が沸
き起こった。
防御が固まったことを確認し、ヒメリは戦闘準備に入る。
切り込み隊長の女剣士が繰り出した挨拶代わりの一撃を、片腕に
装着したラウンドシールドで阻止。そのまま軌道を逸らして肩透か
しをくらわせようとする。
だが盾が刃を止めている時間は極めて短く、相手剣士は次なる一
手を放つ。
懸命についていくヒメリ。
両手持ちの長剣を握っていた時に比べると、動きはぎこちない。
盾にしても片手剣にしてもまだまだ不慣れな点が透けて見える。
1314
それでも一週間少々で身につけたにしては十分すぎる技術だ。
これを付け焼き刃と揶揄する勇気は俺にはない。そもそも俺は数
ヶ月経ってもまだ素人剣法なんだし。
しかしながらもう一人の女剣士が駆けつけてくると状況は一変。
配置と装備を見て、ヒメリが戦線を支えていると向こうは考えた
のだろう。
ここさえ真っ先に崩してしまえば︱︱ってわけだ。
女が三人寄っているが、なるほど確かに姦しい。そのうち二人が
敵という事実に目をつむるわけにはいかないが。
二対一、ともなれば、取り回しのいいスパタと盾を駆使しても、
相手の斬撃のすべてを受け止め切るのは困難だった。スパタの追加
効果とレアメタルで製造された鎧の合わせ技のおかげで、それでも
ヒメリは耐えられていたが、押されがちになっている。
チノはチノで相手の魔法使いと派手に撃ち合っていた。フィール
ド上のいたる場所で両者が放った魔法同士が相殺し、色とりどりの
火花と煙が散っている。
劣勢のヒメリと五分のチノ、合わせて若干の不利といったところ
か。
だがそれはこちらが二人だけの場合に限った話。
相手側に傾いていた戦局を打破したのは、ヒメリの懸命な戦線維
1315
持によってフリーな立ち位置を得られていたカイだ。
唱えたそばから魔法が相殺されていく中、長方形のフィールドを
突っ切っていく。
目指す先は敵地の魔術師。相手の剣士二人もその兆候を察し、急
いで防衛に回ろうとするが、ヒメリがくらいついて離さない。
﹁ははあ、そういう作戦か﹂
ようやく手の内を理解した。
接近戦を挑んできた相手はヒメリがさばきつつ、魔法による遠距
離攻撃はチノが対抗して無力化することで、カイが動きやすい状況
を作っているのか。
ってことはカイをメインのアタッカーに据えているわけだな。
﹁でぇやああっ!﹂
そのカイの、若さと気概に満ちた声が響き渡っている。
魔術師の居場所まで辿り着いたカイが一太刀浴びせて戦闘不能に
陥らせると、今度はそれまで張り合っていたチノの手が空く。
分の悪いヒメリに加勢するのは自然な流れだ。猛攻をしかけてい
た女剣士たちはチノが、例によって小声で詠唱して生成した水流に
弾き飛ばされる。
待ち受けていたカイがそのうちの一人にフランベルジュを叩きこ
1316
み、軽く昏倒させた。
ここで戦況を再確認。
残るは三人対一人。そしてヒメリが負ったダメージはチノがつた
ないなりに再生魔法で取り去っている。
これはもう、勝負ありだろう。
相手も敗北を認めて剣を下ろした。
積み重ねた練習の成果が出てる⋮⋮んだろうか。俺はそこまでは
関与してないから知りようがないが、カイとヒメリがハイタッチを
交わし、チノが無表情のまま胸を張っているのを見る限りは、三人
とも手応えを感じているのは間違いなさそうだ。
﹁ここがチーム戦の難しいところですね。相手の方はセオリーどお
りに各個撃破を目論んだのに、結果的に先に一枚落とすことになっ
たんですから。戦略、戦術、戦法というものは難解極まりません﹂
通路まで戻ってきたヒメリはドヤ顔解説を決めてきたが、さっき
の作戦を頭のよろしくないこいつが発案したかどうかはかなり疑わ
しい。カイの提案と予想しておくか。
1317
俺、会食する
合宿十三日目の夜。
俺は酒場の隅の席で、酸味の角が取れたワインをキュッと一杯引
っかけていた。
寂しい一人酒⋮⋮というわけではない。香草がふんだんに使われ
た料理が所狭しと並ぶ円卓を囲んでいるのは、ミミ、ホクト、ナツ
メの三人もだ。
だが料理にはまだ手をつけていない。フォークとナイフがフテ寝
する中、うまそうな匂いに鼻を誘惑されながらも、渇いた喉に酒を
流しこんでいるだけに留めていた。
もっとも、その段階でも楽しみがなくはなかった。
たとえば隣の席に座るミミ。
甘い蜂蜜酒を飲むミミの、ほんのりと赤く色づいた頬はいつ見て
も艶かしい。
﹁ふっ、このキレのある後味がたまりませんにゃ﹂
とナツメは負けじと決めてみせたが、こいつのカップに注がれて
1318
いるのは膜の張ったホットミルクなので、キレとかそんなものがあ
るはずもない。むしろあったら怖い。
それにしても、凄い客数である。
全席満席なんてそうそう見れたもんじゃない。
カイが言っていたが三日後には闘技大会の事前エントリーが打ち
切られるとのことなので、町に詰めかけた冒険者の数がピークに達
しているのだろう。
﹁今が一番人の集まるシーズンだからね。かき入れ時ってやつさ!﹂
とは、先日緋銅鉱のタワーシールドを買い直しに行った防具屋店
主の弁。
で、なぜこんなところにいるのかというと。
人を待っていた。具体的に名前を述べると、カイ、チノ、それか
らヒメリ。
カイとチノはこの日、闘技場で行われるイベントに参加していた。
といっても前回のような出場選手の入り乱れた中規模イベントで
はなく、ランキングマッチといって、ネシェスで活動する剣闘士内
の序列を決める試合とのこと。
言うなれば闘技場の平常営業である。
そんなわけでカイとチノは朝から出かけていたのだが、二人の様
1319
子が気になるのかヒメリも観戦に行っていた。
まあそのおかげで俺も馴染みのメンツで鉱山での金策に励めたん
だが。
ってな具合に、全員が全員外出するということで、どうせなら晩
飯も外で済ませようと今朝七人揃っているうちに話し合って決めた
わけだ。
スポンサーらしく、豪気に俺のおごりで。
店はカイが行きつけの酒場を紹介してくれた。
本人は一滴たりともアルコールを口にしないが、出す料理が絶品
だという。
問題はヒメリが食う量に伴う手痛い出費だが、今日は四人で出稼
ぎに向かえたこともありノルマを超える資金を得られている。その
くらい屁でもないだろう。
﹁いや、そこまで無茶苦茶な金額にはなりませんからね!﹂
なにやら必死に訂正してくる声が聞こえてきたので顔を上げると、
ビシッと指を差すお決まりのポーズを取ったヒメリがいた。
すぐ後ろにカイとチノの小さな姿が見える。三人一緒に入店して
きたのか。
﹁あれ、もしかして声に出してたか? あいつの食費を貯金に替え
たら四ヶ月目で家が建つな、みたいに﹂
1320
﹁一字一句違わず覚えてるじゃないですか! 完全に意図的でしょ
う!﹂
からかうと毎回ムキになってくるから、こいつは落ち着きがない。
精神的な成熟度でいうとカイのほうがよっぽどだ。
﹁すみません、遅くなりました﹂
到着時刻が伸びたことを律儀に謝るカイと、兄を真似して軽く頭
を下げるチノ。
﹁別にそんな待ってないけどな﹂
﹁自分も主殿に同じです。それよりも今日はお疲れ様であります、
お二方とも﹂
かろうじて呂律を保てている赤ら顔のホクトが空のカップにハー
ブティーを注ぎ、二人の席の前に置いた。柑橘類に似た匂いが湯気
に乗って漂ってくる。
﹁全然甘くない⋮⋮﹂
チノ的には好きな味じゃなかったらしい。
一方のカイは乾杯後、疲労回復作用のあるハーブティーをすすっ
てほっと一息つくと、今日の結果を報告してきた。
﹁オレとチノも勝つことができました! なんとか降格しないで済
みましたよ。これで報酬の大きな後半の試合を次からも任せてもら
えます﹂
1321
嬉しそうに紅色の瞳を輝かせて語るカイ。
俺は﹁へえ﹂とか﹁ほう﹂とか適当に相槌を打ちながらそれを聞
いた。
ところで、今日のカイが身につけているのは自前の皮鎧と鋼鉄製
の剣である。
なんでも闘技場界隈におけるランキング維持は、それが剣闘士の
日常である以上自分の実力だけで勝ち取りたいんだとか。
志の高い奴だな。
しかし妹のほうはそんなことはお構いなしに、新品のローブに袖
を通していた。
多彩なハーブをまぶした骨付きのチキン︵らしき肉︶に夢中でか
ぶりついているから、口の周りが脂でベトベトになっている。
それをいちいち濡れた布で拭き取る兄。随分と慣れた手つきだっ
たので、ここで肉料理を頼んだ時は毎回こうして世話を焼いている
のだと思われる。
ただまあ、チノがこの香草焼きに首ったけになるのも分からなく
はない。
全員分注文しているから俺も味わっているが、なんといっても焼
き加減が最高で、パリッとした皮面を歯で突き破った瞬間に肉汁が
こぼれ出し、そしてしっとりとした柔肉の質感に得も言われぬ歓喜
1322
を覚えさせられる。
ただ若干塩味がきつい。一日汗をかく剣闘士向けの食事ってこと
か。
冒険者らしき連中がこの店に押し寄せているのも、なるほど理解
できるな。
しかしながらヒメリが早くもおかわりを頼んでいるのは、まずも
って理解しがたい。
﹁食うのはえーよ﹂
﹁ふっふっふ。今晩はシュウトさんにご馳走に与れるということで、
たくさんお腹を空かしてきましたからね。完璧な受け入れ体勢を整
えています﹂
そう澄ましてワイングラスを傾けるヒメリ。本人の中ではエレガ
ントに振る舞っているつもりなんだろうが、背伸びしているだけに
しか見えなかった。真の淑女は空になった皿なんて積み上げないか
らな。
⋮⋮と、ここで新たな来客が現れた。
テーブル席は満杯なのでカウンター席へと案内されていく。
三人連れのそいつらは格好を見ただけで冒険者だと判別できる。
中心には俺とそう歳の変わらない男がいて、両隣を若い女二人が固
めている。一人は青紫色のローブを着こんだ﹁いかにも﹂な魔術師
で、もう一人は剣を腰に差したショートカットの戦士。どちらも相
当の美人で、店内を歩くだけで男性客の視線を引き寄せるほどであ
1323
る。
なにがアレって、その両方の腰に真ん中の男は手を回している点
だな。
席に着くとそのスケベさは更にエスカレートし、不適な笑みを浮
かべて女魔術師の顎の下を指先ですっと撫でたり、かと思えば女戦
士の肩を抱き寄せ、必要以上に密着してメニュー表に目を通すなど、
大胆な行いを臆面もなく取っている。
﹁相変わらず、柔らけぇ胸だな﹂
隙間なくひっつきながら、そんな発言もしていた。
どこをどう切り取って見てもセクハラ紛いの行動なのだが、され
ている女は嫌がるふうもなく、むしろ嬉しそうにしているもんだか
ら、酒場に集った男性諸君は嫉妬の涙を噛み殺していた。なにより
男のほうが自信にみなぎった表情を貫き通しているので、いやらし
くはあるが不思議と不快感はなく、いっそ痛快なオーラを漂わせて
すらいた。
まあ傍目に見ている俺からすれば、人前でご苦労なこったという
感想だ。
羨ましいという感想はないぞ。決して。
が、ヒメリはカウンター席の光景にわたわたと慌てた反応を示し
ている。
カイとチノの視線を遮るように手をかざしながら。
1324
﹁お、お二人とも、見てはいけません。シュウトさんでもギリギリ
なんですから!﹂
﹁俺が情操教育に悪いみたいな言い方はやめろ!﹂
ってか、お前が一番赤面してるじゃねーか。
というか。
﹁あいつ、一回見たことあるじゃん﹂
俺は改めて﹃その男﹄の外見的特徴を抜き出す。
男のくせに小洒落たリボンを巻いた栗色の長髪に、背中にくくり
つけてある目が痛くなるくらいに真っ赤な剣。魔術師にお酌しても
らっている時の余裕に溢れた表情。
ヒメリも察したのか﹁あっ﹂と声を漏らした。
間違いない。
ジェラルドだ。
﹁成功者みたいな雰囲気出してると思ったら、そういうことかよ﹂
転生直後の夜、モテる冒険者の条件というものを身に沁みて学ば
された。Aランクにまで到達しているというあいつがハーレムを築
き上げていてもおかしくはない。
﹁富と名声の次は女って、分かりやすい行動原理だな﹂
1325
分かりやすすぎて逆に好感が持てる。
﹁し、しかしです、世界に十一人しかいないAランク冒険者の方が
⋮⋮あのようなただれた私生活を送っているとは⋮⋮﹂
一度頭の整理をさせてください、とヒメリは申し出る。
恐らくだが、闘技場で目にした憧れの剣士が、こんな女好きだと
は想像していなかったのだろう。どこまで純真なんだこいつは。俺
から言わせてもらえば、男という欲と本能に忠実な生き物になにを
期待しているんだという感じだが。
そうやって呆れていると。
﹁勝手に幻滅されても困るな。俺は皆の模範になったつもりなんか
ねぇぜ﹂
こちらの会話が聞こえていたらしい。
自信満々の顔つきを微塵も崩すことなく、ジェラルドが視線を向
けてきた。
1326
俺、推挙する
﹁それと、九人だよ。一人は闘技大会優勝の肩書きを手に入れた途
端尻尾振って騎士団に売り込みかけやがったし、一人はとっくに廃
業して田舎に帰ったと風の噂で耳にした。ま、その九人にしたって、
まともに動いてるのが俺以外に何人いるかはロクに知れたもんじゃ
ないがね﹂
どうやら会話の内容は筒抜けだったようで、パーフェクトな補足
を加えられる。
﹁しっ、失礼しました!﹂
ヒメリは起立し、急いで頭を下げる。
というか、詫びる態度を抜きにしてもガチガチに緊張していた。
表情は硬いし、肩肘も強張っている。こいつにとっちゃAランク
冒険者ってのは雲の上の存在なわけで、言葉を交わすだけでも心拍
数が跳ね上がるらしい。
それはカイにしても同じだった。自分たちのテーブルにトーナメ
ントの優勝候補筆頭に数えられるジェラルドの視線が向いたという
だけでそわそわとしている。チノはなんら気にすることなくパンに
べたべたと砂糖で煮詰めたジャムを塗りたくっているが。
もっとも当のジェラルドはまったく気分を害したような感じはな
く。
1327
﹁謝るようなことじゃねぇよ。人からどう思われるかいちいち気に
してたんじゃ、こんなふうに気軽にこいつらを抱き寄せることもで
きやしないからな﹂
そう言って両隣の女二人の肩に腕を回した。
器が広いのか、ただ単にスケベ根性が強すぎるのか分かりづらい。
﹁謝る暇があったら、お前さんも惚れた男の腕の中で幸せ噛み締め
ときな﹂
伊達男にしか吐けない台詞を平気で口にするジェラルド。
当然のようにヒメリは赤面し、ますます受け答えがしどろもどろ
になる。
﹁なっ、なにを仰るんですかっ。私にそのような方はまだこの大陸
のどこにも⋮⋮﹂
﹁そこにいるじゃんか﹂
いちいち言わせんな恥ずかしい、みたいな顔つきでジェラルドが
指差した先は︱︱あろうことか俺だった。
﹁はぁ? いや、そういうんじゃなくてだな⋮⋮﹂
﹁なっ、ななななななっ!? ちちちち違いますよ!? 私はこの
人とはなんの関係も、いえまったくの無関係というわけでもないの
ですがっ、と、とにかくそのようなハレンチな関係では決してなく
てですねっ!﹂
1328
俺が直々に否定するまでもなく、頭から湯気を立ち昇らせながら
ヒメリが全力で手と首をぶんぶんと横に振っていた。
こっちで説明する手間が省けて助かるのだが、そこまでキッパリ
と全否定されると、その、なんと言いますか、男として微妙に切な
い。
﹁ん? 違うのか。女子供の中に一人だけ野郎がいたから、全員そ
いつの子飼いなんじゃねーかと思ったが﹂
﹁そういう周囲の誤解を招くような憶測はやめてくれ﹂
まあ半数は実際にそうなのだが。
﹁⋮⋮こほん。そ、それよりですね、ジェラルドさん﹂
ようやく落ち着いたらしいヒメリが、息を整えてから﹃ずいっ﹄
と切り出してきた。
﹁袖触れ合うもなにかの縁、とは申しますが⋮⋮この機会に是非と
もお話したいことがありまして﹂
﹁面の皮凄いな、お前﹂
﹁シュウトさんは静粛にお願いします!﹂
ジェラルドに対してはやたらと折り入った態度を取るくせに、俺
の入れた茶々にはいつもどおりに子供っぽく頬を膨らませるヒメリ。
﹁私も火の中に飛びこむような心境なんですからね! 厚顔は承知
の上ですけどチャンスは今しかないんですから!﹂
﹁分かった、分かったよ﹂
1329
小声で交わされる俺とヒメリのやりとりに、ニヤニヤと口角を上
げながらジェラルドは聞き返す。
﹁なんだ? 男はともかく女の子の話ならなんだって聞いてやるぜ。
どうせ飯が来るまで暇だしな。⋮⋮いや、スマン。なんだってはち
ょいと言いすぎた。明日の天気みたいなしょうもない話をされるく
らいならソテーの焼き上がりを待ってたほうがマシだからな﹂
﹁うっ、もしかしたら退屈な話かも知れませんが⋮⋮﹂
ヒメリは緊張の面持ちを浮かべたまま。
﹁⋮⋮私はフィーの町から出てきたヒメリという者です。尚武を掲
げる剣士として、冒険者の最高階梯であるAランクに到達したあな
たに、ひとつお聞かせ願いたいことが﹂
﹁ふんふん﹂
﹁いかなる心構えをもってして、その強さを身につけられたのでし
ょうか? やはり最強という誉れや、末代まで残る富を勝ち取るた
めに⋮⋮﹂
﹁そんな真面目くさった動機のわけあるかよ﹂
と、ジェラルドはバッサリ切り捨てて。
﹁俺が冒険者の道を究めてるのは、モテたいからだ﹂
一切の躊躇なく断言した。
﹁世界中のいい女を抱く。それがこの俺様の野望なんでね﹂
いわく、旅の目的も各地に現地妻を作って回るためとのこと。
1330
そこまで堂々と語られると逆に清々しさすらある。
﹁でもそれ、よくツレの女の前で発言できるな⋮⋮﹂
﹁こいつらだって理解してるのさ。手元に置いておくってことは、
それだけ深く愛しているってことなんだからよ﹂
サラッとそんなフォローを口にして両脇に抱えた二人をとろける
ような表情にさせるあたり、こいつはデキる男である。
両手に花どころじゃない数の女に囲まれた冒険者といえば、俺も
一人知っている。風車の町で出会ったヤンネだ。だがあいつは︵け
しからんことに︶無自覚のハーレム体質であって、こっちは積極果
敢に手を広げているようだから、微妙に差異はあるが。
ただひとつ共通しているのは、連れている女たちが目をハートに
していることだな。
圧倒的な力と絶対的な地位。心酔する女がいてもおかしくはない。
それにしても、なんて分かりやすい奴なんだ。 妙に親近感が湧くのは気のせいだろうか。質問者であるヒメリは
口をぽかんと開けて﹁ええ⋮⋮﹂みたいな顔をしているものの。
﹁ってことは、闘技大会に参加するのも似たような理由か?﹂
﹁そういうこった。賞金にゃ興味はないが、コロシアムの覇者なん
て、最高に女が寄ってきそうなステータスじゃないか﹂
うーむ、筋の通った行動理念である。
1331
俺は今の今までジェラルドという冒険者を貯金箱ゲットを妨げる
最大のお邪魔虫だと疎んじていたが、こうして実際に顔を合わせて
人となりを知ってみると、むしろ一本気で個人的には好感の持てる
男である。
欲望だけでAランクまで至ってるんだから天晴れとしか言いよう
がない。
﹁二年前はドチビのクソ女に不覚を取ったが、今回はそうはいかね
ぇ。ああ、クソッ、話題にしたら思い出して腹が立ってきた。くだ
らない呪術でハメてきやがって⋮⋮﹂
けどだ、とジェラルドは続ける。
﹁チーム戦だからか知らないが、エントリーが締め切られる間際の
今になっても姿が見えやしない。まあ、見るからに陰気そうで友達
とかいなさそうだったしな、アイツ﹂
相変わらずの直球な表現で悪態をつくが、どことなく悔しさの滲
んだ口ぶりだった。リベンジの機会が巡ってこなかったことを惜し
んでいるのだろう。
﹁その点俺は幸運だ。誰よりも信頼を置いてくれる奴らがすぐそば
にいるんだからな﹂
﹁じゃあなんだ、あんたはその二人と組んで出場するのか?﹂
﹁当然。俺がこいつらを見捨てるわけないだろ?﹂
その言葉にますます目をとろんとさせる魔術師と戦士。
とはいえ、この男の話を聞く限りだと、二人が腕を見込まれて旅
1332
の仲間に誘われているとは到底思えないので、戦力としては微妙な
のではなかろうか。
具体的に言うと顔とか胸とか、あと腰周りで選ばれている気がし
てならない。
いい趣味してやがんな、というオスとしての正直な意見はこの際
脇にどけておく。
それでもジェラルドの表情には大会に対する不安が一切浮かんで
いないあたり、自分自身の実力に絶対の自信があるのだろう。
﹁⋮⋮ところで﹂
﹁どうした? 生憎男の質問にはよっぽど面白くない限りは答えら
れないぜ﹂
﹁世界中の美人を見てきたあんたのお眼鏡だとヒメリも合格点にな
るわけ? こいつ、顔だけならいい線いってるだろ﹂
ふむ、とジェラルドは興味深そうに軽く頷いてから、﹁なにをド
サクサに紛れて変なことを聞いているんですか!﹂と俺の側頭部を
ムキになってぽかぽかと殴り続けるヒメリを数秒間だけ凝視した後。
﹁俺は青いリンゴは食わない主義なんだ﹂
⋮⋮とだけ余裕に溢れた笑みで言い残し、ようやく運ばれてきた
香り高い料理の皿に視線を戻すと、以降こちらに目を向けることは
なかった。
1333
俺、感謝する
﹁まったく、シュウトさんは本当に、デリカシーという概念が欠落
してますねっ!﹂
会食を終えて店を出た後も、ヒメリはまだおかんむりだった。
弱めの酒を二杯飲んだだけで酔い潰れてしまったホクトを、それ
はそれは重そうに支えるナツメが前を行く中で、俺の鼻っ面にビシ
バシと人差し指を突き出してくる。
﹁世界屈指の剣士であるジェラルドさんの前であのようなことを⋮
⋮﹂
﹁綺麗な顔してるだろってやつ?﹂
﹁そうです! 目や口から火が出るかと思いましたよ、本当に﹂
言葉どおり、今もまだヒメリは赤面がちである。アルコールのせ
いだけではないだろう。
﹁俺は褒め言葉のつもりだったんだけどな﹂
﹁そ、そういうのは時と場合を⋮⋮じゃなくてですね! 騙されま
せんよ!﹂
ヒメリは喜怒哀楽を数秒刻みでせわしなく切り替えていたが、別
に俺は思ってもいないことを口にしたわけではない。
こいつはルックスだけ見ればいい線なのは間違いのない事実だ。
1334
鈴のように真ん丸としたオレンジ色の瞳といい、健康的で瑞々し
い肌といい、照れや恥じらいといった内面を素直にさらけ出す表情
の豊かさといい、鎧を脱いでおしとやかにさえ振舞っていれば相当
に魅力的に男たちの目には映るだろう。
問題はその﹃おしとやかさ﹄ってのが、こいつとは対極に位置す
る点だが。
うーむ、それにしても。
改めて気づかされるが、俺の周りにいる女は総じて容姿に秀でて
いる。
ミミ、ホクト、ナツメ。獣人であるこいつらは、それぞれタイプ
は異なるが際立った容姿の持ち主だ。並の男なら同じ空間にいるだ
けで心臓の高鳴りを覚えるだろう。
それは俺も含めて⋮⋮なのだが、仕草や表情にドキッとさせられ
ることはあれど、三人とはそれなりに長い付き合いになるのでさす
がにある程度は慣れている。
とはいえこの美人揃いのひとつ屋根の下で暮らしている男は俺だ
けではない。
カイもである。
十六歳といえば思春期も思春期なわけで、そりゃもう煩悶とした
感情を抱えているはずなのだが、カイは意外なほどピンピンしてい
た。あいつの置かれているエロゲー主人公じみた状況を考えたら毎
日前かがみになって過ごしていてもそう不思議ではなかろうに。
1335
参考として俺が十六歳だった頃のことを思い出してみる。
⋮⋮。
猿よりはマシ、といったところか。
かろうじて二足歩行の生き物としての威厳は保たれていたと信じ
たい。
合宿を開始して十七日目の朝。
そのカイに誘われて、俺は闘技場前の屋台で溢れ返った広場へと
やってきていた。
既に人だかりができている。それもそのはずで︱︱
﹁シュウトさん、ありましたよ。オレたちのブロックはここです﹂
背の足りなさをぴょんぴょんと跳ねることで補ったカイが、公に
貼り出された特大サイズの紙のとある箇所を指差した。
そこに記されていたのは、カイとチノ、それからヒメリの名前に、
そしてオマケのように小さく俺の名前。それらが四角で区切られ、
ひとまとまりであることが明示されている。
貼り出された紙とはつまり、トーナメント表だ。
昨日で闘技大会へのエントリーは終了になり、一夜明けた今朝、
1336
﹃厳正な抽選﹄を経たというトーナメントの組み合わせが公開され
る運びになっていた。
エントリー総数は主催者発表で三百十一組。大体予想していたと
おりの数字だ。参加者数の過去最多をまた更新したぜ、と沸き立つ
声がほうぼうから聞こえてくる。
しかしまあこうして出場者一覧をざっと眺めていると、俺たちの
ようにリザーブメンバーを用意しているチームの少なさに気がつく。
が、考えてみれば納得だ。力量の拮抗した一線級のメンバーを四人
も揃えるのは困難だろうし、仮に集まったとして﹁じゃあ誰が控え
の立場を受け入れんだ?﹂という議論になると、余計に話がこじれ
る。
それになにより、分け前が減る。
死活問題である。
もっとも俺の目的は金じゃないから関係ないが。
ただ俺が追いたい名前はそんなその他大勢の奴らではない。
俺はジェラルドの名前だけを探していた。
そして目を凝らして見つけ出したその名前は反対側の山に書き記
されていた。決勝まで進まなければ俺たちと当たることはない。
読みどおり、である。
その一方でイゾルダらのチームは同じ山にいた。といっても、か
1337
なり離れたブロックにいる。こちらも相当勝ち進まなければ俺たち
との対戦にならない。
これも予測できていたことだ。
﹁厳正な抽選、ねぇ﹂
俺は鼻で笑いそうになる。
おいおい、見え透いた冗談はやめてくれよ、ってな。
以前行われたイベントの内容で分かったが、ここの運営はショー
ビジネスというものをよく理解している。
全国各地から観光客が闘技大会目当てに遠征してきているとはい
え、それでもまだ観衆の多くは地元ネシェスの人間。となればネシ
ェスの剣闘士の活躍を望む声が圧倒的多数派であることは言うまで
もない。
特に、それが人気選手のイゾルダやカイチノ兄妹であるならば。
ここの運営がその期待の高まりを熟知していないはずがない。早
期敗退する事態や潰し合いにならないよう、ある程度操作したトー
ナメントが組まれるとは、様々な地方の冒険者が参加したイベント
での偏ったマッチメイクを鑑みて推測が立てられた。
もし仮にナンバーワン剣闘士であるイゾルダが早めに脱落してし
まったら、その後の観客数の減少、ひいては大会全体の収益にも大
きく影響するわけで、運営側としてもその事態だけは避けたいと願
っているはず。
1338
俺は闘技大会を取り仕切る主催者の、その露骨な商業主義に胸の
内で賛辞を送る。ありがとう。アコギでいてくれて、ありがとう。
そう俺が密かにビジネスジャッジメントに感謝を述べている横で、
カイは﹁あっ、しかも初戦はシードですよ!﹂と大人の汚さとは無
縁な少年らしい喜びを見せていた。
とはいえ。
ジェラルドのいる山にだけ強豪が固まっているというわけでもな
いだろう。そこまでやるとバレバレすぎる。公平でなくても公平﹃
風﹄には見せなくてはならないのだから、当然こちらの山にも何チ
ームかは有力どころが名を連ねているに違いあるまい。
﹁こいつは注意したほうがいい、みたいなのって分かるか?﹂
﹁ちょっと難しいです。同業者の人たちは分かりますけど、知らな
い名前がほとんどですから﹂
﹁うーん、だろうなぁ﹂
見守るだけの観客はともかく、出場者までも大半がネシェスの人
間とはいかない。むしろ剣闘士の総数よりも腕を頼りにやってくる
冒険者のほうが断然多いわけで、カイに話を聞く限り、比率でいえ
ば参加者の八割以上は地方出身だと思われる。
カイは未知なる強者にワクワクドキドキしたものを感じているよ
うだったが、生憎俺は備えあれば憂いなしを地でいくタイプなので、
事前情報があったほうが安心できていい。
とりあえず、当たる可能性がある中で知っている名前を探してみ
1339
る。
⋮⋮早速見つかってしまった。割と近くに﹃プリシラ・レメラス
ース﹄とわざわざフルネームでばっちり書かれているのを目にした
時、あの鮮やかすぎるピンク色の髪とキンキンと甲高い声を思い出
して目眩がしそうになった。
お互い順当に勝ち上がっていくと三回戦で対戦カードが組まれる
ことになる。
曲がりなりにもプリシラはBランク、最初の二戦でトーナメント
表から消えることはないと考えたほうがいい。序盤の山場と見てい
いな。
その次に、デヴィンの名を発見する。 チームメイトを募集していたはずだが、どうやら期日までには間
に合ったらしい。
鉱山で知ったデヴィンの斧さばきは素人目線で見ても称賛に値す
るものがある。こいつもまた順調に勝利を重ねてくることを覚悟し
ておいたほうがよさそうだ。
ってか数少ない知ってる名前の奴と頻繁に当たりそうなんだが。
こっちのプライベートな事情まで把握しようがないからまったくの
偶然なんだろうけど、すげーやりにくいぞ。
などと駄々をこねている場合ではない。ここは慌てず騒がず、デ
ヴィンとチームを組んでいるのが誰なのかを後々のために覚えてお
かねば。
1340
だがそのうちの一人はやたらと文節が多い不親切極まりない名前
だったため、まったく暗記できる気がしなかった。
仕方ないのでもう片方だけをチェックしておく。
﹁ええと、サリーか﹂
ん? と引っかかりを覚える。聞いたことのある名前だった。
しかしいつどこで耳にした名前なのかは、俺の明晰でない記憶力
だと曖昧にしかならなかった。
1341
俺、操作する
まあ、詮索しなくてもいいか。
思い出せない事柄を思い出そうとすることほど脳ミソに送るエネ
ルギーを無駄にする行為はない。
それよりだ。
大会開催まではまだ十日少々あるとはいえ、時間は有限。
対戦カードが決まったことで発奮しているカイも含めて最終調整
を行っておかねば。
⋮⋮と、カイのやる気にあてられてか珍しく気を引き締める俺だ
ったのだが、群衆の中を掻き分けてくる人影を目にするとスッと力
が抜けていった。
しなやかな黄金色の髪がなびいている。ヒメリだ。
抽選結果は俺とカイの二人で確認してくる、と告げて屋敷を出た
のだが、どうやら自分自身の目で見ておきたいと思って闘技場前ま
で駆けてきたらしい。
こいつの性格を考えるとなんら奇抜な行動ではないけれど。
﹁お前も見に来たのか?﹂
﹁ええ。恥ずかしながら、浮き足立ってしまっていてもたっていら
1342
れず⋮⋮って⋮⋮一体なんですか、その服?﹂
ヒメリは俺のまとっている﹃深緋の﹄レザーコートをじろじろと
見ながら言った。
﹁あー、これか? イメチェンに気づくの遅ぇな。このタイミング
かよ。いやさ、ちょうど今日出来上がるっていう話だから、ついで
に朝一番で受け取りに行ったんだよ﹂
俺はへたっていた襟を正しながら答える。
革細工職人に預けていた火牛の毛皮は見事に加工されて戻ってき
た。
触れただけでも頑丈さが伝わってくるほど硬く厚い生地だが、計
算され尽くした絶妙な縫い合わせのおかげで体の動作を阻害しない、
満足のいく出来栄えである。
にしても、元々はよく言えば情熱的な、悪く言うと目がチカチカ
してくるようなドギツい赤色だった毛皮が、釜で塩茹でされるとこ
んなふうに落ち着きのあるワインレッドに様変わりするんだから不
思議なものだ。
それと中に着ている紫と黒の中間のような色合いのシャツは、リ
ステリア地下で手に入れた冥布︱︱ボロ切れ同然だが魔法にだけは
強い素材︱︱で作られてある。
こっそりと裁縫工房で仕立ててもらった一品だが、軽くて肌触り
がよく、着心地の面でも申し分ない。
1343
﹁つまり、火への抵抗は抜群ってわけだ、この装備は﹂
﹁はあ、ジェラルドさんに対抗できる防具を揃えたってことですか﹂
﹁そういうことだ﹂
﹁⋮⋮それをシュウトさんが着る意味とは?﹂
﹁真新しい服には一回袖を通してみたくなるだろ?﹂
要は気分の問題である。
﹁それに火以外なら他の装備でも十分だしな。これはジェラルド相
手のとっておきだ﹂
﹁シュウトさんの格好は理解できましたよ⋮⋮でもカイくんはおか
しいですよね?﹂
ヒメリの目線が俺から下方向に移る。
その視線の先にいるカイは、俺がそれまで愛用していたカトブレ
パスの毛皮製のコートを羽織っていた。
とりあえずで貸したものだが、俺が着ていてさえ丈余りを感じて
いたくらいだから、小柄なカイだとそれはより顕著になった。具体
的に言うと、裾が地面スレスレになっている。
﹁どう見ても合ってませんよ!﹂
﹁そうか? カワイイって評判だったんだけどな﹂
﹁た、確かに愛らしさはありますが⋮⋮﹂
もっとも、カイ本人はまったく不服そうではない。
﹁別に動きにくいわけじゃないから大丈夫ですよ。それよりヒメリ
さん。ひとつお願いがあるんですけど﹂
1344
﹁え? なっ、なんでしょうか﹂
まっすぐに見つめてきた少年の瞳に、意味もなくドキッとして尋
ね返すヒメリ。
﹁少しだけ手合わせを頼んでもいいですか? 今日は闘技場の営業
は休みですけど、中の施設は使えますから﹂
﹁な、なんだ、練習のことですか⋮⋮それでしたら、私こそ是非﹂
意見が一致した二人は選手用の入り口へと歩いていった。
﹁⋮⋮で、残された俺はどうすればいいんですかね﹂
待ってろってことなのか、先に帰っていいのか。
どっちにしても手持ち無沙汰なので、ひととおり目を通し終えた
トーナメント表の前を離れて適当に広場をぶらつく。
とはいえ一人で屋台巡りをしたところで虚しい。数十分歩き回っ
てみたが特に面白くもなかったので、これだったらトーナメント表
の折れ線でも眺めてた方がまだマシだったな⋮⋮と思いながら掲示
板前へと戻ろうとしたのだが。
﹁ん?﹂
広場の隅⋮⋮というより最早裏路地と呼んでしまってもいいよう
なひっそりとした場所に、もう一枚貼り出されていることに気がつ
いた。
ただそれは俺が見ていたものよりも随分と小さく、字も汚かった。
1345
これが正規のトーナメント表だとしたら手抜きもいいとこなのでお
そらくは誰かが書き写したものだろう。
興味を引かれたので近づいてみる。
コピーに集まっている人間は、ぶっちゃけると大分ガラが悪かっ
た。見た目もそうだが会話する口調からして荒っぽい。
だがその会話の内容自体は、俺の関心をグイッと引き寄せるもの
だった。
﹁いよいよ組み合わせが発表されたが⋮⋮どうよ? 誰が勝つと思
う?﹂
﹁んなもん決まってる。ジェラルドって奴を買っておけばいいんだ
ろ?﹂
﹁二年前の優勝者と準優勝者が出てねぇんじゃ、ジェラルドのいる
チームがダントツの本命に決まってらぁ。俺はここに3000Gぶ
っこむ予定だぜ﹂
﹁同意見だな。俺は2000G賭けるぞ。追加で買うかも知れんが、
まずは様子見でこの額で﹂
﹁俺もジェラルドにだ﹂
﹁バカヤロウ、全員ジェラルドに張ったんじゃロクな配当にならね
ぇだろ!﹂
口悪く言い合いながらも、それぞれが宣言した金額を羊皮紙に書
きこんでいる。
どうやら優勝者を当てる賭博をやっているらしい。
表の書き写しは、こうしてじっくりと仲間内で検討するために作
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ったのだろう。
ってか、やっぱあるんじゃん、賭け。それも話の内容からして、
個人間のみみっちいやり取りではなく、胴元の存在する大規模なブ
ックメーカーのようだ。
話している連中の風体を見る限り、明らかに非合法っぽいが。
果たしてどこのどいつが取り仕切ってるのやら。
しかしまあ薄情な連中だな。せめてこんな時くらい応援の意味を
込めて地元の参加者に賭けるくらいしとけよ⋮⋮と言いたいところ
だが、金が掛かってるんだからそんな情で動くわけにはいかないと
いう気持ちも分かってしまうのが辛いところ。
それにしても、こいつらの賭け方はなってない!
ド素人じゃあるまいし、そんな儲からない買い方をしてどうする。
一番人気のジェラルドに張るにしても、倍率の低い一点買いは高リ
スク低リターンのご法度で⋮⋮。
⋮⋮ん? 人気?
﹁なるほど、その手があったか﹂
邪魔者︵と書いてヒメリと読む︶もいないことだし、久しぶりに
汚い大人の部分を出していくとするか。
﹁チンケな賭け方してんなぁ。稼ぎたかったらそのやり方じゃダメ
だってのに﹂
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俺はわざとらしく、ギャンブルに興じる連中に聞こえるように言
い放った。
当然のように集まる注目。その中の一人が含み笑いを浮かべなが
ら聞いてくる。
﹁兄さん、その口ぶりじゃ賭けには相当うるさそうだな。ひとつご
高説頼もうか﹂
俺はその言葉に﹁待ってました﹂とばかりに。
﹁金を増やしたいなら大穴にもいくらか振るべきだ。安定の本命に
八割、夢を託した数チームに二割。これが定石だぜ。そして一攫千
金を目指すなら、大穴にでかく張る。俺が好きなのはこの賭け方だ
な。ギャンブルの醍醐味を存分に味わえるからさ﹂
﹁けどよぉ、そうは言ってもどこが買う価値のあるチームかなんて
分からねぇよ﹂
﹁そうだそうだ!﹂
話に加わる数が増え始める。
﹁あれか、イゾルダのチームか?﹂
﹁寝言は寝て言え。そこも結構人気が集まりそうだから穴ってほど
じゃねぇだろ﹂
﹁じゃあどこだよ? よそから来てる連中の強い弱いなんてよく分
からんぞ﹂
あれこれ議論される中。
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﹁俺が勧めるのはカイとチノのところだな﹂
満を持してその名前を出す俺。
﹁カイとチノ∼?﹂
﹁おう。この町の剣闘士なんだし聞いたことくらいはあるだろ﹂
﹁そりゃ俺たちもその二人のことは知ってるよ。確かにあいつらは
若いのにいい腕してるようだが、まだまだ経験の浅いガキんちょだ。
さすがに優勝は厳しくねぇか?﹂
﹁甘い、甘いな。二人だけでは厳しくても、組んでる奴が生半可じ
ゃないんだよ﹂
その場にいる全員から、なんだそりゃ、みたいな顔をされる。
﹁二人と組んでるっていうと⋮⋮このヒメリって奴か﹂
書き写しのリストから名前を探し当てるギャンブラーご一行。
控えにもう一人いる件についてがナチュラルにスルーされている
のは寂しかったが、これはまあ好都合ともいえる。
﹁名前の響き的には女か? 初耳だぞ、こんな奴﹂
﹁そりゃそうだ、潮臭い田舎町から出てきたばかりでまだ名前の売
れていない冒険者だからな。しかしながら剣の腕はジェラルドやイ
ゾルダにも匹敵する⋮⋮いや、もしかしたら凌ぐかも知れないとい
う、とんでもない大物だぜ、こいつは。ずば抜けた技術もさること
ながら全身をレアメタルで固めたとんでもない化け物だ﹂
俺は堂々とフカした。
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もっとも﹁全身をレアメタルで固めた﹂の部分は俺の援助が真実
にしている。
その後もいかにヒメリという女が怪物であるかを語る、というか、
騙る。
﹁ちょっとした魔物の一種みたいなものだと考えてくれ﹂
ややヒメリちゃんに失礼な発言も交えて。
﹁ま、これはとある信頼できるスジから仕入れた極秘情報なんで、
一般には出回ってない裏ネタではあるが﹂
﹁おいおい、胡散臭い話だな。そんな眉唾モンの話を聞いたところ
で﹃はいそうですか﹄って賭けられるほど俺たちゃアホじゃないぜ﹂
﹁信じるか信じないかは自由だよ。ただひとつ言えるのは︱︱﹂
一瞬のタメを作ってから、俺は決定打を与えにかかる。
﹁俺がそいつらに三十万G預けてもいいってことだ。その用紙に書
いておいてくれ﹂
全員が全員唖然とした表情になった。
﹁⋮⋮は? 三十万?﹂
﹁正気か? この紙出しちまったらもう胴元の集金からは逃げらん
ねぇんだぞ?﹂
﹁んなアホみたいな金額賭けるって⋮⋮いや面白いは面白いけどよ
ぉ﹂
やめとけ、と口々に諭されるが、俺は逆に持論を強調する。
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﹁当てる自信があるから三十万G入れるんだよ。今の風潮じゃ大穴
だが、俺にとっちゃ本命みたいなもんだ﹂
びびった様子を見せず、むしろ自信過剰なくらいの態度で応じた。
若干のざわつきの後。
﹁⋮⋮そんなに自信満々なら、俺もちょっと買ってみるかな﹂
﹁はあ? お前、こんな与太話を信じるのか?﹂
﹁そりゃそうだろ! これだけの額を賭けられるだなんて、よっぽ
ど裏づけになる情報がなかったら無理じゃねぇか! 外聞とか知る
か、俺はこの兄さんの後を追うぜ﹂
﹁じゃ、じゃあ俺も500Gだけ⋮⋮﹂
﹁試しに200G賭けるくらいなら大丈夫だよな⋮⋮外しても一食
抜けるだけだし⋮⋮﹂
よし、よし、よし。
どうやら口先任せのイメージ戦略と大金が持つ説得力によって印
象操作はうまくいったらしい。次から次にチノとカイ、そして港町
を食い荒らす暴食怪獣ヒメリで結成されたチームへと賭け金が移動
する。
あくまでジェラルドを外した時の保険、といった程度ではあるが、
それで十分だ。
﹁⋮⋮最後に聞くけど、本当の本当に三十万賭けたんでいいんだよ
な?﹂
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顔の各所に傷のあるおっさんに、念を押されながら一枚の小さな
地図を握らされた。
後日ここに行って金を納めろ、ということらしい。
﹁二言はないぞ﹂
﹁分かった。なら名義を教えてくれ﹂
﹁シュウイチ・クロサワだ﹂
こんな時、顔と名前の知られていない立場は便利である。
これで配当は大きく変動し、そうなれば口コミが広がって更に俺
たちのチームの馬券、ならぬ剣闘士券を買い求める声も増すだろう。
正直な話、三十万Gが膨れ上がって返ってこようがこまいがどう
でもいい。
人間誰だって金が掛かれば必死になって応援する。
大会当日の声援による後押しを買ったと思えば安いものだ。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n0065dh/
すまん、資金ブーストよりチートなスキル持ってる奴お
る?
2017年1月21日05時15分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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