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1 書評・大橋英夫『現代中国経済論』岩波書店 厳 善平(桃山学院大学

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1 書評・大橋英夫『現代中国経済論』岩波書店 厳 善平(桃山学院大学
書評・大橋英夫『現代中国経済論』岩波書店
厳 善平(桃山学院大学)
日本での中国研究は相変わらず盛んである。
本屋の店頭に並ぶ中国関連の新刊図書の多さ
からもそのことが分かる。しかし、同じ中国
という対象なのに、書く人の問題関心や価値
観の相違によってずいぶん異なる中国像が描
き出されることは時々見受けられる。同じ棚
に脅威論とその反対の崩壊論を唱える書物が
一緒に並べられている光景も珍しくない。あ
れだけの人口規模や国土面積を有する大国の
ことを考えれば、それは当たり前の現象なの
かもしれない。中国の正体を捉えるのは簡単
なことではないのである。
本書は一般の読者を想定して書き下ろされ
た現代中国経済の解説書である。ジャーナリ
ストの手になる中国経済の現状報告、あるい
はビジネスマンの見聞録や体験談に見られが
ちの断片的な記述、思い込みとは異なり、本
書は経済学の理論をバックグランドにして内
外の先行研究、様々な統計資料、関連の政策・
制度を体系的に整理、検討しながら、縦横両
面から高度成長のドラマを描いてみせたとこ
ろに特徴がある。
本書は8つの章から構成される。高度成長
と構造変化の軌跡、計画経済から市場経済へ
の移行過程における諸制度の変化、国有企業
の退出と民間企業の成長、そして、高度成長
の歪みとして深刻化している経済格差の実態
と発生原因、市場経済体制下のセーフティー
ネットの構築などと内容は多岐にわたるが、
現代中国経済を理解する上で必要不可欠の主
要部分がほぼカバーされている。ここでは、
各章の内容紹介を割愛し、評者が関心をもつ
以下の三点について議論してみたい。一つは
中国経済の成長パターン、もう一つは体制改
革の漸進性、三点目は市場経済体制下におけ
る政府の役割、である。
まず中国経済の成長パターンについて。本
書の第1章では、過去四半世紀の高度成長は
奇跡的なものであると肯定しつつ、成長の主
因が大量の資本投入にあり、純粋な意味での
技術進歩によるものではなかった。典型的な
粗放型の特徴を併せ持つ中国経済はこのまま
では持続可能な成長が実現できない。経済成
長の質を高めるには、資源のより効率的な利
用に依存した成長パターン、つまり集約型成
長への転換が急がれなければならない、と論
じている。
経済成長の源泉をどこに求めるか。これは
実に難しい問題である。1990 年代半ば「幻の
アジア経済」に端を発した論争は記憶に新し
い。成長会計分析で総要素生産性を計測し、
その変化から経済成長の質を議論するのが一
般的である。しかし、データの取り方、モデ
ルの設定方法によっては同じ対象に対する分
析の結果が微妙に異なり、それを巡る解釈も
一様ではない。
著者は、引用した幾つかの先行研究から、
この間の中国経済が技術進歩なき成長だと判
断しているが、若干の疑問を感じている。分
析の中では、経済成長率への投資、消費、外
需の寄与度、国内総生産に占める消費、固定
資本形成等の割合が取り上げられたが、戦後
日本経済の成長過程におけるそれらの指標と
較べてみれば、中国経済の辿った軌跡が特別
なもののようには思えない。また、労働生産
性の変化が資本装備率の変化によってほぼ説
明された、言い換えれば資本生産性がまった
く上昇しなかったことから、中国経済に純粋
な技術進歩がなかったという著者の判断も納
得しかねる。20 世紀の日本でも民間非一次産
業の資本生産性がほとんどの期間においてマ
イナスの伸び率をみせた(南亮進『日本の経
済発展』
)が、だからといって、日本経済にお
ける技術進歩がなかったという話しは聞かな
い。
中国での現地調査からも実感できるように、
様々な企業で新しい技術が懸命に取り入れら
れている。それがゆえに、中国は世界の工場
という地位を獲得したのであろう。エネルギ
ーや鋼材が大量に消費されているのは、重厚
長大という特徴をもつ伝統的産業技術が主に
利用されているためであり、工業化の発展段
階に規定されるものと理解すべきである。成
長パターンの転換は必要だが、それは主観的
な意思に左右されない自然発生的なプロセス
である。評者としては高度成長に大きな貢献
をしてきた投資の調達メカニズムについても
1
分析してほしかった。
次に中国の体制改革の漸進性について。本
書の第2章では、市場化改革の漸進的プロセ
スに関して非常に分かりやすい解説がなされ
ている。同じ体制移行を経験した旧ソ連、東
欧諸国と較べて、中国の企業改革も対外開放
も漸進的なプロセスを辿ったとよく指摘され
る。しかし、それは指導部の練り上げた改革
戦略の結果というよりも、抵抗勢力との正面
衝突を回避しながら、改革を少しずつ前進さ
せていったことの結果にすぎないと思われる。
改革の総設計師・鄧小平がいうように、改革
は利権関係の再分配の過程である。改革に起
因する様々な摩擦を減らすことは成功への早
道である。中国の漸進的改革はいわば妥協の
産物なのである。
また、改革を漸進的に行なわざるを得ない
客観的な制約も当時の中国にはあった。計画
経済から市場経済への移行をどのようにして
順調に進められるかに関しては、教科書も手
本もなかった。まさしく「海図なき航海」で
ある。少なくとも 1990 年代初め頃までの中
国では、多くの改革ははじめは現存制度の規
定から逸脱する現場の「造反行為」から始ま
った。農業改革はその典型である。現実主義
を重んずる指導部は、時にはそうした「造反
行為」を黙認したり、成功した場合はそれを
合法化し、さらに実験を重ねたうえで全国へ
の普及を進めるという手法を採った。法治社
会では考えられないような柔軟性があってこ
そ、市場経済への移行は一応の成功を収めら
れた。
問題は柔軟性の深層に存在する、法になら
ぬ「人治」の社会的意識または文化的風土を
どう見るかである。いまだ法治国家に程遠い
中国の現実を考えると、このような漸進性は
手放しで喜べるものではない。政治体制の改
革も同様の手法でやろうとしているようだが
はたして成功するのか。深く注目したいとこ
ろである。
最後に市場経済体制下における政府の役割
について。本書の分析によれば、体制移行の
過程で幾つか目立った変化が見られる。第1
に財政、金融制度に対する抜本的な改革が行
われた結果、政府の経済に対するコントロー
ルは直接方式から財政・金融政策の運用を通
しての間接方式へと変わりつつある。第2に
国有企業の退出、民間企業の成長、私有制の
地位保障などに見られるように市場経済体制
の基盤が着実に形成されている。第3に市場
競争が激化する中、経済格差が必然的に広が
り、個々人にとっての不確実性、リスクも高
まっている。第4に個々人の面する不確実性
やリスクに対処するために、
社会保障制度
(失
業、医療、年金などのセーフティーネット)
の再構築が進められているが、成熟の段階に
は至っていない。
ところで、市場経済体制下の政府は何をな
すべきか。政府のすることはだれがどのよう
なプロセスで決めるか。民主主義の政体では
このような設問に対して少なくとも形式的に
明白な答えがある。社会・経済秩序の維持、
所得の再分配、国民への安心・安全の供給な
ど、要するに全国民の福祉水準の向上に政府
の役割が求められているのである。
それに照らせば、中国における政府のなす
べきことおよびそれを決定するプロセスの両
方に依然として問題が多い。とくに、近年注
目されている三農問題、経済格差の急激な拡
大は、市場経済体制下のあるべき政府機能が
発揮できなかったところにその原因があるの
ではないか。また、農民への不当な制度差別
が存続する背景には農民の国民としての権利
が都市民と同じようには保障されていない現
実がある。選挙法では農民の一票の重みが都
市民の四分の一に制限されているが、正当な
理由はない。民主主義の政治体制が確立され
ていない現段階では、一票の重み云々自体は
意味を持たないかもしれないが、中国の直面
する多くの問題をよりよく解決するためには、
そういう視点も欠かせないだろう。
数々の途上国がいまだ貧困のどん底から抜
け出せず、多くの旧社会主義国が依然体制移
行の痛みに呻吟していることを考えれば、中
国の成功がいくら賛美されても過分さがない
ような気もする。上述の諸点は贅沢な望みか
もしれない。
国際問題研究所『国際問題』2005 年 6 月
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