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ソーシャルメディア時代における集合知と その政治的応用の研究

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ソーシャルメディア時代における集合知と その政治的応用の研究
2011 年度(平成 23 年度)卒業論文 FW
ソーシャルメディア時代における集合知と
その政治的応用の研究
2012 年 3 月
公立大学法人宮城大学
事業構想学部 事業計画学科
20821090 松田 次郎
論文の構成
序章
はじめに
研究の背景、目的、新規性を示す。
第1章
先行研究に基づく集合知の定義
先行研究を通して 2 つの集合知を定義し、事例によって集合知の有効性を示す。また、2
つの集合知が有効に機能する条件を示し、それぞれの集合知の差異を明確にする。
第2章
民主主義理論と集合知
集合知を政治的に応用する上で前提となる民主主義理論について論述する。始めに民主
主義理論を歴史的に概観し、その上で、集合知を政治的に応用するための条件となるコン
センサス型民主主義について言及する。
第3章
ソーシャルメディアとアラブの春
Web2.0 の潮流の中で浸透してきたソーシャルメディアについて考察する。ソーシャルメ
ディアについて簡単に整理した上で、アラブ諸国での民主化運動「アラブの春」を例に、
政治において活用されたソーシャルメディアの新たな役割について言及する。
第4章
集合知の政治的応用に関する提案
集合知を政治的に応用するための方策を提案する。まず、
「アラブの春」と集合知の関係
を検討し、限界点を示す。そして、ここまでの考察を踏まえ、集合知を政治的に応用する
ために、集団の捉え方に着目し、新たな視点による集合知の政治的応用モデルを論じる。
第5章
本研究のまとめ
本研究の総括し、その上で本研究の限界に言及する。また、限界を踏まえ、集合知の応
用とソーシャルメディアの活用による、政治における今後の展望を述べる。
1
2
目次
序章 ....................................................................... 5
-本研究の背景- ......................................................... 5
-本研究の目的- ......................................................... 6
-本研究の新規性- ....................................................... 6
-本論文の構成- ......................................................... 6
第1章
先行研究に基づく集合知の定義 ...................................... 9
1-1
集合知とは ......................................................... 9
1-2
集合知の有効性 .................................................... 11
1-3
集合知が機能する条件 .............................................. 14
1-4
第 1 章のまとめ .................................................... 17
第2章
民主主義理論と集合知 ............................................. 19
2-1
民主主義の簡略な定義 .............................................. 19
2-2
本研究における民主主義理論 ........................................ 20
2-2-1
民主主義理論の概観 ........................................... 20
2-2-2
エリート民主主義理論 ......................................... 21
2-2-3
参加民主主義理論 ............................................. 22
2-2-4
コンセンサス型民主主義 ....................................... 24
2-3
コンセンサス型民主主義の優越性 .................................... 25
2-4
コンセンサス型民主主義における集合知 .............................. 27
2-5
第 2 章のまとめ .................................................... 27
第3章
ソーシャルメディアとアラブの春 ................................... 29
3-1
ソーシャルメディアの定義と特徴 .................................... 29
3-2
アラブの春とアラブ諸国の情勢 ...................................... 30
3-3
ジャスミン革命 .................................................... 33
3
3-3-1
革命の要因 ................................................... 34
3-3-2
革命におけるソーシャルメディアの役割 ......................... 35
3-4
エジプト革命 ...................................................... 36
3-4-1
革命の要因 ................................................... 37
3-4-2
革命におけるソーシャルメディアの役割 ......................... 37
3-5
第 3 章のまとめ .................................................... 39
第4章
4-1
集合知の政治的応用に関する提案 ................................... 41
アラブの春に見る集合知 ............................................ 41
4-1-1
アラブの春における多様性 ..................................... 41
4-1-2
群衆の知恵モデルでの検討 ..................................... 44
4-1-3
集団的知性モデルでの検討 ..................................... 45
4-2
アラブの春の「その後」 ............................................ 46
4-3
集合知の政治的応用 ................................................ 47
4-3-1
集団の分離 ................................................... 47
4-3-2
集団とその意見の捉え方における従来型とコンセンサス型 ......... 49
4-3-3
集合知の政治的応用モデル ..................................... 51
4-4
終章
第 4 章のまとめ .................................................... 52
本研究のまとめ ...................................................... 53
-謝辞- ................................................................ 55
【参考文献】 .............................................................. 57
4
序章
-本研究の背景-
2010 年末、北アフリカの小国、チュニジアを中心とした事件が世界中を震撼させた。ジ
ャスミン革命、そして、それに端を発したアラブ諸国を中心とした民主化運動、
「アラブの
春」である。アラブ諸国を中心とした世界各国の政情は、2010 年末から数ヶ月の間に、大
きな転換期を迎えた。
アラブの春には、2 つの大きな特徴がある。一つは、影響がチュニジア一国からアラブ諸
国全体、さらには世界各国へと広く伝播したことである。そして、もう一つが、短期間の
間に多数の国で民主化運動が発生したことである。従来の民主化運動は、一国の中で独立
的に勃発することが通例であり、アラブの春のように連鎖的に発生したり、隣国を越えて
影響が伝播するようなことは考えられなかった1。また、チュニジアのジャスミン革命から
1 年以内という短期間にもかかわらず、約 50 カ国という、これほどまでに多くの国で民主
化運動が発生するような例は、従来においては皆無であった。
このような特徴の要因は、アラブの春において、ソーシャルメディアが活用されたこと
にある。市民によって、デモの開催日時・場所やそれに対する警察・軍の取り締まり情報
の発信、同志の募集、デモの映像配信、政府機密情報のリークなどのために、Facebook や
Twitter といったソーシャルメディアが使用されたのである。すなわち、アラブの春は、ソ
ーシャルメディアが媒介となって推進された、新しい形態の民主化運動なのである。
ソーシャルメディアは、従来のマスメディアとは異なり、人間同士が相互に作用し合う
ことによって拡がっていくメディアであり、情報発信の主体は個人である。アラブの春で
は、市民がソーシャルメディアを活用することで団結し、集団で情報を共有しながら革命
を成功させた。ソーシャルメディアの存在が、革命成功の大きな要因であったといっても
過言ではない。市民がソーシャルメディアを介して、政治における大きな影響力をもった
のである。
つまり、ソーシャルメディアは集団の意見、すなわち集合知を強化すると考えられる。
集合知とは、Web2.0 の潮流の中で注目されるようになった概念である。集合知の研究は、
比較的歴史が新しく、日本はおろか、世界中でもその概念が曖昧に捉えられている。この
集合知の概念を正しく整理し、政治的に応用する方策を導くことによって、政府や自治体
中心ではなく、市民との合意形成を経た、あるべき民主主義の姿を確立することができる
という推論から、本研究を開始するに至った。
1
そもそも、ジャスミン革命の発端は、政府の圧政に抗議する形で一人の青年が焼身自殺を
図ったことであり、このような小規模な抗議から革命に発展したことが稀なことである。
従来の民主化運動は、1986 年のエドゥサ革命(フィリピン)
、2003 年のバラ革命(グル
ジア)
、2005 年のオレンジ革命(ウクライナ)
、同じく 2005 年のチューリップ革命(キル
ギス)など、議会選挙や大統領選挙における不正や汚職が発端となることで、運動の始ま
りから大規模であることがほとんどであった。
5
-本研究の目的-
本研究の目的は、以下のとおりである。
まず、集合知の定義や概念を整理することである。「集合知」という概念は「群衆の知恵
(=Wisdom of Crowds)
」と「集団的知性(=Collective Intelligence)
」の 2 つに大別され
る。厳密には、この 2 つのメカニズムは全く異なるものである。それにもかかわらず、こ
れらは混同して捉えられることが多く、研究者の間でさえ、2 つの集合知が明確に区別され
ているとは言い難い。本研究では、集合知の政治的応用の前提として、集合知を群衆の知
恵と集団的知性に分け、それぞれの定義や概念を整理する。
次に、アラブの春とソーシャルメディアの関係を整理することである。アラブの春にお
いて、ソーシャルメディアが活用されたというのは周知の事実であるが、それがアラブ諸
国のどのような背景において活用され、どのような役割を果たしたかというのは、不明瞭
な点が多い。本研究では、この点を明らかにし、政治におけるソーシャルメディアの新た
な役割を追究する。
次に、集合知を政治的に応用する方策を提案することである。民主主義体制下において
は、集団(主権者たる国民)の意見を最大化することが求められる。それについて、集合
知を応用することによる最大化を図る。
それに関連し、集合知の政治的応用の方策を提案することにより、総合的に、あるべき
民主主義の姿を示す。
-本研究の新規性-
本研究の新規性は、大きく 3 つある。
まず、集合知研究は比較的歴史が新しく、集団的知性に言及した研究、特に、群衆の知
恵と集団的知性を区別した研究は、日本においては例が少ない。本研究では、これら 2 つ
の集合知を明確に区別し、詳細に分析する。
また、本研究で取り上げるアラブの春は、最新であるとともに、継続中の出来事である。
本研究では、これをソーシャルメディアとの関係とともに分析し、また、集合知に関連さ
せ、市民の政治的コンセンサスに言及する。
そして、本研究では、集合知を学問的見地から政治に応用する。その内容においては前
例がない。
以上の 3 点に新規性があり、本研究の意義がある。
-本論文の構成-
本論文の構成は、以下のとおりである。
第 1 章では、先行研究を通して歴史的に集合知の発展を捉え、2 つの集合知の差異を明確
にした上で、事例によって集合知の有効性を示す。
6
第 2 章では、
集合知を政治的に応用する上で前提となる民主主義理論について論述する。
始めに民主主義理論を歴史的に概観し、その上で、集合知を政治的に応用するための条件
となるコンセンサス型民主主義について言及する。
第 3 章では、Web2.0 の潮流の中で浸透してきたソーシャルメディアについて考察する。
ソーシャルメディアについて簡単に整理した上で、アラブ諸国での民主化運動「アラブの
春」を例に、政治において活用されたソーシャルメディアの新たな役割について言及する。
第 4 章では、集合知を政治的に応用するための方策を提案する。まず、
「アラブの春」と
集合知の関係を検討し、限界点を示す。そして、ここまでの考察を踏まえ、集合知を政治
的に応用するために、集団の捉え方に着目し、新たな視点による集合知の政治的応用モデ
ルを論じる。
7
8
第1章 先行研究に基づく集合知の定義
本章では、先行研究を通して歴史的に集合知の発展を捉え、2 つの集合知の差異を明確に
する。その上で、事例によって集合知の有効性を示すほか、集合知が機能するための条件
を示す。
1-1 集合知とは
集合知を論じる上で、まず「集合知」自体を定義する必要がある。
「集合知」は端的に、
「大勢の人が情報を持ち寄り、意見や議論を交わすことにより、ブラッシュアップされて
新たな付加価値を持つ情報や言説が生まれること」と定義することができる2。単純な例を
挙げると、あるテーマについて異なる意見を持った複数人が討論して意見をブラッシュア
ップするディスカッションは、集合知の一つと考えられる。しかし、この「集合知」とい
う言葉自体はあまりに広範囲を受け持つ、曖昧で漠然としたものである。集合知を論じる
上で、この言葉に縛られることは視野を狭めることになりかねない。そのため、「集合知」
をさらに掘り下げる必要がある。
この「集合知」は、主に”Collective Intelligence”(=集団的知性)と”Wisdom of Crowds”
(=群衆の知恵)の二つの意味を持つ。
フランスの哲学者である Levy, P.(ピエール・レヴィ)
〔1999〕は、集合知を”Collective
Intelligence”と表し、「絶えず強化され、リアルタイムで調整され、そして技能の効果的動
因の結果として生じる、普遍的に分散した知識の型」と定義した。この考え方自体は、レ
ヴィ以前の集合知研究においても同様のものが存在していたが、レヴィはそれに加
え、”Collective Intelligence”の基本原理と目標は、盲目的で本質化した知識共有の崇拝で
はなくむしろ相互認知と個人の強化であるとしている。ここで敢えて述べている「盲目的
で本質化した知識共有の崇拝」という点が、元々の定義においての限界であったと考えら
れる。この補足には、たとえ「普遍的に分散した知識」であったとしても、そういった知
識の集合を鵜呑みに採用することや、単に知識を共有するという点に集団的知性のゴール
を設定するといったことに対する警鐘が示唆されている。補足された定義によると、この
集団的知性とは、コミュニティ内で情報、知見、成果を共有し、それらを互いに修正・評
価し合うことによって得られる理解の一致であると考えられる。
アメリカのビジネスコラムニストであるジェームズ・スロウィッキー(James Surowiecki)
〔2006〕は、集合知を”Wisdom of Crowds”と表し、これを「多くの人々が互いの知識に影
響されることなく個別に自らのデータを生み出し、その個別データを匿名で集計すること
で得られる知恵」であると定義し、
「一握りの天才や、専門家たちが下す判断よりも、普通
の人の普通の集団の判断の方が実は賢い」としている。また、詳細は後述することになる
が、群衆の知恵が確度の高い予想として機能するためには、集団が賢明な判断を下すのに
2
出所:Wisdom ビジネス用語辞典
9
必要な多様性、独立性、分散性、集約性といった基本的な要件を満たすことが不可欠であ
るとしている。
集団的知性と群衆の知恵の違いは、両者の傾向を見ても明らかである。
集団的知性は、都市や文明といった比較的規模の大きな概念の発展においても機能して
きた。本章第 3 節においても論述するが、集団的知性は、集団が多様な意見を共有し、そ
れを協力と競争によって成果をつくりあげる。そしてその成果を再び共有するという循環
により、高次の洗練された集合知(=成果)を生み出すのである。すなわち、歴史の中で
政治・行政を始めとした都市機能や、高度な組織や制度などの文化などが育まれてきた
過程において、集団的知性の循環があったことは言うまでもない。また、集団的知性を機
能させる集団には、学会などの専門家も含まれていて、専門的な分野を含んだ高度な学問
においても関係が深い。以上のようなことから、集団的知性には、ある種のエリート主義
的な傾向が見受けられる。
対して、群衆の知恵の傾向はどうか。Koster, R.〔2005〕は、群衆の知恵という概念の適
用範囲は、厳密には重さの推測、市場予測、オッズ設定といった非常に偏狭なものになり、
個々のアウトプットは、数学的に平均化することができる形式で指定する必要があるとし
ている。そのため、群衆の知恵は、定量化可能で客観的なデータに対してのみ適用可能で
あり、比較的狭義な概念であるとしている。群衆の知恵は、スロウィッキーの言葉にもあ
るように、
「普通の人の普通の集団の判断を積み重ねると、時には専門家の判断を超えるこ
とがある」という意味合いで捉えられている。集合知の先行研究における群衆の知恵の用
例を参照しても、この概念は反権威主義的な文脈において多用されている。これらの点を
図 1-1. 集合知の分類
10
出所:筆者作成。
考慮すると、群衆の知恵は、集団的知性に対して反エリート主義的な傾向にあると考えら
れる。
以上のように、これら集団的知性と群衆の知恵は、それぞれ全く別の意義と性質をもっ
ている。そのため、両者を同様に捉えてはならない。集合知を論じる上で、
「集合知」とい
う言葉に縛られることは視野を狭めることになりかねない、と先に述べた所以はここにあ
る。集合知は、集団的知性と群衆の知恵という両者の意味が組み合わさって使われている
のである。すなわち、集合知を論じる上では、この両者を別々に、あるいは同時に考える
必要がある。
1-2 集合知の有効性
そもそも、集合知は正しい、あるいは個人の意見よりも優れているといえるのか。2 つの
集合知の有効性について、いくつかの事例を挙げて検証してみる。
まず、群衆の知恵である。これを表す有名な実験の一つに、ファイナンスの分野で有名
なジャック・トレイナー(Jack Treynor)の「ビンの中のジェリービーンズ」というもの
がある。その名のとおり、ビンの中のジェリービーンズの数を当ててもらう実験であるが、
この実験を行うと、必ず集団の推測の方が個々人の推測のほとんどよりも正確であるとい
う結果が出る。トレイナーの実験では、56 人の学生の集団に対して、ジェリービーンズが
850 粒入ったビンを見せ、数を推測してもらったところ、集団全体の推測値は 871 粒とい
う結果が得られた。56 人の中で、グループ全体の推測値よりも正確な推測をした者は 1 人
であった。実験の差異に、被験者である学生同士が話し合ったり一緒に問題を考えたりす
る機会は、ほとんどなかった。したがって、それぞれが独自に推測した結果を集計して算
出された平均値が集団の意見(群衆の知恵)となり、それがいかに優秀であるかが示され
た。
群衆の知恵が有効に機能したもう一つの事例として、1986 年のスペースシャトル・チャ
レンジャー号爆発事故後の株式市場が挙げられる。発射の模様はテレビ中継されていたの
で、事故のニュースは素早く伝わった。事故後の株式市場ではチャレンジャー号の発射に
関わった主要企業 4 社の株式の投げ売りが行われた。当然、事故直後にはその原因を窺わ
せる情報は全くなかったが、それにもかかわらず、4 社の株価は特徴的な値動きを見せた。
その日の終値は、3 社が 2%程度の下落であったのに対し、残る 1 社(便宜上、以下、A 社
と呼ぶ)だけが 12%も下落した。これは、ほぼ瞬時に株式市場がチャレンジャー号爆発の
原因が A 社にあり、この惨事が同社のボトムラインに与える影響は深刻だと判断したこと
を示している。事故から 6 か月後に、事故調査委員会が A 社製の部品の欠陥を明らかにし、
A 社の責任を認めた。
これにより、事故当日の株式市場の判断が正しかったことが示された。
株式市場では、無数の個人の意見が売値と買値として流通し、それが集約されて株価が決
定される。これは、まさに一つの集合知であり、それが有効に機能した一例であるといえ
る。
11
次に、集団的知性の有効性を示す事例である。集団的知性の有効性を示すには、オープ
ンソースを例に挙げると分かりやすい。その一つが、オペレーティングシステム(OS)の
Linux である。1991 年、フィンランド・ヘルシンキ大学の大学院生であったリーナス・ト
ーバルズ(Linus Benedict Torvalds)は、UNIX のオリジナル版を開発し、自分の名前に
ちなんで Linux と命名した。その後、彼は自分が書いたソースコードを一般に公開し、そ
れを全員で共有できる状態にした。そして、これを改良する妙案があれば誰もが自由に発
言できるという特徴を前面に押し出し、改善のプロセスを制度化した。これにより、何千
人というプログラマーが無償で大小にかかわらず OS の欠陥を修正し3、Linux を Windows
のライバルと位置付けられるまでに成長させた。
Windows はマイクロソフトの所有物で、
マイクロソフトの従業員だけが関わっている OS
であるが、Linux は誰の所有物でもない。確かに、Windows の開発方式・開発プロセスは、
その十分な成功から意義があることは言うまでもない。しかし、マイクロソフトは勿論、
どのような企業も限られた人数の従業員しか雇うことができないし、問題解決に費やす時
間も必然的に限られるといった物理的な問題や、組織的・官僚的な対立や駆け引きの壁と
いった現実が問題として存在している。
対して、
Linux はどちらの問題にも悩まなくてよい。
Linux の改善に携わりたいと思っているプログラマーは世界中に多数存在している。そのた
め、ソリューションの選択肢の幅が大きく広がるのである。また、プログラマーは多数な
上に多様であるため、どのようなバグが発見されても誰かがそれを修正する方法を思いつ
くのである4。
2011 年現在では、NASA(米航空宇宙局)のスーパーコンピューターには Linux が搭載
されているほか、世界のウェブサーバーの半数以上が Linux を採用している。
2005 年には、
IBM が 600 人に及ぶプログラマーを Linux の開発に投じ、IBM のライバルであるヒュー
レット・パッカードでも大規模な Linux 開発グループが活動している。IBM が自社の所有
物でもなく販売することもできないもののために、600 人分もの給与を支払っているのは、
IBM が Linux を標準装備したネットワークサーバーを販売しているため、マイクロソフト
にソフトウェアのライセンス料を支払わなくて済むというところに理由がある。当然、
Linux の場合、末端のユーザーもライセンス料などを支払う必要はないため、メリットが大
きい。このような点から、Linux は集団的知性が有効に機能した(現在進行形で機能してい
る)例であるといえる。
3
4
Linux のカーネルバージョン 2.6.11(2005 年 3 月 2 日リリース)から 2.6.35(2010 年 8
月 1 日リリース)までに、延べ 6,117 人のプログラマーと 659 の企業が開発に携わってい
る。
カーネルバージョン 2.6.35 の開発には個人開発者の他、IBM、インテル、オラクル、富
士通、ヒューレット・パッカード、Google、NTT など 184 の企業にまたがる 1,187 人の
開発者が参加していて、世界最大規模の分散型ソフトウェア開発プロジェクトであるとし
ている。企業に所属する開発者が全体の 7 割を占めているが、Linux が利用される産業分
野が広がったことから、個人レベルでの開発者も増加中である。
12
もう一つの例として、オープンソースの類似概念であるオープンコンテントとして有名
な Wikipedia が挙げられる。Wikipedia は 2001 年、アメリカのジミー・ウェールズ(Jimmy
Wales)とラリー・サンガー(Larry Sanger)によって創始された。それは、MediaWiki
という名前の Wiki ソフトウェア5を利用して、誰もが項目の設定や内容の記述、その修正
を行って作り上げることができる百科事典である。Linux と同様、いわゆる中央集権的な統
治はない。商業的な百科事典とは異なり、Wikipedia の場合、記事に誤りがあったり加筆が
必要な場合には、すぐに修正が可能である。そもそも Wikipedia には書きかけの記事が多
いが、それらはスタブ(stub)と呼ばれ、後に加筆する必要があることが示されている。
Wikipedia の大きな特徴として、商業用の百科事典にはないような記事や新しいテーマの記
事が多いことが挙げられる。その点では、スタブが多いということは否定的なことではな
く、むしろ肯定的に捉えられる。
Giles, J.〔2005〕は、Wikipedia と Encyclopædia Britannica(ブリタニカ百科事典)6を
比較して、
その正確さを検証している。
物理学の 42 項目について両者を専門家に分析させ、
それぞれの記事について、その誤りの数の平均値を比較した。その結果、平均値は、
Wikipedia では 4、ブリタニカ百科事典では 3 であったとし、誤謬率においてこの二つが同
等であると結論付けた7。このことからも、Wikipedia は集団的知性としての有効性を備え
ていて、それが機能しているものであると考えられる。
Linux や Wikipedia のようなオープンソースソフトウェア・オープンコンテント開発に
おいて、多様性はそのパフォーマンスにどのような影響を与えるか。谷口〔2005〕は、多
様性を持つ組織に関するパフォーマンスの研究において、この点を検討している。まず、
多様性に関しては、以下のような仮定を置く。
・ 個人の多様性の次元(種類)は複数ある。例えば、デモグラフィックなもの(人種・
民族性、性別、年齢、経歴など)やサイコグラフィックなもの(人格、姿勢、嗜好、
価値観など)がある。
・ 多様性は時間的に変化する場合がある(例えば、年齢など)
。
・ 自他で多様性に関する受け止め方が異なる場合がある(例えば、人種・民族性など)
。
その上で、一般に集団が多様性をもてば、以下のようなメリットを発揮できることが、様々
5
6
7
そもそも”Wiki”とは、Web ブラウザから簡単に Web ページの発行・編集などが行える、
Web コンテンツマネジメントシステム(CMS)の一つである。
Encyclopædia Britannica は、1768 年から現在にかけてイギリスやアメリカで発行され
ている百科事典である。
ただし、この研究に対しては、選ばれた項目が物理学に偏っていたために、人文社会的な
項目よりもその真偽を判定することが容易であったという批判がある。さらに、
「調査方
法そのものに問題がある」というブリタニカ百科事典側の反論もあり、論争は決着してい
ない。
13
な実証的研究で確認されている。
・ 多くの情報ネットワークを組織外にもつことができ、それによって新しい情報を得や
すくなる。
・ 考えられる選択肢や視点の数が増える。
・ イノベーションが増加する。
・ 必要とされるスキルが増える。
・ 専門的分業が可能となる。
・ 創造的で個性を持ち、より質の高い解を見つけやすくなる。
・ 人材を引きつける。
・ 環境変化に迅速に対応できる。
集合知を機能させるためには多様性が不可欠である。その点を考慮すると、集団に対して
以上のようなメリットが発揮されるとともに、集合知を機能させることが可能であると期
待される。
1-3 集合知が機能する条件
先に挙げた事例は、集合知が有効に機能した一例である。しかし、意見が集まって無条
件に集合知として機能するというものではない。必要な要件を満たさないことで、機能し
ないどころか衆愚へと陥る可能性もある。
本節内で後述する「独立性」(群衆の知恵が機能するための必要な条件の一つ)を例に考
えてみる。スロウィッキーは、集団は新しい問題解決方法を考え付くよりも、複数の選択
肢の中から正しいものを選ぶ能力に優れていると述べているが、そのプロセスにおいて独
立性が欠けている場合には群衆の知恵は崩壊するとしている8。この独立性が欠ける原因と
して想像に難くないのが、社会的抑制である。これは、集団の中にいる個人が、他者がど
う考えるのかということについて不安になり、自分の意見を胸にしまい込んだり、他者の
意見に迎合したりする現象である。例えば、
「在日外国人の犯罪を減少させるために、国や
自治体はどのような対策をとるべきか」などといった政治的論争を呼ぶトピックを集団で
議論する場合、
「地域コミュニティを活性化させるために、どのような方策が考えられるか」
などといった穏当なトピックに比べ、出される意見の数は目に見えて少なくなる。また、
集団の中に専門家がいる場合や、メンバーからは見えないところで専門家が議論の様子を
見守っているといった情報を事前に聞かされていた場合も同様である。このように、集合
知を正しく機能させるためには、必要な要件を満たすことが不可欠であり、群衆の知恵に
限らず、集団的知性においても同様のことがいえる。また、集合知を正しく機能させるた
めにも、集団はそういった必要条件をクリアしやすい環境下に存在していることが重要に
8
James Surowiecki, op. cit.
14
なる。
群衆の知恵において、それが妥当であるためには次のような基本的な性質が保証されて
いなければならない。
・ 多様性(diversity of opinion)
:各個人の背景や観点がそれぞれに異なっているなら
ば、結果的に全体としては多くの解候補をもつ可能性が高い。また解候補の多様性が
低い場合には、適切な解が存在しない怖れがある。
・ 独立性(independence of members from one another)
:各個人の意見や提案が他者
の影響を受けないよう、各個人の独立性が確保されている必要がある。特に小集団の
場合には、多様性が低いために偏った結論に集約される危険性がある。
・ 分散性(decentralization)
:問題を抽象化せず、各個人が直接得られる情報に基づい
て判断する必要がある。各個人ごとに得られる情報の種類は異なることが多いと考え
られるが、多様性を保つためにも、各個人共通の尺度で判断すべきでない。
・ 集約性(a good method for aggregating opinions)
:上記 3 点の特性を生かして得ら
れた知識を全体で共有し、その中から比較検討して最終的な結論を導く仕組みが必要
である。
群衆の知恵を機能させるためには、まず始
めに多数の意見を求める必要がある。この多
数の意見は、上記の多様性・独立性・分散性
を備えているということが極めて重要であ
る。そして、この意見を集約する。個人の判
断というものは、正しい情報と間違った情報
の組み合わせであるという考えから、多数の
意見を集約する際に、ベクトルに統一性の無
い「間違った情報」は相殺され、ベクトルが
一致する「正しい情報」のみが増幅される。
結果として、洗練された正しい情報=群衆の
出所:筆者作成。
図 1-2. 群衆の知恵のメカニズム
知恵が得られるというメカニズムである。
一方、集団的知性においては、次のような条件が必要となる。
・ 多様性(diversity of opinion)
:群衆の知恵と同様に、集団的知性においても多様性
は必要である。各意見が多様な背景や観点によるものであることによって、全体とし
て多くの解候補をもつ可能性が高くなる。
15
・ 共有(Sharing of opinion)
:各個人の意見や提案をより高次のものへと昇華するため
に、各個人の意見を他者と共有し、それが相互に参照可能である状態にする必要があ
る。
・ 協力と競争(collaboration and competition)
:意見を他者と共有していく中で、互い
の意見を修正し評価し合う。そのためには互いが協力・競争する必要があり、それに
より一つの優れた知見へと昇華され、集合知となる。
・ フィードバック(feedback of the outcome)
:上記のプロセスによって得られた知見
(成果)は、再度共有される。このフィードバックを含めたプロセスの循環によって、
より高次の情報へと洗練することが可能になる。
集団的知性を機能させるためには、
群衆の知恵と同様にまず始めに多様な
意見を求める必要がある。そもそも、
この意見が一様な場合では、それを複
数集める意義はない。そのため、一様
な意見を集めたとしても、それを集合
知といえないのは当然のことである。2
つの集合知のメカニズムの差異は、こ
の後のプロセスにおいて明確になる。
多様な意見が抽出された後で、それら
を集団全体で共有する。意見を共有す
るということは、集団の中にいる全て
出所:筆者作成。
の人が、その中にいる個々人の意見を
図 1-3. 集団的知性のメカニズム
認識することができ、評価し合うこと
ができる状態にあるということである。
この過程の中で、共有される多様な意見を、集団の中で互いに修正し合ったり、あるいは
複数の意見から優れている点を抽出して統合したりする。場合によっては意見をぶつけ合
うことで、より洗練された意見に昇華されたり、新たな知見に辿り着くことが期待される。
これらが、共有の中で発生する協力と競争である。この協力と競争を経て、ある一定の成
果がもたらされる。この成果を集合知と捉えてもよい。しかし、集団的知性のメカニズム
において特徴的なのは、意図的な中断さえなければ、それに終わりがないという点である。
もたらされた成果は、集団の中で再度共有されるからである。この成果のフィードバック
により、得られた知見は集団の中で連続的に評価・修正される。この循環により、より高
次の洗練された集合知へとなるのである。
群衆の知恵と集団の知恵の両方で、それが機能するために多様性が必要であると述べた
が、一方で過度な多様性は、その結果として深刻なコンフリクトの発生や、共通性が全く
16
なくなるという事態を招き、集約そのものを困難にして、パフォーマンスをかえって低下
させることも同時に確認されている。集団の多様性がパフォーマンスにポジティブに作用
する条件がある。Sawyer, K.〔2007〕は、そのために、少なくとも集団の間に以下のよう
な要件が満たされる必要があるとした。
・ よく定義された目標。
・ 適度な知識の共有。
・ 親身な傾聴とオープンなコミュニケーション文化。
・ 自立性、公平性、等しい参画。
前節で例に挙げた Linux や Wikipedia のようなオープンソースソフトウェア・オープン
コンテント開発の多くは、そもそも自発的な組織によって行われるため、このような多様
性を尊重する風土が本質的に備わっていると期待できる点が重要である。ただし、それら
の組織も、大なり小なり階層的であることが指摘されている(Grant, R. M.〔2007〕
)
。仮
に、既存の集団(組織)に多様性がないと判断された場合には、その問題を解決するため
に、多様性のマネジメントを意識的に行うことで効果が得られる。集団のリーダーとなる
人物が、その経歴において多様性をもつと、組織のパフォーマンスによい影響を与えるこ
とが確認されている。また、階層的な集団であっても、各階層においてそのメンバーに多
様性があると、組織全体としては多様性をもち、高いパフォーマンスを上げることが期待
できる。
1-4 第 1 章のまとめ
本章では、先行研究に基づく集合知の定義を示した。まず、集合知は「集団的知性(=
Collective Intelligence)
」と「群衆の知恵(=Wisdom of Crowds)
」の 2 つを意味すること
を示し、それぞれの定義・特徴を示した。その上で、それぞれの集合知について、事例を
挙げながら有効性を検証した。群衆の知恵においては、
「ビンの中のジェリービーンズ」の
実験、スペースシャトル・チャレンジャー号爆発事故後の株式市場を例に、集団的知性に
おいては、オープンソース OS の Linux、オープンコンテントの Wikipedia を例に挙げ、
それぞれの事例において集合知が有効に機能したことから、集合知の有効性を示した。そ
して最後に、それぞれの集合知のメカニズムを解説するとともに、集合知が機能する条件
(群衆の知恵においては、多様性・独立性・分散性・集約性、集団的知性においては、多
様性・共有・協力と競争・フィードバック)を示した。
17
18
第2章 民主主義理論と集合知
本章では、集合知を政治的に応用する上で前提となる民主主義理論について論述する。
始めに民主主義理論を歴史的に概観し、その上で、集合知を政治的に応用するための条件
となるコンセンサス型民主主義について言及する。
2-1 民主主義の簡略な定義
民主主義の定義や測定に関しては、様々な見解が存在する。例えば、ロバート A. ダー
ル〔1981〕が提案した 8 つの基準は、現存する民主主義体制の定義として広く指示されて
いるものの一つである。その 8 基準とは、すなわち以下のとおりである。
(1) 投票の権利
(2) 公職への被選挙権
(3) 政治指導者が、民衆の指示を求めて競争する権利
(4) 自由かつ公正な選挙
(5) 結社の自由
(6) 表現の自由
(7) 多用な情報源
(8) 政府の政策を、投票あるいはその他の要求の表現に基づかせる諸制度
これらの基準は、「人民の、人民(あるいは人民の代表)による、人民のための政治」と
いう、エイブラハム・リンカーンの簡潔な民主主義の定義に対応している9。例えば、
「人民
による」は、普通選挙権、被選挙権、及び自由・公平な選挙を示唆する。また、選挙前、
あるいは一つの選挙から次の選挙までの期間に表現や組織の自由がなければ、自由・公平
な選挙であるとはいえない。同様に、「人民のため」という定義は、有権者の選好に沿うよ
うに対応する政府、というダールの 8 番目の基準と合致する。
ダールが定義するような民主主義体制は、20 世紀の現象である。Therborn, G〔1977〕
によると、オーストラリアとニュージーランドが 20 世紀初頭に最初の民主主義的な統治を
確立した国である。特にニュージーランドは、1893 年に既にマオリ少数民族を含む男女に
選挙権が与えられ、純粋な普通選挙権を導入した最初の国である10。オーストラリアでは、
1902 年には青年男女に選挙権が与えられたが、全人口の約 2%を占めるアボリジニー(原
住民)には、1962 年まで連邦選挙レベルでの選挙権がなかった。
9
この定義の由来はリンカーンではなく、ダニエル・ウェブスターであるとする主張もある。
ウェブスターは、
リンカーンのゲティスバーグ演説の 30 年前である 1830 年に、
「人民の、
人民のための、人民によってつくられ、人民に対し説明責任のある政府」という演説をし
ており、これを根拠とした主張である。
10 しかし、公職の被選挙権は 1919 年まで女性に与えられていなかった。
19
アメリカに本部を置く NGO、フリーダムハウス11は、市民的自由が諸国で守られている
かを監視することを目的として、192 カ国と紛争地域を含む 14 地域の自由度を表す「世界
における自由」という指標を、1972 年以来毎年公表している。各国は「自由」、
「部分的に
自由」
、
「自由でない」の 3 段階で評価される。これらは、ダールの基準に類似した 2 種類
の基準に基づいて測定される。それは、
「政治的自由」と「市民的自由」の 2 種類であり、
これらが 1 から 7 の数字で表され、数字が低いほど高評価(自由度が高い)とみなされる。
「政治的自由」については、自由で公正な普通選挙、公職への立候補、政党への参加など
を含む、政治過程への参加の自由に関する事項をもとに評価され、
「市民的自由」について
は、表現・信仰の自由、結社の自由、法の支配や個人の自律などをもとに評価される。し
たがって、
「自由」と評価された国は民主主義体制であるとみなすことができる。
2-2 本研究における民主主義理論
民主主義を以上のように簡潔に定義することはできるが、本研究における集合知と政治
との関係を明確にするために、以下では、その理解に最低限必要であると考えられる民主
主義理論について触れることにする。
2-2-1 民主主義理論の概観
そもそも、民主主義(democracy)という言葉は、ギリシア語の「デモクラティア
(demokratia)
」に由来し、その語源はデモス(人民)とクラトス(支配)に辿られる。つ
まり、デモクラシーとは「人民による支配」
、すなわち政治権力が一人や少数者ではなく、
多数者により保持されている統治形態に適用されてきたという点では大方の一致を見てい
る(Lively, J.(ジャック・ライヴリー)
〔1989〕
)
。しかし、何をもって「人民の支配」と定
義するか、
「人民による支配」が成立し得るための条件が何かについては、古代ギリシアか
ら現代に至るまで異なる意見が提示されてきた。ライヴリーは、
「人民による支配について
主張されるものを、以下の 7 つに分類している12。
(1) 全員が、立法、一方的政策の決定、法の適用、および政府の行政に関与すべきで
あるという意味で、全員が統治すること。
(2) 全員が、重要な決定作成、すなわち一般的な法律、一般的政策の決定に個人的に
関与すること。
(3) 治者が、被治者に対し責任を負うこと。言い換えれば、治者が被治者に対して自
11
フリーダムハウスは影響力のあるアドボカシー(市民政策提言)団体であり、アメリカ
のリーダーシップによって自由を広める目的で、エレノア・ローズベルト大統領夫人らに
よって設立された。ウクライナのオレンジ革命では、学生の反体制運動への支援で中心的
な役割を果たした。フリーダムハウスの委員会には元政府高官、財界や労組の指導者、学
界、文壇、メディアといった各界の人物が名を連ねている。
12 Lively, J. op. cit.
20
らの行動を正当に理由づける義務があり、かつ、被治者によって解任させられう
ること。
(4) 治者は、被治者の代表に責任を負うこと。
(5) 治者は、被治者によって選挙されること。
(6) 治者は、被治者の代表によって選出されること。
(7) 治者は、被治者のために行動すること。
これらの主張を大まかに分けると、その底流にあるのは、民主主義は市民がより決定に
参加することを意味するのか、もしくは代表者の選択を意味するのかという論争になる。
どちらが民主主義の定義として望ましいかは、民主主義の望ましいあり方をどのように考
えるかに依存する。
「民主政治にとっては、人々が参加することが重要である」とする考え
方からすると、民主主義とは市民がより決定に参加することを意味することになる。一方、
「民主政治が安定的かつ効率的に運営されるためには、エリートに政治を委任する代議制
が望ましい」とする考え方においては、民主主義が代表者の選択を意味することになる。
こうした 2 つの考え方は、前者が参加民主主義理論、後者がエリート民主主義理論と呼
ばれ、近代から現代に至るまで議論が続いているところである。近代までの論争について
言えば、前者の論客にはジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)
、若干では
あるがジョン・スチュワート・ミル(John Stuart Mill)が、後者には、ジェームズ・マデ
ィソン(James Madison)
、ジェレミー・ベンサム(Jeremy Bentham)
、ジェームズ・ミ
ル(James Mill)らが想起される。また、現代では 1960 年代から 80 年代の政治参加が拡
大した時期に盛んに議論が行われた。
2-2-2 エリート民主主義理論
エリート民主主義論者の代表として取り上げられるのが、J. A. シュンペーター(Joseph
Alois Schumpeter)
〔1995〕である。シュンペーターは、古典的民主主義理論を「人民の意
思を具現するために集められるべき代表者を選出することによって、人民自らが問題の決
定をなし、それによって公益を実現せんとするものである」とした上で、この理論に対し
次の 3 つの視点から反論を行い、新しい民主主義理論を提示している。
まず、1 点目の反論は、古典的理論では「公益」が存在するとされており、その結果、全
ての人民は少なくとも原理上では意見の一致を見ることになり、人民の「共通の意思」な
るものが存在することになる。しかし、
「公益なるものの内容が個々人や集団の間で各々異
ならざるを得ないという基本的事実から、全ての人民が一致しうるか、あるいは合理的な
議論の説得力をもって一致せしめるような、一義的に基底された公益なるものは全く存在
しない」と主張した。また、「たとえ十分に明確な公益の存在が万人に承認されうるものと
立証されたとしても、個々の問題について等しく明確な解答の与えられることを意味する
ものではない」とし、その結果、「万人に識別しうる一義的に基底された公益の存在を前提
21
条件としていた人民の意思ないし一般意思なる概念は、前提が否定されることになり、空
中に霧散してしまう」と主張した。
また、2 点目としては、非民主主義的な主体による決定が民主的決定よりも受け入れられ
やすい場合も起こり得るということからの反論である。すなわち、民主的方法では多様な
当事者が合意しなかったであろう政策も、非民主主義的な主体によれば設定でき、その結
果多くの人民が満足する結果を導くこともあるということである。逆に言えば、個々人の
意思を積み上げても多くの人が満足する結果を得られない場合があるということを指摘し
ている。
最後に、個々の市民が現実感をもって行う日常生活上の決定を超えるような内外の政策
問題に対しては、現実感が失われるため、責任感の低下や有効な意思が欠如し無知や判断
力の欠如が生じるとする。そして、これにより非合理的な偏見や衝動に動かされやすくな
るほか、人民の意思がつくり出される恐れがあることを指摘し、古典的民主主義学説の前
提とする人間性、すなわち選挙民の意思の明確性、自立性、行為の合理性を否定した。
このような批判を行った上で、シュンペーターは、より現実的な民主主義の定義を行っ
た。彼によれば、民主主義とは「政治的決定に到達するために、個々人が人民の投票を獲
得するための競争的闘争を行うことにより決定力を得るような制度的装置」である。つま
り、
「人民が実際に支配することを意味するものでなく、人民が彼らの支配者となる人を承
認するか拒否するかの機会を与えられている」だけであり、
「指導者たらんとする人々が選
挙民の投票をかき集めるために自由な競争をなし得るということ」であると定義した。そ
して、投票者側の役割としては、
「自分たちの選んだ政治家との間の分業を尊重しなければ
ならない」とし、「いったんはある人を選んだ以上、政治活動はその人々の仕事であり、自
分たちの仕事ではなくなることを了解せねばならない」とした。つまり、政治家に対し、
投票者側が何をするべきかを教示することを慎まなければならないということである。ま
た、彼は、代議士の活動の自由を制限するような試み(書簡や電報で彼らを攻撃すること)
も禁止しなければならないとした。シュンペーターが定義した民主主義とは、リーダー間
の投票獲得競争が行われることであり、投票者側には非常に限定的な役割しか持たせてい
ないのである。
2-2-3 参加民主主義理論
エリート民主主義論者の主張は、根本には古典的民主主義論者が主張するような市民の
存在、すなわち能力を有する市民像に懐疑心を抱いており、現実的な市民像を前提に考え
たときに適用できる民主主義論を展開している。こうした考え方に対し、人々が参加する
こと自体に価値があるとするのが参加民主主義論者である。
まず、エリート民主主義論者に批判を行ったものとして、ジャック・ウォーカー(Jack L.
Walker)が挙げられる。中谷〔2005〕は、ウォーカーの論文を取り上げ、彼の理論を紹介
22
している13。ウォーカーは、エリート民主主義理論を次の 3 点から批判した。
1 点目として、
「伝統的理論の心は、コミュニティの事柄における幅広い参加によって、
この役割を担う十分な能力があり責任がある市民を供給することであった。つまり、古典
的理論は、いかなる存在する政府システムについて言われたものではなく、創造しようと
努力すべき理想的な政体の一連の処方箋であった。しかし、エリート主義理論は、現実主
義という目的の中で民主主義理論におけるこの特有の処方箋を変えた。彼らは、民主主義
の主要な目標を効率性と安定性にとってかえたのである。もし、このような改定が受け入
れられれば、政治行動についての確実な説明を努力しようとするとき、政治学者は現存す
る政治秩序の洗練された弁解者になりさがるという危険が生じる」としている点である。
すなわち、ウォーカーは、エリート民主主義論が現実主義を目的とする中で、民主主義の
規範的意味、すなわちユートピア的ビジョンが弱められており、将来に対する十分な方向
性を与えていないとしている。換言するならば、エリート民主主義理論では、将来目指す
べき理想の政体のあり方というものを十分提示できないとしているのである。
また 2 点目として、エリート民主主義論者は、市民を、私的生活などに主要な関心があ
る一方で統治者には忠義を示し、受動的で政治に安心がなく情報もなく無気力な存在とす
る。そして、このように広がったアパシー(政治的無関心)は、不安があっても大規模な
人数にならず、また社会を暴力的な無秩序状態に陥れることもないことから、民主的安定
性に貢献しているという。しかし、ウォーカーは、アメリカにおいて幅広い政治的アパシ
ーがあることは否定しないが、より重要なのは、なぜアパシーが存在するのかであり、ど
のようにこの現象がシステムの円滑な機能に貢献するかではないとしている。アパシーは
明らかに多くの要因をもっている。それは個人的な不満感からくるかもしれないし、イシ
ューに対する無関心からくるかもしれない。しかし、同じように社会の制度的構造や政治
システムの幅広い参加に対する反対要素や行動を刺激するものが欠如しているからかもし
れないし、有形の抑止の存在によるかもしれない。エリート民主主義理論では、このよう
な構造を研究することから目を背けることになるわけであり、現代の政治学者によるエリ
ート主義理論の一般的な受容は、アメリカの社会において重要な発展を無視することにな
るとした。
さらに、3 点目として、ウォーカーは、エリート民主主義論者は代議政府の安全性と実行
可能性を保障するためのリーダーシップの重要性に同意する一方、社会運動を民主主義へ
の脅威、政治的過激主義とみなしており、また、この種の運動は政治システムを混乱に陥
れるものであり、エリートがこれらの勢力に負かされたら民主主義は破壊されると認識し
てきたという。しかし、ウォーカーは、社会運動によって新たな革新が社会政策や経済組
織において生じており、社会運動の機能を認めるべきであり、この動態を明らかにするこ
とが政治学者に求められているとしている。
原著は、Walker, J. L. “A Critique of the Elitist Theory of Democracy”, American
Poitical Science Review, 1966.
13
23
以上のように、ウォーカーは規範的側面と経験的研究の不十分さという点から、エリー
ト民主主義理論を批判している。
また、イアン・バッジ(Ian Budge)
〔2000〕は、「市民同士、また市民と政府の間に双
方向的なコミュニケーションの機会が拡大した現在においては、直接民主制を実現の可能
性がないものという理由で片付けることはできない」としている。そして、市民が無媒介
に直接投票を行う形態が直接民主制の唯一の形態ではないとし、直接民主制と代表民主制
の間には様々な中間的形態が存在していることを指摘している。さらに、現在の議会にお
ける投票と同様に、政党によって方向付けられ制度化された直接民主制は、直接民主制に
反対する論拠の多くを退けるとしている。それは、政党に基盤を持つ直接民主制であり、
第一に、競争し合う政党から政権党が選ばれ、第二に、政権党によって提出される法案に
ついて有権者が直接投票できるようにするものである。
2-2-4 コンセンサス型民主主義
以上では、民主主義理論を、現代におけるエリート民主主義理論と参加型民主主義の 2
つに分けて概観した。アレンド・レイプハルト(Arend Lijphart)
〔2005〕は、この 2 つの
理論とは別に、民主主義を「多数決型民主主義」と「コンセンサス型民主主義」に大別し
ている14。多数決型もコンセンサス型も、基本的には、「人民の、人民(あるいは人民の代
表)による、人民のための政治」という、最も基本的な民主主義の定義から派生している。
民主主義を「人民の、人民による、人民のための政治」とする定義は、根源的な問題を提
起する。つまり、人民が対立し、またその選好が多岐にわたる場合、誰が政治を行い、誰
の利益に則した政治をするのか、という問題である。その解答の一つは、人民のうちの多
数派によるもの、である。これは、多数決型民主主義の基本精神である。その主張は単純
明快であり、また、多数派による、多数派の選好に則した政治は、少数派のための、少数
派の選好に則した政治よりも「人民の、人民による、人民のための政治」という理想に近
く、魅力的である。
この問題へのもう一つの答えは、できるだけ多くの人民によるもの、である。これは、
コンセンサス型民主主義の要点であり、多数派による政治を少数派の政治よりも優先する
点で多数決型民主主義と同様であるが、多数決ルールはあくまで最低限の必要要件として
いるにすぎない。多数決という狭い決定ルールに満足する代わりに、コンセンサス型民主
主義は「多数派」の規模を最大化しようとする。そこでの諸制度は、政治への幅広い参加
や、政府の政策に対する広範な意見の一致を目指し、また、政治権力を様々な方法で共有、
拡散、制限しようとする。一方、多数決型民主主義は、ぎりぎりの過半数に政治権力を与
えることに焦点を置く15。これに類似した対比として、多数決型民主主義は排他的、競争的、
14
本研究では、多数決型民主主義理論とコンセンサス型民主主義理論を、参加型民主主義
理論に内包するものとして捉える。
15 過半数ではなく相対多数である場合もある。
24
敵対的であり、一方のコンセンサス型民主主義は、包括的、交渉的、妥協的ということも
できる。
詳細は第 4 節にて後述するが、本研究においては、コンセンサス型民主主義が、集合知
を政治的に応用する上で重要な理論であるということを先に述べておく。以上で見てきた
民主主義理論を、図 2-1 に整理した。
出所:筆者作成。
図 2-1. 本研究における民主主義理論の位置付け
2-3 コンセンサス型民主主義の優越性
レイプハルト〔2005〕は、多数決型民主主義よりもコンセンサス型民主主義の方が、民
主主義の質が高い傾向にあることを単回帰分析によって検証している。
表 2-1 は、民主主義の質に関する 7 つのカテゴリーにおける指標と、コンセンサス型民
主主義の程度との関係を示す単回帰分析の結果である。独立変数は 1971 年から 1996 年期
間のコンセンサス型民主主義の程度である。最初の 2 行にあるのは、民主主義の質に関す
る包括的な指標で、非民主主義から完璧な民主主義の範囲での民主主義の程度を示す。こ
こでの「民主主義度」を民主主義の質の高低と解釈することができる。
第一の民主主義の質に関する指標は、ロバート A. ダール〔1981〕が作成した民主化指
数(以下、ポリアーキー指数)である。表から読み取れるように、コンセンサス型民主主
義はポリアーキー指数と強い相関関係にある(有意水準 1%)
。コンセンサス型民主主義と
多数決型民主主義との差は、9 点尺度で 3 点以上あり、これは回帰分析では 2 倍の値である。
25
第二の民主主義の質に関する指標は、T. バンハネン(Tatu Vanhanen)の民主化指数(以
下、バンハネン指数)で16、これは、1980 年から 1988 年の期間に関し、世界のほとんどの
国を対象に民主化度を測定している。バンハネン指数は、野党の得票率で測定した競合の
度合いと、投票率で見た政治参加の程度の二つの要素の総合値である。コンセンサス型民
主主義と対象国に関するバンハネン指数の値との回帰分析結果によると、両者の相関関係
は非常に強い(有意水準 1%)
。
その他、説明が必要であると思われる従属変数(家族政策指数17、十分位比18、パワーリ
原著は、Vanhanen, Tatu(1990), The Process of Democratization: A Comparative Study
of 147 States, 1980- 1988, New York: Crane Russak.
17 「家族政策指数」とは、先進国の家族政策の革新性・包括性を測定したものである。女
性の利益保護の指標として用いられている。
18 「十分位比」とは、上下 10%の所得層の所得比率を表している。経済的平等の指標とし
て用いられ、ほとんどの OECD(経済協力開発機構)諸国について利用可能である。
16
26
ソース指標19、政府距離指数20、有権者距離指数21)については脚注にて解説する。これら
の変数の全てにおいて、コンセンサス型民主主義の方が民主主義の質が高いという結果が
示された。これを根拠に、本研究では、集合知の政治的応用においてはコンセンサス型民
主主義が不可欠なものであると位置付ける。
2-4 コンセンサス型民主主義における集合知
コンセンサス型民主主義は、
「人民が対立し、またその選好が多岐にわたる場合、誰が政
治を行い、誰の利益に則した政治をするのか」という問に対し、
「できるだけ多くの人民に
よるもの」という解を示す。コンセンサス型民主主義が、多数派の規模を最大化しようと
することや、諸制度において、政治への幅広い参加や、政府の政策に対する広範な意見の
一致を目指し、政治権力を様々な方法で共有、拡散、制限しようとするということは前述
のとおりである。
ここで集合知に話を戻すと、集合知の概念もまた、コンセンサス型民主主義のそれと非
常に近いものがある。群衆の知恵と集団的知性は、それぞれ似て非なる性質をもつものの、
あることに対する複数の意見を集約し、最適化(最大化)したものという点では同じゴー
ルをもっている。また、2 つの集合知が有効に機能するための条件として、どちらも多様性
を必要としている。集団の多様性がポジティブに作用する条件として Sawyer, K.〔2007〕
が挙げた「よく定義された目標」
、「適度な知識の共有」、
「親身な傾聴とオープンなコミュ
ニケーション文化」
、「自立性、公平性、等しい参画」というものは、コンセンサス型民主
主義の理念と一致している。
以上のことや、前節で取り上げた回帰分析の結果を考慮すると、集合知の政治的応用に
おいては、コンセンサス型民主主義の理論が前提としてあることが不可欠であるといえる。
そのため、本研究では、
「国や自治体などの集団がコンセンサス型民主主義の体制下にある
こと」を、集合知が政治的に応用される条件として規定する。
2-5 第 2 章のまとめ
本章では、民主主義理論と集合知の関係を示した。まず、導入として、ロバート A. ダ
ールが提案した 8 基準とフリーダムハウスが公表している指数を用いて、民主主義を簡単
に定義づけた。その上で、本研究において最低限理解が必要であると考えられる民主主義
19
「パワーリソース指標」とは、識字率や都市化率などに基づき、貧富格差比率・十分位
比とともに経済的平等を表す指標として用いられている。
20 「政府距離指数」とは、政府の政策位置とメディアン有権者の政策位置との距離格差を
10 点尺度で測定したものである。政府の政策と有権者選好との距離格差を示す指標とし
て用いられている。
21 「有権者距離指数」とは、政府の政策位置とメディアン有権者の政策位置との間に存在
する有権者の割合であり、政府距離指数とともに政府の政策と有権者選好との距離格差を
示す指標として用いられている。両指数における値が小さいほど、政府は市民の政策選好
をより適切に代表しているといえる。
27
理論として、エリート民主主義、参加民主主義、多数決型民主主義、コンセンサス型民主
主義の 4 つの理論についてまとめた。また、多数決型民主主義とコンセンサス型民主主義
を参加型民主主義に内包するものとして捉えた上で、レイプハルトの単回帰分析を用いて、
コンセンサス型民主主義が多数決型民主主義に対して優れた性質を備えていることを示し
た。そして、集合知とコンセンサス型民主主義の概念・性質の類似性を根拠に、
「国や自治
体などの集団がコンセンサス型民主主義の体制下にあること」を、集合知が政治的に応用
される条件として規定した。
28
第3章 ソーシャルメディアとアラブの春
本章では、Web2.0 の潮流の中で浸透してきたソーシャルメディアについて考察する。ソ
ーシャルメディアについて簡単に整理した上で、アラブ諸国での民主化運動「アラブの春」
を例に、政治において活用されたソーシャルメディアの新たな役割について言及する。
3-1 ソーシャルメディアの定義と特徴
Kaplan, A. M.と Haenlein, M.〔2009〕は、ソーシャルメディアを「Web2.0 の思想的及
び技術的基礎に基づいたインターネット上のアプリケーション群であって、UGC22の創造
と交換を可能にするもの」と定義している。Web2.0 は、ティム・オライリー(Tim O'Reilly)
によって提唱された概念であるが、ここではユーザー間の UGC と双方向かつ流動的な交流
を支援する次世代ウェブの概念として使われている。ここで重要なのは、ソーシャルメデ
ィアが、主にインターネットをインフラとして、人間同士が相互に作用し合うことによっ
て拡がっていくメディアであり、情報発信の主体は、従来のように企業など大規模なもの
ではなく個人であるということである。
一方、マスメディアの情報発信は一般的に、テレビ局や新聞社、出版社などといったマ
スコミと呼ばれる大企業群(報道機関)が中心である23。そして、基本的に情報発信は、特
定の個人に向けて行われるのでも、双方向的になされるのでもなく、ある程度セグメント
化された相手に、一方的に発信されることになる。マスメディアに対する個人の影響力と
いうのは非常に小さく、余程のことがない限り、情報の受け手側(個人)の意向がマスコ
ミに影響を与えることはない。
ソーシャルメディアは、マスメディアのトップダウンの情報発信に対して、ボトムアッ
プの情報展開である。そして、Facebook や Twitter などに代表される「双方向」の性質が
非常に強い。草の根メディアと呼ばれる所以がここにある。さらに、ソーシャルメディア
は、マスメディアに対して独自の視点を供給し、そのスピードにおいてはマスメディアを
も凌駕する。個人でさえ成り立つソーシャルメディアは、参入障壁も低く、マスメディア
にありがちな圧力や制限がないに等しいため、必然的に行動も早くなるのである。
従来のマスメディアと比較して、ソーシャルメディアは、以下のような点で明らかに異
なっている。
・ アクセス性:ソーシャルメディア・ツールには、従来に比べはるかに安いコスト、あ
るいは無料でアクセス可能である。
・ 利便性:ソーシャルメディアへの参画には、特別な技術や訓練を要求されない。
UGC(User Generated Content)とは、ユーザー生成コンテント、すなわち、インター
ネットなどを活用して消費者が内容を生成していくコンテンツのことである。
23 小規模の事業体もあるとはいえ、発言力が小さい。マスメディアにおいては、事業体と
しての規模が発言力に比例するといえる。
22
29
・ 即時性:情報の更新は、ソーシャルメディアの方が圧倒的に早い。
・ 独自性:ソーシャルメディアは、圧力や制限を受けることが少なく、個人が独自の視
点で情報を発信できる。
・ 改変性:従来のメディアコンテンツは、一度発信されるとその改変は不可能だったが、
ソーシャルメディアでは、それが随時可能である。
出所:立入〔2011〕
図 3-1. ソーシャルメディアの分類
3-2 アラブの春とアラブ諸国の情勢
アラブの春とは、2010 年末から 2011 年にかけて、アラブ諸国を中心に発生した一連の
民主化運動の総称である。2010 年 12 月 17 日から始まったチュニジアにおける民主化運動
(ジャスミン革命)を発端に、アラブ諸国を中心に世界各国に伝播した。図 3-2 は、2010
年から 2011 年にかけて民主化運動が発生した国を示している。地図上において、赤色で塗
りつぶされている国が、アラブの春の中心となった国である。そして、黄色で塗りつぶさ
れている国が、アラブ諸国の運動を受けて、何かしら民主化運動が発生した国である。従
来の民主化運動は、一国の中で独立的に勃発することが通例であり、このように連鎖的に
発生したり、隣国を越えて影響が伝播するようなことは考えられなかった。また、1 年以内
という短期間にもかかわらず、約 50 カ国という、これほどまでに多くの国で民主化運動が
30
発生するような例は、従来においては皆無であった。アラブの春が、このように短期間で、
広範囲に、連鎖的に発生した要因として、ソーシャルメディアの存在が挙げられる。市民
によって、デモの開催日時・場所やそれに対する警察・軍の取り締まり情報の発信、同志
の募集、デモの映像配信、政府機密情報のリークなどのために、Facebook や Twitter とい
ったソーシャルメディアが使用されたのである。すなわち、アラブの春は、ソーシャルメ
ディアが媒介となって推進された、新しい形態の民主化運動であったといえる。
出所:筆者作成。
図 3-2. アラブの春とその伝播
31
アラブ諸国の特徴として、長期独裁政権が挙げられる。図 3-3 は、アラブ諸国における国
家元首の在任期間を示したものである24。在任期間が 30 年以上の国は、リビア(在任 41
年)
、オマーン(在任 41 年)
、イエメン(在任 33 年)25、在任期間が 20 年以上 30 年未満
の国は、エジプト(在任 29 年)
、チュニジア(在任 23 年)
、スーダン(在任 22 年)
、在任
期間が 10 年以上 20 年未満の国は、アルジェリア(在任 12 年)
、モロッコ(在任 12 年)
、
ヨルダン(在任 12 年)
、シリア(在任 11 年)となっている。このように、政権が長期にわ
たって独裁を続けている国が多く、また、厳格なイスラーム社会の元での圧政が多いのが
特徴である。
出所:筆者作成。
図 3-3. アラブ諸国における国家元首の在任期間
表 3-1 は、アラブ諸国における IT 普及率を示している。日本や欧米の先進国ほどではな
いにせよ、インターネットは一般市民にも普及しつつある。SNS の代表格ともいえる
Facebook の普及率も決して低いわけではなく26、若年層に限ってみれば、この数値はさら
に高くなるものと考えられる。一方、携帯電話の普及率は、一部の国を除けば各国とも高
いといえる。100%を超える国では、単純計算で一人当たり平均 1 台以上を所有しているこ
とになる。このように、アラブ諸国においてもインターネットや携帯電話といった IT が普
及しつつあり、これらとソーシャルメディアを活用し、民主化運動を進めていったと考え
られる。
24
アラブの春によって政権が崩壊した国は、その直前までの在任期間を示している。
イエメンにおける在任期間は、統合前の北イエメンの時代にサーレハ大統領が就任して
からの継続年数である。
26 参考までに、日本におけるフェイスブックの普及率は、5.3%(対インターネット人口、
2011 年 11 月)である。
25
32
3-3 ジャスミン革命
チュニジアの人口は約 1,065 万人で、イスラーム多産主義の伝統によって若者の人口比
が急増し、25 歳以下の若年層が 60%を占めている27。インターネット接続率は約 33%で、
350 万人以上がインターネット利用者であり、そのうちの 6 割、人口の 20%にあたる約 200
万人が Facebook を利用している。これはアフリカ諸国の中でも相当高い方で、インターネ
ット先進国であるといえる。また、チュニジアは他のアフリカ諸国と比べると、経済的に
は比較的豊かで、女性の社会的地位もある程度保証されている。西欧諸国との関係も比較
的緊密で、特にフランスとの関係が良好である。
27
IMF World Economic Outlook Database, September 2011.
33
一方で、チュニジアにおける言論の自由指数は、調査対象 178 カ国の中で 164 位であり、
マスメディアなどの表現の自由は厳しく制限されていた28。それは、インターネットに対し
ても同様で、2002 年 6 月 5 日のチュニジアのオンライン新聞 TUNeZINE の設立者 Zouhair
Yahyaoui が、チュニジアに対し批判的な記事を多く掲載していたとして逮捕されたことを
皮切りに、インターネットに対する持続的で厳しい検閲と、時にはサイトへのアクセス遮
断も実施されており、中国やイランに次ぐインターネット検閲国と言われている。しかし、
厳しい検閲と統制を続けてきたにもかかわらず、Facebook を始めとする SNS の規制はし
ていなかったのである。SNS は、それまでの統制対象であった反政府報道機関やジャーナ
リストだけでなく、一般の富裕層らにも拡がっていたからであると考えられている。
3-3-1 革命の要因
革命の要因としては、経済不況や食糧難、高い失業率29、ベン・アリーによる長期独裁政
権が挙げられる。これらに対する不満や問題意識が、2 つの事件によって革命へと導かれた。
その事件の一つが、警察の横暴(野菜を売ることを禁止され、商品と屋台を没収された
上に、暴行を受けた)に対する 26 歳男性の抗議としての焼身自殺である。それを受けて、
同じく 5 人の若者が相次いで焼身自殺を遂げた。それが映像として Facebook を通じて伝わ
り、抗議デモが急速に拡散し、ジャスミン革命が本格化するきっかけになったと考えられ
る。
もう一つの事件は、2010 年末の、ウィキリークスによるアメリカの外交公電の公開であ
る。その中に、チュニジアのベン・アリー政権の腐敗を裏付ける証拠があったのである。
ウィキリークスによって公開された外務公電によると、2009 年 7 月に駐米チュニジア大使
のロバート・ゴーデックが、ベン・アリー政権は国民からの信頼を完全に失っていること、
腐敗が蔓延し、それに対する市民の怒りが増大していること、ベン・アリーの親族に対す
る市民感情は憎悪に近いことを述べている。外交公電の公開を受け、即時にウィキリーク
スのサイトをブロックするが、既に同じ情報を発信するミラーサイトや他のメディアを通
じて、公電の内容は流れていたため、その情報を完全に削除することはできなかった。チ
ュニジア市民は政権側の長年の腐敗について既に認識はしていたものの、それが公電の公
開によって公式なものとなった意味は大きい。公電では、ベン・アリーやその親族によっ
てつくられた、半ばマフィア組織のような政権の内幕に関する詳細な記述があった。現金
や土地が、誰の所有物であれ、ベン・アリー側が欲しいと思うものは全て手に入れること
ができると、米国外交官は伝えていた。そして、28 歳のチュニジア人男性が、公電に含ま
れているチュニジア関連文書の全てをアラビア語やフランス語に翻訳し、Facebook に掲載
RWB(Reporters Without Borders=国境なき記者団)
、世界言論自由指数(2010 年)。
チュニジアにおける失業率は 14.7%である(IMF World Economic Outlook Database,
September 2011.)
。労働市場の狭隘さから、とりわけ若年層の失業率が高水準であり、15
~24 歳の男性失業率は 31.0%である(チュニジア国立統計局(National Institute of
Statistics 2010.)。
28
29
34
した。政府の統制下にあるマスメディアがこれを公開するはずがなく、Facebook が政府検
閲を迂回できる唯一の方法であったと考えられる。Facebook への投稿後、1 週間が経たな
いうちに、17 万人の読者が集まった。チュニジア政府がそれに気づき、1 週間後に削除し
たときには、既にチュニジア内外のブロガーやインターネット利用者によってコピーされ、
他のサイトに転載されていた。
ここで、見えてくるのは、ソーシャルメディアが革命を後押しするという構図である。
従来の民主化運動には見られなかった、新しい革命の形態であるといえる。
3-3-2 革命におけるソーシャルメディアの役割
今回の革命には、SBZ News というオンラインニュースサイトも大きな役割を果たした。
これは、15 人のインターネットに詳しい活動家によって運営されるサイトで、自ら取材に
当たるほか、写真やビデオを集めては Facebook 等にアップロードし、Twitter でそのアッ
プデート状況を知らせるといった具合に、一連のソーシャルメディアを巧みに使いこなし
ていた。前述のように、ベン・アリー政権は厳しい言論統制で、政権末期には、電子メー
ルアカウントや Facebook のアカウントのパスワードもハッキングしており、政権崩壊まで
の間、少なくとも 5 人のブロガーが逮捕されている。そういった厳しい検閲の中で生活し
ているチュニジアのインターネット利用者は、検閲を迂回するために各種ソーシャルメデ
ィアを使い分けるなどの技術を自然と身に付けている。SBZ News に関わる活動家は、時
には取材現場にも出向いて、寄せられた情報を検証したり、追加取材を行ったりしながら
サイトを構築していた。これは、本来は既存のマスメディアが果たすべき役割であるが、
チュニジアでは統制もあり、そのようなことをするマスメディアは皆無であった。それだ
けに、ソーシャルメディアのジャーナリズムとしての役割に対する期待や実際の貢献度は
極めて大きかったのである。
チュニジアの活動家たちが具体的にはどのようにソーシャルメディアを使いこなしてい
たか。例えば、まず、政府に抗議する内容が含まれているホームページを立ち上げる。当
然、政府の閉鎖措置によって活用できなくなる。そこで、すぐに、これに対抗して”Free from
404”30というスローガンを掲げたデモ映像を集めて YouTube などにアップロードする。こ
のような、デモ隊がシュプレヒコールを上げながら警察と対立する動画が YouTube に多数
掲載されることになる。そして、その YouTube が遮断されると、今度は Facebook や Twitter
を通じて情報交換を行い、デモの組織化を行った。外国語で書かれた投稿内容は、自動で
チュニジアの公用語であるフランス語に翻訳されるなど、海外からのチュニジア関連の情
報を国内に知らせたり、またその逆のことを行うのに、Facebook の自動翻訳機能が重要な
404 とは、HTTP ステータスコードの一つで、インターネットで求めるページが見つか
らなかったときにサーバーが返すエラー番号である。チュニジア政府によるホームページ
閉鎖措置により、該当ページを開こうとするとこのコードが表示されることになる。”Free
from 404”とは、これに関連し、間接的に、あるいは皮肉を込めて言論の自由を求めている
スローガンであると考えられる。
30
35
役割を果たした。こうして、連日の反政府メッセージとデモ関連の知らせが、Facebook を
通じてフランスとエジプトを始めとする周辺諸国にも発信され、それらの国々からの支持
のメッセージもまた掲載されるようになったのである。
ジャスミン革命におけるソーシャルメディアの役割は、情報を透明化したという点と、
大規模なデモの組織化のための伝達ツールとなったという二点に大別される。前者の場合、
Facebook や Twitter、YouTube 等への記事、写真、映像の掲載という側面もあるが、既存
のメディアにソースを提供したという側面もある。例えば、今回の革命においても大きな
役割を果たしたとされるアルジャジーラ31が報道したチュニジア関係のニュースソースの
多くは、ソーシャルメディアから入手されたものである。
ソーシャルメディアやインターネットがなかったとしても、抗議デモは発生する。しか
し、もしそれらがなかったとしたら、市民は豊富で詳細な情報を得ることができなかった
ほか、アルジャジーラの連日の報道を始め、諸外国に情報の詳細が伝わることも容易では
なかったと考えられる。
3-4
エジプト革命
ジャスミン革命の余波は、エジプト、リビア、アルジェリア、イエメン、ヨルダン、サ
ウジアラビアなど周辺のアラブ諸国に急速に拡散している。いずれも、平均 30 年に達する
長期独裁政権、高い失業率32と物価、それらによる経済不安、そして強力な言論統制とイン
ターネット統制を特徴とする国々である。
最初に伝播したのが、エジプトである。市民の要求の中心は、30 年という長きに渡って
政権を執ってきたムバーラク大統領の退陣である。北アフリカにおける政変は 1950 年代に
も引き続いて起こったが、その時は、軍部によるクーデターが北アフリカ全域に拡がって
いくというものだった。そして、2011 年のエジプト革命では、インターネット、中でもソ
ーシャルメディアと衛星放送を通じて急速に拡散した。
エジプトの人口は約 8,112 万人で、チュニジアと同様に若年層が非常に多く、増加傾向に
ある。インターネット利用者は全体人口の約 20%であり、特にブログが盛んな点が特徴で
ある。Facebook の利用者は人口の 6%にあたる約 500 万人で、そのうち 18~34 歳の利用
者が 78%を占めているということから、若年層の利用率の高さでも際立っている。しかし、
エジプトにおける言論の自由指数は、調査対象 178 カ国の中で 126 位であり、チュニジア
同様、政府によるインターネットを含む言論・表現への弾圧が激しい国である。エジプト
政府は、2005 年からインターネット言論を統制し始め、
「イスラーム冒涜」
、
「大統領冒涜」
などを理由に、多くのブロガーらを逮捕していった。それによって、インターネットを通
31
アルジャジーラとは、カタール・ドーハに拠点を置く衛星放送局であり、アラビア語と
英語でニュース等を 24 時間放送している。アルジャジーラは、自らを「公正で政治的圧力
を受けない、中東で唯一の報道機関である」としている。
32 エジプトにおける失業率は 10.4%である(IMF World Economic Outlook Database,
September 2011.)
。
36
した国民の抵抗はさらに強まっていったのはチュニジア同様である。
3-4-1 革命の要因
大統領の辞任・亡命をもたらしたチュニジアのジャスミン革命を受けて、エジプトでも 1
月 17 日から 18 日にかけて 3 人が焼身自殺を図った。そして、1 月 25 日、ムバーラク大統
領の退陣および政治経済改革を要求する大規模なデモが始まった。そうした中、警察の発
砲によって 100 人以上が死亡、数千人が負傷するという事件が起こり、また、その直後に
は、政府が野党の要人 20 人を検挙し、モハメド・エルバラダイ元国際原子力機構事務総長
を軟禁するという暴挙に出た。そして、1 月 29 日、ムバーラク大統領がテレビ演説を通じ
て内閣解散と政治改革を明らかにしたが、直後に大統領側近を副大統領と総理に任命した
ことから、国民の怒りはさらに激化することになった。国際的にも、アメリカ、カナダ、
イギリス、スイスなど各地で連携デモが拡がり、アメリカ政府も、エジプト政府のデモ隊
に対する弾圧を中止するよう強く要請した。
エジプト革命の導火線となったのは、ハーリド・サイードという男性の死だった。サイ
ードは、警官の麻薬取引場面を録画したとして、警官によって路上で報復殺害された。エ
ジプト警察が麻薬売買している場面をカメラに収めていた彼を、警察がインターネットカ
フェから引きずり出し、殺害したのである。そうした警察による市民への虐待は、エジプ
トではそれほど珍しいことではないが、今回はそのニュースがソーシャルメディアを通じ
て広く伝播したことが新しい。事件をまとめた映像が YouTube にアップロードされると、
腐敗した警察に対する人々の怒りが高まった。特に市民運動集団「4 月 6 日グループ33」は、
「我々は皆ハーリド・サイード(We are all Khalid Saeed)
」というページを Facebook に
開設した。そして、彼の死を追悼し、死に追いやった警察やエジプト政権を糾弾する集い
を呼びかけたところ、1 週間以内に 13 万人のユーザーがそのページを訪れ、2011 年 1 月
15 日の時点では 66 万人にも上った。政権への怒りを抱く若者は、Facebook での書き込み
や Twitter でのつぶやきによって権力に対抗した。そして、祝日の 1 月 25 日に大統領退陣
要求集会を開催することを提案すると、9 万人のインターネット利用者が署名をしたのであ
る。
3-4-2 革命におけるソーシャルメディアの役割
エジプト革命の 2 年前、2009 年 4 月 6 日に、ムバーラク政権の腐敗に対する全国的な抗
議デモが起こった。これは、
「エジプト 4 月 6 日運動」と称されている。これは、元々は繊
維工場の労働者によるストライキのはずだった。
ところが、
これを反政府活動家が Facebook
で呼びかけ、活動を展開していった結果、工場でのストライキにとどまらず、全国的な抗
議デモへと発展していった。それは、劣悪な労働条件や急騰する物価に対する市民の不満
4 月 6 日グループとは、後述する「エジプト 4 月 6 日運動」を機に団結した、フェイス
ブックを通して市民運動を行う集団である。
33
37
が噴出した結果でもあった。起点となったのは、若い女性活動家の Facebook での抗議デモ
の呼びかけだった。呼びかけから 2 週間で 7 万人を超える Facebook 利用者がデモへの参加
を約束し、これに気付いた政治ブロガーもこのデモへの参加を呼びかけ、野党もこれに全
面的に合流することになった。こうして、様々な政治組織が結集し、それまでの数十年間
で最も大規模な政治運動へとつながっていった。このような Facebook の活用が、最終的に
2011 年のエジプト革命へとつながっていったのである。
ジャスミン革命と同様、エジプト革命も、スタートは経済不況、貧困、腐敗、圧政、長
期独裁政権であった。人口の約 40%が日当 2 ドル以下の稼ぎで暮らしていて、44%が文字
を読めず、給料は極端に低い。高等教育を受けた若者も職に就くことが難しい。そのよう
な中で食料価格が急騰している。これらの要素が革命の深部にはあった。このような状況
が続きながら、これまで革命が成功しなかったのは、今回のソーシャルメディアのように
媒介となるものがなかったからであると考えられる。逆に言うと、今回の革命の成功には
ソーシャルメディアの存在が不可欠であったと考えられる。エジプトでは、国民の約 67%
が携帯電話を所有している。Facebook を利用していない人でも、携帯電話のカメラで写真
や動画を撮影して、そのデータをブロガーたちに送ることによって、ブロガーが即座にブ
ログに掲載するという連携も見られた。
また、エジプト革命においても、ウィキリークスが革命を後押しした。ムバーラク政権
は、市民による激しい抗議デモを沈静化するため、内閣改造を行ったものの、その直後に
ムバーラク政権がかつてアメリカと交わした密約をウィキリークスが暴露したのである。
これに対し、危機感を強めたムバーラク政権は、1 月 25 日に Twitter のサービスを遮断、
26 日には Facebook、そして 27 日にはエジプト全体のインターネットとブラックベリー携
帯電話を利用したサービスと SMS34まで遮断するという過激な手段に出た。すると、グー
グルがこれに対抗して、インターネット接続環境がなくてもツイートを投稿できる Speak
to Tweet というサービスを開始した。これは、国際電話番号の留守番電話にメッセージを
残すと、それが Twitter に投稿されるというものである。このサービスも手伝い、政府が
Twitter を遮断したにもかかわらず、1 月 28 日正午から 1 時間の間に、この時間帯に投稿
された世界中のツイートの約 8%に当たる、
24 万 5 千件のツイートが投稿されたのである。
また、アルジャジーラも、エジプト政府によるインターネット遮断を全面無力化するた
めに素早い対策をとった。まず、自ら取材したデモ現場の写真を写真投稿共有サイトであ
る Flickr に著作権を主張しないで投稿した。また、Twitter 上でエジプト政府を非難する投
稿内容をリアルタイムで中継していたライブストリームに対するツイートを生中継するな
どした。
SMS(ショート・メッセージ・サービス)とは、携帯電話で短文を送受信するサービス
であり、イスラーム世界では頻繁に利用されている通信手段である。通信料金が安い上に、
政府からも傍受されにくいため、インターネットを利用できない(パソコンを購入できな
い)層が民主化運動に参加する上で重要な通信手段となっている。
34
38
エジプト革命は、ウィキリークスが火を付け、Facebook や Twitter で盛り上げて組織化
し、アルジャジーラらが広く報道した。このようなメディアの連携は過去にはなかったも
のである。
3-5 第 3 章のまとめ
本章では、ソーシャルメディアとアラブの春について考察した。始めに、ソーシャルメ
ディアを簡単に定義づけ、従来のマスメディアと比較してその特徴を示した。次に、アラ
ブ諸国における国家元首の在任期間、IT 普及率とともに、アラブの春を概観した。アラブ
の春における代表的革命として、ジャスミン革命、エジプト革命の 2 つを事例に取り上げ、
2 国の概要、それぞれの革命の要因を示した上で、革命においてソーシャルメディアがどの
ような役割を果たしたかということに言及した。各国ともに共通していえることは、市民
によるソーシャルメディアを活用が革命の成功において不可欠だったということである。
アラブの春は、政権に対する不満や問題意識を共有した市民が、マスメディアなど既存の
媒体を通さずに、ソーシャルメディアを活用して推進された民主化運動であった。それは、
従来にはなかった、政治における参画方法の新たな形態であるといえる。
39
40
第4章 集合知の政治的応用に関する提案
本章では、集合知を政治的に応用するための方策を提案する。まず、
「アラブの春」と集
合知の関係を検討し、限界点を示す。そして、ここまでの考察を踏まえ、集合知を政治的
に応用するために、集団の捉え方に着目し、新たな視点による集合知の政治的応用モデル
を論じる。
4-1 アラブの春に見る集合知
第 3 章で見てきたように、アラブの春の最大の特徴は、民主化運動が進展・成功する上
で、ソーシャルメディアが大きな役割を果たしたという点である。アラブの春において、
抗議の原因になったのは、日常的な虐待、圧政、腐敗、そして失業、食糧難、経済不安と
いった経済的な問題で、そういった問題を、抑圧される者が皆一様に感じていたことであ
った。そのような問題意識があったからこそ、ソーシャルメディアを使いこなすことによ
って発信し、皆で共有し、ともに行動することにつながっていったと考えられる。アラブ
の春では、市民が「革命」という目的の下で団結し、目的達成のために様々な行動をした。
抗議デモ一つを考えてみても、その過程では、デモに参加した多くの市民が、個々人の知
恵を振り絞り、それを集団で活用していたということは容易に想像ができる。
ここで、アラブの春と集合知の関係を考えてみる。第 1 章で整理したとおり、集合知に
は、群衆の知恵と集団的知性の 2 つがある。アラブの春をこれらに適応させて考えてみる
と、アラブの春は群衆の知恵に合致するといえる。確かに、アラブの春では集団の意見が
何らかの形で影響力を持ち、革命という成果をもたらした。しかし、これは「不完全な集
合知」であったと考えられる35。その結果として、アラブの春における国々は、チュニジア
でさえ、エジプトでさえ、市民が希求した社会が十分につくられたとは、未だに言い難い
状況となっている。
第 1 章でまとめた、集合知が機能する条件に当てはめて考えると、アラブの春の集合知
における「不完全さ」が明らかになる。群衆の知恵、集団的知性の両モデルに則してこれ
を検討する。
4-1-1 アラブの春における多様性
アラブの春と集合知の関係を考察するにあたり、比較的大きな動乱が見られたエジプト
を例に、それに関与した人々について整理する。
エジプト革命の目的は、ムバーラク大統領の退陣および政治経済改革の要求であった。
一連の動乱を見る限り、これらは、革命を支持した人々の総意であると考えられる。それ
35
そもそも、アラブ諸国の政治形態は、コンセンサス型民主主義であるとは言い難く、集
合知が機能しにくい環境下にある。実際、検討しているように、アラブの春で見られたの
は、集合知が有効に機能するための条件の一部を欠いた「不完全な集合知」であった。
41
では、彼らの共通目的の中における多様性とはどのようなものであり、どのような政治意
識を持っていたのか。また、保守派と呼ばれる、いわゆるムバーラク支持派の人々は、こ
の動乱をどのように考え、どのように行動してきたか。
エジプト革命は、若者中心に進められた。とはいえ、その理由として、エジプトでの若
年層人口の多さは関係無い。確かに、平均失業率 10%前後という中で、人口の 3 割を占め
る青年層の失業率は 20%を超え、とりわけ不満が集中する層となっていることは確かであ
る。しかし、エジプトをはじめ、アラブ諸国で若年層人口が多く、人口ピラミッドが極端
に裾野の広いピラミッド型になっていること、若年層に仕事がないことは、今に始まった
ことではない。逆に、エジプトでは最近は少子化傾向が見られる。米国国際開発庁(USAID)
の資料36によれば、25 歳以下の若年層が人口に占める比率は 1986 年と 1996 年で共に 3 割
と変わらないが、10 歳以下の子どもたちの比率は 1986 年に 14.6%だったのが、1996 年に
は 12%と減少している。15 年前に 10 歳以下だった子どもたちが現在の若者世代を形成し
ていると考えれば、特に現在が若者人口の爆発的に増えている時期だというわけではない。
注目すべきは、現在の若者世代がどのような経験を背景にどのような政治意識を形成し
てきたか、それが旧世代とどのように異なるのかという点である。そもそも、若者と旧世
代では、政治意識が異なる。田原〔2011〕は、エジプトでは、35 歳くらいで新旧の世代が
分けられ、互いの政治意識が相容れないものとなっていると指摘している。その上で、一
連の動乱は、単純にムバーラク支持派と反ムバーラク派という抗争ではなく、ムバーラク
の即時退陣を求めるか否か、換言すれば、青年たちのデモを支持するか否かをめぐる断絶
に近い抗争であったとしている。
旧世代には、アラブ民族主義37の政治思想が根底にある。1952 年、西欧諸国が間接的に
支配する旧体制に反旗を翻し、自由将校団による軍事政権がエジプトで設立した。青年将
校たちが外国の支配からの自由とアラブの統一を掲げ、クーデターを起こしたのである38。
植民地主義を排し王制を打倒した試みは、多くの国民に歓迎されるものであった。当時の
エジプト大統領ナーセルは、1956 年の第二次中東戦争の際、スエズ運河を英仏の手より国
有化したことで、エジプト国民のみならずアラブ民族の間で圧倒的な人気を博した。また、
パレスチナがイスラエルの手から解放されていない状況では、アラブ民族が解放されたと
は言えず、革命は未だ成就していないとする見方が旧世代に浸透している。エジプトはイ
スラエルと平和条約を結んではいるが、そのことはエジプト人がイスラエルに敵意がない
ことを意味しない。多くのエジプト人はイスラエルを嫌っており、とりわけ、平和条約締
Introduction to Egypt’s Population Demography
(http://pdf.usaid.gov/pdf_docs/PNADF098.pdf)
37 国家を超えてアラブ民族の統一・連帯を目指す思想のことであり、汎アラブ主義とも呼
ばれる。
38 「エジプト革命」は、アラブの春におけるエジプトの動乱について多く呼称されるが、
本来、
「エジプト革命」といえば、この 1952 年のクーデターを指す。そのため、アラブの
春における革命は、それと区別して「2011 年エジプト革命」と称することがある。
36
42
結前に育った旧世代はその傾向が顕著である。従来の反政府集会には「パレスチナ人の悲
惨を忘れるな」であるとか「イスラエルの暴挙を野放しにしているムバーラク政権を許す
な」といった類のスローガンが掲げられていたが、エジプト革命では、これらのスローガ
ンは用いられなかった。
「変革」
「自由」
「社会的公正」などといった文言が入った横断幕は
多く使用されたが、旧来のシオニズム39に対する批判、パレスチナ解放闘争への連帯といっ
た標語は用いられなかったのである。これは、旧世代が青年たちに抱いた違和感の一つで
あった。
こうした旧世代の青年たちへの違和感は、政権と野党が対話を始めた時点で噴出した。
従来の相場に照らせば、政府をここまで譲歩させれば、それはデモ隊側の勝利であり、そ
の辺が引き際に見えたからである。ロイター通信は当時、
「明日ではなく、今日デモを止め
ろ」
「デモが交通を妨害して、病院に通えない患者たちがいる」などと、市民のデモ隊に対
する不満が膨らんでいる様子を報じていた。しかし、新世代は妥協しなかった。田原〔2011〕
は、
「若い連中にもうこのくらいでいいだろうとは言えなかった。そんなことを言ったら『あ
んたたちのそうした態度がムバーラクを延命させてきたのだ』と糾弾されるのは目に見え
ていた」という、ある旧世代の言葉を記している。加えて、勝ち馬に乗ろうとするさもし
い知識人たちは革命の最終段階で、デモ隊側に殺到したが、無名の生活者である多くの旧
世代の人たちは深い沈黙に自らを閉ざしていくしかなかったとしている。
ナーセルの死後に生まれた青年層にとって、アラブ民族主義は馴染みの薄いものである。
また、彼らは、イスラームを掲げて圧倒的な民衆の力で親米シャー政権を打倒したイラン
革命の熱狂と興奮を目撃せず、ホメイニーというカリスマ的指導者が掲げたイスラーム主
義思想に感化される機会もなかった。さらに、イスラエルとエジプトの間の和平条約も経
験していない。彼らにとっては、イスラエルは最初からエジプトの和平の相手だったので
ある。
エジプトの若者世代に影響を与えたものとして、ミロシェビッチ・旧ユーゴスラビア大
統領糾弾運動を 1990 年代末から 2000 年にかけて主導したセルビアの青年組織、オトポル
の存在がある。オトポルは、自国で独裁者打倒に成功した後、グルジアなど旧ソ連諸国の
民主化運動を支援してデモ戦術のセミナーなどを主催してきたが、エジプトの「4 月 6 日運
動40」やバーレーンでデモを主導した若手指導者は、このセミナーで運動論を学んだ経験を
持つ。このオトポルが反ミロシェビッチ運動を成功させた要因が、国民の間での政権に対
する恐怖を取り除くことであった。デモに参加して官憲から殴られる結果となっても、そ
れがむしろ「名誉の負傷としてかっこいい」とみなされて参加意欲をかき立てるようなム
ードを確立し、若者が簡単に参加できるような文化イベントとしてデモが組織されたので
ある。ここに、政権に抗議して立ち上がることは弾圧に繋がる恐ろしい恐怖だという、こ
39
シオニズムとは、パレスチナにユダヤ人国家を建設しようとする、ユダヤ人による祖国
回復運動であり、パレスチナ問題の要因の一つである。
詳細は、3-4-2「革命におけるソーシャルメディアの役割」を参照のこと。
40
43
れまでの通念が転換され、一種のファッションともいえるほどに抗議行動への参加が気軽
なものとなったのである。デモへの主体的な参加が促されただけではなく、参加者の間で、
社会構築への積極的参加意識の高まりが見られたことも、オトポルが若者の政治意識に与
えた影響が垣間見られる。
次に、保守派について考える。エジプトにおけるムバーラク支持政党の代表として、政
権与党の国民民主党(NDP)と新ワフド党が挙げられる。そもそも、NDP は、エジプト革
命以前に分裂していた。2000 年以降、NDP が劇的な内部変革を行い、ムバーラクの息子で
あるジャマールが一般党員を飛び越えて昇進し、父から大統領職を引き継ぐための舞台を
整えようとしたのである。2002 年の党大会で、ジャマールは、NDP の組織再編と改革に向
けた新たなビジョンを導入し、ジャマールの党内における政治的な地位が確立された。ジ
ャマールは、マスコミや学会が「新体制派」と名付けた側近を引き入れることによって、
党内で自らの影響力を強化する政策をとった。2004 年以降、このジャマール派がジャマー
ルに最も近いアフマド・ナジーフ首相の指導下で内閣を支配できるようになった。このよ
うな NDP 内部の根本的かつ急激な変革は、ジャマール派と守旧派の間に分裂をもたらした。
ナジーフが民営化による新経済改革を行い、ジャマール派を大きくするために大量のジャ
マール派を入閣させたため、守旧派との間に衝突が生じたのである。このような分裂は、
2011 年に予定されていた大統領選が近づくにつれて顕著になった。そのため、エジプト革
命の際には、党がまとまらず、事態の収拾がつかなくなっていたと考えられる。エジプト
革命を受け、多数の党員が離党した上に、2011 年 4 月 16 日には裁判所から解散命令を出
され、NDP は消滅した。一方、新ワフド党は、革命の間は傍観を決め込んでいた。ムバー
ラクが退陣すると、その翌朝、新ワフド党の日刊紙「アル=ワフド」において、
「新ワフド
党は祖国の平静と安全を取り戻すよう提案する」
「我が新党の創設メンバーは、21 年前から
今回の革命を予測していた」などと述べ、都合のよい立場をとっていた。
以上のように整理すると、今回のエジプト革命においては、市民と政府を革命派・反革
命派という単純な基準に分類することはできず、それぞれにおいて多様性が存在すること
が分かる。
4-1-2 群衆の知恵モデルでの検討
以上を踏まえ、まずは、群衆の知恵のモデルに当てはめて考えてみる41。
まず、「多様性」についてである。多様性は、集合知の出発点でもある。前述のとおり、
例に挙げたエジプトでは複雑ともいえる多様性が存在していた。
次に、
「独立性」についてである。アラブの春において独立性が存在していたかというと、
そうとは言い難い。アラブの春では、青年層による抗議デモがあまりにも幅を利かせたた
41
「群衆の知恵は、定量化可能で客観的なデータに対してのみ適用可能である」という
Koster, R.〔2005〕の論はここでは採用しない。
44
め、社会的抑制42があったと考えられるためである。強硬的な青年のやり方に疑問を持って
いた旧世代が彼らに反論できずにいながらも、ムバーラク政権打倒時には諸手を挙げて歓
喜していたように、独立性が欠損している面も見られる。政権与党である NDP の中での分
裂も、革命後になって離党者が続出したように、民主化運動の最中には抑制があったと考
えられる。しかし、市民が独裁政権に屈服することなく民主化運動を継続したという点に
限れば、独立性は認められる。
次に、
「分散性」についてである。分散性とは、集団の権力が一箇所に集中せず、個々人
がもつ各自の知識に基づいた意思決定が行われる状態を指す。その点で言えば、アラブの
春においては、集団に分散性が備わっていたと考えられる。アラブの春においては、市民
が個々人の判断で行動(意思決定)していた。しかも、ソーシャルメディアというボトム
アップ型ともいえるツールを介して、各々が情報を発信・受信して運動を推進していった。
ソーシャルメディアを利用することによって分散性を強化した事例であるとも考えられる。
そして、
「集約性」についてである。分散した情報を集約するという点では、集約性は備
わっていたと考えられる。例えば、アラブの春では、市民が発信する警察や軍の取り締ま
り情報などを元に、抗議デモの開催日時や場所を決定していた。これは、分散された情報
を集約して集団全体に組み込みこんでいたという点で、集約性が備わっていたと評価でき
る好例である。
以上を考慮すると、独立性については若干の欠損が感じられるが、全体としては、群衆
の知恵が機能していたと考えられる。
4-1-3 集団的知性モデルでの検討
もう一つの集合知モデルである、集団的知性に当てはめて考えてみる。集団的知性は、
比較的広範な集合知であるため、対象となる集団を、市民や政府を含めた「国」という単
位で考える。
まず、
「多様性」についてである。多様性は、群衆の知恵、集団の知性の両モデルで必要
とされており、既に考察したとおり、存在していると考えられる。
次に、
「共有」である。アラブの春は、ソーシャルメディアを介して、各々が情報を発信・
受信して運動を推進した。そもそも、ソーシャルメディア自体が、草の根メディアといわ
れるように、双方向性が強く、人間同士が相互に作用し合うことによって拡がっていくメ
ディアである。確かに、ソーシャルメディアを利用するということは、共有という条件を
十分に果たしているとも考えられる。しかし、これは市民という狭い集団の中での話であ
り、国として市民・政府が互いの意見や情報を共有していた(対話による解決が行われた)
とは言い難い。その点では、「共有」は不十分である。
次に、
「協力と競争43」についてである。これもまた、
「共有」と同様であり、革命を成功
42
43
社会的抑制についての詳細は、1-3「集合知が機能する条件」を参照のこと。
アラブの春については、競争の必要がないため、これを考慮しない。
45
させるために、個々人が団結して運動を推進していったという点、ムバーラク支持派の中
で革命を阻止しようと団結した点では、それぞれの集団内で協力が見られるものの、国と
して各々が互いに譲歩するような協力は見られなかった。そのように考えると、やはり「協
力と競争」も不十分である。
そして、
「フィードバック」についてである。ここまで見てきたように、「共有」と「協
力と競争」が不十分であったため、
「フィードバック」も行われなかったと考えるのが自然
である。
以上を考慮すると、アラブの春においては、集団的知性は機能していなかったと考えら
れる
4-2 アラブの春の「その後」
群衆の知恵が機能していて、集団的知性が機能していないということはどのようなこと
か。アラブの春は、結果として独裁政権が転覆し、革命が成功した。しかし、問題は、革
命が成功したその後に存在しているのである。この問題こそが、集団的知性を欠いていた
ために発生しているものであると考えられる。
ジャスミン革命後の状況は、決して明るいものではない。ジャスミン革命後のチュニジ
ア暫定政府には、ベン・アリー政権時の下院議長であるフアド・メバザ大統領、同じく当
時から留任しているモハメッド・ガンヌーシ首相を始めとして、主要閣僚がベン・アリー
政権時と変わらずに留任していて、市民の批判を受けている。さらには、暫定政府発足後、
約 1 か月でガンヌーシ首相が辞任するなど、革命後も混乱を極めていて、問題の根本的な
解決には至っていない。革命後も市民による抗議デモが頻発している状況である。
エジプトでもまた、チュニジア同様に、先の見えない状況が続いている。ムバーラク政
権の崩壊後には、エジプト軍最高評議会が全権を掌握した。憲法改正や大統領選挙、議会
選挙を実施し、最終的には民政に移管する方針を示したが、それまでの間は、軍最高評議
会が政策決定を行い、行政面は、アフマド・シャフィク首相が留任して担当することとな
った。その後も、警察官など公務員を含む労働者層が、賃上げを要求するデモを行ったり、
市民がシャフィク政権の総退陣を求めるデモを行ったりと、不安定な状況が見られる。ま
た、軍最高評議会は、3 月 19 日に憲法改正案を国民投票に掛ける声明を出したが、最終的
にはこれを撤回した。仮に国民投票によって可決された場合、6 月に人民議会、8 月~9 月
に大統領選挙が実施される予定であった。しかし、声明の撤回により、軍最高評議会が全
権を掌握した当初に予定していたとおり、11 月 28 日に人民議会選挙を、2012 年末に大統
領選挙を実施することになった。結局、その後も市民の反発が収まらず、11 月 18 日には民
政移管を要求する大規模なデモにより、多数の死傷者を出すなど混乱が続き、11 月 28 日に
予定していた人民議会選挙も行われることはなかった。3 月にはシャフィク首相が辞任、後
任のイッサーム・シャラフ新首相も 11 月 18 日のデモを受けて、21 日に内閣総辞職を表明
した。12 月 7 日には、軍が主要閣僚交代や首相の権限強化に踏み切ったが、市民は、内閣
46
が軍に操られているとして、即時の民政移行を要求する動きが見られるなど、混乱が続い
ている。
4-3 集合知の政治的応用
以上のように、アラブの春は、市民の目標であった革命は成功したものの、その後の状
況は好転していないという点で、限界があったと感じられる。その限界は、
「群衆の知恵」
が機能し「集団的知性」が機能していないという中途半端な状況から生じるものであると
考えられる。そもそも、アラブの春の始まりは、経済不況、貧困、腐敗、圧政、長期独裁
政権といった市民の不満であった。しかし、アラブの春によって解決されたことといえば、
この中では長期独裁政権だけである。経済不況や貧困はおろか、前政権のメンバーや軍部
に実権を握られている状態では、腐敗や圧政が解消したとはいえない。経済不況や貧困は
一朝一夕では解決できないとはいえ、長期独裁政権が崩壊して、新政権(それが暫定政府
だとしても)がまともに機能すれば、腐敗や圧政は即座に解消できる問題である。また、
政権側が、根本的な問題である経済不況や貧困を好転させるための政策を、民衆に向けて
提案することは十分に可能なことであるし、本来であれば、もう行動していなければなら
ない時期である。アラブの春の限界は、どのような点が要因になっているか。また、アラ
ブ諸国に限らず、政治全般において集合知を機能させるためには、どのような考え方が必
要になるか。
4-3-1 集団の分離
アラブの春が不完全に終わった一番の要因は、集団的知性モデルで検討した際に挙げら
れたように、
「市民」
、
「政府」という 2 つの集団が独立した単位として捉えられていたとい
う点である。これを、「集団の分離」と呼ぶことにする。アラブの春においては、「市民」
や「政府」といった狭い集団の中で「群衆の知恵」が機能し、
「国」という広い集団の中で
「集団的知性」が機能しなかった。つまり、市民側は、自らの集団を「市民」という単位
によって結集し、政府は「政府」として、すなわち、政府を自らの集団とは別の存在とし
て捉えていたということである。政府側も同様に、政府は「政府」という集団、市民は「市
民」という集団として両者を捉えていた。これによって、ボトム(市民)とトップ(政府)
の意識が分離し、アプローチにおいて衝突が生まれることになった。つまり、ボトムはト
ップの活動や成果を要求し、トップはボトムの活動や成果を要求するという不調和が発生
したのである。
なお、このような集団の分離は、アラブ諸国内に限ったことではない。例えば、日本に
おいても、アラブ諸国ほどではないとはいえ、集団の分離が見られる。国民と政府が一つ
の集団として、ともに意見を交換するという視点が、従来から養われてこなかったのであ
る44。それどころか、国民が政府に意見を述べ、政府がそれを聞き入れ政治に反映する、ま
44
選挙で投票することが政治参加ではなく、重要なのは、国民による、より広義の政治参
47
た逆に、政府が国民に意見を求め、国民が提言や議論をするという政治参加の体制すら、
十分に整備されているとは言い難いのが現状である。両者を一つの集団として捉えるとい
う、最も重要な視点がなおざりされているために、現在の日本の政治においても、集団の
分離によって、集合知が十分に機能していないといえる。日本の政治において集合知を機
能させるためにも、集団の分離の問題を解決しなければならない。
出所:筆者作成。
図 4-1. 集団の分離による不調和
集団の分離を解決するためには、言うまでもなく、市民と政府を一つの集団として捉え
ることが大前提となる。両者の、集団というものの意識を変える必要があるということで
ある。アラブの春や、日本の政情を鑑みるに、従来は、集団を微視的に捉えることにウエ
ートが置かれすぎていたと考えられる。アラブの春の現状は、正に、市民や暫定政権の近
視眼によるものである。
注意が必要なのは、集団を微視的に捉えることが必ずしも不利益になるというわけでは
ないという点である。市民と政府を一つの集団として捉えた時、
「国」が巨視的集団ならば、
その中には、「市民」と「政府」という微視的集団は必ず存在する。先に挙げた事例は、集
団を微視的に捉えすぎるあまり、巨視的な見地を失っていたことに問題があるのである。
重要なのは、「市民」と「政府」は、
「国」に内包される集団であり、
「国」という絶対的単
加である。むしろ、投票という行為は、コンセンサス型民主主義ではなく、多数決型民主
主義を構成する要素である。
48
位が存在しなければ、
「市民」も「政府」も集団として存在し得ないということである。
「市
民」と「政府」という集団の分離により発生する不調和は、集団のみならず、両者の意見
も分離して独立することが要因となって発生する。すなわち、
「市民」の意見は「市民の意
見」という単位で、
「政府」の意見は「政府の意見」という単位として独立するということ
である。これにより、両者が相容れないものとなり、集合知として機能を十分に果たさな
くなるのである。このような、
「市民」と「政府」という両者の独立した意見が、意見の対
象(「市民」→「政府」、
「政府」→「市民」)との間で循環するという従来の仕組みを変え
なければならない。Koster, R.〔2005〕は、集合知(集団的知性)について、歩み寄りと合
意という非常に古いメカニズムによって機能しているものであるとした。求められるのは、
正にこのメカニズムであり、それが本来のコンセンサス型民主主義、集合知の政治的応用
なのである。
4-3-2 集団とその意見の捉え方における従来型とコンセンサス型
図 4-2 に、集団とその意見の捉え方について、従来の形態と、移行すべき新規の形態を簡
略化し、併せて示した。従来型については、ここまで考察したとおりである。コンセンサ
ス型の大きな特徴は、
「市民」と「政府」両者の意見が集約されることにある。始めは、
「市
民」と「政府」という微視的集団の中で意見が生まれることから始まる。ここまでは従来
型と同じプロセスである。従来型においては、微視的集団の中で生まれた意見は、各々が
独立した意見として循環していたが、コンセンサス型においては、これらが集約される。
それにより、
「国」という巨視的集団の意見が生まれるのである。「国の意見」は、
「市民」
と「政府」の歩み寄りと合意というコンセンサス型民主主義的プロセスを経て生まれるも
のである。また、異なる微視的集団の意見が集約されることによって、巨視的集団の中で
の多様性も保証されると考えられる。
49
出所:筆者作成。
図 4-2. 集団とその意見の捉え方
50
4-3-3 集合知の政治的応用モデル
以上を踏まえ、集合知を政治的に応用するための最終的なモデルを、以下に示した(図
4-3)
。
「市民」と「政府」という微視的集団においては、群衆の知恵モデル、
「国」という巨
視的集団においては、集団的知性モデルが用いられている。
図 4-3. 集合知の政治的応用モデル
出所:筆者作成。
まず、微視的集団の中で多数の意見を求める。この多数の意見は、多様性・独立性・分
散性を備えているということが重要である45。そして、この意見を集約する。この集約によ
45
アラブの春のように、特殊な例ではあるが、微視的集団の意見に多様性が得られない場
合も考えられる。しかし、その場合にも、微視的集団の意見を集約し、共有する際に、巨
51
って微視的集団の中で生まれるのが、群衆の知恵である46。ここで、集団を捉える視点は、
巨視的集団へとシフトする。微視的集団の群衆の知恵を、巨視的集団内で共有するのであ
る。すなわち、「市民」や「政府」の中で生まれた意見は、
「国」という巨視的単位で共有
される。群衆の知恵の共有によって、意見はさらに多様性を増す。場合によっては、この
時点で新たに得られた意見が、微視的集団にフィードバックされ、群衆の知恵がより洗練
される。意見を相互に参照可能である状態ということは、集団の多様性がポジティブに作
用する条件として Sawyer, K.〔2007〕が挙げた、集団間の「適度な知識の共有」を満たす
ことになる47。共有された意見は、巨視的集団内で、意見を互いに修正し合う、複数の意見
から優れている点を抽出して統合する、意見をぶつけ合うといった協力や競争によって、
より洗練された意見に昇華され、新たな知見に辿り着く。この新たな知見は仮の成果であ
り、フィードバックされ、集団の中で再度共有される。その際、巨視的集団にとどまらず、
必要に応じて微視的集団にも仮の成果がフィードバックされ、その得られた知見を元に、
多様性が強化された新たな群衆の知恵が再構成されることが可能である。このようなプロ
セスの循環を経て、最終的な成果(=集団的知性)がもたらされるのである。これが、集
合知の政治的応用モデルであり、このプロセス全体が集合知であるといえる。
4-4 第 4 章のまとめ
本章では、集合知を政治的に応用する方法を提案した。始めに、アラブの春と集合知の
関係について、群衆の知恵、集団的知性の両モデルに当てはめて検討した。次に、アラブ
の春による革命後の社会情勢について、チュニジアとエジプトを例に挙げ、両国ともに混
乱が続いている現状を示した。そのような、アラブの春における限界の要因を、
「集団の分
離」として考察し、日本の政情にも集団の分離が見られることを付記した。そして、集団
とその意見の捉え方において移行すべき新規の形態(コンセンサス型)を示した。それを
踏まえ、集合知を政治的に応用するための最終的なモデルとして、群衆の知恵と集団的知
性の統合モデルを示した。
視的集団としての多様性を得ることが可能である。
脚注 6 のとおり、微視的集団の意見に多様性が得られない場合には、群衆の知恵として
は不完全なものになるが、後のプロセスを問題なく辿ることができれば、最終的な集合知
(巨視的集団の集団的知性)に影響することはない。
47 詳細については、1-3 参照のこと。
46
52
終章
本研究のまとめ
本研究は、集合知の概念を正しく整理し、政治的に応用する方策を導くことによって、
政府や自治体中心ではなく、市民との合意形成を経た、あるべき民主主義の姿を確立する
ことができるという推論を背景に研究を開始した。
第 1 章では、先行研究に基づく集合知の定義を示した。まず、集合知を集団的知性と群
衆の知恵の 2 つに分け、それぞれの定義・特徴を示した。その上で、それぞれの集合知に
ついて、事例を挙げながら有効性を検証した。そして、それぞれの集合知のメカニズムを
解説するとともに、集合知が機能する条件を示した。
第 2 章では、民主主義理論と集合知の関係を示した。まず、導入として、民主主義を簡
単に定義づけた。その上で、本研究において最低限理解が必要であると考えられる民主主
義理論として、エリート民主主義、参加民主主義、多数決型民主主義、コンセンサス型民
主主義の 4 つの理論についてまとめた。また、多数決型民主主義とコンセンサス型民主主
義を参加型民主主義に内包するものとして捉えた上で、レイプハルトの単回帰分析を用い
て、コンセンサス型民主主義が多数決型民主主義に対して優れた性質を備えていることを
示した。そして、集合知とコンセンサス型民主主義の概念・性質の類似性を根拠に、
「国や
自治体などの集団がコンセンサス型民主主義の体制下にあること」を、集合知が政治的に
応用される条件として規定した。
第 3 章では、ソーシャルメディアとアラブの春について考察した。始めに、ソーシャル
メディアを簡単に定義づけ、従来のマスメディアと比較してその特徴を示した。次に、ア
ラブの春を概観し、アラブの春における代表的革命として、ジャスミン革命、エジプト革
命の 2 つを事例に取り上げ、2 国の概要、それぞれの革命の要因を示した上で、革命におい
てソーシャルメディアがどのような役割を果たしたかということに言及した。各国ともに、
革命の成功において、市民によるソーシャルメディアの活用が不可欠であったことを示し
た。
第 4 章では、集合知を政治的に応用する方法を提案した。始めに、アラブの春と集合知
の関係について、群衆の知恵、集団的知性の両モデルに当てはめて検討した。次に、アラ
ブの春による革命後の社会情勢について、チュニジアとエジプトを例に挙げ、両国ともに
混乱が続いている現状を示した。そのような、アラブの春における限界の要因を、
「集団の
分離」として考察し、日本の政情にも集団の分離が見られることを付記した。そして、集
団とその意見の捉え方において移行すべき新規の形態(コンセンサス型)を示した。それ
を踏まえ、集合知を政治的に応用するための最終的なモデルとして、群衆の知恵と集団的
知性の統合モデルを示した。
以上のように、本研究では、集合知、政治、ソーシャルメディアという 3 つの主題をも
とに、ここまで考察してきた。
53
なお、注意が必要なのは、本論文は、リベラル的思想・左翼思想を一切考慮していない
(賛同していない)という点であり、そのような次元で考慮するべき問題ではないという
ことである。集合知の政治的応用モデルに基づけば、「市民」や「政府」といった集団は、
それぞれが多様な意見を出して集団の中で集約したり、集団同士が互いに修正し合ったり
する。しかし、それは、集団が対等であるとか平等であるという意味を成さない。当然、
それらを目指すものでもない。これを取り違えられるのは、筆者として最も危惧し、嫌う
ところである。
集合知の政治的応用モデルは、コンセンサス型民主主義を強化するものとして、非常に
意義のあるものである。しかし、このモデルに基づいて、実際に政治を推進していくこと
は、そう容易なことではない。政治においては、様々な視点による、多様性を極めた意見
が多く存在する。第 1 章で述べたとおり、過度な多様性は、その結果として深刻なコンフ
リクトの発生や、共通性が全くなくなるという事態を招き、集約そのものを困難にして、
パフォーマンスをかえって低下させる可能性がある。すなわち、集団としての統一性を欠
く可能性がある。ここに、本研究の限界が見られる。
しかし、ソーシャルメディアの存在が、集団に対し、ある程度の秩序をもたらすツール
になり得ると推測できる。ソーシャルメディアは、ばらばらなインプット(個人やその意
見)を集約するという役割を果たすことができるからである。集合知の政治的応用のため
には、まずは、政治においてソーシャルメディアが活用されるような構造・環境が整備さ
れるべきである。それにより、政治形態においてコンセンサス型民主主義が強化され、本
来あるべき民主主義の姿により接近すると期待できる。
54
-謝辞-
本研究を進めるにあたり、終始熱心にご指導頂きました、指導教員の宮城大学事業構想
学部事業計画学科教授 藤原正樹先生に深謝いたします。また、日常の議論を通じて多くの
知識や示唆を頂きました、藤原ゼミナールの同期ならびに後輩の皆様に感謝いたします。
皆様のご指導、ご協力により本研究を遂行し、有意義な研究成果を残すことができました。
ここに謝意を表し、本論文の謝辞とさせていただきます。
55
56
【参考文献】
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