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christ bulletin_45_339-378 - Meiji Gakuin University Institutional

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christ bulletin_45_339-378 - Meiji Gakuin University Institutional
明治学院大学機関リポジトリ
http://repository.meijigakuin.ac.jp/
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永田曄 著 「日本の聖職者にとって,今後解決を必要
とする教会音楽における諸問題」
手代木, 俊一; 永田, 曄; NAGATA, George Akira
明治学院大学キリスト教研究所紀要 = The bulletin
of Christian Research Institute, Meiji Gakuin
University, 45: 339-378
2012-12-14
http://hdl.handle.net/10723/1499
Rights
Meiji Gakuin University Institutional Repository
http://repository.meijigakuin.ac.jp/
翻訳
永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を
必要とする教会音楽における諸問題」
George Akira Nagata “Necessity of Church Music for
the Future Ministry in Japan”
手代木 俊 一 訳
目次
参考文献
はじめに
1.音楽とキリスト教
2.教会における音楽を担う者の役割
a.音楽家としての教会音楽指導者
b.合唱の練習における教会音楽指導者の必要条件
c.会衆が歌うことの重要性
d.会衆の歌唱力をどのようにして向上させるか
3.讃美歌を歌う上での歌詞の重要性
4.日本の音楽と翻訳ではなくオリジナルな日本語歌詞を使用す
る必要性
5.日本で聖歌隊を組織するために
6.いかにして聖歌隊を組織するか
a.聖歌隊の抱える問題の解決
b.合唱の練習をめぐる問題
7.教会でのどのような音楽活動が教会関係者を助けるか 指導法
339
参考文献
Musical Ministry in the Church,by Waldo Selden Pratt
A Treasury of Worship,by Helen A. Dickinson
Essentials in Conducting,by Karl W. Gehrkens
Worship and Music,by George Gardner
Church Music,by Rev. Maurice F. Bell
Music and Religion,by Stanley Armstrong Hunter
Handbook to the Church Hymnary,by James Moffatt
Church Music and Worship,by Harper
Music in the History of the Western Church,by Edward
Dickinson
はじめに
キリスト教は1549年に,3人のイエズス会司祭によって日本に導入さ
(1)
彼らは苛酷な迫害を受けた。それはかつて西洋諸国で宣教師が
れた。
受けた迫害よりも激しいものだった。最初に来日した 3 人のイエズス会
司祭とその後来日した 23 人は最終的に殉教した。キリスト教を日本に
伝えようとしても,1859 年にプロテスタントが伝来するまで現実的に
は大衆に広まることはなかったのである。
日本人の国民性は一般的に言って大変保守的である。このことは日本
の宗教,道徳,社会性にはっきり現われている。それゆえキリスト教が
伝来してきた時,日本人は格言や教義に満ちた聖書を受け入れたが,聖
書以外のことには関心を示さなかった。聖書はキリスト教の根本であ
る。教会が建てられ,そこに聖職者がいて,礼拝が行われる。日本人
340
永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」
は,建物としての教会を持っておらず,正しい礼拝の進め方も知らな
かった。さらに讃美歌の目的とは何かを知るものは一人もいなかった。
時に讃美歌とは何かを知っている人がいたが,歌うことはできなかっ
た。それは誰も楽譜を読むことができなかったからである。ということ
で日本人はキリスト教の伝道初期,礼拝堂や礼拝のための音楽を持つな
どと望むべくもなかった。その当時キリスト教を受け入れ礼拝を行うた
めに教会が必要としたものは,聖職者と聖書だけであった。礼拝は説教
と祈りとで構成されていた。すべての聖職者とクリスチャンは 60 年間
にわたってこの考え方に従っていた。もし神学校で聖職者になるために
学んでいる学生が音楽の愛好者だったり,讃美歌を歌うことや聖歌隊の
問題点について話していると,ほかの学生はその学生を異端者と見なす
ことになる。なぜならばそんなことに気を取られているようでは,その
学生は牧師になるための信仰心が足りないと判断されるからである。ま
た音楽は礼拝にとって補助的なものであり,音楽がなくとも礼拝はでき
ると考えているからである。
クリスチャンになるためには聖書の一字一句すべての言葉が必要とい
う訳ではない。ある人にとってはたった 1 行の聖句でクリスチャンにな
るに十分なのである。
「わたしたちのために記されているのです。わた
したちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば,わたしたち
を義と認められます。イエスは,わたしたちの罪のために死に渡され,
わたしたちが義とされるために復活させられたのです。
」ローマの信徒
(2)
この聖書の言葉は聖パウロの改宗をあらわす
への手紙4章24~25節。
に十分な言葉である。
わたしはある讃美歌を聞いてキリスト教に改宗した人をたくさん知っ
ている。その人達はある讃美歌を歌って,作詞,作曲した人が経験した
のと同じ宗教的な体験をしたものと考えられる。それゆえにわれわれは
この種の音楽の持つ力を無視してはならないのである。
341
わたしは礼拝の始まる直前にもかかわらず,聖職者がこれから使用す
る讃美歌のことを知らないということを時々耳にしている。今日に至っ
ても聖職者の多くは,礼拝における音楽について多くの関心を払っては
いない。わたしはこの種の礼拝では礼拝が不完全なものになってしまう
と本気で考えている。
「太鼓に合わせて踊りながら 神を賛美せよ。弦をかき鳴らし笛を吹
いて 神を賛美せよ。シンバルを鳴らし,神を賛美せよ。シンバルを響
かせて 神を賛美せよ。
」詩編150章4~5節。
プロテスタントが日本に伝来して 80 年が経った。聖職者にとって今
日の大きな問題とは何か? 日本において,聖職者の抱える弱点とは何
か? キリスト教はこれらのことをあきらかにすることができないでい
る。なぜならば聖職者やキリスト教の活動がなんら進展していないから
である。キリスト教の発展はとまっており,大衆に向かう力をまったく
失っていた。この意見はクリスチャンと非クリスチャンの双方から表明
されている。
一方で日本は物質的にも精神的にも今非常に危険な時代に直面してい
る。この国を守り,この国の国民を救う力とはなんであろうか。それは
宗教であり,道徳ではない。有神論的な宗教が真なるものである。まさ
にそれこそがキリスト教である。しかし現在のところ,上述したように
力を失っている。なぜならばそれは形式的になりすぎており,自発性に
あまりに欠けているからである。今のキリスト教は,人々にアピールす
る生き生きとした活力を失っている。礼拝はキリスト教への誤解や間
違った考え方を持つ人々を改宗させるのに十分な強さもエネルギーも
持っていない。そしてナショナリズムと共産主義の間で戦っている人々
を改宗させるにもエネルギーが足りない。反対に彼らはいつ何時でもキ
リスト教を攻撃しようと待ち構えているのである。
このような時にどのようにしてキリスト教というものが明らかにされ
342
永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」
るのだろうか。反キリスト教的精神に囲まれた教会はどんな力を発揮す
るのであろうか? ただ形式的で,単に聖職者としているだけで,十分
に力強いと言えるだろうか? 外部の人々がキリスト教の祈りの言葉を
聞くことができるだろうか? それは思想対信仰の問題であり,危険な
思想を持つ人間対キリスト教徒の問題である。
それゆえに教会を立て直し,礼拝を一新することは急務なのである。
この目的のためにはかつて試行したことも考えたことがない,たった一
つのことがまだ残っている。それは音楽の才能を持つ聖職者の存在であ
る。聖職者と教会員は音楽が聖職者を助けるのに大いなる力を持つこと
に気がつかなかった。それは過去の日本のキリスト教活動にとって大い
なる損失である。彼らはキリスト教の伝道は日本では成功しなかったと
考えていた。しかし日本のキリスト教化のためにわれわれはこれをやら
なければならない。この運動のために音楽は欠くべからざる武器なので
ある。
音楽は敬愛の雰囲気を作り出す力を持っている。そして人々を一体化
させる強い力を持つ。そして人々の思想を神へと導く力も持っているの
である。音楽は世のくびきからわれわれを解き離す唯一のものであり,
われわれが理想的な世界に住むための唯一の手段である。それゆえに音
楽はわれわれの人生で大変重要な部分を占めるものなのである。
1.音楽とキリスト教
わたしはここで音楽とキリスト教の定義を与えるものではない。そし
て音楽とキリスト教の異なっている点について述べるつもりもない。わ
たしはここで長い歴史の中で音楽とキリスト教が相互に助け合いながら
いかに成長をとげていったかを説明したいと思う。
もし音楽が歴史上キリスト教に対して何もなし得ていないとしたら,
343
予言でもなく,格言でもなく,歴史の分析でもない聖書というものの中
に詩編歌は存在し得ないと,わたしは考える。詩編歌が書かれた理由は
神をより良く賛美し,神により良い感謝を捧げるためである。このこと
は年少者の方がよく理解している。すなわち若かりし頃のダビデはサウ
ル王に竪琴をもって仕えていた。これはサウル王の心を慰めるダビデの
音楽的才能ばかりでなく,音楽を通して人の心に訴える感動というもの
を示している。その感動がサウルの気質をおさえたのである。なぜなら
音楽は超自然的な力,普遍的な人智を超えた魅力を持っているからであ
る。それは無限の広がりをもち,しかしながら目には見えないものなの
である。
ルターは書いている。
「音楽は神の啓示である。それは,誘惑,復讐
を望む気持ち,野心,そしてすべての俗世の感覚を追い払うもっとも効
果的な治療薬である。音楽は神に自身の苦しみといやし,涙と嘆き,愛
(“A
と感謝を伝えることができるもっとも確かな方法である。(3)」
Treasury of Worship”,by Mrs. H. Dickinson.)
われわれが物理学を学び始めた時,宇宙に存在するすべてのものは時
間と空間によって支配されていると教えられた。わたしは創造主である
神こそが時空を超えて存在する唯一の存在であると信じている。
人々は芸術はこの世で理想的で純粋な在り方であると考えている。し
かし絵画と彫刻は時空を超越できない。しかしながら音楽は空間を超越
する。その一方で時間を超えることはできない。それゆえにわれわれは
神は創造主であり,支配者であり,この世でもっとも神聖な存在である
という結論に達するのである。神の創造物は神が心をかけてくださるこ
と,そして憐れみに感謝を捧げなければならない。音楽とはわれわれが
神への賛美と喜びを表現するための唯一の,そして最もふさわしいもの
である。
「詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い,主に向かって心か
らほめ歌いなさい。
」エフェソの信徒への手紙5章19節。
344
永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」
宗教は知識や理性によって理解することはできない。それは経験と感
性によって理解されるものである。宗教とは信仰の問題である。音楽は
理解するということに関して宗教に似ている。
しかしわれわれが神の創造物への神からのすばらしい贈り物である音
楽を用いる時,われわれは過剰に音楽を使ったり,音楽を侮辱するよう
なことがあってはならない。われわれはイエスがサマリアの女に言った
言葉を忘れてはならない。
「神は霊である。だから,神を礼拝するもの
は,霊と真理をもって礼拝しなければならない。
」ヨハネによる福音書
4章24節。
われわれはそれ以上に音楽は神を礼拝するための最高の手段であり,
それゆえにわれわれは音楽を用いるのだ,という事実を考えなければな
らない。しかしながらこの論点は本末転倒である。なぜなら音楽は単に
つくられたものか,教会が産んだ子供のようなものということができる
からである。すなわち教会はその誕生以来音楽の最高のパトロンであっ
た。現在では音楽は経済的に教会からは独立している。社会的な発展に
よってすべてのものは純粋で芸術的,理念的な意義というよりむしろビ
ジネスへと変化してしまった。古代では教会音楽家の中に最高の音楽家
が現れた。しかし現在ではコンサートを行うようなプロの音楽家の方が
教会音楽家よりレベルが上であり,これが「現在では音楽は経済的に教
会からは独立している」との見解にいたった理由である。シナゴーグで
の古式ゆかしい礼拝や詩編歌を見れば,われわれはこの事実をすぐに理
解することができる。当時音楽は教会に属していた。その後ずっと音楽
は宗教に属することが通例だったのである。
音楽は教会が必要としたため生まれた。パレストリーナ,バッハ,ヘ
ンデル,そしてハイドンは礼拝での音楽を捧げるためだけに作曲をし
た。彼らの心は宗教的なアイデアに満たされ,そして彼らの作品は宗教
的な動機によって生み出された。
345
「時に芸術としての音楽が人生に新鮮な刺激を与えるためになにがし
かの方法で宗教へと頻繁に回帰することは,あたかも神が定めた法のよ
うに思われ,また音楽が激しい熱情をもって,宗教的,またはほぼ宗教
的と思われる感情を表出するために,その芸術の力を広げて行くという
ことも神によってなされた行動基準のように思われるであろう。そして
これらのことは昔もそうであったように,礼拝と宗教的な情熱のために
選ばれた副産物であり,両者の橋渡しをするものであるということの認
識にいたり,何度も確認し続けなければならないと,思慮深い者は気づ
くのである。
」
(“Musical Ministry”,by Pratt.)
2.教会における音楽を担う者の役割
音楽の指導者は教会では牧師と同じく重要であり,影響力を持つ存在
である。それゆえにわれわれは高潔な人格であることと指導者としての
立場が厳格に宗教的に聖別されていることの重要性をことさら主張する
ことに時間を浪費する必要はないのである。これらのことは議論や説明
を求めるようなことではなく,すでに明らかなことなのである。ヘンデ
ルやバッハがどのくらい聖書をよく理解しているかについて言及するこ
とはあまりに愚かなことである。われわれが彼らのオラトリオを見る
と,旧約聖書の言葉と音楽とを大変巧みに結合させており,そのことに
大いなる驚きを感じる。一方今日では旧約聖書を下敷きにした説教を聞
くことはほとんどないのである。
教会音楽の指導者は誰も信仰心が深く音楽の才能に秀でているばかり
でなく,教会での礼拝のどのポイントにおいても聖職者と協力しうるよ
うな聖職者のパートナーとならなければならない。
「確かに牧師と音楽
の指導者は共感と努力をもってなんとか一体となるようにしなければな
らない。彼ら二人の礼拝担当者がお互いを理解しようとしない場合,ま
346
永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」
たは敵対する場合,耐え難い軋轢や不快感を生むだけでなく,すべての
礼拝を機能させるための特有な働きを大いに阻害することになるのであ
る。
」
(“Musical Ministry”,by Pratt.)
一方日本の教会はプロの聖歌隊をつくるには財政的にも組織的にも大
変貧しい状態である。われわれは教会から実体のある援助を受けること
に多くの期待はできない。わたしは音楽の指導者と聖歌隊のメンバーの
双方が無償で教会を助けなければならないか,聖職者自身が音楽の指導
者にならなければならないと考えている。また音楽の指導者は必要に応
じて聖職者の役割を果たす準備をしていなければならない。それゆえど
の教会音楽家も音楽の指導者は副牧師の職にあたるということを現実の
ものとするために神学を学ぶ必要がある。音楽の指導者としての職務の
すべては一般的に牧師の行う職務の一部にもなっている。これらのこと
は教会活動としての人々のための礼拝を運営するための全体として特徴
づけるものである。日本の一般的な教会で音楽の指導者と聖職者の双方
を抱えることが不可能である以上,教会音楽の役にたとうと望む音楽家
はどこかの学校で教員になるか,経済的に独立できるようなほかの職を
得なければならないのである。
a.音楽家としての教会音楽指導者
もしわれわれが音楽指導者は音楽に関して何らかのことを知らなくて
はならないとあえて言ったとしたら,それは失笑を買うこととなるであ
ろう。音楽に対してあまり知識のない音楽指導者を迎えるなどというこ
とは,問題外である。だが楽器の演奏も歌も大変正確にできるという指
導者が正確には音楽家というわけではないということがしばしば起こ
る。その人が一般的な芸術としての音楽,文学,歴史,理論をほとんど
理解していないか,または多様化した様式とそれらの応用についてもほ
とんど理解していないという意味で,わたしは述べている。特にこれら
347
すべては教会音楽と関連がある事柄なのである。
このような音楽家はしばしば教会音楽家になりたがる。なぜなら経済
的観点から見て仕事を得やすいからである。このようなことが一般に音
楽家としての地位を低くし,教会音楽がその被害を被ってしまう原因な
のである。
建築,絵画,彫刻など神聖な芸術の原型は教会から生まれた。それら
が発展する過程は,神を賛美し,崇めるという考えから生まれたもので
あり,それ以外の何ものでもない。もしわれわれが初期の音楽家はすべ
て教会音楽家であったと言っても,それは誇張し過ぎということはな
い。彼らはただ神を賛美し,崇めるためだけに曲を書き,演奏したので
ある。
経済の観点から音楽の発展について述べるならば,残念なことにレベ
ルの高い音楽家の多くは彼らの音楽的な知識を経済目的のためにしか
使っていない。これが特に日本では教会音楽の発展を阻害している。日
本のキリスト教はまだ青年期で,それゆえに多くの人々は礼拝で使用さ
れる音楽に関心がない。ごく少数の教会だけが専属の聖歌隊を持ってい
るが,聖職者の大多数は音楽教育を受けておらず,ある程度の曲数の讃
美歌を知っているだけである。自然と礼拝では同じ讃美歌を何度も使う
こととなり,礼拝は単調なものとなっている。もちろん牧師たちも讃美
歌を正確に歌うことは不可能である。会衆は聖職者の歌から讃美歌の歌
い方を覚えている。もし聖職者が間違えたら,皆が同じ間違いを犯すこ
ととなる。そうして日本のクリスチャンが讃美歌を歌ってみると,リズ
ムとテンポに関して,独特の様相を見せるのである。
音楽の分野を閉鎖的に考える音楽家は教会音楽を音楽として考えてい
ない。彼らは讃美歌をほかの音楽と分けている。教会音楽家は信仰心に
篤いだけでなく,同時にすばらしい音楽家でなければならないという理
由が現実問題として存在するのである。まず歌い手はただ単に聖なる歌
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永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」
を歌えるだけでなく,どのような種類の歌も歌えなければならない。オ
ルガニストはどのような種類の曲も演奏できなくてはならない。合唱指
導者もまた合唱ばかりでなく,交響曲も指揮できなくてはならない。聖
職者は聖書を学ぶ必要があるだけでなく自分の力で人々を導くためにあ
らゆる種類の一般教養も学ばなくてはならない。経済的な観点からよい
指導者を得る余裕のある教会がいくつもあるわけではないが,それがそ
の指導者よりもレベルの低い音楽家を雇うという理由にはならないので
ある。
「教会が聖歌隊と会衆を未熟で練習を積んでいない指揮者の監督下に
置くことは,大いなる過ちである。これはいつも低い理想でしか達成す
ることができないという結果をもたらす。それは礼拝の準備とプレゼン
テーションを行うのにあたって,そして計画を組むにあたって芸術的か
つ霊的で卓越したものが不足してしまうからである。そしてそれは同様
に聖歌隊と会衆を必然的に落胆させることとなり,礼拝の組み立て全体
を衰退へ, 分裂へと向かわせることになる。
」
(“Church Music and
Worship”,by Harper.)
教会音楽の監督は一般のプロの音楽家と比べて,信頼を得るために自
らの誇りをもたなければならない。そして批評家と一般の人々の両方か
ら尊敬されなければならない。この理念を現実のものとするために音楽
監督は今までに作曲されたオラトリオ,カンタータ,アンセム,独唱曲
等偉大な作品に取り組まなければならない。このほかに音楽監督は声楽
と同様に管弦楽についても知識がなくてはならない。
また音楽監督はいかにして子供たちの声を扱うかを知っているべきで
ある。クリスマスやイースターの礼拝,そして将来の音楽礼拝のために
子供たちの聖歌隊を持っていることが必要とされる。それだけでなく子
供たちへの指導の必要性に関して,子供たちの未来の幸福と豊かさは教
会音楽における子供たちと若者たちへの指導にあるということが,指導
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ということの大きな部分を占めているのである。
人々にとって教会音楽を発展させる過程においてむしろ不便で回り道
をしているように見えることであるが,実際は教会音楽発展のために最
も楽な方法であり,近道でもある。たとえば誰でも子供の間違いや癖を
直すことができるが,大人のそれを直すのは大変難しいのである。
b.合唱の練習における教会音楽指導者の必要条件
まず最初に教会音楽指導者は前述したようにある程度優れた音楽家で
なくてはならない。教会音楽指導者はオルガニストかピアニストでなく
てはならない。そしてもし指導者が熟練した演奏家であればよりすばら
しいことである。たとえ申し分なく演奏することができなくとも,指揮
をすることはできるであろう。これに加えて教会音楽指導者はボイスト
レーニングを受けてなくてはならない。すなわち正しい音程の取り方,
喉を共鳴させるすべての方法,アンセムを歌うための正しいブレスを身
につけているというようなことを含む発声についての教養である。少な
くともボイストレーニングの基礎を身につけていなければならない。も
し指揮者が純粋に器楽奏者であった場合,彼は歌い手と仕事をしていく
中で歌うまでの手順を無視してしまうので十分な結果を残せない。一方
もし彼が声楽家の場合,彼は声楽についての教養だけしか知らず,音楽
全般に関する練習には興味を持たない。われわれはどんな指揮者に対し
てもこれらの欠点をさけるように努力しなければならないのである。
次に重要な事項であるが,教会音楽指導者は教会音楽がいかなる目的
を持つものかということを理解していなければならない。そして教会が
いかなる宗教的な働きをするかに関心を寄せていなければならない。教
会音楽は宗教的かつ芸術的な側面をもつがゆえに,すべての教会音楽家
も自身の音楽家としての使命とともに宗教的側面も理解するよう努めな
くてはならない。なぜならば教会音楽の長い歴史を通して存在する大き
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永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」
く困難な問題とは,その二つの要素が対立してしまうか,さもなくば二
つの要素のバランスをとるのが難しいということである。教会音楽家が
礼拝を理解し,助けになろうと努める一方で,同時に彼らは聖職者に礼
拝で果たす音楽の役割を理解させなければならない。聖職者の大多数が
音楽に全く興味を示さない。そして教会音楽家,オルガニスト,そして
歌い手は教会というものには関心を示さないが,教会音楽の純粋に芸術
的な面のみを強く強調する。それゆえ彼らは礼拝のある部分の役目を果
たすことができない。これは宗教的な感覚を教え込むためには欠くこと
のできないものなのである。教会音楽家,さらには聖歌隊の各メンバー
は,
「教会は音楽とともにある礼拝を望み,音楽だけで構成されたよう
な礼拝を望まない,とは 1884 年,マインツにおける聖セシリア会議で
(4)
」
(“Essentials in Conducting”,by
のハーバート司祭の言葉である。
K. W. Gehrkens.)という言葉を常に心しておかなければならない。
教会音楽家は聖歌隊のメンバーに人間的に接するために若い精神を
持っていなければならない。教会音楽家は,いついかなる時も歌う途中
で間違えた人を正すか,注意しなければならないが,その人の感情を害
さないようにユーモアのセンスを持っていなくてはならない。ユーモア
のセンスを持った指揮者のいる聖歌隊は常に上手く行き,厳しすぎる指
揮者のいる聖歌隊よりも進歩が大変早いのである。
メンバーをコントロールするのは大変重要なことである。なぜならば
メンバーは簡単に大変危険な個人主義に陥りがちだからである。これは
教会の聖歌隊の多くが,特にプロではない聖歌隊の場合だが,自分自身
が注目されたいがために,服装や,立ち振る舞い,大声で歌うことや声
を一体化させようとする気持ちの欠如などによって起こりえるすべての
ことをしようとするということを意味する。それは礼拝参加者が耳打ち
するような原因となり,目と耳を誘惑することによって礼拝を阻害する
のである。
351
c.会衆が歌うことの重要性
讃美歌を歌うことには 3 つの望ましい効果がある。すなわち,礼拝と
信仰に及ぼす効果,自己の修養,または教化の効果,信仰の証となる福
音伝道の効果である。それゆえもし聖職者と教会音楽家が教会の聖歌隊
だけを向上させようとし,よりよい聖歌隊を持とうとはするが,会衆の
歌唱には注意を払わないとしたら,理想的な礼拝を行うことができない
ことが時々起こるであろう。もし音楽が礼拝にとって有意義で助けにな
るものであれば,礼拝は会衆と神の間を取り持つものになるのである。
それゆえに礼拝はオルガニストや聖歌隊に独占されるべきものではな
い。また単に必要だというだけで機械的に讃美歌を習慣的に歌うという
ことは,ただ単に恥ずべきこととして非難されるべきである。それゆえ
人は一緒に歌おうが,そうでなかろうが礼拝はうまく進んでいくと考え
ているようなので,歌うことに責任を感じていないのである。もし彼ら
のところの聖歌隊がすばらしかったら,一緒に歌うよりも歌に聞き入っ
てしまう。またそのようにすばらしい聖歌隊を持つためには,音楽指導
者は常に聖歌隊に目を注いでいなくてはならない。そしてこれには高度
に音楽的解釈を要求される。このような解釈は一般の人にはついていけ
ないものである。このことは普通の人にとって礼拝への興味を失わせる
ものになる。音楽が礼拝を補うものとするためには,それはプロテスタ
ント教会では大変重要なものであるが,聖歌隊を励まし向上させると同
時に,会衆の歌唱力も育てていかなくてはならないのである。
d.会衆の歌唱力をどのようにして向上させるか
まず最初に,会衆には一般的によく知られている讃美歌を教えるのが
賢明である。この場合,その讃美歌が音楽的,詩的に最も優れた讃美歌
であるかどうかを心配する必要はない。人々に親しみのある讃美歌を教
える時は,最初にそれを歌わせて,もし間違いがあれば,まず最初に旋
352
永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」
律の間違いからまず直すことである。彼らが正しいリズムとフレーズで
歌えるようになってきたら,歌詞の指導に進む。指導者は皆がその歌を
よく知っているものと思い込んだり,それゆえに歌を教える時に歌詞は
必要ないなどというような間違いをおかしてはならない。実際 25 人中
1人くらいが正しく繰り返して歌えない程度なら,その曲は「皆が知っ
ている」歌の1曲ということとなるのである。
大勢の人々の前に歌を提示するのに,3つの方法がある。
1.スライドを使い,時々人々の前のスクリーンに歌詞を映し出す。も
し必要ならば楽譜も使う。これは最良の方法である。しかしすべての
教会が利用できるものではない。
2.一人一人にドルに換算すると5セントないし10セントの讃美歌集を
買うように求める。そうすれば,各々が音楽を学ぶということに責任
を感じるようになる。各々が合唱練習に讃美歌集を持ってくるのを忘
れないように心の中に留めておくのみならず,徐々に熱心になってく
ることであろう。
3.一人一人がこれから歌おうとする讃美歌の歌詞を覚えておくべきで
あるというのは,大人に限っては間違いのないことである。それゆえ
にもし教会が備品にお金をかけることができれば,上記の方法を用い
ることができる。それが手軽で理想的である。しかしもしどの教会で
もそのようなことが期待できない場合,そして時にはわれわれは教会
からのどのような援助もまったく期待できないという場合をも考えな
ければならない。そこでわれわれは経済的な援助をする人を見つけな
ければならない。そしてシンプルで安価で購入する方法を見つけなけ
ればならない。わたしは以下の方法を提示したい。勤勉で熱心,そし
て手先の器用な人を選び,この先1,2 ヶ月以内に教える可能性のあ
る数曲を謄写版を使って写させる。そうすると必要な数だけ印刷する
ことが容易になる。それから最初の謄写版で印刷した讃美歌を学んだ
353
ら,同時にその印刷物をまとめておく。この方法は単に実用的である
だけでなく経済的である。教会が経済的に貧しいこの日本では,これ
が唯一有効な方法である。
上記の方法の一つでも用いれば,われわれは会衆の歌唱を向上させる
ことができる。われわれが歌を教える場合,歌う前に人々に歌詞や曲や
その歴史,そして作詞家と作曲家にこの讃美歌を書かせた目的と彼らの
経歴を教えることがより望ましい。それからその讃美歌の意味を理解さ
せるために,彼らに最初の一節をじっくりと読ませる。これに続いてオ
ルガニストかピアニストに最初の一節を弾かせるのである。
ここでわたしはもう一つ提案したい。もし習った讃美歌がポピュラー
なものであり,人々がそれを知っていると思った時には,教える前にま
ず彼らに歌わせてみて,その後に悪いところを正す。これはより簡単で
効果的である。しかしもし歌が皆にとって全く新しいものの場合,そし
て旋律を覚えるのが人々にとって難しそうな場合,最初に何度か聖歌隊
に歌わせる。もし聖歌隊を持っていなかったら,楽譜を読むことができ
て簡単に歌うことができる人を数人選び,彼らにまず歌わせ,彼ら以外
の人々にそれを聞いてもらう。人々が旋律をだいたい把握できた後,自
分たちで歌ってみる。次に旋律を覚えた後にすることは旋律の区切り,
息継ぎの場所,そして曲のニュアンスの表現の仕方を教える。誰も最初
から 4 声で歌えるなどとは考えていない。まず最初に歌いたいパートで
歌わせる。こうして会衆の歌唱は向上していくことができるのである。
3.讃美歌を歌う上での歌詞の重要性
もし教会音楽の分野で讃美歌を歌わない場合,教会でオルガンや聖歌
隊の代わりに管弦楽を使用しても何ら反論は出ないに違いない。しかし
会衆が讃美歌を歌ったり聖歌隊が存在する場合には,教会音楽に関して
354
永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」
何か特別な心的状況や役割が生まれるのである。
教会での礼拝は牧師の説教以外の何ものでもないという考えを人々は
持っていると,わたしは感じることがある。そして音楽は重要なもので
はないという考えを持っていると感じる。そして礼拝に音楽が使われて
も使われなくても違いはないと考えている。これは大変な間違いであ
る。なぜなら礼拝において最も重要で特徴的な点は神への賛美,神を崇
めること,信仰告白,感謝である。このため神への気持ちを表すために
われわれは祈りを捧げ,音楽を使用せざるを得ない。
「特に音楽は今日
の人間の魂を反映することができ,音楽によってその最もリアルで深い
神への気持ちを表現する方法を見いだそうと努力している。現在ほど礼
拝が必要とされている時代はないからである。
」
(“Music and Religion”,
by Hunter.)
「礼拝を再構築する最初のステップは,役に立たない讃美歌集を大き
なたき火にくべることだ。
」バーナード イディングズは『The Art of
Worship is Beyond Agnosticism』の彼が担当した章で述べている。
なぜ讃美歌を歌うことはそれほど重要なことなのであろうか。そして
同時になぜ讃美歌を歌うことは礼拝にとって相応しいことなのであろう
か? なぜならそこには宗教的な感覚があり,神をほめ讃えたいという
願いがあるからである。すなわち神をほめ讃えたいと思うところに,詩
と音楽が生まれる。言葉は人間の感覚と感情を表現するための単なる道
具ではない。しかし歌を歌う中で言葉と音楽は,まさに自転車の両輪の
ようなものである。片方なしでもう片方だけを使うことは不可能であ
る。しかし人はこのことを考えずぞんざいに讃美歌を歌ってしまうこと
が多い。彼らは歌っている讃美歌の歌詞の意味を殆ど理解できていない
のである。
偉大なイタリア人のテノール歌手カルーソーは,
「歌う時に表現の源
となるポイントをどのような所に置いていますか?」という質問に答え
355
た際,以下の点を強調している。彼は答えて,
「わたしは常に言葉にそ
の答えを見いだしています。わたしの聴衆に原文を示すことができない
限り,何をわたしは表現することができるのでしょう。もしわたしがた
だ旋律だけを歌うならば,わたしの歌は何の意味もありません。わたし
は音楽的な響きを生み出すことはできますが,それでは何も表現できて
はいません。わたしはさらにうまいスタッカートやレガートを用いて音
符を音にすることはできますが,歌詞を伴わなければ,わたしの聴衆に
何も伝えることはできません。この質問を別の角度から見てみましょ
う。言葉の意味と反対のニュアンスをわたしの声に込めて,歌詞の一行
を歌っているわたしを想像してみて下さい。それではまったく意味をな
さないのではないでしょうか?それはまるでわたしがあなたに,
『この
木は固い』とソフトな声で言っているようなものではないでしょうか。
人は,わたしがまるでしゃべっているように歌っているのに気がつくで
しょう。そうなのです。これがまさにわたしがなそうとしていることな
のです。
」
(“Essentials in Conducting”,by K. W. Gehrkens.)
プロテスタント教会の強力で偉大な特徴の一つは,聖書を読むこと,
ラテン語で祈祷すること,罪の許しのために免罪符を買うことという礼
拝のメカニズムから脱却することである。そのようなメカニズムは一般
の人々には理解しがたく,そのような礼拝にはどのような霊性も存在し
ないのである。
4.日本の音楽と翻訳ではなくオリジナルな
日本語歌詞を使用する必要性
アメリカの教会では教会で使用される合唱曲,独唱曲のすべてが完璧
なまでに英語に翻訳され,しかもいいセンスの翻訳なのを見ると喜びを
感じる。もちろんその国の音楽をその国で使うことは大変有利なことで
356
永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」
ある。このことはその国民によって書かれた詩と音楽のことを意味す
る。
東洋のどの国でもキリスト教が伝来した時に同時に音楽も取り入れる
ことは不可能であった。なぜならば東洋の音楽はヨーロッパ諸国の音楽
とは全くちがうものだったからである。そこには,その土地固有の旋律
とメロディーがあった。しかしそれらは非宗教的であったため,誰もそ
の音楽を教会での礼拝に使おうなどと夢にも思わなかった。それが彼ら
が西洋音楽を導入しようとした理由であるが,それはすぐには簡単に使
用できるものとはならず,筆舌に尽くしがたい努力が必要であった。
ここでわれわれは輸入された音楽について考えなければならない。時
にはある言語から別の言語に翻訳しやすい詩がある。しかし曲に使用さ
れたミーターに気をつけて目を向けると,それは大変困難なこととな
る。たとえばロシアとイギリスの歌は日本語に翻訳するのは難しくな
い。しかしドイツとイタリアの歌は翻訳が困難である。なぜならドイツ
には,シューベルトやシューマンが彼らの音楽に巧みに取り入れた特殊
なミーターが存在する。それゆえに同じミーターやリズムをほかの言語
に翻訳して移行させるのは大変難しいのである。イタリアの歌ではその
言語が叙情詩的で滑らか,リズミカルで音楽的としてよく知られてい
る。イタリア語と比べるべき言語は存在しない。しかしそれが翻訳され
た後,同じ感情と音楽的な感覚を得るのは不可能というものなのであ
る。
それでもなお他国の言葉で歌うよりは自国の言葉で歌う方がずっとよ
い。後者では,人は意味を理解することができ,聴衆にも理解させるこ
とができる。一方前者は双方が理解できず,好ましい結果も得られな
い。
日本では現在主要なソプラノ歌手がどの歌も日本語で歌い始めてい
る。その一方で意味を理解することなく外国語で歌い続けている歌手も
357
多数存在する。前者は外国語で歌うことに,強い異議申し立てをした。
歌手の目的とは何か。それは単純にどの歌手も聴衆に意味を理解させる
ために,歌手自身が徹底的に意味を理解しなければならないということ
である。もし歌手が意味を判っていない場合,いかにして彼女(または
彼)の適切なフレージングや表現を理解するであろうか。歌手がこのよ
うな重要なポイントを理解していなかったら,いかにして聴衆から理解
や高い評価を得ることが期待できるであろうか。このことはフレージン
グやアクセントなしにバイオリンを弾くより深刻な問題である。バイオ
リンは美しい音色で奏でることができる。歌手も音色を使って歌うとい
う美しい特質を持ってはいるが,もし歌手が正しく,明確に発音できな
かったら,その歌は何の意味も持たなくなってしまうのである。
コンサートでわれわれが耳にする歌はこのようなものであるから,聖
歌隊が使用する音楽や教会が使用する讃美歌集に関しては十分に注意を
払う必要がある。翻訳曲は詩として完璧なものではない。なぜならばそ
れは単に詩から詩へと翻訳するのはむしろ単純な作業であるが,それが
歌として使用に耐えるものにするには,恐ろしく翻訳が難しくなるので
ある。われわれはメロディー,フレージング,アクセント,ブレスに注
意を払わなくてはならない。これに加えて讃美歌における音楽の影響
は,讃美歌集から讃美歌を選曲する人々と教会に常に来る一般信徒だけ
の問題ではない。
かつて一度も教会に来たことのない人が礼拝に参加した時のことを考
えてみよう。讃美歌が歌われることは説教や聖書講読と同じくらい効果
的で影響を持つ。この場合もし教会が詩的に貧弱な翻訳の歌を使用して
いて大変理解が困難であった場合,礼拝参加者にどんな影響力も与えな
い。それゆえわれわれは自国語で書かれ,自国の作曲家が作曲した日本
の讃美歌を持たなければならないのである。
東洋人が持っている哲学,宗教,そして道徳に関する概念は保守的で
358
永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」
悲観主義的である。これは他国と比べて全く違う点である。それゆえに
自然に彼らの宗教経験も他国のあり方と相違がある。哲学と宗教に限ら
ず東洋の音楽は全く違うものである。ヨーロッパ人が楽しい,長調の音
楽を好む一方,東洋人は悲しい,短調の音楽を好む。音楽に関する考え
方が違うために東洋人の歌い方ももちろん異なっているのである。
かつて有名な聖職者であり説教者の一人で,同志社大学の学長であっ
た海老名弾正博士は次のように述べた。
「教会生活と教会活動を判断するには多くの方法がある。異なる国の
教会を比べる方法もたくさんある。しかしそれらを見つける最も簡単で
(5)
良い方法は会衆の歌唱を比べることである。
」
彼は当時の韓国教会とアメリカの教会をその例として挙げている。韓
国人は読むように歌う。それは地味で,一本調子である。彼らには指導
者がいない。そして,教会や祖国,そして音楽の中で一体となるという
希望を持っていない。
日本人の歌はそれに比べてややましである。ただし彼らは短調の曲を
好んで歌う。時々長調の曲を歌うこともあるが,しかしその歌い方が変
わっていて,まるで短調のように聞こえる。日本人は教会の中で讃美歌
を歌うというような教会活動をしていない。韓国と日本には基本的には
大きな差は存在しないのである。
わたしはアメリカの人が歌うのを聞いたとき,何にも止められないよ
うな強さを彼らが持っていることがすぐに判った。そしてアメリカ人は
希望と喜びに満ちた幸せな宗教的な生活を送っている。アメリカ人の歌
はわたしが日本でも感じたように説得力があり,パワフルであるから太
平洋を渡ってやってきた。これこそが宣教師の持っている精神というも
のだ。それゆえにアメリカ人宣教師は彼らの祖国の人々が歌う讃美歌に
支えられていると言うことができる。わたしはこれは大変興味深い点だ
と考えている。わたしはアメリカに来て,いくつかの点に気づいた。し
359
かしこの点について海老名博士と同意見になるまでに長時間がかかって
しまった。
説教のクラスで原稿を持って説教をすることは,原稿なしで説教する
のと同じくらいの効果はないということを学んだ。なぜなら,その説教
はまだ身に付いているものとなっていないからである。翻訳の讃美歌も
オリジナルの讃美歌ほどの効果は持っていないと言っても構わないと思
う。
その国独自の讃美歌を持つ上で重要な問題点は讃美歌を歌う時に言葉
の重要性を了解することで解決される。讃美歌を歌う場合の言葉の重要
性はおのずと讃美歌は自国のものでなくてはならないという結論に導か
れる。そして作曲者もその国の人でなければならない。
ここ 10 年間この運動は日本で地道に進められてきた。その結果とし
て最近新しい讃美歌集が出版された。この讃美歌集にはヨーロッパの作
曲家と日本人作曲家の両方の讃美歌が収録されている。それでもまだ多
くの讃美歌がヨーロッパの作曲家によって作曲されている。現在日本の
教会に力を奮いたたせるためには,まず日本人の性格に合った効果的で
適切な讃美歌がもっと必要である。このことはわたしが相応しいと思わ
れる以外の讃美歌を排除したい,または忌み嫌っているということを意
味するものではまったくない。
クリスマスの時にはメサイアほど理想的な曲はない。受難週間の間に
はバッハの受難楽やステーナー,またパレストリーナの《主を十字架
に》がイースターにはふさわしい。どの理論家も理想的で最高の音楽作
品について和声と対位法の観点からそのことを語る。これらの作品はキ
リスト教史の中で不滅のものである。これらの特別なオラトリオを翻訳
するのは簡単ではない。しかも短期間の合唱の練習でこれを歌える聖歌
隊は存在しない。われわれは歌詞と楽曲の両方を長い時間をかけて学ば
なければならない。それゆえ英語に翻訳されているのであるから,われ
360
永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」
われはよい日本語訳を入手できないのであれば,英語かドイツ語で歌っ
た方がよいということになる。日本では小学校以外のどの女学校,男子
校でも英語学習が求められている。われわれには英語のリーディングと
会話では全く違うテクニックを求められている。単に英語を読むだけな
らとても簡単なことだ。それゆえに単に英語で歌うということだけなら
ば不可能なことではない。しかし英語で歌うにしても良い結果を望むな
らば,まずその歌詞を注意深く読み,意味を学ばなければならない。歌
い始める前にすべての人が容易に英語を読めるようにならなければなら
ないのである。
もし教会音楽の中心がオルガンか聖歌隊であるとすれば,われわれは
讃美歌の言葉の問題について深刻に悩む必要はない。しかしプロテスタ
ント音楽の真骨頂は会衆が歌う音楽であり,それは讃美歌の歌詞と曲,
そしてそれらが実際使用されるということでなければならない。
このためにわれわれは翻訳讃美歌で満足していてはならず,自分自身
の宗教的体験を通して作られた歌詞からなる日本独自の讃美歌を持たな
ければならない。
5.日本で聖歌隊を組織するために
聖歌隊を組織するにあたって,信仰とその理想に関して常に同じ精神
の問題が存在する。しかし日本には社会的な序列や習慣には欧米とは大
きな違いがあるので,日本で聖歌隊を組織することはヨーロッパやアメ
リカに比べるとかなり困難な問題であり,大変な違いが存在する。
しかし日本の聖職者の助けとなるような教会音楽を発展させるため
に,最も重要で簡単な方法とは聖歌隊を組織することである。日本とい
う国は全体として西洋音楽の訓練を受けていない。それゆえに楽器を演
奏できる人を見つけるのが大変難しい。それ以上に日本の教会それ自身
361
が財政的に基盤が大変脆弱で貧しい状況にある。そこで現段階でパイプ
オルガンを各教会に設置するなどというのは望むべくもなく,そして多
くの人がそうしたいとも考えていない。だが聖歌隊のことが論議される
時がやってきて,ほとんどすべての人が聖歌隊を持つことを熱望してい
る。そして聖歌隊を持つということを現実のものとしようと望み,進展
させようと思っている。これは聖歌隊が簡単に組織できるという理由ば
かりではなく,小学校から大学までのすべての学校で唱歌が教えられて
いるというのがその理由である。それゆえ発声法を知っている人,グ
ループを牽引できる能力を持つ人は聖歌隊を組織し,指導することがで
きる。と同時にこのことは費用を伴うということがまったくない。もし
教会が財政的に裕福ならば,多くのことに報酬を支払うことができる
が,財政的に貧しい教会でも聖歌隊を持てる可能性がある。なぜなら無
給の聖歌隊と無給の指導者を見つけ出すことは実際可能なことであり,
思っているより簡単なことである。
6.いかに聖歌隊を組織するか
前章を始めるにあたって日本で聖歌隊を組織するのは困難であること
と数々の問題があり,その問題は他国の人から見ると奇妙に映ると述べ
た。キリスト教が日本に伝来する以前,日本という国は思想と日常生活
の両方にわたって中国文明によって育まれ,発展してきた。わたしはこ
の文明がいかなるものかを述べようとは思わないが,中国文明が東洋の
国々の特徴を形成してきたのであるから,それについて少々述べなけれ
ばならない。中国と日本の社会秩序を今日まで統御しているのは,孔子
の教えである。あえていうならば孔子の教えが聖歌隊の組織化を困難に
しているのみならず,しばしば日本におけるキリスト教の発展を妨げて
いるのである。その教えは,男女三歳にして席を同じうせず,である。
362
永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」
もしあなたが日本や他の東洋の国に来て,ごく少数の特殊な例を除いて
どの学年においても共学が見られない理由がこの教えである。このよう
な環境で育った人にとって,男女が一緒に共同作業をしていくというの
は大変難しいことであり,若い人々にとってはより難しいことである。
どのような集まりであろうと,男女の集まりが成立すると,人はそれが
どんな集まりかを見出すまでは,不道徳な集まりと見なすのが自然な成
り行きなのである。特に聖歌隊の場合は,継続的な練習をしなければな
らず,少なくとも週に一度,夜に練習しようものなら,これは特に難し
いものになってしまう。なぜならいまだに多くの教会員が孔子の教えを
背景に持っており,すなわちその教えが教会に関ってくるのである。
それゆえに日本における聖歌隊という観点からいえば,男性だけの聖
歌隊か女性だけの聖歌隊を組織する方がずっと容易である。彼らが定期
的に集まることになれて音楽的な訓練も受けた後にはじめて,一般大衆
は聖歌隊の必要性に気がつくのである。混声の聖歌隊を組織することは
難しい。そして男性の聖歌隊だけの,そして女性の聖歌隊だけの音楽作
品を得るのは思いのほか難しいことである。礼拝や神をほめ讃えるため
の完璧な聖歌隊は存在しない。混声の聖歌隊を組織できない場合,女声
の代わりに少年の声を用いる方がよい。少年の声については次章で述べ
るつもりである。われわれが何かに取り組もうとすれば,必ず障害があ
らわれるものである。われわれに必要なものは困難に打ち勝つための強
さと精神なのである。
a.聖歌隊の抱える問題の解決
指導者は訓練を積んだ聖歌隊よりも,初心者が集る聖歌隊にこそ必要
である。わたしはどの聖歌隊もピアニストとオルガニストに加えて指揮
者を持つべきであると考える。わたしが指揮者をおかない方がよいと思
う場合が一つある。それは聖歌隊が会衆の前に座る場合である。しかし
363
これは座る場所について検討することで解決できうることである。
まず最初に指導者は歌手を確保しなければならない。わたしは個人的
にはノンクリスチャンの音楽愛好者からより教会員から選ぶ方が好まし
いと思う。なぜならば聖歌隊がアマチュアであろうがプロであろうが,
どのメンバーも礼拝に対して同じ考え方をしていなくてはならないから
である。彼らがクリスチャンでなければ,誰も彼らを長く留めておけな
いだろう。特にアマチュアの場合はそうなるのである。次に指導者に
とって重要なことは,曲を選ぶということである。選曲に関してはどの
指導者も聖歌隊の音楽的なレベルを心に留めていなくてはならない。そ
して聖歌隊の歌に対応する説教も心に留めていなくてはならない。それ
は良い結果を得るために必要なのである。また時々ロシア音楽の時にお
こることであるが,指導者はその曲がカトリックの発想かプロテスタン
トのものかを考えなくてはならない。指導者は曲の準備と演出について
考えなければならない。そして聖歌隊間の生き生きとした人間関係を常
に保つようにしなければならない。そして聖歌隊と他の人々の関係も心
に留めなくてはならない。これらのことは何度考えても明白な必須事項
なのである。
聖歌隊の正式な服の着用に関して,もし正式な服を着用しなくてもレ
ベルの高い聖歌隊が存在するならば,正式な服を着用についてあえて強
く要求するつもりはない。座席の配置は服装よりも重要な問題である。
聖歌隊は礼拝の助けとなり,礼拝を完璧なものにすることへの支えとな
る。一方礼拝のもたらす効果は聖歌隊のメンバーが正装をしていると減
ぜられる可能性も存在する。メンバーがお互いにささやき合ったり,会
衆を見回したりすることは礼拝全体を台無しにする可能性がある。聖歌
隊を牧師に対面するように二階席に配置するのがよい考えである。しか
し会衆の席がバルコニーにある場合,あまり効果的に機能しない。わた
しは聖歌隊席はチャペルのサイドルームにおくのがよいと思う。そうす
364
永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」
れば会衆の視界からは離れることとなる。そこでわれわれは聖歌隊の正
式な服を着用に関して思い悩む必要がなくなるのである。
b.合唱の練習をめぐる問題
このことは礼拝で歌うということよりも実際には重要な問題である。
もし聖歌隊がうまく歌えず,うまく機能しなかったとすると,より良い
礼拝を執り行うことなど期待できるであろうか。アマチュアの聖歌隊は
プロで訓練を積んでいる聖歌隊よりも多くの合唱の練習が必要である。
わたしは個人的には聖歌隊メンバーは宗教的で敬虔な感覚を持ち続けら
れるように教会で合唱の練習を行うことを強く望むものである。それゆ
えに牧師が合唱の練習に立ち会い,彼に始まりと終わりの祈りを捧げて
もらう必要がある。また聖歌隊メンバーの一人一人が密接な関係である
ことが重要なのである。
プロの聖歌隊とアマチュアのどちらがいいかという問題が存在する。
理想的な聖歌隊を持ち,より上質の音楽を望むならば,プロの聖歌隊が
理想的だということに疑問を挟む余地はない。しかしながらそれには経
済的なサポートが不可欠である。その上アメリカでは可能なことである
が,日本ではプロの聖歌隊を雇うなどということは全く不可能なことで
ある。それゆえにそれは重要な問題ではあるが,この問題は論じる余地
もないのである。
7.教会でのどのような音楽活動が教会関係者を助けるか
音楽は礼拝の手段である。そう,礼拝で歌い,そして会衆の歌唱を
リードする聖歌隊が教会における音楽活動の中で最も重要で欠くべから
ざるものであることは明白なのである。
わたしがここで論じたいと思っている音楽活動とは聖歌隊と聖歌隊の
365
指導者が本業に加えて果たすことのできる役割は何かということであ
る。
1.聖歌隊はクリスマスの時にヘンデルのメサイアの演奏会を行うこと
ができる。また受難週間にはバッハの受難楽,時に応じてステーナー
の《主を十字架に》
,メンデルスゾーンの《エリヤ》
,ハイドンの《天
地創造》
,ベルディの《レクイエム》
,バッハの《ロ短調ミサ曲》など
を演奏することができる。時にはロシア音楽全般を歌うのも興味深い
ことである。クリスマスのときにはクリスマスカロルやバッハのカロ
ル等。これは音楽文化の向上をはかるのみならず,人々を宗教的に覚
醒することとなる。それゆえに特別な演奏会であるだけでなく,強力
で効果的な教会活動の遂行ということになるのである。
わたしがアメリカに来てから,わたしは万人に有効で興味深いあ
るものを発見した。それは日本にはないものであった。それは教会
での音楽鑑賞講座である。それは音楽文化にとって有用なものであ
るだけでなく,感動する気持ちを育てるためにも必要である。それ
ゆえにわれわれは音楽鑑賞のための特設音楽プログラムを置かなけ
ればならない。これには特別な音楽プログラムである必要はない。
時々牧師や教会音楽家が教会音楽について話したり,ステーナー,
ヘンデル,バッハ,ベートーベンなどの教会音楽家の生涯や彼らの
作品について解説すればよい。これらの音楽プログラムを置くにあ
たっては,無料で行うことを勧めたい。そして支払える金額に見
合ったレコードコレクションをつくりあげることは大変に理にか
なったことであり,聖歌隊が利用するためにもよいことである。こ
のアイデアは聖歌隊の音楽の紹介に関してよいアイデアであるばか
りではなく,オルガン音楽,ピアノ音楽,管弦楽を紹介できるとい
う点でもよいアイデアである。オルガンやオーケストラがピアノと
同じく一般的ではない日本のような国では,オルガンコンサートや
366
永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」
オーケストラによるコンサートに触れる機会は少ない。それゆえに
蓄音機を使ったレコードコンサートは,実行可能なことであり,効
果的なものなのである。
2.日曜学校で讃美歌を歌うのを助けて,年少の聖歌隊を組織する。そ
れは年少者が教会に興味を持ってもらうためだけでなく,子供たちが
聖歌隊で歌うことをとおして大人たちにも教会での働きに興味を持た
せるためでもある。
わたしはアメリカに来るまで少年聖歌隊の歌声を聞いたことがな
かった。少年聖歌隊は大変有用で,彼らの歌声は大変自然に聞こえ
る。彼らの発声は筋肉を緩めながら行っている。このことは一般の
大人にとって大変難しいことだと感じることがしばしばあるが,さ
らに歌を勉強している大人にとっても同様のことが言える。このこ
とでわたしは多くのヨーロッパの大教会に少年聖歌隊が存在する理
由が理解できたのである。
少年はソプラノパートをとることができ,訓練された男性はアル
トのパートをとることができるので大変都合が良い。テナーとバス
はもちろん男性が歌う。この時ごく少人数の男声でも大勢の少年の
声と釣り合うことになるのである。
欧米に比べて日本は男女が一緒に行動することにはまだ難しい社
会情勢である。そこで少年聖歌隊を組織することは非常に重要で有
益である。しかももし少年を大勢集めることができなくても,少数
であれば大人に歌を教えることに比べはるかに容易いことである。
少年聖歌隊を組織するためにはまず最初にその準備を進めなけれ
ばならない。アメリカやヨーロッパ諸国では問題はない。そこでは
幼稚園から大学まで,また家庭の内外で音楽教育が普及しているか
らである。しかし日本では音楽は日常生活に重要なものだとは見な
されていない。このことは過去のことではない。そう考えていない
367
人々はそれでもなお音楽は子供たちに有益なものではあるが,大人
には不要だと考えている。このために音楽教育のコースを持つ大学
がない。それゆえに,われわれは少年聖歌隊を組織する前に,それ
を組織する助けとなるシステムを構築しなければならない。この目
的を達成するために日曜学校の音楽を促進することと発展させるこ
とが大変重要なのである。
指導法
日本の日曜学校はアメリカのように組織化されていない。それは公立
学校や家庭とまったく結びついていないからである。日本にプロテスタ
ママ
ントが伝来してたった 20 年しか経っていない。それゆえに日本の日曜
学校はアメリカのそれに比べて初歩的な段階にあると言わざるを得な
ママ
い。さらにクリスチャンは全人口の 20 分の 1 を占めるだけである。そ
こでわれわれは日本の日曜学校に特別なプログラムを用意しなければな
らない。
A.生徒の家族とどのように接するか。生徒の大多数はノンクリスチャ
ンの家庭からやってくる。生徒が家庭でキリスト教に関して伝え聞く
ことは何もない。そして生徒の両親は子供がどのようなところに通
い,何を見聞きしているか知らない。
B.どのようにして生徒達をキリスト教に改宗させるまで留めておく
か。小学生から中学生までとても優秀な生徒がたくさんいる。しかし
年少期をすぎるとすぐに日曜学校に来るのをやめてしまう傾向があ
る。それゆえにイースターやクリスマスには特別な礼拝を行わなくて
はならない。言い換えればわれわれは子供たち向けの礼拝だけでな
く,その両親に向けての礼拝も行うべきである。そこでキリスト教に
ついて教え,クリスマスやイースターが何であるか教えるのである。
他のやり方では日曜学校は日本社会に影響を与える存在とならない。
368
永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」
このような理由から子供たちに音楽を教えるのが最良の方法なのであ
る。そうしてこれらの礼拝は音楽のプログラムを中心として成り立た
せるのである。
歌い方を幼稚園児から高校生まで全員一緒に教えるのは大変難し
い。彼らが讃美歌に興味を持っていないからではなく,それまでに
音楽教育を受けていないからである。彼らは音楽に取り囲まれた環
境で育ってはいない。それゆえわれわれが歌い方を教える時には幼
稚園児に教えるような基準で教えなければならない。指導法は大変
シンプルであるが,教師には忍耐が求められる。われわれは音符も
歌詞も使うことはできない。もし年長児にだけ讃美歌集を使わせた
場合,日曜学校の生徒たちをひとまとまりとしてまとめていくのは
大変難しくなる。
まず最初に教師は讃美歌の初行をゆっくりと声を出して読み,そ
の意味を教える。それから再びその歌詞を読む。それから生徒たち
に後をついて声を出して読むようにさせ,数回繰り返させる。日曜
学校讃美歌の一行はそう長くはない。それゆえ歌詞を覚えることは
きわめて簡単なことなのである。
それから数度それを歌ってみせ 1,2 度,1 節を生徒に歌わせる。教
師がこの方法で 1 行ずつを教えたら,生徒は簡単にその讃美歌を歌え
るようになるのである。
われわれがこの方法で歌を教える間に,歌に興味をもっている少
年,歌の才能のある少年を発掘することができる。それからこれら
の少年を選び出し,特別な訓練を施す。そうすればわれわれは容易
に少年聖歌隊を組織することができる。そしてこれが理想的な形な
のである。
それがどのような集会であれ,集会には音楽は欠くべからざるも
のである。さらにわれわれがピクニックに行く時,伴奏なしで歌う
369
歌を用意しなければならない。音楽は人々を幸福にし,平和な気持
ちにする。 そして人々を一体化させる。 そして教会員は紀元前
ママ
200 年,イソップ寓話集の中で「心を一つにしている限り,敵も手が
出せまい。―略―一致団結するほど強くなる。
」と述べているよう
(6)
魂が高揚するような力を得るのである。
に,
音楽指導者が讃美歌やアンセムを選ぶときはいつも聖職者に助言をあ
おぎ,説教の間を埋めるために説教と共にすすむような讃美歌やアンセ
ムを選ぶべきである。
この論考を終わるにあたって,大変有名であるが,一般には知られず
あまり歌われない 4,50 曲の讃美歌について言及したい。それらの讃美
歌の曲と歌詞の作者がもつ歴史的背景を含めて徹底的に会衆に教えるべ
きである。これらの讃美歌が会衆にとってなじみ深いものとなれば,彼
らは音楽的な教育を受けたことにより音楽的な感覚が磨かれるだけでな
く,よりよい宗教的な体験もしたこととなるのである。
訳者注
(1) 原文はフランシスコ会司祭になっているが,実際はイエズス会。以下
も同様。
(2) 共同訳聖書実行委員会『聖書 新共同訳』(日本聖書協会 1987 年)
から転載,以下他の聖書の箇所の引用も同様に『聖書 新共同訳』から
転載した。
(3) 以下の著作に目を通したが該当箇所を見いだすことができなかった。
『ルター著作集(第一集)』1~ 10(聖文舎 1964年12月~ 1980年12月),
ルーテル学院大学編『ルター著作選集』(教文館 2005 年 10 月),金子
晴勇訳『ルター神学討論集』(教文館 2010 年 12 月),植田兼義・金子
晴勇訳『ルター教会暦説教集』(教文館 2011 年 4 月)。
また,Ewald M. Plass,comp.,What Luther says: an anthology(Saint
Louis: Concordia Pub. House,c1959)にも該当する英文の翻訳文は見当
370
永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」
たらなかった。
(4) どのような会議なのか特定できなかった。
(5) 以下 14 点の海老名弾正の著作からは同様の記述を見つけることがで
きなかった『基督教本義』(日高有隣堂 1903 年),『耶蘇基督伝』(文
明堂 1903 年 1 月),『基督之大訓注釈』(文明堂 1903 年 12 月),『国民
道徳と基督教』(北文社 1912 年),『基督教十講』(警醒社 1915 年),
『世界と共に覚めよ』(広文堂 1917 年 11 月),『基督教新論』(警醒社書
店 1918 年 6 月),『静的宗教と動的宗教』(大鐙閣 1918 年 11 月),『基
督教大観』(先進社 1930 年 3 月),『日本国民と基督教』(北文社 1933
年),加藤常昭編『海老名弾正説教集』(新教出版社 1973 年 2 月),『基
督論集・基督教本義/海老名弾正』(日本図書センター 2002 年 11 月),
『海老名弾正(日本の説教;1)』(日本キリスト教団出版局 2003 年 3
月),『基督教概論未刊行;我が信教の由来と経過/海老名弾正』(日本
図書センター 2003 年 11 月)。
(6) 原文は「Unison is strength」 だが, 中務哲郎訳『イソップ寓話集
(岩波文庫)』(岩波書店 1999 年 3 月),60 ~ 61 頁の以下の部分をあら
わしていると考えられる。
五三 兄弟喧嘩する農夫の息子
農夫の息子たちが喧嘩ばかりしていた。いくら言っても聞かせても,
言葉ではとうてい改心してくれないので,行いで教えこむしかないと悟
り,棒の束を持ってくるように命じた。息子たちが言いつけどおり持っ
てくると,農夫はまず,棒の束のまま渡して,折ってみろと言った。い
くら力を入れても折れないので,今度は束をほどき,棒を一本ずつにし
て渡した。息子たちが易々と折っていくのを見て,農夫が言うには,
「よいか,お前たちも心を一つにしている限り,敵も手が出せまい。
しかし,内輪もめをしていると,容易に敵の手に落ちるぞ」
内輪でもめるほど敵に敗れやすく,一致団結するほど強くなる,とい
うことをこの話は説き明かしている。(下線手代木,ルビ省略)
371
訳者解説
日本における教会音楽(聖楽[Sacred Music]
)の歴史の中で,戦前
にユニオン神学校で聖楽の修士号を取得した人物が二人存在する。永田
あきら
つよし
曄(論文提出 1933 年)と松本幹(論文提出 1935 年)であるが,どのよ
うな人物だったのか,その後の足跡も長い間不明のままであった。
筆者は明治学院に関わるようになり,園部不二夫著「明治学院音楽史
(1)
を検証,この書によって松
明治学院における戦前戦後の音楽と活動」
本幹が明治学院の卒業生であることが判明した。松本幹に関しては『明
治学院キリスト教研究所紀要』第 43 号(2010 年 12 月)所収「松本幹著
“Hymnology in Japan”「日 本 に お け る 讃 美 歌」
(全 訳) の「は じ め
(2)
で触れた。
に」
筆者は松本幹著の修士論文を翻訳する機会を得たが,彼の論文に「筆
者[松本幹]は永田[曄]氏と明治学院高等学部神学科(この種の教育
(3)
と書かれて
機関で日本で最も古い学校)で 1 年間生活をともにした」
おり,永田曄も明治学院の卒業生,神学部における松本幹の先輩である
ことが明らかになった。戦前にユニオン神学校で聖楽の修士号を取得し
た二人はともに明治学院の卒業生だったのである。
松本幹に関しては彼の生涯,著作,家族等が明らかになったが,永田
曄に関しては不明な点の方が多い。
『明治学院神学部学籍簿』によれば(4),永田曄は明治 36(1903)年 2
月 23 日,鹿児島県鹿児島市山下町生れ,佐賀中学校から都留仙次が保
証人となり大正 12(1923)年 4 月 1 日,明治学院神学部予科 1 年入学。
『明治学院神学部要覧』
(大正 14 年 11 月)では,神学部予科 3 年の欄に
永田曄の名前が掲載されている。
明治学院在学中はグレゴリーバンド在籍で,宮内俊三氏は「昔のグレ
372
永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」
ゴリーバンドと私」で次のように語っている(5)。
この頃[1925(大正 14)
]一緒に歌ったメンバーのなかで,山本
彰さん,永田曄さん,吉岡勝さん深津文雄さん,牧野さん等を覚
えています。―略―
永田曄さんは声楽とともにバイオリンの名手でした。グレゴ
ママ
リーバンドの演奏会では,必ず彼のバイオリン・ソロ(
『ツゴイネ
ルワイゼン』など)があり,聴衆を魅了したものです。
『明治学院同窓会データベース』では(6),大正 15(1926)年高等学部
卒,昭和 3(1928)年東山学院既往在籍者,
『明治学院同窓会名簿』
(昭
和 14 年 4 月現在)では,
「東山学院英語商業科・既往在籍者」に名前が
あり,
「住所」は横浜市打越 68,
「旧教職員・東山学院」の欄には,
[昭
和 3 -昭和 4]に永田曄の名前が存在し,彼は東山学院で音楽の教員を
勤めていた。そして昭和 8(1933)年,ユニオン神学校に聖楽修士論文
“Necessity of Church Music for the Future Ministry in Japan”「日本
の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」を
提出した。その後は後述のように,昭和 9(1934)年紅葉坂教会聖歌隊
指揮者に就任,昭和 10(1935)年から 13(1938)年まで共立女学校の
『明治学院時報』第 5 号(昭和 10 年 2 月 10 日)
音楽の教員であった(7)。
の「白金だより」には永田曄がクリスマス礼拝で演奏したことが書かれ
ている。
永年北米ニユーヨークで宗教音楽を研究して居られたが,昨秋日
系米国市民たる才媛を花嫁として帰朝されました。旧 の学院クリ
スマス礼拝には同夫人の伴奏にて得意のヴアイオリンソロを演奏,
文字通り琴瑟相和を皆で拝見拝聴す。
(旧字は新字に改めた,以下
373
も同様)
『明治学院同窓会名簿』
(昭和 17 年 10 月現在)では,昭和 16(1941)
年日米開戦時にアメリカに渡っている。
『明治学院同窓会名簿』
(昭和
32[1957]年11月)
,
『明治学院同窓会名簿』
(昭和37[1962]年)
,
『明
治学院同窓会名簿』
(昭和 41[1966]年)では在米となっており,それ
以後は名簿に永田曄の名前は掲載されていない。
現在までのところ永田曄に関して文献に記述があるものは,上記 2 点
以外では,
『日本基督教団 紅葉坂教会百年史 1893 年− 1993 年』と
『みどりのおか』
(共立女学校校友会・共立女学校同窓会)
,
『Kyoritsu
Echoes』であり,
『日本基督教団 紅葉坂教会百年史 1893 年− 1993
年』には次のように書かれている(8)。
あきらママ
この頃[一九三四(昭和九年)十月]
,永田華を指揮者に迎え,
聖歌隊が組織された。永田は北米オベリン大学音楽部に学んだ後,
ニューヨーク,ユニオン大学神学校音楽部で教会音楽を専攻し,
ママ
マスター・オブ・ミュージックの学位を得た日系二世で,共立女
学校で音楽を教えていた。一九三七年(昭和十二年)六月二十日
(日)の夕会から永田指導により讃美歌練習も始められた。六月
二十七日の夕会は次ぎのようなプログラムで,讃美歌の夕が青年
会主催で開かれた。
讃美歌解説 平賀牧師
奏楽(ピアノ) 永田夫人
讃美歌指導 永田先生(なお,永田先生によるバイオリン
の伴奏あり)
―略―
374
永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」
なお,夫人永田文子は,米国パシフィックカレッジ音楽部ピア
ノ科卒業である。
しかし当時紅葉坂教会の会員ではなかったらしく,当時の会員名簿に
その名は見られず,その後の情報も僅かなものである。戦後「紅葉坂教
会員で父親が結核を患った折,戦後の入手困難な時に永田氏の伝手でス
トレプトマイシンを使うことが出来た」という話が残っている(9)。しか
しこの逸話を記憶している人は,このことは幼い時に祖母から聞いたこ
となので永田曄に関しては何も憶えていないとのことだった。また紅葉
坂教会員の谷口尚弘氏は「永田華氏について」という手記を残してい
る(10)。
永田華氏のことを父(清 1903 年~1998 年)は「永田はな」さ
んと呼んでいました。戦前,父も紅葉坂教会の聖歌隊に奉仕し,
そこで指揮をされていた永田氏と交流を持っていたようです。
昭和 18 年秋に清の妻梅子と子供達 4 人は祖母の故郷岩手県平泉
に疎開しましたが,父一人は仕事の関係で横浜に残りました。家
には当時珍しかった電気蓄音機(電蓄と読んでいた)があり,音
楽好きの永田氏を招いてレコードに聴きいったことが何度かあっ
たとの事です。中でも,戦時体制がますます厳しくなり,灯火管
制がしかれるようになった時も,電灯の傘に布を巻きつけ,光が
外に漏れないような状況のもとで,二人秘かに音楽を楽しんでい
ました。娯楽も無くなった戦時下のあの厳しい状況のもとでは,
レコードの鑑賞は唯一の慰めであったのかもしれません。永田氏
が「電蓄はいいなあー」と言っておられたことを父は自慢してお
りました。
しかし,この家も昭和 20 年 5 月 29 日の横浜大空襲で,全てが灰
375
燼に帰してしまいました。
永田氏について,父から聞いて記憶しているのは,息子さんが
バイオリンを弾かれていたこと,一度外国人を連れてこられて
(教会に?)
「バリトンの谷口さんです」と紹介され,音楽に関し
ては聖歌隊に属していると言ってもど素人であるだけにとても恥
ずかしい思いをしたこと,などです。
外国人云々は,いつのことかは不明ですが,おそらく戦後,そ
れも早い時期ではないかと思います。なぜなら,家族が疎開先か
ら横浜に戻ってきましたのが,昭和 22 年 3 月であり,その頃から
は仕事が多忙になったことなどから,父は殆ど教会には行かなく
なっていたからです。
ここで永田氏は「曄=あきら」ではなく「華=はな」と呼ばれてい
る。
「曄」は「ヨウ」
「かがやく」と読み,
「あきら」とは一般には読み
にくい漢字なので,
「華」とし,
「はな」と愛称されていたのであろう
か。ちなみに『横浜共立学園同窓会名簿』
(2001 年 5 月)も永田氏は
「曄」ではなく「華」である(11)。これは誤植であろう。
『みどりのその』
(共立女学校校友会・共立女学校同窓会)
,
『Kyoritsu
Echoes』には彼に関して次のように書かれている。
『みどりのその』第四号(1935 年)には,新任教師として永田華(音
『みどりのその』第
楽)と永田文子(器楽)の名前があがっている(12)。
五号(1936 年)では,二人が校友会の役員になったこと,また「讃美
歌礼拝順序」
,
「共立女子青年会主催クリスマス礼拝順序」
,
「クリスマス
順序」
,
「共立女学校同窓会総会」に名前を見つけ出すことができる(13)。
『Kyoritsu Echoes』第六巻十七号(1937 年)では音楽部の様子を上田
弥生子が「早もうクリスマスも近づいてしまひました。運動会や何にや
かやあつて,せわしい時を過ごして参りましたが,永田両先生の御熱心
376
永田曄著「日本の聖職者にとって,今後解決を必要とする教会音楽における諸問題」
な後指導の下に,愉快に無事に歌のお稽古をして参りました。
」と書い
『みどりのその』第七号(1938 年)では彼の退職を伝えてお
ている(14)。
り(15),翌年妻文子も退職している(16)。
横浜共立学園の資料室には,昭和 12(1937)年の教員の集合写真が
残されており,永田曄の顔が確認できる。また横浜共立学園作成の
DVD『創立百四十周年記念ビデオ 神に愛され,隣人に仕える人に』
(2011年作成)には彼の授業風景(1936年当時)が紹介されている。
しかし上記の様に,永田曄に関しての情報は限られており,存命であ
れば 109 歳である。また『明治学院同窓会名簿』では,昭和 32(1957)
年以降,在米となっており,彼に関してはアメリカでの調査が必要と
なってくる。現在関係機関に問い合わせているが,現在までのところ新
たな情報は得ていない,ご存命かどうか不明の上にご遺族の存在も不明
で あ る。“Necessity of Church Music for the Future Ministry in
Japan” が書かれて 79 年がたっている。翻訳にあたっては本来本人,ま
たはご遺族に許諾を得るべきであるが,上記の事情から許諾を受けない
まま発表することに問題はない状況と考え,“Necessity of Church
Music for the Future Ministry in Japan”の翻訳を掲載した。
注
(1) 園部不二夫著「明治学院音楽史 明治学院における戦前戦後の音楽活
動」『管 弦 楽 団 10 周 年 記 念 誌 1965-1975』(明 治 学 院 大 学 管 弦 楽 団 1976 年 12 月)。[再録:「日本の教会音楽史に貢献した 明治学院の音楽
史」1 ~ 2『聖歌の友』第 98 ~ 99 号(1977 年 2 ~ 3 月)]。
つよし
(2) 拙論「松本 幹 著 “Hymnology in Japan”『日本における讃美歌』(全
訳)」『明治学院キリスト教研究所紀要』第 43 号(2010 年 12 月),231 ~
277 頁。
(3) 注(2),254 頁。
377
(4)『明治学院神学部学籍簿』(明治学院神学部 1925 年 11 月),11 頁。
(5) 宮内俊三談・大倉文責「昔のグレゴリーバンドと私」(1997 年 5 月 12
日)。島田貫司氏(明治学院大学社会学科 1961 年卒)をとおして入手し
た,資料のご提供に感謝の意をあらわしたい。
(6)『明治学院同窓会データベース』は同窓会所有のパソコン上のデータ
ベース。
(7)『みどりのその』 第四号(共立女学校校友会・ 共立女学校同窓会 1935年10月),『みどりのその』第七号(1938年12月)。『みどりのその』,
『Kyoritsu Echoes』,『横浜共立学園同窓会名簿』,『昭和 12(1937)年の
横浜共立学園教員集合写真』,DVD『横浜共立学園創立百四十周年記念
ビデオ』は,横浜共立学園資料室,髙塚順子氏,荒木美智子氏のご教示
による。お二人の情報・資料のご提供に感謝の意をこの場で述べさせて
いただきたい。
(8) 日本基督教団紅葉坂教会百年史編集委員会編『日本基督教団紅葉坂教
会百年史』(日本基督教団紅葉坂教会 1993 年 5 月),209 頁。安部純子
氏のご教示による。
(9) 安部純子氏のご教示による。
(10) 安部純子氏をとおして入手した。安部氏による情報,資料の提供にこ
の場を借りて感謝の意を表したい。
(11)『横浜共立学園同窓会名簿』(横浜共立学園 2001 年 5 月)。
(12)『みどりのその』第四号(共立女学校・共立女学校同窓会 1935 年 10
月),34 頁。旧字は新字にあらためた。以下も同様。
(13)『みどりのその』 第五号(共立女学校校友会・ 共立女学校同窓会 1936 年 9 月),8,20,21,22 頁,「同窓会会報」3 頁。
(14)『Kyoritsu Echoes』第六巻十七号(神保勝世 1937 年),26 ~ 27 頁。
(15)『みどりのその』 第七号(共立女学校校友会・ 共立女学校同窓会 1938 年 12 月),28 頁。
(16)『みどりのその』 第八号(共立女学校校友会・ 共立女学校同窓会 1939 年 12 月),57 頁。
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