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学生からのコメントとそれへの応答

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学生からのコメントとそれへの応答
科学と人間 5/15 コメント
【度量衡・単位についてのコメント】
日本の枡いろいろ
コメント [y1]: なぜこれについて調べたの
1.京枡…秀吉によって定められた公定枡。年貢の米の計量用。
か、理由を書いてください。
2.江戸枡…南町奉行所または北町奉行所の印が押された枡。年貢の米の計量用。
3.江戸丸枡…南町奉行所の印が押された枡。一般穀物計量用。
4.古枡…一般穀物計量用。
5.市政裁判所の枡…江戸幕府から明治政府「東京府(現東京都庁)」を設置するまでの 2 か月
のみ作られた枡。
6.一斗枡(明治期)…堺県で使われた枡。堺県藤本製という焼き印が押されている。
7.新京枡…徳川家康が定めた公定枡の規格。尾張藩の焼き印が押されている。京枡より 3%
多く入る。
8.信玄枡…武田信玄が定めた公定枡。別名甲州の大枡ともいわれる。
彌惣枡(飛騨高山)…飛騨高山地方で使われていた枡。
9.備前の国の枡…備前国で使われていた枡。内側に焼印が押されており、張りものなどをし
て容積をごまかす事が出来ないように造られている。
10.藤堂高虎の柄付枡…津藩(現三重県津市)地方の枡。油をはかるのに使われる。
東洋計量資料館ホームページ
http://br.toyo-keiki.co.jp/toyokeiryoushi/collection/liquid/liquid.html
2015/5/18 アクセス
前回の授業を聞いて私は度量衡について興味を持った。これまで1フィートが何メートル
なのかよくわからなかったからである。
調べてみると明治になって諸外国の技術を入れるときにメートル法やヤード・ポンド法な
コメント [y2]: 何を調べたのか、出典を明
どが一緒に入ってきてしまったらしい。しかし今更どちらかに統一するのはかえって混乱
記しましょう。
するので帰れないということが分かった
コメント [MK3]: 現実はもっと複雑なはず
です。
今回の授業で桑原先生は度量衡の歴史についてお話されていた。授業内ではものの大き
さを表す際、人の感覚に頼っていては正確な大きさ、重さ、長さが計測できないため計量
するための道具の統一化が図られたとお話されていた。これはまた、統一した者の権威の
象徴としても機能していた。統一の範囲は貿易の範囲が広がるにつれて、地域から国、国
から世界へと広がっていった。では、現在日本で使われている単位はどのように決められ
たのだろうか。日本で最もよく使われている長さの単位の一つ、メートルについて考えて
みる。
そもそも、メートルという単位はいったいどうやって決められたのだろうか。独立行政
法人産業技術総合研究所によると、
「フランス政府は 18 世紀末に、
『いかなる国 でも採用
できる新体系を作ること』を検討し始めた。この作業は、フランス革命と時を同じくして
始まったが、それは既存の権威崩壊という大きな流れと無縁ではないであろう。こうして
フランスで作られた単位系は『メートル系』(Système métrique)と呼ばれ、1)単位の大きさ
を人類共通の自然(たとえば、地球、水)に依存し、2)十 進法を採用し、3)1 量 1 単位とす
る、などを基本方針とする合理的なものであった。この新しい単位系『メートル系』がフ
ランス国民に受け入れられるまでには、40 年かかったといわれている。」(1)とある。メー
コメント [y4]: 全体的に良く書けています
トルという単位は産業革命とともに生まれたのものだったのだ。ということは、メートル
が、マルの位置だけ惜しいですね。
という単位を使用することは近代国家としての重要な要素とみなされていたのだろう。
さらに、独立行政法人産業技術総合研究所は「明治政府はメートル条約締結 10 年後の
コメント [y5]: やや飛躍しています。
1885 年に条約加入を決定し、翌 1886 年(明治 19 年)4 月 16 日に条約加盟の勅令を公布し
た。更に 5 年ののち、フランスから日本国のメートル原器が届き、翌 1891 年度量衡法が
制定 されることとなる。この中では尺貫法を残しながら、メートル法との関係を明確にす
る形で国内単位を統一した。」と述べている
日本でメートルの単位を取り入れたのは明治のことであり近代化にともなってのことで
あった。
メートルを発明したフランス、そしてそれを取り入れた日本がともに近代化を目指して
いた時期であったことは偶然ではない。先に述べたとおり、貿易が国から世界へと広がっ
たことで単位が変化していったのだ。ということは、全世界が貿易によってつながったな
らばそこから先単位が大きく変わることはないだろう。
コメント [MK6]: 貿易によって世界が繋が
っていた時代は、
実はかなり以前からです。
(1)独立行政法人産業技術総合研究所
メートル条約に基づく組織と活用のあらまし
https://www.nmij.jp/~imco/metric/aramashi_2012.pdf
一度調べて見て下さい。
コメント [y7]: 「主従関係」の観点からす
ると、引用がやや多めです。複数の情報源
を調べることが必要です。メートル法につ
いては、ケン・オールダー『万物の尺度を
第4回の授業で採り上げられた事柄の中で、「体の一部を長さの単位として使う」という
ことについて、桑原先生は「どこにでも持ち運べるから」とおっしゃっていた。しかし、
現在でも使われている単位「坪」について調べていて、他にも、
「体の一部を使う」理由が
求めて』
(早川書房)などを読んでみるとよ
いでしょう。
あるのではないかという疑問が湧いた。例えば、体を一定に動かすことで、より簡単に長
さをはかることができるから、という理由も重要なのではないか。なぜなら、体以外にも、
コメント [MK8]: 私が言ったことは、この
どこにでも持ち運べるものがあったとすれば、それを使うはずであるし、手や足以外の体
ような内容も含めてはいますが、論を不負
の部分は、長さをはかる用途としては使いにくい。やはり、他にも体(特に手や足)であ
けてくれたということにはなりますね。
る利点があるはずなのだ。
『単位のおはなし』という本によると、
「古代中国におこった数や単位の進法はすべて 10
進法でしたが,土地だけは違っています.坪(つぼ)は日本の俗語で,そのもとは中国で
も日本でも歩(中国ではホ,日本ではブ)です.読んで字のごとくこれは歩幅,それも2
歩四方のことです.人が耕す最小単位を,その足で2歩四方にとったのです」(小泉袈裟勝
『単位のおはなし』日本規格協会, 1979,p.134)という。歩幅を一つの単位とするならば、
歩いて、その歩数を数えるだけで、おおまかな長さをはかることができるのだ。
「歩く」と
いう行動が、長さをはかるということにもなっている。
道具を使って、長さをはかることと、体を使って長さをはかるのでは、手間がちがう。
長さや量をはかる道具は後から発明されたというのは当然のことかもしれないが、道具が
できる前には、人間の長さに関する感覚はどのようになっていたのだろうか。
今回は単位の話でしたが、統一国家に1つの基準が必要だというのは昔習った古代中国
の国の政策によく似ていました。
授業で出てきた宣旨枡は一升が京枡の六合七勺の量であるらしく、これだけみても枡の
大きさは結構多種多様であることがわかります。
コメント [y9]: どういう点がどのように似
ているのかを具体的に書き、さらにはどう
して似ているのかも考察しましょう。
枡の大きさによって市民の生活も左右されていたのだなと思うと、現代の一定の基準は
あるべくして作られたものなのだと実感できました。
今回の講義では日本の古来の度量衡についてものさしをはじめとして様々な測定の道具
についての話を聞いたが、その中でも「宣旨枡」のことについて興味がわいた。当時の天
皇が正式に定めた枡であるはずの「宣旨枡」が、なぜ定着することなく、
「市枡」に駆逐さ
れてしまうに至ったのかが不思議であったからだ。
まず当時の時代背景として、宣旨枡が公定の枡として定められたのが1072年である。
同年には物価の公定が図られ、その数年前から記録荘園券契所が創立され、
、全国に乱立し
ていた荘園の取り締まりや規制が始まっていた。荘園ごとにも使っている枡の容量はまち
まちで、講義にもあったように税を徴収する側が枡の容量をごまかし、不正 に税を横取り
することもあったという。その他多くの混乱を正すために宣旨枡の公定が行われ、全国に
コメント [y10]: 個人的な感情ではなく、客
観性ないし一般性のある理由を書きましょ
う。
普及して使用されることとなった。
しかし宣旨枡の使用が公定されても、市場や地方では未だ別な枡が使われてもいたとい
う。その中で、コメの売買などが発達するにつれ、都市部の商人間で共通された市枡とい
うものが独自に作られていった。全国的な平均としてこの市枡はおよそ8合くらいだとい
われているが、京都の商人の間では9合を超えるものもあったという。戦国時代に入って
さらに各国で別々の基準の枡が作られ、このころには宣旨枡は徐々に使われなくなってし
まった。
このような経緯で宣旨枡が使われなくなったようだが、この原因には当時の朝廷の権力
の衰退があるのではないだろうか。宣旨枡が公定される以前の荘園には不輸不入の権が認
コメント [y11]: 仮説を立てるのは大変結
められ、管理者の不正も目立っていることから朝廷の統率が十分に及んでいたとは言い難
構です。しかし、勝手に想像するのではな
い。こののちに訪れる武士の時代では政治実権を武士が握ることになり、朝廷の権威はほ
く、史料を使って検証しましょう。
とんどないに等しくなった。このような背景から、宣旨枡は全国に普及することができた
が、朝廷権力の低下とともにその状況を維持できなくなり、結局のところ市枡やその他の
枡に駆逐されてしまったといえる。
コメント [MK12]: 荘園制下の権力をどの
ように捉えるかについて、もう少し調べて
見て下さい。あなたの言う、
「朝廷権力の衰
退」についても、実態を知って議論するべ
きなのです。
同じ枡でも同じ大きさや容量でないことに驚いた。
授業では枡がいつどこで作られたのか言及しておらず。枡は日本固有のものなのかそう
でないのかということについて疑問を持った。調べたところ{量ということは古代(神代)の
時代からあっただろうが歴史書ではみることはできない。(中略)その器が「量」であり、万
須と呼んだ(単位の歴史
測る▪計る▪量る、イアン▪ホワイトロー
富永
星訳、p228}{「ま
す」の語源は明らかでない。(中略)語源がはっきりしないということは外来語である可能性
コメント [y13]: こういうかっこは普通は
使いません。
がある。形状もさまざまであるが日本では古来直方体とされてきた(図解単位の歴史辞典、
小泉袈裟勝 編、p250)}他の国でも枡のようなものが使われている。例えば朝鮮の樽のかた
ちの枡、台湾の竹枡などがあり同じ枡でも国柄がでていた。いまだに枡はどこが発祥であ
るかが分からないままである。しかし歴史書にものっていない頃から日本は量るというこ
コメント [y14]: マルを打ちましょう。
コメント [y15]: どんな国柄ですか?
とが日常で使われていた。そして枡は量る以外にネズミの罠としても使われたこともあり
現在もお米の単位酒を飲む際つかわれている。枡は日本になじみの深いものになっている。
コメント [MK16]: このコメント全体につ
いてですが、調べたこととあなた自身の意
見をもっと区別して書いて下さい。
度量衡の単位について考へる。
日本に於いて古来より尺貫法と云ふ独自の単位を持つてゐた。然し,戦後に出された計
量法により取引等に於ける尺貫法は禁止されて,基本的にはメートル法を使ふ事になつた。
現在,メートル法を採用してゐる国は数多あり,採用してゐない国はごく僅かである。
授業によると「度量衡は、歴史的には社会的・文化的に基準が形成されていく」とある。
米国に於けるヤード・ポンド法や日本に於ける尺貫法はそのやうにして生まれたのであら
う。では,メートル法はどうか。メートル法はインチや寸のやうに体の一部を使ふのでは
なく,地球を基準として仏蘭西が定めた尺度である。之は世界統一的な尺度をつくらむと
する処に依る。つまり,メートル法は作られる段階で世界の統一単位と云ふ認識の元に作
られてゐる。この単位の日本に対する影響は先に書いた法律もあり,
「日常的にしみこんだ
単位基準は容易には改変されない(授業スライド)
」とは云はれつつも強い。例へば,授業
の日常的に使はれる単位の例ででた合について書くと,誰しも一合が大体にして何 ml かは
分かるが,1l が何合かをすぐ見当を付けられる人は少ない。文化的単位が形骸化する事は
文化の形骸化に繋がらないか。此処に日本に於ける尺貫法の意義を問ふのである。
コメント [y17]: 具体的に何がどうなるの
ですか?
コメント [MK18]: このコメントの趣旨及
5/15 の授業では度量衡の日本史について学習した。世界標準で単位が設けられているも
び主張は何でしょうか?
のもある一方で、変化するものは基準を満たさないため採用されないものもあると学んだ。
私が関心をもったのは、衣服のサイズ表記である。時代により人間の体型は少しではある
が変化する。それに伴い服のサイズは変わるのか調べた。
私たちが T シャツなどを買うときは S・M・L などのサイズ表記を参考にする。これは性
別や子供などに分けて JIS(日本工業規格)により規定されている。工業技術院標準部消費生
活規格課により平成 8 年 9 月 24 日に成人女子用衣料のサイズが改正されていると分かった。
背景は国民の体型変化にある。(社)人間生活工学研究センターが約 3 万 4000 人を対象に行
った人体計測では、
前回(昭和 53~56 年)の調査と比べると「身長」が約2cm 伸びており、身長の伸びに
関連する「またの高さ」は、30歳代で約2cm、その他の年代で約1cm 伸びていることが
わかった。また、「ヒップ」は約2cm、ウエストは約1cm、バストはほとんど変化がない
こ と が わ か っ た ( 成 人 女 子 用 衣 料 サ イ ズ
JIS
の 改 正 に つ い て
https://www.jisc.go.jp/newstopics/1998/jisl4005.htm 5/15 アクセス)。
この変化に伴い、JIS の改正が行われた。授業では不変のものを扱っていたがこのように、
変化するものもあるということが分かった。
コメント [MK19]: 洋服のサイズは、単位な
のでしょうか?サイズ表には、単位で示され
ている数値がありますが・・・。
私は、マイルについて調べることにした。
はじめに、私は陸マイルと海マイルという言葉を聞いたことがあった。
だが、この二つは、長さが異なるものであるということを、今回調べてはじめて知った。
陸マイルでは、一マイルが「約1609メートル」であり、海マイルでは、一マイルが「約
コメント [y20]: なぜ?
1852メートル」である。
海マイルは、「一海里」とも言い、なぜ1852メートルという中途半端な数値になった
かというと、「一海里とは緯度1度分の長さ」であるため、このような数値になったと言わ
れている。
以上のように、陸での一マイルと、海での一マイルでは、長さが異なるため、しっかり
と陸の場合と海の場合とで換算することを忘れてはいけない。
コメント [MK21]: 換算する場合には、いつ
参考 「海上保安庁海洋情報部
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN6/5_sodan/mame/topic44.htm
でも重要なことですが、どうしてこれを調
5月18日閲覧」
今回の授業を受けて自分が関心を持ったのは、世界の長さの基準はどうしてメートル法
であるのか、ということでした。授業の最後で見たスライドでは、列強の中でも代表的な
べたのでしょうか?
コメント [y22]: 関心を持った理由を書く
ように。
アメリカやイギリスはマイルを用いています。にも関わらず、フランスの長さの単位であ
るメートルが、今日では長さの基準になっています。このことにアメリカとイギリスは反
対しなかったのか、それを知りたくて調べることにしました。
1921 年4月11日、改正「度量衡法」の制定によって、日本ではメートル法を用いるこ
とが決まりましたが、このメートル法、実は1789年のフランス人権革命の際に、世界
で扱えるようにと定められた単位です。後にナポレオン=ボナパルドが政権を握り、ヨー
ロッパを支配した際に、評判の悪かった旬や時計、10進法は削除しますが、メートル法
は削除されなかったため、のちにタレーランの働きがあって世界に普及することになった
ようです。
ちなみに、イギリスとアメリカはメートル法の制定に反対していたらしく、この地域で
の飛行機の高度の単位はごく最近までフィートであったり、一部のゴルフ場ではいまだに
ヤードが使われています。また、アメリカでメートル法が用いられるようになったのも、
ほんの数年前からだたったらしいです。
コメント [MK23]: それで何でしょうか?
[引用サイト]
メートル法記念日(4月11日) http://www.ffortune.net/calen/kinenbi/04/metreho.htm
閲覧一時 5月18日 15時39分
・メートル条約
授業を聞いていて日本が幕府が公認しているものを使えばいいのになぜか、毎回政府が
認めているもの以外の単位の器を庶民の人たちが使っておりそのグダグダしたものが面白
コメント [MK24]: 幕府とはいつの幕府の
こと?
かったです。そのあと、世界で交流が始まり、日本ですら単位の統一が大変であり、西洋
諸国でもそれは同じはずだったのに、いつ、どうやって世界で基準を統一することができ
たのかに興味をもちメートル条約について調べました。
メートル条約というのは、小泉袈裟勝の『度量衡の歴史』によると、「1875年に締結
した国際的な度量衡の統一を目的としたものです。これは、1921年に一部修正されて
おり、日本は1885年にこの条約に加盟しました。このとき国際的には度量衡を統一し
ようとする趣旨は、認められていましたが、それに関わる派生的な研究が必要な問題が多
くあり、討議に多くの時間が必要だった」(小泉袈裟勝、p135)とありました。実際の基
準の条件を見てみると当然ですが、どういった状況で、何の材質の、どの入れ物にするか
など細かくきめていました。国際計量室のサイトでは、
「現在は近年のグローバル化の流れ
で、主として国際通商上の障壁を軽減する目的で、各国と各国計量標準についての同等性
と相互承認する協定を締結しました。これを実行するための国際的なシステムを構築中で
す。」(国際計量室のサイトによる)とあり、各国で異なる単位の整合性を整えようとして
います。
これらを調べて、各国それぞれの単位を世界で統一することにより世界がより円滑に回
るようになるということがわかりました。また、当たり前のように考える単位ひとつに世
界中の人が集まりそれを決めているということを知り、単位の重要性と大切さがわかりま
した。
コメント [MK25]: 次回の久田先生の講義
で更に理解が深まると思います。
参考文献・ウェブページ一覧
1 ・ 国際 計 量室 「国 際計 量 室ー メ ート ル条 約 」、 https://www.nmij.jp/~imco/metric/ 、
2015/5/18 アクセス
2・小泉袈裟勝『度量衡の歴史』原書房、1977.
東日本では江戸枡、西日本では京枡が、混在して使われていた時代があった。また、東
日本では金を、西日本では銀を使っていたように、日本では、昔から東日本と西日本で使
われていたものが違うことがよくあった。また、現在でも考え方や食の好みに東日本と西
日本で差ができていると感じる機会がしばしばある。なぜ東日本と西日本でこうも分かれ
てしまうのか。
金と銀で分けられていたのは、東日本では金がよくとれ、西日本では石見銀山などから
銀がよくとれたためである。さらに中国との貿易で銀貨を使用する慣行があったからとさ
れている。また昔から東日本、つまり江戸のほうは武士の文化として栄え、西日本、つま
り大阪のほうは商人の文化として栄えてきた。こうしたことから、解釈の仕方や普段の生
活で慣れ親しんでいたものに差があったことが、東日本と西日本で分かれてしまうことの
一つのきっかけだったとされている。
コメント [MK26]: 何からの引用ですか?
私が取り上げたテーマは、
「単位」の歴史についてである。
「単位」のなかには、数学や物理学で扱うようなものもあれば、m(メートル)などのよう
に、日常から聞く馴染みのあるものもある。そのなかで、「時間」の単位であるイギリスの
グリニッジ天文台、
「長さ」の単位であるフランスの国際度衡量局のメートル原器など国際
的に認められている標準単位に着目した。
もともと、
「単位」というものは国が違えば、もしくは、同じ国のなかでさえも度衡量の
単位が異なっていた。そして、時代が変わり、誰が計算しても同じ結果が得られる「国際
単位系」(SI)というものができた。
どのような経緯で、言語や宗教などの壁を乗り越えて「単位」が世界中で統一されてい
ったのか。
「私たちは小さな頃から身長や体重を気にしながら育つものだし、料理のレシピ
は材料の量をカップやさじ加減で軽量するのが普通だが、基準が曖昧だと正しく計測した
り比較することができない。すると、日常生活をはじめ、長期的に見れば、経済面などに
も様々な支障が出てきてしまうため、必要に迫られて世界標準をつくることになった」
(増田美栄子『なぜ「単位」は世界的に統一できたのか?その模索の歴史をひもとく』
http://ddnavi.com/news/218075/ 2015/05/18 アクセス) のだという。
「しかし標準を決めても、それにそって正しく測定しているのかという問題も付きまと
う。そこで現代では、一部地域で慣習よして使われている単位以外は、基本的に物理法則
によって誰でも同じ数値が求められるように『国際単位系』(SI)で管理されるようになった」
(増田美栄子『なぜ「単位」は世界的に統一できたのか?その模索の歴史をひもとく』
http://ddnavi.com/news/218075/ 2015/05/18 アクセス)のだという。
私たちは、日常生活の中で当たり前のように「単位」を使っているが、その「単位」が
コメント [MK27]: この辺りは、久田先生の
講義でもっと詳しく触れられます。
できるまでに長い歴史があり、その「単位」がなければ、支障が起きてくる。
やはり、「単位」というものはとても便利である。
今回の講義では、普段何気なく使っている単位の歴史は古く私たちの生活に大きくかか
わっていると学んだ。単位は相手に物の大きさを伝えようとして作られたものである。長
さ・重さ・体積や運動量に至るまで様々な単位が私たちの生活を支えている。単位がある
からこそ、老舗の味を何百年も受け継ぐことができるし何キロにも渡るつり橋を安全に架
けることもできる。単位を上手に活用すれば普段の生活をより良くすることができる。
コメント [MK28]: 感想ではなく、意見を書
いて下さい。
フィートは足の長さが由来であるが、そのような個体差のあるものが長年使われてきた
ことに驚いた。
だが、今基準となっているメートルは初めのときと定義が同じなのかというと、そうで
はなく、地球の長さが由来であるようだ。
誤差があるために修正されてきたが、もともと小さなものを測っていたため問題はなか
ったのだろう。
コメント [MK29]: 推測ですか?根拠は?
今の世界的な基準となっている SI 単位は定義が循環しないようになっていてこの基本単
位(m,kg,K,s,A,cd,mol)は今後定義が変更されることはないだろう。
土地の面積の単位に「坪」というものがある。これは「壺」とも書く。なぜこの漢字を
あてるのか。土地の面積を計測するときに一つずつ壺を置いて計測していたとしたら、そ
れはとても効率が悪い。
「坪」とは縦横同じ長さの長方形という意味がある(単位の歴史辞典
小泉袈裟勝
柏
書房 以下参照)。つまり長さというのがあらかじめ決められていた。その決められていた
長さごとに区切って、区切りが何個分あるかを「坪」で表していたということである。実
際に壺を使っていた訳ではない。
壺は魚などを持ち運ぶのにも使われており(参照)
、なじみも深い。ということは人々も
連想しやすいということである。
こういった点から「坪」という漢字があてられた。
コメント [MK30]: どうしてこれを調べて
のですか?
単位の由来について色々と調べたのですが、一番驚いたのはトンの由来でした。ワイン
の酒樽を叩いたときに「トン」と鳴るから。15世紀頃、ボルドー産のワインをフランス
からイギリスに輸出する船に使われ始め、どれだけ酒樽を積めるかの指標だった。
日本船主協会「海運雑学ゼミナール」www.jsanet.or.jp/seminar/text/seminar_001.html
覧日 2015,5/18
閲
コメント [MK31]: ただの感想ではコメン
トになりません。
自分の知っている枡は木で作られている四角い箱で、どれも同じという印象でした。し
かし昔枡が統一される前には2種類の枡があった。それは、
「江戸枡」と「京枡」だ。
江戸枡は、江戸時代初期江戸の枡座で作られた枡で1弁枡で、方5寸(約15センチ)、深
さ2寸5分(約7.5センチ)ほどあった。これは、官許を得て東国33か国で販売されてい
た。(出典 小学館 大辞泉
三省堂 大辞林第三版より)
コメント [MK32]: 歴史的なことを調べる
京枡は戦国時代から京都を中心に用いられた。豊臣秀吉によって、全国統一の公定枡と
場合は、日本史の辞書を引きましょう。
された。1弁枡は、方4寸9分(約15センチ)、深さ2寸7分(約8センチ)である。明治政
府もこれを引き継いだが、1964年メートル法実地で終焉。(出典
小学館
大辞泉
三省堂 大辞林)
枡には、方や深さの違いがあり、地方によっても使っているものが違う。これを統一し
たことによって日本国内で平等な、交易ができるようになった。
枡の大きさ、容量がそれぞれ違うことに興味を持った。ものを測るとき、道具を使用す
ると正確に行うことが出来ると誰もが思っている。
だがしかし、全員同じ枡を使うことは不可能なので全ての人が同じ分だけ測ることは出
来ないのである。どこのメーカーが作ったのか、どこの国で作られたものなのかなどは全
コメント [MK33]: どうして不可能なので
しょうか?
員で統一出来ない。その上、単位の違いからまた誤差が生まれる。日本の中でさえ単位が
多数用いられて使われている。ましてや外国のものを合わせると無数にある。この無数の
単位を統一すると換算する手間が省けるので、とても楽になるに違いない。例えば、通貨
の単位を統一してみると、海外旅行の際の両替の手間が省けるメリットが生まれる。しか
しここでデメリットが発生する。為替業者の失業である。その時々の差額で儲けているの
に、単位を統一すると、それを収入源とすることは不可能である。よってメリットよりデ
メリットの方がダメージが大きいので単位を統一することはしないのでる。
今回の授業は、日本の測定の歴史だった。いままでなんとなく物を測っていたが、あら
ためて考えると、ある測定の基準ができるまでさまざまな過程があることがわかり、今の
私たちの暮らしがあるのは過去から連続して起きている文化のおかげなのだった。
コメント [MK34]: 単位に限らず、私たちの
暮らしは先人の努力の上に成り立っていま
す。
今回の講義では度量衡の歴史というタイトルで、いろいろな度量衡が出てきた。今日本
ではだいたい、長さは「メートル」、容積は「リットル」、重さは「グラム」であらわされ
ることが多い。しかし、長さの単位だけでも、「インチ」、
「ヤード」、
「フィート」などたく
さんある。せっかく「メートル」というポピュラーな単位があるのに外国やスポーツでは
コメント [MK35]: どうしてそう言えるの
ほかの単位を使っていることに疑問を持っていた。
「フィート」は授業で説明があったので
でしょうか?
今回はゴルフなどで使われている「ヤード」について調べていきたいと思う。なぜこれを
調べることにしたのかは、まず純粋に興味があったのと、これを調べることで少しは歴史
についての理解も深めることができると考えたからである。
ウィキペディアによると「国際単位系のメートルを基準として、1 ヤードは正確に 0.9144
m と定義されている。ヤードはその長さから、古代から使われていた長さの単位であるキ
ュビットの二倍のダブルキュービットが元になっているものと考えられる。しかし、ヤー
ドの起源とされる説は多数ある。イングランド王ヘンリー1 世が、自分の鼻先から親指まで
の距離をヤードとした説などがある。これらはダブルキュービットから派生した各種の単
位の起源であり、それらを統一するためにヤードという単位が作られたと考えられ、また、
ヤードの標準化の過程であるとも考えられる」とある。またゴルフについて調べてみると、
ゴルフの発祥は諸説あるが一般的にはイギリスとされていて、それの名残と伝統が今でも
残っているために使われている。このように「ヤード」について調べてみた結果、やはり
体の部分を使って作られていた。その昔に作られた単位が全世界に広まり、今でも使われ
ているということはすごいことである。このレポートを書くことで今まで疑問に思ってい
たことが明らかになってよかった。
参考文献
ヤード-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%89
5 月 18 日
時のはかり方はどのようにして現在のようになったのか。昔、人間が時を意識するよう
になったのは、太陽や星の動き、月の見かけの変化に気づき、それらの周期に気づいたか
らだそうだ。単位の歴史という本によると、
「紀元前3世紀には、すでにシュメール人が正
コメント [MK36]: この内容も、以下の本か
確な観察や測定をたっぷり行い、その結果に基づいて正確な暦を作っていた。」(イアン・
らの引用ですか?
ホワイトロー「単位の歴史」大月書店2009p122)これは農業を営む上で必要なこ
とであったからだ。このことから、人間は今も昔も置かれた環境にすばやく適応する力が
備わっていたこともわかる。
貨幣の日本史(古代)について
人間同士または国家間において交易が行われるとき「貨幣」が通貨として使用される。
物々交換をする際に必要とされるものは、物品の価値選定とその基準である。
基本的にはその価値基準を元にして、交換する物品同士の価値が等しくなり当事者が合意
するとき円滑に交易(等価交換)が行われるのである。
そして、まさしくその価値基準の主流となるものが、日本史においては最古の貨幣であ
る「和同開珎」や天武朝の「富本銭」をはじめとする「貨幣」である。
交易には価値基準が必要と述べたが、それはあくまで客観的で普遍的なものでなければ
ならない。仮に主観的判断基準を用いて交易を行おうとすれば、当事者同士の判断基準が
異なるため、結果的に交易を成功させることは困難となる。
そこで、交易に使用する、目に見える客観的判断基準を示す具体的な何かが必要となり、
「貨
幣」というものが生み出され、付加価値がそれを媒体として交易の中で正確に示されたと
考えるのが筋である。
古代日本史では 708 年に「和同開珎」と呼ばれる貨幣が作られたが、ここで想起される
ことは 710 年に造営された平城京のことである。
この時代においては交易における貨幣の使用はまだ畿内に限定されるケースが非常に多
く、地方は物々交換が主流であった。それでも貨幣を用いた交易が畿内で行われたのは、
物々交換よりも物理的にも財政の運用がしやすく、価値が変動しにくいという特徴を貨幣
が持っていたからである(従来通り稲を交易の基準とすると、日が経てば傷んだり、なに
より物量が大きく運用しにくかったりする)
。
造営や遷都には莫大な費用がかかるため、「正確に」財力を蓄える必要があった。
そのために、円滑な造営を行うための手はずとして「和同開珎」と呼ばれるものが作られ
たのであり、また造営後の運営を見通して 711 年に「貨幣を政府に献納したものに位階を
授与する」という「蓄銭叙位令」を発令したのである。
つまりこの 708 年に和同開珎が鋳造されたという事実や 711 年の蓄銭叙位令は単なる偶然
ではなく、710 年の平城京造営の前後計画を見通した必然的なものであるということである。
しかし、この時代においては先ほど述べたようにまだ貨幣というものが全国的に浸透し
てはいないということも忘れてはならない。
その事実は、古代政治と深く関連しており、そもそも大化の改新後の律令政治体制の始ま
りから日は浅く、全国的に見ると、地方では未だ豪族の権力が強く天皇を頂点とする中央
集権的統一国家は浸透してはいなかったのである。
もちろん、畿内は言わば「天皇の本拠地」なので地方と比較しても、物理的にも文化的に
もいち早く中央集権制が定着しやすかったことは言うまでもない。
このように、貨幣というものはそれ単体で無造作に作られたわけではなく、政治的に必
要とされることでその中で作られてきたのである。
ある政策の実行のために、必要とされる範囲の中で価値基準の統一が必要であると政府
コメント [y37]: 何を調べたのか、出典を明
記し、引用箇所を明記してください。
コメント [MK38]: 全て、東野治之氏の本か
ら写しただけですか?
が判断したから、そのために具体的な物質として貨幣が作られてきたのである。
中世には国際交流が一層盛んになり、誰もが知るように鉄砲伝来やキリスト教の宣教師が
訪日したりする。このような背景の中で国際的な貿易が行われ、市場が拡大していったと
いう事は、もちろん国際的な範囲における価値基準を示すものが必要となってくるという
ことである。
日本における中世の一番の貿易相手国は隣国の明であったが、つまり国際的な範囲とい
うものは具体的には日本と明という対外関係ということになる。
だからこそ、わざわざ自国で新たに日本産の貨幣を鋳造したりはせず、明からの輸入銭
である著名な「永楽通宝」や「洪武銭」、「宣徳銭」などの明銭を用いたのである(明銭を
使えば日本と明のニ国間における価値基準統一が果たせることは言うまでもない)。
対外関係の変化に伴い、必要とされる価値基準統一の範囲も比例して変化する。
貨幣はそのような中で必要に応じて鋳造または輸入され、使用されてきた。
私がこのテーマを選んだ何よりの理由は、人それぞれ価値観というものは違うのになぜ
貨幣が円滑な貿易を可能にするのだろうか?という疑問からであった。
結果としては、主観的価値基準=価値観は変わっていないのである。
ただ、貿易においては公平性、平等性の点において客観的判断基準というものが必要で
ありそれを示すものとして貨幣というものが作られた、そういうことなのである。
私は今回の講義で、19 世紀後半になっても、文化の発達していた欧米諸国が基準を統一
していなかったということに関心を持った。イギリスをはじめ、欧米列強は産業革命で文
化が急速に発達し世界の頂点に立っていた。そういった国々でどういった経緯で基準が統
コメント [MK39]: 産業革命は文化を発達
一されていったのか調べてみた。
させたのでしょうか?
18 世紀末のフランスで世界で共通に使うことができるメートル法が制定された。メート
ル法は民族や国境を越えて、徐々に受け入れが進んでいった。しかし、メートル系とされ
る単位系にも、
「物理系と工学系、静電気系と電磁系、有理系と非有理系などのような多く
の単位が生まれ、多様化し、様々な不都合が生じた」(計量標準総合センターによる)。人
間の行動範囲が狭かったその地域だけなら問題はなかったのだが、行動範囲が広くなり世
界規模で国際交流が行われるようになると単位が統一されていないことが問題となってき
た。そこで、「計量単位の完全な規則の確立を検討し、あらゆる国の科学、技術及び教育の
各界の意見について公的な調査を行い、メートル条約加盟国が採用しやすい一つの実用計
量単位系の確立について勧告を行い」、国際単位系(SI)を採用した(計量標準総合セン
ターによる)。こうして計量単位のまとまった規則が確立した。SIは各分野の基礎となる
合理的で信頼度の高い実現性(再現性)を持ち、実用性の高い大きさの単位を作ることが
できるという特徴があり、世界で幅広い支持を得ている。
ウェブページ一覧
1 .国 立研 究開発法 人産 業技 術総合研 究所 「計 量標準総 合セ ンタ
ー」,https://www.nmij.jp/library/units/si,
2015/5/18 アクセス
2.多賀谷宏「それからのメートル法」,
http://www.keiryou-keisoku.co.jp/today/kijistock/tagaya/tagaya10.htm,2015/5/18 アクセ
ス
紙幣の是非
貨幣の日本史によると、「中国では、11 世紀に紙幣が発生する。西欧の紙幣と比べ 700
年も古く、世界最初の紙幣である。紙幣は本来銭との交換を前提に発行されたわけだが、
コメント [MK40]: 著者名を明記し、本の題
名は『』:で括りましょう。
信用や権威を背景にすれば、引き換える銭がなくても流通させることができる。国家財政
が窮迫してくると、政府がこの利点に目をつけないわけはなく、政府発行の紙幣が現れる
のは、当然のなりゆきだった」(『貨幣の日本史』東野治之)とある。紙幣は貨幣として必
要である。
たとえば、紙幣がなかったら、大金を支払わなければならないときには銭を多量に持っ
ていかなければならない。銭は「1 枚 1 匁(3.75 グラム)として、100 枚で 375 グラム、
1000 枚で 3750 グラム、実際にはこれより少し軽いとしても、その重さは並大抵ではない
し、ぜにさしに通すと、それなりの長さにもなる」
(
『貨幣の日本史』東野治之)、紙幣は「紙
ということもあり、正確に何グラムとは言えませんが、1 枚約 1 グラムになります」
(独立
行政法人国立印刷局)であり、銭より紙幣のほうが軽く、持ち運びには紙幣が便利である。
しかし、紙幣は銭よりも偽造品をつくりやすい、またただの紙くずと化す場合がある。
偽造品の流通を防ぐために、細かい文字や文様にしたり、現在では凹版印刷という技法を
用いて「お札の肖像部分や額面の数字などの主な図柄に使われています。普通のオフセッ
ト印刷等と異なり、インキを高く盛り上げる特殊な印刷方法のため、触るとざらざらした
触感があります」(独立行政法人国立印刷局)している。
したがって、紙幣は必要である。
コメント [y41]: 飛躍しています。
コメント [MK42]: 山口先生と同じ、根拠を
示す必要があります。
度量衡の歴史において、かつて日本で尺貫法という法があった。七世紀に朝鮮半島から
日本に伝来した後日本独自の計量単位系となったもので、「尺は長さの単位で、十進法で
毛・厘・分・寸・尺・丈」
「慣は重さの単位で、(十進法で)毛・厘・分・匁」
(山川 日本
史小辞典「尺貫法」の項目より)この法律は大宝律令により定められた。1959 年以後はメ
コメント [MK43]: ただ、辞書を調べて写す
だけではコメントにはなりません。
ートル法のみが適用されたため、尺貫法は法的には廃止された。ただし、現在でも尺貫法
の使用を認められている事例がある。例えば、真珠の重さを計測するときは現在でも匁を
使っている。
参考文献:
「山川
日本史小辞典」「ブリタニカ国際大百科事典」(両方とも電子辞書内蔵の辞典、
事典であるため出版年月不明)
「トクする日本語」www.nhk.or.jp>kininaru-blog
2015 年 5 月 18 日閲覧
今回とりあげられていた「基準の統一」について、畳一畳の大きさで検討してみたい。
物件のチラシや部屋の間取りを示す際必ずと言っていいほど「畳○畳分」という表示を
みる。しかし、現在では関東地方と関西地方では畳一畳分の大きさが異なっていることか
ら、この表示にも基準の統一が必要なのではないかと考える。
一般的に現在広く利用されている畳一畳の大きさは、関東地方では「江戸間」とよばれ
る 880mm×1760mm、関西地方では「京間」とよばれる 955mm×1910mm の大きさであ
る。このように、同じ一畳でも大きく差があることがみてとれる。これでは畳一畳という
大きさの基準が統一されていない。さらにはマンションやアパートの一畳となるとまた違
う大きさになってくる。
これらの点からみても、間取りなどの大きさの表示の基準が必要となってくるのではな
いか。例えば何平米という表示に統一するとこで、畳何畳という感覚の違いを補うことが
できるのではないか。関東に住む人間にとっても、関西に住む人間にとっても、平米の大
きさは変わりがないはずである。
よって、間取りなどの表示の基準を「○平米」という基準に統一する必要があると考え
る。
コメント [MK44]: 畳の大きさを統一する
のではダメでしょうか?
参考
「単位・定義・意味の解説」
http://www.words-japan.com/
「サイズ・com」
http://www.sizekensaku.com/
私は小学生の時から日本史が好きで、大学でも日本史を勉強していきたいと思っている。
時代としては幕末期が特に好きで、ぜび幕末の研究を大学でしたい。今回の授業で、長さ
をキーワードに、長さの単位の時代によるうつり変わりを学び、その中で秀吉が枡を京枡
で全国統一するものの、江戸時代、江戸幕府の世では東日本と西日本とで枡を始め、使用
していた通貨など、違いがあった。例えば通貨なら、東日本には金の産地があるので金貨
が主流で、西日本では銀の産地があるので銀貨が主流であった。こういった物事の背景を
時間ごとに追っていくのも面白そうだ。
授業で金貨と銀貨の原料である金と銀の発掘地について調べてみた。日本で有名かつ最
大のな金山と言えば新潟県佐渡島にある佐渡金山である。同様に有名かつ最大の銀山と言
コメント [y45]: 何を調べたのか、出典を書
きましょう。
えば島根県にある石見銀山である。そのほかにも武田信玄の財力の基盤となった黒川金山
も山梨にあり、もっと昔の律令制の時代では陸奥、つまり東北地方が金の主な産地だった
ことから金は東日本で主流だったことが明らかである。逆に銀山は兵庫に生野銀山、さら
コメント [MK46]: 出典は?
に宋史によると昔では対馬が主な産地だったのでやはり銀山は西日本が主流だったことが
明らかである。
このように物事の背景を追ってみるとやはり東日本と西日本といった特徴があったり、
コメント [MK47]: 東日本と西日本を分け
昔は陸奥や対馬だった産地が時代が過ぎると別の場所が主な産地になっているなど新たな
たいという目的に合わせて、例示すること
発見も多々あった。これから歴史を学ぶ時は時代背景や流れなどを今までとは違った角度
になっていませんか?
で見ることも大切なのではないか。
長さには世界中に多数の単位が存在している。たとえば、私たちが聞いたことのあると
ころでいうとメートル、ヤード、マイル、日本ではひろなどがある。ここでは、マイルと
ひろ、メートルについてとりあげる。ウィキペディアによるとマイルの由来は、
「古代ロー
マには、2 歩(片方の足を踏み出してから次に同じ足を踏み出すまで)分の長さに相当する
パッスス ("passus") という単位があった。これの 1000 倍の"mille passus"がマイル」
(ウ
ィキペディア,マイル‐
wikipedia,http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%AB,2015/5/1
8 アクセス)なのである。古くから日本で使われていたひろは人が腕を左右に大きく広げた
ときの指の先から反対の指の先までの長さであることは言うまでもないことであろう。こ
の二つの単位の起源には共通点がある。それはどちらも誰もがどこでも分かるという点で
ある。これは、長さを測るときに非常に大切である。たとえば、携帯電話の大きさを説明
するとき、
「自分の財布と同じくらい」と言っても相手にはその大きさは正確に伝わらない。
なぜなら、自分の財布がなければ相手にはその大きさが分からないからだ。しかし、マイ
ルやひろにも欠点がないわけではない。この二つには、個人差があるのである。マイルの
片方の足を踏み出してから次に同じ足を踏み出すまでは、背の高さや足の長さによって、
ひろの人が腕を左右に大きく広げたときの指の先から反対の指の先までの長さは、腕の長
さや指の長さによってそるぞれ多少測る人によって異なるのである。マイルは欧米で生ま
れ、ひろは日本で生まれたので人種による身体の大きさの違いもある。それをより正確に
世界中の多くの人の共通の単位がメートルである。ウィキペディアによると「国際単位系
(SI) は、メートル条約に基づきメートル法のなかで広く使用されていた MKS 単位系(長
さの単位にメートル m、
(略)いろいろな量の単位を表現していたもの)を拡張したもので、
(略)現在では、世界のほとんどの国で合法的に使用でき、多くの国で使用することが義
務づけられている」
(ウィキペディア,国際単位系‐
wikipedia,http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8D%98%E4%B
D%8D%E7%B3%BB,2015/5/18 アクセス)とのことである。つまり何が言いたいかという
コメント [y48]: 主語が不明確です。ウィキ
と、今のグローバル社会において、地方ごとではなく世界共通の単位が重要なのである。
ペディアの匿名の著者が言いたいことを書
それがメートルなのである。
いているのですか?それならちょっとずれ
ています。もしあなたが言いたいことであ
れば、結論が飛躍しています。
授業でとりあげられた枡は、時代や作り手、すくい方や用途によって大きさや容量が異
なっていることがわかった。
まず、枡は四角いものだけでなく円筒形のものも使われていた。斗桶と呼ばれていたも
のは、農家や米倉庫で昔から用いられてきた。また、けんち枡という円筒形の枡も、水を
切るための穴があけられており、小魚などの取引に使われていた。
時代によっても異なっており、太閤検地以前、太閤検地、江戸時代の検地、幕末の検地
とそれぞれ大きさが異なる。これによって、農民の年貢米の割り当てが増加した。また、
伊賀枡や京枡も目立たぬようふくらまされたりしていた。明治時代になっても、ふくらま
せたり底に板を入れたりすることがあった。
国が年貢を多く徴収するために枡の容量を大きくするように、小売業者も枡を使い分け
ていた。仕入れる時の枡と売る時の枡を使い分けることは昔から行われてきていた。江戸
時代にも、出枡と入枡を使い分けることは日常的に行われていた。
米を主とした交換経済が発展してくると、商人たちは寺社などの権力から独立した自由
な地方市場を作った。その自由な習慣の中で新しい枡ができた。
このように、枡はそれぞれの目的・利益のために様々な場面で大きさの異なるものが使
われていた。
私が生まれたころにはもう国内で統一されたものさしや計りがあったのでものの測り方
やその基準、またそれがない不便さについて考えたこともなかった。
身体の一部を使う方法は身体とはいつも持ち合わせているものなので確かに思いつきそ
うだが、穀物を使うという発想は私にはなかった。しかし人の身体と同じように穀物にも
コメント [MK49]: 何で調べたのでしょう
か?出典を明記しましょう。
個体差があるのでどちらも今と比べるととても不便だ。だが、不便さから新しい発想が生
まれるので今の私にはないような豊かな発想が生まれるのかと思うと、何不自由なく暮ら
している今を幸せと呼んでいいのかなと考えされられた。
コメント [MK50]: 感想ではダメです。
度量衡の統一は、交易や税の徴収の便利さを追求するために行われた。メートル法では、
日本史小辞典によると『日本では 1885 年(明治 18)に加盟した』とある(『山川 日本史小
辞典
新版』山川出版社,2001)。今日ではメートル法は非常に多くの国で使われている。
ChartsBin によると、「唯一の 3 カ国 - ビルマ、リベリア、米国が - 測定(度量衡)を公
式のシステムとして国際単位系を採用するには至っていない」ということである
( http://chartsbin.com/graph ,2015/5/27 アクセス)
。
単位を世界水準で統一するということは、国同士のやり取りを円滑にし、貿易や経済の
活発化が期待できる。しかしその反面、単位の統一による問題も生じる。
例えば、日本固有の単位である「合」や「畳」、「坪」は現在でも一般に使われているが、
時間を表す「刻」や重さを表す「匁」は、今ではほとんど使われていない。
日本の固有の単位は、人々の日常生活に基づいたものが多く、国の文化ともいえる。
このように、単位の統一は便利さという利点もある半面、国の一種の文化の消失を引き起
コメント [MK51]: 例えば、匁が消失してど
こす問題もある。
のような文化が失われたのでしょうか・具
体性を持たせましょう。
度量衡に重要なことは変化しないこと、再現性があること、精度が高いこと、であると
いう話があった。精度が高いと聞いて、私は伊能忠敬の大日本沿海輿地全図を思い出した。
私は当初、この地図は伊能忠敬が画期的な測量法を使うことで完成したのだと思ってい
た。しかし調べてみると、彼の使用した測量法は既によく知られた導線法という方法だっ
たようだ。
伊能忠敬が精度の高い地図を作ることに成功したのは誤差を減らす努力を最大限した結
果である。湿気による伸び縮みの大きい麻縄を使わず、鉄鎖を使うなどだ。また、彼は測
量を始める前から学んでいた、天文学の知識を応用した。天体は多少のずれはあるとはい
え、非常に小さい誤差だ。
私は彼が誤差のない地図を作るにあたって既存の方法を利用したことに感心した。新し
い方法ではなく、今ある方法を最大限に利用する方法で何かを成し遂げるというのは並み
の努力ではない。
参考文献
コメント [MK52]: 感想だけではコメント
にはなりません。天文学に関しては、有坂
孝道「大阪の洋学」
(
『山形板東と大阪の洋
学』
(創元社、2005 年)第 2 章も参考にし
てみて下さい。実測と計算が重要であるこ
とが分かります。
渡辺一郎編著 『伊能忠敬測量隊』
小学館 2003 年
ミリとインチについて
車のホイールナットには、JIS 規格と ISO 規格のものがある。前者は「日本工業規格」
の略で、長さの単位にミリが使われている。後者は「国際標準化機構」の略で、単位には
インチが使われている。この2つの規格はわずかにナットの径が異なるため、これらが混
在しているせいで本来 JIS 規格のナットを取り付けるべきホイールシャフトに ISO 規格の
ナットが取り付けられてしまい、ナットの緩みから車輪が脱落するという事故が起こりか
けている。そこで、なぜ「国際標準」が「インチ」なのかを調べることにした。
インチという単位を定めているのは「ヤード・ポンド法」である。国際標準の単位がイ
ンチということは、大多数の国で長さの単位にヤード・ポンド法が使われているはずであ
る。しかし調査を進めていくと、「世界の国々の中で、メートル法(又は国際単位系)を用
いずに、ヤードポンド法を用いている国は、アメリカ合衆国のほかは、ミャンマー、リベ
リ ア の み で あ る 」 で あ る こ と が 判 明 し た (wikipedia 『 ヤ ー ド ・ ポ ン ド 法 』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3
%83%9D%E3%83%B3%E3%83%89%E6%B3%95)。にもかかわらず、ISO 規格にインチが
採用されているのは、大国アメリカのわがままに過ぎない。単位の世界にまで国際的な力
コメント [MK53]: と結論づけるには、根拠
の格差が見いだせるのである。
が必要です。もっと経緯や背景を調べなけ
ればなりません。
今回の授業を聞いて何か世界統一の基準の制定はできないのか疑問に思い、世界統一通
貨について調べてみた。調べてみると、メリットとデメリットがはっきりとあり、やはり
コメント [y54]: 以下、
「明瞭区分性」が満
世界統一の制定は難しいものだった。まず、世界統一通貨をつくるメリットとしては為替
たされていません。
のリスクを気にすろことなく、世界中を人やものが行き来することができるようになるこ
とである。これはユーロ圏でなされていることであり、非常に魅力的である。しかし一方
デメリットも大きく、各国の経済の成長のスピードが違うことなどから、購買力の平価が
行われずますます経済力に格差が生まれることや、通貨の発行の決定などもできなくなる。
このように通貨に限らず世界統一の基準をつくることはメリットもあるがデメリットも大
きく困難なものである。今回の授業をきっかけに日常で私たちが目にする世界の単位や基
準にも関心を持ち、そのなりたちについても調べていきたい。
参考文献 吉野充巨 http://profile.ne,jp/ask/q-96979/ 閲覧日 5 月 17 日
私が今回の授業で興味を持ったことは日本独自の単位だ。日本には日本独自の単位が存
在し、日本が発展していくにあたって権力を持った人物が国を統治していくにあたってど
のような基準をもって国を治めたのかを調べた。尺貫法について調べた。尺貫法とは、中
国を発祥として東アジア一帯で使われた単位である。長さ・面積などの単位系の一つで尺
貫法の起源は中国である。日本独自の単位としては、授業で取り扱われた束、斤、銖のほ
かにも、匁(もんめ)、分(ぶ)、厘(りん)と呼ばれる単位がある。
「1 貫=1000 匁=100 両
=3、75kg、1 匁=10 分=3、75g、1 分=10 厘=3、75mgのように定められた。
」(知って
おきたい単位の知識 200 伊藤幸夫、寒川陽美 サイエンスアイ新書)全国を統一するために
コメント [MK55]: 著者名『書名』
(出版社、
は基準が必要である。
出版年)と書く方が分かりやすいです。
コメント [MK56]: 突然結論ですか?
前回の授業は度量衡の歴史というものでした。昔の世を支配しようとした偉人達も税金
を取りやすくする、経済がスムーズにまわるようにするなどといった目的で新たに度量衡
を定めようとしたりしていましたが、難しいものであったようです。今まで自分たちが使
っていた単位を捨てるというのは面倒であるしじぶんたちの利益にも有利には働かないか
らでしょう。それゆえ、今でも国の通貨なんかはそれぞれの国で全然違っているし、長さ
の単位もメートルとかがかなり普及してはいるものの、その国独特の、日本でいう尺や寸
なんかの単位も深く根付いています。
グローバル化が進む中、世界共通の単位というのは増えていく傾向にあります。そうな
コメント [y57]: どういう意味ですか?
ったときその国独特の単位や価値観が薄れていくのは文化的にも貴重なものを失ってしま
いますし、何より多角的な視点から物事を見るというのが難しくなり危険であります。先
ほども述べたように単位、特に通貨を共通にするというのは経済的におおきな影響があり
ますが本当にそれでいいのかという疑問は残ります。
国際度量衡総会について
国際度量衡総会とは、経済産業省によると、メートル条約に基づいた最高意思決定機関
である。
経済産業省によると、前回の第 24 回国際度量衡総会では、キログラムの再定義などが
焦点となった(ちなみに SI とは、世界共通の実用的な計量単位である、国際単位系の略称で
コメント [MK58]: どうしてこれを調べた
のですか?
ある)。 ウィキペディアによると、キログラムの再定義は、プランク定数その他の必要な定
数の精度が不十分として、延期された。新しい定義が実現すれば、国際キログラム原器(朝
日新聞デジタルによると、国際キログラム原器は、白金イリジウム合金製の分銅である。
本来、質量は一定のはずだが、洗浄で1億分の6程度軽くなったこともあり、高精度の測
定が必要な先端科学の世界では、より正確で安定的な定義が求められていた)は不要となり、
史上初めて質量の定義が人工物から切り離されることになる。
現在の世界は、国際基準がより重要視される世界である。ぜひ次の総会では、キログラ
ムの再定義を実現してほしい。
参考文献・ウェブサイト一覧
1) 経済産業省「Ⅲ.海外動向」、
http://www.meti.go.jp/committee/summary/0003843/pdf/002_s01_02.pdf
-
170k
-
2013-01-05 、2015/5/18 アクセス
2)経済産業省「新計量法 - 経済産業省」、
http://www.meti.go.jp/topic/downloadfiles/e90608kj.pdf,2015/5/18 アクセス
3)ウィキペディア「新しい SI の定義 - Wikipedia」、
http://ja.wikipedia.org/wiki/新しい SI の定義 - ,2015/5/18 アクセス
4)朝日新聞デジタル「キログラム原器、廃止へ 質量の基準 - 朝日新聞デジタル」
、
http://www.asahi.com > ... > NIE 教育に新聞を > この記事を手がかりに -、2015/5/18
アクセス
今回の講義を聞いてぼくは長さの単位に興味を持った。世の中には様々な単位がある。
普段僕たちは、生活の中で当たり前のように単位を使っている。もしこの世に単位がなか
ったらおそらくなにごともあいまいになってしまう。たとえばメートルという単位はウィ
キペディアによると、「長さの少数単位の提案は、記録された中では1668年にイングラ
ンドの哲学者ジョン・ウィルキンスが提唱した普遍的測定単位に見られる。1675年に
はイタリアの科学者ティト・リビオ・ブラッティーニが普遍的測定単位を「metro cattolico」
と書き表した。これが1797年にフランス語に伝わり「metre」となり、次いで英語の
「meter」となった」という。このように単位は昔にいろんな国から国へ伝えられてきて、
何度も改正されて今の形になったということや、単位にもちゃんとした歴史があり、たく
さんの人がその意味を考えてつくったおかげで今、ものが数えられるようになっていると
いうことがわかった。
コメント [MK59]: 分かったことからあな
た自身の意見を述べて下さい。
参考文献・ウェブページ一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB
5月18日アクセス
私はものを測る時の単位の由来に興味を持ちました。ヤードは手を広げた時の指先から鼻
まで、などすべて身近なものでできており、由来も面白いものが多く調べていて面白かっ
たです。
コメント [MK60]: 具体的に、何がどう面白
いのでしょうか?
授業中に度量衡のうち衡,すなわち重さについて詳しく話していなかったので,重さの
単位について調べてみた。たとえば,メートル法によるグラム(g) ,尺貫法による貫,ヤ
ード・ポンド法によるポンド(£)などである。
メートル法は,18 世紀のヨーロッパで古代ローマから伝わった複雑な度量衡法が用いら
れて,国・都市ごとに単位の大きさや名称が違っていたため,1797 年にパリを通る子午線
の 1 象限の 1000 万分の 1 の長さを 1 メートル,最大密度 1 立方センチメートルの質量を 1
グラムと決めて作られた計量法である(ブリタニカ国際大百科事典小項目電子辞書版,「メ
ートル法(metric system)」より)
。尺貫法は,日本古来の計量法で基本単位として質量に貫
を用いる。しかし,1951 年の計量法の制定によって 1959 年以後はメートル法専用となり,
尺貫法は法的に禁止された(同,「尺貫法」より)。ヤード・ポンド法は,古代エジプトから
ローマへ伝わった長さの単位ペスと質量の単位アース,リーブラ,ポンドゥスがヨーロッ
パ諸国に広がって発展したものである。けれども,メートル法への転向が進んだことによ
り,現在ではイギリス・アメリカ系諸国で用いられている(同,
「ヤード・ポンド法」より)。
これらのことから,授業で学んだように度量衡は、歴史的には社会的・文化的に基準が
形成されていくことが分かった。
コメント [MK61]: 講義の内容を再確認し
たということですか?
現在日本および世界の多くで、長さの単位としてメートルが用いられている。メートルは
「1 秒の
299 792 458 分 の 1 の 時 間 に 光 が 真 空 中 を 伝 わ る 行 程 の 長 さ 」
(https://www.nmij.jp/library/units/length/
閲覧日:2015 年 5 月 17 日)と定義される単
位で、国際単位系に属しており、国際交流を円滑に進めるために世界的に最も多く用いら
れる。しかし、アメリカは「1875 年に締結されたメートル条約の原加盟国であり、以降、
法
律
上
は
メ
ー
ト
ル
法
を
公
式
の
単
位
系
」
( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E
3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%89%E6%B3%95
閲覧日:2015 年 5 月 17 日)として
いるのにも関わらず、一般的に長さの単位としてヤードを用いている。つまり、アメリカ
の日常にはメートルという概念があまり浸透していないのである。
ここで、今回の授業で学んだ通り「日常的生活にしみこんだ単位基準は容易には改変さ
れない」のである。
コメント [MK62]: これを確認して更に何
か論を進めてみてくださいませんか?
現在は、自動的なデジタル秤を使って重さを量っている。しかし、昔の日本ではどのよ
うに重さを量っていたのだろうか。
昔の秤には、天秤と棹秤があった。天秤は、「一本の棒の左右対称の位置に皿をつけ、一
方に重さを量りたい物、もう一方に重さが正確にわかっている分銅をひとつずつ重ねてい
く」
(石川英輔/ニッポンのサイズ 身体ではかる尺貫法/淡交社/2003/66ページ)こと
コメント [MK63]: 引用する書名とページ
で、重さを量ることができる。棹秤は、
「目盛りをつけた棹の一端に重さを量りたいものを
数の表記については、既に書いたコメント
かけ、棹が水平になるように分銅を動かしていく」(さおばかり
を参照して下さい。
明鏡国語辞典)ことで、
重さを量ることができる。これらの装置には、正確な重さがわかっている分銅が必要にな
る。
現在のデジタル秤は、秤の上に重さを量りたい物を置くだけで重さを知ることができる。
昔の日本で使っていたこれらの秤と現在使われているデジタル秤を比較すると、現在使わ
れているデジタル秤は分銅も必要はなくなり、また、装置の仕組みを理解する必要もなく
なった。このように、時代の流れとともに、便利な装置が現れ、次第にものの重さを量る
ことはこどもでもでも使うことができるほど簡単になってきたことがわかった。
人の体以外にも計量に用いられたものについて。
人の体以外に用いられたものとして、穀物の粒や、蚕の糸、すすきのような草の穂、昔
は永遠に朽ちることはないと思われていた門の間の間隔、ほかにも長い距離を測る単位に
スタジオンというものがあり、それは砂漠の地平線に朝の太陽が昇ろうとするとき太陽に
向かって人間が通常の足取りで歩き始め、完全に姿を現すまで歩く距離が約 190m である。
ほかにも動物の鳴き声の聞こえる距離など様々なものが各国に存在したが公的なもので
はなく、民間的な目安として扱われるものであった。
コメント [y64]: 出典は?
今回の授業では、度量衡について学んだ。授業の中で京枡が出てきた。京枡は高校時代
に日本史の授業で学習していたが詳しくは知らなかったので今回は京枡について調べてみ
ようと思う。京枡とは豊臣秀吉が 1669 年に制定した公共枡で、それまで統一されておらず
コメント [MK65]: 出典は?調べただけです
地域によってまちまちであった枡の体積を全国で統一した。京枡は太閤検地に基づいて作
か?
られた見積生産高である石盛の決定や、農民からの年貢の徴収の際に用いられた。さらに、
貧乏だった室町時代からの教訓を得て京枡はいままで地方で使用されていた枡よりも体積
コメント [MK66]: 秀吉はこの頃生きてい
ません。
が大きくなっておりより多くの年貢を集めることができた。秀吉はさらに多くの年貢を集
めるために一地一作人を採用し土地の権利者をそれまでよりも単純化することで農民から
幕府の中間の搾取をなくしさらなる年貢の量の増加をした。
各国で使われている単位がそれぞれ違うように、日本でも場所や時代によって様々な単
位が使われている。
日本では国際単位系に従うことが法律で決められているが、いまだに尺貫法が慣習とし
て使われている。
尺貫法は住宅建築に使われる単位で大きい順に、間・尺・寸・分・厘・毛である。
たとえば「間」は柱と柱の間隔を表わすものとして使われていたことばである。
しかし地域によって異なるなど単位として完成度が低かった。
今でも使われているものとして「畳(帖)
」がある。文字通り畳一枚分の広さを表わした
言葉だが、江戸間=880 ㎜×1760 ㎜、京間=955 ㎜×1910 ㎜、中京間=910 ㎜×1820 ㎜、
団地間=850 ㎜×1700 ㎜(http://www.shoshinsha.com/tools/tubo_menseki/tubo.html2015
年 5 月 17 日アクセス)など地方によって異なっているため全国的な正確な基準として使う
ことは難しい。
しかし日本人にとって広さを想像しやすいということから部屋の広さを表わすのに頻繁
に用いられ、不動産広告の規制では、
「1.62 ㎡以上の広さがあるという意味で用いること。
」
(http://iriehiroyuki.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-e620.html2015 年 5 月 17 日アク
セス)という基準を設けている。
コメント [MK67]: ということを知って、あ
なたとしてはどのような論を立てますか?
《参考文献》
伊藤幸夫・寒川陽美『知っておきたい単位の知識200』サイエンス・アイ新書 2008 年
今回の講義を受けて自分が関心を持ったのは単位の変換についてである。そこで、自分
は単位その中でも「マイル」について調べる。「マイルは、ヤード・ポンド法等における長
さの単位である」(ウィキペディア「マイル」の項目による)。1 マイル=1760 ヤード=
1609.344 メートルに変換される。また、
「マイル」はメジャーリーグの速さの単位となって
いる。
次にマイルができた由来である。
「マイルという単語は、ラテン語の mile(千)に由来す
る。古代ローマには、2 歩(片方の足を踏み出してから次の足を踏み出すまで)分の長さに
相当するパッススという単語があった。これの 1000 倍がマイルの由来とされている」
(ウ
ィキペディア「マイル」の項目による)
。こららのことから単位には理由がありとても興味
がわいた。とても古いことが単位の由来になっているので昔の人は単位などいしきしてい
たのだろうかと不思議に思った。もっとほかの単位についても詳しく知りたくなった。
コメント [MK68]: どうして昔の人のこと
をこのように思うのでしょうか?
EU では 27 加盟国のうちの 17 か国で、お金の共通単位としてユーロが使われている。
以下では、同じ通貨を使うことによる利点と欠点について考察する。
コメント [y69]: 中北徹『通貨を考える』ち
たとえば、同じ通貨を使っていれば、日米のように貿易摩擦などは起きにくい。むしろ
ユーロ圏では積極的な貿易が行われている。また、他にも「旅行のときにユーロを使える
国なら両替の必要がない、買い物のときにいろんな国の商品価格が全部ユーロで表示され
るから比べやすい、お金を交換するときに経済状況に応じて比率が変わることがないので
投資しやすくなる」などがある。
しかし、
「2011 年、ユーロ導入国であるギリシャが深刻な財政難を隠していたことが明ら
かになり」、ユーロは危 機に陥った。同じ通貨を使うことによって、一つの国が深刻な財
政難に陥ってしまった場合、他の国にまでその影響が及ぶのではないだろうか。さらに、
「借
金が多い国と少ない国、稼ぐ力が強い国と弱い国が同じ通貨を使うことに無理があるとい
う声も大きい」そうである。
それゆえ、同じ通貨を使うことは導入されている国の中でのお金の循環は活発になるが、
逆に導入国の一つが財政難に陥った場合、影響を受ける可能性もある。導入国の中には先
進国もそうではない国もあるが、お金の循環が活発になることで経済格差も縮まることが
あるのではないだろうか。つまり、EU のユーロのように他の国でも同じ通貨を導入してみ
ることを提案する。
( 日 本 経 済 新 聞 「 ユ ー ロ 通 貨 な ぜ 出 来 た の ? 2011/10/26 」 ,
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO35789600R21C11A0TY1P02/
日アクセス)
,2015 年 5 月 17
くま新書、西部忠『貨幣という謎』NHK
出版などを読んでみましょう。
度量衡はその時の文化的であったり社会的なことでかわっていくということでありまし
たが、それを決めるのは国民とかではなく科学者であったりの私達から見たら雲の上のよ
コメント [MK70]: 国民という概念は近代
うな人なので本当に文化的で社会的であるのかということに疑問という名の疑問を持ちま
国家以降になりますが、統一の単位を制定
した。
する主体と、社会形成過程で単位を人が必
要とすることの意味がきちんと理解できて
いますか?
国際単位系について
これまでの歴史の中では、世界各地で、様々な単位が使われてきた。しかし、グローバ
ル化しつつある現代では、それを統一化する国際単位系が設定されている。以下では、こ
コメント [MK71]: この言葉は、便利ですが、
の点について考察する。
具体的にシルクロードで西洋と東洋が繋が
まず、そもそも、国際単位系とは何かというとウィキペディアによると「メートル法の
っていた時代や、南蛮貿易以降の日本とヨ
後継として国際的に定めた単位系である。また、国際単位系 (SI) は、メートル条約に基づ
ーロッパとのつながりなどは、どのように
きメートル法のなかで広く使用されていた MKS 単位系(長さの単位にメートル m、質量
考えるのですか?
の単位にキログラム kg、時間の単位に秒 s を用い、この 3 つの単位の組み合わせでいろ
いろな量の単位を表現していたもの)を拡張したもので、1954 年の第 10 回国際度量衡総
会 (CGPM) で採択された」という。
(ウィキペディア「国際単位系」の項目による)
。これ
により世界各地で同じ基準を持つことが可能になった。
しかし、日常的に使われている単位を変えることは容易なことではない。例えば、部屋
の広さを示すとき、国際的には平方メートルを使うべきであるが、畳で表してある方が私
たちには馴染みがあり分かりやすい。
つまり、国際単位系のメリットは覚えるべき単位が減ること、そして、世界に通用する
こと。デメリットは、桁の範囲が大きくなり過ぎて身近に感じられなくなってしまうこと
である。
今回の授業コメントを書くにあたって,日本に昔からある数量単位は何だろうと考えた
とき,家の近くの鳴池線沿いに「一里塚」と書かれた石碑があることを思い出した。
「里」とは広辞苑によると「地上の距離を計る単位。36 町(3.9273 メートル)に相当する」
とある。一里塚は街道に土を盛って里程の目標とした塚であったようだ。
私の家の近くにある石碑は撫養街道にあった一里塚の記念碑であるらしい。撫養街道とは
鳴門から池田を経由して愛媛県にぬける,阿波の北方の主要道路であった(阿波歴史街道,
www.skr.mlit.go.jp/tokushima/road/e/awa/pop5/kaido03.html,2015/5/17 アクセス)。
身近なところにも昔の数量単位がわかるものが残っていることを知った。
コメント [MK72]: その石碑にどのような
文字が彫られているかも調べて見て下さい。
日本には、昔から長さの単位である尺や里、面積の単位である坪や町が使われている。
現在では、単位基準が統一されてmや㎡といった単位が使われているが、中には昔から使
われている単位を現在でもそのまま使っているものも存在する。そこで、講義で言ってい
た日常的生活にしみこんだ単位基準は容易には改変されないという点に関心を持ち、古く
から変化しない単位について調べた。
古くから変化しない単位には、時間の単位である秒と分と時がある。計量単位の国際統
一のために、メートル法が作られ、長さや質量、体積や面積には十進法が採用された。し
コメント [MK73]: 明治以前には使われて
いなかったはずですが・・・。
かし、時間には十進法が採用されず、六十進法のままであった。
これについて、『単位のおはなし』という本によると、「メートル法がつくられたとき、
時間も十進法にする案だったが、神の与え給うた時間の単位を人為で変えるとは、もって
のほかで全面拒否にあった」という(小泉袈裟勝 『単位のおはなし』日本規格会
p.106)。
つまり、時間の単位は神から授けられてものと考えられており、人の手によって変えては
ならないものであったということだ。よって、時間の単位は、秒や分や時という単位が作
られてからメートル法がつくられても変化することなく、現在でも昔と同じように単位が
使われている。
僕は一合ますについて知りたいと思い、一日図書館を散策したがますについての本がな
かったので、何を書いていいかわかりません。しかし、先生に聞きたいことがあります。
時間も僕は一つの単位であると思っています。今は戦国時代だ、今は江戸時代だという時
間のはかりはいつから存在したのでしょう。今僕たちは出身年を書くところに明・大・昭・
コメント [MK74]: 時代を区切るというこ
とですか?
平という選択肢がありますが、これより昔はどうだったのでしょうか?江・明・大・昭だ
コメント [MK75]: 時期区分は、歴史書が書
ったのだろうか?あるいは時代がありながら時代という物差しはなかったのか。そこのと
かれるときに為されています。辞書で「時
ころを教えてください。
代区分」を調べて見て下さい。
コメント [MK76]: この書き方は変です。明
治・大正・昭和は元号ですが、江戸時代は
時代を指す言葉もしくは江戸という都市を
今回
私が一番気になったのはなぜ、江戸幕府は豊臣秀吉が全国統一を企画した京枡を
廃止し、秤座を制定して、棹秤の製作・検 定・販売を特定の業者に決定したのかという事
であり、全国企画統一するには、お金と時間がたくさん必要となるのになぜ江戸幕府は秤
指す言葉です。
コメント [MK77]: もう一度事実を調べて
下さい。
座を作ってまで枡の統一をしたのかということだ。
竹田進吾「十合枡」
(『日本歴史大事典 2』
(小学館、2000 年)によると、
「徳川家康は江
戸移封の際に旧領の遠江の樽屋藤左衛門を江戸に招いて自領における京枡生産を一任し、
これが江戸の枡座に発展するとともに幕府成立後には江戸の枡座は京都のそれと同様に重
んじられた。ところが、江戸幕府の成立によって京都の枡座への統制が緩くなり、寛永年
間には豊臣時代よりも大きい 64827 立方分のものが作られるようになった。このため、従
来の製法を維持してきた江戸の京枡は「江戸枡」と称され、差異が生じるようになってし
まった。」
この原因として、江戸時代は貨幣経済が急速に発展した背景が感じられる。さらに、大
坂では銀、江戸は金を使用していたことも大きな要因である。さらに、このように枡の全
コメント [MK78]: 根拠は?紹介した『貨幣
の日本史』を読んで下さい。
国企画が進むという事は、一般市民が私的な枡を作成して、悪意のある使用をしていたこ
とが考えられる。このようなことがあれば、幕府も無駄な訴訟を受け付けなければならな
コメント [MK79]: 勝手な推論はいけませ
いし、税の徴収にも支障が出てくるだろう。このような要因があって、幕府は枡の全国企
ん。
画を急いだのである。
出典 竹田進吾「十合枡」
(『日本歴史大事典 2』
(小学館、2000 年)
単位制度には基礎標準というものが必要になる。そこで、私はこの基本単位の基礎標準
について調べることにした。『①変化しないこと、つまり❝安定性❞があること. ②いつ
でも、どこでも必要な標準値が得られること.つまり「再現性」があること. ③十分高い
「精度」で実現できること.』(小泉袈裟勝「単位のいま・むかし」日本規格協会 1992)とあ
った。世界共通の単位は必要である。なぜなら、共通の単位がなければ同じ「大きい」と
いうものでも個人差が出てくるためである。
コメント [MK80]: あなた自身の意見を書
きましょう。
現在の日本では、ものを測る単位に、長さならメートルやセンチメートル、量ならグラ
ムやキログラムなどが使われているが、海外にはほかにどのような単位での表し方がある
のか気になったので、調べてみました。
ほとんどの国で使われているのが、日本と同じ長さにメートル、重さにグラムを使うメ
ートル法です。
しかし、メートル法を使用していない国もあり、その例として、アメリカでは、ヤード・
ポンド法という方法が使われています。ヤード・ポンド法では長さは、最小にインチで大
きくなるとフィートやマイル、重さでは最小でオンス、大きくなるとポンドなどが使われ
コメント [MK81]: どうして気になったの
でしょうか?
ます。
マイルやポンドという単位は、英語の授業などで英文を読むとよく表記されていますし、
インチという表記のしかたは日本では自転車のサイズにもつかわれています。
ですが、メートル法を使用している国がほとんどのため、ヤード・ポンド法の単位はメ
ートル法の基準に換算されたものがあります。
例)
1 インチ=2.54 センチメートル、1 フィート=30.48 センチメートル、
1 オンス=28.36 グラム、1 ポンド=453.6 グラム
のように。
単位の表記の仕方にいくつかの方法があることがわかったが、メートル法が主流である
なかで、ヤード・ポンド法という別の方法を使うところもあることにおどろいた。
また、換算の時には少なくとも少数第一位まで出るので、数が大きくなれば、計算が面倒
になってくるのではないか?
いままでの方式でしてきたことをすぐ変えるのは難しいが、単位は世界で統一したほう
が海外旅行者なども、国によって変わる単位より気楽に構えられるのではないだろうか。
コメント [MK82]: どのように難しいのか
具体的に考えれば、次の結論には単純に結
びつかないはずですよ。
参考
・ウィキペディア「ヤード・ポンド法」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3
%83%9D%E3%83%B3%E3%83%89%E6%B3%95 閲覧日 5 月 17 日
・パームリーツアーズ「ヤード・ポンド法」
http://www.palmtreetours.com/Kihoninf/yardpound.htm 閲覧日 5 月 17 日
・広辞苑「インチ」
「フィート」
「オンス」
「ポンド」
秀吉の統一事業後の農民の生活について
秀吉は天下統一を成し遂げる際、面積、容積の統一も徹底した。
長さ 6 尺 3 寸=1 間
面積 6 尺 3 寸四方=1 歩
30 歩=1 畝
10 畝=1 段
10 段=1 町
面積 京枡を使用
10 合=1 升
10 升=1 斗
10 斗=1 石
これらの基準を利用した太閤検地が行われ、村ごとに田畑、屋敷地の面積、等級を調査し
米の生産力を表す石高制が確立した。その結果荘園制で土地の権利の重なりを整理し、所
有者が明確になる。これにより農民は田畑の所有の権利が与えられたが、代わりに石高に
応じた年貢を負担するようになる。また石高の 3 分の 2 を納入とし、農民に蓄えを残さな
いような量とした。つまり基準を統一し農民と支配者の区別をはっきりすることで絶対的
コメント [MK83]: 根拠は?
な支配体制が確立したといえる。
ゆえに、面積、容積の統一は農民に支配者の存在を知らしめたため、秀吉の天下統一の重
要な働きをしたと言える。
参考文献 新詳日本史 浜島書店
単位について
「ひろ」という両手を広げた長さで、日本独自の長さを示す言葉があることを初めて知
った。他にもこのような面白い単位はないだろうか。と非常に強い興味を持ち、単位につ
いて調べた。「五感という五つの感覚の中で、視覚を基にした単位で、シベリアのブカーと
いう単位がある。これは雄牛の角が見分けられなくなる単位である。視力が一~三、雄牛
の二本の角の間隔を五〇~七五 cm とすれば、見分けられる距離は一・七~七・七 km とな
る。天候によっても異なるが、数 km であると思われる。また、インドの単位で聴覚を利用
した単位がある。このゴルータまたはクローシャという単位は、牛の鳴声の届く距離だ。
三~七世紀の文献からは、一・八または三・六 km となる。きわめて静かな平地で馬のいな
なきや犬の吠える声のきこえる距離は二~三 km である」。(岩田重雄 計量の起源を探る
2015/5/17 アクセス)このように、五感を用いた単位があるということに非常に驚いた。天
コメント [MK84]: でもそれが便利だった
候により異なるといわれているように、五感を用いると個人差もでてくるため、同じ数字
理由は何でしょうか?
を共有することは難しいだろう。授業でとりあげていた枡にも容量の差異があり、同じ量
をはかれないという状況が考えられた。現在では何事にも基準があり、それに従い生活す
ることが当たり前になっている。統一された基準がなければ、何をするにあたっても様々
な支障がでてくるであろう。基準を統一することは非常に重要であると思った。
私は今回の授業において、長年のモヤモヤを解決づることができた。
度量衡というテーマの授業であったが、今まで漠然と耳にしていた単位というものの本
質を数多く知ることができ、とても有意義な授業だった。
私は今まで、カラット、フィート、寸などをはじめとする単位はわかりづらいだけでな
ぜメートルに統一しないのかと考えていたのだが、今回の授業を受け、その考えが改まっ
た。
それらの単位は、その風土やそれが適用される状況に応じて最適な計量ができるように
なっているのだ。
このことを知ることができて、とても勉強になり、今までのモヤモヤまで消えたため、
とても有意義であった。
日本国内で単位は同じでもその大きさに違いがある。
例えばアパートやマンションを借りる際にリビングが何畳かキッチン何畳かなどを確認
するがその 1 畳が地域によってサイズが異なってくるのである。
北海道東北関東では五八間(江戸間)と呼ばれる畳で 88.0×176 ㎡であり、関西四国九州に
かけては本間間(京間)と呼ばれる畳で 95.5×191 ㎡、愛知岐阜三重と北陸地方の一部では三
六間(中京間)と呼ばれる畳で 91.0×182 ㎡である。今では全国で江戸間が主流となっている
が、団地やアパートの増加により団地間と呼ばれる畳が 85×170 ㎡でより狭い住宅に合わ
せて作られている(アゼアス https://www.azearth.co.jp/business/tatami/feature/size.html
2015/5/16 アクセス)。
したがって単に 1 畳と言っても少しずつ面積が違ってくるのである。
先生の講義を聞いて、かつて世界各国で使われていた単位の基準がいかに曖昧なもので
あったかということが良くわかりました。授業では、寸やインチ、フートといった単位に
ついてお聞きしましたが、他にはどのような変わった単位が世界にあるのかということに
興味をもち、調べてみました。すると、非常に興味深い単位を見つけました。それは、北
海道大学医学部の斉藤信教授が提唱した、痛みを表す「hanage」と言う単位です。最初に
この単位を見たときは、非常に馬鹿げていて、単なるおふざけかと思いましたが、詳しく
調べていくにつれて、実際に世界の医療現場で使われる国際単位であることが分かり驚き
ました。1cm の鼻毛を、1Nの力で、引っ張る時に生じる痛みを、1hanage と定義出来
コメント [MK85]: でも、次に何も疑問はな
いですか?
コメント [MK86]: どうしてこれを調べた
のですか?
るそうです。また、斉藤教授によると、足の小指を角にぶつけたときの痛みは、2~3K
hanage(キロハナゲ)、お産の時の痛みは2.5~3.2Mhanage(メガハナゲ)になる
ということも書かれており、自分の中で「あの痛みは何 hanage に相当するのだろう」など
といった疑問が生まれてきました。他にもどのようなおもしろい単位が世界中に存在する
コメント [MK87]: 痛みの感覚は個人差が
のかということにも、改めて興味を持ちました。
ありますが、普遍性や再現性があるのでし
ょうか?
参考ウェブページ:
「新国際単位 ハナゲ」,製作者不明,
http://www.geocities.co.jp/MusicStar/9962/zatsu/zatsu_02.html,2015/5/17 アクセス
コメント [y88]: 制作者不明のサイトは引
用してはいけません。
度量衡が度量衡を扱うようになったのは物々交換の際に重要であったからだ。
人々は小さな集団をつくって生活していたが、それぞれの地でとれるものしか手に入れ
ることができなかったため、物々交換を行ってお互いに不足しているものを補おうとした。
そこで必要となったのが、量や長さ、重さなどをはかる「度量衡」の存在である。
自分たちが毎日、時には命がけで捕らえた獲物や、天災などの影響を受けながらも大切
に育てた作物などを平等に分配するためにも、度量衡は重要な役割を果たしていた。
縄文時代や弥生時代で使用されていた土器は、
「断面図から容量が計算できるので
速やかな実行が望まれる」とある。このように、目で見てすぐにどのくらいなのかが分か
るものが使用され、後の枡などのように形も統一されるようになっていったのだ。
コメント [y89]: 何を実行するのか?
コメント [MK90]: 引用はこの部分だけで
すか?
参考文献・URL
「計量史への誘いー計量の起源を探るー日本計量新報社」
URL https://www.keiryou-keisoku.co.jp (閲覧日 2015/05/17)
私は度量衡の歴史が言語の歴史に似ていると考えた。似ていると考えたのは統一しよう
とする点である。例えば、英語である。現在、英語は国際共通語として、多くの国で学ば
コメント [y91]: 田中克彦『ことばと国家』
れ、使われている。世界がグローバル化する中で、国同士のコミュニケーションを円滑に
(岩波新書)は必読。
するために一つの言語、この場合は英語がその言語であるが、が共通語として統一される
ことは、技術が発達して遠くの人と貿易をする中で、貿易における比率の計算、例えば米
10 ㌔に対し小麦 12 ㌔の比率で交換、のようなときに円滑に貿易するために一つの単位が共
通の単位として決められることと似ているのである。
私は、19世紀後半、世界では長さについての単位が統一されてなかったことに関心を
持った。なぜ関心を持ったかというと、長さの単位が統一されていなければ、地図などの
長さを使うものが自分の国以外ではわからないし、その国で使われている単位をいちいち
覚えなくてはならないので、かなり不便だったのではないかと考えたからである。そこで、
コメント [MK92]: 紹介した『米欧回覧実記』
いつどのような経緯で長さの単位が統一されたかについて調べた。現在では世界中でメー
の著者もそう書いていましたよね。
トルという単位が使われているが、いつメートルという単位に統一されたのだろうか。そ
れは、
「メートルの国際統一作業は今から180年も前にフランスで始められ、そして10
0年前にメートル条約が結ばれた」(小泉袈裟勝『単位のおはなし』日本規格協会)
。単位は
国際的な統一が必要だという考えを多くの人が共通して持っていたため、このように世界
でメートルという単位に統一されたのである。
今日でも日本では、畳や尺、寸という単位が使われている。畳は、畳1枚分の広さとい
う単位である。また、尺や寸は中国から日本に伝わった単位である。尺は手を広げたとき
の親指から中指までの幅、寸は親指の幅を基準にしたものであった。しかし、これは一定
のものではなかったので、クロキビ1粒の長さを1分とし、10分を1寸、10寸を1尺
と定めた。
昔に作られた単位は、中国でも日本でも、人間の体を基準にしたものが多かったが、そ
れには個体差が生じるため、しだい に一定の基準を示すことができる単位へと変わってい
った。現在、日本で使われている、畳や尺、寸という単位はメートル法で決められた基準
がある。昔から使われており、根付いているからこそ今でもそのような単位が使われてい
るのである。
(参考文献:
「知っておきたい単位の知識200:身近にあるけど意外に知らない、単位の面
白ワールドへようこそ」、伊藤幸夫、寒川陽美著、東京:ソフトバンククリエイティブ、2008
年)
人間は、感覚で大きさを性格に再現することはできない。 そのため、人間は身体の一部
を使ったり、穀物の重さや量を用いて視覚的に再現してきた。日本では、
「ひろ」という長
さを示す言葉も記録され、納税の際には、枡を用いていた。 世界でも、様々な単位が用い
られていた。例えば、親指の幅をインチとしたり、足の大きさをフートとするものがある。
長さを表す言葉としてこのような身体を用いたものが使われていた。
明治維新で西洋諸国と交流が盛んとなり、西洋に日本から岩倉使節団が視察に行った。そ
コメント [MK93]: 全て引用ですか?
コメント [y94]: 明瞭区分性・主従関係が満
たされていません。というか、コピペじゃ
ないですか、これ。
コメント [MK95]: 正確?読み返してから
送信しましょう。
の当時、19 世紀後半の欧米諸国にも、大きさを表す言葉は統一されておらず、大変ややこ
しいものであった。
そのため、現在の大きさを表す言葉について興味を持ち、調べてみた。度量衡のグロー
バルスタンダード・SI 単位系によると、現在では、ヒトの体の大きさといった曖昧なもの
ではなく、物理法則をもとにした単位の基準をもとにした単位系が考えられているという
(1)。長さを表す「メートル」や、重さを表す「グラム」という言葉がそうである。これら
の言葉は、10 進法で表されるため、世界標準の制定の条件として授業で挙げられた、
「変化
しないこと、再現性があること、高い精度で実現できること」かつ、わかりやすく、表さ
れやすいのである。
世界単位は、存在するが、各国や地域でもそれぞれの大きさを表す言葉は残っている。
日本でいえば、お米を炊くときには、「合」という言葉を用いたり、割合を表す時には「~
割」という言葉を使う。また、スポーツでもそのことは言える。例えば、ゴルフでは距離
は「ヤード」という言葉で表され、野球の球速を表す言葉は、日本では「キロメートル毎
時」を用いるが、大リーグでは「マイル毎時」を用いて表される。つまり、世界単位は存
在するが、慣れの問題や、感覚などにより、表しやすい言葉を用いているといえる。
これらのことから、身の回りには大きさを表す言葉は多く存在するが、大きさを表す上
で、表しやすい言葉を用いる傾向がある。また、世界単位はあり、世界で大きさを表現す
コメント [MK96]: このようなまとめで十
る共通の言葉の広まりもみられるのである。
分でしょうか?
参考文献・ウェブページ
(1)度量衡のグローバルスタンダード・SI 単位系,
http://www.s-yamaga.jp/opinions/doryoko.htm,2015/5/17 アクセス
講座技術の社会史:計算標準,http://kjs.nagaokaut.ac.jp/mikami/STS/metorology/note.htm,
2015/5/17 アクセス
日本計量新報の記事より 社説 9901-9904,
http://www.keiryou-keisoku.co.jp/kiji/shasetu/shaset06.htm,2015/5/17 アクセス
私は、授業内容の"京枡"に興味をもった。
ブリタニカ国際大百科事典によると、京枡とは、京判ともいい、枡の一種。平安時代か
ら江戸時代初期までは多種類の枡があって一定しなかったため、豊臣秀吉は統一を試みる
ために、当時京都を中心に広く使用された京枡を年貢収納の基準としている。授業とこれ
らことから、すべての人々が差異なく、平等に量をはかりたいとき、基準を統一すること
が最も重要であることがわかる。
また、室町時代の市場などでは市枡が使用されていた。現代では、軽量カップが普及し、
すべての人が同量をはかることができる。統一を試みた人物から、現代にいたるまでさま
ざまに変化して、私たちは便利なものを手に入れているのだと、歴史の存在が今につなが
るのだとわかった。
コメント [MK97]: 特に枡を調べなくても、
全てが今に繋がっています。
今回の授業を受けて、国際単位はどのように決められたのかについて調べた。。
高校の物理の授業で単位について少しだけならった。しかしどのようにして決められた
かまでは知らなかった。では、現在単位がどのように決められたかというと、交際単位系(SI)
の手引によると、「現在のメートル法単位系は 18 世紀の終わりごろ、フランスの学者たち
により国家的な統一の必要と、国際的な通商及び測地学上の便宜のために創生されたもの
である。」(松浦四郎 国際単位系(SI)の手引 日本規格協会 1975 年)とある。その後、物
理学などの分野で単位が増えていき、戦後に再び統一が必要になった。国際単位として単
位を東夷r¥津する必要に迫られていたのはヨーロッパ諸国であった。単に便利だからと
コメント [y98]: 読み返してから送信しよ
いうだけで単位を統一したの打破なく、国と国の間での経済協力や、きまりを決める上で
う。
必要不可欠であったのだとわかった。私たちが学校で習うのはmやg、ℓ などであり、物の
長さを測るときには、定規などを使いmやcmなどで考える。しかし昔は寸や尺などが使
コメント [MK99]: 読み返そうね。
われていた。また、海外でもインチなどが使われていることもある。私たちはmなどの方
が慣れ親しんでいるため便利ではあるが、一合のように日本独自の計りかたが残っている
ところもある。使いやすいところは残していくのも便利でいいが、それ以外の単位も消え
ないように残していくべきだ。
コメント [MK100]: なぜですか?そして、ど
のようにしたらそれが可能なのでしょう?
私は世界中で使用されている長さ・重さの標準単位とその歴史について調べた。ウィキ
ペディアによると、
「ヤード・ポンド法を使用しているのは 2014 年現在でアメリカ合衆国・
ミャンマー・リベリアのみである。他の国はメートル法である。もともとこの方法を使用
していた国もメートル法に移行した。日本でもヤード・ポンド法は禁止されたいるのでテ
レビの大きさは 42 型のように表記されている」という(ウィキペディア「ヤード・ポンド
法-Wikipedia」,http://ja.wikipedia.org/wiki/ヤード・ポンド法,2015/5/16 アクセス)
。私と
しては、アメリカがヤード・ポンド法を使用していることは知っていただけに、使用して
いる国の数を知ったときはとても少ない。たくさんの国でヤード・ポンド法が禁止されて
いるけれど、ゴルフでの距離ではヤードが使用されていて完全に禁止というわけではない
みたいだ。
コメント [MK101]: 調べたのは、
「ヤード・
ポンド法」についてだけ?
世界の重さの単位について調べてみる。
私がこのテーマについて調べようと思ったのは、重さの度量衡の種類や世界標準はどん
なものかを詳調べてみる価値があるのではないかと思ったからである。
コメント [MK102]: 詳しく?読み返しまし
質量(重さ)の単位は 1kg である。これは国際単位系(SI)における質量の基本単位であり、
国際キログラムともいう。またこれは最初は「一辺が 10cm の立方体の体積の最大密度にお
ょうね。なぜ価値があるのでしょうか?理由
を書きましょう。
ける蒸留水の質量」と定義されていたのだが、1889 年の第 1 回国際度量衡総会で”直径、
高さとも 39mm の円柱形で、白金 90%、イリジウム 10%の合金でできている「国際 kgg
んきの質量」”に置き換えられて、今日に至っている。この原器は現在、フランスのパリ郊
外のセーヴルの国際度量衡局に、20 の機密容器で保護された状態で保管され、世界唯一の
全ての質量計測の基準である。また kg は、2014 年の第 25 回国際度量衡総会において 120
年以上使われてきた「国際キログラム原器」を廃止し、新しい標準が決まると言われてい
た。
《出典》
Wikipedia「キログラム」 http://ja.wikipedia.org/wiki/キログラム
「質量、時間、長さの標準単位」
http://fnorio.com/0061Newton's_law_of_motion1/fundamental_unit0.htm
「世界でもっとも正確な長さと重さの物語
単位が引き起こすパラダイムシフト」
著:
ロバート・ P・クリース 日経 BP 社
○興味を持ったことについて、調べて書く(度量衡の歴史)
私が非常に興味を引かれたのは、メソポタミア文明の「古代のものさし」についてであ
る。
メソポタミア文明という古い時代であっても、人びとの間に、共通の基準が大事である
という感覚があったのだということに非常に興味がひかれた。
確かにメソポタミア文明の頃にはすでに耕作が始まり、大きな集団を作って暮らしてお
り、文明と言われるだけの文明らしさを持っていた。
だがしかし、人間も動物であり、ことに感覚というものは新しいものを感じ取るのが難
しかったり、昔のものを捨て去るのか難しかったりするものである。収入が増えても、金
勘定の感覚が変わらず、生活にそれほどの変化がないなど、その典型だ。
私はメソポタミア文明を生きていた人類にもやはり、大きな集団を作らずに生きていた
コメント [MK103]: 昔と現代では何が違う
という前提があるのでしょうか?その前提
は、何を根拠にして言えるのでしょうか?
ころの自由奔放な感覚が残っていて、大きな集団を作ったとしても、小さな集団だったこ
ろの感覚を捨てきれずにいたはずだと考えていたために、「共通の基準」がないことに対す
る不便さや不都合をいやがるだけの協力的とも言える感覚が既に人類にはあったというこ
とに非常に驚いたからである。
狩猟を生活の中心においていたころの人類の営みは、小さな集団で獲物を求めて放浪す
るというスタイルであり、当時の自然環境に非常に的確に対応していた。そこでは自分た
ち以外の集団、人間に出会うことは本当に少なかったのだという。つまり、人類は小さな
集団、自分たちだけで生きてゆけば良かったので、大きな集団を作る必要はなかった。
しかし、自然環境はいつまでも同じではなく、ときに人類の命が危機にさらされるほど
の変化をする。そのときに人類は生き延びるためにより強くなるため、寄り集まり始め、
大きな集団を作り始めたのだろうと考えられる。
そこに人類は農耕という新しい食料調達の方法を見つける。メソポタミア文明のおこる
少し前のころである。農耕にたずさわる人類は定住し始めるようになる。メソポタミア文
明のおこったとされるティグリス・ユーフラテス川の肥沃な土地で農耕を営むには、灌漑
を必要とした。これにはおおくの人手が必要であり、また社会的規律が必要であった。ま
た同時に社会的規律により、人びとを束ね、労働させるだけの権力をもつリーダーが必要
になった。
このころ既に人類の中には神の概念があり、人びとは神のために働こうという気概を持
った。このため、人びとを束ねたのは神官であろうという考えがある。
人びとは神のために働き、祭を行った。このためにさまざまな祭の道具をつくる技術や
知識、文学、宗教といった文化的なものが生まれた。
こうしてティグリス・ユーフラテス川に栄えたシュメル人たちの文明は、巨大な富を築
くに至った。
これをみれば、シュメル人たちの文明は、「税を納めるのに必要な『共通の基準』」を必
要としていないように考えられる。人びとは税を納めるためというよりも、神に喜んでも
らうため、自分たちが協力することで食べてゆくために農耕を行っていたように考えられ
るからだ。これが税を納めるために働き始めると言ったように変遷してゆく背景には、支
配者たちの欲望の変遷があったに違いない。
「神々に喜んで頂き、そのお返しに自分たちを幸せにしてもらおう」という欲望から、
「よ
り多くの富を築くことで自身の力を強大にしてゆきたい」という欲望へとシフトしていっ
たと考えられる。その原因が、いつまでたっても神の恩恵を受けることが出来ないという
不満からくるものなのか、単に欲の深い人間がリーダーの位置に来たことから始まったの
か、もっと別の理由があるのかは定かではないが、
「共通の基準」が必要と去れ生まれたそ
の経緯には、税の徴収に不可欠であったためでもあるだろうが、それよりも以前に、人類
の感覚が変化した結果だったといえるだろう。
コメント [MK104]: 全て「人類の感覚
が・・・」につなげるだけの論になってい
ます。反対の論を検証してみる必要があり
ます。
参考文献
コメント [y105]: 明瞭区分性が満たされて
中央公論新社「世界史」著:ウィリアム・H・マクニール 訳:増田義郎、佐々木昭夫
いません。おそらく、主従関係も満たされ
ていないのではと推定します。複数の情報
源を参照しましょう。
今回の授業で興味を持ったことは、他者に大きさを伝えたり、誰かと何かを貸し借りし
たりするときに必要である「基準を統一する」ということが、すでにメソポタミア文明の
時代に目指されていたということです。どのように基準を統一したのか調べてみたところ、
古代オリエントについて詳しい京都大学名誉教授前川和也氏によると「南部メソポタミア
では度量衡システムが農業慣行と深く関係しており、土地面積に関しては 1 サル、1 イク、
1 ブルという単位が用いられており、面積 1 ブルには 300 本の播種条が多かったので 1 ブ
ルあたりの標準播種量はちょうど 1 グル、収量は 30 グルと定められていた」(注)とあり、
数字や単位まで細かく決められていたことがわかりました。また、メソポタミア文明の時
代は六十進法が使われており、度量衡以外にも暦を決める際にも用いられ、人々の生活に
密接に関わっていたことがわかりました。基準を統一しても、時代の移り変わりによって
少しずつ基準が変わってくるので、その移り変わりの歴史について詳しく調べるというこ
とにも関心を持ちました。
コメント [MK106]: どうして関心を持つの
かを考えてみて下さい。
<参考文献>
(注)
(大阪学院大学 Nwes Letter No5
http://www.osaka-gu.ac.jp/php/ecohistory/pdf/News%20Letter%20No5.pdf#search='%E5
%BA%A6%E9%87%8F%E8%A1%A1+%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82
%BF%E3%83%9F%E3%82%A2'
2015/5/16 閲覧)
今回の授業を受けて、体の長さを使った単位というものに興味を持ちました。寸・イン
チは親指の幅を使いフィートは足の大きさを使うという。ほかにも、キューピットや 1 尺
という体を使った単位もある。キューピットとは、
「古代エジプトの王様が定めた単位。王
様が、自分の腕を曲げた時の、ひじから指先までの長さが 1 キューピットである(四国電力
「サインスワールド」の項目による)。また、一寸とは、「古代の中国で使われていた単位。
親指と人差し指を広げた長さと、指を 10 本をそろえた幅が同じことから、これを 1 尺とし
た。(四国電力「サイエンスワールド」の項目による)。このように長さをはかるためのもの
コメント [MK107]: 出典は本ですか?WEB
として体が使われていたというのはとても興味があり、とてもおも白いと思った。
ですか?
コメント [MK108]: 読み返しましょう。
日本の升の使用について、大きさの異なる升が用いられていたという点に関連して、日
本の古代の徴税法について調べた。
・天平の税法
政府の出先機関や納税者の便宜のため、土地の豊肥の程度や国の遠近によって税率に差
を設けるに当たり、その土地調査用の升の容量そのものに差をつけておくことがなされた。
「撰定交代式」に「天平六年七道検税使算計法」があり、それによれば「東海道以二千七
百寸為角斗法、東山道以二千八百寸為角斗法、山陰道以三千二百寸為角斗法、山陽道以二
千七百寸以角斗法、西海道以三千二百寸為角斗法、南海道以二千八百寸為角斗法」とかな
り細かい段階を設けている。
・鎌倉時代の度量衡
永禄12年、北条家は升座12人を置き、升の製造を専ら行わせ、しかも貢納と支出の
升を異にさせたといい、長曽我部家もこれにならったという。
参考文献:小泉袈裟勝『度量衡の歴史』
このように、各時代で升は、徴税の唯一の手段であり、その量が直観的に判定できにく
い、ということから升を用いた便法が行われていたことが分かった。
コメント [MK109]: 大きさが異なる枡が使
われていたこととどう関連しますか?
今回の授業で私は各国の基準から世界標準への制定の過程に興味を持った。当時、徐々
に国際化が進み、世界共通の基準が必要であっただろう。
国立研究開発法人 産業技術総合研究所 計量標準総合センター「国際計量室」によると、
1875 年にメートル条約により「メートル法を国際的に確立し、維持するために、国際的な
度量衡標準の維持供給機関として、国際度量衡局を設立」され、その後、
「国内単位の統一
をはかり、土地や建物の表記を除き 1959 年からメートル法が完全実施」された。
それにはセンチメートル、グラム、秒を基本単位とする CGS 単位系、メートル、キログ
ラム、秒を基本単位とする MKS 単位系、メートル、トン、秒を基本単位とする MTS 単位
系などがある。
度量衡についてインターネットで検索してみた。
釣竿の長さで使われている単位「フィート」や、ボクシングのグローブで使われている
コメント [MK110]: いつ、国際課とは具体
的にどのようなことを言うのですか?
単位「オンス」があった。
「オンス」は大きさを表すものかと思っていたが重さや質量を表
すことだとしって驚いた。
参考 URL
http://www.benricho.org/doryoko/hyo.html
コメント [y111]: 制作者の名前、ページの
タイトル、閲覧日を書くように。
今回の授業は、度量衡の歴史についてでした。今まで度量衡という言葉を耳にする事も
なく、言葉もその意味も初めて知りました。まず単位の歴史の長さに驚き、次に私達が大
きさを正確に他者に伝えたいとき必ず単位を用いる事を聞き、普段あまり意識することは
なくても単位は人の生活に密接に関係していることに気付きました。
授業で興味を持ったことについてですが、なぜ人間は初め自らの体を基準に単位を定め
たのかについて気になったので調べました。
『単位のおはなし』という書籍によると、長さの単位が手幅や足の長さ、ひじの長さな
どから出発したのは「人間のこのような身体の部分は、例えばある人種の成人の間ではそ
んなに大きい違いはなく、原始時代の掘立小屋を造るには充分共通性があった」からです
コメント [MK112]: 断定して良いのでしょ
(小泉袈裟勝、『単位のおはなし』、日本規格協会、1979/7/1、P8)。
うか?あなた自身がそのように断定したこ
しかし、人間の物を作る技術が発達すると、この人による違いが問題になりました。
とになります。
また、今も世界で単位を統一しようとする試みが行われていないのか調べて見たところ、
同書に国際単位系(SI)についての解説がありました。今、国際単位系の基本単位は電流、温
度、光度、物質量、長さ、質量、時間の七つの基本単位があります。現在、世界中の国々
が国際単位系(SI)を統一・採用するよう急速に準備が進められていますが、なかなか統一で
きないのが現状です。それは SI を用いるよりも分かりやすい例があるからです。授業でも
あったように、部屋の広さを表すとき平方メートルで表すより、何畳で表す方がなじみが
ありますし、容易にどれほどの広さなのか想像できます。なにもすべて SI で統一する必要
はなく、国独自の単位を使っても問題ないのではないでしょうか。ただ、今はグローバル
化が進んでいるので、日本で生活する海外の方が増え、日本人独自の単位が理解できず困
る事もよくあると考えられます。そのような場合は SI を用いたほうが便利でしょう。
私は升について興味を持った。
、メートル法採用後の明治 24 年に、立方メートルを基準
にして 1 升133100分の2401 立方メートルと定めた。これは、約 1.803 907 リッ
トルに当たる。日本において「升」という単位は大宝律令にまず見られる。日本では、当
時の唐の升を導入し、大升を約 0.71 リットル(新京升の約 0.4 倍)
、その 3 分の 1 の小升を
約 0.24 リットル(0.1 倍)としたとの説がある。
コメント [MK113]: どうして?
単位の違いによる不便は、現代でも多々見られます。その中でも僕自身、身近に感じた
不便は、日本と米との間にある服のサイズの違いです。米の L サイズの服をなんの気なし
コメント [MK114]: サイズは単位でしょう
か?
に買うとすごく緩く、失敗した経験があります。
単位の違いで、世界的に最も目立つのは通貨だ。私達が日常的に使用している「円」と
いう単位は、外国では「ドル」であったり「ルピー」であったり「ユーロ」であったり、、、
各国各地、様々な通貨単位が使用されている。今現在、世界各国で貿易が行われている中
で、「宣旨枡」が「市枡」に駆逐されていったように、少数派である通貨単位が「ドル」な
どの多数派通貨単位に駆逐され統一されていかないのはなぜか。
安倍政権の「量的金融緩和政策」により円安が進んだが、円安という現象は世界で通貨
が統一されていない事によって起こる現象であり、統一されていれば、円安による輸入品
価格高騰が嘆かれたりはしない。しかしながら、
「A,Bが共通の通貨をもち、同じ政府に
よって完全雇用政策がとられている二つの地域を例に出している。この場合B地域からA
地域への需要の移行はB地域に失業圧力が、A地域にインフレ圧力がかかる(ここでAB
両地域問の労働力の移動性がないことが前提されている)
。B地域の失業圧力を緩和するた
め通貨当局が通貨の供給を増大させるとA地域のインフレ圧力が倍加する。逆にA地域に
インフレが生じないように引締め政策をとるとB地域の失業が増大する。従って完全雇用
政策はこの場合、この通貨圏に対してインフレ・バイアスを生じさせ、アソチ・インフレ
政策は失業を発生させる」
(「最適通貨圏論考」 清水貞俊)、つまり大きすぎる地域で通貨
を統一すると各地域の経済変動に対処しきることができないのである。よって世界的な通
貨統一は世界経済の秩序のために行われず、現在のような多数の通貨単位が用いられてい
る。
コメント [MK115]: どこまでが引用で、あ
なた自身の言葉はどれですか?
自分は「本当にフィートにフートという読み方があるのか。
」という疑問をがあったので、
フィートについて調べてみました。
日本語ではフィートのほうが浸透していますが、これは基本の単位フットの複数形です。
発祥は、言葉のとおり「成人男性の足の長さ」です。(今でもこの身体尺はかなり使うこと
ができます。)名詞を修飾する形容詞的に使う場合は、前につく数字が 2 以上でも単位は
単数形 foot のままです(「eigoriki.net の[生活]アメリカの単位(3)のページ参考)。こ
れから、読み取ることが出来るのは外国ではフットのほうがよく使われているということ
です。さらに複名詞を修飾する形容詞的に使う場合は、前につく数字が複数の場合でもフ
ットを使います。しかし、読み方はフートではありません。フットです。それでも、フー
コメント [y116]: 「―」とか「っ」という
トとフットに大きな差はありません。したがって、フートという読み方は正しいと言えま
のは日本語の音素であって、英語にはあり
す。
ません。英語は長音と単音の区別もしませ
ん。日本語で「フート」
「フット」
「フト」
と書いたものをそれぞれ英語話者に読んで
あげたら、聞き分けられないはずです。日
今回の授業のなかで、物にはそれぞれその物にあった単位があると聞きました。
本人が L と R の区別ができないのと同じこ
そのことに興味を持ち調べてみました。
とです。
私たちが普段使っている長さの単位に焦点をあててみるとミリメートル、センチメート
ル、メートル、キロメートルがあります。測定する物体によってこれらの単位を使い分け
コメント [y117]: 出典は?
ます。私たち人間の身長など時には、160センチや1メートル60センチといった単位
の使い方をし、ミリだけで表すことはしません。またとても小さいものを計測する時には
ミリメートルを使い 0.0000000000001 キロメートルなどというようには使いません。これ
らのようにその物にあった正しい単位を用いることにより、よりわかりやすくできると言
えます。
私は今回の授業で京枡に関心を持った。なぜなら、江戸幕府は京枡を使用しており、東
日本は江戸枡、西日本は京枡を使用していたように、2 つの枡が使用されていた時代、京枡
の使用が命令されることになった理由は何なのかという疑問が浮かび上がったからだ。
まず、京枡について知る必要があるため、京枡について調べた。単位の歴史辞典によると、
「京枡は京番、京判ともいう。秀吉が太閤検地を行い、石高を統一算定するために定めた
枡。京都で布令したのでこの名がある。
『多聞院日記』の天正 14(1586)年 10 月 9 日の日付
で「今迄ノ十合ノ二合入也ト」
、つまりいままでの一升枡より二合多く入るということであ
る。当時一般通用の一升枡は今の八合ほどになっていたと見られる。秀吉の統一策と年貢
の増徴策である」(柏書房 図解 単位の歴史辞典 新塗版 小泉架裟勝 編)とある。
つまり、京枡の使用における命令は秀吉の政策の一部であった。しかし、鎌倉時代には後
三条天皇によって宣旨枡が制定され、公家や寺社によって使用されたにもかかわらず、室
町時代には農民や商人によって市枡が使用され、宣旨枡を駆逐していった。では、京枡の
使用が命令された江戸時代はなぜ室町時代のように市民の立場において有利な枡が京枡を
駆逐することができなかったのだろうか。
ここで、時代背景を考慮する必要がある。江戸時代の前の戦国時代では群雄割拠やヨーロ
ッパ文化との接触があった。このような時代において基準を統一することは、群雄割拠の
コメント [MK118]: 署名に『』を付けまし
ょう。
上で権力者が市民から税を公平に徴収し、ヨーロッパ文化との公平な交易をする上で必要
不可欠な政策であったといえる。なぜなら、基準を統一しないと市民から徴収する税が江
戸枡と京枡で異なり、江戸枡を使用する東日本の群雄は都合が悪くなり、ヨーロッパとの
コメント [MK119]: 何時代のことを論じて
交易においても公平な取引ではなくなるからだ。
いるのですか?
よって、時代背景を考慮すると江戸時代では室町時代のように市民の立場で有利な枡が京
枡を駆逐することはできなかった。このため、基準を統一し、権力者や国にとっての不都
コメント [MK120]: 根拠史料は?
合をなくすために京枡の使用が命令されることになったと考えられる。
今日の授業では、特に物を測ることについての講義でしたが、いままであまり考えたこ
とのなかったようなことを知れたのでとても有意義な講義でした。特に世界の地域によっ
て物の長さを測るだけでも千差万別で多くの単位があり世界には長さの単位だけで70近
い数があり、日本にも間、尋、丈など自分が知らないような単位があり調べれば調べるほ
ど自分が知らないことが多く、自分が普段何気なく使っているようなことも自分が知って
いるのは、上辺だけで奥が深いんだと改めて感じられました
コメント [MK121]: 褒めて頂けて有難いで
すが、ただの感想ではダメです。
インチについて
元々のインチは男性の親指(爪の付け根部分)の幅に由来する身体尺だったとされている。
コメント [MK122]: どうしてこれを調べた
のですか?
古代ローマにおいて、フィートと関連付けられてその 12 等分した長さが 1 インチとされた。
国際インチにおける 1 インチは正確に 25.4 ミリメートルと定められている。
イギリスとアメリカではインチの基準が違い
アメリカでは 100/3937 メートル
イギリスでは帝国ヤード標準原器の 12 分の 1 とされていて約 25.3998mm とされている。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/インチ
開国後の度量衡の遷移についての苦労ともし世界基準の単位を作ることのなった場合の
苦労について検討したかった。
「江戸時代、幕府の制限により、秤の製造に変化はなく、発展もなかった。使用に便利
になるよう、さまざまな工夫を施し、苦労努力したあとが見られる。明治以降、欧米より
輸入されてきた新しい秤は、官民ともに戸惑いを覚えた。(抜粋、要約)」
(度量衡考(はかりの話) 山下喜吉 http://ci.nii.ac.jp/naid/110002345602)
コメント [MK123]: 「苦労と、もし」と書
いた方が読みやすいでしょう。読点も重要
です。
コメント [MK124]: 具体的にどのような苦
労ですか?
一度やりやすいやり方の年貢のとりかたを決めてしまうと変えることは難しいし、その
ためには時間とお金が必要である。開国後は文明開化によりいろいろな文化を受け入れて
吸収していくことが必要であった。そのため、苦労しつつも海外の秤を取り入れ、貿易の
ために使用していった。現在のいろいろなものの単位は成立までにそれなりの苦労や時間
がかかって波及したものであり、簡単に変えることは難しい。世界統一基準である単位を
作るとなると、時間がかかるだろうし大変な論議が巻き起こりそうだ。もしそのような基
準を作ることになったら、なにを基準にするか、 国同士で争うことのないようにゆっくり
やってほしい。
コメント [MK125]: 人任せですか?
日本酒は一般に「合」という単位を用いて表される。1合は 180ml である。
一般的にお酒はどのくらいが適正飲酒量といえるのであろうか。
酒種
度数
量
いるのですか?枡からのつながり?
日本酒
15
ビール
5
中ビン一本 500ml
焼酎
25
0.6 合 約 110ml
ウィスキー 43
ワイン
14
缶チューハイ 5
コメント [MK126]: 講義のどこと関連して
1合 180ml
ダブル1杯 60ml
1/4 本
1.5 本
180ml
520ml
内海先生は1合を20杯くらい飲まれると講義の中でおっしゃっていたが、これは明ら
かに一般的な基準とはかけ離れたものである。
コメント [y127]: そのとおりですね。
講義の中で、明治時代に岩倉使節団が海外を回って様々な国のものを図る単位を調べた
とあった。キリンのウェブページによると日本人の半分はアルコールに対する耐性が弱い
そうである。
私たちは、先人たちがもたらしてくれた単位の互換性により、上記のように酒類ごとの
適正飲酒量を知ることができる。しかし、日本の代表のように接待された岩倉使節団が、
飲酒をしないとは考えにくく、日本酒のおよそ2‐3倍の度数があるウィスキーなどを日
本酒と同じペースで飲んだのであれば、大変な事態になったことは想像にたやすい。
先人たちが示してくれた単位で、適正値がわかる世の中である。しかし、個体差がある
ことは周知の事実であるので、適正値を参考に、自分に合った基準を作り、それを意識す
ることが重要ではないかと考える。
参考文献:キリンウェブページ http://www.kirin.co.jp/csv/arp/fundamental/japanese.html
公益社団法人アルコール健康医学協会 http://www.arukenkyo.or.jp/health/base/
コメント [y128]: それは違うでしょう。
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