...

地方創生につながる 観光事業を展開

by user

on
Category: Documents
14

views

Report

Comments

Transcript

地方創生につながる 観光事業を展開
内なる
グローバル化
地方創生につながる
観光事業を展開
WALK JAPAN
役員
ポール・クリスティ
大分県の北部、国東(くにさき)半島に位
識しなかった、この個人的な趣味が、今では
置する杵築市大田。この地にたたずむかやぶ
会社の CSR(corporate social responsibility)
き屋根の家が、現在の私のオフィスです。大
活動の中核となっているのです。
田は、人口わずか 2,000 人足らずの小さな集
落ですが、田畑が広がり、緑の山々はすぐそ
ばに見える、美しい地です。
そもそも私が初めて日本の「地方」に興味
を持ったのは、1987 年に留学生として初来
日本人でさえ知る人が少ない、この地域に
日した埼玉県川越市からでした。日本人は
私がロンドンから移り住んだのは 13 年前の
シャイな国民だと思われていますが、ホーム
ことです。当時、ロンドンでメディアの制作
ステイ先の日本人家族とその町の人々に接し
の仕事にフリーで携わっていた私は、都会暮
た時、その認識は一度で覆されました。私の
らしよりも、地方の田舎で暮らしたいと思う
故郷である英国のケント州の人々は優しいけ
ようになっていたのです。
れど、とても内向きで他人に対してもガード
そんな私に、仕事で知り合った北九州の人
が堅いのですが、それに比べるとお世話に
に紹介されたのが、ここ大分県の国東半島で
なった先のホストファミリーとその町の人々
した。神と仏の里と呼ばれる半島を巡り、旅
は、驚くほどオープンな人たちでした。ファ
をしながら大田に入った時、私はここに住も
ミリーの友人、知人はもちろん、町の人たち
うと決めました。しかし、私のようなよそ者
も気軽に話し掛けてくれたり、遊びや祭りに
で、ましてや「ガイジン」を住民として受け
誘われたり、なじみのお店に連れていってく
入れてもらえるだろうか? そのためにま
れたり…と、まるで旧知の間柄のように気さ
ず、私が行ったことは、住民の信頼を得ると
くに接してくれたのです。
いうことでした。進んで農家の方の手伝いを
この時の印象で私は日本が大好きになりま
したり、荒れた地を整備したり、草刈りをし
した。28 年前から比べると、現代の日本は
たり、クヌギの木を倒したり…それはハード
核家族化も進み、コミュニケーション不足で、
ではあったものの、私にとっては楽しい作業
殺伐とした関係にあると思われがちです。で
であり、地域のお手伝いをすることにより地
すが、大都会を離れた地方には、本来のおお
区がきれいになるだけでなく、住民たちの信
らかな性質を持つ日本人と、日本の原風景、
頼も得ることができたのです。
文化は、30 年近くたった今でも、至る所に
そして、17 年間空き家だった古家を買い取っ
て改築し、再生も行いました。当時は何も意
12 日本貿易会 月報
残って生きているのです。
日本人も忘れかけている、「本来の日本」
地方創生につながる観光事業を展開
の姿を、海外の人たちに見て、地元の人たち
観光地ばかりを巡り、時間に追われながら、
と間近に接して、日本を好きになって旅をリ
写真だけ撮っていく観光ツアーは、記録だけ
ピートしてもらいたい。そんな思いから、ツ
しか残りません。歩く速度は、人間にふさわ
アーを提供するのが、WALK JAPAN なの
しい時間です。中山道だけでなく、リアルな
です。
日本を知ることができる地方を歩く旅は、多
くの人が望んでいたことです。だからこそ年
WALK JAPAN という会社は、香港大学
間 3,000 人にも及ぶお客さまたちが、それぞ
の 2 人の先生の試みから 1992 年に生まれま
れにツアーに満足して大喜びをしてくれます。
した。その後 1997 年から私はツアーリーダー
客層としては、修学旅行の学生たちから、
のお手伝いとして関わり始め、2001 年には
ゆとりのできた中高年世代までさまざまです
事業を引き継ぐこととなりました。
が、年々リピーターも増えています。かつて
今、日本は地方創生と観光事業に力を入れ
私たちが現在ほど PR やマーティング活動を
ていますが、WALK JAPAN では、すでに
行っていなかった時でさえ、旅した人々の楽
20 年以上前から、地方に可能性を見いだし、
しそうな口コミにより、規模の限られた会社
観光事業によって地方創生につながる事業を
であるにもかかわらず、海外での知名度は常
展開してきました。
に高い状態を保っていました。
2 人の先生は、香港大学の学生たちを日本
に連れてきて、共に旧五街道の一つである中
私たちが組み立てるツアーは、一般的には
山道を歩きながら、日本の歴史や地理学、社
注目されていない、日本で暮らしていなけれ
会についてなどを研究しました。そのことが
ば知り得ない地方の魅力を紹介するものが中
きっかけとなり、後に一般の人々が参加でき
心となっています。私たち自身が行ってみた
る「Nakasendo Way」というツアーが生ま
いところ、楽しめるツアーを企画していまし
れました。以降、改良を加えながら、ずっと
た。それが、全てのツアーを組み立てる上で
継続しています。
の基本となっているのです。
この中山道ツアーは本州中部の内陸側の
さらに大切なことは、「信頼」です。お客
街道、京都の三条大橋から東京の日本橋ま
さまをはじめ、宿泊施設や地元の方々の信頼
でを歩く旅です。全長 544km のうち、合計
を得るためには、地道に実績を重ね上げてい
130km ほどを歩き、それ以外は貸し切りバ
く他に道はありません。新規のツアーを開拓
スではなく、公共の交通機関である地方線や
する時には、何度も現地へ足を運び、常に実
路線バスを使い、宿泊は民泊や温泉付きの快
態を確かめ、どのように内容に深みを出すか
適な旅館など、バランスを考えて盛り込んで
などを熟考し、それらを自分の肌で感じ取る
います。約 10 日間かけてゆっくり街道を歩
のです。場合によっては 3 年以上かかる作業
くことで、江戸時代の日本の歴史から、日本
となることさえあります。ツアーは生き物で
の文化、現代の日本社会のシステム、都会か
す。これで終わり、というものはありません。
ら地方までの風景、そして、今そこで生活を
時代の変化、町の変化、人の変化、良くも悪
している地元の人々に直接触れ合うことがで
くも変化し、そのたびに新鮮な発見もあるの
きるのです。
です。トラブルも転じて、気付きを与えてく
2015年10月号 No.740 13
内なる
グローバル化
れます。そうやって一つ一つ積み重ねてきた
便さを感じません。空港から 15 分ですので、
経験が、WALK JAPAN の信頼を築き上げ
日本内外への移動も簡単ですし、高速度イン
たと言ってもいいでしょう。
ターネットがあるので世界中と交信できます。
現在、大田のオフィスには 17 人のスタッ
フが常駐し、日本、香港、英国、米国には
このインターネットは、田舎暮らしの可能性
をより高めてくれたと言っていいでしょう。
45 人のスタッフたちがいます。わが社は、
この地で家を買い取っただけでなく、山も
スタッフを選ぶ時、男女、年齢、国籍、学歴
買い取り、森を再生しています。最近では、
など、何の制限もありません。才能が発揮さ
高齢化と後継者不足に悩む農家が手放したい
れ、馬が合っていれば、それでいいのです。
田畑の買い取りも行っています。放置された
気にいる根拠さえも正直、分かりません。た
空き家、荒れた農地、光が入らなくなった森、
だ、カンとしか言えないからです。ただし、
それらに少しずつ手を加え、新たな命を吹き
直感で選んだスタッフは、今までほとんど間
込んでいきます。すっかり変わっていく風景
違ったことがなく、情熱的に仕事をしてくれ
を見て、土地の人たちは喜んでくれます。さ
ています。みんながこの会社で働くことを楽
らに国外から、その地に訪れる人がいること
しんでくれているのです。
で、長年住んでいる自分たちが気付かなかっ
最初は研修として、何度かベテランツアー
た魅力を再発見しているのです。農業や林業
リーダーと共にツアーに参加し、基本を身に
を営む若い人が増えれば、もっと活気づくこ
付けてもらいますが、そのうち一人でもリー
とでしょう。このような一連の活動であるわ
ダーとして引率していけるようになります。
れわれのコミュニティプロジェクトを通し、
彼らがツアーを自ら楽しみ、少しでもトラブ
衰退傾向にある社会が、より将来性のある社
ルがあった時はその回避法を、または素晴ら
会に変わっていくために日々お手伝いできる
しい所を見つけた時や、良いアイデアが浮か
ことは、私にとってとても楽しみなことなの
んだ時などは、その情報を全員でシェアでき
です。
るような環境を常に心掛けています。
13 年前、旧大田村に移り住んだ時、この
その代表的な試みとして、6 ヵ月ごと、年
ような計画はまったく意識していませんでし
2 回行っているツアーリーダーのための研修
た。しかし一つやりたいことをやると、また
会があります。この研修により、ツアーリー
その先にやりたいことが現れてくるのです。
ダー同士が活発につながり合い、お互いに情
そうやって事業もコミュニティプロジェクト
報共有をしたり、喜びを分かち合ったりする
も進行してきました。それほど、私にとって
ことで、よりイキイキとしたツアーを生み出
日本の「地方」とは、未知の可能性を秘めて
していくという循環が生まれます。このよう
いて、モチベーションを上げてくれるものな
な流れがあれば、安心して彼らにツアーを任
のです。
せることができるのです。
今は、海外の人だけでなく、日本人に日本
の良さを再発見してもらうためのツアーを構築
WALK JAPAN の拠点となっている杵築
中です。やがて、老いも若きも、都会も田舎も、
市大田で、私は妻と 3 人の子どもたちと住ん
国内外も、ボーダーを超えて交流できる社会
でいます。田舎ではありますが、まったく不
が来ることをひそかに夢見ているのです。
14 日本貿易会 月報
JF
TC
Fly UP